#シャワー水栓
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ガス代と水道代が値上がりしているのはなぜ? 生活にかかわるあらゆるものが値上がりする中で、なんとか節約できるところはないだろうかと考えている人も多いのではないでしょうか。 節約の話になると、水道光熱費の中でも電気代の節約を気にする人が多いのですが、実はガス代も値上がりしていますし、水道代も地域によりますが、全国的に上がっている傾向です。 ガス代は電気代��同じく液化天然ガスの価格高騰による影響が大きく、世界的な流れによるものですが、水道代の値上がりに関しては日本独自の理由があります。 一般的に耐用年数が40年といわれている水道管の老朽化が全国的に進んでいます。新しい水道管への交換をしなければなりませんが、技術者は減少しており、交換のための費用が高騰しています。 そのためやむを得ず値上げしている自治体が増えてきており、例えば神奈川県では、2024年10月から段階的に3年かけて平均22%値上げしていくと発表しています。 そのような私たちの暮らしの中で、どうしたらガス代や水道代を節約することができるでしょうか。 実はこの2つは「習慣」によって大きく変わってくるものなのです。日頃の使いかたを変えることで、ガス代も水道代も大きく節約することができます。今回は習慣づけておきたいガスと水道の使い方をご紹介します。 【1】“ゆでる”と電子レンジ加熱の使い分け 食材を加熱する際、無意識にガスコンロでお湯を沸かしてゆでていませんか? 食材によっては電子レンジ加熱のほうがエネルギーを節約できるものもあります。例えば副菜で添えたいブロッコリーは、水をお湯まで沸かしその後に数分ゆでるよりも電子レンジで加熱すれば、1分前後の加熱で済むこともあります(加熱する量によって変わります)。 一般的に“ゆでる”食材は、コンロで加熱するよりも電子レンジで加熱したほうが省エネルギーになります。ブロッコリーやかぼちゃなどをゆでるときは、コンロと電子レンジどちらが節約になるか考えてから使い分ける習慣をつけましょう。 【2】少量でゆでる習慣をつける 何かをゆでるときに使う水の量を多くしすぎていませんか? 意外と少量でもゆでられるものです。パスタをゆでる際、くっつかないように大鍋で大量の湯を沸かす方も多いかと思いますが、家庭での料理であればフライパンに少量の水でも、時折混ぜるようにすればくっつかずにゆでることができます。 水を少量にすることで水道代もガス代も節約することができます。 【3】余熱調理・保温調理を習慣づける 調理で何かを加熱したいとき、レシピに「15分加熱する」となっていたら15分間コンロで加熱し続けていないでしょうか。鍋は火を止めたあとに急激に温度が下がるものではないので、沸騰した状態で100度あったとしたら、火を止めてからもふたをしておけば80〜90度の高温は数分維持されます。 指定時間の全てで火をつけておくのではなく、半分くらいのところで火を止め、あとは余熱調理、保温調理をしてみてはいかがでしょうか。調理する料理、使っている鍋の厚みによって時間調整は必要ですが、習慣づいてくると「これくらいの食材の量なら何分で切っても大丈夫」と感覚的につかめるようになります。 煮物などは余熱調理・保温調理の習慣をつけることでガス代を大きく節約することができます。 【4】混合水栓のハンドルの向きを意識する 近年は水道のハンドルの向きでお湯と水の出を分ける混合水栓が主流ですが、ハンドルの向きを意識して使っているでしょうか。例えばガス給湯器の場合、ハンドルが少しでもお湯側に向いていると、水が出てきた段階でガス給湯器が稼働しはじめます。 画��のようなガス給湯器のリモコンは、電源がONになっているだけではガス代がかかりませんが、少しでもお湯を出そうとすると「燃焼」のランプがついて稼働していることがわかります。 お湯が不要なときに無駄にガスを点火させないためにも、ハンドルは水寄りにして使う習慣をつけましょう。 【5】水の二次利用を習慣づける 毎日生活をしているとかなりの量の水を使っています。その水を一度で捨ててしまうのはもったいない。いろいろ二次利用する道はあるのです。 ・お米を研いだ水をボウルなどに溜めておき、野菜や食後の食器、フライパンなどを洗うのに使う ・お風呂のお湯を洗濯に使う ・湯船にお湯を入れたのであれば、シャンプーや体を洗ったあとに流すお湯はシャワーではなく湯船から使う これだけのことが習慣づくと、大きく水道代を節約することができます。 今回ご紹介した方法はどれも難しいものではなく、習慣づけるかづけないかの違いでガス代や水道代の節約につながってくるものです。ぜひ挑戦してみてください。
ガス代・水道代を“無理せず”安くする方法! 節約効果が大きい5つの習慣(2024年5月14日)|BIGLOBEニュース
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塩田千春(アーティスト)x岡部あおみ
日時:2009年5月10日 場所:銀座資生堂ビル(資生堂ギャラリーで開催された第六次「椿会」展「Trans-Figurative」4月7日から6月21日の会期中に行われたトーク)
『無意識の不安』「椿会展2009 Trans-Figurative」 資生堂ギャラリー(東京)photo: Sunhi Mang
岡部:私が塩田さんの作品を初めて見たのは横浜トリエンナーレで、会場の奥にバーンと巨大な『皮膚からの記憶』があり、塩田さんの作品がある意味、商業的な催しに使われてきたその空間をどういう風に打ち壊せるか、それとは異なる自分の造形言語を打ち立てることができるかに挑戦した作品だと感じて、とても感動しました。その時までは塩田さんにお会いしたこともなかったし、話した事もなかったのですが、会場のディスプレイを建築家の私の夫が担当していたものですから、塩田さんのいる時間を聞いて会いに行ったんです。その時はじめて少し話もしたのですが、彼女はとても素直で、自分の作品に対する想いも、ほんとにちょっとしか話さなかったのですけど伝わって来ました。 その後、飯田橋の日仏学院で私自身のキュレーションで展覧会を開く機会があり、その時に塩田さんのビデオの作品ですが、『マイ ストマックエッグ』をお借りする事になり、初めて直接コンタクトを取らせて頂きました。それ以後、ベルリンに何回か行った時も塩田さんのアトリエにお邪魔したりして、当時のアトリエにもうかがいました。アトリエには70年代の頃からの古新聞ですとかさまざまな日用品が残っていて、それ自体が作品のイメージがあり、都市の記憶が蓄積された、ある意味納屋みたいな、光もあまり入ってこない薄暗い場所ですが、そこで塩田さんは錬金術のように自分の作品を考えながら一つひとつ生み出してきたのだということを感じさせる場所でした。このアトリエを見つけて使用できるようになったのは、随分あとのことでしょうか。住んでいらしたアパートのすぐ前にあった空間だったわけですが。
『皮膚からの記憶』 インスタレーション 2001年 横浜トリエンナーレ2001 photo: Sunhi Mang
『マイ ストマックエッグ』 ヴィデオ 2001年 photo: Sunhi Mang
塩田:99年からこのアトリエの向かい側に住んでいたのですが、開かずの扉が前にずっとあり、その扉の奥を知りたくてある日、大家さんに訊いて開けてもらいました。開けると20年ほど昔の、いやもっと長い期間、誰も入らなかったような、不思議な空間が目の前に広がっているのを見て、この場所をアトリエにしたいと、その場で大家さんに頼みました。許可を頂き、それから埃だらけの部屋を清掃し、その場にあったガラクタやDDR時代の新聞もそのままにして、スペースを少しだけ空けて、アトリエとして使い制作をしました。夏は暑く、冬は寒い、とても使い難いアトリエでしたがいつのまにか、私にとって、このアトリエは、秘密の場所として、まるで共存しているかような空間となったのです。展覧会でよくベルリンを離れる事が多いのですが、どこに行ってもこのアトリエで自分が制作しているようなイメージが頭から離れず、そしてベルリンに帰ってアトリエの扉を開けるたびに、「帰って来た。」と大きく深呼吸できる場所になりました。何も制作できない時も多かったのですが、ただこのアトリエに入り、座ってその何も出来ない時間やぐずぐずした気持ちなどを、共有する。そんなアトリエでしたが、2007年から、その住んでいた建物も改装工事が始まり、立ち退かなければならなくなり、今はもうこのアトリエは使っていません。
岡部:バスタブの中で泥を被る作品も、あのアパートの作品ですか?引っ越しを何度もしていらっしゃるから、それともそれ以前のアパートですか。
『Bathroom』 ヴィデオ、1999年 photo: Sunhi Mang
01 ベルリンのアトリエの思い出
塩田:その同じアパートです。ドイツに行って3年間に9回も引っ越しました。そして最後にやっと落ち着けたアパートが向かい側にアトリエがあり、お風呂場でも作品を作ったアパートです。その後、引越しはなく、立ち退きまでの8年間同じ場所にいました。 引越しを繰り返していた当時は段ボールに自分の荷物を詰めては、また段ボールを開けずにそのまま次の引っ越しをすることが多く、ベルリンのミッテ地区にこのアパートを見つけたときは、すごく嬉しかったのですが、お風呂がなかったので、水道工事のできる知り合いに頼んでお風呂を作ってもらい、それがまた嬉しくて、それだけが理由ではないのですが、お風呂場で作品を作りました。
岡部:でも新品のバスタブで泥をかぶったりして、排水溝がパフォーマンスの後で詰まったりしませんでしたか(笑)。
塩田:風呂の栓は詰めてパフォーマンスをしていたので大丈夫でした。泥水もたらいで掬って、パフォーマンスの後、屋根裏部屋から地下までその泥水を運び捨てに行ったのでそれは大変でしが、幸い詰まることはなかったです。一番始めはただ泥を被るだけのパフォーマンスがしたかったので、お風呂場ではなくて、ベルリンにある湖へ行って、その池で泥を被ってパフォーマンスをしたのですが、作品にならなくって困りはてて最終的にお風呂場で作ったわけですが苦労しました。
岡部:その時は洋服を着ていたわけですね。
塩田:着てました。その後、最終的に自分の部屋で泥を被って作品にしたのですが、なかなかいい映像ができなくて、泥を被っても、イメージと全く繋がらないんです。そこでもうこの作品はできないと諦めたんです。でも諦めて作品を作らなければという力が抜けたとき、本当に自分が表現したかった映像がやっと完成しました。それを編集した5分間の映像作品が「バスルーム」です。
岡部:いま、公園で着衣の上から泥を被った話を初めてお聞きしたのですけど、それで解ったのが、その後で手掛けられる泥で汚れた巨大な服をインスタレーションする『皮膚からの記憶』です。最初の展示作品は横浜トリエンナーレ程の大きさではないけれど、最初の展示のときも泥のついた服に、泥水を、あるいは水かけていたんでしたっけ。
塩田:水でした。泥にまみれた洋服に水をかけていました。
岡部:公園で自分自身が服を着ていたところに泥水をかけたというパフォーマンスと、泥まみれの服をきれいにするために水をかけるインスタレーションには自然な繋がりがあるかもしれませんね。後者は自分の肉体は存在しないけれど、泥の掛かっている服だけを展示し、水をかける。泥水をかけるのもありませんでしたか。
