#憔悴しまくり
Explore tagged Tumblr posts
wwwwwwwwwwww123 · 2 years ago
Photo
Tumblr media Tumblr media
遠藤一同🍑コミティア【す50b】さんはTwitterを使っています: 「気になる本! 「ものを捨てすぎて後悔する、思い出のものまで捨てて心にぽっかり穴があくなど、過度な捨てるブームのなかで憔悴している人『捨てなければ』『減らさなければ』という切迫感に焦り、できない自分に失望してしまう人のために、捨てない暮らしを提案します」https://t.co/8xulBP5AKq https://t.co/D2syWhF7pY」 / Twitter
95 notes · View notes
jaguarmen99 · 4 months ago
Text
723:名無し:24/09/11(水) 15:04:25 ID:5M.mb.L1 従姉妹が自殺した。体調不良や免疫疾患、鬱病など色々理由はあったが、 最後に背中を押しちゃったのは間違いなく母親である伯母だろうと親戚中ヒソヒソ言い合っている。
最後のメールのやり取りを見た。 伯母「おはよう!今大丈夫なの?」 従姉妹「もう連絡してこなくていい。楽になる」 伯母「辛いのね、お友達にはきちんと相談した?」 従姉妹「連絡してくるな。私より優れた親と体を持ってる友達に相談?馬鹿にしてるのか」 伯母「お母さんは、これから会社の人とご飯なの!従姉妹ちゃんも今度お友達とご飯に行ってみてね。 ちなみに従姉妹の私ちゃんは、お給料が上がったそうです!」
(母がいらんこと吹き込んでた)
翌朝 伯母「おはよう。昨日はお母さんも楽しめました。従姉妹ちゃんも頑張って頑張って生きましょうね!!」
更に翌朝 伯母「おはよう!今日も頑張りましょう!」
翌朝 伯母「元気なの?今度お父さんとそちらへ行きますから、きちんと掃除しておくこと!大人としての基本ですよ!」 (既読がついたのがこのメールが最後。恐らくこの日に亡くなっている。従姉妹は返信なし)
1週間後 伯母「明日お父さんとそちらへ行きます!会えるのが楽しみです」(この日に遺体が発見された。第一発見者は伯母夫婦)
これだけだと分かりづらいと思うけど、従姉妹が免疫疾患になった時に絶対病院には行かせなかった伯母夫婦のせいで、 かなり症状が悪化してたんだよね。 それなのに「お友達に相談したのか」という発想が出てくる時点でまともじゃない。 返信もないのに「今からそっちへ行く」と勝手に決めるのもおかしい。
伯母夫婦は25歳の従姉妹を亡くして泣き叫んで憔悴してたけど、「あの夫婦に産まれたんじゃ死にたくもなるわね�� と私の両親は話してた。
従姉妹と私は同い年。苦しんだ分、も��楽になってくれてたらいいな…と思う。
726:名無し:24/09/11(水) 17:34:53 ID:5M.mb.L1 >>723 ちょっと間違えてた 1週間後のメールの翌日に伯母夫婦が従姉妹の家を訪問して従姉妹の遺体が発見されてます。 練炭で亡くなってたらしいので楽に死んだと思いたい。 伯母、空気読めない人だったなあ。親戚の葬式でも、「交通費、従姉妹ちゃんが出してくれるよね?」とか 「今日はお母さんの誕生日なんだけど、従姉妹ちゃんは何かお祝いしてくれないの?」とか色々言っても従姉妹は無視してた。 旦那さんの方はニコニコ黙って見ていた。
母からの話聞いた感じだと、伯母の旦那さんは今で言う「頭の足りない女の子の王子様になりたがりな理解ある系男性」 だったらしい。あの両親じゃ苦労しただろう。
724:↓名無し:24/09/11(水) 15:14:01 ID:TF.n4.L1 >>723 最後に背中を…じゃなくて幼い頃からストレスをかけ、免疫を低下させ続けて病気にしたのは 天然悪魔の従姉妹母だと思ってしまう 常に口からポイズンナイフを飛ばすサイコパスモンスターを想像したわ
5 notes · View notes
kennak · 14 days ago
Quote
美術集団・カオス*ラウンジを主宰する合同会社カオスラと代表の藤城嘘さんが、進行してい���1件の労働訴訟および2件の名誉毀損における勝訴を発表した。 名誉毀損は、騒動について安西彩乃さんがnoteなどを用いて事実と異なる主張を行なっていたとして、カオスラ側が安西彩乃さんを訴えたというもの。労働訴訟は、その名誉毀損訴訟への反訴として、同社の元スタッフ・安西彩乃さんが、会社側から不当に退職を迫られたとして訴えを起こしたもの。 カオスラ側の発表によると、労働訴訟については、会社側の退職勧奨が「任意の退職を求めるものとして許容される限度を超えるものでない」と判決が下されている。 また名誉毀損については、安西彩乃さんが発表した記事に「重要な部分に真実とは認められない表現が含まれて」いると認定され、賠償金の支払いが命ぜられたとしている。 社内のトラブルから労働・名誉毀損訴訟へ発展 同件は2020年5月ごろ、当時カオスラの代表をつとめていた黒瀬陽平さんとスタッフの安西彩乃さんとの不貞関係が発覚したことに端を発している。 発表によると、2人の関係が黒瀬さんの家族に発覚したことからトラブルに発展。黒瀬さんの家族に退職を迫られたという安西さんは、会社側に相談することとなった。 安西さんは同年8月、この協議の中で黒瀬陽平さん、藤城嘘さん、そして当時スタッフであった小松尚平さんから組織ぐるみでのハラスメントがあったとする記事をnoteに投稿していた。 カオスラ側がこの記事の内容が事実に反するとして同年10月に名誉毀損訴訟を起こすと、2021��2月にはその反訴として安西さん側も退職はパワーハラスメントが原因だとして労働訴訟を提起している。 騒動の最中には、2020年7月に黒瀬陽平さんがカオスラを退社。当時アートスクール「ゲンロン カオス*ラウンジ新芸術校」を共同運営していた株式会社ゲンロンがカオスラとの契約解除を発表している。 カオス*ラウンジ代表の黒瀬陽平が合同会社カオスラ退社 アシスタントへパワハラ行為.jpg カオス*ラウンジ代表の黒瀬陽平が合同会社カオスラ退社 アシスタントへパワハラ行為 美術集団・カオス*ラウンジを主宰する合同会社カオスラが、同社の代表社員で批評家/美術家の黒瀬陽平さんによるパワーハラスメント行為が起きたことを受けて、7月24日付で、黒瀬陽平さんの退社を発表した。 それに伴って、黒瀬陽平さんとカオス*ラウンジを共同企画してきたアーティストの藤城嘘さんが新代表に就任した… kai-you.net 謝罪から訴訟へ、カオスラの対応が転換した経緯 騒動の全容を把握することが難しくなっていた一因として、当初は謝罪文などを投稿していたカオスラ側が、2020年10月にそれまでの発表内容を不正確だったとして謝罪を撤回、安西さんを提訴したことが挙げられる。 この対応の転換に関して、今回のカオスラ側の声明では当時の状況を、当時の代表・黒瀬さんが退社し、抱えていたプロジェクトを藤城さんと小松さんだけで回さなければならず憔悴していたと説明。 