#燃ゆる女の肖像
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燃ゆる女の肖像 Portrait of a Lady on Fire
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貴夫人から娘・エロイーズの見合いのための肖像画を依頼された画家・マリアンヌ。結婚を嫌がるエロイーズに近づきひそかに肖像画を完成させるが、絵の出来栄えを批判されてしまう。描き直すマリアンヌに、エロイーズは意外にもモデルになると申し出るが…。
焚火をしているときのマリアンヌがエロイーズを見つめるシーン、彼女がいまから死にに行くのをただ眺めているような気分になって涙が出た。遺体に火がつけられる瞬間みたいだった。フェミニズム作品ではよく、望まない結婚はヒロインの死を使って表現される。『燃ゆる女の肖像』でも、エロイーズは幽霊のような不気味な花嫁衣装で現れる。別れのシーンでマリアンヌが逃げるように去っていったのにはひどいと思ったけれど、死体の彼女を見ることはマリアンヌには耐えられなかったんだろうなあ。
燃ゆる女は、死に向かっていくエロイーズの姿を描いていると理解していいのかな…。また、エロイーズの「いつも怒っています」ということばからも、女性の怒りを表象するものとして火が出てきたのかなと思った。夢のような二人だけの時間はあっという間に過ぎ去って、彼女が火葬されるのをただ見ているだけしかできない。マリアンヌの視点で描かれてはいるけど、この作品の主人公はエロイーズだと思う。ソフィの堕胎シーンでマリアンヌが目をそらすことを許されなかったように、彼女は「見る」側だ。マリアンヌは私たちと同じ視聴者で、ただ家父長制に組み込まれていくエロイーズを、目をそらさず見なくてはならない。最後のオーケストラの観覧シーンでエロイーズが涙を流しているのを見たとき、マリアンヌは罪悪感を覚えただろう。彼女に、二度と声をかけてはならないと思っただろう。視聴者もマリアンヌも傍観者で、エロイーズはただ哀れな一人の女性として見世物にされただけだった。
二人の蜜月期が終わるころ、マリアンヌがエロイーズの瞳を見て「あなたの目…」とつぶやくシーンが印象に残っている。ベッドの上で暖炉の火だけが輝き、暗闇の中でエロイーズの目は真っ黒だった。最初に出会ったときのエロイーズの目は、明るい浜辺で観ていたので透き通るような淡いブルーだった。マリアンヌはネガティブな意味で言ったのではないだろうけど、やけにこのシーンが胸に残った。
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by zenshinyokodabe: #別冊yokodabe YOKODABE編集部による映画紹介。 6月は #プライド月間 🏳️🌈ということで、おすすめ映画から #セリーヌシアマ 監督の『#燃ゆる女の肖像』を紹介! 本人にバレぬよう肖像画を描いてくれと頼まれたマリアンヌであったが、次第にエロイーズに惹かれていき……。 まなざしが語る2人の関係性を、セリーヌ・シアマ監督が丁寧に描いていく。性的に消費されがちな女性同士の性愛を再構築し取り戻すかのよう。 #movie #film #映画紹介 #映画 #illustration #painting #art #illust #drawing #イラスト #映画イラストレビュー #映画イラスト #movieillustration #portraitofaladyonfire #portraitdelajeunefilleenfeu #CélineSciamma #AdèleHaenel #NoémieMerlant #アデルエネル #ノエミメルラン #queerpride #festivaldecannes #lgbtpride
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(短評)映画『燃ゆる女の肖像』
(引用元)
『燃ゆる女の肖像』(2019年、フランス、原題:Portrait de la jeune fille en feu、英題:Portrait of a Lady on Fire)
望まぬ結婚を控えた女と彼女の肖像画を描くことになった女性画家、次第に惹かれ合い関係を深めていく2人の女性を描い��ラブロマンス🎨
どの立場の女性からも、男性に所有される立場である女性たちのやり切れなさが滲み出ており、単なる恋愛映画として終わらせない細やかな映画‼️
ちょっとした表情や佇まい、視線などから人物の変化を丁寧に紡ぎ出している点が見事👍
また説明的な台詞はほぼ廃して、映像で見せる周辺情報から心情や状況を説明する映画的な語り口が無駄なく綺麗にまとまっているなと感じました👌
メインキャラは少ないし限定的な場所で進む物語なのに深みがある‼️
エロイーズの母親が出かけている間に女性3人が伸び伸びと過ごしたり、連帯する様子が伝わる場面は非常に良かったです‼️身分に関係なく女性として支配され抑圧されている彼女たちが、立場を超えて支え合い共感し合うことの尊さが伝わりました😌
そしてあの母親も女として苦しんだ人なんですよね😔
#映画#映画レビュー#movie#movie review#フランス映画#french movie#セリーヌ・シアマ#celine sciamma#ノエミ・メルラン#noemie merlant#アデル・エネル#adele haenel#ルアナ・バイラミ#luana bajrami#バレリア・ゴリノ#valeria golino
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#393: Portrait of a Lady on Fire (2019)
"Portrait of a Lady on Fire" is a French romance film set in the eighteenth century. It illustrates the love story of an aristocratic woman and a female painter commissioned to paint her portrait.
