#尾形 月耕
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OGATA GEKKŌ 1859-1920
尾形 月耕
Kameido Wisteria, The Manners and Customs of Ladies
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Fireworks in the distance, by Gekko Ogata, 1891
尾形月耕『婦人風俗尽 遠景の花火』明治13年(1898)
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Ogata Gekko, 月耕随筆 稲荷山小鍛治, 1887
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能登半島地震の際に石川県輪島市の「白米千枚田」で孤立した旅行者が、恩返しのボランティアのために棚田を再訪した。管理を担う白米千枚田愛耕会は、大勢の人が携わる中での復旧を目指している。 「復活しろー!」。愛知県安城市の大見颯汰さん(23)は、この思いで木づちをあぜに振り続けた。地震の影響で低くなったあぜ。新たに土を盛り、足で踏み固め、つちでたたいて締める。同市の平川龍和さん(23)は「地震の時にお世話になったので、僕らなりの恩返し」と、再訪の動機を語った。 再訪した7人は同県内の中学校や高校の同級生。昨年の大みそかに車で金沢市へ8人で旅行し、白米千枚田に着いたのは、地震発生の約30分前だった。道路が寸断され、当時は観光客ら約80人が駐車場に孤立した。 水道、電気、ガス全てが止まった。愛耕会の白尾友一さん(60)と妻の真紀子さん(40)は、自宅からプロパンガスと釜を運び、駐車場で炊き出し。8人は、数百メートル先から湧き水をくんでくる役目を引き受けた。また、隆起した海岸からサザエ約100個を拾ってきた。知人の車で帰る1月5日まで、支え合った。 白米千枚田の修復は国の災害復旧事業のため、関係者しか携われない。愛耕会は、一部をボランティアやオーナーが関われるようにした。真紀子さんは「いろんな方々が修復に携わり、愛着を持つ人が増えれば、より良い形になるのでは」と見込む。 愛知県知立市の水野翔太さん(24)は「思った以上に重労働。7人で復活の力になれて良かった。実家が兼業農家なので、千枚田を見た時に、農業に携わる仕事がしたいと思った」と話した。
あぜ修復手伝いで〝恩返し〟「白米千枚田」観光中に被災した若者 石川県輪島市(日本農業新聞) - Yahoo!ニュース
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ) 五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見た���いう話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた) 猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に���み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。 この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する もの��、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。 轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃され���。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には��什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下) 家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは���この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね) 長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒��中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後��火の玉となり、近江大津(滋賀���大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF QIN SHI HUANG
的是不我一有大在人了中到资要可以这个你会好为上来就学交也用能如文时没说他看提那问生过下请天们所多麽小想得之还电出工对都机自後子而讯站去心只家知国台很信成章何同道地发法无然但吗当於本现年前真最和新因果定意情点题其事方清科样些吧叁此位理行作经者什谢名日正华话开实再城爱与二动比高面又车力或种像应女教分手打已次长太明己路起相主关凤间呢觉该十外凰友才民系进使她着各少全两回加将感第性球式把被老公龙程论及别给听水重体做校里常东风您湾啦见解等部原月美先管区错音否啊找网乐让通入期选较四场由书它快从欢数表怎至立内合目望认几社告更版度考喜头难光买今身许弟若算记代统处完号接言政玩师字并男计谁山张党每且结改非星连哈建放直转报活设变指气研陈试西五希取神化物王战近世受义反单死任跟便空林士台却北队功必声写平影业金档片讨色容央妳向市则员兴利强白价安呵特思叫总办保花议传元求份件持万未究决投哪喔笑猫组独级走支曾标流竹兄阿室卡马共需海口门般线语命观视朋联参格黄钱修失儿住八脑板吃另换即象料录拿专远速基帮形确候装孩备歌界除南器画诉差讲类英案带久乎掉迷量引整似耶奇制边型超识虽怪飞始品运赛费梦故班权破验眼满念造军精务留服六图收舍半读愿李底约雄课答令深票达演早卖棒够黑院假曲火准百谈胜碟术推存治离易往况晚示证段导伤调团七永刚哥甚德杀怕包列概照夜排客绝软商根九切条集千落竟越待忘尽据双供称座值消产红跑嘛园附硬云游展执闻唱育斯某技唉息苦质油救效须介首助职例热毕节害击乱态嗯宝倒注停古输规福亲查复步举鱼断终轻环练印随依趣限响省局续司角简极干篇罗佛克阳武疑送拉习源免志鸟烦足馆仍低广土呀楼坏兵显率圣码众争初误楚责境野预具智压系青贵顺负魔适哇测慢怀懂史配呜味亦医迎舞恋细灌甲帝句属灵评骑宜败左追狂敢春狗际遇族群痛右康佳杨木病戏项抓徵善官护博补石尔营历只按妹里编岁择温守血领寻田养谓居异雨止跳君烂优封拜恶啥浪核聊急状陆激模攻忙良剧牛垒增维静阵抱势严词亚夫签悲密幕毒厂爽缘店吴兰睡致江宿翻香蛮警控赵冷威微坐周宗普登母络午恐套巴杂创旧辑幸剑亮述堂酒丽牌仔脚突搞父俊暴防吉礼素招草周房餐虑充府背典仁漫景绍诸琴忆援尤缺扁骂纯惜授皮松委湖诚麻置靠继判益波姐既射欲刻堆释含承退莫刘昨旁纪赶制尚艺肉律铁奏树毛罪笔彩注归弹虎卫刀皆键售块险荣播施铭罗汉赏欣升叶萤载嘿弄钟付寄鬼哦灯呆洋嘻布磁荐检派构妈蓝贴猪策纸暗巧努雷架享宣逢均担启济罢呼划伟岛歉郭训穿详沙督梅顾敌协轮略慧幻脸短鹰冲朝忍游河批混窗乡蛋季散册弃熟奖唯藏婚镜紧猜喝尊乾县伯偏偷秋层颗食淡申冠衣仅帐赞购犯敬勇洲束斗徒嘉柔绩笨拥漂狮诗围乖孤姓吸私避范抗盖祝序晓富译巨秀馀辉插察庆积愈端移宫挥爆港雪硕借帅丢括挂盘偶末厅朱凡惊货灭醒虚瑞拍遗忠志透烈银顶雅诺圆熊替休材挑侠鸡累互掌念米伴辅降豪篮洗健饭怜疯宏困址兮操临���咧药绿尼蔡玉辛辈敏减彼街聚郎泡恨苏缩枢碰采默婆股童符抽获宇废赢肯砍钢欧届禁苍脱渐仙泪触途财箱厌籍冰涛订哭稳析杰坚桥懒贤丝露森危占茶惯尘布爸阶夏谊瓶哩惨械隐丰旅椰亡汽贝娘寒遭吹暑珍零刊邮村乃予赖摇纳烟伦尾狼浮骨杯隔洪织询振忽索惠峰席喵胡租款扰企刺芳鼠折频冒痴阴哲针伊寂嘴倚霸扬沉悔虫菜距复鼓摩郑庄副页烧弱暂剩豆探耐祖遍萧握愁龟哀发延库隆盟傻眉固秘卷搭昭宁托辩覆吵耳閒拨沈升胖丁妙残违稍媒忧销恩颜船奈映井拼屋乘京藉洞川宪拟寝塞倍户摆桌域劳赚皇逃鸿横牙拖齐农滚障搬奶乌了松戴谱酷棋吓摸额瓜役怨染迫醉锁震床闹佩牠徐尺干潮帽盛孙屁净凯撞迴损伙牵厉惑羊冬桃舰眠伍溪飘泰宋圈竞闪纵崇滑乙俗浅莲紫沟旋摄聪毁庭麦描妨勒仪陪榜板慕耀献审蟹巷谅姊逐踏岸葛卧洽寞邦藤拳阻蝎面殊凭拒池邪航驱裁翔填奥函镇丌宽颇枪遥穹啪阅锋砂恭塔贺魂睛逸旗萨丸厚斋芬革庸舒饮闭励顿仰阁孟昌访绪裕勿州阐抢扫糊宙尝菩赐赤喊盗擎劝奋慈尽污狐罚幽准兼尖彰灰番衡鲜扩毫夸炮拆监栏迟证倾郁汪纷托漏渡姑秒吾窝辆龄跌浩肥兽煞抹酸税陷谷冲杜胸甘胞诞岂辞墙凉碎晶邱逻脆喷玫娃培咱潜祥筑孔柏叭邀犹妻估荒袋径垃傲淑圾旦亿截币羽妇泥欺弦筹舍忌串伸喇耻繁廖逛劲臭鲁壮捕穷拔于丑莉糟炸坡蒙腿坦怒甜韩缓悉扯割艾胎恒玲朵泉汤猛驾幼坪巫弯胆昏鞋怡吐唐悠盾跃侵丹鑑泽薪逝彦后召吕碧晨辨植痴瑰钓轩勤珠浓悟磨剪逼玄暖躲洛症挡敝碍亨逊蜜盼姆赋彬壁缴捷乏戒憾滴桑菲嫌愉爬恼删叹抵棚摘蒋箭夕翁牲迹勉莱洁贪恰曰侨沧咖唷扣采奔泳迹涯夺抄疗署誓盃骚翼屠咪雾��锺踢谋牺焦涵础绕俱霹坜唬氏彻吝曼寿粉廉炎祸耗炮啡肚贡鼻挖貌捐融筋云稣捡饱铃雳鸣奉燃饰绘黎卷恢瞧茫幅迪柳瑜矛吊侯玛撑薄敦挤墨琪凌侧枫嗨梯梁廷儒咬岚览兔怖稿齿狱爷迈闷乔姿踪宾家弘韵岭咦裤壳孝仇誉妮惧促驶疼凶粗耍糕仲裂吟陀赌爵哉亏锅刷旭晴蝶阔洩顽牧契轰羞拾锦逆堕夹枝瓦舟悦惹疏锐翘哎综纲扇驻屏堪弥贯愚抬喂靖狠饼凝邻擦滋坤蛙灾莎毅卒汝征赠斗抛秦辱涂披允侦欲夥朗笛劫魅钦慰荷挺矣迅禅迁鹿秤彭肩赞丙鹅痕液涨巡烤贱丈趋沿滥措么扭捉碗炉脏叔秘腰漠翅余胶妥谣缸芒陵雯轨虾寸呦洒贞蜂钻厕鹤摔盒虫氛悄霖愧斜尸循俩堡旺恶叉燕津臣丧茂椅缠刑脉杉泊撒递疲杆趁欠盈晃蛇牡慎粒系倦溜遵腐疾鸭璃牢劣患祂呈浑剂妖玻塑飙伏弊扮侬渴歪苗汗陶栋琳蓉埋叡澎并泣腾柯催畅勾樱阮斥搜踩返坛垂唤储贩匆添坑柴邓糖昆暮柜娟腹煮泛稀兹抑携芭框彷罐虹拷萍臂袭叙吻仿贼羯浴体翠灿敲胁侣蚁秩佑谨寡岳赔掩匙曹纽签晋喻绵咏摊馨珊孕杰拘哟羡肤肝袍罩叛御谜嫁庙肠谎潘埔卜占拦煌俄札骤陌澄仓匪宵钮岗荡卸旨粽贸舌历叮咒钥苹祭屈陋雀睹媚娜诱衷菁殿撕蠢惟嚣踊跨膀筒纹乳仗轴撤潭佛桂愤捧袖埃壹赫谦汇魏粹傅寮猴衰辜恳桶吋衫瞬冻猎琼卿戚卓殖泼譬翰刮斌枉梁庞闽宅麟宰梭纠丛雕澳毙颖腔伫躺划寺炼胃昂勋骄卑蚂墓冥妄董淋卢偿姻砸践殷润铜盲扎驳湿凑炒尿穴蟑拓诡谬淫荡鼎斩尧伪饿驰蚊瘟肢挫槽扶兆僧昧螂匹芝奸聘眷熙猩癢帖贫贿扑笼丘颠讶玮尹詗柱袁漆毋辣棍矩佐澡渊痞矮戈勃吞肆抖咳亭淘穗黏冈歧屑拢潇谐遣诊祈霜熬饶闯婉致雁觅讽膜挣斤帆铺凄瑟艇壶苑悬詹诠滤掰稚辰��懿慨哼汁佬纤肃遨渔恕蝴垫昱竿缝蹈鞭仆豫岩辐歹甄斑淹崎骏薰婷宠棵弓犬涂刹郁坎煎螺遮枯台昔瘾蒂坠唔瞎筝唇表吁冤祷甩伞酱范焉娇驼沦碳沾抚溶叠几蜡涌氧弦娱皓奴颓嘎趟揭噹剥垦狭魁坊盐屎郝佩摧栗菊瘦钧匿砖嘘缚嘟盆债霞挽逍畔蕴颈获畏喂脾姬赴囊噪熄锡诀肇璋晕浊伐峡窃枕倘慌垮帕莹琦厢渺脏削锣虐豔薇霉衍腊喧娶遂睁裙韦矢伺钉婴蓄奸廿堵葬蓬鸦尝挨蕾璿挚券厨醇呻霍剃浆葡暨滨履捞咕耕棉烁尉艰妓棺鹏蒸癌纬菌撇惩绑甫崩魄拂汰氓歇萝呒萄蕃曝疋向胏烛腻襄妆髓朴薯颂薛滩橘贰嘲叹枚侮豹巢酬碑翩蚕辽矿屡谴卵撰攀肌冯宴盏阪浦迦颁炼尬胀辟艘株只湘饲爹梨喽侍疫雕黯并铝弗爪鄙钗栽狸谘柄悸喉擅劈秉芷裸锵贾逗寓咚璞烫铅啸炳屿竖惶仕挪栅迄顷窄鸥鲢郊倩兜茧磊抒夷绰溯拙僚芙杖溃凶鸽妒沌祺呐卦聆栖蝇佮唾汇楣匠蛛悼舜耿瞄芋瞒竭茵吼苛浸拯克豆沛掠廊凸搅俺酌倡朦蕉暱焕掏蝉焰狄绳惰芽裹宛御赎燥滔贬悍袂坟颉啤押尴颤钝腥缔粮哑槟簿斧肿纶僵齣辖蹲敷喘扎酿佑肖愈隧嗜檬迳碌襟凋圭寇污哨倪筠桦诈姜旬秃脂噢撼衅庚炫谭惭涩崔贷胡晒琉捏绮膝拭暗醋膨杠鑫瀑喃剖袜逾涅扳惘凳呃掘捍榔窍蜗旷梵暇稻柠抉辗蔚钩卜莺匡蜘祯哔窟亟谛溢黛晦伶逮傍葱刁堤恍匣谍禧轿耸瀚斐忿泓拐驴罕沫绽刃窈渝仄瑛葵噜绣奕窥浏隶蔽仟敛丞诘鳖疤膏锥窕皱晰晖舅孰煽姚钞袱绊焚芦咸沮呕瞪淳丐茹盘菱篠涕衬蚀溉瑄翟怠钰躯肺掷丑奢荫靶纱芸佰峻阱哄肾庄囡阑戳腕菸凹蟾蒐呱巾雏螃盯馈垄毓犀逞姨穆樵阀弥跷搁隙疵憧忏琨阙萱怅辄搏榕饥捣渣眺虞俯绅谤珑咫俏淆蜀楠乞诅匀貂寰迋敞跪囚��骆憬苇脊瑶疆乍杆眸窜孽卅夭簧徘馒趴鎚啼冗缉絮啄沸萃嘶鸳禽惫徨屐舆邂掀嫖苟檯矫铎棱哗徊拱蕙徬滞吠妞氾芹叩朽侪赦汐丰虔茅棠仑膳魉儡鸯懦渗邵筱畜崖瑕蕊揣擒挂屯莽矽侏弧澈饺奎裘塌饵偎泻蔓彗樽衔茍磋萎廓悯铸茎歼壤浇蚤恃瞻拚汀椒嚼粥磅佫勘脖吨澜锻笙厄嚷伽徽隅寥缤簾烘茜驯噎厦闰煤链锈诫颊俐曳蓓暧郤淌喀昆蔑峙躁菇逅雇殴泌酥缮莓辕骇巍糗扛杏茁琵礁秽岔僻焊嗡诵瞌捌遁赃涡琮卯锯扔苏邹莅隘蹋湛昼岫蛰桩藐汲禄皂濑绒耽粪粤卤曜懋咎痘聂垢瞳闵睿跤鉴躬斟淇莒毯幸骋岱庐殃橄恤叽鳞蒙芥榄楷硫苔麒椎禹喙厘袅亥倌吭诃裔梓蓦岩帜瓣狡惕蒙怯嫩龚嚎豚埠暸唆妃瓢蹄厮讥啃琶愿噱狷搪氢橙咆靡砌筷兑溼呸镀踹冢祟懈术搓攸橡膛俞祉冀炊瓷遐揽鹭茄蜢塘郡韬挟牟糙阎旻赘霆呎炭霄媳瘤猿颺煚铠蝠钜苓傀烬墅璇困愣恬嫉琐嫂淼梳憎搂藻酵屉陡摺箫飨桐蚱曦璧偈蹦昶咙铮嗤戌屌耘裳啾嵘胺笃烹巩厝疚鸶汹蔷沐咽烙畸讳揍曙铐朔涓睬矶岐凄鲫楞鲤荆偕徜饥肮蔼辙恁霈诛鞠茉煜傭嗓酹昙铨艳绷峨揉珈鹃诲臆焰隽熔堇韧扒憨舵肛戊坝抠骷碘鞍冕榨肘羔哺霓巳铲蚵惆驹撷稽羹纺蜕趾吊豁褪癸眨臻慷蝙胧沼舱柚抨葭枷靥硝绚绞缆讪褚砗嫣蒲丫鹦蒹憩懊聋盎婊盔峦矜凛铺鹉蜴惚畴羁媛堑泛疮韶憋祁诟搔蜥袒奄忱玖拌悴祠扼髅筑蛤茱骐捶须亢葔艸筛岳岳慵戮跎砰仑炜篱笈瘫吏痊庶厥棘娑沁窘鲸缕硷俨栈蔬鸠闲迢恣昀泠涟眩噫娥荼鳄镖侃虏俾樟榴咛炬窦笠翱莘躇翡姜枭匕藩徉觞拣吱皈墉傌梢巅踌萌幌杭侥栾奠痲夸瘖芯蟀驿耨禾瑾
