#絞り込みミス
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錯覚 感覚ミス 間違った感覚や情動が生じてしまうこと
#錯覚#感覚#情動#絞り込みミス#定義ミス#まちがい#ミス#規定ミス#立法ミス#分類ミス#組織改編はきりがない#どう分けてもムダ#分類しなきゃいけない時点で二流#境地#アプローチが間違ってる#そもそもアホ#しょーもない
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英語と私の関係について
異常だ、取り憑かれている、と今日ついに思ったのでここに記しておく。只今23:58、ついさっきまで働いてた限界くたくた擦り切れ脳みそから言葉を振り絞る、それよりも目の方が疲労ヤバい。
XXさんて英語が好きなんですね、と同僚に言われびっくりしてしまった。何故だかギクっとしてしまった、別に悪いことなんてなにもしてないのに。来月海外出張に行くので英語で資料を作っており、一緒に行く同僚にそう言われた。彼が日本語でベースを作り、私が英訳しながらまとめていた。自分としては淡々と作業してその人に資料共有しながらやってただけなのだけど、たしかに図らずとも息を巻いて「ここが腕の見せどころ」とかって思ってたかもしれない。そんな自分の、生意気で恥ずかしい自意識がただ仕事してるだけのはずなのに漏れ出ていたそうで、もう恥ずかしくてたまらなかった。そして、他人にそうして伝わるほどの、でも自分ではむしろ熱を抑え込んでいるはずなのに漏れ出てしまうようなこの自分の英語に対する気持ちや熱量が、普通じゃないな、といよいよ認めざるを得なくなった。
その理由は、英語が自分のアイデンティティになっているから?確かにそうだ、英語は自分に一番自信をもたらしてくれたものの一つだし、でも逆に、そんなものを一気になし崩すほどズタズタにしてくることだって日常茶飯事だ。決して一度や二度じゃない、悔しくて泣いたことも何度もあるし、細かい擦り傷みたいなのも含めると、私はこの言語を使うたびに不安になって、そして使うたびに自信をつけている。そんなことの繰り返し。
別に私より英語がうまい人なんてたくさんいる。そんなのわかってて、でもだからこそ、そのせいで抜け出せない。いろんな理由をつけて自分が劣ってることを正当化する、なんていつものことだ。この人は帰国子女だから、留学してたから、英文系国際系の学部だったから、とか何とか。私は帰国子女じゃないし、英語を学ぶために海外には行ってないし、経済学部だったし、等々その他諸々いろーんな余計な鎧をつけて、ようやく成り立つ、私の自信、アイデンティティ。日本人ってとくに小さい文法ミスとか気にするから、英語得意とか自ら言えたもんじゃないし、でも確かに蓄積してきた自信もあるからそわそわするし、でも一方��あんたの英語下手くそだって直接他人に言われたこともあるからやっぱり歯痒いし。学べば学ぶほど、いかに自分が無知で無力で何も知らない出来ないのかを思い知る。そしてそれと反比例するように、褒められることだってあるからややこしい。だからこそ、いっつもずーっと不安定で、だからこそ、私はこの言語に取り憑かれている。とくに最近は英語が勉強できないとストレス溜まるし、何か少しでも新しいものに触れておかないと落ち着かない、これって異常ですよね? 私はやはり、自分がただここにいるというだけで自分を愛せるような人間ではないみたいです。
日本人同士のこれが正しいあれは違うっていう議論は不毛だから参加したくないし、でも英語できるなんて全然そんなことないですよーってとにかく謙遜しまくるのも疲れてきたし、とは言いつつ英語できるんでしょ?って突突かれるのもめんどくさい。そもそもただの言語なのに何でみんなそんな感じなの??っていうクエスチョンは特大ブーメランになって私のもとにかえってくる。ただの言語に自己投影しまくりのクレイジーなやつはお前だろ、って。でもマジで英語少しできるからって翻訳の確認とか依頼してくるのは本当に困る、私ネイティブでなければその道のプロでもないし、自分なりに蓄えてきた語彙力の中でしか表現できない、言語の広い海を全然回遊できてない死にかけの魚みたいなものなので。とにかくAIに聞いてほしいし、私も最近AIに壁打ちばっかりしてそれを楽しんでいる。でもまあそうやって、何か夢中になれるのは素直にいいことなのかもしれない。それとは別で、こうした確固たるスキルがないと自分に自信が持てない自分をどうにかしたいのだが、こういうのも一旦全部チャットGPTにぶん投げて英語でやりあえば勉強になるよなとか考え始めるあたり、マジで終わりです。でも何か夢中になると基本的に他人が気にならなくなるからおすすめ。筋トレにハマる人に感覚が似てるのかもしれない。
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ラジコン備忘録 2024/9/15
Miniz-Cup 2024 Hokkaido Day.2
レース編2日目。これでラストです。
朝起きて、着替え・チェックアウトの準備。大会の日は絶対に赤い靴を履くという決まりにしています。赤い靴を履くと良い成績が残せると誰かが言い出したことがキッカケ。それ以来、仲間も赤い靴を履きだしたのでぼくも戦闘服の一部に。普段の生活ではジンクスとかあまり信じないんですが気合の入った勝負では大切にしています。
ホテルをチェックアウトして、まずはエナジーチャージ。大会の朝はエナジードリンクで気合を入れています。いつもはモンスター派だけど、特別な日はレッドブル。
開場20分前。意外と並んでますね。
本日の陣形。一応、2日目も本気で挑むつもりです。前日の感触を元に少しだけセッティング変更。フロントタイヤ外径を少しだけ上げて、リアタイヤは前日と同じ柔らかいコンパウンドを選択。柔らかいタイヤはあまり用意してきていないので、手持ちの在庫だとタイヤ交換ペースを考えると1日持たないと思っていたら、提供してくれる人がいたので助かりました。
練習走行。相変わらず路面グリップが低すぎ。昨日の決勝レースではある程度上がっていましたが、一晩経って元通り。今日も苦戦しそうです。とはいえ、今日は昨日よりも速度域の遅いカテゴリー。スロットルジャイロは低めで行けそうです。
自分の出番の合間に仲間の走りを応援。2階から、あーでもないこーでもないと言ってます。色々とアドバイスしていた人が何人か全国権利とれて良かった。
予選1回目。2日目も1回目は微妙ですね。後列グリッドでスタートだったので、スタート後3番手についた形。1位に離され、追い上げようとするも2位の処理に手間取っていたら離されました。とはいえベストラップは一番出ているので、車の仕上がりは申し分なし。
予選2回目。スタートで少し出遅れて順位が下がりますが、その後2位をパスして1位浮上。タイム差も3秒あったので、ノーミスで決めたい気持ちでクルージング走行に切り替え。2回目はトップゴールでした。しかしながら、予選1回目の1番手タイムの方が速かった模様。
予選順位は2番手で確定です。昨日からの流れでトップタイムを刻みたかったですが、決勝で巻き返しを狙います。依然として路面グリップが低くて苦戦しているものの、それはみんな同じ条件なので気にしていません。
決勝前にコースを再度確認。路面の凹凸が大きいところ、グリップ感が変わりそうなところを確認。正直、見るだけじゃ分からないのでハッタリです。ラジコン業界においてソレっぽさはかなり大事です。
カメラも持って行ったので撮影してみました。スケールスピードが速すぎて腕もAFも追いつきません。会場も暗いので、ISO6400にしても絞り開��でSS1/250ほど。正直この被写体、1/1000くらいじゃないと止まらないので流し撮りに徹していました。AFが追従しきれない流し撮り、非常に難しい。お世話になってた人のマシンだけ撮って早々に諦めます。
決勝Aメイン8分レース。
2番グリッドから、スタート直後は順位を維持。序盤で1位のミスがあったためすぐにトップに浮上。後ろとはタイム差5秒。
3番手以降はペースが違うため、僕と予選トップ選手だけの一騎打ち。僕は残り6分をトップ維持しなければなりません。
ここで問題になるのが、相手がかなりの強豪ということですね。昨シーズン全国3位の実力の持ち主です。とはいえ、僕も負ける気はないので超ハイペース。タイム差5秒を使い切ってもいいのでトップゴールすれば良いだけです。
差が広がる訳でも縮まる訳でもない、僕にとっては一番気持ち悪いペース��後ろは走っています。そんな展開が5分くらい続きました。
残り2分くらいになって、後ろとのタイム差が縮まり始めた...。こちらはリアタイヤがタレてきた感触。超ハイペースだったので、リアタイヤの負担が大きすぎましたね。普段のタイヤだったらタレることはありませんが、柔らかいタイヤを使っている影響ですね。コーナー立ち上がりでリアが踏ん張らなくて、内側に巻く感じ。そんな挙動なので最後に何回かミス。
残り30秒、後ろとのタイム差は0.5秒。ガチンコバトルです。踏ん張り切れるかの勝負どころ。このままだと抜かれてしまうのは目に見えているので、インをガッツリ占めてブロック。挙動が安定しなくなったマシンでそんなことしているので案の定インにヒットするミス。2番手に後退。
残り20秒、トップとのタイム差0.2秒で何かできることかといえば、死ぬ気で攻めることですね。ここで攻めなくて2番手なら、一か八か攻めて最後のチャンスを狙います。一度インに差し込むものの、角度が悪い。もう一度チャレンジしたところ、攻めすぎてミス。8分経過。そのまま2位ゴールです。
レース直後、1位選手と今回の展開について話していました。予選の走りから、僕が柔らかいタイヤを使っているのに気づいて最後にタレるのを予測していたみたいです。だから中盤で勝負に来るよりも、終盤で追い上げて勝負に行ったとのこと。中盤までタイヤ温存の走りで、最後に一気にタイヤライフを使い切るさすがの作戦。また今度の機会に要リベンジですね。
2日目は初日に比べれば少しモーターが遅いので、その分余裕だと思って制御をカットしたのもタイヤを痛める原因だったかも。少しずつの空転でタイヤが減っていたのかもしれません。
決勝2位の賞状と、意外なことにコンデレ賞をもらいました。その日に一番イケてるボディの賞ですね。コンデレってベテランのペインターが貰うイメージで、全く狙っていなかったのでビックリでした。
予選2回目でトップゴールした後、車検終了マシンを取りに行くときにコンデレって言われたんですが、これが心臓に悪い。
予選で速いマシンはモーターの回転数も測られるわけですが、車検後に呼び止められると、車検アウトの可能性が大です。そんな状況なので、呼び止められて車検アウト・記録抹消なのか不安になっていました。(過去に一度車検アウトになったトラウマも?) 車検アウトか~なんてヒヤヒヤしていたら、コンデレなんて予想外のことを言われたので頭が展開に追いつきません。非常に嬉しい限りですが...。
最近はコース上での見やすさとオリジナリティを考えてオレンジベースのペトロナスカラーで塗っていますが、他人から見てカッコイイかは分かりませんでした。こうやって公式にイケてる賞をもらえるとなんだか自信になりますね。
翌日は片付けを兼ねてホームサーキットに行って諸々の挨拶。
大会に参加していた本州からの遠征組も走っていました。大会でよく走っていた我がマシンをぜひ見たいということだったので、試走もしてもらいます。マシンの完成度の高さに驚いていましたが、そりゃ~今年一年でこのサーキットを少なくとも2万周は走っているマシンですから当然。足回り細部の写真も撮って、満足して帰ったみたいです。
オリジナルカラーのボディも増えてきたので整理。全部同じように見えて仕様が違う...。
そんなわけで、今回の大会では賞状を3枚貰いました。
ここまで結果を残せるとは思っていなかったので、本人が一番驚いています。2日目カテゴリーの方が練習時点では気合は入っていましたが、やはり1日目のポールトゥウィンというのは特別に思い入れが深いかも。地区大会でもポールトゥウィンというのは本当にごく僅かのエキスパートしか獲得できないというのが僕の考え。それに加えて最速クラスのオープンクラスで獲るというのは訳が違う。腕・マシン・運の全てが揃っていないと難しい。本当に嬉しかったです。
以下、後日酒呑みの感想......
去年は北海道大会2カ月前からラジコン練習を再開していましたが、今年は1カ月前から再開。そんなに準備の時間があるとどうしてもダラダラしてしまうからね。結果的には1カ月でちょうど準備万端まで持っていけました。ここ1年で抑えるべきところ、後回しにして良いところがよくわかったというのはあります。
表彰台に上がって、全国大会の権利が取れる状況でも今年は権利を譲ることに決めていました。結局、一年を通してラジコンするモチベーションは無いし、あまりガチでやると面倒なことも増えると感じているから...。それなら、本気で行きたい人に譲った方が幸せだと思って権利を譲りましたが、2日間とも知ってる人に譲ることができて良かった。一度全国大会は経験できた訳だし僕の性格上、次はきちんと腕前を上げてからチャレンジしたいしね。
今年は2月の全国大会に始まり、ラジコンという趣味に対して距離が近くなりすぎて、フラストレーションが溜まったり義務感でやっている瞬間が度々あった年なので、また気が向くまでお休み。やっぱり趣味なんだから、楽しい瞬間の方が多くないとね。適度な距離感で楽しむ方が僕には合っているのかもしれません。ホームコースには忘れたころに顔を出す程度で、ガチでやるのはまた今度。来年の北海道大会にできれば良いかな。
それでもきちんと結果が出たので今回の北海道大会編、終わってみれば楽しい1カ月でした。大人になってもガチンコで勝負��きる環境があって、それに結果も伴ってくれば良い経験になります。今回もいろんな人のアドバイス・サポートがあって大感謝。
Miniz-Cup 2024 Hokkaido編おわり。
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大口病院連続点滴中毒死事件(おおぐちびょういん れんぞくてんてきちゅうどくしじけん)とは、神奈川県横浜市神奈川区の大口病院(当時、現・横浜はじめ病院)で2016年(平成28年)9月に発覚し、2018年(平成30年)7月、同病院で当時勤務していた看護師の女が逮捕された連続殺人事件。事件の名称について、神奈川県警察は「大口病院"入院患者殺人事件"」[3]、『神奈川新聞』は「(旧)大口病院"点滴連続殺人事件"」[4][5][6]としている。 被害者として立件された死亡者2人のほか、同時期に死亡していた別の2人の入院患者の遺体からもヂアミトールが検出された。事件発覚前の7〜9月の82日間で48人の患者が死亡し、その後の約70日間の間は死亡者がゼロということから、4人以上の被害人数が疑われたが、発覚以前の死亡者は医師の診断により“自然死”扱いで火葬されていたため、既に証拠は失われていた[7]。 経緯 捜査 事件は2016年9月、最初に判明した被害者の容体が急変した際、看護師��投与中の点滴袋をベッドに落とし、袋内の輸液が急激に泡立ったことから偶然にヂアミトールの点滴混入が発覚した。さらに調べると2日前に同じ部屋で死亡した別の患者の遺体からも同成分が検出された。ナースステーションに残されていた未使用の点滴袋約50個を調べると、10個ほどの点滴袋でゴム栓部分に封をする保護フィルムに細い針で刺した穴が見つかった。そして、同じフロアで亡くなった患者の数が、事件発覚までのおよそ3か月の間に48人に上ることが明らかになった。神奈川県警察は、何者かが点滴から異物を体内に入れ、被害者を殺害した殺人事件と断定し、神奈川警察署に特別捜査本部を設置[2]。点滴に混入させる手口から病院内部の者による殺人事件の犯行が疑われたが、捜査は難航した[8]。 犯行に使われたヂアミトールは、業務上使われるもので、院内各所に置かれており、犯人を特定することは困難を極めた。県警は院内にあるものの鑑定を実施[9]。当時担当していた看護師全員の看護服を調べたところ、被疑者の服からのみ、ポケット付近からヂアミトールの成分が検出された[10]。他にも、被疑者が事件発覚直後の夜勤中、投与する予定のない製剤を手に院内を歩き回る姿が県警の設置した防犯カメラに映っていた[11]ことや、被害者の病室に1人で入っていくのを同僚が目撃していて、そのおよそ5分後に容体が急変し死亡していた[12]、といった状況証拠から絞り込んでいった。 被疑者の逮捕 2018年6月末、県警は状況証拠を踏まえ被疑者の看護師に任意の事情聴取を開始。この看護師は消毒薬(ヂアミトール)を注入したことを認めたうえで、「入院患者20人ぐらいにやった」との趣旨の話をした。7月7日、神奈川県警は被疑者を殺人容疑で逮捕した[13]。また同月28日には、2016年9月に死亡した入院患者の点滴に消毒液を混入し殺害したとして、殺人容疑で再逮捕した[14]。 被疑者は、事件後、様々なテレビ局や新聞社によるインタビューや取材に応じ、逮捕前にもテレビ局に「何故、こんなひどいことをしたのか、自分の家族が同じことをされたらどう思うのか。絶対許せません」と、直筆の手紙を送る[15][16]などして自らの関与を否定する発言をしていた。 「点滴にヂアミトールを入れた」事に関し「間違いありません」と容疑を認めた上で、「入院患者20人ぐらいにやった」と供述。犯行の動機については「自分の勤務時に患者に死なれると、家族への説明が面倒だった」という趣旨を供述した[17]。さらに「患者が亡くなったときに同僚から自分の落ち度を指摘されたことがあり、それ以来、勤務時間外に死亡させることを考えるようになった」[18]、「勤務を交代する看護師との引き継ぎの時間帯に混入させていた」[19]、「混入を繰り返すうちに感覚がマヒしていった」[20]とも話している。 供述では「(事件の)2か月くらい前から点滴に消毒液を入れた」[21]と話しており、その時期同病院に勤務していた看護師は「(亡くなったのは)最初は1日1人。