#服部栄養専門学校
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【似顔絵】服部幸應さん(おくやみ)。
ブログ記事はこちら:https://wp.me/p72NAa-21z
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令��絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 ��� 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 ��� 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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野宮です。
「ナイール」という名前で、「萩原ぎょん」「広野」という旧知の仲の3人で、コントや漫才をしています。
このブログでは、ライブ当日や、練習で集まった日についての日記を書きます。
2024/05/12(日)
藤四郎 へ出演した。
ご覧いただいた方がいたらありがとうございました。
アンケートもありがとうございます。大変うれしいです。
出番前に袖でスタッフの方に声をかけていただいた。
トリオ名を認知していただいているということで大変嬉しかった。出番前で緊張していて、十分に感謝が伝えられていないのではないかという心残りこそあるが、会話の出番前の緊張も和らぎ、大変助かった。
認知されているとなると「正気でいないといけない」という気持ちになる。腐っていることを表明すると「じゃあ応援してる私はなんなんだ」という作用が働くからだということがわかった。よく「一人でも応援してくれる人がいるなら…」みたいなことを言うが、初めて実感したかもしれない。
この日記も「クソッタレ」とか書いている場合ではない。この世にたった1人の無人島漂流記として日記を書くならそういう内容でもいいけど、そうではないのだから。
出番終わりに昼食を食べた。
新宿にはタパスタパスはないのでやよい軒へ。
ぎょんは初やよい軒とのことだった。
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昼食後に反省会。
今回のネタ(内見)をやるのは3回目で、これまでの反省を踏まえたミスのないパフォーマンスができた。しかし、結果としては想定よりウケなかった。「回を追うごとにウケなくなっている」との評も出た。仮説が正しければ「台本が悪い」ということになりそうだ。
ひろのさんは自分のツッコミを気にしていた。私は、私が書いたツッコミ台詞がいわゆる「2個目のツッコミ」をしてるような気がする。そういったところが原因だろうか。
同じネタを3回やったがウケるところが毎回違う。今日はこれまでウケなかったところがウケた。
「台本が悪い」となると、学生時代にやった一番ウケたネタを実験的に舞台にかけてみるのは?という話になった。
しかし、やりたいことはわかるが貴重な一回のライブを「実験」のためだけに使うのは勿体無い気もする、となった。
帰り道で一人、「仮にその一番ウケたネタがウケたとしてどうなるんだろうか?」と考えた。
ウケた場合、まず「方向性は間違っていない」「あとはウケるネタを考えればいい」という自信にはつながるだろう。次のアクションとして、同じネタをやり続けるわけにもいかないので別のネタを考えないといけないが、「似たネタ」を作ることになる。その場合そのネタがウケる保証はあるのか?次はウケる原因を探す必要がある。
ウケなかった場合、台本以外の別のところに原因を探す作業をまた続けることになる。しかも、単に「そのネタとその回のライブの相性が悪い」可能性もあり、その場合は同じネタで複数回試行を重ねる必要がある。
そういった仮説の立て方の難しさも踏まえた上で、貴重な一回のライブを「実験」のためだけに使うのは勿体無い。
であれば、一番ウケたネタのウケた要因を分析し、同じパターンの新ネタを作って試してみた方がいいだろうか?でもその新ネタがウケなかった場合、プロセスのどこに原因があるかわからず、「やっぱり一番ウケたネタをそのままやらない限り納得できない」となるだろうか。
そんなことを考えていたら服部栄養専門学校の前まで来ていた。
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【せっかく前向きな気持ちになったので、今回と前回のライブでいただいたアンケートの内容をフィードバックしておこうかと思う】
アンケートの文面をそのまま転載するのは良くなさそうなので、要旨だけ掻い摘んだ上で内容を少し改変して記載する。
「長尺のネタが見たい」
率直に嬉しい。「別のネタが見てみたい」は数ある褒め言葉の中でもかなり嬉しい。もしかしたら初めて言われたかもしれない。長尺のネタをやって許されるようになるにはかなりの実績を積まないといけないので、頑張らないといけない。
「オチが理解できなかった」
そこまで複雑なオチではないはずなのでこれは意外。中間部分を改造しすぎて、オチのフリの「私は一体どうすれば…」が唐突になりすぎたのかもしれない。
「ボケの異常性が強すぎる」
全くない視点だった。確かにボケ役はリアリティを欠いている。一般的にはリアリティを欠いていてもそこに説得力があれば世界観は成立するが、演技やキャラの背景に説得力が足りなかったのだろうと思う。
「営業マンの衣装が不完全なのが気になった」
全くもっ��同意。我々がライブにいい加減に取り組んでいる以外の何物でもないと思う。
「ツッコミの声が良かった」
ツッコミの声は良い。私がそれを活かす台詞を考えないといけないんです。
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【重大発表】クリスマスなのでケーキ作りを習いに行ったはずがラーメンを開発することになりました。 服部学園 服部幸應 服部栄養専門学校 学園長 服部幸應さんのチャンネルはこちら!(あま猫も出演しています) https://youtu.be/2jIKmKCbtcc なんと【あま猫×服部学園 ... via YouTube https://www.youtube.com/watch?v=W04GigmKWnk
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TEDにて
ステファン・C・ドンブロウスキー:IQテストの闇の歴史
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
1905年 心理学者のアルフレッド・ビネーとテオドール・シモンは、フランスの学校で悪戦苦闘している子ども向けのテストを考案しました。
個別の配慮が必要な子どもの判定を目的とし、それはIQテストの礎となりました。
IQテストはどのように機能し、また、本当に知性を反映しているのでしょうか?
ステファン・C・ドンブロウスキーが、歴史を通じてどのようにIQテストが使われて来たのかを探ります。
講師:ステファン・C・ドンブロウスキー 監督:Kozmonot Animation Studios このビデオの教材:https://ed.ted.com/lessons/the-dark-history-of-iq-tests-stefan-c-dombrowski
1905年、心理学者のアルフレッド・ビネーと、テオドール・シモンは、フランスの学校で悪戦苦闘している子ども向けのテストを考案しました。
個別の配慮が必要な子どもの判定を目的とし、IQテストの礎を築きました。
19世紀後半から、研究者は認識能力。例えば、言語能力、作業記憶、視覚的・空間的能力などは、基本的な一般的知能。つまり、g因子を反映するという仮説を立てました。
シモンとビネーは、これらの能力を測定し、結果を単一のスコアで表す一揃いのテストを作りました。
質問は年齢に応じて調整され、スコアは、同い年の子と比べてどの程度できるのかを示します。
スコア÷年齢×100=知能指数(IQ)、現在では、年齢ごとに母集���の平均スコアを100点とし、68%の人が85点から115点の間に入るようにしています。
サイモンとビネーは、このテストで評価した能力が、一般的知能を反映すると考えました。
しかし、今も昔も一般的知能の定義については合意に至っておらず、前提も鵜呑みにして評価するべきではありません。
そのことが、知能についての独自の先入観に基づく仮定により、IQテストを使う余地を残しました。
学習支援が必要な子どもを特定するテストとして始まったものが、別のやり方で、しばしば、非常に誤ったイデオロギーに基づき人々をふるいにかける目的で急速に使われ始めました。
IQテストを絶対的に思い込み、他人の人生をもて遊ぶことに繋げ、悪用する人達がでてきます。
初期の大々的な実施例としては、第一次世界大戦中のアメリカで行われた軍部によるIQテストで新兵の士官訓練選抜用として使用したものです。
当時、多くの人が優生学を信じ、人間の望ましい遺伝的形質と望ましくない遺伝的形質を人為選択で管理できるし、するべきだと考えていました。
知性が固定的かつ遺伝的であるだけでなく、人種とも関連するという考え方には、多くの問題がありました。
優生学の影響を受けて科学者は軍部主導のIQテストの結果から、特定の人種は他の人種よりも優れているという誤った主張をしました。
IQテストを受けた多くの新兵が、アメリカへの新たな移民であり、正式な教育や英語に接する機会が欠けていたことが考慮されていませんでした。
