#松尾神社
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yoooko-o · 2 years ago
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18/03/2023 part3
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brownie-pics · 7 months ago
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'24.7.9 松尾寺にて
境内の階段を上がり、三重塔の裏側を眺めながらお地蔵さんが並ぶ細い参道をさらに登ると松尾山神社へと繋がります。
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papatomom · 2 years ago
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20230702(sun)
金沢兼六園周辺散策。
石浦神社(ishiura jinja、金沢最古の宮、茅の輪)
成巽閣(seisonkaku、加賀前田家の奥方御殿、つくしの縁庭園、万年青(omoto)の縁庭園)
石川県立歴史博物館(いしかわ赤レンガミュージアム)
帰りに白山市にある 美肌の湯「千丈温泉 清流」(アルカリ性単純温泉)の温泉に入ってきました。入浴料大人450円と良心的な入浴料金になっています。
ところで、最近読んだ本の中で
「なぜ君は、科学的に考えられないんだ?」(松尾佑一著)がためになった。
ぼくもよく感情や感覚で判断するけど、物事を正しく判断する、分析するには根拠が大事だよねっていうことがよくわかる。
ちなみに「敏感肌」って?、日焼け止めのSPF値が15と50でどの位違うの、化粧水が「肌の奥まで浸透��る」ってどこまで? っていうことも、このビジネス小説を読んでわかりました。
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myonbl · 2 years ago
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2023年7月29日(土)
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高齢男子と妙齢女子の凸凹コンビ、酷暑の中で3ヶ月ぶりの京都ツアーを敢行した。以前から宿題であった<松尾大社>をスタート、<鈴虫寺>は空振り、<魚問屋ととや>で美味しくランチを頂き、<安井金比羅宮><八坂神社>と経めぐって、いつもの<キリンシティ新京極店>で打ち上げ。酷暑に打ち勝つには麦酒でなければと、美味しくグラスを空けたとさ。
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午前4時起床。
日誌書く。
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朝食。
洗濯。
久しく使っていなかったEvernoteにログインできず、パスワードをリセットする。
今日は妙齢女子と3ヶ月ぶりの京都ツアー、阪急桂駅で待ち合わせ、松尾大社駅まで移動してまずはお詣り。
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風鈴祈願 招福除災の音
~夏の境内を彩る 600個の風鈴~
“鈴” は神代の昔より神事にも用いられ、音の “涼しき” より名付けられました。その音色は神様をお慰めすると同時にご自身の罪穢れを祓い、清々しくするものと伝えられます。
日々の穏やかな願いを短冊に記し、風鈴の音色と共に皆様の祈りを松尾山の風が松尾(まつのを)の大神様にお届けします。短冊祈願料500円 当社、授与所にて受付中。
皆様よりお預かりした風鈴は、松尾大社八朔祭9月3日まで境内にお供え致します。
とても綺麗で涼やか。
本来のターゲットは<鈴虫寺>、ところが門前の列に恐れをなしてすごすご退散、上桂駅まで汗をかく。
桂駅まで戻ってバスへ、七条千本で下車して<ととや>、15分程度待ってからの入店、日替わりの刺身定食+🍺を美味しくいただく。
タクシーで東山まで移動、安井金比羅宮へとやって来た。
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なんとこちらも<縁切り縁結び碑>にお詣りする人が長蛇の列、とっとと退散して八坂神社へと向かう。
疫神社夏越祭 素戔嗚尊が南海に旅をされた時、疫神社の御祭神蘇民将来に手厚くもてなされたことを喜ばれ、疫病流行の際、蘇民将来之子孫は疫病より免れしめると誓約された故事により鳥居に大茅輪を設け、参拝者は之をくぐって厄気を祓い、又「蘇民将来之子孫也」の護符を授かります。
夏越の祓は他では6/30だが、こちらは祇園祭の最後に執行される。茅の輪をくぐって邪気を���っていただいた。
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よく歩いて汗びっしょり、仕上げはやはり美味しい麦酒。
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<SOU・SOU伊勢木綿店>に立ち寄る、相変わらず圧倒的に女性客で賑わっている。
阪急で桂駅まで移動して解散、本日もお疲れさまでした。
帰宅してすぐに<鈴本演芸場>にアクセス、8/12(土)の夜席チケットを無事に確保できた。
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ツレアイが買い物してくれていたので適当に見繕っての夕飯、彼女も美術展めぐりから汗だくで帰宅、早い時間にみなでいただく。
録画番組視聴。
(59)「鳩(はと)のなかの猫」
世界が愛した名探偵、エルキュール・ポワロ。アガサ・クリスティー原作の人気ドラマシリーズ。名門女子校で教師が殺害される事件が起きる。さらに学園の生徒が行方不明に…
名門女子校のメドウバンクを訪れたポワロは、校長のバルストロードから「次期校長の人選で悩んでいるので助言してほしい」と頼まれ、しばらく学校に滞在することに。そんな中、体育教師のスプリンガーが、深夜に体育館で殺されるという事件が起きる。スプリンガーは嫌みな性格で、教師や生徒たちから好かれていなかった。さらに学園の生徒でラマット国から来た王女が行方不明になる。ラマット国は政変で揺れていた。
片付け、入浴、体重は2日前から450g増、まぁよく食べてよく飲んだからね。
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さすがによく歩いた、水分は2,060ml。
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roundtripjp · 1 year ago
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神聖而特別的存在,擁有著猶如雅典娜神殿或光明與黑暗3續戰篇・第三部曲・冰壁邪神宮的氛圍,是為日本後現代建築最早的建築之一的白色神社的「上無田松尾神社」!
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maple1998 · 8 months ago
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沦为男高的玩物 (二)
我低下头,慢慢趴了下去。程肖的家里铺了全屋地毯,却不见有什么污渍。绒毛软硬适中,不知道和他旺盛的阴毛比起来怎么样,我在他两腿之间停下,在地上轻点了3个头,房间里非常安静,和现在焦躁的氛围形成反差。我不敢看刚才近在咫尺的鸡巴,只能把目光放在他两只大脚上乱瞟,一双白袜包裹着他的脚,能看到挑起的跖骨轮廓,足弓曲线流畅,整体十分好看,我想象着脚背跳动的青筋,不敢有别的动作,好像他每个部位都能让我发骚,让我为了得到它们而付出一点小小的代价。
有太多干扰我思考的东西了,今天有体育课么,似乎没有,但他的大脚还是散发着湿热的汗味夹杂着一点过量的香气。我的心跳声越来越大,他的目光让我如芒在背。我渴望舔些什么,什么都行,老师与学生的身份彻底被抹除,变成了讽刺的称谓,我终于忍不住了, -程…爸爸,爸爸,我想…… -头抬起来,他用脚摩擦着我的脸,然后扶着我的下巴,-继续刚才让你做的"工作",把舌头伸出来,舔我的鸡巴。他故意加重了工作的语气,现在他成了我的上级,舔他的鸡巴就是我的工作。
顶部黏黏的液体晕开了几分,一股咸腥撞开了我的鼻腔,我深深的吸了一口气,嘴上却没敢停下。我尽可能的把舌头贴在他的大鸡巴上,慢慢滑动,我能从粗壮的肉柱上感受到他的脉搏,和一点尿渍的苦味。-真是骚货,他站起来脱下内裤,一把抓住我的头发,然后捏着我的下颚,把他的巨屌一捅到底,猛的抽插了数下,呕……,突如其来的动作让我眼泪直流,-喜欢爸爸的大鸡巴?爽么,骚货,骚狗,把你的狗牙收起来,用力吸!他抓着我的头发,我的双手触不到地面,一��间僵在胸前,索性真的像狗一样弯曲起来,我挤干泪水向上看,茂盛的阴毛,紧实的小腹,胸肌,最后是他得意的,居高临下的眼神。我卖力的讨好着他,前后动着嘴巴,-不愧是老师啊,一教就会,都知道自己是条狗了,嗯?平时不是喜欢查我,找我的事么,怎么现在被我的鸡巴插满了嘴啊,还这么听话,骚货!啪啪!又是两巴掌,他抽出肉柱,坐了回去,我立刻爬过去继续口交,我知道我的嘴就是为了干这个的,一点惩罚算不了什么。
他用脚踩弄着我的屌,另一只勾在我的脖子上,拿着手机拍照,反正也有把柄在他手上了,多几张也没什么,他眯着眼睛靠在沙发上,似乎很享受我的服务。我一边口一边品尝着洋溢青春的淫液,甘之如饴。我曾幻想吃男高的鸡巴,想过无数情景,却没想到像今天这样被动。一开始我只能含住一半,慢慢的含住三分之二,他的肉柱一下一下顶着我的上牙膛,然后推开舌根,向深处滑去,他的肉柱挺直,粗细均匀,龟头稍尖,环带也略细,包皮被我的口腔前后推动,上面一层薄薄的白垢,有海苔和一点点松子的味道。
快到底的时候他用手突然死死压住我的头,他的大龟头直接顶进了喉咙,架脖子的腿也用力往他的大鸡巴上勾,我无助的看着他的眼睛,他却好像更变本加厉,僵持了几秒之后,一发接一发的精液射进了我的喉咙里,有十几股。-骚货,把老子的精液…都吃下去…吐出来一滴都给我舔回去!而我竟在如此不舒服的情况下,也控制不住的射精了……,浑身猛的抖动了一下,就像猎物临死前最后的挣扎。不仅弄脏了他的袜子,也弄脏了他的地毯。-咳,爸爸,咳咳…… -骚狗,精液好吃么?我看你舒服的不行啊,把你刚才做的事说出来,说话要带自己的名称,你现在就是一条让我发泄的狗! -爸爸,骚…骚狗知道了,骚狗刚才忍不住射精了……在…… 啪!又是一巴掌,他把我的头按在地上,并把刚才玩屌的大脚踩了上来,让火辣辣的脸和冰凉的精液贴在一起。
我知道,我完了。
我记起来了,那种打在脸上的疼痛,我偷偷拿小虎的袜子打飞机,后来又找机会舔他的脚,我们在学校后山的林间做羞耻的事,我告诉他可以踩我,告诉他我不是喜欢男生的臭味,也不是谁的都喜欢,而是喜欢被征服的感觉,被拥有的感觉,你的味道让我感到安心,熟悉,而那些私处的味道让我感到亲密,也会感到……占有和幸福,我可以当你的小狗……,啪!-骚货。这是小虎第一次打我,说我骚货。那并不完全是肉体上的疼痛,也包括精神上的,而回忆让那种感觉越发真实。
小学六年级,我们装成大孩子让那些初中的小混混带我们去网吧上网,看片,我偏偏和谁的口味也不一样,自己用一台机器,是我把小虎引上歧路,在初中他将我的整个身体玩了个遍,我甚至吃过小虎人生中第一发精液。我都快忘了那时候做过多少他想出来的羞辱性的任务,承受了多少他在我身体里不断膨胀的欲火。
没错,我是骚货,一个不折不扣的骚货。
程肖从沙发的另一侧抽出一包黄金叶甩在我面前,-骚狗,给老子点支烟,把屁股撅好,知道母狗交配的时候是什么姿势吧,点完双手背过去举起来。-知……骚狗知道了,爸爸。我的头还被踩着,右手从前面环过来笨拙的拆着包装,嘴里尽是咳出来黏黏的精液,我现在的样子一定很滑稽。茶几上的香氛是最近时兴的奢侈品牌花谷,像是在地毯上也铺的一层若有若无的清香,棉布和汗液的酸味则强硬,充满侵略性,的加上精液浓烈的麝香和厚重的烟草味,各种气味充斥着鼻腔,嗅觉都快失灵了。程肖爸爸的车里也是这种烟味,就是黄金叶么……
啊!我到底在想什么啊,咔嚓,我背在后面的手被拷住了,我一下睁大了眼睛,但很快神情又慢慢回落了下去。-骚狗做的不错,真是生来就是给男人当狗的料,在我抽完之前,把刚才你射在地毯和袜子上的脏东西舔干净,真是越来越像狗了。他的声音比之前平静了许多,但依然充斥着污言秽语。他越是这么说,我的屌就越有再勃起的趋势。我把舌头贴在他的大脚上,任由粗糙的棉线刮弄着我的舌苔,我只能从没被脚底遮盖的部分视野中观察他英俊又享受的脸,嘴干了就给我喂他的口水,直到把他的两只白袜都舔湿,直到我的鼻子只能闻到他那双大脚的臭味,我甚至以为自己彻底沦陷了。-骚狗,真贱啊,喜欢给男人舔脚是么,老子的鸡巴好吃还是脚好吃啊,嗯? 贱狗! -喜欢,贱狗就是给爸爸舔脚吃鸡巴的,贱狗都喜欢……,
我发誓自己从没有过现在这副贱样,不知道是被威胁还是因为被他的气场压迫,还是被各种男性的气味催的意乱情迷,再污秽的言语我都能说得出口,为了…为了什么呢,为了满足自己缺失的关爱,被社会上冷漠的自由所反噬,而生出被管教的畸形的欲望,还是仅仅是从年轻强壮的肉体上分一杯羹,品尝他给予的“赏赐”?
