#繁延あづさ
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反スパイ法のない日本、外事警察の苦闘
櫻井よしこ
わが国は、四桁に迫る数の自国民を北朝鮮という国家権力によって拉致されたまま、約半世紀、取り戻せないでいる。
13歳で拉致された横田めぐみさんは59歳になった。母上の早紀江さんは、日本はなぜ、国民を取り戻せないのかと問い続け、新しく拉致担当大臣が就任する度に「真剣に取り組んでほしい」と要望する。歴代内閣は拉致解決を政権の最優先課題と位置づけるが、吉報は未だ訪れない。
第二次安倍政権の7年8か月間、安倍晋三総理を支えて国家安全保障局長等を務めた北村滋氏は、近著『外事警察秘録』(文藝春秋)の冒頭で当時の拉致問題への取り組みを記した。めぐみさんのものとされる遺骨が螺鈿(らでん)装飾の漆器調の器におさめられて日本側に手渡された時、その遺骨は警視庁鑑識課で横田御夫妻に示された。目に涙を浮かべた父上の横田滋さんが無言で坐る傍ら、早紀江さんが沈黙を破った。
「めぐみは生きていますから。これは警察の方でしっかりと調べて下さい」
早紀江さんは毅然と言い、「遺骨」を証拠として鑑定処分に付することを承諾して下さった。「それは娘の生存に対する確固たる信念の発露」だったと、北村氏は書いた。
周知のように、遺骨はめぐみさんとは無関係だと判明し、日本国内の怒りは頂点に達した。だが、振りかえってみれば拉致は金正日総書記が2002年に認めるまで日本での関心事にならなかった。遡って1988年3月、梶山静六国家公安委員長及び警察庁の城内康光警備局長が、「一連のアベック失踪事件は北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」と答弁した。
北村氏の指摘だ。
「拉致事件について国会で閣僚と警察の責任者が断言し、それと前後して日本人が拉致されたことを示す具体的な情報が複数取りざたされていたが、それでも捜査に追い風は吹かなかった。北朝鮮の国家犯罪の追及は当時、日本政界を支配していたムードに逆行するものだったのだろう」
事実、89年7月には土井たか子、菅直人の両衆院議員らが北朝鮮の工作員・辛光洙の釈放を求める要望書を韓国に送り、90年9月には自民、社民両党が「金丸訪朝団」を結成して訪朝した。当時は日朝友好親善の機運が高まっていたのだ。
世界一、与し易い国
警察が拉致を防げなかったこと、捜査が進捗しないことについての批判は依然として強い。北村氏は言い訳するつもりはないとしたうえで、日本国の体制に注視する必要性を指摘する。まず第一に、スパイをはじめわが国の国益を深刻に侵害する犯罪を直接、適切な量刑で処罰する法律がないことだ。米国では死刑、終身刑、数十年の懲役刑となるような犯罪が、わが国では北朝鮮のスパイ事件に見られるようにほぼ全員、軽微な刑罰にとどまると北村氏は指摘する。
警察庁が認定してきた1950年から81年までの北朝鮮スパイ事件42件に限れば適用された罪名は「出入国管理令違反」等の微罪にすぎず、執行猶予が付くケースが多いという。
第二次安倍政権が「特定秘密の保護に関する法律」(特定秘密保護法)を難産の上成立させたとはいえ、今もまだ拉致問題に典型的に見られる対日有害活動を直接処罰する法律は制定の動きすらない。安全保障に疎いわが国の、これが現実である。
『外事警察秘録』の頁をめくる度に、日本の安全保障体制が法的にも国民の意識という点においても如何に貧弱かを思い知らされる。北村氏が41年間のキャリアを振りかえって取り上げた事件は拉致問題、重信房子の日本赤軍、麻原彰晃のオウム真理教、暗躍する中国スパイなど、実に幅広い。一連の事例から浮かび上がるわが国の姿は、悪意を持った犯罪者にとって恐らく、世界一、与し易い国のそれではないだろうか。
日本と日本国民を守る手段(法整備)に事欠く中で、北村氏らは国内世論の無理解、日本政府内に蔓延する気概の喪失とも戦わなければならなかった。たとえばオウム真理教事件で、早急に打つべき手のひとつが麻原彰晃ら最高幹部の国外逃亡阻止だった。
彼らは当時頻繁にロシアに渡り、レーザー兵器、ウラン、軍事用ヘリコプター、毒ガス用の検知器、自動小銃などを入手した可能性があった。そこで北村氏ら外事警察は��旅券法に基づいて、麻原に旅券返納命令を出してほしい」と外務省に要請。95年3月30日、警察庁長官の国松孝次氏が狙撃された当日のことだ。外務省担当者はこう返答したという。
「返納命令を発出してもし報復テロの対象として我々が狙われたらどうなりますか。警察庁長官ですら銃撃から守れなかった日本警察に部外者の我々を守り切れるのですか」
テロリストの思う壺
最終的に旅券返納命令は発出されたが、恐怖心を煽って政治的目的を果たそうとするテロリストの思う壺にはまっている日本の姿がそこにあった。氏はまた警察庁外事情報部長だったとき、スパイ事件に関する日米の分析検討会議に出席した。日本の摘発事例を説明した際、米側の出席者がたまりかねた様子で尋ねた。
「日本警察が摘発した事件では、そもそも公訴の提起がなされなかったり、スパイ協力者に対する求刑が懲役一年から二年程度だったりすることが多い。判決では執行猶予が付され、釈放されるケースばかりだ。なぜなのか」
日米同盟という関係の中で、日本から情報が漏れれば米国も一蓮托生だ。米国側が懸念するのは十分に理由のあることなのだ。
北村氏は、日本の刑事法にはスパイ行為を直接罰する罪が存在しないこと、したがって捜査機関は、スパイがその情報を入手するためのプロセスを徹底的に精査し、あらゆる法令を駆使して罪に問える罰条を探し、スパイ協力者はその共犯として立件すると説明したが、到底、理解してもらえなかったという。
「米国では、情報を漏らした者はもとより、情報を探知し、盗み出した者を、より重罪とする。量刑は最高で死刑だ。(中略)終身刑や被告の寿命を遥かに上回る数十年の拘禁刑という事例も散見された」
北村氏はこう書いたが、これは中国、ロシアを含めておよそ世界の国々の常識であろう。
インテリジェンスの専門家が振りかえる安倍政権、7年8か月の軌跡は、案件のひとつひとつが生々しい記憶をよび起こす。独立国としての日本の再起に文字どおり命をかけた安倍晋三総理。第二次政権発足の翌日、内閣情報官としての第一回総理ブリーフィング(報告)を終えて退出する北村氏に安倍総理が声をかけた。
「これからも時々、報告に来てください」
週一回だった定例報告はそれ以来、週二回となった。安倍総理はインテリジェンス報告に多くの時間を割いた。情報こそが国の命運を決することを正し��理解していた宰相なき後、わが国の前途は多難である。
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〇私説 お地蔵さまとはなにか 「お地蔵さま」「お地蔵さん」という概念の起源にして中心になるものは間違いなく仏教における信仰対象のひとつである「地蔵菩薩」です。一方で地蔵菩薩と「お地蔵さま」「お地蔵さん」(以降かぎ括弧は省略)は明らかに同一ではありません。お地蔵さまは庶民の様々な思い・願い・欲望と混交して膨大で曖昧な概念と実体(彫像)の集合体を形成しています。その混交は特に彫像において顕著です。 桐野東福さんのコメントにある「本体と端末」という譬えは私にもとてもしっくりきます。但し、各地の端末はその地域古来の思想、物語、宗教と混交してしばしば本体とは異なるものを生み出しました。例えて言えば「中央省庁の出先機関が地元にある様々な施設に入居・同居して地域に密着した新たなサービスをやりだした」というのが私の考えです。以下に説明を試みます。 https://ja9mjb.blog.fc2.com/img/20241223073629ca0.jpeg/ 〇混交についての説明 1 道祖神・土地神様と混交 道祖神は行路安全や疫病・悪霊の侵入を監視し、派生して子孫繁栄や子供を守る日本古来の神様です。仏教が日本全土に広まるにつれ、あちこちで道祖神の働きをする地蔵像が作られました。地蔵菩薩が庶民の目に触れるところに進出したことになります。 【以下憶測・根拠なし】各地に地蔵菩薩を(ひいては仏教を)広めるため寺院側が意図的に混交させたのかもしれません。 2 庶民の切なる「願い」の受け皿となり混交 2つ目も庶民の願いと密接な関係があります。いつの世も庶民の願いの最たるものは安産や子の健やかな成長を願う「子安信仰・子安教」です。出産や子育ては非常に困難で大変なことでした。安産や子の健やかな成長を願うのは当然のことです。そうして子安神社、鬼子母神、コノハナサクヤヒメ、子安講などが生まれました。 本来現世利益を与えるものではなかった仏教も例外ではありませんでした。地蔵菩薩は衆生救済のために現世に遣���された菩薩ですので、この子安信仰と結びついて「子安地蔵」に変質しました。仏教関連ではこの他に子安観音、子安大師などがあります。 庶民の願いと結びついた(子安以外の)地蔵様としては水子地蔵、酒断地蔵、身代地蔵、延命地蔵などがあります。 3 合掌しているお地蔵様は何者か (中心概念である)地蔵菩薩は菩薩でありご本尊様ですから、本来は祈り合掌される対象です。しかしお地蔵さまには合掌しているものがあります。これに関してはよく判りません。 【以下憶測・根拠なし】 ・観音菩薩と混交したのかもしれません。 ・地蔵菩薩は修行中であるとも言われます。彫像を造る際に(同じく修行中の身であろう)僧侶や小坊主の像と混交したのかもしれません。 ・像を造る人は専門の職人・石工さんです。宗教的知識がなくて混同したのかもしれません。もしくは意図的に曖昧にして汎用化を狙ったのかもしれません。 〇 伝説・物語・寓話の発生 混交が起こった様々な概念や彫像を考察すると、地蔵菩薩が突出して庶民に親しまれ浸透していったことが判ります。道端のお地蔵さまに今も草花が供えられているのを見ることがあるでしょう。「親しみ」の中から多くの伝説・物語・寓話が生まれました。お地蔵さまが動き出して何かをするというのも自然な発想でしょう。[笠]地蔵はその最たるものです。お地蔵さまが親しまれた存在であること、僧侶や小坊主と混同して「人間と同じようなことをされる」というのはこの領域で起こりうる最も一般的な表現であり「間違い」でしょう。親しみがあるからこそ多くの物語が編まれ語られるのでしょう。 〇 私論のまとめ(再掲) お地蔵さまの基本概念は地蔵菩薩である。しかし庶民に親しまれ受け入れられる過程で様々なものと混交して「お地蔵さま」という膨大で曖昧な概念と実態(彫像)の集合体を形成している。 〇 追記(ぢぢいの今後のメモ) 「神」と「神様」と「神さん」、こちらは「お地蔵さま」とはちょっと違う気がします。 日本でも神と言いますが、「神々」と複数形で言うことの方が多いですね。どちらかと言うと西洋の絶対神を指して「神」と言う気がします。 「神様」は「神」と比べ日本的、八百万の神を表すことが多いかな。 「神さん」は「神様」の親称、本来敬うべき存在を近しい存在として親しく話す時に用いる。でもお地蔵さんほどの広がり・混交はないようだ。「仏」「仏様」「仏さん」にもあまり意味の広がり・混交はないように思える。 「さん」づけは「えべっさん」「天神さん」など関西的なものなのか?こういう区別は西洋にもあるのでしょうか? では敬う度合いが少し低い場合はどうか 「父」「おとうさま」「父さん」「お父さん」「父ちゃん」 これまた、言葉の意味の違いがありそうです。 日本語は難しいです。皆様は如何考えますか。
「MJBぢぢい」さんの地蔵論 - F爺・小島剛一のブログ
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伸びやかに砂浜を歩く
しばらくブログをサボっていた。書こうかな…と思うようなことはいくつもあったのだが、体調があまり良くなかったので書けなかった。 こういうとき、どうにもならない持病を持っているとイライラする。
9/10 仕事が終わってから大阪へ。『銀河英雄伝説』を読み返していて、大阪にある銀英伝のコンセプトバーへ行きたいという気分になり……友達の朝凪空也さんを誘ってバーへ。 繁華街の雑居ビル…! こんなところへいくことは田舎に住んでいたらほぼないので、めちゃくちゃどきどきしながらお邪魔した。 ロイエンタールとミッターマイヤーをイメージしたカクテルを頼んだら、店主さんがロイエンタールとミッターマイヤーの透明なパネルを出してくれて撮影を楽しむ。歌織さんの概念として、ゾンビモルカーを空也さんが連れてきてくれていた。
9/11 文フリ大阪。いつもより開場が早くなるかも? というメールが流れてきたので早めにOMMビルへ。とはいうものの30分まえだし……とカフェでスコーンとコーヒーを飲んでいたら空也さんが現れる。二人でモーニング(?)をして、開場へいくとびっくりするくらい長蛇の列ができていた。10時入場開始だが、入れたのは10時20分くらいで、さらに開場が早まったので、開場に準備が間に合っていないサークルがたくさんあったように思う。 再録だから出ないかな…と思っていた新刊『いづくにか、遠き道より』をお求めのお客さんが多かった。この本はKindleもよく読まれている。日々詩編集室から出た『ゆけ、この広い広い大通りを』も、文フリの価格帯にしてみれば高い方だと思うが、たくさん手に取ってもらえた。 本は、楽しみにしていた朝凪空也さんの第二歌集「滅びに向かう場所にて」と、出会ったときから出版社で本が出ることを心待ちにしていた詩人の海老名絢さんの『あかるい身体で』が買えたのでとてもうれしかった。 おかさんがちいかわちゃんの「うさぎ」のパックをくれたので、とっておきの日に「うさぎ」になろうと思っている。 帰りに隣接だった八束さんとたこ焼きを食べて帰る。タコご飯がおいしかった。
特筆を要することはこの二日くらいかな。
最近読んだ本で印象深かった本をいくつか。