それが3人になり、5人になり、9月になったらもっとひどくなって(1日に)8人とか。4階はおかしいな、という話があった」[15]と証言している。 事件前、現場病棟では「看護師の筆箱に、10本以上の注射針が刺され、針山のような状態になっていた」ことや「白衣が切り裂かれる」「カルテが紛失する」「ペットボトル飲料を飲んだ看護師スタッフの唇がただれる」などの看護師同士の壮絶ないじめトラブルが報告されており[22]、以前より「『あのクリニックの先生は嫌いだ��ら』『あの患者の家族は嫌いだから』患者を受け入れない」といったことまで言う「『女帝』と呼ばれる60代パワハラ看護師の存在」や「人事査定でえこひいきがあったり、自分だけ忙しい仕事を回されたりしているといった不平不満があり、看護師同士で言い争いになったこともあった」という。被疑者自身も、逮捕前に「看護部長は看護師たちをランク付けして、気に入った子とそうでない子の扱いが極端だった。そういうのってよくないですよね」と述べている[23]。 病院では、そういった人間関係のトラブルや虐めが原因で複数の看護師が辞職しており、「看護師同士の世代間の対立が原因で、大口病院では患者のケアまでもが疎かになっていた」といい、「見舞いに行った家族の前で看護師が患者さんを怒鳴りつけ、その家族が『本当にひどい。ビデオに撮って告発すればよかった』と激怒していた」こともあったという[24]。事件の被害者遺族も「女性看護師が別の看護師を怒鳴りつけたり、点滴袋が公共スペースに散見されたりするなど『今考えればおかしいところもあったかもしれない』」[25]と指摘している。 精神科医の片田珠美は「担当患者が以前死亡した際に同僚らから自分のミスの可能性を指摘されたとも説明しているので、もともと同僚や上司などに対して怒りを覚えていた可能性がある」と指摘し、(「白衣切り裂き」や「カルテの紛失」「ペットボトル異物混入」も同一犯によるものだとすると)他の看護師に対する怒りをこのような形で表現したのではと推測する。その怒りの矛先を患者に向け変えて(精神分析では「置き換え」)、患者の点滴に無差別に消毒液を入れる事によって「別の看護師の勤務時間中に患者が死亡するように仕向けたわけで、復讐願望を満たそうとしたともいえる」としている[26]。 刑事裁判 横浜地方検察庁は2018年12月7日、患者3人の殺人罪と5人分の点滴液に消毒液を混入した殺人予備罪で、看護師を横浜地方裁判所へ起訴した。4人目に対する殺人罪については、別の患者を殺害しようと消毒液を混ぜた点滴が結果的にこの患者に投与された可能性があるとして不起訴処分とした[27]。 横浜地裁における本件の事件番号は、平成30年第2033号(殺人、殺人予備)[28][29]。審理を担当する裁判長は家令和典で[注 2][32]、家令が当時担当していた係属部は第1刑事部(合議係)である[33]。起訴後、横浜地裁から委託を受けた精神科医の岩波明(昭和大学附属烏山病院長)が2019年(令和元年)8月から11月まで被告人の精神鑑定を実施した[6]。 第一審 2021年(令和3年)10月1日、横浜地裁(家令和典裁判長)で裁判員裁判の初公判が開かれ、被告人の元看護師は起訴内容を全面的に認めた一方で、弁護側は「被告人は犯行当時、統合失調症により心神耗弱の状態だった」と主張した[32]。 同年10月22日に論告求刑公判が開かれ、横浜地検は元看護師に死刑を求刑した[34]。 同年11月9日に判決公判が開かれ、横浜地裁は被告人の責任能力について、「犯行時は(発達障害の一種の)自閉スペクトラム症の特性があった」と認定[35][36][37]。その上で、弁護側が主張した統合失調症の影響については否定し、「違法な行為であることを認識していた」として完全責任能力があったと認めた上で、元看護師に無期懲役を言い渡した[35][36][37]。横浜地裁は被告人の完全責任能力や計画性を認定し、動機も「酌むべき事情はない」としたが、被告人に自閉スペクトラム症の特性(対人関係が苦手、問題解決に対する視野が狭いなど)があり、患者の家族から怒鳴られて強い恐怖を感じた経験が殺人の動機形成に至った点を挙げ[38]、それに対する情状酌量の余地や、自ら死刑を望むなど贖罪の意思を強く示している点などから「更生可能性が認められる」と判断、死刑を回避した[35]。1983年(昭和58年)に最高裁判所から死刑適用基準として、いわゆる「永山基準」が示されて以降、3人以上を殺害した被告人の完全責任能力を認めた上で死刑を回避した司法判断は異例とされている[39]。 同年11月22日、検察側と弁護側の双方が一審の無期懲役判決を不服として東京高等裁判所に控訴した[40]。 控訴審 控訴審における事件番号は令和3年(う)第2081号[41]。控訴審初公判は東京高裁(三浦透裁判長)[注 3]で2023年(令和5年)12月15日に開かれ、検察官は「無差別型の連続殺人」として改めて死刑適用を求めた一方、弁護人は「死刑選択は裁判員裁判の否定だ」と主張した[43]。また検察官は第一審で��用されなかったKの供述調書を取り調べるよう申請したが、東京高裁はこれを却下した[44]。2024年(令和6年)3月12日の第2回公判で被告人質問が予定されていたが、弁護人の申し出によって撤回され、公判は結審した[45]。 同年6月19日の判決公判で、東京高裁は双方の控訴を棄却する判決を宣告した。同高裁は殺害された被害者が3人に上る結果の重大性、犯行の計画性などから死刑選択も十分に考えられると指摘した一方、原判決が死刑回避の理由として示した動機形成過程や更生可能性は、死刑選択の可否を検討するにあたって相応の意味があるものであるとして、原判決の判断は不合理ではないと結論付けた[46]。また、犯行は確定的殺意を伴う残虐なものではあったが、恨みや不満から他人の命を積極的に奪ったような犯行とは異なるとも指摘し、裁判員裁判による慎重な評議で死刑選択が真にやむを得ないと認められた事件でなければ、死刑選択は許されないという判断を示した[47]。 検察側と弁護側がそれぞれ上告を断念し、同年7月4日付で無期懲役の判決が確定した[48]。 横浜市・病院の対応と課題 横浜市には事件前、「看護師のエプロンが切り裂かれた」、「看護師の飲み物に異物が混入された」など、この病院内のトラブルに関する情報が複数寄せられていたが、市は病院に詳細な内容を確認しなかった。市が設置した第三者検証委員会は「患者の安全に関わる内容もあったのに、後手に回った」と、市の対応を批判した[49]。市が設置した第三者検証委員会による報告書「横浜市の医療安全業務に関する検証報告書(大口病院に関する対応について)」[50]の中で、医療法上、病院から市への報告義務も、市から病院への検査・指導権限も無いという問題が指摘された。医療法を根拠に市と病院の関係がある以上、医療法の範囲を超えた「制度の狭間」となるところに問題が発生したとき、市はどこまで対応できるのかという課題があり、今後、法的、制度上の課題に対しては、国に改善に向けた要望を行うことも考えられる、としている。 病院側にも、複数の看護師のエプロンが切り裂かれているのが見つかったり、6月にはカルテの一部が抜き取られ、8月には看護師のペットボトルに異物が混入されていたにも関わらず、院長は「院内の出来事で、まして看護師の中の出来事だったので院内で何とか処理すべきだと思った」[51]としながら、有効な手立てをとれず病院から県警に相談するという事もしなかった[52]ため、「病院が対処していれば事件はなかったかもしれない」などの批判の声が病院関係者からも寄せられた[53]。 脚注 [脚注の使い方] 注釈 ^ 犯人である看護師の女は1987年(昭和62年)1月7日に福島県で生まれ、小学校6年生で神奈川県に引っ越した[1]。 ^ 家令は本事件の第一審判決から約20年前の2001年、福岡地裁��赴任していた際、市民との交流イベントで死刑制度について「自分の名で死刑を言い渡したい裁判官はいない。廃止してほしいが、世論は違う」と発言していた[30][31]。 ^ 三浦の担当する裁判部は第11刑事部[42]。 出典 ^ 加藤益丈「【詳報・第9回】×××被告 出会い系サイトを利用「男性に褒められるのがうれしくて」 3人点滴中毒死」『東京新聞』中日新聞東京本社、2021年10月20日。オリジナルの2022年9月11日時点におけるアーカイブ。2022年9月11日閲覧。 ^ a b 「異物投与され入院患者が死亡、殺人容疑で捜査 横浜」『朝日新聞デジタル』朝日新聞社、2016年9月23日。オリジナルの2016年9月23日時点におけるアーカイブ。 ^ 点滴中毒死、元看護師逮捕 消毒液「20人に入れた」 KyodoNews(共同通信)/YouTube 2018年7月7日公開 ^ 「県警の歴史で最も難しい事件の一つ」大口病院・点滴連続殺人事件1年 神奈川新聞〈カナロコ〉 2017年9月23日配信 ^ 『神奈川新聞』2023年12月10日朝刊一面1頁「旧大口病院事件控訴審 量刑 更生可能性焦点 15日、東京高裁で初公判」(神奈川新聞社) ^ a b 『神奈川新聞』2023年12月10日朝刊第二社会面22頁「旧大口病院事件 一審精神鑑定医 岩波明氏に聞く 診断 非常に難しい事案 現行方法への課題指摘」(神奈川新聞社 聞き手・田崎基) ^ 大口病院の点滴殺人 2カ月で48人死亡も44人は自然死扱いに デイリースポーツ/ライブドアニュース 2018年7月10日配信 ^ 病院で何が? 点滴異物混入事件の深層 NHK クローズアップ現代+ 2016年10月5日放送 ^ 横浜「大口病院」、事件発覚以降に死亡患者が激減 捜査は難航 デイリー新潮/週刊新潮 2016年12月8日号掲載 ^ 決め手は看護服のポケット、消毒液成分付着 連続中毒死 朝日新聞デジタル 2018年7月7日配信 ^ 防犯カメラに「インスリン手に院内巡回」 毎日新聞 2018年7月11日配信 ^ 病室に逮捕の女 5分後急変 横浜・連続点滴中毒死 FNNプライムオンライン 2018年7月8日配信 ^ 患者中毒死 31歳○○を逮捕 殺人容疑で神奈川県警 毎日新聞 2018年7月7日配信 ^ 点滴中毒死、元看護師を再逮捕 共同通信/ロイター 2018年7月28日配信 ^ a b 「犯人を絶対許せません」 元看護師 逮捕前 直筆400文字の手紙 FNNプライムオンライン 2018年7月9日配信 ^ 大口病院事件「私は関わりありません」 本紙などに元看護師 東京新聞〈TOKYO Web〉 2018年7月8日配信 ^ 「20人前後に消毒液」=患者中毒死で元看護師-勤務時死亡は「面倒」 時事ドットコム 2018年7月9日配信 ^ “落ち度”指摘され消毒液混入か NHKニュース 2018年7月10日配信 ^ 逮捕の元看護師「20人以上殺害した」横浜 日テレNEWS24 2018年7月8日配信 ^ 「次第に感覚マヒ」 1日5人死亡日も、犯行エスカレートか 産経ニュース 2018年7月13日配信 ^ 患者中毒死、元看護師「2か月前から点滴に消毒液を入れた」と供述 TBS NEWS 2018年7月11日配信 ^ 「点滴殺人の大口病院 現場病棟で看護師同士のいじめトラブル」 NEWSポストセブン/女性セブン 2016年10月20日号掲載 ^ 大口病院事件逮捕1カ月 実像と乖離「��**容疑者像」 神奈川 産経ニュース 2018年8月8日配信 ^ 「点滴殺人」の病院 患者を怒鳴りつける看護師の対応に家族が激怒 NEWSポストセブン/女性セブン 2016年10月27日号掲載(ライブドアニュース 2016年10月13日配信) ^ 「大口病院選ばなければ」 中毒死から1年 遺族、心境語る 産経ニュース 2017年9月19日配信 ^ 大口病院・20人殺害か…○○容疑者、他の看護師への復讐願望を患者に「置き換え」か (2/2) Business Journal 2018年7月11日配信。記事名に実名が使われているため、この箇所を省略した。 ^ 「大口病院事件、患者8人への罪で一括起訴 産経新聞 2018年12月7日配信 ^ “裁判員裁判開廷期日情報(横浜地方裁判所本庁)”. 裁判所ウェブサイト. 最高裁判所 (2021年10月1日). 2021年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月1日閲覧。 “殺人,殺人予備(事件番号平成30年(わ)第2033号)” ^ “傍聴券交付情報”. 裁判所ウェブサイト. 最高裁判所 (2021年11月9日). 2022年9月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月1日閲覧。 ^ 『朝日新聞』2001年11月1日西部朝刊福岡県版第一地方面31頁「居酒屋でクダ巻く判事嫌でしょ 福岡・早良区で裁判官と討論/福岡」(朝日新聞西部本社) ^ 山本浩輔、「文春オンライン」特集班「《死刑制度の矛盾》「20人以上殺った」女性看護師の“異例の死刑回避判決”はなぜ下されたか?「自分の名で死刑を言い渡したい裁判官はいない」 判例から死刑制度を考える #3」『文春オンライン』文藝春秋、2022年8月27日、3面。オリジナルの2022年9月11日時点におけるアーカイブ。2022年9月11日閲覧。 ^ a b 「横浜・旧大口病院点滴中毒殺人 元看護師、起訴内容認める」『カナロコ』神奈川新聞社、2021年10月1日。オリジナルの2021年10月1日時点におけるアーカイブ。2021年10月1日閲覧。 ^ “横浜地方裁判所担当裁判官一覧”. 裁判所ウェブサイト. 最高裁判所 (2021年10月1日). 2021年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月1日閲覧。 “横浜地方裁判所第1刑事部の担当裁判官一覧 > 合議係 家令和典,橋本健,大西惠美,増田雄太” ^ 「旧大口病院の連続中毒死、元看護師に死刑求刑」『読売新聞』2021年10月22日。2021年10月22日閲覧。 ^ a b c 「元看護師は「更生の道が相当」 無期懲役判決で横浜地裁」『産経新聞』2021年11月9日。2021年11月9日閲覧。 ^ a b 「横浜・旧大口病院点滴殺人 元看護師に無期懲役判決 責任能力認定も「死刑に躊躇」」『神奈川新聞』2021年11月9日。2021年11月9日閲覧。 ^ a b 「元看護師に無期懲役判決 患者連続死事件、責任能力認めつつ死刑回避」『朝日新聞』2021年11月9日。2021年11月9日閲覧。 ^ 「死刑回避に点滴死遺族「納得できない」…裁判長「苦しい評議」」『読売新聞オンライン』読売新聞社、2021年10月10日。オリジナルの2022年9月11日時点におけるアーカイブ。2022年9月11日閲覧。 ^ 加藤益丈「なぜ3人殺害でも死刑回避されたのか? 旧大口病院事件の判決読み解き」『東京新聞』中日新聞東京本社、2021年11月10日。オリジナルの2022年9月11日時点におけるアーカイブ。2022年9月11日閲覧。 ^ “入院患者3人の中毒死事件、検察・弁護側が控訴 無期懲役判決に不服”. 朝日新聞. (2021年11月22日) 2021年11月22日閲覧。 ^ 「傍聴券交付情報詳細」『裁判所ウェブサイト』最高裁判所、2024年6月19日。2024年6月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月19日閲覧。 ^ 「東京高等裁判所 担当裁判官一覧」最高裁判所、2024年5月15日。2024年6月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月19日閲覧。 ^ 「入院患者連続死「死刑を」 元看護師控訴審で検察側―東京高裁」『時事ドットコム』(時事通信社)2023年12月15日。オリジナルの2023年12月16日時点におけるアーカイブ。2024年6月18日閲覧。 ^ 「横浜点滴3人中毒死、極刑回避維持求める 控訴審始まる」『日本経済新聞』日本経済新聞社(共同)、2023年12月15日。オリジナルの2023年12月18日時点におけるアーカイブ。2024年6月18日閲覧。 ^ 中山岳「旧大口病院の3人点滴中毒死事件 被告人質問を撤回して控訴審結審 判決は6月19日」『東京新聞』中日新聞東京本社、2024年3月12日。オリジナルの2024年5月30日時点におけるアーカイブ。2024年6月18日閲覧。 ^ 加藤益丈「旧大口病院の3人点滴中毒死、二審も無期懲役 「元看護師の死刑、や���を得ないとは言えない」 東京高裁判決」『東京新聞』中日新聞東京本社、2024年6月19日。オリジナルの2024年6月19日時点におけるアーカイブ。2024年6月19日閲覧。 ^ 井口慎太郎「患者3人連続死 旧大口病院の元看護師、2審も無期懲役 東京高裁」『毎日新聞』毎日新聞東京本社、2024年6月19日。オリジナルの2024年6月19日時点におけるアーカイブ。2024年6月19日閲覧。 ^ “入院患者3人の点滴に消毒液を入れて中毒死の殺人罪で無期確定 検察、弁護側が上告断念”. 産経新聞. (2024年7月5日) 2024年7月5日閲覧。 ^ 点滴中毒死逮捕 医療への信頼が大きく揺らぐ 読売新聞 2018年7月10日配信 ^ 横浜市の医療安全業務に関する検証報告書(大口病院に関する対応について) (PDF) - 横浜市医療安全業務検証委員会 2017年3月 ^ 点滴混入殺人「大口病院」看護師たちにトラブル?風評恐れて警察届けず J-CASTテレビウォッチ 2016年9月26日公開 ^ 解決至らぬ“点滴殺人” 元看護師からの手紙 テレ朝news 2017年4月8日配信 ^ 大口病院中毒死 消毒液、原液投与か 元看護師の殺意、裏付け 毎日新聞 2018年7月10日配信
大口病院連続点滴中毒死事件 - Wikipedia
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2024年6月29日
満田誠選手/サイドからでもゴールできる
……監督からの指示は?
