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#提摩西 Timothy
fyeahcindie · 7 months
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Cool song, cool MV from 傻子與白痴 Fool and Idiot =D
蔡維澤 Eric Tsai-Voc/Gtr (Eric Tsai IG), 鄭光良 Light-Gtr (Light Liang IG), 徐維均 Wei Jun-Drums (Wei Jun IG), 葉少菲 (Alan Yeh)-Keys, 李沂邦 Yi-Bang Lee-Bass (Yi-Bang IG).
Music/Lyrics: 蔡維澤 Eric Tsai Producer: 陸希文 Minstrel Lu Arranger: 傻子與白痴 Fool and Idiot & 陸希文 Minstrel Lu
MV Directed by 提摩西 Timothy. Full a/v credits and lyrics back at YT.
Links:  StreetVoice,  YouTube,  Instagram,  Spotify
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jzlily333 · 3 months
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🌺04/05活岀美好LiveWell🌺
No one believes in potential unless you do something to prove it.                            
Strive to present yourself approved to God, a workman who does not need to be ashamed, rightly handling the word of truth (2 Timothy 2:15).
04/05 Bible verses
Be merciful to me, LORD, for I am faint; O LORD, heal me, for my bones are in agony. (PSALMS 6: 2)
Have mercy on me, O Lord, for I am weak; heal me, O Lord, for my bones tremble (Psalm 6:2).
04/05Good words 
1. Mature in growth and age in maturity. Go with nature and treat life with a smile. Don’t mature prematurely and don’t age prematurely.
2. As long as you are willing, life never lacks opportunities to learn and grow. Often it’s just that you don’t want to try.
Hymn: Worker’s Prayer (Lamb)
https://youtu.be/66SQgDLJkZM
🌺04/05活出美好🌺
沒有人相信“潛力”這東西,除非你做出一些事情來證明它。          
你當竭力 在 神 面前得蒙喜悅 ,作無愧的工人,按著正意分解真理的道 (提摩太後書2: 15)。
04/05圣经金句
Be merciful to me, LORD, for I am faint; O LORD, heal me, for my bones are in agony. (PSALMS 6: 2)   
耶和華啊,求你可憐我,因為我軟弱;耶和華啊,求你醫治我,因為我的骨頭發戰 (詩篇6: 2)。
04/05金玉良言
1. 在成長中成熟,在成熟中衰老。順應自然,笑待人生。不要早熟,也不要早衰。
2. 只要你願意,生活從不缺乏學習和成長的機會。往往都是自己不願意嘗試而已。
詩歌:工人的禱告 (小羊) 
https://youtu.be/66SQgDLJkZM
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juneabeppo · 2 years
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『テクノロジーとロシアとファシズムの関係』  
ティモシー・スナイダー(Timothy Snyder 歴史家)
インタビュー・編 吉成真由美
ティモシー・スナイダー(Timothy Snyder 歴史家)イエール大学教授(中東欧史、ホロコースト史)。著書に『ブラッドランド』『ブラックアース』『The Road to Unfreedom』(未翻訳)『暴政:20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン』など。ハンナ・アーレント賞他受賞。
「最大の暴力は『考える』ことをせずに素直に指示に従ってしまう善良な一般人によって行われる」──ハンナ・アーレント(1906 - 1975 政治理論家)
人間は多種多様であるという事実を受け入れなければならない。人間であるためには、いろんなやり方があるものだ。完全なる独立を求めず、「快い相互依存」をしよう。完全なる独立には、幸福ではなく無意味な人生と想像を超えた退屈だけが待っている。──ジグムント・バウマン(ポーランド出身の社会学者)
 ティモシー・スナイダーの『ブラッドランド──ヒトラーとスターリン、大虐殺の真実(上・下)』(2010年)と『ブラックアース──ホロコーストの歴史と警告(上・下)』(2015年)は、冷戦時代に「鉄のカーテン」でブロックされていた東欧側の膨大��資料に基づいて書かれたもので、世界中に衝撃を与えた。それによると1400万人に上る犠牲者を出したホロコースト(大虐殺)は、ドイツ国内でドイツ人によって行われたのではなく、ドイツ人が侵略する以前にソ連によって国家破壊が行われた東欧で、「市民権を失った人々」が殺され、しかも、ソ連のNKVD(スターリンの下でソ連の秘密警察や諜報機関を統括していた内務人民委員部)やドイツのSS(ヒトラー率いるナチ政権の武装親衛隊)のみならず、多くの地域住民によって大量殺戮が実行されたのだった。
 そしてファシズムは、1920年代に当時のグローバル資本主義と共産主義へのアンチテーゼとして、イタリアで誕生したが、今日再び、世界各地でポピュリズムや極右政党の台頭が見られる。今後グローバリゼーションによって引き起こされた富の格差問題や難民問題を解決するため、そして福祉国家を建設するためという、当時とまったく同じ理由によって、ファシズムが台頭する可能性が大いにありはしないか。
 スナイダーは、情報寡占大企業が支配するインターネットが、ファシズムや暴政の温床になりつつあることを指摘して現代社会に警鐘を鳴らすとともに、リベラル派がとってきた「すべては意見の違い」で片づけてしまおうとする態度も鋭く批判し、民主主義を守り暴政を避けるための具体的な20のレッスンを提示している。
 民主主義とは多数決のことかと思っていた、というような人も少なからずいるわけで、スナイダーは、民主主義の本質とは何か、私たちにとって大切なこと、重要なこととは一体なんなのか、という基本的な部分を、実にわかりやすく説明する。民主主義とは、「法の支配」のもと、何度も間違いを犯すことを可能にする制度であり、国家が「時間」を稼ぐためのシステムだからこそ、不完全であることを許容し、多様性を内包できて、社会が次第に安定していくのだと。
 そして、全体主義やファシズムに流されないためには、基本的な考え方ができていればいいのであって、個々人の小さな踏みとどまる意志や真実を大事にしようとする小さな抵抗が、結果として大きな力をもつのだということを、期待させてもくれる。
 インタビューは、オーストリアの、街中に音楽があふれるウィーン市にある「人間科学研究所 Das Institute fur die Wissenschaften vom Menschen (IWM)」の所長室で行われた。この研究所は、人文科学および社会科学の独立した高等研究所で、もともと東欧と西欧の学術交流、学術分野と社会との交流、ならびに学術的な研究などを目指して、オーストリア政府、ウィーン市、ポーランド政府、チェコ政府からの基金により、1982年に設立された。近年はヨーロッパやアメリカのみならず、アジアやグローバルサウス(南半球の発展途上国)へもその研究領域を広げてきており、毎年のべ100人くらいの研究者たちがここで研究に勤しんでいる、(2018年10月収録)
「テクノロジーとロシアとファシズムの関係」
●格差問題是正がファシズムにつながる理由
──ファシズムはしばしば他の権威主義と関連して認識されています。たとえば全体主義や、ナチズム、国粋主義、民族主義などですね。あなたはファシズムをどのようにとらえておられますか。
スナイダー ファシズムというのは基本的に、われわれは個々の人間ではなく、グループであり、一族であり、民族であり、種族であると考えます。ファシズムにおける政治は、「われわれには何が共通しているか」から始まるのではなく、「敵を選ぶ」というところから始まるのです。まず敵が誰であるかを認識するところから始まる。
 さらにファシズムは、世界の現状やグローバリゼーションの影響などを見て、そこに「問題や課題がある」の考えるのではなく、誰かによる「陰謀の結果だ」のいうふうに考えます。政策によって解決すべき問題だととらえるのではなく、特定のグループによる攻撃の結果だととらえる。ファシズムとは政治形態の一つであり、グローバリゼーションへの対処の一方法でもあります。
 そしてファシズムの基本には「神話」があります。「われわれの良識」と「世界の現実」を脇におしのけて、そこにできた空間に「神話」を押し込むのです。「われわれはグループとして互いによく似ていて、リーダーと神秘的な関係を結んでおり、われわれが『神話』を作り、それを変えていくことをリーダーが指導する」というストーリーですね。
──ファシズムは、1920年代にグローバル資本主義と共産主義へのアンチテーゼとしてイタリアで生まれたわけですが、そもそもイタリアのファシズムは、民族主義的なナチズムとは大きく異なっていて、強い政府の統制のもと、当時のグローバリゼーションによって引き起こされた富の格差を解消すべく、福祉国家の建設を目指して誕生したというふうに理解しています。
 そうだとすると、今日の世界でも、「グローバリゼーションによって引き起こされた富の格差問題を解消するため」、そして「福祉国家を建設するため」というまったく同じ理由によって、ファシズムが台頭する可能性が大いにあるということになりませんか。
スナイダー それは実に興味深い質問です。イタリアをはじめとしてファシズムは、「富の再分配」を主眼に置いていました。ファシストたちが言ったのは、格差があるのはマイノリティのせいだ、ユダヤ人のせいだと。だから再分配のための最良策は、国家による産業を立ち上げると同時に、他の人たちから富を奪うことだと。ファシズムには確かに「再分配」の概念が含まれていますし、資本主義の失敗もファシズム台頭の理由の一つです。
 2008年(世界的な経済破綻)以降、確かに一般的に収入格差が広がって、人々は「自分の問題はメキシコ人や中国人やユダヤ人たちによって引き起こされたんだ」といった言説に惑わされてしまう傾向にあります。トランプ氏のような政治家は、こういった状況を都合よく利用して、たとえば「グローバリゼーションはプロセスの問題ではなく、人々の問題だ」と言うわけです。グローバリゼーションには顔があって、われわれはその顔をブーツで踏みつぶしてやるんだ、と。これが彼の政治観です。
 トランプ氏もプーチン氏も1920年代、30年代のアイディアや手法、つまり嘘をばらまいたり「神話」を繰り返し唱えたりといった手法をとり入れていますが、違いは、彼らは「再分配」にはまったく興味がないということですね。この点は大きな違いです。プーチン氏やトランプ氏は、彼ら自身がオリガーク(寡頭財閥人)で、彼ら自身が大金持ちだということです。プーチン氏は本当の大金持ちですし、トランプ氏は大金持ちになりたい人です。彼らは「再分配」したい人たちではないし、するつもりもまったくない。そこが大きな違いですね。
●ポピュリズムは「法」や「体制」をなし崩しにする
──では、ポーランドやハンガリー、オーストリア、ドイツ、フランス、そしてアメリカでも、ポピュリズムや極右政党の台頭が見られます。これはファシズムにつながる現象ととらえて心配すべきなのでしょうか。
スナイダー 民主主義を大切にしたいから心配すべきですが、それよりも根本問題は、「一体われわれは何を望んでいるのか、何がなくなることを心配しているのか」という内容のほうです。
 私自身は「法の支配」や「民主主義」「個人の権利」が摩減していくことを心配しています。ポピュリズムや権威主義、ファシズムは、これらの素晴らしいものをわれわれから奪ってしまうという理由で、大きな懸念材料です。
 問題は、脅威や懸念材料については大いに話題にされるけれども、一体何が素晴らしいもので、何をわれわれは望んでいるのか、なぜそれらが素晴らしいのかという肝心な事柄について、深く議論したり考察したりしないというところにあります。
「ポピュリズム」が、人々に声を与えるという意味であれば、それはOKですが、「ポピュリズム」が、人々に嘘をばらまくことを意味するなら問題ですし、「ポピュリズム」が、「人々」という名のもとにシステムのルールを破壊することを意味するのであれば、最悪です。このことを私は心配しています。
 ポピュリズムによって出てきたある人物が、「自分は人々の声の体現者である」と言いつのることによって、その人と人々との間にある「法」や「体制」といったものが意味不明を失っていき、それらは単なる障害物と化してしまって、それらが払拭されることにつながっていってしまう。これこそが危険であると思いますし、こうしてポピュリズムはある種のファシズムに変化していくのだと考えています。
