#天然氷のかき氷屋和なごみ
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kennak · 1 year ago
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 服部吉次さん(俳優・音楽家/78歳)  今年3月に英公共放送BBCが報じたジャニーズ事務所の創業者・故ジャニー喜多川氏の性加害問題のドキュメンタリーを契機に、元ジャニーズJrでシンガー・ソングライターとして活動するカウアン・オカモト氏(27)が実名でジャニー氏を告発するなど、その衝撃は日本中に広がっている。今回、俳優で音楽家の服部吉次氏が小学生の時に受けたジャニー氏からの性被害を告白する。吉次氏は「別れのブルース」「東京ブギウギ」「銀座カンカン娘」などの和製ポップスで知られる国民栄誉賞受賞作曲家・服部良一の次男。長兄は作曲家の故・服部克久だ。(独占インタビュー前後編の前編です)  ◇  ◇  ◇  ──なぜ、今過去の性被害を公表する気になったのでしょうか。 「ひとつは、カウアン・オカモト氏ら実名で告発した方たちに対する敬意です。ジャニーの悪行にはかつて(2000年代に)司法の明確な裁きが下ったんです。にもかかわらず、それから30年経った今に至るも、主要なメディアはジャニーズ事務所の数々の非道の兆候を明確に指摘することをためらい、忖度し、温存する側に回ってしまった。  なぜか。この国ではむきだしの怒りを相手にぶつけることを避けてしまう。人々はこの世の歪みに気づかないふりをする。でも、少しずつではあるけれども、勇気ある告発は増え続け、海外からの声も追い風になり『おかしい』という声は大きくなってきた。それだけに行動する人に対するバッシングも大きくなる。今回こそ、真正面からその圧力と向き合おう、この機会を失うと、もう二度と発言の機会は失われてしまうかもしれない。そんなやむにやまれない思いで、今回の告白に踏み切りました」 ■父の米国巡業の縁で姉弟が服部家に  ──被害にあったのはいつ頃でしょうか。 「まず、ジャニーと私の父・良一の出会いから話します。1950年に、父が歌手の笠置シヅ���さんと『ブギ海を渡る』を持ってアメリカ巡業ツアーをしたのです。8月11日にハワイ公演、9月1日から3日間はロサンゼルス公演でした。会場は高野山ホールという高野山真言宗の直営ホールで、当時の高野山真言宗米国別院の第3代主監が喜多川諦道氏。ジャニー喜多川の父です。  諦道氏は『ボーイスカウト第379隊』の結成に尽力したり、プロ野球球団『ゴールドスター』のマネジャーも務めていたという多芸多才な方だと、今回ネットで知りました。ロスの日系社会で声望が高かったそうです。息子のジャニーは当時19歳。姉のメリーと共にコンサート会場を駆け回り、大人顔負けの接待役を発揮し、父や笠置さん、服部富子(叔母で『満州娘』の大ヒットで知られる歌手)、スタッフたちのマスコット的存在だったそうです」  ──服部家とはその縁で? 「同じ年の6月に勃発した朝鮮戦争で、ジャニーはアメリカ国民として徴兵され、従軍するのですが、ある日、突然、彼が新宿区若松町の家にカーキ色の軍服姿で現れました。パパ(良一)と叔母は、それを見るなり『ヒーボー(ジャニー氏の本名・擴からこう呼んでいた)! ウワー、大きくなって』と歓声をあげて出迎えました。  それから、何回か若松町に遊びに来ました。今でも忘れられない光景があります。玄関にうずくまり、軍靴をゆっくりと編み上げている彼の姿です。家族はそれを囲んで一言も言わずじっと見つめていました。それから彼は立ち上がり、私たちに別れの挨拶をするでなく、『あー、行きたくないなー』と一言。  今思うと、2世差別の残る戦場へ向かう彼の姿を中国戦線での慰問経験をもつパパと叔母は、どんな思いで見ていたのだろうと思います。ジャニーは朝鮮戦争から帰還し、その翌年日本に戻り、除隊後には米大使館軍事顧問団に勤務したといいます。それで再び、服部家に出入りするようになったのです」  ──どんな印象でしたか? 「ジャニーはワシントンハイツ(代々木にあった進駐軍宿舎)に住んでいて、時々、お土産をもって服部家を訪ねてくるんです。ハーシーのチョコレートやハンバーガー、フライドポテト、アイスクリームなど。PX(基地内の売店)で手に入れたものでしょう。当時の日本は皆貧しいですからね、ハーシーのチョコなんて高根の花でした。うちは比較的裕福と��いっても、進駐軍の物資の豊かさは別世界です。  ある時、冷蔵庫が運ばれてきたのでびっくりしました。父が彼に頼んで買ったものでしょうけど、当時は氷を置いて冷やす簡易冷蔵庫しかない時代です。冷蔵庫・洗濯機・テレビが三種の神器と呼ばれて主婦が憧れたのは1960年代の初めですからね」 ──ジャニー氏の性癖を知ったのはいつですか? 「私は当時8歳。小学2年生ですから、チョコレートやお菓子を山のように持ってきてくれて、一緒に遊んでくれるヒーボー(ジャニー氏)は優しいお兄さんですし、大好きでした。ある日、いつものようにふらりとやってきて、確か“キャナスター”というトランプゲームなどで遊んでくれたヒーボーが、『もう遅くなったから今日は泊まっていこうかな』と言うんです。母も、『そうね、どうぞ泊まっていって』と言う。  ヒーボーが『どこに寝ればいいかな?』