他把袜子脱下来塞住了我的嘴,用大脚一下一下扇着我的脸,压住我的头,踩在我的鸡巴上,一遍一遍宣誓着自己的地位,蚕食着我仅剩的理智,我只能发出断断续续的呜呜的喉音,可怜的看着他的眼睛,祈求他……什么呢,早点结束还是期待更久……祈求他命令我做那些耻辱的动作,别让我无所适从……我扣在后面紧握的手已经浸出汗了,客厅的落地窗反射出屋内淫乱的情景,天早就黑下来了,除了一阵阵汽车的轰鸣和零星的灯光别无他物。明月隐于雾中,倒不如说是他侵蚀掉了我最后的尊严,窗外有另一个我服侍着程肖的大脚,在漆黑的欲望的旋涡里,不断下沉。骚货,骚狗,贱狗,他低沉的谩骂就是回荡在着漩涡里唯一的声音。
程肖一脚踢开了我,-行了,老子累了,去卫生间洗洗吧,老子的夜宵要送到了。我暗暗舒了一口气,结束了,终于能想办法回家了。程肖给我开了锁,回了他自己的房间,似乎在翻什么东西。我冲刷着自己沾满了程肖雄臭的身体,思考着后面的行动……门铃响了,但却似乎进来了好几个人,那是我熟悉的,几乎每天都厌烦的声音,是班里后排每天捣蛋的学生!以程肖为首的拉帮结派的那伙人!-程哥,你真把老师带来了啊?不是骗兄弟们吧。我的脑子再次轰的一下,身体僵在了原地。
-骚狗,洗好了就出来。程肖开了门就径直朝我走来,给我拴上狗链,不顾我的大叫塞进去了一个大号尾巴肛塞,似乎还有两粒胶囊。用力拉着链子,让我爬出浴室,我皱着的眉头正对着他们惊愕的眼神。
一切并没有结束,夜还很长。
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dadnews · 6 months ago
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松尾英俊さん 横浜魚類・松尾英俊社長 提案力高め、魚食普及に取り組む [神奈川新聞] 2024-08-21
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kyoto4 · 11 months ago
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20240303 ひなまつり
松尾神社御旅所
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shintani24 · 6 months ago
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2024年8月8日
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南海トラフ地震の想定震源域と今回の震源
南海トラフ地震臨時情報の対象の1都2府26県707市町村はこちら(朝日新聞)
気象庁は8日、初となる「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」を発表した。対象となった1都2府26県707市町村は次の通り。同庁は今後1週間程度、地震や津波への注意を呼び掛けている。(内閣府の資料から)
茨城県 水戸市、日立市、ひたちなか市、鹿嶋市、神栖市、鉾田市、東茨城郡大洗町、那珂郡東海村
千葉県 銚子市、館山市、旭市、勝浦市、鴨川市、富津市、南房総市、匝瑳市、山武市、いすみ市、大網白里市、山武郡九十九里町、同郡横芝光町、長生郡一宮町、同郡長生村、同郡白子町、夷隅郡御宿町、安房郡鋸南町
東京都 大島町、利島村、新島村、神津島村、三宅村、御蔵島村、八丈町、青ケ島村、小笠原村
神奈川県 横浜市、横須賀市、平塚市、鎌倉市、藤沢市、小田原市、茅ケ崎市、逗子市、三浦市、秦野市、厚木市、伊勢原市、海老名市、座間市、南足柄市、三浦郡葉山町、高座郡寒川町、中郡大磯町、同郡二宮町、足柄上郡中井町、同郡大井町、同郡松田町、同郡山北町、同郡開成町、足柄下郡箱根町、同郡真鶴町、同郡湯河原町
山梨県 甲府市、富士吉田市、都留市、山梨市、大月市、韮崎市、南アルプス市、北杜市、甲斐市、笛吹市、上野原市、甲州市、中央市、西八代郡市川三郷町、南巨摩郡早川町、同郡身延町、同郡南部町、同郡富士川町、中巨摩郡昭和町、南都留郡道志村、同郡西桂町、同郡忍野村、同郡山中湖村、同郡鳴沢村、同郡富士河口湖町
長野県 岡谷市、飯田市、諏訪市、伊那市、駒ケ根市、茅野市、南佐久郡川上村、同郡南牧村、諏訪郡下諏訪町、同郡富士見町、同郡原村、上伊那郡辰野町、同郡箕輪町、同郡飯島町、同郡南箕輪村、同郡中川村、同郡宮田村、下伊那郡松川町、同郡高森町、同郡阿南町、同郡阿智村、同郡平谷村、同郡根羽村、同郡下條村、同郡売木村、同郡天龍村、同郡泰阜村、同郡喬木村、同郡豊丘村、同郡大鹿村、木曽郡上松町、同郡南木曽町、同郡大桑村、同郡木曽町
岐阜県 岐阜市、大垣市、多治見市、関市、中津川市、美濃市、瑞浪市、羽島市、恵那市、美濃加茂市、土岐市、各務原市、可児市、山県市、瑞穂市、本巣市、郡上市、下呂市、海津市、羽島郡岐南町、同郡笠松町、養老郡養老町、不破郡垂井町、同郡関ケ原町、安八郡神戸町、同郡輪之内町、同郡安八町、揖斐郡揖斐川町、同郡大野町、同郡池田町、本巣郡北方町、加茂郡坂祝町、同郡富加町、同郡川辺町、同郡七宗町、同郡八百津町、同郡白川町、同郡東白川村、可児郡御嵩町
静岡県(全域)静岡市、浜松市、沼津市、熱海市、三島市、富士宮市、伊東市、島田市、富士市、磐田市、焼津市、掛川市、藤枝市、御殿場市、袋井市、下田市、裾野市、湖西市、伊豆市、御前崎市、菊川市、伊豆の国市、牧之原市、賀茂郡東伊豆町、同郡河津町、同郡南伊豆町、同郡松崎町、同郡西伊豆町、田方郡函南町、駿東郡清水町、同郡長泉町、同郡小山町、榛原郡吉田町、同郡川根本町、周智郡森町
愛知県(全域)名古屋市、豊橋市、岡崎市、一宮市、瀬戸市、半田市、春日井市、豊川市、津島市、碧南市、刈谷市、豊田市、安城市、西尾市、蒲郡市、犬山市、常滑市、江南市、小牧市、稲沢市、新城市、東海市、大府市、知多市、知立市、尾張旭市、高浜市、岩倉市、豊明市、日進市、田原市、愛西市、清須市、北名古屋市、弥富市、みよし市、あま市、長久手市、愛知郡東郷町、西春日井郡豊山町、丹羽郡大口町、同郡扶桑町、海部郡大治町、同郡蟹江町、同郡飛島村、知多郡阿久比町、同郡東浦町、同郡南知多町、同郡美浜町、同郡武豊町、額田郡幸田町、北設楽郡設楽町、同郡東栄町、同郡豊根村
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和歌山県(全域)和歌山市、海南市、橋本市、有田市、御坊市、田辺市、新宮市、紀の川市、岩出市、海草郡紀美野町、伊都郡かつらぎ町、同郡九度山町、同郡高野町、有田郡湯浅町、同郡広川町、同郡有田川町、日高郡美浜町、同郡日高町、同郡由良町、同郡印南町、同郡みなべ町、同郡日高川町、西牟婁郡白浜町、同郡上富田町、同郡すさみ町、東牟婁郡那智勝浦町、同郡太地町、同郡古座川町、同郡北山村、同郡串本町
岡山県 岡山市、倉敷市、玉野市、笠岡市、井原市、総社市、備前市、瀬戸内市、赤磐市、浅口市、和気郡和気町、都窪郡早島町、浅口郡里庄町、小田郡矢掛町
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徳島県(全域)徳島市、鳴門市、小松島市、阿南市、吉野川市、���波市、美馬市、三好市、勝浦郡勝浦町、同郡上勝町、名東郡佐那河内村、名西郡石井町、同郡神山町、那賀郡那賀町、海部郡牟岐町、同郡美波町、同郡海陽町、板野郡松茂町、同郡北島町、同郡藍住町、同郡板野町、同郡上板町、美馬郡つるぎ町、三好郡東みよし町
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高知県(全域)高知市、室戸市、安芸市、南国市、土佐市、須崎市、宿毛市、土佐清水市、四万十市、香南市、香美市、安芸郡東洋町、同郡奈半利町、同郡田野町、同郡安田町、同郡北川村、同郡馬路村、同郡芸西村、長岡郡本山町、同郡大豊町、土佐郡土佐町、同郡大川村、吾川郡いの町、同郡仁淀川町、高岡郡中土佐町、同郡佐川町、同郡越知町、同郡梼原町、同郡日高村、同郡津野町、同郡四万十町、幡多郡大月町、同郡三原村、同郡黒潮町
福岡県 北九州市、行橋市、豊前市、京都郡苅田町、築上郡吉富町、同郡築上町
熊本県 宇城市、阿蘇市、天草市、阿蘇郡高森町、上益城郡山都町、球磨郡多良木町、同郡湯前町、同郡水上村、同郡あさぎり町、天草郡苓北町
大分県 大分市、別府市、中津市、佐伯市、臼杵市、津久見市、竹田市、豊後高田市、杵築市、宇佐市、豊後大野市、由布市、国東市、東国東郡姫島村、速見郡日出町、玖珠郡九重町
宮崎県(全域)宮崎市、都城市、延岡市、日南市、小林市、日向市、串間市、西都市、えびの市、北諸県郡三股町、西諸県郡高原町、東諸県郡国富町、同郡綾町、児湯郡高鍋町、同郡新富町、同郡西米良村、同郡木城町、同郡川南町、同郡都農町、東臼杵郡門川町、同郡諸塚村、同郡椎葉村、同郡美郷町、西臼杵郡高千穂町、同郡日之影町、同郡五ケ瀬町
鹿児島県 鹿児島市、鹿屋市、枕崎市、阿久根市、指宿市、西之表市、垂水市、薩摩川内市、日置市、曽於市、霧島市、いちき串木野市、南さつま市、志布志市、奄美市、南九州市、伊佐市、姶良市、鹿児島郡三島村、同郡十島村、薩摩郡さつま町、出水郡長島町、姶良郡湧水町、曽於郡大崎町、肝属郡東串良町、同郡錦江町、同郡南大隅町、同郡肝付町、熊毛郡中種子町、同郡南種子町、同郡屋久島町、大島郡大和村、同郡宇検村、同郡瀬戸内町、同郡龍郷町、同郡喜界町、同郡徳之島町、同郡天城町、同郡伊仙町、同郡和泊町、同郡知名町、同郡与論町
��縄県 名護市、糸満市、豊見城市、うるま市、宮古島市、南城市、国頭郡国頭村、同郡東村、島尻郡与那原町、同郡渡嘉敷村、同郡座間味村、同郡南大東村、同郡北大東村、同郡伊平屋村、同郡八重瀬町、宮古郡多良間村
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猛暑のせい?広島の夏の交通事故、死者数が倍に 警察が注意呼びかけ(朝日新聞)
7月以降に広島県内で起きた交通死亡事故数が、昨年の同時期を大幅に上回っている。県警によると、連日の猛暑による集中力や注意力の欠如が原因の一つと考えられるといい、注意を呼びかけている。
県警交通企画課によると、7月1日~8月4日の交通事故死者数は12人で、昨年同時期の5人から倍以上に増えている。
このうち、バイクや自転車、歩行者の死者数は計9人。日中の事故で亡くなった人は9人で、夜間は3人だった。
同課は、気温が高くなり、運転などに集中できないことが事故につながっている可能性があると分析。運転する場合はこまめに水分補給したり休憩をとったりし、体調に異変を感じる時は運転を控えるなどの対策が必要としている。
