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埼玉県川口市でクルド人の犯罪が激増して問題になり、その対策が川口市政の中心的課題になっている!というエントリが度々ホッテントリ入りしている。またyoutubeのゆっくり動画等でも「クルド人」「川口」のテロップが入ったサムネの動画が投稿されている。結論から言うとそんな事にはなっておらん。川口市は『広報かわぐち』という広報誌を配布しているが、この10月号で犯罪認知件数が過去最低を記録しているとの広報を打っている。https://www.city.kawaguchi.lg.jp/material/files/group/3/202310-04.pdfこの一年で白昼の強盗事件、沿道商店に突っ込む大事故や死亡ひき逃げ、クルド人による病院での喧嘩騒乱などの事件が報道されて体感治安が低下している故だ。でも実際には治安は過去最高となっている。この問題を喧伝しているのはagora出身の石井孝明というライターで、産経新聞と夕刊フジがそれを元に記事を書くという構造になっている。石井のやり方は、川口、蕨を中心として、肌の浅黒い中央アジア、東南アジア系の人間が事故や事件、不法な業務、反マナー行動をしたものにクルド人を匂わす文言を付けて宣伝するという方法だ。それ故クルド人が毎日事件や不法行為をしているように見える。そんなにクルド人は増えているのか?日本にクルド人は何万人いるのだろうか?だが実際のクルド人の数は2000人程度である。人口60万人の川口市人口の0.3%だ。「あれもこれもクルド人」の安物ネガティブキャンペーンが成功しているのである。 それで今回はちょっとこの問題の背景を説明するよ。「クルド人とは何か、どういう民族か」などは産経以外の大マスコミや大学人が記事を書いてるからそういうのを参考してくれ。 地理「埼玉県川口市」でgooglemaps検索すると川口市の県境が表示される。https://www.google.com/maps/place/%E5%9F%BC%E7%8E%89%E7%9C%8C%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%B8%82この一番左側の蕨駅付近が問題の舞台だ。まず、駅の東側にやたら細かい碁盤目で緑の線が入った地域があるのが判るだろうか?ここは芝2丁目と芝4丁目という地域になる。ここは一見整備された住宅地に見えるが、実は都市計画に乗っ取ったインフラ整備が間に合わなかったスプロール地域なのである。この碁盤目は元々は大正時代に田んぼを整地したものだった。緑の線は用水路跡で、今でも暗渠化された水路敷きになっている。この付近は江戸時代に作られた見沼代用水が通り、その分水も充実していた。そこで碁盤目に畔と用水路を整備して土地の権利も整理したものだ。ちょっと脱線するが、こういう整備された元田んぼ住宅地の近くにはL字の道と変形交差点を組み合わせたような地区がある事が多い。またそこには寺や神社がある事が多い。その場合、そこら辺は嘗ての村の集落があった場所である。行ってみるとせせこましい建売の中に突然田舎の農家のような大きな庭付きの家、時に藁ぶきだったりゴルビジェのサボア邸のようなやたらハイセンスの家が建っていて驚かされる事があるのでおススメだ。そこは付近の建売の元地主やマンションの大家である。この田んぼが戦後の高度経済成長期に売りに出され宅地化されたのがこの芝2、4丁目地区なのだ。元あぜ道は公道化されているのが多いが、そこから奥に入る道は幅が狭い砂利道のままだ。これは私道だからであり「その道路の権利は細切れになって付近の家の持ち主が持っている。故に権利関係がごちゃごちゃなので金を出し合って舗装工事をするという事が出来ない。更にこの路地は通り抜けが出来ない。真ん中に水路敷がある為だ。水路は元々の地主が権利を持っている筈だ。通り抜けにはそこに橋を掛けなきゃならないが、誰もその費用を負担したくないので碁盤目に見えて行き止まりの路地ばかりという事になっている。 1990年代初頭に建築基準法が改正されるとセットバックの義務と接道義務が定められた。接道義務とは、幅4m以上の道に2m以上接していない土地には建物建築不可という事である。これでこの路地の奥にある家というのは建替えが不可能になった。また、水路敷は舗装されていて道路に見えても道路じゃないのでセットバックの義務が無い。だからいつまで経っても道は広がらないから接道要件を満たす道にならない。散歩する時はこのせいで魅力的なのだが不動産的には不良である。この路地をストビューで見れば判るが、公道に面した家は新しい低層アパートで路地は4m拡幅、その奥の一軒は新しい戸建て(公道側隣家のセットバックで接道要件クリア)、その奥は築30年以上の古い戸建てや古アパート、となっている。奥の方の家は建替え出来ないので古いままなのだ。奥の方の家やアパートを借している場合、家が古くて車も入れない砂利道なので客付けが困難である。蕨駅から徒歩5~10分という好条件なのだがこういう状態なのだ。高度成長期中期の昭和30年代後半からこういうスプロール現象が問題になって規制が強化されたのだが、その前に家が建てこんだ地域なのだ。私有地である用水路の暗渠化は市が行ったが、これは下水道整備が間に合わず、水路に垂れ流しとなった為の代替政策だ。 さて、外国人というのは部屋が借り難い。これは差別の問題もあるが、家主としては万が一の時の連絡の問題、家賃不払いや退出後の内装補償、突如国に帰ってしまうリスク、それと土足の問題などがある。室内に靴を脱いで入るのは日本だけなのだ。最近じゃ米国都市部も日本式になって来てるが。だから土足で生活されて畳床等がダメになるリスクがある。故に外国人が部屋を借りるのはとても大変だ。一方、建替不可で古くて前が砂利道で引っ越しのトラックも入れない、なんていう借家やアパートの大家は客付けが全然できない。この両者の利害が一致して賃貸借契約、とあいなる。お互い「こんなボロ屋なのに高いが…」「外国人でリスクが高いが…」という妥協の産物だ。 このやたら細かい碁盤目地区はもう一か所ある。駅の反対側に線路で分断された川口市の飛び地みたいな三角の土地があるだろう。ここは芝園町と芝富士という地区なのだが、そのうち芝園町は元鉄道車両工場のUR団地(電車から見える屏風みたいな建物)、芝富士は元田んぼの細かい碁盤目地区だ。この芝富士地区は先の芝2・4丁目地区と全く同様の特徴と来歴を持っている。路地のセットバックが進んで4m以上が確保されて建替え可能になっている所が多いなど、スプロール化の程度は2.4丁目よりも改善されているのだが、それでも水路敷による路地分断などはあり、また建替不可家屋が密集する地帯もある。更にここは飛び地状態なので見捨てられた感もあり市政が行き届きにくいという特徴もある。中学校や幼稚園が線路の反対側で遠いのだ。ここも同様の理由で昔から外国人が多かった。 「蕨」なのに「川口市」であるのはこういう事で、駅の左右に川口市の不良宅地地区がありそこのアジア系の住民が住む事が増えたというのが原初としてあったのだ。「川口市は小規模の鋳鉄工場があり外国人工員を必要とした」という説明をしている記事もあるが間違いだ。鋳鉄工場地域は西川口から南側であって、蕨周辺は田んぼから住宅地に転換している。その転換が早すぎてスプロール化してしまったのだ。 始まりはヘイト��モクルド人問題がおかしな奴らの飯のタネになっている問題の根幹は在特会のヘイトデモに遡る。2009年に在特会はオーバステイフィリピン人の子息が通う中学校付近で「叩き出せ」といシュプレヒコールを上げるデモを行うようになった。この中学校や居宅は蕨駅の南側、西川口駅寄りだ。このデモに左翼運動からの転向者が合流すると一気に過激化し、「殺せ」「殺しに来た」というコールになり、警察に掴まらないような巧い仕方の暴力や、近所のヤジに対して「○○人の家だ」「お前日本から出ていけ」「殺せ」と連呼したり、お散歩と称してデモの後に落書きをしたり通行人に因縁を付けたりという行動をするようになった(後に警察官が解散地から駅まで随行するようになった)。転びアカが合流すると大抵こういう事になる。これに呼応して掲げられる旗も日章旗から旭日旗やハーケンクロイツとなっていった。そんな中で在特会は芝園団地付近でクルド人に住民が迷惑しているという情報を掴む。そこでヘイトデモの開催地は蕨駅~西川口駅から蕨駅北方になる。そこで鍵十字の旗が沢山はためき、「悔しかったらクルド野郎出てこい殺してやる」などのデモがされるようになった。但し、彼らは居住地区を知っていたから疑問なので警察がそこから外れるルートを許可していても判らなかったかもしれない。 こういう経緯で中東系や中央アジア系の人間の犯罪、不始末を「クルド」と称する動機が生まれてきた。事件が有る度に「これは在日朝鮮人」という差別デマがずっと流れていたが、それの中央アジア版だ。 もう一つの理由がトルコの少数民族問題で、トルコは親日国で、そこで問題化している少数民族のクルドは敵だ、という単純な世界観によるもの。元々国際問題を親日反日でしか捉えれない人間の頭の中なのでこれ以上はバッファオーバーフローである。そもそも少数民族問題は国家の宿痾であって国際政治学では必ず履修する項目であるのにそれを焚きつけて利益にせんとするあたり、ガソリンスタンドでタバコを吸うバカの如しである。 故にそれよりこの方ずっと「クルド」はやべぇ奴らの間の符丁となり、民族問題を理解するという動機にはならずに、彫りが濃い人間の不祥事は「クルド」とする文脈が生まれたのである。 続く https://anond.hatelabo.jp/20231004185255
蕨と川口とクルド人の問題に関して その1
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺��英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒��誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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あるいは永遠の未来都市(東雲キャナルコートCODAN生活記)
都市について語るのは難しい。同様に、自宅や仕事場について語るのも難しい。それを語ることができるのは、おそらく、その中にいながら常にはじき出されている人間か、実際にそこから出てしまった人間だけだろう。わたしにはできるだろうか? まず、自宅から徒歩三秒のアトリエに移動しよう。北側のカーテンを開けて、掃き出し窓と鉄格子の向こうに団地とタワーマンション、彼方の青空に聳える東京スカイツリーの姿を認める。次に東側の白い引き戸を一枚、二枚とスライドしていき、団地とタワーマンションの窓が反射した陽光がテラスとアトリエを優しく温めるのをじっくりと待つ。その間、テラスに置かれた黒竹がかすかに揺れているのを眺める。外から共用廊下に向かって、つまり左から右へさらさらと葉が靡く。一枚の枯れた葉が宙��舞う。お前、とわたしは念じる。お前、お隣さんには行くんじゃないぞ。このテラスは、腰よりも低いフェンスによってお隣さんのテラスと接しているのだ。それだけでなく、共用廊下とも接している。エレベーターへと急ぐ人の背中が見える。枯れ葉はテラスと共用廊下との境目に設置されたベンチの上に落ちた。わたしは今日の風の強さを知る。アトリエはまだ温まらない。 徒歩三秒の自宅に戻ろう。リビング・ダイニングのカーテンを開けると、北に向いた壁の一面に「田」の形をしたアルミ製のフレームが現れる。窓はわたしの背より高く、広げた両手より大きかった。真下にはウッドデッキを設えた人工地盤の中庭があって、それを取り囲むように高層の住棟が建ち並び、さらにその外周にタワーマンションが林立している。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。そのちょうど境目に、まるで空に落書きをしようとする鉛筆のように東京スカイツリーが伸びている。 ここから望む風景の中にわたしは何かしらを発見する。たとえば、斜め向かいの部屋の窓に無数の小さな写真が踊っている。その下の鉄格子つきのベランダに男が出てきて、パジャマ姿のままたばこを吸い始める。最上階の渡り廊下では若い男が三脚を据えて西側の風景を撮影している。今日は富士山とレインボーブリッジが綺麗に見えるに違いない。その二つ下の渡り廊下を右から左に、つまり一二号棟から一一号棟に向かって黒いコートの男が横切り、さらに一つ下の渡り廊下を、今度は左から右に向かって若い母親と黄色い帽子の息子が横切っていく。タワーマンションの間を抜けてきた陽光が数百の窓に当たって輝く。たばこを吸っていた男がいつの間にか部屋に戻ってワイシャツにネクタイ姿になっている。六階部分にある共用のテラスでは赤いダウンジャケットの男が外を眺めながら電話をかけている。地上ではフォーマルな洋服に身を包んだ人々が左から右に向かって流れていて、ウッドデッキの上では老婦が杖をついて……いくらでも観察と発見は可能だ。けれども、それを書き留めることはしない。ただ新しい出来事が無数に生成していることを確認するだけだ。世界は死んでいないし、今日の都市は昨日の都市とは異なる何ものかに変化しつつあると認識する。こうして仕事をする準備が整う。
東雲キャナルコートCODAN一一号棟に越してきたのは今から四年前だった。内陸部より体感温度が二度ほど低いな、というのが東雲に来て初めに思ったことだ。この土地は海と運河と高速道路に囲まれていて、物流倉庫とバスの車庫とオートバックスがひしめく都市のバックヤードだった。東雲キャナルコートと呼ばれるエリアはその名のとおり運河沿いにある。ただし、東雲運河に沿っているのではなく、辰巳運河に沿っているのだった。かつては三菱製鋼の工場だったと聞いたが、今ではその名残はない。東雲キャナルコートが擁するのは、三千戸の賃貸住宅と三千戸の分譲住宅、大型のイオン、児童・高齢者施設、警察庁などが入る合同庁舎、辰巳運河沿いの区立公園で、エリアの中央部分に都市基盤整備公団(現・都市再生機構/UR)が計画した高層板状の集合住宅群が並ぶ。中央部分は六街区に分けられ、それぞれ著名な建築家が設計者として割り当てられた。そのうち、もっとも南側に位置する一街区は山本理顕による設計で、L字型に連なる一一号棟と一二号棟が中庭を囲むようにして建ち、やや小ぶりの一三号棟が島のように浮かんでいる。この一街区は二〇〇三年七月に竣工した。それから一三年後の二〇一六年五月一四日、わたしと妻は二人で一一号棟の一三階に越してきた。四年の歳月が流れてその部屋を出ることになったとき、わたしはあの限りない循環について思い出していた。
アトリエに戻るとそこは既に温まっている。さあ、仕事を始めよう。ものを書くのがわたしの仕事だった。だからまずMacを立ち上げ、テキストエディタかワードを開く。さっきリビング・ダイニングで行った準備運動によって既に意識は覚醒している。ただし、その日の頭とからだのコンディションによってはすぐに書き始められないこともある。そういった場合はアトリエの東側に面したテラスに一時的に避難してもよい。 掃き出し窓を開けてサンダルを履く。黒竹の鉢に水を入れてやる。近くの部屋の原状回復工事に来たと思しき作業服姿の男がこんちは、と挨拶をしてくる。挨拶を返す。お隣さんのテラスにはベビーカーとキックボード、それに傘が四本置かれている。テラスに面した三枚の引き戸はぴったりと閉められている。緑色のボーダー柄があしらわれた、目隠しと防犯を兼ねた白い戸。この戸が開かれることはほとんどなかった。わたしのアトリエや共用廊下から部屋の中が丸見えになってしまうからだ。こちらも条件は同じだが、わたしはアトリエとして使っているので開けているわけだ。とはいえ、お隣さんが戸を開けたときにあまり中を見てしまうと気まずいので、二年前に豊洲のホームセンターで見つけた黒竹を置いた。共用廊下から外側に向かって風が吹いていて、葉が光を食らうように靡いている。この住棟にはところどころに大穴が空いているのでこういうことが起きる。つまり、風向きが反転するのだった。 通風と採光のために設けられた空洞、それがこのテラスだった。ここから東雲キャナルコートCODANのほぼ全体が見渡せる。だが、もう特に集中して観察したりしない。隈研吾が設計した三街区の住棟に陽光が当たっていて、ベランダで父子が日光浴をしていようが、島のような一三号棟の屋上に設置されたソーラーパネルが紺碧に輝いていて、その傍の芝生に二羽の鳩が舞い降りてこようが、伊東豊雄が設計した二街区の住棟で影がゆらめいて、テラスに出てきた老爺が異様にうまいフラフープを披露しようが、気に留めない。アトリエに戻ってどういうふうに書くか、それだけを考える。だから、目の前のすべてはバックグラウンド・スケープと化す。ただし、ここに広がるのは上質なそれだった。たとえば、ここにはさまざまな匂いが漂ってきた。雨が降った次の日には海の匂いがした。東京湾の匂いだが、それはいつも微妙に違っていた。同じ匂いはない。生成される現実に呼応して新しい文字の組み合わせが発生する。アトリエに戻ろう。
わたしはここで、広島の中心部に建つ巨大な公営住宅、横川という街に形成された魅力的な高架下商店街、シンガポールのベイサイドに屹立するリトル・タイランド、ソウルの中心部を一キロメートルにわたって貫く線状の建築物などについて書いてきた。既に世に出たものもあるし、今から出るものもあるし、たぶん永遠にMacの中に封じ込められると思われるものもある。いずれにせよ、考えてきたことのコアはひとつで、なぜ人は集まって生きるのか、ということだった。 人間の高密度な集合体、つまり都市は、なぜ人類にとって必要なのか? そしてこの先、都市と人類はいかなる進化を遂げるのか? あるいは都市は既に死んだ? 人類はかつて都市だった廃墟の上をさまよい続ける? このアトリエはそういうことを考えるのに最適だった。この一街区そのものが新しい都市をつくるように設計されていたからだ。 実際、ここに来てから、思考のプロセスが根本的に変わった。ここに来るまでの朝の日課といえば、とにかく怒りの炎を燃やすことだった。閉じられた小さなワンルームの中で、自分が外側から遮断され、都市の中にいるにもかかわらず隔離状態にあることに怒り、その怒りを炎上させることで思考を開いた。穴蔵から出ようともがくように。息苦しくて、ひとりで部屋の中で暴れたし、壁や床に穴を開けようと試みることもあった。客観的に見るとかなりやばい奴だったに違いない。けれども、こうした循環は一生続くのだと、当時のわたしは信じて疑わなかった。都市はそもそも息苦しい場所��のだと、そう信じていたのだ。だが、ここに来てからは息苦しさを感じることはなくなった。怒りの炎を燃やす朝の日課は、カーテンを開け、その向こうを観察するあの循環へと置き換えられた。では、怒りは消滅したのか?
