#感情アウトサイダー
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utsuroyihon · 4 months ago
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(Xユーザーの蜜兎さん: 「2024.9.30 RAD HALL #蜜兎 https://t.co/1b9SeAVugM」 / Xから)
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ari0921 · 5 months ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和六年(2024年)9月24日(火曜日)弐
  通巻第8426号 
 最大の課題はIMFとの債務削減、返済スケジュールだ
  スリランカ大統領に元マルクスボーイの新人が当選
*************************
 2024年9月22日、スリランカ国民はマルクス主義の政治家を新しい大統領に選んだ。貧富の差の激しい国々では、たとえばブラジルやアルゼンチンのように、民衆の不満を左翼政治家はうまく吸収して権力を握る。ベネズエラもそうだろう。
 スリランカ大統領選挙は初回投票では過半数をこえた候補者はおらず、二位と三位の決戦投票でAKDのニックネームで知られるアヌラ・クマラ・ディサナヤケ(55歳)が新大統領となった。得票は574万票 vs 453万票で二位との差が120万票あった。
このディサナヤケは学生時代にマルクスボーイ、2000年に議員に当選し、農業畑の政策で知られ、2019年にはラジャパクサ大統領に挑んで立候補したが泡沫に終��った。
 
 彼は嘗てのタミル武装勢力JVPの頭目であり、親中派であり、もっと言えば極左だ。マルクス主義者でゲバラ崇拝者が、現職のラニル・ウィクラマシンハ大統領と野党指導者サジット・プレマダサを破ったことになる。
これは親中路線から親インド路線に転換したスリランカ外交を、もう一度、親中路線にスィングさせるゲーム・チェンジでもある。
スリランカは仏教との国というイメージがあるが、主力民族のシンハラ人が仏教、北西部のタミル人はヒンズー教、そして各地にイスラム教という三つ巴で、とくにタミル武装勢力との内戦は20年に及んだ。
治安の安定を訴え、タミル武装勢力をテロリストと呼んで徹底武力弾圧を主導したのがラジャパスカ元大統領だった。ラジャパスカ一族は権力掌握後、中国に傾斜し、IMF以外の二国間援助で多大の援助を得た。その見返りがハンバントラ港の中国への99年間の租借だった。同港は中国の軍港化し、南アジアの安全保障上、インドがもっとも憂慮する事態を招来した。
新大統領は言った。
「私は魔法使いではないけれど、スリランカを立て直し、安定した政府を築き、前進できると信じている」 
衝撃を受けたインドのメディアは「おおっ。マルクス!」と亡霊の復活のように報じた。旧宗主国の英国は「歴史上もっとも左の政治家の出現は衝撃である」(英タイムズ)。「ゲバラを学生時代に崇拝したアウトサイダー」(英インデペンデント)、「大問題はIMFとの返済交渉にある」(フィナンシャルタイムズ、ともに9月23日)。
スリランカは仏教の国だから日本の仏教界とは深い交流で知られるが、北西部はタミル、そしてイスラム勢も強いため勝利の第一声は「シンハラ、タミル、ムスリムの団結」という綺麗事だった。コロンボの町を歩くと道路標識はシンハラ語、タミル語、そして英語表記である。
人口の72%がシンハラ、13%がタミル、9%がムスリムでほかの少数のカソリック教徒もいる。
 ▼なぜ無名の左翼政治家が想定外の当選となったのか?
ディサナヤケ新大統領は、マルクス主義のJVP(ジャナタ・ヴィムクティ・ペレムナ党)を含む国民人民勢力連合(野党の野合)候補者として出馬した。
しかし野党といっても、議会でわずか3議席しかないのだが、選挙中、ディサナヤケは政治の汚職を糾弾し、貧困層を支援する政策を約束し、無名で極左というイメージから、なにか期待できそうと人気を高めていったのである。
第一に経済的困窮に陥没しているスリランカ国民はなにがしらの新風を望んでいた。
前大統領は多額の負債を抱え、事実上の経済崩壊状態から脱却を試みて、回復を懸命に主導したが、緊縮財政政策は有権者の不満を買って17%の得票しかなかった。
第二に政治的混乱ならびに汚職追放は民衆に受ける訴えだった。
ハンバントタ港を中国に事実上とられた危機感はナショナリズムに結びつくが、2020年には汚職一家で中国からの賄賂漬けだったラジャパスカ一族を追放した。暴徒となった民衆は大統領官邸を占拠し、首相官邸を放火した。このため親中ムードは消えていた筈なのである。
 第三はIMFとの交渉というもっとも厄介な政治課題に如何に対処するのか。
ディサナヤケは、IMFの財政目標達成のための減税、250億ドルにも及ぶ債務再編を公約に掲げた。
すべての改革はIMFと協議して実施し、債務返済を確実にすると公約していた。スリランカ経済は暫定的な回復を遂げたものの、安定成長軌道に乗せ、市場を安心させ、債務を返済し、投資家を誘致し、国民の4分の1を貧困から脱却させるためには、スリランカが2027年までIMFのプログラムを遵守しなければならない。だれが大統領になろうが無理な話である。
スリランカ援助のトップはインドではなく日本である。
中国はBRI(一帯一路)関連のプロジェクトへの投資だけ、たしかに巨額だがIMFとは別個の二国間取引となっている。
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aminagumo · 1 year ago
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february 23, 2024
歌舞伎町一番街のアーチの前で幼い子連れの家族(海外からの観光客らしい)が自撮りをしている。私はその真横にあるセブンATMで友人がお金を下ろすのを、もうひとりの友人と待っていた。子連れ家族は5、6人の大所帯だったので自撮りするのがかなり大変そうに見えた。思わず隣にいる友人に「撮ってあげようかな」と呟いた途端、撮影終了。出る幕なし。
街の中へ進んでいくと、ホストクラブの在籍ホストの大きな顔写真看板が何枚も発光しながらタイルのように並んでいる。前を通りながら、ひとりひとりに添えられた二行くらいの文章を読む。「二億一千万」とか、「億の子」とか。軽蔑や嘲笑などではなくただ、商品なんだな、と静かに思う。右耳の方で、「ありがとねー。」と親しげに客を送り出す若い男性の声が聞こえる。
人気の少ない路地に入って私は、色んな世界があるんだな、とぽつんと呟いていた。その姿を、誰かを見るときのように自分の外側から見ていた。
目的地だった路地裏の中華料理屋に入る。久しぶりの麦酒に酔っ払って店を出て、プリ機を探し歩いているとトー横に着く。地面にはゴミが散乱してい��、しゃがみ込んでいる人やプラカードを持って立っている人がたくさんいる。アウトサイダー、という単語が自然と浮かぶ。私自身アウトサイダーだとずっと思っていたけれど。この人たちの居場所はここなのだと真っ直ぐ感じ入る私はどうしたってここでは薄情なんだね。
何軒も回ってようやくプリクラコーナーがあるゲームセンターを見つける。エレベーターでそのフロアに上がる。着いてみると、ハート型の女優鏡が何枚かあってその全ての前に女の子たちが座っていた。何故だか見ていられないような気分だった。何年ぶりかのプリクラは高校生の頃を思い出して楽しかった。
またエレベーターで一階まで下りる。出入口付近のクレーンゲームに目を惹かれるけれど通り過ぎて外に出る。寒くない。
お酒の気分じゃないし場所を移してお茶でもしようか、とまたアーチの方へ戻る。
道中。あるビルの三階は一面硝子張りになっていて、通りから見上げるとミニスカートを履いた女の子たちのお尻が目に入る。何も思わない。というより色々な思考が混ざって、感情が相殺されているような感覚。こういう光景に出会うたび、いつもそんな状態になる。大変な仕事。
それから、風俗案内所の暖簾を久しぶりに見て高崎を思い出した。風俗案内所の暖簾で思い出される高崎。中央銀座通り。白馬車にまた行きたいけど、今もやってるかな。ライブハウスの帰りとか、深夜急にお茶したくなったときに重宝していた。故郷がある、というのは幸せなのだなと最近よく思う。
姪っ子とお揃いで、父に煙犬のぬいぐるみを買ってもらったことを今ふと思い出した。
取り返しがつけられることを後ろめたく思うときもある。そんなことばかりかもしれない。
報われるなんて思わないけど、手を伸ばした事実が残るように?
今朝、駅前のベンチにいつもいるホームレスのおじさんが傘をさしながらごはんを食べていたのも急に思い出した。
歌舞伎町の中華料理屋に続く細い路地で、私の足音に驚いてネズミが逃げていったのも。
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misasmemorandum · 3 months ago
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『ピュー』 キャサリン・レイシー 井上里 訳
外見では男の子か女の子か判断できない人が、南部のとある町の教会のベンチ/ピューで眠っているのを見つけられる。この人は全く話さないし誰とも打ち解けない。ベンチ/ピューで発見されたので、便宜上ピューと名付けられる。このピューを町の人々がお世話をするうちにこの町と町の住人の性質が見えて来る。
この町に入る前、「序」がピューの視点で描かれてる。これが、まるで人間とは何かを知らない宇宙人が人間の中に入ったみたいな描写。この宇宙人は、入り込んだ人間の記憶を朧げながらに読み取れる。または、記憶喪失になってしまった人。もしくは、とても深く傷ついて心に厚いベールを被して感情/感覚が鈍くなってしまった人。
ピューは性別も人種もはっきりしない。しかし白人ではないと引き取られた家の子どもに言われる。
黒人の少年を子供のときに殺したことがあり、大人になっては黒人の男性4人を私刑にしたことがある爺さんが出て来る。これを読んで、舞台は南部に間違いないと思った。
全くのアウトサイダー、町の住人からしたら得体の知れない者の目で人々を観察し描写する事により、何かを表出させてる。うまい本。
外見による厳しい差別が横行しているアメリカならではの言葉、「体はその人の墓なのだ(p80)」
次は銃社会アメリカで、銃器と宗教をすり合わせる恐怖の考え方、「銃は神の力の象徴であり、神が人間に賜った豊かな贈り物の象徴です。(p182)」。恐ろしすぎる。
この町には年に一度「赦しの祭り」というのがあって、これがアポカリプスなのか新しいイエス様がどうちゃらこうちゃら言う。もうここら辺から読んでて意味不明で、その上に別に理解しなくてもいいやとなってしまったのクライマックスがどーゆーことなのか、正直よくわかりませんでした。でもね、久しぶりに密度の高い読書体験をして楽しかったです。以上。
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bailonglee · 4 months ago
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mRNAの詳しい解説
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【緊急】秋接種前に知りたい:250人以上の後遺症患者を診てきた医師の訴え”レプリコンワ⚪︎チン”とは?
