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#推し不在おいで
0hire · 2 years
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- ̗̀ 🤍𝑀𝑒𝑟𝑟𝑦 𝐶ℎ𝑟𝑖𝑠𝑡𝑚𝑎𝑠𓈒𓂂 ̖́-
今日は、暖かいクリスマス🎄
ホワイトクリスマスの方もいるかも❔❔
ホワイトクリスマスは、長い間みてないなぁ👴🏻
いつか、俺もみれますように🦇
今日は、クリスマスなので、tiktokとYouTubeshortあげました~
YouTubeshort ¦
tiktok ¦ https://vt.tiktok.com/ZS8jLsso9/
見てくれたら嬉しいなぁ~🫶
12/30日にフォールガイズ参加OKなのやるので、是非来れる方は来てくれると嬉しな💙
まってるねぇ~
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splatoonreblogger · 1 month
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SplatoonNA:
Do you know SashiMori? Despite their lack of a vocalist, DJ Paul collages unique voices from ancient records that contrast with traditional marine critter sounds to create the melodies. This fresh sound is all the rage, and it's a regular on the Splatsville radio waves.
SplatoonJP:
型破りなバンド、SashiMoriをご存じだろうか?
ボーカルは不在だが、それに代わるのがDJのPAUL。
古代のレコードから魚介類とは特徴が異なるボイスを切り貼りし、メロディーを紡ぐのだ。
そのイカした混沌ぶりに、近頃バンカラジオでもヘビロテされており、若者らの心を掴んでいるぞ。
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SplatoonNA:
When he first joined SashiMori DJ Paul had a childlike innocence, but now he's 16 years old. Their latest song "Seasource" features a vocal sample that "expresses an innocence that transcends barriers." These vocals combined with a loud rapid-fire beat explore new sonic ground!
(UK bc NoA didn't post to YouTube yet)
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SplatoonJP:
加入当時はあどけなさが残っていたPAULも現在16歳。
彼が最新曲のために選んだサンプルは「種族を超えたイノセントさが推せる」ボイスとのこと。
そこから生まれたボーカルと、ラウドに疾走するビートを合わせたSashiMoriの新境地が「バッド・タイド」だ!
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yoga-onion · 5 months
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Legends of the humanoids
Reptilian humanoids (5)
Wuxing – the connections between the Five Dragon Kings (Ref) and the Five Elements philosophy 
To better understand the origins of the Five Dragon Kings and the ancient Chinese legend, it is worth mentioning the wuxing of natural philosophy, which states that all things are composed of five elements: fire, water, wood, metal and earth.
The underlying idea is that the five elements 'influence each other, and that through their birth and death, heaven and earth change and circulate'.  
The five elements are described as followed:
Wood/Spring: a period of growth, which generates abundant vitality, movement and wind.
Fire/Summer: a period of swelling, flowering, expanding with heat.
Earth is associated with ripening of grains in the yellow fields of late summer.
Metal/Autumn: a period of harvesting, collecting and dryness.
Water/Winter: a period of retreat, stillness, contracting and coolness.
The wuxing system, in use since the Han dynasty (2nd century BCE), appears in many seemingly disparate fields of early Chinese thought, including music, feng shui, alchemy, astrology, martial arts, military strategy, I Ching divination, and traditional medicine, serving as a metaphysics based on cosmic analogy.
The wuxing originally referred to the five major planets (Jupiter, Saturn, Mercury, Mars and Venus), which were thought of as the five forces that create life on earth. Wu Xing litterally means moving star and describes the five types of Qi (all the vital substances) cycles through various stages of transformation. As yin and yang continuously adjust to one another and transform into one another in a never-ending dance of harmony, they tend to do so in a predictable pattern.
The lists of correlations for the five elements are diverse, but there are two cycles explaining the major interaction. The yin-yang interaction, which by increasing or decreasing the qualities and functions associated with a particular phase, it may either nourish a phase that is in deficiency or drain a phase that is in excess or restrain a phase that is exerting too much influence (see below):
The Creation Cycle (Yang)
Wood feeds Fire
Fire creates Earth (ash)
Earth bears Metal
Metal collects Water
Water nourishes Wood
The Destruction Cycle (Yin)
Wood parts Earth 
Earth dams (or absorbs) Water
Water extinguishes Fire
Fire melts Metal
Metal chops Wood
The Huainanzi (2nd BCE) describes the five colored dragons (azure/green, red, white, black, yellow) and their associations (Chapter 4: Terrestrial Forms), as well as the placement of sacred beasts in the five directions (the Four Symbols beasts, dragon, tiger, bird, tortoise in the four cardinal directions and the yellow dragon.
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伝説のヒューマノイドたち
ヒト型爬虫類 (5)
五方龍王(参照)と五行思想の関連性 
ここで、五方龍王の起源、そして古代中国の伝説をよく理解するために、万物は火・水・木・金・土の5種類の元素からなる、という自然哲学の五行思想について触れておきましょう。 5種類の元素は「互いに影響を与え合い、その生滅盛衰によって天地万物が変化し、循環する」という考えが根底に存在する。 
五行は次のように説明されている:
木は、春の豊かな生命力、動き、風を生み出す成長期。
火は、夏の太陽の暖かさの下で行われる成熟の過程、熱で膨張する時期。
土は、晩夏の黄色い野原での穀物の成熟に関連している。
金は、秋の収穫、収集、乾燥の時期。
