#津山城跡鶴山公園
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“ 津山城 “ // 𝚈𝚞𝚞𝚗𝚊
#津山城#津山城跡鶴山公園#Tsuyama Castle#Tsuyama Castle Ruins#Okayama Prefecture#Japan#spring#Sakura#cherry blossom#Sunset#explore#follow#discover
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【岡山県】津山城跡鶴山公園 . 津山城の桜、今度にまた続きます . (2021/04/02撮影) . #津山城跡 #鶴山公園 #津山城跡鶴山公園 #桜 #桜とお城 #津山城 #岡山県 #津山観光 #津山旅行 #桜の名所 (津山城跡鶴山公園) https://www.instagram.com/p/CpuxmNVLnF8/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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津山鶴山公園
今年は本当に素晴らしかったです。
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14日の給水予定(13日21時現在) 【七尾市】水がなくなるまで行います。▽田鶴浜体育館で、午前9時半から▽南大呑地区コミュニティセンターで、午前9時半から▽和倉温泉お祭り会館駐車場で、午前10時から▽七尾城登山口駐車場で、午前10時から▽崎山地区コミュニティセンターで、午前10時から▽中島小学校で、午前10時半から▽旧能登島市民センター跡地で、午前10時半から【輪島市】▽輪島中学校で、午前9時から▽鳳至小学校で、午前9時から▽大屋小学校で、午前9時半から▽三井公民館で、午前10時から▽剱地公民館で、午前10時から▽門前中学校で、午前10時から▽諸岡公民館で、午前10時から▽診療所別館で、午前10時から▽能登空港で、午前10時半から▽市ノ坂集会所で、午前11時から▽河井小学校で、午前11時半から▽輪島地方合同庁舎で、午前11時半から▽大屋公民館で、午前11時半から▽輪島消防署で、午前11時半から▽河井地区のおおぞら農協で、午後0時半から▽鳳至公民館で、午後0時半から▽ふれあいプラザ二勢で、午後0時半から▽河原田地区のおおぞら農協で、午後0時半から▽阿岸公民館で、午後1時から▽門前西小学校で、午後1時から▽門前東小学校で、午後1時から▽浦上公民館で、午後1時から▽石川県輪島水泳プールで、午後1時から▽ふれあい健康センターで、午後1時半から▽港公民館で、午後1時半から▽河原田公民館で、午後1時半から▽東陽中学校で、午後2時から▽河原田小学校で、午後2時半から▽黒島公民館で、午後3時から▽門前公民館で、午後3時から▽下本郷の宝建設付近で、午後3時から【志賀町】▽志賀町文化ホールで、午前9時から午後6時まで▽富来活性化センターで、午前9時から午後6時まで▽能登中核工業団地コミュニティ施設で、午前9時から午後6時まで【能登町】▽宇出津港いやさか広場で、午前9時から午後5時まで▽崎山能都体育館前で、午前9時から午後5時まで▽柳田総合支所で、午前9時から午後5時まで▽旧鵜川駅前で、午前9時から午後5時まで▽内浦総合支所で、午前9時から午後5時まで▽小木支所で、午前9時から午後5時まで▽上町公民館で、午前10時から午後3時まで▽三波公民館で、午前10時から午後3時まで▽瑞穂公民館で、午前10時から午後3時まで▽高倉公民館で、午前10時から午後3時まで▽白丸公民館で、午前10時から午後3時まで※雪の影響などで時間が変更になる可能性もあるとしています。【珠洲市】▽宝立小中学校で、24時間給水が可能▽飯田高校で、24時間給水が可能▽正院小学校で、24時間給水が可能▽旧蛸島保育所で、24時間給水が可能▽上戸小学校で、24時間給水が可能▽若山小学校で、24時間給水が可能※水がなくなれば翌日の午前中に補給されるということです。▽緑丘中学校で、午前10時から正午、また午後1時から3時まで【穴水町】▽B&G海洋センターで、午前8時から午後4時まで▽JAのとで、午前8時から午後4時まで▽穴水町保健センターで、午前8時から午後4時まで▽根木ポケットパークで、午前8時から午後4時まで▽住吉公民館で、午前8時から午後4時まで▽諸橋公民館で、午前8時から午後4時まで▽旧兜小学校で、午前8時から午後4時まで【羽咋市】▽余喜公民館で、午前9時から午後5時まで▽すこやかセンターで、午前9時から午後5時まで【中能登町】▽道の駅織姫の里なかのとで、午前9時から午後5時まで【内灘町】▽保健センターで、24時間▽宮坂公民館で、24時間▽久島工務店前で、午前10時から午後2時まで▽西荒屋小学校で、午前10時から午後2時まで【かほく市】▽大崎区民会館で、24時間【宝達志水町】▽町役場庁舎前の駐車場で、午前9時から午後5時まで※庁舎前での給水はあすで終了するということです。 《入浴》 自衛隊の入浴支援の情報(14日予定) 【輪島市】▽輪島中学校で、午後4時から午後9時まで▽鳳至小学校で、午後4時から午後9時まで▽もんぜん児童クラブで、午後2時から午後8時まで▽道の駅赤神で男性用に午後2時から午後8時まで▽町野東大野プールの南側で、午後1時から午後6時まで、午後5時半に受け付け終了【珠洲市】▽上戸小学校で、午後5時から午後10時まで▽宝立小・中学校で、午後3時から午後8時まで▽飯田小学校で、午後3時から午後8時まで▽蛸島小学校で、午後3時から午後8時まで【能登町】▽藤波運動公園で、午後1時から午後9時まで▽松波中学校で、午後1時から午後9時まで▽柳田体育館で、午後1時から午後9時まで【穴水町】▽穴水総合病院で、要介護者用に午後2時から午後3時まで、一般用に午後3時から午後9時まで▽兜小学校で、女性用に午後3時から午後6時まで、男性用に午後6時から午後9時まで【志賀町】▽熊野交流センターで、午後3時から午後8時まで▽富来B&G海洋センターフレアで、午後3時から午後8時まで※強風の場合、中止する可能性があります。【七尾市】▽中島小学校で、午後3時から午後9時まで▽田鶴浜地区コミュニティセンターで、午後3時から午後8時まで 《電気》 停電 能登地方の1万800戸(14日5時時点) 北陸電力送配電によりますと、今回の地震の影響で石川県の能登地方では14日午前5時の時点でおよそ1万800戸が停電しています。<自治体別>▼輪島市でおよそ5600戸▼珠洲市でおよそ3300戸▼能登町でおよそ1600戸▼穴水町でおよそ230戸