『銀河英雄伝説』(田中芳樹・らいとすたっふ) 数年前に読んで、めちゃくちゃ面白くて「なんでもっと早く出会わなかったんだ…!」と思いつつ、あれより若かったらこの物語をちゃんと咀嚼できなかっただろうなとも思った。台風で労働を休んだので読み返した。相変わらずロイエンタールとシェーンコップがいとしい。そして、前回読んだときには未読の銀英伝がこの世から消えてしまうのがもったいなくてたいせつにとっておいた外伝も全部読む。 ヤンがユリアンを愛している姿、ロイエンタールがミッターマイヤーを信頼しているその深い情念、キルヒアイスとラインハルトの友情、その全てが、壊れてしまいませんようにと祈ってしまうほどうつくしく、愛おしかった。 そしてやっぱり、政治の問題と言うことをすごく考えたよね。政治的な言動を放棄してわたしたちは生きられない。生きることはそもそも政治的な行動だし、値上げをぼやくのも政治的な行動だし、沈黙も、逆に「楽しい話だけしかしない」のも政治的な行動だと思う。そして戦争を賛美し、戦争をしたがるひとたちほど、実際の前線には立たないと言うこと。わたしは「公文書に効力がある」という地点がすごくつらいですね。
『覇王愛人』(新條まゆ・小学館) 銀英伝8巻の傷に打ちひしがれていた誕生日、勧められて(?)読んだ。くるみちゃん、そんな男はやめとけ! と読者に言わせるいとまも与えず次々と襲いくる黒龍くんの横暴に一生減速しないジェットコースターに乗ってる気分だった。中華料理屋の息子が最後に報われて(?)良かったと思う…。
『滅びに向かう場所にて』(朝凪空也・ウェルウ��ッチア) 空也さんの短歌は、日常のしんどさや、ふんわりとわたしたちをとりまく理不尽がどんなものかを、目を逸らさずにしっかりと書いているところがすごく魅力的でそれはわたしが「いつのまにか」踏み越えていたり、踏み付けにしていることに気づかずにいた「誰か」の足だったり大切な物だったりすることに気づかせてくれるなといつも思う。生きているって、誰にとっても楽なことではないのに、「わたし」以外の人はなんか楽にうまいこと生きてるな〜と思えちゃうような傲慢さが私にはあるんだけど、誰にだって生きる地獄があり、「そこ」に立たねばわからんよ、見えないまま想像で断じるな、という強さと言えばいいのか。 強さ、と書いたけど、上からではなくて、同じ地平に立って指差して視線をそちらへ向けてくれるような、そういうねばりづよさ。 「無意識に使う両手は無意識に誰かに不便を強いている手だ」という短歌が私はとても好きなんだけど、「なに」という具体的なものを指さず、でも、自分の行動や、「両手が使えること」をはっきりと「どういうものか」を示してくれていたりとか。 こういう眼差しを持ち、それを言語化し、静かに丁寧に、複雑で難解な言葉ではなく音を巧みに使って心にするっと入り込みやすく表現してくれる稀有な表現者/歌集だと思う。 同時代に読めることがとても嬉しい。
『私と夫と夫の彼氏』(綾野綾乃・タタンコミックス) あらためてブログに書きたいと思っているんだけど、とても……とても良かった。ある日夫がゲイだと知ってしまった主人公美咲、夫悠生の浮気相手は実は主人公の過去の教え子周平で……しかも周平は、悠生だけでなく、美咲にも好意を抱いていた……。 この三角関係に対して、美咲は最初、悠生や周平を責めるんだけど、二人と対話や生活をしている内に、「三人で」関係をつくっていこうと同棲を始めることに……。 人間関係と「愛情」の書き方がとてもいい。「愛」というものが衝動的な一方通行ではなく、それまでに培ってきた信頼関係や一緒にしてきた経験を元にしているところに安心感がある。中心になる三人だけでなく、いろいろな「生き方」を選択している登場人物が丁寧に・肯定的に描かれていて、だからこそ衝突するし問題だらけで、ピンチが重なり続けるんだけど、そのつど言葉を重ねて、語られる言葉を聞いて、一緒に生活や行動をして、解決したり、すぐに解決できないことも、大切にしているのがいい。最新刊の9巻までを読んだんだけど、優しさと罪悪感から悠生が自分も周囲もつらい行動をとってしまったり、契機になりそうな出来事があったりと、もうとにかくつづきが早く読みたい……! めちゃくちゃ面白い。ドラマもU-NEXTで見られるようなので、タイミングを見計らって絶対見たい! と思っている。おすすめ。 パンセクシュアル・ポリアモリーという、偏見や好奇心で見られがちな属性について丁寧に書かれているのがすごくいいなと思ったし、わたしはポリアモリー的な感覚を強く持っているので、そして「どう関係を構築していくか」を肯定的に、真摯に物語の中で模索してくれていることがありがたくてうれしい。取りこぼされていないと思うし、物語のなかに居場所があるとも思う。このお話のまえに読んだ『ミモザの告白』という小説でも、悪者のように書かれていたポリアモリーの男子生徒への偏見が、最後に主人公の気づきによって完全な「悪」にされてしまわなかったことにも安心した。もっとこういうお話しが増えればいいな~と思う。
『鋼鉄紅女』(シーラン・ジェイ・ジャオ 早川書房) こっちもめちゃくちゃおもしろかった! 最近読んだ本の中で『私と夫と夫の彼氏』と双璧として並べたい本! 男女のペアが乗って操るロボット的なもので、未知の存在と戦うSFなんだが、これがもう~~~~~~最高!!! とにかく主人公の武則天がかっこいい……最初のペアの男を殺して「悪夢へようこそ」と告げる場面からもうずっと「アアアアアアアアアアアア!!!!!!! もっと!!!! もっとおねがいしますうううううう」ってなった。 この物語も「男女で一個の安定した関係」という通念に疑問を投げかけてくれるお話しだったし、家父長制につよく異議を唱える芯が通っていたのがすごく良かった! 人生のお守りにしていきたい……。 いろんなひとにすすめたいな~~~。 観た映画 『バービー』 『覇王別姫』
9月一ヶ月分のまとめみたいなブログになったな。 10月~11月がかなり忙しいので、生き延びられるのかどうかがわからない。とにかく頑張って生きようと思う。
次は『若槻菊枝 女の一生 新潟、新宿ノアノアから水俣へ』を読もうと思っている。本が読める時期らしいので、読める内に読んでおきたい。
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ヒロスエの手紙
ヒロスエのごく個人的な恋文が大衆に晒されたことがひたすらに悲しい。 有名人の個人的なことが暴力的暴露に晒されることにカタルシスを覚える者の感覚がまったくわからない。ヒロスエもまた自分と同じく人間であることを想像できない思考回路がわからない。その人が与えてくれる画面越しのきらめきを搾取するばかりで、自分の側からは相手に何の幸福ももたらし得なかった者たちが、ただただ身勝手に期待し身勝手に非難し、おのれの信じてきたものを守るためだけにひどく攻撃する。ヒロスエと自分があたかも対等であるかのように非難するくせに、ヒロスエが人間であることは認めない。その大衆のふるまいが憎い。あなたが信じるものと���ロスエが信じるものとは本来別物であって然るべきなのに、ヒロスエの倫理が自分と同じでなかったことを憎んで、好き放題叩く。あまりにも醜い。
不倫の報道があるたびに(そもそも不倫を報道することが是である社会が狂っているのだが)大衆は「婚姻制度」を揺るがす事態に動揺して、婚姻制度に反撥した個人を「死んでもよい」くらいの勢いで、思いっきり叩く。その弱さがゆえの攻撃性が私には憎くて仕方ない。婚姻制度を信じることのしょうもなさに、その思考停止に、気づく余地もなく大喜びで信仰してそれが与える正しさに淫して、そんな有様ながら自分が信じているものを信じきれていない弱さを他者への暴力という形に転化させてしまう、無恥。あまりにも愚かだ。暴力に淫する人間の無様なこと。
「愛」とか「好き」とかの、定義がさだかでないままに流布してしまった概念を扱うのが難しいのと似て、「婚姻制度」をどの程度確固たるものとして扱うかには時代による揺らぎがある。 自我を持つ同士の思想も感性も大きく異なる二者が育む複雑な関係がなす近代以降の恋愛と、国民をふやし国を強くする糧としての繁殖を目論んであつらえられた婚姻制度とは、ほんらい別物でよかったはずだ。一緒くたにしたのは、国家が戸籍管理をスムーズに運用するためだろう。さらに道徳というものを導入し、社会の規律を守れる人間だけが正しい人間であると吹聴する。こうして悪魔的に賢い人間が作り出した婚姻制度は、人権侵害という暴力を正当化する頑丈な武器となった。元来、暴力を振いたくて振いたくて仕方ない生き物である人類はみな、大喜びでその武器を振り回し、人を傷つけまくっている。大いなる権力が認めている道理に従えばおのれもまた正しいものになれるのだと信じ、その正統性を主張することで他者を嬲る暴力の快楽に、愚衆はあらがえない。
婚姻において夫婦間の愛情関係が維持されるべきだというのは、ロマンティックラブイデオロギーが強要する信仰にすぎない。その信仰を強化するための生ぬるいフィクションが未だに世に喜んで受け入れられているのを、白けた目で見ている。社会に促されるがままに家父長制という神を信仰させられている人間たちは、自身が信仰する神のありかたに反抗する者を断罪したくて仕方ない。セクシャリティの多様性には寛容な態度を示す者も、なぜか婚姻契約の反故については目の色を変えて激怒し暴力を行使しようとする。己の信仰が脅かされれば、安寧もまた脅かされるからだ。狂ったように、自分の信じる脆い倫理の埒外にある人間を傷つけようとする。
何が正しいのか、何が正しくないのか、正しさの基準点を見��めて自分自身でしかと判断するには、膨大な労力がかかる。それを全うするためには、自分が生きていて手が届く範疇よりも広い世界に眼差しを開き、その無知を恥じ、愚直に学び、知るために奔走し、知がもたらす自己否定の痛みを伴いながら異和を受け入れ、おのれの状況・環境を相対化して広い意味で客観視する必要がある。その学びを怠って、ぬるま湯に浸って生きている人間に、他者を非難する権利などないはずだろう。脊髄反射で他者を叩くことなど、少しでも知性が働けばとても出来やしないはずだ。芸能人の不倫ゴシップに沸き立つ人間が「相手も同じ人間である」「その相手は自分と異なるバックグラウンド・状況に立っている者である」と考え至るだけの想像力を欠いているのは、国家が婚姻制度を「信仰」に仕立て上げたせいだけではない。阿片のように与えられたその信仰を、一度たりとも疑わなかった者の咎でもあるはずだと言いたいのだ。
一口に婚姻といっても、個のなす一対一の関係である以上、そこに築かれる文脈は膨大なものになる。配偶者のモラルハラスメントからようやく逃げ延びた先が家族ではない他者だったのかもしれない。妊娠だけを強制される性交に苦しんでいた日々の唯一の救いが家族ではない他者だったのかもしれない。もちろん、幸せな結婚生活・家族計画もこの世にはごまんとあるだろう。しかし、それと同じように、幸せではない結婚生活・家族計画もごまんとある。 婚姻関係と家族を神聖視することは、間違いなく一つの宗教にすぎない。それがきちんとあなたに幸福をもたらしてくれているのなら、そのまま信じていてほしい。あなたが幸福であるのなら、私は何の文句もない。けれど、信仰に従った十全な幸福に浸ることが叶わず、異教徒を迫害し討伐しようとして首を刈り耳鼻を削ぎ死体を燃やすような真似だけはしてほしくない。そんなかたちでカタルシスを得たところで、結局はだれも幸福にならない。
「個人」という概念は近代、明治以降の開化政策によって西洋から日本に導入された。それまでの日本は「共同体」を重んじる社会で、たとえば村落の夜這いのシステムは本来「夜闇にまぎれて女を襲って身勝手な快楽を得るため」ではなく「試しに知り合い同士で体を重ね、もし女性側から性的な面での合意がとれればまぐわい、夫婦となりましょう」といった至極理性的なものであった。そういう伝統を明治維新によってがらりと覆した結果、かつてのシステムが機能しなくなり、人口維持ができないことを恐れ、共同体を離れた個人間の恋愛を繁殖制度に持ち込んだのはほかでもない国家だった。 初めて国際政治の場に立った日本が直面したのは、国家の「武力的」繁栄のために人口を増やす必要があるという喫緊の課題であった。明治政府も大正政府も、戦争の可能性を視野に入れて、兵となる国民を殖やすのに躍起なのだった。それで産めよ殖やせよをやっているうちに、生殖につながる恋愛感情を利用する策を講じたのがうまくいった。その成功体験を引きずってこんにちまできていて、だからLGBTQ+のことを「非生産」として認めないばかげた与党をやっているのだろう。とっくに不戦条約を掲げているはずの憲法を改めてまで戦争を望み、非生産な結婚を望まず、女を産む機械だと言って憚らない政府に反撥するのであれば、婚姻制度自体もきちんと疑うべきではないのか。なぜ陽動されていることに気づかないのか。
国家の敷いたレールに人生を捧げるかどうかは、個人がそれぞれに選べばいいと思う。ただし、自分が選んだ道を正しい道だと盲信し、他者に強要することだけは避けてほしい。あまつさえ、自分は国家に従っているがゆえに圧倒的に正しく、おのれの盲信に反した他者を叩く権利を持っているなどと前近代的なことを主張するのはやめてほしい。 それぞれの人生をそれぞれが選ぶことを容認し、選んだ道が同じではなかったことを責めることなく、自分だけの人生を謳歌してほしい。それがいわゆる本質的な多様性なのではないか。「多様性」は善性を大いにはらんだ言葉であるように見なされているが、まったくそんなことはない。信じる神が違う者同士が隣人となった時に、いかに共存するか、共存するための自治を対話によって確立できるか、そういう難しい話であるはずだ。一方的に叩き、相手の尊厳を貶めるのは対話ではなく暴力であり戦争の契機にすぎない。
ヒロスエの手紙を晒すことによる公開処刑は、日本社会の幼稚さをあまりにも無様なかたちで明らかにした。ここまで、大きな社会構造の話をしてきたけれど、最後に個人の話に焦点を戻して終わろう。 誰を責めたところで、自分の人生がよくなることなどないはずだ。無為な、鬱憤晴らしの暴力を他者に振ったところで何も変わらない。見つめるべきは他者よりもおのれではないか。おのれを見つめて、愛のありかを定めるのが、人生というものではないのか。 あなたのそれは、他者を貶めることで守れる程度の安い人生なのか?
