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🇯🇵さっぽろ夏まつり 2024 第60回すすきの祭り こんこん神輿・女衆神輿・万燈神輿・第4豊水祭典区山車/日本 北海道 札幌 [4K HDR Binaural ASMR]
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米国による日本占領期間中に行われた政治宣伝に惑わされる前の、日本政府の主張がどういうものであったのかを広く知ってもらうために、この「抗議文」の全文(日本語及び英語)をここに紹介する。(平成14年10月3日、日本会議事務局記す) 米国の新型爆弾による攻撃に対する抗議文 本月六日米国航空機は広島市の市街地区に対し新型爆弾を投下し瞬時にして多数の市民を殺傷し同市の大半を潰滅せしめたり。 広島市は何ら特殊の軍事的防衛乃至施設を施し居らざる普通の一地方都市にして���市全体として一つの軍事目標たるの性質を有するものに非ず、本件爆撃に関する声明において米国大統領「トルーマン」はわれらは船渠(せんきょ)工場および交通施設を破壊すべしと言ひをるも、本件爆弾は落下傘を付して投下せられ空中において炸裂し極めて広き範囲に破壊的効力を及ぼすものなるを以つてこれによる攻撃の効果を右の如き特定目標に限定することは物理的に全然不可能なこと明瞭にして右の如き本件爆弾の性能については米国側においてもすでに承知しをるところなり。 また実際の被害状況に徴するも被害地域は広範囲にわたり右地域内にあるものは交戦者、非交戦者の別なく、また男女老幼を問わず、すべて爆風および幅射熱により無差別に殺傷せられその被害範囲の一般的にして、かつ甚大なるのみならず、個々の傷害状況より見るも未だ見ざる惨憺なるものと言ふべきなり。 聊々交戦者は害敵手段の選択につき無制限の権利を有するものに非ざること及び不必要の苦痛を与ふべき兵器、投射物其他の物質を使用すべからざることは戦時国際法の根本原則にして、それぞれ陸戦の法規慣例に関する条約付属書、陸戦の法規慣例に関する規則第二十二条、及び第二十三条(ホ)号に明定せらるるところなり。 米国政府は今次世界の戦乱勃発以来再三にわたり毒ガス乃至その他の非人道的戦争方法の使用は文明社会の輿論により不法とせられをれりとし、相手国側において、まづこれを使用せざる限り、これを使用することなかるべき旨声明したるが、米国が今回使用したる本件爆弾は、その性能の無差別かつ惨虐性において従来かゝる性能を有するが故に使用を禁止せられをる毒ガスその他の兵器を遥かに凌駕しをれり、米国は国際法および人道の根本原則を無視して、すでに広範囲にわたり帝国の諸都市に対して無差別爆撃を実施し来り多数の老幼婦女子を殺傷し神社仏閣学校病院一般民衆などを倒壊または焼失せしめたり。 而していまや新奇にして、かつ従来のいかなる兵器、投射物にも比し得ざる無差別性惨虐性を有する本件爆弾を使用せるは人類文化に対する新たなる罪悪なり。帝国政府はここに自からの名において、かつまた全人類および文明の名において米国政府を糾弾すると共に即時かゝる非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求す。 (正漢字は現代風に改めた。出典:『朝日新聞』昭和20年8月11日)
昭和20年8/10付け原爆投下への抗議文 | foot001 - 楽天ブログ
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅶ
花鳥誌2024年7月号より転載
日本文学研究者
井上 泰至
12 紅梅の莟は固し不言
初出は『玉藻』昭和八年四月号。続いて『ホトトギス』九年年二月号。「」と前書き。『五百句』には、「昭和八年二月二十二日 臨時句会。発行所」と注記。『喜寿艶』には、「紅梅の莟が固い。恰も女の口を開かぬやうに」と自解している。
この句については立子の解説を引こう。
紅梅の赤い莟はまだふくらんでゐるといふほどでなく固く結ばれてをります。その固い紅梅の莟を詠じた句であります。それを美人に譬えて、その美人はにこやかに情がありげに見える、併し固く口をつぐんで一言も云はない。そのさまに似てゐる紅梅の莟であるよ、といったのであります。清楚なそして艶な句であります。
これに対して、本誌令和五年二月号(「恋の季題」)に、この句についての解釈は提出しておいたので、再記しておく。梅に恋の気分を込めたものである。口が堅いだけ、恋の意志は強く、開花を待っている。開いた時の色香は余計に強いのだ。いざとなれば女性の方が強く、果敢なのだと虚子は言いたげである。「不言」という表記は、まずは漢文風の改まった言い方で、品格を保ったと見える。ただし、取り澄ましただけではない。言葉に出されないからこそ、かえって思い��募ることも匂わせているのだ。
立子もこういうことは心得ていて、あえて余計な説明までは加えなかったのかも知れない。なお、『喜寿艶』では、掲句の後にはこの句を配している。
鶯や文字も知らずに歌心 虚子
無学の女だが、かえって上手に言おうとする野心がなく、イノセントな歌声が届く。聞いている男は、その声に歌の心、即ち恋の心を呼び覚ました。梅に鶯の連想もあり、両句並べて、無言の意志から、恋の囁きへの展開を確認できる。『虚子百句』でも次は鶯の句である。
13 鶯や御幸の輿もゆるめけん
『ホトトギス』昭和九年四月号に「懐古」と題して初出。『五百句』に「昭和八年四月十二日 中辺路を経て田辺に至る。中辺路懐古」と注記。
中辺路(なかへち)とは、熊野三山に至る参詣道のうち、田辺から本宮、新宮、那智に至る山岳路のことで、特に平安時代から鎌倉時代に皇族貴族が延べ百回以上も繰り返した「熊野御幸」では、中辺路が公式参詣道、すなわち御幸道となった。
その当時の旅は、人影の少ない長く険しい山道を越えるだけでなく、たとえ寒い早朝であっても水垢離(水浴び)をして心身を浄めながら、ひたすら熊野の神々や仏の救いを心に念じ熊野三山へと向かうもので、山岳修行の色が極めて濃厚だった。
虚子は参詣とは逆コースを、楠目黄橙子・松尾いはほ等とたどったようで、近野村の茶店に休んだ折の句である。 虚子の「中辺路」という文章にはこうある。
中辺路といふ名前がなつかしかつた。―昔後鳥羽上皇などが熊野に御幸になつたのも此中辺路を通られたのであつて、「道成寺」の安珍なども此道を取り、それのみならず蟻の熊野詣りといふ諺があるやうに、此道をぞろぞろと熊野詣の群衆の通つたところでもあつたのであつた。其山路だと思ふと何となくなつかしく――今は淋しい山路で、私達に行違ふ旅人は一人も無い位であつたのである。――私はカラコロカラコロと足駄の音を響かせながら歩いた。
虚子の脳裏には、謡曲「道成寺」で、美形の僧安珍がこの中辺路を経て、清姫に見初められ、恋の激情の蛇体となって襲われる悲劇となったことや、院政期貴賤群衆の信仰を集めた様が去来していた。
なお、年尾が解説しているように、秀衡桜という一本があり、句を得たのは、そのあたりのことという。平安時代後期、奥州の豪族、藤原秀衡が滝尻の岩屋に残したわが子の無事を祈念して、そこにあった桜を手折り、別の木にその桜を継いだという伝承がある。