軍部は民族に基づく誤った知性の序列を作成しました。優生学とIQテストが交わると科学だけでなく、最悪なツールとして政策にも影響を与え始めました。
1924年、バージニア州は、IQスコアが低い人に対する強制不妊手術を認める法律を立案し、曲解した連邦最高裁判所が支持しました。
曲解したナチス・ドイツは、IQの低い子どもの殺害を正式に認めていました。
ユダヤ人のホロコーストや黒人の公民権運動を受けてIQテストの結果による差別を道徳的観点、科学的根拠から反対する声があがりました。
科学者はIQが環境的な影響を受けている証拠を集め始めました。
例えば、20世紀には、IQテストのスコアは、定期的に補正されており、新しい世代のスコアは前の世代よりも着実に高くなりました。
これはフリン効果という現象で特性の遺伝的な進化と考えるには、スコアの上昇が急速すぎるのでおそらく環境的なもの。
教育、医療、栄養の改善などが要因となっていました。
20世紀中期には、心理学者はIQテストで一般的知能以外のもの。
特に統合失調症��鬱病、その他の精神状態を、診断しようとしました。
これらの診断は評価者の臨床判断を幾分当てにしており、テストの一部は、IQの決定に使われましたが、後の調査で臨床には役に立たないと判明しました。
こんにち、IQテストは初期のテストと類似した多くの設計要素と質問形式を採用していますが、テストの潜在的な偏りをもっと上手く特定する技術だってあります。
テストが精神状態の診断に使われることは、もうありませんが、サブテストのスコアを使った問題のある同様のテストが、今でも時折、多くの専門家の助言に反して学習障害の診断で行われています。
世界中の心理学者たちは、知的障害の特定に今でもIQテストを使っており、テスト結果は適切な学習支援、職業訓練、介護付き住居の判定に使われます。
IQテストの結果は、曲解した恐怖の政策や、科学的に根拠のないイデオロギーを正当化するために使われてきました。
テスト自体に価値がないのではありません。
実際、IQテストの目的である論理的思考や問題解決能力の測定は上手く出来ています。参考程度なら大丈夫です。
でも、人間の潜在能力を測定するのと同じではありません。
IQテストは、多くの複雑な政治的、歴史的、科学的、文化的問題を内包していますが・・・
より多くの研究者が、この点に関し賛同し、単一スコアで人を分類することを拒んでいます。
また、曲解した恐怖の政策や、科学的に根拠のないイデオロギーを正当化するため・・・
悪用されがちなストーカーアルゴリズムしか能力のない人工知能によって単一スコアで人を分類することも拒んでいます。
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오늘도 공부공부.. 늦은밤 잠 안올땐... 책을 봐야죠.. #마음의양식 그래서 #양식셰프 가 되었다는.....ㅈㅅ 책을 고르다보니... 아이쿠... #백종원선배님 언제쯤 한번 방문해 주실꺼지요? 기다리고 있겠습니다... #백종원 선배님 #서울고 파이팅~ 꼰데스 ㅋㅋ #라망드쉐프 #라망드셰프 #lamaindechef #떠먹는함박스테이크 #예약제코스요리 #뱅뱅사거리맛집 #역삼맛집 #서초맛집 #강남역맛집 #양재맛집 #핫요사 #服部栄養専門学校 #서울고 #블루리본서베이 #blueribbonsurvey (La Main de Chef에서) https://www.instagram.com/p/CJ_aHYNMwKr/?igshid=1xhcchhjfwl8
#마음의양식#양식셰프#백종원선배님#백종원#서울고#라망드쉐프#라망드셰프#lamaindechef#떠먹는함박스테이크#예약제코스요리#뱅뱅사거리맛집#역삼맛집#서초맛집#강남역맛집#양재맛집#핫요사#服部栄養専門学校#블루리본서베이#blueribbonsurvey
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6月中旬に発売予定の別冊・専門料理「イタリア料理」において、チーズプロフェショナル協会会長の本間るみ子さんとイタリア大使館促進部の皆さんと【イタリアチーズの魅力と可能性】というテーマで対談させていただきました ・第1部 【専門料理】は私のバイブルであり、【本間るみ子さん】は私のチーズ人生のバイブルです Wバイブルという私にとってはご褒美企画 毎日楽しみに対談の日を待ちわびていました 本間るみ子さんは私も所属しているチーズプロフェッショナル協会の会長を務めています 私が生まれたとほぼ同時期より、日本においてチーズ文化の普及を続けていた方 【日本のチーズの歴史】といっても過言ではないでしょう 数々の様々な手法で日本でのチーズの普及を試しては、ブラッシュアップし、の繰り返しをし、常に止まることはなく、今もなお走り続けている方 当日、ミモレットの耳飾りをしてくる程のチーズ愛に溢れた本間るみ子さん 体からチーズ愛がにじみ出るようなオーラを感じました イタリアには様々なチーズがあります 日本に入ってきているのはほんのごく一部 では、なぜほんのごく一部なのか 消費者側としては、選ぶ楽しさが欲しいのでたくさんの種類を増やして欲しいです 販売者や、輸入者としては、多数チーズを入れてしまうと、当然ながらいわゆる売れ残りのリスクがあります このパラドックスが日本におけるチーズ市場拡大の肝なんではないでしょうか? 本間るみ子さんはかつて、イタリアチーズの多様性に惹かれてたくさんの種類を輸入していたそうです ですが、【時代】というのもあってなかなか消費者のニーズにははまらなかったそう 安価なチーズがこのまれているなか、高額なナチュラルチーズへの興味はごく一部の層だったようです 時代の変化と共に、毎年右肩上がりで国内のチーズ消費量があがり続けている日本のチーズ市場 あがり続けてはいますが、イタリアやフランスと比べるとその消費量はなんと9分の1 チーズに対する歴史や日常、文化の違いも理由の一つだと思います イタリアチーズの魅力や可能性は、そのバリエーションの豊かさにあると思います イタリアチーズのバリエーションの魅力を、もっと引き出すには安定的なマーケットの成長が必要 消費者、生産者、輸入者の皆が前向きに歩めるようなシステム作りこそ、市場拡大へと繋がる道と考えられます 今日、明日で市場が育つ程簡単な内容ではありません では、輸入者と販売者である本間るみ子さんと、消費者兼販売者?でもある私にできることは何か? イタリア郷土料理店として貢献できることは何か? なぜ、、イタリアチーズの市場を拡大させる必要があるかは、イタリア郷土料理店として、新たな郷土料理を再現できる可能性を増やすといった面や、新たな歴史を繋ぐといっためんから必然であると考えています 第1部はこの辺りで #株式会社フェルミエ #本間るみ子 #フェルミエ #新潟県佐渡生まれ #チーズの生まれた背景とロマンに魅了される #フランス農事功労賞受賞者協会理事 #チーズプロフェッショナル協会会長 #コマンドールドボルドー理事 #服部栄養専門学校特別講師 #田崎真也ワインサロンチーズ上級クラス本間 #東京恵比寿ロータリークラブ講師 #パリで行われる国際農業見本市審査員 #フランスチーズ鑑評騎士の会 #オフィシエ #将校称号 #サントモールドゥトゥレーヌシュヴァリエ称号 #ラングルシュヴァリエ称号 #マンステールシュヴァリエ称号 #農事功労章シュヴァリエ受章 #フランスチーズ同業者組合ギルドデフロマージュ称号 #フランスチーズ鑑評騎士の会グランオフィシエ大将校称号 #フランスチーズ鑑評騎士の会アフィヌールチーズ熟成士称号 #ボルドーワイン最高評議会コマンドールドボルドー騎士称号 #新潟清酒達人検定協会名誉達人を任命 #フランス国家功労章ソムリエドヌール #チーズプロフェッショナル #専門料理 #イタリア大使館促進部 #ペペロッソ #三軒茶屋 【オリーブオイル EVO1118 500ml 】 料理にフレッシュ感をプラス https://store.shopping.yahoo.co.jp/peperosso/pepe-oliveoil500.html 世田谷区 三軒茶屋駅のイタリア郷土料理店ペペロッソ Ristorante regionale italiano a Sangenjaya a Tokyo "PEPE ROSSO" . Italian regional restaurant in Sangenjaya in Tokyo "PEPE ROSSO". https://www.peperosso.co.jp/ Webマガジン 「SHOP ITALIA ~あなたが知らないイタリアここにあります」にてイタリアについて執筆させていただいております Sto scrivendo sull'Italia. I am writing about Italy. https://shop-italia.jp/author/28 (ペペロッソ 三軒茶屋 イタリアン cucina italiana) https://www.instagram.com/p/BwbY1T9FVoW/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=7d1wiurmgjaw