youtube
ここまで詳しく、mRNAワクチンを解説してる人は、いないね🙂✨
悪党とは、堂々としたもんです。
なぜなら彼らは罪悪感でやっておらず、
庶民という名の、��虫駆除だと、本気で思ってるから。
これは、非常に複雑で、難しい問題です…
努力し、選民の仲間に入ったら、本気でこんな思考になってしまう。
私は、ドロップアウトした人間です。
まだ先のある18歳で、家族から逃げ、住み込みの新聞奨学生を始めた。
とにかく、お金の事ばかり言われるのに、真剣に辟易し、親に殺意が生まれた。
まずい!、と思った。
親は善意だと信じ、色々勧める、私はそれは間違いであると、直感で感じる、だが食わしてくれるのは親、自分を殺しそのレールに乗れば、何も事件は起きない。
でも私は、自分を殺せ無かった…
だから18歳で出した答え、
逃げるw🤣
親を殺したくない、自分を殺したくない、であれば、逃げるしかないw🤣✨
まあそんなんで、56歳、もはや40年近くアウトサイダーだw🤣
学歴なき18歳は、生きるには、肉体労働だった。
人を騙す詐欺会社に、捕まった事もあった。
愛枯れた日本で生き抜くには、自らの肉体に鞭打つのが、唯一愛ある生き方。
親元に居て大学出たとて、私の疑問と怒りは、全く解消されないのは、わかっていた。
だから、今の状況は受け入れている。
でも、常にお金はギリギリw🤣🤣🤣✨
だが、アウトサイダーだからこそ見える位置、アウトサイダーだからこそ言える意見が、ある!
これは、選民(大卒)には、見えないし、言えないw
選民の中の、更なる選民、それが支配層だ。
彼らは、必ず宗教に関わる。
創価学会、生長の家、統一教会、幸福の科学…
まあ、全ては大本教から発生した団体であり、CIAと深く結びついており、世界紅卍字会、イスラム系とは、ハラールなどの規定、これらはいわゆる、《グローバリスト》たちだ。
彼らは、彼らこそが地球の正義、彼らこそが神の子、
庶民は失敗作の害虫と考える。
庶民とは、選民に入らない全員だ。
私も分類上の庶民、だがドロップアウトにより、色々な事がわかった。
本当の阿呆は、意外に少ない。
つまり、選民を選ばなかった人間は、《馬鹿のフリ》を演じているだけだ。
選民側に立つ人間は、それをわかっていない。
顕著なのが、モノタロウのCMだ。
《防護服を着た作業員が、しりとりをして遊ぶ。何だか少しなまった言葉、決して見目麗しくない容姿…》
このコマーシャルを見ても、選民らが、いかに庶民を馬鹿にしてるか、わかる。
〚おまえらの仕事を理解し、おまえらの行動パターンはわかっている。だから、我々の売る商品を買え!〛
モノタロウは、住友商事だ。
いわゆる、炭鉱で庶民を奴隷労働させ、何万人も死者を出した、日本の財閥だ。
つまり、《選民階級のトップ》なわけだ。
以前モノタロウと揉めて、記事を書いた↓↓↓
彼らは、大人しい庶民をあまりに馬鹿にして、粉飾決算の、エサにした。
買ってもいない商品を、強引に宅配させ、後にお金は返すものの、一旦料金を支払わせるという…
まあ、選民にしたら、庶民はペットの犬だ。
犬を蹴り殺そうが、
「あ、ごめん、ごめん。」
で、終わりだ。
ワクチンも、同じだ。
害虫駆除して、何がいけない?w🤣
だから、罪悪感なんか、無い。
私は40年あえて庶民をやり、わかった。
歯のぬけたじいさん、食ってばかりのおばさん、馬鹿に見せかけてるだけ、馬鹿のふりをしているだけ、本物の馬鹿なんて、岸田文雄とか、図に乗った2世くらいしかいないw🤣
それは身を持って、経験してきた。
明治製菓の内部告発は、それに風穴を開けた。
我々からしたら、選民層は悪党、選民層からしたら、我々は害虫…
本当は、皆同じ人間なのに。
それこそが、それを知るのが、真のグローバリズムではないだろうか?
選民も庶民も、同じ人間。
だがしかし、人間皆同じでは、無い!…
食い違いはそこから生まれ、墓場鬼太郎が諦めきった庶民を描き、YouTuberが金信仰を推進する…
デモも結構なんだが、選民らは何をしようとしてるのか?
そして私たち庶民はどう対処してゆくか?
それは、正しい情報を知る事だ。
選民らは、害虫駆除薬の開発に、歓喜し、ノーベル賞を与えた。
↑↑↑陰謀論や、Rapt理論ではありません。はっきりと、Newtonという有名雑誌が、mRNAワクチンのノーベル賞受賞を、絶賛してます。
残念ながら、事実なのが、めちゃくちゃ裏切られた気持ちになる…
若い時、Newton好きで、よく読んでた。
ま、彼ら支配層は、悪気はない。
そもそも、我ら庶民は、彼らには、人間に見えていないんだから。。。😮‍💨。。
で、我ら庶民が、彼らの思考知らぬまま、戦ったり、デモばかりし、しまいに選民らを惨殺して周るなら、
文化大革命と全く同じになる。
あれは毛沢東が6万人を殺したわけではない。
富裕層を庶民が惨殺し、資産を奪い、分け合った、それが文化大革命だった。
毛沢東は貧しい農村出身、庶民を焚き付け、毛沢東は素晴らしいリーダーとして、中国共産党という、選民団体が完成したのだ。
同じ間違いを、我々は起こしてはならない。
正しい事を、知る、これが大事なんです。
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uchu-household-blue · 8 months ago
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教科書で習う歴史は、貴族や武士による記録であった。一方庶民の暮らしは災害や飢饉に死者で語られるだけ。万博のべなん万人来場。貧しくていけなかった人はどれだけ?年表に載らない。何を数量にしてしないかのみならず、語り方が持つものや、聞き手が何を思えるかに見えるものや。もっといい話し方がしたいが荒みが...な今月 心を問わないならそれで済む。自分など居ないならあてどない外。柳田に対しての宮本、折口もだろうものの定住農民の共同体に対してアウトサイダーとなる人たちの 芸とか含めて 何か寂しさがすごい そうか怖いものなしじゃないか面白さが懐かしさじゃなくても探しに
そうなりたかった訳ではないけれど、そしてなぜ追いやらないといけなかったかに'少しでも''ただ'触れてしまうと...立体的にの然りなのかしら押し寄せてくる孤独感みたいなものが、同情なんかじゃなく 日本への嫌悪感も含むのか、帰りきれそうもない思い等かな。なんかいいねとは言いくるめられないので しかし空に映すようなものだったりして?呆然とやはりしながらも。何か共感でしかない部分手繰るとするんじゃ。忘れ去られませんようにという思いは分かる、聞かせて欲しいものの寂しさも、だろう 思い出や記録ではなくて、生の'記憶'みたいに感じたほうが良い聞き手だなと考えてみる。誰でも持ってる、誰も持っていていい。失われていても?。 突き詰めてしまったとしたら'私'はどこにもいたくなかったのだ、アイデアがあれば寂しくなかったのだ、皮肉なものを受け止めきれない人だと分からされる子供が、やはり持ち直すしか航路もない  
そうか 友達の顔を思い出す 君が悲しいなら私も悲しい、だけど変わらずへらへらしてなきゃいけなかったしそれでも見なきゃいけないものは増えたりする だからなくならないものを呼び続けて忘れないで 思い出せるものをすごく今ここに置いておいて 困るしか出来ない世界で、語りの中に自分じゃないものを伴走させて こんなんあるある〜の世界じゃないもの 遠くから見て尊べる事ゴールなもの等なかったけど思い出してこそあったのだ
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pinkfuehherin · 8 months ago
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数字という毒と、毒をも飲みこむ重要性について
改めて感じるけれど、ネットって事あるごとに再生数をはじめとする数字を表示したがりますよね。あれって大多数の人間を権威主義に駆り立てるので、好きではないな。
邦楽の暗黒期を招いたのは間違いなくアイドル商法であったけれど、あれと本質的には同じ状況がそこら中で起きている。それが、現代の虚無。
ダウンロード工口同人にしても販売数とか表示してるけど、ずっと前から「あれいらないなぁ…」って思ってます。紙の漫画や書籍がいちいち販売数を表示してるかって言うとしてないわけで(100万部突破!とかはやるけれど)、もっと言えばamazonだっていちいち販売数なんて表示してないわけで、じゃあDL工口同人だって表示しなくていいんじゃないかな。っていう。
個人的にいちいち販売数とかを表示する事が嫌いな理由は、明らかに尊敬に値しない商品がやたらに売れてたり、逆に物凄くセンスが良くて同じ作り手として感嘆に値する商品が全然売れてなかったりするのを見ると、正直作り手としてやる気なくなるって所が大きいです。
(みすず書房系の本なんて基本は全ッ然売れてないだろうけども、そういう本と胡散臭いペテン師が書いた胡散臭い自己啓発書の売り上げを数字で示され、比較されると(それによってさも後者の方が価値があるみたいに言われると)、少なくとも吾輩は萎えます。)
誰かは失念したけれどアメリカの高名な学者っぽい誰かがトランプ大統領が当選した際に(アメリカ国民の蒙昧さに)ショックで崩れ落ちたなんて話があったけれど、要はそれと同じ失望感に襲われるというか。結局大衆が好きなのはヒトラーやトランプ大統領だというなら、もう勝手にしてというか、なんかもう人民の幸福を願って優れた政策とか考えて汗水垂らすだけ無駄だよね、みたいな。
大衆を嫌いになりたくないのだけど、大衆の蒙昧さを思いっきり見せつけられると、呆れ嫌いにならざるを得ないというか。
だから、大衆(人類)を嫌いにならないために、大衆(人類)の蒙昧さを直視しないために、それによって大衆(人類)を見限らないために、直接的で乾いた数字は敢えて見たくないというか。
イエス・キリストが十字架で絶命する直前に放った神への絶望の声(「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」)は、あれはイエス個人の言葉じゃなくて旧約聖書を暗唱しただけなんだよと「言い訳」する向きもあるそうなのですが、吾輩個人は(史的)イエスが絶命に際して己の愛に満ちた生涯と人々への献身が本質的に無意味だった事を悟り、絶望し、信者達へ怒りや失望・侮蔑を抱き、葛藤し、最後の最後には無の境地にまで至って死んでいったというのはある程度事実だったのではないかと考えています。
ブッダが己の教えを後世に残そうとしなかったのも、恐らくはそれが本質的に無意味だと彼の聡明さ故に生前に気付いていたからだろうと思います。彼は烏合の衆の教祖になる事を拒み、それによって虚無の再生産を防ごうとしたのでしょう(もっとも、知っての通り彼の目論見は盛大にしくじるわけですが)。
このように、作り手にとって(或いは集団の長にとって)一番のストレスって受け手(或いは己の従者)のセンスが壊滅してるって事で(←受け手がダメダメだと作り手がいくら頑張っても徒労に終わるため)、例えばテレビ業界は視聴者のアレさ加減に呆れた優秀な業界人がやる気をなくしたり業界を離反していった事で凋落していったのだと吾輩は考えてるわけですが、そういう諸々を考えると「一種の優しい嘘」として販売数とか視聴率をマスクする事はクリエイティビティ保全の上で大切にも思えます。
