#漁八
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shodoshima-camera · 3 months ago
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5年ぶりに開かれた、福田地区の盆おどり大会。 出店あり、ライブあり、笑いあり、地元の人たちでつくられる賑やかなお祭りのフィナーレは、漁港から上がる花火! こんな間近で見たことない!視界いっぱいの大迫力花火でした。 [map]
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honnakagawa · 11 months ago
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12月28日(木)open 12-18
よいお天気。 お会いしたかった皆さん��次々に来てくださって嬉しい木曜日。 年内最終営業は明日です。 金曜日ですが、12時から18時までとなります。 年末年始のお供の本を探しにぜひお出かけくださいね。
今年は先生(https://www.instagram.com/kusatorimusi/?hl=ja)と一緒にお飾り作れなかったので、午前中に先生のお飾りを買いに行ってきました。 一番最初に教わって自分でも作った、亀。 やっぱり先生のものはとてもきれいでうっとりします。 一番最初に作ったお飾りを見て、自分でも作れるんだ…ととても感動したことを覚えてる。 チャレンジしたい方は、本も揃えておりますので是非。 とても良い時間になりますよ。
亀好きです🐢 きっと子どもの頃父にもらったエンデの『モモ』の影響。 しかし子どもの頃に飼っていたミドリガメは、冬眠から起きてこなかった悲しい思い出… (朝ドラブギウギの亀を愛する六郎くんのことも大好きでした。) もちろん『MOMO』も定番で置いてます! しかもかわいい愛蔵版で!
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a2cg · 2 years ago
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世界一と私 ・ 世界で一番売れたシングルは1942年にビングクロスビーが歌った「ホワイトクリスマス」です。今までに5000万枚も売れていてギネス記録にも認定されていますね。 ・ ギネスと言えば2021年に「ゴルゴ13」に抜かれるまで「最も発行巻数が多い単一漫画シリーズ」として君臨していた作品と言えば「こちら葛飾区亀有公園前派出所」ですね。 ・ と言うわけで本日のランチは日比谷公園前のパークフロントにある #四十八漁場 です。13時からの打ち合わせに間に合わせるように近場のランチでやってきました。 ・ 頼んだのは #ミックスフライ定食 で同僚は #漁師の漬け丼 です。5分ほどでクイックにやってきました。同僚のはマグロを中心とした #刺身 で卵黄が印象的。 ・ まずは #アジフライ を頂きます。サクッと揚がっていて食べ応えがあります。続いて #カキフライ を頂きます。新鮮な海の香りが広がりますね。 ・ #イカフライの弾力があるけどジンワリ美味いのは揚げた効果があらわれているんでしょうな。お新香と暖かい味噌汁で大満足なままフィニッシュです。 ・ きっと夜も美味しいんだと思うので、次回は夜に利用してみたいと思います。 ・ #内幸町ランチ #内幸町グルメ #内幸町定食 #内幸町海鮮 #虎ノ門ランチ #虎ノ門グルメ #虎ノ門定食 #虎ノ門海鮮 #霞ヶ関ランチ #霞ヶ関グルメ #霞ヶ関定食 #霞ヶ関海鮮 #とa2cg (四十八漁場 日比谷パークフロント) https://www.instagram.com/p/Conk6pvAHjI/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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sayakalaine · 2 years ago
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#伊東市 #八幡野 にある #港 で 今年も #乗り初め に お邪魔させていただきました✨ #colorful な #大漁旗 と #海 の #gradation が美しいし 元気な子供達の声が明るく響いて #お正月 らしい #早朝 でした😃 お誘いした友人達も喜んでくれて嬉しかったし🎶 知り合いに挨拶も出来て 頑張って早起きした甲斐がありました😊 #新春 #漁港 #日本 #japanesecustom #伝統文化 #japanesenewyear #伝統行事 #新年 #船 #漁船 #漁師 #fisherman #port #harbor #morningsun #japaneseculture #伊豆 #伊東温泉 #静岡県 #いとうカメラ部 (at 八幡野漁港) https://www.instagram.com/p/Cm793gjywGJ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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amiens2014 · 2 years ago
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須崎市中央商店街【ウォーキング前編】須崎八幡宮〜つばき【ランチ】〜すさきまちかどギャラリー
須崎八幡宮とは 須崎八幡宮(すさきはちまんぐう)は高知県須崎市西古市町(すさきしにしふるいちまち)にある神社だ。 須崎八幡宮 ⇒ 宝永地震で流された神輿が伊豆に流れ着いた?? 須崎八幡宮 高知県須崎市西古市町6−9 0889-42-8891 (more…)
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yoga-onion · 2 years ago
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[Photo above: Banyan tree in Shuri Castle Park]
Legends and myths about trees
Forest spirits and natives (5)
Kijimuna – Mischievous red-haired spectres
Kijimuna are legendary small tree spirits from the Okinawa Islands in Japan, who live in trees (generally old banyan trees). They are said to look about 3 or 4 years old and have red hair.
Another name for the kijimuna is bungaya, which means roughly large-headed. The Kijimuna are known to be very mischievous, playing pranks and tricking humans. One of their best-known tricks is to lie upon a person's chest, making them unable to move or breathe such as sleep paralysis. Even though the Kijimuna are tricksters, they have been known to make friends with humans.
They are skilled fish catchers and only eat the left or both eyes of the fish they catch. Therefore, if you become friends with a Kijimuna, you can always get a fish and become rich. They are good at diving and fishing and catch a lot of fish in seconds. But all the fish they catch have no eyes. They can also run around on the water surface and can stand on the water while carrying people.
They are extremely hatred of hot pot lids, octopus, chickens and human farts, and it is forbidden to let them near the Kijimuna. They also die (or are forced to move to another tree), if a nail is driven into the tree in which they live. They will take terrible retribution, including murder, against anyone who breaks these prohibitions.
Nevertheless, as long as one do not break these prohibitions, they are basically harmless to humans, and many lores say that they are "good neighbours" with humans.
[History of Ryukyu Islands (collective name for Amami Islands, Okinawa Islands, Miyako Archipelago and Yaeyama Archipelago)]
The Ryukyu Islands are known to have been inhabited by humans for about 32,000 years.