安西さん側の意向もありやむなくSNSに謝罪文を投稿したとしつつ「事後的に見れば、正確な事実関係を確認することなく、専門家への相談もせず、場を収めるためにこのような対応をとり、混乱を招いてしまったことを、残念に思います」と綴っている。 また、その後訴訟へと至った経緯として、謝罪の投稿後に安西さん側から事実と異なる記載がある記事が公開され、和解交渉も破棄されてしまったことから、「事実の調査は公平な判断の期待できる司法に委ねる」べく訴えを起こしたと説明している(一連の投稿は現在、削除されている)。 裁判はカオスラ側の勝訴で終結 今回の騒動は、美術界における性差や雇用関係の不均衡を問うこととなり、大きく注目を集めた。 今回カオスラ側が発表した3件の裁判については、カオスラ側の勝訴という形で幕を閉じた。 労働争議に関しては、一部未払い賃金が認定されたものの、安西さん側の訴えはほぼ棄却。 カオスラがnoteと安西さんに対して行った名誉毀損訴訟では、noteに対しては記事から特定の文言を削除すること、安西さんに対しては55万円の支払いが命じられた。既に命じられたnoteの文言は削除されている。 もう一件の名誉毀損訴訟では、安西さんに対して、藤城さん、小松さんへ55万円ずつの支払いが命じられている。 ただし、判決文の中では、黒瀬さん個人に対する名誉毀損は否定されている。 安西さんのnoteでは、黒瀬さんが立場の不均衡を利用したセクシャルハラスメントに起因する不貞関係だったと主張された。また黒瀬さんはそれに先駆けて、カオスラ退職の際、「私の行動によって被��者の方を傷つけ、このような事態を招いてしまったこと、深くお詫び申し上げます」とTwitter(現X)で投稿していた(現在は削除されている)。 名誉毀損の裁判の中で、「意に反する性的関係の要求というセクハラを継続的に行なっていた」と認められている(黒瀬さんは当該訴訟には関わっていない)。 安西さん支援団体は判決に「公正な視点を欠いていた」とコメント 安西さんを支援している団体「Be with Ayano Anzai」 は、判決が出た後、11月7日付で「すべての訴訟を終えて」と題した声明を発表している(外部リンク)。 その中では判決について「今回の判決を下した裁判官らは法の専門家ではあっても安西さんが置かれていた立場については理解がなく、退職勧奨にかかる事実認定において必要であるはずの公正な視点を欠いていたと当団体は考えます」との主張が綴られている。 ただし、控訴しても判決が覆る見込みはないことを鑑み、裁判は終結となる。 声明は「安西さんと当団体は、本件に限らず立場の不均衡の上に起きるさまざまな問題に対して、より多くの人が誰かが下した結論だけではなく過程を知ること、各々が自身の意見を持ちそれを表現できること、その結果として議論が社会に開かれていくことを望んでいます」と締め括られている。
美術界に波紋を呼んだカオス*ラウンジ訴訟が決着 - KAI-YOU
2 notes · View notes
myonbl · 5 months ago
Text
2024年8月26日(月)
Tumblr media
三重県紀北町・奥川ファームから隔週に届く定期便、一日遅れでやって来た。水不足で野菜が枯れてしまったとのこと、自然相手の無農薬栽培、農家の厳しい現実を共有しよう。その代わり、手作りパンが一杯。そして何より、米の袋にはさりげなく<新米>のシールが貼ってあるではないか! これは何よりのご馳走、奥川さん、いつもありがとうございます。
Tumblr media
4時30分、起床。
日誌書く。
体重測定、550g増。
5時45分、ツレアイ起床。
洗濯機回す。
Tumblr media
奥川ファームの蕎麦がなくなったので、久しぶりに煮麺をいただく。
洗濯物を干す。
珈琲を淹れる。
彼女と三男の弁当を用意する。
一人で出勤、いつものMK石油で給油する(@172*35=¥6,020)。
Tumblr media
順調に到着。
換気、ラジオ体操第一、お茶。
Tumblr media
<まいどおおきに露の新治です>にアクセス、一発でキリ番ゲット、早速管理人にメールを送る。
台風情報をチェック、速度が遅くて影響が長引きそう、27(火)28(水)は在宅ワーク、29(木)30(金)は有休申請、29(木)の予定はキャンセルの連絡をする。
執筆用の資料を忘れてきたために、別の資料の読み込み作業。
昼になってラジオ体操第二。
買い物に行きたいので早めに退出する。
Tumblr media
帰路はエアコン全開、燃費が悪い。
Tumblr media
<セントラルスクエア花屋町店>まで買物、彼女に頼まれたのは本日安売りの厚切り豚ロース、手羽中と塩鮭が20%引きだったので購入する。
<セブンイレブン花屋町店>で、50円引きクーポン使って黒ラベルロング缶を購入する。
豚ロースを昆布締めにする。
彼女は午前中に訪問1件、午後は<ひとまち交流館>でテディベア作り、M姉・O姉も一緒に。
これから帰るとの連絡を受けてから私は夕飯準備、手羽中の唐揚げを作る。
Tumblr media
息子たちにはスパーク���ングワイン、私たちは賀茂鶴+🍷。
録画番組視聴、名探偵ポワロ。
第4話「満潮に乗って」/ Taken at the Floodシーズン 10, エピソード 4 世界的富豪ゴードン・クロードの別荘でガス爆発事故が発生。ゴードン本人は死亡し、ゴードンの新妻ロザリーンと、その兄デビッドは奇跡的に一命を取り留め る。それから2年が経ち、ロザリーンとデビッドの厳しい遺産管理により、クロード一族は苦しい生活を強いられていた。そんな一族にとってロザリーンは邪魔 者。一族の反感の矢面に立たされたロザリーンは、日に日に憔悴の度を深めていく。
朝が早いので睡魔到来も早く、風呂に入らずにダウン。
Tumblr media
ムーブが届かずに3つのリング完成せず。
4 notes · View notes
jinmon0168 · 8 months ago
Text
明日から沢山野外フェスというモノに出させてもらう ひと足先に夏がやってくるらしく 流石の俺も日焼け止めを買った 6月で真っ黒とか いくらなんでも夏男にも程があるって そもそも11月生まれだし 俺は夏に憧れてるだけの分際
この夏の皮切りはフリーダム名古屋
19歳の時ボランティアスタッフをやった そこから幾度となく憧れ続けてきたし あの売れっ子バンドに 楽屋はどこですか?と聞かれた時 俺恥ずかしくて悔しくて バンドやってるんですなんて言えなかった 今なら自信持って言える
24歳の夏 一緒に住んでいた母方の祖父が亡くなった 俺が大企業やめてバンドをやるって伝えた時 何も言わず黙って聞いてくれた CDをこっそり買ってくれた 親戚中に自慢してくれた
本当に時に父のような祖父だった お通夜はフリーダム2022の日 俺はライブハウスステージで神戸太陽と虎に出る予定だった 行く気はなかった
憔悴しきった家族は おじいちゃんなら行けと言う 絶対に待ってる人のため お前の未来のためにライブしてこいと言って送り出してくれた
その日に携わるすべての人が計らってくれて 俺はライブ後新幹線に乗って通夜に向かった
