#奥多摩の山��歩こう
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raccoon-pizza · 8 months ago
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324:底名無し沼さん (ワッチョイ 115d-ppj8):[sage]:2024/01/15(月) 11:12:20.59 ID:m4tl/Bqa0
大菩薩峠~丹波山におりる道、真ん中だけ崩れてるのかな?
下の道は途中からアスファルト?
yamapとかいろいろ見てるが上の道がよいのかな、引き返してる人もいてよぬわからぬ
773:底名無し沼さん (ワッチョイ 7ff2-0XJH):[sage]:2024/01/26(金) 12:21:30.63 ID:MeX4Lb/Y0
>>324ですけど、カツヒコさんに埋もれちゃったんで再度質問です。
最近大菩薩~丹波山まで歩かれた方いませんか?
真ん中ルートは崩壊確実ぽいので止めておきますが、最短の下のルートは地図上だとアスファルト歩きが長いように見える。
歩かれた方、どんな状況かご教示ください!
775:底名無し沼さん (オッペケ Sr7b-PamO):2024/01/26(金) 14:02:12.66 ID:2nPosQbPr
>>773
最近は知らんけど、北東に尾根伝いで行ってサカリ山を巻いてマリコ川沿いに下る道が切れてるの?
小菅に下る道は林道車道が長いな。
嫌なら石丸峠から延々と松姫とか?
778:底名無し沼さん (ワッチョイ 5ff4-0XJH):[sage]:2024/01/26(金) 16:20:42.81 ID:6D2+lwLb0
>>775
ごめんなさい、説明が悪かったです。
丹波山に降りるルートが地図上では三本あるんです。
775さんがおっしゃってる通り、サカリ山巻いてマリコ側ルートが崩落してるっぽいです。丹波山側には注意書きあり、大菩薩峠からはなしらしく。
サカリ山巻かないルートだて微妙に長いから一番下のルートかなぁと。ただアスファルト歩きが長いように見えるので迷っています。
https://i.imgur.com/qzU7BQg.jpg
779:底名無し沼さん (ワッチョイ 87bd-PamO):2024/01/26(金) 17:30:02.18 ID:orBbSPuI0
>>778
どこが切れたか知らないけど、そっちなら林道はそう長くないじゃない?
峠側からは警告なしなら丹波には行けるからかな。
793:底名無し沼さん (ワッチョイ ffa0-OxJD):2024/01/27(土) 00:37:06.35 ID:KeX4EVgY0
>>778
無難に一番下の道を行けばなんてことはないよ。
真ん中はそもそも誰も通らないアレ気味の道だし。
上も問題なく通れるよ
780:底名無し沼さん (エムゾネ FF7f-ulmS):[sage]:2024/01/26(金) 17:46:37.81 ID:njiIqpytF
>>778
古めの山と高原地図だとサカリ山(今倉山)ってあなたの上げた地形図のさらに手前のピークだね
あと貝沢線終点~越タワ(大菩薩峠・高尾天平)はR5年10月12日現在通行止め解除だそうだよ、真ん中の尾根道の事じゃないかな
783:底名無し沼さん (ワッチョイ 87bd-PamO):2024/01/26(金) 19:38:35.50 ID:orBbSPuI0
>>780
高尾天平って1024のことかな?
785:底名無し沼さん (エムゾネ FF7f-ulmS):[sage]:2024/01/26(金) 20:11:29.47 ID:kZkYTOETF
>>783
いや手前(大菩薩側)の1036
787:底名無し沼さん (ワッチョイ 5f50-PamO):2024/01/26(金) 20:46:07.25 ID:iIjRM4X10
>>785
麓から近い手近じゃなくてそっち限定とかなの?
どういう原理かね???
788:底名無し沼さん (ワッチョイ df85-ulmS):[sage]:2024/01/26(金) 21:55:43.85 ID:rsjGgN+r0
>>787
いや限定じゃなく1036ピーク→1024ピークの道が麓まで歩けるって事だよ、尾根上の道が通行可能って事
丹波山村のホームページ見てみたら良いよ
789:底名無し沼さん (ワッチョイ bf85-0XJH):[sage]:2024/01/26(金) 22:13:59.98 ID:V+sOfOHT0
>>779 >>780
ありがとうございます!サカリ山関係なかったですね。
1036の尾根ルートは少し長くなるので下のルートにしてみます。
その他の皆さんもありがとうございます。来週末行ってきます。
明日は飯能アルプス
806:底名無し沼さん (ワッチョイ 070f-NhvB):2024/01/27(土) 20:40:15.33 ID:o3gYiNt30
>>778
昨年12月に1036ピークのとこ通っただけだけど、せっかく山に来たんだから多少長くても山らしさがある一番上が分かりやすいし、いいと思うけどなあ
まあ、分岐直後の登りがなかなか傾斜あって歩いてきたダメージが足に来るけども
サカリ山あたりは真面目に落ち葉地獄で道も消えかけてるから、十分気をつけて
813:底名無し沼さん (ワッチョイ 5e5d-D2S3):[sage]:2024/01/28(日) 13:59:50.78 ID:b/CjomjH0
>>806
ありがとうございます!
確かに尾根沿いの方が歩きがいありますよね。
当日の雪の状態と疲れ具合で判断します。
807:底名無し沼さん (ワッチョイ bfe2-ciqJ):2024/01/27(土) 23:43:06.60 ID:X9IVbiTj0
>>806
大菩薩から丹波山に歩くときはサカリ山は巻くだろう普通
809:底名無し沼さん (ワッチョイ 714e-0OPN):2024/01/28(日) 09:42:42.12 ID:COj1026t0
>>807
サカリ山あたりは、ね
その巻道が落ち葉と崩落で怖い感じしたからさ
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onishihitsuji84 · 9 months ago
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『ガラスの街』
 五月は読書の月だ。僕は本を読んだ。数多の本を。  最初、それは次の小説のアイデアを得るためだった。頭上の樹々からワインのための葡萄をもぎ取るような、循環を続けるにあたっての摂取だった。いきおい堕落しつつある現実から少しでも意識を逸らすためでもあった。  普段の僕は、本を読んで時間を過ごすことは少ない。長い時間ひとつの文章に集中することができないのだ。  それに読むことよりは書くことのほうがずっと大切だと僕は思っている。読む行為は、現実という制限された枠組みのなかではせいぜい膝丈ほどの優先度しかなかった。  しかし五月ではあらゆるものが落下した。熟れ過ぎた果実が枝との繋がり終え、足元に開いた坩堝に呑み込まれていった。読む行為もそうだ。落ち、煮え滾る器の中で混合した。  いまでは僕の「読む」は混沌としている。それはいまでは長身の僕、その僕以上にのっそりとそびえる一本の巨大な柱となっている。物言わぬ花崗岩の柱。五月、僕はそんな柱を中心にぐるぐると回り続けている。手は文庫本に添えられ、目は9.25ポイントの文字に注がれている。足は僕の意識から離れて交互に動いている。ひたすら歩き、ひたすら読んでいる。柱から少し離れた誰彼にどう見られているかどう言われているかなんてことお構いなしに。
 いや。そんな話自体がどうでもいい。関係ない。  きょう、僕は自分自身が”うすのろ”だということを語りにきたのだ。
***
 五月。  僕はどんなものを読んだのだろうか。   金ができて僕がまずやったことは大学生協の本屋に行くことだった。カウンターで二枚つづりの注文用紙を手に取り、もう何年も使い続けている青のボールペンで書いた。 "9784002012759"  週明け、僕は地下の生協で注文の品を受け取った。『失われた時を求めて』全十四冊。いまは第一巻を読んでいる。僕がふと目をあげると、あの遠い窓の奥で、大叔母が目を爛々と輝かせているというイメージが浮かぶ。泳ぐような精神の移ろいもまた。
 シェイクスピアの『夏の夜の夢』も読んだ。 『MONKEY』のvol.31の三篇、ケン・リュウ「夏の読書」、イーディス・ウォートン「ジングー」、ボルヘス「バベルの図書館」も読んだ。  仕方なく後回しにされていた本を買って読んだのだ。  金銭の自由は、精神という鈍い壁に茂っていた蔓植物のような不足を一太刀で解決した。
『春の庭』も読んだ。『九年前の祈り』も。  ウルフの『波』も読み始めている。  僕の貪欲は、過去に読んだことがあるかどうかなんてものでは選ばなかった。カーヴァーの『象』、春樹の「タイ・ランド」、マンローの「イラクサ」、ヴォネガットの『スローターハウス5』。マラマッドの「悼む人」も読んだ。
 一度の時に、僕はこれらの本を読んだのだった。  こんなに大量のフィクションを仕入れて、いったい何をしようとしているのか?  紛争でも起こそうとしているのか?
