#笠に着る
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部下の仕事を理解できない上司(笑)
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おぎおんさぁ (三)
おぎおんさぁ 3 祭衣装
やっぱり後姿がいいよー
神輿を下ろしたり上げたりする時、お尻を後ろに突き出すよ。かわいいよ。
後ろを鑑賞
お尻のかたちに個性があるよー
駕輿丁は褌、鉢巻、地下足袋
おぎおんさぁはシンプルでいいよー
博多祇園山笠も昔の写真では今より厚いマワシだけ。水法被なんか着ていないよ。
#おぎおんさぁ#祇園祭#鹿児島の祇園祭#八坂神社#鹿児島八坂神社#祭#祭り#祭礼#ふんどし#褌#japanese ritual#loincloth#japanese formal wear#ogionsaa#yasaka shrine#kagoshima yasaka shrine
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あと留学生の指導で気をつけているのは、言語力を笠に着ることだけは絶対にしないこと。「は?あなたの言ってる日本語全然わからないよ」みたいな言い方は決してしないように。
Xユーザーのdesean takahashiさん
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#おでかけ #入笠山
寄り道を終えて、メインの入笠山登山へ。
入笠すずらん山野草公園からしばらく山道を歩いていくと、まず辿り着くのは入笠湿原です。
湿原といってもわりと乾いた印象。こんな風に木道がずっと続いています。林の中から急に開けたところに出るので開放感がすごい。
6月だとこの斜面は日本すずらんが満開になるそうなんですが、まだ花はほとんど咲いていませんでした。見てみたいけど、ベストシーズンだと混むだろうし、というジレンマです。
アマドコロを発見。ヤマイモに似た根っこが少し甘いところからアマドコロなんだそうです。でも果実は有毒。
木道を上の方まで登ってみて、湿原を俯瞰する。春の山の風景。
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戸畑祇園山笠競演会から帰る ~ 787系3号車・コンパートメント席
競演会が終わって町内に戻る山笠を追っ��けたりしてたら10時を過ぎてしまいました。
この時間になると、博多(竹下)に戻るには特急を利用するしかありません。(快速は無し、普通で帰ると日付が変わってしまう。)
22:20 の久留米行き普通だと竹下に 23:49 で間に合うが、さすがにキツイ。
特急に乗るにしても 22:36 のかささぎ201号が実質の最終 … と思いつつ、飾られた行き先板やヘッドマークを眺める。
かささぎ201号 佐賀行き … 787系の3号車を目論む。
コンパ―トメントが空いてました。(自由席)
テーブルを
オープン
ライトを
オン
4人掛けの
ボックス席
博多 23:21 着 … 普通電車に乗り継ぎ
結局は、戸畑 22:20 発の久留米行き普通に乗車。(しかない)
竹下 23:49 着 … 残り10分
本日中、ギリギリセーフ。
駅員さん、遅くまでご苦労様です。
あと少し … 気を付けて帰ります。
YouTube >
夜汽車・787系特急3号車 戸畑→博多(45分)
ギリ帰着・博多駅と竹下駅寸景(2分)
2024.7.27 ~ おわり
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「鹿児島県警は芯から腐り切っている」 誤解を恐れずに評すれば、出来の悪い警察小説か警察ドラマの筋立てかと見紛うような、あまりにあからさまであまりに剝き出しの権力犯罪である。 だが、現実にそれは起きた。いや、現在進行形で起きている。そして一連の事態は、この国の警察組織や刑事司法の闇を照射し、同時にメディアやジャーナリズムの真価を根本から問うてもいる。 福岡市の中心部にほど近い一角に佇む築40年を超える古びたマンション。すべての端緒を切り拓き、歪んだ捜査の標的にもされたネットメディアは、この一室に拠点を置いている。ほぼ一人で運営する小メディア『HUNTER(ハンター)』の主宰者は中願寺純則(64)。編集作業に使っているという六畳ほどの狭い部屋で私と向きあった中願寺は、常に背筋を伸ばしたまま淡々と、しかし静かな怒気を端々に滲ませて口を開いた。 「鹿児島県警は完全に腐っているんだと、もはや自浄作用など期待できないから真実を知らせてほしいんだと、私たちへの情報提供者は心底憤っていました。私も同感です。鹿児島県警は芯から腐り切っている」 中願寺が一連の取材に着手する契機となった事件が起きたのは2021年の夏、世界がまだ新型コロナのパンデミックに揺れていた最中のことである。翌22年の2月になって事実関係を最初に報じた鹿児島の地元紙・南日本新聞の記事によれば、概略は次のようなものだった。 〈鹿児島県医師会の男性職員が、新型コロナウイルス感染者が療養するための宿泊施設内で、派遣された女性スタッフに対し、わいせつ行為など不適切な行為をしていたことが14日、南日本新聞の取材で分かった〉〈関係者によると、男性職員は昨年8月下旬~9月末、宿泊療養施設運営のために派遣された女性スタッフに対し、施設内でわいせつな行為などをした。(略)女性は一連の行為に関し「同意はなかった」と��て、管轄の警察署へ告訴状を提出した〉(2月15日付朝刊) 関係者からの情報提供もあって中願寺は取材を開始し、伝手を辿って被害女性らにも話を訊き、鹿児島県への情報公開請求なども重ね、自らが運営する『ハンター』に次々と記事を掲載した。その記事の矛先は当初、被害女性との間で「合意があった」と事実を矮小化する医師会などに向けられたが、次第に県警へも向けられるようになった。取材の結果、こんな事実が浮かんだからである。今度は中願寺が23年1月20日に『ハンター』で書いた記事の冒頭部分を引用する。 〈昨年1月、鹿児島県警鹿児島中央警察署が、性被害を訴えて助けを求めに来た女性を事実上の「門前払い」にしていたことが分かった。応対した警察官は、被害を訴える女性が持参した告訴状の受理を頑なに拒み、様々な理由を付けて「事件にはならない」と言い張ったあげく女性を追い返していた〉 そして記事はこう続く。 〈背景にあるとみられるのは、身内をかばう「警察一家」の悪しき体質と性被害への無理解。意図的な不作為が、醜悪な人権侵害につながった可能性さえある〉 どういうことか。実は女性が性被害を受けたと訴える「県医師会の男性職員」の実父が県警の警察官であり、だから県警は捜査を忌避し、事案を握りつぶそうとしているのではないか――中願寺はそう睨み、県警を指弾する記事を続々掲載した。 〈県医師会わいせつ元職員の父親は3月まで現職警官〉(23年5月15日掲載)、〈訴えられた男性職員の父親は「警部補」〉(同6月2日掲載)、〈問われる医師会と県警の責任〉(同6月12日掲載)……。 鹿児島で起きた性加害事件をめぐる県警の問題点へと果敢に斬り込む『ハンター』には間もなく、県警の内部から貴重な情報も寄せられるようになっていった。 「小メディア」の果敢な不正追及 1960年に長崎県で生まれた中願寺は、東京の大学を卒業後、政治家の秘書や信用調査会社系のメディア記者といった職を経て、2011年3月に『ハンター』を立ちあげた。サイト開設が東日本大震災の発生前日だったのは偶然だが、以後の約13年のサイト運営は決して楽ではなかった。中願寺もこう言う。 「正直言っていまも楽ではなく、私は無給状態ですが、小さいながらもメディアとしてスタートした当初はさらに厳しく、やめてしまおうと思ったことが何度もありました。た��、何年か続けていると��援してくれる方々も現れ、だからなんとか歯を食いしばって運営を続けてきたんです」 そうやって小メディアを懸命に維持して記事を日々発信する一方、もともとの経歴もあって中願寺は地元政財界に独自の人脈を持ち、メディア記者らのほか警察当局者ともさまざまな形で接触を重ねてきた。主には刑事部門で事件捜査にあたる警官だったが、公安部門の警官が接触してきたこともある。そんな接触を通じて時には��報を交換し、時には取材中の事件に関する捜査動向の感触を探る――といった営為は、所属メディアの大小等を問わず、事件取材に奔走する記者なら誰にも経験があるだろう。かつて通信社の社会部で事件取材に携わった私も例外ではない。 また、そういった取材活動を通じて特定の事件や事案に関する記事を発信していると、当該の事件や事案の内実を知る関係者から貴重な情報や内部告発が寄せられることもある。これこそ取材という営為の醍醐味であり、鹿児島県警の不正を追及していた中願寺のもとにも幾人か情報提供者が現れた。もともとは県警の公安部門に所属し、その後は曽於署の地域課に在籍した巡査長・藤井光樹(49)はその一人だった。 そんなふうに入手した情報や資料に依拠し、中願寺はさらに追撃記事を執筆した。極北となったのが〈告訴・告発事件処理簿一覧表〉との標題がついた県警の内部文書を入手し、23年10月から展開した記事群だったろう。プライバシー等にも配慮しつつ文書の一部を画像で示し、件の性加害事件をめぐる県警対応の不審点を指摘する一方で中願寺は、こうした内部文書が大量に漏洩しながら事実を公表も謝罪もせず頬被りを決めこむ県警の態度をも厳しく指弾した。 当の県警は――ましてや上層部は、県警の内部文書を掲げて噛みつく『ハンター』に苛立ち、焦燥を深めたに違いない。しかも県警では近年、あろうことか現職警官が逮捕される不祥事が続発していた。20年以降の事案を列挙するだけでも、その惨状は目を覆わんばかりである。 ①20年2月、女子中学生を相手とする児童買春容疑で霧島署の巡査部長を逮捕、②21年7月、いちき串木野署の巡査部長が女性宅に不法侵入したとして逮捕、③22年2月、鹿児島中央署の交番勤務の巡査長が拾得物の現金を横領したとして逮捕、④23年10月、SNSで知り合った少女と性交したとして県警本部の巡査長を逮捕――。 惨憺たる状況下、県警の内部文書まで入手して噛みつく『ハンター』への苛立ちからか、内部告発者らによって他の不祥事案が発覚するのを恐れたのか、県警は信じがたいほど強引な捜査に踏み切る。今年4月8日、県警の内部資料などを『ハンター』に漏洩したとして先述した巡査長・藤井を地方公務員法違反(守秘義務違反)容疑で逮捕し、同時に中願寺が主宰する『ハンター』までをも家宅捜索したのである。 異常かつ論外の家宅捜索 その日の朝、編集作業に使っている六畳ほどの部屋には約10人もの県警捜査員が押しかけた。中願寺によれば、「令状がある」という捜査員は、それをヒラヒラと示すだけで容疑事実も仔細に説明せず、業務用のパソコンはおろか中願寺が使用している新旧のスマートホン、さらには取材用のノートやファイル、名刺類まで押収していった。 