#平成最後のサーフィン
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映画 「花束」
2024.10.06 上映会
ご来場ありがとうございました💐
泣いて。笑って。
色々な愛の形はある。
共に寄り添い、
共に花を咲かせて行きたい。
〜音楽の花束〜
2024.10.06 セトリ
💐Silent Night (Hanataba vers.)
💐すべての人の心に花を〜The Rose
💐You Raise Me Up
1.
映画で流れる一曲。アレンジさせて頂きました。
サヘル監督からは「和」を取り入れたアレンジにしたいとのこと。お琴2台、エレキギター、キーボード、そして歌とヴァイオリンというユニークな編成で聖歌を表現。トークショーでサヘル監督がクリスマスへの思いについて語られました。施設でもクリスマスをお祝い。でも、親がサンタになるクリスマスは体験できない。他者との差を感じられる、クリスマス。
私はオーストラリアで育ったので、サーフィンするサンタさんと真夏のクリスマスのイメージがあるかもしれません。実際は、私にとって最も孤独な時期でした。お店は空いてない、ツリーも飾れない、プレゼントもない、友達と会えない。クリスチャン、カソリックにとって大事なクリスマスとかけ離れたところにいました。憧れなのか、昔から教会音楽が大好きで、サヘル監督と同様、クリスマスソングが好き。
そんな、クリスマスへの憧れと孤独さをアレンジで表現してみました。子供達が奏でられる、温もり溢れる音。どこかで切ない、冷たい音色。映画ではお芝居だけではなく、楽器も演奏されたキャスト。すごい!としか言えない。Bravi!
2.
6日は、いつもライブに来られるサポーターさんの姿も見られました。そんな皆さんにとっても、初めて聞く歌と演奏をお届け。「花束」に因んだ、お花をテーマにした選曲。喜納昌吉さんの名曲「花」と洋楽「The Rose」を一つにしたカリンバと歌のアレンジ。
「すべての人の心に花を」。平和の祭典にインスパイアされた、人生を語る一曲。そして、サヘル・ローズ監督に因んだ薔薇の歌。愛とは、色々な形と感じ方がある。でも、私にとっては愛は薔薇であり、あなたはその唯一の種である。心の冬はやってくる。でも、凍った土の下には、種が眠っている。いずれ、春は来る。
カリンバはアフリカにルーツがある楽器です。サヘル監督が演奏後、感想をシェアして下さいました。子守唄のような、子供の頃を思い出す懐かしい音色。カリンバのキラキラした音が、赤ん坊がゆりかごから見上げる、ピカピカな飾りのように見えて、そんな赤ちゃんでありたかった、憧れだという。思わずウルッとしてしまいました…
3.
一人では何もできない、と仰るサヘル監督。大分一人で色々やられていますが!そんな彼女でも、人の支えについて語られる。「人」という漢字も、支え合ってますよね。最後は、そんな誰かの支えによって自分を超えることができる、感謝の歌を、マイクなしのヴァイオリンと歌で、素の音でお届けしたいと思いました。
暖かい眼差しと、色々な感情の子供達の花束に囲まれて、素直に表現ができました。
泣いたり、笑ったりした、そんな一夜でした。
チーム花束、サヘル・ローズ監督
感謝を込めて🌹
#花束#サヘル・ローズ#Sahel Rose#Sahel Rosa#hanataba#サラ・オレイン#sarah àlainn#sarah alainn#orphanage#花#the rose#you raise me up#kalimba#カリンバ#児童養護施設#岩井俊二#shunji iwai
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借用作品の紛失問題が起きたアーツ前橋(群馬県前橋市)が、出展アーティストとの契約を守らず、業務委託料の一部が未払いだったとして市はアーティストに謝罪し、損害賠償金80万円を支払った。問題は、作品紛失が判明した前年の2019年に発生し、同館の住友文彦館長(2021年3月末に退任)と学芸員が関わっていた。いったい何があったのか。本件を報じた上毛新聞と毎日新聞の記事(*1)によると、経過の大筋は以下となる。アーツ前橋は2019年、美術を通じた学びの可能性を探ることなどを目的にアーティストの山本高之を招聘した企画展「山本高之とアーツ前橋のビヨンド20XX」を開催。山本と交わした契約には同展の企画立案に加え、記録集の監修なども盛り込まれた。企画展は同年7~9月に開催されたが、記録集の内容をめぐり調整が難航。同館は一方的に記録集の発行を中止し、作成委託料の一部を支払わなかったという。アーティスト側は2020年9月に損害賠償を請求し、前橋市は経緯を調べた結果、同館が契約を一部守らなかったと判断。損害賠償金の支払いと、市の負担による記録集(2000部)の発行、同館ホームページでの1年間の謝罪掲載を決めた。関係者によると、記録集の発行と謝罪掲載は今年度内の3月末までに行われる予定。なお3月中旬現在、まだ同館は謝罪文を掲載しておらず、発行中止に至る詳細も公表していない。(追記:3月29日、アーツ前橋のホームページに山本龍・前橋市長の名前で「『山本高之とアーツ前橋のBEYOND 20XX 未来を考えるための教室』の記録集発行遅滞に関する経過について(報告)」と題した文書が掲載され、謝罪文と時系列順の経過も公開された)未来に残すアーカイブとなる記録集を巡り、公立美術館の契約違反が明るみに出た本件。現代アートの展覧会は、直前までの作品制作や会場自体を作品化するなど様々な要件により、会期中に記録集や図録の編集作業が行われるケースは少なくない。そうした経験値もあるはずの同館は、どのような対応や作家とのやり取りを経て、発行中止に至ったのか。Tokyo Art Beat編集部は、本件の関係者が前橋市に情報公開請求を行い提供された資料を入手した。600ぺージ超に及ぶ資料は、市による本件の検証結果のほか、館内部の会話の記録やメールなども含まれ、詳細な経緯が浮かんでくる。以下抜粋して紹介するが、その前に被害を被ったアーティストと対象展覧会について簡潔に記しておこう。山本高之は1974年愛知県生まれ。小学校教諭の経験をもとに子供達とのワークショップ活動や作品制作を通じて「何かを知る」体験を探求し、地域コミュニティと協働するプロジェクトにも取り組んでいる。問題が起きた企画展「山本高之とアーツ前橋のビヨンド20XX」(以下ビヨンド展)は、山本と同館学芸員が「〈美術〉を通じた学びとは何かを共に議論し、これからの〈美術/美術館〉の役割について考える〉(同館ホームページ)目標を掲げ、2019年7月19日~9月16日に開催された。会場は序章と3つのセクションで構成され、各学芸員が過去の事業を振り返る展示、学芸員によるサーフィンの体験映像、山本が「教育制度を考える近未来SF映画」をテーマに前橋市民と協働した新作《ビヨンド2020 道徳と芸術》などが盛り込まれた。追加提出資料から矛盾が判明最初に報じられなかった発行中止決定前後の経過をたどる。なお、ビヨンド展はA学芸員が担当し、開催年の4月に同展担当の臨時職員としてB学芸員が着任した(肩書はいずれも当時)。市が作成した資料によると、展覧会閉幕後の10月に住友館長がアーツ前橋を所管する文化スポーツ観光部長と文化国際課長に記録集の制作を中止した経過説明を行った。住友館長は、「個人の展覧会記録を製作したい山本氏と、これまでのラーニングを振り返る内容までも反映したいアーツ前橋との考え方は、平行線であり、合意に達することができなかった」と述べ「製作を継続するのは不可能」とした。発行中止の決定はアーツ前橋副館長から山本に電話で伝えられた。その後に市が送付した協議書に対し、山本は市が発行できない理由を文書で示すことやアーツ前橋の意思決定過程の開示を要請。市は11月上旬にアーツ前橋側が提出した資料(会議の議事録や音声記録、決裁、メール等)に基づく回答書を山本に送り、発行中止はやむを得ないと伝えた。山本は「説明不足だ」と市に情報公開請求を行い、2020年9月に損害賠償請求に踏み切った。流れが変わったのは、2021年2月。A学芸員が自身や住友館長が山本とやり取りしたメールの多くを未提出のまま保有していたと判明し、追加提出された資料の内容からアーツ前橋側の主張に矛盾や齟齬があると分かったためだ。市は同年4月、市側の瑕疵を認めて山本に連絡し、2022年12月に記事冒頭の条件で和解した。「恣意的な解釈と対応が行われた」次に市が認めたアーツ前橋側の問題点を振り返る。市が追加提出分を含め資料に基づいて検証したポイントは以下の3点。①作家との契約締結を行うまで記録集がどのように話し合われ、本展でどのような位置づけの発行物として認識されていたか。メールや口頭での合意形成がどのようになされたか。②契約後に発行スケジュールや内容がどのように意思決定され、内部で話し合われたか。③住友館長やA学芸員の主張する記録集の内容は、どの時点で定義づけられて作家側に伝わったのか。結論から先に言うと、市はアーツ前橋内で「恣意的な契約の解釈と対応」(市の内部文書)が行われたと判断した。アーツ前橋の指示に作家が反したという住友館長らの説明は事実経過が異なり、作家は適正に対応していたと認めた。アーツ前橋側が途中で記録集の方向性を一方的に変え、作家に適切な伝達や要請も行わなかったとした。検証の決め手になった一つが、住友館長がビヨンド展開幕4ヶ月前の2019年3月に山本に送った1通のメールだ。「山本作品の制作プロセスと会期中の仕掛けをドキュメントしていくことで『まだ見ぬアーツ前橋のラーニング』について考えることができる、という案です」と記され、住友館長が記録集を展覧会の「ドキュメント」(記録)と位置付けていたことが分かる。メールには「山本さんには、出品アーティストでもあり、かつこのラーニングを考えるラボのディレクターとして(中略)これからの日本の美術館におけるラーニングプログラムへの提言をまとめてもらう、ということをお願いできないでしょうか?」の文章も含まれ、これは作家に対し企画と監修を大枠で一任したと解釈された。また住友館長は、ラーニングに関する展示について未来を視程に入れた「まだ見ぬアーツ前橋の」と表現。それに対し、山本は翌4月にA学芸員にメール送付した企画書内で「未来について考えるためには、今の自分たちが作っている過去と向き合うことが必要」と述べ、学芸員たちが過去の事業を振り返る展示内容を提案していた。つまり「アーツ前橋のラーニングを振り返る」は館でなく山本の発案だったと判明し、住友館長が主張した作家が指示に従わなかったという主張は成り立たなくなった。なおこのメールは、当初アーツ前橋側が提出した資料になく、A学芸員が2021年に追加提出したもので、送信した住友館長からの提出はなかった。
出展作家との契約違反で市が損害賠償。アーツ前橋でなにが起きたのか|Tokyo Art Beat
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2025~その「転換点」を直視し備えよ/第66回大人のためのSDGs超基礎講座(2025年1月7日)
2025~その「転換点」を直視し備えよ/第66回大人のためのSDGs超基礎講座(2025年1月7日) チケット https://kanglo-sdgs250107.peatix.com/view https://www.facebook.com/events/9598219096872727
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2015年9月25日、国連総会にてSDGsが採択され、あれからすでに9年が経ちました。人類は、21世紀に積み残してしまった地球全体の危機的課題の解決に向けてどれ程前進できたのでしょうか?SDGsは、人類史上初の世界規模における共通目標として始まりました。期限は2030年です。この時までに、人類がこの目標の達成に向けて、どの程度実践できたかによって今後の地球の未来が決定付けられます。もし、うまくいかなければ、地球の未来は確実に悪化の道に向かいます(と多くの科学者が訴えています)。私たち大人は、運よく80年そこそこの人生を得た中の、その一部の期間、危機を体験するだけに留まれますが、これから生まれてくる子供たちにとってはどうでしょうか。
「こんなに辛く厳しい環境ならば、生まれて来なかった方が良かった」 「2020年頃に生きていた大人たちが、何もしなかったことによって、地球がこのようになってしまった」 「責任は誰にあるのか?」と叫ぶことでしょう。
今の大人たちが、今の世の中の現実を受け継ぎ、作り上げてきたという自覚と責任を持ってしたならば、現在のこの地球の有り様に対し、「俺は知らん」「私には関係ない」「もう何もどうすることもできない」と放置をすることが、どれほどまでに罪深きことであるのか。そうした”反省”も込めて、自戒の念を込めて、このSDGs超基礎講座を開催することにしました。2018年頃より、日本においても、小中学、高校、大学にて、SDGsに関する科目や、学科が次々と作られ、基礎的な知識のみならず、自ら課題解決に向けて実践を続ける子供たちが急増しています。その子供たちから、SDGsのことについて尋ねられて、もはや知っているふりや、否定をすることは出来ません。子供たちは、大人たちの振る舞いや言動を見ています。「このあなたたちが作り上げてきた課題ばかりの社会を、どうしていくつもりなのか」と。もう、もはや恥ずかしくて知らんぷりをすることなど、到底出来ません。必要のないプライドを振りかざして、SDGsを否定するのは止めにしませんか?ご一緒にSDGsの真の在り様、そして、これから一人の人間として、何をするべきなのか、ご一緒に考えていきませんか?
(自戒の念を込めて) 藤井啓人
■日程:2025年1月7日(火)20時~22時 〔他開催日程〕※毎月1回~2030年まで継続予定 2025/2/4 , 3/4 , 4/1… ※毎回第1火曜20時~を予定 ※変更日程あり
■形式:オンライン(Zoom)
■内容: ・毎回、Today’s themeの内容は、その時の情勢によって変わります。テーマの投げかけを行いますが、教える講座ではなりません。 ※どの回から参加をしても大丈夫な仕立てにしております。 ※SDGsの超基礎情報から最新情報、実践的な事例などを取り扱います。 ※参加者と緩やかにつながり、共助、協働できるコミュニティを少しずつ作っていきます。
■参加費:チケット制 https://kanglo-sdgs250107.peatix.com/view ・1回分チケット:1000円 ・5回分チケット:3500円(1回あたり700円) ・10回分チケット:5000円(1回あたり500円) ※小中高大学、大学院生は無料(無料のチケットでの登録をお願いします) ※チケットは、連続して使う必要はありません。ご都合に合わせて無理なく、ご参加下さい。 ※既に未使用のチケットをお持ちの場合は、主催者に参加の旨、一言お知らせください。
■参加対象: ・どなたもご参加頂けます(SDGs超初級者、初級者向け) ※小中高大学、大学院生も大歓迎 ※大切な家族、お友達、会社の同僚の皆さんもお誘い合わせの上、ご参加ください。
■申し込み方法: ・Peatixよりお申込みを頂くと、ZoomURLが発行されます。 https://kanglo-sdgs250107.peatix.com/view ※できるだけ毎回参加してみてください。やがて、自分自身の中に、何か軸のようなものが出来、判断をする時のモノサシを持てたような実感が生まれてくるでしょう。
■企画・運営・ファシリテイタ:藤井啓人(ふじいひろと): ●茨城県東海村出身。高卒後、上京し新聞配達をしながら予備校に通い筑波大学に入学。4年間、体育会硬式野球部に所属し選手と2軍監督を経験。1992年に㈱リクルート入社。12年間、組織・人事コンサルティング事業に従事し、約2000社の企業の変革に携わる。社内表彰制度で全国MVP・部門MVPの受賞計8回。 ●2004年に独立し、事業再生コンサルティングのマネジメントリコンストラクション社を設立。2010年5月カングロ㈱ 代表取締役に就任。独自のサステナビリティ・イノベーティブ・コンサルティング事業開始。 ●米国で「今最も羨望の注目を浴びる企業」とされるオンライン・リテーラーのザッポス社のハピネス経営、「社員をサーフィンに行かせよう」「レスポンシブルカンパニー」の題材となっているアウトドア用品メーカーの米パタゴニア社を研究し続け、これまで約1000社3000名のビジネスパーソンにセミナーや勉強会等でその真髄を伝えてきた。 ●2012~2016年には西アフリカのナイジェリア連邦共和国にて合弁会社を設立し、水問題、エネルギー問題、食糧問題、環境問題を日本のテクノロジーで解決するソーシャル事業も行う。 ●2013年以降、システムD研究会、自転車事故防止委員会、セブメディの会を設立、「懐かしい未来プロジェクト(HOOPS!)」「サステナ塾」を開始し、持続可能な地域社会の実現のために人間本来の役割を思い出すためのあらゆる「体験」の場と機会を提供している。 ●2024年10月1日にカングロ㈱代表取締役を退任。日本社会事業大学、茨城県農業大学校営農塾入学。農福連携×アート事業の為のNPO法人設立(どんぐりヴィレッジ・ケアファーム)準備中。 ●自転車のある生活をこよなく愛し、年間約1万kmを走破する。これまでの趣味はゴミ拾い、ウルトラマラソンランナー、トライアスリート。
※【ダイジェスト版動画】講座特別映像をご視聴頂けます: オーガニック・ポータル~あなたには「魂」がありますか?/第65回(2024年12月3日) https://youtu.be/LXil99Y3QS4
ガザ危機~世界には、本当に平和が訪れるのか?/第63回(2024年10月1日) https://youtu.be/0dO7yGGaHpM
アメリカ大統領選のゆくえ~世界は本当に変わるのか?/第62回(2024年9月3日) https://youtu.be/exIiXly4xNM
ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ~人類は、核兵器を捨てることが出来るのか?/第61回(2024年8月6日) https://youtu.be/DhYhJplXjdM
シンギュラリティの真実~人工知能革命の先に起こること/第60回Aniv.(2024年7月2日) https://youtu.be/BmaZb6xL5-Q
人間のゾンビ化を止めろ!人間という種の退化が始まっている/第59回(2024年6月4日) https://youtu.be/LaYpV4TiNO8
自然災害の激甚化がもたらすもの~人類は生き残れるのか?/第58回(2024年5月7日) https://youtu.be/bLZOiSM-7EI
サステナビリティ3.0~企業の外部化されたコストを内部化する/第57回(2024年4月2日) https://youtu.be/l-uH0EsX6B4
世界の福祉の実態/第56回(2024年3月5日) https://youtu.be/FOsEj6EdWQI
世界の農業の実態/第55回(2024年2月6日) https://youtu.be/v-R9SJaRk2w
地球のケアテイカーになろう/第54回(2024年1月9日) https://youtu.be/vACtwR96iIg
グレートリセットとは何か?/第53回(2023年12月5日) https://youtu.be/x-CW0tPLtzE
戦争が無くならない本当の理由/第52回(2023年11月7日) https://youtu.be/ISZKjSPep0k
変質化した異常火災について/第51回(2023年10月10日) https://youtu.be/OLS2ds5pwic
2030年に起こることを想像してみよう/第50回Anv.(2023年9月12日) https://youtu.be/ODgY-z-vY0I
SDGsのスーパー事例を集めてみた!/第49回(2023年8月1日) https://youtu.be/pbLHzt08_hU
SDGsはもう終わったのか?SDGsの本当の目的を探る/第48回(2023年7月4日) https://youtu.be/lXrA8KV88zY
Wind(風)について考える~風の神秘/第47回(2023年6月13日) https://youtu.be/QtDcfxztkWE
Fire(火)について考える~火の神秘/第46回(2023年5月2日) https://youtu.be/owWgezVx46g
Soil(土)ついて考える~土壌の神秘/第45回(2023年4月4日) https://youtu.be/f3IQ7Y7CVo8
Water(水)について考える「第4の水の相」の神秘/第44回(2023年3月7日) https://youtu.be/VBB9A5qC-7c
宇宙開発の真実/なぜ今、加速化する宇宙開発?/第43回(2023年2月7日) https://youtu.be/LaOkFIBHW98
超メタバース社会を検証する~私たちは異次元を受け入れるのか/第42回(2023年1月17日) https://youtu.be/9SD6WBMxKfE
COP27を検証する~もう私たちは間に合わないのか/第41回(2022年12月13日) https://youtu.be/R_ceFx0TbOw
総貧困化社会~私は大丈夫の妄信/第40回Aniv.(2022年11月1日) https://youtu.be/7Y0gZwjylak
大災害が来る~何を心得、何を備えるべきか?/第39回(2022年10月4日) https://youtu.be/NsEv0mQfvQs
核兵器~人類は、また使うのか?/第38回(2022年9月6日) https://youtu.be/TtxvRAm7m3g
超脱炭素社会の到来~本当の目的とは何なのか/第37回(2022年8月9日) https://youtu.be/FPKsy4HS7u8
超食糧危機に備えよ~食糧危機キャンペーンの真実/第36回(2022年7月12日) https://youtu.be/LO4iQL9YcfA
人と人との関係を考える~人と人が支え合い生きていくこととは/第35回(2022年6月14日) https://youtu.be/OyxWiEGPGfw
働き甲斐とは何かを考える~人は何故にはたらくのか/第34回(2022年5月10日) https://youtu.be/emPiTtkimPA
本当の健康を考える~人は何故に生きるのか/第33回(2022年4月12日) https://youtu.be/B_h6wRitTbY
生命活動の源であるエネルギーのことを考える/第32回(2022年3月8日���https://youtu.be/A4CxeazfnxE
地球の空気の奇跡を知る~あなたが知らない空気の話/第31回(2022年2月8日) https://youtu.be/LtJIbXfR_I0
フルバージョン動画はこちらで視聴頂けます。大人のためのSDGs超基礎講座・全アーカイブ動画集(有料コンテンツ) https://vimeo.com/ondemand/kanglosdgs
■企画・運営:SDGs超実践者委員会(SSPC)、カングロ株式会社 https://www.kanglo.co.jp/ 協力:サステナ塾/システムD研究会/イノベーションサロンZ/ショック・コヒーレント・イノベーション・クラブ/フィロアーツ研究会/懐かしい未来へ・どんぐりヴィレッジプロジェクト https://for-good.net/project/1001029
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Fitbit Charge 6: これまでで最も先進的なトラッカー