水は、冬の雪に覆われた暗い大地の中に潜む新しい生命の可能性と静寂の時期。 漢の時代 (紀元前2世紀頃) から使用されてきた五行説は、音楽、風水、錬金術、占星術、武術、軍事戦略、易経、伝統医学など、中国初期の思想の一見バラバラに見える多くの分野に登場し、宇宙の類推に基づく形而上学として機能している。 
五行とは文字通り「動く星」を意味し、五種類の気(生命維持に必要なすべての物質)が様々な変容の段階を経て循環することを表している。陰と陽は絶え間なく互いに調整し合い、調和の終わりのないダンスで互いに変化していくため、予測可能なパターンで変化する傾向がある。
五行の相関関係は多様だが、主要な相互作用を説明する2つのサイクルがある。陰陽の相互作用は、特定の相に関連する資質や機能を増減させることで、不足している相に栄養を与えたり、過剰な相を排出したり、影響力を及ぼしすぎている相を抑制したりする (以下参照):
相生(陽)のサイクル
木は燃えて火を生む
火が土 (灰) をつくる
土は金属を産出する
金属は表面に水を集める
水は木を育てる
相克(陰)のサイクル
木は大地を構成する
土は水を堰き止める
水は火を消す
火は金属を溶かす
金属が木を切る
『淮南子』(紀元前2世紀)には、五色の龍(紺碧・緑、赤、白、黒、黄)とその関連性 (第4章: 地の形)、五方位への聖獣の配置(四枢の四象徴獣、龍、虎、鳥、亀、黄龍)が記述されている。
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moja-co · 6 months
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第31代アメリカ大統領ハーバート・フーヴァー は、回顧録にこのように書いています。 『6年に及ぶニューディール政策の失敗を糊塗するため、また1000万人の失業者の存在を覆い隠すためだったと推測している。 1938年にはルーズベルトの政策顧問が「日本を戦争に多い込むことで、アメリカの海軍用艦船を建造させ、アメリカの重工業を復活させる」と、語っていたそうだから、早くから日本を戦争に追い込んでアメリカの軍需産業を復活させ不況を克服するという政策がルーズベルトのオーバルオフィスの中で常に議論されていたのだろう。 アメリカの産業を復活させるために、日本は戦争せざるを得なくなって、数百万人の尊い命が失われた。』 さらに、フーバーは著作の中で戦争へと至った19の過ちを指摘している。 1.1933年の国際経済会議をルーズベルトが破壊したこと 2.1933年11月にソ連と共産党を承認したこと 3.1938年、ドイツによるチェコスロバキアのズデーデン地方の   割譲要求を、ミュンヘン融和会議で承認したこと 4.1939年、イギリスとフランスがポーランドと   ルーマニアの独立を保証したこと 5.1941年、ルーズベルトが宣戦布告することなく   ドイツと日本を相手に戦争を始めたこと 6.ルーズベルトが警戒心を持った忍耐政策をとらなかったこと 7.1941年、ヒトラーがソ連を攻撃した時にルーズベルトが   大量の武器を支援してスターリンと共産主義を助けたこと 8.1941年7月、日本に対する経済制裁 9.1941年9月、近衛内閣の和平提案を拒絶したこと 10.1941年11月、日本からの3ヶ月間の冷却期間という提案拒絶 11.1943年1月、カサブランカにおける無条件降伏の要求 12.1943年10月、バルト三国とポーランド東部のソ連への割譲 13.1943年12月、テヘラン会議で7つソ連の傀儡国家を認めたこと 14.1945年2月、ヤルタ会談での秘密協定 15.1945年5月、6月、7月、日本からの和平提案を拒否したこと 16.1945年7月、ポツダムにおけるトルーマンの決断、具体的には   ①共産主義者とスターリンの世界における権力強化   ②ドイツの再興   ③民族追放   ④日本への無条件降伏の最後通牒 17.1945年8月、日本への原爆投下、   実際には日本の18都市への原爆投下を承認したのは   ルーズベルトで、トルーマンはそれを止められなかった   だけなのだが 18.毛沢東に中国を与えたこと、アメリカは   太平洋戦争以前は蒋介石を支援していたのに、   戦後は逆に支援を打ち切ってしまい、毛沢東が勝利した 19.戦後世界に共産主義の種を撒き散らしかしたこと ルーズベルト政権中枢には多数のソ連のスパイが暗躍していたので、 容共は避けられなかったのだろうが、 アメリカも和平を望んでいるはずだと信じて和平工作に明け暮れた近衛内閣が憐れに思える。 東條英機は遺書の中で 『自分はアメリカとの開戦については責任はない。しかし、 戦争によって多くの人が亡くなったことについては責任がある。 アメリカは日本という自由主義の国を破壊して、 世界の赤化の砦を失ったことに対して責任を負わなければならない』 としています。日本、特に近衛内閣などに対しての認識は、正確なものではありませんが、ルーズベルトに対する分析は正しいものであると思っています。
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kinemekoudon · 1 year
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スマホを解析されて、薬物売買のログを見せられたときのレポ
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―逮捕から7日目。この日は2回目の検事調べが予定されており、今回はワゴン車による単独の護送ではなく、護送車での複数人共同の護送になるとのことで、僕は初めて護送車に乗れることを少し楽しみにしていた。
朝8時30分頃、点呼とともに居室から出され、留置場の出入り口扉の前に連れていかれると、扉の前には既に2人の収容者が縦一列に並ばされており、僕はその2人の後尾に立つよう指示をされる。そして例によって身体検査をされると、いつもよりキツく手錠をかけられる。
その後、留置官が先頭の収容者の手錠の間の輪に、通常より長い腰縄を通してから腰に巻き付け、同じ要領で、その長い腰縄を中間の収容者、そして後尾の僕に巻き付け、見事に3人を数珠繋ぎにすると、その長い腰縄を自分の腰につけているフックに括りつけ、後尾に立つ僕の後ろについた。
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それから、3人の前後に警官が3人ずつついた体制で、地下の駐車場まで連行され、しばし駐車場で待機をしていると、白色と灰青色のツートーンカラーで、黒色のスモークガラス窓のマイクロバスがやってきて、3人の手前に停車した。
僕はその時まで、護送車とは、青地に白のラインが入っている、窓に金網のついたバス型の車だと思っていたので、実際の護送車がひどく凡庸なことにがっかりした。
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上が護送車、下は人員輸送車(警察官を輸送する車)
そうして、3人は連結されたまま護送車に乗せられる。護送車の車内は、右側2座席に左側1座席の3列配置で並んでおり、窓には鉄格子が嵌められていて、運転席との間には壁があって全く見えないようになっていた。
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また、護送車は周辺地域の警察署を順繰りにまわり、地検に移送する被疑者らを拾っていくシステムのようで、すでに15人ほどの先客が座っていた。
彼ら15人は、非常に長いロープで数珠つなぎにさせられており、全員が上下グレーのスウェットに茶色の便所サンダルの恰好で、手錠をかけられ、姿勢よく無言で着座しているので、捕虜の集団のようだった。
車内にいた警官らによって、3人は各自指定された座席に座ると、3人を連結していた長い腰縄が外され、今度は15人を連結している非常に長いロープに括り付けられる。
18人の被疑者と1本のロープによる数珠が完成すると、1人の警官が、「車内では会話や目配せはもちろん、足を組むのも禁止する」などという護送車内の規則を、大声かつ歯切りのよい口調で説明していた。
車内に5人ほどいる警官らも、これだけの逮捕者を移送するというだけあってか、非常に緊張感を持った面持ちで、ちょっとでも無駄に声を発したら怒鳴られそうな緊迫感がある。
僕は幸い、右側2座席の窓側の席であったので、外の景色でも見て気を紛らわせていようと思った。なんだったら、前回の単独移送では、両隣に警官が座っていて、窓はほぼ塞がれている状態だったので、久しぶりに外の景色を見られることは楽しみだった。
そうして、護送車が出発する。捕虜同然の惨めな状態というのもあってか、留置場では見ることのない格好や表情をした道行く人々を見ると、外の世界は自分とはもう関係がないように思えてきて、非常にセンチメンタルな気持ちになる。梅雨時で曇天模様だったのがまだ救いであった。
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出発からおよそ1時間が経過し、護送車が地検に到着する。護送車のドアが開くと、地検で待機していた警官がドア横に立ち、日本陸軍の点呼のような厳格さを感じる大声で「第三系統! 総員十八名!」と号令をする。車内の被疑者らが数珠つなぎにされたまま、1人ずつ車内から降りていくと、その警官はやはり日本陸軍のように「一!二!三!…」と点呼をとっていた。
数珠つなぎのまま連行され、待合室のある広間に出ると、そこには前回よりもはるかに多い、100人弱の被疑者らがおり、見るからに力士のような者からヤクザのような者まで、前回より威圧感のある男が多く集結していて、全体的に迫力があった。
また今回は人数が多いためか、警官の人数が多く、警官らはみな厳格な号令と点呼を行い、鋭い眼光で被疑者らを監視しているので、今までに味わったことのない張り詰めた空気が漂っている。
それから例によって、待合室という名の牢屋で、座る者の事など考えていない直角の硬い椅子にすし詰め状態で座らされ、時間もわからないままひたすら待ち、昼食時にコッペパンを食べ、いつ自分が呼ばれるか分からないまま、またひたすら待つ。相変わらず地獄。
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おそらく3時くらいになってようやくお呼びがかかり、僕は一人の警官に連れられて、検事のいる部屋に入室した。あくまで検事が起訴か不起訴かを決めるので、入室の際、僕は少しでも検事の心証を良くしようと、礼節を重んじている風の挨拶を決め込む。
前回同様、義務的な質問などがされ、黙秘権について告知がされるので、僕はここぞとばかりに、昨日弁護士にアドバイスされた通りに、「担当の弁護士さんから抗議書が送られていると思いますが、昨日、留置担当官の方に「ブチ殺す」などの脅迫を受けて、警察や検察の方を信用できなくなったので、取り調べには協力できません」などと、あくまで被害者ぶった深刻な表情で言う。
