#年に一度パリピになる日
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【金原ひとみさん】「私が勝手に切り捨ててきた人たちが、新しい世界を見せてくれる」〈インタビュー後編〉
2003年に『蛇にピアス』でデビューしてから、およそ20年。社会の空気をとらえ、つねに「私たちの物語」を執筆し続けている金原ひとみさん。後編では、金原さんの価値観を変えたフランスでの暮らしや、「わからないこと」を無理に理解しようとせずに、わからないまま寄り添う姿勢について伺います。
金原ひとみ 2003年に『蛇にピアス』ですばる文学賞を受賞し、デビュー。翌年同作で芥川賞を受賞。2010年『TRIP TRAP』で織田作之助賞、2012年『マザーズ』でBunkamuraドゥマゴ文学賞、2020年『アタラクシア』で渡辺淳一文学賞、2021年『アンソーシャル ディスタンス』で谷崎潤一郎賞を受賞、2022年『ミーツ・ザ・ワールド』で柴田錬三郎賞を受賞。
たとえ価値観が合わなくても人は連帯できる
——最新作『ナチュラルボーンチキン』のパリピ編集者・平木直理や、前作の『ハジケテマザレ』のヤクモなど、最近の金原さんの作品には、以前と比べ明るい性格の人物が多く登場するようになってきました。心境の変化があったのでしょうか。
金原さん:実際に私の編集担当者に、ホストクラブ通いをしている文芸編集者らしくない人がいて、今回の平木はその担当がモデルなんです。
心境の変化といえば、フランスで過ごした経験が大きいかもしれません(2012年から6年間フランス・パリに在住)。子どもの頃は学校にもあまり通っておらず人間関係は恋愛だけだったこともあり、コミュニケーションをとる人が極端に少なかったし、それで十分だと思ってたんです。なので自分と価値観が合わない人たちとは絶対に関わりたくないという気持ちを強く持っていたんですが、異国の地ではそうも言ってられなくなり、これまでだったら関係を築かなかったであろう人たちとコミュニケーションをとるようになりました。
いざ仲良くなってみると、意外と抵抗なく連帯することができたのは驚きでした。私が勝手に切り捨ててきた人たちが、自分を救ってくれたり、新しい世界を見せてくれたりすることがあり得るのだと気づくことができたのは大きかったですね。
そういった価値観の変化があったからこそ、以前には書いてこなかったような明るいキャラクターがよく登場するようになったのかもしれません。昔はよく知らない人と会話するのが苦痛でしたが、今は楽しい。お互いに自立した個人という前提に立つと、わかり合えないままでも楽しくやれるって身をもって知りました。
——人間関係とともに仕事の幅も広がっていってるんですね。
金原さん:フランスで暮らしていたときから、自炊もし���かりするようになって。借りていたアパートのキッチンが立派で調理器具も豊富にあったので、凝った料理もよくするようになったんです。日々の暮らしに自炊という要素が入ってくるようになると、自然と小説にも料理が登場するようになりました。食に興味がなかった頃は、「小説に出てくる食べものがすべて不味そう」とか言われていたんですが(笑)。登場人物のキャラクターだけでなく、そこも変わってきた点かもしれません。
——フランスでの暮らしはさまざまな気づきを与えてくれた一方、ワンオペ育児も経験されていますよね。ワンオペ育児で一番つらかったのはどんな点ですか。
金原さん:やっぱり小説が思ったように書けなかったこと、また、書く時間を確保できなかったことですね。閉塞感で押しつぶされそうになり、このままパンクして死んじゃうんじゃないかって気持ちになっていました。前編で話したとおり、私は現実とフィクションがあってはじめてバランスがとれる人間なので、片方奪われてしまいとにかく苦しかったですね。生きるために書いているし、生きることと書くことはつねに連動しているので。
今は日本で暮らしていますが、フランスで暮らしていた経験がその苦しみを減らしてくれている実感はあります。日本にいるとどうしてもせわしなさに飲み込まれてしまいそうになるんですが、フランスにいたらもっとのんびりしていただろうなと想像するだけでけっこうラクになる。今、身を置いている環境だけがすべてじゃないと思えることで気持ちが軽くなります。
——ワンオペ育児と母としてのペルソナにも苦しんできたと、過去のコラムで拝見しました。
金原さん:一人の人間として生きてきたのに、子どもを出産した途端、周囲から「母親」として見ら���、他人からの認識と自己認識とがどんどん広がっていく。母性幻想を押し付けられるうえに、ワンオペ育児。それらに追い詰められてボロボロになっていたことをコラムに書いたら、老若男女さまざまな人から「読んだよ」と声をかけてもらい、高齢の男性から「育児に参加してこなかったことを反省している」と感想をもらったこともありました。
母というペルソナを身につけなければやっていけなかった当時に比べたら、今はほとんどその仮面はなくなったと感じていますが、その時感じた怒りや悲しみは薄れることはないし忘れることはない。私は保育園と、小説の執筆に救われましたが、どちらかがなければ本当に死んでいたかもと思います。これから子どもを産む人たちのためにも、母親が抱えているつらさはその人個人の問題ではなく、社会と連動している問題である、ということが少しでも広く認識され、子育てをする人たちの環境が整うことを願っています。
下の世代の感覚についていけるように余力を残しておく
——コロナや#MeToo運動、母性幻想など、つねに社会問題をキャッチして執筆されています。ご自身が感じた怒りが執筆のテーマにつながることもあると仰っていましたが、今起きている問題に対応するために何かされていますか。
金原さん:デビューから20年経って、自分より若い人たちが担当についてくれることが増えてきたので、若い人たちの感覚についていけるように、余白のある状態をキープするというのを心がけています。
若い人たちはとにかく言葉に対する感覚が違いますよね。娘たちのやりとりを見ていてもLINEでは語尾を気にするし、他人に対して高圧的な態度をとるタイプの人間にすごく抵抗感があるように���じます。「私たちが若い頃は、年上の編集者からこんな態度とられてたんだよ」みたいな話をすると、「とんでもない!」「ありえない!」というリアクションをされますし。私たち世代がなあなあで許してきてしまったことに対して、きちんと拒否できる下の世代には頼もしさを感じます。それと同時に、私の本の読者にもこの世代は含まれるので、若い世代の視点みたいなものもきちんと想定しておかないといけないなと身が引き締まる思いもありますね。
私も歳を重ねていくし、世代間ギャップは必ず生じてきます。でも「わからない」と切り捨てるのではなく、わからなさをキャッチできるようにはしていきたい。娘が調べものをする際に、GoogleではなくTikTokで検索しているのにはびっくりしましたけど(笑)。
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声優アワード、片思い、タフなお仕事
(最近スマホを交換したときにtwitterアプリの下書きに残っていた断片が発掘され、せっかくなので形にしてみた文章なのでタイミングがおかしくなっておりますが…)ときをさかのぼって2023年の3月、置鮎さんが声優アワードの助演声優賞を受賞されました。受賞だって!めでたい!
2023年のまとめブログ(と言いつつ書いたのは今年の4月)に、置鮎さんの声の演技についてこう書いてます。
とにかく声の演技に関して、できてないところをめったに見ない。「置鮎さんならこれくらいできるだろうな」というのは当然のこと、その二段階くらい上のものまでふつうにできてしまう。正確には、「ふつうにできてしまう」に見えるものを持ってこられる。「これは大変そうだな」っていうものもきっちりこなして、必要なときには巧さをこえたすごさでばしんときめてくる。他の役のサポートもできるし、長い台詞で世界の中心をぐーっと自分の役に引き寄せることも、短い台詞で鋭く深く長い余韻を残すこともできる。手をのばしたら触れそうなくらい、「そこに才能がある」って感じじゃないですか。
いやーほんとにそのとおり。それに、これも同じブログに書いたとおり、置鮎さんは声のコントロールそのものもすごい。さらに声の艶も、響きの豊かさもある。前進座にゲスト出演されたときの、女形の台詞を言ってみようのコーナーで、置鮎さんがあんまりにも完璧に女形の発声と台詞まわしをコピーしたので、私の前に座っていた前進座のお客さんはパンフを取り出して置鮎さんが何者か確認してましたからね…「え、この人何者??」って…(演劇ものの漫画の主人公じゃなくても現実にそういうことあるんだ…)。
さらにさらに、置鮎さんは演技の質もすごい。声の演技に存在感と説得��、なにより求心力があって、声をあてたキャラにひとつの中心を与えてあげられる。たとえ主役じゃなくても、そのキャラを中心にした世界を作れる。作品の世界にふたつめの軸が立つ。でしゃばるのでも全体の構図を乱すのでもなく、でもしっかりと。
ちなみに古代のギリシャで演劇という芸術形式が誕生した当初は役を演じる俳優は1人で、それが2人に、そして3人になったといいます。ここで2人になったというのが重要で、なぜかというとキャラクターが2人いると対話が生まれ、葛藤や対立も生まれるからです。端的に言うとそっちのほうが作品に広がりがあり緊張感があり面白い。
置鮎さんが主人公に対する重要キャラを担当するって、そういうインパクトのある2人目を生み出せるってことだと思うんです。ただの「2人目の重要キャラ」じゃなくて、そのキャラがいることで主人公を中心とした世界にもうひとつの軸が立って、作品に奥行きや活力が生まれる、重要な2人目。『エルハザード』の陣内くん、『ラングリッサー』のレオン、『おねがい!マイメロディ』の柊先輩、『テニプリ』の手塚先輩、『BLEACH』の白哉、『刀語』の真庭鳳凰、そして『パリピ孔明』の孔明、みんな作品に2つめの軸を提供するキャラたち。作品の設定として主人公に対する重要キャラで、そこに置鮎さんの声と演技、そして求心力が与えられることで、2つめの中心としての存在感が発揮され、作品が活性化する。得がたい特質だなと思います。だから、その個性が発揮された『パリピ孔明』で声優アワードを受賞されたというのは納得だし嬉しい。めでたい!
…と同時に。受賞の告知を見たときに、「置鮎さん、そろそろ信じてくれる気になった!?」という邪悪な気持ちもぽんっと出てきたのも事実だったりします。ここから先は邪悪な話です。
まず前提として、置鮎さんは声の演技が抜群に優れている。上に書いたとおりです。まあ、最近たまたまちょっとだけ二次元ジャンルのコンテンツに触れるようになった私が勝手にそう言っていたって信憑性は皆無ですが、当然ながら置鮎さんを褒めているのは私だけではない。同業者の声優さんたちだって、アニメの監督やスタッフさんたちだって置鮎さんを褒めている。置鮎さんを知って数年の私でもいろんな機会に見聞きしているんだから、きっともっといろんなところで同業者・同業界の人たちが置鮎さんを褒めていることでしょう。二次元ジャンルのファンの人たちだって置鮎さんの演技を褒めている。つまり置鮎さんは声の演技がすごいというのは客観的な事実です。
さて、声優さんたちもスタッフさんたちも二次元オタクたちも、あとからのこのこやってきた私も置鮎さんのことを上手いすごい言ってるのに、それを聞く置鮎さんのほうはどうでしょうか。置鮎さんって、声の演技を褒められたときに、「そう?」みたいにあっさり流したり、さらにはしゅっと引いたりすることないですか?ベテラン声優さんなんだから、「そうなの?ありがとう」とか「そう言って��らえるのは嬉しい」とか、鷹揚に構えてリアクションすることもできるのに。もちろん世の中には謙遜という態度がありますが、あれは謙遜の範囲を越えて引いている気がする。見てるこっちとしては、待って!引かないで!話を聞いて!!みたいな…片思いみたいな??
