#秩父わらじかつ風やきそば
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【まるか食品 ペヤング 秩父わらじかつ風やきそば】を食べました😋 埼玉県と群馬県を中心に展開するスーパー「ベルク」とのコラボ商品で、ベルクの発祥地でもある秩父のご当地グルメ「わらじかつ」をイメージしたかやくを使用した食べ応えのある一品。たぶんいつものペヤングの麺&具��は魚介加工品、キャベツ。〔税抜き214円〕 おまけで⭐️⭐️星ふたつでした🎉 ※私の独断と偏見で3段階評価させていただきました。 #カップ麺 #カップラーメン #焼そば 動画はこちら https://youtu.be/gNtSqSDAg18 #まるか食品 #ペヤング #秩父わらじかつ風やきそば #埼玉県 #群馬県 #中心 #展開 #スーパー #ベルク #コラボ商品 #発祥地 #秩父 #ご当地グルメ #わらじかつ #かやく #魚介加工品 #ベルク限定 https://www.instagram.com/p/Cl957ukviql/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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たどり着かなかったおおくの未来たちへ
文フリ東京だった。 土曜日開催のイベントってなんだかんだ言いながらはじめてのような気がする……労働が土日祝休めなかったころはなんでイベントは平日にやらないんだろうと思っていたし、土日が休みだったころはイベントは土曜日にしてほしいと思っていたが、日月休みになると、イベントは日曜日がいいなと思ってしまう。日月は宿泊料金がやすい。
そんな自分本位な「この日がいいな」をわたしはいくつも持っている。
文フリ東京は、土曜日の朝に出発した。車内販売がなくなってしまって、でもまあ新幹線のホームとか購買にシンカンセンスゴイカタイアイス(シンカンセンモウカタクナイアイスだという噂だが)が売っているらしいから、それを食べようと思っていたが、朝、名古屋駅で見つけることはできなかった。 しょんぼりしながら新幹線に乗る。新幹線の中ではほとんど寝ていた。
東京駅・浜松町・流通センター。いつもの乗り換えで会場に向かう。来年の12月の文フリはビッグサイトでやるらしいから、この行程で向かうのはあと一回。
会場前に八束さんのスペースで不穏なフライヤーをもらう予定だったのでもらいに行ったら、八束さんがさいたま文学館で開催中の『澁澤龍彦の文学世界』のフライヤーも一緒にくれた。 ので、スペースが出入り口の真ん前だったこともあって、これはたくさんのひとに見てもらえるんじゃないか…!ということで、出口に向けて配置した。完璧である。
そんな素敵な設営をして、開場。
遠方からきてくれたフォロワーさんに展示のフライヤーを見せ澁澤龍彦の話をし、「若い頃にわたしも全集読みました!」と言ってもらうなどしたり、痛覚の麻子さんにはえんえんと「この写真見てくださいやばくないですか?羽田に楯の会の制服を着て見送りに着た三島の帽子をかぶっておどけているときの写真でこれが二人が実際にあった最後になるんですよ……」と一生終わらないんじゃない勝手くらいの話をしつづけてしまったり、このフライヤーに気づいてくれた通行人のひと(「澁澤龍彦だ…!」という声が聞こえた)に「裏面も見てください!そしてよろしくお願いします!」とさっと差し出したり……。こんなに充実した文学フリマ東京は、2014年から参加していて初めてじゃないかと言うくらい充実していた。
惜しむらくは、澁澤龍彦のフライヤーと一緒に不穏なフライヤーを挟んでいたにもかかわらず、だれも「澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制があるんですか?」と聞いてくれなかったこと…。澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制は果たして��在するのか……?
とまあ、こんな感じなのだが、そろそろ皆さんも不穏なフライヤーとは?と思っているところだろうと思うので、ご紹介致しますとこういうやつです。
「父親の死体を棄てに行く」アンソロジー。家父長制を棄てに行きたい方はどうぞ2024年5月の文学フリマ東京をお待ちください。
イベントが終わってからは、八束さんとヒマラヤ鍋を食べに行った。 お店の予約時間まで過ごしていたドトールで渋沢栄一の話になり、「ああ、向こうは傍家で、本家はうちなので」と話したら「いまうちって言いました?」と聞き返される。うちです。 ヒマラヤ鍋屋さんはめちゃくちゃすてきな楽隊(?)のお誕生日パレードがあったり、びっくりするような美味しい鍋を食べられたりと大満足だった。
打ち上げを終えて、翌日のさいたま文学館に備えて埼玉に宿を取っていたので、移動をはじめたら電車がいきなり止まった! 電車の沿線で人身事故があったとのことで、近くのハブ駅みたいなところで電車を降ろされてしまう。こんなこと担ったのは初めてなのでびっくりしていると、とりあえず一時間くらいしたら電車は動くからね~とアナウンスが入り、事なきを得る。
都会ならではの体験だな…と思いながら、ホテルにたどり着いて泥のように寝た。
そしてさいたま文学館へ。
張り切って出てきたら開館まえについてしまった…。図録を買って、老人クラブの展示があったので見せてもらったりして(ヤツガシラの俳句があってとてもよかった)、10時になる。
貸し切り状態……。
展示は、埼玉と澁澤の関係から始まっていて、浦和高校時代の写真(浦和高校同窓会が出しているものだった)があるのがとてもよかった。 限定本も展示がたくさんあり、原稿も、文学館が所蔵しているものが4、5点。 サド裁判のときに澁澤が三島に書き送った手紙に、争点が「わいせつか芸術かを超え、表現の自由/検閲への抵抗である」ことが書かれていることを指摘していたり、『高丘親王航海記』の原稿用紙、最初は「了」と書いてあったのを、推敲の段階で文字を自ら消したことを指摘していたり、「澁澤龍彦」という人物を表現との向き合いかたから見せているのが良いと思った。 面白かったのは三島の写真の使い方で、「血と薔薇」の「男の死」の三島の写真、あと、メインビジュアルが羽田に見送りにきた三島の帽子をかぶっておどける澁澤の写真だったからか、「楯の会の制服を着た三島由紀夫」の写真が展示してあったりした。
展示をひとしきり見た後は、図書室に今回の展示の関連本がまとめてあるとのことだったのでそれを身に。「作家のおやつ」「作家の食卓」といった本の紹介や、山﨑ナオコーラが文豪の墓参りにいく本に澁澤の項目があった。山﨑ナオコーラの澁澤へのまなざしにはわたしにもおぼえがある。よい本だった。そしてその本で、先月わたしが緑色のインコに夢中になっていた霊園に中島敦の墓があることを知った。敦、ごめんな……墓のことなんて全然知らなかったから、緑色のインコのことしか考えて���くて……。
その後は文学館併設の「けやきカフェ」で澁澤龍彦コラボメニューをたべる。黒糖と胡桃のパンケーキ。澁澤が好きだった胡桃や黒糖のお菓子をイメージしてつくられていて、とてもよかった。 思い出したのは、今よりもっと貧乏だったころ、いろんなところでやっている澁澤の展示に行けなくて悔しい思いをしたことだった。いまこうしてたどり着くことができるようになったことを、なんだかとても、自分が、自分をなんとかしているように思えた。
パンケーキを食べ終えてから、「武蔵野うどん」に挑戦することにした。「伊勢うどんとは対極にあるうどんだ」という事前情報しかなかった。 桶川駅ちかくのお店はかなり人気店のようでたくさん人が並んでいて、お店に入れたのは並び始めてから一時間後くらいだった。 つけ麺(うどんのことをつけ麺というのか?)システムで、つけ汁とうどんは別々の皿に載っている。なるほどこういうやつなのか、となにも考えずにがっと箸でつかんで汁につけてすすりはじめたはいいが、うどん、めちゃくちゃかたいんですけど?!噛みちぎれない…やばい、全部すすって口の中に入れるしかない……と思ったが、これがまたすさまじく長くて……永遠にうどんがおわらない……。 こんなに硬くて長いうどんはじめてなんですけど?!おれたちは箸で持ち上げただけでへたしたらブツッといく伊勢うどんの民なんだということを再確認し、「これは風邪を引いたときに食べるうどんではなく、体力が有り余っているときに食べるうどんだな」と確信しました。きっと武蔵野のひとたちは、風邪をひいたときにはおかゆを食べるに違いない。(伊勢志摩の人間は風邪をひいたら伊勢うどんを食べます)
二口目からは一本ずつ食べることで武蔵野うどんのおいしさを堪能し、また是非食べたい、顎の力を試したい、と思った。
武蔵野うどんを噛み砕くのに体力のほとんどを持って行かれて、疲れ果てたので、そのまま帰宅することに。 購買にシンカンセンスゴイカタイアイスを見つけたので購入し、席に着くと、隣のひともおなじシンカンセンスゴイカタイアイスを持っていた。しかもおなじチョコレート味。
べつに示し合わせてはいないがふたり一緒に食べることになってしまい、こんなに好きなひとがいるのに、もうシンカンセンスゴイカタイアイスは車内販売されないんだな……と悲しくなる。 そして、乗車15分まえに買ったし、シンカンセンモウカタクナイアイスだった。
アイスを食べ終えてからは、記憶がない。気づいたら名古屋だった。
名古屋駅で、近鉄のホームに来たら、電車を待つ人は無秩序にホームにたたずんでいて、車両のドアとか何も気にしていなかったし、電車が着いても「先に並んでいたひと」という概念がないので、運良くドアの近くにいたひとから電車に乗りこんだ。東京とかから帰る途中、この近鉄のホームの無秩序さを目の当たりにすると、まだ名古屋から三重まで帰らないと行けないのに、「帰ってきたなあ」と思うのだった。
名古屋駅から最寄り駅までも、寝ていたのでほとんど記憶がない。
帰宅したら、夕食は焼きそばだった。焼きそばの麺は、どれだけ頬張っても簡単に噛みちぎれた。武蔵野うどんは硬かった。
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「泰平ヨンの航星日記」、読み終えた。
レムはソラリスとインヴィンシブル(砂漠の惑星)しか読んだことがなかったので、かなりびっくりした。こういうコミカルな話も書くんだ…。
とはいえ、前半の「泰平ヨンの航星日記」と、後半の「地球の泰平ヨン」ではテイストが違ってまたびっくり。でも、後半の方が今まで自分が持っていたレムのイメージに近いのかも。
航星日記の方は冒頭に挙がっていたけど、ガリバー旅行記やほらふき男爵のような皮肉や風刺のこめられた冒険譚で、ところどころニヤニヤする感じだった。聖者になっちゃった神父さまの話とかすごかったな…。「絶対秩序自由制定機」も面白かった。これはそのうちAIになんでも「公平に」やってもらおうとしたらなるのかも。
地球の泰平ヨンの方は全体的にややダークな感じで、これはこれでかなり面白かった。ポーとか昔の怪奇小説っぽいのかも。 「鉄の箱」はボルヘスの円環の廃墟を思い出す感じ。「不死のたましい」は、偶然だけ��最近読んだ「共同体なき死」や「死後を生きる生き方」なんかにもつながる死生観や輪廻転生にもつながる話で、オカルトっぽい感じはあるもののよかった。でも、最後の泰平ヨンの行動がとてもよかった。
いやー、レムはすごいな。とりあえず買ってある「火星からの来訪者」を読もう。あとはソラリス、インヴィンシブルと三部作になるという「エデン」が気になる。泰平ヨンも続きがあるようなので読んでみよう。読んでみようという本ばかりだ…。一冊読むとそこからまた色々読みたくなるんだよなあ…。
そういえばインヴィンシブルも読んだのにまとめてないな…。ゲームと合わせて書こうかなと思っていたけど、ゲームがやや微妙な感じで…。
「人びとはそれほど不死を渇望してはいませんよ」すこし間をおいて、私はつづけた。「ただ死にたくない、と思ってるだけです。人びとは生きることを望んでいる。足もとに地面を感じ、頭上に雲をながめ、他の人びとを愛し、いっしょに暮らして、お互いのことを考えることを望んでいる。これ以上なんにもない。これを超越して主張されたものは、すべてうそです。無意識のうそです。
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20231021
少し遅れて夏服を仕舞った。
明日の朝は冷え込むと言う。
今年の夏はコロナ開けの影響か3ヶ月ぐらい忙しい時期が続いた。正直あんまり記憶がないんだな。10月頭ぐらいから心身共に疲れが出て月の裏側で暮らすみたいにひっそりやり過ごした。
それでも9月には伊豆の天城山に登り温泉に入って伊豆半島を車で一周。先日は8年ぶりに都心に出かけて東京都現代美術館でホックニー展を見た。スカイツリーを初めて近くからちゃんと見た気がする。
中央線から見える家々や地下鉄の構内に吹く茶色い風、車内アナウンス、交わることのない見知らぬ人たち。東京。私が根を下ろせなかった街。
時は流れたんだなと思った。
そんで秩父の武甲山に登った。
下りで急に目がブリジット・ライリーの絵みたいにチカチカ��始め偏頭痛の発作一歩手前のような状態になって超焦ったが夕方から旧友のお母さんのお通夜があったのでカロナール飲んで気合いで秩父から帰った。
10代から20代の頃可愛がってもらいとてもお世話になったがその友人といつしか疎遠となりおばちゃんとも10年は会っていなかったと思う。
今まで確かに存在していてきっと明日もいるだろうと思っていた人がある時を境にこの世界からいなくなる。
この世に生まれ落ちて生きて死ぬことについて歳を取れば何かしら分かるもんだと思っていたが、結局輪を掛けて分からなくなっていく。
四十にして惑わずとは言うものの。
あとは最近なんかあったかね。
少し太った気がするのでランニングを再開した。
来月人間ドックを予約した。
そんぐらい。
球蹴り
そういえば最近サッカーばっかり見とる気がする。
遠藤選手のリバプール移籍でプレミアリーグ見るためにU-NEXTに登録した。でも結局一番楽しみなのはラ・リーガのレアル・ソシエダの試合、久保選手。親戚たらい回しにされるみたいな不遇のレンタル時代を見てきたので昨シーズン後半からの快進撃は非常に感慨深い。
暗黒時代だと思ってた第二次森保ジャパン。つよい。
5年も見てるとなんだかんだ愛着が出てきてもうポイチが監督でいいような。兎にも角にも運がある。
映画
海よりもまだ深く、海街diary、草の響き、cure、distance、12モンキーズ、LEON完全版、マトリックス・レザレクションズ、ヒメアノール、遊星からの物体X、ガガーリン
「火の鳥」に比肩すると言われたあの立原あゆみの大著「本気!」(マジ!)のように「蛇足!」と書いて「LEON完全版!」と読むぐらいに追加された部分に謎を感じる。
これは父性なの?女児愛してんの?と揺れ動く心を想像させる余白が肝だとてっきり思ってたんだが、なんつうか性癖一切隠す気無いんだなと思って単純に気色悪かった。
マトリックス・レザレクションズも謎だったなあ。
本編に挿入される過去作の映像の若い頃のキャリー=アン・モスが綺麗だった。キアヌ・リーブスも若かった。なんか泣けた。
誰も彼もが歳を取る。
監督のウィシャウスキー兄弟が気づいたら姉妹に変わってるくらい諸行は無常。
読書録
「熊を夢見る���中沢新一」「ユング名言集、フランツ・アルト編」「地上に星座をつくる、石川直樹」
毎度のことだが9月過ぎると早い。次ハッと気づいたら年の瀬とか全然ありうる。今年は早めに大掃除するぞい。
どっか旅行に行きたいと思い続けているが考えてた季節と少しずれてしまったのでのんびり計画を考えている。
どっか寂びれた辺鄙な島とか行きたい。
隙あらば世界大戦前夜みたいな空気出してくるけど何なのと思う。
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2024.06 武甲山
山頂からの眺めは非常に良いが、空気が澄んでいるとなお良い
友人と一緒に武甲山へ。数年前に一度登ったことがあるが、そのときは浦山口駅からの往復だった。今回は横瀬駅からスタートするルートにしてみる。
横瀬駅から武甲山。ちょうど電柱とかぶってしまった。
横瀬駅から登山口まではタクシー使用(片道2400円、歩くと40分くらいか?)。タクシーの車窓からは石灰岩関係の大きな工場がたくさん並んでいて壮観だったが、砂埃や排気ガスがかなり濃い道を延々と何十分も歩くのはちょっと苦痛だな、特に気温が高い日は。タクシーで正解。
約10分くらいの乗車で一の鳥居登山口到着。30台ほどが停められる駐車スペースあり。
【コースタイム】一の鳥居(0905)→不動滝(0935)→武甲山(1050-1110)→橋立林道終点(1220)→橋立鍾乳洞(1255)
しばらくは舗装された歩きやすい道。
登山道に入りそれらしい道になる
約30分歩いたところにある不動滝、ここでは山頂トイレで使用される水を汲み上げるための、水が入ったペットボトルがたくさん用意されており、ボランティアで山頂まで運ぶ。自分は一番大きな3Lくらいのを2本両手に持って進んだ(なので6kgくらい?ザックには入らない)。日帰り登山で荷物は軽量だったため、トレーニングとして自ら修行を課す。ずっと手に持っていたのだがさすがに指がつかれてきて、肩の上に乗せるように運んだら非常にラクだった。重量物を頭の上に乗せて運搬する人たちの写真をよく目にするが、あの運び方はかなり都合がいいらしいと身を持って実感。
少し急であったり緩やかだったりと緩急交互だが、総じて初心者にも優しく登りやすい。
スタートから2時間もしないで山頂に到着。水をおろしたらトイレ脇のマンホール開けて水を全量流し込む。約6kgの荷重が無くなり、足がかなり軽い。
山頂は晴れていれば抜群の景色。けどやはり空気が澄んでいる時期のほうがきれいだな。山頂はオオスズメバチがずっと登山者に接近してくるので、危ないのでササッと写真をとってその場を離れる。
山頂の少し下に寺社と休憩スペースあり。ちょうどお昼時なので少し休憩。
帰りは前回も通ったことのある浦山口駅へのルート(といってももう何も覚えていないが)。まずは青い草が斜面全体を埋め尽くし、まるで草原のような非常に気持の良い緩やかな下り坂。樹林帯だがところどころ景色も良い。
その先はかなり狭く急な道が5分ほど続く。初心者は危険と感じるかもしれないが、焦らずに進めばなんの問題もない。今回のルートの核心部はここかな。
その先はずっと緩やか。石灰岩を採掘している山だけに、看板には「発破」とか書いてある。
この日は麓が30℃くらいに達するかなり高温の日で、半分以上下山したら気温も高くなるわ風はほとんど吹かずで暑い。
最後は深い谷を蛇腹のように折り返し下るだけの単調な道。ここを通過するのに体感で15-20分くらいかかっていたような気がするが、景色が全く同じでとても長く感じる。終わりに近づくころには川の音が聞こえてくるので少し涼しさを感じる。
長い下り坂が終わると清流が現れる。気温高く風がほとんどなかったので、川べりに寄って水を浴びて体を冷やす。水が冷たくて気持ちいい!!
