#平成最後のひな祭り
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kennak · 7 months ago
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今回の報告書で「消滅可能性自治体」とされた自治体は、以下の通り。 【北海道】 函館市、小樽市、釧路市、夕張市、岩見沢市、網走市、留萌市、稚内市、美唄市、芦別市、赤平市、紋別市、士別市、三笠市、根室市、砂川市、歌志内市、深川市、富良野市、登別市、伊達市、北斗市、当別町、新篠津村、松前町、福島町、知内町、木古内町、鹿部町、森町、八雲町、長万部町、江差町、上ノ国町、厚沢部町、乙部町、奥尻町、今金町、せたな町、島牧村、寿都町、黒松内町、京極町、共和町、岩内町、泊村、神恵内村、、積丹町、古平町、余市町、赤井川村、南幌町、奈井江町、上砂川町、由仁町、長沼町、栗山町、月形町、妹背牛町、雨竜町、北竜町、沼田町、当麻町、比布町、愛別町、上川町、上富良野町、和寒町、剣淵町、美深町、音威子府村、幌加内町、増毛町、小平町、苫前町、羽幌町、遠別町、浜頓別町、中頓別町、枝幸町、豊富町、利尻町、美幌町、津別町、清里町、小清水町、訓子府町、佐呂間町、遠軽町、湧別町、滝上町、西興部村、雄武町、大空町、豊浦町、白老町、洞爺湖町、むかわ町、日高町、平取町、浦河町、様似町、えりも町、新ひだか町、士幌町、広尾町、池田町、豊頃町、本別町、浦幌町、釧路町、厚岸町、浜中町、標茶町、弟子屈町、白糠町、羅臼町 【青森県】 青森市、弘前市、八戸市、黒石市、五所川原市、十和田市、むつ市、つがる市、平川市、平内町、今別町、蓬田村、外ヶ浜町、鰺ヶ沢町、深浦町、藤崎町、大鰐町、板柳町、鶴田町、中泊町、野辺地町、七戸町、横浜町、東北町、六ヶ所村、大間町、東通村、風間浦村、佐井村、三戸町、五戸町、田子町、南部町、階上町、新郷村 【岩手県】 宮古市、大船渡市、久慈市、遠野市、一関市、陸前高田市、釜石市、二戸市、八幡平市、奥州市、雫石町、葛巻町、岩手町、西和賀町、平泉町、住田町、大槌町、山田町、岩泉町、田野畑村、普代村、軽米町、野田村、九戸村、洋野町、一戸町 【宮城県】 石巻市、気仙沼市、白石市、角田市、登米市、栗原市、蔵王町、七ヶ宿町、村田町、川崎町、丸森町、松島町、七ヶ浜町、大郷町、色麻町、加美町、涌谷町、女川町、南三陸町 【秋田県】 能代市、横手市、大館市、男鹿市、湯沢市、鹿角市、由利本荘市、潟上市、大仙市、北秋田市、にかほ市、仙北市、小坂町、上小阿仁村、藤里町、三種町、八峰町、五城目町、八郎潟町、井川町、大潟村、美郷町、羽後町、東成瀬村 【山形県】 鶴岡市、酒田市、新庄市、上山市、村山市、長井市、尾花沢市、山辺町、中山町、河北町、西川町、朝日町、大江町、大石田町、金山町、最上町、舟形町、真室川町、大蔵村、鮭川村、戸沢村、高畠町、川西町、小国町、白鷹町、飯豊町、庄内町、遊佐町 【福島県】 会津若松市、白河市、喜多方市、二本松市、田村市、伊達市、桑折町、国見町、川俣町、天栄村、下郷町、檜枝岐村、只見町、南会津町、北塩原村、西会津町、猪苗代町、会津坂下町、三島町、金山町、会津美里町、泉崎村、棚倉町、矢祭町、塙町、鮫川村、石川町、玉川村、平田村、浅川町、古殿町、三春町、小野町 【茨城県】 日立市、常陸太田市、高萩市、北茨城市、潮来市、常陸大宮市、稲敷市、桜川市、行方市、鉾田市、城里町、大子町、美浦村、河内町、八千代町、五霞町、利根町 【栃木県】 日光市、矢板市、那須烏山市、益子町、茂木町、市貝町、塩谷町、那珂川町、 【群馬県】 桐生市、沼田市、渋川市、藤岡市、富岡市、安中市、上野村、神流町、下仁田町、南牧村、甘楽町、中之条町、長野原町、嬬恋村、草津町、東吾妻町、片品村、みなかみ町、玉村町、板倉町 【埼玉県】 行田市、秩父市、越生町、小川町、川島町、吉見町、鳩山町、ときがわ町、横瀬町、皆野町、長瀞町、小鹿野町、東秩父村、神川町、寄居町、松伏町 【千葉県】 銚子市、勝浦市、富津市、八街市、南房総市、匝瑳市、香取市、山武市、いすみ市、栄町、神崎町、多古町、東庄町、九十九里町、芝山町、横芝光町、白子町、長柄町、長南町、大多喜町、御宿町、鋸南町 【東京都】 檜原村、奥多摩町 【神奈川県】 三浦市、中井町、山北町、箱根町、真鶴町、湯河原町 【新潟県】 小千谷市、加茂市、十日町市、村上市、糸魚川市、妙高市、五泉市、阿賀野市、佐渡市、魚沼市、胎内市、田上町、阿賀町、出雲崎町、湯沢町、��南町、関川村、粟島浦村 【富山県】 氷見市、南砺市、上市町、入善町、朝日町 【石川県】 七尾市、輪島市、珠洲市、加賀市、羽咋市、志賀町、宝達志水町、穴水町、能登町、 【福井県】 大野市、勝山市、あわら市、池田町、南越前町、越前町、高浜町、若狭町 【山梨県】 都留市、大月市、韮崎市、上野原市、甲州市、早川町、身延町、南部町、富士川町、道志村、西桂町 【長野県】 大町市、飯山市、小海町、佐久穂町、立科町、長和町、阿南町、阿智村、平谷村、天龍村、上松町、南木曽町、王滝村、大桑村、木曽町、生坂村、筑北村、小谷村、坂城町、高山村、山ノ内町、木島平村、信濃町、小川村、飯綱町、栄村 【岐阜県】 美濃市、瑞浪市、恵那市、山県市、飛騨市、郡上市、下呂市、海津市、養老町、関ケ原町、揖斐川町、池田町、七宗町、八百津町、白川町、東白川村 【静岡県】 熱海市、下田市、伊豆市、御前崎市、牧之原市、東伊豆町、松崎町、西伊豆町、川根本町 【愛知県】 津島市、新城市、南知多町、美浜町、設楽町、東栄町、豊根村 【三重県】 尾鷲市、鳥羽市、熊野市、志摩市、木曽岬町、大台町、度会町、大紀町、南伊勢町、紀北町、御浜町、紀宝町 【滋賀県】 高島市、甲良町 【京都府】 宮津市、京丹後市、井手町、宇治田原町、笠置町、和束町、南山城村、京丹波町、与謝野町 【大阪府】 富田林市、河内長野市、柏原市、門真市、泉南市、阪南市、豊能町、能勢町、岬町、太子町、河南町、千早赤阪村 【兵庫県】 洲本市、西脇市、加西市、養父市、朝来市、宍粟市、多可町、市川町、神河町、上郡町、佐用町、香美町、新温泉町 【奈良県】 大和高田市、五條市、御所市、宇陀市、山添村、安堵町、三宅町、曽爾村、御杖村、高取町、上牧町、河合町、吉野町、大淀町、下市町、黒滝村、野迫川村、十津川村、下北山村、上北山村、川上村、東吉野村 【和歌山県】 海南市、橋本市、有田市、御坊市、田辺市、新宮市、紀の川市、紀美野町、かつらぎ町、九度山町、高野町、湯浅町、広川町、美浜町、由良町、みなべ町、日高川町、白浜町、すさみ町、那智勝浦町、太地町、古座川町、串本町 【鳥取県】 岩美町、若桜町、智頭町、八頭町、大山町、日南町、日野町、江府町 【島根県】 雲南市、奥出雲町、津和野町、隠岐の島町 【岡山県】 玉野市、笠岡市、井原市、高梁市、新見市、備前市、真庭市、美作市、久米南町、吉備中央町 【広島県】 竹原市、府中市、安芸高田市、江田島市、安芸太田町、神石高原町 【山口県】 萩市、長門市、美祢市、周防大島町、上関町、田布施町、平生町、阿武町 【徳島県】 鳴門市、小松島市、吉野川市、阿波市、美馬市、三好市、���浦町、佐那河内村、神山町、那賀町、牟岐町、美波町、海陽町、上板町、つるぎ町、東みよし町 【香川県】 さぬき市、東かがわ市、土庄町、琴平町 【愛媛県】 宇和島市、八幡浜市、大洲市、四国中央市、西予市、上島町、久万高原町、内子町、伊方町、松野町、鬼北町、愛南町 【高知県】 室戸市、安芸市、須崎市、宿毛市、土佐清水市、四万十市、東洋町、奈半利町、田野町、安田町、北川村、本山町、大豊町、いの町、仁淀川町、中土佐町、佐川町、越知町、檮原町、日高村、津野町、四万十町、大月町、三原村、黒潮町 【福岡県】 嘉麻市、小竹町、鞍手町、東峰村、添田町、川崎町、みやこ町、築上町 【佐賀県】 多久市、玄海町、大町町、白石町、太良町 【長崎県】 平戸市、松浦市、対馬市、壱岐市、五島市、西海市、雲仙市、南島原市、東彼杵町、小値賀町、新上五島町 【熊本県】 水俣市、上天草市、天草市、美里町、和水町、小国町、産山村、高森町、山都町、氷川町、芦北町、津奈木町、多良木町、湯前町、相良村、山江村、球磨村、苓北町 【大分県】 佐伯市、臼杵市、津久見市、竹田市、杵築市、豊後大野市、国東市、姫島村、九重町、玖珠町 【宮崎県】 串間市、えびの市、高原町、国富町、諸塚村、椎葉村、美郷町、高千穂町、日之影町 【鹿児島県】 枕崎市、阿久根市、西之表市、垂水市、曽於市、南九州市、三島村、さつま町、湧水町、錦江町、南大隅町、肝付町、大和村、喜界町、天城町
【全744自治体リスト】「消滅可能性自治体」を一挙公開…北海道から鹿児島まで 出産年代の女性人口が半数以下に 日光市や草津町も  |FNNプライムオンライン
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triflingdoodle · 2 months ago
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在日をやってると100
 最近、文章やスピーチをお願いされることがチラホラとあって、内心、「僕なんかに依頼して大丈夫なのか」と戸惑いながらもせっかくだしと引き受けては後になって後悔するというのを繰り返している。
 自分で読み返すと、語彙力も無いしなんて程度の低い感想文なんだろうと思うし、後になってあれも書けなかったこれも書けなかったと気が付いて反省することが多い。
 このブログでもシェアしたけれど、関東大震災の朝鮮人・中国人虐殺から99年目の2022年の9月1日にはGQ JAPANに「関東大震災朝鮮人虐殺事件から99年目──僕たちは差別を止める側、弱者を助ける側に回れるのか?(https://www.gqjapan.jp/culture/article/20220901-great-kanto-earthquake-massacre)」というコラムを書かせてもらった。2年経ったいまは在日クルド人をターゲットにしたヘイトスピーチがかなり危険ところまできていて社会はなかなか良い方向に進まないなと暗い気持ちになってしまう。  過去も現在も未来も、あの問題もこの問題も繋がっているというのがわかるようなのが書きたいなと思いながらなんとか書き上げて掲載してもらえたけれど、読み返すと、あのこともこのことも書けなかったし書くべきだ��たなと密かに反省していた。特に虐殺された中国人や社会主義者のこと。虐殺された社会主義者のことは僕の記事では完全に抜け落ちてしまっているし...。まとめて語られがちだけれど、数の多い朝鮮人の話がメインで語られる傾向があるけれど、そうなることでみえなくなっていることがある。虐殺された中国人ついてはぜひ @fukuyoken3daime さんのツイートの連投を読んでみてほしい。 (https://x.com/fukuyoken3daime/status/1830043385396342866)
 今年はいまのところ、2つのコラムを書かせてもらっている。一つは8月6日に発売された、広島から平和を希求するマガジン「TO FUTURE ZINE 2024 -ISSUE 18-」で、2023年と2024年の入管法改悪についての文章を書かせてもらった。もう一つは、先日開催された「スナック社会科横浜映画祭#2 特集:飯山由貴」の配布資料に掲載される文章。
   TO FUTURE ZINEの方はネット(https://online.recordshop-misery.com/items/88231992)で購入可能です。「スナック社会科横浜映画祭#2 特集:飯山由貴」の方ですが、公開して良いとのことなのでせっかくなので掲載しておこうと思います。作品をすでに観た人もまだ観たことない人も少しだけ違う視点をで作品を観れる文章が書けたらいいなと思いながら書いたけれど、読み返すとやっぱり上手く書けていないなと思ってしまって、あちこち手直ししたい気持ちになってしまう。でもいまそれをする時間の余裕もないのでそのままにしておきます。 
無題(スナック社会科横浜映画祭#2 特集: 飯山由貴映画祭 によせて) 
初めて飯山由貴さんの作品を観たのは、2022年10月15日、16日と京都の龍谷大学響都ホールでの「オールドロングステイ」の上映会に実行委員会の一人として参加させてもらった時だった。 
ヘイトスピーチデモのカウンター行動で知り合った友人が、 僕が入管収容の問題に関心を持ち 大阪入管に収容されている人たちや一時的に収容から解放された仮放免の状態で生活してい る人たちの支援をしていることを知っていて映画に興味があるのではと声をかけてくれた。 
入管の被収容者や仮放免者を支援するようになって、 難民、 犯罪等で在留資格を取り消され た人、 技能実習先から逃げ出すなどさまざまな理由で非正規滞在となりそれが発覚し収容され た人、ほんとうにいろいろな人と出会ってきた。 いつも支援をしながら 「特別永住」という在留 資格で生活する自分の状況と彼ら彼女らの状況を照らし合わせて考えてしまう。 
支援を始めてすぐの頃、「永住者」 が犯罪で在留資格を取り消され退去を迫られている現実に 衝撃を受けた。「日本にしか生活基盤がない人に帰れってどういうこと?」 という僕の素朴な疑 問は世間一般の日本人にはなかなか理解してもらえない。 
難民が入管に強制的に収容されているというのも衝撃だった。 「特別永住」の在日朝鮮人の 中には戦後、政治的な迫害(済州島四・三事件など)から逃れるために「密航」してきた人たちも いる。 元技能実習生の面会では彼らが戦前戦後の朝鮮人労働者の状況と重なった。 
特別永住の資格ができる狭間で在留資格を得られなかった韓国人の老夫婦の帰国の支援を したことがある。 最初は「密航」で日本に来日し、親戚を頼って生活していたが、あるとき摘発さ れて大村収容所に収容され強制送還となってしまった。 「特別永住」の資格ができたあとに観光 で来日し、在留期限が過ぎた後もオーバーステイのまま滞在しずっと大阪でひっそりと生きてた という。 僕と出会った時の夫婦の年齢は80歳前後。 病気で倒れるまで現場作業でバリバリ働 いていたけれど、 非正規滞在のため健康保険も非加入で公的支援も何も受けられず、どうにも ならないと帰国することになってしまった。 1度目の強制送還がなければもしかしたら 「特別永 住」を取得する道もあったんじゃないだろうか。 僕よりも長く (最初の来日から数えると50年 以上)、ただ働いて生きてきただけなのになぜ医療も生活保護も受けられず日本から追い出さ れないといけないのかいまだに理解ができずにいる。 
日本人と外国人の間に引かれた線、 特別永住の外国人とそれ以���の外国人の間に引かれた 線、 永住の外国人とそれ以外の外国人の間に引かれた線、 あちこちに引かれた見えない線がほ んとうに正しいのか社会に問いかけるにはどうしたらいいのか。 そういうことを日々考えてい たときにたまたま観ることになった「オールドロングステイ」は大きなヒントをくれたように感じている。  外国人登録令による日本国籍喪失とその後の参政権や社会保障からの排除、 民族教育を否定 する通達、日本国憲法の制定過程など植民地主義を根にするさまざまな問題、ハンセン病療養 施設における朝鮮人差別と格差是正運動、 帰化制度における差別、 在日朝鮮人の中の障害者差別など、 在日であり障害者であることで受ける差別の背景に広く深く迫ることで引かれた線を次々に可視化しているのが良かったし、普段はなかなか可視化されない声なき声を描くのに、安易にわかりやすくして伝えない、受け手の本気度が試されるような表現の仕方もおもしろいと思った。  その後に観たのは、戦前に都内の私立精神病院に入院していた2人の朝鮮人患者の診療日 誌のことばをモチーフに、ラッパー・詩人の FUNI の声と身体で映像化した作品「In-Mates」。 この作品は東京都の指定管理施設「東京都人権プラザ」で開催された企画展「飯山由貴 あな たの本当の家を探しにいく」 (2022年8月30日~11月30日) において上映が禁止とさ れて大きな話題となった。 (詳細は記事を参照→東京都人権部による飯山由貴 《In-Mates》上 映不許可事件は、何を問うのか https://t.co/7fk561FzCn )
上映禁止について語られることが多いこの作品。 自分自身が在日朝鮮人であり、さらには父 親がアルコール依存症で精神科病棟に強制入院となってその中で死亡していること、そして、今 現在、入管の収容施設に強制収容されている人たちや、仮放免という身分で一時的には外に出 られたものの、 就労も、 健康保険加入も、移動の自由も制限され、ほとんど何もできない生活を 強いられている人たちの支援をしていることもあって、 強く心を打つ作品となった。 患者 A、患 者Bの生きてきた環境やそれによって形成されたアイデンティティを想像すると言葉にならな い感情が湧いてきた。 
入管の被収容者や仮放免者の支援をするようになって”自由”に対する感覚が随分とかわっ た。 アクリル板の向こう側、 握手すらできないところで何ヶ月も何年も小さな部屋に閉じ���めら れている人との会話。 仮放免された瞬間の表情としばらくして就労もできず結局は自由がない 生活に苦しんでいる表情。 
「In-Mates」のエンディング、ニーナ・シモンの「I Wish I Knew How It Would Feel To Be Free」は支援で出会った人たちの表情を思い出してしまいとても重かった。 
無いことにされてしまっている声、 叫びに気付き可視化していく飯山由貴さんの作品。 この先も追いかけたい。
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nyantria · 6 months ago
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【ワクチンを警告してくれていた著名人】
窪塚洋介、成宮寛貴、山田孝之、GACKT、長渕剛、ワンオクTaka、ブラマヨ、高岡蒼甫、松本人志、松嶋尚美、竹田恒泰、古市憲寿、明石家さんま、オードリー若林、ほんこん、須藤元気、古舘伊知郎、小籔千豊、華原朋美、北野武、ASKA、辰巳琢郎…
参政党、チャンネル桜、中川淳一郎、HEAVENESE
ボクサーの村田諒太さんもコロナやワクチンに否定的だったと思います
泉大津市長 南出賢一さん
女優の水川あさみさんが、陰謀論者扱いを受けて、石原さとみさんとごちゃごちゃあったと記事になっていた事があります
ローラ!
漫画家の倉田真由美さん
百田尚樹氏も「ワシは反ワクチンではないし、打ちたい人は打てばいいと思うが、まだ疑わしいと思っとるので様子見」と公言、そのまま現在も打っておられないようです
格闘家の朝倉未来選手。自身のYouTubeで、未接種だということと病院で医師に心臓系の病気が増えてると聞いたことを伝えてくれてます。
北野たけし「これ、見えないオバケをみんなで怖がってるだけじゃないの?」
ASKAさん。イベルメクチンについても言及されています
ロバート・ケネディ・ジュニア米大統領候補
ボルソナノ大統領(ブラジル)
宇多田ヒカルさんもマスクにびっくりしたそうです
名古屋市 河村市長
加藤登紀子さん。特に子供のワクチンについて、異議をTweetしてました。辰巳琢郎さんもです。
井原剛さんはどうかな?
高橋ジョージさん
CBCの大石アナも仲間に入れてください
武田邦彦先生
やりすぎ都市伝説の関暁夫
元ファイザー副社長、AK-69、西川貴教、カンニング竹山、マツコ・デラックス、菜々緒、キングコング西野さん、田母神俊雄氏、馬渕睦夫さん、及川幸久さん、船瀬俊介さん、斎藤新緑さん、参政党メンバー、みちょぱ、世良公則
山本太郎さん、伊原剛、木村正治さん、近藤 誠先生、坂本美雨、ジョコビッチ、お笑いのシルク姉さん、高木沙耶さん、ボクシングの村田諒太、宮澤孝��さん
エリック・クラプトン、内海聡氏、ロート製薬代表取締役会長の山田邦雄さん、【北海道】札幌禎心会病院、占いのゲッターズ飯田氏、所ジョージさん、高橋一生、DABOさん、格闘家の小見川道大さん、ガーシー
苫米地英人博士、小林よしのり先生、ジャニーズWESTの中間淳太くん、YouTuberアキラボーイさん、武井壮、TBS井上アナ、養老孟司さん、池田清彦さん、柄本明さん、
熊本県知事候補者 毛利秀徳さん、三宅洋平さん、田中昌之さん、千原ジュニアさん、
片岡ジョージさん、ロンブーの田村淳、松田学さん、SUGIZOさん、中野博、アーチストのsilvaさん、木村拓哉の母、まさ子さん、北村弁護士、ドゥテルテ大統領、YouTuberのミッツ
コロナワクチンが出来た直後にその怪しさを指摘した苫米地博士
苫米地英人は現在から考えてもかなり良い情報を出してたな
ミュージシャンとか表現者で異議を唱えなかったやつは作るものもニセモノってことじゃないの
特にロックとか��ンクで
ラッパーも追加でw
スピリチュアルリーダーとか占い師とかそれ系も
こんな茶番すら見抜けない能力って
コロナは概念プランデミックみたいな漫画が増えなかったのも残念だな
いつも風刺漫画描いてた人もコロナはガン無視でつまんなくてファンやめた
タマホームの社長を忘れてはいけない
これはニュースになったから
個別芸能人やユーチューバーより
知ったきっかけになったよね
ジョコビッチもBBCが取り上げてたな
大阪府泉大津市長の南出賢一
麻生は会見かなんかでマスクかシールドを「いつまでやるんだこれ」ってマスコミに言ってたのは見た
ごぼうの党党首は行く先々で人に感謝されている
「あなたのおかげでワクチン打たずに済みました」
新潟大学名誉教授岡田正彦
長渕もワクチン発言してたの?
