#我が家の植物
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近代イタリア料理の父と言われる、ペッレグリーノ・アルトゥージ。 彼がイタリア料理に果たした功績はとてつもなく大きなものがあります。 それは、「イタリア各地の地方料理を、イタリア料理としてまとめ定義した」ことによるものです。 アルトゥージはロマーニャ地方フォルリンポポリの食料品店の息子の生まれ。家業は継がず、リヴォルノとフィレンツェで銀行家・両替商としてひと財産を築き上げました。当時のイタリアの主人公・ブルジョワであったわけですね。 アルトゥージの趣味は料理で、作ることもそうですが、何より食べることが大好き。食料品店を営む父親譲りのものがあったらしく、若い頃からナポリ、ローマ、パドヴァ、トリエステ、トリノなどなどイタリア各地を巡っては、その土地の名物料理を食べて周りました。 レストランや宿屋、市場、一般家庭にまでお邪魔しては、その料理のレシピについて話を聞き、また調理の様子を観察して記憶。そのレシピのメモを郵送してもらうことを大変好みました。 それら長年に渡る地方観察をまとめた本が1891年にフィレンツェで出版された「料理の科学と美味しく食べる技法」でありました。 この本は爆発的にヒット。 版を次々に重ね、イタリアの各家庭にあるとすら言われるほどの、「国民的料理本」になりました。 アルトゥージの偉大なところは、現在の我々が想像する「イタリア料理」の定番を採用し提示したところにあります。 「ジャガイモのニョッキ」がイタリア人の好物になったのも彼の本の影響だし、「トマトソース」をパスタにかけることを全土に普及させたのも彼の功績です。18世紀までトマトは「有毒」な植物と考えられており、19世紀からようやくジュースやソースとして���われてはいたものの、肉にかけれていた程度で、パスタにかけるという発想は当時の人はなかったのです。 初めてトマトソースをパスタにかけて食べてみたのはナポリの庶民。そのレシピをアルトゥージが入手して料理本に掲載したことで、一気にイタリア全土に広がったのです。今や、トマトソースのないパスタなんて考えられませんよね。
「イタリア料理」の統一運動|尾登雄平(世界史ブロガー・ライター)
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mes possibilites aujourd'hui. 今日のわたしの��能性。 鷺草の植え付けワークショップに出向く。 買い物に行く。 今日は午後から 草花交換会のスピンオフ企画、 鷺草の植え付けワークショップのため、 魚津へ。 我が家の球根は 室内で管理していたため 既にひょろりと芽が出てしまっていたのだけど ひとまず植えてみることに。 Nさんの丁寧な説明で、 なるほどと思うことがいろいろ。 持ち帰った鉢を、さっそく庭に出した。 明日から気温も上がりそうだし。 Nさんのリクエストでご用意したおやつも 喜んでいただけてよかった。 久々のバタフライケーキ、生地が しっとりながら軽やかでおいしかったな。 おやつを食べながらの庭談義、 止まらないわたしたち(笑。 この企画も年1になりそうな予感…! 毎回取りまとめをしてくださるYさん、Mちゃん、 分かりやすいレクチャー+レジュメも 用意してくださったNさん、そして ご参加のみなさん、ありがとうございました! 今度は交換会で お会いすることになりますね! 本格的な春の到来が待ち遠しい…!
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Lotus root hamburger steak (prose, cooking)

Dish

cutting
The lotus root is a sacred plant. It is edible in Japan. It is a bit hard when cooked as is, so at home, I make hamburger steaks. Mix finely chopped 200g lotus root with salt and thyme, also chop 1/2 an onion and add it. Knead it with flour, and shape it into a hamburger steak. Allocate plenty of water, The moisture content should be about the same as that of okonomiyaki. if you knead it too hard it will become hard. Fry in a frying pan with olive oil. It has a chewy texture and is delicious. It is a vegetarian dish that does not use any meat.
2024.11.26
蓮根のハンバーグ (prose, cooking)
聖なる植物蓮根。日本では食用にする。そのまま調理すると少々硬いので、我が家ではハンバーグにする。細切れにした200gの蓮根に、塩、タイムを混ぜ、玉ねぎ1/2もみじん切りにして加える。小麦粉と練り合わせて成形する。水を多めに配分し、「お好み焼き」くらいの水分量に。あまりつよく捏ねると硬くなる。フライパンにオリーブオイルを敷いて焼く。もちもちした食感で美味しい。肉を一切使わない、ヴェジタリアン向きの料理。
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いつも投稿拝見しています。以前ベストバイを投稿していたと思うのですが、今年度の上半期ベストバイも、もしよければ教えてください。
あー、やりました!
ご質問というかご提案ありがとうございます。
最近買ったものをいくつか思い出してみます。
①ペイズリー柄のシャツ2枚

キャプテンサンシャインというアパレルブランドを最近買ってます。歳を重ねると(特に男は)服装難しいなぁと感じる日々。落ち着きすぎたくないんですよね。なので、下品でな���柄シャツは好きです。喫茶店や飲み屋で視界の端で誰か入ってきたなと思い視線をやる。薄い色のジーンズにシャツを着たその男は注文を終えるとカバーがかかった本を取り出して読み始める。『こういう人ってどんな本読んでるんだろうな』なんて思いながらコーヒーをひとくち飲み彼の生活に思いを馳せる。の彼側になれると素敵だなと思います。のためのシャツです。
②最近読んでる本3冊

本が積み上がっていく日々。ヤマシタトモコさんは下北沢の本屋さん(Peacockのところ)で、違国日記と出会ってから虜です。最近、インタビュー本が出たので買いました。まだ、未読。
森博嗣さんは昔から読んでる理系ミステリーを主に書く作家さん。の、純文学っぽい文章が好きです。
妙に人に惹きつけられる瞬間というのがある。特に際立った美人でもないのに、話し方なのか所作なのか見た目なのかどうにもむず痒くわからない。でも、会ったあとに悪くないと思う。ただ、会うまでは同じ気持ちになれない。なので、ずっと会っていればこの感覚は失われないのではないかと人間関係を進めてみようと一歩乗り出す。でも、そうした時に限ってもう2度と会えなくなる。
まぁ、そんな感じの本が好きなのです。

↑これも好きな本で、社会学者の方が書いたものです。社会学ってやつは現代の文化をしっかりと後世に残すというのも仕事なようです。この方は自己破産した中小企業の社長や風俗嬢、会社員、学生、受刑が終わった人とあらゆる人にインタビューしてまとめるのをライフワークにしてるそうなのですが、話の中身や主文よりも何故��頭に残ってしまう情景や言葉があるそうで、それを愛おしく思いまとめた本です。
これって我らがTumblrに残してることだなぁとおもって。面白かったんですよね。
③沖縄で買った月桃茶。

月桃は南国ならどこにでも映えてる植物だそうですが、その名の通り桃のような甘さと香りがします。抗酸化作用がとてもあるそうで、あと単純に美味しくて飲んでます。母にも買ってあげたのですが、こういうのってすぐに試す人と永遠にタンスの肥やしにする人がいますよね。母は後者で家族ながら気に入らないところです。野菜やフルーツは腐らせるし。いまは関係ないか。
④叙々苑のドレッシングと高カカオチョコ

叙々苑のドレッシング高いです。チョレギサラダの味です。単純に味が美味しいっていうのもありますが、さらに言えば味が強い。なので、少量で済むんです。なかなか減らないので高いけど結果からすればお得なのでは?と思い常備してます。KALDIにこれの偽物がありますがやはりなんかちょっと違う。
高カカオチョコは健康のために。肌の炎症を抑える作用があります。アレルギー体質なので夏場は特に嫌になるんですよね。95%のこれは友人に食べさせたら『錆を食べてるみたい』と吐き出した代物。美味しくはないけどそこまで言われる筋合いもないと思ってます笑
⑤未解決事件は終わらせないといけないから。

度々書いてますが、ラジオユーザーです。これは伊集院さんのラジオでオススメしていたゲーム。そう、実はSwitchとかやるんですよね。ただ、メジャーゲームはほぼやってなくて、名前を言ってもわからないようなゲームをやる癖があります。
これはノベルズのようなゲームで殺人事件を追うミステリー。事件関係者の話を聞き、パズルを組み合わせるように意味と意図をくっつけて解決させていく。
らしいのですが、まだ序盤。これから楽しくなるのかな。伊集院さん曰く、1つの出来事をきっかけにすべてが腑に落ちる瞬間があり、それが快感だそう。
⑤喪服(写真なし)
裾上げしてから届くらしいですがまだ未着。楽しみにしてるわけではないですが、クリーニングとか預けてるとむず痒くなる人間なので、頭の片隅にずっとある感じがして(未了のタスクのように)嫌なんです。早く届かないかなと。
⑥NEW BALANCE×AIME LEON DORE RAINIER

NewBalanceの登山靴です。
登山はしません。
革靴以外も履くかなと思って買った靴2足目。そう言えば1足目もNew Balanceだ。そっちはBB550WT。
紫が好きなのですが、なんだか連れ合いはあまり好きじゃないみたい。私といるときは着ないで履かないでという靴や服が一定数あります。靴は大きめ派。28.5または29センチくらいの靴が1番形よくないですか?
⑦小松製菓 割りまめ醤せんべえ(醤油)

南部せんべいってあまり好きじゃなかったのです。
味がないし、豆もなんか邪魔くさいし、なぜこれが青森名物なのか…。ちょっと看板に偽りないか?名物?って思ってましたが、これはめちゃくちゃ美味しかった。お土産もらってまた食べたくなってネットでまた買って。甘辛で香ばしい醤油の美味しさが最初にあって、それが薄まってきたときに今度は豆の旨味がググって持ち上がってくる感じです。永遠に食えます。
⑧今年は安いぜ、シャインマスカット