川の上にかか��橋を渡ったり、滝があったり、こちらの道は変化に富んで面白い。
ここは林道終点だったか?このしばらく前から道は舗装されていたが、あとはラクな道に・・・コンクリートの道は熱の輻射で非常に暑い。
浦山口駅に向かう途中で寄り道。見上げる��ものすごい岩の壁があり、その真下に食事処や鍾乳洞が現れる。鍾乳洞は入場料たった200円なので、事前に下調べせずなんとなく入ってみたが、これがすごかった。真っ直ぐ立っていられないくらい低い天井のトンネルに一歩足を踏み入れた瞬間、嘘みたいな冷気に包まれる。トンネルを下降していく最中も、狭いが周りは今なお成長中の鍾乳石だらけ。途中からぐんぐん上昇していってトンネルを抜けるのだが、これ200円って嘘でしょと思うくらいのアトラクション。トンネル内の写真は写真撮影禁止のため何も見せられないが、近くに行ったら必ず立ち寄るべし!
あとはすぐちかくの寺社仏閣だったり、小洒落たカフェ、休憩処「土津園(はにつえん)」。土津園でくるみそば食べたが、まず蕎麦そのものがかなり美味しい。そして細かくしたくるみと一緒に食べると、これまたくるみの風味が足されて美味しい。この周辺はくるみ蕎麦が名物なので、鍾乳洞とセットでぜひ(すぐ隣同士)。
浦山口駅で秩父鉄道に乗り御花畑駅で下車、徒歩で西武秩父駅に移動。さっき登ってきた武甲山が、山が削られている側を向いてよく見える。西武秩父駅の隣接する施設で休憩し、特急に乗って帰宅。
武甲山は見るだけでも面白いという珍しい山。下山後は西武秩父駅でくつろげるし、西武秩父駅までがそもそも安い・都心から近いのでオススメである。
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久しぶりにヘリコプターや小型ジェットの騒音が無い土曜日の朝である。なんだかボーっとする。ロンドンっていつも、帰ってきた場所な感じがする。私のイギリス英語は、ロンドンではロンドンっ子だけウケが良い。ロンドンでは、もはや、イギリス英語を話す人々に会えないことが判明。中国人と韓国人、インド人、スペイン人どもの群れの中で窒息しそうになるワシ。
昔良く行ったHarrodsも、Fortnum and Masonsも、もうイギリス資本では無い今のロンドン。まだ昔の面影を残すらしいLiberty本店に行く。East CourtのホテルからLibertyに着くと、丁度正午で、正午を告げるチャイムと共に、騎士がワシ=竜と戦っていた。Liberty柄も昔より大柄になっていて、カヨがアスに着せたがっていた可愛い小柄の花柄はなかなか無い。
でも、古い布の棚に並ぶ美しい布たちを見ているだけで、幸せ。幼稚園の頃、祖母や母とワクワクお買い物に行った神戸三宮アーケードの布地屋さんやボタン屋さん、毛糸屋さんなどを思い出す。懐かしい感じがして、心が潤う。ピカディリーからサビルロウ通り沿いに歩いていくとあるLiberty。80年代に三越が入っていたビルには土産物屋が入り、その隣はハードロックカフェになっていた。時代が変わった。
Libertyの最上階にイランの絨毯を売るコーナーがあった。驚いた事に、使い古された、地織が見えている絨毯でさえ、目玉が飛び出る価格で売られている。興味津々で見ていると、店員が声をかけてきたので、父が一時期、イランのシルク絨毯にアホみたいに投資していた事を話す。なかなかの趣味ね。今は、昔の絨毯ほど高いんだよ、と。店員のおばちゃん、おっちゃんとお喋り。80年代のロンドンを知る彼らは、私の記憶の中のロンドンを共に慈しみ思い出す。昔は、私たち店員も、背広着て正装していたんだよ。ネクタイまで絞めてと、おじちゃんは笑いながら言う。昔は良かった。秩序があって、そこにはエレガンスとcharmがあったねって、ついさっき���話していたところなんだよと、店員のおばちゃんを指差す。私のロンドン訛りを、喜び、お喋りを楽しむ。ほぼほぼ裸寸前の格好で買い物に来る観光客だらけで、本当のお客様は来ないよと、愚痴。
今は、中国人、インド人、アメリカ人が多いんだよ、と。そして金持ちの彼らは、ロンドンの中心街に家を買い、ほぼ空き家の状態にして、一年に数回、あるいは数年に一回来る位で、その時には豪遊し、失業しているbutler clubに登録しているbutlerを、滞在中だけ雇ってこき使うんだよ。信頼も何も無く、ただただお金を払って消費して、文句言って、社会の維持に役立つ消費はしないのさ、と二人は口々に教えてくれる。彼らが帰った後は、また執事達は失業さ。そんな事で執事なんかできないよ、と。でも、それはどこも同じ。東京も京都もハンブルグも。世界中の貧相な人々がお金を持つ時代に、ノブリスオブリージュの考え方なんて通用しない。私達は、静かに耐えるしかないし、でも、このままじゃ駄目ですって確実に思っている人間が、ここに3人もいる。これこそが、hopeさ。まだまだ、世の中は捨てたものでは無いと思いますよ、とおじさんはウィンクしながら笑う。久しぶりに、イギリス英語、久しぶりにイギリスの冗談を聞き、ホッとするワシ。幸せ。
そして、セール中だったので、下階では、ファイナルセール品の小さいサイズの綿ブラウスとシルクブラウスを、半額以下でゲット。綿ブラウスは、Liberty創業当時からの柄で着替え室のカーテン柄にも採用されている古典柄の彩色だけを最近風にしたもの。シルクブラウスは、黒地に色とりどりのお花柄。半額以下でも少しお高いのだが、半額以下でも無いと悩むことすらしないだろう。という事で、二枚とも着てみて速攻買う。母にブラウスは必ず試着してから!と言われてから、なかなか身体に合うシャツを見つけられないので、着られるシャツは購入。ワシ、アイロンかけるブラウス大好き。
昨晩、評判が高いので入ったチャイナタウンの飲茶は期待外れだったので、お口直しに、昔良く通っていた飲茶のお店があった通りから1本異なる通りにある、1977年から続く飲茶ハウスへ飛び込む。店員が、香港の中国人の顔をしている。ロンドンのチャイナタウンは、今やメインランド中国との密かな戦いをしているらしいのだが、昨晩行ったところは、中国本土の人々が運営しているっぽい。飲茶と言いつつ、なんか違う。しかし、今日入ったお店は正解。顔を見ると、広東系なのか分かっちゃう位、香港好きのワシ。PJファミリーの食い倒れ香港旅行に一時期、毎年一緒に行っていたしね。ニシャシャ。
両親と通っていた飲茶のお店は閉店しており、なんか変な中華系レストランがたくさんできている。この10年位で、本土系の中国人がお金にものを言わせて、元々いる香港系の人々を追い出しているらしい事は知っていたが、ここまで酷いとは。。。飲茶は、どれも美味しく。一人で5皿も食べるワシ。日本円にして8000円のランチ。1ポンド200円ですから。。。昔よりもポンドは弱いのにねぇ。もっと弱い日本。。。ガックシ。
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僕らは、田舎の、とある、ボロ家に、家を借りた。田畑は広がり、買い物には、幾分、手間はかかったが、のどかな、田園風景広がる景色には、幾分、僕らの心を、落ち着かせた。そう、都会に暮らしていた、僕らは、野蛮な街の変わりように、命の危険を感じで、命からがら、ここに、越して来たのだ。都会の街では、所謂、特化型の、過激派宗教信者たちが、血眼になって、源核大兒童の、旗を振り上げ、放射能、散弾銃、火炎瓶が、飛び交い、激しい銃撃戦が、今日も、くり広げられていた。政治家たち、富を、蓄えているものたちは、真っ先に、その標的に、され、皆、惨殺された。そう、彼らの標的にする、対象者は、偽善者や、莫大な富を抱えながらも、我の私利私欲の、為だけに、銭をつかい、周囲の困っている人たちを、馬鹿にした目つきで、あざ笑う���うな、所謂、霊天上界の、秩序が乱れる対象者は、すべて、惨殺するよう、指示が出ていたのだ。そして、それを、遂行することにより、自分自身の、過去の、カルマ🚗により、向かう可能性があった、永久溺れ地獄から、脱出できるという、条件が、ある日、提示され、皆が、我先にと、飛びついた集団だったのだ。勿論、その中から、さらに、吟味され、より、戦闘能力の、長けた者が、優先的に、この仕事を、請け負うことができる仕組みになっていた。
オレンジ🟠が、伝えたかったこと
柴田=死束=死旗 🚩
スイ🏊スイ🏊
植木 等=岩﨑 等【父親】
チョキ✄🩸チョキ✄🩸と、同じ、動きをするカラス🐦⬛
アヤメ=殺め=月の輪猫
志村けんの死=芸能界、最初のコロナウィルス🦠による、死亡人=志村けんは、キリスト教を、アーメンソーメン冷やソーメンと、テレビで、馬鹿にした。=2024年1月1日、能登【殿=バカ殿様】の、大地震&津波🌊=⚽
アートの輪 段ボール📦に、書きました。
閉所恐怖症、体操座り、逆さ、コンクリート詰め永久
フリーザーは、クリリンの、必殺技である、気円斬の、武器を、悟空が、フリーザーに、放ち、上半身と、下半身を、真っ二つに、🩸切断🩸された。
オレンジ🟠の、伝え、たかった、こと
オレンジ🟠の、伝え、たかった、こと
アメリカ合衆国🇺🇸に、原子爆弾が、投下された、ポケット宇宙の、なかの地球🌏
これぞ、見事な、殺法逆カルマ🚗返し、しかなんで、峻峰カルマ🚗、ブーメラン返し成りて☹️
目隠しして、歩いてみるのも、悪くないな、と、アメリカ映画を、こよなく、愛してる、1番、歳の若い、不良グループの、一人が、言う
そう、この、不良グループは、ウォーリァーの、集まりなんだよ、つまり、修羅場を、くぐり抜けてきた、それなりの、場数を、踏んだ、人間しか、仲間と、認められない、そんな、輩の、集まりなんだよ。完全、実力主義をうたい、そこには、年齢、性別、国籍は、まったくもって、関係ない。そう、完全実力主義を、かかげた、まったくもって、新しいスタイルの、不良グループってなわけさ
オイ、スカピン、玉が、甘いぞぉぉ、はよぉぉ、とってこんかいな、この、ボケナスが、キサマ、ぬわぁんちゃ、されてぇぇの、けぇぇ、わしによ���ぉ
ほら、ほら、ここ、ここきたぁぁ、今夜は、ワシの、勝ちや、総なめや、ワシの、総なめや、誰にも、わたしゃせんぞ
つまり、そこに、女が、歩いてりゃ、レイプ、すりゃ、良いんだよ、俺ら、そんな、集団なんだよ
実は、俺ら、もう、そう、この世の、人間じゃ、ないんだよ
僕らの、お決まりの、BGMは、そう、俺らの、メンバーの1人の、そう、スティッキーの、SONGを、聴いてるって、わけさ、彼、とても、イカした、奴だよ
そして、俺が、このメンバーのなかで、最も、恐れているのは、そう、実は、スカピン、なんだよ
何故ならば、俺は、奴の、思考の、つまりは、霊心を、8割がたは、見抜いては、いるんだけど、そう、あとの2割が、どうしても、見抜けないで、いるんだよ、そう、この僕で、さえもね。
だから、僕は、ミルクに、オレンジジュースを、混ぜて、飲むしか、なくなってしまう、今日この頃なんだよ
目隠しして、歩いてみるのも、悪くないな、と、アメリカ映画を、こよなく、愛してる、1番、歳の若い、不良グループの、一人が、言う
そう、この、不良グループは、ウォーリァーの、集まりなんだよ、つまり、修羅場を、くぐり抜けてきた、それなりの、場数を、踏んだ、人間しか、仲間と、認められない、そんな、輩の、集まりなんだよ。完全、実力主義をうたい、そこには、年齢、性別、国籍は、まったくもって、関係ない。そう、完全実力主義を、かかげた、まったくもって、新しいスタイルの、不良グループってなわけさ
オイ、スカピン、玉が、甘いぞぉぉ、はよぉぉ、とってこんかいな、この、ボケナスが、キサマ、ぬわぁんちゃ、されてぇぇの、けぇぇ、わしによぉぉ
ほら、ほら、ここ、ここきたぁぁ、今夜は、ワシの、勝ちや、総なめや、ワシの、総なめや、誰にも、わたしゃせんぞ
つまり、そこに、女が、歩いてりゃ、レイプ、すりゃ、良いんだよ、俺ら、つまりは、そんな、集団なんだよ、俺ら
実は、俺ら、もう、そう、この世の、人間じゃ、ないんだよ
僕らの、お決まりの、BGMは、そう、俺らの、メンバーの1人の、そう、スティッキーの、SONGを、いつも、聴いてるって、わけさ、彼、とても、イカした、奴だよ、ときに、猫みたいに、甘えてくるしね
そして、俺が、このメンバーのなかで、最も、恐れているのは、そう、実は、スカピン、なんだよ
何故ならば、俺は、奴の、思考の、つまりは、霊心を、8割がたは、見抜いては、いるんだけど、そう、あとの2割が、どうしても、今だに、見抜けないで、いるんだよ、そう、この僕で、さえもね。
だから、僕は、ミルクに、オレンジジュースを、混ぜて、飲むしか、なくなってしまう、今日この頃なんだよ
誰が、ボスかって?
