#皆さまようお年をお迎えください
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年末のご挨拶が遅くなりましたが、今年もたくさんの方にお越しいただきありがとうございました。また作り手の方々には素敵な作品、展示に向けてお力添えを頂き充実した楽しい1年を過ごさせていただきました。重ねてありがとうございます。
25日でお店は終えていましたが、まだまだやりたかった事が残りつつ…新年の準備をして昨日仕事納めとさせていただきました。
うちは家族の半分がインフルエンザにかかってしまい、おとなしめなお正月になりそうですが、こんな時なのでお家でゆっくり過ごそうと思います。移らないうちに黒豆をコトコト煮たり、新年の準備しておきます。
病院もインフルエンザの方で3.4時間待ちでした!皆さまもどうぞお気をつけ下さいね。写真は買い出しに出かけた夕方の風景。外の穏やかさとはうって変わって、店内はレジに並ぶ方の長蛇の列でした。(私もその仲間入りしてきました)
今年も大変お世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
皆さまも良いお年をお迎え下さい。
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先週から2週間のアジア出張中。この週末はバンコク泊だったが、珍しく2日間フリーだったので、金曜日深夜にいつものサイトを物色し、ほどなく現地人在住のヨーロッパ人のdaddy二人と会うことに。
訪れた立派なアパートの最上階には、俺より10才ほど年上と思われるdaddyが住んでいて、���にそのdaddyのセフレと言う俺より少し若めのdaddyが待っていた。年上daddyはスリムなイケオジで、若めdaddyはがっしりした筋肉質で口の周りのヒゲが似合う男らしい爽やかでハンサムなイケメン。二人に会うと、笑顔で迎え入れてくれて、すぐやろうと。
ベッドルームに案内され、皆で服を脱いで用意されたハーネスやケツ割れ、コックリングを装着する際、二人の共通点に気付く。二人共、白人らしい形のいい20cm以上はあろうかと言う太い立派なデカマラと、コックリングでパンパンになったデカい金玉袋をぶら下げている!!💉は既に年上daddyが3本用意してくれてあり、それぞれで打つことに。
二人のイケメンのデカマラdaddyと、着替えたエロい姿と、どれだけ入っているか分からない💉を目の前に俺の胸は高鳴り、既にフル勃起のチンコからは我慢汁垂れまくり。
3人で同時に打ち終わるや否や、俺は咳き込み、いつもと違う鼓動の高鳴りにハアハアいいながらベッドに倒れこんだ。初めて咳き込みを経験し、これまでにないほどハイになっているのが分かるが体がすぐに動かないのは初めての経験。二人も打ち終え同じく一気にハイになったかと思うと、いきなり若めdaddyは仰向けになっている俺の勃起したチンコをケツ割れから引っ張り出してしゃぶりまくり。年上daddyは俺にエロいベロチューをしたかと思うと、俺の顔を抑えてガマン汁が垂れている勃起したデカマラを俺の口に突っ込んで来た。のぶといデカマラにむせながらも、よだれ垂らしてしゃぶりまくった。続いて若めdaddyが俺のケツの穴を舐め、年上daddyは俺の顔にまたがってデカいマラと金玉とエロいケツの穴を押し付けながら俺のチンコをしゃぶるというこの上ない至福の展開に。
気付くと若めdaddyは俺の上に乗ってビンビンになったデカマラを揺らしながら俺のチンコを筋肉質ながっしりしたケツに突っ込んで腰を振っている。男らしいイケメンdaddyが高揚した顔で俺のチンコを自分の穴に突っ込みながら柔らかい生暖かいケツの穴を時々キュッと締めるのを繰り返す度に俺は感じまくり我慢汁放出しまくってた。
あまりの気持ち良さにもうろうとしていると、次は年上daddyが代わって騎乗位になった。使い込まれたケツの穴はローション付けずにチンコを飲み込み、グチュグチュといやらしい音を立てて、俺の興奮は収まらず腰を何度も突き上げてやった。その間は若めdaddyのデカマラときれいなケツの穴は俺の顔の上に押し付けられていたことは言う間でもない(幸)
それから正常位に体制を変え年上daddyの足を抑えてベロチューしながら掘っていると、若めdaddyが後ろにまわり、掘っている俺のケツの穴を舐め始めた。��まりの気持ち良さにしばらくその姿勢で掘っていたが、突然柔らかい舌から熱い固いデカマラがぐいっと俺のケツの穴に押し込まれ、思わず悶絶。
これぞ究極の3some、念願のイケメン野郎の真ん中に入ってサカリ合いが実現し、エロさと嬉しさで頭の中が真っ白になって腰振っていたら、我慢出来ずに年上daddyのケツの穴に発射。年上daddyは嬉しさのあまり俺に激しくベロチュー。
すると若めdaddyもいきなりピストンが早くなり、Fuck!の声と同時に俺のケツの中にデカマラをギュッと奥まで突っ込みピクピクと脈打たせながら大量のザーメンを放出。俺達3人はチンコをケツに突っ込んだままのサンドイッチ体制でしばらく抱き合って放心状態。
そこから動いたのは年上daddy。俺のザーメンが入った自分のケツの穴を俺と俺に重なっている若めdaddyに見えるように四つんばいになり、ケツの穴を緩めてザーメンを流れ出して見せた。むちゃくちゃハイになってた俺達はケツの穴と流れ落ちるザーメンに食いつき、ザーキス。次に年上daddyは俺の腰をぐいっと引き上げケツの穴を両手で拡張。すると俺のケツの穴から若めdaddyの大量のザーメンが流れ出るのを二人が競うようにむさぼっていた。3人はお互いのチンコとケツの穴を舐めまくりザーメンをきれいに舐め取りしばらく3人でザーキスしながら抱き合った。
ここまでの話は💉を打ってからたったの2時間弱。あまりの興奮に3人共一気にハイになって無我夢中だった。
一旦3人でシャワーを浴びて休憩した後は、イケメンyoung daddyの甘えた声での度重なる追加要請により、翌日のお昼頃までいろいろな変態プレイを4回戦最高に楽しみまくった。
今度は仕事じゃなく休み取って来ると約束。今年の夏休みの予定は決まり!昨日終わったばかりなのにもう待ち切れない。
#daddy
#キメセク
#3some
#ザーキス
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31/12/2024
ホクミル「おひとつどうぞ」
最後も相変わらず誘惑に負けました笑
間もなく2024年も終わります。今年も「スキ!」やコメントをしていただき、ありがとうございます。
2025年も引き続きよろしくお願いします🙏 一足早いですが、皆さまどうぞ良いお年をお迎えください🎍
Thank you for your help this whole year. Wish you a Happy New Year🎍
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2025年は残念ながら日向くんの誕生日のために何も新しいものを用意できなさそうなので今年描いた日向くんをまとめました。見てくださった皆様どうもありがとうございました!