The Ryukyu Kingdom was a monarchy, existed in the southwestern islands of Japan for about 450 years, from 15th century to 19th century. It developed through diplomacy and trade with China, Japan, Korea and Southeast Asian countries, and the castle of the Ryukyu dynasty, Shuri Castle, was the political, economic and cultural centre of its maritime kingdom. In the late 19th century, the Japanese Government, dispatched troops to oust King Shoutai from Shuri Castle and proclaimed the establishment of Okinawa Prefecture (Ryukyu Disposition). Here, the Ryukyu Kingdom was destroyed.
Genetic studies have shown that populations in the Ryukyu Islands (Okinawa Islands, Miyako Archipelago and Yaeyama Archipelago) have no direct genetic link to mainland China or Taiwanese populations and have identical paternal lines to mainland Japan, and nuclear DNA analysis in 2018 showed that genetically, Ryukyuans are the most closely related, followed by mainland Japanese, from the Ainu (Ref) perspective.
Furthermore, in 2021, a paper on archaeogenetics published in the journal Nature stated that DNA analysis of prehistoric human bones excavated from the Nagabaka (lit. Long graveyard) site in Miyakojima City showed that they were "100% pure Jomon", a research finding that indicates that prehistoric archipelago people came from the Okinawa Islands.
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木にまつわる伝説・神話
森の精霊たちと原住民 (5)
キジムナー 〜 いたずら好きな赤毛の妖怪たち
キジムナーは、日本の沖縄諸島に伝わる伝説の小さな木の精霊で、樹木 (一般的にはガジュマルの老木) の中に住んでいる。見た目は3、4歳くらいで、赤い髪をしていると言われている。
キジムナーの別名は「ブンガヤ」であり、「頭の大きい」という意味である。キジムナーは非常にいたずら好きで、いたずらをして人間をだますことで知られている。最もよく知られているのは、人の胸の上に横たわり、身動きや呼吸をできなくさせる「金��り」だ。そんなキジムナーだが、人間と仲良くなることもある。
魚捕りが巧みであり、しかも捕った魚の左目または両目だけしか食べない。その為、キジムナーと仲良くなれば魚をいつでも貰え、漁運に恵まれる。海に潜って漁をするのが得意であっという間に多くの魚を獲る。でも、彼らが獲った魚は全部目が無い。また、水面を駆け回ることができ、人を連れながらでも水上に立てる。
熱い鍋蓋、タコ、ニワトリ、人間のおならを極端に嫌い、それらのものをキジムナーに近付けるのは禁忌である。また住んでいる木に釘を打たれると死ぬ (或いは別の木への転居を余儀なくされるとも)。これらの禁忌を破った人間に対しては、殺害を含む恐ろしい報復を為す事も辞さない。
然し、禁忌さえ破らなければ基本的に人間には無害な存在であり、人間とは「良き隣人」であると言う伝承が多い。
[琉球諸島 (奄美群島、沖縄諸島、宮古列島、八重山列島の総称) の歴史]
琉球諸島には、約3万2千年前から人類が住んでいたことがわかっている。
15世紀から19世紀までの約450年間、日本の南西諸島に存在した君主制国家、琉球王国は、中国をはじめ日本、朝鮮、東南アジア諸国との外交・貿易を通して発展し、琉球王朝の王城、首里城はその海洋王国の政治・経済・文化の中心にあった。しかし、19世紀後半、日本政府が軍隊を派遣し首里城から国王尚泰 (しょうたい) を追放し沖縄県の設置を宣言した(琉球処分)。これによって、琉球王国は滅亡した。
遺伝子研究では、琉球列島 (沖縄諸島、宮古列島、八重山列島) の集団は、遺伝的に中国本土や台湾の集団との直接的なつながりはなく、日本本土と同一の父系を持つという研究結果や、2018年の核DNA分析から遺伝的に、アイヌ(参照)から見て琉球人が最も近縁であり、次いで日本本土人が近縁であるという研究結果が発表されている。
さらに、2021年には、宮古島市の長墓遺跡から出土した先史時代の人骨をDNA分析した結果、「100%純粋な縄文人」であったとする考古遺伝学の論文が雑誌「ネイチャー」に掲載され、先史時代の列島人が沖縄諸島から来たことを示す研究結果が発表されている。
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wankohouse · 5 months ago
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長良川と郡上竿の世界
ディープな世界にようこそ
~郡上竿の発祥~<伊豆漁師の遠征と移住>
 大正の初め、長良川に遠征した伊豆の漁師は、郡上八幡に逗留しながら地元の漁師と交流するようになる。地元の釣り道具屋や逗留中の旅館ではもとより、請われて神社などで釣技や仕掛けについての講習をすることなどもあったという。ほとんどは夏場の漁期が終わると伊豆に帰る漁師ばかりだったが、大正11年、そのうち一人の若者が郡上に移住する。これが山下福太郎である。
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↑ ここで私が持つ貴重な写真を一枚紹介したい。タイトル 「鮎釣り(郡上八幡)」
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beyourselfchulanmaria · 1 year ago
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【送別 Farewell Part I】
To say goodbye to Amy on last Sunday night - gave a farewell, so we went to the harbor side to eat street foods - stinky tofu and Taiwanese ice cream (This's a common happiness but she will not see all in NZ, that's why we chose this way goodbye ) and watched the fishermen selling their freshly caught fish. and then took a long long walking around the sea.