I liked how their facial expressions gradually changed as they gradually loved each other more and more. Moreover, the visuals were stunning throughout the film. The movie is a must-see for those who are into drama films.
(Japanese title: “燃ゆる女の肖像”) (9 out of 10)
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このところ、東京は25度を越す日が続いています。来週も月曜日を除いて、ずっと夏日の予報。でも、日差しを避けて木陰に入ると涼しい風が吹き抜けていてベンチで気持ちよさそうにお昼寝している人を見かけたりします。メダカたちの食欲も旺盛で、元気に追いかけっこをしている姿が可愛いです。
今週の夏学期の初回クラスでも参加者の方々の明るい光と再会することができました。サイキックアートクラスでは絵の腕を上げた方、アウェアネスクラスではオールレベルからマスタークラスへ進級した方、リーディングの正確性が上がった方など、皆さんそれぞれ霊性開花の道を着実に進んでいらっしゃいます。(上の写真はサイキックアートクラスから)
今週見かけた肖像画に関するニュースをご紹介します。まずは、イギリスから。数多くの画集も出版している人気肖像画家のジョナサン・ヨーによるチャールズ国王の公式肖像画が公開され、その真っ赤な絵のように大炎上しています。プロジェクトが始まった時にはまだプリンス・オブ・ウェールズだったチャールズ国王の右肩に1匹の蝶々が止まる様子が描かれていますが、このアイデアを出したのは国王本人だということです。蝶は変化と再生のシンボルとされていますから、国を背負ってその役割を担おうとする覚悟なのでしょうか。批判が多いと報道されている赤い色からは、燃えたぎるような情熱が感じられます。
ヨー氏の画集を見てみると、画法としてグリッドを多用しているのがわかります。被写体の写真と紙の上に同一のグリッドを引き、一つずつマス目を模写していく方法です。比率を意識しながら被写体の細部を意識して写し取るので、緻密で正確な絵を描くことができます。グリッドを引くとデッサンの練習にならない、という意見もありますが、昔からアーティストたちは長い筆や測り棒を持った手を伸ばして片目をつぶりながらモデルのプロポーションを測ったり、デッサンスケールというグリッドがついた小窓を利用したりして、石膏像の大きさ、長さなどの比率を測っていました。
今学期のサイキックアートクラスでも石膏デッサンに挑戦していただきます。デッサンは情報をインプットしたものをアウトプットしながら、徐々にその精度を高め、誤差をなくしていく訓練です。それは、ミディアムシップを習得していくのと同じプロセスだと思います。今学期のクラスでも楽しみながら、その人にしか描けない唯一無二の素敵な絵を描いていただきたいです。
お次のニュースはオーストラリアから。
オーストラリアで最も成功している実業家ジーナ・ラインハート氏がアボリジニのアーティスト、ビンセント・ナマジラが描いた自分の肖像画の撤去を求めたというニュースで、オーストラリア国立美術館は彼女の申し出を拒否しているそうです。記事にある写真を見ると、他にもチャールズ国王やエリザベス2世の肖像画が並んでいて、どれも同じようにデフォルメされたユーモラスな姿で描かれています。どうやらナマジラ氏は風刺に溢れた作風で知られるアーティストのようです。彼はオーストラリアでアボリジニとして初めて市民権を得た有名なアーティスト、アルバート・ナマジラのひ孫です。
他にも自分の肖像画を認めなかったことで有名なのが、イギリスの元首相ウィンストン・チャーチルです。肖像画家グラハム・サザーランドによる80歳の誕生日プレゼントとして贈られた作品に不満を持った彼は、公表後に自宅の地下室にその絵を置き去りにし、二度と見ようとしなかったそうです。そして、完成の一年後に肖像画は燃やされてしまいます。
もしかすると名声や財産を得た結果として贈られる自画像には自分が一番認めたくない、真実の姿が映し出されているのかもしれません。