能登半島地震 石川【ライフライン まとめ 14日】断水続く 給水・入浴支援の時間・場所の詳細は | NHK | 令和6年能登半島地震
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讀萬卷書
H:讀萬卷書很無聊,行萬里路很辛苦。看電視的活衣廚,每日看平板找萬卷書,看旅遊節目觀遊世界。廢人世界的新讀書觀,懶人的觀遊世界路。以點引書,以觀代遊。網路世界很遼闊。「欲知天下事,須讀古今書。學了就用處處行,光學不用等於零。不能則學,不知則問;讀書全在自用心,老師不過引路人。」看「他們在島嶼寫作」介紹王文興,以電影文本的形式,紀錄文學大家。其中王文興教授談及「彷彿名人才能寫回憶錄。」因為有人看,普通人寫回憶錄則自我安慰,自娛娛人。有些人隨物換星移而隱去,有些書卻一直流傳。廢宅論不可取,各依所需,天冷在家,觀音唸佛祖,各唸一本家家經。20231217W7
王文興 (作家)
維基百科:
台灣作家 (1939-2023)
王文興(1939年9月24日—2023年9月27日),男,福建福州人,臺灣小說家。 維基百科
電影: 尋找背海的人
配偶: 陳竺筠; (1969年結婚—2023年結束)
王文興從1966年開始寫作《家變》,在1973年出版,發表後造成軒然大波。這是因為《家變》從內容到形式、情節、���構,語言文字,在當時的台灣文壇都是創新的,甚至創新到被某些人認為是「離經叛道」的「異端」,為了這部作品,台灣文學界曾經開過多次座談會,發表過多篇文章來討論。
古人說「人不登高山,不知天之高也;不臨深溪,不知地之厚也。」
蘇軾在《石鐘山記》一文中,記敘了他深入實地考察,揭開了石鐘山得名之謎的故事。
李時珍爲了完成《本草綱目》的著述,不辭辛勞遠出旅行考察,上山採藥和拜訪有實際經驗的人。
陸遊說:「紙上得來終覺淺,絕知此事要躬行。」
杜甫在《奉贈韋左丞丈二十二韻》中這樣的句子:讀書破萬卷,下筆如有神。
明末畫家董其昌的《畫禪室隨筆》卷二○畫訣中:「讀萬卷書,行萬里路,胸中脫去塵濁,自然丘壑內營,立成鄄鄂。」
古人講讀萬卷書,行萬里路,其實就是王陽明老先生講的知行合一。
「讀萬卷書,行萬里路,有耀自他,我得其助」出自清代梁邵王《兩般秋雨庵隨筆》
趙恆《勸學詩》
勸學詩
宋代:趙恆
富家不用買良田,書中自有千鍾粟。
安居不用架高堂,書中自有黃金屋。
出門莫恨無人隨,書中車馬多如簇。
娶妻莫恨無良媒,書中自有顏如玉。
男兒若遂平生志,六經勤向窗前讀。
人生五堂課:讀萬卷書、行萬里路、閱人無數、名師指路、自己開悟
讀萬卷書
書山有路勤爲徑,學海無涯苦作舟;腹有詩書氣自華,讀書破萬卷 下筆如有神黑髮不知勤學早 白首方悔讀書遲與肝膽人共事 無字句處讀書行萬里路千里之行 始於足下不積跬步無以至千里路遙知馬力日久見人心路漫漫其修遠兮 吾將上下而求索紙上得來終覺淺 絕知此事要躬行閱人無數讀人如讀書 閱人宜閱己邪正看鼻眼 功名看氣宇 事業看精神
古今賢文勸學篇
枯木逢春猶再發,人無兩度再少年。不患老而無成,只怕幼兒不學。長江後浪推前浪,世上今人勝古人。若使年華虛度過,到老空留後悔心。有志不在年高,無志空長百歲。少壯不努力,老大徒傷悲。好好學習 ,天天向上。堅持不懈,久煉成鋼。三百六十行,行行出狀元。冰生於水而寒於水,青出於藍而勝於藍。書到用時方恨少,事非經過不知難。
身怕不動,腦怕不用。手越用越巧,腦越用越靈。三天打魚,兩天曬網,三心二意,一事無成。一日練,一日功,一日不練十日空。拳不離手,曲不離口。刀不磨要生銹,人不學要落後。書山有路勤為徑,學海無涯苦作舟。師傅領進門,修行在自身。熟能生巧,業精於勤。
讀書篇
欲知天下事,須讀古今書。
學了就用處處行,光學不用等於零。
不能則學,不知則問;讀書全在自用心,老師不過引路人。
好曲不厭百回唱,好書不厭百回讀。
讀書貴能疑,疑能得教益。
默讀便於思索,朗讀便於記憶。
初讀好書如獲良友;重讀好書如逢故知。
處處留心皆學問,三人同行有我師。
石鐘山記
朝代:宋代
作者:蘇軾
《水經》雲:“彭蠡之口有石鐘山焉。”酈元以爲下臨深潭,微風鼓浪,水石相搏,聲如洪鐘。是說也,人常疑之。今以鐘磬置水中,雖大風浪不能鳴也,而況石乎!至唐李渤始訪其遺蹤,得雙石於潭上,扣而聆之,南聲函胡,北音清越,桴止響騰,餘韻徐歇。自以爲得之矣。然是說也,餘尤疑之。石之鏗然有聲者,所在皆是也,而此獨以鍾名,何哉?
元豐七年六月丁丑,餘自齊安舟行適臨汝,而長子邁將赴饒之德興尉,送之至湖口,因得觀所謂石鍾者。寺僧使小童持斧,於亂石間擇其一二扣之,硿硿焉。餘固笑而不信也。至莫夜月明,獨與邁乘小舟,至絕壁下。大石側立千尺,如猛獸奇鬼,森然欲搏人;而山上棲鶻,聞人聲亦驚起,磔磔雲霄間;又有若老人咳且笑于山谷中者,或曰此鸛鶴也。餘方心動欲還,而大聲發於水上,噌吰如鐘鼓不絕。舟人大恐。徐而察之,則山下皆石穴罅,不知其淺深,微波入焉,涵淡澎湃而爲此也。舟回至兩山間,將入港口,有大石當中流,可坐百人,空中��多竅,與風水相吞吐,有窾坎鏜鞳之聲,與向之噌吰者相應,如樂作焉。因笑謂邁曰:“汝識之乎?噌吰者,周景王之無射也;窾坎鏜鞳者,魏莊子之歌鐘也。古之人不餘欺也!”
事不目見耳聞,而臆斷其有無,可乎?酈元之所見聞,殆與餘同,而言之不詳;士大夫終不肯以小舟夜泊絕壁之下,故莫能知;而漁工水師雖知而不能言。此世所以不傳也。而陋者乃以斧斤考擊而求之,自以爲得其實。餘是以記之,蓋嘆酈元之簡,而笑李渤之陋也。
《本草綱目》是一部集中國16世紀以前本草學大成的著作,明代萬曆六年(1578年)定稿,萬曆二十三年(1596年)在南京正式刊行,作者為醫學家、藥學家和博物學家李時珍。此著收錄於《四庫全書》,為子部醫家類。
紙上得來終覺淺,絕知此事要躬行。
出自於陸游的《冬夜读书示子聿》
朝代:宋代
作者:陸游
古人學問無遺力,少壯工夫老始成。
紙上得來終覺淺,絕知此事要躬行。
奉贈韋左丞丈二十二韻
朝代:唐代作者:杜甫
同類型的詩文:社交讀書壯志
原文
紈绔不餓死,儒冠多誤身。丈人試靜聽,賤子請具陳。
甫昔少年日,早充觀國賓。讀書破萬卷,下筆如有神。
賦料揚雄敵,詩看子建親。李邕求識面,王翰愿卜鄰。
自謂頗挺出,立登要路津。致君堯舜上,再使風俗淳。
此意竟蕭條,行歌非隱淪。騎驢十三載,旅食京華春。
朝扣富兒門,暮隨肥馬塵。殘杯與冷炙,到處潛悲辛。
主上頃見征,欻然欲求伸。青冥卻垂翅,蹭蹬無縱鱗。
甚愧丈人厚,甚知丈人真。每于百僚上,猥頌佳句新。
竊效貢公喜,難甘原憲貧。焉能心怏怏,只是走踆踆。
今欲東入海,即將西去秦。尚憐終南山,回首清渭濱。
常擬報一飯,況懷辭大臣。白鷗沒浩蕩,萬里誰能馴?