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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古代エジプトの埋葬地で紀元前3700年頃の改造された羊の頭蓋骨が発見される 著者konohazuku・パルモ 公開:2024-11-17・更新:2024-11-17 エジプト先王朝時代の古代都市「ヒエラコンポリス」の埋葬地で、意図的に形を変形させた羊の頭蓋骨が見つかった。 全部で6頭のオスの羊たちはすべて去勢されており、角は自然の向きではなく、例えば外側についていたり、完全に取り除かれているものもあった。 これは家畜となる羊を制御しやすくするためのもので、古代エジプトにおける家畜管理の初期の例となる。 羊を去勢し角を改造する意図的操作 ベルギー王立自然史博物館のヴァン・ニール氏によると、羊(ヒツジ)たちは去勢という措置によって制御しやすくしていたという。 角は意図的に上向きに伸びるよう人為的に手を加えられている。その結果、角が平行に直立した状態となる。 ヒエラコンポリスの羊の頭蓋骨は家畜の角を改造した最古の証拠で、こうした習慣の最初の例となるそうだ。 この画像を大きなサイズで見る 紀元前3700年頃の羊の頭蓋骨に施された改変の痕跡 image credit:Wim Van Neer 他、Journal of Archaeological Science 羊を制御しやすくし、角で���かれて死ぬのを防ぐため こうした習慣はおもに農耕社会だった古代エジプトで広く行われていた。家畜化された牛は肉、骨髄、乳製品、脂肪を供給し、人々の栄養をまかなってくれていた 暑い気候のため、羊毛の需要はなかったが、羊は近東またはレヴァント地方(地中海東部沿岸)から輸入されて以来、紀元前5000年頃からエジプト人の生活の一部になっていた。 頭蓋骨の意図的な改造は、人間がより羊を制御しやすくするための手段であり、家畜を束ねる人間が角で突かれて死ぬのを防止するためでもあった。 このために古代エジプト人は、角を折って無理やり根本でつなぎ、並行に上に伸びるように工夫した。 この画像を大きなサイズで見る 改造の痕跡が見られる古代エジプトの羊の頭蓋骨 image credit:Wim Van Neer et al., Journal of Archaeological Science 古代の人々における羊の象徴性 改造され変形した角を持つ牛を描いた最古の芸術作品は、紀元前2686~2160年頃の古王国にさかのぼる貴族の墓で見つかった。 羊に関しては、アビドス(小アジアの古代都市)の神殿にある背の高い陶器の壺台に取り付けられた羊をかたどった粘土の装飾や、儀式用陶器の容器に描かれた長いらせん状の角を持つ2頭の羊の例がある。 第1王朝時代(紀元前3500年以降)に羊の象形文字が表記体系に組み込まれてから、羊の出番が増えた。さまざまな羊の神の化身としての宗教体系にも取り入れられた。 第4王朝(紀元前2600年以降)には、墓室の壁に羊の群れがまかれた種を踏みつぶしている農耕の場面が描かれた。 この羊はらせん状の角を持っていた。背中側に反り返った三日月状の角と太い尾を持つアモン種のヒツジは、第12王朝(中王国時代、紀元前1991年まで)中期に登場した。 新王国時代後期(紀元前900年以降)までらせん状の角を持つ羊が描かれていたが、それ以降はアモン種に置き換わっている。いつ切り替わったかはわかっていない。 こうした羊の種類の変遷と経済的な活力や羊の重要性の関係は議論のテーマだ が、社会経済的な体制に組み込まれなくなったものがそれまでと同じように崇拝される可能性は少ない。 この研究は『Journal of Archaeological Science』誌(2024年10月25日付)に掲載された。 References: Modified Sheep Skulls From 3700 BC Found In Egypt's Mortuary Complex | Ancient Origins
古代エジプトの埋葬地で紀元前3700年頃の改造された羊の頭蓋骨が発見される|カラパイア
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動物園系列:「真愛」最可愛
以下為一位有緣人分享,來文照登:
精舍收養了一些流浪動物,2021年因其中一隻流浪狗尚未結育前意外懷孕了,而生了一窩九隻小狗。佛菩薩慈悲賜名真字輩,第二字則是「忠孝仁愛、信義和平」,最大的一隻狗王則稱作「真行」。
本次是關於「真愛」的故事,是那窩小狗中唯一的一隻白狗,其他都帶有黑毛,因為狗媽媽是隻黑狗;「真愛」全身披著白色加淡黃色的���毛,小名叫做「小白」。她有雙帶著眼線的棕色眼睛,一對立耳,但每次叫她,總是立馬耷拉著耳朵,眼睛瞇成細細的兩個弧形,嘴角向後,看起來就像人一樣咪咪笑的表情,看起來很害羞,尾巴搖個不停。每次,我都會提高聲調跟她說:「真愛呀,妳是最可愛滴」。
這窩小狗很盡責,每次有外人來訪,總��群起吠叫,通知精舍有人來了,就這樣無風無雨,健健康康地度過在精舍的每一天。今年某日,真愛突然不吃東西,前一日胃口還很好,就突然沒有了食慾,餵食的時候看她盯著碗內的食物,但沒有吃進一口;行動力和精神尚可,也有看到她走來走去,或坐或臥,沒有吠叫,身體無疼痛。經過兩三天,食慾不見好轉,下午要餵食的時候,就發現她已躺著安然往生,看起來就像睡著了一樣。
雖然有在學佛修行,但畢竟是從小照顧到大的狗狗,面對真愛的離去,相處的情形歷歷在目,心中不免起了罣礙,她是這麼乖的狗狗啊!經過請示後,佛菩薩指示,她的時間到了,是時候到下一世的狗身,與她的緣分是本世起源,而示現本次的離去,也是要訓練我們,生老病死、生離死別都是人生常態,淡然處之,莫起罣礙。
為悼念「真愛」,以下將她過去的經歷寫出,作為修行人的借鏡,往後莫犯錯:
真愛過去世當人的時候,是民國初年一位長相貌美的女子。當時,生活困苦但本性卻好逸惡勞、女德不佳的她,喜歡上了一個生性放蕩的俊美男子,其同時交往好幾位女朋友。這位花花公子以金錢利誘,給真愛花用,類似於現今的包養。而真愛雖然生了一副好皮囊,但實是個性不好,毫無內涵。花花公子玩膩了,新鮮感消失,就將真愛如垃圾般拋棄了。
她被騙,心性就大變,更加貪得無厭。毫無謀生能力的她,只曉得用身體賺錢,所以她入了火坑,因賺錢較快。在風花雪月���斥之地,耳濡目染,更加沾上不良習性;處青樓中,她常常編織謊言,讓男性覺得她楚楚可憐而掏錢幫助她,被害者無數。最後,真愛因作息不正常、日夜顛倒,加上一輩子的心情鬱悶,百病叢生,那年她46歲。
真愛因德性不佳、貪圖享受,又騙取他人錢財無數,往生後,綜合善惡罪業,被判為五世狗身。在精舍是她的第三世狗身,本次往生後,又已投生到台灣中部,換了一具狗皮囊,繼續受報為狗,與精舍的緣分,也就告一個段落。
(分享結束)
「君子愛財,取之有道」,有德行仁義之人,知道要腳踏實地的掙錢,不走旁門左道,去賺那沾染因果或有失德性的快錢。阿伯曾說:「人不可以做違法的事情。賺錢要腳踏實地,來路不明和非法的錢千萬不能碰,更不能去做詐騙的行業,那是害人又害己,造下違法圖利的業障,又折損自身的福報,所以做人千萬要謹言慎行,避免一失足成千古恨。」
人要做個「貧賤不能移,威武不能屈,富貴不能淫」的大丈夫,只要有大決心、大毅力,意志堅定,絕對是不難的。透過正信佛法的日夜薰陶,透過修行時時警惕改善自己的不善,更透過訓練自己堅定不移的道心使其永固;如此一來自然知道,人生的每一個叉路,該做哪一個方向的選擇,才能平安到達終點,甚至於每一次的人生的終點,都比上一次的層次更高。
「真愛」,她被稱讚是最可愛的狗狗,但同樣的,她何嘗不是當年被她欺騙的人眼中最可惡的存在?這一切都歸咎於沒有正知正見所致。所謂「世道澆漓人心墮,皆因不識因果多」,就是這個道理。
「如是因緣如是果,如是耕耘如是穫」、「一失足成千古恨」,到現在,狗身還沒受完,離開了精舍,不知下一次能否遇到曾經結了善緣的好心人收留呢?但該受的還是要受,該還的總是要還,我們幫「真愛」誦了一些佛經迴向,但她還是必須靠自己承受剩餘的兩世狗身,讓她莫忘教訓。望「真愛」的例子能警惕世人,因果輪迴,判起來就是這樣,只要行差踏錯,要恢復能夠修行的人身之前,要先經歷過一段磨練與矯正的歷程。
「真愛」啊,當妳狗身了結再次為人之時,除了面善,心也要更善,好好地做那《金剛經》中,佛陀所稱的善男子、善女人,那才是我們心目中真正的「最可愛」。
南無本師釋迦牟尼佛
南無藥師琉璃光如來
南無阿彌陀佛
南無大悲觀世音菩薩
南無大願地藏王菩薩
南無韋馱菩薩
南無伽藍菩薩
南無十方一切諸佛菩薩摩訶薩
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禮失而求諸野
H:禮失而求諸野,醫失而求偏方,人性也。平常心看待,走向好心情。20240703W3
網路字典:
禮失而求諸野
傳統的禮儀、文化有散失則求之於民間尚有保留的地方。《漢書.卷三○.藝文志》:「仲尼有言:『禮失而求諸野。』方今去聖久遠,道術缺廢,無所更索,彼九家者,不猶癒於野乎?」
力有未逮
能力有所不及。如:「本想奪魁,然力有未逮,終於落敗。」清.袁枚《子不語.卷二四.長樂奇冤》:「母喜,欲啟其石,而力有未逮。」
力不從心
成語出處
南朝·宋·范曄《後漢書·西域傳》:“今使者大兵未能得出,如諸國力不從心,東西南北自在也。”[1]
後世據此典故引申出成語“力不從心”。[1]
力不從心
成語:力不從心
心裡想做某事,力量卻無法達到。※◎語或本漢.班昭〈為兄超求代疏〉。典 源
漢.班昭〈為兄超求代疏〉(據《後漢書.卷四七.班梁列傳.班超》引)
※ 超之始出,志捐軀命,冀立微功,以自陳效。會陳睦之變,道路隔絕,超以一身轉側絕域,曉譬諸國,因其兵眾,每有攻戰,輒為先登,身被金夷,不避死亡。賴蒙陛下神靈,且得延命沙漠,至今積三十年。骨肉生離,不復相識。所與相隨時人士眾,皆已物故。超年最長,今且七十。衰老被病,頭髮無黑,兩手不仁,耳目不聰明,扶杖乃能行。雖欲竭盡其力,以報塞天恩,迫於歲暮,犬馬齒索。蠻夷之性,悖逆侮老,而超旦暮入地,久不見代,恐開姦宄之源,生逆亂之心,而卿大夫1>咸懷一切,莫肯遠慮。如有卒暴2>,超之氣力,不能從心,便為上損國家累世之功,下弃3>忠臣竭力之用,誠可痛也,故超萬里歸誠,自陳苦急,延頸踰望,三年於今,未蒙省錄。