明日は久々にサンデーサービスを澤輪ミディアムと開催いたします。サイキック���アートもやる予定です。また、木曜日はドロップイン・ナイトを開催いたします。お時間のある方はぜひお立ち寄りください。皆さまのご参加をお待ちしています!どちらも参加方法はこのブログの下↓にあります。
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夏学期クラスはサイトとショップからお申し込みいただけます。(アイイスのサイトでも告知されています)
春学期に蒔いた霊性開花という名の種を、眩しい太陽と清らかな水、豊かな土壌、そして爽やかな夏の風のエネルギーを享受しながら、共に大切に育んでゆきませんか?皆さまのご参加をお待ちしています!
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サンデー・サービス(日曜 12:30〜14:00)詳細はこちらから。
5月19日 担当ミディアム:澤輪・森
6月30日 担当ミディアム:ゲスト・森
ご参加は無料ですが、一口500円からの寄付金をお願いしています。
当日は以下のリンクよりご参加ください。
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ドロップイン・ナイト 木曜日 19:00〜20:00
5月23日(木)指導霊(スピリット・ガイド)のサイキックアート
詳細とお申し込みはこちらからどうぞ。
過去の開催の様子はこちらからご覧ください。
#Youtube#awareness#unfoldment#spiritualism#spirituality#lightworker#mediumship#spirit communication#spiritual growth#霊性開花#ミディアムシップ#ミディアム#サイキックアート#psychic art#spirit portrait
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【My Favorite Movies of 2023】
*今年も「3年ルールで2021年以降公開を新作とカウント」します。
✴︎ ぼくたちの哲学教室 Young Plato
哲学、思考、対話、筋トレ、喧嘩、アイルランドお馴染み(と、よくネタにされる)親族喧嘩、時々エルヴィス。生徒にはミニ・ウェイン・ルーニー(またはギャラガー兄弟)みたいな子がいっぱいいて、何度ももらい泣きしてしまった。哲学は黄色いレンガ道。みんなの心にグレイスランドを!私はケヴィン・マカリーヴィー校長にアボカドの食べ方を教わった。
✴︎ マルセル 靴をはいた小さな貝 Marcel the Shell with Shoes On
可愛らしくていじらしいサヴァイバル・ライフ。小さき淋しきものたちの歌。まさに、「パーティで自分だけ別の部屋に行って休むとき、大勢がいる気配で安心できる」 その感覚だった。いやあ、あんな可愛いゲロは他にないし、目の淵(貝殻の淵)に溜まる涙もすごいし、キーボードの上にいるおばあちゃんzzzzzzzzzzzzz……って入力しちゃってるのが堪らなかった。おばあちゃんの弱り方がまた他にないくらいリアルで切ない…貝なのに!
✴︎ スザンヌ、16歳 16 Printemps/Seize Printemps/Spring Blossom
フランスでまた少女の通過儀礼映画か…とありきたりなものを思わせるけど、ちょくちょく笑わせもして意外と面白かった。監督脚本主演スザンヌ・ランドン(あのヴァンサン・ランドンの娘!)は、エンディング曲といい80年代の『ラ・ブーム』や『なまいきシャルロット』を意識してるはずで、でもシレッとその路線を裏切りもする。スザンヌがとにかく真面目な子なのが良いの。内緒で一人で冒険に出かけても、毎回必ず親(特にパパ)の所に帰ってくる。スタンダードにとても���直でしかも短い、好ましい映画だった。
✴︎ ファイブ・デビルズ Les cinq diables/The Five Devils
タイムリープSFと呪われたお伽噺、オカルトホラーがぐちゃぐちゃに混在した、クィアなメロドラマ。これも「燃ゆる女」だ。暗示的モチーフが散りばめられ、徐々にピースがハマってゾクゾクする面白さ。どこかディヴィッド・リンチに近いロマンティックでキャンプなテイストが好みだった。アデル・エグザルコプロスの心ここに在らずなぼんやり不機嫌顔!
