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アーカイブから⭐︎💫⭐︎ #コンポート #桜コスモス #花紋 NO2 #東急たまプラーザ さんでお迎え頂きました♪ 春に #新潟伊勢丹 さんでお迎え頂き、秋に向けて再制作したコンポートです♡ 手作りケーキ🎂を載せたいと連れて行って頂きました。 クリスマス🎄に活躍していただけると嬉しいです♡ 4枚目☞ 今年も #クリスマスツリー飾り付け しました♪ ドイツ🇩🇪のクリスマス市で毎年少しずつ買い集めたオーナメントで飾り付け🎄 ワクワクする季節の始まりです♡ #weinachten #weinachtsmarkt #ドイツのクリスマス #ドイツ時代 #花のある暮らし #花の器 #花のうつわ #花が好きな人と繋がりたい #花が好き #器好き #うつわ好き #器のある暮らし #器好きな人と繋がりたい #秋の花 #秋の器 #花紋 #器 #パステルカラー #陶芸工房ラプエルタ #小林恵 #今年の展示会はすべて終了 #⚽️スペインPK負けた⤵︎ https://www.instagram.com/p/Cl3x3mnLfRm/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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山田 かなは、日本のグラビアアイドル、タレント。千葉県出身。プラチナムプロダクション所属。 ウィキペディア
生まれ: 1995年9月27日 (年齢 29歳), 千葉県
身長: 156 cm
カップサイズ: G
スリーサイズ: 89 - 60 - 94 cm
デビュー: 2021年
事務所: プラチナムプロダクション
他の活動: タレント
趣味は筋トレなど体を動かすこと・犬と遊ぶこと、特技は料理・掃除。
憧れているのは、くりえみ。
高校卒業後、2年ほどOLとして営業の仕事をしていた。営業成績1位を取るも達��感からモチベーションが低下、また意地悪な先輩から「山田さんは、大学行っていないもんね」とたびたび嫌味を言われるのが悔しく、「あの人より良い大学に行ってやる!」と決意を固めて会社を辞め、勉強して大学生になった。現在、理系の大学に通っている。
高校時代、勉強が苦手でほぼ全教科赤点で、偏差値28だった。前述の通り大学入学のために1年半一日10時間猛勉強し、偏差値を64まで上げた。
友達は少なく、いまの友達は猫と観葉植物。
2022年の目標として、Twitterのフォロワー数10万人を掲げ、達成しなければ引退を示唆していたが、同年7月16日、自身のブログを更新しTwitterのフォロワー数10万人を超えたことを報告した。
週刊プレイボーイ編集部からは「山田さんはかなりの気遣い屋」と性格を表現されている。
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私は、高校を卒業してすぐに就職した。生まれ育った静岡県の山奥から、千葉県松戸市へ。 やたらと地方出身者ばかりを集める会社だった。会社名義でアパートを借りてくれ、家賃まで払ってくれる。なんていい会社に入れたのだろう、というのは若さゆえの勘違いだった。 とにかく休日というものがない。シフト上で「休日」とされている日にはタイムカードをうってはいけない。それだけのことだった。 そんな環境でも二年間勤めたのは、単に逃げられなかっただけだ。会社名義でアパートを借りているので、職を失うというのは住居を失うのと同義だった。 食事もろくに摂れなかったため、がりがりに痩せた。食事の時間があるならば、そのぶん寝る時間にあてたかった。となると歯など磨くはずもない。虫歯が痛み、前歯を一本失ったが、それすらどうでもよくなっていた。 関連会社の男性社員から「借金してでも逃げろ」とまで言われ、ようやく逃げたのが二十歳の頃。 振り返れば、その二年間に休日という休日はなく、七百連勤以上を続けていたのだ。 千葉県内に土地勘などなかった。あてもなく新京成線に乗り、新津田沼駅で降りた。新津田沼を目指したわけではない。単に人がたくさん��りたから、つられて降りた。それだけだった。 駅とイトーヨーカドーがくっついているのは驚きだった。そんな場所がこの世にあるとは知らなかった。 そのま��イトーヨーカドーへ入った。エスカレーターで上の階へあがると、そこにはゲームセンターがあった。ゲームセンターといっても、小さな子どもをメインターゲットにしたもので、真ん中には大きなトランポリンが設置されていた。 ここで働きたい。そう思ったのは、子どもが好きだとかそんな理由ではなかった。暇そうだったからだ。もう一生懸命働きたくなどない。この二年間で、一生分働いた。そんな気分だった。 求人誌で見つけたのか、インターネットで見つけたのかはいまとなっては記憶が曖昧だが、そこのゲームセンターは求人広告を出していた。アルバイトで、週に三日程度から可。 とはいえ、住所不定の若造を雇ってくれるとも思えない。先に住居を探した。 幸いなことに、新しい住居はすぐに決まった。駅から遠い、築五十年超の木造アパート。壁を叩けばゴキブリが五、六匹出てくるような部屋だったが、ようやく自分の居場所を手に入れた気分だった。 その住所を履歴書に書き、就職の際に両親が買ってくれたスーツに身を包み、伸びたままだった髪は自分でカットした。がりがりの体と失った前歯はどうしようもなかった。 鏡を見て、「まあ、これは雇わないだろうな」と自分でも思うほどだったが、面接ではなんとなく好感触を得た気がした。 そして数日後、採用が決定したと連絡があった。なぜ採用されたのかは知らない。他に応募者がいなかったのかもしれない。 赤いポロシャツに、黒いズボン。センスがいいとは言いがたい制服だったが、不満はなかった。 とにかく来客数が少なく、やることと言えばクレーンゲームの景品の補充だとか、当時流行っていたムシキングとかおしゃれ魔女などのカード補充とか。 あとはトランポリンで遊びたい子が来たら対応をした。たしか五分で百円。十分だったかもしれない。詳細は覚えていないが、百円玉を握りしめた子どもが目をきらきらさせながら声をかけてきたのは覚えている。 一度の勤務が四時間程度。それを週に数日。時給はたしか八百円ほど。食っていけるはずもなかったが、しばらくはその生活を続けた。とてももう、まともに働く気力などなかった。 借金がある程度膨らんでから、ようやく他にも仕事を始めた。コンビニ、警備員、チラシのポスティング、宅配便の仕分けなど。非正規雇用ばかりを山ほど抱えて、なんとか借金は返した。 ゲームセンターでのアルバイトは続けるつもりだったが、近いうちに閉店すると耳にした。一時間あたりの売り上げが私の時給を下回っているような有様だったので、遅かれ早かれそうなるだろうとは思っていた。 閉店まで続けようかとも考えたが、そのときに面接を受けた倉庫作業の会社で正社員の誘いがあったので、そのまま辞めてしまった。辞めた後、しばらくは営業をしていたようだったが、たしか一年経たずに閉店してしまった。 私は就職し、転職し、結婚して離婚した。また就職して、転勤して、いまは東京の西のほうで暮らしている。 津田沼まで片道一時間強。あまり気軽には来れなくなってしまった。 あれから約二十年。私はすっかりおじさんになってしまったが、おじさんになれてよかった。いま振り返ると、あの頃の自分はいつ人生を終わりにしてもおかしくはなかった。 あそこで働いたのは一年だったか、二年だったか。もっと長かったかもしれないが、まったく思い出せない。 あのゲームセンターはたぶん、七階のマクドナルドの前にあったはずだが、いくら検索しても情報は出てこない。 まるで幻だったかのように、私自身にも曖昧な記憶しか残っていない。検索しても、トランポリンがあったのは屋上だという情報ばかり。屋上ではなかったのはたしかなのだが。 ともあれ、私がなんとか再起をはかれたのは、あそこで働いた期間があったからだ。変に忙しい職場に入っていたなら、きっと潰れてしまっていた。 しかしまさか、イトーヨーカドー津田沼店自体がなくなってしまうとは。 なんとなく、イトーヨーカドー自体はずっとそこにあってくれるような気がしていたので、いつでも行けると思い込んでいた。 二十代前半の、あの時期の私の中心にはイトーヨーカドー津田沼店があった。書店にもよく寄ったし、四本の親知らずのうち三本はヨーカドー内の歯科で抜いてもらった。 あと、誰も気にしていないようなことだけれど、トイレの洗面台の脇に置かれた小さな花瓶に花が生けてあったのが好きだった。造花かもしれない。ただ、誰かの気遣いがそこにあった。トイレ自体古かったが、きちんと清掃しているのはよくわかった。私とは違い、仕事熱心な人が清掃を担当していたのだろう。もう何年も訪れていないので、最近はどうだったのかは知らない。 テナントが徐々に撤退していったのは伝え聞いていだが、それがなんだか思い出の場所が徐々に衰弱していくようで受け入れられなかった。 さて。ここまで長々と書いてきてどう締めればいいのかわからない。結局、歳ばかり重ねて、あの頃からまったく成長などしていない。 「さようなら、いままでありがとう」 でいいのだろうか。 あと、「寂しい」と「もう大丈夫」を付け加えて文を締めたいと思う。 小山征二郎さんが、イトーヨーカドー津田沼店閉館に寄せたエッセイ