白く光沢のあるアトリエの床タイルに青空が輝いている。ここにはこの街の上半分がリアルタイムで描き出される。床の隅にはプロジェクトごとに振り分けられた資料の箱が積まれていて、剥き出しの灰色の柱に沿って山積みの本と額に入ったいくつかの写真や絵が並んでいる。デスクは東向きの掃き出し窓の傍に置かれていて、ここからテラスの半分と共用廊下、それに斜向かいの部屋の玄関が見える。このアトリエは空中につくられた庭と道に面しているのだった。斜向かいの玄関ドアには透明のガラスが使用されていて、中の様子が透けて見える。靴を履く住人の姿がガラス越しに浮かんでいる。視線をアトリエ内に戻そう。このアトリエは専用の玄関を有していた。玄関ドアは斜向かいの部屋のそれと異なり、全面が白く塗装された鉄扉だった。玄関の脇にある木製のドアを開けると、そこは既に徒歩三秒の自宅だ。まずキッチンがあって、奥にリビング・ダイニングがあり、その先に自宅用の玄関ドアがあった。だから、このアトリエは自宅と繋がってもいるが、独立してもいた。 午後になると仕事仲間や友人がこのアトリエを訪ねてくることがある。アトリエの玄関から入ってもらってもいいし、共用廊下からテラス経由でアトリエに招き入れてもよい。いずれにせよ、共用廊下からすぐに仕事場に入ることができるので効率的だ。打ち合わせをする場合にはテーブルと椅子をセッティングする。ここでの打ち合わせはいつも妙に捗った。自宅と都市の両方に隣接し、同時に独立してもいるこのアトリエの雰囲気は、最小のものと最大のものとを同時に掴み取るための刺激に満ちている。いくつかの重要なアイデアがここで産み落とされた。議論が白熱し、日が暮れると、徒歩三秒の自宅で妻が用意してくれた料理を囲んだり、東雲の鉄鋼団地に出かけて闇の中にぼうっと浮かぶ屋台で打ち上げを敢行したりした。 こうしてあの循環は完成したかに見えた。わたしはこうして都市への怒りを反転させ都市とともに歩み始めた、と結論づけられそうだった。お前はついに穴蔵から出たのだ、と。本当にそうだろうか? 都市の穴蔵とはそんなに浅いものだったのか?
いやぁ、 未来都市ですね、
ある編集者がこのアトリエでそう言ったことを思い出す。それは決して消えない残響のようにアトリエの中にこだまする。ある濃密な打ち合わせが一段落したあと、おそらくはほとんど無意識に発された言葉だった。 未来都市? だってこんなの、見たことないですよ。 ああ、そうかもね、とわたしが返して、その会話は流れた。だが、わたしはどこか引っかかっていた。若く鋭い編集者が発した言葉だったから、余計に。未来都市? ここは現在なのに? ちょうどそのころ、続けて示唆的な出来事があった。地上に降り、一三号棟の脇の通路を歩いていたときのことだ。団地内の案内図を兼ねたスツールの上に、ピーテル・ブリューゲルの画集が広げられていたのだった。なぜブリューゲルとわかったかといえば、開かれていたページが「バベルの塔」だったからだ。ウィーンの美術史美術館所蔵のものではなく、ロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館所蔵の作品で、天に昇る茶褐色の塔がアクリル製のスツールの上で異様なオーラを放っていた。その画集はしばらくそこにあって、ある日ふいになくなったかと思うと、数日後にまた同じように置かれていた。まるで「もっとよく見ろ」と言わんばかりに。
おい、お前。このあいだは軽くスルーしただろう。もっとよく見ろ。
わたしは近寄ってその絵を見た。新しい地面を積み重ねるようにして伸びていく塔。その上には無数の人々の蠢きがあった。塔の建設に��事する労働者たちだった。既に雲の高さに届いた塔はさらに先へと工事が進んでいて、先端部分は焼きたての新しい煉瓦で真っ赤に染まっている。未来都市だな、これは、と思う。それは天地が創造され、原初の人類が文明を築きつつある時代のことだった。その地では人々はひとつの民で、同じ言葉を話していた。だが、人々が天に届くほどの塔をつくろうとしていたそのとき、神は全地の言葉を乱し、人を全地に散らされたのだった。ただし、塔は破壊されたわけではなかった。少なくとも『創世記』にはそのような記述はない。だから、バベルの塔は今なお未来都市であり続けている。決して完成することがないから未来都市なのだ。世界は変わったが、バベルは永遠の未来都市として存在し続ける。
ようやく気づいたか。 ああ。 それで? おれは永遠の未来都市をさまよう亡霊だと? どうかな、 本当は都市なんか存在しないのか? どうかな、 すべては幻想だった? そうだな、 どっちなんだ。 まあ結論を急ぐなよ。 おれはさっさと結論を出して原稿を書かなきゃならないんだよ。 知ってる、だから急ぐなと言ったんだ。 あんたは誰なんだ。 まあ息抜きに歩いてこいよ。 息抜き? いつもやっているだろう。あの循環だよ。 ああ、わかった……。いや、ちょっと待ってくれ。先に腹ごしらえだ。
もう昼を過ぎて久しいんだな、と鉄格子越しの風景を一瞥して気づく。陽光は人工地盤上の芝生と一本木を通過して一三号棟の廊下を照らし始めていた。タワーマンションをかすめて赤色のヘリコプターが東へと飛んでいき、青空に白線を引きながら飛行機が西へと進む。もちろん、時間を忘れて書くのは悪いことではない。だが、無理をしすぎるとあとになって深刻な不調に見舞われることになる。だから徒歩三秒の自宅に移動しよう。 キッチンの明かりをつける。ここには陽光が入ってこない。窓側に風呂場とトイレがあるからだ。キッチンの背後に洗面所へと続くドアがある。それを開けると陽光が降り注ぐ。風呂場に入った光が透明なドアを通過して洗面所へと至るのだった。洗面台で手を洗い、鏡に目を向けると、風呂場と窓のサッシと鉄格子と団地とスカイツリーが万華鏡のように複雑な模様を見せる。手を拭いたら、キッチンに戻って冷蔵庫を開け、中を眺める。食材は豊富だった。そのうちの九五パーセントはここから徒歩五分のイオンで仕入れた。で、遅めの昼食はどうする? 豚バラとキャベツで回鍋肉にしてもいいが、飯を炊くのに時間がかかる。そうだな……、カルボナーラでいこう。鍋に湯を沸かして塩を入れ、パスタを茹でる。ベーコンと玉葱、にんにくを刻んでオリーブオイルで炒める。それをボウルに入れ、パルメザンチーズと生卵も加え、茹で上がったパスタを投入する。オリーブオイルとたっぷりの黒胡椒とともにすべてを混ぜ合わせれば、カルボナーラは完成する。もっとも手順の少ない料理のひとつだった。文字の世界に没頭しているときは簡単な料理のほうがいい。逆に、どうにも集中できない日は、複雑な料理に取り組んで思考回路を開くとよい。まあ、何をやっても駄目な日もあるのだが。 リビング・ダイニングの窓際に置かれたテーブルでカルボナーラを食べながら、散歩の計画を練る。籠もって原稿を書く日はできるだけ歩く時間を取るようにしていた。あまり動かないと頭も指先も鈍るからだ。走ってもいいのだが、そこそこ気合いを入れなければならないし、何よりも風景がよく見えない。だから、平均して一時間、長いときで二時間程度の散歩をするのが午後の日課になっていた。たとえば、辰巳運河沿いを南下しながら首都高の高架と森と物流倉庫群を眺めてもいいし、辰巳運河を越えて辰巳団地の中を通り、辰巳の森海浜公園まで行ってもよい。あるいは有明から東雲運河を越えて豊洲市場あたりに出てもいいし、そこからさらに晴海運河を越えて晴海第一公園まで足を伸ばし、日本住宅公団が手がけた最初の高層アパートの跡地に巡礼する手もある。だが、わたしにとってもっとも重要なのは、この東雲キャナルコートCODAN一街区をめぐるルートだった。つまり、空中に張りめぐらされた道を歩いて、東京湾岸のタブラ・ラサに立ち上がった新都市を内側から体感するのだ。 と、このように書くと、何か劇的な旅が想像されるかもしれない。アトリエや事務所、さらにはギャラリーのようなものが住棟内に点在していて、まさに都市を立体化したような人々の躍動が見られると思うかもしれない。生活と仕事が混在した活動が積み重なり、文化と言えるようなものすら発生しつつあるかもしれないと、期待を抱くかもしれない。少な��ともわたしはそうだった。実際にここに来るまでは。さて、靴を履いてアトリエの玄関ドアを開けよう。
それは二つの世界をめぐる旅だ。一方にここに埋め込まれたはずの思想があり、他方には生成する現実があった。二つの世界は常に並行して存在する。だが、実際に見えているのは現実のほうだけだし、歴史は二つの世界の存在を許さない。とはいえ、わたしが最初に遭遇したのは見えない世界のほうだった。その世界では、実際に都市がひとつの建築として立ち上がっていた。ただ家が集積されただけでなく、その中に住みながら働いたり、ショールームやギャラリーを開設したりすることができて、さまざまな形で人と人とが接続されていた。全体の半数近くを占める透明な玄関ドアの向こうに談笑する人の姿が見え、共用廊下に向かって開かれたテラスで人々は語り合っていた。テラスに向かって設けられた大きな掃き出し窓には、子どもたちが遊ぶ姿や、趣味のコレクション、打ち合わせをする人と人、アトリエと作品群などが浮かんでいた。それはもはや集合住宅ではなかった。都市で発生する多様で複雑な活動をそのまま受け入れる文化保全地区だった。ゾーニングによって分断された都市の攪拌装置であり、過剰な接続の果てに衰退期を迎えた人類の新・進化論でもあった。 なあ、そうだろう? 応答はない。静かな空中の散歩道だけがある。わたしのアトリエに隣接するテラスとお隣さんのテラスを通り過ぎると、やや薄暗い内廊下のゾーンに入る。日が暮れるまでは照明が半分しか点灯しないので光がいくらか不足するのだった。透明な玄関ドアがあり、その傍の壁に廣村正彰によってデザインされたボーダー柄と部屋番号の表示がある。ボーダー柄は階ごとに色が異なっていて、この一三階は緑だった。少し歩くと右側にエレベーターホールが現れる。外との境界線上にはめ込まれたパンチングメタルから風が吹き込んできて、ぴゅうぴゅうと騒ぐ。普段はここでエレベーターに乗り込むのだが、今日は通り過ぎよう。廊下の両側に玄関と緑色のボーダー柄が点々と続いている。左右に四つの透明な玄関ドアが連なったあと、二つの白く塗装された鉄扉がある。透明な玄関ドアの向こうは見えない。カーテンやブラインドや黒いフィルムによって塞がれているからだ。でも陰鬱な気分になる必要はない。間もなく左右に光が満ちてくる。 コモンテラスと名づけられた空洞のひとつに出た。二階分の大穴が南側と北側に空いていて、共用廊下とテラスとを仕切るフェンスはなく、住民に開放されていた。コモンテラスは住棟内にいくつか存在するが、ここはその中でも最大だ。一四階の高さが通常の一・五倍ほどあるので、一三階と合わせて計二・五階分の空洞になっているのだ。それはさながら、天空の劇場だった。南側には巨大な長方形によって縁取られた東京湾の風景がある。左右と真ん中に計三棟のタワーマンションが陣取り、そのあいだで辰巳運河の水が東京湾に注ぎ、東京ゲートブリッジの橋脚と出会って、「海の森」と名づけられた人工島の縁でしぶきを上げる様が見える。天気のいい日には対岸に広がる千葉の工業地帯とその先の山々まで望むことができた。海から来た風がこのコモンテラスを通過し、東京の内側へと抜けていく。北側にその風景が広がる。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。タワーマンションの陰に隠れて東京スカイツリーは確認できないが、豊洲のビル群が団地の上から頭を覗かせている。眼下にはこの団地を南北に貫くS字アベニューが伸び、一街区と二街区の人工地盤を繋ぐブリッジが横切っていて、長谷川浩己率いるオンサイト計画設計事務所によるランドスケープ・デザインの骨格が見て取れる。 さあ、公演が始まる。コモンテラスの中心に灰色の巨大な柱が伸びている。一三階の共用廊下の上に一四階の共用廊下が浮かんでいる。ガラス製のパネルには「CODAN Shinonome」の文字が刻まれている。この空間の両側に、六つの部屋が立体的に配置されている。半分は一三階に属し、残りの半分は一四階に属しているのだった。したがって、壁にあしらわれたボーダー柄は緑から青へと遷移する。その色は、掃き出し窓の向こうに設えられた目隠しと防犯を兼ねた引き戸にも連続している。そう、六つの部屋はこのコモンテラスに向かって大きく開くことができた。少なくとも設計上は。引き戸を全開にすれば、六つの部屋の中身がすべて露わになる。それらの部屋の住人たちは観客なのではない。この劇場で物語を紡ぎ出す主役たちなのだった。両サイドに見える美しい風景もここではただの背景にすぎない。近田玲子によって計画された照明がこの空間そのものを照らすように上向きに取り付けられている。ただし、今はまだ点灯していない。わたしはたったひとりで幕が上がるのを待っている。だが、動きはない。戸は厳重に閉じられるか、採光のために数センチだけ開いているかだ。ひとつだけ開かれている戸があるが、レースカーテンで視界が完全に遮られ、窓際にはいくつかの段ボールと紙袋が無造作に積まれていた。風がこのコモンテラスを素通りしていく。
