#帰宅ラン
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木曜日の帰宅ラン。WBCも見たかったので、距離は短め。段々と走りが戻って来た。故障気味の際は無理して距離に拘らない方が良い走り出来るかも。疲れを溜めない、故障しない練習をしていきたいと思いました。 なかなか終わらない #京都マラソン 前日の散策 三年坂を登り、清水寺に到着。 本当久々に来た清水寺。 #ランニング #ジョギング #マラソン 練習 #帰宅ラン (清水寺) https://www.instagram.com/p/Cp4Dju0Pl2x/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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去年はエスカレーター設置工事のため🎄はありませんでした。仕事終え帰宅ラン🏃♂️ #帰宅ラン #クリスマスツリー #xmastree #立川 #多摩都市モノレール #くるりんバス #パークアベニュー #立川グリーンスプリングス (立川タカシマヤs.c.) https://www.instagram.com/p/CmRkZTkym87/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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だけど、僕は君と
頑張っても、いくら頑張っても……
単に人より頭が悪くて、授業に追いつけないのが邪魔なだけだから、保健室登校にはならなかった。もっと深刻な理由で教室に行けない子がいるから、僕の面倒は見られないと保健の先生は言った。
生徒たちが帰宅していく放課後、クーラーのかかる職員室に戻り、担任の先生はうつむく僕を心底厄介そうな目で見下ろした。
「学校に来るの、やめるか?」
匙を投げる言葉を、ついに先生のほうから言われた。僕もそうしたかった。けれど、そんなことをしたら、両親がきっと黙っていない。
首を横に振ると、先生は息をついて、「じゃあ、勉強をもう少し頑張ってくれないと」と腰に手を当てた。
頑張ります。そう言うしかなかった。頑張っても、いくら頑張っても、僕は目障りに劣っているだろうけど。
口を開こうとしたとき、「無理に頑張っても、分からんもんは分からんよなあ」と笑い声がした。思いがけない台詞に僕は顔を上げ、ついでびくんと震えそうに緊張してしまった。
「坂口先生も、言い方がきついんじゃないかな」
担任の先生にそう言ったのは、僕は口をきいたこともない、でも毎週月曜日の朝礼でそのすがたは見ている、この中学の校長先生だった。担任の先生もすぐ畏まったものの、「しかし、校長」と僕を一瞥する。
「この生徒は、本当に努力が足りなくてですね。やる気が感じられるなら、サポートもできるんですが」
「それは先生も同じに見えるがね」
「は……い?」
「坂口先生のほうも、彼に誠意が足りないようだ。見てくれると思うなら、彼も先生を自然と頼ってくれるはずだよ」
僕はまばたきをして、校長先生を改めて見た。
校長先生の話は長いなあ。地面を見て、そんなことしか思ったことがなかった。
けれど、ぽっちゃりした軆に背広を着た校長先生には、大らかそうな親しみやすさがあった。
「名前は──小橋くんか。よし、小橋くんのことは私���見ようじゃないか」
「い、いやっ、とんでもないです。すみません、校長。小橋のことは、僕がもっと厳しく見るので」
校長先生��首を横に振り、「そうやって、生徒を追いつめるのはやめなさい」と言った。担任の先生は、そう言われる理由が本当に分からないようだった。
僕は、分かる。だから校長先生の目を見ると、校長先生はにっこりしてうなずいた。
「小橋くん、明日から校長室の隣の会議室に来なさい。何、校長先生なんてヒマなもんでね、だからよく花壇の世話をしたりしてるんだ。学校で一番仲がいいのは、用務員のおじさんなんだよ」
校長先生の哄笑に、僕も思わず笑ってしまった。ついで、驚いた。まだ僕は、学校で笑えたのか。息苦しくて、こんな場所ではみんなみたいに笑えないと思っていた。
「うん、そんなふうに笑えるのが一番大事だ。毎日相手はできないかもしれないが、学校に来たら、これからは会議室でゆっくりするといい。勉強は余裕ができたときでいいんだよ」
担任の先生は何か言いたそうだったけど、校長先生が僕を理解している手前で、なおも責める勇気はないみたいだった。
中学二年生の二学期、夏休みが明けたばかりの蒸し暑い九月。そうして僕は、教室をドロップアウトし、校長先生認定の会議室登校を始めた。
朝、登校すると、職員室で会議室の鍵を借り、校長室の隣のドアを開ける。カーテンのない窓からの日射しがまばゆい、広い教室だった。長いつくえに椅子がみっつ並び、そのセットが黒板の前から後方まで整列している。
その中のひとつの椅子に腰を下ろし、僕は図書室で借りた本を読んだり、自分なりに教科書に目を通したりする。
静かだった。つっかえる朗読がうざったそうな視線も、先生をいらつかせる不正解への舌打ちもない。僕以外は誰もいなくて、時計の秒針だけが響く。
言ってくれた通り、時間が空くと校長先生が話相手になってくれた。こんな中学時代で高校に進学できるか不安を打ち明けると、親身になって、通信制高校の資料を持ってきてくれたりもした。鈍くて、勉強ができなくて、いつも大人に恐縮していた僕も、校長先生には自然と懐いていった。
「小橋くんは、人と交流するのは苦手かな」
十月に入って太陽が緩やかになり、気候が涼しくなってきた頃だった。その日も会議室で本を読んでいると、校長先生が顔を出して、僕の隣の椅子に座ると、そんなことを訊いてきた。
僕は首をかたむけ、「みんな僕といるといらつくみたいで」と自嘲気味に笑った。
「友達ができたことはないです」
「そうか。小橋くんがよかったらだがね、ここにもうひとり受け入れたい子がいるんだ」
「え」
「その子は、保健室は病室みたいで嫌だと言っていてね。親御さんも、保健室のほうが安心だとその子��説得はしてるんだが」
「何か、事情がある人なんですか?」
「ほとんど、学校に来たことのない子なんだ。生まれつきの病気で、ずっと病院で過ごしてきた子でね」
「はあ……。じゃあ、治って学校に来れるようになったんですか?」
「いや、心臓を移植するしか確実な治療はないそうでね」
校長先生は少し口ごもり、「小橋くんを信用して話すがね」と前置きした。
「もう、長くないそうだ」
「えっ」
「だから、その前に学校に通ってみたいと言ってるそうなんだよ」
何度かまばたきをしてから、止まってしまった。
心臓。長くない。その前。
「小橋くんならがさつなこともしないし、言わないだろうしね。よければ、ここで一緒に過ごしてみてほしいんだ」
「僕、……そんな、ちゃんとできるか分からないです」
「『ちゃんと』?」
「嫌なこと言ったり、したり、しないかもしれないけど。その……何か、意識するというか。し……死ぬ、んですよね。もしかしたら」
「……そうだね。だから、もし小橋くんのプレッシャーになりそうなら、無理は言わないよ。別の教室を考えればいいから」
このあいだクローゼットから引っ張り出した、防虫剤が名残る学ランを見下ろした。
迷惑だ、とかえらそうなことは感じなかった。ただ、僕はいつも周りを不愉快にさせる。その人の最後になるかもしれない時間が、僕のせいでいらいらしたものになったら。
たどたどしくその心配を素直に話すと、校長先生は優しい顔つきになって、「小橋くんじゃなかったら、きっと何も相談もせずに、その子にはほかの教室を用意していたよ」と言った。
「小橋くんは、その子のいい友達になれるように感じるんだ。じゃなければ、長くないなんて話も、本来は勝手にしてはいけないしね」
そのプライバシーは、本当だと思った。
校長先生は、今までのどんな大人より僕を見てくれる。僕だって、欲を言えば友達が欲しい。「ほんとに友達になれそうな人ですか」と確認すると、「私はそう思うよ」と校長先生は言ってくれた。「じゃあ」と僕は顔を上げた。
「その人と、一緒にここで過ごしてみたいです」
校長先生は微笑み、「ありがとう」と何度かうなずいてくれた。言ってから、まだそわそわしたけど、校長先生のことを信じたい。
大丈夫だ。合わない人を無理にここにつめこむなんて、校長先生ならしない。
友達になれる。友達ができる。出来損ないの僕に、友達ができる。