〔注解〕
卿大夫:卿和大夫。後泛指貴族。
卒暴:突然發生的暴動。卒,音ㄘㄨˋ,突然。
弃:同「棄」 ※
《後漢書.卷八八.西域傳》
二十一年冬,車師前王、鄯善、焉耆等十八國俱遣子入侍,獻其珍寶。及得見,皆流涕稽首,願得都護。天子以中國初定,北邊未服,皆還其侍子,厚賞賜之。是時賢自負兵強,欲并兼西域,攻擊益甚。諸國聞都護不出,而侍子皆還,大憂恐,乃與敦煌太守檄,願留侍子以示莎車,言侍子見留,都護尋出,冀且息其兵。裴遵以狀聞,天子許之。二十二年,賢知都護不至,遂遺鄯善王安書,令絕通漢道。安不納而殺其使。賢大怒,發兵攻鄯善。安迎戰,兵敗,亡入山中。賢殺略千餘人而去。其冬,賢復攻殺龜茲王,遂兼其國。鄯善、焉耆諸國侍子久留敦煌,愁思,皆亡歸。鄯善王上書,願復遣子入侍,更請都護。都護不出,誠迫於匈奴。天子報曰:「今使者大兵未能得出,如諸國力不從心,東西南北自在也。」於是鄯善、車師復
書 證
《後漢書.卷八八.西域傳》:「今使者大兵未能得出,如諸國力不從心,東西南北自在也。」
《洛陽伽藍記.卷一.永寧寺》:「京師士眾,未習軍旅,雖皆義勇,力不從心。」
《醒世恆言.卷三.賣油郎獨占花魁》:「只是小娘子千金聲價,小可家貧力薄,如何擺布,也是力不從心了。」
《東周列國志》第二八回:「萬一力不從心,惟有一死,以謝先君��已。」
《官場現形記》第二四回:「無奈溥四爺提筆在手,欲寫而力不從心,半天畫了兩畫,一個『麗』字寫了寫不對。」
《二十年目睹之怪現狀》第一○七回:「弓兵伺候了老爺十年多,老爺平日待我們十分恩厚;不過,缺苦官窮,有心要調劑我們,也力不從心罷了。」
懼庵先生文集/卷六
懼庵先生文集
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卷之六
作者:李樹仁
1860年卷七→
記
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皇南殿碑閣記
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於戲。此乃新羅敬順王撰實碑閣也。夫有盛德至仁。必碑之。碑必有閣以覆之。此閣之所以建也。王之至仁。在不以養人者害人。雖異乎周大王遷國圖存。而有虞羣後德讓之風。其詳已見於碑撰中。今不必架疊。而所可書者。其惟竪碑建閣之顚末乎。蓋東京之有敬順王殿舊矣。中移於東川。又移此皇南。自經累百年。迄未有顯刻。是爲姓孫與輿情之所慨惜矣。迺於今上甲戌。觀察使金公魯應以本道伯。始顯刻竪之而遽遞歸。閣則未也。何幸今廵相魯敬。以前廵相堂親。復按節是道。以爲碑旣竪。當有閣。是役不可緩。遂敕族弟之爲月城鎭長金公魯甲幹其事。鎭長公乃竭蹷效誠。逐日監蕫之。而殿郞金君思一亦與其勞焉。役始於是年之仲春。斷手數旬之內。而亦不煩民力。於是乎翼然華構。照耀貞珉。可以永垂輝於千百歲矣。一日殿郞君來訪。跽而言曰吾始祖敬順王碑閣成。請一言以識之。不佞以不文辭不獲。遂敢歷敘顚末如右。而竊有所感歎於中者。夫爲子孫尊慕先世。雖人情所不已。而推尊慕之思。至百世之遠。非追遠之誠之至。不能也。且殿前顯劖。始成於前廵相公。繼之以傑然華閣之建。又在於今廵相公。鎭長公幹事之贒勞。又在於是時。皆不出廵相公一家之內。是知天之相是役蓋有待。而故家追遠報本之誠。尤可見矣。雖然是豈徒以子孫之誠言之哉。曾氏傳曰於戲前王不忘。繼之曰君子贒其贒而親其親。苟非王盛德至善。使後人沒世而不忘。則君子親親之篤。亦安能如是也。此吾所以因子姓慕先之誠。想先王盛德之使然。而自不覺感歎之至。乃於記事之餘。又此娓娓而不厭也。
三槐亭記
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亭以三槐名。識先人手植也。亭之主爲誰。吾宗李君。華宅其名也。君之先通判公昆季四房。公居長。金崑玉季。輝暎一門。人稱李氏四珠樹。公幼時與諸弟各植一槐於巷。曰吾昆季種福於此。以驗日後成就及子孫榮悴。及長。槐樹亦茁然而長。時値龍蛇難將作。公昆季已炳幾。遂皆慨然投筆。就槐樹下築壇。日習射。射藝俱精絶。公先登虎榜。仲及季氏次第拔身。獨第二房公早夭。槐一樹亦自隕。當海寇充斥東南。公共權忠毅,朴武毅諸公。倡義討賊。多立戰功。公之爵以是勳。仲季二公。同時奮起。俱通仕籍。仲氏官僉正。季氏官奉事。幷載諸贒倡義錄中。其三槐因傳以爲村號。子孫世居之。每遊息其下。輒撫樹興感。惟恐世代之遠而忘之。此亭之所以作也。亭經始於壬申春。朞年而落之。是役也。三派子姓。俱竭力效誠。而終始幹之。君是已。堂宇廳室。井井有序。名其中堂曰必敬。取周詩桑梓必敬之義。右軒曰花樹。取韋氏月會之義。其左軒姑未定。合而顔之曰三槐。以爲時會子孫。寓羹牆之慕雲。余嘗一造焉。君指槐樹而言曰此吾先祖所種也。其始種也。將以卜子孫之興替。目今樹鬱鬱。頗有向榮之意。而子孫之衰替尙如前。無乃樹木之榮枯。有不可驗。而先祖厚德之種。其無驗於後耶。語畢輒悽然不樂。余乃斂容而言曰無論福善之徵不徵。夥矣君慕先之誠也。夫詩人桑梓之敬。非敬桑梓也。實敬其親也。敬其親以及先祖之遠。而樹木猶爲所敬。則豈非曾氏所謂追遠之孝。而陳後山所稱存其思不忘遠者耶。嘗聞十年之計莫如種樹。百年莫如種德。吾知君家三槐。蓋與德俱種。必無百年不報之理。昔蘇長公銘王氏三槐。其文曰善惡之報。至於子孫。其定也久矣。天定久近之不齊。亦有數存乎其間。而其終也必定。以君先祖巍勳茂烈。樹立於板蕩之際。而旣位不滿其德。終然沒沒於百年之後。是必漑而不食。以待後人者明矣。雖然凡人家福慶。不必以榮貴自外至者爲美。吾觀君之家。弈世同根之宗。連枝交柯於丹丘一區。忠勳古宅。克守先人之業。斯其爲種德之報。又何必面槐三公。如王氏而後謂之福也。況芝蘭玉樹。多見後生之秀。璧沼榮名。藝苑華譽。有可以光門闌者。意者百年未定之天。其將自今而定。而其兆始發於樹乎。抑又有說焉。栽者必培。播而肯穫。必人事修而後。可以責報於天。豈可徒恃先人種德之厚而已。其將以是亭。兼爲藏書肄業之所。勉子弟以種學而務本也哉。君曰吾意也。因請左軒之扁。余命之以種學。君曰諾。吾然後知吾宗之福未艾也。
四而軒記
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吾東都之北。有曰安康里。蓋新羅故縣也。其地土沃而腴。井洌而甘。居人淳淳有古國風。或曰以其傍於四達之衢。故曰康。或曰地勢平而風氣順。民生之所安康也。吾友李君公亮。自良洞舊居。移卜於此。爲小軒以處。扁之曰四而。吾嘗往訪之。問其義。君笑而不答。高吟古擊壤歌一章。吾於是知其取康衢耕鑿之意。而心竊訝焉。君以大贒名家。生長詩禮之庭。所業者文學。所勉者行誼。而乃取田舍耕鑿之歌而顔其軒者。何其不相襯也。吾知君自謙之辭。而抑亦矯時俗好名之弊也。凡今俗士之役於名者。擧皆奔忙於文藝爭先之逕。不得則不休。幸而得之則又馳騖於紅塵紫陌。以至鍾鳴漏盡而不知息。蹈危履險而莫知避。此之不爲。則亦有求得竆林邃壑。糚點景物。養望當世。終南捷逕。少室索價。往往取識者之譏。乃若吾君。早謝詞場。不汲汲於必得。晩年卜築。又不取竆林邃壑。乃於四達康衢之傍。蓋此太平聖世。暮境閒居。旣非康樂開道。爲小民所驚。許汜問舍。爲豪士所譏。則惟此四而名軒。可見襟懷之出俗。古無名公。擊壤集詩所謂雖居人世上。卻是出人閒者。君其庶幾哉。噫。士生斯世。不於朝則野。野非君子之所願。然天下之士。不可皆立於朝。雖唐虞之世。亦豈無在野之贒哉。乃知康衢擊壤之老。未必無抱負之奇特。所處而安。無慕乎外。卽當日耕鑿之歌。又奚羨乎明良之賡歌也。顧今海東千一。堯日復明。淸朝際會。幾多吉士之彙征。而如君康濟於田野者。亦一聖代之遺逸也。況復地名得康衢。壽考兼康寧。信乎人與地之相得。有時高軒。煙月玲瓏。一曲昇平。陶然自樂。未知今日康衢之樂。比古人果何如也。雖然君之耕鑿。豈徒然哉。吾觀君常對聖贒書。不以老而廢休。得非丹田半畝。古井靈源。別有耕鑿之功而寓之扁者耶。矧且種學辛勤。靜中尋源。是乃家夫子詩集中語。而君所莊誦於平日。則知君故家獨得之樂。豈特含哺擊壤而已也。若余者雖居康衢之畔。半世忙了。未有閒適之趣。百憂叢裏。少無康寧之意。於君固多媿矣。安得買隣連牆。與君對酌衢樽。相和歌於是軒之上。終吾生而忘之也。旣爲之記。重以歌。歌曰。
唐堯聖世古康衢。吾東化域今康衢。今康衢猶古康衢。亦有老人壽且康。無已太康。好樂無荒。耕之鑿之。半畝方塘。
龍潭書堂記
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龜尾山下。崔君子成。卽杜巷翁忘年友也。近者就龍潭水石之勝。縛數間屋以處。欲爲晩年講學計。杜巷翁聞之喜。喜見於色。客有過而問之者曰。異哉翁之喜也。子成自在童稺時。以聰悟聞。甫弱冠。闊步騷壇。連擧發解。人皆謂朝夕當擅大名。取靑紫如摘髭。竟不利於禮部。乃今白首之年。深入林壑。與村秀才結社。爲尋數之地。凡爲子成親知者。莫不咄歎之。獨翁之喜見於色。其有說乎。翁莞爾而笑曰子豈知吾子成者哉。子成早承其先大人義方之訓。又得法門鉅儒如畸庵丈爲之師。其始屈首公車。黽勉爲擧子業者。豈以必得之心求之哉。將盡吾事而已。吾事之盡而不利於求是命也。於子成何有哉。吾嘗病世之爲擧業者。多一生奔忙。不得則不休。今於子成。竊有賀焉。蓋此龍潭一區。實其先大人所占。而畸庵公之所命名也。嘗因子成所錄示。吾得臥遊焉。潭之源始發於龜山西鹿柴豹林兩峯間。逶迤屈曲而來。其間奇巖異石。飛溜疊嶂。指不可勝僂。總之有三山五林四巖五臺焉。潭之水澄泓明澈。頫臨有石鱗活動狀。此其所以名龍潭也。今是庵直當潭之上數武。不侈不陋。政合幽人棲息講劘之所。方子成玅齡發軔之初。其大人乃付之以溪山幽靜之界。其意豈終以世路期之哉。又豈以水石之勝爲好哉。將以爲讀書竆究之地者明矣。今子成乃於數十年科臼之餘。回頭轉腳。於玆卜築。以無負家庭勸勉之遺意。則眞所謂肯堂構而善繼述者也。噫。名利外物也。得之與不得。無加損於己。而其得失又在於人。若學問竆究之工。非得意當世者所能。自昔贒人君子之成德而名於後者。多從山林竆苦中做出來。夫以子成之才之美。使之不遇於時。驅之以入山林者。彼造物者意。安知非玉汝於成也。斯人之表德。其將驗於是矣。誠使子成實用力於此事。俛焉日孜孜。充乎中而著乎外。則鄒聖所謂天爵之榮。豈特人世間浮名之得而已耶。夫然後子成得此龍潭而有成。龍潭遇子成而有名。吾之賀。不獨爲子成。亦賀是潭之有遭也。顧此半世迷途之人。日迫西山。悔之無及。今於相愛者之得其所歸。爲之喜津津。繼之以健羨也。客唯唯而去。未幾子成以堂之記。屬之翁甚勤。翁素不文。遂書問答之語歸之。翁爲誰。李樹仁性安。歲之紀何。靑豬仲春上澣也。
醒翁亭記
編輯
吾友月城崔君翰汝甫。自盤溪舊居。尋石湖先莊。爲亭於六宜堂側。扁之曰醒翁。要余爲之記。余試問其義。君曰吾素不喜飮。平居每醒。爲吾記其實可乎。余曰世之不飮者何限。而君其獨以醒名之何也。君笑而不應。余曰昔歐陽子自號醉翁。記之曰醉翁之意不在酒。今君之醒。無乃不在酒而在於他乎。人生斯世。別有一大醉。有非麴糱而醉者。凡眼前外物之可欲者皆是也。人之醉於是也。如狂如癡。昏昏沉沉。東顚而西倒。前扶而後卻。無廉無恥。都喪其本然之天。終然醉生夢死而不自覺者。擧一世而滔滔。今君之醒以自號者。其欲醒於是乎。君乃蹶然而起曰是哉是哉。吾名亭之意。實不在於酒。公其知我乎。請畢其說。余曰然。夫以麴糱之酒言之。其始豈亶使人酣飮而沉醉之耶。其醇然之味。薰然之氣。可以祭祀而通神明。燕樂而介眉壽。合歡之以是。養性之以是。此古昔聖人所以重是酒而著於經。嚴之以禮防者皆是也。但飮之者。常極其欲而過於度。以至腐腸而生疾。滅德而喪儀。甚至敗國亡家者。紛不知其幾何。於是乎乃知非酒之醉人。人自醉於酒也。若夫世間許多事物之於人。不可一日廢者。豈特麴糱之於人哉。只在吾人日用間。斟酌而適於度。酬酢而得其宜。常不失中和之道。則斯其爲醒之之道。曷嘗棄而絶之。不使接於吾之身然後謂之醒哉。嗟夫。歷觀終古醒者幾人。聖人生而醒者也。贒人學而醒者也。其次勉而醒者也。彼釋氏之戒飮而頓悟。道家之長齋而淸凈。非吾道也。固無足道。至若屈三閭之獨醒。雖若可尙。而矯枉過直。自取沉身之禍。亦非吾所謂醒也。乃今君以淸介之姿。處衆醉之世。獨以一醒字揭於軒者。其志豈不偉歟。雖然醒豈易言哉。自非大聖人如吾夫子。從所欲不踰矩。至酒無量不及醉。則夫孰有不學而醒者乎。然則君子之學而能醒者必有其法。嘗聞謝上蔡惺惺法。實有得於程氏主敬之學矣。吾竊以爲惺之一字。眞學醒之要訣也。醒之字從酒。惺之字從心。醒於心而後。醒於酒可幾。苟使一日十二時。常喚此心之惺。無所間斷。則將見人慾日消。天理日明。世間許多外物之可欲者。擧不爲吾心之累矣。夫然後向所謂斟酌而適於度。酬酢而得其宜者。不待他求而得之於此矣。君斂容而言曰公之言。眞喚吾醒矣。遂相對一酌而罷。上章執徐竹醉節書。