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新型コロナウイルスの震源地である武漢を含む湖北省で患者数が「ゼロ」に。だが、なかなか陰性にならない「長期陽性患者」が新たに発生している。彼らは感染力を持つのか。慢性的な感染者となってしまうのか――。中国の独立系メディア「財新」が取材・分析した。 4月26日、武漢を含む湖北省の全地域で、新型コロナウイルス肺炎の患者数「ゼロ」が実現した。湖北省と武漢市での感染予防策が、緊急で超長期のものから通常の対策へと変わったことを受けて、共産党中央の指導グループも4月27日に北京へ戻った。 【データビジュアル】新型コロナウイルス 国内の感染状況
だがその裏で、「長期陽性」という新たな患者の存在が人々の注目を集めている。
■「陽性患者が感染者と見なされない」
武漢市金銀潭病院のある医師は、「病院には陽性患者がまだいるが、彼らはもう感染者とは見なされていない。病院は総合的な評価を行った後に次々と退院させ、社区(訳注:団地のようなコミュニティー)の隔離拠点に送っている」と財新記者に話した。 4月24日、国家衛生健康委員会医政医管局の焦雅輝は、中国中央テレビ(CCTV)のインタビューで「長期陽性」という表現を初めて用いた。湖北省で入院治療を受けている患者のうち、約15人の軽症患者らが核酸検査(訳注:PCR検査など)の結果を待っているが、ほかにも長期間にわたって陰性にならない患者が30人余りおり、彼らがいわゆる長期陽性患者だという。
湖北省が患者数「ゼロ」を実現できたのは、患者数から長期陽性患者を除いたからだ。 ”長期”はどれだけの長さか。彼らは感染力を持つのか。どう治療すべきか――。数多くの疑問について研究結果が待たれる。 北京地壇病院感染二科の主任医師である蔣栄猛は、同病院のSNS公式アカウントで、「長期陽性の期間は3週間か4週間か、あるいは2カ月以上か。 まだ明確な定義はない」と投稿している。 北京、広州、武漢の多くの感染症専門家によると、理論的には長期陽性患者の感染力は弱く、患者が一生ウイルスキャリアであり続ける可能性はあまりないという。「ある文献によれば、一部の患者が回復後にウイルスを排出することはあるが、病原性は著しく低下し、感染源となる可能性は低い」(蔣栄猛)。
■発症から49日間陽性だった中年男性も
広州市第八人民病院の感染科主任である蔡衛平は、「今のところ長期陽性患者が感染力を持つかどうかは結論が出ていない。患者のDNAサンプルを培養して観察するなど引き続き研究が必要だ」と財新記者に話した。 「もし長期陽性患者の体内で活発なウイルスを再生産できなければ、周りの人に感染することはなく、慢性的な感染状態ではない可能性がある」(蔡衛平) 4月24日、上海市科学技術協会などが主催したシンポジウムで、中国工程院院士(訳注:理系研究者最高の栄誉とされる)であり、天津中医薬大学の校長でもある張伯礼は次のように明かした。
「武漢の一部の無症状感染者が長期間にわたって陽性となり、専門家を困惑させている。ただ、患者の体内のウイルスに対して実施したDNAシーケンシング(訳注:遺伝子解析の一種)の結果によると、一部の患者のウイルスは死んでいた」 「長期陽性」という言葉が生まれる前から、同様の現象は注目を集めていた。 3月22日、武漢中部戦区総病院の疾病予防管理科主任である王瓊(けい)書や、陸軍軍医大��基礎医学院の教授である繆(びゅう)洪明らは、医学関連の査読前論文プラットフォーム「medRxiv」で論文を発表。そこでは特殊事例として「1人の中年男性が発症から49日間、陽性だった」と書かれている。
同論文によると「新型肺炎患者のウイルスが排除されるまでに要する時間の中央値は20日間、発症から治癒するまでは最長37日間であり、重症・危篤の患者であっても明らかな差はないと考えられていた」という。 この中年男性は1月25日に発熱し、体温は最高38.1度だった。自分で解熱剤と抗ウイルス薬、漢方薬などを服用し、1週間後には体温が正常に戻った。だが、2月7日に親族が新型肺炎だと診断されたため、翌日に病院で核酸検査を受けた。
合計9回の核酸検査の結果は3月11日に陰性となった以外はすべて陽性だった。2月20日と3月14日には抗体検査も実施。結果はIgG(訳注:血液中に最も多く含まれる抗体で、液性免疫の主役)が陽性、IgM(訳注:細菌やウイルスに感染した際、最初に作られる抗体)は陰性だった。
■回復患者の血漿で治療、翌日すぐ陰性
ヒトが新型コロナに感染する過程では、まずIgMが出現するが存在する時間は短い。その後IgGが出現し、比較的長い時間存在する。IgGが陽性、IgMが陰性ということは、この患者は感染から一定期間が過ぎており、急性期(訳注:症状が急に現れる時期)ではないことを意味しているという。
3月15日、この患者は新型コロナから回復した患者の血漿を用いた治療を受けた。4時間後に発熱し、体温は38.9度まで上昇したが、医師は輸血による反応だと判断。翌日に体温は下がり、同16日と17日の核酸検査では陰性となった。 「もし血漿治療を行わなかったら、この患者は慢性的な感染者となり、ウイルスと共生関係を築いていたかもしれない。ほかにもどれだけの患者が同じような状況にあるのかを知りたいと考えている」(同論文の考察部分)
この患者は家庭内感染によって発症した。親戚の年配女性も感染しており、発症から陰性となって退院するまでに27日間を要した。研究者は、家庭内感染におけるウイルスの感染力と毒性は比較的弱いが、感染期間が長く、人体から排除するのが難しいと分析している。 (財新記者:馬丹萌、黃姝倫、蔣模婷、曾毓坤) ※敬称略。原文は現地時間4月28日20:25配信
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あなたにだけは忘れてほしくなかった
アメリカ合衆国、ニューヨーク州、マンハッタン、ニューヨーク市警本部庁舎。 上級職員用のオフィスで資料を眺めていた安藤文彦警視正は顔をしかめた。彼は中年の日系アメリカ人である。頑なに日本名を固持しているのは血族主義の強かった祖父の影響だ。厳格な祖父は孫に米国風の名乗りを許さなかったためである。祖父の信念によって子供時代の文彦はいくばくかの苦労を強いられた。 通常、彼は『ジャック』と呼ばれているが、その由来を知る者は少ない。自らも話したがらなかった。 文彦は暴力を伴う場合の少ない知的犯罪、いわゆるホワイトカラー犯罪を除く、重大犯罪を扱う部署を横断的に統括している。最近、彼を悩ませているのは、ある種の雑音であった。 現在は文彦が犯罪現場へ出る機会はないに等しい。彼の主たる業務は外部機関を含む各部署の調整および、統計分析を基として行う未解決事件への再検証の試みであった。文彦の懸念は発見場所も年代も異なる数件の行方不明者の奇妙な類似である。類似といっても文彦の勘働きに過ぎず、共通項目を特定できているわけではなかった。ただ彼は何か得体の知れない事柄が進行している気配のようなものを感じ取っていたのである。 そして、彼にはもうひとつ、プライベートな懸念事項があった。十六才になる姪の安藤ヒナタだ。
その日は朝から快晴、空気は乾いていた。夏も最中の日差しは肌を刺すようだが、日陰に入ると寒いほどである。自宅のダイニングルームでアイスティーを口にしながら安藤ヒナタは決心した。今日という日にすべてをやり遂げ、この世界から逃げ出す。素晴らしい考えだと思い、ヒナタは微笑んだ。 高校という場所は格差社会の縮図であり、マッチョイズムの巣窟でもある。ヒナタは入学早々、この猿山から滑り落ちた。見えない壁が張り巡らされる。彼女はクラスメイトの集う教室の中で完全に孤立した。 原因は何だっただろうか。ヒナタのスクールバッグやスニーカーは他の生徒よりも目立っていたかもしれない。アジア系の容姿は、彼らの目に異質と映ったのかも知れなかった。 夏休みの前日、ヒナタは階段の中途から突き飛ばされる。肩と背中を押され、気が付いた時には一階の踊り場に強か膝を打ちつけていた。 「大丈夫?」 声だけかけて去っていく背中を呆然と見送る。ヒナタは教室に戻り、そのまま帰宅した。 擦過傷と打撲の痕跡が残る膝と掌は、まだ痛む。だが、傷口は赤黒く乾燥して皮膚は修復を開始していた。もともと大した傷ではない。昨夜、伯父夫婦と夕食をともにした際もヒナタは伯母の得意料理であるポークチョップを食べ、三人で和やかに過ごした。 高校でのいざこざを話して何になるだろう。ヒナタは飲み終えたグラスを食洗器に放り込み、自室へ引っ込んだ。
ヒナタの母親はシングルマザーである。出産の苦難に耐え切れず、息を引き取った。子供に恵まれなかった伯父と伯母はヒナタを養子に迎え、経済的な負担をものともせず、彼女を大学に行かせるつもりでいる。それを思うと申し訳ない限りだが、これから続くであろう高校の三年間はヒナタにとって永遠に等しかった。 クローゼットから衣服を抜き出して並べる。死装束だ。慎重に選ぶ必要がある。等身大の鏡の前で次々と試着した。ワンピースの裾に払われ、細々としたものがサイドボードから床に散らばる。悪態を吐きながら拾い集めていたヒナタの手が止まった。横倒しになった木製の箱を掌で包む。母親の僅かな遺品の中からヒナタが選んだオルゴールだった。 最初から壊れていたから、金属の筒の突起が奏でていた曲は見当もつかない。ヒナタはオルゴールの底を外した。数枚の便箋と写真が納まっている。写真には白のワイシャツにスラック��姿の青年と紺色のワンピースを着た母親が映っていた。便箋の筆跡は美しい。『ブライアン・オブライエン』の署名と日付、母親の妊娠の原因が自分にあるのではないかという懸念と母親と子供に対する執着の意思が明確に示されていた。手紙にある日付と母親がヒナタを妊娠していた時期は一致している。 なぜ母は父を斥けたのだろうか。それとも、この男は父ではないのか。ヒナタは苛立ち、写真の青年を睨んだ。 中学へ進み、スマートフォンを与えられたヒナタは男の氏名を検索する。同姓同名の並ぶ中、フェイスブックに該当する人物を見つけた。彼は現在、大学の教職に就いており、専門分野は精神病理学とある。多数の論文、著作を世に送り出していた。 ヒナタは図書館の書棚から彼の書籍を片っ端から抜き出す。だが、学術書を読むには基礎教養が必要だ。思想、哲学、近代史、統計を理解するための数学を公共の知の宮殿が彼女に提供する。 ヒナタは支度を終え、バスルームの洗面台にある戸棚を開いた。医薬品のプラスチックケースが乱立している。その中から伯母の抗うつ剤の蓋を掴み、容器を傾けて錠剤を掌に滑り出させた。口へ放り込み、ペットボトルの水を飲み込む。栄養補助剤を抗うつ剤の容器に補充してから戸棚へ戻した。 今日一日、いや数時間でもいい。ヒナタは最高の自分でいたかった。
