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#晴れたら庭作務
roca404 · 2 years
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. HA RU SA ME #冷えたね #緑が伸びる #晴れたら庭作務 #がんばらない #墨絵かも #rkgk #illustration DAY618 https://www.instagram.com/p/CqQLTz6vgh0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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oka-akina · 9 months
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11/11文学フリマ東京レポート
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11/11文フリ東京の参加レポです。一ヶ月経っちゃってるというかもう年末だ…。この記事は公開したつもりで忘れていたやつです。せっかくなのでちょこちょこ書き足してみました。長いですがよかったら聞き流してください〜
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文学フリマ東京ありがとうございました! ものすごい人出で驚きましたが暑さがない分元気に過ごせたように思います(5月の文フリ東京や9月の文フリ大阪は汗だくだった)。ただまあ今回は、新刊のカバー巻きに追われていたのと、外周の混雑で買い物に出るのをほぼ諦めたため、ほとんど自分のブースにいたので体力を温存できたというのもあるかも。 わたしは第一展示場のまんなからへんの島中、N-5というところにいました。近いアルファベットのところしかまわれなかった。第二展示場はもちろん行けず…。買い逃した本ばかりだったし会いたかった人にも会えずでした。 そして今回はいつも以上に「新刊を出す」に全ツッパしたみたいな文フリでした。ほかのことは本当にズタボロだったのでいろいろ反省も多いです。 そういうなか、わざわざおかわだのスペースまで来てくださったみなさまほんとにありがとうございます。作品の感想を直接お伝えいただいたり、お手紙もらったり、サインを書かせていただいたり、ああほんとにありがたいことだなあうれしいなあと胸がいっぱいになりました。書いた小説を読んでもらえるのが本当に本当にうれしい。すごく充実感のあるイベントでした。
以下漫然と書いていきます。
■今回は個人誌の『顔たち、犬たち』が新刊でした。新刊のドタバタ模様だったりどんな小説かだったりはまた別記事にするとして(←12/24現在まだ書いてないな…)、前日に入稿した本が直接搬入で届く&会場でカバー巻きすることになったのでいつにも増して突貫工事でした。ギリまでやってるのはいつもだけど現地カバー巻きは初です。今まででいちばんやばい…。 まあでもちゃんとしてなくていいじゃんかって気持ちはちょっとありました。出版社や書店、著名な作家のブースが増え、しっかり作ったアンソロも目立つしそれぞれ宣伝とかもよく練られていて、わたしの同人誌はあんまりそういうのができなくてもいいよなと思った。 というかわたしなりの「しっかり作る」は〆切ギリギリまで書いたり削ったりすることだと思ってい��ふしがあるというか。わたしの小説はわたしが勝手に書いて勝手に本にしているものなので、時間いっぱいまで本文に手を入れたいというか…最後の方はずっと書いていたいなあという気持ちになります。同人誌ならではの「書いて即売る」「自ら書いて自ら売る」をやっていたいのかも。
前日に入稿した本が直接搬入で届く ただまあこういうギリプランはイベントの規模や流通の便利さに頼りまくってのことなので、今後もずっとできるわけではないだろうなーとは思っています。 そして印刷業者さんがこういうことをやってくれるのは二次創作だったりいわゆる男性向けジャンルだったり、大部数の漫画を刷るようなお客さんがいるからで、わたしはそこに乗っかっているんだよなーとはちょっと思う。 いや金出す奴が偉いとはいわないし卑屈になっているわけではないんだけど、印刷業者さんの商売の仕組みというかそういうの。割増料金払ったとしても負担ではあるんだろうし…といいつつそういうプランがあるなら利用はしちゃうんだけど…。 出版社や書店、著名な作家のブースが増え いわゆるインディーズ作家だけじゃなくていろんな立場の出店者がいるのはイベントが豊かになって面白い面があるとわたしは思っています。はっきり境目があるわけでもないし。 ただ事務局の人たちがノウハウを積んできたのはあくまで「同人誌即売会」だなあと思うので、暗黙の了解的なところをおたがい伝えあう努力は必要かも。ほかのZINEイベントやブックマーケットとはかなり勝手が違うし。 あと今回は外周がすごく混んでいてわたしは将棋倒しとかちょっと怖かったんだけど、まあでもだからって事務局の人たちがこれをどうにかするのは難しいだろう…となんとなく想像しているんだけど、そういう温度感とか共有できてるといいなーとか。
■カバー巻きの時間を最大限とりたかったので会場設営に参加しました(設営に参加すると終わり次第自分のブースのことやっていいので出店者入場待機列に並ばなくていい)。 朝8:20集合。明け方4時すぎまでスペースでだらだらしゃべりながら準備してたのであんたほんとに行くの?って感じでしたがぜってえカバー巻きたいので行きました。 文フリ東京の設営に参加するのは初めて。テキレボとかほかの文芸イベントでやったことはあったんだけど、文フリ東京はとにかく広くて驚いた。こんなにたくさん終わるのかな…と思っているとなんか終わっているのですごかった。正直わたしはあんまり役に立ってなかった気はするんだけど、机や椅子をならべたり、案内図貼ったり、ブース番号の紙を机に配ったり、やれそうなことをがんばりました。 (なのでほぼ冗談のつもりで「わたしが並べました」って会場設営写真をドヤ顔ツイートしたんだけど、なんか知らない人にもたくさんいいねされていてちょっと恥ずかしかった…。ぜんぶわたしが並べたわけではないし、そのあと「机1個足りないですね」とか「これだと間隔広すぎですね」とかなっていたし…) あとこういう作業するときってしょうがない面があるのはわかるんだけど、「男の人来て」とか「女性は男性に手伝ってもらって」みたいな声かけがすごいあるね…。口うるさいようでごめんだけどオワーーッとはなる。オワーーッとなりつつそういう場面ではふつうに受け答えする自分もいる。面倒を避けたい自分。「力持ちの人〜!」でいいと思うよ…。 (いやまあわたしもくだけた飲み会とかだと「こ〜いう男のこ〜いうところがキライ〜!!!!!」みたいな雑発言をバリバリやらかすほうだけど、名乗りあわないイベント設営と知ってる人との飲み会はやっぱちがうしさ…)
そしてさっきの話とちょっと関連してだけど(わたしも初めて参加しておいて本当になんなんだけど)、新たに参加し始めた出版関係のみなさんで設営ボランティアに参加している人ってどれくらいいるんだろうなーとはちょっと思ったかな。見た感じ常連の同人サークルが多そうだった。いやわたしも仕事の一環で来ているならお手伝いボランティアはやらないと思うけど…。でもこのイベントってボランティアでやってくれてることがめちゃめちゃたくさんあるわけだしなーとは思うので、なんかこう商売につなげていくなら多少手伝うのがスジかなとは思った。 (もちろんいうまでもないことだけど、机や椅子を運ぶのはある程度元気な人じゃないとできないので、できる人がやることだとは思う)
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■設営でばったり並木陽さんにお会いして、一緒に作業しました。一緒に机並べた。知っている方がいるとほっとする。一般参加だけどお手伝いに来ていたそうで、こういう方がおおぜいいるイベントなんだよなあと思う。そしてそればかりかなんとなんと新刊のカバー巻きを手伝ってくださり…や、優しい…。厚かましくもがっつりお願いしてしまいました。本当にたくさん巻いてもらいまして、文フリでお手にとっていただいた新刊の大部分は並木さんの手によるものです。めっちゃ速くてほんとに助かりました。わたし一人だったらあんなにたくさん巻けなかった。 いやおかわだのドタバタ新刊を並木さんにお手伝いいただいてるの超面白いでしょ。自分がぎょくおん書いてるとき並木さんのルスダンもギリっぽいな〜とかいつも勝手に(まじで勝手に)心の支えにしていて、あれから7年とか経ってるんですがおかわだくんは1ミリも成長がなくてうけるね…。その後買いに来てくださった方々から「これ並木さんが巻いてくださったそうで…」と一部方面に知れ渡ってんのがすげーおもろかった。 カバー巻いているときに添嶋さんがお菓子くれてうれしかった。これはお菓子もらってウレシ〜だけじゃなくて、知っている方からがんばってねって声かけてもらえたのがほんとにうれしかったしほっとした。何回参加しても心細いし不安でいっぱいなので…。J庭のときもそうだったけど、開場前に遊びに来てくださるのうれしいです。元気出ます。わたしがドタバタでほんと申し訳ないんだけど、先に本お渡ししたりもできるので声かけてくれて大丈夫です(出店者同士はそうやって融通きかせたほうがおたがい買いそびれやすれ違いがないかも)。
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■そいでまあ机にモリモリ積んで、巻いちゃった本をしまう場所もないし、もうめんどくさいのでそのまま机に置いて開場したわけだけど(わたしの迷いを断ち切るように?並木さんが空いたダン箱をつぶしてくれたのだ…)、こんだけ積んで一冊も売れなかったらどうなっちゃうんだろうと心臓がバクバクしていた。べつにたくさん売りゃあいいわけじゃないし売れないのが格好悪いわけではもちろんない、作品の良し悪しとも別だとは思っているんだけど、けっこう目立つ感じになっちゃったのでまったく気にしないといったら嘘になる。 そして何より今回は装画を谷脇栗太さんにお願いしておりまして、本当に本当に素晴らしい絵を描いていただいたのでこれが一冊も売れなかったらほんっとーーにつらい。申し訳ない。こういうプレッシャーはふだんあんまりないんだけどけっこうドキドキしていました。 結果としては、机に積んだぶんはすべて買われていって、追加でちょこちょこカバー巻きした感じです。巻いた分はぜんぶ売れました。個人誌では今までで一番でした。よかった…と素朴に思った。本当にうれしかった。見つけてくださってありがとうという気持ちです。
素晴らしい絵を描いていただいたのでこれが一冊も売れなかったら こういうハラハラはBALMのときもあったことはあったんだけどあれはアンソロなのであんまり心配してませんでした。少なくとも参加者献本のぶんは人の手に渡るので…ってことはわたしが心配しているのは売り上げそのものではなく作った本が人の手に渡らない、読まれないことなんだなー。
■どういう人が手に取っていってくれたのか、正直今回はよくわかりませんでした。知り合いが少なかった。出店者は自分のところから動けなかったって人が多そうだし、一般参加で来ていた人もそんなにたくさんブースをまわっていた感じではなさそう。誰が買ってくれたのかわからないので開催後の買った本タグも追えてない…。 というか最近のわたしの場合、あいさつしたり遊んだりする知り合いは必ずしもわたしの小説を読んでる人ではなくて、読者イコール知り合いってわけでもない感じなので、たくさん本が買われていってうれしいと同時にこれは夢?みたいななんかこう不思議な感じです。手応えがないということではなく、小説を書いて不特定多数の人に届けようとするってどういうことなんだろうと考える。 あえて特徴としていうなら、前回、前々回で「イサド住み」「リチとの遭遇」を買って…と声をかけてくれた人が多かったです。リピートしてくださるのめ��ゃめちゃうれしいです。しゃべったり遊んだりの知り合いではなくてお名前もわかんないんだけどなんとなくお顔を覚えている…みたいな人もいたかな。 ぶらっと来て買ってくれた人もけっこういました。冒頭を読んで痺れたのでって声をかけてくれた人がいてものすごくうれしかった。そんなふうに言ってもらえて痺れるのはこっちだよ…。本をめくって数行読んでみて、ここから先も読んでみようかなと信じ、期待してもらえるのは、本当に本当にうれしい。ほかの何ものにも代え難い喜びです。
あいさつしたり遊んだりする知り合いは必ずしもわたしの小説を読んでる人ではなくて それがさみしいかというとべつにそうでもなくて…いや知ってる人が読んでくれたらそれはめちゃめちゃうれしいんだけど、無理して読むものでもないしなーと思ってる。同人誌で知ってる人って何かしら作品つながりで関わってる人なので、読んでくれたらそれはほんとにとてもうれしいけど、そういうのを求めすぎると息苦しくなる気がしてる。ヘルシーにやりたいね…。 (まあでもおかわだに何か原稿とか企画とか依頼する人は小説読んでからにしてほしいなというのはとてもあります…。読んだことないって人に誘われるとけっこうびっくりする)
■ほかいろいろ箇条書きに。
・閉会間際にぶらっと来た人が「顔たち、犬たち」を買ってくれてうれしかった。現金ないんですけどとのことだったのでpaypayの個人送金を使った。大々的にやってるよとは言ってないんですがおっけーなので声かけてください。 ・なにか袋ってないですか?ときかれること2回。なにも持ってなくてコンビニ袋をあげた。コンビニの袋に「顔たち、犬たち」が入るのめっちゃいい眺めだったな…。白い袋の向こうにあの顔面が透けてるのやや背徳的?でよかった。 ・10分早く開場したのでびっくりした。並木さんと作業しながら「余裕持ってカバー巻きは開場15分前までにして、あとはほかの本出したり設営完了ツイートしたりしましょう」とか言っていたのに…。マジの散らかり状態でスタートした。 ・でも純文島らへんは開場しばらくはあんま人来ないので焦らずカバー巻きしてても平気だったと思う。 ・カバーは片袖折った状態(表1側の袖を折った状態)で持ち込みしました。意外といけたな。使う紙にもよると思うけど文庫だったらもうちょっと楽かも。わたしは本をダン箱に詰めて宅配搬入するのがほんとにどうしてもどうしてもどうしても苦手なので、直接搬入にして会場で巻く方が気分的にまだマシかもしれない…。 ・あんま人来ない状態で本がモリモリ積んであるのは心臓に悪い。早い時間に来てくださった方ほんとほんとににありがとうございます…救われました…。 ・ポスターをみたお隣さんが「ツイッターで見たやつ〜〜」と言ってくれてうれしかった。 ・ポスター、届いたときからやばいかなーと思ってはいたんだけど予想通りくりんくりんになっちゃって、下に重しをつけてなんとか立てていた感じです。この顔面の裏に500円玉がいっぱい貼ってあるの面白すぎる。 ・やっぱ布ポスターにするべきだったかなーとは思ったんだけど、この顔面を布に印刷する背徳感に耐えられなかった。いやなんかこう添い寝シーツ的なエロさが出ちゃいそうで…。 ・あと調子にのってA2サイズにしたんだけど、もっと大きめのポスタースタンドじゃないと格好よく飾れないですね…。高さを出せずバランス悪かった。反省が多い。この反省を踏まえてその後ポスターはスチレンボードに貼りました(zineフェス長野に持って行った)。
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・そんなくりんくりんのバカデカポスターと一緒にクリタさんが写真を撮ってくれてうれしかった。 ・キム・チョヨプ「ローラ」の感想をtumblrにアップしていて、twitterスペースでの読書会で言及いただき、それを読んでと来てくれた方がちらほらいらっしゃいました。ただわたしに書評や論考の本はなくてご期待に添えず申し訳ない…。まただいぶ生意気なことを申し上げましたが、そのときお話した井出さんも来てくださってうれしかったです。こういう意見もあるっていうのを受け止めてくださるのやっぱりうれしい。あとこの読書会って11/5で、新刊の入稿直前で気が立っていたんだよな。トランスジェンダーへの言及でちょっとつっかかってしまったときは、(こういうの言うのちょっと恥ずかしいんだけど)作中人物の今くんの気持ちが出ていたと思う。今くんだったらキレるだろうなって場面ではわたしもキレていきたいみたいなのがある。 ・えもあてのお菓子をもらった。こういうのイベントっぽくてうれしいな〜。あとで渡しときます。←その後2回会ってるのに渡し忘れてるな…ごめん…。 ・お手紙もらうのほんとうれしいです。ほんとに非常に申し訳ないことにわたしがイベント後の荷解きをなかなか(ほんとーーになかなか)手をつけられないとっ散らかり状態のため、会場で一読したあとなかなかお返事もできずにいるのですが、ほんとにほんとに申し訳ないことですが、でも本当にとてもとてもうれしいです。勇気が出ます。お菓子もたくさんありがとうございます。 ・見本誌票を表1に貼るのど〜しても耐えられない。今回の新刊は顔!って表紙なので、ここに見本誌票貼ると優人さんがマスクしてるか冷えピタ貼ってるかって見た目になってしまう…。表4もかなり嫌です。なんかこう表3に貼るとかもっと小さいサイズにするとかできませんかね…と思った。 ・でも見本誌コーナーで読んでって買いに来てくれる人が毎回とても多いので、やっぱ置いとくと見てくれる人はいるんだなあとうれしかったです。 ・土曜日開催きつかった。ここ何年も勤労感謝の日付近だったこともあり体内時計?がついていけなかった。印刷で凝ったことやろうとすると〆切がえっらい早くて驚いた(当初新刊はフランス製本にしたかった)。 ・土曜日開催なので前日入稿直接搬入やれる印刷業者がいつもより少ない。そして物流の人手不足で今回から直接搬入やめますという業者さんもありました。 ・おかわだが今回依頼したくりえい社さんは「webサイトの〆切スケジュール一覧には載ってないんだけど文フリ東京はいつも前日入稿も直接搬入もやってるので問い合わせてくれたらふつうにやってますよ」という隠しメニュー的な感じで、ダメ元で電話してみてよかった…という感じ。 ・カバーはプリントハウスさんという浮間舟渡の業者さんに。店頭受け取りができるのでギリなら宅配より確実かなーと。浮間舟渡って印刷関連の会社が多いんだけど、JRの高架がズバーッと走るちょっとがらんとした町で、銭湯の向かいに印刷屋さんがあるというロケーションがよかったな…。ビル型の銭湯で上がマンションなんだけど、panpanyaの漫画みたいだった。
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・↑大滝のぐれさんの「ブロスのおまけの紙」トレー。ブロスのおまけの紙が大好きなのでいつものぐれさんのトレーを見かけるたびうれしくなる。ブロスのおまけの紙をいっぱいいっぱい集めていつかzineを作りたいよね…。 ・お金をトレーでもらうじゃん。もらったお金をどうにかする前に次のお客さんからまたお金もらうじゃん。するとすでにお金乗ってるトレーにさらに乗っけてもらうことになり、そこからジャラジャラお釣りも出し、なんかこう投げ銭みたいですねって言われたんだけどみなさんどうやってるんですか…? トレーをふたつ用意すればいいのかな…。 ・何を何冊売ったのかわからなくなってしまった。いつもは持ち込んだ数と残った数の引き算でやってるんだけど(文フリドタバタなので1冊売れるごとにカウントするのはど〜しても上手にできない)、今回はそもそもいくつ持ち込んだかわかんなくなっちゃったり、数を数えまちがってたり…本当に何回イベント出てるんだよって感じだね…。 ・とくに新刊。イベント終了後在庫を数えてみたら認識していたよりnn部ほど多く売れていて(このnnは小学校の1クラスぶんくらいです)たくさん手にとってもらえたのはよかったんだけど、さすがに誤差どころではなくない?!と反省した。本当に新刊を出すことだけに全ツッパした限界文フリだったな…。 ・既刊はwebカタログに載せたのに持って行き忘れた本があったり、逆にwebカタログには入れ忘れたけど当日持ってきた本があったり、ほんとにズタボロだった。そもそも宅配搬入を忘れて手搬入だったし…。大反省。 ・ここ最近の文フリ東京、ほんとに混んでるしまわりきれない規模なので、知り合い同士隣接配置で固まると安全なんだろうな〜とは思った。界隈って感じが出るのをなんかこう危惧してしまうんだけど、もはやそういう感じではないのかも。 ・ただ個人的には、お顔見知りやなんとなく名前知っている人たちばかりの密な空間はそれはそれで緊張するので、知らない人の中にぽーんといる感じはそんなに嫌ではないです。とくに今回のような、個人誌の新刊を初めて出すみたいな回は本当に本当にドキドキしながら参加しているので、あまり人とのコミュニケーションに気をつかえる精神状態ではないかもしれない…。 ・ひとまず次回は八束さんつたゐさんと隣接します!家父長制アンソロ組ですわよ。 ・麻子さんのオール手書きペーパーがよかった…。会場ですぐ読んで胸がいっぱいになった。こういうことをやりたいよな〜!と強く思った。 ・ちいかわのバスボムもらってうれしかった。お湯に溶かすとサウナに入ってるちいかわたちの人形が出てくるやつ。ちょうど新刊にサウナ行くシーンあるんですよ!と思ったけどまだ世界で誰も読んでない新刊だったね…。 ・ポカリスエット500mlを2本飲んだ。ゴルフのラウンド周ってるかのような水分補給だな…。 ・ごはん食べる余裕はなかった。パン持って行ったんだけどリュックにしまいっぱのまま終わった。買い物ほぼ行けないし何も食べてないしトイレも行ってない。という話を終わってからくらなさんともした。わたしの場合はすごい忙しいとかでもなく要領が悪いだけだとは思うんだけどまいどボロボロになる。 ・くらなさんいのりさんと打ち上げ焼肉。ひたすら肉を頼み続け、3人でお米を4合食べた。わんぱくじゃん…。 ・次の日ゴルフ行ってデモ行って打ち上げ第2弾やった。くらなさんいのりさんクリタさんとパエリア食べて焼き鳥食べた。ほんとにわんぱくだな…。
