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♡ #セブンイレブンの中華フェア やっぱ中華って美味しい。 #南国酒家 は大学の教授に数回連れて行って もらった記憶があるが大人になってからは 行ってません、、、美味しい中華食べたい。 #今回の中華フェアどれも美味しそうで迷っちゃう #監修しているお店はどこも食べたことあるのに記憶がない ✧・━・✧・━・✧・━・✧・━・✧・━・✧・━・✧・━・✧ #コンビニ飯 #コンビニランチ #セブンイレブン #セブンイレブンランチ #セブンイレブン麺 #あんかけ焼きそば #南国酒家監修 #南国酒家監修海鮮塩あんかけやきそば #海鮮塩あんかけ焼きそば #insta #instagood #instafood #instagramjapan #japan https://www.instagram.com/p/CpElGjavN-H/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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スタッフ採用は2度の面接をしている。それをクリアして今日から働くことになった若者の志望動機が、過去に来店した時の店の雰囲気と接客、社会貢献をしていること、そして来店中にデリバリー配達員への配慮を見てここで働きたいと思ったと。常連さまに接客練習の協力を頂いた。ありがとうございます! 接客を見ているのは目の前のお客様だけではない。お天道様も見ている。 さて、本日の日替わり弁当です。 #2月22日 #日替り弁当 ガッツリ炭水化物 #ソース焼きそば #いか入り #淡路玉葱と人参 #特製ソースで #ピリッと胡椒が隠し味 #紅しょうがはマスト #のりたまご飯 焼きそばはおかずになるのです 副菜は #肉じゃが #きびなごくぎ煮 焼きそば定食 税込550円 皆様のご注文お待ちしております。 #てつたろう #スタッフ #志望動機 #梅田居酒屋 #中崎町居酒屋 #海鮮居酒屋 #大阪グルメ #梅田グルメ #イーデリ #支援者募集中 #社会貢献 https://www.instagram.com/p/Co7rIsOy8Gb/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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カルタゴ滅亡をトレースする現代日本
◆カルタゴはなぜ滅んだのか?!
日本と同じような商人国家であったカルタゴが、完膚なきまでに滅ぼされた例を他山の石として日本人は国防を考え直す必要があると切に思うからです。
カルタゴは紀元前250年頃、地中海に覇を唱えていた大国でした。
第2次ポエニ戦争に負けて、戦勝国から武装を解除させられ、戦争を放棄することになったカルタゴは、戦後の復興を貿易一筋で見事に成し遂げ、戦後賠償も全てきれいに払い終えました。しかし、その経済を脅威だと捉えたローマ帝国によって、結局は滅ぼされてしまいました。
滅ぼされる直前、カルタゴの愛国者であるハンニバル将軍は、ローマの考えを悟り、祖国の危機をカルタゴ市民に訴えましたが、平和ぼけした市民は耳を貸そうとしませんでした。
それどころか「ハンニバルは戦争をしようとし��いる!」と中傷する者さえいました。しかも、最終的にハンニバルはローマに洗脳された者達によってローマに売られ、自殺にまで追い込まれてしまったのです。
平和ぼけした市民は、ローマから無理難題を次々に要求されてからはじめてハンニバルの警告が正しかったことに気が付きましたが、時すでに遅く、徹底抗戦に踏み切るもカルタゴの陥落を防ぐことはできませんでした。この間、たった3年の出来事でした。
ちなみに、生き残ったカルタゴ市民は約5万人でしたが、その全てが奴隷にされてしまいました。城塞は更地になるまで徹底的に破壊され、再びこの地に人が住み、作物が実らぬように大量の塩が撒かれたと言われています。
これはただの負け方ではありません。まさに地上からの抹殺です。
この悲惨なカルタゴ滅亡の理由は2つあると言われています。
1つは、カルタゴ市民が軍事についてほとんど無関心だったことが挙げられます。もともと自国の防衛はおおむね傭兵に頼っていた上に、国内世論も「平和主義的」な論調が強く、有事に備えて軍事力を蓄えておくといったことはままなりませんでした。
2つめは、国内の思想が分裂状態であったことが挙げられます。そもそも挙国一致して事に当たらなければ有事を乗り切ることはなかなか難しいものですが、カルタゴにはそれがなく、戦時中にハンニバルが外地を転戦している間も市民は素知らぬ顔をしていました。そして、ハンニバルを売り渡したのは、ローマに洗脳されたカルタゴの売国奴達でした。
自らの手で愛国者を切り捨てる・・・かくしてカルタゴは「滅ぶべくして」滅んだわけですが、私は今の日本がこのカルタゴに酷似している様に見えて仕方がありません。
今こそ日本の国防を真剣に考えないと本当に危ないと思います。
【対比】日本と似すぎているカルタゴの運命
カルタゴは、フェニキア人が建国した海洋国家で、現在のアフリカ大陸チュニジアに位置しています。
カルタゴは、世界一の造船技術を持ち、スペイン、シチリア島などの海外領土を支配していました。
紀元前3世紀、地中海貿易により富を蓄え、ローマ帝国と並ぶ強国となります。
BC264年、両者の中間にあるシシリー島で紛争がおこります。そして、これを契機にカルタゴとローマは、世界の覇権を賭けて激突します。この戦いは、23年間の中断をはさんで63年間続きます。(第一次ポエニ戦争、第二次ポエニ戦争)
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1867年、島国日本は、長い眠りから��め、明治維新により近代国家への道を目指します。西洋文���を積極的に取り入れ、富国強兵に邁進します。日清・日露の戦争に勝ち、朝鮮、台湾、南樺太と領土を拡張します。
強国となった日本は、戦艦大和を建造して、世界有数の海軍を持ち、
太平洋をはさみ、超大国アメリカと対峙します。
1941年12月、日本連合艦隊は、ハワイの真珠湾の奇襲に成功します。太平洋戦争が始まります。
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カルタゴの英雄ハンニバルは、象36頭と兵士5万人を率いて、スペインを出発します。象を連れて、アルプス山脈越えに成功、ローマの本拠地イタリア半島を奇襲します。ハンニバルは、イタリアに、なんと15年も踏みとどまり、ローマを一時追い詰めます。
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「マレーの虎」山下奉文中将は、マレー半島を南下、シンガポールに侵攻します。インド兵への離反策が成功し、1942年2月15日シンガポールは陥落、イギリス軍は降伏します。
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カルタゴは、地力に勝るローマに対して次第に劣勢になります。ついに、名将スキピオ率いるローマ軍が、カルタゴの本拠地に進軍します。カルタゴは、イタリアで善戦していたハンニバルを帰国させ、本土決戦に賭けます。BC202年、天下分け目の戦い(ザマの戦い)が行われます。カルタゴの完膚なき負け戦でした。
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アメリカは、生産力、技術力で日本に勝っていました。ミッドウェー海戦を境に、戦局は逆転します。ガダルカナル、硫黄島、沖縄。日本は、敗退を続けます。本土空襲が激しくなり、広島と長崎に原爆が投下されます。日本の完膚なき負け戦でした。
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カルタゴは、ローマに無条件降伏します。
全ての海外領土は、放棄され、軍船、象もローマに引き渡されます。軍隊は、自衛のためのものだけが許されました。そして、自衛のためでも戦争する場合、ローマの許可が要ることになったのです。(この許可の項目が、後に大問題となります)
そして、50年賦で1万タラントの賠償金をローマに支払うことが決まります。
ともかく、カルタゴの町は、無事に残りました。100人会は、貴族の世襲制でしたが、戦後まもなく代議員が選挙で選ばれるようになります。
カルタゴは、民主主義の国家に生まれ変わります。
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「忍び難きを忍び、耐え難きを耐え・・・」玉音放送が流れ、日本は無条件降伏します。
日本列島以外の領土は、返還されます。アメリカが決めた平和憲法で戦争が放棄されます。(後に自衛隊が誕生します。)国土は焼け野原、アジア諸国には賠償金の支払いが必要でした。ともかく、本土決戦だけは避けられま��た。
日本は、天皇主権の国家から、主権在民の民主主義国家に生まれ変わります。
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カルタゴ人(フェニキア人)は、ユダヤ人やアラビア商人と同じセム語族で、最も商才があるといわれている種族です。
軍事国家への野心を棄てたカルタゴ人は、ますます貿易や商売に熱中するようになります。ローマ人は、楽しむために働きましたが、カルタゴ人は働くこと自体が人生の目的でした。奇跡の経済復興が実現します。
戦勝国ローマは、休む間もなく、マケドニアやシリアと戦わなければなりません。軍備費の要らないカルタゴは、次第にローマに匹敵する経済大国に、のしあがります。
