Tumgik
#怒りのコントロール
oq-oq · 7 months
Text
2019年4月27日に書いていたしんどい時の自分のケア方法。またしんどいことがあったら役に立つといいなと思って書いたことをなんとなく覚えていて、見返してみた。すんごく真っ当なことが書かれていて、びっくり。
考えことは、夜にはしない。昼間太陽とともに。
同じ思考を繰り返している場合は、きちんと思考を中断する。
感情はコントロールし、きちんと表にだしていく。怒ることは悪いことではない。
コントロールできない感情に対しては、無防備に直面しない。直面する際には、時間と人を間に入れ、ポジティブなフィードバックを受ける環境で、向き合っていく。
感情を落ち着ける逃げ道を用意するが、感情から逃げ続けるための予定に、追い込まれない。人と話すことによって、できごとの再体験をしすぎない。
食事がとれないときは、水分をきちんととる。突然に身体の負担になるものは食べない。食事に逃げない。食べる時は和食。
苦しいことに慣れない。抜け出すべき道であるということを自覚する。
これからの在りたい姿を自分の中に、確立する。
気分転換の買い物は本にする。本屋を巡り、たくさんの世界をみると落ち着く。本はいくら買っても、無駄遣いにならない。
631 notes · View notes
leomacgivena · 7 months
Quote
会社で一人クビになった。優秀で部下の面倒見もよかった。理由は人前で怒りをコントロールできなかったこと。会社はあなたの意見が正しいかなんて全然興味ない。興味あるのはチーム全体のアウトプットの最大化だけ。雰囲気を壊してチームのスピードを落とすやつに居場所はない。
Tak 🇺🇸さんはTwitterを使っています (via leomacgivena)
182 notes · View notes
moznohayanie · 1 month
Text
「心」と「体」は「自分」がこの世に存在するための「最も大切な道具」です。
自分の大切な道具と同じように(むしろそれ以上に)、大切に扱う必要があります。 車と同じで、良い性能を維持しようと思えば、適度にエンジンを動かしたり、定期的な整備やメンテナンスが必要になってきたりします。調子に乗って飛ばし過ぎれば当然壊れます。
自分の愛車であれば、「適度な運用」のイメージがわきやすく、実際にそれに取り組めるのに、いざ自分の心や体のことになると、同じ「道具」でも無茶や無理をさせがちです。体や心が悲鳴を上げているのに、アクセルを踏み続ける人がいることも珍しくありません。
一方、「道具」である以上は、使わないまま放置し過ぎてもさまざまな“不具合”が生じます。
体の場合は、肥満や病気等の知覚できる変化でその“不具合”を比較的イメージしやすいでしょう。実は心も同じです。
心をコントロールすることなく、好き勝手にわがまま放題にさせていれば、自分の思い通りにいかないとすぐに不満を感じる心にだんだんとなっていきます。
人間が年齢を重ねた時に、いわゆる「怒りっぽい頑固ジジイ」になるか「優しい穏やかなおじいさん」になるかは、そこに差があるように思えます。
中年男性が「怒りっぽい頑固ジジイ」と「優しい穏やかなおじいさん」に分かれていく「決定的な理由」
21 notes · View notes
wwwwwwwwwwww123 · 1 year
Photo
Tumblr media
山口慶明🇺🇸で何とか生きてるさんはTwitterを使っています: 「みんな『肉体の老化』ばかり気にするけど、もっと『感情の老化』も気にした方がいい。一般に20代から前頭葉の機能は低下し徐々に感情のコントロールが難しくなる。「涙もろくなる」とかはいいけど「自分の思い通りにならないと怒る」「自己顕示欲の暴走」なども感情の老化で起き易くなるので要注意です https://t.co/yeOWbQM3gF」 / Twitter
198 notes · View notes
kozen-ta · 1 month
Text
そのためにもぜひ取り入れていただきたいのが「サムシング・ニュー」という習慣です。毎日1つ新しいことに挑戦してみてください。新しいお店に入ってみる、食べたことのないメニューを頼んでみる、行ったことのない場所に行ってみる、などどんな小さなことでも構いません。
8 notes · View notes
shiri1124 · 29 days
Text
元彼の話ばかりして申し訳ないが、ここくらいでしか書けないので許して欲しい。いっそ、元彼1.2と名前つけて今までの投稿をファイリングするなど出来ないものか(元彼の出会いから別れまで一連で読めるように)と調べたけどtumblerにはそんな機能はないみたいです。愚かな女の投稿が見たい人はご丁寧に3ヶ月ほど前の日付の文章から辿ってみてやってください。
それはさておき、振られた当日〜3日目ぐらいまではただただ悲しくて、辛くてって感じやったんですが、昨日今日あたりから少しづつ感情が変わってきました。今回の恋愛で私はたくさんのことを学びました。そして昨日また、一つ気づいたことがあります。それは彼と恋愛してる時、私の喜怒哀楽の全ては彼に握られていたということです。「彼が私に好意を向けてくれるから嬉しい気持ち!彼がそっけないからなんか悲しい気持ち…」とかそんなやわなもんじゃありません。椅子取りゲームで本当はこの席に座るの嫌だけど、他にないから仕方ないかと、余った席に仕方なく座ったときのあの感じに似ていました、驚くほどに喜びの感情しか、悲しみの感情しか、怒りの感情しか感じられなかった。本来私が自由に行き来できるはずの喜怒哀楽の感情を乗せた椅子は彼に完全に管理されていたことに気付いたんですね。本来であれば感情は自分自身だけのもの。嬉しいも悲しいも楽しいも怒るのも私だけのもの。他の誰かに管理されるべきものではない。25になって初めて身に染みて感じた。感情は自分だけのものって言葉ではわかっていたけど、初めて意味が腑に落ちた感じ。
元彼は別に私の全てをコントロールしようとしたわけではないと思う。ただ、自分が求めた時にそばにいてくれて、求めた言葉を言ってくれて、いつまでも可愛いままの年下の女でいて欲しかったんだと思う。喜怒哀楽も行動も未来も全てをコントロールされてるぐらいの方が居心地がいいって人もいるから、ただ単に私たちは相性が悪かったって話なんだと思う。
私の元々彼(最近よく上がる元彼の一個前に恋人だった人)が容姿とか行動に対するモラハラだとしたら、元彼はメンタルにズカズカ踏み込んでくるタイプのモラハラだったんだと思う。
彼氏と別れたと報告をすると友達は