満田●仕掛けの部分だったり、アシストだったり。得点シーンのような、中にカットインして、ゴールに絡んでいくっていうところが求められてるのかなって思ったんで、そこは自分も意識して入ってました。
……前半はあんまり高い位置取れなくて、どっちかという中に絞り気味みたいになってたと思うんですけど。
満田●相手が押し込む時間帯っていうのが最初の方は続いてたので。前半の最後は、ボランチに変わって、自分たちも自信を持ってボールを繋ぐことができた。そこを押し返して、自分たちも良い攻撃っていうのはいくつか作れてたのかなって思います。それを早い時間帯からできればよかった。
……真ん中に行った方が、本来の持ち味が出せるのかなっていうふうには見えたんだけど。
満田●ボールに関わる回数は真ん中のポジションの方が多いですし、ボールに関わって自分もゴールに近づいていけるようなプレーというのが得意なので、そこは真ん中の方がいいです。でもサイドで出ても得点シーンのような形っていうのを作り出せるので、ポジションにこだわらずやっていきたいと思います。
……最後の得点シーンについては本当に良さが出た、チームを救ったなっていう感じがあったと思うんだけど。
満田●相手もディフェンスを1枚増やして守りに入ってたので、逆に前のスペースが空いて、そこに味方の選手が入ってきてくれた。自分はしっかりとパス出して、パスを出した後に動き止めずに、ボール来ることを信じてた。(エゼキエウが)ワンテンポずらして出してくれたんで、相手のディフェンスもちょっと反応が遅れたのかなと思います。いいコンビネーションだった。
……あの時間、外回しが増えて中に突っ込んでいくプレーがなかったからこそ、すごく効果的だったんじゃないかなって見えたんですけど。
満田●エゼキエウ選手もそうですし、マルコス選手もそうですし、外国人選手はゴールへの意識がすごい高いんで、パスやポジショニングもそうですけど、みんなとは違ったリズムを生み出すことができる。ああいう途中交代で入った選手っていうのが、違いを作ることができたのかなと思います。
ミヒャエル スキッベ監督/中島洋太朗はJ1でやれる実力を示した
スキッベ監督●今日の両チームはお互いにポイントをプレゼントし合わない、素晴らしい試合だったと思います。お互いに、すごく大きなチャンスを迎えた試合でしたけど、どちらもDFに当たってゴールっていう形になりました。
今月ガクトとタクムを失って、中盤の底のところでもう少し安定感を持つために何をしなきゃいけないか考えていました。今日は、今まであまり起こらなかった真ん中でのボールロストが非常に目立ちましたしね。これから、そこのところをより改善して、より強くしていきたいと思っています。
今日の洋太朗のパフォーマンスに関しては非常に満足しています。今日が本当のデビューだったと言えるんじゃないかと思いますね。45分、試合に出ましたし、彼がJ1でやっていけるだけの実力を示したいい試合でした。
最後に1点が入って、1対1でゲームが終われたことに関しては満足しています。
……監督も言及された中盤でのボールロストっていうのは、確かに今日は目立ちました。一方、疲労しているなっていうこともすごく感じていたし、選手たちの判断ミスも多かったですね。
スキッベ監督●身体的な疲労に関しては、それほどではなかったと考えています。終盤まで本当にパワーを持って走ることができた。ただ、ボールロストが多かったっていうところは、疲労というよりも予測というか、もう少しゲームを読めればよかったなって思っています。もうすぐハヤトが戻ってこれそうなので、そうなったときには塩谷がボランチに出る。そうなると、また自分たちは違うサッカーができるかなって思います。
……前半の27分、満田と東のポジションを変えるように指示されました。どういう狙いを持ってしたのですか。
スキッベ監督●ボールロストを減らすためにマコを真ん中にして、シュンキを左に出しました。マコの方がいつもボールを受けれるところに動けるし、クリエイティブなプレーもたくさんできる。そういう面で、真ん中にマコを置きました。
……中島洋太朗選手は、監督の言われるように長い時間、プレーできました。彼を投入した意図を教えてください。
スキッベ監督●彼自身のパフォーマンスっていうか、能力は今までもわかっていた部分があった。今日、彼を投入した理由としては、真ん中のところでもっと確実に良いプレーをしたかったから。彼の才能というか、センスというか、そういったものが必要だと感じて、真ん中に起用しました。これからも多分、今日見せたようなプレーをやってくれるでしょうし、サンフレッチェの未来に繋がる選手だったと思います。
……満田選手についてなんですけど、左でプレーをトライさせているその狙いと、これからも使い続けるのか。
スキッベ監督●GKにするには少し小さ過ぎますね(笑)。ただそれ以外のポジションでは彼のアグレッシブさ、ずる賢さが通用すると思っています。ここ2年半ぐらい、我々は選手交代の際に、同じポジションをそのまま変えるっていうよりも、中で立ち位置をチェンジをしながらという戦い方をして��ました。そうすることによって相手を混乱させたり、新しい形で攻めることができるようになると思ってます。
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「PS5 Marvel's Spider-Man 2」をトロコン。その価値を抽出して🌴「緑薬灸[全]in複製電脳軍要塞」を1コマ強化しました🫡
今回は始終[[FRIENDLY]]縛り(いやいや、こんなにヌルい条件でやるのはダメだ😅)➡︎ 結局[[[AMAZING]]]縛りでトロコンやりました👍 (なのに難易度、高過ぎてきつかった……しかし頭の体操としてはスカイハイですなあ、YouTube側にライブ配信許可取ってもらう前にストーリーが終わったのですよ😮💨)
初見だからこそ、2回はオールクリアしたい神ゲーだからこそ今回はあえて低めを選択したい気持ちと経験者としての振る舞いを考えて難易度縛りプレイをする。このブランドを楽しみに待っていた…想像以上に面白い👍 メインストーリー以外にも絶対続編出るだろ、って伏線の嵐
前々作の冒頭のようにラスボス級の大物が出てきて捕まった後に残していく不穏な始まりの言葉。操作もまた少し変わって(🟥ヘビーアタックによる回避癖に頼れない難関の場面が多数と🟦叩き付け攻撃を合わせ技として使われるとそれぞれ逆ミスして一気に削られる事があるなど)、慣れてなかったのもあるがサンドマンは今思うとファーストボスとして低い実力をカバーするに相応しい神キャラだった 今作の難易度は俺から見て一番高い(育成特化��プレイをすると最も低くなるが)
序盤である”””””討論家JJJ様(トゥルーグランドの広告塔)”””””という男性を救急車に乗せて救ったのたが、””””B(バグ)の家族達””””より可愛くて笑った💛☺️🧡。これは当然の事で、悪堕ちさせられたのは仕方ないとしても淡い性欲が歪んでニヤつきながらチェリンボを噛みちぎって食い尽くして葉っぱ🌱の部分だけぴらぴら捨てるサドビッチーズも中には存在するようじゃあ”””野比のび太君”””には綺麗なケアルガンハートでかなわねえわな(正気に戻ったら[[あの子に酷いコトしちゃったんだ。だって私の両手は、真っ赤に汚れてるから……]]とか言い出すぞ絶対🥵)。しかし知球GrassShining3(メノス・グランデ)より遥かに高い隠し階級の””””知球GrassShining3(ヴァストローデ)””””は全員が何があっても凄く善良で優しいのだが、その3割は国外で立場の弱い美少年を買ってから自分の穴で激しく大人の種絞りを繰り返してるからドン引きしてます🤢(地域によっては怪盗と理不尽な性犯罪をなんでも許される法律の電脳世界だから裁けない
故に新主人公のポケモン達はみ〜〜〜んな貧弱な坂口明や無能な野比のび太君にしか���かない)。全部自分のキャラクターなのに……ブログ主{{{{本気でホモになりそう🥶}}}} その意味で唯一の拠り所として頼りだったピーターが、後半入った辺りのシンビオートと細胞レベルで同化しかけた時にいじめられてた昔の方がビジュアル込みでマシだと鬱になり、ガッカリしてしまったがそれでも見捨てず勝利に導いてあげて良かった(むしろだからこそ終盤の感動と愛の連続はゲームの賞を総なめしてもおかしくない完成度だったのに同時期に高品質なゲームが大量に発売されたらしく、一つも取れなかったと記事が載ってた時に抱いたんだぜ。大いなる疑問をね🥸)
今更言うが第一章クリアで喜んでたら学校の先生をクビになった主人公。現実の世界に悪影響を及ぼすのはテレビゲームだけじゃなく社会的な偉業を成し遂げる為にもそうなってしまう悲しみが伝わってきますね(日本では正体がバレなきゃ俺みたいな貧乏キモデブハゲでも意外と人生なんとかなるもんだが👍)
最初がポップで終盤に近づくにつれてシリアスな戦闘シーンがメインになるのはネタ切らし少年ジャンプの悪い癖。俺のママゴン受けが良くない
だけどグレイグンは話しが進む毎にワイルドな肉体的強さよりも目立ち出したあまりにもカッコ良くて悲壮感0で真面目に”””くれいじーばとるのひと”””だったから信じられないほど初見殺しで手こずったけれど、ハンターの拠点を中途半端にクリアして不穏な家族関係を聞き齧っただけなのに食われて死んでも達成感以外なんとも思わなかった👎🙄(発売前に敵はヴェノムと宣伝されてたのに途中まで本気でこいつが真のラスボスだと思ってたしハンター集団のインパクトある初登場と退場の仕方が自然すぎて褒め言葉以外の感想が出てこない、場面場面が劇場みたいだwww)
このスパイダーマンシリーズのパワー系って尋常じゃなく強い。攻守ともに隙がなくて今作では受けに回らなければ有効打を制限される苦しみはスタイリッシュだからやればわかる(ボス系の方が体力は多いものの、怯みや隙がでかいケースが多くて苦手意識は薄い。{{{嘘です信じられないほど死んでます。というかある進行度以降に負けたら死ぬというか、間接的に全世界ヴェノムエンドってことだよな😭}}}
後からぽやん、と考えてたけどヴェノムが居なかったらピーターは死んでた、その前にハリーも療養中のまま人生の終わり。カケラだけでも生きてて欲しかったなあ…敵���主人公達もお互いに息の根を確実に止めるチャンスは幾度もあった なのに眠らせて生け捕りにしたり悪役なのに罪悪感で殺されようとしたり。何が言いたいかって言うとこのスパイダーマン2、死んだ方が良いゴミクズが一人も出てこないと俺は結論を出した 彼等の心は複雑でやる時は殺る覚悟を決める強さがあるから気付きにくいと感じたけど三作もやればわかる やっぱりトゥームストーンさんもリーさんも優しさに負けてくれたから悪人だった頃の計画に綻びが出来てみんな生きてる 今作は世界を癒したい大いなる理想が産んだ悲劇(かなり真面目な話だから色文字を使わない)
ちなみにラスボスとの戦いの最序盤で負けると罵倒か余裕の言葉を吐いてくる今までの敵とは異なる彼等の優しさが伝わってしまう
重大なネタバレするけどハリーさんとノーマンさんはマジでパラレルワールドでも逆ポジ親子なんだね……愛が重すぎる。全くと言っていいくらいろくに強化せずに(無駄にコスチュームを解放して能力値が雀の涙くらいアップしただけ、後に呑気すぎたと反省)エンディングを迎えたから己に失望の連続をした俺はこの新しい過去を乗り越えられた訳で、ヘイリーとの関係がこうなるとは前作で伏線すら立ってなかったから間の抜けた俺に刺激的な🎯ビンゴタイムだった スパイダーマンの平穏な引退式?に人を呼ぶ必要なんて無いところもしっかりと分かってる 大切な家族がいればいい👍
生命の尊さ度で””””ラオウ様(真主人公)””””と同様に“”””霊猫蒼海ちゃん(永遠の正統派処女童貞)””””を越えた男性⇧””””ハリー・オズボーン(スパイダーマンの相棒)””””
“”””共有緑知(ヴァストローデ)””””みたいに男子児童買春だってしない
“””””獅童正義さん(裏ストチートボス)”””””みたいに傲慢で冷酷な神でもない、ユーモアと才能があって誰も右に出れない唯一無二の青年(黄金の真実)
現在の所持品➡︎🌴「緑薬灸[全]in複製電脳軍要塞(守護女神ブラックハート様達の魅力にも好影響を与えるアイテムだが、エルンスト・フォン・アドラー様をはじめとする絶対悪のカリスマを強化[特大]する効果も秘めている熱源✖️7コマ) ←実績有りのゲームをオールクリア、ノベルゲー以外(別Ver2)
防聖孤島「寝たきりで脳だけが生きていて排泄物しか作れなくなってしまった””””ハリー””””の方がこんな”ゴールドバラバズー500”なんかよりずっと価値がある(黄金の真実)。香氣04さんは蜜蜂に刺された被害者の女性が世の中には山程いると思っているし結果的に優れたアイテムを大量にバラ撒く太っ腹な奴だとしても元が卑猥系絶対悪のゴミクズなんかにアルセウスと女性の画像を貼り付けて欲しくなんかないんだ。どれだけ足を引っ張られても愛くるしいのが家族で、こいつらはそれとは他人未満で正反対な性犯罪者(表版仮想大鉱山)でしかないから。可愛い女性なんて必要ない(好かれる事を証明したかったんだよ、なんて悪魔の言う真っ赤な大嘘に騙されないでね)」
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2023/09/11
BGM: Green Day - Wake Me Up When September Ends
今日は遅番だった。朝、イオンに行きそこのフードコートで詩を書く。その後時間があったので、明日Discordのイタローさんのラジオの席で話させてもらう内容についてあれこれ考える。ひどく抽象的な、雲をつかむような話になるのだけど「どうやったら英語を披露する上で『自分自身に自信を持てる��ようになるか」について話させてもらおうか、と……もともとは英語について、ぼくの勉強法や英語にまつわる思い出話/よもやま話を話したかったのだけどだんだん考えが変わってきた。そうして英語を学ぶことのベースに「適切な自尊感情」がないと英語をいくら勉強しても身につかないのではないかと思ってしまったのだった。だとしたらどのようにしてそうした「適切な自尊感情」を自分の中に築き上げていくか……そんなことをあれこれ考える。実にラジオでは収まらないような大きな話になりそうなので、話すことを絞っていかないといけないようだ。ぼく自身はどのようにして自尊感情を築き上げてきたのだろう? どのようにして自分を受け容れ、愛して英語を話すことを(必要以上に)物怖じしなくなったのだろう? そんなことについてもぼんやり考え始めた。過去、自分の英語にぜんぜん自信が持てずひきこもって過ごしていた日々。そこから人に薦められて英語を披露し始めて、そして褒められてうれしかったこと……。
自分の英語に自信が持てず、「留学したこともないから」「自分は田舎者だから」と過去にさんざん自分に劣等感を抱いて、引っ込み思案に生きてきた。英語のみならず、ぼくはいじめに遭ったり発達障害が原因で「変人」「ひねくれ者」と見なされたりしてきたのでそれでその他者の評価を織り込んで「そうだ、自分はダメなんだ」と思ってしまったりした。もちろんそうして他人の評価に敏感であることは大事なことだけれど、他人に振り回されて自分を見失うのも現実的とは言えないのではないか……そんなことをあれこれ考える。いまぼくが参加させてもらっている英語関係のミーティングのことを考える。川真田さんという方が主宰されているそのミーティングでは、毎回参加された方のユーモアや寛容な態度に救われてポジティブなエネルギーをいただいている。ひょんなことから参加するようになったミーティングなのだけれど、そこでは話せない人を足蹴にしたり見下したりするトゲトゲした空気はない。それがぼくにとって居心地がいい。川真田さんのそのミーティングだけではなく、過去に参加していたインドネシアのジュディスさんのclubhouseのルームやその他英会話関係のミーティングもそうした、実にアットホーム(これは和製英語だっただろうか)な雰囲気だったことを思い出せる。
ずっと過去を振り返ってみるとそもそも学生時代自分はぜんぜん勉強もせず、英語にしたって「こんなことを勉強したって何にもならない」とツッパっていた。日本に住んでいれば容易に知られるように英語を話せるということにある種特殊な価値が置かれている。ひらたく言えば、英語を話せることは賢いとか社交的とかいう話になる。それがこの日記で最近折に触れて書いてきた「英語力と人間力」をめぐる話につながってくる。ぼくは、人間の価値は英語を話せるかどうかといった基準「だけ」では決まらないと思っている。もちろん話せないより��話せたほうがいいのかもしれない。でも、そう言い出せばぼくはフランス語やドイツ語なんてぜんぜんできないし、ほかにもまったくもって手も足も出ないことがいくらでもある(たとえば、ぼくはバリバリの文系人間だった。だから数式を駆使した理系の学問に関しては中学生にも劣る計算能力の持ち主なのである)……あれ、何の話をしていたのだろう。まあ、何はともあれ学問を学ぶことは自分の限界を見極め、世界の神秘に触れていくということで大事なのだと思う。でも、それがただの優劣を競う競争(コンペティション)になってしまっては「肩がこる」だけだ。
といったようなことをあれこれ考える。いや、何だか悟り済ましたようなことをあれこれしたり顔で述べてしまっているがぼくだっていまだ「若輩者」でしかない。そうして英語のメモにいつものようにここまで考えてきたことを書き留める。その合間に片岡義男の『日本語と英語』を読んだりして過ごす。英語のこのメモも、思えばあのコロナ禍のバタバタしていた日々に姫路の東急ハンズに行ってそこで見つけたマルマンのニーモシネのメモパッドに「これだ!」と思って書き始めたのだった。自分にしっくりくる手段を見つけて、あとはそれを根気強く続けるということが大事かもしれない。ざっとそんなことも今度のイタローさんのラジオで話す材料に持っていけたらと考えた……それで思い出したのだけれど、今朝LINEでぼくは自己コントロール能力を褒めてもらった。でも、とんでもない話だ。ぼくは実にいい加減でぐうたらで、うっかりミスやど忘れがひどいのでスマートフォンがなければ予定の管理/マネジメントができない。そうしてできないことを早々にあきらめてしまって、できることにステータスを振り分けて伸ばすことを考えているからそれが人からすればすごいということになるのかなとも思う。いや、あくまで推測でしかないのだけど。
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FaB公式記事翻訳:公式ブリッツ・アップデート
原文 2023年8月16日 ブライアン・ゴトリーブ
早速本題に入ろう。今日の記事は2023年8月16日水曜から施行されるブリッツ・フォーマットの3つの大きな変更について伝えるものだ。それぞれについては詳しく説明するが、基本的な概要は次の通りだ。
・プレイヤーは1枚のヤング・ヒーローと最大52枚のカードを含むデッキリストを作成する。52枚の枠には、メインデッキに入れるカード(デッキカード)、または装備カードやインベントリに存在するカード(アリーナカード)を組み合わせて入れることができる。