そう言えば長渕剛も女優にレイプ告発されてたな
ということはあれもワクチン絡みのネガティブキャンペーンか
西川貴教はワクチン推奨
政治家とかマスコミとか茶番ってわかってるやつらはマスクもしてなかったやろ
the pillowsの山中さわお
古舘伊知郎
初期からワク害報道してくれたのは
地方紙では中日新聞/東京新聞、河北新報
雑誌ではポストセブン、ゲンダイとかですね
心強かった
自分はバラいろダンディの苫米地氏とnoteの荒川氏でした
御二人には生涯感謝致します
お二方に救われた人は少なくないでしょう
でも彼らを知ってる時点で反ワクチンの素養が元々ありですね
苫米地のツイートで身構えたなあ
マイケルイードン博士
「打ったら2年以内に死にます」
2年以内に死んだ人たくさん居るだろうな
死ななかった人も遺伝子置き換わってる可能性があるし、スパイクたんぱく質は一年以降ものこり、そのままではなかなか消えないそうだ。
干されたり消されたりしたのがホンモノ
まだ生きてるのは台本にセリフが残ってるだけの演技者だから
記録しておかないとね
これ1番大きな機能は(他にもサツ用機能満載)遺伝子製剤だから
大半に病気出てくるのは3〜5年後なんだよね
今まで出てるのは単なる前夜祭なだけで
これマジだよ
英国の著名医の話でもそれ念押してた
数日前のインタビューだけどね
マジいい気味
これからが
死亡祭りなのに
何考えてんの?
当然猛毒との関連はアホだから無知のままで死んでゆく
ピーポーピーポー 死んでゆく♪
ピーポーピーポー 死んでゆく♪
馬鹿信者ども、
山田孝之は朝倉未来とYouTubeで人狼やってたな
そこにいたメンバーもしかしたら未接種多いのかな
毎回メンバー変わってるけどロンブーの淳や水川あさみが参加してたこともあったから
赤西仁、錦戸亮、佐藤健、城田優、オリラジ藤森とかもいたけど彼らはどうなんだろう
ワクチン派ひろゆき氏と反対の高岡蒼佑氏…コロナ禍での対立構造
2021年09月13日 フライデー
一方、元俳優の高岡蒼佑氏は「反ワクチン派」として最近有名になっている1人だ。
自身のインスタグラムのプロフィールには《#コロナは茶番 #TVは真実こそ報道しない》と書かれている。ストーリーでは“ワクチンを打ってしまった”という一般ユーザーに対し
《遅くないです 解毒していきましょう ビタミンCを摂りニンニクも有効 血栓を溶かしましょう 意識的に亜鉛も摂り入れましょう みんなで生き残るんです》
とアドバイスを送っている。
21年の9月にこう言ってるのかよ
まさに二回目ワクチン追い込み期だな
これはすごい
宮崎あおいと結婚してただけあるわ
お騒がせ奴かと思ってたけど正しいよね
奥野卓司もコロワクの危険性を訴えてたなそういや
とろサーモンはどっちも打ってないって言ってた
今��知らんけど
そういえば警告したの男性ばかり
日本の女に生まれたの恥じるわ 世間狭い頭悪い 勘も悪い 整形だけで生きてる連中
当然海外出てこんなクソ語学能力ゼロの場所捨てといて助かったわ
日本の女は卑屈
くらたまが居るじゃん
ニコニコ動画がワクチン情報フルオープンで助かった
つべは藁人形レベルの人が検閲してたからな
やばみしかない
ワクチン接種勧めてた奴らが非難され始めたね
証拠残ってるから逃げられないよ
【ワクチンを警告してくれていた著名人】窪塚洋介、成宮寛貴、山田孝之、GACKT、長渕剛、ワンオクTaka、ブラマヨ、高岡蒼甫、松本人志…
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ak794itomugi · 11 months ago
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Tumblr media
はやいもので年末です。黙ってタグなしで只管絵をお届けていているだけのtumblerで毎年恒例の文字の記事です 最終回のノッポさん現象かな?
今年の振り返りの時期となりました! 今年は頭からなんとリアルで仕事で成功して、私が想定してる以上にすごいラッキーな感じでした。 難病の身の私自身ですが配慮の上、仕事環境としても周囲の人とすごく仲良く、楽しく仕事させていただいていて本当に感謝感激です。 マジでこの仕事に昨年転職して本当に良かったです。 とはいえこれはリアルじゃなくてオタクとしての振り返りなので、そのあたりはほどほどに、 今年はオタクとしても本当にハッピーなことが多かったので、細かく分類した上で振り返っていきます。
■同人誌 今年出した本は表紙のギミック多めの本となりました。 全てがもこもこの顔料箔を使った本と、透明な表紙の本は一回作ってみたかったので実現できてハッピーです。 どちらも無事完売しておりますが、数的に圧倒的に人の手に届かなかったという事もなくて一安心です。
あとはオンデマンドでも、ほぼほぼトナーがテカらず、オフセットと遜色がないと言う話を聞いて、���リキュアの無配の本で試してみましたが、本当に感動ものです。 オンデマンドだからこそできるものもあるので、来年はこれを活かした本を作る予定です。
また今年でおおよその漫画在庫は全てはけました。 数年前のなどがいっぱいあったのをここらでちゃんと綺麗にしとこ!ってサークルの方針なので、最終回とかではないです。 来年は2冊すでに予定ありなので年始からもちもち作っていきます! とりあえずとても可愛い本と、可読性を維持した多層型の本の設計図を組んでいきます
あとこっちでは全く言ってなかったんですが、サークルのtumblerできました。 実はこの記事を投稿したとほぼ同時にリンクも、これまでほぼ機能してなかった告知系のタグの所に代わりに接続しちゃってます 実はここのtumblerの投稿物も一部見えるロジックにしてるので、軽く見たい人は向こうに切り替える事もできます。
作った経緯としては、今年一年でSNSの事情も不穏な影が入りつつあるのですが、いくら趣味でも金銭のやり取りが発生する活動をしている以上、 告知の場所となるSNSの所を移動する戻るを繰り返すのは混乱を招くと考え、 安定性のあるかつ、活動履歴がちゃんと残るwebサイト的な形式のものを作ろうと提案してあんな感じになりました。 サークル活動が今年で5年になる節目の年なので、ここまでくると妖怪同人趣味みたいなものですし丁度良いかと思います。
■二次もしてるジャンル関連 東方は新作でましたね。 去年から畜生のおやすみシリーズを描いてたのも含めて、ものすごく久々にピンポイントなものが来て笑いました。 新キャラは基本一年待ってからと思ってたんすけど、流石に回避ができなかったので全員何らか漫画を作成して年末を迎えてます(残無だけ公開来年ですが)
あとは以前からのpixivのまとめなどを昨年の末に見返す機会があった時、近年高カロリーな排出の仕方をしすぎているのでは?って事で、緩急をつけるために、今年からキャラメインの横型のイラストで全キャラリレーも発射しました。 見てる方はどう思ってるのかアレなんですが、改めてキャラのパーツを知る、考える重要な機会なのと、 何よりコストの低さから休まるから大変良いです。 横型終わったら縦型で続ける予定です。
今年1番触れ合ったキャラとしては畜生界のおともだちと久侘歌は今年の8割くらいの期間ずっと描いてた気がするんですが、 流石にここまでくると慣れてくるものの、新作きたので、畜生界の方はタイミングが遅れていますですが一年待機、 そして元々完結してからは久侘歌は元々原作から結びつけて考えられる、彼岸組との組み合わせメインに戻す形をとっています。 ていうか、単純にもうこの組み合わせマジで6作品くらい結構なボリュームで出してるので、流石にネタが豊富なわけではない為単純に一旦休みたいです。私がバケーションする番です。 その間にきっと各々で素敵だったりメジャーな組み合わせもできるでしょうから、皆さんはそれを楽しむのよ!
あとはプリキュアですね。私の事を前々からご存知の方だと有名なのかアレなんですが、 そもそも私はプリキュア大好きで、二次創作せずオタ活していたジャンルです。初代から全部見てるよ! たまーに描いてはいたんですが、本当にちょろっとなので、こういう場や、ファンボの雑記で度々映画みたよ!とかの形で話題に出ていた感じです。 ただ今年はなんかサークルメンバーみんなどハマりして、なんか気づいたら再集合してたので、今年は珍しく描きました。
経緯としては私はそもそもプリキュア摂取してない日がないので、ひろプリを見る前に時間があったから、まほプリ見ちゃお!ってなったのに、主宰も見よ!!!って誘ったら、ノって見た向こうが超加速でどハマりした感じです。こわい この2ヶ月後に続編の報せが来るとは露知らずで あれは私もマジでビックリしてます。本当にガチで偶然です。
そこから平日は過去作鑑賞会をサークルメンバーみんなで、休日はひろプリやオトナプリキュア みたいな、みんなも私と同じような生活してる?!?!?!って感じになってます。 サークルメンバーとは初代〜5GoGo、ドキドキ、魔法、HUG、デパ、ひろ(リアタイ)を見ました。 今はトロを見ている感じです。トロ良いよね好き
主宰とまぁ3年ほど久々に共通ジャンルで活動できるようになったので、2ジャンル継続で来年も作って行く予定です。 いよいよ昔から好きな作品を描いている状態になってます。いつか幻想水滸伝とかポップンもきたら笑うしかない奴です。 今年の5月と11月に設けた、ジャンルのまともな絵と落書きのバランス反転をさせるのは個人的な気持ちの換気にもなったし、すごく楽しかったので、これも来年2、3回実施を予定してます。
■普通の生活とかオタ活とか 原稿とか以外だとひたすらポケモンしてた気がします。 元々プリキュアメインにオタ活してたんですが今年上の項目になったんですよね、これが。 なのでプリティストアとかそれ以外ってなると、ポケモンセンターでツンベアーぬい買ったり、 レイドに潜り込んだり、DLCではしゃいだりとかとか。 他にもマッドラットデッドをやっと買ったので楽しんでたりとかちょいちょいしてます。 アニメ���これも遅れてですが王様ランキング見ました!!!!とても良い!!!!!!単行本気になってたんですが、アニメと違うと聞いたので、先にアニメを見た感じです。えがっだ こう書くと摂取量ほんと少なくて笑う
映画はゴジラ見ました!!!良!!!! オールスターズFを試写会含めて6回ほど見てたのですが、ある時一緒の日に見たら気持ちの乱高下が凄かったです あと君生きも見に行きました この時例大祭の時期からその日まで本当に仕事忙しすぎてやばかったので、開放感と共に見て すげぇ世界観じゃん(小並感)ってなりました
それから三重旅行にもいきました。 これは結構事細やかにレポをファンボックスに書いてるので、気になる方はそっちでよろしく!
みたいな感じで、6月以外は月のどっかに必ず何かイベントが挟まるような生活だったんですが、仕事に追われてました!!!! 畜ではなく楽しくやってますし、量やばい分お金はたくさん頂いてますが、こう見ると本当に仕事の記憶しかないです!!!!
急に小並感すごい項目になったな
■総括 色々ありましたが今年はいつもよりサブカルも楽しい一年になりました。 とはいえ、例年より体調不良が多い年でもあり、特に後半以降は寝込んでる日がちょいちょいあったなぁとなります。 昨年にコロナに罹って以降はかなり気をつけていたものの、寒暖差がえげつなすぎて負けました。 もはや私がどうってより地球がどうって話な気がしますが、もっとしっかり対策しないとなとなります。
来年は色々リアルが忙しいのと、背骨をやってしまったので、今年よりも低カロリーでいく予定ですが、 オタクはやめれない(人間の業)ので、のんびり楽しくしていると思います。
それではよいお年を!
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kaoriof · 6 months ago
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(昔の日記です、お気に入りの文章教えてくれたらモチベになります……)
日記
その日は朝からジョギングをした。いつも昼過ぎぐらいに起きていたから、朝8時の街のざわめきがあんなにも違和感なく受け入れられていることに驚いた。結局少し走っただけでくたくたになってしまった。川を眺めながら、ゆっくり、ゆっくり歩いて帰る。鈍色の川だった。1週間に1回くらい、いままで生きたすべての生きものの屍が、地を踏む私の足裏のずっと奥底にしずんでいることを思い出して、不思議な気持ちになる。恐竜もそう、目に見えない小さな微生物も灰ほどの大きさになって光景の一部にちゃんと溶けている。そのことに深く安心して、わたしは好きな人たちのことをちゃんと思い浮かべられる。調べたら、紀元前5万年前から今までに誕生した人間を合わせると、1082億人もいるらしい。1082億人もの人間たちが流した血を、蓄えた知恵を、つないでいった命のことを考える。丘丘を越える風や、夜と花との匂いに触れると、結局いつもそんな想いに辿り着く。昼からは医療脱毛の予約が入っていた。ほぼ素っ裸になって赤い水性ペンで体のあちこちに線を引かれて、ぱちぱちした熱くて痛い光に耐える。わたしの褐色の身体だっていつかあの、���いところにある脆い、目に見えない、灰になってしまうのになあ。電車に揺られながら、ゴミ溜めに差す光を見つめていた。小説の中の、「眼を傷つけるほど鮮明に」という表現を気に入ったので、メモに残す。細い雲が花嫁の白いヴェールのように空に広がっている。なんだか浮かれていた。アルバイト先で出勤打刻を入力して、都合よくふたりきりになった同期の男の子に思っていることをべらべらしゃべってしまった。なんかもう誰に何を思われるとか誰かと何かをくらべるとかそういう事柄に鈍くなっている。バイト前に控え室に入るといっつもからだをじろじろみてくるあの人、ふと見たら私の足を見つめてて、それ以来マジで無理になっちゃった。なんかたまたま目に入る情報の引きのわるさに自分でもびっくりしちゃうの。街歩いてたらちょうどだれかが小便してたり、ちょうどネズミが裏路地からでてきたり、恋人と上手くいってない時にインスタを覗けばちょうどだれかの記念日だったり、そういうの。でもこのあいだ西加奈子の白いしるしっていう本を読んだんだけど、富士山に関係している話で、それでたまたまわたしも来月山梨に行くの。こういう「ちょっとラッキー」みたいな軽くてふわふわした柔らかな偶然が、積み上げられたいやーな記憶を許してくれる。こんなことを永遠に喋っていて、性格が悪いと思われるかもと不安だったけど、その人の方がわたしよりも5億倍くらい性格が悪かったので、あとはふたりでお偉い人が休憩から戻ってくるまでげらげら笑った。その夜はなんだかお酒でも飲みたかった。それで全て忘れ去るのは惜しいけれど。読まなきゃいけない本よりも読みたい本を読もう。学ばなきゃいけないことよりも、からっぽにみえる毎日のしずけさに意味を見出したい。恋人に別れを告げたのは自分なのに、会ったら触りたくなっちゃった。そういうこともあるよねー
無題
この人でいい、じゃなくて、「この人がいい」という感覚と大事にしていきたいと思う。4連勤目、ありがとうの一言も言えない禿げたひとたちにへらへら愛想を振りまく。やさしさに見返りを求めてはいけないなんてほんとうに馬鹿げている。わたしは自分に見合う対価をいつだって求めてるし、それを与えることこそが相手への敬意を表明する最適な手段だとずっと信じている。なんかもう無理、みんなキモイ。足裏も首も肩も痛い。インターネットばかり眺めていたら、夕陽の映る海も連なる山々も消費するものの1つに思えてきて、相当心が疲れているんだなあと自負する。色欲も皆無で、今ならどんなイケメンであろうと抱かれない自信があるくらい。言葉にできない日々こそ尊いのか��はたまた言葉に値しないものなんて、記憶されるに値しないものものなんてその程度なのか。通り過ぎた過去と進むべき未来の間で、ただ棒立ちしている。ただ、減っていくフォロワーの数値を眺める。わたしがその人の人生からいなくなる瞬間に、前よりもなんかすこしだけほっとする。
無題
ふと、あーこんな文章書くのやめて男子高校生のフリして架空の日記をつらつら綴っていきたいなーなんてことを思った。好きな女の子が教室に入ってくるあの瞬間に世界の色が変わって、空間がぐわんと無音で一新するかんじとか、廊下にひびきわたる古びたオルガンの重低音。蛇口から溢れる生きものみたいな水に顔をうずめて、あつい夏をのりきる。シャトラルランのアナウンスに合わせて、きゅっきゅと靴が床の光沢を擦る。太陽はギラギラ照って、それと同じ純度でみんなの肌が光る。時間にゴールテープがあったら、あと何回わたしはそれを切っていけるのだろう。いまはもっぱら実家暮らしを卒業したいと思っているけれど、いつか女であることを卒業したいと思う日がくるのかもしれないしそういう不確かなことばかりで全部うごている。ガガーリンの「地球は青かった」という台詞は有名だけれど、あれ、ほんとうは「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」と言ったとする説もあるらしい。わたしたちみんな青いヴェールをまとった花嫁のように生きていきたい。不確かで不透明な身体、心、ちいさな葛藤や、変化、醜さを直視する必要なんて全くないんだ。
無題 
黒いワンピースを大学に着て行ったら、先輩に黒が似合うと褒められた。わたしが可愛げなく「黒なんて誰でも似合う無難な色じゃないですか」と返すと、黒が似合う人ってほんとうは2割ほどしかいないらしいよと言う。でも先輩、黒いウェディングドレスなんてどこにもないじゃないですか。
とことんついていない日が続いている。空きコマにカラオケに立ち寄ったら、店員の不手際によってひどく待たされた。しかも音質がぼろぼろで、もうなにを歌っても音痴に聞こえてしまって、さいごのほうは泣きながら宇多田ヒカルを歌っていた。やることが多すぎて、依頼書添削の通知が深夜2時にきたりする。ぜんぶやめたい。
大学の学祭実行委員をやっているのだけど、新規統括が決まった。これから新規が入ってくる中で、だれがどういう立ち回りをするか。新規統括の下にチームリーダーも2人いて、みんな多分わたしと同じくらい忙しいのに同じチームの人のタスク管理まで把握しているし、守らないといけない表記基準もちゃんとおぼえている。人の振り見て我が振り直せっていう諺、あったなあ。今は等身大にきこえる。
無題
ぽつぽつ��した雨の音が家をまあるく包みこむ。包丁で水気の多い野菜を切る音やテレビの雑音を絡めながら一つの線になってゆく音の波に赤ん坊のように心を揺らされる。ときどき、だれかに肌で肌に触れてほしくなるときもあるけれどなんとか平気。朝起きて、しわしわになった白いベッドシーツになぜだか生きていたことの証を感じとって、朝からふわふわした気持ちだった。成り行きから友人と文通をすることになった。最近は眼鏡がこわれて、イヤホンをなくして、ほかにも不運だと思うことが何件かあった。それでもどんどんに綺麗になっていく自分のうつくしさや、河川敷でからだを動かした後の汗ばんだ首元を冷やす風、そういうものにその都度救われていく。文章を書くのだって、すこし書かないだけでとびきり下手になったような感じだけどこうやって振り子のようにあちこちをいったりきたりして自分の居場所を掴んでいくと妥協できるようになった。わたしもほんとうは妥協を信仰とよびたいよ。書くの難しい、日記の練習。
反逆
朝から訳あって母と銀行に行かなくちゃいけなくなった。暑くて全部が嫌だった。道すがら、誤って小銭を何枚か落としてしまって困っていたのだけど、母はそれにすら気付かず歩く足を止めなかった。一度も振りかえらないまま。その瞬間、ああこのひとはこういう人なんだ、と思った。あなたが母親としてすべきことは娘の束縛でもスケジュールの管理でもなくて、隣に立ってあげることなんじゃないの?って、込み上げてくる怒りを必死に押し殺す。もうどうでもいい。わたしは宗教がきらいなわけではなくて、それに付随する人間の因縁がしぬほどきらいなのだと気がついた。
昨晩、大学の唯一の男友達とたらふくごはんをたべた。ありじはやさしいから全人類が惚れる、これまじ、と言われて心がほかほかした。「俺はさー親の束縛とかあんまなくて。朝帰りとかしても、母親、いつもと変わらずに何食べる?って聞いてくれるんよ。あーうどん、あったかいの、っていうと隣でつくってくれてさー」みたいな話を聞いて、母になる日がきてもこなくても何よりも大事にすべきなのってそういうあったかさ、優しさであってほしい。テーブルにあった占いボックスみたいなのに100円いれたら、吉と書かれたうすっぺらい紙がでてきた。ラッキーカラー青。次髪染めるならブルーブラックかな、そう思った。ちなみに男友達は「緑の人」って認識されたいらしくて、いつも緑の服着ててまじでおもしろい。
新宿駅は夜でも、バチバチに光っていた。帰宅して、そのあとは元恋人の友達と夜通し通話した。間にしょうもない下ネタをいいながら、ほぼ恋の話。エロい台詞を言わせたりして、ゲラゲラ笑った。毎日筋トレしてたら、足が細くなって、気持ちも前向きになった。でも、朝起きたら元恋人のインスタに載ってた私の写真が削除されていて、気持ち的には2度目の失恋だった。一度、私にもプライドがあるし元彼に連絡とかしたくない、と言ったとき、じゃあそのプライドを最後まで突き通しなよと言われたのでわたしはほんとうに最後まで突き通した。こんな美人でやさしい女を振るとかまじで勿体ねーっていう強さをおかずに生活を食ってるよ、ほんとうにすきだったんだ。
無題
高校時代、すごく仲のよかった友人にはじめての恋人ができた。このあいだ新歓合宿にいったの、といって見せてくれた写真、ほんとうにどれも眩しかった。わたしは大学に気の置けない友人が数人しかいないし、おまけについこのあいだ振られた身なので正直心の底から同じ目線でよろこぶことができなくてとてもつらい。ほんとうにいちばん救われて、いちばん好きな友達だったからこそなおさら。というか、さいきんずーっと無気力で、与えられる日々を過ごすというか半ば消化するような感覚でうけとめている。こうやってみんなそれぞれ離れていくのだとおもうとすごくさみしい。彼女にとって、わたしにとって一番だった関係性が、いつしかくずれてしまうのではないか、もう崩れてしまっているよでは無いか。そんなことをかんがえる。気休めにカフェでチャイティーラテを頼んだんだけどクソまずい、救われない。じぶん、はじめて付き合ったとき、どういう気持ちだったっけ。わたしの人生だからわたしがきちんとそこに価値や意味を与えないといけないのに、横たわって天井ばかり見て、挙げ句の果てに他人に妬みすら覚えてしまうのってすごく阿呆らしい。うらやましいな〜〜〜結婚するのかな〜握っていた手を手放されてしまったわたしにとっては、彼女が今一番求められているという状況は嬉しくもあり、うらやましくもある。海を背景に男の子と裸足で駆けだしたりするのって幻じゃなく存在するんだ。なんでこうもひとと比べてしまうのかわからない、何でそんなに上手くいくんだろう、なんでわたしだけこんなに不運で、こんなに寂しくて、こんなにつらいんだろう。だれしもが闇を抱えているのにそれを無視して、わたしだけ、わたしだけ、と卑屈に叫んでいるからバチが当たったのかな。去年、彼女とふたりで予備校へむかうとき、「はじめて」って片道切符だよね、なんてことを話した日もあったのに。もうほとんど大学に馴染むとか、ともだちつくるとか、学チカとかぜんぶぜんぶ諦めて、必要だけどこころの栄養にならないものは先送りにして隅に追いやって、ただひたすら本読んだり映画見たり、観葉植物に囲まれた生活をおくりたい。天気がいい日にはフラッと海に行って、そこにひとりでいるひとがいたら話しかけるとか、そういうところから心を元あった場所に置き直す努力をしないとこのままいちばんうつくしいとおもっている10代が終わってしまうなんてあまりに耐えられない。余裕がなさすぎるから5,000円の寿司料理を食べにいきたい。花を生けたい。北海道の僻地へ一人旅したい、新潟の温泉とか和歌山の麦畑とか。ちっちゃなドラゴンをこころに飼いたい、人差し指くらいの蛇のタトゥーを掘りたい。意地悪な天使みたいな女の子になりたいし、やさしい悪魔みたいな男の子に好かれたい。バイトでお客様の身分証をみてそのひとの住所とか名前とか生年月日を手入力するんだけどなんか、その作業をするたびに不思議な気持ちになる。当たり前のようにみんな違う名前で、違う日に生まれて、違う人生をおくっている。世の中わたしがしらないことで成り立っている。わたしは頑張っている、がんばることなどなにもないはずなのに頑張らないといけないことがとてもつらいけど、人生そういうもんですか?
