#横川志歩
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Hey Guys! Here are all the members of AKB48!
Team A 入山杏奈 [Anna Iriyama], 加藤玲奈 [Rena Kato], 佐藤美波 [Minami Sato], 篠崎彩奈 [Ayana Shinozaki], 鈴木くるみ [Kurumi Suzuki], 田口愛佳 [Manaka Taguchi], 千葉恵里 [Erii Chiba], 西川怜 [Rei Nishikawa], 古川夏凪 [Nazuna Furukawa], 道枝咲 [Saki Michieda], 宮崎美穂 [Miho Miyazaki], 向井地美音 [Mion Mukaichi], 山根涼羽 [Suzuha Yamane], 横山由依 [Yui Yokoyama]
Team K 市川愛美 [Manami Ichikawa], 岡田梨奈 [Rina Okada], 小林蘭 [Ran Kobayashi], 込山榛香 [Haruka Komiyama], 下口ひなな [Hinana Shimoguchi], 長友彩海 [Ayami Nagatomo], 永野恵 [Megumi Nagano], 武藤小麟 [Orin Muto], 武藤十夢 [Tomu Muto], 茂木忍 [Shinobu Mogi], 安田叶 [Kana Yasuda], 湯本亜美 [Ami Yumoto]
Team B 岩立沙穂 [Saho Iwatate], 大竹ひとみ [Hitomi Otake], 大盛真歩 [Maho Omori], 大家志津香 [Shizuka Oya], 柏木由紀 [Yuki Kashiwagi], 北澤早紀 [Saki Kitazawa], 久保怜音 [Satone Kubo], 齋藤陽菜 [Haruna Saito], 佐々木優佳里 [Yukari Sasaki], 田北香世子 [Kayoko Takita], 谷口めぐ [Megu Taniguchi], 中西智代梨 [Chiyori Nakanishi], 福岡聖菜 [Seina Fukuoka], 山邊歩夢 [Ayu Yamabe]
Team 4 浅井七海 [Nanami Asai], 石綿星南 [Sena Ishiwata], 稲垣香織 [Kaori Inagaki], 大森美優 [Miyuu Omori], 岡田奈々 [Nana Okada], 蔵本美結 [Miyuu Kuramoto], 黒須遥香 [Haruka Kurosu], 佐藤妃星 [Kiara Sato], 多田京加 [Kyoka Tada], 馬嘉伶 [Chia-Ling Ma], 村山彩希 [Yuiri Murayama], 山内瑞葵 [Mizuki Yamauchi], 吉橋柚花 [Yuzuka Yoshihashi]
Team 8 坂口渚沙 [Nagisa Sakaguchi], 横山結衣 [Yui Yokoyama], 御供茉白 [Mashiro Mitomo], 岡部麟 [Rin Okabe], 本田仁美 [Honda Hitomi], 清水麻璃亜 [Maria Shimizu], 髙橋彩音 [Ayane Takahashi], 吉川七瀬 [Nanase Yoshikawa], 小栗有以 [Yui Oguri], 小田えりな [Erina Oda], 左伴彩佳 [Ayaka Hidaritomo], 歌田初夏 [Hatsuka Utada], 服部有菜 [Yuna Hattori], 橋本陽菜 [Haruna Hashimoto], 平野ひかる [Hikaru Hirano], 坂川陽香 [Hiyuka Sakagawa], 髙橋彩香 [Sayaka Takahashi], 永野芹佳 [Serika Nagano], 福留光帆 [Mitsuho Fukutome], 大西桃香 [Momoka Onishi], 濵咲友菜 [Sayuna Hama], 徳永羚海 [Remi Tokunaga], 奥原妃奈子 [Hinako Okuhara], 奥本陽菜 [Hinano Okumoto], 下尾みう [Miu Shitao], 春本ゆき [Yuki Harumoto], 行天優莉奈 [Yurina Gyoten], 高岡薫 [Kaoru Takaoka], 吉田華恋 [Karen Yoshida], 川原美咲 [Misaki Kawahara], 倉野尾成美 [Narumi Kuranoo], 山田杏華 [Kyoka Yamada], 上見天乃 [Sorano Uemi], 藤園麗 [Rei Fujizono]
Wow! That's a lot of members!
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2024年8月10日(土)
関東落語遠征二日目、5時30分起床して近所のコンビニへ買い出し。湯島聖堂・神田明神・湯島天神・上野公園を経て、ランチは今回の隠れミッションである上野駅10番ホームの立ち食い蕎麦。横浜へ移動して新治・喬太郎・兼好の三人会、十分満足して新横浜から新幹線乗車、一昨日の宮崎での地震以降一部速度を落とすために10数分遅れで京都駅着。いやぁ楽しかったな〜、来年も(可能なら)ぜひやりたいね。
5時30分起床。
近くのセブンイレブンで朝食を求め、ホテルの部屋でいただく。
チェックアウトしてまずは<湯島聖堂>へ、開門前で中に入れなかったのは残念。ついで神田明神にご挨拶、そのまま湯島天神まで、<柳田格之進>の舞台となる<切通坂>を確認出来たのは収穫。上野公園まで移動して前回見逃していたスポットをめぐる。
古今亭志ん輔師のブログで話題になっていた上野駅10番ホームの立ち食い蕎麦、目当ての<冷やしたぬき>は売り切れ、かき揚げとしょうが天を半分こしていただく。いやぁ確かに美味しい、つゆも残らず頂いて酷暑の中の塩分補給となった。
上野から桜木町まで移動、暑い中のきつい坂を登りきれば<神奈川県立音楽堂>、昨年同様の三人会を楽しんだ。
「七段目」新治、「宗漢」喬太郎、「あくび指南」兼好、仲入り、「猫の皿」兼好、「竜田川」新治、「布哇の雪」喬太郎。
偶然隣の席となったNさんと別れ、坂を下って桜木町から新横浜へ。
新幹線の予約を変更したかったがサイトに繋がらず、土産購入して30分以上待ってからの乗車。
京都駅についてタワーを見上げるとホッとする。
20時過ぎに自宅に着いたが、ココは食事も摂って元気な様子にホッとする。
横浜土産の崎陽軒の焼売をあてに🍺🍶🍷。
録画番組視聴、刑事コロンボ。
第25話「権力の墓穴」/ A Friend Indeedシーズン 1, エピソード 25 高級住宅地ベル・エア地区。コードウェルは向かいに住む友人マークに相談を持ちかけていた。コードウェルは、妻といつものように口論になった末、彼女を絞め殺してしまったというのだ。マークは、コードウェルの家に侵入し、彼の為のアリバイ作りに加担する。マークはロス市警本部次長だった。
片付け、入浴。
さすがによく歩いた。明日はノンビリしよう。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)12月27日(水曜日)
通巻第8068号 <前日発行>
熾烈なAI開発戦争を横目に
古代人の霊的な技術の脅威をどう評価するべきか
*************************
十五年ほど前、チベットへ取材に行った帰り、高山病を調製し、乗り換え便を待つために四川省の成都に二泊した。
それ以前にも成都は何回か来ているので「珍しい所はないか?」とガイドに聞くと,クルマで二時間弱の場所に「三星堆遺跡」があるという。その時、筆者は初めて三星堆なる文明の存在を知った。
戦後教育で教わった『世界四大文明』とはメソポタミア、エジプト、インダス、黄河文明だが、マヤ文明、インカ文明と縄文文明がかけている。三星堆は中華文明とはまったく無縁で地理的な要件はともかくシュメール(メソポタミア)に似ている。
早速、見に行った。
明らかに太陽信仰の農耕文明だが、出土した仮面、神樹(御神木)の高さは4メートルにも及び、巨木信仰を窺わせた。人物像や神具などシュメールとの共通要素が多いが、シナ歴史の起源とされる夏・殷・周の中華文明とはまったく別物である。
▼巨大な目玉のデフォルメ青銅像は霊力の象徴ではないのか
道具類も多彩で1934年に本格調査が始まり数百点のめずらしい出土品があった。戦争を挟んで1982年に発掘が再開され,大きなミュージアムもできた。 ブロンズ像の特徴は大きな目、飛��出した目玉、大きな鼻など、これはエジプトと似ている。
筆者は売店でミニチュアのレプリカを二つほどあがなって書棚に飾った。
とくに143センチの杖は力の象徴であり、大きな目玉は『ホルスの眼』「第三の眼」として神の力であり、シナの古典の『蜀王本紀』には「巨眼の王がいた」と書かれ,『華陽国史』には、この三星堆文明は、「民とともに王が去った」と書かれている。
そして数千年、三星堆遺跡は土に埋もれていた。
わが国でも亀ヶ岡縄文遺跡からは巨眼土偶が出土している これを日本では「射光器土偶」などと言っているが、神話性を無視した近代人の解釈では古代の謎は解けない。
眼には霊力が宿ったのだ。シュメールもエジプトもヒンズーも古代人は眼に神の力がやどると信じてきた。
「ホルスの眼」は古代エジプト文明において重要な象徴。目の形だが、人間の脳にある松果体という部分の断面図に酷似している。この「ホルスの目」は、癒し、修復、再生の象徴でありエジプト神話の太陽神であるラーの右目は全てを見通す「知恵の目」とも言われた。魔除けと守護のシンボルだった。
水木しげるの漫画をみよ。目玉の妖怪だらけだ。
ユダヤ教やキリスト教では、ホルスの目は神の監視と保護を表し、イスラム教では、真理と力を表している。ホルスの目は、力、保護、治癒を表す、歴史と文化的背景にあふれた霊力の象徴である。
中国の監視カメラは前項の目的、宗教を軽んじている。
「第三の眼」とは目に見えない目、ヒンズー教では頭脳にあるとされ、ネパールでは額に眼を描いた巫女のような神職がいる。まさに松果体(脳に存在する内分泌器)に似ている。さきにマヤ文明と書いたが、最近は人工衛星によってホンジュラスの山奥からも古代遺跡の所在が判明し、どうやらインカ文明とマヤ文明はことなることも朧気にわかってきた。
▼あのプマ・プンク遺跡の巨石切断は古代人がレーザーを使ったのだ
インカ文明以前に南米で現代人の創造を絶する遺跡が発見された。
プマ・プンク遺跡は巨石が組み立てられた謎の構造物として知られる。一番の謎は10噸以上の巨石を80キロ離れた石切場からどうやって運んだか、石を見事なH型に切断、生前と並べた技術はレーザーか、超音波か、あるいは宇宙人かまるで違う文明がもたらしたものだったのか。
レーザーはいうまでのなく半導体製造の一等中枢にある技術で、数ミリのチップに数��億の回路を刻み込んで集積回路とする。
プマ・プンク遺跡の場所はボリビアのチチカカ湖の南、ペルーとの国境で標高は3800メートル。建造は紀元前2000年頃と推定される。
一万年前と唱える考古学者もいる。
世界の考古学者、建築学者が謎の究明に挑んだ。運搬に関してはチチカカ湖を筏で移動、あるいは運河を造成したとういう説は退けられた。
丸太をコロとして人間が引いた?