「やったね!!!モラハラ側から手を切られるなんて、あんたモラハラの呪縛完全に解けたね!!」って励まされて、あまりにも想定外の励ましの言葉で目が点になってしまった。この先私が誰か新しい人と恋愛をするのか、はたまた一人で生きていくのか、今の私には全てが未知数だけど、これだけは言えることがある。今回の恋愛はただの失敗ではなかったんだなということ。なんだかんだ言って楽しか���たし、わくわくしたしね。大森靖子が「恋愛なんて泣いて叫んでも様になるから人生っぽいし」って歌詞を書いた意味も今ならわかる。多分私が元彼への文句を認める機会は今後も幾度となくあると思うけど、全部まとめて一言にするなら、ありがとう楽しかったよって言いたいね。
9 notes · View notes
kijitora3 · 4 months
Text
前頭葉が老化で萎縮して感情のコントロールが効かない動物と化したジイサンの犯行 これからどんどん増えるだろう 若い人、すまん
こういう老人は話通じないから、身の安全を守るために即刻退避 あるいは相手が刃物振り回すなど身の危険が切迫していて逃げられなかったら、全力で反撃 万一相手が死んでも正当防衛で罪にはならない そして、全力で反撃したら相手はジイサンバアサンだからこちらが生き残る可能性はある
7 notes · View notes
kennak · 2 months
Quote
「パリ五輪・卓球男子シングルス・2回戦」(31日、パリ南アリーナ)  前日に孫穎莎との混合ダブルスで金メダルを獲得したが、その後に歓喜の中で報道陣にラケットを折られた中国男子で、世界ランク1位の王楚欽が登場。予備用のラケットを使用するとしていたが、スウェーデンの同26位のモーレゴードに大苦戦の末、2-4で敗れる波乱があった。  ショットが微妙に精彩を欠き、1、2ゲームを奪われると、3、4ゲームを意地で奪い返したが、第5ゲームは終始相手にリードを許す展開で、9-9で並んだものの、2ポイント連取されて、9-11で落とした。第6ゲームもモーレゴードが圧倒し、まさかの敗北となった。男子シングルスで中国は08年北京五輪以降、4大会連続で金、銀を独占してきたが、一角が崩れることになった。中国選手が他国の選手に敗れるのは04年アテネ五輪以来20年ぶりとなった。  敗れた王楚欽は沈痛な表情で足早にコートを去り、大金星にモーレゴードはフロアに倒れ込んで歓喜。会場は騒然となり、勝者をたたえる歌声がこだました。  試合後、王はラケットの影響を問われると「まあ実際には間違いなくそうなります」と、淡々と認めた。「��くの問題があり、多くのミスを犯したことが今日の失敗につながったと思います。試合に負けた本当の理由は自分自身。相手のサーブに変化があり、それに十分反応できなかった。今日の自分には勝つ力がなかった。反省しないといけない。相手のプレーヤーも非常に競争心が強かった。それが結果だ。ラケットは関係ない。この負けを反省して団体戦に向けて強くなって帰ってくる」と、言い訳はせず敗戦を受け入れた。  前日の混合ダブルスで金メダルを獲得。歓喜の中、国旗を持って記念撮影を行っている際に、報道カメラマンがベンチ横に殺到。その中で王楚欽のラケットが踏まれてしまい、折れてしまう事態に陥った。折れたラケットを手に呆然とした表情を浮かべた王は「(ラケットが壊れた)その瞬間、私は感情のコントロールを失いました。なぜカメラマンたちがそんなことをするのか理解できませんでした。そんなつもりはなかったのだと思いますが」と怒りを滲ませながら、「すでに起こってしまったことなので、私には何も出来ない。控えのラケットを使えばまだいいプレーができると信じている」と、必死にシングルスに向けて前を向いていた。  この問題を巡っては、元卓球金メダリストの水谷隼氏が自身のXで「ラケット折られたのは可愛そうすぎる。プロの選手は1グラム単位で重さを指定して、自分の持ちやすいグリップに加工して、汗や湿気で弾みも変わってその都度調整して馴染んできてやっと自信を持って信じれるようになる唯一無二のパートナーなのに。折れたラケットは絶対元に戻らない。時間をかけてやっと完成させたラーメンのスープを1から作り直してくださいと言われるようなもんだよ。同じくらいの実力の選手と、自分の物じゃないラケットで試合をしたら10000%勝てない」と、影響に懸念を示していた。
卓球男子で大波乱 世界1位・王楚欽が2回戦敗退 前日ラケット折られ予備使用も精彩欠く 中国5大会連続金・銀独占逃す 言い訳せず「多くのミス犯した」(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
3 notes · View notes
namazu9p-memo · 9 hours
Text
古武術系の人は呼吸法について、「カラダの本能的な動きのうち、唯一じぶんでコントロールできるのが呼吸なのです」という。
だから、呼吸法に意味があるのだという。
その言葉を聞いた当初は、よくわからなかった。なにがコントロールできるのか、なにがコントロールできないのか。そういう観点で世の中を眺めた経験はそうない。
そういう観点でみると、なにがわかるんだろうか。
社長の成功談で聞く類型のひとつとして、目標はコントロールできる形にしておかなければならない、というものがある。
営業職の人に、○○円を売り上げろ、と���う目標は筋が良くない。
売上金額というのは、営業職ひとりでコントロールできるものではないからだ。彼がコントロールできることは、何日間で何人と会う、とかそういうことだ。
テニスコーチのガルウェイはこう言う。「あなたの打ったボールはどのくらいの距離でアウトしている?」
彼は、「ボールを枠内に入れろ」とは言わない。生徒がコントロールということを理解するための、重要なヒントを提供している。
なにが今、コントロールできることなのか。
コントロールするためには、何をわかっていないといけないのか。コントロールに関する勘違いをなくすことで、生活はだいぶスムーズになるんじゃないかと思う。コントロールできないことについて直接考えない。
コントロールの範疇にないものについて、コントロールの影を読み取らない。
われわれが何か悩んでいるとき、そこには自分がコントロールできないものが絡んでいることが多い。
初心者が、ボールを枠内に入れようと悩んでも、その点についてのコントロールスキルはないのだから仕方がない。
まずは、自分の行った行為が、どういうふうにズレを起こすのか。そこを知るところからだろう。
怒っている人がたくさんいる。他人に、悪意のある振る舞いをされて腹を立てている。たとえば、政治に腹を立てている。
ほんとうに、それは悪意なのだろうか?
相手は、そんなに状況をコントロールできるような力があるのだろうか?それは単に無知や無能なのではないだろうか?