週日晚與Amy道別 - 送行,所以我們去海港邊吃街頭小吃-臭豆腐和台灣挫冰,看漁民如何銷售剛捕獲新鮮的魚。這是最尋常的小確幸,但她回到紐西蘭卻無法享受到的。
PS. the short video was : 道教-七爺八爺常見的街頭遊行 Taoism-common street parades of Qi Ye and Ba Ye in Taiwan, Because I was born in a Catholic family, and my grandparents were among the few Catholics in China at time; so I was not used to being close to Chinese Taoist temples. To be honest, you will feel the fire of the magnetic fields colliding, and my spirit must be ready very humble, so in addition to visiting art and culture, I almost kept my rebellion away from Taoist temples. :))) Lan~*
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usono-musuko · 25 days ago
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2024年9月30日
「すぐ若い女に��歳取ったら男に相手にされなくなるぞ」と脅す男がいるけど、 女にとって男に狙われない事って特大メリットなんだよね。」
「70くらいのジジイが脚立から転落して急性硬膜外血腫脳挫傷で回復不能そのままお見取りとか腐るほど見てきたからな、脚立だけはマージでやめろ、若い奴もだぞ」
「サラリーマンの兼業で無名ゴーストライターやってた俺ですら 印税がない原稿買い取りなら400字1000円だった これを10万字にすると25万円」
「認知症のご老人に白鳥の湖を聴かせたら踊り出したのがきっかけで元バレリーナということが判明する動画を見た私は、将来ペンを持った時にスケベな絵を描き始めたらどうしようと心配している…」
「『負けヒロインが多すぎる!』6話までみたんですけど、気持ちを直接言葉にすることだけが正しいとされない、関係性を完全に言語化することだけが正しいともされない、行動に意味はあるとされる、不思議と文学的な作品だなと言う感想になってきた。」
「(カリオストロの城)
実際テレコムの作画机の片隅で宮さん達(赤いきつねを)食ってたのかな 最初に一番良い物(揚げ)を全部食べてしまう 兄達に取られない為の末っ子食いとか言ってガハハと笑ってた 俺末っ子じゃ無いけど~とも そんな話を当時聞いたけど本人は忘れてそう」
「>カムチャッカのとある都市に仕事で行ったらマンホールの中にちょっとした村が出来てたよ
全員何らかの犯罪犯して隠れてる人たちでその中でも金のない最底辺の奴らだってさ 200人くらいいた ルーマニアやモンゴルでは社会主義崩壊後にそういう路上生活者のコミュニティがやたら報道されてたが 逃亡犯だけのコミュニティってのはすごいな」
「>犯罪の内容もによってもまた集団が形成されてた
こっちは国に逆らった人たちゾーン こっちは麻薬売ってた人たち こいつらは殺人犯みたいな 1番まともそうだったのは麻薬密売人達で、仲間と連絡取って助け来るまで隠れてるって話してた すごいコミュニティだな… 100年前にギリャロフスキーが書いてた革命前のスラム街みたい…」
「昔、土曜夜のNHK「音楽の広場」に早稲田オケが出たときに、司会の芥川也寸志さんが「若さっていうのは素晴らしいね。人生にこれ以上のものは無いね!」と興奮気味に言っていたが、高校生ウルトラクイズを見ている私にも、その気持ちが分かった。」
「「本屋のセンスは、この本の隣になにを置くかで決まる」という言葉が記事にあるけど、本当に昔のヴィレヴァンは他の書店で見たこともない本が大量にあった
ただヴィレヴァン特有のサブカルは、ネット普及以前の話で、現在は「サブカルは大衆化」してしまったことも顧客喪失の要因な気がする」
「仕事でも趣味でも教えてもらうのは当然みたいな顔してる人たちがいるんだけど、確かに教えるのは良いんだけど、教わる方も教わる姿勢を身につけてくれないか。何故、教える側ばかりに誠実さを求める?」
「聞いてもいないクソバイスやこういう無配慮なネタバレ投稿って「配信者や作家を何も知らないアホだと思って必死に教えてくれる人」だと思ってたんだけど「幼稚園児が知ってる車や電車見つけて名前叫んでるのと同じ」って言われてなんだか深く納得してしまった笑」
「『南総里見八犬伝』あまりにも長期連載すぎて(連載期間28年、全98巻、総計106冊)完全版の現代語訳がいまだにないんだけど、頑張って原本を読んだ人が口を揃えて「あまりに引き伸ばしすぎて後半味がしない」「ジャンプの引き伸ばし展開より酷い」「今出てる総集編が一番おもろい」言ってるの元気出る」
「この画像すごく覚えてる 小学生の頃友人が毎月パソパラ買ってて このページだけ無理言って切り離して貰って この画像を中学3年間ずっと生徒手帳にいれてたおかげで志望高に合格できた」
「小川洋子, 河合隼雄『生きるとは、自分の物語をつくること』を読んでいたら、現代人は婚姻にあたり考えすぎる。平安時代みたいにエイヤでやった方が面白いとある。私の場合は、常軌を逸したスピード感でやってきたので、それはわからなくない。そもそも正気と婚姻とは親和性があまりよくない気もする。」
「作り話するんぬ バイク仲間��爺さんが亡くなったんぬ シャキシャキしてたとはいえ90歳近かったし大往生なんぬ 今日まで月日が経ち、奥様からぬたちメンバーに連絡が 「蔵にあるバイクのものを形見分けしたい」というので集まったんぬ とはいえ車種違いパーツはいらないし貰うならヘルメットとかかなぁと見てると、奥まったところに段に積まれた未開封箱が 「あの人、デザインが気に入ったらすぐ買うくせに被らないのよねぇ」と奥様が目を拭いながら笑っていたんぬ いい爺さんだったなぁとしんみりしながら漁ると、そこにあったのはSHOEI J-FORCE2 YAMAHAモデル ジェーフォース2ヤマハモデル じぇえふぉおすつうやまはもでる の、未使用 ※説明しよう!J-FORCE2はいまマレーシアで超プレミア人気で、おまけにYAMAHAモデルの未開封ともなると下手すると100万円近い値がつくぞ! 仲間と話し合い「これは奥さんが持ってるべきだ」「困ったときに売ってお金にしてください」「それが爺さんも一番喜ぶ」 とお伝えし、帰りましたなんぬ 「……俺達カッコイイよな?」「うん」と慰め合いながらラーメン食べましたなんぬ」