✴︎ Fair Play/フェアプレー Fair Play
久々に観た、「これが済んだら結婚するんだ」フラグ!一種のスクリューボール・コメディで、スポーツ観戦型ゾンビ映画…?権力構図で言えば『TAR/ター』より巧く出来ていて面白かった。
✴︎ 秘密の森の、その向こう Petite maman
冒頭の場面でおおっ!と掴まれた。二人羽織みたいに1人が2人、2人で1人の動き。既に時間も人も境目なく入れ替わっている。演じること、瞬きや映画の編集がそうであるように。『燃ゆる女の肖像』が大作だとしたら小作なんだけど、この短さにマジカルなオリジナリティがギュッと凝縮してた。
✴︎ マッシブ・タレント The Unbearable Weight of Massive Talent
俳優とは操られた夢遊病者かウザいほどピュアな情熱か、『カリガリ博士』か『パディントン2』か或いはデュプラス兄弟案件か、それが問題だ。ニコラス・ケイジの常に全力演技は真剣と書いてガチと読む。そして『パディントン2』はガ チ で 傑 作 !人はガチに触れると笑い、呆れ、やがて泣くのだ。
✴︎ デュアル Dual
ライリー・スターンズは『恐怖のセンセイ』もこれも感情と動きを切り離して暴力を戯画化、形骸化する。決闘もダンスも「型」が大事で型ありき、でも型だけ見ると滑稽。1人が2人に2人が1人に、すべてシステマティックに淡々と粛々と展開して、残るのはただシンプルに寂しさだ。あのエンドロールに詰まった寂しさよ。
✴︎ PIG ピッグ
音楽はメロディ、ハーモニー、リズム。料理は味覚、嗅覚、記憶。豚を捜す旅は森を出て暗い地下へ潜って嗅ぎ回り、自分の過去を掘り起こしていくトリュフ狩り。エモーショナルな演出を極力省略したコンパクトな作りと、たっぷりある余白を満たすニコラス・ケイジの演技。ジャンルはスリラーでなく、各章にメニュウを冠したコース仕立ての料理映画だった。ガチで孤高の料理人が本気出したおもてなしは『バベットの晩餐会』に近いものがある。
✴︎ オオカミの家 La casa lobo/The Wolf House
普段さほど映画館に行かない友達2人がハマったという、恐るべし話題作。観てると催眠効果あるし、製作撮影工程を思うと想像力が追いつかなくて頭がクラクラする。どろろーんと常に移ろっていくからすべてが儚いの。儚くて底なしの悪夢。後ろや横からザワザワ聞こえてくる音響が凄かった。
✴︎ Never Goin' Back ネバー・ゴーイン・バック
朝目覚めて何度も夢を見る女子コンビ。海に行きたいだけなのに…不条理に抜け出せない日常はまるで「不思議の国のアリス」の世界だ。でももう現実には戻らない。彼女たち以外の方がよほどメチャクチャでクレイジーで理不尽なのだから、この不思議の国では。
【他にも良かった新作】
ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン
オマージュ
ウーマン・トーキング 私たちの選択
ロスト・キング 500年越しの運命
アプローズ、アプローズ! 囚人たちの大舞台
シャドウ・イン・クラウド
ブラック・フォン
バーバリアン
グリーン・ナイト
彼女のいない部屋
BODIES BODIES BODIES/ボディーズ・ボディーズ・ボディーズ
不都合な理想の夫婦
X エックス
聖なる証
ニュー・オリンポスで
セイント・フランシス
1640日の家族
【旧作マイベスト】
☆音のない世界で(1992)
☆素顔の私を見つめて…(2004)
☆愛しのタチアナ(1994)
☆しとやかな獣(1962)
☆WEEKEND ウィークエンド(2011)
(ハル)(1996)
真夜中のピアニスト(2005)
メイフィールドの怪人たち(1989)
パラダイスの夕暮れ(1986)
レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ(1989)
真夜中の虹(1988)
狂気の愛(1985)
デッド・カーム/戦慄の航海(1988)
暗殺の森(1970)
小公女(2017)
つぐみ(1990)*再見
同級生(1998)
きみがぼくを見つけた日(2009)*再見
アフリカン・ウエディング(2013)
アフター・アワーズ(1985)
血まみれギャングママ(1970)
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陽が差していてもずっとどこか薄暗い膜が張っているような映画。フランス映画っぽい。「燃ゆる女の肖像」を見た時の雰囲気と同じような感じ。狂気かと思ったら、めちゃくちゃ純粋な愛だった。
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最近鑑賞したもの
▼ICC アニュアル 2023 ものごとのかたち
《Five Years Old Memories》