Charge 6 を着用した女性がエクササイズを楽しむ様子 よりスマートなワークアウトと身体のより深い理解に利用できる Fitbit Charge 6 が新しく登場しました。本日、9 月 29 日(金)から Google ストアと Fitbit.com にて予約販売を開始します(注1)。 Fitbit Charge 6 は、新しい AI アルゴリズムと組み合わせた高度な健康センサーにより、目標の達成に役立つほか、Fitbit トラッカー史上最も精確な心拍数測定機能を実現します(注2)。互換性のあるエクササイズマシンやフィットネス アプリに接続して、ワークアウト中にリアルタイムの心拍数を確認することもできます(注3)。新触覚のサイドボタン、7 日間持続するバッテリー(注4)、YouTube Music、Google マップや Suica 対応の Fitbit Pay の使用など、手首に装着するだけでより多くを直接実行できる機能により、外出先でも使いやすく便利です(注5)。 Charge 6 で健康とフィットネスをランクアップさせる方法をご紹介します。 改善された心拍数測定機能 Charge 6 は、改良された AI アルゴリズムにより、Fitbit トラッカー史上最も精確な心拍数を実現しました。HIIT ワークアウト、スピニング、ローイングなど、激しいアクティビティ中の心拍数のトラッキングが以前よりも最大 60% 精確になり、信頼性の高い健康統計を取得できます(注6)。また、心拍数の測定精度が向上することで、カロリー、アクティブな心拍ゾーン、今日のエナジースコア(注7)、睡眠スコアなど、測定値がより精確になりました。心拍数の上昇・降下の通知、心拍数を常時チェックも引き続きご利用いただけます。 Charge 6を着けてエクササイズに励む男性 フィットネス アプリやマシンに接続して心拍数の上昇をリアルタイムで確認 Charge 6 を互換性のあるエクササイズ アプリやマシンに接続して、自宅やジムでモチベーションを維持しましょう。NordicTrack、Peloton、Concept2、Tonal など(注8)のパートナーが提供する互換性のある Bluetooth 対応エクササイズマシンに、簡単かつ安全に接続することができます。これにより、ワークアウト中の心拍数がリアルタイムで表示されます。また、Android および iOS スマートフォンやタブレットで Peloton など(注9)の人気フィットネス アプリに接続して、リアルタイムで心拍数を確認することもできます。 NordicTrack ローイングマシンの画面に心拍数をストリーミングする女性(着用:Coral) ワークアウトトラッキングとモチベーション維持機能でフィットネス ルーティンを強化 よりパーソナライズされたワークアウトトラッキングとモチベーション維持機能により、動きを確実に自分のものにできます。スキー、スノー��ード、サーフィンなどの 20 の新しいオプションを含む 40 を超えるエクササイズ モードから選択して、ワークアウトに必要な統計情報を取得できます。また、屋外でのワークアウトのトラッキングにも対応しています(注10)。Charge 6 内蔵の GPS により、互換性のあるスマートフォンを自宅に置いたままでも、簡単に距離をトラッキングすることができます。 Fitbit 6 の YouTube Music コントロール(注11)により、装着した手首から直接 1 億曲以上の曲を再生、停止、スキップして、ワークアウトにサウンドトラックを追加することができます。気分を変えたいときは、YouTube Music Premium がエクササイズに応じたワークアウト ミックスをおすすめすることもできます。 ピックルボールをする車椅子の女性(着用:Charge 6/スポーツバンド) 必要な便利なツールを外出先に持ち出す トラッカーではじめて、便利な Google ツールを利用できるようになりました(注12)。Google マップと Suica 対応の Fitbit Pay を搭載した Charge 6 は、ワークアウト、お買い物、外出に便利に活用することができます。外出先で Google マップのナビゲーションやターンバイターン方式のルート案内を活用できるほか、Fitbit Pay の非接触型決済でトレーニング後の軽食を購入することもできます。日常生活に必要な機能により、新しいランニング ルートを探索したり、帰宅途中にタップしてすばやくコーヒーの支払いをしたりといったことが、これまで以上に簡単になります。 Charge 6 には、Zoom + Magnification を備えた Fitbit デバイス初のアクセシビリティ機能も搭載されています。小さなテキストが読みにくい場合や、大きなフォントが必要な場合は、画面上の任意の場所を数回タップするだけで、画面上の単語を拡大することができます。 Google ウォレットを使って軽食の支払いをするサイクリスト(着用:Coral) 健康状態を理解する Charge 6 の健康機能とウェルネス機能は、詳細な洞察を可能にする Fitbit の高度なセンサーによって構築されています。健康状態の把握に役立ついくつか機能をご紹介します。 * 毎朝、睡眠スコアを確認して、さまざまな睡眠ステージの時間、睡眠中の心拍数、睡眠の質などに基づいて、よく眠れたかどうかを評価できます。 * 皮膚電気活動 (EDA) スキャンにより、ストレスを管理することができます。その瞬間の体の物理的反応を測定することで、ストレスの管理方法に関する実用的なガイダンスを取得できます。ストレスマネジメントスコアをチェックして、身体がどの程度ストレスに対処しているかを確認し、その日の計画を立てることができます。 * 血中酸素ウェルネス、心拍数の変動、呼吸数などのその他の健康指標にアクセスすることができます(注13)。 * 付属する Fitbit Premium の 6 か月間のメンバーシップにより(注14)、HIIT、サイクリング、ダンス有酸素運動などの数千のワークアウト セッションや、さまざまなマインドフルネス セッションにアクセスすることができます。 * 新しいFitbit アプリは、目標に集中し、自分にとって重要な指標を理解するのに役立ちます。Fitbit Premium でご利用いただける今日のエナジースコアは、スコアに基づいて強度なワークアウトに適した状態か、回復を��先すべきかを評価します(注15)。 新しくなった Fitbit アプリの今日のエナジースコア画面 Charge 6 の小売価格は 23,800 円(税込)となり、Fitbit Premium の 6 か月間のメンバーシップ付きでご提供します。Charge 6 には、Obsidian、Porcelain、Coral の 3 色をご用意しました。新しい Charge 6 を購入する場合も、別の Fitbit デバイスをリフレッシュする場合も、Fitbit.com では、あらゆる場面にスタイルを合わせることができる新しいアクセサリーをご購入いただけます(注16)。Charge 6 と Charge 5 用(兼用可能)の Ocean ウーブン バンドと Hazel スポーツ バンド、Fitbit スマートウォッチ用の Desert Tan レザーと Ocean ウーブン スポーツ バンド、Inspire 3 用の半透明バンドとマットブラックのステンレススチールメッシュバンドなどが新しく追加されました。 Charge 5 および Charge 6 用の新しい Ocean ウーブン バンドと Hazel スポーツバンド 注1)Charge 6 は、Android 9.0 以降または iOS 15 以降を実行しているほとんどのスマートフォンで動作します。Google アカウントとインターネット アクセスが必要です。一部の機能には、Fitbit モバイル アプリや有料サブスクリプションが必要です。詳細は Fitbit.com/devices をご覧ください。 注2)2023 年秋時点の他の Fitbit フィットネス トラッカーとの比較。Pixel または Fitbit スマートウォッチは含まれません。 心拍数追跡のパフォーマンスは生理機能、デバイスの位置、動きや活動によって影響を受ける可能性があります。 注3)Bluetooth 心拍数プロファイルをサポートする一部のエクササイズマシンと互換性があります。対応機器は今後も追加予定です。Charge 6 対応機器について、詳細はこちらをご覧ください。 注4)平均バッテリー寿命は概算であり、データ、スタンバイおよびその他の機能の使用を組み合わせたFitbit ユーザーのバッテリー使用プロファイルの中央値による初期設定を使用して、2023 年半ばにカリフォルニアで試作前のハードウェアとソフトウェアで実施されたテストに基づいています。 バッテリー寿命は、有効な機能、使用方法、環境等様々な要因によって異なります。 特定の機能を使用するとバッテリー寿命が短くなります。… http://japan.googleblog.com/2023/09/fitbit-charge-6.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=tumblr Google Japan Blog
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. 最高の夏だった( *´艸`) 今年のBBQは泊まり!みんな夜中まで飲んで朝解散! 解散後は永井さんカーは銚子へ!美味しいと言われる鈴女に✨美味しかったー!! #BBQ #バーベキュー #海 #夏 #平成最後の夏 #summer #sea #夏の思い出 #昼も夜もBBQ #茨城 #サーフィン #サーフィン部 #niceview (茨城県 鹿嶋) https://www.instagram.com/p/Bnxqa8enCMj/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=r46apqp0giqx
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日本で最も長い商店街として知られる、大阪の天神橋商店街。個人的にはフリーランスとして独立し、だんだんと仕事が軌道に乗り始めて、事務所を最初に構えたのがこの場所で、いい時代を過ごした思い出深い土地である。約2.6キロの長い商店街には約800店舗の商店があり、昔から続く個人商店も多く、古き良き大阪の商人の匂いを楽しむことができる。
そんな天神橋商店街に気になるレコード店・tototo RECORDSがある。コロナ禍真っ只中の2019年10月にオープンし、店主の個性を強烈に感じることができる品揃えで注目されている。GWを利用し、懐かしの天神商店街に足を向けて、店主の岡本ガンモ氏にtototo RECORDSのユニークなお店づくりについてなど話を伺ってきた。
昭和の中古レコード屋を令和のおじさんがやったらどうなるか
ーまずはtototo RECORDSのオープンまでのお話を。
今年でちょうど50歳なんですけど、世代的に『宝島』とかバンドブーム直撃で。生まれが大阪の平野区で、エイリアンスポットっていうライブハウスがあって、そこに自転車で行ってたら、たまたまそこにパンクスの人がいたなとか。僕、元々、キングコング(大阪の老舗中古レコード店、一時は梅田、難波で数店舗を構えていた)で働いていたので、ジャッキーさん(大阪が世界に誇るマンゲル・スラッシュ・クラストコアバンド・FRAMTIDのギターであり、大阪難波にあるレコード店・REVENGE RECORDSのオーナー)などが先輩でいて、そこで繋がったり。でも、当時はグチャグチャな世代やったんですね。バンドブームだけでなくて、ブレイクダンスやサーフィンやったり、暴走族の真似事をする友達がいたりと、夜な夜な仲間と集まってはカセットテープに好きな音楽を録ったのを聴いたり、情報交換するって感じでした。
ーそうしてキングコングに勤め出すと?
元々、音源はCDで買っていて、22、23歳の時にキングコングに入って、そこでアナログに出会ってからその良さに気づいたんです。それで、CDを全部処分して、アナログを買い直しました。キングコングに入ったのは接客が好きだから。キングコングの前にレンタルビデオ屋さんでバイトしていて、お客さんや先輩がすげぇ面白くって。例えば先輩で、(アインシュテュルツェンデ・)ノイバウンテン(ドイツの実験的インダストリアルバンド)やスロッビング・グリッスル(イギリスのインダ��トリアルバンド)が好きなんだけど、ボウイも好きなんですよ。ボウイからノイバウンテンに辿り着くっていうのが面白くって。お客さんも、レンタルビデオ屋って音楽も聴けるしエロも借りれるから幅広くって。で、そんな中、音楽の仕事がしたいなって思った時に、ノリでキングコングのバイトの面接を受けたら受かって。でも、入った頃は音楽のことなんか全然知らなかったから、先輩にめちゃくちゃ怒られたりもして。当時のキングコングはジャンルごとに受け持ちはないんですよ。オールジャンルに対応しなきゃいけなくて、入ったら即店番でした。でも、買取の値付けも分からなくて、いきなりワールドミュージックの査定とか。当時はパソコンもない時代やったから、ナンボで値付けをしたらエエか分からへんし大変でした。すげぇ鍛えられましたね。この店を始める直前までキングコングに居続けてました。で、縮小で退職という流れになりました。古くから、長く置いてくれてとても感謝しています。一度自分が白紙になったとき、やっぱりレコードが好きという思いを再確認して、お店を始めました。
ーtototo RECORDSは品揃えや店構えがユニークだし、かなり貴重な店だと思いますよ!
一応、「こうしたいな」「ああしたいな」とかざっくりとしたヴィジョンがあって。まだそこには近づけてないですけど。やっぱり、商品集めが一番苦労します。ヴィジョンの一つが、中古レコード屋さんの良いところを残したくて、「昭和の中古レコード屋を、今の令和のおじさんがやったらどうなるか」っていうもので。場所を天満、天神橋商店街にしたのは雰囲気が良かったから。
ー天満を含め、天神橋周辺は昔から住まわれている人だけでなく、会社やお店も多いからお客さんも幅広いんじゃないですか?
そうなんです。自分が思っている以上に幅広く来てくれるんで、それはよかったなと思ってます。地元の人が売って、地元の人が買っていくっていう地産地消型。お店を始めるまでは、天満はたまに飲みにくるぐらいで土地勘がなかったんです。けど、お店を開けてみたら居心地の良い場所でした。あんまりガツガツしているところは嫌やったんで、微妙にゆるい感じが良くって。世代型というか、売りに来られる方も買いに来られる方も世代が固まっているんです。一番のメインが30歳後半から50歳前半ぐらい。だから、欲しいものと売りたいものが合致しているというか、扱っているのはオールジャンルなんですけど、パンクもニューウェイヴもその世代が欲しいものが入ってくる。だから、掘り出し物はいっぱいあります。でも、入ってきたものは自分では買わないって決めてるんです(笑)。若い人も来ますよ。最近のアナログブームもあって。あと、関西特有かもしれないですけど、和物DJをやるパンクの人とか。大阪は特殊なのか、そういうシーンができているのはすごく嬉しいです(笑)。通販はガッツリとはやっていなくて、(Instagramで)DMが届いた時に対応してますけど、まだホームページではレコードではなく別のものを売ってるので。レコードの販売は、できれば店をベースにしてやれたらいいかなと思っています。バンドの新譜もゆくゆくは考えているんですけど、今はまだそこまで考えられる余裕がなくて(笑)。今は中古で土台を作っていこうかなと。
相場はあまり気にしていない
ーソフビやマンガとかレコード以外も良いものが並んでますね。
できる限り、持ってきてくれた物はなんでも査定はするつもりです。結構面白いものが入ってくるし、そういったものが売れていきますね。八百屋とか魚屋の感覚でやっているので、仕入れが安ければ安く出して、高い仕入れの時は申し訳ないけど相応の値段を付けています。相場がこの値段だからっていうのはあんまり気にしてなくて、この方が面白いかなって。藤子不二雄Aの複製原画が貼ってあるのは、全体的に丸っこい絵の漫画というか、トキワ荘関連が大好きで。(レジ側に置いてある)『まんが道』はできるだけ多くの人に読んで欲しくて、無料貸し出しをしています。
ー店名の「tototo」というのは?
友達から「自分の名前を入れたらええやん」って言われたんですけど、自分の名前だと、やりたいお店のイメージとちょっと違うなと思って。で、覚えやすくて、名前を聞いた人に「なんやろ?」って思われるようなのはないかなと。あと、ザ・ブルーハーツの「キスしてほしい」のフレーズ(「トゥートゥートゥー」というコーラス)から。商品も店名も含めて、好きなものに囲まれとったら最高! 今までキングコングで働いてきたのが約20年で、それをもう一回するって考えたら、自分の好きなものを置いて、お客様とそれを共有したいなって思っています。音楽のブームの周回が回ってきて、置いてあるものとのタイミングが合えばより良いですね。
ーお店で人気のあるジャンルはありますか? コミックソングやシティポップとかは一部店舗でプレミアが付いていたりしますが。
コミックソングはニーズが弱くなったけど、買う人に強烈な人が多いので死ぬまで買い続けていくんだろうなって。シティポップは値段の上がり方がかなわんので、なるべくそういう店じゃないよって雰囲気を出してます。シティポップ感を出さないように(笑)。とりあえず、ボウイとかレベッカが随時ある店を目指しています。ファンは一定数いるし、値段を上げずにずっと売り続けられたらいいかなと。最近、バンドブーム関係は入りにくいですね。最近は中古レコード屋のワゴンセールでも売ってないです���んね。ちょっとマイナーなバンドだったら見つけにくくなってますし。こないだもトレイシーが入ってきたんですけど、即完しましたから。レジ横に積んでいたらお客さんが「アッ!」って手に取って。他にもコンプレックスのファーストのアナログ盤を頑張って手に入れて、結構な値段を付けたんですけどすぐ売れましたね。でも、店に欲しいのでずっとアンテナは張ってます。これからはCDにも力を入れていこうと思っていて、今は溜めているんですけど、バンドブームの棚が完成したら結構イカツイものになると思いますよ! あと、まだ、外国からの観光客の方が来て盛り上がるというのを体験したことがないので、コロナが明けた後にそれを体験できないかと期待していて(笑)。
tototo RECORDS https://tototorecords.business.site/
〒530-0041 大阪府大阪市北区天神橋1丁目18-14国際実業ビル3階 電話番号 0643973121 営業時間 12:00~20:00(定休日:毎週水曜日・第3木曜日) 谷町線・堺筋線「南森町駅」4-B出口から徒歩3分/JR東西線「大阪天満宮駅」7号出口から徒歩3分/JR環状線「天満駅」から徒歩15分
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やっぱり今日は、時代越し蕎麦 with 蕎麦焼酎🍹 同じことを考える人は多いようで、お蕎麦屋さんは大繁盛🙌 寂しさと目出度さが相半ばする、時代の代わり目。 まわるまわるよ 時代はまわる 喜び悲しみくり返し 今日は別れた恋人たちも 生まれ変わって めぐりあうよ〜♪ こんな夜はやっぱり、歌うしかないのでしょうか🎤 #中島みゆきかMISIAがマイクを持ってた迷う湘南ガール #天皇陛下ご退位 #退位礼正殿の儀 #国民も感謝しております #30年3か月の象徴のお勤めお疲れさまでした #我が国の繁栄だけではなく世界の人々の安寧と幸せをお祈りになるところが誰かとずいぶん違います #サーファー #サーフィン #サーファーガール #平成最後の海街 #Emperorresignation #hoodbyeHeisei #NewErasEveNoodle #surfing #surfgirl #surfer #umimachidiary #surf https://www.instagram.com/p/Bw4NSqsAuk8/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1x9saxtqfx7k9
#中島みゆきかmisiaがマイクを持ってた迷う湘南ガール#天皇陛下ご退位#退位礼正殿の儀#国民も感謝しております#30年3か月の象徴のお勤めお疲れさまでした#我が国の繁栄だけではなく世界の人々の安寧と幸せをお祈りになるところが誰かとずいぶん違います#サーファー#サーフィン#サーファーガール#平成最後の海街#emperorresignation#hoodbyeheisei#newerasevenoodle#surfing#surfgirl#surfer#umimachidiary#surf
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今日で平成も終わりですが、あいにくの雨で風もあり波質は良くありませんでした。 さて、明日令和元年5月1日からSO-CAL LIVING仙台を立ち上げます。 【カリフォルニアスタイルリノベーション】【サーファーズハウス】など興味ある方は是非WEBページでチェックして頂ければ嬉しいです😃まずは、モデルルーム作りからスタートです。色々大変な事もあると思いますが、楽しみながらやりたいです😁 #平成最後のサーフィン #明日から令和 #socallivingsendai #californiastylerenovation #yousouken #ソーカルリビングセンダイ #カリフォルニアスタイルリノベーション #ユウソウケン #surfing #surfershouse #sendainewportbeach #サーフィン #サーファーズハウス #カリフォルニアスタイル #西海岸風インテリア (Sendai New Port Beach(仙台新港)) https://www.instagram.com/p/Bw3ZSETFPqM/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1u4kqm3chyi3d
#平成最後のサーフィン#明日から令和#socallivingsendai#californiastylerenovation#yousouken#ソーカルリビングセンダイ#カリフォルニアスタイルリノベーション#ユウソウケン#surfing#surfershouse#sendainewportbeach#サーフィン#サーファーズハウス#カリフォルニアスタイル#西海岸風インテリア
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ネオテニー
長々と書き散らしてきた世界選手権の感想?印象?文も今回をもって最後となります。現地にいた日数と文章量が比例してないよママ-ッ!
本記事ではエキシビション…主に羽生さん…さらに言えば『春よ、来い』にフィーチャーして書いていこうかと思います。多分またどこかから脇道に逸れそうではあるんですが許して下さい。彼を見ていると文学やら哲学やら生物学やらありとあらゆる学問や分野が手招きしてきて「わしらの力を借りるとええで」って囁いてくるんや…でも折角お声がけ頂いても知識と理解が追いつかずとっ散らかり&上辺なぞりな感じの文が出来上がってしまう…!悔しいッ!だが記したい衝動のが勝るから俺は書くぞジョジョォ——ッ!