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・翌週なむあひさんとも打ち上げして、翌々週はえもなむおかサミットやって、飲みまくっているししゃべりまくっている。文フリ東京にぜってえ新刊を出すぞの勢いでワーーッと突っ走った余波がまだあって、ちょっと過活動気味かも。
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で、1ヶ月ちょっと経ちまして。文フリどんな感じだったとか、どう売っていくかみたいなレポをいろいろ見かけ、興味深く読みました。 いろんな作家さんや書店さんが文フリの盛り上がりの話をしていた。そういう意見交換の場にずっと参加しているインディーズ作家や同人サークルやボランティアスタッフの人とかも呼んで会話できたらいいのかなーみたいなこともちょっと思った。しょうがないんだけどなんかこう「界隈」的なものでまとまっちゃう感じがあるというか。 わたしはずっと参加しているというほどではないけど新たに参加し始めたというほどでもなく、爆売れってことはぜんぜんないけどほとんど売れませんはさすがに嘘だな…っていう中途半端な立ち位置なので、いろんな意見を目にするたび「そんなに極端だっけ?」って思う。言うほど殺伐とはしていないし、知名度が全てという場でもないし、知り合いと交流するのがメインってわけでもないし…。 イベントのようすってレポートにしても伝えきれない、記録しようとするとこぼれ落ちる、なんかこうもうちょっとぐちゃっとした現場の力学が働くなあと思います。直近のようすは直近に来てないとわかんない(しばらく参加してない人はわかんない)と思う。
またzineと独立系書店さんとの関わりとかもいろんな人が語っていたけど、つまるところ「どう売るか」という話が多かった印象。わたしのとても正直な気持ちとしては「どう読まれていくか」の方が関心が強いというか、「小説読まれたい!」がまずあるので、あんまりぴんと��ない話もあったかも。いやまあ読まれ���ためにたくさん売るんだろというのはわかってるんだけど。
書店さんは取り扱う本の中身をぜんぶ読んで売ってるわけではないですよね。どういう作家でどういう本かっていうのが店の方針と合致するかが大事だろうと思うんだけど、そうすると同人誌やzineの場合、コンセプトの強い本が売り込みしやすいし書店さんも取り扱いしやすいように思います。テーマや意図のはっきりしたアンソロジーだったりエッセイだったり。またエッセイや日記はつかみの部分で本の雰囲気もわかりやすい気がしている。 で、わたしが活動の軸足を置いている小説、ある程度長さのある小説の個人誌でとくに誰からのお墨付きも後ろ盾もないやつ…というのは扱いが難しいだろうなーと思っています。作家本人もこれが何かっていうのはあんま説明できないし、なんというか自分自身の代謝のようにガンガン書いていきたいのがあるので、ひとつの作品をずっと売り続けるかどうかみたいなのもいつも迷うし。 そして同人誌やzineでも独立系書店さんに卸しているものが増えてくると、どこかの書店さんで扱ってもらっているというのがある種の品質保証にみたいになっちゃってないかみたいな葛藤もめちゃめちゃあって…。
みたいな話を、いくつかの書店さんを訪ねたときにちょこちょこお話してきました。自分の小説を扱ってくださるお店を巡っておりまして、つまずく本屋ホォルさん、本屋lighthouseさん、犬と街灯さんにお伺いしました。またこないだおじゃましたRiverside Reading ClubさんのクリスマスパーティーでKaguya Booksの堀川夢さんとお話できましてうれしかった。いろんなところでいろんな話をちょこちょこ細切れにやっているので誰と何を話したっけな…(すみません…)。 わたし小沼理さんの『みんなもっと日記を書いて売ったらいいのに』というzineを読んですごくいいなって思ったんですが、それ風に言うなら『みんなもっと小説を書いて売ったらいいのに』と思っています。またまとまったら書きます〜
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kennak · 4 months
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編集者注:ナショナル・フットボール・リーグのカンザスシティ・チーフスのプレースキッカーであるハリソン・バトカー氏(28歳)は、 2024年5月11日土曜日、カンザス州アチソンのベネディクト大学で卒業式の演説 を行った。彼の発言の転写は以下の通りである。 2024 年卒業生の皆様:まず、皆さんが本日無事にこの成果を達成できたことを祝福したいと思います。 あなたの高校卒業は想像していたものではなかったと思いますし、おそらく大学の最初の数年間も想像していたものではなかったでしょう。 新型コロナウイルスによるあらゆる逆境を乗り越えてこの瞬間に辿り着いたことで、この人生の苦しみは一時的なものに過ぎないという重要な教訓を学んだことを願っています。 あなたはグループとして、自分たちのレーンに留まらない悪いリーダーがいかに社会に悪影響を与えるかを目の当たりにしました。 このレンズを通して、私たちがどのようにして今の場所にたどり着いたのか、そして国民として、そしてカトリック教徒としてどこに行きたいのかを考えてみたいと思います。 始める前に最後に、講演への招待をいただいたミニス会長と理事会に必ず感謝したいと思います。 数か月前、ミニス学長が最初に連絡を取ったとき、私は最初は「ノー」と答えていました。ご存知のように、昨年、私は母校であるジョージア工科大学で卒業式のスピーチをしましたが、特に卒業式のスピーチは 1 回で十分だと感じていました。プロのスピーカーではない人。 しかしもちろん、ミニス大統領は説得力を発揮した。 [ 笑い ] この曲は、新型コロナウイルスの大惨事の中で皆さんが直面した多くの課題と、私たち高齢者が当たり前だと思っていた多くのマイルストーンを皆さんがいかに逃したかを物語っていました。 新型コロナウイルスはあなたの形成期を通じて大きな役割を果たしたかもしれませんが、それは特別なものではありません。 間違った政策と不十分なリーダーシップは、生活の主要な問題に悪影響を及ぼしています。 中絶、体外受精、代理出産、安楽死、そしてメディアにおける退廃的な文化的価値観への支持の高まりなどは、すべて無秩序の蔓延に起因しています。 私たちの国は、カトリック信仰を公に誇らしげに宣言しながらも、同時に中絶推進集会で十字架のサインをするほど妄想的な人物によって指導されています。 彼は罪のない赤ん坊の殺害に対する支持を非常に声高に主張してきたので、多くの人にとって、あなたはカトリック教徒であると同時に選択を支持する人でもあるように見えるはずです。 彼は一人ではありません。 新型コロナウイルスのロックダウンを主導した人物から、アメリカの若者��危険なジェンダーイデオロギーを押し付けている人々まで、彼らには明らかな共通点がある。 彼らはカトリック教徒です。 これは、カトリック教徒であるだけでは役に立たないということを思い出させる重要なものです。 こうしたことは、礼儀正しい社会では持ち出さないようにと言われている類のものです。 わかります、困難なこと、不快なこと。 しかし、私たちが歴史のこの時期に男性と女性でありたいのであれば、「ニース教会」が勝利の提案であるかのように振る舞うのをやめなければなりません。 私たちは常に慈善活動に基づいて話し、行動しなければなりませんが、決して慈善活動を卑劣なものと取り違えてはなりません。 ここ数年で、私は自分の考えを話すことでかなりの評判を得てきたと言っても過言ではありません。 私は自分自身がこのようなプラットフォームを持つことを想像したことも、望んだこともありませんでしたが、神がそれを私に与えてくれたので、私にはそれを受け入れ、自分のレーンを受け入れ、そこにとどまることについてのより厳しい真実を説く以外に選択肢はありません。 イエス・キリストによって設立された教会の会員として、真に、そして悪びれることなくカトリック教徒であることは、私たちの義務であり、最終的には特権です。 誤解しないでください。教会内であっても、礼儀正しいカトリックサークルの人々はあなたに沈黙するよう説得しようとします。 という受賞歴のある映画さえあったが 同じカトリック信者が製作した『沈黙』 、その映画では、主人公の一人であるイエズス会の司祭が教会を捨て、背教者として死んだとき、静かに誰にも知られずに十字架を握っている姿が描かれている。しかし神。 ベネディクト会大学の友人であるロバート・バロン司教閣下がこの映画の批評で述べたように、それはまさに文化的エリートがキリスト教において見たいもの、つまりプライベートで、隠れていて、無害なものだった。 私たちのカトリック信仰は常にカウンターカルチャーでした。 私たちの主と数え切れないほどの信奉者たちは皆、彼女の教えを忠実に守ったために処刑されました。 私たちの周りの世界は、私たちの信念が多様性、公平性、包括性の圧政に反する場合は常に自分の信念を内に秘めておくべきだと主張します。 私たちが真実を話すことを恐れるのは、残念ながら現在では真実は少数派だからです。 議会は、誰がイエスを殺したかという聖書の教えのような基本的なことを述べると、刑務所に入れられる可能性があるという法案を可決したばかりだ。 しかし、誤解しないでください。社会を悩ませている問題を解決しようとする前に、まず自分自身の家庭を整えなければなりません。それはリーダーから始まります。 神によって私たちの霊的父として任命された司教と司祭は、正しく命令されなければなりません。 今日、司祭や司教が群れを誤解させた話をすべて列挙するには時間がありませんが、私たちの誰ももう無知を責めて、ただ盲目的に「お父様がおっしゃったことです」と宣言することはできません。 なぜなら、悲しいことに、私たちがリーダーとして期待している司祭の多くは、自分の趣味を優先したり、教区名簿に掲載する犬との写真やおそろいの服装を優先したりする司祭たちと同じだからです。 私たち信徒も女性も、聖なるためには小教区で積極的に活動し、問題を解決しようと努めなければならないと考えがちです。 はい、私たちは小教区の支援に絶対に関与すべきですが、私たちが小教区の司祭たちが問題を解決するために頼れる拠り所になることはできません。 父親と息子の関係に目を向けるのと同じように、司祭とその民との関係にも目を向けるべきです。 父親として息子を導くのが私の仕事であるにもかかわらず、常に息子に助けを求めるのは適切ではありません。 聖ホセマリア・エスクリバは、司祭は奉仕するように任命されており、信徒を模倣する誘惑に負けず、徹底的に司祭であり続けるべきであると述べています。 悲劇的なことに、非常に多くの司祭は幸福の多くを教区民から受ける賞賛に依存しており、それを求めるうちに警戒を緩め、過剰に馴れ馴れしくなってしまうのです。 私のチームメイトのガールフレンドが言うように、馴れ合いは軽蔑を生むので、この過度の馴れ合いは毎回問題になることがわかります。 [ 笑い ] 聖ホセマリアは、司祭を単なる一人の人間として見たい人もいると続けます。 そうではありません。 彼らは司祭の中に、すべてのキリスト教徒、そして実際すべての名誉ある人にふさわしい美徳、すなわち理解力、正義、仕事生活(この場合は司祭の仕事)、そして良いマナーを見つけたいと思っている。 私たちが信徒として、あれこれの神学の教えを解読できるようにアマチュア神学者になることに身を投じるのは賢明ではありません――もちろん、あなたが神学を専攻している場合は別ですが。 私たちは、人生における自分の状態と自分自身の使命に意図的に焦点を当てなければなりません。 そして私たちのほとんどにとって、それは既婚男性と女性としてのことです。 それでも、私たちはすぐに使える素晴らしいリソースをたくさん持っているので、現代に合わせて曖昧に言い換えられていない、伝統的で時代を超越した教えを見つけるのにそれほど時間はかかりません。 さらに、善良で聖なる司祭はまだたくさんいますので、彼らを探し出すのは私たち次第です。 世界の混乱は残念ながら私たちの小教区の混乱に反映されており、悲しいことに大聖堂にも反映されています。 パンデミック中に見られたように、あまりにも多くの司教がまったくリーダーではありませんでした。 彼らの動機は、恐怖、訴えられることへの恐怖、排除されることへの恐怖、嫌われることへの恐怖でした。 彼らは、意図的か非意図的かにかかわらず、秘跡は実際には重要ではないことを行動によって示しました。 このため、秘跡も受けられずに孤独死した人が数え切れないほどおり、決して忘れてはいけない悲劇です。 カトリック教徒として、私たちは民、そして最終的には教会のために命を捧げた英雄的な羊飼いたちの例を数多く挙げることができます。 コロナ禍で経験したことが適切だったという嘘を信じることはできません。 何世紀にもわたって、大戦争、大飢餓、そしてそうです、大病気さえもあり、それらはすべてある程度の致死性と危険性を伴いました。 しかし、これらの例のいずれにおいても、教会指導者は自らの召命に力を注ぎ、民が秘跡を受けられるようにした。 モロカイ島の聖ダミアンのような偉大な聖人たちは、自らの宣教の危険性を承知しており、精神的指導者としてハワイのハンセン病植民地に11年間滞在しました。 彼の英雄的行為は、理想的にはまったくユニークであるべきではないにもかかわらず、今日では何か特別でユニークなものとして見なされています。 なぜなら、父親が自分の子供を愛するように、羊飼いも自分の霊的な子供たちを愛すべきだからです。 それは、現代の使徒である司教たちにとってはさらに当てはまります。 私たちの司教たちはかつて、指輪にキスをし、彼らの言葉をすべて受け止める崇拝の群衆を持っていましたが、今では取るに足らない存在の地位に追いやられています。 さて、教区の司教や司教協議会全体が、この問題やあれこれに関する重要な文書を発表しても、誰もそれを読むどころか、一刻も読もうともしない。 いいえ、今日、私たちの羊飼いたちは、難しいことを大声で言うことよりも、公会議への扉を常に開いておくことにはるかに関心を持っています。 司教たちから連絡を受けるのは、毎年恒例のアピールの時だけのようですが、私たちは司教たちに、個人的な慰めを脇に置き、十字架を抱きながら教会の教えについて声を上げる必要があります。 私たちの司教たちは政治家ではなく羊飼いなので、仲良くしようとして世界に溶け込むのではなく、彼らも自分たちの道に留まり、先頭に立たなければなりません。 私がこのすべてを怒りから言っているわけではありません。私たちはふさわしい指導者を獲得しているからです。 しかし、これは私が自分の車線にとどまり、自分の使命に集中すること、そしてより良い父親、夫になり、世界で生きながらも世界に属さないようにするにはどうすればよいかを考えさせます。 これらの人々のために祈り、断食しながら自分の召命に集中することは、私が教会の指導者たちに不平を言うよりも、教会のためにもっと役に立ちます。 私たちの指導者たちからは非常に多くの混乱が生じているように見えるため、ミズーリ川の上流の断崖絶壁に建てられたカンザス州の小さな大学ベネディクト校のような場所で人々が参考になる具体例が必要であり、秩序ある政策がどのように世界に示されているかを示している。 , キリストを中心とした存在が成功の秘訣です。 過去 20 年間で入学者数が 2 倍に増加し、建設と活性化が常に生活の一部となっており、人々、学生、教職員が繁栄しています。このキャンパスのいたるところにある例を見る必要はありません。 これは偶然に起こったわけではありません。 伝統的なカトリックの価値観を受け入れる意図的な運動の中で、ベネディクト会は、他と区別するものが何もない単なるリベラルアーツ学校から、繁栄する光の灯台となり、伝統を受け入れると、世俗的な、精神的な成功が得られるということを私たち全員に思い出させてくれます。フォローする。 AP通信の記者たちは、ここベネディクト会のような場所や人々を叱責し当惑させようとする試みが、怒りを持たれず、むしろ興奮と誇りを持って迎えられるとは想像できなかったに違いない。 それは、一か月をそれに費やす大罪のような誇りではなく、聖霊と協力して神の栄光を現わす、神を中心とした真の誇りです。 現在世界中で共有されているその記事を読むと、自己を完全に明け渡し、キリストに向かうことで幸福が得られることがわかります。 ここカンザス州の小さな町で、私たちは自分の才能を活かしてインスピレーションを与える多くの信徒を見つけます。 ミニス学長、[アンドリュー] スワフォード博士、[ジャレッド] ジメラー博士は、まさにこのキャンパスで、キリストの光を今後何世代にもわたって明るく照らし続ける素晴らしい例です。 自分の使命にしっかりと向き合い、自分のレーンにとどまることが、この人生で真の幸福と平安を見つける最も確実な方法となるでしょう。 信徒であれ、司祭であれ、修道者であれ、私たちは人生における自分自身の状態に焦点を当てることが不可欠です。 2024 年卒業生の皆さん、皆さんは残りの人生の瀬戸際に座っています。 皆さん一人ひとりは、自分自身とこの人類存在の時代を超える遺産を残す可能性を持っています。 小さなことではありますが、自分の召命を全うすることで、神の教会が存続し、世界があなたの模範によって啓発されることを保証するでしょう。 本日ご出席の女性の皆様、素晴らしい成果をおめでとうございます。 あなたは、若い人生でこれまでに達成してきたすべてのことを誇りに思うべきです。 私があなたたちに直接話したいのは、最も悪魔的な嘘をついたのはあなたたち女性たちだと思うからです。 今ここに座って、この段階を通過しようとしていて、自分のキャリアで獲得するすべての昇進やタイトルについて考えている人は何人いますか? 皆さんの中には、世界で成功したキャリアを送り続ける人もいるかもしれませんが、あえて推測すると、皆さんの大多数は、自分の結婚と、この世に産む子供たちに最も興奮しているのではないかと思います。 私の美しい妻、イザベルは、妻として、そして母親としての使命を果たし始めたときから彼女の人生が本当に始まったと最初に言うでしょう。 私が今日ステージに立って、今の私でいられるのは、天職に身を寄せる妻がいるからです。 私は神が私に与えてくださった多くの才能に恵まれていますが、私のすべての成功は、中学校時代にバンドのクラスで出会った女の子が信仰に改宗し、私の妻となり、すべての中で最も重要な肩書きの 1 つである主婦を受け入れましょう。 [ 18 秒間の拍手 ] 彼女は私たちの子供たちの主な教育者です。 彼女は、私が夫や父親の仕事からフットボールや私の仕事を決して邪魔にならないようにしてくれた人です。 彼女は私の根幹を最もよく知っている人であり、私たちの結婚を通して、主の御心によって私たちは二人とも救いを得ることができます。 私がこのようなことを皆さんに言うのは、外の騒音を無視して人生において神のご意志にどんどん近づいたときに、人がどれほど幸せになれるかをこの目で見てきたからです。 キャリアを持つというイザベルの夢は叶わなかったかもしれませんが、もし今、彼女に自分の決断に後悔があるかと尋ねたら、ためらうことなく大声で笑って、「いや、違う」と答えるでしょう。 多くの賞賛を受け、今日このような聴衆に向けて話す機会を与えられた男として、私は自分の声を自分のためではなく、常に神のために使うように祈ります。 私が皆さんに話していることはすべて、知恵の場からのものではなく、むしろ経験の場からのものです。 私は、この言葉があなたとそれほど年上ではない、この階級、この世代、そしてこの社会において、私たちの周りに見ているものが本物であるかのように振る舞うことをやめなければならないと感じている男性の言葉として受け取ってもらえることを願っています。普通。 カトリックのサークル内にも異端的な考えが溢れています。 しかし、正直に言うと、子供を産むことで神ごっこをすることは、それが理想的な数であれ、妊娠に最適な時期であれ、何も良いことはありません。 どう解釈しても、カトリックの避妊には自然なことは何もありません。 私がより大胆かつ率直に話すようになったのはここ数年のことです。なぜなら、先に述べたように、私は夫として、父親として、そして男性としての使命に傾倒してきたからです。 今日ここにいる紳士の皆様へ:私たちの社会を悩ませているものの一部は、家庭や地域社会に男性は必要ないという、あなた方に伝えられてきたこの嘘です。 私たちは男性として、文化の雰囲気を決めますが、それが欠けると、無秩序、機能不全、混乱が始まります。