校長先生からその人の親御さんに連絡が行き、その人も僕が会議室にいることは承知し、「そこに行きたい」と言ってくれたらしい。それを校長先生に聞いた翌日の朝、職員室に寄ると会議室の鍵がなかった。
ちょっと首をかしげてから、例の人が先に来ているのかもしれない、とどきどきしてきた。かばんの持ち手を握り直し、職員室を出ると会議室に向かう。
校長室のドアをちらりとしてから、会議室の前に立つ。耳を澄ますと、中から話し声がして、緊張がせりあげたものの、ひかえめにドアをノックして扉を滑らせた。
「お、おはようございます」
どもりながら言って、ぎこちなくならないように���線を上げた。そして、突っ立ってしまった。
何で、だろう。僕はその生徒は、何の根拠もなく男だと思っていた。けれど、そ���にいたのは紺のセーラー服を着た、白皙の長い髪の女の子だった。
校長先生が椅子に座る彼女のかたわらにいて、「おはよう」と僕に応えてくれる。僕は慌てて頭を下げてから、後ろ手にドアを閉める。
「小橋くん、この子が話していた緑野さんだよ。三年生だから、彼女がひとつ年上だね」
「あ、はい……えっと、初めまして。小橋優司です」
緑野さんはこちらを見て、人懐っこく微笑むと「初めまして」と意外なほど快活な口調で言った。
「緑野亜由子です。しばらくお邪魔しますね」
「しばらく──あ、そうか。三年生なら、卒業……」
「はは、卒業までいれたらいいんだけど、残念ながら十月のあいだだけなんです。あーあ、どうせなら卒業式にも出たかったなあ」
「卒業式だけには来るのも、学校側はもちろん歓迎するよ」
「ほんとですか? やったあ! それ、おとうさんとおかあさんに言っておいてくださいねっ」
緑野さんは、校長先生に無邪気に咲う。
女の子だとは、思わなかった。それに、そんなにあっけらかんとした子だとも思わなかった。ほんとに仲良くできるかな、と不安も感じつつふたりに歩み寄り、やや躊躇ってから、緑野さんの隣の席に座る。
すると校長先生は、「私はそろそろ朝礼があるから、ふたりで話してみてごらん」と僕の肩を励ますようにとんとんとして、会議室を出ていった。それを見送っていると、「あの校長先生、何かいいね」と緑野さんが言ったので、僕はそちらを向く。
「校長って、学校で一番堅そうなのに」
「僕も、初めて話したときはびっくりしました」
「敬語じゃなくていいよ。私も、優司くんでいい?」
「あ、はい──いや、うん」
「私も亜由子でいいから」
「亜由子、さん」
「そう。ふふ、嬉しいなあ。ここではクラスメイトだよね、私たち」
「そう、なのかな。学年は違うんだよね」
「いいじゃん、会議室の生徒で。あー、嬉しいっ。クラスメイトとか、ほんと初めてだー」
「あ、あの、……亜由子さん」
「うん?」
「僕、そんな、いいクラスメイトじゃないかもしれないけど。その……」
亜由子さんが僕をじっと見つめる。僕はちょっと頬に微熱を感じつつ、「よろしく」と改めて言った。すると亜由子さんは嬉しそうににっこりして、「よろしくっ」と僕の肩を軽くたたいた。
それから、僕の会議室の時間は、亜由子さんとの雑談が主になった。亜由子さんは、生まれてから今まで病院の個室にいて、ほとんどひとりで過ごしてきたらしい。でも僕なんかより気さくで、ほがらかに明るかった。
亜由子さんなら、普通の教室でもなじめるのではないかと思った。僕なんかと過ごすより、そちらのほうがたくさん友達ができるだろうし、卒業式で再会できる人も作れる。
それをそのまま言うのは卑屈だからひかえたけど、「ここにいたのが、僕なんかでごめんなさい」とつい言ってしまうと、亜由子さんはきょとんとしてから、「優司くんだから、毎日登校してるんだよ」と咲った。
「ほんとは休み休み登校しなさいって言われてるんだけどね。優司くんと話したいから、『大丈夫だよ』ってここに来てるの���
目をしばたいて亜由子さんを見つめた。亜由子さんはにこっとして、ほっそりした手で僕の肩をぽんとした。
僕はどんな顔をしたらいいのか分からず、でもすごく嬉しくて、照れながら咲った。亜由子さんと過ごしていると、自然と僕も笑顔が増えていた。
けれど、僕たちがどんなに打ち解けても、亜由子さんは今月いっぱいで病院に戻らなくてはならない。お見舞いに行ったりしてもいいのだろうか。してもいいなら、僕はまだ亜由子さんと過ごしたい。
亜由子さんはどうなのだろう。学校に来るのが終わっても、僕に会ってくれるだろうか。訊きたくても、踏みこむことだからなかなか言えなかった。
もどかしい想いを抱えているうちに、陽光が弱りはじめて気候が肌寒くなり、来週には十一月になる頃になっていた。亜由子さんは今週を区切りに会議室に来なくなる。
夜のあいだ、音を立てて雨が降っていて、僕は自分の部屋で亜由子さんのことを考えていた。僕は亜由子さんに恋をしてしまったのかもしれない。そう思い当たり、妙に恥ずかしくて、まくらに顔に伏せた。
亜由子さんが、僕を友達としか見ていないのは確実だ。でも、それでも、亜由子さんの屈託ない笑顔を思い出すと、胸が痛みでほてる。その熱を冷ますように秋雨は降り続け、朝になってようやく晴れ上がった。
その日、登校すると、亜由子さんと校長先生が窓際に立って話していた。「おはようございます」と僕が言うと、ふたりはこちらを見て、笑顔で挨拶を返してくれる。僕はつくえにかばんを置いて、ふたりのいる窓際に歩み寄った。
この窓の向こうは、通学路に面した裏庭への細道なのだけど、街路樹からこぼれ落ちた赤や黄色の紅葉がその道を美しく染めていた。「すごい」と思わずつぶやくと「あとで、校長先生が掃除しちゃうんだって」と亜由子さんは言う。
「え、もったいなくないですか」
「ほらっ、先生。優司くんならそう言ってくれると思ったー」
「仕方ないなあ。じゃあ、もうしばらくあのまま飾っておこうか」
「わあい! 優司くん、あとで一緒に、あの道歩いてみようよ」
そう言った亜由子さんに、僕は笑んでうなずいた。そんな僕たちを校長先生は微笑ましそうに見てくれていたけど、一瞬、哀しそうにしたのに僕は気づいた。
その陰りで僕も思い出した。亜由子さんがこんなふうにここに来てくれるのも、もう終わってしまうのだ。初めて好きになった女の子なのに、僕は彼女に会えなくなってしまう。
中休みが終わった三時間目の最中、僕と亜由子さんは会議室に鍵をかけて靴を履き替え、紅葉に染まった細道に向かった。
校長先生は、ちゃんとそのままにしておいてくれていた。「夕べ雨だったから、濡れちゃってるね」と亜由子さんは水溜まりをまわってから言う。
「乾いた綺麗なのがあれば、拾っていきたかったなー」
亜由子さんはその場にしゃがみ、水溜まりの水面を覗きこんだ。僕もしゃがんでそうした。
赤い落ち葉がゆっくり揺蕩っている。
「もったいないね」
「えっ」
「濡れちゃったから、こ��葉っぱはこの水たまりから出ることはできないでしょ? 乾いた葉っぱみたいに、風でどこかに行けるわけでもない。ここで終わっちゃう、というか。こんなに綺麗なのに」
「……うん」
「うーん、でも、こんなに紅葉して落ちて、葉っぱとしての一生はまっとうしたのかな。また来年、新しい葉が芽生えるには、こうして散っていくのも仕方ないことなんだよね」
僕は亜由子さんを見た。亜由子さんも僕を見て、その瞳がとても澄んで、穏やかで、凪いでいることに気づいた。
「私も、生まれてきて楽しかった」
「え」
「何にも楽しいことなかったみたいな人生に見えるかもしれないけど、私は幸せだったよ。死ぬことも怖くない」
「亜由子さん……」
「分かってるの。そうとうやばいんだよね、絶対許してくれなかった学校に行かせてくれるんだもん。最期の自由だよ。きっと私、卒業式にも出られない」
「そんな……の、分からな──」
「それでも私は、生まれてきてよかった」
亜由子さんの瞳を見つめた。茫然と、その瞳の静けさを見つめた。残酷な、恐ろしい瞳だった。死を安らかに受け入れている瞳。
嫌だ。そんな目は嫌だ。いつもみたいに、いつまでもそうであるように、やんちゃに咲っていてほしい。
どこにも行けないなんて。ここで終わるなんて。まっとうしたなんて、散っていくなんて、仕方ないなんて。
そんなことは言わないで。亜由子さんの命が終わってしまうなんて、僕は嫌だ。僕は君ともっと一緒にいたい。
僕の瞳が必死にそう訴えていたのだろう。亜由子さんは困ったように咲ってから、僕の肩に手を置いた。
「学校に来れなくなるのは、正解かも」
「……え」
「好きな人ができたら、心決めたのにつらくなる」
僕は目を開く。亜由子さんは、視線が重なる前にすっと立ち上がる。雨の名残も過ぎ去った、青い秋晴れの中にいる亜由子さんを見上げる。
