#筆を使わない墨絵師
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✨現在ギャラリー結様は常設展示作品されているSHU墨絵作品を紹介✨ ( @gallery.yui.tochigi ) 個展『零之楼〜ゼロのやぐら〜』で大好評につき、少しでもSHU墨絵を身近に感じて頂きたい想いから、常設展示作品を増設しました✨ 【ページ1】 富嶽三十六景 現代墨絵版 【ページ2】 龍光 老舗人形店 人形のわたや×墨絵師荒川颼コラボ提灯 【ページ3】 A knight's tale 【ページ4】 来る4/28(金)国指定重要文化財 大阪市中央公会堂にて クラシック音楽×墨絵のコラボコンサート 『冥加』を開催‼️ 音楽・墨絵史上としても初 アートは一つに楽しんだっていい 見て、聞いて、感じる (*)席に限りがございますので、 お早めにご予約下さい🙇♂️ DMにてご予約受付致します✨ 最高の思い出をこのイベントにて❗️ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 💫筆を使わない墨絵アーティスト💫 荒川颼 / SHU Arakawa 【颼墨絵作品 常設展示場所】 栃木県栃木市河合町4-16 tel: 050-5359-7563 Eat Me Sandwich 2F ギャラリー結 ✨✨✨✨✨✨✨✨ 筆を使わない墨絵アーティスト 荒川颼/SHU Arakawa www.shusumie.com Googleで『墨絵』または『ハンド墨絵』でトップ表示 #津波墨絵 #葛飾北斎 #富嶽三十六景 #大阪市中央公会堂 #音楽墨絵コラボライブ #筆を使わない墨絵師 #墨絵師 #墨絵 #sumie #ハンドドローイング #handdrawing #日本を代表する墨絵師 #墨絵アーティスト #書道好きな人と繋がりたい #画家さんと繋がりたい #飛墨 #hisumi #唯一無二の墨絵師 #唯一無二の墨絵アーティスト #しゅう墨絵 #shusumie #生きる墨絵 #UNESCO #世界遺産 #ライブパフォーマンス #墨ノ祭 #ギャラリー結 #栃木 #tochigi (大阪中央公会堂) https://www.instagram.com/p/CnSp3scygqw/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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「美しい春画」展
細見美術館で「美しい春画 北斎・歌麿、交歓の競艶」の後期展示を見る。肉筆および木版の、出来の良い春画を一覧できる展覧会である。特に肉筆春画に焦点が当てられており、版画とは異なる匂い立つような色遣いが印象に残った。
肉筆春画と版画版本の春画との大きな違いのひとつとして、版画版本は出版物なのでお上の規制、禁制に触れるが、肉筆画ならば注文を受けて描く一点ものなので禁に触れずに済み、堂々と落款も入れられる点が挙げられるという。絵師は禁制をかいくぐる手段をいろいろ持っていたようである。
展示品のなかには肉筆春画の掛軸もいくつかある。春画はプライベートで楽しむものと一般的には見なされてきたが、掛軸はその性格からしてひっそり見るものではない。どのようなシチュエーションで鑑賞されたのかはわかっていないようだが、たとえば仲間内の集まりで床の間に掛けて賞翫したのかも、きちんと表装して掛けたほうが手で持って回し見するより絵が傷まなそうだし……などと想像した。
最初の展示室には、個人的にこれまで見たことがなかった上方春画が展示されていた。大坂で活躍した月岡雪鼎、雪斎親子が有名どころ。特に父の雪鼎の春画は火伏せ(火災予防)のお守りになるという伝説になったそう。
歌麿、北斎、栄之、清長などの逸品ももちろん素晴らしいが、絵師不詳の作品のなかにもおもしろいものがある。「夢想の歳時記」と題された袖珍の絵巻物(着物の袖に仕舞えるぐらいの小さいサイズのもの)には、月ごとの行事や季節感にちなんだ事柄やアイテムが春画仕立てで描かれており、たとえば3月なら雛人形のペアが行為に及んでいるなど、アイディアがたいへん楽しいし、簡略な筆致の小さな絵もかわいらしく魅力的だった。
最後の展示室は北斎の「肉筆浪千鳥」のために使われていた。錦絵「富久寿楚宇」や墨摺手彩色の���浪千鳥」と見比べながら鑑賞できる構成で、北斎の筆の冴えを堪能できる。
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そよ風も秋めいてきて、一時期より暑さも少し和らいできているように感じます。皆さま、お元気でお過ごしでしょうか。秋バラも次々に咲き始めていますが、春に比べると花びらの数も少なく、色も淡いです。それでも美しいことには変わりありませんし、むしろ酷暑を耐え忍んできた逞しい生命の輝きを感じます。
先日、久しぶりの推し活で「創建1200年 記念特別展『神護寺―空海と真言密教のはじまり』」を見に行って参りました。(会期は9月8日まで。推し活グッズみたいな団扇も配布していました)閉館後の18時から開場されるナイトミュージアム・イベントの一環として敷地内で東博縁日も同時開催され、日本各地の祭りを再現したパフォーマンスや縁日屋台、オリジナルの根付や風鈴などが作れる江戸文化体験ができるブースなどが並んでいました。
神護寺は、空海が高野山や東寺を開く前に留まった高雄山寺と和気氏の私寺であった神願寺が合併してできた由緒あるお寺で、創建1200年を迎えるそうです。今年は空海の生誕1250年となる節目の年でもあり、今年4月に奈良で開催された『空海 KŪKAI―密教のルーツとマンダラ世界』展に行けなかった分、楽しみにしていました。
見どころの一つは空海自身が制作を指導し、直接筆を執ったとされる約230年ぶりの修理によって蘇ったばかりの「高雄曼荼羅」です。紫根という高価で希少な染料が使われた紫色の綾地に、金銀泥という顔料で仏の姿を精密に描いた崇高な作品です。会期半ばで両界曼荼羅が入れ替わるので、金剛界曼荼羅が展示されるのを待って見に行きました。閉館後の期間限定イベントで雨も降っていたせいか来場者がとても少なく、静かな展示室の一角に掛けられた現存最古の巨大な曼荼羅の前にいると神々の姿や幾何学模様から光がほとばしり、会場全体を満たしているように感じました。さらに椅子に座って暫く眺めていると、曼荼羅の神々がまるでホログラムのように立体的に浮かび上がりながら自由自在にダンスをしているように見えてきます。
空海は「密教は奥深く、文筆で表現するのが難しい。そこで理解できない者に図や絵を使って悟りの道を開き示すのだ」と語りました。グラフィックデザイナーなら曼荼羅を『宇宙のデザイン』と解釈するでしょうし、建築家なら『宇宙の設計図』、数学者なら『宇宙の方程式』、科学者なら『宇宙のマトリックス』、ビジネスマンなら『宇宙のチャート』と解釈するかもしれません。ちなみにマトリックスの語源はラテン語の「子宮」ですので、胎蔵界そのものですね。
曼荼羅の解釈には色々ありますが、自分自身という小宇宙と大日如来という大宇宙が一体である世界観を示していると言えるでしょう。自分自身が見たり感じたり気づいたりするものがすべてであり、それ以外は存在しないことを知り、常識、固定概念、先入観、周りの状況や意見などに左右されず、今、この時にフォーカスを当て、自分がコントロールできることだけに専念しながら生きてゆくのが悟りへの道だと曼荼羅は教えているのかもしれません。
ですから、展示作品についても最初は情報や解説なしで見て、伝わったまま、受け取ったままを感じてみるのがいいのでしょう。
この展覧会では、神護寺の本尊「薬師如来立像」が安置されている厨子を出て寺を離れ、初めて出品されたのも見どころとなっています。空海はこのお姿を当時どんな思いを込めて崇めていたのでしょうか、なぜ両部曼荼羅に記されていない薬師如来を本尊に迎え��のでしょうか、そしてどんなコミュニケーションをしたのでしょうか。厳しい表情を浮かべた凛々しいお姿を拝みながら、真言密教が生まれたばかりの平安時代に思いを馳せました。会期半ばで背後に設置していた白い幕を取り外したそうで、普段は見られない背中の美しさもじっくりと鑑賞してきました。
また、「高尾曼荼羅図像」の展示も興味深かったです。曼荼羅から白描といわれる墨一色の筆線で各尊像を写し取った実物大パターン図案で、曼荼羅の内部を詳細に見ることができます。細くて迷いのない線を見ていると、仏の姿を一発で正確に描くための集中力、そして写経や読経のように同じことを繰り返しながら悟りを目指そうとする志が伝わってきます。
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秋学期クラスへのお申し込みを受付中です。クラスの詳細とラインナップはサイトとショップからご覧いただけます。(アイイスのサイトでも告知されています)
秋学期は今年1年間のアウェアネス、霊性開花の総まとめです。私も講師として参加してはいますが、クラスの中で皆さまの目標、夢や憧れを共有させてもらいながら、更なる気づきや学びと癒しのエネルギーを受け取っていきたいと思います。3ヶ月間、一緒に今年1年を振り返りながら更なる光の道を進み、来年��繋げてゆきましょう!
