#室内は穏やかな空間
Explore tagged Tumblr posts
Photo
今日は初めて時計台内部へ ご招待でJazzlive ダダで入れると邪な気持ちで行ったけど いい時間だった… いい音楽に出会ったな… 前から興味はあったけど PE'Zと出会わなかったら ジャズに興味なんて持たなかったよ #初めての時計台ホール #音も良かった #室内は穏やかな空間 #外はえらいこっちゃの猛吹雪 #明日から東京 #積雪が心配、、 https://www.instagram.com/p/CoKX6neSlHHg0Fn1WA1HeTAPgDll8fY_yPMYOE0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
Text
もう無理……キャクエンしよ……。
役者とし���1ステを迎えるのは、実に1年ぶり。
ぶっちゃけありえないほどのクソ雑魚っぷりを披露した私は、帰り道、道端に残る水たまりに片足を突っ込みならこう思いました。
そうだ、京都行こう。
役者エグむずいやん。みんないっつもこんな大変なことしてたんですか。いろんな感情があふれてこぼれて、僕の足元には新たな水たまり。明日は晴れます。晴れさせます。
かく言ってますけど、楽しくやらせてもろてます。おおよそベガさんとなぽりが寛容なおかげです。本当にありがとうございます。
何はともあれ役者はすごい!てなわけで、そんな偉くて凄い役者の中から、『いつか栞を挟んで』に登場する皆様をご紹介します。今回は「この役者を主役にするなら、こんなタイトルのこんな劇」というテーマで。
以下役者は本チラ掲載順。
園堂香莉
『シング』
歌でみんなを笑顔にすることを夢見てきた少女。念願叶ってバンドを結成。しかし、第三次世界大戦が始まりかけた世界で、音楽などの娯楽は次第にタブーとされるようになった。そうした社会の風に吹かれ、バンドメンバーも1人また1人と去っていく。そんな少女がたどり着いたのは、商店街にある小さなお布団屋さんだった。彼女の子守唄と、お布団屋さんのお布団で、彼女らは「全世界ふかふかすやすや計画」を実行する。
「世界中の人がふかふかの毛布で眠れば、争いなんてなくなると思わないかい?」
近未来ミイラ
私には主役になれるほどの器はありません。
誰かを主役にすることなら、きっと、なんとか。
たぴおか太郎
『キャッサバイバル』
タピオカの原料として知られる「キャッサバ」、その和名が「イモノキ(芋の木)」であることは周知の事実であるが、そんなキャッサバにも、一時期本物の芋になることを目指していた時期があるということを、君は知っているだろうか。
これは、キャッサバが芋社会からの洗礼を受け、まさに芋洗い状態になりながらも、憧れることの光と闇を垣間見るお話。ちなみに、これはネタバレなのですが、最終的には芋社会のカースト、通称ポーテトで最上位��位置する「スイートポテト」が貢茶(ゴンチャ)の本店を燃やすことになります。芋もホテルも、「スイート」が最上級なんですね。
錫蘭リーフ
『虚ろにジャックポット』
ゲームセンターで働く男。ある日、ゲームセンターの喧騒が似合わない風貌の紳士がその店を訪れる。男が様々なゲーム機に対応する鍵を全て腰からぶら下げているせいで、紳士は男のことを、この世の全ての鍵を開けることができる鍵職人だと勘違いする。半ば無理やり紳士に連れられ、男は大小様々な扉がある部屋へと案内される。紳士は言う。「ここにある全ての扉を、君に開けて欲しいんだ」
「鍵」をテーマに繰り広げられる、ゲームセンターのように騒がしく、それでいてどこか空っぽな物語。
帝京魂
『職場参観』
小学生が、後ろから見ている。作業中の俺のパソコンを覗いている。部長に資料の修正を求められている俺を見ている。電話なのに頭を下げながら話す俺を、なぜか愛しそうに。その小学生の中に、我が子はいるのだろうか。気になるけど、ここで後ろを振り返るのは、なんとなく恥ずかしいような気がする。
オムニくらいの尺で、サクッと笑える劇に仕立てたいですね。
森々仙入
『タイトルコールが始まらない』
とある劇団の公演。いよいよ本番。当初の予定だと、タイトルコールの映像が流れてから本編が始まることになっていた。しかし、本番直前。機材トラブルにより映像が流れなくなる。担当者曰く、「多分すぐ復旧できるから、前説出ちゃっていいよ」とのこと。男は半信半疑で前説に出る。注意事項をあらかた言い終わったところで、舞台袖にちらりと目を向けると、舞台監督が必死の形相で両手を広げている。……延ばせということか?
ラムダが数十分間真面目にふざけ倒す劇。彼は無事に、タイトルコールというエンディングを迎えることができるのだろうか。
箏
『すがる藁もなく』
「この子、きっと何かの病気だと思うんです」。母親がそういって診察室に連れてきた少女は、何を尋ねても無口で、表情一つ変えない。どうやら学校でもこの調子らしく、クラスでは孤立し、家族もどう接すれば良いのか悩んでいるらしい。医者はその子を「不笑病」と診断し、一言。「今から治療をしますので、他の医者と看護師を呼んできます」。院内の医者と看護師総出で、彼女を笑わせにかかる。しかし彼女は笑わない。いや、笑えないと言った方が、正しいのかもしれない。
ルーベの口角が���がったが最後、この物語は崩壊します。地獄を見てほしい。
苔丸
『冷仏』
僕らのクラスには、「仏」と呼ばれる生徒がいる。なんでもできて、なんでも持ってて、なんでも許してくれる。と思っていたのだけれど、仏と同じ中学だった生徒が言うには、それは今が夏だからなのだという。なんでもその仏、「仏の顔もn度まで」のnの部分が、その日の最高気温と等しいという特殊な性質を持つらしい。とはいえ、一日にそんな何十回も仏の気に障ることなんかするはずもなく、大きな問題もなく時は流れていった。……その日、秋にしては���例の寒波が日本を襲う。最高気温は、0度。
苔丸の本当の怖さを、君たちはまだ知らない。僕もまだ知らない。
響夜
『見込み無き巫女見習い』
ある神社に、自らを巫女見習いと称する女がやってきた。おいおい。巫女見習いとかいうわりに、コイツ巫女についてなんにも知らねぇじゃねぇか。発言も行動も全部予測できない巫女見習いに、振り回される人々。挙句、巫女見習いはこんなことを訊いてきやがった。「あの、神様って、なんですか?」
今まで当然のように存在すると思っていた何かが、存在しないと言われたとき。あなたはその存在を証明できますか。
ミル鍋
『アマクチカラクチ』
インターネット上でも有名な辛口料理レビュアー。今日も口にする料理のほぼ全てにマイナスの評価をつけて回る。ある日、そんなレビュアーの隣で食事をしていたのは、インターネット上でも有名な甘口料理レビュアー。どんな料理でも「美味しい!」と言い、その料理の良いところをツラツラと述べていく。「そんなお世辞並べたって、この店は成長しないんだぞ!?」「じゃあ、あなたがつけた難癖で、この店は成長するんですか?」 食を通して、飴と鞭の使い方について考察する劇。
ゆには甘口レビュアーの方が似合いそう。ちなみに本編中に食事シーンが5〜6回登場します。楽ステ後は満腹ですね。
西峰ケイ
『穏やかな濁流』
親の都合で大阪から田舎の町へ転校してきた少女。その町のヌルさに愕然とした彼女は、大阪とは何かを体現していくことを決める。そしてクラスを、学校を、町全体を、大阪一色に染めていく。その町が彼女にとってかなり居心地の良い場所になってきた頃、彼女がいるクラスの扉を開けたのは、町長だった。「俺たちの町を壊したのは、お前か」
新しい宗教が蔓延れば、それを抑制しようとする派閥が出てくる。長い歴史でもずっとそうだったし、きっと���れからもそうで。
あろハム権左衛門
『スローに踊るだけ』
一流のマネジメントウーマン。日々様々な企業へ出向き、無駄を徹底的に省くよう的確に指導。その腕が認められ、彼女の予定は2年先まで埋まっている。一方で恋をする予定なんて入れてないから、恋なんてするはずがなかった。なかったのに。ある日訪れたベンチャー企業を統べる若い社長に、恋をしてしまった、ような気がするんです。
キャスパはもちろん、ゲスの極み乙女の「スローに踊るだけ」です。振付もアロー本人が(え)
アリリ・オルタネイト
『つづきつづれずとも』
日本政府は言う。「みんな別々のものを持っているから、それを振りかざして争うのだ。これからは逆の時代だ。みんな別々のものを失い、支え合っていくべきなのだ」 その次の日から、人々からはそれぞれ別々のものが奪われることが決まった。ある人はお金、ある人は片足。そして彼女から奪われるものは、言葉だった。奪われるまで、あと12時間。彼女は彼女の言葉をできる限り残そうと足掻く。文字で、音で、人伝てで。24時。政府の人間がやってきた。
イルルさんの役者紹介意気込みコメントが好きです。言葉を大切にしている感じがするからです。だからこそ。
〆切三日前
『いくつ担っても』
一人複数性制が導入された日本。今日はこっちの苗字の私で生きようかな。それは先週のことだから、今の苗字の私じゃなくて、先週の苗字の私が来た時に言ってください。そんな世界線で繰り広げられる、非日常的日常系短篇集。しかし日常というのは案外あっさり終わってしまうもので。「面倒だから」という理由で一人複数性制は突如廃止が決まる。おっけー、了解した。で、私はどの私を残せばいいんだろう。
キャスト欄に10個くらい異なる芸名が書いてあるんですけど、その内5個はみそかです。
黒井白子
『試行柵誤』
舞台と客席を隔てるのは、上手ハケ口から下手ハケ口まで一直線に伸びた柵。暗転が挟まるごとに、その柵は意味合いを変える。例えばそれは豪華客船の上。例えばそれは高校の渡り廊下。例えばそれはジュリエットがロミオを見下ろす場所で、例えばそれは高層ビルの屋上。この劇においてツラ線を破るということは、柵を飛び越えるということであり、柵を飛び越えるということは、大抵無事では済まない。そんなオムニバス公演。
僕がやりたいことに、彼はまだ付き合ってくれるのかな。付き合ってくれたらいいなという思いを込めて。
中森ダリア
『カメレオンガール』
バーで働く女。しかしこれは世を忍ぶ仮の姿。彼女の正体は、秘密結社「ユージン」のエリートメンバー。コードネームは「華芽麗音(カメレオン)」。彼女の本当の使命は、彼女自身が様々な姿に化けて、この世に数多いる、友達がいないと嘆く人にとっての「それなりの友達」になること。ある時はギャルに、ある時はおばあさんに、またある時は青年にまでなり、その任務を遂行する。
そんな彼女に、「それなりの友達」はいるのだろうか。
きなこ
『毒あるキノコは美しい』
それはなんの前触れもなく、突然の出来事だった。全国民の頭の上にキノコが生えたのだ。そのキノコは色も大きさも様々で、次第に人々はキノコで人を判断するようになっていく。恋人に求める3Kは、価値観が合う、金銭感覚が合う、キノコと言われるようになった。しかし、ほとんどの国民は知らない。ただ1人、キノコが生えてこない少女がいることを。
キャスパ曲は多分「マッシュルームマザー」
暁レミエル
『マイノリティ魔女リティ』
「魔女ってなんか、思ってたのと違うね」 その言葉が彼女を蝕んでいく。そんなこと言われたって、それが私なのだ。魔女のくせにちりとりの方持ってるのとか言われても、それが私なのだ。魔女のくせに電子書籍で魔法覚えてるのとか言われても、それが私なのだ。それが私なのに。
これは悩める少女の、笑って泣ける物語。
肆桜逸
『寝るまで起きてる』
夜。眠れない夜。男の枕元にあるスマホもまた眠らず、その液晶を煌々と光らせている。その夜男には、無数の電話がかかってくる。恋人から、親から、友人から、先輩から、そして、すでに"眠ってしまった"自分から。
男は"眠る"ことを選ぶのか。それとも、もう一度朝日を見ることを望むのか。スチルさんと他役者の録音された声だけで進む、怒涛の一人芝居。
埖麦
『無念ゴミ』
部屋中の本棚に詰め込まれたアルバムの数々。これらは全て、男が後悔している出来事が鮮明に記録されている「後悔アルバム」であった。一度開けばその時の記憶は鮮明に思い出され、その度に男は、懐かしさというには悍ましいような感情を抱く。ふと、見覚えのないアルバムを見つける。「……これは、親父のだ」
「アルバムって、何曜日に捨てればいいんだろう」
紫苑
『as mysteriously as possible』
少し不思議、いや、かなり不気味。そんな1人の男がひょんなことから異世界に飛ばされるものの、男が不気味すぎて逆に異世界の住人が怯む話。異世界に行けば周りに馴染めると期待していた男は、「変」であることに虚無感を覚え始める。これは「私」が悪いのか、「私以外」が悪いのか。「変」なりの、奮闘��。
略称はAMAP。ほぼSMAP。
水琴冬雪
『いつかオレンジの原付で』
ブゥーーーンブンブブーンブンブンブブゥーンブーンブンブゥーーンブンブンブンブブゥーーーンブンブゥーーンブンブンブブゥーーンブンブリョゥドゥーーンブゥーンブンブブンブンスウブンカィーーンブゥーンブブブーーン
(原付の音であらすじがよく聞こえないが、ベガさんが主役を張る演劇なんて、良い作品になるに決まってる)
以上です。もし実際に脚本に起こしてほしいという物好きな人がいたら教えてください。そのときには10年かけてでも、あなたを主役にする体で当て書きして完成させたいと思います。
びあげのブゥーンはどうしようかなぁ……
大学のキャンパスでcampusノート使ってる学生、見たことない。
近未来ミイラ
2 notes
·
View notes
Text
天壌無窮の皇運を扶翼すべし
3月 14, 2017