1 
○記事2 
予在廣陵,見司馬端明畫山水,細巧之極,絕似李成。多宋元人題跋,畫譜俱不載,以此知古人之逃名。3 
今年游白下,見褚遂良西升經,結構遒勁,於黃庭像贊外,別有筆思。以顧虎���洛神圖易之。主人迫欲朱提,力不能有,遂落賈人手。如美人為沙叱利擁去矣。更償之二百金,竟靳固不出。登舟作數日惡,憶念不置。然筆法尚可摹擬,遂書此論,亦十得二三耳。使西升經便落予手,未必追想若此也。4 
書家以豪逸有氣,能自結撰為極則。西昇雖俊媚,恨其束于法,故米漫士不甚賞心。若兒子輩能學之,亦可適俗。因作小楷書記之。5 
送君者自崖而返,君自此遠。宋子京讀莊子至此,遂欲沾巾。予北上,泊寒山為送別諸君子拈之。6 
鬥鵪鶉,江南有此戲,皆在籠中。近有吳門人,始開籠於屋除中,相鬥彌日。復入籠飲啄,亦太平清事。7 
餘與仲醇,以建子之月,發春申之浦,去家百里。泛宅淹旬,隨風東西,與雲朝暮。集不請之友,乘不系之舟。壺觴對飲,翰墨間作。吳苑酹真娘之墓,荊蠻尋懶瓚之蹤,固以胸吞具區,目瞪雲漢矣。夫老至則衰,倘來若寄,既悟炊梁之夢。可虛秉燭之游,居則一丘一壑,唯求羊是群;出則千峰萬壑,與汗漫為侶。茲予兩人,敦此夙好耳。8 
余游閩中,遇異人談攝生奇訣。在讀黃庭內篇,夜觀五藏神,知其虛實,以為補瀉。蓋道藏所不傳,然須斷葷酒與溫柔鄉,則可受持。至今愧其語也。9 
七夕,王太守禹聲,招飲於其家園。園即文恪所投老。唐子畏,郝元敬諸公為之點綴者。是日,出其先世所藏名畫。有趙千里後赤壁賦一軸,趙文敏落花游魚圖,谿山仙館圖。又老米雲山,倪雲林漁莊秋霽,梅道人漁家樂手卷,李成雲林卷,皆希代寶也。餘持節楚藩歸。曾晚泊祭風臺,即周郎赤壁,在嘉魚縣南七十里。雨過,輒有箭鏃於沙渚間出。里人拾鏃視予,請以試之火,能傷人,是當時毒藥所造耳。子瞻賦赤壁,在黃州,非古赤壁也。壬辰五月10 
元李氏有古紙,長二丈許,光潤細膩,相傳四世。請文敏書,文敏不敢落筆,但題其尾。至文徵仲,止押字一行耳,不知何時乃得書之。11 
餘頃驅車彭城,不勝足音之懷。又有火雲之苦,回馭谷水塔上,養痾三月。而仲醇挾所藏木癭爐,王右軍月半帖真跡、吳道子觀音變相圖、宋板華嚴經尊宿語錄示餘。丈室中惟置一床,相對而坐,了不蓄筆研。既雨窗靜間,吳門孫叔達以畫事屬余紀游,遂為寫迂翁筆意。即長安游子,能有此適否?12 
袁尚書賴無𥚛,孫女以餓縊死。尚書善噉,不能饜。每市蜆為晚飧,可竟一斗。有一門生,饋以十金,輒作三封。以一封置袖中,乘月叩窮交之戶。呼輿偕步,以袖中金贈之而別。其貧都由此,然每攜麗伎泛泊,一日不能廢也。13 
楊尚書成,在吳中負物望。其家不貧,而吳中人稱之,不在哀公下。以其淳謹安靜,故令人無可間然耳。尚書過蔡經舊里,曰:「此宋之大賊,乃居此乎?」以為蔡京也,所謂不讀非聖書者耶。14 
張東海題詩金山:「西飛白日忙於我,南去青山冷笑人。」有一名公,見而物色之曰:「此當為海內名士。」東海在當時,以氣節重。其書學懷素,名動四夷。自吳中書家後出,聲價稍減,然行書尤佳。今見者少耳。15 
餘與程黃門同行江南道上,停驂散步。見陂陁紆復,峰巒孤秀。下瞰平湖,澄碧萬頃,湖之外江光吞天,征帆點點,與鳥俱沒。黃門曰:「此何山也?」餘曰:「齊山也。」黃門曰:「子何以知之?」餘曰:「吾知杜樊川所謂江涵秋影者耳。」詢之舟人,亦不能名。但曰:此上有翠微亭。黃門與餘一笑而出,是日步平堤六七里,皆在南湖中。此堤之勝,西湖僅可北面稱臣耳。俗諺云,九子可望不可登,齊山可登不可望。信然。16 
大林寺,在天池之西,有西竺娑羅樹二株。中宴坐老僧,余訪之,能念阿彌陀佛號而已。白樂天詩云:「人間四月芳菲盡,山寺桃花始盛開。」必此寺也。17 
○記游18 
武彞有大王峰,峰極尊勝。故名武彞。君為魏王子騫,曾會群真於此,奏人間可哀之曲。19 
大田縣有七巖臨水。山下皆平田��秋氣未深,樹彫葉落,衰柳依依。20 
洞天巖,在沙縣之西十裏。其山壁立,多松樟。上有長耳佛像。水旱禱,著靈跡。其巖廣可容三几二榻。高三仞餘,滴水不絕。閩人未之賞也,餘創而深索之。得宋人題字石刻十餘處,皆南渡以後名手。詩歌五章。巖下有流觴曲水,徐令與餘飲竟日,頗盡此山幽致。追寫此景,以當紀游。21 
高郵夜泊,望隔堤大湖月色微晦,以為地也。至詰旦,水也。竺典化城,無乃是耶。22 
子行至滕陽,嶧山在��。火靈煙沙,殆不復有濟勝具。是日宿縣中官舍,乃以意造,為嶧山不必類嶧山也,想當然耳。曾游嶧山者,知餘不欺人。23 
呂梁縣瀑三千仞,石骨出水上。憶予童子時,父老猶道之,今不復爾。東海揚塵,殆非妄語。24 
○評詩25 
大都詩以山川為境,山川亦以詩為境。名山遇賦客,何異士遇知己?一入品題,情貌都盡。後之游者,不待按諸圖經,詢諸樵牧,望而可舉其名矣。嗟��,澄江凈如練,齊魯青未了。寥落片言,遂關千古登臨之口,豈獨勿作常語哉?以其取境真也。友人錢象先荊南集,不盡象先才情之變。而餘嘗持節長沙,自洞庭而下,漢陽而上,與象先共之。故其取境之真,特有賞會云。抑餘不能游,然好詩。象先能詩,又好游,是安得象先為東西南北之人?窮夫所謂州有九岳有五者。而皆被以奇音雋響。餘得隱幾而讀之。以吾拙而收象先之巧,以吾目而用象先之足,不大愉快哉?26 
東坡云:「詩人有寫物之工。」桑之未落,其葉沃若。他木不可以當此。林逋梅花詩:「疏影橫斜水清淺,暗香浮動月黃昏」,決非桃李詩。皮日休白蓮詩:「無情有恨何人見,月冷風清欲墮時」,此必非紅蓮詩。裴璘詠白牡丹詩。」長安豪貴惜春殘,爭賞先開紫牡丹。別有玉杯承露冷,無人起就月中看。」27 
餘以丙申秋,奉使長沙。至東林寺,時白蓮盛開。土人云:此晉慧遠所種。自晉至今千餘年,惟存古甃與欄楯,而蓮無復種矣。���放白毫光三日三夜。此花宰地而出,皆作千葉,不成蓮房。餘徘徊久之。」幸此花開,與餘行會。遠公有記云:「花若開,吾再來。」餘故有詩云「泉歸虎谿靜,雲度雁天輕。苔蘚封碑古,優雲應記生。」記此事也。28 