すると検察官は、こちらの会心の一撃をまるで意に介さないような表情と口調で「わかりました。その件についてはこちらでも事実確認と調査を行ってまいります」などと流暢に返事をし、「ただ、本日は見ていただきたい資料があるので、応えられるものに関しては応えていただけませんか?」と尋ねてきた。
僕はその見せたい資料とやらが気になったので、「資料は見せていただきたいですが、黙秘はします」と応えると、検察官はそれを了承し、A4サイズの紙が200枚ほど綴じられている分厚いバインダーを取り出して、付箋の貼ってあるページを開き、僕に見せてきた。
そのページには、僕がプッシャーから薬物を買おうとやり取りしていた、Telegramのログ画面の写真が貼り付けてあった。
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僕はまず、そもそもスマホの解析承諾をしていなかったので、無断で解析をされていたことに度肝を抜かれたし、露骨な薬物売買の証拠を見せられて、少し動揺が出てしまった。
ただ幸い、今回一緒に逮捕されたプッシャーとのやり取りのログは完全に消去していたし、見せられたログは、僕が「在庫はいかがですか?」と尋ね、プッシャーが「こちらになります」と隠語で書かれた薬物のメニュー表を画像で添付して送り、僕がそれを既読無視しているという、購入の意思を見せていない内容ではあった。
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メニュー表のイメージ
ちなみにTelegramにはパスコードロックをかけていなかった。
検察官は僕が動揺している隙に、「これは、あなたが薬物を購入しようとして、売人にコンタクトをとったものじゃないですか?」と単刀直入に質問をしてくる。
僕は、このログについてはどうとでも取り繕って否定できそうだったので、つい否定をしたくなったが、下手に喋ってボロを出しては検察の思う壺なので、「黙秘します」と応える。
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それに対し、検察官は無言で頷き、プッシャーが提示していたメニュー表の画像を指さして、「この“罰”っていうのは、コカインのことですよね?」と尋ねてくる。
僕は反射的に、「いえ、罰はMDMAの隠語です」と本当に危うく口走りそうになったが、一呼吸置いて「黙秘します」と応えると、検察官はやはり無言で頷き、再び付箋の貼ってある別のページを開いて、僕に見せてくる。
そのページには、一緒に捕まった友人の吉岡とのLINEでのやり取りの写真が貼ってあり、どう見ても薬物を言い表した代名詞でのやり取りや、それに付随して、「悟ってる時の顔」などと言って、僕がLSDのピーク中に目を瞑って微笑んでいる顔写真を吉岡に送りつけている赤面不可避のログも載っていた。
当然、これらに関する質問にも黙秘を貫いたが、検察官は少し呆れた表情で、「…うん。でもね、小林さん(一緒に捕まったプッシャーの本名)のTwitterアカウントのリンクが、吉岡さんからあなたに送られているんですね」などと言って、今度はそのログの写真を見せてきた。
僕は吉岡とは完全にクロな証拠のやり取りをしていなかったつもりでいたので、これにはさすがに焦りを感じたが、そのメッセージの前後に脈絡はなく、リンクだけが送られているという内容のログではあったので、これだけでは証拠として不十分であろうとは思った。
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検察官は続けて、「この小林さんのアカウントにコンタクトを取って、小林さんから大麻を購入したんじゃないですか?」と名推理をしてきたが、僕はなんとか無表情をキープしたまま、「黙秘します」とだけ言っておいた。
検察官は表情を変えず、「わかりました。それでは本日はこれで以上です」などと言って、この日の取り調べは終わることになり、僕は当然、調書への署名・押印を拒否して、部屋を後にした。
つづく
この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
#フィクション#エッセイ#大麻#大麻取り締まられレポ
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lenofiga · 27 days
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7章の記憶のほとんどが飛んじゃってるから何かしら見落としている点があるかもだけど(あるに違いない)、デイビットの過去を知った時、最初に思い浮かんだのがこのコマだった。 彼が人類であり続けようとした理由についてどうしても違和感を覚えて気になってしまうことがあった。
自分用答え合わせメモ。読まんでいい。
当時元々10歳と思えないほど聡明で優秀な子という描写がいくつかあった。
大人でも追いつくのが難しいであろうSF映画の内容を理解できたこと。
あの事故の経緯、自分に何が起きたのかすぐに察したこと。
あくまで個人的な解釈だけど、そもそもあの日あの研究室に訪れたのも、おそらく彼から関心を示し始めたのがきっかけになったこと。
そして、 当時未だに完全には解析出来ていない研究対象を無害と判断したとはいえ、勝手に物を手に取ったり壊したりするようなしっかりしてない子だったら、父親も危険物の多い職場に連れて来なかったと思う。息子には見込みがあって、それを見出そうとしたこと。
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ブリシサンあたりが行った検査の結果、身体構造や性格面に変化がまったくなかった。結果を受け止めたものの、賢い彼は自分がすでに「違うなにか」になっていた事実を身に染みていた。どこにいても誰といても彼に居場所はないと実感するようになった。人間離れした思考回路あるいは人外視点も持つようになった。
が、「それでも、少年は自分を人類だと考えた。」「塩基配列は紛れもない人類なのだから」<ここに違和感を覚えた。
突然、生まれて初めて途方のない孤独にさらされ、年相応な不安や恐怖もあっただろう。きっかけとしては十分と言ってもいい。だた、上手く言葉に出来ないけど、上に述べた点を考えてそこまでして人類の部分に縋るような理由はあったのだろうか。
まあ本人がいいならそれでもいいし、自分は勝手に納得してないだけかもしれない。けどどうしても、本当はもっと何かあるんじゃないかと考えてしまう。
「父親の名前も経歴も、人々の記憶から消失していた。 世界の記録から消失していた。」
カドックが、記憶の全てを失いつつある異聞帯のアナスタシアの存在証明と同じように、デイビットが人類であり続ける限り、彼も床のシミの親子の存在証明、と。少々都合のいい解釈にはなるけど、そう私は捉えている。
事故の真相を追求せず、学部長の説明を鵜呑みにして満足した魔術師たちがまったく当てにならなかった。唯一あの親子を覚えているのは彼だけになった。なら、自分に何が出来るのか。
自分の事を地球人類と思えなくても、塩基配列が今のデイビットに最も揺るぎ無い過去・人類との繋がりなら、意地でも忘却回避(?)に活かす。そして、人類感覚により近づくには父親から教わった「人間」の定義を実行する。
これはあくまで自分の中の解釈。推しのことを誰よりも理解しているつもりはさらさらない。すべてを知りたいと同時に、何ひとつ理解してなくても、この推したい気持ちは満ち足りている、みたいな。今でも推しと呼べるのかは、正直分からないけど。
途中、何が言いたいのか分からなくなって感半端ないw
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ari0921 · 3 months
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 中国の電力支配、
峯村健司
フィリピンの先例警戒 40%株式保有、送電止める危険 
峯村健司氏緊急リポート
再生可能エネルギーに関する規制見直しを検討する内閣府のタスクフォース(TF)に、中国の国営電力会社「国家電網公司」のロゴマークが入った資料が提出された問題が収まらない。エネルギー戦略は国家の存立に直結する最重要政策であり、「他国の干渉があってはならない」(高市早苗経済安保相)からだ。林芳正官房長官は28日の記者会見で「河野太郎規制改革担当相のもと、内閣府において中国政府から不当な影響を受けていなかったかなどの調査を行う」と語ったが、議会や第三者機関も調査すべきではないのか。
キヤノングローバル戦略研究所主任研究員、峯村健司氏は、国家電網公司がフィリピンの送電企業の40%の株式を保有し、同国議会が「安全保障上のリスク」を懸念した前例に迫った。
再エネ導入に向けた規制の見直しを検討する内閣府のTFの資料の一部に、中国の「国家電網公司」のロゴマークの透かしが入っていたことが明らかになった。
資料は、民間構成員である財団法人「自然エネルギー財団」事業局長、大林ミカ氏が提出したものだった。大林氏は27日の記者会見で民間構成員を辞任したと発表した。大林氏がTFに入った経緯について、林長官は28日の記者会見で「内閣府事務方が提案した案を、河野規制改革担当相が了承した」と説明した(=大林氏は27日の記者会見で、河野氏の推薦だったと説明)。
「パワーポイント」による事務ミス…内閣府の説明に疑問と矛盾問題発覚後の25日に記者会見��た内閣府規制改革推進室の山田正人参事官によると、同財団が2016~19年にかけて開いたシンポジウムに中国企業の関係者が登壇した。その際の資料を大林氏が提供され、別の機会に編集ソフト「パワーポイント」を用いて引用した際、文書のテンプレートにロゴが残ったという。
山田氏は「内容に問題はなく、事務ミスかもしれない」と説明した。
この説明には早速、いくつかの矛盾や疑問が浮上している。同財団が翌26日、ホームページ上で発表した経緯説明では、大林氏は編集では「パワーポイント」ではなく、「キーノート(Keynote)」を使っていた。金融庁の有識者会議や経産省の小委員会に大林氏が提出した資料にも同じロゴが確認されている。内閣府の調査は不十分と言わざるを得ない。
そして、筆者が最も注目しているのが、中国政府における「国家電網公司」の役割である。02年に設立された中国最大の電力配送会社で、オーストラリアやブラジル、チリなどの発電・送電会社に積極的に出資をしている。
40%株式保有、送電止める危険その中で「国家電網公司」が積極的に進出をしてきたのが、フィリピンだ。親中政策をとったアロヨ政権時代、フィリピン国家送電会社(NGCP)に40%出資し、09年から全国の発電所から配電施設までの送電を受託した。
ところが、19年11月、議員向けの内部報告書で、「フィリピンの電力網が現在、中国政府の『完全な支配下』に置かれており、わが国の電力網に混乱を引き起こす能力を持っている」と警告されていることが発覚した。