BC191年ローマは、シリアを打ち破ります。
無敵の軍事大国ローマにとっての脅威は、経済大国カルタゴに移っていくのです。
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日本人には、勤勉さと物作りの才能がありました。
焼け原から立ち上がった日本人は、ひたすら一生懸命働くことで豊かになろうとしました。エコノミックアニマルと日本人は、陰口を叩かれます。奇跡の経済復興が実現します。
アメリカの核の傘に入り、軍事費もいりません。戦勝国アメリカは、ソ連との冷戦を戦わなくてはなりませんでした。
10%を超す高度経済成長が続きます。日本は、世界第二位の経済大国になります。
ソ連が崩壊し、日米の経済摩擦が激化します。
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BC187年、カルタゴは、50年賦と決められた賠償金を一括払いしたいと申し出ます。いくら叩いても不死鳥のように蘇る、カルタゴ人の経済力に、ローマ人は、羨望と恐怖心を抱きます。ポエニ戦争の悪夢がふと蘇ります。
経済大国カルタゴの最大の悩みは、隣国のヌミディアでした。ヌミディアは、騎馬兵団で有名な、戦争に強い国です。自衛力しか持たないカルタゴを侮り、その領土を侵犯します。
カルタゴは、ローマに調停を頼みますが、黒幕のローマはもちろん取り合いません。ついに、カルタゴとヌミディアの間で戦争が起こり、平和の国カルタゴは、敗北します。
ローマの事前許可のない戦争開始は、条約違反でした。
ローマは、カルタゴに対して、突然宣戦布告をします。
驚いたのは、カルタゴです。ローマの許しを得ようと、300人の貴族の子供を人質に差し出します。しかし、8万人の世界最強のローマ兵が、上陸し、カルタゴに進軍します。
カルタゴの使者が、「どうすれば、許していただけるのですか?」とローマの司令官に聞きます。
「全ての武器を差し出せ。」司令官は、答えます。
カルタゴは、20万人分の鎧、投げやり、投げ矢、2000の石弓を司令官に差し出します。
すると、司令官は、最後の要求を使者に言い渡します。
我々は、カルタゴの街を根こそぎ破壊することを決めた。
カルタゴ人には、今の街より10マイル内陸部に
新しい居住地帯を造ることを許可しよう。
使者からローマの意向を聞いた20万人のカルタゴ人は、驚愕して、嘆き悲しみ、最後に激怒します。
「こんなひどい仕打ちがあろうか。街を破壊するだと。
内陸部に引っ込めだと。どうせ死ぬなら戦って死のう!」
カルタゴ人は、丸腰で戦う覚悟を決めます。返事の猶予期間の30日間、密かに戦争準備がすすめられます。
武器職人は、連日徹夜で武器を作ります。
若い女性は、長い髪を元から切って石弓の弦が作られます。
こうして、始まったのが、第三次ポエニ戦争でした。
(戦争というより、ローマによるカルタゴの民族浄化です。)
カルタゴは、ここで奇跡的な粘りを見せます。なんと丸腰で三年間ローマの猛攻を食い止めたのです。
しかし、戦闘と飢えと疫病で、20万人のカルタゴ市民は、10万人に減ります。
そして、ついに、ローマ兵は城壁を破り、街へ進入します。
女、子供までがレンガを投げて抵抗しますが、5万人が虐殺されます。
ビュルサの砦に逃げ込んだ5万人のカルタゴ人は、オリーブの枝を掲げて投降します。
彼らは、一部が処刑され、残りは奴隷として売られます。
カルタゴの街は、十数日燃えつづけ、灰は1メートル積もります。カルタゴの復活を恐れたローマ人は、この地に塩を撒き不毛の土地にします。
700年続いた経済大国カルタゴと世界の富を独占したカルタゴ人は、BC146年こうして滅んだのです。
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「肉のおいしさっていうのは『かなり複雑』なんだけども、家畜を殺してすぐに調理した肉って実はあんまりおいしくないんですよ。新鮮なほど肉がおいしいっていうわけじゃなくて、ある程度置いた方が肉はおいしくなる、熟成させると」 「中途半端に新鮮だと、硬くて味もおいしくないこともある。筋肉から熟成という過程を経る、その時に成分の変化が起きて、例えばタンパク質が分解されてアミノ酸になる。分解されて出てくるアミノ酸には味がある」 「家畜を殺してすぐとった筋肉の中にはアミノ酸が非常に少ない、だからあまりうま味を感じるようなものがない。柔らかくしてなおかつタンパク質を分解してアミノ酸を出すっていうのが熟成の大きな役割」 「焼肉を食べるときに鼻をつまんで食べると何がなんだかわからない、牛・豚・鶏の区別さえつかない人が多いっていうことがあるように、鼻から入ってくる香りがすごくおいしさに重要な関わりを持っている」 「DMHFっていう物質なんですけど、これは牛肉なんかを焼いたときにかなり盛大に出てくる物質。これは甘いような香ばしいような香りがして、こういった香り成分が鼻に入るとおいしい香りに感じられる」 「DMHFをかぐと脳に作用が働いて、例えば食欲がでてくるとか、あるいはリラックス作用があるとかそういうようなこともわかってる。複数の要因があって『肉を食べると幸福感が得られる』ということは言えると思う」
なぜお肉はおいしい?幸せな気持ちになる理由は? 専門家がお肉の疑問に回答【みんなのハテナ】(KSB瀬戸内海放送) - Yahoo!ニュース
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カルビ、タン、ハラミ、ロース、ホルモン、焼野菜、キムチ、めしなど
◎焼肉のかねだ(三菱自工前-水島)
2024/9/19 11:45
*三菱自動車水島製作所に近い臨海工業地帯に位置する、歴史ある焼肉店。かつては夜勤明けの労働者のために早朝から営業していたそうだ。現在も高齢の女将さんが一人で切り盛りしており、店内の黒板には約15種類の肉の部位が書かれているが、価格はすべて時価。それでも心配する必要はなく、確認すれば教えてもらえる。肉はどれも新鮮で、1人前のボリュームが多め。特に自家製の甘いタレが特徴で、米麹を自家製で発酵させた味噌ベース。けっこう甘いと感じるかもしれないが、粉唐辛子と一緒に楽しむと深い味わいが引き立つ。昔ながらの有煙ロースターで焼くため、店内は煙が立ち込め、換気のためクーラーはなし。夏場は扇風機が何台も稼働し、汗をかきながら肉を焼き、メシを食うスタイル。キムチは浅漬けながら無料で提供されるのがうれしいポイント。ちなみに、向かいの理容店は女将さんの亡き夫がはじめたもので、現在は息子さんが引き継いでおり、電話番号は理容店と共通。気になるお値段は、そこそこ食べて一人あたり2000円ちょいッした。
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北朝鮮スパイの正体① TBS系日曜��場で放送されたテレビドラマ「VIVANT(ヴィヴァン)」が高い視聴率を記録した。海外で活躍する自衛隊の秘密部隊「別班」の姿をみて、お茶の間では「別班は実在する」「しない」という話題も持ち上がった。ところが、お隣の国では随分と様子が異なる。 「韓国では大勢の北朝鮮スパイが暗躍している」。これは、韓国政府当局者らが確信を持って語る言葉だ。古くは朝鮮半島分断のどさくさに紛れて韓国に定着した。日本人や韓国人になりすまして入り込んだスパイもいる。2023年7月にソウル近郊の水原(スウォン)地裁で公判が始まった「全国民主労働組合総連盟(民主労総)」関係者によるスパイ事件は、韓国人自らが北朝鮮に共鳴してスパイに身を落としたケースだった。裁判の起訴資料を分析すると、北朝鮮スパイの様々な横顔が見えてくる。(牧野愛博) この事件の特徴は、韓国捜査当局が過去最大規模の約90件にものぼる、北朝鮮からスパイに宛てた指令文を押収したことだ。指令文には、韓国の送電網や軍事施設などの重要インフラの情報収集、スパイのリクルート、韓国の特定の政治団体への支援などが書かれていた。なかでも、私たち日本人に最も関係するのが、「日韓関係や日米韓関係の破壊指令」だった。 民主労総スパイ事件 民主労総は労組の横断組織として1995年に設立された。組合員数は100万人にも達すると言われる。李明博(イミョンバク)政権(2008~2013年)や朴槿恵(パククネ)政権(2013~2017年)では、大規模な「ロウソクの火集会」を組織し、政権打倒を呼びかけた。韓国捜査当局は2023年3月、民主労総の現・元幹部4人を逮捕したうえで、5月に国家保安法違反(スパイなどの罪)で起訴した。 2021年5月3日付の指令文は次の通りだった。 「福島(第一)原子力発電所から汚染水を放出するという日本当局の決定に関連する即時行動の方向性を提案する。 最近、米国が反共和国(北朝鮮)政策の調整を目的とした『韓米日同盟』を積極的に推進する一方、福島原発から汚染水を放出するという日本当局の決定に関し、さまざまなレベルで反日ムードが急速に高まっていることが注目される。 この機会に、韓国当局と日本両国間の対立や紛争���一層悪化させる戦術を作り、積極的に実施すれば、敵の協調の試みを粉砕するうえで効果的だ」 今年3月にやはり、北朝鮮に協力した韓国人4人が起訴された南部・昌原(チャンウォン)のスパイ事件でも、処理水の放出決定を利用し、韓国内の反日感情を高めるよう指示した指令文が押収された。 北朝鮮の指示との関係は不明だが、2021年春には韓国各地で、民主労総などが参加する処理水放出反対デモが週末を中心に繰り返された。 ソウル中心部で行われた東京電力福島第一原子力発電所の処理水放出を巡る日本政府の計画に抗議するデモ。全国民主労働組合総連盟メンバーを含む数百人が抗議した 参加者は「汚染水が安全だというのなら、お前が飲め」などと書いたプラカードを掲げた。一部はソウルの日本大使館や釜山の日本総領事館への侵入を試みた。