500円ですよ。祖師ヶ谷大蔵の八百屋やばい。ちゃんと美味しかったし。
⑨大衆ジンギスカン酒場ラムちゃん
町田、御徒町、有楽町なんかにあるチェーン店。5000円くらいで食べ放題+ハイボール飲み放題ができます。
ラム肉が生でちゃんと美味しいんですよ。北海道で食べたのと遜色ないくらい(怒れるか?)
タレに入れる薬味が生姜と春菊を混ぜた絶妙な味で。すごく好き。ちゃんと服は臭くなります。
⑩アンメット(ドラマ版)
我が家に杉咲花さんブームを巻き起こした恐ろしい作品。毎日記憶がなくなる脳外科医という皮肉の効いた存在である女医さんが患者や周囲の人と関わりながら生きる意味や記憶の意義や定義を見つけて再生していく。人間ドラマとミステリーと恋愛の配分が絶妙でした。上半期No.1ドラマ。一番好きな花も好きだったよ。
なにかまだまだ忘れてるような…。がこのへんで!
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クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説: まずは約5分に渡るクロエのオープニング・ステートメントから: = = = = = = = = = = 私の名前はクロエ・コール。デトランジショナー*です。別の言い方をするなら、私は自分が間違った体に生まれたと信じていて、そして、私が信頼していた大人たちは私のそんな考えを肯定し、生涯癒えることのない傷を私に残しました。 (*=ホルモン療法や身体整形などの医療行為により性別を変え(トランスし)た後、元の性別に戻ることをデトランスdetrans、その個人をデトランジショナーdetransitionerという) 私は今日、アメリカ史上最大の医療スキャンダルの犠牲者として、皆さんの前でお話しします。皆さんにこの狂乱を終わらせる勇気を持っていただき、私が経験したような苦しみを、脆く危うい状況にあるティーンエイジャーや子どもたち、そして若い大人たちが味わうことのないようにしていただきたいと願っています。 - 12歳の時、私は後に医療チームが性別違和と診断するような経験をし始めました。私は幼くしてやってきた思春期の真っ只中で、自分の身体に起きている変化をとても不快に感じていました。男性から注目されることに怯えていました。今になって思えば、両親に「自分は男の子のような気がする」と言ったのも、思春期が嫌で、この未知の性的な���張が無くなってほしいという意味だったでしょう。私は姉たちよりも兄たちの方を少し慕っていましたし。 私はダイニングテーブルの上に置手紙をして、自分はトランスジェンダーだと告白しました。両親はすぐに心配し、医療の専門家の助けを借りる必要があると感じたようでした。しかし、それは間違いだったのです。家族全員が即座に、イデオロギーに突き動かされた欺瞞と強要の道を歩むことになりました。 私が受診した一般的な専門家は、両親に「すぐに思春期抑制剤(ブロッカー)を飲ませる必要があります」と言いました。 彼らは両親に簡単な質問をしました:「 死んだ娘さんと生きているトランスジェンダーの息子さん、どちらを選びますか?*」と。 (*=トランス医療における常套句で、子供の主張するジェンダーを肯定しなければその子は自殺してしまうだろう、ならば性別を移行させてやる方が本人のメンタルヘルスも回復し希死念慮もなくなる、という意味) その選択は両親の警戒を解くのに十分でしたし、今考えても両親を責めることはできません。私たち全員が、いわゆるジェンダー肯定治療(ジェンダー・アファーミング・ケア)*の犠牲になった瞬間でした。 (*=欧米で広く支持されてきた療法で、患者の経験や感覚を尊重し本人の主張するジェンダーに寄り添った医療やサポートを行う) - 思春期ブロッカー、そしてテストステロンへと急ピッチで進められ、その結果、更年期障害のようなほてりで学業に集中できなくなりました。今でも関節痛や背中の変な痛みがあります。ブロッカーを使っていたときのほうがずっとひどかったですが。 その1ヵ月後、13歳のときに初めてテストステロン注射を打ちました。不可逆的な身体の変化が引き起こされ、私の声は永遠に深く、顎のラインは鋭く、鼻は長く、骨格は永久に男性のそれになり、喉仏はより目立つようになり、生殖能力は不明となりました。 時々鏡を見ると、まるで自分が怪物のように思えます。 私が二重乳房切除術を受けたのは15歳の時です。医師は切断した乳房にガンがないか検査していましたが、もちろんガンなどなく、私は完全に健康でした。まだ発育途中だった私の体や乳房は、不安な10代の少女として気まずい思いをしたこと以外、何の問題にもさられていませんでした。 私の両胸は摘出され、その組織は焼却されました。合法的に車を運���できる歳ですらなかっ��。しかし将来の女性としての大きな部分が奪われたのです。母乳で我が子を育てることはもう決してできない。鏡の中の自分を見るのもつらい時があります。今でも性機能障害と闘っています。胸には大きな傷跡があり、より男性的な位置にくるようにと乳首を切除した皮膚移植のため、今日もそこから体液が垂れています。 手術後、学校の成績は落ちるところまで落ちました。 私が経験したこれら全ては、抱えていた根本的な精神衛生上の問題を解決するものではありませんでした。そして、ジェンダーについて理論を持つ医師たちは、私が手術によって漠然と男の子に似たものに変化すれば、私の悩みはすっかり無くなるだろうと考えたのです。 彼らの理論は間違っていました。薬と手術は私の身体を変えましたが、私が女性でありこれからもずっと女性である、という基本的な現実は変わらなかったし、変えることもできなかった。専門医が私の両親に、「死んだ娘か生きているトランスジェンダーの息子を持つことになる」と当初告げたとき、私には自殺願望などありませんでした。私は幸せな子供で、人と違うことで悩んでいただけです。 しかし手術後、16歳の時、私は自殺したいと思うようになりました。今は良くなっていますが、両親はもう少しで、医師から約束された死んだ娘を手に入れるところでした。私の主治医は、彼らが避けたいと言っていた悪夢そのものを作り出すところだったのです。 - 私はアメリカのティーンエイジャーとその家族にどんなメッセージを伝えたいのでしょうか? 私に必要だったのは嘘をつかれることではありませんでした。共感して欲しかった。愛されていると感じることが必要でした。男の子に変身すればすべての問題が解決するという妄想を肯定するのではなく、私の悩みに取り組むセラピーを受ける必要があったんです。 私たちは12歳の子供たちに、「間違った身体に生まれてきた、自分の肉体を拒絶していい、自分の肌に違和感を覚えるのも正当だ」、などと言うのをやめねばなりません。 「どんな服を着るかとか、どんな音楽を聴くかなどを選べるように、思春期だってチョイスであり、どのような思春期を過ごすかは自分で選べるのだ」、なんて子供たちに言うのはやめなければいけないんです。 思春期は大人になるための通過儀礼であり、緩和されるべき病ではありません。 - 今日、私は自宅で家族と19歳の誕生日を祝うはずでした。しかしその代わり、私は選挙で選ばれたあなた方に必死の訴えをしています。 オピオイド危機のような他の医療スキャンダルから教訓を学んでください。医者も人間であり、時には間違っていることもあるのだと認識してください。 私の子供時代は、私たちのネットワークを通じて知り合った何千人ものデトランジショナーたちと同様に台無しにされました。 どうか止めてください。あなただけが止められるんです。この野蛮なエセ医学によって、すでに多くの子供たちが犠牲になっています。どうかこの私の警告��最後のものとなるようにしてください。 ご静聴ありがとうございました。 = = = = = = = = = = - 公聴会でのクロエの証言はどれもショッキングであると同時に、彼女の堂々たる勇姿が人々の胸を打った。中でも子供のトランス治療に賛同した両親の存在についてクロエが声を詰まらせながら語ると、彼女の思慮深さに感動し涙する大人たちであふれた。 13歳から17歳の間に思春期抑制剤、異性間ホルモン剤、二重乳房切除術を受けたとして、カイザー財団病院とパーマネンテ・メディカル・グループを訴えているクロエは、公聴会の中で民主党側が招いた証言者のレイノルズ博士に話しかけた。 トランスジェンダーを自認する子供の母親であり、プロのカウンセラーでもあるミリアム・レイノルズ博士は、委員会の公聴会で「未成年者の性転換治療は必要であり、命を救う」と明言し、彼女の子供も現在ホルモン補充療法を受けているとしている人物である。 以下はクロエからレイノルズ博士への発言: = = = = = = = = = = レイノルズ夫人が我が子のために不安なのは理解しました。これは言っておきたいのですが、私は彼女を憎んでいません。ここにいる誰も彼女を嫌悪したりはしていないと思います。実際、私は彼女の中に自分の母親と父親を見ています。そして、明らかに彼女は子供を心から愛している。それに、彼女はできる限りでベストを尽くしている。ただじゅうぶんな術はなくて…気の毒だと思います。 子供を救いたいと願うすべての親には、最大限の援助とガイダンスがあって然るべきです。 しかしながら、私は、彼女の子供が私と同じ結果になることを望みません。誰であっても性別移行やデトランスを後悔してほしくない。なぜって、それは信じられないほど困難で、他にはない苦痛が伴い、容易なことではないからです。 彼女のお子さんが幸せで満ち足りた青年時代を過ごせるようにと願います。それがたとえどんな形であろうとも。 = = = = = = = = = = - ある日突然、幼い我が子が性別違和を訴え、多くの親たちは狼狽する。メディアや学校や小児科医やママ友まで「トランスキッズは増えているが、それは彼らが自然にカムアウトできる時代になったから。子供たちの真のジェンダーを肯定してあげなければ、彼らは間違った身体に入れられた心の苦痛に耐えきれず、自死を選ぶだろう」と言っているのだから。 日本では欧米で起きている子供たちに蔓延する熱病のようなトランス・ブーム、LGBTQイデオロギーに侵食された科学分野や医療業界、金儲けのために健康な子供たちを切り刻む医師、司法・行政・教育機関が一丸となって親から子供を引き離している実態などがまるで知られていない(にわかには信じ難い話で、まあ無理もないけれど)。 だから、クロエ・コールや他の何千という未成年のデトランジショナーがトランス治療に加担した病院や医療従事者を訴えている、と聞くと、「金目当てだろう、医者のせいにすんな」とか、「厨二病に罹ってバカを言った子供の責任だし、親もどうかしてる」とか、セカンドレイプにも似た被害者への罵詈雑言が飛び交う。 しかしそんな無知で傲慢な彼らのどれほどが、クロエや彼女の家族と同じ状況に立たされた時に後悔のない選択をできるだろう。医者や専門家という職業を信頼していれば尚のことである。 まるで他人事の彼らは、日本でも子供たちへのトランスジェンダリズム啓蒙、保護者からの引き離し(親に内緒で未成年児童をLGBTQユース団体に参加させるなど)、そして思春期抑制剤の推進なども起きていると知っているのだろうか。 画像 - トランスジェンダリズムに基づくトランス医療はエセ医学であり、欧米で今、デトランスした子供や若者たちが訴訟を始めているように、大きな巻き返しが起こって医療スキャンダルとして扱われる日が来る。 そう願って日々発信しています。 (終わり) さらに表示
Xユーザーの🇺🇸 🇯🇵Blahさん: 「クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説:… https://t.co/DRd2Vlbwfc」 / X
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よしもとかよ 「日々是好日」。vol.156 ( 2025 / 3/26 + 4/2 )
2025 26th march + 2nd april
M1 tip-toe thru the tulips with me (Mateo Stoneman)
M2 花の街 (おおたか静流) M3 すみれの花 (Sebestyen Marta)
M4 spring (Lee-tzsche) M5 touch the future (Filippa Giordano) M6 vuordamusat (Niko Valkeapaa) M7 wild mountainside (Eddi Reader) M8 le long de la route (Zaz)
[好日の素…球根を育てること、再び。]