時給800円のゲーセンに救われた… 閉館の商業施設に寄せた思い出
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新宿wホテルでの体験談①
まずは自己紹介から
俺は短髪色黒髭ありガチムチ系マッチョリバ。
まだまだ新宿wホテルが連れ込み放題だった時の体験談
(エレベータールームキーいらない時代)
ネタを仕込んでチェックイン。
今日は予めあっちこっちで呼びかけして15人ぐらいは大体の到着時間約束済み
(大体当日この手の約束の半分ぐらいはドタキャンで消えるが)
チェックイン後1時間開けて約束するが最初に掘りたがる奴は大体早めに来る
チェックインする頃にはもう近くにいますって連絡があった。
早過ぎるわ。
でも俺の脳みそも溶け気味だからマンコがじわっと熱くなる。
早速、来る前に準備済みだか、念の為ケツを洗い直す。
ポンプはゆるま湯引いてシャカシャカして準備完了。
//る前にまたハウリングしとく。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
個室鍵開け暗闇全裸目隠し待機
性処理ノリで兄貴の種ぶちまけてくれ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
的な内容
時は土曜昼下がり。
まあムラついた雄がそこら辺ウヨウヨいるだろうな
最初はいつも大体15。
手際よく押し引き2-3回ポンピング。
はい。変態マンコ出来上がり。
脳天もケツマンコも熱くなり思わずやべっと濃い吐息が漏れる
一人目に部屋番号を送信。
即上がるレスあり。
今回は部屋のドア開けると真正面にベッドがある部屋
(開けた瞬間突き出したケツマンコ直視される一番好きなレイアウト)
暗闇全裸目隠し待機をキメる。
ドアに背中向ける態勢に。
我慢汁でチンコは既にびちゃびちゃ
片手で自ら両乳首をいじりつつもう一方の手でケツマンコでやらしい音立てて一人目をお出迎え
ドアが開き一人目が入室。
物静かに服を脱ぐ音だけが聞こえる
ベッド脇に気配を感じる。
ゆっくりと乳首を責めてくる。
デカメの溜め息のような吐息が漏れる。
一人目は小声で「うんー?今日は何発もらうの?最初の種欲しい?」とつぶやく
俺はその言葉で一気に脳天とマンコが今まで以上に熱くなるのを感じた
続く
※このストーリーはフィクションです。
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no, miss appleton did not single-handedly ruin japanese soy sauce forever
there's a popular post going around this week about a ghq (general headquarters, the administration of the american occupation of japan after wwii) employee, a certain ms. blanche appleton, single-handedly changing the taste of soy sauce. while her story is fascinating for sure and i await further developments on the part of the op, and had a hand in the history of soy sauce, the premise is quite a bit exaggerated, and the general narrative so far in the framing by the op somewhat problematic.
tl;dr: as with most things, this is a confluence of factors, with producers, scientists, politicians, (possibly underworld,) and administrators all having their own agency in this story. i find it unusual to sideline so many parties in favour of presenting a single foreign administrator calling the shots in the op's posts.
i've made an initial response here. i will continue my findings in a separate post here.
1. jack daniel's is swill, but it's still whiskey
i think i can distill my issues with this plot so far down to one statement in the original post:
There should be records of her policies, there should be legal documents in America which record how she apportioned out American exportation of soy beans to Japan, there should be sources talking about this woman's ability to transform Japan's soy sauce production so heavily that today only 1% of all soy sauce is made with pre-WW2 traditional techniques.
this transformative impact of one administrator is entirely overstated. this comment led me to a promo blog post where some of the original claims can be seen, and the op mentions that traditional soy sauce was made in kioke barrels, and the this method of production has dropped to about 1% now. this is true, but it appears that at least one source put the decline as starting around the end of the edo period (xvii-xix centuries). [1] sources traceable to yamaroku puts the decline more recently, at about a century ago [2, 3]
this japanese paper on fermented food production is quite clear in stating that wodden barrel production declined from the meiji period (1868-1912) onward.