涙が溢れる中書いた文章 する必要のなかったツイート でも忘れたくなくて 俺もじいちゃんも繋がってた証を残したくて あの時に涙を堪えて綴った文字がFREEDOM2024に繋がった
去年立たせてもらったスカイエキスポ でも俺の本命は 大高緑地だ 今年やっと巡ってきた
じいちゃん、俺FREEDOMで大高緑地に立つよ
朝早いけど そっちの世界で少し早起きして
俺のライブ見といてね あの時繋いでくれた時間が 今の俺の全てだ 自慢させてくれ
皆には関係のないこと でもみんなのおかげで繋がったこと 明日は楽しもうな
3 notes · View notes
reportsofawartime · 11 months ago
Text
Tumblr media
パレスチナ赤新月社の職員、サミーを覚えていますか?イスラエルが「安全回廊」だという道を渡るのを怖がった女の子を慰めようとした彼です。 占領軍は彼にこんなことをしました。 #ガザ投稿翻訳 動画:女の子を慰めるサミーさんが写り、その後、イスラエル軍に襲われた救急車の車内で憔悴した姿が写ります。 画像:目元に隈をつくり、疲弊した様子のサミーさん。 女の子を慰めてい���サミーさんの動画: https://x.com/atsyjp/status/1755565365764210856?s=20
2 notes · View notes
yab-others-yum · 1 year ago
Text
小町数人説をめぐって
陽明文庫に中世の小町の絵がある。絹本着色、縦六一・六センチ、横四一・七センチの絵を表装してあるのだが、軸心近くの裏面に「小野小町像 貞治六秊六月廿五日」と、まさしくその頃この筆跡にて記されたものが付加されている。表装そのものもそんなに新しいものでないが、表装するにあたって、この絵に本来ついていた紙をここに付加したものであろうことは、その字がまさしく貞治頃〈一三六二〜一三六七〉この事跡であることが疑いもないからであろう。
ところで、この絵は「小野小町像」となっているが、まさしく「玉造小町子壮衰書」によっている。「容貌ハ憔悴シテ、身体ハ疲痩」、「頭ハ霜フリタル蓬ノ如ク、膚ハ凍リタル梨ニモ似タリ」、「骨ハ辣チテ筋ハ抗クナリ、面ハ黒クシテ歯ハ黄バミタリ」、「裸形ニシテ衣ナク、徒跣ニㇱテ履ナシ」、「左臂ニハ破レタル筐ヲ懸ケ、右手ニハ壊レタル笠ヲ提ツ」、「頸ニハーツノ囊ヲ係ケ、背ニハーツノ袋ヲ負ヘリ」、「肩ノ破レタル衣ハ胸ニ懸カリ、頸ノ壌レタル蓑ハ腰に纏ヘリ」とある「壮衰書」の序文をのものである。ここでもまた小野小町と玉造小町を同人物とする中世の理解が確認されるのである。
先にあげた「無名抄」の文〔五〇頁参照〕の続きに「玉造の小町と小野小町と同人かあらぬ者から、人々おぼつかなきことに申して争ひはべりし時...」とあって別人説もあったことは確かだが、その多くは前述の「玉造小町子壮衰書」の弘法大師著作説を土台にしての疑問であり、中世の大勢は、あくまで両者を同じものと見、「玉造小町子壮衰書」を小野小町の事蹟を語るものと見ていたことは疑いもないのである。
近世に入っても、この傾向は変わらなかった。貞徳の「徒然草慰草」などその顕著な例だが、中期以後の随筆の類を見ても、たとえば天野信景の「塩尻」〈『随筆大成』等〉、志賀忍〈天保十一年、七九歳没〉の「理斉随筆」などは、小野小町と玉造小町を同一人と考えている。
ところが、小町という名は、実は普通名詞であって、〇〇小町と呼ばれる女性はまことに数多くいたのだ、玉造小町と小野小町もとうぜん別人だという、いわば画期的な説が新井白雅の「牛馬問」「〈温知義書〉」に提示され、人々を驚かせたのである。
古代には一国より一人づつ采󠄃女を内裏へ献ぜしこと也。既に仁明帝の前後には、小町とて召されたるもの六十余人ありしとなり。この采󠄃女を后町のうちにをらしめたまふ。故にみなみな小町と呼ばれたるなり。その人々の宮仕へをや���て古郷に帰り身まかりたる墓を、おほか「た小町塚とよびしとなん。さてこそ、国々に小町塚といふもの多し。美濃・尾張の間にさへ二三所あり。
しかるを、なべての小町を一人と思ふよりまぎれたる説多し。たとへば実方朝臣、陸奥へ下向の時、髑髏の目穴より薄の生ひ出て、「秋風の吹くにつけてもあなめ〱」の歌の小町は小野正澄が娘の小野小町なり。文屋康秀が三河掾となりて下りし時、「身をうき草の根をたえて」さそふ水あらば」とよみしは高雄国分が娘の小町なり。「おもひつつぬればや人の見えつらむ」の歌、又業平の「舞の袖」などいひしは出羽郡司小町良実が娘なり。高野大師のあひたまふ、壮なる時憍慢最も甚だし、衰ふる日愁歎猶深しと答へしは常陸の国玉造義景が娘の小町なり。かく一人ならず。故に時代其外異なる事あるのみ。中にも良実が娘の小町は美人にて和歌にもすぐれたれば、独り名高く、すべて一人のやうに伝へ来たるのみ。
まず、小町を采󠄃女をし、采󠄃女のすべてに「町」をつけてよんだといっているが、平安時代の文献にあらわれる采󠄃女は、たとえば「近江の采󠄃女」〈拾遺集〉「明日香の采󠄃女」〈大和物語〉などのごとく、国名を冠して呼ぶのが普通である上に、文献にあらわれる「町」のつく女性は前述のように后町にいる更衣であって采󠄃女ではない。小町采󠄃女説自体が出羽都司良実の娘という伝承をもとにして出来たものであり、出羽国から采󠄃女をさしだすことはなかった〈「続日本紀」「類聚三代格」〉という事実を持ち出すまでもなく、この日雅の説には従えないのである。地方に数多い小町塚の合理的説明としても弱いものである。
ところで、この白雅の説、後半になると、その多数の小町が四人にしぼられて来る。架空の人物である小野正澄とか高雄国分とか玉造義景などの名をどこから持ち出して来たのか不明だが、既に伝説化説話化している小町像のすべてを事実と認定する立場からの合理的整理であって、まったく意味をなさぬものとしか言いようはないのである。
伝承る整理しながら、また新しい伝承を生んでいる感じの「牛馬問」の説であるが、その合理的整理法に人気があったのか。それに賛同して引用している随筆が実ははなはだ多いのである。神沢貞幹の「翁草」〈『随筆大成』第三期所収〉、城戸千楯の「紙魚室雑記」〈『随筆大成』第一期所収〉、石川宣続の「卯花園漫録」〈『新燕石十種』第三所収〉、山本信有の「孝経楼漫筆」〈『随筆大成』第三期所収」、��沢馬琴・屋代弘賢らの「兎園小説」〈『百家説林』所収〉など、いずれもこれに全面的な賛同を示しているのである。
小町に限らず、伝説的人物は、その伝説化の過程において、事蹟が膨脹し、それを全体的に把握するとなると、そこに新しい矛盾が出てくることが多い。これを予盾なく合理的に統一しようとすると、いわば原生動物の体のように多方面に膨脹したものを分割するほかはなくなる。