花粉や黄砂が気になりつつも 気温が上がってくると 庭に出たくなってしまう性分のわたし。 そろそろ 植えっぱなしだったり 昨年の秋に植えた球根たちが 芽吹くころ、ということで 再び球根の話を。 冬の間には 室内でお世話していた シクラメンやヒヤシンスも なんとか咲き、 ここからは戸外の球根植物たちが 少しずつ動きはじめています。 昨年、水耕栽培の状態でいただいた チューリップを ダメ元で植えてみたところ、 年末年始から芽を出し始めて これはどうなるか…と思っていたら、 ちゃんと蕾が上がってきました! 原種に近い、もともとちいさな 花のかたちが細長い感じのチューリップ、 咲くのがたのしみです。 能登の祖父母の家の庭から 数年前に引っ越してきた シラーは、昨年初めて花を咲かせました。 今シーズンも目下は順調に育ってい��す。 数年前の草花交換会で 思いがけず手元にやってきた チオノドクサは、鉢が風にあおられて ひっくり返ってしまい、 あわてて植え直したので どうかな、と思っていたら こちらもなんとか芽吹いてきて、一安心。 そして、一昨年から 鷺草にもチャレンジしているのですが、 こちらは春先に球根を植えつけ直す必要があるので ワークショップを受けて 様子を見ることになりました。 こうしてみると 我が家の庭にはさまざまな球根類が 育っていて、 春の訪れを感じさせてくれるのだなぁ、と 再認識。 多少の手間はありますが、 種とはまた異なる魅力があって その成長をながめるのが たのしみになっています。
* * * * * * * * * * *
[日々是食べたい!… 酢たまご]