塩田:水を巡回させているので、最初はきれいな水でも最終的には服についた泥が流れて泥水になってしまうのです。
岡部:服についていた泥がしみ出していくんですね。横浜トリエンナーレの作品を見た時は、作者は日本人だけれどもドイツに大分長く住んでいて、異文化を皮膚から、空気の中から取り入れる異化してゆく自分がいて、そうした自分自身がどんなことをしてもそれ以前の自分には戻れない、そんなイメージをもったのですが、そうした異文化と同化、同化しきれない何かといったことと関係していましたか。
塩田:自分のバスルームで泥を被りながら自分自身の呼吸を取り戻す、その���吸を聴く思いでやっていたのですが、泥を被ったパフォーマンスのあと、普通のシャワーを浴びるときも自分自身の泥というか、皮膚からの記憶は落ちていく気がしなくて、自分の中にわだかまりみたいなものがいつまでも残り、このわだかまりは一体何だろうと気持ちになりました。この皮膚に対するこだわりは、私がドイツに住み多国籍の人の中で生活することで生まれてきたように思います。日本にいる時は自分が外国人として生活することがなかったので、自分の皮膚の中にある記憶など考えたことがありませんでした。そしてこのコンセプトは横浜トリエンナーレの作品につながりました。
02 厳しいマリーナ・アブラモヴィッチの指導
岡部:身体を使ったアクション、パフォーマンスをいくつかやっていらっしゃるんですけども、身体と自分自身の作品との関わりには、若い頃にドイツの大学で指導を受けたマリーナ・アブラモヴィッチからの刺激もあったのでしょうか。
塩田:あったと思います。一番最初はマグダレーナ・アバカノヴィッチに習いたくて手紙を書きました。彼女の個展を19歳の時に日本で観てすごく感動したのです。この先生のもとで勉強したいと思い、資料を送ったら、返事が来たのが マリーナ ・アブラモヴィッチだったんです。という偶然から、マリーナ・アブラモヴィッチの元で勉強することになったのです。結局それ以来ドイツに13年滞在していて、今もコンタクトはありますが、マリーナのところで勉強したのは約2年ぐらいで��た。
岡部:最初にご覧になったマグダレーナ・アバカノヴィッチの作品は、石炭とかを詰める麻袋みたいなものを人体の型にして、インスタレーションするようなものですよね。旧東欧特有のかなり強烈なイメージがあったと思いますし、そういう意味では、服を使った塩田さんのインスタレーションは、アブラモヴィッチよりアバカノヴィッチに通じる面があります。物質、人間の身体性、循環、再生といった概念に、非常に近い部分が感じられます。もしアバカノヴィッチのもとで勉強していたら、逆にあまりにも近い素質があって、優れた先生に近過ぎる要素があると、自分自身の輪郭が見えにくいことがあるので、かえって良かったかもしれませんね。マグダレーナ・アバカノヴィッチとマリーナ・アブラモヴィッチは、名前が似ているので、間違える人も多いんですけど、そういう意味で塩田さんの場合、間違えたのはラッキーだったのではないでしょうか。マリーナはパフォーマンスと映像作品で著名な作家ですが、彼女自身も身体を限界まで持って行く厳しいパフォーマンスが多いので、彼女のもとで勉強すると、その学習自体もものすごく厳しいと聞いています。
塩田:日本では考えられないと思うのですけど、断食修行がありました。断食自体は���週間くらいですけど、3ヶ月くらい前から断食の準備が始まるんです。授業全体がヨガのコースになり、肉を食べてはいけないなど食事制限もありました。フランスの12月の寒い時期にカルゲナールというお城に行って、15人ぐらいの学生が断食をしながら毎日何をしてるかというと、自分の名前を3時間かけて書いたり、大きな湖をまる一日かけて回る。その次の日に目隠しをして昨日回った湖の周りを一周する。でも、一周できないんですよ。昨日何時間もかけて何十周した湖でも、目が見えない状態だと、すごく難しい。12月の寒い中、方向感覚を失い湖に落ちてしまう学生もいました。毎日の普段の生活とはかけ離れた行為をするすごく貴重な授業でした。ちょうど7日目の朝、真っ暗だったんで何時か解らなかったんですけど明け方に彼女が枕元にやってきて「なんでもいいから一言書きなさい」と鉛筆と紙を渡すのです。私は7日間も食事をしていないうえ、凄く朦朧としていて何も書けなくて、ただ思い浮かんだのが「Japan」だったんです。その後、彼女に「これは、あなたの中から出て来た言葉だからこれが何なのか考えること、そして、これは作品を作る上で重要なテーマになるだろう。」と言われました。
岡部:崖みたいなところに穴を掘ってヌードで横たわって、ゴロゴロッと落ちてまた這い上がってゴロゴロっとまた落ちるパフォーマンスは、その時のワークショップの作品でしたね。
塩田:そうです。今度はその言葉についての作品をつくる課題が出されました。私は「Japan」と書いてしまったので、その時は何故「Japan」という言葉が出て来たのか解らなかったのですが、そのときの日本に対する気持ちを作品にしました。崖に穴を掘って裸で横たわってゴロゴロっと転げ落ちながら、でも転げ落ちるとまた穴が恋しくなってその穴に戻ろうとする。海外に住んでドイツで生活していると日本がすごく恋しくなるときがあるのです。でも恋しいのは日本食であったり、友達だったり、両親だったり、と漠然と形にならないものですが、実際の日本に帰って見るとその恋しかったものが、あれ?こんな感じだったかしらと思うことがあり、それがどこにもないような気持ちにさせられるのです。実家に帰り、昔小学校の時に通っていた道をふたたび通ってもどこか違う。旧友に会っても何かが違う、両親や兄弟までも自分の懐かしさと違うような感じがするのです。そこまで来ると私は一体何が懐かしかったのだろうと、そのギャップに戸惑ってしまうのです。 昔の靴が足のサイズが一緒なのに合わなくなったような感じです。その靴の感覚が、大阪の国立国際での靴の作品に繋がりました。大阪では展示のために一般の人から、要らなくなった靴にメッセージや思い出などを添えて送ってくださいと、広告、ラジオ、インターネットなどで、美術館から募集して2000足の靴を集めた作品です。
『大陸を越えて』 インスタレーション 2008年 国立国際美術館(大阪) photo: Sunhi Mang
岡部:故郷に戻れないという意味で作られたパフォーマンスは、お腹が空いていて絶食している時にヌードになってゴロゴロ転がったわけで、そうとう大変でしたね(笑)。学生みんなにいわば死を覚悟させるというか、限界状況で作品を作らせる、そういうスタンスの先生なのですね。
塩田:毎朝6時に彼女がおたまとお鍋を持ってカンカンカンってやって来るんです。それで「起きなさい!みんな起きなさーい!」と言って、みんな外に出て何をするかと思ったら雪のなか裸になってでジャンプするのです(笑)。しかも叫びながら。そんな授業で、究極のところまで行かせて、その中で自分の中から何が出て来るか、本質的に突き止めるのが、彼女の授業でした。彼女自身の制作の上での問題を学生に直接伝えていたのだと思います。今でも本気でつきあってくれるいい先生です。
岡部:例えばそういう経験は、自分自身の生存のコンディションを知ったり、ギリギリまで追いつめられた身体のすごく微妙なレベルの感覚を把握するきっかけになったかもしれませんね。本当にささやかなことで、日常的に誰しもが感じていること、それをもう一歩深く考えてみるひとつの訓練になったかもしれない。昔の靴がどこか合わないという感覚は誰でももつ可能性があるけれど、べつに拘って考えたりしないわけですが、それを塩田さんは繊細な感覚で作品にする。靴の作品にも、ヴァラエティに富んだインスタレーションがありますが、インスタレーション作品の素材で、一番最初に使い始めたのが、今資生堂の「椿会」展でも使用している毛糸ですね。糸を使い始めてから服が現れ、その後が靴と窓枠が来ますが、どちらが先でしょうか。
塩田:靴ですね。
03 服・毛糸・靴 新たな手法へ
岡部:ではもっとも新しい素材が、今手掛けている窓ですね。実際の作品には日用品や日常の素材を使ったインスタレーションが多いのですが、本当は絵を描くところから出発されているんですよね。でも結局自分自身が絵になる、赤いエナメルを頭から被るパフォーマンスで絵とはいったん決着をつける。この時使ったエナメルって皮膚の穴を埋めてしまう力があるので、すごく美容に悪くて、とても大変だったんですよね(笑)。
塩田:エナメル塗料は毒性をもっていて、皮膚の呼吸を止めてしまう塗料です。このパフォーマンスをした時は交換留学生としてオーストラリアに行っていました。その時は絵画科に入り、他の学生は絵を描いていたわけですが、私は絵をどうしても描けなかったのです。絵の中での色の構成で作品ができていくのではなくて、自分自身にもっと近い素材に触れてみたい、キャンバスから離れたい。でも、どうしていいか解らず悩む日が続きました。その時に、自分が絵になる夢をみました。その絵の中で自分はどう動けばいいんだろう、どうすればこの絵はよくなるのだろうって考えているのです。考えている内に絵の具はボタボタと床に落ちて、また平面の中で息が苦しくなってどうにもならない自分がいました。その夢をそのままパフォーマンスとして打ち明けた作品です。
岡部:塩田さんにとって、重要な4つの素材がありますね。たとえば毛糸、ずっと長い時間手がけている素材で、今やっている「椿会」展でも、空間を編むといったインスタレーションですけど、毛糸を使って空間を表現することを考えた時に、まずどういう方法をとるのかは、マニュアルや既存のよく知られた前例があるわけではないので、一回一回、ご自分の経験の中から編み出して方法論を構築して行ったのだと思うんです。それとは逆に、絵の具を使って絵を描く行為は従来の伝統技法が存在し、手法は油彩からアクリルへと変化する中で、勿論多少は変わるけれども、基本的なところは学習し覚えた上で表現しなくてはいけない部分がかなりあります。塩田さんは絵の具のような伝統的な素材の代わりに別のものを使いますよね。ひとつの新たな素材を選んでも、それを使いこなすのに、あるいは自分自身で納得のいく仕上がりや、完成度までもっていくには、表現と同時にまず技法的な問題があると思うんです。勿論、アトリエで考案し、やり方もじっくり考えられてから実践しても、与えられたある一つの空間の中、あるいは現場の中で、一回一回暗中模索でトライし、実験していきながら、自分自身が経験していく、あるいは体で覚えていくなかで、独自な手法が編み出されていくという時空間にかかわるプロセスがあるのではないかと感じます。そういう意味で最終的な完成までに時間がかかる。もっともひとつの空間インスタレーションにも数週間といった時間がかかることがありますが、同じ素材を使っても一回毎に異なるそうした挑戦を何度も積み重ね展開していって、自分が本当に納得がいく表現を編み出せるまでに、その素材を使いこなせるまでに、何年も掛かるように思います。同じ素材でも何度も展開せずにはいられないのは、まず技法的な問題があるためではないかと思うのですがどうでしょうか、そういう風に考えられた事はないでしょうか。