言うまでもないことだが、それらにはメディア主宰者の中願寺にとって断固秘匿すべき情報源などが刻まれていたし、なによりも業務用のパソコンを失えばサイトを更新することもできなくなってしまう。だから思わず声を荒らげ、捜査員に激しく迫った。 「おいっ、せめてパソコンはすぐに返さないと、営業妨害で訴えるからなっ!」 その一喝が効いたのか、パソコンは翌日返却された。だが、内部データは間違いなく抽出され、一部の押収物は2カ月以上経った現在も返却されていない。一方、『ハンター』に情報を「漏洩」したとして逮捕された巡査長・藤井は、自らに迫る捜査の気配を察知していたのか、逮捕のしばらく前に電話で中願寺にこう語っていたという。 「私は腹を決めてやっています。ウチの組織は腐っていて、外から刺激を与えないと変わらない。そう考えてやったことですから、もし逮捕されても私に後悔などない。だから中願寺さんが悔やむ必要もありません」 だとすれば藤井は、『ハンター』というメディアにとっては「情報提供者」、あるいは「内部告発者」であり、広く社会にとっても大切な「公益通報者」だったと捉えるべきではないのか。 ならばここで、あらためて記すまでもないことをあらためて記しておく必要がある。たとえ小さくともメディア=報道機関への情報提供者を逮捕すること自体が異例であり、たとえ小さくともメディア=報道機関を強制捜査の対象とするなど極めて異常かつ論外の所業。同じことを新聞やテレビといった大手メディアに行えば、言論や報道の自由を圧殺する暴挙だと大騒ぎになるだろうし、ならなければおかしい。ましてそれが「公益通報」の色彩が濃い事案だったなら、県警の所業は一層悪質な暴走と評するしかない。 だが、県警の信じがたいような暴走はこの程度で止まらなかった。 あるジャーナリストに寄せられた内部告発 鹿児島や福岡からは直線距離で約1500キロメートルも離れた北海道の札幌市。ここを拠点にフリーランスの記者として活動する小笠原淳(55)は4月3日、市中心部にも近い雑居ビルの一階に入居する月刊誌『北方ジャーナル』の編集部にいた。 話は本筋からやや逸れるが、『北方ジャーナル』といえば、かつて北海道知事選の候補者をめぐる「中傷記事」が名誉毀損に問われ、出版物の販売差し止めを容認する最高裁判例の舞台になったことを想起する向きも多いだろう。だが、これは70~80年代の出来事であり、もとより小笠原には何の関係もない。また、現在の『北方ジャーナル』は経営母体なども代わっていて、もともとは地元紙の記者からフリーランスに転じた小笠原は、頻繁に寄稿している同誌の編集部を原稿執筆などの場として活用していただけのことだった。 あれはたしか昼過ぎだったと小笠原は記憶している。編集部に郵便物を届けにきた配達員が、小笠原宛の茶封筒を手に「どうされますか」と尋ねた。封筒の表には一般封書の規定額である84円切手が貼られていたものの、重量がオーバーしているから10円の追加料金が必要だというのだ。支払わなければ持ち帰られていたかもしれないが、小笠原は財布から10円玉を取り出して渡し、封書を受け取った。 消印は〈3月28日 鹿児島中央〉。差出人の名はない。いったいなんだろう――そう思いつつ開封した瞬間、これは内部告発だと小笠原は悟った。計10枚の文書の1枚目には〈闇をあばいてください。〉と太いフォントで印字され、2枚目には〈鹿児島県警の闇〉と題して計4件の事案が列挙され、3枚目以降は県警の内部文書とみられるものを含め、違法性の濃い不祥事の中身などが詳述されていた。一部の概要のみ記せば、次のような事案である。 ①霧島署の巡査長が女性にストーカー行為を繰り返し、しかも職務上知り得た個人情報も悪用して行為に及んだのに、処分も公表もされていない事案、②枕崎署の捜査員が職務時間中、市内の公園の女子トイレで女性を盗撮し、しかも捜査車両を使っていたのに県警が隠している事案、③県警幹部による超過勤務手当の不正請求があったのに、立件も公表もされていない事案――。 小笠原は、すぐに『ハンター』の中願寺に連絡を取った。理由はいくつもあった。なによりも札幌に居を置く小笠原にとって、はるか遠い鹿児島県警の不祥事を取材するのは物理的に難しい。また、北海道警の不祥事やその追及が甘い大手メディアも批判してきた小笠原は、警察の不正や記者クラブ問題を追及する中願寺と意気投合し、数年前からは『北方ジャーナル』などのほか『ハンター』にも寄稿するようになっていた。もちろん、中願寺と『ハンター』が鹿児島県警の不正を追及中だったことも熟知していた。 だから小笠原はその日のうちに中願寺に電話し、匿名で送られてきた10枚の告発文書もメールで送信し、中願寺と共有した。「裏取り取材に手間と時間はかかりそうだが、相当に貴重な内部告発だから、でき��限り取材して記事にしていこう」。中願寺はそう応じ、小笠原も協力は惜しまないつもりだった。 元最高幹部の切実な訴え 『ハンター』が県警による捜索を受けたのは、そのわずか5日後のことだった。当然ながら、押収されたパソコンには小笠原が中願寺と共有した告発文書も保存されていた。 ここからは推測も交えるが、押収パソコンのデータを解析した県警は眼を剝いて驚愕し、焦燥を一層深めたろう。どうやら『ハンター』には、すでに逮捕した巡査長・藤井らのほかにも内部情報の提供者がいるらしい。しかもその人物は、あくまでも匿名のようだが、提供文書や情報の精度からみて現場レベルの警察官ではなく、相当に高位の立場にある県警幹部クラスではないか――と。 県警がその人物をいつ特定したかは定かでない。ただ、さほど時間を要さず特定したとみられ、後述するように相当周到な事前準備を施したうえ、またも信じがたい強硬手段に打って出た。5月31日にその人物を――県警主要署の署長なども歴任し、つい2カ月前までは県警最高幹部の一人である生活安全部長を務めていた本田尚志(60)を逮捕したのである。容疑はやはり国家公務員法違反(守秘義務違反)。職務上知り得た秘密を第三者に――すなわち小笠原に送った告発文書で漏らしたというものだった。 さて、この国の全国津々浦々に25万以上もの人員を配する警察には、ざっくりとわけて二つの〝種族〟がいる。一応は現在も自治体警察の装いをまとった47の都道府県警に採用され、警察官の階級として最下位の巡査からスタートする叩き上げのノンキャリア。他方、かつてなら国家公務員の上級職試験、少し前までなら一種試験、現在の総合職試験をパスし、警察庁に採用されたキャリアの警察官僚。前者は警察官の圧倒的多数を占めて都道府県警の現場を支え、圧倒的少数の後者は警察庁と都道府県警を往来しつつ出世街道をひた走る。そしてどこの都道府県警でも大同小異だが、叩き上げノンキャリアの最高到達点の一つが生活安全部長の職であり、警視正の階級まで昇り詰めて3月に定年退職したばかりの元最高幹部が逮捕される――しかも古巣の県警に逮捕されること自体、前代未聞といっていいほど異例の事態だった。 さらに本田は逮捕から5日後、鹿児島簡裁で行われた勾留理由開示請求手続きの場で、驚愕の訴えを陳述した。手元にある陳述書にはこんな言葉が刻まれている。 〈今回、職務上知り得た情報が書かれた書面を、とある記者の方にお送りしたことは間違いありません。/私がこのような行動をしたのは、鹿児島県警職員が行った犯罪行為を、野川明輝本部長が隠しようとしたことがあり、そのことが、いち警察官としてどうしても許せなかったからです〉〈この時期は、警察の不祥事が相次いでいた時期だったため、本部長としては、新たな不祥事が出る��とを恐れたのだと思います〉〈私は、自分が身をささげた組織がそのような状況になっていることが、どうしても許せませんでした〉〈退職後、この不祥事をまとめた文書を、とある記者に送ることにしました〉〈マスコミが記事にしてくれることで、明るみに出なかった不祥事を、明らかにしてもらえると思っていました〉〈私としては、警察官として、信じる道を突き通したかったのです。決して自分の利益のために行ったことではありません〉(抜粋、原文ママ) 県警本部長の不可解な言い分 極めて閉鎖的で上位下達の風潮が強い警察組織において、ノンキャリアの元最高幹部がキャリアの県警トップに公然と反旗を翻すことも異例中の異例であり、と同時にその訴えが事実ならば、本田もまたメディアにとっての「情報提供者」であり、広く社会にとっての「公益通報者」であったのは明らかというべきだろう。しかも県警は、自らの不正を追及するメディアを強制捜査の対象とし、メディアにとって最重要の情報源を特定し、さらには警察が警察であるがゆえに持つ最高度の強権を行使して〝口封じ〟を謀ったことになる。 一方、本田に反旗を翻された本部長の野川は当初、地元メディアの取材にのらりくらりと対応するだけだったが、鹿児島地検が本田を起訴した6月21日にようやく正式な会見を開き、「私が隠蔽を指示した事実も県警として隠した事実もない」と反論した。本田は「公益通報者」ではないのか、という問いにも「県警としては公益通報に当たらないと考えている」と突っぱねている。本田が札幌の小笠原に送付した計10枚の文書には、被害者が公表を望んでいないストーカー事件の被害者名や年齢等が記載されていた――などというのが野川と県警側の言い分だった。 だが、その言い分はあまりに弱く、事実経過からみて素直に頷くことなどできはしない。 前述したように、本田の告発文書には複数の県警不祥事が具体的に列挙され、霧島署の巡査長によるストーカー案件のほか、枕崎署の捜査員による盗撮案件もそのひとつだった。この盗撮案件が発生したのは昨年の12月15日。直後に県警は事実を把握し、犯行時に捜査車両が使われたことも確認していたが、問題の捜査員は逮捕も処分もされないまま放置された。 ところが約5カ月も経った今年の5月13日、当該の捜査員は建造物侵入などの疑いで突如逮捕された。いったいなぜか。県警が『ハンター』を捜索してパソコンを押収したのが4月8日。これを解析して本田の告発を把握し、本田逮捕に踏み切ったのが5月31日。そのわずか半月前に盗撮捜査員を逮捕したのは、時系列的にみて本田が文書で訴えた「隠蔽」を否定し、事前に打ち消すための周到な〝準備〟であり〝工作〟ではなかったか――。 ここまでお読みになった方は、まさに��児島県警は「腐り切っている」と感じられただろう。私も同感だが、果たしてこれは鹿児島県警だけに特有の腐敗か。いや、そんなことはあるまい。いかに小さくとも、メディアを強制捜査の対象とする判断を県警だけで行うとはにわかに考えにくく、ましてや最高幹部だった前生活安全部長・本田の逮捕は、警察庁の裁可や指示を仰がずに独断で行われたはずがない。畢竟、その過程では本田の告発がどのように行われ、県警がそれをどう特定したかを含め、すべてを把握した上で警察庁がゴーサインを出したのは間違いなく、一連の問題からはこの国の警察組織全体に巣喰った腐臭が漂う。さらにつけ加えるなら、一連の問題からはこの国の刑事司法が抱える根深い悪弊の一端も浮かびあがる。 証拠類を「廃棄」せよとの呼びかけ 話はやや前後するが、県警を追及する過程で中願寺と『ハンター』は、別の重大な文書も入手していた。