#撫松庵
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洋館の窓から中庭が見晴らせる感じ🏵️
洋館は赤絨毯とフローリングで、和室は畳や縁側廊下から日本庭園や茶室を眺めれる☂️
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「週刊少年ジャンプ」(集英社)にて2018年14号から連載中の『呪術廻戦』が面白い。人間の負の感情から生まれる化け物・呪霊を呪術を使って祓う呪術師の闘いを描いたダークファンタジー。読者の予想を裏切りまくる展開で、数多の考察系YouTuberを幾度となく地獄に叩きつける作者のイヤラシイ才能に惚れ惚れする。ストーリー、人物造形、魅力的な術式の数々、どこをとっても見どころ満載で語り始めたらそのまま夜を駆けて呪いに転じてしまいそうなんだけど、特筆すべき点をひとつ挙げるとすれば、主要なキャラクターのひとりである羂索という呪詛師の存在。他人の身体を乗っ取り、永い時を越え自らの野望を叶えるために存在する人物。この羂索が物語を牽引するから本作は特別なものになっている。どこまでも純粋に面白いことを追求する奴が真に面白いと思ったことだけを次々に実践していく訳だから、その内容が面白くならない筈がない。
彼が目指すのは「呪力の最適化」である。 呪霊のいない世界でも牧歌的な平和でもなく��自らの生み出すもの以上の可能性を見つけること、つまりは呪術の力で新たな世界を創造しようとしている。 呪術師・呪霊・非術師、これらは彼曰く「人間という“呪力の形”の可能性の一つ」に過ぎないらしく、さらなる呪力の可能性の探求の為に、1000年もの間、様々な術師の身体を渡り歩いて暗躍を続けていた。 そして最終目標は日本全土を対象に人類への強制進化を成すため、人類と天元を同化させることである。 おまけに乗っ取った人物の身体能力、特徴だけでなく術式等の能力をもそのまま引き継ぐことができるのだが、本人の年齢及び本来の顔、性別も未だに不詳。ここまで書けば勘の鋭い方なら既にお気づきだろう。そう、これは完全にドゥルーズの生成変化である。生成変化とは他なる物事への複数の「外在的」な「関係」の付置それ自体としての、言うなれば「関係束」としての「自他」が組み変わることである。それは万象の渾然一体ではなく、互いに区別される関係束の多様な組み変わりである。ドゥルーズの動物論は、スピノザ的「生態学的倫理」として解釈されることが多い。要するに自己の「身体の能力」を開発し、他者のそれと絡み合わせ、自他が一緒に活力を増していく「強度の共同性」を拡大することである。まさに「闘争領域の拡大」というやつだ。そしてそれは数々の漫画作品からの場面引用と構図、展開等の組み合わせで『呪術廻戦』を構築する作者の意図としても汲み取ることが可能である。
つまりは羂索≒芥見下々であると、わざわざ声を大にして僕は言いたい訳だが、これは世界とは、断片的な物事のあらわれを「想像」に於いて「連合」した「結果=効果」であり、そして世界のいたるところに、互いに分離した想像する「精神」があるというヒューム主義を独自に咀嚼した庵野秀明原作・監督によるオリジナルアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の概念を字義どおりに渡り歩いた芥見下々の巧みな筆捌きからも察することは容易い。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』で作中人物の碇ゲンドウが目論んだ「アディショナルインパクト」をゲンドウ自身の言葉で要約すると「セカンドインパクトによる海の浄化。サードによる大地の浄化。そしてフォースによる魂の浄化。エヴァインフィニティを形作るコアとは魂の物質化。人類という種の器を捨てその集合知をけがれなき楽園へといざなう最後の儀式だ」ということであるが、これは羂索の最終目標である日本全土を対象に人類への強制進化を成す為、人類と天元を同化させようとする「超重複同化」と思想的にもかなり近しいものがある。『新世紀エヴァンゲリオン』は言わずもがな、他作品へのオマージュをふんだんに散りばめる『呪術廻戦』そのものが芥見下々なりの「アディショナルインパクト」であり「超重複同化」であり「生成変化」の一端であると言い切ってしまうのは、いささか暴論に過ぎるだろうか?
『呪術廻戦』と同じく「週刊少年ジャンプ」で連載中のギャグ漫画『僕とロボ���』の第156話「オマージュとロボコ」と題された一話にはオマージュを最大の武器としている作者・宮崎周平の意図を盛り込んだ内容で、そのあまりにも大胆かつバカバカしい試みに失笑を超えて思わず仰け反った。「パクりはもう卒業しました!」と切り出す主人公ロボコは「複数の作品の良いトコロを参考にすれば、それはオリジナルになりうる!」と豪語する。そして数え切れないほどの他作品の「良いトコロ」をつまみ食いしてオリジナル漫画を描き上げては周囲を唖然とさせるも、本人は至って冷静に「オマージュの範囲内ですね」と嘯く。そしてキャリア2年目の編集者が編集長の目を盗んで本誌掲載に踏み切り、結果、見事に大炎上するという極めてメタメタで知的な内容だった。オマージュについては『リズム・サイエンス』(青土社)という書籍にも深い洞察が垣間見える。本書はヒップホップやジャズなどのブラック・ミュージックから現代音楽、果てはメタルまでを往還する境域のミュージシャンDJスプーキーが本名ポール・D・ミラー名義で上梓した渾身の音楽論である。前述のロボコが描いたオリジナル漫画のタイトルが『ドキ♡孫・D・炭太郎の青春‼︎大秘宝‼︎』であったことを鑑みれば、宮崎周平の目論見は明確である。ミドルネームの「D」それは単なる偶然にしては出来すぎた話ではないか。近/現代思想を核に、音楽、映画、小説、詩をサンプリングしながらも、「他人の思考を自分のものにするのは発明するのと同じくらい難しい」と天を仰いだその真意とは。彼の試みは確実にイギリスの批評家マーク・フィッシャーに受け継がれ、氏の没後は言うまでもなく……。
東京を拠点に活動するラッパー、J.COLUMBUSが長野県松本市のトラックメーカーMASS-HOLEをプロデューサーに迎え、制作したアルバム『On The Groove, In The City』は、幾つもの言葉の断片が虚実の被膜ではなく、自己/他者の被膜をねっとりと愛撫するように言葉が置かれる。しかもそれらは決して打点を刻むことなく、じわじわと地中に溶解する。もはやJ.COLUMBUSの言葉とPAUL AUSTERの言葉に差異はない、否、具体的には決して交わらない他者と自己の言葉が混ざり合うことも溶け合うことも拒絶して地表に吐き捨てられる。これはストリートの詩情などという陳腐な戯れではなく、現前する意志を喪った風景を浮かび上がらせようとする稀有なる試みだ。因みに芥見下々は「パロディやオマージュの線引きは、自分の中では明確な基準がある」と明言している(コミックス16巻を参照)。ここまで記してきた僕の文章自体もWikipedia、ピクシブ百科事典、千葉雅也の論文「ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学」を渡り歩いたものに過ぎず、無論、オリジナリティは皆無である。
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前塵往事
H:「時光已逝永不回,往事只能回味」,「往事如煙時隔多年是誰把歲月寫在眉宇之間?」最早知道「往事」1970,是從歌詞
「往事只能回味」得知。李煜虞美人「春花秋月何時了?往事知多少。」古人的往事詩情畫意,凡人的往事,白開水一杯,平淡無奇。一般人只能依稀記得,能精準說出的只能靠記錄,當然,燒了毀了,化成煙更成霧了。
「我的青春一去無影蹤
我的青春小鳥一去不回來」,「千金難買早知道,世間沒有後悔藥!無法重來就重新開始,雨過亦有天晴時,鹹魚豈無翻身日,我命由我不由天。」前塵往事記得最好,記不得也没關係,因為最後化作雲彩,飛向天空!
20240401W1
網路字典
前塵往事
從前的舊事。如:「爺爺一提起年輕時的前塵往事,就唏噓不已。」
往事
過去的、已往的事情。《史記.卷一三○.太史公自序》:「此人皆意有所鬱結,不得通其道也,故述往事,思來者。」《紅樓夢》第五○回:「詩雖粗鄙,卻懷往事,又暗隱俗物十件。」
李煜〈虞美人〉「春花秋月何時了」賞析
李煜
虞美人
春花秋月何時了?往事知多少。小樓昨夜又東風,故國不堪回首月明中。
雕欄玉砌應猶在,只是朱顏改。問君能有幾多愁?恰似一江春水向東流。
網路資料:
在經歷世態炎涼,人情冷暖,生、老、病、死、悲、歡、離、合、喜、怒、哀、樂、貪、嗔、痴,足跡踏遍大江南北,吃過山珍海味,穿過綾羅綢緞,歷盡顛沛流離雨雪風霜,嚐盡了舉目無親鄉背井的淒涼,直至今日方頓悟了!
