#生菓子お取り寄せ
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atmeal012 · 2 years ago
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越乃雪本舗大和屋@yamatoya1778 おはようございます。#上生菓子 のお取り寄せ、大変多くのご注文ありがとうございます!たくさんの #猫 たちや胸いっぱいのハートを手作りでお届けいたします。
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kaoriof · 3 months ago
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無題
平穏よりも胸のときめきをいちばんにしたら世界のぶあつい皮膚が一枚めくれたかのようになにもかもが歌い踊りかがやきはじめたのをいまでも覚えている。わたしは親が厳しくて外泊できないけれど、そのあいだに同級生の子たちはうつくしい島の海に反射する満月をみて、だれかと夜通しぴたりとからだをあわせて内緒話をするような、今にもぷつりと切れそうな糸のように細くて鋭い若さを世界の夢に浸らせている。感性を野放しにして、こどものころの感動をひとつずつ取り戻す時間がわたしにも必要だった。けれど思いどおりにいかないこともある、それも定めとおもって歯をぎゅっとくいしばる。わたしには必要だった。路上、白い���下みたいに澄んだ朝霧をかんじる時間。薄いトップス。ズレた口紅。酔った勢いで入れ墨を彫ってしまう危うさ、煙ったクラブでなにもかんがえずに踊って、好きな男と寝て一限目をサボるとか、夜の街頭を走り抜け、くだらないことに時間とお金を費やすこと。「それだけじゃない、夜に遊ばなくても昼に釣りをしたりサッカーしたりそういう遊び方だってあるだろう。そっちのほうが幾分もまともだ」 おとうさんは夜遅くに帰ってきたわたしを叱りつけ、そう言った。わたしはけしてワルにあこがれているのではなくて、ただただ綺麗なものに飽きただけだった。わたしにとって祈りや信仰はさいしょから型があってそれに当て嵌めてハイ完成みたいなかわいいお菓子作りのようなものじゃなかった。自らを成り立たせるピースを集めた上でそれを食い尽くすくらいの覚悟や貪欲さがあなたにはある?わたしにはそれが足りなかった。昔も今も自分でうつくしい歌をつくれない。うつくしいものがたりをかけない。うつくしい絵を描けない。世の中にはフォロワーが万桁いる女子高生がいて、今、何千もの美術展が開催されていて、明日、いつかオリンピックに出るであろう少年がはじめてスケボーに乗るかもしれない。わたしには何もできないかもしれないけれど、彼らの生き様はわたしをわたしたらしめる微かなエッセンスとしてわたしに溶け込む。それを祈りという言葉で表象してはだめ?これからのことをかんがえると、ずっとどきどきする。目の前の光景が、訪れたことのない地の光が、風が、わたしを、わたしのからだを必要としてる気がする。世界中に張り巡らされた血管がわたしの心臓部にも繋がっているような心地。死ぬ5秒前ってどんな感覚なのかしらないけど、築き上げた塔が崩れてゆく感じなのかな、雪景色のような。
無題
朝起きたら腕に友達の噛み跡と身に覚えのない痣が3つくらいあった。耐え難い疲労がからだのあちこちにひっついて、入れ墨と化している。活字の海を、本をその背に背負えたらよかったのに、今のわたしを崖っぷちに引き止めているのはうつくしい言葉でもなくて、泥に塗れた重いカルマ。イヤホンの先から垂れ流れる音楽すらも風のように軽やかで自由なものではなくて、ねばねばした気持ちわるくてかなしいものに聴こえた。夏と、そのあつさと、その底知れぬ闇に街ゆくものすべてがこころのずっと奥の方で平伏している。昼過ぎにスクランブル交差点前の巨大スクリーンが薄青い空を泳いでいるようにみえたこと、街ゆく人の肌色が、シャボン玉のようにその熱を吸収して発光していたこと、ぜんぶなんか夢みたいにふわふわしているかんじがした。もうすぐでなつやすみなのに、大学入ってからそれまでもずーっと夏休みのような感じだったからあまりどきどきしない。みずみずしくずっと光っていたい。わたしもいつかデカい人間になりたい、いつかいつかいつかという文句ばかりが増えてゆくのを横目でみて、ぜんぶカサブタを剥がすように振り解いて拭ってくれる奇跡みたいな命、日々、音をどうしても期待してしまう。どうすればいいんだろーしにてーと思いながらまたあしたも友人と夜ご飯をたべにいく約束した。それでまた家に帰って、朝起きて虚無感に苛まされて、の繰り返しを大量の課題で中和する。薄暗い中でたべるごはんとか朝早起きして化粧をすることじゃない、今はなにもない海とか草原でなにも繕わずにその自然のデカさとか愛を仰向けになって享受するのがいちばんただしいきがする。たすけてと呼ぶには大袈裟すぎるし。わたしはわたしのことをぜったい見放さない、それだけで充分いっぱいすてきでしあわせで救いだということを今じゃなくてもいい何年もかけて真実にしていく、揺るがない愛に変えていきたい。
end
泣き出しそうに張り詰めた空気に鼻を啜る。世界の彩度が落ちて、ぶあつい服を着た街ゆく人たちが皆んなちっちゃな怪獣みたいにみえる。肌寒い。外はずっと灰色、モスグリーン、レモンみたいな匂い。大きな木が揺れて、木の葉の上に横たわっていた雨の滴が霧のように3秒間くらい降った。最近は毎日毎日やることが多くて、それをこなしているあいだに1日が終わる。3日連続で化粧を落とさずに寝てしまった。多くの人が電車にのっているときに外の景色に目をやらないのと同じ感覚で、わたしも生活の外側にひろがる微かな動きに鈍くなった。ずっと特別でありたかった、1番愛されたかった、そういった思春期的な熱望とどんどん疎遠になっていく自分に日々焦ったり安堵したりしている。だけど同時に、わたしの中をまだ生きている17歳のわたしがその面影をときどき覗かせる。期待させる。突拍子もなく走ったり、ゲラゲラ笑ったりする。些細なことで泣いたり、理不尽な世界に怒っている。良くも悪くも変わっていくのなら、これからの自分に期待をしたい。アルバイト先では後��が6人くらいできて、みんなわたしよりも仕事ができる。わたしはもともと注意をされると衝動的に泣いてしまうところがあったし、シンプルに忘れっぽかった。あまりにも器用に仕事ができないので、ある日店長とそのことについて話し合ったら意識の問題と言われた。その1、人からのアドバイスに劣っている自分を見出してはだめ。その2、素直に人からの意見を受けとる。その3、自分のためでなくだれかのために働く。この3つを約束した。夜の繁華街で50歳の男性に飲みにいきませんかと声をかけられたり、あした授業にどんな服でいくかを考えながら化粧品を見に薬局に寄り道したり、腕に点々とのこる虫刺され痕をみて、それを残した蚊のことを考える。あした、図書館で借りた本の返却期限。わたしもちっちゃな怪獣になって寒さをまるごと食べてしまいたい、寒い日の、霞んだ光やクリアな淋しさ、果実のようにぎゅうぎゅうに酸っぱい気持ちを。
slow burning
大学一年生というよりも、高校四年生というような振る舞いをしているなあ、と自分のことを客観視する。新宿の横断歩道橋から行き交う人々��眺める。つい最近まで、委員会の同期の仲の良さにムラができていて、グループとかカーストとかそういう言葉が浮上してきてしまうほど揉めそうになっていた。それでも、それぞれが居心地の良い場所にしようと歩み寄っている。こういう、諦めによる愛想ではなくて心からの気持ちに胸を打たれる。明大前の飲み屋で酔っ払って「俺みんなのこと愛してるよ」と照れ笑いする先輩に、わたしたちみんな、キモいねーなんて言って茶化した。そのあと夜の大学で騒いでいたら警備員に注意された。机の下に10円玉を落としたのを拾わないで帰る。いつまでも赦されていたい、わたし、山猫のような女の子でいたかった。すぐ隣、肌すれすれにだれかの温もりを感じて弱さを誤魔化すのではなくて弱さを共鳴しあっていたい。「東京の人は生き急いでいる」なんて言葉があるけれど、わたしは美しい光景がそこに広がっていれば必ず立ち止まる人でありたい。仕事に遅れそう、とか、終電が、とかじゃない、好きな人たちのためだけに忙しくありたい。恋人は待ち合わせをするとき、「どこでおちあう?」と聞くのだけど、高2の頃、初めて会う日、それを「(恋に)落ち合う」と勝手に解釈して死ぬほどどきどきしたのを思い出した。それからわたしも「どこで落ちあう?」と聞くようにしている。ドア窓の形に切り取られた青い影が電車のフロアに映って、がたんごとんという音に沿ってフィルム映画みたいに小刻みにうごいていた。池袋で新疆料理をたべて、お腹を下す。スペイン語の中間試験。木曜日、ほんとうは1限に英語の授業があったんだけど、財布を忘れたいせいで交通費が若干足りなくて新宿駅から乗り換え先の電車に乗れなかった。その旨をインスタのストーリーに載せたら、一度しか喋った事ない同じクラスの男の子から「抜け出していくわ、」とだけ連絡が来て、本当にきてくれた。クラスで唯一金髪で、派手で、いつも高そうな服を着ている。ピーナッツをぼりぼり食べながら、ダーツをする。わたしが2回勝って、可哀想だったからあとの1回は負けてあげた。それからは何も無かったかのように授業では一言も喋らない。お互い、目を合わせないふりをしているような、ふしぎな距離感を保つ。渋谷で5分1000円の手相占いをしたら、鎖みたいにいくつもの線が絡まっていますね、と言われた。意外と気にしいなんじゃないですか?「そうですね」と答える。駄菓子屋で1000円使い切ったほうが幸せになれそうだとおもった。電車の隣の線路にカラスが一羽いた。こんなに近くでみるのははじめてだ、と思って、じーっとみつめた。黒なのに黒じゃなくて、光を受けて渋いグリーンや紫っぽくみえる羽毛に目を見張る。なんか、空はどこまでも真っ青なのに光の細部だけ色があたたかい夕方前みたい。ふわっとなにかに気付いて、じーっとそれを見つめて、そこになにかが“視える”とぜんぶ途端にスローモーションになって、焦燥感や虚しさがたちあがってくる瞬間がある。からっぽなのにぎゅうぎゅうな感じ。AirPodsをケースにしまう音が体感的に5秒間くらい耳に残ったり、自分の息遣いにどきどきしたり、すれ違う男子高校生の会話声や、鳥が羽をはためかせる様子がクリアに輪郭が保ったまま空中を転がる。ガムを買って噛みながら、心のもやもやしたなにかを同時に小さく噛み砕いてゆく。光の洪水。家に帰ってパスタをたべたあと、お風呂で下の毛をつるつるにする。夕方終わりにお風呂に入るの、とても好きだなあと思う。コンタクトレンズを外さないまま、化粧も落とさずベッドへダイブする。瞼の裏に東京タワーの赤がたましいの塊みたいにまあるく光っている、はやく何もかも諦められる年齢になりたいと思う。
無題
なんかまじでわたしが疲弊していて悲観しているのか、世界が残酷なのかわからなくなってきた。脳科学の講義を受講したあと、テキトーに混雑した休日の街をあるいていたら皆んなの脳みそが透けて浮きでてきそうで気持ち悪くなった。地球4周分の神経線維。そう、��でかい爆弾が街ゆく人々の頭蓋骨に葬られている。ニューロンが軸索を介してつながってゆく、放出と受容を繰り返してみんな手を繋ぎあってゆく。セール中でバイトの雰囲気がぴりぴりしていて、みんな資本主義の豚みたいに働いていた。うつくしくないとおもったし、私も美しくなかった。結いた髪に、ぴたっとあげられた前髪。なにを思っているのかを書くのがずっと怖かった。もしかしたら私の感じているこの欲望はとても汚らわしいもので、それゆえにだれかを傷つけてしまうかもしれない。でも、言葉にしなければすぐにわすれてしまう感情に名前をあげなくなって、水をあげなくなって、そうしたら、じぶんの脳みその溝をうめていたみずみずしい苔までもがすっかり枯れきってしまって虚構を連ねるようになった。空洞に哀しみの音だけが響き渡る。友達はいるけど、私はその友達の1番になれない。恋人みたいな人はいるけど、私はその恋人の1番にはなれない。1番っていうのはほんとうの意味での1番、2番とか3番とかがいない1番。圧倒的な2人の世界の中でのフェアで高貴な1番。有名になりたかった。文章でも外見でも写真でもなんでもいい、だれにも敵わない羽根で世界を羽ばたいてみたかった。わたしを選ばないで、そこらへんのそれっぽくかわいい女の子を選ぶかっこいい男の子たちを信じられないでいる。外国に行ったらモテるよ^_^と投げかけられた言葉について何回も考えるけど、考えるたびにかなしくなる。でもね、神様はいるとおもうの。木漏れ日の首筋に、砂丘のしずけさに、広大な空の一枚下に、その温もりと永遠が芽吹いているのをしっている。そのたびに、わたしはこの世界に愛されていて、まだ19歳で、まだ何にでもなれて、そして世界を(気持ちがあふれてしまいそうなくらい)等身大で愛しているドラゴンみたいにかわいい女の子だとまじないを唱えるようにして心を強く保つ。アスファルトに散った桜が朽ちて、吐瀉物のようにグロテスクにぬるい光を浴びている。走り抜ける!だれかの憎悪の中に、疑念の中に、見下しの中に憧憬の眼差しを覚えながら。東京で灯される光の数だけ、アフリカの広原でつややかな花が咲けばいいのに。光の重さの分だけ、銃弾が軽くなればいいのに。帰り道、ひさしぶりにパンを買って帰った。