──グローバル企業をコントロールして富の再分配をするためには、世界政府を作って制御していく必要があると考える経済学者たちもいます。それは人々にとって新たな脅威となる可能性も大きいわけで、それならむしろグローバル企業による寡頭支配のほうがまだましなのではないかという気もしてしまうのですが。
スナイダー 世界政府でもなくグローバル企業による寡頭支配でもない、別の方法はどうですか(笑)。
 一つの解決法としては、「法」や「市場」を真剣にとらえるということです。
 プーチン氏やトランプ氏が支配する世界では、市場は「法の支配」を免れますし、市場が「法の支配」をまったく受けないゾーンがいつくも存在します。オフショア(規則のみゆるい海外)の銀行口座やオフショアの企業、匿名の取引、といったものがトランプ氏を作ったのです。「作った」というのは、彼が金儲けをすることを可能にしたという意味であり、彼の世界観を形成したという意味でもあります。つまり「法」は冗談であり、金や権力のみが重要であるという考え方ですね。これはトランプ氏とプーチン氏に共通するもので、プーチン氏もそのように考えています。ロシア全体が、アメリカ資本主義の末端にあるグレーゾーン(合法か違法かスレスレの領域)部分に匹敵すると言ってもいいでしょう。
 たとえばグローバル企業が、税金逃れをせずに、タックスヘイブン(租税回避値)を避けて、匿名の取引も行わない、という真っ当なやり方だってあるわけです。これは世界政府という方向ではありませんが、こうすることでオリガーキー(寡頭財閥)を制御することにもなる。なぜなら真の問題は、オリガーク(寡頭財閥人)たちが国の力を逃れていることにあるからです。そして、彼らが国の力を手にした場合、今度は自分たち���国の力から逃れられるようにもっていくために、その力を利用する。
 プーチン氏はロシアの国をコントロールしていますが、それを何に使っているかというと、たとえば自分の友だちのチェロ奏者に20億ドルあげるために使っている。これは国のコントロールを逃れたものです。トランプ氏は国の力を手にしていますが、それを何に使っているかというと、自分が世界中にホテルを作るための資金調達に使っている。国の力から逃れるために国の力を利用している。ですから、問題の核心は、国々がどうやってこれを制御していくかということになります。
  ロシアと中国問題
●ロシアは「前近代的」国家だ
──そのロシアですが、以前ロシアを「マフィア国家」だと言っておられましたが、ロシアはどういう観点から見てマフィア国家のなのでしょうか。
スナイダー 多くの人がそのフレーズを使ってきていますが、私自身はどちらかというと「オリガーキー(財閥による寡頭制)」というフレーズを使いたい。そのほうがギリシャ時代にさかのぼる歴史的な意味合いが含まれますから。古代の民主主義の議論では、オリガーキーというのは民主主義がうまく機能しなくなると台頭してきます。アリストテレスは、民主主義のリスクの一つとして、金持ちがそうでない階級を欺くために民主主義を使うこともあると言っていますが、現実にもそっくりそのまま当てはまりますね、
 ロシアの特徴は、富が限られた人々に集中していて動かないという点にあります。そのために、ロシアには従来の意味での「法の支配」というものがありません。そのことをもって「マフィア国家」と表現するのであれば、そのとおりです。「法」が機能しないことと、社会的な流動性がないことが、ロシアの大きな特徴になります。
 この場合、権力を握っている人々は、このやり方が唯一の方法なのだと市民を説得することでのみ、自分たちがサバイブしていくことができる。この部分が、マフィアという比喩では十分でなくなります。マフィアは、「他のやり方はない」というような説得はしませんね。ロシアのような国家は、他の選択肢はないと主張するわけです。力のある者が統治し、富める者が統治する。他のどこの国でもこれが自然の成り行きというものなのだから、現状に満足しなさいと説得するわけです。
──さらにリーダーは常に自分に対する「忠誠」を要求しますよね。
スナイダー まったくそのとおりです。「忠誠」の要求はトランプ氏とプーチン氏の大きな特徴でもあります。大事なのは「ルール(法)」ではなく個人的な「忠誠」であると。その点では確かにマフィアですが、一歩下がって見てみると、彼らのやり方は「前近代的」だという見方もできます。国家ができる以前の状態ですね。
 国家ができる前は、一族というものがあった。一族の中では、特定個人に忠誠を誓うことが大事だったし、忠誠を誓った人たちは、さまざまな報酬が配られた。プーチン氏やトランプ氏には、こういうモデルが最もしっくりくるんですね。
 しかし近代政治の歴史は、人々がこのモデルから抜け出すために努力して作り上げられてきたのです。一族のリーダーに忠誠を誓わなくともいいように、政治的にも経済的にも人々が自由に移動することができるようなプリンシプル(原理原則)を作り上げてきたのです。
──ちなみになぜロシアでは、性的指向(セクシュアル・オリエンテーション)の話題が大きな問題として取ませんとり上げられるのでしょうか。イワン・イリン(プーチンが信奉するロシア出身の哲学者、1883 - 1954)のファシスト的な哲学の影響があるからですか。
スナイダー イワン・イリンの影響はそれほど大きくないと思います。むしろ自分たちと彼らとを区別するいい方法だからでしょう。腐敗しているのは彼らのほうで、われわれは清く正しいということを強調するための方便ですね。もちろんファシズムとも関連しています。ファシズムは非常にはっきりとした男女の役割を提示しますから、とくに現代ロシアの男性的なものに対する崇拝という気運ともしっくり合っているからですね。
●ロシアにとっての本当の威厳は中国だ
──プーチン氏の「ユーラシア経済連合」構想は、ロシアがユーラシア全体のリーダーとなり、中心となるべきだと提案しています。ロシアの「ユーラシア経済連合」構想と中国の「一帯一路」構想とは、双方ともスケールの大きなものですが、どのように対照して見ておられますか。
スナイダー 私自身は中国よりもロシアについてよりよく知っていますが、両者の主な違いは、中国には、自国のパワーを広げていくための、影響力を増していくための、ある種のプランがあるように見えます。対してロシアには、自国のパワーを広げていくためのプランはないですね。ロシアのプランは、他国のパワーを下げることです。ヨーロッパを弱くすることで、ドイツやフランスの力を弱くすることです。自国を強くするより、西側の国々の力を現在よりも弱めたい。
 両者の構想をつき合わせて見てみると、明らかなのは、ロシアがやろうとしているのは地政学的な自殺だということです。なぜなら、長期的にはロシアにとっての本当の問題は、フィンランドでもスイスでもスペインでもなくて、中国だからです。ロシアは、西欧の力を弱めようとしているわけで、いちばん自分たちの味方になる可能性がある国々を攻撃しようとしていることになります。
 西欧の力を弱くするというのは、自分たちのエゴを満足させます。だからそうしているわけで、気分のいい派手な騒ぎを起こすことになるし、自分たちの権力を正当化させることになるし、自分たちに力があるように感じることができるし、市民に自分たちの力を宣伝することにもなる。シリアを爆撃したりウクライナを侵略したり、アメリカの大統領選挙を攪乱すれば、自分たちはスーパーパワーであると感じることもできる。しかし実際には、墓穴を掘っているようなものです。
 ロシア国家がサバイブしていくためには、西欧と中国とのバランスをとることが必須になりますから、西欧を攻撃することは、このバランスを自ら崩すことになってしまいます。ロシアのやり方は、一人の終身独裁者のために短期的な勝利を求めている、ということですね。
 中国のほうは、ある経済政策を展開して、長期的にはロシアを追い詰めることを狙っているとも言えるでしょうし、確実に彼らはそうするでしょうね。そこが大きな違いです。
──中国のどのような点が、ロシアにとって深刻な脅威なのでしょうか。
スナイダー むしろ中国がロシアにとって脅威でない点があるだろうか、というくらいですよね。
 人口統計を見ても、ロシアの人口(約1億4400万人)に対して、中国は桁違いに多い(14億人)。投資額を見ても、中国のほうがロシアよりも多くシベリアに投資しています。資源の点では、中国は天然ガスと水が必要ですし、将来的には食料も必要になるでしょう。ロシアにはそれらがすべてあります。現時点では、中国はロシアのエリートたちを買収することでこれらを手に入れていますが、将来的には中国は別の方法でこれらを入手することになるかもしれない。ロシアのエリートを買収するのか、直接奪取するのか、あるいはロシアの南側にある国々を中国側につけることによって入手するのかはわかりませんが、中国は確実に資源獲得に乗り出してくるわけです。
 西欧はロシアにとって実際には、痛くもかゆくもないフェイクな敵であって、本当の脅威は中国なのです。
  「テクノユートピア」と民主主義
●嘘は、人々から抵抗力を奪う
──カリフォルニア大学バークレー校の人類学者アレクセイ・ユルチャクは、1950年代から80年代の終わりにかけてのソ連社会の状況を、「ハイパー・ノーマリゼーション」と呼んでいます。システムが機能していないことを誰もが知っているにもかかわらず、代案を思いつかないので、政治家も市民もシステムが機能しているという嘘を信じるようになり、社会に嘘が蔓延して、人々が嘘に慣れてしまうという状況です。
 社会に嘘が蔓延していると、一体何が本当で、何が嘘なのかがまったくわからなくなってしまうので、人々は抵抗する意欲そのものを失ってしまいます。この「嘘をばらまく」という手法は、ロシア政府がコントロール手法として、自国内のみならず世界中で実行しているやり方なのでしょうか。
スナイダー そのとおりです。しかも、おっしゃるように特定の嘘をばらまくだけではなく、すべての人々を常に不信感で満たすというやり方です。そして、確実な事柄なんてあるんだろうか、という疑いの気持ちを人々に植えつける。
 不信感をぬぐえない場合、人々は家にこもる。私はこれを「カウチ(長椅子)ファシズム」と呼んでいます。旧来のファシズムでは、外に出て行進しなければならなかったけれども、プーチン氏もトランプ氏も人々に行進などしてもらいたくはない。
 それよりもむしろ家にこもって、「ホントかどうかちょっとわからない。嘘かもしれない。だからテレビを見てみよう、インターネットを見てみよう」となる。そういう状況にもっていければ、彼らの勝ちです。
 旧来のファシズムでは、真実を払拭して生まれた空間に「神話」を押し込むわけですが、この場合の「神話」とは、「この土地を侵略すべきだ」といったような具体的な行動を伴うものでした。現在のそれは、「何も真実ではない、だから何も行動すべきではない」というものに変わっています。われわれがすべてのお金を獲得して、われわれのやりたいようにやるから、あなた方は家にこもっていなさい、と。確かにこれは非常に効果的な策略で、使っているほうは、その効果を十分に承知しながら使っています。
 では、これに対抗する唯一の方法は何か。それはつまり、
「知識は重要だ」
「確認できる事実はある」
「事実は大事だ」
という倫理的な立場をしっかり認識することです。
 われわれは自己防衛のために消極的な態度をとってきていて、それは確実に権威主義を下支えすることになっています。すべては単なる意見の違いだとか、あなたの意見も私の意見も両方ともいい、と言ってしまう。地球は平らだ──いや丸い、チョコレートは甘い──いやレモンのようだ、など、(明らかに事実と違っていることでも)みんなさまざまな意見をもっているんだ、ということで放っておく。リベラルな人たちや左側の人たちは、現実の世界というものに無関心で、事実をしっかりと確認することから逃げてきた。一方で、金持ちやメディア操作に長けている人たちが、こういった態度を利用して、リベラルを攻撃することに用いてきたのです。
 ですからここで今一度古いやり方に戻って、事実を見つめ、現実をしっかりと手中に取り戻さなければならないと考えています。
●完全な「透明さ」とは全体主義のこと
──これらを踏まえて、インターネットについて伺いたいと思います。
 IT産業に携わっている人たちは、テクノロジーは個人の力を増して、分散型社会をもたらし、それによって世界はより安全に、より透明に、そしてより民主的になっていくと言います。「テクノユートピア」と呼ばれる考え方です。彼らによると、より多くの人々がソーシャル・ネットワークを使ってつながり合うことで、恐怖や、外国人恐怖症、偏見、差別といったことから解放されていくと言います。
 しかし現実には、インターネットは個人ではなく、ますますもってごく少数の大規模情報企業やプラットフォーム会社によってコントロールされていますし、マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究者が行った大規模なツイッターアカウント追跡調査結果によると、インターネット上では、嘘は真実より70%もリツイートされる可能性が高く、6倍も速く広く深く伝わることが明らかにされました(Science, March 8, 2018)。
 しかも、インターネットの普及率は2006年の20%から、2018年には50%まで上がっているのですが(Statista:Global internet access rate 2005-2018)、ポピュリズムの人気も2000年には8%だったものが2018年には25%まで上がっていて(Milken Institute Symposium, Europe: Past Tense, Future Perfect?, July, 2018, Yascha Mounk [ハーバード大学]の発言)、インターネットの普及が必ずしも民主主義を下支えすることになっていないわけです。
 あなたは「情報の分野で成功した人たちは、むしろナイーブな世界観をもっている」(Big Think, Sept 18, 2018)とおっしゃっています。
スナイダー つまり「なぜ『ナイーブ』という表現を使って、『悪徳 sinister』という表現を使わなかったのか」という質問ですか(笑)?