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アウェアネス・ベーシック前期 Zoomクラス
土曜日:19:00~21:00 (後期も土曜日・同じ時間に開催) 日程:9/7、9/21、10/5、10/19、11/2
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アウェアネス・ベーシック後期 Zoomクラス
火曜日:10:00~12:00 日程:9/3、9/17、10/1、10/15、10/29
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アウェアネス・ベーシック通信クラス
開催日程:全6回 お申し込み締め切り:9/15
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アウェアネス・オールレベルZoomクラス
火曜日:19:00~21:00 日程:9/10、9/24、10/8、10/22、11/5
木曜日:10:00〜12:00 日程:9/5、9/19、10/3、10/17、10/31
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アウェアネス・マスターZoom クラス
火曜日:19:00〜21:00 日程:9/3、9/17、10/1、10/15、10/29
金曜日:19:00〜21:00 日程:9/13、9/27、10/11、10/25、11/8
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サイキックアートZoomクラス
日曜日:17:00~19:00 日程:9/8、9/22、10/6、10/20、11/3 水曜日:16:00~18:00 日程:9/11、9/25、10/9、10/23、11/6
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インナージャーニー 〜瞑想と内観〜 Zoomクラス
月曜日:16:00~17:00 日程:9/16、9/30、10/14、10/28、11/11
土曜日:10:00~11:00 日程:9/7、9/21、10/5、10/19、11/2
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マントラ入門 Zoomクラス
土曜日:13:00~15:00 日程:9/14、9/28、10/12、10/26、11/9
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トランスZoomクラス
水曜日:10:00~12:00 日程:9/11、9/25、10/9、10/23、11/6
土曜日:19:00~21:00 日程:9/14、9/28、10/12、10/26、11/9
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サンスクリット・般若心経 Zoomクラス
月曜日:13:00~15:00 日程:9/16、9/30、10/14、10/28、11/11
水曜日:19:00~21:00 日程:9/11、9/25、10/9、10/23、11/6
クラスの詳細はサイトのこちらのページをご覧ください。
継続受講の方は直接ショップからお申し込みください。
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サンデー・サービス(日曜 12:30〜14:00)詳細はこちらから。
9月29日 担当ミディアム:惠子・森
11月17日 担当ミディアム:松山:森
ご参加は無料ですが、一口500円からの寄付金をお願いしています。
当日は以下のリンクよりご参加ください。
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ドロップイン・ナイト
10月17日(木)19:00〜20:00 会員限定・参加費2,500円
指導霊(スピリット・ガイド)のサイキックアート
詳細とお申し込みはこちらからどうぞ。
過去の開催の様子はこちらからご覧ください。
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モーニングワーシップ&コミュニオン(目覚めと祈りと瞑想)
10/27(日)9:00〜10:30 担当ミディアム:開堂・森
ご参加は無料ですが、一口500円からの寄付金をお願いしています。
当日は以下のリンクよりご参加ください。
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O3
3月17日。その2。 これでも本当に取り組まないといけないことがある時、割と回り道をせず、後回しにせずすぐ取り掛かることができるようにはなってきていると思う。何かそういった気掛かりなことを先延ばしにしていると逆にイライラしたり、不安が募ったりして、精神衛生上��くなかったりもするのだ。 今日も今日とて、一番すべきことにも切り込んだし、また外堀にあることをパタパタと埋めたりもして過ごすことができたな。 音楽に何時間か時間を割いて、取り組むことができた。行き詰まっていると書いたBPM140の曲は結局どうにもできず、ファイルごと捨てることにした。後悔はない。 Chris Brownの"Call Me Everyday"のビートをお借りした新曲は一応ボーカルのメロディを弾くところまではきた。中々の進展である。少し曲が冗長になってしまった気がしたので、8小節分カットして、大体3分20秒で終わるぐらいの曲にした。今回はベースで結構遊んでしまって、ボーカルを録音してからどれぐらい聴くに足る曲にできるか知らん。できるだけのことはしよう。かなりダウン系のファンクになっていると思う。 明日、SDGsの発表をすることになっている。会社や団体の取り組みを紹介するという課題があり、自分も何かパワーポイントでスライドを作って話をすることにした。で、自分は個人的にSDGsに対してどう理解していて、どんな取り組みをしてきたか、しているか、これからしたいかに振り切った内容にした。今受け持っているクラスはとても優秀なのだが、自分ごとにだと捉えて取り組むという部分が足りていないと思ったので、自分軸にしても発表はできるんだよということをお見せしておくのも一考かと思ったのだ。 SDGsを意識するきっかけとして、カナダのTのことを話すことにした。全く仕方がないことなのだけどね、もう話したところで。 だが、カナダのTとの関係があったからこそ、世界の中の自分という捉え方をできるようになったことは確かだし、本当に学びの多い関係だったことに関しては感謝しているのだ。嘘偽りなく、虚勢を張っているでもなく、それは本当にそう思っている。 SDGsという観点から考えて、どういう点に気づきがあったかを3点にまとめた。
①白人至上主義の現状/Charity Love ②学習障害者の生 ③キリスト教→ユダヤ教
本当はゲイであることを入れてもいい気はしたのだけど、ゲイであることはお互いの前提部分だなと思ったので、除外した。お互いにゲイであることからの学びはなかったという点で。 実は、台本というか、原稿やそれに沿って話すための台本のようなものは作っていない。書いた方がいいのかなとは思ったのだけど、要点がまとまっていれば、あとは話して伝えられたらいいのだと思い、一旦忘れて、パワポで表示されたことについてその場で言葉を紡ぐ自分の歴5年の教師としての経験にかけることにした。うまくいくといいのだが。 押す日は楽しく取り組むことができたと思う。 少し苛まれの時間もあるにはあった。というのは、両親ともに、なぜか私に物を買おうとするのだ。頼んでもいないもので、かつ、・・・必要がなく、逆に荷物になるので後で私が処理に困る気がするようなものを。形のないAmazonギフトカードの方が助かるのだ。Kindleで本も買えるし、必要なら物を買うこともできるし。 昨日、土曜日にScai The Bathhouseに行った。アピチャッポン・ウィーラセタクンの新作で構成された個展を見に行ったのだ。とても良かった。絵コンテは自分で描くという彼の筆致によるドローイングを初めて見た。水墨画と万年筆のインクの顔料を使って描いた物だと聞いている。また、15分ほどの映像作品は音楽的で、ヘッドホンをつけると、アングラのクラブで聴こえてきそうな割れんばかりの重低音が響く音楽が聴こえてきて、一抹のホラー風味もある映像とよくマッチしていた。 映像作品が展示されている暗室から出ると程なくしてアピチャッポン・ウィーラセタクン本人がやってきた。実は何度か実物を見たことがある彼なのだが、なんというか、・・・変わったのは自分なのか彼なのか。アピチャッポン監督が纏っているオーラは過去に見ないほど美しく大きなものだった。酸素の濃いやつ・・・つまり自分で修復できる作用のあるオゾン(O3)のような。濃度の濃い酸素のオーラと、熱帯雨林のような樹木のオーラに、皇族のような金色のオーラが発散されていた。また、彼の声や語り口には今までにない落ち着きと甘いイントネーションが混ざり合い、とても艶っぽかった。直視するのが憚られるほど、彼は美しかった。 アピチャッポン監督は次もイギリスの女優ティルダ・ウィンストンを起用し、スリランカで新作長編の撮影を始めるとのことだった。A Box of Timeと題された映像を54分割ぐらいにしてボックスに収納した可愛いトレカのような展示物があり、それを手袋付きで開けていいと言ってくれて、開けさせてもらい、中のティルダ・ウィンストンの半分ロケハン、半分オフショットの写真を堪能してきた。 なんというか、生きていこうと思った。 生きていけると思ったという方が正確なのかな。アピチャッポン監督が生きている世界は美しいと思った。 寝よう。 明日からも生き延びるので、どうか見守っていて欲しい。 これを読んでくれた人も、どうか平穏無事な1週間を過ごしてもらいたい。
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各地句会報
花鳥誌 令和6年3月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年12月2日 零の会 坊城俊樹選 特選句
氷川丸の円窓いくつ北塞ぐ 昌文 十字架のかたちに燃る蔦紅葉 美紀 倫敦を遠く大使の冬薔薇 佑天 望郷の眠りの中に木の実降る きみよ 女学院に尖塔のかげ冬紅葉 久 冬木立の向かうをつくりものの海 緋路 昏き灯のランプシェードとポインセチア 和子 十字架を解かざる蔦の冬紅葉 光子 凍空や十字架赤き鉄であり 和子 誰も振り返らぬ早過ぎた聖樹 佑天
岡田順子選 特選句
みなと町古物を売りに行く師走 荘吉 窓は冷たく望郷のピアノの音 俊樹 氷川丸の円窓いつく北塞ぐ 昌文 冬館キラキラ星のもれ聞こゆ 美紀 冬日和トーストに染むバタと蜜 季凜 ガンダムを磔にする師走かな 緋路 革命は起こすものかも冬薔薇 緋路 誰も振り返らぬ早過ぎた聖樹 佑天 胼の手の婆キューピーを路地に売る 俊樹 古硝子歪めし冬の空はあを 久
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月2日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
神鏡の底まで蒼く冬の月 かおり 右手上げ思索のポーズ漱石忌 修二 綿虫のうすき影負ふ百度石 かおり 戯れにペアのセーターそれは無理 美穂 冬帝の裾に鉄橋灯されて かおり 赴任地は裏鬼門なり漱石忌 美穂 後戻りできぬ吊橋冬枯るる 愛 大枯野則天去私のここに居る 美穂 綿虫のことづてありと君に来る 愛 牝狐の頭に木の葉町娘 成子 憑き物を落とす霰に打たれをり 愛 落葉踏む音を楽しむ童かな 修二
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月3日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
亡き父よもう雪囲ひ始めしか 喜代子 百二才冬空へ帰られし 同 眠る山内で動めく獣達 都 年忘れ新入り下戸でじよう舌なり 同 門松の早や立ち初め禅の寺 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月7日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