日記
弟がiPadのタッチペンを無くしたらしくて、それを聞いた母がすぐにAmazonで検索して新しいのを買った。こういうとき、ほんとうになんか小さなことだけれど、すごく心が愛にみちる。
大学の新校舎の建物のにおい��400人もの人が集まった大教室の縁をすべっていく。扉を開けた瞬間、目と目と目がわたしの顔を捉える。湿気漂うフロアにだれかがペンを落とす音、先生のマイクが吐息までもを拾って湿った熱を加速させる。「儚いって聞いて何を思い浮かべますか?蝶?蛍?蝉?トンボ?」 教授がそう聞くと、みんなのえらぶ選択肢がちょうど均等に分かれる。講義が終わるといつもすぐに帰るイケてる男の子が蛍を選んでいて、なおさらかっこよく見えた。わたし、インスタのフォロワーが490人いるんだけど、その人数って今見てるこの人たちよりももっともっと多いのかと思うとなんか心強いような息苦しいような、不思議な気持ちになるなーとぼんやり思った。君たちはぶっちゃけ勝ち組です、という先生がキモかった。海外の大学院に行きたい。わたしはもっともっと色々な人を知るべきだし、美しい景色にであうべきだし、貪欲に学ぶべきだとおもうから。聡明になって、お金を稼いで、将来だいすきなひとたちにたらふくご飯をたべさせてあげたい。お母さんとお父さんが育ててくれた、守ってくれたこの心の真ん中にそびえる愛情のかたまりを誰かに分け与えていきたい。でも、そうとも思うけど、逆にそれをこなごなにさせてくれる危険性や若さゆえの解放にも目が眩んでしまうの。「今しかできない」ってとてもずるい言葉だなあ。
19さい
19歳とかいちばん呪われていた1年だった。まだハタチじゃないけど、もうそうさせて、と思うくらいに、1年のあいだに10年分くらいの幸せと不幸せがぎゅうぎゅう詰めに、どっちがどっちかわからなくなるくらいに入り乱れててくるしくてさみしくて悲しかった。くるしかった。わたしと同じ純度で、等しく、あいしてほしい。あいされたい。
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xx86 · 4 months ago
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7/15(月)
トヨタカレンダーだし夏休み前だし変な時間だし大丈夫だろうとたかを括ってショッピングセンターへ行って白目剥いた。永遠に立駐に停められず、諦めて雨の中屋上の駐車場へ停める。色々と買いたいものがあったのにとにかくどこを見ても人人人で気持ち悪くなって何も買わずにそそくさと後にした。私は人混みと暑さと乗り換えが大嫌い。帰りもまるでバリウムを飲んだあとみたいにアクロバティックに迂回させられまくり、あまりの疲れで夜ご飯前に寝た。もう二度と土日祝の昼下がりのショッピングセンターへは行かないと誓った。
7/16(火)
仕事を定時で終えて、図書館に寄ったあとネイルサロンへ行く。絶対に仕事的にアウトだろうというデザインにしちゃったけどデートだし許して。帰る頃には雨がざんざかふって、目に見えるような湿度を感じながら帰った。
7/19(金)
あづみにモロッコ料理が美味しいと聞いたから一緒にいかないかと誘われ、仕事終わりに待ち合わせる。こういった突然の不思議なお誘いが大好きだし、あづみも礼は急でも何でも誘ったら来てくれるところが好きと言ってくれたのでほんとに私達ってサイコ〜という気分。あづみへのプレゼン��が入った紙袋の紐が家から100mぐらい歩いたところで抜けて、慌ててコンビニで小さなセロテープを買う。割れ物が入っていたので、見た目が悪くなる事を諦め何重にもテープで止めるも歩く度に抜ける。普通さあ重たいもの入れる時袋二重にしない?とか毒づきながら、目的地へ。夜でも暑い。あづみは部屋着のようなレモン柄のショートパンツを履いていた。
モロッコ料理は想像以上においしかった。途中でベリーダンスのショーがあって、お姉さんに誘われたので一緒に踊ったらベリーダンサーにならないかとスカウトされた。人生初めてのスカウトである。茉弥と3人で夏に島へ行こうと話していたのに、言い出しっぺのあづみが島は暑いから嫌だと駄々をこねる。ああだこうだいいながら、結局阿智村にでも行こうと話はまとまった。プロポーズの定番、阿智村。
私は普段10時半には寝ているので10時をすぎた頃から帰りたいな〜と思っていたのだけれど、ダラダラ閉店までいた。お家に帰ってすぐに眠りにつく。
7/20(土)
朝一で脱毛に行ったあと、パルコのピーチジョンへ向かう。元下着屋のあづみと今いちばんきてるブランドはサロンバイピーチジョンではないかという話になったのだ。でもピーチジョンってつけ心地があんまりのイメージだったので、私が試してくるから!となった。結論、良かったけど絶対試着して買うべきのブランドという感じ。後は好きなお花屋さんでお花だけ買って帰ろうと思ってたのに、あらこんなところにインティミッシミできてたのね、とふらっと入ってしまったのが運の尽き。何度も3点買ったら1点無料と言われても2点しか買わず、花屋さんへ。昔は興味がなかった向日葵も品種が増えて可愛くて数本いただく。数日後に松崎に会う予定があったので、南国でトロピカルで派手な感じでボリューム少なめの花束作ってくださいと予約してようやく帰る。
ピーチジョンで下着を買ったのは初めてなのに、いきなり1番上のプラチナ会員になっていて打ちひしがれた。使った金額で会員ランク決まるやつ、あれってああこんなにお金使ったんだ……って気持ちになりません?
あと土曜の栄はショッピングモールより全然人がいなくて快適だった。人口密度って大事。
7/21(日)
午後から仕事だったことをすっかり忘れて朝一でマツエクに行く。私は朝に滅法強い。ついでに読み終わった本を返しに図書館へ行き、数冊また借りる。最近は林真理子のエッセイを熱心に読んでいるのだけれど、図書館で借りてごめんなさい……という気持ちになってくる。
日曜だしダラダラ仕事しよ〜と修理したてのダイアナの真っ赤なパンプスを履いて行く。先生から日曜の仕事ごめんねとご好意でいただいた焼き菓子に全く手をつけられていない。最近甘いものがとんとダメになった。
7/23(火)
有休を取ってオープンと同時に県美へ行く。アブソリュート・チェアーズ。かなり皮肉めいた作品が多くて(そもそも現代美術のなかの椅子なるものとタイトルがついているぐらいなので)負のパワーを纏った造形って美しいけど精神力ゴリゴリ持ってかれるなあと思った。ちゃっかりミュージアムショップで椅子を作る時の廃材でつくったタイルと愛知芸術文化劇場限定の近沢レースのハンカチを買う。
その後ベイクルーズストアへ。最近は栄に行ってばかりだ。ゲートタワーができてからずうっと長らく服を買う時は名駅一筋だったのに。
早々にスローブでジャケットを取り置きしてもらい、ボトムスを何点か試す。これからの時期絶対履かないと思いながらも履いたデニムがすごく形が綺麗でうっとりする。ほんとは週末に島に行くから自転車に乗れる楽なパンツが欲しかったのに。私は式典用のパンツしか持っていない。
レリュームに大好きなお姉さんがいるので、地下1階に降りるとちょうど休憩に行かれたとのこと。戻りが13時と聞いて、うーんと唸る。お仕事の休憩中とかですか?と聞かれたので、お花を取りに行かなきゃ行けなくて……と正直に答える。先にお花を取りに行こうかなあ、どうしようかなあとまた1階に上がりルタロンで靴を試着していたらレリュームのお姉さんが休憩を切り上げて帰ってきてくれた。申し訳ない。
散々わがままを言ってえらんでもらった服が可愛すぎてボトムを買いに来たはずなのに結局全身買ってしまった。本当にちょろい。
急いでお花を取りに行ったあと、スローブで取り置きしていたジャケットと試着したデニムも結局買う。爆買い人生。
この世で1番どうしようもない女だと思っていた松崎はかなり丸くなっていて、彼女も色々あったんだなあとしみじみ感じる。
5時だから電車混む前に帰るとさっさと切り上げたら嵐のような女だと言われた。この世で1番どうしようもない女だと思っていた彼女に。ウケる、だから人生やめられないよな。
7/24(水)
仕事終わりに実家に寄ったら痩せたというかやつれた、と母親に言われショックを受ける。やっぱりほうれい線気になるよね?!と頬を摩っていたら土用だからと鰻をもらう。ラッキー。父親に何も言わずに父の好物の南部せんべいをもらった。また食べられないお菓子が増えた。甘いものはいいんだってば、とは言えず。帰り道に即エリクシールのレチノールクリームを買う。お肌ピシピシにしておかないとお盆に会う親戚に嫌味のひとつやふたつ言われるだろう。
太っても痩せても私を揶揄する人達。ダルい。お前らの適正体重いってみろ、何キロにな��ば文句言わないんだ?62kg?52kg?42kg?32kg?という気分。
7/25(木)
有休をとって最近辞められた派遣さんとランチへ行く。1月からずっと走り続けてきたので絶賛閑散期である。
パン食べ放題のお店で、平日だけどよく混んでいた。夏休みだからだろうか。
妊婦さんなので早々に別れて、家で本を読んだりお昼寝をする。サイコーに気持ち良い。
7/26(金)
明日は3時半起きなので早く寝たいのだけど、19-21時で頼んだ宅配がまだ届かない。宅配を待ってる間にTumblrを書き終えてしまった。
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tutai-k · 1 year ago
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たどり着かなかったおおくの未来たちへ
文フリ東京だった。 土曜日開催のイベントってなんだかんだ言いながらはじめてのような気がする……労働が土日祝休めなかったころはなんでイベントは平日にやらないんだろうと思っていたし、土日が休みだったころはイベントは土曜日にしてほしいと思っていたが、日月休みになると、イベントは日曜日がいいなと思ってしまう。日月は宿泊料金がやすい。
そんな自分本位な「この日がいいな」をわたしはいくつも持っている。
文フリ東京は、土曜日の朝に出発した。車内販売がなくなってしまって、でもまあ新幹線のホームとか購買にシンカンセンスゴイカタイアイス(シンカンセンモウカタクナイアイスだという噂だが)が売っているらしいから、それを食べようと思っていたが、朝、名古屋駅で見つけることはできなかった。 しょんぼりしながら新幹線に乗る。新幹線の中ではほとんど寝ていた。
東京駅・浜松町・流通センター。いつもの乗り換えで会場に向かう。来年の12月の文フリはビッグサイトでやるらしいから、この行程で向かうのはあと一回。
会場前に八束さんのスペースで不穏なフライヤーをもらう予定だったのでもらいに行ったら、八束さんがさいたま文学館で開催中の『澁澤龍彦の文学世界』のフライヤーも一緒にくれた。 ので、スペースが出入り口の真ん前だったこともあって、これはたくさんのひとに見てもらえるんじゃないか…!ということで、出口に向けて配置した。完璧である。
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そんな素敵な設営をして、開場。
遠方からきてくれたフォロワーさんに展示のフライヤーを見��澁澤龍彦の話をし、「若い頃にわたしも全集読みました!」と言ってもらうなどしたり、痛覚の麻子さんにはえんえんと「この写真見てくださいやばくないですか?羽田に楯の会の制服を着て見送りに着た三島の帽子をかぶっておどけているときの写真でこれが二人が実際にあった最後になるんですよ……」と一生終わらないんじゃない勝手くらいの話をしつづけてしまったり、このフライヤーに気づいてくれた通行人のひと(「澁澤龍彦だ…!」という声が聞こえた)に「裏面も見てください!そしてよろしくお願いします!」とさっと差し出したり……。こんなに充実した文学フリマ東京は、2014年から参加していて初めてじゃないかと言うくらい充実していた。
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惜しむらくは、澁澤龍彦のフライヤーと一緒に不穏なフライヤーを挟んでいたにもかかわらず、だれも「澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制があるんですか?」と聞いてくれなかったこと…。澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制は果たして存在するのか……?
