#奥州藤原氏
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黒基調のデザインも、経典の名前も、かっこよすぎないか
[B! 文化] 【国宝級の可能性も】奥州藤原氏が中尊寺に奉納 所在不明の経典発見か 民家の仏壇から見つかる|TVI NEWS NNN
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東京国立博物館の中尊寺金色堂の特別展に行ってきた。奥州藤原氏による平泉の黄金文化がやってくるとあって平日にもかかわらず大賑わいでした。やっぱり金は人気だね。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背���廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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現代に甦る文芸誌「ホトトギス」 稲畑廣太郎(俳誌「ホトトギス」主宰)
俳句雑誌として生れ、現在も俳句雑誌として刊行を続けている「ホトトギス」は、明治40年代の一時期、俳句中心から、小説等の文芸を中心とする雑誌に変貌していました。そのきっかけを作った作品が夏目漱石の「吾輩は猫である」なのです。「ホトトギス」が文芸誌としての黄金時代を築いた時代背景を、この作品を通してコミカルに、又愛情深く描いた舞台がこの「三毛子」であります��今回は再演ということで、より一層磨き抜かれた舞台が繰り広げられることでしょう。一人舞台とはいえ、源川瑠々子さんの抜群の演技力と歌唱力が、時には笑いを誘い、そして最後には感涙で締め括って下さる、今回もそんな感動的な舞台を堪能出来ますことを今から楽しみにしている次第です。是非多くの方に、早春の息吹溢れる三越劇場に足を運んで頂き、時空を超えた世界を心行くまで楽しんで頂きたく存じます。 春灯下 一歩に明治 香りたる 廣太郎
ひとり文芸ミュージカル 「三毛子」 川上博 (ミュージカル評論家)
再演を重ねた夏目漱石(1868-1916)の小説「こころ」に基づくひとり文芸ミュージカル「静-しず-もうひとつの、こころ」に続く第2作、漱石の「吾輩は猫である」を原作とする新作ミュージカル「三毛子-みけこ」が三越劇場で初演された。主要スタッフ、キャストは前作同様、脚本:スミダガワミドリ、演出・音楽:神尾憲一、振付・出演:源川瑠々子。源川演じる美人猫三毛子は、オス猫たちのマドンナ。二絃琴のお師匠さんの家で飼われており、お手伝いのフユ子と暮らしている。三毛子の夢に神様がよく出てくる。声の主は伊沢弘。猫の視点で人間の得手勝手をコミカルに描いていて楽しめる。源川瑠々子一人の語りと歌と踊りで展開するユニークなミュージカル。 舞台上手奥で、神尾憲一が美しい音楽をピアノで奏でる。その後ろ姿は、もう一人の主役といえる。見終わって、ほのぼのと心温まる余韻に包まれ、家路につく。
今度の「三毛子」はどんな猫 谷口直人(三越劇場 元支配人)
源川瑠々子さんとは「静」という作品で出会いました。ひとり文芸ミュージカルというひとり芝居ともミュージカルとも違ういったいどういう舞台になるのだろうと自分なりに想像していましたが実際に幕が開くとそこには想像とはちがう独特の世界が広がっておりました。芝居の様々な要素を全てひとりで表現する。力が無ければ出来ることではないでしょう。演出の神尾さんがおっしゃておられる日本語の美しさ、日本の代表的な文学作品を歌うように語るという事が出来る唯一の女優さんなのではないでしょうか。「三毛子」では猫を表現しなくてはならないというさらに��しい要素が加わりましたが、猫の持つ人間より優れているかもしれない感性を余すとこなく表現されていたように思います。再演というのは必ずしも同じ事の繰り返しではありません。前回とはまたちがった「三毛子」に出会えるのではないかといまから楽しみにしております。
「三毛子」よ、再び!! 藤田洋(演劇評論家)
「吾輩は猫である」は、誰もが知っている夏目漱石の国民的文芸の代���作である。発表されたのは明治三十八年(1905年)、すでに1世紀を越す歳月が流れているが、いまだに新鮮な作品だと評価されているのはなぜだろうか。それはたぶん、時代の変転に関係のない「猫」の目で描いてるからだろう。猫の目というと、くるくると変わるという連想になる。くるくる変わっても、核心さえきちんと捉えていれば猫の目は人間の目よりも鋭く、事態の真実を見抜いて逆に人間をびっくりさせるのかも知れない。ひとり文芸ミュージカル「三毛子」という名前がついて、それが再演になるという。漱石が生みの親の作品を、初演からさらに練りあげてどのように育てられたのか興味深い。源川瑠々子さんの“挑戦”を楽しみに観たい。