FBに短文を投稿しようかと思ったけど、ここは一発話題の教育勅語を考察してみようか。 12の徳目が素晴らしいから教育勅語は正しいんだという論調は全く問題ないんだが、教育勅語が気に入らないと言っている人達が一番気に入らないのは 「天壌無窮の皇運を扶翼すべし」 ここでしょう? ここを論じることなくしては、議論にならないわけだ。 正面突破しようか。 この一文の前にある 「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」と繋げて 「国が危機的状況に陥ったら自らを犠牲にして天皇陛下のために死ね」 と訳して、軍国主義だ〜〜〜とやるわけだ。 「一旦緩急あれば」はまさしく「国の」とは明記していないものの、確かに「危機的状況」には違いない。 「義勇公に奉じ」はもちろん「勇気を持って公の為に尽くしなさい」となる。 「以て」それにより 「天壌無窮の」天地に永遠に続く 「皇運を」後に回す 「扶翼すべし」助けなさい。 ここで皇運をどう捉えるかが問題だ。 皇=天皇陛下と捉えれば 皇運、即ち陛下の運、運命ないしは皇室の運という事になる。 ************ よく考えてみてくれ この教育勅語は 「朕おもうに我が皇祖皇宗「国」をはじむること広遠に 徳をたつること深厚なり」 皇祖:天照大神 皇宗:神武天皇以降歴代の天皇 は、遠い昔に日本国を建設され、代々その徳は深く厚いものだった。 つまり「国」を語るところから始まっている。 そ���て以下のように続く 我が臣民(略)億兆心を一にして代々(よよ)その美をなせるは これ我が国体の精華にして教育の淵源また実にここにそんす 日本国民は全国民心を一つにして代々その美しさを体現してきたのは、これはこの国の在り方そのものが発露したものであって、正に教育の根がそこにあるのです。 となる。 その後12の徳目が列挙されるわけだが、 なぜ国家を語るところから始まって 一旦緩急あれば、の段に突然天皇陛下お一人のこと��話が変わるのか。 全体を読めば「天皇のために死ね」と解する事のおかしさが分かる。 この場合皇運とは皇国の運命と訳すべきで有り、即ち日本国の運命という事になる。 よって「緩急」とは単なる危機的状況ではなく 国家を揺るがす一大事に於いては、と訳すべきで有り、 義勇公に奉じ:その際には自らを顧みず皆のために全力を尽くし、 これをもって 天壌無窮の:天地に永遠につづく(べき) 皇運を扶翼すべし:日本国の運命を助けよ。 となる。 陛下だけ守って国民が居なくなれば、これは国ではなくなる。 公に奉じておいて、陛下だけの運命を守れ、では辻褄が合わない。 6年前の東日本大震災のおりに自衛隊の方々は、自分たちも余震に脅かされいつまた周辺の瓦礫が崩れ自らも二次被害に遭うかも知れないという状況にありながら、必至に行方不明者の捜索を行い、一人でも多くの被災者の命を救おうとしてくれた。 もちろん先の大戦の折にも、硫黄島に向かった兵士達は自らが生きて帰って来れないことは重々承知していた。しかしながら硫黄島が獲られればそこから本土に空襲に向かう爆撃機が飛び立つことが出来る事も知っていた。だからこそ、彼らが一日でも長く抵抗することが本国の愛する家族を守ることになる。だから5日で占領出来ると考えていたアメリカに対して1ヶ月以上も粘り続ける事が出来た。 昨今日本の道徳心が低下した等と言われるが、私は、日本人の心は根底では変わっていないと思っている。 話がずれた。 ************************* 皇運=日本国の運命 を理解するためには、そもそも天皇陛下と我々臣民(国民)との関係を理解している必要がある。 仁徳天皇の民の竈の話は有名だ。 日本独自の伝統~仁徳天皇 詳しい内容は上記リンクに譲る。 臣民(国民)の竈から煙が出ていない、すなわちご飯が食べられていない事を知り、年貢の徴収をとりやめた。おかげで皇居に雨漏りがするほど貧しくなってしまった。この事を苦にした皇后陛下に対し 臣民(国民)が貧しいことは自らが貧しい 臣民(国民)が富めるときは自らも富んでいる と答えられた仁徳天皇。 そして、竈に煙が戻り充分食べられるようになった人々は、 陛下の心に答えて自ら集って皇居を治した。 という話。 この話が事実かどうかは些末な問題だ。 それ以上に1300年近く前に編纂された日本書紀に書かれたこの話が、以降1000年以上の長きにわたって日本で語り継がれ、模範とされてきた事実が重要だ。 日本に於いて天皇陛下と我々国民の関係は、互いにその幸せを願い、助け合う存在だという事。時に人はこれを親と子になぞらえて語る。 陛下は国民を「たから」とよび我々は陛下を敬う。 この陛下と国民との関係を理想として、我々は��の国を代々継承してきた。 この関係は���民を自らの富のために搾取してきたヨーロッパの王の姿とは大きく異なる。結果フランスでは革命が起こり王が処刑される。 時にそのような理想的な天皇陛下に恵まれなかったことも歴史の中にはあったかも知れない。 それは正に夫婦と同様、仲むつまじい夫婦という理想を追いかけながら、現実は夫婦喧嘩もし、日々の様々な問題を乗り越えていく。 同様に、陛下と我々国民の間も長い歴史の間に於いて理想通りに行っていない時期もあったかも知れないが、それでも理想的関係を模索しながら切磋琢磨してきた歴史なのではないだろうか。 そう考えると、現代の我々国民のありかたは、はたして理想的姿を体現出来ているのか、幾ばくかの疑問が残ることを否めない。 また話がそれた。 天皇陛下の国民への思いは今も変わらない。 国民に知ってほしい陛下の祈り 詳しくは上リンクに譲るが、陛下は元旦早朝より日本の国の平穏を願い祈りを捧げる。 また、毎日祈りを捧げてから一日を始められるそうだ。 国民の平和と繁栄を第一に思う陛下だからこそ、日米開戦に最後まで反対されたのは他でもない天皇陛下だった。 大東亜戦争開戦前の御前会議 上リンクより引用
昭和16年9月6日、日本は昭和天皇の前で御前会議を開きます。その席で昭和天皇は、「外交が主か、戦争が主か」と閣僚たちに尋ねられました。及川海相が「重点は外交にある」と答えました。すると昭和天皇は、懐から紙片を取り出され、御自らお詠みになられた。 よもの海 みなはらからと思ふ世に など波風の たちさわぐらむ四方の海は、みんな同じ人間、同じ家族であり兄弟であると思うのに、なぜ争いの波風が起こるのだろうか。そう詠まれたこの歌は、明治天皇の御製です。昭和天皇のこのお言葉に、列席した閣僚たちは、全員、ただうなだれるより言葉がなかった。しばらくの間、誰もがうつむき、言葉を発する者さえなかった。
そして終戦を決断出来なかった政府に、終戦の聖断を下したのも陛下だった。
「迫水久常の手記��(終戦時内閣書記官長)天皇の聖断で受諾した“ポツダム宣言”
上リンクより引用
そして、いまにして思えば、終戦ができたのも、一に天皇陛下の御仁徳のおかげであった。陛下の真のご信念はいつも平和にあった、ということを、私はそのときほど強く感じたことはない。戦争終結の動機も、実にそのご信念から発したものであった。
陛下は常に国と国民の平和と繁栄を望み、その為に祈っている。 だからこそ我々は陛下のため、即ちこの国のため、この国に住む家族全ての同胞の為に資力を尽くす。 これを君民一体という。 これが理解出来れば、 皇運がすなわち我々全て日本に住む国民の運命だという事が容易に理解出来るはずである。 ******************* 最後に教育勅語のそもそもの在り方を好く現していると思う末尾を語って締めくくろう。 この道は(略):即ち12の徳目 古今につうじて謬(あやま)らず:昔から今に至るまで変わらないことで 中外にほどこして悖(もと)らず:外国の人達に伝えても正しいことです。 「朕汝臣民と共に拳々服膺して みなその徳を一にせんことをこいねがう」 私は、あなた方国民と共にこの正しい道理(12の徳目)を両手で大事に抱くように大切にしします。だから我々みながこの徳を一緒に体現していくことを願ってやまないのです。 教育勅語を支配者である天皇が従属者である国民に対して、あたかも命令のように下したものであると主張する旨が如何に根拠のないものか、この最後の一文を理解すれば良く分かると思う。
11 notes
·
View notes
Text
初雪の頃【1】
変わりたい
『お電話、ありがとうございます。『綾子』でございます』
雑誌に掲載されている番号を入力しては、「やっぱダメ」なんてつぶやいて、部屋に拉致してきた子機電話を切る。さっきから、そんなのを三十分ぐらい続けている。
だって、やっぱり、どうしても怖い。本当にできるの? こんな、自分の部屋も自由に出られない私が。いや、でも、そんな自分を変えるためにやるんだ。変わりたい。この部屋から出たい。やるしかないんだ。
心に決めて、何度目か分からない電話番号を押す。一瞬の沈黙ののち、コールが響く。ああ、嫌だ。怖い。怖い。怖い。コールが途切れる。そして聞こえてきた声は、物柔らかくそう言った。
「あ……、」
一瞬、喉を絞められているように、声が出なかった。でも、何とか、不自然な沈黙になる前に答えられた。
「あ、あの、求人の広告を、見たんですけど」
『えっ。ああ、募集の』
声は男の人で、何となく硬派な感触の声だ。
「まだ、受けつけてますか」
『大丈夫ですよ。ええと、お名前は』
本名を言っていいのだろうか。でも、偽名を考えているヒマがない。
「佐々木ゆりです」
『佐々木ゆり……さん。お歳は』
「十八、です」
『こういったお仕事の経験は』
「ぜんぜんありません……」
大丈夫でしょうか、と訊きたかったけど、その前に相手がしゃべりだしてしまった。
『面接はいつ頃がいいでしょうか』
「ええっと……、い、いつでも」
『じゃあ、明日とかは』
「あ、明日ですか」
いきなりすぎる。無理だ。心臓が持たない。
「明日はちょっと……」
『じゃあ、来週になりますが』
「ら、来週でいいです」
『分かりました。何曜日にしますか』
どうしよう。早いほうがいいみたいだ。
「じゃあ、月曜日で」
『分かりました。来週の月曜日、八時頃に来ていただけますか』
「は、八時ですか」
さっきから、どもりすぎだ。というか、八時って何だ。
「夜の、八時ですか」
『はい。でないと、店が開いてないんで』
そうなのか。てっきり、面接は昼に行なわれると思っていた。
「分かり……ました。八時、ですね」
『はい。では、お待ちしています』
「あっ、あのっ」
『はい?���
「持っていくものとかありますか」
『いや、別に……』
「履歴書とかも」
『いらないですよ。こっちで書いてもらうので』
「はあ。そうなんですか」
『ほかに何か』
ほか。何だろう。真っ白で思いつかない。あ、そうだ。
「名前は」
『は?』
「あの、お名前を、一応」
『……ショウ、で通じると思います』
「ショウ……さん」
『ほかに』
「え、いえ、えっと、ないです」
『そうですか。じゃあ、お待ちしています』
「はい。あの、よろしくお願いします」
『こちらこそよろしくお願いします。では』
相手が電話を切ってから、切る。求人誌のマニュアル通りに通話ボタンを押すと、赤く灯っていたランプが消えた。途端、ばくばくと鼓動があふれて、ため息と指先が震えはじめる。
これが私と彼の、初めての接触だった。
◆
クーラーの効く窓を閉めた部屋の真ん中で、カミソリを肌にぐっと食いこませる。そのまま、ゆっくりカミソリを引いて、血を描がいていく。まるで果実が実るように、雫となってあふれてきた血は、すぐさま腕を伝い、ゴミ箱の中のティッシュにじわっと広がる。
私はそれを漠然と眺め、ただやっと深い呼吸をすると、手首からぽたぽたと音を立てて感情を吐き出していった。
初めて手首を切ったのは、十三歳のときだ。死のうと思った。学校も嫌、家も嫌、居場所がない、どこにもない──でも、そのときは、かすり傷だった。
十四歳になると、部屋を出なくなった。十五歳で通信制の高校に入学したけど、入学式の最中に錯乱して泣き出して、保健室で終わった。そして引きこもって、十六歳、十七歳、十八歳──
私の精神は完全に壊死し、あんなに切実だった “切る”は、いつのまにか当たり前の処理になっていた。
うまく言えないけど、切ると落ち着く。血を見ると落ち着く。自分の軆の中から何かが排出される。血と一緒にこのいらいらやもやもやが吐き出されていくように感じる。だから私は、いつしか、手首���腕を憎い相手に対するかのように切りつけるようになった。
たぶん、健康な人で言うと、私の“血”は“涙”なのだ。でも、涙なんて出てこない。涙なんて待っていられない。今すぐ吐かなきゃ、今すぐ処置しなきゃ、発狂してしまいそうで。
ひとしきり血を流した私は、傷口を適当に手当てすると、床に座りこんで母に買ってきてもらった求人誌をベッドに広げた。昨日、耐えがたい窒息をこらえて電話をかけた、ラウンジとやらの求人が載っている。
『明るくて気さくなママが待ってます!』
クラブとか、バーとか、いわゆるナイトワークにはいろいろあるようで、それとラウンジがどう違うかなんて分からないけど、その一文で数ある求人からその店──『ラウンジ 綾子』にしようと決めた。
荒療治だけれど、元から興味もあったし、五月に十八歳にもなったし、そろそろ動かなくてはならなかった。外に出ることより、親の金で生きていることが嫌でたまらなかった。
母は好きだった。幼い頃から、いつも母と一緒だった。「母子家庭?」なんて言われるほど、ふたりで身を寄せあってきた。
私が嫌いなのは父だ。いや、嫌いじゃない。憎い。殺したいぐらい憎い。大好きな母を、ことあるごとに怒鳴りつけて傷つけるから。
私の父は、頭がおかしいのだと思う。私は母ほど献身的な妻を知らない。なのに、父は言う。お前はバカだ、役立たずだ、気がきかない無神経だ──
母は、小さな私を抱いて泣いていた。「ごめんね。ごめんね」と繰り返しながら。私はずっと、父親は母親を虐待する存在なのだと思っていた。だから、小学校に上がった頃、日曜日に友達の家に遊びにいって、おじさんが穏やかに迎えてくれたりしたとき、自分の家庭の腐臭に愕然とした。
ゆりがいなければ、おかあさんはおとうさんと“りこん”できる。
それを知ってから、私はいつ自分が捨てられるかと怯えるようになった。お正月やお盆に帰省して、帰り道に山道を走るときは眠れなかった。眠ったら、山に置いていかれるかもしれないと。