古人詩語之妙,有不可與冊子參者,惟當境方知之。長沙兩岸皆山,餘以牙檣游行其中。望之,地皆作金色。因憶水碧沙明之語。又自岳州順流而下,絕無高山。至九江,則匡廬兀突,出檣帆外。因憶孟襄陽所謂「掛席幾千里,名山都未逢。泊舟潯陽郭,始見香爐峰。」真人語,千載不可復值也。29 
宋人推黃山谷所得,深於子瞻,曰:「山谷真涅槃堂裏禪也。」30 
頃見岱志詩賦六本。讀之既盡,為區檢討用孺言曰:「總不如一句。」檢討請之,曰:「齊魯青未了。」31 
「燈影照無睡,心清聞妙香。」杜少陵宿招提絕調也。予書此於長安僧舍,自後無復敢題詩者。32 
「萬事不如杯在手,一年幾見月當頭。」文徵仲嘗寫此詩意。又樊川翁「南陵水面漫悠悠,風緊雲繁欲變秋。」趙千里亦圖之。此皆詩中畫,故足畫耳。33 
「風靜夜潮滿,城高寒月昏。」「秋色明海縣,寒煙生里閭。」「春盡草木變,雨餘池館青。」「楚國橙橘暗,吳門煙雨愁。」「郭外秋聲急,城邊月色殘。」「眾山遙對酒,孤嶼共題詩。」「氣蒸雲夢澤,波撼岳陽城。」「林花掃更落,徑草踏還生。」「掛席樵風便,開樽琴月孤。」「落日池上酌,清風松下來。」王江寧、孟襄陽,五言詩句。每一詠之,便習習生風。34 
餘見倪雲林自題畫云:十月江南未隕霜,青楓欲赤碧梧黃。停橈坐對寒山晚,新雁題詩小著行。35 
明月照積雪,大江流日夜。客心悲未央,澄江凈如練。玉繩低建章,池塘生春草。秋菊有佳色,俱千古寄語,不必有所附麗,文章妙境,即此瞭然。齊隋以還,神氣都盡矣。36 
李獻吉詩,如「詠月」有云「光添桂魄十分影,寒落江心幾尺潮。」不見集中,自是佳語。唐子畏詩,有曰:「杜曲梨花杯上雪,灞陵芳草夢中煙。」又曰:「��榜才名標第一,春風脂粉醉千場。」皆學白香山。子畏之才,何須以解首矜詡。其亦唐人所謂今朝曠蕩春無涯,不免器小之誚。37 
唐人詩律,與書法頗似,皆以濃麗為主,而古法稍遠矣。餘每謂晉書無門,唐書無態,學唐乃能入晉。晉詩如其書,雖陶元亮之古淡,阮嗣宗之俊爽,在法書中未可當虞褚。以其無門也,因為唐人詩及之。38 
翰墨之事,良工苦心,未嘗敢以耗氣應也。其尤精者,或以醉,或以夢,或以病。游戲神通,無所不可。何必神怡氣王?造物乃完哉。世傳張旭號草聖,飲酒數斗,以頭濡墨,縱書墻壁上。淒風急雨,觀者歎愕。王子安為文,每磨墨數升,蒙被而臥,熟睡而起。詞不加點,若有鬼神。此皆得之筆墨蹊逕之外者。今觀察王先生,當人日,病不起。據枕作詩二十章,言言皆樂府鼓吹也,乃與彼二子鼎足立矣。39 
東坡讀金陵懷古詞於壁間,知為介甫所作,嘆曰:「老狐精能許,」以羈怨之士,終不能損價於論文。所謂文章天下至公。當其不合,父不能諛子。其論之定者,雖東坡無如荊公何,太白曰:「崔灝題詩在上頭。」東坡題廬山瀑布曰:「不與徐凝洗惡詩。」太白擱筆於崔灝,東坡操戈於徐凝。豈有恩怨哉?
董其昌《評文》
1 
東坡水月之喻,蓋自肇論得之,所謂不遷義也。文人冥搜內典,往往如鑿空,不知乃沙門輩家常飯耳。大藏教若演之有許大文字。東坡突過昌黎歐陽,以其多助。有此一奇也。2 
蘇子瞻表忠觀碑,惟敘蜀漢抗衡不服,而錢氏順命自見。此以賓形主法也。執管者即已遊於其中,自不明了耳。如能了之,則拍拍成令。雖文采不章,而機鋒自契。3 
文章隨題敷衍,開口即涸。須於言盡語竭之時,別行一路。太史公荊軻傳,方敘荊軻刺秦王,至秦王環柱而走,所謂言盡語竭。忽用三個字轉云「而秦法」自此三字以下,又生出多少煙波。4 
凡作文,原是虛架子。如棚中傀儡,抽牽由人,非一定死煞。真有一篇文字,有代當時作者之口,寫他意中事,乃謂注於不��之源。且如莊子逍遙篇。鷽鳩笑大鵬,須代他說曰:「我決起而飛槍榆枋,時則不至,而控於地而已矣。奚以之九萬里而南為?」此非代乎?若不代,只說鷽鳩笑,亦足矣。又如太史公稱燕將得魯仲連書云:「欲歸燕,已有隙,恐誅;欲降齊,所殺虜,於齊甚眾。恐已降而后見辱,喟然嘆曰:與人辨,我寧自辨。」此非代乎?5 
文有翻意者,翻公案意也。老吏舞文,出入人罪。雖一成之案,能翻駁之。文章家得之,則光景日新。且如馬嵬驛詩,凡萬首,皆刺明皇寵貴妃。只詞有工拙耳。最後一人,乃云:尚是聖明天子事,景陽宮井又何人。便翻盡從來巢臼。曹孟德疑塚七十二。古人有詩云:直須發盡疑塚七十二。已自翻矣。後人又云:以操之奸,安知不慮及於是。七十二塚,必無真骨。此又翻也。6 
青鳥家,專重脫卸。所謂急脈緩受,緩脈急受。文章亦然。勢緩處,須急做,不令扯長冷淡。勢急處,須緩做,務令紆徐曲折,勿得埋頭,勿得直腳。7 
杜子美云:擒賊先擒王。凡文章,必有真種子,擒得真種子,則所謂口口咬著。又所謂點點滴滴雨,都落在學士眼裡。8 
文字最忌排行,貴在錯綜其勢。散能合之,合能散之。左氏晉語云:賈誼政事疏,太子之善,在於早諭教與選左右。早諭教,選左右,是兩事。他卻云心未濫而先諭教,則化易成也。此是早諭教。下云若其服習講貫,則左右而已。此是選左右,以二事離作兩段,全不排比。自六朝以後,皆畫段為文,少此氣味矣。9 
作文要得解悟。時文不在學,只在悟。平日須體認一番,才有妙悟,妙悟只在題目腔子里思之。思之思之不已,鬼神將通之。到此將通時,才喚做解悟。了得解時,只用信手拈神,動人心來。頭頭是道,自是文中有竅,理義原悅人心。我合著他,自是合著人心。文要得神氣,且試看死人活人,生花剪花,活雞木雞,若何形狀?若何神氣?識得真,勘得破,可與論文。如閱時義,閱時令,吾毛竦色動,便是他神氣逼人處。閱時似然似不然,欲丟欲不丟,欲讀又不喜讀,便是他神索處。故窗稿不如考卷之神,考卷之神薄,不如墨卷之神厚。魁之神露,不如元之神��。試之,自有解人處。脫套去陳,乃文家之要訣。是以剖洗磨煉,至精光透露。豈率爾而為之哉?必非初學可到。且定一取舍,取人所未用之辭,舍人所已用之辭;取人所未談之理,捨人所已談之理;取人所未布之格,舍人所已布之格;取其新,舍其舊。不廢辭,卻不用陳辭;不越理,卻不用皮膚理;不異格,卻不用卑瑣格。格得此,思過半矣。10 