だとすれば、こちらはどのようにそれに対して、自分のコントロールの範囲で手を打つべきか?どうも自然と、自分のこと、世の中のことに対して、人はコントロールを見いだしすぎるようだ
そんなにコントロールできることはないし、みんなもそんなにコントロールしていい。
コントロールのできる範囲について、冷静に、独自のラインを見極められる人は、なんか”クール”だ。
2 notes · View notes
aikqs · 8 days
Text
砂の粒子くらい簡単に手からこぼれてしまうもの。簡単に切れてしまいそうなくらい脆い糸。ずっと肝心なところは委ねられて、意思を持った操り人形みたいだった。勝手に転がってたわけだから操り人形ではないし、転がるのも降りるのも自由で、決断するのもわたしだったから、操り人形もどきと名付けたほうが正しいのかもしれない。ただ、なくなってしまえばただの人形だ。それでも大人になると、自己主張をやめて上手に世渡りするずるさも、なにかを取り繕う賢さも、なにかを諦める方法も、器用にコントロールできる強さも自然と染み付いていく。それでもときどき、青くさい感情に振り回されては痛みをかんじたり、人間らしく喜怒哀楽のなかで泳いで溺れてみたり、子どもみたいに感情にまっすぐ生きてみたり、それで勢い余って失敗したりすることもある。大人になりきれていないのか、それとも大人とはこういうものなのか。そんなこと、学校の先生はだれも教えてくれなかったから、とっくに成人を越したいまでも大人とはどうあるべきなのか、なにが大人なのかの正解はわからない。でも、その先の割り切った世界にいけば、ちくちくとした感情を抱えながらもへっちゃらな顔できるし、大人というものは前を向いて歩けるし、まちがいなくなんとかなるということも大人になったわたしならわかる。よろこびと憂いと痛みを得てこそ、何度もループして積み重ねた時間もたいせつなんだってこと、自信をもってわたしに教えられる。だから、いつかきれいになっていくこの標本たちをながめて、時間をかけて力作だと満足できたらそれで充分だ。『おわりに』をかけるようになるまでは、汚れたり埃まみれにならないようにラップでぐるぐる巻きにでもしておこう。めずらしくなにかに一生懸命になった日々、人間らしく感情でうごいた日々を、時間が経っても無感情の枠内におさめないように。大切にしてきたものとは、何度もいろんな形に変形し続けてでも変わらないもの。そういうものなんだろう。
3 notes · View notes
oq-oq · 2 years
Text
すきなpodcastを聴きながら通勤していたら、混んでる構内で思い切り足を踏まれた。目があって避けなきゃ思った時に思い切り踏まれた。こんな故意な暴力が久しぶりで、「え?痛!!」と声を出したけど、そのまま急いで去っていった。怒りというか、呆れというか。これにどうしたらNOと言えるんだろうと咄嗟に思ったけど、急いで去っていくおじさんを追うわけにもいかず、ただ立ち尽くした。女性だとわかっていて、足を踏んでるでしょ?いつまでこんなことを我慢しなくてはいけないの?この答えを誰が知ってるの?いろんな疑問が沸く。でも、わたしはわざと人の足を思い切り踏もうと思うことはないし、ましてや自分と力の差がある人に対して暴力を振るおうと思うことはなくて、おじさんの存在をただただ哀れに感じる。なんで怒りをコントロールできない人ってほとんどが"おじさん"なんだろうか?
31 notes · View notes
leomacgivena · 2 months
Quote
昔、年長者が突然理不尽に自分にキレだして「今なんで怒ってるかわかる?」みたいに質問された際、咄嗟に「前頭葉でしたっけ?確か加齢で前頭葉の機能が弱ると感情のコントロールが下手になって怒りやすくなると学部の授業で習った気がします!」って答えた結果この世の最上級のブチギレに遭遇した。
西内啓 Hiromu NishiuchiさんはTwitterを使っています
76 notes · View notes
patsatshit · 9 months
Text
いつもは僕が気になる友人たちにインタビューをしている「対話篇」ですが、今回はなんと日常炒飯事くんが僕にインタビューを挑んでくれました。ひとまわり以上も年の若い友人に手のひらでまんまと転がされる様を、どうぞご笑覧下さい。
Tumblr media
〔日常茶飯事〕炒飯事、個人店もアイドルも変わらないと思ってるんですよ、世の中にはこんなにたくさんのアイドルがいるのに(お店があるのに)自分のところを選んでくれるなんて!みたいな感じで、商売なんだけど、でも、選んでくれる(推してくれる)喜びが凄くあると思っちゃってるんですけど土井さん、これは妄想ですか?サイクルショプすずめでは来てくれる人たちが次に進むため飛び立つための?一時的な止まり木的な役割もできたらな的な話を直接、聞いただか読んだだかしたんですけど、でも今まで来てくれてたお客さんが急に来なくなるのは次に進んだということだから嬉しいことでもあるんだけど、絶対根っこではどこか寂しいと思うんですよね、たまには連絡してよね、お店に来てよね、でもべったりは嫌よみたいな、実際にも今タラウマラから離れるお客さんが増えた的なことも言ってましたが、土井さんは推し変についてはどう思いますか?自分は推し変に関しては見る目のないバカの迷走だと思ってます。なんというか量と早さをコントロールしたらうまいこと推せると思うんですよね。桐乃みゆさんのことをみゆっぴって呼びたいのにまだ呼べたことない、自分には無理かも、呼べてないってことはこれから呼べるかもしれないってことだから、を抱えてやってくみたいな感じで。
〔土井〕さすが炒飯くん、いきなりええとこ突いてくるやん。炒飯くんとはサイクルショップすずめからの付き合いやから、なんだかんだでもう7年とかそれくらいの付き合いになるんかぁ。確かにその間にほんまに沢山の出会いと別れがあったわ。炒飯くんの指摘にあるように、僕は店なんて止まり木で十分やと思っていて、次から次に羽を休ませては巣立っていくというのが理想で、それ以上の関係性は窮屈に感じるし、最初からそこまで密接な人間関係を求めてもいない。若い子を育てるとか、お客の音楽を聴く幅を広げたいというような大それた野望も抱いてない。適当な距離感で羽ばたいて行ってくれるのが丁度いい。でも、去り方は重要やと思うねん。「立つ鳥跡を濁さず」という良い言葉があるのに、実際には食い散らかした挙句にその場を糞まみれにして「ほな、さいなら」みたいな奴が多いよね(笑)。いや「ほな、さいなら」を言うてくる奴はまだマシな方で、そのまま去っては遠方からウンコ爆弾を落としてきたり、レジ金を啄んでいくような奴もおるからなぁ(笑)。やっぱり飛び去り方は大事やと思うわ。ここ数年、強く感じていることやけど、僕のまわりでアーティストを気取ってるような人たちはとにかく弱い、弱すぎてこっちが逆にビビっちゃうくらいに弱い。当人たちはそれを必死に隠そうとしてるけど、やっぱり捲れるよね。面と向かって何も言えない人たちは、カゲで好きなこと言うてはるみたいやけど、僕は所在地も電話番号もメールアドレスも世間に晒して生きてるから、ちょっとそういう人たちの感覚は理解に苦しむなぁ。炒飯くんの「推し変」というのをきちんと理解して答えられてるか怪しいところがあるけど「推し」をころころ「変える」ような人は、そもそも「推す」ということを理解してないんちゃうかなって思う。好きな対象にはどこかに嫌いというか受け入れ難い一面もある筈で、そういうこともきちんと飲み込んだうえで「推す」訳やん。好きだからこそ、あなたのこういうところが嫌いです、と言える。ちゅうか言わないとあかん。好きなアーティストの発表する楽曲や作品が全部好きになる訳ないやん。打率10割のバッターがこの世に存在せえへんことが何よりも物語ってるし、野球好きの人らは好きな選手が三振したら、えげつない罵声を浴びせはしても、だからって「推し」を辞めることはないやん。野球ファンの人ら、あれほんま長いこと根気よく「推し活」してるで。それに比べてアイドルやアーティストやショップを推してる人たちは何か気に食わんことがあったら簡単に手のひらを返す印象がある。自分が好きだと思い込んでるときは何でもかんでも褒めるのに。だからやっぱり「推す」ということがわかってないと思ってしまう。あと呼び名問題はめっちゃわかるわ。僕はジャニーズ系のアイドルやクラブ界隈の人たちが年齢やキャリアに関係なく相手を「くん」呼びする感じが苦手で、僕は炒飯くんのこともしばらくずっと「さん」呼びしてたと思う。小野ちんのことを「さん」から「ちん」と呼べるようになるまでに5年くらいかかったもん(笑)。WDのマーシーさんやSFPの今里さんは僕よりも年上やけど基本的に「土井さん」って呼んでくれてる。でもたまに話が盛り上がってテンションが沸点に達したときには「土井くん」に変わったりするねん、あれ好きやわ(笑)。