冬菊を挿して祈りの夙夜かな 宇太郎 布教師の顎鬚白し報恩講 すみ子 投薬のまた一つ増え落葉蹴る 悦子 入隅に猫の目青し冬館 宇太郎 三途から戻りし者の年忘 同 闇一枚まとひてよりの浮寝鳥 都 露座仏の思惟��指さす空は冬 美智子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月9日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
冬の朝遠くに今日の始む音 恭子 空青く舞ふ白鳥の透きとほり 幸子 塀の猫すとんと消えて師走かな 三無 冬の雲切れて見下ろす日本海 白陶 枯菊のかをり残して括られる 多美女 路地裏に声の弾みし焼芋屋 美枝子 カリオンの音の明るさや十二月 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月11日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
寄せ鍋を囲みし人のまた逝きて 秋尚 まろまろと伊豆の山やま冬景色 怜 乾きたる足音空へ冬山路 三無 子離れの小さき寄鍋溢れをり のりこ 床の間に父の碁盤や白障子 三無 ご奉仕の障子新し寺の庭 和魚 信楽のたぬきと見合ふ障子越し 貴薫 煌めきをところどころに冬の山 聰
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月11日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
茶の花やエプロンで無く割烹着 昭子 風花にして降るとも降らぬとも 世詩明 ポインセチア抱けば幸せさうに見ゆ 昭子 武生花鳥必死に守る年の暮 みす枝 彩りも音も無く山眠りけり 英美子 雪まろげ仕上げは母の手の加へ 時江 糶終へて皮ジャンパーの急ぎ足 昭子 着膨れて女は手より立ち上がる 世詩明 古暦パリの街角にて終はる 昭子 街師走吹かるる如く人行き来 みす枝
令和5年12月12日 萩花鳥会
冬の月句友ともども偲ばれて 祐子 五羽が風邪萬羽が処分魔の鶏舎 健雄 冬の空めげず生きると決心す ゆかり 一年の抱負も薄れ年の暮 吉之 首かけし手袋母の匂して 美惠子
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令和5年12月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
この先は冬雲傾��込む山路 あけみ 白菜を抱きかかへつつ持つ女 令子 こんなにも長年参じ近松忌 同 オリオンの名残惜しみて冬の朝 あけみ 晩秋や娘の云ふを聞き入れる 令子 さきたま花鳥句会(十二月十五日) 初霜や狭山の畑を曳く煙 月惑 頑なに一花残して冬薔薇 八草 終焉の一ト日のたぎり冬紅葉 紀花 枝折り戸の軋む庵や枇杷の花 孝江 今年酒老舗の店や菰飾 ふゆ子 くちやくちやの枯葉纏ひて大欅 ふじ穂 廃校を渋柿たわわ守りをり 康子 三年間無事に埋めよと日記買ふ 恵美子 何をするわけでも無しに師走かな みのり 落葉積む赤き帽子の六地�� 彩香 嫁ぎ来て冬至南瓜を五十年 良江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
口重き男に隣り近松忌 雪 九頭竜の黙が寒さを増すばかり かづを 散る紅葉散りゆく黄葉なる古刹 同 枯菊や香りと共に燃え上がる 英美子 手焙に触れれば遠き父の事 同 賀状かく龍天空へ飛躍せり 玲子 父母の眠る故郷恵方道 やす香 山眠るひもじき獣抱き抱へ みす枝 鼻水をすすれば妻もすすりけり 世詩明 熟し柿つつく鴉は夫婦らし 同 人にやや離れて生きて帰り花 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月17日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
黒門の枡形山に裘 幸風 冬蝶を労はるやうに母の塔 同 眠る山起こさぬやうに歩き出す 白陶 隠れんぼ使ひ切れざる紅葉山 経彦 冬帝と対峙の富士や猛々し 三無 笹鳴や少し傾く城主墓 芙佐子 山門へ黄落の磴細く掃く 斉 黄落の野仏は皆西へ向き 炳子
栗林圭魚選 特選句
蒼天に山脈低く雪の富士 芙佐子 空を抱くメタセコイアの冬支度 三無 SLに群がる揃ひの冬帽子 経彦 かなしことうすれゆきたり冬霞 幸子 笹鳴の過ぐ内室の小さき墓 慶月 法鼓聴く銀杏落葉の女坂 亜栄子 古寺の法鼓の渡る師走かな 久子 冬帝や明るき供花を陽子墓碑 文英 笹鳴や少し傾く城主墓 芙佐子 枯芝の広場の狭鬼ごつこ 経彦
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月19日 福井花鳥会
赤き玉転がしながら毛糸編む 啓子 住み古りて遺木の数多なる落葉 清女 着膨れてストレス無しと云ふは嘘 同 雲たれて空塞ぎをり十二月 笑子 ささやきを交はす綿虫寄り来たり 同 神殿に大絵馬掲げ年用意 同 毒舌も競り合ふ友や年忘 泰俊 それぞれの色を尽して末枯るる 雪 小説を地で生く男近松忌 同 墨をもて仏描きし古扇 同
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令和5年12月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
母と娘の悲喜こもごもや古暦 雪 大いなる一つの鳥居や神の留守 同 近松忌日有り気の一文箱 同 筆に生れ筆に死す恋近松忌 同 初雪や瓦は白く波打てり みす枝 初雪や誰彼となく首縮め 同 さんざめく市井を抜けて見る聖樹 一涓 神々の眠れる山や風の音 ただし 捨て猫のすがる眼や雪催 清女
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月24日 月例会 全選句を掲載いたします。◎が特選句です。 当日の席題は「青」でした。
坊城俊樹選 特選句
二百万余の英霊よ竜の玉 昌文 暦売る神となりし日遠くして 慶月 極月や足踏みかすか男衛士 音呼 ◎聖マリア棘やはらかき冬薔薇 和子 楽団の喧騒を待つポインセチア 順子 幔幕のうちは見せざり年用意 千種 聖夜待つランプの中の空青し 和子 悴んで十字架を小学生仰ぐ 順子 ◎十字架に鳩の休息クリスマス 要 朱き鯉悴みもせず行者めき 軽象 一枚の青空に垂れ冬薔薇 和子 著ぶくれのままカフェオレを飲むつもり 光子 著ぶくれの犬にユニオンジャックかな 佑天 冬帝のふくらませゆく日章旗 和子 ◎冬深む宿痾なる瘤持つ鯉へ 光子 ◎身じろがぬ寒鯉威してはならぬ 慶月 寒禽の寄り添うてゐる像の肩 政江 ◎擬態して聖夜の街に紛るるか 炳子 旧華族らしき猫背を外套に 順子 二の鳥居辺り冬帝在し険し 慶月 寒鯉の鐚一文も動かざる 千種 凍雲に閂かけよ大鳥居 月惑 ◎大鳥居いくつも潜りクリスマス はるか ◎きらめける虚構を踏みぬ霜柱 妙子 オルガンを踏み込むクリスマスの朝 光子 ◎くちびるの端で笑つて懐手 和子 数へ日の水あをいろに神の池 要 外套のポケットに怒りを握る 和子 冬ざれの鯉の影なき池の底 炳子 上野は勝つてゐるか像の極月 慶月 歳晩や動きさうなるさざれ石 眞理子 聖樹の灯巻き込んでゆくボロネーゼ はるか 冬眠の蛇を諾ふ斎庭なる 光子
岡田順子選 特選句
◎神の鳥冷たき影を像に置く はるか ◎極月や足踏みかすか男衛士 音呼 初対面黄色のマフラーして彼女 政江 花柊零るる坂の神父館 要 未知の先あるかのごとく日記買ふ 妙子 聖マリアと棘やはらかき冬薔薇 和子 ◎枯蓮のいのちの水に眠る朝 佑天 裳裾冷たき暁星のマリア像 俊樹 なかなかに僧には会へぬ師走かな 眞理子 十字架に鳩の休息クリスマス 要 鷗外の全集売れぬ隙間風 俊樹 窓越しに著ぶくれの手が師を招く はるか 朱き鯉悴みもせず行者めき 軽象 一枚の青空に垂れ冬薔薇 和子 著ぶくれの犬にユニオンジャックかな 佑天 霜晴や空ラのリヤカー巡回す 千種 ◎英霊の言の葉の外年詰まる 軽象 寒禽の寄り添うてゐる像の肩 政江 年逝くや素木の鳥居乾くまま 要 擬態して聖夜の街に紛るるか 炳子 数へ日の嵌つてしまふ小津映画 炳子 大鳥居いくつも潜りクリスマス はるか きらめける虚構を踏みぬ霜柱 妙子 オルガンを踏み込むクリスマスの朝 光子 ◎くちびるの端で笑つて懐手 和子 ◎手つかずの落葉を散らす神の鳥 はるか 数へ日の水あをいろに神の池 要 ◎外套のポケットに怒りを握る 和子 サグラダファミリアみたいな銀杏枯れ 俊樹 風冷た悲しくなけれども涙 政江 二百万余の英霊よ竜の玉 昌文 ◎微動だにせぬ零戦と年忘れ 俊樹
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10月某日
泉屋博古館「企画展 楽しい隠遁生活 ―文人たちのマインドフルネス」に行く。(行った)
今回図録がないので、振り返りが困難なところもあり、散漫なまま残しておく。(1400字くらい?)
唐寅「秋声図巻」 自題に呉門唐寅と記してあったので、これがスタンダードなのか台北故宮博のアーカイブから閲覧可能な画像を全部見たけれど、同様の署名は3作のみだった。(と思う) 通常は呉郡、晉昌、吳趨、何もつけない、など。
この検索時、題跋に沈周、祝允明、文徴明が揃い踏みしているものがあって、唐寅の印記に「南京解元」が使われていて、文徴明は「文璧」とあり、さらに都穆もいるので、科挙事件で絶交する直前の作品なのかなあと思ったのだった。
そういえば徐禎卿の論文を読んでいた時に、この都穆(とぼく?)が徐禎卿の友人に連れられて訪ねてきた、という一節があって、徐もことの次第を知っていただろうから、これやった李夢陽は結構難しいことしてんなとか思ったのだった。
都穆は引退後、帰郷してからもずっと地元では敬遠されていたようで、亡くなった時には地元で墓誌銘を引き受ける人がおらず、結局県外に依頼するしかなかったとかあった。 没年を見ると唐寅の亡くなった翌年なので、タイミングが悪かったというのももしかしたらあるかもしれない。 唐寅たちが若い頃は祝允明と共にかなり仲良くしていたようなので、余計に許せなかった��かなあというのと、地元民からしたらなんてみっともないことをというのがあったのかもしれない。実際のところは知りようもないけど。
そのほか 文房四宝 玉堂=秋海棠 翰林院の異称でもあるとか。 個人的に玉堂というと真っ先に浦上玉堂(江戸期の文人画)が浮かぶのだけど、人によっては川合玉堂(明治の日本画家)の方かもしれない。 近い時代に玉堂が二人いるの、ちょっとややこしくないかとは前から思ってた。(余計なお世話)
田能村竹田 江戸期の文人画家で多分一番好きなんだけど、今回は煎茶文化に絡めての出演?だった。 頼山陽などの名前もあったから、そのまま茶器製作者だった青木木米や上田秋成なども引っ張り出されるのかと思ったけど、そういうことはなかった。
ところで多分ここでだと思うけど、仙厓さん(仙厓義梵)は竹田から諭されて絵筆を断ったとかいう逸話を知って、「ちくでんお前だったのか…せんがいさんが筆を折るきっかけを作ったのは…」とか令和のごんぎつねみたいになったけど、結局仙厓さんはその後も絵を描いてたらしいと知ってちょっと笑った。 別に仙厓さんのファンではないので個人的には(どっちでも)いいっちゃいいんだけど。
橋本雅邦「許由図」 ぱっと見た時、東博の李白(梁楷「李白吟行図」)を思い出したけど、後で検索したら全然違ったわ。向きからして違う。
岸田劉生「塘芽帖(とうがじょう)」 絶筆。 東博や竹橋近美の麗子像、同じく竹橋近美の「道路と土手と塀」とかの印象が強くて、ちょっとこの草庵の絵は意外だった。 岸田劉生については現在東京ステーションギャラリーでの展覧会(「春陽会誕生100年 それぞれの闘い 岸田劉生、中川一政から岡鹿之助へ」)でも東洋美術に対する視線の手がかりがあった。
程君房(ていくんぼう)および方于魯(ほううろ) 明代の著名な墨匠。方于魯は程君房の弟子。 彼らの制作物や書籍が展示されてる一方、方于魯が師匠の程君房の愛妾を略奪したなどとかくゴシップ方面の情報が強調されてて「どうして…」という気分に。
出品リスト見てると細々思い出してくることもあるけど、とりあえずこれくらいでいいかな。
次回は「特別企画展 日本画の棲み家」ですな。
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「推し」を筆で書こう!