とまあ、こんな感じなのだが、そろそろ皆さんも不穏なフライヤーとは?と思っているところだろうと思うので、ご紹介致しますとこういうやつです。
「父親の死体を棄てに行く」アンソロジー。家父長制を棄てに行きたい方はどうぞ2024年5月の文学フリマ東京をお待ちください。
イベントが終わってからは、八束さんとヒマラヤ鍋を食べに行った。 お店の予約時間まで過ごしていたドトールで渋沢栄一の話になり、「ああ、向こうは傍家で、本家はうちなので」と話したら「いまうちって言いました?」と聞き返される。うちです。 ヒマラヤ鍋屋さんはめちゃくちゃすてきな楽隊(?)のお誕生日パレードがあったり、びっくりするような美味しい鍋を食べられたりと大満足だった。
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打ち上げを終えて、翌日のさいたま文学館に備えて埼玉に宿を取っていたので、移動をはじめたら電車がいきなり止まった! 電車の沿線で人身事故があったとのことで、近くのハブ駅みたいなところで電車を降ろされてしまう。こんなこと担ったのは初めてなのでびっくりしていると、とりあえず一時間くらいしたら電車は動くからね~とアナウンスが入り、事なきを得る。
都会ならではの体験だな…と思いながら、ホテルにたどり着いて泥のように寝た。
そしてさいたま文学館へ。
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張り切って出てきたら開館まえについてしまった…。図録を買って、老人クラブの展示があったので見せてもらったりして(ヤツガシラの俳句があってとてもよかった)、10時になる。
貸し切り状態……。
展示は、埼玉と澁澤の関係から始まっていて、浦和高校時代の写真(浦和高校同窓会が出しているものだった)があるのがとてもよかった。 限定本も展示がたくさんあり、原稿も、文学館が所蔵しているものが4、5点。 サド裁判のときに澁澤が三島に書き送った手紙に、争点が「わいせつか芸術かを超え、表現の自由/検閲への抵抗である」ことが書かれていることを指摘していたり、『高丘親王航海記』の原稿用紙、最初は「了」と書いてあったのを、推敲の段階で文字を自ら消したことを指摘していたり、「澁澤龍彦」という人物を表現との向き合いかたから見せているのが良いと思った。 面白かったのは三島の写真の使い方で、「血と薔薇」の「男の死」の三島の写真、あと、メインビジュアルが羽田に見送りにきた三島の帽子をかぶっておどける澁澤の写真だったからか、「楯の会の制服を着た三島由紀夫」の写真が展示してあったりした。
展示をひとしきり見た後は、図書室に今回の展示の関連本がまとめてあるとのことだったのでそれを身に。「作家のおやつ」「作家の食卓」といった本の紹介や、山﨑ナオコーラが文豪の墓参りにいく本に澁澤の項目があった。山﨑ナオコーラの澁澤へのまなざしにはわたしにもおぼえがある。よい本だった。そしてその本で、先月わたしが緑色のインコに夢中になっていた霊園に中島敦の墓があることを知った。敦、ごめんな……墓のことなんて全然知らなかったから、緑色のインコのことしか考えてなくて……。
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その後は文学館併設の「けやきカフェ」で澁澤龍彦コラボメニューをたべる。黒糖と胡桃のパンケーキ。澁澤が好きだった胡桃や黒糖のお菓子をイメージしてつくられていて、とてもよかった。 思い出したのは、今よりもっと貧乏だったころ、いろんなところでやっている澁澤の展示に行けなくて悔しい思いをしたことだった。いまこうしてたどり着くことができるようになったことを、なんだかとても、自分が、自分をなんとかしているように思えた。
パンケーキを食べ終えてから、「武蔵野うどん」に挑戦することにした。「伊勢うどんとは対極にあるうどんだ」という事前情報しかなかった。 桶川駅ちかくのお店はかなり人気店のようでたくさん人が並んでいて、お店に入れたのは並び始めてから一時間後くらいだった。 つけ麺(うどんのことをつけ麺というのか?)システムで、つけ汁とうどんは別々の皿に載っている。なるほどこういうやつなのか、となにも考えずにがっと箸でつかんで汁につけてすすりはじめたはいいが、うどん、めちゃくちゃかたいんですけど?!噛みちぎれない…やばい、全部すすって口の中に入れるしかない……と思ったが、これがまたすさまじく長くて……永遠にうどんがおわらない……。 こんなに硬くて長いうどんはじめてなんですけど?!おれたちは箸で持ち上げただけでへたしたらブツッといく伊勢うどんの民なんだということを再確認し、「これは風邪を引いたときに食べるうどんではなく、体力が有り余っているときに食べるうどんだな」と確信しました。きっと武蔵野のひとたちは、風邪をひいたときにはおかゆを食べるに違いない。(伊勢志摩の人間は風邪をひいたら伊勢うどんを食べます)
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二口目からは一本ずつ食べることで武蔵野うどんのおいしさを堪能し、また是非食べたい、顎の力を試したい、と思った。
武蔵野うどんを噛み砕くのに体力のほとんどを持って行かれて、疲れ果てたので、そのまま帰宅することに。 購買にシンカンセンスゴイカタイアイスを見つけたので購入し、席に着くと、隣のひともおなじシンカンセンスゴイカタイアイスを持っていた。しかもおなじチョコレート味。
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べつに示し合わせてはいないがふたり一緒に食べることになってしまい、こんなに好きなひとがいるのに、もうシンカンセンスゴイカタイアイスは車内販売されないんだな……と悲しくなる。 そして、乗車15分まえに買ったし、シンカンセンモウカタクナイアイスだった。
アイスを食べ終えてからは、記憶がない。気づいたら名古屋だった。
名古屋駅で、近鉄のホームに来たら、電車を待つ人は無秩序にホームにたたずんでいて、車両のドアとか何も気にしていなかったし、電車が着いても「先に並んでいたひと」という概念がないので、運良くドアの近くにいたひとから電車に乗りこんだ。東京とかから帰る途中、この近鉄のホームの無秩序さを目の当たりにすると、まだ名古屋から三重まで帰らないと行けないのに、「帰ってきたなあ」と思うのだった。
名古屋駅から最寄り駅までも、寝ていたのでほとんど記憶がない。
帰宅したら、夕食は焼きそばだった。焼きそばの麺は、どれだけ頬張っても簡単に噛みちぎれた。武蔵野うどんは硬かった。
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kennak · 2 months ago
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警視庁石神井署は9月17日までに、都内のカラオケ店でSNSで知り合った女子高生に性的暴行をしたとして茨城県境町の町議会議員、佐怒賀康輔容疑者(32)を不同意性交容疑で逮捕した。同町議会は対応を巡って全員協議会を開き、同町総務課も18日付けでホームページに「詳しい事情が不明のため、今後の捜査の推移を見守ってまい���たいと思います」とメッセージを載せるなど、混乱を極めている。 ■地元の宣伝マンだった佐怒賀容疑者 同署などによると佐怒賀容疑者は昨年8月14日午後、東京都練馬区のカラオケ店で、当時16歳未満の女子高校生に性的暴行を加えた疑い。調べに対し、黙秘している。 2人は数ヶ月前にSNSで知り合い、当日待ち合わせてカラオケ店に入ったという。被害を受けた女子高生が保護者に相談、被害届を出して���た。 佐怒賀容疑者は2021年6月の町議選で577票を集めて初当選、議会では教育福祉常任委員会副委員長、広報編集委員会副委員長、議会運営委員会を務めていた。自らをマルチクリエイターの「かいちょう」と称してYouTubeとInstagramに「境町TV」というチャンネルを立ち上げ、これまで数百の配信や投稿を繰り返してきた。登録者やフォロワーは19日現在でいずれも2千人に満たないが、地元ではそれなりの存在感を放っていた。 「境町TV」で紹介された地元の商店は声を揃えてこう憤る。 「店には何回か来てくれたし、地域を若い力で盛り上げてくれる人はそういないので、頼りにしていました。佐怒賀さんは境町の町の土産物店に向けたインスタ開設講座を開いてくれて、デジタルに疎い我々にもわかりやすく教えてくれました。若くて活発な印象だったのに、なんでって感じです。残念としか言いようがない。裏切られた気持ちです」(飲食店店員) 「今度こういうインスタ始めましたって、何度かうちの店にも来てくれてたんですよ。『境町TV』に載っけるからって。そうして足使って店回りして、地道に顔を広めた後に町議選に立候補したんですよ。『選挙出ようと思います』『頑張れよ!』なんて挨拶したのが3年前か。 だから商店やってる人は『よく動いてくれてた人だから』ってみんな応援してたと思いますよ。若いし独身なんだろうから、成人女性相手で同意があれば問題はないですよ。それをよりにもよって未成年とはどういうことだ。こんな変なことで境町を有名にしてくれちゃって、どうするつもりだよ」(菓子店社長) ■教育福祉常任委員会で副委員長という立場なのに… 境町に隣接する下妻市の市議会議員もこう語る。 「彼とは対面したことはないんだけど、『境町TV』ことは知っていて、若いのに地域おこし活動をして偉いなと思ってたんです。そのうち町議選で立候補して当選したという���とで、インスタのストーリーにも『これから議会です』とか上がるようになって、この9月14日に境町で行われた花火大会のことも『お手伝いしてます!』投稿していたので、今回の事件の報道には本当に驚きました。 地方議員は当選したら先輩たちから公人の振る舞いというのを教わるんです。男女で人目につくところで食事はやめようとか、車に乗る際も助手席ではなく後ろの席でとか。そういうことを教わった人とは思えない、ましてや未成年に対してとは信じられない行動です。 彼が教育福祉常任委員会で副委員長という立場なのに、女生徒を性の対象に見てそんな行動に出たのが、信じられないし悔しい思いです。国の政策で『こどもまんなかプロジェクト』なども始動している中で、子どもを自らの欲求のはけ口にするとは残念でなりません。 私には中学生の娘がいます。この事件の報道を受けて早速、子ども達と家族会議をしました。信頼を失う行動を議員がしてしまい、お友達にも不信感が広がるだろうけど『そんな議員ばかりじゃない』と言ってあげてほしいと話しました。町に住む大人だけでなく子どもからの信頼も得ようと真剣に頑張っている議員の立場からしたら、本当に悔しい思いです」 渦中の境町町議の一人もこう表情を曇らせた。 「全員協議会が召集されましたが、報道以上のことは何もわからないから、報告のみで解散でしたけど、ただただ驚くばかりです。佐怒賀議員は仕事にも真面目に取り組んでいたし、積極的に動いていた議員でした。 私の元にも町民の方からの電話やLINEが鳴り止まず、かといって何も知らないから『わからないんだ』と答えるだけです。事件を起こしてしまった以上、彼も議員を続けることはできないでしょう。残念です」 自称する「かいちょう」が会長を指すのか怪鳥を指すのか意味不明だが、少なくとも「快調」ではなさそうだ。 ※「集英社オンライン」では、地方議員の事件や不祥事、トラブルについて情報を募集しています。下記のメールアドレスかXまで情報をお寄せください。 メールアドレス: [email protected] X @shuon_news   取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
女子高生に性的暴行をした容疑で逮捕された境町町議に地元住民が憤り「残念です」|ニフティニュース
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chaukachawan · 1 day ago
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【世代交代】カーナビに「ドラックストアのある交差点を左」って言われた際、目の前にドラッグストアが3店舗見えていた私が、それでもサッポロポテトを選ぶ理由.zip
(PS:下の方にビアゲの役者紹介があります)
 西南図書館24周年、おめでとうございます。私は「『いきのこり⚫︎ぼくら』にのせて懐かしいものを紹介しているだけのYouTube shorts 撲滅委員会」で会計をしている、近未来ミイラです。最近こういう動画を目にする機会減ってきたでしょう?あれ、私たちのおかげなんですよ。感謝してくださいね。そして皆さんはくれぐれも過去に囚われて、旅行先にLと書かれたコンタクトレンズだけを持ってくるような真似はしないように気をつけてください。この世にはRも必要です。私は本気です。やってやんよ。
さて、仕事の引き継ぎと通信速度ははやい方がいいだなんて言いますが、ちゃうかで引き継ぐべきものは仕事だけではありません。解散の挨拶、ケミの折り方、大集会室に見回りが来るのが20:00頃と22:00頃だという研究結果。まぁ色々ありますが、中でも私が引き継がねばならないと考えているのが、かの有名な天照大神の自宅に併設されたクラブハウスでDJをした経験があるという、NASUKA A.K.A. たぴおか太郎 さんによるtumblerなのです。
私は、たぴおかDJアゲ太郎が引退する前に、何とかしてこれを継ぎたい。習うより慣れよ。私は早速たぴおか太郎になりきることにしたのでした。
しかし、桃色サンゴへの道はそう容易いものではないということくらい容易く想像できます。このままでは私がなすかさんの文体の全体を会得するより前に、先輩が引退してしまいます。
先輩の稽古日誌を観察していたら、とりあえずちゃんと稽古日誌としての役目は果たしていたので、一旦そのパートやります。でも稽古してないのでただの日誌です。
⭐️間接照明って名前ダサくないか?稽古日誌
コンクリートと殴り合い(敗北)
タンバリンに鉛筆で落書き(怒られた)
海老の小道具の精度に脱帽(すごい)
はらぺこあおむしを逆から読む(退化)
たなからバター餅(略してたなばた)
ピコ太郎の再燃(アツい)
おせち料理を意地でも漢字で書く(御節)
蚊が何故かまだ猛威をふるっている(許せん)
⭐️直接照明とは言わないのにね〜〜〜
ここまで書いて私は思ったわけです。いや��ぴおか太郎難しすぎんか???
もう諦めようかな……。
???「君には失望したよ……」
はっ!?その声はっ!?!?
???「どうも、愛称として後ろに『ぴ』をつけられることもある、秋公演の舞台上でも大活躍した、あのお菓子です」
ま、まさかお前はっ!!!イモケン!?!?
Tumblr media
いや犬けんぴかよ!!!!!
犬ケンってもうこれ犬×2じゃねぇか。
犬「難しいということだけを理由に書かないというのは、それはただ諦めていることに等しごほっ!おっ」
あ、犬ケンピが喉に刺さってる
開いている記事のセキュリティ証明書に問題があります。
エラー吐いちゃったよ。まず犬ケンピ吐かないと。
この記事の閲覧を続けますか?
      はい わからない いいえ
 多分そう部分的にそう 多分違うそうでもない
いや選択肢アキネイター!!!
犬「なんか、もうネタ切れ感あるし、やめるわ」
あぁ飽きネイターだった。
……ということで、
【結論】たぴおか太郎はたぴおか太郎にしかできない
ところで、本当に何も用がないのにtumblerを荒らすのもマズイと思ったので、この場をお借りしてビアゲの役者紹介をします。やってたことはしおりと同じです。この人を主役にするなら、こんなタイトルこんな劇。
以下本チラ掲載順。兼役の2人は省略しています。ごめんね。
東愛莉
『東博士の自由研究所』
使い捨てカイロをたくさん繋げて、使い捨てホットカーペットにしたり。香水を鍋で茹でて香湯にしたり。裏起毛��服をひっくり返して着て表起毛にしたり。東博士の自由研究は、今日も失敗続き。意味のないように思えるその研究内容に、周りは呆れて、中にはバカにする者も。しかし東博士は、そんなことお構いなしに、日々楽しそうに研究を続けているのである。そんな研究所にやってきた一人の青年。どうやら人生がつまらないらしい。そんな彼を見た東博士はこう言う。「ちょうどよかった!今ね、ちゃんこ鍋を作っている蓋の上でトントン相撲をする研究をしたかったけど、人手が足りなかったの。ちょっと手伝ってよ!」
辛い過去がありつつも、今をとにかく楽しく生きると決めた東博士から、元気をもらうことができる公演になると思います。
大良ルナ
『心外、しかし純愛。』
「運命は、自分で掴みに行くものよ。」占い師のその言葉を鵜呑みにした少女は、自らの手で運命の人を掴みに行くことにした。しかし、容姿を見て選り好んでしまうと、それは運命でもなんでもない。そこで彼女は思いついた。人気の多い公園で目を瞑り、手を広げながらふらふらと歩き、一番最初にぶつかった人を抱きしめよう。その人を運命の人にしよう。早速実践。視界が真っ暗になってから2分ほど経った時、ドンと胸元を突く感覚。これはと思って抱きしめようとすると、それは思っていたよりも小さかった。胸元から聞こえる声。「くるっぽー。」いや鳩じゃん。これじゃ運命の鳩じゃん。人外は流石になぁ……。いやでも、このクリっとした瞳に綺麗な毛並み。正直、割とアリ。
鳩とのハートフルラブコメです。私にはハッとする衝撃の展開が広がるピジョンが見えています。
『教室における感慨と、その二面性についての考察』
7月某日。俺のクラスに転校生がやってきた。15人。もともと3人しかいなかった俺のクラスに、転校生がやってきた。15人。なんでも、近くの村にあった高校のすぐ近くで土砂崩れが起きて、校舎が倒壊したらしい。15人はそこから一番近いところにあった、船で30分の小さな島にあるこの高校に通う羽目になったそうだ。かわいそうに。転校生15人は、その慣れない環境に緊張……するはずもなかった。昨日までの穏やかな生活が嘘のように、喧騒に包まれた教室。俺の教室を、俺の居場所を、返してくれないか……?