今年8月24日の放出開始を契機に、再び同じような光景が韓国各地で起きている。 一方、北朝鮮外務省は8月24日、処理水放出について「人類に放射能の災難を強いる反人倫的犯罪行為だ」と非難する報道官談話を発表した。 朝鮮中央通信は5月10日、「日本が現実に背を向けて米国による(日米韓)三角軍事協力体制構築にしがみつくなら、東北アジア地域を不安定にし、しまいには火の海にし、その中で自ら焼け死ぬ」と警告する外務省日本研究所研究員の談話を報道した。 また、民主労総スパイ事件では2019年7月13日付の、北朝鮮による指令文の内容も明らかになった。 そこでは「日章旗の焼却、日本人追放運動、大使館や領事館に対する奇襲デモなど、過激な反日闘争が、日本国民を恐怖に陥れるために積極的に行われた。反日感情を強める活動を、実情に応じて組織的に展開してほしい」とあった。 当時は、日本政府が韓国向け半導体素材の輸出管理措置を強化し、韓国で反日感情が高まっていた。 北朝鮮の金日成(キムイルソン)主席はかつて、日米韓の関係について「日本と米国という2本のひもに支えられ、頭のうえに韓国という王冠が載っている。ひもの1本でも切ってしまえば、王冠は吹き飛んでしまう」と例えたことがあった。 北朝鮮は朝鮮戦争の際、日本が軍需物資の供給地点になるなどした歴史を教訓にしている。日韓関係や日米韓関係の悪化は、北朝鮮の利益につながると理解もしている。 北朝鮮シンパはともかく、一般の韓国市民は北朝鮮に積極的に協力したいとは考えていない。利敵行為になるし、国家保安法にも違反すると分かっているからだ。だが、北朝鮮ではなく、同じ韓国人から「日本は許せない」と言われれば、信じてしまうかもしれない。さらに、組合員100万人を抱える大組織で、労働者の福利厚生を守る団体として一定の評価も得ている民主労総の名前で、北朝鮮とは直接関係がない「反日闘争」を呼びかけられれば、心が動くこともあるだろう。 韓国の進歩勢力では1980年代、NL派(民族解放派)とPD派(人民民主派)の路線闘争があった。韓国の知人は「論争を行うと、マルクス主義を信奉するPD派がいつも勝った。より過激な主張を唱えるNL派は勢力を維持するために北朝鮮に接近した。北朝鮮を巻き込んで民族革命を起こすというのが、NL派の言い分だった」と語る。北朝鮮はそこにつけ込んだ。 朝鮮戦争では戦火が半島を2往復した。 韓国に隠れていた北朝鮮スパイは、北朝鮮軍が進軍してくると喜んで姿を現し、その後に韓国が領土を回復した後で一網打尽にされた。金正日(キムジョンイル)総書記は当初、南北軍事境界線や海路を通じて、スパイを韓国に送り込んだが、1968年1月の青瓦台襲撃未遂事件を契機に韓国内の取り締まりが厳しくなった。 金正日氏は次に在日韓国人や日本人の戸籍を手に入れるなどして韓国に潜入する「迂回侵入」を試みたが、1974年8月の在日韓国人による朴正熙(パクチョンヒ)大統領暗殺未遂事件を契機に、このやり方も行き詰まった。 民主労総の中核になっている世代は、私と同じ、「586世代(50代で1980年代に大学に入り、1960年代生まれの人々)」と言われる。もう少し、世代が変わるまで時間がかかるだろう。
韓国で暗躍する北朝鮮スパイ 押収された指令文「処理水を利用して日米韓を粉砕せよ」:朝日新聞GLOBE+
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2024.10.13
映画『HAPPYEND』を見る。父の時代の学生運動のような雰囲気と、街の風景のクールな切り取り、存在感があり重厚な音楽の使い方から愛しいものとしてのテクノの使い方まで大変気に入り、今度会う人に渡そうと映画のパンフレットを2冊買う。その人と行った歌舞伎町時代のLIQUIDROOM、どんどん登らされた階段。小中学生の時に自分がした差別、あの分かっていなさ、別れた友人、まだ近くにいる人たち。
2024.10.14
銀座エルメスで内藤礼『生まれておいで 生きておいで』、ガラスの建築に細いテグスや色のついた毛糸が映える。日が落ちて小さなビーズが空間に溶けていくような時間に見るのも素敵だと思う。檜の「座」で鏡の前にいる小さな人を眺める。「世界に秘密を送り返す」を見つけるのは楽しい。黒目と同じだけの鏡、私の秘密と世界の秘密。今年の展示は上野・銀座ともに少し賑やかな雰囲気、外にいる小さい人たちや色とりどりの光の色を網膜に写してきたような展示。でも相変わらず目が慣れるまで何も見えてこない。銀座にはBillie Eilishもあったので嬉しくなる。
GINZA SIXのヤノベケンジ・スペースキャットと、ポーラアネックスでマティスを見てから歩行者天国で夜になっていく空を眺めた。小さい頃は銀座の初売りに家族で来ていたので、郷愁がある。地元に帰るよりも少しあたたかい気持ち、昔の銀座は磯部焼きのお餅を売っていたりしました。東京の楽しいところ。
2024.10.18
荷造り、指のネイル塗り。足は昨日塗り済み。年始の青森旅行時、2泊3日の持ち物リストを作成し、機内持ち込み可サイズのキャリーに入れ参照可能にしたところ、旅行のめんどくさい気持ちが軽減された。コンタクトや基礎化粧品・メイク用品のリスト、常備薬、安心できる着替えの量。持ち物が少ない人間にはなれそうにない。日常から多い。部屋に「読んでいない本」が多いと落ち着くような人間は持ち物少ない人になれない。
2024.10.19
早起きして羽田空港。8:30くらいに着いたらまだ眺めのいいカフェが開いておらず、とりあえず飛行機が見える屋上に行く。このあと雨が降るはずの曇り空からいきなり太陽が照り出して暑くなり、自販機でマカダミアのセブンティーンアイスを買い、食べる。突然の早朝外アイス。飛行機が整列し、飛び立つところをぼんやりと眺める。飛行機は綺麗。昨夜寝る前にKindleで『マイ・シスター、シリアルキラー』を買って「空港ではミステリー小説だろう」と浮かれて眠ったのに、100分de名著のサルトルを読み進める。実存主義を何も分かっていないことをこっそりとカバーしたい。すみませんでした。
10:15飛行機離陸。サンドイッチをぱくぱく食べたあとKindleを手に持ったまま眠ってしまい、11:55宇部空港着。
宇部空港、国内線のロビーは小さく、友人にすぐ会う。トンネルを抜ける時、窓が曇り、薄緑色の空間に虹色の天井のライトと車のライトがたくさん向かって来て流れる。動画を撮影しながら「綺麗くない?」と言うと「綺麗だけど本当は危ない」と言われる。かけるべきワイパーをしないで待っていてくれたんだと思う。
友人のソウルフードであるうどんの「どんどん」で天ぷら肉うどん、わかめのおにぎりを食べる。うどんは柔らかく、つゆが甘い。ネギが盛り放題。東京でパッと食べるうどんははなまる系になるので四国的であり、うどんのコシにもつゆにも違いがある。美味しい。
私は山口市のYCAMのことしか調べずに行ったので連れて行ってもらう。三宅唱監督の『ワイルドツアー』で見た場所だ。『ワイルドツアー』のポスターで見た正面玄関を見に芝生を横切ったが、芝生は雨でぐずぐずだった。でも全部楽しい。
広くて静かで素敵な図書館があり、心の底から羨ましい。小さな映画館もあり、途中入場できるか聞いたおじいちゃんが、「途中からだからタダにならない?」と言っていたがタダにはなっていなかった。一応言ってみた感が可愛らしい範囲。
YCAM内にあるのかと思っていたら違う倉庫にスペースのあった大友良英さんらの「without records」を見に行く。レコードの外された古いポータブルレコードプレーヤーのスピーカーから何がしかのノイズ音が鳴る。可愛い音のもの、大きく響く音のもの。木製や黄ばんだプラスチックの、もう存在しない電機メーカーの、それぞれのプレーヤーの回転を眺めて耳を澄ませてしばらくいると、たくさんのプレーヤーが大きな音で共鳴を始める。ずっと大きい音だと聞いていられないけれど、じっと待ってから大きな音が始まると嬉しくなる。プログラムの偶然でも、「盛り上がりだ」と思う。
山口県の道路はとても綺麗で(政治力)、道路の横は森がずっと続く。もとは農地だっただろう場所にも緑がどんどん増えている。私が映画で見るロードムービーはアメリカのものが多く、あちらで人の手が入っていない土地は平らな荒野で、日本の(少なくとも山口県の)土は放っておくとすぐに「森」になるのだ、ということを初めて実感する。本当の森の中にひらけた視界は無く、車でどんどん行けるような場所には絶対にならない。私がよく散歩をする所ですら、有料のグラウンドやイベント用の芝生でない場所には細い道を覆い隠す雑草がモコモコと飛び出して道がなくなってゆく。そして唐突に刈られて草の匂いだけを残す。私が「刈られたな」と思っているところも、誰かが何らかのスケジュールで刈ってくれているのだ。
山口県の日本海側の街では中原昌也と金子みすゞがそこかしこにドンとある。
災害から直っていないために路線が短くなっているローカルの汽車(電車じゃない、電車じゃないのか!)に乗って夜ご飯へ。終電が18:04。霧雨、暴風。一瞬傘をさすも無意味。
焼き鳥に挟まっているネギはタマネギで、つきだしは「けんちょう」という煮物だった。美味しい。砂肝、普段全然好きじゃないのに美味しかった。少し街の端っこへ行くとたまに道に鹿がいるらしく、夜見ると突然道路に木が生えているのかと思ったら鹿の角、ということになり怖いらしい。『悪は存在しない』のことを思う。
2024.10.20
雨は止んでいてよかった。海と山。暴風。人が入れるように少しだけ整えられた森に入り、キノコを眺める。
元乃隅神社、123基の鳥居をくぐり階段を降りて海の近くへ。暴風でiPhoneを構えてもぶれて、波は岩場を越え海の水を浴びる。鳥居の上にある賽銭箱に小銭を投げたけれど届くわけもない。車に戻ると唇がしょっぱかった。
