#磯部磯兵衛
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kennak · 25 days ago
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私は「里見八犬伝」(1983年公開。以降は角川版と表記)世代なので 「虚の世界」のパートでの比較は避けられず、JACスター勢揃いの角川版からのパワーダウンが半端ないのだ。 ちなみに、2作はどちらも馬琴の書いた八剣士の物語ではあるものの、ストーリーが大きく異なっている。 それについては本記事の後半で紹介するが、ひとまず本題に戻そう。 角川版の八犬士がヘビー級なら、本作の八犬士はミドル級にも程遠く、せいぜいライト級かフェザー級といったところ。 敵役も玉梓が夏木マリから栗山千明では勝負にならない。 浜路の河合優実も、全く彼女の良さが出ていなかった。 角川版では八剣士の中心人物であった親兵衛は本作ではほぼ空気。 ちなみに演じている藤岡真威人は藤岡弘の息子で、2020年にセガ創立60周年を記念して せがた三四郎の息子・せが四郎としてメディアデビュー。 先日から始まった実写ドラマ版「ウイングマン」では主演を務めている。 原作が違うのだからストーリー展開が異なるのは仕方ないとはいえ 演者も演出も外連味の塊とも言える角川版に比べると芝居が圧倒的に軽く、演出もVFX頼みで迫力に欠ける。 旬の俳優を集めた超豪華な2.5次元舞台、と書くとその筋のファンの方に怒られるだろうか。 唯一頑張ったのは、犬坂毛野を演じた板垣李光人。 角川版でも登場した暗殺シーンは、志穂美悦子の見惚れる剣術とはまた違ったアプローチでなかなか良かった。 皆がああいった形で角川版とは違う魅力を見せてくれていれば印象は随分と変わっていたはず。 ここまで「実の世界」のキャストを実力派で固めるのであれば 「虚の世界」は「キル・ビル」のように、いっそアニメで作っても良かったのではないだろうか。 「平家物語」「犬王」のサイエンスSARUあたりに頼めていれば...。 「実の世界」は、物語進行と同時に馬琴の作家としてのプライドの高さやへんくつさ、 良き父・良き夫ではなかった部分を浮かび上がらせていて見応えは抜群。 特に北斎と連れ立って芝居を観に行く場面での立川談春とのヒリヒリするやり取りこそが 本作の最大の見所とも言える。 辛い現実が多い世の中で、せめて物語の中ぐらいは最後に正義が勝つ物語を��りたいと主張する馬琴と 空蟬に漂う毒を露悪的に舞台に取り入れる南北は、まさに水と油。 しかしどちらかが言い負かすまでは続けず、わだかまりを残したまま剣を収め、互いの信じる日常に戻っていく。 この場面を見れただけでも、149分付き合って良かったと思える。 反面、馬琴の妻の寺島しのぶは最初から最後までヒステリックに悪態をついているだけで、 息子の磯村隼斗もいつの間にか病に倒れてしまい、チラリと登場した息子以外の子もほとんど出て来ない。 『ここを描きたい』という監督の思いにムラがあり過ぎる。 光を失った馬琴の代わりに無学だったお路(黒木華)が筆を取り、 叱責されながらも教えを乞い続けてついに作品を完成させた偉業すら エンドロール直前に文章でつらつらと表示して終わりではあまりにも軽い。 本作が馬琴の物語ならばそこは端折るべきではなかったし 八犬士の物語をしっかり描くなら、和風ハムナプトラのような安いCGでお茶を濁すべきではなかった。 思い入れのある作品なので何もかも自分でやりかたったのかも知れないが、脚本は別の人に任せた方が良かったように思う。 散々あれこれ書いてきて何だが、「里見八犬伝」世代だから気になる箇所がたくさんあっただけで 149分間一度も退屈だと感じることはなかったので、予備知識のない方のほうが素直に楽しめそう。 本作を見て楽しかったなら、鑑賞後に補完のつもりで角川版も見て欲しい。 (そもそも今作には出てこない)静姫と親兵衛の恋愛を軸にした大胆なアレンジは 一流の役者陣による本気のごっこ遊びとして、また違った楽しさを得られるはず。
映画「八犬伝」虚と実の重量感の差が惜しい|「南総里見八犬伝」「里見八犬伝」との違いも解説 - 忍之閻魔帳
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ari0921 · 11 months ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
    通巻第8070号
 AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
  文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
*************************
 わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
 「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
 このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
 『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
 皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
 しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
 生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
 きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
 文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
 紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
 ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
 「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
 額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
 「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
 ▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
 『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
 『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
 古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
 江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
 井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
 上田���成の『��月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の��守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
 近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
 描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
 谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
 「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
 ▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
 「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
 「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
 「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派��辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
 サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
 わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
 こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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catonoire · 1 year ago
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「葛飾応為「吉原格子先之図」 ―肉筆画の魅力」展
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太田記念美術館で「葛飾応為「吉原格子先之図」 ―肉筆画の魅力」展を見る。葛飾北斎の娘である葛飾応為の代表作を筆頭に、主に浮世絵師の描いた肉筆画を集めた展示である。個人的には浮世絵の本分は版画にあると思っているが、肉筆画には肉筆画の良さがあることもまた否定できない。
展示は葛飾北斎・応為父娘の作品に始まり、喜多川歌麿、礒田湖龍斎、歌川豊国、歌川国芳、鈴木春信、奥村政信、歌川国貞、鍬形蕙斎、歌川広重、落合芳幾、小林清��、月岡芳年、勝川春章、等々、錚々たる顔ぶれが揃い、浮世絵師ではない絵師(たとえば司馬江漢、岩佐又兵衛)の作品も少数含まれる。また、琳派の酒井抱一の賛が入った作品(磯田湖龍斎「三囲/待乳山図」)もあり、当時の絵師業界(?)の横のつながりにも興味を引かれた。
今回の主役である応為「吉原格子先之図」は、顔の目鼻立ちが描かれているのは1人の遊女だけで、他の遊女たちは格子で部分的または全体的に顔が隠れてよく見えず、また、格子先のほうを見ている人々はほぼ背を向けているのでやはり顔は見えない。そのため人々の顔かたちや表情やそれが醸し出す雰囲気などを想像する余地がある。光と影の表現も作品の魅力を増している。
応為の作品の隣には、北斎の「羅漢図」(下のチラシの画像、左上の作品)が掛かっていた。羅漢が手に持った鉢から黒雲がのぼり、そこから赤い稲光が発している。羅漢のピアスとブレスレットとアンクレットがコーディネイトされているように見えるのもちょっとおもしろい。北斎作品はほかに鮮やかな「源氏物語図」も展示されており、松葉の描きかたなどがめっぽう巧かった。
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oldkwaidan · 6 months ago
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意思表示する金
 新潟県西頸城郡磯部村大字徳合字中村に権兵衛という人がいる。  彼の家の井戸からは夜な夜な火が燃え上がったそうだ。  昔、金の入った甕が井戸に埋められたらしい。  その金が、世の中に出たい出たい、と夜ごと火と化して燃え出るとのことだ。
 (西頸城郡教育会・編『新潟県西頸城郡郷土誌稿(二)』九、神々の祟と怨霊の話 「27 金甕」)
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bearbench-tokaido · 8 months ago
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五篇 下 その二
伊勢の参宮道で馬に乗ることにした北八。ところがその馬方が借金取りともめて…。
「俺も、さっきからいらいらしてたんだ。 まったく、いまいましい馬に乗り合わせたもんだ。 しかしまあ、まだ金も払っていないんだしこれまで、ただで乗ったのだからよしとして降りよう。」 と、権平に口をとらせて、北八は馬から降りる。