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【チャリを交通の主役に 魅力発信、片山右京の挑戦 疾走チャリノミクス(1)】 - 日本経済新聞 : https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFK132ME0T10C21A2000000/ : https://archive.is/XQzTa 2021年3月21日 2:00 (2021年3月22日 2:00更新)
環境に優しく、健康によく、密も避けられる夢の乗り物――。脱炭素や新型コロナウイルス禍で改めて脚光を浴びる自転車。チャリンコと侮るなかれ。IT(情報技術)などの最新テクノロジーを取り込み、自転車経済圏は国内外で広がる。競技から開発、安全対策までそれぞれのフィールドを全速力で走るチャリダー(自転車乗り)を追う。
■《自転車競技の中心にカミカゼ右京》 東京五輪の競技運営責任者に、新設するプロリーグのチェアマン――。いま日本の自転車競技界の中心には、元F1レーサーの片山右京(57)がいる。かつて怖い物知らずの走りから「カミカゼ・ウキョウ」と呼ばれた男だ。
{{ 図版 1 : 東京五輪の自転車競技スポーツマネジャーも務める片山 }}
「あなたの街へ興奮と感動を届けます」。こんなうたい文句で3月27日にシーズン1年目の幕を開ける自転車ロードレースのプロリーグ、ジャパンサイクルリーグ。新設に汗をかいた一人が片山だ。チェアマンとして組織体制作りやスポンサーの獲得に奔走。メインスポンサーには不動産大手の三菱地所が就いた。「多くの人たちが自転車に関心を持ち、スポーツとして応援しようとしてくれている」
人生最初の挑戦は小学校5年生の時、三重県から神奈川県の自宅まで走破した自転車旅行だったという。いったん遠ざかったが、F1レーサー時代、体力トレーニングで再び自転車に乗るようになった。引退後はその魅力に取りつかれ、数々の市民ロードレースに参加。2012年には自らロードレースチームを立ち上げた。「40代半ばから本格的に始めても、毎年記録が上がったり、200キロメートル以上走れたりする。頑張った分だけ確実に力がつき、生きてるという感覚をもらえる」
■《登山で環境破壊に危機感》
自転車に託すのは競技への思い入れだけではない。F1引退後、自転車とともに登山にのめり込み、キリマンジャロなど世界6大陸の最高峰登頂に成功した。だが、そこで見たのは消えゆく氷河やプラスチックゴミなどの環境破壊だった。
人力でペダルをこいで進む自転車は二酸化炭素(CO2)を一切出さない。脱炭素への意識が世界的に高まるなか、究極のクリーンモビリティとして注目され始めた。片山は「今後30年で公共交通の構造が変わり、自転車はその中心の一つになる。皆が自転車に乗って動き回るようになれば、自動車が入りにくい裏通りの価値も変わる」と訴える。
■《日本の自転車利用、拡大の余地》
特定の移動手段の利用頻度から算出した「交通分担率」をみると、日本の自転車は13%。最も高いのは自動車の48%だが、国土交通省の調査によると、自動車の移動距離は5キロメートル未満がうち43%を占める。同省は「短距離の移動で今後、自動車から自転車へ交通手段がシフトする可能性がある」(道路局)とみている。
{{ 図版 2 : 日本の交通分担率の内訳 主要国の交通における自転車分担率 }}
■《車椅子に乗る15歳の社長》
「自転車産業はITとの融合でもっともっと成長する」。シェアサイクル事業、チャリチャリを展開するneuet(ニュート、東京・港)の社長、家本賢太郎(39)は、真っ赤な自転車が並ぶ本社内のガレージで力を込める。家本は15歳でネット関連のコンサルティング企業、クララオンライン(同)を立ち上げた異色の経歴を持つ。
{{ 図版 3 : クララオンラインとニュート社長を兼務する家本(東京・港) }}
脳腫瘍の手術の後遺症で14歳から18歳まで車椅子生活を送った。電車など公共交通機関での移動に大変な不便を感じ、「移動に選択肢があることは幸せと感じるようになった」。特に羨望のまなざしで見たのは、自らの力だけで自由に移動できる自転車だ。
車椅子生活を終えた後、自転車は家本の趣味になる。そしてITを武器にアジアへ事業を拡大した際、中国で目の当たりにしたのはシェアサイクル事業の勃興だ。鍵となっていたのが、あらゆるモノがネットにつながるIoTだ。ITに精通した家本は「これなら自分にもできる」と思い立つ。
■《ITからシェア自転車に》
17年秋には福岡市でシェアサイクル事業を展開しようとしていたメルカリから「一緒にやりませんか」と声がかかり、IoT関連のサポートなど裏方仕事に携わった。そして19年夏、「ここから先は僕にリスクを取らせてほしい」と事業譲渡を持ちかけ、チャリチャリとして再スタート。今は名古屋、東京と事業を広げ、専用駐輪場(ポート)は430カ所、保有台数は2000台に達した。
{{ 図版 4 : シェアサイクル「チャリチャリ」の専用駐輪場は430カ所に達した }}
チャリチャリはITの塊だ。利用者はまずスマートフォンにアプリをダウンロードし、付近のポートにある自転車を探す。見つけたらサドルの下にあるQRコードをアプリで読み取り、解錠。利用後は近くのポートに駐輪し、施錠する。料金は1分4円で、アプリに登録したクレジットカードに課金される。24時間365日利用できる。
全地球測位システム(GPS)が搭載されているため、万が一ポート以外に放置されても、すぐに見つけ出せる。買い物や通勤などの短距離移動はシェアサイクル、サイクリングなどの遠出は自分の自転車と住み分けが進めば、「日本が長年抱える放置自転車の解決につながる」。
日本のシェアサイクル事業は地方自治体が関わっていることが多いが、チャリチャリは行政から補助金を一切貰っていない。自立には利用率の向上が必須で、昼間人口の多さや人口密度の高さに加え、公共交通機関の乗り換えが不便な場所などを狙ってポートの候補地を探す。「シェアサイクルが日本でちゃんと事業として成り立つことをみんなに見せたい」
■《環境派市長「パリをつくり替える」》
チャリノミクスは国境を越える。「環境保護を進めるため、今すぐパリをつくり変えなければいけない」。市長のアンヌ・イダルゴ(61)は自転車でパリ中心部を疾走する。優先レーンを作るなどして、全ての道で24年までに危険なく自転車を利用できるようにする目標を掲げる。
{{ 図版 5 : イダルゴ市長は環境保護のため、市民に自転車の利用を呼びかけている(パリ)=ロイター }}
14年に就任したイダルゴは環境派として、セーヌ川沿岸の一部を自動車進入禁止にするなどの政策を取ってきた。コロナ禍で人との接触を避ける動きが強まったのをきっかけに自転車の利用を一層促す。20年には自転車用レーンを60キロメートル分延ばすと表明した。
かつて自動車で混雑していたルーヴル美術館前の有名なリボリ通りはいまや、自転車で混み合うほどの様変わりだ。「大気汚染や騒音が著しく減っている」。イダルゴは胸を張る。
フランス政府も自転車の利用を後押しする。コロナ発生後、自転車の修理費を50ユーロ(約6500円)まで補助すると発表した。一時は数カ月待たないと予約が入らないほど修理業者がにぎわった。市��は爆発的に拡大している。仏テレビLCIによると、20年の仏自転車販売台数は330万台と19年比3割近く増えた。
■《自転車経済、年7%で成長》
今後も世界的に自転車市場の拡大は続きそうだ。英調査会社テクナビオによると、20年の世界の自転車市場は約540億ドル(約5兆9000億円)で、25年まで年平均7%で成長するという。
{{ 図版 6 : スポーツ自転車が大きく伸びている(1店舗あたりの国内販売台数の前年比) }}
日本国内の20年の自転車市場規模(国内生産と輸入の合計)は約1300億円。最近では特にスポーツ自転車の伸びが大きい。野村証券チーフエコノミストの美和卓(53)は「スポーツ車は単価が高いだけでなく、ヘルメットやライトなどを追加購入しないと走れない。アパレルや付属品など周辺市場の広がりに期待できる」と話す。自身も約15万円でロードバイクを購入し、本体以上のお金をかけてギアやホイールを好みの部品に取り替えた。
{{ 図版 7 : ロードバイクで通勤をする野村証券チーフエコノミストの美和(東京・千代田) }}
前日のニューヨーク市況のチェックから始まる美和の朝は早い。西東京市の自宅から東京・大手町の職場まではロードバイクで1時間半。夜の喧噪の名残ある新宿の繁華街を抜け、大手町が近づくころには皇居のお堀に反射する荘厳な朝日が見えてくる。6時過ぎに会社近くの駐輪場に愛車を止め、サイクルジャージからジャケットに着替えると、今日も美和の一日が始まる。
=敬称略、つづく
(生田弦己、松本萌、福井環、パリ=白石透冴)
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入管法改悪反対
難民を保護せず、司法が一切関わらないまま無期限収容が罷り通り、入管施設での拷問/虐待/殺人が繰り返されている日本。
その日本の入管法が、自民/公明/維新/国民民主の強行採決によって、更に、更に酷いものへと改悪されようとしていること。
いま市民の側からできる抗議のやり方、デモやFAXやメールや署名について。
わかりやすい情報がまとまっている場所。
問題点がしっかりわかる記事などが紹介されている場所。
各団体や当事者が、社会に向けたメッセージや動画。
Tumblrでも共有します。
(上の画像は、宮越里子さん(Twitter:@osonodoyo)が作成されたプラカード用画像をお借りしています)
※2023年、6月9日追記、入管法改悪が自公維新国民民主という最悪政党達によって強行採決され��した。最悪な国です。
しかし、施行までまだ期間はある、廃案/延期/打ち止めにできる可能性はまだあること。
そもそもが、現行の入管行政/入管を解体しなくてはいけない、自公政権による政治を壊さなくてはいけないこと。引き続き抗議を。
・どのように入管法は改悪されようとしているのか、わかりやすいQ&A形式の解説画像。テキスト情報も並列されてます。
・入管法はどのように改悪されようとしているのか、安田 菜津紀さんのわかりやすい取材レポート。記事の最後/下部に「合わせて読みたい」と繋げられている各記事も読んで頂きたいです。
・基本情報が網羅された場所です。こちらをひとつひとつ見て頂きたいです。
・更に、重要な記事についてなど紹介してくださってます。
・議員に抗議の声を届ける手段について。抗議を送るべき議員リストなどが載せられています。【優先的に声を届けてほしい議員リスト】にわかりやすく最新情報を反映してくださってます。
・入管法が改悪されてしまったら、難民当事者の方々にどんな影響があるのか。その問題点について。当事者や周囲の方々に向けた、難民支援協会からの発信。日本語と、英語で、解説されています。
・難民支援協会とDialogue for Peopleによる、丁寧な15分の解説動画シリーズ。
youtube
・土曜日のTBS報道特集。放送から1週間後に番組内特集を無料公開しており、数年前から入管法改悪・入管問題について、ウィシュマさん死亡事件についても、特集が組まれています。引用は最新の入管法改悪関係の特集。
youtube
※報道特集についてはYouTubeで過去動画を探すのは大変/差別主義者のデマ動画も頻繁に出てきてしまうので、Twitterで「from:tbs_houtoku 入管 Youtube」などで検索すると動画紹介が見つかりやすいかと思います。
2023.5.13に記事作成、後から追加するかもです。
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March 2024 3 days ogikubo club DOCTOR 6bodies60minutes6months vol.13 club Doctor Purifiva Pataphysique Records eyeliner Presents 各日開場19:00 開演19:30 料金¥2000+D 3日間通し券¥3000 2024年3月12日(火)Europe 2023 Again… 青木智幸, 川口雅巳 2024年3月13日(水)最暗黒の日… TACO(山崎春美、森田潤), 魔術の庭(福岡林嗣、ルイス稲毛、モロハシシゲキ) 2024年3月14日(木)妖艶な共演… Sister Paul(Susumu 、MACKii), バラナンブ(藤井政英、山崎怠雅、南部輝久)
青木智幸 1967年生まれ。サイケデリックバンドUP-TIGHTのVocal&Guitarとして30年に渡り国内外で活動を続ける。また、この10年はSax即興奏者である望月治孝とのデュオでの活動も盛んで2枚のアルバムをリリース。23年にはMike Vest(Ba) &Dave Sneddon(Dr)とのトリオでTomoyuki Bandとしてアルバムを発表。2024年中にセカンドも発売予定。ソロでもUP-TIGHT同様、時に繊細、時に暴力的な唄とギターで独自の空間を生み出す。 川口雅巳 1970年生まれ。90年代より東京アンダーグラウンドシーンで活動。現在は自身のバンドNew Rock Syndicateを中心に、ギタリストとして灰野敬二&The Hardy Rocks、ベーシストとしてうすらび、Los Doroncosでも活動中。またガレージロックから即興演奏まで幅広いミュージシャンとセッションも行っている。ソロでは海外ツアーも頻繁に行っており、2018年ロンドンでのライブはCafe OTOよりデジタルリリースされている。
TACO(山崎春美、森田潤) じゅうたん、と仮名ルビまで打ってみたところで爆撃可能なそらなんかみつからないし、みつかりっこないのであればうわのそらでいるよりほかない。なにもかもが素敵だった。この庭はぼくらのじゃない。くらやみのたんとあるたくらみなんかいざとなれば破綻しちまうんだ。そもそも狙わなければ追い詰められない。デルモア・シュォーツは夢のなかで責任がはじまると叫んで、近隣に咲き乱れる花々がTACOとなっては失明する。断絶してさらに破綻する。ガシャン!そしてヨーロッパの息子たちは、ふたたび殺戮を繰り返し、血塗られた成熟が静寂となってよみがえる。もしかしたら見捨てられた庭なのだろう。人影はまったくなかった。飛び込もう。みえるのは碧い水ばかり、両手がピンクの魚みたいだ。海水だとゆらゆら黒ずんだ緑色の影になるのに。すくなからず不安なのだ。いや、だれも見張ってなんかいやしない。おもったほど愉しくもなかった。みんな他人のものなのだから。いつなんどきでてけといわれ追いはらわれたってしかたがないのだし。うつくしいのに味わうことができない。これは運命のいたずらにすぎないのではないか。すぐにも釈明をもとめられたりしたら、じょうずに逃げきれるのか。足音を忍ばせて近づいて、やがて肉厚の毒針が放射状にくっついた灰色に肥大した竜舌蘭がみつかった。Il giardino incantato 1948年。「あそこ」だ。ちぇっ、見逃しちゃった!