前回の調味料の話から 3月はお酢をつかったものを ピックアップすることにしたので、 今回は…酢たまご! これはもう、本当に 日々食べたい一品なのです…! このところさまざまな食材が 値上がりしていて、卵もそのひとつではあるので これを日々食べるというのは 贅沢なことかもしれない、と 思うようになってきているのが ちょっとフクザツではありますが… 前回お話しした 自作の柿酢をつかってつくった酢たまごが かなりおいしくできてしまい、 これはこのコーナーで 取り上げるべき!と 鼻息荒くなってしまったのでした(笑。 卵を茹でて、殻をむいて 酢・醤油・砂糖やはちみつといった材料で 漬け汁をつくった中に 2日ほど漬けておくだけで ほどよい酸味と卵のまろやかな風味に うっとりするおいしさの酢たまごが できあがるのが、なんともうれしい! 漬け汁を工夫すると ビジュアルも変わるので、 茹で玉子って奥が深いなぁ、なんて 思ったりもして。 たまたま観ていた ゴハン系のドラマにも チラっと登場していて、 「うんうん、おいしいよねー!」と 思わず頷いてしまうほどの、一品です。
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「他者」の起源──ノーベル賞作家のハーバード連続講演録
著者 トニ・モリスン(Toni Morrison)
解説 森本あんり(Morimoto Anri)
訳者 荒このみ(Ara Konomi)
集英社新書2019年7月22日第一刷発行
原著 THE ORIGIN OF OTHERS by Toni Morrison. Harvard UP. 2017.
帯宣伝文 「人はなぜ 「差別」 をやめられないのか」
日本語版読者に向けて 森本あんり(巻頭特別寄稿)
人は、差別主義者に生まれるのではなく、差別主義者になるのである。──トニ・モリスンのこの言葉を読んで、ボーヴォワールの「第二の性」を思い起こす人は少なくないだろう。人は、女に生まれるのではなく、女になるのだ。これを、身体的・生物学的な性(セックス)から社会的・文化的な性(ジェンダー)への発展、と言い換えてもよいかもしれない。
だが、この類比には並行的でないところもある。女に生まれることと女になることとの間にはかなり強い繋がりがあるが、生まれたばかりの子どもには、差別主義者になるような身体的・生物学的な根拠はどこにもない。白人や黒人に生まれることと、人種差別主義者になることとの間には、実は何の関連性もないのである。
とすると、人はいったいどこでどうやって人種差別主義者になってゆくのだろうか。それを問うたのが本書である。モリスンは、その問いに「他者化」というプロセスを示して答える。人がもって生まれた「種」としての自然な共感は、成長の過程でどこかに線を引かれて分化を始める。その線の向こう側に集められたのが「他者」で、その他者を合わせ鏡にして見えてくるものが「自己」である。このプロセスは、本書で取り上げられた作品が物語るように、明白な教化的意図をもって進められることもあれば、誰の意図ともつかぬしかたで狡猾に社会の制度や文化の秩序に組み込まれて進むこともある。
やっかいなことに、人がこのプロセスと無関係に社会生活を営むことは困難である。「他者化は怪しからぬことだからみんなでやめようではないか」と論じたところで、実際に何かが成し遂げられるわけではない。ある時代のある文化に生まれ育つ者は、まずはその文化の規範をみずからのうちに取り込むことで成長する。つまり、���れわれはみな、人としての自我をもつ存在となった時点で、すでにその文化がもつ特定の常識や価値観の産物となっている。だから人が他者化の問題を意識するときには、かならず自分の常識や価値観の問い返しとなり、それまで自分が学んできたことの「学び捨て」(unlearning)にならざるを得ないのである。モリスンの作品がしばしば読者の心に鋭い問いを突きつけるように感じられるのは、このためである。
個人だけではない。他者化の力学は、国家や民族といった大きな集団にも同じように交錯して作用する。近現代の歴史はその典型例をいくつも示してきた。第二次世界大戦が終結すると、植民地であった地域から旧宗主国のプレゼンスが消え、次々に独立国家が誕生した。ところが、宗主国という共通の「他者」がいなくなると、今度は自分たちの内部に新たな「他者」が見えるようになる。インドでは、独立を求めて共に闘ってきたはずのヒンズー教徒とイスラム教徒がお互いを「他者」と認識するようになり、印パ戦争を経て1947年にはパキスタンが独立する。さらにパキスタン内部でも、言語や民族の違いから東西がお互いを「他者」と認識するようになり、1971年にはバングラデシュが独立する。
1991年にソビエト連邦が崩壊したときにも、同じことが起こった。ソ連の崩壊は、連邦下に置かれていた各国の独立や、共産主義という理念全体の失墜をもたらしたばかりではない。東西冷戦というわかりやすい対立構造のなかで彼らを見ていた自由主義世界もまた、共通の「他者」を見失った結果、みずからの内部に新たな「他者」を見いだして立ち竦むようになる。西側諸国が誇ってきたリベラルな民主主義は、共産主義という外部の敵がいなくなった途端に暴走を始め、ポピュリズムや不寛容な民族主義という内部からの脅威に侵食されるようになった。今日われわれが世界の各地で目にしている民主主義の機能不全は、すでにこのときからゆっくりと進行してきた病態の表面化にすぎない。
だが、ここでも問題は単純ではない。こうした分断や暴走による不安定化は、たしかに歓迎されざる結果であるかもしれないが、かといってそれ以前の植民地時代や冷戦時代がよかったかと言えば、そういうわけでもないだろう。「以前はみんな仲良く暮らしていたのに」という台詞は、しばしばその背後に抑圧され封殺された多くの声があったことを覆い隠して語られる。モリスンの語り口に同調させて言えば、それは南部の善良で心やさしい白人たちが公民権運動前の時代を想い出して懐かしげに語るときの台詞に近い。
このように、本書が照らし出す「他者化」の概念は、通りいっぺんの批評を許さない多義性を帯びている。他者化とは、他者をその総体において、つまり自分の認識能力を凌駕する何らかの名付けがたい他者であるままにその存在を承認する、ということではない。われわれはしばしば、他者の一部を切り取って自分の理解に囲い込み、それに餌を与えて飼い続ける。やがてそのイメージは手に負えないほど肥大化し、われわれを圧倒して脅かすようになる。
それでも、人は知ることを求める。知って相手を支配したいと願うからてある。それは、相手を処理されるべき受け身の対象物となし、かたや処理する側の自分を正統で普遍的な全能の動作主体として確立することである。この批判は、かつてエドワード・サイードが論じた「オリエンタリズム」批判にも重なってくる。西洋人が非西洋を解釈するときには、非西洋の本人も自覚していないらしいオリエント的な本質が特定され代弁される。まさにその表象行為によって、そういう認識をする西洋人こそが真の人間であり、対象である非西洋を管理し支配すべき正統性をもった存在であることが宣言され根拠づけられるのである。
それゆえ本書の主題となっているのは、単にアメリカ国内に限定された人権や差別のことではない。それは、西洋と東洋、白人と有色人、キリスト教と他宗教、権力をもつ者ともたざる者といった多くのパターンに繰り返しあらわれる人間に共通の認識様式である。この認識様式は、合理的な思考や明晰な意識にのぼらない領野で神話的な構造へと転化し、他のすべての神話がそうであるよ���に、われわれの見方や考え方を背後から支配する力をもつ。
このような隠然たる神話的支配を意識の明るみへともたらしてくれるのが本書である。物語の名手モリスンは、この普遍的は認識様式のからくりをごく小さな個人的で特異な出発点から展開してゆく。彼女によると、「黒人」はアメリカだけに存在する。彼らは「アフリカ系アメリカ人」とも呼ばれるが、アフリカに住むアフリカ人は、それぞれガーナ人でありナイジェリア人でありケニア人である。唯一の例外は南アフリカ共和国に住む人だが、こうした事実からしても、「黒人」が科学的な概念ではなく文化的な概念であり、人種という価値軸の中で序列化された概念であることが理解できるだろう。アメリカにおける黒人と白人は、お互いが自己を定位するために相手を必要とするという意味で、ほとんど心理学的な「共依存」の関係にある。
アメリカの奴隷制度にはキリスト教も少なからず加担しているが、これもアメリカ史に固有のことである。聖書には、古代世界の通念として、ある人びとは自由人で、ある人びとは奴隷である、という事実が前提されている。だが、それはもっぱら戦争捕虜か債務によるもので、肌の色とは無関係である。というより、キリスト教は肌の色に関して本来まったく無関心である。聖書には、エチオピア出身の人びとも登場するし、そのなかには伝説の美女や高位の官僚もいるが、彼らの肌がどのような色であったかについては、いっさい記述がない。中東人であったイエスや弟子たちの肌の色にも何ら言及がない。
ところが、アメリカのキリスト教は肌の色と人間の価値の間に、きわめて特異な緊張関係を構築していった。18世紀以降の奴隷解放運動を担ったのは多くのキリスト教指導者たちであったが、彼らに反対する頑固な奴隷制擁護論者もまた教会の牧師たちであった。前者が頭を悩ませ、後者がしたり顔に論じたのは、聖書が「神の前での平等」を語るものの、社会的現実としての奴隷制そのものを断罪していない、という事実である。やがて19世紀のアメリカでは、長い巻き毛で白人のイエスを強調した聖画が複製頒布され、広く流通していった。20世紀後半に始まった「解放の神学」が黒人のイエス像を前面に押し出すようになったのも、こうしたカラーコードへの反動である。
モリスンは、いくつかの特徴的な文学作品から、そしてさらに強烈な彼女自身の体験から、他者化の際に作用する「ロマンス化」の実例を描き出している。アメリカ史によく知られたハリエット・ビーチャー・ストウの小説『アンクル・トムの小屋』(1852)もその一つである。この小説が当時の白人想定読者層にどのようなメッセージとして受け取られたのか。そこに、奴隷制度の野蛮で残酷な現実を覆い隠し、あたかも非人間的なことは何も起こっていないかのような安心感を与えるロマンス化の作用がある。
しかし同時に、読者はこの読み直しが他ならぬモリスンの語りによって薄暗がりの中から明るみへと引き出されてきた、ということに気づかされるであろう。他者の存在は、自分が「他者の他者」であるという立場の交換により、はじめて鮮明に意識される。われわれは、自分という存在の限定性から自由になることはできない。だが、文学の虚構を通して擬似的に他者の視線をもつことができ、その他者の視線を通して自分を見つめ直すことができる。本書は、アメリカの黒人という特異点を設定することにより、それぞれの読者に自分では開くことのできない窓を開けるはたらきをしてくれる。その窓を通して、読者は自分を取り巻く現実とは違う世界に目を向けることができるようになるのである。
モリスンは本書末尾で、「自分たちの故郷にいながら故郷にいるとは言えない人びと」についても語っている。おそらくそれは、肌の色の如何にかかわらず、アメリカ国内の各地で人びとが感じ始めていることだろう。ここにも、われわれの想像力を呼び覚ます別の声が響いている。トランプ大統領の登場は、自分の国で自分の土地に暮らしていながら、いつの間にか「よそ者」のように扱われていると感じる人びとがいかに多いかを明らかにした。グローバル化の見えざる圧力は、大都市で世界を股にかけて活躍する国際派のエリートたちよりも、小さな田舎町で穀物の値段を気にかけつつ生きるほかない人びとに重くのしかかるだろう。そのひとりひとりに、自分が本来帰属すべき場所があり、心に感じながら生きるべきディープ・ストーリーがあったはずである。
人は誰も、自分ひとりでは幸せになれない。どこかに属し、誰かと繋がっていなければ、自分の存在意義を確認することもできないのである。もしそういう居場所が現実世界で見つけられなければ、ネットという仮想空間にそれを求めることがあっても不思議ではない。他者化の力学は、そこにも作用することだろう。人はそこで、生暖かい温もりに包まれたり、凶暴な正義感に酔い痴れたりして、日常と祝祭の間を行き来する。
他者の眼差しは、ときに人を不安にさせ、居心地を悪くする。日本人はこれまで、自分から海外へ出かけて行かない限り、こうした視線を向けることも向けられることも少なかった。しかし今や、日本を訪れる外国からの旅行者は爆発的に増え、外国人の労働力なしには日常生活すら回らないほどになっている。毎日の買い物で釣り銭を受け取るとき、あるいは地方の鄙びた温泉にゆっくりと浸かる安らぎを破られたとき、われわれの他者認識と自己認識には、どのような他者化の作用がはたらくことだろうか。
ターネハシ・コーツによる序文
2016年春、トニ・モリスンは、「帰属の文学」についてハーヴァード大学で連続講演を行った。これまでになされてきた数々の非凡な仕事を思い起こせば、モリスンが人種という課題に目を向けたのも驚くにあたらない。その講演はまさに時宣を得ていた。バラク・オバマ大統領は、二期目の最後の年を迎えていた。支持率は上向きだった。「ブラック・ライヴズ・マター(黒人の命も大事)」というスローガンを掲げた活動が盛んになり、黒人への「警察暴力」が全米的な話題として社会の前面に押し出されていた。これまでの「人種問題をちょっとかすめるだけの話題」とは違って、今回は結果を伴っており、効果も出ていた。オバマ政権時に、ふたりのアフリカン・アメリカン、司法長官エリック・ホルダー(在任2009〜15)とロレッタ・リンチ(在任2015〜17)は、全米の警察署の調査を開始させた。ファーガソン、シカゴ、ボルティモアでの騒乱が報告され、これまで長い間、瑣末な出来事として処理されていた、いわば組織的人種主義が現実のものであることを明らかにした。この積極的な問題解明の姿勢は、アメリカ合衆国の最初の女性大統領になるはずだった、ヒラリー・クリントンによって継続されていくものと期待されていた。じっさいトニ・モリスンが連続講演を始めたときには、政治家としてはライト級と見なされる、つまらぬ男に比べて、ヒラリーの好感度はきわめて高かった。これらのことはすべて、さまざまな歴史的規則に果敢に挑戦している国が、今、道徳の領域において長く伸びるアーチの、正義の先端へついに近づいているという動かしがたい証拠だった。
ところが、アーチの先端はさらに先へと伸びて行き遠ざかってしまった。
ドナルド・トランプが勝利すると、それに対する最初の反応は、アメリカの人種主義などたいしたことではないと矮小化することだった。零細企業の人びとが立ち上がり、2016年の大統領選挙は、ニューエコノミーに見捨てられた人びとが推進する、反ウォール・ストリートのポピュリスト的反乱であると決めつけられたのだった。クリントンは、「アイデンティティ政治」にこだわりすぎたために命運がつきてしまった、と批判された。