文家要養精神,人一身只靠這精神幹事。精神不旺,昏沉到老,只是這個。人須要養起精神,戒浩飲,浩飲傷神;戒貪色,貪色滅神;戒厚味,厚味昏神;戒飽食,飽食悶神;戒多動,多動亂神;戒多言,多言損神;戒多憂,多憂鬱神;戒多思,多思撓神;戒久睡,久睡倦神;戒久讀,久讀苦神。人若調養得精神完固,不怕文字無解悟,無神氣,自是矢口動人。此是舉業最上一乘。11 
多少伶俐漢,只被那卑瑣局曲情態,耽擱一生。若要做個出頭人,直須放開此心。令之至虛,若天空,若海闊;又令之極樂,若曾點游春,若茂叔觀蓬,洒洒落落。一切過去相、見在相、未來相,絕不里念,到大有入處,便是擔當宇宙的人,何論雕蟲末技?12 
甚矣,舍法之難也。兩壘相薄,兩雄相持,而俠徒劍客,獨以魚腸匕首,成功於枕席之上,則孫吳不足道矣。此捨法喻也。又喻之於禪,達磨西來,一門超出,而億劫脩持三千相;彈指了之,舌頭坐斷,文家三昧,寧越此哉。然不能盡法,而遽事舍法,則為不及法。何士抑能盡法者也,故其游戲跳躍,無不是法。意象有神,規模絕跡。今而後以此爭長海內,海內益尊士抑矣。13 
吾常謂成弘大家,與王唐諸公輩,假令今日而在,必不為當日之文。第其一種真血脈,如堪輿家所為正龍,有不隨時受變者。其奇取之於機,其正取之於理,其致取之於情,其實取之於事,其藻取之於辭。何謂辭?《文選》是也。何謂事?《左史》是也。何謂情?《詩》《騷》是也。何謂理?《論語》是也。何謂機?《易》是也。《易》闡造化之機,故半明半晦,以無方為神。《論語》著倫常之理,故明白正大,以《易》知為用。如《論語》曰:「無適無莫」,何等本易。《易》則曰:「見群龍無首,下語險絕矣。」此則王唐諸公之材料窟宅也。如能熟讀妙悟,自然出言吐氣,有典有則,而豪少佻舉浮俗之習,淘洗殆盡矣。14 
���士子以干祿故,不能迂其途,以就先民矩矱是或一說矣。不曰去其太甚乎?小講入題,欲離欲合,一口說盡,難復更端,不可稍加虛融乎。股法所貴,矯健不測。今一股之中,更加復句,轉接之痕盡露。森秀之勢何來?不可稍加裁剪乎?古文只宜暗用,乃得一成語。不問文勢夷險,必委曲納之。或泛而無當,或奇而無偶,不可稍割愛乎。每題目必有提綱,即欲運思於題中。又欲回盼於題外,若復快意直前,為題所縛。圓動之處,了不關心,縱才藻燦然,終成下格,不可另著眼乎?諸如此類,更僕莫數。一隅反之,思過半矣。
徐仙真錄序编辑
天生英才,用之於當時,則能忠君保民,榮膺顯爵。歿則廟祀一方,而其陰功靈貺,猶能闡揚于後世者,實非偶然。蓋天將有意於斯世斯民,而使其至於是也。不然何獨異於人哉。若徐二仙者,槩可見矣。神,海州胸山人也。出偃王之後。其父溫,五代時為吳名將,能建軍功,累遷官至拜相,卒贈齊王,謐忠武。五子皆受王封,曰知證,曰知誇者,即二仙也。天福中,唐主受禪,封知證為江王,知誇為饒王,同鎮金陵。威德兼濟,民庶ㄨ安。率兵入閩,蠻寇迎降,境土寧靜。閩人歸戴;遂立生祠於鰲峰之北,設像以敬事焉。神念其誠,一日,語閩人曰:我明年別汝輩、當默佑玆土。果符前言,於是閩人敬事益虔。而凡旱潦虫蝗之灾,水火寇盜之危,疾病婚葬之請,隨禱隨應,若響若荅。至若摛詞揮翰,雲漢昭回,耀人耳目。自宋以來,累受封號。逮至我朝永樂之間,以神有翊衛聖躬弗豫之功,聿新祠廟,御製碑刻,褒封有加,以昭神貺。由此而觀,則神生為忠臣,歿為明神,其功德有益於國家生民者。如此,豈非天有意於斯世斯民,而使其至於是歟。其祠官方文照,蓋凡神之世系、行實、靈跡、華翰,與夫前代我朝褒封碑刻,恐歲久湮沒失傳,彙成一編,名曰真錄。閩藩總戎盂城孫公,忠義士也,竊嘗觀之,而有感焉,乃捐俸,命工繡梓,以博其傳,命予序引。予謂神聰���正直,其顯跡著于今昔者,皆不出於隱僻怪,誕而至於惑世誣民之患,莫非忠君孝親,仁民愛物之事,蓋士君子之所當為也。其近而耳聞目見者,固-不待是編而知,使遐方僻壤未及見聞者,幸獲一覽,其於為臣為子之道,脩身慎行之方,亦足為一助云耳。是為序。
正統八年,歲在癸亥秋七月吉日,福建閩縣儒學訓導王用盛序。
補閑集
作者:崔滋
補閑集序編輯
文者蹈道之門,不涉不經之語。然欲鼓氣肆言,竦動時聽,或涉於險怪。況詩之作,本乎比興諷喩,故必寓託奇詭,然後其氣壯,其意深,其辭顯,足以感悟人心,發揚微旨,終歸於正。若剽竊刻畵誇耀靑紅,儒者固不爲也。雖詩家有琢鍊四格,所取者,琢句鍊意而已。今之後進,尙聲律章句,琢字必欲新,故其語生,鍊對必以類,故其意拙。雄傑老成之風,由是喪矣。我本朝以人文化成,賢儁間出,贊揚風化。光宗顯德五年,始闢春闈,擧賢良文學之士,玄鶴來儀。時則王融、趙翼、徐熙、金策,才之雄者也。越景顯數代間,李夢游、柳邦憲以文顯,鄭倍傑、高凝以詞賦進,崔文憲公沖命世興儒,吾道大行。至於文廟時,聲名文物,粲然大備。當時冢宰崔惟善,以王佐之才,著述精妙。平章事李精恭、崔奭,參政文正、李靈幹、鄭惟産,學士金行瓊、盧坦,濟濟比肩,文王以寧。厥後朴寅亮、崔思齊、思諒、李䫨、金亮鑑、魏繼廷、林元通、黃瑩、鄭文、金緣、金商祐、金富軾、權適、高唐愈、金富轍、富佾、洪瓘、印份、崔允儀、劉羲、鄭知常、蔡寶文、朴浩、朴椿齡、林宗庇、芮樂仝、崔諴、金精、文淑公父子、吳先生兄弟、李學士仁老、兪文安公升旦、金貞肅公仁鏡、李文順公奎報、李承制公老、金翰林克己、金諫議君綏、李史館允甫、陳補闕澕、劉沖基、李百順、兩司成咸淳、林椿、尹於一、孫得之、安淳之,金石間作,星月交輝。漢文唐詩,於斯爲盛。然而古今諸名賢,編成文集者,唯止數十家,自餘名章秀句,皆湮沒無聞。李學士仁老略集成篇,命曰破閑,晉陽公以其書未廣,命予續補。強拾廢忘之餘,得近體若干聯,或至於浮屠兒女輩,有一二事可以資於談笑者,其詩雖不嘉,幷錄之。共一部分爲三卷,而未暇雕板,今侍中上柱國崔公,追述先志,訪採其書,謹繕寫而進。
時甲寅四月日。守太尉崔滋序。
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Tsuyama Castle During Sakura Season in Okayama Prefecture. Bitchū turret and cherry blossoms at Tsuyama Castle in Okayama Prefecture.
