#福良
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福良の大綱曳
南あわじ市福良の大綱曳 淡路島
はっきりしないけど、六尺褌に化粧まわしを付けてるんじゃないかな?
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'24.10.14 興福寺、浅茅ヶ原、東大寺、三条通りにて
連休最終日、電車で向かったので興福寺スタートからの三条通り終着コース。ぶらぶらと撮った中からスナップっぽいショットをやや多めにw
三条通りの小さな社で久しぶりにヌコさんに会うことができました。
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【氷室神社例祭】
お渡りと御旅所祭を撮影させて頂きました。 氷室神社前にある奈良国立博物館前広場 →興福寺南大門跡(御旅所祭) →氷室神社 のルートです。 鹿目線多め(笑) 奈良公園にて撮影 2024年10月1日
<氷室神社例祭> 永久5年(1117年)に悪疫鎮止の為に始まったとされます。 11世紀後半は疫病が猛威を振るったとされ、記憶に新しい令和のコロナ蔓延。終息を願って令和2年(2020年)に58年ぶりに渡御が復興されました。
明治以前の御旅所は、旧一乗院宮邸(現、奈良地方裁判所の敷地)の玄関にて興福寺の別当一乗院宮が参列なされ御旅所祭斎行。 明治以降は興福寺南大門跡が御旅所となり、令和の今も興福寺貫首さまが参列され、この地で行われました。
#japan#nara#shrine#temple#kofukuji#shinto ritual#traditional event#festival#deer#world heritage site#氷室神社#興福寺#奈良公園#鹿#鳳輦#御蓋山
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A sculpted image of the monk Genpin (玄賓) (734-818) crafted by the Buddhist artist Kōkei (康慶) and his crew in the late 12th century at the Nan'endō Hall (南円堂) of Kōfukuji Temple (興福寺) in Nara
Image from "運慶と鎌倉彫刻 (日本の美術12)" [Unkei and Kamakura Sculpture (The Arts of Japan 12] by 水野敬三郎 [Mizuno Keisaburō], published by 小学館 [Shōgakukan], 1972, color plate 13
#japanese art#buddhist art#buddhist monk#玄賓#genpin#康慶#kokei#奈良市#nara#興福寺#kofukuji#南円堂#nanendo#crazyfoxarchives#arte japonés#arte budista#monje budista
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幼稚園で活用される0系新幹線
払い下げられた本物です。
1990年(平成2年)に幼稚園が購入、輸送費に2千万円かかったそうです。30年以上たった今でも、車内は子どもたちが楽しく利用できる多目的室として活用されているそうです。
こだま号
コロナの頃(2020年)に近所の塗装屋さんがボランティアで補修・再塗装をされてます。
そして、この付近(西油山)には古墳群があり、幼稚園の敷地内にも古墳が残っているそうです。
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2024/8/27
福島ぶらり
長楽寺の浅草宇一郎墓→UFOふれあい館→福島稲荷神社の世良修蔵墓→福島護国神社
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把自己玩濕了😳遇到很會挑逗的男性 一下午都在幻想著與他纏綿的畫面😂
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No.437 旅八景 風情を求めて-近鉄特急
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『福島県・少し前の秋模様』
福島県猪苗代町でペンションを営む友人と、福島県内の山を少し散策しようと話になり、晩秋に差しかかった県内某所へ出かけました。
(写真は、お酒買う為だけに立ち寄った『大内宿』)
まだ今ほど、紅葉の進んでいない時期。道中寄り道で『観音沼』を散策。まぁ、見事! 派手さがないので、時折見せる美しさが、より引立ちます。
ちょうど、夜間ライトアップさせる準備の最中。いわゆるオフのタイミングで客足も少な目。数歩進む度に、雲の形が変わる度に、陽の加減が変わる度に足を止め、予定時間を大きく超過してしまいました(笑)
この時期、もっとすごい場所は多々あるのですが、人混みが気になり、穏やかで良いから、静かに散策できる場所を目指したくなります。ここは、来年も来ようかな…。
さてその晩は、福島県猪苗代町で友人が営む温泉ペンション『コテージ・シャムロック』にて一泊。翌早朝、山登は得意でない面々で、安達太良山連山の薬師岳付近散策でかつ、ロープウェイを活用する作戦で出発。
が、しかし!