担当者は「交通事故を防ぐためにも、熱���症警戒アラートが発せられるような暑い日は不要な外出を控えて」と呼びかけている。
気象庁によると、広島市内では35度以上の猛暑日が8日まで10日間続いている。(遠藤花)
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「1990年に天皇の戦争責任を論じ始めたとき不安はなかったか、ですか? なかったと言えばウソになります」=吉本美奈子撮影
(インタビュー)昭和天皇の戦争関与 歴史学者・山田朗さん(朝日新聞)
「昭和天皇は戦争への主体的な関与をしなかった」「最後まで対米英戦を回避しようとした」。こうした昭和天皇像に、実証的な研究を通じて見直しを迫ってきた歴史学者がいる。明治大学教授の山田朗さんだ。「天皇の戦争指導」の実態はどうだったのか。その歴史を直視してこなかった戦後日本社会とは。
 ――昭和天皇(1901~89)が戦争中にどう行動し、そのことを戦後にどう考えていたのか。実証的��調べる研究を30年以上も続けていますね。
「きっかけは、昭和天皇の健康が悪化した88年から日本社会を覆った『自粛』現象でした」
「天皇が戦争にどうかかわったかについての先行研究はすでにありましたが、私には『昭和天皇には戦争責任がある』という結論ありきの研究に見えました。他方には『戦争責任などない』との意見もあったけれど、どちらも戦争中の実態を踏まえた議論とは思えなかった。史料を踏まえた実証的な研究が必要だと思いました」
 ――日本が米英に対する戦争を始めたのは41年12月でしたね。「昭和天皇は最後まで日米開戦を避けようとしていた」という話が広く信じられていますが、事実でしょうか。
「違います。41年9月6日に開かれた御前会議の時点までは、確かに天皇は開戦を躊躇していました。しかし側近の日記や軍の記録などから見えてきたのは、そのあと天皇が戦争への覚悟を決めていく姿でした」
「10月には宣戦布告の詔書の作り方を側近に相談しており、11月には軍の説く主戦論に説得されています。最終的には天皇は開戦を決断したのです」
 ――昭和天皇は戦争に主体的に関与することがなかった、という理解も広がっていますね。
「事実ではありません。大日本帝国憲法では天皇は大元帥、つまり日本軍の総司令官でした。形式的発言をするだけだったというイメージが広がっていますが、記録によれば、大元帥として出席した大本営御前会議では活発に発言しています。軍幹部への質問や注意を通じて作戦に影響を与えていた実態も、史料から見えてきました」
 ――昭和天皇が具体的に変えた事例を挙げてください。
「42年のガダルカナル島(南太平洋ソロモン諸島)攻防戦で、航空部隊を現地へ送るよう天皇は3回にわたって、出撃をしぶる陸軍に督促していました。3度目の督促の翌日、陸軍は派遣を決めています」
「45年の沖縄戦では『現地軍は何故攻勢に出ぬか』と言って、積極的な攻撃に出るよう要求しました。現地軍は持久戦でいくと決めていたのですが、天皇の意思が現地まで伝わったため中途半端な攻勢が行われ、無用な出血につながりました」
「天皇の言葉が作戦を左右��る影響を与えた事例は、満州事変から敗戦までの間に少なくとも17件確認できます。国家意思に影響を与えていた形です」
 ――作戦指導だけにとどまらず「戦争指導」も行っていたと著書で主張していますね。
「ええ。戦争指導は単なる軍事作戦指導とは異なり、外交などの政治戦略と軍事作戦を束ねた、より高次の指導です」
「昭和天皇は43年のソロモン諸島などの攻防で、戦い方が消極的だと侍従武官長を厳しく叱責し、こんなことでは敵国の士気が上がって第三国にも動揺が広がってしまうと言って積極攻勢を求めました。国際情勢をにらんだ上で国家としてどう作戦を立てるかという戦争指導の領域にこのとき昭和天皇は立ち入っていたと、私は思います」
 ――昭和天皇はなぜ作戦指導や戦争指導をしたのでしょう。
「大日本帝国という国家の抱えていた構造的な問題が背景にあってのことだったと思います。天皇を好戦的な指導者だったとみなすのは間違いです」
 ――構造的な問題とは?
「ガダルカナル戦で天皇が指導に踏み込んだのは、どちらが航空機を出すかでもめていた陸軍と海軍の対立を解くためでした。大日本帝国では陸軍も海軍も天皇に直属していて、両者を統合して指揮する統合幕僚長のような指導役が不在でした。陸・海軍の対立を調整できるのは当時、天皇だけだったのです」
「軍事戦略と外交戦略の双方を統括しえたのも天皇だけでした。軍の最高指揮権にあたる『統帥権』は天皇にあり、統帥権は行政から独立していました。首相ですら軍事行動の詳細を知ることはできない構造です。外交や予算をつかさどる行政が軍部と分立していた中で、両者を架橋しえたのは実質的に天皇だけだったのです」
 ――「昭和天皇は戦争指導をしたのか否か」と問う以前に、「そもそも戦争指導をできる指導者は当時いたのだろうか」と考えさせられる話です。
「ええ。戦況の悪化に直面したことで昭和天皇は大日本帝国が抱えた構造的欠陥の深刻さに気づき、自らが動くしかないと考えた可能性があります。陸軍と海軍が持つそれぞれの経験値では解決できない事態があり、政治が軍事を制御できる仕組みも見当たらない。そんな状況下での戦争指導だったのです」
 ――昭和天皇に戦争責任はあった、と主張していますね。
「実態を踏まえれば、昭和天皇には戦争責任があったと考えるべきだと思います。あれだけの悲惨な結果を招いた戦争において、大日本帝国の軍事と政治の双方を統括できる国家指導者だったのであり、すべての重要な政策決定の場にいたのですから、およそ責任がなかったと言えるものではありません」
 ――連合国が戦後に日本の戦争指導者を裁いた東京裁判(極東国際軍事裁判)で、昭和天皇は訴追されませんでした。米国が占領統治のコストを下げるために見送ったとされます。
「裁判が始まる前から日本国内では、昭和天皇は平和主義者であって戦争責任を問われるべき人物ではないとのイメージづくりが、政府などによって進められました。天皇を守るためだったと語られがちですが、それだけではなかったと思います」
「戦争は陸軍の強硬派が進めたものであって天皇には止める権限がなかったというストーリーをつくることで、海軍主流派や外務省・内務省の官僚らは自らを『天皇の側にいた者』とし、責任追及を回避��きました。その人たちが戦後日本の権力を担っていったのです。このシナリオを最終的に追認したのが米国主導の東京裁判でした」
 ――その歴史は現在に何か影響を与えているでしょうか。
「責任をとるべき人がとっていないという巨大な前例が今も生き続けています。宮内庁が編纂して今から10年前に公開された『昭和天皇実録』も、天皇は平和主義者だったというイメージを強化する内容でした」
 ――ウクライナ侵攻などが起きた影響もあって、今、日本政府はかつてない規模での防衛力増強に乗り出しています。
「戦争期の近代日本史が教えるのは、軍を政治的にコントロールすることの難しさです。軍事は軍事の専門家だけが理解できるものだという論理のもと、閉じられたサークルの中で『自己展開』していってしまう傾向が、軍事にはあるからです」
「昭和戦前期と違って今は一応、行政府が外交も安全保障もあわせて統括できる体制には変わっています。しかし、国民の代表である国会のチェックが安全保障政策に反映されているかといえば、答えはノーです」
 ――5年前に公開された新史料「拝謁記」に注目するよう訴えていますね。なぜですか。
「昭和天皇があの戦争のことを『戦後に』どう考えていたのかを、今までにない生々しさで伝えている史料だからです。拝謁記とは、初代宮内庁長官だった田島道治が昭和天皇の戦後の肉声を記録したものです」
 ――何が分かったのですか。
「昭和天皇の中で戦後、『誰がどうやっても戦争の流れを止められなかった』という考えが次第に強まっていった事実です。田島の耳に最後には言い訳だと聞こえてきたほどでした」
「陸軍が戦争の牽引者だったのは事実です。しかし昭和天皇はブレーキの壊れたジェットコースターの単なる乗客だったのではなく、操縦する側でした。ブレーキが壊れていたわけでもなく、実際、天皇の聖断という形で戦争は終わっています」
 ――その歴史からどんな教訓をくみとるべきでしょう。
「戦前は天皇が国家の主権者でした。その主権者が戦後、『自分にはどうしようもなかった』という考えに至っていた。現在の日本では国民が主権者です。再び戦禍に見舞われたあとで『自分にはどうしようもなかった』という総括をまた繰り返すのか。主権者としての選択が問われていると思います」(聞き手 編集委員・塩倉裕)
やまだあきら 1956年生まれ。専門は日本近現代史。軍事史や天皇制論に詳しい。著書に「大元帥 昭和天皇」(94年)、「昭和天皇の戦争認識」(2023年)など。
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chenreche · 5 months ago
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【松宇】夜半钟声到客船
*旧上海回忆录,请吃民国时期同一屋檐下流水纪事一则;
*含极其微量思吉,作为渡口paro绕不开的故事背景,其余人物均服务于情节请见谅;
*为ooc滑跪一万次。
*在这里存个档。
01
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“最近来你这都没见你用留声机啊。”刘旸寻了个舒适的姿势陷进扶手椅里,随口挑起话头,顺手摆弄一下唱针。这台留声机不是多么名贵的牌子,样式普通,不知哪里淘来的货。平日他来,留声机总转着旋律,西洋乐,什么斯基什么赫什么涅的,他记不住,纯是仰仗这些音符堆积空荡的公馆,不然言语之间大片的间隙饶是能说会道如刘旸也填不满一点。
要听什么自己放。一句话抛过来,人是没见着在哪。
我哪懂音乐啊,不放。刘旸知道他最近整个人愁云惨淡的,从兜里掏出一包烟拍到桌上:解千愁,来一根吗。
宇文秋实窸窸窣窣地动了,从大书柜背后钻出来利落地坐下,夹起那盒烟,目光在包装盒上五彩斑斓的漂亮美人图和一身笔挺装束的刘旸之间逡巡:你抽这玩意。
哎不是你这什么意思,刘旸急了,要去拿烟,宇文秋实一把摁住,一副胜利的姿态洋洋得意地撕开包装抽出一根。
苗苗的,那小子净喜欢这些玩意,前段时间好像还买了一堆乒乓糖,说包装好看,我看他桌上有个小盒子专门放这些。他知道宇文秋实也喜欢收集小玩意,屋里数不清的藏品,连杆秤也要配齐金银铜秤砣,刘旸是见过的。