こういった議論は、しばしばかれら自身の破滅の種を産むことになる。ニューエコノミーに見捨てられやすい人びと──黒人やヒスパニックの労働者──がなぜトランプ陣営に入らなかったのか、その理由はまだ説明されていない。そのうえ、クリントンの「アイデンティティ政治」を批判する、まさにその人びとのなかに、「アイデンティティ政治」を利用するのにやぶさかではない者がいた。バーニー・サンダーズ上院議員は、クリントンの対立候補の筆頭だったが、あるときは自分のルーツが白人労働者階級にあると誇らしげに語り、またすぐその翌週には「アイデンティティ政治」を「乗り越えよう」と、民主党員に発破を掛けた。「アイデンティティ政治」とは、どうも等しく同じことを意味しておらず、かならずしも「生まれながらにして平等」を意味するのではないようである。
『「他者」の起源』(2017。The Origin of Others)──モリスンの新しい本は、ハーヴァード大学で行われた連続講演から生まれたが──ドナルド・トランプの台頭の背景とじかに関連しているのではない。だがモリスンの「帰属」の思考や、社会の保護下にだれが置かれ、だれが外されているのか、などを読み解くために、わたしたちは今日の状況を考慮しなければならないだろう。『「他者」の起源』は、アメリカの歴史を精査し、アメリカ史上最古の、しかももっとも影響力のある「アイデンティティ政治」について語っている──すなわち人種主義という「アイデンティティ政治」である。本書は、「よそ者(外国人)」の創出、「壁」の建設、文学理論・歴史・回想録について書かれているのだが、すべてはいかにして、いかなる理由によって、わたしたちはこれらの種々の「壁」を肌の色と結びつけてしまったのか、それを理解するためである。
本書は、20世紀の、消しがたい白人至上主義の本質に巧みに迫った一群の研究書と軌を一にしている。モリスンが同志と見なすのは、スヴェン・ベッカート(ハーヴァード大学教授。歴史学者。『コットン帝国──グローバル・ヒストリー』(2014)でバンクロフト賞を受賞)やエドワード・バプティスト(コーネル大学教授。歴史学者。『語られない半分──奴隷制度とアメリカ資本主義の生成』(2014))などで、かれらは白人至上主義の暴力的な性質や、そこから生み出される資本主義的利益の実態を暴露した。ジェイムズ・マクファーソン(プリンストン大学名誉教授。歴史学者。『自由への叫び──南北戦争の時代』(1988)でピューリッツア賞を受賞)やエリック・フォーナー(コロンビア大学名誉教授。歴史学者。『業火の試練──エイブラハム・リンカンとアメリカ奴隷制』(2010)でピュリッツア賞・バンクロフト賞などを受賞)は、人種主義が南北戦争勃発の契機を育み、その後、いかに再建の国家的努力をむしばんだかを明らかにした。ベリル・サッター(ラトガース大学教授。歴史学者。『家族の所有地──人種・不動産・都市の黒人搾取』(2009))やアイラ・カッツネルスン(コロンビア大学教授。政治学および歴史学者。『恐怖──ニューディールとわれわれの時代の源』(2013)でバンクロフト賞を受賞)は、人種主義がニューディール政策を腐敗させたことを解明する。カリル・ギブラン・ムハマド(ハーヴァード大学教授。歴史学者。『ブラックネスの糾弾──人種・犯罪・今日のアメリカの都会の創生』(2011))やブルース・ウエスターン(コロンビア大学教授。社会学者。『アメリカの刑罰と不平等』(2006))は、人種主義がわたしたちの時代において大量投獄への道を開いたことを明らかにした。
その中でもモリスンの仕事にもっとも近いのは、『レイスクラフト(人種狩り)』(2012)だろう。この本はバーバラ・フィールズ(コロンビア大学教授。歴史学者。『レイスクラフト(人種狩り)』(2012)の共著者)とキャレン・フィールズ(歴史研究者。『レイスクラフト(人種狩り)』(2012)の共著者)の共著で、アメリカ人は、能動的に作用する「人種主義(レイシズム)」の罪を、本来そのような作用を起こさないはずの「人種(レイス)」という言葉にすり替え、消し去ろうとしてきたという。一般にわたしたちが「人種主義」に対して「人種」と言うとき、「人種」とは自然界の特質を指し、「人種主義」はその当然の結果であると認識している。だがそれはまったく逆である。すなわち「人種主義」が「人種」という概念より先にあり、「人種」を証明しようと研究を積み重ねているのである。それにもかかわらず、アメリカ人は、いまだに論点を正確に把握していない。そのためわたしたちは、「人種差別」「人種的溝」「人種の分離」「人種的プロファイリング」「人種的多様性」といった言葉を平気で口にする──あたかもこれらの考えが、わたしたちが作り出したものではなく、別のところに根拠があるかのように。このことが及ぼす影響は些細なものとはとても言えな���。「人種」が遺伝子とか神々、あるいは両者による作用の結果というなら、この問題を根本から打ち壊してこなかったとしてもしかたがない。
モリスンの問いは、「人種」と遺伝子の接点はわずかしかない、といういささか説得力に欠ける考えから始まっている。そこからモリスンは、何の根拠もないと思われる浅はかな考えが、なぜ何百万人もの心をつかんでしまったのか、わたしたちにヒントを与えてくれる。非人間的行為を通して、自分の人間性(ヒューマニティ)を確認したいという欲求が鍵だ、とモリスンは論じている。そこでジャマイカの大農園主トマス・シスルウッド(1721〜86)の記述を取り上げる。シスルウッドは、まるで羊毛刈りを記録する気やすさで、奴隷女たちを相手にした連続レイプの記録を日記に残している。性行動の合間に、農業・雑務・客の訪問・病気などについて記している、モリスンはぞっとしながら述べている。レイプに対してこんなにも無感覚になれるとは、シスルウッドの心の中でいったいどのような心理作用が起きていたのか。「他者化」の心理作用──奴隷王と奴隷との間には、自然で、ある種の神性を帯びた線引きが存在するのだと、自分自身を納得させること。さらにモリスンは奴隷のメアリ・プリンスが女主人からひどく叩かれたことを分析して、以下のように述べている。
奴隷が「異なる種」であることは、奴隷所有者が自分は正常だと確認するためにどうしても必要だった。人間に属する者と絶対的に「非・人間」である者とを区別せねばならぬ、という緊急の要請があまりにも強く、そのため権利を剝奪された者にではなく、かれらを創り出した者へ注意は向けられ、そこに光が当てられる。たとえ奴隷たちが大げさに語っていると仮定しても、奴隷所有者の感覚は奇怪きわまりない。まるで、「俺はけだものじゃないぞ! 俺はけだものじゃないぞ! 無力なやつらをいじめるのは、俺さまが弱くないってことを証明するためさ」と吠えているようだ。
「よそ者」に共感するのが危険なのは、それによって自分自身が「よそ者」になりうるからである。自分の「人種化」した位置を失うことは、神聖で価値ある差異を失うことを意味する。
モリスンは、奴隷を創り出す者と創り出された奴隷とについて語っているのだが、その社会的位置に関する指摘は今日でも正しいだろう。とくに過去数年間ずっと、アメリカの警官が黒人を比較的軽い条例違反で、あるいはまったく違反していないというのに、殴ったり、テーザー銃(スタンガン)を発射したり、首を絞めたり、銃殺している映像が次々と流されてきた。そのためアフリカン・アメリカンのみならず、多くのアメリカ人が恐怖に陥っている。にもかかわらず、このような行為を正当化する言説がはびこっている。警官のダーレン・ウィルソンがマイケル・ブラウン(1996〜2014)を射殺したとき(2014)、「銃弾の雨あられの中を大きな塊が走り抜けた」ようだったと報道記者に語っている。まるでブラウンが人間とはかけ離れた大きな生き物に見えたようだが、じっさい人間以下と見なしているのだ。遺体を真夏の焼けつくアスファルトの路上に放置したことがその証拠で、人間以下の扱いが強く印象づけられた。ブラウンを怪物のように描いて殺人を正当化したウィルソンは、──司法省の報告によれば──まさにギャングと大差ないような警察官たちの職権濫用もまた許し、自分たちは非の打ち所のない人間だと主張させているのである。
人種差別主義者の対象を非人間化する行為は、象徴の領域の話ではない──現実上の権力の領域に及んでいる。歴史学者のネル・ペインター(プリンストン大学名誉教授。歴史学者。『白人の歴史』(2010))は、「人種とは考えかたであり事実ではない」と主張している。アメリカにおける人種に関する考えかたのもとでは、肌の色が白い場合は、マイケル・ブラウンやウォルター・スコット(1965〜2015)、エリック・ガーナー(1970〜2014)のように警察暴力による死を遂げる確率の低いことは明白である。しかもこのような死は、「他者」として生きるということの意味、偉大な「帰属」の枠外にいることの意味を示す最適の例である。いわゆる「経済不安」がドナルド・トランプ陣営へ投票社を引き寄せたと言われるが、かれらは大多数の黒人から見れば、明らかにより豊かな人々であった。共和党の予備選挙で、トランプに票を入れた者の世帯収入の平均値は、アメリカの平均的黒人世帯収入の約二倍だった。現在、多くは白人の(とはいえ全員ではない)間に見られる、合成麻薬の流行への危機感は、1980年代のコカイン危機に見られた非難の嵐とは違っている。特定の白人男性の死亡率には敏感に反応する今日の関心のありかたは、この国でこれまでずっと黒人の生命を脅かしてきた、黒人の高い死亡率の原因からは目を背ける、あの冷淡さと様相を異にしている。
人種主義は問題である(レイシズム・マターズ)。この国で他者でいることには重大な結果が伴う。──悲しいことにこれからその先も解決策は見つからず、問題でありつづけるだろう。人間社会は、素朴な利他主義のために、これまで持っていた特権を簡単にあきらめたりはしない。かくして白さを信奉する者がその信仰を捨てる社会は、これまでの特権が入手困難なぜいたく品になった社会しかない。アメリカの歴史上、そのような瞬間を何度も見てきた。長引いた南北戦争の結果、黒人もそれなりの人生をまっとうするにふさわしいと、白人は結論づけるにいたった。ソ連との冷戦は、黒人差別法であるいわゆる「ジム・クロウ法」が支配する南部を世界中の物笑いの種にし、敵側諸国に格好の宣伝工作の材料を与えてしまった。ジョージ・W・ブッシュ政権では、二度にわたる泥沼戦争(2001年のアフガニスタンおよび2003年のイラク攻撃を指す)、経済の急降下、ハリケーン・カトリーナ(2005年にアメリカ南部を襲ったアメリカ観測史上最大級の超大型ハリケーン)における連邦政府の組織的初動ミスが、アメリカ初の黒人大統領誕生の道を拓いた。このような出来事が起きるたびに、アメリカは歴史上の慣例を打ち破ったぞ、というひとかけらの希望が湧いたものだ。ところがそのたびに、希望は最終的には泡となって消えてしまう。
わたしたちが、なぜふたたびこのような状態にいるのかを理解するために、アメリカが生んだ最高の作家・思想家であるトニ・モリスンがいることは、なんと幸運であるか。モリスンの仕事は歴史にその根があり、ひどくグロテスクな歴史的事象からも美しさを引き出してくる。その美は幻想ではない。歴史がわたしたちを支配していると考える人びとのひとりに、モリスンが数えられているのも驚くにあたらない。『「他者」の起源』は、この理解を詳細に説いている。過去の呪縛からただちに解放される道が提示されなくとも、その呪縛がどうして起きたのかを把握するための、ありがたい手引きになっている。
✲ ターネハシ・コーツは1975年ボルティモア生まれ。作家・ジャーナリスト・漫画家。アトランティック、ヴィレッジ・ヴォイス、ニューヨーカーなどに寄稿。2015年、『世界と僕のあいだに(Between the World and Me)』で全米図書賞受賞。アフリカン・アメリカンについて、また白人優先主義に関する記事でよく知られる。2015年、「天才」に与えられるマッカーサー財団の助成金を授与される。父親は、ヴェトナム帰還兵で、小さな出版社を営む。
著者 トニ・モリスン(Toni Morrison)
1931年、米国オハイオ州生まれ。コーネル大学大学院で英文学修士号取得後、ランダムハウスで編集者として活躍しながら、70年に『青い眼がほしい』で作家デビュー。77年の『ソロモンの歌』で全米批評家協会賞、アメリカ芸術院賞、87年の『ビラヴド』でピューリッツァー賞受賞。89年から2006年までプリンストン大学の教授を務め、93年にはアフリカ系アフリカ人として初めてノーベル文学賞を授与される。他の代表作に『スーラ』『ジャズ』『パラダイス』『白さと想像力』など。
解説 森本あんり(Morimoto Anri)
1956年、神奈川県生まれ。国際基督教大学(ICU)教授・学務副学長。著書に『反知性主義』『異端の時代』など多数。
訳者 荒このみ(Ara Konomi)
1946年、埼玉県生まれ。米文学者。東京外国語大学名誉教授。
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60 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2024/03/18(月) 20:30:59.35 ID:85mRtzVO [1/2]小6のとき、妹の嫌がらせで修学旅行に行けなくなった修学旅行の行き先が東京に決まり、TDRやお台場、スカイツリーなど当時の地方小学生には眩しすぎる日程で何ヶ月も前からすごく楽しみにしていた仲の良い友達とTDRで乗りたいアトラクションとかお台場でプリ撮るとか毎日のように語り合って旅行の日を指折り数えていたキャリーケースに荷物を詰め終わり前日の夜は翌日に備えて早めに就寝そして迎えた修学旅行の朝…玄関に置いたキャリーケースがどこにもない!あの中には着替えや財布はもちろん、旅券など必要な物が全て入っている家族総出で必死で探し回っているとどうも妹の様子がおかしい(思えば東京行きが決まったときから「ずるい!」を連呼していた)「もしかして隠したの?飛行機に乗り遅れるからお願いだから返して!」と懇願してもニヤニヤ顔で「知らないw」の一��張りで両親が問い詰めても口を割らず集合時間が迫る中、母が学校に連絡してくれたがやはり飛行機の時間があるためバスの出発を遅らせるわけにはいかないとの返事(そりゃそうだよね)家中をひっくり返して探してもキャリーケースは見つからずとうとう集合時間は過ぎてしまい私は修学旅行に行けなくなった結局キャリーは庭の植え込み深くに隠されているのを発見したが全て後の祭り次の飛行機に乗って皆を追いかけるからチケット取ってと両親に頼んだけど「そんな我が儘を言うんじゃない」と一蹴され、しかも妹はろくに叱られもせず正直ボコボコにしてやりたかったけどそんなことをしても時間が巻き戻るわけでもなし現地にいる友達からの写真付きメールを見て惨めすぎて涙が枯れるくらい泣きまくった旅行の後数日間はクラスの皆が思い出話でもちきりで余計に辛かったな妹、小学2年にして「荷物を隠して旅行に行けなくしてやろう」などという発想ができるのも恐ろしいし反省の欠片もなく謝罪のひと言も聞けずじまいあれから十数年が経ちお互い成人しているけど今でも妹のことは血の繋がった家族とは思えないし同じ家に生まれただけの赤の他人と思っている(修学旅行だけでなく私の成人式も妹にぶち壊されたので)
続・妄想的日常
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我が家の桜開花宣言。
ネットの絡まりヤバいですが(笑)
これはサクランボの木。毎年、普通の桜よりも開花が早いです。いい香り。
ミツバチたちがぶんぶん来ていました。