父はひとりでは何もできない。カップラーメンも作れないし、テレビの電源も入れられないし、仕事帰りに駅から歩いてくることもできない。いつもこまごまと母を呼んで命令する。そして、ちょっとでも思い通りにいかないと、雷の連射のように怒声をあげる。
たとえば、例によって空港から自分で帰れないので、母に車で迎えにくるように言った。理由は忘れたけど、私もついていった。渋滞で少し遅れた。父はそれに逆上し、「こんなに時間がかかるなんておかしい」とか言って、一度家まで戻ると、時間を計ってやるとまた空港に行くよう命じた。
母は泣きながら「ゆりは家で寝かせてやってください」と言った。父は許さなかった。ようやく帰宅すると、何とか父をなだめようと、私はミルクをグラスにそそいだ。父はそのグラスを壁にたたきつけた。ミルクが白い血のように──
私ははっとして手首を見た。即席包帯のティッシュがべっとりと赤に染まっていた。眉を顰めながらティッシュを変えて、求人誌に顔を伏せる。インクの臭いがする。
とにかく、私はそんな父が大嫌いだった。父とは現在、家庭内別居状態だ。あのひと言、親が子供に絶対に言ってはならないあのひと言を言われて。
誰の金で生きていると思ってる──
だから、私は働こうと思った。通信制の高校は在学中だったけど、どうせ入学式に行ったきりだ。学歴なんてどうでもいい。とにかく家を出たかった。この家さえ出れば、壊れた精神も癒される気がした。
【前話へ/次話へ】
2 notes
·
View notes
Quote
9月21日午前6時に父が亡くなった。 老健からの退所が決まり、週末のみ自宅で過ごすことが決定してからの 我が家はまさに上を下への大騒ぎだった。 家の中までの導線を確保した上で車椅子が通るよう道を整備し、 父が使っていた寝室に入るサイズの介護ベッドを調達して 高齢の母の負担が極力減るようにヘルパーの力を頼りながらの受け入れ生活だったが あれほどの労力をかけて準備したにも関わらず、わずか2ヶ月ほどでピリオドを打った。 コロナ感染からの重症化で一時は命も危ぶまれた父は、奇跡的に回復するも 肺炎により嚥下機能が著しく低下していたため誤嚥性肺炎を繰り返しては再入院し、 「急変した際の延命治療はどうしますか」とその都度医師に聞かれた。 そして3度目の再発で入院し、同じように「どうしますか」と問われた時、 半ば慣れっこになっていた私たちは「回復の希望があるならできるだけのことはやってほしいが 機械の力を借りて心臓を動かすだけの措置なら不要」と回答した。 そしてその翌日、まるで私たちの会話を盗み聞きしていたかのように父は逝った。 今年もケムコ様より東京ゲームショウにお誘いいただいていたのだが 父の容体が安定していないことからギリギリまで返事を待っていただいていた。 (快く待ってくださったケムコ様には本当に感謝しかない。ありがとうございます。) 最初から断ることも考えたが、遠出すれば気分転換になるかもという現実逃避的な思考もあり 引き延ばすだけ引き延ばした挙句に父が選んだ旅立ちの日は9月21日、東京ゲームショウの開幕初日だった。 父についてのエピソードで一番古い記憶を辿ると、幼稚園のクリスマス会になるだろうか。 園児のところにサンタがやってきて菓子を配る恒例の会で私も楽しみにしていたのだが 当日やってきたのはサンタのコスプレをした父で、特に素性を隠すでもなく 大声で私の名前を呼びながら「おおしのびん、今年はワシがサンタじゃ」と菓子を手渡した。 私は幼稚園の年少組にして「サンタは親が演っている」ことを知ってしまったのである。 生粋の目立ちたがりで役職のつくポジションが大好きだった父を見て育ったせいか 私は人一倍自分を表に出すことを避けるようになり、今もこうしてハンドルネームでブログを書いている。 母から「お父さんのようになってはダメよ」と言われて育った私は、 言ってみれば父を反面教師にして出来上がった集合体のようなもので、何から何まで合わない。 合わないのに、成長するにつれて父に似た部分が体のあちこちに、思考の節々に現れては嫌悪した。 今にして思えば、父のようになりたくない、は、父のように何事にもオープンで大らかには生きられない 内向的な自分の劣等感が生んだ、羨望からくる逆恨みだったのかもしれない。 そのことを受け入れ、父の中に幾らかの可愛らしさを見出してからの親子関係は 世間で言うところの仲の良い親子には届いていなかったかもしれないが、そう悪くもなかったと思う。 3度目の入院の知らせは突然だった。 デイサービスから「微熱があり酸素量も少ないため念のため病院に連れていきます」と連絡があり またかと思いながら病院に駆けつけた。 前々回、前回と同じようにしばらく入院して、回復すればまた退院するのだろうとぼんやり考えていたので 入院手続きのために膨大な枚数の用紙に記入しなければならないことの方が気が重かった。 翌朝面会に行くと、父は痰を吸入してもらって楽になったのか静かに眠っていた。 ���中も1、2時間おきに吸入をしていたと聞き、頭の下がる思いがする。 とてもではないが、このケアを自宅ではできなかったろう。 父は私のことはわかっていたようで「会いにきたよ、わかる?」と聞けば小さく頷いていた。 「元気になって、また家に帰ろうな」と声をかけるとまた小さく頷いていて 「この様子なら大丈夫だろう」と少し安堵した。 しかし、翌朝の医師の説明では、心臓の機能が大分弱っているので 肺炎が治るよりも先に心臓が持たないかもしれないと告げられた。 そして、冒頭に書いたように「無理な延命治療は本人も辛かろうし不要。 楽になるための治療なら全力でお願いします」と回答して帰宅した。 その日の深夜、病院から容体がおかしいと電話があり、孫たちも連れて慌てて深夜の病院に 大勢で押しかけると、別室に移動した室内で父はスヤスヤと眠っていた。 「みなさんが到着される直前に急に安定し始めて」とナースは申し訳なさそうに笑ったが 「人騒がせなじいじだ」と悪態をつきながらも皆笑顔だった。 その翌日、またしても深夜に病院から電話があり、同じように大勢で深夜の病院に向かった。 酸素がなかなか上がってこないと昨夜より病室内の空気に緊張感があったが 当の本人は傍目には穏やかに眠っているように見えた。 「こんなことがこれから毎晩続くのかしら」と母が疲労困憊の様子で口にするのを聞きながら 昨日医師に「まぁ、こんな感じで心臓がゆっくり止まってしまうほうが本人は楽だと思いますよ。 本当に眠るように、何も苦しまずに済むので。」と言われたことを思い出していた。 ほどなくして心電図を表示している機械から危険を知らせるアラーム音が鳴り、慌ただしくナースが入ってきた。 「まだいったらだめだよ」「起きてじいじ」「起きないと怒るよ」と孫たちがそれぞれ父に声をかけ 「家に帰ろうよ」と姉が語りかけた後に、それまで黙って見守っていた母が父の手を取って話し始めた。 「じいじ、ねえじいじ、本当に好き放題に生きたわね。 突然商売をすると言い始めて、30年間も私にその店を手伝わせている間に 他所で女を作ったり、こっそり家のお金に手をつけたり。 その人を連れてゴルフに旅行にと遊びまわり、飲み歩いてね。 子育てなんて全部私に任せっきりで、ほとんどしなかったでしょ。 でもねじいじ、私はそれでも、あなたにまだ居て欲しい」 父の左手を両手で包み込み、まるで駄々っ子を宥めるように話しかける母の言葉を聞きながら 「おいおい、こんな男にだけはなるなと刷り込み続けて今更それはないだろう」と思ったりもしたが その言葉を聞いて、つくづく夫婦のことは夫婦にしかわからないのだと思い知らされた。 そして母が話し終えるのを待っていたかのように、9月21日午前6時に父の心臓は動きを止めた。 息を引き取る直前まで、話しかければ反応していたし、ゆっくりと腕を持ち上げたりピース���インも出せていて 「ぎゅっと握ってごらん」と言えば握り返していた父の時間は、本当に呆気なく止まったのだった。 けたたましい機械音さえなければ寝落ちを疑うほど穏やかな最期だった。 入退院を繰り返したとはいえ、何週間も昏睡状態が続いたわけでもなく、 在宅介護開始から2ヶ月、再入院から僅か2日で逝った父は ピンピンコロリとまではいかなくとも、ほどほどコロリぐらいの称号は与えても良い気がする。 面倒を見ていた親族の誰も介護疲れに陥らせず 別れを惜しむ気持ちを十分に残した上で旅立ったことは、家庭を振り返らず仕事に恋に奔放に生きた父が 珍しく見せた父親らしい気遣いと言っていいかもしれない。 週末は自宅で皆に介護されながら、コロナ感染の入院直前に食べるはずだった念願の鰻もちゃんと食し 早朝にも関わらず親族8人が見守る中で逝けたのだから、幸せだったろう。 亡くなる前日の朝、家族がいる手前では気恥ずかしさが勝ってしまい、正直な気持ちを話せないと思った私は ひとりで病院に面会に行き、眠っている父に向かって幼い頃から反抗的な態度を取ってきたことを詫びた。 「できの悪い息子でごめんな」と耳元で話していると、父が一瞬、私の手を握り返してきた、気がした。 あの時間がなければ、私の後悔はもっとずっと大きかったと思う。 テレビで何度も見かけた「9月21日午前6時21分、お亡くなりになりました」という医師の言葉を聞き終えて外に出ると もう空は明るくなり始めており、電話1本で飛んできた葬儀屋と話をしているうちにすっかり陽は昇った。 秋晴れの爽やかな朝だった。 悲しみに浸る暇もなく、数々の段取りが始まった。 実を言うと、2年ぐらい前から「親が亡くなった時にするべきこと」という ハウツーのページをブックマークしていて、折に触れて読み返すのを癖づけていた。 10年以上前の別れでは狼狽してしまい、何もかも人任せにしてしまった反省から いざという時にあたふたせず、冷静に適切な行動とれるための予習をしていたのだ。 親族と親しい方々への連絡、役所への届け出、葬儀の手配など まるで流れ作業のように進んでいって、翌日には通夜、翌々日の葬儀がすんなり決まった。 通夜の翌日、親族の集まった部屋に入ると、皆が見守る中で父が風呂に入れられていた。 旅立ちの前に全身を綺麗にするオプションサービスで、母が頼んでいたらしい。 髪も丁寧に洗い、顔もパック&化粧までしてほとんど韓流スターのようなフルコース。 一部始終を近くで見ていた姉が「私がやって欲しいぐらいのサービスだったわ」と感心していた通り 仕上がった父はこざっぱりして生気を取り戻したように見えた。 昼時になり孫たちが腹が減ったと言うのでGoogleMapで調べてみると 田舎のため近くには���ンビニぐらいしか引き当たらない。 「仕方ないから適当におにぎりでも買ってこようか」と義兄は言ったのだが 騒がしく葬るのが我が家のスタイルだからと、私の提案でデリバリーを頼むことにした。 幸い、配達圏内にカレー屋とピザ屋が引き当たったため Uberと出前館に一軒ずつ注文を出し、数十分後には親族控室はカレーとピザの匂いで充満した。 父の想い出話を肴にワイワイと盛り上がり、「こんなに騒がしい親族の控室はないんじゃないか」と 誰かが口にするほど賑やかな昼食になった。 年を取ってもジャンクフードが大好きだった父は、すぐ横で羨ましく見ていたに違いない。 皆で盛り上がっているところに葬儀屋が入ってきて、一枚の紙を置いていった。 折り鶴の形をした形状記憶用紙で、皆で一言ずつ別れの言葉を書いてお棺に入れるのだという。 「お疲れ様でした」「あちらでは偉そうな振る舞いをしないように」(←私)など各自が書き込み、 最後に全員のメッセージを読んでいると、看護学生をしている姪が書いたと思しき一文が目に留まった。 「きちんと面倒をみてあげられなくてごめんなさい。立派な看護師になってみせます。」 淡々と皆の様子を俯瞰で眺めてきた私は、その一文を読んで初めて涙腺が緩んだ。 父親としては赤点だったが、祖父としては孫達に慕われる良きじいじだったのだ。 父の顔の広さもあって、葬儀場には置き場所に困るほどの花が届き、弔問客で溢れ返った。 コロナ禍ではとても実現できなかったであろうし、やはり父はツイている。 「いよいよお別れの時です。 生前お付き合いのあった方は、どうか前に出てきてお顔を見て差し上げてください。 仏様は亡くなっても私達に多くのことを教えてくださいます。 命の儚さ、尊さ、多くの教えを私達の心に遺して旅立たれるのです。」 お棺を閉じる前のお坊さんの言葉に誘われるように棺の前に立ち、眠っている父の顔を覗き込んでみた。 次々と収められる花に囲まれた父は、加工アプリで装飾し過ぎた写真のようなビジュアルで少しだけ滑稽だった。 そしてその姿を見てフフッと少し笑った後に、訳もわからず涙が流れた。 時間にしてほんの1分ぐらいだったと思うが、どこかの栓が抜けたようにドバドバと流れて自分でも驚いた。 「最後ぐらい泣いてくれ」と、父が私の涙腺(栓)を抜きにきたのかも知れない。 こんな機会でもなければ会うことの無かったであろう、数十年振りの知人や親戚と再会し 様々な思い出話をしていると、この時間も父の置き土産なのだと感じる。 簡略化の進む現代風の葬り方にも良い点はあるが、昔ながらの葬式も、その煩わしさも込みでなかなか良い。 親族用にチャーターした火葬場までの送迎バスに乗り込む際、 片手で骨壷を持ち、片手でスマホを持って自撮りをした。父とのツーショットである。 山の中腹にある火葬場は薄曇りで少し肌寒かったが、待ち時間中はやはり四方山話で盛り上がった。 火葬を終え、小さな骨壷に収まった父と帰宅してから 四十九日までの予定を親族で確認し、それぞれが日常に戻っていった。 数日して何気なくiPhoneの写真フォルダを見ていると、入院時に父と撮った写真が出てきた。 亡くなった9月21日は金曜日、その写真は2日前の19日だったので 写真の上にはまだ『水曜日』と表示されている。 iPhoneの写真は1週間以内なら曜日で表記され、1週間以上が経つと○月○日の表記に変わる。 水曜日という表示に、まだ数日前まで父はこの世にいたのだと気づかされた。 老健に長く入っていたし、それほど頻繁に会っていたわけでもないのに 「もういない」ことが日毎に実感となって、音もなく雪が降り積もるように静かに寂しさが募っていく。 あっという間に四十九日を迎え、近しい親族だけで法要を済ませた。 葬儀の時と同じお坊さんがやってきて、最後にまたひとつ話をしていった。 「四十九日が経ちましたね。 毎日元気にお過ごしでしょうか。 今日はひとつ、時間と命について皆さんに考えていただきたいと思います。 私たちは皆、等しく流れる時間の中で生きています。 亡くなった方の時間はそこで止まり、しかし私達の時間は動き続けます。 時間の止まった方との距離は日々遠くなり、日常で思い出す機会が減ってきたり 悲しみが薄れたりしますが、そんな時こそ、生きていることを自覚していただいたいのです。 今日この場で皆さんと過ごした時間が二度と戻らないのと同じように 時間は先にしか流れないと自覚しながら、1日1日を大切に過ごして下さい。」 私にとって父が良い父でなかったように、父にとって私も良い息子ではなかったろう。 生きているうちにもう少し何とか出来たかもと思わないでもないが、全ては後の祭り。 是枝裕和監督の映画「歩いても歩いても」に出てくる 『人生はいつも、ちょっとだけ間に合わない。』を、まんまと私も体験してしまった。 先人からの教訓を受け取っていたのに、実践を怠って同じ後悔をして その気持ちをこうして文章に残し、誰かが悔いを残さないようにと祈る。 そうやって、人は生きていくのだ。