 何のためか。それは僕自身にもわからなかった。  僕は特定の目的をもって読んだわけではなかったようだった。五月の読書は「文章の上達」や、「ストーリーテリングの技法」といったそれまでの興味とは別物だった。振り返ればそうだとわかる。
 五月の読書は、それまでの自分を抑制しようとする、極めて機械的な態度とは違っていたのだ。  言えば、それは無垢に機械的な読書だった。  これまでの僕は断じて読書好きではなかった。どんな傑作でも一時間もしないうちに音を上げて投げ出した。ドストエフスキーやメルヴィルと出会ったときでさえ、メインストリームは”書くこと”、そして”生きること”で変わらなかった。この五月に僕は初めてむさぼるように読んだのだ。頭を空っぽにして。堆い小説の亡骸の山に坐すかのようにして。
 それで、僕は何かしら成長したか。  いや。成長なんて一つもなかった。  そこには変化さえなかった。二週間前と、すべては同じだった。僕が着るのは依然深いグレーのブルゾンだった。コミュニケーションもぎこちないままだった。  だからそこで起きたことはシンプルだ。つまり、僕はポール・オースターの『ガラスの街』を読み、ある一つの事実に行き当たった。 「僕はなんという低能なのだ」という事実に。
***
 一昨日から僕はポール・オースターの『ガラスの街』を読み始める。  『MONKEY』でオースターのエッセイを読んで彼のことを思い出し、その夜に丸善に立ち寄った僕は彼の本を久々に手に取った。  三日で読んだ。 「三日で読む」というのは僕にとってほとんどあり得ないことだった。僕のリュックサックには必ず四、五冊の本があった。読むときにはまずそのとき一番惹かれる本を手に取った。そして十数ページが過ぎ、抱いていた軽度の好奇心が満たされてしまうと、浮気性の蜜蜂のようにまた別の小説の甘いのを求めるのだった。  だから、一日目、二日目と時を経るごとに加速度的にその好奇心が勢いを増し、三日目には150ページを一つの瞬間に通貫して読んでしまったのだ。僕の読書体験において、異例中の異例だった。
『ガラスの街』を読んで、僕はうちのめされた。徹底的に。 ”面白さ”、そして”新鮮さ”の二つが、やはり事の中心だった。読書においておきまりのその二つが今回も僕を虐め抜いたというわけだ。 『ガラスの街』を読み終えた瞬間、僕の生きる世界のどこかが確実に変化した。
「祈っている。」  僕がこの最後の一文を読んだとき、曇り空の下にいた。その一節がこちらに流れ込んできたあと、僕は立ち上がった。テーブルがごとりと揺れるほどぶっきらぼうに立った。取り乱していたのだった。僕はそのままであてもなく歩き始め��。 「これ以上座っていることはできない」 「このまま座っていると、僕は頭の先から崩れ落ちてしまう不可逆的に」  そうした、僕という精神を一切合切覆してしまうほどの強烈な予感のために。  僕は予感に乗っ取られないよう、何も考えないと努めていた。何も感じまい、何も見まい、と。  リラックスを意識し、肩から力を抜く。腕をぐんと伸ばし、指をぽきぽきと鳴らした。イヤホンを耳にした。『ベリーエイク』を再生する。いつか足元をくすぐった波のように心地よい、ビリーアイリッシュの声に心をしっとり傾けた。  もちろん、そんなことは無駄だった。とりあえずの形など、何の助けにもならなかった。以前との比較から始まる違和感たちは強権的に僕の感情の戸をこじ開けた。  歩く中、透明の空気が奇妙に凪いでいた。風景からは特定の色が抜け落ちていた。向こうで笑う声、衣擦れの音、靴底の摩擦。音という音がワンテンポずれて聞こえた。  変化は女王だった。彼女は支配的だった。  僕は小説による変化を受け入れ、恭順のように認めたわけではなかった。むしろ、変化は僕にどうしようもなく訪れていた。言わば、言い渡しのようにして。  女王を僕は素晴らしい小説を読んだ後の”ゆらぎ”の中に閉じ込めたのだった。何もかもが、僕に合わない形に作り替えられていた。建物を構成する直線はいまやでたらめで恐怖がつのった。頭上の青はこのように汚い灰色では絶対なかった。
――そして、当然、この点についての文章はかたちだけに過ぎない。これらは省略した文章。書く必要がないということ。  なぜなら、あなたたちもかつて同じ経験を経ているからだ。小説を読み終えたあとに来る世界の変質を。  加えて、忘れるなんてことを女王が許すわけもない。これについても言わずもがなだろう。
 そして、重要なのは変化のよろめきではない。   そうなんだ。きょうしたいのは女王の話とは実は違うのだ。ここであなたに伝える言葉は破壊だ。  破壊。  それは”面白さ”と”新鮮さ”のコンビがやったわけではなかった。変化の体験に曝されたゆえのサイコ・ショックでもない。  木々を打ち砕く手斧となり、人体を壊す剣となり、バベルの塔をゼロにする雷となったのは、オースターの書きっぷりだった。
 オースターは、考え抜いていた。  そこで”感じ”は排除されていた。  感覚による言い表しがまるで無かったのだ。僅かにイメージに依拠するものがあっても、それは必ず共感の姿勢だった。テーブルに身を乗り出し、相手の声に耳��澄ませる態度。
『ガラスの街』では、本当に一切妥協はなかった。僕はとても信じられず、街を隅から隅までしつこく歩き回った。しかし、本当に妥協はどこにも無かった。
 オースターは僕とコミュニケートすることを選んでいた。そのへんの宙に感覚という水彩画を描いて「ほらご覧」とする、ごく個人的で他者には見せつけるだけという表現は徹底的にしなかった。チャンドラーを始め、私立探偵ものに由来する例の論理的な高慢さはあった。しかし、確実にオースターは読者と対峙していた。彼は殴る、殴られる痛みを完全に了解した上でリングに立っていた。  彼の据わった眼が僕を揺るがしたのだった。彼は完全の脆弱性を知りながら、完全に書いていた。  それだから、彼を読んだとき、僕は……
 向こうから厚底ブーツの女が歩いてくる。  女は痩せている。薄い、流線形の黒一枚に身を包んでいる。背が高く、ありったけに若い。二十歳前後に見える。二つの瞳はキャップに隠れている。すれ違いざまに見える耳にさえ、カナル型のイヤホンで黒が差されている。マニキュアはあまりにも美しい銀色に染まっており、高まりを誘う。  センスがいい。綺麗だ。  彼女はなんて豊かなんだ。  僕はそう思う。  ほとんど同時に、ガラス一枚を隔てた向こうで本を読む人を見つける。  また女だったが、今回性別は重要ではなかった。その読む人は区切られたブースで、文庫に目を落としていた。化粧や唯一のファッションなどもなく、やはり装飾は重要でなかった。というのも、いまにも涎が垂れてきそうなほどに口をあんぐりと開けて読んでいた間抜けなその放心が、僕の記憶に楔として打ち込まれていたからだ。
 これらのスケッチが、何かを直截に意味することはない。二つの風景は隠喩ではない。  正直に、上記は僕が受けた印象の再放送だ。  この日記は『不思議の国のアリス』ではない。二つは作為的な意味を持たない。  書いたのは「意味を持たない」ということを明らかにするためだ。  その内容でなく、外側、僕のスタイルという基本的な骨組みを露わにするためだ。
 そう。だから、つまり……僕は痛みから逃げている。オースターとは違って。  きょう、読んで、事実は突きつけられる。
***
”言葉”はもう一度響く。
「大西さんの小説は、けっきょく古典から表現を引用しているだけ」
「僕は彼にもう興味がないんだ。かつて、彼は賢い人だと思っていた。書くものに何かしらの意味があると思っていた。でも、そうじゃないと知った」
「あなたの課題は、独自の世界観を提示できるかということです。海外の小説、そして村上春樹でなく」
***
 そして、このように敗北してもなお、僕は���定的な何かについて述べることはなかった。張りつめた表情で、まやかし、それ自体に必死に祈る。もうそのような生き方しかできないと信じ込んでいるのだ。
「この大地にあるものはすべて、消え去るのだ。そして、今の実体のない見世物が消えたように、あとには雲ひとつ残らない。私たちは、夢を織り成す糸のようなものだ。そのささやかな人生は、眠りによって締めくくられる」
 祈りの文句を何度も何度も口にした。  僕の声はいつも通りにすごく軽くで響いた。  そして一度響いてしまったものは泡沫のようにたちまち消え去った。
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doctormaki · 2 years ago
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ハンブルグに戻り、ほぼ誰もいなくなったもぬけの殻のマンションで、ここ数日暮らす。実に静かで良い。このマンションの立地は丸の内一番地的で素晴らしいのだが、上階や隣人の足音や声が聞こえて、言うなれば、音響が素晴らしく良い。上階のギリシャ人Chrisと共に起き、彼と共に上下階に別れて朝シャワーをし、Chrisが出かけていく足音を聞きながら、左側上階のスウェーデン国籍ナイジェリア人のMinnaがZoomしているのを聞きつつ、隣人の南ア人ゲイのLouisが彼のパートナーとお喋りしているのを聞く毎日。私は神経質なので、他者の生活音がかなりのストレスだった事を、思い知る。
世の中はイースター休暇である。小学生の頃、イースターの頃のヨーロッパ旅行でイースターエッグのチョコレートを貰うのが、小さな喜びだった事を思い出す。私が子供の頃は、チョコレートも飴も、ちょっとした特別感があったものだ。コーヒーも紅茶も、ちょっとした潤いというか贅沢だった。豊かになり、チョコレートが毎日飽きる位に食べられるようになったり、コーヒーが一杯百円で売られるようになったりと、日本の異常な豊かさに驚くと共に、そんな事は長続きするはずが無いと確信している。豊かさの飽和が、民心を貧しくしているというパラドクスは、しかし、アメリカもドイツも同じだ。
日本のバブル崩壊から30年。それでも豊かでいられるのは、過去の現役日本人、祖父母や両親達が頑張ってくれたお陰だと身に染みて思う。私と同世代の団塊ジュニアは、バブル世代の犠牲になって差し上げ、バブルの軽くおバカなノリを冷ややかに見ているが、それは、ほぼ、社会の底辺から見ているに過ぎない。私達の直ぐ後の世代は、就職氷河期でも無いくせに、就職氷河期であった事を主張し、自分達が社会の犠牲者である事を恥ずかしげもなく標榜し、発想力も無く、知的レベルが低く、上(バブル世代)に媚びへつらう事で生き延びようとする組織のコマ程度の人材ばかりが、起用されていく。ハンナ・アーレントの組織的悪のパターンが平和的に実行されているに過ぎぬ。日本の経済力、組織力、民度の低下は、今後ますます酷くなるだろう。そうした危惧も無く、今をこの世の春と謳歌できる楽観主義者と、未だに核家族化における社会的要請(少子化対策)を真剣に受け止めるマジメな方々だけが、せっせと子作りに励み増殖していく。それは、アメリカでも、ドイツでも同じ。