たとえば柿本人麿の場合にしても、「万葉集」の記述を信するかぎり人麿は持統朝から文武朝にかけて活躍した歌人であるとするほかはない。だが一方、「万葉集」が引用する「柿本人麿歌集」にはそれよりもかなり後の歌もある。「人麿歌集」に後代の歌が入っているというのは今日の学者の常識だが、人間歌集なのだからすべてが人麿の歌だという立場に立てば、「万葉集」の人麿にして、既に最低二人いたことになる。次に「古今集」の仮名序を見ると、、「おほきみつの位(正三位)柿本人麿」を「ならの御時」の歌人としている。現在では、これを「奈良時代」と解し、しかも人麿が活躍した飛鳥時代は奈良時代に接していたからこのように書いたと説明している。だが、そこに都があった「時代」と解するのはどうか。平安時代において「御時」とは天皇の治世、すなわと御宇のことであり、「ならの御時」は平城の帝の御時の意にほかならないからである。事実、この仮名序に対応する真名序(漢文の序)には「平城天子」とはっきり書かれている。「古今集」より五十年ほど後に出来た「大和物語」にも人麿が平城天皇に仕えていたとある。平城天皇は平安時代第二の天皇だから「万葉集」の人麿とは違う。これ第三の人麿ということになる。ところ、で、「古今集」から百年ほど後の第三の勅撰歌集「拾遺集」を見ると、人麿が渡唐してよんだという歌が二首見える。これ、第四の人麿である。
人麿を一人ではなく四人とすると、その間の矛盾はなくなる。しかし矛盾がなくなったところでどうなるというのだ。私が問題にしたいのはそんなことではない。実在の人麿が、その死後、奈良時代・平安時代にどのように伝説化されていったか、別のことはで言えば、後の人々の心の中に人麿がどのように生き続けて来たか、私はそれを問題にしたいのである。
小町の場合も同じである。江戸時代の学者のように小町を四人にしたり、現代の民俗学系の国文学者のように、小町と称する女が無数にいたとか、小町を名のる遊行婦女・あるき巫女・歌比丘尼のたぐいが諸国をめぐり歩いていたと言い切ることによって事足れりとし、文献に残った小町の文学と伝承について深く考えようともしないのは学問の堕落、ある意味では頽廃という評語が適切でさえある。仮に彼らの言うようなことがあったとしても、せいぜい中世の後期のことであり、「小野小町の歴史」ほ既に平安時代中期以前から始まり、中世、近世と続いていたのである。小町が、その死後も、後代の人々の心の中にどのように生き続け、どのように変容していったか、あるいはまた、時を経て変容しながらその底に変えずに生き続けてゆく、いわゆる小町的なもの、それはいったい何かということの追跡にこそ、私は意味を認めたいのである。世に虚と言い実と言う。しかし、このように見れば、人々の心の中に生き続けていたものはすべてが実だと言うほかはないのである。
以下の章において次第に明らかにしてゆくことであるが、小野小町の説明化は、彼女の死後間もない頃から既に始まっていたのである。そして十世紀の末頃には、我々が知っている小町説話、たとえば(1)雨乞説話(2)好色説話(3)男性を拒否する驕慢説話(4)衰老説話 等、そのおおむねが既に出来るがっていたはずである。だから、そのような流れの中に「玉造小町子壮衰書」を置くならば、「小町老いて後、おとろへさらぼりたりなど云ふめるは、玉造小町の事なるを混じていへるなり」〈本居内遠「小野小町の考」〉というような見方が必ずしもあたらぬことを知るのである。小町衰老落魄の説話が「壮衰書」の影響で出来上がったというよりも、既に世に行なわれていた小町落魄説話の仏教的結実として壮衰書を考えるべきではないか。「玉造」の由来を明らかに出来ぬことは残念であるが、ともかくも「小町」と表題にあるだけで人々が説明を求めないような人物の伝でなければならないこと、しかもそれが「花ノ時ヲ待チテハ玉筆ヲ秉リテ紅桜紫藤ノ和歌ヲ詠ズル」美女の伝でなければならないことなどを併せ考えれば、平安末期から中世にかけての人々の大勢的理解がそうであったように、これをも小野小町のこととするのが、最も素直な、そんなして最も妥当な理解だと思うのだが、いかがであろうか。
5 notes · View notes
fisk0401 · 2 years ago
Text
ベッターに上げていた新十傑爆轟を加筆修正してpixivにアップしました。
「やがて風光る」
加筆修正のために改めて読み返して、私の性癖一直線って感じの話だなあと思いました🤗
この話の二人は子作りしても、長年まじないに晒されてた轟くんの体がもう妊娠出産に耐えられなくなってて流産か死産を繰り返すんだと思います。
轟くんはかっちゃんに「ごめんな、また赤ちゃん産めなくてごめんな」って謝るし、目の前で殺された赤ちゃんを夢に見て毎晩うなされるんだろうな。かっちゃんは「ガキなんて要らねえよ」って言ってくれるけど、轟くんが気にしてどんどん憔悴していきそう。可愛いねえ☺️
5 notes · View notes
manganjiiji · 2 years ago
Text
変換器
に、なればいいのかなとおもう。現代詩手帖2022.10月号をほぼ読み切る。松下育男『詩の教室』、今日は読んでいないけれども、読み進めている。気軽に詩を…いや、気軽にではないが、自分の好きに、詩だと思うものを書いていいらしい。そしてそれを誰にも見せなくていいらしい。それならば。ならば、私も詩を描こう、と思った。タリーズで書いた詩のようなものは、ノートに書いて、「これは誰にも見せなくていい」と思ったのだが、結局現代詩フォーラムに投稿してしまった。松下育男さんが、「日記ではなく、詩」(日記と区別できるものは詩である)と書いていたのに、まんま日記みたいなものをネットに投げてしまった。じゃあこれを、私は詩に変換すればいいのではないか?と、今日現代詩手帖10月号の、抒情にかんする連載(豊崎由美さんと、ええと…誰だっけ、詩人の方)の最終回を読み終えて、まさに抒情、私は日記のようなあの詩(と自分では思った)を抒情というあのオーロラに光る透明な紙(フィ…フィなんとか、名称を忘れた。パラフィン?)を通して、きちんと「詩」にすれば、日記と遠くなるのではないか、と考えた。残念ながら力尽きてその作業までは行けなかったが、まあ明日。私自身がその、あのオーロラ色の透明な紙になって、つまり変換器になるしかないんじゃないか。私の中には無駄と思えるほど多くの文字やその組み合わせが入っているはずなので。それにしても、現代詩手帖の投稿欄に乗っている詩がどれもすばらしいなと感じた(好き嫌いはあれど)。みなさん、こういうところに投稿するかたは、同人誌に参加されていたりするのだろうか。現代詩手帖の後ろのほうには「詩誌」という見出しのページがあって、そこにたくさんの雑誌のタイトルと住所が載っているのだが、その雑誌と繋がるには、その住所へ、なにをどうすればいいのだ?全然わからない。ただもし詩作をして、自分以外の人にも見てほしいなと思う時が来たら、わたしの好きな詩を書くような友人ができたらいいなと思ったのである。漫画家は漫画家と、小説家は小説家と、シナリオライターはシナリオライターと、詩人は詩人と。友達になってもいいんじゃないかなと思った。というのも私の友人は絵や漫画を描く人のほうが比重としては多いため、詩を書く友人が身近にいない。短歌は赤森さんという、合同誌までだしてくださった盟友がいるけれども、詩。自由詩。しかも私の好きな方向性の詩。を書く人、というのは、どうも二次創作同人仲間のなかからは見つけづらいような気がする。詩情をもって小説を書いているかたは多かりけれど。