 確かに初期のころは「ナイーブ」な人たちもいました。インターネットはできるだけ自由にしておいて、広告費で運営するという形でいいと無邪気に考えていたまじめな「リバタリアン(個人的な自由と経済的自由を求める、自由至上主義者)」たちがいたのも確かです。
 ただ、ある時期を越えたら、たとえば最初の10億ドルを稼いだ後は、もはや無邪気であるとは言えませんね。若いころそのように考えていて、ソーシャル・プラットフォームを立ち上げ、世界で屈指の金持ちになったら、もはや「ナイーブ」とは言えない。その時点ですでに「悪徳」です。「善良さ」を偽った悪徳ですね。あるいは「オプティミスト(楽観主義者)」を装った「悪徳」です。
 インターネットの問題としてあなたがあげたことはすべてそのとおりです。インターネットの根本問題は、「透明さ」が必ずしも良いとは限らないという点です。われわれが自由であるためには、自分の一部はプライベートでなければならない。(集団としてではない)自分自身の夢をもっていなければならないし、自分の行動や性質のパターンは自分のものでなければならないし、人間関係の一部は外から覗いただけでは理解できないようなものでなければならない。
 完全な「透明さ」とはすなわち全体主義のことです。全体主義とは、パブリックな部分とプライベートな部分の区別がないという意味です。「自由」が存在するためには、プライベートとパブリックの区別が存在していなければならない。ですから、社会のすべてが、「透明になる」というのは恐ろしい予測です。ロシアのどこかにあるマシーンが私の脳の化学変化を分析するというのは、考えただかでも恐ろしいシナリオです。でもわれわれは他人のプライベートライフについては興味があるので、このシナリオに乗ってしまう。そうすると結局、自分たちのプライベートライフも、よく考えずに公開してしまうことになる。これが「透明になる」ということが意味するものです。
 もう一つあなたがあげた「恐怖」は、重要なポイントです。ソーシャル・プラットフォームは、何がわれわれを不安にさせるのか、何がわれわれに恐怖を感じさせるのかということを探知するのに長けています。しかもそれを使って、ますますわれわれを不安や恐怖に陥れ、インターネットにより多くの時間を使って広告を目にするよう仕向ける。そうなるとわれわれは、ある意味で自分自身のパロディ(滑稽な分身)と化してしまうのです。
 私の知っている人たちがそうなってしまったのを、この目で見ています。あなたもおそらくそういう人を身近に知っているでしょう。かなり複雑で深い世界観をもっていた人たちが、ある種の恐怖にからめとられてからは、それがますます重要なことになって、そればかり話題にするようになってしまった。それがインターネットがもたらす影響なのです。
 さらに根本的なことを言えば、「インターネットは人間ではない」ということです(笑)。
 インターネットはそのほとんどがアルゴリズム、つまりコンピューター・プログラムなわけですね。そしてこれは誰も言わないけれども、非常に本質的な点なのですが、「インターネットはわれわれのことを親身になって心配していない」ということです。全然、まったく(笑)。
 インターネットは、海や宇宙がわれわれのことを心配してなどいないように、まったくもって気にかけていない。子猫や、子犬が画面に現れて、一見親しみやすそうに見えますが、プログラムはわれわれのことなどまったく無関心なわけです。
──確かに非常に興味深い点です。
●インターネットはスパイの温床になる
──では、インターネット上で行われている、サイバー戦争についてはどうですか。アメリカは2016年のサイバー戦争でロシアに完敗したということですが、その原因はテクノロジーと人々の生活の関係が変わったために、ロシアの諜報機関が得意とするいわゆる「積極工作 active measures(さまざまな心理操作やメディア操作により、敵を攪乱・分断・崩壊させることを目的とした諜報活動)」の活動員たちに、大きなアドバンテージを与えることになったからだというものです。でもこのやり方は、アメリカの諜報機関がずっと世界中で行ってきたことではないですか。なぜロシアにとくにアドバンテージがあるとお考えですか。
スナイダー まず言っておきたいのは、ロシアがアメリカの大統領選挙で勝利したという本を読んだからといって、それでわれわれ(アメリカ人)のほうは無実だと言いたいわけではありません。私自身が最も嫌うものの一つは、「自分たちは何も悪いことはしていない、相手がひどいことをしただけだ」というような「無実」についての主張や議論です。もちろんアメリカも他の国の選挙に干渉してきました。これはひどいことです。どこの国であろうと、他国のみ選挙に干渉するのは倫理的にやってはいけないことです。だから、アメリカが中南米の国々の選挙に干渉するのは、ひどいことですし、ロシアがアメリカの選挙に干渉するのも、ひどいことです。一市民として、これらは忌避すべきことであると考えています。
 こう前置きしたうえで、2016年のアメリカ大統領選挙へのロシアの干渉についてですが、特筆すべきなのは、われわれのオープンかつナイーブなインターネットに対する態度というものが、おっしゃったような旧来の諜報活動メカニズムが働くための大きな通路をひらいたということです。
「積極工作」という旧来の手法は、まずあなたの心理についてよく研究して、それを今度はあなたを陥れるために利用する、というものです。一見良さそうに見えるけれども、よく考えてみたらあなたにとっては不利なことだったというような結果を招くわけです。
 ただこの「積極工作」を、従来のように人間同士の間で実行するのは容易なことではありません。人間同士の関係性を築いて、最終的にはあなたが夢にも思わなかったようなことをあなたにさせるようにもっていく。非常に難しいことですね。ところがテクノロジーをもってすれば、これがかなり容易くなるのです。スケールを大きくすることでこれが実行できるようになってしまう。
 もし現実世界で「積極工作」をあなたに仕掛けようとするなら、いろいろな周囲の人間関係を巻き込んで、さまざまなシナリオを築き上げなければならないわけで、それらをすべてが破綻しないようにもっていくのは至難の業です。
 ところが、この「積極工作」の対象が、あなた個人ではなく1億4000万人(フェイスブックを通じてロシアのプロパガンダに接した人の数)以上のアメリカ人ということになると、このスケールの大きさを利用して、これらの人々に働きかけることになります。そうなると、すべての人々を説得する必要はまったくなくて、その中のごく一部の人々を説得して自分たちの望む方向に誘導すればいい。それだけで選挙結果を左右して、自分たちに都合のいい勝利をもたらすことができるのです。
 そしてこれは重要な点ですが、その際彼らが私を「信用する」必要などまったくないのです。
 従来の「積極工作」の場合、あなたが工作員を信用する必要があります。「あなたに自分の利益に反する行動をとらせる」という最終目的に達するまでのシナリオを、あなたがすべて信用しないことには成り立たないからです。
 ところがコンピュータの場合、人々はなぜかコンピュータを信用してしまうんですね。
 自分で作ったものでもないのに、自分のコンピュータだと思ってしまう。インターネットも自分のものだと勘違いしてしまう。しかも画面上に出てくるウェブサイトは、自分がそれを選択しているのだと錯覚する。実際には彼ら自身が選択したものではなくて、広告会社や宣伝目的で雇われたひとが、ユーザーの性向や嗜好をフォローして、あらかじめより分けて提供しているのです。
 ロシアはフェイスブックを通して、あなたの好みを把握すると同時に、それらを使って人々をある方向に誘導し、社会を攪乱・分断させた。これが実際に起こったことです。
 テクノロジーは、悪意をもってわれわれを操作しようとする人々の前に、われわれを容赦なく裸でさらしたのです。今後はこれを教訓として、国家のみならず個人のレベルでも、こういった操作に容易に引っかからないようになることを願っています。
──確かに私たちはインターネットに対して非常にナイーブで、もたらす結果の重要性をあまり考えずに、自分たちを簡単にネット上にオープンにしてしまいます。
スナイダー そうです。
 すべての国は長所と短所を備えているわけで、アメリカはどちらかというと相手をすぐ信用する「高信用社会」ですね。アメリカ人がある領域で素晴らしい能力を発揮するのは、あるレベルの相手をすすんで信用するという性質があるから。ロシアとは異なります。ロシアは相手をなかなか信用しない「低信用社会」です。
 アメリカでは、自分とある程度似ている他の人を信用する傾向があって、それがビジネスに役立ってきたのです。ロシアはインターネット上に、アメリカ人が自分たちと似た人たちがいると錯覚するようなサイトをたくさんでっち上げた。もっぱらアメリカ人をターゲットにして、彼らの興味や嗜好に合わせて別々のサイトを用意しました。黒人用のサイト、白人至上主義者用のサイト、南部の人たち用のサイトをそれぞれ作って、彼らが自分たちと似たような人たちとコミュニケーションしているんだと錯覚するように操作した。だから人々はそれらに引っかかったのです。
 これはバカだったとしか言いようがありません。アメリカ人にとっていちばん難しいのは、自分たちが騙されたことを正直に認めることです。誤りを犯した、インターネットに騙された、ロシア政府に一杯食わされた、と素直に認めるのが本当に難しい。だからそうする代わりに、これはロシアがやったことではなくて、自分がこれを信用して選んだんだ、というふうに自己納得させようとします。
 これはアメリカ人に限ったことではありません。われわれは誰もが、インターネット上で騙された経験をもっているはずです。まずそれを認めることが重要です。
  最悪の暴力と「良い不完全」
●市民ではなくなった時に、最悪の悲劇が起こる
──ご著書について少し質問させてください。
『ブラッドランド』と『ブラックアース』は、これまでのホロコースト観を大きく変えるインパクトをもたらしました。
 まず「1933年から1945年の間に、バルト海と黒海の間そしてベルリンとモスクワとの間の地域で、約1400万人の人々が意図的に殺害された」わけですが、ご著書によると、次のような一般に知られていなかった点を指摘されています。
①「反ユダヤ主義」が戦争の主な原因ではなく、食料を確保するために農耕地を求めたことが主理由であって、当時の食料は現在の石油のような重要性をもっていた。
②ホロコーストは、ドイツ人国内でドイツ人によって行われたのではなく、むしろドイツ人が侵略する以前にソ連によって大規模な侵略殺害が行われた東ヨーロッパの地域でこそ、主に実行に移された。
③大量殺害は、ソ連のNKVDやドイツのSSによって行われたのみならず、多くの地域住民によって実行された。彼らは自らサバイバルを懸けて、ドイツのために働く以前はソ連のために働いていた。
 これらを踏まえて、なぜある国々ではユダヤ人はほぼ生き残って、別の国々ではその多くが殺されてしまうことになったのか *1、お話しいただけますか。
*1 エストニアでは99%のユダヤ人が殺され、オランダでも75%のユダヤ人が殺されたが、デンマークでは親ナチ政権だったにもかかわらず99%のユダヤ人が生き残り、フランスでも75%のユダヤ人が生き残った。
スナイダー 『ブラッドランド』では、誰がどこで死んだのかを記録しようとしました。「ホロコースト」には地理部分が欠落していましたから、一体どこでユダヤ人たちが死んだのかを検証したわけです。そして、ユダヤ人たちが死んだ地域では、他の東たちも何百万という単位で死んでいった。その背景には理由があるはずだと考えたんですね。
 たとえば、ドイツもソ連も(食料確保の目的のために)肥沃なウクライナに大いに関心があった。ウクライナには多くのユダヤ人が住んでいて、ドイツがウクライナに侵攻するには、さらに多くのユダヤ人たちが住んでいたポーランド領域を通る必要があった。
 私の論点は、ヒトラーはユダヤ人を最終的な敵として見ていたけれども、実際に戦争を始めるまでは、彼らを殺害するには至らなかった。で、その戦争はウクライナの領地をめぐってのものでした。ですから二つの事柄が同時に起きたことになります。ドイツは食料確保のためにある他国の領地をコントロールしようとしたけれども、その領地にはたまたま多くのユダヤ人が住んでいた。戦争がひどくなっていくに従って、次第に領地のコントロールよりも、ユダヤ人殺害そのものが目的となっていった、ということです。
『ブラックアース』で言いたかったのは、人々を殺害するための条件を整えようとする場合、最初に行われるのは、インスティテューション(国家や組織といった体制)をとり除いてしまうことです。権威主義や国家主義というものは、それだけでは大量殺戮には直接つながらないということを言いたかった。大量殺戮とは、別の国がもっている権力を払拭することで、まず人々を一挙に脆弱にし、その後で国家権力を行使する形で行われるのです。
 これは少し説明がいります。われわれは、強い国家権力はその市民を虐げると思いがちですね。それもそのとおりで、たとえば現在中国は、実際ウイグル人のイスラム教市民を抑圧し、彼らをキャンプに収容していますし、ミャンマーでも、イスラム教市民が抑圧されている。これらは強力な国家権力が、自国市民を抑圧している例です。ですから、そういうことも確かに起こります。
 しかし最悪の暴力とは、ある国家が別の国家の領地に侵入していって、その領地そして国家を破壊したうえで行使される時のものです。このやり方がヨーロッパにおける帝国主義の全歴史です。ドイツが、ここにはポーランドは存在しない、ソ連も存在しない、だからこの土地にいる人々をどうしようとまったく構わないのだと宣言した、そういう条件がそろった状況で初めて、ユダヤ人の大量殺害が可能になったのです。
 ある国はもはや存在しない、とドイツが宣言した地域においてはユダヤ人の大量殺戮が実行されたけれども、ドイツの同盟国では、多くのユダヤ人が生き残った。そういう国が、たとえ権威主義国家や、極右支配国家や、親ナチ国家だったとしても、国家権力が自国の市民を殺害するとなると、これは一挙に難しくなるからです。
 つまり、国家がある国によって破壊されると、別の国がその地域を蹂躙してホロコーストを始めることを促進することになる。二度の侵略を受けた地域では、ユダヤ人は非常に高い確率で消滅していった一方、国家が存続していたところに住んでいたユダヤ人は、高い確率で生き残ったのです。
──ヒトラーとスターリンは、両者とも領地��食料を求めて戦争をしていたわけですが、どういった点が大きく異なっていたのでしょうか。
スナイダー 二人は似たところがありました。グローバリゼーションに対処するアイディアというものをもっていた点、一党独裁で国家を運営していくことが可能だと考えていた点、そして両者ともあらゆることを、つまり歴史や時間というものを加速度的に進めようとした点。
 違いは、スターリンの敵は資本主義でしたが、ヒトラーは民族ということに焦点を絞っていて、ユダヤ人による陰謀ということを考えていた。とくに30~40年代、スターリンは大きな領域をコントロールしようとしたのに対し、ヒトラーは大きな領域を変えようとしていた。そしてスターリンは自国領の末端部分の人々を殺したけれども、ヒトラーはポーランドとソ連と戦争をしながら、その領域で主に殺戮を行ったわけです。
●「われわれ VS 彼ら」という対立構図を避けよう
──ナチ党の主要指導者の一人であったヘルマン・ゲーリングは、こう言っています。
「もちろん人々は誰も戦争などしたくはない。しかし、政策決定するのは国の指導者たちなのであって、それが民主主義だろうとファシスト独裁主義だろうと議会制だろうと共産主義独裁だろうとまったく関係なく、人々を(戦争に)同意させるのはいつも簡単なことなのだ。単に、われわれは攻撃されたんだと言いふらし、平和主義者たちを、国に危機をもたらす愛国心を欠いた卑怯者だと言って貶めればいいだけのことだ。どの国でもこの方法は必ずうまくいく」(Nuremberg Diary, Gustave Gilbert, 1947)
 つまり、人々の「生き残り本能」を刺激すれば、彼らの意見や意志を変えることなど朝飯前だというわけです。確かに9・11後のアメリカで、2003年にイラク戦争を始める際には、この方法が効力を発揮しました。
 このような落とし穴に落ちないようにするには、どうしたらいいのでしょうか。
スナイダー まず初めに、いかなる場合でも「われわれ VS 彼ら」という対立構図を作る政治のやり方は大いに危険であると、常に意識していることが大事ですね。確かにありとあらゆるシステムでこの(ゲーリングが指摘した)やり方が可能ですが、その効果には差があって、この方法が容易く実行できてしまうシステムと、そうでないシステムもあります。
 市民権が弱く、報道機関が脆弱な国ほど、この手法が効果を発揮する。たとえば今日のアメリカでは、トランプ氏は、メキシコや中国への過激発言をすることで、かなり多くの人々を煽動することができますが、すべての人々を動かすことはできないし、明日メキシコを侵略するぞと宣言しても、すぐにそれに対する強力な不支持に突き当たることになります。