来週には会えなくなってしまう。もしかしたら、次の春にはいなくなってしまう。だから、僕も好きになったらつらいのに。逆光からそそがれてくるまばゆい笑顔は、僕の心をしっとり染めている。
初めての恋が、落ち葉のようにはらはらと散っていく。
だけど、僕は君と、これからも咲っていたい。君を失いたくない。生まれてきてよかった、なんてもう終わるような言葉は、まだ言わないで。僕は君と生きていきたい。今、その命を鮮やかに生きている、君のそばにいたい。
君はすでに、命が巡った先を見ているのかもしれない。だけど、僕はまだその前に、君の未来が終わってしまうなんて信じたくないんだ。
FIN
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日本語
ラン
卵が孵化(ふか)したばかりのひよこが怖いから殻から出ない。お腹すいている時くちばしをに殻の穴から突き出して母親の食べたものの落ちちゃったカスを食べる。
カゲガラス
羽が完璧に光を吸収するように真っ黒で影みたいに見える。通常、森と海辺に小さな生物を狩るしかしないから人間に近づかない。でも、帰宅時に3匹が家の前に待っていたら、不吉な予兆だとよく言われている。
ゼンチョウ
人の前に現れないので、カゲガラス3匹が群れに溶け込む時に生まれると思われてた。最近の研究のために、カゲガラスがただ成長する時にゼンチョウになるということがほぼ確認されている。
English
Chickinn
This chick that has only just hatched won’t leave its shell because it’s afraid. When it gets hungry, it sticks its beak out of the hole in its shell and eats the fallen dregs of its mother’s food.
Innsbeak
Because its feathers completely absorb light, its pitch black body appears like a shadow. Usually, due to it only ever hunting for small creatures in forests and by the seaside, it doesn’t approach humans. But it’s often said that if you see 3 of them waiting outside your house when you return home, it is an omen of bad luck.
Nevermore
It never appears before people, so it was thought that they were born when 3 innsbeaks melted together. Thanks to recent research, it’s now all but confirmed that they come about when an Innsbeak grows older.
Name origin
I’m very happy with the Japanese name for Nevermore. 前兆 means portent or omen, but these sounds could also be read as 全 (all) 鳥 (bird), which is a reference to how it appears to be many birds fused together.
カゲガラス is a combination of 影 (shadow) and カラス (crow/raven). ラン is a pun on 卵 (egg) and 乱 (disorder), because both can be read as ラン.
The English names are references to literature. Chickinn and Innsbeak reference the Lovecraft story The Shadow Over Innsmouth and Nevermore is the word that the raven says in Edgar Allen Poe’s poem The Raven.
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昨日走れ無かったから、帰宅後しっかり1hラン。つか何か変なの写ってんだけど、コレなに?w I’m running now. I’ve been running for1h.because it rained yesterday. I couldn’t running. By the way, something strange is in the picture. #running #nightphotography #ランニング好きな人と繋がりたい (Koshigaya, Saitama) https://www.instagram.com/p/CnebVg0vzTP/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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なんだか季節外れな暖かさに誘われて西新宿から瑞江までの帰宅ラン。昨日は休息日としましたが今月は順調に距離踏めてます😊
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きんようび通信No.714📚
2024年8月23日
▲15日、「ちむぐりさ/菜の花の沖縄日記」(沖縄テレビ開局60周年記念)というドキュメンタリー映画を観ました。石川県珠洲市出身・坂本菜の花さんが、15歳から3年間、沖縄で過ごす中で出会った人や出来事とその後の沖縄を時系列で取り上げた内容。とても良かったです
▲フリースクール(夜間中学併設)での触れ合いや県民集会・米軍属による事件・米軍ヘリ落下物事件など自分の眼で確かめた中で語られる言葉は、心に響きました。条件付き移設容認の辺野古漁師の方の言葉に涙する姿は、いろんな声に耳を傾ける大切さを教えてくれました
▲18日、毎年恒例「松元ヒロライブ」に参加しました。次々と繰り出される話しに会場全体が引き込まれて、一緒に行った母親は「来年も必ず行きたい」と帰りの車で語っていました。政治の本質をわかりやすく伝えたいといつも思っていますが、ヒロさんのようにはいかないですね
▲帰宅後に飛び込んできたのが、17日に高石ともやさんが亡くなったというニュース。すずききよしさんに続いての訃報でとても残念。時々に高石さんの歌に励まされてきました。「109ソングブック」「ヒット・エンド・ラン」等、大好きなアルバムを噛みしめてみようと思います
▲さてオリンピックが終わった途端、自民党総裁選でテレビジャックされた状態となっています。アメリカ大統領選も含め、誰がなるか・どんな組み合わせになるかなどの予測が飛び交っています。大きな関心事ですが、それよりも大事なことが沢山あります。しっかり見る目を持ちたいですね
【今日は何の日📌】
【今週の一句🔖】
酒飲み🍺🍶川柳
表紙だけ
変えても中身
変わらない😤
【今週の歌🎸】
・Midland(Country)…Vegas
僕が勝手に音楽の師匠の一人と思っている人が、FBで紹介しているのを見て知ったミッド・ランド。来月最新アルバムが��売されます。大好きな感じです😊
youtube
【今週のグルメ情報😋】
・釜揚げうどん一心…近鉄・長瀬駅から徒歩10分ほど
釜揚げメインのお店ですが、カレーうどんがあったので迷わず注文しました。とろみが麺にしっかり絡んでとても美味しかったです😙
【追記📝】
気持ちだけ朝が涼しくなったように思いますが、まだまだ日中は沸騰しているような空気が漂っていますね。まだしばらく、この状態なのでしょうか。早く落ち着いてほしいと願っています
#きんようび通信 #ちむぐりさ #菜の花の沖縄日記 #沖縄テレビ #松元ヒロ #高石ともや #テレビジャック #自民党総裁選