手づくりの温かさ感じさせた『三毛子』 森洋三 (演劇ライター)
「ひとり文芸ミュージカル」との出合いは一昨年三月の三越劇場『静』だった。夏目漱石の名作「こころ」の主人公の自殺から一年後、妻の静が先生との思い出を語り歌い、踊るというユニークな脚本のアプローチとミュージカルの新人・源川瑠々子のフレッシュなヒロイン像に魅了された。「ひとり文芸ミュージカル」の名称にはミュージカル評論家・瀬川昌久氏の推挙があったというが、確かに文芸作品を読むような、そして原作を読み直したくなるような香り高い舞台で、私小説的ミュージカルとでもいえようか。その第二弾が、やはり源川と、神尾憲一(脚本・音楽・演出)コンビによって漱石原作「吾輩は猫である」をもとに生まれた『三毛子』。こちらは平塚らいてう、与謝野晶子らしき人物まで登場するややコミカルな創作で、漱石家(?)に近い二絃琴師匠宅に飼われた美人猫を神尾の親しみやすい音楽に乗って生き生きと演じる源川、透明感のある舞台美術など初演舞台は手づくりの温かさを感じさせた。
三毛子は「青足袋をはいたネコ」?! 米田佐代子(女性史研究者)
源川瑠々子さんとの出会いはまったくフシギ。信州四阿山麓に建てた平塚らいてう記念「らいてうの家」に瑠々子さんがみえたとき、偶然わたしがいたのです。若い方にしては『青鞜』や明治時代のことをよく���存じ、と話し込むうちに彼女が「ひとり文芸ミュージカル」に挑戦中の女優さんで、夏目漱石の「吾輩は猫である」をもとに『三毛子』を演じる予定ということがわかりました。 それからお付き合いがはじまり、とうとう友人にも宣伝して『三毛子』を観たのですが、これがまた抱腹絶倒。なにしろ二絃琴のお師匠さんと「下女」の冬子さんが口角泡を飛ばして「女性は働くべきか、子育てに専念すべきか」と大論争。三毛子は『青鞜』ならぬ『青足袋』という雑誌を広げて「元始、メスネコは太陽であった」と読み上げるのです。男の漱石さんも「吾輩」も顔色なし。薄命の三毛子に語らせるあたりは「フェミニズム的悲喜劇」の面目躍如でした。 ペロー童話に「長靴をはいた猫」というのがありますが、三毛子はさしずめ「青足袋をはいたネコ」かしら。再演を楽しみにしています。
あらすじ
三毛子は猫である。二絃琴のお師匠と、下女のフユ子と暮らしている。時は明治後期、日本は大きな変革をとげ、ついに女性文学花盛り!が、新聞は、新しいのスキャンダラスなネタを見つけてはバッシング!なんとも面白い時代となっていた。おもしろい?そう面白いのだ、猫たちにとっては、人間の世界全てが滑稽なのだ。
さて、我らがヒロイン三毛子は、今日も女性文芸誌に目を通し、人気女性歌人の作品を朗読していた。毎日の日課だ。「君死にたもうことなかれ」「元始女性は太陽であった」「にゃ~だこうだ!」ひとしきり終わると。ふわ~~っと大きなアクビ。退屈なのではない、三毛子にとって最高に気持ちのいい瞬間なのだ。そして最後に決まってこのセリフ。「わかんないからさぁ。わかんない!」・・・そう、三毛子には全然わからない。しかし、その軽く首を傾げる愛くるしいしぐさに、近所の人々はうっとりする。三毛子は、町内の人気者である。お師匠さんも若い衆の人気者である。フユ子は、・・・夕飯の支度である。
◆ひとり文芸ミュージカル『三毛子』
原作 夏目漱石『吾輩は猫である』
脚 本 スミダガワミドリ
演出・音楽 神尾憲一
出演 三毛子 源川瑠々子 前口上/猫の神様 敷丸
二絃琴演奏 藤舎蘆船
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅸ
花鳥誌2024年9月号より転載

日本文学研究者
井上 泰至
16 紅梅や旅人我になつかしき
『六百句』に「なつかしく」の句形で「(昭和二十年)四月十四日 在小諸。懐古園に遊ぶ」の注記あり。『小諸雑記』(昭和二十一年)「紅梅」の章にも「懐しく」とあるが、同書「小諸の浅春」の章には「なつかしき」とある。『小諸百句』(昭和二十一年)には、「立子と共に懐古園に遊ぶ」と注記。