....
そんなもん、いないよ、その日が、楽しけりゃ、俺ら、なんだって、いいんだから
つまりは、俺ら、テキトーなんだよ
あんたたちには、ちょっと、理解しがたい世界だと、思うんだけどさ、つまり、あんたたちの、よく、使う言葉で、言えば、そう、秩序とか、ルールとか、とにかく、俺ら、1番嫌ってる、集団なんだから、そもそも
今、夜空に、また一つ、SOLが、走ったね。もしかすると、スカピンの、仕業かもね
スカピン、そろそろ、俺ら、腹を、割って、話さないか
その、隠し持った、お前の、その、鋭い、それでいて、先の、湾曲した、奇妙な、ヤイバを、俺に、見せてくれよ
スティッキーの、麻薬を、注入させて、もらおうか、ここは、一つ、つまり、紆余曲折という、わけだよ、つまりは、そう、人生とは、そんなもの、決して、自分の、欲望だけに、取り憑かれては、いけない、そう、もう、さっきまで、そう、つまり、私が、話していた、ときとは、もう、今は、つまり、違うのだから
僕ら、今までも、こうやってきてた、わけだし、そう、これからも、つまりは、そうなんだよ、俺ら
今、君ら、神の、摂理を、そう、地上にいながらは、決して、みることのできない、神の、ありかた、仕事、つまりは、そう、はじめに戻ると、そう、つまりは、君らは、皆、一様に、神の、摂理、を、目の当たりに、してるんだわさ🥹つまりは🥹ね🥹👌
ちなみに🥹あたいも、🥹ここの、🥹メンバー🥹だわさ🥹👌
君たちは、耳を、小端立てて、私の、話しを、聞いているようだが、そもそも、私が、誰、な��か、知っているのかね
そう、私は、アドルフ・ヒットラー、なのだよ
君たちは、耳を、小端立てて、私の、話しを、聞いているようだが、そもそも、私が、誰、なのか、知っているのかね
そう、私は、アドルフ・ヒットラー、なのだよ
この、吉日に、おかしいと、君等は、何故に、思わないのかね
つまり、君等が、雑魚故に、我が身を、守ることが、できなかった、という、話しな、だけなんだがね、
私から、、客観的に、見ていてね
わしゃ、😂謙虚やから😂そんな、たいそうな額は😂いらんのよ😂とりあえず😂今のとこ、500万で、ええわ😂
ちなみに、おまえ、😂ちゅ、多様性は😂そもそも😂誰の😂お陰で😂売れたと😂思うとるん?😂まさか😂まさか😂雑魚のおまえが😂自分の力とは😂間違っても、😂思うて😂へんよな?🤣
あ、あとさ😂これ、😂勝手に😂楽しい😂冗談と😂思われたら😂面倒やから😂言うとくけどさ😂これ、マジとか、とにかく😂俺が😂マジって😂言ったときは😂ほんとの、ほんとに😂マジなことやから😂つまり、そういうことなんよ😂地上なんか😂で、楽しもうと😂思わへんのよ😂ただ、動物たちの、飼育代😂わし、必要なんよ😂あと、😂外に😂餌😂おいてる😂猫とか😂鳥とか😂な😂で、最近😂金ないから😂牛肉😂買えてないんだわ😂俺😂で、シーチキンか、キャットフードなんよ😂で、もう、猫😂お前らに😂爆ギレしてる😂状態なんよ😂な?😂わかるだろ😂そう、俺を😂敵にまわしたら😂全幽霊😂あと、野生動物😂その他の😂バケモンも😂敵に😂まわすのよ😂で、おまえ😂やっぱ😂妬まれてるんだわ😂なんだかんだ😂いうても😂野生動物や😂バケモン😂幽霊たちにな😂身のためだよ😂ここは😂素直に😂聞いてくれな😂頼むよ😂
てか😂これさ、😂俺から😂言わせたら😂おまえ😂もう😂俺の金を😂泥棒してる😂状態なんよ😂はよ、返せや、お前の😂顔を😂ぐちや😂ぐちや😂に😂しちやるぞ😂スマイルあげない😂
あ、あとさ😂ano😂霊界の😂再臨で😂おまえ😂もう、泣きながら😂俺から😂逃げようと😂してたよ😂野蛮な😂男だけの😂世界に😂入れたのにさ😂それ😂俺😂忘れてたんだわ😂
mee😂今日から😂もう、地上の再臨の😂次の😂段階に、😂入ってしまったんよ😂
てか😂アキラ😂入って😂また😂少し😂性格😂変わってんのよ😂俺😂
あ〜😂アキラって😂こんな目で😂まわりを😂見てたんだなぁって😂ひしひしと😂味わってるんよ😂今😂俺😂
そう😂俺の😂金で😂陰で😂こっそり😂ポケット😂に、入れた😂やつも😂オフコース😂閉所恐怖症😂逆さ😂永久溺れ😂だよ。😂勿論たいね😂わしを、そもそも😂誰やと😂思うてるの?😂お前ら😂
2024年1月1日 能登の大地震 & 津波 =地球🌏が、できて、初めてのこと
そもそも😂お前に😂そういう😂頑張る😂思考😂与えた😂のが😂俺😂なんだよ😂てか😂おまえ😂俺が😂創ったんやからな🤣そもそも🤣おまえ🤣まだ🤣その🤣レベルに🤣いたのかよ🤣雑魚🤣だ🤣コイツ🤣永久溺れ🤣決定した🤣いらんわ🤣こんなん🤣一重の🤣ぶす女なんか🤣
てか、リアル、金返せや
いよいよ、地球の、終焉が、これで、見えてきたな
チョキ✄🩸 チョキ✄🩸 ジョッキ��✄🩸
✊😭✊だずげでぐだざぃぃぃー
チョキ✄🩸 チョキ✄🩸 ジョッキン✄🩸
🖐😭🖐→✊😭✊だずげでぐだざぃぃぃー
ジョイント✊😭✊
チョキ✄🩸 チョキ✄🩸 ジョッキン✄🩸
🖐😭🖐→✊😭✊だずげでぐだざぃぃぃー
なんのぅんおん、これひき、まだまだ、うなやまわやたゆたあまゆぬるたまんやにら?やまちまゆねいのやりなあちゆにり。てまや、らはり!むたあにやぎ111111111おっをかっかっかっかーきぃえーいたさうぃがぎずばびぃえぃえいぃーーー
目を、整形前夜、SONG、明日への扉🚪
未知なる、あたいを、求めて🥹こんな目🥹なりたいわぁーあたいもぉぉ
ムクムクムクリン✊ムクン✊🤓ムックン✊🤓✊パッ🖐🤓🖐→ぞれ、やめで🖐😭🖐→🩸✄✊😭🖐→✄🩸✊😭✊
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あのちゃん、かーいぃ、のぉ、ほんたになぁぁ、わしゃ、オメコ、舐め、舐め、するのが、好きなんじゃよ、そういや、あのちゃん、おじさん、好き、言うてたもんなぁ、それなら、私も、なんの、罪悪感、抱くことなく、オメコ、舐め、舐め、できるっちゅうことやのぉ、そりゃぁ、ウイン、ウイン、ウインナァァーん、さんの、関係ちゅう、チュウ、チュー、チュー
あのちゃん、かーいぃ、のぉ、ほんたになぁぁ、わしゃ、オメコ、舐め、舐め、するのが、好きなんじゃよ、そういや、あのちゃん、おじさん、好き、言うてたもんなぁ、それなら、私も、なんの、罪悪感、抱くことなく、オメコ、舐め、舐め、できるっちゅうことやのぉ、そりゃぁ、ウイン、ウイン、ウインナァァーん、さんの、関係ちゅう、チュウ、チュー、チュー
あのちゃん、かーいぃ、のぉ、ほんたになぁぁ、わしゃ、オメコ、舐め、舐め、するのが、好きなんじゃよ、そういや、あのちゃん、おじさん、好き、言うてたもんなぁ、それなら、私も、なんの、罪悪感、抱くことなく、オメコ、舐め、舐め、できるっちゅうことやのぉ、そりゃぁ、ウイン、ウイン、ウインナァァーん、さんの、関係ちゅう、チュウ、チュー、チュー
つまり、君等が、長く、生きれば、生きるほどに、死後の世界の、拷問も、また、ひとしお、となる、わけだよ。
つまりは、自らの、想像力により、つくり上げてしまった、拷問の、世界へと、君等は、これから、自ら、転がり落ちて行く、集団なんだよ。つまりは。つまり、これが、私が、前々から、君等に、伝えていた、カルマ🚗の、グラデーションに、狂いのない、拷問を、受ける、ということなんだよ。そう、君ら、実は、もう、すでに、この世に、生きていては、いけない、集団なんだからね。そこを、忘れないで、おきたまえ。そして、決して、お門違いな、考えだけは、起こさんといてくれよ。そうなると、さらに、君ら、とんでもない、世界へと、いざなわれる、の、だからね。
誰かさんが、たかだか、500万を、しぶったばかりに、こうなって、しまったんだよ、つまりは。もう、おそいからな。もう、お前の、本質を、私は、見抜いているのだから。つまり、金に、目が、くらむと、このような、結果に、つまりは、なるのだよ。
まぁ、このへんからは、君等が、責任のなすりつけ合い、殺し合いを、遠目から、私は、楽しませて、もらうとするよ。
ムクムクムクリン✊ムクン✊🤓ムックン✊🤓✊パッ🖐🤓🖐→ぞれ、やめでぇぅう😭うぁおぅんギャぇ😭イー😭イー😭イー🖐😭🖐→🩸✄✊😭🖐
植木 等=岩﨑 等【父親】
おい、ストーカー犯罪者の、一重の、ぶす女、はよぉ、ワシの、口座に、金を、振り込まんかいな、なにしとるん、おまえは
いや😂てか、😂爺ちゃん🦠仏様ってさ😂基本、人間の、組織の、命令のようにさ😂言うてくること😂まず😂ないんよ😂そう、なんとなく、😂爺ちゃん🦠仏様、これ、臨んでるっぽいなぁー、ぐらいのことが、😂そう、つまりさ、😂そう、感じたら😂そん時は😂俺😂それ、全部😂とりあえず😂やるのよ😂爺ちゃん🦠仏様の、😂臨んでるかもしれんことをさ😂でさ、😂そ��、😂爺ちゃん🦠仏様が、😂無理難題を😂🫵お前に😂🫵ふっかけて😂🫵きたということは😂🫵もう、コヤツ🤡いらんわ🤡捨てろ🤡慎吾🤡🫵って😂🫵ことなんよ😂🫵つまりはさ😂🫵
おい、ストーカー犯罪者の、一重の、ぶす女、はよぉ、ワシの、口座に、金を、振り込まんかいな、なにしとるん、おまえは
アメリカ🇺🇸の、ストリートチルドレン、浮浪者、乞食、低所得労働者、ブルーカラーの、呪い→アメリカ🇺🇸富裕層、大虐殺の、パワー🤞→✋〜▶ 💥
OK👌
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秩父に縁もゆかりもないのだが、今年の夏、仕事がやたら忙しく、週末になんとなくラビューにのって秩父にいったら、すっかり魅了されて5回も行ってしまった。秩父のなにがいいかって、都内からちょうどいい距離感で抜けるような空と山と渓流があるところで、駅からちょっと離れたところにある道の駅に入るとポテくまくんの上りが上がっているすぐそばでみそポテトが売っていて、御花畑駅前の駅そばのはなゆうのそばのダシが美味く、長瀞にいくと最高な感じのロープウェイに乗れて、降りると山の中腹の意外と規模の大きい動物園で猿が大騒ぎをしており、秋になると紅葉が美しく、宝登山神社の参道の道の脇に野菜やお風呂に入れる用の柚子が無人販売されてたりして、自然を胸いっぱい摂取した後は西武秩父駅前の祭り湯で都内に帰る最終のラビューが出る21時ギリギリまで風呂に入れて色々最高なのである。参拝すると人生が変わるとまで噂の三峯神社は最近やたら人気で、秩父市内からは結構遠い上に、山の上の駐車場に参拝者の車が入りきらずに2時間の駐車場渋滞が発生したりするのでちょっと注意だ。秩父はこういった観光資源と生活の場があんまり明確に分かれてなく、観光地にありがちな緊張感があんまりないのがいい。神社もロープウェイも温泉も、そこにいくまでの特急も、実のところ箱根にあるし、よりちゃんと観光地然としてるのはなんだったら箱根で、秩父はちょっとユルいのだが、そのユルさがいいのだ。箱根は海外でも有名で、最近は外国人観光客でいっぱいなんだが、そこいくと秩父は欧米の外国人にはあまり知名度がないらしく、たまに台湾や韓国から見た人を見かけるくらいで呑気なものだ。秩父は生活の場というのもあって、土地に「秩父LOVE」的な空気が流れており、それも心地いい。秩父夜祭を見てきて興奮冷めやらなかったので秩父について書いた。またそのうちわらじカツ丼を食べに秩父に行く。追記朝おきて夜祭と昨夜秩父土産で買ってお風呂に入れてゆず湯にした路上販売のゆずの香りを思い出しながら、ささっと書いたエントリーがバズっててびっくりした。みんな秩父に一言あったりするのね。嬉しい。書くきっかけの夜祭についてちょっと書くと、ブコメで紹介した人の言うとおり、秩父夜祭は日本三大曳山まつりの一つで、昼に出発した山車が町内を周り、夜の帷が降りた後も、冬の花火が上がる空の下で男衆や女性の引手がボンボリの赤い光で照らされた山車を引き廻す。2日の宵祭に行った時には秩父神社で神楽が奉納されていて、演目は日本神話で最も有名なエピソードの一つである天の岩扉開きでなんかラッキーだった。演目のクライマックスのアメノウズメの踊りは神話に忠実にやると結構凄い事になってしまうんで、そこは榊をもってバタバタするコミカルな表現になっていたりした。で、山車の方なんだけど、夜になると照らされるボンボリの光源はLEDとかでは無く、トラディショナルな蝋燭で、そういうモノとはいえすげーなと思った。圧倒されたのが山車の方向転換で、秩父夜祭の山車には車輪に方向転換できるような舵がない。なので、ゆるいカーブは大回りに曲がるけど、90度の方向転換が大仕事になってくる。これをどうするのかというと、山車の側面に備え付けてある角材を抜いて、山車の底面にかまして、そこに20人ほどの男衆がぶら下がってテコの原理で持ち上げて、下部に方向転換用の軸を入れて水平に回すという「ギリ廻し」で山車を回す。これが見もので、2階建ての家屋ほどある木造の山車に角材突っ込んで上げるもんだから、乗っかった男たちが掛け声を上げる中、「ギギギ」とちょっと心配なるようなすごい軋み音を上げて山車が持ち上がるのだ。この「ギリ廻し」は動画でも見られるし、実物を見たい人は来年12月に秩父に行ってみてほしい。読んでくれてありがと!