江戸時代までに一般化した木桶・木樽の使用形態は、明治期以降、一般の生活や各種製造現場で近代化が進む中、コンクリートや金属、プラスチック、合成樹脂等の材質によって代替されていく。 The use of wooden vats and barrels, which had become common by the Edo period, was replaced by materials such as concrete, metal, plastic, and synthetic resin from the Meiji period onward, as modernization progressed in ordinary life and various manufacturing sites. (deepL translation)
another source from a professor on food production in japan suggests that shodoshima (where yamaroku is made) is the area that has most completely preserved the wooden vat method of production.
this survey (oguri) written by a member of the national museum of nature of science in tokyo dates the supplanting of traditional method in more industrialized regions by 1913
1913(大正2)年:栂野は「最新醤油醸造論」の中で、九州、中国地方では桶の代わりに煉瓦又は石でタンクを作り使用していると記述。 1913 (Taishō 2): Tsugano, in his "The Latest Soy Sauce Brewing Theory," wrote that in Kyushu and Chugoku regions, instead of vats, tanks were made of bricks or stone and used. (deepL translation, p.148)
1918年:西二の蔵(ヤマサ印)の建設に当たり研究中の内面塗料が完成したので、これを採用し仕込桶を角型のコンクリートタンクに改めた。 1918: The internal [coating] that was being researched for the construction of the Nishi Ni no Kura (Yamasa brand) was completed, and this was adopted and the brewing vats were replaced with square concrete tanks. (deepL translation with edits from @literaryreference, see translator's note 3, p.148)
i think it bears repetition that soy sauce production was industrializing as japan was industrializing from the meiji to early shōwa periods. as alluded to in the title, a lot of modern soy sauce is like jack daniels: industrial products that evolved from traditional methods alongside a nation's overall development.
2. babe wake up, a new semichemical soy sauce just dropped, and appleton's role in history (a corroboration of @/inneskeeper)
it seems like the plot on the original poster's part has gone to the american side, so let's try to follow the us-japan interaction but from japanese sources.
the survey cited earlier (oguri) has a lot of information that supports the original post. blanche appleton did exist, and does appear in more anecdotes from that era of the soy sauce industry.
(also, this bibliography has more sources on her time in japan, will require institutional access to japanese universities)
to start, there are two methods of semichemical soy sauce production. the first, 新式1��法 shinshiki 1-gō method (i will call it sc1) was invented in the taishō era (1912-26).
大正の末期頃になると、酸やアルカリの化学薬品を併用することによって、速醸の目的を達成しようとする研究が盛んに行われ、その代表的な「新式1号」が出現する。 Toward the end of the Taisho era, there was a flurry of research into the use of acid and alkali chemicals in combination to achieve the goal of fast brewing, and the "Shinshiki No. 1" [sc1] appeared as a representative example of such research. (deepL translation, p.158)
in the time immediately after the war, there was a shortage of supplies, and its allocation was controlled by the americans
駐留軍の総司令部 GHQ(General Head Quarter)は、1948年の春調味料の原料として「エロア資金」(占領地域経済復興資金)により、大豆ミール2万tを放出する方針を打ち出した。このことにより、その配分をめぐって醤油業界とアミノ酸業界は熾烈な競争をすることとなる。 The General Head Quarter (GHQ) of the stationed army announced a policy of releasing 20,000 tons of soybean meal as a raw material for seasonings in the spring of 1948 through the EROA (Economic Rehabilitation in Occupied Area) Fund. This led to fierce competition between the soy sauce and amino acid industries for its allocation. (deepL translation with edits by myself, p.159)
the "amino acid industry" mentioned refers to the monosodium glutamate (msg) industry (glutamate is the ion of an amino acid). essentially, in the early 20th century, both msg and soy sauce (and chemical "soy sauce") production methods have converged to all requiring many soybeans due to their protein content and fermentation properties.
this is where appleton makes her entrance:
GHQは両業界の調整窓口として、「経済安定本部」の経済科学局で調味料と乳製品の需給を担当していたミセス・ブランシェ・アップルトンをその任にあてた。アップルトンは、醤油醸造協会の茂木啓三郎とアミノ酸業界の大内鋼太郎を招いて意見を聴取し、原料の配分を「醸造醤油2、アミノ酸業界8」とすることを内定し、上司のマーカット局長に報告した。この報告内容は醸造醤油にとっては死活問題であったが、内定の根拠は次のような���のであった。 GHQ assigned Ms. Blanche Appleton, who was in charge of the supply and demand of seasonings and dairy products in the Economic and Science Section of the "Economic Stability Headquarters," (?) to serve as the coordinating contact between the two industries. Appleton invited Keizaburo Mogi of the Soy Sauce Brewers Association and Kotaro Ouchi of the amino acid industry to hear their opinions, and informally decided that the distribution of raw materials would be two for brewing soy sauce and eight for the amino acid industry, and reported this to her boss, Maj. Gen. W. F. Marquat. The content of this report was a matter of life and death for brewers' soy sauce, but the rationale for the informal decision was as follows. [...] (deepL translation with edits by myself p.159)
essentially, appleton originally intended for only 20% of the soybean meal to be handed out for soy sauce due to its relatively inefficient usage of materials compared to msg production. this would've crippled the existing soy sauce producers, and they set out to find solutions to save their industry.