そういえば今日はちぎの話になったよ。ちぎ。お嬢さん。ブルーロックは次にくる同人旋風だと疑っていないが、ちぎ、絶対に私は好きだと思う。実際に読んだら全然違うところに行くかもしれないが、とにかくちぎの可愛さが抜きん出ているように感じる。友人はくにちぎだと言っていた。カップリングとかの前に、そもそも話の面白さを楽しまなくてはならないと思うのだが、いろいろな設定を聞いて、ホオ!となったので、読んだらますますちぎに入れ込んでしまいそうだな、と思った。
さて、友人の容態がまた危うい。目を覚ましたからにはこのまま復活一辺倒かと思ったのに、そういうわけにはいかないらしい。ずっと付き添っている友人のご友人の憔悴具合も心配になってくる。どうか、と祈ることしかできないし、いくらでも祈り続けられる。ずっと信じ続ける。そんな終わりではないでしょう。そんな臍を曲げたままの終わりなんて、らしくない。格好悪いです。だから絶対に、目を覚ましてください。聞こえていますか。
2023.2.9
2 notes · View notes
kasumime · 2 years ago
Text
残業帰り、ふらつきながら帰路をたどっていて、友人がほんの一時間前までいた店に寄って、明日大雪なんですかねなんて人との対話で一番してはいけない天気の話を持ち掛けて早々に退散、するも京王線に乗って早く自宅に戻りたいのになぜか遠回り、惣菜で済ませようとターミナル直結の京王ストアへ寄るも時間が時間で目星い品がなく。A5サイズのノートに担当した記事で取り扱われるテーマや、人に対しての出自を学んだ順に書き記して憔悴、線と線をつなぐ作業も楽じゃない ほんとう��これもうそ みんながんばってるし。
6 notes · View notes
getrend · 6 days ago
Text
親は仲の良い夫婦だったが、父の葬式に突然愛人と父にそっくりな子供が現れて修羅場に…
845: 修羅場まとめ速報 2021/10/12(火) 12:11:00.46 ID:EaZoQvid 俺は父50母43の時の子で20歳離れた父の後を継いで会社経営してる兄がいる 大学進学して暫くした頃に父が心不全で他界し、仲の良い夫婦だった母の嘆きようは見ていられなかったが 葬式に当時アラフォーだった兄貴よりも年下ぽい女が小さい子供を連れてやってきた 幼稚園くらいのその男の子を見た瞬間、あたりは固まった 親父生写しかってくらいそっくりだったから その女は案の定親父の愛人で憔悴してる母にあなたの旦那さんとの子ですと 身体が弱い自分は満足に働けず月々のお手当で生活していたので図々しいの承知で今まで通り金をくれと 今まで声一つ荒げたことのなかったおっとりした母が鬼の形相で叫びその女に向い数珠を投げつける…
0 notes
jaguarmen99 · 1 year ago
Quote
32: 名無しさん@恐縮です 2024/01/22(月) 19:04:14.14 ID:l5EEt5OE0 頭の悪い文章読んでるみたいで経緯がよく分からん 69: 名無しさん@恐縮です 2024/01/22(月) 19:09:42.05 ID:gPtN4iMH0 >>32 糞マンコと援助交際のジジイがすし屋で写真や動画をとりまくり ↓ 他の客が大将にやめさせるように求める ↓ 大将がやんわり注意する ↓ ガン無視&不機嫌になりちくちく聞こえるように悪口 ↓ 他の客がキレて客同士で店内で口論に ↓ ここで大将がキレてしまう これが事の顛末なのに脱税売春婦は自分が被害者かのようなポストを投稿し店に行くなと営業妨害 33: 名無しさん@恐縮です 2024/01/22(月) 19:04:17.03 ID:yNO6dV9b0 こういうの見ると一見さんお断りってのも悪くないな。
痛いニュース(ノ∀`) : 【港区女子が騒動】ラウンジ嬢とトラブルの高級寿司店「鮨よし田」大将は憔悴も「弁護士さんと話しています」 - ライブドアブログ
18 notes · View notes
kennak · 20 days ago
Quote
手術やカテーテル治療で失敗を繰り返す外科医の姿をリアルに描き、話題となったマンガ『脳外科医 竹田くん』。その「モデル」とされる医師の松井宏樹被告(46歳)が12月27日、業務上過失傷害の罪で在宅起訴された。 松井被告は、2019年7月から2021年8月まで兵庫県赤穂市にある赤穂市民病院の脳神経外科に勤務し、着任から半年あまりで8件の医療事故に関与。そのうち、脊柱管狭窄症の手術を受け、ドリルに神経を巻き込まれて下半身が不自由になったAさん(女性・当時74歳)とその家族が、松井被告を刑事告訴していた。 「週刊現代」「現代ビジネス」では2024年春以降、松井被告の治療・執刀を受けた患者やその家族、病院関係者への取材を続けてきた。 前編【あの『脳外科医 竹田くん』モデル医師、ついに「実名顔出し報道」へ…!「ドリルで神経を切断された」患者家族が明かす「手術前の異様な言動」】に続いて、事件の詳細を報じる。 刃先に神経が絡みつき… Aさんの手術では松井被告が主に執刀し、ベテランのB医師が助手を務める予定だった。ところが手術が始まったとたん、松井被告は「この手術は初めてなので自信がない」などと言い出した。そのため、2ヵ所あった患部のひとつをまずB医師が執刀して手本を見せ、松井被告に引き継いだという。 それからほどなく、悲劇は起きた。松井被告がドリルで骨を切削していたとき、刃が脊髄の一部を巻き込んでしまったのだ。手術中の記録映像には、刃先に白っぽい神経が絡みつく痛ましいようすが映っていた。 Aさんの娘は本誌の取材に、こう語った。 「手術は昼すぎには終わると聞かされていましたが、ミスの処理のためか、母が病棟へ戻ってきたのは19時半すぎでした。病院側から、何が起きているのか説明は全くありませんでした」 「障害は手術とは関係ない」 手術を終えて出てきた松井被告は憔悴し、Aさんの娘にこう説明した。 「手術中に問題が起こりました。ドリルの先端が硬膜(脊髄を覆う膜)に当たってしまい、神経が飛び出したので、もとに戻したのです。現段階では神経が切れたかどうか、後���障害が残るかどうかわかりません」 手術の後、Aさんは両足に重度の麻痺が残り、自力での排尿・排便も難しくなったほか、断続的に続く神経性の激痛にも苦しめられるようになってしまった。 しかしその後、松井被告はAさんや家族に対して「リハビリをすればよくなる可能性はある」などと説明。その一方で、手術に関する病院内の説明会では「もともとかなり(Aさんの)神経が傷んでいたわけだから、(障害を負ったのは)手術とは関係ない」などと、自身の過失を否定するようなことを口にしていたという。 Aさんとその家族が、松井被告に対して決定的な違和感を抱いたのは、手術から3ヵ月あまりが経った2020年5月初めのことだった。松井被告が「うちの看護師には、面倒な患者(Aさんのこと)の世話をさせて申し訳ないと思っている。早く退院してほしいという気持ちもある」と言い放ったというのだ。 