至るところで植物たちがきらきらしています。春ですね。リュウキンカだったかな、年々増えてるような。
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この夏も、オニユリが開花♪ 😊 ご近所さんの誰かが、お引っ越しの際にうちに置いてゆかれた鉢のひとつ。
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ドバイを勧めたりする内容ではないのだが、我が家は楽しんでいるためポジティブな内容が多めになった。 しかし日本人全員が楽しめるかというとそんなことはないと思う。 特に雑なことが許せないは向いていない。 日本ほどちゃんとしている国は少ないと思うので、そういう意味ではドバイに限らず海外全般が辛いかもしれない。 配達時間どころか配達日すら守られない、新築の家なのにドアがうまく閉まらない、3日以内に完了すると言われたのに2週間経っても終わらない、白の車を注文したら黒の車が届く、のようなことが日常的に起こる。 こういうのが耐えられない人は恐らく楽しめないと思う。 一方で自分のように適当な人間は、むしろ自分も適当で良いという免罪符を得たように感じられるので楽に生きられたりする。 インドア施設が沢山あるのでそれを楽しめる人は良いと思うが、アウトドア派は夏は外に出られないので辛いかもしれない。 太陽を浴びないと生きていけない人は夏の数ヶ月に耐えられない可能性がある。 ただドバイに住んでいる人は夏休みはだいたい避暑のために祖国に帰ったり海外旅行をするので、そういう手もあるとは思う。 自分のように一週間ぐらい引きこもってパソコンの前に座っていられる人は問題ない。 砂漠の上に作られているので基本的に全てが人工物で、自然が好きな人は違和感を覚えるかもしれない。 木は多く植えられているので緑はあるが、これも元からあるものではないので整いすぎていると感じることはある。 人工的な空間が気にならない人は楽しめる。 これはドバイに限らずだが、日本に住む家族や友人と頻繁に会いたい人も厳しい。 当たり前だが海外にいると会える機会は減る。 とはいえ年に何度も一時帰国する家族もいるので、移動時間や飛行機代を厭わないなら二拠点生活もできるとは思う。 また、日本食にこだわりがない人のほうが楽しめる。 ドバイは日本食が手に入りやすいとはいえ、何でも手に入るわけではない。 どうしてもあのメーカーのあの調味料が欲しい...などと言いだすと辛くなるかもしれない。 現地にある具材や調味料の中から良さそうなやつ適当に選べば良くない?、ぐらいの人は問題ない。 税金の優遇目当ての人も辛くなる可能性はある。 結局のところ自分が楽しめる場所に住むのが良い。 楽しいのに税金もなくてラッキーぐらいのほうがやっていけると思う。
ドバイに引っ越して1年経った感想 - knqyf263's blog
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「日本の安全をアメリカに丸投げするな」
との一文が、読み手の魂を射抜きます。
イラク派遣航空作戦でも指揮を執った元空将が、現
場での経験を踏まえ、
絵空事ではない「有事」をリアルにシミュレーショ
ンしつつ、
わが国が、そして日本人が、今なすべき「わが国防」
を徹底的に考える本。
それが
『空から提言する新しい日本の防衛 - 日本の安全を
アメリカに丸投げするな -』
織田邦男(著)
定価:1,700 円+税
発売日:2023-07-26
発行:ワニ・プラス
発売:ワニブックス
https://amzn.to/3Q6Fs9e
です。
おはようございます、エンリケです。
織田邦男空将。
弊メルマガの読者ならおなじみでしょう。
航空支援集団司令官の時、イラク派遣航空部隊指揮
官としてイラク復興支援航空作戦の指揮を執った方
です。退官後は活発な言論活動を通じ、平和ボケに
浸りきった国家国民の覚醒を図っておられます。
【略歴】
織田邦男(おりたくにお)
1952年生まれ。74年防衛大学校卒業、航空自衛隊入
隊。F4戦闘機パイロットなどを経て、83年米国の空
軍大学へ留学。90年第301飛行隊長、92年米スタンフ
ォード大学客員研究員、99年第6航空団司令。2005年
空将、2006年航空支援集団司令官(イラク派遣航空
部隊指揮官)を務め2009年に航空自衛隊退官。2015
年東洋学園大学客員教授、2022年麗澤大学特別教授。
同年第38回正論大賞受賞。
個人的には佐藤守閣下と印象がダブる魅力的な空将
です。
言論活動に長けておられる感を持ちます。
メルマガ創刊当初(2000年頃)に読者さんから「織
田は「おだ」じゃなくて「おりた」。将来の空自を
担う人物。偉いのに気さく」という話を聞いたこと
を、なぜかいまでも妙にはっきり覚えています。
「現代の安全保障論」:今、知っておかなければな
らない脅威と対策
本著で織田さんはこういうことをおっしゃってます。
■防衛は「まさか」ではなく、「もしや」を前提に
構築しなければ意味がない
■台湾有事は「あるか、ないか」ではなく「いつな
のか」の段階
■急務! 海上保安庁を中国海警局に対抗できる組
織に
■核戦力でもアメリ��に並ぼうとしている中国
■米中間の深刻なミサイル・ギャップを解消する手
段とは
■戦争の引き金は「軍備の不均衡」である
■核抑止に「当事者意識」が低すぎる日本
■現代戦は平時と有事の「グレーゾーン」から始まる
■「平時法制」こそ、まっさきに整備を
■反撃は「全力」が当然、「必要最低限の反撃」な
どあり得ない
■「2025年在日米軍撤退」の現実味
■「自国が侵略されたら戦う」と答えた日本人はの
割合は79カ国中最下位
■米軍基地の「経費負担」よりも大事なのは自主防
衛努力
■アメリカに対して「主張すること」こそが同盟を
緊密にする
■敵基地への反撃は、自衛隊が主体的に行うべき任務
■朝鮮・台湾有事に日本は自国民をどうやって救出
するつもりなのか
■今のままでは、自衛官は捕虜の待遇さえ受けられない
■庭も同盟も「手入れ」をしなければ荒れ果てる
■「反撃能力保有」に反対する左翼メディアの信じ
られない言い分
■専守防衛というあいまいな「政治造語」が生む誤解
■「自助」を喪失した日本人
■Jアラートに文句を言う日本人の「危機意識」
ほか
日米同盟は我が国を米が守る同盟ではなく、我が国
にある米の権益を米が守るための同盟です。我が国
の権益は我が国が守るのです。そのための軍備であ
り安保であり国防です。
我が国の権益までも米に守ってもらうというのは
「我が国は米の植民地である」と宣言したのと同じ
です。少なくとも日本国民多数は、そんなことを許
容したことはこれまでも今もこれから先もありませ
ん。
自国の防衛は自らが中核となって行うのです。
自国の安全率をより高めるために他国との同盟関係
を構築するのです。
このあたりの感覚に麻痺しているのが戦後日本とい
う時代であり、
すべての他国に付け込まれるスキを生み出している
要因では?
ではどうすればよいのか?
その参考になる貴重な書として本書をゼヒ読んでい
ただきたいのです。
この「我が防衛を空から提言する書」の中身を見て
いきましょう。
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【もくじ】
1章 日本を取り巻く戦後最悪の安全保障環境
世界で最も軍拡の激しい日本周辺
安保3文書が明確にした「国防」の本意
安保戦略「最大の欠陥」とは
増える核保有国、NPT体制崩壊の危機
「核の傘」が「破れ傘」になる日
「ウクライナ危機はウォーミング・アップに過ぎない」
米中間の深刻な「ミサイル・ギャップ」
核抑止への当事者意識を持て
一顧だにされなかった「防衛費増」の要望
急がれる「平時法制」の整備
「必要最低限の反撃」などあり得ない
戦う気概がない国を誰も助けない
「危険な窓」が開く・・・残された時間は少ない
力なき外交は無力である
2章 中国が目指す「パックス・アメリカーナか
らパックス・シニカへ」の野望
中国が愛する「2人のルール」
なぜ今、台湾なのか
「侵攻」「統一」に向けて着々と進む法整備
「2027年」が台湾進行のめどになるのか
「台湾有事は日本有事」、立ちはだかる憲法の壁
台湾有事、7つのシナリオ
「あっという間に情報孤立」、台湾版ハイブリッ
ド戦争の趨勢
「ロシアとの共倒れは避けたい」・・・習近平の
野望
日本が早急になすべき4つのこと
対中国機にスクランブル激増の理由
中国のサラミ・スライス戦略
中国海警を使う「ホワイト・シップ・ストラテジー」
海保の強化、海自との連携を急げ
連携の障害は海保法25条にあり
戦争を繰り返してきた「力の信奉者・中国」
冊封体制の復活を阻止せよ
「力の空白」を作ってはならない
「オストリッチ・ファッションからの脱却
3章 新たなな抑止力としての日米同盟とNATO
2025年、「在日米軍撤退」の現実味
米国市民が抱く日米安保条約の「不公平感」の危険性
アメリカが日本に提供する「5つの傘」
アメリカを「パックス・アメリカーナ」維持に専
念させよ
基地の「経費負担増」よりも大切なのは自主防衛力
F15撤退によるプレゼンス低下と絆の弱体化
「主張すること」が同盟を緊密にする
「矛と盾」のお題目に逃げ込むな
「敵基地への反撃」も自衛隊が主体的に行うべき
任務
重要な成果だった邦人救出の「スーダン・ミッション」
世界的に大恥をかいたアフガンからの邦人輸送
朝鮮・台湾有事時に日本は自国民を救出できるのか
自衛官は捕虜の待遇さえ受けられない
NATOと歩む「NAIPTO」設立の提案
NAIPTOで抑止できる台湾侵攻
「永遠の同盟も永遠の敵もない」
庭も同盟も手入れをしなければ荒れ果てる
4章 改憲で実現すべき「軍事力による安全」
防��進学時の教師たちの暴言
今なおはびこる自衛隊違憲論
自衛官の募集難は「違憲論」も要因
軍法が整備できない憲法上の実害
「反撃能力保有」に反対する左翼メディアの矛盾
「専守防衛」という曖昧な政治造語が生む誤解と弊害
自衛官の声を聞け!
自衛隊員に誇りと名誉と社会的地位を
「軍からの安全」から「軍事による安全」へ
5章 国民の意志こそが国防の「最後の砦」
安全保障は「一人ひとり」の思考から
「自助」を喪失した日本人
弾道ミサイル防衛という危機管理
サイバー戦まで「専守防衛」!
「自衛隊が世論工作」の嘘
最後は「国民の意志」
「平和の維持のために、戦争について考えよ」
―-----------------------------
いかがでしょうか?
この本は、わが国が直面している安全保障の課題に
ついて、読み手に新たな視点と洞察を提供します。
重要な情報を包括的かつ分かりやすく提供します。
防衛は「まさか」ではなく、「もしや」を前提に構
築しなければ意味がありません。たとえば台湾有事。
こちらについては今や「あるか、ないか」ではなく
「いつなのか」の段階に迫っていることがよくわか
ります。
急務として海上保安庁を中国海警局に対抗できる組
織へと進化させる必要性、中国が核戦力においてア
メリカに並んでいる現実、米中間の深刻なミサイル・
ギャップを埋める方法なども記されています。
戦争の引き金は「軍備の不均衡」によるものであり、
核抑止における「当事者意識」の低さについても議
論されています。
現代の戦争は平時と有事の「グレーゾーン」から始
まることが多いことから、「平時法制」の整備が不
可欠であることも指摘します。
また、反撃においては「全力」が当然であり、「必
要最低限の反撃」などという発想は許されない現実
感覚を提示し、同時に、「2025年在日米軍撤退」の
現実味を読者に突き付け、日本人の安全意識がいか
に低いかについても言及しています。左翼メディア
による「反撃能力保有」への反対論を批判的に検証
します。
アメリカとの同盟については、米軍基地の「経費負
担」よりも自主防衛努力や「主張すること」の重要
性が強調されています。敵基地への反撃はわが自衛
隊が主体的に行うべき任務であり、朝鮮・台湾有事
においては、我が国が自国民をどのように救出する
かが問題、現在のままでは、自衛官ですら捕虜の待
遇を受けられない危険性が示唆されています。
そして次のような重要な指摘がなされています。
●自衛隊や同盟関係を「手入れ」しなければ荒れ果
てることヘの警告。
●専守防衛というあいまいな「政治造語」が生む誤
解。
●私たち日本人が「自助」を喪失している現実。
本書は、日本が直面する現実的な安全保障の課題に
対処し、国民一人ひとりがその役割を果たすための
洞察と知識を提供します。私たちの未来と安全を守
るために必読の一冊です。お読みいただき、そして
主権者として行動するにあたってのインスピレーシ
ョンを得ていただければ幸いです。
心からオススメしたい一冊です。
『空から提言する新しい日本の防衛 - 日本の安全を
アメリカに丸投げするな -』
織田邦男(著)
定価:1,700 円+税
発売日:2023-07-26
発行:ワニ・プラス
発売:ワニブックス
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キリストの身体
この世に生を受けたこの身体ほど真我に近いものはない。日頃、食べ、飲み、息をして、風呂に入り、生活し起きている間は誰も否定できない。瞑想や死や寝ている間は『精神世界』の霊的個性の自己同一性が重要である。真我は死を超越するエネルギーであり認識を通して帰還の道となるー。
魂
神の下では、誰しもが平等に大切である。誰もが救われたいと望み、貧しさや生活の困窮の中で日々の生活の困難に直面する。問題は生きるための権利と義務が煩雑で複雑である事である。簡素で、素朴で、然し、安定した生活が大切であり、其れが保証されるべき『共同体』国家と国民の義務であるー。
属性
職業の適性が何よりも優先される。得意ではないことは其れが何れ程、力を注いでも、見返りの見込みのないものである。其れほど適性は大切である。『ケセラセラ』我々が望むものや、なりたいものは単なる願望にすぎず、あるがままに、無条件にそう在る事ではない。国家に望むことは生活であるー。
型と色
①カロリー、②たんぱく質、③ビタミン、④糖質、⑤ミネラル、⑥脂質、⑦カルシウム
素粒子は霊(要素ーエレメンタル)であり、大切であるが、食事の偏りと過食は、万病の基である。
❶肥満、❷老化病、❸癌、❹糖尿、❺疫病、❻痛風、❼身体障害
①力②瞑想③分食⑤栄養学⑥睡眠⑦ゲノム
AIマッチング
就労や職業選択、受験の際に、お見合いに、使うべきものである。ぼくは非凡であれど秀才ではないので、霊的教師と音楽家、そして魔法特に超能力にも興味があるが危険である。低位心霊能力の開発は避けるべきである。絶え間ないエネルギーの伝導瞑想と霊能力と精神集注と奉仕を推奨する。
念力からメンタル界へ
スープン曲げとは理性の崩壊を誘発する。ぼくはメンタル極化により此れが不可能になった。ところで、相手に自分の理想を押し付けることは賢明ではないが、芸能人のゴシップネタの様な落ち着きのない猿のような忙しない心を落ち着ける為に音楽による精神の安定が有効であるー。
日本人改造宣言
一箇所に留まっていてはいけない型を打ち破り、昨日を越えて行け!『在るがまま』を生きることの大切さと周囲の無理解という困難を越えて生きる事は囚われない創造主として大事な私的視点を加味する事になる。ぼくの心はいつも昔に同一性されて🇮🇹や🇪🇸や🇮🇳
🇹🇷や🇯🇵や🇨🇳etc.『舌の記憶』
カタストロフ
創造物(型あるもの)は崩壊現象。死と共に私達の精神や知性や機械でさえ構造物は全て壊れ、軈て失われる。だから、DATAの引き継ぎは大切である。音楽では楽譜、ランドスケープ、ピアノ演奏、イラスト、習字、タイピストの手や論理性は死んでも残された情報の痕跡であるー。『儚い夢の跡』
意
R覚者ー原因と結果の法則
❸→❶
父と母ーカルマ(業)の法則ー❶→④→❸
ゴータマ仏陀ー再生誕の法則❶→④→❼→⑧∞
自由意思ー
∞(情報のソース)→❶
エドガーのコイントス
ー確率ー
②→❶
神の意志ー
❼→④→❶
プトレマイオスとベンジャミンそして全てのイニシエートに敬意と感謝ー。
意(マナス)
#DK覚者 (チベット・ロッジ)のレベルの情報は難解である。#アリス・ベイリー によって与えられた『秘教科学』は緻密に宇宙の構造と神秘についての洞察に富んでいる。心理学の深淵さと覚者方の厳しさと忍耐には頭が上がらない。双方向のメンタル・テレパシー(思念伝達)は稀有であるからー。
既知と未知
❼機械論的・科学的マインド(聖霊)の状態である②④⑥頭脳の❸識別力は『分神霊』であり神経の中にある器官であるナディに合成された精妙な❺ガス(気体)状でできている。⑥パイシス(双魚宮)と❼アクエリアス(宝瓶宮)の宇宙にある霊的な❶『統合のエネルギー』が働いている。②『伝導瞑想』
(不)信仰
キリスト教の原理主義者が唯一の「イエスは神でなくてはならない」とか、(唯物論的)科学者が「ダーウィンの進化論が真である」、「宗教の殆どが偽りである」とか「哲学は何もなしていない」などと言う事は無知に満ちている。『意識の進化』を信じているなら『幻惑』や『錯覚』に注意し給え!
主義
私は云々であるというとき、我々は我々の間に対立を生む恐れがある。在りと凡ゆる物事の嫌悪や善悪に対して、我々は我々の社会を異なる価値観で分断してしまうだろう。必要なのは社会の『調和』であり、『平和』であり、『非暴力』である。観念自体は象徴であり、対立を生む人工物に過ぎないー。
❺記憶自体
コロナウィルスの顕現は人類に対する避けがたい受難でした。これからの④芸術科学(素粒子の霊性)と❺化学医学(構造の形相)の重要性は言い過ぎる事はないです。全ては崇高な魂(全ての霊的な本源へ戻る旅路)の為の犠牲に違いない。無力は承知の上で皆様に御願いしますー。『人類科学の進歩』