Unfortunately, it looks like I won't be able to prepare anything new for Hajime's birthday in 2025, so I've collected the Hajime I've drawn this year. Thanks so much to all of you who had a look at it when I posted each piece!
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以下はフォロワーの皆様向けのご挨拶です!/ The following is a greeting to my dear followers:
2024年もありがとうございました!!
このブログが新年を迎えるのは2回目なんですが、年始に日向くんの誕生日お祝い漫画を投稿した時に「今年も君をいっぱい描きたいよ〜」と書いたので、実際どれだけ描いたのか今年描いた日向くんをまとめてみました。横顔や後ろ姿の絵は除外したり自分的にあまりにも気に入らない絵は除外したんですがそれでも30枚しか集まらなくて悲しい( ;ᯅ; )いやほんとにもっと描いてるつもりだったんですけれども。でも思っていた以上に(良くも悪くも)色んな描き方してたんだなぁとは思いました。 純粋に笑ってる顔をほぼ描いてなくてごめんね日向くん。来年はもーーっとたくさん君を描きたいよ!!!
もちろん日向くんに限らず描きたいものは山ほどあるのでなんとかもっとスピード上げて描いていけたらいいなと思います!
2025年が皆様にとって良い年になりますように!.:*・°☆.
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Thank you for all your support in 2024!
This is the second time this blog is celebrating the New Year. At the beginning of the year, when I posted a manga celebrating Hajime's birthday, I wrote, “I want to draw lots of pictures of you this year!” So, I decided to look back and see how many pictures of Hajime I actually drew this year.
I excluded pictures where he’s only in profile or seen from the back, as well as those I wasn’t happy with. As a result, what I was able to collect was only 30 pieces. ( ;ᯅ;) Hmm, I thought I have drawn him more... but it turns out I drew him in more varied ways than I expected! Though, I feel a little bad for him because I only drew him smiling a few times. haha I want to draw even more pictures of you next year, Hajime!
Of course, I have lots of other things I want to draw, not just Hajime. My hope is to speed up my drawing process so I can create as much as possible!
Wishing you all a happy and wonderful New Year! .:*・°☆.
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This is my last post for 2023.
I'm sincerely thankful for lots of warm support and friendship from all of you :-)))
Have a wonderful christmas and a happy new year, my dear Tumblr's friends.
See you again next year with brightest smile :-D
Love & Peace🐾🐾🤍🕊️
さあ、クリスマスがやってきました。(えっ、いつのまに?!←遠い目でww)
イヌたちにプレゼントと美味しいトリーツを用意したのですが、彼女たちはグリーン・ロードで長い散歩をし、途中で見つけた木の枝をガジガジと噛みしめまくることのほうがうれしいみたいです😅
ワイルドだろぉ〜〜♫(ふるっ!笑)
今年1年、皆さまからいただきましたたくさんのご厚情に心から感謝しております。
どうぞ楽しくあたたかなクリスマスを、そしてよい新年をお迎えください。
また来年も皆さまと笑顔で会えますように☺️🐾❤️
https://m.youtube.com/watch?v=V4iWO73zPL4
#photography#winter#my dog hug#my dog nico#christmas#christmas time is here#khruangbin#THANKS my friends
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2024年今年はもう↑は出来ません
って6月が最後でしたw
来年1月19日から時間は取れますが
中々相手が見つからないです…
金曜夜から日曜迄とかなら良いのでしょうが
平日ですから難しいですね…
それに↑出来る知り合いも凄く少ないので
後又恐喝等有ったら…と言う恐ろしさも有って
ヤリタイはヤリタイですがねw
でも結構ヤラなくても平気な自分も居たりして
現に手元にネタ有ってもヤッて無いですしw
一人旅が嫌いだからかも知れませんけどね
皆さんもよいお年を迎えて下さい!
俺は静かに自宅でのんびり過ごす予定です
もしも御縁が有ったら来年一緒に楽しめる人が
見つかったら嬉しいですけど!