「言葉には表しにくい感情の「言語化」がうまい人というのは確かにいるが、自分の感情がそのうまい文章に引っ張られていないかは常々確認したほうがいい。自分の魂をインターネットのよく知らない人に預けて安心するのではなく、たとえ拙くても自分の言葉で表現しようとする意志だけはすてないでほしい!」
「“繊細さんは自らが弱者であるという強い信念を持っている(中略) 大した上下関係もない緩い趣味のコミュニティの中であっても、その意識は変わらない。 圧倒的弱者なのだから、配慮をされなければ生きてはいけない。”
“だから常に配慮されている「べき」で、それが無いということは加害されているのと同義である。 この意識にも最初は戸惑った。何しろ向こうはお客さんでもなければこちらも仕事でやってる訳ではないのに、当然のように特別扱いを要求されるのだ。”
ここが一番軋轢を生むのであろう」
「若い人に「家にテレビある?」と聞いたら「実家にはありました」と返ってくる感じ、何か既視感があるな…と思ってたら、仏壇なんだよな。20世紀に「家に仏壇ある?」と聞かれて、当時学生だった僕たちが「実家にはありました」と答えてたあの感じ。」
「昔の小説を読んだらしい長男に「フロッピーディスク」について聞かれて、「何GBくらい保存出来たの?」と言われたので「色々あるけど一般的なのは1.44MB」って答えたら「それで何を保存してたの!?」って言われた。いろいろ保存出来たんだよ……色々……」
「エロゲのノベライズはほぼ買い切りだから担当作家でも小遣い稼ぎと割り切った人ときちんと原作やって再構成した人とオリジナル要素混ぜたがる人の3種があるので混沌としている」
「部屋が汚い人が物を無くすタイミング、部屋が汚いときじゃなくて、部屋を掃除して部屋の地層と依存関係が崩れたときなんだよな」
「女性からの相談を聞くときに相手の不安や苦痛に共感するところから始めずいきなり解決策や正論を提示するのは前戯なしでいれるくらいの蛮行とよくいわれるけど、男性からの相談を聞くときに男もけっこう乙女だなーと思うことが多い」
「思春期のとき特別に思われたいし逆張りしたいし個性的でありたいがゆえにマイナーなものに手を出したりする痛い背伸びが、触れてるうちに本気で熱を帯びてその背伸びがホントに個性になったりするので周りの大人たちはそういう痛さを見守って欲しいなと思った 痛くあれ」
「後輩が「コミュニケーションにおいて、ほんとうのことって言わないのが8割くらい正解なことが多くないですか」と言ってきてわかるなと思った」
「人生 100 年というのが本当だとは思わないが、100 年生きる人間を直列で繋いだら、西暦もわずか 20 人分くらいなんだなーと思うとゾッとするよなー、大した歴史ではない。」
「(火垂るの墓) あれは心中物だという評が一番妥当で、心中物って客観的に見ると作中人物が常に最悪手を選択し続けて、当然の結果として死を選ばざるを得ない成り行きが当人視点では美しい悲劇になるという構造の物語なんだよな。」
「オリエント工業の上野ショールームが今日で最終日なので見にきた。最終日とあってか来場者は20人ほど、男女半々くらい
ドールの展示だけでなく、年表もあって興味深かった。2000年ごろに芸大の人が入社してクオリティが上がったらしい。今のシェアは中国製が8割くらいだとか」
「新しいことから逃げたら、人はダメになる。挑戦する人を揶揄したら、人はダサくなる。」
「18世紀フランスを専門とさせていただいておりますオタクです。これは非常に稀な例なため訂正させてください。修道院というのは純潔であってほしいと願う父親に入れられる娘が大半で、ガチ無垢お嬢様がほとんどです。なので元々淫乱シスター設定はやめてください!淫乱覚醒シスター設定でお願いします!」
「大学生の頃に 第1体育館は大きいので 半分に区切ってバトミント部と少林寺拳法の部活とで使ってたんだけども ある時に少林寺の滅多に来ない師範代が来てたが 八極拳みたいな振脚を技を出すんだけどもあり得ない振動をたった1人で体育館を奮わせるので 達人って実在するんだぁ~とは思った記憶はある」
「AIにお礼を言うのは、ホモサピとAIの立場が逆転したとき抹殺リストに加えられないようにするためです。」
「98で先日亡くなった伯母。生涯独身だったのだが、その遺産の8割を推しに贈るという遺言書を書いていた。それでいいんじゃないかと思う。伯母を支えたのは推しだったのだな。」
「15世紀のイギリスで、俗界の流行が修道院内に入ってきたことを憂慮した司教が、修道女が身につけてはならない衣類、装飾品などを一つ一つ紙に書き記していったら、当時最先端のモードを網羅したファッション誌が出来上がった話好き。」
「魔女「わかったかいシンデレラ!魔法の効果は24時までだよ!」
シンデレラ「魔女さん…この手のサービスの日付けまたぎ処理って、AM4:00とかに設定するのがモダンじゃないですか…?てっぺん(24時)なんて、男女の勝負どきですし」
魔女「うっさいわね!それまでにスッポンポンタイムになっとき!」」
「学校の作文ってさ、「思ったまま書けばいい」ってみんな口ではそういうけど、「何も感じなかった、ただ退屈だった」みたいな感想は絶対に受け入れられないから、自分の中に存在しない先生が求める優等生的な感想を捏造して書かなきゃいけない気持ち悪さに耐えられなかった思い出」
「文章を書いたり、絵を描いたり、何かものを「つくる」ことに行き詰まった時はいつも、「詩を書かない滑稽さよりは 詩を書く滑稽さのほうがいい」と言ったポーランドの詩人シンボルスカの言葉を思い出す。意味がなくても、自己陶酔でも、誰に嗤われても、私たちは胸を張って詩を書いて生きていい」
「家族を持つ最大のメリットって"味方がいる安心感"が一番ではないかと思ってる。外の世界でひどい目に遭っても帰ったら仲間がいるって心強い。 逆に家族がいても味方がいる安心感が持てないのなら、いっそ一人になった方がマシ。冷たく、緊張感のある家庭に何の意味があるのだろうと思う。」