ほら、 幕は上がらないだろう、 お前はわかっていたはずだ、ここでは人と出会うことがないと。横浜のことを思い出してみろ。お前はかつて横浜の湾岸に住んでいた。住宅と事務所と店舗が街の中に混在し、近所の雑居ビルやカフェスペースで毎日のように文化的なイベントが催されていて、お前はよくそういうところにふらっと行っていた。で、いくつかの重要な出会いを経験した。つけ加えるなら、そのあたりは山本理顕設計工場の所在地でもあった。だから、東雲に移るとき、お前はそういうものが垂直に立ち上がる様を思い描いていただろう。だが、どうだ? あのアトリエと自宅は東京の空中にぽつんと浮かんでいるのではないか? それも悪くない、とお前は言うかもしれない。物書きには都市の孤独な拠点が必要だったのだ、と。多くの人に会って濃密な取材をこなしたあと、ふと自分自身に戻ることができるアトリエを欲していたのだ、と。所詮自分は穴蔵の住人だし、たまに訪ねてくる仕事仲間や友人もいなくはない、と。実際、お前はここではマイノリティだった。ここの住民の大半は幼い子どもを連れた核家族だったし、大人たちのほとんどはこの住棟の外に職場があった。もちろん、二階のウッドデッキ沿いを中心にいくつかの仕事場は存在した。不動産屋、建築家や写真家のアトリエ、ネットショップのオフィス、アメリカのコンサルティング会社の連絡事務所、いくつかの謎の会社、秘かに行われている英会話教室や料理教室、かつては違法民泊らしきものもあった。だが、それもかすかな蠢きにすぎなかった。ほとんどの住民の仕事はどこか別の場所で行われていて、この一街区には活動が積み重ねられず、したがって文化は育たなかったのだ。周囲の住人は頻繁に入れ替わって、コミュニケーションも生まれなかった。お前のアトリエと自宅のまわりにある五軒のうち四軒の住人が、この四年間で入れ替わったのだった。隣人が去ったことにしばらく気づかないことすらあった。何週間か経って新しい住人が入り、透明な玄関ドアが黒い布で塞がれ、テラスに向いた戸が閉じられていく��を、お前は満足して見ていたか? 胸を抉られるような気持ちだったはずだ。 そうした状況にもかかわらず、お前はこの一街区を愛した。家というものにこれほどの帰属意識を持ったことはこれまでになかったはずだ。遠くの街から戻り、暗闇に浮かぶ格子状の光を見たとき、心底ほっとしたし、帰ってきたんだな、と感じただろう。なぜお前はこの一街区を愛したのか? もちろん、第一には妻との生活が充実したものだったことが挙げられる。そもそも、ここに住むことを提案したのは妻のほうだった。四年前の春だ。「家で仕事をするんだったらここがいいんじゃない?」とお前の妻はあの奇妙な間取りが載った図面を示した。だから、お前が恵まれた環境にいたことは指摘されなければならない。だが、第二に挙げるべきはお前の本性だ。つまり、お前は現実のみに生きているのではない。お前の頭の中には常に想像の世界がある。そのレイヤーを現実に重ねることでようやく生きている。だから、お前はあのアトリエから見える現実に落胆しながら、この都市のような構造体の可能性を想像し続けた。簡単に言えば、この一街区はお前の想像力を搔き立てたのだ。 では、お前は想像の世界に満足したか? そうではなかった。想像すればするほどに現実との溝は大きく深くなっていった。しばらく想像の世界にいたお前は、どこまでが現実だったのか見失いつつあるだろう。それはとても危険なことだ。だから確認しよう。お前が住む東雲キャナルコートCODAN一街区には四二〇戸の住宅があるが、それはかつて日本住宅公団であり、住宅・都市整備公団であり、都市基盤整備公団であって、今の独立行政法人都市再生機構、つまりURが供給してきた一五〇万戸以上の住宅の中でも特異なものだった。お前が言うようにそれは都市を構築することが目指された。ところが、そこには公団の亡霊としか言い表しようのない矛盾が内包されていた。たとえば、当時の都市基盤整備公団は四二〇戸のうちの三七八戸を一般の住宅にしようとした。だが、設計者の山本理顕は表面上はそれに応じながら、実際には大半の住戸にアトリエや事務所やギャラリーを実装できる仕掛けを忍ばせたのだ。玄関や壁は透明で、仕事場にできる開放的なスペースが用意された。間取りはありとあらゆる活動を受け入れるべく多種多様で、メゾネットやアネックスつきの部屋も存在した。で、実際にそれは東雲の地に建った。それは現実のものとなったのだった。だが、実はここで世界が分岐した。公団およびのちのURは、例の三七八戸を結局、一般の住宅として貸し出した。したがって大半の住戸では、アトリエはまだしも、事務所やギャラリーは現実的に不可だった。ほかに「在宅ワーク型住宅」と呼ばれる部屋が三二戸あるが、不特定多数が出入りしたり、従業員を雇って行ったりする業務は不可とされたし、そもそも、家で仕事をしない人が普通に借りることもできた。残るは「SOHO住宅」だ。これは確かに事務所やギャラリーとして使うことができる部屋��が、ウッドデッキ沿いの一〇戸にすぎなかった。 結果、この一街区は集合住宅へと回帰した。これがお前の立っている現実だ。都市として運営されていないのだから、都市にならないのは当然の帰結だ。もちろん、ゲリラ的に別の使い方をすることは可能だろう。ここにはそういう人間たちも確かにいる。お前も含めて。だが、お前はもうすぐここから去るのだろう? こうしてまたひとり、都市を望む者が消えていく。二つの世界はさらに乖離する。まあ、ここではよくあることだ。ブリューゲルの「バベルの塔」、あの絵の中にお前の姿を認めることはできなくなる。 とはいえ、心配は無用だ。誰もそのことに気づかないから。おれだけがそれを知っている。おれは別の場所からそれを見ている。ここでは、永遠の未来都市は循環を脱して都市へと移行した。いずれにせよ、お前が立つ現実とは別世界の話だがな。
実際、人には出会わなかった。一四階から二階へ、階段を使ってすべてのフロアを歩いたが、誰とも顔を合わせることはなかった。その間、ずっとあの声が頭の中に響いていた。うるさいな、せっかくひとりで静かに散歩しているのに、と文句を言おうかとも考えたが、やめた。あの声の正体はわからない。どのようにして聞こえているのかもはっきりしない。ただ、ふと何かを諦めようとしたとき、周波数が突然合うような感じで、周囲の雑音が消え、かわりにあの声が聞こえてくる。こちらが応答すれば会話ができるが、黙っていると勝手に喋って、勝手に切り上げてしまう。あまり考えたくなかったことを矢継ぎ早に投げかけてくるので、面倒なときもあるが、重要なヒントをくれもするのだ。 あの声が聞こえていることを除くと、いつもの散歩道だった。まず一三階のコモンテラスの脇にある階段で一四階に上り、一一号棟の共用廊下を東から西へ一直線に歩き、右折して一〇メートルほどの渡り廊下を辿り、一二号棟に到達する。南から北へ一二号棟を踏破すると、エレベーターホールの脇にある階段で一三階に下り、あらためて一三階の共用廊下を歩く。以下同様に、二階まで辿っていく。その間、各階の壁にあしらわれたボーダー柄は青、緑、黄緑、黄、橙、赤、紫、青、緑、黄緑、黄、橙、赤と遷移する。二階に到達したら、人工地盤上のウッドデッキをめぐりながら島のように浮かぶ一三号棟へと移動する。その際、人工地盤に空いた長方形の穴から、地上レベルの駐車場や学童クラブ、子ども写真館の様子が目に入る。一三号棟は一〇階建てで共用廊下も短いので踏破するのにそれほど時間はかからない。二階には集会所があり、住宅は三階から始まる。橙、黄、黄緑、緑、青、紫、赤、橙。 この旅では風景がさまざまに変化する。フロアごとにあしらわれた色については既に述べた。ほかにも、二〇〇もの透明な玄関ドアが住人の個性を露わにする。たとえば、入ってすぐのところに大きなテーブルが置かれた部屋。子どもがつくったと思しき切り絵と人気ユーチューバーのステッカーが浮かぶ部屋。玄関に置かれた飾り棚に仏像や陶器が並べられた部屋。家の一部が透けて見える。とはいえ、透明な玄関ドアの四割近くは完全に閉じられている。ただし、そのやり方にも個性は現れる。たとえば、白い紙で雑に塞がれた玄関ドア。一面が英字新聞で覆われた玄関ドア。鏡面シートが一分の隙もなく貼りつけられた玄関ドア。そうした玄関ドアが共用廊下の両側に現れては消えていく。ときどき、外に向かって開かれた空洞に出会う。この一街区には東西南北に合わせて三六の空洞がある。そのうち、隣接する住戸が占有する空洞はプライベートテラスと呼ばれる。わたしのアトリエに面したテラスがそれだ。部屋からテラスに向かって戸を開くことができるが、ほとんどの戸は閉じられたうえ、テラスは物置になっている。たとえば、山のような箱。不要になった椅子やテーブル。何かを覆う青いビニールシート。その先に広がるこの団地の風景はどこか殺伐としている。一方、共用廊下の両側に広がる空洞、つまりコモンテラスには物が置かれることはないが、テラスに面したほとんどの戸はやはり、閉じられている。ただし、閉じられたボーダー柄の戸とガラスとの間に、その部屋の個性を示すものが置かれることがある。たとえば、黄緑色のボーダー柄を背景としたいくつかの油絵。黄色のボーダー柄の海を漂う古代の船の模型。橙色のボーダー柄と調和する黄色いサーフボードと高波を警告する看板のレプリカ。何かが始まりそうな予感はある。今にも幕が上がりそうな。だが、コモンテラスはいつも無言だった。ある柱の側面にこう書かれている。「コモンテラスで騒ぐこと禁止」と。なるほど、無言でいなければならないわけか。都市として運営されていない、とあの声は言った。 長いあいだ、わたしはこの一街区をさまよっていた。街区の外には出なかった。そろそろアトリエに戻らないとな、と思いながら歩き続けた。その距離と時間は日課の域をとうに超えていて、あの循環を逸脱しつつあった。アトリエに戻ったら、わたしはこのことについて書くだろう。今や、すべての風景は書き留められる。見過ごされてきたものの言語化が行われる。そうしたものが、気の遠くなるほど長いあいだ、連綿と積み重ねられなければ、文化は発生しない。ほら、見えるだろう? 一一号棟と一二号棟とを繋ぐ渡り廊下の上から、東京都心の風景が確認できる。東雲運河の向こうに豊洲市場とレインボーブリッジがあり、遥か遠くに真っ赤に染まった富士山があって、そのあいだの土地に超高層ビルがびっしりと生えている。都市は、瀕死だった。炎は上がっていないが、息も絶え絶えだった。密集すればするほど人々は分断されるのだ。
まあいい。そろそろ帰ろう。陽光は地平線の彼方へと姿を消し、かわりに闇が、濃紺から黒へと変化を遂げながらこの街に降りた。もうじき妻が都心の職場から戻るだろう。今日は有楽町のもつ鍋屋で持ち帰りのセットを買ってきてくれるはずだ。有楽町線の有楽町駅から辰巳駅まで地下鉄で移動し、辰巳桜橋を渡ってここまでたどり着く。それまでに締めに投入する飯を炊いておきたい。 わたしは一二号棟一二階のコモンテラスにいる。ここから右斜め先に一一号棟の北側の面が見える。コンクリートで縁取られた四角形が規則正しく並び、ところどころに色とりどりの空洞が光を放っている。緑と青に光る空洞がわたしのアトリエの左隣にあり、黄と黄緑に光る空洞がわたしの自宅のリビング・ダイニングおよびベッドルームの真下にある。家々の窓がひとつ、ひとつと、琥珀色に輝き始めた。そのときだ。わたしのアトリエの明かりが点灯した。妻ではなかった。まだ妻が戻る時間ではないし、そもそも妻は自宅用の玄関ドアから戻る。闇の中に、机とそこに座る人の姿が浮かんでいる。鉄格子とガラス越しだからはっきりしないが、たぶん……男だ。男は机に向かって何かを書いているらしい。テラスから身を乗り出してそれを見る。それは、わたしだった。いつものアトリエで文章を書くわたしだ。だが、何かが違っている。男の手元にはMacがなかった。机の上にあるのは原稿用紙だった。男はそこに万年筆で文字を書き入れ、原稿の束が次々と積み上げられていく。それでわたしは悟った。
あんたは、もうひとつの世界にいるんだな。 どうかな、 で、���まざまに見逃されてきたものを書き連ねてきたんだろう? そうだな。
もうひとりのわたしは立ち上がって、掃き出し窓の近くに寄り、コモンテラスの縁��いるこのわたしに向かって右手を振ってみせた。こっちへ来いよ、と言っているのか、もう行けよ、と言っているのか、どちらとも取れるような、妙に間の抜けた仕草で。
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経済に関する簡単な覚え書き
GDP=政府支出+民間支出(消費•投資)+純輸出(輸出-輸入)
※GDP…生産•分配•支出のいずれかの合計。三面等価の法則。
信用創造とは、市中銀行が民間の企業•家計等に対して負債(銀行預金)を増やすこと。いわゆる与信行動。ここにおいて貨幣は民間に供給される。即ちマネタリーストック(国民が通常使用できる現金紙幣•銀行預金)が増える。
政府•民間企業•個人などのいずれかの経済主体が負債を増やすことでGDPが増える。
デフレ時には民間企業•個人は経済合理的に考えて負債を抱えて投資と消費をすることを抑えるため、デフレを脱却するには経済合理性を無視して負債を抱えて投資•消費を行える政府の役割が肝要となる。従って、恐慌前夜の現在、日本政府が執るべき施策は国債を財源とする財政支出の拡大に他ならない。
日本の失われた20年の原因は総需要の不足というデフレという状況にも関わらず、政府の支出が減らし、需要を喚起せずに消費•生産•投資が全体で滞ったこと。それに留まらず、政府は税金を民間企業•国民に課したことで民間の貯蓄•資産•現金紙幣等を吸い上げたことで政府の負債(=民間の資産)を減らし、需要を減らしている。
