Tumgik
#フランス農事功労賞受賞者協会理事
juneabeppo · 2 years
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「ポピュリズムとポピュラリズム──トランプとスペインのポデモスは似ているのか」
2016年11月16日 Yahoo!
 米大統領選の結果を受け、スペインでは、ポデモスのパブロ・イグレシアス党首とドナルド・トランプを比較する人々が出て来たので、イグレシアスはこれに憤慨し、「ポピュリストとはアウトサイダーのことであり、似たようなメソッドを使うことはあるものの、それは右翼でも、左翼でもあり得るし、ウルトラ・リベラルの場合も、保護主義者の場合もある」と主張していると『エル・バイス』(El Pais)紙が伝えている。
 ポピュラリズムとは大衆迎合主義なのか
 パブロ・イグレシアスは、「ポピュリスト」の概念についてこう語っている。
ポピュラリズムとは、イデオロギーでも一連の政策でもない。「アウトサイド」から政治を構築するやり方のことであり、それは政治が危機に瀕した時節に拡大してくる。
ポピュラリズムは政治的選択を定義するものではない。政治的時節を定義するものだ。
(『エル・バイス』2016年11月11日)
 スペインは今年(2016年)6月に再総選挙を行ったが、昨年末の総選挙同様に議席が二大政党と新興二党に分裂したまま政権樹立に至らなかった。その上、最大野党の社会労働党が内部クーデターが起きるなどしてゴタつき、ラホイ首相続投の是非を問う信任投票で棄権したため、結局は国民党が政権に返り咲いている。イグレシアスは社会労働党のふがいなさを激しく非難しており、ポデモスは野党第一党になる黄金のチャンスを掴んでいるとも報告されている。「妥協をしながら国家制度のかなで地位を確立するポデモス」と「左派ポピュリズムとしてのポデモス」との折り合いをどうつけるかという以前からあった問題が、いよいよ切実なものになってきたようだ。イグレシアスはこう言っている。
これからの数カ月、議論しなければならないのは、ポデモスはポピュリストのムーヴメントとして存在し続けるべきか否かということだ。  (同前)
 「ポピュリズム」という言葉は、日本では「大衆迎合主義」と訳されたりして頭ごなしに悪いもののように言われがちだが、Oxford  Learner's Dictionaries のサイトに行くと、「庶民の意見や願いを代表することを標榜する政治のタイプ」とシンプルに書かれている。一九世紀末に米国で農民たちの蜂起から生まれた政党の名前がポピュリスト(人民党)だった。これは populace に由来する言葉だ。一方、 popular から派生したポピュラリズムは最近よく政治記事で使われるようになってきた言葉だが、昔から音楽関係の英文記事を読んでいる人は目にしたことがあると思う。クラシックに大衆音楽の要素を混入したり、インディー系の知る人ぞ知るアーティストがポップアルバムを出したりするときに、評論家たちは「ポピュラリズム」と呼んできた。
 「ポピュリズムの行き過ぎたものがポピュラリズム」という解釈もあるが、ポピュリズムは大前提として「下側」(イグレシアス風に言えば「アウトサイド」)の政治勢力たらんとすることで、テレビに出ている有名なタレントを選挙に出馬させたりする手法は単なるポピュラリズム(大衆迎合主義)だ。そのタレントが下側(アウトサイド)の声を代表するつもりかどうかはわからないからである。
 左派と地べたの乖離
 EU離脱、米大統領選の結果を受けて、新たな左派ポピュリズムの必要性を説いているのは『ガーディアン』のオーウェン・ジョーンズだ。
 「統計の数学を見れば低所得者がトランプ支持というのは間違い」という意見も出ているが、ジョーンズは年収三万ドル以下の最低所得者層に注目している。他の収入層では、2012年の大統領選と今回とでは、民主党、共和党ともに票数の増減パーセンテージは一桁台しか違わない。だが、年収三万ドル以下の最低所得層では、共和党が16%の票を伸ばしている(『ニューヨークタイムズ』2016年11月8日)。票数ではわずかにトランプ票がクリントン票に負けているものの、最低所得層では、前回は初の黒人大統領をこぞって支持した人々の多くが、今回はレイシスト的発言をするトランプに入れたのだ。英国でも、下層の街に暮らしていると、界隈の人々が(彼らなりの主義を曲げることなく)左から右に唐突にジャンプする感じは肌感覚でわかる。これを「何も考えていないバカたち」と左派は批判しがちだが、実はそう罵倒せざるを得ないのは、彼らのことがわからないという事実にムカつくからではないだろうか。
ラディカルな左派のスタイルと文化は、大卒の若者(僕も含む)によって形成されることが多い。〔中略〕だが、その優先順位や、レトリックや、物の見方は、イングランドやフランスや米国の小さな町に住む年上のワーキングクラスの人々とは劇的に異なる。〔中略〕多様化したロンドンの街から、昔は工場が立ち並んでいた北部の街まで、左派がワーキングクラスのコミュニティに根差さないことには、かつては左派の支持者だった人々に響く言葉を語らなければ、そして、労働者階級の人々の価値観やゆいへの侮辱を取り除かなければ、左派に政治的な未来はない。
(『ガーディアン』2016年11月10日)
 右派ポピュリズムを止められるのは左派ポピュリズムだけ?
 『エル・バイス』は、ポデモスとトランプは三つのタイプの似たような支持者を獲得していると書いている。
一 グローバル危機の結果、負け犬にされたと感じている人々。
二 グローバリゼーションによって、自分たちの文化的、国家的アイデンティティが脅かされていると思う人々。
三 エスタブリッシュメントを罰したいと思っている人々。
 「品がない」と言われるビジネスマンのトランプと、英語で言うならオックスフォードのような大学の教授だったイグレシアスが、同じ層を支持者に取り込むことに成功しているのは興味深い。
 マドリード自治大学のマリアン・マルティネス=バスクナンは、ポデモスとトランプが相似ている点は「語りかけ」だと指摘する(『エル・バイス』2016年11月11日)。「トランプには理念があるわけではなく、彼の言葉は、ヘイトや、オバマ大統領が象徴するすべてへの反動に基づいています。人々の感情を弄び、極左や極右がするように、共通のアイデンティティを創出しようとします。問題は、人々の情熱がどのように利用されているかということなのです」と彼女は話している。
 感情と言葉の側面については、英国のオーウェン・ジョーンズもこう書いている。
プログレッシヴな左派は、ファクトを並べて叫べば人々を説き伏せることができると信じている。だが人間は感情の動物だ。我々は感情的に突き動かされるストーリーを求めている。一方、クリントンの演説は、銀行幹部の役職に応募しようとしている人のように聞こえた。(略)左派も感情を動かすヴィジョンを伝えなけばならない。ただ事実を述べてわかってくれるだろうと期待しているだけでは、右派の勢いを鈍らせることも、プログレッシヴな勢力の連合も築けないとわかったのだから。
(『ガーディアン』2016年11月10日)
 ポデモスの幹部たちは「右派ポピュリズムを止められるのは左派ポピュリズムだけ」と言ったベルギーの政治学者、シャンタル・ムフに影響を受けているという。『エル・バイス』によれば、スペインは欧州国としては珍しく、英国のナイジェル・ファラージのUKIPや、フランスのマリーヌ・ルペンの国民戦線のような右派ポピュリズムがまだ出現していない。
 ちょっと希望の押しつけ過ぎではないかとも思うが、オーウェン・ジョーンズが「ポデモスが崩れたら欧州の左派に未来はない」と言うのも、右派ポピュリズムへの抑止力として機能している左派ポピュリズムが他に見あたらないからだろう。
『ヨーロッパ・コーリング・リターンズ──社会・政治時評クロニクル 2014-2021』ブレイディみかこ 著 岩波現代文庫 2021年11月12日発行
著者 ブレイディみかこ(Mikako Brady)
ライター・コラムニスト。1965年福岡市生まれ。1996年から英国ブライトン在住。2017年、『子どもたちの階級闘争──ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房)で新潮ドキュメント賞を受賞。2019年、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)で毎日出版文化賞特別賞、本屋大賞ノンフィクション本大賞などを受賞。『女たちのテロル』(岩波書店)、『ブロークン・ブリテンに聞け Listen to Broken Britain』(講談社)、『女たちのポリティクス──台頭する世界の女性政治家たち』(幻冬舎新書)、『他者の靴を履く──アナーキック・エンパシーのすすめ』(文藝春秋)など、著書多数。
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pastasaikou1984 · 5 years
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6月中旬に発売予定の別冊・専門料理「イタリア料理」において、チーズプロフェショナル協会会長の本間るみ子さんとイタリア大使館促進部の皆さんと【イタリアチーズの魅力と可能性】というテーマで対談させていただきました ・第1部 【専門料理】は私のバイブルであり、【本間るみ子さん】は私のチーズ人生のバイブルです Wバイブルという私にとってはご褒美企画 毎日楽しみに対談の日を待ちわびていました 本間るみ子さんは私も所属しているチーズプロフェッショナル協会の会長を務めています 私が生まれたとほぼ同時期より、日本においてチーズ文化の普及を続けていた方 【日本のチーズの歴史】といっても過言ではないでしょう 数々の様々な手法で日本でのチーズの普及を試しては、ブラッシュアップし、の繰り返しをし、常に止まることはなく、今もなお走り続けている方 当日、ミモレットの耳飾りをしてくる程のチーズ愛に溢れた本間るみ子さん 体からチーズ愛がにじみ出るようなオーラを感じました イタリアには様々なチーズがあります 日本に入ってきているのはほんのごく一部 では、なぜほんのごく一部なのか 消費者側としては、選ぶ楽しさが欲しいのでたくさんの種類を増やして欲しいです 販売者や、輸入者としては、多数チーズを入れてしまうと、当然ながらいわゆる売れ残りのリスクがあります このパラドックスが日本におけるチーズ市場拡大の肝なんではないでしょうか? 本間るみ子さんはかつて、イタリアチーズの多様性に惹かれてたくさんの種類を輸入していたそうです ですが、【時代】というのもあってなかなか消費者のニーズにははまらなかったそう 安価なチーズがこのまれているなか、高額なナチュラルチーズへの興味はごく一部の層だったようです 時代の変化と共に、毎年右肩上がりで国内のチーズ消費量があがり続けている日本のチーズ市場 あがり続けてはいますが、イタリアやフランスと比べるとその消費量はなんと9分の1 チーズに対する歴史や日常、文化の違いも理由の一つだと思います イタリアチーズの魅力や可能性は、そのバリエーションの豊かさにあると思います イタリアチーズのバリエーションの魅力を、もっと引き出すには安定的なマーケットの成長が必要 消費者、生産者、輸入者の皆が前向きに歩めるようなシステム作りこそ、市場拡大へと繋がる道と考えられます 今日、明日で市場が育つ程簡単な内容ではありません では、輸入者と販売者である本間るみ子さんと、消費者兼販売者?でもある私にできることは何か? イタリア郷土料理店として貢献できることは何か? なぜ、、イタリアチーズの市場を拡大させる必要があるかは、イタリア郷土料理店として、新たな郷土料理を再現できる可能性を増やすといった面や、新たな歴史を繋ぐといっためんから必然であると考えています 第1部はこの辺りで #株式会社フェルミエ  #本間るみ子 #フェルミエ #新潟県佐渡生まれ #チーズの生まれた背景とロマンに魅了される #フランス農事功労賞受賞者協会理事 #チーズプロフェッショナル協会会長 #コマンドールドボルドー理事 #服部栄養専門学校特別講師 #田崎真也ワインサロンチーズ上級クラス本間 #東京恵比寿ロータリークラブ講師 #パリで行われる国際農業見本市審査員 #フランスチーズ鑑評騎士の会 #オフィシエ #将校称号 #サントモールドゥトゥレーヌシュヴァリエ称号 #ラングルシュヴァリエ称号 #マンステールシュヴァリエ称号 #農事功労章シュヴァリエ受章 #フランスチーズ同業者組合ギルドデフロマージュ称号 #フランスチーズ鑑評騎士の会グランオフィシエ大将校称号 #フランスチーズ鑑評騎士の会アフィヌールチーズ熟成士称号 #ボルドーワイン最高評議会コマンドールドボルドー騎士称号 #新潟清酒達人検定協会名誉達人を任命 #フランス国家功労章ソムリエドヌール #チーズプロフェッショナル #専門料理 #イタリア大使館促進部 #ペペロッソ #三軒茶屋 【オリーブオイル EVO1118 500ml 】 料理にフレッシュ感をプラス https://store.shopping.yahoo.co.jp/peperosso/pepe-oliveoil500.html 世田谷区 三軒茶屋駅のイタリア郷土料理店ペペロッソ Ristorante regionale italiano a Sangenjaya a Tokyo "PEPE ROSSO" . Italian regional restaurant in Sangenjaya in Tokyo "PEPE ROSSO". https://www.peperosso.co.jp/ Webマガジン 「SHOP ITALIA ~あなたが知らないイタリアここにあります」にてイタリアについて執筆させていただいております Sto scrivendo sull'Italia. I am writing about Italy. https://shop-italia.jp/author/28 (ペペロッソ 三軒茶屋 イタリアン cucina italiana) https://www.instagram.com/p/BwbY1T9FVoW/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=7d1wiurmgjaw
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xf-2 · 6 years
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「バレンタインデー」の季節である。あさって2月14日の「バレンタインデー」を前にして、日本中どこでもチョコレート商戦が活発だ。私が住んでいる地域のスーパーマーケットでは、おニャン子クラブ時代の国生さゆりの「バレンタイン・キッス」がBGMとして流れている。ほぼ同世代の私にはとってはなんだか不思議な気分だが、懐かしさを感じたりもする。
 日本人の多くは「バレンタインデー」がいつ日本で始まったかについては、あまり関心がないかもしれない。もはや「伝統」といっても問題ないくらい定着しているからだ。
 廃棄ロスが社会問題化している節分の恵方巻きとは違って(参照:本コラム「節分には恵方巻? 「伝統」はこうして誕生する」)、同じ食品であってもチョコレートの賞味期限は、はるかに長い。廃棄ロス問題がないという点に関しては、バレンタインデーのチョコレートに目くじらを立てる人はあまりいないだろう。
 今回は、そもそも高級チョコレートが日本で定着することになった時点から歴史をふりかえってみたい。その主人公となるのは、今から約100年前のロシア革命による混乱から逃れて、亡命先の神戸で洋菓子店を開き、日本人に本場のチョコレートを紹介したモロゾフ一家である。
 ただし、モロゾフ一家と日本の洋菓子メーカー「モロゾフ」(兵庫県神戸市)とは直接の関係はない。その事情についてはモロゾフ一家の物語に触れるなかで取り上げることにする。
第1次世界大戦後、洋風の食生活普及が始まった
 日本で本格的なハムやソーセージが製造販売されるようになったのは、今から約100年前の1920年代のことだ。
 第1次世界大戦の青島攻略戦で日本軍の捕虜となり、日本各地に収容されていたドイツ人職人の技術が日本人に移転されたことによる。このことについては、このコラムでも紹介した(参照:「日本に住みつき『技術』を伝えたドイツ人捕虜たち」)。
 本格的なチョコレートが製造され販売されるようになったのも、やはり第1次世界大戦後のことだ。現在では世界最高水準との評判で、価格も上昇中の日本産シングルモルト・ウイスキーもまた同じ時代に誕生している。
 現在では当たり前になっている洋風の食生活が普及し始めたのは、第1次世界大戦後の1920年代のことであり、日本では大正時代にあたる。「大正デモクラシー」として知られている大正時代には、食生活を含めた生活全般の洋風化も始まっていたのである。
 戦争と革命は多大な犠牲をもたらすが、一方では新たな文化の誕生と普及にもつながる。第1次世界大戦において、日本は直接的な被害は受けなかったが、間接的な影響は社会全体に及んでいた。
バレンタインデーのチョコは日本人の発明
 バレンタインデー(Valentine’s Day)のバレンタインとはキリスト教の聖人、聖バレンタインであることは、ほぼ日本人の常識となっているといっていいだろう。
聖バレンタインは、正確にいうと聖ヴァレンティヌス(Valentinus)という3世紀に生きた人だ。ローマ帝国でキリスト教が迫害されていた時代の司祭で、絞首刑に処せられ殉教者となった。キリスト教がローマ帝国で公認されたのはその後の313年、コンスタンティヌス帝によるミラノ勅令による。
 殉教者となった聖バレンタインは、カトリック教会とその流れを組む聖公会、東方正教会で聖人とされている。カトリック教会では“恋人たちの守護聖人”とされてきたため、聖バレンタインの殉教日である2月14日がバレンタインデーとなったのである。
 日本で「バレンタインデー」とチョコレートを結びつけたのは、メリーチョコレートカムパニー(東京都大田区)だとされている。今から約60年前の1958年(昭和33年)2月、東京都内の百貨店の催事で初めて手がけた販促として始まったのだという(参照:「メリーのバレンタインヒストリー」)。このことは、すでに本コラムでも取り上げている。