声の演技ではないものを褒められたときは、意外と前傾姿勢をみせるので、それとのコントラストもあるのかもしれません。置鮎さんは…「俺かわいいから」とかは自分から言うんですよ!!(そういうとこもかわい…いやおもろい)ほかに、「なんでそんな上品な声ができるんですか」みたいに言われたときに「俺、上品だから」って返してスルーされたのも見たことがあります。声の演技の実力や収録時の完成度を褒められたときと、反応にギャップがある。
それから、配信やトークではわりとすぐ「大変だった~」と言っているところを見かけます。大変さを自己申告するベテラン声優。でも、どうやら置鮎さんの「大変だった」は、おそらくふだんより作業量が多かったとか体力を使ったとか慣れてないことをしたとか、お仕事に費やしたエネルギーの消費量の大きさのことを言っている。だからあの「大変だった~」に対応するのは「おつかれさまでした」系のフレーズであって、上手さを褒めることではない。上手さを褒めることは求められていない。
もちろん置鮎さんレベルのベテラン声優さんたちになると、ある程度上手いのは当たり前なので、そういう環境で「上手い」と言われても、言葉が届かないということもありましょう。私でさえ、先日たまたま声優コンテンツを説明する機会があったときに、石田彰さんについてぽろっと「その声優さんは天才で~」って言ってたし。ちなみに日本の商業演劇はちょくちょく「本気か!?」レベルにひどい俳優が出演するので、二次元ジャンルの「基本的には主要キャストはみんなできていて、勝負はその先で決まる」という状況がうらやましくもあります。しかしそこで働く人にとっては厳しい環境。
それに、置鮎さんは、あんまり器用なタイプではないのかな?と思うことはあります。なぜなら置鮎さんが他の声優さんについて「あの人はすごい」的に言うとき、その場ですぐできる瞬発力みたいな…費やされるエネルギーの少なさ?器用さ?のことを言っていることがあるので。あと、声音のバリエーションが多いか少ないかでいえば必ずしも多いわけではない。
しかしそれがどうだというのか!瞬発力もバリエーションも、プロダクトの生産のプロセスや展開においては大事でも、個々のプロダクトの質そのものとは関係がない。収録現場での、あるいは収録に臨むまでの苦労も、出てきた演技そのものとは関係がない。一生懸命やったってダメな演技はダメな演技だし、��音がいろいろ出せてもダメな演技はダメな演技。プロセスがどうあれ、他のときにどうであれ、ある作品において、あるキャラにとって、そこにあるのはボイスだけ、演技だけ、そしてそれがどんな演技かだけです。そこが、置鮎さんの上手さが宿る場所。
置鮎さんがたまたま鬼ほど(鬼ほど………)エゴサをする人であるゆえに、SNS上で置鮎さんについて投稿するすべての人は、常に置鮎さんに捕捉される可能性をもっている。それなら、もし私が置鮎さんに何かを思っていることを知られるなら、それは私が置鮎さんの声の演技は抜群にすごいと思っているということであってほしい。願いですね。
しかし私の願いもまた、それがどうしたって話です。だって、置鮎さんの声の演技が優れているというのは、私がどう思っているかにかかわらず単純な事実だからですからね。しかしそれが単純な事実であるということ、すなわちみんながそう思っていることは、どれだけ伝わっているのか。声優アワードの受賞で、少しは伝わってくれたんでしょうか。だったらいいなと思います。
とは言うものの。みんなが思う置鮎さんのすごさや上手さは、置鮎さん自身が、周りが思っているほど自分を「上手い」と思っていなさそうなところから生まれている。自分は上手いとかできるとか思ってる人からは出てこない演技をしている。しかも、何かの賞を受賞したからといって、置鮎さんがやることが変わるわけでもない。声優アワードを受賞した人たちだけがスキップできる工程がある、みたいなことはない。これからも変わらず準備、本番、準備、本番、そのサイクルが続く。
というわけで、受賞をおめでたいと思うと同時に、タフなお仕事だな~とも思ったのでした。
以下はさらに邪悪な余談。話の流れにうまく入らないうえに、置鮎さんを白鳥にたとえるのがイメージ的にありえなさすぎて外しました。
*置鮎さんはよく「大変だった~」と言いますが、出てきた演技が苦もなく余裕であるように聞こえるので、「大変だった」と言われる側はしばしば「またまた~」という反応を返してしまう。「あれをあんなふうにやってのけておいて、この人は何を言っているのか」と。でもそれって、もしかしたら、優雅に泳いでいるように見える白鳥も水のなかでは絶えず足を動かしているというたとえがあるように、置鮎さんが「自分はがんばって泳いでいる」と申告しているときに、聞くほうは「あんなに優雅に泳いでいるじゃないか」と思ってしまっているのかもしれませんね。上手いせいで、大変さを信じてもらえない。「余裕であるように聞こえる」と、「そこにどうやってたどりついたか」は別なのに。なんとかわいそうな齟齬が生まれていることか…。
というわけで、このブログは「置鮎さんは周りからの賞賛をどれくらい信じてくれているんだろうか」の話のはずなのに、「置鮎さんの周りの人は、置鮎さんの言う『大変だった』をどれくらい信じているんだろうか」に話がひっくりかえって終わります。ここにきて逆転オチ。
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2023年11月27日
東京ディズニーリゾート、公式サイトを覗いてみると、東京ディズニーランドも東京ディズニーシーも営業時間は9~21時となっている。すると8時に舞浜駅で集まる理由は何だろう? ともあれ、早朝の千葉みなと駅。キャリーケースは昨夜のうちに宅配便を使ったので、今日は身軽に動けるだろう。で、深夜バスが待っている、と。
どうして酒屋を覗いても見つからなかったのに、立ち寄ったスーパーでは置かれていたのかな。以前、ふの付く某所で紹介されていた赤ワインのカサーレ・ヴェッキオ モンテプルチャーノダブルッツォがあったので、ものは試し、贅沢したつもりで1本購入。辛口のフルボディという評判の割には渋みも控えめで、確かに飲みやすい。
以前買ったきりのマル獄シリーズ小袋、『ゴールデンカムイ』好きの知り合いにでも、ときーに委ねる。
「「はい!罰ゲームでモノマネ3連発!」「ギャハハ!全然似てねー!」って笑えるパリピ陽キャなら、その程度の罰ゲームがあったほうが緊張感があって楽しくなる。でもねー、俺自身が人生で一番自己肯定感が低かった時期を思い出すと、その程度の恥をかくことすら死ぬほど無理だった。絶対ヤダった。」
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2023年🐇は残すところ、あと30日となりました。
今年の#流行語大賞・ベストテン〔ユーキャン〕は
大賞 阪神タイガースの岡田監督
ベストテン 新しい学校リーダーズ・ヌードバーさん・藤井聡太さん 他
特別賞 とにかくあかるい安村さん
今回のブログ・ニュースは2023.11,12の候補なので既読するようにしてください。
〔Amebaブログ→アクセス数・いいね!の合計数〕
なお、少なかったら2日間以上に設定させていただきます。
ニュース
Smileup
今日のベスアとDUNK
〔本事務所の所属アーティスト・出身であるTOBE所属アーティスト等〕
28年間で旧創業者の事務所生活の幕を閉じた#岡田准一 さん
#永瀬廉 さん・#道枝駿佑 さんの新ドラマ共演情報 等
スポーツ
今江#楽天〔gg賞で白いスーツを着た辰巳君、安楽君は自由契約。〕
中嶋#オリックス の新人選手たち
岡田#阪神 の拓夢君が各多数の賞を受賞。 等
その他
#中川大志 さんが2023年4月期の橋本環奈さん主演ドラマ〔王様に捧ぐ薬指〕に助演拒否されて9ヶ月で来年1月期の二階堂ふみさんの主演ドラマを出演することになりました。
#パリピ孔明 はドラマの後にアニメ映画。
等
and more....
次回の抜き打ちチェックは
〔SNSのパトロール・年賀はがき作業がある為〕
来年1月上旬まで延期させていただきます。
更新クリア条件
2023.11.3から2024.1の期間中まで
〔失格は〜2023.11.2〕
マンスリーベストナイン発表は
12/10〔10.27,29〜31,11月全て,12/1から8〕
都合があれば変更する場合にもございます
インスタの調子が悪い〔#インスタ不具合 の〕時は
アップデート〔バージョン〕か再起動しましょう
出来なかったら
AndroidからiPhoneに変えましょう
〔〕ヒント有り
#佐々木蔵之介 💙🐎
#西島秀俊 🖤🍩
#阿部サダヲ 🧡⚾️
#堺雅人 ❤️🦌
#戸次���幸 💜🤖
#片岡愛之助 💖🍓
#kinkikids 💙🎸❤️✝️
もし、よかったらYouTube チャンネルを登録してね。
また見たい方には👍
2度と見たくない方には👎
を押してください。
知らない人はフォローしないように。
皆様、ご視聴をいただきありがとうございます。
今月中で
Amebablog・Instagram・tiktok・youtubeを続きますのでどうぞお付き合いください。
現在は
🇺🇦・🇹🇷南部・🇺🇸マウイ島・🇲🇦・🇵🇸支援や #smileup〔旧創業者の会社〕の被害を受けた元タレント達への補償〕の救援を行っています。
皆様へのクリエイター達に感謝してあげています。
あと、threads はInstagramと一緒に連携を。
https://www.threads.net/@sinoeto
My#YouTube はグラフに公開されているのでご確認ください。
神藤彩佳🐼💙
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20231005
1005 きままなTV・メディア情報です(不定期刊)
「日テレHDと系列5社、集中排除原則に抵触 3日に是正」(日経)
「神奈川新聞記者への賠償命令取り消し 名誉毀損認めず」(産経)
「日テレ Jへの忖度一部認めた『怒らせると、キャスティングや取材が…』民放で初」(デイリー)
「J会見に指名NG記者リスト NHKが顔写真入り書類持ち歩くスタッフを放映」(デイリー)
「J事務所がNG記者リスト報道受けあらためて関与を否定『役員全員にも再確認』」(ニッカン)
「中居正広、TBS系生特番『NPBドラフト会議』に出演 2年連続、4年振りの有観客」(ニッカン)
「CX水10『パリピ孔明』2話連続トレンド1位 上白石萌歌『輝き伝わる』」(ニッカン)
「劇団ひとり&石井亮次アナがカンテレ特番でMC共演 世界の炎上騒動を深掘り」(SPONICHI)
「『Pixel 8 Pro』正式発表 カメラ大幅刷新、動画にも“夜景モード”到来」(ITmedia)
「東映・東宝・松竹…“アニメ頼み”の映画業界で一人負けは?」(SPA)https://nikkan-spa.jp/1947422?cx_clicks_art_mdl=2_title
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Trip to Seoul, August 2023 - Day 1: Beer bar hopping
The night is still long, and there are several beer bars near the hotel, so I did my best.
まだまだ夜は長い、ホテルの近くにいくつかビアバーがあるので頑張ります。
広蔵市場から地下鉄に乗って、「���路5街」から「鐘路3街」へ1駅。
気になっていたおしゃれなビアバー、「Art Monster」へ。
■ Art Monster 乙支路店
はいオシャ〜!入口のネオンからしてオシャです。(入口は狭いので、ちょっと勇気入ります)
お店は2Fで、結構広め〜!夜遅めだったので、お客さんはまばらでしたが、若くておしゃれな方が多い印象。
コンクリート打ちっぱなしの壁と天井、バーエリアは木製でシックめ。
紙のメニューもおしゃれ。左��飲み比べで選べるタップリスト、右はブルワリーのコンセプトとかその他のビールも載っている紙のメニュー。タッチパネルのメニューもあるので、そっちでオーダーです。
(左下になんか見たことあるブルワリーのマークがあるなwなんでww)
生ビールで頼めるリストはこちら。
かなり腹パンですが、「ええい、せっかくだから!!」ということで、飲み比べセットを頼みます。
酔っ払ってはいたものの、(...絶対後から思い出せないぞ...!!)という冷静な脳がわずかばかり残っていたので、ちゃんと飲んだビールはUNTAPPDにメモしていました。えらいぞ自分。
左から、
Ultimate Luck / German Pilsner
First Love's Scent / Wheat Beer
Genesis / Sour
Suda Sponsor / American Pale Ale
Endless Love / American Porter
(UNTAPPDに登録したのはGenesisが一番最初だったので、やっぱり軽めなサワー系から飲んだんだなということが見てとられるw)
「藝術怪物」で「Art Monster」なのね。(ここのお店以外にも何店舗かある中で、香港的なネオン看板がたくさんあるお店もあるみたいで、オーナーさんは香港が好きなのかなあ。)
↑グラスかわゆ
そこはかとお店の中、ぜんぶかわいいんだよな〜
タップに小さい黒板的なのが付いてて、ビール名が書いてあるのもかわいいし���
ちょっとレトロなシャンデリアとか、壁のアートもかわいいし、
このタイルの床が特にお気に入り。
メインのネオンもかわいい。写真映えするビアバー好き。
渡韓初日なんだけど、買おうかめちゃくちゃ迷ったビールとグラスのセット。
(さすがに重いかなあ、どうしても欲しくなったらまた来ようと思ってやめておいた)
グラスかわゆ〜!買えばよかったかもw
お土産に、ステッカーももらいました。よい酒場でした。
■ Euljiro Brewing
酔い酔いながらも最後の力を振り絞って次のビアバーへ。小狭い道にあるビアバー「Euljiro Brewing」。
ピンクのネオンギラギラで、道全部色づいちゃってる〜!笑
オリジナルの「ベロ酔いおじさん」のキャラが満載のこちらのビアバー、お店の中もどピンクで、ネオンたくさん。
2Fにお邪魔します。こちらはど紫。目がシパシパしますw ここでガブガブ飲んだら酔い回るの早そう〜!笑
メニューはこちら。
はい、全く読めません〜!!!!!苦笑 色を調整しても読めないので、拡大して頑張るしかないね。 (お店では、ギリギリちゃんと読めるくらいのライティングです)
三番目に書いてある「French Linen Cider / Green Grape Cider」をいただきます。
このグラス可愛いな!笑
プレモルのグラスの上から、このEuljiro Brewingのロゴとキャライラストをプリントしているというw 日本でやったら10000%怒られるやつ〜!持って帰りたいくらいです。(ていうか、こんど行ったら買えないか相談しようかな...)
壁のイラストもみんなビール飲んでてベロベロ。
深夜ですが、外国人のオニイチャンたちがワイワイ飲んでて楽しそうでした。ビアバーは店員さんがある程度英語話せるからいいね!
階段のネオン。
360度全方位、映えが溢れてて、パリピっぽいいいお店でした。ここもまた行く〜!
この、裏道に佇む感じがいいよね。金曜日とか絶対道に人が溢れて怒られるやつね。最高。
初日からよく飲みました。楽しかった!ごちそうさまでした。
■ (おまけ)ソウルのコンビニ
酔っ払いはコンビニに寄りました。
ビール冷蔵庫。韓国のOBビールは、世界一のビール会社ABinbevのグループ会社なので、ヨーロッパ系のブランドビールの製造も委託されています。なので、韓国には海外ブランドの缶ビールがめちゃくちゃあります。PAURANERとか、INEDITTの500ml缶があるのがレアすぎる。
常温棚の方にはワインとかリキュールとか。このemart24、結構酒の品揃え豊富��な。
はい、チャミスルやっす!笑
韓国の「ウコンの力」的な謎ドリンク「コンディション 컨디션」をがぶ飲みして就寝。ピンクを選んで大正解、甘くて飲みやすかった。 (滞在中、こいつのおかげで二日酔いも酷くなく楽しむことができました。ありがたや)
【2023年8月 ソウルの旅】 ・Day 1 └成田空港〜仁川空港 └広蔵市場 └ビアバー(Art Monster / Euljiro Brewing) 👈THIS ・Day 2 ・Day 3 ・Day 4
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study abroad diaries 〜番外編〜
みなさんこんにちは☀️ 人間科学部3年の川嶋健悟こと「けんけん」です!今回はイタリアでの3週間に渡る教育ボ��ンティアとしての活動の日々を少しでも共有できたらなと思います!留学とは一味違ったものになるので海外で働いてみたい!って人は是非とも参考にしてみてください〜!