塩田:そうゆうふうに考えたことはなかったのですが、一番最初にこうした作品を作りたいというのがだいたい頭の中にあっても、私の場合スケッチなどはしません。長い間、心の中に暖めておいて、最初は��慢します。そしていろんな展覧会場をみながら、この展覧会のテーマでは、こういった作品のアイデアが良いと引き出しから出してこれをしたいと、実現させてゆく。大体一番最初のインスタレーションでは失敗することが多くて、失敗した後に反省ばかりしています(笑)。岡部さんが言われたように、新しい素材に触れるとき、それを使いこなせて自分の思い通りに作品ができるまで、最近わかったのですが、5年位かかっています。だから実際の作品の数はすごく少なくて、今、金沢21世紀美術館の窓の作品も一番最初に展示したのは2004年の時で、窓という素材を使いこなすまで、構成を変え、さまざまな展示会場でやはり完成まで時間がかかっていますね。
岡部:私は塩田さんが海外で発表した作品やインスタレーションもかなり観ています。フランスのリールがヨーロッパ都市という催しの中心になった年でしたが、リールに何人かの作家を招待して、現地で展覧会やさまざまなインスタレーションをしてもらった中で、塩田さんはものすごく大きな教会で糸とベッドを使った迫力のあるインスタレーションを実現していました。当時もう使われてなかった教会でしたよね。
塩田:その教会は当時、もう使われていなかったと思います。
岡部:もの凄いスケールでドームの天上の上から床まで、一体どうやって糸を張り巡らせることができたのか、技術的な部分だけでも圧倒されるわけです。すでにあの頃には毛糸に関してはある程度納得出��る作品になって、何処ででも自由に表現可能になったという段階に達していたわけでしょうか。
塩田:試行錯誤しながら作っていって、ある段階からはもうこの作品は出来た、と思う時期があります。糸の作品に関しては何処ででも自由に表現可能という状態でした。どういう規定でこれは完成したと自分で思うのかは解らないのですが、ある時急に、この作品はもう完成したなと思うのです。それからはどんな場所でも、その素材を使うのは怖くありません。あの時は10mの高さからずっと糸を張って紡いで編んでいきました。教会は人の懺悔と祈りが含まれた場所なのでホワイトキューブに比べて、取っ掛かりをつかみやすかったです。そこでは、糸を張り巡らし、ベッドを30台並べて、実際30人の女性がオープニングの時に寝ました。
岡部:その時のベッドは病院のベッド?それとも軍隊用ですか。
塩田:病院のベッドです。だいたい病院のベッドが多いですね。
岡部:その病院のベッドは、いらなくなって病院から放出されるとか、手に入り易いためなのでしょうか。
塩田:いつもだいたい作品を実現する現地でマテリアルは調達するのですが、ベッドは意外と入手し安いです。形が段々変わって行き、モーター付きの新型などが出て、旧型がいらなくなる。私が作品で使うベッドは旧型なので、なんとかいつも集まります。精神病院のベッドや外科のベッドなどが入手でき、展覧会の期間だけ借りるときもあれば、破棄する時もあります。精神病院のベッドを使ったとき、糸を張り巡らしていると、ベッドの後ろに薬が張り付いてるのがあって、患者が飲みたくなくて貼付けたのかと思うと、その生々しい現状に衝撃を受ける事もありました。病院のベッドだと、このベッドで何人かはそこで亡くなったのかもしれないという事を考えながら作るときもありますね。
岡部:テーマのひとつはやはり「不在」ですね。病院のベッドだと、患者さんがそこにいるのが普通なわけですが、塩田さんがインスタレーションで使う時には、パフォーマンスで誰かが寝たりしている時以外は、誰もいず不在で、ただベッドの存在感だけが、かつてそのベッドにいたはずの人や亡くなった方の記憶を喚起するわけで、教会におかれたベッドには、かなり凄みがありました。あの時は毛糸の網目がスパイラルのようになっていて、グルリとベッドの近くまで入れるように設置され、怖い感じでもあったのですが歩いて回りました。教会が持っている象徴性には、訪れる人々が懺悔する、魂が浄化される空間という意味があるのですが、塩田さんの作品にはある種のそれとは違った意味での浄化作用がある気がしました。場所が場所ですから、浄化という意味は、ご自分でも意識されていたんでしょうか。同じ素材のインスタレーションでも、そのつどご自分の込める気持ちは違うんでしょうね。
塩田:違いますね。ベッドに寝るといったパフォーマンスの後では、その時使ったシーツはそのままにしておいてくださいと頼みます。人が使ったシーツは、その人が不在であればあるほど、その跡で人の存在がよく見える。誰もいなくなったベッドの中にある存在は、ある意味、一人の人間以上の存在をあらわしていて、さらに得体が知れない。凄く重くて、大きい、何かの存在、それを表現したくて制作しているような気がします。富山の発電所美術館で2009年夏に発表する予定のインスタレーションは、何台もの泥のついたベッドを天井から吊し、水を流すもので、社会の熱病を醒ますメタファーをもっている作品を今、考えています。
『流れる水』 インスタレーション 2009年 発電所美術館(富山) photo: Sunhi Mang
04 旧東ベルリンの窓枠を探して
岡部:リールの作品と同じ年にセビリアで第一回ビエンナーレがあり、塩田さんから初めて窓枠を使う作品を発表するという話を聞いていたし、ハラルド・ゼーマンという私が注目しているキュレーターのディレクションだったので見に行きました。ベッドから窓枠へと素材が移る最初のトランジションの時に作られた作品だったという気がしました。セビリアは南スペインの都市ですから、真夏でしたし、陽が燦々とふりそそぐ場所です。窓枠が壁のようになっている中にベッドが置かれているのですが、その窓枠の上には樹木や植物が青青と茂っていました。室内のインスタレーションを見慣れていて、自然光とのかかわりも始めてでしたが、今までの塩田さんの作品はどちらかというと内面の闇とか、記憶の闇、歴史の闇といった薄暗さと関係していたので、セビリアに来た途端に急に光り輝くものになってしまって、これはこれで私には意外で面白い作品になったと思ったのですが、後で塩田さんと話しをしたら、あれはまったく自分では失敗だと思ったとおっしゃってましたね。その辺の理由を話して頂きたいです。
塩田:あの時始めて窓を使った作品を発表したのですが、ゼーマンとのやり取りの中でスペース的にも600枚の窓が必要になってきました。でもベルリンの工事現場で集めてもそれほど窓は集まりませんでした。作品を作ることよりも窓集めに必死になりすぎて、作ることに力が入らなくなったのかもしれません。結果的にこのセビリアで展示された窓の作品を見てみると、ベルリンの窓をわざわざ使う必要はなかったと思ったのです。これならセビリアの窓でも良かった。何も歴史のある、人の思いがこもった旧東ベルリンの窓でなくてもいいと思ったのです。このベルリンの窓を使いこなせなかったのがすごく後に残っていて、では、どうやってこの窓を使って、どういう作品を作っていけば自分のイメージに近づくかは、そのあとの課題になりました。
岡部:セビリアでこの作品を観た時、その頃塩田さんには言わなかったのですが、私自身も窓を集めたことがあって、集めたというより若い頃にモロッコを旅行した機会に1個で買っただけですが、私は都会生まれの都会育ちで、砂漠に生きるモロッコの人々の生活を見ていて、悠久の時間の流れや暗い室内で食事を作っている女性たちのこととかが窓に象徴されている気がしたんですね。モロッコの市場の蚤の市みたいなところにお土産を買いに行った時に、なぜか本物の古びた窓が売っていて、実際の家で使っているのと同じ木枠に、モチーフのある錆びた鉄の模様の格子が嵌まっている。だけどすごく重くて、たった1個、パリに買って持って来るだけで苦労しました(笑)。今でももっていますが、そういう思い出をセビリアで陽が燦々と降り注ぐ塩田さんの窓のインスタレーションを見て思い出したんです。窓って1個1個が素材としてすごく重いし、使う時、使いこなすのは非常に難しいのではないかと思いますが。
塩田:窓を集め始めた時、窓自体に思い入れがあったので窓ひとつですでに何もしなくても作品になるかと思いました。それが1枚が100枚になり、300枚になり、300枚集めても形にならない。ゼーマンとのやり取りで600枚の窓が必要になった時は窓に取り付かれた生活が始まりました。やっとの思いで600枚の窓を集めて、セビリアに送って実現しましたが、やはり形にならない。さらにベルリンのこの窓をどう使って作品にしていいかわからないまま、この窓の作品を何とか完成させたいと考え、またベルリンに帰り窓の収集が始まりました。 朝起きて、いつも何処に行けば窓が集まるだろうかと考える毎日が続きます。工事現場を一日20件くらい自��車で回りながら「すみません、窓はありませんか。」と聴いて回り、集まったところで車を手配しては運ぶ。当時は倉庫を持っていませんでしたが、ベルリンのアパートは必ずケラーといわれる地下室があるので、とりあえずそこに入れるだけ入れました。 集めてきた窓を並べながら、内でもない外でもない、狭間をつくるその窓をみて、まるで私の生活を見ているような気がしました。ドイツでもない日本でもない、何処でもないその狭間に自分が立っているような気がして、その窓自体がある皮膚のようにも感じました。正確には1500枚くらい窓を集めて、展覧会ごとに3回に分けて日本に送りました。物量にさすがに嫌がられましたが。(笑)
岡部:物量が凄いですからね(笑)。作品毎に皮膚に対する感覚が研ぎすまされて行くようですね。私も海外生活が長かったので、皮膚の色の違いとか異文化との出会いによる内外からの視線に敏感になった経験があります。ドイツでずっと生活してきた中で、戦争中にナチズムなどの歴史の闇を背負った国ですし、そこでの異邦人の生活という意味での境界線を感じるとか、あるいはドイツと日本は同じ敗戦国なので近い部分があるとか、ドイツで活動していくことで、塩田さんの作品に大きな影響を与えている要素はあるのでしょうか。
塩田:私の場合ドイツで生活したいという欲求が元々あったわけではなく、名前は間違えたけれども、マグダレーナ・アバカノヴィッチに学びたいという理由でポーランドではなく、たまたまドイツでの生活が始まり、その後13年間も異文化で暮らしてきました。ドイツにいると日本では見えなかった自分がもっと見えてくるような気がするのです。たとえば塩水をお皿の上においていると、蒸発して塩だけが残ってくる。塩水では、���えなかったその塩が見え今度は結晶になっていく。日本にいる時は自分は個としては見えてこなかった。水の中で自分がどういう存在なのか、何をやりたいのか、何が必要なのかがわかりにくかったのがドイツに来て個となり結晶となり、初めて見えて来たように思います。そんなことを考えると作家としてドイツで制作することは私にとってはとてもやり易いことでした。
岡部:塩田さんの作品の中にある一種の浄化作用はドイツの人にとっては有り難いというか、日本人とは違って、より直接的に感じる面があるのではないでしょうか。もちろん観客の反応はさまざまだし、なかなか解りにくいものですが。
塩田:ベルリンはアーティストや外国人がたくさん住んでいる街なので観客もドイツ人だけではないという面がありますが、表面的に着飾ることを好まないベルリン人には、私の作品は入りやすいのかもしれませんね。
岡部:窓枠の話に戻りますと、金沢21世紀美術館で開催されている『愛についての100の物語』という展覧会に展示されている1000枚の窓枠を使ったインスタレーション作品を購入し、今も展示しているんですね。それ以外の残りの200個の枠は、現在新国立劇場の小劇場で、今週から岡田利規さんという劇団チェルフィッシュのリーダーの方ですけど、彼の演出で『タトゥー』という演劇が始まり、そこの舞台美術に使用されていると伺いました。その展示がほ��終わったところだそうですが、日本での舞台美術は初めてだと思いますが、いかがでしたか。