東湖書社記
編輯
吾東都故址。多名勝。如半月城,鮑石亭,鳳凰,瞻星之爲臺。皆名勝也。然其不爲城市之所喧囂。車馬之所雜遝。而正合士子之所藏修者。惟鴈鴨湖一區爲最。是湖在府東數里許。中有數畝方池。夙著浮草之異。亦多有鴈鴨之翔集故名之。槩其幽夐窈閴。爲城市傍一山林。是蓋故都遊觀之所。而廢棄爲荒墟者。幾千有餘年。月城崔君義兼。自其先王考居是湖傍。嘗指點而異之。欲構一屋子。爲子姪敎育之所而未就。歷世逮於君。欲如先人志。與從昆季合謀鳩材。以丙子四子之辰。竪亭於是。不日而成。仍薙荊榛浚方池。奇形異蹟。色色呈露。益之以竹樹花卉環列左右。各有題目。如坎島萍嶼合之爲十二景。亭旣成。義兼請余記其事。余試問曰世之擇勝地爲亭榭者何限。非耽盃酒玩景物爲事。必志業晼晩隱遯山林者多爲之。君之爲此。無乃太早計乎。君乃斂袵而言曰小子何敢爾。旣有先人遺志。將爲讀書計也。余曰然則信好事也。夫君子貴躳行。讀書則以餘力。然非讀書。無以竆理而爲躳行地。是豈可以餘事而忽之也。今君以聰悟之姿。年又富。正讀書時也。況此一區勝地。得之咫尺之地。若天公之有待者然。君如有志乎方冊。何必匡山之深而西山之高哉。不離孝弟之庭而餘力可及。此君之先王考所留意。而君能成之。所謂肯堂構善繼述者也。吾雖未及登斯亭而可想之矣。西近文宣廟。仰杏壇之遺風。東望孤雲莊。襲桂苑之餘芬。十二奇景。無非怡神養性之具。則眞讀書所哉。君果能居於斯處於斯。明牕淨幾。朝益暮習。俛焉孜孜而有得焉。則亦必有聞風而朋來者。吾東都多士之興。未必非是亭之爲助。是豈等閒諸名勝之比哉。雖然非讀書之爲難。惟眞讀書爲難。所謂眞讀書。其法在朱子書。此可以師。如或不然。徒從事於口耳。無實得於心。則將不免買櫝還珠之譏。雖腹貯五經何益。此則君必自知之。且有一說焉。自家好田地。自在方寸間。果能用力而更新。則仁智山水之樂。豈特外物之玩而已耶。朱夫子觀書吟所謂半畝方塘一鑑開。天光雲影共徘徊者。可得之於此矣。以吾相愛之深。爲此不逮之言以勉之。因爲之記。
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各地句会報
花鳥誌 令和6年2月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年11月1日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
星の出るいつも見る山鳥渡る 世詩明 人の世や女に生まれて木の葉髪 同 九頭竜の風のひらめき秋桜 ただし 太陽をのせて冬木の眠りけり 同 生死また十一月の風の音 同 朝湯して菊の香に上ぐ正信偈 清女 懸崖の赤き菊花の流れ落つ 誠
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月2日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
秋空の深き水色限りなし 喜代子 故里は豊作とやら草紅葉 由季子 菊花展我等夫婦は無口なり 同 しぐれ来る老舗ののれん擦り切れて 都 狛犬の阿吽語らず冬に入る 同 謎々のすつきり解けた小春の日 同 杣山の織火となりぬ紅葉山 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月4日 零の会 坊城俊樹選 特選句
綿虫と彼女が指せばそれらしく 瑠璃 梵鐘のはらわたに闇暮の秋 緋路 逝く秋をくづれゝば積み古書店主 順子 綿虫や浄土の風が抜けるとき はるか 太き棘許してをりぬ秋薔薇 和子 弥陀仏の慈顔半眼草の花 昌文 綿虫のうすむらさきや九品仏 小鳥 参道で拾ふ木の実を投げ捨てる 久 綿虫は仏の日溜りにいつも 順子 香煙はとほく菩提樹の実は土に 小鳥
岡田順子選 特選句
腰かける丸太と秋を惜しみけり 光子 九品の印契結ぶや冬近し 眞理子 古に大根洗ひし九品仏 風頭 綿虫や浄土の風が抜けるとき はるか 奪衣婆の知る猿酒の在り処 光子 神無月ならば阿弥陀も金ぴかに 俊樹 蚤の市に売る秋風と鳥籠と 和子 下品仏とて金秋の色溢れ 俊樹 綿虫と彼女が指せばそれらしく 瑠璃 梵鐘のはらわたに闇暮の秋 緋路
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月4日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
ありきたりの秋思の襞を畳みをり かおり 秋日入む落剝しるき四郎像 たかし 返り花ままよと棄つる文の束 美穂 凩や客のまばらな湖西線 久美子 凩のやうな漢とすれ違ふ 睦子 小鳥来る小さなことには目をつむり 光子 流れ星キトラの星は朽ちてゆき 修二 凩に雲や斜めにほどかれて かおり 人肌を知らぬ男のぬくめ酒 たかし 老人が老人負うて秋の暮 朝子 冬の日や吾が影長く汝に触れて 同 身に入むや妣の財布の一セント 久美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月10日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
秋思消ゆ「亀山蠟燭」点せば 悦子 この町へ一途に滾り冬夕焼 都 新蕎麦を打つ店主にも代替はり 佐代子 添ふ風に方位はあらず狂ひ花 悦子 HCU記号音満つ夜の長し 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月11日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
トランペット響く多摩川冬に入る 美枝子 竹林の風音乾き神の留守 秋尚 公園の隣りに棲みて落葉掃く 亜栄子 句碑の辺の風弄ぶ式部の実 同 新のりの茶漬に香る酒の締め 同 歩を伸ばす小春日和や夫の癒え 百合子 朔風や見下ろす街の鈍色に 秋尚 ぽつぽつと咲き茶の花の垣低き 同 リハビリの靴新調し落葉ふむ 多美女 濡れそぼつ桜落葉の華やぎぬ 文英 露凝りて句碑に雫の朝かな 幸風 大寺の庭きりもなや木の葉散る 美枝子 山寺の風の落葉を坐して聞き 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月13日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
風除の日だまりちよっと立ち話 和魚 風除の分厚き樹林影高き 秋尚 揚げと煮し切り干やさし里の味 あき子 薄日さす暗闇坂に帰り花 史空 渦状の切干甘き桜島 貴薫 切干や日の甘さ溜め縮みたる 三無 風除けをせねばと今日も一日過ぎ 怜 切干や少し甘めに��継がれ 秋尚
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月13日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
確かむる一点一画秋灯下 昭子 幽玄な美女の小面紅葉映ゆ 時江 釣り糸の浮きは沈みし日向ぼこ 三四郎 六地蔵一体づつにある秋思 英美子 赤い靴なかに団栗二つ三つ 三四郎 着飾りて姉妹三人千歳飴 ただし 正装で背中に眠る七五三 みす枝 雪吊の神の恐れぬ高さまで 世詩明 七五三五人姉妹の薄化粧 ただし トランペット音を休めば息白し 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月14日 萩花鳥会
夜鴨鳴く門川住居六十年 祐子 捨てられて案山子初めて天を知る 健雄 ゴルフ玉直ぐも曲るも秋日向 俊文 山茶花や現役もまた楽しかり ゆかり 舟一艘ただぼんやりと霧の中 恒雄 献茶式津和野城下や���時雨 美惠子
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令和5年11月14日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
秋の暮百均で買ふ髪飾 令子 虫食ひの跡そのままに紅葉かな 紀子 背の丸き鏡の我やうそ寒し 同 小春日や杖つく母を見んとする 令子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月15日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
小春日や日々好日と思ひたり 世詩明 禅林を通り来る風秋深し 啓子 何事も無き一日や神の旅 同 炉開きの一花一輪定位置に 泰俊 一本の池に煌めく櫨紅葉 同 三猿を掲ぐ日光冬日濃し 同 立冬こそ自己を晒せと橋の上 数幸 小六月笏谷石は饒舌に 同 如何にせん蟷螂は枯れ僧恙 雪 猫じやらしもて驚かしてみたき人 同 一匹の枯蟷螂に法の庭 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月17日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
小鳥来る赤き実に又白き実に 雪 幽霊の出るトンネルを抜け花野 同 おばあちやん子で育ちしと生身魂 同 見に入みぬ八卦見くれし一瞥に やす香 時雨るるやのつぺらぼうの石仏 同 近松忌逝きし句友の幾人ぞ 同 季は移り美しき言葉白秋忌 一涓 菅公の一首の如く山紅葉 同 落葉踏み歩幅小さくなる二人 同 冬ざれや真紅の句帳持ちて立つ 昭子 今日の朝寒む寒む小僧来たりけり やすえ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月17日 さきたま花鳥句会
からつぽの空に熟柿は朱を灯し 月惑 白壁の色変へてゆく初時雨 八草 六切の白菜余すひとり鍋 裕章 一切の雲を掃き出し冬立ちぬ 紀花 小春日や草履寄せある躙口 孝江 柿を剥く母似の叔母のうしろ影 ふゆ子 いわし雲よせ来る波の鹿島灘 ふじ穂 鵙たける庵に細き煙たつ 康子 雲切れて稜線きりり冬日和 恵美子 水鳥の羽音に湖の明けにけり 良江
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令和5年11月18日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
紫のさしも衰へ実紫 雪 蟷螂の静かに枯るる法の庭 同 二人居て又一人言時雨の夜 清女 母と子の唄の聞こゆる柚子湯かな みす枝 還りゆく地をねんごろに冬耕す 真栄 帰省子を見送る兄は窓叩く 世詩明 人に無く芒にありし帰り花 同 香水の口よりとどめさす言葉 かづを 時雨をり故山の景を暗めつつ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月19日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