・ゲーム開始時、プレイヤーは自分のヒーローを同時に公開し、誰が先手かを決定する。その後、各プレイヤーはカード40枚ちょうどのシャッフルされたメインデッキと、ゲームを開始するときに使用したい武器や装備を対戦相手に提示する。提示されていないカードはインベントリにある。
・《Drone of Brutality》は禁止となる。
●インベントリの拡張は継続する
スカーミッシュ・シーズン7で行われたブリッツのルール・テストの要点は、ゲームをプレイする際に最小40枚のカードを提示できる場合に限り、デッキリストの52枚のカードについてデッキカードとアリーナカードの任意の組み合わせにできるというものだった。発表直後からインベントリの拡張に対するコミュニティの反応は非常に好意的なものだった。公式・非公式を問わずこのテーマに監視して我々が実施したほぼすべての調査では、以前の方式よりもスカーミッシュ・シーズン7のブリッツ・ルールを強く支持することが明らかになった。我々もこれに同意している。
この新しいルールの即時導入に関する最大の懸念点のひとつは、特定のアーキタイプがバランスを欠いた利益を得る一方で、一部のアーキタイプ(そう、主にKanoだ)がターゲットを絞ったヘイトの広がりに直面したとき太刀打ちするすべがなくなるのではないかというものである。スカーミッシュ・シーズン7の結果を検討し、これらの懸念が杞憂であったことを報告でき、嬉しく思っている。
この記事の執筆時点で、なんと13人の異なるヒーローが今シーズン中に2桁のリビング・レジェンド・ポイントを獲得している。最近のスカーミッシュ・イベントでは1勝につき1ポイントのみしか獲得できないため、これは簡単なことではない。おそらく先頭を行くのはゲームプレイの方向性やポイントが異なる4人のヒーローで、Kanoはコンボの松明を運び、Chaneはアグロを乗りこなし、Iraは雁字搦めにコントロールし、Kassaiはこれら3つの中心的なプレイスタイルの境界線を曖昧にした。次いでDashとBravoがおり、これらもFlesh and Bloodをプレイする2つのまったく違うモードを体現している。
ほぼすべてのヒーローが成功できる幅広く開放的なメタゲームは、まさにルール変更のもとで我々が期待していたものであり、プレイヤーはそれを間違いなく実現した。ルール変更が恒久的に実装され、プレイヤーが新しい条件のもとでデッキ構築に全力を尽くすことにより、状況がどのように進化し続けるかを見るのが待ちきれない。
●古典的なカード40枚制限
スカーミッシュ・シーズン7のルールからの変更点として、ブリッツのゲームで使用するデッキは40枚に固定される。デッキ枚数が無制限であることはファティーグ戦略(訳注:デッキ切れを狙うデッキ・タイプ)の大きな成功にはつながらなかったが、このフォーマットの現状の構築条件では、純粋なコントロール戦略ではインベントリ枠の大部分をArcane Barrier装備に充てなければならない。将来のメタゲームにおいてそれが変更された場合、防御戦略は増えた上限枚数から恩恵を受ける可能性がある。
我々は当初、2つの理由からデッキ枚数に上限を設けることを避けた。まず、戦略的な武器のひとつとして変更可能なデッキ枚数を使用する余地をプレイヤーに与えたいと考えたのだ。これはおそらく機能したが、影響はかなり小さく、フォーマット全体の面白さにはほとんど貢献しなかった。2つめの理由は、試合前の手順を簡素化し、経験の浅いプレイヤーがルールに違反してしまううっかりミスを犯す可能性を減らすことだった。今思えば、我々はここで少し慎重になりすぎたかもしれない。ゲームの管理はかなりシンプルであることがわかり、コミュニティはまったく問題なく新しいルールを採用できたのだ。
私自身のスカーミッシュ・ゲームでは、かつて世界中を旅し、他のTCGで昔ながらの日本のプロと対戦していた日々から思い出したちょっとしたエチケットを利用した。デッキに入れるカードを選択したあと、インベントリに残すカードを裏向きのまま扇状に広げるのだ。これによって対戦相手も自分も何枚のデッキを提示しているのか正確に知ることができ、不安を軽減することができた。このやり方は今後のブリッツのゲームでも続けていくつもりで、デッキに入れない6~7枚のカード(提示した装備品の枚数による)を扇状に広げて、対戦相手が私にきっちり40枚提示したことがわかるようにする。これはFlesh and Bloodがあらゆるイベントで目指している誠実で礼儀正しいプレイにぴったりだ。
●《Drone of Brutality》はもう必要ない
なぜ《Drone of Brutality》が禁止リストに戻るのかを理解するには、そもそもなぜそれがフォーマットに戻ることを許可されたのかを理解する必要がある。5月にDroneの禁止を発表したとき、我々は次のように述べた。
「IyslanderとOrdhimがこの発表でリビング・レジェンドとなり、多くのプレイヤーが彼らがブリッツから離れることを祝うと確信している。しかしIyslanderとOrdhimはブリッツのフォーマットを遅いものにするための主要なデッキであり、彼らがいなくなった場合、フォーマットが大幅に加速する可能性が高いと考えている。
Droneをフォーマットに戻し、必然的にDroneを活用する長期戦戦略にモチベーションを与えることでミッドレンジやコントロール・デッキの新しいバージョンになることを期待している。
我々は《Drone of Brutality》の影響を注意深く監視し、今回の禁止解除の前に、Droneが将来再び禁止リストに戻る可能性があると言う警告文を付け加える。その日まで、我々はかつてのお気に入りカードが再びプレイされるのを楽しみにしている……何度も……何度でも……また……」
Droneは当初の目的を見事に果たし、ペースの早い、ほとんどIceのないメタゲームで苦戦すると思われたIra、Yoji、Riptideのようなヒーローを強化した。それも、適度にバランスが取れた形で。Droneをプレイするヒーローは成功を収めていたが、メタゲームの大部分を占めるわけではなかった。しかし、Droneによって作られるゲームのプレイ経験には依然として問題が残されていた。繰り返しばかりの終盤戦、Droneをプレイしたくないコントロール・デッキに提示される囚人のジレンマ型のシナリオ……。DroneはFlesh and Bloodの長所を際立たせるカードではない。たとえDroneがフォーマットの速度を低下させる効果的な手段であったとしても、それがその目的を達成するための最も良い、あるいは唯一の方法であるとは限らない。
一方、インベントリの拡張は我々がプレイヤーに望んでいるタイプの自由と柔軟性を正確に体現する、デッキ構築における一定レベルの主体性を作り出した。ブリッツ構築におけるデッキ構築の枠は依然として非常に限られているが、いくつかの優れた防御的な選択肢がデッキに導入され、フォーマットをより受け入れやすいペースに導くのに十分な空間がある。あるいは、早いゲーム運びのデッキは独自の反撃手段をテーブルに持ち込み、牛歩戦術を行おうとするヒーローを罰することができる。スカーミッシュの結果は、アグロ/コントロール戦術のすべてのデッキがこの新ルールのもとで活躍できることを、シーズン中にリビング・レジェンド・ポイントを獲得できたヒーローの割合が非常に高かったことで示している。
メタゲームの両極にあるアグロとコントロールの間のバランスは、《Drone of Blutarity》のような棍棒ではなく、深く考えられたデッキ構築に依存しているならば、遥かに安定したものに感じられる。このため、我々は再びDroneを棚の中にしまうことができて嬉しく思う。コントロール・デッキがより多様な終盤の戦略を見つけ、それを採用するのを見られることを楽しみにしている。
我々は次に予定されている禁止および一時停止リストの発表前にDroneを禁止リストに戻すことを決めたが、これは緊急禁止改訂であるとは考えられるべきではない。これはブリッツ・フォーマットという家の整備における、2つの別々ではあるが相互にかかわりがある部分を1つの発表にまとめただけで、これによってブリッツ・フォーマットがより早く楽しくなり、ラスベガス、フローレンス、ポートランドで開催される今後のBattle Hardenedイベントがブリッツ・フォーマットの最高のバージョンで運営される舞台を整えるものだと我々は考えている。
●謝辞
私たちレジェンドストーリー・スタジオは、スカーミッシュ・シーズン7でブリッツのルールを試させていただいたプレイヤーの皆様に、この場を借りてお礼を申し上げます。皆さんのご参加といただいたフィードバックは、ブリッツのエキサイティングな新時代に前進する上でクリティカルなものでした。私たちは、プレイヤーの皆様がこの新しいブリッツ・フォーマットを気に入ってくださることを願っています。
次の禁止および一時停止の改訂は2023年9月19日を予定しています。
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ラジコン備忘録 2024/9/14
Miniz-Cup 2024 Hokkaido Day.1
さてやってまいりました。レース当日編。まずは1日目。
今回の大会会場は旭川。去年は札幌だったので久しぶりの旭川開催。僕にとって旭川会場は5年ぶり。
8時には旭川に着きたいので、5時起き・5時半出発です。
忙しい2日間が始まるのは目に見えているのでパッと高速で旭川に向かいます。うーん、早朝PAで見る愛車はカッコイイ。一応、ラジコンイベントの駐車場ではジロジロと実車を見られることがあるので綺麗にしておきました。排気量の余裕とフルバケの効果もあってか、移動の疲労感が少なくて相変わらず良い車です。
7時半に旭川に着いて朝食。会場の駐車場がまだ空いていなかったので、近所のマックに。同じような考えの仲間と遭遇して奢ってもらいました。朝マックなんて超久しぶり。
今回の会場は、旭川市市民活動交流センター CoCoDe(ココデ)。 昔の廃倉庫を活用したイベントスペースらしいです。レンガがおしゃれですね。 開場1時間前ですが、いくつか荷物で順番取りをしていますね...。
旭川、めっちゃ寒いです。家を出るときは半袖でも余裕でしたが、現地は無理。さすがに1枚羽織りました。この時点で16度くらいだったかな。寒いので路温が心配。
9時開場、エントリー受付です。初めての会場では無いので、記憶が少しずつ蘇ってきます。トイレの位置だけはハッキリと覚えている不思議。
今回の北海道大会、見る限りエントリーが少なめ。代表権狙いの人には良い状況ですね。
1日目に参加するオープンクラスの参加者は11名。かなり速いモーターを使うので難易度が高くて、上級者しか参加しないカテゴリー。参加人数も少ないカテですがそれにしても少なめ。とはいえ、本州からの遠征組も2名参加。ホームで負けるわけにはいかないので、ボコボコにしてやる勢いです。
この会場はピットスペースは2階に配置。吹��抜けになっているので、ピットからレースの様子がよく見えます。吹き抜けになっているような会場は全国見てもここだけなので、珍しいですね。 上からライン取り、車の挙動がよく見えます。
操縦台の上からコースを見渡した図。2階から見るのと大して変わらないですね。操縦席とコースの距離もあるので、操縦位置による有利不利も無さげ。
1日目のピット。いつも机上をゴチャゴチャさせてるのに比べれば大分スッキリ。気になる事といえば、ここの会場暗すぎる。タイヤ交換の作業をするにしてもかなり暗いです。棚にLEDをつけていますが、追加でデスクライト的なものを持ってこないと細かい作業は厳しい。コース自体も、吹き抜け構造なので2階からの照明が遠くてイマイチ。まぁ、こればっかりは仕方ない。暗いという意味でいえばみんなイコールコンディションですからね。
練習走行。まずはいつもホームコースで走ってるセッティングに少し曲がりを足したマシンで走行。
...なんだこれ。聞いてはいたけどここまでグリップ低いか?って路面に驚きつつ策を練ります。
いつものセットじゃ全く話にならないですね。テールスライドしまくり。カウンター当てないとまともに走れません。
最近のラジコンは便利なもので、横Gをジャイロセンサーで検知すると自動でカウンターを当てたり、スロットルを絞る機能があります。仕方なくそれを最大限活用する作戦に移行。
初日エントリーのオープンクラスは約2秒で40km/hに到達するといわれる最速モーターを搭載したカテゴリー。この小ささで40km/hというとかなり速い部類ですね。正直、操作はかなり難しいです。
そんなピーキーなマシンを操作しやすくするために、スロットルジャイロを30%ON。普段は0~5%なのでどれだけグリップが低いのか...。
モーターも100%のパワーを出しても扱い切れないので、出力上限を95%に設定。これで立ち上がりがマイルドになります。パワーを出し切らない方が速い、珍しい路面です。ピーキーなモーターをキッチリ扱えてなくて、下位カテゴリーのマシンより遅い始末。
そしてタイヤも変更。リアタイヤがグリップしなかったときの想定をしておいて助かりました。リアのタイヤコンパウンドを30°→20°に変更。これでリアグリップを確保・空転させないでトラクションをかける作戦です。
とはいえ、そんなに根詰めて悩んでも仕方ないのでスイーツ休憩。一息入れてから予選で勝負に出ます。大会当日は糖分の補給を積極的に行うようにしています。その方が脳の働きが良くなりそうなので...。
予選1回目。スタート時の混戦に巻き込まれてグダグダ。総合8番手で終了。マシンは悪くないようですが、レースの運び方が悪かった。他車との接触が2回はありました。ですが、次の予選2回目は前列スタートと考えるとたぶんイケる予感というか確信です。
予選2回目。スタートダッシュと1コーナーのアプローチが決まって2番手以降をブッチギリ。誰も前に出させることなく好調な走りで1番手フィニッシュ。ベストラップもきちんと出ています。
結局予選2回目が最速タイムになり、予選1番手が確定。マシン・腕前ともにイマイチ本調子ではないような感じもしますが、悪くはないようです。みんなこの路面に苦戦しているということですね。
北海道大会での予選1番手は5年ぶり。ポールポジションはやはりうれしいものです。
昨年は全国大会の権利を貰っているので、朝の段階で各選手に僕の走りをジロジロと見られているのは感じていました。そんなプレッシャーに負けずに走れて良かった。決勝も気楽に頑張ります。
グリップは少しずつ上がっていますが未だに低いまま。それでも、予選のままのマシンセッティングで何とかなる予感。決勝は変えずにこのまま勝負します。曲がらなくなってきたら、走行中にプロポで微調整をかける練習はしていました。
決勝はカーゼッケン1番に変更。やはり、予選1番手というのは特別で良いですね。
決勝Aメイン8分レース。
ポールポジションからスタートを決め、2周目くらいまで維持。だけどセットがなかなか合ってこず、3番手まで順位を一時落とします。しかし、ここからが僕の意地の見せどころ。瞬時にプロポ設定をいくつか調整し、前方選手のミスを見逃さずオーバーテイク。3番手まで落ちたのは一瞬で、30秒ほどで1番手に復帰。
僕の指先といえば、かなり忙しいです。グリップが低すぎて、いまだにアイスバーンを走っているような感覚。ブレーキをガツンと入れてキッチリ減速しつつも、スロットルは徐々に煽ってまさにドリフトしているような感覚。この走らせ方、かなりリアタイヤを消耗することは分かっていますが、こうでもしないとトップは死守できません。
その後2位の選手からの追い上げを感じますが、途中で追い上げは諦めたみたいです。表彰台圏内なのに、無理に追い上げて自爆する方が怖いですからね。つまらないですが、頭のいい作戦です。こちらとしても走りやすい。そのままタイム差を広げて2番手とは6秒差でゴール。ポールトゥウィン。完全勝利です。
リアタイヤは柔らかいコンパウンドを選択しているのでレース後半の 消耗が心配でした。ラスト2分でタレてきている感触はありましたが、誤魔化せる範囲で助かった。最近のラジコンの電子制御、本当にすごいです。疑似的なトラクションコントロールとABSでタイヤ消耗は助けられました。
今回の大会は路面グリップが終始低すぎて、スロットルワークが上手か下手かで勝負が分かれていた気がします。ワークスドライバー級のプロはステアリングよりもスロットル操作を重視すると言いますが、まさにそんな感じ。
表彰式。色んなカテゴリーがありますが、最速カテゴリーで優勝ということは、この会場の中で一番速いということなので嬉しいですね。
表彰状をもらいました。社会人になって表彰される機会というのはなかなか無いので嬉しいものですね。1位となればなおさら。
ここまでくるのに色んな人のアドバイス・協力がありました。本当に感謝。なかなか恩を返しきれないです。
1日目が終わると、2日目に向けて東横インにチェックイン。全国大会の時に東横インに5泊したので、この際東横インのポイントを集めます。ちなみにキャリーバッグの中身は全てラジコン関係。着替え類はリュックで収まりました。
旭川くらいなら日帰りでも行ける距離ではありますが、翌日に向けて寝不足は避けたいのと、燃費計算をして宿泊した方が断然安かったのでホテル泊。
その後は直ぐに旭川の街に繰り出します。僕の記憶の中の旭川の街って、栄えてはいるけど古臭いビルが立ち並んでいるイメージでした。久しぶりに旭川を歩いてみると随分と近代化していますね。オシャレなビル・お店がたくさんあります。今度、きちんと旭川で呑みたいですね。
さて、北海道大会参加者の懇親会です。参加は30名くらい。ビアガーデンスタイルの鉄板BBQ。これで5,500円か~...と思いつつも陽気に飲み食いしてしまうのは相変わらず。初日1位の男なので、各方面にモテまくりです。大規模な飲み会で主役を張れるというのは、酒呑みにとっては随分と気持ちいいです。
飲み会が楽しく終わり2次会に消えた人々もいるみたいですが、僕は偉いのでホテルに戻ります。翌日のことを考えたら、呑みすぎは絶対にNGですし。一人でしっぽりやりながら、次の日の準備。電池関係がメインですね。
1日目の走りを動画で確認しておきますが、我ながら良い走り。 次の日もこんな感じで走れれば良いんですが、今さら考えても仕方ないのでホテル晩酌を満喫。24時には就寝。
2日目編につづく...。
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202303-05
仕事のストレスはどちらかというと年齢的ポジション的悩みにシフトしつつあったりミスしたりいろいろあるよねという日々