ロングアイランドの住宅地にブライアン・オブライエンの邸宅は存在していた。富裕層の住居が集中している地域の常であるが、ヒナタは脇を殊更ゆっくりと走行している警察車両をやり過ごす。監視カメラの装備された鉄柵の門の前に佇んだ。 呼び鈴を押そうかと迷っていたヒナタの耳に唸り声が響く。見れば、門を挟んで体長一メータ弱のドーベルマンと対峙していた。今にも飛び掛かってきそうな勢いである。ヒナタは思わず背後へ退いた。 「ケンダル!」 奥から出てきた男の声を聞いた途端、犬は唸るのを止める。スーツを着た男の顔はブライアン・オブライエン、その人だった。 「サインしてください!」 鞄から取り出した彼の著作を抱え、ヒナタは精一杯の声を張り上げる。 「いいけど。これ、父さんの本だよね?」 男は門を開錠し、ヒナタを邸内に招き入れた。
男はキーラン・オブライエン、ブライアンの息子だと名乗った。彼の容姿は写真の青年と似通っている。従って現在、五十がらみのブライアンであるはずがなかった。ヒナタは自らの不明を恥じる。 「すみません」 スペイン人の使用人が運んできた陶磁器のコーヒーカップを持ち上げながらヒナタはキーランに詫びた。 「これ��飲んだら帰るから」 広大な居間に知らない男と二人きりで座している事実に気が滅入る。その上、父親のブライアンは留守だと言うのであるから、もうこの家に用はなかった。 「どうして?」 「だって、出かけるところだよね?」 ヒナタはキーランのスーツを訝し気に見やる。 「別にかまわない。どうせ時間通りに来たことなんかないんだ」 キーランは初対面のヒナタを無遠慮に眺めていた。苛立ち始めたヒナタもキーランを見据える。 ヒナタはおよそコンプレックスとは無縁のキーランの容姿と態度から彼のパーソナリティを分析した。まず、彼は他者に対してまったく物怖じしない。これほど自分に自信があれば、他者に無関心であるのが普通だ。にも拘らず、ヒナタに関心を寄せているのは、何故か。 ヒナタは醜い女ではないが、これと取り上げるような魅力を持っているわけでもなかった。では、彼は何を見ているのか。若くて容姿に恵まれた人間が夢中になるもの、それは自分自身だ。おそらくキーランは他者の称賛の念を反射として受け取り、自己を満足させているに違いない。 「私を見ても無駄。本質なんかないから」 瞬きしてキーランは首を傾げた。 「俺に実存主義の講義を?」 「思想はニーチェから入ってるけど、そうじゃなくて事実を言ってる。あなたみたいに自己愛の強いタイプにとって他者は鏡でしかない。覗き込んでも自分が見えるだけ。光の反射があるだけ」 キーランは吹き出す。 「自己愛? そうか。父さんのファンなのを忘れてたよ。俺を精神分析してるのか」 笑いの納まらないキーランの足元へドーベルマンが寄ってくる。 「ケンダル。彼女を覚えるんだ。もう吠えたり、唸ったりすることは許さない」 キーランの指示に従い、ケンダルはヒナタのほうへ近づいてきた。断耳されたドーベルマンの風貌は鋭い。ヒナタは大型犬を間近にして体が強張ってしまった。 「大丈夫。掌の匂いを嗅がせて。きみが苛立つとケンダルも緊張する」 深呼吸してヒナタはケンダルに手を差し出す。ケンダルは礼儀正しくヒナタの掌を嗅いでいた。落ち着いてみれば、大きいだけで犬は犬である。 ヒナタはケンダルの耳の後ろから背中をゆっくりと撫でた。やはりケンダルはおとなしくしている。門前で威嚇していた犬とは思えないほど従順だ。 「これは?」 いつの間にか傍に立っていたキーランがヒナタの手を取る。擦過傷と打撲で変色した掌を見ていた。 「別に」 「こっちは? 誰にやられた?」 キーランは、手を引っ込めたヒナタのワンピースの裾を摘まんで持ち上げる。まるでテーブルクロスでもめくる仕草だ。ヒナタの膝を彩っている緑色の痣と赤黒く凝固した血液の層が露わになる。ヒナタは青褪めた。他人の家の居間に男と二人きりでいるという恐怖に舌が凍りつく。 「もしきみが『仕返ししろ』と命じてくれたら俺は、どんな人間でも這いつくばらせる。生まれてきたことを後悔させる」 キーランの顔に浮かんでいたのは怒りだった。琥珀色の瞳の縁が金色に輝いている。落日の太陽のようだ。息を吸い込む余裕を得たヒナタは掠れた声で言葉を返す。 「『悪事を行われた者は悪事で復讐する』わけ?」 「オーデン? 詩を読むの?」 依然として表情は硬かったが、キーランの顔から怒りは消えていた。 「うん。伯父さんが誕生日にくれた」 キーランはヒナタのすぐ隣に腰を下ろす。しかし、ヒナタは咎めなかった。 「復讐っていけないことだよ。伯父さんは普通の人がそんなことをしなくていいように法律や警察があるんだって言ってた」 W・H・オーデンの『一九三九年九月一日』はナチスドイツによるポーランド侵攻を告発した詩である。他国の争乱と無関心を決め込む周囲の人々に対する憤りをうたったものであり、彼の詩は言葉によるゲルニカだ。 「だが、オーデンは、こうも言ってる。『我々は愛し合うか死ぬかだ』」 呼び出し音が響き、キーランは懐からスマートフォンを取り出す。 「違う。まだ家だけど」 電話の相手に生返事していた。 「それより、余分に席を取れない? 紹介したい人がいるから」 ヒナタはキーランを窺う。 「うん、お願い」 通話を切ったキーランはヒナタに笑いかけた。 「出よう。父さんが待ってる」 戸惑っているヒナタの肩を抱いて立たせる。振り払おうとした時には既にキーランの手は離れていた。
キーラン・オブライエンには様々な特質がある。体格に恵まれた容姿、優れた知性、外科医としての将来を嘱望されていること等々、枚挙に暇がなかった。��が、それらは些末に過ぎない。キーランを形作っている最も重要な性質は彼の殺人衝動だ。 この傾向は幼い頃からキーランの行動に顕著に表れている。小動物の殺害と解剖に始まり、次第に大型動物の狩猟に手を染めるが、それでは彼の欲求は収まらなかった。 対象が人間でなければならなかったからだ。 キーランの傾向にいち早く気付いていたブライアン・オブライエンは彼を教唆した。具体的には犯行対象を『悪』に限定したのである。ブライアンは『善を為せ』とキーランに囁いた。彼の衝動を沈め、社会から悪を排除する。福祉の一環であると説いたのだ。これに従い、彼は日々、使命を果たしてる。人体の生体解剖によって嗜好を満たし、善を為していた。 「どこに行くの?」 ヒナタの質問には答えず、キーランはタクシーの運転手にホテルの名前を告げる。 「行けないよ!」 「どうして?」 ヒナタはお気に入りではあるが、量販店のワンピースを指差した。 「よく似合ってる。綺麗だよ」 高価なスーツにネクタイ、カフスまでつけた優男に言われたくない。話しても無駄だと悟り、ヒナタはキーランを睨むに留めた。考えてみれば、ブライアン・オブライエンへの面会こそ重要課題である。一流ホテルの従業員の悪癖であるところの客を値踏みする流儀について今は不問に付そうと決めた。 「本当にお父さんに似てるよね?」 「俺? でも、血は繋がってない。養子だよ」 キーランの答えにヒナタは目を丸くする。 「嘘だ。そっくりじゃない」 「DNAは違う」 「そんなのネットになかったけど」 ヒナタはスマートフォンを鞄から取り出した。 「公表はしてない」 「じゃあ、なんで話したの?」 「きみと仲良くなりたいから」 開いた口が塞がらない。 「冗談?」 「信じないのか。参ったな。それなら、向こうで父さんに確かめればいい」 キーランはシートに背中を預け、目を閉じた。 「少し眠る。着いたら教えて」 本当に寝息を立てている。ヒナタはスマートフォンに目を落とした。