 ですから、ゲーリングの言っていることはある程度正しいのですが、いつも必ず効力を発揮するとは限りません。肝心なのは、「われわれ VS 彼ら」という対立思考に代わるものとして、一体どのような考えを人々の中に広めていったらいいのか、という点ですね。これは先ほど話に出た「事実を探求すること」につながります。事実の探求は、「われわれ VS 彼ら」という単純な対立構図をずっと複雑なものにします。
 それと、「ポジティブで倫理的な民主主義」とはどういうものかということを、積極的に考えてみることが大事です。民主主義とは、単にわれわれがもっている制度だというふうにとらえるのではなく、政党や労働組合やさまざまな組織を通じて人々を社会的につなげる制度であるととらえる。そうすることによって、状況は複雑になり、人々が「われわれ VS 彼ら」という単純な構図をとりにくくするわけです。もしメキシコ人が同じ労働組合や教会のメンバーだったら、それだけですでに、われわれが善いほうで彼らが悪いほうだという「われわれ VS 彼ら」という区別をするのを少しためらうでしょう。
 加えて、権力の分散が重要です。トランプ氏は、もし彼自身が指さすだけで、ある国や地域を侵略することができるのだったら、大喜びでしょう。ホワイトハウスで働く人たちが証言していることですが、トランプ氏は、実際にそうしようとしたことがすでに何度もあるようですね。そうさせないよう彼を説得したと。権力の分散は、大統領でさえそれによって制約されることを意味します。メキシコの例に戻るならば、もしトランプ氏が実際にメキシコを侵略しようとしても、現在の分断した米国議会でさえ、(共和党と民主党が)そろって阻止しようとするでしょうし、他の公的機関も阻止するでしょう。
 ゲーリングの言ったことはそのとおりです。これはいつの時代でも起こりうることですし、その傾向はいつの時代にもあります。大事なのは、われわれは、社会が多様性を包容できるようにもっていくことができるのか、社会がプロパガンダに対して懐疑的になるようにもっていくことができるのか、ということですね。
●国家はサイエンスに投資すべきだ
──『ブラックアース』の結論部分で、「ホロコーストを理解することは、おそらく人類存続のための最後のチャンスになるだろう。••••••国家というものは、将来について冷静に思考するためにサイエンスに投資すべきだ。時間が思考を支え、思考が時間を支える。構造が多様性を支え、多様性が構造を支える」と書かれていますが、「ホロコースト」はどのような新たなレッスン(教訓)を今日の世界に提供できるのでしょうか。また、国家はなぜサイエンスに投資するべきなのか、お話しいただけますか。
スナイダー あの本は2014年に書いたものですが、未来をわれわれ自身の手でなんとかしなければならないという強い思いがあって、将来、気候変動問題がさらに深刻化して、資源確保をめぐっての競争が激しくなり、食料や水、領地をめぐって、人々の恐怖意識と闘争意識が高まっていって、「われわれ VS 彼ら」という対立が際立ってくるだろうという危機感がありました。
 未来を考えるにあたって、二つのやり方があります。まず、ヒトラーが言ったように未来とは「避けられない闘争」であると考えるのか、それとも「われわれ人間は理性的に世界をとらえて、道具を創造し、それらの道具が時間を生み出すことを可能にする。それによって将来の悪いシナリオを避けることが可能となり、2年、5年、10年、20年という時間がわれわれに与えられ、子どもを作って、その彼らにも未来があるのだと想像することを可能にする」と考えるのか、ということです。
 これまであまり注意が払われてこなかったのですが、この本で指摘したかったのは、ヒトラーがサイエンスに反対していたという点です。ヒトラーは���サイエンスが未来を作るというのは、ユダヤ人が生み出した幻想だ。テクノロジーは使えるかもしれないが、それによって『われわれ人間は闘争する存在だ』という原理原則が揺らぐようなことはない」のだと言っていました。
 サイエンスは重要です。それは歴史と同じく、原因と結果についての研究で、そこには過去と現在と未来という軸があります。サイエンスは、われわれ人間に未来というものを期待させてくれるから重要なのです。
 もしサイエンスを支持するのであれば、そこには原因と結果があると認識することになる。現在の状況には過去の決断の影響があると認めることになり、現在のわれわれの決断が未来に影響を与えるということを認めることになります。サイエンスは多くの事柄の基本です。
 現アメリカ大統領と行政府は、サイエンスと人文科学の両方に対して非常に敵対する態度をとっています。人文科学はどこに問題があるかを指摘し、サイエンスがそれをどのようにして解決するかを提示するのですが、現行政府は(問題を解決するどころか)次々と新たな問題を生み出しているというのが現状です。
●民主主義は時間を稼ぐ
──では、その大統領を選出した民主主義についてですが、「最も不完全な民主主義でも、最も完全な独裁主義よりまだはるかにましだ」と言う人もいますが、賛同されますか。
 また、「民主主義とは、何度も間違いを犯すことを可能にする制度であり、国家が『時間』を稼ぐためのシステムだ」とおっしゃっていますが、なぜ繰り返しやり直すことができることがそれほど重要なのでしょうか。
スナイダー これは世界を基本的にどうとらえるかということと関係しています。
 私自身は「完全(パーフェクト)な独裁主義」などありえないと考えます。なぜならパーフェクトな独裁者など存在しないからです。いちばんいい時でも、われわれは誰一人としてパーフェクトではありえない。完全な独裁主義がありえない理由は、世界全体を把握するアイディアというようなものは、決して作りえないからです。そのような完全さはありえない。
 われわれに必要なのは、「良い不完全」というものです。あなたも私も、誰もがしばしば間違いを犯すのであって、あなたの倫理観と私のそれとは異なっていて、一致してはいないということを、オープンに言うことができるシステムです。どのようなシステムが、ひどい犠牲を払わずに「不完全」であることを許容できるのか。自分とは倫理観の異なる人たちを踏みつぶすことなく、自分の倫理観を表現できるのか。実はこれらこそ「民主主義」や「多元主義」が可能にしている事柄なのです。
 これらのシステムでは、われわれは自分を表現することができて、勝つこともあれば負けることもあるし、自分の倫理観に基づいて投票することはできても、ほとんどの場合、自分の意見を他人に強要することはできません。世界が不完全だからこそ、「民主主義」が良いシステムなのです。
 良い民主主義のもとでは、多様性というものが祝福されます。あなたと私とは常に異なる人格をもった人間だという認識、個人主義というものが祝福される。これはいいことです。ある特定の人物があなたや私を完全に代表することはできません。(たとえば国家といった)インスティテューションこそが、多様性を許し、表現の自由を許すのです。だから民主主義が良いシステムなのです。
 そらから、神でない限り、いかなる独裁者も必ず死にます。そのことだけでも完全な独裁者というものが存在しないことは明白ですね。誰でも必ず老いて死ぬわけだから。そして老い際に、システム全体も道連れにして崩壊させることになります。独裁主義のもとでは、特定の個人そのものがシステムだからです。
 民主主義はもっとカジュアルです。民主主義のもとでも、人々は病気になったりして死にますし、選挙に負けたりもする。それでも「手続き」というものが存在していて、その「手続き」が時間を稼ぐのです。そうすることで、たとえリーダーが亡くなっても(選挙によって代わりの人を立てることができるし、人が交替してもシステムそのものは機能しつづけるので)、続けて国家も一緒に崩壊してしまうのではないかと心配している人々がパニックを起こすようなことは避けられます。この点が重要なのです。
──ちょうど種の多様性の増大が、地球を安定化させてその耐性を高めてきたことと似ていますね。
スナイダー それはいい例です。
  暴政を避けるためのレッスン
●忖度による服従をするな
──あなたの『暴政:20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン』(2017年)は、とても身につまされ励まされるものでした。たとえば、
「言葉を大切に」は、貧しい言葉が全体主義を招くというジョージ・オーウェルの『1984年』の世界を思い起こさせますし、「真実を大切にせよ」と「よく調べよ」は、嘘を遠ざけて自由を守るためには必須の態度ですし、「職業倫理を忘れるな」と「できうる限り勇気を持て」、いずれも実行するのはそう簡単ではないですが、常に意識していないと、つい不本意なことに引きずられる結果となってしまいます。
 で、まず第一にあなたがあげた「忖度による服従をするな」というレッスンについてですが、アメリカの社会心理学者スタンレー・ミルグラム(1933ー1984)の実験 *2 を紹介していました。それによると、人々は、「命令に従うことが、社会をより良くするために自分が果たすべき責任である」と信じた場合、いかに残酷な命令であっても良心の呵責をまったく感ずることなくそれに従うことができる、と。
 そしてご存じのように、ハンナ・アーレントは『エルサレムのアイヒマン』の中で、アイヒマン個人は、「『反ユダヤ人』という考えをまったく持っておらず」「検察側のありとあらゆる努力にもかかわらず、誰の目似も明らかなのは、この男(アイヒマン)は『モンスター』などではまったくないということだ」と語っています。すなわち誰でもアイヒマンになる可能性があるのだと。
 私たちには優れた想像力というものが備わっているので、ごく自然に他人が一体何を欲しているのかを知ろうとします。それは幼児や老人や病人の世話をする際には、とても素晴らしい働きをしますが、同時に「忖度による服従」というような行動を生むことにもなってしまうわけです。
 一体どうやってこのごく自然な人間の性向というものに抵抗したらいいのでしょうか。
*2 アメリカの社会心理学者スタンレー・ミルグラムによる「隷属行動の研究」実験は、一般市民が特定の命令のもとでは非常に残酷な行為を平気で行うことができることを証明するもの。教師の役を与えられた被検者は、壁の向こう側にいる生徒役の人物に簡単な単語問題を出し、生徒が間違えると生徒に電気ショックを与えるよう指示される。電圧は15Vから始まって最大450Vまで15Vずつ上げていくことができ、加圧量に従って、生徒に反応する声が聞こえるように設定してある。生徒役には実際の被害はないのだが、被検者にはそれがわからず、本物としか思えない声が聞こえてくる。実際生徒の、痛みを訴える声から、絶叫、そして苦悶の金切り声、失神して無反応になる、まで聞かされるのだが、指導者から静かにかつケンイテキニ実験継続を施されると、驚いたことに、生徒が絶叫して実験中止を懇願する300Vまでは、なんと100%の被検者が加圧し続け、最大の450Vまでスイッチを入れた者は65%にものぼった
スナイダー 今おっしゃったことの中にすでに答えがあります。市民であるということは、自分が置かれている状況がどのようなものなのかをしっかりと識別するということです。
 たとえば街の会合(タウンミーティング)に行くとします。まず会場に入って椅子に座る。これは誰もがやっていることだから、そうすべきことですね。しかし数人が手をあげて、「町の工場が汚染された廃液を川に流しているけれども、それは許容範囲だ」というような発言をした場合、たとえ大勢の人が許容側であったとしても、「とんでもない、それは許容できない」と、しっかり反対意見を言うべきなのです。重要なのは、椅子に座るという皆と同調した行為と、肝心な時には反対意見を述べるという行為との違いを、はっきり認識するということです。
 先ほどの「多様性」の話に戻りますが、たとえば野球を観にいくと、みんなと同じように声援を送りますが、時には他の観衆とはまったく反対の行為をすることもあるわけです(たとえばヤンキー・スタジアムで、並みいるヤンキースファンの中で、レッドソックスを応援するようなもの)。個人として自立するためには、これら両者の違いがわかる必要があります。
 それこそがわれわれをして独立した個人たらしめるものです。この違いがわかるためには、繰り返し練習する必要があります。どこで線を引くのかということですが、誰もが同じところで線引きをする必要もありません。でも線を引くことができなければならない。だから第一レッスンが「忖度による服従をするな」ということなのです。
 場合によっては、「これは今の私にとって普通(ノーマル)じゃない」と、しっかり言うことができなければならない。すべてのことをノーマルだと許容するのであれば、結果として権威主義を許容することになってしまうからです。
●組織や制度を守れ
──20のレッスンの中で、とてもユニークなものの一つは、「組織や制度を守れ」というものです。この「組織」の中には、いかなるサイズの組織も含まれるのでしょうか。たとえば宗教組織とか結婚なども。
スナイダー それは面白い点です。私が意味した「組織」とは、政府組織や、さまざまな非政府組織のことです。「ホロコースト」研究からみちびかれた結論は、これはちょっと保守的に聞こえるかもしれませんが、どんなに不十分な組織であっても、まったくないよりはましだということです。そして、うまく機能していない組織があった場合、それを壊してしまうよりは、改良して使えるようにするほうが望ましい。
 たとえば、私自身はアメリカの最高裁判所が下した判決に対して大いに不満をもっていますが、だからといって憲法まで破棄してしまおうとは思わない。一般的に言って、国家の組織は、物事が急激に変わってしまうのを防ぐ役割を果たします。これによって体制が激変しないよう防御すると同時に、個人が孤立してしまうのを防ぐ役割も果たします。
 アメリカでは現在人々が選挙に立候補していますが(2018年11月の中間選挙)、立候補することで彼らは「議会制度」を守っているのです。票を集めるために、他の人たちと一緒に活動することになるからです。非政府組織も同じです。労働組合でもボーイスカウトでもローカルな野球チームでも、そしておそらく結婚でも、それらの組織や制度は、人々が一人になってしまうことを防いでくれる。人間はまったく一人になってしまったら、完全に負けです。
 アメリカにおける「自由」のコンセプトは誤解を招きやすいところがあります。たとえばよくアメリカ映画に出てくるのは、たった一人のヒーローが最後に世界を救うというようなストーリーで、宇宙からの敵を相手にするにしろ何にしろ、いつもたった一人のヒーローが救済するわけですが、実際には、たった一人になったヒーローは必ず負けてしまうのです。言い換えると、一人にしてしまえばその人を必ず敗北させることができるということでもあります。
 組織は、われわれは一緒だということを自覚させてくれます。その中で初めて、個人が一人で何かをするということが可能になる。ですから国家組織と非国家組織の両方ですね。
──宗教組織もですか。
スナイダー (躊躇しつつ)一つ以上存在することを許すなら、ですね(笑)。
●相手の目を見て世間話をせよ
──もう一つのユニークなレッスンは、「相手の目を見なさい。そして世間話(スモールトーク)をしなさい」というものです。私たちはどちらかというと「世間話」というのはとるに足らないものだと教わってきましたし、インターネットを通じたコミュニケーションが増えることで、ますます相手の目を見つめる機会が少なくなってきています。なぜ相手の目を見ることと世間話をすることが重要なのでしょうか。
スナイダー このレッスンについては、ほとんどすべての人が質問してきます(笑)。
 おそらくほとんどの人が、これは真実だと直感的にわかっているからでしょう。お互いに相手が人間であることを認識し合うことが大事だと知っているからだと思います。このレッスンの本質はここにあります。
 コンピュータと目を見つめ合うことはできません。目線を向けることはできても、見つめ合うことはできない。コンピュータは見つめ返してくれません。動物たちと見つめ合うことはできるし、人間同士見つめ合うこともできます。見つめ合うということは、相手がそこにいることを認識することであり、エレベーターの中でも、バーにいても、誰かが目を見つめたら、必ずわかります。目を見つめられたら、それを無視することは非常に難しい。
 なぜこのレッスンを入れたかというと、人々が分裂してしまうことや細分化してしまうことをできるだけ避けたいと思っているからです。現実の世界で実際に他の人たちと直接接触できる��重な機会があった場合には、それらの人たちと一緒にいるということを実感したい。
 目を見つめるということは、同時に肯定することも意味します。政治が悪いほうに傾いてきて、人々が孤独を感じたり抑圧されていると感じたりする場合、彼らの目を見つめることは、彼らを認識することにつながるわけです。「避けて通る」ことの逆が「目を見つめる」ということになります。
 世間話をするのも、相手がリアルな存在だと受け入れることを意味します。現在アメリカでは世間話をするのはとても大事です。なぜなら、重要な話(ビッグトーク)はしにくい状況になっていますから(笑)。