多分無理っぽいですがw
もし1月19日からの予定が合う人居たら
緩くDM待ってまーすねw
顔画像とマラ画像は見せて下さいね
↑ても勃起並びに射精出来るマラに自信有る人
宜しくですw
#gay#gay japanese#gay slam#slam meth#キメ#キメズリ#キメセク#gay meth#gay slamming#slamming sex#デカマラ#キメ友#生交尾#キメナマ
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・以下上から読んでいった箇条書きメモなので詳細はhttps://web.pref.hyogo.lg.jp/gikai/iinkai/index/tokubetsu/bunsho/documents/bunsho_questionnaire1011_01.pdf ・芸術に全く興味がないどころか予算削減をしようとしている。してる。 ・そのことについて人事権などを使っているようだが、職員に大した説明なく進んでいる様子で現場の混乱がわかる ・斎藤が井戸前副知事のことが滅茶苦茶嫌いなのはわかるが、態度で表しているのがかなり子供っぽいし、周りもかなり気を遣っている印象 ・令和3年選挙で職員内で事前運動があり、その後通報されたようだが握りつぶされたとの話はかなり問題なのではないか ・その当時の選挙についての情勢に違和感があり、職員たちの間で相当困惑が広がっている様子が分かる(職員たちは違法性を感じていた様子) ・当時公用車問題で揺れていた兵庫県だが、職員が斎藤を連れて公用車で投票依頼をしに回っていた話がある ・該当職員たちが通常コースではなくトントン拍子に謎の出世をし、さらに職員たちから反感を買っている ・該当職員たちも部下に対して横柄な態度をとるようになっていた ・マニフェスト作成などもその周辺の職員がしている ・井戸前知事の周辺職員はみんな飛ばされた。 ・県庁は、基本人事課が出世できるルートになっている。筆記試験があるが加味されていないのではないかという疑問 ・はばタンPay+のポスターにある写真や、その他ポスターに自らの写真を入れる行為は、次の選挙戦をにらんだあからさまな選挙運動ではないかと職員間で疑問視されていた。 ・商工会議所、商工会にも手は回っており、今回の知事選挙に向けた活動が昨年頭からあったことが指摘されている ・昨年末から選挙戦に向けて新聞やテレビ出演を知事が希望していたのは選挙戦に向けてだろうが、「取材がなければ激怒する」という話は異様ではないか ・贈答品問題。全部ひとりで持ち帰ってしまうらしい。前知事は高額なものは全く受領しなかったので感覚が全く違った模様 ・酒造メーカーが出展したイベントで日本酒を15本以上持ち帰っている。2、30本あったのではとも。持ち帰りすぎ ・突然おにぎりを食べたいと言い、慌てて現場で米を炊かせている。怖い ・特産品のアイアンセット(約20万円)貰ってる。しかし使いにくいので、別モデルをおねだりした様子。その見返りが特別交付税の算定だったのでは?との見立てがある ・片山副知事も貰っている。片山副知事ペラペラ自慢して色んな職員に色んな事喋っている。折田かよ ・事業とは関係ない特定のスポーツウェア等を着てポスター撮影をしているらしい。掘れば出るのでは ・知事室等の前に贈答品が多数陳列されるようになっていた(前知事のときは無かったのだろう) ・自宅に持ち帰るときは目立たないように重さや大きさを気にしている。悪い認識あったのか? ・5万円を超えるものを個人的に無料で受け取っているが、秘書課を通じておねだりさせている。 ・ふるさと納税返礼品をねだって貰っている ・ホールケーキを贈呈行事としてもらった時(個人的ではなく)、井戸知事は職員にもふるまった。斎藤は一人で持って帰った。PRにもつなげてない ・斎藤県政下では「公民連携」のもと個別企業との包括連携協議が急激に増加している ・知事は絶対にお金を出さないので、食事等、知事を迎えた側が出費しなければならない ・職員たちの前で贈与しようとした地元の方を職員たちは止めたが、斎藤は遮って貰っていた ・人参ジュース1箱おねだりして持ち帰り。人参大好きだな。良いことだ。 ・絵画も貰っている。芸術興味ないんじゃなかったの ・貰ったワインの感想が出ない。色々貰いすぎて何貰ったか覚えてない ・知事の行き先と運転日誌の距離が合わない。出張先で何をしているのかは、みんな見ているはず ・土産があったほうがいいという認識が県内下で広がっていたのではないか ・ウィスキー、ロードバイク、ウェア、スーツ、野菜、海産物、椅子、寿司等等。贈答品だけで生活してたのか? ・マスコミの前で贈答品を貰おうとして、マスコミに直接つっこまれ、やめた ・高級な苺が好き。何箱も貰った。可愛いね ・職員たちも困惑しきりでウワサ広がっていた ・革ジャンはねだってももらえなかったらしい ・県議にもビール貰ってるやついねぇか?意識改革は必要 ・政治資金パーティー券についても購入要請など怪しい記述がある。私学関係者にも依頼している。ここまでくると「政治と金の問題」でしかない ・阪神オリックス優勝パレードについては金の流れが明らかにおかしい。ま��もなやり方で集めるのも大変だっただろう職員の苦労と、聞いていたよりも高額な請求が来たこと、不正な行為による虚無感を覚える記述が続いている。 ・聞いたことを聞いてないと言って怒るのは若いのに記憶力が心配 ・県美術館のメンテナンス休館を知らずに激怒。前年度には公開されているスケジュールを改めて経緯説明させられる。知事本人も館長に直接凸電話 ・知事就任前に決まっていた件を新聞で知り、聞いていないと激怒。いわゆる机バンバンは知事就任から2か月目のこと。 ・知事が来る現場にはサクラで人を呼んでいた。道を間違えると知事が怒るから言うことを聞いてほしい、という現場への要請もあった ・知事の視察は前知事よりもドタキャンが多い。そのときは服部副知事が来る ・お気に入りの女性職員をつけていた?よく分からない記述があるので皆読んでほしい ・出張先に三面鏡と櫛が無いと怒られる。外見をとにかく気にしている。用意された浴衣が気に入らず着たくないと駄々をこねる。10万円の浴衣を調達させる。着付けを地域の方にしてもらう予定が「俺は知事やぞ!そんな素人にさせるな!」と怒鳴り着付けのプロを呼ばせたことも。 ・例えば「空飛ぶ車」や「有機農業」など万博や●●関連の施策には部局に具体的な指示を出す。また指示通りになっていないと激し く怒り知事室へ出入り禁止にして再調整困難となり所管課を困らしていたと聞く。(原文ママ。折田が参加した空飛ぶクルマ事業は知事直轄) ・ペットボトルのお茶を出すと怒る。ペットボトルの水を飲食禁止のところで飲んで、その場に置いていく。 ・事前に決めてオッケーにして万全に準備した案を、直前に気分で変える。こういうことが繰り返されている様子 ・とにかくいろんな地域で激高しており、目撃されている。気分屋で、まるで昭和のバブル世代の頑固おやじみたいな態度をとりまくっている ・周囲は委縮して何も言えなくなっている様子。それが関係者たちにも広がっている。懇意にしている職員たちはパワハラだけではなくセクハラも握りつぶしてもらっている様子 ・政策や防災対策の会議を直前に15分で終わらせてと無茶振りするのが日常茶飯事 ・泉房穂のツイッターバトルを取り締まる条例を探す ・よく忘れ物、失くし物をする(なにこの情報) ・書類が分厚いと怒る ・渋滞に嵌ると怒る ・周辺のものを蹴る ・工事中のコーンを蹴り飛ばす ・SNSはブロックしまくっている ・怒るとタブレットを投げる。ノートPCを投げる。 ・健康診断から自己負担オプション項目をなくす(腫瘍マーカーの検査を7000円程度)どうも知事の命令により県職員だけ通常のオプション検査が受けられない模様 ・エレベーター待てなくて怒るのでエレベーター呼ぶボタンを受付に���った ・ジェラート食べたくて定休日の店を開けさせる
兵庫県職員アンケート調査を読んで気になったところと感想
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2024年
投稿もままならない時も多々あり。
それでもTumblrを
「載せないといけない」