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Desaru 70.3 2024
ハーフアイアンマンレース@デサルー マレーシア 2024/05/19
たぶんしばらくは東南アジアでのレースはやらないだろう、ということと、2年前の雪辱をはらすべく、というつもりでデサルーでのハーフアイアンマンディスタンスに挑戦した。去年のフル以来、11か月ぶりのレース。6回目のハーフでもいろいろと学ぶことがあって、特に今回はいろいろ考えさせられた…。
決断が正しかったかどうかは、ちょっとまだ答えが出ない。たぶんダメだったと思う。つまり、体調が万全でない状態でレースをすることはやめた方がいい。それは仮に完走できたとしても、後味の悪い結果にしかならないから。終わった直後は、困難な状況でも諦めなかった自分を褒めてあげたい,という気持ちにはなったけど、それは同時に、無理をしていた、ということのあらわれであって、むしろ身体を壊す恐れがあった。
5日ほど前から食中毒の症状が出て、胃腸が全くよろしくない状態でレース本番を迎えてしまった。前日になって、ようやく(友人の)薬を飲んだり、食べ物を気遣ったりと、若干良い兆しが見えたから、いけるかな?、とさえ思ったけど、レース当日の朝も引き続き下痢、という感じで本来はやめるべきだった。脱水や消化不良の状態で、炎天下のレースは致命的なはず…。あとは、レースの週に、数日まともに食べられなかった、ことも実は大きくて、身体つきが変わったのを感じていた。今後のための学びとしては、レース前は体調管理に気をつけろ、ということだけ。その一点。あとは、棄権の決断を下す難しさを知ったかもしれない。
結果からいうと、今までのレース(特にコロナ後、トレーニングと栄養・テクニカルな知識や装備を備えていったあとのレース)の中では、不甲斐なさが顕著で、6時間28分というタイムは当初全く想定してなかった…。
一応お腹を気遣って、フェリーの中では長袖…
スイム 1.9km
滞在していたホテルからスタート地点まで歩いてすぐの距離だったから、5時ぐらいに朝食を食べ、5時40分ぐらいにはトランジションエリアには到着して、セッティングを開始。東南アジア特有の熱気とアスリートたちの輪の中にいると、自然とテンションがあがる。やるっきゃないな、という気分になる。
スイムは3つのカテゴリーの中では一番早いものを選択。7時10分頃にローリングスタートで出発。大体600mずつの三角形コース。波がやや高い印象で、特に2辺目を過ぎたあたりでは、かなりアップダウンが激しかった。波の振動に対処しつつ、前の人を抜かしたりしていたから、結構神経を使った気がした。水質はそんなによくないけど、水温もよく、天気がよくて、なおかつ時計回りのコースだったから、特に問題もなく、34分でスイムアウト。ワセリンを入念に塗ったから、特に擦れることもなかった。波の高さ的に、他のみんなは苦戦するのかな、と思いきや、早いタイムの出やすいコンディションだったみたい。とにかく、バイクトランジションまでの距離が長くて、息切れがひどかったのを覚えてる。T1ではアミノバイタルとバナナを半分食べて、バイクへ。カーフスリーブだけは、つけるのを取りやめちゃった。
バイク 90km
バイク出発直後は上り坂で息が上がり、ローリングしながらの道が大体5㎞ぐらい続いて、それ以降フラットで安定したコースになっていく。追い風もあったのか、前半は時速35キロぐらい、かなりスピードが出ていたと思う。1週目を過ぎて折り返す地点(半分過ぎ)までは順調だったし、DHバーを使った乗り心地をむしろ楽しんでた。エネルギージェルも1時間30分過ぎまでは予定通り摂取していた。急に力が入らなくなったのはそのぐらいで、大幅に失速してしまった。冒頭のお腹が理由なのかもしれないけれど、その頃ぐらいから何も食べたくなくなり(羊羹を一口食べて、吐き出してた)、ももの付け根が疲労し始めてた。たぶん後者に関しては、これはDHバーを使っての練習不足が大きな原因だと思った。思い返せば、それまでの数か月の練習中、100キロを超えるライドをしていても、エアロポジションになっていた時間が実はすごく短いことに今更ながらに気づいた。シンガポールの道路は信号も曲がり角も多いから、そもそもDHバーを握ってい���時間って、実は5-10%ぐらいなのでは、と思うぐらい。だから、長時間その姿勢で漕いでいる感覚が新鮮で、ももがじんわり痛くなってしまったのは、それが原因だと思った(Zwift&トレイナーでの練習をもっとしてもよかったかもしれない)。
とにかく、後半は水分もなんとなく取りたくなくなり(エイドステーションのエレクトライトが変な味だった…)、ジェルの摂取プランも億劫になり、足が攣る感覚が出てきたりと、なんだかグダグダになっっていった。体調のことも考え、バイク終わった後に、リタイアしよう、という思いが高まったんだけど、それでも、レースに参加してしまった以上、なんとなく後戻りがしづらくなっていた。 パフォーマンスがうまくいかない・疲れた・不甲斐なさの言い訳として、お腹のことを利用していないか、と。考えすぎなんだけどね。タイムは3時間10分。
ラン 21km
暑い中、栄養や水分が十分に取れないとどうなるか。
結局、バイクを終えてランをスタートするものの、開始数百メートルで足の攣る感覚が始まり、1kmも走れずにストップ。冷やすものもなく、その場で文字通り停止(あとから来た人達に励まされる)。こんなに激しく攣ったの10年近く前のビンタンの時以来かもしれない。とりあえずのろのろ歩くものの、やる気が完全にうせてしまったので、その場にいたボランティアスタッフにもうやめる旨を伝えた。だけど、無性に冷たいコーラが飲みたくて、とりあえず、次のエイドステーションまでは行く、と宣言。彼は、メディカルスタッフも呼んでくれたんだけど、結局、アイシングも断って少しずつ走り始めることに。唯一痛みに効いたのは持っていた4粒の塩タブレット。最悪の時はこれを食べれば、多少はなんとかなる、と思った。
2キロ強先のエイドステーションにたどり着いて、なんとか足を冷やせたし、大好きな冷たいコーラを飲めたから、若干回復した。あとは、騙し騙しエイドステーション間を頑張って走ろう、という目標に変えて、コーラ・水・氷の3点を頼りに必死に進んでいった。多少の吐き気と、胃が何も受け付けない感覚がずっとあったから、エネルギージェルも結局取らず仕舞い。予定としては30分おきに食べる予定が、結局ラン中食べたのは1つだけだったかな。困ったのは、エイドステーションの間隔が若干広かったことと、ランコース自体が激しくアップダウンしていたこと。真ん中の10km弱ぐらいはなんとか足が機能してくれたんだけど、持っていた塩タブレットがなくなってしまった時は、もう足の攣りを治すてだてがなかったら、さすがに歩くしか方法がなかった。ももの表裏、ふくらはぎ、左右の足というように、攣る箇所ってこんなにあるんだ、っていう素直な驚き。エネルギー切れにもなっていて、本当にただたんに長い辛いランコースとしか感じなかった。唯一の救いは、カンカン照りではなったことぐらいかな。
結果、2時間31分というあまり予想してなかったタイムでフィニッシュ。とにかく終わってくれたことの方が嬉しかった。全力を出し尽くした、という��じゃなくて、あの状況でできる精いっぱいだった、という方が正しいと思う。
まとめ
レースが終わってよかった、という気持ちはあるものの、レース中、辛いことの方が多くて、結局スッキリしない後味になっちゃったのは残念かな。こういう展開も、まあありかな。いい学びになったと思えば。
その他のロジに関しては、特に何も言うことがないぐらいスムーズだった。デサルーはシンガポールのタナメラからフェリーで行けるから、バイクをそのままで運べるのが素晴らしく良い。行きの自宅からターミナルへ、それからデサルーでもターミナルからホテルまでの往復は全部自走。金曜日の早朝に自宅を出発して、HardRockHotelで2泊。ここはバイクを洗って、乾燥させる設備もあって、とてもバイクフレンドリー。土曜日はODの友人たちを応援。たっぷり準備したり、軽く運動したり、それにくつろぐ時間がとれたのはよかった。帰りは午後3時チェックアウト、5時半のフェリーで帰路、というやや強行スケジュールだったけれども、月曜朝の仕事に間に合わせるにはそれでも良きかな。デサルーでまたレースをすることはないだろうけど、でも、70.3は(自分にはむいてないのは承知だけど)嫌いな距離ではないと思う。1年に1回はやっていきたいとは思う。次は日本か!?