言うまでもなく、ゴッホを筆頭として(誠実な)作り手というのは大抵の場合「受け手を置き去りにする宿命」の下に在るわけで(これが「なぜか?」という事についてはオルテガの『大衆の反逆』とかが端的に説明できていると思いますし、或いは視聴者を「引っ張る」のではなく「迎合」した結果凋落したテレビ業界の歴史を見ると分かりやすい)、だがしかし受け手を置き去りにするからには現世においては相応の誉れに預かれない(死後ようやく彼のやっていた事が理解される)可能性……良くてもシュヴァルの理想宮のように評価されるまでに相当・相応のタイムラグが生じる可能性は覚悟せねばならないわけです(失念されがちですが、かの宮崎駿ですらその才覚に比して相当に遅咲きです)。
こうした孤独で褒まれなき永劫の闘争に明け暮れるに際して、上述したように目先の数字(を起点とした価値判断)というのはノイズでしかないのが現実ではないでしょうか。
ゴッホは世間の無理解に絶望して自害しましたが、そのゴッホも現代のようになんでもかんでも数字で表示される世界に生きていれば呆れ、失望し、不幸ながらにしっかりと功績を遺す事すら出来なかったのではないかと思います。ゴッホは自害してしまいましたがそれでも一応はしっかりヘリテージを確立できたわけで、それは通信技術が無く、良くも悪くも自分の狭い世界に没頭しやすかった当時の時代性に因るのではないかと思います。
と同時に本来ならゴッホになれたはずの現代の再覚者が昨今の世情に屈して滅んで行った例も相当にあるのではないかと危惧しています。
独創は孤独の中から生まれるというのは繰り返し提唱されている理論ですが、昨今の世情下において孤独とそれに派生する独創を貫くのは、相当めちゃくちゃな覚悟が必要であり、常人ならそれはちょっと不可能でしょう。
付け加えれば、『名探偵コナン ベイカー街の亡霊』の脚本や北野武デビュー作『その男、凶暴につき』の原作など、テレビ・映像関係で数々の優れた仕事を遺した野沢尚(ひさし)が自殺してしまったのも、視聴者への失望……いくら優れた作品を世に送り出しても一向に世界が変わらない無力感が背景にあったように思えます。
北野武にしても自分の映画がいまいち売れない事を気に病んでいるような素振りを見せており(彼の後年の映画が観客迎合的になったのは、ソナチネなどの芸術志向の力作が想像以上に人々に届かなかったショックに因るのではないかと自分は睨んでおります)、そういった諸々を総括すると、作り手が全力で芸術に打ち込むためには数字はノイズでしかないのだと、自分個人は思います。
無論この原理が働くのは作り手の中でも特にごく一部の、「ある特定の性質」を持った勢力に限定されるわけで、実際は大多数の作り手達にとって数字は己を駆り立てる強壮薬であり、顧客にとっては心地よく権威主義に酔い人生の虚無から逃避させてくれる安酒であり、然るに吾輩の意見がアウトサイドに位置している事は理解します。
―――とまぁ、そういう諸々でもって吾輩個人はネットがいちいち数字を表示したがる傾向を嫌悪するわけですね。
ビジネスの観点から数字を表示している(結局はそうやって大衆を煽動した方が手っ取り早く儲かる)のだろうとは思うものの、上に述べたように「それ」によってテレビ業界が凋落した歴史を鑑みると、実のところ、ビジネスの観点においてすら、実は「それ」は悪手なのだと吾輩は思います。
短期的な泡銭を稼ぐ上に限ればそうやって数字にきりきり舞いしておれば良いものの、中長期的により沢山稼ごうと思うなら、むしろ目先に数字は無視した方がいいのではないかな。
吾輩はアウトサイダーであると同時にかなり起業家的な精神も持っている人間ですので(なにせ生まれが底辺なので、金の重要さはよく分かっています)、それもあって一層、ビジネスの観点においてすらやっぱり上辺の数字はいらないなぁと思います。
その点を踏まえると吾輩は最近の(R-18も含めた)アニメ・漫画業界が作り手・受け手共に「テレビ業界化」している事を非常に失望・危惧していますが、これは余談ですね。
――――と、それらを全部ひっくるめた上でさらに論を進めて、個人的に思う事があります。
それは、上述の事を全て飲み込んだ上で尚、数字は直視した方が却って楽だという事です。
そしてそれが、この世界を生きていく唯一の道であろうという事です。
というのも結局は「大衆は(上辺の)数字が好き」というのが厳然たる現実なわけで、そういった現実を直視しない事は、ひいては現実から…大衆…人類存在の宿命から乖離・逃避する事をも意味します。
現実や人類存在から乖離してしまった人間は、最早実世界におけるパワーを持ちません。
上に述べてきたような事は全部わかった上で、その上で、尚自分を貫く。それが大切だと思います。
吾輩はもうなんだかんだで三十路になったわけですが、この年になってしみじみ思うのが、困難は敢えて直視した方が却って楽だという事。困難から目を逸らせば逸らすほど、不安や恐怖は増大していきます。
世間の理不尽、人類存在の虚無すらをも真っ向から直視して、敢えて真っ向から絶望する。敢えて安っぽい希望や現実逃避的な理想論は持たない。それが結果的に虚無と対峙し、虚無と協働する事につながる。
虚無というのは、敢えて直視すると案外そこから微かな光を見出せるものです。
例えば吾輩は割と最近になってSNS等に投稿した自作の(余りにも貧弱な)インプレッションを逐一確認するようになりました。
以前はそういうのはノイズにしかならないと思って全く見なかったのですが、ある時から「敢えて評価を見ないというのは、裏返せば評価を気にしまくっている証拠だ」と思い始めたのです。
目先の評価、数字に右往左往しないためには評価や数字から目を逸らすんじゃなくて、むしろそれらを直視する。すると案外慣れてきます。すると目先の評価・数字に動じなくなります。
また自分の脳内世界に籠り過ぎず最低限の実世界との擦り合わせを図る事は、過度に卑屈になる事や過度に傲慢になる事を防ぎます。
(私見ですが、「俺は売れるためにやってない」に逃げてしまった作り手は得てして拗らせると思います。)
それと同時に(ここからが非常に重要なのですが)、しっかりと数字を数字として把握しておくことは、「こんなに非力な自分にもなんだかんだで同志がいるのだ」と気付く切欠にもなります。
今の吾輩は余りにも地力が不足していて、且つやろうとしている方向性もかなりアナーキーなので、どうしても(相対的には)評価はあまりしてもらえません。
でもそんな吾輩の作品にもいいね!と言ってくれる人は「それなり」にいてくださるわけであり、となれば吾輩は全く孤立しているわけではないわけです。
あくまで問題なのは、マジョリティ勢力と比べれば“相対的に”非力であるという点だけです。
SNSに作品を投稿していいね!が0だったり漫画を描いて売り上げが0だったりしたなら、流石にそれは問題があると思うけれど、いいね!が100もつくならそれは一応は同志が100人は存在している事の一応の証明です。
確かに同志100人では吾輩が挑み、嫌悪し、破壊しようとしている既存の価値・権威には太刀打ちも出来ないけれど、それはそれとして、ひとまず同志が100人いる。同志が100人いるという事実それ単体は、それはそれとして嬉しい。
「こういった視点」を得るためには数字を直視する必要があり、そこから目を逸らしていては、どんどん悪い意味での孤独、孤立に埋没していってしまいます。
しっかりと少ないながらに同志がいてくれる事を分かった上で孤独を貫きやがては孤高の至るのが、正しい(?)アウトサイダーの在り方だと吾輩個人は思います。
オルタナティブでアナーキーなアーティストの中にはちゃんとそれなりにファンがついて応援してくれているにも関わらず、それに気付かず、「俺はひとりぼっちだ」「誰も理解してくれない」と気に病み、表現活動をやめてしまったり、自殺してしまう人がいます。
彼らが理解すべきなのは、確かに彼らはマイノリティで力もないけれど、それはあくまで相対的な意味であって、「全くのゼロではない」という事です。
「誰も理解してくれない」はちょっと悲観し過ぎであって、「理解者はいるけれどマジョリティ勢力のそれには遠く及ばない」というのが、正しい理解だと思います。
そして上に述べたようにマジョリティ勢力と比べたら少ないというだけで、絶対的視点に立てばそれなりの数の同志がいるというのは、それはそれで十二分に幸せな事だと思います。
吾輩にも、世間一般では全然知られていないけれど吾輩個人はめちゃくちゃ高く評価している作品があります。吾輩はそれらが無価値だとは思いませんし、その作品の作者が「誰も俺の作品を理解してくれない」とか言ってたら反応に困ります。
勿論闘争のためにはやはり数字の獲得は避けて通れないのが現実であり、そこに延々と甘えていてはいけないわけですが、闘争初期の段階においては、まずは少数ながら同志が集まってくれた事、それ自体に喜び感謝すべきだと思います。
そしてその喜びを糧に、より大きな、本質的な闘争に繰り出せばいいわけで。
前半に例に出したイエス・キリストなどはその典型で、キリスト教は「結果的に」世界宗教になったわけですが当初はただの片田舎の終末思想こじらせたカルトでし��なく、青年イエスもまた、ただの拗らせた大工の息子でしかありませんでした。
イエスは目先や上辺の数字…弟子や信徒の大量獲得に躍起にならず、まず目の前の救いを求める人々と向き合ったからこそ、結果的に大事を成し遂げたのだと思います。
ここに、数字は無意味であり毒でもあるけれど、数字が持つ力は否定しようもなく、となればもういっそ数字は直視してしまった方がいい。という論理の一応の根拠があります。
大事を成し遂げる上で目先の数字に固執する事は悪手だけれど、大事を為すには数字は不可欠であり、かといって数字に固執すると大事を見失う。
大事を成す(為す)ために数字を獲得し、獲得した数字で大事を為すために数字の宿命を理解した上で“超”長期的視点に立ち、淡々と事に当たっていく。
その過程においてはまず、眼前にいる少数の同志たちを大切にする。理想には及ばないながら一応はそれなりの数の同志たちが集まってくれている事に感謝する。
そして一歩一歩闘争を拡大していく。
これがひとまず今現在の吾輩が考える、人類存在と数字の宿命です。
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naoyakoike · 1 year ago
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「尚玄『ここで映画体験を』地元沖縄での国際映画祭にかける情熱」
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俳優の尚玄さんに「Cinema at Sea 沖縄環太平洋国際フィルムフェスティバル2023」のことを聞きました
“自分自身はアウトサイダーだと感じていました。でも映画を観ると世界には多種多様な人間がいるんだと” https://hollywoodreporter.jp/movies/26937/
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ayaka0715 · 1 year ago
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2023年に明けるまであと19日
年末年始は気をつけて https://ameblo.jp/kurushige/entry-12831208362.html
https://youtube.com/playlist?list=PLeXkmsAZiHBuQgYgcX_INTkdxaS0E-0M0&feature=shared
マンスリーベストナインアワード2023 は投票開始しておりますので見た後かリアクションした後には投票の形となります!