乒乓糖那糖纸是挺好看的,就是难吃。宇文秋实掏火机咔嗒点上烟,下个断语。
刘旸噗一声笑出来,遗憾今天就他一个人来,这人讲话还是这么直截了当:那您觉得什么好吃。
宇文秋实没有回答,没头没尾地问,常德路那边什么情况。
常德路就是一条常德路而已,就像起士林咖啡馆也只是一间咖啡馆而已,从天津搬到上海,将来也可以搬到任何一座城市。宇文秋实生于北平长于北平,少年时代就去过起士林咖啡馆。兜兜转转长到二十来岁,在上海又遇见这块招牌。
有糖果蛋糕,黎明起就做面包,醒来能闻到香气。他是这么介绍的。
至少是这么同松天硕介绍的。
宇文秋实和松天硕的第二面是在戏班子后台,见着了,才勉强从记忆里稀薄地打捞出一点貌似是在咖啡馆见过的印象来。
松天硕顺势问他,要不要再去那里坐坐。
那时松天硕一身行头没卸,背上插着旗摇摇晃晃的,一脸油彩勾出他笑起来时脸上细小的纹。宇文秋实经常想,唱戏的人该如何区分两个世界,躬身入戏的人恐怕早就遗忘了真实的自我。他无法辨别彼时松天硕简单轻松的一句询问,究竟是作为松天硕本人的邀请,还是作为王建华的外甥递出的橄榄枝。
螳螂捕蝉,黄雀在后。他摆出热络的客气样,应了下来。
常德路口那家比较近,二楼可以乘凉。他说。
还未入夏,道旁听不到蝉声,他们惊人地达成步行前往的默契,有一搭没一搭地聊天,沉默才是主旋律,然而一水的静寂在夜色里化开,再被辘辘车马声惊起波澜。宇文秋实想,还是不该这样轻率地答应。
他确实为此付出了不小的代价。两刻钟后松天硕翻着菜单看了半晌,抬起头一双眼亮晶晶地说还是你来点吧。宇文秋实没拒绝,毫不犹豫极为熟稔地点了几样,说你爱吃甜的话就这些,又问,你爱吃么。
松天硕信了,松天硕本人就好这些,平日是西饼店常客,有事没事趟过去买点,权当是练功后对自己的犒赏,面包香气本就是幸福的。
所以应当是王建华信了。不久后那咖啡糖夹心饼干一盒盒流水一样送来,宇文秋实额角抽筋,他根本就不嗜甜,平日来咖啡馆多半是为了陪苗若芃消磨他摩登又罗曼蒂克的创作时光,因此也只点那方角德国面包吃,还不刷奶油,尽管奶油是一大招牌——苗若芃说的,所以他一股脑把这些全送到了苗若芃家里,连带着一张请柬。
如果要苗若芃摸着良心讲的话,他并不了解宇文秋实,尽管他撒个娇耍个赖就能说动对方陪自己出门玩,他仍然无法读懂宇文秋实,又或者根本不可能有人敢说自己读得懂宇文秋实。但他对这个大自己几岁的表哥打小心怀绝对虔诚的孺慕直至今日,因此看到那张烫金请柬上毫不正式的“叫上刘旸一起来”几个字还是默默照做了。
苗若芃一直在新式学堂念书,毕业后进了心心念念的报社,笔挺挺一个热血新青年就这么被写稿的重担压得哭天抢地,抱着表哥的腿哭着问怎样才能和你一样不工作啊。直到有天拐过收发室迎面撞上宇文秋实和刘旸这样大剌剌并肩走进来,才后知后觉表哥和自己的顶头上司是如何沆瀣一气磨练初出茅庐的新人的,新人不包括别人,就是苗若芃本人。苗若芃有气无处撒,但表哥反正就是这么个人,认识谁好像都不意外。
于是苗若芃就这么在宇文秋实家里见到了松天硕。
宇文秋实那天看起来容光焕发,素净一张脸担得起出水芙蓉四个字——苗若芃心想自己真是胆子肥了,竟敢这样形容表哥。
宇文秋实对着他俩笑,一副和和气气的样,听曲儿吗,点一出。
刘旸说我哪懂戏啊让苗苗点,说着自己去扒拉桌上的糖剥着吃,顺便丢给苗若芃一颗。
有…有啥戏啊。苗若芃声音微弱地试图像接糖一样接过话头,手里糖纸攥出窸窣声响,尽管不懂表哥要做什么,但心里也明镜似的,知道这份邀请绝非心血来潮。
松天硕是在这时候出现的,坐到宇文秋实旁边问他要听什么,语气温吞熟稔像覆上一层酥皮的奶油汤,裹着下肚全身都和煦蓬松。
宇文秋实把戏折子递到苗若芃手里:你看眼。转头去和松天硕讲话,春风化雨的笑意。苗若芃不知哪来的危机感,浑身炸毛,争宠之心熊熊燃起,心想你谁啊凭什么坐我表哥身边,遂挪了挪窝,仰头对着宇文秋实绽开自己最乖巧的笑脸,掐一把嗓子说哥我渴了。然后胜券在握地偷摸瞄松天硕的反应。
这招还是管用,宇文秋实活色生香地哟一声,渴了呀给你倒茶,抬手替他拨开垂在脸侧的一绺头发,动作温柔得让苗若芃恍惚想起儿时表哥带他去什刹海剥莲子的图景,一晃十几年过去,他竟然又屁颠屁颠跟随表哥来到了上海。宇文秋实拿腔作调摆出苗若芃此生见过他最优雅板正的姿势斟茶,连手背上凸起的筋骨都显出几分刻意的痕迹,嘴里说出来的话却石破天惊,那唱一出铡美案吧。
松天硕面上神情莫测,倒是戏班子其他人嘁嘁喳喳慌乱起来,这戏怎么唱得,莫要坏了规矩。
宇文秋实嘴角弧度没下来,但那笑容怎么看怎么怪异,唱,哪来什么规矩不规矩的。
就...就是!苗若芃胡乱跟着嚷,铡美案怎么了难道唱一下要掉脑袋呢。嚷着嚷着自己也底气不足,声音淡下去,再悄悄瞟一下刘旸,竟然笑了——不骂他就行。所以铡美案为什么不能唱,表哥又不是那陈世美,他暗自琢磨,打定主意回去要好生问一番。
松天硕深谙伸手不打笑脸人的道理,在快要结成固态的气氛里他笑嘻嘻递个台阶给刚认识不到一刻钟但言语间对他夹枪带棒的小孩:唱,什么规矩,先生们想听就是规矩。
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常德路?刘旸嗓门不自觉拔高,那里都说要封锁了,你没事少触这个楣头!
我心里有数。宇文秋实应得痛快,任务是任务,私心是私心,孰轻孰重,他是晓得的。
天蟾舞台那边倒还可以走。刘旸心下了然,犹豫半晌还是心软补一句,要去的话就让他去吧,权当留作念想。
宇文秋实啊一声:路太远,入夏了懒怠走过去。
我看您也没勤快过。
松天硕起初一直是在天蟾舞台唱戏。宇文秋实起初也并不关心。松天硕和宇文秋实就像月琴和西洋唱片,不搭腔不搭调的,胜在互不干扰。
那段时间宇文秋实做了个顺水人情,帮刘旸四处托人打听搜罗戏曲谱子,说是有本集子要编,多做点功课好心里有底。这话是没错,但消息传着传着变了味,成了大商行老板的独子近来突然对京剧颇有兴趣。王建华的请柬在这时递来,邀他去天蟾舞台听戏,事情是这么简单,但也没那么简单。宇文秋实无奈,只能硬着头皮应下。
一来二去这么一牵扯,就牵出了段故事。
宇文秋实推开天蟾舞台休息室的门时,冷静地想念被半途候着他的刘旸扣下截走的连环画册,刘旸一副声泪俱下的样子苦口婆心教育他做戏做全套,何况你指不定还要和人有什么交集。
应了的戏就要唱。他懂的,规矩。
他不太懂戏,神思迷离地听,眼神锁着看戏台上的人唱念做打,脸被油彩勾得斑斓,他甚至来不及仔细辨认松天硕是哪个,只一遍遍思索当初接到请柬时顺势定下的计划,打着接下来要说的腹稿。王建华是他们一直以来的目标,谁也说不准递到手中的请柬究竟是有心试探还是天赐的巧合,只能一步步走稳了。
他和松天硕说,想请他们来家中唱戏。虚情假意的热络和盛情夸赞他做得习惯,嘴角一扬一抻面上冰霜化成春水,笑意盈盈中掺杂几分真心全然未可估量。松天硕成长在梨园行,又跟着二舅辗转琳琅酒局中,熟练识读脸色,自然懂得宇文秋实笑容的意味。他沉默着垂下眼,想说您不必如此,又咽回去,心知二舅在戏班安插了人手,指不定人就在附近��着,这么脑子里胡乱混沌绕着,脱口而出我是不是见过您。
当然见过。
松天硕其实不常上台,前些日子伤了肩膀,陈年旧疾加上新伤未愈,总归得好生养着。所以王建华邀请他和整个戏班子来上海暂住一段时间,除了在沪上为剧团打响名头外,顺便可以来稽查队转悠转悠解闷,偶尔帮个忙。无论如何,权当是卖王建华几分薄面,哪怕再不乐意掺和稽查队的事,松天硕也还是磨磨蹭蹭晃荡来了。
松天硕来的第一天王建华喊了警卫队来跟着,和他们一起出门熟悉环境。也是,乱世嘛,谁能保证自己是安全的,稽查队长也不行,任你有什么头衔财富,松天硕暗暗叹一声,他又能去哪里求一张安稳的戏台。
上海和北平很不一样,煌煌十里洋场,罗兰饭店,正阳书局,百乐门,王建华一一介绍的声音在松天硕耳边和着风被卷走,他无端地想念北平四合院里生长的大树,聚拢起了一点更为素朴的心情,而他是没有根的浮木,飘飘荡荡的在这座城市里,寻不到一点立足地。
他看一眼身后跟着的沉默不语的人,个子高挑挺拔,看起来一身正气的,居然也在稽查队,这人叫什么来着,他没想起来。
我记得你喜欢甜食,来这边可还习惯。王建华的声音把他拉回现实,他点点头,说常买蛋糕吃。
要不要进去看看,这家的蛋糕有名的嘞,还不一定就能买上。
松天硕抬眼去看,故作促狭地挤眉弄眼:二舅你还能有买不到的东西。
你就贫呐你。王建华笑着骂他,本来要拍到肩上的手收了回来,大概是想起他有伤。想吃什么,二舅给你买。
生意确实兴隆,松天硕在陈列架前逡巡,偶尔闭起眼睛轻轻吸气,咖啡豆的香气混着糖果的甜香袅袅地氤氲着,幸福是如此燠热湿润。而王建华的手突然搭在他肩头,微不可察地示意他看向右侧:这人,你留个印象。
二舅不会无缘无故喊他来上海,松天硕心知此行真正的目的就要揭晓,而他对对方一无所知——这趟浑水他终究是逃不过。他多看了几眼,对方装束齐整漂亮,看得出家境何等优渥,想来也是能叱咤十里洋场的人,而帽檐压很低,几乎寻不着阴影下的双眼,人陷在沙发软座中,跟被抽掉了骨头似的,懒洋洋架着手臂拈着勺搅咖啡。对面也坐了人,被椅背挡住,不知道是谁。
这是松天硕见宇文秋实的第一面。回去之后他接下二舅托付他的任务,又或者并不能算是任务,某些期盼,某些试探,某些利用,血缘亲情敌不过的东西太多,他立在天平另一端,麻木地任由自己成为一只皮影人。
应了的戏就要唱。梨园行的规矩。他看向宇文秋实的眼睛时,想的是儿时那张斑驳的戏台。
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松团长。宇文秋实拈着吊儿郎当一口松松的调这么喊松天硕,半正经不正经的。
松天硕在院子里练功,初夏的天气,额头上涔涔一层薄汗,停下来循声望去,宇文秋实闲闲歪在门框边,冲他咧嘴,提了提手里的糕点包装示意他歇会。松天硕无奈地笑一声,拾掇拾掇道具,接过宇文秋实手上的那提糕点放在桌上:我最近伙食也是好起来了。
栗子粉蛋糕,刚好路过就买了。宇文秋实耸耸肩,不以为意。松团长什么山珍海味没吃过啊。
可比不得在您这儿。松天硕回敬,也不知道宇文秋实哪来的小癖好,爱拿他打趣,带着三分不敬的,话里话外硬是要勾得他承认些什么来。他能承认什么,宇文秋实又不是不知道他和王建华的关系,只是对方从未表现出任何对稽查队的微词,那时不时打趣也无伤大雅。松天硕于是问,您今儿是打哪回来。
一句抛出来的闲聊话头,但问出口不容易,倒不是怕冒犯到宇文秋实,少爷归少爷,却丝毫不摆什么派头架子,酒局也少,身上没有那样花天酒地的习气,只是远比他想象的神秘。平日窝在书房一整天不出来是常事,但好几晚不回来也是常事,而这并不算在他能去打听的范畴之内。松天硕偶尔寻他有事,敲门进去看见手稿散一地,看起来一点不防着人,常常是人走了留声机仍在喀嗒嗒转出悠悠乐声,与松天硕习惯的月琴截然不同的调子,在这里暂住,仿佛听凭乐声洗髓伐骨,把他变成一个摩登的人。宇文秋实像一株柔软的植物,松天硕想。