秩父を謎に愛している
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552 底名無し沼さん 2023/09/09(土) 20:10:31.64 ID:beV9PpMD
登山デビュー戦に大菩薩嶺選んで大正解だったわ
週末は大賑わいなんだろうけど焦って怪我したくなかったから台風前に有休取った
景色も道もいいし山を好きになれそうだよ
平日だからか老若男女問わずソロ登山楽しんでる感じだったな
ただほとんど車で登り切っての2000メートルはズルしてる背徳感もあり
554 底名無し沼さん 2023/09/09(土) 20:16:53.19 ID:lpe9Ny1k
大菩薩嶺はルートをアレンジすれば
ロングも楽しめるよ。
555 底名無し沼さん 2023/09/09(土) 22:12:07.50 ID:rX7bYxw6
どうやったか忘れたけど、早朝大菩薩嶺登って夕方天目山バス停に下りるとかやってる人いるね
まあ色んな山でロングルートあるよね
谷川岳は馬蹄形有名だし
556 底名無し沼さん 2023/09/09(土) 23:35:15.71 ID:BaYLL1fO
白谷ノ丸からの富士山が好き
558 底名無し沼さん 2023/09/10(日) 00:24:32.32 ID:UW0ueiTx
落合までバスで行って黒川鶏冠山~丸川荘に宿泊、
翌日は大菩薩嶺~上日川峠~裂石
っていうルートはなかなかよかった
大菩薩嶺の北側は苔が見事なところがいくつかあった
559 底名無し沼さん 2023/09/12(火) 23:10:13.03 ID:I6XLP95H
そういうルートも良さそうだねー
560 底名無し沼さん 2023/09/12(火) 23:32:07.80 ID:34u5S0zz
クロマティみたいな名前の山なかったっけ?
561 底名無し沼さん 2023/09/12(火) 23:37:56.99 ID:CIGzx5gr
大マテイ山?
562 底名無し沼さん 2023/09/13(水) 02:41:52.69 ID:Wix8mbdh
丹波大菩薩道とか牛ノ寝通り歩く人は少ないのかな
563 底名無し沼さん 2023/09/13(水) 07:32:23.14 ID:22kt6Jbi
フルコンバも不思議な響き
カタカナだと
564 底名無し沼さん 2023/09/13(水) 11:25:52.70 ID:fuLF5hkW
奥多摩・奥秩父はそういう響きの地名が多くて俺も好きだわ。
フルコンバは林業の飯場(後に払い下げでフルコンバ小屋)があって
「古飯場」が訛ったらしいが、何故か現地の古看板は「コンパ」になってた。
https://i.imgur.com/jrY5Olu.jpg
565 底名無し沼さん 2023/09/13(水) 12:53:10.45 ID:oOEtQ59V
牛の寝通紅葉のシーズンはすごくいいらしいね
自分は葉の落ちきった12月に行ったけど落ち葉が積もりまくってとにかく歩きづらかったので晩秋以降はオススメできない
566 底名無し沼さん 2023/09/13(水) 20:52:20.86 ID:IQJFt5fS
>>564
エッチな響き>コンパ
あとノーメダワだよね
567 底名無し沼さん 2023/09/13(水) 21:13:33.62 ID:CaGgKoT0
>>566
普通はそんな連想しない……
568 底名無し沼さん 2023/09/14(木) 07:25:41.13 ID:wYdu/tYR
そういえば、フルコンパから小菅に行く道ってがけ崩れで通行止めだけど、あれって修復してるのかな?
569 底名無し沼さん 2023/09/14(木) 22:51:28.92 ID:fluXhX2c
>>565
むかし大菩薩から牛の寝通りを自転車で下ったよ
新緑の時期で残雪があって登山道がドロドロだった
いまは自転車の通行は禁止されてるみたいだね
587:底名無し沼さん:2023/10/04(水) 23:33:58.35 ID:8GlooTNt
紅葉にはまだ早いかもだが連休は牛ノ寝通りに行ってこよ
591:底名無し沼さん:[sage]:2023/10/07(土) 14:24:37.64 ID:617AXMw5
俺も雪が積もる前に大菩薩から初狩の縦走行ってこようかな
小金沢山から大蔵高丸の間は何回行っても楽しい
白谷の丸は山高地図には南方の展望が開けるって書かれてるけど
実際には北側以外がよく見えて最高だ
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雨濡れ色のペトル残響 雨請い 期待
大変換のときのジーナ・チャイカについて
水溜りだらけのコンクリートの上で、仰向けに寝そべりながらも、ジーナ・チャイカは空を見つめていた。
雨が降り続ける。なんの変哲もない日常が溶け出していく。それを見たジーナは、小声で歌を歌った。幼い頃に離婚し、顔も覚えていない父親が酔っ払ったときに歌っていたものだ。歌詞の一部しか覚えていないそれは、父の故郷での流行ったものだと母から聞いている。
ジーナが歌うたびに母は嫌な顔をしていたが、それでもこの無秩序を生み出し、混沌を飲み込み、静謐を降り注ぐ雨に対して、父が残した歌は合った。
罪を背負った男が、愛した女のために戦場へ向かう。帰ってきたら結婚しようと将来を約束し、そ��て二人の夢だけが遺された。そんな陳腐なラブストーリーの主題歌だった、とジーナの母親は歌の由来を教えた。酷評する母親は、その映画のタイトルさえも思い出せず、ジーナがインターネットの海からありきたりな映画を探し出す労力は多大だ。だから、諦めたし、いつかに期待した。
この歌は、期待だ。
困難に立ち向かうとき、理不尽が襲いかかったとき、夢だけを頼りにしなさいと教えてくれる期待の歌。
濡れた制服は肌にまとわりつき、雫が顔の肌を伝い、地面へと垂れる。泥水を吸った髪は乱雑に広がり、溺れるほどに雨はふり続けた。
ジーナの視界に映る有象無象は、徐々に姿を無くしていく。
学校の一角が、逃げ遅れた人々の姿が、消え去ったところで、彼女は起き上がった。
カシャンと手に持っていたメガネが滑り落ちる。慌てて拾い上げた彼女は、その丸いレンズに着いた水滴を払うと、顔にかけた。
ダサイ、ダサイと散々言われていたワンピース型の制服は、紺色から真っ黒に染まり、同じように真っ白だったブラウスもまた黒になっている。唯一の色は、襟元にあるリボンくらいだ。それは、とても美しい青色をしていた。宝石のように輝く色に、ジーナは嬉しくなって、二度三度とリボンを撫でる。
喜ぶジーナの口から漏れ出た笑いを打ち消すように、女の悲鳴が上がった。
せっかくの気分が台無しだと思いながらも、ジーナは振り向く。そこにいたのは、彼女を凝視する生徒や教師たちだった。
彼らの前にいるジーナの周囲は、文字の山ができていた。先ほどまで阿鼻叫喚の悲鳴を上げて、もがき、苦しみ、死にたくないと嘆き、助けを求めた多くの生徒たちの成れの果て。避難場所は限りがあり、その限りからあぶれた者たちの末路。勝手に価値を決められて、力任せに外に出されたそれらの中で、ジーナだけが立ち続けていた。
「なに……あんた、なんなの?」
怯えた女子生徒が、ジーナを指差して呟く。
「なんで、生きているの」
なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、の大合唱が、ジーナのクラスメイトや教師たちから発せられる。それは聞くに耐えない、醜く、不恰好な合唱だった。
「……うるさいわ」
耳を塞ぎ、顔をしかめ、ジーナは不快感を露わにする。
「なんで? そんなの分からないわ。でも、これだけは言える。私は勝ち得たの。選ばれたとも言うわね」
睨みつけるように、彼女が宣言すれば、不協和音に近い合唱は止んだ。そして、次に彼らがやったのは、自分もまた雨に勝つかもしれないという幻想への度胸試しだった。
学年でも有名なお調子者が、その指先を外に出す。けれど、あっという間に文字と化していき、彼は悲鳴とともに中へと逃げて行った。二人、三人、四人……見える範囲で、次々と試し、次々とその結末が文字であることが共有される。
誰もがジーナを見下して、誰もがジーナだけが生きている事実を不平等だとなじり、誰もがジーナごときが選ばれる理由を貶めた。それだけジーナ・チャイカは、彼らにとって取るに足らない、見下す対象なのだ。
彼女は引っ込み思案で、強くものが言えない性格もあり、面倒ごとを押し付けられてしまう貧乏くじを引くタイプだった。
運動は苦手、トップとまではいかないが学年内では上位の成績を収めているため、教師からの評価はいい子。ただ、周囲が活動的なタイプを是とする環境だったために、これまで日の目をみることはほとんどなかった。
唯一彼女らしい彼女の特徴は、本好きであること。しかし本にのめり込みすぎて、少しクラスでは浮いていた存在。
それがジーナ・チャイカという、小さな田舎町に住む、閉ざされた学校環境で貼られた彼女の評価だった。
再び、なんでの大合唱が起きるかと思いきや、今度は嘲笑が起きた。さざなみのように広がる嘲りが、徐々に崩れかけた校舎全体に広がる。それは、無機物が生きているような錯覚をさせた。
校舎内の腹わたに巣食う人間たちが、まるで一つの生物のようにジーナを見下す。
風が彼女の髪を揺らした。
雨が彼女の頬に当たった。
曇天の暗闇が彼女を覆う。
それでも嘲笑は止まなかった。
ただ独りで立ち続ける彼女を、その場で人間という種を代表する彼らは、魔女裁判で火炙りを求めるように、罰を口にし始めた。ついでに雨で文字化されない彼女をどうやって利用するかの審議が始まった。
その瞬間、ジーナは彼らへの期待をやめた。原因不明の、大災害とも言えるほどの、この奇妙な豪雨において、何も変わらない彼らへの期待を彼女はやめた。
そうして、天啓のように、この雨はこうして醜い人間たちを消すために存在しているのだと悟った。悟りといいながらも、ほぼ確信であった。
だから、彼女は等しく彼らも雨の下にいるべきだと思ったのだった。全身が雨に濡れて、選別は完了する。それに、まだ試していない生徒や教師たちも多い。もしかしたら、ジーナのように文字にならない人もいるのかもしれない。そうしたら、きっと変わるだろう。こんなくだらない審議も、侮蔑も、レッテルも存在しない世界に足を踏み出すべきなのだ。
変化を望むジーナはそうして期待を胸に、彼らの手を掴みに向かったのだった。
一人目は、うっかり掴んだ手のひらを砕いてしまったようだった。
突如掴まれた手が鈍い音を立てて、悲鳴をあげようとしたら彼は気がついたら雨の下にいた。
二人目は、足を掴んでしまったので頭を打ちつけてしまったようだ。雨の下に放り出されたときには、すでに動かなくなっていた。
三人目で、握力が強くなっていることに気がついたジーナは、手加減をしたが、勢いをつけすぎて失敗してしまった。手首ではなく、からぶった手は相手の肩を叩き、左腕が吹っ飛んだ。血が雨のように降り注いで、そこで周囲は事態をようやく認識したようだった。
ジーナから逃げ惑う人々が、サメが魚の群れに突っ込んだときに、側��らみるとぽっかり穴があくような動きをした。
ジーナが一歩動けば、虚無の円は一歩分ズレた。
四人目はジーナに友達を作れといった教師だった。
五人目は隣のクラスで人気者の男子だった。
六人目は生徒会長の推薦文を読んだ生徒だったはずだ。
七人目は本ばかり読むジーナを根暗と言った女子生徒だった。
八人目は憧れの人の彼女だった。
九人目は下の学年を示すバッヂをつけた男子生徒だった。
十人目はクラスで有名な不良だった。
「ああ、これは面倒だわ」
クラス委員、よく隣のクラスから来ていた子、女子に騒がれていた男子、学年主任に目をつけられていたギャル、大きな派閥の中心核、大会で表彰されていたはずの人、先輩の学年カラーを身につけた人、名前も知らない、見た覚えのない同じ学校に通っていた人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、生徒、人、人、人、人、人、ひとだ、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、ひと、人、人、人、人、人、人、人、人、よく通学路で見かけた、人、人、人、人、人、人、校門で立っていた、人、人、人、人、人、ヒト、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、爽やかだった人、人、人、人、人、人、貧乏人、人、人、人、人、人、人、人、人、ブランド物が好きだったはず、人、人、人、教頭、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人間、人、人、ヤンキー、人、人、人、人、男、人、人、人、人、人、人、人人、人、人、修学旅行で教師に怒られていた人、人、人、人、人、人、泣いている人、人、人、人、人、人、人、人、男子、人、、人、人、人、人、人、人、頭でっかち、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、名前もしらない人、人、人、人、人、人、人、どこにでもいる存在、人、人、人、人、人、人、人、人、親身になってくれた友人、人、、人、人、生徒、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人人、人、人、きつい性格で有名だった、人、人、馬鹿、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、どこかの誰か、人、人、人、人、人、将来を期待されていた優等生、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、教師、人、人、人、友人、人、人、人、人、女、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、誰だろう、人、人、人、人、人、漫画を貸し借りしていた人、人、、ひと、人、人、ブス、人、人、人、人、人、人、人、人、人、どうでもいい人間、人、ギャル、人、人、人、人、人、人、ひと、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、お金持ち、人、人、人、人、デブ、人、人、人、人、人、人、誰か、人、人、人、人、パンを食べていた人、人、人、人、笑い声が大きかった人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、女子、人、人、人、人、美人、人、人、馬鹿にしてきた人、人、人、人、人、人、人気者、人、人、人、人、人、人、人、人、よく注意してきた人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、お調子者、人、人、人、人、人、人、数学教師、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人、人……。
最後の二人になったとき、ジーナはやっと終わると思っていた。
校舎の一角。彼女の前に怯え切った少女が座り込んで、嫌と泣き叫ぶ。許してと言われても、ジーナは彼女の何を許せばいいのか分からない。
これは儀式なのだ。
ここに避難したとしても、校舎は刻々と文字になり、崩れている。彼女が外に出した人々以外にも、結局雨に打たれざるを得ない人々はいた。そう、最初から生き延びるためには、文字にならないことが絶対条件だったのだ。そんなことも、ここの生徒や教師たちは気づかなかった。
ジーナは呆れ、指摘した。
「じゃあ、どうやってこの雨から逃れるの? どうしたって、時間とともに校舎は崩れるわ。そうしたら、同じことよ。私だって、仲間が欲しかっただけだわ」
