#東郷平八郎ビール
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一昨日のビール
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「カレーとカレーのためのうつわ展」 ・ 最近、アチャール作りにはまっておりまして。 ・ 特にレモンのアチャールの虜です。 ・ たまらなく癖になる。 ・ ライムや柚子で作っても、とっても美味しい。 ・ 夢はアチャールパーティを開くこと。 ・ 色とりどりの豆皿に、五種類ぐらいアチャールのせて。 ・ ビールがあれば、言うことなし! ・ 兵庫県の陶芸家、#馬川祐輔 さんのカレーのカタチ ・ 本展の詳細は阪急うめだ本店の特設ページをチェックチェック。油亀(@aburakame)のプロフィールより、リンクを貼ってます♪ ・ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ・ 油亀の出張企画展 「#カレーとカレーのためのうつわ展 」 会期:2019年8月28日(水)→ 9月3日(火) 7日間 会場:阪急百貨店うめだ本店9階 催場 ・ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆ ・ 出展作家(陶磁器・漆器 ・ガラス・木工 ・金属 65名ほか) ・ 安藤大悟(三重)、井上尚之(熊本)、内村宇博(愛知)、内山太朗(三重)、馬川祐輔(兵庫)、江口香澄(福岡)、江口誠基(福岡)、大隈美佳(神奈川)、大澤哲哉(愛知)、大園篤志(大阪)岡モータース(愛知)、奥山泉(沖縄)、小倉夏樹(愛知)、加地学(北海道)、加藤祥孝(岐阜)、金澤尚宜(熊本)、叶谷真一郎(兵庫)、栢野紀文(愛知)、喜多代京子(神奈川)工藤和彦(北海道)、工房いろは(沖縄)、五嶋竜也(熊本)、許斐良助(熊本)、木ユウコ(熊本)、シマシマポタリ(沖縄)、白神典大(岡山)、末石昌士(熊本)、須賀文子(岐阜)、高島悠吏(愛知)、高山愛(愛知)高力芳照(岡山)、田川亞希(東京)、寺村光輔(栃木)、土井康治朗(香川)、遠山貴弘(佐賀)、納谷俊徳(福井)、仁城逸景(岡山)、間美恵(滋賀)、長谷川哲也(愛知)、八田亨(大阪)、浜坂尚子(愛知)、肥後仁美(大分)、肥後博己(大分)、ヒヅミ峠舎(山口)、平沢崇義(熊本)、古谷浩一(滋賀)細川敬弘(岡山)、ほりゆめこ(神奈川)、本郷里奈(福岡)、前田一郎(長野)、益子淳一(茨城)、増田光(愛知)、馬渡新平(北海道)、水垣千悦(大分)、ミヤチヤスヨ(愛知)、武者千夏子(北海道)、矢尾板克則(新潟)、八木橋昇(滋賀)、屋代剛右(岡山)、柳川謙治(栃木)、柳忠義(福岡)、山下透(京都)、山村富貴子(岡山)、山本泰三(滋賀)、山脇隆(広島)、吉田崇昭(福岡)、よしのちはる(大分)、ヨシノヒトシ(大分)他 ・ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ・ #カレーのためのうつわ展#カレー好き#カレー大好き#カレー皿#カレー好きな人と繋がりたい#カレーは飲み物#欧風カレー#スパイスカレー#カレーパン#カレー巡り#カレー部うつわ#器#うつわ好き#器好き#器好きな人と繋がりたい#器のある暮らし#和食器#阪急うめだ本店#梅田阪急#うめはん#���ートスペース油亀#油亀#手ぬぐい#curry#ceramic#pottery#japan ・ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ https://www.instagram.com/p/B1slOMKFsFH/?igshid=793t065uoas2
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今日のビールは横須賀で買った東郷平八郎ビール!誰?ググったら複雑な歴史が出てきました。もともと世界の提督ビールみたいな感じでフィンランドで売ってたらしいです…これは日本産の復刻版。味はアルコール4.5にしては味しっかりめ!でも後味さっぱりで海の側に合う軽やかビール!おいし〜😋