我么,去给苗苗送咸鸭蛋。宇文秋实接得风轻云淡的,松天硕想起那个发尾扫到下巴颏的青年急赤白脸地扒着宇文秋实给自己倒茶的样子,了然地笑。
立夏快到了,南方的气温不按二十四节气走,如果不是对方提起,松天硕都要忘了自己来沪已有月余。宇文秋实看着话少,性子也冷,待人却是真上心,隔三差五给朋友送些东西,一旦出门也会给松天硕捎些吃食回来,说不能亏待了他。松天硕以为他们之间的关系就会这样平淡地进行下去,吃饭,听戏,不再有别的交流,直到王建华达成自己的目的,寻一个适合的时机离开。
入夏了多雨,潮湿得清早起来能摸到瓷砖上湿漉漉一层薄雾,于是水汽也像是浸到骨头缝里似的,松天硕的旧伤隐隐作痛,大部分时候忍一忍就捱过去了,偏偏今年多雨,膏药一张一张往身上贴也没见多起效,疼痛潜伏在皮肤底下,排不尽的余毒。
他照例还是每周有那么几天去稽查队转悠,偶尔依着王建华的嘱咐给宇文秋实带信,他没拆开看过,想必是些捞油水的旁门左道,商行嘛,运货物的时候运些旁的东西,稽查队再网开一面,什么得不到呢,宇文秋实大抵是照办了的——可是宇文秋实是这样的人么,不然以王建华的性子不会对松天硕如此温和——松天硕以往只是听说,直到自己亲眼所见。
那天宇文秋实提及自己给苗若芃送东西,用无奈而放任的语气讲这个表弟如何赖在自己家里写稿以逃避准点去报社上班一事,顺带着问起松天硕:你去稽查队想来不必守时。松天硕说我又不短那点钞票,只是帮长辈的忙罢了。宇文秋实又讲自己是怎么锻炼苗若芃的,那小子可吃了不少苦头,哭着喊着来找自己诉苦,结果那天自己去报社不小心被撞见了,苗若芃是如何地有气无处撒,讲完笑着带一句,你二舅的手段看来没一个使在你身上。
这话像个钩子,把松天硕压了很久的好奇心全勾了出来,他虽然听闻稽查队手段狠辣,却没见过王建华审人。他大抵也是取得了王建华的一点信任的,二舅很多事已经不避着他,甚至见他时偶尔能闻到微末的血气,于是那天听到王建华说抓着一个叛徒时,松天硕适时地摆出了好奇的神情。
宇文秋实没有在晚饭时间见到松天硕,等了一刻钟没忍住去他房间寻,一推门看见松天硕蜷缩着窝在角落,脚步骤然顿住,下意识想悄悄阖上门走开,然而心下还是挂念着,就这么有些无措地立在门口。
松天硕被开门声激得颤了一下,抬眼见是宇文秋实,又松下劲来,露出心安的模样,只开口问他有没有酒,声音低落喑哑。
有,但只能喝一杯。宇文秋实走过去递出自己的手拉他,你还有伤呢。靠近了警觉地闻到松天硕一身膏药的苦气里混杂着一丝丝怪异的味道,他皱眉,但谨慎地把问句咬了回去,只是扶着松天硕起身,见他没有受伤便放宽心去餐厅拿酒,本来习惯性拎了瓶自己常喝的,想了想又换成度数最低的那款,斟了一小杯端过去。
就一杯,不能再多了。宇文秋实在松天硕身边坐下,不远不近的距离,就这么陪着,看他急切地仰头一气饮尽,呛出一点点泪花浮在眼角。
我今天不出门。宇文秋实突然说。
松天硕仍然是有点蜷缩的状态,闻言转头去看他,刚好对上他望过来的眼睛,干干净净的没有想象中的探究和疑问,连体贴都维持得恰到好处。
如果你想的话,我可以听你讲。宇文秋实又开口解释,说完立马补上一句:但是酒只有刚才那一杯。
松天硕终于露出了今晚的第一个笑容:没那么贪,喝点压一压心情。
松天硕放下酒杯,说,我小时候,觉得这辈子能一直唱戏就是最大的幸福了。顿了顿,又接,我现在也这么想。
宇文秋实看着他,慢慢直起了身。
松天硕常常觉得自己的童年并没有什么值得花时间���气力讲述的事情,父亲待他严苛,整日只是练功,大一些了就上台,他的生活一半在戏里,另一半是普通小孩的玩闹。灯暗了,大红的幔幕拉起,他就该变成另一个人,因此人生体验混合着他不懂的戏中人的生离死别与必然要练习的抽离。
他就这样在家族戏班中长大,没有上过私塾,也没进过新式学堂,只跟着担任国语教师的母亲识文断字。母亲总说,在这世道,活下去是要紧事,指不定哪天没落了——话一出口连声嚷着不吉利,就收回去,不再说下半截。
母亲带过的学生很多,他闲来无事也凑在一旁看母亲批阅功课,母亲常常一敲他脑门:看什么看,给你布置的功课呢。他就把手一背,摇头晃脑地念重华大孝武穆精忠尧眉八彩舜目重瞳,一副小猴儿样。再长大一些和母亲带的学生同龄,他们偶尔来家拜访,多少能听到一些轶闻,比如学生们上街游行,今天伤了几个,得去保人,又比如谁和谁约了一起留洋求学却爽约。
令人开怀的事极少,伤心事足够堆出一箩筐,他听着记着,总想起戏文的词,见一池春水风吹皱,那独自奔赴远方的人怀着何种心情登上邮轮是他不能揣想的,近在眼前的是夜晚警卫队查人的粗暴敲门声,是闹哄哄的口号声,和母亲一次次前去保人回来疲惫的神情。
母亲因此推着他来上海,以期得到王建华的庇佑,他一向乖顺体贴,大抵是要守护的戏台只有小小一方,因而旁的事情都可以被轻易地拿起放下。母亲是为了他平安,世界上为人父母,但凡对子女抱有爱意的,或许都会这么想。
活着确实要紧,不活着怎么唱戏,不活着什么事都做不成。
他一直这么想。
宇文秋实忽然打断他的讲述,笑着说,爽约的故事,我也听过一个,还好大家都不是那尾生。
松天硕说该不会是你自己吧,宇文秋实斜眼看他,我看起来像这样的人么。没等松天硕反应,自己摸摸下巴问,你说的那段怎么唱来着,吹皱一池春水…..是这词吗。
你想学?
松团长觉得我学得了么,我可没有童子功。
你啊——松天硕拉长了声音,掀起眼皮好似真的在仔细掂量这件事,从宇文秋实的眼尾眉梢打量到下颌边沿,目光上上下下全扫一遍,混不吝地开口:我瞧着你适合演旦角。
这话太新鲜了,宇文秋实咧嘴笑:我看起来还算个可造之材呢。说这倾身凑到桌上摆着的镜子前端详自己:下回我扮上,能不能滥竽充数一下。
您要是去唱戏,再怎么也得给您捧成个青衣祭酒啊。松天硕抬手假模假式给他行礼。
个么,阿拉要当下一个程砚秋的嘞。宇文秋实突如其来地讲起沪语腔调,学着松天硕的样把语气词拉得长长的,讲到一半自己绷不住地弯了弯眼睛。
松天硕噗一声笑出来,搁哪学的口音,都啥跟啥啊。
那天晚上松天硕后半截话全没说出来,宇文秋实在他堪堪要提到王建华的时候开口打断,一通闲聊笑闹后原本焦躁的心情渐渐被捋得平顺。
他迷迷糊糊地躺在床上回想着白天的经历,阴冷的牢房,触目惊心的伤痕,和王建华冷肃锋利的神情,日子大抵不会好过,然而他在这里尚有一隅安身之地,有人在夜晚给他端来一杯酒,不必带着强烈的防备心交谈,竟然不再因为白日的惧怕而反胃,肩胛深处的隐痛也温驯地蛰伏起来。
于是一夜安眠。
宇文秋实走之前说,想读书可以找他。然后倚在门框边和松天硕对上眼神,笑吟吟地补充,礼尚往来。
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宇文秋实那阵子看起来确实无事可干,连门口的信箱都空了许多,所以成天和松天硕厮混——这话是刘旸和苗若芃说的,原话,苗若芃每次复述时都要认真强调一遍,宇文秋实闻言就笑,纠正说没脸没皮的,我是在戏班子厮混。
松天硕没正经教他,哪能教得了什么,不过是图个好玩,更何况总不能真让宇文秋实吃练功吊嗓子的苦,但松天硕确确实实往宇文秋实的书房跑得更勤了。
宇文秋实待在书房时爱开着留声机随便放点唱片听,西洋乐。松天硕听不懂,一边在书架逡巡着挑书一边问你知道这什么乐器么,随口扯闲天的本事一直熟练得很,和宇文秋实熟络起来后更是不收敛。宇文秋实说当然,念书时还学过一点。又挑起另一个话茬,你想出唱片么,给你刻一张。松天硕说我哪儿配啊,又不是什么上海滩红人,说着扒拉下来一本书,翻着看是什么。
怎么不配,我乐意,刻两张,你一张我一张。宇文秋实头也没抬,抓过一张信纸刷刷开始写。
当信物呢。松天硕把书一合,笑嘻嘻发问。宇文秋实转头去看他,含混地笑一声,也不知道是听到了还是装没听到。于是松天硕也不说话,自顾自看书去。
没想到宇文秋实真的付诸行动,说录就录,那天信就寄出去托人安排此事。松天硕心说真是钱多了烧着玩,然而又难以自抑地欢欣雀跃,好像真的是在筹措一样信物,宇文秋实叠满西洋唱片的柜子里即将摆进第一张戏曲唱片——松天硕唱的,是一个隐秘的印记,旁人不知晓,却可以留作永恒的纪念,是夜深时想起,要把脸埋进枕头里笑的一点甜。
宇文秋实会在他来的时候绽开一脸笑容,起身给留声机换唱片:听音乐吗,你的。有时还跟着哼,哼摇篮曲一样,自顾自开怀,松天硕笑,说你现在又这么爱听了。宇文秋实说得了吧您,是谁钦点我当旦角的。
松天硕哟一声,您这么想试试。
03
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刘思维在罗兰饭店见到了宇文秋实。
他抵达时尚且不知道该和谁接头,朱美吉的声音被汽笛声吞没,他所记得的只是她匆匆离去的身影和自己侥幸逃脱的一发子弹。他抱着皮箱脱力地、漫无目的地向里走,一只手攥住了他的胳膊。
东风绿江岸。耳边压低的声音。他下意识接,钟声邀客船。话音未落心凉了半截,他和松天硕的接头暗号,怎么会在这里出现。
对方帽檐压得极低,一双眼笼在阴影下,只看得到锋利的紧抿的下颌。手臂上收紧的力道提醒他事已至此别无选择,只能跟着对方走进包间。
我见过你。
松天硕手下的人。
两句话轻轻巧巧摊开一张意味不明的底牌,刘思维咬牙认下后没有等来回应,对方冲着他微微颔首,似乎要用无边无际的寂静耐心地逼迫他摊牌。
我替朱小姐来的。他说。
她人呢。
坐船走了,不然……就要被稽查队抓走了。
刘思维后来才知道宇文秋实和朱美吉曾经在同一所学校念书,于是明白了这样一趟任务为何宇文秋实亲自来饭店等——作为老朋友,他本来是打算为朱美吉接风洗尘的。而宇文秋实很早就知道刘思维,也是因为朱美吉曾经反复和他提起这一段伤心事。宇文秋实同刘思维谈及此事时语气淡淡地说,幸好大家都不是尾生啊。但面上神情却无端染上一丝读不懂的怅惘。
刘思维后来在宇文秋实手下做事,说是要等朱美吉回来。
那天宇文秋实问他是怎么来这里的。他如实相告,眼睁睁看着对方脸上明明拉出了一笔长长的笑意,嘴上却冷冰冰来一句,这么深情。微微上扬的尾调里浸着点冷嘲热讽。
没得选,谁都没得选。若说这个摇摇欲坠的年代里还有什么值得贪恋的话,那就是漫天罗织的谎话里可能窥见的一点点真心,不多,像烟头上转瞬即逝的猩红。会有人愿意为了那几秒的滚烫飞蛾扑火吗,他们都没有答案,但已经做出了选择。
刘思维也是后来才知道松天硕和宇文秋实的关系比他想象得更加密切,当然这一切都是通过苗若芃得知的,苗若芃对终于有人和他同甘共苦这件事乐见其成,隔三岔五地找刘思维小声蛐蛐宇文秋实曾经是怎么对待自己的。刘旸要我半天之内就要交稿啊,半天啊!!他悲愤地向刘思维控诉。
于是在苗若芃前言不搭后语的叙述中,刘思维慢慢拼凑出一个和他印象中截然不同的形象。他从前是沉默寡言的人,进稽查队的缘由多少有些被逼上梁山的意味,既失去留洋求学的机会,又要屈居人下,做违背良心的事。松天硕在王建华面前常常一副嬉皮笑脸的模样,但顺从得恰到好处,而对刘思维总是含糊其辞,连目标的情报都不说详细,刘思维不耐地翻着白眼说我纳闷你怎么当上上级的呢,松天硕捣他一下子,我二舅是稽查队队长呀,不知羞地大剌剌炫耀自己的裙带关系。