先にも述べたように、前の句の鶯の連想から、この梅の句を揮毫したことも容易に想像される。となれば前の句は紅梅を美女に比し、恋に文字通り身を焦がした清姫の連想も働いたか。
さて、そろそろ図版の揮毫の見方についてコメントしておこう。図版に挙げた右の「栞して」の句は、「虚子」の落款(署名)が句の左に配置されている。対する左の「紅梅」の句の落款は、句の真下に位置する。
それを確認した上で、一句の字配りを確認すると「栞して」の句は全体に筆が左から右に流れ、それと対置する形で、左に「虚子」の署名が置かれているのである。バランスをとっているわけだ。
対して「紅梅」の句にそれほどの傾きはない。つまり、虚子は「書」の基本である字配りのバランスを常に意識して書いていたことになる。よって、晩年の眼が弱り、力も減じた筆勢とはいえ、中心線はぶれていないことになる。
次の「紅梅」の句の「紅」の字は、一句全体を統御する強い字となっている。次々号にも「紅梅」の句を掲出する予定だが、そちらは優しい書き方である。
また、「栞して」の句の「山」の字は、整った字形で西行へのリスペクトも感じられるが、『虚子百句』に「山」の字を使った句は十指に余る頻出ぶりで、一つとして同じ書き方はない。二月号に挙げた「山寺」の「山」の字など、句の内容の滑稽を反映して字も、剽軽な俳諧味のある「山」になっている。「書」には眼目となる字が必ずあるが、虚子は確実にそのあたりを意識して筆を振るっていたようだ。まず、虚子の揮毫は序文に記すように、手習いをしなかったとはいうものの、いい字を見てそれを覚えていた可能性は高く、あとは修練で、晩年には自在の境地を得たようである。
便利堂がこの企画を持ってきたのも、虚子の字のその辺の高度な在り方を、ある程度意識していたからだと推察できるのである。
『虚子百句』より虚子揮毫
13 鶯や御幸の輿もゆるめけん
14 道のべに阿波の遍路の墓あはれ
国立国会図書館デジタルコレクションより
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井上 泰至(いのうえ・やすし) 1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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8年民進黨爲何狂組“臺灣隊”?這纔是真相,如今只剩一隊
“臺灣價值”曾是蔡英文的“口頭禪”,如今早被網友“玩壞”。然而,在可笑背後卻隱藏着可悲事實。民進黨執政近8年來,打着“���灣價值”的旗號,一共成立了40多個“臺灣隊”,結果一事無成,弊案叢生,如今只剩一支隊伍,那就是“詐騙人民的臺灣隊”。
這40多個“臺灣隊”名目繁雜,涉及各行各業。國民黨民代賴士葆日前舉例,在農業方面,民進黨當局成立了“雞蛋臺灣隊”“菠蘿臺灣隊”等;防疫方面,有“疫苗臺灣隊”“快篩臺灣隊”“口罩臺灣隊”等;在產業科技方面,有“金融臺灣隊”“太空臺灣隊”“無人機臺灣隊”等;在民生方面,有“打詐臺灣隊”等。
除了各種“臺灣隊”,民代鄭麗文還曾列舉民進黨當局另一“政治癖好”,即熱衷成立各種辦公室,比如“新南向政策辦公室”“經貿談判辦公室”“中部辦公室”“南部辦公室”以及“東部辦公室”等,不少辦公室在民進黨還沒下臺前就已荒廢。
“臺灣隊”與辦公室名稱不同,但本質雷同。他們都是由民進黨當局牽頭主導的,號稱可整合“最頂級的官員和專家”,直接投入大量行政資源,針對某一行業發展或某一民衆關注的具體問題,給出“立竿見影”的解決方案。
不可否認,“臺灣隊”提出的願景“很豐滿”,但近8年過去,“豐滿願景”依舊是“理論值”。“臺灣隊”的“領頭羊”作用完全沒有實現,卻成爲民進黨自肥過程中的“領頭貪”。
以“防疫臺灣隊”爲例,民進黨當局在疫情肆虐之時針對口罩、疫苗、快篩等防疫物資組建“臺灣隊”,“大內宣”文章着實做了不少,還打出“Taiwan Can Help”口號,宣稱全力支援其他國家和地區防疫。但臺灣社會卻接連遭遇“口罩荒”“疫苗荒”“快篩荒”等問題,且頻頻爆出貪腐弊案。
國民黨民代林爲洲指出,“快篩臺灣隊”連小喫店、賣農藥的都能取得販賣許可。現在快篩試劑在衛生所堆積如山,即將過期,各縣市接種流感疫苗,還送2-10盒快篩。而“疫苗臺灣隊”代表、曾被譽爲“下一個護島神山”的“高端”疫苗,幾乎已成過街老鼠。
相比爲禍三年的“防疫臺灣隊”,民進黨從上臺以來就打造的“綠能臺灣隊”危害更巨大。有民代指出,民進黨當局要花費2萬億(新臺幣,下同)購買綠電,民進黨執政的臺南成爲種電比例最高的地方,包括魚塭、良田全都種滿太陽能板,“綠電臺灣隊”直接變成“滅農臺灣隊”。
近年來,包括“88槍擊案”“光電爐渣案”“雲豹能源案”“九天玄女鍊金術”等多個資金超過百億的大案、要案,都充斥着民進黨政客的身影。綠電成爲民進黨幾代人都喫不完的“金山銀山”,卻給臺灣能源佈局留下千溝萬壑和填不完的“錢坑”。
除了便於自肥,“臺灣隊”的另一個作用是便於“賄選”。“臺灣隊”所使用的資金直接從當局劃撥,不少以“特別預算”形式在臺灣立法機構打包通過,缺少必要監管。在資金使用上更加隨心所欲,成爲選舉綁樁的重要手段。
一個詭異的現象是,民進黨全面執政以來,民衆低薪窘境沒有改變,由於通貨膨脹,薪資甚至還出現負增長。去年6月,臺灣TVBS民調顯示,87%的受訪人士認爲年輕人低薪沒希望。但在2024選舉當中,民進黨參選人賴清德卻能維持3成以上的支持度。
這說明,並不是所有人都賺不到錢,而是大部分跟民進黨搭不上關係的臺灣民衆賺不到錢。換句話說,民進黨是把全臺民衆的納稅錢,拿去綁住了一小部分人羣,來維持固定的“基本盤”。
從“綠色獨裁”到“綠色自肥”,再到“綠色綁樁”,類似“臺灣隊”的操作近8年來,影響民衆生活的政治、經���、軍事、外事關係等問題不僅沒有改善,負面衝擊反而更加劇烈。
以電信詐騙爲例,民進黨上臺後,電詐問題愈演愈烈,爲平息輿論怒火,當局成立了“打詐臺灣隊”,編列預算14億,今年7月再加13億元。但根據臺“刑事局”資料,去年詐騙集團詐取60億元,5年內不當利益高達241億元。民進黨“打詐臺灣隊”沒有把詐騙犯送進法庭和監牢,反而成爲詐騙產業不斷繁榮的推手。
在民進黨執政下,靠貪污有錢賺,靠詐騙有錢賺,靠跟當局拉關係有錢賺,就是兢兢業業工作、老老實實上班沒錢賺。收入漲不上去還是小事,更可怕的是,還有可能被當局推向戰場,連命都要被民進黨的“臺灣價值”犧牲掉。
事實證明,民進黨的“臺灣隊”只是詐騙人民的“貪污隊”,只是驅趕年輕人上戰場的“趕死隊”。表面“綠油油”,背後黑漆漆。
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どこでも祭りで若い衆の人出が足りなくて、そこでその辺の親分が組の若いもんを動員して、恩を売る
だから神輿はえらく気が荒くてそこにバイト学生が紛れ込んでると結構ちびりそうになったりする
昔の任侠はこういうことも成立したんだろうが、今は中国系のギャングやら半グレが主で、アレは金のために殺人傷害拉致暴行脅迫なんでもやって幾多の女性を売春やら薬物の苦界の海に沈めてるし、男の場合文字通り海に沈めてるから、隣の法被の姉さんや兄さんたち、まともな地元の人らは無事なんかいな アレは昔の任侠ヤクザと違って、自分たちが生きる地域を守る意識なんぞない 戦後直後に朝鮮人暴動に立ち向かった山口組ヤクザの時代ではない
