#憔悴しまくり
Explore tagged Tumblr posts
Photo
遠藤一同🍑コミティア【す50b】さんはTwitterを使っています: 「気になる本! 「ものを捨てすぎて後悔する、思い出のものまで捨てて心にぽっかり穴があくなど、過度な捨てるブームのなかで憔悴している人『捨てなければ』『減らさなければ』という切迫感に焦り、できない自分に失望してしまう人のために、捨てない暮らしを提案します」https://t.co/8xulBP5AKq https://t.co/D2syWhF7pY」 / Twitter
95 notes
·
View notes
Text
723:名無し:24/09/11(水) 15:04:25 ID:5M.mb.L1 従姉妹が自殺した。体調不良や免疫疾患、鬱病など色々理由はあったが、 最後に背中を押しちゃったのは間違いなく母親である伯母だろうと親戚中ヒソヒソ言い合っている。
最後のメールのやり取りを見た。 伯母「おはよう!今大丈夫なの?」 従姉妹「もう連絡してこなくていい。楽になる」 伯母「辛いのね、お友達にはきちんと相談した?」 従姉妹「連絡してくるな。私より優れた親と体を持ってる友達に相談?馬鹿にしてるのか」 伯母「お母さんは、これから会社の人とご飯なの!従姉妹ちゃんも今度お友達とご飯に行ってみてね。 ちなみに従姉妹の私ちゃんは、お給料が上がったそうです!」
(母がいらんこと吹き込んでた)
翌朝 伯母「おはよう。昨日はお母さんも楽しめました。従姉妹ちゃんも頑張って頑張って生きましょうね!!」
更に翌朝 伯母「おはよう!今日も頑張りましょう!」
翌朝 伯母「元気なの?今度お父さんとそちらへ行きますから、きちんと掃除しておくこと!大人としての基本ですよ!」 (既読がついたのがこのメールが最後。恐らくこの日に亡くなっている。従姉妹は返信なし)
1週間後 伯母「明日お父さんとそちらへ行きます!会えるのが楽しみです」(この日に遺体が発見された。第一発見者は伯母夫婦)
これだけだと分かりづらいと思うけど、従姉妹が免疫疾患になった時に絶対病院には行かせなかった伯母夫婦のせいで、 かなり症状が悪化してたんだよね。 それなのに「お友達に相談したのか」という発想が出てくる時点でまともじゃない。 返信もないのに「今からそっちへ行く」と勝手に決めるのもおかしい。
伯母夫婦は25歳の従姉妹を亡く��て泣き叫んで憔悴してたけど、「あの夫婦に産まれたんじゃ死にたくもなるわね」 と私の両親は話してた。
従姉妹と私は同い年。苦しんだ分、もう楽になってくれてたらいいな…と思う。
726:名無し:24/09/11(水) 17:34:53 ID:5M.mb.L1 >>723 ちょっと間違えてた 1週間後のメールの翌日に伯母夫婦が従姉妹の家を訪問して従姉妹の遺体が発見されてます。 練炭で亡くなってたらしいので楽に死んだと思いたい。 伯母、空気読めない人だったなあ。親戚の葬式でも、「交通費、従姉妹ちゃんが出してくれるよね?」とか 「今日はお母さんの誕生日なんだけど、従姉妹ちゃんは何かお祝いしてくれないの?」とか色々言っても従姉妹は無視してた。 旦那さんの方はニコニコ黙って見ていた。
母からの話聞いた感じだと、伯母の旦那さんは今で言う「頭の足りない女の子の王子様になりたがりな理解ある系男性」 だったらしい。あの両親じゃ苦労しただろう。
724:↓名無し:24/09/11(水) 15:14:01 ID:TF.n4.L1 >>723 最後に背中を…じゃなくて幼い頃からストレスをかけ、免疫を低下させ続けて病気にしたのは 天然悪魔の従姉妹母だと思ってしまう 常に口からポイズンナイフを飛ばすサイコパスモンスターを想像したわ
5 notes
·
View notes
Quote
旧ジャニーズ事務所の創業者ジャニー喜多川氏による性加害問題で、被害告発後にSNSなどで 誹謗���ぼう 中傷を受け、昨年10月に亡くなった男性(40歳代)の妻(同)が、読売新聞の取材に応じた。誹謗中傷は男性の死後も続き、その矛先は妻ら遺族にも向いている。「夫を亡くしてもなお、なぜこんなに苦しまないといけないのか」と訴える。(鈴木彪将) ジャニーズ被害を告発し山中で死亡、中傷の矛先は遺族に…SNSでは「野垂れ死んでいい気味だわ」 「どうすればよかったんだろう」。男性が亡くなってから8か月。妻は家族の死を止められなかった後悔と、終わりが見えない誹謗中傷に 憔悴しょうすい している。 男性は大阪市在住で、旧ジャニーズ事務所の元所属タレントらでつくる「ジャニーズ性加害問題当事者の会」に所属。昨年10月、大阪府箕面市の山中で死亡しているのが見つかった。府警は自殺とみている。 妻によると、誹謗中傷が始まったのは昨年9月、男性が一部メディアで被害を告発したことが始まりだった。すぐにSNSやネット掲示板で「ウソはすぐバレる」「金が欲しいんだろう」といった投稿が広がった。男性や家族の個人情報や、殺害予告ともとれる書き込みもあった��いう。 顔がわからない相手からの攻撃に、男性も妻も疲弊した���男性は亡くなる3日前、車を運転中、妻に「多少の誹謗中傷が来ることはわかっていたけど、家族のことまで……」と漏らしたことがあった。死後に見つかった遺書には「自分という存在は邪魔でしかない」との趣旨の内容が書かれていたという。 男性は亡くなった日もいつも通り仕事に出て、先の仕事の予定も決まっていた。妻は、死を考えるまで追い詰められていることに気づかなかった。「決心が揺らぐと思ったのかな。何とかして救ってあげられなかったのかな」。妻はそう悔やみ、「死ぬことで、中傷を終わらせようとしたのかもしれない」と話す。 しかし、匿名の攻撃は収まらなかった。 男性の死亡が報じられると、SNSで「野垂れ死んでいい気味だわ」といった書き込みが拡散。「(男性が)被害者ぶっているのは家族がやらせた」などと家族への中傷も始まった。 見ないようにしても、友人から情報が入る。これまで弁護士などに相談し、一部の個人名が書かれた投稿は削除された。それでも投稿は収まらず、警察にも相談している。 今回取材に応じたのは、誹謗中傷を受ける遺族の気持ちを知ってほしいとの思いからだ。「もし投稿者と裁判をして勝ったとしても、投稿をすべて消すことはできないでしょう。根拠がない投稿でも、見た人は信じるかもしれない。いつか子どもが成長した時、目に触れたり、友達に何か言われたりするのが怖い。これからも私たちは生きていかないといけない」と話し、投稿の削除を強く訴える。
