#瀬戸焼きそば
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焼きそば(しょうゆ味)
と餃子。いたってシンプル。
しょうゆのタレを絡めて作る。
しょうゆ、みりん、酒と砂糖、それとコショウを水で解いて、しょうがと一緒に炊く。
そこに豚肉を入れて少し煮立てて味を入れておくのである。
まぁこれを名古屋の人は「瀬戸焼きそば」という。
甘辛い味はいかにも名古屋辺りの味だが、瀬戸焼きそばは昭和30年代に最盛期を迎えた瀬戸の焼きものの昼夜通した窯火の番で失った塩分を補うため、職人に人気だったという。
実に里心のつく味である。
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#広島 #出張 帰りのお客さんから #お土産 いただきました これ美味いやつです #焼きそば に入れたりします #瀬戸内レモンいか天 #camp #kobe #outdoor #キャンプ #神戸 #アウトドア 今晩はこれで呑みながら #サッカー日本代表 の試合応援しまし少し (Cranks Outdoors) https://www.instagram.com/p/CqKW0YpvXKc/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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This is solely a sunset/eel/papaya cheesecake/squid ink soup/Soki soba blog now. BTW, it's spring on Amami now 🦋🐍🐇 #奄美大島 #奄美 #夕焼け #自然 #春 #ヤドリ浜 #ホノホシ海岸 #瀬戸内 #西阿室 #加計呂麻島 #そーきそば #まだ汁 #イカ墨 #スープ #食べ物 #南国 #パパヤ #チーズケーキ #amami #amamioshima #island #japan #japanese #food #kagoshima #sunsets #squidink #papaya #cheesecake #japanesefood (at 瀬戸内町) https://www.instagram.com/p/CpdIMkhShdI/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#奄美大島#奄美#夕焼け#自然#春#ヤドリ浜#ホノホシ海岸#瀬戸内#西阿室#加計呂麻島#そーきそば#まだ汁#イカ墨#スープ#食べ物#南国#パパヤ#チーズケーキ#amami#amamioshima#island#japan#japanese#food#kagoshima#sunsets#squidink#papaya#cheesecake#japanesefood
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「肉のおいしさっていうのは『かなり複雑』なんだけども、家畜を殺してすぐに調理した肉って実はあんまりおいしくないんですよ。新鮮なほど肉がおいしいっていうわけじゃなくて、ある程度置いた方が肉はおいしくなる、熟成させると」 「中途半端に新鮮だと、硬くて味もおいしくないこともある。筋肉から熟成という過程を経る、その時に成分の変化が起きて、例えばタンパク質が分解されてアミノ酸になる。分解されて出てくるアミノ酸には味がある」 「家畜を殺してすぐとった筋肉の中にはアミノ酸が非常に少ない、だからあまりうま味を感じるようなものがない。柔らかくしてなおかつタンパク質を分解してアミノ酸を出すっていうのが熟成の大きな役割」 「焼肉を食べるときに鼻をつまんで食べると何がなんだかわからない、牛・豚・鶏の区別さえつかない人が多いっていうことがあるように、鼻から入ってくる香りがすごくおいしさに重要な関わりを持っている」 「DMHFっていう物質なんですけど、これは牛肉なんかを焼いたときにかなり盛大に出てくる物質。これは甘いような香ばしいような香りがして、こういった香り成分が鼻に入るとおいしい香りに感じられる」 「DMHFをかぐと脳に作用が働いて、例えば食欲がでてくるとか、あるいはリラックス作用があるとかそういうようなこともわかってる。複数の要因があって『肉を食べると幸福感が得られる』ということは言えると思う」
なぜお肉はおいしい?幸せな気持ちになる理由は? 専門家がお肉の疑問に回答【みんなのハテナ】(KSB瀬戸内海放送) - Yahoo!ニュース
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仕事に疲れきって、短い休みをとり、4回目の屋久島に行くことを決めた。
旅をするのがすきなわたしは、九州1周したり、四国一周したり、10年ほど通っていた伊豆七島の島があったり、日本の島は沖縄の離島から瀬戸内海とよく行ってきた。海外も10カ国は行き、好きな国は複数回行っている。それでも、回復や癒されることを考えた時に真っ先に浮かんだのが屋久島だった。屋久島だけだった。
今回の屋久島は、癒されることが必要な者同士、友人2人で過ごした回復やケアのための時間だった。私たちは本がとてもすきで、この時間のために厳選に厳選した2冊ずつの文庫を抱え、屋久島に行った。
私たちは年齢も違えば、生まれも育ちも違うのに、なんだか変に境遇が似ていて、今の政治の違和感について、家族について、ジェンダーについて、セクシュアリティについて、結婚について、なんだって話していた。屋久猿や屋久鹿を眺め「動物を可愛いっていうのは、無責任なのではないか。」という会話もして、考えることを楽しんでいた。私より6つ年下の彼女はいろんなことを教えてくれるし、感じてきた時代の雰囲気も違う中で、希望のようなものを一緒に持って来てくれた。下の世代への希望のようにも感じるし、わたしが個人的に彼女に感じている希望のようなものが、いつも会話の中にあった。
私たちは、行きたいところにはどこまでも車を飛ばして行き、道中は話が止まらないのに、カフェに入ると2人で���って海風を浴びながら本を読み耽た。道中の話が止まらないせいで、夜中にとんでもない山奥に迷い込んだりもしながら、日中は地元の人と一緒に熱い熱い温泉に入って、温泉にいた地元の赤子をみんなで愛で、最後は夕焼けを見に海中温泉まで走った。お金がない!と嘆いて入った郵便局のおばちゃまがとってもキュートで、ここ屋久島の素敵なところだからこの3つは行って来てねと教えてくれたりもした。お金なんて久しく窓口で下ろしていなくて、こんな時間すらもご褒美みたいな時間になるんだと思った。夜はスナックで地元のおじいちゃんたちと古い曲を歌っては喜んでもらって、帰ろうとしたら10分くらい若いお兄さんに引き止められた。
何度か屋久島に来ている私は、会いたいけれどちょっと気負いするような関係性の人たちもいて、会いたいような会えないような感情を行き来しながらも、友人とちょっとだけ会いに行けた。久しぶりに会えた彼らは元気そうで、私がお世話になっていた時と同じだけの誠実さを持っていて、安心した。友人を変なことに巻き込んでしまった申し訳なさを持ちつつも、友人が微笑みながら、ずっとそばにいてくれたことにすごく感謝していた。私にとってやっぱり大切な人たちで、だからこそ友人と会いに来れて本当に良かったよってずっと思っていた。