3月27日、三崎坂上にある圓心書道教室の平井圓(澄圓)さんに講師をお願いして、書道プログラムを行いました。
学校や普段の書道教室ではできないような、自由な作品を作ろう、ということで、「推し」つまり自分の好きなもの(人)を毛筆で書いて、カレンダーやポスターの作品を作ることにしました。先生は「パンダ」で見本を作ってくださいました🎵
そして、先生の書道教室に通う6年生の子たちが、プログラムの準備や片付けを率先して手伝ってくれました。黒板の「推し」の文字も、墨の準備をする中でササっと書いて、黒板に貼ってくれていました✨
毛筆は初めての子もいて、最初に筆について教えていただきました。馬や鹿、イタチの毛の他、クジャクの羽根、竹を細く割いたものもあるそうです。
それから、筆の使い方を習いました。太く、細く、角や円、かすれた線など様々な表現ができることを目の前で見せていただきました。
いよいよ、自分で自由に書いてみます!書きたい文字を書く子もいれば、筆でくるくる書き心地を楽しむ子もいます。絵を描いてもいいんです🎵
たくさんかいてみて、作品に使いたいものができた人から、切り抜いて画用紙に貼り、デコレーションします。4月のカレンダーは、先生が筆で書いて準備して��ださいました。自分でかいたものに、カレンダーも合わせてレイアウトを考えています…。
作品ができた後も、先生に漢字の書き方を教わりながら、筆で文字を書くことを楽しむ姿も見られました。時間いっぱい、書き続けていました☆彡
こうして、それぞれの作品が仕上がりました。ペットの写真や歴史上の人物の絵を貼ったり、好きな絵を自分で描いたり、好きな食べ物をメニュー風に書いたり…と、楽しい作品が完成しました。
お陰様で、筆に自由に親しむ貴重な時間��なりました。平井先生、ありがとうございました!!
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■東京国立博物館 創立150年記念 特別展 『国宝 東京国立博物館のすべて』
第一部 東��国立博物館の国宝
長谷川等伯《松林図屏風》 日本の水墨画の最高傑作と言われる国宝がいきなり出迎える。 高精細コピーではなく本物は初めて。 近くで見ると荒々しい筆致に驚く。 大陸から渡ってきた��水図に日本の美意識が融合した作品。
狩野長信《花下遊楽図屏風》 華やかな花見の様子を描いた美しい屏風絵。 右双の一部が焼失しているのが残念。 左双には酒宴の様子を軒の上から眺めている人たちもいるが、 建物に立体感がないのが面白い。
平安時代《孔雀明王像》 3年前の『原三渓の美術』展では展示替えで観る事が叶わなかったが、 本物を目の前にして息が止まった。 優美な曲線で描かれた孔雀明王。絢爛豪華な截金細工。 極彩色なのに洗練された色調。そして隙のない見事な構図。 三渓はこの仏画を井上馨から当時一万円という破格の値で 購入したという逸話があるが、然もありなん。 数ある国宝の中でも一番好みだったので絵葉書を購入。
埴輪《挂甲の武人》 これがあの大魔神やはに丸のモデルか。 実物は均整の取れたプロポーションで顔も穏やか。
今回の目玉でもある刀剣の部屋は壮観な眺め。 ギラギラ光る抜き身がたくさん飾られている。 しかしながら自分は物騒な感じがしてあまり好みではないので 足早に鑑賞。刀剣キャラも理解不能。
第二部 東京国立博物館の150年
後半はトーハク150年を振り返る展示でこれもまた良かった。 その歴史は1872年に開催された湯島聖堂博覧会から始まる。 当時の錦絵には名古屋城の金鯱を始め、 国内外の珍品が所狭しと陳列されている様子が描かれていた。 翌年のウィーン万博参加への準備を兼ねた展示でもあったわけだが、 相当の観客が押し寄せたそうである。 この成功により1877年に上野寛永寺本坊跡地で 第1回内国勧業博覧会が開催され、1881年には第2回が開かれる。 それに合わせて同地にジョサイア・コンドル設計の展示館が完成し、 翌年から当博物館の本館として使用される事となった。
第1章『博物館の誕生』では 河鍋暁斎の《東京名所之内明治十年上野公園地内国勧業博覧会 開場之図》と暁斎に師事したコンドルの《上野博物館遠景の図》が、 三代広重の錦絵を挟んで並んでいるのにニヤリとしたり。
第2章『皇室と博物館』には 赤坂離宮(迎賓館)花鳥の間に飾られた濤川惣助による 七宝額の下絵が並ぶ。花鳥図の作者は渡辺省亭と荒木十畝。 当初は荒木十畝と並河靖之のコンビに製作を依頼していたが、 途中から渡辺と濤川のコンビに変更になったそうだ。
ここには明治時代に作られた生人形も展示されていた。 古の衣装を着せる為に作られた謂わばマネキンなのだが、 その美しさに見惚れてしまった。雨のそぼ降る薄暗い日に 人気のない展示室で対面したら一体どんな気分になるだろう。。。 作者は三代安本亀八で、思い返せば『あやしい絵展』に 飾られていた人形が初代安本亀八のものであった。 因みに戦前の百貨店にもオリジナル制作の生人形が 置かれていた様である。
第3章『新たな博物館へ』には お馴染みの尾形光琳《風神雷神図屏風》、岸田劉生《麗子微笑》、 《遮光器土偶》の他に大迫力の平安時代《金剛力士立像》が二体。 これは室戸台風でバラバラになった像を 果てしない労力と時間を掛けて修復したものらしい。 そして国宝展最後は菱川師宣《見返り美人図》がお見送り。
という訳で誕生日に国宝を愛でるという企ては大成功。 眼福を得た一日であった。
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覆される常識、日本美術の「独自性」は縮小していた 「独自」とされてきた日本美術の表現は、実は日本特有のものではなかった──? 美術史の研究が進むにつれて、日本美術に関するさまざまな常識が塗り替えられつつある。西洋や中国に目を向けて日本美術を世界の中で位置づけて鑑賞すると、一体なにが見えてくるのか? 美術史家の宮下規久朗氏(神戸大学大学院人文学研究科教授)が、日本美術、西洋美術の見方のまったく新しいフレームワークを提唱する。(全2回・前編/JBpress) (※)本稿は『そのとき、西洋では──時代で比べる日本美術と西洋美術』(宮下規久朗著、小学館)の一部を抜粋・編集したものです。 ■ 多くの美術品が現存する幸運な国、日本 日本は各時代にすばらしい美術作品を生み出し、今でもそれらは世界じゅうの人々に親しまれている。しかも、それらの多くが遺(のこ)っている幸運な国である。 隣国の中国や朝鮮半島、あるいはベトナムの場合、相次ぐ戦乱や侵��のため、古い時代のものは遺っていないことが多く、時代によってはきわめて大きな欠落がある。そうした時代の美術は、文献資料やのちの模本から想像するしかない。これに対し外国の侵略をほとんど受けたことのないわが国は、戦災や天災で多少のものが失われたとはいえ、縄文時代以降、各時代の重要な作品のほとんどは現存しており、きちんと美術の流れをたどることができる。世界を見渡すと、そのような幸運な国のほうがめずらしいのである。 明治期に近代国家が成立すると、国家の伝統や歴史を見直す作業の一環として日本美術史というものが構想され、明治33年(1900)にはパリ万国博覧会に際して日本最初の美術史と目される『稿本日本帝国美術略史』が編集された。以後、日本美術史は何度も書き換えられつつ徐々に精度を増し、部分的に更新され修正されることはあっても、そのストーリーの大枠はおおむね定着しているようにみえる。 ■ 「日本美術の特質」への問いかけ このような日本美術史を通覧し、現存する作品群を見ると、中国や西洋などさまざまな外来の美術に影響され、目まぐるしく変化してきたことがわかるが、同時にその底に流れる一貫した日本美術の特質というものが浮かび上がってくる。 たとえば和と漢、あるいは雅と俗という二面性が併存したかのよう見えるが、両者は複雑に融合していた。そして、中国や西洋の美術という外来文化の影響やそれに対する古来の様式という二項対立だけでは説明できない日本美術の独自性があると思われるのだ。 1925年、大著『サンドロ・ボッティチェルリ』をロンドンで出版して評価され、東西の美術について高い見識をもっていた美術史家の矢代幸雄(やしろ・ゆきお)氏は、著書『日本美術の特質』(1943年)において、日本美術の特質は、「印象性」「装飾性」「象徴性」「感傷性」の4つにあるとした。また、日本美術史の碩学、源豊宗(みなもと・とよむね)氏は、『日本美術の流れ』(1976年)で、西洋美術、中国美術、日本美術を象徴するモティーフをそれぞれ「ヴィーナス」「龍」「秋草」であるとした。日本美術を貫くのは、繊細な秋草の美学だというのである。 日本における中国美術の影響について先駆的な研究を遺した戸田禎佑(とだ・ていすけ)氏は、『日本美術の見方 中国美術との比戦による』(1997年)において、日本美術のもっとも重要な特質は「平面性」にあるとしている。 近年、『日本美術の歴史』(2005年)を書き下ろした辻惟雄(つじ・のぶお)氏は、日本美術の特質を、「かざり」「遊び」「アニミズム」という3つのキーワードで説明しようとした。日本美術にはつねに装飾性が見られ、遊戯���があり、自然崇拝の系譜があるというのである。また、東京大学で辻惟雄氏の後任であり、旺盛な活動を続けている美術史家、河野元昭(こうの・もとあき)氏は論文「日本美術の素性」(2010年)でこうした先学の見解を検証しつつ、日本美術の最大の特質は「シンプリシティー」にあると論じている。いずれの見解も傾聴に値するものであり、的を射ているように思われる。 ■ 縮小する「日本美術の独自性」 18世紀末から20世紀初頭にかけて流行したジャポニスムは、浮世絵を中心とした日本美術の絵画や工芸がフランスなど欧米の美術に作用し、日本美術が欧米の先進的な美術に影響を与えた稀有な現象であった。浮世絵の大胆な構図や色彩、平面性は、西洋で伝統美術の様式を打破して新たな造形を生み出そうとしていた芸術家にとってタイムリーであったため、大きな刺激を与えることになった。しかし、皮肉なことにその後の日本美術は、浮世絵のこうした造形的特徴を継承することはほとんどなかったのである。 また、これ以前、日本美術は、中国や朝鮮など近隣の国にすら影響を与えたことはまったくなかった。 12世紀初めの『宣和画譜(せんながふ)』に、徽宗(きそう)皇帝(在位1100~25年)の所蔵する日本の屏風3点について、「金碧(きんぺき)を多用」しているが、「真」に欠けると批判されている。