 だが、日本で高級チョコレートを普及させたのは、ロシア革命後に日本に亡命してきたロシア人のモロゾフ一家である。亡命先の日本で生計を立てるため、1926年(大正15年)に港町神戸で洋菓子店、神戸モロゾフ製菓を開設。ここから高級チョコレートが広まった。この原点はぜひ知っておくべきだろう。
ロシア通小説家が執筆した2つの評伝
 NHKの連続テレビ小説(いわゆる「朝ドラ」)で2014年から翌年にかけて放送された「マッサン」は、日本で初めて本格的なウイスキーの製造販売を始めたニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝の生涯を描いたものであった。
 広島の日本酒醸造家に生まれた竹鶴政孝氏が、ウイスキー製造の修行のためにスコットランドに滞在していたのは、1918年から1920年にかけてである。ちょうど第1次世界大戦中から戦後にかけてのことであった。
 日本に帰国する途上でスコットランド出身の新婦リタとともにフランスに立ち寄った竹鶴は、世界大戦の戦場となって荒廃した国土を直接見聞している。日本経済新聞に連載された「私の履歴書」には、そのときの感慨をつづっている。「労働力は減り、生産力は破壊されて、フランスの北の方は、ちょうど戦後の東京の焼け野原のような状態で放置されていた」、と。
大正十五年の聖バレンタイン―日本でチョコレートをつくったV・F・モロゾフ物語
』(川又一英著、PHP研究所)
「マッサン」の原作は、『ヒゲのウヰスキー誕生す』(新潮社、1982年、テレビ小説の放送時に文庫化)だが、著者の川又一英氏は早稲田大学文学部ロシア文学科出身のロシア通であった。『ヒゲのウヰスキー誕生す』の次作として発表したのが、『大正十五年の聖バレンタイン―日本でチョコレートをつくったV・F・モロゾフ物語』(PHP研究所、1984年)だ。この2つの作品は、ほぼ同時期を題材にしている。
 以下、モロゾフ一家についてはこの本の内容に沿って記述していくが、この本は現在では絶版のままであり、文庫化もされていない。テレビドラマに取り上げられることもないのは残念なことだ。
波瀾万丈の亡命者、モロゾフ一家の苦闘
 さて、1926年(大正15年)神戸で初めて高級チョコレートの製造販売を始めたモロゾフ一家だが、そのファミリーヒストリーは波瀾万丈で、まさに苦難の連続であった。モロゾフ一家はいわゆる「白系ロシア人」。「白系」の「白」とは、共産主義を意味する「赤」の反対語で、帝政側の立場にいた人を意味している。白人という意味ではない。
 共産主義を掲げて私有権を認めないボルシェヴィキが暴力によって政権を奪取した「10月革命」(1917年)のあと、ロシアは大混乱状態に陥っていた。そんな状況のなか、資本主義時代のロシアで商売に成功していたモロゾフ一家は、シベリア経由で満洲のハルビンに脱出。ハルビンではボルシェヴィキ率いる「赤軍」に対する反革命の「白軍」の資金援助のために貿易活動を行っていた。だが、ロシア内戦の終了のため計画は失敗、1923年には日本を経由し、親戚を頼って米国西海岸のシアトルに渡った。
 ところが安住の地を求めたシアトルでは生活再建ができず、再び日本に戻って東京でやり直すことに。しかし、関東大震災(1923年)のため横浜港に船が寄港することができず、寄港地変更のため神戸港に上陸することを余儀なくされた。その神戸で腹を括って、人生の再建に取り組んだのである。華僑流にいえば「落地生根」といったことになるだろう。
 所持金は全部で3000円、当時の日本では月に100円あればそれなりに裕福な暮らしができたようだが、そのままでは資産を食いつぶしてしまう。その前になんとか所持金を元手に、確実にカネになる事業に踏み込まなくてはならない。家長である「無国籍の亡命者」フョードル・モロゾフにとっては、起業はまさに死活問題であったのだ。無国籍の外国人を雇う会社など、当時の日本では存在するはずがなかったからだ。
 幕末に開港した横浜と並んで、神戸もまた日本では最も早く生活の洋風化が始まっていたが、モロゾフが目をつけたのが洋菓子、なかでも高級チョコレートの製造と販売であった。当時の日本では、チョコレートといえばキャラメルと同様に駄菓子程度のものでしかなく、高級チョコレートにビジネスチャンスがあると見てとったのだ。そしてそれは正解であった。
 1926年(大正15年)に開業、ハルビンからロシア人の洋菓子職人を呼び寄せ、息子のワレンティンには15歳で菓子職人の道を選ばせた。後ろ盾も国籍もない異国の地で始めた洋菓子の製造販売は軌道に乗り、神戸だけでなく東京にも販路を拡大し、日本での定着は成功したかにみえた。
ファミリーネーム由来の「モロゾフ」の商標を喪失
 だが、一難去ってまた一難。異国の地での苦労は簡単には終わらない。なんと、事業拡大のための設備投資に必要な資金を調達するため増資した際、出資によって共同経営者となった日本人から裏切られたのである。商標権をめぐる訴訟に敗れた結果、コーポレートブランドであったファミリーネームの「モロゾフ」(Morozoff)が使えなくなってしまったのだ。
日本語が不自由で無国籍者のロシア人モロゾフとの契約をうまく利用し、契約を楯にとって創業家を事業から追い出したのである。まさに狡猾な日本人としか言いようがないが、近代日本が法治国家である以上、契約書記載事項をめぐる訴訟の結果を受け入れるしかない。とはいえ、信頼していたパートナーから裏切られたことは、どれだけ創業者一家には精神的にもダメージになったことだろうか。この時点で、モロゾフ一家とモロゾフ製菓とは関係がなくなった(1936年に神戸モロゾフ製菓からモロゾフ製菓に商号変更している)。
 モロゾフ一家は1941年(昭和16年)からは、「コスモポリタン」(Cosmopolitan)という名前で再出発した。商標の重要性について身をもって知ることとなったわけだが、他方では全面的に支援してくれた日本人たちもいた。第2次大戦後の再建も、顧客を含めた支持者たちのおかげであったことはいうまでもない。
 神戸は阪神大震災(1995年)によって壊滅的打撃を受けたが、洋菓子産業は復興後の神戸で元気産業の1つとなっている。だが、「コスモポリタン」は2006年に業績不振を理由に自主廃業している。モロゾフ製菓とは大きく運命が分かれたことになったわけだ。時代の変化について行けなかったのであれば、経営能力にかかわるものであり、仕方ないことだ。ロシア語なら「ニチェヴォー」とつぶやく状況であろう。
 神戸には、同じく白系ロシア人亡命者マカロフ・ゴンチャロフによって1923年(大正12年)の創業になる「ゴンチャロフ製菓」がある。こちらは現在でも健在であるが、モロゾフ一家とは違って、創業者のゴンチャロフは創業から10年後に会社を売却して日本を出国している。
 チョコレートの味は甘く、人生の味は苦い。そんな気持ちにもさせられる亡命ロシア人モロゾフ一家の物語である。 
「白系ロシア人」がなぜ日本に亡命したのか
 ここで、「白系ロシア人」が生まれた時代背景について見ておくことにしよう。
 ロシア革命は、第1次世界大戦のさなかに起こった出来事であったが、革命前の帝政ロシアは、日本もその一員であった英仏主導の連合軍に属しており、欧州の東部戦線ではドイツ帝国およびハプスブルク帝国(オーストリア・ハンガリー帝国)と戦っていた。
 ロシア革命後に、ブレスト・リトフスク条約でドイツと単独講和を実現したボルシェヴィキ政権は東部戦線から離脱し、ドイツは全勢力を西部戦線に振り向けることが可能となった。この状況に強い危機感を感じていたのが英国とフランスである。
 この英仏からの強い要請に応じてロシア極東とシベリアに干渉軍を派遣することになったのが、1918年に日本と米国の連合軍を中核とした15カ国に及ぶ多国籍軍であった。いわゆるシベリア干渉戦争(Siberian Intervention)である。1904年の日露戦争で激しく衝突した日本とロシアだが、その後4次にわたる「日露協商」を通じて政治的にも軍事的にも良好な関係にあったことは、意外と知られていない。皇室どうしの関係も良好であった。
 日本が指揮権を握ったこの干渉戦争は、日本では「シベリア出兵」と呼ばれている。ロシア領内に侵攻して、厳冬期にはマイナス40℃にもなる極寒のシベリアで、神出鬼没のパルチザン(いわゆる農民主体のゲリラ部隊)と戦ったこの戦争は、一般市民を巻き込んだ虐殺や略奪を伴い、文字通りベトナム戦争に匹敵する泥沼の戦争となった。
連合軍の中核となっていた日米だが、出兵当初から同床異夢といった状況であり、米国が1920年に撤兵したあとも日本は単独出兵を続けた結果、国際的な非難を浴びることになる。シベリア出兵は、日本にとっては最終的に10億円(当時)を越える莫大な戦費と3500人を超える戦死者を出したが、ほとんど何も得ることができなかっただけでなく、革命後のソ連とロシア人に反日意識という大きな禍根を残すことになった。これが第2次世界大戦末期(1945年)の日ソ戦とシベリア抑留につながっているのである。日本人はこの歴史的事実を認識しておく必要がある。
 モロゾフ一家が、日本を亡命先に選んだのは、そんなシベリア出兵の時代であった。モロゾフ一家は、「白系ロシア人」として反革命勢力の「白軍」を支援しており、同じく白軍を全面的にバックアップしていた日本や米国を亡命先に選んだのは、そういう文脈で捉えることが可能だろう。
 日本だけでなく、米国もまたボルシェヴィキ政権の「赤軍」と戦っており、戦死者も出している。米ソ対立は第2次大戦後後の冷戦時代に先鋭化したが、その根源はシベリア出兵の時代にあったのである。
「無国籍者」を貫いたモロゾフ一家
『大正十五年の聖バレンタイン―日本でチョコレートをつくったV・F・モロゾフ物語』の記述をベースに「白系ロシア人」の亡命者モロゾフ一家について見てきたが、この本が出版された当時の店主、ワレンティン・フョードロヴィチ・モロゾフのファーストネーム「ワレンティン」は、英語でバレンタインとなる。書籍のタイトルはそこから取られたものだ。
 1911年生まれで6歳のときに両親とともに生まれ故郷のロシアを離れ、各地を転々としたのち13歳から日本に定住することになったワレンティンは、死ぬまで「無国籍」のままだったという。祖国の帝政ロシアに強い愛着をもち、ソ連の国籍も取得せず、また日本国籍も取らなかった。国籍変更によって名前を日本風に変えるのは、祖国とのつながりを断ってしまう行為に思えたからだという。
「無国籍」状態がいかに大変なことかは、陳天璽氏の著者『無国籍』(新潮社、2005年)に詳述されている。陳天璽氏は、台湾人家庭に生まれたが1972年の日中国交回復後に、親の方針で国籍放棄した結果、無国籍になっていた(現在では日本国籍を取得しているようだ)。日本に定住していながら日本のパスポートを取得できないため、海外渡航に際しては不便きわまりないが、それだけではなく、自らのアイデンティティに直結する問題であるのだ。
「白系ロシア人」といえばモロゾフ一家のほか、野球選手として読売巨人軍でピッチャーをつとめたヴィクトル・スタルヒンが有名である。スタルヒンもまた一生を通じて無国籍のままであった。また、バレエ教師として数々の日本人バレリーナを育成した「日本バレエの母」エリアナ・パブロワもそうだ。ロシア貴族出身のエリアナ・パブロワは、1937年に日本に帰化して日本国籍を取得している。
 モロゾフ一家に限らず、異国の日本で人生を再建せざるを得なくなった人たちは少なくない。それぞれ異なる人生ではありながら、絶望的な状況のなかでも前向きに道を切り開いていった人たちの物語を知ると、勇気が湧いてくるのではないだろうか。
 日本の高級チョコレート誕生の原点に、そういった亡命ロシア人が存在したことを、記憶にとどめておきたいものである。
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kuroda-kanbee · 7 years
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数年分のコピペ012
4月 28, 2017 並みの上司:答えを教える。優れた上司:質問を投げかける。部下に答えを見つけさせることのほうが、答えそのものより大切である(「仕事は楽しいかね2」)
4月 27, 2017 怖い化合物としては、ニッケルテトラカルボニルNi(CO)4、通称ニコヨンも有名でしょう。「liquid death」(死の液体)とも呼ばれ、一酸化炭素の100倍も有毒といわれます。ある有機金属化学の教科書には「この化合物の臭いは知られていない。嗅いだ者は全員死んでいるからである」という怪談めいた但し書きがついていました。 作ってはいけない : 有機化学美術館・分館(via shinoddddd)
 50 :名無しさん@1周年 [↓] :2017/04/27(木) 20:13:21.30 ID:mzGD4Ilw0 (1/6) ■安保法案に反対を表明した有名人 Shelly 高田延彦 長渕剛 久保田利伸 渡辺謙 笑福亭鶴瓶 中居正広 今井絵理子 美輪明宏 瀬戸内寂聴 高畑勲 宮崎駿 坂上忍 渡辺えり 鈴木奈々 大竹忍 大竹まこと 茂木健一郎 マツコデラックス 大江健三郎 ビートたけし 竹下景子 太田光 太田光代 樹木希林 須藤元気 ラサール石井 坂本龍一 香山リカ 古賀茂明 星田英利 津田大介 山田洋次 吉永小百合 野際陽子 倍賞千恵子 井筒和幸 山本晋也 是枝裕和 大林宣彦 周防正行 綿井健陽 小山内美江子 益川敏英 小澤征爾 赤川次郎 富野由悠季 安彦良和 三木谷浩史 落合恵子 小熊英二 アナログフィッシュ佐々木健太郎 アジアン・カンフー・ジェネレーション後藤正文 くるりギタリストの岸田繁 石田純一 仲代達也
■安保法案に中立を表明した有名人 ロンブー淳 
■安保法案に賛成を表明した有名人 百田尚樹 青山繁晴 すぎやまこういち 田母神俊雄 フィフィ コンス竹田 津川雅彦 曽野綾子 田崎史郎 森本敏 勝谷誠彦 松本人志 ホリエモン
64+1 :名無しさん@1周年 [↓] :2017/04/27(木) 20:14:22.73 ID:mzGD4Ilw0 (2/6) ●特定秘密保護法案に反対した有名人一覧(故人含む)●
◇俳優 大竹しのぶ、菅原文太、奈良岡朋子、野際陽子、倍賞千恵子、吉永小百合、利重剛、渡辺えり
◇映画監督 井筒和幸、岩井俊二、大林宣彦、神山征二郎、是枝裕和、崔洋一、周防正行、高畑勲、 降旗康男、宮崎駿、山田洋次、山本晋也、りんたろう ◇脚本家・劇作家 小山内美江子、鴻上尚史、橋本忍、平田オリザ、山田太一
◇音楽家 伊藤銀次、おおたか静流、大貫妙子、坂本龍一、高橋幸宏、なかにし礼、湯川れい子
◇作家 浅田次郎、大岡玲、角田光代、椎名誠、瀬戸内寂聴、中村うさぎ、村上龍
◇ジャーナリスト・キャスターなど 秋山豊寛、池田香代子、永六輔、江川紹子、大沢悠里、大谷昭宏、小川和久、荻原博子、 金平茂紀、鎌田慧、川村晃司、岸井成格、見城美枝子、佐高信、佐野眞一、澤地久枝、 高野孟、田勢康弘、田原総一朗、津田大介、鳥越俊太郎、ピーター・バラカン、二木啓孝、 堀潤、毛利甚八、森達也、吉岡忍、吉永みち子
◇学者 浅田彰、上野千鶴子、内田樹、大沢真理、小熊英二、加藤典洋、加藤陽子、金子勝、姜尚中、 栗原彬、小森陽一、佐和隆光、汐見稔幸、白川英樹、高橋哲哉、田中優子、中沢新一、 野田正彰、樋口陽一、益川敏英、山口二郎、鷲田清一、和田春樹
4月 14, 2017 元キャバ嬢の友人が、この仕事に染まって一番ヤバいと思ったのは、貞操観念や金銭感覚が狂うことじゃなくて、男友達と普通に飲んでる時にふと「なんでこいつタダで私と飲めてるんだろ?」と思ってしまうことだと言っていて、確かにそれはKOEEEE!!ってなった。ifさんのツイート (via gkojax)(80236から)
4月 14, 2017 オタクの本質は反体制ではなく反権威。 この違いは判りにくいようで実は結構大きい。 そして現在の教員・教授やマスコミ出身者が多くを占める左翼陣営は反体制ではあるが知名度・学閥・資産に拠った権威主義の塊。 左翼言論がオタクから嫌われる… https://t.co/m1mE2h6faF 擲弾兵さんのツイート (via auxo)(元記事: gkojax (auxoから))
4月 12, 2017 王は世界にいくらいても許されるが、皇帝は世界でひとりしか許されない そのため 人類は2000年以上、たったひとりの皇帝の正当な地位を得るために戦争を繰り返してきた 十���軍遠征、モンゴルの長征、、、、、、、、 ところが、皮肉にも、最期に勝ち残ったのは、ローマ帝国皇帝でもモンゴル帝国皇帝でもなく、日本の天皇陛下だった そう、現時点において、現存する世界で唯一かつ最古の皇帝が、天皇陛下なのだ。 これがどれだけすごいことか、外国人はわかっていても、当の日本人はまったく 知らない ローマ法王とエリザベス女王は、天皇陛下と同席するときは上座を譲る慣例になっている 世界中どこに行っても、相手の元首を呼びつけるローマ法王が、日本に来たときだけ 自ら天皇陛下のところに足を運び、日本語で挨拶と演説をされた。 eddy tumblr 昭和天皇の崩御のときに、この辺は思い知りましたよね、われわれ。 参列の順番とか、英語での表記とか。 (via reretlet) 2008-11-16 (via gkojay) (via kml) (via konishiroku)
4月 12, 2017 天保年間の「打ちこわし」 浅間山の噴火で江戸では米の値段が暴騰し、味噌等も便乗値上げ…… そんな中で起きた打ち壊しで10万軒もの商家が完全破壊されたんだけど、 ・どさくさに紛れて悪事を働かず ・人間には一切危害を加えず(死者・重傷者なし) ・米や金を盗むものがいればみなでこれを止め ・女子供を参加させず ・めざす商家以外には隣近所に迷惑をかけず ・打ち壊す前にまず火の元を消火 参加者は下層町民を中心に5000人。 途中で休憩を入れられるほど統率の取れた集団だった。 しかも、なんと首謀者なし! この現場を見て���れた役人が書き残した言葉が 「まことに丁寧礼儀正しく狼藉つかまつり候」 天明の打ちこわしをやりとげた民族なめんなw (via drhaniwa) (元記事: 2nnlove.blog114.fc2.com (trinityworks-interestから))