教室では静かであるべきか、にぎやかであるべきか。それともにぎやかな教室を静かに眺めているべきか。
うみつき
『髪と縁』
またフラれた。これで何回目なんだろう。付き合ってみるたびに、「なんか思ってたのと違うわ」って言われる。いやいや、思ってたのと違うところを受け入れられるのが「好き」ってもんじゃないの?いや、愚痴なんか言っててもしょうがないけどさ。私は失恋した時、必ず髪を切ると決めている。他人��。普段は別の仕事をしているけど、フラれた次の日は実家の美容院��手伝いをする。別にこの仕事が好きってわけじゃないけど。自分以外の誰かのためにハサミを持つのが、なんか落ち着くというか。
その日店にやってきたのは、私をフった男だった。殺してやろうかな、これで。
統括のフォーニャー
『liebrary』
「はい。どうされましたか?看板?あぁいえ、これであってますよ。この図書館に置いてある本は、全部嘘なんです。この世界で生まれたすべての嘘が、ここに集められるんです。ですから、あなたがついた嘘もあれば、あなたがつかれた嘘もありますよ。あ、面白いですか。それはそれは、ありがとうございます。はい。またぜひどうぞ」そうして客を見送った女は、ついさっき新しく生まれた本を手に取る。「そっか、面白くないか」
嘘が分かるということは、本当が分かるということ。そこに計り知れぬ苦悩があるということは、嘘じゃない。
緒田舞里
『0で割るということ』
よっ。元気?こっちは元気だよ。ちゃんとご飯も食べてるし。大丈夫。……仕事?あぁ、うん。楽しいよ、ちゃんと。あぁ、ほら、最近さ、ちょうどクリスマスに向けての準備とか始まっててさ、この時期って夜にパフォーマンスの練習入ったりするじゃん?それがちょっと大変ってだけ。でも、私ってそういうの好き、だしさ。多分。あ、ごめんね、こっちばっかり話して。そっちはどう?……なんてね。
二宮はそう独り言を呟きながら、右側に供えた花のバランスを整えた。
『ニッポンのこれから審議会』
説明しよう!ニッポンのこれから審議会とは、ニッポンのこれからについて審議する会のことである!発足後初の会議となる今回の議題は、「ニッポンにとって不要なモノ」 つまりはニッポンが削るべき要素を洗いざらい洗い出すということになる!年賀状?節分??お盆???ニッポンには今や企業が儲かることしか考えていないような形骸化した文化が山ほどあるではないか!いつまでこんなの残してるんだ!消せ!!しかし、そんな議論の流れに静かに異議を唱える男がいた……。
だんだんとアツくなっていくぶらんの演技にご注目ください。
岡崎仁美
『カヌレ』
おかしい。利用客が減少の一途を辿る小さな駅構内にある、小さなケーキ屋さん。今までいろんなケーキを売っていたのに。今ではショーケースの中は、一面濃い茶色。カヌレしか売っていないじゃないか。奇妙な品揃えを覗いていたら、店の奥から出てきた女性店員に話しかけられた。「こんにちは!カヌレはいかがですか!?」
コイツはカヌレしか食わない。コイツはカヌレしか売らない。利用客が減り、カヌレが増える。これは一体何を意味しているのか。新感覚カヌレホラー公演。��げろ。
雨々単元気
『にじいろアジト』
大阪の南の北の方。そのさびれた倉庫では、夜な夜な5人の学生が身を寄せ合っていた。各々の事情により、学校に通うことを諦めている彼らには、共通する一つの目的があった。「この世には、やけに綺麗な虹ってもんがあるらしい。それが見たい。」
セカイ系のお話にしたいです。彼らが虹を見たことが無いのは、彼らが昼間に外に出ないからではなく、地球外生命体が地球を黒い幕で覆い隠して、宇宙から隠蔽しようとしているからなんですね。まさに黒幕。まぁ確かに地球ってずいぶん異質な惑星ですし、宇宙にとっては無い方が都合がいいのかも知れません。ちなみにこの公演の愛称は「ニジアジ」。
舞原の絞り滓
『大器晩声』
ある公園で開催された大声大会。その喧騒に怒り、近所に住むおじさんが怒鳴り込んで来た。……いやコイツが優勝じゃんか。(『大声大会』) 「あの、すみません。キッズメニューの裏の間違い探しってなくなったんですか?」「はい。その代わりといってはなんですが、この店の中には、既に10個の間違いがございます」(『間違いなく間違い』) 訪問販売で契約したタイムマシンがパチモンだった。「夕仏マシン」だった。時間は夕方限定、場所は仏や大仏の目の前にしかいけないらしい。……じゃあ、修学旅行のあの日を、もう一度だけ。(『驚麗』)
などなど、全7編のショートストーリーからなるオムニバス公演。そのうちいくつかは、まほろさんに演出してもらいたいです。
じゃがりーた三世
『何点かお伝えしたいことがございます』
ある山奥の宿泊施設で、人が死んだ。死体の様子から見るに、他殺であることは間違いなさそうだ。この施設から人が出入りした形跡も無いため、ここにいる6人のうちの誰かが、コイツを殺した。「とりあえず電話で警察を呼ばないか!?」そう言い出した男に対して、周りは呼びかけた。「忘れたのかお前!この施設では、携帯電話などの音や光の出る機器類は、必ず電源から切らないといけないじゃないか!」……じゃあ、このカメラで証拠の写真を、いや、許可のない撮影録音は禁止か。……もうこんなところにいられるか!俺は抜けさせてもらうぞ!え?途中休憩はございません?そんなことしらねぇよ!俺は出ていくからな!?……係の者がいないから、出られない。
前説で語られたルールが、全て適応されている空間で起こる推理合戦。ところで、上演時間は60分ということは、それってつまり……
オーム
『非常に新車』
とある交差点で車両同士の接触事故が起きた。畜生、この後マスコミに向けたプレゼン���あるってのに、どうしてこんなときに……。
仕方なく車の外へ出ると、相手の運転手は私の顔を見るなりこう言った。「あれ、ZESSANの岩本社長ですよね!?え、すご!私ずっとZESSANのクルマのファンなんですよ!今日もほら、先日発売されたばっかりのやつ乗ってるんです!すごいっすよねこれ、自動運転機能も充実してて!ハンドルから手離してても余裕で運転できてましたもん、さっきまで」
絶対にバレてはいけない事故。どうにかマルク収めなければ。
テキストを入力
『いまどうしてる?』
背が高いその男は、公園のど真ん中にある、さらに背の高い街頭の下に立っている。その公園にやってくる人は皆、紙にデカデカと自分の近況を書き、背の高い男に渡していく。男はその紙を体のいたるところに貼り付けて、ただずっとその場に立ち続ける。公園には、ただ人が書いた紙を見にくるだけの人もいれば、紙越しに喧嘩をしている人もいる。背の高い男はそれを見て、何を思うのか。
キャスパ曲というか、エンディング曲には、ゲスの極み乙女の「灰になるまで」を使いたいです。(ツイ)廃ではないです。
縦縞コリー
『優しすぎた男』
理不尽に呑まれ、後悔に苛まれ、そんな優しさが誉。しかし彼は優しすぎた。完成間近のレポートのデータを友人に消されても怒れないし、飲み会の参加費を1人だけ二重に請求されていることに気がついても指摘できない。いや、それは優しさというか、弱さなのではないか……?
キャスパには、トリプルファイヤーというバンドの「次やったら殴る」という曲を使います。舞台上でふにゃふにゃしたこりちゃんを観ましょう。
大福小餅
『a hole new world』
ざく。ざく。まだ掘った方がいいかな。ざく。ざく。もうちょっと深い方がいいかな。ざく。ざく。ま、こんなもんか。よし。……あれ、これ私が穴の中入っちゃったら、誰が私を埋めるんだ?あ、ちょうどいいところに人が。すみませーん、私を埋めてくれませんか?
埋まりたい人と通りすがりの人の二人芝居。普段あんまりネガティブなことを言っているイメージがないこふくが、ものすごくブルーな気持ちの役をやっているのを観たい。
叶イブ
『世迷言病』
「こんにちは」「あ゛ぁ゛!?こんにちは!!」「えっと、今日はどこが悪くていらしたんですか?」「見りゃ分かるだろ!!口だよ!!」「……口?何か口内炎みたいなできものがありますか?それとも痛みが」「ちげぇよバカ医者がよ!!そのまんまの意味だっつーの!!先週末くらいから口が悪くなってんの!!」
「よまいごとやまい」と読みます。高圧的なキャラ、似合う気がします。病���完治した後とのギャップがメロい。多分。
はぜちかきつ
『喫茶・愛のペガサス』
「本格中華やめました」 亡き父親が経営していた喫茶店をいやいや継ぐことになった男は、とりあえず中華料理の販売を停止した。どうせなら店の名前も自分好みに変えたかったけど、常連の客からの反対の声も大きく、仕方なくこのままにしている。そもそも駅から少し離れていて、人が多くないような街の喫茶店なので、お客さんのイリはまばら。まぁ、ワンオペでも全然回るし、むしろ空きの時間で趣味の小説を書けているくらいだから、これはこれでいい生き方なのかもしれない。……その日、見慣れない客がやってきた。オーバーサイズの服を着た、ショートカットの女の子。
優しくて大きい(器が、という意味)ハゼは、喫茶店オーナーとか似合いそうです。
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runpenparis · 20 days ago
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るんぺんパリ【RunPenParis】
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自己紹介 2024年11月4日追記 6116文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある 三重県亀山市に二つか三つ年上のお兄さんいるらしいが あった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした 父方に引き取られたお兄さんに 母親の事を聞いた 母親は別の人と再婚し離婚して 娘さんと一緒に暮らしているらしい 父親は再婚して自分と同じぐらい娘さんがいるらしい お兄さんはおじいさんの事を尊敬していて 中国語を勉強してるらしい あとは色々と聞いたけど 覚えているのはそれぐらいの内容で もう二度と話す事はないだろうと その時に思ったけど お兄さんの顔がどんな顔なのかは 見てみたい気持ちは少しある
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している それは去年に末っ子を連れていったから確認済 外観はただの古い家だけど 中に入ると意外と見応えはある 観光施設って感じ 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 油が多い感じのお肉だから 100gも食べれば満足感がある 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 今年は10月18・19・20(金土日) 19(土)は久しぶりに一人で一日中お祭りを楽しむ予定だったけど 昼前から雨が降ってきて鬼行列は中止 午前中は親戚を3件回って、おみやげを渡した 午後に実家によって車を駐車して 歩いて上野天神祭へと向かった いつも泊まる「伊賀上野シティホテル」は1泊10000円以上も高い 16800円だった。この日は駐車場も使えなかった 夜の19時から同級生のお店「クワトロNo.4」に初めていった 30年ぶりにちゃんと会ったガキさんは すぐに気がついてくれた 居心地がよかったので閉店の1時までカクテルを8杯ぐらい呑んだかな 意外と安くて8200円だった 次の20(日)は上野天神祭に参加している同級生のオデに会って 鬼行列の準備風景を写真に撮って 上野天神さんの近く紅梅屋でおみやげを結構買って 桔梗屋で上生菓子とお茶を飲んで 静岡へ帰った 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 普段はこれといって何もないけど 俳聖殿のたたずまいは何か「The Haiku」という感じ 上野城のお堀の高さ日本2位? 一時期は日本1位説もあった 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 高校生の頃に一つ年下の子とつきあっていた頃は よく上野城をさんぽした 帰りはその子の家の近くまで送っていった この子はとても純粋な子で 自分にはもったいない子だった 半年もつきあっていないが 今でも純粋で幸せになっているかなと思い出す事もある も��向こうは忘れているだろうけど 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする いまだに東京が伊賀のマネをした説を 親戚がまじめな顔でいいだす時があるから 本当に真実が知りたいけど 自分が調べるほどは興味がない 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい あと小さなパチンコ店「マルト」があった 「フルーツパンチ」という機種で勝った覚えがある あと「麻雀物語」もあったかな 「海物語」という機種が記憶の最終機かな 上野で住んでいた時期に一日で20万近く負けて それからパチンコは完全に辞めた じつはその後もたまにしたが 本当に気晴らし程度で その内にきっぱりとやめた スロットが主流になったら なおさら興味すらなくなった 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 新天地には映画館もあった気がする 当時は賑やかな商店街だった 当時からあった「喫茶店フランセ」は今もある 大きな化粧品店は更地になっていた 高校の時の知り合いが「クワトロNo.4」という バーを経営しているが、まだ入った事はない いつか行ってみたい気持ちはある ただダーツバーらしく 常連っぽい人たちのたまり場っぽいイメージで 気楽入れなさそうな雰囲気はある 一度だけ朝方にお店の扉までいったけど バーの扉って感じで雰囲気はあった 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる この岡森書店の店長さんは従姉の同級生で 小学校の先輩の同級生でもあり この店長の妹さんは自分と同年代で それにしても伊賀は狭いなと感じる
市部という地区だったと思う 近くに市部駅という無人駅がありその近くの 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった おかんは去年の年末まで 81歳でまだ自転車に乗って 小田町の坂を下っていたらしい いまは親戚から危ないからと 召し上げられた 小学校6年卒業までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 バスケ部の試合で名張の体育館で遊んでいて 二階から飛び降りたら右足のかかとがにヒビが入った その夏にはバスケ部をクビになり陶芸部に入った 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 「どかどかうるさいR&Rバンド」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから バンドマン目線のそういう女子には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。 高校生の頃��たくさん恋をしたが 自分が不器用だったので自分が好きだった人からは つきあえてもすぐにフラれた 人を好きになることに迷走し始めて 最終的に好きになる事はやめて なんとなくという感情で奥手に過ごしていった そのせいか、他校の女子からゲイだとウワサされる事もあった なぜそうなるか不思議だったけど 当時は楽しければなんでもよかった
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 家賃と車のローンがきつかった 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった この「ふる川」は今もやっている 当時はお店の小学生の女の子が手伝っていた 夫婦だけでやっていて 週3回ぐらい夕飯でお世話になった 「さば定食」もよく食べた気がする
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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longgoodbye1992 · 1 year ago
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忘れられない夜を教えてください!