命裏有時終須有
出處
《增廣賢文》:“竹籬茅舍風光好,道院僧堂終不如。命裏有時終須有,命裏無時莫強求。道院迎仙客,書堂隱相儒。庭栽棲鳳竹,池養化龍魚。”
《金瓶梅詞話》一四:“你説,有這等事?要得富,險上做。……富貴自是福來投,利名還有利名憂。命裏有時終須有,命裏無時莫強求。”[1]
往事如煙,不堪回首
分類\美文
時間\2016-09-22
花開無音,花落無痕。
塵緣如夢,夢醒無蹤。
往事如煙,不堪回首。
記憶猶新,憂思難���。
且看今朝,風華正茂。
歲月蹉跎,能奈我何。
奈何橋水,孟婆湯。
彼岸花開,魂斷台。
尤雅
1970年,她憑著由劉家昌譜曲、林煌坤填詞、海山唱片發行的國語歌《往事只能回味》轟動華人地區的歌壇,並塑造了一位玉女型的歌星。
〈 往事只能回味〉歌曲介紹
作詞:林煌坤/作曲:劉家昌
時光已逝永不回,往事只能回味
憶童年時竹馬青梅,兩小無猜日夜相隨
春風又吹紅了花蕊,你已經也添了新歲
你就要變心,像時光難倒回
我只有在夢里相依偎
藍波
往事如煙
作詞:一博、張池
作曲:一博、張池
桃花依舊艷蝶兒在彩雲間
清風吹動了誰藏好的琴弦
昨夜燈火闌珊清晨峰迴路轉
踏過汪洋又逢了幾座青山
片刻的因緣如同曇花一現
揮手那天時光流逝指縫間
若非太多虧欠若不是不勇敢
怎會明白世間愛恨難兩全
往事如煙時隔多年
是誰把歲月寫在眉宇之間
牽掛的人吶好久不見
留不住莽莽撞撞幾個少年
往事如煙時隔多年
舊情人如今陪在誰的身邊
離合悲歡幾分遺憾
彈指間寫進那匆匆的流年
遙遙懷念
桃花依舊艷蝶兒在彩雲間
清風吹動了誰藏好的琴弦
昨夜燈火闌珊清晨峰迴路轉
踏過汪洋又逢了幾座青山
片刻的因緣如同曇花一現
揮手那天時光流逝指縫間
若非太多虧欠若不是不勇敢
怎會明白世間愛恨難兩全
往事如煙時隔多年
是誰把歲月寫在眉宇之間
牽掛的人吶好久不見
留不住莽莽撞撞幾個少年
往事如煙時隔多年
舊情人如今陪在誰的身邊
離合悲歡幾分遺憾
彈指間寫進那匆匆的流年
遙遙懷念
往事如煙時隔多年
是誰把歲月寫在眉宇之間
牽掛的人吶好久不見
留不住莽莽撞撞幾個少年
往事如煙時隔多年
舊情人如今陪在誰的身邊
離合悲歡幾分遺憾
彈指間寫進那匆匆的流年
遙遙懷念
桃花依舊艷蝶兒在彩雲間
清風吹動了誰藏好的琴弦
昨夜燈火闌珊清晨峰迴路轉
踏過汪洋又逢了幾座青山
遙遙懷念
羅大佑
青春舞曲
作詞:新疆民謠/羅大佑
作曲:新疆民謠/羅大佑
編曲:山崎(禾念)
太陽下山明朝依舊爬上來
花兒謝了明年還是一樣的開
我的青春一去無影蹤
我的青春小鳥一去不回來
我的青春小鳥一去不回來
別的那樣喲 別的那樣喲
我的青春小鳥一去不回來
這首歌我們祖先唱了千萬次
現在輪到他們的子孫來唱
日月輪迴依舊
花開花謝依然
多少青春繼續不回
地下埋藏的 為自由付出的代價
是否我們已經忘記
黃花崗的靈魂 他們地下有知
能否原諒我們
紅樓夢第50回
蘆雪庭爭聯即景詩 暖香塢雅製春燈謎
《蘆雪庭爭聯即景詩 暖香塢雅製春燈謎》
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1
打開字典
話說薛寶釵道:「到底分個次序,讓我寫出來。」說著,便令眾人拈鬮為序。起首恰是李氏,然後按次各各開出。鳳姐兒道:「既這麼說,我也說一句在上頭。」眾人都笑起來了,說:「這麼更妙了!」寶釵將稻香老農之上補了一個「鳳」字,李紈又將題目講給他聽。
2
打開字典
鳳姐兒想了半天,笑道:「你們別笑話我。我只有了一句粗話,可是五個字的。下剩的我就不知道了。」眾人都笑道��「越是粗話越好。你說了,就只管幹正事去罷。」鳳姐兒笑道:「想下雪必刮北風,昨夜聽見一夜的北風,我有一句。這一句就是『一夜北風緊。』使得使不得,我就不管了。」眾人聽說,都相視笑道:「這句雖粗,不見底下的,這正是會作詩的起法。不但好,而且留了寫不盡的多少地步與後人。就是這句為首,稻香老農快寫上續下去。」鳳姐兒和李嬸娘平兒又吃了兩杯酒,自去了。
3
打開字典
這裡李紈就寫了:「一夜北風緊,」自己聯道:「開門雪尚飄。入泥憐潔白,」香菱道:「匝地惜瓊瑤。有意榮枯草,」探春道:「無心飾萎苗。價高村釀熟,」李綺道:「年稔府粱饒。葭動灰飛管,」李紋道:「陽回斗轉杓。寒山已失翠,」岫煙道:「凍浦不生潮。易掛疏枝柳,」湘雲道:「難堆破葉蕉。麝煤融寶鼎,」寶琴道:「綺袖籠金貂。光奪窗前鏡,」黛玉道:「香粘壁上椒。斜風仍故故,」寶玉道:「清夢轉聊聊。何處梅花笛?」寶釵道:「誰家碧玉簫?鼇愁坤軸陷,」李紈笑道:「我替你們看熱酒去罷。」寶釵命寶琴續聯,只見湘雲起來道:「龍鬥陣雲銷。野岸迴孤棹,」寶琴也聯道:「吟鞭指灞橋。賜裘憐撫戌,」湘雲那裡肯讓人?且別人也不如他敏捷,都看他揚眉挺身的說道:「加絮念征徭。坳垤審夷險,」寶釵連聲讚好,也便聯道:「枝柯怕動搖。皚皚輕趁步,」黛玉忙聯道:「剪剪舞隨腰。苦茗成新賞,」一面說,一面推寶玉命他聯。寶玉正看寶琴、寶釵、黛玉三人共戰湘雲,十分有趣,那裡還顧得聯詩?今見黛玉推他,方聯道:「孤松訂久要。泥鴻從印跡,」寶琴接著聯道:「林斧或聞樵。伏象千峰凸,」湘雲忙聯道:「盤蛇一徑遙。花緣經冷結,」寶釵和眾人又都讚好。探春聯道:「色豈畏霜凋?深院驚寒雀,」湘雲正渴了,忙忙的吃茶,��被岫煙搶著聯道:「空山泣老鴞。階墀隨上下,」湘雲忙丟了茶杯,聯道:「池水任浮漂。照耀臨清曉,」黛玉忙聯道:「繽紛入永宵。誠忘三尺冷,」湘雲忙笑聯道:「瑞釋九重焦。僵臥誰相問?」寶琴也忙笑聯道:「狂遊客喜招。天機斷縞帶,」湘雲又忙道:「海市失鮫綃。」黛玉不容他道出,接著便道:「寂寞封台榭,」湘雲忙聯道:「清貧懷簞瓢。」寶琴也不容情,也忙道:「烹茶水漸沸,」湘雲見這般自為得趣,又是笑,又忙聯道:「煮酒葉難燒。」黛玉也笑道:「沒帚山僧掃,」寶琴也笑道:「埋琴稚子挑。」
4
打開字典
湘雲笑彎了腰,忙念了一句。眾人問道:「到底說的是什麼?」湘雲道:「石樓閒睡鶴,」黛玉笑得握著胸口,高聲嚷道:「錦罽暖親貓。」寶琴也忙笑道:「月窟翻銀浪,」湘雲忙聯道:「霞城隱赤標。」黛玉忙笑道:「沁梅香可嚼,」寶釵笑稱好句,也忙聯道:「淋竹醉堪調。」寶琴也忙道:「或濕鴛鴦帶,」湘雲忙聯道:「時凝翡翠翹。」黛玉又忙道:「無風仍脈脈,」寶琴又忙笑聯道:「不雨亦瀟瀟。」
5
打開字典
湘雲伏著,已笑軟了。眾人看他三人對搶,也都不顧作詩,看著也只是笑。黛玉還推他往下聯,又道:「你也有才盡力窮之時?我聽聽,還有什麼舌頭嚼了?」湘雲只伏在寶釵懷裡,笑個不住。寶釵推他起來,道:「你有本事把『二蕭』的韻全用完了,我纔服你。」湘雲起身笑道:「我也不是作詩,竟是搶命呢!」眾人笑道:「倒是你自己說罷。」探春早已料定沒有自己聯的了,便早寫出來,因說:「還沒收住呢。」李紋聽了,接過來,便聯一句道:「欲誌今朝樂,」李綺收了一句道:「憑詩祝舜堯。」
6
打開字典
李紈道:「夠了,夠了!雖沒作完了韻,騰挪的字,若生扭了,倒不好了。」說著,大家來細細評論一回,獨湘雲的多,都笑道:「這都是那塊鹿肉的功勞。」李紈笑道:「逐句評去,卻還一氣,只是寶玉又落了第了。」寶玉笑道:「我原不會聯句,只好擔待我罷。」李紈笑道:「也沒有社社擔待的。又說韻險了,又整誤了,又不會聯句,今日必罰你。我纔看見櫳翠庵的紅梅有趣,我要折一枝插在瓶裡,可厭妙玉為人,我不理他。如今罰你取一枝來,插著玩兒。」眾人都道:「這罰的又雅又有趣。」
7
打開字典
寶玉也樂為,答應著就要走。湘雲黛玉一起說道:「外頭冷得很,你且吃杯熱酒再去。」於是湘雲早熱起壺酒來了。黛玉遞了個大杯,滿斟了一杯。湘雲笑道:「你吃了我們這酒,要取不來,加倍罰你!」寶玉忙吃了一杯,冒雪而去。
8
打開字典
李紈命人好好跟著,黛玉忙攔說:「不必,有了人,反不得了。」李紈點頭道:「是。」一面命丫鬟將一個美女聳肩瓶拿來,貯了水,準備插梅,因又笑道:「回來該吟紅梅了。」湘雲忙道:「我先作一首。」寶釵笑道:「今日斷不容你再作了。你都搶了去,別人都閒著也沒趣。回來罰寶玉。他說不會聯句,如今就叫他自己做去。」黛玉笑道:「這話很是。我還有主意:方纔聯句不夠,莫若揀那聯得少的人作紅梅詩。」寶釵笑道:「這話是極。方纔邢李二位屈才,且又是客;琴兒和顰兒雲兒他們搶了許多,我們一概都別作,只他們三人做纔是。」李紈因說:「綺兒也不大會做,還是讓琴妹妹罷。」寶釵只得依允。又道:「就用『紅梅花』三個字做韻,每人一首七言律;邢大妹妹做『紅』字,你們李大妹妹做『梅』字,琴兒做『花』字。」李紈道:「饒過寶玉去,我不服。」湘雲忙道:「有個好題目命他做。」眾人問:「何題?」湘雲道:「命他就做『訪妙玉乞紅梅』,豈不有趣?」眾人聽了,都說:「有趣!」
9