醸造醤油側は、醸造醤油の「日本人の食生活における重要性や醸造醤油そのものの品質の良さ」等を強調したが、GHQはただ「脱脂大豆が有効に活用されるのはどちらか」という尺度だけで判断したのである。このような醸造醤油の存亡の危機を救ったのは、もくもくと研究に携わっていた技術陣が開発した「新式2号法」であった。本法を発明したのはキッコーマンの館野正淳、梅田勇雄等である。新式2号の製法は新式1号と同様に、蛋白質を弱酸でペプトンやペプチド程度まで分解し、その後は麹の酵素により分解してアミノ酸の形態まで持っていく半化学、半醸造による醤油の製造法である。 The brewing soy sauce side emphasized the importance of brewing soy sauce in the Japanese diet and the quality of the soy sauce itself, but GHQ made its decision based solely on the basis of "which [industry] would use the defatted soybeans more effectively". What saved brewed soy sauce from the brink of extinction was the "New Formula No. 2 method" developed by the technical staff who had been working diligently on the research. The inventors of this method were Masajun Tateno and Isao Umeda of Kikkoman Corporation. As with Shin-Shiki No. 1 [sc1], the Shin-Shiki No. 2 [sc2] method is a semi-chemical, semi-brewing method for producing soy sauce in which proteins are broken down to peptones and peptides with weak acids, and then decomposed by enzymes from koji mold to the form of amino acids. (deepL translation with edits by myself and @literaryreference, see translator's note 4, p.159)
this development, the invention of the 新式2号法 shinshiki 2-gō method (sc2), led to another round of discussions:
ミセス・アップルトンは「キッコーマンが画期的な技術を開発した」ことを聞き、新法による醤油とアミノ酸液による化学醤油を消費者に提示し、その調査結果に基づいて決定を再考しようと上申書を提出した���醤油の 味、使用テストは神奈川県の鎌倉市と逗子で行われたが、消費者の8割が新法による醤油を支持した。この結果に基づき、アップルトンは両業界で話し合って結論を出すように「正田・大内会談」を開かせた。 Mrs. Appleton heard that "Kikkoman had developed a breakthrough technology" and submitted a petition to reconsider her decision based on the results of a survey that presented consumers with both the new method of soy sauce and a chemical soy sauce made with amino acid solution. Taste and use tests of soy sauce were conducted in Kamakura and Zushi, Kanagawa Prefecture, and 80% of consumers supported the new soy sauce. Based on these results, Appleton had the "Shoda-Ouchi Conference" held so that the two industries could discuss and reach a conclusion. (deepL translation, p.160)
this source seems to suggest that the original decision was under higher-ups' pressure:
当初の提案2対8のアミノ酸業界絶対優位の配分比率は、「新式2号法」の出現により、最終的にGHQは「正田・大内会談」の「7対3協定」を認め、ここに醸造醤油の歴史的危機は回避されることとなった。醤油業界のミセス・アップルトンの評価は従来大変厳しいものであったが、後の調査で彼女は醸造醤油の良き理解者であり、当初の配分比率も上司の強い指示に抗しきれず提案したものであったようである。再度の上申は、彼女の日本の伝統的な醸造醤油への深い理解と思い入れによるものであったと考えられる。 As for the proposed allocation of 2 to 8, due to the [sc2] method, GHQ ended up deciding on the “7 to 3 Agreement” from the “Shoda-Ouchi Conference” instead, thus averting the historical crisis of brewed soy sauce.Although the soy sauce industry had been very critical of Mrs. Appleton in the past, later investigations revealed that she was a firm supporter* of brewed soy sauce and that the original allocation ratio was a proposal she made because she could not resist the strong instructions of her superiors. It is believed that her renewed offer was due to her deep understanding of and commitment to the Japanese tradition of brewed soy sauce. (deepL translation with edits from myself and @blackamite, see translators' note 1, p. 160)
the term 良き理解者 "good friend" (see bolded) i think could mean connoisseur or enjoyer here, will need help in clarifying.
その後醤油醸造協会の正田会長は、1948(昭和23)年7月23日に「新式2号法」の特許公開を懇請し、当時の中野社長の決断により、「新式1号」に続いて「新式2号」についても無償で業界に公開されることとなった。同年8月から講習会が全国12ブロックで開催され、約2,500社の業者が技術を習得した。 Later, on July 23, 1948, Mr. Shoda, president of the Soy Sauce Brewers Association, requested that the patent for the [sc2 method] be made public, and following the decision of then [Kikkoman Inc.] President Nakano, the [sc1 and sc2 methods] were made public free of charge to the industry. In August of the same year, training sessions were held in 12 blocks throughout Japan, and approximately 2,500 companies learned the technology. (deepL translation with edits by myself, p.160)
the main sources the survey used are a manuscript, 醤油醸造技術の近代化 by 永瀬一郎 Ichirō Nagase, kikkoman inc.'s own historical record (キッコーマン株式会社八十年史; a shorter version can be found here), and a history of choshi shoyu inc. (銚子醤油株式会社 社史). i think this confirms a lot of information the original post put out there about ms. appleton and her involvement with soy sauce. plus, it shed more light into how exactly she interacted with the condiment industries.
perhaps @/inneskeeper will find some shady dealings in their research; when you mix a foreign military force, the collapse of existing institutions, and social upheaval, you're likely to find corruption. ill keep my eyes peeled for that development.
3. no, kikkoman is not "fake" soy sauce, but you might be able to find some echoes of the past
so what happened to semichemical soy sauce now? the survey document does not track its usage after its invention and at the surface level, it seems that the original claim was right, the semichemical method has persisted since the american occupation and we're all just drinking sussy sauce.
in fact, this seemed so obvious that this rumour circulated in japan and was debunked by aficionados two years ago.
the link to kikkoman's own record earlier states that sc2 sauce was discontinued in 1970, and the japanese blog post above repeats that, adding that it has reverted back to honjōzō (本醸造) sauce. this paper in the journal of the brewing society of japan (日本醸造協会誌) has this to say about what became of sc2 sauce:
また,キッコーマンの新式 2号しょうゆ製造法の特許が公開されたのも 1948年で, しょうゆ業界は混合醸造しょうゆおよび混合しょうゆを製造することにより効率よく旨味の強いしょうゆを安価に製造し, しょうゆ原料不足の時代を乗り切ったと考えている 。現在,大手メーカーでは食の安全性や本物志向から混合醸造しょうゆおよび混合しょうゆの製造をやめ本醸造しょうゆだけを製造している 。一方,全国の中小しょうゆメーカーでは,製造設備を全て本醸造しょうゆに切 り換える資金力に乏しく.一旦,消費者に定着した混合しょうゆのニーズにより本醗造しょうゆに切り換えることが出来ず,現在も混合しょうゆが主力商品となっているのではないかと考えている 。 The patent for Kikkoman's new [sc2] soy sauce manufacturing method was also published in 1948, which allowed the soy sauce industry to overcome the shortage of raw materials for soy sauce by producing mixed brewed soy sauce and mixed soy sauces efficiently and inexpensively. Currently, major soy sauce manufacturers have stopped producing mixed brewed soy sauce and mixed soy sauce, and are producing only honjozo soy sauce, due to food safety and the desire for authenticity. On the other hand, small and medium-sized soy sauce manufacturers nationwide do not have the financial resources to convert all of their production facilities to honjozo soy sauce. Once a demand for mixed soy sauce has taken root among consumers, they are unable to switch over to honjōzō soy sauce, and even now, it's possible mixed [kongō or kongō-jōzō] soy sauce might be the top [soy sauce] product. (deepL translation with edits from myself and @literaryreference, see translator's note 2, p.78)
the three types of japanese soy sauce production methods available today are honjōzō (本醸造, fully fermented), kongō-jōzō (混合醸造, mixed fermented with amino acid added prior to fermentation, closest to sc2 method), and kongō (混合, one of the previous two types with additives). [wiki, academic source] these production methods are in parallel to the traditional varieties of sauce, which rather describe the mash and added taste; these elements of the production, rather than the fermentation process, are usually what define the lineage of the sauce in both japan and other soy sauce-producing cultures.
instead of supplanting "genuine" fermented soy sauce, the industrial descendants of sc2 sauce have become their own type of sauce and have carved their own niches in the consumer market. as someone who is not from japan, i would be careful about making any judgment on whether it is "authentic".