ジャニーズ被害を告発し山中で死亡、中傷の矛先は遺族に…SNSでは「野垂れ死んでいい気味だわ」 | ヨミドクター(読売新聞)
3 notes
·
View notes
Text
2024年8月26日(月)
三重県紀北町・奥川ファームから隔週に届く定期便、一日遅れでやって来た。水不足で野菜が枯れてしまったとのこと、自然相手の無農薬栽培、農家の厳しい現実を���有しよう。その代わり、手作りパンが一杯。そして何より、米の袋にはさりげなく<新米>のシールが貼ってあるではないか! これは何よりのご馳走、奥川さん、いつもありがとうございます。
4時30分、起床。
日誌書く。
体重測定、550g増。
5時45分、ツレアイ起床。
洗濯機回す。
奥川ファームの蕎麦がなくなったので、久しぶりに煮麺をいただく。
洗濯物を干す。
珈琲を淹れる。
彼女と三男の弁当を用意する。
一人で出勤、いつものMK石油で給油する(@172*35=¥6,020)。
順調に到着。
換気、ラジオ体操第一、お茶。
<まいどおおきに露の新治です>にアクセス、一発でキリ番ゲット、早速管理人にメールを送る。
台風情報をチェック、速度が遅くて影響が長引きそう、27(火)28(水)は在宅ワーク、29(木)30(金)は有休申請、29(木)の予定はキャンセルの連絡をする。
執筆用の資料を忘れてきたために、別の資料の読み込み作業。
昼になってラジオ体操第二。
買い物に行きたいので早めに退出する。
帰路はエアコン全開、燃費が悪い。
<セントラルスクエア花屋町店>まで買物、彼女に頼まれたのは本日安売りの厚切り豚ロース、手羽中と塩鮭が20%引きだったので購入する。
<セブンイレブン花屋町店>で、50円引きクーポン使って黒ラベルロング缶を購入する。
豚ロースを昆布締めにする。
彼女は午前中に訪問1件、午後は<ひとまち交流館>でテディベア作り、M姉・O姉も一緒に。
これから帰るとの連絡を受けてから私は夕飯準備、手羽中の唐揚げを作る。
息子たちにはスパークリングワイン、私たちは賀茂鶴+🍷。
録画番組視聴、名探偵ポワロ。
第4話「満潮に乗って」/ Taken at the Floodシーズン 10, エピソード 4 世界的富豪ゴードン・クロードの別荘でガス爆発事故が発生。ゴードン本人は死亡し、ゴードンの新妻ロザリーンと、その兄デビッドは奇跡的に一命を取り留め る。それから2年が経ち、ロザリーンとデビッドの厳しい遺産管理により、クロード一族は苦しい生活を強いられていた。そんな一族にとってロザリーンは邪魔 者。一族の反感の矢面に立たされたロザリーンは、日に日に憔悴の度を深めていく。
朝が早いので睡魔到来も早く、風呂に入らずにダウン。
ムーブが届かずに3つのリング完成せず。
4 notes
·
View notes
Text
明日から沢山野外フェスというモノに出させてもらう ひと足先に夏がやってくるらしく 流石の俺も日焼け止めを買った 6月で真っ黒とか いくらなんでも夏男にも程があるって そもそも11月生まれだし 俺は夏に憧れてるだけの分際
この夏の皮切りはフリーダム名古屋
19歳の時ボランティアスタッフをやった そこから幾度となく憧れ続けてきたし あの売れっ子バンドに 楽屋はどこですか?と聞かれた時 俺恥ずかしくて悔しくて バンドやってるんですなんて言えなかった 今なら自信持って言える
24歳の夏 一緒に住んでいた母方の祖父が亡くなった 俺が大企業やめてバンドをやるって伝えた時 何も言わず黙って聞いてくれた CDをこっそり買ってくれた 親戚中に自慢してくれた
本当に時に父のような祖父だった お通夜はフリーダム2022の日 俺はライブハウスステージで神戸太陽と虎に出る予定だった 行く気はなかった
憔悴しきった家族は おじいちゃんなら行けと言う 絶対に待ってる人のため お前の未来のためにライブしてこいと言って送り出してくれた
その日に携わるすべての人が計らってくれて 俺はライブ後新幹線に乗って通夜に向かった
涙が溢れる中書いた文章 する必要のなかったツイート でも忘れたくなくて 俺もじいちゃんも繋がってた証を残したくて あの時に涙を堪えて綴った文字がFREEDOM2024に繋がった
去年立たせてもらったスカイエキスポ でも俺の本命は 大高緑地だ 今年やっと巡ってきた
じいちゃん、俺FREEDOMで大高緑地に立つよ
朝早いけど そっちの世界で少し早起きして
俺のライブ見といてね あの時繋いでくれた時間が 今の俺の全てだ 自慢させてくれ
皆には関係のないこと でもみんなのおかげで繋がったこと 明日は楽しもうな
3 notes
·
View notes
Text
パレスチナ赤新月社の職員、サミーを覚えていますか?イスラエルが「安全回廊」だという道を渡るのを怖がった女の子を慰めようとした彼です。 占領軍は彼にこんなことをしました。 #ガザ投稿翻訳 動画:女の子を慰めるサミーさんが写り、その後、イスラエル軍に襲われた救急車の車内で憔悴した姿が写ります。 画像:目元に隈をつくり、疲弊した様子のサミーさん。 女の子を慰めているサミーさんの動画: https://x.com/atsyjp/status/1755565365764210856?s=20
2 notes
·
View notes
Text
小町数人説をめぐって
陽明文庫に中世の小町の絵がある。絹本着色、縦六一・六センチ、横四一・七センチの絵を表装し��あるのだが、軸心近くの裏面に「小野小町像 貞治六秊六月廿五日」と、まさしくその頃この筆跡にて記されたものが付加されている。表装そのものもそんなに新しいものでないが、表装するにあたって、この絵に本来ついていた紙をここに付加したものであろうことは、その字がまさしく貞治頃〈一三六二〜一三六七〉この事跡であることが疑いもないからであろう。