回復の旅としながらも、書ききれないほどいろんな人に会い、いろんなところに行き、隅々まで楽しんだ。このペースは、2人にとって自然で必然で、必要な過ごし方だった。私たちにとって回復することが、興味関心に沿って制限なく動き続けることだった。
この文章で、私は、私と友人の2人を、私たちと括りすぎてしまった気がする。でも、そのくらい一体感があって、共鳴していた。こういうことってよくあることではないし、きっとずっと続くものでもない。だからこそ、すごく特別だった。
今後、彼女は私が思いもよらないくらい飛躍していくだろうし、私たちのステージが全く変わっていけば、きっと感じていることも、自然と変わっていくだろう。寂しいことではなくて、だからこそ、今回のこの時間があってよかったなって思う。そして、互いの変わった価値観をぶつかり合う時間も屋久島であったらいいなとも思う。
今回はとにかく、ずっと忙しくて、ずっと癒されていた。"癒し"ってすごくカジュアルに使われるようになっているけれど、もっとフォーマルな治療という意味でずっと癒されていた。癒されるっていろんな形があるんだなって思った。
私たちはきっとこれからも傷つく。傷つく場所に躊躇なくでていく人たちだから。でもそういう時はまた何度でも、癒されにきたらいい。そして回復した自分を連れて、また社会の中で傷ついている人たちのところに行こう。やっぱり、見なかったことにはできないから。
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【かいわいの時】天保八年(1837)二月十九日:大坂町奉行所元与力大塩平八郎決起(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
難波橋を渡った大塩軍は、二手に分かれて今橋筋と高麗橋筋に進みます。森鴎外の『大塩平八郎』には次のように描写されています。
方略の第二段に襲撃を加へることにしてある大阪富豪の家々は、北船場に簇(むら)がつてゐるので、もう悉く指顧の間にある。平八郎は倅格之助、瀬田以下の重立つた人々を呼んで、手筈の通に取り掛かれと命じた。北側の今橋筋には鴻池屋善右衛門、同く庄兵衛、同善五郎、天王寺屋五兵衛、平野屋五兵衛等の大商人がゐる。南側の高麗橋筋には三井、岩城桝屋等の大店がある。誰がどこに向ふと云ふこと、どう脅喝してどう談判すると云ふこと、取り出した金銭米穀はどう取り扱ふと云ふこと抔(など)は、一々方略に取り極きめてあつたので、ここでも為事(しごと)は自然に発展した。只銭穀の取扱だけは全く予定した所と相違して、雑人共は身に着つけられる限の金銀を身に着けて、思ひ/\に立ち退いてしまつた。鴻池本家の外は、大抵金庫を破壊せられたので、今橋筋には二分金が道にばら蒔まいてあつた。(七、船場)
この時の模様は、被害に遭った商人側でも詳細な記録が残されており、たとえば、三井文庫所蔵の史料「天保七年 浪速持丸長者鑑」(写真=コメント欄)には、焼き打ちされた商家に赤線が引かれています。ランク順に並べてみると
鴻池善右衛門(総後見)、三井呉服店(行事)、岩城呉服店(行事)、米屋平右衛門(東小結)、鴻池他治郎(西小結)、鴻池正兵衛(西前頭)、米屋���兵衛(西前頭)、日野屋久右エ門、炭屋彦五郎、米屋長兵衛、甥屋七右衛門、和泉屋甚治郎、鴻池徳兵衛、長崎屋与兵衛、米屋与兵衛、泉屋新右衛門、紙屋源兵衛、小西佐兵衛、越後屋新十郎、よしの屋久右衛門、大庭屋甚九郎、昆布屋七兵衛、さくらいや八兵衛、平野屋喜兵衛、某
など、25商(店)の名前があがっています。今橋筋、高麗橋筋の商家は軒並み焼き打ちに遇っています。肥後橋の加島屋久右衛門(西大関)はコースから外れていたため難を逃れたようです。
(写真)「天保七年 浪速持丸長者鑑」1837(公益財団法人 三井文庫蔵) 相撲の番付表のように商人をランキングした表で、大塩の乱で被害を受けた商家に赤線が引かれている。三井、鴻池などが被害にあっていることがわかる(三井広報委員会)。
また、諸家の記録から、事件当日の様子や対応策、その後の復旧策を見てみると
(鴻池家)加島屋某筆とされる『天保日記』(大阪市立中央図書館所蔵)では天保八年(一八三七)二月十九日、火見台から望見して「鴻池本宅黒焰大盛二立登、其恐懼シキ事不可云」、幸町別邸めざして落ちのび、そこで加島屋某らが「鴻池於隆君・勝治・和五郎」らと無事出あうところが生々しくえがかれている。和泉町の鴻池新十郎家の記録 『北辺火事一件留』(大阪商業大学商業史資料館所蔵)でも、鴻池本家当主の善右衛門が土佐藩邸、長音は泰済寺、そのほか瓦屋町別荘などへ逃げ、鴻池深野新田農民をガードマンとして急遽上坂させるなど、その被害状況や防衛対策が丹念に記録されている。
(三井呉服店)三井では、同日三郎助高益(小石川家六代)が上町台地の西方寺に避難し、「誠に絶言語、前代未聞之大変にて」と、 ただちにレポを京都に送り、木材・釘・屋根板・縄莚などをすぐ仕入れ、はやくも三月八日に越後屋呉服店大坂店の仮普請完成=開店している様子が詳細に記録されている。(コメント欄参照)
(住友家)住友家史『垂裕明鑑』には、大塩事件のまっただなかで、泉屋住友が鰻谷(銅吹所その他)から大坂城にむけて鉛八千斤(弾丸)を三度にわけて必死で上納運搬したこと、事件による住友の被害として、「豊後町分家、別家久右衛門・喜三郎掛屋敷の内、備後町・錦町・太郎左衛門町三ケ所延焼」に及んだこと、そして住友の親���の豪商としては、「鴻池屋善右衛門、同善之助、平野屋五兵衛、同郁三郎」家などが軒並み“大塩焼け”で大きな被害をこうむったこと等々が、 生々しく記されている。
三井家では、享保の大飢饉の後に起きた江戸における打ち毀し(1733年)に衝撃を受け、以後、食料の価格が暴騰すると近隣に米や金銭を配って援助したり、また飢えた人々に炊き出しをしたりするなど、三都(江戸・京都・大坂)において施行を継続しています。それが、大塩平八郎の乱では標的にされ、襲撃された大坂本店は全焼、銃撃による負傷者まで出るほどであったと伝えています(三井広報委員会)。
儒学者の山田三川が見聞きした飢饉の様子や世間の窮状を日記風に書き留めた『三川雑記』には、乱の前に大塩は鴻池・加島屋・三井の主人らと談じ、富商十二家から五千両ずつ借りれば六万両となり、これで何とか八月半ばまでの「飢渇」をしのげると、「しばらくの処御取替」を依頼していたとあります。同意した加島屋久右衛門は襲われず、三井と鴻池は反対したため焼き打ちに遭ったとも言われています(山内昌之)。
ただし、『浮世の有様』の天保八年雑記(熊見六竹の筆記)には、この話は「或説」として取り上げられており、それによると、「十人両替へ被仰付候処、町人共御断申上候筋有之」とあります。三井はもちろん、鴻池や加島屋にも記録はなく、風評の域��出ないものと思われます。
(参考文献) 中瀬寿一「鷹藁源兵衛による泉屋住友の “家政改革”-大塩事件の衝撃と天保改革期を中心に-」『経営史学/17 巻』1982 三井広報委員会「三井の苦難(中編)」三井グループ・コミュニケーション誌『MITSUI Field』vol.39|2018 Summer 山内昌之「将軍の世紀」「本当の幕末――徳川幕府の終わりの始まり(5)大塩平八郎の乱」文芸春秋2020 山田三川『三川雑記』吉川弘文館1972 矢野太郎編『国史叢書 浮世の有様』1917
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#おでかけ #招き猫ミュージアム
じわじわ可愛い大入にゃんにゃん。
そういえば藤井聡太さんは瀬戸市の出身でしたね。特徴をめちゃくちゃ捉えた招き猫!