という誰にも強要されない自分のみの
「しないといけない」
という楽しみがあったのは
自分の楽しみたい気持ちを
キープしたような気がする。
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本年もお付き合いいただきありがとうございます。
皆さま良いお年をお迎えください。
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31. December.2024
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エモいスープラになる予定の絵
投稿:令和6年12月31日 絵を描いたの:11月中旬~
フォトショとイラレを交互に使い分けながら作業をする都合上、どっちを使って仕上げるんだよ!!!!ってなって迷いに迷った末、2枚の絵ができることがあります…今回がそうでした。そんなわけで、pixivに「まとめ」を投稿してきました。これでやっと、大晦日の仕事が片付きました。表紙はやっつけ仕事感ありますが、今年も全力投球しました。皆様、よいお年をお迎えください。
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皆様、今年も一年ご支援ありがとうございました。 来年も沢山作品を発表していきたいと思いますので引き続きご支援よろしくお願いします。 皆様良いお年をお迎えください。
Thank you all for your support this year.
I hope to present many more works in the coming year, so please continue your support.
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New Year’s Special Video / お正月ビジュアルスペシャル動画
Please note that English lines are just my translation.
猫猫「壬氏様、ハッピーニューイヤー。今年もよろしくお願いします」
Maomao “Jinshi-sama, Happī nyū iyā. Kotoshimo yoroshiku onegai-shimasu.”
Maomao “Master Jinshi, Happy New Year. I look forward to working with you again this year.”
今年もよろしくお願いします = 今年も(ことしも/Kotoshi-mo): this year too + よろしく(Yoroshiku): well, in good way + お願いします(おねがいします/Onegai-shimasu): I would like to ask you for…
This is a typical Japanese phrase used in addition to New Year’s greetings.
“Happy New Year” is 「あけましておめでとう(ございます)/Ake-mashite omedeto(gozai-masu)」 in Japanese, just for your information.
壬氏「お、おう…。薬屋、ハッピーニューイヤー……お前から話しかけてくるなんて、悪い物でも食ったのか!?飲み過ぎてないか?」
Jinshi “O, Ou… Kusuriya, Happī nyū iyā. …Omae-kara hanashi-kakete-kuru-nante, warui mono-demo kutta-noka!? Nomi-sugite-naika?”
Jinshi “Oh, yeah… Happy New Year, Apothecary… I can’t believe it’s you who’s talking to me… Did you eat something bad? Or are you drinking too much?”
猫猫(コイツは新年早々失礼な…)「新年の挨拶はきちんとした方がいいと、水蓮様からも言われましたので。それにしても、このような着物に、お節と言う特別な食べ物…お正月の迎え方は、地域によって異なるのですね」
Maomao (Koitsuwa shin-nen-soso shitsureina…) “Shin-nen-no aisatsuwa kichinto shita-hoga iito, Suiren-sama-karamo iware-mashita-node. Soreni-shitemo, kono-yona kimononi, osechi-to-iu tokubetsuna tabemono… Oshogatsuno mukae-katawa, chiikini-yotte kotonaruno-desune.”
Maomao (How rude of him so early in the New Year…) “Lady Suiren told me that I should give a proper New Year’s greeting. But still, wearing a kimono like this, and eating special foods called “Osechi”… The way we celebrate the New Year differs from region to region.”
お節料理(おせちりょうり/Osechi-ryori): Special dishes eaten during New Year’s in Japan
お正月(おしょうがつ/Oshogatsu): New Year’s days (In Japan, it depends but Jan.1 – 3 are called Oshogatsu and almost all companies and schools are on New Year holidays.)
壬氏「ああ。後宮の皆にも、いろんな物に触れてほしくてな。そうだ、もう一つ、正月らしいことをやらないか?この板で羽根を打ち合う、羽子板という遊びらしい」
Jinshi “Aa. Kokyuno mina-nimo, ironna mononi furete-hoshikute-na. Soda, mo-hitotsu, shogatsu-rashii koto’o yara-naika? Kono itade hane’o uchi-au, hagoita-to-iu asobi rashii.”
Jinshi “Yeah. I want everyone in the rear palace to have the opportunity to touch and interact with all kinds of things. Oh, how about we do one more thing that’s fitting for the New Year? It’s a game called “Hagoita,” where we hit shuttlecocks with this board.”
羽子板(はごいた/Hagoita): One of the old girls’ games. The winner writes something on the cheek of the loser.
猫猫(げっ。こういう遊びは得意ではないんだよなぁ。適当に理由を付けて断るか)
Maomao (Ge. Ko-iu asobiwa tokui-dewa nain-dayonaa. Tekitoni riyu’o tsukete kotowaruka.)
Maomao (Ugh. I’m not good at this kind of play. I’ll just make up an excuse and decline.)
