#旧田口家住宅
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20230610(Sat)
越前古窯博物館(旧水野家住宅)で開催されているイベント「陶ふうりん」三千の音色。 越前焼で作られた風鈴の音色に癒された、そんな一日。
北陸地方は11日の日曜日、梅雨に入りました。 今日は蒸し暑い日なので、夕食は冷やし中華をリクエスト。 お酒はビールを切らしたので、吉田酒造さんのやや甘口の日本酒「白龍 純米吟醸 夏・さ・ら・ら」を飲む。 うまい。さて風呂でも入りますか。
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読んだ本の余韻をそのままに小旅行の記録を残す
三重県の丸善でその本を見つけた時、私はこれを確実にこの年末に読もうと決心したのだった。
私の年末は読書の為にある。
正確に言うなら読書の為にもある。他の目当ても沢山ある。例えば、友達に会うこと。例えば、街を歩いて故郷の空気を胸いっぱいに吸い込むこと。
さて、この年末とは即ち令和6年、西暦2024年12月29日日曜日から31日火曜日までの3日間のことだ。
そしてその本とは古川日出夫「京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る」だ。
だから私はこれを携えて西へ帰った。
即ち名古屋から京都へと。
私の実家は京都ではないし、一度も住んではいないが、仮住まいもなかったのだが、「帰った」と言ってはばからない程には故郷のように愛している街である。
私は道中、読んだ。
しかし京都では読んだか。題に謳われし京都に着いて以降は読んだのか。読まなかった。
その代わりに京都を歩いた。
これには書かれていない京都を。即ち洛外を。
洛外のどこであるか。それは京都市伏見区だ。伏見区の稲荷大社だ。
一人でか。否、もう一人いた。大学時代の友人がいて、だから二人だった。
私たちが約束したのは令和6年、西暦2024年12月29日だった。
日曜日と言い添えるべきか。いや、もう書かずとも構わない。
バカンスに曜日は意識されない。
我々はわざと隣の駅で待ち合わせて、二人とも遅刻していて、しかしお互い気にしないで、挨拶を交わして、それから歩いて。
すぐに稲荷大社へ向かう訳ではない。
隣の駅で待ち合わせたのは訳があり、見たいものがあったからだ。
目的の一番目を達する為、京阪電車の龍谷大前深草駅を降り西へ向かう。
そこは普通の文教都市の住宅地である。しかしそこは京都の住宅地だ。並みの街とは、風格が違う。
実はそこにはカタカナ地名がある。漢字を受け入れる前の、日本の、この国の、古い古い記憶が残されている。
それを見る。標識に、看板に、自治会掲示板に。
まず、駅を降りるとそこはススハキ町である。
それからまっすぐ西へ歩き龍谷大学深草キャンパスと京都府警察学校との間を抜けていくとヲカヤ町。
誤字ではない。
地名であるにも関わらずーーー現今の国語体系ではまずありえないことにーーー「を wo」の字を冠する町がある。
それを確認して嬉しくなった所で大学の学舎群に沿ってぐるりと回って戻って来ればケナサ町に至る。
固まって所在する三つの旧い町を見、満足して私達は北進する。
するとすぐ、国際観光都市京都の、Kyotoの、面目躍如であった。
当然日本人もいて、地元��人々や九州人や関東の人がいて国の言葉が飛び交う。しかし���等かそれ以上かと思われる程に肌や、眼や、言葉の違う人がいる。コーカソイドがいて、モンゴロイドがいる。
私たちは本命の目的地に着く。
巨大な二本の鳥居の下を通り、歩く。
山を、神域たる山を登っていく。
千本を優に超えていると思われるほどの夥しい朱の鳥居が続く。
くぐる。
歩いて。
登って下って。
鳥居に挟まれた道は狭い。
狭い参道を歩いて、登って下って、鳥居をくぐり続ける。
参道で産道を連想する。
しかしこの場所で生まれるーーー生まれ直す人の数が、多い。
だから、混んでいる。
稲荷神社の狐は多産の象徴だから正しい状況とすら言えるかも知れない。
自撮りする旅人を抜かし、恋人を「映えスポット」で撮影するこれも旅人をそっと待ってから進み、家族写真を手伝おうか迷って、足を止めるが友人は行ってしまうので追う。
二人は黙って歩いていたのではない。しかし会話を続けるには狭くて、混んでいた。
だから途切れ途切れに言葉を交わした。
私たちは久方の再開をおざなりに寿ぎ、散策を開始し、以降休まず歩き続けているのだった。
体がほぐれ、心拍が上がる。
狭い参道で人を避ける為に縦一列になりまた戻りを繰り返した。並んでいても遠ざかったり肩が触れ合いそうな距離を歩いたりした。
状況に応じて左右を入れ替わったりしている内に奥社奉拝所に出た。
それぞれに願を掛け、おもかる石に挑戦した。
また、歩く。
四辻まで辿り着く頃にはすっかり日が傾いていた。
森は緑から黒に移ろい、濃さを増していた。
稲荷山参道の四辻は開けていた。視界が。街に向けて。西を向いて。
国立天文台の発表によると、令和6年、2024年12月28日の京都市における日の入り時刻は16時53分だ。
だからこの思い出はその時刻の頃だった、と後からでも断じることができる。
しかしその日の私はそこで時計を検めなかった。
スマホのカメラを夕焼けに向けながら、しかし画面の隅の時刻は確かめなかった。
バカンスに曜日は必要なく、もう時刻すらも煩わしくなっていた。
ここで明かしておくと、私は稲荷山を登るのは初めての事ではない。
なので四辻が眺望という観点ではゴールであることを知っていた。
なので念の為に尋ねた。友に。まだ、進むのかと。
進む、と友。
応、と私。
四辻の先、山頂へ向かうルートはすぐに角度を増した。我々は試されていた。
我々の腿が、ふ��らはぎが、踵が、心臓が。
三の峰、二の峰、最後の一の峰に着く頃には、混雑ではなく疲れから口数が減っていた。
しかし引き返すという手はなかった。
かわりに足を出して歩み続けるのだった。
裏稲荷、という言葉は存在しないが、四辻で右を選び、一の峰、すなわち山頂からそのままぐるりとまた四辻へ戻る道は正に裏、といった風情だった。
日は暮れていた。下り道が続いた。お喋りは減り続けて今や殆ど止んでいた。
電灯がかろうじて鳥居の内側を照らしてるだけで、外側はもう全くの暗がりだった。
自分たち以外の観光客も殆ど見なかった。
四辻でまた観光客を認め、進んで三ツ辻へ再び差し掛かって、先に来た方角へは戻らず、北向きのルートへ入った。
登りと同じだけ人がいるのが道理だと思うが、目の届く範囲が無人であることが多くなる。
二人きりになることが増えた。
闇に包まれているが自分達の道筋だけは明るい。
不安定な傾斜の中で、お喋りの途切れた時、不意にこれまでに感じたことのない種類の親密さを傍らの友に覚えた。
音のない森の中で、それがいつかも分からず、方角をも知らなかった。
上と下、前と後ろ、内と外の別だけがかろうじて残っていた。
幽玄で原始的な感覚の中で傍らの人の存在は強烈だった。確固としていた。
肩が触れた。
そっと手を取りたくなってーーー迷って止した。
今日は本当に楽しかった、私は言った。
そやね、またね、友が言い、分かれた。
互いに交わり合うことのない観光客同士で混雑する、JR稲荷駅と京阪電車伏見稲荷駅の中間地点で、私たちは一人ずつに戻った。
高揚は続いていた。
私は実家へ帰る道すがらまた本を読み、実家で読み、名古屋で帰る道中でまた読んだ。
僅か三日の経過がめぐるましかった。
日常があり、今やそれは休んでおり、非日常なひと時があり、そこで新たな感覚を得、虚構の世界に入り、また出ていこうとしていた。
京都には私の過去が、今が、そして虚構すらもが重なっていた。
境目はあやふやだった。
混ざりつつあった。
帰名の道中、梅田スカイビルを見た。
JR西日本の新快速に乗り、僅か十五分揺られるだけで乗り換えの京都駅に着いた。
乗り換えの合間に京都駅舎を内から外から眺め、観察し、原広司の世界を楽しんだ。
作中、古川が住んでいたという原広司事務所策の借家を思った。
私はこの本のカバー裏に京都駅来訪記念スタンプを押すことにした。
改札の近くまで行くと、南西アジア系の浅黒い肌をした観光客がはしゃぎながら先にスタンプを操作していた。
すぐに私の番になった。
���の思い付きはーーー迷わなかった。
ハンドルを下げ、抑える。
手を上げてみると案外インクが薄く、期待外れだったが、これで全てが繋がったと思った。
内と外も。リアルとフィクションも。過去と今も。
ここを地獄の、とは言わないでおく。
ここは国際観光都市Kyoto。
愛する街を離れながら、私は次の本を開いた。
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自民党総裁選(27日投開票)は、派閥の政治資金パーティー裏金事件で明るみに出た「政治とカネ」の問題にどう向き合うかが問われている。大半の派閥が解散を決め、各候補は口々に政治改革を訴えるが、そもそもなぜ政治にカネがかかるのか。「足りない時は自腹を切っていました。でも、今となっては何のために必死にカネを集めたのか、疑問も感じます」。事件で人生が一変した、ある政治家を訪ねた。 ポスターなく、看板も真っ白 9月上旬。激しい雨が路面を打ちつける中、4月に議員辞職した宮沢博行前副防衛相(49)が、選挙区内の静岡県森町を車で回っていた。 宮沢氏は支援者の一人である飲食店経営の女性宅を訪れ、深々と頭を下げた。「すみません。しっかりやりますので、お客さんにもよろしくお伝えください」 裏金事件がクローズアップされていた2023年12月。宮沢氏は「『しゃべるな、しゃべるな』、これですよ」と記者団に話し、安倍派(清和政策研究会)から裏金について口止めされたことを暴露して大きな話題を呼んだ。 議員辞職���受け、白紙が貼られた宮沢博行前副防衛相の事務所前にある立て看板=静岡���磐田市で2024年9月3日、畠山嵩撮影 一方で、自らの女性問題が週刊誌で報じられ、不祥事が重なったとして24年4月25日に議員辞職。自民党も離党した。 「4月28日に地元に帰ってきて、その翌日からおわび行脚を始めました」。同県磐田市の事務所で取材に応じた宮沢氏は、落ち着いた様子で語った。 事務所内に自らのポスターはなく、外にある立て看板は真っ白だ。 「支援者からは『がっかりした』『何をやっているんだ』とおしかりの言葉をいただきます。ただ、『頑張れよ』といった励ましの言葉も多いですね」 辞職後、事務所に秘書は置かず、事務員が1人いるだけだ。支援者の名簿を見て住所をカーナビに入れ、自らマニュアル車のハンドルを握る。 国会議員時代とは異なり、何でも一人でこなさなければならないが、「自分のペースで回れるので、これもいいものです」と意に介さない。 「安倍1強」で4選、事件で暗転 宮沢氏は、いわゆる「安倍チルドレン」の一人だ。磐田市議を3期務めた後、12年12月の衆院選で静岡3区から出馬し、初当選した。この選挙で自民は政権復帰し、安倍晋三元首相は「安倍1強」と呼ばれる長期政権を築いた。 宮沢氏は21年に小選挙区で敗れたものの、比例復活して4選を果たした。23年9月には岸田文雄内閣で副防衛相に就任したが、その3カ月後、裏金事件を受けて辞任。事実上の更迭だった。 安倍派では当選回数や役職に応じてパーティー券の販売ノルマを決め、ノルマを超えた分を議員側にキックバック(還流)していた。 関係者によると、宮沢氏に課された販売ノルマは多い年で60枚(1枚2万円)だったが、新型コロナウイルス禍の20~22年は各30枚(同)に下がった。 党の調査によると、その20~22年に計132万円の還流を受け、政治資金収支報告書に記載しない裏金になった。 裏金を何に使ったのか。そう問うと、宮沢氏は即答した。「飲食関係です。収支報告書に載せない努力をしていました」 専用口座で飲食費を管理、裏金も 政治資金規正法では、国会議員が関係する政治団体は1万円を超える全ての支出を収支報告書に記載し、開示請求を受ければ領収書を提出しなければならない。 しかし、宮沢氏は他の議員や支持者との会合、秘書の情報収集などで使った飲食費が全てオープンになることに抵抗を感じていた。 「飲食費には公開してほしくないものもあるんで、なるべくポケットマネーでやるようにしていました。『政治資金で��れも落とすのか』との批判もあるし、収支報告書に載っているのは見栄えがよくないんで」と説明する。 政治活動にかかる費用や国会議員の収入について説明する宮沢博行前副防衛相=静岡県磐田市で2024年9月3日、畠山嵩撮影 宮沢氏は飲食費を別会計とするため、専用の銀行口座を開設。自らの歳費(議員報酬)を入れてプールし、自分や秘書が使った場合は領収書を取って入出金を管理していた。ただし、その使途を公開することはなかった。派閥の裏金についても「キックバックはここにぶち込んでいました」と明かした。一方で、辞職の引き金となった女性との交際費には裏金を「全く使っていない」と強調した。 秘書1人に500万円、ボーナスは年2回 国会議員は月129万4000円の歳費に加え、月100万円の調査研究広報滞在費(旧文書通信交通滞在費)も支給される。さらに、党を通じた政党交付金もある。それでも、やりくりは大変だという。 「一番は秘書の人件費です」と宮沢氏は言う。現職当時、宮沢氏は公設秘書3人、私設秘書3人の計6人を雇っていた。東京と地元の事務所の管理に加え、支援者の陳情への対応、選挙区内の市会議員との付き合い、支援者回りの際の運転など、秘書の仕事は多岐にわたるからだ。 公設秘書の給与は国費で賄われるが、私設秘書の給与は個人負担。「1人雇えば年2回のボーナスを含めて年間500万円以上かかる。痛い出費です」 宮沢氏が支部長だった「自民党静岡県第3選挙区支部」の収支報告書(21年分)を見ると、確かに人件費として1850万円が計上されていた。 そのほかにも細かな出費が多い。備品・消耗品費(計542万円)には車のガソリン代やコピー代のほか、自撮り棒(1万7930円)やポロシャツ(12万3000円)といった記述もある。 事務所費(計444万円)には家賃や電話代のほか、労務管理事務所への顧問報酬や求人広告代も含まれていた。 人件費捻出のために寄付金集め? こうした出費を賄うため、宮沢氏が力を入れたのが寄付金集めとパーティー券の販売だ。 収支報告書には地元の建設会社や物流会社のほか、静岡県医師連盟、静岡県石油政治連盟など業界団体の寄付がずらりと並ぶ。 宮沢氏が代表を務める別の政治団体「宮柱会」の収支報告書(21年分)には、政治資金パーティーの収入として計820万円が記載されていた。 「派閥のパーティーはノルマだけ達成すればいいや、というつもりだったんで、政治資金を稼ぐのは自分のパーティーだと思っていました」と宮沢氏は明かす。ただ、パーティー券の販売には苦労し、足りない分を自腹で埋めることもあったという。 議員バッジを失った今、収入は激減した。「生活は厳しい。蓄えを崩して、年内持つかどうかです」と力なく笑った。 「カネのかかる政治」に苦しんできたのは宮沢氏だけで���ない。自民党の桜田義孝元五輪担当相は23年12月、パーティー券の販売ノルマを理由に二階派を退会したと記者団に明かし、「私の場合は300枚だった。徒手空拳でここまで来たが、売るのが厳しかった」と語った。別の議員は「資産家じゃなければ政治家になれないような世の中でいいのか」とぼやいた。 派閥が残したものは 自民党派閥の政治資金パーティー裏金事件の経緯 派閥ぐるみのカネ集めの果てに起きた裏金事件。宮沢氏は今、「カネのかからない政治をやりたい」との思いが芽生えているという。 政治活動をするために秘書を雇っていたはずなのに、その秘書の人件費を捻出するために寄付金集めやパーティー券販売から離れられなくなっていた。「本末転倒です」と宮沢氏は言う。 自民党は安倍派を中心に議員ら39人を処分し、このうち安倍派座長だった塩谷立元文部科学相と安倍派参院トップだった世耕弘成前参院幹事長は勧告を受けて離党した。安倍派は解散を決め、総裁選でも候補者を出していない。 かつての最大派閥に、宮沢氏は何を思うのか。「幹部がどこかで『(還流を)やめよう』と言っておけばこうはなりませんでした。安倍派は保守政治の柱だったと自負しているので、それが消えてしまったのは損失です」と振り返る。 宮沢氏はこれからも政治活動を続けるつもりだが、こう言い切った。「もう自民党には帰りません。政治不信を払拭(ふっしょく)するには、自民党政治自体を変えないといけないんです」【畠山嵩】 取材を終えて 2023年4月から1年間、政治部で自民党安倍派を担当した。派閥の政治資金パーティー裏金事件のさなか、永田町の議員会館を歩いていると、国会議員からよく聞いたのが「政治活動にはどうしてもカネがかかる」という言葉だった。議員の言い訳のようにも思えたが、実情を知りたいと宮沢氏への取材を決めた。秘書給与を自腹で支払い、飲食費口座を作り裏金を入れていた――。宮沢氏の口からは、決して楽とは言えない政治活動の現実が垣間見えた。 「カネのかからない政治をやりたい」。宮沢氏はこう力強く語った。だが、その前に政治家がすべきことは、国民に対して「政治にカネが必要な理由」を明確に示すことだろう。宮沢氏だけでなく、全ての政治家が自身の政治活動にかかる費用をつまびらかにすることこそ、政治への信頼を取り戻す第一歩だと取材を通して思った。 ※この記事は、毎日新聞とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。
裏金は「飲食関係」に使った カネのかかる政治「今となっては何のため」、元国会議員が明かす実態(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
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【海外文轩】杨秋生小说 | 走出Google Map 的魔咒
Original 杨秋生 海外文轩 2023-12-04 08:07 Posted on 美国
她竟然在Google Map 的街景图里看到他。
她是个自雇会计师,那段时间她每天固定要去两个地方,中间有一个小时的空档。两个地方蛮近的,如果办完第一件事回家,大概也只能休息10分钟,又得出门了。她就想,不晓得两个地方附近有没有什么公园,或者有树荫��以遮蔽烈阳的地方?就趁那个空档时间走完每天规定自己的一万步。
于是她利用Google Map 的卫星图一路寻找看看。
她发现那儿附近有一片新兴的住宅区,外围规划了弯弯曲曲的步道,步道边上种了一棵又一棵苍苍郁郁长得相当繁茂的树,正合她的心意。但卫星图是从空中俯瞰往下照的,看不出实地走过住家的模样,于是将卫星图转为街景图。这一转,清晰的马路与房舍立刻映入眼帘,真实地让人身历其境。她的手指不断地顺着像是新开发的社区步道一段一段滑过去,整个社区规划得极好,房子设计也很新颖。滑着滑着,她居然看到一个年轻的妈妈牵着一个小女孩,像是正在过马路。她像发现了新大陆似地,兴致一来,重新回到原始设定地图,找了一个公园,再转换成街景,竟然看到一群年轻人正在公园聚会,如此传真,她似乎都能感受到公园里热闹的气气氛了。
Google Map卫星图
她像着了魔似地,打入自己家的门牌号码,想看看自己家在Google Map里是什么样子?