ところで、この絵は「小野小町像」となっているが、まさしく「玉造小町子壮衰書」によっている。「容貌ハ憔悴シテ、身体ハ疲痩」、「頭ハ霜フリタル蓬ノ如ク、膚ハ凍リタル梨ニモ似タリ」、「骨ハ辣チテ筋ハ抗クナリ、面ハ黒クシテ歯ハ黄バミタリ」、「裸形ニシテ衣ナク、徒跣ニㇱテ履ナシ」、「左臂ニハ破レタル筐ヲ懸ケ、右手ニハ壊レタル笠ヲ提ツ」、「頸ニハーツノ囊ヲ係ケ、背ニハーツノ袋ヲ負ヘリ」、「肩ノ破レタル衣ハ胸ニ懸カリ、頸ノ壌レタル蓑ハ腰に纏ヘリ」とある「壮衰書」の序文をのものである。ここでもまた小野小町と玉造小町を同人物とする中世の理解が確認されるのである。
先にあげた「無名抄」の文〔五〇頁参照〕の続きに「玉造の小町と小野小町と同人かあらぬ者から、人々おぼつかなきことに申して争ひはべりし時...」とあって別人説もあったことは確かだが、その多くは前述の「玉造小町子壮衰書」の弘法大師著作説を土台にしての疑問であり、中世の大勢は、あくまで両者を同じものと見、「玉造小町子壮衰書」を小野小町の事蹟を語るものと見ていたことは疑いもないのである。
近世に入っても、この傾向は変わらなかった。貞徳の「徒然草慰草」などその顕著な例だが、中期以後の随筆の類を見ても、たとえば天野信景の「塩尻」〈『随筆大成』等〉、志賀忍〈天保十一年、七九歳没〉の「理斉随筆」などは、小野小町と玉造小町を同一人と考えている。
ところが、小町という名は、実は普通名詞であって、〇〇小町と呼ばれる女性はまことに数多くいたのだ、玉造小町と小野小町もとうぜん別人だという、いわば画期的な説が新井白雅の「牛馬問」「〈温知義書〉」に提示され、人々を驚かせたのである。
古代には一国より一人づつ采󠄃女を内裏へ献ぜしこと也。既に仁明帝の前後には、小町とて召されたるもの六十余人ありしとなり。こ��采󠄃女を后町のうちにをらしめたまふ。故にみなみな小町と呼ばれたるなり。その人々の宮仕へをやめて古郷に帰り身まかりたる墓を、おほか「た小町塚とよびしとなん。さてこそ、国々に小町塚といふもの多し。美濃・尾張の間にさへ二三所あり。
しかるを、なべての小町を一人と思ふよりまぎれたる説多し。たとへば実方朝臣、陸奥へ下向の時、髑髏の目穴より薄の生ひ出て、「秋風の吹くにつけてもあなめ〱」の歌の小町は小野正澄が娘の小野小町なり。文屋康秀が三河掾となりて下りし時、「身をうき草の根をたえて」さそふ水あらば」とよみしは高雄国分が娘の小町なり。「おもひつつぬればや人の見えつらむ」の歌、又業平の「舞の袖」などいひしは出羽郡司小町良実が娘なり。高野大師のあひたまふ、壮なる時憍慢最も甚だし、衰ふる日愁歎猶深しと答へしは常陸の国玉造義景が娘の小町なり。かく一人ならず。故に時代其外異なる事あるのみ。中にも良実が娘の小町は美人にて和歌にもすぐれたれば、独り名高く、すべて一人のやうに伝へ来たるのみ。
まず、小町を采󠄃女をし、采󠄃女のすべてに「町」をつけてよんだといっているが、平安時代の文献にあらわれる采󠄃女は、たとえば「近江の采󠄃女」〈拾遺集〉「明日香の采󠄃女」〈大和物語〉などのごとく、国名を冠して呼ぶのが普通である上に、文献にあらわれる「町」のつく女性は前述のように后町にいる更衣であって采󠄃女ではない。小町采󠄃女説自体が出羽都司良実の娘という伝承をもとにして出来たものであり、出羽国から采󠄃女をさしだすことはなかった〈「続日本紀」「類聚三代格」〉という事実を持ち出すまでもなく、この日雅の説には従えないのである。地方に数多い小町塚の合理的説明としても弱いものである。
ところで、この白雅の説、後半になると、その多数の小町が四人にしぼられて来る。架空の人物である小野正澄とか高雄国分とか玉造義景などの名をどこから持ち出して来たのか不明だが、既に伝説化説話化している小町像のすべてを事実と認定する立場からの合理的整理であって、まったく意味をなさぬものとしか言いようはないのである。
伝承る整理しながら、また新しい伝承を生んでいる感じの「牛馬問」の説であるが、その合理的整理法に人気があったのか。それに賛同して引用している随筆が実ははなはだ多いのである。神沢貞幹の「翁草」〈『随筆大成』第三期所収〉、城戸千楯の「紙魚室雑記」〈『随筆大成』第一期所収〉、石川宣続の「卯花園漫録」〈『新���石十種』第三所収〉、山本信有の「孝経楼漫筆」〈『随筆大成』第三期所収」、滝沢馬琴・屋代弘賢らの「兎園小説」〈『百家説林』所収〉など、いずれもこれに全面的な賛同を示しているのである。
小町に限らず、伝説的人物は、その伝説化の過程において、事蹟が膨脹し、それを全体的に把握するとなると、そこに新しい矛盾が出てくることが多い。これを予盾なく合理的に統一しようとすると、いわば原生動物の体のように多方面に膨脹したものを分割するほかはなくなる。
たとえば柿本人麿の場合にしても、「万葉集」の記述を信するかぎり人麿は持統朝から文武朝にかけて活躍した歌人であるとするほかはない。だが一方、「万葉集」が引用する「柿本人麿歌集」にはそれよりもかなり後の歌もある。「人麿歌集」に後代の歌が入っているというのは今日の学者の常識だが、人間歌集なのだからすべてが人麿の歌だという立場に立てば、「万葉集」の人麿にして、既に最低二人いたことになる。次に「古今集」の仮名序を見ると、、「おほきみつの位(正三位)柿本人麿」を「ならの御時」の歌人としている。現在では、これを「奈良時代」と解し、しかも人麿が活躍した飛鳥時代は奈良時代に接していたからこのように書いたと説明している。だが、そこに都があった「時代」と解するのはどうか。平安時代において「御時」とは天皇の治世、すなわと御宇のことであり、「ならの御時」は平城の帝の御時の意にほかならないからである。事実、この仮名序に対応する真名序(漢文の序)には「平城天子」とはっきり書かれている。「古今集」より五十年ほど後に出来た「大和物語」にも人麿が平城天皇に仕えていたとある。平城天皇は平安時代第二の天皇だから「万葉集」の人麿とは違う。これ第三の人麿ということになる。ところ、で、「古今集」から百年ほど後の第三の勅撰歌集「拾遺集」を見ると、人麿が渡唐してよんだという歌が二首見える。これ、第四の人麿である。
