#小谷元彦
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jinsei-pika-pika · 11 months ago
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小谷元彦 "V (仮設のモニュメント5)"
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ultimateanna · 3 months ago
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Detective Conan - Blue Castle Treasure Case
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coffeeviolinist · 7 months ago
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Very, Very Incorrect DetCo Character Name Translations
I typed a bunch of DetCo characters' names into Google translate and translated each individual kanji...this is what I got back.
Akai Shuichi - 赤井 秀一 - Red Well Hide One
Okiya Subaru - 沖矢 昴 - Oki Arrow Pleiades
Haneda Shukichi - 羽田 秀𠮷 - Wing Field Hide Yoshi
Sera Masumi - 世良 真純 - World Good True Pure 
Mary Sera - メアリー 世良 - Mary World Good
Akai Tsutomu - 赤井 務武 - Red Well Service Take
Furuya Rei - 降谷 零 - Down Valley Zero
Morofushi Hiromitsu - 諸伏 景光 - Various Fold View Light 
Matsuda Jinpei - 松田 陣平 - Pine Field Team Flat
Hagiwara Kenji - 萩原 研二 - Hagi Original Research Two
Date Wataru - 伊達 航 - Italy Achievements Aviation
Morofushi Taka’aki - 諸伏 高明 - Various Fold High Ming
Yamato Kansuke - 大和 敢助 - Big Sum Daring Help
Uehara Yui - 上原 由衣 - Up Original Reason Clothing
Yamamura Misao - 山村 ミサオ - Mountain Village Misao 
Kuroda Hyoue - 黒田 兵衛 - Black Field Soldier Mamoru
Kazami Yuya - 風見 裕也 - Wind Look Yutaka Also 
Mouri Kogoro - 毛利 小五郎 - Hair Profit Small Five Ro
Mouri Ran - 毛利 蘭 - Hair Profit Orchid
Kisaki Eri - 妃 英理 - Princess English Reason 
Edogawa Conan - 江戸川 コナン - E Door River Conan 
Agasa Hiroshi - 阿笠 博士 - A Hat Bo Scholar 
Haibara Ai - 灰原 哀 - Ash Original Sorrow
Yoshida Ayumi - 吉田 歩美 - Lucky Field Pace Beautiful 
Tsuburaya Mitsuhiko - 円谷 光彦 - Circle Valley Light Hiko 
Kojima Genta - 小嶋 元太 - Small Shima Yuan Too 
Miyano Elena - 宮野 エレーナ - Palace Field Elena
Miyano Atsushi - 宮野 厚司 - Palace Field Thickness Manage
Miyano Akemi - 宮野 明美 - Palace Field Bright Beautiful 
Miyano Shiho - 宮野 志保 - Palace Field Zhi Save 
Hattori Heiji - 服部 平次 - Clothes Department Flat Second-Rate 
Toyama Kazuha - 遠山 和葉 - Far Mountain And Leaf 
Suzuki Sonoko - 鈴木 ���子 - Bell Wood Garden Child 
Kudo Shinichi - 工藤 新一 - Work Wisteria New One
Kudo Yusaku -  工藤 優作 - Work Wisteria Excellent Do
Kudo Yukiko - 工藤 有希子 - Work Wisteria Have Nozomi Child 
Amuro Tooru - 安室 透 - Install Room Through 
Wakita Kanenori - 脇田 兼則 - Side Field Simultaneous But 
Enomoto Azusa - 榎本 梓 - Enoki Book Azusa 
Sato Miwako - 佐藤 美和子 - Zuo Wisteria Beautiful And Child 
Takagi Wataru - 高木 渉 - High Wood Wataru 
Megure Juzo - 目暮 十三 - Eye Twilight Ten Three 
Chiba Kazunobu - 千葉 和伸 - Thousand Leaf And Stretch 
Miike Naeko - 三池 苗子 - Three Pool Seedling Child 
Shiratori Ninzaburo -  白鳥 任三郎 - White Bird Appoint Three Lang 
Miyamoto Yumi - 宮本 由美 - Palace Book Depend On Beautiful 
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kennak · 2 years ago
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ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。 まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。 ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されて��る。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。 『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。 (直後、ジャニーの姉のメリー喜多川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異動させられた。 この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。 なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた) 雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモの館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。 元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、 豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、 山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『���当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るとい��代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格が��え、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、 千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」 諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」 千原 「先見の明がすごいんでしょ?」 諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」 と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。 ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。 確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。 そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。 ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。 ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでい���だけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。 ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。 こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。 なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。 1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。 週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。 1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。 【キャンペーン開始の引き金的な記事】 江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号) 【14回のキャンペーン】 青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない (1999年10月28日号・p252~255) ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発 「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193) ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1] テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191) ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1] ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197) 小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1] ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187) ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 「噴飯告訴に答える 追及第9弾」 (1999年12月23日号・p179~181) 外国人記者が「ジャニー喜多川ホモ・セクハラは日本の恥」 追及第10弾 (1999年12月30日号・p38~40) ジャニーズ裁判 元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開! (2000年1月27日号・p180~181) ジャニー喜多川よ、ファンもこんなに怒っている 徹底追及(第12弾) (2000年2月3日号・p165~167) NYタイムスも報じたジャ二ー喜多川「性的児童虐待」 (2000年2月10日号・p172~173) ジャニー喜多川「性的虐待」 日本のメディアは腰くだけ ピュリツァー記者が激白 (2000年2月17日号・p34~35) 【追加報道】 スクープ撮! ジャニー喜多川の素顔 (2000年3月16日号) ジャニー喜多川の性的虐待! 母親が決意の告白 「息子は私に訴えた」 (2000年3月23日号・p184~186) 新展開 ついに国会で質問されたジャニーズ性的虐待 なぜNYタイムスしか報じないのか (2000年4月27日号・p176~179) ジャニーズ疑惑 梨元勝国会で証言へ! (2000年5月4日・11日合併号・p180~181) 大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。 1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。 2002年3月27日、東京地裁の一審判決では、「高度の信用性を認めがたい。 証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、計880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。 文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。 2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、 「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」 と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。 このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。 ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2] しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。 この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』にて、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。 「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛られていることが原因になっている。 報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に騙されないようにしよう」と訴えた。 芸能評論家の肥留間正明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。 真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。 また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディアも大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。 以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を禁じた。 そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。 2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露本」開始。 2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。 2019年7月9日にジャニーが逝去。 その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディアではジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め奉った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
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moment-japan · 5 months ago
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1973年 「鉄砲玉の美学」
監督:中島貞夫
脚本:野上龍雄
音楽:荒木一郎、頭脳警察
出演:渡瀬恒彦、杉本美樹、碧川ジュン、川谷拓三、小池朝雄、城恵美、岸洋子、荒木一郎 ほか
従来のヤクザ映画とはかけ離れた表現が今も強く支持を集めている名作映画で、非商業主義芸術作品を次々と送り込んだ名映画会社「ATG」が制作。
元料理人で、テキヤをしながら風俗嬢の居候をしている暴力団・大阪天祐会のチンピラ小池清(渡瀬恒彦)が、組幹部の命令で鉄砲玉(殺し屋)として九州に乗り込み暴れるが、敵対する宮崎の暴力団、南九会は一向に反撃の狼煙を上げない。
(途中、いろんな女が登場するけど、話が長くなるのでここでは割愛)
もどかしいまま、九州の街中を歩いていたら、以前危機を救った女、石井(米松)律子と偶然出会う。
「霧島に一緒に行こう」と彼女を誘うが、新婚だからと誘いを断る律子。
暫くして組から「戦争は終わりだ。手打ちだからすぐに大阪に戻れ」との連絡が入るが、鉄砲玉になって、どうしようもないチンピラから一流のやくざになれると思っていた清は行き場を失う。
律子との霧島旅行を諦めきれない清は大阪に帰る前に予定していた霧島旅行当日、再び律子の家に出向くが、彼女は警察を呼んでいて逮捕されそうになり頭に血が上った清はとっさに発砲して警察官を負傷させる。
自らも警察官の弾丸を胸に受け、街中を逃げ回り、自動車の���車置き場で力尽き倒れ込む清。
かすむ目を何とか開いて見えたのは霧島の山姿・・。
ここで映画も終わりかと思いきや、場面は突然霧島の山岳道路を走る観光バスが映し出され、具合の悪そうな客がいるので声をかけるバスガイド。
そこには明るい日差しに照らされて既に息絶えている清が・・・。 (どうやってバスに乗ったんだ?笑)
大声で叫ぶバスガイドと急停車する観光バスを空撮で引きながら映し出されて映画は終わります。
オープニング音楽は頭脳警察、シャンソン歌手の岸洋子がマージャン仲間として登場、南九会幹部役は、後に「刑事コロンボ」で声優として大出世する、俳優としても有名な小池朝雄。
制作会社は黒木和雄の「とべない沈黙」や羽仁進の「彼女と彼」で有名なATG(日本アートシアターギルド)の制作なので面白くないはずがない。
中島監督は「東映調のやくざを英雄視した作品ではなく、社会からドロップアウトした人間を追い、その中から人間性を描きたい」と決意しただけあってヤクザ映画なのに派手なアクションシーンやドンパチシーンがほとんど出てこないある意味美しいヤクザ映画。
当時のマスメディアから「やくざ映画にも"芸術やくざ映画"なるジャンルが現れた」と高く評価されました。
映画の製作費は2400万円。
(東映が1400万円出してくれたそう)
東映出身の中島監督がATGで映画を撮ると噂が流れると、多くの東映の役者が出演を希望し、東映の番線映画に近いキャストになりました。
(なるほど、狂った野獣の俳優も結構出てるのはそういう理由だったのか。笑)
中島監督と仲の良かった主演の渡瀬恒彦は「ノーギャラでもいい」と申し出ましたが、結局、自身の愛車・フェアレディZを撮影用に提供するという条件で20万円で出演したそうです。
中島監督は「渡瀬が最初に手を挙げてくれなかったら、全然違うキャストになっていたかもしれない」と後に述べています。
60年代から70年代のオープニング手書きロゴのカッコよさは相変わらずで素敵。
70年代の街並みやファッション、風景が新鮮。