この家庭に男性がいないことが、全国各地で見られる暴力に大きな役割を果たしています。 他の国では、父親の不在率がここ米国とほぼ同じではなく、暴力率が大幅に低いことにも相関関係がある可能性があります。 男性の文化的骨抜きと闘いながら、自分の男らしさを悪びることなく行動してください。 難しいことをやってください。 決して簡単なことだけに妥協しないでください。 あなたには、必ずしも楽しんでいるとは限らない才能があるかもしれませんが、それが神を讃えるものであれば、自分にもっと適していると思われるものよりも、その才能に頼るべきかもしれません。 私は内向的で、今ではアマチュアの講演者や起業家になっているという経験に基づいて話しますが、産業工学の学位を取得したときには、自分がそうなるとは思っていませんでした。 前途は明るいです。 状況は変わりつつあります。 社会は変化しています。 そして、老若男女が伝統を受け入れています。 私と私に最も近い人々を助けてきたのは私の使命であるだけでなく、伝統的なラテン語のミサを率直に支持することは多くの人にとって驚くべきことではありません。私は TLM への愛と献身を非常に声高に主張してきました。そしてそれは私たちの生活にとって必要なものです。 しかし誤解されていると思うのは、TLM に参加する人はプライドや好みから参加しているということです。 私は自分自身の経験について話すことができますが、これらのコミュニティ内で出会ったほとんどの人にとって、これはまったく真実ではありません。 私が TLM に参加しないのは、自分が他の人よりも優れていると思っているため、または匂いや鐘のため、さらにはラテン語への愛のためでもありません。 私が TLM に参加しているのは、旧約聖書の神がどのように崇拝されることを望んでいたかについて非常にこだわりがあったのと同じように、同じことが今日の私たちにも当てはまると信じているからです。 私が秩序に出会い、自分の人生の中でそれを追求し始めたのは、TLM を通じてでした。 TLM自体は別として、私たちの神聖な伝統の多くは過去のものに追いやられていますが、私の教区では、残り火の日、断食をして召命と司祭のために祈る日などが今も守られています。 TLM は非常に不可欠なので、すぐに利用できる場所に移動する場所を選ぶよう皆さんにお願いしたいと思います。 多くの人が教区や共同体について不満を持っていますが、私たちは共同体のためにミサを犠牲にするべきではありません。 たとえ教区が美しくなくても、司祭が素晴らしくなくても、コミュニティが素晴らしくなくても、私はTLMを優先します。 私が今でもTLMに通っているのは、ミサの聖なる犠牲が何よりも大切だと信じているからです。 私は、あなた方一人一人が教会の偉大な伝統の多くについての知識と遵守を再燃させたとき、自分の人生がどれほどカラフルで生き生きとしたものになることができるか、そしてそうあるべきであることがわかるだろうということを十分に承知してこのように述べています。 あなた��この場所から進んで世界に飛び出すとき、多くの課題に直面することを知ってください。 悲しいことに、このコミュニティの善良で活発なメンバーが、卒業してベネディクト会のバブルから離れた後、結婚前にボーイフレンドまたはガールフレンドと同棲することになった無数の話をご存知の方も多いと思います。 教会を離れて神を捨てる人さえいます。 こうした話を聞くのはいつも心が痛むもので、何が起こったのか、何がうまくいかなかったのかを知りたいという欲求があります。 覚えておかなければならないのは、人生とは、小さなことをうまくやり遂げ、成功に向けて準備を整え、最高の自分になるよう絶えずプッシュしてくれる人々に囲まれることだということです。 私はいつも言っていますが、鉄は鉄を研ぎます。 これは、私たちに最も近い人たちが私たちをより良くしてくれるはずだということを思い出させてくれます。 もしあなたが自分の信仰を共有していない人と付き合っているとしたら、その人があなたを聖人になれるようどのように助けてくれると期待しますか? もしあなたの友人グループが、あなたが次の週末に何をするかだけを考えていて、難しい会話をしたくない人たちでいっぱいなら、どうやって彼らがあなたを研ぎ澄ますのに役立つでしょうか? 就職の準備をする際には、転職先について実際に考えることが非常に重要です。 司教は誰ですか? どのような教区がありますか? 彼らはTLMを提供しており、司祭としての使命を受け入れる司祭を抱えていますか? 生活費だけがあなたの選択の決め手であってはなりません。神のいない人生はまったく人生ではなく、救いのコストはどんなキャリアよりも価値があるからです。 私は将来に興奮しています。そして、あなたが人生の次の章に進む際に、私の言ったことが心に響くことを祈っています。 唯一の聖なるカトリック使徒教会を告白することを決して恐れてはなりません。なぜなら、これはイエス・キリストが設立された教会であり、それを通して私たちは聖化の恵みを受けるからです。 今日の私のメッセージは、これらのスピーチで期待されているよりも少し綿毛が少なかったことは承知していますが、この聴衆とこの会場は、私たちが何者であるか、そして私たち全員がどこに行きたいのかについてオープンかつ正直に話すのに最適な場所であると信じています。天国。 ベネディクト会大学と、それが世界に模範を与えてくれたことを神に感謝します。 ミニス大統領のような王国のために自らの役割を果たしている人々のことを神に感謝します。 本格的なカトリック大学 と 盛んなフットボール プログラムがあることを知りに来てください。 [ 笑いと拍手 ] 誤解しないでください。あなたは神の後の世界で宣教領域に入ろうとしていますが、あなたはそのために造られました。 そして、神がそばにいて、自分の使命の中で美徳を求めて絶えず努力していれば、あなたも聖人になれるのです。 キリストは王です。 ハイツへ。
全文: カンザスシティ・チーフス卒業式スピーチのハリソン・バトカー| 全国カトリック登録簿
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manganjiiji · 4 months
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心爆発
並行して本を何冊も読んでいるの、もしかしてあまり良くない(記憶保持の点において)んじゃないか!?と思いつつも、あれもこれもをやめられない。最近読了した本では『普通という異常 健常発達という病』が面白かった、かなり。さまざまな哲学者の理論が出てくるのだが、最終的に「デカルト的コギタチオ」という感覚の獲得について理解できるかが鍵となってきて、最終章の5章が難しくて2回読んで、なんとなくわかった気になった。せっかくなので章ごとに要約してみたい気持ちがある。〈友情の現在〉がテーマの現代思想6月号は滑り込みで買えてよかった。巻頭のふたりの対談が既に面白く、私もやっと現代思想(雑誌)を読んで面白いと思えるくらいにはものを知ったんだなあと少し感慨深くなった。ここまでくるのに結構月日はかかってしまったが、好きなことというのは続くものですね。何をどんなに諦めたり挫折したり失敗したりしても、本屋で働くことと、思想に関する書籍(歴史や経済、文化論を含む)を読み続けることはやめられなかったし、今後もこれだけはやっていくんだろうなあと思える。この2つができるなら、生きることというのは私にとってシンプルに楽しい。何者かにならなくとも、どんな業績や実績を残せなくとも、たとえいい小説が書けなかったとしても、世界を知ることは無限に楽しい。人と本を介して繋がること、協働することは何よりも好きだ。こんなことを言えるのはアルバイトの身分だからだと思う。正社員やそれに準ずる役職になったら、上からの「売上」の圧力で私は潰れて死んでしまうと思う。売上のための取り組みをやっているかどうかの報告や、数字で証明しろという圧力、そういうものに耐えて日常の業務をこなせるのかといったら謎だ。そして私には週5日フルタイムで働くことは物理的に不可能であり、ということはそもそも正社員やそれに準ずる役職にはなれない。そこで!つまり自分が店主になって店を構えるということ、新しい働き方を自分が作り実践していくということ、そういうことができたらいいのにな〜と夢想する。そのためには経営に関する勉強、さまざまな労働に付随する法律の知識が必要となると思うし、そもお金はどこから出てくるんだという話だし、それこそ体力は足りるのか?など、課題は山積しているが、絶対に不可能か?と考えると、何事にも絶対というのはない。ただ勝率の低い賭けだとは思う。私には結局死ぬまでアルバイトで週4で本屋店員を呑気にやるのが関の山というか、それでも天晴れだと思う。体力がついてこなければ死ぬまでは不可能なので、いつかは諦めなければなあと思うが…。本屋以外、やりたいことはNPOを作ることしかないしなあ…。別にやりたくないことをやって糊口を凌いでもいいのだが、前半生でこれだけ苦しんだのだから、もう本当に好きなことしかしたくない。好きなことだけで人生をいっぱいにしたい。やっぱり作るしかないのか、本屋。
きょう、大変にありがたいことに、ひじょうに尊敬している方から燐一の小説の感想をかなり丁寧にいただいてしまい、恐縮!突撃!制覇!恐縮!でありました。本当に…そんな、そんなこと書いたっけ…?!ということの万国博覧会で(書いたのが1月のため忘れている)、お返事を書くためにみずからも読み返したところ、かなり悲しくなり、というか、燐一がお互いに恋をしているというだけで私は最高潮まで悲しくくるしくつらくなってしまうので(※しあわせという意味)、胸がいっぱいになりすぎてお返事を書けず、明日にさせてくださいという気持ちになって終わった。あと誤字や設定ミスも見つけた。直さなければ、と思いつつ、頭を燐一でがんがんに殴られてしまいできなかった。(言い訳)これから書こうと思っているものは、この悲しさの57倍くらいの悲しさを持ち合わせる設定と展開なので、大丈夫か?と思った。未だに原稿に手をつけていないのも全然大丈夫じゃない。英検を受けている場合じゃない。しかも英語の勉強も捗々しくない。そんな折、5年来の友人(半年に1度くらいふらっと会うセフレ)から明日会えるかと連絡が来て、かなり久しぶりに会うことになった。正直この友人のことは忘れかけていたというか、「過去の人」枠になっていた。しようとしていた。私は結構友人のことが好きだが(たぶん生涯を共にするならこの人だろうなという感覚)、友人のそういう(恋愛や婚姻に関する)事情は全く聞いたことがない。そのことについてなんとなく、どうなんだ…?と、かねてより思っていたのだが、ある場所で人に話を聞いてもらったところ(この友人の話を人に真剣にするのは初めてだった)、それは是非、もう、明日にでも聞いた方がいい。と言われ、そりゃそうだよな。と思い、明日会ったら、「結婚したい相手とかいるんですか」と率直な疑問をぶつけてみようと考えている。「いる」とはっきり言われたなら私は関係を解消(?)したほうがいいし、もうその時期が来ているなとも思っている。私はどうせ生涯1人で生きていくというか、パートナーを得ないまま生きていくのだろうことを、最近はまた穏やかな気持ちで受け入れられるようになった。それにしても66kgの巨体で会いに行くのはかなり気まずいなと思っている(かなり太ったことは事前通告済み)。5年前には、「次の夢はなに?」と聞いたら「仕事は一段落したから家庭を持つことかな」と言っており、そのことがかなりずっと引っかかっている。おまえ、5年も独身のままで、あの夢はどうなったんだ…?進捗が気になっているんですが…。考え方はしっかりしている人だし、その夢は継続中なのかもしれないが、子供を作りたいなら、男も高齢にならないうちに(精子の質が落ちるため)作ったほうがいい、ということをお節介ながらも伝えたい。もし自分が子供を産めるような人間だったら、この友人や、あるいはもっと他の人とも、パートナーとなる可能性があったのだろうか。など、途轍もなく詮ないことを考えないでもない。まあしかし、不可能なことは不可能で、そこにないならないですね。が世界の真理なので、ということはこれまで何度も体感してきた。そこにないならない。力強いことばで、勇気さえ湧いてきそうである。無いなら無いで、それがなくても元気に楽しくやっていける自分を構築するほかないのである。繁殖への欲望というのはかなり根強く(おそらく本能的なもののため)、私はこの話題に関してすぐmiseryな気持ちになるのだが、周りの友人たちを見ていると、清々しいまでに自己の繁殖に興味のない人達ばかりで、人とは不思議だなと思う。私は好きな人と付き合って結婚して子供を産んで子供を育てたかったんだなあ〜と、そのことだけは忘れられずにいる。これは「安全な家庭」への幻想を多分に含む。「好きな人」と私は生きているステージが違うんだ、と気づいた時(それは16の時だった)、そこで何もかもの、人生のやる気をなくしてしまった。今まで抑えていたもの全てが決壊して、とうとう一面取り返しのつかないほどに水浸しになり、そのことでまた自責し、呪い、恨み、病んでしまったのだった。私が精神疾患の20年選手で障害年金も受給している立場なのは、やはり自業自得なのではないか、と考える時も多々ある。自業自得で社会保障に頼るなんて最低だな、という論理に陥ってしまうので、いや、悪いのは私というよりも病気だし、それが発症するきっかけになった環境を作り出した社会である、と、毎度持ち直す必要がある。今となっては、誰が悪かったのかもうわからない、とまで思うことがある。私が悪かったこともあるだろうし、父や母、兄が悪かった部分もあるだろう。誰が加害者で誰が被害者ということよりも、私は、私が家族を取りまとめられなかった責任というものを未だに感じている。
16歳の時に、私のように、誰にもばれないようにひそかに家庭内で号泣しなければいけない子供を1人でも減らしたいと心から思った。あの時の私は完全に「被害者モード」に入っていたが、そもそも���話、私がもっと強ければよかったのではないか。たとえば加害を受けても、強く生きていける人もいる。これは生まれつきの性格にも左右されるものだと思うのであまり言いたくはないし、苦しんでいる子に「君がもっと強くなるべきだ」などとは死んでも言えないが、自分に関してだけは、やはりあの時被害者ぶりすぎていたのではないか?強く立ち向かうことをさぼったのではないか?という疑念は常にある。しかし、これは断言できるのだが、「立ち向かう」ということを思いつかなかった。幼少時より、私は耐える子供だった。受け入れ、耐え、ひたすら終わるのを待つことが癖になっていた。だから、親や兄に向かって「反撃」「反論」するという発想はそもそもなかった。30歳あたりからだろうか、もしかして、事態がそこまで最悪化するまえに、私が随所随所で異を唱えていれば、親たちの考えも変わったのではないか?なぜ私は被支配に甘んじていたのか?と、弱い子供ではなくなった今の私は、そんなことをよく考えた。しかし、なかった。発想がなくて、その選択肢を私が思いつくことはなかった。そこになければないですね。残酷だが、そうやって世界はできているし、時間は戻らない。
小説を書ける「モード」に全然入れない。この数日は気圧低下と暴風雨により久しぶりにパフォーマンスが落ちた。眠りは相変わらず上手くいっていない。が、前回診察時からうつ状態(希死念慮を伴う)になることはないし、無気力状態にもなっていない。人生史上いちばん快癒の方向に向かっていると感じる。あとは体力がもっとつけば申し分ない。仕事に順調に出勤していることがかなりのよい土台になっている。週4×4時間。これが限界で、かつての私が見たら「そんなの働いてるって言えないよ!」と絶望すると思うのだが、暴働を繰り返した結果週1でさえ働けなくなった若い私にそれは言われたくない。が、無理をして1日15時間働いていたのも本当に楽しかったし、それで得られたものもあると思う。というか、そうすることでそれ以上失いたくないものがあり、その段階を踏まなければ今の私にはなれなかったのだと感じる。仕事(アルバイト)、哲学や批評の勉強、英語の勉強、歌の練習、とやりたいことが多い中、燐一の原稿を進めるのは至難の業に思えるのだが、いざとなったら仕事以外のことは1回全て止めてもいい。とにかく今しか書けないものを書きたい。二次創作は燐一(あんすた)で最後になると思う。あとは細々とでいいので、自分が「小説」だと思うものを書いていきたい。就業中にふと気になって松浦寿輝について調べたりインタビューを読んだりした。仏文学者、詩人、作家。詩人としてこういう大きな建造物を作るみたいに詩を書ける人というのは、私が憧れる姿だと思った。詩を書きたいという思いもあるし、短歌も作っていきたいと思う時は多いが、その前に先ずやることがたくさんあり、詩歌の創作は、小説のあとになるのかもしれない。少しずつ書いて貯めてはいるが、これを詩で言いたい、という情動が最近あるかというと、特にない。なにもかもが鈍っているなあと思うが、社会にはそれなりに適応している昨今なので、あまり欲張りすぎるのもどうなのか、と思う。
2024.5.29
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rosysnow · 6 months
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雨にとらわれて
触れ合えない私たちが、たとえ交わっても
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 誠弥くんは、私の肩に咬みつくような口づけをして、荒っぽく動きながら、しがみつくみたいに抱きしめてくる。まだ男性として未完成で、丸みの残る軆と低くなりきっていない声、匂いも甘い。
 私もそんな彼を腕に包みながら、じかに背中に触れているたたみに、湿った髪を流している。
 窓の向こうでは、まだ雨が降っている。冬の冷気が染みこんだ雨だった。その雨に濡れて、軆を温めて、私は恋人の弟であるこの子と軆を重ねている。
 こんなこと、この子の助けにはならないのに。
 激しい雨音が、このアパートのリビングを世界から切り離している。誠弥くんの息遣いが耳たぶに触れて、私に微熱をうつしていく。
 私は睫毛を伏せ、今だけ、と思った。
 そう、今だけ、これでこの子の気が済むのなら。
 ──長かった残暑が明け、ほんのひととき、季節が秋に彩られた。街路樹の銀杏が、アスファルトをひらりとひるがえっていく。秋晴れは青く澄み、頬をすべっていく風は心地よい涼しさをはらむ。もうすぐ十一月になるから、秋の味覚や夜長の虫の声は、いつのまにか過ぎ去ってしまったけれど。
 家電メーカーのコールセンターで働く私は、仕事を終えると、恋人の圭弥のアパートにおもむいて夕食を作る。
 圭弥は同じメーカーの実店舗でバイトリーダーをしている男の子だ。知り合った切っかけは、本社と店舗の交流会。私は短大を出て、圭弥は高卒から働いていて、年齢は同じ二十二歳だ。
 おとうさんはいない、おかあさんは留守がちの家庭で育った圭弥は、私の手料理を喜んで食べてくれる。圭弥には誠弥くんという中学二年生の弟がいるけど、彼も私の料理を無言でだけど、いつも平らげてくれた。
 その日は雨模様だった。スーパーで急いで献立の材料を買うと、赤い傘をさして圭弥の部屋に急ぐ。雨雫に湿った肩をはらい、ドアフォンを押した。
 こうすると、いつも誠弥くんが無表情にドアを開けてくれるのだけど、今日は反応がない。どうしたのかな、と思いつつ、合鍵はもらっているので、それで部屋にあがった。雨音が響く中で耳を澄ましても、誰かがいる物音はしない。
 時刻は十八時をまわっている。学校はとっくに終わっている時間だ。誠弥くん、どうしたのだろう。気にかかりつつも、私はエプロンをまとって夕食の支度を始めた。
 香ばしい秋鮭のホイル焼き。甘いさつまいものそぼろ煮。白いごはんと、豆腐とわかめのお味噌汁。
 ひととおり完成した夕食を味見していたとき、玄関で物音がした。振り返った私は、目を見開く。
 学ランを着た誠弥くんだったのだけど、髪にも服にも泥が絡みつき、疲れ切った面持ちをしていたのだ。
 私は慌てて「どうしたの」と玄関に駆け寄る。しかし、誠弥くんは私をちらりとしただけで、「何でもない」と吐き捨てるように言った。間近で見ると、肩や脇腹に靴底の痕がある。
「誠弥くん──」
 誠弥くんは何も言わずに私を押しのけ、自分の部屋に入っていった。昔は圭弥と誠弥くんの部屋だったらしいけど、今は圭弥は誠弥くんに部屋を譲り、自分はリビングで生活している。
 私は誠弥くんの顔を思い出し、顔には何もなかったけど、と思う。蹴られた痕。暴力。……イジメ? 安易な発想かもしれないけれど、そんな考えがぐるぐるよぎって、勝手に不安になる。
 翌日になっても、対応が終わって電話を切ったあと、ふと誠弥くんのことが思い出されて、心配になった。
 圭弥は、知っているのだろうか。言ったほうがいいのかな。昨夜の夕食時には、何となく誠弥くんの視線に圧を感じて、何も言えなかったけれど。
 十月最後の週末、私はオフなのでお昼から圭弥の部屋に向かった。店舗勤務の圭弥は、週末はほとんど休めない。だから、誠弥くんの昼食を用意するように頼まれている。圭弥にも、腕によりをかけて夕食を作る。
 誠弥くんはいつも部屋にいて、「ごはん食べる?」と声をかけてやっと部屋を出てきて、ふたりなのが気まずそうだけど、やっぱり私の料理を平らげる。けれど、その日何となくドアフォンで知らせることなく合鍵で部屋に入った私は、誠弥くんがキッチンの引き出しを開けているところに遭遇した。