猫猫「私なんかでは相手にならないかと。馬閃様とやられてはいかがですか?」
Maomao “Watashi-nanka-dewa aiteni naranai-kato. Basen-samato yararetewa ikaga desuka?”
Maomao “I don’t think I’m a match for you. How about you take on Master Basen?”
壬氏「いいのか?もしお前が勝ったら、褒美に……ほれ、この酒をやろう」
Jinshi “Ii-noka? Moshi omaega kattara, hobini… Hore, kono sake’o yaro.”
Jinshi “Are you sure? If you win, as a reward… here, I’ll give you this drink.”
猫猫「…フッ、フフフフ、ハハハハハ!壬氏様、どんな結果になっても恨みっこなしですからね!いざ尋常に!勝負です!」
Maomao “Fu, fufufufu, hahahahaha! Jinshi-sama, donna kekkani nattemo uramikko-nashi desu-karane! Iza jinjoni! Shobu desu!”
Maomao “…Huff, heh heh heh, hahahahahaha! Master Jinshi, no matter what the outcome, no hard feelings, right? Now, let’s have a fair fight!”
いざ尋常に勝負(いざじんじょうにしょうぶ/Iza jinjoni shobu): stock phrase when starting a serious match in old samurai battles
猫猫「ぐうう……負けた……私の酒ぇ~…」
Maomao “Guuu……Maketa……Watashino sakeeee…”
Maomao “Grrr… I lost… My booze…”
壬氏「フッフッフッ……あ~…動いて少し疲れたな~、…さぁ、休憩でも取るとするか…薬屋、お前も付き合うか?ほれ」
Jinshi “Fuffuffu……Aaa…Ugoite sukoshi tsukareta-naaa, …Saa, kyukei-demo toruto suruka… Kusuriya, omaemo tsukiauka? Hore.”
Jinshi “Hehehe, ah, I’m a bit tired from all the moving around. I think I’ll take a break. Apothecary, do you want to join me? Come on.”
猫猫「はぁぁ…!さすが壬氏様!いつも本当に素敵です!理想の上司!」
Maomao “Haaa…! Sasuga Jinshi-sama! Itsumo hontoni suteki-desu! Risono joshi!”
Maomao “Ahh…! As expected of Master Jinshi! You’re always so wonderful! You’re the ideal boss!”
理想(りそう/Riso): ideal
上司(じょうし/Joshi): boss
壬氏「はぁ、…現金な奴め」
Jinshi “Haa, …Genkinna yatsume.”
Jinshi “Hmmm… what a calculating person.”
現金な(げんきんな/Genkinna): calculating, mercenary, self-serving (It’s not a compliment, but not such a bad word. It’s a word used lightly to describe someone who suddenly becomes motivated as soon as they learn of the reward.)
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Following picture shows a typical Japanese New Year's day. We eat special foods like Osechi and Ozoni. Ozoni is a soup with "mochi"(rice cake), and what goes into soup varies considerably depending on the region and each family.
皆さん、あけましておめでとうございます!いよいよ10日からシーズン2が始まりますね。一緒に楽しみましょう!
Happy New Year, everyone! Season 2 finally starts on 10 Jan., so let's have fun together!
#apothecary english#apothecary romaji#the apothecary diaries#apothecary diaries#learning japanese#japanese#薬屋のひとりごと#薬屋のひとりごと 英語#薬屋 英語 学習#japan
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Sean bienvenidos japonistasarqueologos a una nueva entrega, en esta ocasión nos vamos al fondo marino para ver unas de las mayores ruinas arqueológicas que están generando en la comunidad científica muchas controversias desde que fueron descubiertas en 1985. Dicha estructura se encuentra en Okinawa la cual está compuesta por las islas Ryukyu. - Las ruinas tienen unos 10.000 años de antigüedad ¿Hay dos teorías?La primera que dicen los científicos es: que es natural.La segunda es que es artificial.Yo he visto, todo el material registrado hasta el momento en fotos y vídeos para ser sinceros no me parece para nada natural hay puntos en lo que claramente que están trabajados por la mano del hombre. Sí nos imaginamos el montículo fuera de la superficie lo más probable es que se pareciera en su forma natural a una elevación en el terreno y lo más probable es que estuviera en su estado más virgen.-También hay que destacar que el nivel del mal sobre esas fechas era 120 veces más bajo que el actual, por lo que no sería raro que los moradores lo usaran como un lugar sagrado. Ya que para los japoneses el trabajo en roca no es nada nuevo y sobre todo construcciones colosales hechas en piedra como veremos en próximas publicaciones. - Espero que os haya gustado y espero vuestras opiniones y debates sobre el tema que nunca nos va a dejar de sorprender os deseo un feliz dia y una buena semana. - 日本の考古学者は新作を歓迎します。今回は海底に行き、1985年に発見されて以来、科学界で多くの論争を引き起こしている最大の考古学的遺跡の1つを見に行きます。琉球諸島。-遺跡は約1万年前のものですが、2つの説がありますか?科学者が最初に言うことは、それは自然なことだということです。二つ目は、それが人工的であるということです。これまでに写真やビデオに記録されたすべての資料は、正直なところ、私にはまったく自然に見えません。それらが人間の手によって明確に処理されている点があります。地表の外側のマウンドを想像すると、それは自然な形で地面の隆起に似ている可能性が高く、最も手付かずの状態である可能性が最も高いです。-また、当時の悪のレベルは現在の120分の1であったため、住民が聖地として利用することも珍しくありません。日本のロック作品は目新しいものではなく、特に将来の出版物で見られるように石で作られた巨大な構造です。-皆様のご愛顧を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。今後とも変わらぬご意見・ご感想をお待ちしております。 - Welcome japonistaarqueologos to a new installment, this time we go to the seabed to see one of the largest archaeological ruins that are generating many controversies in the scientific community since they were discovered in 1985. This structure is located in Okinawa, which is made up of the Ryukyu Islands. - The ruins are about 10,000 years old. Are there two theories? The first one that scientists say is: that it is natural. The second is that it is artificial. I have seen all the material recorded so far in photos and videos, to be honest, it does not seem natural at all to me. There are points that are clearly worked by the hand of man. If we imagine the mound off the surface, it most likely resembled in its natural form a rise in the ground and most likely it was in its most virgin state. - It should also be noted that the level of evil at that time was 120 times lower than today, so it would not be unusual for the inhabitants to use it as a sacred place. Since for the Japanese, rock work is nothing new and especially colossal constructions made of stone as we will see in future publications. - I hope you liked it and I look forward to your opinions and debates on the subject that will never cease to surprise us. I wish you a happy day and a good week.