4. clarifications
there were a few statements by the original poster that i think need further context for a more accurate understanding. any bolding and italics are mine.
During World War 2 there was a push to industrialize the Japanese soy sauce industry to be better for mass-production. This innovated the chemical fermentation technique and the semichemical fermentation technique utilized by Kikkoman; rather than ferment for four years in gigantic cedar barrels, kioke, instead fermentation takes place for six months or a year in stainless steel barrels which utilize electrolysis to artificially speed up fermentation processes.
the first part is correct, but the word "rather" introduces a false dichotomy; soy sauce production is very diverse and progresses at different paces in different regions (see part 1 of this post). the sauce op has is simply one from a region that has kept their manufacturing method unchanged.
"four years" is arbitrary: different producers have different fermentation periods.
the last part of the statement is not universally true of industrial production; ac current may be used in brewing.
A single American woman named "Ms Appleton" was given total control of apportioning all American soy bean rations to companies, how much, and to who. She had no knowledge of soy sauce, allegedly.
we can lay that last part to rest. it appears that she does. i will also have to mention that "soy sauce" has been imported from china to the usa since the 30s.
She apparently had so much power over Japanese soy sauce production that she could singlehandedly shape its future by threatening to not give soy beans to any company, family, or factory which did not utilize her specific requirements of semichemical fermentation (reduced from chemical fermentation, since it was that abhorrent). These days, the term soy sauce is distinct from traditional shoyu, and requires distinguishment because of such a radical difference the two products are.
is girlboss applesauce really that powerful on her own? this statement was not wrong, but she did have the military that just nuked japan behind her.
did appleton specify one method over others? probably, but i think the dependency went the other way: the invention of sc2 sauce was the only way the industry could be efficient enough for ghq standards.
that last part is just straight up wrong dawg what the hell i was nicer in my first reply but im not feeling it today
[...] Because there should be way more information on her if this was the case; she was apparently powerful and influential enough during the occupation that she could singlehandedly enforce whatever arbitrary rules she wanted on the soy sauce industry and they had to comply or else have no product at all. That level of power is fucking insane. Imagine having so much raw influence over Japan that you could order them to completely renovate and change how they produce and make SOY SAUCE, literally one of if not THE most important thing in Japanese culinary history--[...]
holy exaggeration batman, this is almost insulting. as with most things, this is a confluence of factors, with producers, scientists, politicians, (possibly underworld,) and administrators all having their own agency in this story. it is incredibly unusual to sideline so many parties in favour of a single foreign administrator calling the shots.
5. what now?
i think there's much to be found out about appleton's dealings, and it would be an interesting story if there did end up being underworld dealings in those negotiations coming to light. i think it is a fascinating slice into that era and how society and institutions interacted in such a fraught situation. overall, i encourage @/inneskeeper's historian work.
that said, it is very important for people to not put a narrative ahead of the facts. i think it is human nature to be attracted to stories that have a clear causality and linearity, but it is something we need to be very careful about when communicating history to a large audience. to anyone who would like to present their findings, consider what your framing of events imply about the state of the time and place you research, and if you are doing all parties justice.
and for the love of god, cite your sources.
if there are any translation issues, please reach out to me and i will edit accordingly and post errata.
erratum 1: jack daniel's is tennesee whiskey, not bourbon, thanks @drdementogrl.
translators' note 1: 良き理解者 could also be translated more literally to “good understander,” thank you @blackamite, @monstrousgourmandizingcats, @leatherbookmark, and others who have given similar notes.
erratum 2 and translator's note 2: @literaryreference has indicated that 一旦,消費者に定着した混合しょうゆのニーズにより本醗造しょうゆに切り換えることが出来ず,現在も混合しょうゆが主力商品となっているのではないかと考えている 。 is more equivocal and did not state an outright larger popularity for kongō/kongō-jōzō type brewing, so it's possible it might be the top product. they also suggested removing redundancies and pointed out a copying mistake from the original source (left out a bit of the japanese text).
translator's note 3: @literaryreference let me know that 塗料 would more accurately be interpreted as "coating" and also gave me a link of the sauce brand mentioned.
translator's note 4: @literaryreference has provided a better translation for GHQはただ「脱脂大豆が有効に活用されるのはどちらか」という尺度だけで判断したのである, and i have made edits from their translation as well for better context.
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いま知識が豊富だからという理由で昇進することなどありえない。どれだけはやく深く学習し身につけられるかが評価される
最初の100日で何をすべきで何をすべきではないか?|miyasaka
新任リーダが最初の100日ですべきは?してはいけないことは?なにだろうか? 最初の100日でもっともしてはいけないことで共通するのが「華麗にビジョンを語り戦略を策定して期待値をあげること」はしてはいけない。 逆に最初にすべきことはなにか?「勉強マシーンになること。具体的には資料を読み人に会って話を聞きまくる」こと。つまり最初の100日は「口はほどほどにして耳と目と足を動かせ」ということだ。
いま知識が豊富だからという理由で昇進することなどありえない。どれだけはやく深く学習し身につけられるかが評価される
���が問題かわかっていると思っていた。そして、それは間違いだった
前任者をどう扱うは極めて重要であり、しかもひどく簡単に過ちを犯しやすい
よそ者には、バカな質問が許されるという得難い特権が与えられる
自分は何も知らない部外者だと考えるようにした
せっかちすぎて上手く進まなかったことがいまになるとわかる。
最初にすべきことは何もしないことだ。新任リーダーは自分が思ってるほど状況を理解していない。仕事ができることを見せつけようとか思わないことだ。まずは立ち止まってできるだけ聞き役に徹すること。それがトップとして最も大切なことだ。
口を開く前にやるべきことがあることを理解していなかった(サマーズ)
座って聞くだけで、多くを成し遂げられるのだということを私は学んだ。
たとえ危機が迫っていても、聞くことに時間を費やすのは無駄ではない
人間は自分の話を聞いてもらうのが大好きである。
人を知るには質問することだ
今、現在のIBMに最も必要でないもの、それはビジョンである。たった今求められてるものは実践性の高い事業ごとの戦略である(ガースナー)
短期戦略は「小さな約束、大きな成果」
新CEOが着任するなり、戦略を披露するなんて馬鹿げている
新しい事業環境に乗り込んできた新米経営者は必ず苦い現実に気が付く。それは、最も無知な時に最も自分の最高を発揮しなければならないという事実だ
文化に馴染めないトップは簡単に弾き出される
改革は上から命じるものではなく、中から生み出すものだ。何万人もの社員の考え方や行動を変えるのは、大変な難事業だ。二、三度演説をしたり宣言文を書いたぐらいでは何も変わらない。社員を信じなければダメだ。(ガースナー)
誰、ではなく、何、が悪かったのか?