 その手は、封筒をつかんでいた。私が食材に出したお金は、圭弥がそこに忍びこませて返してくれるのが、暗黙の了解だった。そのときに使っている封筒を、誠弥くんが開いている。
「何、してるの」
 私がこわばった声で言うと、「違う」と誠弥くんは声変わりしきっていない声で言った。
「持ってこいって……でも僕、一万円なんて持ってないし、」
「圭弥が働いて稼いだお金なのに、」
「そんなこと���ってる! じゃあ何だよ、にいさんは一万円くれんのかよ。あいつらに渡す一万円をよこせとか、……言うのかよ」
「………、それでも、」
「あんたに分かるかよっ。くそっ」
 誠弥くんは引き出しに封筒を投げこみ、閉じることもせずに自分の部屋に入っていった。私は当惑しつつ、引き出しを閉じる。
『あいつら』。やはり誠弥くんはイジメを受けているのか。それも、恐喝されるようなイジメを。それはもうイジメじゃなくて犯罪か。
 どうしよう。さすがに何かしてあげないといけない。けれど、ここで私の一万円を貸して、当座をしのぐのは解決ではない。
 そのあと、誠弥くんのぶんの昼食は作ったけど、声をかけても出てこないどころか返事もなかった。圭弥が帰宅した夕食時もそうで、「ごめんな、気むずかしい奴で」と言われて私は首を横に振る。圭弥はさくっと牛肉のコロッケを頬張ったあと、「とうさんがいた頃はよかったんだけど」と哀しそうに微笑んだ。
「おとうさん」
「その頃は、かあさんも家にいてくれたし──かあさんも、とうさんが死んだのを受け入れられないから、この部屋にあんまり寄りつかないんだと思うんだ」
「……うん」
「分かってても、子供にはそれは寂しいんだよな。とうさんがいないから、せめてかあさんの愛情が俺にも誠弥にも必要なのに」
「そう、だね」
「こんなぎすぎすした家じゃなかったんだ。とうさんが生きてた頃は、家の中はほんとに優しかった」
 圭弥はシーザードレッシングをかけ、プチトマトと千切りのキャベツを食べる。
 誠弥くんも、おとうさんがいれば頼りになる人がいて、救われていたのだろうか。傷つけられた心身を打ち明け、受けて入れてもらって、甘えて泣くこともできていたのだろうか。
 それからすぐ十一月に入って、秋が冬にうつろいかけて、冷たい雨の日が続いた。
 また誠弥くんが帰宅していない日、もしやと心配していると、案の定、誠弥くんはぼろぼろのすがたで帰ってきた。「大丈夫!?」と玄関に走り寄っても、誠弥くんは何も言わずにスニーカーを脱いで、私のかたわらをすりぬけようとする。
「ねえ、圭弥に言ったほうが──」
「言うな!!」
 鋭い口調に、びくんと口をつぐむ。誠弥くんは、いらいらした視線を持て余すようにして、目を床に伏せた。
「にいさんには、分かんないよ。あんたみたいな彼女もいて、いつも『頑張ってるね』って褒められて……僕ばっかり、出来損ないだ」
「そんなこと、」
「じゃあ、僕とやれんのかよ」
 急に睨みつけられて、私はまた口ごもってしまう。「口ばっかりじゃないか」と誠弥くんは疲れたように毒づいた。
「はけ口になる気もないくせに」
 そして、顔を背けると誠弥くんは部屋に行ってしまった。
 はけ口、って。いや、誠弥くんは学校で「はけ口」にされているのだ。だとしたら、誠弥くんにも吐き出す場所が必要なのだろうか。それを性衝動で発散したいというのなら、私があの子と寝れば、せめてもの癒やしになれる──?
 仕事中もそんなことを考えて、問い合わせ内容を聞き違えてお客様をひどく怒らせてしまった。落ちこみながら、その日も赤い傘をさして、圭弥と誠弥くんの部屋に向かう。
 吐く息が白いほど雨が冷たい。アパートへの一本道に入ったとき、前方を黒い学ランの男の子が歩いているのに気づいた。傘もささず、ずぶ濡れになって、とぼとぼと歩いている。
「誠弥くん」
 思わず声をかけながら駆け寄ると、誠弥くんは振り返る。雨で髪も顔も服もびっしょりだけど、目の中が赤く潤んでいて、泣いているとすぐに分かった。しかし私はそれには触れず、「風邪ひくから」とかすかに震えている誠弥くんを傘に入れる。誠弥くんは拒絶せず、前髪からぽたぽた雫を落としながら、うつむいた。
 傘の下でひとつの影になって、私たちは一緒に部屋に帰った。家並みが雨脚に霞み、轟々と雨音が鼓膜を圧している。誠弥くんの横顔を見て、この子の笑顔って見たことないなあと思った。
 部屋にたどりつくと、私はすぐにお風呂にお湯を溜めた。誠弥くんは暗い表情で突っ立っている。まもなくお風呂が沸くと、「すぐ入ってあったまって」と誠弥くんの肩を優しくうながす。すると、誠弥くんは私を見上げて小さな声で言った。
「一緒に入って」
「えっ」
「……あんたも濡れてるし」
「私は、」
「嫌なの?」
 私は狼狽えたものの、ここで拒絶するのも誠弥くんを傷つける気がして、「分かった」とぎこちなくうなずいた。洗面所で、お互い無言のまま自分の服を脱ぐ。
 誠弥くんの軆を直視できないし、誠弥くんも私から目をそらしている。それでも誠弥くんは私の手を引いて浴室に踏みこんだ。
 軆を流してから、温まるために一緒に湯船に浸かる。ひとりで浸かる狭い浴槽だから、絡みあうように私と誠弥くんの肢体が触れ合う。
 雨の音が響き渡る。交わす言葉はない。でも、相手の息遣いに耳を澄ましている。
 そのうち引きあうように軆が近づき、急に、誠弥くんが私の腰を引き寄せた。乳房に顔をうずめ、初めて、甘えるようにしがみついてくる。
 ずっと、すりガラスの窓に当たって砕ける雨粒を見ていた。そんな私の軆を、誠弥くんはむさぼるように抱いた。私の中に入ってきて、波紋を起こしながら深く突き上げ、かろうじて私の体内でなく水中に吐き出す。
 でも、私は圭弥の恋人なのだ。だから、誠弥くんのそばにいることはできない。つながったけど、つながってはいけない。私と誠弥くんは、どうやってもつながれない。
 触れちゃダメ。
 触れさせてもダメ。
 なのに、浴室を上がっても私たちは軆を合わせた。激しい雨の中でかたちを崩し、ひとつになってしまうみたいに。でもお互いの心に手は届かないから、ひとつにはなれない。
 ああ、私は誠弥くんに何もできないんだ。
 雨はやまない。やむ気配もない。けして結ばれない私の軆を求めながら、誠弥くんはひとりだ。
 倦むことなく窓ガラスを殴る雨を私は眺める。この秋雨が過ぎ去れば、いよいよ冬だ。そうなれば、雨はやむだろう。
 しかし、この子は、いつまでやまない雨の中、ひとりなのだろうか。
 このままでは、その心に降りしきる雨はみぞれになり、神経を刺すように傷つけるのに──誠弥くんは、心を穿たれ、熱に浮かされ、雨にとらわれたまま、ひとり彷徨っている。
 FIN
【SPECIAL THANKS】 止まぬ雨 ひとり/杉野淳子 『解放心章』収録
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patsatshit · 11 months
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今年の前半は暇さえあれば劇場へ行っていたのに今全然行けていない!デヴィッド・フィンチャーの”The Killer”はおろか、スコ爺の新作もまだ観れていない。”The Killer”は配信になる前に観に行きたいけど…!そうこうしているうちに『インファナル・アフェア』もパトリシア・ハイスミスの映画も終わってしまう!12月はアキ・カウリスマキの新作『枯れ葉』が公開されるし、年が明けたらビクトル・エリセの最新作が…!意識的な無関心の時期がきてるけど、タイミング合わせて劇場に行きたいな。今こういう時代だからこそカウリスマキの”人間愛”に触れたい。
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↑右は試写に行った友人から送られてきた画像。カウリスマキの映画に救われている人は沢山いるのだから、まだまだ引退せずにいてほしい…!
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今年は南方熊楠、串田孫一を知れたことで充分に幸せ。南方熊楠って全然知らなかったけど、知れば知るほど面白い人物だ。彼の研究、民俗学に特化せず言語学(ラテン語を独学?どうしたらできるの?)、精神学や人文学など多岐に渡りすぎていて、生きているうちに彼の脳内を理解しきれるのか不安になってくる。大学へ行かずに独学でオイはいく!っていう地の地でいく姿勢に密かなアナーキー精神を感じて惹かれてしまう。(ちょっと厨二病っぽいところが面白い)ここで彼の型破りな名言を紹介。
「肩書きがなくては己れが何なのかもわからんような阿呆共の仲間になることはない」
学歴や肩書きはない。組織にも所属せず師もなく独学で生涯在野で生きてきた熊楠さん。偉大な功績を残しながら、当時はかなり風変わりな人物だった模様。
「学問は活物(いきもの)で書籍は糟粕(酒のしぼりカス)だ」
蔵書家でありながら、不要と判断した本はキチンと返却していたらしい。
「権威に媚び明らかな間違いを不問にしてまで阿諛追従(あゆついしょう。相手に気に入られようと媚びへつらうこと)する者など日本には居ない」
ロンドン滞在中、ある大学の事務総長に腹を立て一言ピシャリ。
どうでしょう、魅力しかない人物だと思いませんか。来年は和歌山県にある熊楠の研究の場であり長く暮らした母屋を訪れたい。
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今は串田孫一にはまっている。人と自然のつながりが明瞭なわかりやすい表現、飾らない言葉たちで綴られている。ある部分でめざしたい文章、文体。この静寂な世界…静かな朝に読むのが至高。今は『雲の憩う丘』を読んでいる。27の随想、少しずつ味わいたい。
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そのほか先ほどの南方熊楠を始め『ノモレ』『パパラギ』など、今年は民俗に関する本を読んできた。文化人類学にはずっと興味と憧れをもっていて、大学では映画学と同じくらい学んでみたいと思っていた。もっと広い世界がみたいという漠然とした思い、日本とは違う世界の人たちの暮らしを体感したいという気持ちはいまだにずっと心にある。文明社会から遠く離れた人々の暮らしは至ってシンプル。こういった人類の衣食住に触れると決まって、モノに溢れ返った自分たちの生活が馬鹿らしく思えてくる。10年後はもっと情報化社会が進んでいるだろうし、自分の手を使って生み出したり足で稼ぐ機会がどんどんなくなっていきそう。そうなれば人間はどんどんダメになるだろうし、そこに自分は存在していられるかとても不安。人との連帯だけで何とか乗り切っていきたいけれど。指先だけで答えが分かる世の中でも、熊楠の「知の妖怪」精神で生き抜きたい。などと思う。
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今はもっと世界の、日本の往年の作家たちを知りたいという気持ちが強い。情報過多な現代に惑わされないよう、一度立ち止まって自分を見つめ直す時間を大切にしたい。
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↑今年のWBC。Jimmy Fallonみたいな人が映っていて、まさか⁈と思って調べたらやっぱりジミーだったみたい!(右側にいる頭抱えた水色シャツの人。)
今年は縁あって野球をたくさん観ている。WBCで人並みに大谷フィーバーがきたし、周りに野球ファンが増えたこともあり、初めてちゃんとプロ野球を見始めた。今は日本シリーズという、日本一を決める試合を一生懸命みている。ほんとはカードを持っている山本由伸選手がいるオリックスを応援したいのだけど、今は阪神タイガースを全力応援している。(ルールは勉強中!)
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私の家族は元々野球ファン。父は世間でいうまぁまぁなレベルの虎党だ。小さい頃ユニフォームとメガホンを持ちオリーブ色のパルサーに乗って、甲子園によく連れていってもらった。私が覚えているのはタイガースファンに対する恐怖心。地鳴りみたいな大歓声、メガホンをバンバン叩いて騒いで叫んで…圧がもうね、すごいやん、おーん。て感じ。甲子園は高校時代に行事で出て以来、一回も行っていない。今年は突然父の体調が悪くなり、実家に頻繁に帰るようになった。今まで滅多に戻らなかったので、兄と「これからはできるだけ家族と過ごそう」と決めた。はからずも家族と向き合う年となり、全員が少し照れながらできるだけ毎週末を大切に過ごしている。嬉しさと少し変な感じ。高校から各々が別々の暮らしを送っていた。家訓かわからないけど、早いうちから家を出て自活するのが当たり前だと思っていた。だけど今は顔を見せることが一番の親孝行なのかも、と思ったりする。
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エニウェイ今は阪神タイガースが優勝できるように応援している。(いっぱい勝ってる気がするけど一体何回勝てばいいんだ)今日は山本由伸さんが出てるので複雑な心境だった。してやられたり…。毎日勝つのは難しい。勝ち負けの世界で戦う人たちはみんな輝いてるなぁ。
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今日は朝から実家へ直行。しばしダラダラした後リニューアルオープンした神戸のタワレコに行った。前は店舗数が少なかったのでひと店舗が占める割合が大きかったのだけど、今回は店舗数が増えたためタワレコもリニューアルとはいえかなり縮小されていた。取り寄せていたアナ・フランゴ・エレトリコの新作とRachael&Vilrayのアルバムを購入。
↑アナ・フランゴ・エレトリコの新作情報。
↑細野(晴臣)さんがラジオでおすすめしていたRachael&Vilray。毎夜聴いてます。
家に帰り、バーベキューの準備。今日は庭でバーベキューみたいなことをしながら野球をみて過ごした。すいちゃん(義姉)の手伝い2割おしゃべり8割。野球は負けたけどいい一日だったー。
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以上、雑多な日記でした。みなさん良い週末を〜。
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ignitiongallery · 1 year
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道草晴子『完本みちくさ日記』刊行記念絵画展
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8月30日より、道草晴子の『完本みちくさ日記』刊行記念絵画展を、twililightで開催します。
9月8日には西崎憲とのトークイベントも開催します。
ぜひ足をお運びください。
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会期:2023年8月30日(水)〜2023年9月25日(月) 会場:twililight(東京都世田谷区太子堂4-28-10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅徒歩5分) 営業時間:12:00〜21:00  定休日:火曜日、第1&第3水曜日、9月21日、22日
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いつも無駄のない日々を生きるのは息がつまりそうになってしまうから、自分の道草ばかりの日々の日記を読んだり、色だけの絵や、輪郭の曖昧な植物の絵、完璧なデッサンとは少し違うマンガの絵を見ると、呼吸が少し軽くなるといいな、そんな思いでいつも制作をしています。
どこか明確なゴールに辿り着くわけでもなく、わかりやすいハッピーエンドもないまま、ずっと道草をしている日々を描き続けて10年目です。
皆さんも道草をしにぜひこの個展とイベントに足を運んでみてください。
道草晴子
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《プロフィール》
道草晴子(みちくさ・はるこ)
漫画家。2015年にトーチwebで連載していた自伝マンガ『みちくさ日記』を刊行。続編となる『よりみち日記』を2020年に新潮社よりさらなる続編『よりみち日記2』を「考える人web」で2022年9月まで連載していた。2023年8月24日にリイド社から、『みちくさ日記』と『よりみち日記』と『よりみち日記2』の3作をまとめた『完本 みちくさ日記』が刊行される。
現在、マガジンハウスの「POPEYE web」および「SHURO」にて坂口恭平原作のマンガ『生きのびるための事務』を連載中。
絵描きとして絵画作品も制作し、ギャラリーなどで展示販売も行っている。
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《会期中イベント》
道草晴子+西崎憲『道草と創作について』
日時:2023年9月8日(金)開場:19時 開演:19時30分
会場:twililight(東京都世田谷区太子堂4-28-10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅徒歩5分)
料金:2000円+1ドリンクオーダー
西崎憲さんとの出会いは、下北沢にあるB&Bでのイベントがきっかけでした。ギターで弾き語りをする西崎さんが、会ったことない私に「どこかで見たことがありますね」と言ってくれたことをきっかけにお話し、店内にあった「みちくさ日記」を買ってくれました。
西崎さんは「ひと目で好きな作品だとわかりましたよ」と言ってくれて、その後、西崎さんが翻訳家で小説家でもあることを知りました。
それからトワイライライトで再会し、今回のイベントを開催することになりました。
このトークでは、私の名前にもある「道草」のことと、作品に影響を与えてくれた本や映画にまつわるお話をします。
道草晴子
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件名を「道草晴子+西崎憲」として、お名前(ふりがな)・お電話番号・ご予約人数を明記の上、メールをお送りください。
*このメールアドレスが受信できるよう、受信設定のご確認をお願い致します。2日経っても返信がこない場合は、迷惑フォルダなどに入っている可能性がありますので、ご確認ください。
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《出演者プロフィール》
西崎憲(にしざき・けん)
翻訳家、作家、音楽家。訳書に『郵便局と蛇』コッパード、『ヘミングウェイ短篇集』、『青と緑 ヴァージニア・ウルフ短篇集』(亜紀書房)など。著書に第十四回日本ファンタジーノベル大賞受賞作『世界の果ての庭』、『蕃東国年代記』、『未知の鳥類がやってくるまで』、『全ロック史』、『本の幽霊』など。フラワーしげる名義で歌集『ビットとデシベル』『世界学校』。電子書籍や音楽のレーベル〈惑星と口笛〉代表。
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ekcnk · 21 days
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الجو ممطر اليوم
2022年1月17日
今日のヨルダンは雨です。 というか到着した日以外ずっと雨です。 今夜あたり雪の可能性があるそうです。 沖縄県民としてはちょっとテンションが上がります。 今日は現地事務所でのオリエンテーションでしたが、所長も次長も「ヨルダンの水事情」について話されてました。 ヨルダンは水不足だけど水が安い らしいです。 JICA(というか日本?)の支援がだいぶ入っているようです。 (どういう支援かはあえて書きませんが、ジャブジャブ支援してるそうです)
雨が降るのが年に数回しかないのでたまに洪水が起こるそうです。 各家庭に水タンクがあって、週に一回配水があるそうです。 タンクが空に��ったら次の配水まで断水だそうです。 屋上に水タンクがある光景は沖縄を思い出します。 幼少期、沖縄の離島に住んでいたことがあって、その頃に断水を経験してるのですが 本当に断水は嫌です。 もはや子どもの頃の嫌な記憶のひとつです。
ちなみにヨルダン、太陽光発電導入したら 電気が必要な冬は雨季が重なって発電できないし 夏は晴れすぎて電気余るし という感じらしいです。
水も電気もうまいこと貯めて使えたら良いのに。 と思ってしまうのはよそ者の発想ですね。
明日雪だったら雪だるま作りたいです。 いんしゃあっらー
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searivermountain · 26 days
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old jooster 5(Novel)
I loved jooster as a baby (circa 2005) I'm re-submitting my work from my LJ days.