4月 12, 2017 国際基準と日本基準で標準温度の設定が異なっていて、国際基準だと居住空間の快適温度は22度、日本基準だと28度なんです。なので、航空会社じゃなくて日本が高すぎ or 世界が低すぎ説がありまして。 だからアメリカのスタバも飛行機も寒いんですよ!!! (via otsune)(morisovaから)
4月 9, 2017 1. 自分の短所を、人の長所とくらべない Never compare your weaknesses to other people’s strengths.  十人十色。人それぞれ得意なものもあれば、不得意なものもある。  人のものさしで、自分を計らない。  あなたの良いところは、唯一無二。 2. 本当の人生は、安全地帯の外に広がっている Life begins where your comfort zone ends.  居心地の良い場所にいつまでもいると、何も新しいものに出会えない、得られない。  片足だけでも、未知の領域に踏みこんでみたら? 3. 完ぺき主義者の人よりも「とにかくやった人」の方が報われる The world does not reward perfectionists. It rewards those who get things done.  「まだ問題点があるから、やらない」 → 報酬ゼロ。  「問題点はあるけど、やってみる」→ 報酬あり。  「完ぺき」は、永遠に辿りつけない蜃気楼。  それよりも、走りながらフィードバックをもらって改善。 4. 喜べば、分かちあえる。嘆けば、一人ぼっち Laugh and the world laughs with you. Weep and you weep alone.  僕も、そろそろ傷ついた被害者のフリはやめて、笑おうかな。 5. 配られたカードは変えられない。どうやって手持ちのカードで楽しむか考えよう We cannot change the cards we are dealt, just how we play the hand.  そうだよな。才能もないし、金持ちでも、イケメンでも、美人でも、いい人格でもないけど、人生、がんばろっと。 6. 成功にむかう唯一の方法は、はじめにたくさん失敗すること The only way you are going to have success is to have lots of failures first.  はじめに、小さい失敗、素早い失敗、たくさんの失敗をしてしまおう。 7. 「まわり」を変えようとするよりも「自分」を変えようとするほうが賢い Yesterday I was clever, so I wanted to change the world. Today I am wise, so I am changing myself.  最もダイレクトに影響できるものだけに集中せよ。  そう、それは「自分」だ。 8. 「『だれか』あれを解決しないのかな」と思ったとき、私がその『だれか』であると気がつく I always wondered why somebody didn’t do something about that, then I realized I am somebody.  問題点、改善方法、解決方法、実現方法が「見える」のか…!?  あんたが、救世主だったのか!  そんなときは、自分から進んで取り組もう。 9. 「生活」は、得るもので成りたつ。「人生」は、与えるもので成りたつ We make a living by what we get. We make a life by what we give.  自分のことだけ考えている人生は、さみしい。 earth in us. - あなたの毎日を輝かせる9つのことば (via darylfranz) (元記事: earthinus.com (rock-the-babyから))
4月 9, 2017 神道の神の名前である神名(しんめい)は、大きく3つの部分に分けられる。例えばアメノウズメノミコトの場合 1. 「アメ」ノ 2. 「ウズメ」ノ 3. 「ミコト」 となる。 この他に、その神の神得を賛える様々な文言がつけられることがある。例えば、通常「ニニギ」と呼ばれる神の正式な神名は「アメニギシクニニギシアマツヒコヒコホノニニギノミコト」である。 神名は、1.の部分を省略して呼ぶことがある。また、民俗学・神話学など学術的な場面では神号(3.の部分)を略すことが多い。 「アメ」ノ(神の属性) [編集] 1.はその神の属性を示すものである。最も多い「アメ」「アマ」(天)は天津神であること、または天・高天原に関係のあることを示す。「クニ」(国)は国津神を表すこともあるが、多くは天を表わす「アメ」のつく神と対になって地面もしくは国に関係のあることを示す。「ヨモ」(黄泉)は黄泉の国の神、「ホ」(穂)は稲穂に関係のあることを示す。この部分が神名にない神も多い。 「ウズメ」ノ(神の名前) [編集] 2.はその神の名前に当たる。これもよく見ると、末尾が同じ音である神が多くいることがわかる。例えば「チ」「ミ」「ヒ」「ムス」「ムツ」「ムチ」「ヌシ」「ウシ」「ヲ」「メ」「ヒコ」「ヒメ」などである。これらは、神神習合が起こる前の各部族での「カミ」を指す呼び名であったとも考えられる。「チ」「ミ」「ヒ」(霊)は自然神によくつけられ、精霊を表す(カグツチ、オオヤマツミなど。ツは「の」の意味)。「チ」より「ミ」の方が神格が高いとされている。「ヌシ」(主)「ウシ」(大人)は位の高い神につけられる(オオヒルメノムチ(アマテラスの別名)、大国主など。「ムス」(産)「ムツ」(親)「ムチ」(祖)は何かを産み出した祖神を表し「キ」「ヲ」(男)「シ」「コ」(子)「ヒコ」(彦・比古・毘古)は男神、「メ」(女)「ヒメ」(媛・姫・比売・毘売)は女神につけられるものである。特に「メ」のつく神は、巫女を神格化した神であるとされることが多い。「コ」は国造(ミヤツコ)小野妹子など、元は男性を表したが、藤原氏が女性名として独占し、近世までは皇后など一部の身分の高い女性しか名乗れなかった事から、現代では女性名として定着した。 「ミコト」(神号) [編集] 3.は神号(しんごう)と呼ばれる。いわば尊称である。代表的なのは「カミ」(神)と「ミコト」(命・尊)である。「ミコト」は「御事」すなわち命令のことで、何かの命令を受けた神につけられるものである。例えばイザナギ・イザナミは、現れた時の神号は「神」である。別天津神より「国を固めよ」との命令を受けてから「命」に神号が変わっている。ただし、日本書紀では全て「ミコト」で統一している。特に貴い神に「尊」、それ以外の神に「命」の字を用いている。特に貴い神には大神(おおかみ)・大御神(おおみかみ)の神号がつけられる。また、後の時代には明神(みょうじん)、権現(ごんげん)などの神号も表れた。 神 (神道) - Wikipedia (via konishiroku) (via nemoi) (via jacony) (via vmconverter) (via bardiche-side-b) (via ukihiro) (via yawarakaatama) (via the9ball) (via sytoh) (via andi-b) (via bibidebabideboo) (via lovecake) (via mcsgsym)
4月 8, 2017 当時解せなかったのは、「お菓子に毒入れた事件」をわざわざ「グリコ森永事件」と命名したこと。今なら分かる。雪印倒産させたのと同じ勢力なんだろうな。 はるさんはTwitterを使っています (via ashzashwash) ロッテ以外が被害に遭った事件 (元記事: twitter.com (eleeleeleから))
4月 8, 2017 この間、夫がカンボジアに出張に行ってきたんだが。そのとき、現地の人に聞いた話が興味深かったので、書いておく。 大虐殺が起きた後の国は、どういう風になるのか。 カンボジアは、単一民族国家。という感覚で、カンボジア人はとらえている。クメール人が人口の90%を占めるから、確かに、単一に近い国家ではある。 「何が悲劇といえば、同じ民族同士で虐殺しあい、戦い合ったことだ」 と『虐殺の現場』となった元高校、その当時は拷問&処刑場になっていた収容所を案内しながら、その人は、以下のような感じで解説してくれたそうだ。 一般的には、インテリ層や都市住民が虐殺のターゲットになったとされているが、そんな簡単ではない。 最初は、教師や医師などインテリだったが、次第に理由はどうにでも付けられるようになった。 農園で作業中に「空腹に耐えられず、きゅうりを1本食べた」という理由でも、一族揃って殺された。 身内であるポルポトの軍隊の兵士も殺され、最後は、刑務所の看守も殺された。 収容されたほとんどの人が殺されたが、生き残った人もいる。 ここでは5人が生き残った。この5人は看守だ。 「あそこに立っている白髪のおじさん、あの人は、その中のひとりだ。ここでガイドをしている」 「じゃ、あの人は、ここで虐殺に関わっていたってこと?」と夫が突っ込んだら。 「そうだ」 「それで、なんの罪にも問われていないの?」 「問われていないね」 それはなぜかと言えば、そんな人はいくらでもいるから。 カンボジア人で、家族・親族、友人を殺されていない人なんていないぐらいだ。 それと同じぐらい、虐殺に関わった人も大勢いる。 ひとつの村があれば、そこにひとりやふたりはいる。 「復讐されたりしないの?」 「いや、ないね。普通に暮らしているよ」 「周りの人は、許しているの?」 「いや、もう、考えないようにしているんだ。『戦争にならなければいい』って」 案内してくれた人は、20代なので、虐殺を直接は見聞きしていない。 上の世代、私たちと同年代の30代、40代はリアルに体験している。 そこで断絶があるようで、リアルに体験した世代が、追求を諦めているそうだ。 で、その世代が口にする 『戦争にならなければいい』 というのは、1970年代後半のクメール・ルージュの虐殺以降、延々と内戦が続くのだが、そちらの方が、ずっと、カンボジア人にはトラウマとなっているからだとか。報道はあまりされていないが、ヘン・サムリン、クメールルージュ、ソンサン、シアヌークなど諸派三つ巴の泥沼の内戦時代が、さらなる悪夢だったそうだ。 「クメール・ルージュは隠さずやったけれど、その後は、隠れてどの派閥も、反対派を次々と消していたから」 夜中にさらわれて戻ってこない。 出かけたまま、行方不明に。 陰惨さは、クメール・ルージュに負けず劣らずだったそうだ。 なので、和平協定が結ばれて、平和が維持されるようになって以降、 「戦争にならなければいい」 という一点だけで、みな、非難しあうことはないし、罪に問うこともしないことになったそうだ。 そのぐらい疲弊した末の、平和。 「同一民族内で殺し合うと言うことは、そういうことだから」 あの民族が憎い。○○教は異端だ。共産主義者は許せない。 となれば、理由ははっきりしているし、敵として憎むこともできるかもしれない。 しかし、隣人同士が殺し合った時、どうやって決着をつければいいのか。 「もう、罪には問えない。問い詰めて行ったら、また、戦争になるかもしれない」 許すとは言わなかったそうだが、見ないようにしないと、維持できないものがあるんだろうなと。 カンボジアでは、雨がちょっと多めに降ると、人の歯や骨が出てきたりするそうだ。 工事をしようと、穴を掘ると、服が出てきたり。 よくあることらしい。 そうやって、今も、虐殺の記憶と暮らしているんだよ。 余談だが、 「なぜ、ポルポトは、こんな虐殺をしようとしたの?」と夫が聞いたら、返ってきた答え。 「フランスへの留学が良くなかったと言われているね。中国共産党の思想に触れて、毛沢東がやろうとしたことを本気でやったんじゃないかと説明されている。それが、カンボジアは、単一民族だから、徹底的になったんじゃなかろうかと」 虐殺があれだけ行われたのは、単一民族という、均質な状態だってのが、怖いなぁと思ったり。 単一で、均質であること。日本もまさにそういう国だからなぁ。 追記 この話を聞いて意外だなと思ったのは、 「虐殺よりも、内戦の方が嫌だ。内戦をさせないためには、虐殺のことは考えない」 というカンボジア人の考え方で。タイトルにも付けているように、私も「大量虐殺があった国」として特別視している部分があるんだけど、彼らにして見ると、クメールルージュ虐殺は、国際的に有名だし、衝撃的な事件ではあるが、それは20年以上続いた内戦の一局面でしかないようだ。 だから、虐殺の罪を問わないことで、今の平和を守りたい。 というのは、当然のことで。 で、あの虐殺よりも、苦しい内戦ってどんな状態なんだろう。どんだけひどいものだろう。と思って、さくっと調べると、20世紀後半に起きた、いくつもの内戦とそれほど変わった展開をしたわけではない。内戦が続いていたころを知っているが、世界の中での重要問題のひとつであっても、延々と報道されるような重大問題ではなかった。 そう思うと、そんな内戦があった国なんて、いくらでもあるよね。 コンゴ、ラオス、ナイジェリア、エチオピア、ローデシア、アンゴラ、ニカラグア、エルサルバドル、レバノン、ウガンダ、アフガニスタン、グルジア、ソマリア、チェチェン、ウガンダ、ダルフール、旧ユーゴ、リビア、シリアなどなど。 クメールルージュ、というか、ポルポトの大虐殺で受けたような衝撃を、どの内戦でも感じたろうか。 大虐殺が起きた国で - 北沢かえるの働けば自由になる日記 (via petapeta)(flyingsonから)
4月 7, 2017 昔入社式の時に社長が「趣味を持って下さい。その趣味に打ち込む為にも、仕事も頑張って下さい。仕事の為に人生があるのではなく、人生の為に仕事があります。仕事で失敗した時は反省や後悔は家に持ち込まずに、行き道と帰り道でして下さい」って言ってて、心に刻んだ 大事な事を教えてもらったと思う 藤宮さんのツイート (via gkojax)(oonishinから)
4月 4, 2017 「辻元清美生コン」「辻元と仲良しの関西生コン」=通称“関生”こと「全日本建設運輸連帯労働組合近畿地方本部 関西地区生コン支部」のシンパ一覧を以下に記してみた。
このリストは、「関生」の武建一委員長が2005年に強要未遂罪などで逮捕されたことに対する、2005年4月18日���点での抗議者一覧表(11年前に筆者入手)を文字起こししたもの。この武氏は既述のように2006年9月22日、大阪拘置所刑務官に対する贈賄容疑で、関係する山口組系元組長と共に逮捕されている。
そして資料の出所は「関生」そのものである。ただしネットでは4月4日版がヒットする。↓ http://www.hige-toda.com/____1/renntai_yunionn/2005_1_13/4_5koudou/sienn.htm
全国・各界に広がる「弾圧糾弾!連帯関生支援!」の声 「緊急共同声明」賛同335個人・団体 /米兵・自衛官人権ホットライン(共同代表いいだもも・尾形憲・大野和興・小西誠事務局長)/イラク派兵違憲訴訟の会・東京(共同代表尾形憲[法政大学名誉教授]・平山基生[沖縄などから米軍基地をなくす草の根運動]・本尾良[非核・みらいをともに]・杉山隆保事務局)/立川反戦ビラ弾圧救援会/救援連絡センター/mogura(平和ネットいわて)/大畑豊(イラク派兵違憲訴訟の会・東京)/吉岡達也・中原大弐(ピースボート共同代表)/神坂玲子(小泉首相靖国参拝違憲訴訟原告)/安次富浩(ヘリ基地反対協・代表委員)/谺雄二(ハンセン病違憲国賠訴訟全国原告団協議会会長)/槙枝元文(日中技能者交流センター理事長・元総評議長)/折口晴夫(現代を問う会)/矢山有作(元衆議院議員・自衛隊イラク派兵差し止め訴訟・岡山原告団団長)/鎌田慧(ルポライター)/土本典昭(記���映画作家)/斉藤貴男(ジャーナリスト)/石川文洋(報道写真家)/長沼節夫(ジャーナリスト・日本ジャーナリスト同盟議長代行)/磯貝治良(作家・大学非常勤講師)/きさらぎやよい(編集者)/野添憲治(作家)/本多二朗(ジャーナリスト)/槌田佑司(著述業)/武藤功(雑誌『葦牙』編集長)/大峰林一(フリーライター)/菊地原博(フリーライター)/吉田敏浩(ジャーナリスト)/宗像充(ライター)/西川亨・景清(『検証内ゲバ』執筆者)/川口弘(ミニコミ手作り運動者)/熊沢誠(「職場と人権」研究会代表・甲南大学経済学部教授)/杉村昌昭(龍谷大学教授)/長田浩(大学教員)/佐野稔(和歌山大学名誉教授)/渡辺憲正(関東学院大学教員)/田口富久治(名古屋大学名誉教授)/宮下柾次(札幌学院大名誉教授)/工藤英三(前創価大学教授)/片山貴夫(吉備国際大学)/宇沢弘文(経済学者)/田畑稔(大阪経済大学教授)/池田清彦(早稲田大学教授)/橋本剛(北海学園大学名誉教授)/寺尾光身(名古屋工業大学名誉教授)/百瀬文雄(法政大学名誉教授)/北野弘久(日本大学名誉教授)/森正孝(静岡大学講師)/石川求(東京都立大学人文学部教員)/吾郷健二(西南学院大学教授)/清水雅彦(明治大学講師)/野村修身(工学博士)/前田哲男(東京国際大学教員)/田中正司(横浜市立大学名誉教授)/成澤孝人(三重短期大学講師)/針生一郎(美術評論家・丸木美術館館長)/八鍬瑞子(美術家・占領に反対する芸術家たち)/趙博(ミュージシャン)/円谷真護(文芸評論家)/青柳行信(カトリック福岡正義と平和協議会)/中沢譲(日本キリスト教団牧師)/いとう正敏(寺院住職)/佐藤玄宗(日蓮宗僧侶)/矢吹隆志(自衛官)藤尾靖之(反戦自衛官)/小多基実夫(反戦自衛官)/井上森(立川自衛隊監視テント村)/大洞俊之(立川自衛隊監視テント村・反戦ビラ弾圧被告)/渡辺修孝(米兵・自衛官人権ホットライン)/高橋峰子(イラク派兵違憲訴訟の会・東京)/前田資子(イラク派兵違憲訴訟の会)/太田武二(命どう宝ネットワーク)/斉藤美智子(自衛隊イラク派兵差止訴訟原告)/御崎勝枝(逮捕令状を考える会)/大野和興(脱WTO草の根キャンペ-ン全国実行委員会事務局長)/生田あい(名護サポ-タ-・東京事務局長)/堀世紀子(イラク派兵違憲訴訟の会東京原告)/荒木健次(自衛隊イラク派兵違憲訴訟の会・東京原告・フリーター) /和田貞夫(元衆議院議員)/植田むねのり(前衆議院議員)/小沢ふく子(大阪府議)/尾辻かな子(大阪府議)/隅田泰男(大阪府議・社民党大阪府連代表)/一村和幸(大阪府豊中市議)/八木修(大阪府能勢町議)/森田みつじ(大阪府高槻市議)/松川やすき(高槻市議)/小西ひろやす(高槻市議)/野々上愛(高槻市議)/光城敏雄(大阪府大東市議)/栗原とし子(大阪府交野市議)/松尾京子(大阪府高石市議)/中西とも子(大阪府箕面市議)/戸田ひさよし(大阪府門真市議)/三浦たけお(大阪府守口市議)/松平要(大阪府東大阪市議)/国賀祥司(大阪府泉佐野市議)/桂むつ子(大阪府茨木市議)/小山広明(大阪府泉南市議)/砂川次郎(滋賀県滋賀町議)/曽我千代子(京都府加茂町議)/酒井一(兵庫県尼崎市議)/宮城あや(尼崎市議)/中谷ひでこ(兵庫県淡路市議)/井筒たかお(兵庫県加古川市議)/井奥まさき(兵庫県高砂市議)/梶川虔二(奈良県議)/のりたけ勅仁(名古屋市議)/重松朋宏(東京・国立市議会議員)/斉藤ゆう子(東京都荒川区議)/秋山かおる(埼玉県上尾市議)/田中良太(千葉県四街道市議)/吉川ひろし(千葉県議)/吉野信次(千葉県松戸市議)/長南博邦(千葉県野田市議)/西村綾子(神奈川県相模原市議)/森一敏(金沢市議)/堂下建一(石川県富来町議)/円谷寛(福島県鏡意志町議)/中村すみ代(長崎市議)/奴間健司(福岡県古賀市議)/小川みさ子(鹿児島市議)/北上哲仁(川西市議) /西尾漢(原子力資料情報室)/遠山親雄(歴史に学ぶ旅の会)/小寺山康雄(市民政治新聞ACT編集長)/津林邦夫(地域・アソシエーション研究所長)/脇田憲一(労働運動史研究者)/布川了(渡良瀬川研究会;田中正造と鉱毒事件の研究継承)/松原博(新護憲神奈川事務局[代表])/柴山健太郎(労働運動研究所運営員)/中野徹三(社会主義研究家)/岸谷和(徳田球一記念の会会報編集者)/長尾比呂未(地球の子ども新聞)/片岡健(東京都日中友好協会副理事長)/宣保幸男(沖縄平和・民主・教育懇談会)/竹林伸幸(戦争に反対し行動する市民の会)/根本信一(部落解放同盟横浜市協議会)/山岸康男(京都草奔塾)/塩見豊久(特定非営利活動法人仙台夜まわりグループ)/増田順計(日教組組合員・とめよう戦争への道百万人署名運動奈良県連絡会会員) /白鳥良香(百万人署名運動静岡県連絡会共同代表)/山下信二(9条連事務局長)/三宮克己(有事法制に反対する府中市民の会・前府中市議)/加藤賀津子(基地はいらない!