「外科医としてはメスを置いた」 Aさんと家族は、前述のように松井被告を刑事告訴しただけでなく、2021年8月には、松井被告と病院を経営する赤穂市を相手取って約1億1500万円の損害賠償を求める民事訴訟を提起しており、現在も係争中である。 2024年9月4日には、この民事訴訟の証人尋問が神戸地方裁判所姫路支部で行われ、松井被告が出廷した。このとき松井被告は、「B先生から、『何をちんたらやっとんねん、そんなことやってたら日が暮れてまうやろ。スチールバーに変えろ』と言われました」「医師は徒弟制度ですから、逆らうことはできなかった」などと語り、事故の責任は自分ではなくB医師にあると主張した。 さらには「SNS、『脳外科医 竹田くん』というウェブ漫画で風評が起きています。殺人鬼とか、とんでもない医者、などです。『脳外科医 竹田くん』は事実無根です」「脳外科医としては、メスを置いたつもりでいます」とも語っている。 2020年4月に赤穂市民病院がまとめた一連の事故に関する報告書、また地元紙「赤穂民報」などの報道によると、松井被告はAさんを執刀した翌月にも75歳男性の脳腫瘍の手術、84歳女性の脳梗塞のカテーテル治療を担当したが、これらの患者はともに術後に重い脳梗塞や脳出血を起こし、亡くなった。この時点で合計8件もの医療事故に関与していた被告は、病院から「手術・カテーテルなどの侵襲的(患者の体を傷つける)治療の中止」を指示された。 松井被告本人も「上司を訴えた」 松井被告は2021年8月に赤穂市民病院を依願退職し、大阪市の医誠会病院(現・医誠会国際総合病院)に勤務し始めた。しかしそこでも、搬送された当時90歳の新型コロナ患者が透析を受けられず死亡したことに関与したとして、患者の遺族が病院を相手取り、2024年2月に約4960万円の損害賠償を請求する民事訴訟を起こしている。 さらに松井被告自身も、2021年と2023年には、前述した赤穂市民病院の元上司であるB医師から「長時間叱責されるパワハラや、殴られたり、病院の階段から突き落とされたりする暴行を受けた」などとして、B医師を刑事・民事の双方で訴えた(刑事は不起訴)。 その後、松井被告は医誠会病院も退職し、2023年6月から吹田市にある吹田徳洲会病院の救急部門に移り、現在も勤務している。しかし吹田徳洲会病院でも、救急搬送された患者の傷の縫合ミス、症状・病状データの取り違えなどのミスを頻発させたという。 この顛末は2024年5月、「週刊現代」が同病院救急部門スタッフの内部告発にもとづいて詳細に報じている。詳しくは【「指に針を突き刺して…」決死の内部告発!『脳外科医 竹田くん』のモデル医師が吹田徳洲会病院で「デタラメ診療」連発、院内は大混乱】をお読みいただきたい。 なお今回、徳洲会本部の広報担当者は本誌の電話取材に対してこう答えた。 「今後開かれる裁判の推移を注視していきます。現段階では、これ以上のことはお話しできません。(吹田徳洲会病院の)院長は『松井医師を見守り、一人前の医師に育てていく』と言っていて、その言葉を信じていくしかありません。最終的な判断、結論が出た段階で正式にコメントいたします」 医療事故はミスの立証や証拠集め、医学的論証などのハードルが高いことから、民事訴訟においても���告側の勝率はわずか20%前後とされ、また医師が刑事責任を問われるケースも少ない。 松井被告の事件がこうした現状に一石を投じることになるのか、今後の裁判の展開が注目される。
『脳外科医 竹田くん』モデル・松井宏樹医師がついに起訴…報じられなかった「その後の足取り」と、勤め先病院の「驚くべき見解」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
2 notes · View notes
hokorikabi · 23 days ago
Text
振り返り 2024
今年は引っ越しや生活の変化が多かったため、沢山の更新はできませんでしたが、物語が大きく動き出す一歩がありました。
ということで順々に振り返ります。これは作者が書いてる時に考えていることなどを自由に書き散らしたものです。
幕間 いらっしゃ��ませ
とあるコンビニ店員から見た師弟のお話。 人間から見た師匠を描きたくて書いた話です。こういう会話劇で進む文章は結構好きなので書いてて楽しかったです。 コンビニとか行くんか?と疑問に思いましたが、まあ行ってもいいかなって。 何買うんだろ。アイス?アイス買え。 コンビニでバイトしたことないので、店員さんたちの会話は妄想です。意外に反響のあった社畜ピースさんには思わずにっこり。 実際セツならともかく師匠がコンビニに来たら驚きますよね。師匠と呼ばれる職業もありそうであまりなく。見た目は若いので師匠という面でもなく…… 最後、店員の一人が記憶屋の看板を見つけます。その際「記憶いただき〼」の最後の「〼」が読めていません。今の時代、これの読み方を知っている人はどれくらいいるのでしょうか。なかなか出会う機会が減りましたね。 この店員がどうなったのか、それはご想像にお任せします。
幕間 みたり
ある不吉な客の話。
一年前の夏に思いついて、温めていた話でした。たまにこういう暗い澱んだ話を書きたくなるんだ。
みたり という言葉は三人とかいてみたりと読みます。意味はそのまま三人です。このお話の核となるのがこの三人という言葉になります。 記憶屋に来たずぶ濡れの男、男は悪夢に耐えかねてその原因と見られる過去の記憶を消してもらおうと、訪れました。
この際、男の他にずぶ濡れの少女がついてきていますが、前半ではほぼ触れず、最後にセツと師匠のセリフから少女がいたことを決定づけました。セツは途中まで少女が人でないものだと気が付いていなかったため、湯呑みを三つ卓上に置いています。また、「男の客」と呼び分けていたりもしています。 つまり相談用の卓を囲んでいたのは師匠と男、そして少女の三人でした。これが一つ目のみたりです。 次に男は過去の話を語り始めます。ひどく憔悴しており、彼は女の子を救えなかったことを後悔しております。 しかしこれはあくまで主観的な話であり、また男の話はどこかぼんやりとしています。 記憶を食べた師匠とそれを写したセツは、男の記憶から川にいた人間は三人だったことを後に語りました。これが二つ目のみたりです。 川には三人いました。一人が溺れた少女、二人目がたっくんと呼ばれた少女の友人、そしてその様子を影から見ていた客の男です。
男は少女をつけ回す不審者でしたが、当の本人にその自覚はなく、仲の良い少女と紹介します。 男はいつものように少女を見ていました。すると川で遊んでいた二人は溺れて流されてしまいます。男は恐ろしくなり、その場から逃走をしました。 この事実から、男はただの不審者であった、ということがわかりますが、なぜ少女の恨みを買ったのか、という部分についてはセツもわかっていませんでした。 この点に関しては一応���めかす程度でしたが、案外わかりずらかったナト反省してます。以下がその要素です。 ①最後のニュースで少年の遺体と少女のサンダルの片方が見つかっていますが、少女はまだ見つかっていません。 ②にも関わらず男は「彼女は永遠に動かなくなってしまった」と少女の死を確信して後悔をしています。 ③男は目撃したのにも関わらず、情報を提供していません。