やぁでも正直に言えば私の頭がもっと良くて財力もあったら彼や彼の演技をより深く理解、表現できるようになるべく全国の大学サーフィンをしたい。(※大学サーフィンとは:大学を卒業すると同時に同大学の異なる学科、あるいは他大学への入学を決め、またそれを納得いくまで繰り返すこと。筆者による造語。)
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今回披露した『春よ、来い』(以下 春 と記述)はFaOI神戸でも現地で観た経験があり、その当時も受け取った印象を文字に残したい、残さねば…!と使命感に燃えておりました。しかし結局断念してしまったのです。なぜかというと「ひとつの記事に出来るくらいの組み立った文にならない」からなんですね。ショーで観てきた当時、断片的なツイートはしていましたがそれらがひとまとまりの文になるかと言うと…ならない!そのくらい受け取るイメージが多種多様でそのうえ演技の輪郭もぼやけていました。(勿論めちゃくちゃいい意味で使ってますよ!)あとこれは個人的な感覚の問題なんですが、春に対して"演技"とか"プログラム"という人工的?人為的?な言葉を使うことに抵抗があったのも一因ですね。代替語として今でも自分的にいちばんしっくり来ているのがこのツイート↓
https://twitter.com/tanshi_hdmi/status/1008917747244265473?s=21
有機でありながら無機。静でありながら動。喜でありながら哀。そんな一見対極に位置するような要素を矛盾や破綻なく内包し、かつ見るものにより受け取る印象が異なる様をあらわす言葉…となったらこれかなと。あと春を舞っている彼の様子がおよそひとではない、もっと言えば生物ですらないというのも大きい。人型ではあるんだけども。高価な機材も特殊な撮影技術も要らない、肉眼で知覚できる自然現象。
時間が経つにつれ、そんな春に対する内的葛藤と苦悩が解けたので今回はのびのび綴っていく所存です。でも記事内では読みづらさ回避(多分すでに出来てないよ)のために普通に演技とかプログラムって言いますです。ウヒ
そろそろ24日の話を。これは完全に偶然なんですが、FaOI神戸で見た時も今回のEXもショートサイドでした。席の細かい指定までは出来ないのに不思議!しかも方角も一緒。なんか運命を感じる(?)座席は200レベルの8列目、23日同様視界も良好。選手がリンク内のどこへ移動しても満遍なく見渡せる絶好のポジションでございました。
前の演技者がはけ、入れ替わるようにリンクにあがる羽生さん。いつも通りそっと、しかし大きな慈しみを込めて両手で氷に触れながら。それだけで会場からは万雷の拍手、歓声。試合の時のそれとは異なり、どこか優しく、甘さを含んで聞こえます。
セットのなされていないさらさらの黒髪は完璧なまでの丸みをもって艶めき、その身を奥ゆかしい薄紅色と海月の触腕のように波打つ豊かな羽衣とで包んでいる様は、昨日までの荒ぶる闘神のような姿がまるでゆめまぼろしだったのかと疑ってしまうほどに、無垢でたおやかでした。
薄明りに融けるように佇めば、どこからともなく(本当にそんな感じだった)きれいに磨かれたガラス玉を転がすみたいなピアノの音が響いてきて、その音色が雫となって彼という水面に波紋をつくります。魂が灯ったようにふわりと両腕を浮かす仕草、あれはまさにミルククラウンが出来る瞬間のようです。音(雫)の落ちる速度や比重などの条件がぴたりと噛み合わなければ生まれない自然現象。
どんなに微細な空気の揺らぎにもかならず呼応するうす衣は、やはりそれそのものが意思を持ついち生き物のようで。よろこんでいるようにもかなしんでいるようにも、角度によってきらきらと偏光するプリズムみたいで実態がつかめない。でも色々な表情をしているのは分かる。それだけで十分だなぁと思いました。
淡いつむじ風のような3Loを降りた後、右手で氷を軽く撫ぜ、それをじっと見つめながら自らの頭より少し高く掲げる動作があります。TVでは背面からのみしか撮影がされていませんでしたが、私が座っていたのは西側ショートサイドで、この時の彼の真正面に位置する場所であったために表情を伺うことが出来ました。
正直に言うと、かなりぞっとした瞬間でした。"畏怖"とも"虚無"ともつかない感情に埋め尽くされて息をすることが出来ませんでした。実際はせいぜい2〜3秒の動作だったのでしょうが、その場では永劫続くのかと思うほど長い時間に感じられて、茫洋とした海原のど真ん中にいきなり投げ込まれたような、幼い頃にホームセンターの壁に掛けられていた巨大なゴブラン織りの絨毯を前にした時のような、"なす術なく竦み気が遠のく"体験をしたのです。表情は果てしなく純真であるのに、その目は客席や建物どころではないはるか遠く、もっと言えば"いま"ではない異なる時間軸を見据えているような。あぁ、あれは悠久の時を過ごしてきた新生児です。そんな彼を通してあらゆる時代のあらゆる出来事に一挙に目を向けられたような、そんな風に感じられた瞬間でした。
マジで軽く「ヒッ」て言ってしまった。アリー��の、本当の本当に真正面になった方を今でも真剣に心配している。
私��彼のスピンがとても好きです。キャメルスピンではいつも慎ましやかに雄弁な手の表情を堪能することが出来るし、ぶれのない完璧なポジションが描くかたちはまさに真円で、その見事さに空間がよろこび、どんどん質量を増加させていく様を肌で感じることが出来ます。その後に続くスピンの素晴らしさたるや、シット姿勢から次第にアップライトに変化、かと思えばぱっ、と弾ける一連の流れはもはや彼が音を生み出しているとしか思えないほど。それか身体が譜面で出来ていて、いち回転する度にするするとほどけていっているのかもしれない。
途中『天と地のレクイエム』を彷彿とさせる、頭を抱えたり何かを振りほどいたりする仕草があります。なんとなくですが、レクイエム以降ずっとプログラムの中のどこかにそのような動作がかならずある気がして、彼の中でひとつ核になっている表現なのかなと感じました。でも同じように見えても印象はまるで違う。春は「振り返ればそんなこともあった」と回顧しているイメージです。苦闘の最中ではなく、愛すべき想い出となった過去の出来事、みたいな。ハイドロにしても同じで、レクイエムの時は海面からわずかに差し込む光を海底からどうにかして掴もうと腕を伸ばしているようでしたが、春では逆に、水面や水中を見下ろし、そこに映っていたものを愛おしんでいるような。今回のハイドロでは特に強くそういった印象を受けました。やはりプログラムは生き物だと、その時々の立場や年齢でもっとも輝くように出来ているのだと改めて思ったワンシーンでした。
氷の欠片を集め、空中に放つ動作はFaOI神戸ではなかったため初めて現地で目にしました。途方もなく儚い。分かってはいたが儚い。やっぱり悠久の時を生きた新生児なのかと思ってしまうほど、絵に描いたような無垢な仕草にぎりぎりと胸が締め付けられる。実際のこどもが戯れにそうするのではなく、もう成長しきったものがこどもの頃の楽しかった体験を再現しているような寂寥感がある。きれい、すてき、とひと言では済ませられないほど、あの瞬間にはたくさんの想いや感情が去来します。
そしてその後の、歌詞で言えば「瞼閉じればそこに」の「に」の部分、そこで彼がどんな表情をするか、私は注目していました。TV越しに観たものではありますが、FaOI静岡では屈託のない笑顔、GPヘルシンキでは苦悩するような表情だったのが心に引っかかっていたからです。
この目で今回観られたのは、静岡の時、もしくはそれ以上の弾けるような笑顔でした。もうこの辺りまで来ると演技は終わってしまうことを否が応でも認めなければならないというのもあり、笑顔って本来喜ばしいものなのに、なぜだか虚しさばかりがどんどん募ってゆきます。
そう感じ入っているのも束の間、近年の彼のEXのハイライトとなっているディレイドアクセルが、多大な幸福感と未来への展望を伴って大きく花開きます。回転数や点数だけがすべてではない、脈々と受け継がれ時代を生き抜いてきた技巧には、人々の情緒につねに訴えかける研ぎ澄まされた美と語りすぎない"引き算の妙"がたしかに息づいていると実感しました。
畳みかけるように、花雨のように降り注ぐピアノの音を全身に浴びながら空間を満たしていくレイバックイナバウアー、ここは何度観ても聴いても心の奥深く、琴線に触れて、叫びながら走り出したくなる衝動に駆られます。行かないでくれ、無意味だと分かっていてもそう口走りたくなるのを必死に堪えるのでした。
怒涛のグリッサンドを具現化させたような、全身から花弁をはらはらと舞い散らすかの如き豪奢なスピン。そして余韻を、音が消え入ってしまうのを心の底から惜しむように最後の最後までを味わい尽くすフィニッシュは、"なにか"を大切に両腕で抱え上げ天に還すような所作をしたのち、自らを愛おしむように抱き締める。
それを見届けた瞬間、「お別れだな」と思いました。これまで人型を保っていた春はひとではなく、桜の花弁の集まった姿で、フィニッシュを迎えるとともに魔法的な何かが解けて、ひとの形から一瞬でぱっ、とただの花弁のかたまりに戻り、先ほどまで立っていた場所には薄紅色のちいさな山があるのみ…そんなイメージが脳裏にこびり付いて、遣る瀬のなさが爆発して、喪失感でいっぱいになりました。頑張って花弁をかき集めてまたひとの形にしても、動き出すことはないのだろうなぁと。スタンディングオベーションをしながら、そんな頭のおかしいことをぼんやりと考えていたのでした。
本当にこの時期の日本で春を滑ってくれてありがとう、と思います。夏のアイスショーに始まり、秋、冬を耐え、やっと還るべき季節に還ったんだろうなと、良かったね、と心から思います。なんというか、まさに桜の一年の生命活動を見た気持ちです。FaOIの時は葉桜や新緑でまだ若く、将来に対する期待や希望に満ちていて、GPヘルシンキでは来たる冬に対する覚悟が見えたような。そして今回、あらゆる生命が蠢動し浮き足立つ季節に鮮やかな色彩とおもむきを与え、人々がそれらに心奪われているあいだに気付けば散ってしまっている。なんという無常!
春に対し侘しさ、寂しさが募るのは桜の姿が重なるのは勿論のこと、何度か文中にも書いていますが"老成と幼稚の同居"があるからだとも思います。これは春が、というか羽生さんご本人にも当てはまることだと感じますし、春は羽生さんそのものだとも。
羽生さんはインタビューや会見を見ていても分かる通り自我がしっかりしていて達観しているなぁ、と感じると同時に、生命のあるもの・ないものに関わらず等しく愛情を注ぐような感受性の豊かさ…言い換えればある種の幼さを失くさない人でもあると思います。また幼い自らを非常に大切にしてもいますね。それって凄いことで、幼い自分の要求につねに真摯にあり続けることは時に心身ともに傷を負ってしまう生き方でもあると思うのです。でもその"幼さ"の希少性、無二性を理解し意図的に守っているようにも感じる。
そんな人が演技中に満開の笑顔を見せたり、無邪気に氷を花吹雪よろしく放ったりする様を見たら、もうなんか心のダムが決壊するしかないんですよね…するしかない…。少なくとも私は大決壊しました。どぱどぱ。
あ、フィナーレでビールマンスパイラルをやった時、こちらもちょうど真正面になりそのウッキウキフェイスを全力で受ける形になって「えがったな…えがったな…」とおばあちゃんみたいな気持ちになりました。しかし相変わらず身体柔らかいね…ビールマンスピンまた見たいなぁ…
たまーりん氏や刑事くん、昌磨ともわちゃわちゃ出来て本当に楽しそうでした。ああいう年相応の青年(限りなく少年っぽい見た目だけど)らしいところを見ると(◜◡◝)⇦こういう顔になりますね。えがったえがった…。
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本文中にもちょこちょこ書いてますが、羽生さんって一本(一枚)の糸や布、または植物をこよったり編み込んだりして形づくられているイメージがあります。ジョジョでいえば徐倫のストーンフリーみたいな。いや勿論しっかり人間であると分かってますです、あくまで印象の話ですよ!笑
なんの話をしてるんでしょう。EXというか春についての感想どころか羽生さんご本人についての謎の理論を展開するという…どうしてこうなった…
いやしかし、彼のファンになってから人生観というか、ものの考え方が本当に変わったなと思います。例えば23日も24日も、もっと遡れば平昌五輪も、ヘルシンキワールドも、もはや全部だと思うんですがなにか試合やショーが終わった後、「寝てしまったら明日が来てしまうから寝たくない、今日という日が終わるのが辛い」という心の動き。こんなこと以前は人生で一度も考えたことも感じたこともなかったことです。他にも自然や生き物のことをより深く考え、その良さに気がつくようになったり。感情の幅や生活そのものがぐっと豊かになったのです。また、勝手にですが背中を押してもらい自信がついた考え方もたくさんあります。
彼には数え切れないほどのものを貰ってばかりなので、どうか今後彼にはそれ以上の幸せが、春が訪れて欲しいと願ってやみません。願うことしかできないもどかしさよ…。
長々とお付き合い下さり本当にありがとうございました。人いるか分からないけど!笑 たった2日しか現地にいなかったのにこんなに書けるなんて自分でもびっくりです。それだけたくさんの感情や感性の枝葉を揺らすお方なのですよね。幸せだなァ…ぼかぁ君のいきいきしているところを見ることがいちばん幸せなんだ!
追記:記事タイトルになってるネオテニー、動物が幼生形のまま成熟する現象らしくなんだか浪漫あるというか心惹かれる言葉だなと思ってつけました。必ずしもプラスな意味合いばかりを含んではいないようですがここではプラスの部分だけを掬って濾過して培養したい(?)
その代表的な生き物のウーパールーパー、よく見たら春にカラーリングとか諸々が似てる?気がする?そんなことないねすみません…
(画像:写真AC様)
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木村拓哉のSMAP裏切りは本当か?中居正広、草なぎ剛との深刻な不仲説
芸能 2022.12.27(火) 18:22
木村拓哉のSMAP裏切りは本当か?中居正広、草なぎ剛との深刻な不仲説
木村拓哉のSMAP裏切りは本当か?中居正広、草なぎ剛との深刻な不仲説 全 1 枚 拡大写真
木村拓哉のSMAP裏切りは本当か?中居正広、草なぎ剛との深刻な不仲説
木村拓哉のSMAP裏切りの真相!突然の寝返りは画策されていた?
木村拓哉は、2016年1月に勃発したSMAP解散騒動から、すっかり”裏切り者”のイメージです。メリー喜多川との対立によって、ジャニーズ事務所を追い出された元マネージャーは、SMAP育ての親。目算していたSMAPを引き連れての独立は、木村拓哉がジャニーズ残留の意志を動かさなかったために、とん挫してしまいました。かたや、元マネージャーに賛同した他のメンバー4人は造反組扱い。義理堅い男を通した木村拓哉の言い分は、至極まっとうに聞こえました。
ところが、SMAP全員での移籍は、弁護士を交えて着々と進んでいたという噂。木村拓哉は、2015年12月末になって、突然寝返ったといいます。SMAPメンバーの誰よりもメリー喜多川と懇意で、1人だけ報酬も格別だったといわれる木村拓哉。元マネージャーのクーデターをとん挫させるために、”直前の寝返りが最も有効”と画策していたのなら、確かに裏切り者です。直前に意志撤���しなければならないほどの事情が生じたのだとしても、”正義感溢れるアウトロー・キムタク”のイメージ崩壊は避けられないでしょう。
木村拓哉と中居正広は不仲?仲良し?草なぎ剛と香取慎吾のキムタク不信
木村拓哉と中居正広の間には、以前から不仲説と、仲良し説が交錯していました���2人は、同じ高校出身の同級生であり、1988年のSMAP結成時から苦楽を共にした仲。時には殴り合いの喧嘩をしたり、口をきかなくなったりすることもあったそうです。ただ、中居正広が木村拓哉の娘の誕生祝いを送ったり、木村拓哉が中居正広の怪我をさりげなく気遣う場面もあったりと、近年も絆は切れていなかった模様。
2016年1月の謝罪会見後、中居正広がメンバーに「(木村拓哉と)口をきくな」と声を荒げたそうですが、近い存在だからこそ、余計に腹立たしかったのでしょう。会見では、同じく不仲・仲良しの両説が囁かれ続けて来た草なぎ剛が、「木村君のおかげで、メリー喜多川副社長に謝る機会を得られた」と語っていたのが印象的でした。
「15年前から僕たちは壊れていた」と草なぎ剛と、香取慎吾が言ったと報じられていますが、15年前といえば、木村拓哉の電撃結婚。木村拓哉とメリー喜多川の関係に不信感を持つようになった上に、会見での文言も強いられていたとしたら、仲を修復するのは難しそうです。
木村拓哉の大ヒットドラマ一覧!高級愛車遍歴はやっぱりカッコイイ!
木村拓哉の大ヒットドラマ一覧!ロンバケ、HERO……キムタクブームは社会現象だった!
木村拓哉人気の導火線に火を灯したのは、1993年のドラマ「あすなろ白書」。黒縁メガネの非モテ男子の役どころではありましたが、一途な性格が、ファンのハートをわし掴みします。それが人気上昇の一端となり、1996年の初主演ドラマ「ロングバケーション」では、驚異の瞬間最高視聴率40%を記録。ドラマが放送される月曜は、街からOLが消え、主人公・瀬名にあやかってピアノを習い始める男性が増えるといった「ロンバケ現象」なる社会現象をもたらしています。
2000年の「Beautiful Life」では、木村拓哉演じる美容師・柊二と、常盤貴子演じる足の不自由な杏子との切ない恋が、日本中を泣かせました。その翌年の月9枠では、2007年の劇場版、2014年の2期ドラマと、ロングランヒットとなった「HERO」が放送開始。
実際の司法試験受験者が増加するほど、木村拓哉演じる久利生公平の影響力は増大でした。「何を演じてもキムタク」と揶揄されることはありましたが、その”キムタク”がウケていたに違いありません。何より、40歳を超えて少々老けても、”キムタク”でいられる若々しい感性には素晴らしいものがあります。
木村拓哉の高級愛車遍歴!キムタクが乗ると何でもカッコよく見える!?
木村拓哉、キムタクを語る上で欠かせないのが、カッコよすぎる愛車遍歴。2011年にスピード違反取り締まりを受けた時に乗っていたとされる、「シボレー���ストロ」をはじめ、サーフィンに出かける時に使用する「トヨタ・セコイア」、超大型SUV「ハマー・H2」など、木村拓哉の愛車遍歴には、オシャレ人ならではのセンスが光ります。どれも車体価格は1000万円未満ですが、こだわりをもって追加投資しているに違いありません。
工藤静香と兼用で、子供の送迎に使用している「ベンツGクラス・ゲレンデ」は、1000万円以上の高級SUV車。四輪駆動車だけではなく、1億円弱は必至の「サリーン・S7」、2000万円強の「フォードGT」といった、乙な高級スポーツカーも所有しているといいます。
木村拓哉の財力にも目を見張るものがありますが、さりげなく醸し出す”こなれ感”はいつでも憧れの的。木村拓哉がCM出演する、某社の庶民派タウンカーさえ、オシャレな車に見えてくるから不思議です。
木村拓哉は裏切り者イメージでドラマオファー激減!?SMAP解散は誰が悪い?