無題
大切な人たちはこれからわたし以外のひとたちにも大切にされてゆく、でも。私はどうだろうか?なんてことを考えながら天井を眺めている。2限が終わってから、駅で待ち合わせて委員会のメンバーとはじめて会って昼食を食べた。そのあと用事があったけれど時間が余っていたので学校へ戻ったら、さっきの授業で同じ教室にいた女の子ふたりが外のベンチでたのしそうに話していた。雨ニモマケズ課題ニモマケズ。積み重なる焦燥感。積み重なると言うより色味が強調されてる感じ、わたしだけモノトーンの世界に取り残されている。木々がわさわさ揺れる。ともだちも好きな男もいなくなったときのために、ずーっと居たくなるサイコーの部屋をつくるぞ!と思って、観葉植物とプロジェクターとイエローのベッドカバーセットをポチる。ありったけのエネルギーをつかって見栄を張っているだけで、けして強くはない。気を緩めば赤ん坊のようになみだがぼろぼろでてくる。努力しているのだ。うつくしい写真を撮ろう。恋人はいるけど上手くいってるのか上手くいってないのかよくわかんない、けれど以前のように自分のことを犠牲にすることは少なくなった。今はわたしの相手をするのを面倒くさいと思う人に割く時間なんて1ミリもないと思っているし、だったら一人でしらないひとと酒を飲む方がまだマシ。外に出ればいくらでも拓けた空が存在していて、孤高になりきっているかのように風が吹く。汗をかけば涙なんて用無しだし、歩いて歩いて歩きまくれば、一瞬くらいは生きててよかったと思えるものが転がっているはずで、じぶんはそれを受け止めるのに値すると思っている。もうすぐ19になる。自分に時間を割くこと、自分への愛を惜しみたくない。だれかに想って貰うこと、だれかを想うことにはいつだって悲しみが伴うから、それをちゃんと受け入れられるくらいに。
無題
なんでわたしはふつーに生きていけないんだろうってずっと思っていた。母も父も日本の恵まれた環境でわたしを育ててくれたは良いものの、父は英語主体の企業��勤めていて、母に関しては日本語は流暢に喋れるものの読み���きは未だに不自由。小さい頃から携帯電話の契約書も学校の書類もすべて弟の分までわたしがこなしていた。想像してみて欲しい、12歳の少女が契約書の堅苦しい日本語を解読している様子。みんなが両親に綺麗な字で書いたもらった保護者会やPTAとかの同意書の中で、ひとり浮かないように1文字書くのに1分かけて、わたしの字とバレないように普段は字の汚い女の子を演出していた。日本人の集団に馴染むのが早かったのは、それくらい妥協や諦めを得るのがひとよりもはやかったということ。まわりの大人はみんな神様について話したがっていた。かみさまってなんだろう?かみさまなのに、自分でなんでもできるのに、なんで人間なんかにこだわるんだろう?さみしいのかな?なんて思っていたけれど、「かみさまは全能なので寂しいなどとは思わないのよ、許しを乞いなさい」そう言われてしまった。わたしのやさしさも、ときにはだれかにとって、間違いとなってしまうことを知った。自分のことを、昔も今もとてもやさしいと思っている。けれどそれは人に優しく接することで自分は善良な人だと信じたいだけなのだと最近思う。自分は世界から優しくされるべきだ、人に愛されるべきだと、自分のことを肯定したかった。インターネットをはじめたばかりの頃、世界には寂しい人間がこんなにたくさんいるんだと知って、それが救いだった。たくさんの言葉を綴ったけど、こわくなって一度ぜんぶ捨てた。だれかたったひとりでいいから、わたしも心底愛されたい。川のせせらぎや木々の息吹、風のあおさ、若い緑の匂い、花々、流れゆく時間のうつくしさ。ぜんぶかみさまの化身だと思っていて、それらに愛されていると感じていた。けれど高校に入ると、みんなひたすら楽しそうだった。好きな男の子に抱きしめられたり、友達と夜遅くまでどんちゃん騒ぎしたり、じぶんの美しいからだを隠さず、美しいということを魅せることによってつたえる。ずーっと日に当てず、布で覆っていた髪の毛は、日焼けすることなく漆黒を纏って光っている。みてほしい、ふれてほしい、わたしを認めて欲しい、��ういう思いだけがぐらぐらと心のなかで揺れていた。お父さんお母さんにわかってたまるかとおもう、自分たちは宗教や厳しいしきたりが当たり前で誘惑の少ない世界で育ったからそれを受け入れられるのが自然だっただけで、わたしと同じ目線に立てないくせに、立とうとしないくせに、守るとか成長させるとか文化だからとかいう理由でほんとうの自分を確かめたりそれを探すためにいろいろな経験をする機会をくれなかった。そもそも自分が天国に入りたいからという理由で、ひとの地獄にも気がつけない、もしくは与えているってとてもわたしよりも罪深い、そうおもってしまう。あーなんか愚痴みたいになっちゃった。生まれた瞬間から取り憑かれている呪いに終止符は打てない。もう戻れないと思ってしまった。きのう、大学のゼミの友人と、みんなで花火をして、夜の11時半に帰った。お酒とか飲むとすごく気持ちが楽になってなんでも話せて皆んなでわらって過去の苦悩をともにして、すごく幸せだった。風が髪の毛をおもしろおかしく靡かせて首元をくすぐる。愛してくれる男の子もいる。頼りないし馬鹿だし女心ひとつもわかってないところもあるけど、それでもわたしの置かれていた宗教のこと、いっぱい知ってくれようとして、受け入れてくれて、ふたりのわたしをどちらも同等に扱ってくれる。友達は何も言わなかった。わたしが変わってしまっても、それに負い目を感じていても、ただただそこにいるわたしをみてくれた。みんなに、日々にだきしめられることのあたたかさを前よりもちかくかんじる。すぐそこにあったかい塊がたくさんある、本当はたまにすごくこわくなるけど、一人ぼっちになることとかいつかしんでしまうことは避けられないことかもしれないけど、それでも美しい日々を美しいものだと受け入れて生きていくこと、かみさまを理由にくるしいと喚いていたときよりも、自分はもっとこの世界が好きになった。どうか許してほしい。わたしがほんとうにやさしいの、いちばんしっているでしょう。人のことをすぐに疑うくらいなら心底信じてあげたほうがいい。今の自分を成り立たせるために、自分の一部を犠牲にしているかもしれない人も、それゆえに必死に暴れている感情に戸惑っている人も、みんなほんとうはとても素直で優しくてすてきなのだと思う。わたしは気付く、気づいてあげられる。寂しいときもうれしいときも、誰よりも貴方の元へまっすぐに走っていく。
無題
容赦なくどばどば目の奥に垂れ流れてくるブルーライト、過呼吸気味に泣き続ける夜もあと数年したら体力的に出来無くなりそうだから早く早く歳をとりたい。夜の3時なのに目を閉じても眠れなくて全身の血液が逆流しそうなくらいからだが強張っている。もうここ2週間くらい学校行ってない、なにしてるかというと家のカーペットのど真ん中でプリン食べながらフランス語の授業受けてる。同じ大学の女の子が、大学にはBBQかスノボかフットサルがやりたいようなやつしかいない。わたしは坊主か髪色がショッキングピンクのやつとしかともだちになりたくない、みたいなことを言っていて、そういうのってなんか違うし、かなしいとおもった。でも、こうやってかなしくなったりさみしくなったりするのを全て五月病として片付けてサヨナラできるから5月はわりと気に入っている、どれくらい好きかというと6月と10月の次くらいに好きかもしれない。「五月病」の仮面を被った鬱憤とした鈍色の塊が街中を苛ましているの、なんだかどきどきするから毎日赤い口紅をつけている。いつ悲劇に見舞われても良いように。ピエロみたいな足取りでときどき水たまりをばしゃばしゃしながら走り続けた、足元の花も日付もその日の占い結果も、あなたとのLINEのトーク画面も、日に日にぜんぶ気にかけなくなってゆく。手をつないでいた、自分の中にいた幼い少女が夢の中で喪服を着てた。あなただけは離れないで、と思って、でも、目を覚ましてもあなたに連絡は取らなかった。
無題
今日こそ、と意気込んでキー��ードの上で指を交差させながらものがたりを紡ごうとするたび、これまで触れてきたいくつもの眩いことばがぶわっと一気に蘇ってわたしを刺してくる。おまえにはなにも書けないなにも残されていないおまえはなにもかなしんでいない。奥へ奥へとひきずりこまれる。誰も彼もが各々の光を持ち寄って、目の前の道はもう見えないところのほうが少なくなってしまったくらいに隅から隅まであかるい。どんなふうでも在ることのできたそれがほんとうのほんとうに空洞であったと気づいて、でももう泣けない。詩はどのように湧き出てくるんだろうか。音も色も。炭酸がシュワシュワするとか松ぼっくりの形とかどんぐりを拾い集めたりしたときのこと、もうわすれてしまったみたいに、世界がまぶたを1ミリ閉じた、それだけのことかもしれないのにその僅かなエッセンスがこんなにもわたしを主人公たらしめていたのかと途方もない気持ちをおぼえる。サンタクロースがいないとわかった瞬間にクリスマスへのあこがれが半減するのとおんなじようなさみしさをずーっとここさいきん噛み締めている。シシュンキが芸の才能の全盛期だからだろうか、おとなになればいままでずっと見えなかったものがわかって、もっと色鮮やかに日々を過ごせるのかと想像していた。外でガラス瓶ががらがらからからこんこんうるさい。布団の端っこ、握りしめすぎてすごくやわらかくなって、あたらしいパソコンも使いこなせるようになった。かなしいかなしいとおもうけれど、そのこと自体になんの揺らぎも感じなくて、かなしさがより加速するだけ、日々をヒビと書いていた頃があったのをおもいだした。ヒビをいれてゆく、ヒビがふえてゆく、日々。
無題
晴れて大学生になることができて、数日後に入学式を控えている。でもほんとうはもう大学やめたいくらい友達ができるのか不安すぎて、毎晩寝る前に泣いてしまう。このあいだ新入生交流会があったとき、教室に入ったら女の子が皆んな似たような淡いお洋服を着ているし、髪の毛が丁寧に整えられていて、かわいくて、おんなじような雰囲気で、インターネットでつながって和気藹々とはなしているひとたちもいて、自分は見かけが日本人じゃないから声もかけられないし、声をかけようと思っても(わたしこんなに目立つし、びっくりさせちゃうかもしれないし、迷惑かな...)とか考えちゃってすごくこわくて。ツイッターに勇気出して何か投稿しても、だれからも反応が来ないとそれもまた不安になってすぐに削除してしまう。これからずーっとこんなかんじで、高校のときみたいに心から打ち解ける友達なんて一生出逢えないのかもしれないとか思っちゃってさみしくて涙がぼたぼたでてくる。おおきいキャンパスの中を新歓のために端から端までひたすら歩いて、すっごくつかれた。新鮮といえば聞こえはいいけど、わからないことだらけで自分からなにか行動を起こすのをいちいち億劫にかんじてしまう。大学の中でも明るい人が多い、キラキラした男女が多い、と言われているような学部で、自分もそこに馴染めるかな、と思うとつらくなっちゃう。全然おもってたのとちがう、こんなの。これからどうしよう
無題
冗談抜きで毎晩泣いてしまう、ただそれが今はいちばん正しいことのように思えるからそうしている。
通知表をなくしてしまったので家中を捜したけれど見つからなかった。それで明日先生に怒られる予定だから今更のほほんと眠ることもできないでいる。たかがそれだけ、という言葉で収まることではなくて、何度もこうやってモノを無くしておいて一切学ばない自分に腹が立っている。
忙しくて皆んなの文章を読む時間がなかった、そうしたら自分のブログも読んでもらえなくなっちゃった。
今日も頑張ったと自分を愛でてあげることができない。
なにもこんなにかなしいことばかりを書きたいわけじゃなくて、むかしみたいに空が綺麗だったとか友達と一緒にひるやすみにフルーツジュースを飲んだこととか、長らく話してなかった同級生と体育の時間でペアになってキャッチボールができたとか、予備校での先生のプチ話が面白かったとか、そういうちいさな喜びはあるけれど、夜になると感情の波が音を立てて自分の中でせめぎあう。その狭間で、わたしがいちばん好きだったわたしがぎゅうぎゅうに押しつぶされて捻り絞られて塩辛い水で溺れてしまうの。
こんなことを書いておいて浪人でもしたらどうしよう。恋人とでんわしていると本当にくるしくなってしまって、すごく嬉しいはずなのに全然喜べなくなってしまった。逢えないのに、逢えないのにそんなことするの、逢えないんだからこうしてほしい、とかそういう自分の身勝手な思いが本当に申し訳なくてくるしい。好きだからお勉強のことを応援したいのに、すきだから逢いたいし、好きだからそれを同時に我慢しないといけないものとひどく重たく捉えてしまって、すきだから嫌いになりたくないという一心で自分のもやもやした気持ちに無理やり蓋をする。会える距離にいる人たちの並んでいる姿を見て落ち込んでしまうけど、わたしはわたしのすべきことがあるし、それは彼もそうだから割り切るしかないこともあるのだとおもう。
金平糖
わたしがいくら誰かを呪って恨んでも、紙がその言葉で埋まるほどクソクソクソと書き殴っても、結局のところ現実ではその人を愛する人たちが存在していて、そして当人もまた違う誰かを愛しながら日々に幸福を見出すのだから、本当に一番かわいそうなのはわたしだけかもしれないなんて思った。だれかのことを考えて途方もなく苛立つ自分がいちばん自分を不幸たらしめている。駅前にあるでっかい木がゆらゆら揺れる。ゆうがた、眠くなったので勉強道具を片付けて喫茶店をあとにした。暑さで足取りが重くなりつつもすこしずつ歩く、踏んでいるのが蝉の死骸か大きな枯れ葉かの区別もつかない。黒い蝶々をみてから不運続きだ。だれもわたしが泣いてるなんて気づかなくて、錆び付いた車輪を引きずりながらどこにいるかもわからない恋人のことをかんがえる。遠��なった。夕陽を後ろにわたしの影だけが前に長く長く、大きく伸びて、前方を歩く少年が気付かずに頭にあたる部分を何度も踏みつぶす。美しいものにはある種の残虐さがあることを信じて、祈りとかいう逃避を繰り返している。大丈夫?と聞かないで欲しい、大丈夫じゃないから。もう誰にも自分のことを見て欲しくない。ただ自分だけは自分のことを大丈夫だと信じてあげたくて文章を書くという行為をしている。
雨が降っている。雨が降り続けてくれればいいのに、そうしたらわたしもそれを偶然だという言葉でもって割り切ることができるのに。点滅の中に放り出されて、その明暗に目眩を覚えながら自分の行き先もまともにわからずにただただ進んでいるだけのまいにち
不在
かみさまが見つからない。登録していた音楽ストーリーミングサービスが解約されていた。昼から夜まで建物のなかに閉じ込められて、夕焼けをゆっくり眺めることもなくなった。映画館の薄暗い照明と大きな音にこわくなっても、恋人の手を握ることができない。かみさまがいない。なにもかもを投げ捨てた結果、罪悪感から今更おかあさんにありがとうと言うこともできない。ずっと、信仰という名の呪いの渦の中にいる。小さい頃からこの世の中のものはすべて神さまが創ったんだと信じていて、でもさいきんはそのせいで自分の行動が制限されるのがとても憎々しかった。どれもこれも、神さまのせい、親のせい、うまれたせい、というふうにずっと側にあって救われてきたものを突き放すことそれ自体にとても苦痛を覚えるのに、脳味噌が勝手にそういう思考をして勝手にくるしんでいる。挙げ句の果てには同級生に推薦入試のネタに利用される。こんな家でていきたい、と思っても行くアテはひとつもない。お金もない。お金を自力で稼ごうとする活力もない。どんなにわたしがぜんぶ無かったことにしたくて信仰を罪で上書きしようと、依然として実在していようがしてまいが神さまというものはわたしの中にあって、そうか。これはそういう呪いなんだ、と思う。もうだめなんだと。恋も音楽も言葉も、性別も家族も、見た目も才能も過去も、ぜんぶ同じ容量で「呪い」として全人類に等しく降り注いでくれたならいいのに。抜け出せない世界を抱えるもの同士、ふたりでいっそのこと呪いをかけあってしまいたい、それなら呪いだって愛に変わるのかもしれない、とそういう陳腐な妄想でしか漠然とし��淋しさを消費できない。さみしい。唯一の居場所を自ら捨てて、こんどはどこにも居場所がないとさみしくて涙を流す。こういう呪いが不思議と人生という物語の大きな軸になっていって、結局さいごにはその「呪い」自体に自らを救われる、なんていちばん美しい結末を享受できる人は一体どれくらいいるのだろう。迷信。もう剥ぎ取ることのできない仮面。うつくしかったわたしの心は嘘を重ねる毎に醜くコーティングされ続けて、今ではもうすべてのものが何かに縛りつけられているみたいに、目の前の光景はわたしになにも応えてくれなくなった。何をどうしたら正解なのか、どうしよう��うしようと悩み続けた末にその苦しさを世界のほうが背負ってしまったのかもしれない。うつくしいという言葉に収まりきれずに溢れでて、胸をぎゅうっと締め付けるもの。瞬きを忘れるくらいにずっと見ていたいと思えるもの。一切のものを捨ててでもいいからその気高さに近付いたいと願わずにはいられないもの。そういった、どうしても拭えない不安感をやさしく抱き締めてくれる愛がほんとうは色々なところにあるはずなのに、以前に美しいと思っていたものをもう同じように美しいと思えない。花というのは揺り籠から墓場まで人の生活を彩るものだ、というようなことを太宰治が書いていた。「孤独は花だから。美しいものを寂しくしないように、そのまま纏えるほどの強さを身につけていけますように」 と綺麗な言葉で文章を終わることができない。不完全でも愛してください。底無しの未来に水をあげて。
無題
ここ四日間くらい先週の頑張りが底をついたのかぐったりしてしまって勉強にあまり手がつかない。殺してほしい。まいにち死にたい。がんばっても報われないひとだっているし、大して頑張らなくてもおいしいとこを掻っ攫っていくことができる人もいるんだろうなとおもうと泣いちゃう。東京という概念が巨大化して人を貪っている。東京って、日本ってこんなに高校生いたんだ、と思う。餌にされてしまうことの恐怖を突きつけられている。だれかの優越感を満たすための餌としてその努力を利用されてしまう未来がみえる、こんなこと言ったらまた考えすぎだってみんなに怒られちゃうけど。風が吹かないとその音がわからない風鈴みたいにわたしのなかのいちばん美しいところも、もしかしたら誰かに傷つけられて大きくその心を揺さぶられるまでわからないのかもしれないなんて気休めにぼんやり考える。夏という言葉が都合よくあちらこちらで使われるようになって、ぜんぶみんな夏のせいにするようになったから、たぶんもうほんとうの夏はもうやってこない。夏は遠くて遠くて悲しいくらいに鮮やかで到底手の届かないモノだと信じていたかった、それが今やだれかの快楽の理由付けにされてしまっているのだからもっと惨め。わたしがこうして夏を文章のネタにしているのと同じくらい惨め。おかあさんが泣いている姿とか勉強を理由にインスタグラムを更新しない友人の笑顔とか彼氏がわたしを抱きしめるときのつよさとか、そういうだれも知らないであろうものの美しさを、わたしだけが一瞬ひらりとわかるとき、そういうのがほんもののしあわせなんだろうと思う。もうあと半年とちょっと経ってしまえばわたしのこれからの人生の枠組みはもうほとんど決まった、という体で毎日がすすんでいく。日本は学歴社会だから大学名は重要だよと声を揃えて言われ続けて、今でもまだその現実を黒く塗りつぶして無かったことにしている。はやくぜんぶ死んじゃえばいい。アーメン。
魔法のトンネル
18歳になりました、という投稿をするつもりだったけれど、合間合間に想いの丈を綴っているうちに月を跨いでしまった。この期に及んで未だ梅雨を引きずっているかんじの毎日で、最後に晴れた日がいつだったかも忘れた。君のいない世界なんて夏休みのない8月のようだ、といつか野田洋次郎が歌っていたのを思い出して現実になりつつある言葉の並びに少しどきりとする。大学受験まであと半年くらい。アルコールでささくれが目立つ指。これから1年後、自分の居場所を全く想像できないことに対して残る不安感。この一年の間でとても大切な人ができて、その人が居るから今年はだれかと祝福メッセージやプレゼントの数を比べて露骨に落ち込むこともなかった。こんなままではいけないと思うけれど、これでもかというほど甘えてしまう。彼から電話がかかってこないまま気がついたら零時、開きっぱなしの参考書。ベッドから机の上の山を見あげる。もう流れるような文章も書けなくなった。ただ、机元を照らすためだけに付けた光が部屋中に行き届きすべてのものを露わにするように、自分のために費やした諦めとかいう努力がいつか私の人生全体を明るく縁取りますように。そう期待することしかできない。
朝、きまってこの時期の朝の。とりわけまぶたが重くて視界がぼやけているとき、雨音と扇風機の回転音の違いを聞き分けられないままなんだかもう一度眠ってしまいたくなる感覚になる。自分の憂鬱な気持ちをすべて代弁してくれているかのように完璧な美しさを崩すことなく泣いてくれる空、ずっと梅雨が好きだった。17歳。強いのか弱いのかわからない外圧をずっと肌身に感じながらも良くここまで頑張れてこれたと思う。強まったり弱まったりを繰り返しながら着実にわたしの内側を蝕んでいくもの。どんな記憶であれ時間が経てば薄れていってしまい、曖昧に濁した言葉でしか文章を綴れない。降って、降って、降りつもってゆくのはけして愛や幸せではなかった。幸せが一方で加速させる理想や願望、それによる劣等感、幸せでなくなる恐怖、あるいは幸福それ自体への疑いも、ぜんぶずっと祈っていればいつか大丈夫になるとおもっていた。そうした形での正しさしか知らなかった。
歳を重ねるにつれて特別なものが増えていくけれど、それらはなにもさいしょから特別だったわけじゃなくて、くるしくなったり嬉しくなったりするたびに複雑に絡まっていたものの辻褄があって少しずつ真っ直ぐな一本の線になっていく感覚に近い。最初はちいさな不幸から始まったことが最後にはたくさんの愛に囲まれて光になっていくと半年前ちょうど失恋したあとに書いた。たぶんきっとそういうことだとおもう。そういうことだとおもいたい。消化しきれない劣等感を抱えながら、それでもそれをだれかの優越感の餌にされてしまうのが気持ち悪くていつも満足げに振る舞っていた。小学6年生の頃、布団に包まって壁に手を当てながら(世界のどこにいても良いから今だけ運命の男の子が壁の向こう側で同じように手を合わせてくれていたらいいのにな、)とか祈っていた。アスファルトに浮かぶ白線が血脈のように都市に光を流し込んでいく、わたしはひとりで遠くまでこれるようになった。
誕生日���日、晴れた土曜日。
だれもわたしのことを知らないということがいちばん幸せだった。
となりには愛おしい恋人がいて、いっしょにタピオカを飲んだり服をみたり歌を歌ったりした。街中ですれ違う人はだれもわたしがブログをやってるなんて思わないし、人生で殆どはじめてに近いことをしているとも思わない。そういうのってとても気持ちが楽で良いなと思った。信頼している人たちに過度に期待をされること、責任を半分こするのに疲れてしまった。一緒に悪者になってほしかった。わたしがなにをしても、それがいちばん正しいことかのように大丈夫だよと諭してくれるだけで、それは救いになれるはずだった。おかあさんに喜んで欲しいから、友達に見限られたくないから、だれにも落胆されたくないから、とかいう言い分を勝手に作って勝手にくるしんでいる。ほんとうは静かでいられる関係性が好きだけれど学校の友人はみんなはしゃぐのが好きだから求められているものをそれらしく纏う。両親は善良な人だけれど時折意味不明な束縛をするので面倒くさい、わたしも普通の日本人の女の子みたいに生きてみたかったと思ってしまうことにすら罪悪感を感じる。信仰というのはとても美しい行為だと思うけれど、本来は人を救うはずであるものが「救われる」「罰せられる」という境界線においてときどき人をひどく苦しめてしまうのでとても扱いにくい。救いを見出すはずの宗教によって苦しめられるのはちがうよ、と友達に言われたことがある。大学生になったらぜったい一人暮らしをしたいとおもった。伸ばせと言われ続けてきた髪も思い切り切りたいし、慎ましいふりをするのもやめたい。わたしほんとうは男の子に抱きしめられたこともあるの。けれどそんなことを言えば両親をがっかりさせてしまうから、遠いところで一人で植物とか猫とかに囲まれてひっそりと生きていたい。