魔術の庭(福岡林嗣、ルイス稲毛、モロハシシゲキ) "Rockの最後衛にして保守反動。今時全く流行らない大型アンプを積み上げ、戦艦大和もかくやと21世紀に逆行し続ける東京ゼロファイター達は、約30年前のOverhang Party時代からなにも変わっていない「進歩の敵」である。「ただ馬鹿デカい音で延々と同じことを繰り返しているだけのようだが、そこに僕は悪魔の旋律を聴いている気がする。音楽を理解するためにはそれぞれの持っている耳の歴史が重要なのだ」とは1995年、当時の朝日新聞記者近藤康太郎氏によるAERA誌にての評。”
Sister Paul(Susumu 、MACKii) 1992年結成の男女混成コーラスグループ🐱 荻窪へ行くにはいつも歩き🐼 今年からリーバイスジーンズの蒐集を始めるも、まだ3本しか集まっていない🌵
バラナンブ(藤井政英、山崎怠雅、南部輝久) 2017年、結成。ヘヴィなトリオロックサウンドとサイケデリックカルチャーやグラムロック的な風貌の三人のキャラクターでライブ活動が評判を呼び、2019年、4曲入りミニアルバム『ファズ、光線、花』を発売。日本語歌詞と共に奏でられるハードロック、グラムロック、ニューロック、60年代から連綿と続く「日本のロック」を正統に継承したサウンドが好評を博しディスクユニオンでは日本のロック週間チャートで2位を獲得。メンバーはYBO2からキャリアを開始し数々のバンドを渡り歩いた藤井政英(Vo,G)、主にAural fitで活動し、水晶の舟など東京アンダーグラウンドでの活動を続ける南部輝久(Dr)、ex 魔術の庭、The Silenceや自身のソロでも活動する山崎怠雅(B,Cho)。メンバーの出自である日本アンダーグラウンドの枠をはみ出した大音量ながらもキャッチーなサウンドで東京都内を中心に精力的にライヴ活動を展開。
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阿蘇にメガソーラー次々、狙われる草原 放牧廃れ…
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1065445/
阿蘇にメガソーラー次々、狙われる草原 放牧廃れ…「景観では1円にもならない」2023/3/13
熊本県の阿蘇山を背景に、草原に大規模太陽光発電所(メガソーラー)のパネルが延々と連なっていた。
阿蘇地域は国内最大級の草原地帯。外輪山南側の山都町で、約119ヘクタール(福岡ペイペイドーム17個分)に広がるパネル約20万枚に、太陽光が照り返る。九州最大級のメガソーラーで、2022年9月に稼働し、出力約8万キロワット。九州電力川内原発1基の約1割に匹敵する規模だ。もともとは隣接する高森町の住民約30人が共同所有し、牛を放牧する「牧野」だった。
▶阿蘇の草原、30年で4分の1減少
「説明会が開��れ、売買は円満に進んだ」。共同所有者だった70代男性はこう振り返る。かつては農耕用として各戸が牛数頭を飼った。繁殖子牛を売った収入もあったが、農機具の機械化が進み、徐々に飼育されなくなった。草原を維持する野焼きも10年ほど前から行われていない。男性たちを含め合計三つの牧野組合が土地を売却した。
阿蘇周辺は、草原や火山を特徴とする「阿蘇くじゅう国立公園」に指定され、国が管理する。メガソーラー建設は本紙が確認しただけで5カ所に及ぶ。公園を避けるような近接地域や、国立公園内でも規制が緩いエリアで相次いでいた。
その一つ、外輪山の北側にある同県小国町。2月、牛がのんびりと休む牧野の斜面を登ると、山頂付近の草原で、約4万枚のパネル設置工事が進んでいた。国立公園内の「普通地域」ではあるが、届け出のみで建設できるエリアだ。
牧野の組合員の男性によると、50年ほど前は約50世帯で計200~250頭の牛を飼育していたが、今は4世帯で50頭ほどに減った。建設地は私有の採草地だったが、既に使われなくなっていたという。
「景観を守っても1円にもならない。所有者はお金が入る方になびいてしまう」。町役場を訪ねると、組合員でもある職員が関係者の心情を代弁した。
同町では、別の草原1カ所でもメガソーラーが誕生。担当者は「阿蘇が世界遺産を目指すというが、明確なルールや支援策がなければ、草原維持は困難だ。メガソーラーが一般の人から見えにくい場所にあるのが救いだ…」と漏らした。
外輪山の南側で、国立公園からわずかに外れる高森町でも2022年5月、約72ヘクタールのメガソーラーが稼働した。
「また狙われる。そっとしていてほしい。(外輪山の内側の)カルデラ内の景観だけは守りたい」。高森町関係者は嘆く。
背景には、使われなくなった牧野に目を付けた企業側のメリットが見える。草原は規制が厳しい「農地」ではなく「森林」扱いのため���要件が整えば森林法に基づく林地開発許可が出される。草原だと樹木伐採の手間が少なく効率的に開発しやすい事情もあるようだ。
大分・由布では反対運動も…迫る稼働
阿蘇から離れた大分県由布市。「大自然が真っ黒なパネルで覆われ、違和感ばかりだ」。貸別荘経営の気賀沢忠夫さん(79)はこう憤る。リゾート地の目の前に広がる草原地帯約20ヘクタールに、約2万4000枚のパネルが並ぶ。ここも、国立公園からわずかに外れる。
由布岳を背景にした丘陵の牧草地で、市も景観を売りにしてきた。しかし、12年に入会権を持つ住民たちが権利を放棄し、所有権を持つ市に売却を要望。市が売却先を公募し、東京の投資会社が購入した。
ただその後、地元で反対運動が起きた。市は売却撤回を試み、大分県は県民から異例の意見募集したが、計画は止められなかった。気賀沢さんら移住者や観光業者ら47人が運営会社を相手取り、運転差し止めを求める裁判を大分地裁に起こしている。
一方で施設はほぼ完成し、3月下旬に稼働予定。反対運動の中での稼働について市の担当者は「コメントする立場にない」と話す。
公益財団法人「阿蘇グリーンストック」(熊本県阿蘇市)の増井太樹常務理事は「観光資源にも利用される草原だが、野焼きなどの負担だけを住民が担い、利益は及ばない構造になっており、見直しが必要だ」と指摘する。(水山真人)
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「 イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。 弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。 イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。 」(ヨハネによる福音書 9:1-3)
ドストエフスキーの小説を初めて読んだ時に、自分が今何を読んでいるのか全然わからないという文盲的な体験をしたが、何を読んでいるのか全然わからないのになぜか、心をかき乱されるというか抉られるような感じがして、何か本音の感想みたいなものを持たなきゃいけないような気もして、つまり、すんません、登場人物の名前も覚えられなくて何がどうなってんの���全然わかんないけどなんかすごいっす的なことを思いながら、文字を追ってたことを覚えている。別の作品を、今度は予め解説を読んであらすじも知ったうえで読み始めたが、似たような感じだった。 それからしばらく経って、『地下室の手記』を読んだ。これも解説などを読んでたし、独白なので、登場人物の名前を覚えられなくて誰が誰だかわからなくなるというようなこともなく、読みやすく感じた。「堂々といってのけるが、わたしは今までなんど虫けらになりたいと思ったかしれない。けれども、わたしはそれにさえ値しない人間だったのだ。」という箇所や、「ね、もし本当にいつかわれわれの意欲や気まぐれ全部の方式を発見してしまったら、つまり、それらのものが何に左右されるか、いったいどういう法則によって発生するか、どんなふうに蔓延するか、またかくかくの場合にはいかなる方向に進んで行くか、といったような問題について、本当の数学的な方式を発見してしまったら、――その時はおそらく人間はすぐに意欲することをやめてしまうだろう、いや、確かにやめてしまうに相違ない。ね、表によって意欲するなんて、何が面白いものかね。そればかりでない、そのとき人間はさっそく人間でなくなって、手廻しオルガンの釘か、ないしそれに類したものになってしまうだろう。だって、希望も意志も欲望もないような人間は、手廻しオルガンのシリンダーについている釘でなくって、いったいなんだというのだ?」という箇所を見つけて、多分このあたりが、カフカの『変身』(1915)や、ヴォネガットの『プレイヤー ピアノ』(1952)に影響を与えたんだろう、というようなことも思った。「えいっ、諸君、何をいうのだ、問題が表や算術なんてところまで行ってしまって、ただ二二が四だけ幅を利かすようになったら、もう自分の意志も何もないじゃないか?二の二乗は、わたしの意志なんかなくたって、やっぱり四になるんだからな。自分の意志となると、そんなものじゃありゃしないんだ!」「ここでもまたわたしは出たらめをいっている!たしかに出たらめだ。なぜなら、けっして地下生活が一番いいのではなくて、わたしの渇望しているのは何かしら別なもの、まるっきり別なものだということを、二二が四というほどはっきり知っているからだ。ただそれがどうしても発見できないのである。地下などくそ喰らえだ!」という箇所は、オーウェルの『1984年』(1949)の「2+2=5」に影響を与えたのかなとも思った。後から知ったが、ドストエフスキーの「二二が四」は、ザミャーチンのディストピア小説『われら』(1927)に影響を与え、オーウェルはそこから影響を受けたらしい。オーウェルは1946年に『われら』の書評を書いている。 そうした箇所を見つけた気にもなったが、こういう読み方は、『地下室の手記』自体を読む読み方ではないということにも気づいた。何を読んでいるのか全然わからないのになぜか心を抉られるように感じる体験のほうが、小説それ自体を読む読み方に近い。ただ、わからないのにとりあえずもう少し読み進めようという気になれたのは、色んな作家が影響を受けた作家としてドストエフスキーの名を挙げ、作品解説や文学論のみならず色んな場で様々な形で語られていたからだし、さすがに何読んでるか���らいはわかっといた方がいいとも思う。 ドストエフスキーに影響を与えた作家のひとりがディケンズで、ドストエフスキーは特に『地下室の手記』(1864)から『白痴』(1868)の頃に、ディケンズに倣い、自身の小説のあり方を定めたという。それは、キリスト教精神に基づく「心の知恵」の思想であり、『クリスマス キャロル』(1843)に登場するスクルージのようなかたくなな人物の心さえも和らげ、精神の復活をもたらす思想であるという。
ここ数年、ドストエフスキーの名が、時事解説などで頻繁に出てきた。ロシアの話をするときに、「ドストエフスキーとトルストイを昔読んだことがあるくらいで、ロシアのことはほとんど知らないが」というような言い方で出てきて、そういう文脈での登場の仕方のピークは、今年2月のタッカー カールソンによるプーチン露大統領へのインタビューで、プーチン大統領がドストエフスキーの名を挙げてロシアの精神性を語ったことについて話題になったときだった。 それとは別の形で、現在の社会的心理的状況を語るときにも、ドストエフスキー作品が例示される形で頻繁に出てきた。これは、アメリカが話題の中心だが、西側諸国の多くも当てはまる。虚無主義的な社会状況の中で、宗教観や精神性についての再認識が必要であることは認識しているものの、それは極めて難しいことだということも認識している状況である。 もともとは「文盲」を意味する「イリタレイト」「イリテラシー」という言葉も頻繁に使われた。相手の「基礎的知識や常識のなさ」を批判する言葉で、考えの違う者同士が互いに互いを批判する状況が硬直化し、「分かり合えなさ」「わからなさ」だけが隅々まで行き渡ったような社会状況である。 『地下室の手記』の主人公は、こうした社会状況に似た当時の社会状況を擬人化したような人物でもあるが、こうした人物像は19世紀中ごろのロシア文学に頻繁に登場し、「余計者」という一つのジャンルとなっていた。 皇帝アレクサンドル1世(在位1801-1825年)の時代には、西欧の自由主義思想が貴族階級を中心に広まり、専制政治や農奴制の改革を求める風潮が強まっていった。しかし、1825年に政府打倒を目指したデカブリストの乱が失敗に終わると、新帝ニコライ1世(在位1825-1855年)の苛酷な弾圧が始まる。その結果、有為の青年たち、特に貴族階級の青年知識人が活動の場を奪われ、進歩的な思想を身につけ、優れた資質をもちながら、それを社会のために生かせず、決闘や恋愛遊戯などの馬鹿げたことに精力を浪費したり、鬱屈しながら無気力になって屋敷にこもったりするものが現れた。1850年のツルゲーネフの小説『余計者の日記』によって、この種の人物を「余計者」と呼ぶようになった。また、1849年から1859年にかけて発表��れたゴンチャロフの長編小説『オブローモフ』という、貴族階級に属する主人公オブローモフの生涯を描いた大人気小説があった。この主人公も「余計者」だが、他のロシア文学で描かれる余計者たちと違って斜に構えた格好良さのないオブローモフにより、「余計者」というのは、社会に抑圧された受難者といったものではなく、言い訳だけして行動に移さない「怠け者」であることが暴かれたとする批評も書かれた。「オブローモフ」または「オブローモフ主義」という言葉が、無用者や怠け者を指す一般名詞として定着し、後に辞書にも載った。そして、反動のように1860年代のロシアは「政治の時代」へと突入する。 『地下室の手記』が発表された1864年はすでに政治の時代であり、テロの脅威が現実になるほど過激な状況になっていた。が、ドストエフスキーが見たところでは、これは、余計者たちが余計者であることをやめたわけでも、社会が抑圧の時代を乗り越えようとしているのでもなかった。むしろ一層深く鬱屈した「自我の檻」に囚われ、その「外」を失う過程であるように見えた。ドストエフスキーは、ツルゲーネフを文学的に乗り越えるべき存在として、かなり意図的に、あえて「敵」として設定し、弁証法的な論争を一方的に仕掛ける形で創作を行った。ツルゲーネフと彼の作品のみならず、彼の読者をも射程に捉えた上で、つまり彼らは偉そうなことを語るだけの無能であり、むしろ地下室に籠っている方がましで、世の中の風潮に流されて何かをするとなると、無能な上に流されたバカは破壊しかできないので、テロリストになるのは必然だということを表現に込めた。1867年にはドストエフスキーとツルゲーネフのケンカがスキャンダルとして雑誌や文壇で話題になった。これもドストエフスキーが一方的にケンカを売る形だった。ドストエフスキーが、1869年にネチャーエフというテロリストが起こした殺人事件に着想を得て、テロ革命家に憎悪を抱いて書いた『悪霊』(1871)には、ツルゲーネフをモデルにした文豪気取りの作家を登場させ、その人物を罵倒している。ツルゲーネフのほうは、批判は構わないが、間違いは訂正し、嘘には反論するというような態度で、この貴族的な余裕のある態度がますますドストエフスキーを激昂させた。もともと、ドストエフスキーが文壇デビューした1840年代に、すでに人気作家だったツルゲーネフがドストエフスキーの作品を嘲笑したことを、これもかなり一方的にドストエフスキーがそう思い込んでる節があるが、ドストエフスキーは根に持っていたらしい。また、ドストエフスキーはツルゲーネフに金を借りていたが返せず、貴族であるツルゲーネフが怒っているときに金を返せと言い出すのは貴族の美徳に反するだろうから、とりあえず会うたびにケンカを売って怒らせてたという説もあるらしい。ただ、ドストエフスキーとツルゲーネフには、形而上学的とも言えるほど深い相違があり、これをドストエフスキーは意識する。ツルゲーネフは無神論者でコスモポリタンで西ヨーロッパ主義者であるのに対し、ドストエフスキーはギリシア正教派で救世主待��論者でスラブ主義者であり、なによりもロシア的世界観を作るということに作家生命を懸けていた。ドストエフスキーにとってツルゲーネフは、弁証法的論争を仕掛ける相手として申し分なかった。意思の自由と個人の力を確信し、それを確固たるものにしたかったドストエフスキーに対し、ツルゲーネフは運命論者であり、歴史を没個性的な過程と捉え、それを冷静に観察することに努めていた。ツルゲーネフは「神というものがあるのかどうか、わたしは知らない。だが因果律はわたしにははっきりしている。二掛ける二が四であるように」と書いている。