她看到了她那辆看起来像新的一样的丰田卡罗拉孤伶伶地停在车道,靠马路的白色围牆上攀爬着开得正盛的亚当玫瑰,衬托着翠绿的草坪十分美丽。
她不由想起他。
自从她对隔壁街道一家白围牆上攀爬着美丽的亚当玫瑰赞口不绝后,他便将前院靠马路的草坪产去一大片,搭上矮围牆,每隔几尺种上一棵带着仙气的亚当玫瑰。几年下来,玫瑰越开越盛,那道花牆成为他们那条街最美丽的风景,见证着他们的爱情。
她以为她已将他封尘在记忆的深处里了,而面对着Google Map 里她家的屋子,一切如此真实,彷彿触手可及。她忍不住将手按在她称之为「爱庐」的精致屋子,不停地放大、放大、放大,想看能不能在窗口边捕捉到他的身影。
寻找他的身影的念头像一块石头,丢入她已然平静的心湖,激起一圈又一圈的涟漪。过去的记忆瞬间翻江倒海而来,一股极为难受的情绪堵住胸口,眼泪掉了出来。
她自来是没有什么方向观念的,往往转个弯,就不知道东南西北。而他的脑袋就是一个GPS,根本不需要任何的帮助,一定能够顺利找到目的地。
Google Map街景图
他宠着她,只要她想到那里,他就开车带她去。后来她上班,他陪着她从家里到公司好几趟,确定她记住了来回的路线,才让她自己开车去上班。
她顺势依赖着他,感觉她是世界上最幸福的人。
日子就像他脑袋中的GPS,轨道从来没有出错过,而命运却让她错过了所有的轨道。
那年夏天,热浪来袭,夜里她忽然惊醒,屋外像有什么窸窸窣窣的声音,听起来像风吹着叶子的声音,也有一点像刚下起豆大雨珠的声音。床边他的位子是空的。她想应该已经是深夜了,夜里有时他睡一觉会醒来,便起身到书房打开电脑做点事,累了,再回来睡个回笼觉。她一时也睡不着,下了床,穿过走道,打算也到书房。走到一半,却看到紧邻餐厅的家庭间有着微弱的灯光透出来。
家里的灯都是可调整亮度的,调到那么微弱的光线,感觉上很不寻常。
她悄悄走过去,停在门口,伸个头往里望——她清楚地看见他坐在沙发上的一角发着呆。原来他并没有开灯,而是外头满月的光透过偌大的玻璃窗照了进来。分明是夏天,月光却带着寒气,让他看起来像冰雕出来似的。
她一下子什么事明白了。
他喜欢小孩子,她也是。
虽然他是独生子,即使婆婆没事就要叨上几句,可是他从来不催她,给她最大的自由选择。
她太爱他了,婚后倒是一心准备着迎接属于他们两个的新生命。
可是,一个月又一个月,他们都错过机会。
送子娘娘似乎忘了他们的存在,五年过去了,婆婆的脸越来越难看,说出的话也越来越恶毒,连他都缓和不了,他们只好约着去看不孕症医生。
妳动过卵巢巧克力囊肿的切除手术吧?
当医生这样问她的时候,她的心一震。
那是好久以前的事了。
青春期时候,她每个月到了固定时间都痛不欲生,需要请假,妈妈带她去看医生,检查出两侧卵巢都有大到必须开刀切除的巧克力囊肿。医生信誓旦旦地说,经痛、经期不规则、经血量增加、骨盆疼痛都是不可避免的,有可能日后会导致经血逆流引起骨盆���炎,甚至蔓延到腹膜引起致命腹膜炎,只有开刀一途。腹腔镜手术伤口很小,复原也快,刀到病除,不影响卵巢功能的运作,仍具有生育能力。那时光听到肿瘤都吓到了,若还会引起腹膜炎,更令人不安,既然还能生育,便顺了医生的建议。
妳的卵巢功能已经衰退得很严重了,妳知道吗?
眼前医生推了推鼻樑上的眼镜,试着用最温柔的语气对她说。
她看到他的脸刷地像诊疗室的牆壁一样白。
那怎么办?他急切地问。
只有人工受孕了。医生说。
她像掉入地狱,有种被欺骗、不得超生的感觉。当年开刀的时候,医生分明告诉她,她仍将拥有生育能力啊。医生说的是事实,可是没告诉她,生育的机率却是非常非常低。
回家的路上,两人都没说话。
他们转往中医诊疗,期待经由中医治疗或许可以自然受孕。
她一喝中药就干呕,呕至眼泪都流出来。每次婆婆来看她干呕都以为她怀孕了,她也想这样欺骗自己。
日子变成只剩下羞辱和痛苦,没有欢愉。
拖了一年,她感觉虚耗的不只是珍贵的适孕黄金期,一直引以为傲如鱼得水的悠然自适,滋养着对方的婚姻,不知不觉紧绷起来。她觉得自己像一只随着水温加高的水煮青蛙。他们自来无所不谈,没事就爱腻在一起;尤其睡前总喜欢说说笑笑打闹嬉戏一番再相拥安心睡去,而现在,两人总是各怀着心事安安静静地躺着。有时她想挨过去贴着他温暖的身子,却觉得一道无形的牆卡在两人中间。她好想和他说说话,却找不回熟悉亲密的感觉,疏离感越来越强,让她觉得他似乎越来越陌生了,话到唇边,就让棉被覆盖着,重重地压在身上沉沉睡去。他的个性原本就温和随和不挑剔,很容易就会忽略他的感受。生活一路下来都是以彼此习惯的方式进行,被医生宣判无期徒刑后,她感觉即是两人摸得到相互的身体,却触及不到彼此的灵魂。有时她不免想,他们完美的婚姻,会不会只是她一厢情愿的幻觉,自始至终她是活在灵魂伴侣美满婚姻的幻觉里?而真正的他,心灵已经走远了?
他们又回去看不孕症医生。
妳的卵巢更老化了,再不做人工受孕,最终只能借���了。医生凝重地提出警告说。
她的心跌到又深又黑的井里,冰透的水在她的鼻尖沉浮。
借卵?那生出的孩子就不是她和他的骨肉了!不行,绝对不行!
于是,他们开始了更痛苦的身心煎熬的周期。
不同医院求诊,飞行里数足够绕地球一圈,7次取卵,4次移植、流产,超过三百针,身心具是千疮百孔,无止无尽的幻灭⋯⋯
她轻悄悄地走回卧房,斜靠枕上,空洞的眼神,空了的灵魂,如一座暗黑的没有生命的凋像。
他一直到天亮都没有回到床上来。
她听到车库门开启又关掉,她才走出卧室。
他从来都不会这样的,一股蚀心痛楚席捲而来。她走到书房,将书架上所有的孕妇须知、育儿书全都扫进侧院的回收桶。
她颓坐地上,感觉人生走到了尽头。
她需要新鲜空气。
关上门,离开让她窒息的屋子,独自走到沿溪林荫步道。
她家离这个健行步道很近,穿过几条短短的马路就到了。
如果没有特别的事,他们每天清晨都会走一趟。沿路每一栋房子,甚至每一棵树都如此熟悉,她不需要去寻找记忆,闭着眼睛她似乎都能看到她与他手牵着手的影子在前面引领着着她。
很快地进入长长步道中最美的一段,两侧虽然多是杂树,却也长得枝叶繁茂,高大参天,形成绿色天然拱门。健行的人并不多,幽静的林荫小路苍郁凉爽,一扫夏日燠热与烦躁。
一阵风吹来,阳光透过枝叶隙缝洒下来,叶子泛着金光,岁月如此静好。她怔怔地站在那儿,竟有着恍如隔世的感觉。
穿过绿木拱门是另外一番粗放的风景,走着走着就听到了溪水的声音。
干旱了几年,经过冬天与春天两季十多次的大气河侵袭,干涸了的溪水满了上来。走到溪水汇集处,一对绿头野鸭子悠游水中。最早她看到有着亮丽颜色,成双成对形影不离的野生绿头鸭子,还误以为是鸳鸯。后来才知道旧金山湾区只要有溪流,几乎就能看到绿头鸭子。她每次看到水中成双鸭子相守相随不离不弃,心情都特别好,总要看着鸭子远去了才继续前行,他便站在旁边静静地伴着她。
他们两个都是喜欢宅在家的人,结婚几年还老爱腻在一起。即使他在书房里忙着上班时间没有做完的工作,她也不会自个儿看电视。她买了一个比较精致的复古沙发躺椅,听着他忙着敲键盘的熟悉声音,觉得很安心,拿本书在旁边读着。
他们也有过不愉快的时候,意见相左,又称不上吵架或者抬杠的时候,就是沉默相待。两人都不说话,还背对背待在同一个房间里看书。彼此都知道,这样的冷战,说穿了,就是一种惩罚,对自己,也是对对方。熬上几天,他开始露出受苦的表情,她就没有办法拗下去,随便找个什么理由对着空气自言自语,他就极力高声回答,震碎了卡在彼此之间稀薄的玻璃牆。
她要的就是这么一小块,彼此相知相爱的方寸之地。
而今天早上的不告而别,已不是斗嘴或者冷战的级别了,带着决绝的意味。
原来婚姻不能只有爱。
她意识到她一直守护的方寸之地,已经崩裂了。看着她仍然视为鸳鸯的绿头鸭子,酸甜苦辣的心情瞬间翻腾,那撕心之感千回百转,她只觉柔肠寸断,痛楚难当。
再走几步,只见一只白鹭鸶孤独地伫立溪中。
她一直很喜欢体态轻盈纤细优雅的白鹭鸶,一直以为白鹭鸶就像鸳鸯一样,一定是成双成对的。后来才知道白鹭鸶孤眠在草泽之间,卓然特立在潺潺泉石之上,有着怡然独立的特质,而非总是双宿双飞。
形单影只白鹭鸶
特立独行的白鹭鸶总那么优雅孤高不群,像正在思考的哲学家。她每次看到经久站立不动的白鹭鸶,都很想知道牠在想��什么?见白鹭鸶溪边孤影,就会心生怜悯——为什么牠们喜欢离群索居,而不是双宿双飞?永远显得如此孤单,正如现在的她。
她落寞地独行,走着想着,不知不觉已远离林荫,右边出现广袤平原,极力望去目之所及是平缓起伏的层层山脉,充满原始风味;而左边是一大片如竞技场上斗得你死我活,充满不眠不休竞争的高科技谷歌公司。
两边呈现着完全迥异的面貌,她站在分岔点,突然觉得就像她走在婚姻的分界线上,一边是只能拼命,和婆婆、和命运竞赛,近乎绝望的挣扎,无止无休令人喘不过气;一边是自然风光,是她习惯的回归自然的悠然天地。
她该回到婚姻继续与婆婆、命运纠缠?还是自我放逐?
他是个无可挑剔的温和男人,但她知道他骨子里最深处有种不轻易妥协的别扭,除了对她。十年婚姻最初的甜蜜与相依在后来求子屡战屡败的挫败磨下来,所有的温柔与温情消耗殆尽,她曾从他的眼睛看到愤怒、哀伤、挣扎与绝望。站在分岔口,她意识到他们最终走到了婚姻的分界点。
未来他会选择哪一条路?
事情是怎么发生的,到现在她都没有办法理清楚。
只记得从步道回去后就决定放他一条生路。
是谁说的?以不爱为爱。
当她跟他谈起离婚的事情的时候,她感觉到他全身颤慄不已——其实她自己也是。她的内心充满了恐惧——对即将失去他的恐惧、对未来的日子里头没有他的恐惧。她的泪水已经急涌上来,可是她没有让一滴眼泪掉下来。是的,她会失去他,将来的日子里,再也不会有他⋯⋯
亚当玫瑰
他离开后,她生了一场大病,姊姊来看护她,直骂她傻。
傻呀,她自己也知道。
她对他有深深的眷恋,她相信,即使他离开,对她仍然深深地眷恋着。
她在这个屋子里已经住了五年,他搬离开后,她原本是想卖掉这栋房子的,生怕触景生情,但是她最后还是选择留下房子,不只是因为屋子里一物一角都载满了她与他的回忆,她舍不得把这些甜蜜的感觉,从她的生命中剔除开来,最终淡忘成为模煳的记忆。在她的心底,她没有真正的放掉他,或许,还期盼着他会回来看看她?
他离开后,她才发现屋子显得特别宽广而空旷。一到夜晚,整个屋子寂静无声。偶尔一阵风吹过来,她似乎都可以听到松针落地的声音。她有时候会想,如果他死了,她还可以带着他栽种过的玫瑰花去墓园看他。而他只是离开,她却可能永远再见不到他。但她又不希望他死掉,至少知道他在一个不知道的地方好好地活着。
冬天夜晚来得早,窗外的景色一暗,她就心慌。她把家里所有的窗帘关得密密严严的,再把全家的灯都打开,到处亮亮的。
她只能呆呆地坐着,哪儿都没有地方去。
那时她没换床,还深深地眷恋着他留在床上的气味,躺在加州特大号床,那熟悉的气味帮她度过了无尽的孤独黑夜。
而后来,她每次看着那空着的半张床,就像看见一个黑洞,她似乎就要掉进黑洞里头去了。
她终于将那张床也丢了,买了一张单人床,空间一下子大了许多。她买了一张大椅子,衣服脱下来也不拿去洗,就堆在椅子上,带点乱糟糟的味道,看起来像是有两个人住着似的。
她对各式各样的气味非常敏感,衣服被太阳晒过的味道,是一种居家安心的感觉;电锅里的饭快要煮好的时候,总让黄粱一梦变得真实起来。他的枕头套才不过几天就会飘出淡淡的油味来,她一边叨,一边也觉得有着熟悉的气味,生活充满了流动的气息。
气息随着他远离的时日久了也渐渐淡下来,连捕捉记忆都开始觉得困难。她思念他到再也没有办法遏止的狂��的地步的时候,她就拿出纸笔来写信,一封又一封没有办法投递的信。
最初她有时会想,哪天下班回家时,他会不会出现在他们曾经拥有最美丽的回忆之处?屋子里的这个女人,曾是他最深深的爱恋?
偶尔走过他们常去的咖啡馆,有几次她以为看到了他。事后总忍不住嘲笑自己,世界上至少有一半的年轻人会像他那样穿着牛仔裤,上面着上一件看似随意却相当讲究的T 恤。
时间久了,她其实也知道,他是不会来的,也不可能不期而遇的,但是她就是不肯放掉这个念头。他曾经如此爱着她,他怎么可能就舍她而去呢?她还相信着他坚贞的爱情,就如同太阳每天早上一定会从东方升起,会照亮她的窗台。
她有一回,相信她是哭着睡着的。她做了一个梦,梦见她在海边,忽然见到他从远方奔过来,一路哭喊着:贝贝被海浪卷走了,贝贝被海浪卷走了!