私は2023年の夏に約3週間、イタリアのローマにボランティアに行ってきました🇮🇹 留学でも良かったのですが、現地のコミュニティに入れる点や海外の子供との交流ができる点が魅力的だったのでボランティアにしました。国はいくつか選択肢があったのですが、「ヨーロッパに行きたい」というエゴと「英語を母語としない国」という2つの観点でイタリアにしました!イタリア語に関しては渡航が決まってから日常会話や汎用表現などは勉強したくらいです。
今回は①イタリア/ローマについて ②ボランティア内容 の2つのセクションに分けてお話しします!
(Fountain di Trevi / 人が多過ぎて、コインを投げる余裕はないです。)
【① イタリア/ローマについて】
イタリアはとにかく日差しが異様に強い!! でも湿度は低めなので日陰は結構快適です。また夏は日照時間がとっても長くて、6:00~20:00で日が昇っています🌞 私は朝型人間なので1番暑い時間帯に行動していましたが、一般的には日が傾き始める16:00くらいから活動を開始するらしいです。なので水の持ち歩きは必須!! もし飲み干してしまったとしても街中には水を汲める場所がたくさんあるので、それを使っていました。ちなみにトレビの泉でも汲めます。
主な交通手段はバス���電車・タクシーでした。でもバスが時間通りに来ないのは日常茶飯事。1つが遅れると乗り換えもスムーズに出来ないのでgoogle mapで立てた全てのプランが崩れます。通常は45分で行けるところが90分かかることはザラにありました笑 しかもたまに予定より早く来るため、時間通りに行ったら次の便まで待たされることも… だから時間通りに行きたい場合はタクシーを使うことをオススメします🚕 ちなみに自分は空港からタクシーでキャンプに向かったのですが、150km/hでハイウェイを飛ばされる上、通常の5倍の金額をぼったくられました。許さん。でもアプリを使って呼べば基本どこでも来てくれる上、先に料金がどれくらいかかるのかを知ることができるので安心でした。
ちなみに裏話ですがイタリアではバスや鉄道の支払い方法がとっても雑で、ほとんどの人は無賃乗車をしています。私も買おうとはしたもののバスでは買えず、見渡しても何もなかったため結局買えませんでした。でもバレませんでした。現にバスでも刻印機にチケットをかざす人は5人くらいしかいませんでした。稀に係員が確認しに来て、もしバレたら56ユーロの罰金らしいです。5日以内に払わないと106ユーロに跳ね上がるので気をつけてください。
治安は本当に場所によりけりですが、観光地にはミサンガや帽子を押し売りする人がいました。一度話しかけられましたが、イヤホンをしていたのでそのまま逃げ切りました。スリも多いと言われているのですが、荷物を前にして持っておいたり南京錠をつけておいたりすることで防げました。夜はその数が増えるみたいなので、不安な人はあまり夜に動かないようにすると良いと思います。また夜は出来るだけ複数人で行動した方が安心です。
泊まるところはこんな感じで、なんと無料で10時間使えるプールもついており、毎日多くの人で賑わっていました🏊 プールでは常にEDMがガンガン流れていて、パリピだなと思いました。他にもボランティアであれば無料で使えるレストラン、食料を確保できるマーケット、ランドリーなどかなり充実してました。よくレストラン前でライブが開かれていて、常に賑やかでした。 ちなみに今もプール近くでフルーツ片手にこの記事を書き進めています。
(こういうロッジ?に2人で泊まりました!
ルームシェアだとより多くの時間英語を話せる一方で、1人の時間を確保しづらいという点があります。)
最初の週はフリーだったため、ローマ市街へ行ってきました!
訪れた場所は以下の通りです!
・Starbucks Montecitorio (東京と同じくらいたくさん並んでました)
・Pantheon/パンテオン
・Fontana di Trevi/トレビの泉 (後ろ向きにコイン投げると人に当たるくらい混んでいました)
・Piazza Navona/ナヴォーナ広場
・Monumento a Vittorio EmanueleⅡ/ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂
・Piazza Venezia/ヴェネツィア広場
・Foro Romano/フォロ・ロマーノ (世界史好きなら絶対行くべき!!)
・Colosseo/コロッセオ
・Arco di Constantino/コンスタンティヌスの凱旋門 (コンスタンティヌス帝懐かしかった)
・Castel Sant’Angelo/サンタンジェロ城
・Piaza di Spagna/スペイン広場 (近くにある Limon'è というマーケットはおすすめ!)
至る所にジェラート屋があって、どこもありえんくらい美味しかったです。基本的にはカード決済が主流だったので、支払いはカードを使っていました。
(激アツすぎたコロッセオ)
(Limon'èの丸ごとレモンジェラートはめちゃくちゃ美味しかったです🍋)
【② ボランティア内容】
私はIVHQという仲介団体を通して、ImpacTripという団体のYouth Supportのプログラムに参加しました。
最初の月曜日にオリエンテーションがあり、活動概要の説明やイタリアの文化に関するレクチャー、他のボランティアとの交流などがありました。ボランティアは自分含めて10人くらいいて、国籍はアメリカ、イギリス、フランス、ジャマイカ、メキシコ、ベネズエラ、イタリア、中国、カナダの人がいました。職業も小学校の先生から放射線技師、高校生まで多岐に渡っていました。Youth supportの場合は「教育に携わっている人」や「子供が好きな人」が多かった印象があります。各国の教育事情や問題意識を共有できたので、とても有意義でした���
最初の週はFerragosto(イタリア版お盆)らしく、この日を含む週は国全体が夏休みとなるので、私はAnimal Careに2日間、Farmingに2日間参加しました。
Animal careのメンバーの国籍はアメリカ、イギリス、フランス、メキシコで、みんなでシェルターに行きました。そこには保護された猫が260匹もいて、彼らの餌替えや部屋の清掃などをさせていただきました🐈 と言っても割と早めに終わり、あとは猫と戯れたりボランティア同士で各国比較の話をしたりしてました。
(Animal Shelterの敷地内にある廃病院探索🏥 血液検査や歯型がまだ残っていました笑)
Farmingは近くにある農場?的なところで植物への水やりや雑草刈りなどをしました。これは2時間くらいで終わりました。めちゃくちゃホワイト企業です。
基本的に自分は朝のシフトに参加していたので8:30前後にキャンプを出て、13:00くらいに帰ってきてた感じです。ボランティア後は完全にフリーだったので廃病院を探索したり、ローマ市内を探索したりしてました。結構自由時間が多くて、気楽でした笑
Animal CareもFarmingもめちゃくちゃ蚊や蜂が多かったこと以外は楽しかったです!全ての指示や会話が英語 (たまにイタリア語)で出されるため、聞き取るのにめちゃくちゃ苦労しました…
[平日の主な活動時程]
6:30 起床
7:30 敷地内のレストランで朝ごはん
9:00 キャンプを出る
10:00 朝のシフト
14:00 ランチ
15:00 午後のシフト
19:30 レストランで夜ご飯
20:00- 自由時間 (部屋でのんびりしたり、洗濯したり…)
22:30 就寝 (イタリアでも健康生活を続けました。)
2週目にYouth Supportに参加しました。学校的なところに行くのかなと思いきや、Summer Campの一環で屋外教室?みたいなところに行きました。小学生くらいが大半で、一緒に遊んであげる感じでした。何かマニュアルがあるのかなと思いきや、ボランティアがなんでもやっていいそうで、一緒にボランティアに来ていたアメリカの音楽の先生は楽器を使って合奏を行なっていました。私は折り紙を持ってきていたので紙飛行機大会を開いてみました。また別の日にはボランティアと協力し、イタリア語-英語-スペイン語-日本語での表現や言語レッスンをしました。みんなにとって「日本」は非常に物珍しかったらしく、興味津々で聞いてくれました。彼らはイタリア語しか話せなかったので、簡単な英語やボディランゲージで意思疎通をとっていました。また思ったこととして、子供の遊びがクリエイティブで身の回りのものを使った遊びをたくさんしていて面白いなと思いました。1週間しかYouth Supportには参加できませんでしたが、かなり仲良くなれたと思います!
(アメリカの音楽の先生と子供たちによる合奏)
(みんな折り紙を気に入ってくれました!!)
(最終日には子供たちがハグしてくれました!!)
キリが良いのでこの辺で終わろうかと思います。
「非英語圏へのボランティア」を通して、その地域のコミュニティに入ることができたのはとても良かったなと思いました。また良い意味で忖度なしの英会話に触れることができたのも非常に有意義な経験でした。その上で自分からも日本のことについて発信する機会がとても多く、学び直しが必要だなと痛感しました。近々仲良くなったボランティアが日本に来るらしいので、もう一度日本のことを学び直そうと思います。
書ききれていないことも多々あるので、もし何かあればいつでも聞いてください!
最後まで読んでくださった方々に感謝申し上げます。
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ほとんど息継ぎなしで書いてみる
今日もなんとなく考えていることを書く。でも、今日はそういうのは無理かもしれない。
そういうのは無理というのは要するに、何かを深めていくような考え方はできないかもしれないということ。昨日は、ひとつの問いからどんどん沈んでいくような書き方だった。本当に沈んでいくという言い方がふさわしいと思う。深まっているかというと、それは分からない。でも、高度的にどんどん低くなっていっていたし、ただ低くなるだけじゃなくて、地面の下に潜り込んでいくような趣があった。その地面はぬかるんでいる。どろどろしている。深まれば深まるほど、なんとなく自分が気持ち悪くなった。
「深まっているかというとそれは分からない」と書いておきながら結局「深まれば」と書いたということは、自分は昨日の文章に対して深めている感覚があったというか、もしくは自分は言語の使い分けに対してかなり雑にしか考えていないか、そのどちらかなのだけれど、多分前者だと思うし、書きたいこともそっちだから前者として考える。自分は昨日の文章に対して、深めている感覚があった。ここから、今日、ていうかさっきぼんやりと考えていたことに入る。それは、一つの考えを深めていくのはなんとなくキモいということである。いや、前言撤回。ひとつの考えを深めるのは別にキモくない。でも、なんていうんだろう。プールの水をかき混ぜるのとコップ一杯の水をかき混ぜえるのは違って、自分がやっていたのは後者で、それでいていい気になっていたのではないかということが言いたい。
多分、文章がかなり読みにくい感じになっている。でもそれでいい。今日は文章の乱れを気にしないようにする。それはある本を読んだからである。その本の話もちょっとしたいけれどしていたらあまりにも脱線しすぎるから今はしない。話を戻すと、自分は自分の内面を掘り下げることで悦に浸っているところがあるのではないかということ。内面を掘り下げるのは、かなり私的な行為だと思う。だからそれを、ひとりでノートに書き留めているならいい。誰にも読まれない前提で、ネットの端っこで細々と書き続けているならいい。でも自分はそうじゃない。自分は、それを誰かに読まれたいと思っている。いや、それは正確じゃない。もっと言えば、誰かに評価されたいと思っている。内面を掘り下げた文章を、誰かに評価されたいと思っている。
図らずも、今日も内面についての文章になった。もしかしたら測っていたのかもしれない。そんなことはどうでもいい。また話を戻す。内面について語る、自分自身について語るその行為は、本来とても私的なものであると思う。他の誰でもない自分について語るのだから、そうなるのは当然だと思う。でも、そうなっていない。自分は何かしらの基��を元に、内面を掘り下げている。どこかにたどり着くべきゴールがあるという前提で、内面を掘り下げている。ここで、内面が可視化できたとしたらそれはどんな姿をしているかについて考えてみる。えらく勿体ぶった言い方をしてみたけれど、要するに内面ってどういうイメージだろう、っていうことだ。内面は、深海とか暗闇とか、暗くて深くて色彩に乏しいイメージがある。「深海」と書いたイメージで「樹海」も書いてみようかと思ったけれど、樹海にはならない。樹海には色の違いも明度の違いも、深海よりはっきりしている(と思う)。樹海は内面のイメージではない。深くて誰もいなかったとしても、内面のイメージは樹海にはならない。内面にはダイレクトに太陽が差していないイメージがある。でも、本当にそうなのか。意外と人の内面って、深海とか井戸の底とかそういうものではなくて、クラブみたいな金髪ギャルとグラサンムキムキ男たちが踊り狂っている場所である(イメージが貧困)可能性だってあるんじゃないか。いやクラブでもないな。なんだかんだ言ってクラブも暗いし、自分のイメージではちょっと隠れた場所のイメージだから、まだ深海のイメージを脱し切れてない。もっとシンプルに海辺だ。海の側じゃなくて砂浜の側が内面かもしれない。それもしゃがみ込んで砂を掬って手を広げて指の隙間から砂がこぼれ落ちていくのを見ているような、そういう孤独なイメージでもなく、もっとパリピな、それこそ色黒金髪タトゥー、意外とポテ腹、みたいな人が屯しているビーチバレー場が、人間の内面世界に近いのかもしれない。