I am a Japanese with poor English. THX DeepL!
The novel could not be translated, so please translate it if you feel up to it. It is written in a style similar to the Japanese jeeves, but I am not sure what happens when I change it to English.
「当て馬ビンゴ」 (Bingo.The man have been used as a dummy.)
本来、陽気でもって快活な愛すべき青年である僕は、昨日とんでもなく素敵な真紅のベルトを街で発見した。
「これは一体何でございますか、旦那様?」
今日その素敵なものを見つけると、ジーヴスはウイスキーの中にミミズが入っていたかのような目でそれをじっと見つめ、視線を動かさずに言った。
その顔を見た途端、自分がひどく陰気で、生まれてこのかたブイヨンから抜け出たためしが無く、世界中…いや、宇宙中を探しても愛してくれる人なんか見つける事の出来ない人間のように思えてきた僕は、経験から悟ってしまった。これはまずい、と。
「ベルトだ。素晴らしいと思わないか」
彼は傷付いた顔をした。
「いいえ、旦那様。僭越ながら私は賛同しかねます」
心が広くもある僕は、少しも声をあげる事なくそれを分別を持って諦めた。
先週も、前衛的なシャツによって家庭内にひどく冷たい木枯しを吹かせたばかりなのだ。
「そうか…"これは!"と、思ったんだがなぁ」
僕は愛しいベルトに向けて最後の一瞥をくれると、彼は後ろに手を組んでそれをこちらからは見えないようにした。
「まぁ、いい。また見つけてくれば良い事なんだ…」
彼はなんとも厭そうに一瞬顔をしかめたが、すぐに持っていた封筒を差し出した。
「それはそうと、です。お手紙が届いておりました」
手紙は親友、ビンゴからのものだった。
僕の親友は女と見ると誰でも惚れるという馬鹿の中でも一番に厄介な馬鹿で、いつもジーヴスと(特に)僕に問題を押し付けるという困った男なのだ。
「ジーヴス、着水準備だ。僕らはこの後いつもの通り、やつのおかげで頭を抱える事になるぞ」
「はい、旦那様。失礼ながら私もそう思っている次第でございます」
「うむ、そうか。開きたくもないが、読んでやるとしよう」
親愛なるバーティへ
 やぁ、バーティ。最近会っていなかったが、元気かい?
 僕の方はといえば、すこぶる元気だ。
 一部の事を除いては、これとない程うまくやっているよ。
 そこで、だ。その一部について君に重要な相談があるのだ。
 直接に話したいから、今日の午後会ってくれ。絶対にだぞ!
 あ、お前と一緒にジーヴスにも来てくれるように言っておいて
 くれ。これも絶対にだ。
 なんと!僕は、現代に生きる天使を見つけてしまった!
 バスの中で隣り合った女性なんだが、今までに見た中で一番に
 すばらしい女性なんだ。聖ルチアのような澄んだ目を持ってい
 て、彼女はその目で僕を見つめる。そうすると、僕はもう天に
 も登ったよ
ここまで読んでから、僕は手紙から顔を上げた。
「ジーヴス、あとは読んでくれ。ビンゴに事関してはいつも苦労をかけるなぁ…親友に代わって、お前にはいつも心苦しい思いをしているんだ」
「いいえ、旦那様。私は職務を全うさせていただいているだけでございます」
「いつも言っている事だが、お前は本当によく出来た男だなぁ、ジーヴス!もしも僕がお前だとしたら、いつも人に相談ばかりして自分はぼんやりしている馬鹿が主人の親友に居るってだけで、古き良き封建制度を崇拝していたとしても三日で他をあたっている所だろうからな」
「ご満足いただけるよう努力しております、旦那様」
そう言って、彼は優しく微笑んだ。僕はジーヴスのこの表情が一番好きだ。
「で、このベルトは下男にやるという事でよろしゅうございますね?」
馬鹿の為に忘れていた事実を思い出して、僕は可哀想なベルトを思って泣きそうになりながらうなずいた。
「ああ、そうしてくれ。ジーヴス…」
****
その日の昼 彼から指定された店にジーヴスを伴って行ってみると、すでに席についていたビンゴはこちらに手を振った。
「やぁ、こっちだ、こっちだ。元気そうじゃないか、なぁバーティ!なにせ、ちゃんと足が右左に出ているみたいだからな」 「お前も口が達者なのを見ると、元気そうじゃないか?ビンゴ。その調子で脳みそも動かしてくれると有り難いんだけどなぁ」
僕達は久しぶりの再会をバターの染み込んだまずいトーストと一緒に噛み締めた。
「相談したい事があるって言ってたが」 「そうなんだ、まぁちょっと聞いてくれ…」
ここでビンゴの全部の会話を思い出すのは、とても無駄な事だと思う。 なぜなら、彼の話しといえばいつもと同じで ”恋をしたから結婚したい。協力してくれないと田舎で泣き濡れて暮らす。しかし、僕には田舎で暮らすには向かないような男なのだ。田舎で手作りジャムに埋もれて過ごすような生活はまっぴらだ。だから協力してくれないと困る” というものだったからだ。
親友は、僕とジーヴスにその日六度目に彼女と結婚できるような良い考えを思い付いて欲しい旨を伝え、僕の手をしっかりと握って「頼んだぞ」と念を押すと、そこで僕らは別れた。
人の良い二人の騎士は、いつも通りにあわれな男に手を差し伸べてやる為に頭を悩ませた。 ビンゴが今回熱を上げているのは、一緒に食事に行ってレストランからつまみ出されるような、ひどい味オンチな女性らしい。 (そんな女性は、僕なら我慢できずにすねをとりわけ固いかかとのブーツで蹴り上げてしまうかもしれない) まったく、彼の頭上にはキューピッド達の喫煙所があるんじゃないか。 そのくらい、あいつは誰それ構わず恋に落ちてしまうんだ!
もしかしたら、ご婦人方の中には、僕がブーツで女性のすねを蹴りあげるなんて、そんなものはひどすぎる仕打ちだ、と思われる方がいるかもしれない。 しかし、だ。僕は非常に平穏を好む紳士であるからして、何かしら周りを巻き込む騒動を起こす女性は苦手も苦手、大の苦手なのだ。もちろんそうでなくても、女性はまっぴらごめんである。 自由で気ままな独身生活、ホー!だ。
「どう思う?ジーヴス。話じゃ、なかなか家柄の良いお嬢さんらしいが…味オンチときたら、あいつの叔父さんには紹介できないじゃないか」
「はい、旦那様。それは困難な問題かと思われます」
ビンゴは、叔父さんに小遣いをせびって生きている身の上である。その叔父さんが、困った事に(僕が御相伴をあずかるときには愉快なことに)たいへんな美食家なのだ。 やつの今回の最大の不幸は、普通の紳士ならばさして問題にはならないのかもしれない”味オンチ”という壁が、一番の荒波となって立ちはだかっている、という事だ。 彼女の味覚を修正しないと叔父さんに紹介できないからである。
「何か良い考えはないか?」 「いいえ、旦那様。私でも味覚を修正して差し上げる事は不可能かと思われます。こればかりはあの方に諦めていただくしかないかと思うのでございます」 「へぇ、お前でも解決できない事があるのか!」
僕はこの世の中にジーヴスの解決できない事があるのかと少々面喰らったが、彼の出す紅茶が完璧な事だけでも、彼には言い表せない程充分に満足している。 僕のような寛大でやさしい紳士は、少し良い気味だなんて心の中で思っても、その後の事を考えて絶対に口に出すなんて下衆な真似はしないのだ。
「あの馬鹿…もとい、あの可哀想なパリスは嘆くのだろうなぁ」 「僭越ながら、旦那様。あの方はすぐに立ち直られるものと思います」
僕は今までの数々のやつの恋を思い出して、すっかり思い直した。
「それもそうだな」 「そうでございます」 「うむ、やつにお嬢さんの事を諦めるように言ってやろう」 「まことにすばらしい考えではございます。しかしながら、旦那様。あの方にはあなた様がおっしゃった事がお響きになるものでしょうか」 「と、言うと?」 「はい、旦那様。私が思いますところを言わせていただきますと、あなた様がやめろとおっしゃったところで、あの方がそうなさる事はないだろう、ということでございます」 「僕が忠告したところで、ビンゴが彼女を諦める事はない。というわけだな」 「はい、旦那様」 「親友の僕の言う事がそんなに効果が無いというわけか!」
そこで僕は少々憤慨して、ジーヴスに言った。
「そうではございません、旦那様。あの方のお心が少々お熱すぎるのでございます。それに、そちらに関しては私にちょっとした考えがございます」
僕は今までの数々のやつの恋を思い出して、機嫌を直した。
「それもそうだな」
ともかく、ジーヴスは正しいのだ。それで僕も間違いない。
「よし、それで考えってのは一体全体どんなものなんだ?」 「はい、よろしければご説明させていただきます、旦那様…」
僕はその考えを聞くうちに、心の中の民衆が彼に向かってスタンディングオペーションをし始めた。 ブラーヴォ、ジーヴス!、といった具合に。 まったくもって、ジーヴスのその頭脳ときたら、ソクラテスだのロックだのといった頭脳なんて全然目じゃないのだ! 拍手というものは、彼を賞賛するために生まれてきたのではないかと最近僕は疑っているくらいである。
そんな彼の考えに少しケチをつけるとすれば、少々僕へのリスクが大きすぎるという事��。 しかし、そこは親友の為である。僕は喜んで人肌脱ごうではないか。それに、ジーヴスは天才なのだ。それで僕も安泰だ。
僕達は綿密な作戦(ほぼ彼が僕に説明をするといった具合だった)を立て、ビンゴを呼び出した。
****
「今日は急に呼び出したりして、一体何のつもりだ?呼び出した本人のわが友、バーティも見当たらないじゃないか」 「はい、申し訳ございません。旦那様は急用がおできにあそばされまして、少しの間だけ席を外されております。あなた様も御存じの、あのお方が非常に恐れているお方に呼び出されてございます」 「ふぅん、アガサ叔母さんの所だな。それならしょうがない。今日は用事がないから待たせてもらうよ」 「はい、承知いたしました。ところで、お紅茶のおかわりはいかがでございますか?」
今頃は、ジーヴスが上手くやってくれている頃だろうか。 僕は今日、歴史に残る大きな冒険を成し遂げようとしている。少々冒険家には見えないような格好をしていたが、それにしても、ウースター家のスポーツマンの血がひどく騒いでいる事は確かだ。 自分自身の名誉の為にも、絶対に失敗は許されない。 僕は少々緊張した面持ちで、自分の家の呼び鈴を鳴らした。
「おやっ、どなたかがお越しになったようでございますので少々失礼させていただきます」 「ああ、バーティが来るまで暇だから、良かったらこの部屋にお通ししてくれ」 「はい、承知いたしました」
ガチャッ、と輝ける僕の執事がドアを開けて、主人を招き入れた。 「ようこそ、いらっしゃいました。"ミス・バジル"様」
つまり、もうこの時点で勘付かれている方が大多数と思うが、ジーヴスの考えた作戦とは「心変り大作戦」というものだ。 彼の事を一番良く知る親友の僕が上手く女装をし、奴の好きな話題で気の合う洒落の聞いたご婦人に成り変わる。 そうしてビンゴに僕の事を好きにさせて、心変りさせ、見事に舌キチ女と切らせる。という少々大胆すぎる作戦だ。 最初は僕もこいつは僕をからかって遊んでいるんじゃないか、などと思ったものだったが、話が進むうちに、そんな風に思った自分を馬鹿にしたいような、そんな気持ちにかられたと言ったらわかってもらえるだろうか。 ともかく、ジーヴスは完璧なのだ。
少し不安になったいたいけな仔羊は、自分を導く羊飼いに目をやった。
「首尾よくいくものかな、ジーヴス」 「大丈夫です、旦那様。大変にお綺麗でいらっしゃいます…」
ジーヴスは今までで一番僕を労った目で見てくれた。労ったわけではなかったかもしれないが、まあ、なんだ。 ともかくいつもとちょっと違う感じの目だ。 普段はもう少し僕を馬鹿にしたような目をするときがある。
朝は気が付かなかったが、具合が悪いのか顔も少し火照っているように見えた。 風邪をひいているんだろうか…あとで気遣ってやらねば。しかし、今はこの冒険を速めに切り上げる事が大切なのだ。
「ありがとう。でもおかしな事に、女装した男ってのは綺麗って言われてもそれほどうれしくないもんなんだ、ジーヴス」
僕達はドアの前で深呼吸してから、攻撃対象に狙いを定めて部屋に突入した。
「ご紹介いたします。旦那様との親しくしておられる女性、ミス・バジル様でございます」
僕は一生懸命声を裏返し、僕が一番嫌煙したいはつらつとした女性になりきった。
「こんにちは、ウースターさんからつねづね伺っております。あなたに御会いできて光栄ですわ!」
なんと、信じられない事に、ビンゴは口をポカンと開けて、真っ赤になって目玉をひん剥くように僕の事を見たのだ! 僕は自分の賭けた馬が6馬頭身差でぶっちぎりで優勝したような、形容しがたいスカッとした気分になった。
「なんとお呼びすれば、お気に召すかしら」 「もう、何なりと!いや、それでも"ゴミ"だの"ハエ"だのは困ります。お嬢さん、あぁ、僕の天使!!ビンゴと呼んでくれれば光栄の極みです…」
****
「それで、ビンゴさんはいろいろな方に恋なさるんだって、私、ウースターさんに聞きましたわ」
「なんて事を!そんなのは根も葉もない誹謗中傷ですよ、お嬢さん…僕の初めての恋は…」
ビンゴは面白いくらいに話に噛み付いてきて、僕はといえば、本当にこれ以上ないくらいに愉快だった。本当なら、腹をかかえて床を転がり回りたいところだが、品性のあるご婦人はそんな事はしないものだ。腹の中へ笑いを引っ込めて、彼の話しに適当に相づちをうち、適当に微笑んだ。
馬鹿な親友が調子に乗るのと反比例して、僕は紅茶の用意をする執事の機嫌がみるみる悪くなっていく事に気が付いた。
もちろんビンゴに解るほど露骨ではないが、先週のシャツを見つけた時よりも、確実に不機嫌だ。
彼はしばらくして、話がちょうど切れたその瞬間を見逃さずに言った。
「おや、もうこんな時間ですか、そろそろバジル様はお帰りになられる時間かと」
「え?ああ、ええ…そうね。教えてくれてありがとう、ジーヴス」
「いえ、この後お約束がおありになるという事を先程おっしゃられていましたので」
すると、ビンゴはこの世が50回終わったうえに、シャツにワインをこぼされた時のような顔で叫んだ。
「なんてこった!あなたはもう僕の許から去ってしまうんですか?バジルさん…」
「実に有益で、素敵なお時間でしたわ、ビンゴさん…また御会いできたら良いですわね!」
僕は、僕が一番嫌煙したいタイプの女性が別れ際にする、ニコッといったような顔で彼に微笑みかけると、とろんとした瞳で「そこまでお送りします」と言ったので、僕は慌てて必死に辞退した。
僕はこの一時間程度で、彼が恋した女性への同情が一層高まった事を認めなければならない。
僕は自分の部屋という天国のベッドの上に座って、一息ついていた。その横にジーヴスが座り、丁寧に僕の洋服を脱がせていく。
借り物なので、綺麗にしたまま返さないといけないのだ。
「あぁ、ジーヴス…つかれたよ」
「はい、旦那様。大変ごくろうさまでございました」
ジーヴスは僕のコルセットをはずしながら言った。
「あいつ、僕に恋してたよな?馬鹿面といったらなかった」
「はい、旦那様。私が見たところではそのようでございました」
「節操がない奴だなぁ、こんな男前の女に惚れる奴なんて他にはいない!そうだろ?ジーヴス」
僕は声をあげて笑い、自分の頬をぺちぺちとやって彼に同意を求めたが、ジーヴスは急に動きをとめると、じっと僕を覗き込んできた。
「本当にそうお思いでいらっしゃいますか?ご自分の姿をお鏡で御覧になってみてください」
「…お、おい。ジーヴス、やめてくれ、見るな」
隣から注がれる視線の熱さに驚いた僕は、ジーヴスから顔をそむけた。
「どうしたんだ?なんだか君、変だぞ」
「そうおっしゃいましても、旦那様」
彼はさっき僕を玄関で出迎えた時のような目をした。
「目が離れないんでございます」
僕は稲妻に打たれたかのような衝撃を受けた。やはり、ジーヴスは病気だったのだ…!