Tumblr media
〔日常炒飯事〕そうなんです、炒飯事は良いところを突いちゃうところあって、土井さんの「JAGUAR」だって一読で自分が好きだなと思ったところをここが訳わからなくて一番好きでしたって送ったら、そうやねん梶原くん僕もそこが一番好きやねんってなりましたもんね。なんか分かっちゃうんですよねそういうのが、たくさん本を読んでるのでポイントというか本の声が。梶原さんって呼ばれた記憶無いんですけどありましたっけ?7年の付き合いだしあるかも!土井さんの声色推しとしてこれは言っておきたいんですけど土井さんのカジワラくんのイントネーションが好きなんですよね、桐乃みゆさんの炒飯事〜も好きなのですが、今も土井さんの声が聞こえてきてます。去り方!これは土井さんからのパスだと感じました。アイドルっていつか卒業するもので、だから去り方は常に考えてますね、でもやっぱ自分、去り方には自信あるので任せて��ださい!patsat!桐乃みゆさんはいつも最高にするからって言ってくれるんですけど、だから炒飯事も最高にするって決めてます。土井さんそれが不思議なことに桐乃みゆさんに対しては、どこか嫌いというか受け入れ難い一面が、推して3年目?くらいなんですけど無いんですよ!(もしかしたら炒飯事は2年間その場でグルグル回っているだけなのかもしれない)でも安心してください。炒飯事、本をたくさん読んでるので受け入れ難いこともゴクゴク飲めると思ってます!押忍。弱い人が多いって話ですけど皆んなどこか不安でその不安が人を動かしてる気がするんですよね、商売も推すことも推されることもってな感じで、そこら辺は土井さん的にどう感じてますか?なんか自分は不安な人に安心して欲しい気持ちがあるんですよね、人の不安を煽りたく無いというかでも時々不安を煽るようなことをしちゃうんですけどね。野球やってたんですけど、あんなのやんなきゃ良かったと思ってますね、あれのせいで自分は人の話を理解していないのに取り敢えず返事しとくみたいな癖がついてしまった気がします!土井さんはボクシングやってたんですよね確か、インスタのストーリーに載せてたミット打ちならぬ段ボール打ちの動画?凄く怖かったです!怒らせたらアカン!よくタラウマラのレジの金を盗もうと思うわ!野球やってたけど本を読む方が好きで、ジャニーズといえば、加藤シゲアキさんあの人結構良い小説書きますよ、『なれのはて』と『オルタネード』しか読めてないんですけど。こんなに本を理解できてる(本なんて理解できないことも含めて理解できてる)自分という読書がいて幸せだろうな本はぐらいの気持ちで本を読んでいるぐらいどこか自分に自信がありつつ同時に桐乃みゆさんに対しては自分はホラーじゃなくて喜劇になれているんだろうか?と毎日不安に押し潰されそうになってます、なんかカルチャーとか文学とかそういう世界にいない普通って言ったら、なんだその括りはとか怒られちゃいそうなんですけど普通のそこらへんの同世代の女性とかに炒飯事のインスタグラムを見てもらいドン引きしてもらわないと、心が保たない気がしてて、でも、そのドン引きは本気のドン引きじゃなくて呆れ笑いというかそういうのが嬉しいんですよね面倒くさいですよね、そういうところもキモいよとバッサリ切り捨てて欲しいくらいです。SかMかといえばどちらかというとMなので、でも一線を超えて呆れられることに怯えてるみたいな不安が自分にはあります。たくさん呆れられてきたからだと思います。土井さんはSですか?Mですか?なんというか自分は喜劇だと思ってやってるんですけど真剣でもあって、でも笑っても欲しくて、ふざけちゃうんですけど、それが度を越すと、人に対してアイドルに対してファンに対して、失礼になると思うので気をつけてるのですがそこが難しいです、日常炒飯事という名前もどう考えても滑っててうすら寒いし。
〔土井〕いや、ほんま僕も何で野球を例えに出したのかわからんくらい昔から野球をやるのも見るのも苦手やねんけど、たぶん炒飯くんからプレゼントしてもらった鹿島田真希の『来たれ、野球部』に引っ張られたんや(笑)。そもそも僕がボクシングを選んだのもチームプレイがとにかく苦手で、ひとりで黙々と打ち込めるものを探し続けて辿り着いただけやから。そういう意味では小説も一緒。それらはドストエフスキーの言うところの「地下室」みたいなもんやな。いまこれ鹿島田真希からの流れでドストエフスキーの名前を出してんけど、ほんまねぇ、��クセサリー集めるみたいな感覚で私家版のエッセイやzineを集めてる「読書好きの人と繋がりたい」人たち、マジでちゃんと読もうぜドストエフスキー!あれこそ真の弱者やで。あんなにゲスくて屁理屈をこねくりまわしてるだけやのにおもろい小説もないよね。僕の小説に出てくる登場人物たちの会話の噛み合わなさは間違いなくドストエフスキーからの影響、というかほぼそのまんま。いや、話が逸れたな(笑)。そう、弱さについて。いまの戦争被害者やDV被害者たちは本当に望まずして弱き立場に追いやられた人たちで、そういう方々の不安は一刻も早く解消された方が良いとは思うんやけど、僕がさっき言うた「弱さ」は「逃げ」と同義の脆弱さというか、『呪術廻戦』の両面宿儺が最も嫌悪する「弱さ」に近い感じかな。弱さに弱さを掛け合わせて、ほんまの弱者を押し退けて自分たちの居場所を確保する感じ。ほんまきついわ。『死ぬまで生きる日記』や『鬱の本』が受ける背景には弱者救済のフリをした承認欲求が潜んでるよね。あともう一度「推し」について、桐乃みゆさん、炒飯くんの話を聞いてるとマジで凄いなって思う。彼女の「日常炒飯時じゃーん!」の言い方は確かに僕も惚れそうになったわ(笑)。あれほんま良い。炒飯くんは僕の声を推してくれるけど、きっとそれくらい声とかイントネーション、抑揚は重要なんやで。どれだけ良いことを歌っていても声が生理的に無理やったら受け付けられへん。だから最近のラッパーのほとんどが無理やねん。発声方法がテンプレート化し過ぎてて、そっちが気になって歌詞の内容がまったく入ってけーへん。それでも諦めずに歌詞カードを熟読してみるんやけど、え、何も言うてないに等しいやん、みたいなのばっかりで(笑)。「俺の後ろに道ができてた」とか「太巻きを吸って吐いてchill」意外の言葉が聴きたいのに、そこから先の言葉になかなか出会えない。それやったら「ピカチュー」とか「でも寒いよね」とか「気づいたら刺青だらけだなぁ」とか「得意技でしゃがめ」とか「ババババレンシアガ」みたいに最初から何も言うてない人たちの方が遥かに好きやな。僕はこういう人間やからレーベル側の人たちからしたら面倒臭いったらありゃしない。そのあたりも含めてWDsoundsやMIDNIGHT MEALの方々は僕の性癖をすごく理解してくれているから、こちらも本音で好きなものは好き、苦手なものは苦手と腹を割って話せる。だからSかMかと聞かれたら……うーん……どっちやろか、えー、どうかな、でもどちらかと言えば逆境に立たされた方が燃えるところがあるからMなんかな(笑)?