女たちの全国ネット)/金子広太郎(日中友好元軍人の会事務局長)/寺田道男(京都天皇制を問う講座実行委員会)/西山勲(とめよう戦争への道・百万人署名三多摩連絡会)/浅田義信(自主・平和・民主のための広範な国民連合・大阪代表世話人)/飯塚浩(沖縄一坪反戦地主)/増田博光(戦争被害調査会法を実現する市民会議)/二見孝一(みどりのテーブル・サポーター)/亀高照夫(国鉄労働運動研究会議) /近藤良一(市民の絆・大阪代表)/ジャミーラ高橋千代(アラブイスラーム文化協会代表)/村上らっぱ(障害者-介助者反戦)/岡崎耕史(中大生協闘争・吉田さんを支える会) /松井保(月刊文芸誌『かぶらはん』主幹)/高橋正久(越谷市民情報センター代表)/ながさき由美子(社民党大阪府連副代表)/古賀しげる(社民党尼崎支部)/田中としお(尼崎を創る会)/後藤昌次郎(弁護士)/井上二郎(弁護士)/金井塚康弘(弁護士)/中北龍太郎(弁護士)/位田浩(弁護士)/一瀬敬一郎(弁護士) /全日建運輸連帯労組近畿地方本部(執行委員長戸田ひさよし・副執行委員長川村賢一) /東京東部労働組合(執行委員長岸本町雄)/国労新潟駅連合分会(執行委員長星野文男)/郵政労働者ユニオン近畿地方本部(委員長三木鎌吾)/関西合同労働組合(執行委員長石田勝啓) /関西合同労働組合兵庫支部(執行委員長蒲牟田宏)/関西合同労働組合日本管検工業分会(分会長渡海優)/高槻医療・福祉労働組合/関西単一労働組合/北大阪合同労組/管理職ユニオン・関西 /京都―滋賀地域合同労働組合/京都―滋賀地域合同労働組合・伏見織物加工支部 /自立労働組合京都(執行委員長湯浅和清・書記長魚谷貞雄)/スクラムユニオン・ひろしま(土屋信三委員長)/広島労働組合連絡協議会(議長池上文夫)/働く者の相談室ひろしま/八尾ユニオン/広島連帯ユニオン(執行委 員長鈴木範雄)/宮崎紙業労働組合/全逓信労働組合岡山貯金支部(桐山正晴代表)/郵政倉敷労働組合(川上幸治執行委員長)/柳田真(都労連交流会・たんぽぽ舎)/安田幸弘(レイバーネット日本会員)/御地合二郎(全日農書記長)/長谷川正夫(被災地雇用と生活要求者組合)/仲村実(管理職ユニオン関西副委員長)/竹林隆(大阪教育合同労働組合書記長)/星山京子(日本基督教団労働組合執行委員長)/加藤徹夫(労働相談室ひろしま世話人)/中村祐一(郵政労働者ユニオン広島東支部支部長)/吉成勝男(APFS代表)/高平道隆(管理職ユニオン関西・明治機械ACU支部支部長)/日笠忠彦(同労組明治機械ACU支部書記長) /豊田護(京都府職労相楽支部土木事務所分会分会長)/今井誠(国労北奥羽連合分会 書記長)/「労働通信」編集委員会/釜ケ崎講座(代表渡邉充春)/市民の絆・大阪/イラク戦争に反対する市民と議員の会・事務局/ /黒滝正昭(教員)/佐藤忠幸(会社員)/岩川保久(翻訳・通訳業)/城戸典子(自由業)/萩原恭二(労組役員)/木谷公士郎(司法書士)/川島進一(労働者)/中山弘樹(労働者)/大海陽一朗(社会保険労務士) /本田都南夫(情報工房スピリトン・プロデューサー)/金靖郎(団体職員)/渡辺好庸(社会科学研究者)/大野肇(歴史憲法研究会・会員)/野村勝時(無職)/岩戸五郎(年金受給者)/久保友仁(学生) /太田啓補(会社員)/児島あや子(スポーツインストラクター・心理カウンセラー)/佐藤忠彦(病院職員) /古今亭菊千代(落語家)/岸恵子(元国家公務員)/柴尾武利(塾講師)/松下久志(自営業)/松田奈津子(無職)/才神圭司(介助者)/根本がん(市民運動家)/Kawabata Erkin(アニメ労務者)/白澤たづ子(公務員) /二見孝一(会社員)/石丸朗(会社員)/大西章寛(介助者)/山本佑希子(学生)/松下久志(自営業)/葉瀬りぼん(イラストレーター)/竹内敞夫(会社員)/村上光子(ヘルパー)/矢崎明子(福祉施設・栄養士) /横尾一(年金生活者)/横尾嘉子(年金生活者)/山川龍次(埼玉県立高校教員)/澁田三孝(無職)/乱鬼龍(川柳人)/野村普一(会社員)/栗林良吉(失業者) /長谷川修児(年金生活者)/吉水公一(教育労働者)/柳田耕一(会社役員)/遠藤むら子(自営業)/ゆきひろ(社会問題研究家)/田辺俊明(鉄道労働者)/茂野洋一(会社役員)/吉岡滋子(元小学校教員) /新井治(会社員)/矢島由里子(無職)/北阪英一(元教員)/仁平龍雄(行政書士・マンション管理士)/加藤和博(労働者)/鎌倉一夫(学校教員)/氏家真由美(フラワーコーディネーター)/古屋泰(日本語教師)/渡辺亜人(自営業)/二関知美(SOHO労働者)/角田裕育(社会運動家)/茂木恵美子(公務員) /佐藤忠幸(会社員)/林あい子(主婦)/野村原樹(会社役員)/早川繁雄(全逓OB)/内藤進夫(はけんパート関西) /野村彰/澤田春彦/柴田弘武/TAMO2/高田武/高田裕子/来栖宗孝/村井征子/小林信一/原崎敏/青木祐一/佐藤勲/佐々木孝/神田弘之/岡田良子/林伸子/三田村伸/松本麻里/梶川彩/中嶋啓明/木畑壽信/岡嵜啓子(長野市民)/杉山百合子/竹内康人(浜松市民)/柳沢君雄/石井達夫/小林伸子/石田保昭 /永井洋二郎 /長原俊郎/上村高広/古川久美/矢野剛一/岡本司/伊福達彦村上洋一/安達俊治/木村淳子/来住哲次/名城真理子/芝秀雄/永瀬ユキ
労組共同アピール32団体 全日本港湾労組関西地方大阪支部/全日本港湾労組関西地方建設支部/全日本建設運輸連帯労組近畿地方本部/大阪教育合同労組/大阪電気通信産業合同労組/全石油ゼネラル石油労組/全石油昭和シェル労組 /全国金属機械労組港合同/郵政労働者ユニオン近畿地方本部/自立労働組合連合/UNIONひごろ/ユニオンとうなん/北大阪ユニオン/管理職ユニオン関西/ゼネラルユニオン/大阪学校事務労組 /北摂地域ユニオン/桜井鉄鋼労組/野村メッキ労組/大阪食肉市場労組/昭和起重機労組/国鉄労組保線所分会/大阪京阪タクシー新労組/高槻交通労組/なかまユニオン/全労協護法労組/ユニオンおおさか /ユニオンぜんろうきょう/ラジオメーター労組/報徳学園教員組合/大阪労働者弁護団/ 激励メッセージ紹介 ★韓国・民主労総、全国建設産業労働組合連盟 韓国の全国建設産業労働組合連盟は、今回の全日建関西地区生コン支部への弾圧を強く糾弾する。関生支部の闘いは、日本の生コン産業を改革し、生コン労働者の労働条件を引き上げるための正当な闘いだ。私たち韓国の建設産業連盟は、韓日労働者の共同闘争の手本となっている韓日生コン労働者の連帯闘争の旗をさらに高く掲げて、皆さんの闘いを積極的に支持し、連帯の闘いを強めていくことだろう。 ★ピースボート共同代表:吉岡達也・中原大弐 労働者の立場から、厳しくイラク反戦、反WTO、労働者の人権問題に国際的な視野で取り組んできた連帯労組関西地区生コン支部の活動に対し、心から敬意を表します。憲法も保障する労組活動への権力による弾圧は新しい戦前の始まりであり、今このような政治状況の中で、市民・労働者の尊厳や自主性を踏みにじる行為を、私たちピースボートは絶対に許すわけにはいきません。1日も早い真相究明、不当逮捕者の釈放を求めます。 ☆激励メッセージを寄せてくれた95団体・個人 /韓国・民主労総、全国建設産業労働組合連盟/同 全国建設運送労働組合/ジャック・ヘイマン(ビジネス・エージェント;国際港湾倉庫労働組合ローカル10 サンフランシスコ、カリフォルニア/スティーブ・ゼルツァー(アメリカ)/全国金属機械・港合同 昌一金属支部執行委員会 /自立労働組合京都(ユニオン自立)/広島連帯ユニオン/全国一般労働組合全国協議会(中央執行委員長 中岡基明)/ユニオンあしや(執行委員長 旭茂雄)/国鉄千葉動力車労働組合(執行委員長 田中康宏)           /ピースボート共同代表 吉岡達也・中原大弐/報道写真家 石川文洋/記録映画作家 土本典昭/未来 生田あい/ジャーナリスト 本多二朗/ヘリ基地反対協・代表委員 安次富浩/著述業 槌田佑司/ジャーナリスト 斎藤貴男 /落語家 古今亭菊千代/日本大学名誉教授 北野弘久/社会主義研究家 中野徹三/会社役員 柳田耕一/前府中市議・有事立法に反対する府中市民の会 三宮克巳/澁田三孝/全逓OB 早川繁雄/自営業 遠藤むら子 /北海学園大学名誉教授 橋本剛/龍谷大学教授 杉村昌昭/埼玉県立高校教諭 山川龍次/渡良瀬川研究会(田中正造と鉱毒事件の研究継承)布川了/無防備地域宣言をめざす大阪市民の会事務局 前田勝幸 /ケアワーカー・非核平和都市宣言を実行する文京区民の会代表 鴇田昭裕 /泉佐野市議 国賀祥司事務所一同/社民党大阪府連合 副代表 長崎由美子/東大阪市議 さかぐち克己/高槻市政を革新する会 高槻市議・小西弘泰 同・森田充二/社民党尼崎支部園田事務所長 古賀しげる /ラジオ「遊・わーく・ウィークリー」リスナー・32歳女性/反戦自衛官 小多基実夫/福島県岩瀬郡鏡意志町町議会議員 円谷寛/鉄道労働者 田辺俊明/福岡県 坂井貴司/永瀬ユキ /新社会党大阪府本部 委員長 山下けいき/新社会党兵庫県本部 委員長 原和美 /新社会党芦屋総支部執行委員長 上野誠一/新社会党兵庫県本部高砂総支部 委員長 宮本幸弘(高砂市議会議員) /新社会党尼崎総支部 副委員長 つづき徳昭/芦屋市議会議員 前田辰一 /全日本農民組合副会長 斉藤孝一/福岡県筑紫野市議会議員 上村和男//日本労働党福岡県委員会副委員長 中村哲郎 /日本労働党大阪府委員会 委員長 秋山秀男・副委員長 吉沢章司・常任委員 石野忠生/同福岡県委員会 委員長 長岡親生 /高槻医療・福祉労働組合(執行委員長 森章代)/北大阪労組交流センター/群馬労働組合交流センター/愛知労組交流センター/みやぎ労働組合交流センター/自治労奈良市従業員労働組合(執行委員長 大橋浩治)/国労5.27臨大闘争弾 圧を許さない会/関西合同労組 成友印刷分会 /郵政労働者ユニオン近畿地方本部(委員長 三木鎌吾)/婦人民主クラブ全国協議会(代表・相模原市議・西村綾子)/婦人民主クラブ全国協議会・関西ブロック一同/関西合同労働組合泉州支部/関西合同労組 大阪東部支部 /「みんなでとめよう!教育基本法改悪/全関西の集い」実行委員会・1月15日出席者一同/鉄建公団訴訟九州原告団兵庫県国労闘争団を守る会 大串潤二/第3師団からの派兵をとめよう関西実行委員会 /とめよう戦争への道!百万人署名運動・関西連絡会/同百万人署名運動事務局次長 小田原紀雄 /部落解放同盟全国連合会中央本部/同中央青年対策部北浦裕樹久/同長野県連合会 執行委員長 小森勝重 /部落解放同盟全国連合会野崎支部 支部長 滝岡広治/同西之阪支部 支部長 大橋昌広/同奈良・古市支部/同芦原支部/部落解放同盟全国連合会 番町支部(準)/部落解放同盟全国連合会福岡県連合会・準備会 /国労5・27臨大闘争弾圧被告団・家族会、関西国労共闘/国鉄水戸動力車労働組合 執行委員長 国分勝之/関西合同労働組合副執行委員長 渡海優、同労組日本管検工業分会/京都滋賀地域合同労働組合伏見織物加工支部 /自立労働組合京都(ユニオン自立)執行委員長 湯浅和清、書記長 魚谷貞雄/沖縄平民懇 宜保幸男/「労働通信」編集委員会/元国家公務員 岸恵子/高田裕子・高田武/無職(元教員)北阪英一/岡田良子 /会社員 新井治/戦争に反対し、行動する市民の会 竹林伸幸/釜ヶ崎講座代表 渡邉充春/自主・平和・民主のための広範な国民連合・大阪 代表世話人 浅田義信 /大阪市教組を創る会/人事交流=強制配転に反対する近畿郵政労働者の会/国労5.27弾圧家族会/関西合同労組泉州支部サンボー分会 西村美由紀/全日本鉄道労働組合総連合会(JR総連) /関西合同労働組合執行委員長 石田勝啓・兵庫支部執行委員長 蒲牟田宏/同労組日本管検工業分会/関西単一労働組合/なかまユニオン 高島与一/キリスト教事業所連帯合同労組執行委員長・日本基督教壇労働組合執行委員長 星山京子 激励メッセージ紹介   ★ジャーナリスト 斎藤貴男 警察のやりかたと、ここまでされても何も感じない世間につくづく頭に来ている。何としてもどうにかしよう。 ★龍谷大学教授 杉村昌昭 誰がどういう意図でこうした暴挙を計画し実行したのかを、広く市民に知らしめることが大事だと思います。マスコミは無視するか、あいまいな中立公正を装った報道しかしないと思いますが、それでも正確な報道をするように要求したり、できるかぎり多くのメディアを使って事件の真相を広めていく努力が必要だと思います。
4月 3, 2017 老年の上司が教えてくれた事、口癖があるんだけど 「30秒の確認と3時間の手直し、どっちがいい?」 この言葉は凄く感銘を受けているので広めたい。 ゆなさんのツイート (via gkojax)(zephyr7501から)
4月 3, 2017 電柱等の住所表示は日焼けを防ぐために北についてることが多い。 歩行者用信号の「カッコー」という音は南北に渡る横断歩道 「ピヨピヨ」という音は東西に渡る横断歩道で流れる。 アナログ時計の短針を太陽に向けたとき短針と12時のちょうど真ん中が南。 この手の方角確認は旅行なんかに行ってぶらぶらする時に便利。 (via shinjihi) BS CSのアンテナは南西方向 (kouyoujisiから)
4月 2, 2017 心ある男性の方へ 落ち着いて最後まで読んでください。 殆ど世界中の軍隊の行くところ、慰安婦は居ました。売春婦とも言います。 第二次世界大戦以前とその後ベトナム戦争などのフランス、イギリス、ドイツ、アメリカ、日本などの進軍先に居ました。 多くの国で売春は違法でなく仕事の一つでした。 今、考えると悲しい事ですが、違法ではありませんでした。 多くの国ではその軍が直接、慰安婦を募集しました。 日本は、戦時中は民間業者を監督する立場であり、強制連行などしていません。 アメリカは、日本を占領した際に日本政府に慰安婦施設を要求し、米軍はこれを利用しました。 これは、特殊慰安施設協会、あるいはRecreation and Amusement Association (RAA)と呼ばれました。 米軍の一般女性へのレイプを防ぐやむない手段だと言われています。 アメリカは、ベトナム戦争の際は韓国に慰安婦を要求し、韓国はこれに応え、米軍はこれを利用しました。 韓国軍はベトナム戦争の際、ベトナム民間人を虐殺、レイプし、数千、数万の多くの混血児が生まれました。この混血児たちは、ライダンハンと呼ばれています。 今、売春は日本などでは違法です。 韓国では、2004年からようやく違法となりました。 現在、売春が適法なのは、フランス、オランダ、イギリス、スペイン、デンマーク、スイス、ドイツ、ギリシャ、ハンガリー、チェコ、オーストリア、ニュージーランド、チリ、ブラジル、カナダ、アメリカネバダ州、タイ、インドなどです。 日本は第二次世界大戦中は強制や連行をしていなくて、民間の事業者を監督していました。 米軍は、戦争に勝った後、日本に慰安婦を用意しろと言い、利用しました。 米軍は、韓国にも同様でした。 韓国はベトナム戦争中にレイプを繰り返しました。 果たして、謝罪や反省をすべきなのはどの国なのでしょうか? 違法で無い売春を監督した日本なのか、 慰安婦を要求した米軍なのか、 今も売春が違法でない国々なのか、 ベトナム人を数千、数万人単位で勿論、違法にレイプした韓国でしょうか? しかし、これは日本の【犯罪】を相対化する試みではありません。 当時、違法なものは当時は違法です。 当時、合法なものは当時は合法です。 つまり本件に関して日本軍の【犯罪】など無かったのです。 当時に合法だった行為を、現在では違法だからと言って裁く事は民主主義社会ではやってはいけない事です。それは「事後法」などとも言われています。 なぜでしょうか? 何故なら、例えば今日、タバコが違法でない国において、来月、タバコが違法になる法律が施行されたとしても、今月、タバコを吸った人は裁けないのです。来月にタバコが違法になってからタバコを吸った人は違法行為ですので、罪となります。 その「タバコ」を「飲酒」「残業」など何でも他の単語に変えて考えてみてください。 「飲酒」「朝礼」「恋愛」なんでも結構です。 今日、違法でないことを今日、行っていて、後から、遡及してあれは違法だったから罪に問うというのは恐ろしい独裁国家のやり方であり、「法治国家」ではないのです。 日本は法治国家です。 宗教国家でも人治国家でもありません。 現在の日本では売春は違法ですので、罪に問われます。 しかし、当時の日本では売春は違法ではなかった。 日本国による強制連行も無かった。 朝鮮半島の業者による強制的な行いがあったとするとその業者は誘拐罪などと罪に問われます。 そのような事柄を「日本国による強制連行があった」という嘘と、 売春という今日では禁止されていることを人々の今日のモラルに訴えて同情と金を得よう、或いは日本を貶めようという運動が韓国朝鮮の従軍慰安婦問題の本質です。 むしろ追軍売春婦だったというのが、現在の認識です。 日本軍は強制連行していない。 民間の売春施設が売春婦を募集していた。( 当時、売春は合法だった。 つまり「追軍売春婦」である。( 他国は軍が売春施設を組織的に持っていた。/以上 最後まで読んで戴きありがとうございました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/慰安婦 (via shinjihi)(koh170420014から)