この句の詠まれた事情は、『小諸雑記』によれば、以下の通りである。庭に色彩のあるものが殆どないことを、家主の小山榮一氏に伝え、せめて一本の紅梅でもほしいと言っていたが、小諸の駅前にある懐古園を歩いていると、一つの紅梅を発見し、これで十分、家の庭にはなくてもよいと思い、飛騨への旅で車窓から一瞬見た景色に満足した経験を思い出し、「どこにでも気に入つた紅梅があればいい」として、この句を書き留めている。
俳人にとってはゆっくり見たものだけが句材ではなく、記憶に残った風景も句材になることは経験上多いだろう。虚子は既に若き日、『俳句入門』(明治三十一年)で、題詠における「回想」の効用を認めている(井上『近代俳句の誕生』)。今、近年の言説として片山由美子氏のものを挙げておこう。
(袋回しについて)そんなとき役に立つのは、日頃の俳句の断片の蓄積や視覚的記憶である。題詠だからといって、空想だけでは決してできない。ふだん目にしているものの映像的な記憶がり、一句の場面として定着する。じつはこれは俳句を作る際につねに無意識に行っていることである。俳句には「写生」が重要だと言われる。(中略)だが、人間がものを見ると言うのは眼前だけではない。極端な言い方をすれば、あるものを見るとき、すでに見る前からそのものを以前見たときの印象や認識を重ねて見るのである。そして、そのとき見たものはあらたな記憶としてとどめられ、そのものが目の前にないときでも眼前にあるときに近い描写をすることができる。わたしたちが俳句を作るときには、こうした作業を無意識に行っているのである。それが、席題で句を作るときなどには最大限に発揮される。(「句会を楽しむ―句会とは何か―」(『別冊俳句 俳句生活 句会の楽しみ』二〇〇八年)
なお、句形の違いに一言すれば、「なつかしき」は口調が強く、「なつかしく」は優しい。句意は、虚子とて疎開の境涯たる「旅人」であり懐かしさはひとしお、紅梅のその色と香がいっそうその思いを募らせるものだったということであろう。
そもそも梅は「懐古」の花である。例えば、太宰府天満宮の本殿向かって右手にある御神木「飛梅」。菅原道真は、京都から大宰府へいわれのない罪で左遷される折、自邸の梅の木に、
東風吹かば匂ひおこせよ梅の花
あるじなしとて春な忘れそ
と歌で別れを告げ、道真を慕った梅の木は、一夜にして大宰府まで飛んできたと伝えられる。御神木として大切にされている飛梅は、極早咲きの「色玉垣」という白梅だが、春の訪れを告げるこの花には、苦節の末のわずかな幸せを象徴する属性があった。島崎藤村の詩で有名な、小諸古城の旧園での成立も似つかわしい。
三月十日には東京大空襲もあった太平洋戦争末期の心細い時期、二年に及ぶ疎開の果ての虚子の心情は察するに余りある。
17 山国の蝶を荒しと思はずや
「ホトトギス」昭和二十一年五月号初出。『小諸百句』にも所��。『六百句』に「(昭和二十年)五月十四日 年尾、比古来る。小諸山盧」と注記。
虚子の生涯でも一大エポックと言える、この句の成立事情についての「公式見解」は、次の年尾の解説にある通りだが、実際の事情は後で触れるように、複雑である。
父は戦時中信州小諸に疎開して居つた。私も偶々父の家に滞在して居つた。京都から田畑比古が訪れた。父はいつも極つた道を散歩した。それは父の毎日の日課であつた。比古と私を伴つて、その散歩道をいつもの如く連立つた。春先の野路にとぶ蝶を見た。父は二人を顧みて此句を示した。
比古は京料亭「京饌寮」主人で、虚子の小説『風流懺法』のモデル妻の三千女ともども虚子門で、この句は信州小諸とは距離的にも風土的にも縁遠い、京都人の比古に向けて詠んだ点に妙味がある。
虚子編『新歳時記』の「祭」の項目には、虚子の風土観の核が京都にあったことが、明確に見て取れる。虚子のいう季語としての「祭」は、葵祭などを基本とした関西の風土におけるそれを指していることが了解され、関東を中心とする「神田祭」や「三社祭」は、立項されていない。深見けん二の証言によれば、昭和六十一年刊行の『ホトトギス新歳時記』を編集した折、この江戸風の気風のいい祭は、深見の提言でようやく採録されたことが後に明かされている(『珊』九十四号、平成二十四年五月)。
そのような虚子にとって、小諸への疎開は、芭蕉が奥州を旅して、新たな句境を得たのと似た意義があった。京都人比古に、「山国」の「蝶」の荒々しい飛翔という主観を示した掲句は、その象徴的な句なのである。ちなみに年尾も芦屋在住であった。
なお、この句は句案の変遷が明らかになっている。初案は、
山国の蝶は荒しと思はずや