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「岩手公園の紅葉2021」2021年10月30日 今日は天気がよかったので岩手公園の紅葉チェックに行ってみました。 ととと近くから中津川にかかる毘沙門橋まで一直線の道があるのですが、 岩手公園の紅葉が進むと、毘沙門橋の向こうの景色が赤くなっていきます。 今日も景色の奥の方が赤くなっていて嬉しかった。 毘沙門橋まで行くとまだ少し緑の部分はありますが、ほぼ赤くなってますね。 中の橋の方に行くと、歴史文化館周辺も赤く色づいた木々が多かったです。 そして、この時期のシンボル的なサトウカエデ。 黄色から赤へのグラデーションが美しい! 角度を変えると陽の当たり方が変わって違う色合いが楽しめますよ。 この後、赤く染まっていくと思いますが落葉も進むと思うので今が見頃かもしれません。 黄緑の葉の木が目について近づいてみたらイチョウでした。 イチョウは全体が同時に色づいて行くんですね。 カエデとの違いがおもしろい。 上を見上げると、赤黄緑の葉が重なり合って自然のモザイクになっていました。 真っ赤な紅葉も美しいけれど、色の重なりもまたいいものですね。 夏は緑が美しかった鶴ヶ池の風景。 今はきれいなグラデーションになっています。 ここは今後の色合いの変化がしばらく楽しめそうですね。 まだ緑の葉も多いですが、現時点でも見頃と言っていいと思います。 ぜひお楽しみください。 次は旧南部氏別邸庭園も偵察に行かないとな―。 #ととと 盛岡の泊まれるたまり場 #ととと盛岡 #ととと便り #紅葉2021 #岩手公園の紅葉 #盛岡の紅葉 #岩手の紅葉 「盛岡の宿応援割開催中!」(対象:岩手県内居住者) https://www.city.morioka.iwate.jp/kankou/kankou/kankouinfo/1032874.html https://bokunohosomichi.fun/moriokasupportdiscaount/ 旅のひとと地元のひとがつながる場 泊まらなくても使えるたまり場(シェアリビング&キッチン) 飲食物持込自由 自炊可能 街歩きが楽しい町、盛岡 岩手山がきれいに見える町、盛岡 南部藩の城下町、盛岡 古い趣のある建物が多い町、盛岡 素晴らしい庭園のある町、盛岡 素敵な喫茶店が多い町、盛岡 自家焙煎コーヒーが楽しめる町、盛岡 秋には鮭が遡上する町、盛岡 樹木を見て歩くのも楽しい町、盛岡 盛岡町家のあるまち並み、鉈屋町(なたやちょう) #鉈屋町 #natayacho #なたやちょう #盛岡 #岩手 #morioka #iwate #もりおか #iiiwate #岩手においでよ #盛岡のととと #盛岡ゲストハウス #岩手ゲストハウス #iwatehostel #moriokahostel ご予約はHPから! https://bokunohosomichi.fun/ (盛岡城跡公園 - 岩手公園) https://www.instagram.com/p/CVpq3hzBYgO/?utm_medium=tumblr
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📸圓満院庭園 [ 滋賀県大津市 ] Enmanin Temple Garden, Otsu, Shiga の写真・記事を更新しました。 ーー室町時代の京都の作庭家 #相阿弥 による国指定名勝庭園“三井の名庭”。京都御所より移築された宸殿も国指定重要文化財。 ........ 圓満院は平安時代の987年(寛和3年)に村上天皇の皇子・悟円法親王により創建された寺院で、以来皇室ゆかりの門跡寺院。 その庭園は『慈照寺(銀閣寺)庭園』をはじめ京都で数多くの庭園を手掛けている相阿弥の作庭と伝わり #国指定名勝 となっています。また宿坊『三密殿』も。2020年6月、3年半ぶりに拝観! . 天台宗寺門派の総本山・園城寺(三井寺)の境内にほぼ隣接しており、かつては園城寺系の寺院の一つでしたが現在は独立した寺院となっています。 かつては「平等院」という名で、宇治の『平等院鳳凰堂』はこの寺院から名前がとられたそう。三井三門跡(天台宗寺門派三門跡)の一つという格式をほこりました。 . 江戸時代初期に現在地に移転。参道から勅使門越しに見える宸殿は京都御所から移築されたもので #国指定重要文化財 。 1619年(元和5年)に後水尾天皇の妃🎎となった東福門院和子の為に建てられた女院御所の一部で、明正天皇より下賜され1647年(正保4年)に移築。 . その豪華絢爛な襖絵🖼は当初は狩野派一派により描かれたもので、現在展示されているのは高精細複製。また #後水尾天皇 も座ったという玉座を配した“玉座の間”も見ることができます。この宸殿、明治時代には大津県(滋賀県)の県庁舎としても利用されたのだそう。 . そしてその宸殿に面して国指定名勝の池泉鑑賞式庭園があり、“三井の名庭”と称されます(庭名というより著名な方の評価でつけられたものなのだろうか)。 相阿弥によって室町時代に作庭され、その後宸殿が移築された江戸時代初期に現在の #築山泉水式庭園 に改修。室町時代の京都で多くの庭園を手掛けている当時を代表する作庭家のひとり・相阿弥ですが、大津でもこの円満院門跡のほか『走井居』(通常非公開)に庭園を残しています。 . 池泉には鶴亀が浮かび、池の手前には礼拝石のような石が一つ。池全体をモミジが覆い秋には紅葉も美しくなるほか、庭園中央のヤマザクラ🌸が春には美しい姿を見せてくれます(そして写真を見る限りライトアップ���も開催されているようです)。庭園の一角には大正天皇お手植えのマツも🌴 あと過去2回訪れた時には本堂もお参りできて、また違った角度から庭園を眺められたけど、今回は拝観できなくなっていました。 . そのほか、宿坊『 #三密 殿』と『大津絵美術館』が棟続きとなっています。 “大津絵”は江戸時代初期に東海道の大津宿(~京都方面へと向かう峠の途中にある「大谷」や「追分」)で当時販売されていたというデフォルメされたキャッチーな日本画。“江戸時代のポップアート”とも言われ、あまり難しく考えずに鑑賞できるので楽しい。あわせてどうぞ! ・・・・・・・・ 🔗おにわさん紹介記事: https://oniwa.garden/enmanin-temple-garden-%e5%86%86%e6%ba%80%e9%99%a2%e9%96%80%e8%b7%a1%e5%ba%ad%e5%9c%92/ ーーーーーーーー #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #jardinjaponais #japanischergarten #jardinjapones #jardimjapones #японскийсад #landscapedesign #gardeninspiration #japanesearchitecture #japanarchitecture #庭園 #日本庭園 #京都庭園 #大津 #大津市 #otsu #滋賀 #shiga #soami #文化財庭園 #おにわさん #oniwasan (円満院) https://www.instagram.com/p/CCd-L4nBRR5/?igshid=is4ugxrzvv28
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Tsuyama Castle Ruins // Chieko
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【岡山県】津山城 . 噂には聞いてましたが、 ここの桜は凄かったです🌸 . (2021/04/02撮影) . #津山城 #津山城跡 #鶴山公園 #桜 #tsuyamacastle #岡山県 #岡山県津山市 #お城と桜 #岡山観光 #岡山旅行 (津山城) https://www.instagram.com/p/CpuGMqSh4hR/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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鶴山公園(旧津山城跡)
Kakuzan-park
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Tsuyama Castle During Sakura Season in Okayama Prefecture. Cherry blossoms, yellow spring flowers and ancient castle walls at Tsuyama Castle in Okayama Prefecture.