かみさまに対する信仰心が薄れても、小さな嘘に罪悪感を覚えなくなっても、男の子と関係性を持ったことがなかった自分自身を忘れても、文章が書けなくなっても、友達と疎遠になってしまっても、病気で人がたくさん死んでも、普通に生活が続いていくことにときおり悲しくなる。それくらいわたしは案外どうでも良いとおもってることが多いんだと感じてもっと悲しくなる。あっちへいったり、こっちへきたり、あるいは戻ったり、そういうのを繰り返していたら、もう戻れないところまできてしまったみたい。あるかどうかも分からない未来のことや、だれかとその過去を背比べしてそれに一喜一憂していたこと、ぜんぶだいじょうぶになればいいなとおもう。ぜんぶ抱きしめてぜんぶ愛してあげられたらどんなにいいだろうとおもう。わたしには愛しているものが沢山あるし、わたしもだれかにきっと愛されている。最近見かけなかったので死んだのかなと思っていた野良猫を今朝ひさしぶりに見かけて胸がきゅうっとなった。汚いものに沢山触れてきたわたしの手はもう美しい手じゃないけどそんな手のひらの中でも心地良さそうに包まれているちいさなその頭が愛おしくてなんども撫でる。純粋でなくなってしまうのがずっとこわかった。ううん。たぶん純粋だと思われなくなってしまうのがこわかった。
続きを書きたいけどあしたも学校があって、さすがにちょっとねむい。悪者になっても大丈夫だから、わたしはわたしのそばにいるし、君のそばにはわたしの愛してるきみがいるからだいじょうぶ。特定の誰かじゃないよ、��んなが幸せになれますように。
n(atsu)
線路が控えめな緑に縁取られていて夏を感じた。でんしゃがいつもより大きく揺れるな、とおもった。ひさしぶりに乗るから余計にそう感じるのか、ほんとうにいつもより大きく揺れているのかは良くわからなかった。塾へ着いたら体温検査をされた。世の中の非現実味は薄れていくけれど、それでもやっぱりまだどこかふわふわしているかんじがする。ふわふわ、という言葉は抽象度が高くて便利だと思う。白黒はっきりつけることで正義を実感している人間って意外と多いのかもしれないし、わたしも気付いていないだけで実際はそういうところがあるのかもしれない。燕が雛に餌をやっている様子と、健気に咲いている向日葵と、それに加えてマスクの内側の皮膚が熱気を帯びていく感覚。去年、男の子と花火を見に行って、わたしの中での鮮度の高い美しい夏はそこでずっと止まっている、あるいはもうほとんど完結されたようなかんじ。塾が終わってから本屋へ寄ると、同い年くらいの背の高い男の子が絵馬の形をした紙に合格祈願を書いてちいさな箱へ投じていた。わたしも流されてペンと紙を持ったけれど、多神教じゃないんだよなあと思ってやめた。わたしはわたしが信じている神様にもまだこわくて合格できますようになんて言えていない。いつだってこわいものから救ってくれるものが神様なのに、自分勝手に生きていながら窮地に追い込まれたときだけ救いを求めるのは割りが合わないと思う。好きな人と一緒に昼間から眠りたい。神聖な場所で祝福された心を持つ人に祈りを唱えてもらいたい。突然変異で雪が降ってほしい。騒音の全てを吸収して、それで全てなかったことかのように水になって溶けていってしまうの。指輪が欲しい。細いやつ、宝石はなくていいし装飾もなくて良いから。涙を拭う手に宿る愛があれば、だれかにゆるされたという証が指にあれば、虚無感を紛らわせるための画面スクロールも、劣等感を埋めるために耳触りの良い言葉を連ねる必要性も、不確かな焦りも薄まるかもしれない。というのも最近また得体の知れないストレスに悩まされていて、今日もすこしだけ泣いてしまった。すべてあなたの心の持ちようで変わるの、薬はなにも解決してくれないよ、と母にはそう言われて、それでもっとかなしくなった。そういうことじゃないの。模試を受けるにしても勉強した量に等しい成績が出なかったら、とか、到達点は同じでもそこまでの努力の過程に差があるだけで劣等感をかんじてしまう。まいにち頑張りたいのに思うように脳みそとから���が動かなくて悶えている。わたしは自分を高めることで自分は大切に扱われるべき美しい人間なのだという確信が欲しいだけで、それほどまでにきっとわたしの内側にある自分への愛や期待値というのは年齢とともに他人任せになっていって、諦めや、未来の自分の幸せに対する責任を負いきれないという言い訳や、ときおり世界から拒絶をされているかのように感じられた幼い頃の傷ついたこころがぜんぶガチガチに固まったしこりのようなものがずっとあるみたい。もっと自分で自分のことを愛してあげられますように。今、世界ではいろいろなことが起きていて、それに対して声をあげないという選択が道徳的ではないと非難されてしまうことがあるらしいけれど、関心を持たないということもひとつの意味のある心の持ちようだし、それをやさしさと捉える人もいるのに、とてもやりきれない。恋人が「みんなつらいけど、ありじはつらいの」と言ってくれたことがとても救いだった。だれかの不幸と自分の不幸を秤にかけるということにやっぱりわたしはある種の違和感を覚えるし、たとえそこに差があっても自分のことを放棄してまでだれかのために立ち上がることは少しちがうと思う。そうして切り捨てたものが何らかの拍子にいつか今度は自分自身を殺すかもしれないし、自分の身近で大切な人を傷つけるかもしれないし。わたしはわたしを取り巻く世界をたいせつにできたらいいなと思う。足取りが軽くなれば、もっと遠くへといけるでしょう。だいすきなひとが苦しんでいたらすぐに駆けつけられるし、わたしはそういう風に愛される女の子になりたいから沢山のことを頑張っている。月が変わったのでカレンダーをめくったら、「涙は人生のお師匠さん」という言葉の周りにたくさんの滴のイラストが描かれていた。扇風機をつけると、紙がパタパタ揺れる。がんばる。わたしの愛する人たちが沢山愛されますように。
どれほど遠いところに行こうと試みても
どこか気持ちがもやもやしてやりきれなかったので少しばかり走りに行こうと洗面所の前に立ってコンタクトレンズをつける。泣くまいとしていたけれど、使用期限切れだとも知らずにレンズを瞳に上にのせた瞬間、意志とは関係なく勝手になみだがぼろぼろでてきて焦る。ずっと我慢していた涙ももしかしたらそのなかに紛れていたのかもしれない、濡れた睫毛やすこし充血した白目を見るといつもどこかほっとした。
世界は絶えず美しくて、じぶんなんかがその大きな器の中で堂々と情けない顔をしているというのがなんだか滑稽に思えてきた、と昨日は日記に書いたけどやっぱりそう思えない。うまれる、しぬ、という表現がコピーペーストされてできた世界線。どうしてもくるしくなってしまう、くるしいものを見ないようにと目に覆いを被せて生きているからたまに世界を直視したときにあまりの眩しさになにもみえなくなってしまう。
結局のところ、きっとわたしはなににでもなれるし、なににでもなれた。わたしはわたしが望みさえすれば、家をでていくことも、うまれながらにして与えられた名前を捨てることも、今つながりを保っている関係性を断つことも、信仰を捨てることも、自分のからだを誰かに売ることも、求められてそれに応えることも、アカウントを削除することも、つらい勉強に身を投じることなく大学に行くことも、自分自身やそれに関係する人々をきずつけることもできてしまう。その可能性についてぼんやりかんがえていた。
考えてみればあまりにも不安定なわたしは、なににでもなってしまいかねない自分というものとずっと一緒にあるいてきたように思う。自分というものの一部をわざと切り離してあえて失うことを選んだり、あるいは舐められないよう努力をして立派なものに築きあげたりする過程でしか自分が自分であることをたしかめられなかった。欲を我慢しなさい、謙虚な姿勢で生きていきなさい、と幼い頃から教えられてきたことの反動がまさに今起きていてつらい。人間は生まれたままの姿こそもっとも美しい、醜い人間というのはひとりもいなくて、そしてだれもが平等に愛されるに値する、といった程度の言葉ではこの漠然とした不安感は解消されなくなってしまった。
あなたがいちばん大切にしていて、且つあなたをあなたらしくさせているものはなに?という質問をともだちがインスタグラムで公開して回答を募集していた。わたしは今までずっと恋愛をすることでしか自分を保てなかったの、という彼女の文句もまた同様に等しくまぶしいものだということに当人は気付いていないかもしれない。膨大な情報のなかで、なにをほんとうに掬いとるべきなのかわからずにいつまで彷徨い続けるのだろうかという不安を抱えている。たすけてほしい。毎晩、たすけて、たすけて、と寝る前に心の中で念じるようにしていて、そうして眠りにつくとなんだかほんとうにたすかったような感じがする。
というのも、なんとなく、という世界線を生きること自体あまりに物事を都合よく解釈していていらいらするので、とうとうまともに祈ることすらできなくなってしまったのだ。はずかしい。わたしは決して善良な人間ではないのに、善良な人間の中で同じ言葉を唱えていることに一種のはずかしさを覚える。
無題
一年前までは、死ね、クソ、うざ、という言葉にほんとうに値する人間や事物などなくて、物事のすべては捉え方なのだと、主観で世界の全てを決めつけてはいけない、美しくいなければいけない、という考えがあったからわたしはほんとうに一度もそういった言葉を使わなかったし使えなかった。それなのに今や抵抗が少なくなってしまって思いたくなくても大事な人たちにいらっとしたときや精神が弱っているときに反射的に汚い言葉が脳裏に浮かんでしまってやりきれない。過去をふり返るとき、その足跡がどれだけ美しくても、長く歩き続けてきたとしても、結局その先にあるのが地獄だったら意味がないでしょう。
外に出ても風は一切吹いていなかった。頬に染み付いたなみだの生温さは消えず、水面の揺れもしずかだったので川が川じゃなくてアスファルトみたいに冷たく感じられて、音もない夜にわたしは勝手にひとりぽつんと取り残されてる感覚だった。
それでも良いこともあった。このあいだ、雨が降った日にふとした好奇心で自分のうまれた日の天候を調べたら、わたしがうまれたその日も東京では雨が降っていたらしいとわかったこと。たくさんの雨粒のなかにも一粒くらい当時のものも紛れているのかなあ、と思った。たとえ同じ形をしたものが数多くあっても、情報量の多さのなかで下敷きになってしまうようなほんの些細なことでも、わたしはわたしのことを愛してくれているものをがんばって見つけ出したい。そしてそう思っているのと同じくらい、同時に心の奥のほうでは常にだれかに見つけて欲しいと思っている。わたしが失ってしまったわたしの美しさを見つけてほしい。もう誰にも傷付けられないように。もう自分のことを傷つけなくて済むように。愛せますように。
無題
あ〜もうわたしなんも勝てないな〜って思って泣きそう。勝てないものがおおすぎる。受験生なのに自分の欲に打ち勝って勉強に励むことすら怠ってしまって、他人と比べることでしか自分を測れないからだれかが頑張っているすがたをみても素直に応援できない自分がいてくやしい。みんな守りたいものをちゃんと守って、それをつよみにしているのに、わたしはなにかを失うことでしか自分が満たされていたことを実感できなかった。捨ててしまった欠片をひとつひとつ集めようと、かがんで地面を這っている惨めな姿を誰かに見られたらどうしよう。だれよりもきらきらした世界をしっているつもりで、かみさまからも愛されているつもりで、たくさんの人がずっとそばで応援してくれていることに対してそれ相応の結果や愛を返せているつもりだった。だけどぜんぜんそんなことなかった、そんなことなかったのにそれでも絶えず世界も人も優しくて美しくて眩しくて純度が高いので薄汚れた言葉をもってしまったわたしにはもう直視できないんじゃないかと挑戦することすらこわくてできない。わたしの写真や文章がだれかに良い影響を与えていたらそれはうれしいけど、それでわたしだけのものだったわたしの一部が他の誰かのものになってしまうのは少しだけ悔しい。ブルースクリーン越しに奪うこと、奪われることに慣れてしまった。わたしは結局わたしだけみてほしいと思っていて、それがわたしの幼さで弱さなのだと思う。弱さも強さも武器になるうるけど、ほんとうに強い人はちゃんと矛先を向ける対象を選ぶことができるから目の前の道をどんどん拓いていけるけど、弱いままのわたしはずっと自分の胸に矛先を向けているからだめで、自分を窮地に追い込んではじめて大切なものに気がつくことができる。「わたしが失ってしまったものをありじちゃんは大切にしていてすごいと思うし、これからもそれを守り抜いてほしい」とメッセージをいただいたことがあるけど、わたしが彼女の立場だったら同じようなことは決して言えないだろうと思う。きっと、ずるいなあ、と思ってしまう。ずるい。わたしもあなたみたいになりたかった、と。なりたい自分に到達できずに足掻いている途中であたらしい自分が形成されたとして、それはむしろなりたい自分とは真逆な人間なわけだから、その歪さを美しいと褒められても全くうれしいと思えない。やっぱりでも今日だけ美しいといってほしい。今日だけ慰めてほしい。そろそろぴえんって言葉つかっちゃいそう。
愛?
さいきん日常の何気ない瞬間において、いいなあ、とたくさん感じたけどその都度いちいちメモに起こしていないので内容はほとんどわすれた。なのでブログを更新できないし、あと二ヶ月も経たぬうちに十八になってしまうからせめて可愛げのあることなんかを少しくらい書きたかったのに状況が状況なので仕方ない。毎朝オンラインで出席確認があるんだけど昨日は二度寝して出られなかったし、このあいだ試しに大学の過去問を解いたら点数はだめだめだった。一日だけ夜に恋人に電話で弾き語りをしてあげた。ぜんぶ壊れちゃうならさいしょから手を伸ばさなきゃよかったってことを話したら、あのね、ちがうの、持っていたっていう事実がとてもたいせつなの、さいしょから持ってるのと持ってないのじゃちがう��しょ?わかる?と諭された。そうかもしれない。怠惰に怠惰を上書きするように生きている。こめかみに銃口を押し付けられて脅され怯えるようにして、つきまとってくる色々な事実から目を背けている。こんな具合に漠然とした不安感がうんぬんかんぬんとダラダラ書いているけどほんとうはそれなりに幸せで充実した生活をしているからいつかバチが当たってしまいそう。歳上の彼氏と別れた友達の女の子が、今頃煙草でわたしの肝臓ぼろぼろなんだろうなあ、もっと自分のことを大事にしてあげたかった、と裏垢で溢していたけど、きっと彼女にだって彼の影響で自分のモノが形を変えていく過程に幸福を覚えていた瞬間もそれ自体に救われたこともあったんだと思う。ただ薄暗くふちをなぞっていかないと未来への期待値があまりにも高すぎて落とし穴にハマってしまいそうでこわいからみんな可哀想ぶっている。たぶんどこにも事実なんていうものはほんとは存在などしていなくて、みんなが情報を選んだり捨てたりしているだけで、人間が数値にしたり名前をつけたりしながら記録をしているだけで、何もかもを取っ払ったら、あ、でも、そうなったらわたしはどうなっちゃうんだろう、なんてことをずっとぼんやり考えている。二か月くらい前にだいすきな友達といっしょに塾へと向かう道を歩きながら、わたしたち卒業までにいつか絶対この道で泣くと思うって笑いながら話していた。今ごろ存在していたかもしれない日と流していたかもしれない涙とあったかもしれない出逢い。そういうので世界が動いているのかもしれないと思うと心がふにゃあってなって泣きそうになる。この足を踏んでいるところのずっと奥に埋れてしまったいくつもの歴史に救われている。その後、小さなレストランで二人分のサンドイッチを頼んだ。ずっと憧れていた女の子にはやっぱりなれなかった。一度「憧れの女の子のフリをする」アカウントをつくろうとしたけど苦しくなってやめた。新作の化粧品と知恵袋での大学受験生の相談事と参考書のレビュー調べだけでほとんど埋まっている検索履歴欄の隅っこに追いやられてしまったいちばん綺麗なわたしを誰かに拾って欲しかった。少しくらい未来をあきらめても人生は終了しないけど単純にそこでわたしの自己肯定感は終了するし、わたしがいちばん大事にしたかったわたしも死んじゃうから、ねえ、わたしは大���きなみんなのことも自分のことも美しさを表現することもぜんぶあきらめないからみんなもわたしのことあきらめないでってインスタの裏垢に書いたあと、電気を消して寝た。許されない愛だけが輝いている。ずっと輝いている。いつか校庭を一面石灰の白に染めて北国の雪景色みたいにして、雨で偽物の冬が消えてしまう前にわたしたちは濡れながらキスをするの。安っぽい映画みたいに物語の順番をぐちゃぐちゃにして今よりももっときれいなところに走っていきたい。“なにも決定的なことが起きていないようなのに、いつしか死が準備されてしまっている、日常という戦場” において、好きな人にお願いだから死なないで、一人にしないで、と一方的に伝える行為がとても無責任だということだとはわかっているけど、ただ、それがわたしの知っている方法の中でいちばん確実にあなたの心を殺せるものだからゆるしてほしいと思った。しんだら身体の隅々まで洗って、痛かったところを撫でて、さいごにわたしの名前の由来になっている花の香りを墓石につけてあげる。あなたの歪みにはじめて触れた日、わたしはあなたのいちばん美しいところをみたようなかんじがして、それがとくべつで嬉しかった。まるかったり、とがっていたり、硬かったり、やわらかかったり、ざらざらしてたり、さらさらしてたりするの。生きているだけで美しいという言葉はみんな戯言だと笑って受け流すのに、しぬことになると急になんか真面目な顔をするからやになっちゃうよね。写真を撮ることを知らなかった頃のわたしはたぶんほんとうの写真家だったし、まだロックミュージックを知らなかった頃、わたしのロックスターはずっとわたしでしかなかったし、文学を知らなかった頃に感じていた世界とおなじ色合いの世界をわたしはもう見れない。そういうものだから、もしかしたら死ぬことなんて知らなかった頃、わたしたちもずっと死んでいたのかもしれない。それでたぶん今でもその頃の残像が残ってるのかもしれない。逃げて逃げて逃げた先で待っているから、そこでまた逢えますように。
無題
あこがれている女の子たちがみんな色白で華奢なことにむかついている。だれかを真似して美味しいところだけを盗むことは誰にでも出来るんだけど、でもそうじゃなくて、彼女たちがもっているものは彼女たちにしかもつことを許されていない域にある圧倒的なものだからくやしくて泣いてる。その子たちがフォローしているアカウントを全部フォローしたら同じ世界を見れるかもと思ったけどやめた。きっとわたしよりもいろんなものを見て感じて聞いて愛してたくさん傷ついてきたんだろうなあ、と思う。自分と向き合うのはとてもくるしくて、美しいものに触れることで浮き彫りになる絶望もまたするどくて、それでも躊躇いなく自分の内側にあるものを外にだして整えてまたぐちゃぐちゃにしていくの。そういう工程を何度もじっくりしずかにしてきたのかもしれない。お世辞にも美しいとは言えないものでも、美しい人がすればそれはたちまちに美しくなってしまう。ずるいなあ、十七年かけて見つけたものが諦めとかいう単なる逃げだとしたらやりきれない。頑張れるかなあ、がんばりたいなあ、って言うのたぶん二千回くらい繰り返しているけれど、こんなわたしもすこしずつちゃんと踏み出していて、前に比べたら痩せてメイクもするようになって結構垢抜けたし、何も書けないと言いながら泣き喚いてブログのアカウントを消すこともなくなった。ワンクリックで消えてしまった昔のわたしの言葉には相応の墓場もないけれど、だれかの支えや救いやたのしみになれたことが嬉しい。文章なんて手軽なもので誰でも書けるものだけど、誰でも、の中で、わたしのを読んでくれている人がいるのだという事実がうれしい。きっとでも綺麗事抜きでほんとうはだれでも特別で、特別じゃない人はいないんだろうけど、すべて目に見える数字として統計されてしまう今だからこそ他人からの評価やさまざまな人たちからの好意や自分は愛されているのだという確信の多さがそのひとの輪郭をなぞって、より濃くして、いわゆる個性と呼ばれる類のものを形成していくのかもしれない。くやしいし皮肉だけどそれを掻き分けていくのが、生きるということかもしれないし、あるいは自傷行為なのかもしれないし、わかんないけどわたしだけは自分の味方であれるように努力していけたらと思う。たとえ負け犬でも遠��えできる余裕と気力があるうちはまだ勝ってる、たぶん
無題
きのう、河原まで自転車で走った。昼間の明るい時間帯に行くのはとても久しぶりだった。最近はストレスで奇行に走る人がいるらしいから夜に外に出るのはやめて、と母に言われた。テレビをつけてもスマートフォンのスクリーンをいくらスクロールしても、そこに有るのは饒舌に討論を繰り返す人間と、それに対する第三者からの警告、といったような感じだし、鬱々としていたのでちょうど良かったかもしれない。運動用にだぼっとしたパーカーを着て、弟のサドルがすこし硬い自転車を借りた。前方から吹いてくる強い風に服がぴたっと身体に張り付くので、はずかしくなってペダルを踏む力を強くする。桜の木はもうどこにも見当たらず、小さな花びらだけがコンクリート上にまばらに散らばっていた。空は青くて、高くて、鳥が群れてそこを飛んでいて、それをわたしが見ていて、だけどわたしのことは誰も知らないの。そしてわたしだって誰のことも知らない。その事実がいちばんやさしくて、それでいていちばん淋しいから美しいと思う。川の水面が光を受けてきらきらと煌めいているのを眺めるのが好き。光りの粒がたくさんあって、見る場所によってそれが大きくなったり小さくなったり近くなったり遠くなったりしてかわいいの。昼間は白く光るのに、夕方になると今度はピンク色になったり朱色になったりするからもっとかわいい。塔屋看板にペンキを塗装する業者の人。頭上を走るモノレール。走る犬。投げられたフリスビー、野球ボール。ふうっと口をすぼめてたんぽぽの綿毛を飛ばす子どもたち。うっすら川のにおいがして、うれしくなって少しのあいだ草原の上に横になった。草ってこんな柔らかいんだって思った。オレンジ色ってこんなにオレンジ色だったんだ、とか、鳥が一斉に空へ飛び立つときにパタパタと羽根の動く音が聞こえて、しゃぼん玉が弾ける瞬間にせっけんの匂いがして、英単語帳をしばらく眺めていたんだけどすぐに閉じて空のずっと奥の方をみてた。いつもはうざったい太陽の残像でさえ愛おしく思えてしまうなあ、どうなるんだろうなあ、これから、って思った。わたしが掬い取っている現実はきっとほんとうの世界のほんの一部でしかないから、救われますようになんて偉そうなことは言えない。だけど、たかが数日間外に出ていなかっただけなのに一人でこんなにも大袈裟に感動している。すこしくらい見返りを求めてもいい気がしてくる。
頭ぐわんぐわんする