雲は少ないけど強風が吹き、ロープウェイの運転が見合わせ。殆どの人は諦め、健脚なグループは続々と「登山」に変更。流されるままに、私達素人も、片道2時間近くの薬師岳(ロープウェイの頂上口付近)目指して、歩き出すこととなりました。
道中オニギリを食べ、行く人互いに励まし合い、歩き出した事をやや後悔し、下山時にもロープウェイ動いていなかったらどうしようという焦りを巡らせながら、一歩一歩進んでいきます。
ただ不思議なもので、時折見せる、雄大で暖かな自然美には心癒され、不安と疲れが少しだけ癒されます。
また一歩、また一歩と、その先に見えるはずの開けた風景を信じて励まし合いながら歩きました(笑)
トレッキング好きな方からしたら、初心者コースの代表的な場所かもしれません。でも、私達には充分すぎる内容で、薬師岳登頂した時にロープウェイ動いていると聞いた時は、これまた感動したものです(笑)
薬師岳山頂でお参りして、風景に見惚れていると程なく、雲が厚みを増してきました。この風景を目に焼き付けて、ロープウェイの有り難みに感謝しながら下山しました。
この付近はよく通るドライブコースでもあり、遠目から、土湯温泉付近の山々の美しさは知っていました。ただこうやって自分の足で見た風景は、当然ながら格別ですね♪
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ここに生きられたことへの誇り
/ドラマ10大奥 /大奥 /大奥完結
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勉強メモ 野口良平『幕末的思考』 第2部「内戦」 第四章「未成の第二極」1~3 細かいメモ
野口良平『幕末的思考』みすず書房 第2部「内戦」第4章「未成の第二極」1~3
きのう大まかに書いたことの、さらに書き留めておきたい細かいことどもをメモします。
【目次】
■中江兆民とルソー
■西郷に希望を託した若者たち
■会津藩士たち
■増田栄太郎と福沢諭吉
■中江兆民とルソー
中江兆民は、大久保に直談判して(司馬遼太郎『翔ぶが如く』で、中江青年が大久保の馬車を追いかけて、乗せてもらいながら売り込みをするシーン、印象的ですね。なんか、長い小説の中に、二回くらい、この同じシーンが出てきたような)岩倉使節団に随行する留学生としてフランスに学ぶ。
ルソーの『社会契約論』に目を拓かれ、これを訳して日本に紹介するが……
まず、ルソーの思想とは。
ルソーの最初の著書『人間不平等起源論』では、「すべての人間が本来平等である」という。
我々をつないでいる身分制度��鎖を解き放て! と。
(高校生の時、これを聞いてときめいた。平等だったのか! しらんかった! 生まれつき高級な人と、わたしのようなどうしようもないのがいて、そういうことは運命的に決められているのだと思っていた! 民主主義の時代に生きてる私でさえそう思うのに、身分制度の時代に生まれてそんなことを考えたルソーって天才だ! と。うれしかった。平等なんだ!! わーいと思った)
だけど、どうだろう。どこまでも自由だとしたら、力が強かったり悪知恵が働いて良心のかけらもない人が、気の弱い人や体の弱い人を押しのけて、奴隷にしたり餌食にしたりするのも自由、ってことになる。そしたら弱い者には勝ち目のない地獄になる(今の日本のようですね)。
この状態を、ホッブスは「自然状態」といって指摘した。
『人間不平等起源論』の七年後、ルソーはこれに答えるべく?『社会契約論』を書く。
強くて悪い者が好き放題する自由は、やっぱ困る。
で、こうまとめたそうだ。p176
《人間は、ルール(鎖)なしには自分を自由にする力を持たない。ルールには、正当化しうるもの(鎖)と、そうでないものとがある。》
その正当化しうる鎖とは、力ではなく約束。(じーん)
《正当化しうるルールの源泉とは、各人が自己保存と自己への顧慮を手放すことなしに、すべての人と利益を共有しうる結社の創設への合意(convention)すなわち「社会契約」である。》
しかし、難問が!