#日本#アート#写真#考古学#沖縄#与那国島#ミステリー#海#ユネスコ#歴史#japan#art#photography#archaeology#okinawa#Yonaguni#mystery#sea#history#unesco#geography#artists on tumblr
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Quiet Currents
artists: Sena Hwang, Sungok Park, Ikumi Nakada
January 17 - February 8, 2025
at CDA Seoul, Korea
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ソウルのCDA ギャラリーで
三人展「Quiet Currents - 静かな流れの中で」が
開催されます。
今回の展示について、CDAからのコメントです。
「CDAの2025年最初の展示は
#박성옥 #IkumiNakada そして #황세나 の
3人の作家とともにお送りします。
今回の展示は「成長」という普遍的でありながらも
個人的なテーマを、多様な視点から探求する旅となります。
「成長」という言葉は時に変化の結果を意味しますが、
本展では結果よりもプロセスに焦点を当てています。
静かに、しかし絶え間なく流れる時間の中で、
私たちの感情や経験がどのように積み重なり、
変化していくのかを、“Quiet Current” を通して
繊細に描き出します。
展示が始まる17日(金)の午後6時から8時には、
参加作家たちも会場にて皆様をお迎えする予定ですので、
ぜひお越しください。」
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31/12/2023
2023年もいよいよ終わりに近づいています。日本時間で23時を過ぎ��した🕚️ 今年も私のreminder(備忘録)にいいね、コメントをしていただいたり、本当にありがとうございます。 仕事運が残念でしたが、それを除けば本当に恵まれた1年だったと思っています。 仕事はやみくもに探すより自分に合う場所に落ち着けるように、前を向いて私らしく行きます🤗✨
皆様も良いお年をお迎え下さい🐉 2024年も宜しくお願いします🙇♀️
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【蒼囲空生誕20周年】 本日HP白狼島看板娘、沖縄の元気娘「蒼囲空」が20周年を迎えました。この日を迎えられた事、空を好きでいて下さった皆様に心よりいっぺーにふぇーでーびる!(たくさんありがとう) 明日より描きためたラフを清書した絵をアップしていく予定です。よろしければお付き合いください。
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その事件は私が1歳の時に起きました。覚えていることはありません。 中国人の父と母は、大きくなってからも私に語ろうとはしませんでした。 中国政府は事件の死者数を319人としていますが、それよりもはるかに多いという指摘もあります。 あれから35年。真相は今も、明らかにされていません。 あの時、私のもう1つの祖国で、何が起きたのか。 (中国総局 高島浩) 日本人の祖母と中国人の両親 私の祖母は日本人です。満蒙開拓団として旧満州に渡りました。 戦後、帰国できずに大陸に残った「中国残留婦人」で、養子に出されていた中国人の男の子を引き取り、育てました。のちの私の父です。 父は中国人の母と結婚。1988年に中国東北部・黒竜江省で私が生まれました。そして6歳の時、国の援護事業のもと家族4人で帰国し、私と両親は日本国籍を取得しました。 私が生まれた翌年に起きた「天安門事件」 1989年6月4日。中国の首都・北京で、あの事件は起きました。 天安門広場に集まった民主化を求める学生や市民たちを、当時の共産党指導部が軍を出動させて武力で鎮圧した「天安門事件」です。 軍による発砲などで多くの犠牲者が出ました。中国政府は死者数を319人としています。 しかし当時、北京��駐在していた各国の外交官の報告などから、犠牲者の数はそれよりもはるかに多いという指摘が根強くあります。 中国政府はこの事件を、政治的な「騒ぎ」で「すでに結論が出ている」という説明を繰り返しています。 「知る必要はない」父のひと言 戦車の前に立ちふさがった市民の姿。民主化の動きを武力で制圧した事件。 天安門事件の前の年に生まれた私は、日本の教育で学ぶまで、こうした事件の表面的な情報でさえ、知りませんでした。真相を公表せず、事件を人々の記憶から消し去ろうと腐心してきた中国政府からみれば、もくろみどおりに育った、ある意味で“優秀な中国国民”だったでしょう。 中学生の時、一度だけ父に事件について尋ねたことがあります。そのときの父のことばが記憶に残っています。 「よく知らないし、知る必要はないよ」 記者になって、父と私のもう1つの祖国でもある中国のことを話すことが増えました。父は自分が共産党員だったことを明かしてくれました。共産党の実態を知っているからこそ、私に忠告したのです。 「天安門事件に関心を持つことで、いつか中国に赴任した時、どのような理不尽な目に遭うかわからない」 遺族取材の担当に もう逃げない 4年前の2020年、希望がかなって中国南部の広州駐在の記者となりました。 当局の厳しい監視下に置かれた人権派弁護士の家族などを取材。私自身も当局者に連行され、警察署に留め置かれる経験をしました。 国家の安全を最優先する習近平指導部は言論統制を一段と強め、外国メディアの取材環境はますます厳しくなっていることを身をもって感じてきました。 天安門事件は、そうした中国社会の中でも最もタブー視されていて、深く取材すればどんな目に遭うのか。