英国のストーンヘンジはたしかにそうやって造られた。またチチカカ湖は古代には海だったという説、大洪水でノアの箱舟と関連があるなどの説もほぼ否定された。巨石は安山岩で、大理石よりも硬質、それゆえに数千年の風雪に耐えた。
▼これは天文台なのか。
古代人は始原的な天文学に通じていたことは明らかである。
邪馬台国の卑弥呼なる巫女も原始的な占星術、鬼道に通じていたと魏志倭人伝は書いた。
天文学的な、シャーマン的要素で戦争を指導したのは壬申の乱で勝利した天武天皇である。
プマ・プンクの巨石の列が山頂に建てられたのだから城塞ではなく神殿だろうが、文字がないうえに人骨が周辺から発見されておらず、この点では忽然と去った三星堆の謎に似ている。
ピラミッドは地下には美術館のような彫刻、地下に墳墓があるがやはり巨石の切断方法と運搬方法が解明されていない。
U型のフォーク形状の道具や、金の杖を共通に待つのは指導者の威信、力の象徴とされ、シュメール文明と共通である。ワトキンスという学者は,太陽光を人工的な集光器にあつめてレーザー光線として切断したと唱える。
もし、そうやって古代人が巨石を生前と切断し、神殿のような建造物を造成したとしたら、古代人の智恵は明らかに現代ホモサピエンスの知能を超えている。プマ・プンクの岩石には異様な磁力があるという。
巨人(宇宙人?)がラッパを吹いて巨石を動かしたという言い伝えは超音波が運搬手段に使われたとする学説である。超音波の運搬も、否定できない。
またファラオ、ツタンカーメン、オベリスクなどのエジプト古代文明とシュメールの共通点、類似性に神木がある。
神話でいわれたことで真実に近いことは夥しいのである。
AI開発が生成AIを産み、やがてチャットGPTが進歩すると逆に人間の思考力は低下し、いずれAIが人間を支配する。そうやってAIの脅威が語られているが、だれも霊力との関連を語ろうとしない。
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おはようございます。
秋田県湯沢市川連は、曇り空です。
#Repost @fei.art
本日より「日本×台湾 現代漆藝交流展」が始まりました。
2018 年よりスタートした台湾作家と日本作家による漆交流展も、6回目を迎えることになりました。
漆は自然と人間を繋げ、自然の鼓動に包まれた、ゆったりとした心地よい時間を与えてくれます。
脈々と繋がる漆の歴史の中で、新世代の作家は漆作品の創造において、伝統に囚われない表現を模索しています。漆も生きている、人間も共に成長していきます。
この創造的な交流が継続し、次世代へ伝えられ、友情が育まれていくことを望みます。
今回も台湾の漆藝作家を交えた創造的な作品をご覧頂けます。漆藝の奥行きを会場にてぜひご体感下さい。
【出品作家】
日本:岩田俊彦/伊能一三/いらはらみつみ/梅津奈保子/江村忠彦/大塚智嗣/小田伊織/小林秀俊/佐藤史幸/高田光彦/ 髙宮ヨウコ/中静志帆/中島靖高/藤田薫/柗井圭太郎/松島さくら子/松田環/三好かがり/村本真吾/吉田真澄/横田千明
台湾:張森洋/王賢志/謝袖妤/歐慧宜/趙崇源/賴明淳/吳明媛 /葉曉陵/廖勝文/陳衍志/蔡彥承
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展覧会名:日本×台湾 現代漆藝交流展
会 期:2023年10月3日(火)~10月19日(木)※月曜休廊
開廊時間:10:00~19:00 ※最終日は17:00まで
料 金:入場無料
会 場:FEI ART MUSEUM YOKOHAMA(フェイアートミュージアムヨコハマ)
住 所:〒221-0835神奈川県横浜市神奈川区鶴屋町3-33-2 横浜鶴屋町ビル1F
TEL:045-411-5031 FAX : 045-411-5032
E-mail : [email protected]
共同主催:台湾漆研究会/台中市漆藝協会/FEI ART MUSEUM YOKOHAMA
URL: https://hfg-art.com
Facebook:https://www.facebook.com/feiartmuseum
Instagram:https://www.instagram.com/fei.art
Twitter:https://twitter.com/fei_yokohama
[ACCESS]
*各線「横浜駅」西口 より徒歩6分
*横浜駅西口地下街[南12番出口]より出て左
[鶴屋町3丁目交差点]前方左角
お伺いする事が出来ませんが、ご興味の有ります方は是非、ご高覧頂けましたら幸いです。
そして今日もこれから秋田市出張。
今日もアレヤコレヤと有りますが、一つ一つコツコツ頑張ります。
皆様にとって今日も、良い一日と成ります様に。
https://jujiro.base.ec/
#秋田県 #湯沢市 #川連 #川連漆器 #川連塗 #寿次郎 #国指定伝統的工芸品 #秋田工芸 #秋田工芸品 #秋田クラフト #秋田の物作り #秋田のものづくり #髹漆 #寿次郎 #日本台湾現代漆藝交流展 #現代漆藝交流展 #feiartmuseumyokohama #秋田川連塗寿次郎 #佐藤史幸 #Kawatsura #Akita #Japan #Urushi #japanlaquer #JapanTraditionalCrafts #KawatsuraLacquerwareTraditionalCrafts #jujiro
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トム・ヴァーレインのブックセールにて
アレックス・アブラモビッチ
昨年の夏、ブルックリンでこんなミームが飛び交った: トム・ヴァーレインのブックセールの会場でキスしたらどうなる? バンド「テレヴィジョン」を結成し、そのフロントマンを務めたヴァーレインは、2023年1月28日に死去した。彼は長年にわたり、アート、音響学、占星術、UFOなど、さまざまなテーマに関する5万冊、20トン以上の本を入手していた。ブルックリンの隣接するガレージで8月に2日間にわたって行われたこれらの本の販売会は、大変な人気だった。アヴァンギャルドポップ・ミュージシャンのアート・リンゼイが立ち寄った。トニー・アウスラーは短いビデオを撮り、インスタグラムに投稿した。旧友たち(中には数十年ぶりに太陽の下に出てきたかのような者もいた)が、長い行列の中にお互いを見つけた。
ヴァーレインは膨大なコレクションをいくつかの倉庫に分けていた。彼が暮らすチェルシーの1ベッドルームから歩いてすぐの場所に1つ、川向こうのゴワナス運河に近いレッドフックに4つ。ヴァーレインはウーバーを使わなかった。ブルックリンの方の倉庫に行くには、おんぼろの食料品カートを持ってF系統の地下鉄に乗り、街でいちばん標高の高い地下鉄駅であるスミス・アンド・ナインストリート駅まで行き、あとは徒歩で移動した。人ごみの中で、ヴァーレインは目立った。背が高く、痩せていて、きれいな姿をしていた。(「トム・ヴァーレインの首はロック界で最も美しい」とパティ・スミスは1974年に書いている。「本物の白鳥みたい」)。彼は一度もタバコをやめず、フィルム・ノワールの登場人物のようなカーコートを着ていた。しかしそんな彼がカートを押して階段やエスカレーターをガタガタと降り、ブルックリン・クイーンズ・エクスプレスウェイの下をくぐり、7車線の道路を横切り、レッドフックに向かっていた。本をどこかに運ばねばならなかったのだろう。
ヴァーレインはストランド書店の常連で、かつて出荷部門で働いていたこともあった。店の前の1ドル均一のカートのまえにいるところを見かけることもあった。ツアー中にはサウンドチェックから開演までの時間を利用して地元の書店を訪れた。ブルックリンでは、倉庫にあまりにぎっしりと荷物を詰め込んでいたため、彼の遺品整理を任された友人のパトリック・デリヴァズは、箱を動かすスペースを確保するためだけに別の倉庫を借りなければならなかった���テレヴィジョンの直近のギタリストだったジミー・リップは、1月にアルゼンチンからやってきたが、7ヶ月後にまだニューヨークにいて作業を手伝っていた。ブッシュウィックの書店「ベター・レッド・ザン・デッド」のデイヴ・モースとマティ・ディアンジェロも整理に参加していた。
モースは言う。「ふつう、『5万冊の本がある』と言う電話がかかってきても、行ってると500冊くらいなんだ。今回、僕らは箱を数えた。5万冊よりは少しだけ少なかったかもしれない。ヴァーレインはパッキングがとても上手だったからね。たくさんの詰め物が使ってあった。波形の段ボールを折ったりプチプチを使って、即席で巣のようなものをつくってある。がさつではあったけれどとても几帳面で、ほとんどの本は素晴らしい状態だった。僕らは計算し、自分たちだけでは無理だと悟って頭をかいた。そしてスペースを持っている知り合いのディーラーを考えた。
ディアンジェロはワシントンDCのキャピトル・ヒル・ブックスを思い出した。そこはブックストア・ムーバーズという姉妹会社を持っていて、トラックも調達できた。そのトラックはいま、ブルックリンのガレージの前にあって、デリヴァズがみている。中の本は「文学」、「詩」、「宗教」といったテーマ別に分類されている。ディアンジェロは、神話や神秘主義、オカルト、超常現象、スピリチュアリティを指す「MOPS」という新しいカテゴリーを作った。イスラム教の旋舞教団、アレイスター・クロウリー、アントン・ラヴェイに関する本が、チャップブック[17世紀ごろからの冊子]や料理本(ヴァーレインがコンロで作ったのはコーヒーだけだったが)、中国に関する本の隣に並んでいた。読書家として、ヴァーレインは心理学や過激な理論に思う存分傾倒した。しかし、何度も立ち返ったテーマがあり、興味がずっと昔にさかのぼるものもあった。ヴァーレインのかつての親友でありバンドメイトでもあったリチャード・ヘルは、2013年に出版された自伝『I Dreamed I Was a Very Clean Tramp』の中で、彼がとても若かった頃のことをこう語っている:
世界は彼にとって理解不能の異様なところと写っており、空飛ぶ円盤のようなものから、極端な陰謀論、不明瞭な宗教的神秘主義まで、あらゆる種類の非合理的な説明に影響を受けやすかった。彼は、これらの信念や疑念が多くの人々にとってクレイジーに映ることを知っていたし、それが彼が人前に出るのを嫌がっていた理由の一つだ。
ブックセールの数日後、私はリップとデリヴァズに会うためにレッドフックの倉庫まで歩いて行った。彼らはアンプ、スピーカー・キャビネット、真空管でいっぱいのユニットを見せてくれた。それもヴァーレインが収集したものだ。「曲のキーがE♭だと、トムは真空管を交換するんだ。ほら、ここに、彼が印をつけていたかがわかるだろう」
販売会場には『The Tube Amp Book(真空管アンプの本)第4版』というカタログが、ギオルギー・リゲティの伝記とブルーノート・レコードの歴史に挟まれてあった。私はいま、それを買わなかったことを後悔している。ヴァーレインはまだ製造が続いているスロバキアから輸送した新しい真空管を持っていた。eBayから入手した、あるいはeBayが存在する前に購入したヴィンテージの真空管も持っていた。何百という真空管を持っていた。
ヴァーレインは高価な機材には手を出さなかった。(ルナ・アンド・ギャラクシー500のディーン・ウェアハムは、ヴァーレインがかろうじて弾ける12弦のエレキを持ってスタジオに現れ、それを見事に弾きこなしたことや、ヨーロッパ・ツアーを全く機材を持たずに行い、各都市で新しいストラトキャスターをレンタルしたことを覚えている)。しかし、彼は自分のトーンにこだわった。ジェフ・ベックのように、アンプに直に接続し、ギターのボリュームとトーンのノブを操作して、他のプレイヤーがエフェクターのペダルでしか作れないようなエフェクトを得ることができた。彼はおそらく、どこまでも繊細だったのだろう。リップは彼らのサウンドチェックの一コマを振り返った。「トムが弾くのをやめて『ブーンという音がする』と言った。俺らには何も聞こえなかったけれどトムは言い張った。俺らはその音の元を探して、やっと会場のうしろのほうで見つけたんだ。その下まで行かなければわからなかったのに、トムはステージから気づいたんだ」