中願寺は「取材源の秘匿」を理由に入手先を明かさないが、おそらくは『ハンター』に情報を寄せていた巡査長・藤井からもたらされたのだろう。これについては一部メディアでも大きく報じられて波紋を広げているが、文書の標題は〈刑事企画課だより〉。わずか2枚の文書には漫画風のイラストも添えられ、県警捜査部門が作成して内部閲覧に供する、さして秘匿性の高くない文書と思われるが、そこにはやはり眼を剝くようなことが公然と記されていた。 〈最近の再審請求等において、裁判所から警察に対する関係書類の提出命令により、送致していなかった書類等が露呈する事例が発生しています〉〈この場合、「警察にとって都合の悪い書類だったので送致しなかったのではないか」と疑われかねないため、未送致書類であっても、不要な書類は適宜廃棄する必要があります〉〈再審や国賠請求等において、廃棄せずに保管していた捜査書類やその写しが組織的にプラスになることはありません!!〉(原文ママ) 問題点は明白であろう。現在再審公判が行われている袴田事件にせよ、布川事件や松橋事件などにせよ、いまなお数々発覚する冤罪事件の大半は、警察や検察が隠していた証拠類が再審請求の過程などで示され、ようやく罪が立証されている。なかには警察が検察に「送致」すらしていない証拠類もたしかに多く、警視庁公安部の不当捜査を受けた横浜の化学機械メーカー・大川原化工機が起こしている国賠訴訟では、公安部内に残されていたメモ類が公判の大きな焦点にもなっている。 つまり文書は、そのような事態は「組織的にプラスにならない」から、「裁判所の命令」などで「露呈」することがないよう、「不要な書類」等は「廃棄」してしまえ――と県警が内部に堂々そう呼びかけていたことを示す。このようなことを許せば、この国の刑事司法に巣喰う悪弊は一層慢性化してしまいかねず、しかもこの文書の秘匿性がさして高くないとみられることを踏まえれば、県警の勝手な判断に基づく所業だったか、との疑念がここでも湧く。警察庁あたりからそうした指示や示唆があり、だから深慮なく内部閲覧文書に明示したのではなかったのか、と。 ジャーナリズムの二重の敗北 再び福岡市��あるマンションの一室。鹿児島県警を追及し、数々の不正を明るみに出した中願寺は、「最後にこれだけは強調したい」と言って姿勢を正した。 「私が取材を始める契機となった強制性交事件の被害者は、いまも精神的に不安定なまま必死に真相解明を訴えています。また鹿児島では警官が逮捕される事件が続発し、被害者のほとんどは女性です。たしかに報道への弾圧は大問題ですが、大元にもっと眼を凝らさなくてはいけない。警官や警察一家の人間によって女性が被害を受けた事件こそが原点であり、それをすっ飛ばして報道弾圧だと訴えても、市民の共感は得られないんじゃないでしょうか」 一方、札幌を拠点にフリーランス記者として活動する小笠原は、「すべての元凶は鹿児島県警とはいえ、私に情報を寄せてくれた本田さんを守れなかったことは、いち記者として忸怩たる想いがあります」と唇を嚙みつつ、いまこんなふうに訴えている。 「いくら小さなメディアとはいえ警察がガサ入れし、情報源を暴いて逮捕してしまった。そのことに全メディアがもっと本気で怒るべきです。小さなメディアだから構わない、などという理屈を許せば、雑誌ならいいのか、スポーツ紙なら構わないのか、と対象が広がりかねない。ただでさえメディア不信が根深い昨今、このまま傍観していれば、新聞やテレビにガサが入っても誰も味方してくれなくなりかねません。本来なら新聞協会や民放連といった組織が「このような暴挙は断固許さない」といったメッセージを明確に発するべき局面でしょう」 いずれもその通りだと深く頷く。と同時に、メディア界の片隅で長年禄を食む私を含め、鹿児島県警をめぐる一連の事態からメディアやジャーナリズムに関わる者たちが一層真摯に捉え返さねばならない課題にも、最後に触れざるを得ない。『ハンター』に情報を寄せて逮捕・起訴された巡査長の藤井にせよ、小笠原に文書を送って逮捕・起訴された前生活安全部長の本田にせよ、足下の地元には大手メディアの記者も多数いたのに、なぜ貴重な情報提供先に福岡の小さなネットメディアや札幌のフリーランス記者を選んだのか――。 本田の弁護人を務める鹿児島の弁護士・永里桂太郎によれば、その理由について本田は「県警の問題に関心のある記者なら、積極的に取材してくれると思った」と話しているという。逆にいうなら、大手メディアに情報を提供しても警察の不正に関心を持たず、積極的にも取材してくれない、と告発者側に認識されてしまっていることになる。 だとすれば、大手メディアそのものが貴重な情報提供者や内部告発者からの信頼をすでに失いつつあるという、あまりに惨めな事実がここから垣間見えはしないか。そのうえに今回の事態に心底から憤らず、傍観してやりすごせば、この国の主要メディアとジャーナリズムは二重の敗北を喫することになってしまいかねない。(文中敬称・呼称略)
〈特別公開〉警察腐敗 内部告発者はなぜ逮捕されたのか(青木理) | WEB世界
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【かいわいの時】天正十四年(1586)九月二十五日:山科言緒(阿茶丸)、中島天神社の流鏑馬を見物(山科言経『言経卿記』)
天満宮では、九月二十五日の秋大祭に流鏑馬式がある。伝承によると明治以前には、射手が拝殿に一七日間参籠 し、当日は飾馬に乗り、鏑矢を持ち、社殿を三度回ってから、表門の前から浜の間に立てられた三ヵ所の的を射たという(『新修大阪市史 4』)。旧暦。現在は10月25日。
大阪天満宮における流鏑馬神事の起源は定かではありませんが、豊臣秀吉の時代に天満に居住した公卿・山科言経の目撃証言(息子が見物)があります。
天神社ニ今日ヤフサメ有之、四条・阿茶丸寸見物云々、哥仙新造懸之、願主津田ト眞也云々(天正十四年九月二十五条)。東京大学史料編纂所編纂『大日本古記録 言経卿記二』より。
その後、一時途絶えたようですが、元和元年(1615)に松平忠明が大坂城主として入城後、幕命により乗馬を神事に供したことがきっかけで復活(伝)。延宝八年(1680)刊行の大坂の年中行事を案内した一無軒道冶の『難波鑑』には、馬上から矢で的を射る「天満天神の矢ふさめ」の挿画入りで解説されています。
此日天神の御神事也。則やふさめあり。是は天満天神の門の前に。茶屋あり。茶屋のあるじの式として。としこと是をつとむ。まづ七日以前より。拝殿にあらこも志きて。通夜いたし。精進潔斎して。其日にいたれバ。あたらしきなをしはかまに。袖くくりあかき鉢巻して。かさりたる馬にのり。ゆミとかふらやを。左右の手に取とり。社���をのりめくること三度それより。逸散をかけいだし。宮の前浜手九町を三反のりかへすあいたに。六所に角のまとを立て。是を射る也。手綱もとらず。手をはなちて。弓射ゐる間。逸足かくる馬を。つゐに落さることハ。此天神の御はからひといとたふとし(「天満天神流鏑馬 同二十五日」)。『浪速叢書 第12』「難波鑑 第五」より。
しかし、江戸後期になると、様子が変わっています。享和元年(1801)、大坂の銅座に赴任した幕臣・大田南畝の『葦の若葉』には、現在と同様に馬上から半弓で的を打ち破る様子が記録されています。
九月二十五日、晴天滿��神の秋祭にて、流鏑馬の神事ありと聞て、御社にまうづる道々に矢來結ひわたせり、神主社家に知る人ある物を伴ひたれば、神社の拜殿に登る事を得たり……やゝありて肩衣袴きたる男、馬に乘て門前の西の方より出て大路を南へ濱の方迄かけおふ事、一度してかへれり、是を馬場見せといふ、やがて的板三本を大路の東の方三所へたつ、乘るへき馬を拜殿の階下に引立つ、社家の白衣きたるが垂多く持出て、厩人に渡す、口取馬の頭につく、社家拍子うちて、細に切たる紙をちらして入る、緋縮緬の小手袖きて〔金絲にて縫たる丸き紋を付〕黄なる皮の行騰に似て、短き物はきたる若き男、弦なき弓と矢を持〔初の馬場みせ乘たるものにあらず〕拝殿の幕の內より出て、神前にぬかつく、社家盃を傳ふ〔神酒なり〕ついたちて、騎射笠のこときものを着て馬に乘り、拜殿の前なる棚のもとを、東より西にめくる事、三度にして門を出づ、此時門の内人あまた立込たれば、棒持たる男先に立て、打拂〃〃行く、門を出て西の方に入て、大路を南へ濱の方まて馬を走しむ事三度なり、一度〃〃に例の的札持たるもの、大路の方三所より的差出すを、弓のはずもて打ば、的持たるもの、的を破りて引く事都合九度なり、此間神主社家ともに、拜殿の階上に座し事終りて退く、此馬にのる男は、例年山本屋といへる市人なりといふ(『葦の若葉 巻三之下』)。吉川弘文館『蜀山人全集 巻1』より。
その出で立ちは、南畝の描写とは細部で違いはありますが、芳梅の『滑稽浪花名所』で見る事ができます。
(写真)芳梅「滑稽浪花名所 天満天神」1857-58(ボストン美術館蔵)
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2023.10.01(sun)
日曜の午後、市内の下市山(simoichi-yama)へ登ってきた。
登り始めてしばらくすると、菅笠をかぶった登山者が下りてきた。
おじいちゃんかなと思っていたが、近くで見たら、どう見ても20代としか思えない女性が菅笠をかぶっていたので、ちょっとびっくり。
「なかなかやるなー」と思いながら、挨拶を交わす。
山に登ると結構いろんな方に遭遇する。
ぼくが山登りを始めた頃、文殊山を登っていると、たったったったっと背後から足音が聞こえてきた。何気なしに振り向くと、白い顎髭を長く伸ばした80歳位の、見るからに仙人みたいなおじいちゃんが、裸足で登ってきた。
あっけにとられながらも道を譲り挨拶をすると、ケタケタと笑いながら頷いて登っていった。
この方の話を後日他の登山者が話していて、このおじいちゃんが立山に登った時のこと。いつものように裸足だったらしく、ケガをすると危ないよと登山ガイドの人か関係者か忘れたが注意したらしい。
すると「靴持ってないから仕方がないやろ」とか言って、結局裸足のまま山頂まで登ったそうな。
まあ登山者の話を聞くと、超人としか思われないような登山者がいて、世の中普通の人でもすごい人が多いもんだと、あらためて思ったことを思い出した。
さて里山は絶景とはあまり無縁だが、いい運動にはなるし、今の季節変わったキノコもいろいろ見られてちょっと楽しい。
でも今年は「ブナ科樹種堅果(kenka)の着果状況から、今年��秋は福井県の全域でクマが里へ大量出没する可能性が高いと判断しました。」ということなので、里山であっても登山者の少ない山に登るのは止めようね。
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『 「おじぎ」の日本文化 』神崎 宣武 著 (KADOKAWA)
おじぎいろいろ。
第1章 外国人がみた日本の「おじぎ」(『ラストサムライ』の印象的なシーン;アメリカ人にとっての「おじぎ」は卑屈な姿勢か ほか)
第2章 古典・絵巻物から「おじぎ」を探る(『万葉集』にみる「おじぎ」の情景;跪拝と祈祷の場面 ほか)