但原来是最直白的抗拒,披上吊儿郎当的外衣,拿腔拿调地唱一出戏。
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松天硕对着王建华举起枪时,想到的是宇文秋实上了妆的脸。
那人顶着一张芙蓉面,眼尾挑出千万种风情,腮上桃色的胭脂像漫山遍野的杜鹃,一直烧到松天硕瞳孔里去,他生涩地勾起兰花指,做亮相的姿态。
那曲子怎么唱的来着,见一池春水风吹皱,安惊心年光似水流,悠悠何记消长昼,我只得理冰弦一曲解烦忧。
在无数个因为良心与亲情两难而辗转难眠的夜晚,他想过这段日子收尾的时候,无非是王建华最后攀牢了宇文秋实这层关系,届时倘若母亲央求,他大概就在稽查队得个位置。
然而录完唱片的那天,宇文秋实突然说,你以后要不要跟着我做事。
宇文秋实几乎不提自己的事,他从前觉得大概是对方身份地位一向招摇,同二舅一样,没什么可多说的余地,无非是谈及留洋经历,可以说些趣事。但这话问得奇怪,他现在可不就在宇文秋实府上唱戏么。
见他困惑的神色,宇文秋实一手搭上他肩膀,问,你觉得我什么身份。戏谑的语气,话未挑明,但一切尽在不言中。
原来路有第二条。于是他从此充满了希望。
他在宇文秋实的书架上翻到过一本书,什么什么兄弟,名字和那西洋乐作者一样难记,里面的伊万问阿辽沙说,想象一下你在建造一座人类命运的大厦,目的是最终让人们幸福,但必须而且不可避免地要摧残一个小小的生命体,用那个小女孩的得不到补偿的眼泪为这座大厦奠基,你会不会同意在这样的条件下担任建筑师。
一个两难境地。宇文秋实和他说不是这样的,不要去想这个问题,安得广厦千万间就可以了。
他几分钟前嗤笑刘思维还真是个情种,却在举起枪的时候想明白了答案。他知道他不是那个建筑师,然而却可以成为大厦的基石。
王建华的枪口对准了那个女孩,松天硕的枪口对准了王建华。
王建华死了。这是天大的好消息。但宇文秋实没想到这次任务结束得如此突然和混乱,他曾经问过松天硕要不要跟着他做事,主动地暴露身份,并不是让松天硕去牺牲的。
他在罗兰饭店见到刘思维的那一刻就猜出了大概的来龙去脉,压着嗓子冷静地逼问缘由,但不需要再问过多的细节,不需要,不敢。松天硕那晚没回来已经是一种答案。他听着刘思维讲述和朱美吉的故事,带着劫后余生的慌张和面对未知的不安,因此时序颠倒凌乱,而回想他的人生,和松天硕一起的日子像放大镜,笑都笑得更大声。他想自己的事,生和死,未来和过去,想遇到松天硕的那一天,明明什么事都没有,明明带着数不清的算计与防备,但就是萌生了那一点私心。他的人生行至此刻,并非全是不幸,在他选择自己的路时,早已知道会是何等的荆棘密布,咬着牙也要走下去,但路上总有同行者,他本想拉着松天硕的手共同奔向不一定见得到的明天,却不曾想过先行者也有双关义。
他的手指仍然掐着烟凝固神情上的平静,扬起嘴角对刘思维说,这么深情。
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你行李收得怎么样了,明儿要走,可别再拖了。刘旸还是免不了为他操心。
宇文秋实点点头,示意刘旸看桌边没合上的皮箱:差不多了。
平安回来。刘旸说。
会的。
他们都知道讲这些话只是为了安心,临别了不说丧气话。
宇文秋实于是岔开讲话,目光落在堆放唱片的陈列柜上,语气淡得像天空中飘飘悠悠一叶云:松天硕他说我适合演旦角。话在嘴里松松地绕了一圈,左支右绌地绷起沪语的腔调,斟酌着拉高自己的声:然后阿拉同伊讲,个么阿拉要当下一个程砚秋的嘞。
刘旸被这调子蜇得浑身刺挠:啥玩意儿啊真是,你搁哪学的上海话。
宇文秋实蓦地把烟头摁在烟灰缸里,微弱的猩红色闪了几下就灭,然后伸手又去抽一根。刘旸从椅子上弹起来,把他手边那盒烟拢到怀里,哥哥哥这我的烟很贵的你省着点抽。
回头再送你,要什么牌子都行。
他说如果我真去唱戏,生捧也要给我捧成个青衣祭酒。宇文秋实慢悠悠拉长声音讲话。
松团长还是结棍嘞,青衣祭酒。他嚼这四个字,几乎是要碾碎了一样地念,一口烟伴着冷冷的笑,吐得漫不经心,在缭绕的烟雾里用力闭了一下眼:下辈子吧。
王建华死了。广东那边爆发了痢疾。
他带着苗若芃登上南下的邮轮,新的任务到来,救济会需要他,因此不能停下来一步,从北平到南洋再到上海,无论他自己的结局如何,子弹一发炸响,就崩掉了两个人故事的尾巴。
他们这样的人,要有大爱。人民,他读书时念这两个字,知道要为此奉献一生,也知道生命随时走到终点。他确信他们彼此是相爱的,爱到和爱其他人却也没什么区别,这年代确实没有永恒的相守,但是有凝固的记忆切片在心口融化出水渍,因为虚无到了一定程度而成为永恒。
凌晨时分出港的邮轮,汽笛声滚烫地熨出溽热暑气,他沉默着惊醒又入眠,在潮湿的梦中潜游回黑暗,隐约间听到有人练声,咿咿呀呀的,把梦境搅成一滩软烂的音符。
而他一旦蹚过,这运命也荒腔走板。
**私心是想让宇文参与喜夜的所有作品,因此有了这个故事。
**其实很不忍心be但想了想,民国时期的故事怎样才能算he,好像是无解的,那就留一个尾巴吧,《渡口》中松松是捂着腹部倒下而二舅捂着胸口倒下所以…万一呢。
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kennak · 9 days ago
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元日の1面記事は新聞各社が力を入れるのが恒例だ。この数十年で見たとき、とりわけ大きな衝撃を与えた元日報道が30年前、1995年の読売新聞だ。大見出しは<サリン残留物を検出 山梨の山ろく「松本事件」直後 関連解明急ぐ>。地下鉄サリン事件前のこの一報は、その後のオウム真理教への本格的な捜査や報道につながる第一歩となった。また、この記事が出たことで、数十万人の被害を防いだ可能性もある。あの報道はどのように出されたのか。取材していた元読売新聞記者、三沢明彦さんに話を聞いた。(文・写真:ジャーナリスト・森健/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部) 松本サリン事件に結びつく“異臭騒ぎ” 「1994年夏、(警察庁刑事局)捜査一課の人たちにあたると、第一通報者である河野義行さんが怪しいとみんな言う。ただ、具体的に河野さんのどこが怪しいのかというと、たいした根拠がない。彼の家の庭に農薬が複数あったとか、息子に『警察に話すなよ』と言ったとか、その程度。一方、その有毒ガスの中身は青酸カリの数百倍の毒性をもつ化学兵器のサリンだった。そんなもの河野さんがつくれるんだろうかと……。とは思うものの、当初は報道も警察もみんな、河野さん以外に疑いをもつことができなかったのです」 三沢明彦さん(68)はそう振り返る。当時、三沢さんは読売新聞東京本社社会部の所属。警察庁の担当で記者クラブではキャップ(担当記者のまとめ役)を務めていた。このとき、警察庁で高い関心が置かれていたのが「松本サリン事件」だった。 1994年6月27日、長野県松本市の住宅街で起きた松本サリン事件(写真:毎日新聞社/アフロ) 事件は1994年6月27日夜、松本城(長野県松本市)に近い住宅地で起きた。有毒ガス発生という通報で警察がかけつけると、現場では池のザリガニが浮き、ハトが地面で羽を広げて死んでいた。7人が死亡(のちに8人)、重軽症者は600人以上に及んだ。当初は有毒ガスの実体が何か、誰が撒いたのかもわからなかった。被疑者不詳のまま、第一通報者の河野義行さんが重要参考人として疑われた。 有毒ガスの正体がサリンと発表されたのは6日後の7月3日。ナチス・ドイツがつくった有機リン系神経毒物質の化学兵器だった。そんな高度な化学兵器がなぜ住宅街で使われたのか。捜査も報道も混迷するなか、時間だけが過ぎた。 事態が膠着していた同年10月、三沢さんは警察庁関係者から意外な情報を相次いで耳にした。一つは松本サリン事件に新興宗教のオウム真理教が関係しているという話。もう一つは、山梨県上九一色村(現・甲府市、富士河口湖町)にあるオウムの施設周辺の土砂を警察庁の科学警察研究所が鑑定しているという情報。どちらも信じがたいものだったと三沢さんは言う。 「取材を進めると、当時、長野県警がひそかに捜査を進めていたのがわかった。7月、上九一色村で異臭騒ぎがあった。犬が泡を吹いて死に、草木が薬品で焼かれていたという。松本サリン事件と似ている。そこで長野県警はそこに捜査員を派遣、捜査員が山菜採りの格好に変装して、教団施設の土砂を採取したんです。すると、そこからサリン生成時にできる有機リン系の残留物、つまり松本サリン事件と同じものが検出された。また、130人体制の薬品捜査班もつくり、サリンの合成に使う原材料の化学薬品をどこが入手したのかも調べていた。その結果、東京などで4つの怪しい会社が浮かび上がった。そこで長野県警の警部らはその会社に向かったのです」 東京・世田谷区にあるその「会社」は古いアパートの一室だった。警部が階段で2階に上ってみると、玄関ののぞき窓から見張られていることに気づいた。異様な雰囲気に驚き、その場を離れた。ところが別の場所でも、カメラをもった若い男が警部らを尾行し、撮影していた。長野に戻ってから警部らが警視庁に問い合わせた結果、その「会社」は「オウム真理教の信者が集団生活している」という拠点だとわかった──。そうした捜査状況を取材で得るなか、三沢さんは報じる側も注意が必要だと気を引き締めたという。 「その数年前、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の問題を報じたことがありました。そうしたら、統一教会の関係者が会社に押しかけてきて、大変なことになった。もともと宗教を扱うのはなかなか難しい。と同時に、オウムについて言えば、1989年に起きた坂本弁護士一家失踪事件(のちに殺害事件)でも、オウムのバッジが現場に落とされていて、一家の失踪は教団の関与が疑われていた。これは大変だな……というのは、取材を始めながら考えていたことでした」 サティアンのヘッドギア姿の若者たち 1994年当時、オウム真理教は異様な宗教団体という理解は世間にあったものの、犯罪組織と捉えられていたわけではなかった。同教団は教祖・麻原彰晃のもと、前身団体を経て1987年に設立。ヒンドゥー教やチベット仏教的な要素をにおわせながら、空中浮揚ができる、悟りを開くなど超常能力や神秘体験を謳い、若者を勧誘していった。テレビや雑誌などにも積極的に登場し、宗教学者や著名タレントなどと語り、信用を得ていった。 そうした裏で、教団は異常な活動に及んでいた。強制的な信者勧誘、薬物による修行、異常なルールでの集団生活。こうした活動のなか、坂本堤弁護士によって「オウム真理教被害者の会」が1989年に発足。