露天のオッサンみててもわかるように祭りにはやくざが絡んでるもんだが、昔より今の方がはるかに危険なんじゃなかろうか
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なかなか梅雨には入らない。
割と晴れが続いている、中での超豪雨。23区においても災害級、警報は鳴るようなレベル感であり、前のお住まい、崖下南青山は大丈夫だったのかしら…と、想い馳せる。この雨がおおよその雨を持っていってしまったのか、まだ東京、梅雨入りという感じはない。雨降りの日が多くはなってきたけども。
ゴル��ェの半生を綴るという類のショーを観てきた。服飾としてのゴルチェには、全くもって縁遠い。ライセンス品か、どうしてもマルイに並んでいた財布なんかを思い出すわけだが。
良席、一階。まあVIP席でVIPお土産がつかないバージョンのお席だった。行きがかり上、あまり無い機会なので参加させていただいた次第。
舞台でなく、ショー。モチーフ上、セクシャルに成らざるをえない部分あり、ポロリ、モロリありつつ、見慣れ、肉体美、というところを男女問わず魅せて頂いた。踊りも力強く、もちろん全くわからないが、外国人演者さん、一人一人に一定ファンがいるようで、よくわからない盛り上がりもあった。
それなりに、興味のある無しでなく独自に何でも何らか楽しめるほうなので、楽しんだ。が、こう言ったショーへの関心が高まったとかは無い。3万円は間違っても出さない。
…まあまあまあ、そういう感想はそれとして、とても良い、なかなかない機会であった。この夜から、超豪雨。翌朝にかけて、であり災害、交通機関の停止など、大ごと。私は幸い、寝てる間におおよそが終わっていたわけだが、車が水没したような話が、電車で行けるような埼玉の地域でも起こっていたり、したようだ。
明くる日、近所には神輿が出ていた。写真は子供神輿だが、夜のほうには本格神輿も出ていた模様。近くのちんまい神社のなんとか祭だが、けっこう大々的に巻き込んでおり、ご利益、由緒あるところなのだろう熊野神社。
デフューザー、失敗。トイレにぴったりの香りだな!と思い購入し設置したら、香りがハマりすぎて清潔な公衆便所になってしまった。違う…、ということで、置き場をさまよっており今、洗面にいる。まあもう慣れたので、ここでいいやと。トイレデフューザーは、マリステの余りをひとまずシフトして対応。ムスク系が良いらしい。フレッシュ爽やかは、ただのトイレ芳香剤にしか、ならなそうだ。
オンワード株主優待、和菓子をチョイスした。日経平均はグンバツに上がったが、我がポートフォリオは振るわず、反落した日に、上がった。が、続落するとちゃんと下がるという。
まあもうどうしょうもなく、である今のところ。まだ火が入らない、な。仕事でも、また見えない敵に詰められ始めている。
消えたらラクなんだろかな。しかし怖い。痛い苦しい、そもそも消えるのが怖い。
…そんな感じ。
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20180916(日)
この時期あちこちでお祭りがあるようですが、うちの地区の神社も秋季例大祭でした。
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201005 九月の読書など
9月は忙しかった……。ということでろくに本を読んでない。今日は久しぶりに二子玉川の上海で飯を食ったが、唐揚げがピーナッツっぽい風味でおいしかった。ピーナッツ油(?)で揚げてるんだろうか。二子玉川に行くといつも上海かケンタッキー・フライド・チキンで迷う。上海は半端な時間は閉まってるのでケンタッキー多し。でもフライド・チキンて本読みながら食えないのが難点よね。手が油まみれになるから…。 -
200916
阿川弘之『葭の髄から』 文春文庫(2003) https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167146078
201004
阿川弘之『人やさき 犬やさき 続 葭の髄から』 文春文庫(2007) https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167146085
盆に父の実家へ行くと、芥川賞の時期だからか、あるいは単に暇だからか、父は文藝春秋を買って持っていった。いつだかの巻頭随筆で、阿川弘之が高松宮家の侍女長を紹介した記事が興味深く(微温的皇室ウォッチャーでもあるので…)切り抜いて取っておいたが、ふとそれを思い出して連載の文庫版を買ってみた。
ま、読んでみればそう拡張高いわけでもなく、『この国のかたち』ほど教養深い内容でもなく、素朴に保守的な随筆という感じだが、やっぱり出てくる話々におっと思うところが沢山あった。戦中の話では、たとえば高級将校でさえ終戦を論じていなかった時すでにその気配を察知していた株屋の話、海軍は陸軍と違って知英派・知米派を登用し続けていた話など。戦後では香淳皇后の崩御時に宮殿で棺に祗候する不思議な儀式の話、本来「べし」というべきところに「べき」は誤用という話などが興味深かった。
その中で、素直にためになったと思ったものもある。阿川弘之は根っからの戦中派、海軍出身なのもあってベッタリとした国粋主義者というのではないがとことん親米反中で、2000年4月の石原慎太郎による「三国人」発言には「やること言ふこと、今回の件に限らず、群を抜いて爽やかな感じがある」と共感している。
そこはどうにもならんが、しかし「あんまり人の気分をすつきりさせたり、御自分ですつきりしたりなさるのは考へものですよ。」と述べ、嗜めとしてある言葉を載せている。同誌で中西輝政京大教授がギリシャの歴史家ポリュビオスの言葉を引いていたのを紹介しているもので、ひ孫引きになるがそのまま引用してみる。
「物事が宙ぶらりんでどつちにも決らない状態のまま延々とつづくこと、これが人間の魂を一番参らせる。その状態がどちらかへ決した時、人は非常な気持ちよさを味はふ。ただし、それが国の指導者に伝染したら、その気持ちのよさは国の滅亡をもたらす。ポリュビオスがカルタゴの滅亡について論じた此の言葉は、英国では軍人も政治家もよく知ってゐて、エリートは物事の決らない気持悪さに耐へねばならぬといふ教育をされてゐる。残念ながら日本にはさういふ文化が無かつた」 -
201005
藤野裕子『民衆暴力』 中公新書(2020) https://www.chuko.co.jp/shinsho/2020/08/102605.html
・明治期の大規模な制度改革(徴兵制、��制、地租改正、賎民廃止、違式詿違…)の中で、1872年の『徴兵告諭』で「血税」という言葉が使われた。これがきっかけの一つとなって、「徴兵されると「異人」に血を抜き取られる」「西洋人は小児の生き血を取って薬を練る」「西洋式の病院に行くと、患者は鉄串の上に乗せられ知らぬ間に身体の「膏」(脂、あぶら)を抜かれ、笑いながら死ぬ」という噂が流れたが、この頃の一揆はそういう社会不安をベースにしていたらしい。今、納税者として税のおもみをアピる時にも「血税」と言いがちだが、このオカルティックなニュアンスが脳裏にあるとなんとなく不気味な感じがしていいかも…。