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2024/05/09 ☂️☁️
自転車が盛大にパンクして以来、バス(時々帰宅ラン)で最寄駅までの行き来をしているのだけど、みるみる減ってはまたPASMOの残高をチャージする行為に後ろめたさがあった。自転車で最寄駅まで行くのが一番コスパが良いのは分かっていて、気になっていたシングルスピードを調べ直したら、アウトレット価格で半値以下で売っているので買ってしまった🫠
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オタクも泣いた
疲れて帰宅してる混雑車内でさゆりんごが笑顔で三鷹のデカ盛りラーメン食べてる映像流れてると癒される
チョコプラの変顔真顔は電車内でシュール、あとユースケ以外にも笑い飯の西田さんも謎の学ラン大喜利してた
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水曜日の帰宅ラン。まだ痛む部分有り。今月26日の #ねりまこぶしハーフマラソン 迄回復すれば良いが。今日も #京都マラソン 前日の散策場所。 #ランニ���グ #ジョギング #マラソン 練習 #帰宅ラン https://www.instagram.com/p/Cp0B_OzvMaZ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ハニーライフ
愛おしい君と生きていくこと
たぶん、もう半年も残っていないでしょう。
闘病してきたおばあちゃんの余命宣告は、あたしが一番最初に受けた。力が抜けて椅子を立てない。そんなあたしを、看護師さんが労わりながら立たせてくれた。
廊下の長椅子に移っても、なおも茫然としていた。待合室の雑音と、消毒液の匂いに、意識がゆらゆらしている。
おばあちゃんには、半年も残っていない。
こみあげた涙をこらえる。両親に連絡しなくては、とやっと気がついた。一応、グループでなく個別のトークルームに、『おばあちゃんのことで話がある』とメッセを送る。でも、相変わらず仕事がいそがしいのか、だいぶ待ってみたけど既読すらつかない。
こんな両親だから、あたしを育ててくれたのは、おばあちゃんだった。おじいちゃんは、あたしが生まれる前に亡くなっている。もう一方の父方の祖父母は、あたしが母方であるおばあちゃんにばかり懐くので、次第に疎遠になった。
窓からの七月の夏陽がかたむき、病院のひんやりと白い壁は、暖かみのあるオレンジに染まっている。その夕射しにこもった熱に、軆は汗ばみかけている。
入院生活が長くなったおばあちゃんは、最期の時間は、家で過ごしたいと言っていたっけ。「でも、玖鈴に介護なんかさせるのもねえ」と目をくしゃっとさせて苦笑していた。
あたしはスニーカーの爪先を見つめていたけど、おばあちゃん本人に言わなきゃいけない、と思った。どうにか膝に力をこめて、その場を立ち上がる。そして、もう一度先生と話ができるか、通りかかった看護師さんを呼び止めた。
おばあちゃんは、自分の余命宣告を飄々と受け止めた。「ホスピスでも行きますかねえ」なんて言うから、「何で? うちで過ごしなよ」とあたしは割って入った。おばあちゃんの痩せて皺だらけの顔に、わずかにとまどいが浮かんだ。
「でも、久里子も錫也くんも、おばあちゃんの介護なんて──」
「あたしがするよっ。大学なんて休学すればいい」
「……あのねえ、そんなこと簡単に、」
「あたしだって、おばあちゃんときちんと過ごしておきたい」
おばあちゃんはあたしを見て、困ったようなため息をついた。例の女医の先生は、介護士さんや訪問サービスなどの力も借りながら、おばあちゃんが望むように過ごしていいと諭した。
「おばあちゃんは、あたしと過ごすの嫌かな」
あたしがしゅんとうつむいてしまうと、「……バカなこと言って」とおばあちゃんの声が涙ぐむ。
「玖鈴がいいよ。最後は、玖鈴と過ごしたい」
──両親がおばあちゃんの余命を知ったのは、翌日になってからだった。おまけに、おばあちゃんの希望も聞かずに、ホーム行きにしようとした始末だ。あたしがおばあちゃんの意思を伝えると、「ほぼ寝たきりの人だぞ」「プロに任せたほうがいいわよ」と情のかけらもなく言った。
「ヘルパーさんの力を借りないとは言ってない。寝たきりになったら他人なの? 死ぬ前のお願いも聞いてあげないの?」
あたしに睨めつけられ、両親は厄介そうな面持ちを隠さなかったけど、「おばあちゃんとも話そう」とようやく譲歩した。おばあちゃんは、昨日あたしには弱気だったくせに、両親には「私は帰りますよ、自分が選んだ場所で死にますから」と我を張っていた。
そんなわけで、長らく病院生活だったおばあちゃんが、久々に一軒家の自宅に帰ってきた。ほとんどベッドに横たわっているけど、精神的にはゆったりできているようだ。
大学に休学届を出したあたしは、おばあちゃんの食事、着替えやお風呂を手伝った。おむつもやる気だったけど、素人では手際が悪くて、ヘルパーさんに手伝ってもらった。
おばあちゃんの病状は、当然ながら良くなかった。けれど、さいわい認知症は出ていなかったので、ベッドサイドに腰かけたあたしと、想い出話を楽しんでくれた。
幼稚園の送り迎え。よく一緒に作ったホットケーキ。お互い気が強くて、わりと喧嘩もしたこと。
「ああ、大人になった玖鈴を見守れないのは寂しいね。どんな男を連れてくるか、楽しみにしてたのに」
おばあちゃんは窓を向いて、目を細めた。カーテンが残暑の日射しを抑えていても、じゅうぶん明るい。
「玖鈴はいい母親になるよ。だから、元気な子さえ生めば大丈夫」
「……うん」
「今、本当に彼氏もいないの?」
「いないなあ」
「そっか……。こんなかわいい子を放っておくなんて、見る目がない男ばかりだねえ」
あたしは曖昧に微笑んで、クーラーの風にそよぐ自分のロングヘアに、緩く視線を泳がせた。
あたしのことを受け止めてくれる人は、本当は、ちゃんとそばにいる。でも、それは家族には、特におばあちゃんには、絶対に言えないと思っている。
嘘つきだ、あたしは。大切なおばあちゃんに、大切な人の存在がいることを隠して。きっと、すごく罰当たりだ。
だとしても、打ち明けることがすべてではない場合もあると思う。
那由多は、あたしがおばあちゃんっ子であることを知っている。というか、那由多があたしのことで知らないことなんて、たぶんない。おばあちゃんの介護が始まって、日中はなかなか会えなくなったけど、夜にはしっかり会っている。那由多は無論おばあちゃんに会ったことはないけど、今、最期を過ごしているのを心配してくれている。
「おばあちゃん、やっぱり、ひ孫に会いたかったのかな」
彼氏のことを言われた日の夜、那由多の肩に寄り添ったあたしは、そうつぶやいて、甘い桃のお酒に口をつけた。レモンサワーを飲む那由多はうつむき、「ごめんね」とあたしの髪を撫でる。
「え、何で」
「僕が女の軆だから」
あたしは咲い、「男だったら、まずつきあってないから、那由多はこれでよかったよ」と那由多の白くて柔らかい頬に軽くキスをする。グリーンのメッシュが入ったボブショの那由多も小さく咲って、あたしに寄り添い返す。