同年、「サンデー毎日」によるオウム問題の連載報道が始まり、坂本弁護士も登場した。すると、麻原は坂本弁護士を敵と認識。麻原の指示によって、坂本家の3人(坂本弁護士、妻、子)は殺害された。だが、事件当時、坂本家の3人は「失踪」とみなされ、教団の捜査までは至らなかった。 教団はその後、ハルマゲドン(世界の終末)などを掲げ、日本の国家中枢を破壊することを計画。ロシアから軍用ヘリコプターを購入し、サリンやVXガスといった化学兵器などの開発に乗り出した。1994年にそれらの試作品がつくられだし、ジャーナリストの江川紹子氏や弁護士の滝本太郎氏などが殺害対象として化学兵器で襲われた。松本サリン事件は当時教団による土地売買で訴訟が行われていた長野地裁松本支部の官舎を狙ったものだったが、大量殺害計画の最初の試みだった。 ただ、そうしたことが明らかになったのは、すべての事件が終わった後のことだった。 11月11日、科学警察研究所の鑑定の結果で、上九一色村で採取された土壌からメチルホスホン酸が検出された(正式な鑑定書は16日)。それはサリンを合成する際にできる副生成物だった。 12月初旬、三沢さんは上九一色村��現地まで車で出向いた。粉雪が舞う寒い日。牧草地の向こうに異様な建物群が現れた。その日のことは、後年、自著でこう記している。 <教団のサティアンは広い敷地に点在していた。そして、その周辺には不気味なヘッドギア姿の若者たちが突っ立っている。見張りなのだろうか。途中ですれ違う白い修行服姿の女性の顔は青白く、表情がない。ダクトやパイプが複雑に交錯する目の前の白い建物が、サリン工場の第七サティアンとはその時、わかるはずもなかった>(『捜査一課秘録』) 1995年、山梨県上九一色村(当時)にあった化学プラント・第7サティアン(写真:ロイター/アフロ) まもなく教団の関連会社が大量のサリン原料物質を購入していることも判明。オウムを扱っていた長野県警、神奈川県警、山梨県警、宮崎県警、静岡県警などの県警が警察庁に集められた。静岡県警は教団がロシアから購入したヘリのプロペラを回している様子を上空から撮影していた。サリンを空から撒く可能性があるのではないか──。そんな指摘がされ、いよいよ緊張が増してきた。 だが、この段階でもまだ警察庁はどう教団と対峙するかを考えあぐねていたと三沢さんは言う。 「いくつか理由がありました。一つは、どの県警も一斉捜索のための人員が十分ではなかった。その体制で踏み込んで中途半端な結果となると、『宗教弾圧』と批判されかねない。そして、もう一つ恐れていたのは教団側の暴発です」 1993年、米国であるカルト集団がFBIと銃撃戦を行い、1994年秋は別のカルト団体がスイスやカナダで集団焼身自殺をしていた。そんなケースが頭にあり、もし下手に踏み込んで教団側がサリンを撒き散らしたらどうなるか。信者や警察官はもちろん、住民にも被害が出たら……。警察も恐れていた。そして、そんなリスクに対する恐れは、記者である三沢さんにもあったという。 「特ダネです。でも、書くのか書かないのかといえば、私もまた迷っていました。彼らがもっていた薬品の量から、数十トンという大量のサリンがつくれることが推察された。もし記事を出したことで、反発してサリンを撒かれたら……? 一方で、出さないことで、国民が事実を知らないままでいいのか。そのせめぎ合いの中にいました」 記事を出すときは「ガサ(家宅捜索)に入るときだろう」とぼんやり考えていたが、出すタイミングは思わぬときにやってきた。 オウムとは書かなかった元日報道 12月20日過ぎ、会社にいると社会部の先輩デスクに声をかけられた。アレの件、正月どうだ? 「そうか、正月報道という手があるかと。じゃあ、どこまで書くか。オウム真理教であることはほぼ間違いないが、この時点でどの程度関わっているかがわからず、名指しまではできない。でも、上九一色村の施設で異臭騒ぎはあり、検出された物質が松本サリン事件と同じくサリンの副生成物であることも確定している。それも同事件の直後だったと。だから、オウムの名前を出さず、その事実だけでいこうと決まったわけです」 この頃、脱会した信者から内部資料も入手していた。そこには「小銃製造、生物・化学兵器、細菌兵器、神経ガス、レーザー開発」といった教団の計画が4枚のレポートに記されていた。国家を破壊するテロ計画。三塩化リンなどサリンの原材料が4つの会社からトン単位で大量に購入され���いたのもそのせいだった。だが、この時点ではまだその大量購入を非難できない悩ましさもあった。それら大量の化学薬品の購入自体は違法ではなかったためだ。それでも、三沢さんが最終的に記事を出すと決めたのには別の理由があった。 1995年3月20日、地下鉄車内でサリンが撒かれ、現場に向かう化学防護服を着た東京消防庁化学機動中隊の隊員(写真:毎日新聞社/アフロ) 「それまで松本サリン事件といえば、河野さんが犯人という見方が強かった。でも、この記事が出れば、みんな河野さんへの認識を変えるだろう。それだけで意味はあると思いましたね」 原稿を書きあげたあとの大みそか、三沢さんは警察幹部の自宅を訪ねた。翌日の朝刊で発表することを通告するためだった。怒られることも覚悟したが、幹部は意外な言葉を返してきた。 「わかった。一緒に戦おう」 そして1995年の元日、新聞が配られた。 元日、メディア関係者には衝撃が走った。少なからぬ報道関係者がすぐに集められ、正月休みを返上してオウム取材に動かされることになった。当の読売でも三沢さんのもとに十数人の記者が集められ、本格的な取材が始められることになった。 ただ、順調には進まなかった。1月17日、阪神・淡路大震災が発生。多くの記者が震災報道にとられた。同様に、各県の県警によるオウム捜査もはかばかしく進んだわけでもなかった。 そうした状況を見透かしたかのように、オウム側は大胆な行動に出た。 2月28日、東京・品川区で目黒公証役場の事務長、仮谷清志氏を拉致して殺害。そして3月20日には地下鉄サリン事件を引き起こした。朝の丸ノ内線、日比谷線、千代田線でサリンの袋に穴を開け、中から気体が拡散。14人が死亡、6300人以上が負傷した。化学兵器による無差別テロだった。 警視庁は機敏に動いた。事件2日後の3月22日、目黒公証役場事務長拉致事件の逮捕監禁容疑で3都県の25カ所に一斉に家宅捜索に入った。上九一色村には、機動隊を含む捜査員2500人という大所帯で乗り込んだ。ガスマスクを装着し、カナリアのカゴをもってサティアンに入っていく中継映像は日本に衝撃を与えた。 この事態に三沢さんも驚きつつ、ついに本格的な捜査に入ったことにホッとしたという。その後、三沢さんは1年近くありとあらゆるオウムの取材に関わっていった。 最初に報じた元日の一報に大きな意味があったことがわかったのは半年ほどしてからだった。 1日2トン、計70トン製造のサリン計画を防いだ 1995年10月から始まった各種オウム裁判で、さまざまなことが明らかになった。たとえば、読売の元日報道直前の1994年12月下旬、上九一色村ではサリンの5つめの工程(最終工程)のプラントが完成目前だったと公判で明かされた。 「サリン合成には5つの製造工程があるのですが、化学工場である第7サティアンでは第4工程まで進んでいた。その最後となる第5工程を麻原は『マホウプラント』と呼んでいた。それができれば、1日に2トンという大量のサリンがつくれる。それだけの量があれば、100万人単位で“ポア(殺害)”できる。そんな状況だったんです」 ところが、1995年1月1日、読売新聞が上九一色村の施設でサリン残留物が検出されたと報じた。 裁判での検察側の冒頭陳述によると、麻原はこの報道に驚き、強制捜査を恐れたという。そして「証拠を消せ」と早川紀代秀(オウム内の建設省大臣)や村井秀夫(オウム内の科学技術省大臣)に命じた。のちの捜査で、第7サティアンでは1月3日付で除染用シャワー室に「使用禁止」という通達が貼られたこともわかった。 麻原の命令のもと、廃棄を担当したのは土谷正実や中川智正だった。その際、中川は第4工程でできた中間生成物のメチルホスホン酸ジフロライド1.4キロは捨てずに隠したという。この廃棄されなかった物質が、後に地下鉄サリン事件に使われることになったと三沢さんは言う。 「あそこで使われたのは純度の低いものだった。もし純度が高ければ、もっと多くの人の命が奪われていたでしょう」 だが、元日の読売報道が出ていなかったら、サリンは1日2トン、計70トンが製造される体制にあった。もし第5工程が実施されていれば、おびただしい数の人たちが犠牲になった可能性があった。読売報道から事態が変わったことは、裁判での検察側の冒頭陳述でも読み上げられていた。 あれから30年、三沢さんは特ダネばかり追ってきただけと照れるが、元日報道ができたことはよかったと振り返る。 「地下鉄サリン事件から半年くらいして、ある検事が『読売報道がなければ、100万人死んでいた可能性がある』と発言していました。地下鉄サリン事件は起きてしまったので、すべて防げたわけではありません。でも、100万人、少なくとも数十万人という無差別テロを止めることはできたのではないか。それに貢献できたことはよかったと思いますね」 三沢明彦 1956年生まれ。1979年読売新聞社入社、横浜支局を経て、東京本社社会部で警視庁、警察庁キャップ、宮内庁を担当。編集局次長など歴任し、福岡放送、静岡第一テレビ常務取締役など。著書に『捜査一課秘録』『刑事眼』など。 森健(もり・けん) ジャーナリスト、専修大学非常勤講師。1968年、東京都生まれ。『「つなみ」の子どもたち』で2012年に第43回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『小倉昌男 祈りと経営』で2015年に第22回小学館ノンフィクション大賞、2017年に第48回大宅壮一ノンフィクション賞、ビジネス書大賞2017審査員特別賞受賞。2023年、「安倍元首相暗殺と統一教会」で第84回文藝春秋読者賞受賞。
「数十万人の被害を防��た」1995年元日報道「サリン」一報を出すまでの記者の葛藤 #災害に備える(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)
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fumiterawaki · 5 months ago
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港まちアートブックフェア、今年も出品します!