恐怖すら感じていました。 私と同じように中国の若い世代は事件を知りません。私がおおまかな概要を話すと、「うそを創作するのが上手ですね」と、まるで信じようともしません。今の中国社会の現実です。 事件がまた1つの節目を迎えたことし、北京に赴任、遺族取材の担当となりました。 そして、誓いました。事件を深く知ろうともしてこなかった過去から逃げず、まっさらな気持ちで取材しようと。 集会を断念した遺族グループ 6月4日に向けて取材を始めたところ、ある情報が入ってきました。 これまで5年ごとの節目に、遺族グループが開いていた追悼集会が断念に追い込まれたというのです。原因は当局による厳しい監視のためでした。政府が例年以上に神経をとがらせていることが感じられました。 遺族グループの名は「天安門の母」。グループは集会の代わりに先月(5月)、海外の動画投稿サイトに声明を公開しました。 「私たちには軍隊が銃撃に及んだ真相を知る権利がある」 「政府は社会に謝罪し、私たちに公正と正義を返しなさい」 事実を隠ぺいし、遺族の日常生活への干渉を続ける政府を強く非難する内容でした。 そして、いまなお分からない犠牲者の正確な数や名前の公表、犠牲者と遺族への賠償、責任者への法的な追及を求めました。 厳しい監視、通信遮断の面会 声明が公開される少し前、グループの中心メンバーの遺族を訪ねました。今の気持ちを伝えたいと、当局の監視をかいくぐって取材に応じてくれた張先玲さん(86)。 遺族に直接、話を聞くのはこれが初めてです。心臓がバクバクと打つ胸を必死でおさえました。 張先玲さん 呼び鈴を鳴らすと、張さんがやや固い表情で出迎えてくれました。周囲をうかがうように招き入れてくれたあと、すぐに携帯などの電源を切るよう伝えてきました。当局の盗聴を警戒していたのです。 自身も自宅の通信設備の電源をすべて切っていて、奥の部屋に移るまで、会話もしないよう身振り手振りで伝えてきました。 記者を志した息子の死 張さんは、事件で当時19歳だった息子の王楠さんを亡くしました。 記者を志していた王楠さん。天安門広場で起きている歴史的なできごとを記録に残したいと、事件前日の3日深夜、カメラを持って自転車で現場に向かったそうです。 張さんの息子 王楠さん そして4日午前1時すぎ、人民大会堂の北門の向かいで軍の銃撃を頭部に受けました。地面に倒れた王楠さんを現場にいた人たちが助けようとしましたが、軍の部隊が近づくことさえ許さなかったといいます。兵士たちはひざまずいて助けさせてくれという人たちの懇願に対し、「あいつは暴徒だ」と聞き入れなかったそうです。 のちに現場で目撃した人から聞くなどしてわかった当時の状況です。張さんは、中国政府がひた隠しにする、あの事件の真相の1つだと信じています。 なぜあの時… 消えぬ後悔 張さんの自宅のリビングの壁には笑顔の王楠さんの遺影がかけられていました。毎日のようにその写真に手をあわせながら、張さんは胸にある後悔を拭いきれずにいます。 なぜ、あの時、息子を送り出してしまったのか… 張先玲さん 「天安門広場に向かう前、息子が私に聞いてきました。『まさか軍が発砲することはないよね』と。私は『まさか、ありえないよ』と答えてしまったのです。今もずっとあの言葉を後悔しています。生きていれば、今ごろは父親になって家庭を持っていたでしょう。私の脳裏にある息子は、永遠にあの日の、あの晩の、19歳の時でとどまったままです」 黙り続けることは許されない 王楠さんの遺体はほかの犠牲者とともに天安門の西側にあった中学校前の草むらに埋められていました。雨で遺体は地表から露出し、3日後、衛生当局などによって発見されたそうです。変わり果てた姿の息子。 張さんの脳裏から焼きついて離れず、毎年6月4日が近づくにつれて、張さんは体調を崩しています。 息子はなぜ死ななければならなかったのか。この日も体の調子が悪く、取材に応じてくれた時間は10分余り。それでも張さんは気力を振り絞るように、遺族の声を広く伝えてほしいと、1人の母親としての怒りを伝えてきました。 張さん 「国家が進歩していく上で、この事件が解決されないのは正常なことではない。『人民のために奉仕する』という中国政府が、人民の尊い命を奪っておきながら、なんの説明もなく、30年以上も知らないふりをして黙り続けるのは到底許されない」 「ごめん、生きてくれ…」最後のことば 今、遺族グループの活動の中心は犠牲者の親たちから、そのパートナーや兄弟に移っています。その中の1人に会うことができました。 尤維潔さん 尤(ゆう)維潔さん(70)。事件で当時42歳だった夫の楊明湖さんを奪われました。 政府系の経済団体の職員だった楊さんは、当日の深夜、銃声を聞き、広場に集まった学生たちを心配して現場に向かったといいます。そこで、下腹部に銃弾を受けました。倒れた楊さんをその場にいた人たちがリアカーで病院に運びました。撃たれた骨盤は粉々に砕けていたといいます。 病院に駆けつけた尤さんに、手術室から出てきた楊さんはこう漏らしたそうです。 尤さんの夫 楊明湖さん 「ごめん、しっかりと生きてくれ」 2人が交わした最後の会話となりました。2日後、楊さんは息を引き取りました。わずか6年の結婚生活。国によって突然、終止符を打たれました。 尤さん 「35年がたっても、あのときの記憶は少しも消えていません。一瞬一瞬が頭の中に残っています。夫を見守った2日間で涙は流し尽くしてしまい、今はもう出ません。遺族は皆、この世を去らないかぎり、暗い記憶の中を生き続けるのです」 若者たちはなぜ立ち上がったのか 天安門事件とは結局、何だったのか。その疑問を持ちづけていた私に、尤さんは「若者たちが立ち上がったのは、社会に対する責任感だった」そう説明してくれました。 天安門事件は、1980年代に共産党トップの総書記を務め、言論の自由化など政治改革にも前向きだった胡耀邦氏が4月15日に��然、死去したことに端を発しているとされています。 