私の周りの知人達は、ほぼ皆、社会不安や将来不安から子を持たない選択をしている。この人には親になってほしいと、こちらが願うような人格者ほど、子を持たない。私の分析では、子供を持つ事とは、親に成らせてもらう事によって、自らの自己成長のために、子供を、ある種の犠牲にしているようなものだと思う。従って、DVなどの負の連鎖は、綿々と続くし、どこかで、負の連鎖のカルマを断ち切り、気付きの機会が無い限り、家は負の意味で没落しゆく。逆に、家が消滅するとは、カルマが終了したという風にも捉えられると思う。十分に、学びの機会を持ち、ついえれば、終わって良いのだ。日本は宗教がいい加減だが、多くの聖職者が子を持たないのは、そういう意味合いがあるのだろうと思う。私は、聖徳太子の好む維摩経が好きだ。在家で在野に在りながら、清くいる。私は、二十代の半ば、病気をしてから、維摩経を心に置いている。
私は、色々な角度から考えても、子供を持たなかった選択を、良かったと思う。どうせ天然記念物並の知性と感性の持ち主なのだから、天然記念物らしく朽ちれば良いのだ。ガハハ。生物とは、ただの遺伝子の箱なのだとしたら、チェコのブルーノでメンデルが発見した法則のように、また、どっかで、突然変異が生まれ、私のように、社会を斜めに観察する人間も、生まれて来るだろう。問題は、小池がほざくような(負の)レガシーではなく、何を足跡として残せるのかという事とも思う。しかしながら同時に、忘却される事の粋美も思ったりする。忘却されていても、本物であったならば、本物を探す者が時空を超えて探し当てるものだと確信している。それは、必ずしも親族や同民族では無いという事も。
春の訪れを日本を思いつつ祝う時、チューリップを紅白に活けてみた。また、研究所での食事が無くなったので、自分の食べたいものを料理して食べられる幸せを感じている。料理を極端に嫌う事や、料理しない事を良しとする事��、私には理解不能だ。自分の体調に合った、身体が季節変化に合わせて求めるものを、食べたいときに食べられないのは苦痛でしかない。食べたいものを、自らが調理して食べられる幸せ。買いたいものが売られていて、それを購入できる幸せ。その背景にある多くの人々の仕事に感謝しつつ、また、食べて下さいと五体投地してくれる生命を、有り難く調理し、美味しくいただく。これ以上の幸せはあろうか。自分が確実に大きな社会のネットワークの小さなゴマ粒に過ぎず、大きなものに生かされていることを思う。毎食、毎食が、感謝でしかない。
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研究所のコックのミヒャエルと、彼の彼女レベッカさんは、私の事をとても好きみたいだ。まぁ、地下回廊に簡易に作られた薄暗く狭いキッチンに、昨年からせっせと通い詰めているのは、研究者でも私だけだしね。。。私は丸山眞男好きなので、市井の小さき名もなき人々の日々の小さき行いこそが、国家の根幹であると信じて疑わない。政治家も学者もアイドルも、みんな、ウンチである。見て社会の病を推測する事はできても、社会を支える根幹は、表立つウンチどもからは、絶対に見えない。大衆とは、実にウンチが好きなんだなぁと感心する。まぁ臭いから、ベムりんみたいに、気になるという事なんだろう。あるいは、自分の中のウンチと呼応するので、ウンチを見て賞賛したくなるのかもしれん。
ワシはウンチはどうでも良いので、社会を動かす、根幹の部分にある、隠蔽された良心を見たい。そして、そこにこそ、社会の希望と未来を見出だしたい。そんなワシに、ミヒャエルは、イースター休みにも関わらず、レベッカと愛犬ペッピーノと共に、車で拙宅まで送り迎えし、自宅に招き、春の料理を振る舞ってくれた。ミヒャエルは北部ドイツ、レベッカは黒い森周辺の南部ドイツ出身。ミヒャエルは、バンコク、リスボ��など世界中を渡り歩いたコックさん、レベッカは2014年台北で開催され��25歳以下世界お菓子選手権大会で世界3位を取ったパティシエ。ペッピーノはミックスの捨てられていた犬で推定1歳半。皆、何故か分からんが、ペッピーノなんか身体が壊れそうな位に喜びまくるし、ワシの方が感謝せんならんのに、ミヒャエルとレベッカは、来てくれてありがとうと、感謝して来訪を喜んでくれる。
イースターのためにミヒャエルが作ってくれたのは、春の魚、サワラのソテー。これに森のキノコと白ワイン、玉ねぎを煮込んでとった出汁をベースに、刻んだ玉ねぎと白アスパラと緑アスパラを小口切りし、たっぷりのバターで炒め、春にしか取れない森のキノコをふんだんに入れたところで出汁投入。そして削ったパルメジャーノと黒胡椒で味を整えたスープ仕立てソースを、別フライパンでソテーしたサワラの上にかけて、いただく。食器は、家にある食器で一番高いという、ミヒャエルがお祝いで貰った、美濃焼の器。彼の料理は、優しく繊細で、兎に角、優しく奥深い味わい。研究所で出している料理と異なり、心がこもる料理とは、同じ作り手でも、味わいが異なる事を実感した。この料理を、私は生涯、忘れ無いだろう。
おまけに、何故か、ミヒャエルからは日本から輸入した枯節一本、レベッカからは彼女の作った特大イースターエッグのチョコレートとワシが好きだと覚えていて、ラズベリーとパッションフルーツのジャムを頂戴する。イースターにも、プレゼント交換するのをワシは知らんかったので、メチャクチャ恐縮。
でも、多分、ワシが作ってあげた、カツオダシのお澄ましとニラ餃子、あんこ玉を作っておいて白玉粉を器用に、トリュフ作る時みたいに白玉で包んで茹でて作った、あんこ入り白玉団子が、美味しくて、嬉しかったって事なんだろうなぁと、しみじみと思う。しみじみと、しみじみと、ワシの心が、彼らの心に触れたのであれば、これこそが、ホンマモンの外交努力である。そして、こうした触れ合いが人知れず継続される事でしか、外交なんて、本当は成立しない事も、ワシは知っている。昨今の、金持ちブリタイ外交官や商社マンが、適当な高級レストランで適当にクッチャベッて外交した気分で喜んでいるのは、ブリと鯛レベルに過ぎぬ。その一晩に使った金額の多い少ないで関係性が計測されてしまい、資本主義の薄っぺらい関係性でしか無くなる。
そうじゃないんだよ。時間を共にするということ。同じ釜の飯を食うとは、共に材料を集め、共に調理する時間を過ごしたという事を含意する。ミヒャエルが、マキに何を食べさせようかと思案しつつ、イースターで閉まる直前の忙しい市場に出向き、ウロウロして食材を買い揃え、前日には、アルコール飛ばしたソースなら食べられるか?と確認のメールをし、当日には朝からワクワクと、ソワソワと、魚を自慢の刺し身包丁で解体し、切り身にしてからバットの上で休ませ、レベッカに運転させて、マキを30分かけて車で迎えに行く。この間、ずーっと、思って貰えた事に、感謝なんだ。その優しさと、かけてくれた時間、思いを寄せてくれていた事こそが、掛け替えの無い友情の証だと、アホなワシは確信する。
ワシが、ケーキを作らなくなって久しいのは、忙しいからを口実にしとるが、ちゃうねん。ワシが掛けた時間が、工業製品の如くに、チャチャッと評価され、つまらない物として消費され、こんなんだったら、〇〇パチシエで買う方がいいじゃんと言われる事に、耐えられなくなっただけ。じゃ、おフランスで修行して、バカ高い価格つけて売っているブリタイ共から、買え。と思っただけ。
でも、もうこんな心的逃走も、春の訪れを以て終了します。他人は、裏切るものよ、信用なんかしちゃダメと、お風呂の師匠は私を諭す。他人に期待して傷つくのは自分だから、他人に期待しない事だよ。社会なんてゲームなのさと、エルちゃんは私を諭す。私は、ずーっと、ずーっと、彼らの言葉を哀しく聞いていた。人間はそんなものなのかと。父はハッキリと、お父さんは性悪説だと、10代のワシに宣言した。だから、ワシは18歳で、性善説を貫くと心に決めた。天邪鬼は、いつの世でも大変です。でも、ワシはやはり、性善説を生きようと思う。他人の、良心に触れようと。触れるためには、自分が良き人でなくてはならない。与えて、与えて、悲しんで、傷付きまくって、泣きまくって、それでも、与え続けられる人になりたい。何故なら、私はやはり、人間を恐れつつも、人間が好きだからだ。芥川の蜘蛛の糸のように、どんな悪人にも良き心があるはず。親鸞の悪人正機説は私はバーカ親鸞と思っているが、何故なら、悪の正当化を許容するから。近代日本をダメにしたのは、極端な悪人正機と他力本願で、親鸞こそが浄土真宗こそが、悪だとワシは思うちょりまんねん。まぁ大衆宗教だから、しゃーないけど、酷いもんだで。
いずれにせよ、ワシはもう、こだわりを捨てるのだ。東大にも日本にも、もはや期待は持てない。つまりだ。究極の個人主義の時代ならば、夏目漱石の超個人主義の時代が到来したのだと理解して、ワシこそが、良き者であり、あろうと���続ける弛まぬ努力をし続けることで、世界の良心になろうと思う。
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kaneninarananesaki · 2 years ago
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ざっくばらんにまず動く
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誘われるままに福島県にやってまいりまして、なんかナントカっていうところにいくのでなんとかかんとか行ってみようぜ、っていう。旅程をそのくらいの理解でね、とりあえず向かってみる。着いた、福島に。
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なんとかかんとか の なんとかかんとか の部分。
MT-03だ!ビジュアルは悪くないね。
ネイキッドっていうかストリートファイター、愛しさと切なさと心強さというかバトル野郎です。
触った第一印象は「重てぇな!」だわ、320ccで160kgオーバーは許されざる重量、フルカウルじゃあるまいに。
写真じゃ伝わりきらないマッシブさ、特にタンクの張り出しが「ガチ感」を醸し出す。余計な出っ張り、洗練されなさ、重心が高くなってフラフラすんのはここのせいでは?重く感じるくらいならもっと華奢な娘のほうが好みですと言うのは乗り手の自由だ。性癖が出てると言うな。
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桃を買いにこちらへ、農作物が恐ろしく安い。でかい桃2つで400円未満くらいで買える。クワガタも売ってる。
写真の通り天気に恵まれ、恵まれすぎ、バイクはなかなか試練の様相である。言わせていただければ体感45℃くらいはあった。黒い車体で炎天下に停めておくと一瞬でタンパク質で構成された生命体を拒絶するシート温度になる。
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磐梯吾妻スカイライン、ここをツーリングすることが目的、だったはず、知る限り。峠道をグイグイ登る事数十分。標高が上がるにつれて大分過ご��やすい気温になってきた。道的には奥多摩周遊の���験が活きたな。
MT-03、どこからでも加速してくるようなトルク感が特徴なんだろうか、マスターオブトルクという異名からセローのようなゴリッゴリの1速を想像していたけど、6速でも両肩をガッシリつかまれてグイっと押されるような加速がある。登りは勾配凄いところだと3速でも登らないところがあってあーそういうかんじね、なるほどねって感じ。
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浄土平、吾妻小富士、というらしい。
すげーーー!!!!!