であり、三人だけの句会での出句たる二案は、
山国の蝶の荒しと思はずや
であった。それが最終的に掲句の形に落ち着いている。この三句の変遷については、宮坂静生の指摘があるので引いておこう。
ア案(初案―井上注)は浅間からの強い風に抗うように飛んでいる蝶を見た嘱目である。強く提示しすぎて蝶の本意を損ない、一句のバランスがわるい。 イ案(二案―井上注)は下の句の問いかけに対して、〈の〉では迫力がない。掲句の〈を〉によって〈荒し〉の対象が意外にも可憐な蝶なんだと驚きをもって納得される。そんな蝶をともに見ない人までも、見たような感動を味わうことになる。 (『俳句鑑賞1200句を楽しむ』)
疑問を差し挟む余地のない推論で、『虚子百句』の年尾の解説では、嘱目で一気に最終案が即吟されたかに思えるが、むしろ虚子はこの句の出来に執心し、練り上げたことが確認できる。虚子自身、この句への確かな手応えがあり、てにをはも、なおざりにはできなかったものだったのである。
信州小諸と言えば、暦の上で夏五月ではあるが、晩春の趣きであり、京都中心の風土観に縛られない、写生の実践の成果だった。「山国」の二文字は重い。小諸市虚子記念館には、虚子揮毫の句帖二冊が、折本の形で残されているが、山盧から望む山並みの形に句の字配りがされている。『虚子百句』中、「山」の字を含む句は十二句の多き数え、本書においても、重きをなす字であった。
昭和二十年四月末にはムッソリーニも処刑され、ベルリンも陥落して、ヒトラーも自殺している。日本は戦争継続を公式に表明しているが、三月から四月にかけては、京都を除く日本各地の主要都市で大空襲の惨状が伝えられるようになっていた。そこをくぐりぬけてきた比古への「挨拶」が、山国らしき蝶の飛翔だった。
「荒し」は、蝶の本意の対局にあるだけ、新鮮な写生の結晶でもあり、亡国の淵に立つ情勢下にあっても、元気を失わな強さが、そこに潜んでいたことを肝に銘じたい。
『虚子百句』より虚子揮毫
17 山國の蝶を荒しと思はずや
18 桃咲くや���投げ出して針仕事

国立国会図書館デジタルコレクションより
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井上 泰至(いのうえ・やすし) 1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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こうやって発見されずに、人知れず処分されたり火事等で燃えてしまった貴重な資料は沢山あったかも知れないと思うと、発見されて本当に良かった。
[B! 文化] 【国宝級の可能性も】奥州藤原氏が中尊寺に奉納 所在不明の経典発見か 民家の仏壇から見つかる|TVI NEWS NNN
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太宰府天満宮の本殿裏。 菅原道真を祀る天満宮総本社(北野天満宮とともに)。天神(雷神)。学問の神様、文化の神様。創建919年。官幣中社。太宰府天満宮(2017年6月)6年ぶり。 厄晴れひょうたん。厄除祈願の際に、授与。厄が晴れた際に、願いごとを厄晴れひょうたんに納め、焼納する。 竈門神社授与所。 境内にある摂社、末社。 老松社。菅原道真の父母。 福部社。菅原道真の師、島田忠臣。 御子社。道真の子供たち。 野見宿禰社。相撲の祖。菅原家の祖神。 天稲荷社。九州最古のお稲荷さん(本殿裏かなり奥)。 中島神社。お菓子の神様。楼門右外側。 楓社。道真の妻。(宝物殿横) 筆塚、包丁塚。(菅原道真は書の名人だった)。本殿裏。 志賀社(橋横)。 菅原道真(845−903)。山陰亭(菅原家三代の私塾)を主宰、文人社会の中心的存在となった。讃岐国に左遷(886−890)。宇多天皇に重用された。遣唐使廃止(894)。899年右大臣。901年、藤原時平(左大臣)の陰謀(昌泰の変(しょうたいのへん))で太宰府に左遷(子供4人も流刑にされた)。太宰府への移動も実費、左遷後は俸給や従者も与えられず、政務にあたることも禁じられた。2年後に、太宰府で亡くなった。死後、藤原氏の相次ぐ病死、数多くの死傷者が出た清涼殿落雷事件は道真の怨霊によるものとされ、北野天満宮にて丁重に祀られた(死後、左大臣、太政大臣の位を与えられた)。 三大怨霊の一人(平将門、崇徳天皇)。 DAZAIFU SHRINE.