馬方が、その様子に慌てて駆け寄り、 「もし旦那。お前様が降りてはこの馬を取られる。乗ってて下さい。」 と、北八を馬に乗せようとする。 権平は、馬方と北八の間に割って入ると、 「いや、だめだ、だめだ。」 と、馬方を止めようとする。 「権平さま。何とかするから旦那をおろしては、気の毒だ。 さあさあ、乗ってください。」 と、北八を乗せようとする。北八は、馬方の勢いにあおられて、 「なにまた、乗るのか。しっかりたのむぞ。」 と、馬に乗った。
権平はやっきとなり、 「こりゃこりゃ長太。どうするつもりじゃ。 俺を愚弄するのか。旦那、降りてください。」 北八は、馬の上から、 「なんだと。また、降りるのか。 貴様たち、俺を降ろしたりあげたり、足も腰もくたびれた。」 と、言って、そっぽを向く。 権平は、 「そうは言っても私の馬になったんだから、どうぞ降りてください。」 と促すと、北八は、 「ええい、面倒だ。」 とじれったくなって、ぐっと飛び降りる。
「はてさて、降りなくてもいいです。 権平さま。こうしましょう。私も商売の途中でなんともしようがない。 せめて、家に帰るまで待ってください。 そのかわりここで、この木綿の綿入れを渡しましょう。」 馬方は、自分の着ている木綿の綿入れを指差して言う。 権平は、ちょっと考えて、 「そうしたら、それで、決着をつけるか。」 と、うなずく。 「もうこれで安心です。さあ旦那、乗ってください。」 馬方が北八を、また馬に乗せようとする。 「なに又、乗れというのか。もう勘弁してくれ。俺はここから歩いていく。 なんならここまでの金を払うから、もう、乗るのはいやだ。」 と北八は、もううんざりした様子である。 「そう言わないで、乗ってくださいよ。頼みますよ。さあさあ。」 と馬方は、馬の口をとって勧めるので、北八またしかたなく馬に乗ると、それを見ていた権平は馬方の長太に言う。 「さあ、約束のその布子、脱いでもらおうか。」 「いやそう言ったが、これも家に帰るまで待ってください。」 と馬方は、馬を引いて歩き出そうとする。
権平は、怒り心頭で、 「何を言う。おのれもう了見ならん。さあさあ、旦那。降りてください。」 と、長太の肩を掴むと、北八に言う。 「ええ、この分からず屋の連中め。 又、降りろといいやがる。もう、いやだ。 さあ、早くやれ。降ろせるもんなら降ろしてみろ。」 と、北八も腹を立てている。 馬方は、平気なそぶりで、 「旦那の言うとおり。降りなくても、いいですよ。さあ、行きましょう。」 と、馬を引いて行こうとするので、権平は、 「いや、何をする。降りなくていいとは、どういうことだ。」 と、真っ赤になって怒り出す。 権平はそのまま馬に取り付こうとするが、馬方はそれを突き退けて馬の尻を思いっきり叩いた。 すると馬は勢いよく駆け出して行ってしまった。
北八は、馬の上で、真っ青になり、大声を上げて、 「やあい、やあい。誰か、助けてくれ。こりゃ、どうする。」 と、必死にしがみついている。 権平は、走り出した馬を見て、 「馬を逃がすわけにはいかん。おおい。待て。」 と、追っかけ出す。
馬の上の北八は一生懸命馬のくらに取り付いていたが、馬はやみくもに走っているのでこのままではどうなるか分からないと、思い切って飛び降りた。 しかし、くらの縄に足がが引っかかり、真っ逆さま落ちて、したたかに腰の骨を打ってしまった。 「あいたたた。誰か、来てくれ。あいたたた。」 と一人でもがいていると、馬方がまず駆けつけてきた。 「もし旦那。お怪我はないかいな。どりゃどりゃ。」 と手をとって、引き起こす。 その横を権平が馬を捕まえようと、駆け抜ける。 馬方はこれを見て、そうはさせないと抱きかかえていた北八をそこにおっぽり出すと、駆け出して行く。
北八は、 「おおい待ちやがれ。俺を酷い���に合わせてそのまま行くのか。」 とぶつぶつ言いながら、起き上がった。 腹が立ったが周りに誰も居ないのでしょうがないし、馬方らを追っかけようにも足や腰が痛くてそれも出来ない。 やっとのことでそろりそろりと歩き出した。
借金を おうたる馬に 乗りあわせ 貧すりゃどんと 落とされにけり
北八はこの様子で、一首詠んだ。 やがて、矢橋村に着いた。
弥次郎兵衛は先を行っていたが、先程の馬のいざこざを露ほども知らないのでだいぶ先に来てしまったかと、ここで待ち合わせることにした。 やがて、引きずるようにやってきた北八を見て、 「おやおや、北八。そのなりはどうしたのだ。」 と、問いかける。 「いや、もう、話にもならない。とんでもない目にあった。」 と、さっきの状況を一部始終話すと、 弥次郎兵衛は、面白がって、一首詠む。
馬方が 一目散に 追いかける 落とされたる 北八残して
それより玉垣を通り過ぎ白子の町で、福徳天王を拝んで子安観音の別れ道で弥次郎兵衛が、一首詠む。
風をはらむ 沖の白帆は 観音の 加護にやすやす 海わたるらん
それからこの町を過ぎると、磯山というところに着いた。 ここには吹き矢をさせる店があるようだ。 その店の親父が往来に呼びかけている。
「さあさあ、遊んで行きなされ。 題目はなんとあの忠臣蔵の十一段の続きじゃ。 それ吹き矢。やれ吹き矢。 当てると不思議。たち��ち変わるからくりじゃ。 新しい趣向も加わって、精巧なからくりじゃ。これじゃこれじゃ。」
北八は、その声に立ち止まると、 「ははあこれは『おかる勘平』か。 こちらは『魂胆夢の枕』と。いや、こいつをやってみよう。」 と、吹き矢筒に矢をいれて、ふっと吹く。 弥次郎兵衛は、北八の後ろからそれを見て、 「なんだ。はあ、えらいマツタケ(一物)が出た。こりゃおかしい。ははは。 与一兵衛、闇の夜は何が出るだろう。」 と吹き矢筒に矢をいれて、ふっと吹く。 「ひゃあ、妖怪が出てきたぞ。ははは。向こうはなんだ。」 と北八がそちら側へよる拍子に弥次郎兵衛にあたってしまい、体制を崩した弥次郎兵衛はその側に寝ていた犬の足を踏んでしまう。 「きゃんきゃん。」 と犬は、弥次郎兵衛にほえかかる。 「この畜生め。」 と吹き矢の筒で殴りつけると、犬もワンといって噛み付いてきた。 「あいたたた。畜生め。打ち殺すぞ。」 と怒るはずみに、どっさりと転げてしまった。 とそこに、煙草入れが落ちていた。 「転んでもタダではおきないとはこのことだ。ほれ、煙草入れが。」 と弥次郎兵衛が、拾おうと手を伸ばした。 すると向こう側にいる男の子が、引いた糸につらて煙草入れはするする。 「なんだ景品か。いまいましい。いっぱい食わされた。」 と弥次郎兵衛が出した手で頭をかくと、それを見ていた子供が、 「あほうじゃ。わははは。」 と��笑っている。 「こいつは、いい恥さらしだ。さっさと行こう。」 と北八が、吹き矢の金を払い出かける。
二人が歩いていると今度は、向こうにキセルが一本落ちている。 北八がさきにそれを見つけて、 「それ弥次さん。また、拾わないのか。」 とふざけて言うと、弥次郎兵衛は、 「いやもうその手はくわない。あれ、あとからくる親父が拾うだろう。」 と通り過ぎて振り返ってみると、あとよりきた親父が例のキセルを拾って、自分のふところに入れてしまいさっさと行っってしまう。 弥次郎兵衛は、その様子に、 「あれ、だましじゃなかったのか。」 と北八の方を見ると、 「ははは、お前は、ひどく運が悪いぜ。」 と笑いながらあるいて行く。
やがて上野の町に着いた。 さてどうしようかと二人がたたずんでいると、この辺りの人とみえて羽織、股引で下僕を供に連れている男が弥次郎兵衛に近づいてきた。 「突然ですが、あなたがたは、お江戸の方でございますかな。」 弥次郎兵衛が、 「ああ、そうだが。」 と、答える。
つづく。
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sassy324 · 11 months ago
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論一個面目猙獰的民族(8):
在#genocidal_war中,求救信號、白旗和脫掉的衣服沒有任何意義。 每一個活著的巴勒斯坦人都成為目標,以色列軍隊在加薩殺死 3 名#Israeli_prisoners人的唯一理由就是假設他們是#Palestinians 。 以色列記者西蒙·里克林:“如果不看著加沙的房屋倒塌,我就無法入睡。我希望看到更多的房屋和塔樓被拆除。” 12月18日,以色列恢復砲擊加薩的希法醫院。 衛生部報告稱,襲擊手術大樓入口後造成 5 人傷亡,其中大部分是兒童。 12月18日,以色列狙擊手在加薩謀殺了另一名記者,這次他們殺死了阿德爾·佐羅布。 12月18日,被活活燒死的嬰兒現在是墮落的以色列婚姻儀式的一部分,他們拍照並刺傷它(嬰兒照片),作為他們想要殺死的所有巴勒斯坦嬰兒的象徵。 內塔尼亞胡政府的高級成員本·格維爾也加入了這場種族滅絕儀式。 12月18日,耶路撒冷副市長弗勒爾·納胡姆在接受電視採訪時結結巴巴地否認加薩地帶存在教堂和基督徒,聲稱他們「被哈馬斯驅逐」。 主持人後來就兩天前聖家教區教堂內的基督徒被以色列狙擊手殺害一事與她對質。 12月19日,以色列士兵正準備向載有醫護人員的救護車扔手榴彈,但當他意識到自己正在被拍攝時停了下來… 12月19日,野蠻:以色列在加薩南部殺害了一名巴勒斯坦年輕人,並將推土機的牙齒嵌入他的體內。 12月19日,巴勒斯坦兒童被以色列使用的白磷火焰炸彈炸傷臉部和眉毛,以色列對無辜兒童使用禁用的白磷彈,犯下戰爭罪行,全世界都在關注。 12月19日,《洛杉磯時報》長篇在種族隔離制度下約旦河西岸巴勒斯坦人的悲慘生活。 那裡有50萬名猶太殖民者(相當多有以色列、美國雙重國籍),在以色列政府支持下和以色列軍警縱容下,身穿軍裝手持步槍,霸占巴勒斯坦人住宅、土地,搶奪財物,巴勒斯坦人敢 反抗就會遭到毒打、殺死。 12月19日,衛生部發言人阿什拉夫·庫德拉博士:以色列佔領軍將阿瓦達醫院變成了軍營,逮捕了240 人,其中包括80 名醫務人員、40 名患者和120 名流離失所者 ,醫院內沒有水、食物、或醫學,並防止部門間的流動。 他們還逮捕了 6 名醫院工作人員,包括院長艾哈邁德·穆哈納 (Ahmed Muhanna) 醫生,以及一名患者和一名同伴。 12月19日,以色列在加薩殺害了另一名記者。 阿卜杜拉·阿爾萬在以色列對他家的轟炸中喪生。 這是自加薩戰爭爆發以來第 96 名被以色列殺害的記者。 12月19日,哈尼·阿爾·海瑟姆醫生被譽為加薩最優秀的醫生之一,也是希法醫院急診科的負責人,他在以色列人的手中悲慘地結束了。 (加拿大司馬田2023.12. Google翻譯fb:Markss Tang)
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linelineaaq · 1 year ago
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nba傷兵名單憂心球迷!球隊陣容將迎來大變動!
nba傷兵名單歷史上目前有哪些令人怵目驚心的nba傷兵?NBA是世人公認籃球競技水平最高的職業聯賽,除了各個球隊之中實力高強的菁英,在夏季奧林匹克運動會籃球聯賽中出戰的美國夢幻隊,於1936年至2021年期間,NBA男子與女子球隊共獲得26枚金牌、2枚銀牌、3枚銅牌!NBA每年的比賽場次非常多,分為熱身賽、例行賽(季前)、常規賽、季後賽(季後賽),從每一年11月至次年4月,每一隻隊伍需完成82場賽程。
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由此可知,能進入NBA球隊的球員,無論是在籃球技術或是身體能力都有著最頂尖的狀態,正因為NBA籃球競賽強度激烈,儘管球星對自我保護的素求很高,可意外來臨的時候擋也擋不住,如此激烈的肢體對抗受傷也是難免的事情,對此NBA會在每場賽前或賽後更新傷兵報告disable list(nba傷兵名單英文)無論傷口是輕微是嚴重,都會列出最詳細的內容,因為這不僅僅是數據上的數字。
無論球員傷口不嚴重,大大小小的傷痛長年累月很容易反映在球場上的表現,若無法透過鍛鍊恢復重新回到賽場上,恐怕職業生涯就會到此結束!今天就讓我們來盤點nba傷兵名單查詢歷史上令人怵目驚心的傷兵,貼心提醒:內文圖片恐引起不適,請斟酌閱讀。
傷兵名單第一位:保羅·喬治因追身蓋鍋,導致脛骨成90度直角
喬治於2010年在「印第安納溜馬球隊」開啟職業生涯,目前效力球隊為「洛杉磯快艇」小前鋒與得分後衛的角色,待在溜馬期間時曾多次帶領溜馬進入季後賽,在2016年時參與在夏季奧林匹克運動會籃球聯賽,代表美國NBA男子籃球奪得金牌,最嚴重的一次受傷是在2014年8月參加美國隊表演賽,具體情況是喬治對哈登追身封蓋時,右腳碰到籃架摔倒,造成脛骨部分嚴重彎曲成90直角,因為這樣的傷病也讓喬治成為nba傷兵名單查詢系統內最令人畜目驚心的一位球員。
↓ ↓ 點擊連結收看更多驚喜 ↓ ↓ nba傷兵名單憂心球迷!球隊陣容將迎來大變動!