従来のやくざ映画とはかけ離れた何とも言えないクールな映像とストーリーの表現が今でも多くの日本映画ファンの支持を集めている名作です。
(映画はカラー作品です)
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ari0921 · 3 months ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和六年(2024年)11月1日(金曜日)弐
    通巻第8485号 
■訃報■
西尾幹二氏
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 けさ(11月1日午前四時)、息を引き取られた。個人全集二十四巻、あと一巻で完結というところだった。編集は終わっており、年譜を作成中で、じつは小生もちょっとお手伝いをした。それは西尾さんがたった一度だけ三島由紀夫とあった日付けのことだった。
 西尾全集はわが書架の福田恆存全集のとなりに並んでいる。よく拙著から引用され、評価していただいた。氏の特技は長電話。朝九時か十時頃にかかってくる。最低一時間のお喋りになる。
 思い起こせば三十年に及ぶおつきあいのなかで、私と会うときは、話題は三島由紀夫であり、国際情勢だが、ニーチェの話は殆どしたことがない。拙著『青空の下で読むニーチェ』には、感想がなかった(苦笑)。 
 『江戸のダイナミズム』で出版記念会をやりませんか、と提案すると真剣に応じられ、準備状況、発言者、当日用意する冊子など、およそニケ月の準備の時間は殆ど毎日、氏の自宅や版元の会議室で膝つき合わせ、あるいは会場での打ち合わせに費やされた。当日は四月というのに小雪が舞い、出足を心配したが、会場は四百人以上の熱気で埋まった。
二次会はカラオケだった。氏は♪「湖畔の宿」を、小生は♪「紀元は二千六百年、病に伏される前まで毎年、忘年会は高円寺の居酒屋にお招きいただき、周囲構わず大声で論議風発、愉しい時間だった。大いなる刺激をいただいた。
 氏が主催する「路の会」は四半世紀続いた。月に一度、保守系の論客を講師にお招きして、ああだこうだと激論を闘わせる知的昂奮の場だった。西尾氏が急用時には、小生が二回代役の司会をつとめた。田村秀男氏と中西輝政氏を招いた時だった。おわると近くの居酒屋に場所を移して、さらに激論が続き、氏は割り箸の袋にもメモを取るのである。かえりは方向が同じなのでタクシーに同乗するのだが、延々と論争の続き、耳が疲れるほどだった。
 或る時、知り合いの雑誌の編集長から電話があって、カラーグラビアに「路の会」をとりあげることになり、大勢のメンバーがあつまって写真を撮った。全集の口絵に好んで使われた。 
 憂国忌には二度講演をお願いしたほか、出番がなくても時間が空いていれば出席された。
 氏は論争が大好きで、また相手構わず激論を挑む。現場で見たのは岡崎久彦氏への面罵、そして小泉首相を「狂人宰相」と名付け、また安倍晋三首相をまるで評価しない人だった。
 台湾に一緒に行く前日になって、台湾大使が「野党が西尾氏の訪台を政治利用しようと、いろいろと企んでいるので、延期して欲しい」となって、せっかくの旅行はそのまま中止となった。国内旅行は三重の長島温泉など。
 氏はまた読者、ファンをあつめて西尾塾とでもいうべき「坦々塾」を主催され、二回ほど講師に呼ばれて喋った。初回は四谷のルノアールに二階を貸し切った。
 次々と走馬燈のように思い出が尽きない。西尾幹二氏は不出生の論客にして思想家だった。
 合掌
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hachikenyakaiwai · 1 year ago
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【かいわいの時】天保八年(1837)二月十九日:大坂町奉行所元与力大塩平八郎決起(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
難波橋を渡った大塩軍は、二手に分かれて今橋筋と高麗橋筋に進みます。森鴎外の『大塩平八郎』には次のように描写されています。
方略の第二段に襲撃を加へることにしてある大阪富豪の家々は、北船場に簇(むら)がつてゐるので、もう悉く指顧の間にある。平八郎は倅格之助、瀬田以下の重立つた人々を呼んで、手筈の通に取り掛かれと命じた。北側の今橋筋には鴻池屋善右衛門、同く庄兵衛、同善五郎、天王寺屋五兵衛、平野屋五兵衛等の大商人がゐる。南側の高麗橋筋には三井、岩城桝屋等の大店がある。誰がどこに向ふと云ふこと、どう脅喝してどう談判すると云ふこと、取り出した金銭米穀はどう取り扱ふと云ふこと抔(など)は、一々方略に取り極きめてあつたので、ここでも為事(しごと)は自然に発展した。只銭穀の取扱だけは全く予定した所と相違して、雑人共は身に着つけられる限の金銀を身に着けて、思ひ/\に立ち退いてしまつた。鴻池本家の外は、大抵金庫を破壊せられたので、今橋筋には二分金が道にばら蒔まいてあつた。(七、船場)
この時の模様は、被害���遭った商人側でも詳細な記録が残されており、たとえば、三井文庫所蔵の史料「天保七年 浪速持丸長者鑑」(写真=コメント欄)には、焼き打ちされた商家に赤線が引かれています。ランク順に並べてみると
鴻池善右衛門(総後見)、三井呉服店(行事)、岩城呉服店(行事)、米屋平右衛門(東小結)、鴻池他治郎(西小結)、鴻池正兵衛(西前頭)、米屋喜兵衛(西前頭)、日野屋久右エ門、炭屋彦五郎、米屋長兵衛、甥屋七右衛門、和泉屋甚治郎、鴻池徳兵衛、長崎屋与兵衛、米屋与兵衛、泉屋新右衛門、紙屋源兵衛、小西佐兵衛、越後屋新十郎、よしの屋久右衛門、大庭屋甚九郎、昆布屋七兵衛、さくらいや八兵衛、平野屋喜兵衛、某
など、25商(店)の名前があがっています。今橋筋、高麗橋筋の商家は軒並み焼き打ちに遇っています。肥後橋の加島屋久右衛門(西大関)はコースから外れていたため難を逃れたようです。
(写真)「天保七年 浪速持丸長者鑑」1837(公益財団法人 三井文庫蔵) 相撲の番付表のように商人をランキングした表で、大塩の乱で被害を受けた商家に赤線が引かれている。三井、鴻池などが被害にあっていることがわかる(三井広報委員会)。
また、諸家の記録から、事件当日の様子や対応策、その後の復旧策を見てみると
(鴻池家)加島屋某筆とされる『天保日記』(大阪市立中央図書館所蔵)では天保八年(一八三七)二月十九日、火見台から望見して「鴻池本宅黒焰大盛二立登、其恐懼シキ事不可云」、幸町別邸���ざして落ちのび、そこで加島屋某らが「鴻池於隆君・勝治・和五郎」らと無事出あうところが生々しくえがかれている。和泉町の鴻池新十郎家の記録 『北辺火事一件留』(大阪商業大学商業史資料館所蔵)でも、鴻池本家当主の善右衛門が土佐藩邸、長音は泰済寺、そのほか瓦屋町別荘などへ逃げ、鴻池深野新田農民をガードマンとして急遽上坂させるなど、その被害状況や防衛対策が丹念に記録されている。
(三井呉服店)三井では、同日三郎助高益(小石川家六代)が上町台地の西方寺に避難し、「誠に絶言語、前代未聞之大変にて」と、 ただちにレポを京都に送り、木材・釘・屋根板・縄莚などをすぐ仕入れ、はやくも三月八日に越後屋呉服店大坂店の仮普請完成=開店している様子が詳細に記録されている。(��メント欄参照)
(住友家)住友家史『垂裕明鑑』には、大塩事件のまっただなかで、泉屋住友が鰻谷(銅吹所その他)から大坂城にむけて鉛八千斤(弾丸)を三度にわけて必死で上納運搬したこと、事件による住友の被害として、「豊後町分家、別家久右衛門・喜三郎掛屋敷の内、備後町・錦町・太郎左衛門町三ケ所延焼」に及んだこと、そして住友の親類の豪商としては、「鴻池屋善右衛門、同善之助、平野屋五兵衛、同郁三郎」家などが軒並み“大塩焼け”で大きな被害をこうむったこと等々が、 生々しく記されている。
三井家では、享保の大飢饉の後に起きた江戸における打ち毀し(1733年)に衝撃を受け、以後、食料の価格が暴騰すると近隣に米や金銭を配って援助したり、また飢えた人々に炊き出しをしたりするなど、三都(江戸・京都・大坂)において施行を継続しています。それが、大塩平八郎の乱では標的にされ、襲撃された大坂本店は全焼、銃撃による負傷者まで出るほどであったと伝えています(三井広報委員会)。
儒学者の山田三川が見聞きした飢饉の様子や世間の窮状を日記風に書き留めた『三川雑記』には、乱の前に大塩は鴻池・加島屋・三井の主人らと談じ、富商十二家から五千両ずつ借りれば六万両となり、これで何とか八月半ばまでの「飢渇」をしのげると、「しばらくの処御取替」を依頼していたとあります。同意した加島屋久右衛門は襲われず、三井と鴻池は反対したため焼き打ちに遭ったとも言われています(山内昌之)。
ただし、『浮世の有様』の天保八年雑記(熊見六竹の筆記)には、この話は「或説」として取り上げられており、それによると、「十人両替へ被仰付候処、町人共御断申上候筋有之」とあります。三井はもちろん、鴻池や加島屋にも記録はなく、風評の域を出ないものと思われます。
(参考文献) 中瀬寿一「鷹藁源兵衛による泉屋住友の “家政改革”-大塩事件の衝撃と天保改革期を中心に-」『経営史学/17 巻』1982 三井広報委員会「三井の苦難(中編)」三井グループ・コミュニケーション誌『MITSUI Field』vol.39|2018 Summer 山内昌之「将軍の世紀」「本当の幕末――徳川幕府の終わりの始まり(5)大塩平八郎の乱」文芸春秋2020 山田三川『三川雑記』吉川弘文館1972 矢野太郎編『国史叢書 浮世の有様』1917
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yoshida-house · 1 day ago
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NEW CD : 大きな蔵、小さいうた
2023年5月、Ett・泊・ふちがみとふなと の三組六人が千葉県佐倉市佐原の大きな土蔵で二日間にわたり戦前型のマイク一本を前に一発録りした音源が2024年12月22日、発売になりました。タイトルは「大きな蔵、ちいさいうた」 「おおどぞう」さんと地元で親しまれている蔵は明治22年(1989年)に建てられた元醤油蔵だそうで、蔵といえば拾得や磔磔を思い出す我々には驚きの、京都のひと区画ぐらいの大き��で心底驚きました。マイクは戦前のSP盤録音に使われていたのと同型の、1948年製。SP時代の、修正できない録音の気持ちを味わいたいとふちがみとふなとは一曲ワンテイクの決まりを勝手に課し、なんとか三曲、収録できるものがあってよかったと、実は今になってほっと胸をなでおろしています。 各組それぞれの持ち歌三曲ずつと、三組一緒に三曲、計12曲が、まさに十二曲で六人でひとつの世界を作り上げるごとく並んでなんとも温かい心地よいアルバムが出来上がりました。 ふちがみとふなとの三曲は、上野茂都さん詞曲「庭の木」、モロ師岡さん作詞の「シアワセ」、ふちがみとふなとになる前から酒場で演奏してきた「私の青空」。いずれも初めての音源化です。六人では泊のレパートリー「マルゲリータ・ハポネサ」、Ettがずっと大事にカバーしている「茶目子の一日」、Ettさゆりちゃんと渕上の共作「ワルツ」の三曲を演奏。 期間限定で「マルゲリータ・ハポネーサ」を全員で録音している様子、1曲まるごと、Youtube でご覧いただけます。ぜひご覧いただき、アルバムごとお聴きいただけたらうれしいです。