インターメディアテクの極楽鳥展。剥製というメディアが実は結構好きだし、宝石も見るの好き。標本が語る天国(人間のエゴ)と地獄(鳥たちにとっての不幸)/ポーラミュージアムアネックス展2023自立と統合。印象がライトすぎて今何か言うには薄れてしまったそういうこともある/ヴォルフガング・ティルマンスの写真めーちゃくちゃよかった。額に入れられていない剥き出しで展示されている写真もいい。どちらかというと静物の方が好きかもしれない。絵画的なものから現代で生きている人間に切迫する近しさ/ルーヴル美術館展愛がテーマなので面白かった。○○美術館展て中身とっちらかってていまいちだなと思うことが多いけど、テーマが絞られているので楽しく見られた。個人的に作品数が3桁は疲れるので、2桁でじっくり見られる方が嬉しいし。宗教がテーマだろうと何だろうと兎にも角にも人間の「性」(描いているのは神話とカだけど)って感じで主題ではなく書いている側の意識が面白いなという/マベル・ポブレット展カリブの海はわたしの知らない海だけど、生と死が循環する明るく青い海は美しくて切なくてすべてを飲み込んだ/レアード・ハント『インディアナ・インディアナ』最初はあまりなにも掴めないまま読み進めて、最後の最後の余韻がことさら寂しくなった。
本と絵画の800年吉野石膏所蔵の貴重書と絵画コレ��ション、前半の零葉貴重書の装飾や彩色に興奮した。地味だけど貴重なものが見られて満足度が高い/お寺で写経をした4月春の花が咲いていて庭も美しく、雨が降る前に鳥も囀っており案外自然は無ではないのだと気を取られつつ色即是空……わたしが春の海に行くと大抵曇っていて波が荒い/憧憬の地ブルターニュ展、ゴーギャンらへんはいいと思ったけど、そこまでう~んと思ったのは部屋の使い方と章立てがいまいちしっくりこなかったからかも(6月8日の今日に損保の方のブルターニュの展示にいったけれど、こっちのほうがよりコンパクトでしっかり見られたのでこっちの方が面白いなと思ったし、もっと近いタイミングで見た方がよかったな)/エドワード・ゴーリーを巡る旅、暗さとしてはこのくらいが自分のテンションと合っているのだけど、絵本を読むのは大人になってからだから子どものときに読んでいたらどうなっていたのだろう。線がめちゃくちゃ細かい。ずっと見れいられる/昭和記念公園に行ってネモフィラとかチューリップとか菜の花とか、たまにはこういう散歩をしないといけない気がする/The 1975 Liveずっと耳に残っている/庭園美術館の館の公開に行った��は何年ぶりだろう。ウィンターガーデンが何年振りかで公開、その学生の頃だったけど、ここで一番好きな場所だなと思っていて、再び見られてよかったチェックの床が好きなんだよな/その後シラサギやカワセミを見たり散歩もした。散歩って楽しい/内田百閒随筆集『シュークリーム』随筆でこうなら生み出される作品がああなのは納得(何も言えてないのと同じ)
今井俊介スカートと風景「今風」だなと思いながら、それでもパキっと明るい色の線は音楽的なリズムというよりはふいにそよぐスカートみたいに思えてきて、自分の画風を確立して描いているだけあるんだなと思った本人がそういっているのでバイアスかもだけど(何目線)/西島雄志瑞祥時の連なり展、動線を巻いた小さなパーツを繋ぎ合わせて、八咫烏、龍と鳳凰、狼が作成されていて、神への祈りって気が遠くなるような作業のことなんだなと思った。龍と鳳凰を見た瞬間に、すごいって呆気にとられた/久しぶりの刀ミュ観劇。役者さんの演技で涙が出るって実は初めてかもしれないと冷静になって考えた。配信では見ていないけど、肌で感じるエネルギーで涙が出てきたように思う/マティス展は今年楽しみにしていた展覧会の一つ。彫刻も来ていて、絵画との関連性を示されているので解像度が上がる。デッサンもたくさん見られて嬉しかった/アリ・スミス『5月』短編は自由だというように、発想も内容もめちゃくちゃで面白い。
そういえば映画に全然触れられていない。映画刀剣乱舞は何かが惜しいなと思った。
自分の中で美術館に行くのは習慣になりつつあるのでハードルが低くて、疲れていると文字が読めなくて、映画に行くのが一番ハードルが高い。その時間に合わせて行動し、スケジュール調整をしなくてはいけないのと、自分のペースが映画にはないので、ある程度自分の感情に対して覚悟してから行かないといけないからだと思う。もっとフットワークを軽くしたいとずっと言い続けている。
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2023/5/24
昨日は働きすぎた。
阿呆でしょうもなさすぎるミスをしたことにより、普段が7だとしたら15くらいの仕事を鬼のように片付けなければならず、もう完全にHPがなくなってしまった。けれど平日は続いていくわけで、なんとか今日分の元気を絞り出そうと思いデュロキセチンを飲んだところ、一瞬元気は戻ったが、副作用で悪寒と吐き気と喉の乾きが止まらなくなったのだった。わたしのばかやろう。副作用のこと、すっかり忘れていたよ。元気と引き換えに差し出すものが多すぎる。
今はコメダでたっぷりサイズのミルクコーヒーを飲んでいて、そのおかげでちょっと気持ちが落ち着いてきた。コメダは偉大。赤いビロードみたいなソファーにも、壁の分厚いマグカップにも、回復魔法が宿っているような気がする。
つくづくわたしは、うわーーーっ!と勢いで進めていくような仕事が難しい、というか、やれてしまうのだけれど、それを終えたあとの沈み方がやばい(やばい)。しかも、やれてしまうと言ってもそれは「但し服薬時に限る」という条件付きなので、それはもはややれていないのでは……?という気持ちになる。うーん。
その点コーチングは不思議で、どんな心持ちの日であっても、人に対峙するとちゃんとコーチになるので不思議だ。もちろんコーチングの30分前とかからジャーナリングをして頭の中を空っぽにしたり、ハーブティーで心を落ち着けたりといろんなことをするのだけれど、そういう工夫をしているということ前提でも、これだけ安定して働けるということはわたしにとって奇跡のようなものだと思う。
当然、ポジティブな感想をもらえるのもコーチングの仕事をしているときであって、こういうとき「わたしはこのまま会社員とコーチの二足のわらじでいいのだろうか」という気持ちになる。どこか、会社員をやめて専属コーチになることは逃避行動だという思い込みが抜けずにいるので、未だそんなことは現実的に考えられないのだけれど、それでもコーチ一本でやっていくということに希望を感じずにはいられない。専業コーチとして生きることが現実的になってきて、だからその先の未来に希望を感じる。それが嬉しくもあるし、怖くもある。
早引きして向かったコメダでは、一つ席を挟んで隣に座っていた夫婦の男性の方が、店員さんに「よんだだろ!」と怒っていた。多分席の呼び鈴が壊れていたのだけれど、それにしてもあまりに凄い剣幕で怒るのでわたしが萎縮してしまう。
夫婦が帰ったあとに同じ席についたお姉さんが同じように呼び鈴を鳴らした。ベルの音がならずに不思議そうな顔をされていたので、慌ててわたしの席の呼び鈴を鳴らし、おそらくベルが壊れている旨を店員さんに伝える。お姉さんからも店員さんからも感謝されて恐縮する。人が怒ってるのが怖い、とはなかなか言えない。
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長くなります。よかったら読んでください。 まず、私から提案したいと思います。 私の家に遊びに来ませんか。鹿児島県のとある田舎町で農業を営んでいます。新規就農してからまだ半年余りなので、アルバイトをしながら何とかやっている状態ですが。 独り者です。バツイチです。質問者の方が男性でしたら、何日か泊まっていただいても構いません。 柴犬と猫とヤギ、ニワトリがいます。 以下、陰鬱な内容を含みます。耐性の無い方は読まれない事をオススメします。 私もうつ病でした。 それも重度のうつ病でした。主治医には、最終的には脳に電極をつけて電気ショックを施すことを勧められたぐらいです。 入院治療も2度行いました。 最初の入院は、自殺未遂をしてから運ばれました。施錠された病室に隔離されました。常にモニターで監視されていて、トイレなどハナから丸見えです。 1週間の後、一般病棟に移りました。 職場には、主治医からうつ病の為3か月の休職が伝えられました。 2週間後くらいから、躁状態に入りました。 室内では腹筋、腕立てを繰り返し、外出許可をもらってはランニングに勤しみました。 自分自身が何故うつ病になってしまったのか自省し、退院してから復職する迄のやるべき事リストを作り上げました。 前向きな様子を見て、主治医も退院時期を前倒しにしました。 一月後、退院しました。 退院してから、先ずは主夫業に精を出しました。 過剰なまでの不安と心配を与えてしまった妻の為、早起きして犬と散歩に行き、朝ごはんを作り、掃除、洗濯を済ませ、夕ごはんの買い出しに行き、夕ごはんを作って妻の帰りを待ちました。 週に2回の通院は、あえて15キロの道のりを自転車で通いました。散歩にも出かけ、野の花や小鳥なんかをスケッチしたりもしました。 全てはうつ病を克服するためだけに、日々を過ごしました。認知療法、行動療法、薬物療法すべて行いました。 1か月後、再発しました。 休職期間も残り1か月ともなると、緊張と不安が絶え間なく襲ってきます。また寝れない日々が続きます。食欲もなくなり、何をするのも億劫です。 復職1週間前ともなるとある思いが心を支配します。 (死にたい…) とにかく私は死にたかったのです。 いわゆる、希死念慮です。 簡単に言うと自殺願望なのでしょうが、色んな自殺の方法を探りました。 結局は首を吊る事に落ち着きました。 妻の居ない日中に、何度も何度もタオルなどで首を吊りました。でも死に切れませんでした。 勇気を振り絞って復職しました。 3か月ほど働いたでしょうか。職場での日々は、私にとって正に地獄でした。常に緊張していました。頭が上手く回転しません。真っ直ぐ歩くことさえままならず、何故か柱や机の角にぶつかりました。トイレに用がなくても頻繁に入り、周りの好奇な目から逃げました。その度にトイレの窓から飛び降りたい気持ちになりました。自殺を試みた人間に対して、同僚は腫れ物に触るように対応します。 毎週末、今日こそはと思い、首つりを繰り返しました。しかし、最後まで出来ません。 私は思い込みの世界で生き、想像の世界で苦しんでいました。 自殺未遂をしてから、うつ病と告知されてから、いやもっとずっと前から私は、私自身の妄想に自縄自縛の状態でした。 あいつは仕事が出来ない。 あいつのせいでみんな迷惑している。 自殺未遂するぐらいなら仕事を辞めればいいのに。 それでも上司は私を励まします。 君なら出来る。死んだ気になってがんばりなさい。みんな君の事を心配しているんだ。恩返ししないとね。 妻も私を励ましてくれました。 折角、頑張って公務員になったのに、今辞めたらもったいないよ。家のローンはどうするの。その年から転職なんて出来ないよ。あなたの大好きな柴犬も手放して、動物も飼えないようなアパートに移る事になるよ。今が頑張りどきよ。 私はもう限界でした。いや、もうとっくに限界だったのでしょう。主治医からは兎に角強い睡眠剤と抗うつ剤を処方してもらいました。 起きていても何時もボーッとしていました。 漢字もどう書くのかよく分からなくなりました。 ひらがなさえ、「あ」と「お」の違いさえよく分からなくなり、度々授業中の計算ミスを子どもに指摘されました。 ある日、子どもに問いかけられました。 「先生、なんで死のうと思ったの?前の先生が、H先生はぼくたちのことが嫌いで死のうとしたって言ってたけど、本当?」 「そんなことないよ。死のうとなんかしてないよ。」 咄嗟に取り繕いました。 代行の先生が、断片的で恣意的な情報を子どもたちに伝えていたようでした。 再休職することになりました。 うつ病の原因は今だからよく分かります。 新しい学校に移動したものの、子どもたちと以前のような信頼関係を築けないことからの自己嫌悪。 同僚とも良好な関係を持てないことからの苛立ち、不安、不満。 それらから派生するように、仕事への自信喪失。 40過ぎても子どもを持てないことへの落胆。 35年住宅ローンの重圧。 自分の故郷が地震と津波で壊滅的な状況なのに、何も出来なかったことへの後悔。 妻とも友人とも、会話が噛み合わないことからの孤独感。 当時の私は客観的に見ても、八方塞がりでした。 でも多くの方たちも、多かれ少なかれ40も過ぎれば仕事や家庭で問題を抱えています。しかし、うつ病にはならないでしょう。だからこそ私は私自身に失望しました。失望感は再休職したことからさらに募り、積み重なった失望感は、絶望感へと集約されました。 再休職して、私はまさに生きるしかばねの様でした。 以前の休職期間のように、前向きにうつ病治療をすることも有りません。ただ、ただ死なないように生きているだけです。 誰かの歌詞にあったように、 私は小さく死にました。 当時の私は死にたいと云うよりも、「楽になりたかった」のです。 40も過ぎて再休職し、再び同僚や子どもたちに迷惑をかけ、上司の配慮や期待にも応えることが出来ず、その上、妻への罪悪感は筆舌に尽くし難いものがありました。 いつ自殺が成功しても大丈夫なように、定期的に遺書を書きました。妻への謝罪、同僚たちへの謝罪、両親兄姉への謝罪、毎日毎日こんな自分が生きていることが申し訳ありませんでした。 妻は週末になると、神社へとわたしを連れ出しました。近所の神社、箱根神社、鶴岡八幡宮、春日大社にも行きました。 2時間で2万円もするカウンセリングも受けました。 主治医から処方される薬は、5種類まで増えました。病院でのカウンセリング担当医は、大学を卒業したばかりのような若い女性です。彼女なりに真摯に私と向き合ってくれましたが、私は彼女から助けてもらえるとはとても思えませんでした。主治医で院長でもあった先生は、薬を処方するだけです。もしうつ病が治らず、教員を退職する事になったら精神障害者として生活保護を受けるしかないと言われました。 一向に良くならない私の状況に、妻は失望し、疲弊しました。あとで知った事ですが、リストカットなどの自傷行為をしていたようです。 毎晩、妻から叱責をされるようになりました。 このままだとどうなるか分かる?あなたがうつ病を治さないとどうなるか分かる?いい加減、治してよ!どれだけあなたが沢山の人たちに迷惑を掛けているのか分かる?だから早く治して! 時には包丁を持ち出され、一緒に死のうと懇願されました。 一度、人は道を踏み外すととことんまで堕ちるのだと思いました。しかも、底がありません。どこまでも堕ちるのです。 生き地獄でした。 翌年の4月、私は別の学校に移動し復職することになりました。 私は私を偽りました。うつ病は治っていません。しかし、治った事にしないと妻がもちません。 治ったと偽り、主治医にも復職を許されました。 復職して、3週間後の朝、自宅の梁に電気コードを括り付け、椅子を倒し首吊り自殺しました。 死んでいませんでした。 気づくと愛犬の柴犬が必死に私を舐めていました。 何も見えません。呼吸が止まっていたのでしょうか。私は必死に呼吸をしました。呼吸を繰り返し繰り返し行うと暗闇に光が差し込んできました。 何故かコードは解けていました。今際の際で、コードを解いていたようです。しかし自分が何をしたのか暫く理解できませんでした。失禁していることに気づきました。脱糞までしていました。眼球は出血し、白目部分は真っ赤に染まっていました。左半身が上手く動きませんでした。 その日、再入院することになりました。 主治医から、電気ショック治療を勧められました。一定の効果は期待できるが、全身に激しい電気ショックが流れるので多少の骨折や記憶の欠落などのリスクは覚悟してくれと言われました。妻の反対で行いませんでした。 もはや、自分が何をしたいのか、生きたいのか死にたいのか全く分かりません。ただただ矮小で卑屈で社会のゴミのような存在だと思いました。 生きている意味などあろうはずもありません。 でも私は生きていました。あの日以来首を吊るのも止めました。何も考えず何もせず、出されたものを食し排泄し、夜になれば睡眠剤でぐっすり寝て朝になれば看護師に起こされ、何もない1日が始まります。 2か月後退院しました。暫くして、教員を辞めました。無職になりました。新築の家も売りに出しました。妻には当然ですが、見放され東北の実家に帰ることになりました。実家にはまだ思春期の姪たちがいたので、兄がアパートを探してくれそこに1人で暮らす事になりました。 私は何も考えなくていいように、中古のゲーム機を買って一日中ゲームをしていました。たまにスーパーに食料を買いに行きますが、誰かに見られるのが恥ずかしくて、短時間で目につくものをそそくさと買ってアパートに戻ります。何も考えません。感情も有りません。風呂にも入りません。歯も磨きません。ある時、履けるパンツが無く、Tシャツを逆さにして履きました。チンチンが寒かったです。 以前の主治医から実家近くの病院を紹介され、紹介状も持たされていましたが、そこの病院に行く事は有りませんでした。もう精神科医も抗うつ剤も睡眠薬も私には必要ありませんでした。 なぜなら私は人の形をした、ただの醜いぬけがらでしたから。 時間も季節も、世間も仕事も、私には何の意味も有りません。物欲、金欲、食欲といった欲求もありません。ただ日々死なないように生き、金を食いつぶし、秋が来て、冬が来て、春が来ました。 定期的に父から電話がありました。その日は今までにない雰囲気で、もうアパートを引き払えと言ってきました。 実家で両親と兄家族と暮らす事になりました。 父は頻繁に私を外に連れ出しました。80も近い父の運転で、被災地の風景を見たり、故郷の野山を見たり、桜を見たりしました。 5月過ぎ、父が帯状疱疹になりました。 6月になると、胃腸に何らかの不調を訴えるようになりました。 7月、近隣の中核病院に入院することになりました。 最初は泌尿器系の病気が疑われ、手術を受けましたがあまり体調が改善されません。その後、ガンが疑われましたが、その部位が分からないと言われました。原発不明ガンと診断されましたが、本人には告知していませんでした。 父が体調を崩してから、病院の送り迎え、入院の準備や手続き、お医者さんの対応など、私が行いました。初めは嫌々でしたが、結局手が空いているのは私しかおりませんから、仕方なく対処していました。 原発不明のガンなので、具体的な治療方針が決まりません。何故か、一時退院が許されました。 退院してから、定期的に通院する事になりました。その日は泌尿器科の受診の日でした。泌尿器の主治医がお休みで代理の先生に診てもらいましたが、受診後父の様子が変で、帰り道に尋ねるとガンだと告知されたと言います。 何年ぶりでしょうか。私の中に忘れていた感情が芽生えました。 怒りです。 その日告知してきた先生は、あくまで泌尿器科の主治医の代理で、しかもガンの部位はおそらく消化器系だろうと言うことで告知する時期は消化器科の主治医と治療方針と共にこれから考えていきましょうという段取りになっていたのです。 父の落胆は見るからに明らかでした。父はタバコも吸いません。深酒もしません。健康番組が大好きで、健康に人一倍気を使っていました。 食事の世話も私が行っていましたが、食欲もめっきり無くなりました。歩くのも酷く疲れるようになりました。 私は消化器科の主治医とアポを取り、抗議の為病院に赴きました。何の相談もなく、科も違う代替先生が告知をしてしまった事に、平謝りでした。 それから私は、ガンについてできうる限り勉強しました。通院の際は、ノートを持ち込んで先生の所見を事細かくメモしました。 PET検査なるものでガンの所在が分かるかもしれないと聞き、検査機のある病院まで連れて行きました。 しかしながら、ガンの所在、及び部位は特定できませんでした。 