浮寝鳥日陰に夢の深からむ 久子 呪術にも使へさうなる冬木かな 久 無敵なる尻振り進む鴨の陣 軽象 冬日和弥生も今も児ら走る 同 冬蝶の古代植物へと消えぬ 慶月 谿の日を薄く集める花八手 斉 冬天へ白樫動かざる晴れ間 慶月 青空へ枝先細き大枯木 秋尚 旋回す鳶の瞳に冬の海 久 冬の蜂おのが影這ふばかりなり 千種 水かげろうふ木陰に遊ぶ小春かな 斉
栗林圭魚選 特選句
竹藪の一画伐られ烏瓜 千種 遠富士をくっきり嵌めて冬の晴 秋尚 白樫の落葉急かせる風のこゑ 幸風 切り株に鋸の香遺る冬日和 久子 四阿にそそぐ光りや枯れ芙蓉 幸風 白樫の木洩れ日吸ひて石蕗咲けり 三無 小春の日熊鈴つけしリュック負ひ 同 青空へ枝先細き大枯木 秋尚 寒禽の忙しく鳴ける雑木林 貴薫 草の葉を休み休みの冬の蝶 秋尚 逞しく子等のサッカー石蕗咲けり 亜栄子 甘やかな香放ち桂紅葉散る 貴薫 あづまやの天井揺らぐ池の秋 れい
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月26日 月例会 坊城俊樹選 特選句
薄き日を余さず纏ふ花八手 昌文 耳たぶに冬の真珠のあたたかく 和子 黒松の肌の亀甲冬ざるる 要 雪吊をおくるみとして老松は 緋路 冬空を縫ふジェットコースターの弧 月惑 ペチカ燃ゆフランス人形ほほそめる て津子 上手に嘘つかれてしまふ裘 政江 嘘つつむやうに小さく手に咳を 和子 手袋に言葉のかたち作りけり 順子
岡田順子選 特選句
池一枚裁ち切つてゆく鴨の水尾 緋路 黒松の肌の亀甲冬ざるる 要 自惚の冬の紅葉は水境へ 光子 玄冬の塒を巻きぬジェットコースター 同 光圀の松は過保護に菰巻きぬ 同 ペチカ燃ゆフランス人形ほほそめる て津子 雪吊を一の松より仕上げをり 佑天 不老水涸れをり茶屋に売る団子 要 遊園地もの食ふ匂ひある時雨 俊樹
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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初老的華麗轉身
藝文世界副刊
陳漢平(9月&10月
徵文:與初老相遇) 2023-09-12 02:02 ET
人生如韋瓦第的小提琴協奏曲《四季》,春夏秋冬各有不同風格品味和節奏旋律。文學和音樂都在模仿大自然,從中體驗出它的奧妙樂趣。
生命如花朵,每一朵花都必須知道如何開得芬芳美麗、謝得繽紛精彩。每一個人都必須思考人生該如何華麗登場、華麗轉身、華麗退場。
人生有四大階段:播種、成長、收成、享用,相當於春夏秋冬四個季節,或少年、青年、壯年、老年四段年齡。前三階段都在努力奮鬥,只有第四階段才能享受成果。因此可說:初老是一切辛勤的結束,人生享樂的開始。
人生難得幾回樂。少年時缺少金錢,青壯時缺少時間,老年時缺少體力。趁著初老時,有資源、有時間,還有些體力,此時不樂,更待何時?
面臨初老,正如面臨感恩節、聖誕節,或尾牙、過年一樣,準備迎接一連串歡樂節慶。面對「初老」,恰似面對「初戀」,心中有無限憧憬,如小鹿亂撞,欣喜萬分。
有一本暢銷書《70 is the New 40》,主張七十歲的人只要注重保養,心智體力可媲美四十歲的人。這本書原本屬於保健類,但也可歸為勵志類,或許更該歸為小說類。
老年人快樂的第一理由,是他雖然老,卻還沒有死,任何壯志未酬,還有最後的機會表現一下。
老年人快樂的第二理由,是出於不得已。他故作快樂狀,是為了維護尊嚴和形象,因為不快樂是很沒面子、很沒禮貌的事。
老年人快樂的第三理由,是為了身體健康。因為不快樂會���致血壓升高、神經緊張、免疫力下降。
●
「初老」的季節是歇息的季節。臨老之人,辛勞了半輩子,現在理應無憂無慮、無牽無掛地好好休息一下。
《聖經.提摩太後書》中耶穌說:「那美好的仗我已經打過了,當跑的路我已經跑盡了,所信的道我已經守住了。」文天祥則說:「吾事畢矣。」
人生像一所學校,臨老之人等於是已經「畢業」的人,他們該念的書都念完了,該考的試都考完了。從此之後,可以每天放假,不必再K書了。
書不必念了,事不必做了。臨老之人,連生死都可以「置之度外」,世界上其他紛紛擾擾的閒事,如金融風暴、生態危機、領土紛爭、社會亂象等,當然全部都不必管了。
臨老之人,凡事要保持冷靜,與世無爭、與人無爭。畢竟,救人救世之事,此生已盡了全力。如果任務尚未完成,只好留待其他人繼續努力了。
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「初老」的季節是和解的季節。首先,要和「上天」和解,和「命運」和解,過去的事,已無法再去改變,也不能穿越時光隧道去重新做起,就不必再怨天尤人了。天意難測,「塞翁失馬,焉知非福?」未走之路,結局未必一定比現在更好。
其次,要和自己和解。過去的自己,已經夠努力了,從未懈怠過。所做的決定,業已權衡過全部已知因素,剩下的是非功過、得失成敗,已非人力所能控制了。從今以後,看開一點,別再去責備自己了。
然後,要和別人和解。家人和朋友,所有的關懷、期待、責求,皆出於善意,要虛心接受。路人的漠不關心、袖手旁觀,也是人之常情,無可厚非。
「和解」之後,才知道感謝。「初老」的季節是感謝的季節。感謝上天賜那麼多福、避那麼多禍、給予那麼多機會。感謝家人朋友長久以來不離不棄,不斷地支持、鼓勵、祝福。感謝許多陌生人,有意或無意的默許和幫助。
「初老」的季節是享樂的季節。過去由於求好心切,從未好好珍惜自己、獎賞自己。只知道「犧牲今日,成全明日」、「犧牲小我、成全大我」、「犧牲自己,成全他人」。
初老之前的耕耘、灌溉、收割,儲藏,皆為了聚集財富。「養兵千日,用兵一時」,現在財富盈餘已足夠,是該去散財享樂的時機了。
此生想要做的事,不是年輕時就已開列一張清單了嗎?現在正好是逐項去執行的時候。例如:環遊全世界、嘗盡天下美食、攀登聖母峰、買名車、買豪宅、買名牌服飾、騎哈雷機車……等等。
初老之人,應該對自己好一點,對家人朋友好一點。金錢乃身外之物,生不帶來,死不帶去,此時再不花用,更待何時?
善於享樂的人,用金錢不僅能買美食、華衣、豪宅、名車,還能學孟嘗君,用金錢買友誼、聲望、健康、品德等。
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「初老」的季節是健身的季節。老而不死,是為「幸福」。過去用健康換取金錢,現在要用金錢換取健康。唯有努力健身,才能延年益壽,繼續「老」下去。
臨老之人,對醫藥知識,需從頭學起。人體結構、疾病症狀,應瞭若指掌。醫療名詞、藥物劑量,當如數家珍。
閒暇時,與其枯坐愁城、坐以待斃,不如起身,隨處走動,舒活筋骨、抖擻精神。美食佳餚,淺嘗即可,勿攝取過量。滋味力求清雅,勿太甜、太鹹,少油脂、熱量。旅遊景點,首重安全。無疾病戰爭、野火洪水、颶風地震。「危邦不入、亂邦不居。」眼觀四面、耳聽八方。
「初老」的季節是智慧的季節。老馬識途,臨老之人,可從經驗中悟出許多人生真理,是珍貴智慧。
老年人非但要保持身體健康,也要經常提升高品質、高效能的腦力。閱讀文藝作品、聆聽美妙音樂、欣賞藝術創作,都能美化心靈,是最佳頭腦體操,能促進心理健康。更上乘者,自己就能展現歌喉、投入藝術創作,留愛人間,不讓老年留白。
臨老之人,須「戒之在得」,切莫心存僥倖,或「一心以為鴻鵠將至」,而落入虛擬投資的詐騙陷阱。
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「初老」的季節是優雅的季節。臨老之人,需要有幽默感,及時��樂。可模仿老將馬援說的:「丈夫為志,窮當益安,老當益樂。」
經過歲月的洗禮,初老人的心中會添增一種謙和的態度,看在別人眼中,是一種「慈祥」的感覺。無論在心中是否服老,至少在儀容上,依然能老得優雅、老得美麗。
回想當年,崢嶸頭角、雄姿英發,也算是華麗登場。如今面臨「初老」,只要心態正確,有足夠智慧,好好歇息反省、感恩享樂,就是「華麗轉身」。
以待他年,心願都已完成,屆時必能從容不迫、面帶微笑地「華麗退場」,今生今世就算是沒有白活。(寄自加州)
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「藤村の初恋」リサイタル 林田直樹
<感想レビュー>
「藤村の初恋」リサイタル(6月7日銀座王子ホール)
林田直樹 (音楽ジャーナリスト・評論家・省心会花部)
源川瑠々子さんがアンコールで歌った、「海辺の歌」がまだ耳と目に焼き付いている。最前列で観ていたせいもあるが、瑠々子さんのお腹が生き物のように腹式呼吸でコントロールされ規則正しく波打��ているのを、あの美しいアンティーク着物ごしにはっきりと感じていた。
あの歌はとても難しい。七、七、七と同じ音節の続くフレーズの繰り返しの中に、暗い情念を思わせる海鳴りの風景が目に浮かんでくる。それまでの歌のように抒情的な美しさとは異質の世界に、自信をもって挑む瑠々子さんの姿があった。
この日は王子ホールという日頃は超一流のクラシック音楽が演奏されている会場だったが、神尾憲一さんの楽曲は何の違和感もなく響いていた。山田耕筰に始まる日本歌曲の系譜に入れることも可能ということは、以前から思っていたことだ。
瑠々子さんはデビュー当初からそうだったが、ますます堂々として気持ちよく、歌のなかでの立ち居振る舞いも日本舞踊を思わせるスタイリッシュなものだった。素直な若い声の伸びと、初々しくフレッシュな精神はそのままに、歌と身体の使い方の技術の成熟を感じた。
神尾憲一さんが王子ホールの名器、ベーゼンドルファーのピアノの響きを楽々とコントロールしていることにも驚いた。歌とピアノと、いいバランスで楽曲の美しさを楽しむことができた。
この日、私はプレトークという形でコンサートに参加させていただいたが、久しぶりに島崎藤村の世界を復習するために、たまたま開催されていた日本近代文学館の島崎藤村展を訪れた。そこでは、単に作家というだけでない藤村の編集者・プロデューサーとしての広い視野を感じさせる資料に多く触れることができた。
藤村は古きよき昔の日本語の美しさを体現していたというのは半分しか当たらない。むしろ藤村の思春期の芸術体験のルーツはヨーロッパの芸術文化との出会いにあった。16歳でプロテスタントの洗礼を受け、翻訳文学を通して早くからゲーテやシェイクスピアらに触れた。東京音楽学校に通い、滝廉太郎とおそらく顔見知りでもあった。藤村がヴァイオリンを真剣に学んだのは、クラシック音楽の旋律と律動の美しさを、自身の文学の中に取り入れるためであった。
藤村は、新しい時代の音楽と文学を切り拓くパイオニアであろうとする人だった。神尾さんの楽曲は、その先進性を敏感に感じ取っていたからこそ生まれたものである。
「千曲川旅情のうた」が私は特に好きである。藤村の詩の言葉と神尾さんの音楽が、聴き手の心の中に、たとえ千曲川を直接知らなくとも、憧れをかきたてる。信州の景色がおおらかに、抒情的に広がっていく。それを、ますます美しくなった女ざかりの瑠々子さんの歌と神尾さんのピアノで、生で楽しむことができた。
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文學少女觀想賦 20230824
下載全文(https://tinyurl.com/2nr2hu7j )
前情提要:
文學少女,觀深夏花火之熾音,讀文學而刻劃花海,炎炎艷色,熾紅如血。陰壤如瓣,查路遙而百花開陽。
文學少女,翩翩水舞,血濃於水,拍水如火花,深夏花火熾音,操絡花火之瓣。
文學少女,臥如樁,深掘夢之花海,紫陽熠熠,火光渺渺,數北辰而警覺,襄陽夕沉,百花齊聚心弦若箭,燕形上劂而起坐,觀深夏花火之熾音,查百花薰香,煙燎血色長夜,舞劍而歇戒備。
上期( 20230821 )的劇情大要是:
文學少女的職業是士兵守衛,她用花卉植物的情操閱讀賞析文學,了解到歷史的開展是透過辛苦耕耘而來,所以自己的命運是掌握在自己的手裡。
文學少女洗滌身體,又是一個要守夜的晚上,這是一個要注意狼煙的夜晚。在值守的地點燃起薰香,她溫習自己的功課,練習舞劍和武藝提高夜晚的戒備能力和體適能力......