2023.4の🥇ブログ、My#YouTube 年間4位
ニュース
#西島秀俊 さんの
正月番組出演数が凄い記録!
〔〕は1月期ドラマ
2019年 関口宏のTFP〔メゾンドポリス〕⇨ダーツで外してしまった
2020年 何食べ
2022年 上田と女が吠える夜〔真犯人フラグ〕⇨老眼用メガネ
2023年 格付けチェック〔警視庁アウトサイダー 〕⇨三流芸能人
そして、来年は
#バナナ��ンのせっかくグルメ 〔#さよならマエストロ〕を出演することになりました!⇨葉山・逗子のグルメ
あと、#阿部サダヲ さんはどの番組を出演するか楽しみ。
〔10月期ドラマの視聴率と最新話の後は予告ティザーを公開されています。〕
#紅しょうが は#天才ピアニスト に超えた視聴率!〔#thew 〕
#堺雅人 さんがランキング2位に。
他新スタエン〔現スマップ〕の新情報、#大谷翔平 投手がドジャース 移籍、#八村類 選手が初サイン、#大奥・#きのう何食べた、#トットちゃん 
and more....
 
次回の抜き打ちチェックは
〔SNSのパトロール・年賀はがき作業がある為〕
来年1月上旬まで延期させていただきます。
更新クリア条件
2023.11.3から2024.1の期間中まで
〔失格は〜2023.11.2〕
都合があれば変更する場合にもございます
インスタの調子が悪い〔#インスタ不具合 の〕時は
アップデート〔バージョン〕か再起動しましょう
出来なかったら
AndroidからiPhoneに変えましょう
 
〔〕ヒント有り
#佐々木蔵之介 💙🐎
西島秀俊 🖤🍩
阿部サダヲ 🧡⚾️
堺雅人 ❤️🦌
#戸次重幸 💜🤖
#片岡愛之助 💖🍓
#kinkikids 💙🎸❤️✝️
もし、よかったらYouTube チャンネルを登録してね。
また見たい方には👍
2度と見たくない方には👎
を押してください。
知らない人はフォローしないように。
皆様、ご視聴をいただきありがとうございます。
今月中で
Amebablog・Instagram・tiktok・youtubeを続きますのでどうぞお付き合いください。
NGワード
ハッシュタグの被害が出てるから代わりにつけておくね。
お願いだから自分のアカウントで#インスタ不具合 発言をやめてほしいです。必ず、アップデート か再起動・再ログイン をお願いいたします。 
※#炎上 〔=反発,扇動行為 〕,#誹謗中傷 〔漏えい〕 、露出〔#セックス依存症 ・LBGT 〕、#詐欺 をしないでください。
ご協力をお願いします。
現在は
🇺🇦・🇹🇷南部・🇺🇸マウイ島・🇲🇦・🇵🇸支援や  #smileup〔旧創業者の会社���の被害を受けた元タレント達への補償〕の救援を行っています。
皆様へのクリエイター達に感謝してあげています。
あと、threads はInstagramと一緒に連携を。
https://www.threads.net/@sinoeto
神藤彩佳🐼💙
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mycatisinsanity · 1 year ago
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蜜の日 20230929.
 今日は牡羊座満月、中秋の名月。
 毎日実家と新居とダウンタウン(主にニトリ)を往復しては、少しずつ生活の範囲を整えている。例の選考に落ちて、今後のことをあれこれ考えていると最終的に自己嫌悪が酷くなる。身体を動か���ねば、と身体が自分で防衛反応を示す。どうしても自分が憎い。本気を出したい。集中力と根気が欲しい。なぜ何かを継続的に続けることができないのか。これからは少しやり方を変えていこうと思う。計画性を大事にしやう。
 昨日、実家で夕飯に得意のジャーマンポテトを振る舞うとその流れでハイボールをみんな飲み始めて、昨今のK-POP事情から音楽の話が延々と続いた。単純に考えて私の音楽のルーツのほとんどが両親から来るものなのだから、趣味が合うことは当然なのだ。しかし、これまで全然まともに話したことがなかったので、オタク同士の初めてのオフ会くらいぎこちない。だんだん乗ってきて楽しくなった。音楽の話もっとしたい。こないだのデートの時も1日の終わりに音楽の話になってそのやりとりがあまりに楽しく、自分の暗い10代もその時代も丸ごと抱きしめたくなるような気持ちになった。ただ話している時は絶対に相手の目は見れない。自分にとって音楽こそ本気だ。
 落選を報告するメールを出すと先生からは「腐らずに過ごしてください」という返事がきてなんだか面白かった。どういう意味だ。お前こそ腐ってんだろとは思いつつ。とにかく締め切りが先延ばしになったのでそれはよかった。今やりたいことはたくさんある。同時進行でやってやろうと思う。論文だけ、となると自分の進めるあらゆる道のひとつ以外全てが封鎖されたように感じてしまっていた。途中で終わってる翻訳の完成と新しいエッセイ、アウトサイダー文庫のリスト作成、彼の小説の印刷・装丁作業、あとはバイト探しくらいか。それから写真。夏の間に撮った白黒のフィルムを現像したらなかなかよかった。友人からも好評だった。白黒の方が撮りたいものを撮れるかもしれない。なのでもっとやらう。さらに身体的に生きやう。
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utsuroyihon · 10 months ago
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(Xユーザーの蜜兎さん: 「本日はZephyr Hall&NAGOYA ReNY limitedにお越しいただきありがとうございました🙏🏻いよいよ次はワンマンライブとなります‼️最高の瞬間を多くの方に見ていただきたいです✨ https://t.co/TRUXtsEr7R」 / Xから)
動画先 | 声 | HORIZON | 感情アウトサイダー | キャッチアンドリリース |
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4komasusume · 2 years ago
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古都・奈良を舞台に描かれる異種間青春絵巻――『まほろば小町ハルヒノさん』
 ユウキレイさんの新作は神鹿(しんろく)女子高生と文系男子高校生を主人公にした作品です。『お稲荷JKたまもちゃん!』、『佐伯さん家のブラックキャット』に続き獣人キャラを主人公にした4コマ作品です。また少年画報社ではストーリー作品の『銀河配送スターライトエクスプレス』を連載しています。こちらに登場するキャラクターはほぼ獣人キャラです。
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まほろば小町ハルヒノさん 1巻 (まんがタイムコミックス)
posted with AmaQuick at 2023.06.24
ユウキレイ(著) 芳文社 (2023-06-07)
Amazon.co.jpで詳細を見る
 タケミカヅチ神が茨城県の鹿島神宮から奈良の春日大社に招かれた際に白い鹿に乗ってきたという神話があります。主人公の春日野シロナこそがその白い鹿なのです。
 
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 人間社会を勉強するために奈良の高校に通っています。変化の能力を使っているので、周りからは人の姿に見えています。ただ一人ハルヒノさん本来のシカの姿を認識してしまう人間が現れるのです。それが東京から転校してきた中西ちあき。
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  ハルヒノさんの正体という秘密の共有を縁として二人の高校生活が描かれていくのです。
 異種間ボーイ・ミーツ・ガールのスタイルにご当地ネタを融合させているのが本作の特徴です。ご当地ネタも古都と称される奈良なので、歴史について詳しく描かれています。
 ハルヒノさんは1300年前から存在している神鹿なので、歴史上のことも彼女の中では過去に体験したこという描き方がされています。普通の高校生であるちあきは歴史、古典好きと言うキャラクターです。彼が奈良の歴史、地理、文化について話を振り、それに対してハルヒノさんが実体験を交えながら解説をするというのがご当地ネタのテンプレートです。奈良の情報を語るだけでなく、神鹿と人とのギャップ、淡いラブコメ展開、現代社会の文化に驚くハルヒノさんなどを組み合わせることで作品を面白く仕上げています。
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 電車移動を提案するちあきに対して徒歩で充分だろうとのたまうハルヒノさんです。こんなことを言っていますが、後々車に乗ると目を輝かせて感動します。
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 部活動中に2人を見た幼児が「でーと」と言っているのを聞いた後は激しく動揺する姿を見せてくれます。青春の甘酸っぱさです。
 そして情報の提示の仕方も良い演出がされています。
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 「倭まほろば郷土研究部」2人目の部員となったちあきが、初めての部活動で見た部長のハルヒノさんの姿です。立板の水のように奈良の知識を披露しています。自分の愛するものを語れる楽しさと、それを聞いてくれる同好の士の存在。ハルヒノさんのオタク的気質が情報の提示と共に表現されています。かく言う自分もオタクなので、好きなものを好きなだけ語り合える人がいる喜びは大いに共感できるのです。このように高い密度の奈良のご当地ネタをうまく4コマに落とし込んで作品に仕上げているのです。
 ボーイ・ミーツ・ガールは広義的には2人と周りの人たちとの関係も面白さだと思うのです。ハルヒノさんもちあきもアウトサイダーな側面があります。ハルヒノさんは人間世界からのアウトサイダー、ちあきは東京からの転校生なので奈良県のアウトサイダーです。境界の外にいる2人が交流を深めて内側に入っていくエピソードが見どころです。
 神鹿ゆえの神秘性からか、人間の姿に変化しても隔意を抱かれてしまうハルヒノさんがちあきと一緒にいることで、クラスメイトとの交流が生まれます。
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 雨の日にシャツが濡れてアンダーウェアを装着していないことが発覚したハルヒノさんはクラスメイトの女子たちと買い物に行くことになります。途中でちあきも合流しますが友人たちと和気あいあいとした時間を過ごします。