贝贝是他们刚开始尝试着要孩子的时候,为孩子先取的名字。
她惊醒过来,吓出一声冷汗,心脏砰砰跳个不停。她不知道为什么会做这样的梦?有好长一段时间这个梦一直如影随形地跟着她,从来没有离去过。她只觉得痛,痛到没有办法再痛了,反倒在深渊里一点一点慢慢苏醒活过来。
她终于相信他是不会出现在她的世界里了,那已经是很久很久以后了。
她突然悲哀起来,世界上像她这样在空等中打发一辈子的女人有多少?她是不是就这样终其一生地等待永远不会再回来的爱情,日复一日、年复一年,直到头发斑白,眼睛再也看不清前面的路⋯⋯
往事一幕一幕清晰如昨,她整个陷在google map 里——听说他其实住得并不远,就在隔壁城市,她发了疯似地,开始一条一条马路寻找。地图、卫星图,街景图来回切换,彻夜未眠,无止无休地滑着地图。
终于那辆她熟悉得不能再熟悉的宝蓝色第八代的雪弗兰跑车,就出现在离她家只有三里路的一个小小社区里的一栋康斗的车道前——那绝不会有第二辆。
她将街景放大,是了,是他的车子,虽然车牌经过处理一片模煳,但她一眼就认出车尾右边保险杠他贴上的Keep Tahoe Blue贴纸。原来他真住得这么近!她的眼泪掉了下来——咫尺却天涯!
看来驾驶座车门是开的,她猜想应该是他刚坐上驾驶座上,将公事包放在乘客座,左脚还在车外尚未收回车内的那一瞬间,被谷歌拍摄街景的车瞬间拍下。她赶紧将地图放大,偏偏谷歌是从车子的���后微右的角度拍摄的,虽看得到车门是打开的,却无法看到她想像中还露在车外的左脚,而后车窗深深的树影与绚丽阳光经过光学透镜的折射,半幽深半模煳,将他与她完全隔了开来!
她决定亲眼去看看。
海的尽头
她将街景图转回地图,起身,拿了纸笔,准备画出一张自己看得懂的地图,决定天一亮,她就要去寻找那栋精致的小屋。
她对于看地图一直有着极端的困难,她自小没有东南西北的概念,只有前行、右转、左转与往回走的观念,不认路,却记得每段路的建筑和地标。去哪儿,她都会画一张从家里出门一路只往前行、右转与左转属于她自己的地图。他老是笑她画的地图和日本人一样,连警察画出的案发现场地图都只有主要建筑,没有东南西北、没有街名。一瞬间,她的眼角热了,视线也模煳起来——他们的生活中曾经有过这么多的甜美记忆。曾经一起经历、拥有过的时光一旦变成记忆,她就往往卡在真实与虚幻之中,不知身在何处?不知何去何从?
她一边对着手机的地图,方向转来转去地画着,一边想着,我会看到他从门口出来,坐上爱车,微开的车窗仍然流溢出来着断人衷肠的二胡乐曲吗?
他头发长了还没去理发店修剪吗?
想着想着,她的心脏怦怦跳得厉害。
三里路,像开了一辈子。
她将车停在路口的转角处,隐身在路边的大树干后面,时不时瞥一眼。
终于,车库门打开了,他提着惯用的公事包从里头走了出来。
她的手���了,没办法去抹额头滴下来的���。经过眼角,流到唇边,咸咸的。
远远地看他,身形没什么变,但带着些微疲倦的面容上有着愉悦的光彩,很奇怪的组合。她想着,从来没有看过这样的他。才不过几年,就变出一个她从来没有见过的样子!
哔哔两声,车灯闪了几下,他打开驾驶座,坐上车,将公事包放到乘客的座位上,所有的动作还是和以前一个样子。
她的心剧烈地跳动起来,真想从大树后头奔过去,从后头用双手紧紧地环抱着他——她从来没有像现在这个时候这样后悔让他离开!
咫尺天涯,曾经如此亲密,竟成陌路。
一个绑着马尾巴脸上浮着笑意的年轻女人从灯已灭了的微暗的车库走出来。与其说她是女人,不如说她更像个女孩子。纤细的身材,长手长脚,像她年轻的时候。连绑着的还在晃动的马尾巴、宽松的纯棉浅蓝色格子衬衫、帅气的牛仔裤都一样,有几秒钟,她以为是她和他到了另外一个平行宇宙。
他对着马尾女孩(应该是他新娶的太太吧?)露出她已久违的怜爱表情。他说了些什么,只见马尾女孩低下头,双手摸着扁平的小腹,浅浅地笑着,眼角漾满幸福。
她的心像是受到很大的撞击,几乎要跌坐在地上。
心,一点一点往最深处痛起来。她撇过脸,地上有了豆大的水滴。
她慌乱地奔离,差一点就被路边凸出来的一块树根绊倒,大拇趾痛彻心扉。
她头上发热,身子却觉得很冷,那冷,就像有一次他们到密西根,去看人家冰钓,她好奇央求人家让她摸一下冰块缺口的水有多冰?那冰,冰到心脏都要停止跳动了,瞬间一股像被火烧似地感觉直窜手掌。冰与火在那一刻没有了界线。
她想起他们陷入深深恋情的时候,她与他最喜欢的一首汉乐府《上邪》,两人高兴起来眼里只有对方,轻轻地吟着:
上邪!我欲与君相知,长命无绝衰。
山无陵,江水为竭,冬雷震震,夏雨雪,天地合,乃敢与君绝。
文字错落相间,读起来特别有味道,注入了忠贞不二、澎湃热血,像是用生命铸就的爱情。20年,她从青春豆蔻走到充满疑惑的不惑,心头守着的不就是这一纯美情爱吗?
他,人早已走远,她还在反反覆覆地追思着过去。
她到现在都跨不过去这个坎,她不知道他是怎么跨过去的?
她的心好痛,整个人像被劈成两半,灵魂都没有了安置处。意识到了原来她是用整个生命去爱他;而曾经这么爱她的他,自己却只是他生命的一部分。
踽踽独行,阳光将她的影子拉得老长,孤独地像个寂寞的灵魂。她呆呆地站在那儿,意识到属于她最刻骨铭心、最重要最精华的人生已成了过去——他在她的生命中将永远缺席了。
她反复思索,当时二话不说还他自由,到底是不是她真正的心意、真正的爱?她对他这样深刻的爱,他知道吗?她总是一次又一次地回想那天夜里他一个人呆坐在窗边的景象,现在想起来也许事情并不是突然发生的,恐怕是一点一点已经埋伏在他们各自的心底了。
她连他的车从她旁边驶过去,她都没有发现。
她曾读过一段话:平静地接受消失与死亡是一种沉静的修行。
很多事情,只能靠幻想安慰自己吧,贪图变成真实,绝对会变成一种灾难。
回到车上,她打开引擎,车子缓缓前行,最后停在步道入口的路边。
她下了车,进入阳光尚未渗入树林的那段步道。
树荫有点深,她快步走着。旁边稠密的杂树林里是没有晨曦与黄昏的,只有白天与黑夜。在阳光不足的浓密树林里,一切都不透明,显得有些阴森而鬼魅,让她一时分不清过去、现在与未来。她的思绪与记忆虚实交错,彼此折叠着。
她越走越快,想快速穿过这段向来最爱的林荫小道。
终于听到水声,她的心稍稍平静下来。经过大气河与炸弹气旋的夹击,泛滥溢出去的溪水特别澄澈,绿树倒影清晰可鉴,像是反过来生长似的。白云在水里缓缓地移动着——折射着相同的景象。
溪水如镜,她停伫下来,发现溪水之上与溪水水下如此相像,虚实难分。
曾经生活过、拥有过的,到底算实,还是算虚呢?
她忽然觉得那段相倚相靠的日子远去了,远到像是上辈子的事情了。
她继续向前行,走到更宽的湍急处,好几棵被风吹倒的树七横八斜地卧在水中,溪底落叶枝枒交缠。
原来大自然有自己的消长,她忽然了悟了。
小径没有终点,走着走着,穿过从前走过的分岔点,继续前行,两边再也没有房舍。
她看到了海,左前方。
她沿着小径向左弯过去,沿着海边步道走,出现了湿地。
海陆交界湿地
她忽然发现,以前一直以为的“海的尽头”是在岸边眺望大海极目最终之处,而现在站在海与陆地的交会之处,才意识到大海与陆地的交界湿地,才是大海的尽头。一大片一大片的沼泽地与小池塘、水道上都可看到各种水鸭子、加拿大雁、鹭鸶、鹈鸪或悠游或栖息其间。振翅高飞的鸟在海阔天空中自由飞翔。水中映着白云,点点水鸟、鹭鸶觅食——原来生命可以如此丰富而缤纷。
海的尽头,原来近在眼前,正是生命的源头!
她一直以为她的悲哀,就像海看不到尽头一样,现在她忽然明白了,她的心底涌上一股热直冲眼角,鼻头酸了起来。
向死而生,就是重生,她忽然懂了⋯⋯
(文中插图由作者提供)
~完~
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■旧赤星鉄馬邸
建物公開の情報を得たので吉祥寺へ。 設計は日本近代建築の父と称されるアントニン・レーモンド。 1934 (昭和9) 年竣工の白亜のモダニズム建築である。 邸内に入ると個人宅なのにかなり広く感じた。 増築部を差し引いても宿泊施設ぐらいの規模である。 しかも天井が高く開口部が多い。 この日は今にも降り出しそうな天気だったが、 晴れていたら 室内に光が溢れてもっと綺麗だろう。
長らく修道施設として使われていたので 居室はかなり改装されている。 往時を偲ばせるものは作り付けの家具類で、 これらは全て妻ノエミ・レーモンドが手掛けたもの。 可愛らしくもあるが収納力が高く実用的な造りだ。
RC造なのに建物に直結する形で蔵があったのは意外だった。 しかも内装は木材で、同時期に建てられたものである。 モダニズム建築と言えども昭和初期は蔵を置くのが 慣例となっていたのだろうか。
2階の書斎は唯一、竣工時のままの姿で残されている。 壁には無数の小さな円窓が等間隔に開いていて そこから柔らかい光が差し込む趣向であった。 この意匠は玄関の庇にも使われている。 もう一つの見どころは階段室で、 螺旋を描く階段に沿って 並べられたステップや手すりが美しい。 こちらも壁面のスリットガラスから外光が入る。 そして広大な庭に出るとタイル貼りの噴水まであった。
旧赤星邸のあらましを参照して頂くとわかるが、 実業家・赤星鉄馬が所有していたのは僅か10年である。 現存する多くの「旧〇〇邸」は紆余曲折を経ているものが多く、 特に戦中戦後は接収される運命にあった。 更に関東大震災後に新築した建物となると 最初の所有者が住んでいたのが15年以下というのも少なくない。 例を挙げると旧前田家本邸は15年、旧��香宮邸は14年、 旧原邦造邸(原美術館/解体済)に至っては7年である。
赤星邸も昭和19年に陸軍が接収し、戦後は進駐軍のものになった。 昭和31年からはカトリック・ナミュール・ノートルダム修道女会が 所有し、長らく修道施設として使われていたが、 シスターの減少により閉鎖され、令和3年武蔵野市に寄贈された。 令和4年10月には国の登録有形文化財となり(増築部を除く)、 建物の耐震診断の結果を踏まえ、一定期間に一般公開されている。
もし赤星家が戦後もこの建物を所有していたら 果たして建て替えずにいただろうか。 却って所有者が変遷する事で運良く残ったのかもしれない… などと考えながら、降り出した雨の中を駅へと急いだ。 5月14日探訪。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨���傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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2024/10/21 8:00:15現在のニュース
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不当裁判・不当判決を告発します(新訂版)
(No.3)=((No.2)からの続き)
H.21.4月.水撒き人W氏の当月の水道水使用量は70㎥ H.21.4.2.私共は先ず旧自宅内で引っ越し荷物の梱包作業を行い、本日より当マンションへの搬入作業に取り掛かった。私共は「経費節減の為、401号室の清掃を自分達で行おう」と、401号室に掃除道具を持ち込み、本格的に大掃除を開始、そして自家用オンボロ軽自動車に引っ越し荷物を少しずつ積み込み、旧自宅~当マンションを幾度も幾日も往復して搬入し始めた。
H.21.4.15.午前10時頃、私共がリビングで引っ越し荷物を開梱中、東南角の「ベランダ天井に開けられた穴」と「その穴を上下に貫通して居る垂直排水枝管(見取り図の☆③)」との円形(環状)隙間から、枝管の外周を伝って強烈な漏水シャワーが降って来た。驚いた私(夫)はスグに岩井昭雄管理人を呼びに行ったが、偶々「館内巡回中」との事で、5~6分ほど遅れて現場へ来て呉れた岩井昭雄管理人は、漏水シャワーその物は目撃できなかったが、その直後の漏水が引っ切り無しに滴り落ち続ける様子、更にベランダ床面・壁面・網戸にも強烈なシブキが飛び散った惨状を現認して呉れた。私共は「まさかベランダ天井から漏水シャワーが降って来る」とは夢にも思わなかったので、この時はデジカメも録音機も持って居らず、残念ながら決定的証拠(漏水シャワー)の動画撮影をする事も、また(漏水シャワーの)音も録音出来なかった。然し、岩井昭雄管理人は、漏水シャワー直後の惨状を見て「以前(H.21.2.3.)にも上階501号室(W氏宅)から此の401号室(当時のS氏宅=現在の私共B夫婦宅)へ漏水事故が有ったのですよ。今週末(H.21.4.18.)には不二建設㈱(=当マンションを建設した会社)の係員2名が当マンションの共有部分(ベランダは共有部分である)の点検に来るので、事情を話して上階501号室(W氏宅)のベランダからの漏水被害を防ぐ補修工事をして貰いなさい」とアドヴァイスをして呉れた。私共は「此のマンションを建設した不二建設㈱が現場の点検・補修に来て呉れるなら最適だ」と考え、岩井昭雄管理人のアドヴァイスもあり、私共は何の疑いも持たず(他の工事業者に調査・補修を依頼する事など、最初から全く考えずに)不二建設㈱の係員の指示を待ち受ける事にした。因みに私共の401号室には全部で4個のベランダ(バルコニー)があり、それぞれに1本ずつ、計4本の垂直排水枝管(☆①、☆②、☆③、☆④)が設置されて居るが、此の内の☆③から漏水シャワーがあったのである。
当日(H.21.4.15.)の管理日誌より抜粋「401号B氏(=買主である私共B夫婦)5月初旬入居の予定にて室内掃除していた時、上の501号室(W氏宅)���ランダより急に水が溢れた、との連絡受け 立ち会い 501号W氏に注意 以前もあり 今後が心配」との記載あり。
H.21.4.18.不二建設㈱の蓮井・豊田両社員が現場に来て呉れた。私共は早速「上階501号室からの漏水被害を防ぐ為に、ベランダ天井に(排水枝管を通す為に)開けられた穴と、その枝管外周との円形(環状)隙間にパッキング・コーキングを詰めて下さい」と依頼した。然し、両社員2人共に「此のパイプは嵌め込み式なので補修・修理は出来ません」「上階の住人(W氏)に『ベランダには大量の水を撒くな!』と厳重注意する以外に解決方法がありません」「マンションではベランダに大量の水を撒いてはいけないのですよ!」と回答した。私共は仕方なく(当マンションを建設した)不二建設㈱の両社員の此の言葉を其のまま信用・鵜呑みにして「成る程、そうか!これは修理も補修も出来ないのか!」とガッカリして補修・修理を諦めると共に、「旧売主S氏も(私共と同様に)不二建設㈱から『これは補修・修理は出来ません』との回答を喰らわされたのであろう、だからこそS氏は[漏水被害を隠した侭で]401号室を私共に押し付け、自分はサッサと逃げ出したのだな」と感付いた。