Tumblr media
〔日常炒飯事〕そろそろインタビューを始めたいと思います。今回はインタビューを受けてくださりありがとうございます。よろしくお願い致します。人や生き物が亡くなったときそれが自分じゃなかった理由がないことについてどう思いますか?
〔土井〕おい!いま僕に話してるのは虎杖か?それとも宿儺か?いつの間に契闊を唱えたんや!って言うくらいに見事な切り替えをありがとう(笑)。他者の死が自分のものではないと断言できない件、それはもうべケットやクライストの愛読者としては一生考えていかないとあかん問題やと思うけど、それは常に喜劇と紙一重で、お葬式って、独特の緊張感のなかにクスクスしてしまうような笑いの要素が多分に含まれてるやん。だからコントのネタにもなりやすいと思うねん。結婚式みたいな華やかな場で、それこそネタを披露する親類縁者や友人の振る舞いを見て心底面白いと思ってる人はおるんかな?僕なんかはむしろピシッと張り詰めた告別式の空気感のなかでの僧侶の一挙手一投足に目が離せなくなる。ちょっと躓いたり、読経の最中に噛んだりしただけで吹き出してしまいそうになる(笑)。あれやん、甲本ヒロトが言うてた「いなくなったことは大したことじゃない。いたってことが凄いんだ」ってやつ。だから死はある意味では自分のこととして受け入れることができるけど、結婚式や出産はどこか他人事というか、知ったこっちゃない、みたいな感覚が付きまとう。これはあくまでも僕の個人的な体験に基づく感想やからね。だからという訳でもないのかもしれんけど、昨年亡くなったスチルスの近松くんの棺は最後の最後までよう開けんかった。開けたらそこに自分の遺体があるような気がして。僕にはまだやるべきことがあるって思ったから。それだけ彼の死は「近かった」んやと思うわ。
〔日常炒飯事〕『劇場版チェンソーマン レゼ編』の公開が決定されましたが、その際の藤本タツキ先生の「お互い消耗品として誰かに使われる存在のデンジとレゼのモチーフはアニメ映画「人狼」内の主人公とヒロインを参考にしました。構図なども もろな部分があると思うので是非「人狼」も見てほしいです!」というコメントについてコメントをください。
〔土井〕おお!『人狼』をまったく知らん、いますぐ観なければ……。そもそも僕がアニメや漫画にハマったきっかけは紛れもなく炒飯くんやからなぁ。僕の知識なんてペラペラですよ。『チェンソーマン』も『呪術廻戦』も炒飯くんが教えてくれたよね。ほんま感謝してるわ。いまやその両作は僕に1週間生きる目的を与えてくれる生命維持装置みたいもんやから(笑)。とにかく『人狼』は今週末にでも観るとして『チェンソーマン』はほんまに凄いよね。断然原作が好きやけど、特に第二部の「つまらなさ」がほんまに凄い(笑)。これは揶揄してる訳じゃなくて、やっぱり大切なことを本気で伝えようとしたら「退屈」や「難解さ」は避けて通れないと思うから。思想家の佐々木中が「フーコーやスピノザを噛み砕いてわかりやすく解説しろって言われるけど、それは冒涜や」みたいなことを言うてはったわ。いま『チェンソーマン』が描こうとしてるのは革命以前の「運動」そのものやから、運動には象徴が必要なだけで、あとはセクトの地味な思惑が勝手に物語を運んでいく。当然、主人公はお飾りやから、第一期のようなヒーローもの(それでもだいぶ捻くれてるけど)を期待する人には退屈で仕方ない。バトルの派手さや構図の妙もすっかり影を潜めてて、でも人気絶頂期にこれをできるってほんま凄い!連合赤軍をそのまんま描いた山本直樹の『レッド』よりヤバい!子どもはただちに『チェンソーマン』を棚に戻して『僕とロボコ』をレジに持って行きなさい(笑)。
〔日常茶飯事〕今日何着てますか?
〔土井〕RC SLUM のピーポくんパーカー!
〔日常茶飯事〕ストリートスナップ撮ってる者なんですけど撮影させてもらっても良いですか?
〔土井〕炒飯くん、やっぱりエグいな。それな、ほんまその感じがまさに藤本タツキがやろうとしてる「デンジとレゼ」やんな。あれほんま何なん?カメラやSNSなんてなかった方が人間は幸せやったんちゃう?
〔日常炒飯事〕妻であるゆきこさんに惹かれた理由を教えてください。
〔土井〕ほんまエグいな(笑)。いっぱいあるけど、一番は顔かな、ゆきこの顔を見てたら落ち着くねん、顔が好き。
〔日常炒飯事〕最後の質問になります。今の土井さんの敵は何ですか?