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『大きな蔵、小さいうた』 Ett・泊・ふちがみとふなと ¥3,300 (税込) 発売日:2024年12月22日 戦前SPレコード音源��刻専門レーベル「ぐらもくらぶ」による『大土蔵録音シリーズ』 千葉県香取市佐原地区にある与倉屋大土蔵をスタジオとして、戦前型のリボンマイク1本で新たに録音する企画の第五弾となる今回のアルバムは、シリーズ初期からの参加メンバーである山田参助とギタリスト・武村篤彦によるデュオの「泊」、そして『大土蔵録音2023』で印象的な歌を聴かせたばかりの西本さゆりとギタリスト・渓とのデュオ「Ett」、さらに京都を中心に国内外で演奏活動を行いSP時代の音楽カバーのレパートリーも多いボーカリスト渕上純子とコントラバスの船戸博史のデュオ「ふちがみとふなと」、それぞれが最小限の編成でていねいに歌を伝えるライブで愛されている三組のバンドによる録音。 オリジナルソングから戦前流行歌のカバー、6人でのセッションで織りなす全12曲の『小さなうた』たちを集めたアルバム。 企画/制作:保利透 フォト:長谷川健太郎 デザイン:岡田崇 エンジニア:速水直樹 使用マイク:マツダ A 型ベロシティマイク(東京芝浦電気工業 昭和 23 年製) 制作:ぐらもくらぶ(G.C.R.スタヂオ)
●収録曲 1 『マルゲリータ・ハポネサ』 Ett・泊・ふちがみとふなと 2 『柳の手』 Ett 3 『シアワセ』 ふちがみとふなと 4 『満洲里小唄』(1940) 泊 5 『茶目子の一日』(1919) Ett・泊・ふちがみとふなと 6 『おや!!シックだね』(1931) 泊 7 『庭の木(原詩「山房春事」岑參)』 ふちがみとふなと 8 『ひふみのうた』 Ett 9 『好いてゐたのに』(1937) 泊 10 『私の青空 MY BLUE HEAVEN』(1927) ふちがみとふなと 11 『さよなら小径』 Ett 12 『ワルツ』 Ett・泊・ふちがみとふなと
歌と演奏:Ett(西本さゆり・渓)、泊(山田参助・武村篤彦)、ふちがみとふなと(渕上純子・船戸博史)
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notokra · 1 year ago
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MR.High Fashion vol.110 Pina Bausch ミスター・ハイファッション 2002年10月号 ピナ・バウシュ
目次 MR’S SPECIAL ミラノ発信のメンズモードと、ミラノのデザイナーのフェースアルバム。 トム・フォー��が提案する、モダンフォーマルの再来。 by GUCCI Rosemary=写真 ラフでダンディな、ニューカントリースタイル。 by DOLCE & GABBANA 平間至=写真 ジル・サンダー。ウォーターカラーのエレガンス。 by JIL SANDER 戎康友=写真 エンポリオ アルマーニ。クラシカルなワークテースト。 by EMPORIO ARMANI 宮原夢画=写真 長瀬智也。ロメオ・ジリ。クールレジスタンス。 by ROMEO GIGLI 筒井義昭=写真 山下智久、生田斗真。ジリ。コントラスト&レイアード。 by GIGLI 筒井義昭=写真 バーバリー プローサム。ニュークラシシズムのシルエット。by BURBERRY PRORSUM 桐島ローランド=写真 ラフでラグジュリー、ヴェルサーチのニュールック。 by VERSACE 三枝崎貴士=写真 クールでラグジュリーな存在感。 by NEIL BARRETT 石坂直樹=写真 アレッサンドロ デラクア。アクティブでセンシュアル。by ALESSANDRO DELL’ACQUA 守本勝英=写真 エンニョ カパサが提案する、ダウンタウンシック。by ENNIO CAPASA FOR COSTUME NATIONAL HOMME 笹口悦民=写真 ディーゼルスタイルラブ。アーバンなクールカジュアル。 by DIESELSTYLELAB 川口賢典=写真 キーン・エトロと、エトロが生み出される場所。 矢島みゆき=取材・文 アーネスト・レヴィ=写真 MIUCCIA PRADA ミウッチャ・プラダのクリエーション。 二つのベクトルの均衡。/プラダ社の歴史と運営。 矢島みゆき=取材・文 西島秀俊。プラダ。半沢 健=写真/プラダ スポーツ。ニッキー・ケラー=写真/ミュウ ミュウ。半沢 健=写真 イタリア発信の革のツール。靴と鞄。 ミラノのデザイナーのフェースアルバム。 堀本洋一、畑口和功、牧田良輔、アーネスト・レヴィ=写真 ドメニコ・ドルチェ、ステファノ・ガッバーナ/ジョルジオ・アルマーニ/ドナテッラ・ヴェルサーチ、エンニョ・カパサ、ニール・バレット、ガブリエレ・ストレーレ、ミラン・ヴクミローヴィック、アントニオ・マラス、コンスエロ・カスティリオーニ、ロメオ・ジリ、ルカ・ミッソーニ、スコット・フェローズ、アレッサンドロ・デラクア、クリストファー・ベイリー、トーマス・マイヤー
FASHION PINA BAUSCH + YOHJI YAMAMOTO : Fusion Between the Two 同質のアビリティ。ピナ・バウシュが着るヨウジヤマモトのポートレート。松本康男=写真 イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ、ボヘミアンエレガンス。 半沢健=写真 ラージサイズでテンダーな6人のスタイル。 田中知之/長瀬哲朗/パラダ���ス山元/梶原由景/ジョン・ストーリー/三宅勝士 宮原夢画=写真 ポール・スミス氏と愛車ブリストルから始まる、クラシック&ストレンジワールド。 by PAUL SMITH COLLECTION アンソニー・クローラ、三枝崎貴士=写真 ヴィヴィアン・ウエストウッド マン、ワーキングクラスからの発想。 by VIVIENNE WESTWOOD MAN 守本勝英=写真 マーガレット・ハウエル。 クラシシズム&モダニティ。 by MARGARET HOWELL 筒井義昭=写真 クールで優しい、ステファン・シュナイダーというスタイル。 by STEPHAN SCHNEIDER 富岡春子=写真 進化するブリティッシュブランド、ダックス E1。 by DAKS E1 筒井義昭=写真 時を超越するSOのスタイル。 by SO BY ALEXANDER VAN SLOBBE 平郡政宏=写真 バーバリー・ブラックレーベル、ロックスターのように。 by BURBERRY BLACK LABEL 秦 淳司=写真 サンディー・ダラルがディレクションする、ICB menのアーバンエスニック。 by ICB men Rosemary=写真 ブライトンの自然と共生する、ポール・ハーンデンのクリエーションと暮し。 富岡秀次=写真 正岡雅子=取材・文 真木蔵人。ドレスダウンクロージング。 by RADMESS MEN’S BIGI 富永よしえ=写真 伊藤英明×オークリー。シャツとデニムパンツの、イージー&クールなスタイル。 by OAKLEY 三枝崎貴士=写真 A.A.R。ハードボイルドでクール。 by A.A.R 平郡政宏=写真 クールなインパクト。カスタム カルチャーのレザー。 by CUSTOM CULTURE 赤羽圭介=写真 東京発信のウォームスタイル。 川口賢典=写真 コンテンポラリーダンディズム。 富永よしえ=写真 DEPARTMENTS コム デ ギャルソンのラージサイズなコロン。 ニューショップ。ブリオーニ/コーチ/ラグビー ノース アメリカ/ フィラスポート・ライフストア/アディダス SOのオランダ通信。 Vol.13 パリのカルティエ現代美術館で再会した、村上隆と滝沢直己。 ミタ リツコ、森本美絵=写真 ビジュアルのコラム集。 ゴールドジュエリーの生産地、イタリア・ヴィチェンツァで開催された国際展示会。 11 トピックス。 PEOPLE 宇川直宏。34年分の記憶を押し込んだ、脳のような空間。 久家靖秀=写真 東谷隆司=取材・文 小林紀晴。幼いころから変わらぬ、アジアへの関心。 かばんの中身。一之瀬弘法。 男のカーライフ。ROLLY。 スーパースタイリストのリアルライフ。 祐真朋樹=写真・文 クレール・ドゥニが描いた、二人の怪物の物語。樋口泰人=文 伊東四朗。男の覚え書き。 沖山純久=文 松本康男=写真 小村和久(5351プール・オム)/リード・クラッコフ(コーチ)/リック・オウエンス ESSAY 犬の肖像。中川十内=写真 沖山純久=文 ハラショー・ボーイ。島田雅彦=文 記憶の中のカンヌ映画祭。秦早穂子=文 COLUMN COMING NOW カフェ・イン・水戸/BOOK 稲川方人=文/BOOK 佐伯誠=文/MUSIC 北中正和=文/CINEMA 樋口泰人=文/ART 椹木野衣=文/THEATER 渡辺美和子=文/NEWS 鳥越俊太郎=文 ETCETERAS INFORMATION/NEXT ISSUE/BACK ISSUES/PRESENTS/NEWS
編集長:田口淑子
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koikeraha · 1 year ago
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2024. Jan. 19th at 新宿ピットイン
新宿ピットインの水谷浩章2デイズの初日1/19のPhonolite に参加させていた��きます。
先日のリハーサルでは私にとっては全て新曲でしたが、水谷さんの美しさと妖しさとコミカルさが交錯し、複雑なレイヤーがおり重なる難曲たちはどれも名曲で今回演奏できることがとても嬉しいです。いろいろな想いが溢れます。
むかしむかし、私が水谷浩章さんを知ったのは師匠である松風鉱一さんの『万華鏡』という素晴らしいアルバムでした。これまでPhonolite に参加されていた松風さんには遠くおよびませんが丁寧に演奏したいと思います。
皆様のお越しをお待ちしております!