日本の慣習•伝統に支えられた産業•行政構造(談合、護送船団方式、縦割り行政、派閥政治等)が失われた20年の要因ではなく、むしろ、政府の財政均衡論並びに緊縮財政、構造改革、規制緩和、グローバリズム推進こそがその原因といって然るべき。構造改革•グローバル化(供給能力の引き上げ)はインフレ時に行うべき政策であって、デフレ時に行う政策ではない。こ���をデフレ時にやると国民は賃金競争、過剰労働など不利な条件を強いられるため、貧困化•格差拡大•過労死等の弊害に苦しむことになる。(経済的困窮による自殺者の増加等)
税金の役割=インフレ率の抑制、富の再配分、景気安定装置 ≠予算執行の財源
予算執行の仕組みー財務省証券、政府短期証券を政府が日銀に持ち込んで日銀当座預金という財源を確保してその年の予算を執行する。税金から政府が予算執行するということは明らかな嘘
お金=貸借の証明書、借用証書 ≠物々交換を容易にするためのもの。例•モンゴル帝国期の兌換紙幣、貸借の関係を示すもの。ユーラシア大陸のほぼ全土を支配していたモンゴル帝国が経済の結びつきを強めるため、北京政府が発行していたもの。日本円で国民には納税する義務があるために日本円は流通する。現金紙幣=返済不要で利払い不要の中央銀行の国民に対する負債。国債=政府の負債(銀行の資産) 。日銀が市中銀行が保有している国債を買い取ることで事実上償還される。
国債発行で銀行の信用創造機能が働き、民間の貯蓄は銀行預金が創造される形で増える。
国債発行は論理的には無制限で可能。ただ、日本国内の供給能力には限界があるため、その範囲内でしか事実上国債は発行できない。
日本国債の過剰な発行による財政破綻は日本政府•日本銀行に自国通貨建ての通貨発行権があるため、有り得ない。
また日本は経常収支黒字国で貯蓄超過国、そして世界一の対外純資産を持っている国のため、日本円は安全資産と世界的に見なされており、2〜3%ほどのインフレ率であっても暴落する恐れはまずない。更に日本円は変動相場制のため、固定相場制を採る国と違い、通貨供給(国債発行)には制約はない。
(まとめ切れていなくて申し訳ない。本当は項目ごとに分けて書いて然るべきだが、私は頭が悪いのでそこまでできません)
上記のことを踏まえて、私が10年前、ある新聞社の面接で役員と話をしたところ、彼らは全くの無能で自分たちの報道を疑うことなく信じているのか、
「君はマッドサイエンティストか?」
「君のようなお馬鹿さんがいるから日本には未来がない」などと罵られ、その挙句、面接会場から、非国民のような扱われ方で追い出された。
その時、思った。こんなにみんなが困っているときに、奴らエリートときたら、自分たちに不都合な現実を軽視して自説を曲げないクソ野郎だと。
さて、消費��税があった昨年10~12月期にGDP速報値が年率換算で▲7.1%、東日本大震災の時を超えるショックにも関わらず、政治家、メディア、財界等のエリート層はこう考えている。
「これは一時的なもので長期化する恐れはない、いつか元に戻るだろう」
ここまでバカだったとは思いもしなかった。
コロナショックで自粛モードになって、街は閑散としており、昨年の第四四半期よりも更に経済の落ち込みが激しくなっていると容易に想像がつくのに、まだこんな楽観的なことを考えている。
こりゃ目先の金欲しさに娘がデリヘルでバイトしたりパパ活して身体を売ることに抵抗がなくなっても仕方ないわな。
エリートの皆さんは、まさか自分の娘がそんなピンクなバイトをしないとでも思っているのかも知れませんが、それは分かりませんぜ。何せデフレで貨幣の価値が物価の下落に伴い上がるわけですから、年頃の娘さんが化粧品やら服やらエステやらに目が眩んで目先の金を真っ先に欲しがっても何ら不思議なことはありませんからね。ましてや贅沢に慣れてしまっているようであれば、尚更、その傾向は強いと思われます。そんな実感のない、或いは、貧乏暮らしの辛さが分からない甘やかされたエリートたちが今のこの国難に対応するわけですから、暗澹たる気分にならざるを得ません。
残念ながら、もうこの国に生きる希望はないようです。合掌。
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坂東忠信(外国人犯罪対策講師、作家)
(青林堂『日本版 民間防衛』より)
国連人口部は「出生あるいは主権を持っている母国を離れて1年以上外国に住む人」を「移民」と定義づけています。また海外では、帰化1世や難民、密入国者、オーバーステイも移民とするのが一般的です。
日本ではどうかというと、滞在資格が90日を超える中長期滞在者も事実上の移民として数えることができるでしょう。3カ月以上の在留資格を取る人のほとんどが、資格を更新しますので、事実上の移民予備軍となるわけです。
しかし日本政府では帰化1世の人口統計を取っておらず、密入国者に関する統計もあるわけがなく、移民の実態を正確に把握できているとは言い難い状態です。中長期滞在者だけでも、平成28(2016)年は237万880人でしたが、翌29(2017)年256万9026人と、約7・5%も増えています。
今まで日本人は、「国民か外国人か」という区別をしてきました。しかし移民が激増した今日では、これが問題を見えにくくしています。帰化した外国人も「国民」として扱うことになるからです。
日本には、帰化1世の議員が多数いますが、私たちは彼らが移民であることを意識することはあまりないと思います。しかし国籍は日本でも、帰化1世であれば「移民」です。世界ではそのように考え、移民の参政権には制限があるのです。
「帰化」とは「帰属化」であるところ、国旗の授与も国歌斉唱も国家忠誠の宣言もない日本の帰化は帰属化することのない単なる手続きであって、国家の象徴をないがしろにする真に日本の仲間とは認め難い議員もいるので、「日本国籍を持っているから仲間じゃないの?」というわけにはいかないのです。
そこで、国連の定義に従うなら、日本の議員の中には「国民議員」と「移民議員」の2種類がいるということになります。そう言われて初めてハッとする方もいるでしょう。
帰化1世の野党移民議員が現職、元職を含め存在することが確認されている上に、他国では辞職となる二重国籍でも大臣になれるし、現職のままで議席についていますが、果たして彼らは日本の国会議員といえるのか。日本のために働いているのかどうか疑わしい議員もいますがこれでいいのか?
もちろん、国籍問題にけじめをつけた与党議員のように、日本のために帰化し、国会議員になった議員もいます。一概に移民議員はよくないとは言いませんが、移民も帰化さえすれば国会議員にもなることができるという現行制度は、そろそろ見直す必要があるのではないでしょうか。
国会の中に移民議員がいることと、その人数が明らかになれば、国民ももっと真剣に移民問題について考えるようになるはずです。はっきりと区分することで、外国の侵略を受けるなどの有事となったとき、誰が敵国側につくのかといった危機意識もはっきりしてくるのではないでしょうか。
日本人と外国人を見分けようとしても、多くの人はピンと来ないでしょう。しかも外国人のほとんどは中国大陸か朝鮮半島から来ているため、「あの人は外国人だよ」と言っても「半島の人でしょ」みたいな感じになってしまいます。これは民間人に限った話ではなく、警察自体も今ひとつピンと来ないため、「来日外国人犯罪の検挙情況を公表しろ」と言っても、「でも在日でしょ」となってしまうわけです。
「外国人犯罪の検挙情況」「来日外国人犯罪の検挙情況」は出ているわけですから、単純に引き算をすればいいというのが、一部左翼側の主張です。しかし来日外国人に関する資料ほどの詳細な分析は不可能で、一般人の引き算資料より公的機関の公表資料の方が信頼性があるのは明らか。本来警察がデータを取り、分析し、公表すべきものなのに、「非常に手間がかかる上、前例もきっかけもないから在日外国人の犯罪の検挙状況は出せない」というのが警察庁の回答です。
しかし、パソコンなどの性能が上がり、身分証の容易な偽造が可能になったり、海外などから多種多様な違法薬物が流入したり、ビットコインなど、現金以外の決済手段が発達したりするなど、いわゆる犯罪インフラの向上によって、外国人犯罪も今後さらに複雑化していくものと思われるため、中長期滞在者の犯罪傾向の把握なしに外国人問題を考えることはできません。
そういう状況にもかかわらず、警察庁のこの及び腰はどうかと思います。今後ますます複雑化、深刻化するかもしれない外国人犯罪に対処するためには、在日外国人の犯罪状況の正確な把握が不可欠なのは言うまでもないでしょう。
拙著『在日特権と犯罪』では、本邦初公開となった在日外国人犯罪に関する資料を一部引用しています。平成26(2014)年に検挙された「来日」「在日」外国人の国籍別と、日本人の総人口における検挙者の割合を「1」とした場合の外国人検挙割合の比較、さらに「来日」「在日」外国人別に、平成26年までに殺された日本人の数と殺した外国人の数に関するデータを、警察庁から個別に入手しましたので、詳細は拙著にてご覧ください。
なおこの資料は、衆議院議員の長尾敬先生を通じて、警察庁にリクエスト、統計化したもので、前例を覆していただいた貴重な資料です。
予備軍も含む移民が約256万人ということは、総人口約1億2500万人に対して、約50分の1は移民ということになります。ただし、外国人人口は地域較差も、大きくこの数字には難民、密入国者、オーバーステイは含まれていませんので、国連の基準に則(のっと)れば、もっと比率は上がるのではないでしょうか。
すでに日本は移民社会になっているとみるべきでしょう。もちろん移民すべてが危険ということではありません。私たちが気をつけなければいけないのは、犯罪分子と反日分子ですが、これらには、ちょっとした違いがあります。犯罪分子は反社会的な、人に迷惑かけても別に構わない、自己中心的な人たちで、反日分子は、文字通り「反日」を目的として行動する人たちです。
犯罪分子は文字通り一般的な(という言い方もなんですが)犯罪者、反日分子は、例えば愛国心や忠誠心から、あるいは母国の機関からの報酬などを目的に、仕事として破壊活動をやる工作員というように分けることができます。どっちも日本人に対して害ですが、ここは区別が必要です。
また、中国、韓国朝鮮系の2世、3世が多いエリアでも、彼らは日常から日本語を話しているため、外国人と認識しずらい状況にあります。そう考えると、50人に1人は移民という状況の中、危機管理はどうなるのか? という疑問や不安が湧いてくるのも当然。そこに反日分子が入り込んでいたとしたら…。考えただけで恐ろしくなりますね。
特に外国籍のまま、世襲で滞在資格を認められている特別永住者(内99%は韓国朝鮮人)らは、日本語を普通に話し、街中を歩いています。しかし日本にはスパイ防止法がありません。G7の中でもスパイ防止法がないのは日本だけです。「特定秘密保護法があるだろう」という人もいますが、スパイ防止法とはまったく違うものです。
「秘密」とする事項をどのように指定するのか、指定された秘密をどう管理するのか、また秘密を管理する人員の基準、秘密を管理するものが不法に情報を漏らした場合の処罰をどうするのかなどが定められているだけで、スパイを処罰する根拠はまったくありません。「日本国内の秘密に接してもいいよ」と許可された人が秘密を洩らした場合に処罰するための法律であって、外国から日本に来て情報を持ち出した人を処罰する法律ではないのです。
また通称「盗聴法」とも呼ばれる「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律」は、文字通り犯罪捜査のために、通信を傍受できる、はずの法律なのですが、警察官が盗聴器をしかけたら、30日以内には証拠となる会話が録とれなくても通信を傍授していた事実を通知しなければいけない(延長可)。
こんなのまぬけもいいところです。「盗聴しました」なんて言われたら、誰だってその後は警戒するじゃないですか。人権派の一部は「国家に監視される」「私生活が盗聴される」と騒いでいましたが、警察はそんなに暇ではありません。
中国人が増殖する仕組みについて集合住宅を例に説明しましょう。まず彼らの誰か1人が開拓者となって部屋を借ります。そこが1人契約の部屋なのに2人、3人…と同居する。そのほうが1人あたりの家賃負担が安くなるからです。しかし日本語より甲高い声で会話する中国人は1人増えてもうるさく感じるのに、2人、3人と集まると余計うるさく感じるため、うんざりして退去する日本人が出ます。
そうして空き部屋ができると、中国人たちは知り合いにその部屋を紹介するようになります。面子を重んじる中国人は、誰かに頼られることを、ステイタスにするところがあるため、「どっか部屋空いてない?」という相手には、「俺のすごいところを見せてやる」とばかりに知人にツテを求め、知り合いの大家がいれば掛け合います。そして同じように1人契約の部屋に2、3人で住み着くのです。
そうするとさらにうるさくなり、日本人が嫌になって退去して、また中国人が入居する。そういう連鎖が拡大していくのです。