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本期內容:
文學少女,其氏拓跋,其名紫陽,其字蕊。其國拓陽,長城小邦,其國也窮,劍如鐧棒,鐧棒謂匕,盾甲居多。武法有規,夜眠三節功曰:紫陽熠、瑰辰指、蕊格備,又曰:紫陽熠熠省己身,瑰辰指摩警邊界,百花舞格絡戒備。
紫陽熠熠,火光渺渺,觀深夏花火之熾音,歷歷在目而百花譜往,紫陽熠熠省己身。
夜梅如櫻,瑰辰邊界,武法有規:指摩七式警邊界 暖身如燕守夙夜,謂之:瑰辰指。
夜梅長燃城路遙,茶餘飯後觀色香味,摩頂擦腹暖熱身子,飲食有限回味無窮,瑰辰指摩警邊界,瑰辰指摩第一式:望梅止渴窮回味。
夜梅長燃城路遙,強風冽冽風雲變色,向後踏步往前顧,��前踏步往後顧,左右叉步往側顧,搖頭擺尾掩回步,望梅止渴暖僵處,瑰辰指摩警邊界,瑰辰指摩第二式:四方顧盼櫻提神。
夜梅長燃城路遙,暴雨熾音風聲鶴唳,四方踏步提神顧盼,體彎下探抓握腿部,雨火熾音昇情操,瑰辰指摩警邊界,瑰辰指摩第三式:體彎下探熾音操。
夜梅長燃城路遙,寒暑交作偶有腐臭,地有米字如劍道步,八方踏步緩緩下蹲,用手伏地觀香提神。深夏熾音昇情操,觀瑰花香提神智,深勻細長調息變,望梅止渴暖僵處,瑰辰指摩警邊界。瑰辰指摩第四式:八方下蹲觀薰香。
夜梅長燃城路遙,雪花片片天地異變,地有米字八方踏步,搖頭擺尾如掩護,弓馬如燕鉤肘膊,十趾抓地手抓肢轉,集力繃緊身體熱暖,熾音花香提神智,深勻細長調息變,望梅止渴暖僵處,瑰辰指摩警邊界。瑰辰指摩第五式:八方閃掩弓馬燕。
夜梅長燃城路遙,驚濤駭浪匪聲大作,地有米字斜方踏步,搖頭擺尾如掩護,斜身閃掩腳刀跺,十趾抓地雙手握腿,握轉腿部集力繃暖,熾音花香提神智,深勻細長調息變,望梅止渴暖僵處,瑰辰指摩警邊界。瑰辰指摩第六式:斜身閃掩加跺子
夜梅長燃城路遙,妖魔鬼怪暗處竄動,地有米字八方踏步,搖頭擺尾如掩護,拍打身體僵硬處,十趾抓地手轉肢,集力繃緊身體暖,深勻細長調息變,熾音花香提神智,望梅止渴暖僵處,瑰辰指摩警邊界。瑰辰指摩第七式:拍打掩護漸適應
第一段的內容是,這位文學少女的姓氏是拓跋氏,名為紫陽,字蕊。她的國家名字叫做拓陽國,是一個由長型城牆圍繞的小國家。這個小國家貧窮不富有,鋒利的兵器做不出來,所以拓陽國的劍可以指像是:鐧、棒、鞭杆、短棍、磨刀棒、桿麵棍、杖、拐...等的武器,同樣地這些武器也稱為匕。又特別重視用盾和裝甲防身和保衛國家。
拓陽國根據天行健的法則,規範出一些體適能的功法給軍警人員使用,其中給女性士兵守夜使用的是稱為夜眠三節功的功法。夜眠三節功由三套基本功組成:紫陽熠、瑰辰指、蕊格備
當然男性也能練習這些功法提昇自己的練功情操,並不是要人去梳妝打扮。
拓陽國的詩詞這麼形容夜眠三節功的用途:紫陽熠熠省己身,瑰辰指摩警邊界,百花舞格絡戒備。
節有調節,根據預警規劃來改變的意思。
簡單講紫陽熠是用觀想和一些暖身功夫來省思經驗和閱讀資訊的基本功夫,比如前文提到的讀文學而刻劃花海,是用花的情操來賞析文學。比如說以下這個鍛鍊身體彈性的暖身功法:
可以再嘗試用軟式棒球,不舒服就把動作慢慢復原停止。左右手各用五指抓握一顆軟式棒球 雙腳十趾抓地,手和腳趾慢慢抓握出力繃緊身體 試著重複地抓握棒球和地板,調整抓握的力度和身體鬆緊度 讓身體缺乏彈性的地方比較有彈性 然後抓握住停留維持彈性幾秒或更長的時間。接著再試試用抓握的出力做深呼吸,調整反覆抓握和呼吸的力度,把呼吸調勻、調細、調深、調長,讓身體缺乏彈性的地方比較有彈性和暖活暖熱。
飛鳥或其他的重訓動作也可這樣做 做飛鳥的時候先張開一點點調整停留,讓身體更有彈性,然後落回再調整停留,調整身體彈性,張開和落回算一節,一個動作要分幾節去做可以參照自己的適應能力去制定。
瑰辰指是藉由穴道按摩提高警覺性的功夫。
蕊格備是用舞劍來提高警覺和增強戒備的體適能力。格是用武器格擋的意思。
瑰辰指,是本篇創作( 文學少女觀想賦 )的一種收功功法,是藉由對身體部位、穴道的按摩和觀想花朵植物的香味、聲音包含環境的聲音、景色、食物的色香味,來提升對周遭環境的警覺性。瑰這個字可以是觀想各種花朵植物的香味、大自然的聲音、任何對警覺有幫助的人事物,辰 有警覺的意涵。指 有擒拿的意涵,是把對自己的按摩當成擒拿的一種基本功法。
瑰辰指,是在暖身上加上穴道按摩、觀想的感官鍛鍊來練習警覺性,是幾個動作組成的環節套路,可以應用在坐、躺臥、睡眠上,練習者需要針對時空環境變換組合多練習,功能上是藉由觀想和暖身來提升警覺性,在基本功生活的意義上,就好像日常生活裡的動作都像暖身一樣。
這個套路是原地式的,意思是在小空間裡也可以完成的套路。比如往後踏一步,後踏的腳又往前回到原點,反覆地鍛鍊,不需要太大的空間也可以練習的套路。
所以長夜漫漫,最好做一些運動,指摩七式警邊界,暖身如燕守夙夜,意思是透過穴道按摩和一些暖身的功法,加強身體的活動能力和守夜的體適能力。
瑰辰指由以下的基本功法組成:
調息三修法:深呼吸 ( 把呼吸調勻、調細、調深、調長 )、腹式呼吸、止息
活血七基功: 觀想( 觀想有練功心理和有警覺用途的人事物,日月星辰、島嶼、海洋、音樂裡的場景、花朵植物、聖人、武將、武器、文字、事務清單、心智圖等等 )、轉動關節、拍打、按摩穴道、伸展、感官鍛鍊、重訓
望梅止渴窮回味
四方顧盼櫻提神
體彎下探熾音操
八方下蹲觀薰香
八方閃掩弓馬燕
斜身閃掩加跺子
拍打掩護漸適應
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夜梅長燃城路遙,茶餘飯後觀色香味,摩頂擦腹暖熱身子,飲食有限回味無窮,瑰辰指摩警邊界,瑰辰指摩第一式:望梅止渴窮回味。
瑰辰指摩的第一式:望梅止渴窮回味,詩詞這麼描寫:在用過一些餐點之後,觀想剛剛吃過食物的色香味,一邊摩擦頭部和腹部暖熱自己的身體,或是身體其他僵硬的地方,這是一種望梅止渴的功法,因為守夜也不能吃太多,所以剛好透過望梅止渴練習一下忍饑的功夫
瑰辰指摩每個式子都有些詩謠來描述這個式子的功能性,第二式是這麼描寫的:
夜梅長燃城路遙,強風冽冽風雲變色,向後踏步往前顧,向前踏步往後顧,左右叉步往側顧,搖頭擺尾掩回步,望梅止渴暖僵處,瑰辰指摩警邊界,瑰辰指摩第二式:四方顧盼櫻提神。
夜晚的梅花在燈火照耀下好像在燃燒一樣,長城的路途遠遠地延伸出去。突然吹起陣陣的寒風,強風陣陣氣候驟變。天氣突然變得寒冷,第二式描寫士兵觀察天氣的一些功法:
向後踏一步,眼睛平視前方,觀察環境的變動,然後再收回後踏的腳回到原點,回到原點時會練習觀想花朵植物或是有助於警覺的人事物,提升練功情操和警覺性。
左右腳都練過向後踏步後,接著是往前踏。
往前踏一步,頭轉向後方觀察環境的變動,這時候可以用手按摩腹部和頸部、或是身體僵硬虛弱的地方使其暖熱,然後收回往前踏的腳回到原點,回到原點一樣做觀想,提昇情操和警覺性。
接著是左右踏步,往左或右踏步形成兩腳交叉的狀態,頭轉向後方觀察環境的變動,然後收回往前踏的腳回到原點,回到原點一樣做觀想,提昇情操和警覺性。
搖頭擺尾掩回步的意思是說,收回踏出的腳回到原點時,可以用閃躲掩護的方式做八段錦的搖頭擺尾去心火,或者在收回踏出的腳回到原點後做八段錦的搖頭擺尾去心火,這是用來觀察天氣變化的功法。
第二式,四方顧盼櫻提神的功能性是在天氣變冷的情況下,做一些簡單的踏步和轉頭練習,有暖身的功用,也練習觀察天氣變化,再加上望梅止渴的功法,用手按摩身體的僵硬處使其暖熱,提昇練功情操和對環境的警覺性。
第三式是在第二式的基礎上做了體前彎和按摩腳部的動作,瑰辰指的特色是後面的式子會反覆地練習把前面式子裡的功法內容。第三式的詩詞這樣描述:
夜梅長燃城路遙,暴雨熾音風聲鶴唳,四方踏步提神顧盼,體彎下探抓握腿部,雨火熾音昇情操,瑰辰指摩警邊界,瑰辰指摩第三式:體彎下探熾音操。
夜晚的梅花依然像是在燃燒一樣,但是天氣變得更糟了,狂風暴雨的聲音好像聽到詭異生物的叫聲。士兵做了上述第二式的踏步和轉頭動作觀察環境,在做了踏步和轉頭的動作後,加上了體前彎按摩腿部、觀察環境的暖身體操,是在腿部伸展的狀態用抓握的方式按摩腿部,然後做觀想聲音提升自己的情操和警覺性,甚至暴雨的聲音都用來提升自己的情操和警覺。
第四式描繪了天氣反覆無常,寒暑交作,士兵適應環境的一些功法:
夜梅長燃城路遙,寒暑交作偶有腐臭,地有米字如劍道步,八方踏步緩緩下蹲,用手伏地觀香提神。深夏熾音昇情操,觀瑰花香提神智,深勻細長調息變,望梅止渴暖僵處,瑰辰指摩警邊界。瑰辰指摩第四式:八方下蹲觀薰香。
夜晚的梅花依然像是在燃燒一樣,天氣反覆無常,寒暑交作,忽冷忽熱,有些植物的果實因此產生了腐化的臭味。士兵在地面上畫了一個像是劍道練習步法的米字,往米字的八個方向踏一步然後緩緩下蹲用手扶地,觀想植物花朵的香氣提神、把呼吸調深調勻調細調長、觀想季節氣候的音響提升練功情操、觀想食物的色香味按摩身體的僵硬處。在下蹲用手扶地的動作重複前幾式裡的一些觀想功法,這是第四式:八方下蹲觀薰香
第五式是描寫天氣實在是非常地不穩定,用異變來形容這種不穩定,竟然下起雪花了:
夜梅長燃城路遙,雪花片片天地異變,地有米字八方踏步,搖頭擺尾如掩護,弓馬如燕鉤肘膊,十趾抓地手抓肢轉,集力繃緊身體熱暖,熾音花香提神智,深勻細長調息變,望梅止渴暖僵處,瑰辰指摩警邊界。瑰辰指摩第五式:八方閃掩弓馬燕。