「トムは非常にガード固かった」とヘルは自伝に書いている。「防御が強いんだ。それには良いことも悪いこともある。それは彼にある種の整合性を与えた。流行に流されることはなく、慎重で信頼できた。でもそのせいで一緒に仕事をするのは本当に難しかった」。しかし、6年ほどの間、ヴァーレインとヘルは(ふたりは一緒にデラウェア州の高校を飛び出し、ニューヨークで再会していた)同じアパートに住み、同じダブルのマットレスで眠り、「テレサ・スターン」として一緒に詩を書き、ヘルが主宰する詩誌『ドット』から出版した(彼が最初に出版したのはアンドリュー・ワイリーの詩集だった)。
1972年、ふたりはバンドを結成した。ヴァーレインはサード・アベニューの質屋でベース・ギターを選び、ヘルに基本を教えた。髪を切り、名前を変え(「マイヤーズとミラー」から「ヘルとヴァーレイン」に)、ネオン・ボーイズと名乗り、ビリー・フ��ッカを加入させた。数ヶ月間、彼らはヴァーレインのアパートでリハーサルをした。アンプやセットを買う金はなかった。ジャズ志向の優秀なドラマーだったフィッカは、代わりに電話帳でドラムを叩いた。ヘルは「Love Comes in Spurts」、「Blank Generation」、「Eat the Light」など数曲を書いた。ヴァーレインは「Bluebirds」、「$16.50」、「Tramp」を書いた。彼らは『ヴィレッジ・ヴォイス』紙に「ナルシストなリズム・ギタリスト募集、最低限の才能があればOK」という広告を掲載し、何人かがオーディションを受けた(ディー・ディー・ラモーンになったダグ・コルヴィンや、ブロンディを結成することになったクリス・スタインもいた)が、誰もフィットしなかった。1973年になっていた。ヘルとヴァーレインは13番街にある小さな店、シネマビリアで働いていた。マネージャーのテリー・オークは、チャイナタウンのロフトに寝泊まりしていたリチャード・ロイドを推薦し、ロイドを2人目のギタリストに迎えて、彼らはバンド名をテレヴィジョンに変えた。
CBGBのオーナーであるヒリー・クリスタルは、彼のクラブでカントリー、ブルーグラス、ブルースのバンドを取り上げようと計画していた。テレヴィジョンをマネージメントするようになったオークは、代わりに自分のバンドを演奏させるよう彼を説得した。徐々にひとつのシーンが形成されていった。テレヴィジョンはリチャード・ウィリアムズとブライアン・イーノとデモを録音した。もしヴァーレインがイーノのサウンドを嫌っていなければ、イーノは彼らのファースト・アルバムをプロデュースしていただろう。ヴァーレインは、イーノがそのテープをイギリスに持ち帰ったと確信していた。ロキシー・ミュージックの次のアルバムのグルーヴの中に、自分のアイデアが入っているのが聴こえたと思っていたのだ。それが事実かどうかは別として、同じ頃、マルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッドは、とんがった髪、破れたTシャツ、安全ピンといったヘルのルックスや態度をコピーし、セックス・ピストルズにあてがった。ヘルは回想する。「俺らの演奏はまるで反逆のスクラップが転がり落ち、ぶつかり合う音みたいで、同時にそれを遠くから眺めているみたいに美しくて胸が張り裂けそうでもあった。感動させられ、揺さぶられ、目を覚まさせられた」
しかし、テレヴィジョンがファースト・アルバムをレコーディングする頃には、バンドはそのメンバーではなくなっていた。ヴァーレインは、徐々に、そしてその後は徐々にではなく、ヘルとヘルの曲を脇に追いやった。『Marquee Moon』を何年もリハーサルして手を入れ続け、考え続け、それは1977年、ヘルの脱退から2年後に発表された。ヘルの代わりにフレッド・スミスがベースを弾いていた。曲はより慎重に構成され、短編小説のように構成され���。ヴァーレインはジョン・コルトレーンとアルバート・アイラーを愛し、彼のレコード・コレクションの大半はESPやインパルスといったレーベルのジャズ・アルバムで占められていた。しかし、コンサートでも、テレヴィジョンがノイジーで自由だった頃、ヴァーレインとロイドが奏でる連動したソロは高度にアレンジされていた。ウィリアムズはそれを「金線細工を施された」と表現した。
彼らの曲は文字通り「文学的」だった。ロックンロールではめったに美徳とされないことだが、ヴァーレインにははまっていた。彼は手がかりや警官、裏切り者、その他ハードボイルドな小物でいっぱいの探偵小説を書き、それを打ち砕いているかのようだった。『Marquee Moon』に収録されている8曲のうち5曲は、夜に起こる物語を歌っている。4曲は過去形と現在形を行き来している。ヴァーレインの描くイメージにははっとさせられる。「素敵な小舟が欲しい/海でできた小舟」、「世界はとても薄かった���俺の骨と皮のあいだで」、「思い出す/雷が雷自身に落ちたのを」。
しかし、パンクの先駆けとなったテレヴィジョン(ヘルが所属していたときのグループ)がアナーキーで、1977年のテレヴィジョンがほとんどプログラムされたようにコントロールされていたとしても、両者を異なるバンドと考えるのはまちがいだし、ヘルとヴァーレインを正反対の人物と見るのもまちがいだ。ヴァーレインの歌声は神経質で切迫していた。彼のアルバムはやはりパフォーマンスであり、素早く録音され、多かれ少なかれライブだった。奇妙で、絶望的で、すばらしかった。1曲目の終わりに「愛する人と未来を引きずり降ろせ」とヴァーレインは10回続けて歌っている。彼とヘルには共通の恍惚感があった。
もちろん彼らは憎み合っていた。「あいつには我慢できない」とヴァーレインは言い、ヘルも手加減しなかった。しかし、『I Dreamed I Was a Very Clean Tramp』のエピローグで、ヘルはほんとうに久しぶりにヴァーレインに会ったときのことをこう語っている:
このあいだ、レストランから家に帰る途中、古本屋の前でトム・ヴァーレインが安売り本の箱を漁っているのを見かけたんだ。俺は彼に近づいて、「空飛ぶ円盤について何かわかったか?」と聞いた。
ヘルはヴァーレインの歯(俺の歯よりもっと悪い」)、顔(「でこぼこで膨張している」)、髪(「白髪まっしぐら」)を描写している。
俺は背を向け、ショックを受けて歩き去った。俺たちはまるで2匹の怪物が打ち明け話をしているようだったが、ショックを受けたのはそのことではなかった。俺が愛を感じたからだ。俺は彼に感謝し、彼を信じ、自分の中で、彼がありえない人間であり、彼を好きになることがありえないことを肯定した。それまでもずっとそうだったのだ。俺はこれまでと同じように彼を近くに感じた。彼のような人間以外に何を信じればいいのだろう? なんてこ��た、俺は彼と同じなんだだ。俺は彼だ。
ヴァーレインの本は、Better Read than DeadやCapitol Hillのサイトでまだ購入できる。彼のレコード・コレクションは、そのうちグリーンポイントとイースト・ヴィレッジのアカデミー・レコード別館で販売されるだろう。その本やレコードははいまとはちがう時代、いまとはちがう街を思い出させる。書店やレコード店が遅くまで開いていて、CBGBで夜遊びした後でも店を覗くことができて、そこで手に入るものは安かったし、それを保管するのに必要なスペースも安かった。たとえ書店で働いていたとしても、その金でオフセット印刷機を買って自分で詩の版元を始めたり、ソーホーにロフトを見つけて自分のバンドを始めたりできたのだ。
2024.3.4
ロンドン・レビュー・オブ・ブックスに掲載
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小町数人説をめぐって
陽明文庫に中世の小町の絵がある。絹本着色、縦六一・六センチ、横四一・七センチの絵を表装してあるのだが、軸心近くの裏面に「小野小町像 貞治六秊六月廿五日」と、まさしくその頃この筆跡にて記されたものが付加されている。表装そのものもそんなに新しいものでないが、表装するにあたって、この絵に本来ついていた紙をここに付加したものであろうことは、その字がまさしく貞治頃〈一三六二〜一三六七〉この事跡であることが疑いもないからであろう。
ところで、この絵は「小野小町像」となっているが、まさしく「玉造小町子壮衰書」によっている。「容貌ハ憔悴シテ、身体ハ疲痩」、「頭ハ霜フリタル蓬ノ如ク、膚ハ凍リタル梨ニモ似タリ」、「骨ハ辣チテ筋ハ抗クナリ、面ハ黒クシテ歯ハ黄バミタリ」、「裸形ニシテ衣ナク、徒跣ニㇱテ履ナシ」、「左臂ニハ破レタル筐ヲ懸ケ、右手ニハ壊レタル笠ヲ提ツ」、「頸ニハーツノ囊ヲ係ケ、背ニハーツノ袋ヲ負ヘリ」、「肩ノ破レタル衣ハ胸ニ懸カリ、頸ノ壌レタル蓑ハ腰に纏ヘリ」とある「壮衰書」の序文をのものである。ここでもまた小野小町と玉造小町を同人物とする中世の理解が確認されるのである。
先にあげた「無名抄」の文〔五〇頁参照〕の続きに「玉造の小町と小野小町と同人かあらぬ者から、人々おぼつかなきことに申して争ひはべりし時...」とあって別人説もあったことは確かだが、その多くは前述の「玉造小町子壮衰書」の弘法大師著作説を土台にしての疑問であり、中世の大勢は、あくまで両者を同じものと見、「玉造小町子壮衰書」を小野小町の事蹟を語るものと見ていたことは疑いもないのである。
近世に入っても、この傾向は変わらなかった。貞徳の「徒然草慰草」などその顕著な例だが、中期以後の随筆の類を見ても、たとえば天野信景の「塩尻」〈『随筆大成』等〉、志賀忍〈天保十一年、七九歳没〉の「理斉随筆」などは、小野小町と玉造小町を同一人と考えている。
ところが、小町という名は、実は普通名詞であって、〇〇小町と呼ばれる女性はまことに数多くいたのだ、玉造小町と小野小町もとうぜん別人だという、いわば���期的な説が新井白雅の「牛馬問」「〈温知義書〉」に提示され、人々を驚かせたのである。
古代には一国より一人づつ采󠄃女を内裏へ献ぜしこと也。既に仁明帝の前後には、小町とて召されたるもの六十余人ありしとなり。この采󠄃女を后町のうちにをらしめたまふ。故にみなみな小町と呼ばれたるなり。その人々の宮仕へをやめて古郷に帰り身まかりたる墓を、おほか「た小町塚とよびしとなん。さてこそ、国々に小町塚といふもの多し。美濃・尾張の間にさへ二三所あり。
しかるを、なべての小町を一人と思ふよりまぎれたる説多し。たとへば実方朝臣、陸奥へ下向の時、髑髏の目穴より薄の生ひ出て、「秋風の吹くにつけてもあなめ〱」の歌の小町は小野正澄が娘の小野小町なり。文屋康秀が三河掾となりて下りし時、「身をうき草の根をたえて」さそふ水あらば」とよみしは高雄国分が娘の小町なり。「おもひつつぬればや人の見えつらむ」の歌、又業平の「舞の袖」などいひしは出羽郡司小町良実が娘なり。高野大師のあひたまふ、壮なる時憍慢最も甚だし、衰ふる日愁歎猶深しと答へしは常陸の国玉造義景が娘の小町なり。かく一人ならず。故に時代其外異なる事あるのみ。中にも良実が娘の小町は美人にて和歌にもすぐれたれば、独り名高く、すべて一人のやうに伝へ来たるのみ。
まず、小町を采󠄃女をし、采󠄃女のすべてに「町」をつけてよんだといっているが、平安時代の文献にあらわれる采󠄃女は、たとえば「近江の采󠄃女」〈拾遺集〉「明日香の采󠄃女」〈大和物語〉などのごとく、国名を冠して呼ぶのが普通である上に、文献にあらわれる「町」のつく女性は前述のように后町にいる更衣であって采󠄃女ではない。小町采󠄃女説自体が出羽都司良実の娘という伝承をもとにして出来たものであり、出羽国から采󠄃女をさしだすことはなかった〈「続日本紀」「類聚三代格」〉という事実を持ち出すまでもなく、この日雅の説には従えないのである。地方に数多い小町塚の合理的説明としても弱いものである。
ところで、この白雅の説、後半になると、その多数の小町が四人にしぼられて来る。架空の人物である小野正澄とか高雄国分とか玉造義景などの名をどこから持ち出して来たのか不明だが、既に伝説化説話化している小町像のすべてを事実と認定する立場からの合理的整理であって、まったく意味をなさぬものとしか言いようはないのである。
伝承る整理しながら、また新しい伝承を生んでいる感じの「牛馬問」の説であるが、その合理的整理法に人気があったのか。それに賛同して引用している随筆が実ははな��だ多いのである。神沢貞幹の「翁草」〈『随筆大成』第三期所収〉、城戸千楯の「紙魚室雑記」〈『随筆大成』第一期所収〉、石川宣続の「卯花園漫録」〈『新燕石十種』第三所収〉、山本信有の「孝経楼漫筆」〈『随筆大成』第三期所収」、滝沢馬琴・屋代弘賢らの「兎園小説」〈『百家説林』所収〉など、いずれもこれに全面的な賛同を示しているのである。