これは中国人やそのコミュニティ増殖の原動力といってもいいかもしれません。日本人の��物評価のような「まじめな人」「やさしい人」かどうかよりも誰と、何人と、どんな人脈を持っているかが問われますので、中国人が集まり始めるとすぐに大きな集団になるわけです。「あいつすごいんだよ、知り合いにこんな人がいて」というのが中国人社会のステイタスで、それが商売にも結びついてくるからです。
「民泊」という言葉をここ4、5年ほど前から耳にするようになりました。今年(平成30〈2018〉年)6月から施行された「住宅宿泊事業法」を元に、民泊は届出制で開業できるようになりました。
その前は「ルームシェア」といわれていましたが、私が刑事を退職した15年ほど前には、まだその言葉さえありませんでした。しかし、私がまだ北京語通訳捜査官だった20世紀末ごろから、密航者の多い中国人や不法滞在者の多い韓国人により「ヤミ民泊」が行われていたのです。
東京オリンピックを控え、首都圏では建設労働者が不足し、海外から、もちろん中国からも多数の労働者がすでに国内に入っているでしょう。彼らもこうした民泊を利用していると思われます。しかし、建設関係に求人が集まるのはオリンピック開催前までで、開催中は観光案内や滞在のサポートといった語学力を伴うビジネススキルを備えた人材が必要とされるなど、オリンピックに関連する労働需要も変化します。
しかしオリンピック終了後、語学力を伴うビジネススキルを備えた人材も淘汰されていきます。彼らがそのまま帰国してくれればいいのですが、そう簡単にはいかないでしょう。一度日本で快適な生活を送れば、母国に帰りたくないという人が出てきてもおかしくありません。
そのときも民泊が彼らの拠点となる可能性があります。民泊仲介サイトのAirbnbでは、身分確認のための個人確認と登録を行っていますが、安い宿ではそれを必要としていない場合も多く、実態をつかめない部分も多いのです。
外国人自身が民泊のオーナーとなっているケースや、風俗マッサージ店が閉店後もベッドを利用して民泊化するケースもあります。東京オリンピック関連に限らず、無届けの民泊が中心になってオーバーステイの隠れ蓑になる可能性があるとみるべきでしょう。
さて、これまでは、中国人は同じ地方出身の者同士、例えば上海人なら上海人同士で仲良くなるというのが一般的で、上海人と福建人が仲良くなるようなことはあまり聞いたことはありませんでした。違う地方の出身者同士だと、喧嘩になってしまうからです。
しかし中国人全体の数が増えたこともあって、違う地方出身者が同じ職場などにいることも珍しくなくなり、出身地が違っても仲良くなるケースも出てきているようです。私の知る範囲でも、仲のいい上海人と福建人がいました。
こうした例は今後増えるかもしれません。警察もこれまでは異なる外国人同士は対立していることを前提に情報収集なども行ってきましたが、彼らが日本国内でまとまると日本人対外国人の図式になってしまいます。そうなるとこれまでのやり方が通用しなくなるだけでなく、日本人社会と中国人社会の間の溝が深まる恐れも出てくるでしょう。
彼らの日常の中には偽造旅券や偽造在留カード等犯罪組織に関わる要素が普通に入り込んでいるため、困った事があるとこうした違法なサービスを簡単に受け入れてしまいます。例えば「オーバーステイになっちゃった、どうしようかな」と言えば、「知り合いに偽物の外国人登録書作ってくれるとこあるよ」となるわけです。
日本人だと、犯罪組織と結びつくことなどとんでもないことですが、彼らは日本人のような順法精神は持っておらず、特に旅券などの偽造や著作権を無視したコピーなどに見られるように、被害者が見えず利得があればそれを選びます。単に言葉が違うといったことだけでは説明がつかない違いがあるということを意識する必要があるのです。
偽物の外国人登録書を作る知り合いがいるようなことも、普通に会話できるどころか、ステイタスにさえなってしまうのです。「政治家から犯罪者まで、俺はいろんな人脈を持っている」ことは頼りがいがあるということなのです。
日本人なら、絶対に分別すべきところですが、中国は昔から、『水滸伝』の梁山泊(りょうざんぱく)のように、山賊が政治家にステップアップする社会です。スタートが山賊というのも何ですが、彼らは最初からきれいである必要はないと考えているようです。社会がそういう構造ですので、きれいなままでは出世しにくいのです。
現在、国際結婚の7割は日本人男性と外国人女性の組み合わせで、さらに外国人女性の4割が中国人です。後継者問題を抱える農村部でも、中国人配偶者が増え続けています。北海道を例に見てみると、北海道では住民登録する中国人の男女比が1:2。女性が男性の倍となっています。彼女たちの多くは、日本人独身男性の配偶者となり、その多くが10歳以上離れた年の差カップルです。
どう考えても旦那のほうが15年くらい先に死んでしまい、中国人の奥さんとハーフの子供が残されることになります。そうなるとその土地に馴染めなかった奥さんが、農地や家屋を全部処分して、子供を連れて帰国してしまうことも十分考えられます。
中国人のケースではないのですが、山形県の戸沢村では、村の男性の配偶者に多数の韓国人女性を迎え入れた結果、夫と死別したり、離婚したりして残された韓国人の奥さんたちが、キムチを地場産業にしようということになり、道の駅が丸ごと韓国風になってしまいました。
安易に外国人配偶者を求めると、結果的に村が乗っ取られたり、あるいは棄てられたりしてしまうこともあり得るということです。
しかし、北海道にしても山形県にしても、彼女たちが乗り込んできて村の独身男性の配偶者に収まったということではありません。結果的には人口侵略、文化侵略のような形になってしまいましたが、日本人が望んで呼び寄せた人たちです。
農村に限らず、冒頭でお話しした都市部の集合住宅にしても、空き部屋を出したくない大家さんが、中国人に部屋を貸したのが始まりであって��ある日突然国際窃盗団のような連中が押しかけてきたわけではありません。コンビニや居酒屋のアルバイトもそうです。
また中国の進出が著しいとされている沖縄も、実は台湾人も多く入ってきていて、見分けがつかず、よけいに不安に思っている人もいるようです。中国が脅威であることは当然なのですが、恐怖心が増幅しイメージが一人歩きしている側面もあります。
やはりここでも情報を多角的に正確に、そして冷静に読み取って状況を判断する必要があるということになります。
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2022年4月16日
2021-22 Yogibo WEリーグ第17節 ノジマステラ神奈川相模原 0-2 サンフレッチェ広島レジーナ@相模原ギオンスタジアム 791人/44分 上野真実、70分 上野真実
【N相模原vsS広島R】上野真実の2得点でS広島Rが8試合ぶり白星!【マッチレポート Yogibo WEリーグ 第17節】
初の連勝を狙うノジマステラ神奈川相模原は14分、CKからのこぼれ球を#6松原有沙が狙いますが、サンフレッチェ広島レジーナの守備陣が身体を張った守備で掻き出します。44分、S広島R#7川島はるなからボールを受けた#9上野真実がゴール右隅に決め、チームとして5試合ぶりの得点で先制すると、70分にも再び上野が決めリードを広げます。反撃したいN相模原は#22伊東珠梨のロングシュートでゴールを脅かしますが、得点には至らず。守り切ったS広島Rが8試合ぶりの白星を飾りました。
広島駅北に大規模な病院整備案 県立広島病院とJR広島病院の統合検討も 県構想で検討委提言へ(中国新聞)
広島県による高度医療や人材育成を担う拠点づくりの構想で、県医師会や広島大、県、広島市などでつくる検討委員会がまとめた提言「拠点ビジョン」の概要が15日、分かった。JR広島駅北側の二葉の里地区(東区)を候補地に、千床程度の入院ベッドを持つ大規模な新病院の整備を提案。県立広島病院(南区)と同地区にあるJR広島病院を統合する案の検討を盛り込む見通しだ。
県は今後、実現できるかどうかを検討し、新病院の整備の可否を判断するとみられる。広島都市圏内の病院の今後の役割分担などを巡り、医療関係者たちを巻き込んだ幅広い議論が必要になる。
複数の関係者によると、検討委は3月下旬に非公開で会合を開き、主に県への提言である拠点ビジョンを大筋でまとめた。新病院の役割を「高度・急性期医療を担う基幹病院」と明示。整備候補地として、利便性の高さなどを考慮して二葉の里を挙げる。
病院の再編・統合が本格化(NHKニュース)
高齢化と人口減少が進む中、広島県などが病院の再編や統合を本格化させることがわかりました。
医師を集め、高度な医療を提供する拠点病院を整備するため、JR広島駅近くの候補地に県立広島病院とJR広島病院を統合する案が今後、検討される見通しです。
高齢化で医療ニーズが高まる一方、人口減少で医療を担う人材不足が懸念される中、広島県や医療関係者などでつくる協議会は今後の医療提供体制について検討を進め、3月、報告書をまとめたことが関係者への取材でわかりました。
この中では、医師を集め高度な医療を提供するとともに、人材を育成する拠点を新たに整備する構想が示され、JR広島駅から徒歩5分の広島市東区二葉の里を候補地として、この場所に立地しているJR広島病院と広島市南区にあり、老朽化が進む県立広島病院を統合する案が今後、検討される見通しです。
新たな病院はベッド数が1000床程度と大規模なもので、がんや小児救急など高度な医療を提供するとともに若手医師を育成して、県内各地に派遣する拠点を目指すとしています。
高齢化と人口減少が進む中、必要な医療を効率的に提供するため、国は全国の都道府県に対し病院の再編・統合を議論するよう求めています。
県内のうち特に広島都市圏では病院の数は多いもののそれぞれの病院が同じような診療を担い、医師なども分散して配置されているため、非効率な医療体制になっていると指摘されていました。
広島県はほかの病院についても、連携や機能の分担を検討することにしていて、病院の再編や統合が本格化することになります。
JR広島駅北口に「1千床規模」の大型拠点病院、設置を本格検討へ(朝日新聞 4月20日)
広島県は19日、JR広島駅近くで新しい大規模病院の設置を目指す方針を明らかにした。1千床を確保し、中国地方で初の小児救命救急センターも設ける計画で、早ければ県の9月補正予算案に関連費用を盛りこみたい考えだ。
県によると、候補地はJR広島病院(広島市東区二葉の里、275床)を含む約2万6千平方メートルの民有地。同病院と県立広島病院(広島市南区宇品神田、712床)を統合した上で、全国トップレベルの専門医療を受けられる拠点病院を建設する計画という。
この案は、県や医師会、広島大などでつくる検討委員会が策定。報告書では、広島市内で複数の基幹病院が同様の機能を持つ状況が「非効率だ」と指摘。医師がより多くの症例を経験できる大規模な拠点病院として統合することで、全国から若手医師を集めながら、中山間地域にも医師を派遣しやすくなる、とした。
ただ、この日の県議会では県の方針に理解を示す声が相次いだ一方、「(県立広島病院の近隣住民から)病院がなくなると困るという声が出ている。県立病院をどうするかを示さないと不安が広がる」との批判も出ていた。(大久保貴裕)
23年G7サミット、広島が有力(中国新聞)
政府が、2023年に日本で行う先進7カ国首脳会議(G7サミット)の開催地に関し、岸田文雄首相の地元・広島市を有力な候補として検討していることが分かった。ロシアによるウクライナ侵攻を受け、核兵器の脅威と平和の重要性を訴える上で戦争被爆地・広島での開催に意義があるとの見方が背景にある。福岡市も候補に残っており、近く本格調整に入る。複数の政府関係者が15日、明らかにした。
今年6月下旬にドイツ南部バイエルン州のエルマウ城で開かれるG7サミットまでに、来年の開催地が発表される見通し。首相は選定へ詰めの協議を進め、関係国と調整��た上で決定する。
来年日本で開催のG7サミット 有力候補地として広島市検討(RCCニュース 4月15日)
来年、日本で開催されるG7サミットをめぐっては、広島市、福岡市、名古屋市が立候補しているほか、仙台市も開催に意欲を示しています。
岸田総理としては被爆地・広島で開催し、「核なき世界」の実現をアピールしたい考えですが、核保有国であるイギリスやフランスなどが難色を示す可能性もあります。
政府内には、「警備面を考えると福岡の可能性も、まだ十分ある」との声もあります。
3地域が争うG7サミット開催地 広島は首相の地元(産経ニュース)
誘致に力を入れるのが福岡空港からのアクセスの良さなどをアピールする福岡市だ。高島宗一郎市長は福岡県を地盤とする自民党の麻生太郎副総裁らとの親密な間柄も強みにする。
その福岡市は、岸田首相の地元・広島市を強く意識。高島氏は今年1月、サミット誘致の要望のための首相との面会後、記者団に「ライバルは広島市だと思っている」と宣言した。被爆地の広島市は、首相のライフワークでもある核兵器廃絶を前面に打ち出したい考えだ。
ただ、G7には核保有国の米英仏が含まれており、こうした国々の賛同を得られるかが焦点となり、首相の働きかけが不可欠だ。首相は4月末からの大型連休での外遊や、5月の日米首脳会談の機会を通じ核保有国首脳の意向を探る。