這時候士兵做的功法是在上式的步法伐基礎上,以掩護的功能性去做八段錦的搖頭擺尾去心火的動作,然後在這個掩護性的搖頭擺尾去心火上再加上鉤拳、肘打的動作。文中的弓馬是腰馬的意思,這個掩護性的搖頭擺尾動作像是燕形拳的感覺,膊的意思是鉤拳肘打要用上胳臂的力量做。
然後腳趾十趾抓地,用另外一隻手抓握住剛剛做鉤拳、肘打的手腕,集中身體的力量繃緊身體抓握剛剛做鉤拳、肘打的手腕做旋轉,就像對自己的手腕做擒拿的動作,藉由這個集中力量繃緊身體和擒拿旋轉的動作來暖活身體,剛開始練出一點點的力氣繃緊身體就可以了,然後把呼吸調深調勻調細調長、觀想植物花朵的香氣提神、接著觀想季節氣候的音響提升練功情操、試著讓自己的神智比較清醒、觀想食物的色香味按摩身體的僵硬處。
第六式是描寫突然有盜賊侵擾,練習的一些暖身功法
夜梅長燃城路遙,驚濤駭浪匪聲大作,地有米字斜方踏步,搖頭擺尾如掩護,斜身閃掩腳刀跺,十趾抓地雙手握腿,握轉腿部集力繃暖,熾音花香提神智,深勻細長調息變,望梅止渴暖僵處,瑰辰指摩警邊界。瑰辰指摩第六式:斜身閃掩加跺子
在地板劃有像劍道米字的方位線條上,往四個斜方,做搖頭擺尾去心火的掩護動作,然後斜身抬起前腳往斜下方做一個腳刀斜下跺的動作,然後雙手去抓握跺出的腿部旋轉腿部關節,另一隻腳腳趾抓地,集中力量繃緊身體暖身,剛開始用一點點力氣集中繃緊就可以了。接下來重複上式的觀想和望梅止渴的按摩。
第七式描述了士兵察覺到有像是妖魔鬼怪的生物在城牆周圍竄動,做了一些觀察環境和體適能的功法:
夜梅長燃城路遙,妖魔鬼怪暗處竄動,地有米字八方踏步,搖頭擺尾如掩護,拍打身體僵硬處,十趾抓地手轉肢,集力繃緊身體暖,深勻細長調息變,熾音花香提神智,望梅止渴暖僵處,瑰辰指摩警邊界。瑰辰指摩第七式:拍打掩護漸適應
在地板劃有像劍道米字的方位線條上,往八個方向踏一步,踏步時做搖頭擺尾去心火的掩護動作,然後用手拍打身體比較僵硬的地方讓身體暖和,拍打的力度、角度、速度等性質以能暖熱為主。然後腳趾十趾抓地,用一手抓握住另一手轉動被抓的手關節,這是用像擒拿的動作來暖身,如果不是很適應拍打,可以試試集中身體的力量繃緊身體,搭配深呼吸 ( 把呼吸調勻、調細、調深、調長 ),看看能不能比較適應拍打,接下來重複上幾式的觀想和按摩功法,提升警覺性和練功情操。第七式有對應妖魔生物加強防禦能力的意思。
為什麼說警覺性重要,功能是什麼?提高警覺性有避免失控、雜念,對於防身、收功也有也有重要的功能,比如女性在洗澡、性行為的時候有警覺性有助於防身,對體適能也有幫助。
對於男孩子要保護愛人,警覺性也是非常重要。
在下研究批判教育多年,常常覺得批判教育亂利用小孩子的危機意識炒批判教育,小孩子比較缺乏承擔和善用危機意識的能力,這樣的問題引發的其他問題像是倫理觀的敗壞、性解放、亂倒垃圾發洩情緒、沒有保護愛人的意識、想聰明賺錢、不練體適能和勞動、甚至男人結婚在家當皇帝....等
為什麼說女孩子的練功心理比較好,女孩子常常接觸精華文明的事物,文明和藝術素養比較好,而現在男孩子就是調皮搗蛋。
對這種玩樂型男孩子要很警覺,特別如果對他有好感,他講的每句話每個文字最好都研究一下他的勞動心理和進化心理,這是一種���偶的考量方式。丈夫在家裡當皇帝好吃懶做,把女人當成生育機器和發洩性慾的道具那還得了,這太誇張了。
為什麼在下這麼討厭批判教育,很多事是不是原本只是一些基本小事,女孩子到學校去沒有防身和練體適能的需要嗎?讓女孩子穿裸露裙子去學校幹嘛,她做個伸展暖身都不方便,在下只是提了一個基本的小事情而已。
在下的東西談不上什麼主義或高見,是不是就是些基本功的觀念,為什麼不重視盾牌這種防身器具的發展,不就是因為不重視女性的智能、防身、體適能力的發展嗎?
平常不要荒廢自己的手指,而是要把自己的手指用來按摩身體增加自己的體適能力
而且要反過來 把其他的運動都用來增強暖身能力 比如用站樁練習暖身 可以的話用站樁練習暖身然後練習警覺,保持身體肢體的暖熱和彈性。
暖身能力是一種度量衡,要出多少力和鍛鍊量可以衡量自己的暖身能力,要做更強度的鍛鍊,需要提升自己的暖身能力
文學少女觀想賦這篇作品和一般文學不太一樣的地方是,有些簡單的小功法可以給讀者參考,這次的瑰辰指是在下從八段錦、觀想一些暖身功夫的延伸創作,但是這些功法不包括讀者您的時空環境、職者技能、練功目標、功體目標、身體特質...等等,讀者需要根據這些自己去建構。
也許有的人會想說寫武俠小說又可以當武術大師,在下覺得武俠小說是緬懷先人的一種素養和自我要求,這種素養是把每個文字都當成功夫來練的基本素養。武俠小說是奠基在天行健自強不息的觀念上,就不是所謂的批判教育商業觀。
又有的人可能會把浪漫主義和寫實主義做對立,這樣的人對浪漫主義和寫實主義並不了解,因為浪漫主義其實是苦命。
為什麼在網路上容易看的酸民的資訊,因為如果酸民多,資訊排列就會受到酸民影響,當然容易看見酸民的資訊。如果讀者放任資訊自動排列隨意滑手機,這是最容易看見不良資訊的方式,光是中國就有十幾億人口,中國還實施網禁,日本還力行AV新法,就知道相關領域的社會風氣其實不好。
在下寫這篇作品可以給女性發展體適能、智能、防身當成一些小參考,當然男性也可以使用。
瑰辰指的功能是用暖身提高警覺性來收功和提升練功情操,暖身的功法包括:觀想、穴道按摩、伸展、集中力量繃緊身體、拍打、抓握自己的肢體轉動關節....等
如果讀者覺得這篇瑰辰指不是很適合自己,請參考壓縮檔的另一篇文章:盤功淺論,對應自己的時空環境、身體素質、練功目標,研發出自己需要的功法。要按摩什麼穴道讀者需要自己嘗試練習和研究。
嚴格來講,性別是維護父權文明的一種武藝,防身能力很重要。特別武藝提昇了女性對丈夫的擇偶要求。其實傳統武術在丈夫上設定了很嚴格的武藝技能,絕對不是一個人沒有女性器官或是有男性器官就叫做男人。好像硬舉和健美不能二分,格鬥比賽的參賽者對肩背的肌肉有要求是對女性觀眾的禮貌。
玉女( 處女 )的概念得用武藝的觀念來看待,意思是性能力和體適能力、防身能力是不能分開的,,防身能力非常重要,絕對不是失去什麼的迷信。有的人會對性別做騷擾或濫用調教的概念,因為這些人對父權文明有抱怨,或是想玩性解放。
女性研究和練習武藝可以提升自己的擇偶標準,避免危險邊緣的人際關係和防身。男孩子性能力不好 可以不要和他性交,看他願不願意鍛鍊性能力、助性、還是在身邊保護你。不願意就叫他走人。
有的男孩子也許不是那麼有機會接觸鍛鍊身體和練習性能力,但是他有好的練功心理,也願意練習保護愛人的技能。
武藝是一個人的體適能力,對於女性來講特別重要,因為女性的身體構造比較複雜多變,常會有難以解釋的問題和疾病。要把武藝從那些愛玩藝術和工藝、宗教的男孩子手裡還給女性。
而自己想研究的武藝可能是別人從來沒有研究過練過的東西,這就是練功的問題,練功包含解決問題和研發基本功、輔助功法,練了之後會發現有很多問題,所以解決問題的智能和控制能力會很重要,控制能力又可以分成控制身體動作、控制心理精神、控制技術等能力和體適能力。
可以把體適能力前面都加上控制兩個字:控制肌力、控制肌耐力、控制速度、控制柔軟度..等等
比如常練習徵召身體更多的力氣控制來自己、繃緊自己的肌肉練習靜心、或是練習提升在混亂或失控重新控制自己的效率,剛開始可以著重在練習暖身的功夫。
要降低在研究武術格鬥或是宗教資料的神棍問題,要著重在控制能力,常常練功常常練習控制能力和體適能,有助於避免迷信。
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心の旅~その51
東京駅から歩いて行ける「出光美術館」に行ってきました。長女と、同じく東京で働いている姪と待ち合わせをして。
やっていたイベントがこちら。『尾形乾山生誕360年 琳派のやきもの』。
美術館自体が静���な空気感に包まれていて、一人ひとり静かに作品と向き合っている、という空間に感銘を受けました。
そして展示のすべてが本当に素晴らしかった。上の写真、チラシの表紙を飾る尾形乾山の蓋つきの焼き物は、実際見ると表面がざらざらした印象で、まさに土のよう。器の中の絵柄と、蓋の絵柄と、質感と形すべてで世界観を表現していて、それでいながら奇をてらっていない感じがとても好きです。
印象に残っているものはいくつもありますが、特に長い時間見ていたのが、チラシ裏表紙に紹介されているこちらの焼き物。尾形乾山が焼き物を作り、尾形光琳が絵付けをしたという「竹」が描かれた角皿。
真上から見た写真となっていますが、わきから見てキリっと立ち上がった気持ちよい形の焼き物。この焼き物だけでも、忘れ難いのに、そこにこの「竹」の絵。実際見ると、本当に竹が素晴らしいのです。命が宿っているよう。
出口を出た時に娘と「あの竹の皿、すごかったね」と意見が一致。同時に和歌や能の知識が作品の中に散りばめられているので「みんなすごい教養を身につけた上で表現しているから、私たちは本当には理解できていないよね」とも話しました。
姪と意気投合したのが、チラシに写真はありませんが野々村仁清の可愛いウサギがちょこんと乗った焼き物。「可愛かったねえ」と盛り上がりました。
こうして若い娘たちと、同じものを見て「いいね!」と言い合える幸せを味わいました。
見て「素晴らしい」と思えるだけでも素敵なことですが、その背景まで理解出来たら、どんなに面白く、心を深く耕されることでしょう!