ヒナタは肩に触れられて目を覚ました。 「着いたよ」 ヒナタの背中に手を当てキーランは彼女を車から連れ出した。フロントを抜け、エレベーターへ乗り込む。レストランに入っても警備が追いかけてこないところを見ると売春婦だとは思われていないようだ。ヒナタは脳内のホテル番付に星をつける。 「女性とは思わなかった。これは、うれしい驚きだ」 テラスを占有していたブライアン・オブライエンは立ち上がってヒナタを迎えた。写真では茶色だった髪は退色し、白髪混じりである。オールバックに整えているだけで染色はしていなかった。三つ揃いのスーツにネクタイ、機械式の腕時計には一財産が注ぎ込まれているだろう。デスクワークが主体にしては硬そうな指に結婚指輪が光っていたが、彼の持ち物とは思えないほど粗雑な造りだ。アッパークラスの体現のような男が配偶者となる相手に贈る品として相応しくない。 「はじめまして」 自分の声に安堵しながらヒナタは席に着いた。 「彼女は父さんのファンなんだ」 ヒナタは慌てて鞄から本を取り出す。 「サインしてください」 本を受け取ったブライアンは微笑んだ。 「喜んで。では、お名前を伺えるかな?」 「安藤ヒナタです」 老眼鏡を懐から抜いたブライアンはヒナタに顔を向ける。 「スペルは?」 答える間もブライアンはヒナタに目を据えたままだ。灰青色の瞳は、それが当然だとでも言うように遠慮がない。血の繋がりがどうであれ、ブライアンとキーランはそっくりだとヒナタは思った。 ようやく本に目を落とし、ブライアンは結婚指輪の嵌った左手で万年筆を滑らせる。 「これでいいかな?」 続いてブライアンは『ヒナタ』と口にした。ヒナタは父親の声が自分の名前を呼んだのだと思う。その事実に打ちのめされた。涙があふれ出し、どうすることもできない。声を上げて泣き出した。だが、それだけではヒナタの気は済まない。二人の前に日頃の鬱憤を洗いざらい吐き出していた。 「かわいそうに。こんなに若い女性が涙を流すほど人生は過酷なのか」 ブライアンは嘆く。驚いたウェイターが近付いてくるのをキーランが手を振って追い払った。ブライアンは席を立ち、ヒナタの背中をさする。イニシャルの縫い取られたリネンのハンカチを差し出した。 「トイレ」 宣言してヒナタはテラスを出ていく。 「おそらくだが、向精神薬の副作用だな」 父親の言葉にキーランは頷いた。 「彼女。大丈夫?」 「服用量による。まあ、あれだけ泣いてトイレだ。ほとんどが体外に排出されているだろう」 「でも、攻撃的で独善的なのは薬のせいじゃない」 ブライアンはテーブルに落ちていたヒナタの髪を払い除ける。 「もちろんだ。彼女の気質だよ。しかし、同じ学校の生徒が気の毒になる。家畜の群れに肉食獣が紛れ込んでみろ。彼らが騒ぐのは当然だ」 呆れた仕草でブライアンは頭を振った。 「ルアンとファンバーを呼びなさい。牧羊犬が必要だ。家畜を黙らせる。だが、友情は必要ない。ヒナタの孤立は、このままでいい。彼女と親しくなりたい」 「わかった。俺は?」 「おまえの出番は、まだだ。キーラン」 キーランは暮れ始めている空に目をやる。 「ここ。誰の紹介?」 「アルバート・ソッチ。デザートが絶品だと言ってた。最近、パテシエが変わったらしい」 「警察委員の? 食事は?」 ブライアンも時計のクリスタルガラスを覗いた。 「何も言ってなかったな」 戻ってきたヒナタの姿を見つけたキーランはウェイターに向かい指示を出す。 「じゃあ、試す必要はないね。デザートだけでいい」 ブライアンは頷いた。
「ハンカチは洗って返すから」 ヒナタとキーランは庁舎の並ぶ官庁街を歩いていた。 「捨てれば? 父さんは気にしない」 面喰ったヒナタはキーランを窺う。ヒナタは自分の失態について思うところがないわけではなかった。ブライアンとキーランに愛想をつかされても文句は言えない。二人の前で吐瀉したも同じだからだ。言い訳はできない。だが、ヒナタは、まだ目的を果たしていないのだ。 ブライアン・オブライエンの実子だと確認できない状態では自死できない。 「それより、これ」 キーランはヒナタの手を取り、掌に鍵を載せた。 「何?」 「家の鍵。父さんも俺もきみのことを家族だと思ってる。いつでも遊びに来ていいよ」 瞬きしているヒナタにキーランは言葉を続ける。 「休暇の間は俺がいるから。もし俺も父さんもいなかったとしてもケンダルが 相手をしてくれる」 「本当? 散歩させてもいい? でも、ケンダルは素気なかったな。私のこと好きじゃないかも」 「俺がいたから遠慮してたんだ。二人きりの時は、もっと親密だ」 ヒナタは吹き出した。 「犬なのに二人?」 「ケンダルも家族だ。俺にとっては」 相変わらずキーランはヒナタを見ている。ヒナタは眉を吊り上げた。 「言ったよね? 何もないって」 「違う。俺はきみを見てる。ヒナタ」 街灯の光がキーランの瞳に映っている。 「だったら、私の味方をしてくれる? さっき家族って言ってたよね?」 「言った」 「でも、あなたはブライアンに逆らえるの? 兄さん」 キーランは驚いた顔になった。 「きみは、まるでガラガラヘビだ」 さきほどの鍵をヒナタはキーランの目の前で振る。 「私が持ってていいの? エデンの園に忍び込もうとしている蛇かもしれない」 「かまわない。だけど、あそこに知恵の実があるかな? もしあるとしたら、きみと���べたい」 「蛇とイブ。一人二役だね」 ヒナタは入り口がゲートになったアパートを指差した。 「ここが私の家。さよならのキスをすべきかな?」 「ヒナタのしたいことを」 二人は互いの体に手を回す。キスを交わした。
官庁街の市警本部庁舎では安藤文彦が部下から報告を受けていた。 「ブライアン・オブライエン?」 クリスティナ・ヨンぺルト・黒田は文彦が警部補として現場指揮を行っていた時分からの部下である。移民だったスペイン人の父親と日系アメリカ人の母親という出自を持っていた。 「警察委員のアルバート・ソッチの推薦だから本部長も乗り気みたい」 文彦はクリスティナの持ってきた資料に目をやる。 「警察委員の肝入りなら従う他ないな」 ブライアン・オブライエン教授の専門は精神病理学であるが、応用心理学、主に犯罪心理学に造詣が深く、いくつかの論文は文彦も読んだ覚えがあった。 「どうせ書類にサインさせるだけだし誰でもかまわない?」 「そういう認識は表に出すな。象牙の塔の住人だ。無暗に彼のプライドを刺激しないでくれ」 クリスティナは肩をすくめる。 「新任されたばかりで本部長は大張り切り。大丈夫。失礼なのは私だけ。他の部下はアッパークラスのハウスワイフよりも上品だから。どんな男でも、その気にさせる」 「クリスティナ」 軽口を咎めた文彦にクリスティナは吹き出した。 「その筆頭があなた、警視正ですよ、ジャック。マナースクールを出たてのお嬢さんみたい。財政の健全化をアピールするために部署の切り捨てを行うのが普通なのに新しくチームを立ち上げさせた。本部長をどうやって口説き落としたの?」 「きみは信じないだろうが、向こうから話があった。私も驚いている。本部長は現場の改革に熱意を持って取り組んでいるんだろう」 「熱意のお陰で予算が下りた。有効活用しないと」 文彦は顔を引き締めた。 「浮かれている場合じゃないぞ。これから、きみには負担をかけることになる。私は現場では、ほとんど動けない。走れないし、射撃も覚束ない」 右足の膝を文彦が叩く。あれ以来、まともに動かない足だ。 「射撃のスコアは基準をクリアしていたようだけど?」 「訓練場と現場は違う。即応できない」 あの時、夜の森の闇の中、懐中電灯の光だけが行く手を照らしていた。何かにぶつかり、懐中電灯を落とした瞬間、右手の動脈を切り裂かれる。痛みに耐え切れず、銃が手から滑り落ちた。正確で緻密なナイフの軌跡、相手はおそらく暗視ゴーグルを使用していたのだろう。流れる血を止めようと文彦は左手で手首を圧迫した。馬乗りになってきた相手のナイフが腹に差し込まれる感触と、その後に襲ってきた苦痛を表す言葉を文彦は知らない。相手はナイフを刺したまま刃の方向を変え、文彦の腹を横に薙いだ。 当時、『切り裂き魔』と呼ばれていた殺人者は、わざわざ文彦を国道まで引きず��。彼の頬を叩いて正気づかせた後、スマートフォンを顔の脇に据えた。画面にメッセージがタイピングされている。 「きみは悪党ではない。間違えた」 俯せに倒れている文彦の頭を右手で押さえつけ、男はスマートフォンを懐に納める。その時、一瞬だけ男の指に光が見えたが、結婚指輪だとわかったのは、ずいぶん経ってからである。道路に文彦を放置して男は姿を消した。 どうして、あの場所は、あんなに暗かったのだろうか。 文彦は事ある毎に思い返した。彼の足に不具合が生じたのは、ひとえに己の過信の結果に他ならない。ジャックと文彦を最初に名付けた妻の気持ちを彼は無にした。世界で最も有名な殺人者の名で夫を呼ぶことで凶悪犯を追跡する文彦に自戒するよう警告したのである。 姪のヒナタに贈った詩集は自分自身への諌言でもあると文彦は思った。法の正義を掲げ、司法を体現してきた彼が復讐に手を染めることは許されない。犯罪者は正式な手続きを以って裁きの場に引きずり出されるべきだ。 「ジャック。あなたは事件を俯瞰して分析していればいい。身長六フィートの制服警官を顎で使う仕事は私がやる。ただひとつだけ言わせて。本部長にはフェンタニルの使用を黙っていたほうがいいと思う。たぶん良い顔はしない」 フェンタニルは、文彦が痛み止めに使用している薬用モルヒネである。 「お帰りなさい、ジャック」 クリスティナが背筋を正して敬礼する。文彦は答礼を返した。
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シンクのシャワー水栓を『服部栄養専門学校』でみたモノと同じにしてみました。ちょっとしたお皿の汚れを水の勢いですっ飛ばします。。 上から釣られてるので使い勝手が良いです😊 #シャワー水栓 #DIY #フレキ管 #16mm #設備屋 #何でも自分で #輸入 #四万温泉 (四万温泉 地酒の宿 中村屋) https://www.instagram.com/p/CmOb7DnPEYU/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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Dear Ritsumeikan Asia Pacific University admissions,
I am Tanapa Somsong, currently a student at Hattori nutrition college (服部栄養専門学校) in Culinary high tech business administration course and will be graduating in March 2022. After graduation, I want to transfer to Ritsumeikan Asia Pacific University and get a bachelor's degree in business administration.