「えー。おれ強くて頭いいいから、好き放題してても困らない。ルールなんか従いたくないんだけど。自由がいい」という横暴な人たち(往々にして世の中の主流になる)を、どうやって約束の席につかせうるか。
↓
ルソーは「立法者」というスーパーマンの存在を考え出して、この人になんとかさせようとしている。
↓
中江も自分で考えた。
やっぱり答えは出ないけど、
徳が高くて強い立法者と、その補佐役がいたらいい!
とこのとき考えたそうだ。
そして、この立法者が西郷さんで、補佐役がオレ!
でも、中江の「フランスすばらしい!」は、航海中のベトナムでかげる。人権に目覚めたはずのフランス人が、ベトナム人に酷いあしらいを��ている!
「人権を考え出したのはヨーロッパ人だが、実行するのはアジア人だ!」
しかしさあ、どうやって実現する? (むずい)
■西郷に希望を托した若者たち。
大久保たちの裏技を使ったやり方に敗れ、野に降った西郷。 (私としては、やめんでほしかった)
大久保たちのごり押し近代化(武士の禄を奪い、藩をなくし、誇りだった刀を強制的にやめさせ……)に異議申し立てせんという旧士族たちが、方々で叛乱を起こす。
(江藤新平のことももう少し知りたいなあ)
西郷は、慕ってきた子分たちと共に鹿児島で私学校を開いていた。
西郷自身は、ことを起こすことに対して慎重だったようだけど、 結局、大軍を率いて、東京へ押しかけ政府のやり方をあらためさせようと「挙兵」。
鹿児島を出発。
でも熊本で負けてしまい……。 明治10年9月、よくドラマに出てくる最期をとげる。
この節で、私が胸を衝かれたのは、
中江兆民世代の、ほんとに有望な人(小倉処平、宮崎八郎)、 迷える青年(増田栄太郎)らの戦死だ。
小倉処平は、 日向飫肥藩の仲間たちをひきいて西郷軍に参じた人望ある人。 かつては藩主に留学制度を進言し、選抜した青年たちを率いて長崎に学ぶ。のちロンドンにも留学。《英国仕込みの自由主義者であり、中央政府による急進的な近代化とは異なる、もう一つの近代化の可能性を探っていた人物だった。》p183 (滂沱)
宮崎八郎は、熊本荒尾村の庄屋の次男(実質長男)。 《人民の擁護者を任じる家風の中で育てられた》p179 (中岡慎太郎みたいね)
八郎は、はじめは、列強の理不尽への怒りや、政府の強引さへの不満から、征韓論に熱中し、征台義勇軍を組織するなど、物騒な感じだったが、中江訳『社会契約論』に目を拓かれる。
それがどうして、西郷の武装蜂起に参加?
→「キミの考えは西郷とは違うじゃないか、どうして西郷軍へ?」と聞かれて、 「西郷を助けて政府を倒してから、西郷を倒すんじゃ」 (西郷軍に身を投じた若者には、こういう人が多かったようだ)
けれどもどちらもならぬまま、戦死。
��の克明な日記は、預かった人が川の徒渉に失敗して永遠に喪失してしまったと。 ……このシーン、小説のよう。 川の畔に立ち尽くしたような気持ちに。
■会津藩士たち
また、西郷軍を熊本で果敢に防いだ政府軍には、多くの有能な旧会津藩士が加わっていたことも記される。
極寒不毛の斗南藩へ送られたのち、一族を率いて新政府の警視庁に出仕した、元会津藩家老の佐川官兵衛は、阿蘇山麓で戦死。(呆然)
同じく元家老の山川浩は、西郷軍に囲まれた熊本城を後巻きして救出する。
いっぽうで、同じく会津藩士だった長岡久茂は、政府打倒を試みて、獄死していた。
両極に別れたように見える彼らの行動を 著者は、「同じ動機」によるものと記す。
《彼らが目指していたのは(略)──戊辰戦争が勝者のためだけに戦われたものではなかったことを自力で証明してみせることだった。》p179
■増田栄太郎と福沢諭吉
増田栄太郎は、福沢の又従兄弟にあたるという。
増田は遅れてきた攘夷青年。それだけに、「攘夷に落とし前をつけなくていいのか」という答えを求めていた。 殺してやろうと思っていた福沢から「敵である列強の良いところを学べ」といわれて、一時は慶応大学にはいるが、すぐに退学。郷里で結社を作ったり、新聞を発行したりする。 これらの手当たり次第のような闇雲なガッツは、《内心の葛藤の受け皿を手探りで構想する作業だった。》p186
(個人的には激しく共感;; むしろ出来ブツの小倉処平さんより。ああ、この人、もっと長く生きていればなあ、生き方は見つかったに違いないのに)
そんな「迷走」のさなか、増田栄太郎は、西郷軍が田原坂で敗退してから、わざわざ敗軍の鹿児島勢に加わる。
何を思って?