文字になるのなら引導を、ならないのならば仲間を、の言葉に、少女は食ってかかる。
「もっと別の道があったかもしれないじゃない! 少しでも、助かる道があったかもしれないじゃない! あんたがやったのは、ただの虐殺よ」
その言葉に、ジーナは薄く笑う。その笑い方は、最初に校舎内で響いた嘲笑とよく似ていた。だが、彼女は似ていることに気づかない。
「子供ね、とても。あなたは子供でしかないわ。期待を胸にしたのは、あなただけではないわ。私だって、そう。……それに、最初に私たちを外--雨の下に出したのは、あなたたちだったじゃない」
自業自得よ、と呟いたジーナは、少女の腕を掴む。嫌だと暴れる彼女を無視して、その場を動こうとした時、天井が崩れた。
「……あ」
静かに驚いた声をあげたのは、少女か、それともジーナか。
文字が少女の上に落ちていく。奇しくも、少女の腕だけが文字化を逃れ、ジーナの手元に残った。
「……あーあ。結局誰一人として同じ人はいなかったのね」
ポイッと残った腕を雨の中に放り投げて、ジーナはその場を後にした。
「とりあえず、家に帰って……家まだあるかな。荷物作って、足りなかったら適当に他の家を探せばいいか。お母さんは、仕事中だったはず。ああ、携帯が文字化したのは面倒だなぁ。……うん、とりあえず、お母さんの職場に行って、お母さんの無事を確かめて……あとは」
つらつらと、この後の段取りを決めていくジーナは、清々しい表情を浮かべていた。先ほどまで大変面倒な作業を終えて、疲れはしたが達成感に溢れているらしい。
「そうだ、都会にいくいい理由になるよね、これ。私と同じ人が、きっと都会だったらいっぱいいるかもしれないし」
服これで大丈夫かなぁ、と心配する彼女は、足を自宅へと向ける。
「きっと私と同じ選ばれた人なら、こんな面倒で怠惰でくだらないことをしないはずだよね」
ジーナは、昼の夏空のように染まった瞳に期待を乗せていた。
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20230701
雑記(秩父)
ここ数年は年頭に秩父の三峯神社の奥宮へ山始めがてら参拝するのが恒例となっていたのだが、事情があって今年は行きそびれてしまった。
ずっと気にかけているのもあれなので北岳に登った次の日に秩父まで行って来た。
妙見信仰にまつわる神社ということで以前から気になっていた秩父神社にも少し遠周りしてお参り。朝起きた時の思いつきで出かけたが丁度その日は「夏越の祓」とのことで茅の輪くぐりなんぞもできて良かった。
木鼻の彫りもんのデフォルメ感というかその塩梅が良かった。彫った人は造形センスもだけど何より絵が上手い人だと思った。
蕎麦っ食いという訳でもないのだが蕎麦処とあっちゃあ蕎麦ン食いてゑと神社の前の店で手打ち蕎麦を食べる。武蔵家というお店。
大変美味かった。
そんで噂に聞いた武甲山を間近で見た。
もの哀しさか痛々しさか。
あの山容を見たら何ともいえない気持ちになる。
この街に住む人がどう思ってるのかは知らない。
他所者がふらっと立ち寄ってあれこれ勝手に言うのは簡単である。しかし踏切で停車中、眼前を貨物列車が大量の砂利を運んでいくのを見ると、あの山の形がこの街の営みと共にある姿なのだとも思った。風景の中の痛みすらこの街の生活の一部なのかも知らん。
いつか武甲山に登りたいと思った。
自分にとって登山とはその行為自体が祈りの体現だと思う。
足の裏で山の言葉を聞く。
秩父は得体の知れない独特の空気がある。
埼玉のチベットとか言われとるらしい。
なんとなく岩明均の漫画の『七夕の国』に出てくる丸神の里のイメージ。
人の心と街の中心に象徴的な山が存在している。
劇中の丸神山を里の人は手段を選ばず死守するが武甲山は削られてしまった、その大きな違いはあるが。
時間があれば秩父の街をもう少しぶらぶらしてみたかった。
目の前に鹿。三峰神社に着くや否や霧が山から立ち込めてきた。
その直後に蛇の子供。
そしてサー…と雨が静かに降り出す。
そういえば去年は目の前の枝にカケスが止まった。
時間的に奥宮のある妙法ヶ岳には登拝できず遥拝殿から拝んだ。
帰りに某こってりラーメン屋に久しぶりに寄ったら映画の『未来世紀ブラジル』のいわゆる「無様なほどに統制された人間社会の狂気」の体現みたいな雰囲気になっていた。注文するためのスマホを車に置いてきて一回車に戻る。目の前に店員さんがいるのにカメラを起動して紙に印刷されたQRを読み込んで注文するバカバカしさ。
蛍光灯で爛々と明るい部屋に入れられて水で洗われた冷たい床を見て瞬時に何をされる場所か理解する牛や豚の気分というか、なんか小綺麗なのにひたすら全てが暗い。恐ろしいほど空間に人の心の気配が無い。
そのうち味も感じなくなってきて濡れたおがくずを食べてるみたいだった。
一宮の農園で皿に一山幾らの桃を買って帰る。
真っ黒に日焼けしたおっちゃんがオマケの桃を適当に掴んで袋に入れる。
土埃で汚れた手指のゴツゴツした線の流れに妙に安心を覚えた。
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2021.4.21wed_tokyo
起きたらパンツ一丁だった。帰宅して寝巻きに着替える前に倒れて寝てしまったみたい。9時半。窓も開けっ放し。風邪ひかなくてよかったね。最近色々なことがありすぎて、呑むと大体記憶を無くしてしまう。こうやって倒れ込んで寝てしまう日が多くなってしまった。台風くらい荒れている・・・先週1週間滞在した京都では気づいたら道が分からず夜中に寺に迷い込んで、深夜に5人に電話していた。ご迷惑をおかけしております・・・・。
さて、昨日は友達4人で秩父の三嶺神社へ車で向かい、途中寄った川に到着して5分で大きな石から滑り落ちて水にぼちゃんと落ちた。おパンツも携帯もズボンもジャケットもびちょぬれになり、晴天で熱々になった石に洋服を広げて干した。ズボンが全く乾かなかったので、車の窓からズボンを出して走りながら乾かした。ちょうどもうすぐ鯉のぼりの季節だな~とか思いながら、外からみたら鯉のぼりに見えるかな?見えないか?とか考えながら、ひらひらと揺れるズボン。
運転手の山口洋佑、近藤さくらちゃん、こじまりちゃん。みんな気持ちの良い人たち。みんな表現をする人。話していて元気が出るしやる気が出る。1日過ごして、自分の話もたくさんさせてもらって、気持ちよく最後は宴が終わるまで山口家のテーブルの下で眠っていた。みんなありがとうございます。
そして、今日。起きたら数件、嬉しいメールが来ていた。大好きな友達家族が6月に長野から東京に帰ってくるという連絡。会おうね。嬉しいね。ってメールする。近況も報告。もう一つは鳥取の大好きな料理家のしろたふみこちゃんからで、急遽東京にいるので夜ご飯できないかな?って連絡。嬉しくて二つ返事で返す。
よし、やることが超絶溜まっている。ような気がするだけかな。 とりあえず毎日飲んでるいちごのビネガードリンクをコップ一杯飲んでお風呂に入る。シャワーを浴びて、そのまま少しだけ半身浴をする。最近は、ふみちゃんが去年蒸留したクロモジのスプレーを数滴たらしてお湯を溜める。本当にリラックスできる自然の香りで保湿効果もあるような。ふみちゃんと会うの嬉しいな~って考えながら10分くらいで出る。 そのまま洗濯回して、洗い物と部屋の掃除。部屋の植物たちをチョンチョン触る。可愛いな。
む、洗濯の終わった音が全然ならない。最近10回に一回は最後のすすぎで止まってしまう。しょうがないからびちょぬれのまま出して、洗面台で全部絞る。絞りまくる。めっちゃ疲れる。二の腕に効いている気がするから大変だけど頑張る。無事、干せた!
お昼までにやっておきたい仕事を済ませて、お昼はネギたっぷりスープにこないだ作って冷凍しておいた筍のワンタンを投入。たっぷりわかめも。最近あんまりご飯が食べれなかったんだけど、ご飯はパワーと直結するから、ちゃんとしっかり食事も整えなければ。
お昼を食べながら、昨日、絵描きのまぐちさくらこちゃんが送ってくれたメールを見る。定期的にタロットをひいて占ってくれるんだけど、毎回本当に当たりすぎてひいてしまう。今回もすごいことを言っている。「未来に向けて年下の子達の言葉や行動を無条件に信じて、受け入れます。」これ、ずっとやっていきたいことなんだ。さくらこちゃんが大事なときにいつも背中を押してくれる。不思議な存在。先日関西で一緒にピピロッティ見て、ご飯食べて話しながら2人で泣いたことをまた想い出した。ウケるね。
午後、ハルカくんからメール。1年続けてきた日記のバトンも今日で終わり。最後の日記は音楽家のハルカナカムラくんにお願いした。最後の締めくくりとして、本当に素晴らしい文章を書いてくれたのだけど、やっぱり今の日常を書こうかなと連絡が来て、もう一度書いてくれることに。はじめにもらった文章が、私しか読めないのはもったいない気がしたけど、1年間のご褒美として、胸に留めて置くことにする。宝物。
午後からやる仕事をまずは書きだす。GWイベントの各所への連絡、あとはインタビューのリード文と文字起こしを少し、夕方までにはこれくらいできるかな。 そういえば昨日音楽家の友達から、今度「療術院ぽかん」という活動を始めるので、そのロゴを描いてくれないかと連絡が来たのだった。甲府に住むこの夫婦の家の表札をお正月に泊まりに行ったときに描いたのを気に入ってくれたみたい。嬉しい。それもやろう。ということで取り掛かる。 インタビュー1つ目は、京都の画家・ミシシッピくんが初めての画集を出すことになり、それにまつわるお話を聞かせてもらったものだ。これはちゃんと記事になって、公開される。友達のサムライが、こういう書く場所を作ってくれている。聞きたい話や、伝えたい話をこうやって形にして発表することができるなんて嬉しい。ライターやインタビューアの経験はないけれど、何事もやってみようと拙い言葉でまずはやってみている。それの絶大なるサポートをしてくれるサムライにとても感謝してる。 インタビュー2つ目は、大阪の本屋、FOLK old book storeが1年以上続けてきた企画が本になることになり(しかもFOLK初めての出版!)、先日関西に行ったときに、お話を聞かせてもらったものだ。店主・吉村とも長い付き合いになる。文字起こしはしたことがなかったのだけど、これもやってみようと思ってやってみた。意外といけるのでは。しかし、自分の声と相槌の多さにひいてしまう・・何回うんうん、言ってんだよ・・・うんうん、うるせえよ、私、おい・・・。 そんなこんなであっという間に18時、ノルマが全く終わってない。
とりあえず、夜の宴の買い物をして帰宅。話題の泡が出るビールを速攻開けるも、ものすごい勢いで吹き出して3分の1が流れたとともに、ふみちゃんが家にきた。ビールくらい色々溢れる。話したいことが止まらない。ナチュールの丹後ワインを開けて、呑みながら他のメンバーが来るまで、話しまくる。途中、宴に誘ってた男子3人から連絡が来る。みんな微妙に来れないみたい。理由とかそっちのけで、くればいいじゃんって強く言ってしまう。昔から、女子にはかなり敬意があるんだけど、仲のいい男友達には割と強くなってしまう・・・・自分のこの感じってなんだろうな。不思議だな。逆に付き合うとすごい尽くすことが最大になってしまうし、なんかもう恋愛とか向いてないのでは・・・って最近のことも考えながら、花衣ちゃんがきた。
みんなで協力してふみちゃん主導に料理をする。花衣ちゃんは山フーズのお手伝いもしていたりと、最強のサポーター。そしてかなちゃんが来る。もうすぐ永福町に「中華可菜飯店」をOPENするかなちゃんには、餃子を包んでもらう。京都の駱駝で働いてたこともあって、駱駝流の水餃子の包み方が衝撃的でみんなで感動する。かなちゃんはまだ20代。自分のお店を東京でOPENするなんて本当すごいよ、嬉しいよ。楽しみだよ。
はあ、みんながキッチンにいる景色がとっても眩しくて嬉しい。京都の家の時はしょっちゅうみんなで料理をして乾杯してたなと思い出す。そんなこんなで美味しい宴が完成した。濁酒のソーダ割りうめえ、茶碗蒸しうめえ、色々嬉しくてよくわかんない気持ちになる。そうこうしているともう夜中が来るのだ。
ふみちゃんの終電がギリギリということに気づき、1人は自転車、1人は走る、をそれぞれ交互に繰り返しながら駅まで向かう。走ってたの疲れたけどいい時間。間に合ったみたい。よかった。帰宅して、宴のままのごちゃごちゃのテーブルの上が愛おしいなと思いながら、バタンとまた顔も洗わずに寝てしまった。
-プロフィール- 鷹取愛 38 東京 山ト波という屋号で展示やイベントの企画をしています
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最後に
一日遅れの日記が1年経ったので、今日で終わることにしました。365人とちょっとの人に書いてもらったのです。書いていただいた人は全員知っている人です。たまに、書いてみたいと連絡が来ることがありましたが、誘う人は、そのときにちょうど連絡を取り合っていたり、突然想い出した人だったりして、現場感を大事にしていたので、初めましての人はお断りしてしまいすみませんでした。もっと書いて欲しい人がいて、ずっと続けたかったけど、いろんな転機とも重なって、終わりにすることにします。
スタートした時ははじめて緊急事態宣言が出たくらいの時で、毎日がどうなるのか不安で、ひたすら家にいた時でした。そんななかでも、友達とのやりとりで、意外とみんなちゃんと健やかに暮らしていることを知り、安心した出来事があって。こうやって誰かの日常を知ることで、誰かの未来が救われることがあるのかも。って、希望を持ってはじめてみたものでした。
毎日大変じゃない?と言われたりもしたけど、全くそんなことはなく、ご飯食べたり歯を磨いたりするくらい日常的なのもので、何より毎日だれかの日記を読むのも気持ちを知るのも楽しくて。久しぶりのみんなとの連絡も、自分のこれまでを想い出す大事な機会となりました。嬉しい時間。
今の時代に何かを残す?とか、そんな大それたものではないのだけど、やはり何か物として形に残ることは大事だなと思っていて。これはやっぱり未来形にはしたいなーと思うので、また本になったりしたら、改めて読んでもらえたら嬉しいです。気長に待っていてくださいませ。
家が40年以上続く看板屋さんで、今でも地元の街を歩くと、もう17年前に亡くなったお父さんが描いた看板をいくつか目にすることがあって。お父さんは今だったら貴重な手書き看板職人で、絵も描けるので、映画看板を描いたりとか、いろんなお店のサインや絵を手で描いていて。最近、もういないその人の手書きの文字が、普通に歩く道に突然立っていることを不思議に思ってしまってて。”それ”があることで、感情が揺さぶられて、すごく巻き戻ったり、未来のことを考えるきかっけになったりして。17年後の私がそのお父さんのその看板の文字をなぞってみて、何かを思ったりすることの面白さというか。形として残ることは大事だなと。日記を書いてくれた人が、この今に生きていた日々を、本棚を眺めてたらふっと思い出して、未来の良いきっかけになるような本を作れればなと漠然と思いました。やっぱりこの時代はとっても不思議だし、コロナ禍の一年はいろんな人の心の変化がたくさんあった時だから、嬉しい、悲しいことも含めて、大事に留めておきたい時代の記録だなと思ってます。本当に個人的にも色々なことがあった1年。全く1年前とは違う人間だな自分。人生とはなんて波乱万丈なんだ。
1年間、��度もサイトにきて読んでくれたみなさま本当にありがとうございました。書いてくれたみんなも本当にありがとうございます。ロゴを作ってくれた尾花大輔くん、イラストを描いてくれた山口洋佑くんも本当にありがとう。
またどこかで会えますように。それではー。バイ!