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出羽(現・山形県・秋田県)の海辺に、人魚の死体が頻繁に漂着していた。そんな1189(文治5)年の夏、外の濱(現・青森県の陸奥湾沿岸)に人魚が流れ着いたのを、人々が怪しんで注視していた。すると同年秋に、奥州藤原氏の秀衡(ひでひら、1122?〜1187)一族がことごとく滅亡し
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中尊寺蓮
梅雨が明け、本格的な夏がやってきました。昨日は、思い立って、2年前に福島県国見町にオープンした「あつかし千年公園」に行ってきました。「中尊寺蓮」を見るためです���
源頼朝が率いる鎌倉軍と平泉の奥州藤原氏が激突した地が、この国見町です。奥州藤原氏が築いた3.2㎞に及ぶ「阿津賀志山防塁」の痕跡が、阿津賀志山の中腹から旧阿武隈川氾濫原にかけて今も残ります。
奥州藤原氏最後の第4代藤原泰衡の首桶に納められていた蓮の種から開花したのが「中尊寺蓮」です。平泉とのゆかりで中尊寺から平成21年4月に株分けされ、国見町の有志が栽培してきたそうです。
これが、「中善寺蓮」です。小高い丘が「阿津賀志山防塁」の跡です。

中善寺蓮の花は、直径30㎝余りありました。大型です。

中央付近に濃く見える山が、「阿津賀志山」です。右手が「阿津賀志山防塁」跡で、当時は、この辺りから阿津賀志山の中腹まで続いていました。

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桐朋高等学校、78期卒業生の答辞に賛辞やまず 「只者ではない」「感動のあまり泣いて10回読み直した」
2024/3/13(水) 18:46配信
ねとらぼ
桐朋高等学校(東京都国立市)、第78期卒業生の答辞がX(Twitter)を中心に、「とんでもない18歳だわ……」「す、すごいものを見た」など大きな反響を呼んでいます。
本記事では、答辞を書いた土田淳真さんの掲載許諾をもとに、桐朋高等学校公式Webサイト、土田さんのnoteにも掲載されている答辞全文を紹介します。
答辞
ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきは、巡り巡ってアメリカ・テキサス州のハリケーンの原因となりうるでしょうか。1972年、アメリカの気象学者エドワード・ローレンツは正確な気象予報の困難さをこのように例え、初期条件の僅かな違いが観測結果に大きな影響を与えることを示しました。ローレンツのこの問いはやがて「バタフライエフェクト」として大衆文化にも受容され「偶然に導かれた数奇な因果関係」を意味する言葉として用いられています。本日体育館の外に吹いている朗らかで少し物寂しい風も、ともすると3年前・6年前初めてこの学校に足を踏みいれた時の肌寒く不安な風の名残なのかもしれません。
自らの歩みを振り返り、新たな日々を予感させる春風が吹くこの佳き日に、桐朋高等学校78期、293名の卒業式を挙行くださること、卒業生を代表し感謝申し上げます。そして六年間僕達に知的好奇心の入り口を開け続けてくださった先生方、また何より18年間僕達の成長を見守ってくださった保護者の皆様に、重ねて御礼申し上げます。
振り返ると78期は常に風と共に歩んできました。2019年4月1日、「平成」に替わる新元号「令和」の発表。出典の万���集に曰く、「初春の令月にして、気淑く風和らぎ…」しかし、令和最初に吹いた「風」は通常の「風邪」を遥かに凌駕した未知の感染症でした。「期末試験は中止です」最後の登校日、担任の先生が複雑な表情でそう告げた時、歓喜の声を上げた僕たちのそばで一人下を向いていた友人が流した悔し涙が、コロナの残酷さを如実に物語っていました。憎たらしいほどの青空の下で、僕たちの中学修学旅行は、部活の試合は、そして何よりマスクの下に見るはずだった皆の笑顔は、全て「不要不急」の4文字に淘汰されていき、その鬱憤を誰のせいにもできない葛藤の毎日が続きました。それでも、時計の針は進み続けます。たとえそれが黒板に打ち付けられた腕時計の針であっても。桐朋祭は3年ぶりの有観客開催となり、熱狂の渦を取り戻しました。無事に迎えられた高校修学旅行、旅館の屋根の上、あるいは大文字山から見た京都の星空は、さぞ格別なものだったでしょう。「7回学んで8回笑え」修学旅行のこのスローガンは元々「7回笑って8回学べ」だったそうです。最後は笑いたいよね、実行委員のその一言で少しだけ変わったこのスローガンからは、一生ものの信念を感じます。