第3章 中世の武家礼法と「おじぎ」(古代中国の『礼記』にみる「礼」;『礼記』のなかの「拝」と「揖」 ほか)
第4章 畳と着物による近世の「おじぎ」変革(小笠原流と伊勢流の礼法;幕府の公的な礼式作法を担った「高家」 ほか)
第5章 現代へと変転する「おじぎ」のかたち(各地にはぐくまれた自然流の「おじぎ」;明治における神社祭式の統一 ほか)
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【 卒業式と入学式 】
正装をした父兄とともに歩く子供たちを見かけるこの時期、 日本人にとってはお正月の次に心改まる季節となりました。
日本での卒業式というものが始まったのは明治初期。 現在の学校の元となる制度とともに始まりました。 学位認定と公的試験による課程修了が認定される西欧では、 学位授与の卒業式らしきものはありますが、卒業という概念そのものはないのだそう。
明治の初期は就学希望者が年齢に関係なく入学したため、 入学式というものが行われるようになった時期は、正確にはわかっておりません。
明治19年に4月スタートの「会計年度」が始まったことに伴って、 4月からの新学期・新入学・・・というものがだんだんと定着。
大学だけがその後もしばらくは欧米に倣い9月入学でしたが、 大正9年に東京帝国大学(東大)が4月に変更したため、 皆が追随して現在の4月入学になったということです。
スニーカー 店にあふれて 入学期 樋笠文
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2024年6月13日木曜日
病院の待合室にて20
くちずさむ歌はなんだい?思い出すことはなんだい?(2)
まだ13時過ぎなんだけど。楽しいのになぜか時間が過ぎないという、最高なような不気味なような現象が起こっていた。でも大丈夫。鳴門といえば渦潮だから。まだ渦潮見てないから。徳島と淡路島を結ぶ大鳴門橋、その橋の中がトンネルのようにくり抜かれており、そこに遊歩道が作られていて、鳴門の渦潮に徒歩で近づく事ができる、その名も『渦の道』。そこに行くことにした。私は多分行くの3回目ぐらい。結構好きな観光スポット。たくさん歩けるし。渦が見えるかもしれないし(満潮とか干潮とかちゃんと渦が出るタイミングを狙わないと見えない事が多い)。
渦の道に車で向かっている道中では、私達はフィッシュマンズの話をしていた。Tくんは中学生の頃からフィッシュマンズを聞いていて、これは私の当時の感覚だと相当早かったように思う。私たちが13歳から15歳というと、1997年から99年に当たる。フィッシュマンズにとっては、『宇宙 日本 世田谷』、『8月の現状』、『ゆらめき IN THE AIR』、男達の別れツアー、佐藤さんの逝去、そしてライブ盤『98. 12. 28 男達の別れ』という激動の3年である。今でもありありと思い出せるTくんの部屋には、フィッシュマンズのCDが何枚か置かれていて、私は『ゆらめき IN THE AIR』や『宇宙 日本 世田谷』のジャケットを見て、かっこよいと思ったりしていた。私はTくんに、最近フィッシュマンズが海外で高く評価されていて、音楽の食べログことRate Your Musicでも『男達の別れ』が金字塔のように扱われていたり、ついこないだもPitchforkのSunday Reviewで『ロングシーズン』が採り上げられていたんだよ、と早口でまくし立てていた。どうして早口になったかというと、こんな話ができる人はあんまりいなくて(でもよく考えると今も私の友達でいてくれてる人は、多分この話みんなできる)嬉しくなっちゃったか���。Tくんはそういったことを全然知らなかったが、東京から福岡までの飛行機の中で『ロングシーズン』を聞いていたらしい。無意識で世界とシンクロしてい��人間。ホンモノとはこういう人のことを言うのだと思う。
youtube
「そのピッチフォークのレビューでね、「走ってる…」のところが”Driving…”って訳されてたの。あれって車の歌だったの気づいてた?よく考えたら夕暮れ時を二人で走って東京の街のスミからスミまで行かないよね」
「気づいてなかった!そっか」
Tくんに「どうしてフィッシュマンズ聞くようになったの?」と尋ねてみた。きっかけは、彼がかつて好きだった女の子、彼がバンドをやってる時に歌にまでした女の子が、フィッシュマンズを好きだったことだという。Tくんは最初に『Neo Yankees’ Holiday』を買ったらしく、一枚目としてはまあnice choiceだと思うのだが、その女の子は「まあ、あれもいいよねー」ぐらいの感じだったらしい。Tくんがすばらしくnice choiceであるためには、いわゆる世田谷三部作に手を出さなくてはいけなかったのだった。そして私はこの話を聞きながら、こんな素敵な話は、当然むかし一度聞いたことがあったのを思い出していた。でもそんなことは言い出せずにいたし、こんな話は何度聞いたって素敵なのでよかった。
渦巻は巻いてるのか巻いてないのかよく分からなかった。私が行く時はいつも、巻いてるのか巻いてないのかわからない状態である事が多い。時間とか潮の満ち引きとか考えず、適当に行ってるからだと思う。橋をその内側から見るのも、私は楽しいから大丈夫なのだが、相当歩いたので疲れてしまった。もう一箇所、鳴門には霊山寺という四国八十八箇所巡礼の一番札所であるお寺があり、そこも観光名所として有名なのだが、疲れてしまったので、行くかどうかを決める会議が私とTくんとで開かれた。そして、入るかどうかは別として、ドライブがてら行ってみようとなった。なんとなく高速に乗りたかったので、鳴門北ICから板野ICまで乗ろうと思った。せっかくだから音楽をかけようと思い、Apple Musicで、『はじめてのフィッシュマンズ』というプレイリストを掛けた。一曲目は『いかれたBaby』だった。やっぱり初めて買うフィッシュマンズは『Neo Yankees’ Holiday』で全然いいと思った。ほとんど誰も走っていない高速に、少し傾いてきた陽の光が射して、そこに音楽が混ざって気持ちよかった。鳴門の街のスミからスミまで、僕ら半分夢の中…もちろん運転中だから完全覚醒中だったけども。Tくんを無傷で東京に帰す事も運転手としての責務である。
高松道を降りて、霊山寺に着くまでの間に少しだけ、音楽ではなく、Tくんの私生活について話す時間があった。その内容については当然ここに書く事は出来ない。唯一言えることと言えば、Tくんは本当にエンターテイナーだということだけである。
霊山寺に来たのは私個人としては2回目だけれど、記憶よりこじんまりとしていたので、車から降りて参拝することにした。霊山寺は天井から多数の灯籠が吊ってあるのがとにかく綺麗でかっこよいのですが、それをTくんに見てもらえてよかった。ここは八十八箇所巡礼の一番札所なので、RPGの最初の町のように、お遍路さんになるための装備品、白衣や輪袈裟や遍路笠や金剛杖や納経帳などが全て揃えられるお店があり、入って眺めていると、「僕、数珠とか持ってないんだよね」と言って、Tくんが数珠を買おうとしていた。お店の中なのであんまり言えなかったが、数珠はいちばん安価なもの��1600円くらいして、上は8000円くらいするものもあり、私は「高くない?」と思っていた。「数珠は高い方がいい。法事の価値観ではそう定義されています」みたいのは聞いたことがないけど、まあ本人が納得してたらいいか。Tくんはいちばん安価ではあるがしっかりしていると思しき数珠(数珠の審美眼など私にあるわけないけど)を購入していた。法事の度に私と四国のことを思い出すか、あっけなく失くすかのどちらかになるだろう。
午後三時を過ぎたので、本日宿泊予定のビジネスホテルにチェックインすることが可能になった。ホテルは徳島市内にあって、ここから三十分くらい。いったん。いったんチェックインしてみようか。しなくてはならないことを早めにやって、気持ちに余裕を蓄えていこうじゃないか。ホテルまでの道中では、Tくんがやっていたバンドについての話をしたと思う。彼らが発表したCDやCD‐Rのうち、私が一番好きなのは最初のミニア��バムである『ワンダフルまたはフレッシュ』、二番目に好きなのはその次のミニアルバムの『ギターでおしゃべり』という作品で、初めてこれらの音源を聞いた私は感動のあまり、この二枚の解説を頼まれもしないのに書き上げ、それがバンドのウェブサイトで公開されるということがあった(追記:改めて思い返すと、一枚目の『ワンダフルまたはフレッシュ』には解説を書いていないような気がしてきた。二枚目の全曲解説は書きました。これは間違いありません)。私はあの解説を書いたことを、どちらかと言えば良かったことだったと思っているが、割と最近になって、解説を書くのではなく、バンドにインタビューをした方が良かったのかもしれないと思ったのだった。なぜなら例えば、私が彼らのレパートリーで一番好きなのは、最初のミニアルバム所収の『湯河原で男女』という曲だが、このマジカルな曲をどうやって書き、どうやってアレンジし、どうやって録音したのか、ということをあいつらは絶対忘れてしまっているからだった。そういうことをつぶさに訊いて、記録に残しておけば良かった。誰のために?もちろん私のためにである。他の人も読みたかったら勝手に読めばいいと思うけど。一応車の中でTくんに『湯河原で男女』を書いた時のことを訊いてみたが、やっぱりあんまり覚えていなかった。しかし、彼自身のこの曲についての解釈と、自分自身の作家性への分析のようなものが聞けたので、それは嬉しかった。それをここで書いてもいいのだが、彼のバンドは一応現在「曲作り中」であるらしいので(12年くらい曲作り中みたいです)、万が一の時のために書かないでおく。なんか種明かしっぽくなりそうだから。他にも『国鉄に乗って』という曲を書いた時の大変面白いエピソードなどを聞けたので、ファンの私は大満足だった。まあ話に夢中になって、途中かなり道を間違えたりしたが、言わなかったので多分ばれてないと思う。土地勘のない人とするドライブにはこういう好都合な面がある。あと売るほど時間があるから大丈夫。時間の叩き売り。持ってけ時間泥棒。
つづく
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博多祇園山笠の画像が古いパソコンから出て来たよ!・1
博多祇園山笠 顔をゆがめて苦しそう!! こうゆうの見ると嬉しくなるんだよー!! 2014年東流
近頃枯れてきたからあまりえぐいのは好きじゃないけど、苦しんでる男を見るのはとても楽しい!
2016年西流
前の奴の背中を押すと、背中を押された奴は棒立ちになっちまうか、ペチャっと腹ばいに倒れるはずだよ! 押す手も首の方に滑ると思うよ! 下の写真の手前の奴は前の奴のふんどし(締込み)の結び目を押してるよ! みんなが前の奴の結び目を押してる写真があったけど見つからない。結目を押上げられたら前に進まないとぎゅう��ゅう詰めになっちまうね! 順番に前の奴のふんどしを押上げると最前列に全員の力がかかるね!! おもしろいね!!