山と海を眺めてとても素敵なギャラリー&カフェに。古い建物の改装で残された立派な梁、屋根の上部から太陽光が取り込まれるようになっていて素晴らしい建築。葉っぱに乗せられたおにぎりと金木犀のゼリーを食べる。美味しい。
更に山と海を眺めて角島へ。長い長い橋を通って島。古い灯台、暴風の神社。曇天の荒れた海も美しいと思う、恐ろしい風や崖を体感としてしっかりと知らない。構えたカメラも風でぶれるし、油断すると足元もふらつく風、窓につく塩の結晶。
山と海を眺めて香月泰男美術館へ。友人が見て良い展示だったからもう一度来て見せてくれたのだ。
全然知らなかったけれど、本当に素晴らしい絵だった。油彩なのだけど、質感が岩絵具のようで、フレームの内側に茶色のあやふやな四角が残っているのがとても良い。
フレーミングする、バチッと切り取ってしまう乱暴さから離れて、両手の人差し指と親指で四角を作って取り出したようなまなざしになる。
山口県の日本海側の山と畑と空の景色、荒い波、夜の静けさや月と雲、霧の色を見てから美術館へ連れて来てもらえたから色と色の境目の奥行きを知る。柿はずっしりと重く、花は鮮やかだ。香月泰男やシベリア抑留から帰ってきた画家で、この前読んだ『夜と霧』の暗さと冷たさを思い返した。絵の具箱を枕にして日本へ帰る画家が抱えていた希望、そのあとの色彩。
夕飯は友人の知り合いのハンバーガー屋さんへ。衝撃のうまさ。高校生の時に初めて食べたバーガーキングの玉ねぎの旨さ以来の衝撃、20年ぶりだ。そんなことがあるのか。
2024.10.21
晴天。海は穏やかで、深い青、テート美術館展で見たあの大きな横長の絵みたい。初めて見た海の光。
海と山を眺めて秋吉台へ。洞窟は時間がかかるので丘を散策、最高。
風光明媚な場所にしっかりとした情熱が無かったけれど、「好きな場所だから」と連れていってもらえる美しい場所は、友人が何度も見るたびに「好きだなぁ」と思っただろう何かが分かり、それは私が毎��毎日夕陽を眺めて「まだ飽きない」と思っている気持ちととても近く、感激する。
今までの観光旅行で一番素敵だった。
道々で「このあと窓を見て」と教えてもらい、味わう。
ススキが風に揺れて、黄色い花がずっとある。山が光で色を変え、岩に質感がある。
山口市、常栄寺、坂本龍一さんのインスタレーション。お寺の庭園が見られる場所の天井にスピーカーが吊るされ、シンセサイザーの音を演奏しているのは色々な都市の木の生体信号だ。鳥の声や風の音と展示の音は区別されない。砂利を踏む音、遠くから聞こえる今日の予定。豊かなグラデーションの苔に赤い葉っぱが落ちる。
宇部空港はエヴァの激推しだった。庵野さん、私も劇場で見届けましたよ。
行きの飛行機は揺れたけれど、帰りは穏やかに到着、家までの交通路がギリギリだったため爆走、滑り込む。
東京の車の1時間と山口の1時間は違う。
何人かの山口出身の友人が通った空と道と海と山の色を知ることができてとても嬉しい。
「好きな場所」「好きな風景」ってどういうものなんだろう。
私が通う場所、好きな建築、好きな季節と夕陽。あの人が大切にしている場所に吹く風、日が落ちる時刻が少し違う、友人のいる場所。
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20240214
恋人が中野に住み始めたので仕事終わりに向かう。ずっと好きな街だったので気軽に行けるのが嬉しい。スーツケースを持って行ったので、徐々に変わっていく街並みを車窓越しに見ながら上京する田舎っぺの気持ちになった。ラストオーダー10分前の秋吉で焼き鳥と串カツを食べた。秋吉はいつも串カツを頼んでしまう。
20240215
仕事を早めに切り上げて成田空港へ。4年ぶりの海外、3回目のタイへ向かう。コロナが流行る寸前に滑り込みでシンガポールから帰国し、その間にパスポートも切れ、ずっと時間が止まっていた。はじめての赤色のパスポートなので、自動認証ゲートを抜けたあとにわざわざスタンプを押してもらった。搭乗前に吉野家の牛丼を食べた。
20240216
早朝2:30にバンコクへ到着。受託手荷物とSIMカードをゲットし、Grabでタクシーを捕まえてホテルへ向かう。Grabだから大丈夫しょ、と思って現金を持たずに飛び乗ったら、クレカ情報の登録を忘れていて、無銭でタクシーに乗り込む日本人2人になってしまってめちゃくちゃ焦った。運転手は英語もままならず、Google翻訳を使ってなんとかATMで現金を下ろす。ホテルについた頃にはもう朝で、近くの屋台でご飯の上にオムレツが載ったものを買って食べた。おばあちゃんがWokでつくる美味しいオムレツ、40バーツ、約160円。
仮眠をとってからバンコクの渋谷ことサイアムに行き、お昼ご飯にプーポッパンカレーをはじめて食べた。高かったけれどそれに見合う美味しさだった。フットマッサージを30分受けて、アンパワー水上マーケットやメークローン市場へ。ガイドなしのツアーに申し込んだが、自分たち以外中国の方で、マーケットに着いても中国人ばかりでアウェイな気持ちになった(元々ホームではないけど)バンコク3回目だけれど、どちらも初めて行く場所で新鮮だった。生まれて初めてホタルを肉眼で見た。再びサイアムで解散しマンゴースムージーを飲みに行くと、そこは日本人だらけだった。みんなここにいるんだね、と話しながらホテルに帰る。この日はパッタイ1回とガパオライスを2回も食べたけれど、結局おばあちゃんがつくる40バーツの朝ごはんが一番忘れられなかった。
東南アジアのこの空気感がやっぱり好きです
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焼きホッケ。かぼちゃの甘煮。人参しりしり。
キャベツとオクラのお味噌汁。
秋刀魚を買いたかったけどやっぱり細くて高いので、ホッケにしてみた。ヘルシオのウォーターオーブンにお任せ。少し焼きが甘い気がして追加したから、焼き過ぎたかもw
皮目に縞々がないから真ホッケなのかな?福岡ではあんまり馴染みがない魚でよく知らんけど、魚はヘルシオで焼いたら間違いない。美味しかった。
そういえば、今日のホッケ、かぼちゃ、オクラは北海道産。オクラは下手な地場産より新鮮だった。空輸なのかな?硬めに茹でて冷凍したので、汁物に入れても色がキレイ。
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Dear M
今から三ヶ月前に同時に仕事や恋人を失った時に支えてくれたのは、Tumblrで知り合ってかれこれ五年話していた愛奈だった。
その愛奈に先日会うことが出来た。
ここに書こうとは思ってなかったけれど、愛奈が望んだので綴っておく。
降りるはずのインターを一つ過ぎて愛奈に連絡した。
アパート近くの変な名前のラーメン屋が待ち合わせ場所だった。
カーナビの到着予定時刻は約束より五分過ぎた時間。
愛奈の顔を見たのは今から五年前くらいか。まだ十代だった。そのイメージだけが頭にあってどんな女性なっているのか見当もつかなかった。
長閑な農道の中にあるセブンイレブンで気を落ち着けるために緑茶を買った。
マウスウォッシュで口をすすぎ、お気に入りのナイルの庭を首筋や足首につけた。
約束の場所に到着してすぐにLINEを送った。すぐに今から向かうと連絡があった。
間もなく道路の向こう側からスラリとした女性が歩いてきた。白いニットに黒のスカート。肩まで伸びた黒い髪。すぐに愛奈とわかった。
運転席に座ったまま、どうしていいかわからなくなった。どんな言葉をかけたらいいのか、どんな表情をしたらいいのか。
とりあえず降りることにして運転席のドアを開けたタイミングで愛奈が助手席のドアを開けてあ��らとなった。
愛奈と向き合い顔を見た。昔見た写真とは随分と変わり、大人の女性になっている。例えるなら吉高由里子や和久井映見、笑うとYUIや橋本愛に似た雰囲気で和服が似合いそうだという印象を受けた。
この辺りは何を話したのか記憶にないが、地元の名産や実家で作った米、お守りなんかを渡した。そのお土産があまりにも多かったからアパートの近くで待ち合わせていた。
荷物を置きに一度部屋へ戻る愛奈の後ろ姿を見ながら素敵な人になったなとしみじみした。
車で繁華街へ向かう。夜市があってそこに行こうと約束していた。
車内では昨日の飲み会の話を��いて青春だななんて羨ましくなった。愛奈は大学生だ。
「電話で聞くのと声若干違う」
「確かに」
助手席側の窓から西陽が射し込む。
「いい時間ですね」
「そうだね、着いたらちょうど薄暮でお酒が美味しいんじゃないかな」
緊張していた。助手席に座る愛奈の横顔をほとんど見れなかったのを今では後悔している。それとカーオーディオから流れる曲がたまたまTaylorSwiftの「DearJohn」とかバラードばかりだったのがちょっと恥ずかしかった。
俺が泊まるホテルにチェックインしてから夜市へ向かった。川沿いの道を愛奈と歩く。
「この街を歩くのは初めてですか?」
「そうだな、中学生の時に歩いて以来だから十五年くらいぶり」
「そっか研修で来たって言ってましたね」
「いい街だね。住みたいくらい」
「私ももっと住んでてもいいかなって思う」
マンションの間をすり抜けていくと目の前に夜市の旗が掲げられていて、大勢の人で賑わっていた。
「まずは食べたい物に目星つけて端まで歩こうか」
「途中でビール買いましょ」
「いいね」
焼鳥、海鮮焼き、日本酒、スイーツなど様々な店が並んでいる。人は多いが決して歩けないわけじゃない。
「彼に夜市行くって言ったらいいなって言ってました」
「今度連れてきたらいいよ」
「でも彼人混み苦手なんですよね」
「それじゃあダメか」
「そういう私も苦手なんですけどね」
「俺も得意ではないな」
ビールを売ってる店を見つけて並ぶ。
ふんわりした泡が美味しそうな生ビールだ。
生憎座る場所が空いてなかったので立って乾杯した。
「はじめまして」
「はじめまして」