仕掛け絵本のようなアニメーション作品。仕掛けを解いていくのもおもしろいし、かわいいし、少し懐かしい感じもして好きだった。作者が友人たちにしたインタビューを元に作られているのだけど、その会話の感じも良かった。
《Our Muse》
立体音響によるサウンドインスタレーション。無音の暗闇の中で鑑賞するのだけど、立体音響の技術がすごすぎて怖かった…暗闇で、ずっと首の後ろあたりに足音とかいろんな音が聴こえてきて…途中でほんとに心拍数があがって不安になった。なかなかできない体験ができて良かった。
あと前から気になっていたTERRADA ART COMPLEXも行けて良かった。銀劇のついでに…
▼映画
・燃ゆる女の肖像
思っていたよりも女性の性が生々しく描かれていてちょっと苦手な部分もあったけど(性描写というか、生理・妊娠とかそのあたりが少し苦手)、舞台設定とか全体的な雰囲気が好きだった。女3人が屋敷の台所で、ワイン飲みながら料理したりその横で刺繍したりして過ごしてるシーンが特に好きだった。ラストも良かったな。
・さかなの子
とても好きな作品だった。人と違っても良いし、自分らしく楽しく生きられるんだ、という勇気をもらった。上手く言えないけどほんとに勇気をもらった。好きなシーン山ほどあるけど、不良といっしょにイカとって食べてたところが特に好きかも。みー坊が寿司屋の壁に絵を描いてるシーンもぐっときた。
こういう鑑賞したものとその感想メモを日記に書きたかったんでした。
▼これは駅で見て好き!となった作品
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映画『君の名前で僕を呼んで』
Amazon Primeで映画『君の名前で僕を呼んで』(2017)を見ました。
いかにもな題名で、きっと日本の配給会社がテキトーにつけたタイトルなんだろうと思っていたら、さにあらずーー原題もCall me by your nameでした。
ジェームズ・アイヴォリーの監督作品だと思っていたら、アイヴォリーは脚本だけで、監督はイタリアのルカ・グァダニーノ。
北イタリアの別荘で両親と一緒に休暇を過ごす17歳の少年エリオと、考古学の教授であるエリオの父親に別荘に招かれた24歳(映画の中で年齢は明言されていなかったように思いますが、ネット情報ではそうなっています)の大学院生オリヴァーのひと夏の恋の物語です。
私は同性愛を描いた作品は決して嫌いではありません。アン・リー監督、ヒース・レジャー、ジェイク・ギレンホール出演の『ブロークバックマウンテン』(2005)は名作中の名作だと思いましたし、ジェームズ・アイヴォリー監督の『モーリス』(1987)も好きでした。
同性愛者であることをカミングアウトしているグザヴィエ・ドラン監督の『胸騒ぎの恋人』(2010)、『トム・アット・ザ・ファーム』(2013)、『たかが世界の終わり』(2016)、『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』(2018)も見ています。
レズビアン映画ならアブデラティフ・ケシシュ監督の『アデル〜ブルーは熱い色』(2013)は傑作だと思いましたし、セリーヌ・シアマ監督の『燃ゆる女の肖像』(2019)、『水の中のつぼみ』(2007)だって決して悪くはありません。
こうした映画の特徴は異性愛者にも共感を抱かせるところーーつまり「同性愛といっても決して特殊なもの、自分とは関係のないものではない。異性愛であれ同性愛であれ、人を愛するという点では全く同じなのだ」と観客に思わせるところです。
でも、『君の名前で僕を呼んで』は1ミリも共感できませんた。
同性愛を描いた映画だからではありません。主人公の少年エリオの生活環境が私のそれと違いすぎるからです。
エリオの父親は大学教授で、北イタリアの田舎の村に「邸宅」と呼びたくなるような立派な別荘を持っています。私も一応大学教授ですが、別荘などというものは一度も持ったことがありません。
またエリオの両親やエリオは語学に堪能で、英語とイタリア語とフランス語を自在に操ります。エリオの母親に至ってはドイツ語もできるようですし、エリオはピアノとギターが上手です。
こんな絵に描いたようなインテリ家族、ほんとにいるんでしょうか。いや、いるのかもしれませんが共感はできねえな。
大学院生のオリヴァーは、bon vivantという言い方がいいのかな、生きるのがうまい人間で、物怖じせず人当たりがよく、エリオたちの別荘近くの村のバーで現地の人間とたちまち仲良くなってトランプに興じたり、通りで音楽に合わせて踊っているカップルとすぐに仲良くなって一緒に踊ったりします。
あれなら、生きるのは楽だろうなーー生きるのが下手で人生を楽しめない(と自分では思っています)ワタシは少し(いや「とても」かな)羨ましく思いました。