 自分とは異なる視点をもった人たちともつながろうとするなら、他のさまざまなトピックについても話ができなければならない。「真実でない事柄」を信じている人たちとコミュニケートするには、まずお互いに人間であると認め合うところから始める必要があります。直裁に「真実でない事柄」の部分から話を始めるわけにはいかないからです。
 まず、その人たちが大切に思っていること、たとえば天候や食べ物や子どものことといった普通のことを、あなたも大切に思っているんだと伝えます。その後で、彼らとは異なる意見の部分を提示する。それでも彼らは同意するとは限りませんが、少なくともあなたを人間だと認めることになりますし、異なる意見をもった別の人間の存在を認識することでになります。
●愛国者(パトリオット)は歓迎するが、国粋主義者(ナショナリスト)は願い下げ
──レッスンの一つは「愛国者であれ」というものですが、オルダス・ハクスリー(1849ー1963)は、「愛国心というものの最大の魅力の一つは、自分たち自身は深く善良であると感じながら、相手をいじめたり欺いたりするという、われわれの最悪の欲望をみたすことができるからだ」と言っていますし、バートランド・ラッセル(1872ー1970)も、「愛国心というものは、つまらない理由のために殺したり殺されたりする意志のことだ」と言っています。
 あなたはどうやってハクスリーとラッセルを説得しますか。
スナイダー オスカー・ワイルド(1854ー1900)も「愛国心とは悪党の最後の砦だ」と言っていますし、リストはまだまだ続きます(笑)。
「原則」の問題と「実践」の問題を考えています。
 まず原則について考えてみましょう。自分自身のアイデンティティが自分の外側に向かっていくことによって集団の原則となるわけです。「愛国心」と言った場合、自分の国が正しいとか誤っている、といったようなことを問題にしているのではないですね。私はある原則というものをもっていて、それは国家の原則でもあるべきだ、というふうに考えるのが「愛国者」です。
 アメリカではたとえば「自由」がこの原則に当てはまります。そして愛国者は、個人だけでなく国家もこの原則に従うべきだと考える。この意味での愛国者は、決して満足するということはないですし、「リーダーがやることはなんでもOKで自分はそれに従う」などとも言いません。
 アメリカの原則を「自由」だとするなら、愛国者だったら、国旗に対して敬礼をしなければならないと考えるのか、それとも(たとえば大統領の態度に反対して国旗に敬礼しないという態度をとるような)抵抗を示してもいいと考えるのか。もし原則が「自由」ならば、もちろん抵抗してもいいというふうに考えるはずですよね。抵抗することはむしろ歓迎されるべきことになるはずです。愛国者というのは、国をしてある方向に向かわせようと努力する人々のことだと理解しています。
 これに対して「国粋主義者」のほうには、あなたがおっしゃった事柄がすべて当てはまります。国粋主義者は、リーダーの言うことにすべて従うことはOKで、これは私の国で、私の国は常に正しく、グループの名のもとに抑圧行為をしても許されると考えるのです。
 原則として、万能な人間などいないですし、完全に純粋な人間も存在しません。可能なのは、自分が所属するグループをある共通するスタンダードにもっていこうと努力すること、これが愛国心です。「愛国者であれ」というのは、「国粋主義者にはなるな」という意味でもあります。
「実践」の問題としては、もし人々が自分の国について、つまり実際の政治が行われるところについて、そして愛国心というものについて、語り合うことを躊躇するならば、結果として国に対する良い感情を逆の側(極右側)に利用されることになります。これはまったくの愚策ですね。自分の国に対してなんらかの発言をすることを躊躇していると、極右側にいい口実を与えてしまうことになる。「左側や中道派の連中は自分の国を恥じているんだ」と極右側が主張するのを助けることになってしまいます。
 私自身は、自分の国を恥じてはいないし、自分の国を愛していると、ハッキリ言えます。今よりずっとましな国であるべきだとは思いますが(笑)。
 そしてそのために政治というものがあるのです。政治とは、「自分の国は瑕疵のない素晴らしい国だ」と言いまくることじゃない、それは政治ではなく怠慢です。
 政治とは、「われわれはこれらの事柄を大事にしているし、この国を愛している。だからこの国にはこれらの良い制作やアイディアを採用してもらいたいし、この国に住むさまざまな人々にとって、そして次の世代にとって、より良い国になっていってもらいたい」というふうに言うことです。これが私がこのレッスンで意図したところです。
●歴史を学ぶことが未来を生み、民主主義を支える
──最後に、歴史を学ぶ重要性についてお話いただけますか。
スナイダー われわれには歴史が必要です。なぜならわれわれには「時間」というものが必要だからです。われわれの後ろには、これまで人類が営々と構築してきた大きな遺産があるということを意識する必要があります。われわれはこの瞬間にのみ生きているのではなくて、われわれの存在は海の波のようなものです。海の波がこの瞬間に打ち寄せるのは、それ以前に何千キロメートルにもわたる波の構築があるからですね。この波が打ち寄せるまで、ずーっとその波は続いてきたし、さまざまな周囲の影響があって初めて、この波はこの時この場所で打ち寄せるわけです。
 われわれの現在というものは、この波のようなものです。われわれは、何かが起こると驚くわけですが、もし現在というものがこれまでの長い過去の蓄積の上にあると理解すれば、それほど驚くことにはならないでしょう。過去を知れば知るほど、現状に対して冷静に対処することができるようになります。
 同時に、われわれには未来が必要だから、歴史が必要なのです。
「歴史の終わり」を宣言することの問題点は、そうすることで「未来の終わり」をも意味してしまうからです。実際に1989年(東欧革命:東欧の共産主義政権崩壊が起こり、アメリカの覇権が現実になった年)以降、西欧では「歴史の終わり」ということがさかんに言われた。やはり選択肢というものはないのだと。そういう見方の問題点は、いったん「過去」について考察することをやめてしまうと、つまり過去が現在とどのようにつながっているのかという流れを感じることができなくなると、「未来」についても考えることができなくなってしまうということです。考えられるのは「現在」だけになってしまう。そして想像できる未来像が貧弱になってしまい、想像できる未来とは、単なる現在の続きとしてのそれだけに限られてしまうのです。
 インターネットが良い例です。インターネットの一体どこが未来的なのでしょうか。現在の最も重要なテクノロジーですが、これらがもたらしたことといえば、われわれを以前よりやや野蛮にしたということです。
 そこには何も未来的な要素がありません。インターネットのことを話題にしている人々は、実際にどのような未来像をわれわれに提供しているのでしょうか。
 彼らの描く未来像とは、太平洋に彼らだけのための人工島を作ったり、彼らだけが火星に移住したり、彼らだけが永遠の命を手にすることができたり、かくせんそうになったら彼らだけニュージーランドの核シェルターに入ることができたりするもので、これらを「未来」と呼ぶことはできません。
 歴史を把握しないと、可能な未来像というものが見えなくなります。これはわれわれを圧倒的に品質にしてしまう。社会を貧弱にするのみならず、民主主義を困難にしてしまう。民主主義というのは未来に対する「賭け」であるべきだからです。ある候補者やある党に投票するのは、彼らが将来これらの政策を施行してくれる可能性がありそうだし、それは将来われわれにとっていいことだと思うからです。
 もし現在にのみとらわれて、未来のことを考えないようになったら、権威主義者が勝利してしまいます。未来がないのであれば、権威主義者たちは、過去にあった脅威に焦点を当てたり現在の感情に焦点を当てることになるからで、「過去」と「現在」だけが政治の対象になったら、権威主義がはびこってしまいます。民主主義が残っていくためには、「未来」への展望がなければならない。
 歴史こそが、未来に向かった考察というものを可能にするのです。歴史は、過去にどのような選択肢が可能だったのかを見せてくれますし、時間の流れる方向を示してくれます。未来は明確なものではないですが、少なくともわれわれが影響を及ぼすことのできる「未来」が存在する、ということを実感ささせてくれるのです。
 歴史とは、人々が感じているよりもずっとじゅかな役割を果たしています。
 歴史が重要でなくなることと民主主義の衰退とは強く関連していると思います。原因と結果という関係にあると。
「嘘と孤独とテクノロジー──知の巨人に聞く」
著者 吉成真由美(インタビュー・編)
(株)集英社インターナショナル
2020年4月12日発行(インターナショナル新書)第二章ティモシー・スナイダー「テクノロジーのロシアとファシズムの関係」より
吉成真由美(よしなりまゆみ)
サイエンスライター。マサチューセッツ工科大学卒業、ハーバード大学大学院修士課程修了。元NHKディレクター。著書に『知の逆転』『知の英断』『人間の未来AI、経済、民主主義』(インタビュー・編、すべてNHK出版新書)、『進化とは何か:リチャード・ドーキンス博士の特別講義』(編集・翻訳、早川書房)等。
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I Mean Us - UNICODE feat. 鳳小岳 Rhydian Vaughan [Official Music Video]
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Cast| Chou Chrissy |Rhydian Vaughan|I Mean Us
製作公司 Production Company | Nakama Studio 專案管理 Project Manager|提摩西 Timothy Chen 導演 Director|提摩西 Timothy Chen 製片 Producer|提摩西 Timothy Chen 美術指導 Art Direction|提摩西 Timothy Chen 造型指導 Costume Designer|提摩西 Timothy Chen 化妝師 Makeup Artist |萬芹菲 Wan 攝影師 Director of Photography|提摩西 Timothy Chen 攝大助 1st AC|翁悅嘉 Yeah Weng 攝二助 2nd AC |賴泓甫 Roy Lai 剪接師 Editor|提摩西 Timothy Chen 調光師 Colorist|萬芷瑋 Abby Wan 字體設計 Typography |鄭宇辰 u_u 劇照師 Still Photographer:Milkgreen|Yo Young|ATHENA|Sica Hair Stylist & Make up for Rhydian Vaughan|effyblue Fashion stylist | Dorene Li 李朵 Make-up  |  Wan 萬芹菲 Make-up Assistant | Adi Lai Hair stylist | Jinchi hu 胡晉齊、Ann Hsiao 蕭安婷 Nails | Brooklyn 梁容 Photographer of nails | ATHENA 吖席娜 Wear | Nevadi|Lee mei hsien李美嫻|LaiChiaHan賴家翰|Rick Owens
特別感謝 Special thanks | Lisa Hu|陳柏維 Nagwho|林威佐|許立忠|Tommy|小璟|洪御 Hom Yu
●○●○MUSIC●○●○
作曲 Composer:梁丹郡 Mandark Liang 作詞 Lyrics:梁丹郡 Mandark Liang|楊詠淳 Vitz Yang 編曲 Arranger:I Mean Us 演奏 Performer:I Mean Us
主唱 Vocal:梁丹郡 Mandark Liang|鳳小岳 Rhydian Vaughan 吉他 Guitar:章羣 Chun Zhang|楊詠淳 Vitz Yang|鳳小岳 Rhydian Vaughan 合成器 Synthesizer:梁丹郡 Mandark Liang|Yuqi (@UQiYO) 鼓 Drums:呂佩蓬 PP L 貝斯 Bass:陳思翰 Hank Chen 合聲 Chorus:季欣霈 Apay|鳳小岳 Rhydian Vaughan|梁丹郡 Mandark Liang 合聲編寫 Chorus Arranger:梁丹郡 Mandark Liang
製作人 Producer:韓立康 LUB 鼓組錄音師 Drums Recording Engineer:錢煒安 Zen Chien 鼓組錄音室 Drums Recording Studio:112F Recording Studio 人聲錄音師 Vocals Recording Engineer:蔡周翰(@Lights Up Studio)|葉育軒 人聲錄音室 Vocals Recording Studio:BB Road Studio 其他樂器錄音師 Other Instruments Recording Engineer:韓立康 LUB|蔡周翰 其他樂器錄音室 Other Instruments Recording Studio:阿康工作室|BB Road Studio 混音師 Mixing Engineer:黃文萱 Ziya Huang 混音錄音室 Mixing Studio:Purring Sound Studio 母帶後期處理工程師 Mastering Engineer:Greg Calbi|Steve Fallone 母帶後期錄音室 Mastering Studio:Sterling Sound 製作助理 Producing Assistant:趙宇晨 鼓錄音助理 Drums Recording Assistant:陳祺龍 Chris Chen
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catherinenorance · 3 years
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我是林小瑞,現在在俄羅斯的機場。
我們已經到俄羅斯了,現在在跟常駐在這裡的助理交接。
現在的我,被派過去找人拿一個秘密文件。
小焓說,會面的人在廁所那邊,我要去跟他見面。
我到了一間廁所,裡面只有一個人。
我一進去,他就準備離開,我跑過去看他剛剛在的地方。
那裏有一個包包,我把他撿起來,就離開了。
拿回來以後,我趕快回去找其他人。
「拿到了。」
小棣要我把包包拿給小焓,所以我拿給他。
「所以小棣,那是甚麼文件啊?」我問。
「嗯⋯⋯應該可以說是交易紀錄吧。」小棣輕鬆的說。
「哥哥,我們要前往別墅了。」小焓說。
「好,要大家行動吧。」
「是。」
助理們開始移動,我們也是。
外面停了幾輛車,有一個人從下面走下來。
他跟在美國的鮑勃一樣是白人,但比他還高,而且好像有在健身。
欸?他跟伯納公爵一樣高耶。
「少爺,我是新的助理長阿列克謝·諾維科夫(Aleksei Novikov)。」
他的名字感覺超級難念,雖然他說的是英文,但我們要怎麼稱呼他啊?
「有甚麼方法可以稱呼你嗎?」小棣問。
「有的,我的英文名字叫提摩西(Timothy)。」
「那⋯⋯提摩西。」小棣看了一下手機說:「我們帶的這些傢伙等一下就會回國,所以幫我們配一些這邊的助理給我。」
「是。」
提摩西帶我們到外面,接著跟那邊的人說了幾句話。
我應該是不會知道他們在說甚麼了,因為他們說的是俄語。
接著提摩西帶我們上車,一行人浩浩蕩蕩的���往俄羅斯分布。
「提摩西,現在這裡的天氣如何?」小棣問。
「還算可以。」
「嗯。」小棣點頭。
我一直在想,這次來俄羅斯應該可以拿到冬天的助理制服吧,都已經要寒假了。
上車之後,這邊的助理給我們一杯熱飲,然後給我幾套制服。
「那是我們集團俄羅斯分布專用的制服,小瑞你先把外套穿起來吧。」小棣說。
我點頭,抓起外套直接穿在身上。
好溫暖喔。
因為機場和車子裡有暖氣,所以我們大家都感覺不到冷,而且今天的天氣在俄羅斯的冬天也算溫暖。
除了司機和助理外,我們大家都縮在自己的位子喝飲料。
「話說,少爺已經很久沒有來俄羅斯分布了吧。」提摩西說。
「嗯,上次來是要參加宴會吧。」小棣回答。
「提摩西,別墅有整理過吧?」小焓問。
「這是當然。」
「這次要準備那位小姐的衣服,有準備吧,我們衣服的尺寸數據都有事先寄來。」小焓看著小琦。
「有的。」提摩西點頭。
我們一路前進,到一棟大房子前。
因為外面在下雪,所以外觀看不清楚,但我很確定這間房子很大。
我們開門先讓小棣和小琦下車,接著是我和小焓,最後才是提摩西和其他助理。
當然,我們進去第一件事是去換衣服。
我穿上新的制服,回到客廳。
#奇幻 #長篇 #連載 #原創小說 # 勇者秘記 ——第十一段《準備到俄羅斯分部》
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linksports · 3 years
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從小專精訓練 是邁向職業運動之必要?