名古屋市も自動車など「ものづくり王国」の産業力をアピールを続ける。(永原慎吾)
マンションが芸術家の“巣”に 広島(広島ホームテレビ)
芸術家たちの活動拠点になっている賃貸マンションで工房や展示スペースとして活用中の部屋がお披露目されました。
広島市中区の築45年で4階建てのマンションでは16部屋のうち7部屋でアーティストらが活動しています。
2017年、リノベーション可能な賃貸を開始したところ、立地の良さや手ごろな家賃から若い芸術家が集まりました。
第2三沢コーポ 三澤正明さん「我々が部屋をつくると他にある部屋とあまり変わらないが、アーティストがつくることによって作品のような部屋ができる」
織り作家の平浜さんは約1年半をかけアトリエ兼ギャラリーに改装しました。
織り作家 平浜あかりさん「シンクもコンロもない状態だったが、染めの作業をするために中古の機材屋で探し購入して設置した」
5月にはウクライナ出身でアメリカ在住のアニメーション作家も入居するということです。
文豪トルストイのひ孫、スイスでウクライナ難民受け入れ(AFPBB)
【4月16日 AFP】ロシアの文豪レフ・トルストイ(Leo Tolstoy)のひ孫、マルタ・アルベルティーニ(Marta Albertini)さん(84)はスイス・アルプス(Alps)近郊の小さな村に暮らしている。家族のルーツであるロシアによるウクライナ侵攻が起きるとすぐに、難民を助けなければという思いに駆られたという。
「本能的でした」と言うアルベルティーニさんはスキーリゾート、クランモンタナ(Crans-Montana)近郊のランス(Lens)に所有するアパートを、ウクライナから避難してきたアナスタシア・シェルドゥコ(Anastasia Sheludko)さん(24)と母親に貸している。
曽祖父のトルストイは、平和主義者だったことで有名だった。もしも、ウクライナの紛争を見たら「戦慄(せんりつ)」し、「完全に打ちのめされてしまうだろう」と述べる。
「戦争と平和(War and Peace)」や「アンナ・カレーニナ(Anna Karenina)」などの名作を書いたトルストイは、19世紀半ばのクリミア戦争(Crimean War)に従軍し、セバストポリ包囲戦(Siege of Sevastopol)を経験した。
アルベルティーニさん自身はイタリアとフランスで育ち、数年前にスイスを永住の地に選んだ。自身を含めトルストイの多くの子孫が、「私たち一族は、罪のない国を侵略するという現在の恐ろしい行為に反対します」と記した書簡に署名し、ロシアのウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領宛てに送ったことを明かした。
シェルドゥコさんと母親は、住んでいたウクライナ南部の都市ミコライウ(Mykolaiv)の自宅を後にし、先月13日にランスに到着。ウクライナ人家族の受け入れを支援している地元男性の仲介で、アルベルティーニさんのアパートに滞在する話がまとまった。
2週間が過ぎた今、シェルドゥコさんは新たな土地に落ち着いた様子だ。近隣の町シエル(Sierre)にある大学の授業も受け始めた。スイスに来て心底安心したと言う。
アルベルティーニさんと初めて会ったときは「とても感情的になりました」とシェルドゥコさん。ロシア語を話す家主が誰かを知ったのは、後になってからだった。偉大な作家の子孫に受け入れてもらえて「大変な名誉です」と言う。
シェルドゥコさんの言葉を押しとどめるように、アルベルティーニさんは「アパートを持っていたから、お手伝いができた。それだけのことです」と述べた。
米のウクライナ支援で「予測できない結果」に ロシアが警告文 報道(AFPBB)
【4月16日 AFP】ロシアが、ウクライナへの軍事支援を続ける米国に対し正式に不満を表明し、先進兵器の供与を進めれば「予測できない結果」をもたらすと警告する文書を送っていたと、米メディアが報じた。
米紙ワシントン・ポスト(Washington Post)によると、ロシアは今週、米国と北大西洋条約機構(NATO)に外交文書を送付。その中でロシアは、ウクライナに「最も高精度」な兵器を供与しないよう警告し、そうした行為は「火に油を注ぐ」ようなもので、「予測できない結果」を招く可能性があると記した。
米国のジョー・��イデン(Joe Biden)大統領は今週、ウクライナに対し、ヘリコプターやりゅう弾砲、装甲兵員輸送車など計8億ドル(約1000億円)相当の追加軍事支援を約束していた。
米国務省はこの外交文書についてコメントしていない。
ポスト紙は匿名で取材に応じた米高官の話として、「われわれがウクライナのパートナーに提供してきた膨大な支援が、極めて効果的であるという表れだ」と伝えた。
米紙ニューヨーク・タイムズ(New York Times)が引用した当局筋の話によると、外交文書は通常のルートで届いたもので、ロシア政府高官の署名はなかった。
また米CNNによると、内容に詳しい関係者は、今回の警告はロシアがウクライナ侵攻を続ける一方で、米国とNATOに対し攻撃的な姿勢を強めようとしていることを示唆するものかもしれないと語った。
【本日 (4/16)の広島県内の感染状況】(広島県)
【国内感染】新型コロナ 48人死亡 4万7598人感染(16日18:30)(NHKニュース)
山形県 新型コロナ 新たに192人感染確認(NHKニュース)
福島県 新型コロナ 新たに556人感染確認(NHKニュース)
東京都 新型コロナ 9人死亡 新たに6797人感染確認 前週比1300人余減(NHKニュース)
神奈川県 コロナ 7人死亡 4048人感染確認 前週土曜日比257人増(NHKニュース)
大阪府 コロナ 8人死亡 3644人感染確認 前週土曜日比500人余減(NHKニュース)
京都府 新型コロナ 新たに917人感染確認(NHKニュース)
兵庫県 新型コロナ 1人死亡 2040人感染確認 4日連続2000人超(NHKニュース)
鳥取県 新型コロナ 新たに111人感染確認(NHKニュース)
島根県 新型コロナ 新たに152人感染確認(NHKニュース)
高知県 新型コロナ 新たに147人感染確認(NHKニュース)
沖縄県 新型コロナ 1人死亡 新たに1439人感染確認(NHKニュース)
地方で「第7波入り」の見方 各自治体、対策に手詰まり感―コロナ感染、9県で最多更新(時事通信)
新型コロナウイルス感染が地方の一部で急拡大していることを受け、自治体の間では「第7波の入り口に立った」との見方が広まりつつある。厚生労働省によると、福島や長野、宮崎など9県で12日までの1週間の新規感染者が過去最多を更新。各自治体は若者にワクチン接種を呼び掛けるなど感染対策に注力するが、手詰まり感も漂う。
新規感染が過去最多となったのは3県に加え、岩手、秋田、新潟、愛媛、大分、鹿児島の各県。地方で急増していることについて、厚労省専門家組織の脇田隆字座長は「免疫の獲得で地域差が生まれている」とし、第6波でそれほど感染が広がらなかったためとの見方を示す。ただ、9県の間からは「無症状の人を含めた検査をしているわけではなく、仮説にすぎないのでは」と懐疑的な声も漏れる。
9県のうち、宮崎県の河野俊嗣知事は12日の会見で「過去最悪の感染状況。局面が全く変わってきている」と危機感を表明。「感染がさらにひどくなり、医療が逼迫(ひっぱく)すれば、より強い行動自粛をお願いせざるを得ない」と述べた。長野県の阿部守一知事は15日、「国レベルで都道府県別データをよく分析してもらいたい」と求めた。
福島県では国の「まん延防止等重点措置」が解除された先月7日以降、県民に家庭内や会食での感染対策徹底などを要請。今月18日からは街頭活動や防災無線を通じた呼び掛けも始めるが、長引くコロナ禍でこうした注意喚起の効果は薄れつつある。県の担当者は「呼び掛けをやめれば『じゃあ、いいんだ』となる。数字として効果は表れにくいが、発信し続けるしかない」と語る。
一方、全国的に見ても感染は高止まりしている。背景にはオミクロン株の別系統で感染力がより強いとされる「BA.2」の出現や、若者のワクチン接種率の低さがある。「BA.2は第7波の大きな原動力になる」(平井伸治鳥取県知事)、「第7波に入ったという前提で対応を」(丸山達也島根県知事)との指摘も相次ぐ。
東京都の小池百合子知事は15日の会見で「感染の連鎖を断ち切る効果が期待できるのがワクチンだ」と強調。愛知県の大村秀章知事も「コロナ以前の日常を取り戻すためにもワクチン接種を」と訴えた。
コロナ禍、4割が妊活に影響 「前倒しした」「やめた」(共同通信)
住友生命保険は16日までに、仕事と妊活の両立に関するアンケートの結果を公表した。新型コロナウイルス感染拡大で妊活中の人の4割に「前倒しした」「やめた」「延期・休止中」などの行動の変化があったことが分かった。
妊活を「前倒しした」は10.9%、「やめた」が10.5%、「延期・休止中」が9.1%、「延期・休止したが再開した」が8.8%となった。
妊活の延期や休止、やめた理由を複数回答で尋ねたところ「感染した場合の妊婦・胎児へのリスクの不安」が最も多く32.7%。「感染リスクの高い時期の出産は避けたい、乳児の感染が不安」の27.8%が続いた。
中国・西安が新たにロックダウン、市民1300万人に移動制限(ロイター)
[北京 15日 ロイター] - 中国北西部の西安市当局は15日、新型コロナウイルスの感染増加を受け、4月16─19日に部分的なロックダウン(都市封鎖)を行うと発表した。市民約1300万人の移動を制限する。
13日に南部の海南島を訪問した習近平国家主席は、深刻なパンデミック(世界的流行)の下で「ダイナミックゼロコロナ」政策を継続する考えを示している。
西安では昨年12月にもデルタ株拡大を受けてロックダウンを実施。今回のオミクロン株拡大では43件の市中感染が確認された。
市政府によると、導入するのは完全なロックダウンではないが、市民の行動は主に住居敷地内に制限され、企業には在宅勤務を推奨する。
レストランでの食事、娯楽施設や文化施設、学校の一部対面授業も停止される。また、タクシーなども市内から出られない。
TMNまで届くのは時間の問題!? 団塊ジ��ニアは老人ホームで「Get Wild」を聞くという予想ツイートが未来視感(ガジェット通信)
2022年4月8日に発売35周年を迎えたTM NETWORKの大ヒット曲「Get Wild」。アニメ『シティ・ハンター』のED曲としても馴染み深く、カラオケで一度は歌ったという人も多いのではないでしょうか。
『3分診療時代の長生きできる受診のコツ』(世界文化社)の著者で神経内科医の高橋宏和氏(@hirokatz)が、団塊ジュニアの老年期に老人ホームで「Get Wild」がかかるようになるとツイートして話題を集めています。
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Szerelmem Budapest
きっかけはなんてことなかった。正直な話、憧れてたわけでもなければここじゃなきゃいけない理由もなかった。たまたま条件に合っただけでたどり着いただけだった。
まるで恋人との関係のようだ。馴れ初めの頃は何もかもが美しく楽しかった。それまでいた北欧と比べ物価もずっと低く、様々なレストランと世界遺産の街並み。それでも鼻にかけない気さくな雰囲気がとても居心地が良かった。この街や国の歴史を知りその気持ちはより高まり、ここで何ができるかと胸をときめかせていた。1分1秒を無駄にしまいと毎晩のように街へと繰り出した。
ハンガリーでの賃貸は大家さんとの直接契約が主流であり良い物件は基本的に早い者勝ちだ。私の借りたアパートは繁華街から徒歩5分。場所から考えれば少し安い物件で自分の望む条件にぴったりだった。10件ほどメールを送り半分が無返答、実際に内見できたのは3件。時期も時期だったので滑り込みで運が良かった。
築120年の石造りのアパート。東京で言えば歌舞伎町の裏側のような場所。ストリップバーが立ち並びホームレスが昼間から道端で倒れている。夜道は怪しい身なりの集団が徘徊しロマと呼ばれるジプシーが多く住むこの場所を私は気に入った。
もちろんいつだって楽しかったわけじゃない。相手を知れば知るほど倦怠期は必ずやってくる。気がついたら悪い面ばかりに目が行き、こんなところに居れるかと何度も憤った。
コロナが流行し、家から出ない日も増えた。久々に街を歩くと以前とは違う人の気配のない寂しい光景が広がっていた。よく飲みに行っていた安いオープン��ーにはバリケードが張られ、割れたグラスがそのままになっていた。
時を同じくして自分の状況も良くなかった。正直ここに居ることに意義を見出せなかった。
それでもここに居る、居たい理由があった。
ワクチン接種が進み街に活気が戻り始めると同時に自分の生活も充実し始めた。一度は枯れたように見えた光景が以前にも増して美しく映る。もう一度この街に恋をしたようだった。
この街で様々な出会いがあり、様々な体験をした。沢山のことを学び、そして悩みながら以前とは違う自分を感じれるようになった。憧れて来た所ではなかった。しかし今では大好きな街になった。
だからこそ簡単な決断じゃなかった。人生で一番悩んだ。
Szerelmem Budapest.
また会いに来るよ。何度でも。
Szia.