ところで「招き猫」といって想像するのは、こんな感じの2頭身で丸っこい形の猫なんですが、これは「常滑型」といって、昭和20年代後半から常滑焼で大量生産されて全国に広まったスタイルなんだそうです。
招き猫といえば常滑型のこの形。見慣れた姿です。
愛知県内のもうひとつの焼き物の産地である瀬戸では、「瀬戸型」の招き猫が生産されていました。瀬戸型は常滑型よりスリムなのが特徴。常滑より古くから招き猫を生産していたようです。
常滑の招き猫はキャラクターに近いものがあるけど、瀬戸の招き猫は古くからの土人形の雰囲気を踏襲している感があります。素朴でかわいいな。
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題詠100首 2024
「短歌は奴隷の韻律」と喝破した小野十三郎の短歌否定論を読んだあとで、それでもここに戻ってきてしまうのは、やはりこの詩型が好きだからなのかもしれない。
五十嵐きよみさん主宰の「題詠100首」に参加しました。ありがとうございました
2024-001:言 言ひかけたそのくちびるをくちびるでふさげば夜はすみれのにほひ
2024-002:置 置く露の消ぬべきものと思へどもなほなつかしき鬢のほつれ毛
2024-003:果 白鳥のゆくへ知らずもさびしさの果てなんくにへ飛び去りぬらむ
2024-004:吸 くちづけは甘き陶酔蜜を吸ふみつばちににて飽くことのなき
2024-005:大切 大切なものこそ目にはさやかなれこの目この肩このふくらはぎ
2024-006:差 差しみづするやうにして息をつぐ逢瀬のまへの胸の高鳴り
2024-007:拭 足拭ふそのくるぶしの白さゆゑねむれぬ夜をすぐしてけりな
2024-008:すっかり もうすっかり秋なのですね江ノ電に待ち合はすれば日影のながく
2024-009:可 不可分のふたりなりけりかんづめの鰯のやうに身を寄せあつて
2024-010:携 天の川白しと言ひて仰ぎみつ手を携へて川わたるとき
2024-011:記 ツンドクをツンドラと読みまちがへてガリア戦記に雪のふりつむ
2024-012:ショック あの夏の藤の木かげをおもひいづルドルフ・ショックのあまき歌ごゑ
2024-013:屈 身を屈め砂に字を書く主イエスは赦したまふやこのふかなさけ
2024-014:外国 マラケシュへ脱出したしサフランとなつめの香る外国(とつくに)の果て
2024-015:見 あひ見てののちのおもひはすみれいろ日の出のまへのひさかたの空
2024-016:叡 あさぼらけ比叡のやまにたつ霧のふかくぞひとを思ひそめてし
2024-017:いとこ 豆好きの子の記念日につくりおくかぼちやとあづきいとこ煮にして
2024-018:窮 窮鼠にも朝は来るらし鎧戸のすきまより洩るひかりひとすぢ
2024-019:高 抱きあげて高いたかいをするたびにはじけるやうにわらひたりけり
2024-020:夢中 青春は夢中のうちにすぎさりぬめざめていまは白き秋風
2024-021:腰 腰骨の上に手をおき抱きよせる サルサのリズム 波うつ体
2024-022:シェア イヤフォンをシェアしてバッハ聴きをりぬ予定日すぎて子を待ちながら
2024-023:曳 ひかり曳くものこそなべてかなしけれ流るる星もほたるのむれも
2024-024:裏側 いかにせんうかがひしれぬものありて人のこころは月の裏側
2024-025:散 知られじな夜もすがら吹く木枯らしに散るもみぢ葉のつもる思ひを
2024-026:頁 世界史の頁を閉ぢて夢見をり講義のをはりとこの世のをはり
2024-027:おでん 二日めのおでんのやうにしみてくるやさしく気づかふあなたのことば
2024-028:辞 言霊の幸ふ国に聞き飽きる 美辞も麗句も誹謗も揶揄も
2024-029:金曜 泣きぼくろつついておこすとなりの子金曜五限睡魔のきはみ
2024-030:丈 つり革にとどく背丈となりし子の腋窩の白く夏さりにけり
2024-031:けじめ ひるよるのけじめもつかぬ薄明かりいのちの果てのけしきとぞ見る
2024-032:織 経糸も緯糸もなき鳥たちの声の織りもの聞けども飽かぬ
2024-033:制 制限字数こえてあふるるわが思ひたぎつ早瀬となりにけるかも
2024-034:感想 「感想を十四字以内で述べなさい」「あいたいときにあなたはいない」
2024-035:台 灯台のやうに照らせよぬばたまの無明の闇におよぐこの身を
2024-036:拙 目をとぢてなにおもふらん古拙なる笑みをうかぶる半跏思惟像
2024-037:ゴジラ 清涼水ささげまつらん着ぐるみをぬいでくつろぐゴジラのひとに
2024-038:点 夕されば宵宮に灯の点されて稲穂をわたる風かぐはしき
2024-039:セブン 響きあふセブンスコードやはらかくスイスロマンドかんげんがくだん
2024-040:罪 罪深きものと知りつつやめられぬ午前零時のキッシュロレーヌ
2024-041:田畑 とり入れををへし田畑に雀らのさわぐを聞けば秋更けにけり
2024-042:耐 陣痛に耐ふるつまの手にぎりをり痛みを分かつすべあらなくに
2024-043:虫 別れきて秋の夜長をなきとほす虫の息にもなりにけるかな
2024-044:やきもち 黒い怒りもしづまるでせうやきもちにきなこまぶして頬張るならば
2024-045:桁 花ごろも衣桁にかけて待ち遠し色とりどりに咲きみつる春
2024-046:翻訳 ふさふさのしつぽを立ててあゆみ去るねこのことばの翻訳もがな
2024-047:接 おたがひの足音のみを聞いてをり話の接ぎ穂見つからぬまま
2024-048:紐 「結んでよ後ろの紐を」あらはなる背中見せつつ言ひたまひける
2024-049:コロナ かろやかに走り抜けたり太陽のコロナのやうに髪なびかせて
2024-050:倍 この仕打ち受けても七の七十倍赦しなさいと命ぜらるるや
2024-051:齢 少女らのもはや倦みたる遊具あり遊具にもまた適齢期あり
2024-052:圧力 ゆつくりと圧力かけて皺のばすアイロン台に湯気は立ちつつ
2024-053:柄 春の夢見させてください花柄のスカートのうへに膝まくらして
2024-054:朧 朧なる記憶の底にきこゆなり赤子のわれを呼ぶ祖母のこゑ
2024-055:データ データなぞ改竄するのが前提といふひとあれば美しくない国
2024-056:紋 わがうたにいまだ紋章なきことも恥ぢずこよひも豆腐が旨い
2024-057:抑 「好きといふきもちは抑へられなくて」読みかへす午後ひざしうつろに
2024-058:反対 環状線反対まはりに乗せられてはじまりしわが大阪時代
2024-059:稿 ブルックナー第八初稿で祝ひたり生誕二百周年の宵
2024-060:ユーロ ふらんすはあまりに遠し「赤と黒」原書にはがすユーロの値札
2024-061:老 生ましめしのちのよふけのしづもりに老助産師のたばこくゆらす
2024-062:嘘つき どうせならうつとりさせて狂はせる目覚ましい嘘つきなさいませ
2024-063:写 ちちははの結婚写真色あせてアルバム白く夏は来たりぬ