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類似的研究顯示,及早投入專精訓練不見得是邁向職業運動巔峰的要件。但是不需要早期專精訓練,不代表早期參與就沒有相對優勢。一般來說,相較於划船等盛行率較低的運動,競爭越激烈、全世界選手越多的運動,就越需要盡早開始參與投入。相較於身體和生理條件比重較高的運動項目,越講究戰略和技巧的運動通常也需要運動員投入較多的時間。
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英格蘭足球前鋒馬庫斯.拉什福德(Marcus Rashford)在七歲時就和曼聯簽下了一紙青年合約,其他有意簽下他的俱樂部還包括利物浦以及艾佛頓(Everton)。簽約後,拉什福德依舊保持參與多項運動的習慣,只是有了更明確的優先順序。
「我以前常和朋友一起玩各式各樣的運動,我總是精力充沛,常常參加許多不同的運動。」拉什福德回憶。在學校,「我們進行很多活動,板球、繞圈球(rounders)、羽毛球、網球等等。」
拉什福德喜歡的運動很多,但是唯一被他稍微納入職業考量的卻只有足球,這一點和其他早期參與的範例相吻合。儘管他接觸的項目非常多,我們並不清楚他在每個項目中的累積練習時數有多少,也無從得知這些時數和足球練習時數的相對關係。「足球就是我們最喜歡的運動,」拉什福德說道,「一直以來都是如此。」
在這個全球最受歡迎的運動中,幾乎所有闖入高階職業聯賽的球員都從很小的時候就開始固定練習。通常他們不會在那麼小的時候就完全投入專精訓練,進而排除其他運動,但是和拉什福德一樣,他們踢足球的時間往往遠大於其他運動。有項研究審視了三百二十八名十六歲的頂尖男子足球員,其中包含來自巴西、英格蘭、法國、迦納、墨西哥、葡萄牙、瑞典等全世界的球員,結果發現,儘管這些國家的國情文化不盡相同,所有的運動員卻都是在五歲前就開始踢足球27 。他們在五到十一歲時,每週會花上將近十小時的時間在足球相關活動上,包括練習、非正式比賽、正式比賽等;而到了十一至十六歲時,每週的時數更增加到將近十五小時。到了十六歲的時候,所有的菁英選手都已經累積了大約五千小時的足球練習時數。這些選手並非所謂的專精球員,平均來說,他們每個人都同時參與二至三項其他的運動項目,只是投入的程度遠遠不及足球。對於像足球這麼競爭的運動,選手一般來說都需要大量的練習:各國男子國家代表隊的選手通常在十八歲前就會累積超過六千小時的足球相關活動時數。更有研究發現,比利時代表隊的成員在二十到二十五歲時就累積了一萬小時的足球相關活動時數。
類似的情況在女子足球中也一樣。有研究分析了英格蘭、瑞典、澳洲,以及奪下二○一九世界盃冠軍的美國等頂尖的國家代表隊,結果發現選手往往在五、六歲時就開始接觸足球,但童年時期仍保持輕度或中度參與其他運動,平均接觸的運動項目是三項。因此,儘管菁英選手大都不是很早就投入專精訓練,但是他們絕大多數都非常早就開始接觸足球。在足球界中,還沒有聽說過像葛洛佛這樣的案例。
還有一些運動項目的選手,在童年時必須接受比足球學院的球員更密集的訓練。奧運體操選手在十六歲以前就能累積將近一萬九千小時的練習時數。因為體操選手通常在青少年時期就會達到生涯巔峰,想要有任何一丁點攀上體操界巔峰的可能,在十歲前確實開始接受專精訓練是必不可少的。像是競技體操、花式溜冰、跳臺跳水、韻律體操等由青少年選手稱霸的項目中,超級菁英選手在十歲之前花在接受訓練的時間是其他奧運項目選手的三到七倍之多,而後者已經可以說是很早就開始接受專精訓練的選手了。
一項針對美國的高山滑雪菁英選手所做的研究發現,平均而言,選手在三歲左右開始接觸滑雪運動,六歲左右開始接受正式訓練,而在七歲時開始投入滑雪比賽。到了十九歲的時候,菁英滑雪選手累積的滑雪相關活動時數大約是八千五百個小時,而且他們另外還投入了相當多的時間從事五到六種和滑雪無關的運動。頂尖的滑雪選手往往從很小的時候就開始接觸滑雪運動。
一個世紀前,一名選手同時在迥然不同的奧運賽事中奪牌是相對更常見的事:首度參賽時間落在一九二○至一九三六年間的選手中,一共有二十四名選手在數項運動中奪牌;但是,在二○○○年後才首次闖進奧運殿堂的選手中,只有四名選手曾在不同的比賽項目中奪牌,而且其中兩位奪牌的運動項目還非常類似:高山滑雪和滑雪板、競速滑冰和短道競速滑冰。因此,事實上���有兩名選手達成此成就:美國的羅倫.威廉絲(Lauryn Williams)在田徑項目以及雪橇比賽都成功奪牌;英國的蕾貝卡.羅米洛(Rebecca Romero)則在自由車和划船項目中都成功奪牌。他們兩個都先受過其中一項運動的專精訓練,然後在中斷訓練後,接著轉換跑道到另一項運動。然而,這些驚人的成就都是在普及率相對較低的運動中達成的,而且這四項運動都可以說是看重身體和生理屬性大過於技巧和戰術的培養。這些發現也指出:「成年後,專精訓練是生存的唯一法則,」南澳大學(University of South Australia)的運動科學家提摩西.奧爾茲(Timothy Olds)說道,「一旦你選擇了這項運動,專精訓練就是唯一的辦法。我們再也沒有多才多藝的運動員了。」
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本文選自 商周出版 《一個頂尖運動員的誕生》 一書。
觀看奧運一場又一場刺激的比賽,我們身為觀眾除了那份在螢幕前觀看的悸動之外,是否會好奇一位頂尖運動員是如何誕生的呢?本書由專門研究運動認知領域的教授和體育記者兩人,獨家採訪頂選手們及教練外,也透過精確的科學數據,從心理學、社會學、科學角度等方面解析頂尖運動員背後的成功關鍵。不論是運動員本人、運動及各領域人才培育的相關人士或是運動迷,皆能透過本書對菁英選手們有更深入的全面觀察視角,且從參與賽事時獲得更多的趣味!
◎ 書籍資訊:https://pse.is/3lqlfq
◎ 延伸閱讀:菁英選手的視力,比一般人好?
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nknewsincn · 3 years
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不逃只有死路一條,所以他們一逃再逃!兩位朝鮮「脫北者」成為英國政壇新人的旅程 朴智賢(Jihyun Park 音譯)和提摩西.曹(Timothy Cho音譯)在北韓(朝鮮)忍饑挨餓、無家可歸、並曾被投進監牢,他們逃了出來。現在兩人都作為 ... https://ift.tt/3xXIkdK
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jackdaddy-c · 2 years
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All Scripture is given by inspiration of God, and is profitable for doctrine, for reproof, for correction, for instruction in righteousness, that the man of God may be complete, thoroughly equipped for every good work. II Timothy 3:16‭-‬17 NKJV 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。 それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。 テモテへの第二の手紙 3:16‭-‬17 口語訳 Toda Escritura es inspirada por Dios y útil para enseñar, para reprender, para corregir, para instruir en justicia, a fin de que el hombre de Dios sea perfecto, equipado para toda buena obra. 2 Timoteo 3:16‭-‬17 NBLA 圣经都是上帝所默示的,于教训、督责、使人归正、教导人学义都是有益的, 叫属上帝的人得以完全,预备行各样的善事。 提摩太后书 3:16‭-‬17 CUNPSS-上帝 #Bible #聖書 #Biblia #圣经 #JackdaddyChronicles #Japanese #日本語 #Japonés #日文 #Spanish #スペイン語 #Español #西班牙语 #Chinese #中国語 #Chino #汉语 https://www.instagram.com/p/CcX8FnjrqyX/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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mikiorchid · 5 years
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cnbnews · 5 years
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作者:刘伟成
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由831事件开始,每日看到警察的记者会,听着他们的辩解,我都会不期然地想起小时候看过的「涎脸鬼」的故事。故事出自《斩鬼传》,其中一则记述钟馗来到一道黏稠得船儿难以寸进的河,他问随从的鬼仆才知道那是「唾沫河」,为从前所无,只因河的另一岸就是住着「涎脸鬼」的「无耻山」,此山以「不诚石」堆成,看似很结实,但踏下去才知道每一颗都是空心,很易便会碎裂,完全不受力,根本无法攀爬。「涎脸鬼」除了自己作恶多端,还会指示其他小鬼如何撒谎骗人,为祸很大。于是受过这群无耻山鬼怪陷害的人,都隔着一定距离向无耻山吐涎,以示睥睨。久而久之唾沫便累积成河。河虽不深,却颇宽,加上黏稠,船便更难划过去了。
警察已变成恶名昭彰的「涎脸鬼」
警察解释给示威民众泡制「催泪放题」乃由于要制造「安全距离」,每次听到警方高层不断反复强调这点,我便心谙:真傻!你以为撑开了所谓的「安全距离」以后,当事情过去后,安全距离便会自动「愈合」?当然没这样便宜的事。当警察猛回头,才发现自己所塑造的安全距离,一下子便成了「唾沫河」,就像廉政公署成立前的警队一样。别以为警察甫宣告放下屠刀,「唾沫河」便会一下子消失,廉署成立之后,经多少个年代警队才能成功「洗底」?我想「老差骨」对此境况记忆犹新。现在的警察记者会,就像是无耻山上的「不诚石」因空心而鸣叫,句句都是谎言—说什么以慢镜模式看了录像多次,说警棍并非打在示威者头上,而是反复打在地面;说什么831是示威者先堆起伞阵来「攻击」警察,然后警察才予以还击;说什么腰间系着枪掷气油弹的不是乔装示威者的警察;说什么执法一视同仁,却对无差别打人的黑社会份子明显宽松,对所涉罪行的调查和捡控明显放慢手脚;说什么十多个警察于大埔墟火车站围打一个回家途中的中学生(还每一下往少年人的头和后脑打)只因他在「移动」,但当他陷于昏厥边缘没法移动时,记者的短片清楚拍摄到警察将一件黑色物件塞进少年人的背包,企图插赃嫁祸,把自己滥捕行为合理化;说什么不能确定是否警方的流弹打盲了女生,纵然她的面罩上还嵌着布袋弹弹头。说什么警察跟黑势力「誓不两立」,但却被多个传媒拍到跟无差别打人的撑警人士友善地搭着膊头互道友好……警察已变成了恶名昭彰的「涎脸鬼」。
香港警察陷入「塔西佗陷阱」
涎脸鬼,就住在「无耻山」的「寡廉洞」内,他头上戴了牛皮盔,身上穿了牛皮甲,两手各拿一把大刀。一碰面,钟馗便以镇鬼的青蜂宝剑斩将下去,怎料一碰上他的脸,宝剑竟然轰一声反弹回来,钟馗再换不同角度砍将了几下,结果一样,之后改用箭射,全都噗噗浆在他脸上。涎脸鬼之后嬉皮笑脸地跟钟馗说:「我这脸是先打了个铁模子,再涂上百来层漆,再敷贴了几千层桦树皮,但这还不致令我刀枪不入,你的箭之所以会给黏着,是因为这几千年来众人因鄙视所吐的唾液,我从不擦掉,如是者干了不知多少层唾液,便变成现在的结实,还可消弭所有攻击。」
现在警察给强硬装上了一重又一重的脸皮护甲,首先是撕去了其警员编号,警方已解释过这样可让警察执法时没后顾之忧。只是在除掉编号的同时,也除掉了自我,甘于将躯体交予潜藏的兽性。第二重厚脸皮,就是特区政府的掩护,除了新添的个人防暴装备,还有过期的催泪弹每周放题、备受争议的布袋弹和橡胶子弹,还有重型水炮车,现在还有警察员佐级代表公开要求使用真枪的权力。第三重脸皮,则是特区政府后方的律政司对检控示威人士大开绿灯,神速提堂,完全漠视正常的司法程序公义,务求巩固警察执法的公权力。第四重就是中央的加持,以不同途径增加警力,连所谓「爱国爱港」人士也受到号召,加入围捕示威者,务求以量变引发质变。只是变,却非变好。如此一重又一重的加厚脸皮成甲,已在不知不觉间令香港警察陷入了所谓的「塔西佗陷阱」(Tacitus Trap),即有公权力者失去了公信力。
当警察甘心被「物化」
今年六月以来,先后听过不少警察以「曱甴」指称示威者,务求将之「物化」为害虫的层次,警察暴力都只是为了给社会除害。其实警察从解下肩上编号的一刻开始,便传达了自己甘心被「物化」为傀儡的意愿。鄂兰(Hannah Arendt,1906-1975)在《责任与判断》(Responsibility and Judgment)第4章阐释了她的著名观点「平庸之恶」(the banality of evil),她指那是「思考无能」(inability to think)所致,当警察甘心被「物化」,撕下自己作为独立个体表征的编号时,其实也意味他放弃了思考而接受了群体的行事准则。鄂兰经常引用苏格拉底「宁受不义而不作恶」的命题来阐释,指这个判断所来自的思考为一个「意识」和「良知」的对话过程。正如苏格拉底所云的「神谕」(daimonion)不会直接告诉你当作什么,只会昭示什么不该作,这就是「意识」和「良知」的对话,拒绝进行这样的内省,令两者合而为一,便是「平庸之恶」。鄂兰如此收结该章:「在表象世界里,我从来没有独处的时候,总是太忙而无法思考。思想之风的显现不是知识,而是辨别是非、美丑的能力。而这在紧要关头确实可能阻止灾难的发生,至少对我而言如此。」观乎早前有市民向警察呼问:「你个良心跌咗系边?」警察便冲前予以棒打和逮捕的失控反应,便可知该名警察也意会到自己给「物化」至「思考无能」的境地,感觉到自己正一点一滴流失作为人性象征的良知,不然不会如此介怀这道询问。
「涎脸鬼」的下场
警察一直大惑不解的是,何解多次尝试逆转民意的部署,最终都未能成功,主流民意始终倾向年轻示威者,即使示威者不断拆栏杆做路障堵路、随处涂鸦破坏公物,甚至会放火……警察大概会大呼自己只是执行职务,努力「止暴制乱」。不明白何以不少记者和市民似乎都偏帮示威者,于是警察连记者也仇视起来,连尝试调停的泛民议员和外展社工也拘捕,而且出手越来越狠,越来越野蛮专横。正如林肯说:「要测试一个人的品格,就给他权力吧!」林郑为了留住警队支持,于是不断容许警权膨涨,众目所见在林肯的「品格测试」中,警队完全不及格,而且表现相当差劲。反之,反之,当警察施放催泪气时,示威者一边后撤,一边向两边的民居大喊:「关窗呀!催泪气来了!」如果有街坊没有听到,他们会停步不断用镭射笔对准未关的窗曳划,期望能引起住户注意。又当路上有无装备的市民遇上催泪放题,示威者会除下自己的防毒面具给街上不认识的小孩,即使这样会被认出身份来。且引曾志豪在9月11日《苹果日报》专栏中所刊的〈感谢保护市民的小朋友〉的一段内容:「谁知站内突然听到许多黑衣小朋友大叫『快走,有防暴嚟紧』,太太和许多市民跟着黑衣小朋友往前走。事后看FB影片,许多年轻人在扶手电梯用肉身挡住防暴,让前方的市民逃生。……车厢内气氛紧张,『下一站天后。』黑衣小朋友大叫『所有市民行向车门的另一边,我们会挡车门,不让警察冲入!』因为天后已经有黑警集结。……太太为之震撼,那些年轻人都是手无寸铁的血肉之躯,有些只戴了口罩,即使有人full gear,其实也只是很普通的防具,压根就不能低挡黑警的重棍,他们凭什么挡在门口?为什么要保护其他市民?他们明明就是更需要市民保护的年轻人啊!」如此看来,警察不是已经变成了「涎脸鬼」吗?