逆張りが目的になって本題から逸れた。少し冷静になりつつ話を戻すと、要するに内面を掘り下げていくことは暗い海の底に潜っていくこととは実は違うのではないかということだ。深い海の底に潜っていけば自分の本心に出会えるというのはどこから得てきたイメージだ? ということだ。多分、ここのイメージはぶっちゃけなんだっていいんだと思う。大事なのは、それが自分で掴んだ手触りのある実感かということだ。高校生の頃、「アオハライド」という漫画を読んだ。去年わざわざAmazonで買ったくらい、なんか分からないけどけっこう好きな漫画だ。そのアオハライドの中で、一人の女子生徒が進路面談で教師に「卒業したら自分探しの旅に出ます」と言うシーンがある。教師はその言葉に対して「自分探しって言うけど、じゃあおれの目の前にいるあなたはいったい誰なの? ちゃんとあなたでしょ?」みたいなことを言う(雑)。それをきっかけに女子生徒は教師のことを好きになる。こんなこと実際にあるのかというのは置いといて、このセリフはけっこう印象的だった。それは多分、よく語られることとは逆のことを言っていたからだ。こういう漫画(青春系の漫画、高校生とか、いわゆる「思春期(オエッ)」が読むことを想定されている漫画は、あんまりこういうことを言わないと思う。少なくとも、自分探しの旅に出ることを奨励しない教師に対して反抗的な態度をとって、そ��後、友達とカラオケとかに行って、カラオケでも教師の言葉が頭から離れなくて、隣ではしゃいでいた友達に曲間で「浮かない顔してんじゃん。なんか悩んでんの?」みたいなことを言われて、二人は部屋を出て屋上とかそれに近い場所で話をして、その女子生徒は友達から何か心に刺さる言葉を言われる。要するに僕が言いたいのは、教師の言葉に対して一発で素直に魅了されるのはあんまり高校生が読者であることを想定した漫画っぽくないと当時の僕が思ったということだ。
青臭い言葉が嘘臭く感じられるとき、それと対極にある言葉に活路を見出すのはそんなに珍しいことじゃない。物分かりが良いふりをするというか、ある種の諦念を持って、抗ったって仕方ないものに対して抗わない「ポーズ」を取ることはそんなに珍しくないと思う。でもそれはどっちが上とか下とかそういうことではなくて、どちらも借り物の考えである時点で同じだということだ。ヨルシカの「ずっと叶えたかった夢があなたを縛っていないだろうか」という「チノカテ」の歌詞も同じ。あれも別に叶いそうもない夢にそれでも食らいつき続けることが良いとか、距離をとって自由になった方がいいとか、そういうことではない。どちらも同じ。変わりない。あれ、さっきすごい大事なことを思った気がするんだけどなんだっただろう。
その言葉は常に自分が骨身を削って得た言葉じゃないと意味がないということかもしれない。おっとまた意味とか言っている。こういう排他的な言葉は良くない。でも排他的な言葉が良くないと思うのはそれによって排される人がいるからではなく、一つの考えしか認められない自分の偏狭さが嫌になるからだ。最近つくづく思う。自分が納得できない、理解できない感覚に対して否定の言葉を発しないのは、9割5分自分のためだ。でもこれに関しては誰のためでもいい。理解できない、感じ取れない感覚に対して即座に否定的な言葉を発さない方がいいとある程度冷静な状態で思うから、理由はなんであれその姿勢は崩さない方がいいと思う。結局、その姿勢を崩そうとするのも、自分は他の人間たちとは違うという選民意識(?)の表れで、他の人たちが良心が邪魔してできないことをやろうとするのは、自分が他の人に見えないものが見えているからだという思い込みから生まれていると思う。だめだ。こういうことを考えようとすると過剰に社会的なものの目が気になる。社会的なものっていう言葉はキモい。でもなんか「誰かを傷つける」ということについて、もっと自由に、ありのままに、自分の感覚を総動員して考える機会を作った方がいいのかもしれないとは思う。こういう場所じゃなくて。ノートとか、自分以外絶対に誰も見ない場所で一回考えた方が良いのかもしれない。いやだめだ。それだったらきっと自分は書かない。今、自分は、誰かに見られているという意識の元に書いている。だからその感覚が完全に抜け落ちた状態では、この勢いでもって文章を書けるか分からない。本当に勢いだけは良い。
また割とどうでも良いことを書いてしまった。この文章の勢いについて言及する必要はなかった。でも多分、この「自分が納得できない、もっと言えば排除したいと反射的に思ってしまうような人がいたときにどうするか」と「内面��掘り下げようと思ったときに邪魔をしてくるどこから得たかも分からないイメージのうざさ」は、「自分の頭で考えていない」という点で共通しているのかもしれない。そういえば、夏休みインターンに行った会社の社長が、しきりに考え続けることの大切さ、思考を止めないことの重要さについて言っていた(多分)。←こういうときは「おっしゃっていた」って書くんだよ/ それで、その時自分は「なんで考え続けることが絶対善みたいに言われているんだろう」と思った。実際にグループワークのときに言ったりもした。でもその言葉は「考え続けることが辛い状況の人もいる」という言葉で違う話にえられた。「考え続けることが辛い状況の人もいる」という視点はとても大切なものだと思うけれど、でもここでそれ以上深められなかった自分の考えのことを思う。(深められなかったとか言ってる、きもっ)考え続けることは絶対善か。普遍的な話ではない。自分個人においてだ。いや、別にこんなこと考えてもどうにもならんか。多分脱線したかっただけだな。要するに言いたかったのは、「本当に自分の頭で考えることが重要だと思う」ということ。でもこの言葉もなんか、「内面に潜っていく」とかと同じ匂いがするんだよなあ。
自分はこの匂いを嫌っている。なんていうんだろう、正そうな言葉、ただ正しいだけじゃなくて、教科書的な正解からは離れたうえでそれでも強く機能する言葉。めっちゃどうでも良いことを言う。パソコンで「きのう」とタイプしたら昨日の日付が出てきた。パソコンて賢いんだね。よしよし。(こんなこと言ってたら将来AIに殺されるような気がする)話を戻すと、教科書から離れたうえでそれでも「正しさ」として強く機能する言葉。自分はここに気持ちの悪さを感じる。画一的な正解を否定したうえで正解を固定せず考え続けることを押しつけるみたいなそういうこと。なんかもうそういう全部から自由になりたい。そういう全部から自由になるのにわりと最適なのが、さっき書いた「パソコンて賢いんだね」みたいな言葉だと思う。なんでもない。正しも間違ってもない。ただふざけている。別にそこにおかしみがあることが必要だと言っているわけじゃない(この言葉におかしみを感じるかは人それぞれだと思います)。そういうなんでもない言葉。言葉と言葉のつながり合いの中でふっと差し込まれる言葉。それまでの繋がりの中から自由になっている言葉。そういうものがあると良いよねと言っているのかもしれない。
とここまで書いたところで疲れてきた。ちなみに自分は、その「なんでもない言葉」が小説によって実現できると思っている。思っているだけで、実現できるかは分からない。そもそも考え方が色々間違ってるかもしれないし、ていうかさっき差し込んだ「パソコンて賢いんだね」が本当に「なんでもない言葉」として機能しているのであれば、自分はもうすでにそれを実現していることになる。だったら、わざわざ小説で実現しようとする必要がない。前にも書いた(かもしれない)けれど、自分は最近、小説という言葉を使いたくないと思っている。小説と書く度にテンションが下がる。「小説」という言葉は、和服きて卓上机の前に座っている(低めの机の呼び方って卓上机で合ってますか?)いわゆる「文豪」のイメージを内包している。(最近、自分はよく「内包」という言葉を使っている。よくではないか。バイト先で使っただけかもしれない)そのイメージは良くない。理想を言うなら、文章は走りながら書くものだと思う。ちょっとよく分からない。走りながら書くは嘘だけれど、身体性のある文章を書きたいなと思う。それは、読んだときに「美味しそうっ!」って思う文章じゃなくて、体のままならなさが流れとして表れている文章だということ。
「体のままならなさ」という言葉について考える。自分は(少なくとも身体的には確実に)男性である。(本当に確実にだろうか)男性である自分が持っている薄い知識によると、女性の方が自分の意思とは関係のない体の動きに翻弄されることが多い。だから男性である自分が「体のままならなさ」という言葉を使うのは、ふさわしくないんじゃないだろうか、と思う。でも本当にそうか。それはふさわしくないのか。というか、なんでふさわしくないのか。そこで「ふさわしくない」と思うようなものの考え方が何よりふさわしくないのではないかと思ったので、自分個人の感覚について書いてみる。「体のままならなさ」について。まず自分は、じっと座ってられない。自分が机の前に座って何か書こうとしたとき、絶対に一文字目を書くより先に「今日の座りはどうか」ということについて考える(ことについて邪魔だな)。座りの良さ、それは骨盤の立ち方、骨盤の立ち方、それは腹の力の入り方、腹の力の入り方、それは背中の力の入り方、背中の力の入り方、それはふくらはぎの感覚、今書いた順番で意識が向かうわけではないけれど、主に自分は、このあたりの感覚が座っているときに気になる(あと肩と首も気になる。ほとんど全部かもしれない)。別に自分は、たとえば冨樫先生のように椅子に座っている状態じゃとても作業できないくらいの痛みを感じるわけではない。というか気になっているだけで、そもそも痛みは感じていない。自分が能動的に感じているだけだ。能動的に感じようとした結果、今となっては標準装備になっているだけだ。それはサッカーをやっていた頃の産物だけれど、原因の話をすると本当に話したいことが話せないので今はしない。
と、ここまで書いたところでLINEが気になり確認すると、お久しぶりな人からLINEが来ていた。今開くか帰ってから開くか悩んだ結果誘惑に負けると、それがただの業務連絡であることが分かった。自分がやるべき作業をできていなかった結果届いた業務連絡だから完全に自分のせいだけれど、悲しい。そんなのどうでも良いじゃねえかと言いたくなってしまう。
というところで本題に戻ろうと思います。えーっと、体のままならなさについての話でしたね。だから僕は(ヨルシカっぽい)、小説を書くとき、いや小説を書くとき以外でも、何か書いているときはその書いている内容とあまり変わらない割合で、体の状態についても考えているのだと思う。いや、「考える」という言葉を使うほどには考えていない。というか、感じたものについて突っ込んではいないから、多分、考えてない。でも感じたことをそのままにもせず、ある程度言葉にはしようとしている。言葉にすると言っても「今の腹の力の入り具合は小学生のときに腹痛でトイレから出られなくなったときに似ている」とかではなく、純粋に「なんか腰の調子良くないな〜」程度だ。あーなんかどうでも良くなってきた。要するに(困ったときはとりあえず要する)、小説を書いているとき、僕は小説の内容と同じくらい、自分の体の状態とも向き合っているのではないか、ということです。言い過ぎのようにも思えるけれど、多分、そんなに言い過ぎてもない。何か書こうと思ったとき、その時の座りの良さはわりと切実な問題。何か書くとき僕は大抵外に出るのですが、それは家の中だと座っていられないからです。三十分も経たず、床に寝転びたくなります。寝転ぶのを我慢できても、絶対、足を椅子の上に乗せたくなります。足を椅子の上に乗せてもデスノートのLみたいに思考が巡るなら良いですが、僕はそうではありません。膝を立てたら、しっかり立てた膝のこと、膝を曲げたことによって角度が変わった腰のことが気になります。なんか文字数を埋めるために書いてる気がしてきましたというところでもめげずに書き続けてみましょう。
やっぱりマジで疲れたのでここまでにします。「身体性と小説」については明日続きを書きたいです。(身体性と小説について書きたいんだろうか)
また次回!!
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クリスマスディナー
11月の半ば頃から、クリスマスに何を食べようかな?と楽しみにしていました。
例年だと、🍗はアールエフワンさんでチキンキエフを購入するんですが、今年のパンフレットには記載されておらずガッカリ😥……していたところ、12月に入ってからNEWの紹介の中にチキンのガーリックバター包みを見つけました。いやそれ、まんまチキンキエフやん😆💕
さすがに世界情勢もあって、今年は自作でもしない限り口にするのは難しいかなと思ってたので、狂喜乱舞です。
ということで、昨夜はチキンキエフ(キーウ)を含めてオードブルや🎂も買って参りまして、クリぼっちの饗宴の始まりじゃい。
実は、イブが本番ではありません。推し誕(複数)が25~26日なのでこれはその前夜祭。明日と明後日用にも取っておきたかったので一部だけ食べました。といっても、そんなに沢山は買ってきてませんけど💦オードブルの詰め合わせの量が結構多めなので、それを補充する形でほんの数品。
リースサラダだけは、一応手作り。野菜を茹でて並べただけなんで威張れるものではありませんが💦💦
オリーブとモッツァレラチーズは、オードブルの中の1品を使いました。スモークサーモンはリボンに見せようと頑張りましたけど、今イチ存在感がないな😅賑やかに見えるからヨシとしました。真ん中にあるのはオマール海老🦞のクリームフランです。裏話をすると、このフランは画像を撮った後にすぐ冷蔵庫に逆戻りしました。デザートに🎂も食べるので、カロリー過多になってしまうのと、明日以降のオードブルがなくなってしまうのを防ぐ為ですw
もうひとつのお皿には、ベーコンとほうれん草のキッシュと🦐の乗ったマッシュポテトと白身魚の冷製。
白身魚の冷製とオマール海老のフランは、さきいかなどのおつまみで有名ななとりさんの子会社のひとつであるラコッションローゼさんの、クリスマス特製メニューです。毎年こちらのオードブルを買うのが楽しみなんですが、とてもお洒落な為に年々購入者が増え続けているんですね。昨日は1時間並びました。一度商品が売場から姿を消しても、バックヤードでフル回転で作られているようで即座にまた並びます💕どの品も美味しいんですよ。
このベシャメルソースが堪らない。薄切りにしたぷりぷりした白身魚とよく絡みます。手が込んでるのに、一番安いんですよね。あとは、紀ノ国屋さんのオードブル詰め合わせ。マッシュポテトは結構ゆるめに作られていて、🦐のソース代わりにもなります。お酒のおつまみとして売られているので、当然お酒も開けました。SUNTORYさんのほろよいの新商品。
ほんのりロゼ色がついてて、ほどよい甘さ。何より缶のデザインが華やかですね。パリピじゃパリピ🎉🍸🍷🥂
そしてメインディッシュのチキン。推奨されている電子レンジではなく、魚のグリルを使って温めたので表面がカリカリ💕噛むと中のバターがじゅわっと溢れます。ホント好き、これ!!