昔の人が残してくれた財産(絵でも書でも読み物でも焼き物でも)を学校教育の中で味わう機会があったら、私たちはきっと日本人であることを心から誇りに思える気がします。DNAに同じものが眠っていることを感じ、自己肯定感が高まるのではないかしら。しきりとそんなことが思われてなりません。
出光美術館の素晴らしいところは、7階にある美術館の窓の眼下に皇居が広がっていること!(チラシ裏面の下にある地図で見ることできるかしら?地図の一番上に皇居と書かれていますね。)
7月23日(日)までこの展覧は行われているようですから、お近くの方はぜひ・・・
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『这次出轨不一般』 轻快叙事面具下抑郁的爱情解构
2001年日剧『水曜日の情事』(星期三的情事)长评,包含剧透内容。
富士+野泽尚+永山耕三的经典组合,01年秋水曜九。节奏十分独特的出轨题材,在野泽尚的笔下最相似的莫过于恋人よ(结局也致敬了)。围绕野泽尚的作家身份去描绘角色,可以看出其对这部作品用心之深。虽然全剧不失轻快,但我还是感受到野泽尚的一些抑郁倾向,以及对于爱情的某种看似轻松但却有些绝望的解构。第一次看本木雅弘的剧(歌手的他01年也已经是老演员了),魅力十足又极其贴切的发挥。天海原来也有人妻大女主的实力,但新世纪恋爱剧盛况不再的情况下,她选择走职场女强人路线也算是无可厚非。如果让我简单评价整部作品,我会用『新世纪的纯爱终曲』来形容。从90年代纯爱日剧的大行其道,到00年代的式微转型,野泽尚用一部出轨题材的剧本,用力的向那个曾经一定要有爱才能活下去的日剧说了声再见。而平均12%的惨淡收视率其实也是阵痛期的某种写实。
从野泽尚聊起,恋爱小说家小说里的恋爱小说家
我个人看的是2014再放送版本,东拼西凑字幕组的翻译。还好除了第一集有一处之外,时间轴都无需调整。虽然01年不算太遥远,但同季月九,也是31回日剧学院赏最佳作品的『アンティーク 〜西洋骨董洋菓子店〜』还没有好的资源。所以能够有高质量的再放送+字幕,真的很开心。
应该说多亏天海佑希,才让这部20多年前的剧看起来似乎没有太上古。话说日剧里编剧是灵魂,而且还是我最爱的两个编剧之一,野泽尚老师作品。距离04年自杀只剩3年不到,或许是在已知这种背景的复杂心情下,去欣赏这部世纪初的『出轨』纯爱作,我有些个人独特的体会。
在此之前欣赏过野泽尚老师连续剧作品五部,分别是95年的『恋人よ』,97年的『青い鳥』,98年『眠れる森』,99年『氷の世界』和2000年『リミット もしも,わが子が..』,而这五部作品又可以分为三类,富士的『恋人よ』和TBS的『青い鳥』是以『出轨』、『不倫』为核心去探讨爱情的纯爱剧,而『眠れる森』、『氷の世界』这种纯爱悬疑剧是野泽尚个人独特风格的作品。至于『リミット もしも,わが子が..』则是刑事剧+亲情的超前时代的作品。而『水曜日の情事』,则是第一类作品的,也就是以『出轨』、『不倫』为核心去探讨爱情的纯爱剧。值得一提的是,本作荣获��届日剧学院赏的脚本赏。
熟悉的两段式叙事结构,以『坦白真相』的家庭聚会为界限,前面6集是惊心动魄的荒诞出轨,后面5集是难以琢磨的一波三折。这种两段式结构,在野泽尚的剧本里并不新鲜,无论是『恋人よ』还是『青い鳥』都是如此。尤其以『恋人よ』更为相似,甚至同样是以所有人聚集在家里,突然以聚会的方式坦白此前的出轨秘密,所有人的人生轨迹彻底改变。补充一下,类似的两段式叙事结构在知名剧作家的笔下也有很多,例如野岛伸司的『101次求婚』和『人间失格~假如我死的话』都是类似的方式。
因此,这里不难看到会有一种声音,哪怕是到第一段故事结尾戛然而止,也会是一部很不错的作品。但加上第二段风格的故事难免有些迥异,有的观众会觉得『不如第一段』甚至有『狗尾续貂』之感。但我并不这样认为,正如剧中借『佐倉詠一郎』和『前園耕作』两人的口,多次提到的,『我也想看下去他们爱情故事的结局』。所以,对于编剧而言,继续写下去,把或者残酷不那么美好的现实写下去,是负责任的,也是作品完成度的要求。
「水曜日が男が最も不倫をする可能性が高い曜日だから」 月、火の週の始めから後ろめたい事は出来ない、木、金は会社の接待で埋まってしまう、土日は家族サービスにあてなくてはならない。そうなると愛人に残されたのは水曜日、という説があるらしい 『星期三是男人偷情可能性最高的一天』 从周一周二开始的一周,我不能做任何让我感到内疚的事情,周四和周五充斥着公司应酬,周六和周日则不得不投入到家庭服务中。因此有一个理论,星期三是唯一留给情人的日子。
至少在slogan上,确实是会让电视制作人眼前一亮。而且为了与此呼应,选在富士水曜日(周三)的晚上播出。只是惨淡的收视率是不是也因为男人都去偷情去了呢(笑)。但实际上相比『恋人よ』那极具戏剧性的双夫妻互相出轨的开头,在令人眼前一亮的宣传语背后,本剧其实很容易落入平淡的叙事中。『一对恩爱的夫妻,妻子遇到了从前的好友,丈夫出轨...』看起来会非常俗套的剧情之下,野泽尚用了令我们拍案叫绝的角度,抓住了观众。
首先是富士著名的纯爱剧导演永山耕三,把『情人希望丈夫杀掉妻子』作为世界上最恐怖的故事的这一段情节,用倒序的手法放在开头吸引观众。
而后是把『在丈夫的葬礼上哼唱着生前最爱的歌的寡妇』这一幕作为联系起不伦关系的导火索这一拍案叫绝的视角。
事实上这部剧并没有太多可以支撑起整整十一集,并且一直抓住观众不放的线索,例如令观众也会向往和同情的不伦之恋(反而是很让人厌恶的出轨),巨大的悬疑未解之谜(爱,爱的弟弟和操三人的往事其实并没有非常大的吸引力,更多的是表现男主夹在二人之间对于她们身上未知过去的困惑和迷茫)。而这些元素的不足和缺失确实一定程度影响了收视率,但我还是非常钦佩野泽尚的功力。比起轰轰烈烈的爱,惊世骇俗的越界,平平凡凡的夫妻生活中写出如此一波三折但是又毫不牵强的故事属实厉害。年近不惑之年的他,在写过那么多轰轰烈烈的爱情故事,甚至把悬疑元素糅合到极致的爱情都写过之后,再去涉足平平淡淡的夫妻二人生活,把丈夫和情人出轨的火花从燃起苗头,到升温爆发,到公布于众的绽放,再到此后的反复和最后意想不到的结尾,完完整整的描写出来,其中需要的勇气和笔下功力让我难以想象。
实际上对于剧情而言,我想说的并不多,主要是出轨本身并不是多么与众不同。而比较值得一提是爱和操两位女性之间的复杂关系,名字上其实也能看出端倪,『爱』奉行的是『爱情洁癖』,发现曾经恩爱的丈夫出轨之后快刀斩乱麻的离婚,但并不是活在只有『爱』的世界里(这点和『恋人よ』里面铃木保奈美扮演的結城愛永是不一样的,后者是追求永恒的爱),『操』在日语里有『操守』的用法,也有『操纵把控』的动词用法。前者带有讽刺(吗?),后者在她对于詠一郎的掌握中确实看到了强烈的『操纵』感觉。二人之间的感情结尾其实说的还算清楚,『活在爱情中,陷入男人之间,但并不为某一位男人而活』的友情。揉杂了曾经青春的友情,为了男人互相伤害的误解,从她们身上我读出来那份世纪交接之时,『纯爱女人』走向『独立女性』之间的过渡形态。也衬映了那世纪交替的年代,日剧从『纯爱大行其道』到『纯爱没落,多题材崛起』的背景。补充一句,31回日剧学院赏的助演女优赏里,记者票和评审票里石田光和天海祐希都位列前三。
野泽尚的作品总有超越时代的意义
或许是我过于偏爱下的过分解读,也可能是我并没有充分的观看足够多的那个时代的日剧,所以如果以偏概全或者纯粹胡说八道也请原谅。如果说野岛伸司的『世纪末之诗』是对上个世纪的告别,那『星期三的情事』或许是迎接新世纪的纯爱绝唱。片头曲下的沙发,和那纸醉灯迷滤镜和灯光,人物表情等等,带有非常强烈21世纪初那几年(也就是杀马特风流行的前奏年)的韵味,一如『恋爱症候群』一般对于红色,沙发这种元素的偏执。
这里红色沙发很难不让我联想到同一时代的『恋爱症候群』里面片头的大红色。
久保田利伸极富个人特点的黑人R&B的歌曲「Candy Rain」的曲调,丰富的转音和剧中人物千丝万缕复杂的感情纠葛相得益彰。(悠长假期里面久保田利伸的那首「LA·LA·LA LOVE SONG」也是我的最爱之一)。除了第一回和最终回(可能是为了节省时长留给剧情,毕竟没有加长),其他回都有同样的片头。四个人时而坐在沙发上,时而在一张桌子上打牌,几个人的眼神导演安排的太有意思了。
比如爱的眼神单纯的看向一边,暗示着她一直都是纯粹的爱一个人,干净纯粹。
前園耕作低头看着手里的牌,暗示他一直是整出戏的旁观者,以作家的角度,时时刻刻盯着自己的牌,想着出什么。
操则是看似两眼放空,什么都没看,但明显的是在隐藏自己的真实想法,和她情妇的角色非常符合。
而佐倉詠一郎的眼神是其中唯一一个左看右看的,和他游走在两个女人之间走钢丝的心态一致。
类似的,看到沙发上前園耕作躺在爱的腿上,对于最后两个人在一起结婚生子也就不会太惊讶了。
还有四个人坐在沙发上,最后依次起身离开,也暗示了男主最后孑然一人的命运。
聊点轻松的,北村一輝真的是日本的东南亚邪魅男人代表,这次又安排了一个gay的形象哈哈。但已经是难得好人的形象了,无论是『爱的极限』里面的泰国人贩子,还是『鬼邻人』里面的不死蟑螂男,圈套最终篇南亚岛国的坏蛋,还有哪部剧(实在想不起来了)演的某个中国人,这次总算给了个女性之友的角色。
木村多江真的是万金油女配角,本身长得也漂亮,演漂亮的妈妈桑也不会违和,只不过剧里的戏份有点多余的嫌疑。我一直觉得以她的演技,完全可以担当更大的角色,而不是把细���的演技放在那些边角料的角色之中。
伊東美咲作为配角,颜值和演技都还是很在线的。这里其实和『恋人よ』的人物关系很像,伊東美咲扮演的银座女由香子单恋前園耕作,一如水野美紀扮演的渡辺美緒暗恋航平。
而谷原章介扮演的女主弟弟和他那有点怪怪的女友,像极了『悠长假期』里面竹野内丰和凉。女主离家出走不争气的弟弟带着奇怪的女友回来搞事情了。
说起来剧情结尾,男主接到电话那一幕,算是画蛇添足吗?不少人是这样认为的,甚至我也有这种感觉。相较起来,我其实更感觉这算是某种程度的『强颜欢笑』。这部剧里其实感情元素也很多,除了像主题曲「Candy Rain」代表的那份复杂婉转的暧昧关系之外,插曲『mermaid』的动情,还有OST里面tea-spoon快节奏钢琴曲的悬疑,以及effuse轻快的鼓点。大家记得开头第一集男主和男二相遇,身为编辑的男主缠着新人作家男二那一幕街头滑稽之幕嘛,就是很轻快配乐,而结尾原本同学会后,男主看到前妻和前情人各自结婚生子后自己的落寞,观众也沉浸在那股说不出来的哀伤和惋惜的情绪之中。最后那通电话我个人感觉有些强颜欢笑了,强行把整部剧的结尾带到轻快的氛围。虽然可以解释为,男人女人永远纠缠不清,和此前男人女人还有50年的话相照应,但其中夹杂的那股假装振作的感觉,或许能看出一丝丝作为编剧的野泽尚自己的心境吧。
这里的电话没有交代女方的身份,但怎么看都应该是操吧。
这一幕的旧人聚会,让人感慨万千,深秋缤纷的落叶,凋零的树枝,枯黄的草坪,旧人并排而行的镜头,让我想起『在爱的名义下』里结局的画面。
而导演/编剧为前文提到的二段式故事分别设定了一段同时背对背离开的镜头。想必对于纯爱剧如火纯青的你对这一幕肯定不会陌生,东京爱情故事里的经典桥段。
第一幕是爱和詠一郎离婚后的分别,爱还是回头了,詠一郎也知道爱一定在看他。所以这里暗示着二人的情未了,后续还会有故事。
而这里三人同时各自离开的镜头表达的内容和情绪就丰富多了,两个女人各自走向自己新的家庭,自己的丈夫和孩子。
而此时回头的却是詠一郎本人。这一幕让人感到凄凉,不禁感慨曾经那个风流倜谠的男人,如今沦落到这般。
相比人物关系的错综复杂,更倾向于描写既有关系的深度
回顾整部剧的关系,野泽尚最为得意的或许还不是男女婚姻关系,出轨这种感情,而是两个女人之间又爱又恨的争斗。你要的我就去抢,你放弃了我也不要了。包括最后伊东美咲的角色走出男人的阴影,坚强独立的走出来的时候,也让人感慨相比过去,这或许是新时代女性觉醒的某种暗示?
野泽尚总是倾向于给剧本里那些曾经为单相思痛苦的女配们一个相对的happy ending,无论是『恋人よ』里水野美紀扮演的渡辺美緒和長瀬智也扮演的藤田達彦在一起,还是『青い鳥』里永作博美扮演的秋本美紀子忘却对青梅竹马男主十几年的单相思,嫁作人妇怀有孩子,野泽尚对于身处漩涡边缘的人总是给予他能够给的温柔。
写过轰轰烈烈的爱,最后又回到最初写『夫妇三部曲』(我还没看过)时的自己,人到中年,事业大获成功,无论是作为编剧家还是作家,人生的爱情看的也比任何人都要深入和透彻,或许看到即将到来不再以『纯爱』为主导的日剧圈,身为即使在名家辈出的日剧编剧圈也算相对特别的自己,未来创作的方向是否也会感到一丝的迷茫?了解到之前他在『冰之世界』里积极和观众互动,收获到感动和理解的同时也收到很多的质疑,身为剧作家对于观众的不理解是否也有自己的痛苦呢?
播出之时,富士的水九在朝日水九相棒的竞争下日显疲态,没两年就顺势砍了。本剧因为设定关系放在了水九也是某种运气不佳,相比于晚9点,成年人更愿意十点后孩子入睡时再去看不伦剧,收视率也因此受到一些波及。但无论如何,我还是挺喜欢『水曜日の情事』这部剧的,尤其在看了『我的恐怖妻子』这种东施效颦的作品之后。(虽然有朋友提及不算模仿吧,我可能更倾向于这里面同样表达的男女之间时而亲密,时而背叛的关系?)
批评声音通常集中在男主的背叛上,我认为这可能和天海的魅力跟石田光老气的打扮的强烈对比有关,有着绝世美人老婆说自己也很爱欧巴桑情妇确实有些令人不爽。尤其比起一般出轨剧会刻意淡化原配的感情,甚至放大和丑化其中的矛盾相比,本剧很多时候都在为原配的感情加戏。海边的散步,初遇的合影,书店的约会...
不过婚礼上头发盘起的石田光,展现出一如她姐姐一样秀气的气质。如果剧中不是那样主妇的打扮和时而露出的恐怖表情,或许这段感情也会有更多的人理解吧。但正如男主说的,比起准备简单的洋式早餐,他更爱吃准备麻烦的和式早餐。这或许能解释为何他如此幸福的情况下,还是陷入了偷情。
而对于我自己而言,前半段反而不如后半段观看流畅,是因为我实在不太擅长偷情时走钢丝的紧张心情,每次看到都要暂停半天喘口气(笑)
把此剧推荐给喜欢纯爱,乃至不伦题材日剧的你。
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