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  こちらは周りの憧れ具合が強くて親しい関係を作れなかったハルヒノさんです。求めても得られなかった関係が、ちあきとの交流で手に入れることができたのです。人間社会の勉強という目的だけではない楽しみに満ちたハルヒノさんの姿が尊いです。
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 ちあきはハルヒノさんとの関係が構築されることにより、男子からは嫉妬混じりの友情を、女子からはコミュケーション能力の高さを評価されて受け入れられます。そして歴史や古典が好きなちあきは知識として持っていた奈良を、ハルヒノさんとともにいることで実体験として奈良を獲得していきます。
 ちあきとハルヒノさんの出会いは円の外側にいた2人を内側に入れる縁となったのです。
 もちろんボーイ・ミーツ・ガールなのでラブコメシチュエーションもあります。1巻ではまだ淡い感情ですが充分にエモい関係を見せてくれます。
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 ちあきのこの台詞は至るまでの展開に叙情感があり非常にエモいです。年の差1300歳以上のカップルですね。異種ラブとしてもこれからの展開に期待ができます。1巻ラストも続きが気になる締め方なのでぜひその目で確認してください。
可愛いあの娘はキツネっ娘!?――ユウキレイ「お稲荷JKたまもちゃん!」
一家に一人イケメン猫獣人はいかが?――ユウキレイ『佐伯さん家のブラックキャット』
(量産型砂ネズミ)
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画像出典 芳文社『まほろば小町ハルヒノさん』1巻 P20,P5,P32,P34,P37,P123,P33,P47,P14 掲載順
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jab-zissy · 2 years ago
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ジョー・ライト、ルカ・マリネッリ。『ムッソリーニ-世紀の落とし子』制作について語る
Hollywood Reporter,2023年4月17日に発行された来年Sky制作で公開予定の『ムッソリーニ-世紀の落とし子』の制作についての記事の翻訳
https://www.hollywoodreporter.com/tv/tv-news/joe-wright-luca-marinelli-mussolini-tv-m-son-of-the-century-1235373399/
オールドガードのスター、ルカ・マリネッリがSky制作のシリーズで権力を手にしようとする若きファシズムのリーダーを演じる。制作は『ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男(原題Darkest Hour)』のライト。「私たちが作りたいのは、危険でそして議論の分かれる作品なのです。」
カメラがゆっくりと上からの情景を映す。我々の目に映るのはバルコニーと銀色の窓だ。「アクション!」声が響く。ルカ・マリネッリが現れた。ベニート・ムッソリーニとして。彼は下の方を眺めている。そして、急にカメラの方を向いて聴衆に話しかけるのだ。魅力的でそして誘惑的なイメージでもってこう言う「昔から犬が好きだった。」
このシーンは、スカイスタジオがプロデュースし、ロレンツォ・ミエリが所有するThe Apartment picturesとPathéとSmall Forwardの協力でジョー・ライトによる監督の基制作される新しい8話構成の『ムッソリーニ-世紀の落とし子』のエッセンスを表していると言える。
スカイスタジオのイタリアとドイツ総指揮を担当しているNils Hartmannは現在スタジオが制作しているものの中で「最大かつ最も挑戦的な��ものになると何度も言う。その中で特に際立っているのが、独特なトーンとリズムだ。イタリア・ファシズムのリーダーが権力に上り詰めるまでを描くこのシリーズは、如何にしてムッソリーニが一国家を操りそして20世紀の政治社会をどのように変容させたのかを内側の視点から描く。そして、生来の魅力を備えたイタリアのスター、ルカ・マリネッリ(オールドガード、帰れない山)をIl Duce(総帥)に起用することで観客をその変容に加担させるのだ。 「私たちが作りたいのは危険でそして議論の分かれる作品なのです。このテーマとキャラクターがまさに問われているように、」ミエリは続けて「ムッソリーニはこの信じ難いほどの魅力を備えていました。彼はカリスマだったのです。そしてこの点にこそ手を抜かずに注力することにしたのです。私たちは事実を語ります。しかし、同時に重要なのが、人々が彼のカリスマ性について理解すること。ムッソリーニは、ある意味で役者でもあったわけです。」これまでの古典的な自伝作品としてのアプローチとは異なりミエリはこの作品を「大胆かつ勇敢に議論を起こしうるシリーズとして制作する。」と語る。
ミエリ自身認めているように非常に危険なアプローチである。特に、ファシスト政権時代以降初めて極右政権による支配が昨年の選挙から続いている今のイタリアでは。首相のジョージア・メローニはムッソリーニの熱狂的支持者たちによって設立された極右政党で政治家としてのキャリアをスタートさせた。彼女の率いる党『イタリアの同胞』の2022年の選挙での大勝は民主主義への信頼に影響を与えている。
このシリーズは現代史におけるファシズムとポピュリズムの起源を真摯に辿ることで、今現在におけるそれらの意義を探るきっかけになる。しかし、それは微妙なラインでもある。ファシズムの祖をある種のヒーロとして描くことなく、21世紀の観衆にムッソリーニの魅力を理解してもらわなければいけないのだ。
「(この役をオファーされた時の)一番最初の反応は、なんと言うか、なんてこった!って感じで」とマリネッリは語る。「撮影を始める前は、本当にビビっていて。私たちはムッソリーニを称賛する気は全くないんです。彼の物語を、彼がどういう人間だったかということを、ジョーの観点から、私たちのやり方で伝えたいんです。ムッソリーニを説明するために使われてきた形容詞全てと私たちの間には距離があるのです。ムッソリーニは、自分で決めたことを実行し、更にその為の過程も、そして常に自身が行なっていることに対して自覚的であったこと。私たちはそのことを理解しなくてはなりません。ジョーはマエストロで、彼から多くのことを学びました。この職業に対する真摯な態度とか。彼の仕事を見ることはまるで芸術家の仕事ぶりを見ているようでした。」
彼が担う役割について、ライトはマリネッリのことを思い起こしてこう語った。「これまでにあった役者の中で最も生まれ持った才能を持つ人��よ。」彼の作品、Darkest Hourのスターゲイリー・オールドマンに並ぶ。「彼は常に私が求めたことを全て実現してくれたし、なんならそれ以上のことも。彼のすること全てに圧倒されたし、スクリーンに釘付けにされっぱなしだった。」
このシリーズは、ミエリの言葉を借りるとすれば、「魅力的な偉大なカリスマ」政治家としてのムッソリーニのキャリアを描く物語として、その出発地点を彼自身がまだ記者として働いていた頃に設定している。そうすることにより、20世紀で悪名高い一人物の一人であるムッソリーニの複雑で両義的な歴史を捉えようとしているのだ。
このシリーズはアントニオ・スクラーティ作の同名のムッソリーニの自伝小説『ムッソリーニ-世紀の落とし子』の前半部分を元にしている。1919年の過激なファシスト団体、イタリア戦闘者ファッシの設立と、ファシストたちの勢力に1924年に主要な政敵であった社会主義政治家のジャコモ・マテオッティを誘拐させ、殺害することによって始まった彼の台頭についてだ。
Gomorrah-The SeriesとThe New Popeを手掛けたステファノ・ビセス(Stefano Bises)と1992と1993を手掛けたダヴィット・セリーノ(Davido Serino)が小説からスクリーンへと落とし込んだ。「大体3年前くらいにこの本の映像権の権利を得たんです。」ミエリはそう言う。「だから、このプロジェクトを形にするまでに十分な時間があったと言うわけです。この本はここ数年における重要な情報と、詳細な記録を私たちに提供してくれた非常に重要な本であり。一方で、この小説は同時にこの人物がポピュリズムからいかにファシズムを作り上げていったのかを説明しようとしているのです。これは、今現在においても私たちが対峙しているものですよね。」
ライトはミエリの起用は論理的な選択だったと語る。アドルフ・ヒトラーが支配したドイツとの戦争に対峙した英国の首相、ウィンストン・チャーチルの個人的な葛藤を描き、オスカーを受賞したDark Hourの制作者として。そして、アウトサイダーであるイギリス人としての視点からだった。
ハルトマンは「ジョーはイタリア人の監督であればおそらくできなかったであろうものを付け加えた。」そして、プロデューサーたちはムッソリーニの物語がそう語られるべきように、ライトが制作することを期待している。「イタリアの視聴者だけでなく、国際的な視聴者の注意を引けるようなものに。」
「責任がある。とそう感じています。」ライトは続けて語る。「この物語が扱う範囲については自覚しています。何より、あまり分析されてきたとは言えないキャラクターだからです。例えば、ジェーン・オースティンやチャーチルについての映画を作るとして、すでに彼らについての映画がかなり多く作られていると言うことは既に知られていますよね。」ファシズムについてライトはこう言及する。「イタリア特有のものではないのです。ありとあらゆるところにある。それは非常に恐ろしいことで、そしてそれこそが問題なのです。」 以下制作現場についての詳しい説明が続く。(後日補足予定)
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straycatboogie · 2 years ago
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2023/04/09
BGM: Tokyo No.1 Soul Set - ヤード