2018.4.5
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WASITE.store 2021.06.05 now OPEN 今日の海 今日は、 1934年の今日 東郷平八郎の国葬!!! 誰!? と思うかもしれない。 日本史(特に近代)大好きキッズならわかるかもしれないけど、 大日本帝国海軍の英雄です。 「沈黙の提督」・「東洋のネルソン」 とまで国内外からも称えられた軍人です。 戦争を賛美する訳ではありませんが、 日本のみならず外国からもリスペクトされる立派な日本人がいたことを ここで紹介したい! 薩摩藩出身の超絶イケメン! 本人の最初の夢は、 「鉄道技師」 そこで、大久保利通に 「イギリスに留学させてくださいよ〜」 と頼み込む! が! 「平八郎さ〜、おしゃべりだから、駄目」 東郷ショック!!! そこから反省して寡黙に努める。 それが後に 「沈黙の提督」 と呼ばれるに至る訳! 大久保さんに断られたから次は、 西郷隆盛に頼み込む! 「まかせなさい!」 と、さすが西郷どん!快諾です。(風説だとかw) で、イギリスの留学先でいじめられます。 東郷(とうごう)だけに イギリス野郎「TO GO , CHINAwww」 (名前が「お持ち帰りw」とからかわれる) これですっかり無口になってしまったイケメン平八郎ですが、 平「でも俺、宮古湾海戦に参加してっから」 イ「リスペクト!」 と手のひら返して一躍英雄扱いです。 また、1893年には、 ハワイ王朝をおびやかすアメリカ人農場主ら&海兵隊によるクーデターが起きた際、 東郷平八郎、GO TO HAWAII。 邦人を保護しつつ、クーデター勢に対し威嚇! その様子に、ハワイ先住民は涙を流して歓喜! で、日清戦争も活躍しますが、 一番の大活躍は日露戦争です。 必殺作戦「トウゴウ・ターン」も決まり、 あの、おそロシアのバルチック艦隊に完勝! ロシアの圧力にヒーヒー苦し���でいたオスマン帝国がこの勝利を、 自国の勝利のよ��に喜び、東郷はオスマン帝国で英雄になります。 この歳に生まれた子供に「トーゴー」と名付け、 通りの名前にも「トーゴー通り」と。 そして日本の勲章なんかも授与されるんだけど、割愛(文字数) 1926年の11月8日には、雑誌「タイム」の表紙に、 日本人初のカバーパーソンとして描かれる! 快挙! で、1934年に病気の悪化でこの世を去られた英雄の葬儀が この日の国葬。 英雄の国葬にイギリス海軍、 アメリカ海軍、フランス海軍、 イタリア海軍、中華民国海軍、 と、各国の艦隊が日本を訪れ葬列に参加したのです。 アメリカとイギリスからは 日本に向けて追悼のメッセージをラジオで放送。 この訃報は世界中に知れ渡る。 太平洋戦戦争後、 GHQは日本軍の軍事的なモニュメントを次々撤去していった中、 東郷平八郎に関するものには手を触れさせなかったそう。 溢れるリスペクト。 フィンランドを統治していたロシアに勝ったことから、 フィンランド独立の機運が高ま��たこともあり、 フィンランド人はオランダ製造の東郷ラベルのビールを飲みながら、 東郷を偲ぶという。 ブラジルでは東郷へのオマージュとしてタバコ「GENSUI」を販売。 チェコの昆虫学者フラントさんは、カワゲラに東郷に因んだ名をつけた。 「トウゴウカワゲラ」 そして、忘れちゃいけないのが、 「肉じゃが」 イギリスでビーフシチューを食べた東郷平八郎が、 日本の料理人に再現させたことから生まれた料理です。 男性を落とす料理と一時期言われていましたが、 男性の攻略も、沈黙の提督よろしく「トウゴウ・ターン」で、 相手を揺さぶりましょう。 大事なのは、作戦と、 「運」。 東郷平八郎はその「運」が良かったとも言われてます。 幕末の戦争で、土方歳三ら反政府軍との海戦で、 東郷さんの載る戦艦には一発も砲弾を浴びなかったとか。。。 そんな東郷さんの名を関する神社が、 東京の渋谷と福岡の福津市に 「東郷神社」 が建立され、神として祀られてます。 こんなコロナの状況です。 日本の英雄に神頼み、したいじゃない! というわけで、今日も良い1日を。 #WASITE #ワシテ (WASITE) https://www.instagram.com/p/CPuwEhFDueO/?utm_medium=tumblr