4月 2, 2017 カナダは意図的に原住民粛清してるわけだが そんなこと今ごろ分かったのか ちなみに日本人は原住民と同じ顔してるから カナダに行くと危険 とくに原住民虐殺が行われているアルバータ州には 近寄らないほうがいい というかカナダそのものに行かないほうがいい 666 :名無しさん@1周年:2016/03/15(火) 21:57:00.67 ID:9hAdI34w0 >>655 カナダ人がアルバータ州の白人がやってると言ってた 原住民虐殺を現在進行形でやってることは白人はみんな知ってるよ それで世界一住みやすい国とか宣伝するからたちが悪い 677 :名無しさん@1周年:2016/03/15(火) 22:00:01.33 ID:PDl7tzer0 >>666 カナダ人は自分の居住地区だけがカナダだとおもってるから 多数派は自分の街=カナダ最高!となるんだよな 実際には都市にも田舎にもそこかしこに巨大な闇が広がっているよ。。。 713 :名無しさん@1周年:2016/03/15(火) 22:09:56.11 ID:9hAdI34w0 ちょっと前に日本人女医 カナダで死んだけど おれはあのとき原住民と間違われて虐殺されたと思ったよ カナダ原住民って日本人と見分けつかない 717 :名無しさん@1周年:2016/03/15(火) 22:10:57.30 ID:EpzaLyjC0 白人幻想ってほんとアホらしいよな 要するに宣伝が上手いだけの詐欺師だよ白人は カナダマンセー北欧マンセーほんと妄想がたくましいわ左翼は (via shinjihi)(kouyoujisiから)
3月 31, 2017 PEAは覚醒剤として闇のルートで売られていますが、これを注射すると、女性にも男性と同様な現象が起こります。 つまり、目の前の男性を好きになり、エッチしたくなるのです。 それほどPEAの威力は絶大で、人の恋心までも操ることができる薬です。 男性はこのPEAをいろっぽい女性を見るだけで分泌させますから、誰とでもエッチが可能なのです。 好きでない人とでもエッチできるというのは正確に言うと間違いで、「特別好きでもない人でもエッチが目の前にぶらさがると、目の前の女性を瞬間的に好きになれる」と言ったほうが、科学的には正しいのです。 恋愛とは相手にどれだけPEAを出させてあげられるかの勝負ということがわかります。 三田佳子の息子が覚醒剤で逮捕されましたよね。 なぜ覚醒剤をするのかの理由はそこにあります。 家に来たモデルや女優の卵に覚醒剤を使用して、自分に惚れさせて、エッチをしまくるためです。 覚醒剤の使用方法はそれしかありません。 もちろんそのようなことは報道されませんが、覚醒剤が乱交の目的で使用されていることは常識です。 人間とはこんなに単純な生き物なのです。 しかし、その単純さを、覚醒剤で操る人間を許せ���いと思いませんか? 覚醒剤を用いると逮捕されるのは、人間の尊厳を守るうえで、当然のことと言えます。 アジアを代表するスーパーアイドル酒井法子さんが堕ちたシャブセックスの実態と弊害:Birth of Blues (via ftkst) (via yaruo) (via ipodstyle, ftkst-deactivated20130929) (via gkojay) (via anexile) (via plasticdreams)
3月 25, 2017 鯨肉を食べて地球を救おう-。捕鯨を支持するノルウェーの団体が、捕鯨は家畜の飼育よりも排出される温室効果ガスが少ないとする調査結果をまとめた。同団体は、捕鯨船が排出する温室効果ガスの量を計算。牛の飼育で排出される量と比較すると、肉1キロ当たりの排出量は8分の1だったという。同団体は「牛肉などほかの肉を食べるよりは鯨肉を食べた方が環境にやさしい」と指摘しているが、環境保護団体グリーンピースは調査結果に反発している。 DAY BY DAY /YCASTER 2.0:伊藤洋一公式サイト (via nakano)2008-03-18 (via gkojay) (via kashiyukalove) (via gkojax, torasshu-blog) (via rosarosa-over100notes, torasshu-blog-blog) (via rosarosa-over100notes)
3月 26, 2017 どうして変わったのかというと、幕末にペリーがやってきて、日本は開国しました。 そのとき一般に言われる「不平等条約」が結ばれました。 欧米列強の「力の外交」の前に、日本は屈せざるを得なかったのです。 その後、日本は、この不平等条約の改正のために、血の滲むような努力を重ねました。 そのなかのひとつが、黒の喪服だったのです。 欧米では、喪服は黒です。 ところが日本は白です。 そこで日本が欧米並の文明国であることを世界に誇示し、条約改正を有利にするために、まずはご皇室から、喪服を白から黒にあらためました。 それが次第に政府高官に広がり、明治11(1878)年の大久保利通の葬儀のときには、多くの関係者が黒の大礼服で葬儀に出席、のちに次第に民間でも喪服が黒に変わっていったのです。 ちなみに、日本のご皇室では、外国の賓客を招くとき、晩餐会での食事にはフランス料理を出します。 けれども世界中どこの国でも、インドならインド料理というように、その国の民族料理を出すのが国際的慣例です。 ところが日本では、日本料理ではなく、フランス料理で賓客をもてなします。 これも、喪服を白から黒に変えたのと同じで、明治の日本が不平等条約の改正のために、日本が文明国であることを証明し、すこしでも条約改正を有利にしようと努力したことが発端になっています。 ですから、いまでもご皇室が賓客をおもてなしする際は、フランス料理です。 明治の鹿鳴館は有名です。 東京日比谷にある帝国ホテルのすぐ隣の敷地に明治16(1883)年に建てられたこの鹿鳴館では、毎夜舞踏会が行われました。 これも、日本が欧米と対等な文明国であることを、すこしでも印象づけようとした当時の日本の、まさに血を吐くような努力のひとつであったものです。 外国人が日本で犯罪を犯しても、日本の官憲はこれを取り締まることができない(治外法権)。 日本に関税自主権がなく、諸外国の製品から日本の産業を守ることができない。 欧米列強の力の前に、これら条件を飲まざるを得なかったことが、幕末の激しい攘夷論となり、戊辰戦争をひき起こし、ついには江戸幕府から明治新政府への転換に到りました。 幕末の志士たちにとって、日本が欧米と対等に付き合える国になること、それがまさに夢にまで見た手の届かない坂の上の雲でした。 日本は、喪服の色を変え、宮中晩餐会の料理をフランス料理に変え、鹿鳴館をつくり、日清、日露を戦い、やっとの思いでついに不平等条約の改正を実現したのは、幕末から半世紀を経た明治44年のことでした。 おそらく、喪服の色まで変え、外国の賓客を招いた晩餐会で、外国の料理を出す国は、世界広しといえども、日本だけであろうと思います。 ちなみに、お隣の韓国では韓国料理、支那では、あたりまえのように中華料理が出ます。 世界にただ一国、自存自立と人種の平等の実現のために戦い、満身創痍となりながらもそれを実現した日本は、同時に、悲しいまでに我慢と忍耐を続けた国でもありました。 そして私たちの諸先輩が、そういう努力をしてくださったおかげで、いまの私たち日本の繁栄があります。 皆様も喪服を着る機会がありましたら、葬儀のあとの精進落しの席で、お隣に座った方に、 「実は、江戸時代までは喪服の色は白だったんだ。それが黒になったのはね・・・・」と、ちょっとお話されてみられたらいかがでしょう。 白い喪服 ねずさんの ひとりごと (via chikuri)2013-08-13 (via mmtki)(元記事: nezu621.blog7.fc2.com (sakuranoから))
3月 26, 2017 意見を求められたら、感想を言うのではなく提案をしましょう。とても単純なことなのですが、これを学校でも教わったことがないばかりに「何を答えたらいいのか分からない」と沈黙してしまう若者は非常に多いのです。 「意見を述べよ」に「感想」を答えるな - 誠 Biz.ID スキル/キャリア 最新記事一覧 (via darylfranz) (元記事: rss.rssad.jp (pcatanから))
3月 28, 2017 在日のやり方 ●日本人をレイシスト扱いし、優位に立て。 ●我々を崇拝しない日本人はレイシストと見なす。 ●不都合な言論に「ヘイトだ!」と因縁をつけろ。 ●同胞に対し自作自演のヘイトスピーチをしろ。 ●ヘイト法を拡大解釈させ、言論弾圧しろ。 ●声闘で脅せば、大抵の日本人は従順になる。 ●差別は利権という金の卵を産む。 ●弱者様の我々が「日本人を殺せ!」と叫んでもヘイトには成ら無い。 ●韓流で日本のバカ女を洗脳しろ。 ●日本の保守系に工作員を送り込め。 ●国籍条項の無い弁護士界に大量の同胞を送り込め。 ●日本の裁判官は我々の同志だ。 ●日本の有力者を性接待で手懐けろ。 ●自民議員を金と女でスパイ化させろ。 ●パチンコマネーで日本の警察を骨抜きにしろ。 ●日本の企業に因縁を付け、乗っ取れ。 ●日本の労働組合を支配しろ。 ●日本の宗教法人を乗っ取り、脱税の隠れ蓑にしろ。 ●目障りな天皇制は絶対に潰さなければならない。 ●右翼団体に成りすまし、暴力的な街宣活動をしろ。 ●日本の左翼デモを主導しろ。 ●「在日=支配階級」「日本人=奴隷労働者」の悲願を必ず実現させろ。 ●親韓派のアホ共はいい道具になる。 ●日本のマスコミ、司法、教育は親韓派が牛耳っている、日本人は諦めて服従しろ。 http://mint.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1490619600/ 【ニュース女子】「辛淑玉のようなノイジーマイノリティーが目立つ。外国人は日本で政治活動をするな」 沖縄問題、都内でシンポ[03/27]c2ch.net (via worldwalker2)(rupazoから)
3月 29, 2017 韓国による竹島侵略が ・日本に自衛隊が無く無防備だった時代の出来事だった事 ・日本人の漁師44人が虐殺され、3929人が拉致され人質とされた事 最低限これくらいは教えとけ
117 :(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2017/01/28(土) 20:22:33.33 ID:tRG3RMJZ.net 現状だと北朝鮮だけが 日本人を拉致したみたいに思われてるけど、 南朝鮮も日本人拉致・殺害国家 ってことをたたき込めよ。 あと、>>106の人質解放の条件が 日本の刑務所にいる在日の解放と 永住資格の付与だったってことも教えろ。 (via shinjihi)(toku-2から)
3月 29, 2017 中国国営通信社の中国新聞社は、2013年7月5日に「次の50年で6つの戦争を戦うことが明らかに」という記事を掲載。沖縄が狙われている そこに掲載されていたことは、中国は次の6つの戦争をするつもりだということです。 1.台湾統一戦争(2020-2025) 2.南シナ海諸島奪還戦争(2025-2030) 3.南チベット奪還戦争(2035-2040) 4.尖閣および沖縄奪還戦争(2040-2045) 5.外モンゴル統一戦争(2045-2050) 6.ロシア占領地奪還戦争(2055-2060) 特筆すべきは、2040年代に沖縄を侵略すると堂々と国営新聞に載せていることです。
3月 18, 2017 『幸福の黄色いハンカチ』の冒頭で、刑務所から刑期を終え出所した直後の食堂で、女性店員についでもらったグラスに入ったビールを深く味わうように飲み干した後、ラーメンとカツ丼を食べるシーンがある。 その収録で「いかにもおいしそうに飲食する」リアリティの高い演技を見せ、1テイクで山田洋次監督からOKが出た。 あまりにも見事だったので、山田が問い尋ねると「この撮影の為に2日間何も食べませんでした」と言葉少なに語り、唖然とさせた。 【伝説】高倉健が何故ヤバいのかを「あなたへ」まとめ【エピソード】 - NAVER まとめ (via mesotabi) (元記事: matome.naver.jp (another-gentlandから))
3月 18, 2017 自分のことを「丸くなった」って言うヤンキーに お前がとがった部分を削り取るために どれだけの丸が傷つけられていびつな形になったか考えろと言いたい Twitter / @penimama: 自分のことを「丸くなった」って言うヤンキーに お前が … (via jigoma) これはもう本当にそう思う。自慢するな、反省しろと言いたい。(via sabaline)(元記事: twitter.com (n2unitから))
3月 19, 2017 いきなり「自分にしかできないこと」なんて大それたことを考えても無理だということだ。ひとつ、ひとつ、ゆっくりと階段を上っていかねば「自分にしかできないこと」をつかむことはできない。今だから分かる。 真似をして、真似をして、真似をして……、どうしてもこれ以上真似ができないってところまで到達したときに、初めてその人の持味が出てくる。ゼロの状態でいきなり独創性を出そう��焦っても無理である。だから最初は真似る。 戸田智弘『働く理由 99の名言に学ぶシゴト論。』厚徳社 p117 (via toybox-word) (datteowwwから)
3月 20, 2017 中国人は実は保守的な食生活を好む。中華大好きで外国料理はあまり食べない。中国人は何でも食べる・・・全ての食材を中華料理にして食べるの意味。日本人は何でも食べる・・・全ての国の料理をそのまま、あるいはアレンジして食べる。面白い比喩だと思うわ、両国の文化の受け入れ方や発想の仕方が料理に凝縮されてる。 【Part2】中国と関わって10年だけど聞きたいことある? : 社会生活VIP (via fastnacht)(元記事: minisoku.blog97.fc2.com (impossiblemodelfactoryから))
3月 20, 2017 今も本の虫である母親が「人生は長い。嫌な事もいっぱい。私はそういう時には大きい本屋にいくんだ。すると『読んでない本が沢山ある!』と思えて、どうにか踏ん張れる。君に本を読め!と言っている訳じゃないよ。君にとってのそういうモノを見つけてほしいんだよ」と話していたのを思い出しています。 https://twitter.com/chiisanaehon/status/842698149059674113 (via nanohana0331) (gousouskmzから)
3月 20, 2017 (1)金剛組(大阪市)/木造建築工事/1431年/ (2)池坊華道会(京都市)/生花・茶道教授/1422年/ (3)西山温泉慶雲館(山梨県早川町)/旅館・ホテル/1304年/ (4)古まん(兵庫県豊岡市)/旅館・ホテル/1292年/ (5)善吾楼(石川県小松市)/旅館・ホテル/1291年/ (6)源田紙業(京都市)/袋物製造/1238年/ (7)田中伊雅(京都市)/宗教用具製造/1121年/ (8)ホテル佐勘(仙台市)/旅館・ホテル/1009年/ (9)朱宮神仏具店(甲府市)/宗教用具小売り/985年/ (10)夏油温泉(岩手県北上市)/旅館・ホテル/875年/ 100年超の長寿企業2万1000社 “最高齢”は1431歳の金剛組 - MSN産経ニュース 最古の金剛組は西暦578(敏達天皇6)年の創業 (via gkojax) (via yaruo)(via boltacs-blog)(via quote-over100notes-jp)(via kanekaise)
3月 20, 2017 「労働基準局は役立たず」なんて言うヒトがいるけど、私の場合はそんなことなかった、きちんと仕事してくれた。「あのう会社が残業代支払ってくれないんですが…」 とか言っちゃうと相手にされない。「労働基準法第35条違反の告発に来ましたので手続きしてください」みたいに言うと役人は動く(笑) Togetter - 「「ブラック企業から残業代を回収したところまでの一連ツイート」」 (via gkojax)(we-will-winから)
3月 20, 2017 元気の無い時はこのメモを見る様にしてる ・ウンコビッチ大使(ユーゴスラビア) ・アホカス大使(フィンランド) ・金玉(金正日総書記秘書) ・ニャホニャホタマクロー会長(ガーナ) ・ウコンマーンアホ代表取締役(ノキア・ジャパン) ・メガチンポ保険衛生相(プリンシペ共和国)※全て実在 Twitter / Mister_Metabo (via cknbstr)(元記事: cknbstr-blog (harukaze417から))
3月 21, 2017 世界でメートル法をつかっていない国はたったの3国 アメリカ、リベリア、ミャンマー (via gkojax) (via quote-over1000notes-jp)
3月 21, 2017 菅直人が中国や韓国の新聞にお礼の広告を出したが、台湾をスルーした時の台湾政府高官のコメント。「冠婚葬祭のお返しは他人にはするものだが、身内にはやらないものだ」 あの時台湾の大きさと、民主党(現 民進党)がどれだけ恥ずかしいものであるか改めて思ったよ。 (via shinjihi)(maenomeri1981から)