四十九日 - 忍之閻魔帳
11 notes
·
View notes
Text
ある画家の手記if3-4? エロ怪文
某所。 ほとんどなにも置かれていない、生活空間とさえいえないような伽藍堂の一室で
一見すると華奢で小柄な身体が、大柄の真澄をゆったりと寛がせるようにベッドの上で優しく横抱きにしていた。 瞼に、額に、ふとした時に降る優しい口付け。まるでそんな時間が永遠に続くかのように、一片の不穏さも感じさせることのない空間… いつまで続くのかなどどちらにも分かりはしなかったし、勿論なん��先立つ予定もない、もしかすれば「今後」という発想さえも、その男が既に殺してしまっている、 閉じたあたたかな 胎内のように。 生まれ出でる日を密やかに恐れる、胎児が二人、揺蕩っていた。 「真澄 チビどもがお前を探し求め始める時間だぜ」 甘やかすような優しい声音で紡がれる、ここに来てから初めての、不穏当なことば。 真澄の頬を、顔にかかる髪の毛を、そうっとすくいあげて自分のほうへ顔を上向かせる。 「チビたちぁ泣くだろうがまだ俺と来い」 粗野で飾り気も品もあったものではない、無神経極まりない言葉そのままの言葉が真澄の全身を差し貫くように発せられる。 ーーー男がふと手の届く場所にあった窓をからりと少しだけひらく 久しぶりの外気が部屋の中に滑り込んでくる 凍るように冷えた外気とともに風に乗って部屋の中に舞い込んできたのはーーー今年の初雪だった。 すぐに閉められた窓に、外から入った風は行き場をなくしてはらりとその場に、剥き出しのフローリングの上に、雪を無造作にゆっくりと散らす。 「攫ってきたせいかね、ついてきちまった」 そう言ってどこか子供のように無邪気にわらう。 かと思えば真澄の頭が仰け反るほどの深いキスを与えてくる。 真澄の前で、男の行動はまったく出鱈目に無軌道のようでいて、男の情緒はいつだって穏やかに安定していた。 一瞬あとにどのような悲劇が襲ってもその笑みを崩すことはないだろう。むしろもっと愉快にわらうに違いない。穏やかだが、確かに狂っていた。 真澄は今、その狂気を羊水がわりに、全身をくまなく浸されて、安らぐ以外のなにをも禁じられ、封じられていた。 「――――…っ…」 突然のキスに一瞬息を詰まらせた真澄を、男は無遠慮に閉じることもしない両眼を、爛々と輝かせて見据え続ける。 お互いが快楽の内にあっても支配権はこの手にあると、揺るがぬ主張を絶え間なく続ける瞳だ。 その瞳の在り方は、男の人生そのものでもあった。 それを男は当分の間、真澄一人に一心に注ぐつもりらしい。 あまりにもーーー置き忘れられたままのものが多すぎる …男は真澄の頬を撫でながらそう感じる。 いちいち何を置き忘れたのか思い出して拾いに出向くよりいっそ、一度壊してはじめからーーー 詰まるところ男の思惑は、男の愛し方は、今はそこに集約していた。 男はその道の学を収めた専門家でもない、ただ真澄を愛するあまりにそれに似た道を辿ろうとしている、一歩間違えば真澄そのものを失いかねない危険な手段をやすやすと選びとっていた。 ーーー外気に触れた 雪の舞い溶けた室内、……殻を 破り 羊水��ら顔を覗かせて 少しずつ自分で呼吸させる時間だ。 キスの合間に空気を吸わせて、空気に溺れないようキスで呼吸を導く。何度も繰り返した。 男の頭の端には一応の目処がなくもない。 何故なら追ってくる相手は手強い。いつまでも適当に撒けるとも思えない。それになにせ頑なに一途ときている。いずれ真澄と会う機会を設けさせなければいけなくなる…
2 notes
·
View notes
Text
熱を帯びた口調で、読み終わったばかりの小説を私にお薦めしてくれる人がいる。前置きのない唐突な質問を投げ掛けると時間をかけて答えてくれる人がいて、二人きりのときにこわいものを教えてくれる人がいる。
誰が一番とかはなく、名前のつく関係性に当てはめたいと思わない。ただ「わたしたち」と括ることを受け入れてくれるだろうという安心感がある。誰のことも、たいせつな人と呼びたい。
お薦めしてくれた小説を新幹線の車内で読みながら、そんなことを穏やかに考えていた。
真新しい電光掲示板に映る行き先をしばらく眺めて、毎日のように乗っていた電車の乗り換え方法がわからなくなっていることに気付く。
海を見て、山を見て、もう一度海を見る。曇り空の下、遠くの海は白く、空との境界が曖昧になっている。仄かに潮の匂いがする。
駅から海が見えるこの町は美しい。離れたくて堪らなかったこの地に訪れても、今はそう思える。
耳の遠い祖父に声を張り上げてひとことだけ「ただいま」と声を掛け、最近の出来事を母と話す。一段落したところで「ピアノ弾いてこようかな」と言ってみる。ずっとタイミングを伺っていた。
物置部屋と化した空間にある埃っぽいピアノに触れる。
目を閉じたまま手を乗せても自然に馴染む。神経の行き届いた指先を鍵盤に落とすと、思い描いた音が響く。そのはずだったのに、ピアノの前に座ると迷子のような不安感が生じ、鍵盤の冷たさは私と溶け合うことはなかった。静かに佇む音楽室にある古ぼけたそれを想起させるものになっていた。くすんだ色のペダル。思いどおりに指が動かない。
ここにいる人たちは私のことを何も知らない。上京して7年経つ今の私が何に興味があるとか何が好きだとか、休日何をしているとか、たいせつに思っている人たちがいることとか、何も知らない。話していないから当然のことだけど。
古いカタチの幸せを願われている。私が望んでいるかどうかの確認もなく。当たり前のようにそれが幸せなんだと口にする母との間に深い断絶を感じる。同時に、私の幸せを願う母なりの愛情なのだと理解もしている。
切なくなる。ここはすべて過去のままなのだとわかる。或いは私自身が【過去】とラベリングをしてしまっているだけかもしれない。
3 notes
·
View notes
Text
生まれてくること自体の暴力を 乗り超えた 小さなものは まだ見えない目を 固くつむっている。 初孫に 自分の似姿を見て、 近づける 顔の気配に、 小さなものは泣きはじめる…… 老年の 私自身が、 赤ん坊の扮装で 泣き叫んで いるのではないか? この子の生きてゆく 歳月は、 その過酷さにおいて 私の七十年を超えるだろう。 小さなものは、 問いかける言葉こそ持たないが、精巧なミニチュアの指をひろげて、 しきりに手探りする。 四国の森の伝承に、 「自分の木」があった。 谷間で生き死にする者らは、 森に「自分の木」を持つ。 人が死ねば、 魂は 高みに昇り、 「自分の木」の根方に着地する。 時がたつと 魂は 谷間に降りて、 生まれてくる赤んぼうの胸に入る。 「自分の木」の下で、 子供が心から希うと 年をとった自分が 会いに来てくれる(ことがある)。 私が 十歳になるまで、 国をあげての戦争だった。 子供の 私らは歌った、 大君の辺にこそ死なめ顧みはせじ 大君が 人間の声で、 戦争に敗れたことを告げた日、 ラジオの前に 校長が立って叫んだ。 私らが生き直すことはできない! 晴れた青空に 沈黙がコダマした。 森に入って 杉・檜混成林を抜けると、 闊葉樹が 明るい林をなしている。 そのなかに立ち上るモミの木群集が、 私の家の者みなの「自分の木」。 私は若い一本の下で待っていた。 年をとった 自分に、 尋ねたい と希って…… 私は生き直すことができるだろうか? 夕暮れた森に、 人の足音が起こった時、 私は 恐怖に総毛立って、 ウラジロの斜面に走り込み、 モンドリ打って 滑り落ちた。 傷だらけの 私を裸にし、 自分で集めた薬草の 油を塗ってくれながら、 母親は 嘆いた。 子供たちの聞いておるところで、 私らは生き直すことができない、 と 言うてよいものか? そして 母親は私に 永く謎となる 言葉を続けた。 私は生き直すことができない。しかし 私らは生き直すことができる。 国を奪われた 同胞の、 不確かさの思いを共有して闘い、 白血病とも闘っていた 友人が、 晩年に 研究の主題としたのは、 ある種の芸術家が 死を前に選びとる 表現と 生き方のスタイル。 かれらは穏やかな円��にいたらない。 伝統を拒み、社会との調和を拒んで、 否定性のただなかに、 ひとり垂直に立つ。そして、 かつてない独創に達する者らがいる…… ニューヨークの病室からの最後のファクス。 老年の内面を引き裂く矛盾を 恐れるな、 困難を見きわめ、その向こうに、 腕を差しのべよ、 不確かな足場から。 気がついてみると、 私はまさに老年の境地にあり、気難しく孤立している。 否定の感情こそが親しい。 自分の世紀がつみあげた、 世界破壊の装置についてなら、 否定して不思議はないが、 その解体への 大方の試みにも 疑いを抱いている。 自分の想像力の仕事など、 なにほどのものだったか、と グラグラする地面にうずくまっている。 あの日、「自分の木」の下に 来るのが遅れた老人は、 いまの私だ。 少年に答える言葉は見つからぬまま…… 誕生から一年たった 孫に、私がかいま見たはずの 老年の似姿は、ミジンもない。 張りつめた皮膚に光をたたえて 私を見かえす。 その脇にうずくまる、私の 老年の窮境。 それは打ち砕くことも 乗り超えることもできないが、 深めることはできる。 友人は、未完の本にそう書いていた。 私も、老年の 否定の感情を深めてゆくならば、 不確かな地面から 高みに手を伸ばす手は、 何ものかにさわる ことが あるのではないか? 否定性の確立とは、 なまなかの希望に対してはもとより、 いかなる絶望にも 同調せぬことだ…… ここにいる一歳の 無垢なるものは、 すべてにおいて 新しく 盛んに 手探りしている。 私のなかで 母親の言葉が、 はじめて 謎でなくなる。 小さなものらに、老人は答えたい。 私は生き直すことができない、しかし 私らは生き直すことができる。
大江健三郎「晩年様式集」
3 notes
·
View notes
Text
いろんなモキュメンタリーホラーのはなし
ちょっと気になってた短編モキュメンタリーホラーゲーム「原枝恚子さん怪死事件」に非常に消化不良感が残ったので、話題の日本作モキュメンタリーホラー作品をいくつか見た。
情報に対する恐怖を取り扱うので、ホラー苦手な自分でも直接的なグロや恐怖シーンなしに怖さと厭さを摂取できるので楽しかった。
近畿地方のとある場所について
モキュメンタリーホラー小説
雑誌・ネット記事・インタビュー起こしなどの文体模写が克明で、怪異そのものというより、情報の伝播や加工・編集、消費と再生産サイクルのリアルな手触りが薄暗い好奇心を刺激してくれてよかった。
土地がなぜその怪異を生み出すのかという背景はわざとか薄く、口伝の都市伝説ぽくふわっとしたそれらしい話があるだけなので、余韻は少なめ。
祓除
多すぎて不確かな情報に取り巻かれた不謹慎で不安な私たちが作り出す恐怖
テレ東60周年記念企画のひとつで、これまで集まってきた怪しげなビデオなどを「祓除師」という人がお祓いするのを見る視聴者参加企画。
情報の質感がすごくよくて、ほんとっぽさとうさんくささの隙間にあるあいまいさが不穏に漂っててよかったな。テレビというマスメディアでやる意味がちゃんとあると思う。
怪しげなビデオという情報を利用して、見てる人自身の薄暗い好奇心・興味本位を刺激するホラー演出がほんとうにうまい。怪異や物語ではなくて、情報の流通する社会や情報を消費・生産する自分たち自身の後ろ暗さに恐怖を転嫁するような感じ。スマート! 後番組も合わせての作品。カメラを向けること、情報を発信することの暴力性が描かれててよかったね。
ある種の妄想性障害を扱ってるような表現も見られるけど、作り手自身が他者として切り離さず、自身が持つ恐怖と接続して描いているとは思ってて、自分はそこは許容して見れた。
「チャンネルを合わせる」という合言葉がテレビ企画であるとともに、後述のSIX HACKで見せたあやしい情報に洗脳され変えられていくことに対する恐怖なんだろうな。
SIX HACK
3つ見たなかで一番よかった。祓除と同じく大森時生プロデューサー企画作品。ぜんぶYoutubeで見れる。
「偉くなる」ため世間をハックする知恵を学ぶ情報バラエティ番組という体から、じょじょにおかしな情報が流れてくる情報ホラーテレビ番組。 途中地上波打ち切りになってて、youtubeでの事後検証番組までがセット。
突き詰めれば陰謀論へ取り込まれていくことの恐怖を描いてるのだけど、日常に漂う違和感や漠然とした不安から手にいれようとした情報が、隙間を埋めるようにどんどん過激で刺激的で暴力的になるのに本質的な意味はないままで、そんな情報にどんどんと埋めつくされて、過剰な情報に自己を変容させられるのではないかという恐怖が現代っぽくて、ちゃんと質感と切実さを持って見れたからよかった。最初2話のイヤさがリアルかつ皮肉っぽく笑え、その後のホラーへの変容にあたっての周到な準備になってる。座組みがいいから当然なんだろうけど。