For this purpose, I want to know whether I can apply as a transfer student there? and If I can, Can I get some information about transferring to Ritsumeikan Asia Pacific University and how to apply there too?
I have attached my school's transcript with this email, please kindly check it out. I am looking forward to hearing back from you.
Yours Sincerely,
Tanapa Somsong
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【イラスト】単行本「服部幸應の知っておいしいだし事典」 / 株式会社実業之日本社 監修:服部栄養専門学校
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#라망드신메뉴 #토마토김치 새콤달콤. 토마토의 본연의 맛에 플러스. #라망드셰프 #특제소스 뿌리면 김치맛이나요.. 가끔 #서양요리 를 느끼하다 느끼시는 분들, 아니면 입안에 리프레쉬를 원하시든 분들... 이런 분들을 위해 준비 했습니다. 맛이 궁굼 하시죠? ^^ 오늘도 디너타임 5시 30분 부터입니다. #뱅뱅사거리맛집 #역삼맛집 #강남맛집 #양재맛집 #서초맛집 #강남역맛집 #예약제코스요리 런치 10냄비 한정 #떠먹는함박스테이크 #핫토리영양전문학교 #服部栄養専門学校 #서울고등학교 #서울고 #강남중대외식(La Main de Chef에서) https://www.instagram.com/p/B96FiJZBb73/?igshid=1lr8z7xexw84p
#라망드신메뉴#토마토김치#라망드셰프#특제소스#서양요리#뱅뱅사거리맛집#역삼맛집#강남맛집#양재맛집#서초맛집#강남역맛집#예약제코스요리#떠먹는함박스테이크#핫토리영양전문학교#服部栄養専門学校#서울고등학교#서울고#강남중대외식
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もう限界!食べすぎて嫌いになった「大好物」
集計期間:2020年4月18日~4月20日 回答数:15035
大好物の食べものは、どれだけ食べても飽きることはない…そう思っている人って、けっこう多いのではないでしょうか。
しかし、物事には限度があるもので、嫌というほど食べれば文字通り嫌いになってしまうことだってあるでしょう。そんな食べもの、貴方にはありますか?
今回は「あんなに好きだったのに、食べすぎて嫌いになってしまった食べもの」に関する調査を行いました。
食べすぎて嫌いになった食べ物はありますか?
回答者15035名のうち、食べすぎて嫌いになった食べものがある人の割合は、全体の約28.4%という結果になりました。
ここからは、何を嫌いになったか具体的な意見を見ていきましょう。
あんなに好きだったのに…
<肉類>
・バーベキューのやりすぎで焼肉が苦手になった
・しゃぶしゃぶで、牛肉をたべすぎ、それから、あまりたべられなくなった。
・焼肉のせんまい。独特の食感にハマって一時期は焼肉に行くとせんまいばかり食べていたけど、突然飽きてしまい今では全く食べません。
・すき焼き。昔、1人暮らししてた時に いつもコンビニ弁当を食べてたので正月休みの時にたまにはちゃんとした物が食べたいと思ってすき焼きの材料を買いすぎて正月休みの間ずっとご飯はすき焼きを食べてたら嫌いになった
・子どものころ、母親がハンバーグばっかり作るからマジ嫌いになった。最近はわりと好き
・子供の頃、脂身たっぷりの豚の角煮を食べ���ぎて夜にリバース…トラウマで今も脂身が食べれない。
・冷凍春巻きを高校時代毎日お弁当に入れられてしばらく食べられなくなりました。
・幼い時、冷凍餃子を食べ過ぎて、冷凍餃子が嫌いになりました。
・学生時代、冷凍コロッケを常備していて、晩ご飯で困った時はコロッケを食べていました。あまりにも食べ過ぎたので、嫌いになりました。
・給食で出てた、鯨の竜田揚げ。休んだ人の分まで貰って食べてたら、食べ過ぎたのか、戻してしまった事があります。
・レバー大好きな子どもでした。少し体調が悪い日の夜ご飯にたくさん食べてしまい・・・その夜もどしてしまった。その匂いでたべられなくなりました。
・缶詰のポーク。幼い頃は生で食べるほど好きだったが、暫くの間食べずに過ごしてて久々にポーク卵おにぎり食べたら体が受け付けなくなっていた。
・関西出身で中部地方に嫁ぎました551蓬莱の豚まん大好きですが中部地方は冷凍しか販売しておらず里帰りした時は30個購入し帰路の車の中でまた帰宅後・次の日約24時間、家族三人で完食してましたが食べすぎて現在、豚まんとは疎遠になっています
・肉まんが大好きで 冬場6から7個を毎日食べていたら10 kg あっという間に太ったのでやめた。
<野菜>
・野菜が嫌い。小学生の時の朝食は毎日、ボウルいっぱいの野菜サラダだけだった。パンとか肉(ウインナーとか)など全くなし。食べ終わらないと学校に行けない。妹は時々遅刻していた。なので今の野菜嫌いはそのせいだと思っている。
・病院食に出るブロッコリー
・嫌いというよりアレルギー。昔ナスとトマトの農家で、食卓が出荷できないナスとトマトのメニューばっかりだった。今はアレルギーでどっちも食べられない
・椎茸。姉の嫁ぎ先で椎茸の栽培をしていた。遊びに行くと山の様にくれた。最初は美味しく食していたが、程度問題。鼻につきだし、もう見るのも嫌になる。
・しいたけが小さい頃大好きで、しーさんと呼んでよく食べていたら、大人になったら嫌いになった。
・メンマが大好きで瓶で食べてたら、大人になって食べれなくなりました
・子供の頃きゅうりのキューちゃんという漬物が好き過ぎて大量に食べた数時間後吐いてしまいそれ以来食べられなくなりました…
・大根小さい頃に毎日大根の味噌汁が好きで作ってもらって食べていた結果、今では大根どんな調理方法でもダメです
・子供のころ、毎食トマトを1人1個食べさせられていた。毎食なので、平日は1日2個、休日は3個。成人し、家を離れてからトマトは食べなくなりました・聞けば、兄弟3人とも離れてからトマトは極力食べないようになったと言ってた。
・毎日アボカドを2年くらい食べていたら食べたくなくなりました
・かぼちゃ妊娠中食べすぎて、今はもう食べたくない…見るのも嫌
・パクチー好きで食べすぎてカメムシの臭いに感じ出して以来食べられなくなった