中国や朝鮮の人々にとって、日本美術は中央様式の地方化したものとしか映らなかったのである。 明治以前の日本で、海外で活躍した美術家は知られておらず、中国・元で客死した禅僧画家黙庵(もくあん)やマカオに追放されたキリシタン画家ヤコブ丹羽(にわ)の活動がわずかに推測されるくらいである。 さらに、日本美術の独自性というのは、たまたま日本には中国や朝鮮半島よりも多くの美術作品が遺っているために、そう思われてしまう場合も多いのである。 たとえば、平安時代のやまと絵は、かつては遣唐使廃止による国風文化の産物だとされてきたが、中国美術史の研究が進んだ現在では、やまと絵とされるものの大半は失われた唐宋美術を反映したものであって、その特徴のほとんどは和様化とはいえないということが明らかになっている。截金(きりかね)を多用した繊細で工芸的な平安時代後期の美麗な仏画も、かつては日本化の極みだとされて賞賛されてきたが、じつは、ほとんどが失われた宋代の仏画の技法を模したものであるということもわかってきた。 近年ブームとなった若冲(じゃくちゅう)や蕭白(しょうはく)ら江戸中期の奇想派については、京都の成熟した町衆文化が生み出したものであっても、明(みん)代の奇想派や長崎の来舶清人(らいはくしんじん)の影響によるものも大きいということが指摘されている。 つまり、日本美術の独自性と呼べる要素は、美術史研究の進展とともにどんどん縮小していっているのである。日本美術を正しくとらえようとすれば、その独自性や美質などにこだわらず、東アジア文化圏を中心とする世界の中で位置づけて眺める必要があろう。 宮下 規久朗 JBPRESS 7/8(月) https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190708-00056932-jbpressz-life https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190708-00056932-jbpressz-life&p=2 https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190708-00056932-jbpressz-life&p=3 >「独自」とされてきた日本美術の表現は、実は日本特有のものではなかった──? 美術史家の宮下規久朗氏(神戸大学大学院人文学研究科教授)が、 日本美術、西洋美術の見方のまったく新しいフレームワークを提唱する。 笑www この文章読んでいて、宮下 規久朗とかいう美術史の大センセーの、 自虐的なシナ事大主義的な独自性のないアホぶりがわかった。 この程度で大学教授なら、私にでもできそうな簡単なお仕事だなw この時代になっても相も変わらず、日本文化はシナ朝鮮より劣る的な、 或いは独創性はない的な、みたいなシナチョンスタンスの屁理屈を 大学のエラいセンセーがまことしやかに語っているのに笑った。 そもそも、世界のどの時代のどの文化においても、 完全無欠の民族の文化的オリジナルなどというものはない。 シナ文明も大陸の雑多な民族の文化的要素の集合体ではないか。 それを総称してシナ文明だの、エジプト文明だのと称しているだけである。 そしてその文化もまた他の様々な文化的要素と融合して発展し、 同時にまた、他の民族や地域の文化にも影響を与えるのである。 いわば文化文明は相互に影響しあって発展するものである。 それにこの宮下 規久朗とかいう神戸大学のセンセーって、 美術史が専門だそうだが、シナチョンに何か思い入れがあるのか? ちなみにこの宮下 規久朗センセーのツイッターはこんなの・・・ https://twitter.com/kikuroma 現在の大学にはこの手の人士が多いみたいですな・・・ この論評の■ 「日本美術の特質」への問いかけまでは、 いろいろな学者の日本美術の特質の紹介で、それぞれの説にも整合性があり、 またこれらの説のすべてがまた日本美術の特色ともいえるだろう。 問題はその次である・・・ ■ 縮小する「日本美術の独自性」って何なんだ? 宮下センセーの論文に通底しているのは・・・ 日本美術など所詮シナの物真似、 日本美術のオリジナリティなんて、 元々からないも同然なのだから、 特筆評価などする価値すらない、 ・・・ということらしい。
果たしてそうだろうか? >皮肉な���とにその後の日本美術は、浮世絵のこうした造形的特徴を 継承することはほとんどなかったのである。 そうだろうか? 私は浮世絵に代表される日本美術はその後の日本人も立派に受け継ぎ、 欧米の美術界に対しても少なからぬ重要な影響を与えつつ、 その後の日本美術にもまた、それを逆輸入してきた経緯があると思う。 「浮世絵の大胆な構図や色彩、平面性」は現代日本画の世界においても、 日本のサブカルチュアを代表する漫画やアニメーションの表現においても、 グラフィックデザインの表現にも立派に受け継がれているではないか。 一応宮下センセーは明治以降の日本美術がジャポニズムと呼ばれ、 西欧の美術工芸界に大きな影響を与えた事は認めていらっしゃるが、 このことだけでも美術史における日本美術の価値は特筆に値する。 浮世絵に代表される日本美術がフランス・パリ万博からジャポニズムとして 全欧州に発信され、印象派(新印象派、後期印象派)やアールヌーヴォーが生まれ、 それがさらに発展してアメリカ現代美術に発展した経緯が美術史の流れである。 ジャポニズムがイズム=主義として表されている思想は無視できない。 それはシノワズリーという東洋趣味の流行とは大きく一線が引かれるべき、 いわば西欧美術思潮の一つのコンセプトでもあったからだ。
セザンヌ「サント・ヴィクトワール山」 様々な角度から描いたヴィクトワール山の連作は、 北斎の富岳三十六景からインスパイアされたらしい。
ゴーギャン「マハナ・ノ・アトゥア」 この平面的な色面構成的な表現は浮世絵からの影響だ。
クリムト「接吻」
金箔を多用した大きな空間をとり単純化されたフォルム、 これも明らかに障壁画などの影響がうかがえる作品だ。
中でも西欧美術に影響を与えたのは江戸の町人文化だろう。 しかし宮下センセーはこれとてもシナ文化の影響にあるというが、 一部にそれらしきものがあっても、それがすべてではないと思う。 仮にシナの影響があったからといって、それが何だというのだ? シナの各王朝文化だって周辺の民族の様々な影響があったのだ。 先に述べたように、元来何の影響もなく発展した文化文明など皆無である。 北斎、広重、歌麿などの浮世絵師はもちろんのこと、尾形光琳の琳派系絵師、 伊藤若冲や丸山応挙などは現代美術を先取りしたコンセプトが確立していた。 立体造形でいえば安土桃山時代の織部好み陶器などはまさに現代美術だ。 以下に掲載した当時の巨匠たちの作品には、 現代美術の概念を先取りしたような先進性を感じるが、 宮下センセーのいうようなシナの影響下にあったがゆえに、 日本美術の独自性は縮小(ない)しているのだろうか?
尾形光琳「紅白梅図屏風」 川や梅の木を特徴を残して単純化させる意匠概念は、 のちに日本のデザインにも多大な影響を与えている。
伊藤若冲「鳥獣花木図屏風」 この絵は升目描きという、升目ごとに色をいれてモザイク画のように表現した。 現代風にいえばドット画像みたいなもので、このような手法は同時代にはない。 あえていえば新印象派のスーラの点描が近いが、概念が全く違う。
伊藤若冲「鶴図屏風」
墨をつかった白線描の作品。鶴の様々な姿態が単純化されたフォルムと
勢いある線の筆勢がいかされた、ある意味現代の漫画にも通じる作風だ。
丸山応挙「大瀑布図」 この絵は円満院というお寺の住職に贈られたものだが、この寺の庭に滝がなかったので、応挙はこの絵を庭木の枝に掛けて垂らし、下三分の一は地面に寝かせて滝つぼを表した。このような平面絵画を立体的に鑑賞するインスタレーション的手法はこの時代になかった。
丸山応挙「氷図」 湖面に張った氷のヒビを線一本のみで見事にあらわした傑作である。 無駄な要素を一切排除した究極の単純化で凍てつく寒さを表現している。
織部好み茶器 武将古田織部のプロデュースとでもいう「織部好み」の陶器は、「へうげもの」と称され、わざと歪めたフォルムや幾何学模様をあしらった伝統や形式にとらわれない実に現代的な表現だ。 ↑ これら一連の様式もすべて、 シナの模倣だというのか!? 以下はほとんど日本美術を腐すだけの屁理屈。 >これ以前、日本美術は、中国や朝鮮など近隣の国にすら 影響を与えたことはまったくなかった。 当たり前じゃないか(笑) そもそも・・・ 日本は江戸時代に265年も鎖国をしていた国なのだから、 明治以前に日本の文物そのものが諸外国に輸出されることもないし、 あってもごくわずか、だから影響も与えるものではなかった。 こんな事日本の歴史をみれば高校生でもわかる話だ。 しかしだからそれ何だというのだ? いったい宮下センセーは何が言いたいのだ? この人は文化は影響を与えれば、 「エライ」と思っているようである。 だから明治以前の日本美術はシナ朝鮮に影響を与えていないから、 シナ美術の物真似レベルの評価に値しないものといいたいのだ。 宮下センセーの「影響を与える、与えない」にこだわる意図は何なんだ? じゃあ、明治以降の日本美術は先進国の西欧に大いに影響を与えたから、 すご~く特筆大書すべき価値があって、西欧より優れているということか? そうではあるまい。上述したように「文化は相互の影響で発展するものだ。 どちらの文化は優秀とか劣っているという問題ではないのだ。 宮下センセーの御説はまるで朝鮮人が 「これはウリジナルニダ~♪」というのを思い出す。 ルネサンス期の西洋美術も西域のイスラム教文化や遠くは、 インドやシナの様式にも影響を受けてきたことは近年の研究、 特に田中英道東北大学名誉教授の研究で明らかになっている。 しかしルネサンス絵画がその後のシナ絵画に影響を与えなかった事は、 西欧絵画が明朝や清朝の絵画より劣っているという事なのだろうか? 宮下流のコンセプトで見れば、こういう事ではないのか? さらに首をかしげたくなるのはシナと朝鮮を同列に置いて語っている事だ。 朝鮮など千年以上も歴代シナ帝国の属国属領に過ぎなかった植民地だ。 こんな国にオリジナルがあろうはずがなく、自ら小中華と誇った事大主義国だ。 なぜ宮下センセーはシナと朝鮮を同等に置きたがるのだろうか? 所詮は事大主義のシナの劣化コピー版が朝鮮に過ぎないのである。 まさか小中華思想が日本より優れている?というのではあるまいな?