二口で半分くらいまで飲んだ俺を見て愛奈は笑っていた。好きな銘柄ではなかったけれどここ何年かで一番美味しい生ビールだった。
色々と歩いて海鮮焼きを買って食べることにした。
何となく愛奈の前を歩いたのは横に並んで歩くのが照れくさかったのと、俺が横にいることで愛奈の価値が落ちてしまうじゃないかと思ったからだ。それくらい愛奈の姿は美しさとミステリアスさがあって、もし知らない間柄でどこか別の街ですれ違ってい��らきっと振り返ってその後ろ姿を目で追ってしまっただろう。
親子連れの横の席がちょうど空いており、了承を得て座った。
Tumblrの人の話なんかをして海鮮焼きを食べる。
イカ焼きに苦戦してタレを服にこぼしそうになる愛奈を心配なようなちょっと可笑しいような気持ちで見ていた。
「ビールもう一杯飲んだら帰ります」
「えっ?」
虚をつかれたような気持ちになった。
「そう言わずにどこかお店行こうよ」
「週報書かなきゃいけなくて…」
「まあな、今朝まで友達と飲んでたんだもんね」
無理矢理そう納得させる。
何か嫌なことでもしていたのだろうか。もしくは俺のルックスやらファッションが想像と違っていたから早く帰りたいのかとも考え、次のビールを買いに行った愛奈の背中を見ながら天を仰いだ。
ビールを飲みながら残っていたホタテを食べた。手がタレだらけになっているのを見て愛奈がハンカチを渡してきた。
「いいよ、せっかくのハンカチが汚れる」
「裏側ならいいですよ。見えないし」
「なんかごめんな」
お言葉に甘えて手を拭いた。十一匹のねこの刺繍があった。
「かわいいね」
「お気に入りです。書店で買ったんですよ」
ハンカチを返す。
「口にもついてます」
そう言うとそのハンカチで俺の口の横を拭った。
ほんの数秒の出来事なのにその瞬間は鮮明に残っている。
「なんか子供みたいだな。かっこ悪いね」
「男の人はいつまでも子供ですから」
愛奈の底知れぬ母性は本当に罪だ。年甲斐無く甘えてしまいたくなる。かれこれ五年も話しているからどんなバイトをしてどんな男と交際しているのかほとんど知っている。だから同い年の女の子達とは一線を画すくらい魅力的な人になったんだな。
夜市を後にする。空は確実に夜に近づいているがまだ青が見えている。
駅の方向に向かいながら二人してトイレに行きたくなり場所を探した。
「この街のトイレなら任せてください」
そう言う愛奈の後ろをついて行った。
二人とも限界に近づいていたから小走りでテナントが多数入る建物に入った。
終わるとお土産コーナーを見ながらコンビニに入った。
玄米茶と愛奈が吸ってる赤いマルボロを買った。
「そこの角で吸いましょう」
「そうしよか」
玄米茶を一口飲んでアメリカンスピリットに火を点ける。愛奈はライターを持っていなかったのでその後に俺が点けた。
「今日はありがとう」
「こちらこそたくさん貰ってしまって」
「いいんだよ。命の恩人なんだから」
「いやいや」
「これで思い残す事はない。いつ死んでもいい」
「そんな事言わないで。悲しい」
「最近思うんだ。生きてる価値あるのかなってさ」
「じゃあ飲みながら人生語りましょ」
愛奈の言葉に驚く。
「帰らなくていいの?」
「いいです。お話しましょ」
なんか泣き落とししたみたいでかっこ悪いなと思った。愛奈の時間を奪っていくみたいで罪悪感も湧いた。でもそれ���超えるくらい愛奈ともっと飲みたい話したいというエゴがあった。
「そうか。ありがとう。愛奈ちゃんと一緒に行きたい店があるんだ」
「どこですか?」
「バーなんだけどさ」
「バーあまり行ったことないから行きましょ」
煙草を吸いながらバーを目指す。
途中で車に轢かれそうになると腕を引っ張ってくれた。
「いいんだよ、俺なんか轢かれたって」
「ダメですよ。死んだら悲しいですから死なないで」
「でもさ、よく思うんだよね。交通事故なら賠償金とかでお金残せるしさ」
「それは私も思うときあります」
そんな話をしていたら店についた。
俺が持っていた玄米茶を愛奈が自分の鞄に入れてくれた。
明るめな店内のカウンターに横並びで座る。
愛奈はモヒート、俺はモスコミュールをオーダーして乾杯。
「私、親の老後見たくないんです」
「そうなんだ」
「前に言いましたっけ?産まなきゃよかったって言われた事」
「うん、覚えているよ。それならそう思うのも不思議じゃない」
「計画性ないんですうちの親。お金無いのに産んで。三人も。それでたくさん奨学金背負わせるなんて親としてどうかなって思うんです」
「そう思うのは自然だな」
「だから私、子供産みたくない。苦労させたり嫌な気持ちにさせたくないから」
「でも愛奈ちゃんはそうさせないと思うけどな」
「育てられる自信ないです」
「そっか。でもそう思うのは愛奈ちゃんの人生を振り返ってみたら自然だよ。それでいいと思うし、理解してくれる人はたくさんいるよ」
「結婚しないと思いますよ」
「それはわからないよ。これからさ、その気持ちを超える人が出てくるかもしれないし」
モスコミュールを飲み干した。
もし自分が同じことを親から言われたとしたらと思う怖くなった。そんな中で愛奈は自分の力でそれを乗り越えて立派に生きている。愛奈を抱きしめたくなった。ただただ抱きしめてもう大丈夫だって言いたかった。
愛奈からマルボロを一本もらう。久々に吸った赤マルは苦みが程々で後味が美味かった。そこで知ったのは赤マルは二種類あって、俺が渡したのはタールが高い方で、愛奈は普段低い方を吸っているらしい。
「あの棚の右から二番目のお酒知ってます?」
「知らないな」
「友達が好きで美味しいらしい」
「読んでみよか」
スコッチだった。
ソーダ割りで飲むと中々美味しかったけれど、元々カクテル用のウイスキーとして作られただけあって、もうワンパンチ欲しい味だった。
三杯目は俺はヨコハマというカクテル、愛奈は和梨のダイキリをオーダーした。
「俺もさ、親を看取らなきゃいけないプレッシャーがあって辛いんだ」
「一人っ子ですもんね」
「出来た親でさ。ほとんどのことを叶えてくれた」
「すごいですね」
「ほんとすごい人だよ。だから期待に応えなきゃって思うとさ。色々しんどくなるんだ」
ヨコハマを一口飲む。ウオッカとジンの二つを混ぜるカクテルだからぐっとくる。愛奈に一口飲ませると「酒って感じです」と感想を述べた。茹で落花生がメニューにあったのでオーダーする。愛奈は食感が苦手だったようだ。愛奈はダイキリについてきた梨を一口食べ俺にくれた。甘くて美味い梨だった。次にオーダーしたのは愛奈はシャインマスカットを使ったウオッカマティーニ。俺はサイドカー。
「ゴリラいるじゃないですか」
「実習先の人ね」
「ほんといいなって思う。優しいし人のこと良く見てるしたくさん食べるし」
「既婚者じゃ無きゃね」
「そうなの。でも奥さん可愛かった」
「たぶん可愛いだろうな」
「一緒にいれはいるほどいいなって気持ち強くなる」
「叶うとか叶わないとかそんな事はどうでもいいから今の時間楽しめたらいいね」
「頑張ります。お局怖いけど。でも最近機嫌いいからいいや」
シャインマスカット一粒を俺に寄越す。繊維質の食べ物があまり好きではないらしい。サイドカーを飲ませると美味しいと言った。
「サイドカーに犬って映画知ってる?」
「知らないです」
「すごくいい映画だよ。小説原作なんだけれど」
愛奈がスマホをいじる。
「Huluで見れるんだ」
「そうなんだ。便利やな」
「今度見よう」
その後は愛奈の好きな小説の話をした。加藤千恵って読んだことなかったなと思いながら話を聞いていた。
「次なんだけどさ」
「はい」
「ピアノがあるバーに行きたいんだ」
「行きましょ。その後ラーメン食べて帰るんだ」
「いいね、そうしよう」
店を出てると少しだけ肌寒くなっていた。
ピアノのあるバーに向かって歩いていく。
「バーに入るの初めてでした」
「そうなんだ。前の彼とは来なかったの?」
「入るのに緊張するとこには行かなかったんです」
「最初は緊張するもんな。慣れればいいんだけど」
「あっちの方にあるビストロにもやっと入ったくらいだから」
「そうなんだ。でもいいもんでしょ」
「すごくよかったです」
「そうだ」
「どうしました?」
財布から千円札を数枚出して愛奈に渡した。
「タクシー代、忘れないうちに渡しておくよ」
「えっ、いらないですよ」
「遅くまで付き合わせてしまったし」
「いいですって」
「いや、受け取って。今日は本当にありがとうね」
愛奈のポケットに押し込んだ。
「すみません。ありがとうございます」
「ほんと愛奈ちゃんには救われっぱなしだよ。だからこれくらいはさせてよ」
そうこうしてるとピアノバーの前についた。
少しだけ緊張したが意を決して入る。
店内は混雑していたが運良くピアノが横にある席に座れた。さっきまでは横に座っていた愛奈と向かい合わせで座った。目を合わせるのが照れくさくなるなと思った。
「リクエストしてもいいみたいだよ」
「えー、いいな。弾いてもらいたい」
「何かあるの?」
「一時期、月光にハマってて」
「いいね」
「でも何楽章か忘れちゃった。ちょっと聞いてもいいですか?」
「いいよ」
愛奈がイヤホンを繋げて聞いている。
その間に俺は「Desperado」をリクエストした。
「一でした」
「そっか、次に言っておくよ」
Desperadoが流れる。
愛奈も知っていたみたいで俺が勧めたピニャコラーダを飲みながら聞いている。柔らかくて優しい表情が美しく貴かった。
「これはさ恋愛の曲っぽいけどポーカーで負けた曲なんだ」
「えー」
愛奈が笑う。
次に���アニストの方に愛奈のリクエストを伝えた。
始まると今にも泣きそうなくらいに感動している愛奈がそこにいた。スマホを向けてその時間を記録している。その時の顔は少女のよう、昔見た愛奈の写真に少し似ていた。
お酒が進んでいく。
カウンター席のおじさまがビリー・ジョエルをリクエストしている。ストレンジャーやHONESTYが流れている。
会話は愛奈の男友達の瀬名くんの話題に。