与え与えられ
日々与えられた物事に感謝して、生きていきます。
霊(言葉と絵)を尽くして、自我である個性体(パーソナリティー)を神である真我((宇宙)意識体)である魂の供物に捧げます。ごちそうさまでしたー。神に感謝して、命に感謝して、親に感謝して、先生に感謝して、食べ物に感謝してー。m(_ _)m
安定
人間の生き方に自由などはない。せいぜい
自分の自我の領域の中で我が儘な意思のもとに約束事とサービスの間で比較的自由な裁量があるだけである。
10割 Android
百分率で言えば100%
太陽系 9段階
人間レベル99が限界
100以上は死ねない
~255 霊界
1000(1T)
16次元 宇宙全体
聖なる科学
霊の数学と哲学と美学としての音楽と美術を尽くして神的存在に触れる魂である自我の拡大と、霊である真我に帰絨する瞑想の帰還の道。真に純粋な理想的なイデアの想像力の究極的に完全な世界(実在)の上からは、太陽系が16個あり、太陽系外地球の兄弟の惑星も16個あるー。
解釈学
循環する霊と宇宙について
#インテリジェント・デザイン(知的創造論)からの『秘教数秘術的』なコンセプト(意匠性)ー2進法、10進法、60進法ー『カバラ数秘術』、『秘教哲学』、『七光線心理学』『神智学』、『素粒子物理学』、『情報工学』、『陰秘学』『数学』、『強迫性』、『偏執狂』
外部と真理
②主観と❸客観について私達が認識できるものは❺記憶であり、④イメージであり、❸認識性であり、②デジタル信号であり、❶霊である。❼存在を創るもの、⑥在ったと信じるもの、❺在ること、④在るかもしれないもの、❸これから在ること、②視えるもの、❶霊(的精神)性。『真我認識』
形式と存在
『モナド』ライプニッツ
『素粒子』精霊主義
『クオリア』アストラル体
『考える葦』パスカル メンタル体
『精神と物質』デカルト 物心論
『宇宙四次元』アインシュタイン
『時間と空間』ニュートン
『物自体』カント
『質料』プラトン
『弁証法』ソクラテス
『形相』アリストテレス
ライヒ『オルゴンエネルギー』
シュタイナー『エーテル体』光子
ユング『集合的無意識ー幻型』
フロイト『リビドーと超自我』
アドラー『目的論』
ニーチェ『永劫回帰』
ハイデッカー『存在と時間』
サルトル『存在と無』
ラカン『想像界・象徴界・現実界』
キリスト『三位一体』
盤古『陰陽』
ヴント『内観』
プロティヌス『一者』
エンペドクレス『風・火・地・水』
デモクリトス『原子』
チェリオ『量子色力学』
ジョブズ『Apple製品』
ダリ『心理学から科学へ』
モーツァルト『曖昧な調和』
小室哲哉『宇宙の美化』
坂本龍一『現実』
小林武史『夢と魔法』
宇多田ヒカル『宝瓶宮の水』
植松伸夫『劇場音楽』
天野喜孝『ファイナル・ファンタジー』
楠瀬誠志郎『シリウス』
すぎやまこういち『ドラゴンクエスト』
鳥山明『ドラゴンボール』
高橋留美子『めぞん一刻』『犬夜叉』
桂正和『DNA』『シャドウ・レディー』
貞本義行『エヴァンゲリオン』
宮崎駿『ロマン派』
久���譲『映画音楽』
スピノザ『心身一元論』
クリシュナムルティ『私は何も信じない』
キリスト・マイトレーヤ『分かち合って世界を救いなさい』
ベンジャミン・クレーム『始まりは近い』
江原啓之『オーラの泉』
大槻教授『プラズマ』
韮澤さん『たま出版』
イエス覚者『救世主』
仏陀『真我』
プレマ・サイ『超心理学』
フェルメール『レースを編む女』
3ー7ー4ー2ー7(2.4)