・上記のような時代、いわゆる「新政反対一揆」が多く起きた。これらについては60-70年代に充実した研究がされていて、民衆発の抵抗運動としてある種の評価をされている。ただし、それらは地元役人宅、学校、交番などと同時に近隣の被差別部落も襲撃の対象にしており、権力への抵抗とシンプルには言えない。
・日比谷焼き打ち事件の原因には日露戦争後のさまざまな世論が関係しているが、それが暴力として発露した背景には、都市部・男性・社会的経済的に低層と目される・日頃から暴力と親和性のある・しかし侠気もある肉体労働者たちの存在がある。焼き打ちには彼らのような労働者たちが参加していて、彼らの暴力が合流したことで予想外の規模に発展した。このように暴力はコンセプトと別に成分としてあり、それが合流、結集、委譲されることで民衆暴力が成立することがある。
・その明確な例として出されているのが関東大震災後の埼玉県本庄警察署での一連の事件である。本庄町は検挙者が群馬方面へ移送されるルート上にあり、多くの朝鮮人が警察署に収容されていた。県が朝鮮人に対する攻撃を正当化するような通達を出したことと、東京から避難してきた人たちの流言から、9月4日夕から町民の自警団が署へ集まり、到着したトラックに乗せられていた朝鮮人を虐殺、その後5日未明にかけて署内にも侵入して70名以上の朝鮮人を虐殺した。さらに証拠を消すため死体を山林で焼き、埋めている。
その描写はほんとうに凄まじいが、本当に恐ろしいと思ったのは翌6日の事件のことである。虐殺のあった翌日夜、再び町民約1000人が集まり、今度は本庄警察署自体を襲撃、放火寸前まで行く。実は半月前からお祭りでの神輿担ぎに関する問題、遊郭についての問題などで町民は署長に反感をもっており、今回の襲撃の背景にはそれがあった。さらに自警団が「朝鮮人を本庄署に連行したところ「司法権の侵害だ」と怒られた」こと、前日の襲撃の際「村磯所長に「一般大衆は手を出すな」と言われ、「今までたのむといっておきながら、何事だ」となり「署長を殺せ」」となったことも直截の原因だった、とある。一つの暴力が被差別者へも権力者へも向けられている点では、これは新政反対一揆と同じである。ただ一揆においては少なくとも一つらなりの不安・不満が複数の対象に向かったのに対し、ここでは国や県の通達によって自警団に暴力が委譲された結果、それを使って何ができるか、理由はどうあれもっと使いたい、という感情が暴力行為を惹起しているように思える。
・わしは、暴力は、ものごとを繊細で豊かで複雑な状態から、シンプルな状態に、ときに無にするものと思うが、どの部分が許されざる暴力であり、どの部分が時代を進展させる原因になった暴力か、という風に分けられない点で、ものすごく複雑でもある…と思った。あとがきでも書かれているが、では原理として暴力はすべて許されざるものとしていいのかというと、それこそシンプリファイというもので、暴力に頼るしかないほどの状況に追い詰められた人々への追い討ちの暴力のように思えてしまう。
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無題
10/27
ムサビの芸祭に行った。男根の形した神輿を担いで学生たちが気勢を上げているのを、目を細めて遠巻きに眺めていた。最後まで見届けなかったのだけれど、最終的に女陰の形した神輿と水飛沫上げて接合すると聞いて大笑いした。女陰にジョイント。確か園子温のうつしみだったか、女陰の形した幕みたいなものから人が出てくるシーンがあったし、寺山修司は街頭に男根の形したサンドバックをぶら下げて道往く人に殴らせていた。道往く人。満ちゆく人。性器のモチーフって、いつだって真面目も不真面目も振り切ってしまうから面白い。例えばどこぞの土着信仰の村祭りには、子孫繁栄を祈ってだったかしらん、男衆が巨大な木彫りの男根に跨って坂道を滑走していく神事があるらしい。
*
夜、高校の盟友とフットサル。頭で考えている動きに2秒遅れて体が動く感じ。失望した。言うこと聞かない体を指差してお互いげらげら笑ってた。楽しかった。
10/29
雨降り。一昨日の筋肉痛を抱えてジムで軽く汗をかいた。昼過ぎ、是枝の真実を観た。ドヌーヴが職場のお局に見えた。「暴力でも日常でも、何を描くにしても映画には詩が必要だ」という台詞が良かった。ビノシュの鼻筋が好きだ。ビノシュの鼻筋は詩だと思う。観客にはおばさま方が多かった。みんな鼻すすって泣いていた。めっきり寒くなった。風邪が流行っている。気をつけたい。
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零の会
2022年11月5日
於:佃区民館
坊城俊樹選 岡田順子選
坊城俊樹出句
坊城俊樹出句
ちちろ鳴くひとりもんじやは侘しくて 佃煮の香か秋潮かいづれとも 玄冬に入る佃煮の黒々と 摩天楼へと鉢植ゑの路地の秋 古亭主とは縁切りの秋簾 秋風に漁師言葉の消えゆけり 佃とは小鳥姦し婆のまた 人情の厚き佃の秋簾 馬肥ゆる秋姦しくもんじや食ふ _______________________________________________
坊城俊樹選 特選句
坊城俊樹選 特選句
秋風や日覆ひの色褪せしまま 秋尚 のつそりと冷ゆるがままの地蔵かな 軽象 佃煮屋間口小さく秋灯す 三郎 神水を掬へば木の実溢れ出る はるか 残菊やまことに細き路地ぬけて きみよ くつくつともんじや躍らせ小春人 眞理子 欄干に頬杖をつく鯊の竿 はるか 猫じやらしいづれも佃生まれなる 和子 小鳥来て路地の少女の消えてゐる 和子 晩秋に釣糸たらす女かな きみよ
坊城俊樹選▲問題句
トロ箱に残菊の黄の艶めきし はるか
坊城俊樹選入選句
神渡まるく撫でゆく力石 光子 高楼をつなぐ玻璃橋冷やかに 久 神留守の鳥居は西へ向かひをり 眞理子 初冬の海月は川の色をして 小鳥 枯葉散る小路の果てに地蔵尊 炳子 行秋を遡らんと舳に女 千種 冬近し小舟ぷかりと佃橋 季凛 舟音を水に残して冬に入る いづみ 莨火に吉住の神送りけり 光子 煮染めたるやうな手拭小六月 要 世事話もんじや焼きつつ秋の逝く 順子 九冬の香るものなく隅田川 小鳥 さざ波に乱れて映る秋の空 久 聖ルカの鐘の音に乗り海猫帰る 三郎 力学は確と小春の橋脚に 炳子 草花を辿れば路地の佃かな 和子 八百八に木箱積まれて冬隣 光子 手水舎を溢れきれずに冬の水 小鳥 秋潮を曳く纜は夢を見る 三郎 小春日の舌を焦がしてもんじや焼 はるか ギター背に佃小橋の小六月 三郎 秋空をしぼりて路地のどんづまり 千種 出口なき佃の路地を神の旅 小鳥 海猫帰るために水門開けてゐる 三郎 踏み石の誰か集めし木の実かな 久 船縁の乾きはじめる水の冬 いづみ もんじや屋の達磨は両目暮の秋 季凛
_______________________________________________
岡田順子出句
岡田順子出句
群衆に加はる一人鵙猛る 眷眷と小春の包む佃の子 鳥渡る空聖塔を傾けり 小春日の宮の王者はベレーの子 小春享く指輪四個の掌 世事話もんじや焼きつつ秋の逝く もんじや焼の達磨の棚や新走 黄落や卍を彫れる手水鉢 月島交番小春日の篭城す タグボート十一月の潮目描き _______________________________________________