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wangwill66 · 1 year ago
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清朝首富財產清單
H:古人的寶藏清單,首推和珅。20230607W3
維基文庫:
查抄和珅家產清單
語言
下載 PDF
監視
編輯
查抄和珅家產清單 清
漚磯釣叟
1870年
姊妹計劃: 數據項
  欽賜花園一所亭□□台二十座新添十六座 正屋一所十三進共七百三十間 東屋一所七進共三百六十間 西屋一所七進共三百五十間 徽式新屋一所七進共六百二十間 私設檔子房一所共七百三十間 花園一所亭台六十四座 田地八千頃 銀號十處本銀六十萬兩 當鋪十處本銀八十萬兩號件未計
  金庫 赤金五萬八���兩
  銀庫 元寶五萬五千六百個 京錁五百八十三萬個 蘇錁三百一十五萬個 洋錢五萬八千元
  錢庫 制錢一百五十萬千文
  以上共約銀五千四百餘萬兩
  人參庫 人參大小支數未計共重六百斤零
  玉器庫 玉鼎十三座高二尺五寸 玉磬二十塊 玉如意一百三十柄 鑲玉如意一千一百零六柄 玉鼻煙壺四十八個 玉帶頭一百三十件 玉屏二座二十四扇
  玉碗一十三桌 玉瓶三十個 玉盆一十八面 大小玉器共九十三架未計件
  以上共作價銀七百萬兩
  另又 玉壽佛一尊高三尺六寸 玉觀音一尊高三尺八寸(均刻雲貴總督獻)
  玉馬一匹長四尺三寸高二尺八寸
  以上三件均未作價
  珠寶庫 桂圓大東珠十粒 珍珠手串二百三十串 大映紅寶石十塊計重二百八十斤 小映紅寶石八十塊未計斤重 映藍寶石四十塊未計斤重 紅寶石帽頂九十顆 珊瑚帽頂八十顆 鏤金八寶屏十架
  銀器庫 銀碗七十二桌 金鑲箸二百雙 銀鑲箸五百雙 金茶匙六十根 銀茶匙三百八十根 銀漱口盂一百零八個 金法藍漱口盂四十個 銀法藍漱口盂八十個
  古玩器 古銅瓶二十座 古銅鼎二十一座 古銅海三十��座 古劍二口 宋硯十方 端硯七百零六方
  以上共作價銀八百萬兩
  另又 珊瑚樹七支高三尺六寸 又四支高三尺四寸 金鑲玉嵌鐘一座
  以上三件未作價
  綢緞庫 綢緞紗羅共一萬四千三百匹
  洋貨庫 大紅呢八百板 五色呢四百五十板 羽毛六百板 五色嘩嘰二十五板
  皮張庫 白狐皮五十二張 元狐皮五百張 白貂皮五十張 紫貂皮八百張 各種粗細皮共五萬六千張
  以上共作價銀一百萬兩
  銅錫庫 銅錫器共三十六萬零九百三十五件
  磁器庫 磁器共九萬六千一百八十四件
  文房庫 筆墨紙張字畫法帖書籍未計件數
  珍饈庫 海味雜物未計斤數
  住屋內 鏤金八寶床四架 鏤金八寶炕二十座大自鳴鐘十座 小自鳴鐘一百五十六座 桌鐘三百座 時辰表八十個 紫檀琉璃水晶燈綵各物共九千八百五十七件 珠寶金銀朝珠雜佩簪釧等物共二萬零二十五件 皮衣服共一千三百件 綿夾單紗衣服共五千六百二十四件 帽盒三十五個帽五十四頂 靴箱六十口靴一百二十四雙
  上房內 大珠八粒每粒重一兩 金寶塔一座重二十六斤 赤金二千五百兩 大金元寶一百個每個重一千兩 大銀元寶五百個每個重一千兩
  以上均未作價
  夾牆內 藏匿赤金二萬六千兩
  地窖內 埋藏銀一百萬兩
  另又 家人六百零六名 婦��六百口
  尚有錢店古玩等鋪俱尚未抄
  《國朝野記》最少,即有之,多不著名氏,蓋恐涉筆不謹,致取咎戾,蹈《西征隨筆》等書覆轍耳。此書大概抄自邸報,亦不具名,於和珅未敗以前事概不書,即劉、馬二家人名俱逸之,殊為簡略。曾聞故友姚春木上舍(椿)云:「和珅性警敏,讀書不多,而能強記。初官拜唐阿,值高宗駕出,於輿中默誦《論語朱注》,偶不屬,垂問御前大臣,無以應,珅時提燈輿左,謹舉下文以對,即日擢侍衛,不數年,珅涉大僚。既貴,延吳白華(省蘭)諸公於家,日與講論今古,故於詩文亦粗解;有所作,私倩彭文勤(元瑞)、紀文達(昀)為之潤色,二公慮被齮齕,恆為捉刀;獨劉文清(墉)時與抗,人傳文清門庭清峻,而不知性喜詼諧,數以謔語刺珅,珅不能堪,飾詞以訴,高宗亦知二人不相洽,每以溫言解之。
  有傳珅元夕獄中作五律云:「夜色明如許,嗟余困未伸,百年原是夢,廿載枉勞神,室暗難挨暮,牆高不見春,餘生料無幾,空負九重仁。」詩殊不佳,足覘其概。珅有寵妾長二姑,所稱二夫人者,珅引帛時,賦七律二章挽之,並以自悼云:「誰道今皇恩遇殊,法寬難為罪臣舒,墜樓空有偕亡志,望闕難陳替死書,白練一條君自了,愁腸萬縷妾何如?可憐最是黃昏後,夢裡相逢醒也無。」(其一)「掩面登車涕淚潸,便如殘葉下秋山,籠中鸚鵡歸秦塞,馬上琵琶出漢關,自古桃花憐命薄,者番萍梗恨緣艱,傷心一派蘆溝水.直向東流竟不還。」(其二)
  又傳有吳卿憐者,蘇人,先為平陽王中丞(亶望)妾,王坐事伏法吳門,蔣戟門侍郎(錫棨)得之以獻於珅;珅敗,卿憐沒入官,作絕句八章,敘其悲怨云:「曉妝驚落玉搔頭(正月初��日曉起,理鬟驚聞籍沒),宛在湖邊十二樓(王中丞撫浙時,起樓閣飾以寶玉,傳謂迷樓,和相池館皆仿王苑)。魂定暗傷樓外景,湖邊無水不東流。」(其一)「香稻入唇驚吐日(和處查封有方餐者,因驚吐哺),海珍列鼎厭嘗時(王處查封,庖人方進燕窩湯,列屋皆然,食厭多陳幾上,兵役見之,紛紛大嚼,謂之「洋粉雲」)。蛾眉屈指年多少,到處滄桑知不知?(其二)「緩歌慢舞畫難圓,月下樓台冷繡襦,終夜相公看不足,朝天懶去倩人扶。」(其三)「蓮開並蒂豈前因,虛擲鶯梭廿九春。回首可憐歌舞地,兩番俱是個中人。」(其四)「最不分明月夜魂,何曾芳草怨王孫。梁間燕子來還去,害殺兒家是戟門。」(其五)「白雲深處老親存,十五年前笑語溫、夢裡輕舟無遠近,一聲款乃到吳門。」(其六)「村姬歡笑不知貧,長袖輕裾帶翠顰。三十六年秦女恨,卿憐猶是淺嘗人。」(其七)「冷夜痴兒掩淚題,他年應變杜鵑啼。啼時休向漳河畔,銅爵春深燕子棲。」(其八)
  珅死時年未六十,先患足軟,每夜半生剝犬皮一,縛兩膝上,始入朝,雖盛暑不能去。
  又長樂梁芷林中丞(章鉅)《歸田瑣記》述珅事云:「和珅之敗,余適在京師,而尚未登朝,無由悉其罪狀,後二十年入軍機,乃從檔簿中得其梗概,與外間所傳頗無歧異,此本朝一大案,不可不 列之以為負國營私者戒也。嘉慶四年正月初四日,恭值純廟升遐,和珅方為總理大臣,意得甚。次日即有御史廣興疏發其罪,初八日奉旨拿問,下刑部,並下各直省督撫議罪,直隸總督胡季堂請依大逆律凌遲處死;並列其冀州城外墳塋前有石門樓,石門前開隧道,正屋五間,稱曰享殿,東西廂房各五間,稱曰配殿,大門稱曰宮門,外圍牆二百丈,圍牆外設堆撥,士人稱曰和陵;牆西房屋二百一十九間,定製,親王墳塋,圍牆不得過百丈,和珅倍之。籍其家,更多人臣不應有之物,於是始將其大罪二十,宣示中外。其宅中太監呼什圖,時稱內劉,籍其家亦十餘萬,且為其弟劉寶梧捐納直隸州知州,劉寶榆守備銜,劉寶杞州同銜,則和珅之貪縱狂妄,除大罪外,已難悉數。時大學士九卿文武大臣翰詹科道公擬罪名,奏上如胡議,上以時當諒暗,不忍使大臣棄市,乃令和珅自裁。尤可怪者,籍沒後,續查出真珠、朝珠一掛,訊其家人,言往往燈下無人時,私自懸掛,對鏡徘徊,窺其心又不僅封殖貪黷之可罪矣。其金、銀庫內帳及大櫃內珠玉等項雜物帳簿,有好女子四名掌管,每年太監羅玉持出查對一次;四女子名香蓮、蕙芳、盧八兒、雲香也。籍珅之家人劉全、劉陔、劉印、胡六家,除金銀外,當鋪八座,內監呼什圖家,得米麥谷豆雜糧一萬一千六十五石;時文安大城兩處被水,分給兩縣作為口糧籽種。又分和珅之第,半為和孝公主府,半為慶親王府。及嘉慶二十五年王薨,五月十五日,管府事阿克當阿代郡王(諱綿慜)呈出毗盧帽門口四座太平缸五十有四,銅路鐙三十六對,此皆親王所不應有之物,而和珅有之,且銅路鐙較大內所陳,尤為精緻,今分設於景運隆宗兩門外雲。」
  竊又聞之先君子云:「先王父牧寧羌時,有州人張某以守備罷歸,言其壯日充陝西撫轅巡捕官巡撫某令齎二十萬金饋和珅,投書數日,偵探不得耗,費銀五千餘,始見一少年麗服奴出,問白者黃者,某以銀對,奴顧左右收外庫,授一名柬,曰以此還報,答書另發矣,某意奴非司閽,即和珅心腹,或笑曰,此重珅耳,其心腹司閽,豈數千金能見顏色。是時天下承平久,物力殷富,獻媚者誇多爭勝,如以數萬金進,不值一盼也。籍沒時,人參多至六百餘斤,彼侈言胡椒八百石者,未免寒陋。然高宗、仁宗英明神聖,珅雖當國久,亦不能大肆威福,固不如唐之元載輩,並不敢如鰲拜之橫,僅能潛通信息,藉圖自肥而已。」錄前志竟,並識於此。時同治九年冬十一月漚磯釣叟識。
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yuzhenw24 · 2 years ago
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AD回神、詹皇準大三元 湖人30分之差打爆勇士
湖人今天回到主場,A.戴維斯(Anthony Davis)回神,加上詹姆斯(LeBron James)、D.羅素(D'Angelo Russell)都有挹注��力,紫金大軍最終以127:97擊敗衛冕軍勇士,在西部準決賽取得2:1領先。 湖人系列賽首戰告捷,該役A.戴維斯猛攻31分、23籃板、5助攻及4阻攻,不過前役輸球只有11分、7籃板、4助攻及3阻攻。 A.戴維斯依循本季季後賽好一場、爛一場的規���,此仗在攻守替湖人做出極大貢獻,且防守範圍很大,成功擋下勇士的攻擊,全場繳出25分、13籃板、3抄截、3助攻及4阻攻。