・ネギが大好きで、何にでもかけたり、入れたりしてましたが、あるラーメン屋さんで、入れ放題だったんですが、何故か物凄く臭くて、吐いてしまい、それから、食べられなくなりました。
・きゅうり。となりのトトロでおばあちゃん家の畑で取れたてのきゅうりを食べてるメイちゃんのシーンを見て、当時幼稚園生の私は毎日2本丸かじりして食べてました。おかげで今はあの青臭さが苦手でウリ系全般苦手になりました。
・銀杏が子供の頃好きすぎて親戚と温泉に行った時みんなの茶碗蒸しから銀杏貰っていっぱい食べたら気持ち悪くなってみんなの前で吐いてしまいそれから銀杏食べれなくなった
・竹の子、シイタケ。田舎の暮らしは貧乏だったので、竹の子の季節になると裏山に次から次へと生えるたけのこが、毎日毎日食卓のおかず。大皿にいっぱいのたけのこの煮物。無くなると、また母が作り、時期が終わる迄、たけのこと、タクアンの漬物だけがおかず。米農家だったので、ごはんには事欠かなかったけど椎茸も同じような物で、裏山の松の木の枝に椎茸菌を植え込み、育った椎茸を売りに出していたので、季節問わず椎茸の煮物ばかり。母は農作業に忙しく、料理もあまり工夫もなくて、煮物しか作らない大人になっても暫くは、食べたいとは思えませんでした。還暦を過ぎ、やっとたけのこと椎茸のシブい味がわかるようになり、たまに食べてます。
<果物>
・実母の実家が農家をしていてイチゴ、スイカ、メロンが食べ放題…食べ過ぎた結果、食べると口の中がかゆくなるようになり、以降は食べなくなりました。
・メロンが好きで沢山食べていたら口が痒くなり、あまり食べれなくなった。
・キウイフルーツ。子供の頃にたくさん食べたら酵素で舌が痛くなり今はちょっと苦手になりました。
・パイナップル。食べ過ぎて舌が痛くなり嫌いになってしまった。
・梨。水分はいいけど、果肉が意外と腹に溜まる
・りんご。若い頃、りんごダイエットをしていて、一生分食べました。���う食べる事はないと思っていましたが、昨年、再びりんごダイエットをして、もう一生分を食べました。今度こそはもう食べる事はないと思います。
・バナナダイエットの流行に乗って食べたバナナ。あの時に食べすぎたせいで今はバナナの匂いだけで気持ち悪くなる。
・妊娠中にプルーンを食べ過ぎて嫌いになった
・スイカ。小さい頃志村けんの真似をして食べ過ぎてから今じゃ食べられなくなった。
・記憶にないくらい幼少期にレーズンを一袋1人で食べたらしく、(母親から聞いた)お腹を壊したか吐いたのか、口に入れると吐き気を催す。
<魚介類・海産物>
・子供の頃に生牡蠣が大好きで食べていたのですが今は食べると気持ち悪くなるし売ってるのを見ても美味しそうに見えないです。
・骨折後に小エビを食べすぎてその後はしばらく食べたくなかった
・ホタルイカを沢山食べて、食あたりを経験し、それ以来、たべつけなくなった。
・高校生の頃シーチキンを食べ過ぎて嫌いになりいまだに食べられない
・イワシが髪に良いと聞いて毎日食べ2ヶ月 さすが飽きました。まだまだあるけど何か美味しい食べ方ないかな?
・鮪とかの刺身。前夫の実家が都内で魚屋をやっていて近所だったから毎日のように、鮪のブツやら姑が調理した魚料理がワンサカもらって(要らないといっても強制的に持たされた)必死で前夫と食べてたから、もう食べたくない。でも再婚した夫は刺身大好き。‥仕方なく少し食べてるけど。もう一生分食べたから要らない。
・数の子。正月に祖父が、私のお皿に永遠に数の子を乗せて来たので、残してはいけないと食べ切った。
・うなぎ私が子供の頃、魚屋で働いていた母親が、売れ残りのうなぎの蒲焼きを、度々もって帰ってきました。ゴムみたいになったままの蒲焼きを何度も何度も食べることで、うなぎの蒲焼きが好きでなくなりました。きっと美味しかったら嫌いにならなかったと思います。
・タコですね。子供の頃なんか忘れましたが、食べ過ぎて熱を出し寝込み50年位前ですが、今は見るのは大丈夫だけど、食べれませんね
・鯖寿司。母が好物で、美味い店を見つけたと言っては1人一本買ってきて食卓に出しました。最初は良かったんですが、ずっと続いたせいでその内一切れも食べれなくなりました。
・しじみが大好きで、お味噌汁のしじみを、母親が良かれと殻をとって身だけをいっぱい入れてくれたが、その様が気持ち悪くて嫌いになった。
・寿司が苦手です。板前として働いていたので、食べません。
・大トロが小さな頃から好きで回転寿司や回らない寿司屋で食べまくっていたら高校くらいから気持ち悪くて食べられなくなりました。
・ムール貝。知り合いのお店に遊びに行ったら何故かムール貝のお料理が次々に出てきた。食べきれない程の種類と量に、お店中の人にもお裾分けしたがまだ余る。帰宅後、死ぬほど吐いたが、それ以来ムール貝は食べれない。
・修学旅行で北海道に行った時お店のかたが良かれとイクラ丼を超大盛りにしてくれて、正直そんなには…と思ったけど好意に悪いなとも思い、無理して食べた結果もう二度と食べなくなった
・親が海産系の仕事をしていて小さな頃はよくいくらや刺身を食べていたが、今ではあまり好きじゃなく、特にいくらはなるべく食べたくない
・しゃこえび好きで食べ過ぎて当たった。吐いて下痢してを一晩中繰り返して、二度と食べれなくなった
・だいぶ前の話ですが、カニ食べ放題で食べてしばらく食べれなかった。今もあまり好きでは無いです。
・お寿司のエンガワ。廻るお寿司屋さんで初めて食べた時、とても美味しかったので、エンガワ、エンガワ、エンガワと5皿も食べ続けていたら、次第に脂の味しか感じなくなり、それからそれを思い出して食べられなくなった。
・髪が黒くなると言われ、ひじきをいつも食べさせられて嫌いになった。
・切り昆布の煮物。毎日どんぶり1つ食べてたが吐き気がする様になってやめた
・うなぎ。子供の頃、身体が弱く、また好き嫌いが多かった私を少しでも栄養が高い物をと両親が印旛沼の専門店まで毎週買いに行ってくれて、週3くらい食べていた。幼稚園の弁当にも入れてもらい、アルミの弁当を冬にストーブの近くに置いてあたためてもらうと、うなぎだと匂いで周りの子にバレ、ウナギ女とあだ名をつけられて、食べ過ぎと嫌なあだ名が重なり嫌いになった。
・牡蠣です。昔から酢牡蠣が大好きで、頻繁に食べていたが、大学自体あたりから、いわゆる酢牡蠣で食当たりするようになり、その頻度が上がってきた。社会人になっても、性懲りもなく食べていたが、30過ぎたあたりから体が受け付けないというか、食べたいと思わなくなった。一度、食べざるを得ない状況となり、食べたところ、やはり体調不良となり、今では食べたいどころか、あまり見たくもない。
<ご飯もの・お餅>
・卵かけご飯です。小学生の頃、毎朝食べていたら、突然苦手になりました。今は食べれないわけではありませんが、基本的には食べません。
・学生時代に炒飯を毎朝出されて見るのも嫌になりました
・お餅が大好きだったけれど、かなり毎日食べ過ぎて苦手な食べ物なってしまった!