「今度ドライブに連れてってくれるんですよ」
「ロードスターに乗ってるみたい」
「オープンカーか。この時期はまだ気持ちいいね」
「天気の良い日見ておくねって」
「いい子やね。その子と付き合っちゃえば?」
「でもね、絶対彼女いるんですよ。いつも濁してくるけど」
「そっか」
「沼っちゃう男子ですよね」
「じゃあさ、俺と付き合って」
「仮にも彼氏いるんですよ」
「冗談だよ。俺は君に似合わない」
もっと若くて横浜流星みたいなルックスで何か才能があって自分に自信があったらもっとアピールしたかもしれない。そう、愛奈に合うのはそれくらい優れている人で、愛奈を大切に包み込むことが出来る余裕がある人に違いないからだ。
「あの曲聴きたい」
「なに?」
「秒速の曲」
「One More Time?」
「それ!」
「じゃあ頼んでおくよ」
ピアニストの方にお願いするとすぐに弾いてくれた。愛奈は感激してこのときは本当にその強い眼差しが少し濡れていたように見えた。
タバコに火を点ける。愛奈をちらちらと見ながら吸うタバコはいつもより目に染みる。
ダービーフィズを一口飲む。久々に飲んだがやはり美味しい。
「すごく嬉しかった」
「よかったよ」
最後の酒に選んだのは愛奈はシシリアンキス、俺はXYG。
そのオーダーを聞いていたピアニストの方はGet Wildを弾いてくれて俺は笑った。
「これさ、シティハンターで出てくるんだよ」
愛奈はもちろん知らなかった。男の子の映画だからね。
「ボズ・スキャッグス弾いてほしいんですけど」
近くの席の女性が弾いているピアニストに声をかけたがちょっと待ってと制止された。女性がトイレに入った間に俺はこの隙にと一曲リクエストした。
愛の讃歌。
愛奈も知っていた。
タバコも吸わず、氷だけになった酒で口を濡らし、聞いていた。少しだけ目頭が熱くなった。
曲が終わるとお酒が届く。
「渋いお酒飲まれますね。さっきのダービーフィズとか」
マスターから声をかけられた。ダービーフィズの泡がいいよねと話した。
ピアニストにさっきの女性が話しかけている。
「ボズ・スキャッグスをお願いします」
「曲はなにがいいですか?」
「曲名がわからなくて…」
「それならウィー・アー・オール・アローンを聞きたいです」
俺が言った。すると二人ともそれがいいとなって弾いてくれた。
訳詞には二つの解釈がある。
僕ら二人だけ。なのか、僕らはみな一人なのか。
今だけは前者でいさせてほしいと思った。
「ピアニストの人が弾いてて気持ちいい曲ってなんなんだろう」
愛奈が言う。
「確かに気になるね。聞いてみるよ」
ピアニストの方に聞く。
「その時で変わります。上手くできたなって思えば気持ちいいですから」
なるほどなと二人で頷いた���
最後のリクエストに「ザ・ローズ」をお願いした。
ピアニストの方も好きな曲らしい。
「気持ちよく弾けるように頑張りますよ」
この曲は愛奈も知っていた。
オールディーズの有名な曲だ。
気持ちよさそうに弾くピアニストと聴き惚れる愛奈を見ながら最後の一口を飲み干した。
後半はあまり愛奈と話をした記憶がない。二人ともピアノの音色に癒やされながら静かに酒を飲み、少しだけぽつりぽつりと会話をする。そんな落ち着いたやり取りが出来る関係っていいなと思った。
会計をする。
お釣りを全て、といっても少額だがピアニストの方に渡してもらった。
財布の中身が増えている気がした。
愛奈に聞くと何もしてないらしい。
「きっと財布の中でお金が生まれたんですよ」
そういうことにしてピアノバーを出た。出る直前に流れていた曲はドライフラワーでちょっとだけ不釣り合いで笑えた。
愛奈がラーメン屋を案内してくれるが場所が少し分かりにくくて何とかたどり着いた。
ビールを少し飲みながら餃子を食べているとラーメンが届いた。
二人して黙々と食べた。美味かった。
「大盛りにしてもよかった」
「私もう食べられないからあげますよ」
愛奈が麺をくれた。それを全て食べてビールを飲み干す。
二人で一頻り飲んだあとに餃子をつまみながらビールを飲み、ラーメンを一緒に食べてくれる女性は出会った事なかったかもしれない。
会計前にトイレに行きたくなって財布とカードを愛奈に渡して払っておいてほしいとお願いした。
戻るとテーブルに忘れていた眼鏡を俺に渡しながら
「使い方わからなくて自分で払っちゃいました」
「えっ、ああ、ごめん。現金渡すよ」
「いらないですよ。たくさんご馳走になったんでこれくらいはさせてください」
何度かやり取りしたが甘えることにした。
愛奈には甘えてばっかりだ。
店を出て大通りに向かう。
タクシーをつかまえようと。すぐにつかまった。
「このタクシー割引使えるんですよ」
「ありがとうね、また会おう」
「はい!」
タクシーを見送った。夜の大通りをすーっと去っていった。
ホテルへの帰り道。コンビニでお茶と赤マルを買った。久々に吸って美味しかったからだ。お茶は愛奈の鞄に預けたまま忘れていた。
赤マルに火を点ける。
やたらと煙が目にしみる。夜空を見上げたら明るい繁華街にも関わらずいくつか星が見えた。
生きていてよかった。
それくらい楽しくて美しい夜だった。
また愛奈に会いたいと思った。次はいつ会えるだろう。そんな事を考えながらホテルのベッドに倒れ込む。
「死んだら悲しいですから死なないで」
今日何度か言われた愛奈の言葉がリフレインしている。
本当に素敵な人だ。あんなに幼くてどうしようもない人と恋に落ちてたのに上手に成長した。
あんなに気遣いできて疲れないのかなって思う。
少し心配だ。
愛奈を写した写真を見返す。ブレてる写真ばかりで下手さが目立つが二枚ほどいい写真があった。
大切にしなきゃならない人がこの世にはいる。
間違いなくそれは彼女である。
これは一夜の記録と愛奈への恋文だ。
なんてね
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NoBarbenheimer
今回の件、原爆投下/原水爆をミーム化/ネタ化する動きの加速��対して。フェミニズムな作品であることがとても楽しみだったバービーの……“公式アカウント”が乗っかっていたという事実。そのショックについて。自分も抗議を送ったりTwitter/Tumblrでタグを使ったひとりですが、
「日本のみ」が被爆国ではないし、「日本人とされれる人々のみ」が被爆被害者ではない。
凡ゆる国と地域で被爆被害があり、凡ゆる国や地域の人々が、被害者が、世界中にいること。
“戦争被爆国”としての日本においては、戦時下で、軍国主義/差別主義の中で更に更にマイノリティとして虐げられた人々が、植民地支配/強制連行��よる被害者や、捕虜として収容されていた人々が、沢山、犠牲になっているし、その後も苦しみ続けている。日本/政府による迫害と差別に晒されている。その存在が、事実が、歴史が、蔑ろにされ続けている。
原爆/原水爆の犠牲者が、被害者が、いまも、世界で、さまざまな場所で、苦しみ続けていること。その歴史について。
それらを踏みにじるような言葉も、それらについて誤った認識を与える言葉も、Twitter上では多く(差別主義者/ネトウヨ/極右なども、バービーという作品そのものとそこにあるフェミニズムや多様性に対する一方的な揶揄/叩きや、韓国へのデマ/ヘイトや、他の悲惨な歴史や事件を更にミームにして茶化し出すという……醜悪な最低最悪な行いをぶち撒けながら、この抗議タグをTwitter上で利用してきていることもあり、)かなり蔓延してきてるようなので。
Twitterで今回自分がRTさせて頂いた……さまざまな方々が紹介していた記事やアーカイブ/今までTwitter上で自分がRTしてきたり引用してきたりした記事なども、自分用と兼ねて、いくつか、改めて、此方にも引用してみます。
また、再度、強調したいのですが、
日本は、今なお、戦争責任/加害の歴史に向き合おうとしない。戦争の責任と記録と歴史を忘却し、捻じ曲げようとする歴史修正主義が、まさにいま、どんどん勢いを増し続けている現状。核廃絶について背を向けるばかりか、核武装について“柔軟な議論”などとほざいて嬉々として語り出す連中が、差別主義者の糞どもが、万年与党であること。
そこを無視することこそ、恐ろしいことで、忘れてはならないこと。(これもほんと繰り返しだが、この現状だからこそ、戦争/核を軽視しないための抗議の責任があること、強調したい)
・日本だけではない、被爆国
「核兵器を開発するためには実験が必要です。1945年、アメリカのニューメキシコ州で世界で初めての核実験が行われてから、これまで2,050回以上の核実験が行われきました。
アメリカはネバダ砂漠や太平洋でロシアはカザフスタンや北極海で、イギリスはオーストラリアや太平洋の島国で、フランスはアルジェリアや南太平洋の仏領ポリネシア・タヒチで中国は新疆ウイグル自治区で実施しました。ワシントンやモスクワなどの大都市から遠く離れ、多くの場合は植民地や先住民族の暮らしている土地でした。(川崎 哲「核兵器はなくせる」、岩波ジュニア新書、2018)」
・Hiroshima and Nagasaki: A Multilingual Bibliography
「ABOUT US: The Aim of Our Project
In 2014, a year before the 70th anniversary of the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, we started our survey and research into the multilingual publication of atomic bomb literature. Our goal is to make a comprehensive survey into the process of worldwide acknowledgment of Hiroshima and Nagasaki for 70 years.」