事後検証番組でなぜかプロデューサーみずから迫真の演技をしてて、どこまで真剣なのかよくわからないのもいい。 それは自分が持つ恐怖ではないけれど、ひとの持つ恐怖を見るのが好きなので。
途中打ち切りは、不特定多数に届ける公共の電波で放送するにあたってサブリミナル表現の禁止という放送基準に明確に違反してるので、まあ仕方ないよね。どこまで意図してやったかはわからないけど。
youtube
原枝恚子さん怪死事件
ちょっと話題のモキュメンタリーホラーゲーム
オチやストーリーが過去ホラー作品そのまますぎて演出も工夫なく今さらこれやらされるのか……というのが率直な感想で、でも低価格帯ホラーゲームというジャンルで新鮮に感じられる人もいるだろうし、作品としてはこれでいいのだろうけど、自分としては楽しめなかった。
それとは別に、精神疾患のある方への偏見を助長するような表現を、過去のホラー作品が使ってたという理由で不気味さを演出するためにそのまま躊躇なく残しているのは2023年に発売する作品としてすごくよくないと思った。
短編低価格帯ホラーは配信されることを意図して作られてるものが多いからこそ、そういうところしっかり意識した作品であってほしいと一個人として思ってる。個人開発でチェック難しいというのは当然あるけれど。
ホラー作品はどうしてもある属性の人々や困難な状況にある人々に対して「恐怖」という名で断絶したり見世物化してるような表現も多くて、そういうよくない後ろ暗さも含めて興味深いけれど、一面的に称揚する気分でもないという気持ちもありつつ、自分はやっぱり興味本位でこの作品たちを見たのだろうと思う。
でもこういうゲームもある。
Steam:ヒラヒラヒヒル (steampowered.com)
1 note
·
View note
Text
三輪秀次の小説(二次創作)
きみは河を渡る
切れた電線はうねり、パチパチと鳴っている。もうもうと立ちのぼる埃と煙は視界を狭める。降ってくる灰を吸い込んで、喉が痛い。ゴホと咳が出た。
空を雲が厚く覆っていた。
時折、低く戦闘機が飛ぶ。空気を震わせる爆音も、いつの間にか聞こえなくなる。
無駄を知り還ったのだ。替わりにヘリコプターのバタバタという回転音が耳に障る。避難を促すサイレンがとうとう途絶えた。
道路や瓦礫の上にうち捨てられた、おびただしい数の死体ももはや何も言わなかった。
それら��胸には皆、着衣の上から同じ箇所にこぶし大ほどの穴が開いていた。彼らが開けていったのだ。心臓の脇を的確に単調にえぐり取っていく様子は、実りの季節を迎えて収穫にいそしむ農夫のようだった。
鋭い鉄の匂いが鼻の奥を刺す。血だまりに足が取られる。地面のいたるところにできた血液の浅い湖は徐々に固まり、粘度を持ちはじめていた。その上に、ぽつりぽつりと何かが落ちてくる。
……雨。
『姉さん』
三輪は姉を探していた。
「お断りします」
三輪の返事に根付は下がり気味の眉をさらに下げた。
「うーん、やっぱり無理かねえ」
「去年に引き続き、申し訳ありませんが……」
これ以上は目を合わせないように顔を伏せて押し黙る。可愛げのない態度だったが、断る選択肢しか持っていない。
ボーダー本部メディア対策室である。
いかにもオフィス然としたレイアウトだ。メディア対策室の名の通り、棚を並べた一角があり、派手なロゴのついたグッズたちが飾られている。
棚の横にも小ぶりの段ボールがいくつか置かれ、中にはビニールに包装された何かが入っていた。
さらにはミニスタジオのようなものがつくってある。
雑然としているが、外部の人間への窓口だけあって、明るい開放的な空間であった。
三輪がめったに訪れない部署だ。それも入り口で済ませる所用くらいで、もしかしたら、ボーダーに所属して四年近く、初めて足を踏み入れたかもしれない。
A級隊員の嵐山をデフォルメしたぬいぐるみの飾ってあるテーブルで、茶を勧められている。早く作戦室に帰りたい。自然と眉間が寄ったが長い前髪に隠されて、根付が気づいた様子はなかった。おそらく、気にしてもいない。
「原稿はこちらで用意するし、内容はちゃんとチェックしてもらうんだけどね、ダメかね」
根付が頼んでいるのは、来月に行われる三門市主催の追悼式典のスピーチだった。
近界民による大規模侵攻から四年目の式典となる。
公会堂のステージに設置した祭壇を花で埋め尽くし厳粛に行われる。市外からお偉方や著名人がたくさんやって来て、それぞれ追悼の意を表わす。最後に遺族代表数人にお鉢が回ってくる。大人枠が何名かと青少年枠が一名。
三輪に白羽��矢がたったのはその青少年枠だった。理由はボーダー隊員で遺族である人物のうち、比較的年下で一番長く所属しているからである。
日頃から「ボーダーの印象向上」を仕事にしている根付からの依頼は筋の通ったものだった。
しかも、直属ではないが上役である。
「三輪くんには業務外のことを頼んでいるのはわかっているんだけどねえ」
人を丸め込む技���の高さがなんぼの職に就いている根付だが、実はかなり弱気に出ている。
理由はわかる。
三輪に式典のスピーチを依頼するのは初めてではない。
一年目のとき、三輪は流されるままに引き受けたものの、原稿に目を通した段階で押し寄せてきた感情に引きずられて過呼吸を引き起こしてぶっ倒れ、騒ぎになったのだ。当然、本番のスピーチは見送られた。彼が中二のときの話だ。
二年目は話がやってこなかった。当時、所属していた隊の隊長である東が反対したのだと思う。頼まれたとしてもとても務まらなかっただろう。
三年目は根付は本部長を同伴してわざわざ頼みにきた。しかし、断った。三輪にとってこの依頼は荷が重く、片手間にできるものではなかった。高校生になったばかりで何かと忙しかったし、そのころ広報部隊としてメディア展開をはじめた嵐山隊を売り出す根付の派手な手法に若干いやな予感がしたのだ。
そして、四回目の式典である。
遺族でボーダー所属、さらに今年は初めて自分の部隊を結成している。
千六百人超の死者行方不明者を出した異世界からの侵略戦争によって、最愛の家族を失いながらも生き延びた子どもが立派に成長し、隊長となって隊員を率い街を守っている。
『これからもボーダーの一員として、三門市を守っていくことを誓います』
おそらく、そんな言葉で締めくくられるであろう、未来への宣誓。
三輪もボーダーの印象がよくなることに否やはない。
いまのところ命令はされていないが、任務ならば遂行しなければならないというのもわかっている。
ただ、ことこれに関してはそつなくこなせる自信はなかった。
「ちょっとしたインタビューもあるけど、一局に絞るから」
「……」
元々、要領のいいほうではない。愛想はかけらも持ち合わせていない。人前でしゃべることも苦手だ。ましてや全国に映像が配信されるなどと聞くと気が遠くなる。
それだけではない。
……雨はあっという間に激しくなった。
血のにおいに、ドブのようなそれが加わるなか、ようやく彼は探し人に出会えた。
折り重なるように積み上がった死体の山が崩れたのか、その脇に彼女は転がっていた。
他のそれらと全く変わることなく、彼女の胸にはぽっかりと穴が開いていた。死に神は何もこぼさずに等しく命を刈り取っていったのだ。
「姉さん」
誰か。
誰か姉さんを。
当日は各メディアも入り、騒がしくなるであろう時期を避けて、そこを訪れることにしている。
追悼の意を込めた公園は市街地に近い高台に造られていた。
本当の追悼の場所は、いまだボーダー管理下の警戒区域だ。
まだ真新しい石碑が幾本か建っている。
円柱の形をした石碑には名前がただ刻んである。犠牲者の名前だ。
三輪は一つの石碑の前でたたずんでいた。腕を上げ、石碑にそっと触れる。指を滑らせる。知っている名前もある、知らない名前もある。ゆっくりと滑らせていく���
一点で指が止まる。
彼女の名前だった。
『誰か』
『誰か姉さんを助けて』
目の前に広がる風景はいまも鮮やかだ。音も匂いも。足にまとわりつく重さも。降ってくる雨の粒まで。
足下の彼らはみな目を開けているが、そのまぶたは動かない。その指は動かない。
今の彼は知っている。死体は苦しまない。
大丈夫だ。
向こう岸で、穏やかに微笑んでいる。そこまでの距離はいつでも一歩だ。ひとあし、踏み出すだけで届くほどに近い。
時間は流れる。仮にマイクの前に立ち、メディア対策室のしたためた美しい文章を読み上げても、もう息がくるしくなることはないだろう。それでも、引き受ける気にはならなかった。
三輪は立ち上がると頭を下げた。
「お役にたてず、申し訳ありません」
強引に話を終わらせる態度を根付は咎めず、一緒に席を立った。
「残念だけどねえ。来年もまたお願いすることになると思うけど」
来年は五年という節目の年のために大々的になるという。おおっぴらに全国規模でボーダーの存在をアピール出来る数少ない機会だ。遠征には金がかかる。そのスポンサー集めも兼ねているという。民間組織であるボーダーにとって、金の話はいつでも切実だ。
「まあ、気にしないでいい、他に方法はあるからね」
頼りになるだろう、と彼はにやりと笑った。
これからの物語を紡ぐことは彼にとっては今までの物語をひとまず終わらせることになる。彼にはそれはどうしてもできない。
向こう岸はまだそこにある、いつでも行ける。死者たちは微笑んで待っている。一歩、踏み出せばすぐに会える。
黒い河の冷たい流れに脚を膝まで浸し、目の前の彼岸を見つめて彼は立っている。
この場所から立ち去りたくはないのだ。
いまは、まだなお。
了
3 notes
·
View notes
Text
サラリーマン新藤剛
1.
男は立ち止まり、目の前にそびえるオフィスビルを見上げた。周囲には真新しいガラス張りの高層ビルがいくつも建っている。それらと比べると背も低く古びたこのビルが、しかし男にとっては一番恐ろしく、雨だれで汚れた外壁に威厳すら感じていた。
新藤剛は墨田商事営業部の部長である。二十五年前に入社して以来営業一筋で、数年前に部署をまとめる立場になってからも、時折こうして自ら取引先に出向くことがあった。
ミネラルウォーターを一口飲み、中身が半分ほどに減ったペットボトルを鞄にしまう。呼吸を整えるように深く息を吐いたタイミングで、後ろから部下が声をかけた。
「部長、大丈夫ですか?体調でも悪いんじゃ……」
いつも闊達で堂々としている新藤の緊張したような様子は、若い部下には見慣れないものだった。急に暑くなり始めたここ数日を思うと、体調を崩したのではないかと想像するのも無理はない。
だが振り向いた新藤は、意外にも普段通りの声色でそれを否定し、にやりと笑って見せた。
「いや、問題ない。……まあ、武者震いというやつかな」
「はあ……」
新藤はそれだけ返すとビルに向き直る。部下もそれ以上何も聞かず、二人は連れ立って自動ドアをくぐった。
2.
受付を済ませるとすぐに応接室へ案内された。新藤にとっては何度も訪れたことのある部屋だが、この場所はいつも新鮮な緊張感を彼に与える。
年季の入った黒い革張りのソファに腰掛けると、わずかに軋む音がした。新藤は案内係が出ていった扉を目の端に入れる。
ここ丸岡社は、墨田商事と付き合いの深い取引先のひとつである。今日は契約の更新と内容確認のため商談の場が設けられていた。新規の契約をとるという訳ではない。しかし新藤は、この商談を重要なものと捉えていた。ある意味では、会社の今後を左右するほどの。こんなとき、新藤はいつも心にある人物の姿を思い浮かべていた。
それは人気ドラマの主人公、高橋真太郎。平凡なサラリーマンでありながら、不正をはたらき私腹を肥やす上司や、理不尽な要求をする取引先と臆せず闘う、熱い男だ。新藤はシリーズを通してこのドラマのファンであることを日頃から公言しており、高橋真太郎は彼の憧れだった。その姿を胸に、新藤は大事な局面を幾度となく乗り切っている。
まるで自分が主人公になったような気分で、この後現れるであろう丸岡社の担当者・戸坂の顔を思い浮かべた。あの食わせ者にしてやられないようにしなければ、と気合いを入れる。
「失礼します」
ノックの音に身を固くしたが、続いて聞こえたのは来客担当であろう事務員の若い声だったので少し肩の力を緩めた。事務員が手に持っている盆から、コーヒーの香りが漂ってくる。
「お待たせして申し訳ありません。戸坂はすぐ参りますので……」
「……いえ、こちらが早めに着きましたので」
実際、約束の時間まではまだ少しあった。新藤は元来せっかちな質で、さらに今日の商談への気合いからかなりゆとりを持って到着していた。待ち時間が生まれるのは想定内だが、こちらがじりじりと時間まで待ってから向こうが現れるとなると、どうも「余裕」を見せつけられているように感じる。しかしそこで動揺しては戸坂の思うつぼだ。新藤はそう思い直し、心を落ち着けて待つべくコーヒーをありがたく頂戴した。
結局、約束の数分前に戸坂が応接室の扉を開くまでに、新藤はコーヒーをほとんど飲み干してしまった。待たせた謝罪を口にしながら戸坂が歩み寄ってくる。彼の後ろに付いて、また事務員も入室した。先ほどとは別の盆を持っている。テーブル上を一瞥して空になったコーヒーカップを引き上げ、代わりに冷水の入ったグラスを置くと、一礼して部屋を出ていった。
「今日は暑い中、ご足労いただきまして」
「いえ、こちらこそ、貴重なお時間をいただいて……」
戸坂が近づくのに合わせて新藤と部下は立ち上がり、三人は互いに挨拶の言葉を口にした。しかし形式ばったやり取りもそこまでで、戸坂は新藤の向かいのソファに腰掛けると、始めましょうか、とやや気軽な調子で新藤を見た。
対して新藤は、目力を緩めぬまま戸坂を見返し頷く。ここで気を抜いて油断を見せてはならない。戸坂は穏やかだが切れ者だ。���みな話術でそれと気づかぬうちに主導権を握られてしまう。新藤はそう考えていた。
だが逆に、緊張を悟られるのもよくない。冷静に臨むため、新藤はグラスの水を一口飲んだ。
3.