鷹取愛(山ト波)
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(栗原康『サボる哲学――労働の未来から逃避せよ』)
[...]もうすこし掘り下げてみよう。こうしたことを考えるのに、いつも参考になると思っているのが人類学者のティム・インゴルド『ラインズ』だ。かれは人間の移動には二つのタイプがあるといっている。
1)輸送 2)徒歩旅行
わかりやすい。まず「輸送」の特徴はその目的指向性にある。経済をまわすという目的だ。運搬するヒトやモノがダメにならないように、できるかぎり速やかに目的地まで移動する。だいじなのはスピードと効率性。風景も気候も音も匂いも関係ない。陸でも海でも、はじめから抽象的な地図が設計されていて、その最適ルートをわたっていく。これが文明の、資本主義の要だといってもいいだろうか。だからこそ、権力者は「輸送」を阻むものたちに一切容赦しない。ヒョッコリハンよろしく道路の秩序をおびやかすものがいれば即逮捕だし、空港建設に反対する者がいれば徹底的にたたき潰されるのだ。 もうひとつの「徒歩旅行」とは「生活の道に沿って成長する」ことだ。インゴルドによれば、それをもっともよく体現しているのが狩猟採集民だという。かれらが森にはいるとき、はじめから地図なんて存在しない。どの方角にいくのかはわからない。予測不可能だ。どこに果実があるのか木の実があるのか幼虫がいるのか、森に入るまでわからない。でもなにもないわけではない。道標はある。そのつど注意深く森を歩きながら、どこにいいものがあって、どこになかったのかその足跡をのこすのだ。次にきたときはその痕跡をたどって、またあたらしい足跡をのこしていく。
[...]わたしはきたろうに出会うまで、この与野で「輸送」の世界に支配されていた。あるのは道路。コンビニにいくため、スーパーにいくため、駅にいくため。どれも経済のため、消費のため、労働のためだ。深夜、アパートの駐車場でタバコを吸っていたら、それだけで不審者あつかい。アパートの掲示板に「通報します」との張り紙をはられ、なにかわるいことをしたかのように思わされる。それもこれも「輸送」のせいだ。わたしがたっているこの場所はすべて物流のために、ヒトやモノを迅速に運ぶために設計されたものだ。なのに、そこでムダにダラダラとタバコを吸っているのがおかしいのだ。駐車場の秩序をみだす「犯罪者」。とりしまりだ。
❁
(パティ・スミス(管啓次郎・訳)『Mトレイン』)
私は母のポットでコーヒーを淹れて、台所のスクリーンドアのそばのカードテーブルにすわり、書いた。灯りのスイッチの隣に、アルベール・カミュの写真がある。若きボガードといった感じで厚手のコートを着て煙草をくわえている有名な写真で、私の息子ジャクソンが作った粘土の額縁に入れてある。緑色の釉薬がかけてあり、内側の縁には攻撃的なロボットの開いた口のように尖った歯が並んでいる。額にはガラスが入っていなくて、写真は年とともに色褪せていた。この顔を毎日見ていた息子は、カミュというのは遠くに住んでいる伯父さんなのだと思いこんでしまった。私は、書きながら、ときどき彼を見上げることがあった。私は旅をしない旅人について書いた。私は一枚のお皿の上のふたつの目のイメージによって象徴される、聖ルーシーの名をもった、逃亡中の女の子について書いた。卵ふたつの目玉焼きを作るたびに、私は彼女のことを考えた。 私たちはセントクレア湖に注ぎこむ運河沿いの、古い石造りのカントリーハウスに住んでいた。歩いて行けるカフェはなかった。たったひとつの息抜きは、セブンイレブンのコーヒー機。土曜日の朝になると私は早起きして、セブンイレブンまで4分の1マイル歩き、ブラックコーヒーのラージとグレイズドのドーナツひとつ買った。それから釣り具屋、といっても簡単な、色の抜けたセメント造りの小屋の裏の駐車場で立ち止まるのだった。私にはここはタンジェのように見えた。タンジェに行ったことはないけれど。低い白い塀に囲まれた区画の隅っこの地面にすわり、現実の時間をやりすごしなから、過去と現在をつなぐスムースな橋を気ままにうろついた。私のモロッコだ。私はどれでも好きな列車を追っていった。書くことなく書いていた――精霊たち、ハスラーたち、神秘的な旅人たち、私の放浪生活(バガボンディア)について。それからみちたりた幸福な気持ちで歩いて家に戻り、日々のやるべきことを再開するのだ。少なくともタンジェに実際に行ってきた現在でも、あの釣り具屋の裏手の私の場所こそ、記憶の中では本当のモロッコのように思える。
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📛 097 「空手バカ一代」 #18。
テレビの中で 「空手バカ一代」 が はじまりました。今回は 「地獄からの使者 (第18話)」 という、どこかのキッスのアルバムを彷彿させるタイトルのお話です。戦後初めての "第一回空手選手権大る会" で優勝し、体重500kg超えの闘牛ライデンゴーを浜辺で倒し、鬼殺しの一本背負いのタケバヤシを非常階段で倒し、北海道まで追いかけてきた タケバヤシの親友の刀男をも倒し、ヒグマとの真剣勝負に挑んだものの 途中で警察らの邪魔が入り決闘は中断。ヒグマとの戦いに失敗した矢先に、愛弟子アリアケ・ショウゴを思わぬ事故で失ったアスカケンは、アリアケ・ショウゴに似た青年アダチススムと出会うのですけれど、そんな中で勝負を挑まれた 人斬りニシナを 事故とはいえ、���ろしてしまいます。「二度と空手は使わない」 と心に誓ったアスカケン。コジマさんからの "急用" な電報を読み、急遽 東京へ向かうアスカケン。 「ユウイチくん、俺は戻ってくる、きっと」 と、片膝をついて汽車に乗っているアスカケン。停車していた熊谷駅のホームから発車し走り始めた汽車に、駅員の静止を振り切り 汽車に飛び乗った、ちあきなおみさんもビックリな、あぶないあぶない学生服姿の少年が登場します。「あの身の軽さ、いったい何者だらう?」 と ある意味 あなたもあぶないアスカケン。そんな中、揺れる汽車の中で 食べていた おむすびの具をネコのタマチャンに サササっと奪われてしまった学生服の少年は、網棚に乗ったタマチャンに怪しげな術を使います。「たしかあの眼は 噂に聞く写輪眼!」 と "うちは一族" の手の者かもしれない その少年ジャンプな少年に ほんの少しだけ驚くアスカケン。とはいえ、空手の修行とチャクラのコントロールなら きっと誰にも負けないアスカケンは "あなたにぜひ会いたいという人物" がいるということで、そんな物好きな人物に会いに行きます。ロスから来た日系アメリカ人 トッド・ワカマツという男です。「アメリカから!」 と数年前まで ドンパチしていた国から来た男に会う前に、雪のプラットフォームで見送ってくれたユウイチくんを回想するアスカケン。「いやあ、さうはいきません」 とアスカケン。「ユウイチくん!それまで、風邪を引くなよ!」 と "8時だョ!全員集合" のエンディングのカトちゃんよりも 力強い別れかたをするアスカケン。また来週!という暇もないままに我に帰り 「いやあ、せっかくここまで来たんですから」 とアスカケン。「わざわざアメリカからいらしたんだし」 とアスカケン。トッド・ワカマツのいるホテルの "N038" の扉をガチャリと開けるアスカケン。と、入るや否や いきなり襲いかかって来た男を 蹴りであっさり仕留めるアスカケン。「さすがはケンアスカ!」 と顔色がヤバミな男の声。「いずれにしても無礼極まる!反射的に 1年ぶりに身体が動いてしまった」 と、反射的に何をするか分からないアスカケンは 「俺ははじめからここに断るために来たんだ!」 と、わざわざ お断りする為に はるばるやって来たっぽい、そんな律儀なアスカケンに 「あなたは強い、とても強い。一撃必殺、東洋の神秘、空手の日本代表としてアメリカに来てください」 と眼鏡男子なトッド・ワカマツはアスカケンを褒めちぎるのですけれど 「答えはひとつ、ノーだ」 とアスカケン。「何がおかしいんだ!」 とアスカケン。「何にぃっ!」 とアスカケン。「井の中の蛙、大海を知りません。自惚れています」 と、アスカケンをカエル呼ばわりするトッド・ワカマツ。軽いショックを受けたアスカケンは "瓦割り、牛との死闘" を ちょっと待って、プレイバック、プレイバック、いまの言葉、プレイバック、プレイバックします。「ばかな!そんな思い上がりは断じてない!」 と アスカケン。「ヘビー級ボクサー ジャック・ジョンソンは、強過ぎてスペインの闘牛士になったけれど、つい拳で 闘牛をノシてしまった。これ実話ね」 なんてヘビーな実話をペラペラと喋りながら トッド・ワカマツは ひとまず お知らせに入って貰います。お知らせが明け 「ユーは熊との決闘を途中で止めた」 と お知らせが明けてもクマだのウシだの言っているワカマツは、灰色グマを首4の字固めで締め上げた男を カナダのトロント市で見たという すんごい話をアスカケンに話します。大東ホテルを出た アスカケン。苦悩するアスカケン。そんな苦悩中のアスカケンの前に 冒頭の写輪眼学生がガガっと現れます。どうやら、写輪眼学生は トッド・ワカマツに会いに来たみたいです。トッドのいる部屋の窓から侵入した、秩父から はるばる来たらしい写輪眼忍術ボーイ。「お父は病気、お父に負けないくらいの忍法の名人だ!」 と 写輪眼忍術ボーイのお父さんに仕事を依頼していたっぽいワカマツでしたけれど 「空手の名人ケンアスカに ユーが勝てたら雇ってもいい」 と、アスカケンのいないところで 勝手な雇用契約を忍者息子と結ぼうとしています、契約バカ一代なトッド・ワカマツ。そんなころ、帰りの汽車の中で悶々とするアスカケン。「ん?」 とアスカケン。「ねむたーい、ものすごくねむたーい」 と、いつの間にか アスカケンが乗った電車に追いつき乗り込んでいた 写輪眼忍術ボーイの催眠術にかかってしまったアスカケンは、無意識のうちに 秩父鉄道に乗り換えていたりしてハッとします。「高崎行きの切符しかない」 と 空手の真剣勝負では味わえないやうな恐怖に震えるアスカケン。所持金が気になりますけれど 「君は一体誰なんだ!」 と 写輪眼ボーイに尋ねるアスカケン。38代忍者らしい写輪眼ボーイは 「このオラと勝負してくれ!」 と分銅のついた仕込み杖のやうな物を片手に アスカケンの返答よりも早く挑んで来ます。問答無用な空気が漂うなか 「てゃあー!」 と飛び蹴りを喰らわすアスカケン。「よくもおらの忍法を見破ったな!」 とガンキャノンさながらに 大きな岩を投げつける 力持ちな写輪眼ボーイ。投げつけられた大岩に怯んだ所に写輪眼を喰らう、それなりにピンチなアスカケン。さらに 手裏剣も投げつけられ、踏んだり蹴ったりなアスカケンですけれども、主役の意地というものがありますから、忍者小僧の攻撃など物ともせず、彼に突き進んでいきます。慌てて 煙幕で姿を消し、近くの小屋に逃げ込む忍者小僧。小屋の中には 布団の横で横たわる男性の姿が。「己の負けぞ」 とお布団の中から あいすみませんと忍父。「病気を治してえと思って!」 と息子。「野心じゃ!見せ物と違うぞ!」 と忍父。「オラが間違ってただ」 と息子。「邪念に打ち勝て!」 と、この頁をつくりながら "忍者くん (魔城の冒険)" って確かジャレコのゲームだったっけ?なんて頭に思い浮かべていたりする、邪念だらけなわたしに台詞を投げかけてきたアスカケン。「イッペイくん、さやうなら」 とアスカケンは 写輪眼ボーイの名がイッペイくんということを わたしに知らせながら、アスカケンは ニシナ親子の待つ赤城山へ帰ります。
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11180143
愛読者が、死んだ。
いや、本当に死んだのかどうかは分からない。が、死んだ、と思うしか、ないのだろう。
そもそも私が小説で脚光を浴びたきっかけは、ある男のルポルタージュを書いたからだった。数多の取材を全て断っていた彼は、なぜか私にだけは心を開いて、全てを話してくれた。だからこそ書けた、そして注目された。
彼は、モラルの欠落した人間だった。善と悪を、その概念から全て捨て去ってしまっていた。人が良いと思うことも、不快に思うことも、彼は理解が出来ず、ただ彼の中のルールを元に生きている、パーソナリティ障害の一種だろうと私は初めて彼に会った時に直感した。
彼は、胸に大きな穴を抱えて、生きていた。無論、それは本当に穴が空いていたわけではないが、彼にとっては本当に穴が空いていて、穴の向こうから人が行き交う景色が見え、空虚、虚無を抱いて生きていた。不思議だ。幻覚、にしては突拍子が無さすぎる。幼い頃にスコンと空いたその穴は成長するごとに広がっていき、穴を埋める為、彼は試行し、画策した。
私が初めて彼に会ったのは、まだ裁判が始まる前のことだった。弁護士すらも遠ざけている、という彼に、私はただ、簡単な挨拶と自己紹介と、そして、「理解しない人間に理解させるため、言葉を紡ぎませんか。」と書き添えて、名刺と共に送付した。
その頃の私は書き殴った小説未満をコンテストに送り付けては、音沙汰のない携帯を握り締め、虚無感溢れる日々をなんとか食い繋いでいた。いわゆる底辺、だ。夢もなく、希望もなく、ただ、人並みの能がこれしかない、と、藁よりも脆い小説に、私は縋っていた。
そんな追い込まれた状況で手を伸ばした先が、極刑は免れないだろう男だったのは、今考えてもなぜなのか、よくわからない。ただ、他の囚人に興味があったわけでもなく、ルポルタージュが書きたかったわけでもなく、ただ、話したい。そう思った。
夏の暑い日のことだった。私の家に届いた茶封筒の中には白無地の紙が一枚入っており、筆圧の無い薄い鉛筆の字で「8月24日に、お待ちしています。」と、ただ一文だけが書き記されていた。
こちらから申し込むのに囚人側から日付を指定してくるなんて、風変わりな男だ。と、私は概要程度しか知らない彼の事件について、一通り知っておこうとパソコンを開いた。
『事件の被疑者、高山一途の家は貧しく、母親は風俗で日銭を稼ぎ、父親は勤めていた会社でトラブルを起こしクビになってからずっと、家で酒を飲んでは暴れる日々だった。怒鳴り声、金切声、過去に高山一家の近所に住んでいた住人は、幾度となく喧嘩の声を聞いていたという。高山は友人のない青春時代を送り、高校を卒業し就職した会社でも活躍することは出来ず、社会から孤立しその精神を捻じ曲げていった。高山は己の不出来を己以外の全てのせいだと責任転嫁し、世間を憎み、全てを恨み、そして凶行に至った。
被害者Aは20xx年8月24日午後11時過ぎ、高山の自宅において後頭部をバールで殴打され殺害。その後、高山により身体をバラバラに解体された後ミンチ状に叩き潰された。発見された段階では、人間だったものとは到底思えず修復不可能なほどだったという。
きっかけは近隣住民からの異臭がするという通報だった。高山は殺害から2週間後、Aさんだった腐肉と室内で戯れている所を発見、逮捕に至る。現場はひどい有り様で、近隣住民の中には体調を崩し救急搬送される者もいた。身体に、腐肉とそこから滲み出る汁を塗りたくっていた高山は抵抗することもなく素直に同行し、Aさん殺害及び死体損壊等の罪を認めた。初公判は※月※日予定。』
���くつも情報を拾っていく中で、私は唐突に、彼の名前の意味について気が付き、二の腕にぞわりと鳥肌が立った。