その死には諸説あるが、曙新聞は「不敵な笑いを浮かべて処刑された」と報じた。 最期に披瀝したといわれる増田の言葉は、「西郷先生バンザーイ」というかんじのもの。 探していた思想はどこへ……。(余計に悲しい)
西郷の死と、救えなかった増田の刑死報道に衝撃を受けた福沢諭吉は、『丁丑公論』を窃かに書く。 西郷の敗北ののち、世論がいっきに「西郷=賊」視したことへの激しい疑問から。
福沢は言う。
政府が専横になることは仕方ないことだが、あまり野放しにするととんでもないことに。これを防ぐためにも抵抗は必要だ。と。
かつて『文明論之概略』で、“難題を抱えていながらそれで乱れない(戦争したりしない)のが文明というものだ”と喝破した福沢だが、この文明論は、何の役にも立たなかった。
西郷の死は、福沢の思想に深みを与えたと、著者は言う。
これまでの『学問のすすめ』『文明論之概略』では、 眠りから覚めている自分が、眠りこけているみんな(愚民)へ呼びかけていた。
『丁丑公論』では、 眠りから覚めるのが「速かった人」と「遅い人」の差があるだけだと、福沢は気付く。
このことに福沢は
《おそらくサイゴンの中江篤介よりも、城山の増田栄太郎よりも、遅れて気づいたのである。》p189
心がどよめいた。
どうしてだろう。
すっきりしたような、著者の福沢評にようやく合点がいった、ような。
いやちがう。 利口者の福沢の真摯な“愕然"が胸を打ってくる。
利口で視野が広いがために、低い苦しみの地平からものがみえなかった。 凡百の利口者なら死ぬまでそれに気づかないだろう。
だがやっぱり福沢は本物だったのだ。
私はまことに直感的に、福沢は信用できなかった。 なんだってこう上から目線なのか。何を持って自分は上から見てるつもりになっているのか。と。
でも、福沢も、その不思議な「特権階級」にあぐらをかくような人ではなかったのだ。
西郷の死と、フラフラしているかに見えた若い増田の問い掛けを、心と頭脳を駆動して受けとめたのだ。
そこを(これまで福沢をすごくひいき?にしてるように見えた)著者にとかれて、
こういう利口者が、真摯にがっくり「膝を折った」音に、心を叩かれたのかもしれない。
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春の奈良公園 ガスメータの後ボケとクラウンになり切れない水紋を添えて・・
今日は日中20℃越えの陽気。興福寺から歩き始めましたが、ちらほらと桜が咲き始め・・。その足で奈良で一番早い桜と言われる氷室神社へ行くとやはりここは辺りよりも開花が進んでいました。
でもこのポイントも鹿さんと桜の取り合わせがなかなか難しい・・
木蓮の花もピークを迎え、大きな花弁が散り始めていました。
'24.3.30 興福寺湯屋、氷室神社にて
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Honour of seeing (特別拝観) por toshimo Por Flickr: 2011.02.13 at koufuku-ji (興福寺), Nara
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A postcard of the three-story pagoda at Kōfukuji Temple (興福寺) in Nara, published around 1918 and postmarked October 17, 1921
Image from the photography collection of the Nara Prefectural Library
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