ーーーーーー
水谷浩章 2DAYS @ 新宿 Pit Inn
2024年 1月19日(金)
 開場19:00 開演19:30
 19日=¥3,850 20日=¥3,300(共に、1ドリンク付)
 ◎12/1(金) AM11時より、店頭予約、電話(03-3354-2024)、またはホームページの各公演日のチケット予約フォームから、予約(開場時優先入場)受付開始。
19日 phonolite
 水谷浩章(B,Comp,Arr)、太田朱美(Fl)、小林豊美(Fl)、竹野昌邦(Reeds)、小森慶子(Reeds)、松本 治(Tb)
 梶谷裕子(Vla)、平山織絵(Vc)、山田あずさ(Vib,Per)、市野元彦(G)、外山 明(Ds)
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nekotubuyaki-blog-blog · 1 year ago
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2023年に読んで「オォッ!」と思った本や作品……その1
『長靴をはいた猫』(シャルル・ペロー著/澁澤龍彦訳/河出文庫/Kindle版) 『台湾漫遊鉄道のふたり』(楊双子著/三浦裕子訳/装画:Naffy/装幀:田中久子/中央公論新社/Kindle版) 『聊斎志異(上下巻)』(蒲松齢作/立間祥介編訳/岩波文庫) 『灯台守の話』(ジャネット・ウィンターソン著/岸本佐知子訳/装幀:吉田浩美、吉田篤弘〔クラフト・エヴィング商會〕/白水社) 『新版 小さなトロールと大きな洪水』(ヤンソン著/冨原眞弓訳/さし絵・カバー装画:ヤンソン/講談社文庫/Kindle版) 『象の旅』(ジョゼ・サラマーゴ著/木下眞穂訳/書肆侃侃房/Kindle版) 『リリアンと燃える双子の終わらない夏』(ケヴィン・ウィルソン著/芹澤恵訳/イラストレーション:中島ミドリ/ブックデザイン:アルビレオ/集英社) 『透明人間』(ハーバート・ジョージ ウェルズ、著/海野十三訳/青空文庫/Kindle版) 『世界の終わりの天文台』(リリー・ブルックス=ダルトン著/佐田千織訳/創元SF文庫/Kindle版) 『去年を待ちながら 新訳版』(フィリップ・Kディック著/山形浩生訳/カバーデザイン:土井宏明/ハヤカワ文庫SF/Kindle版) 『ザップガン』(フィリップ・K・ディック著/大森望訳/扉デザイン:土井宏明/ハヤカワ文庫SF/Kindle版) 『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』(フィリップ・K・ディック著/浅倉久志訳/早川書房) 『火星のタイム・スリップ』(フィリップ・K・ディック著/小尾芙佐訳/扉デザイン:土井宏明/ハヤカワ文庫SF/Kindle版) 『マーダーボット・ダイアリー 上下』(マーサ・ウェルズ著/中原尚哉訳/カバーイラスト:安倍吉俊/東京創元社/創元SF文庫/Kindle版) 『珈琲と煙草』(フェルディナント・フォン・シーラッハ著/酒寄進一訳/東京創元社/Kindle版) 『シャーロック・ホームズ シリーズ全10巻 合本版』(コナン・ドイル著/延原謙訳解説/新潮文庫/Kindle版) 『イラハイ』(佐藤哲也著/佐藤亜紀発行/Kindle版) 『シンドローム』(佐藤哲也著/森見登美彦解説/カバー装画:西村ツチカ/カバーデザイン:祖父江慎+コズフィッシュ/キノブックス文庫) 『俺の自叙伝』(���泉黒石著/四方田犬彦解説/岩波文庫) 『ブサとジェジェ』(嶽本野ばら著/『三田文學 153 春季号 2023』掲載作品) 『珈琲挽き』(小沼丹著/清水良典解説/年譜・著書目録:中村明/講談社文芸文庫) 『不機嫌な姫とブルックナー団』(高原英理著/講談社/Kindle版) 『祝福』(高原英理著/装幀:水戸部功/帯文:渡辺祐真/河出書房新社) 『若芽』(島田清次郎著/青空文庫Kindle版) 『交尾』(梶井基次郎著/青空文庫/Kindle版) 『のんきな患者』(梶井基次郎著/青空文庫/Kindle版) 『城のある町にて』(梶井基次郎著/青空文庫/Kindle版) 『風立ちぬ』(堀辰雄著/青空文庫/Kindle版) 『自分の羽根』(庄野潤三著/講談社文芸文庫/Kindle版) 『幾度目かの最期 久坂葉子作品集』(久坂葉子著/久坂部羊解説/年譜・著書目録:久米勲/デザイン:菊地信義/講談社文芸文庫) 『現代語訳 南総里見八犬伝 上下巻』(曲亭馬琴著/白井喬二訳/カバーデザイン:渡辺和雄/河出書房新社/Kindle版) 『キッチン』(吉本ばなな著/カバーデザイン:増子由美/幻冬舎文庫/Kindle版) 『かもめ食堂』(群ようこ著/装画:牧野伊三夫/カバーデザイン:井上庸子/幻冬舎文庫/Kindle版) 『ハピネス』(嶽本野ばら著/カバーイラスト:カスヤナガト/カバーデザイン:松田行正/小学館文庫/小学館eBooks/Kindle版) 『猫の木のある庭』(大濱普美子著/金井美恵子解説/装幀:大久保伸子/装画:武田史子/カバーフォーマット:佐々木暁/河出文庫) 『ハンチバック』(市川沙央著/装幀:大久保明子/装画:Title: mohohan Year: 2020 Photo: Ina Jang / Art + Commerce/文藝春秋) 『文豪たちの妙な旅』(徳田秋聲、石川啄木、林芙美子、田山花袋、室生犀星、宇野浩二、堀辰雄、中島敦、萩原朔太郎著/山前譲編/カバーデザイン:坂野公一+吉田友美(welle design)/カバー装画:樋口モエ/カバーフォーマット:佐々木暁/河出文庫) 『作家の仕事部屋』(ジャン=ルイ・ド・ランビュール編/岩崎力訳/読書猿解説/カバーイラスト:Guillaume Reynard/カバーデザイン:細野綾子/中公文庫) 『腿太郎伝説(人呼んで、腿伝)』(深掘骨著/左右社/Kindle版) 『硝子戸の中』(夏目漱石著/石原千秋解説/カバー装画:安野光雅/新潮文庫) 『思い出す事など』(夏目漱石著/青空文庫/Kindle版) 『文鳥』(夏目漱石著/青空文庫/Kindle版) 『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』(川本直著/文庫版解説:若島正/ロゴ・表紙デザイン:粟津潔/本文・カバーフォーマット:佐々木暁/カバー装幀:大島依提亜/カバー装画:宇野亞喜良/帯文:魔夜峰央/河出文庫) 『駅前旅館』(井伏鱒二著/解説:池内紀/カバー装画・文字:峰岸達/新潮文庫)『硝子戸の中』(夏目漱石著/カバー:津田青楓装幀「色鳥」より/注���:紅野敏郎/解説:荒正人/新潮文庫) 『村のエトランジェ』(小沼丹著/講談社文芸文庫/Kindle版) 『午後三時にビールを 酒場作品集』(萩原朔太郎、井伏鱒二、大岡昇平、森敦、太宰治、坂口安吾、山之口貘、檀一雄、久世光彦、小沼丹、内田百閒、池波正太郎、吉村昭、開高健、向田邦子、安西水丸、田中小実昌、石川桂郎、寺田博、中上健次、島田雅彦、戌井昭人、吉田健一、野坂昭如、倉橋由美子、松浦寿輝、山高登著/カバー画:山高登「ビヤホール」/カバーデザイン:高林昭太/中央公論新社編/中公文庫/Kindle版) 『対談 日本の文学 素顔の文豪たち』(中央公論新社編/巻末付録:全集『日本の文学』資料/中公文庫) 『40歳だけど大人になりたい』(王谷晶著/デザイン:アルビレオ/平凡社/Kindle版) 『人生ミスっても自殺しないで、旅』(諸隈元著/ブックデザイン:祖父江慎+根本匠(コズフィッシュ)/晶文社) 『ロバのスーコと旅をする』(髙田晃太郎著/装幀:大倉真一郎/地図制作:小野寺美恵/河出書房新社) 『本当の翻訳の話をしよう 増補版』(村上春樹、柴田元幸著/カバー装画:横山雄(BOOTLEG)/新潮文庫) 『書籍修繕という仕事 刻まれた記憶、思い出、物語の守り手として生きる』(ジェヨン著/牧野美加訳/装幀:藤田知子/装画:谷山彩子/原書房)
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jinsei-pika-pika · 2 years ago
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sumirekuribayashi · 1 year ago
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2023.12月以降の演奏予定
12/14(木) 下北沢アポロ ファルコン(gt)