台上がりの写真も出て来たよ
おかしいな、一部分しか映ってない!
2013年(上2枚) 2015年(下2枚) 土居流
締込ってゆうんだね。晒よりごついけど相撲廻しには見えないね。こんな生地ってなんてゆーんだろ。
廻しは子供用からプロ用まで種類が沢山あるよ。順に厚さと寸法が違うけど、中子供用以上は祭なら大人着用可だったと思うよ。そんなんだろうか?
2015年土居流
この中からよりどり見取りだったら、どれにする?!
この投稿の写真は昔使ってたパソコンから出て来たもの中心。出典や説明が違ってるのがあるかも知れないよ。ごめんね!
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ちぐはぐの庭
AP_2022 / 名古屋芸術大学 舞台芸術領域3年 ダンス公演(プロジェクトワーク5)
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違和感っておもしろい!
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開演日時
2024年7月28日(日)11:30、16:00 ※開演30分前より開場 ※上演時間40分
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料金
一般 1,000円 / 学生 500円(学生証提示) / 中学生以下無料 ※一般当日券 +200円 ※未就学児入場可、全席自由席、車椅子スペースあり ※料金は当日精算、現金のみ
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会場
名古屋芸術大学 東キャンパス 8号館スタジオ 愛知県北名古屋市熊之庄古井281
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ご予約(オンライン受付) https://forms.gle/KERVBGhjwv4a2Ut27
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出演
杉浦ゆら、加藤理愛、平田 栞
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演出・振付:浅井信好
2005年〜2011年まで舞踏カンパニー《山海塾》に所属。2011年に文化庁新進芸術家研修制度で《バットシェバ舞踊団》に派遣。2012年よりパリを拠点に《PIERRE MIROIR》を主宰。2016年に日本へ帰国後、《月灯りの移動劇場》を主宰するとともに、コンテンポラリーダンスのプラットフォーム《ダンスハウス黄金4422》の代表を務める。現在、名古屋芸術大学舞台芸術領域専任講師。ARTE ART PRIZE LAGUNA12.13 特別賞、愛知県芸術文化選奨新人賞、グッドデザイン賞などを受賞。
写真:佐藤良祐
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なにものかにならなければいけないのか?
この言葉は弟子が以前、私に言った言葉です。 この言葉から【ちぐはぐの庭】の創作は始まりました。
親・教師・上司など、子どもを教え、育て、導く立場の人間は相手に対して、なにものかになることを求めすぎているのではないでしょうか。もっと子どもたちが、自分にも他人にも無防備な状態でいれたら、どれほど楽なのだろうかと思っています。
子どもたちは常に「多様性が〜、独自性が〜、個性を〜、自由に〜、自然体に〜」などの言葉を日々、学校や社会の中でも耳にしています。これらの言葉によって、あるべき理想の姿を想像し、そうならなければいけないと思い込んでしまうことがあります。
ヴィム・ヴェンダース監督映画『都市のモードのビデオノート』に、このようなナレーションがあります。
「きみは、どこに住もうと、どんな仕事をし何を話そうと、何を食べ、何を着ようと、どんなイメージを見ようと、どう生きようと、どんなきみもきみだ。」
鷲田清一は、著書『ちぐはぐな身体』の中で、ヴェンダースは「もっとじぶんらしくなりたい」という願望からこそ脱落したがっていると述べている。私たちは、もっと無防備な自分と出会うことが現代社会において必要なのです。
本作は、心理学者ジェームズ・ギブソンによって提起されたアフォーダンスの概念をモチーフに、モノ・カラダ・空間を使って『無防備な自分と出会うための庭』をテーマに空間デザインをしています。
私たちは幼少期、自然の中で遊ぶとき、無秩序にも思える自然とかかわることで、さまざまな認知や思考を働かせながら、新たな「遊び」を仲間とともに生み出してきました。「遊び」とは環境が関わり合って生じるものです。子どもたちは、森に落ちている枝や小石、枯葉、水たまり、木漏れ日など、あらゆる自然材と関わり、特性を感じとり、新たな「遊び」を生み出します。
私は名古屋芸術大学舞台芸術領域の学生とともに、そのような創造性が育まれる場を生み出したいと思っています。
浅井信好
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舞台プロデュースコース
海野夏菜、小田原一華、金森万和条、河合恒平、鈴木宏成 竹之下紋菜、田中大翔、中村仁美、山森歩美
舞台美術コース
因幡美沙、元 喜貞、大塚理央、大場有乃、小笠原瑠莉 加納由佳、清水琴音、椿原美優、中山凱斗、花井二葉、牧 栞名
演出空間コース(音響)
植松風香、北川正菜、北川優凪、小林美羽音、佐藤星希 夏目依吹、橋村怜央、藤本実夢、二木陽菜、松木花水実
演出空間コース(照明)
イ・ロイ、今井歩、上本瑞和、酒井 優、鈴木日奈子 関 楓奈、松浦萌衣、三浦琴葉、宮原羽菜
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指導教員
梶田美香、浅井信好、鳴海康平 石黒 諭(舞台美術) 山口 剛(音響) 神谷怜奈(照明)
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フライヤーレイアウト
橋本デザイン室
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名古屋芸術大学 舞台芸術領域について
「あなたが舞台をつくる」をコンセプトに、舞台芸術作品を製作・上演するための知識と技術を専門的に学ぶことのできるカリキュラムで、未来の舞台芸術シーンをけん引する人材の育成をおこなう。
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X / @NUA_AP instagram / nua_ap
/ 主催・お問い合わせ: 名古屋芸術大学 舞台芸術領域 mail / [email protected] tel / 090-6798-8035(平日10:00〜17:00)
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「ちがう」ってなんだろう?
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#おでかけ #入笠すずらん山野草公園 #ソフトクリーム
山から降りてきて、ゴンドラに乗る前にちょっと休憩……と思ったら、結構遅い時間だったので売店はすっかり店じまいの準備中。慌てて駆け寄ってギリギリでソフトクリームを出してもらえました。
山歩きの時はいつもあっちにフラフラこっちにフラフラと好奇心の赴くままに立ち止まり、花を見つけては写真を撮っているので標準のコースタイムよりめちゃくちゃ時間がかかってしまうのです。この日も頂上にはお昼近くに着いていたのですが、下山途中の入笠湿原でぼんやりしていたのでここまで帰ってきた時には夕方に……。
なんとかしてありついたソフトクリームは、富士見町特産のルバーブ味です。ピンクの色が意外と鮮やかでびっくりしました。味は結構酸っぱめです。
山の夕方は風が結構冷たくなっていたので、震えながら食します。
山の上のすずらん畑を散歩するおばあちゃん3人組が何だか微笑ましかったので。
ゴンドラがあるので、お年寄りでも簡単にここまでは辿り着くことができます。
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全国生中継舞台挨拶オフィシャルレポート!
こ��たび、映画『碁盤斬り』の公開を記念して全国生中継舞台挨拶を開催いたしました!公開2日目を迎えたこの日の舞台挨拶は、全国47都道府県327の劇場に生中継。満席の会場を笑顔で見渡した草彅さんは「全国のみなさーん、見えてますかー?こんにちは!」とカメラに向かって手を振りました。「昨日公開で今日は2日目。昨日と変わらず、ずっとドキドキしていて、朝からエゴサーチしてました(笑)」と報告。「みなさんよろこんでくれたり、楽しい時間をすごしてくださったようで、うれしいです」と反響に感謝した草彅さんは「今日は、マスコミが入らない舞台挨拶なので、より深くおもしろい裏話ができると思います」とニヤリ。会場からは貴重なトークに期待を込めた大きな拍手が沸き起こりました。「映画では僕の新しい顔が見られると思います。みなさんに支えられて役を作り上げることができました」と共演者に感謝した草彅さんは「ひとりでも多くの人に観てほしいと思っています。よろしくお願いいたします!」と呼びかけました。萬屋源兵衛役の國村隼さんは「タイトルにもあるように、囲碁のお話です」と切り出し、「囲碁というものは打ち手の品性や性格、手筋などいろいろなものが出てきます。打ち手同士が影響し合う、お互いがお互いにインスパイアされるような関係性です。それでいて、人が変わっていくある種の成長譚でもあり、物語が進んでいくと復讐譚にも変わっていく。そういうところを観て楽しんでいただければと思います」と囲碁の性質に触れながら映画の注目ポイントを語りました。長兵衛役の市村正親さんは「どうもー!全国のみなさーん、会場のみなさーん、舞台俳優の市村正親でーす。今回は白石監督の映画に出させてもらいました!とてもうれしいでーす!」とハイテンションで挨拶。「いい親分(役)ができたと思います」と出来栄えに自信を滲ませ「全国のみなさーん、観てくださーい!」と会場の隅々まで届く声量で観客を圧倒しました。お庚役の小泉今日子さんも市村さんのテンションに釣られて大きく手を振り、会場と生中継先に挨拶。「お庚は廓(くるわ)の女将で、世の中の表も裏も見て来た貫禄のある女性。格之進と(清原果耶さん演じる)お絹ちゃんを優しく見守っているのか、厳しくしているのか、そのあたりが見どころだと思います」と役と見どころを説明。初日舞台挨拶の参加は叶わなかったが、格之進とお絹の二人を見守る役の気持ちが続いていたのか、「昨日はずっとエゴサーチ(笑)。評判もよろしかったようで、よかったです」とホッとした様子の小泉さんは、「(書き込みを)見ているので、ハッシュタグをつけてつぶやいてください!」と感想の書き込みを促していただきました。「朝から観てくださってありがとうございます」とお礼を伝えた白石監督は「念願の時代劇。草彅さんをはじめ、本当に素敵なキャストのみなさんと、京都という伝統ある場所で今もずっと働き続けているクリエイターのみなさんと一緒に映画作りができました」とニッコリ。続けて「扮装にもセットにもひとつひとつに感動しながら映画を撮っていました。僕の感動のすべてがスクリーンに詰まっています」と充実感を滲ませました。格之進を演じる草彅さんは、スクリーンで普段とは違うかっこよさで魅了します。『碁盤斬り』の舞台挨拶ではたびたび草彅さんのギャップが話題に。「かっこよさにもいろいろあるんでね(笑)」と話した草彅さんは「僕の顔(映画のポスター)を貼り付けたバスも運転したりして」と都内5箇所を周遊中(5月27日までの予定)の本ポスタービジュアルをラッピングしたロンドンバスについて言及。「僕が運転しているわけじゃないけれど」と笑いながら、「僕に見えないとか、誰だか分からないというのは褒め言葉だと思って(感想を)受け取っています。それだけ役に入り込んでいたと思うようにしています」と反響への思いを語り、「僕も(映画を)観た後に僕じゃないって思いました。芸能生活の中で、1番大人な顔を撮ってくれたんだと思います」と白石監督の方を向き深々とお辞儀。新しい顔を引き出すことができたのは、共演者の存在もあったとし、「みなさんと共にお仕事をして来た、(これまでの)いろいろなつながりもあってできたのかな」としみじみ。「自分が観てもかっこいいって思うし、1番気に入っている作品になっています」と新たなお気に入りができたと報告し、大きな拍手を浴びました。