因みに、此の漏水被害に関して(最初に私共の弁護を引き受けて呉れた)K先生(=女性弁護士)が不二建設㈱宛に提出された(H.22.2.2付け)『弁護士照会』に対して、不二建設㈱は(H.22.2.18.付け)回答で「当日(=H.21.4.18.)、401号室に入った処、当社の豊田社員が内容を確認しましたが、バルコニーの水漏れに関しては確認できませんでした」「バルコニーの水漏れについては、原因と状況を当日、買主B様(=私共)に説明した事で、了解をされた為、補修依頼は無かったものと判断致しました」と記載して居る。然し「不二建設㈱の蓮井・豊田両社員が漏水現場に来て呉れた当日(H.21.4.18.)の当時刻(午前9~10時頃)」には、偶々、☆③に上階から漏水シャワーが無かっただけで(W氏は、毎日・四六時中、ズッと漏水シャワーを流し続けて居る訳ではなく、いつ何ん時、漏水シャワーが降って来るか?私共にも不二建設㈱にも、前以て正確な日時など全く予測できない)、然し☆③のクランク部(屈曲部)を良く見れば、上階からの頻繁な漏水が滴り落ち続けて濡れて居た事、また床面・壁面にも漏水の痕跡・惨状などは十分に確認できた筈だ。それ等を全て無視して置いて、私共に対し冒頭から「此のパイプは嵌め込み式なので、補修・修理はできません」「上階の住人W氏に対し『ベランダには大量の水を撒くな!』と厳重注意する以外に解決方法はありません」「ベランダには大量の水を撒いてはいけないのですよ」などと突き放した回答を喰らわせ、有無を言わせずに私共を諦めさせて置いて、これを以て「買主B様から補修依頼は無かったものと判断致しました」とは、余りにも身勝手な回答である。当日の不二建設㈱の蓮井・豊田両社員の「これは嵌め込み式なので補修・修理は出来ません」との不誠実で突き放した回答は、今回の漏水被害訴訟発端の一因でもあった。即ち、漏水被害の直接原因は、勿論、上階501号室の住人(=W氏)の[統合失調症]による『病的な水撒き癖』であるが、不二建設㈱は上記の通り、漏水被害を食い止める為の最小限の努力(調査・作業)すら全く行わず、「これは修理・補修はできません」と(最初から)私共の要請を突っ撥ねた侭だった。だが当日(H.21.4.18.)から『2年半後のH.23.10.11.』に(不二建設㈱以外の)別の工事業者(=近畿衛生技研㈱)による簡単な調査および作業(高圧洗浄)によって、上階501号室(W氏宅)からの長期間の漏水被害を齎し続けて居た真の原因(W氏宅501号室ベランダの当該排水枝管(401号室の☆➂の真上にある排水枝管)に、W氏が長期間に亘って投げ捨て続けて来た大量のゴミ詰まり)を近畿衛生技研㈱が調査・突き止め、これを30分間ほど高圧洗浄して呉れたお陰で、此の大量のゴミ詰まりが枝管内を下方へ押し流され(取り除かれ)、漸く501号室の汚水・排水が当該枝管開口部から外部へ溢れ出す事なく、スムーズに枝管内を下方へ流れ落ちるようになって、401号室への漏水被害が解消されたのであった。
上記のH.23.10.11.の近畿衛生技研㈱の親切な対応振り(調査・作業)に比べると、当日(H.21.4.18.)に不二建設㈱が私共に対して(そして恐らくは旧売主S氏に対しても)『これは嵌め込み式なので補修・修理は出来ません』と突っ撥ねた同社の対応・回答振りは、余りにも無責任かつ不親切であった。更にH.24.2.3.には『漏水被害を齎し続けた来た張本人(W氏)もT(精神)病院に入院し、今や501号室には最早「水撒き人W氏」は居住して居らずに無人である』が故に、それ以後、階下401号室(=旧売主S氏宅→旧B夫婦(私共)宅→現在はK女史(=女性薬剤師)宅)への漏水被害は、現在は(W氏の不在中は)全く発生して居ない。勿論、[当マンション内の他の所帯・他のベランダには、最初(=当マンション竣工時=H.19.2.23.)から漏水被害などは全く発生して居ない]と言う事実は、私共がH.22.4月に行った各戸別聞き取り・アンケート調査によって既に判明して居る。これ等の事情について詳しくは後述する。 (話を元に戻します)不二建設からの回答書には「同日(H.21.4.18.)、不二建設㈱の両社員が501室(W氏宅)内に入った処、トイレの便器内には「スルメ」「箸」「昆布」が詰まって居て、廊下にまで汚水が溢れ出て居た」という事実が記載してある。更に、その僅か3日前のH.21.4.15.には私共が501号室(W氏宅)から強烈な漏水シャワーをマトモに喰らわされて居た事実、岩井昭雄管理人によれば「此の501号室(W氏宅)からの頻繁な漏水被害に対し、階下401号室の旧住人S氏も普段から苦悩して居た事実、更にまた「W氏は日頃からゴミを不法投棄して当マンション住民諸氏に迷惑を掛け続けて居る」という事実、これ等の諸事実を私共は、此の時に岩井昭雄管理人から続けさまに聞いたのである。私共は「全くトンデモナイ迷惑人間が、私共の上階501号室に居住して居る!」「その為に階下401号室の住人(旧売主S氏および現在の私共B夫婦)は頻繁な漏水被害を蒙むるのだ!」と思い知らされ、「これでは旧売主S氏が、『漏水被害』を隠した侭で私共に401号室を売り付け(押し付け)て、自分はサッサと逃げ出したのも当然だった!」と暗澹たる気持になった。
当日(H.21.4.18.)の管理日誌より抜粋「501号W氏宅訪問 トイレの詰まり 廊下・部屋 ひどいもの 業者(不二建設)呼び修理依頼するも give up アフター(サービス)担当者・川端氏 不二建設2人立会い 上記 これから暑くなる季節 臭い・水漏れ等で他住居人よりクレーム必至」と記載あり。私共は「斯かる重大事実を隠した侭で401号室を売り付けた(押し付けた)旧売主S氏」と「斯かる重要事項(特に漏水被害)を既に売主S氏から聞き知りながら、何らの説明義務をも果たさなかった仲介人・近鉄不動産㈱」の両者に対し、激しい憤りを覚えた。
嘗て売主S氏と近鉄不動産㈱の両者は、上記裁判①②④で「水撒き人W氏は『階下401号室への漏水被害は、自分がベランダに水を撒いた事が原因である』と自覚し、『二度とベランダには水を撒きません』と岩井昭雄管理人には謝罪・約束し、同管理人も直ちに対応したので、W氏は二度と水撒きをしなかった、水撒きは単に『一度きりの偶発的事象』だった」(ウソばっかり!)と主張し、奈良地裁・大阪高裁からも「漏水は実質たった一度きり」「生活には何ら不都合は無い」(これもウソばっかり!)とのインチキ判決を得て、①②④で両者は共に完勝し、私共が完敗した。即ち、両者の���張および判決によれば「W氏は十分に訴訟能力を有して居た」事になる。然し「実質たった一度きりの汚水・漏水被害」で、あれほどの強烈な赤錆など出来るものか!それにも拘らず、その後の裁判⑤⑥⑦でW氏の妹君・S子氏(W氏の財産管理人)は急遽『兄(W氏)は統合失調症を患って居る』との医師の診断書を取り寄せて、これを奈良地栽に提出し、同地裁から『W氏は訴訟能力を有して居ない』(?)として念願通り再審への道を勝ち取った。此の⑤⑥⑦の判決内容は、上記の①②④で売主S氏・近鉄不動産㈱の両者が勝ち取った判決理由・内容とは明らかに矛盾して居る。 更に水撒き人W氏および妹君・S子両氏は、以後の裁判(⑧~⑩)では全てに勝訴したが、但し、それは『W氏の統合失調症』を理由としたものではなく、奈良地裁・大阪高裁共に『漏水は実質一度きり(?)、限定的(?)であり』『生活には何ら不都合は無い(?)』と判断して、私共の請求を棄却したもので、これではW氏は「訴訟能力を十分に有して居た」と解される。だが実際には、W氏の『二度と水撒きはしません』との約束は、最初から全く守られる事は無く、その後も漏水被害は頻発し��。 結局、(奈良地裁・大阪高裁)の裁判官諸氏等は、一度も現場検証・確認に来る事も無く、私共から提出した証拠写真・資料等も徹底的に無視・握り潰し、原告・被告・証人等を出廷・尋問・証言も行わせない侭、「漏水は一度きり」「生活には何ら不都合は無い」「売買契約を撤回する理由にはならない」と決め付けて、而も上記の如く二転・三転する両裁判所の相矛盾する判決理由に、私共は大いなる疑問を感じた。 これは最早とても裁判ではない。 一方、『トイレの詰まり』では、『その被害をマトモに受けるのは(トイレを詰まらせた張本人)W氏自身である』が故に、W氏はイヤでも自分の悪行・被害に困り果て、仕方なくH.21.5.7~8.に掛けて不二建設㈱にトイレを補修・修理して貰わざるを得なかった。然し『ベランダの排水枝管内をゴミ類でビッシリと詰まらせ、ベランダに大量の水を撒いても』『それに因る漏水被害をマトモに受けるのは(枝管をゴミ類で詰まらせ、其処へ水を撒いた張本人たる=)W氏自身ではなく、階下の住人(嘗てのS氏と現在の私共B夫婦)である』が故に、「ヒトの痛み・被害・迷惑などがマルッキリ分からない(分かろうともしない)」W氏に対しては、たとえ直接本人に抗議しようとしてもW氏は「居留守を使って会って呉れず」、また管理人を通じて間接的に幾度注意しても、W氏は「自分の悪行を反省する事は全く無く」、単に口先だけで「二度とベランダに水は撒きません」と管理人には口約束はするが、一向に約束を守らず、結局、業を煮やした売主S氏は「漏水被害を隠した侭」で私共(買主B夫婦)に401号室を売り付け(押し付け)、自分はサッサと逃げ出し、その結果、私共が長期に亘って頻繁な漏水被害を蒙り続けたのが実情であった。 H.21.4.21.私共(=買主B夫婦2人)、仲介人(近鉄不動産㈱担当者・武内聖介氏)、マンション管理人(岩井昭雄氏)の合計4名で、401号室の漏水被害現場☆③を点検、その際、私共は☆①、☆②、☆③、☆④を全て点検し、とりわけ☆②の箇所で、「南側ベランダ天井と垂直枝管との円形(環状)隙間(A)」および「垂直壁面と垂直枝管クランク部(屈曲部)との隙間(B)」の2箇所にアルミホイル(銀紙)が詰め込まれて居るのを確認した。(2枚の写真を参照)。
私共は「これは上階501号室(W氏宅)からの漏水被害を何とか最小限に食い止めたいと、階下401号室の住人S氏が苦闘して居た証拠だ」と感付いた。そして「以前は☆②から漏水があったらしいが、S氏が此処にアルミホイル(A)(B)を詰めた為、『此処は流れ具合が悪くなった』と感じたW氏が、以後は☆③から水撒きをするように変更したのか?」と私共は感付いた。同時に私共はデジカメで(A)(B)2箇所に詰め込まれて居るアルミホイルの写真を撮った。当マンション管理人・岩井昭雄氏は「H.21.2.3.にも、上階501号室の住人(=W氏)と階下401号室の住人(=S氏)との間で同様トラブルがあった事実」を、再度、話して呉れ、また仲介人・武内聖介氏も「実は売主S氏から漏水被害の事実を既に聞き知って居た」と、再度、告白して呉れた。だが私共は斯かる重大な事実をH.21.4.15.(私共が初めて漏水シャワーをマトモに喰らわされた当日)に岩井昭雄管理人から初めて知らせて貰うまでは、全く知らなかった(知らされて居なかった)。 H.21.4.22.私共は苦渋・熟慮の末、「401号室では、何時なんどき上階501号室から漏水シャワーが降って来るかも知れない」「而も(当マンションを建設した)不二建設㈱によれば『(此のパイプは嵌め込み式なので)漏水防止の補修・修理は出来ない』」「一方、W氏は相変わらずベランダに大量の水を撒き続けて階下401号室へ頻繁に漏水被害を齎し続ける」そして「W氏は『二度とベランダに水は撒きません』と(口先だけで)謝罪・約束するも、その約束を一向に守らない、而も同氏の「『統合失調症による病的な水撒き癖』は一向に収まらない」「これではベランダに布団も洗濯物も干せない、物も置けない」「正に踏んだり蹴ったり」「売主S氏が『漏水被害を隠した侭で私共に401号室を売り付け(押し付け)、自分はサッサと逃げ出した』その本当の理由が、漸くハッキリと分かった」そして私共は「折角、気に入った中古マンションだったが、もう此処には住めない」と観念し、既に70~80%ほど搬入してあった引っ越し荷物を再び梱包し直して、自家用オンボロ軽自動車に積み込み、マタゾロ幾度も幾日も当マンション~旧自宅を往復して荷物を旧自宅へ運び戻し始めた。同時に私共が(岩井昭雄管理人を通じて)不二建設㈱に依頼して置いた簡単な補修工事「401号室の和室の障子戸が開閉し難いので、補修して欲しい」「フリールームの引き戸に新たに錠を付けて貰いたい」など、その他の要望事項も全て撤回した。その理由は「此の401号室を『売主S氏から購入した時と全く同じ、ソックリ元の侭の状態』で返品したい」「少しでもアチコチ修繕したり、弄ったりすれば、当然、S氏から文句が出るだろう」「たとえ短期間でも私共が実際に入居・居住すれば、それだけ部屋も傷むだろう」「だから一切入居・居住せず、補修もせず、購入した時と全く同じ状態でS氏に返品しよう」と考えたからである。 H.21.4.25.当マンション管理組合理事会で「501号室から401号室へ漏水被害があった」とマンション管理人から報告があった。 H.21.4.27.管理日誌より抜粋「501号W氏へ管理組合名にて『改善のお願い』ポスティング」。
その『改善のお願い』より抜粋「貴専有部分内において、トイレの詰まり等が確認されており、下階への漏水や共用堅管の詰まりの原因になる可能性が高く、皆様にご迷惑をかけかねません。管理組合としては、管理規約に従い、是正して頂くよう指示させて頂きます。H.21.5.9.までに回答が無ければ、理事会役員にて5月9日に確認にお伺いさせて頂きます」。然し、後日(H.24.10.12.)、奈良地裁で、W氏の妹君・S子氏は「兄は、当時、痔を患って居て、大量のトイレットペーパーを使用したからだ」と反論した。だが、それなら何故その旨の『医師の診断書』を添付しないのか?医師は「本人は痔を患って居た。それ故、トイレに(トイレットペーパー以外に)『スルメ』『箸』『昆布』なども捨てざるを得なかった」などと言う���断書でも書いて呉れるだろうか?そんな診断書などあるだろうか?