打開字典
一語未了,只見寶玉笑欣欣擎了一枝紅梅進來。眾丫鬟忙已接過,插入瓶內。眾人都過來賞玩。寶玉笑道:「你們如今賞罷。也不知費了我多少精神呢!」說著,探春早又遞了一鍾暖酒來。眾丫鬟上來接了簑笠撣雪。各人屋裡丫鬟都添送衣裳來。襲人也遣人送了半舊的狐腋褂來。李紈命人將那蒸的大芋頭盛了一盤,又將硃橘、黃橙、橄欖等物盛了兩盤,命人帶給襲人去。湘雲且告訴寶玉方纔的詩題,又催寶玉快做。寶玉道:「好姐姐好妹妹們,讓我自己用韻罷,別限韻了!」眾人都說:「隨你做去罷。」
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打開字典
一面說,一面大家看梅花。原來這一枝梅花只有二尺來高,旁有一枝,縱橫而出,約有二三尺長,其間小枝分歧,或如蟠螭,或如僵蚓,或孤削如筆,或密聚如林。真乃花吐胭脂,香欺蘭蕙。各各稱賞。誰知岫煙、李紋、寶琴三人都已吟成,各自寫了出來。眾人便依「紅」「梅」「花」三字之序看去,寫道:
打開字典
賦得紅梅花
桃未芳菲杏未紅,衝寒先喜笑東風。魂飛庾嶺春難辨,霞隔羅浮夢未通。
綠萼添粧融寶炬,縞仙扶醉跨殘虹。看來豈是尋常色?濃淡由他冰���中。--邢岫煙。
白梅懶賦賦紅梅,逞豔先迎醉眼開。凍臉有痕皆是血,酸心無恨亦成灰。
誤吞丹藥移真骨,偷下瑤池脫舊胎。江北江南春燦爛,寄言蜂蝶漫疑猜。--李紋。
疏是枝條豔是花,春粧兒女競奢華。閒庭曲檻無餘雪,流水空山有落霞。
幽夢冷隨紅袖笛,遊仙香泛絳河槎。前身定是瑤台種,無復相疑色相差。--寶琴。
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打開字典
眾人看了,都笑著,稱讚了一回,又指末一首更好。寶玉見寶琴年紀最小,才又敏捷。黛玉湘雲二人斟了一小杯酒,都賀寶琴。寶釵笑道:「三首各有好處。你們兩個天天捉弄厭了我,如今又捉弄他來了。」李紈又問寶玉:「你可有了?」寶玉忙道:「我倒有了,纔一看見這三首,又唬忘了。等我再想。」
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打開字典
湘雲聽了,便拿了一支銅火箸擊著手爐,笑道:「我擊了,若鼓絕不成,又要罰的。」寶玉笑道:「我已有了。」黛玉提起筆來,笑道:「你念,我寫。」湘雲便擊了一下,笑道:「一鼓絕。」寶玉笑道:「有了,你寫罷。」眾人聽他念道:「酒未開罇句未裁,」黛玉寫了,搖頭笑道:「起的平平。」湘雲又道:「快著!」寶玉笑道:「尋春問臘到蓬萊。」黛玉湘雲都點頭笑道:「有些意思了。」寶玉又道:「不求大士瓶中露,為乞孀娥檻外梅。」黛玉寫了,搖頭說:「小巧而已。」湘雲將手又敲了一下。寶玉笑道:
打開字典
入世冷挑紅雪去,離塵香割紫雲來。槎枒誰惜詩肩瘦?衣上猶沾佛院苔。
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打開字典
黛玉寫畢,湘雲大家纔評論時,只見幾個丫鬟跑進來道:「老太太來了。」眾人忙迎出來。大家又笑道:「怎麼這等高興?」說著,遠遠見賈母圍了大斗篷,帶著灰鼠暖兜,坐著小竹轎,打著青綢油傘,鴛鴦琥珀等五六個丫鬟,每人都是打著傘,擁轎而來。李紈等忙往上迎。賈母命人止住,說:「只站在那裡就是了。」來至跟前,賈母笑道:「我瞞著你太太和鳳丫頭來了。大雪地下,我坐著這個無妨,沒的叫他娘兒們跴雪嗎。」眾人忙上前來接斗篷,攙扶著,一面答應著。
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打開字典
賈母來至室中,先笑道:「好俊梅花!你們也會樂,我也不饒你們!」說著,李紈早命人拿了一個大狼皮褥子來,鋪在當中。賈母坐了,因笑道:「你們只管照舊玩笑吃喝。我因為天短了,不敢睡中覺,抹了一會牌,想起你們來了,我也來湊個趣兒。」李紈早又捧���手爐來。探春另拿了一副杯箸來,親自斟了暖酒,奉給賈母。賈母便飲了一口,問:「那個盤子是什麼東西?」眾人忙捧了過來,回說:「是糟鵪鶉。」賈母道:「這倒罷了,撕一點子腿兒來。」李紈忙答應了,要水洗手,親自來撕。賈母道:「你們仍舊坐下說笑,我聽著纔喜歡。」又命李紈:「你也只管坐下,就如同我沒來的一樣纔好;不然,我就走了。」眾人聽了,方纔依次坐下,只李紈挪到儘下邊。賈母因問:「你們作什麼玩呢?」眾人便說:「做詩呢。」賈母道:「有做詩的,不如做些燈謎兒,大家正月裡好玩。」眾人答應。
15
打開字典
說笑了一會,賈母便說:「這裡潮濕,你們別久坐,仔細著了涼。倒是你四妹妹那裡暖和,我們到那裡瞧瞧他的畫兒,趕年下可能有了不能。」眾人笑道:「那裡能年下就有了?只怕明年端陽纔有呢。」賈母道:「這還了得!他竟比蓋這園子還費工夫了!」說著,仍坐了竹椅轎,大家圍隨,過了藕香榭,穿入一條夾道,東西兩邊皆是過街門,門樓上,裡外都嵌著石頭匾。如今進的是西門,向外的匾上鑿著「穿雲」二字,向裡的鑿著「度月」兩字。來至堂中,進了向南的正門,賈母下了轎,惜春已接出來了。從裡面遊廊過去,便是惜春臥房,廈簷下掛著「暖香塢」的匾,早有幾個人打起猩紅氈簾,已覺暖氣拂臉。
16
打開字典
大家進入屋裡,賈母並不歸坐,只問惜春:「畫到那裡了?」惜春因笑回:「天氣寒冷了,膠性都凝澀不潤,畫了恐不好看,故此收起來了。」賈母笑道:「我年下就要的,你別脫懶兒。快拿出來,給我快畫。」
17
打開字典
一語未了,忽見鳳姐披著紫羯羢褂,笑嘻嘻的來了,口內說道:「老祖宗今兒也不告訴人,私自就來了,叫我好找!」賈母見他來了,心中喜歡,道:「我怕你凍著,所以不許人告訴你去。你真是個小鬼靈精兒,到底找了我來。論禮,孝敬也不在這上頭。」鳳姐兒笑道:「我那裡是孝敬的心找了來呢?我因為到了老祖宗那裡,鴉沒鵲靜的,問小丫頭子們,他又不肯叫我找到園裡來。我正疑惑,忽然又來了兩個姑子,我心裡纔明白了:那姑子必是來送年疏,或要年例香例銀子,老祖宗年下的事也多,一定是躲債來了。我趕忙問了那姑子,果然不錯,我纔就把年例給了他們去了。這會子老祖宗的債主兒已去了,不用躲著了。已預備下稀嫩的���雞,請用晚飯去罷,再遲一回就老了。」他一行說,眾人一行笑。
18
打開字典
鳳姐兒也不等賈母說話,便命人抬過轎來。賈母笑著,挽了鳳姐兒的手,仍上了轎,帶著眾人,說笑出了夾道東門。一看,四面粧妝銀砌,忽見寶琴披著鳧靨裘,站在山坡背後遙等,身後一個丫鬟,抱著一瓶紅梅。眾人都笑道:「怪道少了兩個,他卻在這裡等著,也弄梅花去了。」賈母喜的忙笑道:「你們瞧,��雪坡兒上,配上他這個人物兒,又是這件衣裳,後頭又是這梅花,像個什麼?」眾人都笑道:「就像老太太屋裡掛的仇十洲畫的『豔雪圖』。」母搖頭笑道:「那畫的那裡有這件衣裳?人也不能這樣好!」
19
打開字典
一語未了,只見寶琴身後又轉出一個穿大紅猩猩氈的人來。賈母道:「那又是那個女孩兒?」眾人笑道:「我們都在這裡,那是寶玉。」賈母笑道:「我的眼越發花了。」說話之間,來至跟前,可不是寶玉和寶琴兩個。寶玉笑向寶釵黛玉等道:「我纔又到了櫳翠庵,妙玉竟每人送你們一枝梅花,我已經打發人送去了。」眾人都笑道:「多謝你費心。」
20
打開字典
說話之間,已出了園門。來至賈母房中,吃畢飯,大家又說笑了一回。忽見薛姨媽也來了,說:「好大雪!一日也沒過來望候老太太。今日老太太倒不高興?正該賞雪纔是。」賈母笑道:「何曾不高興了?我找了他們姐妹去玩了一會子。」薛姨媽笑道:「昨兒晚上,我原想著今日要和我們姨太太借一天園子,擺兩桌粗酒,請老太太賞雪的,又見老太太安歇的早。我聽見寶兒說,老太太心裡不大爽,因此,如今也不敢驚動。早知如此,我竟該請了纔是呢。」賈母笑道:「這纔是十月,是頭場雪;往後下雪的日子多著呢,再破費姨太太不遲。」薛姨媽笑道:「果然如此,算我的孝心虔了。」鳳姐兒笑道:「姨媽怎麼忘了?如今現秤五十兩銀子來,交給我收著,一下雪,我就預備下酒。姨媽也不用操心,也不得忘了。」賈母笑道:「既這麼說,姨太太給他五十兩銀子收著,我和他每人分二十五兩,到下雪的日子,我裝心裡不爽,混過去了。姨太太更不用操心,我和鳳姐倒得實惠呢!」鳳姐將手一拍,笑道:「妙極!這和我的主意一樣。」眾人都笑了。賈母笑道:「呸!沒臉的!就順著竿子爬上來了。你不說姨太太是客,在偺們家受屈,我們該請姨太太纔是;那裡有破費姨太太的理?不這麼說呢,還有臉先要五十兩銀子?真不害臊!」鳳姐笑道:「我們老祖宗最是有眼色的,試一試,姨媽要鬆呢,拿出五十兩來,就和我分;這會子估量著不中用了,翻過來拿我做法子,說出這些大��話來。如今我也不和姑媽要銀子了,我竟替姨媽出銀子,治了酒,請老太太吃了,我另外再封五十兩銀子孝敬老祖宗,算是罰我個包攬閒事,這可好不好?」話未說完,眾人都笑倒在炕上。