2024-064:素敵 はにかんでものいふときの片頬にゑくぼをきざむ笑顔が素敵
2024-065:家 家ひとつこぼちて三つ家を建つなんのふしぎもなしとはいへど
2024-066:しかし 焼き魚ほぐしつついふもしかしてわたし妊娠してゐるかしら
2024-067:許 胸許にきつつなれにしスカーフあり柩のひとの息あるごとく
2024-068:蓋 きみがため抜山蓋世のますらをも恋のとりことなりにけらしな
2024-069:ポテト ベークドポテトふたつにわればふうはりと湯気立ちのぼるバター落して
2024-070:乱 黒髪の乱れも知らずうちふして幾何証明にゆきなやむ吾子
2024-071:材料 材料はグラム単位ではかりませう恋の女神にささぐるお菓子
2024-072:没 ひそやかにゐなくなりたし没年齢しられぬままに墓標もなしに
2024-073:提 下駄ならしなつまつりよりかへりきぬゆかたの子らは金魚を提げて
2024-074:うかつ 「もうすこし一緒にゐたいな」うかつにもつぶやきしゆゑ底なしの沼
2024-075:埒 ひとり舞ふほかにすべなしもろびとの大縄跳びの埒外なれば
2024-076:第 しんしんと肺蒼きまでしみとほるかなしみふかき第二楽章
2024-077:オルガン オルガンの裏にひかへてふいご踏み風を送りし労苦を思ふ
2024-078:杯 願はくはおなじ杯よりのみほさん媚薬なりとも毒薬なりとも
2024-079:遺 「きらひなのさういふところ」といはれたり不貞寝して聞く遺愛寺の鐘
2024-080:なかば ランウェイに踏みだすやうなあひびきはのぞみとおそれ相なかばして
2024-081:蓮 さきゆきは見通さずともしろたへの酢蓮を食めばこころはなやぐ
2024-082:統一 姿見のまへでくるりとひとまはり「青で統一秋色コーデ」
2024-083:楼 春高楼の花のうたげはまぼろしか廃墟の城を照らす月かげ
2024-084:脱 管弦のとよもすホール脱けだせばしんとしづもる明きフォアイエ
2024-085:ブレーキ ブレーキのきかぬくるまかすこしづつあなたの方にかたむくこころ
2024-086:冥 冥府よりプロセルピナはもどりたり野の緑もえ春のおとづれ
2024-087:華やか 華やかに開幕ベルは鳴りしかどせりふおぼえずお化粧もまだ
2024-088:候 姸を競ふ花嫁候補に目もくれず選びたまふは桐壺の姫
2024-089:亀 わたつみの底の浄土の住みごこちいかにと問ひぬ青海亀に
2024-090:苗 十年後ジャスミンティーの再会は苗字かはりて人の子の母
2024-091:喪 青き花好みたまひしひとなれば青き旗もて喪章となしつ
2024-092:休日 窓ごしに別れを告げる新幹線休日なんてあつといふ間ね
2024-093:蜜 乳と蜜ながるるところといはれたるカナンの地いま血潮ながるる
2024-094:ニット 置きわすれられしニットのセーターに顔うづむればにほひなつかし
2024-095:祈 祈るやうに手をあはせたりめづらしき蝶見つけしと馳せきたりけり
2024-096:献 妻あての訳者の献辞見返しにあり「罪と罰」古書あがなへば
2024-097:たくさん ひとつぶのあかい木の実をかみしめるあしたまたたくさんとぶために
2024-098:格 格変化となへつつ夜ぞふけにけるロシヤ語講師の赤き唇
2024-099:注 ちらぬまま朽ち果ててゆくあぢさゐのはなのをはりにふり注ぐ雨
2024-100:思 さめやらぬ夢のほとりに置く露のかわくまもなくもの思ふころ
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『188人のクリエイターと瀬戸の職人がつくる招き猫』展 出品作品
AD&D:Naoko Fukuoka 福岡南央子_woolen
Pr:リクルート RECRUIT
2022
「私が招きたいもの、それは眠りです。入眠にいつも時間がかかります。いつもなんとか自分で招いているのですが、猫に手伝ってもらえるとうれしい。私のように困っているひとのそばで、眠りを手繰り寄せられたら。」
http://rcc.recruit.co.jp/creationproject/2022/ 11:00a.m.-7:00p.m. 日曜・祝日休館 ※12月25日(日)~1月5日(木)は休館 入場無料 焼き物の地、愛知県瀬戸市の職人が、新たに型を起こし作陶した素焼きの招き猫をキャンバスに、個性豊かな発想と手技で188人のクリエイターがつくり出した世界にただひとつの作品、188点を展示します。今回は、2023年8月にクリエイションギャラリーG8とガーディアン・ガーデンが終了し、9月に新スペースをオープンすることにともない、1990年から32年間続くチャリティープロジェクトの最終回として開催いたします。
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転がる石みたいな感じ
7月4日(木)
朝、求人情報を見ていたら1箇所気になる場所が早速見つかって応募してみた。耳の調子は相変わらず。今日は1stアルバムに収録する曲の歌詞とコードを纏めて、データ化して保存する作業をした。疲れ果てて寝た。体力が無さすぎる。体重増加が止まらない。もうお菓子はやめようと心に誓う。月のせいかもしれないけれど。これから朝30分くらい歩こう。いや、夕方にしよう。どうしてこんなに体重増加していくのかわからなくて怖い。病気か?って思ったけど、たぶん単純に年齢によるものだな。アラサー。あらら…とはいえ、平均体重なので気落ちせずに過ごしたいものだ。ワンピースを観よう。
7月5日(金)
髪を切る為に名古屋へ。その前に午前中、応募した会社から電話が来て、LINE面接が来週の月曜日に決まった。火曜日は前の職場の人に会って、制服返却。なんだかんだ色々決まる中、予定が被らないのが凄い。有給消化中という名の無職だが、なかなかに慌ただしい日々だ。早く名古屋に着いてしまったから、パルコと地下鉄の間にある座れるスペースでくどうれいんさんの本を読んだ。駅からの熱気とパルコからの冷気がちょうど良い塩梅で快適読書となった。ハギノの話は胸が苦しくなってしまって困る。ここまで赤裸々に書いてよいのか?自分の駄目な部分��て自分だけってことは無いんだと知る。さて、美容院。はじめましてのお店。窓が大きくて、ドライフラワーとかある感じ。担当さんは見た目がギャルだけど顔タイプが柔らかい雰囲気で話しやすかった。こちらの要望を細かく聞いてくれた。minimoでお店を選ぶ基準も聞かれたので、細かく教えた。こういうタイプの人に当たったのは初めて。熱心。このお店の名物である泡々なトリートメントが気持ち良かった。さっぱり。その後、スープストックへ。わたしが親知らずの抜歯でヘロヘロだった時、ノンちゃんがくれたギフト券を使おうって思ったのだ。300円以下でカレーとスープを食べることができてしまった。見た目も中身もスッキリした一日だった。
7月6日(土)