H.21.4.30.私共は仲介人(近鉄不動産㈱担当者・武内聖介氏)を通じて、売主S氏に漏水被害の件で抗議したが、S氏は「自分は漏水など全く知らなかった」と反論した。私共は「それではベランダ天井と排水枝管・垂直壁面との(A)(B)2箇所の隙間にアルミホイルを詰め込んだのは何故ですか?あれは漏水被害防止の為でしょう?」と言うと、S氏は「あれは上階501号室(W氏宅)のベランダからヤモリが『排水用の垂直枝管☆②』の外周を伝って這い降りて来るので、それを防ぐ為にアルミホイルを詰め込んだのだ。漏水など元々無かったのだから、アルミホイルと漏水とは全く無関係だ」と反論した。私共は「それでは裁判をして、マンション管理人・岩井昭雄氏、仲介人・武内聖介氏の両氏に裁判で[漏水被害の事実]をハッキリと証言して貰います」と抗議すると、慌てたS氏は一転して「漏水は確かにあったが、それはたった一度だけで、生活には全く支障は無かった。アルミホイルは飽く迄も上階501号室からのヤモリ侵入を防ぐ為で、水漏れとは全く関係無いのだ」と繰り返し強調、そして「契約解除には絶対に応じられない」と反論した。
然し、写真およびイラストでも分かる通り、(A)(B)2箇所に詰め込まれたアルミホイルの内、(A)は「上階501号室からヤモリが這い降りて来るのを防ぐ為だ」と、尤もらしいウソ理由付けをして居るが、では(B)は「一体、何の為に詰め込んだのか?」その理由をS氏は説明できまい。これ等は(イラストで説明した如く)上階501号室からの漏水を(A)で少しでも防ぎ留め、(A)で防ぎ切れずに漏れ落ちて来る漏水は、これを(B)で更に堰き止めて落下速度を鈍らせ、その漏水を一部だけでもベランダ外の配水本管へと(緩やかにカーブさせながら)誘導する為の小細工である。こんな小細工などは、誰もが幼児期の水遊びで経験的に知って居る単純な小細工である。こんな見え透いた「漏水被害防止の為のチャチな小細工」を弄して置いて「これは上階501号室のベランダから、ヤモリが枝管外周を伝って這い降りて来るのを防ぐ為だ」とは!私共は「S氏の見え透いたウソ」に呆れるばかり。こんな「児戯にも似たチャチな小細工で、上階501号室(W氏宅)からの漏水被害を食い止めねばならなかった」事実は、S氏自身も「何とかして上階501号室(W氏宅)からの頻繁な漏水被害を食い止めたい」と不二建設㈱に補修依頼したが、矢張り同社から「これは(嵌め込み式なので)修理・補修できません」との回答を喰らわされたからであろう。またS氏自身がW氏に抗議せんとするも、W氏は居留守を使ってS氏を自室に入れて呉れず、仕方なくS氏は岩井昭雄管理人に「善処して呉れるよう」に再三相談したが、W氏は「もう二度とベランダで水撒きはしません」と口先だけで謝罪・約束するのみ、一向に此の約束を守らず、相変わらず階下401号室へ頻繁に漏水させ続けるので、「結局、業を煮やしたS氏は、早々と諦めて逃げ出し、新マンションへ転居した」「S氏が頑なに『水漏れはたった1度だけ、生活には何等の不都合も無かった』などと懸命に言い逃れるのは、S氏自身が上階501号室(W氏宅)からの漏水被害に如何に苦悩し続けて居たか!何としても逃げ出したかった!」と言う事実を雄弁に物語るものだ、と私共は推察できた。なお私共は「S氏は明らかに401号室のスペアキーを所持して居る。早晩、S氏は此のスペアキーを使って401号室に不法侵入し(アルミホイルなどの)証拠を隠滅、あるいは別途に新たなインチキ証拠の捏造に訪れるだろう」だから「私共は今後も頻繁に401号室を訪れ、501号室(W氏宅)からの漏水状況の点検・確認を行うと共に(今度こそ決定的証拠=漏水シャワーを動画撮影したい)、同時にS氏による「既存証拠の隠滅、あるいは新規に証拠の捏造をも防ぐ」為にデジカメなどを常時携帯の上、毎週3~4度の頻度で401号室を点検に訪れる事にした。
以下、(No.4)へ続く
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基督徒陈先生,无证移民,及其他 (2024-09-21 10:55:15) 下一个
陈先生是我三十多年前刚来美国时认识的基督徒。陈先生是台湾来的移民,在一家石油公司做土木工程师。陈先生和陈师母有四个儿子,所以陈先生开着一辆丰田面包车(Van),正好一家六口装进去。陈先生是虔诚的基督徒,但不是牧师。在我认识陈先生的时候,他的四个儿子都已成人外飞或工作或上大学。陈先生在我所读的研究生院里借了个教室开查经班。一到周六傍晚,陈先生会开着他超大的面包车,在学校的Single Dorm,Marry Dorm和周围的民居四处接我们这些大陆来的留学生,去查经班查经。陈师母每次都准备精致的点心和饮料以飱同学们。
九十年代初来美的留学生,拿着微薄的助学金(TA or RA),除了上课学习,平时也没什么娱乐和交际。所以周末陈先生的查经,陈师母的点心,还是蛮有吸引力的,更重要的是大家聚会可以交流互通一下有用的信息经验。陈先生办查经班固然是为了侍奉他的主耶稣基督,传播福音。但这不妨碍他关心和帮助我们这些留学生。我们这批从小受共产党教育的留学生,基本上都是无可救药的无神论者。陈先生应该是心知肚明的。但他仍然每周不厌其烦地接送同学们,耐心为大家讲解圣经的教义,把他衷心认为可以拯救我们灵魂的福音传授给我们。查经之余,点心时光,陈先生也会与大家分享他的美国经历经验体验,指点同学们如何解决生活中的实际问题和困境。星期六陈先生用他的面包车接送同学。星期日经常会和陈师母一起用他的面包车去中国店(当时城中唯一一家越南人开的中国食品店)买来一车新鲜中国蔬菜,挨家给同学们送菜上门。当有同学因车祸遭受经济损失时,陈先生会在教会募捐救济。上帝的福音,同学们或许最终没有收到;但陈先生和陈师母的满满的善意和爱心,大家都是感同身受的。
善意和爱心,这也是我初来美国时切身体会的美好感觉。1990年,刚经历了人民子弟兵屠杀人民的64屠城,社会上充满了猜忌猜疑风声鹤唳。我逃离中国来到美国留学,在机场迎接我的是研究生院的一位教授。当时没有Email和WhatsApp联系,我也没有亲戚朋友帮忙,临上飞机前我只是发了个传真给研究生院的国际学生部希望有人接机,也没有得到确切的回复。但我在机场上看见一个拿着写有我last name牌子的大胡子,我且惊又喜。这是普通美国人给我的第一次援手和帮助,至今我还清晰记得当时的感激之情和温暖之感。接下来的日子,无论是早晨陌生人的点头招呼称早,还是学校指导教授予我的尽心帮助和指导,都让我如沐春风。这种被welcome的感觉,对人生地不熟举目无亲的我(或任何人)来说,是何等的及时和珍贵。我猜想,陈先生当初来美移民时,应该也有类似的经历和体验。所以,当我们感谢陈先生的良行善举时,他说了句让我铭刻至今的话:不用谢我,以后有能力和机会,去帮助别的初来乍到需要帮助的人吧。
时光匆匆,转眼大家都各奔东西。我也毕业工作谋生去了别的城市。几十年过去了,有时会念及陈先生的查经班,说到陈师母的小点心,感叹一番,同时也鞭策自己做个与人为善助人为乐的好人。曾经做过的好人好事,最多的当然是机场接机了,无论是新人还是旧友,我一般都是自告奋勇。因为我开了一辆尼桑的皮卡,朋友同事如买个家具搬个家,我也是基本能一呼就到。接触到无证移民(川粉叫非法移民),应该是来休斯顿以后,常看见站在加油站或Home Depot门前的那些五短身材待人招领的老墨打工者。我也曾失业过几个月,知道那种明天的菜票没有着落无处寻找的惶恐和煎熬。人同此心,对这些有一顿没一顿找临时活的站街苦力,我是深表同情,虽然我没有多大的能力帮到他们多少。
近距离接触无证移民(下面一律称老墨)的经历,我想我是有两次机会。一次是搬家(从一个Apartment搬到另一个Apartment)。我虽然常帮朋友搬家,但我自己搬家时,却又不愿麻烦别人,同时东西也实在是不多。于是一大早我开小卡车到老墨经常站街的地方想找两个帮手。记得那天一群人围上来,来不及讲价,指着两个看起来有把力气的先上车开出去一条街再讨价还价。两老兄只会一句英语:Me Eighty Dollors。因为我只需他们半天时间,我说:Eighty dollars for both of you and for half day。也不知道他们听懂没听懂,反正他们说了Okay。两哥们还是蛮有力气的,我一个人搬不动的家具,他们几下就搬到卡车上,记得我来回开了三趟车,就把大家伙都搬完了。午饭是我在中超市买了盒饭和饮料。但两人都不当场吃,比划着要我送他们回家,想必是回家与家人分享。我给了每人五十刀就送他们回了家。
另一次是我在后院安装个亭子,要把原先的10x10的水泥地换成12x14,请的是老中开的水泥混凝土公司,干活的却是三个老墨(不一定是无证移民)。这次真正领教了老墨的干活速度和力量。原来打掉旧水泥地我以为会用上那种电动手持冲击挖掘机,结果那个小个子老墨,看上去也没有肌肉虬扎,就用一把长柄大铁锤,三下���除二地抡起铁锤就把水泥地敲碎,如果不是等水泥车来浇灌水泥,这点活两小时就能搞定完工。那天午饭我买的是Popeyes Chickens最大份的家庭套餐,三个人居然能全部吃完,可见其消耗之大。另外走时我每人给了二十刀小费权当晚餐。
我的感觉是,老墨干活卖力,人也老实,是真正凭力气吃饭的体力劳动者。德州高温烈日暴晒的建筑工地,棉花地的大量农活,以及住宅区的草坪维护割草剪枝,屋顶翻修,都需要这些廉价耐热而勤快的劳力来承担。事实上无证移民补充了美国新冠瘟疫后的劳力缺失,为疫后重建经济起到了相当大的积极作用,起码对德州加州的农业是如此。他们干的是最累,最脏,最苦的活,拿的是最低的工资薪酬,也没有医疗福利的保障,却又遭到红脖子川粉的最大的恶意敌视和歧视。此时我才意识到,并不是所有的美国人都能善待外人,同情弱者,与人为善的。
我不懂为什么无证移民的到来就污染了美国的血液,也不懂为啥有人会相信南美国家把监狱里犯人和疯人院疯子放进美国来的疯话(说这种话的人倒是应该进疯人院),更不懂为何美国多了些体力劳动者(或者说低端人口)就会变成委内瑞拉的高深理论。但我知道,这些被妖魔化的挣扎在南方边境线上desperate的人群,和我当初只身来美一样,他们淌过格兰德河是为了寻求更好的生活,seek a better life。不同的是,幸运的我:当年迎接我的有美国教授的笑脸接机和陈师母的小点心;不幸的无证移民:迎接他们的是边境巡逻的围堵和川粉的口水,敌意和仇视。
当然,华川粉更在意的是无证移民的不请自来,把他们称为非法移民,也给了华川粉的道德至高点可以任意贬低诬蔑仇视无证移民。其实,真要较真,占川粉大多数的留学生(包括我),当年受邀来美可不是来移民的,而是发的短期学习签证。记得当年去领馆签证,签证官会问,有无移民意愿,回答yes的肯定是拒签的。不知道美国政府有没有保留这个记录,如有的话,哪天川普发神经要驱除华人,这条纪录绝对是驱除出境的强有力依据。所以,华川粉的那个道德高杆,并没有他们想象的那么高。另外,不少公派留学生靠的64血卡留在了美国,也是一种政治避难的身份,与无证移民申请政避暂留美国,是五十步和百步之遥。
有证或无证与否,合法或非法与否,无证移民首先是人,而且是有充沛体力并愿意付出劳力来改善生活的普普通通的人,单这点就理应得到我们的尊重。我谴责那些政客把他们像牲口般装进巴士送美国各地当作攻击政敌的道具(让我联想起纳粹把犹太人装进列车),也反感那些无良政客每到选举年就把他们扔出来当韭菜收割而连任,更鄙视川粉对他们落井下石横眉怒目。
善待弱者同情弱者是衡量一个国家文明程度高低的一个指标,同情和怜悯也是人类有别于动物的美好情感。《悲惨世界》里冉阿让在那黑暗无月的河边一把提起孤苦无助的小珂赛特的大水桶,曾触动了无数读者心中那柔暖情怀,催出多少同情怜悯之泪。但是在川粉的世界里,一句“圣母婊”,就能把这美好的情感贬的一钱不值。川粉常说的一句话:”你那么同情喜欢非法移民,为什么你不把你的住房让他们住,为什么不把你的工资全花给他们?可见你们的善良都是假的。”可怜的川粉,他那窄小的脑容量,大概被打小受的阶级斗争教育洗的只剩非黑即白的两色世界,他已经无法理解,人类的情感,除了爱和恨外,还有同情,同理,怜悯,悲悯,公正,平等,容忍,尊重,信任等等的五色光谱。善待弱者同情弱者并力所能及的帮助弱者,是一个文明人的应当之举。这里不需要每个人都做圣女特率莎。无证移民也不需要别人的房子工资,只要给他们应有的尊重和足够的机会,他们会成长壮大的,就像被里根总统大赦的阿���哥们博妮塔们,哪个不比咱老中更好地融入美国社会。
纽约自由岛上自由女神像底座碑文上刻着这样美丽的诗文:
“扼守你们旷古虚华的土地与功勋吧!”她呼喊
颤栗着缄默双唇:
“把你们的那些人给我吧,
那些穷苦的人,
那些疲惫的人,
那些蜷缩在一起渴望自由呼吸的人,
那些被你们富饶的彼岸抛弃的,
无家可归,颠簸流离的人,
把他们交给我,
我在这金门之侧,
举灯相迎。”
曾经年青的我们,感受这充满人文情怀诗文的召唤,踏上美利坚的国土,寻求幸福的生活,接受过先来者的热诚欢迎和帮助。在我们站稳脚跟,成长壮大的途中,我们同样把善意,友情,帮助和鼓励,传播给周围的人和后来者。而当我们即将步入本应面善心慈的老年时,却为了一个极度自恋自私虚荣又厚颜无耻政客的MAGA大业,把一个本应施予同情帮助的弱势群体,那个如诗中所描绘的,穷苦疲惫颠簸流离的人们,打成美国政治两级对立的替罪羔羊,极尽口诛笔伐污蔑谩骂之能事,这难道不觉可悲吗?有时我真的纳闷:到底是MAGA让人变得铁石心肠?还是川粉本身就是个冷酷无情的人?
就在结束此文时,脑中灵光一闪,我突然想起了陈先生的全名:陈幸福。确实,一个与人为善助人为乐且有坚强信仰的人,他是幸福的。祝福陈先生。
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【斑柱】私奔情人
宇智波斑又一次撕碎了手里那叠相亲简历,他随手一扬,纸片顿时像雪花一样纷纷扬扬落了一地。
“你干什么?!”原本正在喝茶的宇智波田岛重重把茶杯往桌子上一砸,怒视着对面一脸不耐烦的长子。
“我还没问你想干什么呢。”宇智波斑啧了一声,丝毫不把自己老爹放在眼里,“都说了我不会去跟那些人配种,天天整这出你也不嫌累。”
“你已经成年了,作为这一代唯一的重种,你有义务为家族延续血脉,维护重种的荣光……”
“行了,这话我都听得耳朵起茧子了,从小说到大,我都能背出来了。”他换了个姿势,大刀金马地坐在扶手椅里面,“要是除了裤裆里那点子事没别的了我就先走了。”
眼看宇智波斑真的起身准备拍拍屁股走人,宇智波田岛敲了敲桌子,发出了最后通牒:“我不管你是跟谁生,总之你必须有一个重种后代延续血脉。”
他顿了顿,补充道:“如果你接受不了别人,那就和你弟弟的未婚夫生一个,本来那个婚约就应该是你的。”
闻言,本来已经走到门口的宇智波斑立即折回一脚踢翻了茶桌。滚烫的茶水倾倒在昂贵的地毯上洇出了一片深色的痕迹,他黑着脸,毫不在意地用鞋底碾过了地上零落的茶叶。
“先不说十年前我和他就互相看不上,现在他是泉奈板上钉钉的未婚夫,还是柱间的弟弟,让我和他生个孩子,说这话你也不害臊。”他嫌恶地一甩手,彻底放开了身为金字塔顶端的重种黑豹的压制力,“我知道对斑类来说为了追求更优越的血统和别人生个孩子不是什么大事,但是我不搞你们这套。”
说罢,他丝毫不顾及宇智波田岛身后因为愤怒而隐隐显露的魂现,踹开大门径自走了出去。
“而且你要是真的那么想要重种,干脆自己用怀虫生一个得了,反正你才四十多,还年轻。”
听到这大逆不道的话,宇智波田岛气得抄起手边的茶杯砸过去:“如果你铁了心和千手柱间那个猿人在一起,那你出了这个门就不要再回来!”
“如果不是泉奈要订婚了,我本来也不准备回来。”他背对着宇智波田岛,毫不在意地一挥手,“明天订婚宴结束我就走。”
宇智波宅内其他人对于这对父子隔三差五上演的戏码见怪不怪,只全部默默远离了中心战场。宇智波泉奈站在走廊下面,看到宇智波斑走出来立即跑过去。
“哥哥,你还好吗?”他担心地扫视着哥哥的脸,生怕自己唯一的兄长因为破相而赶不上明天的订婚宴。
宇智波斑看着比自己矮了半个头的弟弟,抬手摸了摸他的头,安慰道:“我没事,老头打不过我。”
宇智波泉奈鼓了鼓脸颊,又像想起什么似的急急忙忙把怀里揣了好久的东西塞到宇智波斑手里:“这是银行卡,我从爸爸的卡里刷了点钱,全存在这里面了。”
“谢了。”宇智波斑接过卡,丝毫没有搬空宇智波田岛小金库的羞愧,他带着宇智波泉奈走到小花园里坐下,“怎么突然就要订婚了,你才16岁。”
宇智波泉奈叹气道:“因为哥哥带着千手柱间离家出走了,所以爸爸想着先给我和扉间订婚,等成年了就可以完婚繁育下一代了。”
“呵,老头还真是不死心,我这里行不通就把主意打到你身上去了。”宇智波斑冷笑一声,“哪天花钱雇个重种给老头塞个怀虫,让他自己去生一个,免得老在这叽叽歪歪。”
他拍了拍弟弟的手:“泉奈,你是我的弟弟,不用为了老头的话去做一些自己不喜欢的事。”
宇智波泉奈摇了摇头,声音都低了些:“我愿意的……”
言辞间粉红泡泡都止不住地往外冒。
宇智波斑被宝贝弟弟恋爱脑发作的模样酸得受不了,虽然知道斑类一向慕强,但真看到自己的弟弟对着重种情根深种的样子还是忍不住手痒。他暗自磨了磨牙,面上依旧端的是一片和蔼,只对着弟弟嘱咐了一句好好休息就利索地翻墙走了。
可惜一直到订婚宴结束宇智波斑都没找到机会和他老爹再过几招,宇智波泉奈严防死守,把父子俩隔开了十万八千里,再三声明绝对不允许他们两个因为当众大打出手而搞砸了他的订婚宴。
于是仪式结束之后的夜晚,宇智波斑一回到公寓就趴在恋人的背上,神色恹恹。
“泉奈订婚给你的打击就这么大吗?”结束了手头的课业,千手柱间回头揪住了赖在自己背上的黑色大猫头顶的两只猫耳,“怎么一直无精打采的。”
耳朵内侧被手指蹭过搔得有点痒,他甩了甩头,把脸埋进恋人丝绸般的黑色长发,声音闷闷的:“不是,是我家那个固执的臭老头。”
因为弟弟的缘故,千手柱间多少对于斑类的世界有些了解,自然也知道作为宇智波那样的传统斑类家庭的大家长,宇智波田岛对于子嗣后代的血统和能力有多执着。
“你们两个又打起来了?”
“没有,只是吵了两句。臭老头一把年纪还是死性不改,整天惦记着让我去配种。”
说着他委屈地把脸埋进恋人怀里,身后的长尾巴啪嗒啪嗒拍打着床铺,一副“我很伤心快来安慰我”的模样。
千手柱间猝不及防被抱了个满怀,他带着宇智波斑倒在床榻上��下巴抵着大猫毛茸茸的头顶蹭了蹭,意有所指地抓着恋人的手放到自己衬衫的扣子上。
“那么需要给你一点安慰吗,差点被抓去强制配种的可怜猫猫。”
本来已经在扒拉领口的宇智波斑一个激灵,他探究地注视着躺在自己身下的恋人:“你今天好像有哪里不太一样。”
“是吗,可能是今天订婚宴多喝了几杯,有点上头。”千手柱间今晚格外放得开,他受不了宇智波斑磨磨蹭蹭的样子,一把揪住人衣领主动吻了上去,同时修长结实的大腿暧昧地蹭着情人的腰侧。
在卧室昏暗的灯光下,宇智波斑被恋人大胆的举动激起了属于重种的征服欲,他从喉咙挤出了一声属于上位捕食者的咆哮,身后巨大的黑豹魂现若隐若现。
“你可别后悔。”
回应他的是情人热情的吻和一声不耐的催促:“快点。”
伴随着两人激烈的动作,宇智波斑只觉得今天的千手柱间对他来说分外地具有诱惑力,一股甜腻的费洛蒙伴随着汗水蒸腾在狭小的空间内,熏得他目眩神迷,眼前不断炸开白光。他重重地喘着气,有些承受不住空气中过度黏腻的费洛蒙刺激。
“我要控制不住了。”
“什么?”