湖人在上半場打完就取得59:48領先,而詹姆斯首節得分掛蛋,但第二節拿10分,第三節持續燃燒小宇宙,單節11分進帳率隊擴大領先,下去休息後都看得出來他累了,詹皇全場繳出21分、8籃板及8助攻。至於D.羅素則砍進5顆三分球,進帳21分,板凳出發的施洛德(Dennis Schroder)、沃克(Lonnie Walker IV)皆挹注12分。 湖人此仗下半場幾乎鎖死勇士進攻,且衛冕軍全場只進13顆三分球,團隊投籃命中率連4成都不到,第四節打沒多久就提前將主力換下,並進入垃圾時間。 勇士前役狂轟8顆三分球的K.湯普森(Klay Thompson),此仗只有14投5中得到15分,柯瑞(Stephen Curry)則有23分進帳,A.威金斯(Andrew Wiggins)16分入袋,但其他球員無人得分達到雙位數,黯然在洛杉磯客場兵敗。
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ymyh · 2 years ago
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2023.4.30に見に行った展覧会(2):2023年度、第1回コレクション展@京都国立近代美術館
*出展作家
・西洋近代美術作品選──クルト・シュヴィッタース、マックス・エルンスト
・生誕100年 下村良之介/星野眞悟──下村良之介、星野眞悟
・芸術とは何かを考えさせる、ふたつの問題作─赤瀬川原平《模型千円札》とマルセル・デュシャン《泉》──マルセル・デュシャン、赤瀬川原平、ヨーゼフ・ボイス、あるがせいじ、楠原和也、宮島達男、村岡三郎、太田三郎、グエン・ヴァン・クーン、鈴木崇、安星金、あいだだいや、森村泰昌、シュウゾウ・アヅチ・ガリバー
・特集:北大路魯山人──北大路魯山人
・1963年の工芸──高村豊周、河井寛次郎、金重陶陽、岡部嶺男、六代清水六兵衛(正太郎)、叶光夫、浅見隆三、志村ふくみ、小倉建亮、岡田章人、増村益城、小林菊一郎
・麻田浩の「現代美術の動向」後──麻田浩
・所蔵品にみる「現代美術の動向」展──磯部行久、針生鎮郎、元永定正、白髪一雄、吉原治良、宮本浩二、野村久之、三島喜美代、難波田龍起、麻田浩、吉仲太造、斎藤義重、堂本尚郎
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historysandwich · 2 years ago
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【常威近代史】(七百六十三回) 雖然大義但要問責 好多年前,我曾經到過南京的大屠殺紀念館參觀,響萬人坑展道內那些堆積如山的人體骸骨,為年少的我帶嚟嘅無比震撼,到今日仍然瀝瀝在目,我講過,我唔明白南京大屠殺發生嘅原因?人性點解可以喺短時間內完全消失?1937年12月發生響南京嘅事,似乎係由一連串嘅偶然所引發嘅極度不幸事件,只可以講,係當時中國人嘅運氣的確係太差,而日本人響南京所犯下的禽獸暴行,亦都永遠將佢哋嘅民族釘上歷史嘅恥辱柱上,永不翻身。 1938年1月9日出版嘅《紐約時報》(The New Yorks Times),內裡有一篇由記者Tillman Durdin所撰寫嘅報導《Japanese Atrocities Marked Fall of Nanking》中,內裡有以下一段描述: 「當中國在南京最後的潰敗到來時,潰逃的市政官員和守軍造成的混亂局面結束,普通民眾如釋重負,甚至預備迎接日軍進城,而當日軍部隊由西門和南門行進入城時,市民們的確高縣著布條歡迎。」 時間係1937年12月13號,日軍並沒有抓住呢個贏得民心嘅機會,相反佢哋大肆掃蕩,殺人如麻,姦淫擄掠,無所不為,做出咗震驚世界嘅一場南京大屠殺。 響松井石根大將(1878-1948)計畫之中,原本係要將大部分嘅部隊留喺南京城外,只係象徵性比憲兵同埋圍城兩個軍各派出幾個營進城,就好似佢哋處理佔領上海同其他城市一樣,不過情況有變嘅係,日本方面因為城內未降嘅中國士兵為數甚多,而且混入係平民百姓之中,於是日軍最後畀七萬多人嘅部隊全面進入南京城,進行大掃蕩。行文至此,有兩點需要注意,第一,日本對中國進行過兩次大屠殺,第一次就係發生係1894年嘅「旅順大屠殺」,當時同樣係震驚世界,但係兩次大屠殺佢哋所持嘅理由亦都一模一樣,就係有未降嘅軍人混���喺平民百姓之中,於是採取有殺錯無放過策略;第二點,就係由唐生智(1889-1970)領導嘅南京保衛戰,潰敗得實在太快太倉促,於是根本冇時間比軍人同部隊有秩序撤出南京,因此導致大量軍人滯留喺城內,畀咗日本人有藉口進行大屠殺。作為衛戍司令指揮官嘅唐生智其實喺慘劇所擔任嘅角色,或要負上嘅責任,其實相當大。 上集亦都講過,12月5號日軍曾經向唐生智勸降,唐生智並冇答應,當時國軍嘅局面究竟係點呢?是否早已經亂成一團,如果唐生智選擇投降,南京大屠殺又會唔會發生呢?死亡人數會不會大幅降低呢?答案永遠冇人知道,究竟係國家重要?政權重要?抑或人命重要?其實答案亦永遠冇人知道?之後大漢奸汪精衛協助日本人建立傀儡親日政權,口中最大嘅理由亦都係減低平民百姓傷亡數字,唔好作無謂嘅抵抗同犧牲,佢到底啱定錯?歷史早有定論,我亦唔作補充。但係我都可以幾肯定,如果我活喺嗰個年代,面對嗰種情況,我好��可能都會成為漢奸之一。 當然用我們現代人嘅眼光同角度去理解歷史人物、或者對佢哋做過嘅事或行為作出評論,甚至道德判斷,本身就係一件冇意義同on9嘅事情,因為所謂道德,會隨時間同空間而改變,正如1937年三妻四妾係理所當然,今日係十惡不赦一樣,更有甚者,所謂對錯,正確不正確好多時候都祇不過係政治權力嘅伸延同展現,同時代、立場與角色掛勾。不過,城破之前,唐生智同高級將領相繼安全離開(領導走先),但留低低級士兵同平民百姓予日本人屠殺,道理總係說不過去,更加唔好講唐將軍滙款去香港單嘢,一句到尾,就係失敗中嘅失敗,對南京城30萬平民百姓嘅枉死,當時負責守衛南京嘅唐生智,以及國軍嘅高級參謀將領,甚至乎蔣介石,絕對責無旁貸。再深入去分析,平民百姓性命在一場戰爭中,是否可以計算在戰略與戰術之中去運用?當然冇人話可以,但係平民百姓嘅性命,從來都係戰略武器之一,而且相當好用,同價錢便宜。 上集亦都提過,由於臨時改變戰略,急速行軍佔領南京,日軍依批部隊早已經飢寒交迫,滿腔憤怒,畀佢哋入城,就等於放一批餓咗好耐嘅��狗去咬人(食人),情況根本係會一發不可收拾。當然最大責任就係指揮官松井石根本人,佢放得部隊入城,就預咗血流成河。12月13號早晨,谷壽夫(1882-1947)部隊首先入城,一入城,就立刻展開殺戮,血洗聚集喺中山北路中央路嘅難民群,或者唔需要理由,理由就係難民群中有好多中國軍人或疑似軍人。響燕子磯,日軍就用機關槍掃射正喺八卦洲渡江嘅十幾萬中國軍民,日軍響南京所作出嘅暴行,情況係瘋狂嘅,亦都毫無理性可言,亦都唔尊重任何國際法、軍紀或道德律,由一開始,己經係一場赤裸裸嘅瘋狂大屠殺。 日本國內,曾經有極右團體,響戰後否認南京大屠殺曾經發生過,佢哋話,稱呼為「南京事件」嘅慘劇,殺害無辜平民百姓嘅兇手其實係中國軍人、盜賊土匪同黑幫份子,當然佢哋提出嘅證據完全站唔住腳,有圖有片有真相,日本軍人喺南京所犯下戰爭罪行,冇辦法可以被抹走。事實上,絕大部分有份參與南京屠殺嘅日本軍人,事後都冇被司法審判或追究責任,佢哋有好多人可能退伍後,返回日本本土,做番個普通人,正常返工放工,結婚生仔,甚至兒孫滿堂,安享天倫,不過我想問一個問題,午夜夢迴之時,佢哋會否經常見到南京平民百姓嘅冤魂野鬼呢…… #常威💀 #蔣介石平反系列  #佛經抄寫員 #中日戰爭 #民國歷史 https://www.instagram.com/p/CopTMR4PECB/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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swaramayana · 4 years ago
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ジャンプの無料マンガアプリ「少年ジャンプ+」で「週刊少年ジャンプ 2021年15号」を読んでます! #ジャンププラス https://jplus.s-bookstore.jp/contents/mc1003522
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prfm-multiverse · 8 years ago
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Isobe Isobee with Yasutaka Nakata - Seiseseiseiseseisei (PV)
The theme song for the anime “Isobe Isobee Monogatari” was released today.