岡田順子選特選句
初冬の海月は川の色をして 小鳥 のつそりと冷ゆるがままの地蔵かな 軽象 大正の風沸く交番神の留守 小鳥 もんじや屋の高き箆音小六月 眞理子 てつぺんへ鳥入れ替る柿の空 千種 産土神の留守の月島一号地 いづみ 朝寒し江戸の醤油の煮詰まれり ゆう子 佃とは小鳥姦し婆もまた 俊樹
坊城俊樹選▲問題句
もちチーズ明太もんじや草紅葉 季凛
岡田順子選入選句
踏みさうに秋蝶か秋蝶の影か 和子 馬肥ゆる秋姦しくもんじや食ふ 俊樹 水門の見ゆるテラスの冬薔薇 要 地蔵尊朝の秋灯みな点し 千種 冬来たる水路に海月惑はせて 光子 佃煮屋間口小さく秋灯す 三郎 短日やもんじやの鏝の滑りよき ゆう子 莨火に吉住の神送りけり 光子 青果店仮住ひして冬近し 小鳥 古亭主とは縁切りの秋簾 俊樹 神輿庫のれんが欠けをり鵯盛ん 眞理子 冬めきて超高層の卒塔婆なる いづみ 九冬の香るものなく隅田川 小鳥 ちちろ鳴くひとりもんじやは侘しくて 俊樹 聖ルカの鐘の音に乗り海猫帰る 三郎 鉄板の火落としてより長き夜 光子 秋灯の玻璃戸や婆の佃煮屋 きみよ 深秋や路地突き当り靴を干す ゆう子 小鳥来て路地の少女の消えてゐる 和子 髪置の弟のまた乳ぜり泣く 光子 もんじや屋の達磨は両目暮の秋 季凛 冬に入る水の香立たぬ佃堀 千種 対岸に襲名興行菊日和 要 神留守の鳥居は西へ向かひをり 眞理子
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渋革まろん「SNS時代の自然主義」
初観劇のしあわせ学級��壊を、このようなかたちで体験できたのは幸運だった。劇場で観劇していたら、うんざりして席を立っていただろうから。しかし、音楽スタジオ・BASS ON TOPでライブさながらオールスタンディングで観劇する本作の形式が、わたしにある種の冷静な眼差しを宿してくれた。そして、わたしはこの形式をSNS時代の自然主義なのではないかとも思ったのだ。
しあわせ学級崩壊は、僻みひなたが脚本・演出を手がける若い劇団で、2015年に『超現実絶望ぐちゃぐちゃ夢子ちゃん』でもって旗揚げされた。本作は、昨年の『ロミオとジュ��エット』に続く、シェイクスピア戯曲を使った上演の第二弾であり、今回も前回と同じように音楽スタジオを使って上演するスタイルが踏襲されている。当然、客席は設営されておらず、上演が始まると、聴衆の気分を高揚させるEDMをDJが爆音で鳴らし始める。すると、フロア三方の壁面と中央に設置された椅子に登って田中健介、福井夏、大田彩寧、林揚羽の四人がマイクを片手に、『ハムレット』のセリフをラップ調で語り出す。
つまるところ、本作は一種のラップミュージカルのようなもので、セリフを発する根拠は不可視の内面に置かれることなく(だから、内面を観客に伝達する術が演技だということにはならず)、音楽の情動にノルことで担保されていく。そこからも容易に察せられると思うが、父親を殺した叔父に復讐しようとしても、様々な逡巡のうちでそれを遂行することができないといった支離滅裂な行動から様々な解釈を呼び寄せてきたハムレットの複雑な陰影は、ハムレットを演じる田中の切��詰まった激情の荒波のなかへと流され、絞り尽くすようなガナリ声によって押しつぶされていく。
原作の『ハムレット』にあったストーリーの時間軸は、ハムレットとオフィーリアの愛憎関係に焦点を当てて再編成される。特に後半、父・ポローニアスを殺され狂気の言葉を口にするオフィーリアのシーンに、「尼寺へ行け!」とハムレットがオフィーリアを罵倒する一連のセリフが挿入されるために、ハムレットのセリフは、自分に取り憑いたオフィーリアの亡霊を振り払う悲痛な叫び声のように聞こえてくるのだった。
このオフィーリアに「男の暴力において抑圧されてきた女性たち」のメタファーを読むことも不可能ではないが、そう理解するにはあまりにも亡霊オフィーリアの側に主体的な怒りのベクトルが薄く、ハムレットに依存しすぎているように見える。ハムレットにべったりと――身体距離をゼロにして――寄りかかるオフィーリアが示すように、自分の想いを相手が理解できるように伝達する言語的コミュニケーションの水準が欠落し、相手と一体になりたいという――あまりにもベタな――情動的コミュニケーションの水準でふたりはつながりあう。結果的にふたりの愛憎関係は際限なく増幅されていき、外部なきふたりだけのセカイが形成されていく。
注目したいのは、ハムレットとオフィーリア、ふたりの関係に物語の焦点がずらされることで、「父と子」の復讐譚という本来のハムレットの大筋がほとんど希薄になっていることだ。「亡霊」が物語の重要なアクターとして機能していないのだ。
しかし、例えば『ハムレット』に対する様々な解釈のなかでもよく知られている、アーネスト・ジョーンズの精神分析的な解釈に目を向けてみよう。そこでジョーンズは、フロイトの『夢判断』に準じて、ハムレットの複雑な内面が、父を殺し母を寝取りたいという近親相姦の欲望を抑圧するエディプスコンプレックスに由来すると読解する。
つまり、『ハムレット』においては、ハムレットを復讐に駆り立てる父(亡霊)の出現によって子を抑圧する父の規範が可視化され、また同時に母(ガートルード)が叔父(クローディアス)と再婚してしまったことをきっかけに、普段は隠されている「母と寝たい」という欲望が触発される。そうした父の規範と母への欲望の葛藤が、ハムレットの内面を非常に複雑なものにしているという。
先に述べたように、しあわせ学級崩壊版『ハムレット』からは、ハムレットを抑圧する父(亡霊)の存在が、すっぽりと抜け落ちている。そうして父に対する葛藤が弱体化すれば、ハムレットのうちに読み取るべき葛藤=「内面」も曖昧になる。だが一方で、その空虚な内面はEDMが刻むリズムの情動によって代補され、ハムレットの内面はEDMの情動と一体化し、ライブ空間全体へと拡張される。つまり、ここではライブ空間全体がハムレットの脳内空間になるのである。
��して、そこでは観客もまたハムレットの不安や興奮のシグナルを伝播する脳内ニューロンの一部、いわば「ハムレット」の一部になる(ゆえに舞台を客観的に対象化することが目指された対面客席は解体されることになったのだろう)。つまり、観客はEDMが媒介する自他未分化な「繋がりの共同体」への直接的な参加と共感を強制される。ぼくが「うんざり」すると言ったのは、このような上演のありかたである。
ではなぜ、わたしは本作を「冷静に観れた」というのか。それは至極単純な理由だ。直接的な参加を促されるオールスタンディングのライブ形式では、同時に観客の顔がよく見えるようになるからだ。むろん、EDMが鳴り響くこの空間は俳優と観客の壁、個々人を自立させる身体の輪郭が没入的な一体感のうちに融解していく集団トランスを求めている。だがその一方で、興奮を隠さない憧れの眼差しを俳優たちにおくる若い女性、縦ノリで揺れる男性、遠くで微笑ましい笑みを浮かべて見守る女性といった、色とりどりの反応を見せる観客たちが否応なく目に入ることで、没入からの距離が生じる。