小町に限らず、伝説的人物は、その伝説化の過程において、事蹟が膨脹し、それを全体的に把握するとなると、そこに新しい矛盾が出てくることが多い。これを予盾なく合理的に統一しようとすると、いわば原生動物の体のように多方面に膨脹したものを分割するほかはなくなる。
たとえば柿本人麿の場合にしても、「万葉集」の記述を信するかぎり人麿は持統朝から文武朝にかけて活躍した歌人であるとするほかはない。だが一方、「万葉集」が引用する「柿本人麿歌集」にはそれよりもかなり後の歌もある。「人麿歌集」に後代の歌が入っているというのは今日の学者の常識だが、人間歌集なのだからすべてが人麿の歌だという立場に立てば、「万葉集」の人麿にして、既に最低二人いたことになる。次に「古今集」の仮名序を見ると、、「おほきみつの位(正三位)柿本人麿」を「ならの御時」の歌人としている。現在では、これを「奈良時代」と解し、しかも人麿が活躍した飛鳥時代は奈良時代に接していたからこのように書いたと説明している。だが、そこに都があった「時代」と解するのはどうか。平安時代において「御時」とは天皇の治世、すなわと御宇のことであり、「ならの御時」は平城の帝の御時の意にほかならないからである。事実、この仮名序に対応する真名序(漢文の序)には「平城天子」とはっきり書かれている。「古今集」より五十年ほど後に出来た「大和物語」にも人麿が平城天皇に仕えていたとある。平城天皇は平安時代第二の天皇だから「万葉集」の人麿とは違う。これ第三の人麿ということになる。ところ、で、「古今集」から百年ほど後の第三の勅撰歌集「拾遺集」を見ると、人麿が渡唐してよんだという歌が二首見える。これ、第四の人麿である。
人麿を一人ではなく四人とすると、その間の矛盾はなくなる。しかし矛盾がなくなったところでどうなるというのだ。私が問題にしたいのはそんなことではない。実在の人麿が、その死後、奈良時代・平安時代にどのように伝説化されていったか、別のことはで言えば、後の人々の心の中に人麿がどのように生き続けて来たか、私はそれを問題にしたいのである。
小町の場合も同じである。江戸時代の学者のように小町を四人にしたり、現代の民俗学系の国文学者のように、小町と称する女が無数にいたとか、小町を名のる遊行婦女・あるき巫女・歌比丘尼のたぐいが諸国をめぐり歩いていたと言い切ることによって事足れりとし、文献に残った小町の文学と伝承について深く考えようともしないのは学問の堕落、ある意味では頽廃という評語が適切でさえある。仮に彼らの言うようなことがあったとしても、せいぜい中世の後期のことであり、「小野小町の歴史」ほ既に平安時代中期以前から始まり、中世、近世と続いていたのである。小町が、その死後も、後代��人々の心の中にどのように生き続け、どのように変容していったか、あるいはまた、時を経て変容しながらその底に変えずに生き続けてゆく、いわゆる小町的なもの、それはいったい何かということの追跡にこそ、私は意味を認めたいのである。世に虚と言い実と言う。しかし、このように見れば、人々の心の中に生き続けていたものはすべてが実だと言うほかはないのである。
以下の章において次第に明らかにしてゆくことであるが、小野小町の説明化は、彼女の死後間もない頃から既に始まっていたのである。そして十世紀の末頃には、我々が知っている小町説話、たとえば(1)雨乞説話(2)好色説話(3)男性を拒否する驕慢説話(4)衰老説話 等、そのおおむねが既に出来るがっていたはずである。だから、そのような流れの中に「玉造小町子壮衰書」を置くならば、「小町老いて後、おとろへさらぼりたりなど云ふめるは、玉造小町の事なるを混じていへるなり」〈本居内遠「小野小町の考」〉というような見方が必ずしもあたらぬことを知るのである。小町衰老落魄の説話が「壮衰書」の影響で出来上がったというよりも、既に世に行なわれていた小町落魄説話の仏教的結実として壮衰書を考えるべきではないか。「玉造」の由来を明らかに出来ぬことは残念であるが、ともかくも「小町」と表題にあるだけで人々が説明を求めないような人物の伝でなければならないこと、しかもそれが「花ノ時ヲ待チテハ玉筆ヲ秉リテ紅桜紫藤ノ和歌ヲ詠ズル」美女の伝でなければならないことなどを併せ考えれば、平安末期から中世にかけての人々の大勢的理解がそうであったように、これをも小野小町のこととするのが、最も素直な、そんなして最も妥当な理解だと思うのだが、いかがであろうか。
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東京滞在日記。
◆Day1
12:45 新横浜到着。寒いと思ってヒートテックやらネックウォーマー、起毛したパジャマを持っていったにも関わらず、気温25度で照り返しがきつく汗ばむ気候。東京に住んでいた頃、関東は体感温度が関西よりも5度くらい低い気がしていたのに。レイジアゲインストザマシーンのウィズアウトアフェイス。かっこええー。96年発売の曲の中で一番好きかもしれないな。いや分かんないけど。終わるのが悲しくてリピートしてしまう。
12:57 京急に乗って雑色へ。「ぞうしき」と読むらしい。聞いたことも見たこともない地名。最近友人が引っ越したというので、おじゃまさせてもらうことになった。ありがとう。大田区。飛行機に乗らない私にとってはあまり縁のない地区。東京タワーからは程遠く、都会とは縁のなさそうな樹々が生えていて、なんだか良さそうな街。昔ながらの商店街もある。バックナンバーからaiko、いきものがかりと平成J-popが次々と流れてくる。結構長そうな商店街。天六ほどではないだろうけど、先が見えないので抜けられるのかドキドキする。突然見覚えのある走り方をする人影が見えてきた。
13:55 友人宅到着。ちょっと駅からは離れているけど、立地は最高。大きな窓からは多摩川が見えていて、開放感でいっぱい。空港が近くにあって、すぐにここを飛び出してアメリカへでもいけそう。
14:30 友人は1日在宅ワーク。ずっとパソコンに向かってタイピング&会議私は後ろでひたすらゴロゴロ。ヒモみたいになってた。
16:00 夕方、仕事終わりの友人と茶をしばくため虎ノ門へ。むっちゃ薄暗い照明のお店。店内はマスターのオキニが詰まった宝庫みたいになっていて、グレングールドがかかっている。ライトな雰囲気のカフェと聞いていたけど、かなり荘厳な感じ。バカ話できるかな?友人登場。私が今ちょうどほしかったcasetifyのiPhoneケースを使っていてテンションが上がる。「ちょうど昨日藤原ヒロシが『便利』って言ってたよ」という話から佐川急便男子の話まで途切れることなく2時間強話しまくる。酸味の効いたコーヒーと濃厚なチョコレートケーキ、淡白なチーズケーキの相性がそれぞれ完璧だった。友人の背後からフライヤーの三島由紀夫が鋭い眼光でこちらを睨んでいた。ずっと怖かった。
19:10 『ざっくりYouTube』で見ていた池尻大橋の「喜楽亭」へ。ジュニアさんが座った席と同じところに座れてテンションが上がった。料理はもちろん極上。こう言っちゃなんだけどまずいハンバーグカレーとかあるのかなぁ。ルーとライスを綺麗に分けずに「親父ガケ」して「親父グイ」(ルーを皿一面にかけぐちゃぐちゃにして食べること)してしまう癖、治したい。というか治す。いやだわー。無意識って怖い、気をつけよう。
22:00 帰宅。友人と話す。思い出話2割、今後の話8割。昔は覚えてもないようなどうでもいい話しかしなかったのに、キャリアとか結婚とか出産とか、切ないね。けど仕方ないね。そうそう、何で雑色に引っ越したのか聞いてみた。いい場所だけど都心からはだいぶ離れているし…。友人曰く、最近の日本にますますいやけが差してきたので、すぐ海外に飛べるように空港付近にしたとのこと。かっこえ。昔から彼女の意思&意志が強くてすぐ行動に移せるところ、尊敬してる。
◆Day2
12:00 13時からの打ち合わせに向けて横浜へ。ほどよい都会感。建物の感じもどこかオシャレに見える。今日は風が強い。ふわっと香るくさいにおい。もう銀杏の季節か。『トークサバイバー2』で(シソンヌ)じろうさんが叫んでた「銀杏〜!くせえからうめえのか、うめえからくせえのか?」っていう素朴な疑問、私も思う。いつか教えてくれ。
15:30 一旦帰宅。友人会議中。多摩川を少し散歩する。『セトウツミ』の舞台ってここかなぁ?とかあらゆる平成ジャパニーズ映画のロケ地に思いを馳せながら歩いてみる。
16:50 半年ぶりに代田橋へ。行く場所は決まっているのに常に緊張する。Fat Boysを聴いて喝を入れる。
17:01 ジャスミンティー購入。手鏡にてデコに大きなおできと小さなニキビを確認。
17:10 緊張で首が左上右下に動いてる感じ。つまり吐きそう。
18:01 代田橋到着。とりあえずトイレに行く。
18:03 緊急事態。一旦酒を入れなければと彷徨う。
18:09 「納戸」は閉まっていた。がっくし。
18:18 「ジュークボックス」へ入る。マスターに挨拶するも覚えていない様子。半年ぶりだし2回目だから仕方ないかと思ったが、zineの話をしたら思い出してくれた。髪型とファッションで人は変わるということが分かる。コーヒー焼酎のロックを2,3杯入れる。美味い。
19:40 マスターに教えてもらった「大天狗」というお店に入る。焼き鳥がぶりぶりで美味しかった。この書き方だと不味そう。身が大きくて味付けも辛すぎず無すぎず、つまりちょうど良くて美味しかった。特にレバー塩。
23:39 終電に乗れた。代田橋に来る時はいつも終電と共にお別れだ。はー。終電といいながら蒲田までしか行かない。代田橋のお兄さんにもらったハイボールを片手に電車に揺られる。
0:16 蒲田駅から多摩川沿いを歩いている。徒歩22分。結構近い。友人に連絡する。川沿いで合流することに。
...
↑記憶なし
◆Day3
12:47 起床。若干頭痛。友人は会議中。
17:18 山手線に乗っている。今日学んだこと。二日酔いでも酒は飲め。但し、酒がないと話せない場合に限る。つまり緊張状態に縛られる状況の場合。
17:46 綺麗な夕焼けを写。肝心な時にカメラを持ってきていない。そして非常に落ち込んでいる。
↑夕焼け
19:15 友人とご飯に行く。カジュアルなフレンチビストロ。ここで「人生の目標」とか「働くこと」とか「死ぬこと」などシリアスな話を熱く語り合う。
20:39 多摩川散歩。酔っ払っていたので写真がすべてぶれている。
↑彗星到来。ネオ東京
◆Day4
8:45 朝から餃子を作る。大学時代から彼女とはずっと餃子パーティーをしていた。餃子で繋がる友情と言っても過言ではない。彼女の家族たちと餃子パーティーをしたこともある。今後誰と会ってもそうマウントをとっていく。味噌ダレで乾杯。パートナーの話で盛り上がる。いくつになっても色恋の話は楽しいな。しかし外食が多くて、胃が悲鳴を上げ始めてる。
10:45 多摩川の写真を撮る。毎日多摩川を見ながら生活できる幸せ。噛み締めた。川のある生活っていいなぁと実感。天気も良くて雲の形もポテトフライみたいでよかった。
↑ マンションの広告にありそうなくらい完璧な景色。うまく言えないけれど。
↑パノラマで撮った
11:00 友人と別れの時。でも12月にまた会える。でも帰り道少しツンときた。それくらい���心地が良くて、一緒にいて落ち着ける存在だったのだと改めて思う。会うのは半年ぶりだったけど、しっかり話すのは2年半ぶりくらい。彼女はすごく…さらにいい方に変われていて、刺激をもらうと同時にすこし、自分に対して不安になったりもした。同じ歩幅で歩いてると思っていたから。全然違ってたんだ!今、小さい頃に遠方の祖父母の家に何泊かして帰らなければならない時の悲しさで涙が止まらなくなるあの感じが襲ってきてる。嬉しいのに少し寂しいな。
12:02 有楽町駅到着。映画館の前を通り、スコセッシの新作今日公開だと思い出す。でも今日は無理。ノーマネーソーリー。
12:06 ある人と待ち合わせ。その後ランチ。
15:33 新幹線到着。いよいよ帰る。おセンチな気持ちなのでブレッドのプレイリストを聴いている。ただ、ウォークマンのプレイリストは厄介。
16:03 『Dumb and Dumber』(ジムキャリーはMr.ダマー)をみる。百面相最高。we love jim carrey!!!