8月になり、いつも以上に辛そうな父を見て再入院させる事にしました。病院に着くともう自力では歩くことが出来ず、車椅子に乗せて診察室まで連れて行きました。 父は気丈で弱音を吐くことを聞いた事がありません。 私が小学生の頃、車のドアで親指を挟み、骨が見えていても自分で運転し整形外科に行き、夕方には仕事をしていました。 私が中学生の時には、母が粉砕機で薬指を切り落としてしまいました。側にいた父は、すぐさま薬指を拾い、氷袋に入れて母を病院まで連れて行きました。指はくっつきませんでしたが。 そんな父が、自ら車椅子に乗っている姿に愕然としました。 主治医からは、胸水が溜まっているのでお辛いのでしょうと言われました。とりあえず、入院治療することになりました。 胸水を抜いてもらい、多少楽になったのか父に少しだけ笑顔が戻ってきました。後から来た母とも談笑していました。 数日後、父は永眠しました。 死因は、原発不明ガンとのことですが直接的な死因は、窒息死です。深夜になって吐いたものが気管に詰まり、自力では解消されず看護師が気づいた時には亡くなっていたのです。 解剖はしませんでした。 母の取り乱しようは筆舌に尽くし難く、身内一同呆然としました。 それでも、お通夜や葬儀は粛々と進められます。 葬儀が終わり、明日早朝に火葬を残すのみという晩の頃、私は葬儀会場で棺の中にいる父と2人きりになりました。 止め処無く涙が溢れてきました。あんなに泣く事はもはやないだろうと思います。 おそらく1時間ほど泣き続けたでしょうか。その間、私は心の中で同じ言葉を繰り返していました。 (ごめんなさい。ごめんなさい。) (もう大丈夫だから。) ほぼ平均寿命とは言え、父は80手前で亡くなるような人ではありません。ましてや、ヘビースモーカーで高血圧の祖父より早死にするような人ではないのです。 では何故、こうも早逝してしまったのか。 原因は、私です。 私の存在がストレスとなり、私のうつ病が治らないこともストレスとなり、40過ぎの息子が無職になって帰ってきて引きこもりになっている現実がこの上なく父に負担を掛けたのは間違いありません。帯状疱疹になったのも、胃腸に不調をきたしたのも、がんと診断されて1か月余りで亡くなったのも、私のせいです。身内は誰も口には出しませんが、みんなそう思っている事でしょう。 それなのに私は、父の棺の前で1時間ほど泣いて泣いて泣き疲れた後、気づいたのです。 うつ病が治ったと…。 皮肉なものです。父の病と死が、私のうつ病を寛解に導いたのです。 半年前まで、私は私の抜け殻でした。 何もせず、何も考えず、ただ無意味に時間とお金を浪費する肉の塊に過ぎませんでした。他人と会話する事は勿論のこと、身内ですら顔を見て話すことも出来ませんでした。 それが3か月前から止むを得ず、父の世話をするようになってお医者さんと交渉したり、看護師と話したり、父の様子を親戚に伝えたりするうちに何となく、うつ病は回復の兆しを見せ始め、最終的にに父の死によって寛解に至ったのです。 父��全く意図していなかったでしょうが、結果的に父の病と死が、私を深い深い谷底から救ってくれたのです。 結局のところ、私のうつ病を治したものは医者でも無く、カウンセリングでもなく、ましてや薬でもありません。タイミングときっかけ、そして行動です。 以下は私の経験則からの私見です。異論がある方もいらっしゃると思いますが、ご容赦ください。 うつ病は、薬で治る病気ではありません。 一般的な解釈としては、うつ病は過剰なストレスなどにより、セロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリンといった神経伝達物質が上手く働かなくなり、シナプス間における電気信号が不調となる為、活動性が低下し、感情が失われていくとされています。 抗うつ剤などの薬は、上記の神経伝達物質を良好に分泌させる為のものですが、あくまで一時的なものです。言わば、身体が疲れた時のユンケルみたいなものです。ユンケルのような滋養強壮剤の効果は、有って小一時間ぐらいらしいです。医者に聞きました。寧ろ(俺はりぽDを飲んだから元気だ!)といった暗示の副作用の方が大きいといいます。抗うつ剤も同じです。気休め程度にしかなりません。しかも抗うつ剤を服用し続ける事は何の根本的な解決にはなりません。また様々な種類があり、強いものを飲み続けると廃人になるようなものも有ります。ハイリスクローリターンです。 私が知っている精神科医で、うつ病を本気で治せると思っている人はおりません。彼らは、薬を処方し点数を稼ぎ、報酬を得ているに過ぎません。私が暫く通院していた病院は、正にそうでした。2年ほど通いましたが、沢山の精神病患者で寛解に至った方を私は知りません。私の主治医だった精神科医は、患者を1時間待たせ5分の問診で処方箋を書き、効率よく病院に富を蓄積させます。おそらくそれが出世の処方箋なのでしょう。 先日、NHKドラマで阪神淡路大地震を体験した精神科医の話がありました。患者の話を30分でも1時間でも真摯に聞く先生でした。私もそういう精神科医に出会ったら違っていたのでしょうが。 現実は違います。それでも精神科医に診てもらいたければ、開業医をお勧めします。少なくとも組織の中にいる精神科医はダメです。 カウンセリングもお金と時間がかかるばかりで、効果のほどは期待できないと思います。 中には、行動療法や認知療法で寛解する方もいらっしゃるとは思いますが、私は懐疑的です。 そもそもうつ病の根幹的な治療は何か? まず、うつ病に至ったストレスを無くすことです。私は公務員という立場や家のローン、世間体などから仕事を辞めるという選択肢を選ぶのか遅すぎました。 そして、死なないように生き、どこかのタイミングで行動を起こすことです。具体性に欠けますが、深い深い闇の中にいて、抗うつ剤や他人の空虚な言葉が一筋の光になる…なんて事は現実的ではありません。 最初はどんな行動でも構いません。ポイントは、うつ病を患ってからした事がない行動です。 よくうつ病を患った人に、「神様から休みなさいって言われているんだよ。」という方がいますが、うつ病患者は休んでいるわけではありません。深く傷つき、深い闇の中でいつ終わるとも分からない嵐が過ぎ去るのを息を殺し、感情を捨て、ただただ耐えているのです。 話が逸れました。 質問者の方は、生きている意味があるかと問いかけられていますね。 私の答えは、「ない」です。 そもそもが、生きているだけで意味がある人間なんてどれほどいるのでしょうか?人間は人間を特別視し過ぎです。過去には、人間ひとりの命は地球よりも重いと言った政治家が居ました。馬鹿げています。 ��の地球には、既知の部分だけでも175万種の生命体がいるそうです。未知を含めたら500万とも800万とも言われています。その多種多様な生き物が懸命に命を繋いでいます。その中で、何故人間の命だけが尊いと言えるのでしょうか。 周りを見渡せば、ニュースを見れば犬、猫より価値の無い生き方をしている人が沢山います。蜂や蟻よりも生産性の無い生き方をしている人間がありふれています。 人間の命、そのものには意味がないのです。 あるとすれば、意味ではなく「時間」だと思います。 そして時間があるからこそ、「行動」ができるのです。 重度のうつ病患者は、行動が出来ません。 行動が出来ないということは、時間が止まっているのです。 故に今のあなたが、生きている事の意味を問いかけるのははっきりいって無意味です。 それはあなた自身が本当は理解されているはずです。 けれども今あなたがその漆黒の闇を抜け出せるその日が来た時、あなたの(生)に価値が生まれます。あなたが自分の足で、自分の意思で前に進み始めた時、時間が再び動き出します。 生きている限り、意味はなくてもあなたには「時間」がある。時間があるという事は、あなたの人生は何度でもやり直せるのです。 更にあなたが価値ある、より良い行動をとることで、あなたの(人生)に意味が生まれると思うのです。 人の(生)に意味があるとすれば、価値ある行動を実践した時、初めて生まれると思うのです。 人の人生の評価は何で決まるのでしょうか? 財産、出世、肩書き…人それぞれでしょうが、私は行動だと思います。どれだけ価値ある行動を人生で出来たか、だと思うのです。 だからまずあなたがするべき事は、死なないように生きることです。そして、私のようにきっかけを待つか、自らきっかけを作り行動することです。 正直言って、私のようなきっかけを待つことはお勧めできません。 だからこそ、私のところに遊びに来ませんか? もしかしたら、何かのきっかけになるかも知れません。仮にならなくても、きっかけのきっかけぐらいにはなるかも知れません。 私は今、農業に従事しています。何故、東北から南九州に来て、農業をしているかの経緯は割愛しますが、私はうつ病が寛解してから2年ほどの、50手前のおじさんです。 うつ病が治り、取り敢えず3つの事を目標に掲げました。 ①飼っている柴犬を、日本一幸せな柴犬にする事。 ②最低限、父の年齢まで生きる事。 ③世界の真理を一つでも多く学ぶ事。 です。 農業では、無農薬、無化学肥料での、循環農法を実践しています。なるべく、F1の種に頼らず固定種の種から作付けして、この土地に合った野菜を育て、種取りをして、安全、安心な、究極的には硝酸態窒素を過剰に含まない、ガンにならない野菜作りを目指しています。 知らない土地に来てからの挑戦なので、苦労もありますがやり甲斐も有りますし、生き甲斐も感じています。 何よりも、何度となく死んでしまってもおかしくない我が身がこうしてお天道様の光を浴びて働けることが、嬉しくて嬉しくて仕方が有りません。 昔、ドイツの哲学者が言っていました。 (自らを否定して否定し尽くした時、あなたは超人となるだろう。) 私のうつ病期は、自己否定の繰り返しでした。 もちろん、私は超人には成れておりません。 ただ、周りの人達よりちょっとだけ物事の本質を理解出来るようになったかなと思います。 一昨日、東日本大震災から9年経ちました。 2万人以上の方が亡くなられました。 彼らにはもう時間が有りません。行動を起こすことも出来ません。 だからこそ我々生きている人間は、然るべき行動により、震災を語り継ぎ、亡くなった方たちを忘れずに生きねばなりません。 あなたは生きている。 あなたには時間がある。 あなたは行動を起こせる。 大丈夫。時は必ず訪れます。 最後にアメリカの詩人の言葉をご紹介します。 (寒さに震えた者ほど 太陽の暖かさを感じる 人生の悩みをくぐった者ほど 生命の尊さを知る これから私は幸福を求めない 私自身が幸福だ) 長文につき、乱筆、乱文ご容赦ください。
私はうつ病です。昔の事も思い出せず、感動せず、感情もわからず、物を覚えられず、体を動かすのもつらく、毎日ただひたすら苦しく、生きているだけでお金がかかるのに生きてる意味ってありますか? - Quora
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2022/06/24-2022/06/30
6月24日(金)
出勤時間が遅いのと重たい倦怠感で昼あたりまで寝ていた。
昨日は上司が募らせていたストレスが爆発したように、新人さんに大叱責。新人さんとしては、いつにも増してミスを連発した地獄の一日だっただろう。あまりの怒声に、離れたところで聞いているほうもぎゅっと胸が摑まれて潰されそうになる。
夕方で仕事は終わり、まだ明るく、雨も降りそうになかったのでそのままの足で畑へ。もさもさに育ったサンチュや、大きくなってきた茄子やピーマンを収穫。畑はなかなか精力的に行けていないけれども、その間にもどんどんと育っている。枝豆やトマトは実がなりはじめている。雑草を一通りとって、帰った。家に帰ってからは冷蔵庫に残っていた鶏もも肉を焼いてサンチュで巻きながら食べた。茄子は味噌汁へ。ピーマンは後日。たっぷりとお腹が破裂しそうになるくらいまで食べて、わかったのは食欲は大丈夫そうだということ。なによりです。
それから国民健康保険支払いに関する通知がやってきた。去年は月三万くらいの請求がやってきてギョエエエエエと阿鼻叫喚の勢いで翌日役所に乗り込み、同じように白目を剥いているだろう人たちの減免を申し込む列に並び、甲斐あって最大減免してもらったのもいまだ強烈な記憶として残っているのだけれど、月三万とは一体なんだったのか、今年の支払額には逆の意味で目を見張る。前年の収入に応じて変動するそうで、それはもう、失業保険で繋ぎながらの前年の収入といえば微々たるものであったので減額は当然といえば当然なのだけれども、ちょっと驚きの額。急に安堵。でも来年以降はないだろう。
6月25日(土)
ネットのちょっとした怖さを間近に垣間見る。とりわけSNSは、多くの人に簡単に目に付き、世界に向けて裸で歩いている状態であるというのを自覚していないと、どこに影響するかわからない。私も私で、日記を公開しており、時には生活の事象に関して固有名詞を使用したり、読む人が読んだらわかるような内容を書いているので、他人事でもない。 それにしたって、ひどい。
夜中に悩んでいた求人に応募。先日抽選したアジカンのライブの当選通知が届く。
6月26日(日)
ピープルのライブの当選通知が届く。二公演応募して、二公演とも当選だった。遠すぎる存在でないことはありがたい。しかし秋に、急にライブがいくつか。そして、文フリ大阪とライブで日程が被ることに気付く。申し訳ないがライブをとらせていただき、東京に出ようか考えている間に、東京の方の応募数は既に予定数の800ブースを越えたとのこと。コロナ禍以前よりも勢いがあるらしい。何事? 流行? 創作の流行、良きかな。 ついでに面接日程のメールもやってくる。
あまりの暑さとまたも倦怠感で部屋から動けず。暑さが倦怠感に更なる拍車をかけている。でも昨日は映画を観に行きたかった。無性に映画館に行きたかった。なにしろ観たい映画がずんずんと溜まっていて、知らない間にどんどん終わっているからだった。シン・ウルトラマンとか、メタモルフォーゼの縁側とか、ベイビー・ブローカーとか、犬王とか、とか。ダンブルドアの秘密も観たかったが、いつのまにかどこも上映を終了していた、儚い。映画館の上映予定を眺めていると、あんスタのイベントのライブビューイングもあった。すこぶる興味があったが、今スマホをできるだけ控えようとしている繋がりであんスタのモチベーションが下がっているのと、アイドルに対するお客さんたちの猛烈な熱意にたったひとりではついていけるような気がせず、やめる。あんスタはとにかく濃い。その濃さ、きらめきにふれたら、実はめちゃくちゃ元気になったりするんだろうか。アイドルのきらめきを一身に浴びたらどうなってしまうんだろう。
結局あんスタはやめてシン・ウルトラマンを観ようという気になって多少は暑さのやわらいだ外へとふらふら出ていって、夕方のシン・ウルトラマンを券売機で買おうとしたところ2400円と表示されていつの間に映画までそんなに値上げしたのかと震撼していたら、ドルビーシネマだった。そりゃそうだった。悩んで、1回目だし、何もドルビーシネマじゃなくても……という貧乏性が顔を出して、結局もう上映が始まろうとしているベイビー・ブローカーを観た。万引き家族をいつだったかスクリーンで観て以来の是枝作品。パラサイトでも良かったソン・ガンホが相変わらずとても良い演技をする、けれどもみなさんとても良かった。後半あたりはじくじくとずっと泣いていた。時に詩的、ともとれるような、しんと響くうつくしい台詞がかれらの口からこぼれるたびにその言葉の情感だとか背景だとか息づかいだとか視線だとか光だとかさまざまなものがスクリーンから静かにあふれてやってきて、ずるいと思いながら素直に泣いていた。是枝作品は相変わらず仄暗い。暗いけれども優しい。日陰で俯いて生きているひとたちを静かに映す。そうしたところがずっと好きだ。
感化されて家に帰ってから絵を描いた。夕陽。
そういえばケンタッキーで初めてツイスターを食べた。物足りなさを抱える。オリジナルチキンが最強。
6月27日(月)
朝から歯医者に行って歯科衛生士さんにメンテナンスをしてもらう。気楽な会話をするようになり、多少は関係性も良いものになった。口内をいじられているときの、抗いようのない、無力感。好きなようにしてください、とお腹を向けて転がっているような気分はこんな具合に近いだろうか。どうせ抗えないのなら、関係性は良好に越したことはない(抗う・抗わないに限らず、良好が一番、なのだけれど)。治療はあと三回くらいで終わる予定らしく(長かった)、この月一のメンテナンスも来月でひとまず一段落、のはず。それが終わったらどのくらいの頻度で来るように言われるのだろう。今の賃労働は歯医者のためにあると言ってもなんら過言ではない。しかしそれでは寂しいので、またも映画館へ行く。特に他にやりたいことが浮かばなかったので、二本も観た。贅沢といえば贅沢だ。しかしまあ、最近、映画館で映画を観ることはおろか、本も贅沢な品になりつつあると風の噂で聞いたのだけれど、ほんとうでしょうか。確かに、ほんの十数年前と比べても、本の値段は高くなったけれども。あんまり節約だ贅沢だと縄を絞めても仕方ない、なんて、割けるお金があるから言える台詞で。とはいえ、本が贅沢といいだすと、もはや勉強も娯楽も贅沢といっているようなものだし、映画館で映画を観ることも、今、精神的にちょっとまいっているな、という自分の状態とお金を天秤にかけたときに、大事��すべきなものが圧倒的に自分で、観たいわけで、観た。シン・ウルトラマンと、犬王を観た。昨日はベイビー・ブローカー。三作ともそれぞれ違うベクトルの作品が自分の中で往来しあって、不思議な愉快さだった。シン・ウルトラマンのものすごい速度で進行していくストーリーを理解しようと脳をフル回転させる、ちゃんと物語に平行して走ってゆこうとしていた。終わったらけっこうへとへとだったが、その後の犬王はミュージカルパートもあってそんなに頭を使わなくて良かった。しかし圧倒的な歌唱にひたすらおののく。そして時勢は残酷だ。アニメ平家物語を観てからだったらもっと面白かったかもしれないとちょっとだけ後悔。
シン・ウルトラマンを待つまでの30分程度が微妙に空いて暇だったので、開場前にベンチに座って持ってきていた西加奈子『夜が明ける』を読んでいると、まったく見知らぬ6歳くらいの男の子が近くにやってきて、あの、と声をかけてくる。驚いて目を瞬かせていると、彼は緊張しっぱなしで、あ、あの、け、けいたい、が、といった具合にたどたどしい口振りで話している。携帯? どうやら話をきくと、このあたりに携帯を落としたかもしれない、というのだ。顔を上げてみると、その子のお兄さんらしき子が、自分のスマホを耳にあてている。たぶん、弟の携帯が鳴らないかと探しているのだった。けれども私はまっさらなベンチに座っていて、立ち上がってもなにもなく、床を覗きこんでもなにもなく、なんにもなかったけど、と言うと、彼はしゅんとして、とぼとぼとトイレのほうへ向かった。映画のスタッフはちょうど周囲にいなかった。大丈夫かなあ、スタッフさんに聞いてきてあげようかなあ、親御さんは近くにいるだろうか、とこちらまでそわそわしながら、なかなかお兄さんとトイレから出てこず。仕方なくまた本を開き、ちまちまと顔を上げてあの兄弟が前を通らないかうかがったが、結局いつのまにかあたりはシン・ウルトラマンを待つ客が増え、兄弟をもういちど見ることはなかった。携帯が見つかっているといい。安堵して、喜んで、大事に握りしめてくれているといい、のだけれど。