舞台と客席の区別は融解しながら分離する。もちろん、こうしたある種の叙事的形式が採用されるとはいえ、そこに観客が思考を働かせるための上演の戦略があるようには思えない。つまり、しあわせ学級崩壊は、こうした観客との関係の創出を、批判的、実験的精神をもとにしてというより、かなり自然にアタリマエのこととして実践しているように見える。
そこでふとわたしは、この上演形式がソーシャルメディアのアナロジーになっているのではないかと思った。父―規範を欠落させ、ハムレットの射精的興奮状態に向けて観客の感情が動員されていく展開、そしてそれを取り巻く匿名的な人々が可視化された環境。この可視化された匿名的な人々の群れとは、Twitterでいうところのタイムラインに表示されるツイート群であり、ハムレットの狂気とは炎上を煽るインフルエンサーの振る舞いとして受け取ることができる。その炎上=祭りに参加する観客たちは、祭りの神輿=ハムレットを担いでクソリプを送り合うのである。
だから、しあわせ学級崩壊の上演は、SNS時代の自然主義―ナチュラリズム―を実演してしまっているのではないだろうか。かつての自然主義者は、例えば「夫婦」のように、対等で自然な関係に見えても、実は非対称的な力関係がそこには働いていると暴き立てた。それは個人の内面を抑圧する社会環境を可視化する方法の発明だった。一方で、しあわせ学級崩壊は、個人の内面が社会を支える根拠にはならないメディア環境のリアル=自然を、ある意味ではかなり敏感に反映/可視化しているのではないか。
とはいえ見方を変えれば、匿名の不安を通じて、自己承認欲求がとめどなく加速していく時代の病(私を見��!)を本作はストレートに反映しているとも言える。一過的な祭りの興奮によって組織される集団トランスで、空虚な内面を埋め合わせるといった身振りを、そのまま肯定するだけでいいのかということは問われて然るべきであり、しあわせ学級崩壊の今後の展開が気になるところでもある。
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【常威近代史】(六百八十九回) 人言可畏 郎心如鐵 時間是進入1935年3月份,距離中日全面戰爭爆發愈嚟愈近,蔣Sir第五次大圍剿戰爭打到紅軍五癆七傷,中共決定展開25000里長征,深入不毛之地重整旗鼓,內憂外患,蔣Sir嘅南京中華民國政府,岌岌可危,中國近代史亦進入大變局時代。 1935年3月1號,南京市鐵路系統由江南鐵路公司承租,租期20年,月租3000元。3月4號,曾經到訪南京會見汪精衛同孫科嘅日本關東軍特務頭子兼甲級戰犯土肥原賢二(1883-1948)到達廣州,繼續佢嘅游說工作,廣州當局禁止各報章刊登其消息。土肥原先生明顯已經係國家民族嘅大敵人,但係佢仲可以周圍走製造事端,其實件事都幾荒謬。3月7號,國民黨中常委同意設立「國立戲劇音樂院」,培訓藝術戲劇人才。 3月8號,河北長垣段黃河決堤,災民達到14萬。同一日,中國嘅電影圈發生大事,著名女演員阮玲玉(1910-1935)喺家中服用安眠藥自殺,被發現後送往醫院不治身亡,年僅25歲。阮玲玉喺廣東香山人,亦即係中山人,出生於上海,1926年以15歲之齡考入明星電影公司,開始其演員生涯,佢主演嘅第一部電影叫《掛名夫妻》,1928年阮玲玉加盟大中華影片公司,主演《劫後孤鴻》等電影,之後加入聯華電影公司,1930年主演《野草閑花》,名震影壇,成為炙手可熱嘅大明星,之後主演過《一剪梅》、《城市之光》、《三個摩登女郎》、《小玩意》、《新女性》電影,成為中國最受歡迎嘅女明星。1933年,阮玲玉同丈夫張達民達成離婚協議,之後與「中國茶葉大王」唐季珊(1896-1967)共賦同居,不過活於20世紀30年代嘅中國,女性追求戀愛自由似乎係一種原罪。1935年頭,以先進婦女艾霞(1912-1934)一生經歷作藍本嘅電影《新女性》上映後,阮玲玉主演嘅角色頗受到輿論非議,同時間私生活亦都被曝光,與此同時,其前夫張達民亦否認同阮玲玉有離婚協議,向法院上訴,法院於是喺本月9號傳訊阮玲玉,阮玲玉深感壓力下自殺,留下遺言「人言可畏」四個字,出殯嘅時候,沿途默哀嘅群衆達到十萬之眾。 阮玲玉之死有兩點可以補充,首先就係佢同居男朋友唐季珊有關,傳說阮玲玉服用安眠藥昏迷後,因為佢驚人閒言閒語,所以將阮玲玉延遲送院搶救,本應條命可以救得返。另外有關阮玲玉第一任丈夫張達民,阮玲玉母親早年為張家做傭人,母女寄人籬下,而張達民即是張家四少爺,人生得青靚白淨,穿着體面,但內在卻是個不學無術、品格低劣紈絝子弟,同阮玲玉結婚之後,不求上進之餘仲要食拖鞋飯,正一死仆街。人言固然可畏,但女人係遇到壞男人更可畏。阮玲玉嘅悲劇,亦都反映出作為新時代女性響當時傳統中國社會下所受到嘅沉重壓力,女性地位真正要得到解放,頂上半邊天,係之後嘅事情。 3月9號,孔祥熙(1880-1967)喺上海召集各界領袖,商討如何挽救上海市工商業;3月11號,中東鐵路買賣草約由蘇聯、日本、偽滿洲國三方面喺東京簽字,並於3月23日正式簽署協定。3月12號,蔣介石發佈保護孔廟令;3月13號,四川士紳階級上書蔣Sir,請求制止軍隊苛徵暴殮,打劫需要理由嘅咩?3月16號,前赴東北嘅1000名旅客喺山海關被拒入境。3月17號,准南鹽務局徐州緝私隊擊斃蘇北蕭縣鹽犯4人,重傷2人,輕傷11人,並捕去1人,激起民憤,販賣私鹽的確係罪,但唔係吓吓打死人吓嘛? 3月17號,《獨立評論》142期發表著名經濟學家社會學家陳序經(1903-1967)一篇文章,名叫《關於全盤西化答吳景超先生》,著名大學者、年青人偶像胡適(1891-1962)喺該行刋嘅「編輯後記」中重申——「我是主張全盤西化的。」支持中國全面西化,陳序經認為「中國文化已不合於現代的環境和趨勢」,與胡適一貫嘅觀點互相吻合。3月31號,胡適再次呼籲全國人民「虛心接受這個科學工藝的世界文化和它背後的精神文明」?中體西用並唔足夠,要西體西用先至啱,中國文化、儒家哲學等等東西,全部都係垃圾,全部都係妨礙中華民族融入新時代嘅障礙物,要統統揚棄,一點一滴都唔可以留低,其實類似嘅黑白貓觀點,係五四運動嘅時候已經被提出,中國國勢積弱,就係因為中國傳統文化不合時宜,Right or Wrong?你睇吓日本「明治維新」全盤西化之後所獲得嘅成就?簡直就係天同地。 凡事凡物,利用睇到嘅結果推敲原因,其實都係一貫嘅思維方式。以跑馬為例,隻馬win出後,總係有千百個理由支持佢贏,事後煙永遠好好食好易食,但係事前呢?事前能夠預測邊隻馬跑出先係最重要嘛。中國當時積弱,落後於大時代,就係單單因為中國文化累事?全盤西化就可以解決問題?答案未免太簡單。就我個人意見,毒品問題明顯會喺中國文化之上,叫人戒毒一定重要過叫人放棄中國文化,不過呢個純粹係我個人觀點,不喜���插。萬物離散嘅世事真係咁簡單?凡事都可以搵到其真正原因?凡事凡物都會有清楚嘅因果關係?歷史大概唔係咁嘅一回事,你覺得係,就太native了。 #常威💀 #蔣介石平反系列 #中日戰爭 #民國歷史 #佛經抄寫員 https://www.instagram.com/p/CeLqLVSvcHc/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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【4K】こんこん神輿・女衆神輿・第4豊水祭典区山車披露 | 第59回 すすきの祭り 2023 | 日本 北海道 札幌 中央区【Binaural ...