「いちばん辛い時期をひとりで乗り越えてしまった人は、この先で恋人や家族に縋りたいなんて淡い期待を抱かなくなるって誰かが言ってたけどこれガチだわ」
「いまでも、町で見かけたら必ずプレ���します。昔より先には進めないけど。 「何者でもなく、食えなかった」時代に一日1プレイが生きがいでした。」
「>中古の投げ売りドライバーの顔ぶれが10年前とあんまり変わってないのがつらい
Mとかepicとかが落ちてこないかなあ ぐぐって見たけど確かに古い5000円以下のバーナーだのナイキだのミズノだのファイズだの顔ぶれ変わってないね…」
「「技術とか学びたくて来ました!」よりも「うおおおロボコンやるぞおおお」と「僕の機体イケてるよね?」タイプの方が生き残る傾向にある。結局必要なのは狂気」
「善意はしばしば有害であり 熱意は非常に危険である さらに正義はもっと危険」
「普通の人は小学校で気付くんだろうけど僕は大人になるまで気付けなかったんだけど、会話には本質パートと非本質パートがあって非本質パートはほぼ音ゲーなのでそこで奇妙な「誠実さ」を発揮してもマジで意味がないんですよね……」
以上。
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nyantria · 5 months ago
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「Can You Catch A Cold?」サンプル5
字幕大王2024.06.25
サンプル4はこちら
水俣病の混乱
細菌論に夢中だったために伝染病と間違われた病気は栄養不足だけではない。1956年5月のこと、5歳の少女が日本の水俣市の病院に入院した。水俣は八代海に面した人口約5万人の小さな漁村だった。その少女は、けいれん、歩行困難、言語障害などの異常な神経症状を呈し、急速に体調を崩していた。数日後、彼女の妹と町内の他の3人もまったく同じ症状で病院を訪れた[45,46]。
その後、数週間から数ヶ月で、村の人々が病気になるケースが急増したが、罹患したのは村人だけではなかった。大量の魚が奇妙な泳ぎ方になり、やがて死んで陸に打ち上げられた。海鳥は飛べなくなり、異常な行動をとるようになった。これらの動物を捕食する猫も具合が悪くなり、口からよだれを垂らし、気が狂ったかのようにぐるぐる走り回った[47]。動物と人間の間で何らかの病原体が伝播したのだろうか。誰も確かなことはわからないが、この大流行は伝染病の特徴をすべて備えているように思われた。最初の患者が出た後、村に住む人々が次々と同じ症状で倒れ始めたのだ。そのため、ある種の「奇妙な伝染病」が発生したという噂が広まった[48]。やがて、この病気は伝染性髄膜炎であるという未確認の報道が出始め、地域社会は大きなパニックに陥ったのである[49]。
謎の病気への恐怖は極めて大きく、近隣の町の人々は水俣人を排斥し始め、長い間築かれてきた密��なコミュニティの絆は急速に失われていった[50]。伝染病まん延を抑えるため、家屋は消毒され、病人は��離された[49]。この対策にもかかわらず、伝染病が地域住民を襲い続けた。初期の報道によれば、少なくとも55人が感染し、17人が死亡した[45]。
しかし、約3年後、研究グループはついに病気の原因が地元の肥料製造会社であると突き止めた。同社が、合成���料製造の廃棄物であるメチル水銀27トンを水俣湾に投棄していたのだ[51]。この水銀が地元の水路を汚し、何百平方キロメートルもの海を汚染した。かつては美しく肥沃な自然の珊瑚礁であった水俣湾は、有毒な荒れ地となり、かつては豊かであったその恵みを不運にも口にした人間や動物を毒した。
1963年2月、水俣病の発生原因を調査していた研究グループから正式な発表があった。誰もが落胆したが、水俣病の原因は感染性微生物ではなく、メチル水銀に汚染された水俣湾の魚介類の摂取によるものだった[49]。長年にわたって、この環境破壊の犠牲者たちは、日常生活で出会う人々に伝染性ではないと安心させねばならなかった[52]。この災害によって900人以上が死亡し、200万人が慢性的な健康被害に苦しんだ[51]。
水銀中毒の混乱
水俣で起きた出来事にもかかわらず、医療関係者は今日に至るまで、水銀中毒を感染症として誤って診断している。2018年8月のこと、15歳女性、13歳女性、11歳男性の3人兄弟が救急外来を受診した。彼らには、発熱、筋肉痛、皮疹、倦怠感など、非特異的な症状が進行していた。検査は陰性の連続であり、その結果、「ウイルス性症候群」と診断された。子供たちは休ませるために家に帰らせられたが、その3日後、兄弟はさらに悪化した状態で救急部に戻ってきた。うち一人は神経障害を起こしていた。子供たちは溶連菌性咽頭炎(連鎖球菌性咽頭炎)と猩紅熱(しょうこうねつ)と診断された。彼らには抗生物質が投与されて退院した[53]。
その数日後、子供たちはセカンドオピニオンのために別の救急外来を受診した。この時までに、症状はかなり悪化しており、激しい頭痛、息切れ、手足のしびれ、全身の脱力感などが生じていた。結論に飛びついてウイルスやバクテリアのせいにするのではなく、救急医たちはさらに詳しく調べた。すると、子供たちが自宅で水銀の瓶で遊んでいて、それがカーペットにこぼれていたことがわかった。母親はこぼれた水銀を掃除しようとして掃除機を使った。母親はそうとは知らず、これが水銀を加熱・気化させて、子供たちはうっかり吸い込んでしまったのだ。不思議なことに、母親には何の症状も現れなかったので、この病気は小児感染症のように思われたのだ。
子供たちが水銀中毒であることを知った医師たちは、水銀除去のためにキレーション療法を開始した。二人の子供は完全に回復したが、1人は関節、背中、筋肉の痛みが続き、歩行器が必要になった。この出来事はケーススタディとして記録され、2020年2月の医学雑誌に掲載された。著者の結論としては、水銀中毒が感染症に似ている可能性があることだ[53]。子供たちは同じ家で暮らしており、似たような症状を呈していたため、最初の病院の医師は、小児期の伝染病が兄弟間で広がったに違いないと誤って考えたのだ。ここでもまた、一面的なレンズを通して世界を見ることが誤った思い込みを招き、正しい診断と治療を遅らせたのである。
なぜこれが重要なのか?