18:40 帰宅
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おしまい。
東京ってやっぱり刺激のある街。ずっといたら飲み込まれそうで怖いけど。昔からそう思っている。昔東京に数年住んでみたけど、まぁ仕事とか色々なことがあって、いい思い出は全くなかった。でもきっと、その頃の自分は視野が狭くて未熟で卑屈ですごく保守的だったのだと思う。その頃の自分のことを…ようやく客観的にみれるようになった気がした。離れてみるとやっぱ東京って面白い街だと思うし、会いたい人がいれば誰にだって会いに行けるし、刺激の宝庫だなと思う。
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2023年06月19日 器官なき身体、あなたがずっと私を忘れませんように
いよわの「地球の裏」を聴いている。「地球の裏 25グラムの嘘」から始まる、いつも自分がそうであるぐちゃぐちゃの脳みその中みたいなパートが好きで、自分のぐちゃぐちゃの脳みそと、聴いている脳みその(計算された、秩序化された)ぐちゃぐちゃさが同期するのが心地いい。
今日は初め、Nirvenaを聴いたりゆらゆら帝国「昆虫ロック」、青葉市子を聴いたりしていたものの、何を聴いても今の自分には合わない感じがしてしまっていて、結局、ずっといよわの曲を聴いていた。いよわの曲についてはちゃんと考えたいと思っていて、でも、ボカロ曲の解釈というのは何か、現実的な物語のようなものに還元されてしまいがちな気がしているので、そうではない形の解釈ができたらいいな、と思う。曲そのもの、音そのもの、言葉そのものから生まれてくるその世界そのものを見たい。
「地球の裏」で言うと、「それでもまだ死ねない 生命体ですにゃあ」のところの「にゃあ」があまりにも空虚で、その空っぽさに親近感を覚えてしまう。
***
丹生谷貴志『死者の挨拶で夜がはじまる』を読み始めた。ドゥルーズの「器官なき身体」の話や、「離人症の光学」と名付けられた文章だったりが載っている。
p16で、〈「器官なき身体(Corps-sans-organes)」がアニミズム的に了解されてしまっているところがあるけど、実際には器官なき身体はもっと徹底して唯物論的��ある〉、というような話がある。つまり、日本語で「器官なき身体」と言うとぐにゃぐにゃしていて有機的な身体を想像していしまう可能性があるけれど、そうではなくて、それは身体がある状態であるにもかかわらず、徹底して唯物論的で、極限まで受動的で(ときには苦痛にさえ近い)状態の身体。
ドゥルーズ/ガタリは『千のプラトー』で「きみ自身の器官なき身体を見つけたまえ」と書いているけれど、私たちの器官なき身体とはいったいどのようなものなのだろう。
たとえば、薬物中毒の身体、アルコール中毒の身体、マゾヒストの身体。つまり、それは脱自的な状態であり、主体としての「私」が揺らいでいる。そして、そうして主体が揺らいでいることにこそ意味がある。自と他の境界が揺らいでいること。
アルトーやーシュレーバー、分裂症(統合失調症)者にも特有の器官なき身体がある。器官なき身体は卵に似ていて、それ自体は受動性の極にありながらも、何かを生み出す実験の場となる。広く捉えるのなら、「全体によって統合されない部分の横断的結合」。
そういえば、少し前に話した人に「あなたの器官なき身体とはどのようなものですか?」と尋ねると、「球体関節人形」と答えていた。「君自身の器官なき身体」の一つに、球体関節人形がある。
それでは、私自身の器官なき身体とは何なのだろう。自分は一時間前に眠剤を飲んだので、世界はどんどん私という存在は曖昧になってきている。ただ、それ以前からして世界は離人的なのだけど、何にせよ、眠剤によって私は私という主体から遠ざかっていく。でも、それが器官なき身体であるわけではない。ドゥルーズは『千のプラトー』第6セリーで「器官なき身体に人は到達することはない、到達はもともと不可能であり、ただ、いつまでも接近し続けるだけ、それはひとつの極限なのだ」と語っていた。
思い返せば、幻覚剤が効いているときに、ゆらゆら動く世界の中で、頭の中にある真っ白な部屋に閉じ込められていたら仏様がやって来てあの世へと連れていかれて、「こんなにあっけなく人生って終わっちゃうんだ」と拍子抜けして、でもそこからすぐにこの世へと戻されて、またあの世へと連れていかれるということを繰り返していた時、あの幻覚と受苦の中で、少しは器官なき身体(CsO)に近づいていたのかもしれない。でも、別の仕方での器官なき身体はもちろんありうる。たとえば貨幣とは資本主義における器官なき身体であり、ある種の組織そのものが器官なき身体へと近づくということもありうる。
***
今日、授業でラトゥールについての発表を聞いていた。面白かったのはサイエンスウォーズの話で、ソーカルが『知の欺瞞』でドゥルーズやデリダやラカン等の現代思想を科学的な観点から批判したことは有名だけど、今にして思えばソーカルは共産党員であるわけで、つまり単なる科学上の論争というよりも、その背景には大まかに共産党vs新左翼という構図を読み取ることができる。
共産党員である(つまり伝統的な左翼)であるソーカルは進歩主義的に科学の実在を信じざるをえないだろうし、それに対して(どちらかといえば新左翼の側にある)ポストモダン思想家たちは科学に対して、(ソーカルらのような立場に対して相対的には)構築主義的なアプローチを取ることになるのだから。
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大学では4人くらいで「少女革命ウテナ」の上映会に参加していた。25話から30話まで。いまはウテナが理事長に対する恋心みたいなものに目覚めかけているときで、ここには常に揺らぎがある。ウテナが欲望していたのは「王子様になること」であって、「王子様と結ばれること(つまりお姫様になること)」ではないはずだけど、そこに現実化した「王子様のような何か」を前にして、どうしても揺らいでしまうことになる。あとは、薫幹と薫梢の関係も好きで、幹が永遠にしたい「輝くもの」とは妹である梢との思い出だけど、それは姫宮アンシーの方へと投影されていて、常にすれちがい続けている兄妹。
上映会のあとには『冷たい熱帯魚』の話をした。冷たい熱帯魚、見たのはずいぶん昔だけど、今にして思えば、家父長制の究極系みたいな人間がいて、「弱い人間」である主人公が極限まで抑圧された結果、逆に主人公が家父長制の人間(強い人間)へと覚醒し、しかし最後に、娘によって反抗されるというところが大事なのかもしれない。
あと、映画「怪物」を見たいものの、映画のためにお金を払うと今月末のクレジットカードの支払いができないので、ずっと行くのを諦めている。文化になるためにはお金を用意しなくてはいけない
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千葉雅也の『エレクトリック』が面白いらしいので、新潮をどこかで見つけて読もうかな。『ハンチバック』は読んだので、芥川賞受賞作をすべて読んで、自分なりの予想とかをやってみたい。でも、そんなことをしている場合ではなくて、カフカを読んだ方がいいのかな。保坂和志がそう言っていたような気がするけれど、夢の中での幻覚かもしれない。
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青色のアトモキセチンカプセル(40mg)を飲むとき、近場に水がないのでとりあえずは前歯で挟んだ状態でそのままにして、水を飲むときに一緒に流し込む、という行動を取ることがあるのだけど、カプセルを歯で挟んでいるとき、いつも脳内で、シンジくんの乗ったエヴァが、アスカ(あるいはトウジ)が乗っているエントリープラグをかみ砕く瞬間のことを考えてしまう。
眠剤が効いた状態でずっといよわが流れていて身体が重く、すべてが、世界が曖昧になって来たので眠ります。明日、ちゃんと役所に行って必要な書類をもらえますように。おやすみプンプンで田中愛子が書いた短冊「あなたがずっと私を忘れませんように」の願いが叶いますように(この文章をを書いたとき、あの短冊の記憶を思い出したことで、田中愛子が抱いていたであろう救いのない感情がなだれ込んできてしまって、どうしよう、と思う、いよわの「地球の裏」を聞きながら、また眠剤を飲んで眠るしかない)。
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今年3月、地元の神奈川県川崎市で開かれたある会合で、山際大志郎・前経済再生担当大臣はこう言って笑ったという。 【独自】逮捕された「美人すぎる寝屋川市議」の写真集全カットを公開する 岸田文雄総理は、総選挙の腹を固めた。上昇に転じた政権支持率は、広島サミットでもう一段上がる。勢いに乗じ、6月の国会会期末に解散を打つ―自民党はそんなシナリオを描いている。 だがそこには、大きな誤算がある。旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合、以下統一教会と呼ぶ)の問題が決着していないことだ。岸田総理は「もう皆、忘れただろう」と思っているかもしれないが、大間違いである。 川崎市内を歩くと、至るところで奇妙な光景が見られた。岸田総理の顔が載ったポスターの横に、別のポスターが剥がされた跡がある。地元の自民党支部関係者が言う。 「4月の統一地方選の直前、支部に『山際さんのポスターを剥がしたい』『ウチも統一教会のシンパだと思われたら困る』『こんなことになると分かっていたら、(自宅の周りに)ポスターなんて貼らせなかったのに』という支持者からの連絡がどっと増えました」「裏切られた」の一言photo by gettyimages これまで山際氏は自身と統一教会の関係について、後援会の役員や大口の献金をしている一部の支持者にしか詳しい事情を説明していない。多くの一般支持者は、詫びの一言すらない山際氏に失望を抱いているのだ。 山際氏が支部長を務めてきた自民党神奈川県第18選挙区支部に、毎年数万円の寄付をしてきた70代の男性が語る。 「初めて会った時の彼は好青年だった。ずっと応援してきて大臣になって、これからと思っていたのにガッカリだ。統一教会と関係があったと知っていたら、寄付も応援もしなかった。裏切られた、の一言です。 せめて秘書だけでもお詫びに来れば別だけど、本当に一切ない。自分が出た(教団の)会合を『報道を見ると、出席していたようだ』なんて、説明の仕方も白々しいよ」 同市内に住む60代男性も「もう自民党を支持するのをやめようかと思っている」と憤る。 「地元の支持者向けに、一言『今まで隠していて申し訳なかった』と謝罪する場を設ければいいのに、なぜやらないのか分からない。統一教会の会合で海外にまで行くくらいだから、簡単には関係を切れないのかねえ。 このままでは、仮に自民党が次の選挙で別の候補を立てるとしても、じゃあその人に入れようとはなりませんよ」
木原誠二、萩生田光一、山際大志郎…「統一教会との深い関係」を指摘された政治家たちの地元選挙区民のヤバすぎるホンネ(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
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“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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WE CAN DANCE!11/25仙台
ホールラスト!仙台!石田亜佑美さん最後の凱旋公演!
仙台は何度か来たことがあったけど、凱旋と思って、要するにヲタクとして行ったのは2014年のEvolutionが最初だった。
あの時はイズミティが会場だったなあと、懐かしくて行ってみた。そうそうこんな感じだった。だけどあの時ご飯を食べた店はなくなってた。見つけ���れなかっただけかもしれないけど。
なんかもう観光するって感じでもない。10年くらい通ってるから。別の用事でも何度かきているし。だからこういう思い出の場所や石田さん縁の地を巡った。
めちゃくちゃ寒かった。いつも新幹線を降りたらちょっと空気が冷たいなって思う、それによって東北を実感する。って感傷的になるだけで済まず、今回はやけに寒い。歩き疲れた時に見つけた公園でベンチに座っても、休まる前に寒くて無理となってしまう。
最後の仙台にして改めて東北の厳しい寒さを味わった。もっと寒い地域もいっぱいあるので、仙台で寒いだなんて甘いと思うでしょう。でもね、寒かった。天気は良かったのに。
夕方、鯛きちで補給。ここの鯛焼き、本当においしい。期間限定のカマンベール、絶対に赤ワインに合う。
ここも石田さんが教えてくれたんだよなあ。
ホテルに荷物を置きちょっと休んで、あおば通から仙石線で榴ヶ岡へ。ドアボタン。カラフルな車両。地下の駅。何度も見てきた風景も、これが最後か。こんなことさえもしんみりしてしまうなんて。
通い慣れたサンプラザ。階段をのぼって、入ったら右手にあらかしのミュージアム。これもいつの間にか恒例になっていて、回数を重ねるたびに展示品も増え。