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森友学園に係る文書改竄問題は国政に対する信頼を揺るがす大きな問題である。しかし、世界が数十年に一度と言っていいくらいの激変を迎えようとしているいま、日本の舵取りをしっかりしなければ沈没を免れない。
学園関係で安倍晋三首相や昭恵夫人が関わり行政を歪めたとの明確な証拠はないし、首相自身が否定している。加計学園問題と同じく、野党やマスコミは魔女裁判のように印象操作で安倍内閣の支持率低下を狙うやり方は、フェアーではない。
世界の激動に対処し、日本の国益を毀損しないためには、世界を俯瞰する地球儀外交をしてきた安倍氏以外にないのではないだろうか。
日本は「力」を持つべきだ
元米太平洋艦隊司令官であったジェームズ・A・ライアンは国際ジャーナリストの藤田裕行氏(聞き手)に「平和は力で守られる」(『WiLL』2018年1月号)と答えている。
その通りであるが、憲法の平和条項が日本の平和を守ってきたと教えられてきた日本人は、なかなか「力」が平和を守っているとは理解しづらい。
日米は平成22(2010)年に新安保条約が調印されてから50周年を迎えていた。当初は首脳の共同声明が考えられたが、普天間飛行場の移設問題で鳩山由紀夫首相(当時)の態度が一定せず、バラク・オバマ米政権は不信感を募らせ格下げを要請してきた。
その結果、首相と大統領の署名ではなく、外相・防衛相と国務・国防長官の連名となった。岡田克也外務大臣や北澤俊美防衛大臣が「日米同盟の深化を目指す」と言っても防衛費の減額が続いたので、米国では日本の首相や大臣たちの発言を信じることはできなかったのだ。
平成30(2018)年3月12日付「産経新聞」は、国際政治学者の三浦瑠麗氏と外交評論家岡本行夫氏の「日本人の危機意識 徹底討論」を5面全段に掲載した。
岡本氏は「日米同盟が試される場面がくる」「トランプ氏は国家の運営に必要なコスト感覚などを国民にさらした、例えばGDPとの対比では世界の102位という日本の低い防衛費負担について『不公平だ』と批判してくる可能性がある」などと指摘する。
三浦氏は「日本や台湾が米国に���捨てられる事態を心配しています」「軍拡の是非も含めて目指すべき平和国家の議論を進める必要がある」な��と語っている。
近衛文麿が「高度国防国家」を唱えて、米英に対処する軍の近代化・防空網整備と要塞化・重工業化と国民の国防意識の発揚を念頭に置いていたとして、想像力を発揮して有事に備えることを提案するのは著述家の古谷経衡氏である(『WiLL』2017年6月号)。
その中で、人口当たりの核シェルター普及率がスイスやイスラエル100%、米国82%、ロシア78%に対し、日本は僅か0.02%でしかないことを例示し、「危機意識の無さというか、悪意すら無き『無垢』なる恐怖心の無さ、逆にそれが無知の恐ろしさ、その皮膚感覚の中に恐怖や怒りが打刻されていないあまりの『非動物的』な感性に、驚愕を通り越して不気味すら感じる」と書いている。
米国が憲法まで作り替えて〝骨も影もない″日本人にしようとした意図が見事に成就したのだ。「自分の国は自分で守る」という意志さえ持たない日本が、拉致された同胞を取り戻そうという意志などもてるはずもない。
安倍潰しは犯罪に等しい
加計学園の獣医学部新設問題では、理路整然とした侃々諤々ではなく、忖度したのではないかという空気で喧々囂々となり、論戦に値しない問答が繰り返され貴重な時間を空費した。
野党や多くのマスコミは首相が獣医学部の開設決定などに関わっていなかったにもかかわらず、加計幸太郎氏と長年の友人であったということを理由に、印象操作で首相の支持率低下を図った。
誘致の張本人であり、最も多くかかわってきた加戸守行氏を参考人に招くことや、招いた後の発言も報道しない不公平さが目立った。当人を差し置いての首相「尋問」に対し、加戸氏が「安倍首相の濡れ衣を晴らす」(『WiLL』2017年10月号)を書かざるを得なかったのも理解できる。
「関与していない」とする「悪魔の証明」を求められ、「答弁が明確でない」「誤魔化しているのではないか」などをくどいほど繰り返されたのでは、どのような内閣も堪え得ないであろう。
すでに獣医学部開設で、安倍首相の関わりがない、濡れ衣であったことが判明した。ともあれ、安倍政権をつぶしたい陰謀が働いてきたとしか言いようがない。
安倍政権は歴代政権ができなかった多くの成果を上げてきた。そうしたことに対し、自民党内にも羨ましさが過ぎて敵対的な発言や行動をする御仁も見受けられる。
石破氏は安倍内閣の地方創生担当大臣でありながら、国家戦略特区を設けて理不尽な「岩��規制をドリルでこじ開ける」首相の意図に反する「獣医師養成系大学・学部の新設に関する検討」(通称石破4条件)を掲げ、閣議決定される。
これについて、日本獣医師政治連盟委員長は「大臣から、(中略)大学学部の新設の条件については大変苦労したが、練りに練って、誰がどのような形でも参入が困難な文言にした旨お聞きした」と語っている。
細部は小川榮太郎氏「加計学園問題の〝主犯″は石破茂」(『Hanada』2017年9月号参照)に譲るが、これでは、座右の銘は「面従腹背」と語る前川喜平氏と同じである。
いまは文書改竄で批判が高まり、衆院議員会館前では安倍政権支持派と反対派のデモ隊による怒声が飛び交う険悪な状況も伝えられた。
米国が鉄鋼などの輸入制限措置を発動したが、日本は適用除外になるのではないかと油断していたようだ。文書書き換え問題に気をとられ、壮大な時間を浪費しているうちに、本来の任務を果たす方向に目が向いていないのではないだろうか。これでは、日本沈没を招く犯罪である。
倒閣後は誰が首相になるのか
第3回先進国首脳会議(サミット)時の福田赳夫首相の姿が忘れられない。一団となって話しながら野外を進む列国首脳から数メートル離れた後方を一人で「われ関せず」とでも言うようにぽつんと歩いていた。
また、2010年11月に横浜で開催されたAPEC時の胡錦濤主席と菅直人首相の会話時の状況はみじめであった。