21
打開字典
賈母因又說及寶琴雪下折梅,比畫兒上還好;又細問他的年庚八字並家內景況。薛姨媽度其意思,大約是要給他求配。薛姨媽心中因也遂意,只是已許過梅家了,因賈母尚未說明,自己也不好擬定,遂半吐半露,告訴賈母道:「可惜了這孩子沒福!前年他父親就沒了。他從小兒見的世面倒多,跟他父親四山五岳都走遍了。他父親好樂的,各處因有買賣,帶了家眷,這一省逛一年,明年又到那一省逛半年,所以天下十停走了有五六停了。那年在這裡把他許了梅翰林的兒子,偏第二年他父親就辭世了。如今他母親又是痰症。」
22
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鳳姐兒也不等說完,便嗐聲跺腳的說:「偏不巧!我正要做個媒呢,又已經許了人家!」賈母笑道:「你要給誰說媒?」鳳姐兒笑道:「老祖宗別管。心裡看準了,他們兩個是一對。如今有了人家,說也無益,不如不說罷了。」賈母也知鳳姐兒的意思,聽見已有人家,也就不提了。大家又閒話了一會方散。一宿無話。
23
打開字典
次日雪晴,飯後,賈母又吩咐惜春:「不管冷暖,你要畫去。趕到年下,十分不能,就罷了。第一要緊,把昨兒琴兒和丫頭、梅花,照樣一筆別錯,快快添上。」惜春聽了,雖是為難的事,就應了。一時,眾人都來看他如何畫。惜春只是出神。李紈因笑向眾人道:「讓他自己想去,偺們且說話兒。昨兒老太太只叫做燈謎兒,回到家,和綺兒紋兒睡不著,我就編了兩個四書的。他兩個每人也編了兩個。」
24
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眾人聽了,都笑道:「這倒該做的。先說了,我們猜猜。」李紈笑道:「『觀音未有世家傳』,打四書一句。」湘雲接著就說道:「『在止於至善。』」寶釵笑道:「你也想一想『世家傳』三個字的意思再猜。」李紈笑逼:「再想。」黛玉笑道:「我猜罷。可是『雖善,無徵』?」眾人都笑道:「這句是了。」李紈又道:「『一池青草草何名?』」湘雲又忙道:「這一定是『蒲蘆也。』--再不是不成?」李紈笑道:「這難為你猜。紋兒的是『水向石邊流出冷』,打一古人名。」探春笑著問道:「可是山濤?」李紈道:「是。」李紈又道:「綺兒是個『螢』字,打一個字。」眾人猜了半日,寶琴道:「這個意思卻深,不知可是花草的『花』字?」李綺笑道:「恰是了。」眾人道:「螢與花何干?」黛玉笑道:「妙的很!螢可不是草化的��」眾人會意,都笑了,說:「好。」寶釵道:「這些雖好,不合老太太的意;不如做些淺近的物兒,大家雅俗共賞纔好。」眾人都道:「也要做些淺近的俗物纔是。」湘雲想了一想,笑道:「我編了一支《點絳脣》,卻真是個俗物,你們猜猜。」說著,便念道:
打開字典
溪壑分離,紅塵遊戲,真何趣?名利猶虛,後事終難繼。
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眾人都不解,想了半日,也有猜是和尚的,也有猜是道士的,也有猜是偶戲人的。寶玉笑了半日道:「都不是。我猜著了,必定是耍的猴兒。」湘雲笑道:「正是這個了。」眾人道:「前頭都好,末後一句怎麼樣解?」湘雲道:「那一個耍的猴兒不是剁了尾巴去的?」眾人聽了,都笑起來說:「偏他編個謎兒也是刁鑽古怪的!」李紈道:「昨日姨媽說,琴妹妹見得世面多,走的道路也多,你正該編謎兒。況且你的詩又好,為什麼不編幾個兒我們猜一猜?」
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寶琴聽了,點頭含笑,自去尋思。寶釵也有一個,念道:
打開字典
鏤檀鐫梓一層層,豈係良工堆砌成?雖是半天風雨過,何曾聞得梵鈴聲?
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眾人猜時,寶玉也有一個,念道:
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天上人間兩渺茫,琅玕節過謹提防。鸞音鶴信須凝睇,好把欷歔答上蒼。
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黛玉也有了一個,念道:
打開字典
騄駬何勞縛紫繩?馳城逐塹勢猙獰。主人指示風雲動,鰲背三山獨立名。
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探春也有了一個。方欲念時,寶琴走來笑道:「從小兒所走的地方的古蹟不少,我也來挑了十個地方古蹟,做了十首懷古詩。詩雖粗鄙,卻懷往事,又暗隱俗物十件,姐姐們請猜一猜。」眾人聽了,都說:「這倒巧!何不寫出來大家一看?」
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要知端的,且聽下回分解。
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今年初浴衣でした🍧
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雁 寺
水上勉 - 搜尋 (bing.com)
水上勉 - YouTube
炉ばたトーク&歌 弦哲也 水上勉 筑紫哲也 石川さゆり 1992年 - YouTube
若州一��文庫(繁體中文.Ver) - YouTube ( 遷建於 淡水 )
暗〜い、けど面白い!『飢餓海峡』 - YouTube
(109) 飢餓海峡 - YouTube
( 寫清規戒律的寺院裡男女的愛與慾。P . 20/P . 110 )
雁 寺
雁の寺 あらすじ - YouTube
以描繪鳥獸而在京都畫廊享有名聲的 岸本南嶽 死在 丸太町 東洞院
一角,為黑色板屏圍著的屋宇後面房間 是在昭和八年的秋天。
年老,加上氣喘的老毛病,如同蚱蜢一般消瘦的 南嶽 晚年可以說是
只靠著意志而存活著。就弟子們口中的說法,死的時候就如同一顆
蟲蛀的朽木,就可以知道生前精力旺盛,玩女人不輸人。在一整個
晝夜的鼾聲中,最後到底咽喉來不及吸氣而死。南嶽享年六十八。 岸本南嶽 死前一日、正確的說,是十月十九日。就剛好夫人的 秀子
不在,衣笠山麓 孤峰庵 的住持 北見慈海 到訪。和尚的頸子繞著白
裐布的護襟,穿著黑袍,大概是在那裡做了法事的回程
「怎麼樣,狀況如何?」
慈海和尚一面向出到玄關,不頂熟的女傭如雷灌頂一般的說著,
不客氣的走了進去。就這個時候,後面站著一個不到十二三歲,
矮小的小沙彌。這個小沙彌也跟了上來。 岸本家,幾代都是 孤峰庵 的護持。
湖北の紅葉めぐり 小堀遠州のゆかりの寺 近江孤蓬庵 - YouTube
也曾經擔任 名譽總代,所以和尚這樣大剌剌的進到裡間,倒也不是
怎麼不可思議。一直就坐在枕頭邊,用棉花水沾著唇的弟子 井南窗
有點不高興。師父氣息疲弱,醫生也不看好。這時,也正好菩提寺的
和尚來訪。大家面無表情的望著 南窗。女傭下到走廊去拿茶菓,無視
於弟子們的臉色, 南窗 走近了枕頭邊,望著 南嶽 的臉、
「怎麼樣,狀況如何 ?」
聲音高亢衝到了不高的天花板,回到了南嶽的耳邊,閉著眼的南嶽
微張著眼 ;
「和尚阿 . . 」
辛苦而斷續的發出了聲。
這讓在一旁的弟子們吃了一驚。從一早,南窗 再怎麼叫著師父的
名字,南嶽 就是不出聲。而現在南嶽卻乾渴著嘴,用沙啞的聲音
說到。
「就想到會來」
「討厭的角色」
和尚低著肩膀望著南嶽的臉,
「我倒沒有想到只有你歡迎我」
說完,望向坐在這十疊大的南窗與三名弟子,不在意的笑著。
笑著,一說完就招來從剛剛就一直站在房緣看著石燈籠的小沙彌。
「喂,慈念」
小沙彌回首望向房間,剃光頭,頭大如鉢,顯得顯眼的孩子。前額
突出,眼睛下陷,臉看起來就窄小。
「過來一下」
慈海招著手。小沙彌靜靜的走了過來。
「叫做 慈念。昨日完成了得度式。庭院也掃得很乾淨。有空要到
寺院來玩。」
這是培育侍者的一種招呼方式。南窗 望著光頭的大頭小沙彌的
側臉。也真是怎的找來了一個陰氣的小和尚了。小沙彌一旦舉行了
得度式之後,這是檀家(施主)的例行工作。 和尚終於從枕邊回頭,走向房緣;這時南嶽仍舊用著那沙啞的聲音
「和尚,還一件事拜託。那是孤峰的女兒。」
一說完,閉上了眼。好像說了不應該說的話,南嶽 開始咳嗽。南窗
走了過來,用棉花沾溼著嘴唇。
「要多保重 !」
只有四、五分鐘的對話。慈海 摸摸小沙彌的頭,離開了岸本的家。 隔天,南嶽一句話也沒有說,一樣用乾渴的嘴沙啞的聲音說話。
喉嚨辛苦的咳嗽,卻又忽然停止呼吸張開著嘴,像是有什麼話