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旅の記録 名古屋から広島へ
アラームがカプセルのなかにこだます。
時刻は5:15
昨夜食べた馬肉がまだ胃のなかにあるようなそんな目覚め。
ここは名古屋駅前のカプセルホテル。
昨日から「だもんでの街」を離れ、3日ばかりの自由を手に入れた。
とりあえず昨日は名古屋に泊まり、今日からは青春18きっぷを使って西へ向かう。
目指すは広島。
なぜ広島なのかはいくつか理由がある。
1つは神社仏閣マニアなので厳島神社を見たかった。海に浮かぶ朱色の鳥居と本殿は神社マニアには憧れである。残念ながら改修工事の影響で、鳥居は見えないとの事だが、それもそれで次また来る理由が出来るからいい。
2つ目は原爆ドーム。
小学校5年生くらいのときに、学校の図書室に「はだしのゲン」が入庫し、それを読んで大きな衝撃を受けた事を今でも覚えている。
その中でも印象的に描かれているし、第二次世界大戦を象徴する物として、日本に生まれ育った人間として一度は見るべきだと思っていた。
そして3つ目は広島の人に縁がある気がしたからだ。
大学時代の同期やよく行く店の飲み仲間に広島出身者が多く、覚えているだけで5人はいる。それに昔付き合った歳上の彼女も広島生まれだった。その人は宮島へ渡るフェリー乗場の最寄り駅から、1つ隣へ行った駅近くで育ったと当時聞いた。Googleマップで一緒にその近くを見たことがあり、確かに宮島が近かった。そんなこともあり、広島には何かしらの縁がある気がしていた。
始発電車で西へ向かう。
乗り換えが多く、とりあえずは大垣まで。
そこから乗り換えて米原まで行く。
実を言うとダイヤの都合上、30分後に名古屋を出る列車に乗っても、広島に着く時間は変わらない。では何故始発に乗るのかと言うと、途中駅で食事をとる時間を作るためである。そして何を食べるのかも決めている。
それは姫路駅構内にある駅そば。そのために姫路で30分余りの時間を作るために名古屋を早く出た。
米原からは新快速で姫路まで。
窓際の席からは琵琶湖や京都の街、山崎の蒸留所が見えたが、眠気に襲われ断片的にしか覚えていない。
それにしても新快速は速い。駅を通過する速度が乗っていて気持ちよく、新幹線のそれとは違うリアルなスピードを感じられる。
そして着いた姫路で駅そば。
うどん、ラーメンともとれる見た目だが、その通りそば粉は全く含まれていない。
所謂中華そばと同じ意味のそばである。
戦後、小麦粉が出回っていないときにこんにゃく粉とそば粉を合わせて作っていたのが元祖。それから試行錯誤の末に、小麦粉にかんすいをいれた麺に変化、それがヒットして今や地元だけではなく、青春18きっぷ期間はその利用者で溢れるくらいの人気フードとなった。
魚介や昆布の甘味がある出汁がきいたあっさりとしたスープがそばによく合う。大きい天ぷらはそのスープを吸い、ふわふわの食感に変わる。一言でまとめるなら優しい一杯。
少食の人でもスープを全て飲み干せるくらいさらりと食べられる。早起きして空腹の体にとても沁みた。
そこからは乗り換えの嵐。
広島、宮島までの道のりは遠い。
街中や田園、山間を進みながら岡山を通りすぎていく。岡山では四国へわたる瀬戸大橋線へと乗り換えていく人が多かった。
車窓をぼんやり眺めながらうたた寝の繰り返し。周りの話し声もあまり聞こえないので音楽を聴きながら。
せっかくなので広島出身アーティストのプレイリストを即席で作った。
浜田省吾、奥田民生、矢沢永吉、吉田拓郎、世良公則、吉川晃司。
なんとも濃いメンバー���。
うたた寝しつつも彼らの歌声は体に入ってくる。
奥田民生の「風は西から」という曲が流れる。