イギリスを中心とした、大英帝国史観とも呼ばれる歴史観では、1850年代に大衆文化が花開いたとされる。1840年代にはすでに、具体的には鉄道網や郵便制度などを指すが、市民革命や産業革命の成果とも言えるものが社会インフラとして導入されていたが、しばらくの間、空回りともとれる状況が続いたとされる。ディケンズが描いたような、あるいはアンデルセンの「マッチ売りの少女」(1845)のような、目の前にいる困難な状況にある人を助けられない状況である。問題を認識していながら、場合によっては解決法もわかっていて、できることはやっていたとしても、なぜか解決できない、後にカフカエスクとも呼ばれるような奇妙で不条理な状況である。1850年代に、このような状況を抜けて、社会が好転し始めたという考えが、大衆文化の開花として表現される。そこまで劇的なものではないとも指摘されるものの、経済指標としても表れ、識字率なども向上し始め、メディア状況なども変化する。大英帝国の状況は世界に影響を与える。大英帝国が1840年代の状況のままだったら、アメリカの南北戦争(1861-65)は起こっていなかったか勝敗が逆転していたかもしれない。ロシアも世界の変化に影響を受ける形で社会状況が変化していたが、ドストエフスキーは、1860年代、ロシアの民衆の文化はまだ開花していないと考えた。ディケンズがイギリス民衆の声となったように、ドストエフスキーはロシアの民衆の声になろうとした。 1840年代のヨーロッパの社会状況を的確に分析していたと後に評価される文章を、デンマークの哲学者キルケゴールが1846年に書いていた。文学評論として、匿名作家による『二つの時代』という小説を対象として書かれたもので、当時はほとんど注目されなかったという。1914年にドイツ語に翻訳され『現代の批判』と題され刊行されるや、ドイツで大反響となった。まさに20世紀の現代ドイツ社会を的確に捉えて批判したものだとして受け止められ、ヤスパースやハイデガーといった哲学者たちが大きく影響を受けたとされる。カフカの『変身』(1915)が発表される前年である。 キルケゴールの『現代の批判』は、「現代は本質的に分別の時代であり、反省の時代であり、情熱のない時代であり、束の間の感激に沸き立つことがあっても、やがて抜け目なく無感動の状態におさまってしまうといった時代である。」という文で始まる。「情熱的な時代」すなわち革命の時代が「励ましたり引き上げたり突き落としたり、高めたり低めたりするのに反し、情熱のない反省的な時代はそれと逆のことをする。それは首を絞めたり足を引っ張ったりする。それは水平化する。水平化はなにごとによらず人目につくことを忌避する、ひそかな、数学的な、抽象的ないとなみである。」そしてこの水平化によって「公衆」が生まれ、「公衆」が水平化を生む。「公衆は、ひとつの国民でも、ひとつの世代でも、ひとつの同時代でも、ひとつの共同体でも、ひとつの社会でも、この特定の人々でもない。これらはすべて、具体的なものであってこそその本来の姿で存在するのだからである。まったく公衆に属する人はだれ一人、それらのものとほんとうのかかわりをもってはいない。」「このような人たちから、すなわち、彼らがなにものでもないような瞬間における諸個人から成り立っている公衆というやつは、なにかある奇怪なもの、すべての人であってなんぴとでもない抽象的な荒野であり真空体なのだ。」「公衆は一切であって無である。あらゆる勢力のうちで最も危険なもの、そして最も無意味なものである。」そしてその公衆の犬であり代弁者である「新聞」を批判する。 キルケゴールの思想は、彼の信仰と宗教性に特徴づけられる。現在では有神論的実存主義と分類されることもある。 キルケゴールは、水平化の時代においては「個人個人は抽象的な無限性のめまいのなかで滅んでしまうか、それとも、ほんとうの宗教性のなかで無限に救われるか、そのどちらかしかない」とし、水平化の時代の宗教的な者は「英雄や傑物になるのではない。その人はただ、完全な平等という意味においてひとりの人間らしい人間になるばかりである。これこそ宗教性の理念である」とした。水平化を真正面から打ち負かそうというのは「権威を目ざして行動することになるからである。そうではなく、目立たない者は受難によって水平化に打ち勝つのであろう。」水平化の時代は個人個人が主体的に自分自身を助けなければならない。「彼はみずから飛躍をしなければならないのだ。神の無限の愛にたいする彼らの関係を、間接的なものにしてはならないのだ。」 人が他の人へする助力や、問題解決のためのアプローチというのが、支配するのでも、操縦するのでも、指導するのでもないという意味で、間接的なものになる。「受難によって奉仕すること」となる。 沈黙は内面性である。「公衆」という奇怪な無の巨大で抽象的な声に対し、沈黙すること、現実の人の声を聞き、本当のことを心で語ること。パラドキシカルなことにそれが民衆の声となり、大衆文化が開花する。
旧約聖書において、アダムとイブの最初の罪の後、人類はエデンの園を失い、自然法則の奴隷となり、そのため死すべきものになった。人間が奴隷となったのは、自然から切り離されたからである。自然、つまり宇宙は、外部の物体となった。自然法則は人間から独立した。第二のアダムであるイエス キリストが、人間の魂と自然の法則との一体性を再現する。これは新約聖書において、キリストが水の上を歩くことで象徴される。 それが「公衆」という奇怪な無によるものであっても、『1984年』で描かれたような全体主義によるものであっても、カルトやメディアによるものであっても、人間意識の操作は、人間のさらに深い疎外となる。外的な自然からだけでなく、内的な、自分自身の内なる自然からも切り離される。もし、人間が内面世界全体から切り離され、内なる世界のすべてから追放されるようなことがあるとしたら、一体どんな大罪によってその「第二の堕落」「二度目の失楽園」は引き起こされるのだろうか。 ドストエフスキー作品が提示しているのは、罪とは、暴力によって社会正義を作ろうとする試みと、社会的にも個人的にも自由を失うことである。これはすなわち、科学技術が人間に対して行うように、個人と社会をオブジェクト(対象物。モノ)として扱うことであり、『罪と罰』(1866)に描かれたように、人間が他の人間をオブジェクトとして扱うことである。人が他の人をオブジェクトとして扱い始めると、奇妙なことに、その人自身の内面世界もその人にとってオブジェクトになる。ドストエフスキー作品に強く影響を受けたロシアの哲学者ニコライ ベルジャーエフは、「個人は社会の一部であると言われるが、社会が個人の内面世界の一部であると言うほうがより真実である」と述べ、人間の内なる世界と外なる世界には、強力で明白な並行関係と相互依存性が存在すると考えた。 外なる世界をオブジェクトとして扱うことは、当然、多かれ少なかれ誰もがやっていることだが、これが内なる世界からの疎外に直接つながる。これは他の人間や自分自身をオブジェクトとして扱うことに関しては特にそうである。外なる世界を「2+2=5」だと言い張り、内なる世界を「二二が四」に縛るまでに、堕ちてしまう。多かれ少なかれ、風潮だとかメディアとかに意識は操作され、また、外なる世界をオブジェクトとして扱うことで内なる世界をオブジェクトとし、内なる自然が切り離されていく。 「自分」と「自分の内なる世界」の再統合は可能なのだろうか。この問いはすなわち、人はモノではなくて、「精神」はあるのだろうか、という問いである。
今年、精神はあると示されたように見えた。
2024年12月 アンファゾマブル マインド、ナウ ビーコン、ナウ シー
メリークリスマス よいお年を
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バーチャルオフィスの転送回数とは?知っておきたい仕組みとポイント
近年、テレワークやリモートワークの普及に伴い、バーチャルオフィスの需要が急速に高まっています。バーチャルオフィスは、物理的なオフィススペースを持たずに、法人登記やビジネス上の住所として利用できるサービスであり、特にスタートアップ企業やフリーランスにとって非常に魅力的な選択肢となっています。しかし、バーチャルオフィスを選ぶ際には、転送回数という重要な要素を理解することが欠かせません。転送回数とは、バーチャルオフィスに届いた郵便物や荷物を実際のビジネスオーナーの住所に転送する回数のことを指します。この転送回数が多いほど、郵便物の管理がスムーズに行える一方で、コスト面での負担も考慮する必要があります。本記事では、バーチャルオフィスの転送回数について詳しく解説し、その仕組みや選び方のポイント、ビジネスに与える影響について深掘りしていきます。これからバーチャルオフィスの利用を検討している方々にとって、最適なサービス選びの参考となる情報を提供しますので、ぜひ最後までお読みください。
バーチャルオフィスとは?
バーチャルオフィスは、従来の物理的なオフィススペースを持たずに、ビジネス上の住所や法人登記を行うためのサービスです。このサービスを利用することで、企業はコストを抑えつつ、信頼性の高い住所を確保することができます。バーチャルオフィスは主に法人登記やビジネス上の住所として活用され、オンラインツールとしての機能は持ち合わせていません。そのため、実際のオフィス環境を必要とする場合には、物理的なオフィススペースと併用する形で利用されることが一般的です。バーチャルオフィスの基本的な役割は、企業の信頼性を高めることにあり、特に新興企業やフリーランスにとっては、ビジネスの拡大や顧客獲得において大きなメリットを提供します。また、バーチャルオフィスを利用することで、所在地に制約されることなく全国各地でビジネスを展開することが可能となり、企業の成長戦略に柔軟性を持たせることができます。
バーチャルオフィスの概要
バーチャルオフィスは、物理的なオフィススペースを持たずに、ビジネス上の住所や法人登記を行うためのサービスです。このサービスを利用することで、企業はオフィス賃貸料や光熱費などの固定費を大幅に削減することができます。また、バーチャルオフィスの提供者は、信頼性の高いビジネス住所を提供するだけでなく、郵便物の受取や転送、電話応対などのサポートも行��ます。これにより、企業は本業に専念することができ、効率的なビジネス運営が可能となります。さらに、バーチャルオフィスは全国各地に展開しているため、企業は所在地に制約されることなく、柔軟にビジネスを展開することができます。特にスタートアップ企業やフリーランスにとっては、初期投資を抑えつつ、信頼性の高いビジネス住所を確保できる点が大きな魅力となっています。
法人登記やビジネス住所としての活用 バーチャルオフィスの主要な活用方法の一つが、法人登記やビジネス住所としての利用です。企業が法人を設立する際には、法的な住所が必要となりますが、物理的なオフィスを持たない場合でも、バーチャルオフィスの住所を利用することで、正式な法人登記を行うことが可能です。これにより、企業は高額なオフィス賃料を支払うことなく、信頼性の高いビジネス住所を確保することができます。また、ビジネス住所として利用することで、顧客や取引先からの信頼を得やすくなり、ビジネスの拡大に寄与します。さらに、バーチャルオフィスの提供者は、郵便物の受取や転送サービスを提供しており、企業はこれらのサービスを利用することで、効率的に郵便物を管理することができます。このように、バーチャルオフィスは法人登記やビジネス住所としての活用において、多くのメリットを提供しています。
オンラインツールではない点に注意 バーチャルオフィスは、物理的なオフィススペースを持たないビジネス住所サービスですが、オンラインコミュニケーションツールではありません。つまり、ビデオ会議やチャット機能などのオンラインツールを提供するサービスではなく、あくまで法人登記やビジネス住所としての利用が主な目的です。この点を理解しておくことが重要です。オンラインツールとバーチャルオフィスを混同しないようにするためには、サービス提供者の提供内容を事前に確認することが必要です。例えば、バーチャルオフィスが郵便物の受取や転送サービスを提供する一方で、オンライン会議の機能は別途導入する必要があります。バーチャルオフィスの利用を検討する際には、自社のニーズに応じて、必要なサービスを選択することが重要です。オンラインツールと組み合わせて利用することで、より効率的なビジネス運営が可能となります。
転送サービスの重要性
バーチャルオフィスにおいて、転送サービスは非常に重要な役割を果たします。転送サービスとは、バーチャルオフィスに届いた郵便物や荷物を、指定された住所へ転送するサービスのことを指します。このサービスが適切に機能することで、企業は効率的に郵便物を管理することが可能となります。特にリモートワークやテレワークが一般化している現代において、物理的なオフィススペースを持たな��企業にとって、転送サービスは欠かせない存在です。転送サービスを利用することで、企業は郵便物の受取から確認までをスムーズに行うことができ、ビジネスの効率性を高めることができます。また、転送サービスの質によっては、郵便物の遅延や紛失といったリスクを軽減することができ、企業の信頼性を向上させることにも寄与します。したがって、バーチャルオフィスを選ぶ際には、転送サービスの内容や品質を十分に確認することが重要です。
郵便物や荷物の受取から転送までの流れ バーチャルオフィスにおける転送サービスは、郵便物や荷物の受取から転送までの一連の流れをスムーズに行うことを目的としています。具体的な流れとしては、まず、バーチャルオフィスの住所に郵便物や荷物が届きます。次に、バーチャルオフィスのスタッフがこれらを受取し、企業に指定された住所へと転送します。この際、転送方法やスケジュールは、企業のニーズに応じて柔軟に対応することが可能です。例えば、緊急性の高い郵便物については、速達便や即日転送サービスを利用することで、迅速に対応することができます。一方で、通常の郵便物については、定期的なスケジュールに基づいて転送を行うことも可能です。このように、バーチャルオフィスの転送サービスは、企業のビジネス運営において欠かせない要素であり、効率的な郵便物管理を実現するための重要なサービスとなっています。
転送回数が与える利便性 転送回数は、バーチャルオフィスのサービス選択において重要な要素の一つです。転送回数が多いほど、企業は頻繁に郵便物や荷物を確認することができ、ビジネスの効率性を高めることができます。特に、急ぎの書類や重要な郵便物を迅速に受け取りたい企業にとって、転送回数の多さは大きなメリットとなります。例えば、毎日転送が可能なプランを選択することで、郵便物の受取から確認までの時間を短縮することができます。一方で、転送回数が少ないプランを選択した場合、郵便物の確認に時間がかかることがあり、ビジネスのスピードに影響を与える可能性があります。また、転送回数が多いプランはコストが高くなる傾向がありますが、その分、ビジネスの信頼性や効率性を高めることができるため、企業のニーズに応じて最適なプランを選択することが重要です。転送回数とコストのバランスを考慮しながら、最適なサービスを選ぶことで、企業のビジネス運営をよりスムーズに行うことが可能となります。
バーチャルオフィスの転送回数とは?
バーチャルオフィスにおける転送回数は、サービス提供者が郵便物や荷物を企業に転送する回数を指します。転送回数は、企業のビジネス運営において重要な要素であり、郵便物の管理や迅速な対応に直接影響を与えます。転送回数が多いほど、郵便物の受取から確認までの時間が短縮され、ビジネスの効率性が向上します。しかし、一方で転送回数が多いプランはコストが高くなるため、企業は自社のニーズに応じて適切なプランを選択する必要があります。本節では、転送回数の基本的な定義と仕組み、そして転送回数が多い場合の利点と注意点について詳しく解説します。
転送回数とは何か?