千手柱间不知道这没头没尾的一句话是什么意思,但下一秒他就懂了——宇智波斑强行将他翻了个身,让他跪坐,随后贴近他背后的不是光滑的人类肌肤,而是温热的属于黑豹的躯体。
“等等……斑!”
扣在肩上的手变成了黑色的豹爪,他惊慌地想要逃离黑豹的桎梏,却被黑豹牢牢禁锢在身下。身形健硕的黑豹整个笼罩住他,粗粝的舌头仔仔细细把他从里到外舔了个遍。
“乖孩子,你能适应这个的。”
等千手柱间从睡梦中醒来,身旁的宇智波斑早就不见了身影。
他活动了一下酸痛的四肢,看着所剩无几的时间,迅速打理好自己往学校赶去。手机的消息列表里还躺着宇智波斑一大早发来的上午要去打工的日常报备,他在等红灯的间隙抽空回了个好,再一抬头就看见一只猴子站在他面前和他打招呼。
“早上好。”
千手柱间愣愣地看着眼前神态动作都十分人性化的猴子,嘴巴却先于大脑回了一句“早上好”并附加一个招牌微笑。
绿灯亮起的时候眼前有着和邻居一模一样嗓音的猴子拎着包快步走向了对面的地铁出入口,他眨了眨眼,目送猴子邻居远离视线,又看到马路对面正在横穿斑马线的是一只牵着博美的秋田犬,不远处还有一只硕大的鹰用一只爪子勾着公文包,另一只爪子则是在打电话。看着眼前荒诞的一幕幕,他觉得自己仿佛是落入了奇怪幻境的爱丽丝。
“你站在这里干什么呢,再不走就要迟到了。”
在愣神的几秒之后,有人拍了拍他的肩。他一哆嗦,眼中的世界顿时重置恢复成人类世界的日常图景,他转头看向身后的同学,神色自若地回答:“抱歉,在想一些事情。”
不对劲,真的太不对劲了。
如果先前还只是怀疑,在进入学校之后那股怪异的感觉愈发强烈了起来。先是周围的路人在他眼里时不时会变成各种各样的动物——大部分是猴子,少部分是其他物种,然后是属于其他物种那部分的同学突然像蜜蜂一样都围在他周围,虽然不知道出于什么原因其中很大一部分人都不敢靠近,但有勇气接近他的那一小部分人又会用狂热的语气和他告白。
这把千手柱间吓得够呛。如果说前者他还能理解是自己突然觉醒了阴阳眼那样可以看到他人魂现的能力,那后者就令他有些毛骨悚然了——这种一觉醒来自己变成疑似万人迷的经历简直像轻小说里才会出现的烂俗情节。
顾不上还在上课,被周围人奇怪的眼神搞得如坐针毡的千手柱间选择求助自己的男朋友,他发了很长的信息给宇智波斑抱怨自己一早上的奇妙经历,却只在片刻后收到了男朋友回复的“!!!”
他撇撇嘴,有些不满意男朋友的敷衍,刚准备控诉男朋友不上心,随即就听到教室后门被人大力打开撞到墙上的声音。他抬头,看到自己原本应该正在学校旁边的咖啡厅打工的男朋友出现在门口,跟讲台上的教授交代了一句“他身体不舒服我带他去医院”就火急火燎地拽起他往外走。
直到被扛回家扔进床垫千手柱间都不知道发生了什么,他看着宇智波斑像愤怒的猫对每一个眼神相交的路人呲牙,又锁紧了家里所有的门窗,变回了黑豹的模样,焦躁不安地巡视家里的每一个角落。最后他跳到床上,把千手柱间整个人拢进怀里,像标记所有物一样用尾巴圈住了他的脚踝。
“斑,你怎么了?”
巨大的黑豹不出声,只忙着用吻部在他的颈侧蹭来蹭去,同时用爪垫时轻时重地按压着他的小腹。眼看着猫猫头又开始往他的衣服里面钻,他连忙捏住黑豹的嘴筒子拉紧衣领,主动搂住了看起来反常的恋人。
宇智波斑深吸了一口气,他变回了人类形态,除了头顶两只耳朵和依旧固执地圈住千手柱间脚踝的尾巴。
“你没发现吗。”他抱紧了怀中人,一只手顺着脊背往上,一直摸到了千手柱间的头顶,揉了揉那两只因为新生而不自觉抖动的属于犬科动物的耳朵,另一只手则是向下握住了尾椎骨延伸出来的毛发偏硬的灰白两色的大尾巴,“你返祖了。”
穿衣镜前,千手柱间凑近端详了一会儿自己头顶的两只三角形的耳朵,又扭身看了看自己身后垂着的尾巴,若有所思:“所以我现在是返祖成狗了吗?”
亦步亦趋跟在他身后的大猫:“可能吧,不过你这个尾巴更像狼。”
“可是我们家只有妈妈和扉间是斑类,而且他们是蛇,也不是狼啊。”千手柱间有些郁闷地晃了晃尾巴,“难不成我是我们家收养的吗。”
“你想什么呢,这应该是你父亲那边祖上有犬神人的血统,遗传到你身上返祖了。”宇智波斑用难以言喻的表情看着胡思乱想的千手柱间,“你忘了你那个头发半黑半白像是你和千手扉间发型拼盘一样的弟弟了吗。”
闻言,千手柱间又快乐地摇起了尾巴:“那我到底是狼还是狗啊,完全看不出来。”
“也不是没有办法。”宇智波斑咕哝着,他蓦地把人压到柜门上,两手卡着对方的胯骨强迫千手柱间贴近自己,他低头咬住了恋人的喉结,舌尖从脖颈往下舔舐到锁骨,留下湿漉漉的痕迹。
“再来一次昨天晚上的那个吧。”宇智波斑一脸跃跃欲试,瞳孔因为兴奋急剧缩小。
“什么……”感受到恋人身上爆炸性的浓郁费洛蒙,千手柱间受到惊吓,砰的一声在烟雾中显露出了完整的魂现。
“果然是狼。”宇智波斑蹲下身,摸了摸还晕乎乎躺在地上的成年灰狼的肚皮。
等得到消息的千手扉间赶过来,映入眼帘的就是正蹲在客厅里玩猫爪在上游戏的一豹一狼。
“你们是白痴吗,喊我过来就为了看你们两个在这里玩猫狗小游戏?”千手扉间掏出手帕捂住鼻子,用力挥了挥,“还有这个浓度的费洛蒙是怎么回事,你俩总不能在我来之前才刚刚做完吧。”
“不,柱间返祖了,我这是做了点必要措施。”
“什么必要措施需要这么高浓度的费洛蒙标记?”千手扉间臭着脸看向一脸理直气壮的宇智波斑,“即使大哥学不会收敛自己的魂现,也不用你给他弄这么一身熏死人的味道。”
“你不懂,今天柱间遭受了严重的骚扰,我这是为了保护柱间不被外面的混蛋侵犯。”
宇智波斑振振有词,他光明正大地在千手扉间面前把千手柱间圈进怀里,还得寸进尺地用尾巴锁住了千手柱间的腰。
“没这么严重吧。”被男朋友搂着的千手柱间不明所以,“不过就是返祖变成了斑类,感觉除了能变成动物以外好像和以前也没什么区别?”
千手扉间头疼地看着一脸天然的大哥,纠正道:“不,区别大了去了。你应该知道相比于猿人,斑类繁衍困难,所以斑类里面开放式关系不算少见,像我和泉奈这样为了繁衍而从小有婚约的也很常见。”
他看着眼前完全被宇智波斑视作所有物却对此一无所知的大哥,额头的青筋又跳了跳。
“然而返祖的斑类不仅拥有斑类的能力,同时还保留了猿人的高繁殖力,所以对低繁殖力的斑类——”他没好气地用下巴指了指挂在千手柱间身上不肯下来的某只大型猫科,“比如你家这个,对这些斑类来说,你这样非常稀有的返祖个体是极具吸引力的,甚至可以被称为超级大奖。”
“这就是我被那些人告白的原因?”想到之前被各种围追堵截的惨状,千手柱间打了个哆嗦,情不自禁往宇智波斑友怀里钻了钻。
收获男朋友主动投怀送抱的宇智波斑得意地收紧了手臂,身后的尾巴也得意洋洋地左右摇晃:“都说了柱间被标记成我的所有物是十分有必要的了。”
没眼看这两个人黏黏糊糊的样子,千手扉间冷哼了一声移开视线:“但教会大哥如何收敛魂现也是很有必要的,难道你要大哥天天在外面顶着魂现倮奔吗。”
“这种事情我会教。”
“我本来也没想多管你们俩的事。”千手扉间摆摆手,“泉奈跟我约了时间,你俩慢慢聊,我先走了。”
大门被关上,千手柱间懒洋洋地躺在男朋友怀里,突然想起来什么:“斑,这个事情要告诉家里一声吗?”
正沉迷于把玩恋人那一头丝滑长发的宇智波斑头都不抬:“说一声吧,泉奈那边我去。至于老头那边就算了,就让那个整天惦记着配种的臭老头急死吧。”
看着宇智波斑嘀嘀咕咕一脸记仇的模样,千手柱间伸手揉乱了那一头又长又炸的黑发,大笑着从沙发滚到客厅宽大的地毯上。
等急急忙忙给自己梳完毛的大猫跳下沙发,千手柱间早就变成了狼的模样,在午后暖融融的阳光里团成一团睡着了。
“哼,这次先放过你。”
这么说着的宇智波斑走到灰白毛团子身边躺下,拥着怀里的伴侣也闭上了眼睛。
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2024年9月3日
(耕論)安倍氏の記憶の現在地 梯久美子さん、目取真俊さん、具裕珍さん(朝日新聞 耕論)
銃撃によって安倍晋三元首相が亡くなってから2年。安倍氏はいま、どのように人々の記憶に刻まれ、その存在はどう位置づけられているのか。記憶の現在地を考える。
■刷新感求め、フタする自民 梯久美子さん(ノンフィクション作家)
2年前の耕論「安倍氏の記憶の行方」で、私は「為政者が安倍氏の死をどう歴史に位置づけていくか注目したい」と話しました。戦争の取材の中で、悲劇的な死を遂げた者が英雄化され、政治的に利用されるのを見てきたからです。でも、自民党の政治家は現在に至るまで、安倍氏にほとんど言及せず、三回忌にあたる今年の命日も、ほぼスルーされたと感じました。今のところ利用価値はないと判断されたのでしょう。
どの地点から振り返るかによって過去の持つ意味は変わります。今、安倍氏の死に言及すれば、おのずと旧統一教会のことがついてくる。安倍派の裏金問題もあります。異例の長さの総裁選を通して「活力」や「刷新感」を演出しようとしている自民党は、安倍氏の記憶にフタをしようとしているかのようです。
野党やメディアも、「死者にむち打つな」といった声を気にしてか、政治家としての安倍氏をまとも��検証していません。でも、過去を検証するのは後ろ向きなことではありません。人が見ることのできるのは過去だけであり、未来について判断するには、歴史を顧みるしかないのです。
最近、「スケールの大きい政治家」を待望している自分に気付くことがあります。その中身に賛同できませんでしたが、「戦後レジームからの脱却」など大きなビジョンを掲げた安倍氏は、ある意味、政治家らしい政治家だった。対照的なのが岸田文雄首相です。この国をどうしたいか語らないまま、保険証の廃止や防衛費増額などの重要テーマを「処理」するかのように進めていった。総裁選の候補者にも、この社会はどうあるべきかというビジョンを語る人は見当たりません。そんな中で、安倍氏が透明化されたまま、「大きな政治家」を求めてしまうことに危うさを感じます。
はたして安倍氏は戦後政治史に残るスケールの大きな政治家だったのか。等身大の安倍氏との間にギャップはなかったか。それを知るための突破口は安倍昭恵さんかもしれません。朝日新聞のインタビューで、森友学園問題に関して「(自分は)証人喚問に出てもいいと言ったけど(安倍氏が)だめだと言った」という新証言がありました。評伝を書く時には「この人が話してくれれば書ける」というキーパーソンがいます。政治家の記憶を決めるのは為政者だけではない。いずれ昭恵さんにも「語るべき時」が来るはずです。(聞き手・田中聡子)
かけはしくみこ 1961年生まれ。編集者を経て文筆業に。「散るぞ悲しき」で大宅壮一ノンフィクション賞。近著に「戦争ミュージアム」。
■沖縄戦の教訓、進めた修正 目取真俊さん(作家)
安倍晋三氏の記憶? 特にありませんね。あれほど権勢をふるい、沖縄にむち打った人でも、亡くなれば忘れ去られる。それが政治のリアルでしょう。
沖縄が日々対峙しているのは自公政権であり、もっといえばヤマト(本土)。沖縄対ヤマトという変わらぬ基本構図の中で、ただ役者が変わってゆくだけ。憲政史上最も長く首相を務めたとはいえ、安倍氏は役者としては凡庸だったということでは。称賛する側も批判する側も、「過大評価」の印象が拭えません。
ただ安倍政権が、沖縄をめぐる記憶の書き換えに熱心だったことは間違いない。第1次安倍政権下の2007年3月、高校生が使う日本史教科書の検定で、沖縄戦の「集団自決」が軒並み修正を求められました。「日本軍に強いられた」という趣旨の記述に対し、文部科学省が「軍が命令したかどうか明らかとは言えない」と待ったをかけたのです。
これは沖縄県民の記憶に対する一種の「暴力」です。怒りは全県に広がり、同年9月の県民大会には11万人が集まった。保革を超えた「オール沖縄」の素地が紡がれました。
ではなぜそのような記憶の書き換えが必要だったのか? 「軍隊は住民を守らない」。沖縄戦が残した教訓を無化するためでしょう。そして第2次安倍政権では、中国や北朝鮮の脅威を盾に自衛隊の南西シフトが進んだ。沖縄はまたも本土防衛の「捨て石」にされるのではないか――。県民の記憶はうずきます。
相次ぐ米兵による事件についても同様です。16歳未満の少女への性的暴行事件が起き、在沖縄米空軍兵長が今年3月に起訴されていたのに、県に知らされていなかった。発覚すれば、多くの県民の脳裏に1995年の少女暴行事件の記憶がよみがえったはずです。政府はそれを恐れて隠した。そう思わざるを得ません。
今、辺野古のテント村で新基地建設に反対して座り込んでいるのは、95年の事件を受け、米軍基地を早く撤去させていればこんなことは起きなかったと自分を責めた人たちです。基地問題を自分たちの代で終わりにしたいと願っている。かなわないことは皆わかっています。それでも、座り続ける。私もカヌーで海に出て、監視・抗議をする。
「ヤマトの勝手にさせない」。安倍政権が進め、今も続く沖縄の記憶の書き換えに抗するために、体を張ってヤマトに示し続けます。(聞き手 編集委員・高橋純子)
めどるましゅん 1960年、沖縄県今帰仁村生まれ。97年、「水滴」で芥川賞受賞。近著に「魂魄(こんぱく)の道」「ヤンバルの深き森と海より」など。
■保守派、続くリーダー探し 具裕珍さん(政治学者、国際基督教大学助教)
私は「保守化」や「右傾化」と呼ばれる現象に関連して、日本の政治と社会の関係を研究しています。
冷戦が終わり、世界中で保守勢力が台頭しました。日本でもナショナリズムや歴史修正主義といった主張を掲げる勢力が台頭し、保守化や右傾化が注目されてきました。ただ欧州などと異なり、日本にはこれまで有力な極右政党が存在せず、社会の保守から極右までの様々な要求が既成保守政党である自民党に集約されてきました。
私は自民党に集約され、右傾化を支える社会勢力を「保守」と呼び、代表的な団体である日本会議の動員や政策提言活動に注目して分析を続けています。特に「戦後レジームの総決算」を掲げ、憲法改正を目指していた第2次安倍晋三政権の存在が大きかったのは間違いないでしょう。
日本会議が1997年に設立された当初、最も関係が深かった政治家は自民党政調会長などを歴任した中川昭一氏でした。中川氏が死去した後は、安倍氏への期待が高くなりました。2012年から20年まで、第2次安倍政権が結果的に長期政権になったことは非常に重要で、日本の政治空間で、保守的なテーマがある種タブーでなくなったのではないかと思います。
安倍氏がいなくなって2年が経過しましたが、岸田文雄首相が憲法記念日に改憲派の集会に自民党総裁としてビデオメッセージを寄せるなど、安倍氏の影響は続いているようです。
しかし、日本の保守は、まだ次のリーダー候補を絞り切れず、模索を続けているのではないでしょうか。
また「一強」とも呼ばれ、日本会議と関係の深い安倍政権が長く続いた結果、保守運動の側が純粋なイデオロギーや思想を貫く当初の姿勢から、いくらか権力寄りになったのではないかと思います。ですから、今起きているのは、それに飽き足らない人々が離れたり、より明確に保守主義を掲げる政党が出来たりということだと思います。
安倍政権が何をやったのか、分析と検証がこれからも必要でしょう。例えば女性活躍の一環で起用された女性政治家の台頭とその役割に注目する必要があるのではないでしょうか。それが、女性の人権に基づいた政策を打ち出すものなのか、あるいは保守派の家父長的家族観を後押しするものなのか、政治と社会の視点からのさらなる研究が求められていると思います。(聞き手・池田伸壹)
クユジン 1980年韓国生まれ。大学院博士課程から日本で研究を続ける。2024年4月から現職。単著に「保守市民社会と日本政治」。
“今までありがとう" ちゅーピープールが60年の歴史に幕 今シーズン最多の来園者が最後を見届ける 広島(RCCニュース)2024年9月3日
60年の歴史に幕を下ろした「ちゅーピープール」。最後の日となった1日には、今シーズン最多の来園者数を記録するなど多くの人が別れを惜しみました。
米田健太郎 記者 「営業が終了するちゅーピープールですが、プールはきょうも多くの人たちでにぎわっています」
営業最終日となったきのうは、今シーズン最多の4800人を超える人がプールに詰めかけました。
訪れた人たち 「あんまり来てなかったので最後に来てみようと思って」
「たのしいです! めっちゃ楽しいです!」
Q.きょうで最後ですが…?