新書である個展「SPACE」の記録冊子は初めての販売となります。
その他、「アインシュタインかの手紙」、「きらめきの結晶体/紡がれる物語」も出品いたします。
ぜひお手に取ってご覧ください。
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港まちアートブックフェア2024
「本」を中心にアーティストやデザイナー、出版者の作品や活動を紹介し、鑑賞者と出会う場を作ることを目的に名古屋の港まちで開催している「港まちアートブックフェア」を今年も開催します。
これまで港まちと関わりのある方々をはじめ、今回は140組以上が参加し、アーティストやデザイナー、出版社、レーベルなどが手がけたアーティストブック、作品集、ヴィジュアルブック、ZINEなどの本が一堂に集まります。
会場ではゆったりと本を楽しむことができる展覧会形式のブックフェアです。
「本」によってたくさんの表現や作品と出会うことのできる機会に、ぜひご来場ください。
2024年8月27日(火)–10月5日(土)
11:00–19:00(入場は閉館30分前まで)
会場|Minatomachi POTLUCK BUILDING 3F:Exhibition Space
休館日|日曜・月曜・祝日
入場|無料
主催|港まちづくり協議会
出品者
ノブセノブヨ、つくじか出版、LOVERS'NAGOYA、よはく舎、夕書房、長島有里枝、artical inc.、K.Art Studio、本屋メガホン、平川祐樹、山下拓也、NEUTRAL COLORS、soda、迫 鉄平、蜜柑出版、KANA KAWANISHI ART OFFICE、佐藤李青、crevasse、寺脇扶美、Landschaft、これでいいんだ村、SeeSaw gallery + hibit・小野冬黄、若尾武幸、CLUB METROアーカイブ実行委員会、さとういもこ、Life Stories Project、paper company、EMI YOKOGOSHI、山をおりる、まるいわ書店、大福書林、hikita chisato、イシグロカツヤ、鈴木悠哉、Manila Books & Gift、Kana Kurata、ELVIS PRESS、小栗沙弥子、平松純一 平松絵里奈、田中瑞穂、anaguma 文庫、CAVE-AYUMI GALLERY、Type Slowly、吉岡千尋、madras、久常未智、村瀬ひより、谷澤陽佑、斉と公平太、秋吉風人、平尾 菫、Aokid + さとうかい、浄土複合、金 佳辰、土屋誠一(お蔵出し)、CYRO、今村 航/土屋小春、溝田尚子、いったーんプロジェクト編集部、新多正典、MOTEL、2ndLap、原田和馬、世界西垣感と伊藤健太、verse-paradox、小栢健太、上田 良、オル太、浅沼香織、momos(平出規人&今村 文)、平出規人、へいめん子、Yoshiki Fujiwara、365 wishes(神村泰代)、masayoshi suzuki gallery、のだはる、森田新聞社、小林真依、福田 柊、C-DOTS DESIGN PROJECT、The Liminal Voice、道音舎、C7C gallery and shop、坂田健一、komagoma press、oar press、彦坂敏昭、宮田明日鹿、lurie1969、早川美香、MYY Books(白澤真生、尾崎芳弘、荒木由香里のユニット)、Akane Yamazaki、this and that、ADHDじん編集部、リア制作室、ケルベロス・セオリー、千賀凱喜 | Kaiki Senga、くま書店、佐藤克久、タン・ルイ、片山 浩、PARADISE AIR、アートオブリスト実行委員会、mufubooks、霜山博也、between in between、名古屋芸術大学 文芸・ライティングコース、三村萌嘉、川崎光克、tunnel PRESS(天野入華・張 祐寿/psyain)、when press、デザイン・クリエイティブセンター神戸、Dog Ears Archive and Distribution、泉麻衣子・中島久美子、なかむら出版、Chizu Ogai research+design、山口由葉、のわ、服部浩之、詫間のり子、torch press、ウエヤマトモコ、細井章世、田本雅子、シバタリョウ、加納俊輔、北條知子、WEI-NI LU 陸 瑋妮+上田佳奈+六根由里香、Art Space & Cafe Barrack、川村格夫、ミヤギフトシ、山村國晶、川上幸之介、Sakumag+佐久間裕美子、Project Space hazi、Tiny Splendor、山口麻加、喫水線、蓮沼昌宏 ほか
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brownie-pics · 7 months ago
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’24.7.9 松尾寺にて
松尾山神社から参道を戻り境内へ。1時間半ほどの滞在でしたが高温高湿でもう汗だく💦・・風鈴の涼やかな音聴きつつ、そろそろと退散します。
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fukagawakaidan · 6 months ago
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ)  五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説��ある。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた)  猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。  この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。  轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化け���という同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下)  家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね)  長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙��、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
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myonbl · 1 month ago
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2025年1月1日(水)
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2025年がスタート、ここ数年の慣例に従って、今熊野観音寺・新熊野神社へ初詣に訪れた。今熊野観音寺では、ぼけ封じ観音に我が身と友人達のぼけ封じをお願いして、枕宝布をいただく。新熊野神社では、健康長寿のお守りと開運の干支の置物をいただく。帰宅して、友人達に枕宝布をレターパックで発送すると年頭のルーティン終了、家族皆でお雑煮をいただいたのだ。読者の皆様、今年もよろしくお願いいたします。
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5時30分起床。
今年最初の日めくりをめくる。
洗濯開始。
6時を待って、iPhoenの壁紙を変更する。
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朝食はにしん蕎麦。
洗濯物を干す。
雑煮の具材として、鶏ムネ肉を煮る。
ツレアイが和服に着替えるのを待って、初詣に向かう。
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今熊野観音寺・新熊野神社・松尾大社西七条御旅所、それぞれにご挨拶して自宅に戻る。
私は彼女の年賀状を印刷し、彼女は届いた年賀状に返信する。
お昼は雑煮、写真忘れる。
軽く午睡。
イオンモールKYOTOへバスで向かう。
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昨年に続いて、応募した福缶を受け取る。今年は、埼玉県春日部市の<金運招き猫>が入っていた。
昨日届いたお節をベランダからリビングに運び込んで自然解凍。
夕飯前に、彼女と3男でココに点滴。
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夕方、熊本から戻った長男来訪、まずはココの顔を見てから酒宴開始。パートナーのご両親の近況をあれこれ伺う。
長男が帰ってから順番に入浴、体重は150g増。
明日の夕飯用にローストチキンを仕込む。
ハーパーロック舐めながら日誌書く。
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今月は、全日3つのリング完成をめざそう。
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honyakusho · 7 months ago
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2024年7月26日に発売予定の翻訳書
7月26日(金)には41点の翻訳書が発売予定です。
ホラー映画の科学 悪夢を焚きつけるもの
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ニーナ・ネセス/著 五十嵐加奈子/翻訳
フィルムアート社
詩の畝 フィリップ・ベックを読みながら
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ジャック・ランシエール/著 髙山花子/訳
法政大学出版局
北東アジア、ニーチェと出会う
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金正鉉/編著 文俊一/著 趙晟桓/著 岩脇リーベル豊美/著 柳芝娥/著 金賢珠/著 ほか
法政大学出版局
ソングライターの秘密
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フランク・グルーバー/著 三浦玲子/翻訳
論創社
ベルクソン書簡集 II
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アンリ・ベルクソン/著 松井久/訳
法政大学出版局
ウェス・アンダーソンの世界 フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊
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マット・ゾラー・サイツ/著 樋口武志/翻訳 篠儀直子/監修 篠儀直子/翻訳
DU BOOKS
初等整数論9章(第2版) POD版
James J. Tattersall/翻訳 小松尚夫/翻訳
森北出版
難問・奇問で語る 世界の物理
特定非営利活動法人 物理オリンピック日本委員会/翻訳
丸善出版
城砦〈上〉
アーチボルド・ジョセフ・クローニン/著 夏川草介/翻訳
日経BP
城砦〈下〉
アーチボルド・ジョセフ・クローニン/著 夏川草介/翻訳
日経BP
男はクズと言ったら性差別になるのか
アリアン シャフヴィシ/著 井上廣美/翻訳
柏書房
ズィーラーン国伝 I 神霊の血族
ローズアン・A・ブラウン/著 三辺律子/翻訳
評論社
ズィーラーン国伝Ⅱ 王の心臓
ローズアン・A・ブラウン/著 三辺律子/翻訳
評論社
デンマークの産業財団
スティーン・トムセン/著 尾﨑俊哉/翻訳
ナカニシヤ出版
ウィルフレッド・ビオン未刊行著作集
クリス・モーソン/著 福本修/翻訳
誠信書房
なぜガザなのか : パレスチナの分断、孤立化、反開発
サラ・ロイ/著 岡真理/編集・翻訳 小田切拓/編集・翻訳 早尾貴紀/編集・翻訳
青土社
大規模データセットのためのアルゴリズムとデータ構造
DzejlaMedjedovic EminTahirovic InesDedovic ほか/著 岡田佑一/翻訳
マイナビ出版
「世界の終わり」の地政学 野蛮化する経済の悲劇を読む 上
ピーター・ゼイハン/著 山田美明/翻訳
集英社
「世界の終わり」の地政学 野蛮化する経済の悲劇を読む 下
ピーター・ゼイハン/著 長尾莉紗/翻訳
集英社
指揮棒の魔術師ロジェストヴェンスキーの“証言”
ブリュノ・モンサンジョン/著 船越清佳/訳
音楽之友社
デッドプール 30th Anniversary Book
ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社/監修 齋藤隼飛/翻訳 鯨ヶ岬勇士/翻訳
KADOKAWA
十八歳の別れ
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キャロル・モーティマー/著 山本翔子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
ときめきの丘で
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ベティ・ニールズ/著 駒月雅子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
愛し子がつなぐ再会愛
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ルイーザ・ジョージ/著 神鳥奈穂子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
脅迫された花嫁
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ジャクリーン・バード/著 漆原麗/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
炎のメモリー
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シャロン・サラ/著 小川孝江/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
心まで奪われて
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ペニー・ジョーダン/著 茅野久枝/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
今夜だけあなたと
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アン・メイザー/著 槙由子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
ホテル王と秘密のメイド
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ハイディ・ライス/著 加納亜依/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
コウノトリが来ない結婚
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ダニー・コリンズ/著 久保奈緒実/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
絆のプリンセス
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メリッサ・マクローン/著 山野紗織/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
浜辺のビーナス
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ダイアナ・パーマー/著 小林ルミ子/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
ハイランダーの秘密の跡継ぎ
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ジェニーン・エングラート/著 琴葉かいら/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
プリンスを愛した夏
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シャロン・ケンドリック/著 加藤由紀/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
伯爵に拾われた娘
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ヘレン・ディクソン/著 杉本ユミ/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
プロビデンス Act3
アラン・ムーア/著 ジェイセン・バロウズ/イラスト 柳下毅一郎/翻訳
国書刊行会
サムライ心得帖 : 戦術・武具から教養・礼節まで
スティーブン・ターンブル/著 風早さとみ/翻訳
原書房
ナチスを撃った少女たち : スパイ、破壊工作、暗殺者として戦った三人
ティム・ブレイディ/著 矢沢聖子/翻訳
原書房
道徳教育
エミールデュルケム/著 古川敦/翻訳
丸善出版
新版 地図で見るイスラエルハンドブック
フレデリック・アンセル/著 鳥取絹子/翻訳
原書房
貝類図鑑
S.ピーター・ダンス/著 マシュー・ウォード/写真 サイモン・エイケン/写真 黒住耐二/翻訳 山崎正浩/翻訳
創元社
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