「笠(かさ)姿がかっこいい!」という小泉さんの言葉に、「そう!自分でもそう思います!」と満面の笑みを浮かべる草彅さん。「今、笠をかぶったら世界1じゃない?」との小泉さんの褒め言葉に、「日本を飛び越えて。国際的な。ワールドナンバーワン笠!」とキャッチフレーズをつけ会場を笑い声と拍手でいっぱいにした草彅さん。小泉さんからの大絶賛にご機嫌の草彅さんは「先輩方に囲まれて、(映画の中で)ちゃんと仕事しています!」と、かっこよさのギャップが堪能できるのは、真剣にお芝居に向き合っていたからと胸を張る場面もありました。國村さんは「格之進という人はものすごく几帳面な人。この人の碁に僕が演じるキャラクターは心酔しちゃう、そういう関係性です。そこからいろいろなことが起こってくる」と物語の流れを解説。「四角四面でカチカチの格之進が源兵衛をはじめ、いろいろな町人たちと関わる中で、いろいろなものを見るようになって…」と國村さんが格之進の変化に触れると「『おっさんずラブ』なんですよね」とニコニコの草彅さん。「本当にそれに近い!」と國村さんも反応。草彅さんは「性別を超えた人間愛の物語」と補足。國村さんが「まさにそう。碁敵っていう言葉があるけれど…」と話し始めたところで、「ごがたき?」とポカンとした草彅さん。「碁敵。碁を挟んだ敵同士」との國村さんの説明に「あー、その碁ね。なんかことわざなのかと思っちゃった“百聞は一見にしかず”みたいな」と苦笑いの草彅さん。「碁敵はイコール恋人に近いかな。人間としてのリスペクトから始まる物語なので」との國村さんの指摘を受け、草彅さんは「まさに。なるほど、碁敵、碁敵」と復唱し、格之進と源兵衛の関係性を表す言葉を取り込んでいました。「市村さんとも『おっさんずラブ』がある!」と、格之進と長兵衛の関係性にも“ラブ”が存在するとした草彅さん。「そうそう!」とうれしそうに身を乗り出す市村さんの隣で、「親分とも『おっさんずラブ』があるね」と笑顔の國村さん。「つよぽんは、綺麗な格好で出てくるけれど、だんだん汚くなっていく…」と映画の中での格之進の身なりの変化を説明する市村さんに「1番汚いときに出会って…」と2人の出会いを振り返った草彅さん。「そこに何かを見つける、キュン!ってね」と指ハートを作った市村さんに大爆笑の草彅さんだったが、「僕はずっとキョンキョンにラブし続けている」と突如、役を離れ、個人的なキュンを告白。小泉さんは「いつも本当にありがとう」と自分への���を語る草彅さんに感謝。「マジでずっとラブ。だからキョンキョンと國村さんが仲がいいのにかなり嫉妬していて…」と草彅さんの話題はラブから嫉妬へ。「ヤキモチ妬かない!」との市村さんのツッコミに「だってずっと話してるんだもん!」と拗ねる草彅さん。「京都でもごはん一緒に食べに行った!」との小泉さんの報告に「ズルい!」と草彅さんのジェラシーはメラメラ。「どうやったらキョンキョンとごはんに行けるの?どっちが誘うの?」と矢継ぎ早に質問する草彅さんに小泉さんは大笑い。「僕が誘うんだよ」とサラッと答えた國村さんに「えーーー!!」と叫ぶ草彅さん。小泉さんが「國村さんは京都に詳しいから、“どこかおいしいお店ないですか?”って訊いて」と経緯を話し始めると、國村さんが「知ってるよ、一緒に行く?ってなる」とニヤニヤ。2人のやりとりに「なるほど。國さんからか。あ、昨日から國さんって呼んじゃってるけれど…」と話題が逸れそうになるも、小泉さんとの食事を実現したい草彅さんは「大人としていろいろ知っておくことが大事なのか。まずは京都のおいしいお店とか」と頭に叩き込むような仕草を見せる。すると小泉さんが「だって、古着屋さんしか行かないでしょ?」と草彅さんの京都での過ごし方に触れると、「ちょっと狭いんや!」と興味を持つ範囲に國村さんからもダメ出しが。「確かに、狭いな」と納得した草彅さんは「テーマはそこだな」と頷き、笑いを誘いました。
MCから小泉さんの興味のあることを知ることが大切とのアドバイスも。すると小泉さんが「韓国語を覚えたい。教えてください」とコメントし、草彅さんを優しくリード。「いいですね」とまんざらでもない草彅さんだったが小泉さんから「チョナン・カンさんに教えて欲しい!」と具体的にリクエストされると、「少しは教えられるかも…」とちょっぴり遠慮気味に。「具体化されると引くんだよね(笑)」との小泉さんの鋭い指摘に、「國さんついてきて!」と國村さんにすがるような仕草を見せた草彅さんに一同大爆笑。「韓国語でけへんで」と答える國村さんだったが「國さん、韓国作品たくさん出てるから大丈夫」と答えた草彅さんに「それは関係ないで〜」と返し、流れるようなトークで会場を笑いの渦に包み込みました。撮影現場も舞台挨拶のように和やかで笑いが絶えなかったのかとのMCからの質問に「監督が穏やかな方なので。『孤狼の血』のようなバイオレンスを撮る方とは思えない!」と白石監督自身と作品とのギャップに触れ、草彅さんらのトークに大笑いしていた白石監督が「現場ではもっと集中していたはず」と話すと、小泉さんも「寡黙にやってましたよね」と。すると草彅さんは「そういうところはちゃんと保っておかないと、仕事なくなっちゃう(笑)。あいつ、ずっとふざけてるなってなっちゃうと商売あがったりなので。先輩方に比べたらまだまだだけど、芸能界でちょっと長くやってきたので、“侘び寂び”というのは意識しているつもりです」と草彅節を展開。侘び寂びではなくメリハリかな…といった声が会場からも漏れ聞こえていましたが、草彅さんのトークはさらに続き「京都の撮影所は銀幕のスター、高倉健さんも入り浸っていた場所。毎日、映画を観に行くように撮影所に通っていたそうなので、そんなことを思いながらやっていました」と撮影中は役に、作品に没頭していたこと、さまざまな思いや過っていたことも明かしました。笑いいっぱいのトークの中に、こういったエピソードをサラッと挟むのも草彅さんらしさであり、舞台挨拶に足を運ぶ醍醐味です。長兵衛の寡黙さについて訊かれた市村さんは「僕は全然寡黙じゃない。寡黙(火・木)というより月水金!」と回答し、真面目なトークが続くと思いきや、今度は市村劇場の時間に。「すごいね、市村さん!」とウキウキの草彅さんに市村さんは「こういうことを言ってないと居心地が悪くて」とギャグを言わずにはいられない理由を明かす場面も。「今日は記者の方がいなくてよかったです」と笑いながら話す草彅さんに市村さんは「ほんとに。いたら“またやってる”って書かれちゃう」と大笑いした後、流れを変えようと「全国のみなさーん、観てますかー?」と中継先に手を振り始め、「旅公演っていうのがあるけれど、ここにいて全国に行ってるような気分になる」とさらにテンションを上げて大きく手を振り続けました。「327館ってすごいよね」としみじみした草彅さんが「大型映画じゃん!今気づいた。『ミッドナイトスワン』のときはこんなになかったもん」と振り返る場面も。MCから「結構たくさんやってましたよ、中継で」とのフォローも。市村さんが「海外でも賞を獲っているし…」とコメントし、日本だけでなく海外からも注目度が高い作品だと話すと、白石監督が「イタリアで(第26回ウディネ・ファーイースト映画祭」)批評家賞(ブラック・ドラゴン賞)をいただきました。イタリアの方たちも侍映画を観たいんだな、って思いました」と好感触だったことを明かしました。「いずれ、全世界の映画館で(生中継)!」と目を輝かせた市村さんが「全世界のみなさーん!」とカメラに手を振ると、「いずれね。目標は高いほうがいい。(受賞は)すごく誇らしいし、幸先のいいスタートになりました」と草彅さんも一緒に世界に向けて手を振り、2人で「今のカメラはすごいね、みんなの顔が見えるよ」などとミニコントのようなやりとりで笑わせました。脱線気味のトークにハッとした草彅さんは「月水金や寡黙の話。今日は自由に話していい、ここでしか聞けないトークになっているのでいっぱい拡散してください」と、楽しい舞台挨拶のお裾分けも促しました。
舞台挨拶とは全く違う雰囲気の映画が楽しめるとのMCのコメントに「こんな雰囲気の映画だったら、お客さん入らないよ」と笑いが止まらない草彅さん。市村さんも「僕が出てきたら、月水金の人出てきたーってなったら嫌だな」と発言を後悔するような表情を見せたが、会場の笑い声と拍手はより大きいものとなりました。拡散を意識してか、再び映画についてじっくり語る場面も。役作りのこだわりについて草彅さんは「僕は、あまりやらない。みなさんのオーラとグルーヴ感っていうのかな。みなさんの顔を見たらその役になれるというか。(芝居は)1人で作業するものではないと思うので、やっぱりみんなで作り上げていくものだし。いくら台本を読んでも、実際に目の前に役者さんがくると、台本を読んだときとは違う感覚がたくさん出てくる。その場その場で感じたことを表現するのがフレッシュだし、伝わるものがあります」と解説。アドリブはしないそうで、「セリフは台本通りにちゃんとやります。でも、台本に書かれてないものが湧き出ていいものになるとは思っているから、そうなりたいなと心がけてやっています」と丁寧に語りました。國村さんは「カメラが回っている間、考えているのはいかに自由でいられるかどうか。相手を感じながらリアクションが出る。それがお芝居というもの。10テイク撮ったら、10テイク違うものが撮れる。同じものは2つとないですよね、監督?」とのフリに白石監督は「まさにその通りです」と返し、「もちろん(10テイクの中から)チョイスはするけれど、ここにいる人たちは俳優としてはもちろんですけれど、人としてもいろいろな経験をされて、いろいろな意見を持っている。そういう懐の深さ、大きさがスクリーンに焼きついています。そういう形で大きく映画に貢献してくれるすごい俳優が集まってくれたすごい映画です!」と太鼓判。衣裳を着て、かつらをつけることで役になりきれるという市村さんは「役の気持ちが入った状態で、いざ、格之進と対峙したときに、つよぽん演じる格之進が僕が演じる長兵衛を見ることで役が出来上がる。格之進とのやりとり、呼吸をする中で、芝居というものは生まれてきます」と真面目にコメント。小泉さんも相手とのやりとりで芝居が生まれるとし、「さらに今回は時代劇。自分のセリフを言うための説得力として、知らない情報を埋めていくという作業はみなさんしていると思います。そんな中で古い映画に出会ったりして。この映画に出てくるまあるい橋が出てくるかっこいい映画にも出会いました。そういうふうに(役のための情報を)埋めていく時間も楽しかったりします」と語りました。小泉さんが挙げた映画に登場する橋には白石監督のこだわりが詰まっています。「吉原大門の前の橋は『緋牡丹博徒 お竜参上』(加藤泰監督)にでてくる橋。京都(撮影所)にその図面が残っていたので、映画的な表現を使って、ドラマチックに表現しています。映画の知恵が詰まったシーンなので、そんなところにも注目してほしいです!」と白石監督がおすすめすると小泉さんも「今回、初めて京都の撮影所に行って。やっと(映画俳優に)仲間入りした感じ。美術もプロフェッショナルでとても素敵でした」とよろこびを噛み締めました。白石監督は貧乏長屋の障子紙の貼りものにもこだわりが詰まっていると話し、小泉さんも「江戸と関西での様式の違い。そういうものもちゃんと美術さんが作ってくれたことにも感動です!」と京都撮影所のこだわりにうなっていました。