9月に海保の巡視船に中国の漁船が追突した事案があり、日本が船長等を逮捕したことに対し、中国は各種の報復的なことを行なってきた。そうした中で迎えるAPECであり、中国は胡主席の出欠を明言しないなど日本を困惑させていた。
来日して会議に参加することが決まった後も、首相との首脳会談が危ぶまれる状況に日本側は追い込まれていた。そうした中で、懇請して実現した会談であったのだろうが、首相はおろおろしながら相手の顔どころか、手にもつノートを見ながら話しかける仕草は、卑屈としか映らなかった。
首脳同士の会談というよりも、会話でもない単に通りがかりの立ち話という程度だ。こんな惨めな会談では、日本の沽券にかかわるし、国益には資さないとつくづく思い知らされたものであった。
13億の民を8年間引っ張ってきた主席に対し、数か月前に就任したばかりの首相という「格」の違いを過剰に意識したのかもしれないし、船長逮捕で中国に逆に高圧的に出られ、我を失っていた民主党政権でもあったからであろう。
首脳ではないが、河野太郎外務大臣が就任直後に中国の王毅外相と会ったとき、深々と礼をした態度が批判を買ったことも記憶に新しい。
いま、首相候補に挙げられているのは石破茂氏や岸田前外務大臣である。相応しい人となると小泉進次郎氏も名を連ねる。
日本を取り巻く国々の首脳と、即座に渡り合える人物となると、よほどしっかりした国家観や歴史観、さらには日本を引っ張っていく確固とした理念を持ってもらわなければならない。
石破氏の防衛大臣時や岸田氏の外務大臣時の言動から判断する限り、両人には自虐史観的な考えも垣間見られたことから、国益視点の欠落が心配される。
特に候補の筆頭である石破氏に関しては、先の獣医学部新設にかかわる面従腹背的な行動は理解に苦しむ。氏は防衛庁長官と防衛大臣を都合3年やっている。
その間にイラクへの自衛隊派遣を行うが、陸幕の視察要請(4回)にもかかわらず現地隊員の激励に行かず、イージス艦「あたご」の衝突事故では、隊員の信頼を著しく失墜する処理を行う(田母神俊雄「石破茂だけは総理にしてはいけない」、『WiLL』2017年10月号所収)など、国政だけでなく、軍政においても背信的な言行がつきまとっている。
国益を考えるならば、文書改竄では安倍首相が行政の最高責任者とはいえ、それは風が吹けば桶屋が儲かる式の発想で、倒閣して国益に資することは何もない。
ワイドショー民主主義で共産主義社会か
加計学園事案は、結局のところ岩盤規制で半世紀も「歪められてきた行政を正した」ものであるが、ほとんどの新聞やテレビは前川喜平氏の「行政が歪められた」という発言ばかりを報道し、特に年配のおばちゃん連中は「安倍さんてダメよね」という見方がどんどん広がっていった。
ジャーナリストで松蔭大学客員教授の有本香氏は、テレビのワイドショーが政治を決めているという意味で日本は「ワイドショー民主主義」(『Hanada』 2017年9月号)だという。言い得て妙であるが、民主主義が嘘に弱いということでもある。
「朝日(新聞)が司令塔となり、テレビという巨大なマイクが国民にこれを宣布する。女性週刊誌とワイドショーが高齢女性層に執拗に、この虚報の拡大を図り続け、(中略)朝日―テレビが連動しての情報戦的な破壊活動に対抗するのは不可能」(小川榮太郎氏「なぜ私は朝日と闘うのか」、『Voice』2018年1月号)という。
そして、「私たちは、五年前の政権与党にして、日本といふ大国の現野党第一党党首(前原誠司氏)が独断で、まだ存在してもゐない政党(小池百合子氏の希望の党)に身売りをした現実を許したほどの愚か者」だから、「安倍氏の後の某総裁が、共産党の志位委員長と選挙直前に会談し、『今回自民党は公認候補を立てないから共産党公認で出たい』と表明し、志位氏がそれを受け入れる」としても、「日本人である我々にはもうこれを荒唐無稽と一笑に付す資格はない」と語る。
明治時代には正確な知識と議論を通して練り上げられた「輿論(Public opinion)」と、世の中の空気や噂でしかない「世論(Popular sentiments)」が明確に区分されていたが、近代化の進展の中で混同され、輿論が世論の意味でつかわれるようになったと言われる。
こうしてワイドショーなどで得た空気が「世論」調査の結果として提示され、政権をも左右するほどになっている現今である。
ただ、国際情勢を顧みない間の抜けた国会論戦が繰り返され、ワイドショー民主主義が横行するのは野党やマスコミだけに原因があるとは言い難い。中国が東シナ海で協定を破ってガス田の試掘を行っても、わが国のスクランブル(緊急発進)機が中国の戦闘機に攻撃動作を仕掛けられても、日本は進んで相手を批判することをしてこなかった。
こうしたことに対し、評論家の西尾幹二氏は「自民党政権の態度、習慣、自己隠蔽、糊塗・・・。自民党はこれらを専ら権力維持の手段とし、しかもそれが米国の庇護の下に可能であったから、日本の外交・防衛の感覚を世界に例のない異常なものにしてしまった」のではないかと詰問する(「安倍首相への直言 なぜ危機を隠すのか」、『WiLL』2016年9月号所収)。
もうそろそろ、国家や国民のために身を犠牲にして働く自衛隊員が、素人裁判で「殺人罪」に問われかねないような状況は改めなければならない。
閣僚は質問されたことにだけ答えるという決まりのようだけれども、質問者が相手国の悪意や危機の実態などについて聞かなければ、国民はなかなか中国の際どい行動やPKOの現場の実態などを知る由もない。現場で戦闘状況が発生していても「PKO5条件に反する状況ではありません」とそっけない答弁しか返ってこない。
政府も国会も、「民間人」を派遣できない「危険な状況」が想定されるから、「自衛隊」を派遣することが分かっている。時には戦闘状況も予測されるにもかかわらず、自衛隊の派遣場所は「非戦闘地域」と禅問答みたいな議論を続けてきた積弊である。
国会の質疑では、本質的な問題が論議されないために国民を納得させられないことも多い。そこで、首相は国民に対して、国際情勢等についての談話みたいなことを時折進んで開示するようにしたらいかがであろうか。
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