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‼️‼️もうすぐ‼️‼️ 来る3月に紀伊國屋全店に SHU墨絵作品『朱雀乱舞』と『桃源の馬』を 載せた書籍『Q Art Catalog』が発売‼️ 全国です✨ ⭐️A4版オールカラー⭐️ そして、5月にはオンライン上でも購入が可能になります✨ オンライン上は幅広い展開で、日本だけでなく 海外へも配信✨こちらは全世界 アマゾン、dマーケット、U next、楽天、 セブンネットショッピング、ひかりテレビbook、 e book、COCORO book と かなり広範囲に渡って配信されます⭐️ (*)📘イギリスの国際日本文化研究 教授タイモンスクリーチ様がSHU Arakawaの作品を評論 「全体に広がる力強い墨の飛沫によって、壮大な鳥が描かれている。羽と火の輪が紙の上を反時計回りにダイナミックに回転する。鳥の羽は右上に上がり、開いた嘴は左下に向かって鳴き声を上げる。これは南を守る見事な朱雀である。その輝かしさが墨の黒色から伝わってくる。」 (タイモン スクリーチ評論) In a vast and power splash of ink creaters a magnificient bird. A circle of feathers and fire turns dynamicaliy in an anti-clockwise movement across the paper. The bird's wings rise to the top right, while its open beak cries downwards to the bottom left. This is the great Scarlet Bird that guards the south. Its brightness is transmitted in the black of ink. ( by Timon Screech) ご存知のように、作品『朱雀乱舞』は 高評価かつ有名な作品で、スペイン世界遺産常設、国連ユネスコ展示、日光東照宮展示、 他受賞多数の作品 作品価値も上がっているとても重要な作品です✨その作品が書籍として入手可能になります✨ 書籍もオンラインも両方から、SHU墨絵作品が 見れるようになりますので、 是非皆さまご高覧ください🙇♂️ 今後もSHU墨絵アートを宜しくお願いします #墨絵 #墨絵師 #墨絵アーティスト #墨アート #書籍全国展開 #Qアートカタログ #紀伊國屋書店へ書籍展開 #日本代表の墨絵アーティスト 💫筆を使わない墨絵アーティスト💫 荒川颼 / SHU Arakawa 【颼墨絵作品 常設展示場所】 ✨常設作品を増設‼️‼️✨ 栃木県栃木市河合町4-16 tel: 050-5359-7563 Eat Me Sandwich 2F ギャラリー結 (*)是非ご来場ください 【ギャラリー営業日/営業時間】 水、木、金 11:00am〜16:00pm 日 11:00am〜13:30pm 定休日 月、火、土 (*)但し、営業日・定休日は都合により変わります ✨✨✨✨✨✨✨✨ 筆を使わない墨絵アーティスト 荒川颼/SHU Arakawa www.shusumie.com Googleで『墨絵』または『ハンド墨絵』でトップ表示 #筆を使わない墨絵師 #墨絵師 #墨絵 #sumie #ハンドドローイング #handdrawing #日本を代表する墨絵師 #墨絵アーティスト #書道好きな人と繋がりたい #画家さんと繋がりたい #飛墨 #hisumi #唯一無二の墨絵師 #唯一無二の墨絵アーティスト #しゅう墨絵 #shusumie #生きる墨絵 #UNESCO #世界遺産 #ライブパフォーマンス #墨ノ祭 #ギャラリー結 #栃木 #tochigi (eat me sandwich) https://www.instagram.com/p/CoDsikhyhoe/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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「浜口陽三と波多野華涯 —匂い立つ黒と黒—」展
ミュゼ浜口陽三で「浜口陽三と波多野華涯 —匂い立つ黒と黒—」展を見る。浜口の作品に加え、南画家・波多野華涯の銀屏風をフィーチャーした展覧会である。浜口のメゾチントの黒と華涯の墨絵の黒を呼応させている。
浜口作品については、従来から墨絵の影響があると指摘されてきたそうである。また、第二次世界大戦のためやむなくフランスから日本へ帰国した際に、南画家の白倉嘉入に師事したこともあるという。さらに、浜口の父は南画の蒐集家で、集めるだけではなく南画を自分でも習って描いたりしていたそうで、華涯とも交流があったとのこと。浜口と南画とのそのような関わりは寡聞にして知らなかったので、勉強になった。
波多野華涯《蘭竹図屏風》のみ撮影可能。
右隻 蘭図。
右隻 蘭図の題詩。漢詩の引用ふたつ(元の張渥、明の張以寧)と華涯自身の題詩。画題に使うために中国歴代の詩を編纂したものが清の時代に作られ、おそらく華涯もそれを使ったのであろうとのこと。
左隻 竹図。
左隻 竹図の題詩。漢詩の引用ふたつ(明の林環、明の李東陽)、華涯による題詩。
なお、岡山県立美術館で「没後八十年 波多野華涯 ― 筆と生きた女性」展が開催されている。行ければ行きたいがたぶん無理なので、図録だけ通販で買い求めようかと思案中。
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@tigkyk . ■奇跡的な近所 . あたかも今にでも動き出しそうな繊細なタッチ、色鉛筆ひとつで、絶滅危惧種に命を吹きかける。 . 芸術画家でお馴染み 世界の Kayoko Toga先生が . 実は、うちの近所住んでおり、早速、先日近くの喫茶店にてお茶会をしてきました。 . . ■鳥肌作品 . 今日は、先生の作品について、書いていきます。 . ■驚きと感動があります。 . 先生の作品を見ると、鳥肌が立つくらいの衝動にかられます。 . ■生きた芸術. 言いたいことはズバリ!彼女が生み出す世界感です。 . ■是非!フォローしてください。 . 先生の投稿写真を見てるだけでも、癒されますし、感動、驚きが沢山詰まっていて、ワクワクが止まりません。 . . 実際お会いし、作品一つ一つに込められたエピソード をお聞きした時は、ドキドキ感がこみ上げて来ましたからね(笑) . . ■作品への想い . 今回、生で見せて頂いた虎。 もう。。。言葉がでません。。。。。 . . 一本、一本、毛がリアルに描かれていました。 . . 正直、感動で涙が出そうになりました。 . 今にでも、動き出しそう!まるで生きてるみたい。 . 先生は、昔から絶滅危惧種を守る活動と共に、それを描く事を大切にされており、作品を生み出しています。 . ■独学!!って聞いてビビりました。。。 . . 始めた、きっかけをお伺いしたら、独学。。。だそそうです。 . 即答で、「変態ですね。。。」と言ってしまいました。 . それと同時に、とても勇気づけられました。 . まさにこれが、 . 【好きこそ物の上手なれ】 . . 心、気持ちをを反映させた作品とはまさに、この事ですね。 . 元々、水墨画を書かれており、そこで水墨画の講師資格を取得、白黒の世界では物足りなく、現在の色鉛筆アートへと変わっていったそうです。 . しかも、現在は、動物たちを、自然木や木製の素材に、コテを使って焼き付ける、バーニングアートまでされているそうです! . 今回ご紹介した動画の中にも、そのバーニングアートで描かれた、虎の作品もあります。 . 額縁をよく見ると、実は、点と点の集合体で焼きつけたバーニングアートで描いたものでした。 . これには本当びっくりしました。 . ■時には、オーダーメードの受付もしているそうです。 . 例えば、普段一緒に過ごしている、愛くるしいペット または、既に亡くなってしまって大切な時間を一緒に過ごしたペットたち その子達の写真から、先生に芸術アートとして命を吹きかけて描いて欲しいという依頼があるそうです。 . . 先生に描いてもらった子達はさぞかし幸せでしょうね!! . ■玄関の守り神として . 先生は数年前北海道に移住してきたそうです。 . 北海道のアイヌ文化に触れ、そこから神々である北の動物達に魅了され、アイヌ文様や、アイヌ語のメッセージを添えて、一緒に動物を描きたい!と現在アトリエにて作品作りに励んでいるそうです。 . . ヒグマ、エゾシカ、エゾオオカミ、エゾリス、オオワシ、シャチ、etc.. . いつか先生に描いてもらったキムンカムイ(熊)を玄関に飾り、家の守り神として飾りたい! . または、自分の制作しているカバンの内生地に、先生が描いたカムイ達を、プリントしたいなーー そんな夢を持っています! . . 外側は、文様、内側は先生の描いたカムイ達の絵 . まさに、ikor(イコロ)アイヌ語で宝 . あなたの大切な宝物をしまっておくカバンのコンセプトにふさわしいと思いました。 、 【外からの邪気を文様が守り 内側ではカムイ達が守る 本当の宝は内側に隠しておく!】 . . まさに夢のコラボ作品ですね!!(笑) . あとは、玄関に絵を飾り、先生の絵を飾り来客を圧倒させたい!!そんな思いも生まれました。 . ■是非皆さんにも手に取って欲しい . 皆様も是非、先生に作品をご依頼してみてはいかがでしょうか? . 虎の絵を描いてきたのは、数知れず、 . 例えば、自宅で大切に飼っている、可愛い猫ちゃんなんかを、先生に描いて貰うなど。。 . 動物なら先生の手にかかれば、魂が宿り命が生み出されること間違いなしです。 . ■まずは . 興味がある方は是非、先生にコンタクトを! https://www.instagram.com/p/B1v3J_pgGjC/?igshid=be73vwmmuv58