質問ありがとうございます。
先週の土曜日がまさに忘れられない夜だったんで一応リンク貼っておきます。
もっともっと昔を思い出してみると学生時代の事を思い出しましたのでちょっと書かせてください。
よく行くバーで知り合った五つ上の明子さん。
女優を目指していて歌やダンスが上手く劇団四季のオーディションもいいとこまで行ったらしい。
関西の人で気立てもよく美人でいつも明るい。無骨な俺のこともよく褒めてくれていた。
京都にある芸大の通信に通っていて芸術とか舞台に興味がある人だった。
互いに学生だったから学割で色んなところを観に行った。
何にでも興味を持つ明子さん。俺が助手という名の下僕で携わったピンク映画やストリップのダンサーに興味があるといって浅草ロック座に二人で一緒に行ってそのまま浅草で天ぷらを食べて帰ってきたりもした。
ある年、世間をにわかに賑わせていたのは上野に来たツタンカーメンだった。
一緒に行こうと言われ、二人で上野に行った。
その日の明子さんはエジプトチックなドレス姿で妖艶という言葉が合っていた。
当時の俺、いや今もそうだけれど上手にその姿を褒められなかったのを今でも悔やむ。
並んでいると色んな人に声をかけられ時には写真を撮られたりもした。
ツタンカーメンを見て、別な上野の美術館でフェルメールを見た。絵心のない俺にはその凄さはイマイチわからないんだけど、色使いがいいなと思った記憶がある。明子さんは真剣に見ていた。
夜になってアメ横にある居酒屋で酒を飲んでから、六本木ヒルズの上にある美術館に行った。
前衛的な芸術を見た記憶があるがあまり覚えてない。
展望室でぼんやりと東京の景色を見て話をした。
二人とも上京組だったから眼下に広がる東京の街が眩しかった。
今度は都庁に行きたいね。なんて話もした。
いつかこんな景色が見える部屋に住みたいなんて俺が言うと、きっとなれるよと言ってくれた。
帰り道、電車の都合で六本木ヒルズから乃木坂の駅まで歩いた。
腕を組んできたのは明子さんだった。
作られていない甘い人の匂いがした。
この坂道が永遠に続けばいいのにと思った。
乃木坂駅で電車を待つ間、明子さんに香水をプレゼントした。それはクレーンゲームで取ったミニチュアの香水で、確かサムライウーマンだったと思う。
何かプレゼントしようとガキながらに思って無理矢理家にあった景品を引っ張り出してお菓子屋の袋に入れただけだったけれど涙を浮かべて明子さんは���んだ。
「大切に使うね」
明子さんがとびきりの笑顔で言った姿を今も覚えている。
帰りの電車の中、ずっと明子さんは俺の身体に触れていた。
俺より三つ前の駅で降りる。
徐々に近づいてきた。
「明日はお仕事ですか?」
「うん、銀座でね」
大人の女性ってこんな感じなのかと思った。
明子さんの最寄りに着く。
扉が開く。
「またね」
明子さんが俺から手を離す。扉が閉まって動くまで、明子さんは俺を見ていて手を振っていた。俺も恥ずかしげに手を振った。
最寄り駅について自転車に乗ると明子さんからメールが届いた。
「月が綺麗ですね」
確かに空を見上げたら満月がこっちを見ていた。
「そうですね。月明かりで漱石でも読みたいです」
そう返して自転車を漕いだ。
その後互いに忙しくなって、二人で出かけることはなかったけれど、たまに飲むと俺のことが好きだとマスターに言っていた。
冗談だと思って笑っていたけれど、本当は嬉しかった。
もしあの夜に戻れるならば、明子さんの部屋から一緒に月を見たかった。
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asagaquru · 10 months ago
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私の住む札幌市にある、すすきの。“すすきの”という駅やビルはあるけれど、“すすきの”という住所はない。なんとなくここからここまでがすすきのかなという感覚。ちなみにススキノとも薄野とも書く。
日本最北の歓楽街であるくせに、縦にも横にも1キロに届かない面積しかないからか、1件目にいた人がその後行くクラブにいたり、2件目から行くタクシー乗り場で鉢合わせたりする。
いつも通り、いなりで串やらもつ煮込みを食べ、今日も名物の豚足は売り切れなのねと恋人を話しながら札幌ラガー1本とそれぞれハイボールを飲んで外に出る。それからふらりと寄ったバーが当たりだった。カウンターがあってテーブルがあるバーなのに、スクリーンに無音で映画が映し出されていて、音声の代わりにジャズが流れている。カウンターに設置されたショーケースにはチーズケーキとタルトが鎮座している。
数年前から締めパフェなるものが、すすきので広まったけれどすでにもう飽和状態で、有名店となった店は2号店、3号店と出店し、価格も3000円、4000円と高騰している。それなのに若者や国内外の観光客が何時間も並ぶから飽き飽きしていた。私だってアイスクリームやらシリアルやら果物とヨーロッパの数秒後には忘れてしまうような横文字の名前のパリパリとした甘いお菓子が美しく盛り付けられたパフェを食べたい。けれど、そんなに待っていたら、酔いは覚め、低体温症で凍え死んでしまう。
けれど、そこのケーキも素晴らしく美味しかった。「ケーキひとつずつください」と頼むと、ピスタチオのチーズケーキが私に、ナッツタルトが彼の前に届けられる。店員が去るとすぐさま彼は、ケーキの皿を私のと取り替える。彼はピスタチオが好きなのだ。どちらのケーキも程よい甘味と楽しい舌触りで、お酒を飲みながらお喋りをするのにうってつけだった。
映画とお酒とジャズとケーキ。燻製も何故だか古着もある。全部好きだ。幾度となく来たこの小さなすすきのという空間にまだこんなお店が隠れていたなんて。開店したのは12.3年前だと言う。私が成人するずっと前からここでこの店を営われていて、私たちがたどり着くまで、私が見合う大人になるまで待っていてくれたかのような不思議な気持ちになる。私が一生かけて好きな映画「マイブルーベリーナイツ」に出てくるブルーベリーパイを焼くこともあると聞いて、胸の内が静かに煌めいている。タクシーで帰宅、甘美な夜ふかし。
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hibikore-archives · 10 months ago
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よしもとかよ 「日々是好日」。vol.126 ( 2024 / 1 /31 + 2 / 7 )
2024   31st january + 7th february  
M1 pieta (よしもとかよ)
  M2 I'm by your side (Edie Brickell & Steve Martin)     M3 remember me (Rickie Lee Jones)
  M4 someone else's life (Joshua Radin)     M5 生まれた地の言葉で (Misia)     M6 make a wish (Secret Garden)     M7 home (Pura Fe)       M8 darling don't cry (Buffy Sainte-Marie)
[好日の素…支援すること]   令和6年能登半島地震の発生から1か月。 未だ被災地では きびしい状況が続いているものの、 ささやかでも よかったと思えるような情報も 聴こえてきて、 現地で力を合わせて 日常を取り戻すために動いていらっしゃる方々や そのサポートを懸命にされている方々には 本当に頭が下がります。ありがとうございます。   そして、一般の わたしたちにできることって 何かないだろうか、と考える人も 多いだろうと思うのです。   比較的すぐにできることと言えば やはり募金でしょうか。 街頭募金もありますし、 個人でお店をされている方が 店頭に募金箱を設置してくださっていたりもします。 じぶんが支援したい団体を選んで 送金する、というスタイルも多く見かけます。 例えばお酒が好きな方なら 被災した酒蔵の方々を支援する窓口、とか… 医療や食品業界など 義援金や支援金の窓口は さまざまなものが開設されています。   また、商品やサービスを購入し、 代金の何%か、もしくは全額を 募金にあてる、というものや、 催し物の全体の売り上げから何%かを 支援金とするものなど、 購入して応援する方法も増えています。 このような状況なので リターンはないかもしれないけれど クラウドファンディングという方法もありますね。   このほか、SNSを拝見していて なるほど、と思ったのは 「わたしたちが健康でいること」。 病気やケガを予防して健康でいることで その分の医療を被災地で役立ててもらう、あるいは 医療従事者が災害派遣に行っていて、 通常の医療現場が手薄になってしまうところに 負担をかけないようにする、という 考え方です。   さらには、北陸のいいところを 知ってもらう取り組みも。 ぜひ訪ねてみたい、と 思ってもらえるような 風景やエピソードを共有することも、 気軽にできる応援のひとつかと思います。   このようなことは もちろん もう起こってほしくないですが、 この機会にあらためて どんなに北陸を好きで 大切に思っているかを 感じることになった、という方も きっといらっしゃるのではないでしょうか。   被害が甚大な分、復興には 大変な労力も時間もかかります。 息の長い支援が必要です。 そして、時が経つにつれて 忘れられてしまうことのないよう 継続してこころを寄せながら ひとつひとつ復旧、復興してゆく姿を 一緒に待つことが 大切だと強く思います。 * * * * * * * * * * * * * *   [日々是食べたい!… 米飴 ]
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  前半を受けて…というわけでも ないですが、せっかくなので しばらくは わたしの思う、北陸のおいしいものを ピックアップしていこうかと。   水・米・麦から作られる 米飴、また麦芽飴は 1000年以上もの昔から 全国各地にあるそうですが、 ここ北陸でも 金沢では「じろあめ」、能登では「松波飴」など 永く愛されています。 今は亡き祖母も、子どものころに 食べるのがたのしみだった、と話していました。   代表的なのは 水あめ状のもの。 他にも固い板状の飴をくだいたものや 飴を薄くのばしてきな粉をかけた「飴せんべい」など 形もさまざま。   水あめ状のものは 瓶に入っているものだけでなく 1回分の分量ごとにパウチになっている商品もあり、 使いやすくていいですね。 噂を聞いてこの頃 気になっているのは バターとあわせた「じろバター」。 数量限定でなかなか手に入らないのだとか! (わたしも食べてみたい…!)   固いタイプは 豆や落花生が入ったものや 梅のフレーバーがついたものなど バリエーションもあり、 選ぶのもたのしい。   飴ですから そのまま食べるのはもちろん、 お料理やお菓子づくりに使っても。 以前いただいた飴屋さんのパンフレットには 蒸しケーキやアイスクリームなどの 作り方が掲載されていました。   お正月で お餅を召し上がることもあったかと思いますが、 やわらかくしたお餅に 米飴ときな粉をかけて食べる飴餅も、 やさしい甘みときな粉の香ばしさが たまらないおいしさです。   どこかほっとする、米飴の 素朴な味わいに 北陸を思い出していただけたらうれしいです。
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jaguarmen99 · 3 months ago
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183: 名無し:22/04/23(土) 03:12:43 ID:PNYN 依存心の塊みたいな友人。 四六時中愚痴ってるだけで事態を改善させる能力はゼロだから、いくら何でもちょっとアドバイスをしても、 理由をつけて無理ばかりで全く聞く耳持たない。 自分に何の力もないのも何のマウント材料も無いことにも気づいているので、友達、子供、旦那の職業で マウントを取ろうとする。 結果子供も旦那も遠ざかる。 毎日3時間の通勤をこなす旦那が会社を休むとこれまた愚痴るが、自分は週2回午前中だけのパートが3回になってキツイと 会社を責める。 ダイエットをしているのに旦那がお菓子ばかり食べてると愚痴るが、夕飯を��に1回作るだけ。あとは冷食とお惣菜ほか弁。 そしてコストコの食料品売り場に足を運ぶのが楽しみ。週に1回の夕飯しか作らないで、お菓子食う旦那を責めて、 自分は何してるんだよw 旦那のことを嫌いだが、旦那が1部上場企業に務めているのが自分のステータス。 旦那がサラ金借りてソープ通いしていたのが発覚して離婚すると言い出した時も、経済力は全くないのに 金持ちを気取りたい彼女に、離婚してその生活はキープ出来ないけど大丈夫?とアドバイスしたら離婚はしなかった。 すると10年たった頃に、私が止めたから離婚しなかった。止めなければ離婚してた。と言い出した。 おっと。私は離婚するなとは言っていないし、その他愚痴に対するアドバイスはひとつも聞こうともしないのに、 ここ一番で私の発言を聞いたせいにしやがったww 疎遠になってストレスが激減したww 思��ば、友達が遊びに来るのがストレスだったから断り続けていた。 しかし彼女はグイグイ連絡して来るので続いていたんだと思う。 本当にアホやな自分、早く縁を切れば良かったのにww それ以来、依存心の塊みたいなタイプには近寄らないようにしているけど、本当に正解だと思う。 自分で意思決定をしないのは、失敗した事を誰かの責任に出来るから。 ずっとそうやって失敗し続け、ずっと誰かの責任にしてなよ。
184: 名無し:22/04/23(土) 03:16:40 ID:PNYN 今改めて認識した。 私は彼女がずっと嫌いだったとww
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moonrobe · 3 months ago
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単巻作品
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『風花雪月』
喫煙の補導で停学になった高校生の知幌。両親が激怒する家に帰りづらく、従兄の束の部屋に転がりこむ。その町で佳鈴という女性に出逢い、ひと目で惹かれるが、彼女には夫も娘もいて……男子高生×人妻のラブストーリー。
『IN BLOSSOM』
愛してるのは二次元の彼!重度の夢女子・季羽は進級したクラスで早瀬という女子生徒に目が留まる。近づきたい、でも触れたくない。そんな季羽は、“ノンセクシュアル”という恋はしてもセックスは求めない性を知る。
『月の堤』
精神安定剤を飲み、工場で働く毎日をやりすごす心を病んだ青年。ある日、職場で古株のおばさんになじられる新人の女性に目が留まる。何となく気になるものの、彼女には娘がいて──哀しいほどの純愛を綴る恋愛小説。
『ミメシスの夜』
昼は「普通」に紛れて過ごす彼らは、夜、いつものバーでありのままのすがたになる──ビアンの未桜、トランスセクシュアルの透羽、ゲイの七音とバイの伊緒。いつも四人で過ごす夜に、柳という中年男性が現れ……?
『僕の爪痕』
クラスメイトの女子である里菜に、暴力的なイジメを行なう少年・早原。スクールカースト上位の彼が、底辺の里菜を容赦なくいびる背景には、幼い頃からトラウマが関係していた。彼は里菜に「恐怖」を覚えていた──。
『PASTEL ZONE』
死後に待っていたのは異世界転生──じゃなく、現世に遺した人々に対して“無力”になったことを思い知らされる、気のふれそうな時間だった!家族、友人、恋人の中で過去になる自分に、あなたなら耐えられますか?
『砂糖づけの人形』
容姿のことでイジメられて以来、髪をほどくこともなくなった結菜。そんな結菜の前に現れたのは、家の都合で引き取られてきた佳月というはとこの美少年。次第に結菜に心を開いた佳月が語った、彼の過去とは──?
『Baby,RAG BABY』
僕は好きになった人と幸せになれない。同性を好きになった日から、そう思ってきた希雪。そんな悩みを知ってか知らずか、ふたごの妹の希咲は希雪の書いた詞をたどってギターを弾く。そんなふたりが出逢ったのは──
『ミチカケループ』
DV彼氏の束縛を愛だと言い張る彼女、そんな彼女に片想いする彼、ふたりの力になろうとする彼女、そして彼女が片想いする彼は……さまざまな男女の負の感情が絡みあい、吐き気がするような連作短編集。
『360°』
「僕、女の子が好きなんだよね」ある日、親友の雪月がそう打ち明けてきた。男ならそうだろうと思った千晶に、雪月は自分の心は女の子なのだと訴えてくる。さて、軆は男、心は女、それなら恋する相手は──?
『Blue hour』
クリスマスの朝、闘病していた僕の恋人が死んだ。彼女がいなくなったこの世で、それでも生きていかないといけない。それは気の遠くなる長い夜を過ごすようで──愛する存在を喪っても、前を向いて生きるための物語。
『死花』
僕には命など邪魔物でしかない──誰も自分など愛さない、そんな想いに囚われ、“心”や“意思”のない物体を愛し、やがて死体性愛に目覚めていく少年。殺さないと人を愛せない彼は、ついに一線を超えてしまうが……?