引越しをしてからバスに乗る機会が増えた。今日も今日とてバスに乗っていたら、親子3人組が乗り込んできた。どうやら外国人。お姉ちゃんらしき女の子が背負っていたリュックに”Team Mongolia”と書かれていて、ああモンゴルなんだねとほっこり。いま、ミツメもモンゴルに居る。このシンクロ、不思議だった。移動中に「水歌通信」を読み終わった。くどうれいんさんの言葉だけかと思って読み進めてしまったけれど、違和感なかった。直子さんは凄い。小田さんに誘ってもらったスーパー登山部のライブ。スーパー登山部のライブははじめて。小田さんが「自分のバンドを作りたいんだよね、良いギタリスト知らない?」って言っていて、本当にバンドができて、それがスーパー登山部だった。感慨深いものがある。山と音楽、彼の好きな物パワー全開。ライブの前に早めに集合してカフェドクリエと七番でノンちゃんとお茶した。七番、こばちゃん居た。貴重なミツメギャル。珈琲ぜんざいとホットココアで一息。話すって大事。ライブを観て、解散した直後、ノンちゃんからLINEが来て、モンゴルのフェスに出ていたミツメのライブ映像が配信されることを知り、大興奮。電車に揺られながらミツメを観ることができた。ミツメ最高!夜中、昔の映像を観たりしてしまって夜更かし。空白の重要性を伝えるナカヤーンの動画、あれ最高だよ。今年はミツメの活動が去年より多くて、本当に嬉しい。
7月7日(日)
ブラジルコーヒーに行く前に少し金山をぶらり。人が多く、お店も色々変わっていた。祖母がディズニーでゲットしたお気に入りのマグネットが冷蔵庫にくっつかないと悲しんでいたので、冷蔵庫に貼れるマグネットプレートを2枚購入。最近の冷蔵庫ってマグネットがくっつかないって知らなかった。ドトールで動画編集。コツコツ進めた。以前より、居心地が悪くなっていて、うーんこれは治安のせいかしら?シャインマスカットヨーグルトは予想通りの味。さて、本日のお目当て、イラストのトークライブ。スタミナ焼きうどん定食を食べたら、すんごいにんにくとニラが入っていて、はなびの混ぜそばじゃんとなった。健太さんがふらっと席の横を通って「にんにく、すごいでしょ」と声をかけてきた。それで、ああ!確信犯!と気づく。美味しかったけど、人と話す時、申し訳なかった。イベントはみなさん素晴らしかったけれど、やっぱり一緒にモノづくりをしたことのあるてんしんくんとカニコちゃん、良かった。2人が好きだと言うもの、自分も好きそうで面白かった。
7月8日(月)
面接当日、ソワソワ。悪夢で目覚めた。わたしは面接が本当に本当に苦手で、大学在学中、就活1社で心が折れた人間だ。それぶりなので、本当に初心者。面接時間まで時間があったので準備が出来た。何回も練習したから不安は無かった。結果、笑顔で乗り切った。けれど、応募が殺到していることを知らされた。2人しか受からないということで、うわーってなった。この話をされた時点で自分の力は出し切ったけど、こりゃご縁がないタイプだと悟る。まず、散歩しようと思い、夕食後散歩へ。気分が良くなった。池があるっていい…。再び水のある街へ引越すことができたんだ。梨木香歩の小説やミツメのエスパーのような雰囲気を感じる街並み。30分歩いて帰宅。久しぶりの湯船。数年振りの正社員チャレンジ、頑張ってみた自分にグッジョブをあげたい。悩んでもしゃーなし。クイズ番組を観ていたらアンミカもしゃーなしって言っていた。結果はやっぱりダメだった。
7月9日(火)
前の職場の人との待ち合わせ、ミスった。昨日の面接でLINEの通知をオフにしたまま、解除し忘れていて、到着の連絡に気づけなかった。その間にサマーアイの日記を読んでいて、夢中だったから、余計気づけなかった。申し訳なくて、少し落ち込んだ。落ち込んでも仕方ないけれど。制服返却しつつ、少し話した。「田宮さんなら大丈夫ですよ〜」と言われた。最近、よく人から言われる言葉だなって思った。はやく大丈夫になりたいものだな。いや、大丈夫にするんだな、わたしがわたしを。その足でついでに郵便局へ。思っていたよりもお安く発送できてしまった。帰りはバスを使わず、歩いた。再び1社応募。ここがダメならまずは一旦、正社員に拘らず働こう。BASEの送料を見直し。ゆうパックの地域別の料金をしっかり調べた。通販ページを更新。そろそろ季刊誌作りたい。
7月10日(水)
粗大ゴミシールをぺたぺた2枚ずつ貼るところからスタートした朝。無事に持って行ってもらえてよかった。今晩は、わたしが夕食担当だったので祖母とスーパーへ。ミスドで飲茶。瀬戸内レモンのパスタとフレンチクルーラー、ハニーチュロを食べた。祖母が、ミスドの飲茶は量が多くないから好きだと言っていた。確かに。ミスドが愛される所以。無印でポリプロピレン表紙のリフィルノートを買った。スケジュール帳に日記を書いていたら、もうそろそろページが無くなりそうになってしまった。日記を3月から1日も欠かさず毎日書いている。わたしの日記人生に於いて、そんなことなかなかないことだ。今年に対する熱量が半端ない。そりゃ、親知らずは抜くし、引越しはするし、転職もするわけだ。決断の量が段違いとなった。その分沢山の悩みも抱えた。だから、文字をよく書いた。こんなどうしようもないこと、なんでもかんでも受け入れてくれるのは紙しか居らん。紙には感情がないので、好き放題色々言える。いつも、ありがとう。そして、今これを読んでくれてる人達、更にありがとう。26歳がこれにて~完~
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2024年4月7日(日)
拙宅から徒歩10分の梅小路公園、週末になればなにがしかのイベントが開かれているが、今日は<循環フェス 2024>の日だ。先日町内の回覧板で知ったのだが、早速リユース価値のある古着を用意して会場へと乗り込んだ。午前10時オープンなのだが、すでに<0円マーケット>には長蛇の列、好きな古着3点まで無料とのことで人気があるのは納得。わたしはと言えば入口左側の古着回収ボックスに大きな紙袋一杯の夫婦の古着を投入してミッション完了。断捨離を要求される身には、次回の開催が待ち遠しいことだ。
5時15分起床。
日誌書く。
朝食には、昨日文楽劇場でいただいた<黒門市場200周年>記念の餅を頂く。
珈琲。
洗濯。
ツレアイは奈良での太鼓練習の日、近鉄東寺駅まで送る。
糠床メンテナンス、奥川ファームの大根と人参を漬ける。
コレモ七条店で買物、コンニャク・チクワ・飛竜頭、今夜は関東煮。
大根の下茹で。
出汁を取って関東煮の用意、小ゑん師のグツグツには登場人物が少ない。
梅小路公園まで古着を持参、オープンすぐだが多くの人が集まっている。何であれ、近くで断捨離の機会があることに感謝。
ランチ、息子たちはサッポロ一番味噌ラーメン。
しばらくしてツレアイから連絡、近鉄東寺駅まで迎えに行く。
遅い時間のランチ、そば+🍶。
軽く午睡。
ツレアイは買物に、私は資料整理。
早い時間に夕飯準備、今夜は関東煮。
録画番組視聴、サラメシ
(1)瀬戸内のり漁師夫婦▽53年使い続けた弁当箱 最後の日