要說。弟子們附耳傾聽,只聽到似乎是說「里 . .」 弟子們望著夫人的 秀子,秀子掩著臉,開始啜泣著。 南嶽在死時託付的 里 . . ,指的就是 桐原里子、南嶽 在上京區
出町 的花店二樓包養的女人。南嶽在 木屋町 小料理店看上,
是晚年的伴侶。弟子們、慈海和尚 都見過,也都知道。
年三十二,是個男人會喜歡、嬌小而可愛的樣子。
(276) 【京都・木屋町】ドリンクの安さも犯罪級!参加全員が再訪を決めました!! - YouTube
為什麼 南嶽 會 將 里子託付給 慈海 ?稍想一下倒也不是沒有道��。
健康時的 岸本南嶽,到過中國、歐洲旅行,而認真的大手筆就是
租來 孤峰庵 做事。似乎喜歡 衣笠山 一帶落葉樹林的寺院。
0091「衣笠山公園」「衣笠城趾」花見散歩 - YouTube
十多年前也曾經整個夏天住在這裡。那時帶來的就是 里子。 「這個涅,是我畫的雁」
帶著 里子,從孤峰庵倉庫的門板,本堂到迴廊,到處都畫著雁,
一路介紹著。 紙門上灑著金粉。粗大的松樹,枝葉覆蓋著水池。似針一般的
葉子,一枝枝明晰的畫著,雁群或者停留在枝上,或者拍打著雙翼
要振翅起飛。也有幼雁,張著嘴等待母雁餵食。畫家帶著滿腔熱情,
似乎可以聽見筆觸的聲音一隻一隻仔細的描繪,栩栩如生。
這是南嶽在那一年的兩年前,南嶽就是不去自誇也毫不遜色的傑作。
「我要是死了,這個雁的寺啊,洛西 就多了一個名勝。」
帶著酒氣的南嶽,撫摸著里子的頸子微笑著。
「好像可以聽到啼叫聲吧。」
里子在幽暗的本堂中恍惚的嘟噥著。南嶽一面笑著,一直撫弄著
里子的頸子。
死去的南嶽之所以將里子託付給慈海,是無法忘懷這個夏天的事吧。 其實,與慈海三人常一起喝酒。慈海比南嶽年輕十歲,和南嶽一樣有著
精悍的身軀,與里子也很和得來。
「和尚,耳朵的毛也該拔一拔了吧。」
里子微張著醉眼說到,慈海眼裡閃著好色的笑看著兩人。慈海沒有
家室。里子常向南嶽說:
「和尚的眼可怕」
因為知道慈海喜歡自己。
慈海與南嶽喜歡女人、喜歡酒相當一致。南嶽似乎對慈海沒有妻室
感到不滿。孤峰庵的本山寺院,對裡面有女人早已是公開的事。倉庫
後邊,在那個寺院都藏著女人,南嶽也曾經說過,要好色的和尚守
空房也沒有道理。慈海痴痴的笑著。
「斷髮即斷根,不就是禪家剃度的旨趣嗎?」 初七那日,桐原里子 穿著喪服,白嫩的手腕戴著褐色的瑪瑙數珠,
進入了孤峰庵的山門。陰天,有風。小松茂盛的衣笠山微冒著煙,
疏落的落葉,赤色的山嶺夾雜著日漸轉紅的楓樹。
��峰庵山門旁有個上了鎖的小門。里子穿著草履進來。鐵鎖的聲音
打��了寂靜。出來應對的是慈念。如鉢的大頭與眼眶凹陷的小沙彌,
穿著青色線條��合襟服,跪在地板,背後是倉庫為煤煙燻黑的柱子,
看起來不很順眼的大人模樣。里子有點猶豫。
「去告訴和尚我來了」
里子站在踏石上說著
「是」
慈念下到隱寮下方,不久,聽到從迴廊後方疾步而來的腳步聲,
穿著白色合襟的慈海出來了。
「上來 上來」
里子懷念的看著和尚。福泰的里子一如往常的精神,面孔不太記得,
慈海很是高興,讓里子進到書院,那裡有著里子熟悉的屋子。南嶽
已經在這裡辦完喪禮,是個可以看到山水景緻的屋子。
「和尚,好久不見。」
里子沒有去參加南嶽的喪禮,就可以知道在花店二樓聽到了他的死,
也知道日程,卻一個人單獨悼念的原因了。
「有想早點來;和尚,讓我看看他那張畫。」
里子撒驕的多加了一句。
進到本堂,里子望著新的牌位,幾乎要難以呼吸。
【 秀嶽院南燈 一見居士 】
是慈海取的戒名。岸本南嶽現在凝縮成了不到一尺的短冊木板。
里子焚了香。十疊屋子裡邊,南嶽畫在隔板的雁,在白煙裊裊的
霧中,似乎要飛了起來。美麗的雁。里子忽然想到南嶽升天成佛
了嗎。 「來吧,去那邊,給妳很多藥酒。」
里子第一次進到了隱寮的六疊。那是慈海的房間。慈海摸了一下
小沙彌的下顎,向著里子說
「這是慈念,最近才得度。」
慈念彎腰敬了禮,匆匆就走掉了。 「在玄關第一次見到的時候,嚇了一跳,這孩子有點怪 . . . . .
幾歲 ?」
「十三了」
「嗯, 學校呢 ?」
「大德寺的中學。」
「接你的棒 ?」
慈海只看了一下里子的臉,沒吭聲。站在佛壇下,打開櫃子站著。
有幾瓶酒,拿出了澤鶴。
澤之鶴資料館 | 酒廠 | Sake of Nadagogo (hanshin.co.jp)
「今天開這個。」
說完,慈念出現了。
「去溫熱一下。」
慈念拿著酒就跑開了。不像外表,很勤快的孩子;里子想到。飯
準備好了,拿來了酒瓶、酒杯。里子第一次見到慈念覺得不太習慣,
不過看慣了,覺得頭大了些的這個孩子怪可憐的。
「很勤勞,有這個小沙彌很不錯。」
醉了起來,里子向慈海說到。
有一陣子沒喝了,醉意來得快。夜晚了。常常加入南嶽三人喝到
天亮。
「南嶽有拜託我喔。」
慈海這麼說著的時候,里子看到慈海那明亮的眼
「你來照護就不錯 ;那個人知道我喜歡你。」
慈海坐靠近了些,好像在等待著下一句話。里子沒再說什麼。
靜默似乎反而給了慈海出手的時間。踢開了坐墊,慈海的唇付了
上來,里子瞬間似乎也預期了這一天的到來,沒有抵抗。和尚精悍
的身軀終於插開了衣裾。里子咪著眼,忽然看到門窗外有什麼影子
動了一下,里子嚇了一跳。
好像是慈念,不過又好像什麼也不是。里子意識模糊了起來,身體
被和尚吸了進去。
「可以嗎 ?」
慈海一面喘息問了好幾次。臉貼住塌塌米,散亂的頭髮,里子幾度
瘋狂,終於昇抵了億劫。 就這日的隔天,桐原里子 住進了 孤峰庵 的倉庫。 桐原里子 之所以成為孤峰庵的女人有幾個原因。首先是經濟。
南嶽死後,里子必需再找自活的生路。里子從岸本家,一文錢也
沒拿到。夫人也看不出來有那樣的同情心,當然也沒有分手費。
死後才知道,南嶽留下不少欠債。夫人費盡了力,也才留下來
丸太町的房子。里子想要出去工作,年紀過了三十,也只有料理店
的服務生。超過三十,要回到從前一般的辛勞,真的是億劫,也感到
厭倦。回到老巢,也會被老同事笑。
所以孤峰庵對里子來說,絕對不是不好的地方,不但是本山燈派的
特別處所,壇家也很多。成了慈海的妻子的話,就不怕餓肚子,
尤其寺院裡有種柿子、枇杷等果樹。 還有,本堂裡面有南嶽畫的雁。 十年 - 與南嶽一起過日子的里子,似乎對孤峰庵有著與對南嶽
相同的愛戀。現在想起來,畫了雁,卻有對慈海分文未取的南嶽,
是否有在死後交託給慈海呢。如果是這樣,里子也會把這個寺院
當成了最後的家。
慈海不像禪宗和尚一般的面容,稚氣的笑容也是里子喜歡的地方。 「受了南嶽委託 . . . . .」
慈海說著,靠了過來,里子心中混雜著既歡喜與悲傷,
「慈海桑 . . 」
心中湧起了一股愛意,不經意中,里子抱住了慈海。里子輕輕的
說著話,慈海的頭埋在里子白皙的乳房一動不動,眼睛濕潤了。
里子的膝蓋鬆軟了起來,夾著慈念,慈念的臉撫愛著乳房。激情
煽起了里子,按住了乳房中的慈海,
「通通給你,我的一切通通給你 . . . . 」雙腳高高舉著、踢著 . . ,
就在身子鬆軟下來的時候,大頭的小沙彌從門窗的那邊消失,里子
一下子醒了。
https://iseilio-blog.tumblr.com/post/734968628716421120
Artur Schnabel: Symphony No. 2 (1941/43) (youtube.com)
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「虚子への俳話」145
「花鳥」令和3年9月号より転載
「虚子と漱石」
歴史の「もしも」だが、もし漱石との出逢いがなかったならば、虚子という存在もなかった。子規の存在はあったかもしれぬが、碧梧桐の存在もなかったろう。
虚子の本質にある小説への思いというものはかなり晩年まであった。それは写生文などへのこだわりに現れ、『虹』などの文章に結実している。 その出逢いとは、虚子がまだ旧制の中学生のころであった明治24年あたり、松山の子規の帰省先らしい。
漱石や子規らは「松山鮨」(私は近年食べたが、ちらし寿司のようなものでありかなりの美味)を食べていた。子規はあぐらをかき、漱石は几帳面に膝を正しく折って、正座して、松山鮨の皿をとりあげて、一粒もこぼさぬように食べた。
このあたりに子規と漱石の性格の違いが見えていて面白い。虚子も食べたようだが、まだ年少すぎてどんな味だったかはすっかり忘れてしまったようだ。 やがて明治28年に漱石は大学を出て、松山の中学校教師に、いわゆる「愚陀仏庵」の一階に子規、二階に漱石が住む。そして歴史は動いた。この二人の天才の同居とは日本史の奇跡。