現実に翻弄されている人間を嘲笑うかのようにして桜が我関せずと言わんばかりに堂々と咲き誇っているので、なんだかすこしだけ愉快な気持ちになった。白い四角形を顔の表面に貼り付けながら、それでも歩く足を止めない人間の行く末をかんがえると何もかもがいやになってしまうけれど絶望の輪郭をみんなでかじって食べていけば、なんとも名付けようのない不器用な形をした詩のような世界ができあがるのかもしれない。今日くそ��たいなじじいがくそみたいな眼差しでこちらをみてきたので睨み返してやったんだけど、どれだけそうして自分の弱さを繕うように強がっていても彼には変わらずに愛するものがあって彼を救いにしている人もたくさんいて、そのことがなんだか、それだけがなんだかそのときのわたしの苛立ちの唯一の誤魔化しだった。だからわたしは彼を刺殺さないし、彼もわたしを殴り倒さない。そういうのって、大事なんだろうなあと思いながら電車の広告の文字を追っている。ちなみになにも頭には入ってこない。あたたかい毛布にくるまっていると誰かに抱きしめられているかんじがするから心地がよくて、すこしだけ唇を尖らせる真似をする。まぶたをあと何回閉じれば。何回綴じれば。いいんですか。コンクリートジャングルと自転車のサドルとスカイツリーの心臓。あ、と思う頃にはもうすでに全てが遅くなっていて後悔をするけど、あ、と再び思うと今度は以前のそれよりもより大きな幸せに満たされていることに気がつく。竹刀を持った少年たちが夜になると川辺に集まっていつもその刀を縦に振っている。わたしはたいして歌を歌うことも上手ではないし、勉強も大してできないし、顔だって凸凹している。けれどそれでも真っ直ぐに生きていけるかな。生きていきたいね。終末感の漂う世界をみることで、わたしは独りですこしだけ安心できた。終りがあることに赦される。本当は衝動のまま洗面所にあるハサミで髪の毛を思い切り切ってみたいし、派手な髪色にして東京の真ん中を歩きたい。それでも晴れることのない憂鬱を自分の中の非道徳的な理想に想いを馳せることで誤魔化してみたり、寂しいと思わなくても好きな人を自分の家に泊めて隣でぴったりからだを重ねながら長い夜を過ごしたい。そういうのをだらだらとしたいだけなのに、そういうのをするのにも勇気や妥協や諦めが必要らしい。がんばるよ。すこしずつ。
無題
まいにち予備校の自習室にいっていたら、自習室でしか勉強したくないからだになった。いままで宗教上の理由で髪の毛を隠してきたけど、大学生になったらボブにして染めて街を堂々と歩いてみたい、し、そうしてみる。たくさんあそびたい、だれになにをどう言われようと自分のしたかったことを一つずつしていきたい。親といっしょに暮らしていたら、わたしの「非」はぜんぶ彼らの責任になってしまうけど(これもちょっとおかしい話だけどそう考えている人は多いみたい)一人で暮らしだとわたしのしたことは全部わたしの責任になるらしいので、最近は常に逃げ出したい。思春期や若さを理由にしてどこか遠くへ逃げてしまうことは何もわるくない。ぜんぜんわるくない。寧ろそうするべきだとも思っている。一度離れ離れになることで改めて気付かされることや見えてくるものなんてたくさんあるし、それに加えて黒猫を相棒に迎えいれることがきまって、その子といっしょにふたりで(猫だから「人」ではないけど)暮らすことが決まったのでどきどきしている。もう失うものはない気がして、でもそれは自分がなにも持っていないからではなくて、幸せなことにたくさんのものを持っているからだということに最近気がつきました。毎日走ろうと思ってる、思ってるというか走っている。たくさんがんばって可愛くなるので、そのときがきたら誰かデートしてね
無題
��まらない文章しか書けなくなった。いや、そんなことはないんだけど、もしかしたら面白い文章を書かなくちゃと思うことがなくなっただけなのかもしれないけど、それでも書かずにはいられないほど心を動かされるものとかそれをさせてしまうくらいにわたしの大切なものをかき乱した嵐のような愛とか、水みたいにさらさらしてる美しい光景の数々とか、光とか風とか、なんかそういうの、そういうのに自分のからだとかこころを預けるのがこわくなってしまった。あっちへいったりこっちへいったり、そうしているうちに自分を見失いそうでこわい。だけど反面、もう自分のことで苦しまなくていいようにいっそのこと自分の存在とは程遠いなにかに染まってしまいたい。自分らしい自分なんて本当は存在しないのだとわかっていながらもそういったくだらない不安感をおぼえてしまう。というのも、たくさんの言葉とか音楽に触れているうちに、どんどん自分が感化に感化を重ねて変わっていっているのが自分でもわかっていて、だからもう昔書いていた文章は書けないし、昔捉えていた景色の感触も思い出せない。わたしが考えていることはすでに誰かが思いついていることで、でもだからといってその価値が下がるとかそういうことではないんだけど、時折それがすごくさみしくなる。なにかを表現することで、表現したくないなにかを誤魔化してきた自分が浮き彫りにされているようでとてもくるしくなる。ほんとうのわたしを認めてほしい、などと思うけど、同時にわたしのなにが貴様にわかるんだ、とも思う。自分のほんとうはどうしたいのかという気持ちをうまく掬いとってあげられないのがくやしい。思春期ってそういうものなのかなあ、こうやってぐるぐる変な渦に巻き込まれて、いつも自分だけど自分ではないなにかとすれすれになりながらもがいている。いちばん近いはずなのに、いちばん掴めない。なのに影みたいにしてどこまでもひっついてくるので厄介で��むかしの自分かもしれないし、認めたくない自分かもしれない。いずれにせよ、世界に翻弄されがちな自分の絶望や幸福を言葉や写真などに起こして大袈裟にしてみせる一連の行為に疲れてしまった。わたしはわたしに自分のことを認めてさせてあげたかったのだと思う。あなたの感じていることは言葉にされるに値することだと、慰めてあげたかったのだと。でも今はこうして文章を書くことで、言葉に残さなかったなにかが消えてしまいそうでこわいと思ってる。写真を撮ることで、写真に残さなかったなにかを裏切るような感じがしてこわい。それともそれはただ口実で、ほんとうはほんとうに一切のことに無関心になってしまったのかなあ。全てのことをどうでもいいと投げやりにしてしまうことで、失うものを少なくしたかったのかもしれない。そうすることがずっと強さだと思ってたけど、今もそう思っているところはあるけど、誰かにわたしのぜんぶを決めて欲しいなと思うけど、でも自分でちゃんとえらんでいきたいね。突き抜けたわたしの弱さを、考えすぎたよという言葉で突き放すひとたちはいたけど、それをわたしのいちばんの強さだと肯定してくれたひとは少なかった。考えすぎてしまうこと一般的にみていいことではないかもしれない。たしかにわたしは考えることで現実から目を背けているし、考えることであたかも自分が真っ当に生きていることを正当化しているし、考えることであなたに連絡したい気持ちやあなたに抱いてほしい気持ちを誤魔化しているけどそれがなんかいいなあっておもう。それがなんか、ちょっと可愛いというか、なんか人間味に溢れて嫌いになれない。ぐだぐだ空白を消費しているうちに、どうにもやりきれなくなって深夜にワンピース一枚でそとへ飛びだしたことがあって、そのとき足のくるぶしから太ももの内側へとひっつく夜の風のつめたさに今も慰められている。変わりたくない、と思うけど変わっていく自分を受け止めてあげられるだけの気持ちの余裕やそのかわりになにかを手放す強さとかそういうのを育てていかなくちゃいけないのだと思う。ちょっとだけかなしいけど、もしかしたらそれができた頃には、また遠い昔に出会えていた感動にまたはじめて「あたらしく」出会えるかもしれないと思うとちょっと頑張ってみようという気持ちになる。長々書いたけど自分でも一貫性がないことにくすりとしてしまう。ただの自分語り、あとでたぶん消しちゃうのでこれを読めた人はラッキー。あしたいいことがあるかもしれないね。
無題
ふわふわと遠いどこかを彷徨っているかんじで、それがちょっとだけ気持ち良かったり、気持ち悪かったり、こわかったり、かなしかったりした。一日中そんな調子だったのでひどくつかれた。わけわからないウイルスのせいで色々な部活の大会や練習が取りやめになった。期末試験もなくなって、これから空白の一か月間。放課後あちこちからだれかのすすり泣きとそれを優しく諭す声がきこえてきて、わたしは失うものなどなにもないのに、なにかを失ったような気分で、これを書いている今でさえ少し泣きそうで指が震えている。頑張って頑張ってさいごまで努力を続けてきたのに、こんなにも呆気なく終わってしまったことが悲しい。このままドミノ倒しみたいにたくさんの報道が、たくさんのだれかの涙が、自分の知らないところで募り続けていくことをかんがえただけでなんだか胸が空っぽになる。大した努力をしていないわたしが悲しむようなことでもないのかもしれないけど、それでもわたしは努力をしている友達の姿がだいすきだし、みんなの泣いている姿をみるのがつらかった。反面、涙を流せるほどの熱量をなにかに注いだ覚えもないことが余計にこころを空っぽにさせた。すこしだけ、この、世界がゆるやかにくずれていく様子に好奇心を覚えて胸が高鳴った瞬間もあったけど、やっぱりもっと美しいのがいいね。やさしいほうがいい。さいきん文章書いてなさすぎていかにも日記みたいな日記になりました。ぜんぶ大丈夫になりますように。
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runpenparis · 8 days ago
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るんぺんパリ【RunPenParis】
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自己紹介 2024年11月4日追記 6116文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある 三重県亀山市に二つか三つ年上のお兄さんいるらしいが あった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした 父方に引き取られたお兄さんに 母親の事を聞いた 母親は別の人と再婚し離婚して 娘さんと一緒に暮らしているらしい 父親は再婚して自分と同じぐらい娘さんがいるらしい お兄さんはおじいさんの事を尊敬していて 中国語を勉強してるらしい あとは色々と聞いたけど 覚えているのはそれぐらいの内容で もう二度と話す事はないだろうと その時に思ったけど お兄さんの顔がどんな顔なのかは 見てみたい気持ちは少しある
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している それは去年に末っ子を連れていったから確認済 外観はただの古い家だけど 中に入ると意外と見応えはある 観光施設って感じ 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 油が多い感じのお肉だから 100gも食べれば満足感がある 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 今年は10月18・19・20(金土日) 19(土)は久しぶりに一人で一日中お祭りを楽しむ予定だったけど 昼前から雨が降ってきて鬼行列は中止 午前中は親戚を3件回って、おみやげを渡した 午後に実家によって車を駐車して 歩いて上野天神祭へと向かった いつも泊まる「伊賀上野シティホテル」は1泊10000円以上も高い 16800円だった。この日は駐車場も使えなかった 夜の19時から同級生のお店「クワトロNo.4」に初めていった 30年ぶりにちゃんと会ったガキさんは すぐに気がついてくれた 居心地がよかったので閉店の1時までカクテルを8杯ぐらい呑んだかな 意外と安くて8200円だった 次の20(日)は上野天神祭に参加している同級生のオデに会って 鬼行列の準備風景を写真に撮って 上野天神さんの近く紅梅屋でおみやげを結構買って 桔梗屋で上生菓子とお茶を飲んで 静岡へ帰った 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 普段はこれといって何もないけど 俳聖殿のたたずまいは何か「The Haiku」という感じ 上野城のお堀の高さ日本2位? 一時期は日本1位説もあった 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 高校生の頃に一つ年下の子とつきあっていた頃は よく上野城をさんぽした 帰りはその子の家の近くまで送っていった この子はとても純粋な子で 自分にはもったいない子だった 半年もつきあっていないが 今でも純粋で幸せになっているかなと思い出す事もある もう向こうは忘れているだろうけど 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする いまだに東京が伊賀のマネをした説を 親戚がまじめな顔でいいだす時があるから 本当に真実が知りたいけど 自分が調べるほどは興味がない 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市��変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい あと小さなパチンコ店「マルト」があった 「フルーツパンチ」という機種で勝った覚えがある あと「麻雀物語」もあったかな 「海物語」という機種が記憶の最終機かな 上野で住んでいた時期に一日で20万近く負けて それからパチンコは完全に辞めた じつはその後もたまにしたが 本当に気晴らし程度で その内にきっぱりとやめた スロットが主流になったら なおさら興味すらなくなった 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 新天地には映画館もあった気がする 当時は賑やかな商店街だった 当時からあった「喫茶店フランセ」は今もある 大きな化粧品店は更地になっていた 高校の時の知り合いが「クワトロNo.4」という バーを経営しているが、まだ入った事はない いつか行ってみたい気持ちはある ただダーツバーらしく 常連っぽい人たちのたまり場っぽいイメージで 気楽入れなさそうな雰囲気はある 一度だけ朝方にお店の扉までいったけど バーの扉って感じで雰囲気はあった 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる この岡森書店の店長さんは従姉の同級生で 小学校の先輩の同級生でもあり この店長の妹さんは自分と同年代で それにしても伊賀は狭いなと感じる
市部という地区だったと思う 近くに市部駅という無人駅がありその近くの 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった おかんは去年の年末まで 81歳でまだ自転車に乗って 小田町の坂を下っていたらしい いまは親戚から危ないからと 召し上げられた 小学校6年卒業までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 バスケ部の試合で名張の体育館で遊んでいて 二階から飛び降りたら右足のかかとがにヒビが入った その夏にはバスケ部をクビになり陶芸部に入った 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高���受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 「どかどかうるさいR&Rバンド」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから バンドマン目線のそういう女子には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。 高校生の頃はたくさん恋をしたが 自分が不器用だったので自分が好きだった人からは つきあえてもすぐにフラれた 人を好きになることに迷走し始めて 最終的に好きになる事はやめて なんとなくという感情で奥手に過ごしていった そのせいか、他校の女子からゲイだとウワサされる事もあった なぜそうなるか不思議だったけど 当時は楽しければなんでもよかった
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 家賃と車のローンがきつかった 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった この「ふる川」は今もやっている 当時はお店の小学生の女の子が手伝っていた 夫婦だけでやっていて 週3回ぐらい夕飯でお世話になった 「さば定食」もよく食べた気がする
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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monthly-ambigram · 10 months ago
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2024-1月号
明けましておめでとうございます!
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方��一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/Frog96
◆今月はお題フリーです◆
今月は参加者の皆様にお題フリーでアンビグラムを制作していただいております。年始に合わせた作品やここぞという力作など投稿していただいております。ぜひじっくりご覧ください。
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「辰年/初心」 回転共存型:オルドビス紀氏
辰年の始まりにふさわしい作品。髭文字の掠れは中間表現に適していますね。省略もほとんどなくぴったりのペアでした。
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「たつ年」 回転型:kawahar氏
うねったストロークが竜のようです。シンプルながら良い発見ですね。
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「龍」 回転型:兼吉共心堂氏
辰年の書初めにふさわしいですね。強弱の付け方が筆文字ならではで読みやすいです。
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「龍/DRAGON」 敷詰振動型:ぺんぺん草氏
6文字を組んだ時の違和感のなさが素晴らしいです。アルファベットもフォント然としてカッコイイですね。
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「初日の出」 回転共存式複合型:ちくわああ氏
「出」の袋文字表現が面白いです。類作が過去の投稿作にありますので併せてごらんください。
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「エアコンいらずの新年」 回転型:.38氏
温かい年末年始で助かりましたね。 文字の組み方が面白いので注目です。込み入っているところを解読してみてください。
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「お正月」交換型:無限氏
3面相の交換型。画数の少ない文字で3つを行き来できるのは素晴らしい発見ですしデザインできるのもすごいです。ループの解釈が文字ごとに異なってくるのが面白いです。
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「遊神」 図地反転型: いとうさとし氏
意味:心を遊ばせる。何事にも愉しむ心を忘れない。 とにかくどちらの文字も読みやすいです。「田」様の箇所に文字を潜ませる方法は過去にも何度もされていますが切れ込みの入れ方が絶妙です。
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「私はずっと笑顔だったし朝の占いだって悪くないきっと今日も大丈夫良い一日になりますように。」 :くりまろん氏
Haniwa氏の楽曲名。様々な対応型を被らないようにできる限り盛り込んでいますね。大変な力作です。
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「作り初め」鏡像型:peanuts氏
書初めをもじった言葉ですね。字画の分割がうまく機能しています。モノクロなのにメカっぽさも見える楽しい作字ですね。
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「盛福」 図地反転型: いとうさとし氏
意味:盛大なる幸福。しあわせが最高潮であること。 輪郭が曲線にできると可読性が上がるようです。ねじれたように見えて面白いです。
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「現実歪曲空間」  重畳型:螺旋氏
長い単語でうまく文字を配置することによって重畳型が成り立つという素晴らしい作品。1.5文字分で上下に分けると同じ形状なのですがすぐには気付けないほど自然です。
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「アンビグラム」120度回転型:Σ氏
たくさんの作例がある「アンビグラム」の文字列ですが、作成が困難なケルベロス型は初のようです。隙間と角度の調整が巧みですね。解読が楽しい作品です。
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「萬國共通」 鏡像型:mishima氏
どの文字もとても読みやすいです。角文字風の書体になっているのが読みやすさに寄与している面もありそうです。
最後に私の作品を。
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「平世」 回転型:igatoxin
今年も平和な世の中を願います。
お題フリーのアンビグラム祭、いかがでしたでしょうか。年初の意気込みも感じられる作品を寄せていただきありがとうございました。最後になりましたが本年もよろしくお願いいたします。
さて次回のお題は「レトロ」です。レトロフューチャー、レトロゲーム、懐古、回顧、大正ロマン、ポケベル、西岸良平など 参加者が自由にレトロというワードから発想 連想してアンビグラムを作ります。
締切は1/31、発行は2/8の予定です。それでは皆様 来月またお会いしましょう。
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2023年 1月{フリー}   2月{TV}        3月{クイズ}        4月{健康}   5月{回文}    6月{本}               7月{神話}   8月{ジャングル} 9月{日本史}    10月{ヒーロー}    11月{ゲーム}   12月{時事}
※これ以前のindexはこちら→《index:2017年~》
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keredomo · 3 months ago
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ポリアモリー① 情念の重さ
 あなたに、ほかの男を作って��しい。わたしには──精一杯やっているつもりだが──あなたが欲しいものを十分に与えることはできない。わたしには与えることのできないものを与えてくれる人、あなたの不足を満たす人を、つくってくれないか。  そう言われて、ぷつりと糸が切れた音が聞こえた。どの糸が、何の糸が、切れたのかはわからない。けれども、たしかに何かの糸が切れた。  私とあなたとは、もはや数え切れないくらいのあまたの糸で繋がっているから、そのうちの一つが切れたからといって関係が損なわれるわけでもない。もちろんいつか、この無数の糸が、すべて切れる日が訪れるのかもしれない。けっして悲観的になっているわけではなく、生の事実として、そういうことは起こりうるだろう。今のところまだ、切れていないというだけ、それだけだ。  けれど、あなたが私の手を一つ離すことで、一つだけ、糸が切れた。切れた分だけまた一本紡げばよいのかもしれない。しかし、どうやって? ──切れてしまったものは、金輪際、結ばれえない。私たちを結んできた糸が一つ、永劫に切れてしまった。その絶望は少なくとも私にとっては深いもので、けれどあなたは飄々としていた。あるいは、諦めを押し隠しているように、見えた。