〔土井〕これはいくつも答えのパターンが思い浮かぶけど、炒飯くんには中途半端なレトリックは通用せえへんから、真っ向勝負でいくわ。敵は百万年書房や!あそこがやろうとしていること、やっていることが僕にとっては害悪以外の何ものでもない!あれらを取り巻く環境、ムード、サービス、金の流れ、それがはっきりといまの僕の敵や!
〔日常茶飯事〕ありがとうございました。良いクリスマスプレゼントができたと思います。
7 notes · View notes
hangorin · 2 months
Text
オンライン集会「パリ五輪まであと一か月!カウンターマップで知るフランスの五輪災害」報告
Tumblr media
6月23日、さっぽろオリパラを考える市民の会と反五輪の会共催によるオンライン集会「パリ五輪まであと一か月!カウンターマップで知るフランスの五輪災害」が行われた。
フランスで反五輪運動を展開するSaccage2024が、パリ五輪カウンターマップ「パリ オリンピック・パラリンピック略奪マップ2024 パーティーは終わりだ」を作製。その迫力と情報量、状況分析の鋭さは圧巻だ。日本語版が完成し、Saccage2024のメンバーでパリ在住の佐々木夏子さんが、地図をもとに、パリ五輪に連動して容赦なく進められた都市再編、ジェントリフィケーション、強引な排除、それに対する住民の抵抗、そして現在について報告してくれた。
6月23日をIOCは創設記念日、「オリンピックデー」と名付けている。私たちは「NOオリンピックデー」と呼び、植民地主義、国家主義、競争主義、エリート主義、人種主義、性差別主義、軍事主義の祭典は廃止しろ!、と訴える。
・カウンターマップ
パリ五輪カウンターマップ「パリ オリンピック・パラリンピック略奪マップ2024 パーティーは終わりだ」に先駆け、2010年代、ブルターニュ地方ノートルダム・デ・ランドの空港建設に反対し、地元農民と連帯しながら建設予定地を占拠することによって計画を撤回に追い込んだZAD(守るべき土地)が作ったマップ、その成功があった。これを手がけたアーチスト、地理学者グループが、今回パリ五輪による破壊と強奪の記録、可視化を提案したのだそう。初版は完売、現在二刷目とのこと。
・サン=ドニ
お話は、地図を読み解く前に、パリ五輪の主要な会場、関連施設が集中する、サン=ドニ市周辺の現代史から。1967年、ジャン=リュック・ゴダール「彼女について私が知っている二、三の事柄」、1991年、サン=ドニ出身の移民二世世代ヒップホップユニットSuprême NTMのMV、2015年、サン=ドニ出身女性3人組L.E.JのMV、この3つの映像を手がかりに見ていく。
まず、「彼女について私が知っている二、三の事柄」、「彼女」とはパリ首都圏を指す。パリ首都圏は高度成長期、建設現場や工場の労働者として、旧植民地からたくさんの移民を呼び入れたが、その居住先として巨大な低家賃集合住宅をパリ郊外に作った。登場人物の後ろ、窓の外に広がる景色は、建物にはまだ人のざわめきが感じられない、殺伐としている。誰がどこにどのように住むべきかをコントロールしようとする政策、それは資本と統治の側の都合であって、住民を人として尊重するものでないことが伝わる。
そして約四半世紀がすぎ、高度成長終焉後の都市は、産業構造の変革、脱工業化へと向かう。工場は撤退、団地の若者に仕事がなかった。当時の若者文化を代表するというNTMのラップは、活気の失われた団地を背景に、若者たちの不満が張り裂けている。
2015年、「セーヌ=サン=ドニ・スタイル」と題したNTMの楽曲をカバーするL.E.J、彼女たちも何かに怒っている。その後ろにスタッド・ド・フランスが、映っている。サン=ドニといえばスタッド・ド・フランス。2024パリ五輪のメインスタジアムとなる、この巨大スタジアムは、最も貧しい自治体の常連だったサン=ドニ市が衰退に歯止めをかけるべく、ワールドカップサッカー大会開催のために19915年に誘致した。1998年ワールドカップサッカーフランス大会の決勝戦がここで行われ、フランスが優勝を決めた。当時のフランス代表チームが、さまざまな地域にルーツを持つメンバーによって構成されていたことから、多民族国家フランス「国民」統合の象徴的な場所として、人びとの記憶に刻印される。スタッド・ド・フランス誘致にともなうジェントリフィケーションは、1930年代以降労働者の街サン=ドニ市の政権を握って来た共産党にとって、自らの支持基盤である労働者階級の排除という自滅の道であり、その帰結として、2020年にその地位を失った。
・グラン・パリと五輪
一方、2009年には、パリ首都圏再開発プロジェクトとして当時361億ユーロ(のち2020年に420億ユーロ)という巨額の予算をつぎ込むグラン・パリ・エクスプレス計画が、サルコジ大統領により発表される。パリ郊外を全自動地下鉄新路線でつなぐもので、そのうちの4路線が乗り入れる最重要ハブとして新しくサン=ドニ・プレイエル駅がスタッド・ド・フランス近くに作られた。一日25万人が利用するという、地上5階地下4階の巨大駅は、東京の新国立競技場と同じ建築家隈研吾が設計した。パリ五輪までに完成を急がされたグラン・パリ・エクスプレス工事で5人、その中でサン=ドニ・プレイエル駅工事では4人の労働者が死亡している。
この駅の名前にもなっているプレイエルとは、ピアノ製造メーカーの名で、その工場がこの地区にあった。工場はすでにない。70年代、プレイエルタワーというオフィスビルができていたが、長年ほったらかしになっていた。これが今回五輪を機に4つ星ホテルに生まれ変わった。この周辺は大商業地区になる予定だ。
駅から徒歩圏内、サン=ドニ市、リル=サン=ドニ市、サン=トゥアン市にまたがる56ヘクタールに作られたのがパリ五輪選手村だ。3つの学校、19の企業、2つの集合住宅、1つのホテルが取り壊された。サン=トゥアンには非営利組織ADEFの運営する、経済的に苦しい単身者向け寮があり、1980年代からサハラ以南や北アフリカからの移民労働者が暮らしてきた。ほかに行くところのない居住者たちは、選手村かその周辺に皆がまとまって移住できないか当局と交渉したが、急き立てられ224人がバラバラに追い出された。オリパラ閉会後には6000人の就業が見込まれるホテル、オフィス、商業施設と6000人か入居できる2800の住居、学生寮となる。平均約4000ユーロ/㎡だったこの周辺の地価は、約7000ユーロ/㎡に上昇した(パリ市内約1万ユーロ/㎡)。
Tumblr media
また、ここには内務省が移転し、その職員たちが居住することになる。以前から「治安が悪い」と言われてきたこの地域に、警察を管轄する省がやってきて、そこに働く労働者と家族が居住することで、「住民の入れ替え」が図られている。
さらに、その南には国家治安総局(軍)がパリ西郊から引っ越してくる。軍と警察の街なんて、コワくて住みたくないが、高所得者にとってはむしろ「安心」なのだろうか?