明日へ突っ走れ、未来へ突っ走れ、魂で走れ
MAZDAのCMに使われた曲で、奥田民生のノビのある声が旅への高揚感を更に増幅してくれる。
車窓の向こうに海と島が見えてきた。海に当たった日差しが乱反射し、まだ寝ぼけていた瞳に飛び込み一気に目が覚める。
イヤホンの外の車内アナウンスからは「尾道」というフレーズが聞こえてくる。
ここが尾道、映画の街。
小津安二郎監督の映画「東京物語」
大林宣彦監督の尾道三部作(うち1つは「時をかける少女」最初の映画化で原田知世の出世作)
他にも多数の映画の撮影地となった。
電車から見るだけでも充分にその街の魅力はわかった。海と島が見え、車窓反対側には急な坂がある。坂には所狭しと瓦屋根のいえいえが並び、細い路地がその間を縫うように通っている。
降りてみたいと率直に思った。
しかしこの日は予定を詰めていたため断念せざるを得ない。
明日また来ようと決めて、尾��を通りすぎた。今晩は尾道についてもう少し調べよう。
そこから一時間半ほど。
外が賑やかになってきて、大きな球場が見えた。それが広島カープの本拠地だと気付くのに時間はかからなかった。とうとう広島だ。
駅では大勢の人が降りていく。
ここから宮島へ行くフェリー乗場の最寄りまでは30分弱。あと少し。
橋を渡って川を越える線路がよく見えてきた頃、宮島口の手前の駅に着いた。
昔付き合った9つ上の人はここで生まれ育ったという。思い出がいくつかフラッシュバックする。(以前書いたその人の記事は下記)
思い出してみればいいことだけでなく、当時の自分の幼さを悔いる事が多い。
別によりを戻したい訳ではない。引きずっている訳でもない。
これはただあの時に、もっと幸せや安らぎを与えられなかった自分を責めている事に他ならない。
恐らく2度と会うことはないだろうが、もし会うことがあれば頭を深く下げて、ごめんなさいと言いたい人。
そんな事を考えているのなんて気にせずに列車は走り出していく。
すぐに宮島口駅に到着する。
そこから歩いて5分ほどでフェリー乗場。
2つあるフェリー会社のうち、JRが運営する方は青春18きっぷで乗ることができる。といっても、片道で200円もしないくらいだが。
宮島までは10分。
甲板で瀬戸内海の風に吹かれてながら島並を見ていれば一瞬で到着だ。
日中の便は厳島神社の近くを通ってくれるので、赤い鳥居と神殿がよく見えるはずなのだが、現在は鳥居は工事中で囲いしか見えない。
宮島に着くと皆が我先にと降りていく。
フェリー乗場の改札を通って外に出る。
向かいの土産物店の穴子おにぎりの文字に惹かれて1つ購入。
店の前の日陰には鹿が寝転んでいた。
歩を厳島神社へと進めていくとアーケードがある。そこには土産物店や飲食店が字のごとく軒を連ねている。ちょうど時期なのか、修学旅行生が多く、土産物店の店主が割引の提案をしていた。
アーケードを抜けて3分程で厳島神社の入場券売場。
あまり人がいなかったので、すんなり券を買って中にはいる。
神殿の中は思ったほど俗っぽさない。
間近で見るその朱色は鮮やかで美しい。
過去に巡った名社の中には観光地になってしまって、神の息吹を感じない所もあるが、ここにはちゃんと神様がいるような、そんな気持ちにさせる雰囲気がちゃんと残っていた。
潮風がふんわりと吹き付ける。その風は宮城県松島の海辺にある神社の香りに似ていた。
日本三景はその松島とここ宮島、そして天橋立であるが、いずれも海辺の景勝地だ。
海にせりだしている場所へ向かう。
誰が決めたのかは知らないが、やはり海というのは生物の故郷であるから、本能的に魅力に思うのかもしれない。
何度も惜しんでしまうが、鳥居が見れなかったのは残念。しかしまた来る理由が出来てこれはこれでいい。
実家の家族に送るため社務所でおまもりを買う。
順路をそのまま進むと出口に着き、その向かい側には寺がある。
神社の側に寺というのも何だか不思議に思うかもしれないが、意外とそういう立地になっている所は存在する。
もっと言うと神社の中に寺がある場合も多い。
日光東照宮がその代表で、参拝の順路にも書かれており、もっといえば日光東照宮自体を運営しているのはその中にある寺院の団体である。そのため案内してくれるのは所謂お坊さんだ。