・香川県白鳥町のぶどうもちがあまりに美味しすぎて食べすぎたので何年か食べれなくなった事がある
<麺類>
・東日本大震災の後、コンビニにミートソースがいち早く並んだため、当時は好物で苦にならず連日おにぎりと食する日々が続いたが、ある日を境に身体が受け付けなくなり、今も可能な限りパスタは食べたいと思わなくなってしまいました。
・冷やし中華、チャーシュー小学生の時に食べ過ぎて。ちらし寿司バイトのまかないで食べすぎて。
・カップラーメンやインスタントラーメンが好きで中学生の時にほぼ毎日間食のように食べてたら今では風味が嫌いになりました。ラーメン自体好んで食べるものじゃなくなってしまいました。
・子供の頃、親が仕事をしていたのでインスタントラーメンを自分で作って食べてました。2年間食べて小3から食べていません。
・素麺を高校のクラブの合宿でバケツ一杯食べさせられて、素麺を見るたびにあげそうにない。
・35年ほど前に朝昼晩と1日3食×7日間、大好きな焼きそばを食べたら大っ嫌いになり、未だに食べられません。
・小さい時にお昼となると焼きそばかナポリタンが出て、しかも味のむらがあり、あまり美味しくなかった記憶があり、今でも苦手です。
・シンガポール仕様の「出前一丁」。日本より食材の値段が高く驚いて、スーパーで取り敢えず安かったこれを買って、こればかりお昼とかに食べていたら、本当に心底飽きて食べられなくなった。日本に帰ってきてからも一度も買っていない。
<豆類・大豆製品>
・小さな時に、納豆好きで食べてたが…中学生以降、突然嫌いになり、それから食べて無い
・貧乏だった幼少期に豆腐を食べさせられて今も嫌いです。多分、あの時期に一生分の豆腐を食べました
・小豆水ダイエットで毎日食べる茹でただけの小豆。痩せるし健康になるけど食事が楽しくなくなる。
・小学生の頃、家族でおばぁちゃんちに行った際、親戚から送られてきた落花生などがあり、1歳下の妹と一緒に落花生をどれくらい食べれるか競争して、食べ過ぎてしまったのか気分が悪くなり嘔吐してしまいました。それ以来、落花生を食べるのが怖くなり、食べず嫌いしています。アレルギー検査など1度もした事がありませんが、食べ過ぎでアレルギーを起こすという事例も多いと聞いたので、もしかしたらアレルギーになっている可能性ありますね。
<乳製品>
・中学生の頃、給食に出ていたスライスチーズが気に入って友達の分ももらって食べていたが、食べ過ぎて嫌いになった。
・ホイップクリーム10代までは美味しく食べていました。親元を離れてケーキバイキングに行けるようになり好きなだけ食べましたがある日突然気持ち悪くなり体が受け付けなくなりました。今では大嫌いです...。
・中学受験の頃にナチュラルヨーグルトにハマり、毎日500mlのパックを1つを3か月位食べ続けた結果、その後10年以上は「一生分のヨーグルトは食べたからもう食べない」と一口も食べられなくなった。最近また少しずつ食べるようになったけれど、まだ好きには戻れない。
<お菓子・スイーツ>
・ケーキ屋に勤めていた兄がチョコレートケーキの端切れを毎日持って帰って来てくれましたが、余りにも食べ過ぎた為それから10年程食べられなくなってしまいました。ある時たまたま食べたらとても美味しく感じられ、それ以降はまた食べられる様になりました。
・小学生の時の誕生日に、どうしてもケーキをワンホール一人で食べたいと言い張り、食べ過ぎて吐き、それ以来生クリームのケーキが嫌い。
・和菓子。以前のパート先で午前、午後の休憩時、年配の先輩から毎日和菓子の差し入れが(-_-
・嫌いにまではならずとも、一時的にドはまりして食べ過ぎたが故に飽きてしまい、自らでは殆ど買うことがなくなってしまったお菓子が多数あります。
・子どもの頃、コアラのマーチが大好きでした。家でコアラのマーチを食べていたら、盲腸のマックスの激痛と重なってしまい、それ以来トラウマとなり手が出なくなってしまいました。
・ゴーフル。小さい頃 大して美味しいお菓子もなかった中で、時々お土産でもらうゴーフルはもう格別に美味しかった。ほとんど自分だけで1缶食べてしまい、その夜 食べ過ぎで 全て吐いてしまいそれ以来 ゴーフルを見ると気持ち悪くなる。
・玉子ボーロ、小さい時大好きで毎日食べていたらある日突然食べると気持ち悪くなった。以来食べると気持ち悪くなるので40年以上食べてません。
・お菓子のおっとっと昔1日1箱食べてたんだけど、いつしか嫌いになってしまった
・小5の頃、やっすいラムネを(透明の箱で黄色の蓋の)をしょっちゅう食べてたら、蕁麻疹出てそれ以来二度とラムネが食べれなくなった
・ポテトチップスのコンソメ味が、発売された当初、母がいつも食べさせてくれたのですが、食べ過ぎて、今では、あまり食べたくないです。
・ポテトチップス、揚げつまみフライ等、油物に吐いて苦しい思いをしたので、もう食べないと思っていました。ずっと、食べずにいましたが、今は、ポテトチップスは、食べるようになりましたが、揚げつまみフライは、まだです
・心太(ところてん)。30年前、高校生の頃にダイエットしようと心太ばかりお腹いっぱい食べていたら気持ち悪くなった。それ以来、食べたくなくなった。
・抹茶。以前は大好きでした。でも今の職場が和菓子工場で毎日毎日抹茶のお菓子の味見やら抹茶その物の匂いにさらされて今では何もときめきません。
・小さい頃きなこが大好きでよく食べていました。しかし、ある時大量にきなこをかけたお餅を食べようとした時、きなこでムセてしまい…。もともと咳がひどく、ムセはなかなか治らず。それが原因であまり好きではなくなりました。
・コーヒーゼリーにハマってよく食べていたが、どんどん食べていくうちに味がマンネリ化してきて結果的にコーヒーゼリーもコーヒーも嫌いになった
・メロンパン。一時期ハマっていて色々なコンビニのものを食べ比べしていたけど、食べ過ぎて嫌いになった。
・プリンが大好きな友人に、コンビニの棚にあるだけのを全部買ってお礼に渡したら、次に会ったときには大嫌いになってた。
・子供の頃にプッチンプリンを食べ過ぎて、プリンが嫌いになりました。が、18歳頃から食べられるようになりました。焼きプリンから。
・小学生の頃輸入食料品店で売っていたシナモンのクッキーが大好きでよく食べていました。ある日いつもの様にクッキーを食べていたら、腕やお腹に赤い発疹が出て、小さな赤いブツブツがどんどん増え繋がって皮膚がボコボコに。蕁麻疹でした。それ以降シナモンの入っている食べ物は食べられなくなりました。嫌いと言うより、また蕁麻疹が出るかも?と怖くなってしまったのです。
・小学生の頃、プチシュークリームを食べ過ぎて、気持ち悪くなり、大人になるまで食べれなかったです。
・父がお土産にコンビニスイーツをたまに買って来てくれるのですが、ティラミスとかエクレアとか美味しいって言うとずっと買い続けるので、正直飽きて嫌いになってしまいました。
・ミルクチョコを食べ過ぎて油分が気持ち悪くなり食べられなくなったことがありました。その際は油分があまり感じられなかったホワイトチョコを食べてました(結局チョコは食べてました
・チョコレート。子供の頃、父がもらったバレンタインチョコを食べ過ぎて、気持ち悪くなってから、嫌いになった。
<飲みもの>
・自動販売機のコーンスープを飲み過ぎて嫌いになりました
・生茶パンダの懸賞でシリアル番号が欲しくて何箱も箱買いした。それでも当たらなくて生茶を飲みまくってたら体が受け付けなくなってしまった…。今でも生茶だけは飲めない。
<調味料>
・餃子にサウザンドドレッシングをかけるのにハマって毎日したらある日吐き気が。それからサウザンドドレッシングが無理。
・マヨラーだったので、ほうれん草のお浸しやツナサラダ等にもマヨネーズをかけて食べていました。ある朝お弁当に持って行くツナサンドを作ろうとして、マヨネーズをツナにかけていたら「ぷちゅんっ!」と容器から出てきてしまったのです。左手に着いたマヨネーズを舐めた途端に気持ち悪くなり、以来マヨネーズは苦手な調味料になってしまいました。
<その他>
・父がピザが安いときにピザばかり食べさせてきて、それ以来大嫌いになりました
・フィレオフィッシュを3日続けて食べたら気持ちが悪くなって食べられなくなった。
・ポンデリングを続けて3個食べたら気持ち悪くなって、何回も挑戦するけど気持ち悪くなってもう食べられなくなった
・うずらの卵の水煮。こどものころ、食べすぎて吐いて、しばらく食べられなかった
・家庭用たこ焼き器が流行った時に買い、母が作りすぎて嫌いになった
・天ぷらを食べすぎてお腹を壊し、以来滅多に食べなくなった。
・チーズタラを食べ過ぎて吐血した。大嫌いになった。
・子供のころ手作りの刺身こんにゃくを食べすぎてこんにゃくと名のつくものは全てダメ
・ダイエットしてこんにゃくとしらたきがにがてになりました
・幼稚園のお弁当で必ずご飯にかかっていた「さくらでんぶ」。一生分食べたので、今はもう見なくてもいい。
まとめ
みなさんから寄せられた意見をまとめると、
・食べすぎた結果、体調を崩すなど痛い目に遭った経験が多い
・親の仕事内容など、家庭環境が左右する場合もある
・しばらく期間を空けた結果、克服した例も
といった具合です。大トロやいくらなどの高級品にくわえ、ハンバーグや天ぷらといった「子どもの好物」とされるものも挙げられており、人によって事情はさまざまであることがわかりました。
好きなものを腹いっぱい、嫌というほど食べてみたいという願いを叶えるには、相応のリスクが伴うようですね。
アンケートにご協力いただきありがとうございました。
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