上司(または取締役会)の仕事へのモチベーションを理解する
株主にもっと高い価値を提供する、などと言っても社員は心を動かされない
最も好ましくない過ちは立派な約束をしてお粗末な結果を出すこと
会議にはかならず2分前に到着する
最初の100日はあちこちに回って有権者に訴える選挙運動期間のようなもの
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[B! 組織] 最初の100日で何をすべきで何をすべきではないか?|miyasaka
raimon49 全社員から聞いて回る、最近読んだサンリオ2代目社長のインタビューでも実践したって言ってた。 https://www.yomiuri.co.jp/economy/20240227-OYT1T50108/ HAL研社長時代の岩田さんも社員との面談を重視していたと本に書いてあったよね。
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ハローキティ1強に限界、次世代のカワイイはファン投票…サンリオ2代目「予想以上の業績好転」 : 読売新聞
サンリオ社長 辻朋邦氏
痛切な反省のもと第2の創業を掲げた中期経営計画では「サイロ化した組織」「頑張っても報われにくい人事制度」など反省すべき点をしっかり掲げました。 ただ、自分だけの考えでは空回りしてしまうと思いました。そこで1年半かけて私と社員、1対4の形で年代別に全社員と対話する場をもちました。何のための改革かを理解してもらおうと。 祖父はトップダウン的な部分が強かった。それが悪いわけではないですが、反面、社内の議論が少なかった。キャラクターをどう育てていくのかという議論もあまりなかった。まずはそこを変えようと、経営会議を新設しました。
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Capitulo 1:ヨーロッパの雰囲気が漂う五稜郭/Goryokaku a hallmark with European airs.
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Sean bienvenidos a una nueva entrega de cultura e historia japonesa, en este caso vamos a hablar sobre Goryokaku, localizado en Hakodate en la prefectura de Hokkaido al norte de la isla de Honshu.
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Toponimia de Hokkaido en, el siglo XIX se llamaba Ezo, fue el último reducto del shogunato contra el nuevo orden creando una república (1868-1869). Hay que destacar que Japón estuvo cerrado al mundo durante 260 años de su historia (1603-1868), este periodo se le conoce como periodo Edo, bajo el régimen militar Tokugawa.
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En 1854 finalizaron los tratados de amistad con Estados Unidos, Gran Bretaña, Rusia. Hakodate se convirtió en una ciudad portuaria abierta al mundo exterior y en 1858, concluyendo el tratado comercial y al año siguiente se convirtió en puerto comercial. Hisaburo Takeda, estudio en Europa y se formó en fortalezas tipo estrelladas de traza italiana, en 1864 se completaron las contribuciones de la fortaleza.
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Espero que os guste y nos vemos en próximas publicaciones.
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Welcome to a new installment of Japanese culture and history, in this case we are going to talk about Goryokaku, located in Hakodate in the Hokkaido prefecture north of the island of Honshu.
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Toponymy of Hokkaido in the 19th century was called Ezo, the last stronghold of the shogunate against the new order creating a republic (1868-1869). It should be noted that Japan was closed to the world for 260 years (1603-1868), this period is known as the Edo period, under the Tokugawa military regime.
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In 1854 the friendship treaties with the United States, Great Britain, and Russia ended. Hakodate became a port city open to the outside world and in 1858, concluding the commercial treaty and the following year it became a commercial port. Hisaburo Takeda, studied in Europe and trained in Italian star-type fortresses, in 1864 the contributions of the fortress were completed.
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日本の文化と歴史の新しい記事へようこそ。今回は、本州の北、北海道の函館にある五稜郭について話します。
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19 世紀の北海道の地名は蝦夷と呼ばれ、共和制を樹立する新秩序(1868~1869 年)に対抗する幕府の最後の拠点でした。 日本は 260 年間 (1603 年から 1868 年まで) 鎖国していたことに注意してください。この期間は、徳川軍事政権下の江戸時代として知られています。
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1854 年にアメリカ、イギリス、ロシアとの友好条約が終了しました。 函館は対外に開かれた港湾都市となり、1858年に通商条約を締結し、翌年には商業港となりました。 武田久三郎はヨーロッパに留学し、イタリアの星型要塞で訓練を受け、1864 年に要塞の建設を完了しました。
source/ソース:photos internet/写真インターネット
#japan#history#architecture#Hakodate#Hokkaido#republic#unesco#fortitude#geography#perdioedo#Erameiji#archaeology#Goryokaku#日本#歴史#建築#函館#北海道#共和国#ユネスコ#慰霊#地理#永明寺#考古学#五稜郭#Photography#写真#photographers on tumblr#artists on tumblr
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どうもどうもこんばんは。珍しく夜更新でございます。
夜分遅くにどうもすいません。
先日のことでございますが、わたくし毎冬二月に参加させていただいておりますG28写真展の夏の部を@masachiさんと観に行ってきやした。
途中穴太寺や常寂光寺などと撮影しつつ(この辺は@masachiさんの素敵な作品投稿を見られるがヨロシ♪)京都三条同時代ギャラリーへと向かいましたが…夏の京都、今年はいつにもまして暑うございましたね。後半バッテバテで写真の荒いこと荒いこと笑。
お目汚しではございますがご覧くだされば幸いに存じます。
Photo session with @masachi in Kyoto. Very hot day.
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Topics of Vincent
(Your resident translator was on a plane and had plenty of time to do some work so here we go with the second page of his profile ❤️)
This is long so content is under the cut
1) 身体に秘めたる魔獣の因子
The factor of the magical beasts hidden in his body
ヴィンセントはその体内に魔獣の因子を宿しており、ガリアンビーストに変身する能力を持つ。変身後は、俊敏さと力強さを兼ね備えた、文字どおり人間離れした動きが可能となる一方で、理性を失って暴走するため、肉体にはかなりの負荷がかかってしまう模様。ヴィンセントが睡眠に多くの時間を割くのは、特殊な体質のせいなのかもしれない。
Because of the factor that Vincent houses magical beasts within his body, he has the ability to transform into Galian Beast. After transforming, he gains the ability to move with both speed and strength that is literally superhuman. At the same time, his rational mind gives way to wild rampaging, and it seems to take quite a toll on his body. The fact that Vincent spares a lot of time sleeping may be due to the peculiar nature of his physical make-up.