「まじ悲しい! なくならないで!」
「気持ちよかったです!最初で最後のちゅーピープールでした。来年もやって欲しい気持ちはありますけど…」
「わたしは地元なので、ちゅーピープールには、小・中学生の時は何度も来てました。(最後なので)本当に悲しい。泣きそうです。」
1964年に「チチヤスダイヤモンドプール」として開業し、2007年に「ちゅーピープール」としてリニューアルオープン。シーズンにおよそ10万人が訪れ、びっ���りバケツや波のりなど7種類のプールを楽しみました。
その中で、ことし1月、プールを所有する中国新聞社とカープ球団、廿日市市が、プールの跡地におよそ500メートル離れた場所にある大野練習場と大野寮を移転させることを決めました。これを受け、ちゅーピープールは、今シーズンでの営業終了が決まりました。
さみしいのは、お客さんだけではありません。20年以上、この場所でラーメンを提供してきた 中本美佐緒 さんは、「やっぱりさみしい。夏になるとこれがあるという感覚だった。暑くてつらいんですけど(笑)。コロナとかいろんなことがある中でずっと続けてきてくれたことは感謝している」と話しました。
また、ことし1月、去年まで一緒にお店をしていた、夫・善範さんを亡くしました。中本さんは「最後は、本当にやりたかったのではないかと思います。見ているのではないかと思うから、手を抜かずにがんばろうと」話していました。
閉園の時間が近づくと、最後の瞬間を見届けようと、出入り口の前に大勢の人が集まりました。
中国新聞社 岡畠鉄也 社長 「さみしいですね。これだけ多くの人に愛されていたんだなとあらためて思いました」
門が閉められると、集まった人からは拍手が起こりました。大勢の人が見守る中、60年の歴史に幕が下ろされました。
訪れた人 「悲しくて悲しくて…。ちゅーピープールは、あって当たり前のものだったので、それがなくなってしまって…もう言葉にならないです。いっぱい楽しませてくれてありがとう」
台風の影響で29日から31日の3日間、臨時休園になったちゅーピープール。最終日は営業再開できたことで、「最後に訪れられてよかった」と話す人もいました。
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日本の田舎の道路事情の危機意識欠落な罠
日本の田舎の道路事情の危機意識欠落な罠
自動車が普及する前からずっと存在する旧道沿いには、勝手口や玄関から舗装道路までが1m以内だったりします。その道を結構なスピードで軽トラが走り抜けます。パリの場合は石畳なので、スピードは出せない。
こんな感じです。いつか必ず死亡事故現場になります。家主はドケチなので、道路すれすれに家を建てます。
農業のアルバイトのドライバーもドケチだし、時間がもったいないので収穫時にはぶっ飛ばして野菜畑と農協を、早朝から夕方まで何度も行き来してキャベツを運んでいます。そうでもしないとバイト代が出ないのでしょう。
もしこの家主が、農業のアルバイトのドライバーだったとしたら、他の家の前をぶっ飛ばします。どこに問題があるのでしょう。
日本で危機意識が欠如している原因は、「ドケチ」だからだと思います。命よりも土地や時間を優先してしまうようなタイプのドケチ。
フランス人は、時間にあくせくしないので日常的にぶっ飛ばすようなことはないと思います。
たとえば、個展をした画廊のお向かいの個人のお店では、毎日10時にシャッターを開けて、12時から14時までは閉めてランチ、16時には店を閉めて、一度帰宅して着替えてからパーティーにお出かけ。シャッターの音がするのでよくわかります。営業時間は1日たった4時間。よくこんなので生活できるなと思うのは日本人。スイスはもっと働かないようです。しかも給料は日本の3倍。草刈りのバイトのお兄ちゃんの月収が70万円(時給3500円で計算)。チューリッヒ湖畔沿いの東岸の豪華でもない普通のマンションの家賃が軒並み月250万円。 下の写真の湖の向こうに見える建物がそのマンションです。地元の友人が、不動産バブルで困っていると言っていました。
日本駐在の米軍将校の一戸建ての広大な社宅にはたくさんのゲストルームのほかに、芝生の庭にはプールもあります。給料もすごいのでしょう。それが当たり前だからそうなっているのだと思います。
その敷地から少し離れた日本人用の住宅地は、鳥小屋かアリンコの家。将校の一戸建てのサイズの土地に10軒の家が建っています。
日本人と違って、ドケチではないように見えます。何のために生きているのかの人生観も異なります。
こういうおかしな危険個所は日本中、いたるところにあります。そしてドケチドライバーは、どこにでも居ます。どうしてこうなってしまったのかの説明もできます。
グーグルマップですぐに検索が可能。
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8/24(土) 十五六焼菓子販売日 「 mitsukoji jam (店頭受渡限定)」 ご予約方法!→完売致しました!
お申込み方法を下部に記載しますので、お伝えしますコトをよくご理解頂き、お申込み頂きますよう宜しくお願いします。
→ 8/21 21:00〆切 完売御礼!
規定数量に達しましたので締め切らせて頂きました!お申込み頂きまして本当にありがとうございます!
21時00分ジャストで既定数量を超えてのお申し込みがありました!00分までに送信下さいました方でも限定数を超えておりますので、こちらのメールに届いた先着順で購入可能な皆様に返信致します!購入できない皆様申し訳ございません!発送可能な皆様には、22日の夜までにメールを致しますので、返信をお待ちしております。
*購入不可の皆さまにはメールは届きませんので、予めご容赦願います。1人で全て作業をしていますのでご無礼をお許し下さいませ。
●2024. 8.24 sat
8月24日(土) 13:00 - 18:00
今週末の8月24日(土)は、十五六の通常販売日です!
今回は日野の十五六では初めての試みです!!!
以前の相模原のアトリエ十五六では何度も開催しておりましたが、友人のmitsukoji jam みっちゃんの貴重な「桃ジャム」を事前予約にて、店頭受け渡しのみで販売させて頂きます!
彼女のジャムはとても希少なため、購入自体がレアになりますので、ぜひこの機会に味わってみて欲しいと思います。
小島友見さんコト、みっちゃんは三茶トコロカフェの時代にお客様としてお越し下さり、その後に当店のお客様でもありました小説家の小川糸さんの作品で食堂かたつむり」の映画試写会の出口でばったり再会。その後はお子様の誕生などで年賀状だけでの関わりでしたが、2014年トコロカフェ閉店後にはじめて行った「くらしのmoto市」で4~5年ぶりに再会をしました。再会を機に交流がはじまり、彼女のつくるジャムの美味しさやセンスはもちろん、ジャムから伝わる果実に対する誠実さや、果樹園さんに対する関わり手間をかけてまでも想いをカタチにするというコト。いろいろなコトが共有できるコトをお互いに認識し様々なコトを育んできました。そのひとつとして、2016年11月に私が主催するお話会のゲストに出演して頂きました。ご存知の方も多いと思いますが彼女は「イギリスマーマレードアワード2016」初出場に於いて金・銀・銅賞を受賞という快挙を成し遂げました。
予約開始:8月21日(水)21時〜
mitsukoji jam 新潟産の桃「たまき」ジャム の事前予約を開始致します!店頭受渡しのみで、 予約できました方は、8月24日の十五六の販売日 に店頭までお越し下さいませ。 予約ができましたら購入できますレアな機会です。 普段、並ぶのは。。。と躊躇されています方や、 抽選に当たったコトがない!という方は、数量も 少ないのですが、是非この機会にお申込み下さい。 *予定数に達しましたら受付を終了いたします! 当日販売しますトコロ菓子は予約不可となります ので、当日お越しの際に販売されているモノから お選び頂けましたらと思います。
今回は、mitsukoji jamみっちゃんのジャムを 事前予約にて販売致しますので、トコロカフェの 焼菓子を店頭にて購入するコトが予約条件となり ますので、皆様ご注意下さいませ。
*クッキーアイスサンドは対象外となります。
販売日の焼菓子各種(パウンドケーキ・スコーン・ ビスクッキィ・クッキー・米粉フィナンシェ)を メインに、保冷バックご持参の方もしくは自宅に 15分以内に帰宅可能な方限定「米粉和ブラウニー」 と「米粉の十五六巻」なども販売を予定しています。
先日スタートしました、店頭販売限定のクッキー アイスサンド(丹波黒大豆きな粉アイス+大納言)は、 アイス用紙コップに入れて提供いたします。スタート した先週はご注文が多かったので、今回も仕込みを したいと思っていますので、そちらもお楽しみに!
*クッキーアイスサンドはご来店の方1名様1点のみ。
トコロ焼菓子を購入されます方限定で、 新潟産の桃「たまき」ジャム(mitsukoji jam) を事前予約優先にてお取置きをさせて頂きます!
*予約条件有り
予約開始は8月21日(水)21時〜 !
「桃のジャム」は、お一人様一点のみとなります。 未だ一度も購入できていなくて。。。という方は、 この機会にぜひ予約されて下さいね。予定数量に達 しましたら完売となります。予約方法をご覧の上、 予約開始日時以降にお申込み下さいませ。
十五六来店のための予約は不要です。
仕込みをしながらの予約方式は大変ですが、この 機会に十五六に行ってみよう!やmitsukoji jam さんのジャムも味わってみたい!など、その様に 思われていた方はとても良い機会になるのでは?と 思います。ふらっとお越し頂けるようなトコロでは ございませんが(苦笑)もし宜しければ予約申込を お待ちしております!焼菓子購入などは、ご来店の ご予約は不要ですので、皆さまお気軽にお越し下さ いましたら嬉しいです。 暑い日が続いておりますので、くれぐれも熱中症 対策は万全でお越しくださいませ。近くにコイン パーキングはございますので、お車の方はそちらを ご利用くださいませ。
*駐車サービスなどはございませんのでご注意下さい。
下段に予約方法を記載致しましたので、超文な文章を よくお読みの上、お申込みを宜しくお願い致します。 数に限りがございますので、既定数量を超えてのお申 し込みがありました場合は、先着順に振り分けていき ますので、購入できない皆さまはご容赦くださいませ。
店内はカフェ空間ではありませんので、イートイン はできませんが、テイクアウト用にて各種珈琲や ドリンクや、1名様につき1点限定のクッキーアイス サンドなどの販売などもございます。
*焼き立てスコーンはお休み!
テイクアウトドリンク等のメニューは当日、店頭 にてご確認くださいませ。
今回の販売日のテイクアウト用のコーヒーに使用する 珈琲豆は、Nejimakigumoのネジくんが十五六のため に焙煎してくれています「トコロブレンド深煎100g (豆まま)」となります。珈琲豆の販売もございます。
*豆販売はありませんが中煎もございますので深煎 が苦手な方がいましたら、ご注文の際にその旨を お伝えくださいませ。
皆様のお越しをお待ちしております!
◎十五六(菓子店)住所
東京都日野市多摩平𝟓-𝟗-𝟗 *甲州街道沿いの𝟐階建て𝟏階部 ・𝐉𝐑中央線 豊田駅 徒歩𝟏𝟗分 ・𝐉𝐑八高線 北八王子駅 徒歩𝟏𝟖分 ・八王子駅北口バスターミナル𝟑番 八𝟓𝟕[京王] 日野台行 日野台 下車 目の前 日𝟓𝟎[京王] 日野駅行 日野台 下車 目の前 ・日野駅バス停𝟏番 日𝟓𝟎[京王] 日野台経由 八王子駅北口行 八𝟓𝟖[京王] 日野台経由 八王子駅北口行 日野台 下車 徒歩𝟏分 暑い日や雨の日はバスもオススメです。。。☔️ 土日でも𝟏𝟎分に𝟏本は運行しています。 ・近くにコインパーキング有 *当店はテイクアウト店の為 イートインスペースはござい ませんので、ご容赦願います。 トイレもございません。。。
ご予約可能となりました場合は24日(土)の 営業時間内に店頭までお越し頂けて、尚且つ トコロカフェの焼菓子を購入されますコトが 条件となります。発送などはしておりません のでご了承願います。ジャムのみの販売は 不可とさせて頂きます。
*ジャムのご予約は、お一人様一点までと させて頂きます。今回も少量限定にて数量 が少ないため、1人でも多くの皆様に届きま すように、ご理解とご協力のほど、どうぞ 宜しくお願い申し上げます。
◎新潟産の桃「たまき」ジャム
〔新潟産の桃「たまき」使用〕
mitsukojiの桃ジャムの原点はこの品種で 理想の桃ジャムを求めました。 甘みと酸味のバランスが抜群で 桃の美味しさを堪能できる王道の桃です。
熱々のトーストにお好みのバターと、 または、ヨーグルトにもおすすめです。
*トコロカフェの焼菓子を購入条件とさせて頂きまして
¥1,512(税込)
予約は先着順にて受付とさせて頂きます。
*クッキーアイスサンドは対象外となります。
予定数量を超えました時点で、受付は終了とさせて頂きます。 その際は、tumblrとX(旧Twitter)とInstagramにて お伝え致しますので、ご確認下さいませ。
それでは、皆様のお申込をお待ちしております!
予約開始は8月21日(水)21時〜です!
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tocoro cafe/十五六 十五六焼菓子販売日
みつこじ製 新潟産の桃「たまき」ジャムのご予約方法
*焼菓子のみ購入希望の方はご予約不要です。
●日程 :「 8月24日(土) 」の1日限定
●時間 :「 下記営業時間内にて店頭お渡しとなります 」
13:00 - 18:00
●開催場所:十五六焼菓子店
東京都日野市多摩平𝟓-𝟗-𝟗
*甲州街道沿いの𝟐階建て𝟏階部
●確認事項 :
・ジャムは一人様一点のみの、お申込とさせて 頂きますので、ご了承願います。
・ご予約日の営業時間内に必ずお越し頂けますコト、 ご了承願います。
・現金でのお支払いをお願い致します。
・エコバックなどのご協力もお願い致します。
・どうしてもキャンセルされる場合は、当日の10時 までにメールでご連絡頂けます様、お願いします。 こちらから追ってキャンセル受理の返信メールを させて頂いて、キャンセル成立となります。そちら のメールが無い場合は、念のため再度メールを送信 して下さいませ。キャンセルが出ましたら先着の 優先順からメールにて繰り上げのご連絡をさせて 頂きます。ご迷惑をおかけ致しますが、メールが届 きましたら早急にお返事を頂きましたら大変助かり ます。どうぞ宜しくお願い申し上げます。ご連絡が 無くキャンセルの場合は、今後のご予約は全て受付 不可となります。
注)お申込頂きました方は、確認事項をご了承頂い たものと致します。
●申込方法 :
■ご希望の方は、8月21日(水) 21時〜
*受付開始21:00より前のメールは無効に なりますので、ご注意下さいね。 [email protected] まで、 メールにてお申込下さい。
■メールへの記載事項(必須)
・件名→ みつこじジャム申込
・お名前(フルネーム)
・携帯+PCメールアドレス(受信拒否等の設定は解除願います) *[email protected]からの受信設定を可に。
・携帯電話番号(当日ご連絡のつきます番号)
・可能でしたら、みつこじジャムを購入されたい理由も記載を頂けましたら嬉しいです。
*当日ご来店の予定時刻が分かります方は、 記載を頂けましたらこちらも助かります。 分からない場合は、記載不要です。
*当日に遅れる場合は上記メルアドにご連絡下さい。 携帯まで転送されますのでご連絡します。
●申込後 :
・数量限定のため、ご用意数量を超えました時点で 受付終了とさせて頂きます。それまでは8月23日 21時まで申込可能。 *こちらのメールに21時以降に到着して、正しく 記載されたメールから先着順にて決定とさせて頂 きます。ご了承下さい。受付終了時は、blogや Instagram、X(旧Twitter)でお伝えをしますので ご確認下さいませ。
・ご予約可能な皆様には、22日夜までに追ってご 確認メールを送らさせて頂きます。そちらの メールにアンサーを頂いてこちらで確認が出来ま した時点で、ご予約確定とさせて頂きますので ご注意下さいませ。最後に「確定」メールもさせ て頂きますので、そちらもご確認くださいませ。 *夜は仕込みのため、返信できない場合がございます。
・購入可能な方のみお返事をさせて頂きますので、 十五六からの返信メールがない場合は、今回は 購入できませんので、またの機会に宜しくお願 い致します。店主1人でメール作業をしています 関係で、ご無礼をお許し下さいませ。ご容赦の ほど、宜しくお願い申し上げます。
・こちらから購入可能メールをさせて頂いたのに 「確認しました!」メールの返信がない場合が ございます。その場合、迷惑メールBOXに振り 分けられている場合と、メール受信拒否設定で はじかれている場合とがございます。こちらから 再度メールを致しますが、送信後24時間以内に 返信がない場合は無効となりますので受信拒否 設定を必ず設定の上、お申込下さいませ。又、 確認メールにアンサーが無い場合もキャンセル 扱いとなりますので、十分にお気をつけ下さい ますよう、宜しくお願い申し上げます。
*携帯会社によってメールが送信できない場合も アンサーがなく、こちらからは送信されたと 思っている場合がございます。念の為パソコン や携帯メールなど複数のアドレスをお持ちの方は 記載して頂けましたら安心だと思われます。
・tumblrとX(旧Twitter)とInstagram内で終了案内 をするまでは常時受付中!