それぞれ手元の資料に目を落としながら、契約内容を確認していく。はじめの二、三ページについて説明している間、新藤は資料をめくる毎にグラスに口をつけた。外の暑さのせいか自身の気持ちの問題か、やたらと喉が渇いたのだ。
途中、増税の影響や原料費の高騰など周辺の話題に寄り道しながらも、話は順調に進んだ。金額が絡む内容になると新藤は身構えたが、戸坂から何か指摘が入ることもない。自身が普段の落ち着きを取り戻しているのがわかる。ひと息つくように口にした水は、先ほどより少しうまく感じた。
「……ところで、前に来てくれた彼、佐々木くんでしたかね?」
「あ、ええ。佐々木がどうかしましたか?」
「いえ、実はこの間、こちらの都合で少し迷惑をかけてしまいまして。しかし彼に対応してもらって非常に助かったんです」
改めて一言お礼をと思っていて、と戸坂は手元のグラスを手に取る。そして休憩の合図とばかりに、脇に寄せられていた菓子盆を引き新藤たちに勧めた。
一見何気ない話題だが、新藤は戸坂の口元に浮かぶ意味ありげな笑みを見逃さなかった。戸坂が特定の部下について発言するのは珍しい。そもそもいつもきっちり仕事をこなす戸坂が、迷惑をかけたなどという状況にほとんど覚えがなかった。
この話題には何らかの意味があるのではないか。戸坂にとってメリットのある、何かが。
落ち着いていた心臓の音がまた煩くなってくる。新藤はそれを隠すようにグラスの水をゴクリと飲み、平静を装って勧められた菓子に手を伸ばした。
取引相手である戸坂から佐々木の名前を出され、礼を伝えたいと言われたことで、新藤としては佐々木にそれを伝言せねばならないだろう。それが戸坂の目的だとしたら。実は佐々木はスパイで、彼のほうから戸坂へ連絡しても不自然でない状況を作るとか、もしくはこの伝言自体が合図で、佐々木は戸坂と共に何か画策しているとか。
いや、佐々木は墨田商社に長く勤めている真面目な男だ。よく気がつく彼に、新藤も助けられてきた。あの佐々木がこんな裏切るような真似をするはずがない。しかし、そういう人物だからこそ疑われにくいとも考えられる……。
気取られずに戸坂の意図を探るには何と返せばよいか。グラスを持つ新藤の手に無意識に力が入る。中身が少なくなったグラスの内で、解けかけの氷がカランと音を立てた。
「そうそう、先ほどのコーヒーはいかがでしたか?」
新藤が探りを入れるより早く、戸坂は話題を変えてしまった。思考を巡らしていたせいで一瞬何のことかと思ったが、待ち時間に出されたコーヒーを思い出す。
「コーヒー、ですか。美味しくいただきましたが……」
「ああ、それならよかった」
満足気に頷いた戸坂と対称的に、新藤は内心の動揺を悟られないよう必死だった。コーヒーが一体何だというのだ。普通、あえて感想を求めるようなことはしないだろう。何の変哲もない美味いコーヒーだったと思うが。
「あれは実は社員が海外で買ってきたものでして。ぜひ味わっていただきたかったんです」
「はあ……」
そう説明されても、新藤は疑いを拭えない。言葉の裏の意味を汲み取る、自分の経験と実力を信じるがゆえだった。まさかとは思うが、薬の類を盛られた可能性はないか。変わった風味には気がつかなかったが、薬の味が分かってしまった場合に備え、ごまかすために海外土産という言い訳を準備していたのではないか。その考えに至ると、緊張感のせいと思っていた動悸も、薬のせいだったのではと思えてくる。
自覚すると、心音はより大きく新藤の身体に響いた。部下はなんともないのだろうか。ちらりと隣に視線を向けると、部下は平気そうな表情で座り戸坂の話に相槌を打っている。手元の水は、新藤ほどではないが減っていた。
それを見て、新藤にある考えがひらめく。そうだ、水だ。薬を飲んでしまったのなら、水で薄めるのは効果的なはずだ。二人ともそこそこ水を飲んでいるから、まだあまり変化がないのではないか。だからこそ焦った戸坂は、コーヒーをちゃんと飲んだか確認してきたのだ。
思うが早いか、新藤はグラスを口元へ運ぶ。しかし冷たい氷が口元へ触れただけで、喉を通る水分はわずかだ。しまった、水はもうほとんど残っていない。こうしている間にさらに薬が回ってしまうのではないかと新藤は焦る。どうする。いや落ち着け、こんなとき高橋真太郎なら……。
「失礼します」
見計らったかのようなタイミングで事務員が扉をノックする。静かに三人の元へ寄ると、グラスへ減った分の水を追加した。まだたっぷり水と氷の入ったデキャンタを机に残し、一礼してまた静かに退室した。
ありがたい。新藤は早速、補充された水を飲み下す。ちょうどいいときに来てくれて助かった。
いや、だがタイミングが良過ぎはしないだろうか。新藤の脳内に新たな疑惑が浮かんでくる。もしかして、この部屋は外から監視されていたのか。もしくは、戸坂が外へ何らかの合図を送ったのではないか。
新藤ははっとして、持ったままのグラスに目をやった。むしろ水のほうに仕掛けがあったらどうする。コーヒーに意識を向けることで、安全なものと思い込ませた水を大量に摂らせる策であったとしたら。戸坂ならば、それくらいの誘導は難なくやってのけるかもしれない。
だがそのとき戸坂自身がグラスから水を飲んだのを見て、新藤は冷静さを取り戻した。そうだ、この水は目の前で同じデキャンタから全員のグラスに注がれていたのだ。そしてそれを戸坂も口にしている。つまり水に薬は入っていない。あるとしたらやはりコーヒーだ。
思い通りになるものかと、新藤はさらに水を飲む。まさかばれているとは思っていないのだろう、怪訝さを隠せていない戸坂の苦笑が可笑しかった。
やがて残っていた書類の確認が済み、商談は終了した。話を終えるまでに新藤は二杯目の水を飲み干し、デキャンタから再度注いでそれも飲んでしまった。
「それでは、本日はありがとうございました」
「こちらこそ。今後ともよろしくお願いいたします」
新藤は部下とともに、丸岡社をあとにした。体調も変化なく、勝ち誇った表情を浮かべ歩く。戸坂は薬でこちらの判断力を鈍らせ、商談を有利に進めようとでも思っていたのだろうか。その企てに勘付き逃れることができたのだ。巨悪に立ち向かう、あの主人公高橋真太郎みたいじゃないか。大仕事をやり遂げた達成感を胸に、来たときよりも堂々とした足取りで新藤は帰っていった。
4.
「失礼します。墨田商社様、お帰りになりました」
「ああ、君もありがとう。すまないがグラスの片付けも頼むよ」
新藤たちを会社の入口まで見送り、来客対応の事務員が応接室に戻った。戸坂は疲れを滲ませた顔で書類を揃えている。
「お疲れさまでした。ところで新藤様、随分険しい表情をされていましたが……商談中に何かありました?」
事務員に尋ねられ、戸坂はため息を吐いて肩をすくめた。
「……何も。なんてことない、ただの定例の商談だ。まったくあの人は、ドラマの見すぎなんだよ」
.
5 notes
·
View notes
Text
2023/2/4〜
2月4日 型抜きを買ってクッキーを型抜く日! なのでネイルオフをしてもらいに、朝はネイルサロンへ行った。
上野で待ち合わせをして合羽橋へ向かう。 合羽橋の道具屋街のビルに、バルコニーがコーヒーカップになっているデザインの建物があったり、コックのおじさんがそびえ立っていたり、たくさんの食品サンプルが実際の食事よりも高価だったり楽しい街。 またふらっと遊びに行きたい。
1階から8階まで型抜きがずらーっと並ぶお菓子道具屋さんで、3人それぞれお気に入りの型を見つけて買った。 友人は小さい魚とうさぎ。わたしはおばけちゃんにした。
上野駅横の首都高は改築工事をしていて、日本橋の首都高を地下化して空を取り戻す計画、の一環らしい。
クッキーを作るため、友人の家へ移動。 移動中に見えるスカイツリーや川で、自分の住んでいるまちとの位置感覚を掴んでいて、まさかスカイツリーが、川が、シンボルとして自分の生活に入り込む日が来るなんて〜、と思った。
友人2人は、小さい頃おばあちゃんの家でクッキーを焼いていたらしい。クッキー用のミックス粉とバターをスーパーで買って、やっぱり節分を過ぎて春が来たのか、暖かいね、と言って歩いた。 誰かのお家に行くと、みんな生活をしていてえらいな〜、という気持ちになる。 今1番の苦痛で抗いたいものが生活になってきている。生活のために社会にも出ているし、生活が忙しくて頭が毎日混乱していて、生活をさぼると精神衛生がよくない。そしてずっと回っていくんだな、と思わせてくる生活って怖い。
クッキーを作りながら、写真を撮ったり色んな話を取っ替え引っ替えしたり、昔、みんなでガスコンロでマシュマロを焼いた日のことを思い出して、こーゆーことしたい!という事ができて幸せだった。
この数日、すごく不安でSNSにも頼れないで、でも漠然と安定した30歳でいることが悲しかったので、今日の型抜き会はとても救われる時間だった。
バターを溶かしている間に、バレンタインのチョコレートを交換しあった。特に予定してなかったのに3人ともそれぞれ用意していて、幸せな机の上になった。
今朝、3時ごろ目を覚まして、レトルトのほうれん草カレーをそのままスプーを突っ込んで食べていた話をしたら、友人1人はあんバターサンドを作って食べていて、もう1人はグミを食べていて、なんか少し安心した。 カレーを食べながら、IMAのコンペの講評トークのアーカイブを鑑賞した。久しぶりに長島先生のお話を聴けて、少し遠い存在の人から自分の写真について話してもらえて、これは幸せな事で、やっぱり写真を通して人と関わりたい、と思った。 写真、というか、私がしてきたこの7,8年間の生活を、みてもらえている感覚。写真を通して人と関わることが、1番望ましい自分との出会い方なのかも知れない。今は具体的な方法はわからないけれど、生活と写真をどうにかしたい。
2月5日 昨日のクッキー作りの会が幸せだったな〜、と色々思い出しながらも、生活がだるくてしかたない1日。 昨日クッキーを作った3人は、それぞれ誕生日の季節が違う。みんな自分の季節でない秋が好きなので、秋に祝いたいね、と合同誕生会を秋にすることに決めり、Perfumeのチョコレート・ディスコの“なぜか教室がダンスフロアに”は、聴き取れないよね、と話したりした時間がとても良かった。
そして今日はフィルム現像を待つ間にデパートのチョコレート売り場を眺めた。モロゾフのナインチェチョコを思わず買ってしまいそうになったけれど、ちゃんと手を止められた。 他のフロアでは5のつく日にくばられる100円引きクーポンをもらって、クーポン墓場(お財布)へ行く前に、お花を買って使っちゃおう!と思ったところで、こんなと前にも日記に書いたな…と思い出す。 今日はお花を買うのをやめた。
帰宅するとamazonセールで買った、本当に必要なモノ、だけが入った段ボールが置き配されていた。
本当に生活にまみれていて、よくわからないことがなくて、悲しけれどずっと真顔。 生活したくないのに目の前のちょっとした汚れを落とすことに身体を使ってい���。
何となく昨日行った友人の部屋を思い出しては、今頃あのソファに座っているのかな?とか台所でお湯を沸かしているのかな?とか時々他人の生活までも考える日だった。
わけの分からないことをすることに歯止めばかりかけていて、もらったハンドパックをした直後にガシャガシャ手を洗った事くらいが、今日の私の面白さのハイライト。
2月6日 忌引で休暇していた上司が今日から出勤されていて、社会人として当たり前のことなのだろうけれど、えらいな〜…と思ってしまう。 必要以上に振られた他愛ない話を広げてしまっている自分がいる。 なぜ私の方が気が動転してしまっているんだろう。 そして今日は血糖値お化けをしてしまっている。 朝からコンビニを梯子して食べられるお菓子をさがしてしまい、買ったものを全部一口ぐらいだけ食べて捨てて、をしてしまった。 昨晩NHKオンデマンドで観た某女子校の29歳の同窓会のドキュメンタリーに、大学時代のサークルの後輩が出演していて、思わず彼女にスクリーンショットとメッセージを送ってしまった。 私は、彼女と、彼女の高校時代の友人達(バンド仲間、といってしまうのはおこがましい程のとても愛おしい関係の方々)の関係性がとても好きで、彼女以外の方と直接面識はないけれど、彼女達のSNSを今でも見に行ってしまう(フォローはしていない)。 初めて会った時、こんなに若くて(一つしか違わないけれど)コンセプチュアルにセルフプロデュースできる女の子がいるなんて!!!と思って、今でも私にとってはアイドルでしかなくて昨日のメッセージを送るのも少し緊張していた(お高い感じは全くない、とてもかわいくて気さくな彼女なのに)。 その番組を観ていて、29歳の同窓会という文字に、29歳ってだいぶ大人だな〜とふと思って、私はそれをもう超えていることに一瞬で落ち込んだりもした。 友人からのラインを確認しようとして、届いていたメッセージの文頭から、妊娠の報告なのかもしれない!と察知して、なんだかどうしていいか分からずメッセージを開けずにいる。 オンライン機種変をしたiPhoneを途中駅のauショップに受け取りに行かなくてはいけないのに、全てが面倒でふらふらで、今日はやめておこうかな、と思っている血糖値お化け。
2月7日 ちゃんとiPhone14を受け取りに行ったよ。えらい! ショッピングモールの3階のテナントがauショップ。3階は主にレストランフロアなので今まで行ったことがなかった。 平日の夜のショッピングモールって従業員の方が多いんじゃないかな、というくらい穏やかで、でも不思議と閑散とした印象ではないのは、このまちの雇用を守って回っている経済が確かにあるからなのかもしれない、と思った。 ショッピングモールのテラスや外の広場は、上品に程よくイルミネーションが施されていて写真を撮りたくなる。バスから降りて歩く30分ほどの道でも、あ、ここで写真を撮ってみたいかも!と思うスポットがいくつかあるのに、今朝もカメラと三脚を玄関で持ち上げてはその重さに断念してしまった。 長島先生の講評を聞きながら昼休みを過ごしている。 セルフポートレートのこともだけれど、先生はキャプションをとても大切に考えていることがよくわかって、文章と写真のことも考えたいと思っていたので、その辺りもお話ししてみたいな〜、と思った。 ムキムキにならなくても三脚とカメラを持ち歩いてどこでも自撮りをしたいし、 頼り甲斐がない物言いのままでも、自分と同じ内容を言っている年上の上司のように社会の人たちに話を聞いてもらえるようになりたいし、 がに股で歩いて舌打ちしないでも夜道で変なおじさんに暴言を吐く当てにされないように、30年で培ったどこまでもふわふわへにゃへにゃな自分を、 誰かでなくて自分で守っていきたい。 年賀状のお年玉は一枚も当選していなかった。
2月8日 2期下の方をお昼のおしゃべり相手にお誘いしてみた。 半分は写真を撮って過ごして、半分をお話する時間に充てて昼休みを過ごしてみる。
ご飯を食べられないので、ひたすら歩いてラジオを聴いたりトークイベントを聴いたりして過ごすお昼休みを、誰か他愛無い身の上話をして過ごして、いつものお昼休みに起きている時間の使い方の迷いや後悔の焦りがなかったので良いことなのかも知れませんね。 でもとてもあれ?えっとなんだっけ?という気持ちで、帰り道を歩いてた。 そろそろ日記をノートに書く余裕がある気がする。 でもここでノートに戻したら、その瞬間また寒気が舞い込んで来る気がして、寒さは心理戦。