人麿を一人ではなく四人とすると、その間の矛盾はなくなる。しかし矛盾がなくなったところでどうなるというのだ。私が問題にしたいのはそんなことではない。実在の人麿が、その死後、奈良時代・平安時代にどのように伝説化されていったか、別のことはで言えば、後の人々の心の中に人麿がどのように生き続けて来たか、私はそれを問題にしたいのである。
小町の場合も同じである。江戸時代の学者のように小町を四人にしたり、現代の民俗学系の国文学者のように、小町と称する女が無数にいたとか、小町を名のる遊行婦女・あるき巫女・歌比丘尼のたぐいが諸国をめぐり歩いていたと言い切ることによって事足れりとし、文献に残った小町の文学と伝承について深く考えようともしないのは学問の堕落、ある意味では頽廃という評語が適切でさえ��る。仮に彼らの言うようなことがあったとしても、せいぜい中世の後期のことであり、「小野小町の歴史」ほ既に平安時代中期以前から始まり、中世、近世と続いていたのである。小町が、その死後も、後代の人々の心の中にどのように生き続け、どのように変容していったか、あるいはまた、時を経て変容しながらその底に変えずに生き続けてゆく、いわゆる小町的なもの、それはいったい何かということの追跡にこそ、私は意味を認めたいのである。世に虚と言い実と言う。しかし、このように見れば、人々の心の中に生き続けていたものはすべてが実だと言うほかはないのである。
以下の章において次第に明らかにしてゆくことであるが、小野小町の説明化は、彼女の死後間もない頃から既に始まっていたのである。そして十世紀の末頃には、我々が知っている小町説話、たとえば(1)雨乞説話(2)好色説話(3)男性を拒否する驕慢説話(4)衰老説話 等、そのおおむねが既に出来るがっていたはずである。だから、そのような流れの中に「玉造小町子壮衰書」を置くならば、「小町老いて後、おとろへさらぼりたりなど云ふめるは、玉造小町の事なるを混じていへるなり」〈本居内遠「小野小町の考」〉というような見方が必ずしもあたらぬことを知るのである。小町衰老落魄の説話が「壮衰書」の影響で出来上がったというよりも、既に世に行なわれていた小町落魄説話の仏教的結実として壮衰書を考えるべきではないか。「玉造」の由来を明らかに出来ぬことは残念であるが、ともかくも「小町」と表題にあるだけで人々が説明を求めないような人物の伝でなければならないこと、しかもそれが「花ノ時ヲ待チテハ玉筆ヲ秉リテ紅桜紫藤ノ和歌ヲ詠ズル」美女の伝でなければならないことなどを併せ考えれば、平安末期から中世にかけての人々の大勢的理解がそうであったように、これをも小野小町のこととするのが、最も素直な、そんなして最も妥当な理解だと思うのだが、いかがであろうか。
5 notes
·
View notes
Text
ベッターに上げていた新十傑爆轟を加筆修正してpixivにアップしました。
「やがて風光る」
加筆修正のために改めて読み返して、私の性癖一直線って感じの話だなあと思いました🤗
この話の二人は子作りしても、長年まじないに晒されてた轟くんの体がもう妊娠出産に耐えられなくなってて流産か死産を繰り返すんだと思います。
轟くんはかっちゃんに「ごめんな、また赤ちゃん産めなくてごめんな」って謝るし、目の前で殺された赤ちゃんを夢に見て毎晩うなされるんだろうな。かっちゃんは「ガキなんて要らねえよ」って言ってくれるけど、轟くんが気にしてどんどん憔悴していきそう。可愛いねえ☺️
5 notes
·
View notes
Text
変換器
に、なればいいのかなとおもう。現代詩手帖2022.10月号をほぼ読み切る。松下育男『詩の教室』、今日は読んでいないけれども、読み進めている。気軽に詩を…いや、気軽にではないが、自分の好きに、詩だと思うものを書いていいらしい。そしてそれを誰にも見せなくていいらしい。それならば。ならば、私も詩を描こう、と思った。タリーズで書いた詩のようなものは、ノートに書いて、「これは誰にも見せなくていい」と思ったのだが、結局現代詩フォーラムに投稿してしまった。松下育男さんが、「日記ではなく、詩」(日記と区別できるものは詩である)と書いていたのに、まんま日記みたいなものをネットに投げてしまった。じゃあこれを、私は詩に変換すればいいのではないか?と、今日現代詩手帖10月号の、抒情にかんする連載(豊崎由美さんと、ええと…誰だっけ、詩人の方)の最終回を読み終えて、まさに抒情、私は日記のようなあの詩(と自分では思った)を抒情というあのオーロラに光る透明な紙(フィ…フィなんとか、名称を忘れた。パラフィン?)を通して、きちんと「詩」にすれば、日記と遠くなるのではないか、と考えた。残念ながら力尽きてその作業までは行けなかったが、まあ明日。私自身がその、あのオーロラ色の透明な紙になって、つまり変換器になるしかないんじゃないか。私の中には無駄と思えるほど多くの文字やその組み合わせが入っているはずなので。それにしても、現代詩手帖の投稿欄に乗っている詩がどれもすばらしいなと感じた(好き嫌いはあれど)。みなさん、こういうところに投稿するかたは、同人誌に参加されていたりするのだろうか。現代詩手帖の後ろのほうには「詩誌」という見出しのページがあって、そこにたくさんの雑誌のタイトルと住所が載っているのだが、その雑誌と繋がるには、その住所へ、なにをどうすればいいのだ?全然わからない。ただもし詩作をして、自分以外の人にも見てほしいなと思う時が来たら、わたしの好きな詩を書くような友人ができたらいいなと思ったのである。漫画家は漫画家と、小説家は小説家と、シナリオライターはシナリオライターと、詩人は詩人と。友達になってもいいんじゃないかなと思った。というのも私の友人は絵や漫画を描く人のほうが比重としては多いため、詩を書く友人が身近にいない。短歌は赤森さんという、合同誌までだしてくださった盟友がいるけれども、詩。自由詩。しかも私の好きな方向性の詩。を書く人、というのは、どうも二次創作同人仲間のなかからは見つけづらいような気がする。詩情をもって小説を書いているかたは多かりけれど。