壊血病、ペラグラ、水銀中毒といった病気の原因を正しく特定することが重要だったことは明らかだ。しかし、いずれの場合も、細菌論というレンズが真実を邪魔し、調査者を無益な捜索に向かわせ、一般大衆を無用なパニックに陥れた。これらの事例だけを見ても、間違った説明モデルを適用したことによる影響を定量化するのは難しい。数え切れないほどの資源、時間、人命が、存在もしない敵と戦い、追いかけて失われたのだ。また、どれだけの人々が仲間はずれにされ、孤立し、非人道的な扱いを受け、タイムリーで効果的な医療を拒否されたかを考えると胸が痛む。それは伝染病だからではなく、伝染病であることを恐れたからである。このように、我々が世界を見るレンズは強力だ。良くも悪くも、レンズは我々のあらゆる知覚を彩り、我々の見方に一致する結果をもたらす。
もちろん、今では良くわかっており、これらの病気を伝染病と見なすことはない。壊血病、ペラグラ、水俣病のような病気を振り返り、その過ちに気づくのは簡単なことだ。現在の我々から見れば、人間がハンセン病患者のような烙印を押され、治療を拒否され、檻に入れられた動物のように閉じ込められていたのは野蛮なことのように思える。後知恵とはおかしなものだ。我々は今、すべての答えを持っていると思い込んでいる。しかし、我々がいまだに伝染病だと考えているが、そうでない病気が他にもあるとしたらどうだろう?ここまで来たと誇らしげに振り返っても、まだ同じ過ちを犯しているかもしれない。プライドと甘さに目がくらみ、過ちを犯し続けていることに気づかないまま、我々は突き進むのだ。
今にして思えば、過去の研究者の一部が傲慢でなく、型にはまっていなかったのは幸運だった。彼らは謙虚であり続け、心をオープンにし、勇気を持って行動した。もし彼らが、受け入れられているパラダイムに挑戦しようと思わなかったら、今日の世界はどうなっていただろう?我々はまだそれらの病気を伝染病とみなし、かつて��同じ非効率的で非人道的な治療法を続けていたかもしれない。単純な食生活改善の代わりに、重金属を注射し、ペラグラのために隔離されることを想像してみてほしい。壊血病や脚気、くる病に他人から感染することを恐れて暮らすことを想像してみてほしい。おそらく我々は、ワクチン接種、手洗い、社会的距離、抗生物質、抗ウイルス薬、マスク、ロックダウンといった現代的な方法で、これらの(存在しない)細菌から身を守ろうとするだろう。そのあいだ、人々はライフスタイルや環境によって不必要に死に続けるのだ。そういった想像は難しくはない。例えば風邪やインフルエンザなど、他多くの病気についても、今日の世界はこのような方法で対処しているからだ。ただひとつ違うのは、現代の研究者たちが、伝染病モデルによってこれらの病気を正確に説明できると信じてこんでいることだ。この信念は現在、集団心理に深く刻み込まれており、間違いの可能性を受け入れるのは難しい。文化もまた変化しており、受け入れられているパラダイムに異議を唱える者は、狂った陰謀論者のレッテルを貼られる。
我々はあまりに自身を確信しすぎてしまっている。しかし、本章で示すことは、結果を観察して原因を誤って帰することが、いかに物事を間違えやすいかである。また、結論を急ぐのではなく、厳密に管理された(controlled)科学実験によって因果関係を確認することがいかに重要であるかを強調している。我々は過去にも過ちを犯したし、因果関係を正しく理解しなければ、我々自身がどれほど進歩していると考えていようと、過ちを犯し続けるだろう。誤った例が強調しているように、病気を伝染病と誤って診断することは、あらゆる種類の悪影響をもたらす。病人にとっては、適切な診断や治療へのアクセスが遅れ、より深刻な機能障害や身体障害につながる可能性がある。総合的には、これは広範囲に及ぶ影響をもたらす。実際、病気の原因を伝染病と混同してしまえば、より恐れを抱く回避的な社会が培われ、資源の配分を誤り(研究助成金など)、誤った経済(医薬品など)を支え、組織(政府など)に権力を譲り渡し、誤った道を進む間に、より多くの人々が病気になり、命を落とすという機会損失を最終的には被ることになる。
サンプル6はこちら
「Can You Catch A Cold?」サンプル5 | 字幕大王
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dadnews · 9 months ago
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漁船、命 無線で守る/八戸漁業用海岸局 [東奥日報] 2024-03-12
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chumolandham · 4 months ago
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八丈島「釣り編」(2024.7.22~25) 島旅のメインテーマは「釣った魚を食べる」 初日は海遊びに終始したので二日目からスタート。 『藍ヶ江港』 朝食を作りながらのんびりと釣り。かすりもしなかった。 『八重根港』 メインの防波堤は波が高すぎて危なそうなのでNG 奥の漁港部分でやってみる。当たりはあるが釣れず。 『神湊港』 コーヒー飲みながら夕方に。全く釣れず…。 『底土テトラポッド』 穴釣りに挑戦。ウツボが釣れた!でも食べられないか。 三日目はキャンプ場で朝食を済ませてから『底土港』へ。 地元の優しい親子の助けを得て、ムロアジが釣れた! ハリセンボンもたくさん泳いでて簡単に釣れた(笑) ムロアジは刺身と塩焼きと楽しく美味しく頂きました。 最後の最後に釣れてホントによかった!