転送回数とは、バーチャルオフィスに届いた郵便物や荷物を、指定された住所へ転送する回数のことを指します。具体的には、バーチャルオフィスの提供者が企業に代わって郵便物や荷物を受取し、企業の指定する住所へと転送するサービスの頻度を表します。転送回数は、月単位や年単位で設定されており、企業は自身のビジネスニーズに合わせて適切なプランを選択することが重要です。例えば、郵便物の受取頻度が高い企業であれば、転送回数が多いプランを選択することで、郵便物の確認を迅速に行うことができます。一方で、郵便物の受取頻度が低い企業であれば、転送回数が少ないプランを選択することで、コストを抑えることが可能です。このように、転送回数は企業のビジネス運営において、効率性とコストのバランスを取るための重要な指標となっています。
転送回数の定義と仕組み 転送回数の定義は、バーチャルオフィスに届いた郵便物や荷物を企業に転送する回数のことです。この転送回数は、サービス提供者が提供するプランによって異なり、企業は自身のビジネスニーズに応じて適切なプランを選択することが求められます。転送の仕組みとしては、まずバーチャルオフィスの住所に郵便物や荷物が届きます。次に、サービス提供者がこれらを受取し、企業に指定された住所へ転送します。この転送の頻度が転送回数となります。例えば、月に4回転送するプランであれば、毎週1回の転送が行われます。転送回数が多いプランを選択することで、郵便物や荷物の受取が迅速に行われ、ビジネスの効率性が向上します。一方で、転送回数が少ないプランを選択する場合、郵便物や荷物の確認に時間がかかることがあり、ビジネスのスピードに影響を与える可能性があります。このため、企業は自身のビジネスのニーズに合わせて、最適な転送回数を選択することが重要です。
転送回数が多い場合の利点と注意点 転送回数が多いプランを選択することには多くの利点があります。まず、郵便物や荷物の確認が迅速に行えるため、ビジネスの効率性が向上します。特に、急ぎの書類や重要な郵便物を迅速に受取ることができるため、ビジネスのスピードアップにつながります。また、転送回数が多いことで、郵便物の紛失や遅延のリスクを低減することができ、企業の信頼性を高めることができます。一方で、転送回数が多いプランはコストが高くなる傾向があります。そのため、企業は自身のビジネスニーズに応じて、転送回数とコストのバランスを考慮する必要があります。また、転送回数が多いプランを選択する際には、郵便物や荷物の量や種類、緊急性などを考慮し、最適なプランを選ぶことが重要です。転送回数が多い場合の利点と注意点を理解することで、企業はより効果的なバーチャルオフィスの利用が可能となります。
転送回数が少ない場合の影響
転送回数が少ないプランを選択することには、いくつかの影響が考えられます。まず、郵便物や荷物の確認に時間がかかるため、ビジネスの効率性が低下する可能性があります。特に、急ぎの書類や重要な郵便物を迅速に受取る必要がある企業にとっては、転送回数が少ないプランでは対応が難しい場合があります。また、転送回数が少ないことで、郵便物の紛失や遅延のリスクが高まる可能性があり、企業の信頼性に影響を与えることも考えられます。一方で、転送回数が少ないプランはコストが低いため、郵便物の量が少ない企業やコストを抑えたい企業にとってはメリットがあります。このように、転送回数が少ない場合には、ビジネスの効率性や信頼性に影響を与える可能性がある一方で、コスト面でのメリットも存在します。企業は自身のビジネスニーズに応じて、転送回数の多さとコストのバランスを考慮し、最適なプランを選択することが重要です。
ビジネス効率への影響 転送回数が少ないプランを選択することは、ビジネスの効率性に直接的な影響を与える可能性があります。郵便物や荷物の確認が遅れることで、重要な情報の受取や対応が遅れ、ビジネスのスピードに支障をきたすことがあります。例えば、急ぎの契約書や重要なビジネス書類が遅れて届くことで、契約締結やプロジェクトの進行が遅れるリスクがあります。また、郵便物の確認が遅れることで、顧客や取引先からの信頼を損なう可能性もあります。このような影響を避けるためには、転送回数が少ないプランを選択する際には、郵便物や荷物の受取頻度や重要性を十分に考慮することが重要です。場合によっては、転送回数が多いプランへの変更を検討することで、ビジネスの効率性を維持することが可能です。
利用者の選択肢を増やすための工夫 転送回数が少ないプランを選択する場合でも、ビジネスの効率性を維持するためには、利用者が選択肢を増やすための工夫が必要です。例えば、郵便物の受取先を複数設けることで、重要な郵便物を確実に受取ることができます。また、郵便物の転送を自動化するツールやサービスを導入することで、郵便物の確認や対応を効率化することが可能です。さらに、郵便物の管理方法を見直すことで、転送回数が少ないプランでも効率的に郵便物を管理することができます。例えば、郵便物をデジタル化することで、物理的な郵便物の管理を減らし、迅速に対応することができます。このような工夫を行うことで、転送回数が少ないプランでも、ビジネスの効率性を維持し、信頼性を高めることが可能となります。企業は自身のビジネスニーズに応じて、最適な工夫を取り入れることで、転送回数の少なさによる影響を最小限に抑えることができます。
バーチャルオフィスの転送回数に関する選択肢
バーチャルオフィスを選ぶ際に重要なポイントの一つが、転送回数に関する選択肢です。転送回数は、企業のビジネスニーズや郵便物の受取頻度に応じて選択することが重要です。本節では、転送回数を選ぶ際の基準や、一般的なプランの例について詳しく解説します。適切な転送回数を選択することで、ビジネスの効率性を高めつつ、コストを抑えることが可能となります。
転送回数を選ぶ際の基準
転送回数を選ぶ際には、まず自身のビジネスの規模や郵便物の受取頻度を考慮することが重要です。例えば、大企業や郵便物の受取が頻繁な企業であれば、転送回数が多いプランを選択することで、郵便物の確認を迅速に行うことができます。一方で、スタートアップ企業やフリーランスで郵便物の受取頻度が低い場合は、転送回数が少ないプランを選択することで、コストを抑えることが可能です。また、転送回数を選ぶ際には、コストと転送頻度のバランスを考慮することも重要です。転送回数が多いプランはコストが高くなりますが、その分、郵便物の管理がスムーズに行えます。逆に、転送回数が少ないプランはコストを抑えることができますが、郵便物の確認に時間がかかる可能性があります。企業は自身のビジネスニーズに合わせて、転送回数とコストのバランスを考慮し、最適なプランを選択することが求められます。
ビジネスの規模や頻度に応じた選択 転送回数を選ぶ際には、ビジネスの規模や郵便物の受取頻度に応じた選択が重要です。大規模な企業や多くの郵便物を受取る企業では、転送回数が多いプランを選択することで、郵便物の管理が効率的に行えます。例えば、月に4回転送するプランであれば、毎週1回の転送が行われ、郵便物の確認が迅速に行えます。一方で、小規模な企業や郵便物の受取が少ない企業では、転送回数が少ないプランを選択することで、コストを抑えることが可能です。例えば、月に2回転送するプランであれば、郵便物の確認に時間がかかることは少なく、コストパフォーマンスが高くなります。また、郵便物の受取頻度に応じて、柔軟に転送回数を調整できるプランを選択することも重要です。ビジネスの成長や変化に応じて、転送回数を見直すことで、常に最適な郵便物管理が可能となります。このように、ビジネスの規模や郵便物の受取頻度に応じた転送回数の選択が、効率的なビジネス運営に寄与します。
コストと転送頻度のバランス 転送回数を選ぶ際には、コストと転送頻度のバランスを考慮することが重要です。転送回数が多いプランは、その分コストが高くなりますが、郵便物の管理が迅速かつ効率的に行えるというメリットがあります。特に、急ぎの郵便物や重要な書類を頻繁に受取る必要がある企業にとっては、転送回数が多いプランが適しています。一方で、転送回数が少ないプランはコストを抑えることができますが、郵便物の確認に時間がかかる可能性があります。郵便物の受取頻度が低い企業やコストを重視する企業にとっては、転送回数が少ないプランが適しています。しかし、転送回数が少ない場合でも、郵便物の確認や対応が遅れないように、郵便物管理の効率化を図る工夫が必要です。例えば、郵便物のデジタル化や自動転送ツールの導入などが考えられます。このように、コストと転送頻度のバランス���考慮しながら、最適なプランを選択することが、企業のビジネス運営において重要です。
一般的なプランの例
バーチャルオフィスの転送回数に関するプランは、提供者によって様々ですが、一般的には無制限転送プランと限定回数プランの2つに大別されます。それぞれのプランには特徴があり、企業のニーズに応じて最適なプランを選択することが重要です。本節では、一般的なプランの例について詳しく解説します。
無制限転送プランの特徴 無制限転送プランは、月額料金に応じて、バーチャルオフィスに届いた郵便物や荷物を無制限に転送することができるプランです。このプランの最大の特徴は、転送回数に制限がないため、郵便物の受取頻度が高い企業にとって非常に便利である点です。無制限転送プランを利用することで、企業は郵便物の確認や対応を迅速に行うことができ、ビジネスの効率性を高めることができます。また、転送回数に制限がないため、急ぎの郵便物や重要な書類が届いた際にも、迅速に対応することが可能です。ただし、無制限転送プランは転送回数が多いため、コストが高くなる傾向があります。そのため、郵便物の受取頻度が高い企業や迅速な郵便物管理が求められる企業にとっては、非常に有効な選択肢となります。
限定回数プランの利便性 限定回数プランは、月額料金に応じて、バーチャルオフィスに届いた郵便物や荷物を一定回数まで転送することができるプランです。このプランの特徴は、転送回数が限定されているため、コストを抑えることができる点にあります。限定回数プランは、郵便物の受取頻度が比較的低い企業や、コストを重視する企業にとって非常に有効です。例えば、月に2回転送するプランを選択することで、必要最低限の郵便物の確認を行いつつ、コストを抑えることが可能です。また、限定回数プランは、郵便物の受取頻度に応じて柔軟に選択することができるため、企業のビジネスニーズに合わせた最適なプランを選ぶことができます。ただし、転送回数が限定されているため、郵便物の確認が遅れる可能性があることを考慮する必要があります。そのため、限定回数プランを選択する際には、郵便物の受取頻度や重要性を十分に考慮することが重要です。このように、限定回数プランはコストを抑えつつ、必要な郵便物の確認を行うことができるため、多くの企業にとって有効な選択肢となっています。
転送回数がビジネスに与える影響
バーチャルオフィスの転送回数は、ビジネスの効率性や信頼性に大きな影響を与える要素です。本節では、転送回数がビジネスに与える影響について、郵便物管理の効率化とクライアントや取引先との信頼関係の観点から詳しく分析します。転送回数が多いプランを選択することで、ビジネスのスピードや信頼性を高めることができますが、一方でコスト面での負担も考慮する必要があります。企業は自身のビジネスニーズに応じて、最適な転送回数を選択することが重要です。
郵便物管理の効率化
転送回数が多いプランを選択することで、郵便物管理の効率化が図れます。頻繁な転送により、郵便物の受取から確認までの時間が短縮され、ビジネスのスピードが向上します。例えば、毎週転送されるプランを利用することで、郵便物が迅速に確認され、必要な対応が速やかに行われます。これにより、急ぎの書類や重要な郵便物の処理が遅れることなく、ビジネスの運営がスムーズに進行します。��た、転送回数が多いことで、郵便物の管理が一元化され、複数の拠点や担当者が郵便物を管理する必要がなくなります。これにより、郵便物の紛失や遅延のリスクが低減され、ビジネスの信頼性が向上します。さらに、効率的な郵便物管理は、業務の生産性を高めるだけでなく、従業員の負担を軽減し、より重要な業務に集中することが可能となります。このように、転送回数の多さは、郵便物管理の効率化に直結し、ビジネス全体のパフォーマンス向上に寄与します。
頻繁な転送で郵便物の確認がスムーズに 転送回数が多いプランを利用することで、郵便物の確認がスムーズに行えるようになります。頻繁な転送により、郵便物が迅速に企業の指定住所へと届くため、受取から確認までの時間が短縮されます。これにより、重要な郵便物や急ぎの書類を迅速に確認し、対応することが可能となります。例えば、毎週1回の転送が行われるプランでは、郵便物が週に一度転送されるため、迅速な対応が可能です。これにより、ビジネスのスピードを維持し、顧客や取引先からの信頼を得ることができます。また、頻繁な転送により、郵便物の確認が遅れることがなく、ビジネスの運営がスムーズに行われます。特に、急ぎの書類や重要な契約書が届いた場合にも、迅速に対応することができ、ビジネスの効率性を高めることが可能です。このように、頻繁な転送は郵便物の確認をスムーズに行うために非常に有効であり、ビジネスのスピードと信頼性を向上させる要因となります。
急ぎの書類が遅れないメリット 転送回数が多いプランを選択することで、急ぎの書類や重要な郵便物が遅れることなく受取られるメリットがあります。ビジネスにおいて、急ぎの書類や契約書は迅速な対応が求められることが多く、転送回数が少ないと確認が遅れる可能性があります。例えば、重要な契約書が転送回数の少ないプランでは月に2回しか転送されない場合、確認までに数日間の遅れが生じる可能性があります。しかし、転送回数が多いプランでは、郵便物が頻繁に転送されるため、確認が迅速に行われ、対応が遅れることなくビジネスを進めることが可能です。これにより、ビジネスのスピードを維持し、顧客や取引先からの信頼を得ることができます。また、急ぎの書類が迅速に確認されることで、ビジネスの運営がスムーズに進行し、競争力を高めることができます。このように、転送回数が多いことは、急ぎの書類が遅れないという重要なメリットを企業にもたらします。
クライアントや取引先との信頼関係
バーチャルオフィスの転送回数は、クライアントや取引先との信頼関係にも大きな影響を与えます。郵便物の迅速な確認と対応は、ビジネスの信頼性を高めるために非常に重要です。転送回数が多いプランを選択することで、クライアントや取引先からの重要な書類や連絡を迅速に受取ることができ、信頼関係を強化することが可能となります。特に、契約書や重要なビジネス書類の迅速な対応は、クライアントや取引先からの信頼を得るために不可欠です。転送回数が多いことで、郵便物の確認が遅れることなく、迅速に対応することができ、ビジネスの信頼性を高めることができます。また、転送回数が多いプランは、郵便物の管理が効率的に行われるため、重要な書類や連絡が確実に受取られることが保証されます。これにより、クライアントや取引先からの信頼を維持し、長期的なビジネス関係を築くことが可能となります。信頼性の高い郵便物管理は、ビジネスの成功において非常に重要な要素であり、転送回数の多さはその一翼を担っています。
確実な連絡手段としての役割 転送回数が多いプランを選択することで、確実な連絡手段としての役割を果たすことができます。企業にとって、郵便物や荷物は重要な連絡手段の一つであり、これらが確実に受取られることはビジネスの信頼性を維持するために不可欠です。転送回数が多いプランでは、郵便物や荷物が頻繁に転送されるため、重要な連絡が遅れることなく企業に届きます。これにより、企業は迅速に対応することができ、ビジネスのスピードを維持することが可能となります。また、確実な連絡手段としての役割を果たすことで、クライアントや取引先からの信頼を得ることができます。郵便物や荷物の確認が遅れることなく行われるため、ビジネスの信頼性が高まり、長期的なビジネス関係の構築につながります。さらに、転送回数が多いことで、緊急時の対応も迅速に行うことができ、ビジネスの安定性を高めることができます。このように、転送回数の多さは、確実な連絡手段としての重要な役割を果たしています。
遅延リスクを減らすための注意点 転送回数が多いプランを選択することで、郵便物の遅延リスクを減らすことができます。しかし、転送回数が多いだけではなく、他にもいくつかの注意点があります。まず、転送サービスの提供者が信頼できるかどうかを確認することが重要です。信頼できる提供者であれば、郵便物の遅延や紛失のリスクを最小限に抑えることができます。また、転送スケジュールが明確であることも重要です。転送スケジュールが不明確な場合、郵便物の受取が遅れる可能性があります。そのため、転送スケジュールが明確に設定されているプランを選択することが重要です。さらに、緊急時の対応が迅速に行えるように、提供者との連携を密にすることも重要です。例えば、急ぎの郵便物や荷物が届いた場合に、迅速に対応するための連絡手段を確保しておくことが必要です。これらの注意点を踏まえることで、転送回数が多いプランを効果的に活用し、郵便物の遅延リスクを減らすことが可能となります。