木村拓哉に裏切り者のイメージが定着しつつあった中、2016年8月のSMAP年内解散発表で、その色は、より濃くなってしまいました。木村拓哉以外の4人のメンバーは、SMAP解散後もジャニーズ事務所に残留するようですが、1月に明るみに出たクーデターによって、かなりのペナルティが課せられているという噂があります。メリー喜多川の庇護下にある木村拓哉は安泰かというと、そうでもありません。
”月9の帝王”と呼ばれた1990年代後半から2000年代初頭にかけて、常に「抱かれたいオトコNO.1」だった木村拓哉。最近では、「”キムタク”であることが鼻に突く」という声もあり、「嫌いなジャニーズNO.1」に定着しつつあります。1月の騒動、今回の解散発表を受けて、さらに事態は深刻化。来年1月に決定している主演ドラマのヒロイン候補が、総拒否しているという噂まであります。
このままドラマや映画のオファーがなくなった場合、木村拓哉だけではなく、ジャニーズ事務所にも何の得もありません。繰り返された話し合いの末、解散を言い出したのは、”キムタク&ジャニー喜多川アレルギー”が最も深刻だった香取慎吾だったそうです。
しかし、香取慎吾は木村拓哉に貰った財布を、25年以上も使い続けていたといいますから、心底憎んでいたわけではないでしょう。SMAPは、1988年の結成から、3年間もCDデビューできない期間がありました。ブレイクしたかと思えば、結成当初のメンバー・森且行の脱退し、さらに稲垣吾郎、草なぎ剛の不祥事を乗り越えてきた経緯もあります。
2003年に発売され、200万枚を超えるロングヒットとなった「世界に一つだけの花」は、今や国民的唱歌のように親しまれてもいます。葛藤しながらも貼り続けて来たSMAPが、華々しい25周年を迎えられなかった理由。一番に挙げられるのは、”タレント同士の軋轢を生む扱い”であることは明白です。
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《takehanamaru》
naname
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我が #うめ吉 初披露なう 昨秋(もしくは初冬か) #ヤフオク を介し譲って頂いたが家族バレが怖く😱 実に一年近くずっと某引き出しに隠していた。 うめ吉作者 #中島潔 は佐賀県東松浦郡厳木町(現・唐津市)ゆえ嘗て其も最早思い出せない昔💦唯一度だけ #道の駅厳木風のふるさと館 に立ち寄り時、うめ吉 #あやか (雌犬でうめ吉の仲間とも恋人ともいう存在)の��いぐるみが各種あったものの、生憎その日持ち合わせが…な者には結局一匹も連れて帰る事ならず[つд者]時は流れた。 平成-令和改元前後して #ネットサーフィン ならぬ「Instagramサーフィン」⁉︎を愉しむ私に屡々忘れかけていたうめ吉やあやかの印象的な #ぬい撮り ショットが多々眼に飛び込んだ。よりによって昨春の #stayhome 週間前後(汗)思い立って #道の駅厳木 に来店前に電話したが、うめ吉・あやかは数年前に取扱終了_| ̄|○の回答。(道の駅厳木結局行かず) 次に(我が某ド田舎は玩具店は閉店滅亡☠️)近隣の街の玩具屋〜 #デッドストック を持ってそうな老舗メインに〜を当たったがいずれも在庫なし。 ネットでメーカーが #オリエンタルトーイ と知りオ社のホムペとFacebookに打診もなしの礫 (後にさるInstagramerよりオ社は平成終盤に人気・売��下降低迷を鑑み、うめ吉・あやかの製造を終了していたと教示を頂いた[つд者][つдと][作дと] オ社昨今の一押しは #あべのハルカス #あべのべあ らしい) 小さくて良いので形が絶妙でコンディション良好なうめ吉が一匹で十分だからどうしても欲しくなり、夏から秋にかけヤフオクをマーク( #ヤフーショッピング #楽天市場 #amazon もウォッチしたが気にいる案件がなかったり、家族バレが回避出来る発送方法じゃなく断念)しやっと手に入れたこの子。出品者様には只々感謝しかない。 家族に急の土曜出社と嘘をつき(コラ!) 未明からの原因不明の胃の違和感(過日かかりつけ医から胃は正常も #逆流性食道炎 を指摘され投薬されるも昨夜分を飲み忘れ💦)を堪え #筥崎珈琲 への買い出しと、時間が有ればだが #長浜公園 の #アマビエ ( #コロナまじですかん の吹き出し💬でおなじみの、 #ぴえん 🥺顔の #アマビエ様 )にも再開したい…と再び #緊急事態宣言 逆戻り前夜の福岡市へ向かう。 余談 厳木町の名士・著名人と言えば昔は中島潔先生だったのに今じゃ #おほしんたろう @ohoshintaro だもんなぁ… ┓[´作д者]┏ ┓[作д者`]┏ (Fukuoka-shi, Fukuoka, Japan) https://www.instagram.com/p/CSQOV25FVFx/?utm_medium=tumblr
#うめ吉#ヤフオク#中島潔#道の駅厳木風のふるさと館#あやか#ネットサーフィン#ぬい撮り#stayhome#道の駅厳木#デッドストック#オリエンタルトーイ#あべのハルカス#あべのべあ#ヤフーショッピング#楽天市場#amazon#逆流性食道炎#筥崎珈琲#長浜公園#アマビエ#コロナまじですかん#ぴえん#アマビエ様#緊急事態宣言#おほしんたろう
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100の質問に答えてみました
100の質問に答えてる方がいたので真似してみました。昨日の自己紹介記事の補助的な感じです。 個人サイト時代を思い出して懐かしかったです。 前半はところどころ割愛しました。 質問はこちらからお借りしました。
自己紹介したい人に100の質問
1. 名前→宮桃 2. 名前の由来→桃とピンクが好きなので。宮は本名から 3. ニックネーム 4. 生年月日 5. 年齢 6. 星座→獅子座 7. 血液型→A型 8. 出身地→愛知県 9. 今の居住地→岐阜県 10. 身長 11. 足のサイズ 12. 兄弟構成→兄・姉・私 13. 経験してきた習い事→そういえば学習塾くらいしか行ったことない。 14. 学生時代にしていた部活動→バスケ部、バレー部、美術部、合唱部 15. 経験してきたアルバイト→学生時代はファストフード(モスバーガー🍔🍟🥤)、日本通運の事務、工場作業、会社を辞めてからはスーパーとカフェとレストランと病院清掃。 16. 今の職業→専業主婦 17. 趣味→自己紹介記事に描いたので割愛 18. 特技→考えたけど特にない……いいのかそれは 19. ハマってること→ビーチコーミングにドハマりしました。 20. 集めているもの→サンリオのグッズ(特にキキララ) 21. 性格→すごくサザエさん 22. 周りに言われる性格→関りが浅い知人にはO型だと思われる 23. 座右の銘→毒食らわば皿まで 24. 今までで1番の思い出→基本ずっと楽しかったけど、特に思い出すのは子供の頃愛犬を迎えたこととか、家族で海に行って貝殻やシーグラスを拾った(ビーチコーマーとしての原点)こととか、 甥っ子たちが生まれた時のこととか、漫画を描いて投稿したら努力賞をもらったこととか、好きな人と実は両想いだったと分かったこととか、そういう日常の宝物というやつです。 25. 今までで1番辛かったこと→辛気くさくなるのでこれはパス 26. インドア派?アウトドア派?→6:4でインドア 27. 休日の過ごし方→寝転がってお菓子を食べながら漫画を読む……それかお買い物とカフェ 28. 長所→真面目 29. 短所→頭が堅い 30. 100万円もらえたら何に使う?→お寿司食べに行ってフレンチ食べに行ってスイーツビュッフェ行ってコスメとアクセサリー買って旅行して、あとは貯金。 31. もしも一つだけ願いが叶うなら?→1日だけでも2013年に戻って説得しに行く 32. 占いは信じる?→いいことは信じる! 33. ドラえもんの道具で欲しいもの→ネムケスイトール。日中の眠気はすっきり取り除いて眠りたい時にすぐ眠らせてくれるという神アイテム。 34. 将来の夢→「今日も楽しかったーおやすみー!」って眠ってそのままピンピンコロリで人生を終えたい。 35. 子どもの頃どんな子だった?→幼稚園の頃はおえかきとかけっことお遊戯の時間が大好きな子でした。 36. タイムマシンに乗るなら過去と未来どっちに行きたい?→未来は楽しみに取っておきたいので過去かな。 37. 好きな物は最初と最後どっちに食べる?→最初に食べる。空腹時が一番美味い。 38. 今欲しい物→スマホを新調してワイヤレスイヤホンにする 39. 最近買った物→有線で音質はお察しだけど小さくて耳が痛くならないイヤホン 40. よく使うアプリ→Twitter、YouTube、音楽サブスク、ラジコ。普通過ぎてごめん 41. 平均睡眠時間→5~8時間 42. 毎日必ずしていること→食事はサラダから、朝一のお手洗いでトイレットペーパーを使い切らない 43. 朝起きたら1番に何をする?→うがい 44. 寝る前に最後にすることは?→asmr動画を聞きながら眠る 45. 美容院に行く頻度→2~4ヶ月おき 46. よく買い物に行く場所→近所に何故かやたら居心地のいいスーパーがある。 47. 好きな食べ物→ジャンクフードだとたこ焼き、肉まん、フライドポテト 48. 好きな飲み物→そば茶、タピオカほうじ茶ラテ、塩レモネード 49. 好きなお菓子→じゃがりこ、パインアメ 🍍、うまいチュウパイン🍍、京都の岩井製菓のサイダー飴、ショコラオレンジ 50. 好きなアイス→ピノ、アイスの実、あずきバー、シャトレーゼのラムレーズンバー 51. 好きなスポーツ→健康になったらサーフィンとダイビングしてみたい 52. 好きな場所→自宅と実家、今はなきちくさ正文館 53. 好きな言葉→武士は食わねど高楊枝 54. 好きなアーティスト→Perfumeとcapsule 55. 好きな芸能人→橋本環奈ちゃん 56. 好きな本→「海が見える家」シリーズ、「8月のソーダ水」 57. 好きな映画→「ショコラ」「恋は邪魔者」「魔法にかけられて」 58. 好きなキャラクター→ジバニャンとセーラーニャン、キキララ、リラックマ 59. 好きな色→ピンク、ベージュピンク、ピンクゴールド 60. 好きな季節→春~初夏~夏の流れ 61. 好きな曲→トルコ行進曲とビタースイートサンバとパイレーツオブカリビアンとホテルカリフォルニアを定期的にヘビロテする🎧 62. 好きなゲーム→妖怪ウォッチシリーズとポケ森とサ終したぽちゃもぐ 63. 好きなブランド→今はほとんどノーブランドばっかり着てるんだけど、せっけんはMARKS&WEB、和小物はかまわぬと濱紋様とくろちくが好き。 64. 経験してきたスポーツ→バスケとバレー。 65. 学生時代得意だった科目→現代文が大好きでした。授業で本を読めるなんてそんなそんな…… 66. よく聴く音楽→中田ヤスタカさんの音楽、昭和懐メロ歌謡、ラテンの名曲etc. 67. 家での過ごし方→常に部屋着で伸びてる。そういえば家事をしながら音楽を聞いてることが多い。 68. もしも魔法が使えたら→死別しないで済んだかな。 69. 総理大臣になったら何を変えたい?→ノンポリなので特に何も……しいて言えば偏向報道と移民政策と外国人参政権を止めてほしい。 70. 今の目標→健康を取り戻す。体の。 71. ストレス解消法→とにかく寝る。マジで。ある程度休んだらプールで延々背泳ぎする、ひとカラで好きな曲ばかり歌う、大音量で音楽聞きながら深夜の国道を安全運転で走る。 72. 尊敬している人→両親 73. 国内で行ったことがなく、旅行したい場所は?→南房総と小豆島 74. 国内で行ったことがあるが、また旅行したい場所は?→鎌倉と熱海と京都と和歌山 75. 海外で旅行したい場所は?→プーケットかセブ島かフィジーの水上コテージに泊まってビーチコーミングとダイビングしたい。 76. 苦手なことは?→排水口のお掃除と換気扇とコンロのお掃除 77. 嫌いな食べ物は?→セロリ(ごめんなさい) 78. 好きな曜日→金曜日と土曜日 79. 1日で好きな時間→できあがったお料理をテーブルに並べてる時と食べてる時 80. テンションが上がる瞬間→完成した絵をPNGで保存する瞬間 81. 最後の晩餐に食べたい物→ごはん(おにぎりも可)とお味噌汁と漬物と納豆と、焼き鮭もあったら嬉しい。 82. 1日だけ誰かと入れ替われるなら?→誰ということはないけどイケメン俳優になって美女にモテまくる1日を経験してみたい。 83. 生まれ変わったら何になりたい?→桜の花の精。桜が好きなので🌸 84. チャームポイント→大きくてキラキラしてるとよく褒めてもらえる目 85. 自分の身体で好きなパーツ→ジェルネイルをしてもらった後の爪 86. 自分の中の強み→外にはあるが中にはないな……中に強みをつくらないとダメだね。 87. 今の仕事をしてなかったら何の職業に就いてたと思う?→横浜中華街の中華料理屋さんの店長 88. 口癖→「多分」「~~だと思う」 89. 視力→ずっと両目で2.7だったんだけどスマホいじってる時間が長くなってからはもっと悪い。ギリ裸眼 90. 最近ポチ(ネット通販)った物は?→ミルボンのシャンコン 91. メイクのこだわり→ベースはツヤ肌に、アイメイクはラメを多用する。キラキラは春パスを裏切らない。 92. ヘアのこだわり→髪に負担かけないように、スタイリング剤は最小限に抑えてトリートメントオイルとかでセットする。 93. 貯金してる?→してます 94. 過去に戻れるならいつ?→小学校4年生頃に短期間だけ戻ってみたい 95. 結婚願望は?→なかったけど結婚しております 96. 子どもは何人欲しい?→おりません 97. 都会派?田舎派?→都会にすぐ出られる田舎 98. 住むならマンション派?戸建て派?→小学校に上がった年齢から戸建てに住んでるから、マンションに少し憧れがある。 99. どんな人に魅力を感じる?→強くて優しい人、育ちの良さが外見にあらわれてる人 100. ここまで質問に沢山答えたご感想を!→楽しかったー! ご清聴ありがとうございました。
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オーガニック・ポータル~あなたには「魂」がありますか?/第65回大人のためのSDGs超基礎講座(2024年12月3日)
オーガニック・ポータル~あなたには「魂」がありますか?/第65回大人のためのSDGs超基礎講座(2024年12月3日) チケット https://kanglo-sdgs241203.peatix.com/view https://www.facebook.com/events/1086614399574287
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2015年9月25日、国連総会にてSDGsが採択され、あれからすでに9年が経ちました。人類は、21世紀に積み残してしまった地球全体の危機的課題の解決に向けてどれ程前進できたのでしょうか?SDGsは、人類史上初の世界規模における共通目標として始まりました。期限は2030年です。この時までに、人類がこの目標の達成に向けて、どの程度実践できたかによって今後の地球の未来が決定付けられます。もし、うまくいかなければ、地球の未来は確実に悪化の道に向かいます(と多くの科学者が訴えています)。私たち大人は、運よく80年そこそこの人生を得た中の、その一部の期間、危機を体験するだけに留まれますが、これから生まれてくる子供たちにとってはどうでしょうか。
「こんなに辛く厳しい環境ならば、生まれて来なかった方が良かった」 「2020年頃に生きていた大人たちが、何もしなかったことによって、地球がこのようになってしまった」 「責任は誰にあるのか?」と叫ぶことでしょう。
今の大人たちが、今の世の中の現実を受け継ぎ、作り上げてきたという自覚と責任を持ってしたならば、現在のこの地球の有り様に対し、「俺は知らん」「私には関係ない」「もう何もどうすることもできない」と放置をすることが、どれほどまでに罪深きことであるのか。そうした”反省”も込めて、自戒の念を込めて、このSDGs超基礎講座を開催することにしました。2018年頃より、日本においても、小中学、高校、大学にて、SDGsに関する科目や、学科が次々と作られ、基礎的な知識のみならず、自ら課題解決に向けて実践を続ける子供たちが急増しています。その子供たちから、SDGsのことについて尋ねられて、もはや知っているふりや、否定をすることは出来ません。子供たちは、大人たちの振る舞いや言動を見ています。「このあなたたちが作り上げてきた課題ばかりの社会を、どうしていくつもりなのか」と。もう、もはや恥ずかしくて知らんぷりをすることなど、到底出来ません。必要のないプライドを振りかざして、SDGsを否定するのは止めにしませんか?ご一緒にSDGsの真の在り様、そして、これから一人の人間として、何をするべきなのか、ご一緒に考えていきませんか?
(自戒の念を込めて) 藤井啓人
■日程:2024年12月3日(火)20時~22時 〔他開催日程〕※毎月1回~2030年まで継続予定 2025/1/7, 2/4 , 3/4 , 4/1… ※毎回第1火曜20時~を予定 ※変更日程あり
■形式:オンライン(Zoom)
■内容: ・毎回、Today’s themeの内容は、その時の情勢によって変わります。テーマの投げかけを行いますが、教える講座ではなりません。 ※どの回から参加をしても大丈夫な仕立てにしております。 ※SDGsの超基礎情報から最新情報、実践的な事例などを取り扱います。 ※参加者と緩やかにつながり、共助、協働できるコミュニティを少しずつ作っていきます。
■参加費:チケット制 https://kanglo-sdgs20241203.peatix.com/view ・1回分チケット:1000円 ・5回分チケット:3500円(1回あたり700円) ・10回分チケット:5000円(1回あたり500円) ※小中高大学、大学院生は無料(無料のチケットでの登録をお願いします) ※チケットは、連続して使う必要はありません。ご都合に合わせて無理なく、ご参加下さい。 ※既に未使用のチケットをお持ちの場合は、主催者に参加の旨、一言お知らせください。
■参加対象: ・どなたもご参加頂けます(SDGs超初級者、初級者向け) ※小中高大学、大学院生も大歓迎 ※大切な家族、お友達、会社の同僚の皆さんもお誘い合わせの上、ご参加ください。
■申し込み方法: ・Peatixよりお申込みを頂くと、ZoomURLが発行されます。 https://kanglo-sdgs20241203.peatix.com/view ※できるだけ毎回参加してみてください。やがて、自分自身の中に、何か軸のようなものが出来、判断をする時のモノサシを持てたような実感が生まれてくるでしょう。
■企画・運営・ファシリテイタ:藤井啓人(ふじいひろと): ●茨城県東海村出身。高卒後、上京し新聞配達をしながら予備校に通い筑波大学に入学。4年間、体育会硬式野球部に所属し選手と2軍監督を経験。1992年に㈱リクルート入社。12年間、組織・人事コンサルティング事業に従事し、約2000社の企業の変革に携わる。社内表彰制度で全国MVP・部門MVPの受賞計8回。 ●2004年に独立し、事業再生コンサルティングのマネジメントリコンストラクション社を設立。2010年5月カングロ㈱ 代表取締役に就任。独自のサステナビリティ・イノベーティブ・コンサルティング事業開始。 ●米国で「今最も羨望の注目を浴びる企業」とされるオンライン・リテーラーのザッポス社のハピネス経営、「社員をサーフィンに行かせよう」「レスポンシブルカンパニー」の題材となっているアウトドア用品メーカーの米パタゴニア社を研究し続け、これまで約1000社3000名のビジネスパーソンにセミナーや勉強会等でその真髄を伝えてきた。 ●2012~2016年には西アフリカのナイジェリア連邦共和国にて合弁会社を設立し、水問題、エネルギー問題、食糧問題、環境問題を日本のテクノロジーで解決するソーシャル事業も行う。 ●2013年以降、システムD研究会、自転車事故防止委員会、セブメディの会を設立、「懐かしい未来プロジェクト��HOOPS!)」「サステナ塾」を開始し、持続可能な地域社会の実現のために人間本来の役割を思い出すためのあらゆる「体験」の場と機会を提供している。 ●2024年10月1日にカングロ㈱代表取締役を退任。日本社会事業大学、茨城県農業大学校営農塾入学。農福連携×アート事業の為のNPO法人設立準備中。 ●自転車のある生活をこよなく愛し、年間約1万kmを走破する。これまでの趣味はゴミ拾い、ウルトラマラソンランナー、トライアスリート。
※【ダイジェスト版動画】講座特別映像をご視聴頂けます: ガザ危機~世界には、本当に平和が訪れるのか?/第63回(2024年10月1日) https://youtu.be/0dO7yGGaHpM
アメリカ大統領選のゆくえ~世界は本当に変わるのか?/第62回(2024年9月3日) https://youtu.be/exIiXly4xNM
ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ~人類は、核兵器を捨てることが出来るのか?/第61回(2024年8月6日) https://youtu.be/DhYhJplXjdM
シンギュラリティの真実~人工知能革命の先に起こること/第60回Aniv.(2024年7月2日) https://youtu.be/BmaZb6xL5-Q
人間のゾンビ化を止めろ!人間という種の退化が始まっている/第59回(2024年6月4日) https://youtu.be/LaYpV4TiNO8
自然災害の激甚化がもたらすもの~人類は生き残れるのか?/第58回(2024年5月7日) https://youtu.be/bLZOiSM-7EI
サステナビリティ3.0~企業の外部化されたコストを内部化する/第57回(2024年4月2日) https://youtu.be/l-uH0EsX6B4
世界の福祉の実態/第56回(2024年3月5日) https://youtu.be/FOsEj6EdWQI
世界の農業の実態/第55回(2024年2月6日) https://youtu.be/v-R9SJaRk2w
地球のケアテイカーになろう/第54回(2024年1月9日) https://youtu.be/vACtwR96iIg
グレートリセットとは何か?/第53回(2023年12月5日) https://youtu.be/x-CW0tPLtzE
戦争が無くならない本当の理由/第52回(2023年11月7日) https://youtu.be/ISZKjSPep0k
変質化した異常火災について/第51回(2023年10月10日) https://youtu.be/OLS2ds5pwic
2030年に起こることを想像してみよう/第50回Anv.(2023年9月12日) https://youtu.be/ODgY-z-vY0I
SDGsのスーパー事例を集めてみた!/第49回(2023年8月1日) https://youtu.be/pbLHzt08_hU
SDGsはもう終わったのか?SDGsの本当の目的を探る/第48回(2023年7月4日) https://youtu.be/lXrA8KV88zY
Wind(風)について考える~風の神秘/第47回(2023年6月13日) https://youtu.be/QtDcfxztkWE
Fire(火)について考える~火の神秘/第46回(2023年5月2日) https://youtu.be/owWgezVx46g
Soil(土)ついて考える~土壌の神秘/第45回(2023年4月4日) https://youtu.be/f3IQ7Y7CVo8
Water(水)について考える「第4の水の相」の神秘/第44回(2023年3月7日) https://youtu.be/VBB9A5qC-7c
宇宙開発の真実/なぜ今、加速化する宇宙開発?/第43回(2023年2月7日) https://youtu.be/LaOkFIBHW98
超メタバース社会を検証する~私たちは異次元を受け入れるのか/第42回(2023年1月17日) https://youtu.be/9SD6WBMxKfE
COP27を検証する~もう私たちは間に合わないのか/第41回(2022年12月13日) https://youtu.be/R_ceFx0TbOw
総貧困化社会~私は大丈夫の妄信/第40回Aniv.(2022年11月1日) https://youtu.be/7Y0gZwjylak
大災害が来る~何を心得、何を備えるべきか?/第39回(2022年10月4日) https://youtu.be/NsEv0mQfvQs
核兵器~人類は、また使うのか?/第38回(2022年9月6日) https://youtu.be/TtxvRAm7m3g
超脱炭素社会の到来~本当の目的とは何なのか/第37回(2022年8月9日) https://youtu.be/FPKsy4HS7u8
超食糧危機に備えよ~食糧危機キャンペーンの真実/第36回(2022年7月12日) https://youtu.be/LO4iQL9YcfA
人と人との関係を考える~人と人が支え合い生きていくこととは/第35回(2022年6月14日) https://youtu.be/OyxWiEGPGfw
働き甲斐とは何かを考える~人は何故にはたらくのか/第34回(2022年5月10日) https://youtu.be/emPiTtkimPA
本当の健康を考える~人は何故に生きるのか/第33回(2022年4月12日) https://youtu.be/B_h6wRitTbY
生命活動の源であるエネルギーのことを考える/第32回(2022年3月8日)https://youtu.be/A4CxeazfnxE
地球の空気の奇跡を知る~あなたが知らない空気の話/第31回(2022年2月8日) https://youtu.be/LtJIbXfR_I0
質の高い教育とは一体何か?本質に迫る/第30回Anv.(2022年1月11日) https://youtu.be/XP129td-nU0
フルバージョン動画はこちらで視聴頂けます。大人のためのSDGs超基礎講座・全アーカイブ動画集(有料コンテンツ) https://vimeo.com/ondemand/kanglosdgs
■企画・運営:SDGs超実践者委員会(SSPC)、カングロ株式会社 https://www.kanglo.co.jp/ 協力:サステナ塾/システムD研究会/イノベーションサロンZ/ショック・コヒーレント・イノベーション・クラブ/フィロアーツ研究会/懐かしい未来へ・どんぐりヴィレッジプロジェクト https://for-good.net/project/1001029
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AI による新たな時代の Google 広告
Google Marketing Live(英語) を初めて開催した 2013 年当時、広告業界はモバイルへの移行という大きな変化の渦中にありました。それから 10 年が経ち、今度は AI がこの業界を一変させています。 AI は Google 広告の基盤であり、長年にわたり広告運用にかかっていた時間を効率化し、投資利益率を最大化できるよう、見えないところで静かにサポートしてきました。スマート自動入札などの機能から、P-MAX のような AI を全面的に活用する製品まで、この 10 年間に私たちが開発した多くの製品の基盤となり、あらゆる規模の企業の成長を後押ししてきました。 本日米国で開催した Google Marketing Live では、新たなジェネレーティブ AI の進化により、マーケティングを AI を中心に据えた方法へと変化させる製品や機能を紹介します。これにより、皆さまの意思決定や問題解決を助け、創造性を向上させていくことに貢献していきます。 チャットで広告運用の煩雑さを軽減 企業の方々から、新しい広告キャンペーンの立ち上げや運用は負担に感じることがあると伺うことがあります。そこで、本日より、Google 広告管理画面内で、自然言語による新たな会話型の設定サポートを利用できるようになります。これは、皆さまの専門知識と Google AI を組み合わせることで、キャンペーン作成を効率化し、検索広告の運用を簡略化できるよう設計されています。 該当のランディングページを入力するだけで、Google AI がそのページを要約し、キャンペーンと関連性が高く効果的なキーワード、広告見出し、説明文、画像などのアセットを生成します。実際にキャンペーンに適用する前には、これらの提案内容を確認し、簡単に編集することができます。ここでは、キャンペーン効果を向上させる方法についてチャットで相談することも可能です。まるで同僚に相談するかのように、Google AI にアイデアを求めることができるのです。 広告運用者 が Google 広告 の AI と会話して新キャンペーンを作成している画面のスクリーンショット 昨年、検索広告向けに、ランディングページや既存の広告のコンテンツを使用して広告見出しや説明文を生成する自動作成アセットの提供を開始しました。近日中に、ジェネレーティブ AI でこの自動作成アセットが強化され、クエリのコンテキストに基づいて検索広告をより効果的に作成し最適化していきます。 例えば、「乾燥敏感肌用スキンケア」という検索では、AI はランディングページや既存の広告のコンテンツを利用して「乾燥した敏感肌をいたわる」というような、クエリによりマッチした新しい広告見出しを生成することができます。 これにより、ブランドイメージを守りながら広告の関連性を高めていけるのです。 ジェネレーティブ AI によって作成され、Google の検索結果ページに表示された検索広告 P-MAX におけるクリエイティビティの強化 P-MAX は、AI を活用したキャンペーンがビジネスの成長を促進することを最も良く示す例の 1 つです。P-MAX を利用している広告主は、同等のコンバージョン単価でコンバージョン数が平均 18% 増加しています。これは、およそ 1 年前の 13%増���の実績(英語)より向上しています。 今後、この P-MAX にもジェネレーティブ AI を導入していきます。これにより、わずか数クリックでカスタム アセットを作成し、より簡単に規模を拡大できるようになります。ウェブサイトの情報を提供するだけで、Google AI がブランドについての学習を開始し、キャンペーンにテキストやその他の関連アセットを追加します。さらに、専用の画像を新たに生成して提案し、より幅広い広告枠とフォーマットで顧客に情報を届けることができるようになります。 この機能は、Google 広告の新しい会話型の設定サポートからもご利用いただけます。 ジェネレーティブ AI で作成された画像アセットなど、 P-MAX 新アセットの作成フロー また、新規顧客と既存顧客の双方から収益を上げやすくするため、Google 広告は「新規顧客の獲得」目標を強化し、さらに P-MAX キャンペーンのリエンゲージメント目標による運用もサポートします。 ジェネレーティブ AI による新たな広告体験 Google I/O では、Google 検索に新しいジェネレーティブ AI 機能を導入(英語)することを発表しました。これらの新しい体験は、Google 検索をよりスマートに、よりシンプルにすると同時に、人々を最適なウェブの世界へと導きます。もちろん、皆さまのビジネスも含めてです。Google 検索の未来が進化すれば、広告の未来も進化します。ブランドのメッセージを届け、ビジネスを成長させる機会も増えます。 この新しい検索ジェネレーティブ機能(SGE)は、Search Labs から Google 検索のテストにご参加いただくことで、試すことができます (現在は米国のみ) 。私たちは I/Oで、新しくなった検索結果ページの上下部分にどのように広告が表示されるか紹介しました(英語)。今後段階的に、AI によるスナップショットや会話モードの中に直接組み込まれた検索広告やショッピング広告をテストしていく予定です。またジェネレーティブ AI を使用して、ユーザーの検索過程のあらゆる段階に合わせてカスタマイズされた関連性の高い高品質な広告を生成する、検索ジェネレーティブ機能(SGE)をベースとした新たなフォーマットもテストする予定です。 例えば、「マウイ島でできるアウトドア アクティビティ」を検索している人が、さらに「子供向けのアクティビティ」と「サーフィン」について調べるために検索クエリを絞���込んだとします。すると、子供向けのサーフィン教室を提供する旅行会社の広告といった完全にカスタマイズされた広告が表示されます。 これまで同様、私たちは検索結果の透明性を担保し、広告とオーガニック検索結果を区別して表示します。検索広告が表示される際には、引き続き、業界をリードする明確で透明性のある広告ラベルである、黒の太字での「スポンサー」ラベルが付きます。 AI による会話の自然な一部として表示される SGEの 新しい広告フォーマットのスクリーンショット AI の活用とユーザーのプライバシーを重視する未来 広告収入によって支えられるインターネットが長期的に持続していくためには、ユーザーとの信頼構築が不可欠です。Google は、ユーザーのプライバシーを重視したAI による Google 広告製品によって、企業の皆さまがビジネスを推進しやすいよう努めていきます。来年、Chrome でサードパーティ Cookie を段階的に廃止(英語)していくのに伴い、Google の広告チームは、皆さまが今後も関連性の高い顧客に広告を届け(英語)、その効果を測定できるよう、プライバシー サンドボックスの新しいプライバシー保護シグナルを積極的にテストしています。 これらの広告製品は Google の AI 原則(英語)に基づき、皆さまのビジネスを成功に導くよう設計され、ビジネス、マーケティング、達成される成果が Google AI によって拡大する可能性を秘めています。これまでと同様、まずはテストを進め、その過程で皆さまからのご意見を伺っていきます。 発表内容についての詳細は、基調講演と講演後にオンラインで行われたセッション(英語)をご覧ください。また、キャンペーンを成功に導くために Google 広告で AI を活用する基本となるベストプラクティスリストもご確認ください。 Posted by Jerry Dischler, Vice President / General Manager, Ads http://japan.googleblog.com/2023/05/ai-powered-ads-GML.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=tumblr Google Japan Blog
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㊗️平成から令和へeve 家族麻雀大会🀄️ 叔父が心をこめて使った麻雀牌のインスタレーションを前に戦闘モード(^◇^;) 今宵こそ目の覚めるような手で上がりますわよ、と取らぬ狸の「出ると負け(・・;)」雀士のアタシ😅 『勝負事の必勝法を問われたら、答えたい。自信をつけることであると。自信のない方が先にオリる。麻雀は、技術が同じなら、オリの早いほうが負けである』(麻雀放浪記より、我が敬愛するドサ健の言葉💕) 日をまたいで半チャン8回、自信まんまん跳満倍満威勢良く振り込み、ハイ、ひとり負けマイナ35(・_・; でも、代替わりを粛々と、ではなく、こうしてウキウキしたお祝いムードで迎えられる幸せに感謝、の平成残り2日の夜です🌛 でもやっぱ、勝ちたかったなぁε-(´∀`; ) #実は麻雀放浪記が愛読書の湘南ガール #独語仏語英語日本語が飛び交うグローバル麻雀 #平成から令和へ #平成最後の海街 #サーフィン #サーファー #サーファーガール #湘南 #surf #surfgirl #umimachidiary #surfing #surfer #shonan #mahjong https://www.instagram.com/p/Bw2Xu72gXLp/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=5a7tzpuyps6b
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《あなたの知らない奔流中国の旅》
前書き:
前から奔流の参加者の思いが募る文集を作りたいと思っていた���張さんは旅に生きていた。自分の思想を人に押し付けることなく、��つも自分らしく自由闊達に生きていた。その生き様は、一つの芸術作品のようでもある。私たちも張さんから受け継いだ精神というべきかその思想を何らかの形で残したいのだが、文字にしてしまうとそれはとても小さく見える。私たちの旅は書き尽くすことができない。しかし、今は奔流にとって大変な時。自分たちの青春の中でもっとも素晴らしい思い出を、生涯の誇りを守るために、ここで一丸となり、形のない、奔流という旅を語り合いたい。奔流は人の流れ、私たちの中への流れでもあるのだ。
そうして気づいたことは、自分を深く見つめ、深く知り、世界を深く見つめ、深く知り、世界と自分を深く思索することで、奔流の旅は私たちの未来にもつながる。 この旅の意義を社会に証明し、あなたの今まで見ることのできなかった世界とも出会ってほしい。
そんな世界を提示してくれた張宇氏に感謝!