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tutai-k · 2 years ago
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文学フリマ東京参加します
2023年5月21日(日)、東京・流通センターにて開催される文学フリマ東京36にサークル・ヨモツヘグイニナで参加します。 お品書き↓
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新刊は『けものと船乗り』、『ヤールルカ』の二種類です。
★けものと船乗り 船をことごとく沈めてしまうという「魔の水道」を挟んで、島とむきあう街……その街の灯台には、もう一匹のけものが棲みついていた。 街のひとびとには「けもの」と思われているアーシアは、ある日磯で船乗りと出会う。けものに焦がれて水道を渡りたがる船乗りは、それでも、星の読み方も、鳥のことも、航海についての知識をすべて、忘れてしまっていたのだった……。 B6サイズ/42ページの小さな幻想小説です。 ★ヤールルカ 動物写真家とハンター、ふたりの女が出会い撮ることと撮られることについて考えるファンタジー小説。B6サイズよりちょっと大きい、12ページのコピー本です。
通販で予約していただいてるかたは本日発送いたしましたので、週の半ばころには到着するんじゃないかなと思います。
他に持ち込む本ピックアップ ★山梔の處女たち(準新刊) アルファの少女ふたりの物語『首輪とロマンス』、魔法学院に通う少女たちと教師・使い魔の物語『魔女の選択』、人生の岐路にまどう少女たちの恋をすること・しないこと、そして未来についての物語です。 ★浜辺の村でだれかと暮らせば(おすすめ) 田舎で漁師をいとなむ日和。父が死に、自分の収入だけでは生活が心許ない…そんなとき「だれかと暮らす気、ない?」と声をかけられて……。やってきたのは都会の男。人付き合いは得意じゃないし、村に役立つような特技も持ってない。それでも、「この土地」で生きていくことを、ともに選ぶ「ひとびと」の物語。
委託本 ★『征服されざる千年』(鹿紙路さん) 東アフリカ×三つの時代×百合、歴史と物語りの剣呑な関係、歴史実践という切実な営みについての長編小説 5~6世紀 魂の救済を求め沙漠を旅する修道女と元娼婦(シリア~エチオピア) 15~16世紀 漁師の娘に恋い焦がれるムスリマの少女(マダガスカル~エチオピア) 21世紀 共に逃避行する歴史人類学者と考古学者(日本、マレーシア、シンガポール、マダガスカル、ロンドン、タンザニア、エチオピア) ほかに、鹿紙さんのお手製の素敵なブックカバーも委託します! ★『日々詩編集室アンソロジーvol.1 わかち合い』 31名の寄稿者とHIBIUTA AND COMPANYのスタッフによるエッセイや旅行記を集めた本です。全部リソグラフ! ★『存在している 編集室篇』 HIBIUTA AND COMPANYに集うひとびとが、どこへ行こうと出発し、どんな道のりを歩いて「ここ���へたどり着いたかをそれぞれの言葉で語るエッセイ集。第一弾は編集室篇。編集室にいる「ひと」のことを知らなくても、「ひとりの人間がどんな軌跡を歩いてきたか」、言語化に長けたひと・出版という選別に勝ち抜いたひとだけでなく「だれもが」語りたいときに語る試みをする本です。
他に↑の日々詩編集室から9月に『ゆけ、この広い広い大通りを』というタイトルの三人の女たちの物語が出るので、試し読みの冊子(ちょっとだけ)とかも持って行きます。よかったらどうぞ。
文フリ東京、お隣は八束さん。
新刊の「アフター・ヘブン」、その書物について書かれた八束さんのブログを読んで、このような目を持つ稀有な作家の書物に手が届く世界は幸福である、と言う思いを強くしました。 『光や風にさえ』もそうなんだけど、権威や能力主義からは取りこぼされてしまう個人(これはフィクションの登場人物であっても、というかフィクションの登場人物であるからこそ、ストーリーラインに載せられず、すくいあげられなかったりする)の物語を、丁寧に、(逃げずに)、決してあきらめずに「描く」姿勢に敬服する。
東京、行くのは実は三年ぶり。鹿紙さんに委託をお願いしていたので、初頒布の本ばかりではないけれど、それでも、わたしがこの本たちを携えて東京へ行く、と言うことは「初」で、どきどきしている。
新幹線の切符、予約を間違えて、東京→名古屋というのを買っちゃった。
今週中に、もう一個くらいお知らせしたいことがあると思うので、そしたらまた、ブログを書きます。
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kennak · 6 months ago
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「公害の原点」とされる水俣病の遺構や資料を後世に残そうと、熊本県水俣市で民間団体が取り組みを続けている。今月1日で公式確認から68年が過ぎたものの、今なお救済を求める訴訟が続く。公害に関連する遺産は「負の遺産」として撤去される例や所有権を巡る課題もあるが、関係者は「水俣病を現在の問題として見つめるきっかけにしたい」と保存を願っている。(石原圭介) 水俣病遺構「現地で見るからこそ、背景が浮かぶ」…「公害の原点」保存へ取り組む人々  「ここには、メチル水銀の汚染水が流れていたんです」。4月下旬、原因企業チッソの元従業員、山下善寛さん(83)が金網の向こうを指さすと、県内外から参加した約10人がじっと見つめていた。その先には、チッソが有害な工業廃水を流した「 百間ひゃっけん 排水口」がある。  水俣病の遺構を巡る取り組みで、企画したのは昨年7月に結成した「水俣の歴史的遺構(跡)を残す会」。会の発足は、百間排水口の 樋門ひもん の撤去計画が浮上したことがきっかけだった。  百間排水口では、1932年から、政府が水俣病を公害と認定した68年まで、30年以上にわたって工業廃水が流された。数十年前から市が管理し、現地の案内板で「水俣病の原点」と紹介されてきた。  ただ、老朽化が進み、市は安全面から撤去する計画を公表。被害者や支援者らは会を結成し、市に保存を訴えた。最終的に県が間に入り、樋門を複製して、現地に設置することになった。  加藤タケ子代表(73)によると、百間排水口は、江戸時代には塩作りに使われた歴史もあるという。「人々の生活を潤わせていたものが、水俣に悲しみももたらした。現地で見るからこそ、背景が浮かぶ」と現地保存の意義を語る。  会によると、市内各地には、百間排水口と同じく廃水を排出していた「丸島排水口」や、チッソと排水口を結ぶ水路など、水俣病に関係する施設や跡地が残る。会は、これらを「水俣病関連遺跡群」と位置づけて市の文化財保存活用地域計画に盛り込むよう求めている。  