こういうところだとはつゆ知らず、ただ誘われるままに着いてきたらこんなところにたどり着いた!
所々で硫化水素が発生している活火山らしく、走ってる最中も硫黄の匂いが鼻をつく。ガスの影響か植物が生えていないエリアは大振りな岩が転がって何とも言えない退廃的な雰囲気があるではないか。��づら折りにさらに登って着いたところがこちらです。
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この吾妻小富士の階段を昇りきると
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このようにかつての火口が見ることができる。ダイナミックな光景だ。火口周辺は一周歩くことができるらしい、丁度反対側まで行って写真を撮ってもらいたい欲求が沸いたが時間の関係で断念。
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興味か原始信仰か、人は山で石を積みたくなるらしい。
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峠を下りつつこちらへ、道中エグい砂利道があり、重心の高い立ちコケ注意報が出てるバイクで行くのはややリスキーであった。パワースポットらしいけどよくわかんないよね。それより山の流水がここに集まって滝を形成してるんだなぁ。
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下りきってレンタルバイクを返却して終了、このタンクの張り出しよ、走ってるときは気にならんが低速時や止まってるときは本当に立ちゴケ注意報だ。色々発見があって楽しかったぜ、一日限りの相棒よ。
ざっくばらんにまず動く、綿密に調べて向かうというのも良いが、行った先のエモーショナルな体験の効果を最大限にするためのコツとして、そんな旅程もいいじゃあないですか。
っていう、日帰り���丸、行先詳しく調べないこのまちだいすきスタイル旅行記でした。
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chumolandham · 2 years ago
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奥多摩登山(2023.5.4~5)
GWにぽっかり空いた連休を埋めるべく、父子でテント泊。 電車もバスも久しぶりの大混雑。この賑わいが妙に懐かしい。
今回は峰谷バス停からラウンド。水を4リットル背負う。 鷹ノ巣山避難小屋直下の水場は普通に出てました…。 登りは浅間尾根でCT3時間のところを4時間でテン場に到着。
幕営後、ビールとジュースで乾杯。で、さっそくポケモンカード(笑) 夕飯はご飯を炊いて、無印良品のカレー。贅沢な時間でした。 満月の夜で、辺りは静かで、トイレ近くまでシカの群れが来ていた。
翌日も晴天。見晴らしの良いところでおやつタイムを楽しみつつ進む。 下りの赤指尾根はしんどいルート。歩いても歩いても景色が変わらない。 最後の車道も思ったより長く、バスの時間ギリギリにゴール。(5h20m)
久しぶりの親子登山だったが、難コースを黙々と歩く息子に感動した。 親が思っている以上に強い子なのかもしれない。私の方が音を上げてた。 地元に戻って焼肉食べ放題で打ち上げ。素晴らしく濃厚な二日間でした。 また行こうね。
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ss0014 · 2 years ago
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先月、10年ぶりくらい?に山梨に行った。
宿泊したのは初めてのことやった。
忍野八海で富士山の雪解け水を飲んだが、体の中になにかがさささっと駆け抜けていくような感じがした。
なにかとはなにか、
なんだろうか。
ぼっと灯った光のエネルギーがあたりさわりなくじゅわわわと体を駆け抜けて行った感じがした。
初めて山梨県北杜市へ。
山道を車で登っていく。
夜は霧が濃くて少し怖かったけどでも好きな雰囲気やった。
海がすぐそばにある場所で生まれ育ったからか、海が好きだと思い込んでいた。
でもここ数年は海よりも山の方が心地よく興味深い。
比べるもんじゃないと思うけど。
眠りについて目が覚める少し前に夢を見ていた。
目の前にいるメジロに向かって、「メジロは目の周りが白くてかわいいなぁ」なんて言っていたら目が覚めた。
外で鳥の鳴き声がしていた。
心の中ですごく思ってることや気にしてることが夢におもしろいくらいにわかりやすく反映されることが増えた。
今日は鳥の声に影響されて夢に出てきた。
早朝に目が覚めて散歩。
川を眺める。大きな石を見る。民家で飼われてる大きなワンさんと目が合う。
吠える。声は遠くまで届く。
山の中の空気もとても心地がよかった。
地図が書いてある看板を見たら、
北杜市は秩父多摩甲斐国立公園の一部であった。
2年前に奥秩父に行った際に居心地がよかったことを思い出す。
今年の初めに行った奥多摩も心地がよくてすぐにまた行った。
秩父多摩甲斐国立公園のあたりは居心地がよくて好き。
居心地がいい場所って理由がある。
その土地が持ってる歴史やエネルギーと自分の持ってるものの相性もあるなぁと思う。
実際に足を運んで感じて、知りたい。
今年は久しぶりに大好きな青森へ。
あとはずっと行きたかった沖縄の久高島へ行こうと思います。
旅は続いてるみたい。
旅のお話よかったらしましょうね。
今日はずっと気��るく眠ってた。
お酒をもう少し飲んで眠ろう。
2023.4.25 0:16 
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mxargent · 1 year ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車��夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音���様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞���隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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kachoushi · 2 months ago
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各地句会報
花鳥誌 令和7年1月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和6年10月3日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
又一人友秋空に旅立ちぬ 喜代子 悠久なれ見あげる空の秋日和 さとみ ジーパンのひざの裂目や鰯雲 都 秋白しグラスのワイン赤く揺れ 同 温め酒酸も甘いも過ぎた日々 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年10月5日 零の会 坊城俊樹選 特選句
佃煮屋女将可憐に秋灯す 三郎 日の出湯の向かうの橋の霧に逢ふ きみよ 月島は雨の匂ひや秋簾 和子 秋簾上げて佃の朝となり 三郎 秋の声雨に変はりてトタン屋根 小鳥 秋深し佃に垂らす赤き泛子 千種 秋草に触れて艶めく道祖神 きみよ 秋潮に揺れる小舟の齢かな 三郎 路地奥に秋雨知らぬ仏をり きみよ
岡田順子選 特選句
もんじや屋の埃吸ひ寄せ秋灯 小鳥 葉鶏頭佃の路地を噴くやうに 千種 日の出湯の向かうの橋の霧に逢ふ きみよ 佃堀業の数ほど柿実り 軽象 秋の路地曲れば曾て逢ひし猫 俊樹 鯊の竿しづかに上げて鯊居らず 光子 たまたまの鳥渡る日や佃島 小鳥
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年10月5日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
天上の父は下戸なり十三夜 成子 藤原京に九九の木簡蚯蚓鳴く 美穂 こらへても涙あふれて後の月 光子 木の国の水美しき十三夜 孝子 銀の鍵月光及ぶドアノブに 美穂 滅ぶこと間近に村の祭かな 睦子 稲妻に夢の続きを問うたとて 修二 待宵や襟元ゆるく着付けせり 愛 仏間の灯消して独りの秋彼岸 朝子 霧深し後ろ姿を包みゆく 光子 月光に窓開け放ち老いゆくか 美穂 望月をこぼれし石に躓きぬ 愛 中秋や月煌々と異人墓地 修二 駅朽ちて枕木の径ちちろ鳴く 睦子 せせらぎを訪ねて虫の声拾ふ 修二 年上の美しき妻秋刀魚焼く 美穂 赤のまま嫁になれとは言つてない たかし まぼろしの天守閣より桐一葉 睦子 鴨来る聞きたき旅のものがたり たかし 走り根の網目のやうにある秋思 成子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年10月7日 花鳥さざれ会) 坊城俊樹選 特選句
九頭竜に月を���めて魚眠る かづを 一途とも移り気かとも秋の蝶 清女 峰雲を閉ざしていよよ天高し 希子 夜々の虫昼の焦土を鎮めをり 匠 虫の音の西部五村をぬらしをり 同 閻王に油そそぎし暑さとも 雪 ひた灼くる思案橋てふ名に古りて 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年10月7日 なかみち句会 飯川三無選 特選句
秋天の雲の無き夜の星の数 ます江 大阿蘇や噴煙白く秋の空 史空 秋天の強羅オーベルジュの夕餉 のりこ 砕けちる日頃の愁ひ秋まつり エイ子 父と子とお揃ひ法被秋祭り さちこ 宮までの細き径あり木の実雨 ます江 一人行く山路に木の実落つる音 怜 人づてに友逝くを知る木の実落つ のりこ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年10月8日 萩花鳥会