「涎脸鬼」的结局如何?钟馗指示手下的「精明鬼」照样打造了一幅更厚的脸,又把这脸在「唾液河」浸了三天三夜。钟馗苦着脸戴上这副厚脸,再去攻「无耻山」。钟馗假装败北,让「涎脸鬼」砍自己的脸,钟馗炫耀说这张脸更厚,涎脸鬼心动,提出要跟钟馗换脸,起初钟馗假装不肯,经过一阵哀求后,钟馗才勉为其难答应。涎脸鬼完全不知道原来里面早装着一颗「良心」,当他换上新脸,其中的良心便令他从脸开始发烫,蔓延全身,脸皮还不断变薄,变成了一只害羞鬼。
时时反思,甩弃自己的「平庸之恶」
在提摩希?史奈德(Timothy Snyder)的《暴政》(On Tyranny)中包括了20个面对暴政的关注课题,其中第7课是「若你是军警人员,请时时反思」,史奈德以纳粹杀害犹太人的史实来收结该章:「整体而言,一般警察杀害犹太人的数目比特别行动队还多。多数警察并没有执行这些任务的心理准备。他们发现自己身处不熟悉的境况,他们接到命令前并未预先做任何准备,且不想因此显得懦弱。当中有极少数的人拒绝服从杀害犹太人的命令,但并未因此受罚。某些人行凶是为了谋害他人,但大部分人犯杀戒只是因为担心自己成为同伴中的异类。虽然除了服从,显然仍有其他影响因素,但若没有这些听命行事之人,执行大屠杀是不可能的任务。」有网媒访问了前线警员,受访警员说他们当中支持示威者的只占少数,即使支持也不敢扬声,生怕被排斥。
事实上,市民都明白警察必须服从命令,但如颜纯钩致警察的公开信所言,如果还有良知:「恳请你们高抬贵手,可以放轻手脚,需要喷胡椒,不要对准脸部,需要举枪,稍微抬高枪口。因为在你们面前的,都是香港人,其中可能有你的邻居、同学、亲戚,他们都和你们在同样的社会环境中成长,和你们拥有相同的普世价值的观念,正常的情况下,你不会视他们为死敌,不会想置他们于死地。」向警察说这个「涎脸鬼」的故事,并不是想谴责警察,而是想呼吁警察静下来反思一下,就是鄂兰所云的让「意识」和「良知」可以对话,遏止自己进一步给「物化」为「思考无能」的棋子,前线警察可以选择请辞,如果家担沉重,不能一下子请辞,请如颜纯钩所云,执行任务时高抬贵手,而且请立即停止「滥捕」和「滥暴」,关闭新屋岭这个拘留所,让其的囚禁人士面见律师和接受合理治疗。我殷切期望近日经常发现的尸体并非被捕的示威者,只是明明非常可疑的个案,警察却说没有可疑,这实在无法叫人不联想到那是跟警察有关的死亡事件。如那不是警察造成,请让自己的良知发言,让尸体可以接受解剖,查明真相,还死难者家属一个交代,这是对一个生命起码的尊重。林郑政府必须明白「止暴制乱」的关键不在示威者,而在政府管治班子和警察高层之手,请你们恳切反思,尽量甩弃自己的「平庸之恶」,请辞是可行的方法,只有奴隶才没有请辞的自由。记得我大学毕业那一年,警队派人来大学招聘毕业生,那时替我讲解的那位年轻警察,不断跟我说自己的工作如何有意义,还问我有没有看过电视上常播的警队广告,我当然知道,我小时候会把那广告歌「凭自我硬汉子拼出一生痴」改为「流鼻血烂脚趾仲有一身癣」,那时我邻座同学还骂我不该拿正气的警察来调侃。真的希望香港警察可以回复为顶天立地的硬汉子,而不是我改词中的那个由头烂到脚的可怕形象,这两个月来我经常呼唤当天那年轻警察腼腆又诚恳的眼神。
小标题为立场新闻编辑所拟。
刘伟成:香港土生土长写作人,现职于出版界。曾出版诗集《阳光栈道有多宽》、散文集《持花的小孩》等
来源:立场新闻
刘伟成: 给香港警察说「涎脸鬼」的故事
陶杰:香港遍地烽火 办法只有一个
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原文链接:刘伟成: 给香港警察说「涎脸鬼」的故事 - 新闻评论
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manukyan · 5 years
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HTC U11 - Craftsmanship from Timothy Motion on Vimeo.
Craftsmanship from every angle. Get to know the all-new HTC U11 Client: HTC Production house: 提摩西影像 Timothy Motion Director : 提摩西 Timothy Chang Design : 提摩西 Timothy Chang Modeling : 提摩西 Timothy Chang / 游家廳 Texturing : 粘心瑜 Ruby Nian / 張雅惠 Ya-Hui Chang Lighting : 粘心瑜 Ruby Nian / 張雅惠 Ya-Hui Chang / 游家廳 / 劉瓅涵 Hank Liu / 詹游丞 Animation : 粘心瑜 Ruby Nian / 張雅惠 Ya-Hui Chang / 游家廳 / 劉瓅涵 Hank Liu GIF Animation : 張雅惠 Ya-Hui Chang / 游家廳 / Wei Darvish Compositing : 提摩西 Timothy Chang Music&Sound Design : 黃鎮洋 Triodust
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runiround · 6 years
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自殺高居運動員死因第三 物理治療防護外需更重視心理治療
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美國的全國大學體育協會(National Collegiate Athletic Association,以下簡稱NCAA)在二○一四年終於意識到心理健康問題的急迫性,於是發布一篇與此議題有關的論文,論文中除了前運動員的現身說法外,也名列出相關數據與適切的因應做法。「在運動項目,像是足球中,愈挫愈勇才能贏得觀眾的歡呼聲,軟弱退縮只會聽到噓聲。」前國家足球代表隊前鋒愛倫.泰勒(Aaron Taylor)在論文中寫道:「我們竭盡一切所能在這個崇尚『男子氣概』的環境中力爭上游,那表示我們必須掩飾自己的情緒與感情,學著『忍著點』、『咬牙硬撐』、『拿出勇氣來』,這麼做通常都能獲得正面的結果,因此我們也漸漸習慣用同樣的態度與行為來處理生活上的問題。不幸的是,這些掩飾情緒的方式雖然能讓我們咬牙忍住扭傷的痛苦堅持到最後,但是套用在日常生活中並不管用。這也是為什麼運動員的許多情緒及心理健康問題直到爆發的最後一刻,才被注意到,因為他們早已擅長在任何時候都擺出一副準備應戰的臉。」
根據NCAA的數據統計,自殺在大學運動員的死亡原因中排名第三,緊跟在意外事件與心臟衰竭之後。大學在處理運動員的心理或精神問題上,其實是有一套因應措施與程序,但若是與針對運動員所做的研究及瞭解的一切相較,這些回應本身的品質,以及其對於整個議題的瞭解程度大多不夠完善。
絕大多數的體育部門一定都有一群專業的醫護人員負責治療運動員身體上的病痛,卻鮮有一位全職並領有專業執照的心理治療師。這個現象並非特意忽略的結果,只是沒有人覺得需要這麼做。另外,可能也是礙於經費問題,因為錢必須投注在能發揮最大效益之處,而量化訓練人員的生產力─計算腳踝繃帶的使用量與傷病恢復人數,要比測量一位心理治療師的專業能力簡單多了。
根據一篇二○一四年刊登在ESPN上的文章顯示,僅有低於二十五所的大型大學聘用專業心理醫師。心理醫師扮演著舉足輕重的角色,因為他/她可能是唯一和贏得比賽無關的人員。即便是一個最具同理心的教練和訓練員,依然需要仰賴旗下運動員在運動場上的表現;如果這些運動員能夠在畢業時擁有健康的人格與心理,當然是一件好事,但這並不在他們的工作責任範圍之內。
NCAA正在迎頭趕上,設法填補多年來的漏洞。雪城大學(Syracuse University)運動醫學副總監提摩西.奈爾(Timothy Neal)告訴ESPN:「大學運動員的特殊之處在於他們擁有一般學生沒有的壓力來源和期望,這些可能引發心理或情緒上的問題,或是加劇現有的心理問題。」
有些壓力來源和期望是具體的,但有些卻很抽象。許多年輕運動員在與大學簽下意向書的同時,常常認為最艱困的時候已經過去,但聽起來根本不合邏輯。雖然他們知道進入學校之後還是需要練習和訓練,但卻將之視為只是為了維持現有水準的步驟,因為最難熬的部分─經過數千個小時的練習才練就的技巧,已經完成了,現在好比季後賽,是歡慶自己榮登人生盛大舞台的時刻。另外,大部分(非體育項目)的大學獎學金獎勵的是之前的學業成就,一旦學生進入大學之後,除了少數的學術機構規定學業成績必須維持在某個程度以上,其他的幾乎沒有任何要求。然而大學運動員每個星期必須投入至少二十五個小時以上的練習時間,漫長而又消耗體力的作息,皆不斷在付出意願最低的大一新鮮人這一年當中,測試著個人的忍受力與意志力。
直到近期以前,體育部門對於運動員的心理健康大多採取被動的態度,也缺乏預防措施;如果旗下的運動員真的出現問題,他們也只能盡最大的努力來協助。所幸,現在有些大學開始在事件發生之前先行增進學生處理情緒的能力,像是德州基督教大學(Texas Christian University)的體育部門會在球季開始之前,為每一位運動員進行心理健康的基礎評估,許多大學也接著跟進。如此一來,假使運動員的行為真的出現異常或改變,訓練員就能根據之前的評估報告,來判斷此行為的偏差是否超乎常理。「大部分學校在乎的是『他能��能跑?能不能跳?能不能投球?』好像我們不再視運動員為一個完整的人。」德州基督教大學的體育指導員克里斯.戴爾.康特(Chris Del Conte)接著指出:「倘若我們面對的是一個患有飲食失調,或是自殘的孩子時該怎麼辦?教練們根本沒受過這方面的訓練,他們完全不知道該怎麼做,所以很多時候你只能想辦法幫助教練。像是對他們說:『讓我幫你這麼做』或是『我知道你的目標是贏得比賽,但是我們必須先這麼做才行,所以你必須這樣來處理這件事』。有些教練能夠理解,但有些完全講不通。」
莫莉.麥克納馬拉(Molly McNamara)曾經是史丹佛大學的越野賽跑選手,同時也身受憂鬱症所苦。她在NCAA發表的一篇文章提到關於追求完美、受傷、堅強、憂鬱以及同情心等議題。莫莉一開始也以為唯獨自己身陷掙扎,直到她觀察周遭的選手之後,才發現史丹佛大學裡的一些運動員也跟她一樣備感壓力,每個人都採取不同的面對方式。她對自己說:「這不是我的妄自想像……這真的是一個很大的問題。」莫莉也發現像麥蒂這樣的田徑跑者,經常以獨特的方式與自己的思緒爭戰:
「當你不斷努力卻仍達不到完美的境界,當勇氣幫助你撐過訓練卻撐不過剩下的這一天時,這時候你該如何繼續下去?身為一位跑者,理應對自己的身體非常熟悉,也明白自己的體能是否處於巔峰狀態或是需要休息,你會知道身體上的疼痛是一般性的,還是應該尋求體能訓練員的幫助。但是想要確認自己的心理狀態是好是壞,就難得多了。」
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本文選自高寶書版《麥蒂為何而跑:一個典型青少年的私密掙扎與死亡悲劇》一書,本書講述一個擁有完美人生的女孩,她是常春藤名校資優生、田徑校隊、漂亮又受人喜愛,但最後卻選擇走上絕路。這位田徑好手是在多大的壓力下,逼迫她做出如此下策 ? 又當她感到最無助的時候,有沒有人察覺到她的痛苦 ? 除了注重運動員的身體及體能上的發展外,也應該要關心其精神和情緒上的健全,以此才能創造出更完善的體育環境。
◎ 延伸閱讀:將勝負心化為動力 以全神貫注克服徬徨的跑者
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ao3feed-timdrake · 5 years
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Timothy the Bass Guitar Player
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by Banananna
band!AU drabbles 提摩西贝斯手的爱恨离别(误)
Words: 5625, Chapters: 7/7, Language: 中文
Fandoms: DCU (Comics)
Rating: General Audiences
Warnings: Creator Chose Not To Use Archive Warnings
Categories: M/M
Characters: Tim Drake, Cassie Sandsmark, Kon-El | Conner Kent, Jason Todd, Kory (Star Wars), Roy Harper, Bart Allen
Relationships: Tim Drake/Jason Todd
Additional Tags: Alternate Universe
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linksports · 5 years