デザートの🎂は、今年はレ・アントルメ国立さんのルミエールというチーズムースケーキ。
今年の傾向として、どのお店も判を押したようにピスタチオとラズベリーの組み合わせのケーキが多くて、正直カタログだけで食傷気味になっていたところ、こちらの🎂は🧀ムースをベースにしたオレンジとパッションフルーツの組み合わせというところに惹かれました。当日になって、他の(例えばチョコレートを主体とした)ケーキが食べたくなる可能性も大きかった為に予約はしなかったのですが、駅の構内で売られているのを見た瞬間、
絶対買う😤
と心に決めました。改めて、オレンジの香りってチーズケーキと合うな~と思います。さっぱりしてて、美味しかった……いくらでも入りそうで怖かったけど😅
#クリスマスイブ#クリスマスディナー#ご馳走#晩ごはん#チキンのガーリックバター包み#鶏肉#メインディッシュ#ベーコン#ほうれん草#キッシュ#マッシュポテト#ボイル海老#白身魚#冷製ソース#オードブル#リースサラダ#ブロッコリー#カリフローレ#スモークサーモン#オリーブの実#チーズケーキ#オレンジ#パッションフルーツ#ヘーゼルナッツ#ダックワーズ#クリームチーズムース#なめらか
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駅メモ!7周年ブログ Denstagramをのぞいてみよう!
いつも駅メモ!をご利用いただきありがとうございます。制作チームのコンノです。
度々話題にあがるでんこたちのSNS「Denstagram」。本日はこちらの様子をピックアップし���お伝えしようと思います。
Denstagramでの一幕
ま��はでんこきってのパリピ、ゆうの投稿。ゆうにとってセルフィーは日課みたいです!4人とも笑顔もバッチリで自撮り慣れを感じます…なるはちょっと気が散ってるみたいですが。
次はちびっこでんこたちの可愛らしい投稿。セルフィーのプロたちと比べるとだいぶ荒々しいですが、みんなとっても楽しそう!…シャルはリトとぶつからずに済んだでしょうか…そこだけちょっと心配です。
こちらは通常運転のほこねの投稿。アカウント名とたくさんのハッシュタグからも気合が感じられますね…。実は(?)かなり更新の多いアカウントでもあります。
そして味わい深いミオの投稿。なんとも躍動感あふれる蓮台寺姉妹の日常ですね。今後のミオの写真の腕の上達にも期待です。
最後はインフルエンサーでんこのめぐるの投稿。7周年の立役者となってくれた二人のオフショットです!正反対に見えるふたりですが、息ぴったりの名コンビみたいですね。
終わりに
でんこたちの日常が垣間見えるSNS投稿でしたね。 今後もいくつかご紹介していけたらと思っておりますので、次回をお楽しみに!
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エア企画 0830 超夏祭り
エアブー 0830 超夏祭り、設営完了しました よろしくお願いします…!!!!
■エアブー入場ゲートは > こちら ■メテオラサークルスペースは > こちら ■とらのあなさんのメテオラ通販ページは >こちら ※新刊:カメレオン・ゲーム予約受付中です ■マシュマロ ご意見ご感想などよかったら! > こちら
■連動企画 [9/7追記] 公開終了しました、ありがとうございました
・「Spica」全ページ(7月後半に公開していたものとおなじ) > まんがを読む
・「カメレオン・ゲーム」冒頭数ページサンプル(今回の新刊) > まんがを読む
Spicaの方は前回のエア企画に間に合わなかったので、今回のエア企画に合わせてまた公開します 同じもので読んでくださった方にはしつこくて申し訳ない… 感想・コメントなどとてもありがたく拝読しております……泣(´���ω;`) カメレオン・ゲームは新刊です ちょっと本日には販売が間に合わないため、予約販売という奇策に出てしまいました 現在とらさんで受付中ですが9/7の週に出荷となりそうなのでごめんなさい、ご了承ください。。 冒頭のほんの数ページだけ公開してます これも予定してたページ数間に合わないので期間中付け足すかもしれないです とゆーわけで原稿鋭意製作真っ最中です(´-`)眠いよ〜終わんないのなぜ
〜近況という名の愚痴〜 エアコンがね〜…新調して1年経たずして故障しました さすがに「は?????」って点目になる ぴちょんくん…おまえ一体… 去年も壊れてるしもう37度とかふつうに死ぬしそしたら事故物件になるからね ひとまず修理はきてもらってなんとか直った??っぽいんだけどまた壊れたら損金請求するぐらいダメージを受けてる
それとこの間やってたフジロックのエア版がとてもとてもとてもよかった!!!!!!! なんだろう、こんな時期だからかものすごく感動してしまった とくに最終日のトリ、コールドプレイからの流れとか ビースティーズ血を吐くいきおいでめちゃくちゃかっこよくて…(´;ω;`) マジで自然に涙流れた 現地に行きたくなったよねやっぱり フジロックとサマソニ、ソニマニはオタク的には悲しいぐらいに夏コミの動線と毎年ぶっかぶりするのでせめて一週ずれてよって思うんだけど フジは7月末の週末で原稿の締め切りとかぶる サマソニは8月2週目週末で夏コともろかぶる 苗場で原稿やったこともあるしシャトルバスから会場に足を下ろした瞬間に印刷屋さんから電話かかってきて心臓とまりそうになったことある ソニマニからそのまま徹夜でコミケいってまた同日に幕張に戻るとか意味不明なことも何度かやった これはなぜか異様に楽しかった(ランナーズハイ現象) 夏コとフジとどっちがフィジカルにつらいかというとだんぜんフジだと思う トイレもごはんの屋台も通常30分↑待ち、落し物も盗難も100%戻らない、すこし道はずれたらすぐ遭難、ゲート入ったら電波届かない、会場の端まで徒歩で1時間半よゆう、雨が降ったら泥で動けなくなり即低体温症 スタッフは1km以内にいないし暴風雨で橋が流されたりキャンプ場に渓流できたり ぼくはパリピでもフジロッカーでもないけど、それでもライブ会場のハコでこんな最高な場所ないって本気で思ってる 2020年は今までのアーカイブからセレクトって仕様だったけど、チャットとドネーション(投げ銭システム)の相性がすごくよかったと思うので来年も現地ライブと連動してやってくれたら、苗場にもしかしていけなくておうちで原稿やってる同人女が大泣きで喜ぶのでぜひに…
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ロングテールな心理障害としての軽度自己愛過剰性
書き途中でドラフト保存しようとしたらポストされてしまい数十リブログされてしまって元記事消しても漂ってるやつ消えてくれないので上書き的に仕方ないから書いてく。
あ、これはタンブラーのいいところでもあるとは思う。こういうところ(適当にドラフトに近いものをタンブルログ的に書いているものが許される)がなかったら僕は文章をネットで書き続けることはなかったと思う。昔も書いてたけど、僕は一応、文章をがっつり書いていく(ブログ)とかやると、3ヶ月くらいで1000とか2000くらいの購読者、フォロワーは付いてきたので、そういう存在なんだろなという数値の記録はあるが、やっぱり影響力の形として知名度性みたいなものを避けたいと思ってきた。クリエイティブな人たちとの交流や彼らに影響を与える(与えられる)ことに加え、「領域を超えた人たちの届くくらい」の影響力が欲しい。でそれは数千から1万くらいの創造的な人たちがフォローしてくださったり、批判や意見をくれることはありがたいと思っていた。
さらに関係ないけどアップルのキーボードやっぱダメだね。もともと長くHHKBとかリアルフォースずっと使っていて、マックの薄いキーボードはここ十年くらいデスクトップでも使っていたけど打鍵のノリが全く違くて戻したら脳と文章直結感パなくてこないだ見たくバーかけて行っちゃった。
さて自己心理学のことだ。ここに書くことは基本的にはエビデンスベースのことをよく踏まえていると思い、それに考察や個人の観察を加えたことだ。
先述したが、僕は心理学との出会いは早く、早熟でもあったので、14、5歳くらいにはフロイトやユングやアドラーといった古典的な心理学は読んだ。大学では認知科学もやった。僕は数学、理系の人に主軸を置き、プログラマーとしての科学への信念を元に、つまり「神経、脳、人工知能、そのほかあらゆる知能的な振る舞いは唯物論的に機械として捉えることができる。計算不可能性と観察不可能性と、論理による推測が範囲でしか行えないことは、因果関係のネットワーク的性質に全て由来し、ファジーなもの、人間の直感なども「機械的に記述でき、振る舞いはファジー」でいいという結論である。自身もこの計算可能性の限界まで、できる限り論理というもの、因果関係というもの、すなわち宇宙というの基本原理の最終形式を記述しきり、神だかなんだか知らんがそういうものに許される限り明晰にやっちまえばいいと思ってる。そして心理というものが極めて高い自動性を持つこと、エビデンスベース心理学が人の感情、幸福、不幸、そしてその「ネットワーク差分演算をすれば、その人の認知の歪み、心理的なバグ」が見えちゃうってところ前できてるってとこに興奮しまくってる。僕のモチベーションは実のところ皆さんの幸福にはあまりなく、宇宙の解明と創造性の解明みたいなところにある。のだがその中で次第に今の人の心理があまりに辛そうすぎ、不幸に過ぎ、それが無知からくるのだということに気づいた。
こういうストーリーとしてみることもできる。心理学の発展は「スケール最小だが非常に困難であるような心理的障害の治療を目的とし、その解析から始まった」が、次第に「スケールが最大で全ての人にうっすらと影を落とすような心理的障害の解析に向かっている」ということ。スタートアップメカニズムはよく「粒度最小で、皆が見えていないほど小さな欲望や欲求、小さなパターンが、実はものすごい回数発生することに気づいた」ということだ。世界で最もセクシーな人物と性行為をするコストが10億円だとして、それよりも世界で最もセクシーに見える人物の100kのwebpファイルをスマートフォンで3秒みることで得られる小さな快感が10億回発生し、これは100億の富をなすことに気が付いた人たちがいた。15min fameはテクノロジーと出会った。心理学におけるナルシシズム研究には自撮り画像が一時的に被参照回数をスパイクさせることが自己愛過剰性をますことをエビデンスで証明しつつあったりもするぜ。
で、日本においては回避自己愛過剰性って心理的な障害は「ごく軽度なものから、軽度で、しかしスケールが巨大」だ。ロングテールな心理障害だ。精神科医でブロガーなかた(しろくまさんだったか)が、ちょっと言及してる事件は忘れちゃったんだけど、事件を起こした人物をが艦艇によって自己愛性パーソナリティ障害と診断されたことについて(みる限り明らかに回避タイプ)、「双極性とかうつとか、そのほかのより困難の高い心理学的な障害と比べて容易であるというものの場合、自己愛過剰性というしかないからこういう診断になったんだろうなあ」という「軽度の心理的障害はだいたい自己愛過剰性って感じである」という旨を書かれていた(精密でなければ申し訳ない。あくまでの僕の解釈す)。が、実際自己愛性パーソナリティ障害は、特に回避タイプの場合、日常においてはほとんど外部からは目立たないこと、また他の障害からするとご当人の苦しみも軽度である。おそらく医療現場でも自己愛性パーソナリティ障害みたいなものを心療内科に相談に来るケースは極めて稀だろうし、優先して取り組むべき人も多い。
それでもなのだが、自己愛性パーソナリティという、診断がくだり、心理障害であるということがお医者様に言われるほどではないレベルにおいて、現代日本(や世界)で最大の不幸は、回避タイプの自己愛過剰性だ。そしてそのレベルは驚異的に大きい。スケールが数億人、下手したら10億、20億なのかもしれない。僕の考えでは2000万くらいの日本人は「直したら人生が劇的に楽になる」レベルにある。その人の幸福度の体感において一番影響が大きいのが自己愛過剰性である人がそれほどいる。
自己愛過剰性の(研究者としてみるに)面白い点は「別の形をとって」現れることだ。特にその95%をしめる回避タイプは「過剰に回避的に振る舞う」という性質から、その「自己愛過剰性」を隠蔽し、日常的には「ごくごく他人に優しい普通の人」として振る舞うが、突如怒りを表したり、恋愛や仕事やSNSなどで過剰な心理性を表す。一例としては承認欲求。承認欲求という言葉は人口に諧謔してそこそこに久しいが、多く自己愛過剰性に由来すると僕は考えてる。
面白い(というと人の不幸に影響を与えていることなので不謹慎なのかもしれないのだけど)ことに、本当に色々な現象に自己愛過剰性が見て取れる。エドシーランがカリードとコラボレーションプロジェクトと言って出した「beautiful people」という曲は「回避自己愛過剰性ソング」だった。この曲はほぼ「SNS女子」とか「インスタ女子」とか「キラキラした人」とか「ファッションショーの前列にいて、それを写真に撮ってあげる人」のことをビューティフルピープル。と呼び、サビでまずこの「ビューティフルピープル」と名指しを歌い、2バース開けて「それは、僕たちがそうではないもの」と劣等感的なものと「インスタ映えとかしてる人を批判する心理」を表している。で、これだけみると皆さんには「ビューティフルピープルはナルシスト的で、自己愛強そう。承認欲求強そう」と思うかもしれない。事実ナルシストとインスタ女子の相関は統計とかで取られてるので高いでしょうね。でもですね、それを笑う人たち(あなた)の心理は、回避タイプの、自己愛過剰性なんです。承認欲求の裏返し。一種の嫉妬であるし。自己愛健全な人は「気にしない」か「客観的にいって奴らはナルシストだな。」と「まあでもナルシストタイプは別に有害でもないしな」である。「パリピと話すのが怖い」と思うならそれも回避自己愛過剰性。エドシーランの歌にはこれ(美しい人たちがこちらに話しかけてくる。怖い)がダイレクトに歌われるし、非常に多くの人がこれを持ってると思うけど、それは回避だ。大人になっても人見知りするのも軽度であるかもしれないが回避心理の指標にはなりうる。