NGCPを監督する送電公社の責任者が議会の証言で、フィリピン人技術者が施設への立ち入りを制限されており、中国によって送電を止めることができる可能性があることを認めた。
中国が「国家の悲願」と位置付ける台湾併合に乗り出した場合、米国の同盟国でありバシー海峡を挟んで位置するフィリピンの存在は極めて重要だ。その際、中国がフィリピンの関与を阻止するために、全土を停電にする可能性はあるだろう。
同じく、米国の同盟国であり米軍基地を抱える日本に対して、中国がフィリピンに対して実施したようなアプローチをするリスクを考慮するのは当然のことといえる。
今回の問題を「事務的ミス」で片付けるべきではない、と筆者は考える。電力事業は22年5月に成立した経済安全保障推進法で「特定社会基盤事業」と指定されている。その所管官庁である内閣府は、地政学リスクも含めた徹底した原因究明をすべきだろう。
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hachikenyakaiwai · 21 days
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【かいわいの時】慶応二年(1866)六月九日:大坂城に怪獣現る!(奈良文化財研究所)
江戸時代には、瓦版と呼ばれたニュースを載せた印刷物が巷に出回っていました。この瓦版、現在の新聞などとは違い、噂や怪異などの出来事についても盛んに取り上げられていました。例えば、昨今の疫病流行によって注目を浴びているアマビエも、もとは瓦版の一種に掲載されていたものです。2020年度に奈文研へ寄贈していただいた資料の中にも、こうした噂を取り上げた瓦版があります。それは、慶応二年(1866年)六月九日に大坂城の南の堀で怪獣が発見されたという噂を載せた摺物です(図略)。この怪獣に関する資料は数多くあることから、怪獣発見の噂は当時かなり有名であったことがうかがえます。
奈文研の所蔵となったこの怪獣に関する資料は、怪獣の姿のイラストを中心に、上部に怪獣の発見日時、怪獣の全長や各部の寸法、体の色を掲載し、末尾にこの怪獣が「せけんのひよばん」(世間の評判)になっていることを記したものになります。怪獣の寸法は、「身のたけ七尺余」と記してあるように、体長は2メートル以上、重さは25貫目とあることから100キロ近くあったことになります。
この怪獣の正体について他の資料を見てみると、大坂町人平野屋武兵衛の日記*では、怪獣が発見される約二十年前にサンショウウオが大坂城の堀に放流されたことがあったことを記し、発見されたのはサンショウウオではないかと推測しています。実際に、昭和十二年(1937年)に大阪城の堀の中から巨大なオオサンショウウオが発見されたという出来事があったことからも、あながちこの推測は間違いではないのかもしれません。ただし、現存している資料に描かれた怪獣のイラストや寸法を見る限り、誇張されているとはいえ、サンショウウオとはいえないものがほとんどです。おそらく噂として聞いた怪獣の寸法や特徴をもとに、各々が想像して描いたため、このようなずれが生じているのではないでしょうか? *(写真)
また、この怪獣は、当時第二次長州征伐のため大坂城に在城していた江戸幕府十四代将軍の徳川家茂にも上覧されたようです。高木在中という京都町人の日記には、得体の知れない怪獣が死体となって大坂城の堀から発見されたのは大変不吉であると噂されていると記されています。怪獣が発見されたのは第二次長州征伐の戦端が開かれた直後であり、そうしたタイミングで将軍のお膝元から発見された怪獣の死体に不吉な予感を感じていた人もいたようです。怪獣発見の噂が盛り上がりをみせたのは、怪獣の死体と江戸幕府の行く末を重ね合わせたからかもしれません。それにしてもこの怪獣の正体はいったい何だったのでしょうか?サンショウウオか、もしくは・・・(文化遺産部アソシエイトフェロー 橘悠太)。なぶんけんブログ「慶応二年(1866年)、大坂城に怪獣現る!」より。
(写真)▼「慶応二丙寅年日記」1866(大阪大学文学部国史研究室蔵)
六月九日、朝五ツ時、御城之堀より左之通之姿之もの死躰浮上り候、昨日夕大雨八ツ比より七ツ時過まて雷鳴有之、御堀江落しと噂有之、因二云、二十ヶ年斗以前小橋八丁目寺町之東側之寺ニサンシヤウ魚ヲ御堀へにがせし事有之候、夫ならん欤、此姿ハ見し人有之よし、一説にハ武家方之内壱人弱死を、魚にとりなセしとも、長サ七尺斗 目方弐拾六貫目(平野屋武兵衛=画も)。脇田修・中川すがね編『幕末維新大阪町人記録』(清文堂史料叢書 第70刊)1994より複写。ママ=溺死
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nihongo · 6 months
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Web版で「フォローしているTumblrブログをシェアする」設定が正確に表示されず、実際は「オン」なのに「オフ」と表示される厄介なバグが修正されました。これは、その設定を変更したことがないユーザーにのみ影響します。過去約1年間の間にWeb版でブログ設定を確認した方は、その設定が間違っていた可能性があります。ブログ設定ページに表示されている値は現在正確になっています。ご希望の設定と一致しているかどうか確認されることが推奨されます。
また、サブブログが投稿に返信するたびにプッシュ通知が送信されないバグが修正されました。
Tumblrテーマガーデンのテーマ名が、他のテーマタイルにはみ出さないようになりました。
Web版投稿エディターで、ブロック挿入ボタンが引用またはチャットブロックの改行内にある時に再び機能するようになりました。
Web版で投稿のインタラクションボタン(スキ!、リブログ、返信)の上にマウスカーソルを置いた時に、特定の言語でツールチップテキストが不必要に2行目に回り込まないようになりました。
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kennak · 1 month
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1 制度の創設 我が国では、国民皆保険制度の確立によって、自らが選択する保険医療機関で必要な医療を受けることができます。 この制度は、現在では広く社会に浸透し、皆様の生命と健康に対する安心を確保するために不可欠な社会基盤となっています。 国民皆保険制度の根幹を支える国民健康保険制度については、昭和13年7月の旧国民健康保険法の施行により、その基礎が創設されましたが、当時は保険者の設立や加入が任意であったことから、無保険のかたが多く存在しました。 一説によると、国民の約3分の1に当たる約3千万人のかたが無保険であったとのことです。 その後、国の政策により国民健康保険は、終戦まで一定の拡大が図られました。 終戦直後においては急激なインフレ等によって、国民健康保険制度は制度破綻の危機に直面していた時期もありましたが、日本経済の復活や保険診療の急速な増加に伴い、数度の国民健康保険法の改正を経て、現在の国民皆保険制度が構築されました。 昭和13年7月 旧法による国民健康保険 施行 任意の国保組合と非営利社団法人が運営 昭和23年7月 旧法による国民健康保険 第3次改正 国保は原則として市町村が運営(任意) 昭和28年4月 国保に対する国庫負担を初めて予算化 療養給付費の2割 昭和34年1月 新(現行)国民健康保険法 施行 国保は原則として市町村が運営(義務) 昭和36年4月 大都市における国民健康保険の実施により国民皆保険体制が実現 2 拡充期 新法の施行後においては、高度経済成長を背景とした社会保障政策の充実により、「医療の質のさらなる向上」や「患者負担のさらなる抑制」を図り、以降、次の改正を行い、国民健康保険制度の発展と拡充を続けてきました。 昭和37年4月 国庫定率負担 20パーセントから25パーセント 昭和38年9月まで 一部負担割合 5割 昭和38年10月 国保世帯主の一部負担割合引き下げ(5割から3割) 昭和41年6月 国庫定率負担 25パーセントから40パーセント 昭和43年1月 国保世帯員の一部負担割合引き下げ(5割から3割) そして、昭和48年1月、老人福祉法の一部改正により、70歳以上のかたの医療費自己負担が制度上無料(国と地方の折半で全額負担)になりました。 3 見直し期 高度経済成長は、昭和48年の第1次オイルショックをもって終わりを告げ、日本経済が安定成長期に突入したことで、インフレに対応した給付水準とするための改定が行われました。 昭和58年2月には老人保健法が施行され、70歳以上のかたの医療費自己負担が復活しました(定額方式)。 70歳以上という限定があったにせよ、「老人医療費無料化」制度は、他のどのような福祉サービスを活用するよりも安価であったため、利用者が急増し、「病院のサロン化」や「社会的入院」といった状況を生む結果になりました。 また、農家等の家族従業者や自営業が減少し、被用者保険の加入者が退職後に国民健康保険に移行したため、国民健康保険は高齢者の加入率が被用者保険に比べて高くなっていきました。そこへ老人医療費が急増したことにより、国民健康保険の財政状況は非常に厳しくなりました。 それ以降の医療保険制度は、 国民皆保険(すなわち国保)の維持 そのための患者負担の確保 老人医療を何とか維持するための財政調整制度の整備 のため改正に追われ、そのたびに複雑な制度に変化していくこととなります。 4 再整備期 老人医療費が急増する中、社会保障制度の持続可能性の確保を図るため、高齢者のかたへの医療は、様々な改革が行われることとなります。 昭和57年には、国民健康保険財政の負担軽減のため老人保健法が制定され、翌年には老人医療費の一部負担が導入されます。 バブル経済崩壊後、経済状況の悪化等により保険料収入は伸び悩む一方で、高齢化に伴い医療給付費は伸び、医療保険財政は大幅に悪化しました。そして高齢者医療制度は、自己負担の段階的引き上げや、老人保健法の対象年齢の70歳から75歳への引き上げが行われました。 しかし、従来の老人保健制度は、医療費を各保険者からの拠出金と公費、老人の患者自己負担で賄われており、現役世代と高齢者の保険料の区分がされていない等、財政運営の責任が不明確であること等が問題点として指摘されていました。 そこで、現役世代と高齢者の費用負担の明確化および財政の安定化を図る観点から、平成20年4月から老人保健制度に代わる後期高齢者医療制度が実施されることになりました。 このような背景から、柏市では、平成20年度に国保の保険料引き下げを行いました。 しかしながら、予想外の景気回復の遅れと前期高齢者加入者数の増加により、平成21年度には早くも柏市の国保は運営困難となり、平成21年度からは県からの借金を余儀なくされた上、平成22年度は保険料を引き上げざるを得ない状況に至りました。 5 広域化 平成24年に成立した社会保障制度改革推進法に基づき設置された「社会保障制度改革国民会議」において、年金・医療・介護・少子化対策の各分野の改革の具体的方向性が議論され、平成25年8月に報告書がとりまとめられました。 これを受け、平成29年度までを目途に、「国保の運営業務について、財政運営をはじめとして都道府県が担う」(広域化)ことが閣議決定されました。 そして、平成27年5月27日に成立した「持続可能な医療保険制度を構築するための国民健康保険法等の一部を改正する法律」により、平成30年度から国保は広域化されました。 これまでの国保では、全国的に「1.被保険者の年齢構成が高く医療費が増え続けている。」、「2.所得の低い人が多く保険料(税)の負担が重い。」及び「3.小規模な市町村では国保の財政運営が不安定」という課題を抱えていました。 この度の広域化は、国保制度を持続可能なものとするために行われたものです。 今後も被保険者の皆さんに必要な医療を確保していくためにも、次のことについてご協力をお願いします。 保険料は、納付期限内にご納付いただくこと。 医療費を節約するために重複受診をしないことやジェネリック医薬品を希望していただくこと。 特定健診(無料)を毎年受診し、健康を保持・増進していただくこと。 6 まとめ 日本の国民皆保険制度は、世界に冠たる相互扶助の制度であって、その根幹を国保が支えています。 引き続き、本市国保運営にご理解とご協力をくださいますようお願いします。