みすずなら差がない団栗みんないい 健雄 ドングリを集めた手今サクソホン 俊文 新米を仏飯袋報恩講 恒雄 一列に団栗並ぶ木のベンチ 美恵子 尾を立ててどんぐりを追う夜の猫 綾子
………………………………………………………………
令和6年10月11日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
上げれば揺れる芒と青空と 光子 あの案山子目印にしてゆく散歩 裕子 騎乗の子風を拾つて秋うらら 実加 父母からの新米大事に抱へをり 裕子 柿日和とて年寄りになにしやう 令子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年10月11日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
狛と目の合うた気のして秋の暮 都 夜食とる看護師の手はメモだらけ 美智子 ふた取れば友のぞき込む栗ご飯 美紀 蟷螂の用の有りやと聞く素振 宇太郎 今生の蜜とばかりに秋の蝶 都 やはらかき朱や夕暮の秋の雲 史子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年10月12日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
ゐのこづちやぶ野抜けくる下校の子 多美女 朝市の活気に赤き大林檎 白陶 ゐのこづち鈴振るやうに払ひし子 美枝子 身に入むや静かに生きて叔父の逝く 教子 身に入むやちぎれちぎれに荒れる風 美枝子 多摩川に多き抜けみち牛膝 同 身に入むや病床の夫口籠る 多美女
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年10月14日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
秋深しタオル畳めば陽の匂ひ 三四郎 秋祭露店へ走る靴の音 みす枝 したたかに生き残りたる蚊に刺され 英美子 生涯を百姓の顔月涼し ただし 秋出水一流木を離さざる 同 菊人形平安絵巻さながらに みす枝 路地裏にゆるやかに巻く秋すだれ 三四郎 寄鍋や万太郎の句真砂女の句 昭子 足の爪切れば皹入る老いの秋 三四郎 急ぐ水急がぬ水や秋出水 和子 秋薔薇ただ一輪の尼の墓 ただし 振り戻ること許されず鳥帰る 世詩明 熱燗やあの大法螺ももう聞けぬ 昭子 をちこちに幾何学のごと蜘蛛巣張る 和子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年10月16日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
覗き見をしてゐる如き寝待月 雪 寝待には寝待の月の明るさよ 同 風鈴の色の褪せたる音一つ 同 曼珠沙華万葉の世もかく燃えし 同 白鷺の一羽毅然と苅田中 清女 藩邸の静寂をついて小鳥来る 笑子 池の面に青空沈め天高し 同 いつの間に囲まれし香や金木犀 同 榠櫨の実僧の遺愛の熟れはじむ 希子 月を見よ外に出て見よと夫の呼ぶ 和子 木犀の香り待ちつつ母は逝く 隆司 ゆらゆらと散歩楽しむ秋の雲 同 山よりの窓から暮るる柿の秋 令子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年10月18日 さきたま花鳥句会
出来秋の便りを聴きつ酒を酌む 月惑 一尺の勝鬨上げる曼珠沙華 八草 人絶えし里にも巡る竹の春 裕章 青空を軽くひねりて林檎もぐ 紀花 仲見世を見降して行く帰燕かな ふゆ子 馬つなぐ宿場の路地に糸瓜棚 康子 十月や不足の切手貼るハガキ 恵美子 名も知らぬ小さき秋草小さき花 みのり 秋彼岸主無き時計時刻む 彩香 イケメンのこざつぱりしてゐる案山子 良江
………………………………………………………………
令和6年10月20日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
一隅の花野となりし年尾句碑 斉 母子像の過ごす夜長の闇深し 軽象 身に入むや摩滅激しき領主墓碑 三無 吾亦紅意思ありやうに枝分れ 千種 父子走る木犀の花蹴散らして 慶月 風騒ぐ森を鎮めて小鳥なく 斉 堂裏に鳥呼び寄せてゐる熟柿 芙佐子 枡形の黒門焦がす秋の蝶 幸風
栗林圭魚選 特選句
花少し散りて盛りや句碑の萩 三無 木犀の香の満ち溢る寺領かな 芙佐子 秋の雲物語めく母の塔 幸風 友の来て木犀の香の酒を酌む 三無 蔵街をいく物見舟柳散る 経彦 竹垣の崩るる処野紺菊 久子 影曳きて翔つ秋蝶や年尾句碑 斉 孫どちが丸めし団子十三夜 経彦 突堤に銀河を仰ぐ影ふたつ 経彦 指白く皺の乾きて秋寂し 斉 枡形の黒門焦す秋の蝶 幸風
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年10月21日 柏翠館・鯖江花鳥合同句会 坊城俊樹選 特選句
十六夜や柱にいまだ日の温み 雪 これ以上褪せ様の無き古日除 同 出入口��は風鈴の勝手口 同 今日の月越前国府たりし世も 同 宵闇の暗さは月と待つ暗さ 同 畑仕事釣瓶落しと競ひつつ みす枝 菊薫り紫式部像笑まふ 同 また明日手を振る別れねこじやらし 同 夫婦にも何時かは別れ秋の風 同 赤すぎる色の淋しさ曼珠沙華 かづを 菊薫る越前国府物語 ただし 秋桜揺れねばならぬかに揺れて 英美子 とびきれの空の蒼さや山粧ふ 真喜栄 野仏の頭をこする赤とんぼ 孝一 被災地の寺に香るや金木犀 やす枝 立冬や気比の鳥居の影長し 世詩明 二人居の炬燵で触れる妻の足 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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littlebarrel111 · 4 months ago
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リトルバレル10周年記念展「パランティア(Seeing Stones)」
◆出品作家:EKKO、下山健太郎、髙戸蒼月花
◆ 会 期 :2024年12月6 日( 金 )―18日(水) * 12日(木) 休み 
レセプション:12月7日(土)14 :00- 16 : 00
◆時 間 : 12:00-20:00(11日(水)・18日(水)は17:00まで) ◆ 企 画 :水田紗弥子(Little Barrel)
◆ 協 力 :新宿眼科画廊 
◆会場:新宿眼科画廊(スペースO) 
googlemap:https://maps.app.goo.gl/BcvfguPYbFMrUtRM7  
Little Barrel は 2014 年 12 月に法人化し、10 年を迎える節目に展覧会を企画しました。記念に美術家の橋本晶子による2025 年カレンダーを制作・販売いたします。ぜひご高��ください。  
同時開催:新宿眼科画廊20周年記念展「新しい扉の開け方」   
「パランティア(Seeing Stone)」
たくさんのアーティストに伴走しながら、これまで仕事をしてきました。いつもアーティストに明るい未来を照らしてもらい、知らない扉を開けてもらってきたように思います。
(寄り添えていないことも多く、コロナ禍をはじめ打ち砕かれた想いも実力不足による反省もたくさんありますが。)
これまでの感謝と、次の10年に向けて、節目に展覧会を企画しました。
パランティアはトールキンの「指輪物語」に登場する暗い水晶球で、世界に7つあるはずの石は謎に満ちていて、石と石、石と現実が対話しながら、通常ではありえなかった過去や、これから起こる未来の世界の物語に、人々を誘います。別名は「見る石(Seeing Stone)」。アーティストは、パランティアのように、未来を見通す力を持っていて、通常では見えない次元の世界と現実とを静かに接続してくれます。
高戸蒼月花さんの作品は、過去のできごとやかつて住んでいた家の風景を振り返ることから出発しています。絵画のなかで書かれていない日記のページや、頭のなかの家の見取り図が更新され増幅されていきます。彼女の作品の切実さは見るとわかりますが、家からスタートした絵画世界は多分、もっと広大になっていくだろうと思うし、将来そういうものが見たいなと思っています。
EKKOさんの作品には、神話的な壮大な風景が繰り返し登場します。太陽の光が、海や乾いた大地に降り注ぎますが、その場所は限定されたどこかの国ではない異国です。そしてどこにでも続く「道」の風景は、今いるこの場所とは湿度も温度も違っていて、旅行のような期待感もあるのですが、いつもとても静かです。木版画や陶芸など、プロセスで作品が変化していく技法を使う彼女の作品にどこか魔術的な要素を感じつつ、静かな窓を開けて、その絵画の世界に彩られていきます。
下山健太郎さんは、絵画のフォーマットや要素、設置される場との関係などを丁寧に問い直し、一つ一つ答えを探す発明家、探検家のようなやり方で、制作の変遷が作品に表れています。屋外に設置されたり、画布が折りたたまれたり、線や球の要素がオブジェになったりと、絵画の内外の要素が飛び出したり収まったりするなかで、最近はフレームが表れてきました。鑑賞者として毎回、どんな思考で制作しているかを教えてもらうのですが、絵画というメディアそのものを再構築させられます。
3名のアーティストの作品をぜひご高覧いただき、どうぞ引き続きご支援いただきますようお願いいたします。
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髙戸蒼月花:
〔プロフィール〕 1997 大阪府生まれ、大阪で活動。 2022 京都芸術大学芸術学部芸術研究科芸術専攻修士課程修了。