12/19(火) 渋谷 BODY&SOUL 19:30 藤本一馬(g) 須川崇志(b)
12/22(金) 箕輪 CAFE PLAT 西嶋徹(b)
12/23(土) 土岐 BIRD&DIZ 西嶋徹(b)
12/24(日) 金山 Mr.Kenny’s 西嶋徹(b)
12/30(土) 小岩 COCHI 20:00 類家心平(tp)
12/31(日)渋谷 公園通りクラシックス 西嶋徹(b)
1/21(日)夜 吉祥寺strings ソロ
1/ 7(日) 出雲 スサノオホール 13:30 伊藤多喜雄「続・花吹雪コンサート」
https://susanoo-kaze.jp/smarts/index/0/
1/11(木) 下北沢 APOLLO 19:30 市野元彦(g)
https://www.apollonoise.com/
1/17(水) 新宿三丁目 ポルカドッツ 19:30 ませひろこ(ss) duo
http://www.jazz-polkadots.com/
1/19(金) 下北沢 APOLLO 19:30 池村真理野(sax)
https://www.apollonoise.com/
1/21(日) 吉祥寺 Strings 18:00 栗林すみれ ソロ
https://www.jazz-strings.com/
2/ 2(金) 中野 Sweet Rain 19:30 市野元彦(g)
http://jazzsweetrain.com/
2/20(火) 下北沢 APOLLO 19:30 福盛進也(ds)
https://www.apollonoise.com/
3/ 1(金) THE MOMENT JAZZ CLUB 詳細未定
https://themoment.tokyo/
3/ 7(木) 渋谷 BODY&SOUL 19:30 maiko(vn) 藤本一馬(g)
https://www.bodyandsoul.co.jp/
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yoichijerry · 2 years ago
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ウィッチンケア第13号(Witchenkare VOL.13)
発行日:2023年4月1日 出版者(not社):yoichijerry(よいちじぇりー) A5 判:224ページ/定価(本体1,600円+税) ISBN::ISBN::978-4-86538-146-7 C0095 ¥1600E
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【寄稿者/掲載作品】 ~「もくじ」より
006 荻原魚雷/社会恐怖症
010 中野 純/臥学と歩学で天の川流域に暮らす
016 野村佑香/おしごと 〜Love Myself〜
022 加藤一陽/リトルトリップ
028 蜂本��さ/せんべいを割る仕事
034 コメカ/さようなら、「2010年代」
040 木俣 冬/まぼろしの、
044 久禮亮太/フラヌール書店ができるまで
050 すずめ 園/惑星野屋敷
058 荒木優太/不届きものの後始末
062 美馬亜貴子/スウィート・ビター・キャンディ
066 武田 徹/鶴見俊輔の詩 〜リカルシトランスに抗うもの〜
072 久山めぐみ/坂元裕二と普通であることとメロドラマについてのノート
078 柳瀬博一/カワセミ都市トーキョー 序論
086 朝井麻由美/削って削って削って
090 武田砂鉄/クリーク・ホールディングス 漆原良彦CEOインタビュー
096 宇野津暢子/好きにすればよい
102 多田洋一/パイドパイパーハウスとトニーバンクス
116 トミヤマユキコ/変名で生きてみるのもええじゃないか
120 長谷川町蔵/ルーフトップ バー
126 小川たまか/別の理由
132 吉田亮人/写真集をつくる
136 谷亜ヒロコ/ホス狂いと育児がほぼ同じだった件
140 武藤 充/氷武藤家の足跡
144 久保憲司/余命13年
150 仲俣暁生/ホワイト・アルバム
156 柴 那典/ベーグルとロースとんかつ
162 清水伸宏/アンインストール
170 ふくだりょうこ/この後はお好きにどうぞ
174 矢野利裕/3年ぶりの合唱──『学校するからだ』のアナザーストーリーとして
180 藤森陽子/梅は聞いたか
184 木村重樹/アグリーセーター と「本当は優しい鬼畜系」の話
190 宮崎智之/書くことについての断章
196 東間 嶺/口にしちゃいけないって言われてることはだいたい口にしちゃいけない
202 かとうちあき/おネズミ様や
206 山本莉会/かわいいみんなのおだやかでない話
210 我妻俊樹/北極星
218 参加者のVOICE
223 バックナンバー紹介
編集/発行:多田洋一
写真:千賀健史
Art Direction & Design:太田明日香
取次:株式会社JRC(人文・社会科学書流通センター)
印刷/製本:株式会社シナノパブリッシングプレス
〈2010年4月創刊の文芸創作誌「Witchenkare(ウィッチンケア)」は今号で第13号となります。発行人・多田洋一が「ぜひこの人に!」と寄稿依頼した、37名の書き下ろし作品が��載されています。書き手にとって、小誌はつねに新しい創作のきっかけとなる「試し」の場。多彩な分野で活躍する人の「いま書いてみたいこと」を1冊の本に纏めました!〉
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kennak · 9 days ago
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元日の1面記事は新聞各社が力を入れるのが恒例だ。この数十年で見たとき、とりわけ大きな衝撃を与えた元日報道が30年前、1995年の読売新聞だ。大見出しは<サリン残留物を検出 山梨の山ろく「松本事件」直後 関連解明急ぐ>。地下鉄サリン事件前のこの一報は、その後のオウム真理教への本格的な捜査や報道につながる第一歩となった。また、この記事が出たことで、数十万人の被害を防いだ可能性もある。あの報道はどのように出されたのか。取材していた元読売新聞記者、三沢明彦さんに話を聞いた。(文・写真:ジャーナリスト・森健/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部) 松本サリン事件に結びつく“異臭騒ぎ” 「1994年夏、(警察庁刑事局)捜査一課の人たちにあたると、第一通報者である河野義行さんが怪しいとみんな言う。ただ、具体的に河野さんのどこが怪しいのかというと、たいした根拠がない。彼の家の庭に農薬が複数あったとか、息子に『警察に話すなよ』と言ったとか、その程度。一方、その有毒ガスの中身は青酸カリの数百倍の毒性をもつ化学兵器のサリンだった。そんなもの河野さんがつくれるんだろうかと……。とは思うものの、当初は報道も警察もみんな、河野さん以外に疑いをもつことができなかったのです」 三沢明彦さん(68)はそう振り返る。当時、三沢さんは読売新聞東京本社社会部の所属。警察庁の担当で記者クラブではキャップ(担当記者のまとめ役)を務めてい���。このとき、警察庁で高い関心が置かれていたのが「松本サリン事件」だった。 1994年6月27日、長野県松本市の住宅街で起きた松本サリン事件(写真:毎日新聞社/アフロ) 事件は1994年6月27日夜、松本城(長野県松本市)に近い住宅地で起きた。有毒ガス発生という通報で警察がかけつけると、現場では池のザリガニが浮き、ハトが地面で羽を広げて死んでいた。7人が死亡(のちに8人)、重軽症者は600人以上に及んだ。当初は有毒ガスの実体が何か、誰が撒いたのかもわからなかった。被疑者不詳のまま、第一通報者の河野義行さんが重要参考人として疑われた。 有毒ガスの正体がサリンと発表されたのは6日後の7月3日。ナチス・ドイツがつくった有機リン系神経毒物質の化学兵器だった。そんな高度な化学兵器がなぜ住宅街で使われたのか。捜査も報道も混迷するなか、時間だけが過ぎた。 事態が膠着していた同年10月、三沢さんは警察庁関係者から意外な情報を相次いで耳にした。一つは松本サリン事件に新興宗教のオウム真理教が関係しているという話。もう一つは、山梨県上九一色村(現・甲府市、富士河口湖町)にあるオウムの施設周辺の土砂を警察庁の科学警察研究所が鑑定しているという情報。どちらも信じがたいものだったと三沢さんは言う。 「取材を進めると、当時、長野県警がひそかに捜査を進めていたのがわかった。