初回放送日: 2024年4月4日 冬から初春に旬を迎える岡山県の海苔(のり)。栄養豊富な海水と冬の晴天に育まれ、甘みのある上質な味が特徴。代々漁師の家に生まれた妻と結婚を機に漁師になった夫。仲良し夫婦は漁港そばの食堂のお好み焼きがお気に入り▽神奈川県内の消防署で救急隊員として働く門倉正道さんは、中学生から50年以上同じ弁当箱を使い続けてきたが、今年2月に定年退職。最後の出勤日に密着!▽テレワーク中のランチをのぞき見「テレメシ」も。
落語研究会。
再放送だが、やはり「百年目」は上方でないとねぇ。
片付け、入浴、散髪。
体重は50g増、明日からランチ抜きで頑張るのだ。
パジャマに着替えて日誌書く。
明日から授業開始、このリズムをキープせねば。
何であれ、歩数を稼げば後はついてくるのだ。
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0810
お盆は夫の実家に何日か行くことになり、新盆というものをやるそうなんだけど、いろいろ初体験なのでドキドキしている。お墓で提灯に火をつけて持ち帰るのとかジョジョのポルポじゃん…と思った(5部のスタンド使い、ライターの火を消さずに持って帰ってこいってやつ)。 提灯やき��うりの馬やなすの牛や、そういうのをやったことがなくて、サザエさんとかに出てくる風習だと思っていた。サザエさんのようなアニメに出てくるさまざまな風習・行事はほんとにあるものなんだろうけどわたしのうちにはあんまり関係ないものであってさほど真に受けなくてよい…という認識。 子どものころ、うちはマンションだからそういうのはないよと親に言われていて、お盆もお彼岸も地域の祭りも年末年始もだいたいのことを「マンションだからうちは関係ない」で済ませていた。いま思うと無茶な理屈で可笑しいんだけど、この「真に受けなくてよい」という態度はわたしの生活のいろいろなところに根を張っている気がする。これはけっこういい意味でも。
9月の文フリ大阪に遊びに行くためのきっぷを予約。サンライズ瀬戸という寝台列車に乗りたい。ネット予約では座席指定ができないそうなのでみどりの窓口へ行くことに(せっかくなら海側の席に乗って朝日が登るのを見たい)。 予約は1ヶ月前の朝10時スタート。人気の列車や座席はすぐ売り切れてしまうそうで、そのため窓口に朝早くから並び10時ちょうどに処理してもらう「10時打ち」というのがある…と鉄道ファンのブログやyoutubeで知った。サンライズのシングル席は席数が多いのでそこまでではないそうなんだけど、どうせ窓口に行くならと10時に並んでみることにした。ただ10時打ちというのはあくまで非公式であって、駅員さんの親切でやってもらえる場合があるくらいに考えた方がよいと鉄道youtuberの人は言っていた。まあそりゃそうよな。 9時20分くらいに到着。みどりの窓口に行ってみたら本当に10時打ち専用列があったので、ほんとにある!とちょっとテンション上がった。わたしは3人目。40分近く何かに並ぶということがそうそうないので、ほんとに並ぶのかなあという気持ちとワクワクする気持ちがまざりあってなんだかすごく非日常だった。こういうことを含めて旅行なのかもと思った。 待っている間、外国人の観光客の人たちに道をきかれた。チームラボとディズニーリゾートのツアーに申し込んでいるがここはチケット引き換えの列か?、いやこれは一ヶ月後の電車を予約するスペシャルな待機列です…とわたしのたどたどしい英語で伝わったのかどうか、どうだろう。 9時50分くらい。4つある窓口を2つつぶして前2人を案内。56分くらいから時報を流してスタンバイ態勢になり、チッチッチッポーンというのがけっこう大きな音で30秒ごとに流れ、なんだかわたしもドキドキしてきた。10時打ちってこんな"ガチ"なんだ。むかしやった試験監督のバイトを思い出したけどもっとシビアな感じ。窓口の人も真剣な表情で、10時ちょうどにポーンと鳴ったあと「とれました」という声が聞こえてきてちょっと拍手しそうになった。窓口の人も最前のお客さんもよっしゃーとか叫んだりはしないんだけど、静かに健闘をたたえあっている感があってなんかよかった。 わたしの番は9時4分くらいだったかな。海側の席をお願いしますと言ったら「とりあえず空いている席をいくつか押さえますので選んでください」と言われ、とてもテキパキしていて感激した。予習してきたとおり海側で窓の大きい二階席を選択し、予約は成功。すげーー。ほんとにできちゃった。調べたことを実行して叶えるのって快感なんだな…。いつも行き当たりばったりなのですごく新鮮。 そして予約できたのもそうだけど、こういう電車のきっぷって、名前とか住所とかアカウント新規作成とか本人確認とかそういうのなんもなくできちゃうので驚いた。つまりこのきっぷを落としたら終わりってことだから気をつけよう…と思った。
サンライズもとれたことだしちょびっと遠出しよう、お盆の前に気ままな休日をやろうと思い、横浜の元町公園のプールへ。ここは市営ですごく古いんだけど、丘の上の公園で緑に囲まれたロケーションがすごくいい。50メートルのまっすぐなプールがどーんとあるだけ。コンクリートのひな壇に囲まれていて、日焼けしたり昼寝したりみんな思い思いに過ごしている感じ。なんでかわかんないんだけどカンカン照りの日でもあんまり暑くない気がする(プールの水はそれなりにぬるい)。コロナ以降ずっと来ていなかったので久しぶりだったけど、あんまりようすは変わっていないようだった。 なんていうのかな、スポーツでもなくリゾートでもなく銭湯っぽい感じがするのかな。カップルも親子連れもいるけど、一人で来てる人も多くて、ろくに泳げないわたしが一人で水中ウォーキングっぽいことを黙々と(ヨタヨタと)やっていてもべつに浮かない。しっかり泳ぐ人も浮き輪で浮かんでいる人もセクシーなビキニの人もいて、バリバリタトゥーもOK。今日も遠目から見たらラッシュガードに見えるくらい立派なタトゥーの人が元気に泳いでいた。むかしはふんどしのおじさんとかいたけどさすがに今はだめっぽいのかなー。 このあいだ参加した夢でしかいけない街アンソロジーに書いたのは団地の小さいプールだったけど、たぶん自分のイメージにあったのはこのプールだと思う。あと横浜神戸アンソロでもちらっとこのプールを書いた(いつも同じようなことを書いている)。 昼過ぎまで二時間くらい泳いで、バイミースタンドでサンドイッチを食べて帰宅。