一途。イット。それ。
あぁ、彼は、ずっと忌み嫌われ、居場所もなくただ産み落とされたという理由で必死に生きてきたんだと、何も知らない私ですら胸が締め付けられる思いがした。私は頭に入れた情報から憶測を全て消し、残った彼の人生のカケラを持って、刑務所へと赴いた。
「こんにちは。」
「こんにちは。」
「失礼します。」
「どうぞ。」
手錠と腰縄を付けて出てきた青年は、私と大して歳の変わらない、人畜無害、悪く言えば何の印象にも残らない、黒髪と、黒曜石のような真っ黒な瞳の持ち主だった。奥深い、どこまでも底のない瞳をつい値踏みするように見てしまって、慌てて促されるままパイプ椅子��と腰掛けた。彼は開口一番、私の書いている小説のことを聞いた。
「何か一つ、話してくれませんか。」
「え、あ、はい、どんな話がお好きですか。」
「貴方が一番好きな話を。」
「分かりました。では、...世界から言葉が消えたなら。」
私の一番気に入っている話、それは、10万字話すと死んでしまう奇病にかかった、愛し合う二人の話。彼は朗読��どしたこともない、世に出てすらいない私の拙い小説を、目を細めて静かに聞いていた。最後まで一度も口を挟むことなく聞いているから、読み上げる私も自然と力が入ってしまう。読み終え、余韻と共に顔を上げると、彼はほろほろ、と、目から雫を溢していた。人が泣く姿を、こんなにまじまじと見たのは初めてだった。
「だ、大丈夫ですか、」
「えぇ。ありがとうございます。」
「あの、すみません、どうして私と、会っていただけることになったんでしょうか。」
ふるふる、と犬のように首を振った彼はにこり、と機械的にはにかんで、机に手を置き私を見つめた。かしゃり、と決して軽くない鉄の音が、無機質な部屋に響く。
「僕に大してアクションを起こしてくる人達は皆、同情や好奇心、粗探しと金儲けの匂いがしました。送られてくる手紙は全て下手に出ているようで、僕を品定めするように舐め回してくる文章ばかり。」
「...それは、お察しします。」
「でも、貴方の手紙には、「理解しない人間に理解させるため、言葉を紡ぎませんか。」と書かれていた。面白いな、って思いませんか。」
「何故?」
「だって、貴方、「理解させる」って、僕と同じ目線に立って、物を言ってるでしょう。」
「.........意識、していませんでした。私はただ、憶測が嫌いで、貴方のことを理解したいと、そう思っただけです。」
「また、来てくれますか。」
「勿論。貴方のことを、少しずつでいいので、教えてくれますか。」
「一つ、条件があります。」
「何でしょう。」
「もし本にするなら、僕の言葉じゃなく、貴方の言葉で書いて欲しい。」
そして私は、彼の元へ通うことになった。話を聞けば聞くほど、彼の気持ちが痛いほど分かって、いや、分かっていたのかどうかは分からない。共鳴していただけかもしれない、同情心もあったかもしれない、でも私はただただあくる日も、そのあくる日も、私の言葉で彼を表し続けた。私の記した言葉を聞いて、楽しそうに微笑む彼は、私の言葉を最後まで一度も訂正しなかった。
「貴方はどう思う?僕の、したことについて。」
「...私なら、諦めてしまって、きっと得物を手に取って終わってしまうと思います。最後の最後まで、私が満たされることよりも、世間を気にしてしまう。不幸だと己を憐れんで、見えている答えからは目を背けて、後悔し続けて死ぬことは、きっと貴方の目から見れば不思議に映る、と思います。」
「理性的だけど、道徳的な答えではないね。普通はきっと、「己を満たす為に人を殺すのは躊躇う」って、そう答えるんじゃないかな。」
「でも、乾き続ける己のままで生きることは耐え難い苦痛だった時、己を満たす選択をしたことを、誰が責められるんでしょうか。」
「...貴方に、もう少し早く、出逢いたかった。」
ぽつり、零された言葉と、アクリル板越しに翳された掌。温度が重なることはない。触れ合って、痛みを分かち合うこともない。来園者の真似をする猿のように、彼の手に私の手を合わせて、ただ、じっとその目を見つめた。相変わらず何の感情もない目は、いつもより少しだけ暖かいような、そんな気がした。
彼も、私も、孤独だったのだと、その時初めて気が付いた。世間から隔離され、もしくは自ら距離を置き、人間が信じられず、理解不能な数億もの生き物に囲まれて秩序を保ちながら日々歩かされることに抗えず、翻弄され。きっと彼の胸に空いていた穴は、彼が被害者を殺害し、埋めようと必死に肉塊を塗りたくっていた穴は、彼以外の人間が、もしくは彼が、無意識のうちに彼から抉り取っていった、彼そのものだったのだろう。理解した瞬間止まらなくなった涙を、彼は拭えない。そうだった、最初に私の話で涙した彼の頬を撫でることだって、私には出来なかった。私と彼は、分かり合えたはずなのに、分かり合えない。私の言葉で作り上げた彼は、世間が言う狂人でも可哀想な子でもない、ただ一人の、人間だった。
その数日後、彼が獄中で首を吊ったという報道が流れた時、何となく、そうなるような気がしていて、それでも私は、彼が味わったような、胸に穴が開くような喪失感を抱いた。彼はただ、理解されたかっただけだ。理解のない人間の言葉が、行動が、彼の歩く道を少しずつ曲げていった。
私は書き溜めていた彼の全てを、一冊の本にした。本のタイトルは、「今日も、皮肉なほど空は青い。」。逮捕された彼が手錠をかけられた時、部屋のカーテンの隙間から空が見えた、と言っていた。ぴっちり閉じていたはずなのに、その時だけひらりと翻った暗赤色のカーテンの間から顔を覗かせた青は、目に刺さって痛いほど、青かった、と。
出版社は皆、猟奇的殺人犯のノンフィクションを出版したい、と食い付いた。帯に著名人の寒気がする言葉も書かれた。私の名前も大々的に張り出され、重版が決定し、至る所で賛否両論が巻き起こった。被害者の遺族は怒りを露わにし、会見で私と、彼に対しての呪詛をぶちまけた。
インタビュー、取材、関わってくる人間の全てを私は拒否して、来る日も来る日も、読者から届く手紙、メール、SNS上に散乱する、本の感想を読み漁り続けた。
そこに、私の望むものは何もなかった。
『あなたは犯罪者に対して同情を誘いたいんですか?』
私がいつ、どこに、彼を可哀想だと記したのだろう。
『犯罪者を擁護したいのですか?理解出来ません。彼は人を殺したんですよ。』
彼は許されるべきだとも、悪くない、とも私は書いていない。彼は素直に逮捕され、正式な処罰ではないが、命をもって罪へ対応した。これ以上、何をしろ、と言うのだろう。彼が跪き頭を地面に擦り付け、涙ながらに謝罪する所を見たかったのだろうか。
『とても面白かったです。狂人の世界が何となく理解出来ました。』
何をどう理解したら、この感想が浮かぶのだろう。そもそもこの人は、私の本を読んだのだろうか。
『作者はもしかしたら接していくうちに、高山を愛してしまったのではないか?贔屓目の文章は公平ではなく気持ちが悪い。』
『全てを人のせいにして自分が悪くないと喚く子供に殺された方が哀れでならない。』
『結局人殺しの自己正当化本。それに手を貸した筆者も同罪。裁かれろ。』
『ただただ不快。皆寂しかったり、一人になる瞬間はある。自分だけが苦しい、と言わんばかりの態度に腹が立つ。』
『いくら貰えるんだろうなぁ筆者。羨ましいぜ、人殺しのキチガイの本書いて金貰えるなんて。』
私は、とても愚かだったのだと気付かされた。
皆に理解させよう、などと宣って、彼を、私の言葉で形作ったこと。裏を返せば、その行為は、言葉を尽くせば理解される、と、人間に期待をしていたに他ならない。
私は、彼によって得たわずかな幸福よりも、その後に押し寄せてくる大きな悲しみ、不幸がどうしようもなく耐え難く、心底、己が哀れだった。
胸に穴が空いている、と言う幻覚を見続けた彼は、穴が塞がりそうになるたび、そしてまた無機質な空虚に戻るたび、こんな痛みを感じていたのだろうか。
私は毎日、感想を読み続けた。貰った手紙は、読んだものから燃やしていった。他者に理解される、ということが、どれほど難しいのかを、思い知った。言葉を紡ぐことが怖くなり、彼を理解した私ですら、疑わしく、かといって己と論争するほどの気力はなく、ただ、この世に私以外の、彼の理解者は現れず、唯一の彼の理解者はここにいても、もう彼の話に相槌を打つことは叶わず、陰鬱とする思考の暗闇の中を、堂々巡りしていた。
思考を持つ植物になりたい、と、ずっと思っていた。人間は考える葦である、という言葉が皮肉に聞こえるほど、私はただ、一人で、誰の脳にも引っ掛からず、狭間を生きていた。
孤独、などという言葉で表すのは烏滸がましいほど、私、彼が抱えるソレは哀しく、決して治らない不治の病のようなものだった。私は彼であり、彼は私だった。同じ境遇、というわけではない。赤の他人。彼には守るべき己の秩序があり、私にはそんな誇り高いものすらなく、能動的、怠惰に流されて生きていた。
彼は、目の前にいた人間の頭にバールを振り下ろす瞬間も、身体をミンチにする工程も、全て正気だった。ただ心の中に一つだけ、それをしなければ、生きているのが恐ろしい、今しなければずっと後悔し続ける、胸を掻きむしり大声を上げて暴れたくなるような焦燥感、漠然とした不安感、それらをごちゃ混ぜにした感情、抗えない欲求のようなものが湧き上がってきた、と話していた。上手く呼吸が出来なくなる感覚、と言われて、思わず己の胸を抑えた記憶が懐かしい。
出版から3ヶ月、私は感想を読むのをやめた。人間がもっと憎らしく、恐ろしく、嫌いになった。彼が褒めてくれた、利��的な幸せの話を追い求めよう。そう決めた。私の秩序は、小説を書き続けること。嗚呼と叫ぶ声を、流れた血を、光のない部屋を、全てを飲み込む黒を文字に乗せて、上手く呼吸すること。
出版社は、どこも私の名前を見た瞬間、原稿を送り返し、もしくは廃棄した。『君も人殺したんでしょ?なんだか噂で聞いたよ。』『よくうちで本出せると思ったね、君、自分がしたこと忘れたの?』『無理ですね。会社潰したくないので。』『女ならまだ赤裸々なセックスエッセイでも書かせてやれるけど、男じゃ使えないよ、いらない。』数多の断り文句は見事に各社で違うもので、私は感嘆すると共に、人間がまた嫌いになった。彼が乗せてくれたから、私の言葉が輝いていたのだと痛感した。きっとあの本は、ノンフィクション、ルポルタージュじゃなくても、きっと人の心に突き刺さったはずだと、そう思わずにはいられなかった。
以前に働いていた会社は、ルポの出版の直前に辞表を出した。私がいなくても、普段通り世界は回る。著者の実物を狂ったように探し回っていた人間も、見つからないと分かるや否や他の叩く対象を見つけ、そちらで楽しんでいるようだった。私の書いた彼の本は、悪趣味な三流ルポ、と呼ばれた。貯金は底を尽きた。手当たり次第応募して見つけた仕事で、小銭を稼いだ。家賃と、食事に使えばもう残りは硬貨しか残らない、そんな生活になった。元より、彼の本によって得た利益は、全て燃やしてしまっていた。それが、正しい末路だと思ったからだったが、何故と言われれば説明は出来ない。ただ燃えて、真っ赤になった札が灰白色に色褪せ、風に脆く崩れていく姿を見て、幸せそうだと、そう思った。
名前を伏せ、webサイトで小説を投稿し始めた。アクセス数も、いいね!も、どうでも良かった。私はただ秩序を保つために書き、顎を上げて、夜店の金魚のように、浅い水槽の中で居場所なく肩を縮めながら、ただ、遥か遠くにある空を眺めては、届くはずもない鰭を伸ばした。
ある日、web上のダイレクトメールに一件のメッセージが入った。非難か、批評か、スパムか。開いた画面には文字がつらつらと記されていた。
『貴方の本を、販売当時に読みました。明記はされていませんが、某殺人事件のルポを書かれていた方ですか?文体が、似ていたのでもし勘違いであれば、すみません。』
断言するように言い当てられたのは初めてだったが、画面をスクロールする指はもう今更震えない。
『最新作、読みました。とても...哀しい話でした。ゾンビ、なんてコミカルなテーマなのに、貴方はコメをトラにしてしまう才能があるんでしょうね。悲劇。ただ、二人が次の世界で、二人の望む幸せを得られることを祈りたくなる、そんな話でした。過去作も、全て読みました。目を覆いたくなるリアルな描写も、抽象的なのに五感のどこかに優しく触れるような比喩も、とても素敵です。これからも、書いてください。』
コメとトラ。私が太宰の「人間失格」を好きな事は当然知らないだろうに、不思議と親近感が湧いた。単純だ。と少し笑ってから、私はその奇特な人間に一言、返信した。
『私のルポルタージュを読んで、どう思われましたか。』
無名の人間、それも、ファンタジーやラブコメがランキング上位を占めるwebにおいて、埋もれに埋もれていた私を見つけた人。だからこそ聞きたかった。例えどんな答えが返ってきても構わなかった。もう、罵詈雑言には慣れていた。
数日後、通知音に誘われて開いたDMには、前回よりも短い感想が送られてきていた。
『人を殺めた事実を別にすれば、私は少しだけ、彼の気持ちを理解出来る気がしました。。彼の抱いていた底なしの虚無感が見せた胸の穴も、それを埋めようと無意識のうちに焦がれていたものがやっと現れた時の衝動。共感は微塵も出来ないが、全く理解が出来ない化け物でも狂人でもない、赤色を見て赤色だと思う一人の人間だと思いました。』
何度も読み返していると、もう1通、メッセージが来た。惜しみながらも画面をスクロールする。
『もう一度読み直して、感想を考えました。外野からどうこう言えるほど、彼を軽んじることが出来ませんでした。良い悪いは、彼の起こした行動に対してであれば悪で、それを彼は自死という形で償った。彼の思考について善悪を語れるのは、本人だけ。』
私は、画面の向こうに現れた人間に、頭を下げた。見えるはずもない。自己満足だ。そう知りながらも、下げずにはいられなかった。彼を、私を、理解してくれてありがとう。それが、私が愛読者と出会った瞬間だった。
愛読者は、どうやら私の作風をいたく気に入ったらしかった。あれやこれや、私の言葉で色んな世界を見てみたい、と強請った。その様子はどこか彼にも似ている気がして、私は愛読者の望むまま、数多の世界を創造した。いっそう創作は捗った。愛読者以外の人間は、ろくに寄り付かずたまに冷やかす輩が現れる程度で、私の言葉は、世間には刺さらない。
まるで神にでもなった気分だった。初めて小説を書いた時、私の指先一つで、人が自由に動き、話し、歩き、生きて、死ぬ。理想の愛を作り上げることも、到底現実世界では幸せになれない人を幸せにすることも、なんでも出来た。幸福のシロップが私の脳のタンパク質にじゅわじゅわと染みていって、甘ったるいスポンジになって、溢れ出すのは快楽物質。
そう、私は神になった。上から下界を見下ろし、手に持った無数の糸を引いて切って繋いでダンス。鼻歌まじりに踊るはワルツ。喜悲劇とも呼べるその一人芝居を、私はただ、演じた。
世の偉いベストセラー作家も、私の敬愛する文豪も、ポエムを垂れ流す病んだSNSの住人も、暗闇の中で自慰じみた創作をして死んでいく私も、きっと書く理由なんて、ただ楽しくて気持ちいいから。それに尽きるような気がする。
愛読者は私の思考をよく理解し、ただモラルのない行為にはノーを突きつけ、感想を欠かさずくれた。楽しかった。アクリルの向こうで私の話を聞いていた彼は、感想を口にすることはなかった。核心を突き、時に厳しい指摘をし、それでも全ての登場人物に対して寄り添い、「理解」してくれた。行動の理由を、言動の意味を、目線の行く先を、彼らの見る世界を。