国民健康保険「こくほの歴史」 | 柏市
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fantasybrade · 9 days
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あおいお
カレント今号のってるやつ最終回です あと2話ある(?)ので次も一応のりますが まあとりあえずかんけつ
アオキシには打ち切りの概念がないので、これは自主的に決めたおわり ずいぶん前に、それこそ1巻が出るあたりの頃に、3巻で終わらそうと決めてた それはなんというか、自分が何を描こうとしたのか分かったし、そんなに長く描ける気がしなかったし
こういう、さくしゃが何を思っていたかみたいなことを外部に記述するのはよくないという思い あるしもちろん、同様にもういいだろもう…みたいな気持ちもある
はあ
よそに言いふらさないでね
ぬ…を今は商業でやっているけど(もう5年目に突入しているのまじ?) 別に「この漫画を商業でやりましょ!」とか言われたわけじゃない ほんと、ただ自分が新しく他の設定とか漫画とか考えれる気がしなかったから だから同人で描いてた漫画のキャラをほぼそのままに商業漫画にした 編集者に推されたりはしてないし、ていうかむしろ無理矢理ヌを描かせてもらった いい感じにそこそこ売れてる(らしい)ので続けさせてもらってるけど、ぜんぜん2巻で終わると思ってやってた で、まあどっちにしろ漫画は別にもういいかな、、、て気持ちだった
別に商業でやってみてつまらなく感じたとかそういう話しじゃない 普通に、ぬ以外を何も描くつもりがなかった 自分は別にわざわざ漫画にして描きたいことがほとんどなくて、ただのSNSで絵書いてるだけの人だし、もともと漫画はあんまり読まないし ぬ終わった後も漫画やる理由とくになかった
とか言ってたら、新しい漫画描きましょう なんて声がかかって なんかよくわかんないままに描くことになった 私は良く知らないけど、アシスタントの経験もないし漫画をまともに描いたことなんてない 漫画もろくに読まない 何も別に描くことがない ヌの中に描きたいことは全部詰め込んでいる 同人誌の頃みたいな漫画を描けばいいのか?と思ったけど 別にあれを今更どうこうするつもりはなかった
ヌを商業化して、なんで同人の頃の設定変えてるのか聞かれたりするんだけど それは単純に4コマでやっても面白くないと思ったから それに性質上、それを商業の方単体で理解できる形にするのは不可能だった 理解できなくてもいいじゃんとか適当なこと言うなよ 殺すぞ
なんか漫画家を目指してる人とか漫画家をやってる人はとにかくいろんな話を考えてていろんな話を描いてる 結局なんかそういうのはわかんなかった そういうのない
ないな~って思って なんか始まったのが、カレント すごいよね 好きにやっていい 何をやってもいい っていう雑誌に、今ちょうど何ひとつとして描きたいものがない私が参戦 周りが言った感想の中で「どういうこと?」っていうのが一番納得できた どういうこと?って感じ
自分の作為性みたいなものを取り除きたかったというのは覚えてる やりたいことなんですかって言われて必死に考えてそれしかなかった 何いってるかわかんないと思うけど、物語をやる意味が感じられなかった 無作為に出来事が乱立していく、非物語 不安定とか、無言とか、微妙な不条理とか、どうしようもなくなったもの いくつかの物語の種がそのまま芽吹かずに終わることや 物語の連鎖反応が起こらないこと でも、これは意味がなくて キャラクターをどんどん描いていくと、意志の強いキャラクターからどんどんと物語になろうとする キャラクターを描きたいけど物語を排斥しようとするっていう行為自体が矛盾してる ああ、なんかこれ、企画の段階でおかしいんだな…って気づいたのは1巻出た時だった 遅くね? ていうか関係ない 描いている人間がどう思っていても、物語になる時はなるしならない時はならない
あとはもう、どうにでもなれと それぞれのキャラクターに抱いている自分のイメージをなんとか崩さないように物語の歩みを進める 3巻というのはテキトーに決めたけど今考えるとまあまあ丁度よかっただろうと思う どう考えても漫画は物語を描くためにあり 自分はなんというかその辺の感覚が曖昧だった 別にそうでもないような形式っていうのはいっぱいある 話が裏でつながってる短編集とか、日常系4コママンガとか、ある種の実験漫画系とか なんかそういうのをやろうという気もなかった(4コマはやってるし) そこで選んだものをつなぎ合わせたのが、カレントだったんだけど
ここ数年、ほんと前にも増してよく見るようになった 物語という言葉をこんな感じで定義曖昧のままに語る言説 とりあえず言っとけみたいな 私もそれらと同じ
カレントの感想をうっかり見てしまった時、「◯◯の漫画に似てる」みたいな感想が多くあって 以前はそういった感想を見ると嬉しくなってたんだけど カレントの時はそういう気持ちにならなかった その◯◯さんや◯◯さんの漫画を読んだことがなかったから 今までだいたい自分が好きなものを詰めて描いてたから、見た人がアレに似てる~!って言うとき そこにはもしかしたら悪意を持ってる人もいるかもだけど、自分はなんかそういう、自分の好きなものを共有できる感じが嬉しかった でもカレントの場合全部わからないから はあ、、そうなの、、?誰、、?みたいな気持ちになる
自分がそれまでまったくやらなかった考え方で作品を作ってみたら そこには自己顕示も読者への思いも、そういったあらゆるものが存在していなかった 金払ってこんなもん読まされたら自分ならブチ切れるな…とか思いながら でも描く中でキャラクターに愛着が湧くのを避けられない でもこれ描いてどうするんだよ って思い続ける 誰かに相談しても、「どういうこと?」ってなる 何いってるのか、自分でもわからず
でも漫画を描くのはどんどん楽しくなってしまって どうすればいいのかわからない なんでなんだろう? 最初からどうすればいいかなんてわからなかった それでこの話はおしまいカレントはおしまい あんまり編集の話してないから「こんな悩んでるのに編集はなにやってたんだよ、、、」みたいな感じになっているけど編集はめちゃくちゃ助けてくれたよ はあ、、、
一体なんだったんだ 「なんだったんだ…(絶望)」じゃなくて 「なんだったんだ…?(疑問)」みたいになってる なんだったんだろう なんだったか見つけないとだめだ
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tutai-k · 8 months
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たどり着かなかったおおくの未来たちへ
文フリ東京だった。 土曜日開催のイベントってなんだかんだ言いながらはじめてのような気がする……労働が土日祝休めなかったころはなんでイベントは平日にやらないんだろうと思っていたし、土日が休みだったころはイベントは土曜日にしてほしいと思っていたが、日月休みになると、イベントは日曜日がいいなと思ってしまう。日月は宿泊料金がやすい。
そんな自分本位な「この日がいいな」をわたしはいくつも持っている。
文フリ東京は、土曜日の朝に出発した。車内販売がなくなってしまって、でもまあ新幹線のホームとか購買にシンカンセンスゴイカタイアイス(シンカンセンモウカタクナイアイスだという噂だが)が売っているらしいから、それを食べようと思っていたが、朝、名古屋駅で見つけることはできなかった。 しょんぼりしながら新幹線に乗る。新幹線の中ではほとんど寝ていた。
東京駅・浜松町・流通センター。いつもの乗り換えで会場に向かう。来年の12月の文フリはビッグサイトでやるらしいから、この行程で向かうのはあと一回。
会場前に八束さんのスペースで不穏なフライヤーをもらう予定だったのでもらいに行ったら、八束さんがさいたま文学館で開催中の『澁澤龍彦の文学世界』のフライヤーも一緒にくれた。 ので、スペースが出入り口の真ん前だったこともあって、これはたくさんのひとに見てもらえるんじゃないか…!ということで、出口に向けて配置した。完璧である。
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そんな素敵な設営をして、開場。
遠方からきてくれたフォロワーさんに展示のフライヤーを見せ澁澤龍彦の話をし、「若い頃にわたしも全集読みました!」と言ってもらうなどしたり、痛覚の麻子さんにはえんえんと「この写真見てくださいやばくないですか?羽田に楯の会の制服を着て見送りに着た三島の帽子をかぶっておどけているときの写真でこれが二人が実際にあった最後になるんですよ……」と一生終わらないんじゃない勝手くらいの話をしつづけてしまったり、このフライヤーに気づいてくれた通行人のひと(「澁澤龍彦だ…!」という声が聞こえた)に「裏面も見てください!そしてよろしくお願いします!」とさっと差し出したり……。こんなに充実した文学フリマ東京は、2014年から参加していて初めてじゃないかと言うくらい充実していた。
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惜しむらくは、澁澤龍彦のフライヤーと一緒に不穏なフライヤーを挟んでいたにもかかわらず、だれも「澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制があるんですか?」と聞いてくれなかったこと…。澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制は果たして存在するのか……?