もっともそれはそう見えるだけで現実は違うのかもしれません。オリヴァーは同性愛者であり、同性愛者であることを隠して生きているからです。
オリヴァーとエリオは最初はお互い「なんだこいつ」と思っている節もありますが、やがて惹かれ合い肉体関係を持つようになります。「君の名前で僕を呼んで」というのは行為の最中にオリヴァーがエリオに言う言葉です。
オリヴァーはエリオをオリヴァーと呼び、エリオはオリヴァーをエリオと呼ぶ、そうすることによって相手を自分の中に取り込む、相手になり変わって自分を愛するというようなことなんですかね。
二人はこうして激しい恋に落ちますが、休暇が終わるとオリヴァーは帰らねばなりません。そうなると恋は終わりです。避暑地の恋というやつですね。
オリヴァーは帰りにミラノだかベルガモだかに寄って研究資料をどうこうするというのにエリオは同行して、最後の数日を共に過ごします。夢のような時間が過ぎると、オリヴァーは列車で去っていきます。
全身の力が抜けてしまったエリオは家に電話をして母親に車で迎えにきてもらいます。帰宅したエリオに父親が語りかけます。どうやら父親はエリオとオリヴァーの関係に気づいていたようです。でも、父親は一切咎めません。それどころか恋の喜びと苦しみにしっかり向き合うよう息子を諭します。父親自身も若い頃似たような体験があった、でも一歩を踏み出すことができなかったからです。
いい父親だし、いいシーンなのだろうと思います。でも、このシーンも全く共感できません。
私は父親といい関係を築いていたと思っています。でも、父親と恋の話をしたことはありません。
私はまた息子といい関係を築けていると思っています。でも、息子と恋の話をしたことはありません。
だからエリオの父親がエリオに何を言っても、どんなにいいセリフを言っても心に響きません。
「要するにお前は父親と、あるいは息子とそういう話をするのが照れくさいだけだろ」、「そういうのは実に日本人的な感性だ」と言われれば、その通りかもしれないと思います。でも、そうなんだから仕方ありません。
エピローグは冬、別荘の周りには雪が積もっています。エリオと両親はクリスマス休暇を過ごすためでしょうか、また別荘に来ています
そこにアメリカのオリヴァーから電話がかかってきます。オリヴァーは翌春に結婚するとのことーーエリオの両親は「おめでとう」と喜びますが、無論エリオは複雑です。
電話を切り、目に涙を溜めながらじっと暖炉の火を眺めるエリオとその背後でクリスマスのご馳走をテーブルに並べている母親と家政婦の姿が映るところにスタッフ・キャストの名前が重なりおしまい(ここはかなり長いシーンです。セリフもなくただ表情だけでエリオの気持ちを表現するのは大変だったでしょうが、言い方を変えれば役者の腕の見せ所です)。
最後の最後で少しだけ共感できたーーでも、そこまでは結局1ミリも共感できなかったーー私にとって『君の名前で僕を呼んで』はそういう映画でした。
グァダニーノ監督は続編の計画があり、リチャード・リンクレーター監督、イーサン・ホーク、ジュリー・デルビー主演の映画『ビフォア・サンライズーー恋人までの距離』(1995)、『ビフォア・サンセット』(2004)、『ビフォア・ミッドナイト』(2013)のようにエリオとオリヴァーのその後を描きたいと言っているようです。
そうなれば少しは共感できるようになるのかな。
追記1: 私はもちろん「共感」がいい作品の条件だとは必ずしも思っていません。共感できる/できないは観客一人一人の人生や感性にかかわってくるものであり、作り手には予想できないことだからです。 一応念のために申し添えておきます。
追記2: 文章の中では「クリスマス」と書きましたが、エリオも両親もオリヴァーもユダヤ系なので、クリスマスを祝う習慣はありません。エリオ一家が祝っているのは過越の祭り(ハガダー)です。 彼らがユダヤ人だということはストーリーの上で何か意味があるんでしょうか。そのあたりのことは私にはよくわかりません。
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セリーヌ・シアマ監督『燃ゆる女の肖像』
“そのひとの眼差しを、唇を、微笑みを、そして別れの瞬間の姿を思い出すだけで、息が止まるほど愛おしく切なく、蘇る情熱が命を満たす。そんな鮮烈な恋の、決して消えることのない燃ゆる炎を描く、忘れ得ぬ愛の物語。”
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Tár
dir. Todd Fields
2023年1月14日 Curzon Mayfair
トッド��フィールドの16年ぶりの新作。USの主要オーケストラで指揮経験を積み、女性としてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(劇中ではドレスデン管弦楽団が出演)の��席常任指揮者を勤め、作曲家としてもEGOT獲得者(この辺USにおける巨匠のイメージが強すぎるが)である、西洋クラシック音楽の世界で現代の最高峰と称されるリディア・ターの人生が転換する様をじっくりと描く。