『記憶の部屋』インスタレーション 2008-09年 金沢21世紀美術館(金沢)photo: Sunhi Mang
塩田:岡田さんから舞台美術の話がきたのは2007年の12月でした。岡田さんが横浜の県民ホールで私の個展をご覧になり、この新国立劇場での『タトゥー』の仕事が入ってきました。 彼は私と同世代ということもあって共感できる部分も多く、仕事もやりやすく楽しくやらしていただいています。今回の『タトゥー』の脚本の原作者はディア・ローラーというドイツ人で、しかもベルリンに住んでいます。その共通点も面白いですが、内容は重く暗いストリーで近親相姦の話です。家族を守ろうとすればするほど家族が壊れていく話、家族以外のよそ者をいれたくないがために娘と肉体関係を持つ父親。台本にはリズムがあり最後までそのリズムに合わせて読みきってしまうのですが、チェルフィッチュの岡田さんが演出家になるとそうは行かないのです。舞台の台本読みの段階から、参加させていただいたのですが、役者にとにかく「演技するな、言葉にたよるな」、「持っているものがあるから、その言葉の含みを考えてほしい」というようなことを言います。最初は彼の言うことが私もわからなかったのですけど、だんだん舞台が作られていくときに、彼の世界がわかり始め、本当に最低限度のマテリアルで演じようとこの舞台をつくりあげようとしているのだとわかった時には感動しました。演劇は演じれば演じるほど嘘っぽくなり、かえって観客との距離がでてきてしまう。つくりもののお芝居で、できる限り本物に近づくことでリアリティーに迫ろうとする。 今回の舞台で窓枠を家の形に空中につってみました。岡田さんの作品のなかで、よく身体と言葉のズレがテーマに出てくるのですが、それは、たとえば私が今こうして話している言葉と手の動きには全く関係ないことがある。それをあえて舞台の上で動作と言葉を合わせて演じることによって故意に垣間見せてしまう。あえて身体と言葉をずらしたまま自然に演技をする。 私の作品は不在の中の存在感を特にテーマにしているので、役者という存在がいると不在になりえないわけなのです。そこでどのようしてこの舞台美術を完成しようかと悩みました。悩みながら、彼がやっている言葉と演技のズレは、私が作品を作る上でもとても重要な要素なのだと気が付いたのです。今回の「椿会」展の作品で、ミシンを糸で巻いて空間を編んでいく行為もその中心部分をずらしながら線を空気に描く行為そのものなのです。 岡田さんと私の仕事は両極端に見えながらも、求めていることは、実は同じなのではないかと思えてきました。
05 岡田利規の演出による『タトゥー』の舞台美術
『Tattoo』の為の舞台美術 2009年 新国立劇場(東京) photo: Sunhi Mang
岡部:岡田さんのチェルフィッシュの劇団の『フリータイム』という作品を六本木で一度観た事があり、そのあと彼の小説なども読ませて頂いていて非常に才能豊かな面白い人だなと思っています。実際に彼らのパフォーマンスを観ていると、ごく普通に出来てしまった、という感じに見えるんですね。現代人が抱えている不条理感が自然に出ている気がする。でもきっとあそこまで出来るには彼の中に何かとてもストイックなルールがあるのではないかとも思っていました。実際に一緒に仕事をされた塩田さんにお聞きしたら、やはりそういった面があるようですね。塩田さんが話されたズレの間には不在感がありますし。彼を面白いと思える要素には空間や時間の不在感があり、そこに疎外感も感じられて、それは塩田さんにも通じるなと私は思っていました。
塩田:仕事をしていて思ったんですけど、彼の作品は螺旋階段の周りを登ったり降りたりしている作品だと思いました。真ん中に自分が表現したい真実という中心があり、その周りを行ったり来たりしているのです。登ったり降りたり何度も繰り返しながら確実に真実に近づいていく。しかもズレながら。私は美術でそれを表現しようとしていますが、結局のところ、美術も演劇も音楽も文学も、表現方法は違っても求める世界は一緒なのですね。
岡部:彼も現在、既存の舞台言語を0にするところから出発している感じがします。今まで学んで来たことを一度はまず捨てて表現しなさいと言うんだけど、これはなかなか難しい。みんな普通は一度構築したものにまたさらに新しいものを重ねようとやっていきますから、いきなりそれを全部壊すのは怖いしできない。塩田さんの作品を見ていて、素材に対して一つひとつ丁寧に新たな造形言語を作っていく手法が彼とは逆でもかなり近いと感じますね。
塩田:マテリアルについては、できるだけ作ったり虚飾したくないですね。窓も本物でなければいけない。30年間も分断されていた東西のベルリンを眺めて来た窓枠じゃなければ意味が無い。たんなる新しい窓枠ならいくらでも作れるし、それならわざわざ工事現場を一日20件も回らずに済む。靴に関しても同じ事が言えます。新しく大量に靴を買って展示するのでは意味がないのです。その人が使っていたもので、その人の存在が見えないのだけれど、見えてくる素材に惹かれるのです。何かを作ること、表現することを職業としている中で、一番できないのがわざと作ったり着飾ったり、そういう仕事をしていると嘘を付いているような気がして、またそういう作品を見ると嘘をつかれたような気がして面白くない。そこもまた岡田さんと共通する部分だと思います。また今回の『タトゥー』の原作者、ディア・ローラーさんも言語にはとても厳しく表現を最小限に託して戯曲を書く人で、戯曲家という全く違う分野で活動する方なのに、どうしてみんな、作品の作り方がこんなに似ているんだろうと思いました。
岡部:塩田さんの作品にも、根源的なものを突き止める姿勢を感じるのですが、焼いたピアノを使う作品もあり、自然の中の四大元素、つまり火・水・土、そして空気、この4つの元素がご自分の作品では、ある種の根源となっている気がしているんですけど、どうでしょうか。
塩田:自分自身ではあまり思ったことはないんですが、芸術の核になるものと宇宙のからくりは似ているかも知れません。突き詰めていくと、その4つの元素が残るのかも知れないですね。
岡部:それと私が感じることは、人が使った物でなければ作品の素材にならないのは、人と人とのコミュニケーションではないでしょうか。靴もベッドも人が生きてきた跡があり、それがご自分の記憶と造形世界とコミュニケーションをもちつつフォルムを形づける。制作する場所との対話がフォルムを生みだすケースが多いとは思うんですが、そういった世界が観る者にも根源的な問題を喚起させるのだと思います。いわゆる現代アートには既存の文脈を脱構築することで進展して来たものが多いのですが、塩田さんの作品はそうした文脈などを全然知らなくても、何か響くものを感じることが出来る。そうした意味では、アートの文脈や流行や傾向などを、塩田さんはあまり気にされていないように感じるのですが、そのへんはどうでしょうか。
塩田:その時のブームを取り扱った展覧会に招待されることはよくありますが、そのときのブームに合わせて作品を作ろうと思ったことはありませんね。ドイツに住んでいる日本人は珍しいのでその背景からグローバリズムの展覧会に誘われることが時々あります。 招待されるとどうしても日本人ということが背景にある時は、作品が作りにくい。結局、グローバリズムを意図した展覧会のほとんどはナショナリズム的なことを求めてくる展覧会が多いような気がします。私であるから招待されたのか、ベルリンに住む日本人だから招待されたのかは、作品を作るものにとっては大きな疑問です。でもそれも海外に住んで初めてわかったことですが。
岡部:私の方からの質問は以上です。ありがとうございました。
(文字起こしと編集:青田真由子)
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リクシルから「布のバスタブ」登場。使わない時は畳んじゃおう | ギズモード・ジャパン
以下引用
バスタブを使わない時は畳んでしまえばいい。 LIXILが11月26日(いい風呂の日)に発売するのは、新コンセプトの浴室空間「bathtope(バストープ)」。発売に先駆けたお披露目会に実物を見にいってきました。
「お風呂」の概念を超越したbathtope
このbathtopeは布の浴槽(fabric bath)を備えた浴室空間。浴槽は畳んでコンパクトにしておけます。ある時はシャワールームとして、ある時はバスルームとして、浴室を可変性のある空間として活用できるのです。 「布の浴槽」と聞くだけだけでもあれこれ疑問が浮かびますが、一つずつ紹介していきます。
まずは素材から。このfabric bathは主にPET・ポリウレタンの柔らかくて身体にフィットする素材でできています。背中を預けると背中から首までバスタブにフィットして包まれる感覚が得られるのだとか。 浴槽に浸かっている際は、底面はお風呂の床につく仕様。ハンモックのような形状ですが、しっかり安定しています。
触れてみると、とにかくしなやか。水のしみない防水素材のためサラッとしています。予想していたよりも薄く、水の入っていない状態のfabric bathは風呂敷のよう。手入れの際は中性洗剤をつけたスポンジで擦るそうです。
そして、fabric bathのサイズはマンション向けとして一般的な1216(0.75坪)のワンサイズのみ。使用湯量は140Lです。リクシルによると、140Lのお湯に加えて約100kgまでの人の重みに耐えられるのだとか。
fabric bath自体は給湯設備に繋がらず、浴槽の機能のみ。お湯を溜める時はシャワーからで、自動給湯や追い焚きはできません。 と仕様を見てわかるとおり、ファミリー向けではなくシングルもしくは二人世帯向け。忙しい平日はシャワールームとしてチャチャっと、疲れた週末はfabric bathを広げてゆっくり、なんて使い分けができます。ハンモックのような形状から、同サイズの浴槽に比べて26%(50L)もの節水になるのも布製ならではのポイントです。
「浴室空間」として販売
コンパクトに畳めて動かせる浴槽、というとアウトドアや防災グッズ、シャワールームしかない海外赴任の浴槽…とさまざまに活用できそうですが、今のところ水栓や扉を携えた浴室空間としての販売。 値段は55万円~200万円。水栓や引き戸の仕様、fabric bathの付属枚数によって異なります。
このbathtope、10月18日〜27日まで北青山の『DESIGNART TOKYO 2024』というイベントで展示中です。bathtopeの導入には越えるべきハードルがいくつかありそうですが、実物を見てみると入浴という習慣そのものの可能性の広さを感じました。
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\お肌の悩みシャワーで解決/
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【サイエンス】
ミラブル艶(つや)
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𝗣𝗼𝗶𝗻𝘁
肌のエイジングが気になる世代へ向けたシャワーヘッド
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ついにシャワーを浴びるだけでスキンケアできる時代が到来!?