『まちばり』
幼い頃に捨てられた少年は、残飯の中から赤ん坊を拾い、その子を妹として守り育てることを心の支えに成長する。ずっと盗みで生きてきたふたりは、ある日、男娼宿のオーナーである男に目をつけられて──?
『ロリポップ』
遊びほうける高三の夏休み。大して本気でもない彼女、校則違反だらけの親友、俺も将来を考えることから逃げている。そんな現実逃避の毎日の中、自傷癖を持った女の子と出逢い、次第に惹かれていくけれど──?
『中2ヒーロー』
知名度と話題性で作家になる芸能人。俺のクラスメイトの神凪瑠斗みたいな奴。音楽、モデル、文学、何をしても認められて、何だよもう!俺の取り柄は書くことだけど、そのたったひとつにも光は当たらないのに。
『男の娘でした。』
駄菓子屋で店番をする癒は、子供たちに「姫」と揶揄われている。青春は華やかな男の娘として暮らした癒。しかし今はイケメン女子の恋人・伊鞠に首ったけ。彼女のためなら何も厭わぬ、ハイテンションラブコメ!
『僕らの恋はうまくいかない』
書くしか取り柄がない青年・希音の周りの人々は、みんな恋をこじらせている。女装男子に恋するゲイ、塀の中の初恋の人を想う少女、実の弟との関係に溺れる女性、好きな人のペットに過ぎない少年──
『彼女の恋は凪いでいる』
恋をする。私にはその感覚が分からない──自分はどこかおかしいのかと悩む舞凪が知ったのは、自分が無性愛者(アセクシュアル)だということ。そんな彼女と、高校で知り合った三人組の男女は……?
『それでも君に恋をする』
この気持ちは報われないかもしれない。どんなに想っても届かないかもしれない。距離を取る親友、兄の婚約者、勘違いする彼女、振られた相手、長年の友達、失恋を引きずる男女。それでも、君が好き。
『雪の十字架』
彼女は俺を怨みながら死んだ。高校時代の同級生の死に取り憑かれ、精神を病んだ瑞栞。しかし恋人である陽葵に寄り添われ、やっと未来に光が芽生えたはじめて──そのとき、少女の怨念としか思えない惨劇が始まった。
『恋にならない』
三十歳。焦って婚活もしない私は、誰とも結婚なんてしない気がしてきた。そのほうが気楽でいいとさえ思っていた。なのに、あるきっかけで夫のいる女性と親しくなって──ねえ、私たち、友達のままならよかったの?
『白濁の血』
俺のなめらかで蒼白い肌は、まるで白濁を浴びたときのままのようで。幼い頃、さらわれて犯人と倒錯的な時間を過ごした美しい少年。忌まわしい記憶をなぞりながら、カミソリで自分を傷つける。彼の傷ついた魂の在処は?
『深紅の盃』
血を飲みたい。僕はその異様な欲求をこらえきれない。でも、君が僕のそんな欲望を理解してくれた。だから、ただ君のそばにいられたらよかったのに──ある日突然現れた美しい彼が、僕から理性を掠奪する。
『雪薬』
枕営業も厭わないホステスの凪子。そんな彼女を支えるのは処方される大量の薬。今日も口説き落とそうとしてくる客である作家が飲みに来る。薬さえ飲めば、まともでいられるんだから、それでいいじゃない──
『MIDNIGHT』
お互いを犯すように、一線を超えて禁忌に耽る姉弟。そこに愛はなく、ただいらだちを吐き出して夜の行為を重ねていたが、ある日、姉弟の幼なじみが隣の家に帰ってくる。そこから、姉弟の関係は揺らぎはじめて……
『START OVER』
夢の中でくらい、幸せな恋ができたらいいのに。そんなことを思うアラサー女子・真幸は、今日も職場後輩の恋バナマウントをかわす。このままひとりな��かな。そんな不安も一抹感じる日々、彼女の前に現れたのは──?
『アイオライトの夜』
あの残暑の夜を、私はきっとずっと忘れない。祖母を亡くし、乾燥したような退屈な日々を送っていた少女。ある日、彼女はクラスメイトの少年の飼い猫探しにつきあうことになり、さらに「帰らずの森」に踏み込むことになるが……?
『アスタリスク』
ずっと死ねばいいのにと思いながら生きてきた。機能不全の家庭、登校拒否の教室、そんな環境に身を置き、繰り返すのは自殺にも至らない自傷行為。それでも、こんな僕でもまだ──。言ってはいけない願いをこめて。
『指先に触れる君が』
周りにはゲイであることを隠し、ひっそりだけど、穏やかにつきあう映乃と真冬。しかし思いがけない運命に引き裂かれ、かけはなれたふたりに起きる、切なすぎる奇跡──ファンタジー風味のボーイズラブ。
『万華鏡の雫』
秘かに想いを寄せていた恵波とつきあうことになった水澪。幸せな交際が始まったが、恵波をつけ狙う不気味な影と、謎めいた水澪のルームメイト・早凪によって、徐々に歯車が狂いはじめる──血塗られたグロテスクBL。
『揺籃に花』
俺の家族はみんな狂っている。そんな俺も家族を避けて引きこもって暮らし、夜にだけ街を出歩く。いつものバーで引っかける男娼のキキのことは気に入ってる。ただし恋愛感情ではない、そう思っていたけれど──
『さいれんと・さいれん』
「ほかに好きな子ができた」いつもそう言われて彼氏に振られる桃寧。俺なら心変わりなんかしないのに。そう思っていた水雫は、ついに桃寧とつきあうことに!そして現れた桃寧の弟は男の娘!?NTR系BL。
『ローズケージ』
雪理と雪瑠、そして颯乃。幼い頃はいつも三人一緒だった。しかし雪瑠が失踪したことで、三人はばらばらになってしまう。数年が経ち、中学生になった颯乃の前に現れた雪瑠が語った、雪理と共に受けていた虐待は──
『Noise From Knife』
担任教師の水波と秘かにつきあい、心も軆も愛されている優織。このままずっと先生のそばにいたい。そんな甘い願いは、優織がナイフを持った何者かに襲われたことで壊れはじめる──恋心と友情が錯綜するBL。
『樹海の影』
静かに暮らす姉弟の藍と燐。ふたりは夜ごと軆を重ねる、ゆがんだ男女でもあった。このままではいけない──分かっていても、呪われた記憶を共有するふたりは、互いに狂おしく執着する。これは愛情か、あるいは呪縛か。
『黒血の枷』
幼い頃、おぞましい出来事に見舞われたこまゆ。しかしその記憶も薄れた頃、その出来事が起きた町へと帰ってくる。懐かしい友達、幼なじみとの甘やかな再会──しかしこまゆを襲った悪夢は、まだ終わっていなかった。
『茜さす月』
幼い頃の忌まわしい記憶を共有し、互いを求めあってきた姉弟、萌香と有栖。ある日を境にふたりは離れることを選ぶが、それでも秘めた心では相手への狂気じみた執着が絶えることはなくて──禁断の愛の果ては?
『紅染めの糸で』
幼い頃から片想いしていた年上の幼なじみに大失恋した香凪。友達には早く次を見つけろと言われるが、簡単に心は切り替えられない。そんなとき遭遇したのは「男なら誰でもやれる女」こと深月毬実の情事現場だった。
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patsatshit · 1 year ago
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Mがタラウマラを退職して今月末で早くも1年になる。Mとの出会いはサイクルショップすずめ時代で、彼がダルクからの帰り道に3,500円のママチャリを買いに来たのがはじまりだった。その後も何度か話をしているうちにとても面白い人だと思うようになり、おまけにサイクルショップすずめが立ち退きを迫られていたタイミングだったこともあり、純粋な気持ちで「自分はこれから新しい店を始めようと思うが、一緒にやらないか?」と声をかけた。その後はとんとん拍子に話が進んで……という訳にもいかず、突然連絡が途絶え、聞いていた住所を訪ねるも接触ができなかったりした(笑)。やっぱりあかんかぁ、と自分は自分で今後の準備に取り掛かっていたところで、突然サイクルショップすずめの店頭にふたたびMが現れて「ぜひともやらせてください」と言って来た。最初に声をかけてから数ヶ月が経過していたと思う。そこからは本格的にタラウマラの準備に取り掛かった。Mには諸々の事情があったので、契約面、資金面については僕がすべて請け負い、あくまでも雇用する者とされる者の関係性のうえで二人三脚で開業の準備を進めた。僕は開業資金の100万円を借り入れ、途中で不足が生じたので社会福祉協議会から新たに40万円を調達した。その間に数人の友人たちに「Mと一緒に新しい店をやろうと思う」と伝えたら、全員から猛反対された。これは誇張や脚色ではなく、本当に色んな人から「何を考えてるんですか?」「いままでやってきたことを棒に振るんですね」「あなたがやろうとしていることは商売ではなく福祉だ」との助言をもらって、これまでのMがやってきたことを勝手に想像しないではなかったが、それ以上にそんなダメダメなMをきちんと支えたいという想いが遥かに上回っていた。なかには「あなたがMと一緒にいるなら、もう関わりたくない」と言ってきた人もいたが、その方とは未だに再会できていない。とにかく当時の僕はMに夢中だったし、むちゃくちゃに酒癖は悪いがどこか憎めないところがあって、すべては許容範囲だと感じていた。実際タラウマラが始まっても酒でのトラブルは絶えなかったし、M自身も慣れない仕事で精神的にきつかったのだろう、いつだって抗不安薬を手放せないでいた。それでも僕はMの才能に魅せられていたし、ひとりの友人としてもこんなに腹の底から笑い合えるのは初めてだとも感じていたから、最初の2年間は本当に楽しかった。タラウマラで雇用する際にひとつだけ約束事として交わしていた「違法な薬物に手を出さない」ということもきちんと守ってくれていたように思う。Mの音楽作品もコンスタントにリリースを重ね、また彼自身の尊敬する先輩や友人からオファーを頂く機会も増えていった。とにかく酒や違法薬物をできるだけ遠ざけ、それ以上に夢中になれることをふたりで模索していた。僕はあのときの自分の感覚とMを信じて良かったと心の底から快哉を叫んだ。���一の不安は金銭面だった。そこだけは本当に苦しかった。社会福祉協議会に追加の借り入れを申し込んだが、それでもまったく足りなかった。互いに友人や親戚の仕事を手伝ったり、単発の日雇いバイトに従事することで何とか糊口をしのいでいた。そんな金銭的な不安を打開するために僕は出版物のリリースを目論んだ。もともとMは編集者になりたかったと言っていたこともあり、それならば、と季刊刊行物を制作しようと思い立った。それが「FaceTime」である。タラウマラのような小さな店舗ではどれだけ頑張っても自転車だけでは到底2人分の給与は稼げない。Mの持っている技術で新たに売上をつくることができれば、今後、彼自身の自信にも繋がるだろうし、タラウマラの第2ステージとしても最高だと思った。実際、滑り出しは順調で尊敬する友人たちが素晴らしいテキストを寄稿してくれたこともありvol.1の500冊はすぐに完売した。Mの編集技術も回を重ねるごとに更新されていった。ちょうどその頃、Mに恋人ができた。Kという彼女は僕の「DJ PATSATの日記」を読んでMに興味を持ち、好きになったと言っていた。しばらくするとKはジョージアへ1年間の語学留学に発つことになるのだが、ロシアとウクライナの戦争が激化し、ジョージア国内でもキナ臭い動きが表面化したことで、彼女は緊急帰国した。そして淡路にあるM宅での同棲が始まった。突然の帰国に際してタラウマラからは自転車やTシャツを贈呈した。するとMが「Kが土井さんに直接お礼を言いたいとのことですので、土井さんの勤務日にお邪魔しますのでよろしくお願いします」と言って来たので、そんな気を使わんでええよ、と思いつつも心のどこかで楽しみに待っていた。しかし予定の日にKがタラウマラに現れることはなかった。その後、3度、同様のことが繰り返されたので僕ははっきりと気分を害していることをMに伝えた。Mは狼狽しつつも「Kの仕事が急に忙しくなって、家から一歩も出ていないんです」と必死にKを庇っていた。ちょうどその頃、常連のOさんがタラウマラにやって来た際に「そう言えば先日、Mさんの彼女を紹介してもらいました」と言うので「どこかでばったり会ったんですか?」と聞くと「いやいや、タラウマラでに決まってるじゃないですか!ビールまで頂いてしまって」と笑う。Oさんが店を出た後、僕はMに電話をしてはっきりと怒りを露わにした。もうKには挨拶に来てもらわなくて結構!と伝えるとMは終始すみません、ごめんなさいと誤っていた。翌日、Kは菓子折りを持ってタラウマラにやってきた。本人と直接話をしても僕の中で靄が晴れることはなかった。その後、周知の通りMの商業出版が決まり、Mは多忙な日々を送ることになるのだが、明らかに酒量は増えていった。そして遂には◯◯にまで手を出してしまうことになる。タラウマラを一緒にやるうえでの絶対的な約束を彼は破ってしまった。僕の妻は心底呆れて「もうあかんで、やめてもらって」と言っていたが、本人が深く反省していたこともあって、僕はなぜか不問に付することにした。いま思えばもうどうでも良くなっていたのかも知れない。その代わり、Mには土日だけの勤務にしてもらい、給料もそれまで売上の完全折半でやって来たところを日給制に切り替えた。Mは義兄のバイト、土日のタラウマラ、商業出版の執筆、最後の「FaceTime」の編集作業と引き続き忙しそうにしていた。その頃からますますKがタラウマラの業務について口出しをしてくるようになった。給与面、業務時間、業務負担についてなど、それらすべてをMの言葉を介して僕に伝えられた。何度かそばで聞いていた友人が「それ以上はKのことを土井さんに言わない方が良い、ネガティヴキャンペーンにしかなってない」と注意をしてくれた。Kは「なぜMばかりそこまでやらないといけないのか」と繰り返しているようだったが、物事には役割分担というものがあり、僕には僕のやるべきことがあり、MにはMのやるべきことがあるというだけの話だ。どこからか金が降って湧いてくる訳でもなく、自分たちで稼がないといけないのだから。そして遂にはタラウマラで行われるイベントの際にMは「いまのあなたには執筆の方が大事でしょ」とKから言われたとのことだったので、僕はイベントの最中にMに対して「もう帰りや」と言ったのだが、Mは慌てて「そういう意味じゃないんです」と訂正した。いまでもそれがそういう意味じゃなくてどういう意味だったのかわからない(笑)。「淡路が嫌いやから」という理由でMとKが引っ越しをしたり、その後も色々あったが、綱渡りのような精神状態で互いに業務を遂行していた。そしてその先に待ち構えていたMの解雇を決意するに至る決定打は、実につまらない些細なことだった。ライブやバイトのスケジュールでMは度々シフト変更を求めてきたが、僕も家族のことなどで逆にMにお願いすることが何度もあったので、そのこと自体については持ちつ持たれつで何ら気に留めるようなことでもなかったのだが、ある日Mが同日の予定変更を何度か重ねて依頼してきたことがあった。最初の変更時に僕自身もプライベートの予定を入れてしまっていたこともあり、2度目の依頼の際には代わりに出勤することもできず、その日は店を閉めることにした。一応Mに休みたい理由を聞いてみると「Kがどうしてもその日に新開地の立ち飲み屋に行きたいと言っている」とのことで、この瞬間にはっきりと僕の中で何かが崩れた。あのときのことはいまも忘れられない。本当にこれまでMと積み上げてきたことがはっきりと物音を立てて崩れ去った瞬間だった。僕は「わかった、でももうMとはタラウマラをやっていくつもりはない。年内で辞めてくれ」と伝えた。その後も例によって色々ありながらも、彼がタラウマラを辞めると決まってからは僕も色んなことがふっ切れて、随分と気持ちが楽になった。Mの商業出版に関しても素直に応援することができた。ただ一点だけ、彼の出版を手がける編集長がタラウマラにやってきた際に「著者と打ち合わせしたいので、しばし外して頂けますか?」と直々に言ってきたことについてはいまでも呪いのように自分の内側に燻り続けている。タラウマラはコワーキングスペースでもなんでもなく、僕が借金して作��上げた自転車屋やで(笑)。
※ ここから先は「他人の事情」につき閲覧注意!