7月、上九一色村で異臭騒ぎがあった。犬が泡を吹いて死に、草木が薬品で焼かれていたという。松本サリン事件と似ている。そこで長野県警はそこに捜査員を派遣、捜査員が山菜採りの格好に変装して、教団施設の土砂を採取したんです。すると、そこからサリン生成時にできる有機リン系の残留物、つまり松本サリン事件と同じものが検出された。また、130人体制の薬品捜査班もつくり、サリンの合成に使う原材料の化学薬品をどこが入手したのかも調べていた。その結果、東京などで4つの怪しい会社が浮かび上がった。そこで長野県警の警部らはその会社に向かったのです」 東京・世田谷区にあるその「会社」は古いアパートの一室だった。警部が階段で2階に上ってみると、玄関ののぞき窓から見張られていることに気づいた。異様な雰囲気に驚き、その場を離れた。ところが別の場所でも、カメラをもった若い男が警部らを尾行し、撮影していた。長野に戻ってから警部らが警視庁に問い合わせた結果、その「会社」は「オウム真理教の信者が集団生活している」という拠点だとわかった──。そうした捜査状況を取材で得るなか、三沢さんは報じる側も注意が必要だと気を引き締めたという。 「その数年前、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の問題を報じたことがありました。そうしたら、統一教会の関係者が会社に押しかけてきて、大変なことになった。もともと宗教を扱うのはなかなか難しい。と同時に、オウムについて言えば、1989年に起きた坂本弁護士一家失踪事件(のちに殺害事件)でも、オウムのバッジが現場に落とされていて、一家の失踪は教団の関与が疑われていた。これは大変だな……というのは、取材を始めながら考えていたことでした」 サティアンのヘッドギア姿の若者たち 1994年当時、オウム真理教は異様な宗教団体という理解は世間にあったものの、犯罪組織と捉えられていたわけではなかった。同教団は教祖・麻原彰晃のもと、前身団体を経て1987年に設立。ヒンドゥー教やチベット仏教的な要素をにおわせながら、空中浮揚ができる、悟りを開くなど超常能力や神秘体験を謳い、若者を勧誘していった。テレビや雑誌などにも積極的に登場し、宗教学者や著名タレントなどと語り、信用を得ていった。 そうした裏で、教団は異常な活動に及んでいた。強制的な信者勧誘、薬物による修行、異常なルールでの集団生活。こうした活動のなか、坂本堤弁護士によって「オウム真理教被害者の会」が1989年に発足。同年、「サンデー毎日」によるオウム問題の連載報道が始まり、坂本弁護士も登場した。すると、麻原は坂本弁護士を敵と認識。麻原の指示によって、坂本家の3人(坂本弁護士、妻、子)は殺害された。だが、事件当時、坂本家の3人は「失踪」とみなされ、教団の捜査までは至らなかった。 教団はその後、ハルマゲドン(世界の終末)などを掲げ、日本の国家中枢を破壊することを計画。ロシアから軍用ヘリコプターを購入し、サリンやVXガスといった化学兵器などの開発に乗り出した。1994年にそれらの試作品がつくられだし、ジャーナリストの江川紹子氏や弁護士の滝本太郎氏などが殺害対象として化学兵器で襲われた。松本サリン事件は当時教団による土地売買で訴訟が行われていた長野地裁松本支部の官舎を狙ったものだったが、大量殺害計画の最初の試みだった。 ただ、そうしたことが明らかになったのは、すべての事件が終わった後のことだった。 11月11日、科学警察研究所の鑑定の結果で、上九一色村で採取された土壌からメチルホスホン酸が検出された(正式な鑑定書は16日)。それはサリンを合成する際にできる副生成物だった。 12月初旬、三沢さんは上九一色村の現地まで車で出向いた。粉雪が舞う寒い日。牧草地の向こうに異様な建物群が現れた。その日のことは、後年、自著でこう記している。 <教団のサティアンは広い敷地に点在していた。そして、その周辺には不気味なヘッドギア姿の若者たちが突っ立っている。見張りなのだろうか。途中ですれ違う白い修行服姿の女性の顔は青白く、表情がない。ダクトやパイプが複雑に交錯する目の前の白い建物が、サリン工場の第七サティアンとはその時、わかるはずもなかった>(『捜査一課秘録』) 1995年、山梨県上九一色村(当時)にあった化学プラント・第7サティアン(写真:ロイター/アフロ) まもなく教団の関連会社が大量のサリン原料物質を購入していることも判明。オウムを扱っていた長野県警、神奈川県警、山梨県警、宮崎県警、静岡県警などの県警が警察庁に集められた。静岡県警は教団がロシアから購入したヘリのプロペラを回している様子を上空から撮影していた。サリンを空から撒く可能性があるのではないか──。そんな指摘がされ、いよいよ緊張が増してきた。 だが、この段階でもまだ警察庁はどう教団と対峙するかを考えあぐねていたと三沢さんは言う。 「いくつか理由がありました。一つは、どの県警も一斉捜索のための人員が十分ではなかった。その体制で踏み込んで中途半端な結果となると、『宗教弾圧』と批判されかねない。そして、もう一つ恐れていたのは教団側の暴発です」 1993年、米国であるカルト集団がFBIと銃撃戦を行い、1994年秋は別のカルト団体がスイスやカナダで集団焼身自殺をしていた。そんなケースが頭にあり、もし下手に踏み込んで教団側がサリンを撒き散らしたらどうなるか。信者や警察官はもちろん、住民にも被害が出たら……。警察も恐れていた。そして、そんなリスクに対する恐れは、記者である三沢さんにもあったという。 「特ダネです。でも、書くのか書かないのかといえば、私もまた迷っていました。彼らがもっていた薬品の量から、数十トンという大量のサリンがつくれることが推察された。もし記事を出したことで、反発してサリンを撒かれたら……? 一方で、出さないことで、国民が事実を知らないままでいいのか。そのせめぎ合いの中にいました」 記事を出すときは「ガサ(家宅捜索)に入るときだろう」とぼんやり考えていたが、出すタイミングは思わぬときにやってきた。 オウムとは書かなかった元日報道 12月20日過ぎ、会社にいると社会部の先輩デスクに声をかけられた。アレの件、正月どうだ? 「そうか、正月報道という手があるかと。じゃあ、どこまで書くか。オウム真理教であることはほぼ間違いないが、この時点でどの程度関わっているかがわからず、名指しまではできない。でも、上九一色村の施設で異臭騒ぎはあり、検出された物質が松本サリン事件と同じくサリンの副生成物であることも確定している。それも同事件の直後だったと。だから、オウムの名前を出さず、その事実だけでいこうと決まったわけです」 この頃、脱会した信者から内部資料も入手していた。そこには「小銃製造、生物・化学兵器、細菌兵器、神経ガス、レーザー開発」といった教団の計画が4枚のレポートに記されていた。国家を破壊するテロ計画。三塩化リンなどサリンの原材料が4つの会社からトン単位で大量に購入されていたのもそのせいだった。だが、この時点ではまだその大量購入を非難できない悩ましさもあった。それら大量の化学薬品の購入自体は違法ではなかったためだ。それでも、三沢さんが最終的に記事を出すと決めたのには別の理由があった。 1995年3月20日、地下鉄車内でサリンが撒かれ、現場に向かう化学防護服を着た東京消防庁化学機動中隊の隊員(写真:毎日新聞社/アフロ) 「それまで松本サリン事件といえば、河野さんが犯人という見方が強かった。でも、この記事が出れば、みんな河野さんへの認識を変えるだろう。それだけで意味はあると思いましたね」 原稿を書きあげたあとの大みそか、三沢さんは警察幹部の自宅を訪ねた。翌日の朝刊で発表することを通告するためだった。怒られることも覚悟したが、幹部は意外な言葉を返してきた。 「わかった。一緒に戦おう」 そして1995年の元日、新聞が配られた。 元日、メディア関係者には衝撃が走った。少なからぬ報道関係者がすぐに集められ、正月休みを返上してオウム取材に動かされることになった。当の読売でも三沢さんのもとに十数人の記者が集められ、本格的な取材が始められることになった。 ただ、順調には進まなかった。1月17日、阪神・淡路大震災が発生。多くの記者が震災報道にとられた。同様に、各県の県警によるオウム捜査もはかばかしく進んだわけでもなかった。 そうした状況を見透かしたかのように、オウム側は大胆な行動に出た。 2月28日、東京・品川区で目黒公証役場の事務長、仮谷清志氏を拉致して殺害。そして3月20日には地下鉄サリン事件を引き起こした。朝の丸ノ内線、日比谷線、千代田線でサリンの袋に穴を開け、中から気体が拡散。