年齢肌のためのシャワーヘッドってどういうことかね?
☑︎年齢肌が気になる
☑︎保湿したい
☑︎ハリがほしい
☑︎手足先の冷えが気になる
方におすすめのスーパーなシャワーヘッドです🚿✨
感想としては、ギリ30代の私が使ってもとてもよかった!!
角ばった形状も、ヘッドを回してモードを切り替える仕様も初めてのタイプでしたが、軽くて使いやすいです。
完全ではありませんが、水を止められるのもうれしい仕様。
各メーカーのアタッチメントが付属しており、我が家はKVKのアタッチメントを使用しましたが、パッキンなしで水漏れしませんでした。(←水漏れするやつあんのよー!)
おすすめする年齢層は45歳オーバーだそうですが、30代にも十分おすすめできる使用感です。
中でも特に自分が感じたのは、顔面のいらないもの(角栓など)にアプローチしてくれている感がすごい。
わたくし乾燥肌だからでしょうか?保湿されてマシになったのか?
謳ってない内容やけども、角栓気になる方は是非ミストモードで顔面洗ってみてください。
うれしい変化があるかもしれない。
外箱は普通やけど、一皮剥いたオレンジのパッケージがとてもかわいいので、プレ��ントにもよきです。
(これもろたら喜ぶやろなぁ)
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2024年6月25日
「水を止めればすぐ払ってくれる」 水道料金の滞納対策、東京都の「効率化」が情け容赦なさすぎないか(東京新聞)2024年6月25日
<7.7東京都知事選・現場から>
水が出ない―。水道料金の催促状は来ていたが、都の職員らからじかに「止めますよ」と言われたことはなかった。「生命に関わるのに。本当に止めるのか、とショックだった」。東京都板橋区の男性(64)は振り返る。
◆コスト削減のため対面での督促を郵送に変更
都水道局が、料金滞納者への催告の仕方を変えたのは2022年度。それまで東京23区では、訪問による催告と徴収を民間に委託していたが、多摩地域と同様に郵送での催告に変更した。
担当者によると、これにより年間の委託費7億円が削減できたという。その一方で、水道の停止件数は21年度の10万5000件から、22年度は18万件に増加。23年度は24年1月までで14万件となった。担当者は「大半の方は停止するとすぐに支払ってくれる。費用対効果は大きい」と強調する。
◆いきなりストップ…払うお金がない
板橋区の男性は22年春から1年ほど、水道を止められたままの生活を余儀なくされた。20年1月に始まった新型コロナウイルス禍を機に、経済状態が悪化していったことが背景にある。
当時、デイサービス施設で運転手をしていたが、利用が減るなどして勤務が半減。18万円あった月給は10万円になり、そこから家賃6万円を支払う苦しい生活になった。その後も収入が減��、21年末にガスが止まった。翌年春、誰も催告に来ないまま水道が止められ、それから半年ほどで電気も利用できなくなった。
夜は勤務先で充電したスマートフォンの光を頼り、ネットカフェのシャワーや公衆トイレを使った。職場の水道水を持ち帰ったことも。「生きるためにしょうがなかった」
◆命に関わりかねない対応「都の職員にも葛藤」
こんな現実があるのに、都水道局は「困窮者を救うチャンスはなくなっていない」と強調する。検針や漏水検査の担当者が異変を感じたら、区市町の福祉部署に年10~20件ほど情報提供しているが、催告方法の変更前後で件数に変化がないことが根拠の一つだ。
もっとも、水道業務の現場には違う見方がある。全水道東京水道労働組合の諸隈信行書記長は「都職員からは、生活と直結する水を止めることへの葛藤も聞かれる。対応を見直すべきだ」と訴える。催告方法の変更により、給水停止や、再開のための開栓作業などで忙しくなったという声も寄せられているという。
◆困窮者への支援策、都知事選で主張目立たず
水道が止められたまま生活を続けていた男性は昨年4月、ネットカフェや路上での生活に移った。しばらくして支援団体に相談し、生活保護を受けられるようになったという。「水道が止まる前に福祉制度を勧められていたら、つらい思いをせずに済んだのかも」と振り返り、次の4年を担う知事に「困っている人のことも考えて」と求める。
今回の都知事選では、子育て支援や物価高対策など暮らしを支える施策も議論されている。ただ水道光熱費に困るほどの困窮世帯への支援を訴える候補は、あまり見られない。
水道の事情に詳しい、水ジャーナリストの橋本淳司さんは、「水道料金を抑えるにも効率化が求められるが、命を支える水を簡単に止めるのは乱暴でもある。効率化か否かの二者択一ではなく、議論を深める必要がある」と話した。(中村真暁)
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WWⅡの不発弾処理と避難
とうとう我が家にも避難勧告が来ました… 第二次世界大戦の不発弾。イギリス製、重量250kg。ここドルトムントには、いまだごろごろ埋まっているやつです。
思うに戦後、復興が急がれた、あるいは技術・人手不足がために多くの不発弾が地中にあるまま街がそびえたの��しょう。担当部署は、絶えず地中を探査し続けているのものの、水道管や電気(地中)工事中に見つかることもあれば、今回のように建設作業中に見つかることもあるのです。見つかるたびに、市が公式情報出すのですが、今回は処理現場の経に見事に我が家が入っていました。自分たちが避難するのは、初めてのことです。
時は、23:00。TVでは、賃貸物件で立ち退きを迫られるケースが増加している、という問題提起のドキュメンタリーが流れていて、夫・クリスティアンと見入っていました。すると夫が突如、「え、ここ出なきゃ」。我が家は賃貸でなく持ち家ですが… 何言ってんのさ、と言う間もなく、「避難しなきゃだめっぽい」。
Facebookのフィードに、広告として表示された不発弾処理&避難勧告エリアの情報。その時はまだ、門戸を叩く消防・警察はおらず、どうすんのかね〜、避難かね〜とふたりで話しつつそわそわしていました。夫はとりあえず現場を伺いに外出。わたしはといえば、今夜は髪を洗いたいなと思っていたので、そそくさとシャワーへ… で、コンディショナー中にスマホの緊急警報が鳴り響きました。やっぱり今やることじゃなかったかしらと焦りつつ、今回の砲弾はめちゃくちゃ建物の近く(むしろ横)なので、解除に時間がかかるかも=避難が長引くかも、とも考えてヨシとしました。
緊急避難バッグは、日本を出てから用意したことがなく、「こんなことなら」と思えど後の祭り。わたし、旅行準備のパッキングに信じられないくらい時間がかかります。さて、短時間で冷静に、必要なものを持ち出せるかな… 最初に掴んだのは、歯磨きセット。それから化粧水とコットン、化粧オイル、保湿クリーム、香水、スマホ充電ケーブル、パジャマ、パーカー、必須薬、耳栓、エナジーバー×3、リンゴ×2、息子の水、息子とわたしの本、息子のDVDプレーヤー。我ながら、良くできま… ん? 大事なものを忘れていますね。パスポートやID、免許証、銀行カードなどが入った財布。
避難先はどこぞの体育館なので、近場のホテルを調べるも、どさくさ値上げで断念(通常価格の4〜5倍!)。とうの昔にワインを飲み終わっていたわたしが、直前までビールのボトルを握っていた夫よりマシだからと、暗闇での運転を任されつつ、アラートから1時間後、夫の友人宅にて無事寝床にありつけました。ありがたや。本もDVDも必要なく、家族みんなぐっすり眠ることができたのでした。
早朝には、不発弾の無効化と共に避難勧告も解除。息子を幼稚園へ送りがてら、帰宅できました。すごく疲れたのだけど、休める場所があったことは本当に助かりました。市の報告によれば、体育館へ避難した住民は300人強。避難対象となる住民がおよそ2,000人だったことを考えると、友人や家族などの自主避難先へ向かった人がいかに多いかがわかります。実際、同じ建物内の赤ちゃんを抱える家族は、詳報を待たず終電に飛び乗り友人宅へ向かいましたし、今回対象にならなかったものの市内に住む友人は、何度か経験した不発弾避難にて、彼らの友人宅でお世話になったと話しています。
わたしたちの住まいは、知る限り自然災害による危機は無く、日常で緊急避難バッグといった備えの必要性を感じることはありません。ですが、例えば今回持ち出したものは、全て簡単に取り出せるものばかりでした。エナジーバー(補給・補助食)は常備しておき、持ち出しに適したスナック類は収納場所内で更にまとめておく。寝具なども詰め込める大きな袋・バッグを手近に用意しておく(特大ブランケットをふろしきにする、も◎)――このくらいはやっておいて損はないかな、と思いました。
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こだわりのガーデニング用品を。
毎日の暮らしを、もっと素敵に。もっと自分らしく。
上記コンセプトはライフスタイルストアEnがOPENした当初からの願いと想い。
そんなコンセプトにピッタリの商品【Royal Gardener's Club】に出会ったのはコロナが流行する前に行われた展示会でした。
一目で恋に落ちた私は�� 《毎日の暮らしを、もっと素敵に。もっと自分らしく。》 暮らしたい方々にいつかこの商品を鹿屋で手に取ってみてもらいたい! そう強く思ったのを思い出します。
この商品を忘れることが出来ず、2022年に【灯りと暮らしの専門店】としてリスタート。
リニューアル前より、断然、新築住宅建築中の方にご来店いただく機会が多くなるのと同時に、規格型住宅や賃貸マンションなどでもレイズベッドを取入れ、ベランダガーデニングや家庭菜園を楽しめる生活をご提案する【EN HOUSE】を立ち上げました。