選手村の北、リル=サン=ドニ市には工場跡地が多く残り、そこを占拠する形で約400人が住んでいた(スクワ��ト)が、それらは2023年初頭に取り壊された。
選手村とスタッド・ド・フランスを結ぶ交通の便をよくするために、IOCが高速道路の新しいインターチェンジを作るよう要望し、完成した。その結果、交通量の多い道路が小学校を取り囲んでしまった。怒った保護者らが反対の裁判闘争を展開したが敗北。近くにもともとあるスタッド・ド・フランス近くのインターチェンジは、五輪終了後に壊される。なぜ近くにあるのにわざわざ新しくインターチェンジを作り、古いほうを壊すのかと言うと、スタッド・ド・フランス近くのインターチェンジ付近はすでにジェントリフィケーションが進んでいて地価が高く、インターチェンジにしておくのはもったいない、今後オフィスビルを建て商業地区としてさらに発展させるほうが価値があるという考えたのだ。
Tumblr media
その東、ラ・クールヌーヴ市ジョルジュ・ヴァルボン公園すぐそばにはメディア村が作られる。この公園はEU指定の自然保護区域である。2010年代にここを住宅にする計画が上がった際はそれが理由で実現しなかった。今回は、反対運動の裁判が敗北。五輪後には1300戸の住宅が売りに出される。パリ五輪取材に訪れるジャーナリストは2万人と言われるが、ここに収容できるのはわずか1300人だ。五輪よりも、五輪後のほうがほんとうの目的なのだろう。県は70ユーロ/㎡で払い下げ、新しい住宅は5000ユーロ/㎡で売られる。
その南、オーベルヴィリエには選手の練習用プールが作られ、そのサンルームを設置するために、100年以上の歴史のある労働者の菜園、ヴェルチュ労働者菜園が破壊された。パリはすでに3度、1992年、2008年、2012年招致に立候補したが、21世紀に入るとそのたびにオーベルヴィリエ市は関連施設を誘致しようとした。2008年はこの土地を使って自転車競技場を作ることが持ち上がっていた。今回とうとうパリ五輪が開催される事態を前に、2021年春から、菜園を守るために、菜園利用者、環境団体、五輪に反対する人が集まり、占拠闘争を始めた。しかし9月にはブルドーザーにより破壊されてしまった。反対派は裁判闘争の結果、勝利し、サンルーム建設は撤回されている。ここを再緑地化することも可能であったが、一か月前、ここにコンクリートを入れて都市化する計画が持ち上がった。佐々木さんはその反対集会に、この報告会の後、駆けつけるとのことだ。オリパラは、招致が実現しなくても、招致ファイルにあがった建設計画が実行されることもある。1992年、2008年、2012年パリ大会の選手村建設予定地の開発がそうだった。東京も同様であった。オリパラを招致する狙いは開発に拍車をかけることだが、オリパラが来なくても一度計画された開発の多くは止まらない。
Tumblr media
パリ五輪を前に、現在2030年冬季五輪開催がフレンチアルプスにほぼ内定している。今回はIOCが札幌に見切りをつけた理由は、直接的には東京五輪の汚職が明らかになったことだが、2023年札幌市長選挙により、五輪招致反対の意思が数値としてはっきり示されたことが大きかっただろう。2030年開催地は、ストックホルムやスイスなどが名乗りを挙げてはいるが、ストックホルムは政治家の支援がないこと、スイスは直接民主制の国であるため、開催や招致にあたって住民投票が行われるであろうこと、そのうえで「住民投票は実施しない」と明言したフランスの政治状況を考えれば、フレンチアルプス開催の確率は高い。
6月23日現在、7月7日に国民議会選挙を控え、フランスは混とん状態。今、人びとは極右政権が誕生するのではないか、そのことでいっぱいで、五輪どころではないのが実情。(開票の結果、極右政権は阻止され、新人民戦線が勝利したが、先行きはなお混とん。)
・質疑応答
参加者:札幌の招致が止まってよかった。一方東京では、都の48億500万円をかけたプロジェクションマッピング事業で、オリパラ汚職で入札停止を食らっているはずの電通の100%子会社が受託を受けている。
佐々木さん:電通問題で言えば、パリ大会では組織委のナンバー2にエチエンヌ・トボワという人物がいる。彼の運営するコンサル会社は東京五輪招致に尽力したため、東京都から100万ユーロ支払いを受けている。この成功のために彼は仏スポーツ界の中で出世し、組織委のナンバー2に収まった。トボワの作ったコンサル会社は2017年に電通の100パーセント子会社になった。高橋(電通)同様、このような悪い人脈に通じた人物なしに五輪は成立しない。
参加者:東京大会では開催直前になって、街中が怒り、たくさんの抗議行動が行われた。無観客だったので、交通規制は選手と関係者の移動にかかわるだけに限られたが、それでも会場周辺の住民生活は大きく規制を受けた。パリの住民のかたたちの現在の様子は?
佐々木さん:コンコルド広場、エッフェル塔付近など、テレビ映えする交通の要所が仮設会場になり、道路が閉鎖されている。交通はメチャクチャ、住民の通行にはQRコードを提示させられるなど、不満は高まっている。オリンピックに関心ないという人が優勢な中でも、いろんな側面から反対の声を上げるという動きが生まれている。ただ、それらが一緒になれていない。かつ、今は選挙でそれどころではない。労働組合の元トップが組織委の中枢に入ってもいるが、末端の組合員は五輪に反対している。開催期間中にストライキをすると予告している。もちろん予告しても実行しないということはあるが、もしファシスト政権が誕生したら実行するであろう。あるいはオリンピックという世界の注目を集める環境で、ファシスト政権の顔に泥を塗る行動をするであろう。
参加者:戦争のただなかで行われるオリンピック。環境の問題、不正、汚職、人権侵害いろいろ問題あるが、今はともかく、五輪に使うおカネとエネルギーを使って戦争を、ガザの惨状を止めてほしい。
佐々木さん:戦闘の続く中、「平和の祭典」と言っていられるのか?オリンピック期間中は休戦という建前を持っているが、ウクライナもガザも止められないかぎり、「平和の祭典」の看板は降ろしたほうがいい。
参加者:スクワットしている人たち、ホームレスの人たち、移民難民の人たちが何千人単位で郊外に追い出されていると聞いたが具体的には?
佐々木さん:これは、「パリの野宿者が郊外に」ではなく、「パリ首都圏の野宿や難民のかたたちが地方に」追いやられているという状況。NGO世界の医療団が中心となっている「メダルの裏側」というキャンペーンによる報告では、12545人が排除された。
参加者:札幌ではオール与党が五輪推進、共産党と市民ネットが反対の立場を取った。人々追い出してまでの開催なのに、推進するフランス共産党はパリの将来をどう考えているのか?