2月9日 今日は三脚を持って出勤して、少し写真を撮ることができた。 そして、とても楽しかった。 明日の東京出張が、また雪予報でどうなってしまうか不安だけれど、フィルムを出して現像の合間に用務を済ませて、帰りに受け取って帰る予定を立てたので、楽しみになっている。 今は自撮りと一緒に伝えたい言葉が明確にあるわけではないけれど、自分の置かれた環境が変わったところでもう一度我に帰りたいと思って、三脚立てて写真を撮ってみている。 バスを途中下車して帰り道でも写真を撮るぞ〜と思っていたら、一期下の方に声をかけてもらって、お話ししながらバスに乗った。 「今日はこれから写真を撮って帰るので、わたしはここで降りますね」と言って三脚をガタガタさせながらちゃんとお断りを入れて途中下車させてもらった。こんなに堂々と写真を撮っていて、そのことを他人に話していて、わたし大丈夫かな? 職場の二期下の方はベローチェを知らない。時間つぶしにカフェに入るようなことはしなくて、車��わざわざカフェに出かけるとのこと。もう2時間も居座ってしまったから流石に移動しようかしら、と、ベローチェからドトールへカフェ梯子をするような経験はないのでしょうね。 スタバよりベローチェのある街が都会だと思っています。
3 notes
·
View notes
Text
月間「しのみやさんち」10月度実況・執筆活動連絡表
やっぱりどうしてくそ暑いと言えなくもない微妙なくらいに じわった暑さが気になる10月の日程になります。
例により、後遺症+気管支喘息との闘病・体調の不穏のため、 記述内容は参考程度に留め置きいただくことを推奨します。
長文になりますため、各位様気になる個所を狙い撃ちご覧ください。
#しのみやさんち #ゲーム実況 #ゲーム実況者
★ はじめに ★
無理しない・頑張らない・地道に一歩ずつ。 これが守れないと体調的にも休まざるを得なくなります。
無理になりそうなときはやむなく時間変更などの対応を取ります。 「いのちだいじに」精神を守り、皆様を笑顔にしていくためにも 一実況者また一執筆者として活動することをご了承ください。
健康……早く戻ってこないかな……
SNSによる動画投稿報告や配信実施告知などは、 下記プラットフォームより行いますので、もしよろしければ アカウント登録の上でフォローくださいますと超喜びます。
よろしくお願い申し上げます。
★ YouTube ★
金曜と土曜の25時(つまり土曜と日曜のAM1時)を目安として、 多彩なゲームを遊びつつ視聴者様のコメントからおしゃべりを 交えていく夜更かし配信を行っております。
最近になって特定のゲームを遊びつつという感じでございます。
9月末まではスーパードンキーコング2/3を遊んでまいりましたが、 今月より新しく下記のゲームを全クリまで遊ぼうと思います。
・ヨッシーアイランド with 夜更かし/朝活配信
同じく最近になってコメントや登録をいただくことも増え、 大変ありがたい限りでございます。
引き続きご愛顧いただけますようよろしくお願いします。です。
・真・女神転生 を 仲魔禁止縛りでプレイ
の件については、もうしばらくレベル上げの時間をください。 経験値入手量が少なくてかなり時間を使っています。つらいです。
でも何とかしてやって魅せたいと思っています。
そして現在まで続いてきました、
・Final Fantasy Pixel Remaster ~実況者異世界転移シリーズ~
についてですが、下記の五部のシリーズすべて完結となりました。
・第一部:Final Fantasy ~光の実況者たち~ ・第二部:Final Fantasy II ~光と闇の実況者編~ ・第三部:Final Fantasy III ~千変万化の実況者編~ ・第四部:Final Fantasy V ~孤高を極める実況者編~ ・第五部:Final Fantasy IV ~月夜に輝く実況者編~
そのため、最終章として以前より計画していたスターシステムを 起用し、各部でお名前を拝借した方々のみでお送りする最終章・
・Final Fantasy VI ~集結!実況者たちの最終幻想~
の開催のため、再度お名前の拝借打診を各位様に出しましたところ、 すべての方から許諾をいただくことができましたため、 10月5日の午前1時より満を持して開始することになりました。
うれしいです。
えっと、FF4の月夜編、名前どうしたの?
と疑問をお持ちの方もいることと思います。 先月の連絡に記述していました、
名前を借りたという体で架空の実況者を生み出してプレイする
というアホなプレイでやってきました。 (それでも手厚く立候補くださった方が1名いましたが)
「FF6のために名前貸してくれって言えるならできたやろ」
なんていうツッコミはご容赦を。
・密室のサクリファイス ・魍魎戦記MADARA2
の二つについては編集を地道に続けておりますが、 体調等の事由によりかなり遅れていることを謝っておきたいです。
ちゃんと更新するので、他のチャンネルでも見つつお待ちください。
サクリファイスの編集法はもうちょっと簡易化する予定です。 (ゆっくり実況の編集者は尊敬に値する。マジで。行程多すぎ)
そんな僕のYouTubeチャンネル「しのみやさんち」、 下記URLよりぜひお越しください。
★ ニコニコ動画 ★
ちょっとしたDr.MARIO動画も終わっちゃいました。 ので、兼ねてより考えていたシリーズに取り掛かる予定です。
・俺の屍を越えてゆけ リメイク版(R版)
例により字幕編集は控えめにしつつカット多めでお送りする予定。 です。R版「異聞 心家神代記」の方をまずはお待ちください。
あとはどうするか考えています。
ひとまず、ニコニコ動画のページは下記URLよりどうぞ。
★ 小説家になろう ★ ★ カクヨム ★
本項目は執筆者名義「森羅 葉」としています。お間違いなきよう。
・『ロリババアって“職業”なの??』 ・『あれっ、もしかして理解ってない?』
は体調上の事由により10月も休載の方針を取っています。
お楽しみいただいている皆様には大変申し訳ございませんが、 療養優先とさせていただきたくご容赦願う所存です。
この様子ですので、来月以降の再開見込みも不明瞭です。
こちらも他の作品を読了しながら気長にお待ちください。
各々のページは下記よりそれぞれお越しください。
★ 終わりに ★
各項目に記述しましたURLより、興味のあるジャンルやページ、 チャンネルなどをご参照の上、ご視聴/ご愛読ください。
もうそろそろ暑さはいらないです。 クーラーも扇風機も必要ない寒々しい季節が待ち遠しいです。
しかし、コロナ後遺症から気管支喘息の症状を受けて1年… この期間中、一度は冗談なく死ぬ思いをし、 また一度は左目の失明体験までしました。
皆様に於かれましても、今ある健康は当然と思うのではなく 享受することに有難みを感じつつ日常を何事もなく過ごすことを、 僕から各位様へ自愛いただけるよう祈念したく思います。
ちゃんと健康に気を遣って長生きしてね。 僕との約束だぞ。
なにとぞ、よろしくお願い申し上げます。
余談:干し芋
寄付感覚でもいいですが、基本スルーで大丈夫です。 万が一来てくれたら、甥と姪が喜びます。
送ってもいいゾと思ってくれるだけでも感謝です。
以上、月刊「しのみやさんち」10月表でした。
皆様の健康をお祈り申し上げます。それではまた!
0 notes
Text
2024年8月31日
「四半世紀前のギャルゲーなんてもう時代劇ですよね。スマホもないし。『ToHeart』は名作にしたいとかは全然考えてなくて、少女漫画の読み切り的なものを制作期間内に詰め込んだ感じです。」
「「あいつらの分のパイを削れば俺たちに廻って来る」じゃなくて「もっと大きいパイを焼こう」であって欲しいし、そんな小さいパイしか焼かれないのは何が悪いんだ? ってことを見通せるようになりたいしなって欲しいのだ」
「宿題が計画通りに進んでいない時、「進捗遅れを報告したら怒られた」ではなく「進捗遅れを報告したら、ちゃんと計画の見直しを一緒にしてもらえて上手く進んだ」という成功体験を積んでおけた方が将来的に有益だと思うんだ」
「昨日五輪の影響で急にランニングシューズ変えた方が良いんじゃないかと思って見に行ってなんと影響されやすい愚かな己であろうかと店員さんにこぼしたら「頑張っている人を見て頑張ろうと思わなくなったらもうおしまいですよ」とただのミーハーが受け止めるにはあまりに重い金言を頂戴した(笑)」
「>誰々は俺の嫁!ってのも聞かなくなったな 推し呼びが一般的になっても好きだけど推してはいないな…ってなってなんか言いにくい面倒くさいオタクになった」
「ラノベの新人賞選考手伝ったときは「応募者はお客様だから審査は厳しくコメントは優しく」で頼まれたな…」
「家族の数が多ければ多いほど生活保護費は増えるので子供が100人いれば400万」
「銀座和光は楽しいぞ 高校生���がったばかりの子どもが親に連れられて七桁くらいする時計選んだりしてるの見て格差社会実感できる」
「どんな男もよく知っていくと「なんか子供みたいな人だな」に印象が収束するし、どんな女もよく知っていくと「意外と面倒だなこいつ」に印象が収束する」
「「こんなに謝ってるのに?」と言ってくる人を許すとマジでろくなことがない。」
「姉や兄の話といいどうしてわざわざ暴露するの…ノンケのサディストなの…」
「新しい家に引っ越した当日の晩に、これから「最寄りのスーパー」になるであろう、初めての店で買った惣菜を、家具のない部屋の床に広げて食べてるときの、あのワクワク感には中毒性がある」
「小説ってミクロな人間関係を切り取ってクローズアップするものだから、マクロな視点で全体から見下ろすとなにいってだこいつってなるのはどの作品においても共通することかもしれない」
「地元の祭りは三日間かけてやるんだけどその日だけは中学生も一升瓶ラッパ飲みとかしても許される 警察も見て見ぬ振り 昔は夜になったら茂みでお盛んだったけど今はどうなってるんだろうか」
「「人と人は基本的に理解し合えない」という前提の元でたまに理解し合える人と出会えるとラッキーという価値観で生活しているんだけど、「人と人は基本的に理解し合える」という前提の人と出会うとOSが違いすぎてバグった挙動を示してしまう。」
「アラン・ドロンさんの訃報に接し、「ハンサム」「二枚目」「美男子」という言葉がほぼ滅びたことにも想いを馳せる。 「イケメン」は違うんだよ。」
「強いオスが自分にだけ優しいとメスは好きになってしまうのだ」
「限りなく実在の友人をトレースしたキャラを出したら「人間味がない」と言われたことがあるので、思いの外世の中にはアンドロイドが潜伏しているっぽい。」
「オリエント工業。SONYのアイボの時みたく、ドールに対して本当の家族のような愛情を抱いているユーザーがメーカー消滅後にどうやってメンテナンスや修理をするのかちょっと気になる(なんとなく某ゲームのメイドロボなどを重ね合わせながら)」
「うまくいかなかった昨日の経験よ、血肉になれ、もしくはなかったことになれ。」
「最近、マ・ドンソクさんなどが出演されている韓国のヤクザ映画などが好きになってしまい、いろいろ観ているんだけど、おおむねお話の筋なんかは同じで、マ・ドンソクさんが拳で何もかも解決してしまうわけだが、飽きさせることもなく楽しくて、言ってみれば「殴る寅さん」みたいな安定感がありますね。」
「そいつを主役にしても物語が作れる悪役がベスト、みたいなことが創作指南本に書いてあったな」
「いつの間にか消え失せた夏祭りのざわめき。 虫の音だけが静かに響く、月明かりの境内。
幼馴染と恐る恐る、手さぐりのように初めての愛を交わした――
ことのあるエロゲ主人公は全員、礼拝所不敬罪に問われるということをたったいま知りましたですなう!」
「「人生で一度も滑ったことのない一発ギャグ"おしっこを限界まで我慢したHONDAアシモ"」を実際にこの目で見たい」
「いろんな事例をウォッチしてきた経験で考えると、プロジェクトが破綻する理由のほとんどが「決して合理的な判断とは言えないが、精神的な余裕がなくなって嫌気がさしたので他人の意見を聞きたくない」というモチベーション枯渇やパニック状態が原因になってた。(これは投資に失敗する人も同じ。ビビる
どんな過酷な状況でも平気な顔をして淡々と合理的な判断と最適解をするのが「強い」んだけど、人間味のある人はビビってしまうのでなんでそんなことをするんだ?!という破滅的な行動をやり出してしまい破綻していた(急に打ち合わせの場に来なくなるとか、全部を御破算にするとか)」
「仕事や芸術に高いレベルで打ち込んでいる人が「家族いらない」っていうのは感覚として全然理解できるのだよね。だけど、元ツイのような「学生時代や若手社会人時代の楽しみ」みたいなものでずっと幸せを感じ続けられるのは本当に才能。
これ自体は批判したり腹を立てるようなことはなくて、こうやって自分への投資や娯楽だけで生きていけるのは天賦の才のようなもので、通常凡人は「自分のためだけに生きていく」ということにはどこかで限界ができてしまい、家族の存在はその救いだったりもする」
「そういや以前「被虐願望のある未亡人とずっとその女に惚れてた加虐趣味の男」のロマンス小説読んだんだけど、両思いになるのは一瞬だったのに、エロに入る前に今後のプレイ内容確認・ルールの取り決め等合意形成のための理性的な話し合いが全体の40%超延々と続き「役所かお前は」と放り投げたことある」
「これは本当にそうで、人生学校も仕事も「俺はダメだ」と思わせられることの繰り返しで、その中で「能力を伸ばす方法はないか考えて実行する」「今の自分のできることを探してやりきる」「他の場所に可能性がないか探す」という選択肢を続けることが大切なんだなと思います。」
「イース1のTHE MORNING GROW、一旦闘いに決着はつくけれど、(ゆっくりパンナップしていくあのグラフィックと共に)次へと想いを馳せる感じが凄く好きなのです。メガゾーン23の負けて立ち上がるラストの「淋しくて眠れない」が一番好きなのと同じような感じというか。伝わるかしら…。」
「人間は自分のために犠牲になってくれる存在を「泣き」で消費する文化がある」
「ネガティブ極めてる人って、自販機の飲み物程度の額でも固辞するクセに、一緒に遊びに行った後に「楽しくなかったですよね?スミマセン」みたいに、こっちが相手を楽しませるために準備してた気持ちとかは平気でゴミ箱にダンクシュートかますんだよ。 そういうところが付き合っててしんどくなる。」
「高校の山月記の授業のとき、クラスの他の人が「李徴はプライドとか捨てて人と関わるべきだったんじゃないかと」みたいな穏当な感想を発表したら、国語の先生が「しかしプライドがない人はほんとうにクズになりやすいんですよ」と言って教室の空気が冷えたの良かったな」
「魂を削れば自動的にいい絵が描けるのならば、実はそんなに楽なことはなくて、芸術は単なる努力賞ではないからこそおそろしい。」
「「曲の作られ方」の話としての当方の説。かつてビデオゲームにおいて曲の作者というのは、同時に「内蔵音源の奏者」でもあった…それが「録音した曲を再生する」という形になった時点で喪われた。当方はこれを「ゲームミュージックは1995年くらいで一度死んだ」と以前から唱えている」
以上。
0 notes
Text
ぼやき
最近、家を探しています。
良い家なんてそうそうあるもんじゃありません。やはり良い家を見つけるには色々がんばって、歩き回って、見て回ってしかありませんね。
家なんて人生一度のお買い物。いい物件にめぐり会いたいものです。それにとっても大事な物ですから・・・。
なんと言っても家は家庭の基本。お家がなければ路頭に迷ってしまいます。ホームレスなんて絶対いやです。生き馬の目を抜くこの世知辛い世の中、危険がいっぱいなんですもの。お家がなければ死んじゃいます。ほんとに、死んじゃいますもの~
それに、人生一人で放浪なんて寂しすぎます。愛する誰かと温かい家庭がほしいのが当然でしょ?それにはまずお家がなければ暖かい家庭なんて築けません。まずはお家!!!そして愛する伴侶!!!そして温かな家庭!!!そしていっぱいいっぱいの息子に娘たち!!!思っただけでわくわくです。このために人生生きてるんですよね、きっと!!!