とまあ、こんな感じなのだが、そろそろ皆さんも不穏なフライヤーとは?と思っているところだろうと思うので、ご紹介致しますとこういうやつです。
「父親の死体を棄てに行く」アンソロジー。家父長制を棄てに行きたい方はどうぞ2024年5月の文学フリマ東京をお待ちください。
イベントが終わってからは、八束さんとヒマラヤ鍋を食べに行った。 お店の予約時間まで過ごしていたドトールで渋沢栄一の話になり、「ああ、向こうは傍家で、本家はうちなので」と話したら「いまうちって言いました?」と聞き返される。うちです。 ヒマラヤ鍋屋さんはめちゃくちゃすてきな楽隊(?)のお誕生日パレードがあったり、びっくりするような美味しい鍋を食べられたりと大満足だった。
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打ち上げを終えて、翌日のさいたま文学館に備えて埼玉に宿を取っていたので、移動をはじめたら電車がいきなり止まった! 電車の沿線で人身事故があったとのことで、近くのハブ駅みたいなところで電車を降ろされてしまう。こんなこと担ったのは初めてなのでびっくりしていると、とりあえず一時間くらいしたら電車は動くからね~とアナウンスが入り、事なきを得る。
都会ならではの体験だな…と思いながら、ホテルにたどり着いて泥のように寝た。
そしてさいたま文学館へ。
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張り切って出てきたら開館まえについてしまった…。図録を買って、老人クラブの展示があったので見せてもらったりして(ヤツガシラの俳句があってとてもよかった)、10時になる。
貸し切り状態……。
展示は、埼玉と澁澤の関係から始まっていて、浦和高校時代の写真(浦和高校同窓会が出しているものだった)があるのがとてもよかった。 限定本も展示がたくさんあり、原稿も、文学館が所蔵しているものが4、5点。 サド裁判のときに澁澤が三島に書き送った手紙に、争点が「わいせつか芸術かを超え、表現の自由/検閲への抵抗である」ことが書かれていることを指摘していたり、『高丘親王航海記』の原稿用紙、最初は「了」と書いてあったのを、推敲の段階で文字を自ら消したことを指摘していたり、「澁澤龍彦」という人物を表現との向き合いかたから見せているのが良いと思った。 面白かったのは三島の写真の使い方で、「血と薔薇」の「男の死」の三島の写真、あと、メインビジュアルが羽田に見送りにきた三島の帽子をかぶっておどける澁澤の写真だったからか、「楯の会の制服を着た三島由紀夫」の写真が展示してあったりした。
展示をひとしきり見た後は、図書室に今回の展示の関連本がまとめてあるとのことだったのでそれを身に。「作家のおやつ」「作家の食卓」といった本の紹介や、山﨑ナオコーラが文豪の墓参りにいく本に澁澤の項目があった。山﨑ナオコーラの澁澤へのまなざしにはわたしにもおぼえがある。よい本だった。そしてその本で、先月わたしが緑色のインコに夢中になっていた霊園に中島敦の墓があることを知った。敦、ごめんな……墓のことなんて全然知らなかったから、緑色のインコのことしか考えてなくて……。
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その後は文学館併設の「けやきカフェ」で澁澤龍彦コラボメニューをたべる。黒糖と胡桃のパンケーキ。澁澤が好きだった胡桃や黒糖のお菓子をイメージしてつくられていて、とてもよかった。 思い出したのは、今よりもっと貧乏だったころ、いろんなところでやっている澁澤の展示に行けなくて悔しい思いをしたことだった。いまこうしてたどり着くことができるようになったことを、なんだかとても、自分が、自分をなんとかしているように思えた。
パンケーキを食べ終えてから、「武蔵野うどん」に挑戦することにした。「伊勢うどんとは対極にあるうどんだ」という事前情報しかなかった。 桶川駅ちかくのお店はかなり人気店のようでたくさん人が並んでいて、お店に入れたのは並び始めてから一時間後くらいだった。 つけ麺(うどんのことをつけ麺というのか?)システムで、つけ汁とうどんは別々の皿に載っている。なるほどこういうやつなのか、となにも考えずにがっと箸でつかんで汁につけてすすりはじめたはいいが、うどん、めちゃくちゃかたいんですけど?!噛みちぎれない…やばい、全部すすって口の中に入れるしかない……と思ったが、これがまたすさまじく長くて……永遠にうどんがおわらない……。 こんなに硬くて長いうどんはじめてなんですけど?!おれたちは箸で持ち上げただけでへたしたらブツッといく伊勢うどんの��なんだということを再確認し、「これは風邪を引いたときに食べるうどんではなく、体力が有り余っているときに食べるうどんだな」と確信しました。きっと武蔵野のひとたちは、風邪をひいたときにはおかゆを食べるに違いない。(伊勢志摩の人間は風邪をひいたら伊勢うどんを食べます)
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二口目からは一本ずつ食べることで武蔵野うどんのおいしさを堪能し、また是非食べたい、顎の力を試したい、と思った。
武蔵野うどんを噛み砕くのに体力のほとんどを持って行かれて、疲れ果てたので、そのまま帰宅することに。 購買にシンカンセンスゴイカタイアイスを見つけたので購入し、席に着くと、隣のひともおなじシンカンセンスゴイカタイアイスを持っていた。しかもおなじチョコレート味。
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べつに示し合わせてはいないがふたり一緒に食べることになってしまい、こんなに好きなひとがいるのに、もうシンカンセンスゴイカタイアイスは車内販売されないんだな……と悲しくなる。 そして、乗車15分まえに買ったし、シンカンセンモウカタクナイアイスだった。
アイスを食べ終えてからは、記憶がない。気づいたら名古屋だった。
名古屋駅で、近鉄のホームに来たら、電車を待つ人は無秩序にホームにたたずんでいて、車両のドアとか何も気にしていなかったし、電車が着いても「先に並んでいたひと」という概念がないので、運良くドアの近くにいたひとから電車に乗りこんだ。東京とかから帰る途中、この近鉄のホームの無秩序さを目の当たりにすると、まだ名古屋から三重まで帰らないと行けないのに、「帰ってきたなあ」と思うのだった。
名古屋駅から最寄り駅までも、���ていたのでほとんど記憶がない。
帰宅したら、夕食は焼きそばだった。焼きそばの麺は、どれだけ頬張っても簡単に噛みちぎれた。武蔵野うどんは硬かった。
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eternitycomenevermore · 2 months
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smi********さん
2016/1/25 18:18
なかよし・・・1990年代末まではりぼんと並ぶ名門で、メディアミックスでは紛れも無くNo.1だった雑誌。しかし1990年代に大ヒットした美少女戦士セーラームーンとカードキャプターさくらの影響が悪い方に作用し、編集部がオタクの嗜好と女児の嗜好を取り違えて、いつしか美少女戦士やら魔法少女ばっかり重視するようになり、それが描ける作家はCLAMPとか征海未亜とか外部作家やフリー作家を連れてきたりして優遇する代わりに、描けない作家は大ベテランのあさぎり夕であろうが高瀬綾であろうが川村美香であろうが引退を突き付けて『粛清』し、「アニメ」ではなく「少女漫画」を求めていた読者から見放されて自爆した雑誌。 現在では「美少女戦士・魔法少女=アニメオリジナル・園児向けのプリキュア」(一応なかよしで連載しているけどね)という図式が定着した影響で少女漫画での魔法少女漫画の需要がなくなったせいで、遠山えまや鳥海ペドロらを『調教』してちゃおを"卒業"した子やその路線になじめない子狙いでコミックス売上狙いでエロ路線に走っている(とはいえ、エロのレベルは一時の少女コミック・Cheese!と比べりゃ微々たるもの)けれど、一部を除く女児には不評。ちゃおほどメディアミックスに熱心できる状況ではなく、りぼんほどコミックスが売れる作家が多いわけでもなく、コミックスのスペースもかつてのちゃおが味わった苦汁のごとく年々削減されて、セーラームーンとCCさくらの貯金を取り崩しながら破滅に近づいている状況。 りぼん・・・2000年代までは少女漫画売上No.1で、マーガレットの妹分。恋愛漫画も充実。メディアミックスはヒット作に全く恵まれずに消極的なおかげでなかよしと比べると少女漫画の品位は保たれているし、ちゃおよりも少女漫画らしい誌面。ただし1990年代から2000年代前半はメディアミックスではなかよしを追い抜こうとした時期があり、姫ちゃんのリボンをテレビ東京系でもいいからアニメ化したり、秋元康に頼んでナースエンジェルりりかSOSを立ち上げたり、赤ずきんチャチャを魔法少女モノに改変したり、どちらかと言うと原作は鬱要素が強いこどものおもちゃを子供向け路線に改変してアニメ化された影響で、誌面はタイアップバリバリだった。そのおかげで姫ちゃん~こどちゃがアニメ化されていた頃は低年齢層を掴んで1994年には少女漫画最高記録の255万部/月を達成するが、こどちゃ以降はアニメ化に恵まれず、新人を猛プッシュした種村有菜のアニメ化作品が神風怪盗ジャンヌ・満月をさがしてとともに不振だったり、Cookieの分離創刊を機に吉住渉、矢沢あい、小花美穂ら古参作家を放出させ、春田なな、酒井まゆ、槇ようこら絵柄重視で新人作家を猛プッシュしたりした影響でやっぱり古参読者が離れて部数が激減、一時は3誌で最下位になるものの、その後のなかよしの大自爆により2位に浮上。 現在では春田なな・槙ようこが看板格に育ち、雪丸もえのひよ恋がスマッシュヒットしたが、最盛期には遠く及ばず、また夢色パティシエールの大爆死以降はちびまる子ちゃんを除くメディアミックスも一切なく、中高生向け少女漫画と同じくコミックスで生き残りをかける格好。 ちゃお・・・1990年代中盤までは売上・人気面でボロボロで10万部台の頃もあり。起死回生を図るために1993年に(当時キャンディキャンディの版権問題で水木杏子・講談社と揉めていた)いがらしゆみこを招聘してムカムカパラダイスをアニメ化して以来、漫画よりもアニメとのタイアップを中心に捉えてきた。2000年代初頭まではタイアップ先(特にバンダイがメインスポンサーの女児アニメ)がちゃおを敬遠していたこともあり、ポケモン、少女漫画ウテナ、デ・ジ・キャラットにょ、電脳コイルといったオタク層や男性(男児)向けの作品が比較的多く、その漫画版が載っていた1997~2003年頃のちゃおはカオスな雰囲気を醸し出していた。しかし2002年のわがままフェアリーミルモでポン!のヒットで少女漫画売上No.1になるとオタク向け路線は徐々に一掃され、ChuChuの分離創刊(現在は廃刊)であらいきよこ・おおばやしみゆきらベテランが放出されるが、ミルモ・恋プリ・ちびデビ・ちいちゃんと児童向け路線で4作続けてヒットを出す篠塚ひろむと、男ショタキャラの魅力でちゃおを卒業した読者もコミックスに安定して取り込む八神千歳の存在は頼もしく、3誌の中で唯一世代交代に成功したといえる。2000年代後半からはアイドル物に力を注ぎ、きらりん☆レボリューションで中原杏を猛プッシュ。関連商品の売上は上がるが、デッサン力・画力は決して高いとはいえない彼女を起用したおかげで、高学年を中心に読者離れが起きて本誌の売上は下がる。 現在では売上は下落の一途だけど前述のアイドル路線を引き継いだアイカツ・プリパラと、妖怪ウォッチのタイアップで華はある印象。そのおかげでスーパーやコンビニ・書店では月末には真っ先に売り切れる。それらのタイアップ作品に流されやすい女児には堅調で、それに流されにくい女児は早々と逃げられ、女児の間で評価が分かれる(後者は早めに少女コミック・マーガレット・花とゆめなど中高生向け雑誌に移行することが多い)。あと女装ショタや性教育エロ路線では鉄板で、1991年の水色時代でのレギュラー化から現在のドーリィ♪カノンまで25年間もちゃお・学年誌に居座り続けているやぶうち優はいろいろな意味で化け物。 マーガレット・・・当たり前だが、りなちゃ3誌よりは少女漫画らしい雑誌。少女コミックス・花とゆめを含めた3大隔週誌の中では王道路線であり、アタックNo.1、ベルサイユのばら、エースをねらえ!、花より男子のヒットを築く。しかし、花より男子が終了した2000年代後半には部数が激減し、10万部を割り込む。近年はメイちゃんの執事がヒットするが、部数減に歯止めがかからず5万部台で推移、りぼん・なかよしと同じく主戦場は完全にコミックスに移行。
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elle-p · 3 months
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Persona 3 Club Book Strega pages scan and transcription.