そんな事を思っているうちに、視界いっぱいに黒いスーツの色が広がり、きちんとアイロンあてされたスーツの、あたたかい清潔な臭いを間近で嗅ぐ事になった。
「ジ、ジーヴス…これはどういう事だ?僕には何が何だかまったくわからない、説明してくれ」
「説明も何も、ご主人様。このままの通りでございます」
「このままとはつまり、どういう事だ」
「僭越ながら、私のちょっとした我侭でございます」
「我侭だと?僕はお前に我侭を許した覚えはないぞ、ジーヴス」
「申し訳ございません、旦那様。しかしながら、あなた様もお逃げになられませんので、私に我侭をお許しくださったのかと」
「…まぁ、いい。僕のような寛大な紳士は、少しの事では怒らないんだ。そうだろ?」
「もちろんでございます、旦那様。寛大なあなた様に、心から感謝いたします」
僕は嘘をついた。本当は、怒っているというより、理由はわからないながら、少し嬉しかったのだ。
ドレスというものは洋服として欠陥品なのか、僕はすっかり体を冷やしてしまっていて、その体に彼の体温は非常に気持ちよかった。
思わずジーヴスに体をすりつける。ちょうど、デブな猫がデブな飼い主にえさをねだるときのようないやに媚びた感じの動きだ。
ウースター家の紳士はそんな動きができる生き物だと思っていなかったので、僕は純粋に自分自身に驚いた。
「ジーヴス、今のはまずくなかったかな」
「いいえ、旦那様。なかなか魅力的でございました」
ジーヴスはいっそう強く僕を抱きしめて、耳もとで囁いた。僕は息が耳にかかるのがくすぐったくて、身をよじった。
「今回の私の作戦はといえば、まったくもって失敗だった。と言う他ありません、旦那様」
「そうか?僕には大成功に思えたんだが」
「はい、私が旦那様の新しい一面を拝見できたという点では成功と言えるかもしれませんが…しかし、やはりこれは失敗と言うしか無いかと」
「どうしてだ?やつは僕に惚れたじゃないか」
「それが、いささか、お熱くなりすぎでございました、旦那様。貴方様の良いところは、私だけが分かっていれば充分なのでございます」
「なんだと?それはどういう…」
何かを言おうとした所で、僕の口はそれを出来なくされた。
****
その後は、なんとも驚くべき、まぁ今までの人生ではありえないような、筆舌では言い表せないような物凄い事態が起こったとしか言いようがない。
僕はこの驚くべき出来事を誰かに言ってしまいそうだ、とジーヴスに言ったところ
「いいえ、御主人様。それは絶対にいけません。絶対に、です。あなた様がその事を口にした瞬間、私が以前お勤めさせていただいていたヴォームス卿のお言葉を拝借させていただきますと、『汚ねぇ豚箱の中にブチ込まれちまう』のでございます」
と言われてしまった。
僕の友達にブタを箱で飼っている奴は居ないが、大層恐ろしい場所なのだろう。僕はぞっとして身震いした。
次の朝、いつもより悪い目覚めからきっちり二分後。いつもの通り、ジーヴスが紅茶を運んで部屋に浮遊してきた。
「おはようございます、御主人様」
「おはよう、ジーヴス。どういうわけか、僕は喉がカラカラなんだ。君もどうだい」
「ありがとうございます、御主人様。それでは失礼して、一杯頂きます」
「うむ」
ジーヴスは自分にも一杯紅茶をいれて、優雅にひとくちすすった。
「御主人様、それにしても、お顔が赤うございますが大丈夫でございましょうか」
「ああ、何故だか解らないが、お前の顔を見ると赤くなってしまうのだ。病気だろうか」
「大丈夫でございます、御主人様。紳士というものは、大概そういうものでいらっしゃいますので」
「うむ、そうか…僕は紳士の鏡みたいなものだからな」
ジーヴスは、アガサおばさんの怒った時のような顔色をした僕を観察するように、全身をしばらくじっと眺めてから言った。
「御主人様、今朝は伝言がございました」
「読み上げてくれ」
伝言はビンゴからで、もう味オンチの事は忘れてくれ、という僕らの思い描いた通りのものだった。
「奴もこれで懲りるといいんだが」
「同感でございます、御主人様。それはそうと、あのお方からもう一つ伝言をお預かりしております」
「なんだ?まだ何かあるのか」
「はい、御主人様。バジル嬢とお近づきになりたいので、今度一緒にディナーにご招待して欲しいとの事でございました」
「なんだって!そりゃあ無理な相談だな、ジーヴス」
「もちろんでございます、御主人様。少々出過ぎた真似ながら、すでに手を打たせていただきました」
「さすがだ、ジーヴス。で、あの馬鹿に何て言ったんだい」
「はい、御主人様。『今朝から、私が紅茶を御一緒させていただく予定でございます』とお答えさせていただきました」
僕はポカンとして、彼が口をつけたティーカップを見つめると、いつものように言った。
「まったく、お前はたいした男だよ。ジーヴス!」
おわり
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ari0921 · 1 month
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桜林美佐の「美佐日記」(267)
次期総理は、真に自衛隊を「平和の道具」にできる
人に
桜林美佐(防衛問題研究家)
────────────────
おはようございます。桜林です。「男もすなる日記
といふものを、女もしてみむとてするなり」の『土
佐日記』ならぬ『美佐日記』、267回目となりま
す。
 感想を頂戴しました。「私は、ヒルビリー・エレ
ジーはみていないのですが、メールマガジンを読ん
で、カレーハウスCOCO壱番屋創業者の宗次徳二
さんのことを思い出しました。宗次さんは、本当の
親も分からず、養父母には家庭内暴力を受けました
が、すばらしい人格者として同社を優良企業にした
方ということは広く知られている通りです」という
ことで、あの米軍人に人気の「COCO壱」にそのよう
なエピソードがあったのですね。ありがとうござい
ました。
 
さて、最近のゲリラ豪雨、私が住んでいる都心部で
もしばしば危険な事態が発生しています。先日は地
下鉄の市ヶ谷駅に滝のように雨が流れ込み、駅が閉
鎖されたという映像がニュースやSNSで流れ、防衛省
で勤務している人たちが大変な目に遭ったのではな
いかと案じましたが、関係者に聞いてみると「雨で
すか? あの時間に帰るわけがないですよ~」てな
わけで、確かに夕方の6時頃でしたので多くの方は無
事、雨が降っていたことすら知らなかった人もいる
かもしれません。
 近年はワーク・ライフ・バランスということで、
日曜の夕方から金曜の夜中くらいまで泊っている幕
僚監部の方は減っているようですが、だからといっ
て9時~5時でOKなどということはないのでしょう。
他省庁でも国会対応などでも相変わらず不夜城とな
っているようです。因みに自衛官は残業代はつきま
せんが・・。
 通常、自衛隊にとって天候は活動を左右する重要
なもので、皆さん雲の動きをいつもよく見ているも
のですが、考えてみればもっとも雨風に強い、いわ
ば全天候型の自衛官たちが幕僚監部にいるというこ
とですね。
 そんな中、またもこんなニュースを目にしました。
陸上自衛隊第1空挺団で夏まつりのダンス大会のた
めの練習を課業時間外にやらされたことが原因で退
職希望者が増えているというのです。
 そういえば、このところ自衛官による演芸とか見
ていないなあと思っていたところでしたのでタイム
リーな記事でした。
 なんてのんきなことを言ったら怒られそうですが、
このような自衛隊における様々な問題が取り上げら
れることが今後、どのように部隊に影響するのか気
になるところです。またぞろ国会で取り上げられて、
課業外のダンス練習禁止!といった対策が取られる
のでしょうか・・。
 このような自衛隊をめぐる色々な事案を受けて、
よく政治家の先生などが「膿を出せ」などとか言い
ますが、本当は最も改めなくてはならないのは、政
治と自衛隊との関係であると改めて感じさせる論稿
もちょうど同時期に出ていました。
 金沢工業大学虎ノ門大学院教授の伊藤俊幸・元海
将は産経新聞の「正論」欄で、海上自衛隊の護衛艦
部隊が直面している危機的な状況について書いてい
ます。
 まず思い出さねばならないのは、過去の海自に起
きたことです。かつて「イージスシステム情報流出」
「給油量の取り違え」など一連の事象を受け、2008
年に「海上自衛隊の抜本的改革」が行われ、その最
終報告書の「問題点の分析」には「平時からの任務
が増大、多様化したことによる、護衛艦部隊等の人
員不足による問題の顕在化」が指摘されたのだそう
です。
「その際、報告書には残されなかったが、将官たち
から『政治からの要請を何でも受けるのではなく、
できないことはできないと言うべきではないか』と
の発言があった」といいます。そして、今の護衛艦
部隊は、より深刻な状況になっていると。
貴重な話だと思いました。その将官たちもその場そ
の場で「YES」と言って何でも引き受けて在任期間を
乗り切ることもできたでしょう。政治要求に応じる
しわ寄せがあまりに大きかったということです。
 海自の艦艇は、修理→訓練→実動のサイクルで回
していますが、定員が充足している潜水艦部隊はこ
れができているものの、現在の護衛艦では人員不足
で実際にはできていないといいます。
 伊藤さんは、海自では人がいないのに「『アデン
湾での海賊対処』『北朝鮮ミサイルへの対応』『東
シナ海・南シナ海での監視』『外国海軍との共同訓
練』などの『実任務』がめじろ押しで、『修理期』
からの臨時勤務のみならず、『訓練期』にある護衛
艦自体も『実任務』に駆り出されるのが実情だ」と
指摘しています。
 また、ここでもお伝えした「特定秘密」の事案に
ついても「本来ならば法律制定時に『自衛官で特防
資格を持っているものは除外』とすべきだったのだ
ろう」としています。
 重要だと思ったのは「運航担当者と整備員で別組
織がある航空部隊と違い、艦艇部隊は乗員が全て行
う。航海中は運航者、入港後は整備員の仕事があり、
海曹士には書類作業をする時間がないのだ」という
ところです。
 乗員は長い航海から戻って家に帰って休暇という
わけにはいかないのです。そこから錆を落としたり、
ペンキを塗るなど整備作業をしなくてはなりません。
 つまり、休みもなく残業手当もなく、家族のこと
も後回しにして任務に全力であたっている人たちが、
手続きなどする暇がなかったにもかかわらず処分さ
れることになってしまっているのです。
 伊藤さんは最後に次のように述べています。
 「今回の一連の再発防止策をみていると、更なる
負担を艦艇部隊に押し付けるものにほかならず、抜
本的な対策になっていない。『抑止力の維持』は、
国会の論争や役人の文書で成り立っているのではな
い。なぜその『抑止力の担い手』が働きやすいよう
に、政治が努力を講じないのか不思議で仕方がない」
と。本当に同感です。
 なお、特定秘密や潜水手当不正受給の背景につい
ては、やはり8月3日の産経新聞で 田北真樹子さんが
詳しく書かれていてネット上で読めますので、多く
の方に知って頂きたいと思います。
これまでも何か起これば「再発防止」として、様々
なルールを課し、組織の力を弱めるようなことがか
なりありました。自民党総裁選が目下の大きな関心
事になっていますが、自衛隊を政治の道具にして弱
体化させるような人ではなく、真の「平和の道具」
にできる人が心から望まれます。
 今日も最後まで読んで頂きありがとうございまし
た。皆様にとって素晴らしい1週間となりますように。
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takahashicleaning · 1 month
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TEDにて
ケレン・エラザリ:ハッカーというインターネットの免疫系
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
サイバーセキュリティの専門家ケレン・エラザリは、こう主張します。ハッカーの素晴らしさは、私達が進歩し改善するように、彼らが仕向けている点であると。
確かに悪いブラックハットなハッカーもいますが、警察、マスメディア、権力者、官僚や行政府の不正と戦い、私達弱者の権利を擁護するホワイトハッカーもたくさんいるのです。
情報化時代の免疫系です。
彼らは、権力者の弱点を暴き適切に公開することで、インターネットをより強固で健康的なものにしています。そして、より弱者を救済するための良い世界を作り出すために、自分達の能力を発揮しているのです。
ホワイトハッカー文化と、その混沌とした創造性を受け入れられるようになるには時間がかかるでしょう。
でも、努力する価値はあるはずです。受け入れる努力をせず、すべてのハッカーと闇雲に争えば、制御できない力を抑えつけることになり、新たな発想を押しつぶし知識を規制するという犠牲を払うことになります。
法律を厳しくして、がんじがらめにしても後で痛い目を見ることになるでしょう。
ダーウィンの進化論でも証明されています。
ホワイトハッカーが体現しているのは、21世紀における並外れた変化への力です。なぜなら、情報へのアクセスがパワーを広める点で重要だからです。ティムバーナーズリーのアイデアと似ています。
免疫とは、感染、病気、あるいは、望まれない侵入生物を回避するために十分な生物的防御力を持っている状態を表してます。
プライバシーとのバランスも大切です。
一方で、ただ単に物事を解読するのが好きなハッカーがいます。彼らこそ、この社会の弱点を見つけ私達に対処する力を与えてくれるのです。
カイル・ラヴェットというセキュリティ研究者が、家庭やオフィスにあるようなある無線ルーターの設計に深刻な問題を発見しました。このルーターには、ネット経由で誰でもリモート接続でき、ハードディスクがつながっていれば、情報がダウンロードできたのです。
パスワードも要りません。当然、彼は製造元に報告しましたが無視されました。たぶん誰でもアクセスできるのは、バグではなく仕様だと製造元は考えたのでしょう。
ところが、今から2か月前にハッカー集団がこのバグを利用して他人のデータに侵入したのです。ただし彼らは何も盗まず、代わりにメモを残しました「あなたのルーターと情報は、世界中の誰でもアクセスできる状態です。対策はここにある通りです。お役に立てば幸いです」
他人のファイルに侵入するのは、確かに違法ですが、彼らはこの企業が製品を直すように仕向けたのです。ハッカーのコミュニティーでは、脆弱性を一般に公表することを「フルディスクロージャ」と呼び議論の種になっていますが、ハッカーのおかげで、私達が普段使っている技術がどれほど進歩したことでしょう。
次に、カリールの活動を紹介しましょう。彼はパレスチナ、ヨルダン川西岸の出身です。Facebookにプライバシー上の重大な欠陥を見つけたので、バグ発見報奨金プログラムに報告しようとしました。コードの脆弱性を報告したハッカーに企業が報奨金を払うのは素晴らしい取組みですが、残念ながら行き違いのせいで彼の報告は認められませんでした。
業を煮やしたカリールは、自分が発見したバグを使ってマーク・ザッカーバーグのFacebookウォールに投稿したのです。彼らの注意を引いたことで確かにバグは修正されました。でも、報告の仕方が適切でないという理由で発見に対して支払われるはずの報奨金は与えられませんでした。
でもカリールにとって幸いなことにあるハッカーグループが、彼に注目していて発見に報いるために13,000ドル以上集めたのです。その結果、ハイテク業界でホットな議論になったのは、どんなインセンティブを与えればハッカーが正しい事をするかという点です。
でも、もっと重要な論点があるはずです。Facebookをはじめとするハッカーが創立した企業でさえ、ハッカーとの関係は複雑です。だから、より保守的な組織がハッカー文化とその混沌とした創造性を受け入れられるようになるには時間がかかるでしょう。
でも、努力する価値はあるはずです。
そんなに優秀ならベーシックインカムの基盤システムを独自に構築してみては?
アノニマスの攻撃目標は様々です。汚職や職権乱用を暴き、権力者や政治家をハックしました。ウェブサイトをダウンさせる単なるサービス妨害攻撃や機密文書のリークよりも影響は遥かに大きいと思います。彼らは、ロピン・フッドのように富を再分配していますが、彼らの狙いはお金ではありません。
書類でもありません。狙いは注目を集めることです。彼らは、自分達の理想に光を投げかけ、私達が気づくように仕向けます。気づくべきなのに気づいていない問題に焦点を当てる地球規模のレンズの役割を果たします。
紛争において、ハッカーは社会的、政治的、軍事的な影響力を持っています。個人や集団として、ボランティアの中にも軍事紛争にも至る所にハッカーがいます。彼らは、あらゆる職業、人種、イデオロギー、ジェンダーを背景に持ちます。彼らは世界を舞台にしています。
ハッカーが体現しているのは21世紀における並外れた変化への力です。なぜなら、情報へのアクセスが、力を広める点で重要だからです。これこそ、各国政府が、統制しようと��るもの「使い放題」式の監視プログラムによって、彼らが狙っているものです。
だから、行政府は、ハッカーを必要とします。その結果、体制とハッカーは長い間、愛憎関係にありました。ハッカーを悪者呼ばわりしている張本人が、その技術を活用しているのです。
確かに長い間。ハッカーは刑務所に入れられてきました。でも、現在、明らかになったことを考えるとネット上の世界を監視しているのはいったいどっちでしょう?今では、そんなに簡単には白黒つけられませんが、おそらくハッカーだけが行政府の行き過ぎた行動や企業によるデータの収集と蓄積に対抗する力を持っています。
私は、そこに希望があると思います。過去30年間。ハッカーは色々やってきましたが、同時に市民的自由や技術革新やネットの自由に影響を与えてきたのも事実です。だから、そろそろハッカーに対する見方を変えるべきでしょう。
そんなに優秀ならベーシックインカムの基盤システムを独自に構築してみては?
ハッカーを悪者扱いしながら英雄視することなんてできるわけないでしょう?私は長年、この世界にいるのでハッカーの課題も素晴らしさも理解できるようになりました。ハッカーは、この世にある壊れているものを放っておけないのです。彼らは、そこにつけ込んだり変えたりしたいという、義務感に駆られて変化の激しいこの世界の弱点を暴いているのです。
ハッカーは、私達が弱点を修正するように仕向けさらによいものを求めます。だから、私達にとって彼らが必要だと思うのです。自由を求めているのは情報ではなく私達自身なのですから。
ありがとうございました。
通信の秘匿性とプライバシーの侵害対策として、匿名化処理の強化と強力な暗号化は絶対必要です!
さらに、オープンデータは、特定のデータが、一切の著作権、特許などの制御メカニズムの制限なしで、全ての人が
望むように再利用・再配布できるような形で、商用・非商用問わず、二次利用の形で入手できるべきであるというもの。
主な種類では、地図、遺伝子、さまざまな化合物、数学の数式や自然科学の数式、医療のデータやバイオテクノロジー
サイエンスや生物などのテキスト以外の素材が考えられます。
情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
法人は潰れることを前提にした有限責任! 慈愛や基本的人権を根本とした社会システムの中の保護されなければならない小企業や個人レベルでは、違いますが・・・
ヨーロッパでの一般データ保護規則(GDPR)でも言うように・・・
年収の低い個人(中央値で600万円以下)から集めたデータほど金銭同様に経済的に高い価値を持ち、独占禁止法の適用対象にしていくことで、高価格にし抑止力を持たせるアイデア。
自分自身のデータを渡す個人も各社の取引先に当たりデータに関しては優越的地位の乱用を年収の低い個人(中央値で600万円以下)に行う場合は厳しく適用していく。
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よ���も良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
<おすすめサイト>
ヴィクラム・シャーマ: 量子物理学はどのようにして暗号強化するのか?