・外国人戦争犠牲者追悼核廃絶人類不戦碑
「この戦争の末期、長崎では数次にわたる米軍の空襲、潜水艦攻撃、そして八月九日の原爆 によって七万余の日本人、数千の朝鮮人、中国人労働者、華僑、留学生、連合軍捕虜(イギ リス、アメリカ、オーストラリア、オランダ、インドネシア等)が犠牲となった。
特に浦上刑務所のあった隣接する丘では、三十二名の中国人、十三名の朝鮮人が、日本人 受刑者とともに爆死し、また香焼や幸町の捕虜収容所では、被爆前に病気や事故などによ って数百名の連合軍兵士が死亡した」
「碑の建立に力を注いだのは、戦時中に収容所の職員だった田島治太夫さん(九九年死去)。一緒に運動した鎌田信子さん(72)は「日本人だけでなく、多くの外国人が犠牲になったことを知ってもらいたい」と語る。」(2005/07/15 掲載記事)
・被爆2世、女性として直面した複合差別 ――「韓国のヒロシマ」陜川から
「2023年2月7日、被爆者の援護を定めた法の対象外となっているのは不当だとして、被爆2世が国を訴えていた裁判の判決が広島地裁で言い渡された。「不当な差別とは評価できない」などとして、原告の訴えは棄却された。被爆2世に対しては、厚生労働省が定めた要綱に基づく健康診断が実施されているものの、がん検診はそこに含まれず、各種手当の交付なども受けられない。」
「原爆被害に加え、それ以前からの植民地支配に翻弄されてきた韓国人被爆者の次世代も、「線引きの外側」に置かれ、公的な支えを受けられずに生きてきた。」
・80歳を過ぎて語り始めた被爆体験――福島へ手渡したい思いとは
「切明さんの話は、「あの日」から始まるのではなく、軍都「廣島」の話から始まる。
「広島は今、平和を守ることや、核兵器廃絶を掲げていますが、77年前までは軍国主義の街でした」
切明さんが国民学校2年生の時、満州事変が起きる。広島城の周辺には陸軍の師団が置かれており、宇品港は中国大陸や、その後の東南アジアの国々侵略のための出発港だった。」
・「存在しない」とされた残留放射線、内部被ばくの被害を認めない政府
「こうした政府の態度の根底にあるのは、残留放射線による内部被ばくの否定だ。放射性物質を体内に取り込む危険性から目を背ける、その姿勢の源流を知るためには、日米の歴史を紐解く必要がある。
『原水爆時代〈上〉―現代史の証言』(今堀誠二)や 『核の戦後史:Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実』(木村朗、高橋博子)でも示されているが、原爆投下から1ヵ月後、マンハッタン計画の副責任者であるトーマス・ファーレル氏は、下記のような声明を発表したとされる。
「広島・長崎では、死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬において、原爆放射能の余燼ために苦しんでいる者は皆無だ」
残留放射能が存在しないとした理由について記者からの質問を受け、ファーレル氏は「相当の高度で爆発させた」ことを挙げていた。
なぜこうした声明を出すに至ったのか。『核の戦後史』の他、『封印されたヒロシマ・ナガサキ』などの著者でもある奈良大学の高橋博子教授は、占領を円滑に進める必要がある米国側の意図を指摘する。
「声明には、原爆投下が国際法違反であることを否定し、広島を取材した連合国軍記者による報道を打ち消す狙いがあったと思われます」 」
「 「日本政府は核兵器の残酷さや非人道性を訴えるどころか、その“威力”を重視し、原爆攻撃をした米国と一緒になって、核兵器の有効性を世界に向けて訴えてきたといえます。核の“パワー”の肯定的イメージを拡散してきた、世界に対する責任は重いと思います」 」
・«さもしいといって下さいますな» 福田須磨子さんの思い 原爆を背負って(30)
「 《何も彼(か)も いやになりました 原子野に屹立(きつりつ)する巨大な平和像 それはいい それはいいけど そのお金で何とかならなかったかしら “石の像は食えぬし腹の足しにならぬ” さもしいといって下さいますな 原爆後十年をぎりぎりに生きる 被災者の偽らぬ心境です》
1955年8月、被爆詩人・福田須磨子さん=74年に52歳で死去=が詠んだ詩「ひとりごと」です。須磨子さんは23歳のとき、爆心地から1・8キロ地点で被爆。高熱や脱毛など後遺症に苦しみ、紅斑症にもかかります。身体的、精神的苦痛と生活苦にさいなまれる日々…。3千万円の巨費を投じて造られた平和祈念像を見て、この詩を詠みました。」
・問われる空襲被害者の戦後補償
この記事は2020年放送のNHKスペシャル「忘れられた戦後補償」を下地にした2021年放送のクローズアップ現代の記事です。もとのNHKスペシャルを記事化したページは……もう削除されてしまい、この別番組の記事しか残っていない状況です。
被爆被害とは違った話なのですが、日本が戦後も、ずっと、いかに、国内外問わず、戦争責任に向き合っていない国であるか。民間人/市民を切り捨て、権力者/軍部を優遇してきたか。それがわかりやすい記事のひとつとして、引用します。
以下はNHKスペシャルの特集記事から当時引用した文面です。
「大将経験者の遺族には、戦犯であっても、兵の6.5倍の補償を実施。閣僚経験者に対しては、現在の貨幣価値で年1000万円前後が支払われていた。その一方で、旧植民地出身の将兵は、恩給の対象から外された。」
「国家が総動員体制で遂行し、破滅への道をたどった日本の戦争。犠牲となった民間人は80万人。戦後、国家補償を求めた民間被害者の訴えは一貫して退けられてきた。」
「ドイツやイタリアと違い、軍と民の格差が時代とともに拡大していった日本の戦後補償」
(しかしNHKの戦争責任を問う特集関係の読みやすいWEB記事や記録は……数年しか残さない、消されてしまうし。オンデマンド配信に全て入る訳ではないようだしで。戦争の真実シリーズの731部隊の特集の書籍化は何年も延期が続き、今年やっと……出版されそう……?である現状(何かしらの検閲を受けていないかが、不安である)、本当に不気味で、最悪だ)
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240315
ホテルのベッドボードがライトグレーのようなグリーンでこういう色の壁紙とかタイルとか、部屋に取り入れたくなる。
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240316
愛媛から岡山へ。 彼がやっぱり母親にも砥部焼を買いたいと、昨日2度行った陶芸会館へ行く。その前にわたしの要望でコーヒーを飲んで、チェックアウトまで早歩きのペース。それでもコーヒーの時間、ゆっくりできてよかった。 3回も同じ場所に行くなんて、効率が悪いけれど、へたくそなのがわたしたちなのだろう、と思う。 今日のご飯は宿のビュッフェ(海鮮)、スーパーのパン(生クリームのコッペパン)、松屋の牛丼、大島のカフェのケーキ。 今日で旅行も最後。 帰宅したらきっと、本格的に北海道での生活も日常になっていくのだろう。 周りをみると焦るし、無名のわたしが一体何をやっているのだろうと思う。信じられるものもないし、不安だけれど、絵を描くこと、詩を書くこと、本をつくること、それだけをみつめていれば大丈夫って思っている。思いたい。
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240317
朝、旅行が終わってしまうのがさみしくなる。 もっと昨日、楽しめばよかったと思う。 彼が、また旅行いきましょう、という。 来年ね。また、どこかいこう。
北海道は別世界だった。 四国ではコートはいらないなと思っていたのに、北海道では雪が降っていた。 北海道に帰ってきたのだけれど、北海道に帰ってきたという感じはなくて、北海道に旅行に来た気持ちがする。 帰宅して、すぐさまストーブをつける。 9日間、冷え続けた部屋はなかなか温まらなかった。
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今日は家人と娘がディズニーシーに出かけたので終日ひとり飯である。
なんでお留守番かといえば、ぼくはジェットコースターがとてつもなく苦手なのである。
むかし、まだ結婚したばかりのころに三重県の「パルケ・エスパーニャ」に遊びに行き、家人がどうしても絶叫コースターの「ピレネー」というのに乗りたいというので、ここで逃げたら沽券にかかわるとばかりに乗ったのはいいが、危うくオトされるところだった。
なので基本的に遊園地には行かない。
昼飯は「オムライス」にマルシンハンバーグを添えた。
見てわかると思うがケチャップがギリだったので、ケチャップライスではなくバターライスにしてある。
ハンバーグは気まぐれ。
晩飯は「海鮮あんかけ焼きそば」である。
ベランダから遠くに、どこかのグラウンドの照明灯が見える。
高校の頃は運動部であったから、あの灯りの下で駆け回っていたのだ。
ずいぶん遠くに来たなァ。
ごちそうさん。
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「オリエントへのまなざし -古代ガラス・コプト織・アジア陶磁-」展
早稲田大学 會津八一記念博物館で「小野義一郎コレクション オリエントへのまなざし -古代ガラス・コプト織・アジア陶磁-」展を見る。西アジアの古代ガラスやイスラーム陶器、エジプトのコプト織、東南アジアの陶磁など約80点が展示されている。古代ガラスはこれまで見る機会が多少はあったものの、まとまった数を見るのは初めて。コプト織はまったく未知の領域。東南アジアの陶磁も、散発的に見たことならあった気がするけど……という程度。そんな自分にはおあつらえ向きの企画展で、新鮮な鑑賞体験ができた。また、たとえば古代ガラスだと、ガラスの歴史を通観する展示のなかで見るのと、考古資料の展示の一環として見るのと、古代ガラスだけを集めた展示で見るのとでは、見えかたが違ってきたり、ひいてはそこから気づくことも違ってきたりする。同一ジャンルに属する文物を異なる文脈で繰り返し見ることができるのは幸いである。