左手には特別なものがあったんだけど、これを書いている段階では口外してはならぬので。いつかその時がきたら追記する。
開演前から熱量がすげえ。
ほまれと亜佑美両方見たかったし、光るやつもタオルも2色体制で、IKEA状態だった。見やすい方を見る、見たい部分を見る、ってやってた。このツアーはデイジーで通ってたのでついつい反応しちゃうのはそっちだけどね。だけど青も沢山振った。振りたくなるでしょう。根っからのエンターテイナーだよ石田さんは。数年ぶりに石田ヲタやってた時の気分を思い出して、ああこれだよこれ!となった。
ほまれと亜佑美の絡みでいうと冷たい風のダンスだけど、笑顔の君は~の「誰かが生まれ」ってとこ、ハートがカチカチになってた。前に見た時は指差しだけだったのに、揺るぎないハートになっているように見えた。立ち位置がちょっと離れているんだけど、それはそれで離れていても♡みたいな感じで良いと思うのだ。
青空が終わって、メンバーがさっさとはけてしまい、客電がつかない。察するヲタクたち。ざわめく場内。再びのあゆみんコール。前日のインスタにヒヨコ衣装の画像を上げていたが・・・ で!ピョコトラのイントロが流れ始めた時のあの感じ。もしかしたらという期待、わかっていても実際にそうなると沸く、あの感じ。この場にいる誰しもが待ち望んだ瞬間。
もう本当に最高の体験をさせていただいた。
横山向け逆ドッキリと北川の下っ端感溢れるポエムMCも笑えた。噛んで、滑って、笑って。パフォはめちゃくちゃかっこいい。それって要するに石田さんの魅力だからね。あらゆる石田さんを堪能できた
誰も泣かなかった。だけどこらえてそうな気配はしてた。そんでやっぱり亜佑美は脚の筋肉が極まっていた。ちぇるいなくて残念だったけど横アリに出てくれたらそれでいい。ほまれは今日もかっこいい。いつも以上に熱量高めに踊っていたのは仙台だからなのかな。ほまれに限らずなんだけど、とても熱かった。生田さんとかめいちゃんとか、こんなに熱く踊るんだ!って思う瞬間があった。WE CAN DANCEで亜佑美の熱量に影響されているんだろう。仙台の魔法だ。
本当に素晴らしい瞬間に立ち会えた。横アリがこれ以上になるの?ってくらい楽しかった。楽しいでしかなかったから、逆に横アリは寂しさが出てしまうのかなという不安も出てきた。もうどうにでもなれ。
翌日。11時チェックアウトのホテルだったのでゆっくりと出発。
ホテルが近かったのでSS30の展望台へ行ったが微妙だった。AERの方がいい。あてもなく歩いてたら東北大学に迷い込んだ。そしたらほまれがいた。黄色い巨樹。迫力があり、枝の感じが超かっこいい。
すっごい見事な木だった。足下の黄色い絨毯も素晴らしい。
広瀬川のほとりを歩き、西公園から定禅寺通り、街を抜けてお土産タイム。その前に、本日はアルバムフラゲ日ということで、アルバムを買いに行く。個別など申し込んでないし予約もしてないので店で買うのだ。
HMVとタワレコがあるので、まずはHMVへ。特設コーナーは用意されているが、通常版が1枚ぽつんと置いてあるだけ。初回がほしいので、衣装やパネルだけ見て去る。 続いてタワレコへ。ないっすね。まだ入荷していない感じ。受け入れ体制は準備しているようだけど、売っていないものは買えない。
仕方ないのでお土産を買いに行き、改めてHMVへ行ってみた。そしたらなんと!並んでいたんだよ、アルバムが。ヲタクが自分の他に2人いて、1人が衣装等を撮影しようとするとささーって離れるあの感じ、気持ちはわかるよ同志って感じでちょっとおもしろかった。
そういうわけでアルバムをget。今日のげったー活動ミッション達成。フラゲ日に仙台にいるのも何かの縁だ。特典の写真をもらえて嬉しい。
最後にずんだシェイクを吸い込みながら、お別れの時を迎える。愛しのペデストリアンデッキ。今までは次があるからまたねと軽い気持ちでここを後にしていたけれど、今回ばかりはしんみりしてしまう。目礼し、感謝を胸に、街並みに背を向ける。少し冷たい風が、頬をかすめてゆく。
歩き回っていてご飯を食べに行く時間がなかったので、新幹線でお弁当を食べた。��まれもうらやむ仙台牛。
おいしいものが沢山ある宮城。恋しくて、来年の秋くらいにまた来てしまいそうな予感がする。今はまだ石田さんのいないモーニング娘。が想像できない。仙台へ行かない1年もイメージできない。だけど前に進んでいくしかないんだ。
石田さんは東日本大震災の年に加入し、東北を背負い、ヲタクたちを宮城の虜にさせた。すげー人なんだよ。本当にすごい。やっぱりすごい。石田さんはすごい。あゆみん最高でしかない。だからこそ仙台放送を通じて出会った様々な方に愛されているんだろう。そういう人だよ。好き。やっぱり好き。それを再確認したこの仙台公演。
かわいい大好きはほまたんだけど、感謝と尊敬は石田さんに向いている。今も。
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# 1話 新手のナンパ師
「おーいギスケ!それは下手(しもて)に運んでくれ」
「はい源さん」
商店街から少し離れた小さなビルの窓には『劇団みかん』の文字が一枚ずつ貼られている。今時の、目立つフォントを用いたカラフルに洒落込んだ看板とはほど遠く、黄色やオレンジの画用紙を用いた手作り感あふれるその『看板』が主張する一室がわたしの居場所だ。
今は3ヶ月後に迫った発表に向けて役者さんたちとの最終調整中で、舞台での立ち位置の把握だとか、それに合わせた照明の明るさやタイミング、それから舞台美術の配置…などなど、この劇団の裏方を担当するわたしは確認する事が沢山ある。
と言っても恥ずかしながら裏方のいろはを学んだ事はなく、さっき言われた「しもて」の場所もここに来てから学んだ事だ。たまたま、この劇団の座長がわたしの両親の知り合いであり、たまたま、高校を卒業後も進路に迷って暇を持て余していたわたしが、たまたま、人員不足のこの劇団に声を掛けてもらった。ただそれだけであって、ただそれだけなのに、気付いたらわたしはこの劇団の裏方としてもう3年ほど働き続けていた。そんな理由から始まったとはいえ、わたしはこの仕事がいつの間にか『当たり前』になっていて、好きか嫌いかと言われたらまあ…うん、そんな感じだけど、でもこの仕事は確かにやり甲斐を感じている。
…なんて言ったら本業の人に叱られそうだけど。
「いつも重いもんを運ばせて悪いなぁ」
「気にしないでください。仕事ですから」
「お!言うようになったなぁギスケ!えぇ?仕事もサマになってきたんじゃないか?」
しゃがれた声を跳ねるように弾ませて話すこの人こそ、この劇団の座長である源さんだ。ざっくり纏められた白髪混じりの髪と少し色黒な肌が特徴的で、どこまでも通りそうな声を放つ大きな口には真っ白な歯が際立って見えている。笑うとシワが刻まれる源さんの顔はいつ見ても元気が溢れていて、生命力を感じるとはこの事を言うんだろうと毎度感心する。
あ、そうそう。この劇団では劇団員との距離を作らない事をモットーとしているらしく、皆平等にあだ名をつけられる。この場で呼ばれる「ギスケ」とはわたしの事だ。
他にも、ふわふわとしたミルクティーのような色の髪が彼女自身をよく表している主演女優の舞さんは「まいやん」、そんなまいやんとは対照的に艶の良い真っ黒な髪を大胆に束ねて縛り上げている助演女優の聡美さんは「さとみん」、いつも劇団のムードメーカーな洋(ひろし)さんは「ようちゃん」…などなど、全て源さんと劇団員が決めたあだ名で呼び合っていて、源さんはみなもとと書いて「げんさん」と呼ばれている。
それにしても何故わたしは「ギスケ」なのか。そのルールなら幾らでも可愛いあだ名があったろうに…と少し不満に思っている事はここだけの秘密。
「そんな働き者のギスケに追加で頼みたい事があるんだがな、」
「じゃあわたしは定時なので上がります!お疲れ様でした!」
「なに?!お前さん帰る気か?!みんな残ってリハーサルを続けるのに?!」
信じられん!とわざとらしく息巻く源さんを横目にお先に失礼します、と急いでこの場から立ち去った。勿論毎回定時で上がるわけでは無いけれど、今日は事前に残業が出来ない事を伝えていたので何も気に病むことはない。暇な私にだって予定はある。
だって今日は!待ちに待ったササキベーカリーの新作、オレンジピールパンの発売日なんだから!!
「ごめんなさいねえ…ついさっき完売しちゃって…」
申し訳なさそうに答えるパンのように優しそうなこの方は、このササキベーカリーのブーランジェ。その印である白い帽子がよく似合う、まるで某あんぱんを作る有名なおじさん…を女性にしたかのような可愛らしい人。わたしはこのお店の常連であり、今、新作のオレンジピールパンが手に入らなかった事実に絶望している。
「ほ、本当に…一つもありませんか…?」
「そうなのよ〜ほんとについさっき、ついさっきだったんだけどね!若い男性が買われていって、あ、男の人にもオレンジって人気なんだわ!って思ってたところでねえ〜!」
常連客のわたしだから知っている。この先、ブーランジェの話は止まらない。見覚えのない人だから新しいお客さんかしら、だの、背がスッと高くてなかなかハンサムだったのよ、だの、最早コンプライアンスが怪しいマシンガントークが炸裂するのだ。お目当ての商品が買えなかったわたしはその話も早々にお店を後にする事にした。また来ます、と常連アピールは欠かさずに。
しかし、常連客であるわたしを差し置いて新作パンを買っていくとはなんと許し難い!…いや分かっている、全ては平等であってその人は1ミリも悪くない。悪いのはただ運が無かった自分だ。あーあ、もう少し早く着いていたらなあ、と、どうにもならない仮定を巡らせながらお気に入りの場所ーー…近所の堤防の草むらに寝転んだ。
この堤防下に流れる川は綺麗に整備されていて、早朝にはジョギングをする人、夕方には子供たちの駆けていく声、夜は犬の散歩をする人も多く、人々の憩いの場とされている。そこそこ名の知れたこの場所では稀にドラマの撮影なんかもしているらしい。今の時期は川の優しい音色と初夏を匂わせる風が心地良くて、わたしの好きな場所だ。いつも仕事を終えるとこの場所に来てのんびりしてから帰路に着く(雨の日だけはまっすぐ帰るけど)。幸いな事に今日は晴れているので、整備されたばかりのチクチクする草を背に感じながら帰る間際に遮った源さんの言葉を思い出す。
源さんの言う『頼みたい事』は分かっている。きっと『役者のオーディションを受けないか』って話だ。
話は戻って、わたしが裏方として所属する『劇団みかん』はいつだって絶賛劇団員募集中で、つまるところ役者が足りていない。そしてオーディションを受けたい人は決まって名の知れた劇団を求めているので、画用紙で看板を作るような小さな劇団はお呼びではないのだ。だから源さんはいつも懲りずにわたしに同じ話を持ち掛ける。
だけどね源さん、わたしは役者を志した事は一度もないし、そもそも劇団みかん以外の演劇には興味が無い。テレビ番組もニュースくらいしか見ないのでドラマや映画も勿論観ない。そんなわたしが役者なんて冗談が過ぎる。最初こそ丁重にお断りしたものの、あまりにもしつこいので最近はその話題から逃げるようになっている。それでも源さんは懲りてくれない様子だけど…明日はどうやってその話題からすり抜けようか…
そんな事を考えていると、ぐるる…と腹の虫がな��た。
そうだ、今日はササキベーカリーの新作を食べる為に朝も昼もご飯の量をいつもよりうんと減らしていた。全てはオレンジピールパンの為に…それにありつけなかったお腹は悲しみの音で空腹を主張する。お目当てのものが買えなかったショックで忘れていたこの空腹も、一度気付いてしまうとどうしようもなく体の力が抜けていく。
「ああ…お腹すいたあ…」
「どうぞ」
ありがとう、と渡された紙袋を受け取る。ああ、どこからか香るパンのいい匂い……空腹で回らなくなった頭が優しい香りに包まれた事で一瞬鮮明になる。
……え?なにこれ?え、だれ??
「こんにちは、また会ったわね」
起き上がって渡された方を見ると見覚えのある人物がいた。
この時期だってのに黒いニット帽を深く被り、茶色と灰色を混ぜたような色の髪が少しだけゆるく癖をつけて左眉の上に飛び出ている。その上どこで買ったのか綺麗な形の丸メガネとマスクでほとんど分からない顔に、どこでも売ってそうな至ってシンプルな黒と白の長袖ジャージをキッチリと着た、どこからどう見ても怪しい男性。
わたしはこの不審者を知っている。その瞬間、一気に湧き上がる恐怖心に思わず大声を上げた。
「ぎゃあああああああ!!!!で、出たああ!!」
受け取った紙袋を持ったまま叫ぶわたしに相手は目を丸くしながらも、次の瞬間右手でわたしの口を塞いだ。反対の左手は人差し指をマスクの上に当てて、しっ!騒がないで!なんて言っていた。が、こちらとしてはそれどころではない。そもそも大声をあげた理由は全部この人物のせいである。何が騒がないで、だ!と腹が立ったわたしは、口を塞いできた奴の右手に思いっきり噛みついた。
「いたっ!!」
「き、気安く触らないでよこのナンパ師!昨日に懲りずしつこいんだよ!!」
間違いない。この不審者は昨日、わたしに声を掛けてきたあのナンパ師だ。いきなりわたしの腕を掴んだと思いきや「前に会った事ない?」なんてナンパの決まり文句をふっかけてきたあの忌々しい男!