そういえば今日はちぎの話になったよ。ちぎ。お嬢さん。ブルーロックは次にくる同人旋風だと疑っていないが、ちぎ、絶対に私は好きだと思う。実際に読んだら全然違うところに行くかもしれないが、とにかくちぎの可愛さが抜きん出ているように感じる。友人はくにちぎだと言っていた。カップリングとかの前に、そもそも話の面白さを楽しまなくてはならないと思うのだが、いろいろな設定を聞いて、ホオ!となったので、読んだらますますちぎに入れ込んでしまいそうだな、と思った。
さて、友人の容態がまた危うい。目を覚ましたからにはこのまま復活一辺倒かと思ったのに、そういうわけにはいかないらしい。ずっと付き添っている友人のご友人の憔悴具合も心配になってくる。どうか、と祈ることしかできないし、いくらでも祈り続けられる。ずっと信じ続ける。そんな終わりではないでしょう。そんな臍を曲げたままの終わりなんて、らしくない。格好悪いです。だから絶対に、目を覚ましてください。聞こえていますか。
2023.2.9
2 notes
·
View notes
Text
残業帰り、ふらつきながら帰路をたどっていて、友人がほんの一時間前までいた店に寄って、明日大雪なんですかねなんて人との対話で一番してはいけない天気の話を持ち掛けて早々に退散、するも京王線に乗って早く自宅に戻りたいのになぜか遠回り、惣菜で済ませようとターミナル直結の京王ストアへ寄るも時間が時間で目星い品がなく。A5サイズのノートに担当した記事で取り扱われるテーマや、人に対しての出自を学んだ順に書き記して憔悴、線と線をつなぐ作業も楽じゃない ほんとうはこれもうそ みんな��んばってるし。
6 notes
·
View notes
Text
ユートピアを考えていた。
このなだらかなスロープをのぼる体はだいぶ軋んでいた。皆が支える滑車は見事に装飾され様々な色合いを纏い蔦をおおく絡めている。そこのミチを抜けると断層にあたるから、低く照らし尽くした桟道はなんぼもなく、曲線に沿って地下を巡ってください。厳粛な門扉は硝子でできており遠くまで見渡せていたが、ちょうど突きあたりの掉尾を飾るからなんてこともない、そこはゆるりとあればいい。 歩みだすときはどうせ坂道を転げるように自由を求める、いつかの雨晴れ。ひときれ振りまく苦笑いに流れるらしい わたしの日常は、腐った美術館だと畫けば、 fragileをのみこんでいった 無意識の傾げ、やわらかく暗がりを抱擁する低い空に神の皓さは具象する、湿っぽい賢者であろうと叩き壊した少々の本音はやはり馨り、あたりいちめんないような感覚と憂いたすべては酔彩、 (溜息、)羽とすれば咲くがいいか。 四六浮き積と漂う媒体、崩してむき出しに沈シンだ柔肌と、ちょうど上澄みの配列をいつかと散り敷かれる、 つまらない祝日がたどたどしく腰をおろして。 どうやら、読みかけの頁 と混じりあい 孤独を拐かしたように感じ、生身の体はまた地に湛む 一夜の姿を見せ/考える/ジオラマだと勝手、わらえばいいけど。しかしだよ。この雨はやまなかったが、あなたはやわらかなかおをして、たまにかがやいてみえる。 繊細は腐静仏と吸い寄せられ ひとつぶの常ジョウは物換星移 いま暁のことですから ハンドルNでは風刺画にもなりゃしないが そうだな これは焼けた砂浜の車をやめて、素足で降り立ち おんなはまた/猥りがましいから胎をさすって。ビーチハットを目深に被り、奥に統べるように干潟を浚い、この瞳もなにもみえやしないが。キャンバス上を、流れてゆく先々を想像したときに。――と、まあそんなしあわせがほしかった。そう、声なき声で。いつかの稚気をそぎおとした某名のひとつとして、 それともなにか適した通勤バスのなかは温室じみて、しばらく床に落ちた水加減が混じり、座席はテンプレートのように日差しが溶け込み、にわかにひっくりかえした特徴は天地に蒼くざわめいた。 決して。軽く蒸れ乾いた沈黙(額縁)を、のそのそと 這い出ると/おおごえで/振り向けば、主張がない/視覚を 片々な素材を塗り重ね、或いは くたくたな結び目の一方に火をいれたばかりのものは、枢ククリ地図を片手に押し開き、この状態を完璧なものだと、一途にあり。こわばる実を幾つか抱いた木々がまたヒトカズに入イる。独自な悪路にさしかかるワダツミの質感までがアサギと可溜り、珠海の鳳獄や銀竜草ユウレイタケと解き、あっちこっちに群生し、おどろくほど弱い罠だとひとつ摘みとり、瞬く間に枯れて、どうせまわりはおだやかに過ぎゆくのですから もはや風であれ繋がれ、ほつれ目からそれぞれの人相を窺う、あるべきところへ薪は焚べられたのです。 怖気とは苦しみで悲しみで飼い殺した未知不明の蛇行を挟んでここに、種を蒔く。 無遠慮な灌木が芽吹きはじめる。侘しさが降り注ぎ窓に並ぶ。例えるなら眼鏡ごしに平行線の感傷とする。なにを掴み取ればよいのか。なにより御承知のとおり 喜劇覚書など粛々と眠るまえに ――ここに、延ばして掻きとるだけの今とは、ただただ下る 生活と通過する故に、蝋燭を立てインクを溢すのだから。その質感とあれば消沈の舵は荒廃を取り分け旨は潮流をややこと更け、刻としてうつほと孕む一筋のひかりを掴もうと手を伸ばし、ぬくみだけが輪郭と繊細に沁みて ……行く先をはじまりとみようが、柔らかな陽が透きとおったリネンのカーテンから現にみちみちて。シンプルないたみばかりが喉元を絞めるから。目覚めているようでどこか夢の最中あり、秒針も忙しない鼓動が重ならずに呼び起こしただけ切り抜きなのです (ひたぶる視覚に沿って包まれていたと、おもわれる、堺はまたどこかで傷付いて、脳裏ではたくさんのオリが生まれては消えていくのだ) ではやがて十坪に満たない明日になったら、赫々たる尊びも、ね――もう褪せた夏の秘色を解いたばかりの、あれら連中(労働者)はハリツケの丘を一蹴する。タンパク質が絵にかいたようなifの夢 (同時に朝もやと書き置き、手繰り寄せた白湯を啜った) 沖から外を眺め見ることが叶うよう、彫り込まれた深い庇が一夜のように天赦し、ゆるくズレていくと 人生のにぎわいにあたる。のちに複製され、舌の先まで熱い手のひらの流れに、記憶の隅に複雑に追いやられてしまい、なにもないほど、あたりまえになる このおとこの口から、光沢のある眼球まで感覚を欠けて、斜めから錠を取り付け、(まったく大袈裟な微睡みだと咳き込んでさぁ) 順序よく咀嚼させたものです。 