〔主な個展〕 2022 「session, doorway」(ビーク585ギャラリー / 大阪) 2022 「照らして歩いて確かめる」(蔦屋書店 / 京都) 2022 「絵の中で集まる」(京都芸術大学修了制作展 / 京都) 2023 「ART NEXT STAGE vol.3」(大和証券グループオフィス 120クラブ / 東京)
〔主なグループ展〕 2024 「東 京都展 The Echoes of East Kyoto」(WHAT CAFE / 東京) 2022 「怪談/KUA」(Galerie・Aube / 京都) 2022 「ARTISTS'FAIR KYOTO 2022」(京都文化博物館別館 / 京都) 2022 「bandwagon effect」(Blend Studio / 大阪) 2021 「ripple」(gallery yolcha / 大阪) など
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EKKO:
〔プロフィール〕 1982年生まれ 2007 東京芸術大学大学院絵画科修了
〔主な個展、グループ展〕 2012 「入る旅人 出る旅人」 (東京くりから堂、新宿眼科画廊 / 東京) 2017 「Mundus」(kousagisha gallery / 京都) 2018 「現代美術の展望 VOCA展 2018 −新しい平面の作家たち−」(上野の森美術館 / 東京) 2019 「白金五丁目アワード アート部門・ファイナリスト展 - "In the cloud" (OUR FAVOURITE SHOP / 東京) 2019 「Liseur 読む人」(LOOP HOLE / 東京) 2020 「WAVE 2020」(アーツ千代田 3331 / 東京) 2023「It's All Lies」(アキバタマビ 21 / 東京) などがある。
主なコレクションにThe Chain Museum, モンブランアートGBUジャパンがある。
〔WEB-site〕 www.ekkoart.com
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下山健太郎:
〔プロフィール〕 1990 東京都生まれ。 2016 東京造形大学大学院 美術研究領域修了。 2018~ インディペンデントの出版社「ハンマー出版」を主宰。 2024~ 「文學界」の装画を担当。
〔主な個展〕 2021 「The Moon and So On」(Little Barrel Project Room / 東京) 2022 「Table of Contents」(LOOP HOLE / 東京) 2022 「 The Whole World Is My Warehouse 」(GASBON METABOLISM / 山梨) 2022 「Open End」(People / 東京) 2022 「The Window and So On」(NADiff A/P/A/R/T / 東京)2024 「Feel at Home」(CALM & PUNK GALLERY/東京) など
〔主なグループ展〕 2019 「もの・かたり-手繰りよせることばを超えて-」(代官山ヒルサイドテラス / 東京) 2020 「国立奥多摩湖 ~もちつもたれつ奥多摩コイン~」(gallery αM / 東京) 2021 「3人のキュレーション「美術の未来」Shibuya Hikarie Contemporary Art Eye Vol.15」(Hikarie 8/CUBE 1, 2, 3 / 東京) 2022 「ユートピアのテーブル」(The 5th Floor / 東京) 2023 「ATAMI ART GRANT 2023 」(ATAMI ART VILLAGE / 静岡) など
〔WEB-site〕 http://shimoyamakentaro.com
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tabilist · 5 months ago
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【東京】奥多摩「麦山の浮橋」
【タカトシ温水の路線バスで】奥多摩湖畔で揺れるドラム缶橋『麦山の浮橋』#土屋アンナ 東京のオアシス奥多摩!楽しい大人の休日 2024/9/28放送 〒198-0225 東京都西多摩郡奥多摩町川野 #タカトシ温水の路線バスで #ぶらサタ #ぶらぶらサタデー #タカトシ 詳しく見る↓
麦山浮橋 地元住民からは「ドラム缶橋」の愛称で親しまれるユニークな橋 奥多摩湖の真ん中にかかり、湖面を渡る爽やかな風を感じながら、まるで水上を歩いているような不思議な体験ができるスポットとして人気を集めている。 橋の上からは、雄大な山々や透き通るような湖面が広がり、四季折々の美しい風景を楽しむことができると評判。 かつては、ダム建設によって向こう岸へ渡れなくなった住民たちのために、実際にドラム缶を使って作られた簡易的な橋だった。 その後、現在のポリエチレンや発泡スチロール製の浮橋へと姿を変えながらも、人々の生活を支え続けてきた歴史がある。 住所 〒198-0225 東京都西多摩郡奥多摩町川野 ホームページ 奥多摩町の観光スポット | 一般社団法人奥多摩観光協会 奥多摩町観光案内所検索 奥多摩町の観光スポット |…
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hokuto-yuasa-journal · 8 months ago
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20240625
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4時に起きる。
季節は夏あるいは梅雨入りといった様相だが、春を芽吹かせて別れも告げずいつの間にか去っていった冬を偲ぶこととする。
とまあ我ながら気障な書き出しである。春先に書いて下書き保存したままだった日記に成仏してもらおうと思う。
思えばこの冬は薪をたくさん割った。朝は暖炉の火をよく起こした。
比較的に火をよく見た冬だった気がする。
0から始める半野蛮人生活
薪割りで桜の枝から出てきた小さなカミキリムシの幼虫。いわゆる鉄砲虫というやつ。
いつもはそのま放っておくとセキレイやジョウビタキ、最近ではイソヒヨドリが目ざとく見つけてつっついている訳だが、どういう心境の変化かその虫を食べてみようと思った。(どういう心境の変化だろう。)
その昔、海の幸の恩恵に預かれない山間部ではタンパク源として食されていたという。
そもそも虫の存在自体にあまり忌避感はないものの食べるとなると別だ。昔からテレビ番組の『ウルルン滞在記』とか見ながら、もてなしとして食卓に虫を出されたらどうするだろうとかよく考えていた。
一時期謎に流行ったコオロギはイナゴと違って昔の日本人が食べてないんだからやめといたほうが…派である。そもそもコオロギは食性が雑食、いわゆるスカベンジャーだから多分不味い。耐熱性の細菌を持ってるとも聞いた。
それで言えば鉄砲虫は木を食べてるから比較的清潔な感じ。
しかも今回は桜だ。桜の生木は割ると木自体から桜の花の匂いがして、もはや乙な感じすらする。
1.5cmぐらいのを数匹洗ってからなるべく糞を出させるために紙に包んでおいた。しばらく経ってみると分泌された油で紙が透けてしっとりしている。すごい脂肪分だ。蝋状の物質で巣穴を塞ぐため、あるいは掘った穴を滑らかに進むためだろうか。
いざフライパンで空炒ると膨らんでインディカ米のような見た目に変わった。気が変わらないうちに口の中に放り込む。
む…。
ポップコーンですな。完全なるポップコーン。食感はポップコーンの下の方に溜まった少し殻がついてるやつに似てる。
もはや虫というより穀類としか思えなくなり食べた後の心理的な気持ち悪さもない。動く穀類だ。
ただシロスジカミキリとかブリブリのでかい幼虫だったらどうだったかなとは思った。下茹でしてから焼いたらいける気もする。
最近本栖湖にいる大量の小さなエビをもはや野良エビチリとか野良かき揚げぐらいに考えてるのは虫食ったせいだと思う。
この歳になると日常の中で自分の観念の外側に出るような体験はなかなか無くなってくる。大体のことは想像出来てしまうし、あったとしてもトラブルだとかネガティブなものが増えてくる。そういう意味では40年間蓄積されたイメージの外側に出る非常に面白い体験だった。日常の中に冒険がある。
趣味程度に野菜を育てたりはするものの、狩りをしたり鶏を絞めて捌いたりとさっきまで生きていたものを潰して食べる、この身の内に取り込むという行為が日常の中にほとんど存在しないまま40歳まで生きてきた、というか生きてこれてしまった。
これはすごく歪つな、変なことなのではないか。
ちっこい虫を気まぐれに食っただけで何を急にとは思いますものの。
どこかで処理されパック詰めされた見知らぬ記号のようなものではなく、生の倦怠などとはまるで無縁の「生きる」という本能以外を持ち合わせない生き物たちを自分で捕まえて殺して食べる。そこからやってくる生き物としての強度があるのではないか、そんなことを思った。
その強さを文明や宗教でオミットしてしまったが故に、我々か弱き人間の苦悩や矛盾という面白さがあるのかもしれないが。
とはいうものの、釣りを始めたのは眠った狩猟本能をほんの少しだけでも目覚めさせるという目的もあった訳だが結局まだ食べてはいない。
あの目。
山羊とかと同じ黒い鏡のようなあの目だ。あれと目が合うと「とりあえず一回パス」を選択してしまう。
決して瞬きしない永遠を湛えた目。
逃がした魚は水の底で眠りにつく時その日の出来事を反芻するだろうか。あの目の中に私はどう映ったのだろう。
怯えていたりあるいは恨んでいるだろうか。 
たまにそんなことを考える。
温泉通い ♨︎
去年の秋頃ぐらいから町営の温泉施設に通いだした。300円で入れるので多い時は週3回。結局今は週1回に落ち着いた。
もとは何年か前に通おうとしたのだが一度行った直後にコロナウイルスが流行して休館になったため断念した。