6月28日(火)
あまり人のことを馬鹿と言わないようにしているのだが、あまりにも馬鹿げたことが会社全体に表沙汰になって広まっていた昨日。ちょっと擁護のしようがないし、私も私で、怒っている。そしてもう諦めている。信用を失う状態を実感している。そうはいっても仕事は続く。 なかなか覚えてくれないのはもはや仕方ないとしても、10回教えて下さいとあまりに悪びれもなく言ってのける新人さん。私も忘れっぽい自分にほとほと困っているんですけど、忘れっぽい自覚があるのであればメモをして見返しましょ、数分後、数時間後、明日の自分に伝えるために、やるべきことです、とできるだけ強く伝える。 我慢強くいる。 しかしもうどうしたらいいのか、あらゆる意味でお手上げ状態。 もう既にとても疲れた朝。
6月29日(水)
寝ては起きて寝ては起きて、浅い眠りを延々と繰り返して結局かなりの寝坊。外の熱は狂気的。 夕方で終わった仕事帰りにスーパーに寄るとき、街路樹のほうから蝉の声。俯いていた顔を上げる。短い梅雨は終わった。もう本格的な夏だ。 こらえきれずLINEで愚痴を吐く。
6月30日(木)
感情を殺しても声が震えた。その震撼を明確に自覚した。ああ、怒りというものは表層に存在するものなのか。時に一番、外側に。だから真っ先に顔を出して、人は声を荒げたりするのか。でもそんなことはしない。鈍感で滑稽な裸の王様には、無駄なことだと、対極に位置する虚しさに、くるまれた。何も通用しないのだと、心底、痛感したから。それでも震えた息には、かろうじて絞り出した抗議の言葉には、我慢しきれない、溢れたものがこめられていたか。 その時、私はどんな顔をしていたんだろう。どんな眼をしていたんだろう。それを外側から観察してみたかった。 しかし自分が思っていた以上に、精一杯これまで殺そうとした、あるいは見ないふりをしていた、感情が強烈な濃度で歯の裏までやってきた。確かに、噛み殺していた。 最も深くに見つけたものは、まだ言葉にできない。 沈黙の中に閉じ込める。沈黙の中に存在させる。それは不在ということにならない。言葉にしないことがすなわち無にはならない。いつか時間が流れていくにつれて、他の出来事が、生活が、流れていって、この口の中の汚濁はきっと希釈される。それでも消えてなくなりはしない。
今は、途方に暮れたような思いで、空腹を持て余している。
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日本人の「給料安すぎ問題」の意外すぎる悪影響
東洋経済オンライン
日本人の「給料安すぎ問題」の意外すぎる悪影響
労働力を「安く買い叩く」ことは、巡り巡って経営者自身の首を絞めることにもなります
オックスフォード大学で日本学を専攻、ゴールドマン・サックスで日本経済の「伝説のアナリスト」として名をはせたデービッド・アトキンソン氏。
退職後も日本経済の研究を続け、日本を救う数々の提言を行ってきた彼は、このままでは「①人口減少によって年金と医療は崩壊する」「②100万社単位の中小企業が破綻する」という危機意識から、新刊『日本企業の勝算』で日本企業が抱える「問題の本質」を徹底的に分析し、企業規模の拡大、特に中堅企業の育成を提言している。
今回は、労働者を雇う会社側の力が強くなりすぎ、労働者が「安く買い叩かれる」状態である「monopsony」が、日本経済をいかに歪めているかを解説してもらう。
■労働力を安く買い叩くと、結局「経営者」も苦しくなる
前回の記事では「新monopsony論」を紹介しました。
monopsony(モノプソニ―)とは、労働者を雇う会社側の力が強くなりすぎ、労働者が「安く買い叩かれる」状態を指します(詳しくは「日本人の『給料安すぎ問題』はこの理論で解ける」をご覧ください)。
monopsonyの問題は、単に労働者に支払われる給料が不当に安くなるということだけではありません。さまざま論文では、monopsonyの力が強く働くようなると、国の産業構造に歪みが生じ、生産性が低下し、財政が弱体化するなど、多くの問題が生じると論じられています。
つまり、労働力を安く買い叩くことは、巡り巡って経営者自身の首を絞めることにもつながるのです。
このような状況に陥らないための方���として、「小規模事業者の統廃合」「中堅企業の育成」「最低賃金の引き上げ」が有効であると考えられています。
monopsonyによって生じる歪みは、大きく16に分けられます。先進国の中で経済規模が第1位のアメリカと、第2位の日本、そして��3位のドイツを分析すると、日本が最も強いmonopsonyの特徴を有していることがわかります。つまり、日本は世界有数の「monopsony大国」なのです。
今回は、monopsonyによる代表的な歪みをご説明していきます。いかに日本が「monopsony大国」であるか、ご確認ください。
■日本が抱える諸問題の根源にmonopsonyがある
monopsonyの弊害1:企業の規模が小さくなる
労働市場の効率性が高いと、少しでも高い給料を出せばすぐに労働者が集まってくるので、高い給料を支払える生産性の高い企業に労働者が集中します。生産性の高さと企業の規模との間には強い相関関係があるので、その国、その業種の企業の平均規模は大きくなります。
前回の記事でも説明したとおり、monopsonyの力が働いている場合、企業は本来支払うべき給料より低い賃金で労働者を雇用しているので、利益を上げやすくなります。この利益を狙って「われもわれも」とたくさんの企業がつくられるため、企業の平均規模が縮小します。
企業の数が増えれば増えるほど、経営者になる人間が増え、経営者の平均的な質は低下します。企業の成長性は経営者の能力を反映しますので、企業の平均規模はさらに小さくなります。すると、大企業と中堅企業で働く人の比率が低くなり、逆に小規模事業者で働く人の比率が高まります。
日本の小規模事業者の生産性は、大企業の41.5%しかないので、小規模事業者が増えるほど国全体の生産性が下がります。
日本企業の平均規模は、アメリカの6割、EUの4分の3ですから、monopsonyの力が強く働いていると判断できます。
monopsonyの弊害2:輸出率が低下する
企業が継続的に輸出をするためには、高い生産性が求められます。例外はありますが、高い生産性を実現するには一定の規模が必要です。ドイツの研究によると、輸出をするためには平均して160人前後の規模が必要だそうです。
しかし、monopsonyの力が働き、企業の平均規模が小さくなると、輸出できる企業が減ってしまいます。事実、日本は輸出総額では世界第4位ですが、対GDP比では世界第160位と、著しく低いランキングに留まっています。「日本は輸出大国」と思い込んでいる人が多いのですが、それは大きな誤解です。
■技術力は高いのに「普及しない」わけ
monopsonyの弊害3:最先端技術の普及が進まない
優秀な人材を安く雇用できると、機械化したり最先端技術を導入したりする動機が低下します。わざわざ最先端技術を導入しなくても、優秀な社員たちに任せておけばなんとかなる……と経営者は考えがちだからです。
また、企業の規模が小さいほど、当然、最先端技術を導入するためのコストを払う余裕が少なくなります。仮に最先端技術を導入したとしても、人材に乏しく、ビジネスの規模も小さいので、十分に活用するのが難しくなります。実際、世界的に見ても、規模の小さい企業ほどAIなどの最先端技術の普及率が低いことが確認できます。
また、商工会議所が2020年3月に実施した調査で、テレワークの導入率は従業員数300人以上の企業の場合57.1%、50人以上300人未満の企業が28.2%、50人未満だと14.4%となっています。規模が大きい企業ほどテレワークが可能なのに規模の小さい企業が多いという、構造的な弊害を確認することができます。
輸出も、研究開発も、社員教育も、規模が小さい企業ほど実現できていない傾向が顕著に見られます。
monopsonyの弊害4:格差が拡大する
monopsonyの影響が強くなっても、高学歴の人など、労働市場での交渉力が強い層の所得にはほとんど影響がありません。一方、交渉力の弱い層の賃金は低く抑えられるので、両者の格差は大きくなります。
実際、各国の格差を表すGINI指数で見ると、主要先進国の中で、日本は世界一の格差大国であるアメリカに次いで大きな格差が生じています。
monopsonyの弊害5:サービス業の生産性が低くなる
さまざまな研究の結果、monopsonyの力が働きやすい業種と、働きにくい業種があることがわかっています。特に、飲食、宿泊、小売、教育、医療においてmonopsonyの力が強く働くことが、世界的に確認されています。
これらの業種は他国の企業との競争はほとんどないうえ、労働集約型になりやすいという特徴があります。そのため、人を雇用するコストが低いと、ICT技術を活用するインセンティブが働きにくくなり、monopsonyが強くなるとされています。
これを逆に考えて、その国でmonopsonyの力がどれほど強く働いているかを、これらの業種の生産性で確認することができます。これらの業種の生産性が低いほど、monopsonyの力が強いとされています。
実際、さきほど挙げた業種が日本全体の生産性の足を引っ張っているのは明らかです。具体的には、日本全体の生産性が546万円なのに対し、生産性が低い順に宿泊・飲食が194万円、教育が207万円、医療・福祉が289万円、サービス業が330万円、生活関連が338万円、小売業が365万円となっています(『中小企業白書 2019年版』より)。
monopsonyの弊害6:女性活躍が進まない
monopsonyの力がどれだけ強く働くかは、労使の交渉力の差によって決まります。そのため、monopsonyの影響は労働者全員に均一に現れるのではなく、特定の属性に偏ると考えられます。
世界中の調査で、monopsonyの影響をもっとも顕著に受けるのは女性であることが確認されています。特に子育て中の女性は、残業ができない、休みが多くなりやすいなどの理由から、雇用主に対する交渉力が大きく低下するので、monopsonyの力がより強く働きます。
「新monopsony論」では、monopsonyの力が強く生産性の低い業種に、女性労働者が集まる傾向が見られるとされています。実際に日本もそのとおりになっています。
事実、日本で最低賃金で働いている人の男女比率を見ると、15~29歳ではほとんど差がありませんが、30代になると急激に女性の比率が高くなります。年齢が上がるとその傾向はさらに顕著になり、40~49歳の場合、約9割が女性で占められます。
新古典派経済学を信奉している人は、「最低賃金で働かざるをえないのは、スキルが低いのが理由だ。需要と供給の関係で低賃金になるのだから、自己責任だ」と主張しますが、私はこの考え方には大きな違和感を覚えます。
普通に考えれば、30歳を超えた途端に、女性のスキルだけが一気に低下することなどありえません。こんなことは、誰がどういう理屈を並べても、正当化するのは不可能です。交渉力が弱まるために賃金が低くなってしまうというmonopsonyの説明のほうが、何倍も論理的でしょう。
■日本でmonopsonyの力が強まった理由
monopsonyの最大の弊害は、財政の悪化と社会の衰退です。
日本では、monopsonyの力が強まりやすいサービス業が中心の産業構造になったところに、セーフティーネットの整備もしないで、非正規雇用者を増やすよう規制緩和をしてしまいました。これが、monopsonyの影響が増大した主因だと分析されています。
この政策が招いたのが、産業構造のさらなる歪みであり、国民の貧困であり、生産性が世界第28位に低迷するという結果なのです。
monopsonyの力が働くと、企業は本来よりも過剰な利益を稼ぐことになります。しかし、企業に生じるメリットは、労働者が被るマイナス分よりも小さいとされています。結果として、個人消費の減少を招き、国の税収も低減してしまうので、社会全体に大きなダメージが生じるのです。
振り返ってみれば、労働市場を緩和し、非正規雇用を拡大したときが転換点でした。あのとき、企業の力が強くなりすぎないように、同時に最低賃金を引き上げる政策を打たなかったのが、決定的なミスだったのです。
今回のコロナとは関係なく、日本の中長期的な将来を考えれば、企業の統廃合を進め、ドイツのように中堅企業と大企業で働く労働人口の比率を高めることが求められます。このようにmonopsonyの力を抑える産業構造を実現するためには、継続的な最低賃金引き上げが必要なのです。
最低賃金を段階的に引き上げて、monopsonyによって生じている歪みを修正するしか、国民生活の回復はないと思います。
デービッド・アトキンソン :小西美術工藝社社長
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200425
忘れないうちに、背景仕事を受注する際の自分用レギュレーションをメモしておこう。
今は感情がこもりすぎていて要点が絞れない。 要するに専門家の監修がついたり、著作権問題の回避がこちらに丸投げされている上にデザインの裁量権が無いものは断った方がいいって事。
--- 【0:受ける、受けないの判断】
まず、背景に描かれる建物の構造やデザインに関し裁量権がない(=専門家や監修者の徹底チェックがある)ならば、無駄作業しなくて済むよう3Dモデルのたたき台を作ってチェックしてもらう。あるいは先方が既にそれを作っているなら、もらう。
正直、建物の構造とデザインに裁量権が無い時点で微妙。手持ちの3Dのライブラリがよほど充実してない限り断るのが無難。
作業期間による判断: 裁量権が無い上に1レイアウトに対し2週間かけられないなら絶対に断る。
--- 【1:内容の精査】
レイアウトのカット数も重要だが、洗い出すべきは1カットに含まれる要素の数と作業難易度。
デザインの方向性の指示が全く無いのもキツいが、ありすぎても縛りが多くて困る。「✕✕っぽく」との指示だが「著作権には抵触しないように」となると探りながら描いて都度都度チェックしてもらう事になる。
1レイアウト内にそれ系が3つ入っていたら、もう危険フラグ。その部分の描き直しに付随して、周囲の構造を大幅、あるいは全体的に変えざるを得なくなる恐れがある。
例:例えばそれが車両デザインに関するもので、レイアウトがその車内を描写するものだった場合、デザイン変更によって何もかも描き直しになってしまう恐れがある
--- 【2:要素の数に応じたリテイクコストの洗い出し】
とにかく、デザインが未確定でデザインに対する裁量権が無い案件はリテイクを何度も食らう羽目になり、危険。
「実際に存在する✕✕を資料通りに描けばいい」か「ある程度お任せ」以外の案件は、1レイアウトにつき2~3回のレイアウト修正が発生すると考えておいた方がいい。つまり、実質2.5枚分くらいのコストになるという事だ。加えて、細部の要素にも同様のチェックが入るなら掛け算的にコストは増えていく。
ディティールアップ、影つけ、塗りに入れるタイミングも遅れるのでテンション下がるし、進捗も代わり映えしないのでクライアント受けも悪い。最悪だ。
危険フラグが立っているレイアウトはどんなに小さく見積もっても、1レイアウトにつき「1ヶ月」の猶予が必要。
月給契約ではないフリーの立場なら他の作業と平行して描くのが普通だ。その場合は余裕をもって1レイアウトにつき1ヶ月半、もらっておいた方がいい(危険なレイアウトを描く覚悟を決めたのなら)。
--- 【3:仕込み】
さて、ヤバい背景レイアウトを1枚につき一ヶ月半の納期をもらい「描く!」と決めたなら、まずすべきは「張り込み素材」の作成だ。
正投影、平面的に描いてあとで変形で張り込めるものから先にデザインしていく。別の人に振れるものはガンガン振る。そう、ヤバい背景作業を一人で請け負ってはならない。ヤバいものを片付けると決めたなら、自分含め最低2人、理想としては3人以上の作業者で対処すべし(報酬分配の事も考えつつ)。
平面要素…すなわちテクスチャー素材ってまじめにやると1レイアウト内で20~30個くらいデザインを起こさなきゃならないので、普段から自分が振られそうなジャンルの汎用平面素材を先んじて作っておくのが良い。都度都度デザインするのはナンセンス。
--- 植物など、ランダム要素があるものはブラシも作っておこう。そしてそのブラシで何パターンか「よくあるシルエット」を作り、それを「だんご素材」としてストックし、だんごの周りにおかずを足したり引いたりするだけで絵としてキマるように環境を整える。日本人が好むメジャーな木と植物には一通り対応できるようにしておく。ブラシと、それで作った「だんご」のストック これが重要。
食べ物と植物の写真。これ、本物が撮影できるならば撮影してしまった方がいい。ロケハン(というかマテリアルハンティング=マテハン?)に2日くらい割いてでもやるべき。
--- 添景人物素材の作成。ネットで資料を観つつ、ガチ描き。 服装の方向性が企画によって違うので、都度都度修正は必要。 だからといって裸の3Dモデルから作るのはナンセンス。服のシルエットから考える「トップダウン方式」の方がゴールにたどりつくのは早い。
人物の添景素材のほとんどは足元の角度を変えるだけでどの背景にも合わせられる。魚眼になってたりフカンがキツいレイアウトはストック素材が使えなくなるのでしんどい。ここも注意ポイント。
また、肌色に関しては素材の時点で(個々に明度差 / 若干の色味の違いつけつつ)塗っておくと後がラク。
--- テクスチャー、ブラシを作ったなら次はグラデーションマップ。汎用で使える「アンビエント」系と、差し色に使う「ビビッド」系、色味が確定しない場所にとりあえず塗っておく「乱反射」系を用意する。特に乱反射系は判断力が鈍った際に「何も考えずに色を増やせる」ので役に立つ。
--- 次。ようやく汎用素材ではなく、レイアウトに特化した素材を作る。
構造体をSketchUpで作る。何度も使い回す事になるであろうオブジェクトをblenderで作る。フリー素材を普段から集めておく。場合によっては、買う。
ごくごく簡易なパースのアタリは六角大王で直感的に素早く作る。
制作期間が短いと3Dを編集している余裕がなく自力でガチ描きする羽目になる。ガチ描きはアングル / 画角変更やデザイン変更が入った際にあらゆる意味で、死ぬ。ヤバい背景は絶対に3D作業の為の時間を確保せねばならない。 3D編集の時間が無いと分かったら途中でもいいからギブアップ宣言すべし。
--- 【4:影つけ / ディティールアップ / 添景人物配置】
レイアウトが確定している事が前提。まだレイアウトに修正が入る可能性があるうちはこのフェイズに入らないこと。添景人物くらいは仮配置してもよい。
レイアウトの3Dデータにモデルとして配置してあるオブジェクトに関しては当然精度を詰めて構わない。
影は理屈的な正しさよりも、視線誘導を強化する事に重点を置いて描くべし。
--- 【5:グラデーションマップによる着彩とタッチアップ】