ぬるい愚直なれ、鬱蒼とある なんぼか くねくねと、 まんべんなく虚脱感を肉体に添えるからだと 些細な歴史と覗き込めば銀河の畔もなれはて、一朝の圧倒を縫ってそれほど充てる、澪標の跡は手のひらだけに催涙雨と成す しかし豊かな光や深い影が情け無いかも知れません。いまやあなたの芝居がかった振る舞いも幅広く、自然という退廃美と永久欠番の黒鍵と奏でる自白なども、いろを混ぜ合わせ、憐れみひとつも感じないから。膿んだほとぼりとはきっと反復する、ほんのつかのまの名画だとして ではループする7番線の占いは―― 「どうってことねえの。」 ――もしシーラカンスの脊柱は太い中空の管~左右を除する足音が発する。そうしたなかで皆それぞれに閉ざされていて、晴た口吻のまどかに手を付けた展望のあぶき、かろやかに伏し拝みしどき、受け皿を序す貽貝の毒はへばれども堅く。くどくどとそれを憔悴爆撃とすくんでも老いても あれらはどうであろう《多機能携帯端末と徘徊する》 、と―― 並んでいるところに立って おとこは むかっていた、 碑錆びた名残りとある廟のようでも。 天体観望会は、アンタレスだけ満たし、うららかな裏を反して。考える葦であればびくともしない性格で。悠長に眠っているくせに。月蝕のあいだじゅう表情が消える。 (あなたのネグリジェを、黄昏が、さりげなく梳いたという) にんげんは俯瞰してみれば限りなく小さく、日常の如何にのっぺらとしたことよ。あの手この手も、多少の変化にびくつきながら過ごす、懐かしさもちょっとしたありえない夢も、抄録コラージュしたばかりで 気づけば景観を彫像する箱庭であるのに、ほんのすこしかいま見る窓辺では霧のむこうにある、風景とはひやりとなみだしたり、肖像がほころびたりするけれども、春がまた濡れている あなただとして 〈枝と花で飾る、ことを。〉 おもいかえしては此等、あるがまま 〝恣意ている〟から ゆらぎ (尾ひれがつく。そう想われるのだ) すりつぶす星の粒が、ゆがんだ波が寄せては引いて、いつかの桜花を兆すまで闇が浮かび落ちる、わずかな影が同形な足で真直な選を追いたら、すくわれ続ける。うたかたの日は昇り、また沈み、一匹の貧相な観賞魚アナタをおもいえがく 爛れた流星痕とは口遊んだ野火だったから 況して、それからずっとひかりはリビングダイニングに処方箋を継ぎ足す。あなたから仕切られた曲線で、くすんだ指で 蝶尾がそこら中ともしらぬものを仄カタムけ、真っ白に潰されたひかりに値いし、天穹と深海をいずれも結ぼれるように反射し���六畳一間に わたしと金魚鉢ひとつ、空蝉と置いてな(筆舌に尽くしがたい) 2024/07/27
0 notes
Text
ひとり文芸ミュージカル「紫式部ー雲隠れー」を観て ー
音楽ライター・評論家 林田直樹
まず上演に先立ち、香の文化の研究家の稲坂良比呂と、能の研究家の倉持長子による源氏物語と紫式部、その父藤原為時についての簡潔なレクチャーがあった。
平安時代には独自の香の文化があり、それは空間を変えるものであると同時に、目に見えない美と心の表現を伝えるものであること。源氏物語にもそうした香の文化が反映されていること。
藤原為時は、道長にも認められたほど当代一流の漢詩の学者・表現者で書物に埋もれた暮しをしており、娘の紫式部もその恵まれた才を受け継いでいたこと。先に亡くなった紫式部の死を為時がどれほど悲しんでいたかということ。
源氏供養とは、仏教の規範からすると人々の心を惑わす罪深い物語を書いたために地獄に落ちた紫式部を供養しなければならないという中世の文化のひとつであること。能「源氏供養」では、紫は人間ではなく仙女となっており、その魂を呼び戻して人間ならざるものとして天に返すと同時に、愛娘に先立たれた父為時の悲嘆をも供養する物語であること。能舞台とは単なる演劇空間というだけでなく、死者の魂を直視する聖なる空間であること。
そうした知識をわかりやすく伝えてくれたおかげで、その後の本舞台の理解には大いに役立った。
今回注目されたのは、源川瑠々子が紫仙女を、敷丸が紅仙女(後見)を演じる一方で、父為時を観世流シテ方能楽師の山階彌右衛門が特別出演して演じる、異種混合的な舞台になっていたことである。
それは音楽も同じで、神尾憲一の音楽は能の世界観を意識した凝った展開のサウンドが作り込まれており、舞台上に設置されたスピーカーから物語の進行を司るものとして流れてきた。その一方で、伝統的な能には欠かせない邦楽器の演奏は一噌隆之の笛一本のみだが、生音ゆえに強い存在感を示していた。
様式の異なるものが同じ舞台に存在することの面白さは、実は今に始まったことではない。日本の伝統芸能は、揺るぎない根を持っているからこそ、実はどんなエンターテインメントとも響き合うことができる。今回の舞台もそうだった。
能楽師・山階彌右衛門の演技は、長時間静止しているときの姿にこそ心を打つものがあった。娘を失って憔悴し悲しんでいる様子。娘と再び出会えたときの驚きと喜び、溢れる思い。そういった細やかな感情の変化が、なかなか動かないからこそ滲み出る。たとえば、いつの間にか小刻みに震えている手。わずかな顔の向きの変化。そんな微細な事柄のなかに劇的なダイナミズムがあった。
これほど存在感の強い能の演技に対して、源川瑠々子の紫仙女は、これまでのひとり文芸ミュージカルの舞台で培ってきた経験と自信を支えに、堂々と渡り合っていた。
これまでの役柄もそうだったが、源川瑠々子の役者としての不思議な才能は、どんなに葛藤や悲しみ���理不尽さに対するネガティブな感情が内にあったとしても、そういうものをし��やかに受け止めて、ポジティブで善なるエネルギーに変換してしまうところにある。その精神力にはいつも驚かされる。
為時の娘としての人間的な感情を垣間見せていた源川瑠々子の紫仙女に対して、敷丸が演じた紅仙女(後見)は、より客観的な存在として、舞台上の夢の時間を作り出す役割を巧みに受け持っていた。
この舞台を今後神尾憲一がさらにどう成長させていくのかが楽しみである。紫式部の舞台上でも、またピアノを弾いてくれたらとつい想像してしまうのは無いものねだりだろうか?