しかし、僕達のこの信念は、決して既存体制への反骨心に基づくものではなく、僕らに本質的に内在する潤澤な学びと笑いへの希求である、僕はそう思います。僕達でなくして誰が、壊れたプリンターで射的をしたでしょうか。電子研は78期の学びある笑いの象徴でした。僕達でなくして誰が、教室のベランダにガーデンテラスを作ったでしょうか。中学最後のスポ大、掟破り瀬戸際のクラTを着て優勝した3年1組が、僕はとても羨ましかった。僕達でなくして誰が、数学の問題集より分厚い修学旅行のパンフレットを作ったでしょうか。学校説明会に来た小学生がこれを見て目を輝かせていたのは忘れられません。CreationとImaginationが同じ「そうぞう」という音なのは日本語の奇跡としか言いようがありませんが、僕達にとってこの両者はもはや同一でした。そしてまたこれも言葉の綾ですが「そうぞう」はえてして騒々しい――群馬県警を呼び、1年1組の天井を破壊し、あるインドカレー店と癒着ができました。ともかく、78期はなんというか、豪快でパワフル。学年閉鎖をことごとく回避し「馬鹿は風邪をひかない」あまりのうるささに呆れ顔で言われたその言葉��すら、僕達には誇らしく感じられました。馬鹿と言えば、これまた「そうぞう」の一環として、生徒による学年通信「馬鹿たれ」を想起した方も多いことでしょう。学年目標を冠した本家「大鵬たれ」のパロディとして作られたこの「馬鹿たれ」、後付けではありますが、かのスティーブ・ジョブズの演説も由来の1つだそうです。 “stay hungry, stay foolish”僕達はこの演説を高2英語総合の授業で学ぶことになります。偶然、ちょうどそのころ、この演説を扱ったある番組がNHKで放送されました。1人の細やかな営みの連鎖が、世界を動かす、と語られるこのシリーズ番組は、また偶然にも僕たちが高1の世界史で学んだ「映像の世紀」の続編で、その名も「映像の世紀 バタフライエフェクト」 2022年11月7日の放送回では、「世界を変えた愚か者」としてご存知ジョブズと、彼に影響を与えた思想家バックミンスター・フラーが紹介されていました。フラーは人類の持続可能な発展についての先駆的概念「宇宙船地球号」の提唱で知られています。バタフライエフェクトと「宇宙船地球号」はともに、いかなる矮小な存在も雄大な世界の要素であることから逃れられないことを示しました。1人の細やかな営みの連鎖が、世界を動かす。情報化社会と呼ばれる今日、それはいよいよ僕ら若者のレベルですら現実となりつつあります。絶えず大衆を突き動かし、ふと消えていくこれらの動きは、まさに風と形容するに相応しい。ですが、風そのものはいかなる善悪も吉凶も帯びていません。曖昧で流動的で得体がしれない、だからつい単純化し、意味づけしたくなるだけなのです。0か1かで定義されるデジタル技術が世界を支配する一方、0と1の間の無限の可能性を認める多様性、個性といった言葉が盛んに繰り返されています。しかし、個性的とは決して固定的なものではない、まして赤の他人から全角140字で押し付けられるものではない、僕は同級生の底知れぬ人間力と接する度にそう思います。僕達が一生かけて取り組む問題集には別冊の解答解説なんてついていません。解説されてたまるものか。解答なんてあるはずもない、だけれども、あるいはだからこそ、その問題を直視し、従うべき、逆らうべき風を判断せねばなりません。
さてこの“stay hungry, stay foolish” “be foolish be hungry”ではありません。僕達はいつまでfoolish、馬鹿でいられるのでしょうか。無知を馬鹿というならば、僕は永遠に馬鹿で構わない。無知とは、また新たな何かを学べるということであり、学びとはすなわちその奥に未知が存在することへの知覚なのですから。高1の時、担任の先生がこう言っていたのを思い出します。「学ぶ意味なんて学びきるまで分からない、でも意味がわからないから学ばないってのは、あまりに安直だよね」学びには王道もなければ聖域もない。永久の学びを志向する者ならば、他者に対し冷笑的、厭世的な態度で臨むことは許されません。
馬鹿は風邪をひかない――己の無知を自覚し、故に学び続ける「馬鹿」であるならば、流言飛語やデマといった一時的な「風」に惑わされることはないはずです。未成年という防風林が除去された僕たちには、今後多くの逆風が吹きつけるでしょう。時には向きを変え、その逆風を追い風に変えることも重要な戦略の一つです。ですが、青臭いかもしれないが、コロナ禍を乗り越えた学年として、いやそうでなくとも78期として言わせてほしい。逆風を味わうことができるのは、前に進む者だけだ、と。
さらに僕達はそう遠くない未来、風を受ける側から風をおこす側になるでしょう。最後にこんな話を紹介させてください。ある日、生徒会の意見箱に右翼や左翼といった言葉を使って特定の政治思想を中傷するものが投書されていたことがありました。どう返信しようかと悩み、そのまま机に置いて帰った次の日、誰の字とは分かりませんが、しかしはっきりと次のようなことが書かれていました。「片方の翼だけでは、鳥は空を飛べません」 僕達が大鵬ならば、両方の翼を自在に使いこなせる大鵬でありたい。大鵬は古代中国における季節風の象徴だという説があります。中国大陸の南、太平洋を吹き抜ける季節風は、古来より貿易船の帆を押し、東西文明の融合、新たな文化の隆興を育んできました。1匹の蝶でさえハリケーンを引き起こすなら、293羽の大鵬は何をもたらすのでしょうか。僕達がおこす風もまた、曖昧な他者を融合させ誰かの「そうぞう」の一助となると信じています。