#Hanami#Japan#Okayama#Sakura#Tsuyama Castle#Tsuyama Castle Kakuzan Park#cherry blossoms#matsuri#vherry blossoms#岡山#桜#津山城 鶴山公園#津山城跡#花見
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ぶらり津山。 津山城跡はちょうど桜まつりでした。 満開(散りはじてましたね)の桜🌸の中ゆっくり散策してまいりました。 ちょっと肌寒いくらいでしたが歩くとちょうどいい。 かなり久しぶりに来たけど因幡街道の古い街並みはしっかり残ってて良い町ですねー。 #津山市 (鶴山公園) https://www.instagram.com/p/B-mbDyMp7rs/?igshid=13l9xbiw4mirx
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\おにわさん更新情報📸/ [ 福島県会津若松市 ] 鶴ヶ城茶室“麟閣” Tsurugajo Castle Tea ceremony room "Rinkaku", Aizuwakamatsu, Fukushima の写真・記事を更新しました。 ーー桃山時代に千利休の子/千宗旦の父 #千少庵 が蒲生氏郷に応え作った茶室。福島県指定重要文化財。 ・・・・・・・・ 昨年GWに見た福島県の庭園、ラスト…! 茶室「麟閣」は“鶴ヶ城”🏯こと会津若松城の本丸に残る茶室。千利休の子・千少庵が建てたとされる茶室で #福島県指定重要文化財 となっています。 鶴ヶ城はこれまで何度か訪れていたけど麟閣をそういえば見たことがなく、この時初めて鑑賞。 . 鶴ヶ城の話も少しだけ。安土桃山時代の1590年に42万石(後に92万石)の大大名として会津城主となった #蒲生氏郷 により会津若松城と城下町🏘が整備。 幕末〜明治維新にかけての戊辰戦争で会津藩は敗れ当時の天守閣は取り壊しされたため、現在建つ天守は1965年に鉄筋コンクリート造で再建されたもの(「鶴ヶ城天守閣郷土博物館」として公開)。その一帯は「若松城跡」として #国指定史跡 になっています。 . 蒲生氏郷は主君だった織田信長や豊臣秀吉と同じく #千利休 に茶の湯を師事し、古田織部や細川三斎らとともに #利休七哲 などと呼ばれていたそう。利休セブン。千利休が豊臣秀吉に切腹😢を命じられた際、蒲生氏郷は会津にその息子・少庵をかくまいました。 . そんな千少庵が会津滞在中に鶴ヶ城本丸に作った茶室が“麟閣”。 そののち少庵は許され京に戻り千家を再興、その息子 #千宗旦 と孫により現代まで表千家・裏千家・武者小路千家の三千家として伝わりますが、この麟閣も鶴ヶ城内で使われていたそう。 . そして明治初期の鶴ヶ城取り壊しの際、消失を惜しんだ会津の石州流の茶人・森川善兵衛(指月庵宗久)によって自邸に移築され保存。それから120年後の1990年(平成2年)に腰掛待合とともに鶴ヶ城内の元の場所に戻されました。 なので現在の露地庭はその際に作庭されたもの…かと思います。また裏千家第15代・千玄室大宗匠など平成以降の三千家による扁額も。 . この貴重なお茶室は現在も茶会🍵で利用されていて、千少庵の月命日の7日には月釜が開催。 また普通の日でも入場料とは別料金で、庭園を眺めながらお茶を楽しむことができます。鶴ヶ城に訪れた際はこちらも。 なお先に紹介した『会津武家屋敷』には麟閣の“復元”があります。一年前の有力観光スポットの写真を見直すと、今となっては信じられないぐらい人がいる。 〜〜〜〜〜〜〜〜 🔗おにわさん記事URL: https://oniwa.garden/tsurugajo-rinkaku-%e9%b6%b4%e3%83%b6%e5%9f%8e-%e9%ba%9f%e9%96%a3/ ーーーーーーーー #japanesegarden #japanesegardens #jardinjaponais #japanischergarten #jardinjapones #jardimjapones #zengarden #японскийсад #landscapedesign #japanesearchitecture #japanarchitecture #庭園 #日本庭園 #会津 #会津若松 #aizuwakamatsu #福島 #fukushima #茶室 #teaceremonyroom #sennorikyu #おにわさん #oniwasan (茶室麟閣) https://www.instagram.com/p/CBUNY4lJ1qW/?igshid=g7llo0knfb4g
#千少庵#福島県指定重要文化財#蒲生氏郷#国指定史跡#千利休#利休七哲#千宗旦#japanesegarden#japanesegardens#jardinjaponais#japanischergarten#jardinjapones#jardimjapones#zengarden#японскийсад#landscapedesign#japanesearchitecture#japanarchitecture#庭園#日本庭園#会津#会津若松#aizuwakamatsu#福島#fukushima#茶室#teaceremonyroom#sennorikyu#おにわさん#oniwasan
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各地句会報
花鳥誌 令和2年4月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
令和2年1月9日 うづら三日の月句会
坊城俊樹選 特選句
山里に榾木を燃やし古老たち 柏葉 母の着し松葉模様を春著とす 由季子 大熊手夫の背中まるで箕に さとみ 寒林の古墳の主は今も謎 都 面取ればあどけなき顔里神楽 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年1月9日 さざれ会
小さきこと忘れそこここ御慶のぶ 和子 水仙の一茎ありて初句会 同 鴨百羽かゝへて村の去年今年 匠 初明り大九頭竜を展げゆく かづを ストーブをこつちに向けてくれる婿 清女 御降りの木々に洗礼ありしこと 笑 初燈明遺影の夫も微笑みて 希 初声や曇天を統ぶ伝書鳩 数幸 寒に入る川の流れは変らねど 天空
………………………………………………………………
令和2年1月10日 鳥取花鳥会
岡田順子選 特選句
旧正や羽織袴の客ひとり 幹也 蒼穹へ高々冬の薔薇赤く 都 国府野の凍土に黙し六地蔵 悦子 夜勤果つ雨とは雪の匂ひ連れ 都 たらちねの御慶は蝦夷をくさぐさと 幸子 丁寧に御慶を述べて母真似て 幹也 糶棒に鋏上げたり松葉蟹 益恵
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年1月11日 枡形句会
栗林圭魚選 特選句