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mikietsang · 8 years ago
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磯部磯兵衛 with 中田ヤスタカ - せいせせいせいせいせせいせい
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hi-majine · 4 years ago
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古典落語「宿屋の仇討ち」
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 ただいまではみられませんが、むかしは、宿屋の店さきに女中や番頭がでて、さかんに客を呼んだものでございます。 「ええ、お泊まりはございませんか。ええ、蔦《つた》屋でございます」 「ええ、お泊まりではございませんか。吉田屋でございます」 「ええ、いかがでございます、武蔵屋でございますが……」  そこへ通りかかりましたのが、としのころは三十四、五、色は浅黒いが、人品のよろしいおさむらいで、細身の大小をたばさみ、右の手に鉄扇を持っております。 「ゆるせよ」 「はい、いらっしゃいまし。お泊まりでいらっしゃいますか? てまえどもは武蔵屋でございます」 「ほう、当家は武蔵屋と申すか。ひとり旅じゃが、泊めてくれるか?」 「へえ、結構でございますとも、どうぞお泊まりくださいまし」 「しからば厄介になるぞ」 「へえ、ありがとうございます」 「拙者《せつしや》は、万事世話九郎と申すが、昨夜は、相州小田原宿、大久保加賀守殿のご領分《りようぶん》にて、相模《さがみ》屋と申す宿屋に泊まりしところ、さてはやたいへんなさわがしさであった。親子の巡礼が泣くやら、駈けおち者が、夜っぴてはなしをするやら、いちゃいちゃするやら、角力《すもう》とりが大いびきをかくやら、とんと寝かしおらん。今宵《こよい》は、間狭《まぜま》でもよろしいが、しずかな部屋へ案内をしてもらいたい」 「へえへえ、かしこまりました」 「そちの名は、なんと申す?」 「へえ、伊八と申します」 「ははあ、そのほうだな、いわゆる最後っ屁とやらを放《はな》つのは……」 「えっ、なんでございます?」 「いたちと申した」 「いいえ、いたちではございません。伊八でございます。おからかいになってはこまります。へえへえ、こちらへどうぞ……お花どん、お武家さまにお洗足《すすぎ》をおとり申して……それから、奥の七番さんへご案内だよ」  おさむらいが奥へ通りますと、あとへやってまいりましたのが、江戸っ子の三人づれでございます。 「おうおう、そうあわてていっちまったんじゃあしょうがねえやな。宿場《しゆくば》を通りぬけちまわあな。どっかこのへんで、宿をとろうじゃあねえか」 「そうさなあ……」 「ええ、お早いお着きさまでございます。ええ、お三人さま、お泊まりではございませんか? 武蔵屋でございます」 「おうおう、若え衆が泊まれといってるぜ。おう、泊まってやるか? 武蔵屋だとよ」 「武蔵屋?」 「へえ、武蔵屋でございます」 「武蔵っていえば江戸のことだ。こちとら江戸っ子にゃあ、とんだ縁のある名前《なめえ》だ、気にいったぜ」 「ありがとうございます」 「おう、若え衆、こちとらあ、魚河岸《かし》の始終《しじゆう》三人だけど、どうだ、泊まれるかい?」 「へえへえ、これはどうもありがとうございます。てまえどもは、もう、大勢さまほど結構でございまして……おーい、喜助どん、お客さまが大勢さまだから、すぐにさかなのほうへかかっとくれ!! おたけどん、さっそくごはんを、どしどししかけておくれよっ、お客さまは、みなさん、江戸のおかたで、お気がみじかいから……さあさあ、お客さま、おすすぎをどうぞ……どうもありがとう存じます。てまえどもは、これでちょいとみますとせまいようでございますが、奥のほうがずっと深くなっておりまして、なかへはいりますと間数もたくさんございます。もう、みなさんゆっくりとおやすみになれますので……あのう、おあと四十人《しじゆうにん》さまは、いつごろお着きになりますんで?」 「え? なんだい、そのおあと四十人さまてえなあ?」 「いえ、あなた、いま、四十三人とおっしゃいましたでしょう?」 「四十三人? あははは、あれかい? ……おい、おめえ、欲ばったことをいうねえ。おちついて聞きなよ。おれたち三人は、めしを食うのも三人、酒を飲むのも三人、女郎買いにいくのも三人、こうして旅へでるったって三人で、いつもつるんで(いっしょになって)あるいてるから、それで、こちとらあ、魚河岸の始終《しじゆう》三人てんだ」 「えっ、始終三人?! 四十三人ではないので?」 「あたりめえじゃあねえか。赤穂義士が討入りするんじゃあるめえし、四十何人で旅なんぞするもんか」 「ああそうですか。始終三人ね……あなた、妙ないいかたをなさるから、まちがえちゃうんですよ。おーい、喜助どん、さかなはどうした? え? 切っちゃった。おたけどん、ごはんは? しかけた? いけねえなあ、こんなときにかぎって手がまわるんだから……ちがうんだよっ、お客さまは、たった三人だよ」 「おうおう、いやないいかたするなよ。たった三人でわるけりゃあ、どっかわきへ泊まるぜ」 「ああ、申しわけございません。とんだことがお耳にはいりまして……どうぞ、お気をわるくなさいませんように……これは、てまえどものないしょばなしで……」 「ないしょばなしで、どなるやつがあるもんか」 「へえ、ごかんべんねがいます。どうぞ、お泊まりくださいまし」 「そうだなあ、足も洗っちまったことだし、おめえんところへ泊まろうか」 「ええ、どうぞおあがりください。おすぎどん、奥の六番へご案内しとくれよ」 「どこだ、どこだ、どこだ、らあらあらあ……」  なんてんで、宿屋へ着いたんだか、火事場へやってきたんだかわかりません。  この三人が、さっきのさむらいのとなりの部屋に通されました。 「おい、ねえや、おめえじゃあ、はなしがわからねえかも知れねえな。うん、そうだ、さっきの若え衆を呼んでくんねえ」 「かしこまりました」  女中といれかわって、若い衆の伊八がやってまいりました。 「ええ、本日は、まことにありがとうございます。お呼びで?」 「おう、若え衆、手数をかけるな。まあいいや、ずーっとこっちへへえっちゃってくれ。おれたちは、これから一ぺえやりてえんだ。ついちゃあ相談なんだが、酒は極上《ごくじよう》てえやつをたのむぜ。あたまへぴーんとくるようなのはいけねえや。それから、さかなだが、さっきもいう通り、おれたちゃあ魚河岸の人間だ。ふだんぴんぴんはねてるようなさかなあ食ってるんだ。だから、よく吟味《ぎんみ》してもれえてえなあ。それからな、芸者あ三人ばかりたのまあ。腕の達者なところを、ひとつ生け捕ってもれえてえなあ。いくら腕が達者だって、やけに酒の強いなあいけねえぜ。そうかといって、膳の上にあるものをむしゃむしゃ食うってえやつも、これもあんまり色気がねえなあ……とにかく、芸が達者で、きりょうよしで、酒を飲みたがらねえで、ものを食いたがらねえで、こちとら三人に、いくらか小づけえをくれるような、そんな芸者を……」 「それはありません」 「そうかい、ねえかい? いなかは不便だ」 「どこへいったってありません」 「あははは、いまのはじょうだんだが、とにかく、いせいのいいところを、三人呼んでくれ。今夜は、景気づけに、夜っぴてさわいでやるぜ」  やがて、芸者衆がまいりまして、はじめのうちは、都々逸《どどいつ》かなんかやっておりましたが、 「どうだい、もっと、ひとつ、ぱーっといこうじゃあねえか……おれが、はだかで踊るからねえ、角力|甚句《じんく》でも、磯ぶしでも、なんでもかまわねえから、にぎやかにやってくんねえな」  てんで、ひっくりかえるようなどんちゃんさわぎになりましたから、おどろいたのが、となり座敷のさむらいで、ぽんぽんと手を打つと、 「伊八、伊八!!」 「へーい、奥の七番さん、伊八どん、お呼びだよ」 「へーい……ええ、おさむらいさま、お呼びでございますか?」 「これ、敷居越しでははなしができん。もそっとこれへでい。これ伊八、拙者、先刻泊まりの節、そのほうになんと申した? 昨夜は、相州小田原宿、大久保加賀守殿のご領分にて、相模屋と申す宿屋に泊まりしところ、親子の巡礼が泣くやら、駈けおち者が、夜っぴてはなしをするやら、いちゃいちゃするやら、角力とりが大いびきをかくやら、とんと寝かしおらん。今宵は、間狭でもよいから、しずかな部屋へ案内してくれと、そのほうに申したではないか。しかるに、なんじゃ、となりのさわぎは? これではとても寝られんから、しずかな部屋ととりかえてくれ」 「どうも申しわけございません。部屋をかえると申しましても、どの部屋もふさがっておりますので……ただいま、となりの客をしずめてまいりますから、どうぞ、しばらくお待ちねがいます」 「しからば、早くしずめてくれ」 「へえへえ、かしこまりました……ええ、ごめんくださいまし」 「ああ、こりゃこりゃ、どっこいしょ……ようっ、きたな、若え衆……おうおう、この若え衆だよ。さっきたいへんに世話をかけちまったんだ……おうおう、こっちへへえんな、へえんなよ。おい、一ぺえついでやってくれ。若え衆、いけるんだろ? 大きいもので飲みなよ。おい、飲めよ」 「へえ、ありがとうございます。