桐の朋。ですがけっして「これっきりのとも」ではないはずです。
数千里の翼を伸ばして校舎の外に尚も広く晴れ渡る大空を悠々と、颯爽と翔けていく我ら大鵬。
78期が飛び立つ空に、学びあれそして笑いあれ。
78期よいつまでも、馬鹿な大鵬であり続けよう。
2024年3月2日 78期卒業生代表
※一部、土田さんから申し出があった箇所を訂正しています
土田さんによると、「このたびの答辞を作るにあたり、78期の全てを詰め合わせるという思いで、卒業生293名全員の氏名から1文字ずつとって本文に組み込む、ということに挑戦しました。また、最後から3行目には担任団の先生方の氏名を1文字ずつ入れております」とのこと。また、投稿によると「桐の朋。ですがけっして“これっきりのとも”ではないはずです」という文章は、本番でのアドリブだったそうです。
編集部が土田さんに反響に関して話を聞いたところ、「内輪ネタ満載の答辞にもかかわらず多くの皆様にお読みいただき、桐朋の魅力が少しでも伝わったようで何よりです。これからもまだ見ぬ新たな学びを求めて、大学生活を過ごしてまいります」とコメントしてくれました。
土田さんの答辞には、「あまりにも素晴らしい文章で感動」「こういう言葉が紡ぎ出せることがなんと素敵なことか。豊かな感性」「卒業生全員の文字入れてのあの内容、すごすぎやしない? あっぱれの一言よ…」「溢れる知性とユーモア、仲間への想いを美しい文章へとまとめ上げる文才に感動しました」「答辞で泣くなんて……」「ここ数年の間に読んできた文章で一番胸が熱くなる素晴らしい挨拶だと思います」など、感動した人の声が続々と届いています。
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おはようございます! 平泉、中尊寺内の木々! 紅葉も始まり、不思議な雰囲気が 漂う。 * * * #平泉 #中尊寺 #奥の細道 #松尾芭蕉 #奥州藤原氏 #源義経 #弁慶 #お寺 #ゴープロのある生活 #goproのある生活 #ファインダー越しの私の世界 #カメラ好きな人と繋がりたい #旅好きな人と繋がりたい #紅葉 #�� #空 #gopro #instagood #temple #japan #photooftheday #history #trip #travel (中尊寺金色堂) https://www.instagram.com/p/BpiTrayAuUd/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=3dtvlfl7hykh
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本年の初詣は息子・娘の学業成就を 祈念して、世界遺産の中尊寺。 行ったことあるひとならご理解 いただけると思うが、参道は ドあたまから強烈な急傾斜の坂道な上、 豪雪を多くの参詣者が踏み締めているので ドリフのコントみたいに皆んな ツルッツルにすっ転ぶ。 一応、入口には靴に結ぶ滑り止めの 縄が置いてはある。 しかし、完全にピッカピカのの 氷結面であることが多いので、 大して効き目もない。気持ちの問題。 皆さまにもよい一年となりますように! #初詣 #中尊寺 #すべってたまるか #鎌倉殿の13人 #奥州藤原氏 #兵どもが夢の跡 (中尊寺) https://www.instagram.com/p/CYMWK0hvPXn/?utm_medium=tumblr
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\おにわさん更新情報📸/ [ 岩手県平泉町 ] 無量光院跡 Myoryokoin ruins Garden, Hiraizumi, Iwate の写真・記事を更新しました。 ――奥州藤原氏三代目 #藤原秀衡 が建立した寺院に作庭され、世界遺産委員会が『浄土庭園の最高傑作』と評した苑池。 ・・・・・・・・ 無量光院は #奥州藤原氏 の #三代目 藤原秀衡が京都の平等院鳳凰堂を模して建立された寺院で、寺院跡に残る遺構として現在は #浄土式庭園 の苑池が復元されています。 国の #特別史跡 に指定され、 #世界遺産 『平泉 ―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―』にも構成。 平泉駅🚉から中尊寺方面へ向かう道すがらにあります(東北本線の車中からも見えます)。