0 notes
Quote
32: 名無しさん@恐縮です 2024/01/22(月) 19:04:14.14 ID:l5EEt5OE0 頭の悪い文章読んでるみたいで経緯がよく分からん 69: 名無しさん@恐縮です 2024/01/22(月) 19:09:42.05 ID:gPtN4iMH0 >>32 糞マンコと援助交際のジジイがすし屋で写真や動画をとりまくり ↓ 他の客が大将にやめさせるように求める ↓ 大将がやんわり注意する ↓ ガン無視&不機嫌になりちくちく聞こえるように悪口 ↓ 他の客がキレて客同士で店内で口論に ↓ ここで大将がキレてしまう これが事の顛末なのに脱税売春婦は自分が被害者かのようなポストを投稿し店に行くなと営業妨害 33: 名無しさん@恐縮です 2024/01/22(月) 19:04:17.03 ID:yNO6dV9b0 こういうの見ると一見さんお断りってのも悪くないな。
痛いニュース(ノ∀`) : 【港区女子が騒動】ラウンジ嬢とトラブルの高級寿司店「鮨よし田」大将は憔悴も「弁護士さんと話しています」 - ライブドアブログ
18 notes
·
View notes
Quote
釧路市愛国東の元介護士、藤山功至(こうじ)被告37歳は、5月3日、かつて交際していた小学校教諭の女性Aさん(当時39歳)の自宅アパートに合鍵で侵入し、Aさんの胸などを包丁2本で何度も刺し、殺害した罪などに問われています。 12日午前から釧路地裁ですすめられている裁判員裁判では、被害者特定事項秘匿制度により、女性教諭は匿名にされています。 これまでに検察は、下記のように経緯などを明らかにした上で、13日午前「犯行は計画的、極めて強固な殺意に基づく危険極まりないもので、殺害される理由がなかった一人娘を失った両親の悲しみ、憔悴感、喪失感は多大」などとして、懲役20年を求刑しました。 また、Aさんの父親の意見陳述として、弁護人が「娘は鼻がつぶれ、頬がえぐれていた。計画的な犯行で、この裁判が終わっても、苦しい日々は続きます。重大な事件を起こしても『後悔していない』と取り調べで話す犯人は、人の心を持っていません。絶対に社会に復帰させてはなりません。計画犯罪に対する真に抑止力となる判決を、判例にとらわれずお願いします」と遺族の思いを代読。 これに対し弁護人は、事実関係については争わず「犯行を認めて反省、自ら通報して自首も成立している。今後は心療内科のカウンセリングを受ける意欲がある」などとして、情状酌量を求めました。 藤山被告は12日の被告人質問では「(女性教諭を殺害した)5月3日は語呂合わせで“ごみの日”になるので、Aさんにぴったりの日だと思った。(殺すという選択肢以外は)なかった。(殺害後は)やりきった感と達成感があった」などと身勝手な主張をくり広げていました。 しかし、求刑後は「私が1人を殺した余りにも身勝手な行動で、多くの人に迷惑をかけた。重い刑罰を私からもお願いします。未来を奪ったことを大変申し訳なく思っています」と反省の様子を見せていました。 <検察が冒頭陳述などで指摘した経緯など> ・婚活イベントで知り合い、2021年11月から交際 ・Aさんのクレジットカードで約20万円分、勝手にゲーム課金に使い込むなどして関係解消 ・Aさん、被告、被告の母親の3人で話し合い、月々2万7000円ずつ返済で合意 ・ことし3月~4月、頻繁にAさんに電話、LINEで連絡 ・Aさんから関係を断ちたいので、返済を促す要望 ・母親が残り9万円を返済後、Aさんは「今後一切、関わらないことなどを誓約させる」内容の念書を渡す ・母親から受け取った被告は、破り捨てる ・Aさんを逆恨みした上「他人にとられるくらいなら、殺そう」と決意 ・事前に3回の下見、4回目に留守を知ると、包丁、合鍵、手袋を用意してアパートへ ・合鍵は交際中、無断で複製していたもの ・2本の包丁は、刃渡り14.4センチと16.5センチ ・侵入後、寝室のクローゼットに潜む ・Aさんの帰宅後、飛び出して犯行 ・Aさんの死因は出血死 ・胸や首などの傷は10か所以上 ・一部は骨まで達する ・合鍵をAさん宅の近くの川に捨てて逃走 ・Aさんの携帯電話を持ち帰り、連絡を取り合っていた相手をチェック ・包丁で首を切り、自殺を図るも、痛みに耐えかねて断念 ・自ら「人を刺した」などと通報、逮捕 ・交際解消から犯行までの間、別の女性2人に対するストーカー行為でも警告 公判では12日、藤山被告の母親も証言に立ち、藤山被告の使い込みを返済するため、面識ができたAさんについて「頭も良くて優しい人、自分よりも他人を優先できる人。全額返済後『困ったことがあったら、連絡してくれていい』とも言ってくれた」と悼む一方、藤山被告に対しては「手紙をもらったが、自分のことばかりで反省がなく、失望した。今後は関わりたくない」と述べていました。
小学校の女性教諭殺害、37歳の男に懲役20年を求刑…「殺した5月3日は“ごみの日”で女性にぴったり、達成感があった」などの暴言、男の母親でさえ「自分のことばかりで反省なく、今後は関わりたくない」(HBCニュース北海道) - Yahoo!ニュース
2 notes
·
View notes
Text
スングァナが消えた。