奔流中国 参加者 2020年1月
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旅は芸術
私は旅をしたくありません。世界各国をめぐられた私の仲間たちには申し訳ないのですが、旅を積み重ねたところで善い人生を 送れることなどなく、また優れた人格を形成できるわけでもありません。むしろ若く貴重な時間を無駄にし、虚しく偽りの自信に捉われる危険性を持つ旅を、私たちは忌避すべきです。このことはアウグスティヌスが鋭く言い表しました。
「人びとは外に出て、山の高い頂、海の巨大な波浪、河川の広大な流れ、広漠たる海原、星辰の進行などに賛嘆し、自己自信のことはなおざりにしている」
(『ルネンサンス書簡集』近藤恒一編訳より抜粋)
まさしくこの言葉の通りで、我々人間は自然の現象ではなく自らの精神の鍛錬、つまり日々の生活こそを大切にし、より善く過ごせるように努めるべきです。成し遂げたい目標があったり、大きな夢がある場合は、なおさら時間と金銭の浪費となる旅は避けるべきではないでしょうか。だから私は、旅をしている時間があるのなら、日々の日課に打ち込み、与えられた仕事を精一杯こなした方が遥かに自分のためになると考えています。それをせずに旅ばかりにうつつを抜かしているとすれば、それは現実逃避以外のなにものでもありません。
ところで、今このように述べ上げたことは、これから私が話す内容とは無関係です。この話はここで忘れて頂きたい。私がどうしても話したいことはもっと別の問題なのです。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラーという人物をご存知でしょうか。彼は二十世紀を代表する伝説的指揮者で、クラシック音楽界に与えた影響は計り知れず、死してなおその威光は輝き続けています。彼の演奏は心の奥底に響き、魂を揺さぶり、ひと度その演奏を体験すれば、人は音楽そのものの意味を再考せざるを得ないと言います。彼の著書である『音と言葉』には、その偉大なる人物の心に汪溢する音楽への愛念が滲み出ています。自著の冒頭にて、彼は「すべて偉大なものは単純である」という箴言を用います。この言葉こそ私がこれから拠って立つ原点であります。
なぜ偉大なものは単純でなければならないのか。この言葉は芸術家のためのものです。単純とは「全てを見通して正しくその全体をつかむ」という意味で、ここでの全体とは「この世界を全様態において反映する、世界の分離した一部分」です。つまり、この世界の一部分の全てを正しく見通している作品が、偉大だということです。このように世界を作品の中に単純化することは容易ではありません。不断の努力から得られる強靭な力と、意識の変化を鋭く読み取る直観がなければそれを成し遂げることはできません。芸術家にとっては、作品は単純であるからこそ偉大たりえます。
・・・・・・
ところで、私は2011年9月、奔流中国グレートキャラバンの旅に出ていました。バインブルグ草原やゴビ砂漠を、時には馬で駆け、時にはギターを弾き歌を歌いました。そこでの生活は至極単純で、本当の意味での旅がそこにありました。朝起きて、日中は馬に乗り、夜は食事を火を囲みながらとり、歌や踊りを楽しみながら目的地を目指す。その生活の中にいったいどれだけの苦痛と喜びが混在していたことか!
この旅行の引率者でありNPO法人の代表である張宇氏は、「旅とはアートである」と言います。旅が芸術だと一般的には受け入れ難いでしょうが、まさに旅とは芸術そのもので、世界のさまざまな要素を時間と空間に閉じ込めて、人びとに体験させるものです。私たちが体験した場合では、圧倒的な自然やそこで暮らす人びと、馬や遊牧民たち、歌や踊りとそれらの全てを通じて私たちの心の中に湧き上がる感情を要素として、限られた時間と場所に旅の芸術が集約されていました。音楽が時間の芸術と言われるに対し、旅は時間と空間の芸術と言えます。もっと突き詰めて言えば、旅とは人生そのものを有限的な世界に表現する芸術です。青く広大な空やその中を飛ぶ白鳥も、また雄大な草原やその中で咲くエーデルワイスも、あの旅の要素の一つでした。
ですから、この場合も芸術として旅を見るならば、それは単純であるべきではないでしょうか。古代シルクロードはまさに旅を人生とした人たちによって作られていきました。もちろん彼らは日々を生活する人間であり、決して旅を創り出す芸術家ではありません。ですが、私たちが体験した古代人が創り出したシルクロードへの旅は、なんと芸術的だったことか!そこには人間の人生そのものが、単純に集約されていました。人が生きていく上で求める最初の根源的なものと、日常生活を善く生きるために必要な知恵や力を、私たちは擬似的に体験したのでした。あの旅は張宇氏の人生そのものでもあり、私たちの人生そのものでもありました。思うに、全ての芸術において最も大切な始源はこの点にあります。
つまり、どんな芸術も、最初はそれを創り出す人、または体験する人の人生そのものでした。それこそが偉大なる単純さの源であり、私たちに感動をもたらす泉です。そこから芸術は大いなる奔流となって人びとの生活を満たしていったのです。
私ははじめに、旅などしたくはないと言いました。しかし今となっては、声を大きくしてこう叫ぶことができます。
旅をしよう。記憶に新しいあの旅が私たちに教えてように、日常を旅しよう。それが芸術にとって、また人間にとって大切なことなのだから。
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奔流の旅
奔流の魅力は旅、そのままの姿を体験できることだと思う。予定外想定外のことが起こるのが旅だ。人生だって同じ、予定表なんてない。思い通りにいかない事もあるし、思いがけない幸せもある。 馬が来なかったり、6時間飲まず食わずでぶっ通しで砂埃の中を走ったり、氷点下の中で寝たり、肉体的精神的苦痛が伴った。だからこそ普通の旅行では味わえない絆が生まれる。
この旅は素材であり、それを使っていかに自分の求めるものを創りあげるか。そこに他人からの評価はいらない。上手く出来たら誇らしげにその喜びを仲間と共有すればいい。上手く出来なかったら取り組むべき課題を見つけられたと喜べばいい。いずれにしろ昨日の自分よりは一歩前に進んでいる。 毎年の事ながらこの旅は参加者各個人の内に秘めた力を見事に開放させる。旅を終え、皆キラキラした目でやりたい事を語り、出発前より元気になって帰ってくる。 奔流の旅は、ひと夏の草原の思い出ではなく、新たなスタートである。
私は今年、以下のインスピレーションを頂いた。私はこの牧場を必ず設立させる。私の旅は始まったばかりだ。
それに向けてのまず第一歩は、日々の仕事を着実に頑張ること。夢を大切にし素直に生きる張さんからそれを学んだ。
『奔流牧場』 【コンセプト】”創造”、"絆"、”国際交流”、”楽しい!”、”人材育成”、”挑戦” 【概要】日本の若者に情熱と感性を与え続けてきた奔流。たくさんのエネルギーとインスピレーションを頂き、たくさんのことを学びました。そんなパワーステーションを日本にも作りたいといこうことで設立したのがこの牧場です。忙しい日常から離れリラックスするとともに、時代に流されない美しさ強さを再認識し、新たなスキルを習得できるような牧場です。週末に家族連れて気軽に遊びに来てください! 【設立】20XX年 【場所】湘南国際村(東京から近い、古都鎌倉から近い、海が近い、富士山が見えるetc)
【施設概要】 ・牧場:乗馬 ・農園:organicな感じで。 ・Cafe/Restaurant:牧場・農園からの食材で。 ・Lounge:暖炉を囲み、夜通し語ろうぜ! ・Lodge:基本は青空ゲル(寝袋/銀紙シート提供有)。希望者はlodgeに泊まれます。 ・Dormitory:世界からの留学生が短期/長期滞在できるように。 ・Studio: Language:各国の留学生から直接指導。 Fitness:乗馬/ジム/武道/ダンス/ヨガ/水泳/ゴルフ/テニス/サーフィンetc Art:写真/映画/絵画/音楽etc Japanese culture ”道”:茶道/書道/華道etc 世界に誇る日本の”道”。 Business:第1線で活躍しているbusiness person(君達のことです。)によるセミナー講座。 料理教室:各国の食文化の継承と創造。 ・温泉/プール ・大富豪ルーム ・Gallery: 奔流中国の歴史と変遷。 遊牧民の文化や生活を写真/映画/音楽で保存。 ・茶室:日本芸術の粋。 ・図書館:世界の絵本・各種専門書・自習室。 ・診療所:健康講座・人間ドッグetc ・国際協力:海外留学・留学生の受容。そこから生まれる新たな発想とそれらが生かせるような仕事の創造。 ”医療チーム派遣”:世界の無医村へ医療提供キャラバン。 【リンク】奔流中国主催者張宇氏による”パインブルグ乗馬基地”:シルクロードの中央に位置し、世界の若者や芸術家たちが集い、旅の心を知り馬のスピリッツを共有できる奔流の本山。東方騎馬文化の保全とともに騎馬文化から生まれたファッションブランド基地でもある。
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「人馬一体」に生きる
「切り撮る」×「切り開く」=「突き抜けMAX」…!?
旅の3A,それは人生の3Aでもある―Adventure・Amazing・Art。
冒険心をもって自分自身を世界に投じるところに美しき発見があり,驚嘆がある。それは写真活動にも似て,限りない可能性から,かけがえのない意味とエネルギーに満ちた絵(私自身)をフレーミング(創造)してゆく営み(Art)でもあろう。……(略)……大学を卒業してちょうど10年,社会実践(職場)と研究活動(大学院)に股をかける両立生活は今,自分の中で間違いなく大きな節目を迎えている。「苦悩と渇望」にあって,そこにどんな風景を,どのように切り撮って焼きつけることができるだろうか?(参加動機書より)
キャラバン前に綴った私の思いである。なんとも浮き足立った感が否めない。けれども,少なくとも何かはこの旅に求めていた。頭でアレコレ空想してもダメだ,とにかく自分の足と体を動かそう,そうしたら頭と心も働くはず…そんな思いでついに奔流へ飛び込んだ。
キャラバン中,そしてキャラバン後,心の中にずっと離れず残り続けた,あるおぼろげな風景があった。この文章(旅の証)をまとめるプロセスは,その風景にピントを合わせ,できる限り見通しよく視覚化し,時を得てシャッターを切る(言葉化する)機会となった。あえて最初に屁理屈な結論を先取りすれば,私はこの旅を通じて,ある究極的な華々しい「何か」を得たというよりは,その何かに到達するための,「術」とか「コツ」というものを身につけたように思う。そのために切り撮られた風景は,全くもって想定外だったが…。
さて,中国の表玄関・上海を皮切りに,我々キャラバン隊の進路はひたすら西へ,西へと向かった。奥行きの深い壮大な自然と,そこに堆積する時の厚みにひたすら圧倒された。その我々を運ぶ列車やバスも,強い風雨や泥にまみれ,険しい地形とうまく格闘しながら,黙々と邁進し続けた。その時々の思いは,まるで流れゆく雲のように,旅仲間の思いとくっつき,変化しつつ膨らみ,ゆっくりと漂い,やがて心地よく彼方へと消え去ってゆく…そんな繰り返しだった。そしてついに,この旅の珠玉の乗り物である「馬」にありついた。
乗馬初日から,しかも初めて乗る馬で,いきなり草原を颯爽と駆け回ったあの感慨は,奇跡だと思った。そして小高い丘から見渡す蛇行川,またそこに強く差し込む夕刻の斜陽の照り返しは,ただただ雄大で,豊かで,固唾を呑むしかなかった。そんな心地に導いてく���たその馬に,私は躊躇なしに感謝と愛着を抱いた。
事態が急変し始めたのは,舞台が砂漠に移ってからのことだった。事情あって私の乗る馬は日替わりとなり,馴れない悪戦苦闘の繰り返しが余儀なくされるということもあったが,さてここからは,砂漠上の事故と二次被害を防ぐ策としてとった「基本,並足一列」のキャラバン隊の風景に,話の焦点を絞っていきたい。
容赦なく照りつける直射日光。そこは気候と地形の条件が実に厳しかった。何の潤いも楽しみもない。ただひたすら,相も変わらず馬に乗って進むだけ。次第に疲労感と徒労感に包まれる。皆,口数も少なくなる。引き戻せない辛さ。せっかく馬に乗りに来たのに…。喉カラカラ。命カラガラ。荒涼殺伐~まさにそこは「無味乾燥」地帯!
そして次のような自問自答が,自分の頭を支配し始めた。
「360度見渡す限り,一体どこに方向を定めればここを切り抜けることができるのか?」
「そもそも自分は一体,何のために今ここにいるのか?」
しかし,しばらくしてふと,同じ頭の中でこんなシミュレーションもしてみた。
「この“空虚”な状況下で,ただ一人取り残されたら絶望的だ。だが,もしもここから切り抜けられる可能性があるとしたら,それは一体どのような仕方においてか?」
この問いにおいて,自分にとって絶対不可欠と実感するものが,大きく三つあった。
①キャラバン隊であるということ:【心のシャッター】
実は自分だけが苦しいのではない。皆たいてい辛かったはずだ。にもかかわらず,否,だからこそ,そこには労り合いや励まし合い,分かち合い(特に水!)が自然発生した。
やがて互いの心に動きが起こり,潤いが生じる。他人同士だった者が仲間となってゆく。そこに,先を目指すための燃料と何某かの風景が,胸の内に「切り撮られ」ていった。
②馬の存在~馬とのリズム:【人馬一体】
とはいえ,仲間の力だけで切り抜けられるほど甘くはない。何らかの術が必要である。そこであらためて,「馬」である。今ここに,途方に暮れる私と共にいる馬。その意味で,馬ははじめ私を目的地へと運んでくれる「道具」であった。しかし,自動ではない。故に手綱をしっかりと握り締め,馬を技術的に支配し,甘えさせることなく走らせるのだ。
ところが言うまでもなく,一方的な支配関係ではダメだ。馬にも体力や性格,そして心がある。こちらが縦になおも鞭打てば,そのうち馬にも限界が来る。反抗的にもなろう。だがそうかといって,そこで安易に無為に甘やかせすぎてもいけない。馬も人を見ている。いつの間にか,今度は自分が馬に支配されてしまう落とし穴と,隣り合わせなのだ。
この,支配か-被支配かの次元を超えて,馬をうまく乗りこなすというのは実に難しい。そしてキャラバン内でのこの見えざる孤独な葛藤…それは馬の数だけあったことだろう。しかしそれだけに,馬に乗るという動作には,異次元の奥深さがあるということでもある。
ところで今,「馬に乗るという動作」と言ったが,これは果たして,「人が,技術的に(うまく),馬に乗る」というだけの意味だろうか。ここで少し見方を変えれば,それは「馬が人を乗せる」,あるいはこれを,なお自らを主体として表現し直すなら,少なくとも,「馬に乗せてもらっている」という謙虚さが伴うはずの次元とも重なり合いはしないか。
馬との関わりの困難さ=奥深さが突きつけられた今,もはや私の側のvisionに沿った思惑だけで推し進めることはできない。それを相対視し,それを実現してくれるはずの馬の側の心情や呼吸に沿うこと,ひいては,馬の魂の域にまで触れ合うような私自身の息遣い,心遣いが求められるのではないか。馬は人を見ているのである。いみじくもここのところ、張氏は「なるべく馬は乗り換えず,一つの馬に乗り続けるように」と何度も強調し続けた。そしてそのことに忠実に成功した何人かの参加者の感慨は,実に豊かで,何かを見通せるほど透き通っていた。馬と格闘し,「変化」と「一体」をものにしたかれらの言葉は,心からの喜びそのものだった。馬との不可抗力的な相性の良し悪しを超え,時宜に叶ったタイミングや仕方で馬と呼吸を合わせ,「手綱」の意味を豊かにし,新たなリズム���生み出してゆくこと。この馬との共鳴,あるいはもはや,主体と客体が未分化した境地でまさに文字通り「馬が合う」こと。果たしてこれが,古より受け継がれてきた「人馬一体」の神髄に,幾ばくかでも迫るものとなるだろうか…。
③鐙(あぶみ):【足場の確保】
「人馬一体」への補足として、本能的に常に不可欠としていたものに,「足場感覚」がある。初めての乗馬。スピード感覚よりもバランス感覚に慣れない。死の恐怖がよぎる。そんな時,再び張氏の言葉で印象的だったのは,足場を担保する「鐙」への足のかけ方に関する助言だ。「足は鐙に深く入れない。いざという時,足が外れにくくかえって危険だから。けれども,
単に足を飾りのように「置く」とか「乗せる」というのでもない。踏ん張るのだ」。
この絶妙な言い回し。力みすぎず,油断もしすぎず。心身の安定を支える「足場」は,実際私にとっては何よりの拠り所だった。しかしそこには,‘絶妙なほど加減’なるものがあるようだ。おそらくそれは,馬と私との間の,身体的・精神的な関わりや呼吸において初めて独自に見出され得る,これ以上ない相応しい着地点としての足場感覚,ではないか。
短い時間で実際に得たものは僅かだが,感じるものはとてつもなく重厚で,大きかった。キャラバン半ば,私がほんの一瞬だけ,馬と共に颯爽と駆け巡っていると体感できたある場面を今思い起こすと,私はあの時,馬に「乗る」というよりは,馬に身を預けつつ「立つ」ていた。あるいはより比喩的に表現するなら,私はあの時,大地の上を,何かに導かれながらも,「親指感覚」程度に,自らの足で一歩ずつ踏み出していたようだ。
以上の三つを,砂漠上で,馬上で,考えていた。そして次第に,このシミュレーションとその前提は,自分のこれまで/これからの生き方とも重なってくる事柄のように思えてきた。「この砂漠上で抱く空虚感は,現実の己が既に抱いてきた心の風景ではないか?」
仕事と研究の両輪を回転させてきた自分。だがその二輪車は,いつしか,ある地点から先へと進むことができなくなっていた。思うにそこには,社会における比較や評価という,値踏みの巨大モノサシが立ちはだかり,自らもその既成の枠の中で「自分の力で,(結局は)自分の満足のために」突き進もうとし,一喜一憂しながら振り回されていた姿がある。
否,もしかしたら,そのはるか前から己の内に通底していたであろう,総じて言えば,これまでの「自己拡張」的な生き方が,今や完全に頭打ちとなり,自らをある一定以上に,大きく突き破らせることができなくなったばかりか,ただただ,孤立感と虚無感という,足場無き深淵の闇に突き落としてしまったのだとさえ言える。そしてこうした自己分裂,ひいては自己無化という結末の境地は,無味乾燥にしか映らずただ徒労感に打ちひしがれていた,「あの」砂漠上での心地にピタリと重なり合ってゆくのを禁じ得なかった。
根こそぎ足元をすくわれ,もはや拠って立つ足場が失われつつある危機にあってなお,何にも揺さぶられず,流され得ない確固たる基盤や自分自身の根本的あり方に飢え渇く日々。これ自体,私の中に「生きんとする志」が潜んでいることを示しているのだろうか。けれどもこの期に及んでは,よもや己の力になおもしがみつこうとする自己執着(我執),ましてや,己の生命やそこに隠された神秘の意味を徒に投げ捨ててしまうような自己放棄,といった極端なあり方に右往左往する愚かさには,もはや甘んじられまい。
…では,どうすればよいか?