全てが繋がり、『やっぱり私がご紹介したい商品はこれだった!!』と思うと同時に、兼任している不動産のビジネスビジョンの色んな想像や発想もこの商品なしではあり得なかった。と展示会で出会ったこの商品との運命を再確認させられたような気持でおります。
ということで、熱が入りすぎて前置きが長くなりすぎてしまいましたが、ご紹介させて頂きます。
Royal Gardener’s Club
水周りの製品の製造は市場において国内トップクラスのシェアを誇るタカギの工場で制作。
少量生産で丁寧につくられている製品です。
<Garden Reel Ⅱ> ・インディゴ ・グリーン ・ブラウン の3つの本体カラー ホースカラーは(ブラウン・ダークグレー・ゴールド)よりセレクト可。
また本体は自動車塗料に使用されている高級塗料を採用。 本体正面にはシリアルナンバー入りの金属プレート付きです。
カバーの着脱可能。カバーの向きを変えれば ハンドルの位置と巻き取り方向を変えることができます。
ホースの長さは30m。 広いお庭の朝夕のガーデニングの水やりはもちろん、 洗車や掃除などに最適です。 本体が重くしっかりしているので、 長くホースを引っ張っても本体が倒れる煩わしさもありません。
PRICE:¥24,200(Taxin)
<Compact Garden Reel 20m> 使い勝手がいいサイズ感、1番人気ののタイプです。 軽量(3.4kg)タイプなので片手で持ちながら水やりをすることも可能。 一般的なホースより少しスリムなタイプのものを採用してます。 バルコニーなど限られたスペースでの使用でも嬉しいサイズ感。 もちろん、20mもあるので広いお庭にも対応するかと思います。
カラーバリエーションは豊富な5color。
PRICE:¥15,400(Taxin)
────ノズルについて────
ノズルは全ての製品で共通の丈夫な金属タイプ。 手元で水量調整ができるダイヤルがついています。 ノズルの先���を回しシャワー→ジョロ→ストレート→拡散となります。 シャワー・・・細く柔らかな水流。掃除や植物の水やりなど
ジョロ・・・優しい水流。繊細な植物やペットの足洗いなど
ストレート・・・勢いのある水流。床や壁の汚れなど
拡散水栓・・・ストレートから徐々に広がりの幅を広くしていきます。
──────────────
既に3名の方から購入依頼がありました。本当にありがとうございます。
全てのサイズ、カラーご用意してあります。 店頭で実物を見れますのでお気軽にご来店ください♪
╌ 灯りと暮らしをご提案╌ ライフスタイル提案型の雑貨店Enでは、 日々の暮らしが少しでも楽しくなるような 家具や照明のご提案もさせていただきます。
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謎の国アメリカ ・国一つ消せる軍事力を持ちながら満足に消える消しゴムを作れない ・電話やインターネットを発明したのに携帯のカバーエリアが狭い ・シャワーの混合水栓すらまともに作れない技術水準なのに月面へ人間を送り生還させた
Xユーザーのarkwさん
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0407仙台 ケプラ×ねぐせ。 1人旅メモ
新幹線 はやぶさ
全席指定席。電光掲示板に「こだま・はやぶさ」って書いてあって何でや?って思ったら仙台までは連結して行って、そこから二手に分かれて別々のところまで行くみたい。おもしろい。新幹線の色がいつもと違ってテンション上がる私。新幹線内はちょっと空気が籠もって充満してる感じ。よく新幹線乗るのになんでだろう?東京からじゃなくて大宮から乗ったから?だんだん慣れたけど。
遠出すると「やって来ましたー!仙台ー!」ってイッテQしたくなるの私だけ…?(笑)
伊達の牛たん本舗
前回ドラマストアの時に来て激混みしてた牛タン屋さん。覚悟して行ったら誰も並んでなくて拍子抜け。金曜日だから…??牛タンは以前食べた時に味噌と塩半分ずつにしたけど塩の方が好きだったから今回は塩だけ!横に添えてある漬物がめちゃめちゃ癖が強い(笑)これ何なんだろう?牛タンは噛み切れが良くてプリプリしてて美味しくて好き。東京にも店舗があるって分かってるけど、東京だと食べる気にならないんよね。東京駅でぶらぶらすることがあんまりないのもあるけど、やっぱりその土地でその土地のものを食べたいんだろうなあ。
ずんだシェイク
この後何しようか考えながらずんだ茶寮のずんだシェイク。素材の味であそこまで甘くなるの凄い。立ち飲みだったけどレギュラーサイズでも充分満足できる甘さだった。
飯沼貞吉終焉之地
仙台といえば伊達政宗だから、伊達政宗の像の前とか縁のある神社とかに行くべきなんだろうけど、私の中で伊達政宗ってそこまで思い入れなくて。仙台市天文台に行くことも考えたんだけど、遠いし着いたら1時間で閉まるし東京で出来そうだし。なんかな��っけ、東北…って脳内検索した結果出てきました、白虎隊。小さい���に山下くんや藤ヶ谷くんがスペシャルドラマで演じてて衝撃を受けた白虎隊。新選組もそうだけど、私は旧幕府軍側の方が好きなんだよなあ。今までの積み重ねてきた幕府への忠義や信念を大切にする心。私も新しいことをどんどん取り入れるというより、古きや経験を重んじるタイプなんだろうなあ。結末は覚えてるもののどういう流れだったか忘れてしまっていたからYouTubeの解説動画を見ながら行ったんだけど、「城が燃えていると思って諦めの境地で自刃」したと記憶していたけど、「城下町だけが燃えていると分かっていて、今後を考えた時に捕虜になって足手まといになるくらいならいっそ自刃した方が武士として良いのでは。」と判断したっていうのが正しいらしい。どちらにしても悲しい結末だけれど、本当冷静な指示が出来る大人が傍にいればなあと思わずにいられない。(途中で隊長が他の班と連絡を取るだかで隊から離れてしまう。)若者の未熟さ無鉄砲さと思っていたけれど、昔特有のお国のためお上のためっていう教育や思想の影響力も大きいよなあ。それってリアルタイムに生きてる人たちにとっては価値観であり概念だから正義になってしまうんだよなあ。終焉之地石碑は住宅街の中にポツンとあってすぐに見つかるか不安だったんだけど、ネットで調べた通り、「仙台市青葉区錦町1丁目 光禅寺通りビル」で調べたら真っ直ぐたどり着いた。なかなかコアな場所だし、立ち止まってる人も誰もいなかったけれど、石碑と向き合うと不思議と身体が熱くなる感覚があった。戦火の熱さなのか、戦いへの闘志の熱さか分からなかったけれど、考えさせられる時間だった。
ガチャガチャ
仙台駅周辺に戻ってきてブラブラ。カラオケに入ることも考えたけど待ち時間が発生していたので断念。ガチャガチャとUFOキャッチャーのお店を発見。仙台ってやっぱり雪国だからか屋根付きの商店街と地下通路が多いんよね。ガチャガチャは刺さるのがあんまりなかったけど、UFOキャッチャーに最近ハマっているつぶらな瞳シリーズのキーホルダーやトランプがあって…!キーホルダーは今おばけを持ってるけど取り始めたら集めてしまうに決まってたから我慢して。トランプだけ欲しいと思って挑戦することに!カードオタク(笑)「ガチャガチャは1回で取るものじゃない。」と最近学んだので、ガチャガチャでありそうな「500円以内までなら許す」って自分に誓約を立てて挑戦したところ、400円でゲット!今まで人生でUFOキャッチャーなんて成功したことなかったから本当に嬉しくてしばらく感動してた(笑)よく見たらつぶらな瞳の水族館とつぶらな瞳のお弁当があって。最初は水族館だけでいいと思っていたのに、だんだん弁当の方も欲しいと欲がむくむく。でも取りやすいところに弁当の方がなくて。悩むこと30分…。初めて店員さんに「UFOキャッチャーの位置変えてもらえませんか?」チャレンジしたわ(笑)快く受けてくれた店員さんありがとう、爽やかイケメンでした(笑)しかも置き方も甘めにしてくれてお弁当の方は200円で取れたー!大切にしようっと。
仙台MACANA ケプラ×ねぐせ。
荷物をロッカーに入れてライブ会場に到着!通路に整番ごとに並んでたんだけど、ケプラとねぐせ。が似たような青色のタオルをグッズにしてて、皆が皆青色のタオルを肩に引っ掛けてるの、流石に怖い…ってなったわ(笑)にわか過ぎてあの中に入っていけないかと思った(笑)ケプラもねぐせ。も知ってる曲数がまだまだ少ないけど楽しかったあ。今年に入ってから声出し解禁になって、「春が過ぎたら」のC&RをステージVSフロアでやったのおもろかったな。ケプラの皆を巻き込んで1つのステージにしていく感じというか、観客としてじゃなくてちゃんとライブに参加しているんだなって思わせてくれる感じというか、そういうところ初見から好き。グッズは結局気になったキャンディーマンキーホルダーだけ購入。いきものかもしれないのおばけだの、ケプラの宇宙人だの最近謎めいたキーホルダーを集めがち(笑)ちなみにケプラはギター1推し、ドラム2推しなんだけど、ギターの子が小さくてめちゃかわなの。やっぱり小さくて可愛くて甘やかされてる子が好きなんだな私。途中でギターの子が「飲み物取りに行きたい…。」言い出して、観客「可愛い…。」みたいになってたんだけど、ドラムの子が「可愛くないよ!」って一蹴りしてて、ボーカルの子が「あざといってやつだよね。」って話してて。ドラムの子が「でもアイツ(ギターの子)さ、何年か前のエープリルフールの日にライブの動画載せて、“ここでボーカルの子と向かい合って弾くの別に好きじゃないもん。”みたいなツイートしてたんだよね。」って誰よりもあざといエピ披露してくるの頭抱えた…。誰よりもあざといところ知ってるよってこと…?って食らってる。あざとくて何が悪いの…。ねぐせ。はドラム推し。ライブ初見の時にスティック投げてキャッチ出来なくて頭からひっくり返ってるの見てから好きなんだけど、今回もしっとりいい感じの曲の時にスティック投げてキャッチ出来なくて観客から笑いが起きちゃって、公開反省会開いてた好き(笑)