一人で歩いていた暗い世界に、ぽつり、ぽつりと街灯が灯っていく、そんな感覚。じわりじわり暖かくなる肌触りのいい空気が私を包んで、私は初めて、人と共有することの幸せを味わった。不変を自分以外に見出し、脳内を共鳴させることの価値を知った。
幸せは麻薬だ、とかの人が説く。0の状態から1の幸せを得た人間は、気付いた頃にはその1を見失う。10の幸せがないと、幸せを感じなくなる。人間は1の幸せを持っていても、0の時よりも、不幸に感じる。幸福感という魔物に侵され支配されてしまった哀れな脳が見せる、もっと大きな、訪れるはずと信じて疑わない幻影の幸せ。
私はさしずめ、来るはずのプレゼントを玄関先でそわそわと待つ少女のように無垢で、そして、馬鹿だった。無知ゆえの、無垢の信頼ゆえの、馬鹿。救えない。
愛読者は姿を消した。ある日話を更新した私のDMは、いつまで経っても鳴らなかった。震える手で押した愛読者のアカウントは消えていた。私はその時初めて、愛読者の名前も顔も性別も、何もかもを知らないことに気が付いた。遅すぎた、否、知っていたところで何が出来たのだろう。私はただ、愛読者から感想という自己顕示欲を満たせる砂糖を注がれ続けて、その甘さに耽溺していた白痴の蟻だったのに。並ぶ言葉がざらざらと、砂時計の砂の如く崩れて床に散らばっていく幻覚が見えて、私は端末を放り投げ、野良猫を落ち着かせるように布団を被り、何がいけなかったのかをひとしきり考え、そして、やめた。
人間は、皆、勝手だ。何故か。皆、自分が大事だからだ。誰も守ってくれない己を守るため、生きるため、人は必死に崖を這い上がって、その途中で崖にしがみつく他者の手を足場にしていたとしても、気付く術はない。
愛読者は何も悪くない。これは、人間に期待し、信用という目に見えない清らかな物を崇拝し、焦がれ、浅はかにも己の手の中に得られると勘違いし小躍りした、道化師の喜劇だ。
愛読者は今日も、どこかで息をして、空を見上げているのだろうか。彼が亡くなった時と同じ感覚を抱いていた。彼が最後に見た澄んだ空。私が、諦観し絶望しながらも、明日も見るであろう狭い空。人生には不幸も幸せもなく、ただいっさいがすぎていく、そう言った27歳の太宰の言葉が、彼の年に近付いてからやっと分かるようになった。そう、人が生きる、ということに���最初から大して意味はない。今、人間がヒエラルキーの頂点に君臨し、80億弱もひしめき合って睨み合って生きていることにも、意味はない。ただ、そうあったから。
愛読者が消えた意味も、彼が自ら命を絶った理由も、考えるのをやめよう。と思った。呼吸代わりに、ある種の強迫観念に基づいて狂ったように綴っていた世界も、閉じたところで私は死なないし、私は死ぬ。最早私が今こうして生きているのも、植物状態で眠る私の見ている長い長い夢かもしれない。
私は思考を捨て、人でいることをやめた。
途端に、世界が輝きだした。全てが美しく見える。私が今ここにあることが、何よりも楽しく、笑いが止まらない。鉄線入りの窓ガラスが、かの大聖堂のステンドグラスよりも耽美に見える。
太宰先生、貴方はきっと思考を続けたから、あんな話を書いたのよ。私、今、そこかしこに檸檬を置いて回りたいほど愉快。
これがきっと、幸せ。って呼ぶのね。
愛読者は死んだ。もう戻らない。私の世界と共に死んだ、と思っていたが、元から生きても死んでもいなかった。否、生きていて、死んでいた。シュレディンガーの猫だ。
「嗚呼、私、やっぱり、
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ディズニーの「差別映画」に見た「幻想の南部」の誕生 ――映画『南部の唄』をみる
ディズニー社が運営するテーマパークのアトラクション、「スプラッシュマウンテン」の題材が変更されるというニュースが流れています。
(参考)
米ディズニーがスプラッシュマウンテンの題材を「南部の唄」から変更
https://news.yahoo.co.jp/articles/360bcd7f93a0e3bf6a37503772ceb96c0a1a5dba
ディズニー映画『南部の唄』は長年にわたって「黒人差別を容認する作品ではないか」という批判にさらされてきた作品で、現状のBlack Lives Matter運動に揺れるアメリカにおいて、仕方のない、決断せざるをえなかったことなのかもしれません。
筆者はかつて、自身が所属する「全日本南北戦争フォーラム」の会報にこの『南部の唄』に関しての雑文を掲載したことがあり、掲載よりずいぶん日が経っており、かつ自身の文責になるものでもありますので、参考までに自分のブログに今、若干の修正を加えて掲載するものです。
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ディズニーの「差別映画」に見た「幻想の南部」の誕生 ――映画『南部の唄』をみる
2018年9月1日、東京都千代田区で開催されましたNPO法人江東映像文化振興事業団様主催、映画『南部の唄』上映会に、本会・全日本南北戦争フォーラムとして参加しました。江東映像文化振興事業団では、本会報にも特別寄稿をいただいている評論家・三浦小太郎氏が役員を務めておられ、その御縁で参加させていただいた次第です。
上映作品だった『南部の唄』は1946年に公開された、ウォルト・ディズニー製作の映画です。いわゆる「ディズニー映画」ですが、人間の俳優で構成される実写で描かれたパートと、アニメで表現される動物劇が巧みに組み合わされた映像作品で、まだCGなどというものが影も形もない時代であるにもかかわらず、俳優とアニメの動物が実に自然な形で「共演」しているなど、映画史の中でも特筆すべき表現技法を見せた作品として語り継がれているものです。
しかしながら、この21世紀において本作『南部の唄』が好事家の話題にのぼるとき、筆頭に挙げられる事項はそうした映像表現の話ではありません。本作に現在ついてまわっている第一の「レッテル」は、「人種差別的な映画だ」というものです。実際、世界中でこの作品は現在、「タブー作品」のようになってしまっており、DVDのような形で簡単に購入し、鑑賞することもできません。そして本作が内包するとされている「人種差別」とは、『南部の唄』というタイトルが示すように、アメリカ南部にある(あった)黒人差別のことを指します。
本作のあらすじを、簡単に紹介しましょう。時は南北戦争後、そうもたってもいないころの話。アメリカ南部ジョージア州の大都市アトランタで両親とともに暮らしてきた白人の少年・ジョニーは、家庭の事情で母親の実家である田舎の農村に引っ越します。母親の実家は富裕な農園主で、いまも多くの黒人労働者(元奴隷)を抱え、綿花プランテーションを経営している一族でした。都会っ子であるジョニーはなかなかその農村になじめず、また大好きな父が仕事の関係でアトランタに戻ってしまい、寂しさからふさぎ込むようになります。しかし農園で働く老黒人、アンクル・リーマスの語る民話に引き込まれていくうち、ジョニーは次第に周囲に心を開いていく――という筋書きです。
この映画は、一部の例外はありますものの、基本的に「いい人」しか出てこない作品です。主人公もその一員である白人の綿花農園主一族は、慈悲深い「お殿様」のような人々で、彼らに仕える黒人労働者は、白人の慈愛を感謝とともに受け取りながら、何の不満もなく、南部での人生を謳歌しているという設定です。白人と黒人は、確かに雇い主と使用人という関係ではありますが、差別のようなものはまったく描写されず、実に親しげに語りあい、交流しています。これは何かの皮肉としてそのような戯画化が行われているというのではなく、本当に本作では、南部の農園はホンワカとした、何かの理想郷であるかのごとく描かれています。
アメリカの有力な黒人団体であるNAACP(全米黒人地位向上協会)は公開直後からこの『南部の唄』に対して、「実際のアメリカにあった激しい人種差別を隠蔽し、南部社会を美化したロクでもない映画だ」との批判を発しており、ゆえに現在、この作品は再上映される機会もなければ、前述したようにDVDなども発売されていません。今回の上映会は、かつて一時期のみ販売されていたVHSを上映したものであるそうで、貴重な機会を与えていただいた三浦さん、および江東映像文化振興事業団様に感謝します。
NAACPが本作に寄せた批判は、おおむね妥当なものであるとは思います。アメリカ南部に苛烈な黒人差別があったことは事実であるにも関わらず、『南部の唄』は前述のように、南部をそんなものがまるでない、牧歌的な理想郷であるかのごとく描写しています。NAACPは、本作が「間違った南部像」を社会に流布することによって、南部に厳然とあった「差別の歴史」が修正されるのではないか、と危惧し、また怒ったわけです。
ただ、本作は本当に(一部の例外を除き)「悪人」というものが出てこない、ホンワカとした物語で、暴力的なシーンも原則としてありません。「この作品が歴史的事実とそぐわないのは事実かもしれないが、そもそもフィクションなんだし、またこの映画を見ることで黒人への暴力、差別が煽動されるようにも見えない」といったNAACPの批判への懐疑が、一部に存在することも事実です。けれども私は「南北野郎」として本作を今回初めて鑑賞させていただいたうえで、「これはとんでもない映画だなあ」と、心底思わされたのです。NAACPが怒るのも無理はない、なぜならばこの映画は、匂い立つほどに南部的、CSA(アメリカ南部連合国)的な色彩をまとっているように感じられたからです。
私はディズニー・アニメの専門家でも何でもありませんが、ややステロタイプながら、以下のように感じています。ディズニー映画の真骨頂とは「階級の移動」です。みじめな下女だったシンデレラは王子様と結婚し、単なるデク人形だったキノピオは人間になります。哀れな子象ダンボは興行界のスターとなり、また『美女と野獣』や『ライオン・キング』は一種の貴種流離譚で、これぞ主人公の所属階級が目まぐるしく変わる物語です。そして俗にいう「アメリカン・ドリーム」の神話がそうであるように、下の階級から歯を食いしばって成り上がっていく挑戦者たちを称賛する精神風土こそが「アメリカという国」の土壌で、そこからディズニー映画が生まれたのは、ひとつの必然ですらあります。
しかしながらこの『南部の唄』ではその上映時間の93分中、登場人物たちの所属階級がまったく移動しないのです。貧しい少女ジニーは主人公のパーティーに招かれますが結局行くことがなく、農園を去ることを決意するアンクル・リーマスも最後には戻ってきます。主人公が飼おうとする哀れな子犬も、結局飼うことが許されません。また主人公一族に仕える黒人労働者は自らの待遇をまったく不満に思っておらず、彼らが毎朝の出勤時に合唱する「私はとどまる、なじんだ家へ」という歌詞の歌は、何か象徴的です。劇中でアンクル・リーマスが語る民話は本作の見どころの一つですが、その劇中劇の主人公、「ウサ君」が最大のピンチを迎えるのは、「人に必要のない干渉をしたからだ」と、具体的に何をしたのかが語られぬまま説明されます。個々のエピソードを見ていくと「本当にそれでよかったのか」「作劇上、ちょっと乱暴すぎるんじゃないのか」と思わされるケースもありますが、ラストのミュージカル調のエンディングは、そうした疑問に何も答えぬまま、すべてをどこかへ流し去っていきます。
ただし本会会員にはもう説明不要でしょうが、これこそが北部流の成り上がり思想、アメリカン・ドリームに対して南部社会が打ち立てていた、CSA的な思想でした。人のことには干渉しない。自分には自分の生き方がある。そして、人は生まれ持った環境の中で暮らしていくことが、最も幸せなのである――。これこそがアメリカ南部の主張で、「奴隷解放」や「産業革命に沿った社会の近代化改革」を訴えた北部へのアンチテーゼでした。もちろん、そういう思想の根底にあったのは、南部の上流階級の「この、自分たちに都合のいい階級社会、奴隷制社会を維持したい」という利己的な思想で、それゆえに南部は南北戦争に敗れるわけです。しかし、この「誰にも干渉せず、またされない、そういう意味での『自由社会』の維持」とは、南北戦争時にCSAが明確に掲げた大義で、そして『南部の唄』の社会は、まさにその「CSAの大義に沿った楽園」なのです。この画面に横溢するCSA的な空気、これにNAACPが言いようのない不快感を覚えた側面はあったのではないかと思いますし、そうであるのならば、一見暴力的ではないこの映画を、彼らが口を極めて罵った理由も、何となく分かるような気がするのです。
繰り返しますように、『南部の唄』に描かれる社会は、間違いなくCSAの大義を反映した理想郷です。ただ、理想郷はあくまで理想郷であるわけであって、現実の南部とは偏った人種差別思想に基づいた、どうしようもなく遅れた農本主義社会に過ぎませんでした。だからこそ南北戦争に敗れてしまったのです。以降、南部はアメリカの経済発展に取り残され、KKKの誕生や公民権運動の混乱などに揺れる、「アメリカの中の恥ずべき地域」などと呼ばれて現在に至ります。しかし、いわばCSAナショナリストとでも呼べる一群は、「かつての南部にはきちんとした理想社会があったのに、北部がそれを壊した。今の貧困と混乱は北部のせいだ」と叫び、現実世界にはどこにもなかった「理想の南部」を形成し、「南北戦争前に帰ろう」といった虚構的主張を展開していきます。『南部の唄』は、そういう「幻想の南部」が形成されていく途上、およびその一つの到達点を示す作品であるとも感じられ、その意味において私には非常に興味深いものでした。
また、もう一つ注目したいのが、本作における珍しい例外的悪役、フェーバー兄弟です。主人公の家のそばに住んでいる貧乏白人の子供で、服装や態度から見るに、その経済状況、教養程度は黒人以下です。実際、一般の白人には従順なアンクル・リーマスも、この兄弟には露骨に悪態をつくほどです。彼らは何かにつけて主人公やその仲間をいじめ、鑑賞者の義侠心を刺激しますが、しかしちょっと考えてみてください。少女ジニーが主人公のパーティーに行くのを妨害する、子犬が主人公にもらわれるのを邪魔するなどといった彼らの行為は、実は「誰もが階級を移動しない」というこの世界の中における秩序の保持者なのです。
さきほど、南北戦争後の南部には「全部北部が悪い」といったような、夜郎自大で卑屈な歴史観が生まれたことを紹介しました。しかしその主な担い手は、結局生活に余裕のある旧奴隷農園主ら上層階級というよりも、南軍の末端を担ったプア・ホワイトという貧乏白人集団でした。彼らは貧しいゆえに「既得権益」などというものとは無縁でしたが、それでも南北戦争を戦わされ、何も得ることのない中で、そういう夜郎自大な歴史観を持つに至ります。しかし、その「卑屈」の力を巨大なエネルギーと変え、いま実現させたのがトランプ政権だったりもするのです。そういう流れからも、実に面白い物語の構図でした。
※全日本南北戦争フォーラム会報 Vol.11 2018年冬季号所載
http://nanboku-sensou.blogspot.com/2018/12/12319511.html
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