ちなみに、「君のサンダル片方、あんなところにあったんだ」という一文が推敲前までは存在していましたが、削りました。 以上が蛇足の解説となります。 師匠は怨念の塊を食べるとお腹を壊すらしいです。かわいそうだね。
本編捨話 うつろいゆきて
久々の本編。というか今年これしか書いてないです。驚愕。 この話は難産でした。構成や四季さんのことはかなり昔から決まってましたが、解決に至るまでの文章が上手く描けず、かなり長い間この話を書いていたような気がします。 けれど、四季さんを出せてよかったです。お気に入り。 四季さんは師匠と性質が最も近い妖であり、不思議な子です。結構皆さんにも可愛がっていただけて嬉しい。 彼女は季節の変わり目にやってくるのですが、春夏秋冬で別の個体なのか、それとも同一個体なのかは明らかになっていません。概念なので個というより群れの存在です。実は同時に春夏秋冬で同時に存在ができます。年末に師匠のお家で四季さんが勝手に遊んでる話とか書きたかったんですよお。間に合わなかったねえ。 彼女と便宜上読んでいますが、そもそも性別とかもないです。師匠のことは可愛がっており、よき弟だとも思っている様子。弟ではないんだけどね。
四季さんのビジュアルは個人的にもとっても気に入っています。脳内イメージでどうにか。 話自体はほっこり話でした。ほっこり話にしつつ、最後に四季さんが爆弾を落として終わり、という何ともな終わり方。 本当に師匠は巫月さんの場所がわかっていたのか、それとも本当に知らなかったのか、それを聞いたセツはどう感じるのか、物語が大きく動きそうなところですね。次回の話はすでに書き始めてますが、これもまた難産の予感。
幕間 瑞咲
ケイケイと文さんのめでたい話。 この話は以前書いた佳宵の対となり、残影とケイケイの違いを楽しめます。 残影は仕事に余裕があり、襖に映る影を妻だと決め、部屋に招き、自分の方へと来させます。対して、ケイケイはお仕事が忙しそうで、襖に映る影については一応糸の可能性も考えつつ、また自分から妻の隣に座ります。 どちらが良い、というわけではなく、時代や考え方の違いが各所に現れているなあと感じていただければ幸いです。 巫月さんは月がモチーフで、文さんは花がモチーフなので、残影とケイケイがそれぞれの奥さんを表現するときは月、または花を用います。私の語彙力がなくて褒め言葉���捻出するのに苦労しています。 残影が気持ち悪いので佳宵は全体的にねっとりしてて本当に気持ち悪くて、あーーー!!!!となるのですが、瑞咲の方はケイケイが気持ち悪くないので、書いてて嫌悪感を抱きませんでした。 二組とも作中ではモノクルの話をしています。残影はこのモノクルを呪いと表現しましたが、ケイケイは呪いとも願いとも決めず、迷っているようです。きっちりと巫月さんの血が入っていて私は嬉しいよ。
そしてめでたいお知らせ。直接的な表現はせず、最後の二文での締めとしました。結構上手くかけて嬉しかったです。 お幸せにね。
以上本年のまとめでした。今年は本編進められなかったので、来年はいっぱい進めたいです。巫月さん関連の件については締められるといいな。どうかな。後ガヤちゃんもまた出てくるよ。
1 note · View note
kotobatoki-arai · 4 months ago
Text
ユートピアを考えていた。
 このなだらかな��ロープをのぼる体はだいぶ軋んでいた。皆が支える滑車は見事に装飾され様々な色合いを纏い蔦をおおく絡めている。そこのミチを抜けると断層にあたるから、低く照らし尽くした桟道はなんぼもなく、曲線に沿って地下を巡ってください。厳粛な門扉は硝子でできており遠くまで見渡せていたが、ちょうど突きあたりの掉尾を飾るからなんてこともない、そこはゆるりとあればいい。  歩みだすときはどうせ坂道を転げるように自由を求める、いつかの雨晴れ。ひときれ振りまく苦笑いに流れるらしい わたしの日常は、腐った美術館だと畫けば、  fragileをのみこんでいった  無意識の傾げ、やわらかく暗がりを抱擁する低い空に神の皓さは具象する、湿っぽい賢者であろうと叩き壊した少々の本音はやはり馨り、あたりいちめんないような感覚と憂いたすべては酔彩、  (溜息、)羽とすれば咲くがいいか。  四六浮き積と漂う媒体、崩してむき出しに沈シンだ柔肌と、ちょうど上澄みの配列をいつかと散り敷かれる、  つまらない祝日がたどたどしく腰をおろして。  どうやら、読みかけの頁 と混じりあい 孤独を拐かしたように感じ、生身の体はまた地に湛む 一夜の姿を見せ/考える/ジオラマだと勝手、わらえばいいけど。しかしだよ。この雨はやまなかったが、あなたはやわらかなかおをして、たまにかがやいてみえる。  繊細は腐静仏と吸い寄せられ  ひとつぶの常ジョウは物換星移  いま暁のことですから  ハンドルNでは風刺画にもなりゃしないが  そうだな これは焼けた砂浜の車をやめて、素足で降り立ち おんなはまた/猥りがましいから胎をさすって。ビーチハットを目深に被り、奥に統べるように干潟を浚い、この瞳もなにもみえやしないが。キャンバス上を、流れてゆく先々を想像したときに。――と、まあそんなしあわせがほしかった。そう、声なき声で。いつかの稚気をそぎおとした某名のひとつとして、  それともなにか適した通勤バスのなかは温室じみて、しばらく床に落ちた水加減が混じり、座席はテンプレートのように日差しが溶け込み、にわかにひっくりかえした特徴は天地に蒼くざわめいた。  決して。軽く蒸れ乾いた沈黙(額縁)を、のそのそと  這い出ると/おお��えで/振り向けば、主張がない/視覚を  片々な素材を塗り重ね、或いは くたくたな結び目の一方に火をいれたばかりのものは、枢ククリ地図を片手に押し開き、この状態を完璧なものだと、一途にあり。こわばる実を幾つか抱いた木々がまたヒトカズに入イる。独自な悪路にさしかかるワダツミの質感までがアサギと可溜り、珠海の鳳獄や銀竜草ユウレイタケと解き、あっちこっちに群生し、おどろくほど弱い罠だとひとつ摘みとり、瞬く間に枯れて、どうせまわりはおだやかに過ぎゆくのですから  もはや風であれ繋がれ、ほつれ目からそれぞれの人相を窺う、あるべきところへ薪は焚べられたのです。  怖気とは苦しみで悲しみで飼い殺した未知不明の蛇行を挟んでここに、種を蒔く。  無遠慮な灌木が芽吹きはじめる。侘しさが降り注ぎ窓に並ぶ。例えるなら眼鏡ごしに平行線の感傷とする。なにを掴み取ればよいのか。なにより御承知のとおり 喜劇覚書など粛々と眠るまえに  ――ここに、延ばして掻きとるだけの今とは、ただただ下る 生活と通過する故に、蝋燭を立てインクを溢すのだから。その質感とあれば消沈の舵は荒廃を取り分け旨は潮流をややこと更け、刻としてうつほと孕む一筋のひかりを掴もうと手を伸ばし、ぬくみだけが輪郭と繊細に沁みて  ……行く先をはじまりとみようが、柔らかな陽が透きとおったリネンのカーテンから現にみちみちて。シンプルないたみばかりが喉元を絞めるから。