ヨイヨイの爺さんらの病気自慢に聞き耳を立てたり曲がった背中の角度を見ていると案外自分が考えているより早くこうなるんだろうなと思う。
結局人間最後に残るのは健康かどうかぐらいしかない。
温泉。
一年通ったらどんな変化があるだろう。
心身ともに良い変化が起こる気がする。
定期的に人前で素っ裸になるのは良いかも知れない。
虚栄心みたいな要らん日常の垢が落ちる。
そういえばこないだ見たニュースによると今俄かに『湯治』がブームなのだという。週末に温泉に行って風呂に入る以外何もしないのだと。多分コロナ明けの外出疲れが出たとかそんな感じ。
思うにあの訳わからん日々にみんな傷ついたんだと思う。自分は幸いまだコロナに感染していないがあの時期に負った見えない傷を癒しに行ってる部分���どこかにあるような気がする。
それと去年から謎に始めたお灸もその効果が世界で注目されているとNHKの番組で特集していた。
自分の感覚だけに従って行動したつもりが、時を同じくして世の中で流行り始めていることだったり、集合無意識的に同期することを少し不思議に感じる。
またこれは集合無意識的な話なのかわからないが、去年の年末に地震の夢を見た。真っ青な海の上に浮いた厚さ20cmほどのガラス板の上に四つん這いで乗っていてユラユラと大きく揺れる夢。その二、三日後に能登半島で地震があった。
まあ後からなんとでも言えることかもしれない。
お酒
お酒を7年ぶりに飲んだ。
ゆうても薬用養命酒だ。
寝る前に20mlキメて寝る。
効果はまじで謎。
養命酒飲み始めた日は何故かやめた煙草を当たり前にぷかぷか吸う夢を見た。マルボロの薄荷煙草。今いくらすんのやろ。煙草やめてもう10年になる。
養命酒は二瓶飲み続けてみたが、お酒は飲んだら飲んだ分だけ脳細胞が死滅するというから継続するかは不明。一本2000円以上すんのもどうなのかというところ。これを切っ掛けにアル中のいわゆる「スリップ」みたいに不毛な晩酌を始めないかが少し気がかりだったが飲みたい気持ちは全く起こらず。
あたしゃ素面で生きますよ。
登山
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去年は武甲山の後に北八ヶ岳の蓼科山で山納めして、今年の山始めは奥多摩から御岳山まで縦走して頂上の武蔵御嶽神社に登拝した。
震災の後にNHK・Eテレの『見狼記』というニホンオオカミを探し求める人々を追ったドキュメンタリーを見て狼信仰の山、御岳山に登ったのが自発的に山に登るなどという非合理的行為の始まりだった訳だが、ぐるりと月日は巡り色んなことがあったことを山の神様に報告した。
その後春先に天子山塊の毛無山から雨ヶ岳を縦走、金峰山にも登った。人様に迷惑はかけるまいと個人的に禁じてきた雪山登山だったが登山歴も7年目ということもあり慎重を期して登った。いつもは地下足袋だがアイゼン着けるために久々に登山靴履いた。
誰もいない森の奥で木漏れ日の落ちる雪をザクザクと踏み音を立てて歩くのはとても心地が良かった。
途中立ち止まって踏み跡を振り返りしんと静まり返った森の中にいると昔思ってたより随分知らないところまで来ちゃったなと思った。ここは一体どこなのか。
この風景の遠い向こうに過ぎてった日々や出会ったり別れた人々や出来事がある訳だ。
みんなそれぞれの新しい日々を暮らしている。家族を作り、あるいはこの世界からもういなくなった人もいるのかもしれない。人の営みの当たり前のことがなんだかとても不思議なことに思えた。
しばらく立ち尽くしていると30mほど向こうの木陰に昔の恋人の幻影を見た。
冬の森の真っ白い光の中で真夏みたいな服を着て立っていた。
なんとなく、そんな気がしただけだ。
もうずっと昔。
いつかどこかの海辺で、真夏の日差しの中、砂浜にぽつんと佇む雪山の中年男の幻を彼女は見たかもしれない。
そうだったらバランスが取れるなと思った。
充電期間もそろそろ終わりだ。
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raccoon-pizza · 11 months ago
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847:底名無し沼さん (スッップ Sd0a-U8YH):[sage]:2024/01/29(月) 08:19:39.51 ID:wnoIc85Pd
土曜に鷹ノ巣山行ったんだけどセーラー服のおっさんがセルフ撮影会やってて異様な雰囲気だった
雪の石尾根に南アルプス富士山もクッキリだったけど、セーラー服のおっさんに全て上書きされた…
858:底名無し沼さん (ワッチョイ 8a92-7nMi):2024/01/29(月) 13:47:22.39 ID:7zQH4ms10
>>847
私もセーラー服のおじさんに出会して焦ったことある。視線の先に先に黄色い通学帽とセーラー服が見えてなぜこんな場所にと動揺したがおじさんだった。
849:底名無し沼さん (ワッチョイ a6e6-D2S3):[sage]:2024/01/29(月) 09:16:30.81 ID:QVERLQ3q0
>>847
りんごさんだよ
奥多摩でよく会うよ、話したら拍子抜けするほど普通の気さくな方
853:底名無し沼さん (スッップ Sd0a-U8YH):[sage]:2024/01/29(月) 10:11:23.27 ID:wnoIc85Pd
>>849
そーなんだよ
ガスバーナー点火しない人の面倒みたり普通に溶け込んでてさらに驚いたわ(笑)
855:底名無し沼さん (ワッチョイ 1ee2-ArI/):2024/01/29(月) 12:29:14.02 ID:QvA8jqjH0
>>849
そう、普通な気さくな方なんだよね。
怖いもの見たさで声かけてみたら、本当に普通の方で、むしろ真面目で腰も低くて。なんか申し訳なくなった。
869:底名無し沼さん (ワッチョイ 8acf-t0Nq):[sage]:2024/01/29(月) 20:23:47.62 ID:HWK/E7Pz0
>>847
それって恋?
871:底名無し沼さん (ワッチョイ b6e3-6gg6):[sage]:2024/01/29(月) 20:36:29.52 ID:Mm9jwCLk0
>>869
そりゃ変でしょ
850:底名無し沼さん (ワッチョイ f90a-KOZz):2024/01/29(月) 09:21:13.91 ID:zOo2P/hi0
俺もセーラー服の方に会ったことある
りんごさんっていうのか
普通に声かけていいのか
851:底名無し沼さん (ワッチョイ a6e6-D2S3):[sage]:2024/01/29(月) 09:37:31.72 ID:QVERLQ3q0
>>850
ヤマレコにもいる
追い抜かれたこともあるし、結構健脚な方です
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tsuntsun1221ts · 11 months ago
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2024.02 高水三山
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岩茸石山から見える関東平野
友人と今まであまり足を伸ばしたことがない奥多摩の山へ。低山が多いため暑い夏場は不向き、秋~春くらいの時期がちょうどいい。
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軍畑駅(いくさばた)にて下車。2月の3連休の中日だが、同じ電車で下車した登山者は10名くらいと少なめ。
【コースタイム】軍畑駅(0920)→登山口(0940)→高水山(1040)→岩茸石山(1110-1115)→葱岳山(1150)→御嶽駅(1240)
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しばらく車道に沿って歩く。桜などが咲く春にはこの道もかなりきれいに色づきそう。
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登山道手前にはお酒も提供する釣り堀があった。こっちを下山ルートに設定したら必ず寄りたくなる。
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20分ほど歩いて登山道に到着。
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まずは目の前にある砂防ダムを超えるため階段を登っていく。
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少し歩くと数日前に降った雪が道をかなり埋めている。日向は全く残っていないのだが、日陰部分はこのあとずっとこんな感じ。ところどころツルツルに滑る箇所あり、つぼ足だと少し危険なのでチェーンスパイクあれると安心。
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場所によって残雪具合が全く異なる。
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登り始めて約1時間、高水山山頂のすぐ手前に常福院というお寺あり。
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お寺から5分もしないところに高水山。冬で落葉しているから木々の先に景色が見えるが、それ以外の季節は展望ほとんど無いのでは?
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多少のアップダウンを経て、高水山から約30分で岩茸石山に到着。
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ここからの景色はかなり良い。遠くに見えているのはここよりも更に奥にある奥多摩の山々か?