3月 21, 2017 この人生を生きているということは、これじゃない人生は切っているということ。 実は、この「あきらめている他の人生」の存在に気がつくかどうかが、人生を広げる鍵だと僕は思っている。 走りながら考える / 為末 大 (via qsfrombooks)(lidentityから)
3月 21, 2017 宮古島の尖閣丸の話。 久松五勇士(ひさまつごゆうし) 日本中が固唾を飲んでバルチック艦隊の行方を心配していた明治38(1905)年5月23日、宮古島の沖合で漁業をしていた奥浜牛という青年が、バルチック艦隊を目撃します。 奥浜牛の乗った帆かけ船の小さな漁船の近くを、バルチック艦隊が通過したのです。 バルチック艦隊も、彼の乗った船を目撃します。 しかし、たままた彼の乗った船が龍の絵柄の大漁旗を掲げ、沖縄の海人独特の長髪をしていた。 このため幸いなことに、艦隊側では彼を中国人と誤認し放置してくれたのです。 奥浜青年は、バルチック艦隊の通過を見届けると、即座に網をあげ、宮古島の漲水港(現・平良港)に、報告のために駆け込みます。 それが、5月26日の午前10時頃のことだった。 そして、漲水港の駐在所で状況を話し、すぐさま駐在所の警察官と一緒に、宮古島の役場に駆け込みます。 宮古島役場は、大騒ぎとなります。 いま、日本海軍が躍起になって探しているバルチック艦隊を発見したのです。 すぐさま日本海軍に報告しなければならない。 ところが、当時の宮古島には、通信施設がないのです。 無線も電話もない。 役場の重役たちは、島の長老達と会議をひらき、すぐさま石垣島にこの情報を知らせようと決意します。 石垣島には郵便局があり、そこからなら無線電報で日本海軍に知らせることができるのです。
しかし宮古島から石垣島までは、170キロの距離があります。 当時は、モーターボートも飛行機もヘリもありません。 あるのは、サバニと呼ばれる手漕ぎボートだけです。 サバニというのは、全長9メートル足らずの丸木舟です。 長老たちは、宮古島の島民の青年から、屈強な若者5人を選抜します。 選ばれたのは、松原村の垣花善、垣花清兄弟、与那覇松・与那覇蒲兄弟、久貝原村の与那覇蒲の5人です。 5人は、すぐに宮古島を出港します。 そしてなんと、15時間、ぶっとおしで丸木舟を漕ぎに漕ぎ、ようやく石垣島の東海岸に到着します。 ところが、せっかく石垣島に着いたのに、折からの干潮のために港に入ることができない。 やむをえず彼らは、潮が満ちるのを待って、ようやく港に船を付けます。 到着した時には、さすがに全身の骨が砕けるかと思うほど、5人ともくたくたに疲れ切っていた。 そこで港の住民に、郵便局はどこあるかと聞くと、なんと港からは険しい山を越えた反対側に局はある。 電話のある時代ではないのです。 車があるわけでもない。 5人は、疲れた体にムチ打って、30キロの山道を5時間かけて、走って峠越えをし、ようやく27日午前4時に、八重山郵便局に到着します。 局員は、5人から文書を受け取り、電信を那覇の郵便局本局へ打ちます。 電信はそこから沖縄県庁に打たれ、そこから東京の大本営へと伝えられた。 そのときの電文です。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ 五月ニ八日午前七時十分 八重山局発 五月ニ八日午前十時 本部着 発信者 宮古島司、同警察署長 受信者 海軍部 本月二十三日午前十時頃、 本島慶良間間中央ニテ軍艦四十余隻、 柱、二、三、 煙突二、三、 船色赤ニ 余ハ桑色ニテ、三列ノ体系ヲナシ、 東北ニ進航シツツアリシガ、 内一隻ハ東南ニ航行スルヲ認メシモアリ。 但シ、船旗ハ不明。右、報告ス。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ 実際には、同じく28日午前4時45分に、海軍に徴発されていた日本郵船の貨客船「信濃丸」が、「敵艦見ユ」の文句で有名な、「敵艦203地点ニ見ユ0445」を打電し、これが海軍軍令部が確認した最初のバルチック艦隊発見の報告となりました。 久松五勇士の報告が軍令部に着いたのは、午前10時なので、約4時間遅れです。 けれど、いまどきの「自分さえよければ」という考えからは、 絶対に、絶対にこんなにたいへんな久松五勇士のような行動はできないです。 彼らが15時間もかけて、荒海を手漕ぎ船で乗り越え、さらに陸にあがって5時間も駆けに駈けたのは、彼らがたとえ本土から遠く離れた島の漁師であったとしても、公に奉じるという国家意識を明確に持っていたからであると断言できます。 戦前は、彼ら久松五勇士の物語は学校の教科書に掲載され、日本本土だけでなく、満州や台湾、パラオ、フィリピン、インドネシアなど、日本が統治した諸国の教科書でも広く紹介されました。 ところが久松五勇士に関する記述は、戦後GHQによる干渉がはじまると、すぐに教科書に、真っ黒に墨を塗られ、以後、教科書から完全に姿を消してしまいます。 以下省略 2011年02月07日 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1163.html#more http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1163.html#more (via shinjihi)(hinomaru9999から)
3月 21, 2017 国民の皆さん、 私たちの祖先は、国を建て初めたときから、 道義道徳を大切にするという 大きな理想を掲げてきました。 そして全国民が、 国家と家庭のために 心を合わせて力を尽くし、 今日に至るまで美事な成果を あげてくることができたのは、 わが日本のすぐれた国柄のおかげであり、 またわが国の教育の基づくところも、 ここにあるのだと思います。 国民の皆さん、 あなたを生み育ててくださった両親に、 「お父さんお母さん、ありがとう」と感謝しましょう。 兄弟のいる人は、 「一緒にしっかりやろうよ」と、仲良く励ましあいましょう。 縁あって結ばれた夫婦は、 「二人で助けあっていこう」と、いつまでも協力しあいましょう。 学校などで交わりをもつ友達とは、 「お互い、わかってるよね」と、信じあえるようになりましょう。 また、もし間違ったことを言ったり行った時はすぐ、 「ごめんなさい、よく考えてみます」と 自ら反省して、謙虚にやりなおしましょう。 どんなことでも自分ひとりではできないのですから、 いつも思いやりの心をもって 「みんなにやさしくします」と、 博愛の輪を広げましょう。 誰でも自分の能力と人格を高めるために 学業や鍛錬をするのですから、 「進んで勉強し努力します」という意気込みで、 知徳を磨きましょう。 さらに、一人前の実力を養ったら、 それを活かせる職業に就き、 「喜んでお手伝いします」という気持ちで 公=世のため人のため働きましょう。 ふだんは国家の秩序を保つために必要な憲法や法律を尊重し、 「約束は必ず守ります」と心に誓って、ルールに従いましょう。 もし国家の平和と国民の安全が危機に陥るような非常事態に直面したら、 愛する祖国や同胞を守るために、 それぞれの立場で「勇気を出してがんばります」と覚悟を決め、カを尽くしましょう。 いま述べたようなことは、 善良な日本国民として不可欠の心得であると共に、 その実践に努めるならば、 皆さんの祖先たちが昔から守り伝えてきた 日本的な美徳を継承することにもなりましょう。 このような日本人の歩むべき道は、 わが皇室の祖先たちが守り伝えてきた教訓とも同じなのです。 かような皇室にとっても国民にとっても 「いいもの」は、日本の伝統ですから、 いつまでも「大事にしていきます」と心がけて、守り通しましょう。 この伝統的な人の道は、 昔も今も変わることのない、 また海外でも十分通用する普遍的な真理にほかなりません。 そこで、私自身も、国民の皆さんと一緒に、 これらの教えを一生大事に守って高い徳性を保ち続けるため、 ここで皆さんに「まず、自分でやってみます」と明言することにより、 その実践に努めて手本を示したいと思います。 明治二十三年(一八九〇年)十月三十日 御名(御実名「睦仁」)・御璽(御印鑑「天皇御璽」) ――――――――――――― (教育勅語の十二の徳目) ――――――――――――― 孝行(こうこう)             親に孝養をつくしましょう 友愛(ゆうあい)             兄弟・姉妹は仲良くしましょう 夫婦(ふうふ)ノ和           夫婦はいつも仲むつまじくしましょう 朋友(ほうゆう)ノ信          友だちはお互いに信じあって付き合いましょう 謙遜(けんそん)              自分の言動をつつしみましょう 博愛(はくあい)            広く全ての人に愛の手をさしのべましょう 修学(しゅうがく)習業(しゅうぎょう)   勉学に励み職業を身につけましょう 智能(ちのう)啓発(けいはつ)         知識を養い才能を伸ばしましょう 徳器(とくき)成就(じょうじゅ)    人格の向上につとめましょう 公益(こうえき)世務(せいむ)       広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう 遵法(じゅんぽう)           法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう 義勇(ぎゆう)               正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう 教育勅語はアメリカで聖書の次に売れている本 ( 東京都 ) - 浅草の風 I’m Happy! - Yahoo!ブログ (via dogedemo)
3月 22, 2017 大陸系の違法アップロードサイトにお悩みの同人作家さん方、登場人物のTシャツや背景やらに合言葉となる特定の文字列を入れておくと親切な中華人民共和国政府が無料で取り締まってくれるサービスをしていますので是非ご利用下さい。合言葉は「六四天安門」です!Twitter / FlatDefense (via katoyuu)(ctenolepismaから)
3月 22, 2017 合理的に動いていない組織に長くいると、普通に考える能力が確実に低下する。組織に順応すれば、頭が悪くなるし、組織に順応できなければ、精神を病むことになる。そして、残念なことに、中にいる人は自覚症状が持ちにくい。そして、言い訳能力、特に自己欺瞞力だけが向上していく (via bgnori) これな… (via komblog) #民進党 ですね!わかります! (komblogから)
3月 23, 2017 夏目漱石が創り出した言葉・・・ 「反射」「無意識」「価値」「電力」「肩がこる」「電光石火」「ひどい」「浪漫」「沢山」「とにかく」「価値」etc… 福沢諭吉が創り出した言葉・・・ 「自由」「経済」「演説」「討論」「競争」「健康」「楽園」「版権」「鉄道」etc… このごろ2ちゃんねる : 誰も知らないような学問知識書いてけ (via darylfranz) (元記事: blog.livedoor.jp (weekendlineから))
3月 9, 2017 第二の偉大さ(才能に対する社会的評価)に恵まれていても、第一の偉大さ(優れた人格を持つこと)を欠いている人は多いものである。人格こそが第一の偉大さであり、社会的評価はその次にくる第二の偉大さである。 完訳 7つの習慣 人格主義の回復 / スティーブン・R・コヴィー (via qsfrombooks)
3月 14, 2017 成果をあげる者は仕事からスタートしない。時間からスタートする。計画からもスタートしない。時間が何にとられているかを明らかにすることからスタートする。次に時間を管理すべく、時間に対する非生産的な要求を退ける。そして最後にそうして得られた自由になる時間を大きくまとめる(ドラッカー) balance-meter:  ブレイクスルーな言葉 (@breakthrough_jp) from Twitter: http://twitter.com/breakthrough_jp
3月 4, 2017 娘「どうしてあの子は持っていて、私にはないの? 不公平よ!」 父「いいかい、他人と同じものを持つことなんて絶対にないんだ。世の中が平等なんてことは絶対にないんだよ お隣の人のお茶碗を覗いていいときは、その人が十分に足りているかを確認するときだけだ。自分が相手と同じだけ持っているかを見るために覗くんじゃないんだ」 娘「お隣の子は持ってるのに不公平よ!」→それに対して父が語った言葉:らばQ アメリカのコメディアン、ルイス・C・K氏が娘に伝えた言葉 (via capybara-is-watching)(quote-over1000notes-jpから)
3月 6, 2017 【事実】真珠湾攻撃の被害者は全員軍人で 広島、長崎、東京大空襲などの日本各都市への空襲の被害者はほとんど大半が民間人です。民間人への無差別空襲は重大な戦争犯罪です。(via shinjihi)(edieeleeから)
3月 8, 2017 死にたくなったらまず寝ろという恩師の台詞も正解だったけど、死にそうなほど退屈したら、カメラを持って街を歩け、と教えてくれた先輩の台詞も忘れられない。外の世界に対する感度を意識的にでもいいから自力で引き上げて感性を守った方がいいと教えてくれた。この感性の自衛の考え方がすごく好きだ。 Fさんのツイート (via hutaba)(元記事: twitter.com (blueskies-jpから))
3月 8, 2017 多数決はプロフェショナル殺し。全員で多数決すると、技術案件でエンジニアが少数派になり、デザイン案件でデザイナが少数派になり、お金案件でファイナンスの人が少数派になる。あらゆる専門分野で、素人のフィーリングが決定権を握り、かくしてプロジェクトはネバーランドに旅立つのである。
3月 8, 2017   交渉の為に隣国から使者が来て、もしその者が有能なら ば何一つ与えず返せ。   交渉の為に隣国から使者が来て、もしその者が無能ならば大いに与え、歓待せよ。   ���うすれば、隣国では無能な 者が重用され、有能な者が失脚する。   そしてやがては滅ぶ。   ※六韜(りくとう、中国の兵法書)より
教育勅語(きょういくちょくご) 意訳 国民の皆さん・・・私たちの祖先は、国を建て初めたときから道義道徳を大切にするという大きな理想を掲げてきました。そして全国民が国家と家庭のために心を合わせて力を尽くし、今日に至るまで美事な��果をあげてくることができたのは、わが日本のすぐれた国柄のおかげであり、また、わが国の教育の基づくところも、ここにあるのだと思います。
国民の皆さん。あなたを生み育ててくださった両親に「お父さんお母さん、ありがとう」と感謝しましょう。 兄弟のいる人は「一緒にしっかりやろうよ」と、仲良く励ましあいましょう。 縁あって結ばれた夫婦は「二人で助けあっていこう」と、いつまでも協力しあいましょう。 学校などで交わりをもつ友達とは「お互い、わかってるよね」と、信じあえるようになりましょう。 また、もし間違ったことを言ったり行った時はすぐ「ごめんなさい、よく考えてみます」と 自ら反省して、謙虚にやりなおしましょう。 どんなことでも自分ひとりではできないのですから、いつも思いやりの心をもって「みんなにやさしくします」と博愛の輪を広げましょう。 誰でも自分の能力と人格を高めるために、学業や鍛錬をするのですから「進んで勉強し努力します」という意気込みで知徳を磨きましょう。 さらに、一人前の実力を養ったら、それを活かせる職業に就き「喜んでお手伝いします」という気持ちで公=世のため人のため働きましょう。 ふだんは国家の秩序を保つために必要な憲法や法律を尊重し「約束は必ず守ります」と心に誓って、ルールに従いましょう。 もしも国家の平和と、国民の安全が危機に陥るような非常事態に直面したら、愛する祖国や同胞を守るために、それぞれの立場で「勇気を出してがんばります」と覚悟を決め、カを尽くしましょう。
いま述べたようなことは、善良な日本国民として不可欠の心得であると共に、その実践に努めるならば、皆さんの祖先たちが昔から守り伝えてきた日本的な美徳を継承することにもなりましょう。 このような日本人の歩むべき道は、わが皇室の祖先たちが守り伝えてきた教訓とも同じなのです。 かような皇室にとっても国民にとっても「いいもの」は、日本の伝統ですから、いつまでも「大事にしていきます」と心がけて、守りましょう。 この伝統的な人の道は、昔も今も変わることのない、また海外でも十分通用する普遍的な真理にほかなりません。 そこで、私自身も、国民の皆さんと一緒に、これらの教えを一生大事に守って高い徳性を保ち続けるため、ここで皆さんに「まず、自分でやってみます」と明言することにより、その実践に努めて手本を示したいと思います。 明治二十三年(一八九〇年)十月三十日 御名(御実名「睦仁」)・御璽(御印鑑「天皇御璽」)
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ポリティカル・コレクトネスの台頭
〔訳注:コデヴィッラは二〇一七年アメリカ大統領選にポリコレの一つの節目を見出し、そのルーツの一つとしてグラムシを研究する。英語圏ポリコレとグラムシの関連性について、Sean Gabb, Cultural Revolution, Culture Warを見よ、いわく、マルクス主義的共産主義の仮説「は虚偽である。……プロレタリアの貧窮化も一般的過剰生産危機も存在しない。……二十世紀初期、この問題に対する二つの反応が現れた。……一つ目は……レーニンを見よ……。二つ目は本来のイデオロギーから経済的決定論を削ぎ落としつつもその救世主的な熱狂を保ったまま仮説を救出することだった。その最も重要な企画者三人はアントニオ・グラムシとルイ・アルチュセール、ミシェル・フーコーであった」。イギリスでは「教師はグラムシとアルチュセール、フーコーの作品を読書、討論し、そうして吸収することを要求される」。〕
アンジェロ・M・コデヴィッラ[1]
Angelo M. Codevilla, “The Rise of Political Correctness,” Claremont, Vol.xvi, No.4, Fall 2016.