番台に朝湯の活気初湯なる 百合子 乗初や遊覧船の橋潜り 白陶 記念樹の冬芽眩しき年尾句碑 三無 二人居のおそき朝餉を小豆粥 清子 富士望み健やか願ふ老の春 多美女 多摩川の水を光らせ初明り 美枝子 薪を割る乾きし音や初湯焚く 三無 焼き立てのパンの香りや四方の春 教子 耐へ抜きしラガーの顔の美しき 節子 老いの胃をふはつと包み小豆粥 和代
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年1月11日 零の会
坊城俊樹選 特選句
大薬罐寒念仏へ滾るなり 光子 霊獣が寒九の水を吐いてをり 公世 冬帝の玉座公孫樹の梢 佑天 子母神と聞くだに寒き灯の揺るる 梓渕 寒紅や鬼の心のふつふつと 光子 たつぷりと束ね真冬の茅の輪かな 佑天 初春の雑司ヶ谷二丁目に迷ふ 伊豫 お地蔵になるための石凍てにけり 和子 荒川線ごろごろ春は遠からじ 佑天
岡田順子選 特選句
大薬罐寒念仏へ滾るなり 光子 狛犬といふ獰猛で寒き石 俊樹 日本一古き駄菓子を売る綿子 久 昔硝子息白きまま開けにけり 同 それからの冬のつづきの雑司ヶ谷 美紀 朱の鳥居の連続に入り寒に入る 俊樹 冬帝も赤を好むや鬼子母神 同 鳥居より見えて都電や寒詣 はるか 荒川線ごろごろ春は遠からじ 佑天
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年1月13日 武生花鳥俳句会
坊城俊樹選 特選句
次の世も女に生まれ女正月 世詩明 父母の面影今も炉の灯り 時江 割り勘の老女三人着ぶくれて 昭女 秘め通すごとなる賀状さりげなく 世詩明 断崖を香りでつつむ野水仙 英美子 歌留多取一瞬光るイヤリング みす枝 寒紅を懐紙に落とし私語 世詩明 ふる里に続く平野や初電車 ミチ子 初鏡母の残せし黄楊の櫛 時江 お降りや磴百段に粗莚 信子 ここだけの話がとび火する焚火 清女
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年1月14日 萩花鳥句会
われになほ夢ある日々や初暦 小勇 健やかを祈りつ掛ける初暦 祐子 短日や机の上の入門書 吉之 活気付く十日恵比寿の屋台かな 陽子 凍砂漠水脈掘り当てた医師在りき 健雄 左義長や飾りの山へ願ひ込め ゆかり 畑仕事四温のうちにすませけり 克弘
………………………………………………………………
令和2年1月14日 さくら花鳥会
坊城俊樹選 特選句
夜勤終へ目覚めて仰ぐ寒夕焼 政隆 初夢や続きを盛りて吉とする 紀子 北前の錨眠れる冬帝下 慶月 一輪に招く思ひや初句会 あけみ 寒の軒守り置屋の梵字札 はるか 正月や何をもて婿もてなさん あけみ 餅花や揺れて座敷を支配せり 令子
岡田順子選 特選句
寒の軒守り置屋の梵字札 はるか 猫グッズ同封されし初便 紀子 九頭龍は冬の龍神とし海へ 俊樹 端正な眉雪の賀客去りにけり 登美子 左義長の猛き炎に神舞ひて 政隆 柏翠と愛子へ分ける冬薔薇 政江 おのづから尖る霊峰千代の春 登美子 初風呂に響く子供の数へ唄 裕子 初夢や続きを盛りて吉とする 紀子 九頭龍をやがて呑みゆく冬怒濤 俊樹
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年1月19日 風月句会
坊城俊樹選 特選句
賓頭盧の額を冬日と撫で回し 佑天 罪深き指冬薔薇の棘赤し 和子 白鷺も大樹にのぼり春を待つ 美智子 透明に翅をたためり冬の蝶 千種 着ぶくれて凶ありますと御籤売 同 虚子像の冷たき鼻か日を集め 同 虚子像のうしろ真赤な寒椿 美智子 春を待つ裸婦像黒く湿りけり 和子
栗林圭魚選 特選句
日溜りの蠟梅の香に首傾げ 芙佐子 からからと風の絡まる枯蘆田 三無 早梅や風ひやひやと頰を過ぐ 三無 身を細く寒禽枝を渡りけり 和子 武蔵野の薄氷の底水の音 三無 冬草や光の中へ虫翔たす 千種 寒林の光を縫ふて漫ろ行く 久子 寒禽の影の尖りや昼の園 眞理子 冬ぬくし虚子像に触れ虚子に触れ 炳子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年1月20日 伊藤柏翠俳句会
坊城俊樹選 特選句
針に糸通して貰ひ縫ひはじめ 雪 寒紅や意地を隠して生きて来し 千代子 水仙や越のをなごは意地隠し 同 水仙に同じ花なく横を向く 富子 初鏡爪の先まで母に似し みす枝 初詣弥勒の笑みの仏達 ただし 越前に薄氷はりて踏めば鳴る 世詩明 退屈な獣の欠伸寒に入る 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年1月20日 なかみち句会
栗林圭魚選 特選句
切山椒遺影の母と分ち合ひ 怜 女正月丸一日を博物館 和魚 結ひ初や母にあづけし長き髪 あき子 舞初や袴を確と腰に乗せ 有有 水平線ゆつくり明ける初日の出 せつこ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年1月21日 鯖江花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
つくづくと葉の美しき柏餅 雪 鰰の骨など気にしては居れず 同 米寿なほ賀状に滲む人となり 一涓 火事跡の焼けし柱の匂ひかな 昭子 襲ひ来る波を避けつつ海苔掻女 みす枝 牽制の手がうろうろす歌留多取り 信子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年1月23日 九州花鳥会
坊城俊樹選 特選句
悪妻を返上と決め初鏡 美穂 眉山を濃く書きたして久女の忌 かおり ランタンの灯を烟らせる夕時雨 順子 初冬や日輪遠き海の色 阿佐美 初夢や心のこりの仄と有り 志津子 牡蠣舟の舷沈め戻りけり 同 海峡は渦を練りあげ去年今年 佐和 凍つる夜の影は映さぬシャンデリア かおり どんどの穂青龍となり星となり 豊子 梟の首のくるりと閏年 伸子 船あれば船を唸らせ虎落笛 佐和 嫋やかなキリンのうなじ恵方向く 寿美香 鶴帰るまだ果てしなき月の道 佐和 少年の祈り短し初詣 初子 踏絵遺す平戸に海の荒れやまず 佐和
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年11月22日 芦原花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
一人居の猫と語るも冬灯 寛子 戸締まりの勝手口より冬銀河 よみ子 虹色に湖の波立つ冬夕焼 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年12月13日 芦原花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
枯菊を焚く香に咽せて庭仕舞 よみ子 鰤起し雨音窓を打ちたたき 同 時雨雲風が押しやる日本海 同 川風の思ふがまゝに芒たち けんじ エンジェルの大きく浮ぶ聖樹の灯 孝子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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