那由多はあたしの五歳年上で、二十五歳だ。社会人として働き、このワンルームを借りて暮らしている。室内は雑然としているけど、けして汚部屋ではなく、あたしにとっても居心地がいい。
この部屋で、こうして那由多の温柔を感じていると、生きててもいい、とあたしは自分を許すことができる。
那由多と知り合ったのは、六年前だ。あたしは十四歳、那由多は十九歳だった。知り合ったきっかけはネット。SNSではなく、近年ではめずらしく掲示板だった。
お互いを「相手」に決めたのは、隣り合った町に住んでいて、合流しやすかったから。あたしと那由多がアクセスしていた掲示板が置かれていたのは、一緒に死んでくれる人を見つけるための場所、いわゆる自殺サークルのサイトだった。
あたしたちは、一緒に死ぬつもりだった。メールを交わしながら、身の上話はしなかった。相手のことは、深く知らないほうがいいと最初に決めておいた。
なのに、いざ顔を合わせて、那由多が裏ルートで購入した青酸カリの小瓶を取り出して、でも沈黙したままふたを開けられずにいるうち、死にたくなるほどの理由から、今までのろくでもない人生を、とめどなく吐き出し合っていた。
あたしは、同性にしか恋ができなかった。男の子とは、どんなに仲良くなっても友達でしかない。親友だからと思ってカムした同級生の男の子は、あたしの話に表情をゆがめ、「俺は玖鈴が好きなのに」と言って無理やりのしかかってきた。
「エッチしたら、これが普通だって分かるから」
セーラー服と学ランを着たまま、あたしをつらぬいた彼はそう言って、息を荒くして中に出した。内腿に血が流れて、どろりと白濁と絡みあって流れる。
「ね、俺のこと、好きになったでしょ?」
彼は恬然とした笑顔で、そう問うてきた。あたしは急にせりあげた嫌悪感で、その頬を引っぱたいた。押しのけて逃げ出して、家まで走りながら、どうしよう、と泣き出した。
あたし、妊娠したかもしれない。だとしたら、ひとりぼっちで生むより、誰かに話して堕ろすより、一刻も早く子供もろとも死ぬしかないと思った。
那由多も女の子に惹かれる人だ。それと、自分の性別が分からない人だった。女じゃないなら男、なんて単純なものではないらしい。男女の中間でもないし、男であり女でもあるという感覚もない。しいて言えば、どちらでもないというのが一番しっくり来る。
それは自分の正体がつかめないようで、ひどい恐怖をともなった。女の子とつきあっても、自然と自分が「男役」になっているのがすごく気持ち悪かった。服装はラフが好みで、フリルやレースは着たくないのだけど、「男」に分類されても違和感しかない。
男じゃない。女でもない。性そのものがない。まるで幽霊みたい。そんな自己を抱えて過ごしていくなら、生きることをやめてしまおうと那由多は決めた。
気づいたら、ふたりともしゃくりあげるほど泣いていて、強く手を握り合っていた。「もう生きたくないよ」と言いながらも、「このまま死にたくない」とも言っていて、すがりつくように抱きしめあった。那由多は��たしの頭を撫で、あたしは那由多の軆にしがみついた。
「初めて……こんなに、自分のこと話した」
「ん……僕もだよ」
「聞いてくれて、ありがと」
「ううん、こっちこそ」
那由多の心臓の音が聴こえた。死んだらこの音がなくなってしまうんだと思うと、やっと自分たちが飛びこもうとしていた淵に恐ろしくなった。
「あたし……」
「うん?」
「あたし、那由多さんといられるなら、今までみたいに嘘ついて生きなくていいかもしれない……」
那由多の服をぎゅっとつかみ、それに応じるように、那由多もあたしを抱く腕に力をこめた。
「僕も、玖鈴ちゃんがそばにいてくれるなら、まだ生きられるかもしれない」
あたしはぐちゃぐちゃの泣き顔を上げて、「そばにいるよ」と誓うような気持ちで言った。那由多も泣き腫らした瞳であたしを見つめ、「じゃあ」と言葉を選ぶ。
「一緒に、生きてみる?」
あたしはうなずき、何度もうなずき、那由多の胸に顔をうずめた。那由多はあたしの髪に、濡れた頬を当てる。
「……婦人科は、行かないとね。僕が付き添うよ」
「できてたらどうしよう」
「まだ、それって何日か前だよね。アフターピルあると思うから」
那由多の柔らかくて温かい腕に守られ、あたしはびっしょりの睫毛を伏せる。優しい心音が、鼓膜からあたしの傷に染みこんでいく。この人があたしのものなら死ななくていい。もっともっと、いつまでも、抱きしめていたい。
ろくな人生を歩まなかった。そう思ってきたけど、これからそれが変わるなら、あたしは生きられる。ううん、そんなふうに思わないように、あたしは生きていきたい。
アフターピルも飲んだおかげか、あたしは妊娠しなかった。でも、セックスに対する恐怖心はどうしても残った。那由多は急かすように求めたりしなかった。おかげで、あたしはあたしが那由多が欲しいと思えたとき、やっと那由多と結ばれることができた。
あたしたちのあいだで、その行為が子供を生み出すことはない。しかし、確かに愛を育んでいると思うのだ。もしもこの愛が老い、朽ちてしまったら、今度こそあたしは、この世を追い出されて土に還る。
──おばあちゃんが亡くなったのは、年越し前の冬だった。あたしは、何度か悩みつつも、自分のことを何も伝えなかった。年末におばあちゃんのベッドが撤去され、剥き出しになった青いたたみに寝転がると、これでよかったんだと天井を見つめた。
受け入れてほしかったなんて、贅沢なことは思わない。いつかあたしが死んで、七色の虹を抜けたあとに、黒い針山を歩く罰を受けたとしても、やはり言わなくていいこともある。
おばあちゃんの最期をかきみださず、穏やかに見送ることができた。あたしは、それでいい。
男と結婚して、子を生むことが、「女の幸せ」なんて思わない。女として、しのごの言わずに生きろと言う人もいる。けれど、その声がどんなに大きくても、あたしは那由多と生きていく。それが、あたしにはかけがえのない蜜なのだ。
おばあちゃんは、無垢な白昼夢に包まれて亡くなった。幸せに眠りつくことができるだろう。
それを見送れたあたしは、もうこの家庭に未練はない。遅かれ早かれ、荷物を���とめて那由多の元に飛びこむ。
生み出すことが生きる意味なら、あたしは那由多と愛を生み出そう。生み出すこということは、お腹を痛めて出産する子供だけではない。人によっては、パートナーがいなくてはならないわけでもない。
ただ、ひとさじでも、甘い蜜がある人生であるように。
カーテン越しに、窓で冬陽が透けている。おばあちゃんとの最期の日々をゆっくり思い返す。その時間は、白い光がきらきら広がっていて、巣箱から春に飛びこむための勇気になる気がした。
FIN
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アノラック
ゴアテックスアノラックを誕プレでウチのカミさんから貰った♬
雨の日は基本バイクなのだが、 私、絶賛 通勤運動中の為チャリで行くことに。
アノラックを着ていざ出勤という場面で、ふっと
中学2年か3年のあの日の記憶が蘇った!
当時の通学アウターの最上級はアンダーカバーの背中にUのプリントが入った物や、エイプのコーチジャケット!
1994.5.年辺りは裏原ドメブラ全盛期!!
ノットのダッフルコートなんてのも少数居たが、私はコーチジャケット系に憧れた!
しかし!田舎にそれらの納品自体が少なく、主な入手方法は先輩から売ってもらうしか無かった!