初めて平泉を訪れた2010年には発掘現場らしい土の広場だった記憶があるのですがその後徐々に #史跡公園 として?の整備が進み、5年ぶりに訪れたら立派な池泉回遊式庭園になっていました! ちなみに5年前は池の形はなんとなく出来ていたけど水はまだ入っていなかった。 奥州藤原氏は初代・藤原清衡が『中尊寺』、二代目・藤原基衡が『毛越寺』、そして三代目・秀衡は奥州藤原氏の政庁『平泉館(柳之御所)』のほど近くにこの『無量光院』を造営。 奥州藤原氏の滅亡後に火災🔥などで建造物は焼失し、現在に至るまでの間には(その他の遺跡と同様に)水田になった時期も🌾昭和年代に発掘調査が開始され、近年この浄土式庭園が復元・整備されました。 伽藍(建築)と同様に #平安時代 の末期に作庭された #浄土庭園 は、中の島を中心に置いて借景に金鶏山⛰をのぞむ庭園。 かつては中の島を手前に本堂が正面に向いており、その先の金鶏山は無量光院の西側正面に位置していました。西方に位置する金鶏山に夕日🌇が沈んでいくことから、 #西方極楽浄土 を体現している『浄土庭園の最高傑作』――という評価を世界遺産委員会も与えたそうです。 現在も完全に道沿いにあるのでそんな高評価であってもうっかりスルーしそうな庭園ではありますが。今回訪れたのは完全に日中だったので――次回は夕方とかにも訪れてその場を体感してみたい。 また『平等院鳳凰堂』を上回ることを目指した――という豪華な本堂も将来的には復元整備するという計画(願望)もあるようです。自分がもっともっと歳を重ねた頃かもしれないけど――いつかその姿見てみたいなあ。 〜〜��〜〜〜〜〜 🔗おにわさん記事URL: https://oniwa.garden/muryokoin-ruins-%e7%84%a1%e9%87%8f%e5%85%89%e9%99%a2%e8%b7%a1/ ーーーーーーーー #庭園 #日本庭園 #garden #japanesegarden #japanesegardens #平泉 #平泉町 #hiraizumi #岩手 #岩手県 #iwate #東北 #tohoku #公園 #park #landscape #遺跡 #ruins #worldheritage #おにわさん (無量光院跡) https://www.instagram.com/p/B0DUXFuAkYr/?igshid=phg3oswjb2qp
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北上川を臨むひっそりとした丘陵。妻子と共に自害した終焉の地。長兄鎌倉殿への思いは。。。 源義経、幼稚園の頃に大河ドラマを見て初めて知った武将で、特別な思いがあります。 夏草や 兵どもが 夢の跡 奥州藤原氏三代の栄華の儚さと源義経の最期を偲び、芭蕉が詠んだ有名な句は、心に染み渡ります。 #岩手県平泉 #衣川館 #判官館 #高館義経堂 #源義経 #弁慶の立往生 #郷御前 #奥州藤原氏の栄華 #松尾芭蕉ゆかりの地 #夏草や兵どもが夢の跡#北上川 (高館義経堂) https://www.instagram.com/p/Cfgbja8O8vA/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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名取熊野三社の一社、熊野神社 名取老女により平安末期に熊野三山を勧請しましたがその中心的社の熊野速玉社に由来します 中央の新宮社証誠殿、東に那智飛瀧権現社、西に本宮十二社権現社の社殿配置はミニ熊野で、奥州藤原氏や伊達氏の崇敬も篤かったと云います また仙台近郊で見られる狛犬さんは片足を上げているものが多く見られ特徴的でした #熊野神社 #名取熊野三社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 熊野神社(くまのじんじゃ) 鎮座地:宮城県名取市高舘熊野堂字岩口上51 主祭神:速玉男尊,伊弉冉尊,事解男尊,菊理媛神 社格:県社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 #神社#神社巡り#神社好き#神社好きな人と繋がりたい#神道#shrine#shinto#日本の風景#参拝#神社巡拝家#recotrip#御朱印#御朱印巡り#御朱印好きな人と繋がりたい#神社建築#龍神#神社仏閣#パワースポット#宮城県#名取市 #名取観光#宮城観光 (熊野神社) https://www.instagram.com/p/CmrHghNPkvk/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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