 *
 実存をかけて長く付き合ってきた一人の男による、悲痛な訴えだった。彼もまた、限界を迎えていた。  これまで私たちは、あまりにも美しくあまりにも苦しい恋愛を六年かけてやってきた。美しく苦しく、恋愛の真髄を求めすぎたがゆえに、二者間に閉ざされきった恋愛を。それは至高の恋愛であった。私は相手に対して過剰なほどに誠実だったし、相手も私に対して過剰なほどに真摯だった。私たちは六年間、おのれのほとんどすべてをこの恋愛に費やしてきた。それは人生と呼ぶべきものだった。  六年。どんな不幸もどんな幸福もその責任をみずから負うべき「大人」という立場になってから始めた、すべてが自己責任の管理下にある、自らの意志で始めた、この関係だった。それが六年続いた。そうしていま、すべてのありうる未来──家族を得たり、子を得て育てたりといった、わかりやすく約束された安らぎというべきもの──を棄却して、ただ恋愛だけを真摯におこなった私は、もう三四歳になる。もはや、社会的な何かを得ようとするには、遅すぎる。
 そのような、六年。歳月がそのまま強度を担うとは言わない。しかし、歳月の力も借りて、後戻りができないという意味でも、私たちはあまりにも重い関係を築いてしまった。これまでは、その重さを──歪な形ながらも──私たちは互いに平等に引き受けていたはずだった。だからこのような呼吸もままならずに喘ぐような恋愛をやってこれたはずだった。  私の人生を懸けててでも、私の人生が社会的に正しいものでなくなったとしても、それでもこの恋愛に実存的な価値があるからと、やってきた。事実、私はこの恋愛を成長の糧にしてきた、私はこの恋愛を通じておそろしく美しく育った。けれどその一方で、一般的な幸福と呼ばれる何もかもを捨てた。捨てながら、食い下がった。相手のことを愛していたからだ。
 それが、しかし、いよいよ瓦解したのだった。壊れて、ひとり立ち尽くせば、見えなかったものも見えてくる。  男の提案はプラクティカルなものだった。私たちが関係を維持するためにあなたに別の男が必要だというのは、この関係を持続させるべく「バランスをとろう」とする提案としては至極明快なものだった。それがどんなに残酷であれ、持続という目的を達成するためにほかの選択肢はなかった。相手の知性を信頼しているので、その提案に心は傷つきこそすれ、理性で納得し受け入れるようにした。  とはいえ、いまさらではあった。いまさらそんなことを、あなたが言うのかと。バランスを崩すような振る舞いを再三とってきたあなたが、私には自粛を求めるのかと。  ──「相手の知性を信頼しているので」? 違う。数年にわたって対話を重ね、相手の論理に破綻があることはとうに知っている。呆れるような論理破綻を真顔で押し通そうとすることを、私はすでに思い知らされている。それも、至極無邪気に。赦しを乞うでもなく、「こういう状況だから、仕方なかった」ととうとうと説明して、私の「そうだね」を引き出す。そこには論理はなかった。私たちの信じる私たちの倫理も、有効な働きを見せなかった。ゆえに、「知性を信頼している」という謂いは、もはや通用しない。  ではなぜ受け入れたのか。あのひとを愛しているからだ。愛しているから受け入れることしかできなかったのだ。それに尽きる。愛とは厄介なものだ。理屈を飛び越える。愛の相手がこの人でなければ、こんな不条理を受け入れることはなかったはずだ。相手を殺して私も死のうなどと、思い至ることもなかったはずだ。
 *
 苦しい恋愛が続いた。六年間、もしかしたら七年だろうか、この苦しい恋愛を諦めるために何度も何度も別の男をつくって逃れようとした。  いかなる供犠をこの祭壇にそなえても、けっきょくそれは叶わなかった。どうしてだったのだろう。わからない。  払った犠牲を弔う意味でも、いよいよ観念して、私はいったん生涯その男を愛し抜くことに決めた。
 どうしてそう決めたのだろう。わからない。わかってしまっては終わってしまうから、わからないふりをしているのかもしれない。こうして答えを闇にしまいこむこともまた、何かの犠牲を払っているということなのかもしれなかった。  この苦しい恋愛から逃れるためにたくさんの男を誂えたが、それらすべてが無為に終わって、私だけが身勝手さに傷つくはめになった。そんなことも知らないまま、男はいまだに身勝手に私を愛している。憎い。
 関係は、私たちの共有する独自の倫理に基づくある種の契約であった。道徳の敷く社会的契約とは異なる、独自の倫理と倫理が結びつく契約。すべてを選ぶことのできる立場になってから選んだこの関係を引き受ける覚悟を、あるいは最初から引き受けていたのかもしれないそれを、私たちは現在の私たちに可能な限りの誠意を尽くして、私たちの存在に縛りつけることにした。  にもかかわらず、ただ一人のその男を愛すると決意してすべての愛を差し向ける機会がきたとき、男は私の愛の重さに音を上げた。
 あなたの情念のすべてを引き受けることができないと言う。あなたの重みを支えるには自分だけでは不可能だと言う。
 裏切りである。
 *
 ある日、あまりに苦しいこの恋愛から逃れようと足掻くことをふとやめたくなった。  これは、この関係はもう、受け入れざるをえない、業のようなものに成り果てたのだと諦めて、裏切った男をそのままで愛することに決めた。愛ではなく、諦めだった。  その上で、焼け鉢の私は、持てるすべての情念を相手に噴出してしまおうと、あまりにも愚かな賭けに出たのだった。
 その日から私は、私の持てる真摯さと実直��を、それから男を愛する上で生じる醜い感情までも含めた、私のすべてを男に差し出しはじめた。すべてをぶつけてみようと思ったのだ。情念の、可能性の、エネルギーの、すべてを。  結果的に、それが裏目に出た。私は賭けに負けた。負けることが自明である賭けに乗って、勝手に自滅しただけだった。  けれど、その賭けによって、男がどうしたって自分と一緒に死んでくれないのだと理解した。そうか、と思った。そうか。
 男が「あなたがいくら重くても受け止める」と男が語ったのは何年前のことだっただろうか。愚かにもそれを信じて全身で縋った結果が、「受け止めきれない」であり、「自分のほかに、依存先を増やしてほしい」だった。  言葉の、字面通りの意味を信じた私の依存もきっと、また過ぎたものだったのだろう。私はまた間違えたわけだ。この人との恋愛では、私は間違え続けていながら、その間違いすらも受け止められてしまっていた。そうして間違え続けて、ここまできてしまったのだろう。「依存先を増やしてくれ」と先方が言い出すほどの苦しい状態に、私が、持ち込んでしまったのだろう。人の発する言葉を、そのまま語義通りに受け取ってはならなかったのだ。  また、言葉というものへの不信感が募る。言葉とは流動的なものなのだと、いつになったら学ぶのだろうか、私は。いつになったら、言葉を、諦められるのだろうか。
 *
 ほかの依存先をつくってほしい、という要請。あまりにも酷い求めだと思ったが、理には適っている。──我々の関係は「理」を神としている。理だけは私たちを裏切らない。そこに従えば、私たちは無為に傷つかずに済む。たとえ、理のもたらすものが離別であったとしても、私たちは傷つかない。だから、それがあなたの考える理の要請なのであれば、私には従わない選択肢はなかった。  私の情念のすべてをなんとか受け入れようと、あなたは私のために死力を尽くしてきた。六年の歳月が証明している。けれどあなたは、もはや自分の力ではもう私の重く激しい情念に応えることはできないと察してしまった。  この不均衡をプラクティカルに解決し、心を病みがちなあなたを安寧に導くためには、自分のいじましい独占欲を抑えてでも、あなたが別の依存先を作るのがよいのだろう。あなたが心安らかに過ごすためには、それしかないだろう。そう言って、あなたは手を離すことなく私を突き放した。  確かにそれは最適解だ。私はあなたのその求めに応えることでしか、我々の築いてきたこの倫理を遂行することはできない。突き放した自覚はあなたにはない。あなたは最適解を提案しただけだった。手を離すことなく手放したのだった。  心では深く絶望したが、頭ではよくわかった。無理なことは無理なのだ。どだい、私の情念は重すぎる。一人の男という、弱い生き物が抱えるには重すぎる情念を振り回している。仕方ないことだった。あなたが抱え切れる程度な情念を持ち合わせていなかった私が悪いのだ。
 *
 その提言を受けた一週間後、幸運なことに、あるいは不思議なことに、きわめて美しい男が最適なタイミングで私の前に現れた。話の通じる男であることは知っていた。この人ならばと思って、いきおい打ち明けた。  「長年付き合ってきた男がもう私を抱えきれないそうで、彼氏を増やしてくれと言っているの。よかったら、彼氏にならない?」  まだ互いに素面の、午後の陽光が燦々と降り注ぐ酒場で、私もやけを起こしていたのだろう、おのれの市場価値も何もかえりみずに打診した。彼は顔の半分を手で覆って大いにためらいながら、「正直、二つ返事で応じたい」と口にした。断られるつもりでいたので、驚いた。  いま見ている光景のすべてが夢みたいだなと、明るい日差しを窓越しに受けて輝いている人を眺めながら、そう思った。冬の昼、天使が舞い降りるかと思うような明るさだった。あの瞬間、すべてがまばゆかった。自分がどれほど暗い場所にいたのかを思い知らされるまぶしさだった。
 そんなふうにして、すべての登場人物がかたちの上では合意しつつ、私のポリアモリーとしての人生が不意に始まった。私を含め、誰もの本音はわからないまま。  「ポリアモリー」とは、複数性愛者のことをセクシュアリティとして認めさせるための用語だ。実のところ、私は長いこと、ポリー(ポリアモリーの親語をポリーと言う)のことをセクシュアリティとしては認めずにいた。あまりにも、社会道徳に基づく概念だからだ。これは一夫一妻の家父長制に反発するアクティヴィティであるべきで、セクシュアリティと混同すべきものではない。性のありかたと政治的アクティヴィティは切り分けて語るべきものだ、と思っていた。  それでも、現実にこのような状況になってしまっては、ポリアモリーという呼称はとても便利で、乗りかからざるを得ない。私のこれは、積極性を持つアクティヴィティとはかけ離れた、流れに流された果ての湖だ。新たな川を作ってそこから水を逃すまで、しばらくは湖のなかを泳いでいるしかない。
 いま、すべての事情を話した上で新たに私の人生にコミットすることを決めてくれたその新たなる男を、私はきちんと愛している。彼もまた、私をきちんと愛している。  もちろん、私を抱えきれなくなった旧来の恋人も私を愛しているし、私も彼を愛している。まったく異なる性質の愛だ。親愛と情念という使い分けになるのだろうか。  この状況が歪であることは認めるが、一対一の関係に生じる不均衡に消耗して相手を攻撃するよりは、均衡を保つための手を打って穏やかな関係を創出するほうが生産的なのかもしれない。あなたの提案が有益であったことを、証明したいのかもしれない。  新たなる人は、愛するべき、愛さずにはいられない、美しく賢く人を愛する能力に長けた、誰にも代え難い男だった。あなたの誤算は、私が彼を愛してしまう可能性を見抜けなかったところにあった。
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moko1590m · 4 months ago
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ひろゆき @hirox246 東京都区内の火葬場の66%を持つ東京博善は中国系の会社に買収されました。寡占で値上げしまくり火葬料金は全国平均価格の4倍。骨壷の持ち込み不可。日本人の死体を燃やして稼ぐ取締役3人の年間報酬は7億8900万円。 各区長が規制しなきゃいけないのに放置し続けて、今に至る。 https://biz-journal.jp/company/post_382116.html/amp… 午後1:08 · 2024年7月10日 · @okada122400 · 8時間 そんなに儲かるビジネスモデルなのに何故日本企業が手放したか不思議ですね @sukonomaru · 8時間 昨日進展があったみたいですよ 引用 佐藤信顕@葬儀葬式ch 日本一の葬祭系Youtuberです+減税会 @satonobuaki · 22時間 火葬場問題は 区長「複数区に火葬場を持つ会社だし、東京都が意見を出せよ。許認可は営業だけで、料金とかそういうのは入ってないし~~~」 ↓ 東京都「東京都は管理主導する立場にありません」 ↓ 浜田事務所が、厚労省から言質を��る「金額も含めて指導監督は区長の仕事やん」 ↓ 区長の責任じゃん!!←今ここ 午後11:43 · 2024年7月9日 · 213万 件の表示 佐藤信顕@葬儀葬式ch 日本一の葬祭系Youtuberです+減税会 @satonobuaki · 22時間 価格も含めて区長の責任で監督指導できるっていうのが明確になったのが今回の成果なのです。いままで出来ない、そんな権利ないし~~~って言っていたのが、厚労省がありますっていったので、できることが確定しました。要するに厚労省に区が確認取るのを「ワザ」としなかったという事です。 佐藤信顕@葬儀葬式ch 日本一の葬祭系Youtuberです+減税会 @satonobuaki · 22時間 じゃあ出来ますよね、いつやるんですか?いつ内訳を調べるんですか?燃料サーチャージもスルーしてましたよね。って価格指導権限があるとすれば、何で調査しない、なんで指導しないという「区や区長」の問題になります。ほーら詰将棋になってきた。指導しない区の問題が、意見をまとめない都か・・ 佐藤信顕@葬儀葬式ch 日本一の葬祭系Youtuberです+減税会 @satonobuaki · 22時間 あとは質問件ある議員にやってもらえばいいんです。正直何十億の案件だし、慎重��なって時間もかかるのもわかりますけど、それで牛歩されないようにロードマップを出してくれとか言えばいいんですよ。 佐藤信顕@葬儀葬式ch 日本一の葬祭系Youtuberです+減税会 @satonobuaki · 22時間 期日と手順、なんなら僕がロードマップ書きますよ。質問してくれる議員さんからの協力依頼お待ちしています。 猫と薔薇の日々 @CDZj1kjPM0IGpoD · 8時間 昨日、京都市で火葬を済ませました。京都では葬儀会社でさえ「火葬場が民営ってアリなの」と驚く方が多いです。火葬場は公共施設であり福祉にも相当するものです。料金だけではなく、残骨の処理も大事です。京都市民で良かったと思います。 ノムタン @masaru1390 · 11時間 土葬の制限、火葬場以外での火葬禁止などの法で、実質は火葬は義務化されてます。 多くの自治体で火葬が格安なのも火葬が事実上は義務だからです。 なので自治体には火葬会社を強く指導する権限も義務もあります。 冥🌷 ボーッと生きてる @venus_meiko · 11時間 新宿区長、落合斎場をなんとかしろやヾ(。`Д´。)ノ 代々幡は渋谷区長に仕切ってもらわんと そもそも民間企業だってところに疑問しかわかない Narayan Lal Solanki @narayanmali85 · 3時間 私たちの国では、火葬場は最も神聖な場所ですが、火葬場の名の下に数百万の価値のあるビジネスを行うことは非常に非難される行為です。 Narayan Lal Solanki @narayanmali85 · 5時間 仕事は公共の利益のために行われるべきです Sprinkle 🇵🇰🇵🇸 @ursister366 · 7時間 そうなんだよね、区長の責任になっちゃうんだ。厚労省から言質を取るって、かなりの重圧だろうね。区長も大変そうだけど、しっかり対応してほしいよね。
(1) Xユーザーのひろゆきさん: 「東京都区内の火葬場の66%を持つ東京博善は中国系の会社に買収されました。寡占で値上げしまくり火葬料金は全国平均価格の4倍。骨壷の持ち込み不可。日本人の死体を燃やして稼ぐ取締役3人の年間報酬は7億8900万円。 各区長が規制しなきゃいけないのに放置し続けて、今に至る。 https://t.co/nxSjgQInB6」 / X
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harawata44 · 7 months ago
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販売元に理由を聞いた!「いつ終売したの?」もう食べられない、昭和~平成の名作お菓子たち - ライブドアニュース
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以下引用
「懐かしいな、食べたいな」と思ったお菓子が終売に。それはまるで“孝行したいときに親はなし”的な悲しみだ。気づけば消えていた昭和~平成生まれの名作を、まとめておさらい!
一時、フリマサイトで1箱1000円程度で出品
 さよなら、チェルシー。ついにお別れの日が来てしまった。 (中略)  1971年に誕生した 『チェルシー』。♪もひとつチェルシー♪のフレーズが有名なCMソングは小林亜星さんの作曲だ。初代のシモンズからサーカス、八神純子、あみん、PUFFY、CHEMISTRYなど、人気アーティストによって歌い継がれてきた。  生前、小林さんも《すごい年月の間このうたを使っていただいたということは、とっても光栄》と語っていた(明治HPより)。  このCMソングでおなじみとなった『チェルシー』という名前は、3000ものネーミング案の中から選ばれたという。最終候補に残ったもうひとつの名前は『キングスロード』。こちらになっていたら、もっと雄々しいCMソングになっていたかも!?  昭和から令和まで、世代を超えて愛されたチェルシーだが、売り上げの低迷により終売が決定。《こんなことになるなら、もっと買って貢献すればよかった》という後悔の言葉がSNSで飛び交ったが、後の祭りとなってしまった。
 気づけば消えていた思い出のお菓子は、ほかにもたくさん。'67年販売スタートの 『森永チョコフレーク』 は、子ども時代の定番おやつだった人も多く 《1箱全部食べて親に怒られたなあ》 《遠足で必ず買ってた》  など懐かしむ声が今も上がっている。販売終了は2019年。スマホ使用時にチョコで手が汚れていると支障が出ることが売り上げ減の一因とも指摘されたが、時代の流れの残酷さよ。
 ♪ポポロンロンロン ポポロンロン♪と歌いたくなる明治 『ポポロン』 は'76年から'15年に販売されていた。サクッとした一口サイズのシュー生地にチョコクリームが入ったお菓子だ。販売終了が報道されたのは'17年。知らない間に消えていたのだ。
ブルボン広報に『ルーベラ』終売の理由を尋ねると
 同時期、『カール』の全国販売終了がニュースになったが、 《カールがなくなるよりポポロンがすでになくなっていたという事実のほうが悲しい》  などの声がSNSを駆けめぐった。  中には《チェルシーは大丈夫か?》とつぶやいていた人も。7年後、まさか現実になってしまうとは!
 ロッテ 『霧の浮舟』 も恋しくなるお菓子だ。販売時期は'80年~'05年。その後'13年に完全復活するも'18年に終了となった。エアインチョコレートの草分けで、口の中でシュワッとなる感じが人気を集めた。 《独特の口溶けが忘れられない》 《名前やパッケージがおしゃれで大人な気分だった》 《一回復活したから、また復活してくれないかな~》  などの声が。前回は8年越しの復活だったから、次は'26年にもしかして……!?
 コアなファンが多かったのが、ブルボン 『ルーベラ』 。  '72年デビューのバター風味ラングドシャクッキーで、'21年には『ルマンド』『ホワイトロリータ』『バームロール』『チョコリエール』とともに擬人化された美少女キャラのイラストが発表され、“ブルボン5姉妹”と話題を呼んだ。だが'22年に終売。 《探してもないと思っていたら販売終了してた》 《いちばん好きなのに、もうないなんて悲しすぎる》 《知ってたら大人買いしてストックしておいたのに》  と別れを惜しむ声が多くあった。ブルボン広報に終売の理由を尋ねると、 「多くのお客様からご愛顧をたまわり、誠にありがとうございます。半世紀にわたりご好評をいただいてまいりましたが、近年の原材料価格上昇の影響を受け、やむを得ず(販売)休止に至りました」  休止ということは、もしや復活の可能性も!? 「現在は大きさやグレードを高め、さらに満足感のあるラングドシャロール商品として、『贅沢ラングロール』を販売しています」(同・前)  『ルーベラ』ロス勢は、この贅沢ラングロールで涙を乾かそう! また、ほかの4姉妹たちの行く末が心配だが。 「発売50周年を迎えるルマンドをはじめとした袋ビスケット商品群につきましては、これからもみなさまに愛し続けていただけるよう種々の活動に取り組んでまいります」  とのこと。お願いしますね、ブルボン様!!
 駄菓子では梅の花本舗 『元祖梅ジャム』 の終売も寂しかった。 《10円玉を握りしめて駄菓子屋に行ってよく買ってた》  と懐古する人も多い。'47年から'17年まで生産されたが、1人で製造していた梅の花本舗の社長が、加齢による体調不良、機械の老朽化、駄菓子屋の減少、売れ行き不振などの原因で廃業を決定。70年の歴史に幕を下ろした。報道時は 《またひとつ昭和が遠くなる》 《後世に引き継がれるべき昭和の遺産だった》  と惜しむ声がネット上にあふれた。
 廃業といえば、佐久間製菓の 『サクマ式ドロップス』 も残念。赤色の缶のドロップは1908年の発売開始から100年以上も愛され、スタジオジブリのアニメ映画『火垂るの墓』にも登場した。  だがコロナ禍で売り上げが減少、原材料の高騰などから'23年1月に廃業。このニュースが流れると、ジブリはツイッター(現X)にサクマ式ドロップスの画像を投稿。SNSでは 《中学のころ、ポケットに缶を入れて、タバコみたいな感じでなめてた。カラカラうるさかったけど、当時はそれが粋だと思ってた》  といった声のほか、 《実家でボロボロの缶を発見。貯金箱としてもう30年も使ってるって》  というエモいエピソードが続々。ちなみに、別会社であるサクマ製菓の『サクマドロップス』は、現在も販売中。こちらは緑の缶が目印だ。
原料・資材高騰で20円売価を維持することが困難に
 そして、'94年から販売された駄菓子の定番、よっちゃん食品工業の 『らあめんババア』 も'20年に終売。インパクト大のネーミング&パッケージイラストで、誰もが知るラーメンスナックだった。 《今でもときどき夜中に食べたくなる》 《お椀に入れてお湯をかけてラーメンにして食べるの好きだったなあ》  と、恋しがるネット民のため、よっちゃん食品工業に終売の理由を聞くと……。 「原料・資材高騰で20円売価を維持することが困難になったためです。みなさまから大変多くの声をいただき、また社内でも、長年製造していた製品につき惜しむ声も多くありました」(広報、以下同)  同社では、らあめんババアの代替品は検討していないそう。現在買える他社類似商品は『ベビースターラーメン』あたりになるの……? 「そのようになるかと」  ババアのロスはベビースターで埋めときますか!  生まれて消えて、また生まれて。諸行無常の響きありまくるお菓子戦線。今、口にしているお菓子も1年後にはなくなっているかも。そんな悲劇を回避したいなら、やはり買って応援、食べて応援!?