胡氏は、学生の民主化運動に理解を示したなどと保守派に批判され、失脚していました。 学生や市民による胡氏の追悼集会は、民主化を求めるデモに変わり、各地に拡大。5月には10万人が参加する大規模な集会に発展していきました。訴えは汚職の撲滅や言論の自由などを求める社会的なうねりとなっていったのです。 天安門広場に集まった市民や学生たち 尤維潔さん 「当時、北京の市民は皆、天安門広場にいた学生たちをとても心配していました。特に印象深いのは、戒厳令が最初に出された日です。市民たちが天安門広場に軍隊を行かせてはいけないと、路上にバスを止めて道路をふさぎました。多くの人たちが、ハンガーストライキを続ける学生たちに食料や水を届けていました。すべてが自発的な行動だったのです。その光景に私はとても感動しました。政府はなぜこうした状況を理解できなかったのか、思い出すと、今でもとても腹立たしい」 “隠ぺい”と“沈黙”の35年… さらに大事なことを話してくれました。 当時、軍によって制圧された天安門広場やそれに続く大通りなどあちらこちらには死体の山があったそうです。連絡が取れない人も多く、尤さんの夫とともに病院に運ばれ、その後死亡した男性も身元が分かっていなかったといいます。 しかし、中国政府は事件発生から犠牲者や行方不明者についてほとんど説明を行ってきませんでした。それどころか、事件から1年余りの間、政府は「天安門広場に行ったのか」や「デモに参加したのか」など多くの人に聞き取りを行うなど徹底的に調査していました。 尤さんはこうした政府の心理的な圧力が、今の中国社会につながっていると語気を強めて訴えました。 尤さん 「政府の圧力によって、市民は自分たちの家庭で何が起きたのか、言い出すことを恐れていきました。時間の経過とともに真相を語る人を探し出すことはいっそう難しくなっています。今では多くの人が事件についてよく知りません。35年がたち、若い世代は天安門事件に関心すらない状況です。これはこの間、政府が隠ぺいと沈黙を続けてきたからだと思います」 メッセージアプリに突然、使用制限 今、中国政府は、事件を国民の記憶から消し去ろうとする動きをさらに強めています。 遺族グループの今の活動の中心メンバーとなっている尤さんに対する監視は、6月4日が近づくにつれて厳しさを増していました。 尤さんのメッセージアプリ「ウィーチャット」は、4月ごろから機能が突然、制限され、ほかの遺族とのグループでのやりとりが一切できなくなりました。 ウィーチャットは中国国内では、使っていない人はいないほど、最もポピュラーなSNSです。“遺族どうしがつながることを阻みたい”、35年という節目に当局が神経をとがらせている様子がうかがえました。 尤さんが所在不明に 警告、そして尾行 尤さんに話を聞いてから、およそ1か月半たった先月(5月)31日。私は再び彼女の自宅を訪れました。もう一度話を聞きたい、そう思ったからです。 しかし、不在でした。連絡すらつかず、所在がわからなくなっていました。 自宅から立ち去ろうとした時、突然、警備員に呼び止められ、「何をしに来た。2度と来るな」そう警告されました。さらに、私服警察官とみられる2、3人の男たちが、私のあとを追うようについてきました。尾行は、私たちが車に乗り込むまで続きました。 尤さんとようやく連絡がついたのはその4日後、6月4日の午後でした。電話口の声は重く、監視役としてそばにいるとみられる当局者らしき女性の声が聞こえました。 「しばらく自宅にいることができない。近況も話しづらい。ごめんなさい」 短く状況を伝えてくれました。身に危険はないか心配する私に、彼女は「大丈夫」そう返し、電話は切れました。 男たちに囲まれて警告、墓地に近づけず あの日が近づくにつれて、天安門を東西に突き抜ける大通り「長安街」は異様な雰囲気に包まれていきました。前日3日午後、同僚のカメラマンが、多くの犠牲者が見つかった木※せい地という場所に向かいました。(※木へんに「犀」) 今は地下鉄の駅があり、隣には警察の派出所が設けられています。撮影機器が入ったリュックサックを開けようとした瞬間、十数人の男たちに取り囲まれ、立ち去るよう警告されました。 厳しい警備の共同墓地 6月4日の様子 そして4日当日。犠牲者が埋葬されている北京郊外の共同墓地には、多くの警察官が配置され、厳戒態勢が敷かれていました。近づくことすら許されず、命日の墓参りに訪れる遺族への取材はできませんでした。 天安門の叫び、今も 「天安門事件は、中国共産党による『国民の虐殺』にほかならない」 遺族たちのこうした訴えは「人民のために奉仕する」という共産党の正当性を、根幹から揺るがすことになりかねない、そう政府は考えているのかもしれません。だからこそ、政府は沈黙を貫き、時がたち人々が事件を忘れ去るのをじっと待っているように感じます。 かつて、私に「知る必要はないよ」と語った父と同じように、多くの国民が知らされずにきた35年。 それでも中国国民のなかには、天安門広場で民主化を叫んだ若者たちと同じように、一党支配への不満や、社会への責任感を持つ人がいます。 北京での白紙運動(2022年11月) おととし、中国政府のゼロコロナ政策への不満を背景に起きた抗議活動「白紙運動」。 そして去年、李克強前首相の急死後に各地で広がった追悼の動きと現指導部を暗に批判する追悼のことば。 私は、もう1つの祖国で今、事件とどう向き合うのか。 取材に応じてくれた張さんと尤さんの2人のことばを反芻しています。 「生きている間に事件の解決は見ないかもしれないが、それでもかまわない。 息絶えるその瞬間まで、生きているかぎり、訴え続ける。あなたも、この声を多くの人に届けてほしい」 (6月4日 ニュース7などで放送)
中国の習近平政権下で強まる抑圧と監視 天安門事件35年 記者にも尾行が?遺族が訴え続ける意味とは? | NHK | WEB特集 | 中国
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