カラヤン、バーンスタイン、アバド、レヴァインといった、20Cのクラシック音楽界のマエストロというかレコードレーベル(この作品のサントラがドイチェ・グラモフォンから出ているのは笑いどころか)の「スタア」のアマルガメーション、もしくはカリカチュアのような人物がもし女性で同性愛者だったら、という設定をケイト・ブランシェットというこれも現代のマスター(ミストレス)と言える俳優はどう演じるか、という作品といっても過言ではない。作中の重要プロジェクト、マーラーの交響曲第5番のジャケット写真を往年の名盤からパクったり、ジュリアードでのマスタークラスのシーンにおける今時のアイデンティティ・ポリティックスに対する嘲笑的態度は大変に分かりやすすぎるくらいに分かりやすい戯画である。しかし、このシーンにおける「今時における左派的意識高さ」の提示とそれに対するリディアの態度は伏線にするにしてもちょっと薄っぺらい。そこから自らが主催する若手女性指揮者助成プログラムやオーケストラにおける人事で我儘とえこひいき、性的な搾取の匂わせが淡々と描かれていく。指揮者としての陰険な態度の面白さに比較すると、アトリエでピアノに向かって苦悶する作曲家としての描写は、さすがのブランシェットの演技力をもってしても難しいのかという印象(これは作家ものが難しいのと同じ)。全編を通して作り自体は大変に堅実でだれることはないが、あのオチはアジア人としてはかなり微妙な気分になってしまった。全体的にキャラクターの心理描写以外の説得力に欠けるところがあるかもしれない。脇も『燃ゆる女の肖像』のノエミ・メルラン、ニーナ・ホス、マーク・ストロングと大変に手堅い。
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2022年の主な仕事
基本は授業をして、博論を書いては(終わらない…)となっていたものの。
■1月
1月29日 早稲田大学総合人文科学研究センター「イメージ文化史」部門主催ワークショップ「私たちは立ち上がる — 『燃ゆる女の肖像』における生の取り戻し」で発表。タイトルは「私を振り返って — 『燃ゆる女の肖像』における想起と音楽」
■2月
『悲劇喜劇』3月号に「2021年のミュージカル」寄稿。
■3月
Tokyo Arts Beatsに批評「ひとりの踊りに織り込まれたドラマ — 映画『ウエスト・サイド・ストーリー」寄稿。
■4月
授業と博論で日々が過ぎ去った。
■5月
授業と博論で日々が過ぎ去った。
■6月
SPICEにケイティ・ミッチェルへのインタビューを寄稿。
■7月
ゲスト講師としてアメリカン・ミュージカル史をレクチャー。
■8月
ニューヨーク出張に行きました。昼は図書館、夜は劇場。
■9月
続・ニューヨーク出張。
『ユリイカ』10月号「特集=セリーヌ・シアマ」に「音楽へ新たに加わることをめぐって — セリーヌ・シアマ監督作品における踊ること、歌うこと、聴くこと」を寄稿。
■10月
早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌『WASEDA RILAS JOURNAL No.10』に、1月ワークショップを踏まえた論考「「振り返ってよ」 — 『燃ゆる女の肖像』の音楽と幻影に見る回想のドラマトゥルギー」が掲載。
■11月
授業と博論で日々が過ぎ去った。
■12月
授業と博論で日々が過ぎ去った。
と、このように、だいたい授業と博論で日々が過ぎ去っている…。
一応ミュージカル研究を専門としているのだけど、ここ数年はラジオと電話と映画とテレビの本や論文を読んだり勉強する時間の方がずっと長い。それが良い研究へと結びつくよう頑張ります。
あと、批評や書評、インタビューのお仕事はこれからも待ってます!
数年以内に、毎月何かしら1本発表できるようになれたらいいなと思っています。
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先日の勉強会を文章にまとめました。 https://www.frenchbloom.net/movie/6633/ 久しぶりに長い文章を書いたので、結構苦戦しましたが、思い入れのある映画なのでなんとかまとめられてよかったです。 私だけでなく、参加した全員の意見をふまえた考察として読んでいただけると嬉しく思います。 #cinema #leportraitdelajeunefilleenfeu #燃ゆる女の肖像 #celineciamma https://www.instagram.com/p/ClogTh3PmQT/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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Long time no see!