それはさておき、2022年の年末でMはタラウマラを退職した。最後の1ヶ月は本当にたくさんの方々がタラウマラを訪れ、みな口々にMを労ってくれた。ほんまに色んな人から愛されとんなぁ、と驚いたのをいまでも鮮明に覚えている。タラウマラを始める際には周囲からあれだけ反対されたのに、どないやねん(笑)。しかしある意味でこの両極の振れ幅こそがM「らしさ」なんやと思う。最後にシャッターをふたりで閉めた際に僕は素直にMに「楽しかった。ありがとう」と伝えることができた。Kからも「色々お世話になりました。これまではタラウマラにあまり顔を出せずにいましたが、来年はもっと遊びに行きます」とメッセージが届いていた。年明け早々にはMと友人と一緒にmole musicに行った。出会った頃のように話をして、笑うことができて嬉しかった。別れ際に「出版もうすぐやな、楽しみにしてるで。僕も同じタイミングで何か作ろうと思ってるから、タラウマラでダブル出版イベントとかできたらええな」と冗談めかして言った。そして「Kと一緒にいつでも遊びにおいでな」と言ってその日はMと別れた。その後、Mの書籍のリリース日が決定したが、タラウマラ限定特典についての打ち合わせもしっかりできないままに、いよいよ出版社へのオーダーの期日が迫っていた。Mは「義兄のバイトで忙しくて」と言っていたから、退職して間もないし確かにそうだろうなと思っていた。もちろんKも年が明けてから一度も顔を出さない。SNSで別の友人の書店には頻繁に行っている様子だけは伝わってくる。そんなある日、Kがインスタグラムに投稿した内容を見て愕然とした。Mからは「週7で義兄のバイト」と聞かされていた日に彼らは旅行に行っていたのだ。思わず「またや」と無意識に言葉が口から漏れた。1年前、Kの帰国後の挨拶問題とまったく同じことが繰り返されたと感じた。僕は瞬間的に自分を見失うほどの怒りが込み上げた。そしてみんなが呆れてものも言えなくなるような醜悪な内容をSNSに投稿した。純粋に死んでほしいと思ったし、自分も死にたくなった。結果、たくさんの人が僕のもとを去った。それは仕方のないことだといまでも思っている。誰だってあんなことを書くような奴と付き合いたくない。それでも継続して僕との付き合いを続けてくれている方々、大丈夫ですか?あなた方のほうが狂っていますよ、だけど心からありがとうと思っています。自転車関連でも、Mの退職後は何人ものお客様から「あの子がおらんねやったらもうええわ」と言われたし、それまで良好な関係だった方々にいつもと同じように挨拶をしても露骨に無視されるようになったり、Mを慕っていた若者からレジ金を盗まれたりもしたけど、この1年で自分なりのやり方を確実につかんだ。何事もゼロをイチにするまでの地道な活動こそが最も大変で、イチがサンになってようやく人々に少しだけ気にかけられるようになり、サンがゴになって多くの方々に認識される。言うまでもなくKや某編集長はゴ以降にMと出会った人たちだ。そんな彼らに僕らがふたりで積み上げた期間を蔑ろにされたような気がして、自分でも愚かだとは思いつつも怒りを抑えることができなかった。でもそれはもう大丈夫。僕はいまもやるべきことを継続してやれている。何度も言うけど、いまでもサポートしてくれるみんなのおかげ。Mはどうだろう。編集長が言ったように僕が彼の足を引っ張ることになったので、どうにも本来の力を発揮していないように思う。ガヤの勝手な意見やけど、これだけは言っておきたい。Mの胸には「チェンソーマン」のデンジみたいにスターターが付いていて、それを引っ張ってやればとんでもない能力を発揮する。だからお楽しみはこれからってことですよ。
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yoghurt-freak · 4 months ago
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#CHACOCHEE プレーン(#チャコチー)
可愛すぎるっっっ🧀
昨日掲載した札幌月寒のヨーグルト専門店CHACOさんのグリークヨーグルト「CHACOの,ヨーグルト」を使用したヨーグルトレアチーズケーキ。
こちらもSMTSでいただいたサンプルをレポさせていただきます😋
原材料の一番目が発酵乳ってのも最高やし、原材料のシンプルさも最高🥰
種別は洋生菓子で、冷凍販売。
ヨーグルト同様に賞味期限は製造から1年。
食べ方
凍ったままでもOK。
冷蔵庫に移して解凍してもOK。
冷凍:さっぱりアイスケーキ 半解凍(冷蔵庫で2時間):しっとり・ひんやり 完全解凍(冷蔵庫で6時間):なめらかで濃厚
と好きな質感で楽しめるみたい。
1ピースからお取り寄せできるんやけど、これはホール買いして3パターン全部楽しみたい!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧ 開封 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
包装から取り出してみると、かんんんわいい♡
まさにねずみちゃんと一緒に描かれてそうなあのチーズのイメージ🧀🐭
今回は半解凍にしてから取り出したんやけど、ちょい表面が崩壊💦
あとあと確認したら、先にお皿に盛り付けてから解凍すればよかったみたい。
うっかりしてた🙏
フォークで切ってみると、外は柔らかく、中はまだ凍っててサクッ!
食感楽しそう🥰
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧ 頂きます🙏 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
おぉぉっ!
思ってた味と違った!
レアチーズケーキの味を想像してたけど、かなり独特な風味。
「CHACOの,ヨーグルト」に閉じ込められてた香りや乳脂肪分の甘みがかなり強めに生かされてる😳✨
これは文句なしに「“ヨーグルト”チーズケーキ」。
お砂糖の甘みよりお乳の味わいが立ってるの最高👏
溶けた部分はくにょんとした濃いめの食べ心地でじんわりこんもり甘い感じ。
凍ってる部分はサクサクしてて爽快。
レモンがたまにふわっと通り過ぎるように香るのが素敵🍋
濃ゆいのにさっぱりさせてくれるから食べてて気持ちいい!
これおかわりしたーい!!!
============================ 栄養成分(100gあたり) エネルギー 234kcal たんぱく質 9.0g 脂質 17.6g 炭水化物 13.6g 食塩相当量 0.3g ※1個は70g前後(向井調べ) ————————————————— 原材料名 発酵乳(北海道製造)、クリームチーズ(生乳、クリーム、食塩)、砂糖、レモン果汁、ゼラチン/安定剤(増粘多糖類) ————————————————— 製造者 エア・ウォーターアグリ&フーズ株式会社 MIKATA事業部 販売者 株式会社 HTS Planning ============================
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kennak · 4 months ago
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伯父夫妻の息子である従兄弟とは、特に仲が良いという訳では無かったが親類が集まった時には 話したりする程度には交流があった。兄は自分より歳が近かったからもう少し付き合いはあったらしい。 従兄弟は中堅以上の私大を卒業後、ある市役所の職員になった。 安定した公務員になれた事を伯父夫妻はよく自慢していた。 しかし運の悪い事に配属された部署の上司が所謂ブラック上司だったらしく 従兄弟はかなりキツいパワハラ・セクハラ・モラハラを受け続けたらしく、精神を病み退職した。 一度だけ兄・父と一緒に様子を見に行った事はあるが、どちらかと言えば生真面目で��っかりした性格だった筈の従兄弟が ここまで生気がなく虚ろな表情を浮かべる人間になってしまったのかと、正直ぞっとしたのを覚えている。 後で聞く所によると、鬱病・適応障害の診断が出ていた様だった。 退職してからの従兄弟は、伯父夫妻曰く「引きこもり」。 しかし実際の所は、週1~2程度は単発バイトをしたり在宅で出来る仕事で少額を稼ぎつつ(伯父夫妻に冷蔵庫の使用禁止を言い渡され、 貯金から小さい冷蔵庫を買って部屋に置いていたらしい)働いていた時の貯金を削りながら生活していたそうだ。 また、たまに学生時代の同級生や、ネットのオフ会等には顔を出していたらしく、完全な引きこもりでは無かった。 だが生憎と伯父夫妻は共に「うつ病なんて甘え」「心の風邪とか言うんなら寝てたら治るんじゃないの?」「怠けている、努力が足りない」 という、年代を考えても心の病や現代社会の挫折にはまるで理解の無い類の人達だった。 父もその点を心配して会った時には色々言ってはいたそうだが、まるで響かず聞く耳を持たない様子だったとか。 また母も伯父妻とはたまに会う程度には交流があったものの、ウチの子はまだ働かず家でサボってばかりで困る…といった 愚痴をよく聞かされていたそうだ。 私も知っている人ではあるので多少は心配していたが、正直「引きこもりの従兄弟(と聞かされていた)」と どう向き合って接して良いか分からず、付き合いが疎遠になった事もあり、特に口を出したり また従兄弟自身と交流を積極的に持とうとした事は無かった。今ではそれを後悔している。 従兄弟が30歳近くになった頃、母が伯父妻経由で「◯◯君(従兄弟)は社会復帰に向けて色々頑張っている」と聞いた。 何でも、今まで従兄弟の引きこもりに困りつつも特に相談らしい相談をしてこなかった伯父夫妻がようやく重い腰を上げ 知人から紹介されたというニート・引きこもりの支援団体に相談し、その団体の人達の協力で適切な支援の元、社会復帰に向けて動いているという。 従兄弟の状況が改善に向かっている(らしい)と知った時は、素直に驚きと喜びがあった。 本格的に社会復帰に成功したら一度顔を出しに行こうかと両親や兄とも話していたが、既に親元を離れ就職し それぞれの生活があったので、実現する事は無かった。 それから一年程して、遂に従兄弟が引きこもりを脱し、伯父家を離れ別の場所で支援団体の人達から紹介された 住み込みの仕事をしながら社会復帰に向かっていると母経由で聞いた。 今どき住み込みの仕事、という点に引っかかりを覚えたが、支援団体がやっているのであれば 引きこもり用の簡単な仕事(作業所の様なイメージ)をやらせているのだろうと解釈した。 当時はまだ、支援団体全般に「あまりお金にならない、人の役に立つ仕事をしている人達なのだろう」というイメージを抱いていた。 人間の善性を素直に信じていたといえる。 それから数ヶ月後、仕事中に実家の母からいきなり連絡がきた。 一体何事かと思ったら、「◯◯君の事で警察から連絡がきた!」と言う。 最初は詐欺?かと思ったけど、父が警察と対応しており、話を聞く限りは本物だという。 警察は従兄弟の身元引受人として連絡をしてきたと。 何故両親に…と思ったが、父はとりあえず従兄弟を迎えに警察に行った。 落ち着いたらまた連絡するから、と母に言われその時は終わった。 翌日、母から連絡があった。従兄弟の身元引受人となり、とりあえず父が自宅(実家)に連れ帰り、話を聞く事にした。 久々に会う従兄弟は以前顔を見た時より随分やつれており、精神的にもかなり不安定に見えたという。 結論から言えば、伯父妻から母が聞いていたという話は殆ど嘘だった。 伯父夫妻が知人から紹介された支援団体に相談に行ったのは本当だが、「適切な支援」なんてのは真っ赤な嘘だった。 従兄弟によると、実際は無理矢理部屋に入って来て威圧されたり怒鳴られながらの長時間の「コミュニケーション」。 それがストレスでバイトを増やして家にいない様にしたら態度が反抗的と見なされ、余計に対応は悪化するばかり。 また、数万円を渡され家を追い出され、当然お金が尽きて路上生活を余儀なくされたり(最終的には警察に保護されて家に戻されたという) 共同生活体験と称して、タコ部屋みたいな所に住まわされ重労働をさせられ、食事もまともに貰えない奴隷の様な「合宿」をさせられたという。 ますます精神状態が悪化した従兄弟は、余計に部屋に引きこもり両親との会話を拒絶する様になり(それまでは最低限の両親との会話はあったらしい) 家から逃げ出そう、しかしお金も無く(僅かな蓄えは従兄弟が「合宿」中にいつの間にか伯父管理になっていたとか…)派遣のバイトすらも 精神状態の悪化で難しくなり、どうにもならなくなった挙げ句に、最終的には生活保護を受給して生活しろと 支援団体の人間の「支援」の元、半ば無理矢理手続きをされ、家から離れた家で「自立」させられる事になったという。 最初は信じられなかった。が、母の「◯◯君が嘘を言っているとも思えない」とも言われた。 話している時の様子や怯えが尋常じゃないと。 また、従兄弟が引きこもりを脱したと聞いた際、(従兄弟と)一緒にお祝いの食事でも、と伯父妻に母が言った時に 結構強めに断れられた事もあり、何故だろうと内心疑問には思っていたそうだ。 生活保護を受けて住まわされたアパートは、従兄弟曰く「野宿生活していた方がまだマシだった」という地獄の環境だったという。 文字通りタコ部屋みたいな狭い部屋に数人の人間と共に押し込まれ(元ホームレス、明らかに認知症の気がある老人、 知的障害がありそうな中年男性、明らかに薬物等をやっていたかの様な形相の中年男性、という面子だったそうだ) 生活保護費は受給者証と共に取り上げられ、ボロボロのアパートには明らかに見合わない家賃や生活管理費用、 高額な食事代(1日2、3000円程取られ、レトルトのカレーやご飯、安い菓子パンにペットボトル1本、といった内容だったという)を 差し引いた金額を渡され、手元に残る自由なお金は残り僅か。 