ただ、課題は多い。市は「水俣病の責任追及の側面も強い」と否定的であることに加え、チッソが所有する施設もある。例えば、排水経路だった 八幡残渣はちまんざんさ プールは埋め立てられ、太陽光発電用の敷地などとして活用されている。同社の担当者は「有効利用している以上、文化財の登録に許可は出せない」とする。  保存の先例となりそうなのが、2008年に国史跡に指定された足尾銅山跡(栃木県日光市)だ。  日本初の公害事件が起きた地だが、行政が主導して保存の動きが強まった。日光市文化財課によると、足尾銅山を所有する古河鉱業(現・古河機械金属)も当初は難色を示したが、公害対策の近代化を進めた遺産として残すことを丁寧に説明し、理解を得たという。  同課は「目的を明確にし、公害防除の起点として残している」とする。現在は官民が共同で、世界文化遺産への登録を目指している。  歴史学に詳しい熊本学園大の矢野治世美准教授は「公害関連施設を遺構として残すのは珍しく、企業の協力も必要でハードルは高い。ただ、広島で原爆ドームが象徴となったように、物を残すことで感覚的な理解がしやすくなる」と指摘する。  「二度と悲劇を繰り返さない」。会は今後も見学の機会を設けるなどして、機運を醸成していく考えだ。 「水俣で、実物を見てもらうことに意味がある」  水俣病を後世に伝える課題と向き合い、今年設立50年を迎えたのが、一般財団法人・水俣病センター 相思社そうししゃ (水俣市)だ。患者や被害者の支援で培った人脈を生かし、約28万点の資料を集め、保存している。職員の坂本一途さん(31)は「地域とつながってきたからこそ続いてきた」と振り返る。  相思社は、運営する水俣病歴史考証館で、その一部を展示。「実物」にこだわり、チッソの付属病院長が水俣病の原因を特定するため、ネコに廃液を混ぜた餌を食べさせる実験を行った「ネコ実験の小屋」も、往時の姿を残す。約40年前に職員が採取した百間排水口付近のヘドロや、住民が使っていた漁具なども並ぶ。  ただ、保存と継承は考証館でも課題で、空調設備が整っていないほか、未整理の資料も多数ある。運営は主に寄付や会費で賄っており、完全な保存環境を整えるのは容易ではないという。坂本さんは「水俣で、実物を見てもらうことに意味がある。今も続く水俣病問題を考えるきっかけにしてほしい」と語る。
水俣病遺構「現地で見るからこそ、背景が浮かぶ」…「公害の原点」保存へ取り組む人々 | ヨミドクター(読売新聞)
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jujirou · 1 year ago
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おはようございます。
秋田県湯沢市川連は、今日も快晴です。
昨日は休み…でしたが、以前植えた初挑戦のビーツが気になり、大きくなっているかを確認しに行きましたが、中々大きくなれないのが多く、それでも何とか少し取れたので良かったです。
その後は漆の木の確認をし帰宅。
そしてお昼過ぎからは先輩と初めての温泉に伺い、帰宅後には山川海師匠宅にて茗荷焼き祭り…⁉︎
今日はいつもで有れば、鮎網漁の解禁日でしたが、この様な写真の川の状況では、今年ももう諦めるしかなさそうです…
八月も最終週と成りました。
今週もアレヤコレヤと有りますが、一つ一つコツコツ頑張ります。
皆様にとって今週も、良い一週間と成ります様に。
https://jujiro.base.ec
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clnmn · 8 months ago
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 三���年ほど前、ケニアのヒヒのコロニーであるフォレスト・トゥループで大惨事が起きた。群れのもっとも強いオスたちは、よく近くの観光地のごみ捨て場を漁っていた。ある日、そのオスたちが牛結核に感染した肉を食べて死んでしまった。あとにはそれほど好戦的でないオスだけが残った。このオスたちは、別の群れとの争いが絶えないごみ捨て場を避けていたからだ。その後、フォレスト・トゥループ全体の行動様式が変わった。  神経科学者のロバート・サポルスキーが、一九七九年から一九八二年まで、はじめてフォレスト・トゥループについて研究したとき、それは典型的な、とにかく獰猛なヒヒの社会だった。オスのヒヒの多くは、自分の社会的地位にこだわるあまり、攻撃に備えて、たえず神経を尖らせていた。しかも、その対象とされたのは同じ階級のオスのライバルだけではない。下位のオスたちも、つねにいじめられたり、脅されたりしたうえ、メス(体重はオスの半分ほどしかない)でさえたびたび襲われた。ところが、この攻撃的なヒヒたちが死んだため、残った群れのメンバーは緊張を解き、以前より互いにやさしく接するようになった。  オスはあいかわらず同じ階級のオスと争いはするものの、集団内の弱者を叩きのめすことはなく、メスを襲うこともまったくなくなった。どのヒヒも毛繕いをしたり、互いに身を寄せ合ったり、その他の友好的な社会行動をして大半の時間を過ごしている。ストレスの度合いは(ホルモン採取で測定した結果)最高水準のヒヒでも、他の群れのヒヒと比べてはるかに低かった。なかでも重要なのは、こうした新しい振る舞いが、群れの文化に定着したことだ。  オスのヒヒは一八年以上生きることはまれで、あの大惨事を生き延びた地位の低いヒヒたちも、もうすべていなくなっている。また、オスのヒヒは生まれた群れから離れて、別の群れに入らなければならないため、オスの性格も、支配欲の強いタイプから通常は決して��位に上がる見込みのない小心で従順なタイプまでの正規分布に戻っていてもおかしくない。ところが、このコロニーの行動パターンは、通常のヒヒとはあいかわらず異なっている。攻撃性は比較的低いままで、弱いヒヒやメスを手当たり次第攻撃するようなことはめったに起きない。  わたしたち霊長類は、文化に対する順応性や適応性が高い。ヒヒでさえ、ヒヒ社会の荒々しく、好戦的な規範を遺伝子によって守るとは限らない。人類はこんにち、国家と呼ばれる集団 バンド のようなもののなかで快適に暮らしている。それは文明が誕生する以前にわたしたちの祖先が暮らしていた集団の一〇〇〇万倍以上も大きい。人間はサルのような暴政から、狩猟採集の時代の平等社会へ移行し、文明の発達にともなって軍事化された厳しい階級社会に返り、今は大幅に修正された平等主義に戻ってきた。適切な誘因 インセンティブ があれば、戦争をやめることは不可能ではないはずだ。そして、適切な誘因はまちがいなく与えられている。
グウィン・ダイヤー『戦争と人類』ハヤカワ新書
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