最後の挨拶で草彅さんが「キョンキョンとは29年前に共演して、市村さんとはドラマ『ホテルビーナス』以来20年ぶり。國村さんとはドラマ『ペペロンチーノ』以来3年ぶりで。今朝はそんな御三方と会うんだなっていろいろと思い出していて。僕はこの映画で何を伝えたかったのかなってちょっと真面目なことも考えている中で、僕と格之進の決定的な違いって何だろうって思ったときに“覚悟が違う!”って気づいて。生きる覚悟が僕にはない、格之進にはある」と話したところで、「あるよ」「覚悟だらけじゃない!」との言葉が登壇者から飛び、すると草彅さんは「ネガティブじゃなくて。切腹と���生きる覚悟、すなわち死ぬ覚悟。そういう覚悟を持って格之進は生きている。覚悟の度合いが違うって思ったんです。でも、シンプルに考えたら、毎日生きているってことは毎日命がけってこと。格之進から“お前は覚悟を���って生きているのか…”みたいに言われているように感じて。覚悟を決めて生きていく人生ってかっこいいじゃないですか。何気なく過ごしている日も覚悟を決めて命をかけて生きているわけだから、そういうマインドを新しく格之進に書き換えてもらったのかなと今日、思いついちゃって(笑)」と最新の発見に満面の笑みを浮かべた草彅さんは、「僕の作品を観て心を動かしてもらいたい。そういうことに命をかけてこれから生きていこうかな、ということを格之進から教わりました」と語りました。そんな気づきも、共演者との出会いがあったからとし、「みなさんと長くおつきあいしてきた中から生まれたのかなって。便利な時代だけど、自分が何に命を燃やしているとか、少し考えてもらえるきっかけになればいいな、なんて、最後にそんなことを話したかったんです!」と自身の思いを真摯に伝える草彅さんに、この日1番の大きな拍手が贈られました。
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日を追うごとに事態がめまぐるしく動き続ける鹿児島県警察の「不祥事隠蔽」「報道弾圧」疑惑。今後さまざまな視点で検証されていくことになるその"事件"に、筆者は当事者の一人として巻き込まれた。 間接的ではあるものの、不当な強制捜査でライター生命を断たれかねない状況に追い込まれ、"善意"の公益通報者に顔向けができなくなった今日の思いは長く記憶に留まり続けることになりそうだ。 公憤と私憤とが混在する脳内を整理し、その熱が冷めないうちに鹿児島県警の不当な捜査の一端を記録しておきたい。現時点までで計4回にのぼった県警とのやり取りをここに再現する。(ライター・小笠原淳) ●4月3日に差出人不明の封書が届いた スマートフォンの記録によれば、その電話があったのは、6月4日午前10時21分のこと。電話の相手は男性の声で、鹿児島県警・組織犯罪対策課の職員(捜査員)を名乗った。 「うちの元生活安全部長が逮捕された件で、事件の証拠品がそちらに送付されていることがわかりまして…」 この時点で、事情はおおむねわかった。捜査員の言う「事件」とは、電話の4日前に鹿児島県警の前生活安全部長が逮捕された国家公務員法違反(守秘義務違反)事件を指し、その「証拠品」というのは前部長が第三者に届けたとされる文書のことだろう。 2カ月ほど遡る4月3日、北海道・札幌を拠点とする筆者のもとに差出人不明の封書が届いた。一般的な縦長の茶封筒の表面に、宛先を印字した白い紙。消印には「鹿児島中央」「3.28」の文字。3月28日までに九州・鹿児島から発送されたと思しき封書が、6日間かけて札幌に辿り着いたということだ。 封筒には、10円の運賃不足を示すスタンプが捺されていた。重量超過で、貼付された切手の額面84円では料金が足りないらしい。配達員に10円を支払って封書を受け取った筆者は、その場ですぐに開封してみた。 まず目に飛び込んできたのは、1枚目のA4紙に太い字体で印刷された「闇をあばいてください」のメッセージ。2枚目以降は、未発表とみられる警察不祥事3件の概要を記した文書と、警察の内部文書と思われる書類だった。 いわゆる内部告発であることはほぼあきらかだったが、ただちに裏づけ取材を試みるほどには関心を惹かれなかった。文書に記録されていた事案が、すべて北海道とはまったく関係のない鹿児島県警の事案だったためだ。 筆者のもとには地元・北海道警察の関係者とみられる人物からの投書もしばしば届くが、受け取った情報が十分に具体的で、真実味があったとしても、送り主が完全に匿名の場合は取材開始に至らないことが多い。ましてや直線で1600キロメートルほども離れた九州の話題となると、匿名情報をもとに取材を進めて記事をまとめるのはおよそ現実的ではなかった。 餅は餅屋。九州の警察不祥事は九州へ。そう考えた筆者は、投書をPDFファイルの形で保存し、そのデータを福岡のニュースサイトHUNTER(https://news-hunter.org/)の編集部と共有することにした。 文書のデータをメール送信したのは、同じ日の午後3時過ぎ。これを受けた同編集部の中願寺純則編集長は、筆者と同じく「すぐに裏づけをとるのは難しい」と判断し、文書の情報は当面、あくまで参考情報として管理するに留めた。 HUNTERは先述のように福岡を拠点としたニュースサイトで、地元自治体や警察、議会などの不祥事を積極的に取材・発信している。4年ほど前からは北海道の話題も扱い始め、札幌在住の筆者が北海道警の不祥事などを記事にして寄稿するようになった。その編集部に内部告発文書を送信して情報を共有することは、少なくとも筆者にとってはごく自然な行動。よもやそこから情報が「漏れる」などとは想像もしていなかった。 ●4月8日にHUNTER編集部が家宅捜索された 匿名封書が届いた5日後の4月8日、鹿児島県警はHUNTER編集部を家宅捜索し、別の情報漏洩事件の捜査という建前で中願寺編集長のパソコンやスマートフォンなどを押収した。 この家宅捜索の不当性については、HUNTER編集部が抗議の意とともに詳しい経緯をまとめた記事(https://news-hunter.org/?p=22612)(https://news-hunter.org/?p=22617)を配信しているほか、何人かの報道関係者が県警への批判を込めた記事や声明を発信しているので、ここでは詳述を控えたい。 本稿で指摘したいのは、このときの家宅捜索でおそらく偶然、筆者がHUNTER編集部と共有した文書のデータを発見した鹿児島県警の行動だ。県警は投書の主を特定するため文字通りの「犯人捜し」に血道を上げ、結果的にその人を逮捕するに至った。 組織の不正を告発して「闇をあばく」ことを願った公益通報者を、守秘義務違反事件の容疑者に仕立ててしまったのだ。言うまでもなく、5月31日に逮捕された前生活安全部長の事件のことだ。 以上のような経緯を辿った"事件"の捜査はしかし、重要な証拠を欠いていた。これも言うまでもない、筆者に届いた匿名封書がそれだ。封書の現物こそが「情報漏洩」の事実を裏づける物証であるはずだが、それを手にしたことがあるのは5月末時点で送り主と私のみ。 県警はたまたまHUNTER編集部のパソコンに残っていたPDFデータを発見しただけだ。それで裁判所の逮捕状が発付されたのも面妖な話だが、とにかく捜査関係者の手もとには重要な証拠がないまま2カ月弱が過ぎていた。前生活安全部長逮捕の4日後に筆者に届いた県警からの電話は、まさにその物証を警察へ提出するよう求めるものだった。 ●鹿児島県警の捜査員は「お願いベース」という言葉を使った ここで、その電話のやり取りに話を戻す。鹿児島県警の捜査員を名乗る男性は、「重要な証拠」についてどう話を切り出したか。直後にまとめたメモで再現すると、捜査員と筆者との間では次のようなやり取りがあった。 捜査員:重要な証拠品ということで、返還していただきたいと思いまして。 ――返還? どういうことですか。 捜査員:簡単に言いますと、証拠品として押収させていただきたいと。 ――押収? 令状か何か出てるんですか。 捜査員:今のところは、ないです。 ――ああ、任意ってことですね。 捜査員:はい、お願いベースになります。 短い時間に、3種類の言い回し。捜査員は、たしかに次のような言い換えを重ねた。「返還」→「押収」→「お願い」と。この場合、正しいのは最後の「お願い」のみ。筆者が受け取った文書は筆者の所有物であり、「返還」するようなものではない。強制的に「押収」される理由もない。ならば県警は、なぜそれらの言葉を使ったか。 「お願いベース」という事実を知られたくなかったから、と考えるのが自然だろう。電話の相手は、筆者が「任意か」と訊き返さない限り「返還」ないし「押収」で押し切ろうとした可能性が高い。求めを受けた筆者は、そもそも問題の文書の存否を警察に告げる義務がないことなどを伝えつつ、結果的には自身が文書の所有者であることを事実上認めてしまうこととなった。 先述した疑問、すなわち物証なき逮捕への率直な疑問をただしたくなったためだ。以下は、その問答の一部。 ――逆にうかがいたい。これ、証拠なしに逮捕なさったんですか。 捜査員:そこはちゃんと、それなりの、相当な理由がありましたんで。 ――もし私が手紙を捨ててたら、証拠は存在しないですよね。 捜査員:申しわけありません。捜査の詳細についてはちょっと…。 電話口の警察官は、筆者の職業を知っているという。そこで筆者は改めて「取材の秘密」を引き合いに出し、任意提出を拒否。相手は「そこをなんとか」と食い下がってきたが、ここで電話は当方都合で時間切れとなる。その日午後に地元で開かれる裁判の傍聴抽選券配布の時刻が近づいてきたためだ。夕刻にこちらから折り返すことを約束して電話を切り、最初のやり取りは終わった。 ●捜査員と二度目の電話「結論は変わんないですよ」 2度目の通話からは、録音データが残っている。