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
でも、実は田舎はお家探しが大変です(T_T)
都会には、高層マンションに一軒家・ちょっとおしゃれに地下室つきなど、人によっては管理者つきで住んでる人とか、色々です。ご近所いっぱいでわいわい楽しく住めるところから、閑静な自分だけのお家まで選択に困りません。
でも田舎は大変です、しかも実は私、相当ド田舎に住んでいるもので相当大変です。まずお家の絶対量が少ない。だから、あら!いいお家と思ってももうすでに誰かが住んでいるんです。空き家がとっても少ないんです。なかなか選択の余地なく空き家なら少々難ありの物件でも我慢という感じです。
しかも、ド田舎でも、かなりひらけた所に住んでいるので台風の時など結構すごいんです。お家が飛ばされたり、家と一緒に飛ばされたなんて話もホントにごろごろあるもの。
そんな、田舎は田舎で大変なんですけど、都会には住めないのも確か・・・だって、騒がしくて、田舎の穏やかな生活に慣れると都会になんて住みたくありません。
だからがんばって家探し!!!
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
ところが、なんと、先日、とってもいい物件を見つけました。 今まで見たこともない感じのお家で・・・
しかも新築!!!一軒家!!!ぴかぴかのつるつるなおうちです。ちょっと外観が無骨な感じで鉄筋がむき出しですが、デザイナーズブランドって感じでしょうか?その外観にそぐわぬ内装はシンプルで丸みを持たせたデザインの大きなワンルームです。それにとっても頑丈そうです。台風の直撃でもびくともしなさそう(^O^)
自然がいっぱいの田舎に、ちょっとそぐわぬ人工物って感じですがそのギャップもなかなかかっこいいです。住みやすそう!!!で、一発入居!!!
ラッキーでした!!!やはりそういうお家は滅多に無く人気があるようです。自慢です。
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
うちの家に来る?あそこの新築のやつに住んでるんだ。って言って誘えば・・・
え~~すごい!!!あの家見て見たい☆
てな感じで、でへへっ。 もうそれから帰らないんだもの☆彡 一気に次の段階まですすんで結婚で~~す(^O^) いやぁぁぁ~~人生、思うがまま!!!
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
(・へ・)ところが(・へ・) どうもこの家??少し変です?? なんか突然、危なそうなでかい奴らが迫ってきて~~ きゃぁぁぁぁ~~もう一環の終わり~~~人生もこれまでか~~~ と思ったら・・・あら??
10分もたたない間にどこかに行ってしまうんです。その間妙に明るくて雷のようにピカピカ光るだけ・・・
なんか???訳わからない???まあ無事でよかったんですが? でもまた数日もすると・・・また例の奴らが襲来!!! で、あら??帰っちゃった?????
なんか危険はなさそうなんですが不気味です。もともと静かな田舎が大好きでここ35mの砂地に住んでいるのに騒がしくもあります。
しかもたまになんか叫ぶ奴まで居るんですよ??
『kyaaaaaa,kawaiii~~』 『OOO~~ugokiyotta~~』 『TICCYA!!!』 『kuso!!pintoawanaiyo~』 とか??意味不明??
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
なんか少し慣れては来たんですけど、嫌がって引っ越しちゃったお隣さんも居ます。大人になってからの引越しは大変なんだよなぁ~危ないし!
なんかいい家なんだか??どうなんだか?? 家の名前??あ゛~~僕の家は『日本酒ハウス』です。 ほかにも『なめたけハウス』とかもあります。この2軒が人気です。
他にも、『ネスカフェハウス』や『栗の甘露煮ハウス』『豆板醤ハウス』なんかもありますよ。あまり人気無くて今は空き家ですけど・・・大きすぎて落ち着かないんですよね~~ この辺はもっと住む人のこと考えてデザインしないといけないですよね。なに考えてデザインしたんだか・・・ほら、例の雷とか来ると雷が明るく家の中を照らしちゃって、、、住みにくいんです。でかい奴が来ても姿丸見えだしね、危なくて・・・。
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
すいませんね、すっかりぼやきを聞いてもらっちゃいましたね。 なんか誰かにぼやきたくて??不思議でしょ??
あっ、帰んなきゃ~~うちの奴が今、おなか真っ赤に大きくて大変なんですわ~~そろそろ、産む場所掃除しなきゃいけないんです。
僕ですか?
あっ写真入の名刺があるんです。もらってくれます?
この名刺、クリックすると新しいウインドウが開きますから・・・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
0 notes
Text
バックパック vs スーツケース
ラダックツーリングの荷造り考の前回からの続き。 結局スーツケース+バイクバッグとしてモンベルドライダッフルMという方式になりそう。はるかさんほぼそのまま参考にさせてもらった次第。
決めてはバイクバッグを乗せて転がせること。バックパック+ヒップバッグ+バイクバッグは明らかに運ぶのが面倒。ヘルメットとかはバイクバッグに入れて持っていくことを考えるとそこそこの重量になる。やっぱり車輪のあるスーツケースに乗せて運びたい。
今回ほぼ公共交通機関を使わない拠点型の旅なこともあり、バックパックの機動力があまり必須ではないはず。
懸念はスーツケース本体自体が重たいことだけれど、バックパック仕様の荷造り節約感覚そのままなら余裕ありそう。
インド国内LCCは基本料金に預けが付いてくるから、スーツケースだろうとバックパックだろうと重量の範囲に収まれば料金に差はつかない。
まだ完全体の積載ではないけれど、ざっくり荷造りの重量がこんな感じ。
スーツケース本体4.8kg+服・身の回り品3.4kg=8.2kg バイクバッグ本体0.6kg+ヒップバッグ+電子機器+ヘルメット等バイク用品=6kg
行き国内線の機内預け15kg・機内持ち込み7kgはクリアできそう。バイク用品をもっとスーツケース側に移せばバランスよくなりそう。持っていくか迷っているフルアーマープロテクターも入れても良さそう。
よりによってあのスーツケースが世界一向いていなさそうなインドにスーツケースを持っていくというのが正直抵抗なくもない。
けれど、スーツケースに収めたとたん、あ~、やっぱこっちだわ、と思った。バックパックだとかなり夏秋冬物の最低限の服だけでかさばり感があって不安だったけど、スーツケースなら余裕だった。
インド旅行といっても、特殊っちゃ特殊だものな。空港・宿間はタクシーばかりだし、全日レー拠点で動くし。合理的。
私はバックパックが好きだ。"旅人"感がテンション上がる。あのバックパックの重みを腰にかけて前にリュックを背負ったときのよっしゃバックパッカーだ!という謎の誇り。あれが好きだった。しかも機動力抜群で走れるし自転車だって乗れる。兄の結婚式に久米島行った時でさえバックパック使った。スーツケースだとバックパックみたいな一体感はなくて、悪くいうなら重たいデカブツという感じでエスカレーターやエレベーターのたびにヒヤヒヤする。
そして私の荷造りだとバックパックが重くてうんざりする、ということはほとんどない。だいたい重さを感じるのは街歩き用リュックか手提げバッグ。やっぱり重量分散がしっかり効くバックパックは良いものだ。
あと個人的に地味~にバックパックのメリットだと思うのが、意外と荷物破損しづらい気がすること。スーツケースは丈夫な前提で荒っぽく扱われて積み上げ放題だろうけれど、バックパックは不定形だからかえって荒く扱われづらいんじゃないか?と思っている。トルコの帰り便でIKEAのバッグを預け荷物にしたときもすごい不穏な見た目のわりに意外ときれいな状態で帰ってきた。もちろん破損して困るようなものはそもそも預け荷物には入れてないけれど。ウラジオストクからワインをスーツケースに入れたら割れたのも記憶にある。それはさすがに梱包が下手だったと思うけれど。
でも今回はヘルメットとかの特級かさばり物がある以上、最適解はバックパックではなさそうだった。別にバックパックでもいいんだろうけれど、体力が不安なんだよね……。思い出すのはトルコの帰りで顔真っ赤にしながらバックパックとお土産IKEAバッグを抱えていた時。北海道ツーリングの行き帰りで重い肩掛けバッグで肩が内出血だらけになったとき。肩掛けバッグは便利だがバックパックに比べて重量がダイレクトに体力を削りに来る。
年々、体力の心配を重めに見積もるようになってきた。快適さにお金を払うことに躊躇がなくなってきた。LCCだから荷物を削って機内持ち込みに収める、とかよりも、荷物潔く追加しちゃう、というマインドになってきた。その延長線上にバックパックじゃなくてスーツケースにしたマインドがある。ちょっと悲しい?いや、合理的、と思いたいが。
次にバックパックかついでいくような旅行はいつになるだろう。2015年に買ったチャムスのバックパックはもうすぐ10年ものになる。コロナで間は空いたけれど、元はめちゃくちゃ取っている。見た目重視で買っちゃったから次はモンベルとかミレーとかの登山系の2気室に分けられるやつを買いたい気はする。でもまだまだ使えるのも確かなんだよね。
ラダックの次に行くとしたらどこだろう。もう少し政情落ち着いてくれたらイランがトップかな。メキシコをリピートするのもあり、ジョージアもいいし、VRC上の海外の友人に会いにヨーロッパ、そのついでにマーストリヒト再訪もあり。海外ツーリングならアイスランドやオーストラリアや台湾の台東も楽しそう。近場ならまだ行けていないマレーシアが筆頭。
荷造りしてて、あ~~~もう何もかも忘れてテキトーにスーツケースに放り込んで荷造りしてテキトーに行ける海外リゾート籠もりの旅とかしたいな~~~~という荷造り逃避願望もでてきてた。でも、まさにその典型のタイ旅行は私の中でもトップクラスのトラベル・ブルーに悩まされた旅だったもので。不思議な話だよなぁ。
コロナ後のインフレと円安でいろんなものが割高なんでしょう?という先入観でもって旅行欲が削れていたけれど。お金は使わなければただの数字で。過去の旅行体験の割高だなぁと思った瞬間はいくらでもあっただろうけれど、それらはぜんぶ風化して、ただもっとコアに感情を揺さぶった体験だけが記憶に残っていて。それがやっぱり今の自分を作っているんだよな。そう思う。
0 notes