私という人間は実に単純にできているな、と思う。朝、いつものように「今日も無事に仕事できるかな」と不安になる。「今日こそダメかもしれない……」と。だが、ともかくも職場まで赴きロッカールームでバトルスの「アトラス」を聴きながらテンションを上げる。私はどうあがいたってへなちょこな人間でしかありえない。なので無理はしないで「いつも通りやっていつも通りの結果を出そう」と考えて取り組む。そして何とかあらゆる事柄を丸め込み……気がつくと昼になっていて私は昼休み、電気グルーヴを聴きながらとんかつ弁当を食べているのだった。いったいなぜ自分が仕事ができるのか、いつもわからない。だが「とにかく、やってみないとできるかどうかわからない」という端的な事実があり、そして「やってみたらできてしまう」というメーク・ミラクルが起きてしまうのである。20年以上続けてきた経験は私の身体に確実に蓄積されており、それが私を支えている。
https://youtu.be/IpGp-22t0lU
昼休み、Twitterのタイムラインを眺める。今なお、大江健三郎や坂本龍一に関するツイートが流れてくる。彼らのような国際的に活躍するアーティストが、日本の国内で確実に忌み嫌われていたという事実について。私は、それは端的に彼らが英語を話せるインテリゲンチャだったからではないかと考える。これは安直な発想だとも思うが、日本社会は「出る杭」を嫌う傾向がある。日本の社会の同質性を乱す異端はアウトサイダーとして見なされるので、彼らのような天才性を持つ存在は必然的に反感を買っていたのではないかと思う。ひと口で言えば嫉妬があり、羨望があったのではないかと。私はそんな嫉妬も羨望も「くだらない」と思ってしまう。人の価値は英語を話せるかどうかでは決まらない。あるいは、話せる人間が羨ましいならゴチャゴチャ言わず私も虚心に学ぶべきだとも思っている。大江も坂本も元々は何もないところから自分の創作を始めた人たちだ、と。
だが、今でこそこんな御大層なことを宣う私ではあるが過去は確かに私も嫉妬と羨望に身を焦がして生きていたのである。私にも劣等感を感じる要素は多々ある。いくら勉強してもフランス語を喋れるようになれないこと、足が短いことや運動が苦手なこと、などなど。私の知人には確かな知性を有しメンサに入った人が居るが、彼女の知性を確かに羨んで不公平さを嘆いた日々もあったことを思い出す。我ながら実にバカだったなあ、と思う。別人になることに憧れたりせず、「Be Thankful for What You Got」の精神で生きることこそが要だとわかるようになるまで時間がかかった。過去の私が今の私、「英語を話せる人間が羨ましいなら自分でも学べばいいじゃないか」と語る今の私を見れば「それは『強者の論理』だ」となじるだろうか? その可能性もゼロではないなと思う。「強者の論理」……おかしなものだ。ということは私は確実に「生まれ変わった」のだろうか。
ならばそうして「生まれ変わる」ことができたのはなぜか。結局それは思うに(自分にとって都合のいい記憶ばかり反芻している可能性も踏まえてあえて書くが)、実際に断酒会や発達障害を考えるミーティングの席などで���だち・仲間と切磋琢磨したからではないかと思う。傷だらけの我が身を晒し、さんざん弱っちい自分を見せ恥をかいて……これはTwitterに入り浸って自分を完璧超人かつ聖人君子のように偽って気取る癖がついていた自分にはいい薬になったと思う。そして今、私はみっともないところのある自分を等身大のものとして認める。もちろん人間なのだから自己嫌悪に至ることもある。自分の自閉症に苛立つこともある。だが、それでも私は自分の内側からこんこんと湧き出る「自尊感情」を感じることができる。ことさらに威張ったりしなくても、ただ今日みたいな日春の温もりを感じながらふと「天上天下唯我独尊」(これはつまり「誰もが尊い」という端的な事実を指し示す言葉だと解釈する)という真理が自分を貫いているのを感じる。それでいい。そんなことを考えつつ、私はTokyo No.1 Soul Setを聴く。
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translation-diary · 3 years ago
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ジョルジョ・アガンベンに何が起こったのか?
2020年2月、ある大きな影響力を持つ哲学者が、COVIDのロックダウンはナチスドイツによく似ていると判断していた。それ以来、アカデミズムの内外に猛威を振るっている。
By Adam Kotsko
2022年2月20日
この問題の発端は、意外と多いが、あるブログの記事によるものだった。ジョルジョ・アガンベンはイタリアの哲学界の巨人であり、この分野のジョナサン・フランゼンのような存在であり、好き嫌いにかかわらず、高貴でありながら特異な人物であるため、反応しなければならないと思われている。そのアガンベンには以前からブログで時事問題や雑感を短い文章で発信していた。あるときはグレタ・トゥーンベリについてコメントし、またあるときは社会の衰退について詩的な瞑想を書いている。しかし、2020年2月、コロナウイルスの蔓延を食い止めるための緊急対策に関する議論に初めて介入するまでは、ほとんど注目されることはなかった。
「疫病の発明」と題されたこの投稿は、ウイルスに対する反応を「熱狂的、不合理、まったく根拠がない」と呼ぶことから始まり、それだけにとどまらなかった。この煽動的な主張は、基本的に国家当局がCOVID-19の脅威について意図的に国民を欺いていると非難するもので、アガンベンは、他の多くの人々と同様に、インフルエンザと同じように危険ではないと断じたのである。「まるで、テロが例外的措置の原因として尽きたので、伝染病の発明が、あらゆる制限を越えて規模を拡大するための理想的な口実を提供したかのようである」と英訳される。つまり、権力者は自分たちの崩壊しつつある正当性を補強し、新しい社会統制の形を試そうとしたのだ、と彼は主張している。この権力の掌握よりも、さらに不穏なのは、抵抗がほとんどないことだという。この後、イタリアの反応について、「イタリア人は、通常の生活条件、社会的関係、仕事、さらには友情、愛情、宗教的・政治的信念など、ほとんどすべてを病気の危険にさらす傾向があることは明らかだ」と主張した。別の投稿では、「特定できないリスクのためだけに」生活のあらゆる側面に大規模な崩壊を受け入れようとする人々の姿勢を批判し、この言葉をマントラのように繰り返している。
この論文はセンセーションを巻き起こした。ブログへの投稿、インタビュー、イタリア上院での演説が相次いだ。月日が流れ、パンデミックがますます深刻化する中でも、アガンベンはパンデミック緊急対策への批判を繰り返し行った。最終的に2021年春、彼はいくつかの放言をまとめて短編集を出版し、永久に祀り上げることにした。
これは、一部の孤立した強迫観念者の仕業ではない。アガンベンは、その幅の広さと博識さによって、過去20年以上にわたって人文科学と理論的情報に基づく社会科学の中の基本的にすべての分野で大きな影響を及ぼしてきた巨大な知的人物である。アガンベンは法学博士であるが、そのキャリアの初期には、主に哲学と文学の分野でその名を知られた。ロンドン大学の権威あるウォーバーグ研究所でのフェローシップ、そしてさらに重要なことは、ヨーロッパ大陸で最も影響力のある20世紀の哲学者であるマルティン・ハイデガーの独占セミナーに参加したことが、その一因であったことである。この数十年間、アガンベンの著作は人文科学や社会科学のさまざまな分野で必読書となってきたが、彼が真の学問的有名人になったのは、90年代後半に政治に取り組み始めてからである。Google Scholarでは、彼の最も有名な著作である『ホモ・サケル―主権権力と剥き出しの生』(1998)が、複数の分野の一流の学者からの関与を含め、約24,000件引用されていることを示している。ほとんどの学者は、100件程度の引用しかされないし、ましてや複数の分野のトップクラスの学者のページを飾ることはできない。
そして今、このように大きな影響を与えた同じ考え方が、陰謀論を推し進め、反ワクシング派の迫害を批判するために利用されているのだ。プラトンやアリストテレスの微妙なニュアンスをギリシャ語の原文で伝えることで知られる著者が、右翼の変人のように聞こえるようになり、実際の右翼の変人がニューヨークタイムズ紙で彼の著作を賞賛し、自国の超極右政治家が彼の知的権威を持ち出して彼らの主張を行い、反ワクシング派のネットユーザーが彼をイタリアの大統領にしようとするミームを作ったほどである。
人文科学分野の教授として、尊敬する先輩のキャリアがそのような方向に向かうのを見るのは心配なことだ。しかし、私個人の利害はもっと大きい。私はアガンベンの研究者であり、翻訳者であり、アガンベンは私の研究に深い影響を与えた。私たちは個人的に親しいわけではないが、連絡を取り合っている。彼がCOVID懐疑論に転向したことを初めて知ったのは、彼のブログ記事の翻訳を依頼されたときだった。私は、彼の主張のベスト版を紹介しつつ、彼に自分の立場を考え直してもらおうと思い、承諾した(結局、失敗したが)。結局、私はこの恥ずべき事態に自分を巻き込んだことを後悔し、彼の偏執的なパンデミックに関する文章が、彼の他の作品に疑問を投げかけているのではないかと考えるようになった。そのような考えに陥れば陥るほど、私の見通しはますます暗くなった。
コロナウイルス規制に関するアガンベンの新しい議論は、彼を最も有名にした本に明確に根拠をおいている。アガンベンは『ホモ・サケル』の中で、西洋社会における政治権力は、ある人々を法の保護範囲に入れ、他の人々を排除するという決定に基づいており、彼らの人間的特権を剥奪し、彼が "裸の生命 "と指定する状態にまで彼らを落とし込むと論じているのだ。これは、彼が考えるような、インサイダーとアウトサイダーという単純な区分けではない。この図式では、剥き出しの生命に還元された人々は、社会から追放されるのではなく、法の形式的保護から排除されながらも、社会秩序の基礎となる人間以下の階級として、社会に含まれることになる。
アガンベンは、剥き出しの生命を生み出す主な例として、ユダヤ人やその他の犠牲者から市民権を剥奪し、強制収容所の無限の暴力にさらすナチスの「ショア」を挙げている。市民権の喪失というある意味で社会から排除されたこれらの集団は、別の意味でナチスの主要な焦点となり、社会全体が最終的解決策を遂行するために組織されたのである。
アガンベンは、ナチス・ドイツが例外的な逸脱であるどころか、現代政治のパラダイムであったと考えている。我々の法的機関の「正常」な運用は、常に、突然、何の前触れもなく、新たな強制収容所に変貌する脅威を伴っている。この爆発的な主張に対する彼の議論の一部は、ナチスの下で起こったすべてのことは、不穏なことに、ある意味では完全に合法的であったということである。ナチスはヒトラーの非常事態宣言によって自分たちの行動を正当化し、市民権や通常の法的手続きを停止させることができた。