あの時は何せ生まれて初めてのナンパに遭遇したので、思わず「知らない!」とだけ告げて全力で掴まれた手を振り払い、全力で逃げた。まさかそれがこの再会と結びつけてしまうなんて、こんな事ならあの時にもっと強く断っておくべきだった。いや、なら今言えばいい。こんな失礼極まりないナンパ師なんぞ他の被害が出る前にわたしがキッチリとカタをつけてやる!!そう意気込んだわたしに、今まさに手を噛まれた痛みに耐えている目の前のナンパ師は飛び出すほどに目を大きく見開いてとんでもないことを言ってきた。
「な、ナンパって…私が?!そんなわけないじゃない!!まったく…失礼しちゃうわね」
し、失礼しちゃうわね?って、こっちの台詞でしょ?!意味がわからない。そしてシンプルに腹が立つ。あなたが昨日わたしにあんな事をしなければこんなに大声を出すことも噛み付くこともなく、多分存在すら気にも留めなかったはずで、それをそうしなかったのは全部この人物なのに、失礼しちゃうわね、なんてどの口がそれを口にするのか。
それとも、もしやこのわたしがそんな言葉に怯むと思っているのだろうか。わたしが何も言い返せないような大人しい人間に見えるってこと?そういえばナンパって断れないような大人しい子を狙う場合もあるって聞いた事がある。そうか、なるほど。それなら仕方ない。奥の手を使ってやろう。
「わかりました。そっちがその気なら警察呼びますから!今更逃げたってあんたが2度とナンパできないようにこの場所に不審者が現れるってビラをばら撒いてやるんだからね!!」
「え?!ちょ、ちょっと待って!誤解よ、お願いだから話を聞いてちょうだい!」
「はあ?人に付き纏っておいて何が誤解だよ!そもそも、それがお願いする人の態度かって言ってんの!!」
この不審者を突き放すために、ほんの1ミリでも大人しいとは思われないよう思い付く限りの強い単語を更に力強くぶつけていく。最早何を言っているのか自分ですら理解していないけどそんな事はどうでもいい。とにかくこの不審者に負けられない、その気持ちだけで歯向かっていると、相手は少し考えたように地面を眺めて、そうよね…なんて呟きながら小さくため息をついた。いや、ため息をつきたいのはこちらなんですが?と思うや否や、その人はその場で正座をして両手を地面につけて頭を下げた。
そこではっとした。これは土下座だ。
「怖がらせて申し訳な…」
「ま、待って待って!ストップ!!」
土下座というのはそう簡単にするものではなく、心からの気持ちを表す時にするもので、変な話、強要なんてした日には罪に問われるくらいには意味が重いもの…という程度の認識をしている。いくらなんでも土下座をしてほしいとは1ミリも思っていないので思わず肩を掴んで止めてしまった。しかしそれは間違いだった。相手はガバッと顔を上げたかと思うと「話を聞いてくれる?」と尋ねてきた。
その顔が少しでも笑いを含んでいれば前言撤回をしたはずなのに、向けられたその綺麗な切れ長の目に輝く瞳があまりにも不安でいっぱいだったので、わたしはもう何も言い返せなくなってしまった。と、同時に何故か凄まじい罪悪感に襲われた。
自分がナンパの被害者だと思っていたのに、これじゃあどっちが被害者かわからないじゃん…。
その、『不安でいっぱい』の瞳はわたしには効果覿面だったようで、わたしときたら自分の言いすぎたことを反省した上に、気付いたら相手の話を聞く体制をとっていた。しまった、チョロい奴だと思われただろうか。と一瞬考えがよぎったが、相手も安心したかのように瞳の緊張を緩めて体制を整えた。そして正座をしたまま、まっすぐ伸びた姿勢の良い背を折り曲げ、ごめんなさいと謝ってから話を始めた。
まず、自分はナンパ師ではないという事(これには念を押していた)。そしてわたしに声を掛けた理由は至ってシンプルで、昔の知り合いと間違えてしまっただけ、との事だった。ふぅん、なるほど、そうなんだ…と、思いかけたものの、いやいや、そんなに簡単に他人を信じて良いのか、と再び考えを巡らせる。だとしたら何故2度もわたしに声を掛けたのか。間違いだったなら再び声をかける必要なんて無いのではないか。ナンパ目的でないのなら当たり前の考えが頭をよぎる。やはりこれはナンパの類で、それはまだ続いているのではないか。そう問い詰めてやろうとした刹那、彼はふたたび姿勢を正して話を続けた。
「だからね、昨日の事を謝りたくて、もしかしたらまた此処に来るんじゃないかと思ってあなたを待っていたの。で、渡した��れはお詫びの品」
そう言って指を刺した紙袋を見て、渡されたままだった事を思い出した。お詫びの品って…なんて律儀な人なんだろうか。いや、ちょっと待って。ただ人間違えをしただけでそこまでするものだろうか?それって逆に怪しくない?と、わたしの中で気持ちがせめぎ合う。こういう時、なんとかは疑いやすい…と言うけれど、でももし、この袋の中にヤバいもの…ほら、盗聴器とか監視カメラとか…もしくは白いお粉が万が一入っていたら…?と最悪の事を考えながら再び紙袋に目をやる。薄くクリームがかった色の紙袋の中心には見覚えのある名前が印刷されていて、中には可愛らしい絵柄の、でもどこか見覚えのあるクッキーの箱が入っていた。
『おやつに最適。ササキベーカリーのやさしい味⭐︎クッキーアソート』
「ササキ…ベーカリー…って…」
「あら、知ってるの?さっき見つけて寄ってみたのよ。色んなパンがいっぱいで思わず自分用にも買っちゃったのよね。この新作って書いてあった…」
「お、オレンジピールパン?!」
その人はわたしに渡した紙袋とは別に、同じフォントが刻まれた紙袋をゆらりとかざして見せた。まさか、まさか。こんなところで出会うなんて!わたしが食べたくて仕方なかった、ササキベーカリー新作のオレンジピールパンは今、目の前にいる人物の持つ紙袋の中にある。最初に香ったパンの香りはまさしくこれだった。オレンジと焼けた小麦粉、そしてバターの香りが忘れていた空腹を再び刺激する。ほぼ無意識のうちにぐるる…と再び腹の虫が鳴いた。
「…こっちの方がいい?」
「え?!」
「このパンが好きならこれも受け取ってくれる?」
駄目、駄目だよそんな、幾らわたしがこのパンを欲しているったって、そんな、ず、図々しいにも程があるし、第一どこの誰か知らない人から食べ物を恵んでもらうなんて…といった気持ちとは裏腹に口から出た言葉といえば「いいの…?」と、情けない回答で、それにも関わらず目の前の人は丸いメガネ越しに目を山形に細めてどうぞ、なんて言っていた。
「お腹空いてるんでしょ。良かったら食べて」
「…へ、変なもの入ってないよね…?」
「……要らないならいいのよ?」「いただきます!」
今までの申し訳なさを言葉で表現したような話し方から一変して少し意地悪に言うもんだから、目の前に差し出されたお目当てのパンに咄嗟に食らいついてしまった。瞬間、ふわりと香る爽やかで少し苦味を感じるオレンジピールの香りと表面にコーティングされたザラメが溶けた甘いパンの食感に思わず魅了される。そうそう、これ!まさに想像していたとおりで今わたしが欲していた、ササキベーカリー新作のオレンジピールパン!
待ち望んでいたその香りと味に、先程までせめぎ合っていたいろんな感情がふっと解れる感じがした。
「…美味しそうに食べるのね」
だって美味しいし、と言いたかったけど口いっぱいに頬張ったせいで話せそうになく、声のした方をちらりと見る。そこには随分と優しい顔でこちらを眺めるその人がいて、その瞳と目が合った。なんだか小っ恥ずかしくなって紙袋に目線をそらすと、紙袋の中にはもう一つ、オレンジピールパンが入っていた。
そもそも、このパンはこの人が自分用に買ったものなのにわたし一人が頂くのはいかがなものか。今食らいついたパンを味わいながら、この妙な小っ恥ずかしい空気を逃れるように紙袋からもう一つのパンを取り出して差し出した。
「あ、あの!これ…良かったら…一緒に」
「ありがと。でも私はパンは食べないから気にしないで」
「え?」
さっき自分用って言ってなかった…?と尋ねると、職場の差し入れに渡す予定だったと返されたので慌てて最初に受け取ったクッキーをお返しした。別に良いのに…と言っていたけどさすがに差し入れを再び用意させるわけにはいかないので、と半ば強引に受け取ってもらった。この人がどんな仕事をしているのかは全く想像がつかないけど、差し入れをするような人なのだから真面目に働いているのかもしれない、し。
しかしこの…どう見ても男性のこの見た目とはあまりリンクしない話し方で一体どんな仕事をしているのだろう。バーとかかな。なんて勝手に少しだけ考えてみたところで、ふと、気が付いた。
「昨日会った時と話し方が違う気がするけど…」
「え?やだ、今気付いたの?」
昨日声を掛けられた時は確かに自分の事を「俺」と言っていたし、言葉ひとつひとつの発音もハッキリと強くて、今のような艶やかな話し方とは真逆だった。
当の本人はその問いに対して、とっくに気付いてると思ったのに、と少し寂しそうに遠くを見て呟いた。気づいて欲しかったのだろうか。いやいや、知らないし。なんて考えていると、少し、ほんの少し寂しそうな瞳で、この話し方が嫌なら直すけど?と聞いてきた。状況が理解できないまま首を横に振って答えるとさっきまでの寂しそうな瞳が優しく代わり、目をにこりとさせて「なら良かった」なんて言っていた。
「昨日は知り合いだと思ったからああ言ったけど、オフの時はこっちの方が楽なのよ」
「オフ…?」
「まあプライベートってとこかしらね」
はあ、そうですか。まあ正直言うとどっちでも良かった。というのもこの人の言葉を信じるならばただ人違いをしただけで、こうしてお詫びもしてくれたわけで、多分、もう、この先話す事も会う事も無いんだろうから。この人の話し方や立ち振る舞いなんてわたしには関係のない事なわけだし。
あれ、でも待って。それでいいのかな。わたし、結構この人に酷い事言っちゃったけど、わたしは謝らなくていいのか?それこそ何かお詫びが必要なんじゃないか?というか、このパンもお詫びとはいえ貰いっぱなしで良いものなのだろうか。ふたたびその人に目をやるとやはり優しい瞳でこちらを見ていて、急に目を合わせたわたしに少し首を傾げていた。
よし、やっぱり謝ろう。
「あの、さっきは酷い事を言ってすみませんでした。パンまでいただいて…その、なんとお詫びしたら良いのか…」
勿論心から申し訳ない気持ちで伝えるものの、幾つになってもこういう場面は慣れない。勢いで話してしまったので口篭ってしまった。そしてこれに対する返答といえば大体誰に伝えても同じで、許してくれるか許されないかのどちらかしかない。少し嫌な話をすると、言う前にどちらの返答をもらえるかは大体分かっているものだと思う。今回の場合もそうで、多分この人は気にしないで、と言うだろう。わざわざお詫びまで持ってわたしに謝罪をしてくれたということは、きっと本人も気が咎めていると思うからだ。
とはいえあれだけ好き勝手言ってしまったのだから、万が一許されなくても仕方はないとは思うし、その時は要求を呑むつもりではいる。
…でもこの人は許してくれる。勝手にそう思っていた。
しかしこれが甘かった。
思ったとおり相手は気にしないで、と、言いかけた。確かに言いかけたのに、言いかけて言葉を止めた。その沈黙に恐る恐る下げた頭をあげると、その人は左手を顎に近づけて何やら考えている素振りを見せ、そしてこの数分の一連の流れを思い出すかのように目を閉じて話し出した。
「そうねえ…私が悪いとはいえナンパ師扱いされたわけだし、危うく警察呼ばれちゃうところだったし…あ、別に詫びてほしいってわけじゃないのよ?でもその気持ちを無下にするのも…ねえ?」
ちらりとこちらを見ている目はいやらしく輝いている。なんっって!なんてわざとらしい!!もしこれでオーディションを受けたなら間違いなく不合格だと素人のわたしですらわかる程に嘘くさい演技!ねえ?じゃないよ無下にしてくれ。いっそキレてくれた方がいい。だってこれはどうみても何かを要求される前兆だ。
確かに許されなければどんな要求でも飲む気でいたよ。でもこれは予想していた詫びを超えたものを要求される。絶対そう。上手く言葉にできないけど今までの経験上、絶対面倒な事を要求される確信がある。いや、面倒な事だけならまだ良い。パシリだとかその程度で納得するならいくらでもやってやる。
だけど今回はそうじゃない気がする。パンをくれた事で忘れていたけどよくよく考えたら見ず知らずの人物に何を要求されるかなんてわかったもんじゃない。まさか、まさか身売りとかだったらどうしよう?!やっぱりあの時、警察に突き出しておくべき人物だったとしたら…?
再び最悪な考えが頭を過って、つう、と背中に汗が伝う感覚を覚えた。その漠然とした恐怖に飲み込まれてしまいそうで、思わず食べかけのオレンジピールパンをぎゅう、とキツく握りしめた。
「そうだ。じゃあ私の話し相手になってくれない?」
「…はい…?」
この辺りに知り合いが居なくて心細かったけど話し相手ができて嬉しいわ、とそれはそれは楽しそうに付け加えた。ちょっと待って、脳の整理が追いつかない。は、話し相手って…どういうこと?それに、あれ?わたしって一言も承諾していないよね?いやまあ拒否権はないといったところなのかもしれないけど…取り敢えず怖い事ではなくて良かったのかな…いや、知らない相手が満足するまで話し相手を務めるってそれはそれで恐怖なのでは…?と、再び混乱していると、この脳内を読み取ったのか相手はさも当然かの如く続けた。
「私に詫びたいんでしょ?自分の言った事には責任を持たないとね」
言ったけど。ええ、確かに何かお詫びをと言いましたけど。良くも悪くも全てが予想外と言いますか…だって今から一体何を話せばいいわけ?!はい、おはなしスタート!で始まる会話なんてお見合いじゃあるまいし何の意味があるっての?!そもそも何をどれくらい話せば満足するの?!なんて言いたくても責任を持てなんて言われたら下手に言い返すことすらできず、悔しい思いで口篭っていると、もう行かなくちゃ、と、相手が慌てて帰る準備をはじめた。
え?じゃあ今の提案はジョーダンって事??なんだ、びっくりした。そりゃそうか、話す事なんかお互い無いだろうし。渾身のジョークなら最後に大袈裟にリアクションでも取ってあげていれば良かったかな…なんて少し思って、へへ、と愛想笑いをしておいた。
この数分でドッと疲れたわたしは、帰り支度をする目の前の人物の背中をぼんやり眺めながら自身も帰りたいと心の底から強く思った。たった1人の見知らぬ人に昨日のナンパだけではなく今日もこんなに振り回されるなんてどうして想像できただろう。そしてこの時間は一体何だったんだろう…まあ、お目当てのパンにありつけた事だけは良かったんだけどね、と握りしめたせいで少し潰れてしまった食べかけのオレンジピールパンを残さずペロリと頬張った。
「じゃあ、またね」
「…え、」
今、またね、って言った…?え、またね、って何?ねえ!またねって何なの?!話し相手って今だけのことじゃなかったの?!
またもや口いっぱいに頬張ってしまったせいで伝えられなかった心の叫びは届くわけもなく、謎の人物は軽く手を振り小走りで去っていく。あんなに脚が長くては走りにくそうだと、おおよそ走る体制ではない、やたら良い姿勢のまま離れていく背中を眺めながら、どうする事も出来ないわたしは口いっぱいに含んだそれを飲み込んだ後、紙袋から最後のオレンジピールパンを取り出して思いっきりかぶりついた。
「やっぱりあれ、新手のナンパだったんじゃん」
.
.
.