売ってもらえる先輩というのが基本野球部で、部活の場所が市営の武道場だった私は接点すら無かった。。。
アウター以外は他にもルートがあり、多少買えては居たがアウターは本当に希少だった。。
そんな中、隣町のジャスコに親と行く用があり多感な時期ということもあり嫌々付いて行くことに。
ぶらぶらあてもなくジャスコを彷徨っていたら、なんと、イケてるアノラックを発見!!
リーバイスのナイロン生地のアノラックだった!!!
団塊の世代で「学生におしゃれなど要らぬ!」という考えの親父をどうにか説得し、買った貰えることに!
嬉しかった!
リーバイスってのがちょっと嫌だったのだが、作業着以外でカッコいいアノラックを見たのはコレが初めてだった!!
思えばこの頃から少しずつ他人と違うものが良いと思い始めていたのかもしれない!
意気揚々と次の月曜に学ランを着、アノラックを上から被って通学した!その日に事件は起こった!!
学校に着くや否や、担任から「このアウターは校則違反だ」と訳の分からないことを言われたのだ!
「今日は勘弁してやるが、明日から着てくるな!」などと言ってくる!
意味が全く分からず悶々とした1日を送り、帰宅後その旨を親父に話した
親父も????マークが頭の上に見えるほど理解出来ず、担任の元へ話を聞きに行く事にした!
担任と話す親父、徐々に形相が険しくなる!
頑張れ親父!!しかし、。
結果、前開きでないとダメだの1点張りだったそうだ。
1人許可するとみんなOKになるからとも言っていたらしい、、、
私が行っていた市立中学は、 2年生まで全男子は坊主、全女子はオカッパ[短髪であれば良い] という戦前のような決まりもあった。
[この狂った規則は 3年になった時に生徒会が頑張って廃止になった。]
私はこの謎のダメ出しを今だに納得していない! [前開き以外認めないというヤツ]
あれから30年近くになり、今は多様性の時代というのになりあの頃のイカれた風習などは淘汰された!
が、あの頃抱いた「反骨心」は今も尚私を形成する大きな感情となっている!
規則違反で前開きじゃないとダメだ!と私のアノラック通学を葬った教師は数年後、家庭がある中、未成年と淫行した挙句、その子を買っていた他の男を恐喝し、逮捕された。
たかが前開きじゃないアウターすらも許さなかった人間が未成年を買い、挙句自分も同じことをしているくせに恐喝💢💢
結論
バカに権力を渡してはいけない!そして、反面教師に出来ないと楽しい多感な時期を棒に振ることになりかねない!
先生!みてますか?あなたのお陰で人とは違うものが好きになり今は仕事にまでなっていますよw
結局何が言いたかったかというと、
アノラック、大好きなアイテムです。
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https://x.com/JapanTank/status/1708874037693481448?t=R-mqHfyYADLjkbBIysnSOQ&s=09
料理研究家YouTuberリュウジさんのBBQに知らぬ女性が来て、おごりじゃないことをブチきれたという話。
リュウジさんのBBQに来たやつは典型的港区女子や。
彼女らの生態を解説するわ。
「港区女子」の名の由来は、日本一所得が多い東京都港区や。彼女らが生息する街の名前や。
平均年収が1500万以上ある日本一金持ちの地域。年収1000万じゃマジで貧乏人扱いやで。
六本木とか麻布とかいう地名を聞くよな。
タワマンもたくさんあるし、田舎でいうカローラの感覚でBMWが走ってる。
週末、六本木交差点の前で2-3分ボケっと立ってれば何台かフェラーリが通ってくで。
港区では夜な夜ないろんなパーティが行われてる。
まあ要は飲み会やけど、彼らはパーティっていうんや。通称タワマンパーティや。
彼らの高級マンションとか会員制のバーに集まって行われる事が多い。
金がある人らが多いから30代40代の経営者らが集まる会も多いで。
東大慶應などを卒業し、若く20代にして年収1000万2000万もらえるイケてる若い外銀勤務や金持ちの男子らが多くいて、タワマンの自分の広い部屋やパーティスペースでパーティを開いてる。
東京タワーが見える高層階の部屋でな。
お前らが想像するような、缶ビールで乾杯してポテチ広げてるような飲み会やないで。
スパークリングで乾杯は絶対やし、スパークリング用のシャンパングラスも何故かその家にたくさんあるんや。
大体はモエシャンかヴーヴ・クリコ。港区にはモエシャンの自販機もあるで。
1本6000円くらいやな、モエシャンは。
男たちは手分けして、クラブとかどっかのイベントとかで知り合った女子を呼んでくるんだけど、その女子にまた別の女子を呼んでもらうんや。芋づる式ってやつやな。
そうやって、友達が友達を呼んで、いつものメンバー+新しい参加者でパーティを毎週のように回していくんや。
当然目的はヤる相手を探すってことなんやが、そこから真面目に付き合うやつもおるし、多種多様や。
女子は「なんか凄い人たちに会えた!」って感じで大人の社交場に入ったような高揚感がある感覚でやってくるんやで。
男子らは、たいした縁もゆかりもない女子を相手にするわけやが、自分が本当に持つコミュニティ(大学とか部活とか職場)とは違う場所だから、後腐れなく楽しめるわけや。
なんか慶應とか早稲田において、私立女子大の学生をインカレサークルに呼ぶのと少し似てるな。
じゃあタワマンパーティに参加する女子らは何者かというと、元はといえば埼玉のさえないサラリーマン家庭で生まれ育ち、大学もCランDランあたりの、全然そういうハイスペ男子らに関わりがなかったような女子たちや。
社会人だとしても大した会社でも働いてなくて、女子だけ制服があるような昭和臭い企業で事務として働いてたり、新興企業の派遣社員とかで働いてたりもするんや。
彼女らは大したスペックはないがプライドが高く、同級生と仲良くすることもできず、かといって頭もそんなに良くないので、何か女の武器を使って生きていこうと考えてる・
仕事で稼ごうとか考えてない。見た目とか磨いたりしてなんとかしようと思ってる。
しかし金持ちとくっつきたいわけやが、なかなかそういうチャンスもなくくすぶってる。
ある日友達に誘われて、タワマンで面白いパーティがあるから来なよと言われて参加する。そこにはGoldman SachsとかJP Morgan、McKinseyとか、聞いたこともないようなエリート会社の人たちがいて、彼らは実家も金持ちで、シャンパンで乾杯して楽しくパーティしてるわけや。
まあそれがYouTuberとか経営者の場合もあるわな。
男子らは妙に料理を作るのもうまかったりして、めちゃ美味しいスペアリブとかも出してくる。
来てる服もおしゃれだし、トークも面白い。いい会やな。
すると、自分が普段関わっている同級生男子とか、同じ会社の男性がすごく色褪せて見えてくる。
そりゃ普段は、洋服の青山で買ったブカブカのスーツを着て、ちょいちょいセクハラ発言してくるオッサンが何人もいる、地味な古びた事務所の昭和な企業で、朝から夕方まで過ごしてるんやからな。
しかも仕事パソコンは今でもCeleron 4GBや。
で、一度呼ばれると、その女子は性の対象として見られるか、そうでなければ他の女子を呼んでくるハブとして使われる存在か男子らに自然と分けられていく。
前者になれば男子が個人的にLINEを聞き出して群がってくるし、後者になれば「今度友達呼んできてー」となるわけや。
いずれにせよ何度も使われていくんや。
そうやって「自分はあんな色褪せたコミュニティじゃなくて、こっちの側の人間なんだな」って勘違いしていく。
そうやって港区に穴兄弟を増やしていくわけやな。同じパーティに兄弟が複数人いるなんてザラ��話や。
港区タワマンパーティでは参加費用を徴収される場合もあるが、多くはタダや。