佐々木さん:まず、パリは共産党と社会党が与党、パリ郊外は左翼がより強い。その左翼与党が推進する五輪に右翼も賛同、��いう構造。フランス共産党がどのような将来像を持っているか分析しきれていないが、フランス共産党がほかのどの政党よりもオリンピックを愛しているという話を7月に刊行する本『パリと五輪:空転するメガイベントの「レガシー」』(以文社)に書いたのでぜひ読んでください。簡単に言うと、1930年代まではフランス共産党はオリンピックとIOCに反対していたのに、1950年代、スターリンがIOCに参加を決めて以来、賛成に転換、以後方針を変えることないまま現在に至っている。
参加者28名。パリは今どうなってるんだろう?日本のマスコミからの情報では全くわからない中、パリ五輪開催にかかわる歴史や経緯から現在のなまの様子までがわかる貴重なお話をお聞きすることができました。とても充実した、内容の濃い集会となりました。6月26日には国際連帯声明が出される予定で、各地の参加者から賛同したいとの声があがりました。 佐々木さん、みなさま、ありがとうございました。
関連記事 五輪のための「弱者の追い出し」がパリでも…華やかな祭典では隠しきれない「五輪災害」「負の遺産」の存在(東京新聞)
2 notes · View notes
38nakao · 4 months
Text
2024.05.17(金)
友だちと、いる空間
 恋人と別れて引っ越したこと、しごやめしたこと、お笑いの養成所に行ったこと。ゴールデンウィークの帰省時には、なんかすでにバレてた一つ目だけ伝えた。流石に全部言うには覚悟と度胸と両親のキャパが越えてしまう。
 母から死ぬほど罵倒されて許しをもらった同棲だが、2年待たない解消の報告は驚く程あっけらかんと終わった(LINEで2人で暮らすと送ったら、飲み会の間にすごい量のフキダシが来てて、あなたはもっと賢い子だと思っていましたとしんどい一言がちょいトラウマ。一時期、LINEブロックされてたらしい)。
 お母さんは、結局わたしのお母さんでいてくれるのかなと思った。やつが定職についていない年下甲斐性ナシだからもある。「もっと怒られるかと思った」と言ったら「お母さんはあんたの味方よ」と言われた。相手が安定した公務員でも同じこと言ってくれるのか?と訝るが、ここは信じよう、わたしが信じようと思わないと、終わりだ。
 魅惑のUQ期間もあと3日で終わる。ビックリするほど何もしていない。ノートパソコン買って事業用の口座作って、弥生の青色確定申告に登録した。あと屋号を考えた。ほんとにそんだけ。ヤババのバ。でもやりたいことは見えてきた。
 お笑いの養成所も早ひと月が経つ。クラス40人ほどに女性がわたし含めて4人。ほとんど20代前半でわたしより年下だ。敬語を使われるととても寂しい。礼儀正しいなと思いつつ、余計な気を遣わせてるみたいでイヤ。タメ口で来てくれる子もいる。女子校〜大学のゼミ9割女子を過ごしてきたので、共学ってこんな感じか!と遅れてきた青春(?)を楽しんでいる。害悪おばさんにならんように気をつけネバー。
 わたしは芸人になりたいわけじゃない。ただ舞台に立って笑いに包まれてみたいだけだった。これから退学者も出るかもしれないし、来年の3月過ぎたら会えなくなっちゃうかもしれない。出来るだけみんなと仲良くなりたい。たまに会いたい。忘れられたくない。
 どうやら、わたしは男の子とのおしゃべりが得意でないみたいだ。女の子とのおしゃべりなら、今笑ってもらえたよなーと思うワードに、男の子からの反応がうすい。既に平場でのトークの自信を失っている。
 たぶんだけど、わたしは反応が早すぎる。もしくは少しずれている。たぶん両方。しかも、なんか声の出し方も変なんだと思う。この前りんご屋さんでの行商で改めて思い知った。「りんご入りませんか」と街中の人に話しかけてるのに、ばっちり目が合っているのに、対象の方が後ろを振り返るのだ。誰も後ろにいないのと、わたしが手を振るのを見てようやく「えっわたし?!」って顔をする。
 声かけをもっと丁寧にしたい。「りんごいりませんか?」だけで、この人面白そう、楽しそうと思われたい。感情を乗せる以前に、まず声の力加減をコントロールできるようになりたい。これが出来る様になったら、間の取り方も上手くなりそうだ。間が取れる声。漫才だけじゃなくて人として生きるうえで生活にも役立つ。きっと。
いっぱい友だちが欲しい。一人で過ごしてる間が楽しくなるくらい友だちが欲しい。ひとりなのにみんなといる気持ち。なんとなく分かりかけてきた。概念だけじゃなくて実感として。
 今日の夜は夜行バスに乗って、和歌山に行く。今年は旅行しまくってやろうと思う。2月に和歌山、3月に大阪、そして和歌山。4,5年前に地元に帰った友だちに会いに行く。田辺氏の方をいろいろ案内してもらう。
 来月は山登り。あといつか分からんけど長野にも。秋冬には展示もやりたい。
 そういえばゴールデンウィークはねこの引出しさんで展示をした。一点、コラージュ作品が売れたらしい。中国のバイヤーさんかも、とのこと。
 動く日は動いてるけど、止まってる日は止まってる。腐らずにがんばる。お金貯めるぞー、収入源を得るぞー!
Tumblr media Tumblr media
3 notes · View notes
elevatedrailroad · 1 year
Text
Tumblr media
AmarE 『しつけのあとは優しく愛して。』 マドカメグル(https://twitter.com/madokameguru) Dom/Subユニバースのお話です。
◆1話はこちらから↓ ・Renta!:https://renta.papy.co.jp/renta/sc/frm/item/338753/title/2372488/ ・コミックシーモア:https://www.cmoa.jp/title/275630/
【あらすじ】公式サイト(https://amare.intf.jp)より DomがSubをコントロールするための〝違法薬物〟が出回っている世界で 「ルイ」は路地裏にSubdrop状態のまま放置されていた。 そこを九条幸仁(くじょうゆきひと)とその仲間たちに助けられるが 「ルイ」は自分を虐げてきたDom・藤堂のことで頭がいっぱいだった。 ”帰らなくちゃ、じゃないと怒られる…” だけど…帰りたいと言えない「ルイ」。 「もう君のことは帰せないし帰すつもりもない」 幸仁のぬくもりに触れ「ルイ」はやっと安心して眠ることができたのだが___ ”……ずっと探していたのに 君はもう一度死んでしまったんだね” ある女の子をずっと探しているDomと理不尽に虐げられてきたSubの女の子の ヒューマンラブストーリー。
どうぞよろしくお願いいたします!(サンプルは全年齢です)
9 notes · View notes