取材・文/今井ひとみ 
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kennak · 6 months ago
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<北海道> 函館市、小樽市、釧路市、夕張市、岩見沢市、網走市、留萌市、稚内市、美唄市、芦別市、赤平市、紋別市、士別市、三笠市、根室市、砂川市、歌志内市、深川市、富良野市、登別市、伊達市、北斗市、当別町、新篠津村、松前町、福島町、知内町、木古内町、鹿部町、森町、八雲町、長万部町、江差町、上ノ国町、厚沢部町、乙部町、奥尻町、今金町、せたな町、島牧村、寿都町、黒松内町、京極町、共和町、岩内町、泊村、神恵内村、積丹町、古平町、余市町、赤井川村、南幌町、奈井江町、上砂川町、由仁町、長沼町、栗山町、月形町、妹背牛町、雨竜町、北竜町、沼田町、当麻町、比布町、愛別町、上川町、上富良野町、和寒町、剣淵町、美深町、音威子府村、幌加内町、増毛町、小平町、苫前町、羽幌町、遠別町、浜頓別町、中頓別町、枝幸町、豊富町、利尻町、美幌町、津別町、清里町、小清水町、訓子府町、佐呂間町、遠軽町、湧別町、滝上町、西興部村、雄武町、大空町、豊浦町、白老町、洞爺湖町、むかわ町、日高町、平取町、浦河町、様似町、えりも町、新ひだか町、士幌町、広尾町、池田町、豊頃町、本別町、浦幌町、釧路町、厚岸町、浜中町、標茶町、弟子屈町、白糠町、羅臼町 <青森県> 青森市、弘前市、八戸市、黒石市、五所川原市、十和田市、むつ市、つがる市、平川市、平内町、今別町、蓬田村、外ヶ浜町、鰺ヶ沢町、深浦町、藤崎町、大鰐町、板柳町、鶴田町、中泊町、野辺地町、七戸町、横浜町、東北町、六ヶ所村、大間町、東通村、風間浦村、佐井村、三戸町、五戸町、田子町、南部町、階上町、新郷村 <岩手県> 宮古市、大船渡市、久慈市、遠野市、一関市、陸前高田市、釜石市、二戸市、八幡平市、奥州市、雫石町、葛巻町、岩手町、西和賀町、平泉町、住田町、大槌町、山田町、岩泉町、田野畑村、普代村、軽米町、野田村、九戸村、洋野町、一戸町 <宮城県> 石巻市、気仙沼市、白石市、角田市、登米市、栗原市、蔵王町、七ヶ宿町、村田町、川崎町、丸森町、松島町、七ヶ浜町、大郷町、色麻町、加美町、涌谷町、女川町、南三陸町 <秋田県> 能代市、横手市、大館市、男鹿市、湯沢市、鹿角市、由利本荘市、潟上市、大仙市、北秋田市、にかほ市、仙北市、小坂町、上小阿仁村、藤里町、三種町、八峰町、五城目町、八郎潟町、井川町、大潟村、美郷町、羽後町、東成瀬村 <山形県> 鶴岡市、酒田市、新庄市、上山市、村山市、長井市、尾花沢市、山辺町、中山町、河北町、西川町、朝日町、大江町、大石田町、金山町、最上町、舟形町、真室川町、大蔵村、鮭川村、戸沢村、高畠町、川西町、小国町、白鷹町、飯豊町、庄内町、遊佐町 <福島県> 会津若松市、白河市、喜多方市、二本松市、田村市、伊達市、桑折町、国見町、川俣町、天栄村、下郷町、檜枝岐村、只見町、南会津町、北塩原村、西会津町、猪苗代町、会津坂下町、三島町、金山町、会津美里町、泉崎村、棚倉町、矢祭町、塙町、鮫川村、石川町、玉川村、平田村、浅川町、古殿町、三春町、小野町 <茨城県> 日立市、常陸太田市、高萩市、北茨城市、潮来市、常陸大宮市、稲敷市、桜川市、行方市、鉾田市、城里町、大子町、美浦村、河内町、八千代町、五霞町、利根町 <栃木県> 日光市、矢板市、那須烏山市、益子町、茂木町、市貝町、塩谷町、那珂川町 <群馬県> 桐生市、沼田市、渋川市、藤岡市、富岡市、安中市、上野村、神流町、下仁田町、南牧村、甘楽町、中之条町、長野原町、嬬恋村、草津町、東吾妻町、片品村、みなかみ町、玉村町、板倉町 <埼玉県> 行田市、秩父市、越生町、小川町、川島町、吉見町、鳩山町、ときがわ町、横瀬町、皆野町、長瀞町、小鹿野町、東秩父村、神川町、寄居町、松伏町 <千葉県> 銚子市、勝浦市、富津市、八街市、南房総市、匝瑳市、香取市、山武市、いすみ市、栄町、神崎町、多古町、東庄町、九十九里町、芝山町、横芝光町、白子町、長柄町、長南町、大多喜町、御宿町、鋸南町 <東京都> 檜原村、奥多摩町 <神奈川県> 三浦市、中井町、山北町、箱根町、真鶴町、湯河原町 <新潟県> 小千谷市、加茂市、十日町市、村上市、糸魚川市、妙高市、五泉市、阿賀野市、佐渡市、魚沼市、胎内市、田上町、阿賀町、出雲崎町、湯沢町、津南町、関川村、粟島浦村 <山梨県> 都留市、大月市、韮崎市、上野原市、甲州市、早川町、身延町、南部町、富士川町、道志村、西桂町 <長野県> 大町市、飯山市、小海町、佐久穂町、立科町、長和町、阿南町、阿智村、平谷村、天龍村、上松町、南木曽町、王滝村、大桑村、木曽町、生坂村、筑北村、小谷村、坂城町、高山村、山ノ内町、木島平村、信濃町、小川村、飯綱町、栄村 <静岡県> 熱海市、下田市、伊豆市、御前崎市、牧之原市、東伊豆町、松崎町、西伊豆町、川根本町 <愛知県> 津島市、新城市、南知多町、美浜町、設楽町、東栄町、豊根村 <三重県> 尾鷲市、鳥羽市、熊野市、志摩市、木曽岬町、大台町、度会町、大紀町、南伊勢町、紀北町、御浜町、紀宝町 <富山県> 氷見市、南砺市、上市町、���善町、朝日町 <石川県> 七尾市、輪島市、珠洲市、加賀市、羽咋市、志賀町、宝達志水町、穴水町、能登町 <福井県> 大野市、勝山市、あわら市、池田町、南越前町、越前町、高浜町、若狭町 <岐阜県> 美濃市、瑞浪市、恵那市、山県市、飛騨市、郡上市、下呂市、海津市、養老町、関ケ原町、揖斐川町、池田町、七宗町、八百津町、白川町、東白川村 <滋賀県> 高島市、甲良町 <京都府> 宮津市、京丹後市、井手町、宇治田原町、笠置町、和束町、南山城村、京丹波町、与謝野町 <大阪府> 富田林市、河内長野市、柏原市、門真市、泉南市、阪南市、豊能町、能勢町、岬町、太子町、河南町、千早赤阪村 <兵庫県> 洲本市、西脇市、加西市、養父市、朝来市、宍粟市、多可町、市川町、神河町、上郡町、佐用町、香美町、新温泉町 <奈良県> 大和高田市、五條市、御所市、宇陀市、山添村、安堵町、三宅町、曽爾村、御杖村、高取町、上牧町、河合町、吉野町、大淀町、下市町、黒滝村、野迫川村、十津川村、下北山村、上北山村、川上村、東吉野村 <和歌山県> 海南市、橋本市、有田市、御坊市、田辺市、新宮市、紀の川市、紀美野町、かつらぎ町、九度山町、高野町、湯浅町、広川町、美浜町、由良町、みなべ町、日高川町、白浜町、すさみ町、那智勝浦町、太地町、古座川町、串本町 <鳥取県> 岩美町、若桜町、智頭町、八頭町、大山町、日南町、日野町、江府町 <島根県> 雲南市、奥出雲町、津和野町、隠岐の島町 <岡山県> 玉野市、笠岡市、井原市、高梁市、新見市、備前市、真庭市、美作市、久米南町、吉備中央町 <広島県> 竹原市、府中市、安芸高田市、江田島市、安芸太田町、神石高原町 <山口県> 萩市、長門市、美祢市、周防大島町、上関町、田布施町、平生町、阿武町 <徳島県> 鳴門市、小松島市、吉野川市、阿波市、美馬市、三好市、勝浦町、佐那河内村、神山町、那賀町、牟岐町、美波町、海陽町、上板町、つるぎ町、東みよし町 <香川県> さぬき市、東かがわ市、土庄町、琴平町 <愛媛県> 宇和島市、八幡浜市、大洲市、四国中央市、西予市、上島町、久万高原町、内子町、伊方町、松野町、鬼北町、愛南町 <高知県> 室戸市、安芸市、須崎市、宿毛市、土佐清水市、四万十市、東洋町、奈半利町、田野町、安田町、北川村、本山町、大豊町、いの町、仁淀川町、中土佐町、佐川町、越知町、檮原町、日高村、津野町、四万十町、大月町、三原村、黒潮町 <福岡県> 嘉麻市、小竹町、鞍手町、東峰村、添田町、川崎町、みやこ町、築上町 <佐賀県> 多久市、玄海町、大町町、白石町、太良町 <長崎県> 平戸市、松浦市、対馬市、壱岐市、五島市、西海市、雲仙市、南島原市、東彼杵町、小値賀町、新上五島町 <熊本県> 水俣市、上天草市、天草市、美里町、和水町、小国町、産山村、高森町、山都町、氷川町、芦北町、津奈木町、多良木町、湯前町、相良村、山江村、球磨村、苓北町 <大分県> 佐伯市、臼杵市、津久見市、竹田市、杵築市、豊後大野市、国東市、姫島村、九重町、玖珠町 <宮崎県> 串間市、えびの市、高原町、国富町、諸塚村、椎葉村、美郷町、高千穂町、日之影町 <鹿児島県> 枕崎市、阿久根市、西之表市、垂水市、曽於市、南九州市、三島村、さつま町、湧水町、錦江町、南大隅町、肝付町、大和村、喜界町、天城町
「消滅可能性」744自治体 人口戦略会議 239自治体が脱却 / 日本農業新聞
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exciting-funeke · 1 year ago
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ドラクエⅧリメイク(メインシナリオ)クリアしました
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キタカミの里を訪れたい衝動を抑え、暇な時間を見つけてひたすら3DS触ってたふねけです。めちゃくちゃ面白かったので完走した感想をレポートの如く連ねています。
※以下全文クソ長感想&ネタバレ注意※
感想を書くに際しまして、wiki等でドラクエ8の情報を漁りある程度の"答え合わせ"は済ませてある状態です。あしからず(本来拾えた筈のアイテム、リメイク前との差異、etc…)
ものすっっっごい個人的なことばかり書いてるので共感とかそんなに無いかもしれません。ご了承ください。
此度のドラクエ8プレイに当たる基本的な方針として
・可能な限りリメイク版追加キャラクターであるゲルダ、モリーの使用を避ける(めっちゃ強いらしいのとなんとなくリメイク前の質感に近づけたかった)
・ヌルゲー化を避ける為過度なレベル上げはしない(道中見かけたメタルは狩ろうかなくらい)
・あまりにも詰まったら普通にwiki見る(方向音痴定期)
というのを気にしてシナリオを進めていました。縛りというかめんどくさいこだわりの域ですね。
どうせ縛るのにモリーを仲間にした理由はもちろんエンディングに居て欲しかったからです。仲間になるという情報をプレイ前に得てしまっていたのもありますが……
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最終的には画像の育成状況で暗黒神を屠ることに成功しました。結構満足してます(上は父上のデータ)
印象的なキャラ
ククール : 彼のビジュアルや性格はDCD版モンスターズバトルロードやヒーローズで断片的に得ていましたが、実際に本編を遊んでみてその味わい深さに気付いたクチです。案外というか結構アツい男。話が上手く、煽りのセンスが無駄に高い。当然本人も好きだが後述のマルチェロとの関係も好き。
マルチェロ : ライバルズではお世話になりました。確かに彼の持つ人格は素晴らしいものとは言えないかもしれませんが、一時とはいえ一般人から法皇にまでのし上がった圧倒的な野心家&努力の人というイメージです。ゴルド崩壊後のククールとのくだりは全人類の心が動く。
てっきりリメイク前からあると思っていた「奈落の祭壇」での共闘シナリオがアホ良かった。時系列的にはゴルド崩壊後すぐ挑めるので復帰早くね?とは思いましたが
リメイク前ではあれ以上は終ぞ埋まらなかったマルチェロ、ククールの歪な兄弟の溝が「奈落の祭壇」の追加によりほんの少しでも埋まったのならそれはとても素晴らしいことなんじゃあないでしょうか。
ミーティア :ウマ娘。普通に善い娘すぎるのでクリア後のシナリオも最低でも主人公とミーティアが結ばれるところ(+地獄の帝王との邂逅)まではやろうと決意しました。あと母親似っていうかもう本人じゃん。
モリー :DCDのモンスターバトルロードのオタクであり残党なので彼を見ているとものすごく懐かしい気持ちになる。YOUのチームに命令を与えるのだッ!!
いちキャラクターという観点から見てもロマンに対して無限にアツい漢であり、年長者としての視点をちゃんと持っていたり、夢を叶えてくれたから今度はボーイの夢を叶える為にどこまでも付いていくと言いなんか暗黒神のとこまで一緒に来てくれるおもしれー男。善い人すぎません?
印象的な敵
オセアーノン : 他の作品の扱いが結構良い割に思ったよりちょい役だったモンスターその1。序盤の海で出会ってボス戦してそれ以降見ることも無かった。思ってたんと違う……
ドン・モグーラ : 他の作品の扱い(ry その2。キミさ、ジョーカー2で闘技場の責任者やってたりドラクエ10で激強アクセのコインボスになってなかった……???ハープ取り返してアジトが売地になってた以降、彼の姿を��うことができない。思ってたんと違う……
バベルボブル : 単純に好きなモンスターでもある。モンスターズシリーズではとりあえずで作りがち。トロデーン城を前にしてエンカウントしたボルがおもむろに目の前で合体し出し、そして完成したコイツにパーティを半壊させられました。(割と色々な作品で強めの扱いされてる合体モンスターをこんな序盤寄りのなんの変哲もないフィールドで出すな)
ドルマゲス : 化け物その1。リメイク前も強かったらしい。方針に過度なレベル上げはしないとしましたが初見時のレベルで彼に勝てるビジョンが一切見えずククールがベホマラーを覚えるレベルまでトロデーン城ではぐメタ狩りしてました。屈辱。そしたら逆に簡単になっちゃった。マジで屈辱。もし次最初からやる日が来たら頑張ってククールのベホマラー習得前に倒してやります。
レティス : 化け物その2。やっぱりリメイク前も強かったらしい。彼女のわしづかみ一撃でゼシカのHPがオレンジに染まったのを見て素で「は?」って言っちゃった。しかもなんか異様に硬いし。バイキルトかけたヤンガスの蒼天魔斬で100くらいしか出なかった気がする。当時間違えて多額のゴールドを抱えて彼女に挑んでしまい、本当に絶対に負けたくなかったのでゲルダのゴールド投げを解禁してしまった。マジで屈辱。
ジャハガロス : リメイク版の刺客。普通に1回全滅した。マルチェロがいなければ即死だった。第二形態は大岩投げで全体に100〜130くらいのダメージ出してくるし、いなづまで合計約400ダメばら撒いてくるし、かみなりパンチで確定麻痺攻撃してくる。しかもAI2回行動。つまり大岩投げ×2を1ターンでしてくることもあるんですよ。ウソでしょ……???
ただ、挑んだ時期が悪いのもあります。この「奈落の祭壇」というダンジョンは必ずしもゴルド崩壊直後の解放された瞬間に挑まなければいけないものではないらしいです。
というかジャハガロス本人より助っ人のマルチェロの恐るべき強さの印象の方が強いです。こういうキャラって仲間になったら弱体化するのが世の常なのに彼は違いました。助っ人キャラの例に漏れずマルチェロはHP、MP共におおよそ無限。いなづまのダメージも運が良ければ吸ってくれるし、グランドクロスで150くらい、メラゾーマでなんと250くらいのダメージを叩き出してくれる正真正銘の化け物です。お前も仲間にならないか……?
暗黒の魔人 : なんか微妙に弱くね?
暗黒神ラプソーン : あんま強くないって風の噂で聞いて正直ナメてかかりました。リメイク前の話だった……インターネットに踊らされるな
全滅回数は4回。一番苦戦しました。なんかリメイク後の今作で超絶強化貰ったらしくて、神々の怒りで運が悪ければ問答無用で1人即死するし、頻繁にいてつくはどう打ってくるし、マダンテ+叩きつけとかいう低耐久絶許確定即死コンボを予備動作無しで放ってくる。普通マダンテ前にはめいそうとかするもんじゃないの!?!?!?
ピオリムかけないと絶対に上取れないし(ポケモンで学んだsの重要性)、エルフの飲み薬やせかいじゅのしずくフル活用だし、マジックバリアを絶やさなければマダンテ+叩きつけをゼシカは無理でもククールはギリギリ耐える事を発見しなければ勝てなかったと思います。最後の戦いに相応しい、文字通りの総力戦でした。ヤンガスには3回くらいメガザルしてもらいました。R.I.P.
色々なお話
ドラクエ8よりも先にドラクエ10をプレイしてしまったふねけにとってのBGMの第一印象としましては、
トラペッタにて
(レ◯ドア(ラッ◯ラン)じゃねーか…!!!)
フィールドにて
(氷の◯界じゃねーか…!!!)
アスカンタにて
(グラ◯ゼドーラ城じゃねーか…!!!)
という感じでした。いや違うんだよ。やったことないゲームの筈なのにどこへ行っても聞いたことのある、ある程度刷り込みが、認識が成されたBGMが流れてくるんだよ……!"こっちが原作"だと頭では理解してても、逃れられないドラクエ10の認識の呪縛が先回りしてくるんだよ……!!しかし まわりこまれてしまった
ほかのゲームで聞いたことがある、つまり他のゲームに多く起用されているということは、それだけドラクエ8のBGMの完成度が高く、愛されている証拠でもありますね。ほんとに聞いたことのないBGMの方が少なかったです。
あとBGMの話でもう一つ、物語の最後を締め括る戦いである暗黒神ラプソーン戦の、あの有名なBGM「おおぞらに戦う」ですが、
生で(生か?)聞けて良かった……!!!自分の打つコマンドで繰り広げられる戦いの背景にあの神BGMが流れてるのホントに感動しますね……
ドラクエのラスボスのBGMって【魔王の恐ろしさ、性質を前面に出すBGM】と、【最終決戦そのものを表しているような、勇者を鼓舞するようなBGM】の大きく二種類に分けられがちで、例えば「悪の化身」、「オルゴ・デミーラ」なんかは前者に、「勇者の挑戦」や「決戦の時」なんかは後者に分類されます。そしてこの「おおぞらに戦う」は正に後者の代表格と言えるでしょう。
ふねけはRPGとかのラスボスのBGMって結構大事な要素だと思っていて、無くてもいいけど(演出の都合とかもあるし)、有れば絶大なチカラを発揮し、物語を鮮やかに彩るモノという認識です。そのカタルシスの質さえ平気で左右してしまうような要素で、もし自分でゲームを作ることになったら、多分ラスボスのBGMには力を入れると思います。それくらいの代物だと思っています。そして、今作の「おおぞらに戦う」はその完成系の一つだと思っています。
それと色々調べてる内に気付いたのですが……そういえば一応メインシナリオをクリアした筈のふねけのふくろにドラクエ8最強のアイテムと名高い『ふしぎなタンバリン』と、なんか高速で移動できるらしい『バウムレンのすず』が無えな、と
あれ、またなんかやっちゃいました?(汗)(涙)
『ふしぎなタンバリン』に関してはレシピを教えてもらえるのがクリア後要素とのこととあるので、情報をある程度断ち気味だったふねけが作ってないのはまあ仕方ないです。ただ、材料自体はレオパルドの時くらいにはもう揃えられるらしいですね。
『バウムレンのすず』は……いや、存在すら知らなかった。というかフィールド移動が徒歩固定なことに何の疑問も抱きませんでした。考えてみれば確かに……最���のドラクエは徒歩以外の何らかのフィールド移動手段を用意されがちですが……(10のドルボード、11のウマ等)
という訳でタンバリンは仕方ないとしても、探索不足で読むべきストーリーの一つを読まず、挙げ句フィールド移動の時間を無駄に引き伸ばしていたみたいです。こんなハズでは……
話は変わるんですけど、モンスターズの方にこの世界では親鳥の、我々を背に乗せ暗黒神と戦ってくれた『神鳥レティス』と、死してなお"神鳥のたましい"に姿を変え一行を支えてくれた、その"子"の成長した姿らしき『レティス』がいますよね。
もしかして、いやもしかしなくても、子供の方の黄色い『レティス』がちゃんと自分の"肉体"を持って存在してるの、めちゃくちゃ涙腺ブッ壊れ案件なのでは………?
さいごに
ここまで読んでいただきありがとうございます。さらに細かい感想とかはもっと無限に湧いてくるんだけどそれこそ無限に等しいので心の中に納めておきます。
履修できて本当に良かったです。背中を押していただき誠にありがとうございました!
クリア後要素につきましては他のゲームとの折り合いを付けながらチマチマ進めていこうと思います。さっきも言いましたが、ミーティアと主人公の結婚を見届けるのと地獄の帝王に謁見するまでは最低でもやりたいと思ってます。
                     
                      不一
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WPT東京メインイベント
2023年11月23日から4日間開催されたWPT東京のイベントに参加してきた。
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YOUTUBERやXからの事前告知を見て大いに期待して沖縄から東京に遠征してみた。
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モノレール「東京物流センター駅」改札
東京物流センターの展示会会場に準備されたポーカートーナメントでは、YouTubeの配信を目的に2台の豪華なテーブルと巨大なモニターが配置され、サイドトーナメント用に100テーブルくらいが会場内にぎっしりと並べられ、4日間の開催がどの様に楽しめるのか ? 
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結論から述べると〝WPT東京〟のイベントは全体的に『素人が開催したお粗末なイベント』だった。
とにかく〝WPT東京〟のイベントは、質もレベルも高校生の文化祭以下の最低最悪の大会だった。
今後の課題として問題点を先にまとめると以下の通り。
①参加者の受付動線
 イベントマニュアルを作成すろ際に極めて重要になる項目のひとつだが、WPT東京の運営は無能だったか素人が短絡的に考えてスタートしてしまったか?
 特に、野外に並ばせる場合には対応と対策が必須。
②事前予測と準備の怠った素人主催者の甘さ。
 事前にタイムテーブルがWEBで公開されていたので、その時間に合わせてプレーヤー達は集合する。
 メインに出場しない参加者には開催期間中の情報がWEBに掲載されているスケジュールのみで全く会場の状況が伝えられていない。
 一般の客はWPT東京主催者には〝参加させてやってる〟という雰囲気を与えている。
 メインのシー権を持つ参加者受付が終わらないから一般サイドの人は何時から受付できるか解らないと答えるスタッフの無能さには本当にガッカリだ。
 メインに参加するシート権を持ったプレ��ヤーは事前に人数を把握できてあるはずだ。
 当然、受付に並ばせるので有れば、メインとサイドとその他、3または4箇所の受付を用意する事が必要になる事は日が昇る事の用にハッキリしている。高校生のイベントでもこれくらいの対応はできて当然なのに・・・
③WPT東京運営スタッフの対応と躾の悪さ
 4日間の開催中に様々なトラブルがあったのだが、WPT東京運営スタッフから「すみません」などの謝罪の言葉を聞く事は1度も無かった。
 受付が混乱してモタついた対応はWPT東京運営スタッフの責任だが、忙しくて他の対応出来ないから数時間したらまた来てください。と、ハッキリ口に出して自分達を正当化する態度はあり得ない。
④強制的に売り付けるチケット制の悪行。
 サイドイベントに参加するには「参加費」を支払わなければならない。
 このシステムには違法性の臭いがする。
 参加費は様々な金額設定が用意されているのだが、問題は「ドリンクチケット千円」である。
 強制的に売りつけられる。
 拒否する事は許されないといい、この1000円のチケットを買わないならイベントにも参加できないというのだ。
 チケットはドリンク2杯分でアルコールも含まれる。
 また、ドリンクの代わりにお弁当のこ購入にも使用できると説明された。
 140円から350円くらいのドリンク2本の引き換え券を1000円という高額料金で強制的に売り付けるのだ。
 お弁当は400円以下の陳腐なもので.これを何と1000円というボッタクリ。
⑤金は取り放題の〝WPT東京の運営〟はヤクザの仕業。
 ドリンクとお弁当との交換を約束されたチケットを強制的に売り付けた後、ドリンクのコーナーでビールと交換しようとすると『もう無い』『コーヒーか紅茶しかない。どうします ? 』と。まるで他人言の対応。
 どうしますじゃねーよ。ビール無いならコンビニで買って来てでも用意すべきではないのか?お前ら昭和のヤクザか!と、ツッコミたくなる。
 ヤクザや今時のテキ屋でもこんなイカつい商売はしない。
 そして、ここでもスタッフは誰も謝罪しない。
 ��るで、サービスで配ってるんだから残ったもので我慢しな!と、言わんばかり。
 じゃあお弁当でいいよ。というと、お弁当はもうとっくにないよ。と、悪びれた様子もなく平然と言い退けた。。
 コイツらはドリンクとお弁当のどちらかを選ぶ権利として契約したチケットを購入していることを知らないのか?