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TEDにて
キャサリン・フルトン:わたしたち一人一人による慈善活動
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
キャサリン・フルトンが未来の慈善活動について熱く語ります。
それは、コラボレーションとイノベーションによって、私たち普通の人々が「たとえわずかな財源!」でも大きな事をやってのけるという未来です。
5つの大衆による慈善活動の例を示し、次世代のリーダーたちに訴えかけます。
1つ目は、今までの慈善団体のようにお金のために寄付するのではなく、例えば���その一例として、ウィキペディアなどわずかな時間と慈愛をインターネットで寄付することが出来るようなこと。
もちろん、応援も含めて小さな店の製品やサービスをインターネットで寄付の意味も込めて、購入しても良いですしクレイシャーキーの言うように思考の余剰というものの拡張版として考えてもいいです。
2つ目は、オンライン市場のピアツーピア型のサイトが比較的簡単に立ち上げ可能になったこと。
2013年では、クラウドコンピューティングで構築も可能になっています。
3つ目に、金融工学の進歩によって、基礎的なファンドの活用の幅広くなったために小額で寄付のファンドも多様に創造できるようになりました。つまり、寄付の集約です。
大きな夢のために小額の寄付ファンドを活用していくなど。その後、クラウドファンディングができています。
さらに、インターネットで3つをマッシュアップすることで、最速で爆発的にリターンが社会システム全体的に公的な税金以外で、すそ野が拡大し、多様に得られるかもしれません。
ヘッドタイプの大規模な寄付団体も良いのですが、2007年当時よりも小額課金インターネットサービスが「PayPal」、「Coiney」、「Square」など、日本でも開始してるので、ハイブリッドな小額寄付も速く実現するとよいですね。
なお、日本の99%が中小企業であることも重要な要素です。また、ここではロングテールタイプである小額課金の寄付に絞って話をしています。
「Square」は、エヴァン・ウィリアムズらと、共に、Twitterを創業したジャックドーシーが創業しました。
こうした中で、私が思い浮かべる未来像には、社会システム的特異点という考え方があります。
多くの人は、私がSF作家のヴァーナー・ヴィンジの有名な言葉である技術的特異点を引用しているとお気づきでしょう。
ある動きが加速し広く行き渡り、そして、統合され、これまでにないショッキングな結果に至るという考えです。
もしかしたら、未来の社会システム的特異点は、私たちが最も恐れているものかもしれません。
環境破壊が、壊滅的に広がるかもしれません?大量破壊兵器や貧困が世界中に行き渡るかもしれません?というものこうした問題は、私たち人間の限界、解決能力を超えて日々、増え続けているからです。
今日、ここで学んだように文明の未来が、ここまで私たちの手の中にあるような時代は、これまでにありませんでした。
問題なのは、この社会システム的特異点とは、プラスサム的で好ましいことなのか?です。
どこまで共生できるかには、限界があるのでしょうか?未来の限界を想像する必要はありません。
希望に満ちた未来をつくりあげていけばよいのです。
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
(合成の誤謬について)
合成の誤謬とは、ミクロの視点では正しいことでも、それが、合成されたマクロ(集計量)の世界では、必ずしも意図しない結果が生じること。物理学では、相転移みたいな現象です。性質が変わってしまうということ。
ミクロのメカニズムが個人同士の経済における仕組みであるのに対して、マクロのメカニズムは、国家間や経済全体の循環における仕組みだからである。
例えば、家計の貯蓄などがよく登場するが悪い例えです。前提条件が、所得が一定の場合!!所得が一定じゃない増加する場合は?これは、論じていませんので参考になりません!!(法人が提供する製品やサービスの価格も一定の場合も前提条件です)
1930年代のアメリカ経済が金融危機2008と似たような状態に陥った時、ケインズは、「倹約のパラドックス」というケインズ経済学の法則を発見しています。
それは、ポール・A・サミュエルソン(1915-2009)が、近代経済学の教科書「経済学」の冒頭で「個人を富裕にする貯金は、経済全体を貧困にする!(所得が一定の場合)」というわかりやすい言葉で表現しました。しかし、庶民の所得が増加し、貯蓄が投資、消費に回る場合には、「倹約のパラドックス」は生じません。
その後、この「倹約のパラドックス」は、アメリカの経済学者・ケネス・J・アロー(1921- )が「合成の誤謬」を数学的論理に基づいて「個人個人がそれぞれ合理的選択をしても、社会システム全体は合理的選択をするとは限らない」を検証してみせた。 要するに、部分最適ではなく、全体最適させていくということ。
つまり、新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との 戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!ということに集約していきます。
なお、金融危機2008では、マイケル・メトカルフェも言うように、「特別資金引出権(SDR)」は、2008年に行われた緊急対策で、一国だけで行われたのではなく、驚くほど足並みの揃った協調の下に国際通貨基金(IMF)を構成する188ヶ国が各国通貨で総額2500億ドル相当を「特別資金引出権(SDR)」を用いて世界中の準備通貨を潤沢にする目的で増刷してます。
このアイデアの根本は、元FRB議長であったベンバーナンキの書籍「大恐慌論」です。この研究がなければ、誰一人として、変動相場制での当時の状況を改善し解決できなかったと言われています。
それ以前では、固定相場制でのマーシャルプランが有名です。
(個人的なアイデア)
According to Michael J. Sandel , because to move the society in accordance with the lowest layer of the benefit from the difference principle of John Rawls is justice
マイケルサンデルによると、ジョンロールズの格差原理から最下層の便益に合わせて社会を動かすことが正義であるため、日本では物価をあげて
And in Japan raise the price . Live while , circulating the money using the latest financial engineering and macro economics until the bottom layer is close to the annual income of about 6 million yen , and then re- distributed from the ultra- wealthy ?
いきつつ、超裕福層から再分配して年収約600万円(中央値)に最下層が近づくまで最新の金融工学とマクロ経済学を駆使してマネーを循環?
This , you might get out from the deflationary spiral will Purasusamu of the place referred to in game theory if the goals and objectives of the country’s elite .
これを、その国のエリートの達成目標にすればゲーム理論で言うところのプラスサムになりデフレスパイラルから抜け出せるかもしれません。
Don tap scott is “block chain revolution”, such as Uber, Airbnb, TaskRabbit and Lyft. We are talking about shared economies. It is that equal peoples generate wealth together and share. It is a very powerful idea.
ドン・タプスコットが「ブロックチェーンレボリューション」の中で、UberやAirbnbやTaskRabbitやLyftといった。共有経済について話題にしています。対等な個人がいっしょに富を生み出し、共有するというのは。とても強力なアイデアです。
But, when you tell me that kind of company does not really share it! ! In fact, the success of these companies is due to not being shared. Furthermore, unless it is a country with high inflation, deflationary spirals will occur and gradually wages will not rise. The only solution at the moment is to tax and distribute widely to platform firms taking de facto standards with redistribution of wealth. This is important! ! I say.
でも、私に言わせるとそういった企業は本当に共有をしてはいません!!実際、これらの企業が成功しているのは、まさに共有しないことによってなのです。さらに、高インフレの国でないとデフレスパイラルが起きてしまい、次第に賃金が上昇しなくなります。現在の唯一の解決法は富の再分配でデファクトスタンダードをとっているプラットフォーマー企業に課税して広く配分するということです。ここが重要!!と言っています。
As a personal feeling, I think that around the dawn of Google until the financial crisis 2008 is the ideal form of redistribution. It might be even better if you incorporate block chains and virtual currency here.
個人的な感覚としては、金融危機2008までのGoogle黎明期の頃が再分配の理想形と思っています。ここにブロックチェーンと仮想通貨を組み込めば、さらに良いかもしれません。
As for the virtual currency, there are possibilities that three scenarios will merge into the hybrid in the future.
仮想通貨については、今後、3つのシナリオがハイブリッドに融合していく可能性があります。
First, virtual currency like bit coin substitutes investment and speculation. Second, platform firms taking the de facto standards issue and use virtual currencies. Third, we will utilize the virtual currency issued by central banks to support individuals with lower annual income (policy of the executive branch like helicopter money)
第一は、ビットコインのような仮想通貨が投資や投機を代用していく。 第二は、デファクトスタンダードをとっているプラットフォーマー企業が仮想通貨を発行、活用していく。 第三は、中央銀行が発行する仮想通貨を年収の低い個人の下支え用に活用していく(ヘリコプターマネー的な行政府の政策)
Current age of artificial intelligence. As other extended ideas such as MBS, REIT and ETF of effective monetary policy measures that began to be utilized after the financial crisis by the central bank, compensation other than options to raise taxes.
現在の人工知能時代。中央銀行による金融危機以降に活用し始めた有効な金融政策手段のMBS、REIT、ETFなどの他の拡張アイデアとして、賠償金をかける、税金アップ以外の選択肢。
In other words, central banks in each country actively purchase and forcibly buy industrial individual securities of platform companies that deflate goods other than the large public goods affecting low-income people who are currently de facto standards Support
つまり、いっそのこと現在デファクトスタンダードをとってる低所得者に影響大な公共財以外の財をデフレストリーム化させてるプラットフォーマー企業の産業個別の証券を各国の中央銀行が積極的に買取り、強制的に下支えして
Idea to stabilize price inflation by indirectly offsetting declines in prices by increasing the income of low-income earners by making profits on securities funded by basic income. Perhaps there is also the effect of increasing real GDP?
証券上の利益をベーシックインカムの原資にすることで低所得者の収入を増やし物価の下落を間接的に相殺させ物価を下支え安定化させるアイデア。もしかして、実質GDPも増加していく効果もあるかも?
In addition, central banks of neutral countries can improve redistribution function at basic income, as Plato says, it is possible to prevent the rise of populism which negatively falsifies dissatisfaction of the disparity which is the blind spot of ideal democratic politics maybe.
さらに、中立の各国の中央銀行がベーシックインカムで再分配機能を向上させることで、プラトンが言うように理想の民主政治の盲点である格差の不満を負に扇動していくポピュリズムの台頭を予防できるかもしれません。
In some ways, the information industry is also similar to credit markets.
情報産業はある意味、信用市場に似ているためもあります。
金融の概念で分けられてはいる名称だが、既存通貨に色は付かないので行政府が勝手に決めてる概念という前提で以下に展開します。
1、贈与。2、寄付。3、金融の貸付。
違いは、言葉の定義。 1、親族内。 2、他人同士で金利ゼロ返済不要。行政府経由なら「給付」という言葉の定義になる。サンデルの言う強者から弱者にマネーが100%流れれば善悪ない。 3、他人同士で金利ゼロか有りの返済付きで場合によりマイナス金利もある。
この場合、既存通貨は、追跡できないことが問題点。弱者をしつこく追跡することは法律違反で独占禁止法の優越的地位の濫用になります。通貨や人間が悪いわけではない場合が多い。
なら、政治資金規正法改正して、既存通貨の他に追跡できるデジタル通貨の形式で政治家限定で歳費支給したらどうなるだろうか?現状の歳費支給にプラスしてデジタル通貨分もプラスするから給与アップになる。追跡できるから不正もできない。
政治家への既存通貨での寄付は厳格に条件を決めた範囲内で政治資金規正法で透明化するのはいいこと。現実的に現状このルートは、デジタル通貨にせず、日本の場合は検察当局の存在理由も維持するためもあります。将来的にはデジタル通貨に完全移行が望ましいけど。
政治家からの既存通貨での弱者個人(選挙区内)への寄付は、自らの裁量で年収の低い弱者(選挙区内)だけに行うなら善性に沿うかもしれない。法律化しても問題ない。こちらも将来的には、デジタル通貨なら自動で透明化、効率化できます。
なお、国内の格差縮小にも貢献できるだろうし、万が一、強欲大中法人が賃金を下げてしまっても政治家が下支えできるという政治家本能やお互いの幸福も社会システムに組み込めます。
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第一章 若い感受性ゆえの挫折
1976年、私は中国のごく一般的な家庭の3人兄弟の末っ子として、ハルピンという街に生まれた。両親はともに教員をしていて、中国では大学の教員は基本的に大学キャンパス内のマンションに住むことができるので、私は子供の頃、キャンパスならではの運動施設や広場、緑豊かな公園などに恵まれ、伸び伸びと過ごせたと思う。