神宮寺という言葉を耳にしたことある方は多いと思うが、まさにこれは神社の中にある寺を意味する。
そもそも神道(神社)は日本の歴史でもっとも古い信仰。仏教は後から入ってきたもの。
その中で神仏習合、即ち2つを合わせた信仰概念が生まれた。奈良時代にはすでにその形は出来ており、平安時代になると神社で読経をするという今では考えられないような事も始まり、その動きは活発になる。
主従関係上、主は仏教で従が神道だったというから、いかに仏教が日本の文化や政治に影響を与えていたのかがわかる。
しかし、明治になり新政府が神道を国の宗教とする考えを始めたことにより、神仏習合を切り離す動きが始まる。これはキリスト教を迫害するための政策だったが、西洋諸国からの反発で断念。結果的には神道と仏教が分かれただけとなり、現在にいたる。そのためその名残は今でも残り、神社寺院が隣同士にあることや混在している事はしばしば見受けられる。
閑話休題。調べるとこの大願寺というのは、どうやら厳島神社を守るために建てられたお寺らしい。せっかくなので参拝。
お線香の香りは実家の朝を思い出すから好きだ。
その後はフェリー乗場へと戻る。
途中の郵便局で実家へお守��を送った。大変親切な局員さんだった。
揚げもみじまんじゅうも食し、満足した気持ちで広島市内へと戻る。
広島駅前のホテルにチェックインし、しばし駅前を散策する。そこで広島在住の方々教えてもらったオススメスポットへと足を運んだ。
デパートのフードコートから見た景色。
ガラスに映る反射が少し残念だが、景色は非常によかった。夕焼けに映える広島市街。奥に広がる山並みと、少し懐かしさを覚えるビルの形式や色合い、何本も架かる橋と静かに流れる川は、ぼんやり眺めていると時間の流れを少しだけ遅くできる気がする。初めて来た土地だが、広島らしさを感じるとてもいい場所と思った。
その後、もう1つの目的地、原爆ドームへと向かうために市電に飛び乗った。
函館に住んでいた頃によく乗っていた市電を思い出した。広島と函館はどこか近いものを感じる。
原爆ドームはその前に立っただけで、涙がこみ上げてしまった。
原爆投下、終戦から来年で75年。確実���この周りは時が流れて復興し、ビルもマンションも新たな木々も出来たのにも関わらず、ここだけはその当時の姿と念を持ったままだ。
日本人の観光客より、海外からの旅行客が目立った。
自撮り棒で自らを入れた写真を撮ったり、川を挟んだ対岸にある芝生から寝転んで眺めている人もいた。
なんでかそれが腹立たしく思えたが、それは野暮なことなのかもしれないと思って抑えた。
ホテルに帰る前に、これもまた別な方に教えてもらったお店でお好み焼きを食べた。
その名は「八昌」
広島を代表する有名店であり、全国放送のテレビ番組でも何度か見たことがある。
広島市街、特に繁華街の中のちょっと怪しげな店が建ち並ぶ中にその店はある。
少しだけ行列に並んだが、その間は10分ほどだった。
お好み焼きが出来るまで20分くらいかかるとの事で、最初に牛タンとビールをオーダーする。
牛タンが噛み応えあって美味しい。ビールは最高の組み合わせで30秒ともたずにおかわりをする。
2杯目をじっくり飲んだくらいでお好み焼きが出てくる。
山盛りのキャベツともちもちの麺がぎゅっと詰まっていて、食べる前からその濃密さがわかる。
一口食べる。
キャベツや卵の甘味と麺のあっさりした味がいい。オタフクソースのさらりとしたコクがまた美味。しつこくないから食べ飽きない味だ。食感は生地のパリッとした後にあるキャベツと麺のふかふかな優しさがくせになる。
たくさん食べた気がするが、思いの外お腹には堪えない。
また訪れたいと思って店を後にした。
ホテルに着くとシャワーを浴びてすぐに眠ってしまった。
程よい疲れと腹八分の具合がいい睡眠を与えてくれる。
いつか広島の近く���働くのも悪くないなと思った。
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