無論のこと、録音の事実は相手に伝えていないが、公務中の警察官の言動を記録するのに特別な許可が必要とは思えない。そういうわけで、以降に採録するやり取りは、前段までの記録よりも再現度が高いものとなる。 6月4日、つまり最初の電話と同じ日の午後4時50分、電話口に出たのはその日の朝に対応したのと同じ男性警察官だった。 ――今朝の件ですね、結論は変わんないですよ。 捜査員:えーとあの、押収…、任意提出に応じてくださることは、ちょっと難しいということですか。 ――そもそもあれですよね、誰からどんな郵便届いたとかって警察に言う必要ないっすよね。 捜査員:ああ、なるほどですね。 ――まあ、まあでも、午前中の会話で事実上認めたようなもんではあるので。 捜査員:いやあ、はい。 ――しょうがないっちゃしょうがないんですけど、でもそれ、繰り返しになりますけど、それ何も、私にデメリットしかないですよ。そんなことやったらライター廃業しなきゃいけなくなるんだから。 捜査員:なるほどですね、はい。 ――そうなったって警察は面倒みてくんないですよね。 捜査員:ああ、そうですね。もう、あのー、正直、任意提出に応じてくださらなかったからといって、まあ小笠原さんがまあ不利になったりとか、そういうことはございませんので。 ――ああ、いや、だから、ただね、あの、その『なんで私のとこに送ってきたの、ご存じになったんですか』って聞いても、言ってくんないと思うんですけど。 捜査員:はい。 ――私たまたま知ってますよ。あの、中願寺さんのことへ強制捜査入りましたよね。 筆者が言及したのは、先に述べた4月8日のHUNTER編集部への家宅捜索。これがあったことを確認する問いに、答えは返ってこなかった。筆者の語りが続く。 ――そんとき、お���らくスマホとかパソコンとかの中に私が送ったPDFがあったから、まあ特定したんだろうと思うんですけど。要はもう、そちらはそういうことやりかねない組織って、私わかっちゃったんで、おっかなくて手元に置いておけないっすよ、悪いけど。だから然るべきところにモノは移してるんで。 捜査員:あっ、ええと、今回の文書ですか。 この時点で、電話の相手は任意提出をほぼ諦めた可能性が高い。筆者は当初、いくらなんでも鹿児島から札幌まで強制捜査に乗り込んでくることはあるまいと高を括っていたが、なにしろ相手は平気で報道機関を家宅捜索して取材の秘密をあっさり侵害してしまう組織。せめて問題の文書だけでも万が一の押収を回避したいと、札幌市内の弁護士に管理を委任することにしたのだった。もちろん、弁護士の名前は県警に伝えていない。 文書の回収がままならなくなった捜査員は、次に任意聴取への対応を求めてきた。日程調整のうえ、札幌まで面会に来るという。 捜査員:ご予定を上司のほうに諮りまして、あのー、改めてこちらからご連絡させていただくということでよろしいでしょうか。 ――ああ全然、全然。ですけど、なんすかこれ、たとえばその調書の内容がその、いわゆる陳述みたいな感じで裁判で使われたりとかするんですか。 捜査員:…えーとー、あのー、そのー、当日会ったときのですか。 ――ええ、ええ。 捜査員:…ええ、まあ、そこはですねー、あのー、ちょっとまあ、なんとも言えないところです。 ――なんとも言えない? 最初の電話に通じる姿勢。聴取の目的を明示せず、とにかく面会に漕ぎつけようという了見だ。これが警察全般に共通するやり方なのか、あるいは鹿児島に特化した慣行なのかは定かでない。 筆者は改めて「どう使われるのかわからないものに応じるのは難しい」と告げたが、相手はとりあえずこちらの都合に合わせて札幌を訪ねたいという。この季節の北海道は過ごしやすく、観光にはうってつけの時期だ。来るというものを拒む理由はなく、来たいのであればそうすればよいと促し、通話を終えた。 ●前部長からの投書を確信して改めて拒否した 次の電話は、二晩を経た6月6日午前10時30分に県警側から筆者へ着信。県警の前生活安全部長、すなわち告発文の送り主が鹿児島簡易裁判所の「勾留理由開示法廷」で口にした重大な証言が伝わったのは、その前日の午後のことだった。 前部長は法廷で「県警トップの野川明輝本部長による不祥事の隠蔽があった」と主張し、札幌へ送った文書がその事実に関連するものだったことをあきらかにしたのだ。法廷ではこれに先立ち、裁判官が文書の送付先として筆者の氏名を読み上げたといい、これを伝え聞いた時点で筆者はようやく投書が前部長からのものだったと確証を得た。念のため添えておくが、筆者と前部長とは互いに面識がなく、筆者は逮捕報道に触れるまでその人の名を知らなかった。 前部長はなぜ、地元の報道大手や中央の週刊誌・月刊誌などではなく、ほぼ無名の札幌のライターに公益通報を試みたのか。真意は本人にしかわからないが、託された筆者がその思いに応えられなかったという事実は残る。のみならず、県警の不当な強制捜査に原因があるとはいえ、結果として提供された情報を県警に筒抜けにさせ、それによって公益通報者の逮捕を許すことになってしまった。 筆者は、鹿児島県警によって危険なライターの烙印を押されてしまったわけだ。「あの記者に公益通報すると情報がすべて警察に漏れ、提供者も逮捕されることになるぞ」と。 上のような思いを抱えて迎えた朝、いきおい電話対応の声が棘を含む口調になってしまったのはやむを得まい。通話の相手はやはり、前回及び前々回と同じ男性職員だった。 ――お越しになるのは自由ですけど、私なんもしゃべんないですよ。 捜査員:あっ、もうそこはあのー、はい…。 ――あと、一対一でお会いするかどうかもわかんないです。弁護士同席するかもわからんし。あと最初から最後までICレコーダーで録らせていただきますんで、それでよければ。 捜査員:あっ、最後まであのー…。弁護士も同席する可能性もあるっていうのと、その、あの、ICレコーダーを使ってあの、録音さしていただくっちゅうことですか。 ――場合によっては撮影させてもらいます。 捜査員:場合によっては撮影するっちゅうことですか。あの、その、あのー、この事件の、証拠品の、あのー、任意提出、まあ目的は、われわれの目的はまあ、そこなんですけれども、まあそれに至らなくても、お話だけでもうかがうということですので、で、あくまでも任意ということですので、そこはあの、あのー、小笠原さんもあの、ご理解いただけたらと思います。 ――あのー、であればしゃべらないので、しゃべらなくてもよければ、お越しいただければ。 数秒間の沈黙。ここでどうしても前日の法廷で聴かれたという前生活安全部長の陳述について聞いてみたくなった筆者は、感情に任せて逆質問を始めた。一職員の立場では答えられるはずもない問いばかりなのは、もとより承知の上だった。 ――昨日の勾留理由開示法廷ありましたよね。あれで本田さん(前生活安全部長)がお話しになったこと、あのいわゆる『本部長から隠蔽の指示があった』っていうのはあれ、事実なんすか。 捜査員:…申しわけありません。そこはですね、あのー、私あのー、事件捜査を担当してるもので、あのー、そこについては私がですね、お答えする立場になくてですね。 ――あの、立場っていうか、事件捜査担当してんだったらわかりますよね、当然。本部長から指示があったかどうかって重要なことですよ。絶対知ってますよね。 捜査員:あのー、小笠原様のご立場としましてはあの、報道機関、というふうにわれわれのほうで、あのジャーナリストというふうな認識で、あのー、そういう報道機関からの対応につきましては、あのー、一括してですね、あのー、総務課、県警総務課なんですけど。 ――そんなことはない。そんなことはないでしょう。テレビ・新聞にはそう対応してないじゃないすか。非公式に、副署長��か対応してること、あるでしょう。 捜査員:あっ、いや、それはですね。あのー、非公式にやっては駄目なことです。駄目です。 ――あの、■■さんね、その渦中にいるんだから絶対ご存じですよね。その本部長から隠蔽の指示があったのが事実だとしたら、今やってる捜査もおかしいですよね。ずっと続けんの、これ? 捜査員:…。 ●捜査情報を握る当局は「都合よく」情報を漏らしている 後半で捜査員が「駄目です」と明言しているのは、警察による非公式な取材対応のこと。なぜ「駄目」なのか。たとえば容疑者の供述内容を伝えるなどの非公式な対応は、国家あるいは地方公務員法違反(守秘義務違反)にあたる可能性が、つまり今回逮捕された前生活安全部長の容疑と同じ法令違反にあたる可能性があるためだ。 ところが実際は、全国津々浦々で、365日24時間、この守秘義務違反が公然とおこなわれている。公益通報のためか。否。多くは報道をコントロールする目的で、捜査情報を握る当局が都合よく情報を漏らし続けているのだ。 今回の事件でも例に漏れず、差出人と筆者のほかには知り得ないはずの文書の内容が「関係者によると」あるいは��捜査関係者によると」の枕詞つきで次々と発信されることになった。守秘義務違反事件の取材対応で堂々と守秘義務違反が繰り返され、しかし誰一人罪に問われず、報道機関も一切問題視しない。一人、前生活安全部長のみが犯罪人として素姓をさらされ、裁判を受けることになるのだ。 鹿児島県警と筆者との最後の電話は、前回と同じ6月6日の午後4時31分から、約3分間のやり取りで終わった。県警は同日夕までに筆者への任意聴取を断念、以後今日まで新たな打診は届いていない。最後の通話で、筆者は再び明答が期待できない質問を寄せてみた。前日の法廷で前部長が語ったという、公益通報の動機。それを聴いてどう思うかを捜査員に尋ねたかった。こんな陳述だ。 《私が退職した後も、この組織に残る後輩がいます。不祥事をあきらかにしてもらうことで、あとに残る後輩にとって良い組織になってもらいたい、という気持ちでした》 筆者の電話の相手が、まさにその「後輩」の一人。公益通報を担って逮捕された先輩の事件を、彼らはどういう思いで捜査しているのか。 ――捜査員の一人としての思いを聞くこともできないですか。 捜査員:申しわけございません。そういうのは、あー、できないです、はい。申しわけございません、そこはすいませんが。 ――昨日の本田さんの発言についてどう思うか、とか。 捜査員:そうですね。すいません。もう、ちょっと、そこはあの、お答えできないです。 県警トップの隠蔽指示はあったのか、なかったのか。前生活安全部長の証言が事実だったとして、その責任をとるべき本部長はキャリア官僚。今回の"事件"で鹿児島を追われることになったとしても、ほかに居場所はある。 対して、組織の論理で元部長の事件の捜査に関わった「後輩」たちは、その事実を抱えたままこれからも組織の中で過ごしていかなくてはならない。不当に取材の秘密を侵され、公益通報者にとりかえしのつかない迷惑をかけることになった筆者も、引き続きライターとして活動しながら信頼回復に努めていかなくてはならない。 そして、公益通報を罪に問われた元生安部長、その捜査のきっかけをつくった家宅捜索で報道弾圧に遭ったHUNTER編集部、その編集部が飽かず追及してきた未発表不祥事に巻き込まれた人たち――。 鹿児島県警の「罪」は、あまりに重い。
公益通報潰しに報道弾圧…前代未聞の「警察不祥事」、告発文書「返還」求めた鹿児島県警からの通話全容 - 弁護士ドットコム
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