目覚めているようでどこか夢の最中あり、秒針も忙しない鼓動が重ならずに呼び起こしただけ切り抜きなのです (ひたぶる視覚に沿って包まれていたと、おもわれる、堺はまたどこかで傷付いて、脳裏ではたくさんのオリが生まれては消えていくのだ)  ではやがて十坪に満たない明日になったら、赫々たる尊びも、ね――もう褪せた夏の秘色を解いたばかりの、あれら連中(労働者)はハリツケの丘を一蹴する。タンパク質が絵にかいたようなifの夢 (同時に朝もやと書き置き、手繰り寄せた白湯を啜った)  沖から外を眺め見ることが叶うよう、彫り込まれた深い庇が一夜のように天赦し、ゆるくズレていくと 人生のにぎわいにあたる。のちに複製され、舌の先まで熱い手のひらの流れに、記憶の隅に複雑に追いやられてしまい、なにもないほど、あたりまえになる  このおとこの口から、光沢のある眼球まで感覚を欠けて、斜めから錠を取り付け、(まったく大袈裟な微睡みだと咳き込んでさぁ)  順序よく咀嚼させたものです。  ぬるい愚直なれ、鬱蒼とある なんぼか くねくねと、  まんべんなく虚脱感を肉体に添えるからだと  些細な歴史と覗き込めば銀河の畔もなれはて、一朝の圧倒を縫ってそれほど充てる、澪標の跡は手のひらだけに催涙雨と成す  しかし豊かな光や深い影が情け無いかも知れません。いまやあなたの芝居がかった振る舞いも幅広く、自然という退廃美と永久欠番の黒鍵と奏でる自白なども、いろを混ぜ合わせ、憐れみひとつも感じないから。膿んだほとぼりとはきっと反復する、ほんのつかのまの名画だとして  ではループする7番線の占いは―― 「どうってことねえの。」  ――もしシーラカンスの脊柱は太い中空の管~左右を除する足音が発する。そうしたなかで皆それぞれに閉ざされていて、晴た口吻のまどかに手を付けた展望のあぶき、かろやかに伏し拝みしどき、受け皿を序す貽貝の毒はへばれども堅く。くどくどとそれを憔悴爆撃とすくんでも老いても  あれらはどうであろう《多機能携帯端末と徘徊する》  、と――  並んでいるところに立って おとこは むかっていた、  碑錆びた名残りとある廟のようでも。  天体観望会は、アンタレスだけ満たし、うららかな裏を反して。考える葦であればびくともしない性格で。悠長に眠っているくせに。月蝕のあいだじゅう表情が消える。 (あなたのネグリジェを、黄昏が、さりげなく梳いたという)  にんげんは俯瞰してみれば限りなく小さく、日常の如何にのっぺらとしたことよ。あの手この手も、多少の変化にびくつきながら過ごす、懐かしさもちょっとしたありえない夢も、抄録コラージュしたばかりで  気づけば景観を彫像する箱庭であるのに、ほんのすこしかいま見る窓辺では霧のむこうにある、風景とはひやりとなみだしたり、肖像がほころびたりするけれども、春がまた濡れている  あなただとして 〈枝と花で飾る、ことを。〉  おもいかえしては此等、あるがまま 〝恣意ている〟から ゆらぎ (尾ひれがつく。そう想われるのだ)  すりつぶす星の粒が、ゆがんだ波が寄せては引い��、いつかの桜花を兆すまで闇が浮かび落ちる、わずかな影が同形な足で真直な選を追いたら、すくわれ続ける。うたかたの日は昇り、また沈み、一匹の貧相な観賞魚アナタをおもいえがく  爛れた流星痕とは口遊んだ野火だったから  況して、それからずっとひかりはリビングダイニングに処方箋を継ぎ足す。あなたから仕切られた曲線で、くすんだ指で 蝶尾がそこら中ともしらぬものを仄カタムけ、真っ白に潰されたひかりに値いし、天穹と深海をいずれも結ぼれるように反射した六畳一間に わたしと金魚鉢ひとつ、空蝉と置いてな(筆舌に尽くしがたい) 2024/07/27
0 notes
habuku-kokoro · 4 months ago
Text
ひとり文芸ミュージカル「紫式部ー雲隠れー」を観て ー 
音楽ライター・評論家 林田直樹
まず上演に先立ち、香の文化の研究家の稲坂良比呂と、能の研究家の倉持長子による源氏物語と紫式部、その父藤原為時についての簡潔なレクチャーがあった。
平安時代には独自の香の文化があり、それは空間を変えるものであると同時に、目に見えない美と心の表現を伝えるものであること。源氏物語にもそうした香の文化が反映されていること。
藤原為時は、道長にも認められたほど当代一流の���詩の学者・表現者で書物に埋もれた暮しをしており、娘の紫式部もその恵まれた才を受け継いでいたこと。先に亡くなった紫式部の死を為時がどれほど悲しんでいたかということ。
源氏供養とは、仏教の規範からすると人々の心を惑わす罪深い物語を書いたために地獄に落ちた紫式部を供養しなければならないという中世の文化のひとつであること。能「源氏供養」では、紫は人間ではなく仙女となっており、その魂を呼び戻して人間ならざるものとして天に返すと同時に、愛娘に先立たれた父為時の悲嘆をも供養する物語であること。能舞台とは単なる演劇空間というだけでなく、死者の魂を直視する聖なる空間であること。
そうした知識をわかりやすく伝えてくれたおかげで、その後の本舞台の理解には大いに役立った。
今回注目されたのは、源川瑠々子が紫仙女を、敷丸が紅仙女(後見)を演じる一方で、父為時を観世流シテ方能楽師の山階彌右衛門が特別出演して演じる、異種混合的な舞台になっていたことである。
それは音楽も同じで、神尾憲一の音楽は能の世界観を意識した凝った展開のサウンドが作り込まれており、舞台上に設置されたスピーカーから物語の進行を司るものとして流れてきた。その一方で、伝統的な能には欠かせない邦楽器の演奏は一噌隆之の笛一本のみだが、生音ゆえに強い存在感を示していた。
様式の異なるものが同じ舞台に存在することの面白さは、実は今に始まったことではない。日本の伝統芸能は、揺るぎない根を持っているからこそ、実はどんなエンターテインメントとも響き合うことができる。今回の舞台もそうだった。
能楽師・山階彌右衛門の演技は、長時間静止しているときの姿にこそ心を打つもの���あった。娘を失って憔悴し悲しんでいる様子。娘と再び出会えたときの驚きと喜び、溢れる思い。そういった細やかな感情の変化が、なかなか動かないからこそ滲み出る。たとえば、いつの間にか小刻みに震えている手。わずかな顔の向きの変化。そんな微細な事柄のなかに劇的なダイナミズムがあった。
これほど存在感の強い能の演技に対して、源川瑠々子の紫仙女は、これまでのひとり文芸ミュージカルの舞台で培ってきた経験と自信を支えに、堂々と渡り合っていた。
これまでの役柄もそうだったが、源川瑠々子の役者としての不思議な才能は、どんなに葛藤や悲しみや理不尽さに対するネガティブな感情が内にあったとしても、そういうものをしなやかに受け止めて、ポジティブで善なるエネルギーに変換してしまうところにある。その精神力にはいつも驚かされる。
為時の娘としての人間的な感情を垣間見せていた源川瑠々子の紫仙女に対して、敷丸が演じた紅仙女(後見)は、より客観的な存在として、舞台上の夢の時間を作り出す役割を巧みに受け持っていた。
この舞台を今後神尾憲一がさらにどう成長させていくのかが楽しみである。紫式部の舞台上でも、またピアノを弾いてくれたらとつい想像してしまうのは無いものねだりだろうか?
0 notes