それは,苦悩(渇望)をちゃんと「苦悩する」,ということに尽きるのではないか。新たな足場は,どこか他に予め用意されているのではなく,自らの態度のあり方においてこそ,その足元から自ずと築かれてゆくのではないか。そしてそのヒントは,あの「親指感覚」にある。力みすぎず,油断もしすぎず。自ら踏み込んで「立つ」(自力)感覚と,自らを超えるものに身を「任せる」(他力)感覚。自問自答でなく自己拡張でもない,この,ある種緊張を伴う絶妙なる呼応関係。こうして,空虚な深淵にあって「苦悩」はその足場となる。
ところで,「足場」とか「親指感覚」とは,そもそも「馬」の話から出たものだ。そしてその馬は,今や私を単に楽しませ,目的地へと運んでくれる道具のみではあり得ない。私自身の足場を常に問い,確保させた先に,私の夢や信念を叶えてくれる導き主である。否,「人馬一体」の域にあっては,既に馬は私の信念そのものであり,辿るべき道そのものだ。
今回の旅の舞台となったシルクロード,また草原と砂漠を分け隔てた天山山脈にしても,その厳しく壮大な自然条件に我々は幾度も驚嘆し,愕然とした。それまでに抱いていた,ある種のロマンティックな空想は,あの実像を前にしては音を立てて見事に崩れ去った。果てしないのである。とはいえ,我々は既にある程度備えられたコースを,主催者側の最善の配慮のもと安全に導かれていた。その意味で,旅ではあったが真の冒険ではなかった。しかし思うに,この地に初めて足を踏み入れた先代達は,いかにしてあの大地を駆け抜け,あの山々を越えて行けたのであろうか。予め用意された道など無かったはずだ。おそらく,孤独を分かち合う同志と共に描いて切り撮った希望や物語を胸に,まさに未だ知られざる「未知(みち)」なる地平を切り開いていった跡に,自ずと「道(みち)」はできたのだろう。「人馬一体」となって突き抜けたであろう,その真の冒険精神は,今回の旅から響いたメッセージであり,来るべき自らの人生の冒険に向けて,かけがえのない贈りものとなった。
「親指感覚」を起点とした乗馬奮闘記,自己探訪記,歴史追随記,未来設計図…なんとGreatなCaravanだったことか!そして今,確かな手応えとして感じている自由。現実のしがらみに束縛されつつも,真に束縛され得ない境地としての自由。かつまた真に現実へと立ち向かってゆく自由なる冒険心。この旅は非日常ではありながら,しかし,現実逃避した幻や夢物語ではない。冒険という名の私の人生そのものとして,風景を変えてこれからも続いていくのだ。
この旅を導いてくれた人、張宇氏に感謝。
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「〜過去への回帰 そして未来へ〜
奔流中国グレートキャラバンに参加して」
自分自身にとって「グレートキャラバン」の旅に参加するということは
まずは、「過去への回帰」でもあったかもしれません。
2011年5月6日。
私はこの日に大切なものをなくしました。
人生がちょっと複雑になってしまった瞬間。
「生きる」ことがちょっとめんどうくさくなってしまいました。
「記憶を消せるなら消してしまいたい。忘れよう。忘れよう。」
一方、「忘れたい記憶があるから忘れた記憶を取り戻したい。」
そんな欲求にかられていました。
2011年6月23日。
そんな中、14年前、まだ大学2年生だったころ、
奔流のシルクロードの旅で出会った張さんをはじめとする仲間と再会。
14年前と変わらない、でもちょっと大人になった人たちの笑顔。
忘れていたものをまず1つ取り戻した瞬間がありました。
そして、聞かされた、「グレートキャラバン」という旅のこと。
「馬で旅をする」しかも
「かつて商人たちがアジア、ヨーロッパ間を馬で走っていたであろうシルクロードを馬で駆け抜ける」
「この21世紀になんておかしな旅なんだろう」
「張さんってば最高じゃん!」
私にはちょっとした非日常��必要だったみたいです。仕事の都合をつけて参加することにしました。
そして、記憶にケリをつけるためにあることをしようと、心に誓いました。
2011年9月18日。
トルファンで合流したら、電車の中から出てくる出てくる
たくさんの学生さんたち。
14年前の記憶が一瞬で戻りました。
「おーこの感じこの感じ。19歳のときは、とにかくなにもかも新鮮ではしゃいでいたっけ」
19歳のときに初めて参加した奔流は、その後の私の人生の大きな起爆剤になりました。「あこがれの中国に初めて行けた。しかもあこがれのシルクロード。」
その後、私の学生生活といえばさらに西へ西へ。中国の隣の国、そしてまた隣の国。シルクロードをひたすら旅して、思春期をすごしたヨーロッパへ。
そこで出会った、宗教にからむ紛争、でもその状況下でも笑顔を絶やさない人々。
「この人々のことを伝えたい。」
忘れていたもの、2つめを取り戻した瞬間。
さすがに33歳になった今、あのころみたいにはしゃぐことはできなくなっていましたけど。。。心の中でちょっと興奮状態。
2011年9月19日。
さて、興奮状態さめやらぬままバインブルグ草原で出会った
額には白い三日月の模様、そして背中につむじのあるステキな馬、
つむじちゃん。つむじちゃんは兄弟の馬とつねに寄り添っていました。
もう一目惚れ。なんてかわいいんだろう。
「運動神経ないけど乗れるのかな」
そんな恐怖、不安はなんのその。気づいたら草原を駆け抜けていました。
つむじちゃんの走るときの体温、息づかい、汗、、、
��してちょっと張り切りすぎて自分一頭だけになってしまったとき、
兄弟を探している不安げな表情、いななき、そわそわとしている足取り。
最初は顔を近づけても全然そっぽをむいてしまうつむじちゃん。
でも1日、1日しつこくつむじちゃんを探しては乗っているうちに、そして私も兄弟を探して常に寄り添っているうちに、家族みたいな気分。最後は顔を近づけてくれました。
「かけがいのない存在」「家族」「寄り添う」「体温」「息をするということ」
「生きる」「生きている」「必死で生きて行く」
つむじちゃんにとっての「日常」。
つむじちゃんから学んだちょっとしたこと。
一方、草原は人間を寄せ付けない圧倒的な美しさと厳しさが容赦ない。
圧倒的な静寂。圧倒的な朝日そして夕日。圧倒的な星空。圧倒的な寒さ。
でも、そこに住んでいる人々、そして馬たちにとってはこれが「日常」。
私なんか1人でいたら一晩で死んでしまう。私にとっては「非日常」。
ある日見た、草原のさきにそびえる雪をかぶった山脈。南の方角。
そのさきにかつて訪れたチベットが。。。
「ここにはなにもない」
「でもすべてがある」
忘れていたもの、3つめを取り戻した瞬間。
その瞬間、悪夢のような記憶にケリをつけるのをやめました。
一生私はこの記憶とともに生きて行く。
そしてまたここへ戻ってくる。
そして帰国後、東京である日。こんなことを感じました。
店がオープンする30分前の街のざわめきが好き。いつものざわざわ。
いつものデスクまわりのざわつきが好き。
いつものざわざわ。
日常に感謝。
日常がそこにあるから、生きていく。なんのために生きてるのかわからなくなったなんて考えちゃダメだ。
日常をこなすのが生きて行くことなんだ。
これが私にとっての日常。
そしてちょっとした非日常、奔流にありがとう。
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備忘録
大学2年生の4月、偶然youtubeで西安からウズベキスタンを旅した方のスライドショーを見た。炎のような火焔山、キルギスの石人、サマルカンドの青いモスク・・世界にこのような美しい場所があることを初めて知った。中国には青い目を持つ人々が住んでいることを知り衝撃を受けた。私の中国とシルクロードへの憧れはこのとき初めて生まれた。
私は観光目的でグレート・キャラバンに参加してしまった。そのためがっかりさせられることも多かった。寝台列車の遅延や馬の到着が遅れたせいか、楽しみだったベゼクリク千仏洞や羊さらいを見ることができなかった。このことは今でも心残りだ。
しかしあるとき、私は間違っていることに気付いた。
~シルクロードの旅は観光ではない~
シルクロードという言葉は美しい響きがあるが、私の見たシルクロードはそうでなかった。草原の昼は汗をかくほど暑くなるが、朝は霜が降りるほど寒かった。映像で見た美しい天山山脈も、実際登ると吹雪と霧で前が見えなかった。横を見るとそこはもう崖だった。 シルクロードには多くの国が現れては消えた。多くの血も流れた。旅人も盗賊に襲われることもあっただろう。この旅でシルクロードはデスロードであることを悟った。
それでも古来の旅人は死ぬ覚悟でシルクロードを旅した。何故なら彼らには命をかけても成し遂げなければならない使命があったからだ。
ローマ帝国を目指しシリアまで辿り着いた後漢の甘英
仏教の経典を求めインドへ向かった三蔵法師
莫大な富を求めフビライ・ハンの元へ向かったヴェネツィアのマルコ・ポーロ
この他にも多くの旅人がシルクロードを歩いた。勿論、志半ばで倒れた名もなき旅人も大勢いるだろう。シルクロードを旅するというのは、観光などという甘い気持ちで旅してはいけないのだ。砂漠越えでの喉の渇きと腹痛が、私に教えてくれた。
馬は現代では娯楽のための生き物だが、古の時代はそうでなかった。カザフ人の遊牧民スタッフと相撲を取ったが、相手は屈強な体で私は勝つことが出来なかった。モンゴル人と握手した時、彼らの手の皮がとても厚いことに気付いた。寒暖の激しい草原に住んでいるからだろうか。遊牧民スタッフは皆人懐っこかったが、彼らには勇敢な騎馬民族の血が流れている。火器や戦艦が登場するまで、騎馬民族は世界最強の戦士だった。高速移動しながら矢を浴びせ、高い場所から敵を切り裂く。敵の反撃が始まる前に瞬時に離脱する。馬を操れるというのは、今でいえば戦車や戦闘機を操れるようなものなのだろう。騎馬民族が歴代の中国王朝を苦しめ、ヨーロッパまで攻め上がりユーラシア大陸を支配できたのも何となく理解できた。
~奔流中国~
奔流中国最大の存在意義は、自分の道を自分で創り切り開く人材を世に送り出している点だと思う。大学を長年留年したり、定職につかず、会社を退職し留学へしたり・・張さんや奔流の先輩方を見てみると、社会の枠組みにはとらわれない人が大勢いて驚かされる。先輩方の表情はとても明るく、今の自分に後悔しているという感じは見られない。
彼らは中国の雄大な大地を知ることで、そしてシルクロードを旅することで気付いたのだろうか。
道無き道を旅したシルクロードの旅人のように自らの人生の道を創り全力で駆け抜け、そして歴史に名を残すような偉業を成し遂げる素晴らしさを。
奔流が教えてくれる、我々は確かにシルクロードを旅したのだ。
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昔から女性のハイヒールのコツコツという音が好きだった。
朝の通勤ラッシュ時の渋谷駅で、私は無限の行軍に耳を傾ける。
何故この音は心地よく体に響くのだろう。
今日、前を颯爽とゆく女性の足音を聴きながら、もしかして、と思い当たる節があった。
これは、馬のひづめの音に聞こえはしないか。
面白いことに、音だけでなくそのリズムまで、女性と馬のそれは同じに思えるのだ。流石に人にはギャロップは出来ないだろうけど。
何人ものOLが行き交うコンコースで目を閉じると、大都会でキャラバンしているように感じる。
一方でそう思うと、競うように高いヒールを履き合う女性たちが少し滑稽に思えるのだった。
東京でのキャラバンは、灰色の天井と疲れた二酸化炭素ばかりだ。
エスカレーターは一定の速度で人を運んでいく。
私は朝だからご飯を食べ、昼だからご飯を食べ、夜だからご飯を食べ、そして25時を過ぎたので眠りにつく。
私は日々螺旋階段を一定の速度で登ってゆく。
あの旅は違った。
無秩序という秩序。
例えばゴビ砂漠へ向かう道中。天山山脈越え。
身体が「ここは知らない」「ここは知らない」と呟いている。
髪もゴワゴワ。服も4日間同じ。それでも生きてる。
痛む背中と凍てつく寒さに震える。それでも眠りにつく。
お腹がすいたからご飯を食べる。身体が砂だらけだからシャワーを浴びる。
私はそんな環境の中で、飽きのきていた自分という存在を変えたかった。
変わらないことを恐れた。
しかし、そうしたある種の極限状態の中で私が気づいたことは、私は絶対に変われないということだった。
私はどんな場所にあっても、私として生きなければならない。
空っぽのままだ。
それでも、草原のただ中で、星空を見上げつつ、死にたい?と問いかけると、まだいい、と答える声がある。同時に、でも、死んでもいい、という声も。
それが「生きる」ということだと思った。
プランに沿って、完結しない限りは不満足な人生ではなく、一瞬一瞬をスライスしたときに、それだけでいいと思えるような。
何より、張さん、遊牧民の人たち、そして80人の素敵な仲間に出会えたことに感謝感謝。
愛している、
そう思えた旅だった。
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私は旅が好きだ.でも,旅にトラブルは必ずといってついてまわって,でもそのトラブルからの産物も必ずといっていいほどある.極論を言えば,私はそれが楽しくて毎回旅に出ているのかもしれない.
今回だってそうだった.馬運車が速いスピードで走れないこと,草原には鍵付きの厩舎があるわけではないこと,天候,移動中の諸問題.60人規模の団体旅行と聞いただけでも十分トラブル要素は満載なのに,それに生き物である馬が旅に付随した時,例えば馬が予定通りにこないことも,馬が夜逃げ出すことも,裕に想定の範囲内だった.
草原や砂漠での生活と,衣食住の充実が当たり前な日本での生活を比べた時,草原や砂漠でのそれは,私たちにとって決して豪勢で満足いくものとは言えなかったかもしれない.けれど皆,毎食のご飯の時,ぬるいミネラルウォーターを飲む時,腹の底から「ありがてーー」「うめーーー」と迸るような声をあげていた.極寒の中,明らかに人数と面積があっていない狭いゲルの中で「足を伸ばして眠れることって本当に幸せだよね」と話す声が聞こえた.薪ともいえぬ木々を自ら集めて火を焚いて,ギター片手に仲間たちとただ声を合わせる,それだけのことを皆すごく幸せとしていた.
何時間も草原で待ったからこそ,ご飯を何倍も美味しく感じることができたのではないか.仲間のことをより深く知ることができ,また,このようにトラブルに対する自分の反応を通してより一層の自己覚知ができたのではないか.もし日本で,大都会東京で,同じことを体験したならば,一瞬でも心底“幸せだ”“満たされている”と考えることができる人は何人いたのだろうと,そんなことを何度も考えた.
キャラバン中,馬を乗り替わった時に現地スタッフに「その馬はもう走らせないで」と言われた時があった.馬の疲労は明らかで,出来ることならすぐさま降りて休ませてあげたかった.けれど,「馬で旅をする」このキャラバンでは,休ませては,馬も人も目的地には辿り着くことはできない.馬をどう操つるかも,どの道を選ぶかも全ては乗り手次第なのだ.放牧中に馬が逃げて,皆より少し遅れ��出発した日があった.常に仲間の群れが視界の中にいたこれまでとは異なり,見渡す限りの砂漠に現地スタッフ2人と私だけしかおらず,この時ばかりはまるで自分たちで道を切り開いているかのようだった.馬と自分たちだけしかいないこの状況で,馬を信じることは言うまでもなかった.馬に“乗せてもらう”のではなく,“共に歩む”感覚を覚えた.普段から馬に敬意をもって接しているが,この時ほど馬に感謝したことはない.
キャラバン中は,馬上で見える世界が多くあったように,地上にいなければ見えない世界もまた多くあった.キャラバン最後の2日間,私は仲間よりも馬に乗る時間が少なかった.馬に乗らずにいた間,私が目にしたものはゲルを手際よく片づけ,私たちの荷物をトラックに積んで何往復もしながら次の場所に運んでくれているスタッフの姿と,60人分の食事をたった2人で作るスタッフの姿だった.主催者をはじめとする見えないところでうごいてくれている多くの人の支えがあったからこそ,私たちは,「馬で旅をする」ことが実現できたのではないのだろうか.毎日気付いた時には,ご飯もゲルも荷物も私たちの目の前にある状況.「馬で旅をする」上では決して当たり前なことではないはずなのに,その状況を私たちは勝手に当たり前と捉え,甘んじていた人も少なくないのではないか.参加者のうち何人が,この“当たり前”と思わせる環境をつくってくれていた人々に,直接感謝を伝えていただろうか.私だってきっと十分にはできていない.
これまでのキャラバンで得たものとは明らかに違う今回3回目の参加.これまで同様,あの広大な大地を馬で駆けることができることに激しい興奮と達成感を覚えたのはもちろんで,3回目の参加にして,初めて「馬で旅をする」という実感が掴めたのも事実だ.しかし今回私が「馬で旅をする」ことで得たことは,自分自身の乗馬の技術上達でも,馬で駆けたいという自分の欲への満たしでもなかった.改めて自分は周りの人々に支えられて初めて生かされているのだということ,五感を奮い立たせながら生きるという困難さと大事さ,そして何より,自分の跨っている馬を,横で一緒に駆けている馬を,一緒に参加している仲間を,そして自分自身を思いやることを自然と意識することができたことだった.それは目にみえた収穫ではなかったが,きっと自分にとっては何よりも大きな収穫だったと考えている.
10日間,喉も身体もカラカラだったけれど,心だけはずっと満たされていた.もしかしたら日本にいる時の私は,喉も身体も全て満たされているけれど,心だけどこか満たされきれていないのかもしれない.
今年も奔流を提供してくれた張さんに、ありがとう!