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ストレガ
Strega
主人公たち特別課外活動部の行く手に現れる謎の3人組。同じペルソナ使い ながらあくまで敵対する彼らもまた、彼ら自身の信念でその限られた力を振るっている。
復讐代行屋 Strega
港区全域
自らをストレガと名乗る3人組の表向きの顔は、「復讐依頼サイト」に書き込みされた内容を受けて、自ら手を下せない依頼人の代わりに復讐を果たすことだ。人知れず所持する武器を手に、彼らは裏社会を渡り歩いている。
3人はいずれもかつて幾月が、ペルソナ能力者開発のためにグループ内部にすら秘密裏に進めてきた研究の被験者だ。非合法の人体実験で多くの子どもたちが命を落とすなか、幸運にも生き永らえて能力を開花させたものの、悲惨な実態を目の当たりにして研究所から逃亡し、身を寄せ合って生きてきた。
ペルソナ能力の発現と引き換えに心身に過剰の負担を負う彼らは、制御剤の力を以ってすら長くは生きられない。生命としてのルールを逸脱した運命に魅入られ、彼らは刹那的な衝動にのみ突き動かされて生きている。
たった3人だけで影時間に生きてきた彼ら。宵も享楽を求めて夜の街を笑う。
タカヤ Takaya
凶行の担い手
ストレガの実質的リーダー。3人の中では推定年齢が一番高く、研究所から逃亡した当初から指導的立場に立っている。刹那的・虚無的な思考が強く、自分にも他者にもあらゆる物事への執着の愚かさを説く。復讐代行屋として銃の引き金を引くときも、自分の享楽はもちろんだが、相手の生にしがみつく無様な姿を浄化してやろうという思いがあるようだ。
かつて同列の研究対象であったタルタロスは、忌まわしい邪悪なものではなく、甘美な悪夢をもたらす近しいものだと考えており、ペルソナ使いの存在はもまた、タルタロスあってのものだとしている。そのため真意を知らずタルタロス破壊を目指す主人公たちの存在は、愚かな人間がシャドウの恐怖に怯えることへの嘲笑も込めて、抹殺すべきものだと捉えている。
主人公たちの働きではからずも滅びそのものである二ュクスの復活が秒読み段階に入ると、自ら二ュクスの代弁者を名乗り、滅びと破壊の思想で扇動する。
タカヤの救世主思想
• あなたが自覚している悪意と、相手が感じている悪意とは無関係⋯ 人はみな、聞きたいように聞き、信じたい事だけ信じるものです。(6月22日影時間・裏通り)
• 聞けば、人々を守るための、“善なる戦い” だとか。ですが⋯ 今夜はそれをやめて頂きに来ました。(8月6日影時間・防空壕跡)
• 時の限られたこの体⋯力を失ってまで生き永らえるなど無意味⋯ ならば、 私の生きた証⋯ この地に立てるのみ!(11月3日影時間・ムーンライトブリッジ)
• 分かっていますね⋯? 君には “居場所” など無い⋯ 私たちと来る以外にはね。君もよく知っている筈だ⋯ 怖いのは死ぬ事なんかじゃない。(11月21日深夜・辰巳記念病院)
• フ⋯亡霊などではありませんよ⋯ 生に “執着” などしなかった我々を、運命はそれでも “生かした”⋯ 私は “選ばれた” のです。(11月22日影時間・タルタロス)
自分たちの思想こそが浄化された世界を作ると信じるストレガのリーダー。痩せこけた体に長い髪、色素の薄い瞳という憂世離れした姿。
欲深き自称メシア
ほぼ同年代のはずのストレガですがタカヤは見るからに老け顔。不精ヒゲを剃って髪を切ったらかっこいいのに。
ジン Jin
知性派の爆弾魔
タカヤの右腕を務める少年。自作の爆弾を持ち歩き、武器として使用している。
社会から隔絶された自分たちだけのコミュニティの中で生きているストレガは、物資の調達の大半を影時間を利用した略奪行為によってまかなっているが、その指揮を担うのがブレーンであるジン。特別課外活動部を脱退してからの荒垣に接触し、ペルソナ能力抑制のための制御剤を提供することになったのも、ジンの情報収集能力あってのことである。またネットでは同名のハンドルネームで知られており、その知名度と情報操作のノウハウが、ニュクス教を一気に広げることを可能にした。
つねにともに生きてきたタカヤを崇拝しているが、それゆえに狂気の思想に囚われる彼を、命を捨てていさめようとする。
物議を醸す髪の構造がよくわかる右からの一枚。身につけているものひとつひとつにもこだわりが感じられます。
ストレガ一家を支える苦労人な屋台骨
実際的な生活能力の欠如したストレガを支える一番の常識人。資金調達から食事の世話まですべてを担う関西弁のミリタリーマニア。
ジンの毎晩大変なんだから
• お前を恨んどるヤツがおんねや。でもって、“復讐” を頼まれとる。(6月22日影時間・裏通り)
• お前らには “個人” の目的しかあらへん。どいつも本音はその為に戦っとる。お前らの正義は、それを正当化する為のただの “言い訳” や。そんなんは “善” や ない⋯ ただの “偽善” や。そんなもんに邪魔されとうない。(8月6日影時間・防空壕跡)
• 破れかぶれは、あかん! ⋯すんません。でもこれは⋯ あなたが言うてくれた言葉です。(11月3日影時間・ムーンライトブリッジ)
• やめときや、タカヤ⋯ アンタには先がある! ここで無理したって⋯意味 あらへん! (11月22日影時間・タルタロス)
チドリ Chidori
手斧の魔女
白いドレスに身を包んだ、虚ろな表情の少女。ストレガのひとりとしてタカヤやジンと行動を共にし、ぺルソナ能力のひとつである索敵能力でふたりのサポートを行なうが、ふたりとともに戦いの場で力を振るうことは少ない。
感情表現に乏しく、とくに喜びや悲しみを表に現すことはほどんどない。それは幾月の下で受けた過酷な人体実験や、逃亡後の寄る辺のない生活によって後天的に身に付けた自衛の手段。また彼女は自身のペルソナを通して、あらゆる生き物に命を分け与えることができるが、これも自分の人生にはすぐ先に死が見えているという揺るぎない事実ゆえ、生きることに対してまったく執着を持たなくなった結果の悲しい力だ。しかしそれでも、ふたりが手を下す殺戮現場に決して目をやろうとしないのは、運命をゆがめて与えられる死への、本能的な嫌悪感を抱いているからかもしれない。
生を放棄した飛べない小鳥
可憐な容姿に似合わず手斧を振るって戦う少女。気の向かない相手とは一切会話せず、自分のペルソナだけを拠りどころに生きている。
冷めた目線はチドリのトレードマーク。豪奢なドレスは彼女の趣味なのか、ジンのお仕着せなのか。
あんたには関係ない私の言葉
• チドリよ。私の名前。順平が訊いたんでしょ? あの絵⋯もうすぐできるから。私の描いたものは、私にしか分からない。でもそんなに見たきゃ⋯来れば? (8月31日昼・ポートアイランド駅前)
• 命より、作戦が大事ってこと? 死ぬ事って、普通の人には一番の恐怖なんでしょ? ⋯ 違うの? (9月5日影時間・巌戸台分寮屋上)
• ⋯言っとくけど、心配してくれなんて、言ってないから。あんたの勝手な早合点でしょ。(9月8日昼・辰巳記念病院)
• なにそれ⋯ なんで、そんな顔してるの? 死ぬなんて怖くないのに⋯ 死なんて、あした目が覚めないってだけ⋯ ただそれだけじゃないの。(9月10日昼・辰巳記念病院)
• そう⋯アイツのせいよ⋯ アイツが近づいて来てから、私、毎日、苦しくて⋯ 死ぬのが⋯怖くなって⋯ (11月21日深夜・辰巳記念病院)
• 順平と一緒に居ると、怖くなかったものが、なんでも怖くなる⋯ 無くすのが怖い⋯ 死ぬのだって怖い⋯ 一緒の時間が終わっちゃうのが⋯怖い⋯ だから、私⋯ (11月22日影時間・タルタロス)
「チドリ補正」の入った超ナイスガイな順平とともに。幸せになって欲しいカップルNo.1。
順平との出会いと「生きること」
敵同士としての立場にありながらも献身的に尽くす順平と出会って、チドリは少しずつ生きることの意味を知る。けれどそれは自分自身の死の認識と同義。ずっと忘れていた死ぬことの恐怖におののきながら、それでも彼女は愛する彼に生きて欲しいと願った。
頬を染めたグラマラスなチドリの魅力に、すっかり鼻の下が伸ぎ切った順平がキュート。がんばれヒゲ男くん!