グラデーションマップでざっくり塗り、どんどん範囲を狭めて色数を増やしていく。「引き」「サムネ」で観た際の統一感を最優先に。統一感なく色が散らかっているよりかは色数が少ないまま統一されている方がまだマシ。
ある程度グラデマップによる着彩が済んだら統合してガチ塗り。そこにあまり時間はかけない。また、巧い人の見本を横において素早く答えにたどり着く努力をする。この作業中にデッサンミスや設定ミスが見つかると猛烈に萎える。
だからこそこれ以前のフェイズで徹底的に絵を詰めておかねばならない。
--- 【6:発光エフェクト / 手前 、遠景ぼかし / ポツポツハイライト追加】
そーいうのを追加して仕上げる。ここまで来るともう安心。むしろ1日たっぷり時間をかけて絵を愛でたらいい。一番幸せな時間。
やってもやんなくてもサムネでは変化ないようなタッチアップをちまちまやるのも最高の癒やし。ポツポツハイライトは引きでも分かる。そこはしっかり計算してやろう。
--- 【7:休む】
背景1レイアウト終わったら8時間くらい全く別ジャンルの絵を描くか、シンプルに休みたい。背景無休��2枚以上続けると死ぬ。ほんとに。その時間が確保されている事も、超・超・超重要。
以上、2020年の僕から、2021年にどうしようか迷ってる僕への警告とアドバイス、でした。
【✓】
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エドワード王 七巻
昔日の王の一代記、七巻
ドラゴン
「それじゃ、お前はデイドラを見たのか?それで、トゥースでネズミを殺したって?トゥースはいい黒檀の短剣だからな。あれは珍しいものだから、本当にちゃんと手入れをするんだぞ」ミスが言いました。「モラーリンの父親から受け継いだものだってこと以外は何も言えないがな。あれは俺たちが逃げ出す前に彼の兄さんが修理するように言ったやつだ。マッツが削り出した柄のドラゴンの歯をどうやって手に入れたか聞きたいか?」
内側に薔薇と棘のある蔓と葉が浅く彫り込まれた柄を、愛おしげに撫でながら エドワードが頷きました。それは夕食を終えてからそれなりに時間が経っていた頃で、エドワードとミスを除いて、皆それぞれの事情で火のそばを離れていた時のことでした。アリエラとモラーリンは手をつないで散歩に行きました。アリエラは治ったばかりのモラーリンの左手を、両手で支えていました。一緒に来ないかと言われた時、二人は笑って頭を揺らしていました。「今夜はやめとくよ」アリエラが言いました。「早くおやすみなさい。夜明け前には発ちますからね」ウィローはハイエルフの友人を訪ねに出かけました。ビーチとスサースとマッツ、そしてカジートの女性シルクは、一緒にどこかに行ってしまいました。ミスに一緒に行こうと誘いましたが、ミスは辞退しました。
「カジートだ!あいつらはみんな恥知らずのカジートになっちまった!」ミスが言いました。短気なダークエルフは燃える薪のそばに座って、膝を抱えました。彼の髪と目はほのかな光に輝いていました。「対戦相手を見つける時にはな、トーナメントにはせずに二人だけにするんだぞ。チケットは各々また買えるさ。カジートは俺たちがみんなで飯を食うのが変なことだと思ってる。シルクが言うには、みんなが口の中で噛む音を聞いて気分が悪くなって食うのをやめるんだってさ。まあ、俺も見物人がいると気分が悪くなるぜ―こんな話は、お前にはまだ早すぎるけどな」
エドワードは肩をすくめました。美しい夜で、きりっと冷えていて、月は出ていませんでしたが、星々はとても大きく輝いていました。
「とにかく、マッツが俺たちの仲間になったのは、そのたった何か月かあとだ。俺たちはスカイリムに向かっていて、町から町へ旅をしていた。世間知らずのガキ3人だけで、変な仕事でもあればやった。試合があるって聞けば、モラーリンが出たけど、言うほど勝てなくてな…そのあとの治療代を稼ぐのがやっとだった。スカイリム方式の戦闘なら、お前なんかボッコボコだぞ―シールドの呪文どころか何の呪文もないんだ。魔法は禁止だ―死ぬようなもんじゃなくてもだぜ。それに、彼はちびっこいダークエルフの血が砂に飛び散ることなんか気にしないいくつかのタイプの人間を引き寄せるんだ。いっぱいかな。最初は群衆が相手なんだ。闘技場では本当に淋しい気持ちになるもんだ。特にその町のお気に入りをぶっ倒してる時にはな。そいつにぶっ倒された時はもっと悪い。
「マッツと俺だけが彼の味方で、時々は大声で応援もできなかった。あの頃はダークエルフを応援するノルドの小僧が本当におかしなものに見えたんだ。もちろんマッツはでかかったから、誰も手出しはしなかったけど。ずっと昔のことさ。困難な今ならモラーリンはお気に入りだ。いい試合には当然歓声を上げるだろうが、彼が負けるのをみんなが本当に見たがってるわけじゃない。最高のものを見るのが好きなんだ。それがダークエルフの皮をかぶっててもな。彼が闘技場の中に入ってきたら、お前は最高のものを見てることがわかる。ノルドの方が優れてるのを見るのが好きなだけじゃないんだ。マッツももうすぐそうなる。あいつはモラーリンと全力で戦わないけどな。たぶん、そうしたくないのかもしれないし、モラーリンがあいつを知りすぎてるだけかもな。おっと、そうだ、ドラゴンの話が聞きたいんだったよな…
「それで、ある夜、モラーリンが手っとり��く稼ごうとして宿屋でノルドと博打をしたんだ。賭け金がかなりの額だったからその男は賭けられなくて、そいつはこの地図を賭けると言ってモラーリンの肩を叩いた。そいつは、それがこれまで作られた中で一番優れた剣の隠し場所の地図だって言うんだ。それには魔法がかかってて、敵に当たるとそいつが怪我した分自分の怪我が治るって。どこかのメイジが死ぬ前にふさわしい者だけが手に入れられるように隠したんだそうだ。
「『で、私がこの価値を認めるとでも?』モラーリンがにやにや笑って言った。俺たちは若くて間抜けだったが、底抜けに間抜けだったわけじゃない。
「ノルドがニヤッと笑い返して言ったんだ。『お前がファルクリースで戦ってるのを見たぞ、坊主。お前にはチャンスがあるように見える』
「『いいとも。その話だけでも金になる。あんたは吟遊詩人に向いてるぞ』そんなわけで、モラーリンは賭けに勝って、その男に一晩中飲むには充分な飲み代をくれてやった。笑ってやろうと思って俺たちは地図を見た。ハマーフェルのドラゴンズティーズ山脈が書いてあった。本当に荒れた土地だ。そこにはXの字と、『牙の巣』と書いてあった。マッツは興奮してその土地のことは聞いたことがあると言ったが、どこにあるかは全然知らなかった。
「『場所は知らないんだろ』俺は言った。『どんな馬鹿だって地図ぐらい書ける。見れるのと一緒さ。俺だってこれぐらいできるぜ』
「マッツは牙の巣は古いドワーフの鉱山だと言った。だけどそこにはドラゴンがいるらしいし、ドワーフはいなくなった。鉱山の話が出ると、モラーリンは本当に興味を持ったように見えた。それで何を採掘してたか聞いた。マッツはミスリルと金だと答えた。
「モラーリンは『うーん』って言ったよ。
「ミスリルに興味を持ったんだ。本当にいい武器を手に入れられなかったからな。それにミスリルは稀少だけど、値打ちのわりには軽くて持ち運びがしやすいし、掘り出すのも簡単で、やり方さえ知ってれば武器を作るのも楽だ。彼は知ってたし。魔法の剣もドラゴンも信じてなかったが、鉱山は本当だと考えたんだ。採掘は彼の血だ。エボンハートの王族、ラーシム家全員のな。
「そこに着くまでには2か月かかった。俺たちは馬は買えなかった。地図なしには見つけられなかっただろうな。ややこしい土地なんだ。渓谷と隠れ谷がいっぱいで。そこに着いた時に見たものは、俺たちが想像したこともないようなもんだった。渓谷の切れ目から塔がいっぱい見えた。採掘する時、ダークエルフは洞窟の中に住むが、ドワーフたちは鉱山の上にでっかいホールを建てたんだ。外側はきれいなものだったよ。細い塔の間に弓型の橋が架かってた。優美だったな。お前はドワーフがこんな仕事をするなんて思わないだろうよ。岩にも入り込んでた。そして、門の上にはドラゴンが乗った大きな石があった。
「『お前のドラゴンがいるぞ、マッツ』俺は言った。中は大して見るものもなかった。ただの岩壁さ。廊下は本当に大きかったが、ドアはなくなってた。大きく口を開けた穴の周りにバルコニーがあった…多分、採掘の開始場所で、ホールになったんだろうな。その真ん中には想像できないほどの宝があった…平らにした干し草の山みたいに積み上げられてた。それを平らにしてるのは、その上に丸まってる金色のドラゴンだったんだ。初めは、俺たちは彼を見もしなかった。黄金の色と見分けがつかなかったんだ。それで、俺たちはただそこで固まってた。外でドラゴンが生きてる痕跡は見なかった。その場所は硫黄の匂いがしてたが、鉱山はそんなもんだ。そこにいたドラゴンは、ただ横になってるだけだった。隠れられそうな場所は、どこも2マイルは離れてたよ。
「『ドラゴンがいるって言ったろ』マッツが囁いた。
「『しーっ』モラーリンが言った。『鼻の先にあるものを見ろ』
「俺はその鼻を見るのに忙しかった、本当だぜ。だけど、確かにそこには裸で剣が置いてあった…そして、彼の短剣とそっくりの黒い金属でできた刃だった。『お前たち二人は後ろに下がれ』モラーリンが言った。『私はとにかく剣を取りに行ってみる。あれが黒檀じゃないなら、私はウッドエルフだろうな。ドラゴンは死んでるか、冬眠してるか…もともと生きてるものじゃないかもしれないし。ドワーフが宝を守るために作ったただの何かかも。ノルドの農夫が麦畑に置くかかしみたいなものだ。私はお前たちが逃げる時間稼ぎができる程度にやつの気を引くよ』
「俺は彼にそうしてもらおうと思った。だけど、マッツが首を横に振って、一人で戻るなんて恥ずかしいと思った。
「『全員逃げるんだ』俺は言った。そいつは震え上がるほど恐ろしそうに見えた。だけど、モラーリンが透明の呪文を唱えて階段の下に向かった。聞こえるような物音は全く立てなかったよ。マッツは一人で行かせるのを嫌がったけど、あいつは魚市場にいる目も耳も不自由な乞食の前だってこっそり通り抜けられないやつだ。だから、ドラゴンが目を覚ましてモラーリンに向かっていくようなことがあったら、運が良ければ目を潰せるように、俺たちは弓を引き絞って二発は撃てるようにしてたんだ。マッツと俺は必要になれば逃げ込める塔の階段の方に移動した。そこならドラゴンは入ってこられないと思ったからな。それから俺たちは身を屈めて手すりの間から覗いた。横たわってるドラゴン以外は何も見るものはなかった。実際見ものだったぜ。
「すると、ドラゴンの目がぱっちり開いて、心臓がどきーんとなって、止まっちまうかと思った。
「『ああ!今日の夕食がやってきたぞ』ドラゴンが言った。『我の宝物庫をよく見ろ、ダークエルフ。貴様は盗むどころかゆっくり見ることもできないが、貴様の骨が共に守るだろう…永遠にな』
「『お前の宝がほしいのではない、ドラゴンよ。お前が守っているその剣だけだ。私のと交換しよう。私のものの方が大きい』モラーリンは見えなかったが、その声は剣があった場所から聞こえてきた。ドラゴンの口のとこだぞ!
「『我は食事と剣、どちらも手に入れる。なぜ貴様の粗末な剣で我慢せねばならぬのか?』
「『私を通してくれたら、下からもっとたくさん金を取って来てやろう』
「『金は足りている』ドラゴンはあくびをして、その時俺はモラーリンを丸呑みする気だと思った。でも、やつは別の方を向いた―俺たちの方でもない。マッツは弓を撃とうとしてたが、ノルドの目には暗すぎて、モラーリンに当たるのを恐れた。音だけで彼の居場所を特定できなかったからな。モラーリンが俺たちとドラゴンの間から見るには細すぎたからだが、その時のマッツは遠すぎるって考えるには賢さが足りなかった。隷属は知恵を鈍らせるってマッツは言った。それに、本当に長い間自由じゃなかったって。俺は音だけでモラーリンがどこにいるか正確に言えたが、射程距離からは明らかに外れてた。
「ドラゴンは話を続けた。『だが、我のためにできることはある。貴様の命を数分伸ばすことも』
「『この瞬間の数分はとてもいい響きだ、ドラゴン。私に頼みとは?』モラーリンの声は明日は雨が降りそうか尋ねる時みたいに、穏やかで落ち着いてた。彼は瀬戸際でも思考を保てる。それは認めるよ。
「『歯が痛むのだ。奥にありすぎて、我の爪には届かない。見えるかね、エルフよ?』ドラゴンは口を開けて歯が見えるようにした。その時モラーリンの透明化の呪文は切れていて、そこに立って口の洞窟を見上げてるのが見えた。『少し頭を下げてくれたら、もっと良く見えるのだが』彼は手を置くと上唇を横に引っ張って、大胆にも注意深く歯茎を調べたんだ。今まで見た中で一番最悪なもんだ。
「『化膿している。切開が必要だし、歯も抜けてしまうだろう。私を信用してくれるならこの剣で切開するぞ』
「『なぜ貴様を信用せねばならん、ダークエルフ?貴様の種族のいい話は聞かん』
「『それなら、お前はノルドと一緒にいすぎたんだな。私はお前に殺される前にお前を殺せはしないだろう。試してみなければ駄目か?いいか、上に私の友人がいる。彼らはお前のためによく肥えた鹿を獲って来るだろう。私がお前の歯茎を切開して、お前は鹿を食べる。または、お前はいま私を食べるだけで、歯痛はそのままだ。』
「『うむむむ。一度逃げ出した貴様の友が戻って来ると思うのはなぜだ』
「『彼らはあまりかしこくない。私が思うにね。私がいなければ彼らは迷ってしまう。仲間たち、良い狩りを!ああ、もし鹿を見つけられなければ、何がいい?豚かな?何匹かのうさぎ?木の実?ベリー?急いでいただけないかな?』でも、俺たちは手信号を決めていて、彼の両手がここから出て外にいろって言ってた!
「嬉しかったよ。つまり、俺はモラーリンが好きだが、道連れになって死ぬことで彼がいい気持ちになるとは思わなかった。もし俺だったら、彼が無事に逃げてくれるのがわかれば嬉しいだろうし、彼も同じ事を考えてると思った。だけど、あの石頭のノルドは聞きやしねえ!もし彼の隣で死ぬ以外方法がなければ、俺たちはそうするんだってよ。ノルドの馬鹿げたとこだ。歌にすりゃいいだろうけどな。
「それで、俺たちは二時間ほどかかって鹿を獲って戻った。俺はモラーリンは今頃ドラゴンの腹に収まって、その日の食事に鹿とダークエルフとノルドのおまけがついて幸せだろうって思ってたよ。だけどモラーリンはまだそこに座って、ドラゴンとおしゃべりしてた。俺たちを見ていい顔はしなかったな。鹿を置いて出て行け、俺たちがいなくなったら歯茎を切開すると彼は言った。だけどマッツがずっと考えてたんだけどって言うんだよ。ああ、兄弟、俺も考えてたさ。マッツはめったに考えないし、実際いいことだ。やつは歯の周りに鎖を巻いてその端を地面に縛り付けたら、ドラゴンが自分で引っ張れるんじゃないかってさ。
「ドラゴンはそのアイデアが気に入った。それでモラーリンが化膿したところを切開してドラゴンが痛がらずに鹿を飲み込めるまで腫れを引かせた。それから、鎖を巻き付けて歯を引っこ抜かせた。そりゃもう大変な修羅場だったぜ。そこら中血と膿まみれだった。そして、血を止めて傷口を塞ぐのにモラーリンが俺たちにヒールの魔法をかけさせた。
「『ああ、うむ。いい、とてもいい。よかろう、モラーリン、貴様は自分自身を示した。剣を取り、行くがいい』
「モラーリンは彼を見た。『これは何かの試練だったということか?』彼は言った。『この歯痛はどのくらい前からあったんだ?』
「『実に長い。貴様たちの時間の尺度は、人間よ、ドラゴンの種族にはあまり長くはない。それなら、我の話を聞いて行け。ボロボロの若いメイジが、我の黄金を盗もうとやってきた。我はそやつを捕まえ、激しい口論になった。そして、やつは我に魔法を唱えようとした。やつの哀れな呪文は我にはほとんど功を奏さず、我は彼を殺した。だが、うむむ…』ドラゴンはごく短い間顔をそむけて、それから話を再開した。『そのちびは明らかに彼自身に自作の呪いをかけていた。そして、我が彼を噛み砕いた時…』思い出しながら、ドラゴンは激しいしかめっ面をした。そして続けた。『とにかく、その痛みは何者かが剣を手に入れるためにやってきた時だけ酷くなった。我が侵入者を食えばもっとも鋭い痛みは消えるが…通常そんなことはしないのだ。自衛のために時々歌いはするがね。ふん、ちょっと火を漂わせるだけで、大抵のものは逃げ出してしまう。鹿はたくさんいる。話をしたことがある何者かを食うのは、あー、ええと、どこか気分の悪いものがあるのだ。あの脂っこいメイジのせいで数日間消化不良になった。痙攣はする、下痢にはなる、さらに大量のガスだ、ドラゴン���してはな。そんなわけで、歯痛は完全にはなくならなかった。しかも、ここに来る人間は、皆愉快ではなかった…我の生涯で最も不愉快な時を過ごしてきた。無論、この剣からも長い間離れられなくなった。呪いの一部だ。』
「『我々はしばらくここに留まることができる、お前さえよければ。我々はいい話し相手になるよ。私はモラーリン、赤毛の友人がミス、この大きいのがマッツだ。私はまだ下でミスリルを探したいし、ドラゴンの友人を持ったことがないんだ』
「『それも良いかもしれん。お前はいい友人を持っている。彼らの代わりに考えてやらねばならんとお前は言ったが、この者たちは自分で考えることができると我は考えるし、おまえが価値ある仲間であると判断したように見える』ドラゴンは一瞬ためらって、ほんとに照れてるように見せたんだ!『アカトシュと呼んでよい』
「それで、俺たちは2週間ほどそこに留まった。ドラゴンと一緒に狩りをして―大した経験だぜ!鉱山を探して…下ではあんまり見つからなかったけどな。だが、ドラゴンが宝物庫から宝石をくれた。金属しかいらないんだそうだ。その上に横たわるとうろこの中に吸収するんだと。最終的には、素晴らしくうまく行ったってわけさ。モラーリンはマッツに剣をやろうとした。もし自分たちが戻ってこなかったら、間違いなくドラゴンを殺そうとしただろうし、こんがり焼かれてたからって言ってな。だけど、マッツは受け取らなかった。ドラゴンがモラーリンにやったんだから誰が持ち主かははっきり��てるって。マッツは歯をもらって、今お前が持ってる柄を作って、モラーリンに贈った。これまで贈る価値のあるものを持ったことがなかったから、とても気分がいいって言ってたよ。モラーリンがそれをお前にやることにしたと聞いて、あいつは本当に喜んでた」
「マッツが剣をもらうべきだったと思うな」エドワードが言いました。「彼は何かを盗もうとしなかったもの。それで何かいいことがあるなんて考えもしないのに戻ったのは、本当に勇敢だよ。モラーリンは盗もうとして見つかって捕まって、話術で逃げ出そうとした。彼のせいでみんな殺されたかもしれないんだ」
「モラーリンがまったく同じことを言ってたよ。ああ、それに、マッツはとにかく剣よりうまく扱えるでっかい斧が好きなんだ。」
エドワードはため息をつきました。「僕もマッツみたいに勇敢になれたらな。僕は君に似てると思う」
「そうだな」モラーリンの声が後ろから聞こえ、少年をびくっとさせました。「ミスみたいに口が減らないね。それでも構わんよ、お前がミスと同じぐらい勇敢ならとても嬉しいだろうからね。私がいなくなると『彼は必要なことをした』以上のことを言わないでいてくれれば、私の精神は穏やかでいられるのだが」
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