*mitsukojiさんのジャムの予約はせずに、 焼菓子購入のためにご来店されます皆様は、 今回のご予約は関係ございませんので営業 時間をご確認の上ご来店をお待ちしています。
・焼菓子の在庫状況は、空いた時間をみて X(旧Twitter)にてお伝え致します。 テイクアウト用の商品や、限定クッキー アイスサンドの販売(1名様1点限定)が ございますのでお気軽にお越し下さいませ。 カフェではなく工房ですのでテーブル席など はございません。予めご了承下さいませ。 X にアップされない場合は、逆にバタバタで 余裕がないだけで、まだ焼菓子の在庫はある 状況の場合もございますので、どうぞ宜しく お願い致します。 売り切れの際はご容赦願います。
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それでは、皆様のお申込をお待ちしております!
8月21日(水)21時からのお申込ですので、お気をつけて。
毎度超文にお付合い下さいまして、ありがとうございます。
当日販売の焼菓子メニューやなどは、また当日に 発表致しますので、ご覧いただきますよう宜しく お願い致します!お気をつけてお越しくださいませ。
tocoro cafe / 十五六 上村 雅一・直子
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1.電力 石川県で、約4,700戸の停電が発生。現在の停電は、送電線や変電所によるものはなく、配電設備の損傷によるもの。北陸エリアでの供給力は確保できている状況。 北陸電力では、災害対策本部を設置し、3,600人体制で、情報収集及び復旧に向けた作業を実施。また、中能登町以北において、他社応援部隊(関西、中部、東京、東北、北海道、中国、四国、九州)を含め、現在、人員約1,000人規模で対応。 七尾市、志賀町は、ほぼ全域復旧済み。能登町、穴水町は、道路損壊、土砂崩れの影響を受けた一部の地域が残るのみ。一方、輪島市、珠洲市は、配電設備の被害が甚大であり、道路損壊により作業が難航。このため、停電の続く避難所を優先して、配電線復旧重点工事に加え、電源車での代替供給を開始済。6日から、能登町、穴水町、輪島市、珠洲市との電力供給に関するミーティングを開始し、現場のニーズを踏まえ、順次対応中。 北陸電力によれば、土砂崩れ等により復旧作業のための立入が困難な箇所、及び地震・津波・火災により甚大な被害を受けた地区の一部を除いて、1月中に概ね停電から復旧する見通し。立入困難な箇所についても、道路等の作業現場へのアクセス改善に応じて、順次復旧作業を実施。 北陸電力管内の七尾大田火力発電所(石炭、1号50万kW・2号70万kW)では、地震により稼働中であった1号・2号が停止。 ○東北電力管内 停電解消済 ○北陸電力管内 石川県 約4,700戸(輪島市 約2,600戸、珠洲市 約1,800戸、能登町 約120戸、穴水町 約70戸、志賀町 約10戸、七尾市 約10戸 他) 2.ガス 都市ガスについて、現時点で、ガス製造事業者、一般ガス導管事業の被害・供給支障については解消。 ガス小売事業(簡易ガス)については、住宅崩壊等により復旧困難な場所を除き、供給再開。 熱供給事業については、現時点で、供給支障はなく、被害情報もなし。 LPガスについて、七尾基地では、輸入や国家備蓄基地からの受入設備について、本年2月末の応急的復旧を目標として補修作業中。限定的な出荷(在庫分)や代替基地からの振替出荷により対応。 3.高圧ガス・火薬類 高圧法及び石災法に係る設備について、現時点で、大きな被害情報なし。 現時点で、鉱山及び火薬関係での被害情報なし。 4.製油所・油槽所、SS 油槽所については陸上出荷を再開済み。出荷再開の目処が立っていない油槽所1か所について、近隣油槽所からの応援配送を実施。 SSの稼働状況(七尾市、志賀町、穴水町、輪島市、能登町、珠洲市)。 ◆営業可能(給油・配送可能):56件 ◆営業停止(給油・配送不可):13件 5.物資 関係事業者・業界団体と連携し、被災地・避難所への物資の供給を継続。毛布、携帯トイレ、消臭剤、カセットボンベなど、必要な物資を石川県の拠点に集積し、順次、トラックで輪島市・珠洲市・穴水町・能登町等の被災自治体へ発送。 防寒物資(石油ストーブ・ジェットヒーター等)や燃料等の集積と避難所への供給を強化。 避難所の感染症対策として、消毒液等の衛生用品の調達も実施。 自衛隊と連携し、コンビニやスーパーの商品等の支援物資の避難所への輸送も実施。 6.工業用水 富山県の工業用水道事業において、漏水により 供給支障(受水企業1社)が発生。1月22日(月曜日)から工業用水以外の水に切替えて営業を再開。復旧工事の時期は調整中。 7.製造業、中小企業 石川県を中心とした北陸三県に加え新潟県などの幅広い地域における産業の主要な生産拠点を持つ企業と地場の企業、それらから影響を受けうるセットメーカーなどに対し被害情報等を収集。建物や設備の損傷等の被害が多数発生しているが、被災地域域外のサプライチェーンにも影響を及ぼしうる業種については、約9割が生産を再開又は再開の目処が立っている状況である一方、繊維、工芸品、印刷製造業については、2割強の企業において生産再開の目処が立っていない状況。 1月11日(木曜日)、今回の能登半島地震が、地域を指定しない激甚災害「本激」に指定された。 災害救助法の適用を受けた新潟県、富山県、石川県及び福井県の県又は適用地域(47市町村)に対し、1月4日(木曜日)までに、 (1)中小企業関係団体等による特別相談窓口の開設 (2)災害復旧貸付の実施 (3)セーフティネット保証4号の適用 (4)既往債務の返済条件緩和等への柔軟な対応の要請 (5)小規模企業共済災害貸付の適用等の初動措置 を発動。 <災害救助法の適用地域>(1月25日13:00時点) ・新潟県(14市町村) 新潟市、長岡市、三条市、柏崎市、加茂市、見附市、燕市、糸魚川市、妙高市、五泉市、上越市、佐渡市、南魚沼市、三島郡出雲崎町 ・富山県(13市町村) 富山市、高岡市、氷見市、滑川市、黒部市、砺波市、小矢部市、南砺市、射水市、中新川郡舟橋村、中新川郡上市町、中新川郡立山町、下新川郡朝日町 ・石川県(17市町村) 金沢市、七尾市、小松市、輪島市、珠洲市、加賀市、羽咋市、かほく市、白山市、能美市、河北郡津幡町、河北郡内灘町、羽咋郡志賀町、羽咋郡宝達志水町、鹿島郡中能登町、鳳珠郡穴水町、鳳珠郡能登町 ・福井県(3市町村) 福井市、あ��ら市、坂井市 8.その他 経済産業省では、1月1日(月曜日)16:10に災害連絡室を設置。 1月1日(月曜日)23:22に、経済産業省非常災害対策本部を設置。1月2日(火曜日)以降、1月16日(火曜日)までに、計9回の本部会議を開催。 1月17日(水曜日)に、被災中小企業・小規模事業者等支援本部を開催。 1月25日(木曜日)より、小規模事業者持続化補助金(災害支援枠)の1次公募開始予定。 1月2日(火曜日)以降、経済産業省、経済産業局及び産業保安監督部の職員を、石川県庁及び被災自治体等へ派遣。1月25日(木曜日)時点、30名(延べ114名)派遣済み。 担当 大臣官房広報室長 加賀 担当:栗原、山岡、小西、佐々木、隈江 電話:03-3501-1511(内線 2276) メール:bzl-kokunai-houdou★meti.go.jp ※[★]を[@]に置き換えてください。
令和6年能登半島地震に伴う被害について(1月25日(木曜日)13:00時点) (METI/経済産業省)
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「虚無への供物」中井英夫 0061
序章
6鱗光の館
国電の目白駅から大通りを千歳橋(ちとせばし)方角に向うと、右側には学習院、その裏手は、池袋駅を頂点に、逆三角形の広い斜面を形づくっているとあある。
今もその地形は残っているようです。 ただ、橋名板にも千登世橋となっています。 千歳橋は、通称名とかなんでしょうか?
学習院や川村女学院、目白署なんかは、名残がありますね。
戦災を免れたので、まるで迷路のように入り組んでいて、丈高い煉瓦塀が隠し、繁り合った樹木が蔽うという具合だとなっています。 外から見えないというのもこれも、伏線ですかね。
豊島区目白二丁目千六百**番地の氷沼家は、その迷路の中心に当たる部分に建てられているみたいです。 迷路という割には、番地なんですね。
これって、調べたら、もしかして、特定できたりして。 楽しいですね。
蒼司が昭和四年生まれだということがわかります。 亜利夫が、ひとつ上だから昭和三年生まれだということですね。
目白の氷沼家のことが書かれていますが、平凡さをやたら強調している気がします。 広さも、五百坪だといってます。
五百坪だと、東京ドームの30分の1です。 サッカー場だと4分の1くらい、 テニスコートだと6面くらいになります。
相当広いですね。
庭に、楢(なら)、ブ��、櫟(くぬぎ)が植えられ、昼間でも陰気に薄暗いとありますが、 いずれの木も落葉樹だから、この話の時期は、枯れ枝めいた雰囲気であったのではないでしょうか。 多少枯れた感じはしますが、 昼間でも陰気に薄暗いとは、多少ずれている感じがします。
さて、そんな屋敷にバア「アラビク」の翌日、夜に訪ねた亜利夫。 目白の氷沼家の門をようやく探し当てた亜利夫とありますから、やっぱり相当大きな屋敷なんですね。
亜利夫のことが少し書かれています。
日本橋本石町の貿易商社に勤めて、朝夕のラッシュ・アワーにもめげずスポーツ新聞を耽読し昼休みはチョッキの胸をはだけて室町界隈を回遊するサラリーマン生活。
日本橋本石町で検索すると、日本銀行が出てきますね。 日本橋一帯の町々は、東京の商業地の中心だったので、何とか持ちこたえ、戦後につながって見事に復興出来たのでしょう。 それを表すかのように、亜利夫は、日本橋の貿易商社に勤めていることになっています。
その当時も、ラッシュ・アワーはすごかったのでしょう。 それにもめげず、読んだスポーツ新聞。
日刊スポーツやスポーツニッポンが発行されています。 スポーツ報知も発行されているみたいですが、いわゆるスポーツ新聞のようにはなっていないようです。
亜利夫の心配も杞憂で、蒼司は請じ入れます。
蒼司が着ている肌に染みるほどな薩摩絣、今は、高級品ですが、当時はどうっだったのでしょう? 調べてみると、庶民の着物だったと書かれていますね。 比較的、手に入れやすかったのかもしれません。 それを生きに着こなしている蒼司ということなんでしょう。 薩摩絣には、紺地のものと白地のもがるようです。 清潔な白いシャツが覗いていると表現されているので、多分、紺薩摩でしょうね。
まるで、それが明治の書生めいたているという表現も、それに合致するようです。
澄んだ湖を思わせる奥深い瞳の印象も6年前とほとんど変わらない。
亜利夫が25歳、蒼司が24歳だと思うのですが、6年前の高校生の頃と比較しているのでしょうか? 唐突に6年前と出てきている気がしますね。
蒼司が洞爺丸の後落ち込んでいたが、最近では、雪花石膏(アラバスター)の中に灯を点すようだと表現されています。 よく知りませんでしたが、 現代では、アラバスターはパワーストーンと知られているようです。 当時は、勿論いまもですが、ランプとして、しかもかなり高価なランプとして、使われているようです。
その蒼司は、大学院の工学部応用物理科数理工学コースでフローセオリーの矛盾を追求していた。 困りました。 さっぱりわかりません。 まあ、大学院は東大のことでしょうね。 他にもあったかもしれませんが。
「フロー理論」は、「個人が完全に今行っている事に夢中になり、自己意識がない中でも自分をコントロールできている感覚がある状態」と定義されています。
の矛盾を追求してたんです。 うんそうに違いありません。
今までの話を裏付けるように、 戦争中の通年動員という中学時代、 戦後の旧制高校時代、 食糧事情の悪化から休校。 亜利夫は蒼司を見るとはなしにみていたことになります。
感傷が先にたった第一日目の氷沼家の探訪は 亜利夫も反省することになるほど生ぬるい事になります。 とはいえ、元々何をしたらいいかわからずに氷沼家に言ってるわけですから、当然かもしれません。
さて、 久生は、翌日の日曜、1954年12月12日に西荻窪(にしおぎくぼ)の南口に近い壁画荘(へきがそう)に亜利夫を呼び出します。 まだ、起こるともしれない殺人事件に大きなのぞみをかけているようですね。
電話で呼び出したとありますが、家に1台の時代ではないでしょうから、 本当に呼び出したのでしょう。 それとも、電話を引いていたのか?これも、伏線になるかも。
亜利夫は、月の話から入りますね。 しかも、屋根が蛇の鱗みたいに青くかがやいて、まるで墓場へでもいったみたい。 古い住宅街で氷沼家は、没落華族の旧家のように苔むした塀をめぐらして、云々。
いくら報告することがないからといって、流石にこれは、関係ない話だと思いますね。
セミダブルのディヴァンにもたれこみ、天井にタバコの煙をあげながら薄目になって聞いていた久生が、 「つまり高い塀があるってことでしょう」と、ホームズの口真似で一蹴します。 もう少しいたわってもいいような。
ディヴァンはソファの一種で、もともとは背もたれやひじ掛けがないもので、少し高くなった床に置かれたマットレスだそうです。 多分、ベッドの変わりにもなるのでしょう。
亜利夫の話は、まだ続きます。 門の脇に電話の番号札が光っていたので、氷沼家とわかったとありますが、 電話番号が家の外に堂々と掲げたあったのなんて、今からは想像つきません。 まあ、たしかに、田舎に行くと、玄関の上なんかに、誰が住んでるとか電話番号なんかが書いてあるのを見かけたことはありますけど。
ここで、久生が、クズみたいな話をしててもしょうがないと、 亜利夫の話を遮って、亜利夫に説教します。
「ワトソン役(亜利夫のことですね)に覚えておいてもらいたい。 殺人事件で、最初に蛇神の呪いなんてことが出てきたらそれは必ず反対にどこか身近なところに犯人がいて合理的な方法の殺人を企んでいる証拠だと」
って、これをいうかって感じです。 これが推理小説なら、まさにそんな感じになるのですから。 それを頭から否定されたら、これから一体何を読まされるのでしょうか?
しかも、亜利夫はちょっとかわいそうですね。 苦笑いしながら 「まだワトソン役を引き受けるとはいってない。 事件が起きてないのに探偵だけがしゃしゃり出るのはおかしい。」 と、精一杯の反発です。
それに久生が 「殺人を期待しているわけじゃない。 20年も前のモードなら、犯人が好きなだけ殺人をして、やおら神の如き名推理を働かす。」 と、言ってます。
この話は、昭和29年の話ですから、 指摘された小説は、昭和初期の小説でしょう。 小栗虫太郎(おぐり・むしたろう) 大下宇陀児(おおした・うだる) 久生十蘭(ひさお・じゅうらん) あたりを思いつきますけど、 個人的には、横溝正史あたりが一番しっくりきます。 ただ、横溝正史はやっぱ戦後の作家なんですよね。
実際に書かれたのが、昭和40年以降だとすると考えると、案外、しっくりくるかもしれません。
「私のような良心的な探偵はとても殺人まで待ってられない。 事件のおこる前に殺人が行われたはずだと、未来の犯人と被害者その方法と動機までくわしく指摘する」
と、久生は言い放ちます。 だから、ワトスン役の亜利夫の話が大事なのだと。
まあ、たしかに犯罪が起きなければそれに越したことはありませんが、それなら、この小説は成り立つの? まあ、全く逆なんだろうということは薄々わかりますけどね。
ちなみに “白の女王”というのが出てきますが、 ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」の白の女王がすぐに見つかります。
「他人を喜ばせる人生など送らなくていい。云々」
犯人が罪を侵せば、探偵の久生を楽しませることになるとでもいうことでしょうか? 久生の謎解きが始まるんでしょうね。
つづく
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