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pinball-1973 · 2 months
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1964年のことである。この年に日本はアジアで初となる東京五輪を開催し、東海道新幹線が開通して首都高が完成し、IMF8条国に移行し、堂々、世界のお金持ち国の一角を占めたのである。まことに晴れがましい年であった。 〇ところが当時の日本国は、世界のGDPの4%を占めるに過ぎなかった。西ドイツを抜いて、自由主義圏第2位の経済大国となったのはそれから4年後のことである。高度成長期にあったとは言え、まだまだの存在であったのだ。 〇その後、日本経済は世界経済の17%台(1993年~95年)を占めるに至るのだが、元の木阿弥というか、その他大勢の国々が急成長を遂げたことの論理的帰結というか、今では再び「世界の4%」に回帰している。はて、このことをいかに受け止めるべきなのか。 〇アンガス・マディソン教授の研究によれば、世界経済の超長期GDPを推計すると、もともと��本経済は1000年頃からずっと「3~4%」が相場であったらしい。そういう意味では、今はもともとの人口サイズに見合った規模に戻ってきたのかもしれない。
かんべえの不規則発言
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ari0921 · 2 months
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 米社会の病い、性別違和に苦しむ少女達
   櫻井よしこ
日本ルネッサンス 第1094回
今日、4月9日の産経新聞に『トランスジェンダーになりたい少女たち』の広告が掲載されていた。米国人ジャーナリスト、アビゲイル・シュライアー氏の『IRREVERSIBLE DAMAGE』の邦訳で、出版元は産経新聞出版だ。
広告には「あの“焚書”ついに発刊」の字が躍る。「皆様の激励に御礼申し上げます」「Amazon総合1位」の文字が誇らしくも嬉しくも輝く。それはそうだろう。本書の出版に際して産経新聞出版も同書を扱うと推測される大手書店も、放火予告というとんでもない脅迫を受けていたのだから。
同書は当初、大手のKADOKAWAが出版する予定だった。しかしわが国の一部左翼勢力が「トランスジェンダーに対する差別を助長する」として抗議し、KADOKAWA本社前で集会を開くなどと警告した。国際社会に名を馳せる大手出版社でありながら、KADOKAWAはジェンダー思想に染まった左翼勢力の恐喝に屈した。斯(か)くしてその時点で、言論の自由も出版の自由も踏みにじられた。出版界の名門がそんなことを許したのは痛恨の極みだ。
本書の内容は後述するが、ジェンダー思想に染まっている人やWokeの人々にとっては、確かに気に入らないだろう。かと言って、それを出版禁止にせよというのは無茶にも程がある。そんな圧力に屈すれば自由と民主主義を基盤とするわが国の社会の根底が揺さぶられる。出版社の存在意義も吹き飛ぶ。KADOKAWAの情けない姿勢を見て、弱小の産経新聞出版、瀬尾友子氏が名乗り出た。するとそこに先述した放火の脅迫が降りかかったのだ。それでも産経新聞出版は遂に刊行に漕ぎつけた。しかもAmazon総合1位、だ。
日本社会も捨てたものではない。
奇妙なのはいつも言論、表現、思想・信条の自由などを金科玉条の如くに持ち上げる朝日などのリベラルメディアが同件にきわめてよそよそしいことだ。報道もしない。安倍晋三総理に対して行った「報道しない自由」をここでも発揮しているのだ。
ナブラチロワの抗議
シュライアー氏の著書は実に読みごたえがある。取材対象の当事者は200人、50家族に上る。意見を聞いた専門家の数、調べた専門書の幅広さにも感心する。彼女は驚いた。思春期に突然「性同一性障害」を発症し、「生物学的には女だけれど実は男だ」と主張する少女たちが急増していることに。2016年から17年にかけて米国では、女性に生まれついた人で性別適合手術を受けた人の数が4倍に増えた。英国ではジェンダー医療を望む10代の少女の数が過去10年で4400%増えた。
シュライアー氏は以下のように分析している。ここ10年でトランスジェンダーが目立つようになり、対照的に女性と少女が目立たなくなった。アメリカ全土の高校で最高水準にある女子選手たちは、女性を自認する生物学上は男子の選手に圧倒されている。その多くは男子チームでは月並みの選手だったのに、である。
文化面でも少女たちは支持を失った。女性専用だった場所は男女共用になり、スポーツの記録は先述のように不公平となり、抗議をすれば偏見だとどなられる。レズビアンを公表しているテニス選手のマルチナ・ナブラチロワは「トランスジェンダーの選手に女子スポーツで競技させるのは生物学上の女子に不公平だ」とサンデー・タイムズ紙に書いた。するとトランス嫌悪(フォビア)だとレッテルを貼られ、スポンサーから放りだされた。
世界でもっとも有名な同性愛者の女子アスリートであるナブラチロワが少女たちのために立ちあがったことで反トランスジェンダーの偏狭な人物だというレッテルを貼られたのなら、無名の女子選手たちが反対することはなおさら不可能だ。
そしてトランスジェンダー活動家は女性の生物学的な独自性を完全に否定しようとする。たとえば妊婦(プレグナント・ウィメン)は次第に“#妊娠中の人(プレグナント・ピープル)”と表現され、“膣(ちつ)”は“#前方の穴(フロント・ホール)”という忌まわしい言葉で表わされてしまう。トランスジェンダーを包括する語彙では、生物学的な女性は“養育者”あるいは“出血がある人”などと表現される。トランスジェンダー活動家はこのほうが繊細な言葉であり、より正確に表現することができると主張するのだという。しかし、とシュライアー氏は問うている。
「ほんとうの少女はどう感じるだろうか」と。
少女たちは女性であることに意味を見出し得なくなり、或いは居心地が悪くなり、自分はトランスジェンダーだと思い始める。そのような傾向をスンナリ受け入れて助長するのが昨今の大学だとして、幾つもの事例が記されている。
「抑うつ、自傷、薬物依存」
たとえばカリフォルニア大学ロサンゼルス校などである。そこでは、両親にはぜったいに知らせずに、キャンパス内だけ、あるいは法律上も名前を変更できるように簡単な説明と申込用紙を提供しているという。アイビーリーグをふくむ百を超える大学でトランスジェンダーのためのホルモン剤に健康保険が適用されているともいう。
こうして少女たちは男性になっていくが、その世界のことを21歳のヘレナ(米シンシナティのポーランド移民の娘)はこう語っている。
「トランスジェンダーのコミュニティにはあまりにも多くの抑うつ、自傷、薬物依存が存在しています」
ネットでトランスジェンダー・アイデンティティについて知った思春期まで性別違和を抱いたことはなかったヘレナは、途中で何とか引き返した。引き返した人をディトランジショナーと言うが、そのほとんどの人々が後悔に苦しんでいると、シュライアー氏は次のように指摘する。
テストステロンは数カ月摂取しただけでも、男性のように驚くほど声が低くなり、それは摂取をやめても元に戻らない。もっと長く摂取した場合は、通常とは異なる秘部を“肥大して小さなペニスに見えるクリトリスを”恥ずかしく思うだろう。夕方になると目立つひげや体毛もいやかもしれない。手術まで行ってしまった場合は胸に走る傷跡と一生つき合わなければならない。
シュライアー氏は、自分が語り合った全員が、自分の人生に関わった大人、とりわけ医療専門家が性別移行を促して助長したことを非難したとも書いている。
多くの少女たちがSNSでトランスジェンダーを知る。暴力的なポルノを見て正常なセックスもできなくなる。新しい傾向をもてはやすメディア、大学医療関係者がトランスジェンダー化への動きを無責任に後押しする。
トランスジェンダー問題はこうした思いやりに欠けた世界で運動家らによって尚も推進される。少女たちは回復不可能な傷を負い、少なからぬ家族が崩壊しているのがシュライアー氏の伝える現実である。この本は多くの貴重な教訓を与えてくれる。是非、わが国の政治家全員、最高裁裁判官たちにも読んでほしいものだ。
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