「大学を中途で退学して新聞社に入り不治の病の子規居士と素直に大学を出て中学の先生としていそしみつつあった漱石氏とは、よほど色彩の変わった世界を、階段一つ隔てた上と下に現出せしめておった」(虚子)
七歳年下の虚子との交友はこのようにして始まった。その後、虚子帰省、漱石ともう一人の英語教師とよく道後温泉にゆく。赤シャツはそのときの話題になったらしい。その先生のシャツかは不明だが、ただ虚子の猿股にも赤い筋が入っていて「君のも赤いのか」と漱石が言ったとか。
ところで虚子は漱石たちと神仙体という新しい俳句形態をそのころすでに始めていた。そして道後温泉の帰りに句を拾いつつ創作、村上霽月とともに雑誌「めさまし草」に出す。
怒濤岩を噛む我を神かと朧の夜 虚子
明治29年12月5日付の漱石からの一番古い手紙と思われるものがそれに触れている。
「来熊以来はすこぶる枯淡の生涯を送り居り候。道後の温泉にて神仙体を草したること、宮島にて紅葉に宿したることなど、みな過去の記念として今も愉快なる印象を脳裏にとどめ居り候。今日『日本人』三十一号を読みて君が書トク体の一文を拝見致しはなはな感心いたし候。立論も面白く行文は秀でて美しく見受け候。この道にしたがってお進みあらば君は明治の文章家なるべし(略)『世界の日本』(竹越三叉刊行の雑誌)に出たる(音たてて春の潮の流れけり 虚子)と申す御句はなはだ珍重に存じ候。 ただし大兄の御近什中にははなはだ難渋にして詩調にあらざるやの疑いを起こし候ものも有之様候。いわゆる『べく』づくしなどは小生のもっとも耳障りに存候ところにござ候」
この漱石の指摘は将来の虚子の俳句というより、小説にたいする潜在的な働きかけをしている。神仙体の是非はともかく、難解な俳句や文章は「べく」だらけで理屈家の漱石をもってしてもくどく感じたわけである。
ところで、明治30年以降となると虚子は漱石の俳句にたいして、いつも蹲踞の態度ばかりではなかったのではなかろうか。むしろ子規とともに漱石の俳句に朱筆をとって○や△をつけたくらいなのだから面白い。次の句は○。
菫程な��さき人に生れたし 漱石
虚子曰く、後年は文壇の権威であった漱石も、熊本五高の教師として赴任し、当時はわずかに東京の俳友の消息を聴いて慰撫していたのは愉快だと言っている。 やがて、漱石は海外へ行く、明治33年9月文部省から二年間の留学派遣であった。
「航海は無事にここまで参り候えでも下痢と船酔いにて大閉口に候、(略)唐人と洋食と西洋の風呂と西洋の便所にて窮屈千万、一向、面白からず、早く茶漬けと蕎麦が食いたく候、」 明治33 年9月「ホトトギス」
往きの航海上でもう船酔いなどで外国がすっかり嫌になっている漱石である。もっとも、漱石は松山や熊本も本来の自分の居場所ではなかったと思っていたはずだから、この英国留学には大きな期待感はあったはずで、彼の超人的な神経質がそうさせたのに違いない。
〈白金に黄金に柩���からず〉漱石 「女皇の葬式はハイド公園にて見物致し候。立派なものに候、」〈吾妹子を夢みる春の夜となりぬ〉漱石 「もう英国はいやになり候、」 明治34年「ホトトギス」「倫敦消息」
しかし、この「ホトトギス」掲載の消息はたいがい、病床の子規宛のものであって、このような西洋の消息をくわしく送ることは子規を喜ばせる。絵はがきや下宿生活の様子なども詳細に送った。さぞかし病床六尺の子規にとって世界の窓口になったことだろう。
そして子規は死ぬ。
漱石が帰国したのは明治36年1月、その後一高の教授、大学の講師となる。やっと都に帰ってこられた漱石先生であったが、どうも帰朝後も神経性の病は続いていたようである。 虚子への手紙で夫人曰く、
「どういうものだか、この頃機嫌が悪くて困るのです。(略)あなたも暇な時にはチトどこかに引っ張りだしてくれませんか」
そして漱石と虚子は芝居や落語などを見に行ったが、あまりにくだらないと我慢しきれずに様々の冷評をし、虚子にたいしても君はこんなくだらない物を見ているのかと言う。 漱石の不機嫌に馴れていた虚子だが、こんなことをしていてもあまり進展はないなと悩んでいたようであった。
「『猫』の誕生」
「山会」というものが明治「ホトトギス」にあった。子規以前からあった文章会で、文章には山がなくてはならないという趣旨。ふつうは写生文が主流であって、いわば日記や作文的なものが多かった。普段はその文章を自分で朗読するきまりがあった。それに奇才漱石の文章を推薦してみてはどうかと。
漱石も乗り気で、すごい情熱でそれを書き上げたという。ある日その原稿を持ってきて、虚子にそれを読んでくれたまえと言う。ちょっと自分の気に入っているらしい部分になると、「うふふ」と漱石は笑う。
虚子は少しぎょっとしたが、原稿用紙数十枚という長さであったものの、とにかく変わっていて面白かった。
タイトルは始めの、「猫伝」の候補にたいして「吾輩は猫である」はどうかと提案した。ご存じのタイトルは虚子が決めた。明治38年1月発行の「ホトトギス」巻頭付近に掲載、これより歴史が始まる。
漱石の教師を辞めたいという意志はその後顕著になる。なにしろ爆発的なその小説の反響と売れ行きに、虚子と漱石は発行人と小説家という関係に変化。虚子はその寄稿に頼らざるをえなくなってゆく。
一方、漱石は門下生を推薦し、その要求通り三重吉などの処女作が掲載されはじめる。これなども喝采を受けた。しかし、四方��などは山会の純正写生文の雑誌としての伝統と異なると反感を持ったようだ。
そして明治40年頃からは新聞社社員として教師を辞職して小説家一本となる。
虚子は漱石が朝日新聞に移った後は「ホトトギス」に掲載がなくなり、また健康上の理由もあり、その経営に四苦八苦する。それもまた歴史の必然だったかもしれない。
一種の歴史のレトリックにはまった虚子はその生涯で、二人の巨人と出会った。それがすべてではなかったが、今の俳壇を形成する多くの歴史はこの二人と七歳下の少年の出逢いが化学反応を起こしてビッグバンとなったものだ。
多くの歴史もそうであって、松山の奇跡は秋山兄弟などの軍人たちも巻き込み、維新後の大きな潮流となってゆく。
歴史とはそういう天才の衝突で決定されるのであろう。
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人生經歷
H:常見武俠小說的世代仇人,最後一句「一笑抿恩仇」,解脱世代仇很。
「萬事無如退步人,孤雲野鶴自由身。」人生經歷最後一場空,空來空去自在逍遙。「到處隨緣延歲月,終身安分度時光。」
綜觀一生「回首向來蕭瑟處歸去,也無風雨也無晴。」20230623W5
網路資料:
年青階段:
唐·無盡藏
終日尋春不見春,芒鞋踏破嶺頭雲。
歸來偶把梅花嗅,春在枝頭已十分。
明·憨山
紅塵白浪兩茫茫,忍辱柔和是妙方。
到處隨緣延歲月,終身安分度時光。
唐·龍牙
朝看花開滿樹紅,暮看花落樹還空。
若將花比人間事,花與人間事一同。
人世間得失無常,聚散隨緣。經歷的,都是修煉;等走遠了再回首,會發現這一切會讓我們變得堅強和清醒。
南北朝·契此
手把青秧插滿田,低頭便見水中天。
心地清淨方為道,退步原來是向前。
結婚生子:
宋·蘇東坡
人皆養子望聰明,我被聰明誤一生。
唯願孩兒愚且魯。無災無難到公卿。
退休養生階段:
元·石屋《山居詩》
過去事已過去了,未來不必預思量。
只今只道只今句,梅子熟時枙子香。
唐·鳥窠
來時無跡去無蹤,去與來時事一同。
何須更問浮生事,只此浮生在夢中。
唐·白居易《對酒》
蝸牛角上爭何事?石火光中寄此身。
隨富隨貧且歡樂,不開口笑是痴人。
終老感悟階段:
宋·此庵守淨
流水下山非有意,片雲歸洞本無心。
人生若得如雲水,鐵樹開花遍界春。
宋·白雲守端
嶺上白雲舒復卷,天邊皓月去還來。
低頭卻入茅檐下,不覺呵呵笑幾回。
宋·慈受懷深
萬事無如退步人,孤雲野鶴自由身。
松風十里時來往,笑揖峰頭月一輪。
唐·棲蟾《牧童》
牛得自由騎,春風細雨飛。
青山青草里,一笛一蓑衣。
日出唱歌去,月明撫掌歸。
何人得似爾,無是亦無非。
回首自評階段
宋·道濟(濟公)
六十年來狼藉,東壁打倒西壁。
於今收拾歸去,依然水連天碧。
明·憨山
春日才看楊柳綠,秋風又見菊花黃。
榮華總是三更夢,富貴還同九月霜。
來來回回,去去留留,起起落落,走走停停,即是人生處境。
南北朝•善慧大士
空手把鋤頭,步行騎水牛。
人在橋上過,橋流水不流。
山不轉水轉,人不轉心轉,心被境遇束縛則煩惱,心能駕馭境遇則喜悅。樂莫大於無憂,苦莫大於多欲,富莫大於知足,貧莫大於貪婪。
元·石屋《裁縫詩》
手攜刀尺走諸方,線去針來日日忙,
量盡前人長與短,自家長短几時量?