クレイグ・コステロ:暗号専門家と量子コンピューター、新しい競争?
J・J・エイブラムス: 謎の箱
データ配当金の概念から閃いた個人的なアイデア2019
Japan TV of Secret(日本のテレビの秘密)Kindle版
ルネデカルトの「方法序説」についてOf Rene Descartes on “Discourse on Method”
スターウォーズエピソード2クローンの攻撃(Star Wars Episode II: Attack of the Clones)
スターウォーズエピソード3シスの復讐(Star Wars Episode III: Revenge of the Sith)
コリン・キャメラー: 神経の科学、ゲーム理論とサルについて
ロドリゴ・ビジュー:アメリカ政府はサイバー戦争を理解していない? — 必要なのはライトサイドのハッカーだ
個人賃金→年収保障、ベーシックインカムは、労働市場に対する破壊的イノベーションということ?2022(人間の限界を遥かに超えることが前提条件)
世界の通貨供給量は、幸福の最低ライン人間ひとりで年収6万ドルに到達しているのか?2017
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
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sisyamo2 · 3 months
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さて、お昼休みなので、ソウルキャリバー(プロジェクト ソウル)と鉄拳プロジェクトの違いについて少し話をしようと思う。
その話題に入る前に、あなたはゲームのシリーズ存続を論じる上での代表例として「ゲームメカニクス」を挙げている(訳注:この投稿の返信元のことを言っている)が、物事はそんなに単純な話ではない。
格闘ゲームの場合、アーケードゲーム市場が全盛期で「1プレイ1コイン」という収入が重要視されていた時代ならまだそうなのだが、家庭用ゲーム市場では、ゲームメカニクスの評価をすることができるのは、すでにゲームを購入した人だけであり、ゲームのビジネスモデルのパラダイムシフトによって、ゲームのマーケティングそのものが変わってしまったのだ。
ゲームのビジネスモデルのパラダイムシフトは、ゲームにおけるマーケティングそのものを変えた。つまり、ゲームをプレイする前に「買いたい」と思ってもらい、買ってもらえる状況をいかに作るか、発売前の評価と初動販売数をいかに増やすかが問われる世界へとマーケティングの世界が変化したのだ。
歴史的なゲームフランチャイズを語る上で、ビジネスモデルのパラダイムシフトによるマーケティングやブランディングの変化は見逃せない。 業界歴の長い人なら、この簡単な説明で納得してくれる人も多いだろう。
その上で、もちろんゲームメカニクスの評価も重要だ。長く遊べるゲームメカニクスは重要で、それは最初のローンチ後の売り上げの持続に影響する要素であり、長い目で見ればボディーブローのように効いてくる要素だからだ。
しかし、あるゲームのシリーズ存続を語るとき、すべてをゲームの仕組みに委ねるのはあまりにも素朴で無邪気な視点だ。そんなに無邪気に語れるのなら、なぜあんなに楽しかったゲームタイトルたちが消えてしまったのか? 私たちが夢中になったあのアーケードタイトルはどこへ行ってしまったのか?あの素晴らしいメカニクスを持った格闘ゲームシリーズはどこへ行ったのか?あの優れたメカニクスを持つ格闘ゲームはなぜ消えてしまったのか?
消えてしまったタイトル、ゲームメカニクスが高く評価されていたにもかかわらず売れなかったタイトル、文字通り死にかけたタイトルはたくさんある(今の45~55歳くらいの人は思い出してほしい、90年代に格闘ゲームがどれだけあっただろうか?そして、そのどれもがそれなりに評価されたメカニクスを持っていた。もっと言えば、鉄拳よりもはるかに優れたメカニクスを持っていると評価されたタイトルもあったはずだ!)。
そう、優れたゲームメカニクスのないシリーズが姿を消したことは、事実かもしれないが、それだけが理由ではないはずだ。 より優れたメカニクスを持つゲームが愛され、長く生き残るのは事実だが、それを信じるほど純朴ではないし、世の中が単純でないことも理解しているのではないだろうか。 特に、ゲームの選択肢が多い現代では、マーケティングが売上を左右するため、ますます重要になっている。
そして話を戻すが、あなたはこうも言った。(訳注:先ほどと同様元の投稿を指す。) 「ソウルキャリバーIIに、原田さんのような情熱的な(長期的と言った方がいいか)ディレクタがいたら。」
これは仮説で、結果論でもあるため、業界論ではない。 ただ、30年間格闘ゲーム業界を見てきて言えるのは、格闘ゲームの場合、キーパーソンの脱退や失踪によってシリーズが停滞したり、消滅したりするケースが少なくないということだ。また、そのキーパーソンがいなくなった理由は、彼ら自身の問題だけではないことが多い。
そしてソウルキャリバーの場合、間近で見てきた僕が断言できる。これは単にセールスやマーケティングの問題ではなく、バンダイナムコの組織改革や意思決定者が大きく関係している。僕は、ソウルキャリバーの前身であるソウルエッジ(ソウルブレイド)の企画・デバッグをサポートした一人で、その後「ソウルキャリバーIV」の共同ディレクターを務めているが、基本的にはソウルキャリバーというフランチャイズとは一定の距離を置いている立場だ。
かつてのソウルキャリバーシリーズには世取山くんという強力なリーダー(かつて鉄拳のアニメーションチームリーダーでもあった)がいたし、なにより技術者チームが鉄拳以上に格闘ゲームに精通し、優れたプログラミング技術を持っていた。
旧ナムコ時代���ら 「無法者集団」「タカ派」と呼ばれ、開発部門の中でも異彩を放っていた鉄拳プロジェクトだが、プロジェクトソウルは精鋭集団、洗練された開発チームだった。
ポリゴン時代の黎明期、ナムコとセガがゲーム業界を牽引し、ライバル関係が激化していた。同じように、鉄拳プロジェクトとプロジェクトソウルのライバル関係も激化していた。 僕はプロジェクトソウルの世取山くんと同じゲームデザイナーの部署にいたのだが、毎日のように喧嘩をするほど軋轢があった(それは最初の10年間だけで、その後はとても仲が良かった。ちなみに、彼はバンダイナムコを辞めました)。鉄拳とソウルキャリバーは社内でも常にライバルだった。みんなが想像している以上にね。
この2つのプロジェクトは、ビジョンも開発方針も、ブランドに対する考え方もまったく異なっていた。 憎み合っていたわけではないが、そう思われてもおかしくないほどのライバル同士だった。 しかし、当時はまったく違うものであっても、お互いに明確なビジョンを持っていたのだ。
世取山くんは常々、「ソウルキャリバーに鉄拳のニーズを入れても意��がない。」といっていたが、僕も同感だった。
しかし、例えば、「同じ会社の格闘ゲーム」が「レバーガード」なのか「ボタンガード」なのか、それがいいことなのかどうかという議論では、お互いのポリシーがぶつかり合った(「同じ会社」の製品でありながら、そこが違うことがいいことなのか・・・という議論)。 あぁ…当時テクモだった板垣伴信氏がDOAにレバーとボタンのハイブリッドガードシステムを採用し、僕をオフィスに呼んで自慢げにプレゼンしてくれた話はまた別の機会に(ちなみに彼と僕は同じ大学に通っていた)。
いずれにせよ、プロジェクト・ソウルには「魂」と「明確なビジョン」を持ったリーダーとスタッフがいたことは確かだ。 現場のゲームデザイナーたちの熱意は、鉄拳チームを凌駕していたかもしれないし、僕たちを焦らせるのに十分だった。 もし、プロジェクトソウルがあの体制を維持できていたら、今とは少し違っていたかもしれないと思うことがある。 アーケード市場からコンソール市場へのパラダイムシフトが起きたとき、北米市場ではソウルキャリバーのコンソール版が鉄拳を凌駕し、技術的な評価も高かった。 一方、鉄拳はアーケードゲーム市場で圧倒的なトップインカムを稼ぐ不動の存在に成長し、家庭用では北米でソウルキャリバーを下回ったが、「どの地域でも多くの国で売れている」という特徴を持つタイトルだった。 ソウルキャリバーは、ナムコ社内でも常に将来性があると見られており、むしろグローバルな視点で格闘ゲームの域を超えた展開が可能だと考えられていた。当時の僕でさえ、その可能性については一定の評価をしていた。
しかし、皆さんもご存じのように、業界が拡大するにつれて、その規模はどんどん大きくなり、企業同士も合併していった。 バンダイナムコも例外ではなく、「良くも悪くも」変わってきた。
ご存知のように、日本のゲーム会社やIT業界には、北米西海岸のような組織体制はない。 エンジニアやゲームデザイナー出身の社長や役員はあまりおらず、「営業・セールス」出身者、管理職出身者、銀行出身者、つまり「組織マネジメント」に優れた人が意思決定者になっているケースがほとんどだ。これは悪口ではなく、事実である。 ひとつだけ確かなことは、「彼らはゲーム開発にも、ゲームブランディングにも、ゲームコミュニティにも疎い」ということだ。
例えば、アメリカ西海岸では役職ごとに取締役会があるが、日本ではそのような慣習はない。 その結果、大手ゲーム会社の場合はどうなるかというと、ゲーム会社の経営・運営は「組織運営」と「人・資本・資源」が中心になる。この枠組みの中で、ゲーム開発者はベストを尽くす。
しかし、ゲーム開発者のキャリアのロードマップはどうなるのだろうか?
「組織マネジメント」と「人的資本、資本力、資源」を重視するゲーム開発者のキャリアパスは、結果として「組織のマネージャーになる」ことになる。
これは、我々鉄拳プロジェクトもプロジェクトソウルも、エースコンバットプロジェクトの各パートのリーダーの多くが実際に聞かれた言葉である。
「いつまで現場にいるの?いつマネージャーになるんだ?」そして、「いつになったら組織のマネージャーになるんだ?いつまでクリエイターなんだ?」(そう、これはエースコンバットのディレクターに向けた言葉だ)
当時の組織では、「君はいつになったら立派なゲーム開発者に成長するんだ?」なんて誰も聞かなかった。文字通り、ゲーム開発者のキャリアパスについて語る人はひとりもいなかった。経営やマネジメントの話ばかりで、ゲームの内容や価値を正しく評価できる組織ではなかったのは事実だ。
そして、「組織のマネージャーになる」とは、いつまでもひとつのことに固執せず、あらゆる部門、事業部、業務に視野を広げることを意味していた。実際、当時はそのような体制でしか出世の道はなかった。
「視野を広げる」といえば聞こえはいいが、ゲーム開発においては「一本道を突き進む」「何かを極める」とは対極にある。
また、当時は「視野を広げ、どの部署、どの事業を率いる管理職としても成長し、会社の拡大に貢献する」という考えのもと、ジョブローテーションという考え方が浸透していた。 本来は若手社員向けのものだったが、結果的に「いつまでも特定のゲームや特定のジャンルの仕事だけをやっていてもキャリアアップにならないし、評価されない」という風潮を生む要因のひとつになったことは間違いない。 そして、様々なタイトルやシリーズから皮が剥けるように人が去っていく現象が起こり始めた。
プロジェクトのキーパーソンがいなくなるたびに、かつてプロジェクトが抱いていた大きな夢やビジョンは弱まっていった。 プロジェクト ソウルは、特に若いメンバーの間で生き残りをかけて奮闘していた(ように私には見えた)。 しかし、かつてのようなゲーム開発中心の世界ではなく、「グループ会社の事業のひとつに過ぎないゲーム開発チーム」となった今、そのビジョンや意志、組織体制を維持するのは難しかったようだ。
同時に、もちろん、これは同じ状況が僕にも起こっていたことだ。
まず、会社が開発会社と制作会社に分割され、私は制作会社のメンバーであると同時に、グローバルビジネス開発というゲーム開発とはまったく関係のない新しい部署の責任者になった(私の部下は誰も開発には携わっておらず、全員マーケティングスタッフだった)。 もちろんこれは僕の考えではなく、先ほどの会社の方針で当時の経営陣が決めたことだ。 そして、これで出世コースに乗れたかもしれないが……僕はまったく別のことを考えていた。
会社、部署、部門が異なり、予算権限もないにもかかわらず、私は鉄拳プロジェクトを率いる決断をした。僕はクリエイティブと予算計画を実質的に運営した。
なぜか? やはり、このような大きな組織の土壌や流れというものは、「集団心理による錯誤から起こっていることであり、そのゲームタイトルへの愛着もなく、長期的なビジョンもない、出世のためだけに任命されたトップが、シリーズの存続やファンコミュニティのために良いわけがない」ということなのだろう。
そして僕たち鉄拳プロジェクトは、「タイトルの権利は会社にあるが、ファンコミュニティはゲームを作る意志のあるチームにしか頼れない」と常々言ってきた。 だから、本当に最初のうちから「会社の暗黙の了解ルール」は完全に破ることに決めた。
そこで僕は、本来の業務とは直接関係のない「鉄拳プロジェクトリーダー」の役割を続けることにし、別会社となったメンバーとともに「会社や組織の枠を超えたチームとしての独立した意思決定」を行いながら開発を進めることにした(この動きは、制作の部長たちからとても嫌われたはずだ。うん、実際すごく嫌われた)。
そう、僕たち鉄拳プロジェクトは、前述の通り「無法者集団」「タカ派」と呼ばれていた。だから、グループ会社という大きな潮流の中で、唯一独立した意思決定を持つ集団として生き残ってこれたのだ(現在は正式な組織として認められている)。
プロジェクトソウルと他社との間の大きな違いがあるとすれば、これしかない。
過去の変遷の中で消えていったタイトルはたくさんある。その歴史に明らかな悪人はいない。それらはすべて、大きな趨勢の中で削ぎ落とされているのだ。
でも、僕は…僕や鉄拳プロジェクトは、グループ会社から見たら悪だったと思う。 鉄拳の中で平八と和也が「ケンカは誰が生き残るかだ。それ以外はない" ……そして、このセリフはかつて私のモットーだった。 ソウルキャリバーとのライバル関係でも、3D対戦格闘ゲームの市場競争が激化しているときでも、「どうやったって、最後に立っている者が勝つんだ」と言い続けたし、グループ会社の大きな流れの中でも、このモットーは変わらなかった(それを快く思わない役員もいたようだし、クレームもかなり受けた)。
だから僕たちは決して従順ではなく、常に強い意志を持った邪悪なグループだった(これらの経験を通して、残念ながら僕は性格が悪いのだと悟った)。 これが鉄拳プロジェクトとプロジェクトソウルの唯一の違いだったと思う。 様々なプレッシャーを跳ね除けてでもタイトルを守り抜くという気概を持ったメンバーが、組織が変わるにつれて減っていったことが、プロジェクトソウルを少しずつ弱体化させていった側面もあると思う。それがすべてとは言わないが、大きな要因だった。 個人の問題ではなく、組織の方針によって起こったことだ。
しかし、僕から見れば、プロジェクトソウルの火が消えたとは思っていない。社内にはまだやる気のある人が何人かいる。今はまだ結束できていないだけだと信じたい
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kennak · 5 months
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5月1日、太陽光発電施設の監視機器約800台がサイバー攻撃を受け、一部がネットバンキングによる不正送金に悪用されていたことがわかった。同日、共同通信が報じた。中国のハッカー集団が関与した可能性があるという。  報道によると、電子機器メーカー・コンテック(大阪市)が製造した監視機器が悪用された。ハッカーは外部からの操作を可能にするプログラム「バックドア」を仕掛け、ネットバンクに不正接続。金融機関の口座からハッカー側の口座に送金して金銭を窃取した。  ハッカーは身元を隠すため、乗っ取った監視機器を悪用したとみられる。機器のハッキングにより、発電を止めるなど大きな影響を与えかねない状態だったことになる。  太陽光発電施設への「ハッキングの危険性」は、4月8日の参院行政監視委員会で、自民党の青山繁晴参院議員がこう指摘していた。 「太陽光発電について、複数の電気主任技術者から内部告発をいただいた。ある程度の事業規模の太陽光発電所では、年に1度は停電をともなう年次点検が義務づけられている。  点検を終了したあとはシステムをリセットする。国産品では制御盤のボタンを押せばリセットできるのに、シェアがいちばん高い中国のファーウェイ製は、パソコンにソフトをインストールしないといけない。  電気主任技術者は自分のパソコンにインストールするのは抵抗があるので、太陽光発電の事業者のパソコンにインストールしてリセットをおこなっている。  一方で、ファーウェイ製の制御系を搭載した太陽光発電所の多くのものはネットにつながっている。ネットワークを通じて、中国の共産党や軍部による制御が可能な状態にあることをみなが心配していると」  この指摘に対し、経産副大臣は「ご指摘のような事実は現時点では承知していないが、太陽電池発電施設への立ち入り検査を集中的におこなうなど、保安の確保に精力的に取り組んでいる」と答弁。  青山氏はこう要望していた。 「中国が製品を輸出して、中国の国家統制が利くソフトを組み込ませるのは、TikTokなど、世界で懸念されている。中国の国家的侵入に対して、現場の意見をより聞けるようにしていただきたい」  だが、ハッキングは起きてしまった。報道を受け、批判の矛先が向いているのが、デジタル担当大臣も兼務する河野太郎規制改革担当相だ。 「3月23日、再生可能エネルギー導入に向けた規制の見直しを目指す内閣府のタスクフォースで提出された資料に、中国の国営電気企業の透かしのようなものが入っていたことが判明。  これは、同タスクフォースの民間構成員・大林ミカ氏により提出された資料でした。大林氏は辞任しましたが、タスクフォースに入った経緯について、河野氏からの推薦だったと明らかにしています」(政治担当記者)  河野氏は3月23日、自身の「X」で《チェック体制の不備でお騒がせしたことについて、今後は対策を強化し同じようなことが起きないよう徹底していきます。》と説明したものの、日本の再エネ政策に中国の影響が及んでいる疑惑は消えないままだ。  再エネ普及のため電気代に上乗せされる「再エネ賦課金」は、4月から大幅に引き上げられた。月400kwhを使う標準家庭の場合、再エネ賦課金は月平均で836円の負担増。年間負担額は1万6752円で、2023年度に比べ約1万円の増額となっている。  太陽光パネルのシェアの多くを中国が握っており、増額ぶんは、まるまる中国を利する可能性もある。こうした状況を受け、SNSでは河野氏への憤りが多くあがっている。 《あーぁ中国にまんまとハッキングされちゃって。太陽光発電ゴリ押しした河野太郎、今度はなんて言い訳するんだろ。再エネ賦課金返せ》 《中国の太陽光発電に中国製のソフト入れないと制御出来ないから結構前から危ないって言ってたのにハッキングされて問題になってるの今更感》 《環境破壊にはなるわ、税金投入されて無駄に金かかるわ、おまけぬハッキングはされるわじゃ、太陽光発電良いところないじゃんよ!すぐにでもやめろ!》  タスクフォースの民間構成員を辞任した大林氏は、「自然エネルギー財団」の事業局長を務めている。3月25日、河野氏は「自然エネルギー財団と中国の特定の企業の間にどんなつながりがあったのか、いま調査を始めている。そうした事実関係を調べたうえで対処方針を決めていきたい」と述べている。  中国のハッカーが関与した可能性がある太陽光発電施設へのハッキングに対し、河野氏はどう説明するのだろうか。
「今度はなんて言い訳する」太陽光発電がハッキングされて不正送金…再エネ年1万円負担増であふれる河野太郎氏への憤慨(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース
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manganjiiji · 1 year
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すずかぜひそやかに
「始まりのファンタジア」というfineの曲のなかの「終わっていくときさえも」という部分がすごく好きだ。始まりの歌だけどこの歌はずっと終わりに向かって歌っていて、希望に満ち満ちた終わり(死)をひたすら希求している。それがとても心地いいなと思う。私たちが生きるというのは死に向かうことだけれど、死に向かえば向かうほど希望が湧いてくるような歌。終わりに向かって華々しく楽しむことを歌っている歌に弱い。Paradise Live(μ's)とか。朗読者の最後のほうのワンシーンで、「絶対にありえない過去の幸せ」を主人公が垣間見ることがあって、それは絶対にありえないんだけど、そういう幸せがもしあったとして、これから終わりに向かっていく時にそれを思うのはとてもいい事だと思った。それでも、実現しなかった幸福の甘美すぎる悲しさに当時は号泣したけれど。そのシーンだけが好きだったなと思う。刑務所に彼女を迎えに行くところかな。あの小説で重要なのはそこだと思う。他の部分に対して好きだとか嫌いだとか言っている人を見ると全然趣味が合わないなと思う。重要なのはそこじゃないよ。あと悲しみよこんにちはも、父娘の関係(かなしい愛情)が重要なのであって、その他のストーリーなんて舞台装置だよ、と思っているので、そのあたりになんらかを感じている人(主に貶している人)にはまじで何を読んでんだ?というかなりつまらない気持ちになる。ストーリーにしか目がいっていない人が世の中には多すぎると思って嫌な気持ちになることが多々ある。ストーリーなんかどうでもいいだろ。もちろん個人の感想ですので、エンタメ畑の方はあまりお気になさらぬようお願い申し上げます。素晴らしいものなんだろうなということはわかっているし、小さい頃は夢中にもなった。でも今は、それよりも人の感情や性質や関係が変化する時に現れる機微のほうに心が寄ってしまっている。そういうところを感じ取れない人が、いわゆる文学作品を読んで「エンタメとして糞。胸糞悪い」みたいなことを言っていると、いや、感じ取るべきはそこじゃないだろ…と思う。そういう人は違う星の人間なので仕方ないと思う。というか、物語からマイナスのものばかり掘り起こそうとする人がそもそも合わないと思う。人間に対して希望ばかり持っていて、愛を持っているはずだと確信しているから、自分はそういう読みになってしまう。これは生まれつきの違いなので仕方がないことだ。環境要因ではないと思う。生まれつき利他的な人間と、利己的な人間というのはいて、後者のほうが圧倒的多数だしそれが「正しい」とされている。物語の読み方も、前者の感覚で読んでも殆どの人には共感されない。何を言っているのか分からないと言われる。男女差別よりも性的マイノリティ差別よりも障害者差別よりも、この利他的性質を持つ人間へのまったく無邪気に行われる迫害のほうが私は世界に表面化されていない分、深刻だと思っている。利己的な性質を持つ「ふつうの」人間が「あらゆる差別」に反対しているのを多く見かけるが、あなたは自分の意識のどの程度まで目や耳をこらしていて、自分のなかの差別感情とそれによる言動に自覚的なのか?と問いたくなる。差別というのは行動の上でのことではない。そんな生ぬるい反差別、私はまったく反対だ。「心の中で人を差別する自由」があって、しかし行動にそれを出さなければセーフ、というのは、何を馬鹿なこと言ってるんだ?と思う。そんなの当たり前にみんなやってる事だろ。社会で生きていく上でみんなやっていること。それが出来ていない人が異常なのであって、わざわざ反差別とか言う必要はなく、そういう異常者を個別に叩いていればいいと思う。多くの善人に対して失礼だとさえ思う。そういう人は「内心の差別」を許しているのなら、わざわざ反差別と書かなくてよろしい。反差別と書くなら、「心の中でも差別するの禁止、すべての人間に対して平等に尊厳を尊重すること」くらいのことを言ってほしい。個人に対する好き嫌いをしているうちは差別者です。私はそう思うのでとても「あらゆる差別に反対」とは言えない。私には許すことのできない人間がこの世に3人いて、そのうちの一人のことは死んでほしいくらい憎んでいるから。そのうちの二人が男なので、男が嫌いで男性を差別する。もちろんそれで行動を変えることは無いが、内心ではものすごく差別している。私は差別主義者だと思うので、「自分のことを差別主義者だと思っていない」人のことはいつも疑いのまなざしで見ている。私よりも人を差別していない(内心でも)なら、どうぞ「あらゆる差別」に反対すればいいと思う。あらゆると言うからには、範囲も深度もすべて、という意味だと思う。内心でも差別しないし、相手の属性で行動を変えることを絶対にしないでほしい。そんなことがこの世界でできるのならやってみせてほしい。
そもそも差別ってなんなんだろう。個別の相手に対して好き嫌いを感じることとは違うと思う。何かしらの特性を持つ人たちを一纏めにして「決めつけて蔑むこと」ということでいいのだろうか。でもそれでいったら別に同性婚に反対している人が差別主義者とは言えないと思う。たとえ同性愛者に生まれても、私的には同性愛だとしても、公的には異性婚をして子供を作り、国の納税者を減らすなという考えなわけでしょ?「同性愛者が嫌いだから」反対している人なんてそんなにいないと思う。同性愛なんて好きにしろ、ただ子供は作れ。そう言ってる人達は別に差別主義者ではないと思う。そうではなくて、もっと別の問題としてそれは糾弾されるべきだと思う。子供を作りたくないし異性とセックスしたくないのにそれを国に強要されるという問題。ともに家庭を築いていきたい人との公的なパートナー関係が社会に承認されないという問題。同性婚反対を即差別と断じるのは、私にはあまりに幼稚に見える。差別感情がそこにはなく、ただ子供を作ってほしいから異性婚しろと言っている人達の異常さ、差別より以前の、他人の尊厳をそもそもなんとも思っていないその考え方にこそ反対するべきで、「差別だ!」と言って糾弾するのは違うと思う。別にそれは差別じゃなくて、もっと前段階の、社会集団維持のためという動物的思考しか持てない人間に対してわれわれはどう抗していくべきかという話だと思う。それから、社会集団維持を諦めるのなら、当然現今の「若い世代の貧困」については受け入れなければ辻褄が合わない。私���ちがこんなに苦しいのは政権のせいではなく、単に私たちの世代が上の世代より少ないからである。そしてこれは今後もずっと続く構図で、下の世代に行けば行くほど、人口分布がまともになるまでずっと続く地獄である。「子供は産みたくない」「貧困から脱したい」は両立しない。どちらかを取るならどちらかを諦めるべきだと思う。反差別をかかげている人間が子供を産み育てることもせず、政権を叩いているだけなのが本当に気に食わない。タダ乗りしてるくせに要求だけは一丁前だなと思う。私はそもそも障害者で人間1人分の納税もしていないし子供も産めないので、なにかを政府に要求する権利はないだろうなと思う。言いたいことは、やるべきことをやってから言えよと思う。同性婚に賛成するのはいいと思うけど、自分が子供2人作ってから言え。と思う。それもできないなら責任取れないこと言うんじゃねえよ。と思う。私は同性婚の法制化に賛成だが、その分の補填(子供を作る)ができないので、あまり大っぴらには言わない。そのくらいの分別はある。みんな自分の権利ばっかり主張して、全体の利益というか、他の人が困ることを全然考えていない。利己的な性質を持つ人間がこの世の98%くらいを占めているから当然なのである。それが、この社会というもので、それが正しい。ただ私が馴染めないだけで。
2023.7.1
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kachoushi · 6 months
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅳ
花鳥誌2024年4月号より転載
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日本文学研究者
井上 泰至
6 葛城の神臠はせ青き踏む
 大正六年二月十日、松山に帰省の途中で京阪に寄った。白鳥吟社主催堺俳句会(於開口神社)で出句。西山泊雲・野村泊月・岩木躑躅・原田濱人・島村はじめ・久保田九品太・青木月斗・大橋櫻坡子らが出席。『ホトトギス』の同年三月号「堺俳句会の記」に詳しい。
 この句会は、大阪の『ホトトギス』派の旗揚げに位置する記念碑的な一件で、その詳細は櫻坡子の『大正の大阪俳壇』に詳しい。この句は『新歳時記』にも登録された、虚子の自信作である。大和と河内の国境に位置する葛城山の神一言主は醜貌の女体と言い習わされ、夜しかお出ましにならなかったと謡曲にも出てくる(「葛城」)。
 その引きこもった神に向かって、麓の春を足で確かめて野遊びしております。「山の上からせめて密かに御覧ぜられ度い」(虚子自注「俳句朗読原文」)と悪戯っぽく詠んでみせたのである。「みそなはす」とは、「ご覧になる」の最上級敬語表現で、これまた謡曲に神を主体とした用例がある(「高砂」など)。
 「臠」の字は画数も多く、呪術的なイメージを本来持つが、虚子の字は軽く「糸」の二か所が崩されていて、内容の「滑稽」と対応している。これは活字でなく、虚子の書によってこそ鑑賞が可能で、「臠」は一句の眼目であったことが了解される。
 神や霊魂に命令形を以て呼びかける表現は、江戸俳諧からある。
  塚も動け我泣声は秋の風 芭蕉
  五月雨の空吹き落せ大井川 芭蕉
  笈も太刀も五月にかざれ紙幟 芭蕉
 これらの芭蕉句は、痛切な哀しみや祈りが託されているが、虚子は次にあげる蕪村の例などに学んだか(『蕪村句集講義』)。
  裸身に神うつりませ夏神楽 蕪村
 蕪村の敬語表現「うつりませ」は、祈りとともに一種の滑稽というか余裕があって、そこが夏の禊を「裸身」で具象化する視線と対応している。虚子も、「野遊」の軽々と晴れやかな気分を、この敬語の命令形に託した。命令形は、祈りではあるが、痛切なそれと、軽い挨拶の二種があって、この句は山本健吉の言う俳句の本質「滑稽と挨拶」の典型例と言ってよい。
 ちなみに水原秋櫻子系の俳人の命令形には、自己に執着し、自己に言い聞かせる気分の命令形が多い。
  木の葉降りやまず急ぐな急ぐなよ 加藤楸邨 
  柿若葉多忙を口実となすな 藤田湘子 
  逝く吾子に万葉の露みなはしれ 能村登四郎
 このあたり、命令形の二系統は、俳人の質や俳句観をも照らしだす「鏡」と言ったら言い過ぎだろうか(井上『俳句のマナー、俳句のスタイル』)。
7 雨の中に立春大吉の光あり
 大正七年二月十日、『ホトトギス』発行所句会のものと『五百句』に注記される。
 実景は雨だが、「立春大吉」の御札とその文字に、心中春の光を予感し、見て取る主観句である。もちろん、雨や雨粒にはわずかな光はあるかもしれない。だとしても、それを読み取ろうとする構えから生まれた心象を詠んだ句であることに変わりはない。特にこの句で詠まれた「光」に対する予感は、「立春大吉」の文字から触発されたものであることは、肚にとめておく必要があろう。
 虚子の揮毫では、この「立春大吉」をことさら御札めいて、黒々と墨書したりはしていない。ただし、注意深く見ると「大吉」の「大」の撥ねと、後に来る「光」の字の撥ねとは、対応している。
 そもそも「大」の字の運筆は、先に左に筆先を払い、取って返して右に払うもので、本来撥る字ではない。ところがこの句の虚子の「大」は右の払いの最後が若干撥ねていて、後にくる「光」の右撥ねの呼び出しになっている。こうして一句の眼目は、「光」であることが視覚的にも確認できるところに、虚子の揮毫で句を鑑賞する醍醐味が出てくる。
 「立春大吉」とは、立春の時期に玄関や部屋の入口に張る厄除け札のことである。あたりは雨だが、外界との通路である門口に貼られた「字」から、眼には見えない「光」を感じた。その意味で中七を字余りにする「の」はこの句の重要なレトリックである。
 一般に「中八」の言葉通り、字余りの中でも、中七を字余りにするのは禁忌とされる。俳句のリズムの研究は、五七五が実は休拍・無音の一拍を加えて、六八六であること、さらに前と後の六��伸びる傾向にあることを計測・実証した(別宮貞徳『日本語のリズム』)。これを前提にすれば、中七は延ばして詠まないものなので、ここでの字余りは、おおむねダレるのである。
 ただし、上五で既に字余りがある場合、続く中八は字余りの反復となり、このダレが感じられない。所詮リズムとは反復と同義なのである。
  春や昔十五万石の城下哉 子規
 掲句も上五・中七の連続の字余りだが、掲句の「立春大吉」に、わざわざ「の」を加えた意図は何だったのだろう?類例を挙げよう。
  春ひとり槍投げて槍に歩み寄る 能村登四郎
 やはり「中八」を、堂々とやっているばかりか、上五に字余りはない。しかし、この句は「槍投げ槍に」ではいけない。あえて「て」を入れ、ひと呼吸を置くことで、投げた槍に歩み寄る主人公に焦点があたる。「槍」の繰り返しが独自のリズムを作っており、中八も気にならない(井上『俳句のマナー、俳句のスタイル』)。
 掲句で言えば、まず上五に「雨の中に」と「の」が用意周到に置かれている点が注目される。この字余りを際立たせる「の」の印象を引き継いで、「立春大吉の」の「の」があることが了解される。
 加えて、「の」の繰り返しは、求心性をもたらす。
  ゆく秋の大和の国の薬師寺の      塔の上なる一ひらの雲 佐佐木信綱
  この庭の遅日の石のいつまでも 虚子
 掲句も字余りの「の」の反復を行うことで、光など一切ない春の雨の中、「立春大吉」の文字にのみ「光」を感じたことを焦点化して見せたのである。
 最後に、先の「葛城」の句との関係で言えば、神仏への祈りというテーマのつながりもある。このあたりに編集の妙を認めることも可能かと思う。
『虚子百句』より虚子揮毫
7 雨の中に立春大吉の光あり 
8 さしくれし春雨傘を受取りし
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国立国会図書館デジタルコレクションより
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井上 泰至(いのうえ・やすし)   1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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recipe-cookingclass · 7 months
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世界の食事情を知ると、見えてくる教育の違いや経済や。
そして考え方の違いや、ものの価値観の違い。
日本は、教育的配慮は今よりも、昔の方が高かったことを知ります。
興味深いことに、超先進国だろうが超後進国だろうが
『生活力』の違いを知ることができます。
生活力の中でもやっぱり食事というものは、実際の差がわかりやすい。
世界の家庭では、お台所がない国もなかなかございます。
理由としては「外食が安い」という理由が大きいでしょう。
ですので、料理という自炊を実際は、出来ない人も多いということです。
近年の外国人労働者である、若めの女性たちも、驚くほど料理という自炊が出来ない人が多いのには、驚かされます。
そもそも『空腹を満たすだけのための食事』ですので、「興味を持つことすら発想がない」と言っても、過言ではないのでしょう。
以前、SNSからと言っても10年以上前ですが、ネパールの留学生という若い男性から『あなたの料理は素晴らしい』と言われ、料理を賞賛してくれました。突然でしたので驚きましたが、私は彼に『あなたの将来の夢は?』と聞きましたら『将来の夢?お金を稼ぎたい』という言葉だけだったのです。
夢というものはなく、お金だけしかないということ。
日本の子供たちは『将来は◯◯になりたい!』などは、夢があります。
ですが、その違いに気付くと、やはり経済成長の裏側が解けていきますし。食事情を知るとさらに、教育の現状も見えてきます。犯罪においてもですが。
いつも私が言葉に出る『料理は教養』というものは、必然的に教育をしっかりと受けた上での、さらなる文化人としての嗜みでもあります。教育なくては、教養はまず得られません。多言語教育に時間を取られる諸外国では、圧倒的に教育の量が日本の教育を受けた人間より足りていないと事実は、驚きましたが。教育がしっかりと行き届けば、教養ある人間として、学びを深め、知ることを掘り下げていけるものです。ですので、日本において治安が良かったという事実も、教育がしっかりと行き届いた昭和中期ぐらいからだったのでしょう。平成になり、義務教育において秩序や道徳などを学ぶ時間が低下することにより、モラルに関しても親の知識に関しても残念なこととなっております。
少子化の原因もですが、今まさに高齢社会は、まだまだ義務教育が発展途上だったためか、不思議に思うことも多いぐらいで、親世代もその上もですが、料理が実はできない人が多いという事実です。買い物好きで浪費家が、実に多い。
無駄に無駄な浪費を重ねているのが、現状です。
マーケットに行けば、高齢者の方が割合で行っても大半です。ここ数年は、おひとり様がマーケットをぶらぶら歩いていることをよくお見かけしますし。
趣味がないということも、教養の違いとなるのも事実だと思います。ただ、お金をかけて運動するのは知恵と工夫や発想が、ちょっと乏しいと言えますけどね。ジムに行かないと運動ができないなんてあり得ません。普段の生活で組み込める発想や行動力がないと言えますので。
料理においては実生活に一番、現れます。
『自炊外食』が多い日本のグルメ。自炊ぐらいは、自分で効率よく手際良くできるようになる人は、やっぱり生活力も教養もあると言って過言ではない。
心から美味しいと喜べる、そんな料理を作れる人は教養が高いと言えますので、やはり日本の教育は『文化を楽しむ』そんな豊かさがあるのです。
その反面、無駄に無駄な商品や食材が溢れかえっており、マイナス損失が非常に大きい。
少子高齢化と人口減少において、それについては淘汰される必要が出てきましたが。
小さな製造業や飲食店などもですが、物価高騰もあり、不要なものは売れない時代です。
健康食品なども高齢者がターゲット層ですしね。
贅沢品もモノガナイ時代を過ごしたからこそ、それらを欲しがる高齢者が販売の層です。
そうなるとモノの価値の判断を見極められるのは、その後に続く世代となります。
同じグレードで価値も同様でも、いいモノだとテレビやメディアが煽動すると購買意欲が湧くのも、手に入れる知識の質量や判断できる経験や自信がないからです。
今まさに、調べなくともスマホでパッと出てくる答えに、流される情報獲得になっていますが。
多くの情報を選別できる力が若い世代こそ、失われています。
観光に来る外国人観光客は移動ルートにしろ、観光場所の選別や食事の場所でさえも誘導されており
私が選ぶようなお店には、辿り着かない。まぁそこにはお金が動くので外国人観光客の方たちも、その通りの場所へ足を運ぶものです。そこに教育、教養を高めると視野が随分と広くなるということです。
料理を��意とするまでになれば、無駄や浪費はバカバカしいという発想も生まれますが、それ以上の美味しい感動や料理においてのセンスまでも磨かれることでしょう。知識や経験の引き出しがいっぱいなので、そんな方とおしゃべりをすると楽しい。教養とはそういうことです。
世界のIT化という名の誘導世界は、選別力も情報収集力をも、低下させているわけですから。
どうせグルメをするなら世界の食文化を知ることで、教養を高めることができます。
教養とは知るという質量の多くを、手に入れることでもあるのです。
スマホで検索では、手に入れられないことは、知らない方が多いと感じますが。
教育と教養。料理が一番、わかりやすい。
料理研究家 指宿さゆり
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