20代が主催するパーティならお金を多少は徴収される場合もあるが、30代以上が開催するならば当然タダや。シャンパンガブガブ飲んでな。主催する側も金はあるしな。
だから、何度も参加する女子からしたら「え、今日お金取るの?」って感覚になっていく。
中にはお金を徴収しようとすると「財布忘れちゃってー」とか言う意味不明な女子もおるで。カバンから財布見えてるけどな。
お前どうやってここへ来たん?ってなるのは昔の話、今はスマホでSuica使って電車乗れるからその言い訳も通用する便利な時代やね。
30代40代のオッサンが開催するタワマンパーティになると、参加費を払わなくていいどころか、金をもらえるギャラ飲みってやつもあるんや。
金持ちの経営者たちが可愛い女子と楽しく飲むために、参加者女子に金を払って一緒にパーティする。仲介業者みたいな男を経由して金を払ってたり直接払ったりもあるで。
一つの港区のビジネスやな。ギャラ飲み女子を集めるアプリとかもあるで。
本質的には派遣型キャバクラみたいなもんやね。
それで安い賃金の昼職で足りないお金を工面して稼いでる港区女子もおるし、本業にしてる女子すらおるで。
去年はギャラ飲みで4000万稼いでるのが税務調査でバレた女性が1100万の追徴課税を受けたっていう事件もあったで。巨大マーケットやな。
そうそう、港区女子はそもそも、大半は港区に住んでない。東京ですらない場合もあるで。
埼玉とか浦和とか茨城から、夜な夜な電車でやってくるんや。。
どこかで買った、雑誌「東京カレンダー」の表紙っぽいノースリーブ黒ニットを着てな。
オッサンたちが開催するパーティでは、終電近くや終電後まで飲んでると、タクシー代をもらえたりする。通称「タク代」や。
港区女子は、おじさんらに終電がすぎるまで飲んでから「埼玉に住んでて...」とか言って1万2万のタクシー代をもらうんや。金持ちなおじさんたちだから気前よく払ってくれる。
それに乗って帰宅するかといえばそうではない。
まず18時くらいに埼玉で電車に乗って東京へ向かう。
19時〜23時で20代男子が主催するタワマンパーティに参加し、イケメンやハイスペの本命を探すべく活動するんや。そこではタク代は貰えず、千円二千円の参加費を取られることもある。
続いて23時ごろから、港区のおじさんらがやってるパーティに顔を出す。そこで1時くらいまで飲む。
おっさんらに話を合わせるのは苦痛だが、稀に大物な経営者とか有名人、ガチ金持ちゆえの普通じゃ体験できないいろんな機会が得られるし、場合によってはそこでパパ活の相手をみつけたりもできるで。
だが、売春をしない女子にとって大事なのはタクシー代や。そこで終電後に「さいたまに住んでるんです」と言って1−2万のタクシー代を現金でもらう。
おじさんたちはお持ち帰りしようと股間を膨ら��して頑張るが、そこは華麗に流して笑顔で去る。
港区女子は麻布や六本木で1人タクシーに乗り、ワンメーター1km 500円ほど走って、車を降りる。
港区女子をやっていれば、若いイケメンや、イケイケIT経営者らの知り合いがたくさん増えるから、そこに片っ端に電話をかけて「今からちょっと飲めない?」などと言う。
そうすると1人や2人は「おう、家にいるからこいよー」となるわけや。
それでイケメンセフレとお泊りを楽しみつつ、手元にはタク代1-2万円が残る。
2時間おじさんたちと話して2万円なら、時給1万円やな。
イケメンは1円も払ってないから、一次会の20代タワマンパーティ主催者らと、タク代おじさんだけが損してるわけやな。
こういう生態を繰り返してるうちに、本来は埼玉のさえない家庭出身でCランDラン大学卒の、今はしょぼい事務をしてるはずの自分が、ハイソサエティの一員になったような感覚になる。
周りは東大慶應卒、経営者が当たり前になり、「飯と酒はタダで得られるもの」という感覚になる。場合によっては男と飯を食うのは金をもらえる行為とすら思うわけやな。
これで港区女子の完成や。
ここまで来たらモエシャンとヴーヴ・クリコ、KRUGを目をつぶって飲んでも見分けられるレベルになるで。
そういう生態で暮らしてきて完成された港区女子を、料理研究家YouTubeリュウジさんのBBQに来た人がたまたま呼んでしまったわけやな。
その港区女子は、タダで食えるのがあたりまえ、もしかするとオッサンと飲み食いするんだから金をもらえるのが普通、とすら思ってたのかもしれんな。
YouTuberリュウジさんは37歳やし、港区女子の中ではオッサン枠の1人やろうし、有名人やから金を持ってるタク代おじさんとして認識されてしまったんやないかな。
ちなみに港区女子も天敵がおって、同じタワマンパーティ会場で、東大早慶あたりのバリキャリ女子と出くわすことをすごく嫌がるんや。
だって、おじさんたちは自分の見た目だけを見てくれるけど、ハイスペ女子たちは、自分がよく知らん女子大通ってたり、名もなき会社のさえない事務してることを見抜いてくるし、港区女子として女売って稼いでる売女だと一発で見抜いて値踏みしてくるからな。
だから早慶卒女子と出くわすと港区女子は妙に歯切れが悪くなるんや。見てておもろいで。
面白かったらワイをフォローしてな。月に1回おすすめふるさと納税とか、おすすめの本を紹介してるで。
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今日は風強めですが途中下車して帰宅ラン。
ウインドシェル脱いでランパンに履き替えて気持ち良い汗をかきました。
浜町公園のイチョウは色づき始めました。明治神宮外苑の銀杏並木の見頃はいつでしょうかね😊
今日は風強めですが途中下車して帰宅ラン。
ウインドシェル脱いでランパンに履き替えて気持ち良い汗をかきました。
浜町公園のイチョウは色づき始めました。明治神宮外苑の銀杏並木の見頃はいつでしょうかね😊
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トリップ…を試みる。試みさせてもらう、か。
大谷資料館、という、採石場跡?なのかね。様々、撮影なんかにも使われたりしている、やや神秘的なところに、ドライビングで(運転はしていない)。
気分の転換には、少しなったかもしれない。しかし、鍾乳洞とか、こういう地下のアレは、どうしてこんなに冷んやり涼しい(下手したら寒い)のか。家に地下室あるところなんか、基本死ぬほど暑いのだと思うが…、深さが違うのか。
まあとにかく、よく晴れた日だった。運転もしていないのに、疲れた。
別日。丸の内に。タダで観れる博物館的な催しに、連れて行ってもらった。その前に、カレーを食べた。
博物は、まあまあ意義の有るところではあったが、なかなかボリューミーでもあり、申し訳ないが、疲弊も強く。想定されていたディナーには行きつかなかったという…
申し訳ない。不甲斐ないことだ。
最近は、特に「食」みたいなところに惹きが弱いので、美味しいパンケーキとか、肉食うぞ、みたいなものも、昼にそれこそカレーなんかを普通に食うてたら、夜はサラダかスムージーか、みたいなぐらいでも良かったりで、
申し訳ないことに食事<帰宅となってしまった。
まあもうホント、失礼な部類。なんというか、他人様の手前…、とかに、しがみつく気力体力が、ない。
↑これら、先週の話であり、本日で言えば夏季休暇期間に入っていたりする。ブレンダーでひと騒動あったり、久々のランで脚がイカれていたり、実家に帰ったり…が、最新トピックではある。
夏。
気力体力の話で言えば、単純な夏バテとか、そういうのも有るのだろうか。明日は肉を食おうかしら。
トリップも良いが、お金の節約も、な。ホント、全体資産はともかく現金減ってきてるから!!
ボッテガバッグ、誕プレのボッテガ、バーバリーハット、エメドレニューバランス、母誕プレのバオバオ、と。他、諸々諸々と、買ったツケが月末月初に、やってくるであろう。
夏の終わり。
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