ゆるやかな時間が流れる河川敷から少し離れた、ビルが立ち並ぶ道路の脇に一台の車が身を隠すかのようにひっそりと停車している。中には長方形の黒縁眼鏡とスーツ姿を着こなした男性が分刻みにビッシリ書かれたスケジュール帳と左腕に光るシンプルな時計を交互に眺めながら今か今かとその時を待っていた。
そのうち、ドアをコンコン、と叩く音を合図に車中の男性はスケジュール帳から目を離して窓を覗き込んだ。ドアの向こうには180cmほどあろうかと思われる男性が立っていて、深く被った黒いキャップの下からは肩までまっすぐ流した暗い胡桃染の髪が背後からの夕日に輝き、カーキ色のジャケットから伸びる右手には薄いクリーム色の紙袋をぶら下げている。
待ちくたびれた(と言っても約束の時間より5分ほど)車中の男性は急いでドアを開け、君が遅れるなんて珍しいじゃないか、と長髪の男性に釘を刺す。刺された本人は走ってきたのか、息を少し整えながらも至って真面目な顔で謝罪をしながら車の助手席に乗り込み、差し入れです、と持っていた紙袋を差し出した。
「このお店、この近辺では人気らしいですよ。なんでも…新作のオレンジピールパンが絶品だとか」
これはクッキーですけどね、と付け加えた彼の表情はほんの少し綻んでいるように見えた。
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2024/11/13 8:00:19現在のニュース
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おはようございます。
秋田県湯沢市川連は快晴で、今朝も肌寒い感じです。
#Repost @fei.art さんより。
10月3日(火)より「日本×台湾 現代漆藝交流展」を開催いたします。
長きに渡るコロナ禍自粛の反動か、画廊にも人が戻ってきて活気付いて参りました。2023年も変わらず漆作品による台湾との交流を深めたいと思います。
2018 年よりスタートした台湾作家と日本作家による漆交流展も、6回目を迎えることになりました。
漆は自然と人間を繋げ、自然の鼓動に包まれた、ゆったりとした心地よい時間を与えてくれます。
脈々と繋がる漆の歴史の中で、新世代の作家は漆作品の創造において、伝統に囚われない表現を模索しています。漆も生きている、人間も共に成長していきます。
この創造的な交流が継続し、次世代へ伝えられ、友情が育まれていくことを望みます。
今回も台湾の漆藝作家を交えた創造的な作品をご覧頂けます。漆藝の奥行きを会場にてぜひご体感下さい。
【出品作家】
日本:岩田俊彦/伊能一三/いらはらみつみ/梅津奈保子/江村忠彦/大塚智嗣/小田伊織/
小林秀俊/佐藤史幸/高田光彦/ 髙宮ヨウコ/中静志帆/中島靖高/藤田薫/
柗井圭太郎/松島さくら子/松田環/三好かがり/村本真吾/吉田真澄/横田千明
台湾:張森洋/王賢志/謝袖妤/歐慧宜/趙崇源/賴明淳/吳明媛 /葉曉陵/廖勝文
/陳衍志/蔡彥承
--------------
展覧会名:日本×台湾 現代漆藝交流展
会 期:2023年10月3日(火)~10月19日(木)※月曜休廊
開廊時間:10:00~19:00 ※最終日は17:00まで
料 金:入場無料
会 場:FEI ART MUSEUM YOKOHAMA(フェイアートミュージアムヨコハマ)
住 所:〒221-0835神奈川県横浜市神奈川区鶴屋町3-33-2 横浜鶴屋町ビル1F
TEL:045-411-5031 FAX : 045-411-5032
E-mail : [email protected]
共同主催:台湾漆研究会/台中市漆藝協会/FEI ART MUSEUM YOKOHAMA
URL: https://hfg-art.com
Facebook:https://www.facebook.com/feiartmuseum
Instagram:https://www.instagram.com/fei.art
Twitter:https://twitter.com/fei_yokohama
[ACCESS]
*各線「横浜駅」西口 より徒歩6分
*横浜駅西口地下街[南12番出口]より出て左
[鶴屋町3丁目交差点]前方左角
2018年よりお誘いを頂き、今年も参加をさせて頂く事となりました。
毎年漆器だけの参加となり、申し訳ありません。
お近くにお住まいでご興味の有ります方は是非、ご高覧頂けましたら幸いです。
今日もアレヤコレヤと有りますが、一つ一つコツコツ頑張ります。
皆様にとって今日も、良い一日と成ります様に。
https://jujiro.base.ec/
#秋田県 #湯沢市 #川連 #川連漆器 #川連塗 #寿次郎 #国指定伝統的工芸品 #秋田工芸 #秋田工芸品 #秋田クラフト #秋田の物作り #秋田のものづくり #髹漆 #寿次郎 #日本台湾現代漆藝交流展 #現代漆藝交流展 #秋田川連塗寿次郎 #佐藤史幸 #Kawatsura #Yuzawa #Akita #Japan #Urushi #japanlaquer #Lacquerware #JapanTraditionalCrafts #KawatsuraLacquerwareTraditionalCrafts #jujiro
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2024年10月25日
がんす横丁で知るヒロシマ 平和公園のにぎわいを探る(NHKニュース 2024年10月25日)
戦前の広島のにぎわいや暮らしをつづった人気エッセイ 「がんす横丁」です。書いたのは、NHK広島放送局の初代アナウンサー、薄田太郎さんです。
このエッセイの中に、こんな1節があります。
『その昔、元安河畔に産業奨励館と広島商業会議所が相ならんで、その名もゆかしい旧相生橋とのバランスは、慈仙寺鼻の料亭街を背景にして広島独特の川風景を描きだしていた。』 続がんす横丁より
「広島の独特の川風景」とは何か。今回は、平和公園のかつてのにぎわいを探してきました。
岡崎キャスター 「こちらが被爆前の平和公園とその周辺の写真になります。産業奨励館、現在の原爆ドームです。そしてこちらがいまの平和公園の北側にあたります。慈仙寺の鼻と呼ばれる繁華街で、たくさんの建物が並んでいて、いまの様子とは全然違います。今回は、平和公園のかつてのにぎわいを探っていきます」
教えてもらうのは、原爆投下前の広島の地域や文化に詳しい、おなじみの広島修道大学の中道豪一先生です。
岡崎キャスター 「平和公園にやってきましたけれども、ここはもともと公園ではなかったということですよね」
中道先生 「そうですね、こちらは普通に町があったところになります」
現在の平和公園の北部、旧中島本町。ここは、昭和初期まで広島有数の繁華街でした。
北から南へ流れる本川と東から西へ通る西国街道。この場所は、水上と陸上の交通が交差する要所として江戸時代から経済が発展してきました。
中道先生 「これが旧中島地区、中島本町の街並みが描かれた案内板です」
案内板には、原爆投下前の街並みが詳細に記されています。かつて中島本町は、広島の商業や文化の中心地でした。
中道先生 「まさに映画あり、カフェあり。そして現在も中央の通りは、その名残りを残していますが、ここを中島の本通りといいまして、中島本町の中でもたいへん栄えていた場所というふうに言われています」
岡崎キャスター 「ちょっと文字を見るだけでも、わくわくするような町ですね」
人がそぞろ歩きを楽しむ中島本通り。夜になると、スズラン灯が商店街を照らし、モダンで活気あふれる雰囲気を生み出していました。
『カフェー・ブラジルは(中略)大正七年ごろから市民になじまれた西洋食堂であった。和服の袴姿の中学生も、このブラジルには大手をふってコーヒーを飲みにはいったもので、コー���ーは五銭、ケーキ一皿十銭でかなりの時間ネバられたものであった。純白の制服を着たボーイは、ライスカレーの注文をうけると、「何番サン、インデァン一チョー」とまるで電報を読むような声で、客からの注文を調理室に伝えたことも思いだされる。』 続がんす横丁より
そのにぎわいを見つめ続けてきたという場所に案内してもらいました。
中道先生 「こちらには、かつて慈仙寺というお寺がありまして、そこで多くの方々が祈りをささげる、祈りの地だったということになります」
いまでは、墓石がひとつ残るだけの慈仙寺。町のにぎわいを見守る特別な存在でした。
北側の「慈仙寺の鼻」は、この寺にちなんで名付けられています。
中道先生 「動線の交わる地、それが中島本町にあたるわけですが、江戸時代から続くそうした風土、地勢上の条件は時代を超えて引き継がれていくことになります。そこで、人やもの、お金が動く動線の交わる。まさににぎわいが起こるにふさわしい場所のひとつというのが、慈仙寺がある中島本町という町の特徴になります」
そのにぎわいを支えたのは、中島本町の入り口にあたる相生橋です。
岡崎キャスター 「相生橋と言えば、Tの字型が特徴的ですよね。これって全国的にも珍しいんですか?」
中道先生 「おそらくほかの都市でこの形をみるのは、なかなかないのでは」。
相生橋が初めてお目見えしたのは、1878年(明治11年)。
有志によって、慈仙寺の鼻を挟んで、本川と元安川の東西ふたつの橋が架けられました。このときの形は、V字型。
1932年(昭和7年)、現在の場所にあった電車専用の橋が架け替えられ、電車併用の橋が完成。その2年後、中央部から橋げたを伸ばし慈仙寺の鼻とつながりました。このとき、橋の形はH字型。
初代相生橋が撤去されるまでのわずかな期間、独特の景観を生み出していました。
VからH、そしてT字へ。相生橋は時代とともに形や役割を変え、いまに至っています。
原爆ドーム近くにある相生橋址碑(あいおいばしあとのひ)。初代相生橋が撤去される際に建てられました。
岡崎キャスター 「相生橋址碑と書かれていますね、初代相生橋がここにあったよということですね」
相生橋の名には、広島の人たちの思いが込められています。
岡崎キャスター 「相生は、相手の相に生きるで相生じゃないですか、ずっと一緒に生きていくという意味で、すごく縁起のいい名前なんですね」
中道先生 「慈仙寺の鼻のところでふたつの橋が合うと。とてもロマンチックな名前で、縁起のいい言葉を自分たちの町の川にかかる橋の名前としてつけようという郷土への愛情があったということなんでしょうね。この相生という名前に込められた広島の先人の思いを受け継ぎ、考えていく必要があるのではないかと思っています」
『猿楽町から慈仙寺鼻、この鼻から鍛治屋町に架けられた二つの橋を結んでの相生橋は広島人からなじまれた名橋で、雨の降る日この橋の上を蛇の目傘が流れてゆく風景は、そのままが一幅の絵画であった。』 続がんす横丁より
焦土となったふるさとを見た薄田さんは、エッセイの中で「どうしてもこれ以上は書けない」と心情をつづっています。
『この慈仙寺鼻は原爆が落ちた中心地で、一木一草が思い出とともに焼きつくされた。広島の復興が早いなどという人たちは、文字どおり一人の生存者もなかった、この荒涼たる地点にきて、はるか爆心地にあるもと産業奨励館の赤さびたドームをながめるがよい。ヒロシマは、まだ復興されたとはいえないはずである。ヒロシマを訪れる人たちは、このあたりの風景を見てこそ広島の悲劇を繰り返すなの気持を切実に感じることであろう。』 続がんす横丁より
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受講メモ:さいたま市民大学 文学Ⅰコース
〔講座名〕さいたま市民大学 文学Ⅰコース 風景と創造力―景観・地理と日本文学 〔講師〕竹中朗氏
〔日時〕6月18日・8月20日 14時00分~16時00分
〔会場〕さいたま市立大宮西部図書館
第1回:古代から近世へ 第2回:近代的風景概念と日本文学
・万葉集 国見(望国)の歌 春の初めに高いところに登って国土自然を見渡して、讃える歌を謡う。天の香具山、藤原京
・古事記 ヤマトタケルノミコト望郷の歌 能褒野墓
・万葉集 庶民の歌 防人の歌 多摩の横山 歌碑
・伊勢物語 歌枕としての三芳野 想像の風景 三芳野神社 東山道武蔵路があり知られていた
・源氏物語 五島美術館
・俳諧 芭蕉稲荷神社(深川芭蕉庵跡) 蛙には山吹という定型
・江戸漢詩 高野蘭亭 三叉口(参考)失明の心象風景
・大田南畝(蜀山人)「調布日記」 多摩川治水視察 江戸名所図会
・志賀重昴「日本風景論」 風景ナショナリズム 日本人の景観意識に現代も影響
・夏目漱石「草枕」実際の旅程 ありのままの風景描写
・武蔵野「欺かざるの記」 国木田独歩 境山野緑地
・正岡子規 俳句の革新者 中村不折(中村屋の字の人)ら西洋画の影響、闘病の人
・歌川広重「東海道五十三次 由井 薩埵嶺」と、浮世絵光線画の小林清親「薩た之富士」 作られた構図から見たままの風景へ
・石川啄木「雲は天才である」校歌による地域再発見 長野の県歌
・徳冨蘆花 「自然と人生」独自のキリスト教的感性による自然文学、反ナショナリズム。蘆花恒春園 兄はナショナリズム。徳富蘇峰旧居 住居も対照的
・島崎藤村「破戒」山岳の風景美 差別の現実
・柳田國男「遠野物語」身近にある異界の風景
・和辻哲郎「古寺巡礼」ナショナリズム対反ナショナリズムの落ち着き
・太宰治「津軽」心象を作り上げていく風景
・中上健次「風景の向こうへ」「路地」の風景
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