転送回数に関する注意点と事例
バーチャルオフィスの転送回数を選択する際には、いくつかの注意点と実際の利用者の事例を考慮することが重要です。本節では、利用者が気を付けるべきポイントや、転送回数に関する実際の利用者の体験談について詳しく解説します。これらの情報を参考にすることで、企業は転送回数の選択において適切な判断を下すことができます。
トラブルを避けるための確認事項
バーチャルオフィスの転送回数を選択する際には、いくつかの確認事項をしっかりと確認することが重要です。まず、転送回数制限に関する契約内容を確認することが必要です。契約書には、転送回数の上限や追加料金に関する詳細が記載されていることが多いため、事前に確認し、不明点があればサービス提供者に問い合わせることが重要です。また、転送スケジュールの透明性も確認するべきポイントです。転送スケジュールが明確でない場合、郵便物の確認が遅れる可能性があります。転送スケジュールが明確に設定されているかどうかを確認し、必要に応じて柔軟な対応が可能かどうかも確認することが重要です。さらに、転送回数が多いプランを選択する場合には、追加料金が発生する場合があるため、事前にコストを把握し、予算内で最適なプランを選択することが重要です。これらの確認事項をしっかりと確認することで、トラブルを避け、スムーズなバーチャルオフィスの利用が可能となります。
転送回数制限に関する契約内容の確認 バーチャルオフィスを利用する際には、転送回数制限に関する契約内容をしっかりと確認することが重要です。契約書には、転送回数の上限や追加料金に関する詳細が記載されていることが多いため、事前に確認し、不明点があればサービス提供者に問い合わせることが必要です。例えば、月に4回転送するプランで契約した場合、上限を超えた場合には追加料金が発生することがあります。このような場合、追加料金がどの程度かかるのか、または超過分の転送がどのように扱われるのかを確認しておくことが重要です。また、転送回数制限に関する契約内容を確認することで、企業は予期せぬコストの発生を防ぐことができます。さらに、契約期間中に転送回数の変更が可能かどうかも確認しておくと良いでしょう。これにより、ビジネスのニーズに応じて柔軟に転送回数を調整することが可能となります。転送回数制限に関する契約内容をしっかりと確認することで、企業は予期せぬトラブルを避け、安心してバーチャルオフィスのサービスを利用することができます。
転送スケジュールの透明性 転送スケジュールの透明性は、バーチャルオフィスの転送サービスを利用する上で非常に重要なポイントです。転送スケジュールが明確でない場合、郵便物の受取や確認が遅れる可能性があり、ビジネスの効率性や信頼性に影響を与えることがあります���そのため、転送スケジュールが明確に設定されているかどうかを事前に確認することが重要です。例えば、転送が週に1回行われるプランであれば、郵便物が受取られてから実際に企業の指定住所に転送されるまでの時間を把握することができます。また、緊急時には迅速な転送が可能かどうかも確認しておくと良いでしょう。さらに、転送スケジュールが透明であることで、郵便物の受取状況をリアルタイムで確認することが可能となり、ビジネスの運営において重要な情報を迅速に把握することができます。転送スケジュールの透明性を確保することで、企業は安心してバーチャルオフィスのサービスを利用することができ、ビジネスの効率性を高めることが可能となります。
実際の利用者の体験談
バーチャルオフィスの転送回数に関する実際の利用者の体験談は、サービス選択の参考になる貴重な情報源です。実際の利用者の声を聞くことで、転送回数がビジネスに与える影響や、転送回数の多さがどのようなメリットやデメリットをもたらすのかを具体的に理解することができます。本節では、転送回数が少ない場合の困ったエピソードと、転送回数を増やしたことで解決した事例について詳しく紹介します。
転送回数が少ない場合の困ったエピソード あるスタートアップ企業の事例では、バーチャルオフィスの転送回数が少ないプランを選択した結果、重要な契約書が転送回数の少なさにより確認が遅れ、契約締結が遅延してしまったという困ったエピソードがあります。この企業は、月に2回の転送プランを選択していましたが、急ぎの契約書が届いた際に、転送回数の少なさから確認が遅れ、契約締結が一週間遅れてしまいました。この遅延により、取引先との信頼関係に影響が出てしまい、ビジネスの進行に支障をきたしました。このように、転送回数が少ないプランを選択することで、急ぎの郵便物や重要な書類の確認が遅れるリスクがあることがわかります。この事例から、転送回数の選択がビジネスに与える影響を十分に理解し、自社のビジネスニーズに応じたプランを選択することの重要性が浮き彫りになりました。
転送回数を増やしたことで解決した事例 別の事例では、フリーランスのデザイナーがバーチャルオフィスの転送回数を増やしたことで、ビジネスの効率性を大幅に向上させた成功例があります。このデザイナーは、月に1回の転送プランを利用していましたが、クライアントからの重要なフィードバックや修正依頼が頻繁に届くようになり、転送回数の少なさから対応が遅れることが課題となっていました。そこで、転送回数を増やすプランに変更した結果、郵便物の確認が迅速に行えるようになり、クライアントからのフィードバックに即座に対応できるようになりました。この変更により、クライアントとのコミュニケーションが円滑になり、ビジネスの信頼性が向上しました。また、迅速な対応が可能になったことで、プロジェクトの進行がスムーズになり、顧客満足度が向上しました。このように、転送回数を増やすことで、ビジネスの効率性と信頼性を高めることができ、実際のビジネス運営において大きなメリットをもたらすことがわかります。
最後に
バーチャルオフィスの転送回数を選ぶことは、企業のビジネス運営において非常に重要な要素です。適切な転送回数を選択することで、郵便物の管理が効率的に行え、ビジネスの信頼性を高めることができます。本記事では、バーチャルオフィスの転送回数の仕組みや選び方のポイント、ビジネスに与える影響について詳しく解説しました。これからバーチャルオフィスの利用を検討している方々にとって、自社のビジネスニーズに合った転送回数を選択することが、ビジネスの成功に直結する重要なステップであることを理解していただけたと思います。
自身のビジネスに合った転送回数の選び方
自身のビジネスに合った転送回数を選ぶためには、まずビジネスの規模や郵便物の受取頻度を正確に把握することが重要です。大企業や郵便物の受取が頻繁な企業であれば、転送回数が多いプランを選択することで、郵便物の確認が迅速に行えます。一方で、小規模な企業や郵便物の受取が少ない企業であれば、転送回数が少ないプランを選択することで、コストを抑えることが可能です。また、ビジネスの成長や変化に応じて、転送回数を柔軟に調整できるプランを選択することも重要です。これにより、ビジネスのニーズに合わせて、最適な転送回数を維持することができます。さらに、転送回数とコストのバランスを考慮しながら、最適なプランを選択することで、ビジネスの効率性とコストパフォーマンスを最大化することが可能となります。自身のビジネスに合った転送回数を選ぶことで、ビジネスの運営がよりスムーズに行われ、信頼性を高めることができます。
長期的な視点での契約内容の見直し
バーチャルオフィスの転送回数を選択する際には、長期的な視点で契約内容を見直すことも重要です。ビジネスの成長や変化に伴い、郵便物の受取頻度や重要性が変わることがあります。そのため、定期的に契約内容を見直し、必要に応じて転送回数を調整することが求められます。例えば、ビジネスが成長し、郵便物の受取頻度が増加した場合には、転送回数を増やすプランに変更することで、郵便物の確認を迅速に行うことができます。また、ビジネスの状況に応じて、転送回数を減らすプランに変更することも可能です。長期的な視点で契約内容を見直すことで、常に最適な転送回数を維持し、ビジネスの効率性と信頼性を高めることができます。さらに、契約内容の見直しを定期的に行うことで、無駄なコストを削減し、ビジネスの運営をより効果的に行うことが可能となります。このように、長期的な視点で契約内容を見直すことは、バーチャルオフィスの転送回数選択において非常に重要なステップです。
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ピーター・ティールとイーロン・マスク:ディープ・ステートの二重スパイ ー テクノクラート帝国を解き明かす
サクセスストーリーとメディアの洗練された物語はもうたくさんだ。ピーター・ティールとイーロン・マスクの真実を直視しよう。彼らは反抗的な、自力で勝ち取った破天荒な人間ではなく、もっと大きなゲームの洗練された工作員なのだ。もしあなたが、テック業界の第一人者について、またもや気分の良い物語を期待しているとしたら、それは見当違いだ。この分析では、入念に作り上げられたキャラクターを分析し、彼らのキャリアを最初から決定づけたディープ・ステートとのつながりや軍事契約を明らかにする。
そして、マスクの支持者たちの悲劇的なファンファーレを忘れてはならない。Xでの「言論の自由」というパンくずとわずかな報酬に歓声を上げ、自分たちが解放運動の一部だと信じている人たちだ。自分の周りに檻が築かれようとしているのに、その檻を祝うというのは、教科書通りの心理作戦だ。ティールとマスクは、偶然に諜報と防衛に軸足を移したわけではない。これは本当の話であり、最後まで読めば、ハイテク楽観主義の薄いベールに隠された、現代の監視国家の立役者である彼らの正体がわかるだろう。
1) ペイパルの起源 イノベーションを装った金融監視
1999年、イーロン・マスクはオンライン・バンキング・プラットフォームのX.comを立ち上げ、ピーター・ティールは1998年に暗号決済に特化したコンフィニティを共同設立した。2000年3月、この2社は合併し、現在のペイパルが誕生した。世間ではこの合併を、優秀な起業家たちが力を合わせた物語として売り込んでいるが、宣伝文句を無視して中身をみてみよう。この合併は、諜報ネットワークと結びついた初期の技術投資家の監視の目をかいくぐり、監視技術の才能を統合したように見える。
ペイパルの積極的なアンチマネーロンダリング・アルゴリズムは、詐欺防止だけでなく、金融監視の初期の実験だった。同プラットフォームの厳格なKYC(Know Your Customer、本人確認)要件の採用は、疑わしい活動を追跡し、フラグを立てるための先例となった。これは単なるコンプライアンスではなく、9.11以降の広範な監視体制に容易に統合できる金融監視システムの構築だった。
2002年、イーベイが15億ドルでペイパルを買収したとき、それは単に巧みなビジネス取引というだけでなく、ペイパルのインフラを株式公開企業に置き、そのデータを株主だけでなく、裏口協定を通じて情報機関にもアクセス可能にするという戦略的な動きだった。この買収は、ペイパルの「独立」段階の始まりであり、より広範な監視ネットワークへの統合の始まりでもあった。
2) パランティア ティールの監視の至宝
2003年、ピーター・ティールはデータ分析会社パランティア・テクノロジーズを共同設立した。Palantirの最初の資金調達は、ティール自身の懐からだけでなく、CIAのベンチャーキャピタル部門であるIn-Q-Telからも行われた。これは典型的な新興企業への投資ではなく、ディープ・ステートの長期的目標に直接合致したものだった。 パランティアのソフトウェアは、犯罪記録、ソーシャルメディア、クレジットスコアなど複数のソースから膨大なデータセットを集約し、テロ対策や法執行に使われる予測分析を提供する。パランティアのテクノロジーがNSAやFBIといった機関に急速に採用されたのは偶然ではない。ティールの自由主義的な姿勢は、彼の会社が大規模な監視と予測的な取り締まりに貢献しているという重圧の下で崩れ去る。 イスラエルとのつながりは明白だ。パランティアはイスラエル国防軍(IDF)と幅広く提携し、パレスチナ人の監視と統制に役立つツールを提供している。ティールの会社は、占領地でイスラエル国防軍が使用する予測的取り締まりアルゴリズムの開発を支援したと伝えられており、倫理的に疑わしい国家監視行為におけるパランティアの役割をさらに強固なものにしている。
3) スペースXとスターリンク マスクの軍事的変貌
イーロン・マスクは自���を宇宙のパイオニアと位置づけるのが好きだが、スペースXの軌跡の現実はそれとは異なる。2002年に設立されたスペースXは、すぐにNASAとの契約を獲得し、続いてすぐに国防総省が主要顧客のひとつとなった。2013年までに、スペースXは軍事衛星の打ち上げに大きく関与するようになり、軍事産業への明確な軸足のシフトを示している。
マスクの衛星インターネット・ベンチャーであるStarlinkをめぐる物語は、特に誤解を招きやすい。遠隔地にインターネットを提供するソリューションとして販売されているが、本当のところは軍事作戦と市民監視のためのデュアルユース能力である。Starlinkの安全で低遅延の通信は、ウクライナのような紛争地帯に重要なインフラを提供し、国防総省にとって画期的なものだった。マスクがウクライナでスターリンクを迅速に展開したことは人道的だと称賛されたが、本質的には民間の衛星ネットワークを軍事的枠組みに統合するための試験運用だった。
マスクとイスラエル軍とのつながりが、さらに話を複雑にしている。スターリンクはイスラエル空軍によって安全な戦場通信のためにテストされたと伝えられており、マスクのベンチャーとイスラエルの軍事戦略は一致している。これは言論の自由を主張する人の仕事ではなく、国家監視のためのツールを構築する技術者の計算された作戦なのだ。
4) ペイパルマフィア:影響力ネットワークの構築
いわゆるペイパルマフィアは、単なる技術系起業家の集団ではない。シリコンバレーの形を変え、政治、メディア、国家安全保障にまで影響力を拡大した工作員のネットワークなのだ。リード・ホフマン(リンクトイン)、マックス・レフチン(スライド)、デビッド・サックス(ヤマー)といったメンバーは、監視やデータ分析に沿ったベンチャー企業の中心人物である。彼らの影響力はビジネスをはるかに超え、情報の管理・拡散のあり方そのものに浸透している。
これらの人物の多くは、サイバーセキュリティや監視を専門とするイスラエルのハイテク企業と強いビジネス関係を維持しており、ペイパルマフィアと世界的な諜報ネットワークとをさらに結びつけている。これらのベンチャー企業とモサドにつながる企業との重なりは、偶然の一致ではなく、むしろ戦略的な利害の一致である。
5) 戦略的欺瞞としてのリバタリアンのレトリック
ティールとマスクは頻繁にリバタリアン的価値観を喧伝し、公の場では政府の行き過ぎた政策に反対している。しかし、彼らの会社は国家との契約や補助金の最大の受益者であり、国家の監視能力を強化するツールを構築している。ティールのPalantirは予測的取り締まりと大量データ収集の要であり、マスクのSpaceXとStarlinkベンチャーは軍事通信の重要なインフラとして機能している。
この矛盾は偶然ではなく、彼らが反対すると主張する統制システムそのものを静かに支援しながら、国民の信頼を築くための意図的な戦略なのだ。
6) テクノクラート的クーデター グローバリストとイスラエルの利益との一致
ティールもマスクも、自分たちのプロジェクトを世界経済フォーラムや中央集権を推進する他のグローバリスト機関の目標と一致させている。デジタルIDから中央銀行デジタル通貨(CBDC)に至るまで、彼らの事業は、技術主義的な管理網を確立するという広範なアジェンダにシームレスに適合している。
ティールがモサドと深いつながりのあるイスラエルの緊急サービス・プラットフォーム、Carbyne911を支援していることや、マスクがAI開発でイスラエル企業と協力していることは、イスラエルの諜報機関の目的と彼らの共通した連携を浮き彫りにしている。これらは孤立したプロジェクトではなく、テクノロジーによって支配力を強化することを目的とした、より大きなパズルのピースなのだ。
結論:暴かれる隠された手
ピーター・ティールとイーロン・マスクは反体制の破壊者ではなく、軍事・諜報ネットワークに深く組み込まれた体制側の設計者なのだ。彼らの公的なペルソナは煙幕であり、監視国家の促進者としての真の役割から目をそらすように設計されている。メディアはそれに踊らされ、革新的な物語を紡ぎながら、支配の暗い底流を無視してきた。今こそ、これらの人物を偶像化するのをやめ、彼らの真の動機に疑問を投げかける時なのだ。 マスクやティールがこれを読んでいるなら、心配しないでほしい。私は火星に行くつもりはない。
原文:https://x.com/NakkachM/status/1855999853752435122 からの邦訳