 食べ放題のレストランで、料金を払って入場したら『今日は大食いの人が沢山来たから余りのこないよ。仕方ないよ。余り物で我慢して』と言われたのと同じだ。
 一方的な契約不履行にもかかわら、返金もしない。謝る事すらしない。
 がっかりだ。
⑥WPT東京 運営スタッフの人間としての最低限のマナー
 WPT東京の運営側の失態は全て『仕方ない』で済ませて、自ら謝罪はしないという高飛車な対応とスタッフ全員の生意気な態度は、今後のポーカートーナメントによる啓蒙活動に悪影響を与え、レベルので低い人種がギャンブルをビジネスにしようとしてると言われる様になる。
 事実、初日から徐々に参加者減り続け、最終日は最も降り上がるはずが、優勝者が決定したころには会場内はガラガラという状況。
 間違いなく、イベントとしては失敗だ。
⑦Bad Taste & Cheesy
 WPT東京の「1億円のイベント」として宣伝していた割に実際の設営はハリボテのセット以下で華やかさもない。
 〝華やかさ〟と〝豪華さ〟は、賞金の金額よりも重要な要素であることを理解できない〝WPT東京〟の運営側はイベントの主催者として素人以下ということになる。
⑧参加者に対する感謝の意
 初日の失態を反省しないWPT東京の運営スタッフに幻滅した参加者は決して少なくないと思われる。
 その事を表す様に、最終日はメインの優勝者が決定する最も盛り上げるべき場面の対策も講じてない無能な運営によって最終日参加者は日に日に激減して、初日の盛り上がりは無くなっていた。
他にも色々細かな事はあるものの、キリが無いので開催期間の様子を記載しておこう。
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WPT東京 会場
WPT東京は『1億円』をぶら下げた告知のインパクトは大きく、初日に集まった参加者は受付の為に会場があるビルに入る迄2時間も外で待たされるいう状況からスタートした。
盛況風に捉えた人もいたかも知れないが、実際にはスタッフが全員ポンコツで要領が悪かっただけで最悪な初日のスタートになってしまっていた。
初日は運良く天気に恵まれたが、もし大雨だったら更に悲惨な事になっていただろう。
そんなお粗末な開催とは思っていないので、単純に会場が開く時間が遅れていて並んでいるのかなぁ?と思いながら何の行列に並ばされているのか全く分からず並んでいると、スタッフらしき人物が4〜5人集まって雑談していたので、行列を眺めているスタッフに状況を聞いてみると「中の事は分からないので取り敢えず並ん待って下さい」との回答。
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ビル内の2階会場入口付近まで進むと、広い会場はガラガラで全く人が居ない。
受付迄辿り着くと「チケットお願いします」
と言われた。
「チケット ? 持ってないよ」と答えると
「チケットが無いと入れない」と言う。
「嘘でしょ!聞いてないよ。どこで配布してるチケット」と聞くと
「オンラインのQRコードからダウロードするのかなぁ ? 」と、他人事の様な対応。
その様子に別のスタッフが数人集まってきて「何、何、どうしました」と。
何の列に並ばされているのか全く説明も案内されないまま1時間も立って受付まで辿り着いたら入れないとはどうゆう事 ? 
ここから更に30分くらいスタッフ同士の話し合いがあって、結果的には、並んでいた行列にはメインイベントに出場するシート権を持ってる人を対象に受付していると言う事で、サイドイベントの受付はその後行うので、数時間したらまた並べと言う事だった。
それなら、ビルの外で雑談しているスタッフが説明するなりカンペ出せよ!
あまりにもお粗末で無能なスタッフの対応に呆れた。
更に驚いたのは、まるで並んでいたコチラが悪いかの様に、2時間くらいしたらまた来て。と、自分達に落ち度はないからまた来い。嫌なら帰りな!と言われている様な気分になった。
並んでた意味は全くなく無意味な時間だった。
4日間参加したがスタッフ全員が最悪だった。
効率の悪いスタッフ配置と意識の低さがだだ漏れしていた。
態度も話し方も横柄で感じ悪い人間をどうしたらこれだけ集められたのか逆に不思議なくらいだ。
実際、プレーヤーとスタッフが揉めてる場面が何度もあった。
「てめぇ、舐めてんのかクソガキが!誰に口聞いてんかだコラぁ」というセリフが聞こえたので振り返ると、殴り合いが起きそうな距離感で揉めている2人がいた。
周りを見ると、5〜6m離れた位置から4人の別のスタッフが眺めている。全く止めようともしない。
スタッフを教育するマニュアルもないのだろう。運営の責任者も無能なんだなぁと残念な思いがした。
これだけの人数をポンコツばかりで集めた運営の人事もすごいなぁ��と思いながらも沖縄から遠征してきていんだから参加してみた。
今度はディーラーの質と技術レベルの低さにも驚かされる。
ほとんどのディーラーが底レベルだったが、若干1人だけ際立って技術レベルの優れたディーラーも居た。聞いてみると「韓国から応援に来た」と日本語で答えてくれた。
『日本人!もっと頑張れ!』と、心で叫んだ。
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ari0921 · 8 months ago
Text
桜林美佐の「美佐日記」(251)
ひたすら「誰かのために」生きた柳澤慎一さん
桜林美佐(防衛問題研究家)
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おはようございます。桜林です。「男もすなる日記
といふものを、女もしてみむとてするなり」の『土
佐日記』ならぬ『美佐日記』、251回目となりま
す。
 現在、放送中のNHKの朝ドラは「ブギウギ」で、笠
置シヅ子がモデルになっているようです。
 あくまで「モデル」になっているだけで、事実と
いうわけではないところが複雑で、常にこの手のド
ラマを観る時は注意が必要です。
 歌われている楽曲が実際に存在するものであった
りするため、本当の話なのか作り話なのか分からな
くなり、困ったものです。
 このドラマには榎本健一(エノケン)と思われる
人物が登場します。そう、言わずと知れた日本の
「喜劇王」です。
 実は、私、かつてエノケンと深く関係する仕事を
したことがあり、そのため、朝ドラにそれらしい人
が登場すると興味深く観てしまいます(と言うほど
ちゃんと観ていないのですが・・)。
 私がどんなことでエノケンさんと関わったかと言
いますと、さかのぼること2003年(平成15年)、
東京の「浅草演芸ホール」にある「東洋館」におい
て「エノケン生誕100年祭」が開催され、私はな
んとその総合司会を務めたのです。
 エノケン夫人を招き、小林のり一さん(三木のり
平の長男)、八波一起さん(八波むと志の長男)、
三波伸一さん(三波伸介の長男)によるコント、前
田憲男さんのピアノで柳澤慎一さんが歌うエノケン
メドレー・・・など、豪華盛り沢山で、最後は私も
皆さんと一緒にステージで「月光値千金」を歌い、
幕を閉じたのでした。
 こうした皆さんと丸一日過ごさせて頂いた経験は、
本当に得難いもので、楽屋でのしきたりなどで失礼
があってはいけないと、その日は知人の芸人さんの
付き人に身の周りの世話をお願いするほど気合を入
れました。舞台裏での張り詰めた空気や緊張感を忘
れられません。
 なぜ、私がこのような大役を仰せつかったのかと
いうと、かつて俳優や歌手として名をとどろかせた
柳澤慎一さんとの出会いからでした。
 柳澤さんは介護のNPOを立ち上げ、老人ホームの名
誉館長をされていて、私がその施設をリポートする
仕事で訪れた際に初めてお目にかかったと思うので
すが、悲しいかな、そこから先が思い出せません!
 いずれにしても、きっかけは全く関係のないこと
だったのですが、柳澤さんは、私の恩師が脚本家の
西澤實であり、西澤門下で朗読の活動をしていたこ
とや、懐メロに詳しかったことで「大抜擢」して下
さったのだと思います。
 柳澤さんは戦後、信徒ではなかったようですが、
通っていた教会で宣教師の方と出会い、奉仕活動に
目覚めたといいます。
 進駐軍クラブでジャズを歌い始めたのは、戦災孤
児や障害者の慰問費用を捻出するためでした。
 エノケンに可愛がられ「柳澤をオレの二代目にす
る」と言われていたほどだったといいます。数多く
の映画やドラマに出演していますが、私がリアルで
知っているのは「奥様は魔女」のダーリン役の吹替
です。
 福祉活動をしていたことは秘匿していたといい、
老人ホームの受付にいてもその人だと気付かれるこ
とはなかったようです。
 そんな方が「エノケン100周年」の時だけは恩
返しということでステージでスポットライトを浴び
たのですから、実に貴重な場面に私はご一緒したの
です。
 柳澤さんが一昨年2022年の3月24日に89
歳で召天されたと知ったのは昨年になってからでし
た。
 亡くなってから1年間も公表されなかったのも、
柳澤さんの遺志だったのでしょうか。とにかく「善
行を見せびらかさない」という、手本のような方で
した。
家を売却して福祉活動に投入したという逸話に驚か
されましたが、そもそも芸能界に入ったのは福祉活
動のためだったといいますから、その意味では柳澤
さんが人のためにタダ働きをすることはこれ以上に
ない自己実現だったということになります。
 一流のオーラを持ちながら、絶対に目立たないよ
うにして、ひたすら「誰かのために」生きた柳澤さ
ん。今やその名前を知る人も少なくなっているかも
しれませんが、日本人が忘れないように、こういう
方の物語を朝ドラにしてはどうなのでしょう(ご本
人は嫌がるでしょうけど)。
それにしても、朝ドラのおかげで柳澤さんの命日に
合わせてこのような思い出を書けたわけですから、
観ていて良かった!ということですね。
 
 今日も最後まで読んで頂きありがとうございまし
た。どうぞ良い1週間をお過ごし下さい!
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elle-p · 11 months ago
Text
P3xP4 World Analyze pages 36-37 transcription.
停滞する時の中で過去を垣間見る “時の狭間”
異なる時空の歪み
ニュクスとの戦いが終わって2ヶ月。リーダーを失った特別課外活動部は影時間がなくなったことでその活動目的も喪失していたが、別の異変によって寮に閉じ込められることとなった。
3月31日が延々と繰り返され、“次の日” がこない。寮は外界と時空そのものが隔絶した状態となり、外にも出られない。寮のロビーに出現した階段を降りると砂漠のような空間が広がり、いくつも立ち並ぶ扉からは “時の狭間” と呼ばれる不可思議な空間へと繋がっており、進んでゆくと特別課外活動部のメンバ��それぞれがペルソナ能力を獲得した過去の記憶を目の当たりにすることとなる。
異変の始まりとともに現れた自称 “アイギスの妹” メティスとともに、特別課外活動部は探索を始める。そこにはやはりシャドウたちが存在し、彼らは再び戦いに身を投じることになったのである。
“時の狭間” は、扉を通じて7つの異なる時空へと通じている。階段で降りていくことで、先へと進むことができる。
異変の原因
リーダーの立場となって、特別課外活動部を率いることになるのは、アイギスである。リーダーを失ったことで悲しみを感じていた彼女は、ただのロボットでいたほうがよかったとさえ思っていた。そこに現れた “妹” と戦いになったとき、出現したペルソナはリーダーと同じオルフェウスであり、“ワイルド” の力に目覚めた者としてベルベットルームにも招待される。メティスの協力もあって、アイギスは新たな装備を追加されるが、オルギアモードは使えなくなった。その代わり、同行するメティスにリーダーとしてオルギアモードを指示することができるようになった。
“妹” メティスが現れたことがこの探索行の始まりであり、ベルベットルームの主人イゴールが言った通り “命のこたえ” を見つけることが目的となる。“時の狭間” はアイギスに起こったさまざまな変化と繋がった、いわばアイギス自身が原因となって生まれた空間である。
寮から出ることはできないが、ポロニアンモールと直結していて、アイテムなどを購入することはできる。
ダンテ『神曲』
行く先々の名称などはメティスが教えてくそれらは13世紀イタリアの詩人ダンテ・アリギエーリの『神曲』が元になっている。この三部構成の長編叙情詩では、著者であるダンテ自身が地獄、煉獄、天国を巡る旅をする。ダンテが幼少期に出会ったあこがれの少女ベアトリーチェが案内役として登場するが、実在したベアトリーチェは『神曲』が書かれたときすでに死んでおり、その悲しみから神格化し、登場させたとされている。“時の狭間” でアイギスたちが感じる、リーダーを失った悲しみと符合する要素である。
ダンテは敬虔なカトリック教徒であり、キリスト教神学をベースに地獄を描いているが、その描写にはギリシア神話からの影響も強い。地獄の入口はギリシアに実在するアケロン川を渡ったところにあり、渡し守はニュクスの子であるカロン。ミノス王やケルベロスなども登場している。“時の狭間” では9つある地獄の8番目以降の名称が使われている。
造られた “姉妹”
アイギスは桐条のラボで造られた最後の対シャドウ兵器であり、その完成とともに開発計画は終了している。アイギス以降に新たなタイプは造られていないし、アイギスより前に実働可能な機体も存在しなかった。アイギス以上の性能を持ち、しかもより人間的な感情も持ったメティスは、同型機種としての姉妹ではありえない。アイギスの心から生まれた分身 (シャドウ)と言うべき存在である。
[プシュケイ]
人間の王の娘でありながら、美の女神アフロディーテに嫉妬されるほどの美しさを持つプシュケイ。母を裏切り、身分を隠して愛し合った夫クピドを自らの手で殺してしまい、取り戻すため冥界へ下ることになる。こうしたタイプの神話には珍しく、プシュケイは冥界の協力を受け、夫を取り戻すことに成功する。神々の王ゼウスやアフロディーテらにも認められ、プシュケイ自身も神に等しい永遠の命を得たとされる。
時の狭間より接続された8つの “時空”
古の路マレボルゼ
ボルサとはイタリア語でカバンを意味する言葉で、『神曲』に描かれる8つ目の地獄には10の “悪の袋 (マレボルゼ)” があって、罪人は罪の種類によって振り分けられ焼かれたり切り裂かれるなどの責め苦を受ける。その中には、聖職売買などで神聖なるものを目流した者が入れられる袋もある。
罪の路コキュトス
ギリシア神話の異界を取り巻くように流れる川のひとつで、三途の川ステュクスの支流。冥界の最下層を流れ “嘆き悲しむ” という意味の名を持っている。『神曲』では9つ目の地獄として最も重い罪 “裏切り” を罰する場所となる。カイーナからジュデッカまでは、それぞれコキュトスの一部。
力の路カイーナ
コキュトスは4重の円で構成されていて、一番外側にあるのがカイーナ。肉親に対する裏切りを罰する地獄で、『創世記』で弟アベルを殺害したカインから名付けられた。『神曲』では、父アーサー王を殺したモードレッドの名も挙げられ、氷漬けになっている悪人の罪状が語られる。
夜の路アンテノラ
コキュトスの2番目の円で、祖国に対する裏切りを罰する地獄。ギリシア神話の『トロイア戦争』で、トロイア王の助言役でありながら門を開いてギリシア軍を手引きした人物が、裏切り者として地獄の名前の元となった。ただし、本当に裏切っていたのかは神話上はっきりとは描かれていない。
哀の路トロメイア
コキュトスの3番目の円で、客人に対する裏切りを罰する地獄。迎え入れた客 (マレビト) を眠らせてから殺すという物語は日本でも “ヤマンバ” と呼ばれる存在としてよく描かれるが、古代パレスチナのエリコの王が客として訪れたイスラエルの祭司シモン・マカパイを殺したことに由来する。
業の路ジュデッカ
コキュトスの4番目の円で、主人に対する裏切り者を罰する地獄。イエス・キリストの弟子でありながら裏切ったイスカリオテのユダの名がつけられており、最も重い罪として地獄の最奥部にある。この中心には、悪魔ルシフェルが氷漬けになっており、ユダはその口に咥えられている。
王居エンピレオ
地獄と煉獄を巡ったダンテが最後に訪れた場所で、天国の中でも至高の場所。キリストをはじめ数多くの聖人や聖母マリアが暮らす平和な地で、ダンテは神が空に描いた光の文字で “愛” を知る。ダンテの愛したベアトリーチェが “愛” そのものであったように、リーダーもそうだったのだろうか。
コロッセオ・プルガトリオ
『神曲』第二部の煉獄にあたる場所で、罪人たちが浄罪の炎で清められる山のこと。“七つの大罪” それぞれを浄罪する場所があり、それぞれの罪に応じた責め苦を負わされ、罪を悔い改める。山頂は天国にもっとも近い楽園で、アダムとイヴが無垢な時代に暮らした場所とされる。
繋ぎ留められた “記憶”
トロメイアでは、幼き美鶴がペルソナ能力を獲得し、父親とともに浄罪を始める姿を見ることができる。
カイーナでは、中学生時代の美鶴と明彦が出会った時を見ることができる。美鶴の過去は “時の狭間” の鍵でもある。
最後の試練の扉 “エレボス”
“暗黒” を意味するギリシア神話の神のひとり。ニュクスの兄弟であると同時に夫でもあり、夜の空であるニュクスに対する地の闇にあたる。ギリシア神話において “地獄” の意味で使われる言葉のひとつでもあり、地獄の最も深い部分を指すとされることが多い。神々の系統上の役割を考えると、“大地” ガイアや “冥府” ハデスとともに、“奈落” タルタロスをも含めた “地の領域” 全体を表すものとも取れる。
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soshibokumovie · 2 years ago
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12月5日(月)完成披露試写会レポート
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この度、本作の完成披露試写会を実施しました。主演の藤ヶ谷太輔さんをはじめ、前田敦子さん、中尾明慶さん、香里奈さん、原田美枝子さん、豊川悦司さん、三浦大輔監督が初の揃い踏み!
共演者からみた見た裕一の魅力や1シーン、数時間にも及んだ過酷な撮影時のエピソード、更に「人生を賭けた逃避劇」にかけて豪華キャスト陣にそれぞれ「今年一番 “逃げ出したくなった話”」などを語っていただきました。
以下、イベントレポートと写真をお届けします!
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平凡なひとりのフリーターの人生を賭けた逃避劇を描く映画『そして僕は途方に暮れる』(2023年1月13日公開)の完成披露試写会イベントが12月5日都内ホールで行われ、主演の藤ヶ谷太輔、共演の前田敦子、中尾昭慶、香里奈、原田美枝子、豊川悦司、そして三浦大輔監督が登壇した。
第33回東京国際映画祭でのワールドプレミアに続いての、待望の完成披露試写会。自堕落なフリーター・菅原裕一役の藤ヶ谷は「撮影は約2年前だったので、やっとこうして皆さんに見ていただけるのは本当に嬉しいです」と喜びを言葉にして、完成作には「一生懸命な滑稽さとクズぶりは笑えるし、自分ってこんな表情をしていたのかと改めて感じました。新しい一面を引き出していただけた」と新境地開拓を実感していた。
本作の撮影において、三浦監督はテイクを重ねるなどかなりのこだわりを発揮したという。裕一と5年間同棲をしている恋人・鈴木里美役の前田は「三浦監督は謝り上手。すみません…と言いながら何テイクも重ねるんですよ。監督のこだわりを近くで見ることができて嬉しかった」と証言。裕一の幼なじみで親友・今井伸二役の中尾も「素敵な作品を作っていただけましたが…まあ撮影が終わらない!(笑)」とぶっちゃけると、10年前に家族から逃げてしまった裕一の父親・菅原浩二役の豊川も「まあ、終わらないね!」と苦笑して「僕がM気質なのか三浦監督のこだわりが気持ち良くなってくる瞬間があって、この人のために何ができるだろうか?と親みたいな気持ちになった」と笑わせた。
北海道で1人暮らす裕一の母親・菅原智子役の原田はそんな豊川のダンディな父親ぶりに「豊川さんのお父さんぶりが素晴らしくて…(長い撮影でも)救われました」とうっとり。裕一とはなかなかそりが合わない姉・菅原香役の香里奈は、十数年ぶりの共演となる藤ヶ谷を「大ちゃんが人間としても役者としても物凄い経験を積んできたというのがお芝居にも表れていて、頼りになる座長でした」とリスペクトしていた。
藤ヶ谷はベテランの豊川&原田との共演に「刺激も沢山いただきました。大先輩のお二人と三浦組を戦い抜いたことを誇りに思っています」と感激。豊川とは炬燵で肩を並べたが「監督からなかなかOKが出ないのでずっとこたつに入っていました。15年分くらいはこたつに入っていたはず」と明かし、その豊川は「チョコレートビスケットは100個くらい食べて、カップ麺も5杯くらい食べました」と三浦監督からの撮り直しの嵐を回想すると、藤ヶ谷は「みなさん、この後に出てきますよ!」と上映前の観客に見どころの一つだとアピールしていた。
そんな藤ヶ谷は撮影の思い出を聞かれると「メールグループを作ろうという楽しいテンションでもなかったし、今振り返ると…楽しい思いでは一つもないです(笑)」とバッサリ。三浦監督から「撮影の合間に焼き肉食べなかった?」などと楽しいエピソードを振られると「20分くらいで食べたやつですよね?きっと自分の口から楽しいエピソードとして出なかったということは、そんなに楽しくなかったのかも」とぶっちゃけつつ「しっかりと芝居をやるという意味では最高で凄く楽しい現場でした」と撮影の充実を口にしていた。
責められる一方の三浦監督は「本当に申し訳なかったという思いが募る一方ですが、皆さんの苦労の結晶はスクリーンに映っているはずです」と平謝りも、手応え十分。藤ヶ谷曰く三浦監督は「クランクアップの際は凄くテンションが高くて『やった!やった!』と飛び跳ねていた。過酷な現場だったので自分もどういう気持ちになるのかと思ったけれど、それを先に監督にやられてしまうと…。そういう可愛げがあって愛くるしいのが三浦さん」となんだかんだ愛されていた。
また作品にちなんで「2022年で1番逃げ出したかったこと」を聞かれた前田は「夏にベランダで涼んでいたゴキブリが飛んできた。それ以来ベランダから出ていません」とG災難告白。中尾は「ほろ酔い気分で自宅に帰ったら、うちの妻から『え?酔ってんの?』と言われ��」と夫婦あるある。豊川は「ディズニーランドで子供とコーヒーカップに2回乗ったら気持ちが悪くなった。子供から3回目と言われたときは逃げたくなった」といいパパの表情。原田は「三浦監督の現場」と笑わせ、香里奈は「2021年の大掃除から逃げた」と照れ笑いだった。
そして藤ヶ谷は「逃げ出したかったのは今日の舞台挨拶。僕を含めて2年ぶりくらいに楽しい思い出が一つもない方々が集まるわけです。でも関係者の方々は『盛り上げて!』と好き勝手言ってくる。直前まで逃げ出したかった」と肩を落としつつも「ワールドカップの記事もいいですが、ぜひこの映画の記事も大きく太字で紹介宜しくお願いいたします!」としっかりと主演作をアピールしていた。
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終日タイトなスケジュールの中、久々にお会いになったキャストの皆様は「楽しい思い出がいっこもない」「何テイクやったんだろう」と撮影中を振り返りつつも、とても楽しそうで和やかな雰囲気でした。
当日実施させていただきましたインタビューやご取材については、公開に向けてご紹介していきますので、ご期待ください!
プロフェッショナルな皆さんの、この作品ならではのチームワークの良さを感じた素晴らしい完成披露試写会だったと思います。
ご来場いただきました皆様もありがとうございました。
「そして僕は途方に暮れる」1月13日(金)公開まで、楽しみにお待ちください。
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