これあれです。「こういうことに当てはまるのが一発あるだけでその人が自己愛過剰の病気です」とかにはもちろんならないし、本当に心配とかだった医者にでも相談して「大丈夫ですちょっとそういうとこあるかもしれないけど病気ではないです」ということの方が多いと思う。僕が問題にしているのは「うっすらとそういう毛があることがその当人の人生の長きにわたってうっすらと不幸を差し込み、その影響は積み上げるとめちゃくちゃ大きいぞ」ということです。
本当はこれ「結論」というか「対策」として「他者愛性やっぱ超すごいんじゃないか」学術的にいうなら「向社会的行動をとると自己愛過剰性軽減すると共に、自己愛強い場合この幸福度貢献は最高なんじゃないの」ということが言いたい。ギバーであることがその人当人にもたらす幸せがめちゃくちゃでかいとすると人類の愛についての知的議論捨てたもんじゃないなってなってくる。
実のところ人間関係の多くも自己愛過剰性の問題が由来してると僕は思ってる。統計から、人間の幸福度に影響を与えるものは、死の危険に影響するほどの貧困を除けば、「人間関係、健康、労働業務の幸福度、賃金、通勤時間、恋愛」といった感じで序列がある。
で、人間関係、労働、賃金は特に「衛生要因」的で、「上がれば上がるほど幸福度が上がるわけではない」が「失われると幸福度が激減する(不幸度が劇的に上がる)ということになっている。恋愛は青天井なのかもしれないが、基本的には平均化するとこれも衛生要因的なんだろう。そしてこの「下がる方」、つまり人間関係が損なわれたり悩んだりする、とか労働があってなく感じる、とかと、あと「賃金の方が労働より重要に決まってんじゃん」と「本心はそうではないとインタビューなどをするとあぶり出されるのに口ではそういってしまう」などの現象は、その多くが「自己愛過剰性に由来している」と僕は読んでる。自己愛が正常な人の神経症的傾向はめちゃくちゃ少ない。また自己愛過剰な人は常に批判や、自分が嫌われているのではないかということを気にして行動するわけなんだけど、統計科学的には「非常に多くの人が、実際に嫌われている度合いよりも過激なほど嫌われてるかもしれないとバイアス(錯覚)してる」とされている。回避自己愛なんじゃねーかなと思う。自己愛がまともな人は「まーいやそんなそこまで今のことくらいで嫌われることないよ」と「そんな誰もお前とか俺のこと気にしてないよ」と思ってる。自意識過剰も自己愛過剰性に由来する。
シンプルに、「他者愛」の人は、「自分が」ということをあまり脳内で思わない。「相手が」気になっているので、「相手を傷つけたかな」はきにするけど「相手を傷つけたかな」のさきに「それによって自分が嫌われた=傷つくか」など気にしない。なんだか素晴らしく気分が良さそうな奴が現れただろ。
繰り返し書くと思うけど僕の結論は他者愛と、それを共感(これもきちんとした科学、心理学の用語です。共感能力ってのは試験できるレベルに定量化できる実際にある能力)できると自己愛過剰性は軽減するのではないかと思っている。
あとね、幼年期などの友達と親との関係性が自己愛過剰性の最大の原因であるって説がコフートや自己心理学のいってることなんだけど、でこれ「子供を自己愛にしないこと」のキーは、コフートとかだと「子供に共感をしている本当の他者愛で持って接する」が示されていると僕は解釈した。言い換えれば「一対一の関係として、他者愛を受ける」ことを子供は真に感じ取れればいくら叱られたりしても親を信じる。ということかなと思い、おそらく確かに有効だと思う。イケてると思う。が、もう一つは「他者愛的な振る舞い、向社会的行動を無償で行うさま」の「追体験」でもいいと思う。15歳とかになるまでに、周りの友達とか、親とかが「当たり前のように階段でおばあちゃんの荷物を持って一緒に上がっている」のをみて「なんか自分のためにならへんのにやるもんなんね」と、これは自己愛過剰性からすると違和感が脳内に巻き起こる。
僕の考えでは「共感」とは「快楽系まで想像がつく」レベルのことを言うのだと思うのだ。そんで向社会的行動をとるときに人は快楽を得ることがわかってる。またメンタリティ(神経症的な傾向)��安定するといったことも統計で明らかになってる。のだけど、「その行為を行う人」に「��供が共感する」と「あー、、、気持ちいわけだ。。」となる。
向社会的行動や、他者愛的行動がその人そのものに快楽を与え、大きなメリットも伴うことは本当に広く行き渡ればいいなと思う。理論的にこれが明かされようとしてきてるなんてもうめちゃくちゃいい。
あとね、僕はこれ気づいたとき感動で泣くかなと思ったけど(社会システムがこういうものを要請しているとしたらめちゃくちゃ創造的だと思う)、イノベーションのようなものが社会に対してサービスし、またその価値を果たしなら富を維持しようと粘るのではなく早く自己を廃棄し(ドラッカーの言葉だ)、進化に取り残されるくらいなら消え去った方がいい(トムヨークが音楽のイノベーションの中心はテクノにある、という言葉の後にゆった言葉だ)ってゆうときに、これは向社会的行動であるし、イノベーションと向社会的行動を中心に吸え、自己増殖する利子資本系と拮抗するということならば、これは愛の世紀(ゴダールが言った言葉だ)だ。
そのほかにもある。現代において自己愛過剰性は色々なものに「魔を指して」いる。
もっともひどいのはやっぱり恋愛だと思う。現代の恋愛は恋愛の形を詐称した自己愛の充足と奪い合いだ。恋愛は健全なる程度の性愛に基づく。キュンとくるは性欲だもエビデンスでてきちゃったあとで「大事にされることの方が重要で性欲の関係としての恋はいやだ」と思うすら自己愛過剰性だったりする。もちろん過剰な性欲もまたなんか心理的な障害に由来する可能性もあるし、まともなもんですよ。恋愛関係にある人たちは性愛だけではなく友情や信頼関係を築きそれに基づいた行動だって共にするだろうし、そんなのも当たり前です。が自己愛に基づいて、性を否定する傾向とかもはっきりある。何よりもそもそも恋愛、というかあらゆる愛情的な感覚は愛される(受ける)とは無関係だ。
快楽で説明するなら、性愛は(自己愛がまともな人は)快楽が伴う。教科書的に行って性愛やその快楽は存在のための快楽(食事や睡眠)と同程度の快楽だろう。自己愛過剰性を解消する思いは、「恋愛」が「愛してもらえる」という自己愛の形で錯覚でき、「愛されるのではないかという期待」を得るでドーパミンとかが出ちゃうっぽい(ちゃんとはまだ研究が出てない。性愛などのオキシトシンなどが強い関係と自己愛の期待効果などドーパミンが強そうな関係とは明らかに追従するストレスなどが異なるだろうから定量的にも評価されるようになると思う)。自己愛を恋愛に被せて解消しようとする恋愛はつまり1. 聖愛の快楽を得ることができないまま死ぬという絶望的な機会損失を飲み込む 2. ドラッグや砂糖に似て、脳の報酬系(ドーパミン回路)などがぶっ壊れており、快楽ではなく期待報酬のみをえて、苛立ちが続き、依存症患者のように自己愛過剰の解消の希求を続ける借金とパチンコ地獄に生きる人や、あるいはドラッグの金が欲しくて娼婦を営む人(これもエドシーランの歌にあるね。レクイエムフォードリームのパクリだけど)みたいなものだと思う。ここに書いたことは極論的な比喩であり、本当にドラッグ患者のように自己愛に汚染されている人まではそれほどいない。ロングテールであり、「どうも愛されたいのよね」っていう人は素直に快楽を得ていない。
おそらく非常に多くの人(特に女性)においては自己愛過剰性がその人を不幸にする最大の局面は恋愛にあり、恋愛をせず自己愛をキメてるという心理から自由にならないと、端的に幸福にはなりにくい。
また女性の場合は、「恋愛、結婚、そして子供を授かり、育児すること」には本質的に「愛を与えること」と「自己愛ちゃんじゃない、幸せな子供を育てること」という影響があるんだけど、これは最大級の批判だろうけど「愛さねばならない人=恋愛をし、性愛をし、子供を作れることが証明される人」が「愛されたいと思っている」のはやっぱり異常心理であると思うし、愛されたい人は恋愛をする資格がないとも言える。子供が、自分の親が「愛されたいと思っている」と知ったら、衝撃を受けるだろう。「ぼくわたしも愛されたいし子供って愛してもらえる期間だと思ってたんだけど親がなんか愛されたいと思ってるっぽくてきもい」となる。そして実際にこれは自己愛過剰な子供ができ、自己愛過剰な大人が育つ最大の理由と目されている。(毒親とかそういうので心理学読むと出てくる。より学術的なところでもよく出てくる。ただ遺伝的にも神経症的傾向は遺伝の影響度は強いので間引いて考える必要もある。)
次、僕個人的にはこれが一番言いたい。仕事などで、多くの人が、承認欲求などに汚染された仕事をしてる。あと「すごいことをする」という思いを持つ人が「創造性快楽」とか「やってのける喜び」ではなく「認められたい」に依拠していることが多い。心理学でもよく「承認欲求がないとチャレンジしない、あら、自己愛も必要なんだ」という説明がなされる。「認められたいという思いがチャレンジを生んだ。成功者の多くが自己愛過剰だった」みたいなこともよく言われる。僕は完全に否定したい。人に認められるなんてことは一切なくていいと思う。先述した通り、向社会的行動、そして「創造性快楽」というものの二つはもっと輝かしく強い快楽を伴うものだ。実のところ、みなさんが自己愛過剰性を持ちすぎているから、そういう成熟した自己愛(過剰でない自己愛)と、シンプルな創造性、変化へのチャレンジを喜びとする人、あるいは真の芸術のようなものが汚染されてるかもしれない。これは極論だが、音楽芸術のセールスチャートなどでも「自己愛ソング」とかとそれに共感されたい若者が大量に西野カナとか買ってるのはおぞましくて気持ち悪い。トリセツとか自己愛過剰のお手本みたいな曲で大体の語尾に「して」と「くれ」がつき、ギブアンドテイクが他者愛と自己愛のカジュアルな言い換えなら「くれくれくれくれくれくれくれしてしてしてして与えて与えて。奪います奪います奪います。私はしてほしいのです。奪いたいのです。愛されたいのです」という感じ。テイカー。アダムグラントが泣くぞ。で若いこが「そうそうそう。してほしい」って同調して買うんでしょう。いやまあ自己愛過剰が歌に乗って世の中でなってるのはいいとして、芸術の邪魔になるのが最悪だ。そして男は恋愛では自己愛過剰を出さない傾向があるからといって安心してちゃダメで「仕事で承認欲求出してるやつは実のところそれが成就してもストレスしか感じないし幸福を得ない」のでやめたほうがいい。創造性は才能に由来するところが強いので、すべての人に創造的たれとまでは言わないが、統計では作業そのものの没頭性や集中性が労働におけるストレスの最大の軽減要素であり、幸福度すら上昇することも証明が揃いつつある中で、承認欲求にかまけていてはダメだ。
まずは気付くことなのだと思う。軽微であるけど回避的自己愛過剰性があるひとは自分の中にそういう兆候を認めて、アクセプタンス(あるなーそういうとこと認めること)をするだけでもよくなる。もちろんまじで超ちっちゃい善行を行うだけでもそういう人は幸福に、創造的に、快楽的に生きることができるようになる。詐欺的な優しさではなく、相手に共感をして、その感覚を想像し、それは助けられたらさぞいいだろうなあと思った上で、それをすることだ。おばあちゃんがいる。ああ80歳になって筋肉がほとんどなくなったら、今の自分が思っているよりもはるかに階段は高く、ペットボトルの水が一つ入ったバックだって重たいんだろうなあ、と思うこと。人目を気にして人助けができないという思いが自分にあるならそれが回避自己愛で、恥の感覚はほぼ自己愛過剰性に由来するが、それを受け入れ、だからこそ乗り越えること。そういうことだと思う。
もう一つ書いちゃおう。多分しばらく自己心理学は書かない。優しさと自己愛のことだ。最近家入さん時々話すんだけど彼の中では愛の問題、それと自己心理学体系としての仏教、特に弱さの淵ギリギリまで行って悪を覗き込む親鸞が魅了的なんだろうというのはわかる気がする。僕の考える愛(優しさ、与えること)の概念が、彼のやさしさの観点と同じかは、似ているとは思うけど、同じかはわからない。要人であるので意見が混同すると迷惑かけるので関係ないと思って読んでほしい。
あと彼からは、なんか優しさがみたいなものが特徴の人だと思ってなかったのでびびったことをよく言われるなと思うのだが、これもいかに書くようなことなのだと思う。僕は平然と人を批判するし、基本的に言葉は優しいけど、それ以上に、批判した人に対して優しくすることに一切の躊躇もない。また、人に優しくすることに一切の感情が伴わない。
僕は「他者愛」つまり愛の最大の特徴は、「独立性」にあると思う。愛の独立性。
エピソードを話す。
ここに回避自己愛過剰な人がいるとする。Nと呼ぶ。この人は「優しいと認知されている」人だ。しかし回避自己愛過剰性の優しさは、自己防衛を目線の先に期待する、自己防衛のための、攻撃されないための、回避としての優しさだ。もう一人、自己愛が正常で、かつ他者愛が強い人がいる。Lと呼ぶ。
数名がいる酒の席で、LはNを「面と向かって批判」する。ある程度人もいるところで。みんなの前で。口汚く罵ることはないが、はっきりと「これこれこういうとこあかんよ。ぶっちゃけ嫌い。」という。これは批判と、好き嫌いの提示がある。さらにもう一人登場させよう。N'にしよう。この人も回避タイプの自己愛過剰ちゃんだとする。
N'は「Lが怖い人だ」と思う。N'も「Lが怖い人だ」と思う。どうですか?皆さんはN'と同じ立場にいます。Lが怖い人だ、と思いましたかね。
Nは黙って聞いているが、そのまま批判が続けばLは逆ギレする。その手前でLはそういえばNは風邪引いてるじゃないっけそこ寒くね?こっちくる?あとタバコあかんかなと思い消す。あとあったかいソフドリもらう?とゆう。その時Lは「特に表情を変えることもなく」思う。N’は「あれ優しい人だ。あれよくわからない。あれなんだこれ」と思う。Nも思う。「なんで表情が変わらないのか」と思う。