2005年に出版されたアガンベンの著作『例外状態』(タイトルはドイツ語の「緊急事態」をより直訳したもの)では、西欧の主要国はすべて、通常の憲法上の手続きによる統治をますます放棄し、経済不況など一見ありふれた問題への対応でさえ、緊急権に頼るようになったと論じている。アガンベンの崇拝者であるヴァルター・ベンヤミン(ドイツのユダヤ系知識人で、ヒトラーの台頭を目撃し、強制収容所送りを免れるために自殺した)の言葉を借りれば、「例外状態が標準となった」のである。
米国で出版された当時は、ブッシュ政権の対テロ戦争の最暗黒時代であり、『例外状態』の診断は大げさではなく、予言的であるように思われた。アガンベンが本文中で何度も指摘しているように、ジョージ・W・ブッシュは、愛国者法のような法律と、大統領職の本質的な権限に関する主張の両方に根拠を持つ、拡張的な緊急権力を本当に主張していたのである。そして、その権力を使って、まったく新しい種類の人間、いわゆる敵性戦闘員を生み出した。敵性戦闘員は、投獄され、拷問され、司法の監視をほとんど受けないままドローンによって処刑された。場合によっては、米国市民さえも行政官の独断で暗殺された。『ホモ・サケル』が出版された90年代には、欧米列強が強制収容所を生み出すように仕組まれているというアガンベンの主張は、極端か不条理として退けられたかもしれない。しかし、ア���グレイブとグアンタナモ湾を前にして、それは驚くほど説得力のあるものになった。
主権的な緊急権と使い捨ての「剥き出しの生」の生産との関係についてのこの議論は、アガンベンを国際的な学術的名声へと一挙に押し上げた。彼は、対テロ戦争についての学術的分析において、避けられない参照点となった。とりわけ、ジュディス・バトラーの著書『生のあやうさ』において、この考えを、刑務所、国境、難民キャンプといった国家暴力の他の現場にも適用している。彼の論文を批判する者でさえ、その前提の多くを受け入れていることが多い。黒人研究者のアレクサンダー・ウェヘリエは、2014年に『Habeas Viscus』で、アガンベンの焦点はあまりにもヨーロッパ中心的であり、実際には強制収容所よりも奴隷農園の方が適切なパラダイムだと主張したが、彼は超暴力による非人間化が西洋の権力構造の基礎になっているという考えには疑問を持っていない。
今、この権威ある著作は、アガンベン自身の手によって、歪んだ新しい形をとっている。この2年間、アンチヴァクサーやアンチロックダウンの抗議者たちは、自分たちの状況を20世紀半ばのヨーロッパのユダヤ人の状況と比較することによって、ホロコーストの記憶を繰り返し悪用してきた。アガンベンのパンデミックに関する最近の著作は、この議論の最も深く明瞭で学術的に進んだバージョンであり、その影響力はアガンベンの仲間たちを不穏な空気に包んでいる。
アガンベンの学術的なファンは、彼のパンデミックに関する著作を、彼を有名にした仕事から切り離したいと思っているかもしれない。しかし、アガンベン自身が、現在の状況を、彼のテーゼの根本的な確認と見なしていることは、今や明らかである。以前の国家が特定の集団を対象としていたのに対し、パンデミック対策は全人口を対象とし、(監禁のピーク時には)政治的、経済的、宗教的、さらには自分の死体を埋める権利など、あらゆる権利を奪うことで人々を「裸の生命」にまで落とし、その名の通り、生物学的生存権を奪うと彼は論じている。そして、アガンベンの視点から見て、さらに悪いのは、誰もがそれに従うことに熱心で、医療化された独裁に服従し、SS司令官アドルフ・アイヒマンのように、それに協力することが自分の道徳的義務だとさえ主張しているように見えることである。
アガンベンが、パンデミックへの協力者をアイヒマンになぞらえたエッセイの翻訳を私に依頼したとき、私は彼に、この扇情的な比較を英訳から除外するように説得した(原文のイタリア語はそのまま残っているが)。ナチスとの比較の修辞的な過剰さはさておき、私は、彼が過去20年間、西洋政治についての分析を深め、複雑にしてきたのに、パンデミック批判が『ホモ・サケル』からの彼の洞察をいかに鈍らせているかに心を痛めていたのである。
この時期の作品(その多くは私がスタンフォード大学出版局とシーガルブックスで翻訳したもの)は、インパクトは弱かったものの、私の目には、より繊細で興味深いものに映った。『ホモ・サケル』が最も極端な状況にのみ焦点を当てているのに対し、『王国と栄光』や『オプス・デイ』のような本は、経済に参加する我々の日常的な活動が、破壊的な西洋の権力構造をいかに支えているかに焦点を当てている。当初、私は彼の新しい著作の中にそのニュアンスを見出そうとした。私は、アガンベンに電子メールを送り、例えば、彼のパンデミックに関する著作に資本主義の分析が欠けている理由を尋ねた。しかし、私が翻訳を依頼された次のエッセイでは、経済学について論じていた。ただ、資本主義でさえ、今や医学という「宗教」に完全に服従してしまったと主張していた。その時点で、私は彼の考えを変えようとするのを止め、彼も私にエッセイの翻訳を依頼するのを止めたた。(この記事のために、私はアガンベンにコメントを求めた。当初、彼は私に話すと言ったが、結局、彼は返事をしなくなった)。
アガンベンの最新の著作について、私の学究的な同僚たちに尋ねるために手紙を書いたところ、政治家や公衆衛生当局の動機を信頼することを誰も彼に期待すべきではなかった、という点で全員が一致した。ウィーン大学の研究者カルロ・サルザーニは、イタリア語で初めてアガンベンの研究を発表し(そして私が���の作品に関する複数の著者によるエッセイ集を組織するのを手伝ってくれた)、アガンベンは常に「政府や権力者が人々の生活に対する支配力を強めるために危機を武器化する方法」に関心を持っていると私に言った。しかし彼は、アガンベンがその「道徳的な怒り」によって「彼の政治哲学的分析を十字軍に変えてしまった」ことを嘆いている。哲学者のパンデミックに関する著作は、アガンベンの以前の仕事から自然に生まれたものなのか、と問われたサルザーニは、「おそらく、彼がパンデミックを見る方法は、彼の以前の分析の自然な帰結であるが、私は彼がそこから脱出できない(そしてしたくない)硬直した限定的パターンにはまったと考えている」と答えている。シカゴ大学の教授で、文芸批評や政治理論の複数の著作でアガンベンの概念を繰り返し引用してきたエリック・サントナーも、この知的柔軟性の欠如に対して同様の嘆きを呈している。「アガンベンのパンデミックに関する発言は、彼自身の仕事を一種のイデオロギーに変えてしまうものであり、彼を批評家たちのあまりにも容易な標的にしてしまうものだと私は考えています。何よりも、このことが私を悲しませるのです」と述べている。
私にとって最も不可解だったのは、生命を絶滅させることを目的としたナチス政権と、生命を救うことを目的としたパンデミック対策の明らかな違いを、アガンベンが見抜けなかったことである。しかし、公衆衛生政策の政治性は長い間危ういものであり、この専門職の実績を心から称賛することは難しい、と同僚の何人かは指摘している。アガンベンの政治学に関する本の共著者であるペンシルベニア州立大学のクレア・コールブルック教授は、アガンベンの科学と医学に対する懐疑論が、アメリカでは自動的に右翼的な立場と一致してしまうことを残念に思っているそうだ。「政府が追求することにした特定の科学の形態を疑うことは可能なはずだ」と彼女は私に語り、「特にアガンベンが指摘しているように医療制度の維持が疎かにされた場合」だと言いました。エモリー大学の大学院生で、アガンベンと黒人研究の議論を結びつけているアンドリュー・カプランも、アガンベンの過激な問いかけを評価しており、「あらゆる介入や規制に対する保守・リバタリアンの抗議が公論を独占し」、「この非常事態が見過ごされていることの意味を、他の誰もが問題提起しにくくしている」と言っています。
アガンベンの医学的権威に対する懐疑は、彼の思想の連続性の主要なポイントである。パンデミックに対する彼の姿勢に困惑し、『ホモ・サケル』を読み返したとき、『例外状態』を支配する政治的な例とは異なり、「剥き出しの生」の生成に関する彼の例のほとんどが、医学的なものであることに気づいたのである。強制収容所の犠牲者と並んで、アガンベンは、医学的実験の対象となる囚人や、無期限の生命維持装置につながれている脳死状態の患者の姿を登場させる。明らかに彼は、医学と国家権力との間のいかなる同盟にも、長い間深く懐疑的であった。「アガンベンにとって、健康が公衆衛生になった時点で、"我々は例外状態が標準になったという罠に、どこからどう見ても引っかかっているのだ "と、サントナーは言っているようである。
公衆衛生当局に対するアガンベンの不信感は、パンデミックの深刻さについての公式説明を否定することにつながり、間違いなく偽情報を広めることになったのだ。前述のように、イタリアがCOVID感染の劇的な第一波に苦しんでいたときに書かれた、パンデミックに関する彼の最初のエッセイで、アガンベンは、新型コロナウイルスは本質的に通常のインフルエンザと変わらないと主張した。同月、ルモンド紙のインタビュアーからこの点を追及されたとき、彼はこう答えた。「私は流行病について科学者間の議論に加わるつもりはない。私の関心は、そこから生じる極めて深刻な倫理的、政治的帰結にあるのです」。それでも彼は、パンデミックの深刻さが誇張されているという考えに何度も立ち返り、2020年4月には、「流行に関するデータは一般的な方法で、科学性の基準もなく提供されている」と主張した。その後、2021年7月には、集団予防接種がレミングのように我々を大量絶滅に導くのではないかと声を大にして疑問を呈し、結局、ガンや他の病気を引き起こす可能性があると根拠のない主張をしている。
ここには明らかに健全な懐疑心以上のものが働いている。アガンベンは、医学界の権威を全く信用していないようだ。フランスの哲学者ジャン・リュック・ナンシーは、2020年2月、友人であるアガンベンの初期のパンデミックに関する著作への回答で、驚くべき事実を明らかにした。「ほぼ30年前、医師は私に心臓移植が必要だと判断した。ジョルジョは、医者たちの言うことを聞かないようにと私に忠告した数少ない一人だった。もし彼の助言に従っていたら、おそらく私はすぐに死んでいただろう」。