仙台キッチン
ライブも終わって電車で1駅仙台駅に到着。終わる時間が読めなくて夜行バスにしたけど、終電もギリギリ間に合う時間だった。荷物を回収して、お土産には牛タンポテチと喜久福セットを買って夜行前の腹ごしらえ!仙台キッチンへ!海老と大葉のジェノベーゼと姫はまぐりのバター蒸しとカシオレを注文。最近旅行先でお酒飲むのが開放感に満ち溢れて好きすぎる。営業時間23時までで出たら夜行の丁度いい時間。ここの店員のおじさん、明るくて良かったなあ。
夜行バス
夜行バスは空いていそうな便を選んだら隣に誰も来なくて勝ち組だった。のびのび。耳栓代わりにイヤホンと蒸気でホッとアイマスク着用。23時20分に乗って24時30頃の休憩から5時15分の到着まで意識はなかったからよく眠れたと思ったけど、やっぱり睡眠の質は良くなかったみたい。足は疲れが取れないし、首や肩は痛いし、めちゃめちゃ眠いし、夜行の翌日は休みじゃないと私は生きていけないようです。
ネカフェ
人生で数えるほどしか使ったことないネカフェ。完全個室のところがあったから利用することに。ただし使う日が土曜の早朝だったからか華金を楽しんだ人で部屋は埋まってて1時間近く部屋が空くのを待った(他も満室だった。)(笑)予約制のネカフェがあるなら予約しとくべきだなあと痛感。ただネカフェを利用しなくて済むならそうしたいとももっと痛感(笑)たまたま通してもらえたのが2名部屋で2名分の料金を払ったけど広かったし、女性用シャワーもあって利便性は良かったけど、土地柄的に客層がよろしくない(笑)今後の自分のために記録。弾丸で行った割には充実した旅だったと思う!
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水のトラブル
今日も諦めないで チャレンジを続けてくださいね! 昨日は暖かかったですね! おかげで花粉が凄いことになっていました 私の白い車は黄色に染まっていました あまりの汚なさに 社長から水をかけて洗いなさいと言われて 花粉が飛ぶ屋外を極力避けているのですが 仕方なく車を洗いました しばらくしたら雨がポツポツ… 花粉が流れ落ちるほどの雨ではなかったので 洗っておいて正解でした 今朝はどうなってるかな? そして昨日は 自宅の水道が壊れたのか 水圧がものすごくて 凄い勢いでお水が出てきます 最初に変だなと思ったのはトイレです 流すと勢いが強くて「あれ?」と思いました その後夫がお風呂に入ると シャワーを使うたびに大きな音が響きます 出てきたら 「水の勢いが強すぎてシャワーがお湯にならない」 とのこと そのあと私がお風呂に入るので 元栓を少し締めてくれましたが シャワーから出るお湯はぬるく…
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朝は日本の会議に出て、午後はシラバスを仕上げつ���、溜まりに溜まったメールに少しずつ対応。夕方になると、兎に角、眠い。8時間時差は、私はアメリカの方がadjustしやすいみたい。夕方5時頃には切り上げて、Madhulika伯母さんの子供たち、SufiとPelleのために御飯を作る。炊飯器が無いので、兎に角、おかずを沢山作るのが私流。
人参と大根を千切りにし、塩揉みして少ししならせてから、酢と塩昆布、醤油、オリーブオイルで和えて西洋風酢の物サラダ。器が無いので年末に奮発して買ったガラスタッパーを器代わりにする。次に、茶碗蒸しの用意。卵を2つ割って、卵の量の三杯の出汁を作る。卵L2つが100mlだった。出汁は卵に対して一対三なので、300ml。出汁を冷ます間にエビを小さく切って、マッシュルームをスライスし、ベビーほうれん草を散らして平器入れる。出汁が冷めたら静かに卵液と混ぜ、塩と薄口醤油で味付け。泡を立てないようするのがコツ。
昨晩から漬け込んだ鶏胸肉に片栗粉と小麦粉を混ぜて唐揚げ。長芋を適当に輪切りに切って、唐揚げの後にこんがり焼き目がつくように焼き、バター醤油を絡め焼きし、仕上げに黒胡椒する。これらは同じ器に入れて、オーブンに入れて冷めないようしておく。
唐揚げをしたフライパンを洗って、熱湯を注ぎ、茶碗蒸しをそーっと入れて、アルミホイルフタをしておく。3分ほど強火で火を入れて、グラグラしてきたら中火にしてゆっくり火を入れて行く。蒸していないで間接的に茹でてる感じ。母が昔作ってくれていた、蒸し器を使わない茶碗蒸しの応用編。15分ほど中火で火を入れて、表面が固まってきて透明のおつゆが少し出てきたら完成。スが入っていない、素敵な器蒸しができた。年末に、銀縁のついた器を買って良かった。
本当はアボカドでもう一品とも思ったが、ニラとシンガポール製の餃子の皮をゲットできたので、餃子のタネを作ったところでタイムオーバー。親子はインド人らしく良くおしゃべり。二人ともMadhuの自慢の子供たちであることを実感。良く躾られた北海道に行ったことのある長女と、哲学文学に関心のある19歳長男。若いとは可能性であることを再認識。私には、まだどれだけの可能性があるのだろうか。やっぱ、いくつになっても可能性は無限大でいたい。
彼らが帰った後に餃子を包む。3個だけ、水餃子にしてお試し試食。おいしい。わいは料理の天才や。と確認。後は冷凍保存へ。
年始に母と100円ショップに行って、中国人に負けない勢いで爆買いしたものの内の一つが、水栓に直接つけるシャワー。私のキッチンは、今どきにしては不便な、温水と冷水が異なる蛇口。おまけに皿洗いする時に、ジャージャー水が出てくるだけだと洗いにくい。そこで普通の水栓をシャワー水栓に変えてくれるクマちゃんゲット。レバーがついて、普通水栓とシャワー水栓に切り替えられる。日本の水栓とはサイズが違うのだが、シリコン製なのでハサミで切り込みを三方に入れて、三って素数だし、安定した数だわーと感激しつつ、水栓口に装着。クマちゃんは、ごっきげんで毎日大活躍。シャワーにすると、兎に角、皿洗いや野菜洗いがラクです。日本最高。
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10月22日(土)|飲酒明け
今朝更新した日記は、8月11日、『ゆめパのじかん』について書かれた文章で、読み返すとしみじみと映画の良さが押し寄せてくる。思わず予告編を添付して公開。
昨日、仕事終わりに久しぶりにたくさんアルコールを摂取し、帰って思考があやふやなままでシャワーを浴びて風呂に浸かりながらちょっとだけ寝ていた。溺れる前にと浸かりながら途中で栓を抜いて、完全に浴槽からお湯が消え去ってもなお壁に身体を預けて瞼を閉じていた。さすがに寒くなって乱雑に水を拭き取って歯磨きをしてそのまま布団に倒れた。五時半あたりの朝日がもうじき昇ろうとする頃に目が覚めて、頭が痛く、まだアルコールのにおいが口の中で溢れかえっている気がした。鎮痛剤を二錠飲み、徐々に明るくなってきた光から逃げるように布団を頭から被って二度寝した。七時あたりにまた目覚める。痛みはなくなっていたが、まだふわふわと身体が気怠く、ああお酒をよく呑んだ朝だ、とすこぶる実感する。いつもよりずっとのんびりとした速度で、覚醒していく。上半身だけ起こしてぼんやりとしながら、お酒を呑みながらしていた会話について、霧を払うように思い出していく。酒の席でなされる話とはいえ、大事そうな断片がたくさんある。記憶をつまみあげていくと、ふと、文フリに向けて書きたい内容が浮かんできた。
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シンクのシャワー水栓を『服部栄養専門学校』でみたモノと同じにしてみました。ちょっとしたお皿の汚れを水の勢いですっ飛ばします。。 上から釣られてるので使い勝手が良いです😊 #シャワー水栓 #DIY #フレキ管 #16mm #設備屋 #何でも自分で #輸入 #四万温泉 (四万温泉 地酒の宿 中村屋) https://www.instagram.com/p/CmOb7DnPEYU/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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出産
7/20
まずは誘発分娩を試みるため子宮口を拡げる処置をした。お風呂に入れなくなるのでこの日は10時頃にシャワーを浴びた。
11時過ぎ、内診で指を奥まで入れられる。せいぜい1cmくらいしか開いていない。この段階でもう泣き叫ぶほど痛い。ラミナリアという棒を3本入れられる。絶叫して泣く。
医師は「夜にバルーンを入れるけどこれよりは痛くないからね」と言った。マジか。それからいつも通り時間に追われる生活をし、ラミナリアを抜いてバルーンを入れた。お腹の中が痛い。腰も痛い。下半身すべてが痛い。自分の声も汚い。夫と通話しながら痛い痛いと泣く。夫の電話先では義実家の声が聞こえてきた。頑張れという声が聞こえたような気がするが、全く嬉しいと思えない。むしろ腹が立つくらい。誘発分娩舐めてた。もうこの時点で心が折れかける。
7/21
7時前後、助産師が入室し着替えるように指示される。体重測定をし荷物をまとめLDR室へ入る。モニターをお腹、両腕には血圧を下げる点滴と促進剤を入れる点滴、左腕には自動の血圧計が付けられる。
8時前後、点滴で水を入れられる。砕けるような腰の痛みと闘いながら血糖値測定をする。