I don't know where to start.
These past couple of months, I've just been just worrying.
As an artist, I've always wanted to see the art of the European masters in person. I know that it's going to take me some time to take them in, so a short vacation definitely won't be enough; not to mention that traveling there from Hawaii can be very costly.
So as a solution that one of my close friends suggested, I could get certified in a TEFL program in Prague, teach English while staying there and also work on my art. I'll still have my online tutoring side gig as a back-up, just in case.
Which is what I'm doing right now!
Currently, it has been a very hectic few weeks. I'm focusing on finding solutions and reminding myself, as cheesy as it sounds, to trust in the universe, to reach out and ask for help, and to believe in myself. After all, worrying so much only got me a headache. :')
Back to the comic! The title was inspired by a dialogue in the movie Call Me by Your Name. It's the scene where Elio and Oliver stop by a statue in a town square. Elio talks about the history behind the statue, to which Oliver praises him:
Oliver: "Well, you seem to know more than anyone else around here.
Elio: "Well, if you only knew how little I really know about the things that matter."
Oliver: "What things that matter?"
Elio: "You know what things."
Enjoy!
If you like my art and want to support, join our community on Patreon!
#portrait of a lady on fire#portrait de la jeune fille en feu#adele haenel#noemie merlant#celine sciamma#signal boost#燃ゆる女の肖像#call me by your name
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『燃ゆる女の肖像』
今年も残すところ十日となって 素晴らしい映画を観ました。今夜は珍しく赤ワイン。( 赤ワイン、飲みたくなる映画だっだのよ。明日にひびくとわかっていても)
四つ折りの映画チラシ、広げれば裏はポスターになっていて 早速部屋に貼りました。
女として生きるとはさまざまな役割を与えられることなのだとか 何故私たちは映画を観たり本を読んだりコンサートやお芝居に出かけたりするのか。見つめるとか触れるとか愛とか恋とか痛みとか。何もかもが語られている映画でした。何もかも。
あ、あとわたし、クリスマスイルミネーションが苦手なんだけれど その理由もわかった気がしました。「陰翳礼讃」 夜は闇。蝋燭の灯りと暖炉の炎。
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