忽然と姿を消した彼は誰にも何処にも手がかりを残さないまま存在だけ抹消してみせた。特に、同居していた兄は主だけが失われた部屋を見て憔悴し、一段と可愛がっていた兄は何度も手元の機械を見ては落ち着かない様子で。それぞれがそれぞれに不安と疑念を表しているこの空間はさぞ重たく見えていることだろう。誘拐だのなんだのって警察が話に上がったタイミングだった。 「は?」 声を上げたのは誰だったか。マネヒョンが言うには既に各方面への話がついているため、休養として扱われるらしい。なるほど、上手くやったものだ。俺たちだけ知らない話だったのだ。この俺たちだけが。犯罪に巻き込まれた可能性はこれで限りなく無くなった次に訪れるのは。彼は戻ってくるのかという疑問で。休養とは?いつまで?それは本当に期限があるのか?誰も問いに出来ないまま解散の流れになった瞬間。ずっと視線の先に留め置いた彼は言いかけた何かを飲み込んだ。
「それで?」 「…なにがですか、ボノニヒョン。」 マネヒョンの協力により少し早めに集合させられた彼は、何かを望むような顔を向けて。一人だけ既読の付かないグループトーク。あの日から5日が経っていた。 「連絡、来てるんだろ。」 「そんなに顔に出てましたか。」 「さあ?ヒョン達が気付いてるかは知らない。」 「…来てます。一日一回、生存確認みたいなメッセージが。何言ったってこっちの話はスルーして、一文だけ。」 らしいと言えばらしいし、らしくないと言えばらしくない。実のところ曖昧な余白がある彼だからだろう。 「それと…かくれんぼ、だって。」 「何との?」 「世界、って言ってた。」 「世界。」 謎かけみたいな、そんな類か比喩か。 「あの、ヒョン。」
どうやら今回は相当練った失踪らしい。マンネを橋渡しに一人だけに告げられる生存確認。長兄は末っ子の異変に気付いていたのだろうか。一番に声をあげそうな彼が静かに潜めるように時を待っていたのを。ああ、こういう事を考えるのは苦手だ。人なんて推し量れやしないのに。今は、彼だけを考えることにしよう。世界とのかくれんぼ。この全世界監視社会において無謀な、と思わないでもないが。果たして彼は見つかりたいのだろうか。見つかりたくないのだろうか。迷っているからかくれんぼなのだろうか。見つけたとして、彼は戻りたいと言うだろうか。…それは、俺が考えたって仕方ないのではないか。とにかく、見つけてから。話はそれからな気がした。帰るのであれば手を取ればいいし、帰らなければそこにいたっていい。出来ることも出来ないことも限られているのだから。
0 notes
Text
夏終わらず。どこかでストンと落ちるのかしら。
人がいないと噂の晴海フラッグのあたりに行った。たしかに、ガランとしていた気もしたが、まあ月曜だし。子連れがたくさんいたし、みんな家でご飯食べてるのかもしれない、が、まあ人あたりの面積はけっこう、ある。海があって、公園があって、道も整備されているから、閑散、とはまた違う気もするが、
僻地ではある。遠目の散歩にはいいかも。
なんか最近、小麦をよく食べているが良いのだろうかいや良くない。汗は、湿度もあって相変わらず馬鹿みたいにかいているが、運動らしい運動もしていないし、���くないに違いない。
でも、なんかやってられんのだ。なんだかね。
日曜、母のお見舞いに行った。妹も、父も同日だったが、今は面会も2人ずつとか、いろいろ規制がある。なので、3回ぐらいにわけて、バラバラに赴き、バラバラに帰宅した。
まあ、憔悴してる感はなかったが、疲弊はしていた。身体にメスを入れるとは、そういうことだ。あまり母はそういうの慣れてないし。ここから、来週とかで退院し、病理検査の結果を待つことになるか。結果次第ではまた、動きがある。
生きること…、お金のこと以外、解像度が低い。そのほかの幸せとは、何か。当然、家族の健やかさは前提であり、それはお金のこととは別軸にはなっているのだけど、人生の、時間という軸において、当然同軸に在る。
直接感じる幸せというものは、お金にかかること以外に、いらないのかもしれないというのが今。父が、母が、妹が、喜べるように、気兼ねなくお金が使えれば良いのだから、お金に不安がないことが、私の幸せだ。
ただ、それは私の視点からの話で、外から見れば、いい歳で、独身であることは、不幸に見えるというか心配をさせてしまうわけだ。心が満たされていない、と、見えるのか、未来、孤独に死ぬ姿が浮かぶの、か。双方、間違いではなく、正しい感覚だと思う。ふと、不安ではないがあれ、いいんかなこれで、とは思う。
その思いをかき消すために何かを…、してもいない。心のところでいえば、満たされていないのは確かだが、そもそも満たすことを目指していない。目指せなくなっている、というまあ、歪みがあるのかな。
心を満たすの、意味がわからない。満たしたら、どうなるんだろうな、その辺りの想像力がない。
多分、恵まれているから、幸せになろうという思考、貪欲さ、欲、危機感がない。幸せになることに対して、本当に本当に、情けないぐらいの弱者なのだと思う。全く以て、金もステータスも不十分すぎるほどなのに、だ。
センサーがぶっ壊れている。自律神経もおかしいから馬鹿汗かくし、腰もいたいし、何もしないし…
しんどくなってきたな!
ではm(_ _)m
0 notes