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千百余年の願い込め 真言密教の歩み追想(京都・醍醐寺展特集)
日本経済新聞
京都・山科盆地にある真言密教の一大拠点、醍醐寺には膨大な数の仏像、仏画や聖教(しょうぎょう=経典)が守り伝えられている。それら密教美術の至宝を紹介する特別展「京都・醍醐寺―真言密教の宇宙」が東京と福岡で開催される。開山から1100年あまり、人々が御影に祈った安寧への思いは、時を超えて今も拝む者を包み込む。
国宝「薬師如来坐像」(部分)平安時代 10世紀 醍醐寺蔵=画像提供 奈良国立博物館(佐々木 香輔撮影)
「密蔵深玄にして翰墨(かんぼく)に載せ難し。更に図画を仮(か)りて悟らざるに開示す」。唐から日本に密教を伝えた空海の言葉だ。唐での留学を終えて帰国した際、朝廷に提出した報告文「請来目録」に記してある。
「密教の教えは奥深く、言葉で表すことはむずかしいので図画を使って教える、という意味です。この言葉に従って真言密教はビジュアルを重視してきました」。寺宝管理に長年携わる同寺の公室室長、長瀬福男さんはこう語る。
寺宝122件紹介
桜の名所としても知られる醍醐寺は貞観16年(874年)、空海直系の弟子、聖宝(しょうぼう)が「醍醐味の水がわき出る」とされた笠取山に開いた。笠取山頂に広がる上醍醐と山裾に広がる下醍醐に分かれた広大な寺域には国宝6棟、重文10棟をはじめとする堂宇が立ち、約15万点もの寺宝が伝わる。
仏像や仏画、修法(すほう=儀式)の次第を記した文書、経典といった国宝は約7万6千、重要文化財は400を超す。今回の特別展は2会場合わせて39の国宝、58の重文を含む122件を紹介する。
「醍醐寺は真言密教の一大拠点。伝わった密教美術は圧倒的な質と量を誇ります。今回の展覧会では密教美術の濃厚な世界と、それらが生まれた背景を見てほしい」。サントリー美術館の佐々木康之学芸員(日本彫刻史)はこう解説する。
展覧会場でまず目をひくのが国宝「薬師如来坐像(ざぞう)」。台座を含めると高さ3メートルを超す威容を誇る。10世紀初め、醍醐天皇の発願で造営された上醍醐・薬師堂の本尊だ。堂々とした体つきにふくよかな顔、大きな鼻と分厚い唇。「大振りで男性的。平安初期の仏像ではなく、奈良時代と造形の方向性が同じです」と佐々木さんは指摘する。
重要文化財「如意輪観音坐像」(10世紀)は頭を傾け、右手の指を頬に添えて思惟(しゆい)する体勢。膝を立てて座り上体を傾けた何とも優美な姿は、日本の如意輪観音像の代表作と呼ばれる。聖宝の弟子で座主となり、密教の重要経典「大日経」の注釈書「大日経疏(しょ)」を研究した観賢(かんげん)の思想が右手の表現などに���映されているという。
日本風の始まり
唐の影響を強く受けた平安時代前期の仏像、国風文化をまとった平安後期の仏像はそれぞれ人気が高い。それに対し平安中期、10世紀の仏像は従来あまり注目されなかった。だが「近年、再評価が進んでいます」と佐々木さん。「日本の古典に範を求めた像あり、日本の僧による経典の解釈にのっとって造られた像あり。日本独自の文化が生まれつつある様子が造形からうかがえ興味深い」
一例が重要文化財「五大明王像」(10世紀)。観賢が建てた上醍醐・中院の本尊だったとみられる像だ。5体そろう五大明王像では東寺講堂に伝わるものに次いで古く、東寺の像を規範に造られたとみられるが「儀軌(儀式の規定)にのっとって改変されています」と佐々木さんは指摘する。
異彩を放つのがアンバランスにも見える大胆なポーズだ。佐々木さんは「金剛夜叉明王像をはじめ四明王のアクロバティックともいえる表現は当時、実験的だったはずです」と強調する。重々しく緻密な造形が多い平安前期と、手足が細長く伸びやかな表現の平安後期とをつなぐポジションに位置付けられるという。
密教では現世利益の実現を重んじ、加持祈祷(かじきとう)など修法を実践する。本尊として仏画や仏像は欠かせず、鎮護国家や厄災の調伏、雨乞いなど目的別に様々な仏画・仏像が制作された。複数の顔と腕を持つ「多面多臂(ひ)」、憤怒の形相、青や赤の鮮烈な色彩。魔や怨敵を退散させ煩悩を焼き尽くすために、力強い独特の表現が採られた。
効験高める研究
国宝「五大尊像」は12~13世紀の作。両目を見開き下唇をかむ形相が力強い筆遣いで描かれる。平安時代の画僧、円心の作品を手本にした「円心様」とされる。醍醐寺には円心の真筆や円心様の図像が複数あり、後白河法皇が同寺に行幸した際に進上した記録も残る。
「修法の効験を高めるにはどんな図像を本尊にすればよいか、宗派や流派を超えて情報を集め研究が重ねられました。祈祷を頼むスポンサーから『これでお願いする』との要望もあったはずで、円心様の仏画は人気があって重用されたのかも」。九州国立博物館の森實久美子主任研究員(仏教絵画史)は推察する。
仏像や仏画の形を墨だけで描いた白描図像はこうした研究の成果。仏像や仏画の設計図となった。森實さんは「醍醐寺に伝わる膨大な数の白描図像から、寺の権勢と宗派を超えた広い人脈がうかがえます」と指摘する。
重要文化財「不動明王図像」(信海筆、弘安5年=1282年)は同寺の白描図像を代表する一つだ。墨の濃淡や線の太さを巧みに使い分け、荒海にそそりたつ岩に立つ不動明王を描く。あちこちに修正した跡が残り、試行錯誤した様子が見て取れる。描かれたのは2度目の蒙古襲来の翌年。元軍撃退や和平を祈願したとの説がある。
2016年、中国の上海と西安で、醍醐寺の寺宝を紹介する展覧会が開催された。長瀬さんは寺側の思いを「空海が唐で教わった密教が今も日本で守られていますよ、と中国の人々に伝えたかった」と説明する。心配もあった。「あちらが本家。きちんと評価してもらえるだろうか」。だが全くの杞憂だった。延べ80万人以上が来場し、展覧会は大成功を収めた。今回の特別展は中国展開催を記念して開かれる。
空海の「メモ」
寺側が特に思いを込めて出展するのが国宝「大日経開題」。密教を修学していた若き空海が「大日経疏」から大事なポイントを抜き書きしたメモと考えられている。さまざまな質や寸法の紙を貼り継いであり、楷書と行書、草書が混在する。「字の間隔も書体もばらばら、気取りが全く見えません。日本の真言密教はここから始まったのです」と長瀬さんは語る。
中世以降、醍醐寺は足利将軍や豊臣秀吉ら時の権力者の帰依を受けた。華麗な文化の中心となった当時のきらびやかな品々も展示会場を彩る。
寺宝を保管する収蔵・展示施設「霊宝館」には多くの参詣者に加え国内外の研究者や僧が絶え間なく訪れ、調査や研究に取り組む。千年を超える時を超えて伝えられた品々は、現代の文化を豊かに彩り、祈りを込めて次代へと受け継がれる。
(竹内義治)
「京都・醍醐寺―真言密教の宇宙」開催概要
【東京展】 会場:サントリー美術館 会期:9月19日(水)~11月11日(日) 火曜日休館
主催:総本山醍醐寺、サントリー美術館、日本経済新聞社、テレビ東京、BSジャパン
【福岡展】 会場:九州国立博物館 会期:2019年1月29日(火)~3月24日(日) 月曜日休館
主催:総本山醍醐寺、九州国立博物館・福岡県、TVQ九州放送、西日本新聞社、日本経済新聞社、BSジャパン
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手紙
手紙が届いた。差出人の名前はない。のみならずほとんどそれらしい内容もなければ文字と言える文字もない。つまるところ、これを手紙である、と判断したのは受け取り手であるこちらの善意と厚意によるものであって、たいていのひとがそれを受け取ったなら、子どもの落書きか、よいところで書き損じの反故か何かだとでも判断するのが関の山だろう。ともすれば嫌がらせか、悪戯か何かと考えて受け取ってもらえないやもしれない。せめて署名くらいあればよいものを、そもそもこの差出人は己の名ひとつ満足に書き記すこともできず、これまではそれで何の支障もなかった。いまもってなお支障があるわけではないだろう。ながく生きてきて、手すさびにさえ筆を執ることのなかった玄离を机に向かわせているのがいったい如何なる理由であるものか、考えても答えはない。明確に、だれかの、なんらかの、意思を込められた手紙である、と考えるのは、いっそ願望じみた感情を伴っているようにも思われた。そう、諦聴は手紙を受け取りたかったのだ。あまり堂々と口にしたくはないけれども、たしかに、あのひとからなんらかの意図をもった贈り物を受け取りたかった。まあ内容もなければ判読に難いのでもらったところで特にどうということもないのだが、幾度となくまみえるなかで垣間見たかれの快闊さは、こうして筆のはこび、墨のしたたりひとつとってみても明らかで、これはこれで趣のあったものだった。おまえは文字が読めるのか、驚きをもって見開かれた玄离の眸を思い起こすとなおのこ���ゆかいで、かれのいうところの妹分である李清凝と、まったく同じとはゆくまいがどうやら並べられているらしいことに頬がゆるむのも致し方なしといったところだろう。訊ねられてまあ人並みには、とこたえたが実のところはそれほど得手というわけでもない。武芸ばかりの暗愚にはなるなとあるじがいうのでそれなりに取り組んでいるというだけのこと。それでも玄离よりは真っ当な自信があるが。