References: "PayPal Mafia," Wikipedia, (en.wikipedia.org) "Peter Thiel and Elon Musk Through the Years," Market Realist, (palantir.com) "Inside Palantir, Silicon Valley’s Most Secretive Unicorn," New York Magazine, (middleeasteye.net) "Elon Musk’s Friends: Who Are His Closest Confidants?" Pressfarm, (gov.il) "Peter Thiel on Elon Musk’s success: 'Maybe the rest of us are just idiots'," CNBC, (calcalistech.com)
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)8月14日(月曜日)
通巻第7862号
「ウクライナ支援追加が5兆円?」「国内が大変な状況なのに?」
サンフランシスコの荒廃。イーロン・マスク「世界が滅亡した後のようだ」
************************
サンフランシスコは以前よりも深刻な不況に陥った。いや「深刻な不況」どころではない、町が死んだようになった。路上にはホームレスが溢れ、ひったくり、置き引きなどは日常茶飯の風景である。
治安が極度に悪化し、黒人の犯罪に警官は見て見ぬふり、950ドル以下の万引きは逮捕されない。留置所が満員だからだ。
信じられない風景が展開されている。オフィス街が空室だらけなのだ。嘗てサンフランシスコはIT産業のメッカ、シリコンバレーの本丸。というよりアメリカの極左地区でもあり、ネットビジネスに明け暮れた時代、繁栄の絶頂があった。もともとサンフランシスコはベトナム反戦運動が燃えたぎり、全米から左翼があつまり、ヒッピー文化発祥の地でもあり、一方でコンピュータ産業の拠点だった。
突如襲った不況は、コロナ禍によるテレワーク。つづいて人口の流失がおこり、オフィスビルからテナントが去り始めた。
企業も本社移転が続出し、アリゾナ州へ、テキサス州へ。西部劇の時代はカリフォルニアがゴールドラッシュに沸き立ち、合い言葉は「西へ、西へ」だった。今度は「東へ、東へ」となった。
テキサス州オースチンは人口が30万人も増えた。
サンフランシスコのユニオンスクエアといえば銀座だろうか。百貨店、ブランド店、高級レストラン、宝石商等々。203店舗が客を呼び込んでいた。年初には107店舗。半数近くが閉店していた。強盗事件の頻発が客足を遠のかせた。
治安悪化はチャイナタウンだけではなかった。犯罪が蔓延するサンフランシスコのダウンタウン。或るオフィスビルは70% 安い価格で販売された。商業用不動産市場のドミノ倒しの兆しである。
かくしてダウンタウンがゴーストタウン化し、ビジネス街は閑散としている。ショッピングモールは軒並み閉店した、客がいなくなったのでホテルはデフォルト。この地区から選ばれているのがナンシー・ペロシ前下院議長だ。
そのペロシの邸宅にハンマーを持った暴漢が押し入り、夫君が重傷を負った(22年10月28日)。
ツィッター本社はサンフランシスコにある。
イーロン・マスクは嘆いた。「世界が滅亡した後のようだ」
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セキュリティ研究者は、再起動イベントを保存するシステム ログ ファイルである Shutdown.log をチェックすることで、侵害された Apple モバイル デバイス上で有名なスパイウェア Pegasus、Reign、および Predator による感染を発見できる可能性があることを発見しました。 Kaspersky は、Shutdown.log ファイルの分析プロセスを自動化し、評価しやすい方法でマルウェア感染の潜在的な兆候を認識するのに役立つ Python スクリプトをリリースしました。 Shutdown.log はデバイスの再起動時に書き込まれ、プロセスの終了に必要な時間とその識別子 (PID) を記録します。 iShutdown スクリプト マルウェアが実行するプロセスの挿入と操作により、デバイスの再起動に測定可能な影響を与えるマルウェアは、侵害を検証するデジタル フォレンジック アーティファクトを残します。 暗号化された iOS バックアップやネットワーク トラフィックを調べるような標準的な手法と比較して、Shutdown.log ファイルははるかに簡単な分析方法を提供すると研究者らは述べています。 Kaspersky は、 3 つの Python スクリプトを公開しました。 研究者が iOS シャットダウン ログ ファイルから再起動データを確認できるようにする iShutdown と呼ばれる iShutdown_detect.py - ログ ファイルを含む Sysdiagnose アーカイブを分析します iShutdown_parse.py - tar アーカイブから Shutdown.log アーティファクトを抽出します。 iShutdown_stats.py - ログ ファイルから再起動統計を抽出します。 Shutdown.log ファイルには、侵害後に再起動が実行された場合にのみ、感染の兆候を含むデータが書き込まれるため、カスペルスキーでは、デバイスの感染を頻繁に再起動することを推奨しています。 「どれくらいの頻度で尋ねるかもしれませんか? まあ、それは状況によります! それはユーザーの脅威プロファイルによって異なります。数時間ごと、毎日、またはおそらく「重要なイベント」の前後。これは自由回答の質問として残しておきます。」 - カスペルスキー Kaspersky の GitHub リポジトリには、Python スクリプトの使用方法と出力例が含まれています。 ただし、結果を適切に評価するには、Python、iOS、ターミナル出力、およびマルウェア インジケーターについてある程度の知識が必要です。 再起動プロセスを遅らせるプロセスを強調表示する出力 (Kaspersky) Sysdiagnose ファイルは、iOS および iPadOS デバイスのトラブルシューティングに使用される 200 ~ 400 MB の .tar.gz アーカイブであり、ソフトウェアの動作、ネットワーク通信などに関する情報が含まれています。 カスペルスキーは当初、ペガサス スパイウェアに感染した iPhone を分析する手法を使用し、ログ内の感染指標を受け取りました。これは アムネスティ インターナショナルが開発したMVT ツール を使用して確認されました。 「この動作と、分析した他の Pegasus 感染との一貫性が確認されたため、感染分析をサポートする信頼できる法医学的成果物として機能すると信じています。」 - カスペルスキー 研究者らは、感染当日にユーザーがデバイスを再起動しなかった場合、この方法は失敗すると指摘している。 もう 1 つの観察結果は、Pegasus 関連のプロセスが手順を妨げた場合など、再起動が遅延したときにログ ファイルに記録されることです。 これは感染していない携帯電話でも発生する可能性がありますが、カスペルスキーの研究者は、過度と考えられる 4 回を超える遅延は、調査する必要があるログ異常であると考えています。 に感染した iPhone でこの方法をテストしたところ Reign スパイウェア 、研究者らはマルウェアの実行が Pegasus の場合と同じパス「/private/var/db/」から行われていることに気付きました。 Shurdown ログ ファイルに表示される同様のパスは、 Predator スパイウェアによってもよく使用されます。 議員やジャーナリストを標的とした これに基づいて、カスペルスキーの研究者は、ターゲットが十分な頻度で携帯電話を再起動する場合、ログファイルを使用することで「これらのマルウェア ファミリによる感染を特定できる可能性がある」と考えています。
iShutdown スクリプトは、iPhone 上の iOS スパイウェアの検出に役立ちます
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変な時間に3時間も寝ちゃったから眠くない!今?もうすぐ深夜3時よ!!
多分これは急な気温の冷え込みと不規則な生活のせいなんですが、今いるジャンルお子様がいらっしゃる方が多い印象で「家事育児しながら創作してるなんて凄すぎる!!それに比べてソロのわたしは何やってんだ…」ってなって焦りと落ち込みとかに襲われてましたが、この気温の乱高下の中 皆様如何お過ごしですか??わたしは掛ふとんと部屋着の枚数を増やしました。あったかくしていけ!
先日、帰省したついでに両親と岐阜県美術館 PARALLEL MODE「山本芳翠 ー多彩なるヴィジュアル・イメージー」「オディロン・ルドン - 光の夢、影の輝き -」見てきました。 岐阜県美術館は初めてルドン作品を見て衝撃を受けた場所だし、山本芳翠作の「浦島」は美術の教科書に載ってて記憶に残ってる作品だしで、もう眼福でした。 2つの企画展は繋がってないので個別にチケット購入して観ることも出来るし、2つ一緒に鑑賞できるお得なチケットもあるのでそっちでふたつとも鑑賞。2企画展で大人2000円ってお得すぎませんか?ありがとうございます。 オディロン・ルドン展も山本芳翠展も光の表現が堪らなくて、特にルドンの黒を描く時代は黒を描く以上光部分が際立ってというか浮かび上がるし闇を覗き込む感じも好き…。発行した本毎にまとめて展示されていてわかりやすかったです。 山本芳翠展は柔らかなタッチと肉感と透明感を近くでも少し距離を置いてもじっくり眺められて贅沢な時間でした。絵画の間近で見たときのラフなぼやっとしているようにも感じる筆跡が、数歩下がって見ると透明感・絵画の中の奥行き・輪郭が生きて浮かび上がったり描かれた素材の光沢に変化するの大好きで興奮しますし、直接展覧会へ行って実物を観る良さだと思います。 過去ゴッホの展覧会でちらと遠くからみた葡萄園の絵がライティングもあったと思うのですがすごく引き込まれて近づくと全然印象違って「??」となったりする事もあったり、実物見るのはほんと楽しい。 右側の画像は親父殿が剥いてくれた林檎の不均等さが愛おしかったので撮影したもの。食べちゃったから写ってないけど画像右の林檎の1.3倍の奴もあった。
来年1月のリアイベに向けた原稿の作業を本格的に開始しなければいけなくなってきました。12月1月は小売業は繁忙期なのでね11月にどれだけ走れるかが勝負どころです。ヤナホド新刊は漫画10P、小話はまだ書き途中だけど8〜10P位。書き下ろしイラストどうするか考えてるけど小話の挿絵数枚差し込むかな。Twitterに上げたカラーイラストは再録したいけど、カラーイラストが再録だけなのも申し訳ないからなんか入れたいけどこれは、ネタだしがまだ。ゲイリーおじ本はあらすじとか内容の箇条書きも途中でネタこねくり回し中。なんとなく書きたい内容はふんわりやわらか脳内で形になりつつある感じ。ギア上げていくぞー!!
多分、Twitterの浮上率は下がるかも…というか下げないと逃避で延々とTL眺めちゃうのよ(笑)
寝るよ!
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雑 詠
花鳥誌 令和6年11月号
雑詠巻頭句
坊城俊樹主宰選 評釈
雑詠巻頭句
人とゐてひとりにつのる蟬時雨 小寺 美紀
とても平易なる句で且つ余韻がある。しかしその人との距離があること、ひとりと言う自分が存在することの抽象性もまた魅力。蟬時雨はその舞台として深い。あたらしい平明を目指している。しかし孤独だ。
シャッターも地球も錆びてゆく晩夏 小寺 美紀
シャッターとはおそらく都市化してきた町の象徴。しかしその町ももう廃れつつある。商店街は地球の端っこだがそれも人間界の象徴。晩夏とはそういう虚無感にかられる。この句は大きい。地球熱帯化とは言い過ぎか。
小波寄すやうに風鈴鳴りにけり 小寺 美紀
風鈴は風というよりその波動である波に鳴く。小波とは夕べの静けさ。そこもまた夏の夕べの象徴。雑詠評釈 坊城俊樹その音色はしずかな夕べ、しかし夜に近い夕べだろう。そして独りぼっち。心の中にある小波や漣の波長とこの音とがシンクロする。
毬栗の弾けて眼空睨む 伊藤 裕章 あの毬栗の弾けた割れ目のなかに眼球を見た。それはギロリと天空を睨んでいる。独特の写生かも。弾けるのは落ちて行く無念かも。しかしあれはまた果実だから次の生命体。
幼子の冒険の跡ゐのこづち 伊藤 裕章 「ふしだか」のこと。無性に野に生える。それを毟り取ったのか、倒して遊び場としての冒険をしたのか。秘密基地であればまた面白い。
森還る夏に呑まれし館跡 伊藤 裕章 森が人が入らぬ間にどんどんと野生化してゆく。そこにある古い屋敷の跡もどんどんその野生に飲み込まれてしまう。この夏は殊更に繁茂して狂ったように自然に逆らう。
銅鑼叩く中を行くかな蟬時雨 緒方 愛
蟬時雨とてもミンミン蟬、熊蟬、法師蟬、蜩、油蟬とか多彩。その銅鑼の音の中を行く。
まだ過去の鏡の中にサングラス 渡辺 美穂
この鏡は自身を映しているか。それも過去の姿を。そのころのサングラスと今掛けてるサングラス。
色褪せぬものに子の声カンナの緋 大和田 博道
この声はむろん永遠のもの。我が子の声だろう。それも幼い頃の声。だからカンナは緋色。
夏の朝水平線をひと筆に 天野 かおり
これはまた涼しい早朝か。水平線は嫋やかに静かにこの日はある。一筆書きの見事さ。
野晒の何かの頭蓋星流れ 鍛冶屋 都
この頭蓋骨は何のもの。獣かあるいは人間か。その死の延長にあるものが流星。時空とでも言うべく。
洒落た会話か熱帯魚たちの午後 松村 健一郎
どんな洒落たものか。女性的な会話か子供たちのおしゃべりか。男のものではあるまい。
手習ひのひと日の為の祭笛 萩原 みち代
たったひと日の祭のために祭笛を練習している。夏祭りのそれはしかし大切な事。
十一面千手千眼像朧 村上 雪
「十一面で、千の御手を持ち、千の眼を持つ」という仏像こそ朧夜の中に在す。
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前の投稿に続けて、改めて、吐き出すけども。
Twitter上で、日本語で、何年間も連日、酷いヘイトを、Transphobia/陰謀論に基づくデマ/誹謗中傷を拡散して、酷い差別言説を撒き散らしているMoonKnightのコミックファンのアカウントがいて。
(自分がこのtransphobe/トランスヘイターのアカウントを認識したのは、数年前に酷い差別デモ(ファイヤーデモという名前で、transphobeによる酷いヘイトスピーチ集会です)が企画されたときで。酷い差別発言を通報しているときにそのイイネ/RT欄に頻繁に出てくるMoonKnightのアイコンが印象的なアカウントであった。フォロワーさんから聞いた話によるとそれよりもっと前から、差別発言を積極的に繰り返しているので有名なアカウントだったそうだ)
Twitte上の、日本語圏のMoonKnightのファンダムは、fanartist界隈の人達は……多数の人達が、そのtransphobeの熱心なフォロワーという状況。
去年の、22年のMCUドラマ完結時点で、6月/7月時点で、ほとんどの人達が、あのtransphobeのアカウントをフォローしていて。
それから1年経っても、連日の、酷いヘイト拡散をみても…………23年上半期などからは、G7や国会絡みで、本当に連日酷い性的マイノリティ差別扇動がTwitter上で繰り返されているのに。
もう、あきらかに、フェミニズムっぽい体裁ですらない、酷い差別言説を。性的マイノリティの支援を続ける団体に対するデマや、さまざまなマイノリティに対するあきらかな酷い誹謗中傷やデマを、RTしていたのに。
無批判に、そのアカウントをRT/イイネ/フォローし続けている人達ばかりで……どころか一部はあきらかに同調しだしてヘイトの拡散までし始めていたので。
もう、本当に、あの人達には、あの界隈には近付きたくない。
アメコミ好きやMCU好きで有名な日本語圏のインフルエンサー達も、あのtransphobeを無批判にフォロー/RT/イイネしている人が多い。
国内の差別主義者によるアメコミ雑語りや、海外の差別的なアカウントなどを頻繁に批判してみせるくせに。自分達の周囲のアカウントによる……トランスヘイト/性的マイノリティ差別にはまるで見て見ぬフリなさま。怒りしかない。
7月あたりで、もう軒並みブロック/ミュートした��今はどうだか知らないが、この先も一切関わりたくない。
Tumblrにも……あのtransphobeと、周囲の熱心なフォロワー達は、アカウントを持っていて。差別言説の拡散をTumblrではしていないようだったけど……一切あの人達には近づきたくないから、此方でもブロック済みだ。
本当に、Twitter上では、どんどん、酷い差別主義者が……無批判に影響力を持っていくばかりな現状。日本語圏のトランス差別、性的マイノリティ差別の蔓延り方、最悪である。糞だ。
↓は、6月頃にいろいろ書いたもの。今回も、同じようなことしか書いてないが、改めて吐き出したかった。
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