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旅をする時は、いつも日記をつける。本当は家を拠点に生活している時も毎日つけたいのだが、そうはいかないのは私の怠惰によるものか。けれども、もう少し考えると本当の理由はそこにはなくて、どうやら思考に終着点を求めているか否かの違いらしい。普段の生活では頃愛を見計らって考えることをやめて、ひょっとすると次の日か、はたまた何カ月も先にその続きを始めることが少なくない。それでいいと思っているので、いつも思考の気まぐれに身を任せる。対して非日常の世界では少しだけ意図的に自分の脳みそを支配する。光をあてたい側面を意識して、そこがはっきりと見えてくることを目標に旅の毎日を過ごす。留学であれ、旅行であれ、一人旅であれ、全て同じ。ここを消化したい、これが何なのか知りたい、等、自分の中に何かしらのテーマを掲げて出かけるようにしている。だから、日記をつける。文字に起こさないと無意識のうちに考えることを放棄して、残された曖昧なものは全て美化されていくから。何かを見聞きし、感じ、考え、文字に起こし、そしてありのままを留めておくのが、私なりの旅の味わい方である。
およそ三分の一を前置きに費やしてしまったが、私にとってのこの旅のテーマは「リベンジ」であった。そして、それを達成できたことによる深い安堵が旅の記憶の多くを占めている。この文章を書くにあたり、17日間の日記を読み返した。そこには驚きから喜び、それからちょっとした不満や焦りの気持ちまで、今読むとむずがゆく感じるような表現が並んでいた。ただ、そこには一貫した安堵の念があった。
リベンジには大きく分けて二つの意味があった。一つは乗馬に対して、もう一つは自分に対してのリベンジである。前者は至って単純である。昨年乗馬キャラバンに参加した際、馬に乗せられている感覚を拭えないまま帰国したのが悔しかった。もう一度馬に乗り、今度こそ「私が」操って草原を駆けたいと思った。その思いをぶつけに今回の企画に参加して、自分の意思で手綱を引き、膝で胴をしめ、草原を走る感覚を知ることができた。
後者については少し説明を要する。私は何度か短期留学を経験したり複数のサークルや団体に所属したりと、顔を出すコミュニティが比較的多い。そのどれにも愛着があり、活動中か否かに関わらず、たとえ細くとも末長い繋がりを持っていきたいと思っている。しかし前回参加したキャラバンは例外的にそう思うことができなかった。理由は「当時の自分が苦手だから」。背景は色々あるのだが、要は全く自分らしさを出せなかったため、メンバーに再会して当時の自分を思い出すのを避けていたのである。もう一度奔流に参加して、この煮え切らない思いを拭い去りたかった。そして、それは意外なほど簡単に達成された。この17日間は細かいこと抜きに本当に全力で楽しかったし、帰国後の自分は驚くほど身軽で、前回のメンバーとも約1年振りに気持ち良く会うことができた。あの馬が、大地が、空気が、食物が、星空が、仲間が、そして少し変化した自分がこれを叶えてくれた。
主催者が意図しているものはもっと違うところにあるのだろう。けれども、今回の旅は私にとって間違いなく克服を意味していた。「理由」というものは、自分の中に見出し、向き合い、そして乗り越えうるものだということ。自分は今までそうやって生きてきたし、きっとこれからも同じように生きていくのだということを教えてくれた旅だった。
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幼い頃から他人の目が怖かった。いつだって「いい子」「いい人」で居たくて。自分がどんな風に思われているかばかりが気になって仕方がなかった。100点を取って褒められたいから勉強した。そのまま大学に入り、訳も分からず履歴書を書いて就活に失敗した。自分の中に誇れるものが何一つ無いと、漸く気が付いて愕然とした。そして私は大学を出させて貰っただけの社会不適合者になった。
中身がない。それを取り繕うための建前が日々増えていく。隣の芝が青く見えても「あれはああいう品種だから」と、常に心が壁を作る。でも本当はそうじゃない。隣人の庭が輝いて見えるのは、彼らがそれに見合う努力をしたからだと知っている。比べて私は何もしていない。自業自得だ。わかりきっていた。独り言が増えた。ちくしょう、こんなんじゃないのに。ちくしょう。本当は、本当はこんなんじゃないのに。
…じゃあその「本当」は、どこにあるのか。
1年前。内モンゴルの大草原で見た景色が心に浮かんだ。そして、旅に出ることを決めた。
旅の間私は、心に一切の嘘を吐かないことを自身に課した。くだらない自尊心に塗れ、奥底で眠ってしまった自分の感情を取り戻さなければならない。
誰からも嫌われたっていい。いい人なんて思ってくれなくていい。
自分の心のままに、生きていける場所に行きたかった。
蒙古馬に乗るということは、魂と会話することだ。
膝に力を入れ、馬のリズムに乗る。鞍や鐙の金具が当たっていても、痛みに気を取られれば落馬する。躊躇なく手綱を引ける意志と腕力がなければ馬を走らせることはできない。そこでの優しさとは、厳しさとほぼ同義語だ。生きようとする力が闘争心を生む。妬みや怒りを乗り越えた先に思いやりや協調性がある。
物言わぬ魂に触れていると、自分の心の動きが見えてくる。全ての感情が生まれ、消える瞬間が手に取るようにわかる。苦痛や寂しさ、憤りを感じている時ですら心が満たされていた。叫びたい時に叫び、笑いたい時に笑い、泣きたい時に泣く。そんな当たり前の行動がどんなに幸福だったことだろう。
ヒトは一個の受精卵から胎児に至るまでに母親の子宮の中で進化の過程を辿る。有性生殖を始めた原始生物から今に至るすべての歴史が、私たちのDNAには流れているという。
人間を野生動物と同じく考える場合、その寿命は約30年とも言われるらしい。
私の動物としての生が終わるまであと7年。
人間としての生を授かる前に用意された準備期間のうちに、私はどれだけ本能を研ぎ澄ますことが出来るだろうか。
さあ360度。「本当」を探しに。どこへ向かって走ろう。
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「しぜんと」
中央にそびえる白亜の城、回るメリーゴーランド、人々の笑顔。キラキラと輝く遊園地は、幼い私を異世界に誘ってくれる唯一の空間で、大きくなってからも暫く憧れを抱きつづけていた。しかし、旅を終えて久しぶりにその遊園地に遊びに行くと、何か違和感を覚えた。以前感じていた面白みを実感できなかった。乗り物に乗るための長蛇の列に並びながら思い描いていたのは、砂埃の中で馬を走らせていた私自身の感覚だった。
キャラバンの旅は自分の体ひとつで、異世界に飛び込んだようなものであった。視界の限り何処までも続く草原、ゴビ砂漠そして澄み切った空。耳には馬の駆ける音と風を切る音、遊牧民の声。馬の振動や体温、目に入る流砂、降り注ぐ日光。この旅では常に自分の五感と体で、世界と向かいあっていた。
だからこそ、良いことばかりではなかった。様々なことがあったが特に印象に残っているのは、速馬に乗ったときにバランスが上手く取ることが出来ず、尾骶骨周辺が裂けて出血したことだ。乗馬の最中には傷と鞍が擦れ痛む一方で馬を降りる訳にもいかず、その苦行に奥歯を噛み締めながら乗り続けた。馬は大変不便であり、車もバイクもあるこの近代に文明に逆行してまで馬での移動をする、この旅への参加を何故決心したのか自分でも分からなくなっていた。
次の日、傷休めをするため遊牧民の車で移動をすることになり、快適な車内で私は車が如何に優れているか理解した。車は運転手に従順であるし、基本的に運転の際の運転手の負担はそれほど無い上、快適である。そのように車を賛美していた時、私の乗っていた車が皆のキャラバン隊の横を追い越した。その時の車窓の光景は今でも目に焼きついている。広大な空と大地を背景に馬を駆けさせている、みんな。そのあまりの躍動感や美しさに、見知ったはずのみんなが知らない人の様に見えた。その時に私は、あの集団の一部に私も入りたいとぼんやりと思った。キャラバンは一人ではなくて、他の仲間が居て成り立つ隊列だ。自然が相手の過酷な旅路を仲間と支えあって、目的の地へ向かう。このグレートキャラバンはその様なキャラバン隊を体験できる機会で、そんな掛け替えのない経験を積みに私は参加したのを思い出した。そう考えると尾骶骨の怪我も此処でしか体験できない貴重な事柄のように感じ、遊牧民の人と一頻笑い種にしながら次の日からまたキャラバンに再参加する決意をしていった。
あの場所で起きたことは全て自分の身に直結していた。だから、こんなに生活環境の整った日本に帰ってきても、瞼を閉じれば不便で過酷であったあの旅がしぜんと思い出されて仕方ないのだ。愛している、と言える人たちに出会い、自然と己の身ひとつで向かい合う旅なんて滅多に体験できない。この旅で様々な事象に出会って、私は一回り成長した。そう確信している。
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奔流の旅で私が得たものは、乗馬体験、見知らぬ土地の旅、それらを差し置いて人々とのつながりだ。
私は無類の漫画好きである。にも拘らずアウトドア大好きな人間である。そんな裏表な人間は少数派なのではないかと思っていたが、参加初日にしてその考えが間違っていたことに気づいた。参加者の多くが漫画などに理解があったり、美術や音楽が好きだったり、文化を愛する方達で、そうした、普段から夢や理想を描いている人達だからこそ旅に惹かれる傾向があるのかもしれない、などと根拠のない考察をしてしまった位だ。日本では普段、「漫画好きなオタクキャラ」として生き、またそうした自己を過度に演出するばかりな自分は、ここに来てその云わばアイデンティティのようなものを剥奪されてしまったわけである。そんなもの普通じゃないか���と。それよりもお前の本質は何だ、と。旅の間、同行していたモンゴル遊牧民の一人が、ゴビ砂漠キャラバンの休憩中に、砂で自分に似せた埴輪のような人型を作っているのを手伝った。「これ、貴方?」と身振りで聞くと、さぁ、分からない、と言われた。ただ作っているだけ。自分かもしれないし、誰でもないかもしれない。私もそのようなものなのだろう。だだっ広い砂漠に棒人間一人書いて、これが私です、と定義すれば、それが私になる。わけもなく。
変な話だが、私は私としてではなく、定義されない一個体として、参加者や現地で出会った皆と関われたように思う。
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中国はでっかい!世界はもっとでっかい!!
もともと、夏休みには海外旅行に行くつもりでいた。旅行会社のパンフレットを物色していたある日、学校でポスターを見かけたのが奔流中国との出会いだった。観光地を巡るだけのツアーなら爺さんになっても行ける。どうせなら今しか行けないようなツアーに参加したい。そう思って、奔流中国、その中でも特に異彩を放っている馬の旅、キャラバンへの参加を決めた。
今回の旅のメインイベントは、シルクロードでの乗馬キャラバンだ。世界一の大陸、ユーラシアを西から東へ横断するシルクロード。古代の人々の冒険心が切り拓いたこの道を馬で駆け抜ける、というロマン溢れる旅なのだ。
このように書くと何だか格好いいが、キャラバンの間は、普段とは比べ物にならないほど辛いことが多かった。日差しが強いのに夜は凍えるくらい寒い。馬はなかなか思い通りに進んでくれない。体中の関節が痛くなる。パンフレットに「旅に慣れている人だけ参加してください」というようなことが書いてあるだけのことはあった。正直、最初はここまでとは思っていなかった。シルクロードの開拓者たちも、これと同じような、いや、それ以上の困難を味わったことだろう。
それでも、キャラバン最終日の本当に最後だけだったが、馬を完全に乗りこなせたような気がした。馬の走るリズム、呼吸の音、風の匂い、全てが混ざり合って、不思議な感覚を覚えた。もしかしたらこれが、張さんの言っていた「馬との一体化」の入り口だったのかもしれない。この一瞬があっただけで、辛かったことも全て楽しい思い出に変わってしまうほどだった。
キャラバンを通して、分かったことがある。現地の空気は現地でしか味わえない。草原の風景を作っているのは、テレビや写真でもわかる要素だけではなかった。音、風、気温、匂い、時間、景色の移り変わり、全て合わせて一つの草原が出来上がっている。世界はでっかい。このような場所、このような体験が世界のあちこちにまだまだ眠っていると思うと、ワクワクしてきませんか?
これからもたくさん、あまり人の行かないような所へ行き、誰もやったことのないようなことがしたい。ただ、その原点として、奔流中国は一生忘れないだろうな、と思う。張さん、ありがとう!
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・馬、自由
旅から帰った。
バックパックを広げると、舞い上がる砂埃とともに、旅から持ち帰った様々なモノが溢れ出た。
くたびれた乗馬ブーツ。
何かの骨。
石。
この旅に彩りを添えた、形あるモノ達は
今は家の片隅で少し居心地悪そうにしながら、日常に溶け込もうとしている。
帰国から少し時が経ち、この旅を形に残す機会に恵まれた。
そして、気づく。バックパックでは持ち帰れない、形のないものを持ち帰ってきたことに。
今やっと、おぼろげながらそいつの輪郭が見えてきている。
2010年、夏。
カラダは痛むし、馬は言うことを聞かない。不自由しか感じなかった、初めての乗馬キャラバン。
何もしなくても勝手に群れの先頭を走る馬。周りが言うほど実は楽しくなかった、馬の旅。
見渡せば歩く気すら起きないほどだだっ広いモンゴルの大草原で
もし馬がいなければ、と思うと途端に突きつけられる、人間のちっぽけさ。
いつ暴走し出すかわからないこの馬に頼るしか、此処で生きる術はないと知った時、覚悟は出来た。
そして、知った。
勇気を出して前に進む、ということ。
命をかけて手綱を握る、ということ。
切り裂く風の中で聞いた「生きたければ、前へ進め」
まさに人生のように。
いや、そこには23年間のどんな場面よりも、はっきりとした輪郭をもって迫ってくる「実感」があった。
持ち帰ったものは、大きかった。
2011年、夏。
「グレートキャラバン」というものがあるのは知っていた。
それが復活すると聞いた時、震えた。
ここに挑戦の場がある、と思った。
今度こそ、「自らの意志」によって馬で駆けよう。
願わくば、人馬一体の境地まで。
「自由」を得るために流す血を、今度こそ厭わない。
「本当に馬で駆けるという事を知る旅に出よう。」そう、決めた。
そして、何を思うか。
今度はどんなものを持ち帰れるか。
天山山脈麓。古の隊商路。草原というより、高原。
ここにいる意味を問う。
正直に答える。
行く手を遮る馬の群れ
群れの先頭から出ようとするのを制止する声
すべてが、ひどく邪魔だった。
それらを全て蹴散らして、地上の流れ星になりたかった。
とことん、我儘になってやろうと決めていた。
それは、「自分の意志」で「全力」で駆けることでしか、ここにいる意味を確かめられなかったから。
真摯に、馬と、自分と、向き合うためにとった不器用な手段だった。
ある方法を知った。
手綱をギリギリと引き続け、群れの後方に下がり距離をとる。
駆けるのに十分な距離ができたら、手綱を一気に緩める。それがGOサイン。
一瞬で空間が縮んでいく。
キャラバン隊で進む限り、駆け足で存分に駆けるには、この方法しかなかった。
勢い余って前方の群れに突っ込んで、ひんしゅくをかうこともあった。一向に構わなかった。
ふと周りをみると、同じようにのろのろと後ろに下がる奴らがいる。
自由に駆ける味をしめ、よからぬことを企んでいる目をした、迷惑な奴ら。
なぜか、嬉しくなった。
~~~~~~~~~~~~~
自由。
その言葉の意味するところ、考えてみたことはありますか。
本当の自由を、感じようとしたことはありますか。
70人が東を向いても、おれは西へはなむける。
70人が早足なら、おれは駆け足を。
別に、人と違うことしたからって、自由でいるとは少しも思わない。
でも、人と違うことするときってのは、それなりの覚悟がいる。
それだけの力がいる。
帰国後、参加者の一人が馬について語っていた。
馬に乗りながら、他の参加者の安全に気を配っているという。
鞍を縛る紐が緩んでいないか。鐙に足を深く突っ込みすぎてないか。
金網などの障害物が無いか。地面にでかい穴はあいてないか。見つけたら、即座に周りに伝える。
それは、ただの優しさから来るお節介じゃない。単なるコミュニケーションの手段じゃない。
馬が好きで、自分の意志で共に駆けたくて、血を流しながらやっと得た、力。そして、自由。
そいつは、やっと得たそれを、自分ではなく他人のために使えるやつだった。
力と自由に裏打ちされた、本当に人のためになることだった。
「お前とは格が違うんだよ」と冗談っぽく言うけれど、それは本当かもしれないと思った。
歩く度、今でも違和感を覚える右の足首。
握ると、少しだけ厚みが増した気がする手の平。
それに対し、確実に厚みが増した尻の皮。
自由に駆けたくて足掻いた跡。
自由が拠って立つものは、いたるところに刻まれていると気づいた。
強烈な、願いや切望。
手を伸ばし、足掻き、追い求める、何か。
そこに感じる、力の無さ。
不自由の塊である自分を自覚した時、血を流す覚悟はできる。
ワレモノ注意の五体を、馬に完全に委ねる決心ができる。
わかりきった事、なんかじゃない。
心からほんとに何か為したいと思わないと、自分を縛る鎖はそもそも見えない。
不自由を自覚する機会は生まれない。
おれはそれを、馬から教わった。カラダに叩き込まれた。
頭じゃなくて、心で感じた。
そうして手が届く、自由のかけら。
もしも、あなたが馬で自由に駆けたいと思うなら
おれは、絶対に追いつけないと思わせるスピードで後ろから抜き去ってやります。
「追いついてこい」と笑顔の中ギラついた眼をして訴えます。
あなたの不自由さを、わからせます。
この四肢を賭けるに値する何かを、背中で示します。
馬と人を隔てる境界線が溶けてなくなる、この何物にも替え難い喜びを、全力で見せてやります。
今までただ目の前の行く手しか見ていなかったこの視界を、少しだけ左右に広げて。
それがおれにできる精一杯の伝え方。
次に草原に帰ってくるときは
「馬で自由に駆ける喜びを知ってもらう旅に出よう。」そう、決めた。
旅から帰った。
心の中を覗くと、もう一人の自分が真っ直ぐにこちらを見ていた。
問うている。
この旅は、何だったのか。
狂乱のあとに、残るものは何か、と。
これは、答えのない問いに答え続ける、心の中の、もう一つの旅。
~~~~~~~~~~~~~
これから・・・。
嫌で嫌で仕方なかった。
日本に帰りたくて帰りたくて仕方なかった。
一刻も早く故郷の地を踏みたくて毎日イライラだけが募っていった。
退屈で平凡な大学生活に嫌気がさし、少し別の世界を見てみたいと思っていたころに
見つけた「馬と旅する 奔流中国」のポスター。
このキャッチフレーズに引かれて参加する人たちはきっと変わっているに違いない。
私のこの平凡な毎日に刺激を与えてくれるだろう。
深くは考えずに勢いで思い申し込んだ。
旅が始まってみるとこれまでに受けた事の無いような衝撃の連続だった。
リアルを見ていない人に説明する事もままならない衝撃を受けつづけた。
参加者の皆が皆、「我」をはっきりと意識してた。
自分の中では今まで20年間それなりに色々な経験をしてきたと思っていた。
いじめ、中学受験、登校拒否、起業、不登校、高校中退、海外生活、大学受験。
けれどここではそのどれもが意味をなさなかった。
肩書きは関係ない。過去も関係ない。あるのはただ「今」だけ。恐怖だった。
その仲間達と見た中国は偉大だった。
経済発展のまっただ中、上海の町は「希望と自信」に満ちていた。
そして、内地では雄大な自然に人間の小ささを感じさせられた。
山や湖、人間の手が加えられていない自然に久しぶりに出会った。
乗馬に関しては私は何も述べる事が無い。
ただ馬達には「おつかれさまでした。」その一言を送りたい���
この旅の最中「馬の気持ち」というのを考え続けた。
けれども途中で見えなくなってしまった。私に気持ちの余裕がなくなったから。
自分の小ささに気がつかされた旅だった。
精神的にも肉体的にも限界を超えていた。
自信という自信は打ち砕かれ、
私はいったい何のために生きているのかと考える日々が始まった。
これから先私はどの道をどのように歩いていけばいいのだろう。
「参加するんじゃなかった。」それが私の感想。
ただ、この今感じている孤独と苦しみとむなしささえ乗り越えれば
この旅に参加した意義が手に入り、実りのある人生が待っているのではないか。
そのように感じる。日本に帰ってきた今、私がすべきことはなんなのだろうか。
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もともと私はモンゴルとか中国の歴史とか、そういった文化的な類のものには詳しくなくて、 今回奔流中国グレートキャラバンに参加したのも、単純に大草原で馬に乗ってみたかったからだった。
でも草原や砂漠を延々と馬で走っている時に、少しシルクロードに想いを巡らせてみた。そこで、初めてシルクロードを渡った人たちは、もっと遠くのものを見てみたい、何があるのか知りたいという単なる好奇心から、あの長い長い道のりを越えて行ったのかなと、ふと考えた。 道なんてないから迷うかもしれないし、馬はいつ死ぬか分からないし、下手すれば自分だって死んじゃうかもしれない。そんなリスクを負ってまで、好奇心の赴くままにシルクロードを行く。正直最初は、命を賭ける必要なんてあるのかって思った。だって死にたくないもん。でもさ、実際自分が大草原と砂漠を馬で走っていると、もっと遠くに行きたいって思っちゃうらしい。 乗馬2日目のこと。「この先は岩場で危ないし、何時間かかるか分からない。遊牧民も進むことを反対している。もし落馬しても助けてくれるジープはない。そんな道を行きますか?それとも来た道を引き返しますか?みなさんが決めてください。」
そう言われて私は即座に、引き返すのだけは嫌だ!と思った。それと同時に、道が危険と聞いてわくわくしている自分がいた。リスクを楽しむなんておかしい。でも何時間かかったとしても、危険だとしても、前に進みたいと思った。戻ることはしたくなかった。 その先にどんな素敵な場所があるのだろう、どんな達成感を味わうのだろう・・・そう考えると、早く前に馬を走らせたくなるのだ。 その時、ああ、この気持ちこそがシルクロードを渡った人たちの原動力だったのかって思った。彼らにとって大事なのは、行けるかどうかじゃなくて、行きたいかどうか。そしてその行きたいところへ自由に馬を走らせることが、どんなに気持ちのいいことか。 私はまだまだ未熟で、完全に馬を乗りこなすことはできなかった。でもあの快感はやみつきになる。ずっと馬に乗って、もっと奥地へ、もっと人が足を踏み入れない場所へ行きたいと思った。人間の好奇心というのは、いつの時代も共通しているらしい。 私はシルクロードに触れて、何にも縛られない自分の純粋な好奇心を発見した。そしてこの気持ちを、日本でも大切にしたいと思った。
私たちが暮らす今の社会では、やりたいことがあっても、リスクを怖れてどうしても制限がかかってしまうことがある。でもその中を突き進んで何かに辿り着こうとすることは、命懸けでシルクロードを渡るのと同じでわくわくすることなのではないか。とりあえず行ってみよう、やってみようってすごく大事。奔流はこのことを教えてくれた。 日本人はどちらかというと保守的な人が多い気がする。だから私は、この好奇心のままに動くというわくわく感をもっと多くの人に伝えたい、そう思ってこの文章を書かせてもらった。少しでも多くの人が、奔流に興味を持ってくれますように。
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剥ぎとる
シルクロードが好きだった。日本を出てみたかった。知らないことを知り、見たことのないものを見たかった。大学3回生の春、この夏が最後だと思い、参加を決めた。「感じる」旅にしようと思った。先入観とか知識とかプライドとか、余計なものは捨てて、ありのままの自分で勝負したい。初めての海外、知らない人たち、中国語も分からなかった。他のどんな感情よりも怖さが先行していた。出港して、海の色が変わっていくにつれ、固く緊張していた心がだんだんほぐれていった。大きな世界の小さな自分を感じていた。
まるで自分が子どもにかえったようだった。素直に喜び、歌い、踊った。そして、子どもになった私は、草原や砂漠に、人の心に、美しいものに触れるうちに静けさを求めるようになった。聞いて感じているだけで満足だった。一言でも言葉を発したらうるさいような気がした。砂漠の風の音が心に染みた。自分の中で燃えている炎があった。