手紙をもってきた使いのけものは、すがたこそはちいさく愛らしい小鳥のさまであったが、単純な野山のけものであるとは言い難かった。けものたちは森に由来し、妖精もまた森に端を発するものが多い。それでなくとも多くの生きものは、豊かにたくわえられた霊のたすけあってこそ、生まれ、育まれるものである。森にはおおくの場合において王がある。手紙をくわえてちいさく首をかしげてみせる小鳥のわずかにやどした霊のけはいは、諦聴のよく知る、この世とも思われぬうつくしい深山のものに違いなかった。その森の奥に人里離れて門がある。とある力ある妖精の門である。かたちこそ門を模してはいるが、実際のところ、門扉もなければ衛士もないそれは、打ち捨てられ、崩れ落ちるのを待つだけにもみえる旧いもので、あり、導きのなければ是非くぐろうとは思われないものである。しかし、その門は、いつだって、だれにだって、拓かれていたとは言い難い。まず門にたどり着くのが困難で、ある、森は大いにひとを惑わし、解き放たれたけだものたちは、招かれざる客のまえに獰猛の牙を剝く。それらけだものたちの王こそが、ほかならぬ玄离そのひとであって、きくところによればけだものたちは、明に暗に、玄离に酩酊し、ときにはかれにすら嚙みついて、乳飲み子のするように力を啜るという。野のけだものにまで霊を分けてやるなど常の妖精であればありうべ��らぬことだが、そこは玄离だ、あの食えない老君によって取り立てられただけのことはある。そうして森にはかれの眷属が満ちているのにちがいない。葉擦れに振りかえれば角ある羚羊の物憂げな眸がある。さっと過る影のあるなら枝を駆ける山猫が、でなければ空をすべる猛禽の翼であるだろう。おしなべて玄离のものだ。おそらくは未来永劫。
あるじの望まぬものを拒み、あるじによって許されたものだけが通行をゆるされる門のなかにひろがるは藍渓鎮、あるじの名は老君。戦乱おさまらぬ世にあって、おびやかされる命に思い悩み心をいためる慈愛のひとである、とはかれを慕って頼るひとびとの言で、実際のところの老君がいったいなにを考えていたものかだれにも推察かなわない。妖精である以上に、世俗をはなれ、はるか神仙の域にあって、積極的にひとをたすけているかにみえて、さりとても戦の勝敗や、国の采配には不干渉、手の届くところ、目の届くところでおきるいくらかの災禍によっておびやかされる命に、その端正な美貌をしかめはするが、しかしそれきりだ。できうる限りの手を尽くしているとは言い難いし、かといって、及ばぬ力を嘆いているようすもない。いっそ義務とでもいうような風情でかれはひとを愛すが、施すのでなく、いっとき援けるだけ、と、冷徹にも思われる一線を引いていた。かれはしばしば微笑みをたたえ、水面の月のように物静かに佇みはしたが、どこか剣呑、切長の眸に、ひとのおもう情はないのかもしれなかった。
老君はおおいにすがたの整った男である。妖精のおおくは、野のけものや、それでなくとも絵巻物に綴られるすがたと、ひとのすがたをもっている。もっともひとのすがたというのは変化の術の一部であって、おさない妖精たち、すこしでも力があり、言葉を解し、知性を以てはたらくだけの素質が認められたものが、修練によってはじめて得る術のひとつであるから、それと決めたならあらゆる妖精が見目麗しいすがたで顕現してもおかしくはないのだが、美醜の価値観はそれぞれに、例外なく慕われるもののないように、うつくしいばかりと限らない。老君の見目のよさは、ひとえにかれの洒落者らしいふるまいや、よい仕立て、よい織の衣、泰然としていながら一分の隙もないさまなどに裏打ちされたものだった。妖精にはおおくの術がある。たいていはみずからに目覚めるものだが、力の大きすぎるものは、本人にも持て余し、また詳らかでないものでもあるので、名をつけ、向きを定め、かたちを顕し、色をつけてやるのは先達たちの仕事だった。もっとも、弟子をもって教えることは、かならずしも義務ではないので、ひとのみならず妖精であってもつよく交流をのぞまない旧い妖精は、遠く棲み処に引きこもって出てくることを拒み、みずからのみを供として孤独に暮らすものも多かったのだけれども。
その点でいうならば老君は十分に社交的な性格をもった妖精であったといえるが、かれが庇護し慈しむ、かれの領民ともいえるひとびとのことを、口さがなくいうものもある。外界からとざされ、平穏という枷でしばられ、囲われた人間たちにとって、ただしく領主たりえるひとであるのか、かれなりの流儀があるのには違いないが、表立っては政治らしい政治をしない老君である。信頼のおける部下に任せ、己のなくとも恙なく、数年、数十年を過ごせるよう整えられているといえば聞こえはいいが、見方によっては放任である、と苦虫をかみつぶした顔をしたのは明王だ。老君はかれらを飼い慣らしているのだ、ひとはそれと知らずして生き暮らして、おり、もっとも厄介なことに、老君自身でさえもそれに気づいていないようだ、と。
明王は諦聴のあるじであり、教えを請うたおぼえはないが、師のような存在でもある。自らがまだ年若い妖精であることを忘れはしない諦聴は、かつてあるじの命あって、同じく老君をあるじとして(もっとも、かれらのあいだの紐帯にはいっそ不可思議なものがあって、単純に主従というにはかれらの距離は気の置けない健やかさであったし、友というには嗜好が離れすぎている、気があうのだと言われればすわ偽りを、と指さして糾弾したくもなるが、互いに頓着したようすがないのがまたおかしいのである)頂く玄离とまみえたことがある。かれはそれはそれは楽しそうに術をつかいこなす武勇のひとで、あって、けして短くはない手合わせのあいだ、打ち合わされる掌底の重さ、偶然にも同じ焔をやどす眸のつよさ、いっそ狂気にも思われる、戦いを心底に愉しむふうの心根のすなおさには感心する。まがりなりにも高貴なあるじを頂いておきながら、その戦いはあまりにも泥くさく、貴人にみせてその目をたのしませるような、うつくしい型と冴えの演武などでなく、しかし追い詰められた窮鼠が反撃に出るような、背水のなりふり構わなさがあるではない。武を競いあうといって型には嵌まらず、戦乱のさなかにあって相手のいのちを落とすまで続く剣戟でもない。
鋭利のつるぎでないのだから、掌底がいのちを奪わないと考えるほど愚かでなかった。かれが本気で、また、老君が、かれを愉しませ、放っておけば日がな一日君閣へこもって書を繰るあるじに付き合って鬱憤をためているらしい玄离の気を抜かせる必要を感じていなかったのなら、しこたまに打たれたこの身は砕けていたかもわからない。玄离にもらった痛みは忽ちに癒され、苦くおもえども瑕疵ひとつこの身にない。治癒のまじないをこうまでも巧みに使いこなすさまは、ひとを、けものを、妖精を、癒やして救う以上に、拷問のおそろしさを孕んで、いた、目を焼かれ、手足を潰され、痛みにうめきながらもけして言葉を紡がぬ捕虜のあるだろう、傷はいつか膿み、身体は朽ちて、死者は口をきくことはない。しかしどうだろう? 老君のまえでは、苦痛に耐えて死に至るは許されない。これがどれほど恐ろしいことなのか、この男たちは知っているはずだ、けれどもあの娘は、知っているだろうか。
気を蓄え、名を与えられ。時を経てすがたを成した己なれば、いっとき力を失い姿を砕かれたとても、ふたたびの顕現は不可能ではないが、みじかくはない修練の日々、あさくはない霊の気が、あるいは散じていたかと思うとぞっとする。おのれに執着するのは未熟のゆえか、諦聴、この名はなにも、器にのみ与えられたものではない。ぱちん、火花のはじけるように、お世辞にも文字とはいえない墨だまりがはじけて、込められた霊が、あやまたずもとの持ち主のすがたを成した。片手で掴め、握りつぶすことすらできるのではないかと思われる體に、不釣り合いに大きい頭、目にもあざやかな朱の組み紐やぞんざいに編まれた髪のおおまかなかたちはあるが、それほど詳細に造りこまれた見目ではない。もっともこの程度の霊でかたちをすべて成すことなど不可能であるし、そもそもかれにはそういった、繊細な術のくみたてなどできようはずもないのだ。やはり老君はかれのあるじであっても師ではない。ちいさな霊の人影はにぱ、白い歯をみせて破顔一笑、けはいはまちがいなく玄离のものだったが、墨はかれの匂いでないし、どこかちぐはぐの印象をあたえる。かれと己とはけして友ではありえぬし、ましてや好敵手として名を挙げてもらえるほど、自らの存在と力を過信してはいない。気まぐれにひとを拾って領主の真似事をしている老君にしてこの狗である。内容のない手紙だから特に何を語るでもなく、きゃらきゃらと笑っているばかりの玄离からの手紙の霊を憮然として見つめていると、どことなく腹が立ったから、脇腹をつついてやった。
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釣鐘提灯巾着リュックを商品企画 片方重いという、釣り合いの取れない例えに使われる柄のひとつ 片方重いから片想いと肩重いとか 言ったとか言わないとか 毎日商品サンプルイメージを作成している。 プロフィールのリンクでチェック #bonathia 2月はグッズを領域展開していきます! DM待ってますっ I'll write about tomorrow's meeting. Well, I'm going to draw today too 絵師の日常 #humanmade 歴史を知り、想像力の限り日本の新しい芸術を創造する、Neo Japanest 町絵師の仕事は人々の生活と共にある柄を作ること。 #令和 時代の町絵師 越境宗派絵師 ^_^ #ギャラリー #工芸 #現代アート #skeching #ink #絵描きさんと繋がりたい #日本画 #筆文字 #墨絵 #ジャパン #kyoto #京都 #伝統文化 #art #illustration #design #japanart #inkpainting #drawing #artwork #民藝 最後に #絵師冬奇 https://www.instagram.com/p/CZiJDcsPgG4/?utm_medium=tumblr
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