自己愛が正常な人はむしろ、批判者である。良き批判者である。自己愛過剰で回避タイプの人は「批判されるのが怖い」ので、自分を守るという思いで、「他の人を批判したり、意見することが少ない」ということになるし、そこには「怒り」がある。自己愛が正常な人は怒りの伴わない批判をする。回避が過半数の世界では批判者は「あの人は批判をバンバンする人だ」と思われるだろう。自己愛の正常な人の行う批判が「怖いこと」だと認知され、健全な批判や声のでかい人が怖がれるのは、多くの人が回避自己愛過剰であるせいで、批判者は善だろうと僕は思う。もちろん客観性と程度の問題はあるし、批判を受けるものがあまりに自己愛過剰性が強い場合には彼は批判を受け入れることもできないから、気を使ってあげなくてはならないけど。それでもそれらの気遣いは、全て批判者の与える行為だ。社会の大半が自己愛過剰だと、社会は静まり、声の大きさが強調されるわけだけど、批判者が自己愛過剰であることは稀だ。だいたい「本心で薄汚く怒りを伴って罵倒してんなー」ということならそれは愛の人の批判じゃない(その批判者の心理に課題が見受けられる)。ただ、世界のバグを指摘すること、悪を指摘することと、愛にはなんら関係がない。
その上、愛は好き嫌いとすら関係がない。これは僕のお気に入りの概念だ。よく好き嫌いがない人みたいなのがいい人みたいな感覚になるが、そんなことないんだ。他者愛の人は「好き嫌い」がないわけではなく、むしろ自由に好き嫌いを表明する。ないのは無駄な怒りだ。バグを取るぞという使命感だけだ。バグのないシステムが好きなのはあたり前だ。他者愛の人には「嫌いなものだから愛さない」理由がない。嫌いなもの、悪に愛を与えない理由がない。おそらく自己愛過剰な人こそが「好きだから愛する」みたいな感覚を持ってる。お馬鹿さんね。
さらにここには感情が伴わない。おそらく自己愛過剰な人たちは「嫌いなものにすら優しくする」見たく、ロマンチックなエピソードだと認知して感動するかもしれない。「すら」とね。これも心理学でいう認知の歪みなのだと思う。他者愛の人が嫌いな人相手ですら優しくする、とか魅力があるから愛するとかいうわけではないのは、与える行為は自己の中に快楽に基づいて行われるからだ。これも統計で出てる。彼らは「当たり前のことをしたまでです」というかもしれないが内心は「気持ちいいから自分のために」と感じている。
悪人こそ天国に近いのだ。という親鸞の考えにも近いのだと思う。僕は悪人こそ天国に近い、というのはそうかもしれないと思うが、悪人でなくても共感があれば天国に近いと思うし、悪であることと善であることは独立してると思う。愛って言葉キモかったら���えること、でもいい。「悪だから与えない」とか「好きだから与える」とかは「好きなら与えて」と並んで自己愛を僕ら他者愛の人には感じさせる。
愛のレッスンをするなら、設問としては「きもいおっさんがゲロ吐いて倒れてた場合にどう感じ、どう動くのが優しい人か」というと、「きもーい」と思い、口に出す。愛の人もごくごく自然に「きもーい」と思う。「ハゲ散らかしてるー」とも思う。「ウゲーきもーいくさーい美女のゲロだったら飲めるのにー」と思う。だが独立した感覚で、美女がゲロ吐いて寝てるのと同じ速さで水かってやってゲロ気道に入らないように横に寝かせて水枕元において去る。で「あーくさかった」と思い、ハゲうつるかと思ったわ、と思う。もちろん「なんかおっさんも色々辛い感じであーなったんだろかそうだったらかわいそうにな」とも思う。おっさんの気持ちに憑依する。優しい人は多くの人に、そのコンプレックスや辛さに瞬時に憑依する。
社会課題がロングテールに軽度の心理障害なら、軽度で小さな善行で迎え撃てばいいんじゃないかと思う。ジョンレノンならfuck you, give good a chance. とゆうだろう。
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. . ULTRA post lastにします😂 . 今年からほなみもdebutできて 本当良かった〜😎😎💕 . 開脚ポーズばっかりしたねw . みんな本当にありがとう💓 そして写真、動画撮ってくれた方々も ありがとうございましたぁ〜! . また来年楽しみましょう😎💓🦄🌈 . . #ULTRAJAPAN #ultrajapan2018 #ウルトラジャパン #年に一度のお祭り #年に一度パリピになる日 #年一の楽しみ #ストレス発散 #姉妹#姉妹で大騒ぎ #みんな大好き #また来年 #Afrojack #ZEDD #20180917 (Odaiba) https://www.instagram.com/p/Bn5PJoXl_Wy/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1sggewd7cdx5f
#ultrajapan#ultrajapan2018#ウルトラジャパン#年に一度のお祭り#年に一度パリピになる日#年一の楽しみ#ストレス発散#姉妹#姉妹で大騒ぎ#みんな大好き#また来年#afrojack#zedd#20180917
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Ω Perfume 2018
ホールトゥワーで感じたこれ。
どんだけ楽曲聴き込んでてもセトリの順番やら隠し味のおかげで新鮮だし、懐かしさも入り混じってて最高に楽しい。
ライブ終わるたびに次はアレもコレも聴きたい!ってなるからもう死ぬまで通うしかない。終わりが見えない😇
Perfume のファンになって10年以上経つけど、全然聞き飽きないし、ライブは何回行っても楽しい。2019年も色々準備してるみたいなので、楽しみでしょうがない。2月からしばらく海外ツアーだけど、3月には FUTURE POP 大阪の振替公演がある!さっき気づいたけど、台湾からニューヨーク公演の間にやるのね。海外公演の土産話聞けそうだし、楽しみにしておこう。
あと、あれだな、なんか純粋に音を楽しむようになった。わりと振りコピとか腕振ったり、まわりに合わせてるとこがあったけど(まわりに迷惑かけない程度に)自分の好きなように楽しむようになったと思う。これはきっとカメトレの影響かな。
今年はなぜだか Reframe を甘く見てて、DISPLAY 逃したのが唯一悔やまれる。でも FUTURE POP ツアー、カウントダウンライブが最高すぎたので救われた。
2019年が最高の幕開けで本当に良かった。
ありがとう Perfume
2月14日 P.T.A.発足10周年‼ と5周年‼ “Perfumeとあなた”ホールトゥワー 幕張イベントホール
カメトレの「ミギヒダリ」の発売日で、リリイベも被ってて辛い日だった。同行者の友人にもカメトレの話ばっかしてて怒られた🙄
やっぱ SEVENTH HEAVEN 良すぎるね。。
The Best thing ライブで聴いたの初めてかもしれん。
無限未来はこの日が初披露だったと思う。
この日だけ追加でチョコレイト・ディスコやった。
2月15日 P.T.A.発足10周年‼ と5周年‼ “Perfumeとあなた”ホールトゥワー 昼の部 幕張イベントホール
あ〜ちゃん生誕祭。
アリーナ前から8列目という良席だった。
5月22日 P.T.A.発足10周年‼ と5周年‼ “Perfumeとあなた”ホールトゥワー センチュリーホール
セトリが本当に神がかってて感動した。アンコールで Puppy love と wonder2 はもう。もう。もう。wonder2 ですよ。
コレとコレ。
9月29日 Perfume 7th Tour 2018 「FUTURE POP」 大阪城ホール
当日券で飛び入り参加。
ステージの真横だったけど、幕の後ろで待機してる3人見えた瞬間に感極まって泣いてしまった。そのまま Future Pop からの エレクトロ・ワールド も泣いてた。隣のパリピっぽいお姉さんも泣いてた。
前半8曲がMC無しのぶっ通しだったのも最高に楽しかった。
まさか 575 聴けると思ってなかったから曲流れた瞬間に変な声出た。早くカメトレでカバーしてほしい。
音源聴いたときからアルバムの中で一番気になってた 天空 はライブでも最高に楽しかった。
10月13日 Perfume 7th Tour 2018 「FUTURE POP」 静岡エコパアリーナ
天空で全てが浄化される。
この日の宿が結構つらいやつだった。
11月19日 Perfume 7th Tour 2018 「FUTURE POP」 日本ガイシホール
スタンド席だったものの、ステージの真正面で演出バッチリ見れたのは良かった。
Butterfly の良さを再認識した。
セトリに 宝石の雨 が追加されてた。
11月20日 Perfume 7th Tour 2018 「FUTURE POP」 日本ガイシホール
この日の Party Maker がどちゃくそ楽しかったのだけ覚えてる。
12月29日 Perfume 7th Tour 2018 「FUTURE POP」 横浜アリーナ
アリーナのど真ん中の席で、中央ステージからも近い良席だった。
TOKYO GIRL のMV��合わせた証明の演出がめちゃ良かった。
追加公演だし、セトリ変わるのかなぁと思ってたら、まさかの SEVENTH HEAVEN 投入。曲流れて出して、え?え!?って変な声出てたし、曲が終わるまで鳥肌やばかった。
この日の FAKE IT は席のおかげで、自分含めお客さんが思いっきり楽しんでるのと、三人が踊ってるのがめちゃくちゃいい感じに見えてくっそエモかった。2018年最高の FAKE IT だったかもしれん。
この日初めて会った、友人の友人の P.T.A. 会員の方とも仲良くなれて良かった。今回は席が別だったので、次は隣で一緒に楽しみたいところ。
12月31日 Perfume 7th Tour 2018 「FUTURE POP」 ファンクラブ限定・カウントダウンライブ 横浜アリーナ
会場入ると紅白が流れてて、U.S.A. やら じょいふる をみんなで楽しんでて、既に楽しかった。
Perfume の前にまさかの ちゃあぽん登場。紅白中継の流れとか、注意事項、盛り上げポイントを教えてくれました。
中継のリハーサルで Future Pop と エレクトロ・ワールド を披露。リハーサルなのにめっちゃ盛り上がった。
中継終わると、のっちは体の力が一気に抜けてて、かしゆかは終わってから鳥肌ヤバい言ってるし、あ〜ちゃんは泣いてた。
エレクトロ・ワールドで腕吹っ飛ぶかと思った。
この日の Butterfly はアカペラ無しでめっちゃ踊れるやつになってて楽しかった、、と思ったらまさかの 微かなカオリ が流れ出す。予想外すぎたし、感動しすぎてボロ泣きした。センターステージから のっちがずっとこっち見ながら 微かなカオリ 歌ってくれました。
そのまま SEVENTH HEAVEN からの ポリリズム。今回全力すぎないか。
カウントダウンで使う光る棒は、3人が装着したリストバンドの動きに連動して光るシステム。横アリと渋谷でほぼ同時に光るようになってて、そこに5Gの超速データ通信が活用されてるらしい。
年明けと同時に、天空 流れ出すわ、そのまま FAKE IT からの Party Maker で、もう踊るしか無いセトリで楽しすぎた。最高の年明けだよ。
携帯使った P.T.A. のコーナーは目の前で集計結果わかったり、どの座席の人が何を押したかってのがマッピングされてて面白かった。でもテンポ悪いから、いつものコールアンドレスポンスの方が楽しいな。
前フリもなく、あ〜ちゃんが「せーの!」というと即座に反応して手を掲げる P.T.A. のメンバー。MY COLOR です。ありがとうございます。その後は、久々のチョコレイト・ディスコ!
無限未来がまだきてない、と思ったらアンコールでまさかの 心のスポーツを披露。Perfume からのお年玉かな。
締めの 無限未来はやっぱ良いな。FUTURE POP の締めはやっぱこの曲だ。
とはいえ、FUTURE POP という名目ながら、単純にファンクラブ向けの最高のライブだった。
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95年生という天上(ジョンハンを介したスンチョルとジョンハンについて)
昨今のKドル業界、03ライン、04ラインとか出てきているの恐怖でしかない。赤ちゃんやん。オッパの魔法が解けていっている。さて、華の○○という呼称がたくさんある中でやはり兵役前Kドル界における「97年生」というブランドは強いと個人的に思っています。正直ジョングクがいるだけで百人力なんですけど、そんな彼を擁する例のカトクグループ(グループ名がアレで公開できないらしいアレ)、あまりに華々しくないですか?あとはiKONの97が入れば最強なのにねという悲しくなる願望。iKON友達作ってこ………ただ今日は97じゃなくて95の話をします。95!95!
95ラインと聞いて思い浮かべるのは誰なんだろうと考えると、やはり最大手はバンタンさんちのクオズなのかな、その名を冠すぐらいだし。ユテもバビユニョも95界では見逃せないけどしかし忘れてはいけないのがSEVENTEENの95ライン……あまりにも危険……
その前にジョシュアの話をするんだけど聞いて。私ミンギュペンでミンギュが一番好きで基本的にはミンギュしか見ていないつもりなのに最近ふと気づくとジョシュアを目で追っていることがあって、こ、これは推し変か!?と身構えたんですけど違った。私はお節介にもジョシュアが心配なだけだった。ジョシュア、きみは何者?このあいだ夜中じゅうジョシュアのことを考えていて寝ぼけながらメモしていた内容を読み返したところ、ジョシュアって幸せなんですか?だの覚悟がないふりをするなだの、ジョシュアについてかなり的外れで辛辣な評価を下していて、私は結局どの立場からジョシュアを見ているのか、ジョシュアのアイデンティティを探しながら自分のアイデンティティを見失っていた。もうだめだ。そろそろジョシュアがゲシュタルト崩壊してきた。ジョッシュ……
セブンティーンは優しいじゃないですか。本人たちも運営も。文句言いたくなることもたまにあるけれど、相殺しても「セブンティーンはやさしい」という感情が残るぐらいにはセブンティーンは優しいと思う。でもその中で個々のメンバーを見ていくと、どうしても優しいと思えない人がいてね、ジョシュアさん、きみです。なんで?いや「優しくない」というよりも他の子たちに比べて飛びぬけて冷たく見えることが多くない?私だけか?ジョシュア、外見と中身が違いすぎて毎度戸惑うランキング堂々の第1位なんですよ。考えれば考えるほどわからない。もっかい聞くけどジョシュア、きみは何者?