へえ、いただきます。いただきますが……あいすみませんが、すこしおしずかにねがいたいんでございますが……」 「なんだと? おしずかにとはなんだ? ふざけちゃあいけねえや。お通夜じゃああるめえし……こち��らあ、陽気にぱーっといきてえから飲んでるんじゃあねえか。おめえんとこだって、景気づけにいいじゃあねえか」 「へえ、そりゃあたいへん結構なんでございますが、おとなりのお客さまが、どうもうるさくておやすみになれないとおっしゃいますんで……」 「なんだと? となりの客がうるさくて寝られねえ? ふざけた野郎じゃあねえか。そんな寝ごという野郎を、ここへつれてこい。おれがいって聞かせてやらあ。宿屋へ泊まって、うるさくて寝られねえなんていうんなら、宿屋をひとりで買い切りにしろって……その野郎、ここへひきずってこい。ぴいっとふたつに裂《さ》いて、はなかんじまうから……」 「ちり紙だね、まるで……しかし、おとなりのお客さまてえものが、ただものじゃあございませんので……」 「ただものじゃあねえ? なに者なんだ?」 「じつは、さしていらっしゃいますんで……」 「さしてる? かんざしか?」 「かんざしじゃありません。腰へさしてるんですよ」 「たばこいれか?」 「いいえ、二本さしてるんですが……」 「二本さしてる? なにいってやんでえ。二本さしてようと、三本さしてようと、こちとらあおどろくんじゃねえや。矢でも鉄砲でも持ってこいってんだ」 「おいおい、金ちゃん、ちょいとお待ちよ。若え衆のいったことで気になることがあるんだけどもね、腰へ二本さしてるってじゃあねえか」 「なに? 二本さしてる? うなぎのかば焼きみてえな野郎じゃあねえか……もっとも、気のきいたうなぎは、三本も四本もさしてるが……なんでえ、矢でも鉄砲でも持ってこいってんだ……え? 二本さしてる? 腰へ? ……おい、若え衆、ちょっと聞くけどね、そりゃあ刀じゃねえんだろうねえ?」 「へえ、腰へさしてるんでございますから、刀でございますなあ」 「刀でございますなあって、すましてちゃこまるなあ」 「えへへへ……あなた、矢でも鉄砲でも持ってこいとおっしゃったじゃあありませんか」 「矢でも鉄砲でもとはいったけども、刀とはいわなかったぜ……刀を二本てえことになると、さむれえかい?」 「へえ、おさむらいで……おやっ、たいそういせいがようございましたが、急にしずかにおなりで……やっぱりおさむらいは、おそろしゅうございますか?」 「べつにおそろしかあねえけども、こわいじゃあねえか」 「おんなじだあな」 「おらあな、こわかあねえけど、さむれえとかぼちゃの煮たのは虫が好かねえんだよ……よし、わかった、わかった、しずかにするよ……おい、芸者衆、すまねえなあ、じゃあ、三味線たたんで早くひきあげてくれ……ああ、せっかくの酒がさめちまったぜ。とにかくさむれえはしまつがわりいや。気に食わねえと、抜きやあがるからね……しかたがねえ、おとなしく寝ようぜ。もうこうなりゃあ、寝るよりほかに手はねえや……おい、ねえや、早く床《とこ》敷いてくれ」 「もうおやすみですか?」 「こうなりゃあ起きてたってしょうがねえや。床敷いてもらおうじゃねえか……おうおう、ねえや。そうやって三つならべて敷いちゃあだめじゃねえか。となりのやつとしゃべるときにゃあいいが、端《はし》と端《はし》としゃべるときにゃあ、大きい声をださなくっちゃあならねえ。そうなりゃあ、また、となりのさむれえから苦情がでらあ。ならべねえで、こう、あたまを三つよせて敷いてくれ……さあ、床へへえろう」 「ふん、こんなばかなはなしはねえや。ようやくおもしろくなってきたなとおもったら、となりのさむれえがうるせえことをいうじゃあねえか。こうなりゃあ、早く江戸へ帰って飲みなおしといこうぜ」 「うん、江戸といやあ、帰るとじきに角力だなあ。おらあ、あの捨衣《すてごろも》てえやつが好きよ」 「ああ、坊主だったのが還俗《げんぞく》して、角力とりになったてえやつだな」 「うん、名前からしてしゃれてるじゃあねえか。それに、出足の早えとこが気持ちがいいや。なあ、行司《ぎようじ》が呼吸をはかってよ、さっと軍配をひくとたんに、どーんとひとつ上《うわ》突っぱりでもって相手のからだあ起こしておいて、ぐーっと、こう、左がはいって……」 「いてえ、いてえ、おいっ、いてえよ……おめえ、ずいふん手が長えんだな。そんなところから手がとどくとは……おれだって、負けちゃあいられねえや。やいっ」 「あれっ、右をいれやがったな。なにを、こんちくしょうめっ、やる気か? よしっ、さあ、こい!!」 「お待ちよ。寝てたんじゃあどうもあがきがつかなくっていけねえや。さあ、立って組もうじゃあねえか」 「そうか。よし、そんなら、ふんどしをしめなおそう」  こうなると、まんなかの男もだまってみていられませんから、お盆を軍配《ぐんばい》がわりにして、 「��あさあ、双方、見合って、見合って……それっ」  と、お盆をひきましたから、 「よいしょっ」 「なにくそっ」 「はっけよい、のこった、のこった、のこった……はっけよい!!」  ドタンバタン、ドスンドスン、バタン、メリメリメリ……となりのさむらいは、さっそく手を打って、 「伊八、伊八!!」 「しょうがねえなあ、こりゃあ……へーい、お呼びでございますか?」 「これ、敷居越しでははなしができん。もそっとこれへでい。これ伊八、拙者、先刻泊まりの節、そのほうになんと申した? 昨夜は、相州小田原宿、大久保加賀守殿のご領分にて、相模屋と申す宿屋に泊まりしところ、親子の巡礼が泣くやら、駈けおち者が、夜っぴてはなしをするやら、いちゃいちゃするやら、角力とりが大いびきをかくやら、とんと寝かしおらん。今宵は間狭でもよいが、しずかな部屋へ案内してくれと、そのほうに申したではないか。しかるに、なんじゃ、となりのさわぎは? 三味線と踊りがやんだとおもえば、こんどは角力だ。ドタンバタン、ドスン、メリメリメリッと、唐紙《からかみ》からこちらへ片足をだしたぞ……いや、あのさわぎではうるさくて寝られん。しずかな部屋ととりかえてくれ」 「どうも申しわけございません。さきほども申しました通り、どの部屋もふさがっておりますので……ただいま、となりの客をしずめてまいりますから、どうぞ、しばらくお待ちねがいます」 「しからば、早くしずめてまいれ」 「へえへえ、かしこまりました……どうも手がかかってしょうがねえなあ。……ごめんくださいまし」 「よう、きたな、野郎。よしっ、一番くるか!!」 「なるほど、こりゃあ寝られねえや。もしもし、あなたがた、さっきも申しあげましたでしょう? おとなりのお武家さまが、うるさくておやすみになれないと……」 「あっ、そうそう。すっかりわすれてた。わかった。わかったから、もうすぐ寝るよ。いえ、こんどは大丈夫、もうはなしもしない。いびきもかかない。息も……しないわけにいかねえから、息だけはそうっとするけど、すぐに寝るよ。安心して帰れよ……いけねえ、いけねえ。うっかりしちまった。だめだよ。ああいう力のへえるはなしは……もっと力のへえらねえはなしをしようぜ。なにかねえかな、こう力のへえらねえはなしは?」 「どうだい、色《いろ》ごとのはなしてえのは?」 「まあ、それが一番しずかでいいんだけどもね、まあ、おたげえに、いずれをみても山家《やまが》そだちってやつでね、女にゃあ、あんまり縁のねえつらだからな」 「おっと待った。おう、金ちゃん、いかに親しい仲だとはいいながら、すこしことばが過ぎゃあしねえかい?」 「なにが?」 「だってそうじゃあねえか。なんだい、その、いずれをみても山家そだち、女にゃあ、あんまり縁のねえつらだとは、すこしことばが過ぎるだろう? きざなことをいうんじゃあねえが、色ごとなんてもなあ、顔やすがたかたちでするもんじゃあねえんだぜ。人間をふたり殺して、金を三百両|盗《と》って、間男《まおとこ》(密通)をして、しかも、三年|経《た》っても、いまだに知れねえってんだ。どうせ色ごとをするんなら、これくれえ手のこんだ色ごとをしてもれえてえなあ」 「へーえ、してもれえてえなあというところをみると、源ちゃんは、そんな手のこんだ色ごとをしたことがあるのかい?」 「あたりめえよ。あるからいうんじゃあねえか、……なあ、いまから三年ばかり前《めえ》に、おれが川越のほうへしばらくいってたことがあったろう?」 「うん、そんなことがあったっけなあ」 「あんときゃあ、伯父貴《おじき》のところへいってたんだ。伯父貴はな、小間物屋をやってるんだが、店で商《あきな》いをするだけでなくって、荷物をしょって、得意まわりもするんだ。で、ご城内のおさむれえのお小屋なんかもあるくこともあって、商売もなかなかいそがしいのよ」 「ふんふん」 「おれもいい若え者《もん》だ。毎日ぶらぶらしてるのも気がひけるから、『伯父さん、おれも手つだおうじゃあねえか。そんな大きな荷物をかついじゃあ骨が折れるだろうから、おれがかつごう』ってんで、伯父貴にくっついて、毎日城内のおさむれえのお小屋をあるいてた。ところが、ある日、伯父貴がぐあいがわりいもんだから、おれが、ひとりで荷物をしょって、ご城内のおさむれえのお小屋をあるいてると、お馬まわり役、百五十石どりのおさむれえで、石坂段右衛門という、このかたのご新造《しんぞ》さんが、家中《かちゆう》でも評判のきりょうよしだ。おれが、ここの家へいって、『こんちは、ごめんくださいまし』というと、いつもなら女中さんがでてくるんだけども、あいにく留守だとみえて、その日にかぎって、ご新造さんがでてきて、『おう、小間物屋か。