 「同士、あなたは事実上間違っています」
「ええそのとおり。でも政治的には正しいんですよ」
 ポリティカル・コレクトネスの概念は一九三〇年代に共産党員の間で、党利とは現実それ自体を超えた現実として扱われるべきものであるという半ば滑稽な催促として使用されるようになった。共産党員含む進歩派はみな新人類の現実を創造しつつあると主張するから、彼らは自然の法則と制限に対する永続戦争の構えにある。しかし現実は屈するものではないから、進歩派は行き詰まって、彼ら自らこれらの新現実を体現している振りをするようになった。それゆえ、進歩主義運動の名目的目標はいずれも、運動それ自体の力に関する喫緊で最も重要な疑問の下におかれてしまう。その力は進歩主義者が彼ら自身と世界について言っていることを他人が質疑できるかぎり不安定であるから、進歩主義運動は、約束上の新現実を創造することより、あたかもそれらが現実であるかのように――すなわち、政治的に正しいこと、党利に奉仕する思考が、事実として正しいかのように――人々を喋らせ行為させるための強制の方で努力することに終わる。
共産主義諸国家はそのような未遂の集団思考の最も顕著な事例を差し出すにすぎない。彼らの親指の下で彼らの歌を歌うか、それとも黙るかを人々に強いるため、進歩主義政党はどこでも教育制度と文化制度を独占しようと努めてきた。しかし彼らのイデオロギーが宣伝する繁栄や健康、知恵、幸福の逆を生み出してきたから、彼らはポリティカル・コレクトネスと現実の間のギャップを無視するよう民を強いることができなかった。
特にソビエト帝国の内破以来、左翼は共産主義がユートピアを創造し損ねたのは軍事的経済的権力の不足ではなくこのギャップに打ち勝てなかったせいだと論じるようになった。したがって、今の進歩派にとっての教訓は、ポリコレをかつてより厳しく押し付けること、反対者への処罰を一層苛烈にすることではないか? ソビエト型の抑圧力を揮うことはできないと知っているが、なお彼らの企画に対する増大中の大衆的抵抗を叩き潰す意志をもって政府と社会の管制高地に居座る、現在のもっと識別力に富んだヨーロッパ・アメリカ進歩主義者の多数は、文化的抵抗を粉砕するためのもう一つのアプローチを探し求める。彼らはますます、「文化的覇権」をその闘争の主な手段のみならず目的そのものともした華々しい共産主義理論家アントニオ・グラムシ(1891–1937)の名を引く。彼の著述が思い描くのは進歩主義への文化的抵抗の可能性それ自体が除去された全体主義である。しかし彼の著述はマルクスやレーニンよりマキャヴェリに負うから、手段に関して少なからず複雑であり、ソビエト帝国が実施した生硬な文化権力と同一とは言いがたいし、ついでに言えば、それは今我々の間で飛び交っているものである。
私の本稿の目的は進歩主義者がレーニンの日から彼らの文化戦争をどう理解し実行してきたか、彼らが我々の時代と境遇でその戦争を行う際に直面する選択肢――わけても現在の文化戦争でのポリティカル・コレクトネスに関するもの――がグラムシ自身の曖昧な著述でどう例証されるかを説明することである。
文化戦争
あらゆる形態の進歩主義は、人間性の何が間違っているかとそれをどう直せばいいかに関する特殊な、「科学的」な知識の主張に基づく。その定式は率直だ。すなわち、世界はあるべきすがたではない、なぜならば社会の基本的「構造的」特色が悪く秩序立てられているからだ。他のすべては「上部構造」である、というのは、それは単に社会の根本的特色の反映をしているにすぎないということを意味する。マルクスと彼の追随者にとって、その特色とは「現在社会」の生産手段をめぐる紛争である。時代の始まりから、この階級闘争は「矛盾」へと導いてきた。労働の種類の矛盾、都市と田舎の矛盾、迫害者と被迫害者の矛盾などだ。この紛争でのプロレタリアートの勝利はあらゆる矛盾を粉砕して滅ぼすことで新現実を確立するだろう。進歩主義の他の諸部門は別の構造的問題を指摘する。フロイディアンにとっては性的不適応であり、ルソーの追随者にとっては社会的束縛であり、実証主義者にとっては科学的方法の不十分な適用であり、その他にとっては或る人種による他の人種の迫害である。いったん社会の支配が専ら適当な進歩主義者の集まりの手に渡されたら、基本的構造的問題が直されるにつれて各セクトの矛盾が消滅するに違いない。
しかし進歩主義者が権力を握ったところではどこでも、あらゆる種類の矛盾がそのまま残っており、新しい矛盾まで生まれている。進歩主義運動はそれら自体の存在理由になることでこの失敗に反応してきた。理論的には、かの革命とは人類を再創造する権力と必要のことである。それは実践では、ほとんどすべての進歩主義運動にとって、革命家が権力を得ること、邪魔者と戦争することである。たとえば、労働者/農民プロレタリアはその核心的な主唱者ではなかったが、それと同じだけ、私有財産と分業、政治的迫害を超越することは決してマルクス‐レーニン主義の核心的動機ではなかった。実際、共産主義とはこれらのイデオローグ自身に権力を与え、彼ら自身を褒め称えることに終わるところの、イデオローグによる、イデオローグの、イデオローグのためのイデオロギーである。これはマルクス主義に当てはまるのと同じだけ進歩主義の他の諸部門にも当てはまる。
レーニンの種子的な貢献は革命的政党の比類なき至上性を明示的に認識し、政党の権力と威信を革命への手段から革命のあからさまな目的に変えたことであった。レーニンの著述はマルクスのそれと同じく将来の経済的配置の積極的記述を含まない。ソビエト経済はその非能率性にもかかわらず、スイス製じみた精密さでもって、幾人かにとっては特権のエンジンとして、それ以外の人々にとっては殺人的な剥奪と困窮のエンジンとして機能した。共産党は共産主義を超越していたのである。政権の座の進歩主義政党がすることを理解する鍵は、どんな組織の実際的目標も結局はその指導者の利害関心と悪い性癖に奉仕するようになるという、ヴィルフレド・パレートとガエタノ・モスカのような「エリート理論家」が強調した概念である。
進歩的革命家の利害関心に奉仕するのが何であるかは疑問の余地がない。進歩主義の各部門は社会の「構造的」罪科をどう定義するかにかけて異なっているけれども、十九世紀から我々の時代までの進歩主義は、克服しようとする人間的現実の名称それ自体と、その目的を達するための手段にかけて、彼らの一人格的偏愛において――彼らが何を愛するかよりも、彼らが何を、誰を憎悪するかについて――ほとんど同一性を保っている。彼らはマルクス主義者が「ブルジョワ道徳」と呼ぶ文化を彼らのアイデンティティと権威の否定であると見る。このアイデンティティ、彼らのアイデンティティは、この文化に対する永続的な闘争によって永続的に促進されなければならない。こういうわけで、さもなくば相異なるはずの諸々の進歩主義の文化的キャンペーンはかくも似ていたのである。レーニン主義ロシアは多様な西洋民主主義者に劣らず宗教を根絶するため、男女と子供が家族として存在するのを困難にするため、そして彼らのアイデンティティを反映する新秩序を褒め称えるところに彼らの国民が参加することを要求するために、努めてきた。注意――文化戦争の実質的目標は戦士自身のアイデンティティの肯定よりは重要ではない。これこそが文化戦争を行ってきた進歩主義者のアニムスを説明するものである。
けれども、個人の心は社会の基本構造を反映するにすぎず、ゆえに独立して真偽、善悪を推理することはできないという進歩主義の前提にもかかわらず、現実はやはり、諸個人がどう思考するか、どう行為するかの「構造的」基礎を欠きつつも、しばしば思考と行為を選択しているし、あるいは進歩主義理論が人類を分断する経済的、社会的または人種的「階級」に逆らって行為していると認めるよう進歩主義者たちを強いる。彼らは人の心のこの自由を「虚偽意識」と呼ぶ。
虚偽意識と戦うことは共産党員と他の進歩主義者が想定場では「上部構造」であるはずの文化的問題をあたかも構造的で基礎的であるかのように扱ってしまうことの理由の一つである。彼らは人々につねに圧力をかけて、進歩主義の理論に批准させ、誰が誰に何を言うかに対し支配力を揮うことで歴史の流れに「逆」行する者に対する勝利のミサに加えることでそうするのである。
ソビエト・モデル
ソビエト政権は全体主義権力を最大限行使することでの「ブルジョワ文化」の強制的超越を目指した。ブルジョワ文化の拒絶を支配階級での出世条件にするのはもちろん、ほとんどすべての協会を破壊し、ほとんどすべての司祭を殺害し、かすかな反対の兆候さえ処罰することで、この古い文化を破壊も同然まで追いやることに成功した。しかしこの歩みは、最終的で最善のはおろか、新しくてもっと良い文化を確立するのではなく、むしろソビエト権力の基礎そのものを破壊してしまった。
進歩主義諸政権が要求するには、仕事や特権を失ったり――たとえ犯罪者としては扱われなくとも――政権支持者の忌避や憤怒を蒙ったりしたくなければ、公共(はおろか私事)に表れる人物は政権のアイデンティティに相応しい一切合財を肯定しなければならない。しかし全体主義政権でさえ一時に褒章したり処罰したりできる人数は多くない。唇を噛み締める数百万人の暗黙の協力は、贔屓漁りの数千人のリップサービスよりはるかに本質的である。それゆえ、少なくとも受動的な協調を刺激するため、政党は「みんな」がすでにこちら側にいるという印象を与えることに励む。
しかしそしたら、なぜ共産党はつねに、わずかながら教会を残していたのか。なぜ国外からの党自身への批判を報告したのか。なぜ党はときおり反体制派の人々を公表したのか。党が文化政治的な大義のためにキャンペーンを始めるとき、それはいつでも、反対を少数の人々に象徴せしめ、社会的に容認可能な機関と広報をすべて差し向けて、彼らに反対派の最悪のものを押し付けるだろう。ソビエト連合から中国とキューバまで、党学校はなぜ、貧者、老人、社会的に不快なアウトカーストたちが通う礼拝を、若い中核に観察させ、あざ笑わせるのだろうか? 理由の一部としては、文化的な敵に襲い掛かることが中核のアイデンティティを再強化したからである。それで彼らは好い気持ちになって、もっと強い気分になった。古い社会や反対派の名残がなくなれば、党がそれらを製造することはできるかもしれなかった。
しかし人々に党の代用現実を賞賛させて、彼らが知っていることは真実ではない������定させ、彼らが知っている以外のことを真実であると否定させるための継続的な努力には、彼らを仲違いさせて恐ろしい孤立の感覚に突き落とし、彼らの自尊心と他人を信頼する度量を破壊することが要求される。ジョージ・オーウェルの小説『1984』はこの文化戦争の目的と手段をドラマにした。すなわち、人間の感性と理性が伝える現実を政党の権威に置き換えることにほかならない。ビッグ・ブラザーのエージェントは、社会の命令より彼自身の見解を好むかどでウィンストンを叱責しながら、四本の指を挙げながら五本の指が見えると認めさせることでウィンストンの精神の壊しおおせた。
かくてソビエト政権は冷笑的で怨恨を抱いた機能不全の国民を創造する。かの共産主義は「ブルジョワ文化」の破壊を文化的征服と混同したから、あらゆる文化闘争で勝利を収め、そのかたわらで政治的に崩壊するはるか前から文化戦争には負けていた。人民の心で共産党員が虚偽と詐欺に同定されるにつれて、人民は真理を公務員以外の一切、彼らの学説以外の一切と同定するようになった。彼らとそれらを腐敗と窮乏に同定することも避けられなかった。そしてそれは、当局の権威者が大収穫だったと公表したら人民がポテトを買いだめするということであり、当局の権威者に呪詛を吐かれているとしかキリスト教のことを知らない人民はいよいよ十字架を身に着け始めるようになったということである。
ゆかれなかった道
ソビエト経験を理解して「ブルジョワ」文化を彼ら自身のものと置き換えるより良い道を探すほど謙虚な進歩主義者は少なかった。アントニオ・グラムシはそのような道しるべをつけたが、その曖昧さのせいで、進歩主義者はまったく異なる方向を追っていった。
グラムシは混合的な哲学的前提から始めた。第一に、正統派マルクス主義から。彼は「固定的で不変な『人間本性』のようなものはない」と記す。むしろ、「人間本性とは歴史的に決定された社会関係の総体である」。近現代の君主の仕事はこれを変えることだ。しかしながら、彼のまったき非正統性は、経済要素が根本的で他をすべて上部構造とするマルクス主義の強弁への嘲りだった。いな、「そういうのは庶民向けのもの」で、「頭を使いたくない中衛知識人」用の「矮小な決まり文句」である。グラムシにとって、経済関係は社会的現実のほんの一部分にすぎず、その主要部分は知的で道徳的なものだった。彼はアリストテレス主義のルーツを忘れない。彼にとって、物理科学とは「目的論」と「終局因」が存在する「不変の現実の考察」である。しかし正統派マルクス主義とアリストテレスは、彼が「弁証法」と称したもの、古い現実から新しいそれを創造するという点において一緒にやっていく。
グラムシは一九二一年に共同でイタリア共産党を結成した。一九二六年、ムッソリーニは彼を投獄。十一年後に亡くなるまで、彼は十二冊の『獄中ノート』を著した。彼は私的所管ではスターリンの文芸判断を批判し、彼のレフ・トロツキーへの攻撃を「無責任で危険」と考えた。しかし彼は公的にはソビエトの党是転換をすべて支持した――彼の党の上司パルミロ・トリャッティに、彼の著述を修正する権威さえ与えている。彼は投獄されて健康を害したので、彼の仲間をかくも多く殺した共産党内の粛清に晒されるよりは知的に自由で肉体的に安全だった。
グラムシの「文化的覇権」の概念もまた両方に振れる。敵をすぐ殺すよりは変えることへの強調は、共産党のブルートフォース・アプローチとは相容れなかった。彼の文化問題への集中は、構造と上部構造を標準どおり区別しつつも引っくり返しており、心の自律への信念を仄めかしていた。他方、自然に照らして真偽と善悪を推理するのではなく歴史的新現実を創造することで心を説得するという理念それ自体はまさに彼がマルクスその他の進歩主義者と――実に、近現代思想の源泉たるニコロ・マキャヴェリと――共有するものであった。
グラムシは既存秩序を置き換えてその置換を保障する最善の方法を発見するためにマルクスよりもマキャヴェリに頼る。マキャヴェリの『君主論』の第五章は自分たちの法律の下で生活することに慣れきった人々を支配する「唯一確実な方法」は破壊することであると述べた。しかしマキャヴェリの目標は彼らを破壊することではなく、彼らの心を介して人々を支配することであった。彼が『君主論』第六章に記すには、「新しい様式と秩序」を確立するより難しいことはなく、これは人々に一定の事柄を「説得」することが必要であり、それは「彼らが力で信じさせられたとはもはや信じないとき」必要であり、これは「非武装預言者」にとっては特に難しい。しかしマキャヴェリはまた、そのような預言者は新しい信念の集合を教え込むことに成功したら「強力、安全、栄誉、幸福」を期待できるとも記した。彼はこの洞察を『リウィウス』第二巻第五章で明晰化した。「新宗教の創始者が異言語を話すようになるとき、古い宗教は簡単に破壊される」。そしたら、マキャヴェリ派の革命家は新しい言語に相応しい新しい考え方と話し方を教え込まなければならない。マキャヴェリは『言語論』において、敵の思想に浸透するための彼自身の言語の使用を、同盟軍を支配するためのローマの自軍の使用と比較した。これはグラムシが共産革命の問題に重ね合わせる雛形である――他人の使用のために「非武装預言者」が拵えた雛形だ。
マキャヴェリはグラムシの『獄中ノート』での、政党が「近現代の君主」としてどう支配すべきかを記す一節の出発点である。しかし近現代の君主の任務は、彼が「行為を介して自覚的になった集合的意志としてすでに結晶化し始めた社会の複雑で集合的な要素、有機体」と定義する、政党(約五十回の言及において、彼は「共産」という言葉を省いている)しか真剣に引き受けることができないほど多い。この君主、この政党は、「経済的綱領とは結びつき得ない……道徳的及び知的改革の組織者兼能動的表現」たるべきである。むしろ、経済改革が道徳的及び知的改革から、「普遍的かつ全体的になりがちな集合的意志の芽生え」から成長するとき、それはあらゆる生活と習慣の世俗化の基盤になることができる。
政党君主は「歴史的概念的な意味での」ジャコバンであることによりこれを成し遂げる。グラムシは記す――「これこそマキャヴェリが民兵改革で意味したことであり、ジャコバンがフランス革命で実行したことである」。自分の生き方とは急進的に異なる生き方を考えたこともなかった人々を、そのような生き方に参加するよう説得――誘導――することで、党は社会の離散的な諸部分から合意を集めなければならない。党は「その組織的な力」を、「果てしない量の書籍と冊子、雑誌と新聞の記事に表れる、細心の注意を払った分子的、毛管的な過程、無限に繰り返される私的な討論」によって開発し、それは「その巨大な全体において、一定の同質性が備わった集合的意志を生むものによって成り立っている。しかし刮目せよ、ジャコバンは「軍事国」を達成するためにちっとも文字通りの強要を用いなかった。
グラムシはどちらに賛成か? 政党は、合意を鼓吹する――ことによると丸め込むか、それとも強制するか。彼の答えは曖昧だ。「マキャヴェリは美徳ある市民が恣意的な処置に対して安全に暮らせるような固定的な原理によって国家が運営されることをかなり明快に肯定する。しかしながら、マキャヴェリはいみじくも、彼らの永遠の合意を保証する統治者の技術に、つまり政治に万事を還元する」。彼が記すには、問題は「マキャヴェリのケンタウロスの二重の本性、獣性と人間性、強制と合意、権威と覇権……戦術と戦略に応じて……『二重の視座』」から考えられなければならない。実際、「なんとしても」こそはマキャヴェリの要点である。
グラムシの一般性と機微の鍵は、政党とキリスト教の関係に関する彼の用心深い議論に見出されるべきだ。「他の政党はもはや存在しないかもしれないが、そこにはつねに事実上の党や傾向性が存在するだろう……そのような、文化的な問題が重要な党においては……政治的討論は文化的形態をとり、そのようなものとして、解決不可能になる傾向がある」。解説:進歩主義政党国家(政府として振舞う政党、政党として振舞う政府)は文化問題に関わる社会的紛争の権威的――おそらく強制的――仲裁の役割を避けることができず、自らの仕方でそれらの責任を引き受けなければならない。
具体的には:グラムシが記したとおり、ムッソリーニのバチカンとの一九二九年コンコルダート(政教条例)は彼の最も上出来な政治工作であることが分かった。教会とフランス革命後国家の公式の敵意を解消し、カトリック教を国家宗教としてそのヒエラルキーに施しをすることで、ムッソリーニはイタリアの最も浸透的な文化的制度を敵から友好的な配下に変えてしまった。数千人の司祭と数百万人の信徒が、思想を、言葉を、行動を、政党国家の良い市民の定義に適うように曲げたものだ。グラムシはコンコルダート以降の教会を「自らの独占をもっと良く維持するため、教会に代表される市民社会の部分の支持をもって自らの下に教会を集約した一定の特権的集団に独占される政治的社会の、つまり国家の、統合的部分になった」と記述した。ファシスト国家の手で道徳的にも知的にも妥協した教会、ムッソリーニが望み、グラムシが恐れた教会は、その教えと社会的圧力をファシスト仕様に再定義した。この転覆――ファシズムの名において教会を誹謗し規制すること――に代わるものは、多くのカトリック教徒を駆り立てて、この政党に対してつねに厳しく反対していた彼らの教理の根本を信奉させることになった。コンコルダートはムッソリーニが企業国家と称した残りの部分の効果的な雛形になった。
グラムシは同じ現象をblocco storico(ブロッコ・ストーリコ)――「歴史的ブロック」と称した。これは社会の多様な諸部門を政党国家の指導の下に集約する。グラムシは知識人がこのブロックの指導的要素であると言う。所与のどんな時代においても、彼らは労働者と農民、教会などの集団を、人民が生活し、運動し、存在するところの一つの単位、それ以外を想像することは不可能ではなくとも困難であるような一つの単位に溶接する。権力は、賢明に使われれば、太陽がヒマワリに作用するような仕方で人民に作用する。このブロックの中では、新言語が有機的に成長するかたわらで、理念は実質を変えながらもその名前を保つかもしれない。グラムシが書き留めたとおり、マキャヴェリは言語が意識支配の鍵であると論じた――実力のみでなしうる何かより安全な支配の鍵である、と。しかしマキャヴェリの言語闘争の比喩はみな暴力に言及することに注目せよ。この歴史的ブロックを密着させて、その中に強情な抵抗者を押し留めるには、どれほどの実力行使がいるだろうか? グラムシの沈黙は「必要とあらば、なんとしても」と言っているようだ。結局、ムッソリーニは彼が必要と考えたかぎりを行使した。