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230409 船で眠る。朝方、風呂に入って、外の見える席で対岸の淡路島を眺めていた。地図を起動して、むこうで点滅する灯台の名前を調べた。江埼灯台。いつかあの灯台から海を眺めたいと思う。瀬戸大橋をくぐってしばらくすると大阪が見えてきた。下��して電車に乗る。太陽の塔と民博を見た。母がずっと、大阪に行くことがあったら見てほしいと言っていた。父と母と三人で京都へ行ったとき、母はついでに私に民博を見せたかったらしいのだが、父が京都から出ることに反対して、結局一緒には行けなかったのだった。民博の企画展「ラテンアメリカの民衆芸術」がとてもよかった。常設展も、書籍販売の棚も、ぜんぶよかった。ゲストハウスにチェックインしてから、フェスティバルホールへむかう。今回の目的は、ボブ・ディランのライブ。kとふたりで、いま、ボブ・ディランと会ったということはきっといつか過去を振り返るときの点となるだろうな。こうやって、いまをいつかの過去���して捉える癖がある。終演後、テンカラ食堂へ向かうがお休みで、路地裏の光に誘われて街中華・三光へ入った。立て込む注文に集中するおじさんと少しあたふたしながらも遅れてごめんなさいねとやさしいおばさん。全部シンプルに美味しくて、とくに野菜スープがおいしかった。2軒目を探して中崎町や梅田、なんばあたりを歩くものの結局入りたい店が見つからず、成城石井のチーズケーキを買って、食べながら宿の近くの西成のあたりを歩いた。飛田遊廓に迷い込んでどきどきした。
/10 喫茶店でモーニングして、新世界のあたりをうろうろした。たこ焼きおいしかった。中心街の賑わいの中から外れたくて、しっぽりとした串カツ屋がないか探し歩いたけど見つからなかった。結局なんばの近くの路地のカレー屋に行き着いた。ひと席だけ小上がりになっていて、店員からも半分くらい死角なその席に落ち着いて長居させてもらった。古本屋の構想について話した。貸本屋という案について検討。実現は難しいかもしれない。そのあと梅田の駅中の古書店街へ行った。5年くらい前に立ち退きで駅中に移ったらしい。太田書店で一冊買って、店主に話しかけたらすごく親身に話をしてくれた。教えてもらった矢野書店へ。豊かな100円棚だった。大阪はいい古本屋がたくさんある。さんふらわあへ乗って帰路。店を始めるにあたって節約しよう!と話したけれど、新造船のさんふらわあのバイキングがあまりに美味しそうで、つい食べてしまう。さんふらわあのリニューアルの時期で、行きと帰りで新旧の船に乗れてよかった。値上がりを訝しく思っていたが、値段なりのグレードアップがなされていた。海の見える席に座って、古本屋を始めるための、これからのことを話し合った。
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建築探訪 姫路編
兵庫3日目のまとめ。
おはよう明石海峡。四国には何度か訪れていますが、瀬戸内のおだやかな風景はいつも美しい。
最終日は姫路へ。
待っているうちからすでに電車気分なホームのベンチ。
駅で自転車を借り、サイクリングで、憧れの姫路城!
友いわく、改修直後はもっと白かった、ということですが、十分に白く美しい白鷺城。
ここで暴れん坊将軍のテーマが頭を流れるが、いや、あれは吉宗なんだから江戸城だ、と思い直すも、近くにいたガイドのおじさんが「暴れん坊将軍の天守閣はこの姫路城です」と説明していたのを小耳に挟む。
まずは、��の丸にある百間廊下から。
長い長い廊下の先に化粧櫓とよばれる千姫が正室として過ごした場所があります。
千姫というと、大阪夏の陣で、夫の豊富秀頼が自害した戦火の中、井戸の底で(というのはいつだかの大河ドラマの脚色かも)逃げ延びたお姫様、そのあと姫路に嫁いでいたと知りませんでした。
化粧櫓と天守閣。
そして本丸へ。
城壁の一部、網がかかったところが伝説の姥ヶ石。
姫路城に初めて砦が築かれたのは南北朝時代、赤松氏が始まりと言われているが、その後城主が変わりながら名実ともに『姫路城』となったのは秀吉の時代。秀吉が天守閣を築城する際、石不足で思うようにはかどらなかったところ城下に住む老婆が石臼を差し出し、秀吉が喜び、天守の土台に埋め込んだ。という言い伝え。(関ヶ原の合戦ののち現在の姫路城を作ったのは池田輝政)江戸時代のお城は、石不足のため、転用石なる古墳の石棺も利用していたとか。
見上げた姿も美しく。白く細かな垂木。
石垣15.18m、建物31.18m、天守閣高さ46.3mで、地階から6階まで。
東西2本の通し柱、地階から5階までの長さとはすごい。昭和の大修理の前は37センチ傾いていたそう。江戸の初期は、建物の重さで大柱が歪んで建物全体傾いたのを、多くの支柱で補修してきたとか。そうこうしながら、今に至るとは、人間ってすごいなと思ってしまいます。
急勾配の階段を上に向かう。一歩踏み間違ったら、下にいる人もろとも落ちると思うと緊張感の増す階段。
たどりついた最上階からの眺め。
無事地上におりてきた。青空に、しらさぎのごとく映える。
お隣の好古園で、
お茶をいただきました。
お昼時、あちこち混雑しているので、ひとまず姫路おでん。生姜出汁。
そして、自転車でひとっ走り、兵庫けんちく旅の締めは、姫路文学館。安藤忠雄設計。
姫路城をのぞむロケーション。
奥に建つ大正時代の旧濱本家住宅も素敵でした。
そして旅の大ラスは、忘れてはならない明石焼き。明石に移動して、友おすすめの店へ。
明石焼きって、玉子焼きっていうのか!知りませんでした。注文したあと、しばし並んで待つ。
お店に入ったらすぐに玉子焼きが運ばれてきました!出汁につけるもよし、ソースをつけるもよし、ふわふわとろとろの具合には、出汁が美味。熱々をうほうほ言いながら頬張る。
こうして、兵庫の3日間が終了。2��19年以来のどっぷり建築を見て歩く旅、美味しいものも堪能でき、楽しすぎる濃密な3日間でした。友に心より感謝。
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喜怒哀(eel)楽
去年の7月にパートさんと鰻屋に訪れた事について綴ろうかと。何故今年の2月に入ってから振り返るのか。その事にも触れて綴り殴っていく。
仕事の休憩中に会社のパートさんと飯屋についての雑談をしていた。この人は各地方の鰻屋を巡るのが趣味らしく、休みの日には1人で地方の鰻屋に足を運んでいた。長野や岐阜、滋賀など...と鰻を食べる為なら地方まで出向くのは苦じゃないという人だ。
そんな美食家のパートさんがどうしても行きたい鰻屋があるという。だが1人では行けないとの事。会社の中で色んな地方の鰻屋の事を骨の髄まで知り尽くした漢が行けない鰻屋とはどんな鰻屋だろうか。気にならない訳が無い。話を聞くと愛知県内にあり会社からの距離だとやや遠いらしい。やや遠くとも愛知県内なら何時でも行けるはずでは?と思ったがここの鰻屋はかなり特殊であった。
まずそこの鰻屋を食べるに当たって朝から並ばなければいけない。
僕「???鰻屋って朝から並ぶん???パチンコの抽選なんか???」
パチンコの抽選だったらまだ良かったと思った。パチンコの抽選よりも朝早くから並ぶ事になる。大将が朝早く店にやって来るのだが、そのタイミングで名前を書いて予約するというやり方である。大将がやって来るタイミングも日によって違い、早い時間帯だと朝の4時頃。遅い時間帯だと朝の6時頃(当社調べ)にやって来る。しかもその予約方法と鰻の美味さを口コミで聞いた美食家達がこぞりにこぞって1列に並んでいるという。多い日だと早朝から鰻屋に20組近く並ぶという異常な光景が見られる。中には東京や大阪、地方からわざわざ車や夜行バスで来て並ぶ美食家達も存在するという。