陶淵明.《飲酒其五》
結廬在人境,而無車馬喧。
問君何能爾,心遠地自偏。
採菊東籬下,悠然見南山。
山氣日夕佳,飛鳥相與還。
此中有真意,欲辨已忘言。
李白.《將進酒 》
君不見黃河之水天上來,奔流到海不復回。
君不見高堂明鏡悲白髮,朝如青絲暮成雪。
人生得意須盡歡,莫使金樽空對月。
天生我材必有用,千金散盡還復來。
烹羊宰牛且為樂,會須一飲三百杯。
岑夫子,丹丘生,將進酒,杯莫停。
與君歌一曲,請君為我側耳聽。
鐘鼓饌玉不足貴,但願長醉不復醒。
古來聖賢皆寂寞,惟有飲者留其名。
陳王昔時宴平樂,斗酒十千恣歡謔。
主人何為言少錢,徑須沽取對君酌。
五花馬,千金裘,
呼兒將出換美酒,與爾同銷萬古愁。
蘇軾.《定風波 》
莫聽��林打葉聲,何妨吟嘯且徐行。
竹杖芒鞋輕勝馬,誰怕?
一蓑煙雨任平生。
料峭春風吹酒醒,
微冷,山頭斜照卻相迎。
回首向來蕭瑟處,
歸去,也無風雨也無晴。
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深川怪談2017 「お化けの棲家」お化け詳細情報
2017年8月20日、深川江戸資料館夜間特別開館「お化けの棲家」終了致しました。ご来場の皆様、ありがとうございました!今年の江戸の町並みに潜んでいた妖怪は全部で17箇所、以下のようなものがおりました。
1.「鍋の付喪神(つくもがみ)」…八百屋の台所 2.「ハサミの付喪神(つくもがみ)」…舂米屋の座敷、箪笥の上 3.「五徳猫(ごとくねこ)」…舂米屋の座敷、長火鉢の前 4.「河童(かっぱ)」…猪牙舟の船縁*深川に伝承あり 5.「毛羽毛現(けうけげん)」…船宿「相模屋」の中庭、手水鉢の横 6.「傘化け(かさばけ)」…船宿「升田屋」の玄関 7.「がんばり入道(がんばりにゅうどう)」…船宿「升田屋」の便所、便壺の中 8.「三つ目小僧」…火の見櫓の下*深川に伝承あり 9.「深川の海坊主」…火の見櫓の裏、掘割の上*深川に伝承あり 10.「なき茶釜」…水茶屋の茶釜の上*深川に伝承あり 11.「蔵鬼女」…舂米屋の土蔵、階段裏*本所に伝承あり 12.「しょうけら」…長屋「於し津」の屋根、明かり取りの窓の上 13.「かいなで」…長屋共同便所、便壺の中 14.「家鳴り(やなり)」…長屋「木場の木挽き職人 大吉」の床下 15.「木枕」…長屋「舂米屋の職人 秀次」の部屋*深川に伝承あり 16.「狂骨(きょうこつ)」…長屋井戸の中 17.管狐(くだぎつね)」…お稲荷さんの祠横 以上、17カ所でした! いかがでしたでしょうか?アンケート等で「潜んでいた妖怪の解説を」というご要望が多数ございましたので、追記させていただきます。(『日本妖怪大辞典』村上健司編著角川書店版他より)
1.+2. 付喪神(つくもがみ) 九十九神とも表記される。室町時代の『付喪神絵巻』によれば『陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を化かす是を付喪神と号といへり』という巻頭の文がある。煤祓で捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だが、古来日本では器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。『絵画に見えたる妖怪』吉川観方 ちなみに、これらの付喪神は深川江戸資料館の壊れて廃棄処分になった展示物を再利用して作られています。展示物を粗末に扱って壊せば妖怪となる?!実物に触れる体感展示がこちらの資料館の売りではありますが、化けて出ぬよう大切に扱っていただきたいものです。
3.五徳猫(ごとくねこ)
五徳猫は鳥山石燕の『図画百器徒然袋』に尾が二つに分かれた猫又の姿として描かれており、[七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者といいしためしもあれば、この猫もいかなることか忘れけんと、夢の中におもひぬ]とある。『鳥山石燕 図画百鬼夜行』の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐���信画『百鬼夜行絵巻』に描かれた五徳を頭に載せた妖怪をモデルとし、内容は『徒然袋』にある『平家物語』の作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫は、このエピソードと囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された妖怪なのであろう。(『鳥山石燕 図画百鬼夜行』高田衛監修・稲田篤信・田中直日編)
4.河童(かっぱ)*深川に伝承あり 全国各地でいう水の妖怪。河童という呼称は関東地方の方言カワッパが語源だと言われている。地方によりさまざまなよび名があり、大別すると、水神を思わせる名前の系列、子供の姿を強調した名前の系列、動物の名前に近い名前の系列、その他の計4つに分けられる。 水神系には、東北地方のメドチ、北海道のミンツチなどがあり、子供の姿系には、関東地方のカッパ、カワランベ、九州地方のガラッパなどが入る。動物系には、中国四国地方のエンコウ(猿猴)、北陸地方のカブソ(川獺)、カワッソーなどが挙げられる。その他、特定の信仰に関わるものとしてのヒョウスベ、祇園坊主(ぎおんぼうず)、身体の特徴からのサンボン、テガワラなどと、上記3つの系列に入らないものがある。 姿形についても、地方によって相違があり、頭に皿が無いものや、人間の赤ん坊のようなもの、亀やすっぽんのようなものと、実にさまざまに伝えられている。 起源についても、草人形から河童になったとする説、水神が信仰の対象から外されて零落して河童になったとする説、アジア大陸から渡来して土着したとする説など諸説ある。 人に憑く、物に変化する、人間の作業の手伝いをするなど、地方ごとに河童の特徴は異なるが、ほぼ共通していることは、大の相撲好きであることと、胡瓜(きゅうり)などの夏野菜や人間の肝、尻子玉が好物だということだろう。 人間の肝をこのむというのは、昔の人たちの観察力によるものらしい。溺死した死体は腹が膨れて肛門がポカンと開いてしまうといわれる。このようなひどい姿を見て、河童が手を入れて内蔵を引き出したと人々は想像したのだろうといわれている。河童の凶暴性は水難事故の恐ろしさに起因するといっても過言ではないようである。また、相撲や胡瓜を好むのは、河童が水神としての性格を有していたことにほかならない。かつての相撲は神事であり、端午の節句や七夕あたりに行われ、東西の土地の代表者が豊凶をかけて争った。相撲は神と精霊との争いを表しているともいわれ、神が水の精霊を打ち負かすことにより、農耕に欠かせない水の供給を約束させるのだという。胡瓜などの初なりの野菜も、水信仰に欠かせない供物だった。このことからみても、河童が水神として信仰の対象になっていたと考えられる。 古(いにしえ)の水に対する信仰と、近代までの民間信仰とが複雑に絡み合い、無数の枝葉にわかれているので、一口に河童は稿であるとはいえないのが現状だろう。 深川ではカッパは、仙台堀と木場の2箇所で捕獲されていたという。仙台堀では伊達候の蔵屋敷で河童を撃ち殺して塩漬けにしたという。仔細は、伊達候の屋敷では子供がよく水難事故に遭う。怪しむべしということで、堀の内、淵ともいえるところを堰き止めて水を干したところ、泥を潜って風のように早い何かがいて、ようやく鉄砲で撃ち仕留めたという。木場入舟町では、この辺の川で水に入ると引っ張り込むものがいる。木場のいなせな兄いが捕らえてみると河童。この水辺の者には、二度と悪さをしないと詫び証文を書かせて手判を押させて許したという。(『河童の世界』石川純一郎、『河童』大島建彦編、『神話伝説辞典』朝倉治彦・井之口章次・岡野弘彦・松前健編、『総合日本民族語彙』『民俗学研究所編、『日本未確認生物辞典』笹間良彦、『日本妖怪変化語彙』日野巌・日野綏彦、『耳袋』根岸鎮衛)
5.毛羽毛現(けうけげん) 鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』にけむくじゃらの妖怪として描かれたもので、[毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふか。或は稀有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなればなりとぞ]とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陜西省陰県の西の空獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため山に逃げ込んだ。そのとき谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと『列仙伝』にある。 この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖怪のようである。(『鳥山石燕 画図百鬼夜行』高田衞監修・稲田篤信・田中直日編)
6.傘化け(かさばけ) 一つ目あるいは二つの目がついた傘から日本の腕が伸び、一本足でぴょんぴょん��ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(『妖怪学入門』阿部主計)
7. がんばり入道(がんばりにゅうどう) 加牟波理入道(がんばりにゅうどう)雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の『図画百鬼夜行』には、便所の脇で口から鳥を吐くにゅうどう姿の妖怪として描かれており、[大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道ホトトギス」と唱ふれば、妖怪を見ざるよし、世俗のしる処也。]とある。 松浦静山の『甲子夜話』では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、その頭を取って左の袖に入れてまた取り出すと、頭は小判に変化するなどの記述がある。「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異に会わない、というのは江戸時代に言われた俗信だが、この呪文は良い効果を生む場合と禍を呼ぶ場合があるようで『諺苑』には、大晦日にこの諺を思い出せば不詳なりと書かれている。 村上健司著『日本妖怪大辞典』より「加牟波理入道」の項より抜粋
8.三つ目小僧(みつめこぞう)*深川に伝承あり 「海からの声」明治33年永代町生まれの伊東進一郎さんの談話 十二、三才の時でしたね。釣りに行っての帰り、お台場を通る頃には暗くなっちゃう。そうすると、「オーイ、オーイ」と声が聞こえるんです。だんだん近づいてくると、船頭が「口を聞くんじゃない」と言って、用意してきた、底の抜けた杓とか土瓶の底のないやつをほおるんです。そうすると、みんな沈めたと思って、声が聞こえなくなる。永代橋に来ると、みんなホッとしましたね。海坊主だとか、海で死んだ人の怨念だとか言われましたけど、今考えてもわからないです。 それから、人魂を永代二丁目のところでみました。もう一人いたんですけど、片っ方は���抜かしちゃった。まだあります。うちのおばあちゃんが、渋沢倉庫の横の河岸っぷちの柳の植わっているところから。川を見ている女の人に「ねえさん、何やってるんだ」と言ったら、のっぺらぼうなので、腰抜かして、熱出して、しばらくして死んじゃった。背中からおんぶされて、みたら三つ目小僧だって、そういうの本当にあったんです。 (江東ふるさと文庫『古老が語る江東区のよもやま話』より)