2) 新しめの機械には弱い?
Is he bad with new technology?
ヴィンセントは、電源が入っていないカードリーダーを故障していると思い込み、起動させられずに四苦八苦*するなど、機械のあつかいには不慣れな様子を見せる。とはいえ、機械全般にわけではなく、タイニーブロンコに搭載された旧式の無線機は難なく使いこなしており、どちらかといえば古めの機械のほうがなじみがあるようだ。
Vincent has the mistaken impression that the card reader doesn’t work as it’s lacking a power source, and the device not activating seems to cause him all manner of distress*. [Please see the footnote this phrase is amazing] It seems he is inexperienced with handling such devices. Even so, it doesn’t mean he is generally bad with all technology per se, as he was able to easily handle the wireless radio on the Tiny Bronco. That is to say, he seems to be more familiar with older machines.
(*I just want to talk about this phrase 四苦八苦. It almost sent me into hysterics. It’s pronounced “shikuhakku” and it means great distress, but literally translates to “four and eight kinds of suffering.” It’s another idiomatic expression with Buddhist roots that refers to “birth, old age, disease, death, parting from loved ones, meeting disliked ones, not getting what one seeks,” and so on. Basically a summary of his life so far, minus the old age. But the fact that they used this term specifically to talk about his distress at newfangled technology just sent me. Literally you can read this as “modern technology causes him four and eight kinds of suffering.” Like the rest of what he’s gone through isn’t 四苦八苦? But the card reader not working is. I’m dead ya’ll. Like. Vincent needs this on a shirt. I need this on a shirt.)
3) Original VII Playback (Vincent Summary)
仲間に加えるかどうかを任意で選べるキャラクターながら、セフィロスや宝条と深い因縁があり、物語の背景を知るうえでは重要な役どころだった。関連作品のひとつ「Dirge of Cerberus -FFVII-」では主人公を務める。
The player can choose whether to befriend Vincent as he is an optional character. Since he has a deep connection to Sephiroth and Hojo, viewed in the context of the game’s background story, the role he plays is essential. He takes on the role of the main character in the related game, Dirge of Cerberus.
「フ… 悪夢にうなされる長き眠りこそ
私に与えられたつぐないの時間」
“Hmph… my long, nightmare-laden sleep has given me time to atone…”
(Picture captions)
追い詰められると、咆哮とともに赤黒いオーラをまとい、凶暴性さらに増す。
When pushed to the wall, with a loud roar, clad in a dark red aura, his savage nature increases further.
壊れた思ったものを叩いたり振ったりして直そうとするあたりは、どことなく前世代的。
When he tries to fix something he thought was broken by hitting and shaking it, somehow it seems like he’s from another generation.
#vincent valentine#ffvii rebirth#ffvii rebirth spoilers#translations#ffvii rebirth ultimania#enjoy!!!
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November 3, 2023
My dog,“HUG” celebrated 13th birthday.
In the case of a medium-sized dog, in terms of human age, that's about 80 years old. And if a dog's life is compared to the four seasons, it is almost time to enter the winter period.
However, there is no need to think of it pessimistically. Because, winter is the most comfortable season for Hug, who is resistant to cold👍🏻🐶💙
Also, with Nico coming to our pack, Hug seems to have found new purpose in her job as an “educator'', and was able to survive the difficult summer in a healthy manner. Ahhh, Hug! You are truly amazing💕 (And THANKS, Nico!!💕)
I always wish her health and happiness.
Dear Tumblr’s friends.
Hug is always grateful for your kind messages and daily support✨🐶✨🐾🐾
愛犬・ハグが13歳の誕生日を迎えました。
中型犬の場合、ニンゲンの年齢に換算すると80歳代に突入、犬生を四季に例えるならばそろそろ冬の時代に差しかかろうとする時分になりました。
しかしそれはまったく悲観するようなことではありません。なぜならハグは寒さに強くて(むしろ得意なくらいかもw)、巡る季節のなかで冬こそが実は最も快適にいきいきとすごすことができるからです👍🏻🐶💙
またニコが我が家にやってきたことで、いつもなら食欲が減退し、ぐったりしてしまう苦手な夏も、今年のハグは「教育係」としての仕事に新たな生き甲斐を見い出したためか、まだまだ老け込んではいられない!とばかりに実に健康的にやりすごしてくれ、そのまま身体も心もずっと良いコンディションを保っています。
ニコはまだまだ手がかかる年頃。これからも頼りにしてますよっ、ハグパイセンっっ!😉🐶🐾🐾
●十一月: 霜月ともいう。立冬(十一月八日頃)を迎えるがまだ寒くはなく、空も野山も澄みとおる頃である。��かな日和が続くかと思えば、ときに時雨たり霜の降る日も増えてくる。
https://m.youtube.com/watch?v=vkPfKnUaq5k
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MILGRAM x Karatez Interrogation Questions
Disclaimer: Weather-cluddy (and Maristelina) already translated these, I am not so filled with hubris that I think my work is better than theirs This is just me doing a favour for a friend who was bothered by the formatting/image quality of the original post That said, repackaging other people's work wholesale is a bit weird so these are my translations (yes I am procrastinating the hallucenation stuff but I promise I've started working on it)
Do you have any memories of karaoke?
Haruka: I feel like I went when I was really little I remember hearing my parents singing I want to try going with everyone
Yuno: I use them a bunch! I do things like going singing with my friends, as well as for some other stuff* Could you set it up for us in the prison? [Karaoke rooms are cheap, private and soundproof meaning a lot of people use them for 'hook ups', I'm pretty sure you're not meant to use them for that though, I wonder if the sponsor was aware Yuno was one of those people]
Fuuta: I only went around the time I started uni and was doing new student stuff But I stopped going not long after
Muu: I've been a couple times But most of the time I just end up chatting with my friends
Shidou: My family used to go Although I'd usually just be there listening to them
Mahiru: I feel like it'd be a good first date, wouldn't it? Then I could learn what my partner's favourite songs are... What kind of music do you listen to?
Kazui: I'd go there for stuff like drinking afterparties, y'know Drunk old men* really like singing, don't they? Recently the food's also really good, hasn't it? [*Kazui's favourite word ojisan lol]
Amane: I don't You can't have memories of something if you never went
Mikoto: Back in uni it was a godsend, I'd go almost every week I'm pretty confident in my ability to liven up karaoke Because I mastered the songs that everyone enjoys [Mikoto uses 'boku']
Kotoko: I've used them a lot before They're the most affordable kind of private room So they're really convenient when you don't want your conversations overheard
Images/Transcript below the cut
カラオケの思い出はあるか?