よいところへきやったの。遠慮せずと、こちらへあがってくりゃれ』と、こういうんだ」 「へーえ、どうしたい?」 「お座敷へ通されると、ご新造さんが、『そなたは酒《ささ》を食べるか』と、こう聞くんだ。だからね、『たんとはいただきませんが、すこしぐらいでございましたら……』と、おれが返事したんだ」 「へーえ、おまえ、やるのかい、笹を? 馬みてえな野郎だなあ……ははあ、そういわれてみりゃあ、きのうも、のりまきがなくなってから、まだ口をもごもごさせていたなあ」 「なにいってやんでえ。ささったって、笹の葉っぱじゃあねえやい。酒のことをささというんじゃあねえか……まあ、そんなこたあどうでもいいや……しばらくすると、お膳がでてきて、ご新造さんが、おれにさかずきをわたしてくだすって、お酌までしてくださるじゃあねえか。せっかくのお心持ちだから、おれが一ぺえいただいて、ご新造さんのほうをみると、なんだか飲みたそうなお顔をしてるんだ。そこで、『失礼でございますが、ご新造さんも、おひとついかがでございます?』っていうと、ご新造さんが、にっこり笑って、そのさかずきをうけてくだすったから、おれが酌をする。ご新造さんが飲んで、おれにくださる。おれが飲んで、ご新造さんに返す。ご新造さんが飲んで、おれにくださる。やったりとったりしてるうちに、縁は異なもの味なものってえわけで、おれとご新造さんとがわりな���仲になっちまったとおもいねえ」 「いいや、おもえない。おめえは、わりなき仲ってえ顔じゃあねえもの……薪《まき》でも割ってる顔だよ」 「なにいってやんでえ。そこが縁は異なもの味なものよ。なあ? それからというものは、おらあ、石坂さんの留守をうかがっちゃあ通ってたんだ」 「泥棒猫だね、まるで……で、どうしたい?」 「ある日のこと、きょうも石坂さんが留守だてえんで、すっかり安心して、おれとご新造さんとが、さかずきをやったりとったり、よろしくやってると、石坂さんの弟で大助、こりゃあ家中第一のつかい手だよ。このひとが、朱鞘《しゆざや》の大小のぐーっと長えのをさして、『姉上、ごめんくだされ』ってんで、ガラッと唐紙をあけた。すると、おれとご新造さんが、さかずきのやりとりをしてるじゃあねえか。野郎、おこったの、おこらねえのって……『姉上には、みだらなことを……不義の相手は小間物屋、兄上にかわって成敗《せいばい》(処罰)してくれん』っていうと、例の長えやつをずばりと抜いた。おらあ、斬られちゃあたまらねえから、ぱーっと廊下へとびだすと、大助てえ野郎もつづいてとびだしてきた。おらあ、夢中で逃げたんだが、なにしろせまい屋敷だから、すぐに突きあたりになっちまった。しょうがねえから、ぱーっと庭へとびおりると、つづいて大助てえ野郎もとびおりたんだが、人間、運、不運てえやつはしかたのねえもんだ。大助てえ野郎が、あたらしい足袋をはいてやがったもんだから、雨あがりの赤土の上でつるりとすべって、横っ倒しになったとたん、敷石でもって、したたか肘《ひじ》を打ったからたまらねえや。持ってた刀をぽろりとおとした。しめたっとおもったとたん、おらあ、その刀をひろうと、大助てえ野郎をめった斬りにしちまった」 「うーん、えれえことをやりゃあがったなあ……それで?」 「ご新造さんは、もうまっ青な顔になっていたが、『これ、ここに三百両の金子がある。これを持って、わらわをつれて逃げてくりゃれ』と、おれに金づつみをわたしたから、『ええ、よろしゅうございます』ってんで、これをふところにいれちまった。すると、ご新造さんが、たんすをあけて、持って逃げる着物をだしはじめたから、すきをうかがって、おらあ、うしろから、ご新造さんをめった斬りにしちまった」 「またかい? ひでえことをしゃあがったなあ……なにも、ご新造まで殺すこたあねえじゃあねえか」 「そこが、おれとおめえとのあたまのはたらきのちがうところだ。なぜって、かんげえてもみねえな。あとから追手《おつて》のかかる身だよ。足弱《あしよわ》なんぞつれて逃げきれるもんか……どうでえ? 金を三百両盗って、間男をして、人間をふたり殺して、三年経っても、いまだに知れねえってんだぞ。どうせ色ごとをするんなら、このくれえ手のこんだ色ごとをしてもらいてえなあ」 「ふーん、おどろいたねえ。ひとはみかけによらねえっていうけど、ほんとうだなあ。まったくてえしたもんだ。いや、おそれいった。じつにどうもたいした色ごと師だ。ほんとにおどろいた色ごと師だよ、源ちゃんは…… 色ごと師は源兵衛、源兵衛は色ごと師、スッテンテレツク、テンツクツ、スケテンテレツク、テンツクツ……源兵衛は色ごと師、色ごと師は源兵衛だ……」 「伊八、伊八!!」 「へーい、また手が鳴ってやがるな。寝られやしねえや、こりゃどうも……へーい……お呼びでございますか?」 「敷居越しでははなしができん。もそっとこれへでい。これ伊八、拙者、先刻泊まりの節、そのほうになんと申した?」 「昨夜は、相州小田原宿、大久保加賀守殿のご領分にて……」 「だまれっ、万事世話九郎と申したは、世をしのぶ仮《か》りの名、まことは、川越の藩中にて、石坂段右衛門と申すもの。先年、妻と弟を討たれ、逆縁ながらも、その仇を討たんがため、雨に打たれ、風にさらされ、めぐりめぐって三年目、となりの部屋に、仇源兵衛なる者がおることが判明いたした。ただちに踏みこんで斬りすてようとは存じたが、それはあまりに理不尽《りふじん》(無理)。一応そのほうまで申しいれるが、拙者がとなりの部屋へまいるか、あるいは、となりから源兵衛なる者が斬られにくるか、ふたつにひとつの返答を聞いてまいれっ」 「こりゃあどうもたいへんなことで……少々お待ちくださいまし。となりへいってまいりますから……どうもとんだことが持ちあがっちまった。こりゃあえらいことだぞ……ええ、ごめんください」 「スッテンテレツク、テンツクツ、スケテンテレツク、テンツクツ、源兵衛は色ごと師、色ごと師は……あははは、またきやがったな。わかった、わかった。すこし調子に乗りすぎちまった。すぐ寝る。すぐ寝るから……」 「いいえ、こんどは寝ちゃあいけません。ええ、このなかに源兵衛さんてえひとがいらっしゃいますか?」 「源兵衛はおれだが……」 「あなたねえ、ひとを殺したおぼえはありますか?」 「え? ……ああそうか。廊下で聞いてやがったんだな。おう若え衆、どうせ色ごとをするんなら、おれぐれえの色ごとをやってもらいてえね。人間をふたり殺して、間男をして、三百両盗って、しかも、三年経っても、いまだに知れねえてんだ。どうだ、てえしたもんだろう?」 「いいえ、あんまりたいしたもんじゃあありませんよ。おとなりのおさむらいさまは、石坂段右衛門とおっしゃいます。『先年、妻と弟を討たれ、その仇を討たんがため、雨に打たれ、風にさらされ、めぐりめぐって三年目、となりの部屋に、仇源兵衛……』……あなただ。あなたですよ……『仇源兵衛と申す者がおることが判明いたした。ただちに踏みこんで斬りすてようとは存じたが……』まあ、わたしを呼んでね、『拙者がとなりの部屋へまいるか、あるいは、となりから源兵衛なる者が斬られにくるか、ふたつにひとつの返答を聞いてまいれ』ってんですけどもねえ、あなた、となりへ斬られにいらっしゃいますか?」 「おいおい、ほんとうかい? じょうだんじゃあねえぜ。おちついとくれよ」 「あなたがおちつくんですよ」 「いや、若え衆、まあ聞いてくんねえ。じつはな、半年ばかり前、おれがね、両国の小料理屋でもって一ぺえやってたんだ。そのとき、そばでもって、このはなしをしてたやつがいたんだ。おらあ聞いていて、うん、こいつあおもしれえはなしだ。どっかでもって、いっぺんこのはなしを��かってみてえとおもってたんだよ。そうしたら、さっき、金ちゃんが、『いずれをみても山家そだち、女にゃあ縁のねえつらだ』なんていったろう? だから、両国のはなしをつかうのはこのときだってんで、口からでまかせに、つい自分のはなしとしてやっちまったんだ。だからさ、人間をふたり殺したのは、両国のひとなんだから、となりのおさむれえに両国へいってもらっておくれ」 「へーえ、すると、このはなしは受け売りなんですか? あなたねえ、こんなややっこしいはなしを、口からでまかせに、むやみに受け売りなんぞしちゃあこまりますよ」 「いや、めんぼくねえ。つい調子に乗っちまったもんで……」 「ほんとうにこまりますねえ。あんたがたのために、こっちゃあ寝られやあしねえんだから……まあ、どうなるかわからないけれども、とにかく、となりへいって、おさむらいさまに、よくはなしをしてきますからねえ……しょうがねえなあ、ほんとに世話ばっかり焼かせて……ええ、お武家さま、どうもお待たせいたしました」 「ごくろうであった。で、いかがいたした?」 「へえ……それが、その……なにかのおまちがいではございませんか?」 「まちがい?」 「へえ、源兵衛という男の申しますには、あれは、なんでも両国の小料理屋で聞いたはなしの受け売りだとかいうことで……ええ、人殺しをしたり、金を盗ったり、間男をしたりと、そんなことのできそうな男ではございません。自分のかみさんが間男をされても気がつかないというような顔でございまして……とても人を殺すなどという度胸は……」 「ええ、だまれ、だまれっ……現在、おのれの口から白状しておきながら、事《こと》ここにおよんで、うそだといってすむとおもうか!! さようないいわけによって、この場を逃れんとする不届至極《ふとどきしごく》の悪人めっ。