9.深川の海坊主(うみぼうず)*深川に伝承あり これは、母から聞いたものだが、深川一帯では桑名屋徳蔵が有名であったらしい。彼は深川の何処かの掘割の岸で廻船問屋をやっていた。若い衆の数も多く、繁盛していた。ある年のおおみそか、大事なお客から今夜中に荷を運んで欲しいという伝言があった。だが、深川のあたりでは大晦日の夜はあの世のご先祖様たちが、お盆とお同じように家へ帰って家族と元旦の雑煮を祝うと信じられていた。こういうわけで、川で死んだ人の霊も水から上がって来るので、その邪魔をしてはならないと、大晦日の夜は船を出すのを厳禁していた。 徳蔵は日頃恩になっているお得意だから、そんな迷信に構っちゃいられないと考えたが。若い衆はみんな休みを取って出払っていたので、若い女房の止めるのも聞かずに船を出した。 ところが、しばらく漕いで行くと、川いっぱいに大きな山がぬーっとせり上がってきた。豪胆な徳蔵は「しゃらくせえ真似をしやがる」と叫んで、その山へまともに船をぶっつけた。その途端に、山はスーッと煙のように消え徳蔵はなお船を進めて行った。が、今度は舳先の川面に大きな海坊主が現れてケタケタと笑った。海坊主とは、首から上が目も鼻もない真っ赤な大入道で、胴体はこれも真っ赤なマントをきたような血の袋が水の上ににょきっと立ち上がっていたらしい。徳蔵は舳先に走って行って海坊主を棹で叩きのめした。海坊主はぎゃっと言って、血しぶきをあげながら川の底へ沈んでいった。だがそれをきっかけに、船のまわりに大小の海坊主がニョキニョキ現れて、声を揃えてケタケタと笑った。徳蔵は夢中になって駆け回り、片っ端から海坊主を叩きのめした。 その頃、留守宅では女房が急に癪を起こして苦しみ始めた。幸いにも表の通りから按摩の笛が聞こえてきたので、子供に呼ばせた。按摩は鍼を打たなければいけないといって、たくさんの鍼を畳の上に並べた。女房は按摩がいい男なのに安心して鍼を打たせたが、鍼を打つたびに血がパッと天井に跳ね上がり、梁の上で小さな海坊主になってケタケタト笑った。仕舞いには梁の端から端まで海坊主が並んでしまった。 徳蔵が仕事を終えて帰ってきた時には、女房は全身の血を失って白蝋のようなむくろになっていた。 田辺貞之助『江東昔話』より
10.心行寺のなき茶釜(なきちゃがま)*深川に伝承あり 『深川心行寺の泣き茶釜』 文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られている。 群馬県館林の茂林寺の話が有名だが、江東区深川二丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したという。 『新饌東京名所図会』の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅及び文福茶釜(泣き茶釜と称す)とあり」 とある。また、小説家の泉鏡花も『深川浅景』の中でこの茶釜を紹介している。 残念ながら関東大震災(1923)で泣き茶釜は、他の什宝と共に消失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が化けたとされる同名が残るのみである。文福茶釜という名前の由来は煮えたぎる湯の音がそう聞こえるという説や福を分けるという説がある。
11.「蔵鬼女」*本所に伝承あり 『十方庵遊歴雑記』「本所数原氏石庫の妖怪」に載る話 本所二つ目の相生町と緑町との境にある横町に、数原宗得(すはらそうとく)という五百石二十人扶持の御典医が住んでいた。 屋敷には石でできた立派な蔵があったのだが、蔵の中で尿意を我慢すると小女や小坊主、傘お化け、大ダルマ、鬼女、牛馬など、色々な妖怪が出現した。 また、近くで火災がある時は、夜に蔵の中で鉄棒を引いて歩く音がした。音が聞こえて家の者が用心していると、必ず近くで火災が発生し、数原家だけは火災の難を逃れた。 ある時、近隣で出火があり、道具類を蔵の中へしまおうとしていたところ、人手が足りずに困っていると、蔵の中から髪を振り乱した女の妖怪が現れ、積まれた品々を蔵の中へと運び入れた。この時も、数原家は類焼を免れた。
12.「しょうけら」 鳥山石燕『図画百鬼夜行』に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、ショウケラは庚申(こうしん)信仰に関係したものといわれる。庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわれ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策として、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我や土へねぬぞねたかぞねたかじねぬば」との呪文もつたわっている。石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。(『衛鳥山石燕 図画百鬼夜行』高田衛監修・稲田篤信・田中直日編)
13.かいなで 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事も無いが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談という物だが、類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校で便所を使うことは無いだろうから、節分のよるという条件が焼失してしまったのだろう。しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび)(何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、本妻がそれを妬み、旧暦正月15日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は、日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響をうけていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。新潟県柏崎市では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた���明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山野理夫の『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「紙くれ紙くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月まではまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えている。便所神の祭りで、紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろうか、白い紙よろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、変化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というよになり、より妖怪化がすすんでいったようである。 島根県出雲市の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデというが、氏子がこの日夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるかもしれない。(『総合日本民族語彙』民俗学研究所編、『日本民族辞典』大塚民族学会編、『現代民話考七 学校』松谷みよ子、『民間伝承』通巻173号「厠神とタカガミと」川端豊彦)
14.家鳴(やなり) 家鳴は鳥山石燕の『画図百鬼夜行』に描かれたものだが、(石燕は鳴家と表記)、特に解説はつけられていない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の『画図百鬼夜行』では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。昔はなんでも無いのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのしわざだと考えたようである。 小泉八雲は「化け物の歌」の中で、[ヤナリといふ語の…それは地震中、家屋の震動する音を意味するとだけ我々に語って…その薄気味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居たもので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また)ヤナリと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像していたものである]と述べ、『狂歌百物語』に記載された[床の間に活けし立ち木も倒れけり やなりに山の動く掛け軸]という歌を紹介している。(『鳥山石燕 図画百鬼夜行』高田衛監修・稲田篤信・田中直日編、『小泉八雲全集』第7巻)
15,木枕(きまくら) 昔三十三間堂近くに、住むと病気になる空き家があった。その家の持仏堂にあった木枕が妖をなすとわかり、荼毘にふしたら屍を焼いたのと同じ臭気がし、完全に焼けるまでの時間は人一人を焼き尽くす時間と同じくらいかかったという。
16.狂骨(きょうこつ) 鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』に井戸から立ち上がる骸骨姿で描かれているもので、【狂骨は井戸の中の骨なり。世の諺(ことわざ)に甚だし事をきやうこつといふも、このうらみのはなはだしきよりいふならん】と解説されている。肉の落ち尽くした白骨をきょう骨といい、神奈川県津久井郡では、すっとんきょうなけたたましいことをキョーコツナイと言う。狂骨という妖怪の伝承は無い事から、石燕が言葉遊びから創作したものと思われる。(『鳥山石燕 図画百鬼夜行』高田衛監修・稲田篤信・田中直日編)
17.管狐(くだぎつね) 長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)��中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる。個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地で言われることで、これは管狐をつかって他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は大食漢で、しかも75匹に増えるので、やがては食いつぶされるといわれている。同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐がかってに行動して金品を集めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山(きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏はそれを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていること悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、一旦竹筒から抜け出た狐を再び元に戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令するものがいないので、人に憑くことはないという。(『日本の憑き物』石塚尊俊、『民間信仰辞典』桜井徳太郎編、『日本狐付き資料集成』金子準二編著)
館内配置図はこちら。
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@吉岡里帆 : 本日着ました桜色のお着物は "新装大橋"さん、小物類は"撫松庵"さんのものでした。 私が付けさせて頂いた帯は春と秋 両方使える仕様で、本日は春のイベントなので... - [卖萌]
https://mag.moe/271069
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@吉岡里帆 : 本日着ました桜色のお着物は "新装大橋"さん、小物類は"撫松庵"さんのものでした。 私が付けさせて頂いた帯は春と秋 両方使える仕様で、本日は春のイベントなので...
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