ハルカ:ちいさいときに行ったきがします おやがうたっているの聞いてたとおもいます みんなと行ってみたいです [Image source: moibakadesu]
ユノ:よく使うよ 友達と歌いに行くのもあるし、他にも色々 監獄の中にも作ってくれるの? [Image source: K-Books]
フウタ:大学入ったばっかりときは新歓とかで行ったけど そのうち行かなくなったな [Image source: K-Books]
ムウ:たまに行くよ ムウ場合はほとんど友達とおしゃべりしてる [Image source: K-Books]
シドウ:家族で行きましたよ 俺は大抵聴いているだけですけど [Image source: K-Books]
マヒル:付きあいたてのデートって感じがしていいよね 相手のお好みの曲覚えたりして… あなたはどんな曲聴くの? [Image source*: Weather-Cluddy, but this image also appears on an earlier DCinside post with a different crop, so I think it's taken from a now deleted source and I couldn't find any other images]
カズイ:飲みの二次会とかで行くねぇ 酔っ払ったおじさんは歌いたがるもんなのさ 最近はご飯もちゃんと旨いからいいよね [Image source: melsie]
アマネ:ありませんね 行ったこともので思い出などあるはずもありません [Image source*: Similar situation to Mahiru where the earliest source is Weather-Cluddy/the DCinside post but I can't find any other images/their sources]
ミコト:そりゃもう大学時代なんてほぼ毎週お世話になってたよ カラオケの盛り上げ方なら相当自信あるよ、僕 老若男女の喜ぶ曲マスターしてるからね [Image source: K-Books]
コトコ:よく使ってたよ 一番手頃な個室だから 聞かれたくない話をするには重宝する [Image source: K-Books]
*if anyone could provide better quality/sourced images I would appreciate it
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石川 澪は、日本のAV女優。プロダクションALIVE所属。 ウィキペディア
生年月日: 2002年3月20日 (年齢 21歳)
身長: 158 cm
スリーサイズ: 82 - 58 - 86 cm
デビュー: 2021年
ブラサイズ: B
モデル内容: AV女優
出身地: 日本
出身地について2023年1月17日時点のウィキペディアでは「東京都」となっていたが、石川本人は「出身地は言っていないような気がする。明かしていないと思う。なぜか東京都になってます。」と述べている。また同時点でのウィキペディアで職業として「YouTuber」が挙げられていたが、この点について「イベントなどで、YouTubeから知りましたと人から言われ嬉しいけれど、断じてYouTuberではない。」と述べている。
高校時代の部活はチアダンス部。部長を務め週6あるいは週7練習していたが、決して強い部ではなく、卒業してから同部は全国大会出場したという。一方で運動はある程度できるが、インドア派であり、(幼少時は)『TOKYO MXとBS11で育った』と語るほど新旧問わずアニメ作品を好む。「私にとってアニメは、大げさでなく生きる意味。この世界からアニメがなくなったら、死んじゃいます」とも述べている。漫画に関してもアニメ原作を中心に2022年時点で自宅に1,000冊、電子書籍1,000冊を保持している。石川は「セクシー女優の趣味がオタクなんじゃなくて、私の場合はオタクがたまたまセクシー女優をやっているだけ」と、これらの趣味について言及している。
初体験は高校1年生、15歳。学生時代は「自分から告白をしたことがない」と述べているが、「モテたとかじゃなく、ちゃんと好きな人とは付き合えたっていうか」と当時の恋愛環境を説明している。
ほとんどAVを見たことはなかったが、エッチなことは好きだった。好きだった理由は普通に気持ちいいから+ストレス発散。
デビューのきっかけはひとり暮らしがしたかったこと。プロの技を体験してみたかったこと。1対1で本気で向き合っている姿に感銘を覚えたから。FLASH取材では「学費のためもあった」と答えている。親にはデビュー半年後に職業を伝え、「やりたいことなら応援する」と回答をもらった。
プライベートでは正常位、寝バック、たまに騎乗位程度だったため、AVでの体位の豊富さに驚いた。またプライベートではセックス中にしゃべらないため、行為中も会話をするというAV撮影がすごい不思議だったという。
目と髪の色は茶色で、色白の顔立ちが関係者やファンに「なんちゃら坂の誰々」と言われるが、国内の女性アイドル事情に疎く「私がぜんぜんわからないので、言われても覚えてられないんです」と述べている。
好きな配信者はもこう。(アニメ以外は)テレビは観ず、インターネット配信(主にニコニコ動画配信)を見て育った。自身では闇属性のオタクと表現している。
人見知りするタイプだが、オタク気質なので趣味のこととか、気持ちが盛り上がる話がはじまると早口でめちゃめちゃ話すという。
好きな食べ物はアイスクリーム、自宅の冷凍冷蔵庫には大量のアイスクリームが��時ストックされている。毒展を通じ、2023年時点では虫食と毒きのこ類にも関心を持つ。
デビュー作以降、いわゆるパイパンである。「髪の毛以外の体毛は不要」と考えており、高校時代に親の許可を得て脱毛を行ってパイパンにした。回りの友達がパイパンが多く、「楽だよ」と聞いて「じゃ私もやろっかな」と思ったという。また全身の脱毛をしている。下半身の脱毛は母に相談したうえで高校生で永久脱毛している。
自室に陰毛およびすね毛を落とされて以来、歴代の交際相手にも脱毛を求めている他自分のベッドでセックスするのも嫌い。潔癖症である。友人にも自宅には足を洗ってから入ってもらっている他男性は自宅に入れないレベルの潔癖で、水回りは特に綺麗にしている。
舞台版月ともぐら 胸キュングランプリの感想として「舞台で演技をしたことがないし、そもそもみんなでイベントをするような経験自体が初めてだったので、会場に着くまでずっと緊張してた」「私たちはそんなに順位にこだわってなかったからね��と答えている。
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This (draw your blorbo guy in dresses), as well, is therapy.
Dresses reference: [1] [2] [3]
#homestuck intermission#the felt#die 06#homiu fanart#MY TRUE HAPPINESS MY TURE PASSION (putting blorbo from 10 years ago into dresses like barbie dolls)#BECOMING THE FREEST PERSON ON PLANET EARTH IDC IDC#THEY HAVE GREEN DRESSES SHOWCASES AND I BLACKED OUT AND WAKE UP TO THIS!!!!!!!!! RRRRRRRRRRRRRR#.maybe the new AWAAWA song does changed my brain chemistry or sth
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