14人が死亡、6300人以上が負傷した。化学兵器による無差別テロだった。 警視庁は機敏に動いた。事件2日後の3月22日、目黒公証役場事務長拉致事件の逮捕監禁容疑で3都県の25カ所に一斉に家宅捜索に入った。上九一色村には、機動隊を含む捜査員2500人という大所帯で乗り込んだ。ガスマスクを装着し、カナリアのカゴをもってサティアンに入っていく中継映像は日本に衝撃を与えた。 この事態に三沢さんも驚きつつ、ついに本格的な捜査に入ったことにホッとしたという。その後、三沢さんは1年近くありとあらゆるオウムの取材に関わっていった。 最初に報じた元日の一報に大きな意味があったことがわかったのは半年ほどしてからだった。 1日2トン、計70トン製造のサリン計画を防いだ 1995年10月から始まった各種オウム裁判で、さまざまなことが明らかになった。たとえば、読売の元日報道直前の1994年12月下旬、上九一色村ではサリンの5つめの工程(最終工程)のプラントが完成目前だったと公判で明かされた。 「サリン合成には5つの製造工程があるのですが、化学工場である第7サティアンでは第4工程まで進んでいた。その最後となる第5工程を麻原は『マホウプラント』と呼んでいた。それができれば、1日に2トンという大量のサリンがつくれる。それだけの量があれば、100万人単位で“ポア(殺害)”できる。そんな状況だったんです」 ところが、1995年1月1日、読売新聞が上九一色村の施設でサリン残留物が検出されたと報じた。 裁判での検察側の冒頭陳述によると、麻原はこの報道に驚き、強制捜査を恐れたという。そして「証拠を消せ」と早川紀代秀(オウム内の建設省大臣)や村井秀夫(オウム内の科学技術省大臣)に命じた。のちの捜査で、第7サティアンでは1月3日付で除染用シャワー室に「使用禁止」という通達が貼られたこともわかった。 麻原の命令のもと、廃棄を担当したのは土谷正実や中川智正だった。その際、中川は第4工程でできた中間生成物のメチルホスホン酸ジフロライド1.4キロは捨てずに隠したという。この廃棄されなかった物質が、後に地下鉄サリン事件に使われることになったと三沢さんは言う。 「あそこで使われたのは純度の低いものだった。もし純度が高ければ、もっと多くの人の命が奪われていたでしょう」 だが、元日の読売報道が出ていなかったら、サリンは1日2トン、計70トンが製造される体制にあった。もし第5工程が実施されていれば、おびただしい数の人たちが犠牲になった可能性があった。読売報道から事態が変わったことは、裁判での検察側の冒頭陳述でも読み上げられていた。 あれから30年、三沢さんは特ダネばかり追ってきただけと照れるが、元日報道ができたことはよかったと振り返る。 「地下鉄サリン事件から半年くらいして、ある検事が『読売報道がなければ、100万人死んでいた可能性がある』と発言していました。地下鉄サリン事件は起きてしまったので、すべて防げたわけではありません。でも、100万人、少なくとも数十万人という無差別テロを止めることはできたのではないか。それに貢献できたことはよかったと思いますね」 三沢明彦 1956年生まれ。1979年読売新聞社入社、横浜支局を経て、東京本社社会部で警視庁、警察庁キャップ、宮内庁を担当。編集局次長など歴任し、福岡放送、静岡第一テレビ常務取締役など。著書に『捜査一課秘録』『刑事眼』など。 森健(もり・けん) ジャーナリスト、専修大学非常勤講師。1968年、東京都生まれ。『「つなみ」の子どもたち』で2012年に第43回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『小倉昌男 祈りと経営』で2015年に第22回小学館ノンフィクション大賞、2017年に第48回大宅壮一ノンフィクション賞、ビジネス書大賞2017審査員特別賞受賞。2023年、「安倍元首相暗殺と統一教会」で第84回文藝春秋読者賞受賞。
「数十万人の被害を防げた」1995年元日報道「サリン」一報を出すまでの記者の葛藤 #災害に備える(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)
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happytime-en · 1 year ago
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     『 リボルバー・リリー 』
  皆さん こんにちは。
  近くの結婚相談所 ハッピータイム群馬桐生相生
  婚活アドバイザーの金子です。
女優の綾瀬はるかさんが、華麗なガンアクションを繰り広げる
ダークヒロインを演じるという話題の映画「リボルバー・リリー」
特殊戦闘能力を持つスパイを養成する組織「幣原機関」の最高傑作
と呼ばれた「リボルバー・リリー」こと小曽根百合(綾瀬はるか
さん)は、東アジアを中心に50人以上もの要人を暗殺し、
各国大使館から「最も排��すべき日本人」と言われた伝説の
凄腕諜報員。
関東大震災の翌年である1924年の大正時代末期。
すでに組織から引退し、帝都 東京でカフェを営む小曽根百合は、
陸軍の消えた闇資金の情報を持つ少年を保護したことに端を発して
陸軍の精鋭部隊から追われる身になってしまいます。
「戦いでは何も守れない」という事を悟って諜報員から引退した
はずの小曽根百合でしたが、少年を守るために国家の陰謀と戦う
決断をするのです。
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小曽根百合をサポートし共に戦うのは、元海軍の弁護士 岩見良明(長谷川博己さん)、カフェ店員の奈加(シシド・カフカさん)
と琴子(古川琴音さん)。
そして、豊川悦司さん、石橋蓮司さん、橋爪功さん、野村萬斎さん
らベテラン俳優が渋い演技を披露し、陸軍幹部役でジェシーさん、
板尾創路さんなどが迫真の演技で悪役を演じていました。
更に、過去の数々の映画で様々な俳優が演じてきたある歴史上の
有名な人物を、それまで演じてきた俳優とは異なるタイプの
阿部サダヲさんが演じていたのが意外でした。
監督は「世界の中心で愛を叫ぶ」の行定勲さん。
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綾瀬はるかさんが「ニキータ」や「アトミック・ブロンド」の
ようなガンアクションシーンを見事にこなしていたものの、
ハリウッド映画の「ジョン・ウィック」などを手掛けてきた
アクションデザインチーム「87イレブン」によるアクションシーン
などと比較してしまうと若干スピーディーさに欠けるのは否めま
せんでした。
しかし、間があることがかえって日本映画らしい情緒のような
雰囲気をもたらしているように感じ、特に後半での敵の姿が
見えない濃霧の中での銃撃戦は、むやみに銃を撃ったりはせずに
相手の気配を感じ取って戦うという静の要素を取り入れての
アクションで、とても良かったです。
原作は読んでいませんが、長浦京さんという作家による
「第19回大藪春彦賞」を受賞した同名小説とのことで、
それにふさわしいハードボイルドタッチのシリアスなトーンの
映画ですが、反戦をテーマにしているストーリーでもありました。
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  近くの結婚相談所 ハッピータイム桐生相生
  婚活アドバイザー 金子 薫
  群馬県桐生市相生町5-536-1 ネプチューン2-A
  電 話:0277-32-5314
  連絡時間:午前10時から午後9時
  定休日:年中無休
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婚活   結婚相談はお近くの結婚相談所ハッピータイム (http://www.happytime-en.com/)、 群馬前橋・群馬沼田・群馬渋川・群馬高崎・群馬安中・群馬藤岡・群馬伊勢崎・群馬桐生・群馬みどり・群馬太田・群馬邑楽・群馬館林・栃木足利・栃木佐野・栃木小山・栃木栃木・栃木真岡・埼玉熊谷・埼玉深谷・埼玉本庄・埼玉行田・埼玉羽生・埼玉加須・埼玉児玉・茨城牛久・茨城下館・茨城筑西・茨城結城・茨城古河・新潟長岡・新潟小千谷・新潟見附・新潟柏崎・新潟魚沼・新潟十日町・新潟南魚沼・新潟西蒲原・神奈川川崎・山梨甲府までお問い合わせください。  
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