ただちに隣室に踏みこみ、そやつの素っ首たたきおとし、みごと血煙りあげて……」 「もし、少々お待ちください。ねえ、お武家さま、ただの煙りとはちがいますよ。血煙りてえやつはおだやかじゃあありません。あの部屋で血煙りがあがったなんてえことが評判になりますと、てまえどもには、これから、お泊まりくださるお客さまがなくなってしまいます。どうか、せめて庭へでもひきずりだして、血煙りをおあげくださるということにねがいたいもんで……」 「いや、わかった。そのほうの申すところ、一応もっともじゃ。なるほど、仇討ちとはいいながら、死人がでたとあっては、当家としても、今後のめいわくとなろうな……なにかよい思案は? ……うん、しからば、かよういたそう。明朝まで源兵衛の命をそのほうにあずけおこう。明朝あらためて、当宿場はずれにおいて、出会《であ》い敵《がたき》といたそう。しからば、当家へめいわくはかかるまい?」 「へえへえ、それはありがとうございます。もう、そうねがえれば、大助かりでございます」 「さようか。しからばそのようにいたそう。仇は源兵衛ひとりではあるが、朋友《ほうゆう》が二名おったな? これは、朋友のよしみをもって助太刀いたすであろう。よしんば助太刀をいたすにもせよ、いたさぬにもせよ、ことのついでに首をはねるゆえ、三名のうち、たとえ一名たりともとり逃がすようなことあらば、当家はみな殺しにいたすぞ。よろしいか、さよう心得ろ」 「えっ、一名でもとり逃がすと、当家はみな殺し?! へえへえ、いえ、もうかならず逃がすようなことはいたしません。ええ、逃がすもんですか。へえ、かしこまりました。たしかにおうけあいいたしました。どうぞ、旦那さま、ご心配なくおやすみくださいまし……さあ、松どん、善どん、寅どん、喜助どん……みんなきてくださいよ。いえね、へたすると、ここで仇討ちがはじまるところだったんだが、あのお武家さまのおはからいで、明朝、この宿場はずれで出会い敵ってえことになったんだ。そのかわりね、三人のうち、ひとりでも逃がすようなことがあると、家じゅうみな殺しだってんだから、こりゃあおだやかじゃあないよ。え? そうだよ。仇は、あの江戸のやつらだよ。ねえ、そういやあ、いやにこすっからいような目つきをしてたろう? なにしろ逃がしたらたいへんなんだから……うん、縄を持ってきたかい? じゃあね、あたしが声をかけたら、かまうこたあないから、あいつらあ、ぐるぐる巻きにふんじばって、柱へでもなんでもしばりつけとかなくっちゃあ……え? 今夜は寝ずの番だよ。みんな覚悟してくれよ……ええ、ごめんください」 「おう、若え衆か、どうしたい、はなしはついたかい?」 「ええ、つきました。明朝、当宿場はずれで出会い敵ということで、はなしは無事につきました」 「おいおい、はなしは無事につきましたなんていってるけど、じょうだんじゃねえ。出合い敵てえのはなんだい?」 「ええ、宿場はずれで、あなた、殺《や》られます」 「えっ」 「それでね、『仇は源兵衛ひとりではあるが、朋友が二名おったな? これは、朋友のよしみで助太刀いたすであろう』って……」 「しない、しないなあ」 「ああ、しないよ、ふたりとも……」 「いいえ、してもしなくても、ことのついでに首をはねるそうで……」 「おいおい、ことのついでにって、気やすくいうなよ」 「それでね、あなたがたのうち、ひとりでも逃がすようなことがあると、あたしたちの首が胴についていないというようなことで……まことにお気の毒ですが、きゅうくつでも、あなたがたしばらしてもらいます」 「おい、若え衆、おいおい、かんべんして……」 「ええ、かんべんもくそもあるもんか」 「おいおい、なにをするんだっ」 「なにもくそもあるもんか……おい、みんな、かまわないから、ぐるぐる巻きにしちまえ!!」  店じゅうの者が、寄ってたかって三人を荒縄でぎゅうぎゅうしばりあげると、柱へ結《ゆわ》いつけてしまいました。  三人は、さっきの元気はどこへやら、青菜に塩で、べそをかいております。  一方、おさむらいのほうは、さすがに度胸がすわっているとみえまして、となりの部屋に仇がいるというのに、大いびきで、ぐっすりとやすんでしまいました。  さて、一夜あけますと、おさむらいは、うがい、手水《ちようず》もすませまして、ゆうゆうと、朝食も終えました。 「ええ、お早うございます」 「おう、伊八か。昨夜は、いろいろと、そのほうに世話を焼かせたな」 「いいえ、どういたしまして……さきほどはまた、多分にお茶代までいただきまして、まことにありがとう存じます」 「いや、まことに些少《さしよう》であった。今後、当地へまいった節は、かならず当家に厄介《やつかい》になるぞ」 「へえ、ありがとう存じます……ええ、それから、旦那さま、昨夜の源兵衛でございますが……」 「源兵衛?」 「はい。ただいま、唐紙をあけてお目にかけます……さあ、よくごらんくださいまし。あのまんなかにしばってございますのが、あれが源兵衛でございまして、その両|端《はし》でべそをかいておりますのが、金次に留吉でございます」 「ほほう、ひどく厳重にいましめられておるが、なにか、昨夜、よほどの悪事でも犯《おか》したか?」 「いえ、昨夜は、べつにわるいというほどのことはいたしません。ただ、はだかでかっぽれを踊ったぐらいでございますが……」 「それが、なにゆえあのように?」 「でございますから、あの源兵衛が、旦那さまの奥さまと、弟御さまとを殺した悪人でございます」 「ほほう、それは、なにかまちがいではないかな? 拙者、ゆえあって、いまだ妻をめとったおぼえもなく、弟とてもないぞ」 「いいえ、そんなはずはございません。ねえ、旦那さま、おちついて、よくおもいだしてくださいましよ。ゆうべおっしゃったじゃあございませんか……『先年、妻と弟を討たれ、その仇を討たんがため、雨に打たれ、風にさらされ……』って」 「ああ、あれか……あははははっ……いや、あれは座興じゃ」 「えっ、座興? 座興とおっしゃいますと、旦那さまも口からでまかせにおっしゃったんで? ……へーえ、口からでまかせが、いやに流行《はや》ったねえ……しかし、旦那さま、じょうだんじゃあございませんよ。ひとりでも逃がしたら、家じゅうみな殺しだっておっしゃったでしょ? ええ、もう、家じゅう、だれひとり寝たものはおりません。みんな寝ずの番で、あの三人を……あの三人だってかわいそうに、生きた心地はありませんよ。みんなまっ青になって、べそをかいて……旦那さま、あなた、なんだって、そんなくだらないうそをおっしゃったんでございます?」 「いや、あのくらいに申しておかんと、身《み》どもが、ゆっくりやすむことができん」
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akerumade · 8 years ago
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9条教:女性自衛官の実戦配備…爆撃を受ければ服が吹き飛ばされ裸に 飯島教授の止まらぬ妄想
しわすみ 2017年5月22日 萌えミリ時空かな? (https://twitter.com/s_w_s_m/status/866567444285931520)
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<憲法9条問題>徴兵制、女性自衛官の実戦、高齢者の任務、安倍総理の止まらぬ暴走
 発端は憲法記念日の3日、都内で開かれた改憲派集会に安倍首相が寄せたビデオメッセージだった。唐突に東京五輪が開催される2020年の改憲を目指すと宣言したのだ。
《私たちの世代のうちに自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置づけ、「自衛隊が違憲かもしれない」などの議論が生まれる余地をなくすべきであると考えます。(中略)9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込むという考え方、これは国民的な議論に値するのだろうと思います》
 と述べて憲法9条改正の私案を示したのである。
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 さて、万が一、憲法に書き加えられた場合、自衛隊はどう変わるのだろうか。名古屋学院大学の飯島滋明教授(憲法学・平和学)は、「条文内容にもよりますが、おそらく現状を認めるだけではすまなくなるでしょう」と指摘する
◇軍備増強のおそれもある
 現状では女性自衛官が追い込まれているという。
「稲田防衛相は4月18日の記者会見で、陸上自衛隊の普通科中隊や戦車中隊の“実戦部隊”への女性自衛官の配置を明言しました。実戦で砲撃や爆撃を受ければ、服は吹き飛ばされる、つまり裸になってしまう可能性があります。女性自衛官が戦闘で捕虜になれば、どのような目に遭うかは想像がつくと思います」
 と飯島教授は話す。
週刊女性PRIME / Yahoo!ニュース 2017/5/21(日) 21:00配信 (https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170521-00009682-jprime-soci) (https://archive.is/IHgRA)
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