9時過ぎ、産科医が来てバルーンを抜かれる。回診やエコーをやってくれる産科医は複数人いて、この時の人は苦手な医師だった(お腹のエコーもガンガン押し当ててきてめちゃくちゃ痛かった)。子宮口に指をガッと入れられたけど、私があまりに痛がったせいかすぐに抜いて助産師に「子宮口の開きを見といて」と言って早々に立ち去る。無性に悲しくて惨めな気持ちになる。眼鏡越しのあの冷ややかな目、怖い。
10時過ぎ、点滴は少し動くだけでピーピー鳴るからなかなか落ち着かない。スマホも満足に触れない。寝返りもモニターが付いているからなかなか出来ない。動く度に腰が痛い。頻尿だからトイレに行きたくなる。トイレに行くにはいちいちモニターを外して貰い、点滴を持ってドアから歩いて離れたトイレに行かなければいけない。そして尿はいつも通り溜めないといけないのでいちいちカップを取らなきゃならない。腰の痛みに耐えつつ椅子から降りてノロノロ歩きながらトイレに行く。点滴が両腕に2つあるので助産師の補助がないとトイレにも気軽にいけない。人間としての尊厳がガリガリに削られている気分。
12:45 血糖値測定とインスリン注射と昼食。ここでも時間が来たら血糖値測定を自分でしなければならない。その度に体を起こすのも辛い。
13:20促進剤増やされる。両隣の部屋からは産声が聞こえた。いいなぁ。私も早く産みたい。終わりたい。
途中から余裕がなくなり、時間と内容のメモをとるのをやめた。20時過ぎまで上記のようなことを繰り返した。もう何かに縋るような気持ちで過ごしていた。結局破水せず陣痛も来ずでお産には至らなかったので、またバルーンを入れられて明日の朝に再度挑戦ということになった。
前向きに頑張ると言ったのに頑張れていない無力感でいっぱいだった。
7/22
8時過ぎ、バルーンを抜いて子宮口の拡がりを確認される。せいぜい2cmくらいらしい。絶望的な気持ちになる。12時くらいまでダメなら帝王切開になることも考慮すると言われ(子宮口の様子を見つついけそうなら継続する可能性あり)絶飲食になる。お腹は空かない。ただ、喉の乾きが段々酷くなり辛くなる。お腹の痛みは昨日より強いのに陣痛が来る気配がない。喉がカラカラなのにトイレには行きたくなる。トイレに行く時に助産師に喉の乾きを訴える。トイレでうがいのみ行って良いと言われうがいのみ行う。これをあと3時間以上、もしくはそれ以上耐えなくちゃいけない。そう考えたらクラクラした。
13時前、心と体に限界が来る。あんなに生きたいと思っていたのに。辛すぎて夫にしにたいとメッセージを送る。号泣していたところ産科医が入室。1番好きな医師で涙腺が崩壊する。もう無理、耐えられないと泣きながら訴える。医師は優しく、でも少し残念そうな顔で「帝王切開にしよっか」と言った。せめて腰の痛みがなければもう少し頑張れた、と言うと「充分頑張ったよ」と言われ更に泣く(7/25のMRIで分かったこと。お尻の骨辺りに微細な骨折の治りかけの跡があったらしい。骨折していたから助産師のアドバイスの何をしても改善せず、激痛だったのかもしれない)。
13時30分に帝王切開を行うと言われ、バタバタと手術の準備が始まった。寝たまま剃毛されて手術着に着替えさせられた。その後、ストレッチャーに移され急い���手術室に運ばれた。産科病棟を出る時、別の助産師に励まされる。正直、怖いという気持ちは全くなく安堵感でいっぱいだった。色んな人から貰った優しい言葉だけを頭の中で何度も何度も反芻させていた。私も帝王切開で産まれたし大好きな友だちもフォロワーさんも職場のあの人もみんな頑張って乗り越えている。だからきっと大丈夫。
オペ室の前で1度止められる。助産師がオペ看に引き継ぎを行っていた。アレルギーの有無や歯について等、いくつか質問をされる。その後オペ室に入室。オペ看は説明をしながらずっと私の手をさすってくれていた。きっとものすごく恐怖を感じていると思われているんだろう。麻酔科医も入室してきた。「適宜状況を説明しますから安心して下さいね」と言ってくれた。状況の説明をしてくれるのは本当にありがたかったし、LDR室にいた時とは大違いだと思った。あの部屋にいた時は助産師が1名または2名ずつ機械的かつ定期的に入退室を繰り返し、色々な処置を行っていた。基本的にこちらから質問するまでは詳しい説明はしてくれず、ただ淡々と作業をこなしている状況が恐ろしくて苦痛だった。
麻酔を背中に3本ほど入れる。針は痛いけどじわじわ下半身の感覚がなくなってくる。尿カテーテルを入れられた。痛くない。腰の痛みも全く感じない。嬉しい。執刀医は私の好きな医師だから何も心配していなかった。
オペ中は必要最低限の会話以外ずっと無言のイメージがあったが、執刀医含め周りは普通に雑談を交えながらオペを行っていた。それも私に安心感を与えた。横にいる麻酔科医やオペ看に自分から雑談を出来るほど冷静だった。10歳頃に木から落ちて全身麻酔4時間の手術を行ったこと。その時の自分の方が弱音を吐かず頑張っていた記憶があるので、入院してからずっと頑張れていない自分に対して情けない気持ちを持ち続けていたこと。そんな話をした。
麻酔をしてもお腹をグイングイン押されたりグニョグニョされる感覚がすごかった。痛くはないけど変な違和感。麻酔科医がその時その時を教えてくれたけど、気持ち悪い感覚だなと思った。
14時13分
赤ちゃんが取り出され産声が聞こえた。肺はちゃんと完成されていた。良かった、と心から思った。小児科医が横に赤ちゃんを連れて来てくれた。赤ちゃんの皮膚は赤く、しわくちゃの顔で泣いていた。この子が本当に9ヶ月間も私の中にいたのか。なんか不思議な気持ち。
触れても良いと言われたので手や足に触れる。この感情を上手く表現出来る言葉が見つからない。ただ、涙が止まらなかった。早々に赤ちゃんはNICUに連れて行かれ、私の縫合の処置���始まった。ここから先はあまり覚えてないけど意外と時間がかかるな、寒いなと思った。処置が終わりリカバリー室に連れて行かれる。体が寒くて仕方ない。温風が出る機械で温められ、その後部屋に戻って寝かされた。両足には血栓防止のポンプらしき機械が取り付けられる。ちょっと気持ちいい。
部屋に戻され1人の時間になれたので、夫・友だち・家族等に出産の報告をした。
その後、小児科医から夫を今日呼べるか?とお達しが入り夫を呼び出す。NICUへの入院手続きを行ったらしい。
夫も私も直接会えないが、zoomで赤ちゃんの姿を見ることが出来た。夫によく似ているなと思った。
その後、眠気が来たので眠った。
尿カテーテルを入れているのでトイレに行く必要がなく、麻酔が効いているので腰の痛みも全く感じない。入院してから1番快適に眠れた夜だった。
その夜、入院して初めて安らかな夢を見た。赤ちゃんの口元にキスをする夢だった。キスをした後『あ、虫歯菌が移る。ダメだ…』と思ったら、赤ちゃんは嬉しそうにニコッと笑ってくれた。それだけでとても幸せな気持ちになれた。
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2022.07.22
35w 4d 2356g
午後2時13分
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2021年9月22日(水)
噂の新刊が届いた、岸政彦監修『東京の生活史』(筑摩書房)。<1216頁に織り込まれた150万字の生活史の海。いまを生きる人びとの膨大な語りを一冊に収録した、かつてないスケールで編まれたインタビュー集>とのことで興味津々なのだが・・・厚い!事典ならともかく、読み物でこの厚みはページを繰るのに苦労する。あ、そうか、150項目の事典として捉えれば良いのか。ともかく、マクラにならないよう大事に読んでみたい。
起床、4時30分。
トースト+残り物+ヨーグルト+豆乳。
空き瓶・缶、45L*1。
弁当を用意し、ツレアイを職場まで送る。
洗濯1回。
水曜日は、2限・3限「情報機器の操作Ⅱ」(食物栄養学科)、用意した課題のファイルをGoogleClassroomにアップ、それぞれ10時30分/12時50分と、始業10分前に予約配信する。学生たちは前期で慣れているので、多分問題はないだろう。
手のひらセラピー(前立腺)。
金曜2限「情報社会と倫理」に科目等履修生の応募が1件、アカウントがまだ発行されないのでメールで事情を説明する。明日は祝日だが、果たして間に合うだろうか。
O工務店から連絡、洗面所の漏水の件<シャワー水栓故障>とのことで修理を依頼、作業は土曜日の午後となった。
ランチ、息子にはマルちゃん正麺、私は残り物。
軽く午睡。
手のひらセラピー(γGTP))。
断続的に雨、買物を諦めて読書。
学生からの提出課題をチェック��締切は来週月曜日なので慌てることはない。
昨晩ツレアイが買ってきた安売りのコロッケ、焼きソーセージ(ハンバーグ)、ニンジンの漬物は少し早かった。
ツレアイはスタッフの病欠もあって今日も多忙、連絡を受けて迎えに行く。
録画番組視聴。
サラメシ シーズン11 (17)「スケボーパークビルダーの昼/豪華!社員感謝デー」
東京五輪コースも手掛けたスケボーパーク施工の専門集団はメンバー全員スケーター。熱いこだわりを持ち全国の現場を回り作業に励んでいる。好きを仕事にした彼らの仕事ぶりとランチを拝見!▽京都の産業用機械メーカーではコロナ禍で社員旅行も歓送迎会も全て中止。頑張る社員たちを月に一度、料亭の弁当や海鮮ちらしなど豪華ランチで労っている。予算はひとり3000円!社員感謝デー贅沢ランチに盛り上がる社員たちの様子を取材
スケボー青年たちの笑顔が良かった。
入浴。
ナンプレ。
就寝、23時30分。
外に出なかったので仕方なし、水分は1,800ml。
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