アガンベンがこのような悲惨な助言をするということは、人間的に見ればきっと驚くべきことなのだろう。しかし、彼の長年の読者にとっては、彼が具体的��助言をすることは、ほとんど衝撃的である。彼の作品は歴史的に批評が長く、政治的な処方箋は短い。アガンベンは、何をなすべきかについての立場を表明するときはいつでも、意図的に不明確にすることで有名である。『ホモ・サケル』や『例外状態』の読者は、緊急事態権限の乱用に対する解決策は「正常な」政治構造に戻ることだと考えているだろうが、これらの本でアガンベンは、その「正常な」構造は常にアウシュビッツに不可避的につながると論じているのである。彼はかつて、より根本的な解決策が必要だと書いた。法と権力の構造全体を解体することだ。その可能性は、具体的で実行可能な計画ではなく、文学や神学のイメージを使って喚起するのが普通だ。
しかし、サルザーニが私に指摘したように、今やアガンベンは、「緊急措置は、『ブルジョワ民主主義』を破壊し、個人の自由を縮小するための一種の意図的・計画的な計画として」抵抗するよう呼びかけているのである。2021年10月のイタリア上院での演説で、アガンベンは、立法府が行政の行動にゴム印を押すような存在に成り下がっていると訴えた。このような適切な立法手続きへの懸念は、控えめに言っても、法律や言語、そして自分自身の身体との関係を根本的に見直すよう繰り返し呼びかけてきた著者からは予想外のことである。今でこそ上院が行政に対して自己主張することを求めているが、『例外状態』では、「子供が使われなくなった物を使って遊ぶように、人類が法を使って遊ぶのは、それを正規の用途に戻すためではなく、永久に法から解放するためだ」という未来を予想し、法の破壊的構造に対して対応すべきことを示唆していたのが印象的であった。このような遊び心に満ちた法の新しい使い方が実際にどのようなものになるかは不明だが、それこそが彼の主張の一部である。私たちは文化の権力構造によって深く形成されているので、急進的な代替案は曖昧で逆説的に聞こえるに違いないが、もし脱出したいのであれば、努力しなければならない。対照的に、彼のパンデミックに関する著作では、アガンベンは出口を見つけることをあきらめているかのようである。
アガンベンの知的生活のこの章を考えてみると、彼の恥ずかしいパンデミックの叫びの中に真実があるとすれば、それは私たちが彼から聞く必要のなかったもの、そして間違いなく彼の考察が取った形でもなかったもの、つまり、人生には単なる生存以上のものがある、ということだとわかった。この洞察は、シモーヌ・ド・ボーヴォワールが『あいまいさの倫理学』の中で述べている、「家も職業も過去の人生も捨てなければならないと嘆く若い病人に、誰かが『治しなさい』と言った。あとはどうでもいい』。でも、何も重要なことがないのなら、治ることに何の意味があるのでしょう」と彼女は答えた。
問題は、アガンベンが、私たちにとって最も重要なものは何かという問いに対する集合的な答えを打ち立てるための哲学的な道具を提供していないことだ。アガンベンは、特異な反マルクス主義のアナーキストではあるが、常に左翼の人間であった。しかし、彼のパンデミックの著作における右翼との明らかな重なりは、決して偶然ではない。国家によるいかなる行動も、国家医療当局によるものも含めて、常に本質的に抑圧的であるとすれば、私たちは自らの個性に立ち戻るしかない。それはまさに、右翼が既存の権力構造に挑戦する努力を事前に断ち切るために何十年も使ってきたリバータリアン的立場である。
アガンベンの場合、国家権力に対する過度の不信が、パンデミックに対する個人主義的アプローチが、パンデミックを悪化させながら企業権力を強化したことに目をつぶってしまっているのだ。いわゆる必須労働者は、他の多くの人々とともに、国家の直接的な介入によってではなく、彼らを自由にすると主張する政策によって、使い捨ての剥き出しの生に還元されたのである。アガンベンのパンデミックに関する著作から得られるかもしれない孤立した洞察が何であれ、西洋の権力構造が我々の自由そのものを犠牲にしていることに気づかない政治思想家は、大きな、実際にはほとんどすべてのことを見逃している。しかし、ここでも、アガンベンが自身の洞察に応えていないことを論証することができる。自由が罠になりうるという考え方は、私自身の仕事の中心的な考え方の一つだ。皮肉にも、この考え方は、アガンベンの『ホモ・サケル』以降の著作を批判的に読むことによって、その大部分が導き出されたものなのだ。
アガンベンはこの記事のために私と話すことを拒否したが、私たちは時折電子メールを交換し続けている。この数ヶ月、彼のブログに新しい記事はなく、パンデミックに関連する最近の記事は、イタリア上院と学生グループへの招待講演の記録である。最近、ヨーロッパの多くの国が、オミクロンの急増を抑制するための新たな規制をめぐって抗議行動に沸いているときでさえ、アガンベンは静かだった。おそらく、ついに、彼は、悲惨であまりにも深刻なパンデミックへの介入を脇に置き、彼が何度も何度もわれわれに伝えてきた、われわれの唯一の希望である子供のような想像力に再びつながりつつあるのだろう。この2年間が彼の遺産を、そして彼の人生を変えた作品をどう捻じ曲げるのか、その疑問は尽きない。
出典:Giorgio Agamben’s COVID denial: What happened to the world-famous philosopher?
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kirari-kirameku · 3 years ago
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* 《✮ごきげんな✮ アウトサイダーたち》 * * * 間が空いてしまいましたが、、 先日、主催イベントが終わりました * 出店者さんに来て頂くようお願いしての主催は、初めてでした * 少しテンションが落ち着き、改めて感謝の気持ちが湧いてきまくりなので、投稿しようかと思います * * * 出店者の皆様、 本当に本当にありがとうございました イベントは、お客様は当たり前に大事やと思ってたけど、 出店者さんの存在は、ほんまめっちゃ大事やと感じました それも、当たり前なんやろけど * 正直、出店して頂く様、交渉するの、心臓に悪い * 私は、昔から携帯があまり得意でないので、やり取りは、いつも迷ったり、丁寧過ぎたり、絵文字の使い方も気になる 間も気になる (これ書いてええんか、、) * だからこそ、即🆗くださったり、協力するよて言うて頂けたり、駄目でも迷ってくださったり、フラリと当日現れたり、イベントすることなりましたて言うたら、おめでとうて言うてくれた方も居ます * 出店決まってから、告知を何度もしてくださったり、このイベントの為のテーマを掲げてくださったり、下見や出店内容を打ち合わせしてくださり、このイベントの為に、わざわざあれやらこれやら準備してくださったり、レンタカーで迷いながら来てくださった方、どっしり構えていてお任せでいけたり、 出店出来なくても、連絡くださり、心温まるアドバイスもありました * 皆さん、他に仕事をしていたり、お店や活動をしていたりやのに、真剣に取り組んでくださるのが、どれ程心強かったことか😢💗 * 私は、基本的に相当ネガティヴなんですが、ネガティヴやからこそ見えてる景色があり、向上心も芽生えるし、何より努力し、頑張れると思ってます * 今回、強く思ったのは、こうやって熱い気持ちにさせてくれる方々に目を向けようてこと * 断られてしまったり、考えが違ったり、嫌な事とかもあったけど、そこに自分の限りある感情を使うなら、大切な方々に隅々まで使いたいて、思いました * 私は、感情の起伏が激しいし、良い時が少ないので、自分の場合は、感情や想いや気持ちは有限やと思ってます * 前は、皆にありったけ優しく思い遣りを持ちたいて思ってたけど、 そうじゃないのは冷たく、罪な事で、卑怯やとさえ思ってたけど、 限りあるのならば、好きな人や、大切な人、自分の為に時間を使っても良いと思ってくれる人、要するに周りの人に、その分を使いたいなて * その考えが、正しいんか不安やったけど、確信に変わりました * * * そして、今回、様々な環境を提供してくださった、 @themarketjp さんにも、本当に感謝しております * 私、ここのお客様も、スタッフさんも、本当に好きで、私みたいなやつや、アウトサイダーというテーマや、アウトサイダー、障害のある人、マイノリティ、、 そう言ったモノコト人に対しても、ギョってならない * ある意味温かく、ある意味自分に自信があり、ある意味他人に寛容 やなて思います * すごく素敵なスペースなので、是非ぜひ利用して頂きたいです❣❣ * ごはんもドリンクも、パンや甘いものも本当に美味しいです◎ @themarketjp @themarket_grocery @themarket_groceryocat @ikedayabbqstyle * * * 忘れてはならないのが、お客様♡ 遠くからも、近くからも、お店のお客様も、SNSを見て等など、、 * お客様と出店者さんがマッチングした時は、すごい興奮しました * お店のスタッフさんや、出店者さん同士がお客さんになったりも、何度となくありました * * * とにもかくにも!!! 皆々様!!! ほんま好きや❤❤❤❤❤ * ありがとうございました❣❣❣ * * * 2021年10月24日 Kirari Kirameku 美香より * #ごきげんなアウトサイダーたち #ごきげんなアウトサイダーたち出店者の皆様 ↓↓ #パクチーポクチー @pakupoc #お米クリエイター @rice.y.sato #bavardcadeau @bavard_cadeau #NaturalBread @natural_bread_2021.09.04 #uneamulette @une_amulette #Mieちっく @teramaemie #ouca @ouca_life #dj特攻一番機 @tottsukouichibanki #chamomehndi @chamomehndi #カラフルアーティストmocchi @mocchicolor #soincream @soin_cream #oaoa @oaoa_jp * #themarket #Kirari_Kirameku @kirari_kirameku_by_mika #大阪イベント #東天下茶屋 #エスニック料理 #ナチュラルブレッド #かぎ針編み小物 #レジンアクセサリー #点字ネイル #敏感肌でも使える インナー #ヘナタトゥー #ライブペイント #アロマセラピー #ハンドメイドアクセサリー #宇宙米 #宮城ハンドメイド * 次は4月かな😊 (THE MARKET) https://www.instagram.com/p/CVYmDdqBj4y/?utm_medium=tumblr
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