ここで本題に戻るんですがご存知の通りセブンティーンには95年生が3人おり、ひとりは強くて怖くて頼れるけどその実甘えたがりのリーダー、ひとりはしっかり者で無茶振りが好きな心根の優しい姫ポジ、と、ここまでで十分キャラが濃いわけです。実際デビュー以来スンチョルはリーダーとして前に出るしジョンハンは言わずもがなあの容姿で注目を集めていて、ジョシュアは最後列にちょこんと座っているような立ち位置だったじゃないですか。それがな!それがだよ!いつの間にジョシュアはあれほどの覇権を手にしたのかと思うわけです。もちろん年長者として敬われる場面は少なくないし、彼自身のイメージもあってとか、韓国語の上達とかっていうのは分かるんですけど、なんか、なんか、その、ジョシュアの根の部分にある帝王性とかそれこそ「冷たさ」とかが周りを従わせているんじゃないかって思ってて、なんかまたジョシュア個人の話になってしまうんだけど。
閑話休題、ジョシュアとスンチョルってどういう関係だと思いますか。すげードライだと思いませんか。スンチョルって常々「メンバーとフラットな関係でいたい。怖がられるのは正直しんどい」って言ってて、それが表出したのがジョンハンに対するあのデレじゃないですか。(断定の表情)スンチョルのなかにジョンハンとジョシュアに対する明確な認識の違いがありそう。その見分けがつくのがリーダーを務めていられる所以かもしれないなあと適当に考えたりする。
あと私がこう「ジョシュアまじ冷たくね?」って思うのは、彼は、ジョンハンを除くメンバーのうちで唯一「ジョンハン全力肯定マン」ではないからです。犬猿の仲だと自称するミンギュでさえあれ(読者各位、ギュハニモーメントを思い浮かべてください)なのに。ジハンモーメントだってそりゃあもちろんエグいやつもありますけど、それだって全部ジョンハンと対等な立場にあるからこその態度だし、ほかの11人については何も言わなくてもみんな分かりますよね、まじでメンバーたちのジョンハンに対する態度すごい。だからジョシュアが目立っちゃうんですよ。
ゴインで焼肉店でのドッキリ企画あったじゃないですか。あれ一連のジョシュアの反応がなんとも言えなかった。ドッキリ中の「みんな変わっちゃったんだな、さすがに酷いから後で話し合わなきゃ」って考えてるときもネタバラシ後も一貫して表情が変わらない。落ち着いてると言えばそうかもしれないけど、それって奥底に「諦め」があるんじゃないかって気がしている。で、それはジョンハンも然りで、13人のうちでこの二人についてだけ行動原理に「諦め」が含まれてる気がする。「諦め」っていうか「諦念」って言った方が合ってるかも。例えばスンチョルの行動原理は12人を引っ張らなきゃならない責任感や自己暗示・高揚感と冷静さをコントロールする能力とか諸々...だと思っている。ジョシュアとジョンハンにはその一つとして「諦念」がある気がしてて、特にジョシュアの方が「諦め度」が高��と思う。何に対して諦めてるとかは掘らない方が良いんではという感じ。ただ、諦めてるとは言え二人とも情熱とか反骨精神も同じぐらい持ち合わせているから、生活をおざなりにすることは当然てか多分他のメンバー以上にない。
で、そのようなスタンスで生きている二人と上手く付き合っていきたいと考えているスンチョル、みたいな95の関係性、まじ薄氷!言うなればジョシュアは庶子の長男、スンチョルは嫡子の次男なんですよ!政変フラグ。このこと考えてる当初は、95の三人って同じ学年にいても仲良くならないよな……と思っていたんですけどちょっと違ってきました。「スンチョルとジョシュアは、ジョンハンがいなければ仲良くならない」ってのが合ってる。以下は妄想なんですけど一般人95(妄想)を考えてみると、スンチョルはかわいい後輩でジョンハンは面倒見のいい先輩でジョシュアは同性人気がなくて他部署の女子からモテているパリピです。高校生95(妄想)だと、スンチョルはクラス内・部活内で先輩後輩友人多いタイプで、ジョンハンは同じ小中学校だった後輩から慕われてて、ジョシュアは陰キャのふりして他校にヤンキーの友達多いタイプです。以上妄想でした。
突然ですけどジョシュアさんってミンハオに慕われてるじゃないですか、あれってまさに前述のイメージなんですよね。95以外の10人が仕事面で95の誰か一人に「ついていく」として、殆どのメンバーはスンチョルかジョンハンだと思うんだけど、唯一ミンハオはジョシュア一択な気がします。それがなんだって話なんですけど、ただ、やっぱり二人ともどこか周りと毛色の違う人だなあという印象があって、個性的って言葉で片付けられない何か通じ合うものを持っているよ、ね……「我が強い」と言ったほうがよいか……ア……「我が強い」ってイメージを「帝王性」と翻訳して受け取ったのかもしれない私は……目に見える個性があろうがなかろうが頑として意思を曲げない性格だと思うんですよ。そういう部分が覇権に見えたのかも。リーダーのスンチョルでさえおそらく意思を曲げるシーンがあって、それこそホシウジのことを川上だと思ってると思うよ。(?????)
………………擱筆!!むり!!!!!
こう、何言っても妄想になるし、読み返すと最初と最後でテンション違って笑った。もう寝ます。読んでくれてありがとうございました。(ジョシュア、まじでこいつは本当に手に負えねえ…のでもっとちゃんと見て考えて思いついたらなんか書きたい。主よ、ボキャブラリーをください)
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自分の人生を捧げる
2019年の12月31日、私はアメリカはロサンゼルスにいた。
その日、集会が開かれたホールで、私は自分の不甲斐なさに打ちのめされていた。どうしても、どうしても一歩が踏み出せなかったのだ。
*
2019年当時の私は、目まぐるしいほどの仕事の忙しさや恋愛の挫折によって、自分が今どこで何をしているのかもわからないほど混乱していた。
仕事は2年目にもかかわらず、大学院卒であることを買われて一人で行事の運営をまかされ、4つ下の新人後輩の世話をしながら先輩のペースも食らいつていかねばならず、とにかくがむしゃらに働いていた。
プライベートでは、ある人と交際関係になり、順風満帆に見えたが半年で破綻。自分の心が相手から離れていくのをどうしたらいいかわからず、周りの人間関係からも逃げるように顔を出さなくなっていた。
平日は仕事でへとへとになり、週末は人間関係で葛藤する毎日。このままでは自分が自分でなくなってしまう、早くどうにかしないとという焦りだけがあり、でもどうしたらよいのか途方に暮れていた。
そんなとき、教会の知り合いの方に「アメリカに行ったら?いいキャンプがあるよ」と言われて紹介してもらったのが、EC(Equipper's Conference)だった。
それは、JCFNというクリスチャン団体が開催している、アメリカで信仰告白をしてクリスチャンになった日本人が、帰国後も信仰生活を続けられるように備える(=Equipする)目的で始まったキャンプだ。アメリカのロサンゼルスで開催されるにも関わらず、参加者の8割が日本人という不思議なイベントである。
主目的は前述の通りだが、信仰に渇きを覚えている人、ノンクリスチャン、日本に伝道の思いがあるアメリカ人など、基本的には誰でもウェルカムなキャンプだということで、「絶対いい時間になるから、行ってみたらいいよ」という言葉に促されるまま、単身ロスに乗り込んだのであった。
キャンプのテーマは「信頼」。神様に信頼することについて、2名のメッセンジャーが代わる代わる説教をしてくださった。
なかでも衝撃だったのは、サンディエゴ日本人教会で仕える大倉信先生の、ご自身の半生を証した説教だ。波乱万丈な牧師生活のなかで、常に自分の思いは砕かれ、人生は悲しみと苦しみであふれていた。しかし同時に祝福と恵み、気づきと癒しにもあふれていて、自分は自分の力で生きているのではなく、神様によって生かされているということを痛感しているという内容だった。
日本国憲法には「国民主権」という権利がある。日本国の主権、日本国をどうしていくか決める権利は政府や宮内庁ではなく、国民にあるという意味だ。 大倉先生によればクリスチャンは「神主権」、つまりクリスチャンである私の主権は私ではなく神にあるというのだ。
神によって作られた私たちをどうするのも神の勝手、と言ってしまえば冷たく聞こえるが、私たちを救うために十字架にかかってくださったイエス・キリストが、まず「あなたの御心のとおりになりますように」と祈ったのだ。クリスチャンはイエスキリストに倣うものなので、「自分の人生が自分の思い通りになりますように」ではなく、「神様の御心のとおりになりますように」と祈ろうと促された。
*
一連のメッセージのあと、招きの時間になった。 具体的には、献身(伝道や宣教、教会で働くなど、聖書の福音を伝える活動をしていくこと)の思いが与えられたひとが会衆の前にでて、個人的に祝福の祈りをしてもらう時間のことだ。もちろん、職業として牧師や伝道師にならずとも、福音を人に伝えるために、自分の人生を神様に捧げたいと思うなら、だれでも前に出て祈ってもらえる。
大倉先生が「今思いがあるひとは、前に出てきてください」とマイクを通して語ったとき、私は、「前に出て祈ってもらいたい」という思いが胸の奥に灯るのを感じた。
ぽつりぽつりと、会衆をかきわけて前に出ていく人が現れる。
どうしよう、と思った。
行きたいけど…行きたいけど、怖い。
どうしても足が動かなかった。私の足は、会場のじゅうたんにくぎ付けになったようになり、胸がざわざわとするのを感じた。
と、私の隣で祈っていたSが、私とその先に座っている人たちをかきわけて、前に出ていこうとするのを感じた。
Sはこのキャンプで知り合った同年代の女性で、とても気が合い、短い期間のあいだにぐっと心の距離を縮めた友人だった。
そのSが、「ちょっとごめんね」と言って会衆から抜け出し、前に出て行った。いつのまにか集会場の前の方には祈ってもらいに出て行ったひとの人だかりができていて、それぞれが思い思いのスタイルで祈りを捧げていた。
「行きたい。」私はもう一度強くそう思った。
しかし、心は恐怖心と人に見られることへの恥ずかしさに支配され、足は頑として動かなかった。
結局その集会で自分の献身の思いを表明することはなかった。周りの目を気にして、また決断してしまうことへの恐れに囚われて一歩を踏み出せなかったことを、集会が終わっても引きずっていた。
*
その日の夜、ついにキャンプの最後の集会がやってきた。この集会は夜の9時頃に始まり、メッセージの後賛美があり、そのままカウントダウンへともつれこむ。賛美と言ってもカトリックの大聖堂で聴こえてきそうな厳かなものではなく、ポップスに近いワーシップソングである。賛美とは言えみんなで熱唱しながら年越しを迎えるという発想はアメリカらしいというか、なんともパリピっぽいイベントだ。
会場のボルテージが少しずつ上がっていくなか、私はいまだに招きの時間のことを引きずっていた。
そんななかで、集会の司会者がグループに分かれてキャンプの感想の分かち合いと祈りの時間を取るように促し、私たちはあらかじめ決められたグループに分かれた。
各々がキャンプでの収穫を話していくうちに、私は自分の献身の表明をここでするように促されているのを感じた。200名を超える集会で前に出ることはできなくても、4泊5日を共にした5名のメンバーになら話せる。そう思った。
「私は自分に自信がない。今回のキャンプでも、メンバーと自分を比べてばかりいて、最初はうまくやっていけるか不安だった。 でもこのキャンプに参加して、自分の人生は自分のものではなく、神様のものだということが分かった。だから、神様にお返しします、と表明したかった。でも、ここでも人の目が気になって、会衆の前で表明することはできなかった。Sが前に出て行ってしまったとき、ついていけたらどんなに良かったか、悔しくて自分が情けなくて恥ずかしいと思った…。 でもみんなになら言える。私は神様に自分の人生をお捧げしたい。神様の主権のもと自分の人生を歩みたい。だからそのために祈ってほしい…。」
もう最初から涙が出て止まらず、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら、それでも精一杯話すことができた。5名のメンバーも、涙をながしながら聴いてくれ、心を注ぎだして祈ってくれた。
感じたことのない一体感が私を含めた6人のなかに現れて、そのあとのカウントダウンは人生で一番解放された時間になったと思う。本当に感謝だった。
*
あれから2年半が経つ。
正直に言うと、ここ半年はすっかりそのことなど忘れてしまっていた。献身の思いに燃えて色々なことをやってみて、上手くいったこともいかなかったこともあり、燃え尽きていた私は、恋愛に熱中することでその疲れを忘れようとしていたのだ。
結局それもうまくいかず、またもや自分が一体何をしているのか分からない状態に戻ってきてしまった。
そして今日、とあるクリスチャンの書いた本を読み終えたときに、この出来事をふと思い出したのだ。
ああ、私はあの時、人の目が気になって、どうしても一歩踏み出せなかった。でも6人で祈ったとき、確かに私の人生は神様に捧げますと宣言したんだったよな…と。
神様は確かにその宣言を祝福してくださった。 いま、改めてそこに戻ってくるように示された気がする。
この先どうなるかはわからないけど、また七転八倒しながら歩んでいくのだろう。まずは、原点ともいうべき経験に戻ってこれたことに感謝。
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