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最も目を引くのは関東平野。といっても東京方面ではなく埼玉方面とやや北側を見ている。
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少し休憩して出発。残すは惣岳山。
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道中樹林帯が開け開放的な道に。再び関東平野が見渡せるが、ここからは東京周辺を見ることができ、遠くにはスカイツリーも見えた。空気が澄んでいる冬ならでは。
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惣岳山の直下は少し急な岩場となっている。とはいえ1分あれば通過できる長さ。
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岩茸石山から約40分で惣岳山に到着。樹林に囲まれているので景色はなし。
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あとはダラダラと下ってゴールの御嶽駅に到着、惣岳山から約1時間、軍畑駅からは3時間半くらい。
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すでに梅が咲いていた。
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13時なので遅めの昼食。玉川屋というお蕎麦屋さんが近くにあり、非常に美味しかった。特に海苔の風味とても良い。
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御嶽駅前には朝採れわさびの販売。
奥多摩は地味な山が多くほとんど訪れたことがなかったが、人は少なくて静かで、しかし麓はそこそこ栄えていてお店も多い。景色目的ではない軽い山登りとしてはオススメなのかもしれない。
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niwanoki · 1 year ago
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2023/12/09
何もしたくなかったので、ぼんやりとしていた。午後から多摩動物公園に行った。富士山と湖の映った写真を見て、「河口湖来てたの?」と自分も近くにいたことを伝えてくれる友達。来てたけどもう今はいない、いつかあなたの故郷のことを教えて欲しいと答えた。初詣もダム建設で沈んだ村を見に行ったのも、山奥の村の花火大会も、カラオケも、この人と。色々となんだかんだ今年もお世話になった。今多摩動物公園きてる、とは言わなかった。もう午後の3時を回っていて、この間葛西に行った時とこれは同じパターンだ。午後の早い時間に獣舎に帰ってしまうものが多く、チーター、サーバル、ライオン、フラミンゴ、アフリカゾウ、と見た。ゾウは広い固有のエリアの中の奥で、ずっと同じところを、歩き回っていた。つい目を離せなくなった。ものすごく、頭の中を掻き回されるような、妙に緩慢な動きなのだった、時間の進み方が違うように感じる、四本の柔らかなコンクリート色の脚がゆっくり曲げられて伸ばされて後ろと前が近づいては離れる。片方の牙が極めて短く、眼は小さくしょぼしょぼとして、こんなに長かったんだ、ゾウの鼻って。ずーっと同じところを、同じスピードで、鳴きもせず足音も立てずに、柔らかそうな鼻を、上の方に伸ばしたり、おろしたりしながら緩慢に歩く。すごい造形だと心から思った。正直このあと、私は全然感動することはなかった。悪魔の表象としてよく描かれる角がぐるりんとした「野生の羊」とか、木の枝の上で死んだように雑巾のように眠るたぬきとか、退屈そうな猛禽類、何かを見透かしたような目をした外国のフクロウとか、とにかく動物園は午前中に来ないと面白くないことがわかった。みんなもう疲れてしまっていた。そして、小学生の頃の夏休み、暑すぎて広すぎて疲れてみることのできなかった、狼とかのいる西側のエリアは今日も回ることはできなかった。何気なく、私は15年くらいぶりにここに訪れていた。昔、はとことその祖父に連れられて来た時は、広いというよりこの動物園が多摩丘陵の斜面をほぼそのまま利用して建設されているためにアップダウンの多さが原因でバテたのだろう。そのまま熱中症みたいになった。その後のことは覚えていない。いつも、なぜか、親以外には本当のことが言い出せなかった。痛いとか辛いとか暑い疲れたとか、限界まで言い出せなかった。最悪の時は親にさえ。ずっとそのままで、大人になった。で、ゾウが印象深かった私はゾウのぬいぐる���を買って多摩モノレールに乗った。あの、性的なニュアンスすら漂う動きは何だったのか。ぬいぐるみはふかふかでとてもかわいい。私は何かが限界に近くて、誰かにすがりたくて、その誰かに似ているから買ったのかもしれない。怖い。
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carinadarling · 1 year ago
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つまらないと思う高杉の気持
 つまらないと思う高杉の気持ちは何となく理解出来る。人は一人では生きていけぬし、大切な誰かと支え合いたいと思うのが常だ。その誰かを失った世に活力を見い出せないのは仕方が無いのかもしれない。
「私は……」
 桜司郎は記憶が残っているこの二年間を顧���た。出会いと別れを繰り返し、自分とは何かを問い続ける日々。それを何と例えれば良いのか苦悩する。
「──私は。https://www.nuhart.com.hk/blog/new/2022/05/31/%E3%80%90%E7%94%9F%E9%AB%AE%E7%99%82%E7%A8%8B%E3%80%91%E6%BF%80%E5%85%89%E7%94%9F%E9%AB%AE%E3%80%81%E7%94%9F%E9%AB%AE%E5%B8%BD%E3%80%81%E7%94%9F%E9%AB%AE%E9%87%9D%E6%9C%89%E6%95%88%E6%B2%BB%E7%99%82/ この世はそこまで悪くないと、思います」
「ほう?」
 高杉は真意を探るような視線を桜司郎へ向けた。その瞳は今の時間が続くと信じて止まない、純粋な色をしている。出会った時の澄んだ琥珀色よりは若干の翳りはあるが、それでもまだ美しい。
 かつて高杉にもそのような時代があった。友や師と学問や思想を夜通し語らい、楽しんだ日々が。
 何処か自虐的な笑みを浮かべると、高杉は冷たい手を桜司郎の目元へ伸ばした。
「君はまだ世の無情さを知らんな。汚れきっちょらん、無垢な目ェをしよる」
──余程、壬生浪で可愛がられよるのか、それとも汚い部分は見て見ぬふりをしよるのか。
 いずれにせよ、この瞳はやがてくすんでいくことになるだろう。長州と薩摩が手を組めば、幕府にとって不利な展開となっていくことは間違いない。となれば、幕府に忠節を立てるへ身を置けばその割を食らう日が来るのだ。
「長州は、絶対に負けんよ。君が好きな世はこれから崩れていく。……僕がそうさせるからじゃ。僕らを足蹴にした幕府には、相応の報いを受けさせる」
 にい、と高杉は目を細めると触れた指を輪郭に沿ってなぞる。桜司郎はぞくりと身震いをすると共に息苦しさすら感じた。
 この男だけは敵に回してはいけないと頭の奥で警鐘が鳴る。生唾を飲み込むと震える唇を開いた。
「……高杉さん、教えてください。どうして、幕府と長州は争わなければならないのですか」
「誇りの為じゃ。踏みにじられた尊厳とを弔うために、僕らは歩みを止められん」
 高杉が放った言葉はズシンと重く桜司郎の心へのしかかる。幾多の悲しみに押し流されたこの人には、どのような言葉も冒涜にしかならないと感じた。
「少なくとも栄太は……幕府と長州の共存の道を探っちょったようじゃが。それももうあの世へ行ってしもうた。僕は師も、多くの友をも失った。……憎まん道理が無いじゃろう」*
 いつの間にか傾いた西陽が部屋の中へ射し込んでいる。山への帰路へつく烏の鳴き声が物悲しく部屋に響いた。
 桜司郎は眉を下げると、俯く。その横顔は夕陽に照らされ、顔には影が生まれた。
「……もう、和解は出来ないのですね」
「ああ。互いに心からろうとせん限り、駄目じゃ。理解とは一方的なものではいけん。今の幕府は力で長州を押し潰せると思っちょる」
 その証が訊問使である。幕府の命令に従わねば、力を持って長州を潰すという脅しをもかけている。
「僕らを下に見ちょるんじゃ。じゃけえ、理解し合うことは出来ん。それは和解とは言わんじゃろう」
───────
* スター特典あり。「それでも君は、壬生浪の元へ帰るんじゃろう」
 その問い掛けに、桜司郎は下唇を噛むと小さく頷いた。今にも泣きそうなその表情を見ると高杉はフッと笑い、枕元にある風呂敷を指差す。
「……桜花、その包みを開けてみい」
 高杉に促され、桜司郎はそれに手を伸ばした。するりと解け、中の物が眼前に晒される。
「これは……」
 見慣れぬ無機質な小型の銃に、桜司郎は目を白黒とさせた。新撰組でも調練に銃を取り入れているが、それは肩に担ぐような大きさのものである。このように片手で扱えそうなものは見たことが無かった。 「すみす、あんど、うぇっそんの
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ryuukouji · 1 year ago
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真言密教 関東三大本山冒険フィールドワーク 第一弾 上野・成田山新勝寺編
9月18日(月) 午後の部 成田山 新勝寺
京成成田駅から約10分徒歩です。
表参道は食べ歩きや有名なうなぎ屋が軒並みです。
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途中で旧本堂薬師堂(初期の本堂)で参拝しました。
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ついに第一弾の目玉、目的地の成田山新勝寺総門に到着です。
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今回の拝観に伴い、教学課の伊藤照鏡さまと
おつきの和尚様が門迎、半日引��してくれました。
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成田山新勝寺は939年平将門の乱が発生し、第61代朱雀天皇が寛朝というお坊さんに命じて京都の高雄山 神護寺に安置されていた弘法大師空海が彫った不動明王を安置し940年に創建されました。
正月3日間だけで300万人の参拝者で明治神宮に次いで全国第二位の参拝数です。
創建1080余年が経ち年間1000万人の参拝者で愛犬と一緒に参拝できる珍しいパワースポット本山寺院です。
成田山新勝寺総門は開基1070年の記念事業により2008年に建立されました。
高さ15メートルの総けやき造りで総工費20億円で完成されております。
十二支の動物が彫刻されております。
どんな人にもご利益がありますようにと創建されております。
柱をなでなでして前進いたします。
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本堂の地下に入りました。
阿字観の座禅体験をいたしました。
真言宗の瞑想の中でも重要な阿字観(あじかん)は、
阿字の仏さまと一体となって仏の心を感じることを目的としています。
臨済禅の座禅との違いを感じてもらいたいと思います。
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平和大塔参拝
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規格外の大きさ、究極のマンダラ体験です。
昭和59年(西暦1984年)に建立し、
正面に大日如来、五大明王、五智如来の立体曼陀羅が安置しております。
地下には各国首脳がタイムカプセルをしまいました。
450年後に開けるそうです。
今回一般公開していない5階まで登らせて頂きました。
貴重な体験でした。
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健康長寿と病気平癒の祈祷所、醫王殿参拝です。
月光菩薩  薬師如来  日光��薩
左右に十二神将が奉安されています。
光明堂参拝です。
ここには愛染明王が安置されているので
縁結び成就でお参りしている方が多いようです。
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釈迦堂にて参拝し五百羅漢さんの彫刻も見学です。
そして最後に大本堂にて護摩焚きを見学して下山して参りました。
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大本堂は幅95m、奥行き59m、高さ32mで昭和43年に創建されております。
今日は尋常でない暑さで参拝も一苦労だったと思います。
参拝の探究を通じて、
実体験を得ながら自己理解を深め、
社会に出たときに自分で考えて行動できるとワクワクできるのではないかという答えを見出してもらえたら嬉しいですね。
誰かに与えられた問いに答えるのではなく、
自ら考え行動したからこそ、
その問いは自分事となり、
子供たちを動かし続ける内発的動機になっているのだと感じます。
実際、所得、学歴よりも
「自己決定」が幸福感に強い影響を与えていることが明らかになっています。
しかしそれは『全部自分で考えなさい』と放り出すことではなく、
本物の社会貢献活動に触れること、
そこに取り組んでいる大人の存在が欠かせません。
つまり、大人自身が探究する姿を見せることが
子供たちのモデルになり、
社会に出て自分はどう生きていくのか、
そのために何を学びたいのかを考えることにもつながっていくと思います。
今回体験したことを子供時代の宝ものとして
お役に立ててもらえたら嬉しいですね。
さあ、次回は10月9日(月)
関東三大本山冒険フィールドワーク
第二弾、川崎大師平間寺です。
お楽しみに!
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