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從太空一躍而下的男人 如何面對最極限的恐懼
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「最特別、最讓人上癮的就是最後那一瞬間:你站在邊緣往下俯瞰,而你還有機會掉頭走開。那是你縱身一躍的最後瞬間。然後你知道自己上路了,再也無法回頭。你加快速度,飛快地加速。你可以聽見空氣發出奇特的呼嘯,尤其當你從高聳的峭壁上跳下來。片刻之後,你拉開降落傘、著陸、回首仰望那座大山,而你還活著。對我而言,那是全然的自由。」
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有些人似乎天生注定飛翔。小時候,菲利克斯.鮑加納(Felix Baumgartner)總喜歡爬樹、享受樹梢上的美景,並且沒完沒了纏著朋友和家人把他拋到空中。五歲的時候,他畫了一幅畫,畫中的自己跳傘從天而降,母親伊娃站在地面注視著他。菲利克斯把畫送給伊娃,直到一九八六年,當十七歲的他在家鄉奧地利薩爾斯堡(Salzburg)一家俱樂部第一次真正跳傘,伊娃才把畫交還給他。
鮑加納從教練羅蘭.羅騰巴赫(Roland Rettenbacher)身上學會跳傘的入門技巧;教練的妻子是伊娃的老朋友。然後,鮑加納加入奧地利陸軍的跳傘表演隊,五年時間裡幾乎每天跳傘,不斷累積自由降落的技能。退伍後,他找了份摩托車黑手的工作賺錢餬口,供他繼續跳傘。為了靠他的絕技維生,他後來轉戰定點跳傘(BASE jumping):一種更危險、甚至更極端的活動,起跳的地點不是飛機, 而是從大樓(Building)、天線塔(Antenna)、橋樑(Span)和地表(Earth)一躍而下;定點跳傘的英文名稱,即來自這四種定點的英文字首縮寫。
鮑加納的定點跳傘同行裡,沒有幾個人像他那樣精於自由降落。但他明白在這新領域中,每一次行動都承載著重大風險,包括凡正常人都不會考慮的跳躍地點。所以他只求少跳為妙,不過每次縱身一跳都要達到最大曝光。驚人紀錄很快展開。鮑加納在一九九九年從吉隆坡的國油雙子星塔一躍而下,刷新當時大樓跳傘的最高高度紀錄,同年從里約熱內盧的基督像跳下,則創下全世界定點跳傘的最低高度紀錄。十年來,隨著摩天大樓在全世界如雨後春筍般興起,他的跳傘高度也越來越高,除此之外,他還嘗試穿飛鼠裝橫越英吉利海峽之類的壯舉。他的技術水準逐漸攀升,自信心也跟著水漲船高。這名奧地利人不斷追求更艱鉅的挑戰,逐步攀上人生的巔峰:創下人類有史以來最高的自由降落高度。
儘管鮑加納活在極限狀態下,但是這輩子恐怕會跟他如影隨形的綽號——「無畏的菲利克斯」——並不完全貼切。每一個人都具有演化而來的求生本能,提醒我們某一件事情可能讓我們提早跟造物主報到。這種本能有許多名稱,例如「內在批評家」、「糾察隊」,或者借用指出「內心戲」(Inner Game)的作者提摩西.高威(Timothy Gallwey)的表述法——「一號自我」(Self 1)。但是最鏗鏘有力的,非「瘋猴心」(Monkey Mind)這個詞莫屬;很久以前,中國佛教徒就用這個詞形容在我們的心念之間跳來跳去、絮絮叨叨、讓人不得安寧的聲音,就像在叢林樹梢之間四處亂竄的猴子。
有些勇於冒險犯難的人,窮其一生追逐鮑加納所謂的「自由」。然而就連他們也聽過這個扮演自動灑水系統、為我們偶爾冒出來的荒誕念頭潑冷水的聲音。這些人,當然包括在此之前力圖打破美國人約瑟夫.基廷格(Joseph Kittinger)在一九六○年創下的自由降落紀錄的每一位有志之士。當基廷格從十九英里高空的熱氣球一躍而下,他的主要動機並非娛樂大眾或追求榮耀;他參加了美國���府的一項研究計畫,專門研究飛行員從美國空軍新系列的高空機種彈出的狀況。沒有如此強大的經費與後盾,之後嘗試破紀錄的人,最後都是以付出生命為代價。
儘管如此,菲利克斯.鮑加納從第一次聽說這項壯舉,心中便念念不忘。其中一項細節尤其讓他心癢難耐:墜落過程中,基廷格達到了六百一十四英里(九百八十八公里)的時速,只比音速略遜一籌。
要成為第一個不靠動力突破音速障礙的人類,鮑加納必須登上更高的定點——二十四英里高空——並且抗拒拉開「剎車」傘來保持穩定的誘惑,而這就提高了類似高度下的風險。基廷格使用了剎車傘,試圖減緩從平流層的稀薄空氣中急墜而下時無可避免的水平打轉。如果螺旋轉速太快,血液顯然會從它唯一找得到的出口衝出身體:我們的眼球。那聽起來似乎有違求生本能。所以鮑加納的第一項挑戰——遠在他有機會運用跳傘技術減緩外旋速度之前——是學會如何收攝轉個不停的瘋猴之心。
「永遠不要蔑視內心的安全機制,」鮑加納告訴我,「我從不那麼做,而這就是我歷經二十五年生涯仍然好端端活著的原因。我最怕傷害自己,這份恐懼埋藏在我的各項跳傘行動中:不論準備得多麼齊全,總是不乏受傷的機會。正因如此,我總是想辦法找到對的工作團隊。我聆聽他們、從中學習,確保意外不會發生。歷來試圖突破音速卻失敗的人,都想從狗熊一步躍升為英雄。但我衷心服膺事前準備:準備得越充分,表現就會越傑出。跳傘員和任何運動員一樣,都必須接受一絲不苟的訓練。我擁有許多技能,並且嚴守紀律。我不會因為太過吃力而光跳一次就了事,那就是我們會跳很多次累積經驗的原因。」鮑加納和他的紅牛平流層(Red Bull Stratos)跳傘團隊為了區區一項「特技表演」進行五年的漫長準備,或許顯得有些多餘,但這正是挑戰極限、超越極限所需的紀律。菲利克斯從十五到十八英里的高度逐步往上試跳,在此同時,他的工作團隊兩度將無人的座艙送上破紀錄的高空。到最後只剩下一項未知數:在沒有載體的情況下突破音速障礙,會對人體造成什麼影響?
當然,緩慢漸進的預備階段也讓瘋猴之心有時間發出抗議。人體在高空面臨的主要問題,就是所謂的阿姆斯壯極限(Armstrong Limit):這道位於海拔十一英里的極限,命名由來並不是太空人尼爾.阿姆斯壯,而是美國的空軍軍醫哈利.喬治.阿姆斯壯;後者找到人體水分開始蒸發、導致致命危險的高度——這就是加壓衣如此重要的原因。
一九六○年代,在一次未增壓的F—104戰鬥機高空測試飛行中,飛行員透過無線電直陳事實:「我的手套掉了。再見……」然後他失去意識,不幸喪生。一九六六年,熱情的業餘跳傘運動員、來自紐澤西州的尼克.皮亞丹尼達(Nick Piantanida)第三度挑戰基廷格的紀錄,當他升到明尼蘇達州上空將近十一英里處,他的頭盔顯然失壓了。地面人員急忙降下他的座艙,不過皮亞丹尼達已經因為大腦及身體組織受損而陷入昏迷,四個月後辭世。
儘管如此,鮑加納賴以生存的加壓衣卻成了一個重大問題。他有武打英雄的長相,全身線條稜角分明,手臂上黥著「生來飛翔」的刺青。然而,對於一個渴望「全然自由」的跳傘員來說,加壓衣嚴重限制了他的行動,甚至讓他出現幽閉恐懼症。菲利克斯向他的團隊隱瞞問題,直到情況嚴重到他一度流著眼淚開車直奔洛杉磯機場,飛回奧地利家鄉——只為了逃避預定的著裝練習。
「一開始沒什麼,因為我只需要在加壓衣裡待一個鐘頭,」鮑加納嘆一口氣,「但是到了計畫後期,我們得到壓力艙裡穿上全副裝備正式排練,以便模擬跳傘的海拔和溫度。目標是在壓力艙內待五個鐘頭,演練全套程序,操作各個轉盤和按鈕。但我知道自己沒辦法穿五個鐘頭的加壓衣,因為一旦拉下面罩,你就被鎖進一個小小的世界。耳邊所能聽到的只剩自己的呼吸——過了一會兒,我會開始焦慮。我不知道能對誰傾訴,因為我理應是個英雄。但是我光在地面上穿加壓衣就出現大問題了。我需要幫助。」
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如此示弱甚至需要更多勇氣。鮑加納原本沒跟任何人求助,但他最後找上了運動心理學家邁克.賈維斯(Michael Gervais)。鮑加納聲稱他們沒做什麼特別的事,只不過「東聊西聊」,不過過程的一部分是讓他熟悉加壓衣;其中三套是為他量身訂製的,造價一百八十萬美金。說到底,這些裝備可以讓他的血液免於沸騰。無論如何,他花了三星期逐漸增加時數,直到終於能夠忍受長時間待在裝備裡,扮演他應盡的角色。
一旦把安全顧慮拋到腦後,鮑加納的瘋猴心便開始真正地肆意抓狂。撇開顯而易見的危險不談,這項行動即將在全球各地直播,從他踏進座艙之前,直到他但願能平安著陸為止。絕大多數瘋猴心在眾目睽睽之下都會顯得神經兮兮,但是鮮少有人需要面對以數百萬計的廣大觀眾。
「當你做這樣一件事情,受到所有人注目,你前一天晚上會輾轉反側,」他坦承不諱,「你心裡想著:『明天,我要做一件歷時大約七個鐘頭的事情,而全世界都盯著你的一舉一動。我說的每一句話都會被許多人聽到。』這就是壓力。
「當然,在靜下來的時刻,你不免心生懷疑。升空前,行動因風勢過強而延誤,我們等了兩個鐘頭。我坐在更衣室裡浮想連翩,想起不幸喪命的同行,想起我們的計畫遭遇過的挫敗。這些事情一一浮上腦海,而你祈求今天一切平安。你做最壞的打算、抱最好的希望。然後你走出去全力以赴,但願那樣便已足夠。」
在這類任務的最後預備階段,人們難免提心吊膽。正式行動當天,鮑加納的面罩明顯起霧,兩小時的升空過程只見他忙著處理這個會在返程中導致他失明的問題。新墨西哥州羅斯威爾機場指揮中心的技術人員——包括高齡八十四的約瑟夫.基廷格本人,他是菲利克斯透過對講機唯一聽得到的聲音——切斷現場收音轉播,一邊設法打消他對電力加熱面板的疑慮。他們最後說服他拔掉主電源,證明光靠他胸包裡的電池就能讓面板自動恢復「高」設定值。即便如此,菲利克斯唯有靠著有條不紊的作風,才能克服內心的最後掙扎。
「當你穿著加壓衣進入座艙,你是被鎖進一個非常侷促的空間裡,」他補充說,「如果任何事情出了差錯,你基本上無能為力。我們為許多情節做好準備,然而事實是,一旦發生任何問題,你就完蛋了。所以我知道我必須主導每一種狀況。那就是我及早提出面罩問題的原因。一旦踏出座艙,而面罩依然故障,就得盲目地完成整個行動。只要仍在座艙裡,我就還有時間;我穿了加壓衣、受到了保護。就是因為這樣我們才會花那麼多時間解決這個問題,確保永遠超前一步。如果事情亂了套,感覺就像踩著別人的腳趾頭跳舞,所以我們總會設法讓事情盡快回歸正常程序。主導大局的人往往表現良好。在升空過程中,我一直維持主導。」這名男主角也明白劇本要求他一離開(相對)舒適的座艙就得下定決心往下跳,因為加壓衣一旦完全充氣,就不可能再擠進艙門。好戲登場了……
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本文選自木馬文化《為什麼贏家不思考?金牌運動員教你決勝時刻駕馭心智、開發潛能、主宰全場》一書。本書訪問數百名世界冠軍選手,橫跨球場、田徑、賽道、極限運動等領域,呈現頂尖選手的決勝秘訣。頂尖運動員經過長期鍛鍊,訓練大腦與身體的反應模式。他們學習如何駕馭心智,馴服躁動如猴的內心;他們透過意象訓練,預先演練所有情況,彷彿人體虛擬實境,將每個步驟銘刻於大腦,以待緊要關頭由本能接管,讓一切隨心所欲,自然達致極限。這些訓練將充填潛意識的「錦囊」,直到裝備齊全,在最大的舞台上悉數展現、主宰一切。
◎ 書籍資訊:https://bit.ly/2RgD6YH ◎ 圖片來源:Redbull官網 
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nknewsincn · 3 years
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不逃只有死路一條,所以他們一逃再逃!兩位朝鮮「脫北者」成為英國政壇新人的旅程 朴智賢(Jihyun Park 音譯)和提摩西.曹(Timothy Cho音譯)在北韓(朝鮮)忍饑挨餓、無家可歸、並曾被投進監牢,他們逃了出來。現在兩人都作為 ... https://ift.tt/3xRsSjf
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jackdaddy-c · 2 years
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I desire therefore that the men pray everywhere, lifting up holy hands, without wrath and doubting; I Timothy 2:8 NKJV 男は、怒ったり争ったりしないで、どんな場所でも、きよい手をあげて祈ってほしい。 テモテへの第一の手紙 2:8 口語訳 Por tanto, quiero que en todo lugar los hombres oren levantando manos santas, sin ira ni discusiones. 1 Timoteo 2:8 NBLA 我愿男人无忿怒,无争论,举起圣洁的手,随处祷告; 提摩太前书 2:8 CUNPSS-上帝 #Bible #聖書 #Biblia #圣经 #JackdaddyChronicles #Japanese #日本語 #Japonés #日文 #Spanish #スペイン語 #Español #西班牙语 #Chinese #中国語 #Chino #汉语 https://www.instagram.com/p/Cb2Y2AArTuv/?utm_medium=tumblr
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