それすらも色々な名目で「罰金」を取られ更に減らされたり、同室の人間に盗まれたり、 それで少しでも不満を言うと支援団体の人間に暴力を振るわれ、更に罰金や食事を減らされたりするという、まさに地獄の様な環境だった。 話を聞いた両親は「刑務所の方がマシなぐらいの酷い生活」だと思ったという。 仲良くしようとも思えない不潔で異常な性質の人達との不潔で不便な共同生活、従兄弟はその中では比較的まともだった為、 最初は何とか生活を改善しようとしたが、それすらも生活を管理する支援団体の目についたらしく、些細な事で怒鳴られ暴力を振るわれ 罰金の名目で金を取られ食事すら満足に取れない日々に、さすがに耐えられなくなったので、手持ちの小銭をかき集め、遂に脱走を決意したらしい。 しかし、このまま自宅に帰っても、支援団体の言われるがままだった両親の元に戻った所でまた連れ返されるだけだと思い どうしたものかと考えた挙げ句、何度か行った事があり、最寄り駅や何となくの住所も分かり、そして何よりも「話をちゃんと聞いて、助けれくれそうな」 親類…つまりウチの両親(従兄弟からすれば叔父夫妻)の事を思い出し、向かう事にしたと。 しかし途中で交通費は無くなって数駅手前で下車。 そこからは歩いて叔父宅(実家)まで向かっていた所、不審者として通報を受けた警察に捕まり、事情聴取の際に 身元引受人として叔父(父)を指定したという。両親に連絡したらまた地獄に戻される!と思い、必死にお願いしたそうだ。 で、警察から叔父(父)に連絡がきて、今に至る…と。 正直、驚いたし怒りも湧いた。 嘘をついた伯父夫妻にもだが、怪しい支援団体にも腹が立った。 何でそんなおかしな、ヤクザや反社みたいな人間がやっている様な団体を頼ってしまったのだと。 話を聞いた両親は、伯父に連絡はしたものの、話を聞いてしまった以上しばらくは返せない、支援団体とは手を切って欲しいと言った所 伯父には激怒され、もう金を支払っているのだから(具体的な金額は知らないが、10万20万じゃきかないと思う)それは困る。 アイツには自立して貰わなければいけない、これ以上面倒なんて見きれないから全部(支援団体の)言う通りにしなければならない、と まるで聞き耳を持たない強行的な態度だったそうだ。 母にも伯父妻から連絡が来たが、同様の態度で全く悪びれた様子も無く、「これでは治るものも治らない」と母は思ったそうだ。 週末に実家に足を運んだ。同様に実家に来た兄と共に、両親と今後の事を話し合った。 伯父にも既に父が連絡をしていたが、結果的に嘘を吐いていた事をロクに謝罪しないばかりか あちら(団体)は勝手に脱走した事を非常に怒っている、早く返さなと信頼関係が無くなる、勝手な事をするな! といった事を繰り返すばかりで、話にならなかったらしい。 家族で話し合い、従兄弟から聞いた話があまりに酷かったのもあり、団体の元に返すのは難しいよね、という話になった。 もちろん伯父家の所にも。彼らが引きこもりやうつ病に理解がある人間で無い事は完全に分かったし、おかしな支援団体に というかぶっちゃけ反社かヤクザみたいな団体の所には返せないという事になった(HPを見る限りはちゃんとした団体に見えたけど)。 やはり、従兄弟が嘘を吐いて逃げようとしているとは思えなかったし、兄が以前聞いた事があるという「貧困ビジネス」の話と 一致する所が多くあり、伯父達は騙されたり付け込まれてしまったんじゃないかと。 伯父は元々思い込みが激しく一度決めたらこう!だと動かない性格だと父も言っていたので、今の状態では家にも ましてや団体が用意したというタコ部屋みたいな所にも戻せないと。 じゃあこれから従兄弟の処遇をどうしたら、という話になった。 従兄弟自身は、お金は後で必ず返すからしばらく漫画喫茶で寝泊まりする、といったのだが 両親はそれでは不便も多いだろうと、当面の間は従兄弟を家に寝泊まりさせる事になった。 これには私・兄も反対しなかった。この決断は後に正解でもあり不正解でもあった事を痛感させられた。 受給者証も取り上げられていたので、最寄りの福祉事務所等にも両親は相談に行っていた様なのだが、 これが仇となったのか、従兄弟が実家で暮らす様になって半月も経たない内に、団体のメンバーという人間が実家に乗り込んできた。 団体メンバーは初手から弁護士と主に来襲し、あなた達の行為は何ら解決にもならない、また従兄弟の意に反し(本当に言った) 従兄弟を家に軟禁する行為(これも本当に言った)は誘拐罪に当たると。 とりあえず従兄弟さんを引き取らせろ、それからは弁護士を通して話し合ってくれ、といって強引に連れ帰ろうとしたので、 文字通り押し問答になったという。団体職員を名乗った人間も弁護士も、外見は普通で口調も乱暴では無かったものの 言ってる事やってる事は完全にヤ◯ザかチンピラのそれだったと。どう考えてもまともな輩では無いと、両親は言っていた。 それは、その対応で疲弊した両親の代わりにこちら側の弁護士同席で対応した私・兄も同意見だった。 しかし調べる限り団体の人達に反社の陰は無く、公的な機関や他の支援団体などとも関わりがある様な「ちゃんとした」団体であり 表面上は「まともな人達」「弱者支援をしている正しい人達」だった為、それだけに人を人とも思わない様な彼ら・彼女らの言動が余計不気味に思えた。 団体側の意見は、自分達のやっている事は全て正しく(従兄弟の様な)弱者を助ける為にやっている事であり、 そんな我々を信用せずに悪質な団体だと思い込むあなた達はどう考えてもまともじゃない、おかしいとまで言われた。 あまりにも「自分達が正しくあなた達(一家)が異常である」という様な事を言うので、逆に自分達の常識がおかしいんじゃないかとすら疑った。 団体とは揉めに揉めて、弁護士も挟み何とか受給者証の返却には応じてくれたものの、管理名目で取り上げられていた 従兄弟の私物の大半は返って来ず(従兄弟も「もうあの人達とは一切関わりたく無い」と泣き寝入り)、これでやっと終わるかと思いきや 今度は私達がターゲットとなり、謎の嫌がらせが始まった。 どこで調べたのか、父の勤務先や母の仕事先に「(父は)長年不正を働いている」「立場を利用して便宜を図っているらしい」 「(母は)職場から少額の横領を繰り返している」「顧客として利用したが(母に)悪口を言われた」等の 嫌がらせ電話がどこからともなくかかってきた。もちろん根も葉も無い事実で、完全に嫌がらせだった。 さすがに皆が真に受けた訳では無いだろうが、嫌がらせをされる様なトラブルを抱えた人間と積極的に関わりたがる人間はいない。 父は定年後も嘱託職員として務める予定だったが、変な噂が立って居辛くなったと、定年まで数ヶ月を残して早期退職。 母も神経を病んでしまい、長年勤めていた仕事を辞める羽目になってしまった。 当時勤務していた職場にも、嫌がらせ電話やメールがきた。 内容を確認した上司によると「(私が)職務上の立場を利用して不正を働いている」「意図的に顧客の情報を漏らしている」 という旨の密告の電話・メールがあったという。当然強く否定した。そんな事をする訳が無いと。 しかし、信用を大事にする業種・職務・職場だった事もあり、結局私はそれまでの業務を取り上げられ、畑違いの別部署に異動が決定した。 その頃にはどこで漏れたか噂も出回っていた様で、疑念半分、でも皆大人だから直接口に出して疑いはしない、でも強く疑われているという空気は感じる。 そんな空気圧に耐えられなくなり、あっという間に神経を病んで仕事を続けられなくなってしまった。 兄の方にも嫌がらせの電話やメールはきていたらしい。 しかし、ITの特定派遣の正社員というやや特殊な仕事、「正社員だけど派遣、派遣だけど自社(と呼ばれる会社)には所属しているので正社員」という立場だった事もあり 「(自社の業務に)関わった事も無い、そもそも開発業務なんて殆どやっていないだろうに、どうやって業務の秘密事項を漏らすんですか?」 「退職しても良いけど、今の派遣先にはチームとして来ているので、TLの自分が辞めたら契約切られますよ?」と強めに主張して、仕事を辞める事にはならなかったらしい。 しかし後になってから兄は「嫌がらせされているという事実や、(自社の上層部に)変な目で見られる様になったのは辛かった」と零していた。 全て、従兄弟を追い詰めた、あの支援団体と揉めた後に起こった事だった。 当然支援団体を疑ったが、明確な証拠も無く、団体に直接問い合わせもしたが、無視か 「そんな事は知らない」「変な事を言いふらす様なら名誉毀損で訴える」と居直られた。 警察にも相談したが、そもそも犯人が誰だか分からないし、私達が主張する例の団体が犯人という証拠や根拠も無い、 よって捜査をするのは難しいし、噂を真に受けて被害を被ったのであればともかく、最終的には「自分で仕事を辞めたんでしょ?」と、 それを「被害」と認定するのは難しいとも言われた。 「不満があるのであればお互い話し合って…」と、被害届けすら受け付けて貰えなかった。 弁護士にも相談したが、仮に嫌がらせの電話が事実でも犯人を特定し団体の関与を認定する事すら難しいと言われ、徒労に終わった。 私達一家は、謎の嫌がらせ犯人に多大な被害を受けながらも、泣き寝入りするしか無かった。 結果的に、従兄弟を助けた事で私達一家の生活は滅茶苦茶になった。 伯父と揉めに揉めて絶縁状態になった事もあり、また地元にも変な噂が出回ってしまった事もあり、両親は長年住み慣れた土地を追われる様に離れ 慣れない土地で慣れない仕事をする生活を送る羽目になった。 定年後は、父は嘱託職員でゆるく働きながら、二人でゆったりとした老後を過ごしたいと言っていたが、 今は慣れない土地で慣れない仕事に追われ、二人とも年齢以上に老けて見えるのが悲しい。 自分は仕事を続けられなくなり、適応障害と診断され、当時交際していた相手とも関係が破綻してしまった。 今は何とか別の会社に再就職したものの、人生プランはかなり狂ってしまったし、今の仕事で嫌な事があったり 年収を計算する度に「前の会社にいたらこんな事には…」と思ってしまう。この後悔は一生消えないだろう。
引きこもりの従兄弟を助けたら生活が崩壊した
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rcrdjn · 4 months ago
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7月水曜日
少し前からメンタルヘルスの調子が酷く悪かった。何も考えられない。何もできない。1週間近くベッドの上にただ横たわってスマートフォンを見続けた。具合が悪いと、SNSを眺め、電子コミックを読み続けることしかできない。何も求めない時間。
悲しいほどの時間の浪費。
色々としたいことはあるけれど、何にも興味が持てなかった。時間が過ぎていくことを待つしかできない。いや、待ってもいない。ただそこに「ある」ことしかできない。
仕事は休んだ。行けなかった。ご飯も大して食べなかった。食べ物を獲得する気力が湧かなかった。家にあったバナナを食べ、カップ麺を食べ。少しあったお菓子を食べた。それでおしまい。
動かず、食べもしなければ、気力が無くなっていくことは明らかだ。しかし、分かっていても気持ちが向かない。
精神的な具合が悪い時は、やる気や意志を能動的に獲得することが難しい。本当にそこにあることしかできない。面倒だけどやるしかない。だから行動する、というのはわたしの精神状態が悪くない時にできること。選択肢として具合が悪い時は持ち得ないのだ。
朝、会社に欠勤の連絡を入れ、また眠った。夢を見た。現実には存在しない、夢の中の親しい友人の父親が妊娠し、臨月を迎え、いつ子供が産まれてもおかしくないという状況だった。なぜかわたしは彼に寄り添い、混沌とした周囲の状況から彼を守っていた。不意に自分の足を見ると、よく日に焼けていてゾッとした。なるべく肌を焼かないようにしていたのに、なんで。でも仕方がないか、と無理やり思い込もうとした時点で目が覚めた。
男性も妊娠する世界は現実ではない、ということに驚き、そして少し打ちのめされた。望む人が望む通りに生殖行為を行えないのが現実だ。
熱中症になることが怖くて、豆腐とか果物を食べて水分を取る。電子書籍の漫画を読み、役所に確認したいことがあったので、電話をかけた。4回かけたが、話し中で自動的に電話は切られた。少し時間をあけてかけ直したら繋がった。担当者が確認作業をしているとき、スマートフォンのスピーカーから保留音が流れる。
何年も前にAppleのカスタマーセンターへ電話をかけた時に、しばらく話した後担当者が少々お待ちください、と保留音を流した。そしてその音楽はポップスだった。今まで聞いたことのないタイプの保留音に驚いた。日本では大概クラシック調の音楽が流れることが多い、というかそれしか聴いたことが無かった。こんなささいなところにまで、わたしたちの文化や規範の違いは現れる。
保留音でさえ、規範がある。社会とは規範の塊だ。和を乱さないって、つまりは規範から逸脱しないということ。じゃあその規範の見直しはしなくていいの?時間は流れ、時代が形成され、どうしたって人は変わっていくのに、規範だけ取り残されて、それに従う人もまたその時点に留まり続けることになる。それって変わることが面倒だからだよね。変化を起こしたり、その変化に合わせていくことはとても疲れることだから。でもその規範で苦しむ人がいるよ?それなら変えてしまう以外の選択肢はないんじゃない?
会社員になってから、規範が一つの生活のテーマのようだ。知人が会社には規範しかない、と言っていて同意だった。業務内容も、人間関係も規範に従わなければ、面倒でおかしな人間だというラベリングがなされる。でもその守っている規範のどれほどが、本当に業務を円滑に行う上で必要なんだろう。
クラシック調の保留音を聴いている途中、メンタルヘルスの調子が突然良くなったことに気がついた。思考がクリアになる。わたしはわたしの望むことができる。
ご飯を食べよう。1週間分の固まった体をほぐすために散歩をしよう。何とかなるさ。大丈夫。
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