要するに、スターリンではなくムッソリーニ、強姦ではなく強制的誘惑こそが、「文化的覇権」に関するグラムシの実践的助言である。彼はこの選好をマキャヴェリに転嫁する。マキャヴェリは「新しい力関係を創造したがっており、自らしかるべき場所を占めなければならない」。しかしこれは「恣意的な選択ではないし、単なる願望や現実離れした愛でもない」。マキャヴェリのような政治家は「無からは創造しないし、願望と夢想のうつろな渦には立ち入らない」創造者にして煽動者である。「彼は自らを効果的な真理……恒常的な運動と均衡の力の関係に基礎付ける」。グラムシは西洋文化と戦うよりも、それに自らを再定義させること、転覆することでそれを置き換えるつもりなのである。
グラムシの選択
グラムシ派の対文化覇権のビジョンは万能薬ではない。実際、今の進歩的知識人はマルクスやレーニン、ムッソリーニと同じ苦境に陥っている。すなわち、「労働者」がマルクス主義革命の破城槌となるために突進していってはいないのと同じだけ、社会の社会経済的な力はグラムシ派の「歴史的ブロック」に加わるほどにはドアを打ち破っていない。文化闘争に深く携わる今日の進歩的知識人はレーニンやムッソリーニと同じ選択に突き当たっている。社会のそれぞれ異なる文化的な諸部門を、賢く権威的に溶接するか、それとも破壊するか。この選択肢は基本的にはこうだ。ムッソリーニの誘惑か、レーニンの強姦か。
この選好の違いは大陸ヨーロッパのグラムシ派をアングロ=アメリカのそれとざっと分け隔てるものである。
一九七〇年代までには、ヨーロッパの社会主義政党は政治的権力の独占に似た何かを達成していた。しかし「労働階級」は不満足な政府への怨恨に加えて社会主義者が押し付けた文化的選好にも怨恨を抱くようになった。現在、ヨーロッパ社会主義政党は十幾つか一桁の票を集める。幾人かの進歩的政治家はグラムシ――主としてグラムシ政治のムッソリーニ版――に言及することでその理由と改善を求めてきた。フランス社会主義者ガエル・ブリュスティエと彼の本À demain Gramsci(『さよならグラムシ』2015)が原型的である。
ブリュスティエは著す。「左翼はもはや文化的覇権の立場にはない」。なぜならばそれは「グラムシが『常識』と称したもの、人々が当然と思う理念と信念の複合体」を手放したからだ。それを手放したのは、権力それ自体を征服してきた力の在り処を誤解したからである。それゆえ、左翼が「自分に関する幻覚を育んだ」かたわら、右翼は普通の人々の「階級身分の衰退と喪失に刺激された集団的苦悶から利を得る」ことで「精力的な文化戦争に勝って」いた。ブリュスティエは「もはや誰も信じない政治システムにおいて何をすべきなのか」と問うことで締めくくる。
彼の同士のツラに対するこのビンタは事実上、左翼の文化的政治的覇権の遺産である形式的非形式的「一党」連合を拒む脱文化的大衆と右翼を混同する点でしか間違っていない。事実、前ソビエトの地においてと同様、ヨーロッパの進歩的覇権は何も信じない人々を生み出した。にもかかわらず、これらの人々は左派知識人が生きる世界とはとても異なった世界に住んでいる。ブリュスティエは進歩派がこの文化的相違を「虚偽意識」のせいにしないよう警告した。彼はグラムシの教えを思い出させる。「人々は盲目でなければ馬鹿でも奴隷でもない」。ブリュスティエが同士に思い出させたとおり、グラムシの核心は、知識人とは異なる階級をして知識人を信奉させることであった。「したがって、価値観に対する闘争はそれ自体が文化的覇権の否定である」。彼の苦情によれば、彼の仲間は「インターナショナル」を歌って好い気になっていると苦情を言うが、現在の問題への答えには「服従」しか差し出さない。この行動は反生産的である。
ブリュスティエは「社会党が〔文化的覇権の好機をすべて台無しにしながら〕カトリック世界を〔典型的な過ちと〕考える尊大さ」を引用する。彼が言うには、これは数百万人のフランス人が社会主義政権の二〇一三年と十四年の同性婚拡張に対しパリの路上デモで抗議する前から左翼にとって明らかでなければならないはずだった。左翼はこの法律を広めながら、「世界がそのメンバーの日々の経験に意味を与えるときの意味の与え方」を侮辱した。それは数十万人もの若者を「古い偏屈者」と呼ぶことで、かつては敵でなかった人々を敵に回した。彼は訝る。強要できない人々を相手にイチャモンを付けるとはどういう了見だ。あの法律は社会主義者を好い気分にした。しかし、そのための戦いは社会主義革命を前進だったのか? グラムシ派の標準では、あの法律は愚かである。
しかしこの標準によれば、ブリュスティエが記すには、アメリカの同士は一層愚かである。アメリカ左翼はノーム・チョムスキーのような人のアドバイスに従って「『帝国』(アメリカ合衆国)の敵の数を潜在的な仲間の数と認識する」ところまで行ってしまった。「これは確実にアメリカ人民の多数派の感情とは対応しない」。ブリュスティエはアメリカ左翼がそのようなことをして自分を「政治的周縁」にしていると論じる。
しかしながら、アメリカ進歩的知識人はアメリカ支配階級を率いる民主党の精髄を自認する。ヨーロッパの片割れが経験した種類の拒絶をまだしらないから、彼らは過去半世紀でにアメリカ文化を変化させた成功体験に舞い上がって、グラムシ派の文化的覇権の概念を、彼ら自身の文化的アイデンティティをアメリカに強いる実践の確証と考えている。民主党の得意客はすでに、社会の残りを納得させるのではなく制圧するという知識人の狙いを是認している。彼らにとっては、これが革命である。彼らはムッソリーニの代替案よりむしろレーニンを選択したのだった。
彼らはアメリカの社会政治的秩序が経済的搾取と同じだけレイシズムと家父長制、虐殺的帝国主義に基づいていると推論する。グラムシの「歴史的ブロック」は人種的正義とジェンダー正義、経済的正義、反帝国主義の合同追求で起こすことができる。革命とは要は、被迫害の各人が切望した報復を迫害者に課すための被迫害階級の団結である。この間主観的共同体はそのアイデンティティがアメリカ文化――宗教、人種、性癖、経済――を一片でも否定する集団を含む。彼らは集まって、その何もかもを否定する。社会の残りの人々を転覆し変貌させるために文化的制度への政党国家権力の行使についてグラムシが何と書いたか、何を意味したかにかかわらず、アメリカ左翼にとっての文化的覇権とは、ユダヤ・キリスト文明をその揺り篭の中で窒息させるため、公的談話で政党構成諸集団のアイデンティティに奉仕する思考しか許さないため、そしてその他の全員を中傷し、脱正当化し、ことによっては無法者と宣するためにこの権力を使うことを意味する。それは要するに、我々が知るとおりの、ポリティカル・コレクトネスを意味するのである。
ポリティカル・コレクトネス
グラムシの文化的覇権の概念を耳にしたアメリカ人のほぼ全員にとって、それはポリコレの目的、窒息を意味する。しかしポリコレとはまさしく、グラムシが完全には支配できない人々の常識へのイチャモン付けと非難したものから成り立つから、アメリカ左翼の文化的覇権の理解はその意図のとおり、その文化戦争が終わらないことを暗示している。
一九六〇年代初頭、ボストンからバークリーまでにおいて、アメリカの教師の教師は新しいクリフスノート式の新しい神聖な歴史を吸収し、教育した。すなわち、アメリカは生まれながらにして西洋文明の原罪で穢れていた――偽善的な自由と平等の約束に基づいてすべて宗教的蒙昧主義に包まれた、レイシズム、セクシズム、強欲、原住民と環境へのジェノサイド。レイシストでセクシストだが結局は馬鹿なアメリカ大衆からの抵抗に直面してなお、ハーバート・クローリーとウッドロー・ウィルソンからフランクリン・ルーズベルトとバラク・オバマまでの世俗の聖人は、アメリカを偉大な正義の道に乗せて、これらの約束の罪を償った。そのような人物を同じ理由で目上と考えるのは、オバマ大統領が言ったとおり、「偽の等価」であろう。そのように信任状を授かって、型に嵌められ、自説に固執して、均一な階級がいまや、ほとんどすべての連邦及び州政府官僚を、メディアを、教育機関を、大企業を統括している。それは友愛と同じように、正しい側に就いていると示す「内輪」言語を話すことを要求し、そのメンバーと衝突する「アウトサイダー」アメリカ人を酷い目に合わせる。デイヴィッド・ダライデンとサンドラ・メリットのように、政府出資のプランド・ペアレントフッドによる中絶胎児の身体部位の違法取引映像を公開したら重罪で起訴されてしまう。支配階級は映像が映したことを映さない世界のことを語るからだ。
アメリカ進歩派支配階級が真善美のビジョンや社会の残りの人々を自分に惹きつけるための強みを差し出さないのはヨーロッパの片割れと同じである。アメリカ進歩主義が差し出したのは、ヨーロッパの同類と同じように、ポリティカル・コレクトネスに施行されての支配階級への隷属である。共産主義に終わりがなかったのと同じだけ、政治的な正しさにはエンドポイントがない。それは今やここでは落��ぶれて、いつものとおり、どこでも同じように、党を祭り上げ残りの人々を卑しめるものになっている。
もしも文化的覇権とは支配階級のアメリカ文化制度のほとんどの独占を意味するにすぎないならば、かかる紛争は一世代前に終わっていただろう――支配者の勝利で。しかし支配階級は、古い文化の強情な名残があたかもその粉砕のためのさらに激しい努力に値するかのように振舞うから、ポリコレでの文化的覇権とは紛争の永続性を保証する永久的な侮辱と怨恨のサイクルを意味するのである。対照的にも、(マキャヴェリに倣う)グラムシの文化的覇権の概念は明確な勝利を求める――幾つもの文化的階層を、もう誰も振り返ることができないほど超越した何かにするような、社会の変貌と総合だ。たとえば、キリスト教がローマと野蛮人の神々を除去したような。もっと重要なこととして、グラムシが従うマキャヴェリは、文化的覇権の権力密閉をもっと大いなる目的への手段と考えていた。マキャヴェリにとって、それはローマのそれのような政治的威厳を意味したのである。それはグラムシにとってはマルクス主義ユートピアの達成を意味した。
なぜアメリカ左翼はつねに新しいポリコレへの服従を要求するのか。アメリカ法に安置されたとおりに一男一女の結婚を定義することが、罰金の対象にしてほぼ無法者の地位に置かれる「ホモフォビア」とかいう不埒な心理に動機付けられる人々としての烙印を押されるだろうとは、二〇一二年には誰も考えなかっただろう。二〇一五~一六年までは、男性用公衆便所を使うために男性の配管工事を求めることが同じ病理の印だったとは誰にも思われなかった。なぜ以前はこれらがポリコレの要求の一部にならなかったのか。いったん埋められたら更なる追加を要求しないポリコレのカノンがないののあなぜか。
なぜならばポリコレの要点は、それが押し付ける諸項目のいずれでもないし、そのようなものをもったこともない――押し付けることそれ自体が要点だからである。ましてや定義可能な共通文化を創造したり定義可能な善を達成したりすることではない。それは小売りの水準では、民主党の得意客から投票者の参加を最後の一滴まで搾り取るアメリカ支配階級のニーズに関するものである。卸売りの水準では、アイデンティティ政治に耽るための、文明に対する戦争である。
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ポリコレの押し付けは論理的な決着がつかない。なぜならば他人に罪を告白させ、辱めて傷つけることで好い気持ちになるのは中毒的な快感で、満足するたびに燃え上がる欲望の類だからである。わたしはお前の中に落ち度を見出すほどお前より尊くなる(あるいは少なくともトレンディーになる)。お前が悪であるほどわたしは善になり、わたしはもっとお前に対する権力をもつべきなのである。アメリカの支配階級はアメリカの残りの人々が再教育営の収容者として扱われなければならないという見解を採用したようだ。ハーバードの法学部教授マーク・タッシュネットが今年の早い頃にブログの投稿で論じたとおり、これが意味するのは、「リベラル〔英米リベラル〕がちっとも規範的引力を認めないような立場を擁護したし今なお擁護している敗者を収容する試み〔ではない〕。敗者に優しくする試みは、内戦後にはうまくいかない」。
しかしながら、この内戦勝者の代理的な権力切望は、決してマキャヴェリと心を一つにしてはいないグラムシには関わらなかった。彼は、屈辱を味合わせて敵の精神を挫くことの享楽ではなく、むしろ殺せない敵の転覆という観点で考えた。彼が記すには、人々は「愛撫されるか、それとも絶滅させられるべきもの」である。永久に無力化されたとわけではない人々を侮辱するのは楽しいが、危険で高くつく楽しみである。なぜならば、それは服従と同じだけ陰気と反逆を生むからである。ガエル・ブリュスティエがフランス社会党に尋ねたあの質問はアメリカ支配階級にも尋ねることができる。あなたがたは、あなたがたがしていることを、何だと思っているのか。あなたがたは、潜在的な同盟へのかつてなく侮辱的な条件を要求することで、あなたがたのために順調に進んでいる転覆キャンペーンを危うくしている。なぜ敵に武装するよう求めているんだ?
大敵たる宗教のことを考えてみよ。アメリカの本線たるプロテスタントの宗派は長らく、彼らの(減少中の)信者を支配階級の進歩主義的なプライオリティーに明け渡してきた。
教皇フランシスコは、聖職者への殺害も含む西洋文明への攻撃について、判断することの拒絶を公言した。彼が七月に〔ポーランド〕クラクフの世界青年日で述べたとおりの、「新人類」を作ることへのカトリック教会の関与は、カトリック教会がキリスト教を進歩主義の用語での進歩主義の伝道と再定義するための道を開いた――かつてはアメリカ・カトリック教の砦だったが今ではアメリカ進歩主義の砦になったジョージタウン大学とノートルダムなどでは、すでに達成された伝道だ。福音派の指導者は遅れを取らないよう熱心である。支配階級のもっと大きなプライオリティーのためのアメリカの宗教的体制派の徴用に、ムッソリーニが一九二九年に支払ったほどの費用をかける必要はなかったのに、とグラムシは助言しただろう。核心への正面攻撃を控えても十分に足りるだろう。
アメリカの進歩派はそうではなく、同性結婚と同性愛、「地球温暖化」などを押し付けることで、危害に侮辱を加えた。なぜならば、彼らには本当は彼ら自身を超えたプライオリティーなどなかったからである。アメリカの進歩的支配者は、フランスのと同じく、支持を集める政治家としてでではなく、テーブルがひっくり返るのを気にせず捕虜の処罰を楽しむ征服者として振舞っている。
しかし進歩的文化覇権の転機は、他所と同じくアメリカにも訪れているように思われる。良い市民が恣意性からの安全を感じられるような王国について、グラムシはマキャヴェリの『君主論』と彼自身の『新君主論』のことを著した。しかし恣意性こそは我らがポリコレご主人さまがアメリカの政治システムにしっかりと組み付けてきたものなのである。
我々の支配階級の最新の要求を考えてみよ。アメリカ人はペニスの付いた女性がありうること、ワギナの付いた男性がありうると同意しなければならない。そのような恣意に従うことは人間の度量を超えている。オーウェルの『1984』ではビッグ・ブラザーのエージェントが指を四本挙げながらウィンストンに五本見えていると認めさせる。しかしこれはアメリカ支配階級が自由民に要求していることに比べればチャチなもんだ。宮廷と官庁は説得の試みに悩むことなくただ彼らの命令を押し付けるだけで、安定性を重んじるタイプの数百万人の市民が、次に何が起こるのかも気にせず、なけなしのアメリカ共和国に鉄球をぶち込むのも本意になってしまっているのだから。
二〇一五~一六年において我々の支配階級がドナルド・トランプに驚いたのには驚かされる。彼はポリコレの具体的要求のほとんどに従順なままで、概してリベラル[左翼リベラル]な民主党派のままだったが、彼としてはポリコレ一般を嘲ってその仕出し屋を侮辱すれば十分だった。トランプにとっては、リベラリズムのパブリック・エネミー・ナンバーワンになれば十分だったのである。『ウォール・ストリート・ジャーナル』のウィリアム・ガルストンの社説は彼の階級のレーニン主義的なアメリカ文化奪取がどうして不発に終わったのかを感じ取り始めている。
〔トランプの〕キャンペーンは教養中流階級――わたしのような人々――の幻想を無慈悲に暴露した。我々は法律と公的規範の変化が諸々の党派とイデオロギーの路線に行き渡る私的態度の変化を漸進的にもたらしてきたと信じていた……。
トランプ氏は我々が間違っていることを証明した。彼のポリティカル・コレクトネス批判は多くのタブーを破壊し、彼の支持者に対し、彼らが本当に考えていることを言うライセンスを与えた。我々が嘲ってきた信念がいまや、世界で最も古い政党の一つで、ときには有権者全体において、多数派を集めている。
要点はトランプではなく、支配階級は西洋文明を追いやってもグラムシ‐マキャヴェリ派の意味での文化的覇権に取って代わりはしなかったという事実にある。進歩派はむしろ、侮辱の押し付けと定義されるとおりのポリコレを押し出すことで、一切合財の権威の正統性を、何にもまして、彼ら自身の正統性を破壊したのだった。
『アメリカン・スペクテーター』での私の二〇一一年の記事「支配階級と革命の危機」は、「アメリカ人のおよそ三分の二――わずかな民主党投票者、ほとんどの共和党投票者、すべての無党派――は選挙政治の捌け口をもたない」と論じた。支配階級がポリコレによる文化戦争に伴ってアメリカ人の生活に行き渡らせた、あからさまな憲法と法律の軽視への鬱憤は、「遅かれ早かれ、良かれ悪しかれ、多数派の代表要求でいっぱいになるだろう」ことを意味していた。「あいにくと宮廷や官公の不正行為を嫌う者にとっては、全政党を真理の基盤に引き戻すよりも他の不正行為でこれに反撃することの方が簡単である」と書き留めた。
アメリカの多数派は――憲法と法律が彼らの生き方を絶え間ない名誉毀損から保護するのをやめてしまったと気づいており、「イリディーマブル」(「救いようのない」)「ディプローラブル」(「惨めな」)レイシストだのセクシストだのと侮辱されて怒り、その緩和を、ああ、利子の払い戻しを求めながらも、支配階級が下々とみなす者からの議論を締め出していることを知っていて――支配階級も同じ種類の侮辱的迫害を受ければ自分が他人に取り成されたいのと同じように他人を取り成す価値を学ぶかもしれないと期待してテーブルを引っくり返すしか選択肢がない。あるいはもっとありそうなこととして、これは革命の典型である報復の螺旋の一巡りなのであろう。けれども、これの避け方があるようには思われない。
もはや誰も信じない政治システムにおいて何をすべきか。これは革命的な問題である。なぜならばアメリカの支配階級は、それ自体の信憑性を破壊するに伴って、真理への尊敬を大いに破壊し、アメリカ人民を自由と繁栄の独特の世話人にしてきた制約の文化を大規模に破壊したからである。文明から疎外された片意地な大衆はみな、実に自然に革命の自然な指導者へ向かう。ドナルド・トランプは「ライオンの家族、鷲の部族」に属するとエイブラハム・リンカーンが警告した、手に負えない男たちの前兆にすぎない。
要するに、支配階級が想像したとおり(そしてグラムシが承認したであろうとおり)に「諸々の党派とイデオロギーの路線に行き渡る私的態度の変化を漸進的にもたらしてきた」ではなく、むしろ支配階級がアメリカの残りの人々に押し付けた「法律と公的規範の変化」(ガルストンの再引用)、ポリコレは、革命を引き起こしたのである――それは綺麗ごとにはならないだろうとしか、我々には分からない。
[1] アンジェロ・M・コデヴィッラ(Angelo M. Codevilla)はクレアモント研究所の上級研究員兼ボストン大学国際関係の名誉教授である。
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