さて、メインビジュアルに採用されているのは、ガラスの面カット装飾浅鉢。サーサーン朝時代、4〜6世紀、イランあたり。この下の自分の撮った写真より、上の展示室風景のビジュアル写真のほうが装飾がいくぶん見やすいかもしれない。
円形切子装飾椀。サーサーン朝、5~7世紀、東地中海沿岸。全体的に黄白色なのは風化のためで、本来は淡緑色の透明ガラスとのこと。円形にカットされた装飾が確認できる。風化した風情も正直なところ好きなのだが、「いまでこそ経年変化で時代がかった見た目になっているけど、作った当時は古色はついていなかったのだから、元の姿を想像しながら見よう」と思いながら(心の目で)見るよう努めた。
次の2点はイスラーム時代のガラス。左は12~13世紀、シリアかエジプト、マーブル装飾扁壺。文様がちょっとラテアートっぽい。右は型吹長頚瓶、11~12世紀、イラン。香水を散布するために使われたもの。10世紀ごろ蒸留技術が確立してバラ水などが普及したことから、このようなガラス製品が作られたものと見える。
ローマ時代のミルフィオリ・パテラ形杯。前1~1世紀、東地中海沿岸。棒ガラスを組み合わせて金太郎飴のように輪切りにして文様を作っている。
これもローマ時代、型吹双面瓶、1世紀後半〜2世紀、東地中海沿岸。微笑んでいる顔と怒っている顔が型吹きの技法で作られている。
前期青銅器時代、紀元前2300~前2000年ごろの土器、掻落彩文杯。シリア北西部で出土したもの。直線や波線の文様はヘラのようなもので掻き落として作られている。
ラスター彩人物文鉢。イラン、セルジューク朝時代、12世紀後半〜13世紀前半。2人の女性が描かれている。
藍釉鉢。イラン、セルジューク朝時代、12世紀後半〜13世紀前半。
色絵金彩鉢。イラン、セルジューク朝時代、12世紀後半〜13世紀前半。花のような太陽のような星のようなものが描かれている。白釉の上に藍彩で下絵付けをして焼成し、その上に色絵金彩で上絵付けを施す、ミナイ陶器と呼ばれるタイプらしい。
コプト織は、エジプトの遺跡から出土する染織品の総称で、必ずしもコプト教と関係があるとは限らない。下の2点は6~7世紀のコプト織で、左は踊る女たち、右は馬に乗る男の図柄。
10~11世紀の幾何学文のコプト織。
左は4人の聖人が並んでいる図柄、7~8世紀。右は5~6世紀、幾何学文だが、ふたつの四角形を組み合わせた形はキリストの十字架を表現したものらしい。そして貴重な染料で紫色に染められている。
蕾モチーフのコプト織、6~7世紀。蕾のモチーフはコプト織でとても好まれていた由。
クメール陶器、黒褐釉象形壺。12~13世紀。壺の高台が象の4本脚になっていてかわいらしい。象は背中に宝珠のようなものを背負っている。
クメール、12~13世紀の黒褐釉線文壺。黒褐釉の平壺はクメール陶器の典型のひとつだそう。
クメール、11~12世紀、施釉刻線蓋付高坏。須弥山を模したと思しきこの形もクメール陶器の特徴とのこと。アンコールワットなどのクメール建築とも相通じていておもしろい。
ベトナム、14世紀、鉄絵草花文椀。ベトナム産の鉄絵陶器は日本の大宰府などからも出土しているとか。海外へ輸出するために数多く生産されたらしい。
ベトナム、15世紀、青花神獣文瓶。獣類の長である麒麟と鳥類の長の鳳凰が描かれている。
タイ、14~15世紀、青磁刻線文双耳小壺。小さくてかわいいやつ。
タイ、15世紀、白磁鳥形水注。
タイ、15~16世紀、白・黒象嵌瓶。象嵌する土と胎土とでは耐火度や収縮率などが異なるため、ひび割れたり象嵌が剥がれたりしないためには高い技術力が必要だとのこと。つまり下の写真の陶器は手練の作なのだろう。
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大瓶630円、チャーメン600円
◎来々軒(川崎新町)
2023/09/02 11:45
*横浜・川崎を中心とした京浜地区の中華屋に「チャーメン(炒麺)」というメニュウがわりと置いてあって、上野・御徒町などにもある。中華料理の焼きそばは、揚げ麺・やわ麺いずれも野菜や海鮮の餡かけがトッピングされているのが主だと思うんだけど、チャーメンはソース焼きそばと同じ作り方で味付けが塩または醤油というのが自分の認識。一部、醤油の色が濃い仕上がりもあるけど個人的には塩ベースの色白のものがチャーメンらしいと思っている。ほどよい肉野菜と中華麺の炒め合わせでコショウの効いたあっさり味なのでビールのつまみによし。ビールのおまけのかっぱえびせんも沁みた。
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ミツカンに対し1億円の賠償を求めていた 東京地裁709号法廷はその日、傍聴希望者で満席となっていた。8月10日13時30分すぎ。予定より15分ほど遅れて、海外でも注目されていた訴訟の判決言い渡しはわずか数分だった。「原告の請求はすべて棄却する」。傍聴席からはどよめきが流れた。 勝訴した被告は、「味ぽん」などで知られる老舗食品メーカーの「ミツカン」(ホールディングスなど2社)。原告は、ミツカン創業家の娘婿として迎えられ、役員ポストまで約束されていながら、長男が誕生するや妻子と引き離され、その後、妻とは離婚、ミツカンからは解雇された中埜なかの大輔氏(42)だ。 この日の判決は、大輔氏が「違法で不当な配転命令だ」と主張して1億円の損害賠償を求めた訴訟だった。 判決文を精査した大輔氏および代理人弁護団は「あまりにも杜撰な審理、お粗末な事実��定」として、東京高裁に控訴している。まずは訴訟に至るまでの経緯を説明しよう。 創業家の一子相伝で経営が引き継がれてきた 愛知県半田市に本社を置くミツカンは、グループ全体で年商2700億円、従業員約3700人、非上場ながら超優良企業である。「しあわせって、どこからやってくるんだろう? しあわせ、ぽん!」のキャッチコピーとともに家族団欒の様子を演出したCMでロングセラーとなっている「味ぽん」は、多くの家庭でもおなじみだろう。 その経営は江戸後期の1804年創業以来、中埜家による男子の一子相伝で、代々の当主は「中埜又左衛門」を襲名し、絶対君主として引き継がれてきた。歴代当主の最重要使命は、事業と莫大ばくだいな資産を次代の当主へと継承させることだった、と裁判のなかでも明らかにされている。 そんな名門創業家の婿として大輔氏が迎え入れられたのは2013年のこと。8代目当主・中埜和英ミツカン代表取締役会長兼CEO(当時、以下同)と妻の美和副会長(当時、以下同)の夫妻は男児に恵まれず、2人の娘しかいなかった。その次女である聖子氏と大輔氏は「お見合い」で知り合った。 婿入りするにあたっての「3条件」と「約束」 大輔氏は慶應義塾大学を卒業後、大手証券会社に入社。その後、外資系金融会社に転職し、当時は香港で働いていた。そこに、社内でプロジェクトチームまで結成して「婿探し」に奔走していたミツカン側から、資産運用で縁のあった上司を通じて見合い話が持ち込まれる。 高校時代ラグビーで鍛えたスポーツマンで8代目と同じく慶大卒の、エリート金融マン――。8代目夫妻も彼こそはと見込み、正式な交際を経て互いに愛し合うようになり、めでたく華燭の典となった。 ただし、入籍にあたって大輔氏は3つの条件を呑まされていた。1つ、金融マンとしてのキャリアを棄ててミツカンに入社すること。2つ、自身の姓を棄てて中埜姓となり婿入りすること。3つ、妻となる聖子氏の財産に対する遺留分放棄(妻が死亡した場合に財産を受け取れる権利の放棄)に合意すること。その代わり、近い将来ミツカンの役員に昇進させて十分な報酬も約束する、という合意書に署名した上での結婚だった。 そして夫婦は愛情を育み、幸せな結婚生活を送るなか、ほどなくして妻は身籠った。しかも、老舗創業家にとっては待望の男児と判明。ところが、この慶事が将来を約束された順風満帆であったはずの大輔氏の人生を急転直下させることになる。 本人提供ミツカン本社前で抗議活動をする中埜大輔氏 息子が生まれて4日、義父母が突然やって来て… 出産の3カ月前、大輔氏夫婦はロンドンに転居していた。すでに役員を務めていた妻の聖子氏はもちろん、ミツカンの社員となっていた大輔氏の英国支店配転によるものだったが、この結果、「英国で出産」という異例の事態となった。 しかも大輔氏は、転居後に和英会長から「1年間の育児休業を取得せよ、その間に転職先を探せ」と命じられる。婿入り時に約束された「近い将来ミツカンの役員に昇進させて十分な報酬も約束する」という合意はあっけなく反故にされ、逆にミツカンから出ていけとの命令だ。 そして息子が生まれて4日目の2014年9月1日、義父母がロンドンの大輔氏を訪ねてきた。 「あの日のことはいまも鮮明に脳裏に焼き付いています」 大輔氏はそう振り返る。 「ロンドンの産後ケア施設にいた僕たち夫婦のもとに、突然、日本から義父母がミツカンの常務を引き連れてやってきたのです。そして和英会長は『養子縁組届』なる書面を突き付け、この場でいますぐ署名しろと迫った。生後4日の僕たちの息子を自分たちの養子に差し出せというのです」
誕生4日後の孫を「創業家の養子」にするため英国へ…超名門企業の「男児を世継ぎにしたい」という異様な執着 「役員予定」だった娘婿は、息子と引き離され会社をクビに (2ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
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