乗った時急に背が高くなった気がした。視点が高い。遊牧民はこれを毎日見ているのか。自然を征服したような気がする。馬で駆ける。心地よい緊張感が体をまとっている。ぴりりとした空気。油断は許されない。砂ぼこりがもうもうと巻き上がる。圧倒的な迫力。すごい。馬の脚が砂にめりこむ。穴を飛び越え、よける。躓きそうになる。しかし馬はどんなに疲れていても止まらない。走り続ける。すごいことをやっている実感があった。馬とともに何かを飛び越えた気がした。叫びたかった。ためらいや躊躇など遥か遠くに行ってしまって、そのときやるかやらないかだけしかなかった。それま��馬と私の間にはなにもなかった。そこでつながりができた。張さんに、私が乗って馬は重くないのかと聞いた。張さんはふっと笑って、「重いよ」と言われた。そうか、重いのか。馬は私の重さを引き受けた。私はその重さを分かって乗っていただろうか。
私の馬は1日目、全く走ろうとしなかった。それは私が馬がかわいそうだと思って接していたからだろう。馬が痛いだろうと手綱を緩め、出発の時も腹を強く蹴ることはしなかった。馬を心の底で怖がる気持ちを「馬がかわいそう」という態度で覆い隠していた。しかし、一日走って分かったことがあった。馬は犬や猫のようなペットではない、中途半端な感傷や動物愛護の視点からは何も見えてこない。態度を変えた。何よりも指示を明確にしようと心がけた。甘さを捨てた。2日目、馬は見違えたように指示に従うようになった。同じ馬とは思えないほど。馬の目。優しく、そしてさびしそうな目。静かに遠くを見つめている目。馬には私の気持ちなど全てお見通しだったのだ。未熟な心の乗り手になど従うものかと。冷静に、しかし情熱的に、自分のはやる心を抑えて手綱を引く。
多くのことを気がつかないままセーブして生活していたことに気がついた。感動することを、そのまま受け止めることを忘れていた。できないと思ってやらなかったことが多すぎた。最後なんかじゃなかった。もう始まっていた。始まりだった。やりたいことをやるために生きているんだと分かった。もっともっと自由に生きたいと思った。
本当に生活に必要なものってもっと少ないのかもしれない。ただ頼りになる自分があればいい。旅はまだ終わらない。
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旅と日常
結局、奔流は自分に何を教えてくれたのか、それについて綴っていこうと思うのですが、この文章から私の考える馬との旅の意義、そしてそこから浮かび上がる日常での生の有り様を汲み取って頂けると幸いです。
日常とは飽きるものです。私は生活の中での刺激のなさにうんざりしていましたし、何に対しても無感動のきらいがありました。生きている実感がないというのが適切であり、自分が存在しているといえるのかわかりませんでした。でも、それが他者への不信から生じる私の反応だということは自分でもわかっていました。今のままでは無感動の日々が続いてしまうため、何かに能動的に関わらなければと思い、偶然にも参加することとなったのがこのグレートキャラバンだったのです。馬や中国にこだわったわけではないのですが、結果としてこの旅は強い影響を与えてくれました。
「馬に乗ると見える世界が変わる」と旅の中で何度か耳にしましたが、ただ物理的に視点が高くなるというわけではありません。馬上での視点は遊牧民やシルクロードの商人の視点であり、そこにおいて私は日常の自己を超越しています。つまりこの自己の他者化、相対化が可能となっているのです。新疆での馬の旅は、日本で生活を送る私を見つめる良い機会となりました。遊牧民としての可能性にある私、もはや旅の生活を新鮮な刺激とは認められない私はいたのです。しかし興奮させる刺激とは感動に必要なのでしょうか。いえ、そうとはいえません。旅の中で私は懸命に食べ、馬に意志を伝え、仲間と語りました。食事、乗馬、団欒、睡眠の繰り返しの中でも私は生きている実感をもつことができました。これは馬との旅の中でだけの感覚では決してないはずです。
旅は普段の倦怠から逃れるリフレッシュの場ではなく、むしろ日常を見つめる時間を提供する積極的な意味をもった場であり、逆説的ですが普段よりも自分の日常に近寄れたように思えます。食事、勉学、音楽、睡眠に満たされた毎日に自覚的、能動的に生きることが実存感覚と密接しており、行動の内容よりも自分の主体的な在り方こそが重要なのだと、馬の背中で気付きました。他者から受け取るときも然りです。他者から伝達されるというのではなく、他者から受け取るといった主体性が肝要であるはずです。馬と同様に世界はそれに語りかけることなしに乗りこなせません。世界の中にあっても、その美しさを感じるには能動性が必要不可欠なわけです。
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中国の夜から
中国でわたしは闇に包まれた。光といえば星以外に見当たらず、目を開こうが閉じようが大差はなかった。そこにあったのは恐怖と同居する心地よさであった。
人はわたしを他の誰でもないわたしとしようとする。ここにいるのが自分でなければいけない理由、すなわち他人に決して取って代わられることのない自分の確証を欲するのだ。なぜなら、その確証を得られなければ、わたしとしての存在を否定され、何者でもない誰かであることを認めざるを得なくなるからだ。この欲求に基づく行動は光を求める行為といえよう。より強い光の中に自己を置くことで、わたしの輪郭はより鮮明に浮かび上がり、外界とわたしとの差異をよりはっきりと確認することができる。ここに今確かにいるという感覚は得られるだろう。
ところで、奔流の重要な語句の一つに「人馬一体」というものがある。「自分の行きたいと思うように馬が進んでくれた」と誰かが言っていた。しかし、騎手と馬との意志の一致という意味は、この言葉に似付かわしくない。この言葉が指し示すのはもっと高度な次元での「一体」ではないのかと考えた結果、「人と馬との存在の一致」と説明する考えに至った。
人の視点からすると、人は自己であり、馬は他者である。だが不思議なことに乗馬を媒介としてそれらは溶け合う。ここにおいて人は乗馬中にも関わらず、馬に乗っていない。自己も他者もいなくなっているが、代わりに「自己と他者」という一つがいる。この状態こそが「人馬一体」ではないか。わたしはもはや自己ではなくなっている。冒頭で闇について触れたが、この存在の溶け合いは闇に身を置くことを比喩としても差し支えないだろう。闇の中では自分の手すら見えず、自己と他者には境界が見当たらない。自己と他者は混ざり合っているのだ。その時、確かに自己を保持し続けられない恐怖はあるが、同時に世界に拡散されるような快感すらある。
大衆社会、没個性、一般人などの言葉に対してわたしは悪い印象を抱いていて、人は何者でもない自分であるべきだと考えていた。そして今もそう考え続けている。だが、ただ単に光を求め、それを浴びて生きるというのも違うように思えてくる。「人馬一体」が代表するような自己と他者との存在の関わりの肝要さを発見したからだ。ここで注意したいのは、闇にある自己と他者の関係は自己の埋没とは区別されなければならないところである。溶け合いと埋没という語からもその相違は歴然としている。埋没の際には自己は自己としてあり続けるのだが、世界でそれは覆われ視界に入っていないだけのことなのだ。この状態の快楽と闇での快感もまた区別しておきたい。快楽は自己を埋没させることで得られた、これもまた自己を表面的に覆う快に過ぎないが、快感は自己と他者という一つの存在で湧き上がり、その存在の内部���揺蕩っている快である。エピクロスが唱える「心境の平静」は、わたしがここで述べた快感から基づくものであると認識し、わたしは彼に賛同の意を表する。
蓋し、存在は自己の唯一性を追求するものであり、その活動の結果として自他をより強烈に色分けしてゆく。そのことについて反対はしないし、わたしも例外でなくそのような存在であることを否めない。問題はその自他の完全な分離から感じる不快である。ここでいう不快とは疎外や孤独を感じていることなど、状況に応じて生じる好ましくない感情を指していると考えてもらいたい。自ら望んだ結果であるにも関わらず、不快を感じるとは皮肉なものだ。わたしはこの不快を見てみぬ振りをする仕方ではなく、根本から快に覆す可能性を「人馬一体」の中に見た。逆説的ではあるが、存在が自己を自己とあらしめんとする際には、同時に自己と他者の綜合が存在の精神の涵養という面において必要となっているのである。
絹の闇は優しく、世界は一つとなる。
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旅
旅が好きになった。
この安全で,快適な日本を出て,旅に出る。それは非常に馬鹿げていて,非常に贅沢なことなのかもしれない。
でも,旅は人を強くする。
どんなトイレでも使えるようになるし,並の不潔さには慣れる。どこででも眠れるようになるし,寒さだって我慢できるようになる。つまり,不自由さに直面して,それを乗り越えられるようになる。
文化交流とか,他者の理解ってこういう所から始まるのかな,とふと思うことがあった。自分が感じている不自由さも,原地の人にとっては既に「住めば都」状態なのだ。そんな生活は不自由なようで,実は意外な喜びに満ちている。食事のおいしさ,水の気持ちよさ,音楽の美しさ,本当にたくさんあった。だから,社会の教科書を開くだけでは違う国の生活は理解できないのだと感じた。そこは,ただの不自由な汚い世界ではないし,ロハスで優雅な自然生活,というのももちろん幻想だ。現場で自分が感じる様々な感覚が積み重なって初めて,文化は交流し,現地の人を少しは理解できるようになるのかな。とにかく,自分から一方的に持ったイメージなんて大した物でないのだと思った。
現場主義の重要性,なんて表現をしてしまうと思い出は一気に乾燥して,変なゼミ資料みたいになってしまうのだけれども。でも,グローバル,なんてキーワードのもとにズームアウトしすぎると,案外こういう所から足下を掬われるのかもしれない。
ここまでだったら,別に一人旅でも感じられたかもしれない。でも,集団の旅だからこそ起こる出来事だってある。
精神的,肉体的疲労の前ではその人の持つ内面の多くが表に出てしまう。集団生活の中で,強さ,弱さ,色々な側面が,乱暴に暴きだされる。テント移動,薪集め,緊急の対応。どれだけ状況を良くしたいのか,全体の中で自分には何ができるのか。リーダーとかフォロワーとか,さんざん講義され,勉強してきたかもしれない。でも案外,乱暴で粗野な形をとってそれらは試されるのだ。都会のビルのなかでは,なかなかその人の内面なんて閉じ込められたままだ。だから,一回旅に出て,自分の内面,他人の内面がぶちまけられる様子を目にうつして,(すごく恥ずかしくなったりして),そしてまた成長できたらいいのかなと思った。
そして,その人の内面がさらけ出される状況では本当に暖かい触れ合いだってあるのだ。
疲れて,自信も持てず,旅に不安を感じていた時。自分にできることはないのかと探して,それはあまりに小さい気がしてどうしようもなかった時。そんな時に,ふと一緒に食事を食べてくれたり,お茶をもってきてくれたり,そういう経験の中で僕はとても人間的な暖かさを感じた。
誰かにそんな暖かさを,僕もあげられるのだろうか。
なんて原始的な強さ,優しさなんだ。
旅に出て,感じて,そして帰ってきて研鑽する。また旅に出て,感じて・・・
とても健康的で,生産的な生活だと思う。
どうやら,本当に旅が好きになってしまったようだ。
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馬と人との関係は何か。 馬は私達に何を与えてくれるのか。 現代社会での日本の馬の役割は昔のように移動や仕事としてではなく、ほとんどが人間社会に組み込まれ、人間によって飼育され管理されている。馬といったら何を想像するかと日本人に聞けば、ほとんどの人が競馬か乗馬と答えるだろう。それは、私達が身近に馬に接することができるのは競馬や乗馬くらいしかないせいではないか。「馬で旅にでる」という感覚は交通機関が発達している日本で持つのは難しい。魅力的でちょっと好奇心をくすぐるこの言葉、「馬で旅をする」これだけを頼りに私はこの旅に参加した。それは想像を超えるものであり、期待以上の満足感と喜びで満たされた。 今回のキャラバンはかつて交易の路シルクロードに添って歩んでいく。それは、日本のコンクリートではなく、道があるわけでもない。ゴールもなく右や左、振り返っても前も後ろもない世界であった。道無き道を自ら決めて進んでいくのである。ひたすら自分の信じた道を進み行き、道標となっていくのだ。バインブルグ高原では遠くの小高い山々に囲まれ馬で群れとなり、時には馬の腰まで浸かる川を渡り、時には息を飲むほど美しい川に映る夕日を見た。ゴビ砂漠では越えても越えても続く砂漠の山を、埃を被りながら何十頭もの馬で一列になり、何時間もの間進み歩いた。この中で馬と自分だけの道を切り開いていくのだ。 このキャラバン中は何十頭の馬の群れの中でも乗り手は馬のことも考えながら、各々のペースで進み行く。馬を休ませるのも走らせるのも自分次第なのである。 これは日本の乗馬クラブでは決して出来ないことである。まず、馬の数をそろえることから難しいだろう。 もちろん日本の乗馬クラブの外乗も素晴らしい点はいくつもあるが、ある程度決められた大きな柵の中を、誰かが何度も通った補正された道を歩いている気がしてしまう。しかし、ここは違う。キャラバンは全く異なる。何も囲われていない地を自分で決め進んで行く。しかも自分だけのペースで。また、このキャラバンでは決められた馬に乗るわけもなく、同じ乗り方を教わることもない。乗る姿勢や馬をきれいに見せることを習うわけでもない。 参加者全員が自分の道を自ら決め、馬から乗り方を教わり、身につけていく。ただ、自分の好きな道を好きな乗り方で馬と決めていく。それだけだ。たとえ初日に馬に乗る事が困難であった人も時を増すごとに自分の持ち馬を知り、試行錯誤しながら人馬一体に近づいていく。ここも日本の乗馬と異なる点である。一時間ほど馬に乗り、また午後に他の馬に乗るというのではなく、同じ馬に1日中朝から夕方まで縦の揺れの中にいるのだ。しかも数日間。だからこそ、人からではなく馬から教わることで身体を通して学ぶことができる。私はこれがグレートキャラバンにしかないもので、一番の魅力な点だと思う。大自然の中で人が自然と馬に慣れて、乗り方も道筋も自分と馬で決めていくのだ。今までずっと出来無かったことで、挑戦したいことの一つが叶えられたのだ。
この感覚は一ヶ月、二ヶ月経った今も覚えている。このキャラバンに参加して馬の大切さと騎乗の楽しさと喜びを再び実感することができた。想像以上の実体験があったからこそ帰国してからの寂しさと空虚感は大きかった。見えるようで見えない道を進む乗馬と普段の生活を照らし合わせて日本の日常生活に戻った。いつかまたこのキャラバンが開催されれば参加したい。完全にキャラバン中毒になってしまったようだ。
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なんで今私ここにいるんだろう?って自問自答しながら旅を続けて
時には酒におぼれた夜もありました。
でも最終日、ハッと気付いたんです。これは“トキメキ体験ツアー”だと。
奔流にはいろんな人間が集まる。入れ替わりもあるが最大で70人の人間が
同じ土地で、同じ空気を吸い、同じ飯を食べ、同じ生活をする。
70人の人と一気に知り合えるなんてそうそうない。
旅で出会った全員と仲良くなれたわけじゃないし、
一言二言しか話さないでよく知らないままの人もいるけど、
とにかく奔流にはいろんな人間、いろんな考え方、いろんな知識を持った人がいるなぁ、ってすごく刺激になった。
70人も集まれば、その中でそりゃあ魅力的な人もいたし、気が合う人が現れ、
彼らと話していると楽しくって嬉しくって、毎日トキメキだらけだったように思う。
帰国後facebookで友人ポチからの質問に
「自分が失ったらいけないものは何?」という項目があったんだけど、
それ、自分の場合は“トキメキ”かな、と。
���キメキって恋愛感情ももちろんあるけど
人間として好きになったり、見た景色にときめいたり、
羊のお尻にキュンキュンしたり、いろんなものにときめくことが
私の中ですごく大切なことなんじゃないかって考えた。
ときめくって言葉を辞書で引いてみた。
“期待や喜びなどで胸がどきどきする”“心が躍る”
ドキドキしたり、ワクワクするようなことが無くなった毎日だったら
楽しくないじゃないか。生きているのに。旅行はドキドキワクワクが倍増する。
しかもツアーは奔流。ときめかない訳がない。
お金に換算するのはえげつないけど、結局自分の勘違いでこの旅に20万という大金を払って良かった、と思う。
旅が終わってからも、ときどき集まって遊んでもらって、ずっとつながっている感じ。
今もすごく楽しい。奔流友達大好きです。
一言で言うと、
奔流中国、ありがとう!!
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一人対一頭
馬は私をドキドキさせるのだ。
自分を乗せて歩き始めたとき、ものすごいスピードで駆け出したとき、馬が止まらないとき、馬上で出発を待つとき、
馬上だけではなく、馬のそばにいるどの瞬間にも心は高揚していた。
一方でケガや死に対しても警戒している。相手は動物なのだから。
調教によってある程度の扱い方や性質は把握できているため、「乗り物」として支配することは可能であるが、自動車や自転車とはわけが違う。個々の性格も違う、替えの部品なんてない乗り物の中では危険性に溢れた存在なのだ。
そんなリスクと同時に、生きた彼らとやりとりにドキドキするのだ。
乗れば彼らが呼吸をし、熱を持っていることがわかる。生きているのだから当たり前なのだけど馬に乗ることが同じ生物とのやりとりであることが実感できて嬉しいのだ。
乗馬キャラバン一向を後ろから眺めていると、一人対一頭とのやりとりが50以上の群れをなして走っている光景は圧巻だった。
もちろん自分の力だけで馬を走らせていたわけではない。馬の習性をよく利用した遊牧民達の下でキャラバンは統率されていた。
遊牧民の人が走りだせばまわりの馬が走りだし私の馬も勝手に走り出す。そんなときはいつもぐっとたずなを後ろに引き、減速の指示をする。 もっと一人対一頭のやりとりをしたいからだ。
群れの後方まで下がったところで走れと馬のおなかを蹴る。「待ってたぜ」と言わんばかりに馬はスピードを上げて駆け出す。
草薮や他の馬に激突しないようにコースを考え指示して、減速させないように馬の跳ねるテンポに合わせて体を動かす。
スピードへの恐怖はいつだってあるけれど、スピードを恐れたら姿勢が乱れて馬の走りを阻害するので走る速度を上げることに集中する。
自分の体が限界を超えたっていいからもっと走れと感じていた。
駆け足の間は否が応でも馬と自分のやりとりが激しくなるのだ。
広い砂漠の真ん中で群れから離れ、物理的にも精神的にも一人対一頭になれる機会があった。
この馬はこの砂漠を抜けるために必要な手段であるし、私は馬にとって最適なルートと走りを選択しなくてはいけないことを感じて馬で旅をしている実感が深まった。
そんなドキドキさせる行動と環境がこの旅に求めていたものなのだ。
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奔流とは (張宇氏のFBより) 奔流は毎回必ずしも同じ形でない。だけど、奔流は目指す形がある。屈折しながらもいつか必ずそれに成るように努力する頑な姿勢が、それが奔流である。 奔流の理解は必ずしも同じものでない。そこにそれぞれ人間の生い立ちがある。だけど、泥でも沼でも、奔流を汚すことができない清らかなところ、それが奔流である。 奔流に求めるものは必ずしも同じものでない。奔流が求められるものを応えるために存在したわけでもない。だけど、奔流は、もっとも大切なものに気づかせてくれる。「人」の中のなにかを呼び起こすことができる。 奔流が必ずしもすべての人は必要とは感じない。大樹でも、野薔薇でも、弱草でも、必要とする人もしない人も居ると同じように。だけど、そもそも奔流がだれかが必要のために存在しているわけではない。奔流は尊厳のために存在している。 奔流は自由である。社会主義の崩壊��同じように、奔流の自由は、人々はより強い人間を目指す、より賢い社会を目指す、ことが絶対必要条件である。だから、自己堕落が奔流じゃない。 奔流はまた必ずしも自由ではない。自由を選択する人には最大の自由がそこにあると同時に、自由を選択しない人にも自由でなくても生きていける道はそこにある。 奔流は、傲慢、貪欲、堕落愛、原始的、保守的、非民主的である。 奔流は、尊厳、渇望、ブラトン式愛、固執、超時代的、反政治的でもある。 奔流は一種の無為の中で為したものである。
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記憶は草原の風のように、砂漠の砂のように消えていく。 もう忘れてしまったことがたくさんある。 音も、景色も、日程も、遊牧民の名前もすべて曖昧になってしまった。 しかし、形のない大きな感動は、今も心に焼き付いて離れない。 いつかまた同じ場所に戻ったとしても、同じ記憶は蘇らないだろう。 生きものは、常に変わってゆくのだから。 人間であっても、動物であっても、植物であっても。 自分が変わる。仲間が変わる。自然は秒単位で移り変わり、二度と同じ景色を作り出さない。 馬と私、息を切らせて駆け抜けた。愛おしくなったりいらついたり、まるで人間同士のように。 人間と人間、音楽や景色を通じて、ことばに出来ない感覚を共有した。ぐっと本能的に、まるで動物のように。 まためぐり合うとき、私たちは必ずどこか変化していて、同じような感覚は戻らないかもしれない。 それでもまた、新鮮な喜びを見つけ合えるようなお互いでありますように。 キャラバンは終わらない。
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世界で一番海から遠い場所
焚き火を囲む宴会の活気を遠くに聞きながら、地平線の彼方まで広がる草原の暗闇に一人ぽつんと仰向けになり、広大な星空を眺めていると少し離れた暗がりからぬっと人が現れて宴の方へと帰っていった。どうやら用をたしていたようだ。キャラバンの旅では男女問わず青空トイレが基本、とはいえとうとうライトも持たず星の明りのみを手がかりに用を足せるようになったんかぁ、なんてその人の耐性にいたく感服してしまう。しかし暫くしてから「柵の近くでしたから踏まないようにね!」っと大声で後発のトイレ隊に注意を促すのが向こうから聞こえると、ドキっとしながらつくづく思う「ちょっと遠いし汚いが便所はあるからそこでしたらいいのに。」と。言語を絶する大草原、彼方に霞む荘厳なる山々、息をのむ満天の星。ここはバインブルグ、トイレからも最も遠い場所。
この旅に参加しようとした動機が何だったのか忘れてしまった。というよりそんなもの端からなかったと言ったほうが正しいかもしれない。別段見たいものがあったわけでもやりたいことがあったわけでもない。ただどっかに行きたかった。だから道中で知り合った仲間が堅牢で明確な参加理由を持っていることを知って感心しつつも幾分ばつが悪かった。この旅で生まれて初めて馬に乗った、数日乗っただけでえらそうなことは言えないけれど馬を操ることは自分自身をコントロールすることのように思える。不安や恐怖、焦燥や慢心といった雑念を心から取り去り馬に心を開くことが重要で、それが上手くいかないと馬も言うことをきかない、しゃくしも馬もとはよくいったもの。もしかしたら乗馬は禅のようなもので張宇氏の言う「人馬一体」とはその一つの境地であるのかもしれない。馬との旅はこれまでの自分の旅の中でも最も自己と向き合った旅だったかもしれない。
帰ってきた今、今回の旅を思い返せば旅に出る前に思っていた以上のものを得られたと思う。美しい風景とか異文化体験はもちろん、乗馬の感動、個性豊かな人達との新たな輪、信じられない程険しい山道を車で十時間かけて越えても折れない心、腹ブレーク。キャラバンでは信じられないようなハプニングが平気で起る。追い詰められたら人間誰でも地が出るもんで、そこでホントの自分に気付く。本性を鍛えるには、安全でルーティンな日々や紋切り型の海外ツアーでは決して成し得ない。やっぱり追い詰められなきゃいけないと思う。
驢馬が旅に出たところで馬になって帰ってくるわけではないと言う。例え驢馬は驢馬でもきっと旅に出る前よりもたくましい驢馬になって帰ってくる。そんなお金じゃ買えない価値がある、自分だけの旅は是非奔流中国で。
「驢馬が旅に出たところで、馬になって帰ってくるわけではない。」そんなアイロニカルな
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