そんなん気になってまうやん。
パートさん曰く、予約したいのは山々だが朝っぱらから鰻屋まで足を運ぶ事が面倒で食べに行けていないという。そこで僕の出番という訳だ。会社で鍛え抜かれた忍耐強さを活かして予約を取ろうと試みた。僕はパートさんに朝並んで予約する事を条件に僕の分の鰻代を奢って貰うという割とwin-win(なのか?)交渉を持ちかけた。話半分で聞いてたパートさんは
「並ぶなら全然いいよ笑 並ぶんならね笑」と。
交渉成立(一方的に交渉成立にさせた)
任せろ。今日は火曜日の遅番。あと5日待てば天国が待っている。こうなった僕はもう誰にも止められない。まさにバーサーカー。
「今週の日曜日に予約取りますね。」と告げその日を終えた。次の日の休憩中に「マジで予約取ってきてくれるんだったら俺全然出すわ笑」と言ってくれたので一方的では無くしっかりと交渉が成立したので心置き無く予約しに行く事が出来る。
迎えた土曜日の夜。僕は愛知県の北の方に在住しており、車が必須と言われる地域に住んでいながらも恥ずかしながら車を所持していない。(早く買え)実家から最終の電車に乗って鰻屋の最寄り駅の尾張瀬戸駅へと到着した。
日付が変わって時刻は00:20_____。ここから勝負が始まるのか。この予約を取る為に頑張っt...いや待って、早すぎる。何でこんな早い時間に来とるん?夏の割には肌寒くね?眠くね?暗くね?全然街灯無いしお化け出そうじゃね?いろんな感情が交錯しながらも15分後には呆気なくその地に着いた。
うなぎ 田代
ここが聖地メッカか_____。
いややっぱ暗すぎるやろ。流石に1番乗りだった。そこら��の猫と戯れつつ寝ないようにテンションをガンガンに上げていくプレイリストの楽曲達を聴きながら待った。3時間ほど待つとチョロチョロ人が並び始めた。到着するのが早すぎてどこで並ぶのかが分からなかった僕は並び始めの2組の後ろに並んだ。すると前に並んでいた老夫婦が話し掛けて来て如何にも常連ですよ、と言わんばかりの口振りで「どっから来たの?」と声を掛けてきた。僕が返答すると「全然近いね遠いとこだと大阪や東京からやってくるから」と言っていた。やはりあのパートさんが言っていた事は本当だったのか、と思っていたのも束の間。4時頃には僕含め約10組程の美食家達が綺麗に列を揃えていた。完全にパチ屋で見たそれだった。朝の5時頃。漸く大将が到着。体感それほど待った感じはしなかった。会社で8時間近く立ち作業をしている僕にとってはお易い御用だった。予約を朝の11時に取りその後去った。朝の8時頃にはもう既に予約は終了していたとの事。早すぎやろ。
その間する事が無くお腹も空いていたので近くのファミマでコンビニ弁当とビールをキメた。もうこの達成感だけで非常に気持ちが良いのに何だこの背徳感。いつもよりビールが美味く感じた。その後歩いて1時間半かけてコメダに行った。コメダで時間を浪費しながらまた歩いて1時間半かけて田代近くまで戻った。パートさんがレンタカーで来ていたみたいなのでやや早めに合流し、田代の店内へと向かった。
鰻屋独特のええかほりがプンプンする。
入店すると大将が鰻を素手で焼いていた。その腕捌きは完全に職人の手さばきだった。店内はかなり年季が入っており、長くから続けられてきたんだと言わんばかりの内観だった。まさに老舗。カウンターに3人程座れてテーブル席2組座れる感じ。
もちろん頼むのは鰻丼(上)
ここまで頑張って来たんだ。しかも奢ってもらえる。今日くらいがめつくたっていい。そして思った以上に早いスピード感でうなぎ達は姿を現した。
ありがとう。非常に感謝した。富士山を頑張って登った時に見える絶景と空気の美味しさ。この為に頑張って来たんだ、と。そう感じざるを得なかった。四捨五入したら田代のうなぎは富士山なのかもしれない。そう言わんばかりの面構えをして我々の前に現れた。見た目はかなりシンプル。鰻丼とお吸いものと漬物。薬味等は一切無し。余計な物は要らない。このシンプルな鰻丼だけで勝負してきたとうなぎ達が我々に語りかけている。鰻は1尾と半尾。かなり贅沢。焼いた表面から見える鈍い光がより一層我々の食欲を掻き立てた。そんな御託はどうでもいい。口の中いっぱいになるまで頬張る。
口の中で天変地異が起こった。なんだこれ。美味すぎる。外はパリと言うよりかはサク。中がフワフワでは無くフヮフヮ。この表現をする為にこのヮは生まれて来たのかもしれない。うなぎ特有の後味の臭みも全く無く、やや濃ゆめタレと相性が抜群過ぎる。かなり食べ応えのある鰻。圧倒的ナンバーワンな蒲焼だと思った。長年受け継がれてきた焼き方でないとこの焼き方は出来ないのだろうな、と。5時間近く並んだという付加価値も含めてより美味しさが増している事も事実。しかしそれを抜きにしたとしても手が止まらなかった。割と量あるのかなと思っていたがペロリと食らいつくし、パートさんも余裕で完食していた。後日談で2019年のミシュランガイドに掲載されていたらしい。そんなん絶対掲載なるやん。美味しさ故に暫く余韻に浸り続けていた。長年各地の鰻屋を渡り歩いたパートさんも「田代は越えれんな今の所ナンバーワン」と言っていた。
時が経ち、今年の2月にまた鰻の話題が出た。冬の方が鰻は脂が乗ってて美味いのでまた行こうと言っていたので「またもや奢られチャンスか!?」と思っていたが店側が予約方法を変更したらしい。どうやら大将が大病を患ったらしく、今まで田代を支えてきてくれた常連さんのみに提供する事になったらしい。悔しいが大将には身体を大事にして欲しい。もう少し早ければと自分を責めた。またあの味を求めたかったがもう求める事は出来ないのだと。もう少し早ければ。
いつかまた5代目がこの伝統とも言える田代を引き継いでお店を前のように再開してくれる事を心から祈っております。
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🚚香川県出店の時が来た! #綾錦バームクーヘン
急に季節が進んで肌寒い瞬間が増えてきました。
でも場所によっては10月なのにまだ30℃近い日も💦
体調崩さない様にしないとですね。。。
さて綾錦は瀬戸内海を東へ移動!香川県へ🚚
久々香川県での出店は。。。
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10月25日~10月31日
フジグラン十川
香川県高松市十川東町55−1【地図】
————————
急に秋が深まった感じでカラダがビックリ💦
そうかと思えば昼間はまだ暑いとか。。。
ホント季節!どうなってんのー💦
今年もあと2ヶ月と言うのにまだ台風まで。。。
そんな事を考えつつ焼き上げている綾錦の
焼きたてをあなたの街、香川県スタート✨
既に始まっている香川県出店!
新たな出逢いと久々の再会を楽しみに😊
引き続き頑張って焼き上げます!
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