宇宙
針仕事の周りを描く『フェルメール』の絵の中に宇宙が回っている事を、夢と現実の間を行ったり来たりするシュールで、冗談好きの地獄ではないまでも煉獄に居る『ダリ』は知っていた。如何なる小さな物事でも、大切な人の存在は守りたい。大切な命に寄り添い生きていきたいものである。
『来世』
サルバドール・ダリ『レース編みの娘』
6ー4ー6ー4ー7(1.6)
(フェルメール・ファン・デルフトの絵の模写)

「ダリ全画集」の『レースを編む女』
ダリに心の底から同情します。イニシエートの低さには右利きで頭の精神の線が細いスマートと云う理由と、光線構造が非常に高いのには、人類の輪廻転生を担保したいのと、神であるサルバドール(救世主)でありたいと言う野心と、謙遜と、拘りがあるからですー。




芸術家と科学者
『ピカソ』は拘りのない自由な心の境地でどんな画家のスタイルも直ぐにマスターして、同じ場所に留まらずにどんどん変化する秀才。純粋無垢な子どもが描いた様な平気で、破壊的な創造で醜悪さをも描く。『ダリ』は古典的な描き方で言語性の強い鬼才。神に見いだされた犠牲者ですー。
ダリでもピカソ
二人ともきら星のような才能があるので何回輪廻しても本物の神になるべきです。業の深さは恐ろしくダンテの言葉を借りれば「まるで生きていることが呪われている様でこの地上以外に如何に『地獄』と呼ぶ事ができようか?」と言う程、人生を生きるのは大変です。才能の有無に関わらず。

パブロ・ピカソ(2.4)
7ー4ー1ー6ー3
『サルタンバンカの一家』
パブロ・ピカソ『パイプを持つ少年』

アンリ・マチス(2.4)
3ー6ー1ー4ー7
『ブルーヌード』

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Miso soup with ashitaba (prose, cooking)

Miso soup

Ashitaba
Miso soup is a basic soul food in Japan. It is a truly impressive soup, made by adding miso to hot water with a few ingredients and drinking it. You can add any ingredients you like. The miso soup in the photo contains ashitaba, wakame, fried tofu, radish daikon, and bunashimeji mushrooms. Dried bonito flakes are used for the stock to give the soup a fuller flavor. There are many different types of miso, but we use light red miso at home. Ashitaba is a plant in the parsley family; it is the equivalent of angelica in Japan.
2024.11.23
アシタバ入り味噌汁 (prose, cooking)
味噌汁は、日本の基本的なソウル・フード。いくつかの具を入れて加熱したお湯に味噌を入れて飲む、じつに感嘆なスープだが、奥が深い。具にはなにを入れても良いが写真の味噌汁にはアシタバ、ワカメ、油揚げ、大根、ブナシメジが入っている。出汁としては鰹節を使い味に膨らみを持たせる。味噌そのものにもいろいろ種類があるが、我が家では薄口の赤味噌を使っている。アシタバは、セリ科の植物で、日本ではアンゼリカに相当する。
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自分は時間に疎いようなことを昨日書いたばかりだけれど、最近は時間を感じながら生きるのが心地良い。きっとこれも成長なのだろう。シュトーレンが日持ちすることは知っていても、それに意味があるとは考えもしなかった。起源といいレシピといい、”時間”を感じさせられるプロセスに胸が躍った。 友人の家に天井につきそうなほど大きな植物があって、よく聞くと元は100均で買った小さな植物だったらしい。2、3年かけて、と言っていた気がする。大きく立派な植物にその”時間”をまざまざと見せつけられて感動してしまった。あとは湯船に浸かったら次の日浮腫がましになるとかそういう小さいことでも、行動が意味をなしてると実感できるのが楽しい。 今日が明日に、今週が来週に、今月が来月に、そうやってこの先にちゃんと続いてる生活がしたいと思った時に、またわたしは活動的になった気がするし、我慢することも覚えたと思う。あまりガチガチになって生きることはしないけど、たまに頭の中で時の旅行に出てみるのだ。 だけど怖いことに気づいてしまったのだよ。その先の先にあるのは死で、死んだ後のことなんかも考えてしまって、自分の死がより良いものになるようにと、工夫をし始めて、そうすると、人生終いをしているような気持ちになる。生前整理をしてるのを死神はちゃんと見てるとわたしは思う。わ、わたしはまだ死にたくないけど、不慮の事故に備えてるだけです。死神さんのお迎えにはお応えしませんので、そのところよろしくお願いします。

シュトーレンに恋をして、手作りに人生初挑戦。手作りなのでひと月も時間をかけるのは怖くて2週間ほどで楽しんだ。
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