当時のハルピンは三階までの建物が多く、街の中でも荒地があちこちあり、それらはすべて子供にとって楽園だった。夏には、トンボや蝶を追ったり、バッタを捕まえたり、冬には野外でアイススケートしたり、橇を作って遊んだりしていた。近所の子供たちもよく一緒に遊ぶ時代で、今の中国の街では見られない風景だった。
ハルピンは20世紀始め、ロシアが中国の東北地域の植民地支配を始めた頃、鉄道の重要な拠点として街をつくられた。ロシア本土の街と違って、極東にあって、ヨーロッパ的な都市を一から作るため、ロシア側にはしっかりとした都市計画があったようだ。20年代ではとても美しいロシア風の街のひとつで、シベリア鉄道の終起点の一つでもあった。当時ヨーロッパからの資本や銀行がたくさん入っており、ユダヤ人も大勢おり、アジアで上海の次に国際色の強い街だった。30年代に入ると日本に占領され、満鉄の重要な街として日本にも知られた。ロシア風の古い建物が多く、文化的にも東欧からの影響が濃く存在していた。今でも北京より遥かにお洒落で、ファッションセンスのある街である。
50年代以後、毛沢東の「北大荒(中国の東北にある黒竜江省など人口密度の少ない地域)開拓」の呼びかけに応じて、多くの若者が故郷を離れ、全国各地からハルピンにやってきた。そのためハルピンの人口は膨らんだ。中国には各地方の方言があるが、ハルピンは一番標準語に近いと言われる。各地方の人たちが集まったので、標準語を使うしかなかったからだ。
母と父は大学卒業後少し南にある遼寧省からやってきた。父は普通の鉄道員の家庭出身だが、母は資本家家庭出身で、波乱万丈の中国近代史を間近で見てきた。小さい時から母はよく戦時中のことや、社会主義の前の中国のことを話してくれていたので、日本への最初の印象はその時出来上がったように思う。
そのことに少し触れたい。母の曽祖父は清王朝の官吏で、清が滅んだ後、賭博場(今でいうカジノ)を経営し、瀋陽で(満州時代は奉天と呼ばれた)では多少名の知られた人物であった。軍閥張作霖とも親交があり、1931年の満州事変(日本関東軍による張作霖暗殺、満州出兵)の後は日本軍から警戒されていて、相当な不遇にあった。しかし三人の娘は皆顔立ちが綺麗だったために、それぞれ満州時代の商売人や当時の高官に嫁いだ。私の祖母の嫁ぎ先、すなわち私の祖父は瀋陽で屈指の商売人だった。日本とも貿易があったため、よく母を連れて日本に来たりしていた。母は、日本の女の人が和服を着て綺麗だったと私によく話してくれた。瀋陽の中心街に住んでいたので、(東京でいうと銀座のような場所)、平和に暮らす日本人しか見ていないので、日本に対して非常に良い印象を持っていたようだ。
母は南満洲鉄道の「アジア号」の話をよく聞かせてくれた。当時家族で豪華な車両を貸し切りに「アジア号」に乗っていたといつも自慢げに話していた。「アジア号」は当時では世界一速かったらしい。私には半信半疑だったが、何年前に日経新聞を読む時に、偶然に「日本が世界に誇る列車、アジア号」の話が出てきて、とても懐かしかった。
私の子供頃は、よく「一休さん」と「おしん」、そして「姿三四郎」がテレビで放送されていた。そのお蔭で、その時代の中国人は皆日本に対してとても好感を持っていた。礼儀正しく、辛抱強く、真摯的で、それが90年代以前の中国人の日本に対する印象であった。もちろん、愛国主義教育で戦時中日本はどれだけ中国に対して悪いことをしたかという教育と、日中戦争をテーマとした映画の中では日本は「鬼」と化しているが、だれでも戦時中の日本人と実際の日本人とは別者に考えていた。それは今でも同じだ。最近日本のメディアではよく、中国人は愛国主義教育のため日本を嫌いになっていると言うが、それは単に中国の事情知らないだけである。或いは意図的なものかもしれない。最近の日本嫌いは、どちらかというと、日本人が自ら自分の美徳を見捨てたところにあると思う。昔の日本人ほど尊敬できるところは少なくなった、というところからだと思う。
また、私の中では、昔から「自国が弱ければ虐められるのが当然」という考えがあった。歴史知識があるなら当然思うことかもしれない。中国はアヘン戦争以後、日本だけでなく、ヨーロッパ列強に侵略されていた。だからといって、日本の侵略戦争を好意的に解釈するつもりはない。侵略戦争はいつの時代でもどこでも起きている。しかし、近代に入ってからは、大量の民間人の虐殺の伴う侵略、とくに残酷な手段による虐殺は許し難い。ナチス・ドイツを許し難いのは戦争を起こしたからではなく、大量の民間人を意図的に迫害し、虐殺したことにあると思う。第一次世界大戦もドイツによるものだったが、そこには大きな違いがあった。
それが過去であって、狂った時代であって、少しでもまともな人はそれが今の日本と結びつかないだろう。政治家たちは政治交渉のカードとして出すかもしれないが、本気で当時の日本と今の日本と同じ風に見��人はいないと思う。むしろ、中国の教科書には、明治維新の意義やそれに対する評価が高く、中国ではそれがうまくできなかったから取り遅れたというような論旨も見えた。私が日本留学を選んだのは、経済、技術大国となった日本への憧れもあるが、それ以上に明治維新や戦後急速な復興を成し遂げた日本に対する尊敬の気持ちがあったからだと思う。
当時の中国では、優秀な学生たちは皆海外留学を望む時代だった。留学のことを「渡金(金箔を付けるという意味)」と言われ、企業でも大学でも留学経験のある人を重要視される傾向もあった。国としても外国に学び、自国を高めたいという時代であって、個人レベルでは、当時の中国人は海外にいくことはほとんど不可能な時代で、外の世界を見る唯一の手段は留学だった。先端の知識への渇望と好奇心が私達を駆けたてたかもしれない。
私の場合、高校入ってからよく英語で海外の本や雑誌を読んでいたので、当時の中国の雑誌の世界観が私にはとても狭かったし、いつか海外留学したいという気持ちが強かった。当時の中国の優秀な学生は皆アメリカ、またはドイツか日本留学を選ぶ時代であった。私は日本留学を考えた。猛勉強をして、高校一年生の時にはすでに高校の卒業試験を受けて、試験に合格し、卒業証書をもらい、留学の手続きを始めた。
* * *
こうして、1992年1月、高校三年の前期を終えて、私は一人で東京にやってきた。東京・小平で月1万5千円の木造のぼろアパートを借り、高円寺にある日本語学校に通い始めた。
当時の中国は貧弱そのもので、ほとんどの留学生は自分で生計を立てなくてはいけなかった。本国からの仕送りを受けるどころか、多くの留学生は日本で稼ぎ、本国に送金する時代だった。私も、日本語はゼロから勉強し始めたが、三ケ月ほどでなんとか伝えたいことは言えるようになり、アルバイトを探し始めた。たまたま知人の紹介で、ある指圧の先生の下で指圧を習い、三鷹、立川そして福生などで指圧のアルバイトをしていた。仕事を選ぶまでもなく、とにかく経済的に自立したかった。
家に帰るのはいつも深夜で、疲れてすぐに寝てしまう時もあった。これでは目標としたこの年の進学には間に合わなくなるので、アルバイトが終わっても家には帰らず、家の近くの東京学芸大学の教室に忍び込んで、朝まで勉強したりしていた。今思えば、喫茶店やファミリーレストランでも勉強できたが、当時まず知らなかったことと、生計のことと進学の学費など考え、とにかくお金は使えなかった。それに、当時の中国は一食10円程度の時代だったので、日本に来てすべてがあり得ないくらい物価が高かった。来日まもなく月20万円ほど稼げたが、ほとんど貯金に充てた。
苦労したという人もいるかもしれないが、私はそれを苦労と全然感じなかった。それより当時の中国はATMもコピー機械すらなかった時代なので、日本に来てすべてが新鮮に感じた。とにかく日本語を覚え、進学のことだけを考えていた。アルバイトに相当の時間をつぎ込んだはずだが、意外と日本語の勉強も猛スピードで進んでいた。
大抵の人は日本語学校に一年半か二年間通うけれど、私は半年経ったところ、今年の受験でも行けると感じた。日本語はまだまだ習っていない文法や語彙も多かったけれど、雑誌や新聞を読んで、知らないものと出会ったら自分で辞書さえ調べれば、理解できるようになった。もう一年日本語学校に通うことは時間の無駄だと感じた。
しかし、私の通った学校は社会人向けで、進学指導はなかった。多くの日本語学校では進学指導があることさえ知らなかった。すべて自分で準備するものだと思っていた。そして、その年の9月から、午後のアルバイトに行くまでの時間、東京学芸大学の図書館に通い、日本の高校の教科書を巡りはじめた。
その二ヶ月後に、日本語能力試験とセンター試験を迎えた。有機化学ではほとんどカタカナでとても覚えられなかったし、微積と線形も中国の高校では今外されて、大学で勉強することになっていたので、さっぱりできなかったが、それ以外の部分はほぼ満点を収めたので、留学生の中では7番目だった。
当時の自分は情報がなかったので、早稲田が日本で一番いい大学と思い込んでいた。早稲田の試験を受ける時に、試験官はとても傲慢だったのを覚えている。しかし試験問題は、それでも高校生の試験問題なのかと思うくらい簡単だった。
1月に入ってたまたまある塾の数学の先生と出会い、彼は私の成績を見て、あなたはとても早稲田に行く人ではないよと言われた。そして旧帝国大学のことを教えてくれて、東大か、京大、東工大を受けるべきだと言われた。せっかくだから日本の政治経済の中心地に残りたいので、東大と東工大を出願したところ、東大は高卒2年以内でないと受ける資格がないと言われ、結局東工大しか受けられなかった。
そのことを少し説明しないといけない。私は高校入って海外留学したいという気持ちがあったので、高校の授業を一年で一通り勉強し、高一の時にも卒業試験を受けて卒業証書を取得していた。そのため、卒業証書では、二年過ぎてしまったことで東大を受ける資格はなかった。そのことは、自分の中でとても悔しい思いをした。
その後の早稲田の面接の時に、20人ほどの先生たちに一周囲まれて、日本語もまだ慣れていない来日一年目の自分は、とても緊張していた。しかし、聞かれているのはほとんど学費払えるかの経済問題。少しずつ、私が勉強しに来ているのに、なんて学費のことばかり質問するのだと反抗心が強くなり、もともと東大を受けられない悔しい気持ちが胸いっぱいだったので、なぜかすごく胸が張って答えられるようになったと今でも覚えている。
しかしその後の東工大の試験はまったく違った。試験官も全く高圧的な態度はないが、試験問題は泣きそうなくらい難しかった。数学は三割しか解けなかった気がする。それでも合格できたのは物理と化学、英語が良かったかもしれない。面接の時も面接官はとても優しかったのを覚えている。うちの学科に来ないか、そんな具合だった。
大学入学まで残りの二ヶ月はとにかく学費・生活費を稼ぎ、高校で習っていなかった微積と線形代数を勉強した。そんな思いだけだった。深夜のコンビニのアルバイトもした。昼間はまた普通に指圧のアルバイトをしていた。ある時、コンビニのバイトで徹夜上がり、昼間も普通に勉強できて、倍の時間を使えたと嬉しくて電話で母に話した。そうしたら、母に「体壊すよ」とすごく叱られた。でも母の言うことを聞かなかった。そんな生活を一週間ほど続けていたある日、電車を乗っていたら、吐いてしまった。母が正しかった。
東工大入学後、更に悔しく感じることはたくさんあ��た。それまで高卒で東工大に入学した留学生は私一人だけだった。なぜなら、中国では高校で微積と線形代数を教科書で扱わないし、また英語の試験は国によって試験問題はまったく違うので、よほど余裕がないと、外国で受ける、つまりまったく系統の違い試験問題を受ける時にいい成績を取りづらい。だから、中国で大学に一度入って一年、二年で中退して来日した学生の方が高卒の人より遥かに有利だった。中国の大学は日本と違って、高校並に勉強できるところなので、彼らは微積や線形代数、そして英語がとても余裕だった。
だから、東大が高卒二年以内という制約あって、競争少ないため、留学生にとって東工大より遥かに入りやすかった。東工大の場合、大学中退した実力のある学生たちが上位並んでいるので、中国高卒の留学生が東工大に入れた人はこれまで私以外いなかった。私の場合、数学以外は、彼らに差を付けられなかった。英語でさえ、もともと海外留学を考え、高二の時猛勉強したことがあり、そのお蔭ですっかり英語が好きになり、自然科学、経済、歴史、哲学まで英語で読むことが好きになった時期があって、高二の時に中国大学院の入学試験(5級)に合格していた。
こうして、東大を受ける資格のない留学生の中の成績上位の学生たちは皆東工大に来ていたので、私の成績は東工大では7番目となったため、初年度奨学金をもらえなかった。東大を受けられれば一番になれたのに。悔しくて学校に事情を話しに行った。留学生課の先生は細かい事情を当然知るすべがなく、一応理解を示し慰めてくれた。しかし、期待したところ、何も具体的に助けてくれなかった。今思えばたった月7万円の奨学金だが、しかし、当時の私たちには大きな意味があった。なにせ、親の一ヶ月の給料は4千円だった時代。生計を自分で立てている私たちには学習時間にそのまま直結するものだった。そのことで、私の後の人生に大きな影響を与えた。二つのことを心に銘記させられた。
一つは日本の奨学金制度に対する疑問から。奨学金は、優秀な学生にあげるべきなのに、日本の場合は、各大学に平均的にあげる傾向があった。援助金のようなものだった。皆平等に扱うという発想からかもしれない。私が日本の平等意識に疑問を抱き始めたのはその時からだった。
もう一つは人に頼ろうとしなくなったこと。だれかが同情してくれて助けてくれるだろうと期待したところ、結局、自分しか頼りにならないことはその時思い知らされた。その時から、人や社会に頼らず、自分の力で生きていく、と心の中に決めた。それは今の自分の生き方そのものになっている。
後の話だが、私が創り上げた馬上の旅では、日本的でないものがたくさんあった。たとえば、乗馬の際に、私は参加者を平等に扱っていない。素質のある人が私は特別扱いして伸ばしていく、けっしてできる人を抑制して平均��合わせるようなことはしない。普通の日本人の考えだったら、だれかを特別扱いして他の人から反発を受けるだろう。しかし私はそんなことを気にしない。素質のある人を伸ばすことで、他の人にビジョンを示すことができる。そうすると他の人も頑張ってくれる。結果的に皆が早く上達できる。どんどん上にいくからこそ見える世界がある。それこそ人の権利を尊重することにあると思う。もし、私が旅での中で結果的な平等のやり方にしてしまったら、だれでも不完全燃焼になってしまい、魂まで喜びを覚えるような境界は一人も達せなかっただろう。今の日本社会はまさにこういった結果的平等の考えによって、完全燃焼ができなくなっている。抑圧的な社会になっていく。日本社会はそういう意味で、平均に合わせようという力が大きすぎる。もっと上に行けて、もっと大きなものを知れる人の権利が奪われたのと同然なのだ。
奨学金を得られなかった分、自分で稼いてやる。そんな気持ちの中、大学の最初の二年間は、アルバイトを沢山した。田園調布駅で朝の通勤ラッシュ時にホーム要員として働き、夜は工場で働き、土日は指圧のアルバイトを入れ、7つものアルバイトを掛け持ちしていた。地下鉄サリン事件の時は、永田町のビルで朝の掃除のアルバイトをしていた。事件があと10分でも早ければ、自分も被害者になったかもしれない。
今思えば、これらのアルバイトの経験は、日本社会を間近で見る貴重な機会になった。その後、独立創業する自分に大きな意味があったと思う。
7つのアルバイトはいずれも朝9時から夜5時までの学校の時間に重なっていなかったので、大学の友人たちは私が全くアルバイトをしていないと思われた。しかし当時、アルバイトで月20万円ほども稼いだ。当時の一か月の生活費の出費は家賃を含めて3万円程度だったので、実はそんな稼ぐ必要はなかったが、中国からの貧しい留学生の中では、多く稼げることはそれも一つ能力を測る基準であった。今思えば、私達は学生でありながら、生計を自分で立てている時点で、多く稼げる人もそんなに稼げない人も、立派に社会人として独立していたと思う。が、同じ条件、同じ出発点だからこそ、その中に自然と競争意識が生まれ、一つの価値観が形成されていく。
同じ東工大でも、アルバイトが見つからない人はたくさんいた。私に紹介してほしいと頼みに来る人もいた。私は可能な限り彼らを助けていたが、同時に彼らを叱りたくもなった。私たちは能力も状況も同じなのに、何て自分で見つけられないのだ。99軒に断られても、100軒目に期待する。それが当時の私の心意気だった。自分ができない、失敗だと認めない限り、できないことはない。その時からそう思い始めた。
経済の独立への執念が強かったため、勉強は疎かにした。勉強時間はほとんど電車の中だけになってしまった。学習意欲も次第と下がっていた。そうさせたのは、日本の大学教育に対する失望感と進学後の挫折もあった。
後で分かったことだが、東工大の授業は、日本の大学の中でもとりわけ難しかった。特に自分の専門とする制御システムの学科はそうだった。東工大の二年生の授業は東大の大学院一年レベルとも言われた。とにかく自分の研究をそのまま伝えている先生が多くて、どう教えれば学生のためになるかということをまったく真剣に考えていなかった。大学の先生は研究者である前に、まず教師であって教えることが仕事だということを忘れている先生が多かった。
勿論、当時の私の日本語能力も問題だった。授業中一生懸命聞いていても、いざ演習となると、隣でずっと寝ていた学生から、これは先生が言ったのではないかと言われたりした。理系の場合、外国語で学ぶ時、ある程度知識を俯瞰できる余裕がなければいけないことは身をもって知った。
そして、東工大の学生は、物理問題もすべてが微積で考える。それが微積を独学で習い、まだ自由に操れない自分は、微積の考えについていけなかった。高校まで物理も数学も学校では一位だった自分が、そんなふうに「差」を付けられてしまうことがとても悔しかった。今でも納得しない。微積の考えを高校の時点で物理に導入することは私が賛同できない。考えが安易になって、直感的な“物理力”ができなくなる。
大好きな勉強に楽しみがなくなった。しかし、その一方で自信はあった。その自信はどこか別なところに訴えようとした。
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