と聞くと、『よっちゃんの部屋がいいんじゃない』と母。『よっちゃん』というのは私の愛称です。  それでヒーボーが私の部屋に泊まることになりました。2階が子供部屋で4部屋あるうちの2つは兄と私、1つは姉3人が寝るようになっていて、一つは布団部屋みたいになっていたと思います。  パジャマに着替えた私が布団に入ると、彼が『肩揉んであげる』と言うんです。私も子供のくせに肩こり性なので、言う通りうつぶせになると、ヒーボーの手が虫みたいに体中をはいまわるので『なんか変だな』と思ったけど、私にとっては優しいお兄さんですからね。  そのうち、下半身をまさぐってきて、パンツをめくって股間のあたりに手を入れてくるんです。指でさすられているうちに生温かいものに包まれたと思った瞬間、今まで知らない突き抜けるような快感があって。それが初めての射精でした。何がなんだかわからず、びっくりしていると、今度は肛門をいじり始め、舌がはい回ってくる。そのうち舌とは違う硬いものが入ってくる感触がするけど、さすがに痛いので身をひねったら、諦めたようで、指で自分を慰めている。それを見て怖いというよりも、8歳だから何がなんだかわからない状態です」 ■姉からは「汚らわしい」と言われ…  ──母親には話さなかった?  「その翌朝、起きたらすでにヒーボーの姿はない。何も知らない姉が笑顔で『どうだった? 昨夜は大好きなお兄ちゃんと一緒に寝て楽しかった?』と聞くので、『うん、ヒーボーは僕の体を揉んでくれるんだけど、だんだん、手がパンツの中に入ってきて、おちんちん触るんだよ。おちんちんって汚いよね。ぼく、なんだか気持ち悪くて……』と言ったら、姉が、『やめなさいよ、そんな話。汚らわしい』とすごい剣幕で言う。  姉がそんなに怒るのは昨夜のことはやっぱり��けないことだったんだと思って……母親に話すことはできないし、まして普段からあまり会話が少ない父親に話すなんて無理。そこで思考停止しちゃったんです。  ジャニーがしたことがオーラルセックスだというのは大人になってわかるんですが、変なことをされたという気持ちとそれを自分が受け入れた後ろめたさが子ども心にも複雑な心理状態になるんですね。  アイスやチョコをくれて、性的な快感を味わわせるということで、こちらに後ろめたさを持たせ、その一方で加害者としてその快楽を使った口封じをしているわけです。性に関する問題は『支配と奉仕』の二重構造があるのだと思います。でも、それで終わったわけではなかったんです」(後編につづく) ▽服部吉次(はっとり・よしつぐ) 本名・服部良次。1944年生まれ。父は作曲家・服部良一。劇団黒テントの創立メンバー。「翼を燃やす天使たちの舞踏」「上海バンスキング」「阿部定の犬」ほか多数の舞台に出演。妻は女優の石井くに子。次男はハンブルク・バレエ団で東洋人初のソリストで、バンクーバー五輪の開会式に出演したバレエダンサー・服部有吉。兄は作曲家・服部克久。甥は作曲家・服部隆之。隆之の娘はバイオリニストの服部百音。 (取材・文=山田勝仁)
(2ページ目)国民栄誉賞作曲家の次男がジャニー喜多川氏からの性被害を告白 「8歳の時に自宅部屋で…」|日刊ゲンダイDIGITAL
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helloharuo-diary-2023 · 10 months ago
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茶畑庵→新松戸→水道橋→Motown→蒲田
Saturday 1 March 2014
今日坐禅会は、禅寺の都合でお休み。真観は、始発バスに乗って東京へ向かった。バスが新宿に着きその後山手線に乗り日暮里駅へ。常磐線に乗り換えて新松戸駅へ。余裕で到着したのでマクドナルドで暫し休憩。今日は撮影日。撮影は身体障害者の方だった。中々いい表情が撮れなかったが一瞬の笑顔を逃さず撮影出来た真観。その笑顔の写真を最後に撮影は終了。
スタッフと別れ1人東京のオフィスに戻る真観。帰りは、日暮里駅から秋葉原駅に移動し総武線で水道橋駅まで。オフィスに着くとUさんはまだ来ていなかった。機材をオフィスに起きてランチを食べに餃子の王将へ。餃子とミニ天津飯を食べる。531円也。Uさんといつも水道橋で食事をするがUさんは餃子の王将はガヤガヤとうるさいから好まない。真観は、1983年の上京以来お世話になっている。
オフィスに戻るとまもなくUさん登場。そしてOさんも登場。この3人でおしゃべりすることがオフィスでよくある。話題の一つは、Oさんが撮った真観のポートレイト写真。その写真を真観がFBにプロフィ���ル写真として公開すると結構な数の「いいね!」を頂いた。そのお礼をOさんにしながら真観は。自分の考えたことを2人に伝えた。
今日3月1日は、坐禅会に参加して1周年になる日。 昨年の3月から7月までの4ヶ月FBを休止し再開するに当たってすべての友人のフォローを一旦止め真観の投稿記事に対して反応をしてくれた友人からやり取りを始めた。その後、自分からフォローする友人も少しずつ増やして行った。これはSNSのコミュニケーションから振り回されることに対しての苦肉の策だった。そして今日の朝、晴れて真観はFB上の友人(610人ほど)すべてをフォローすることに決めそれを実行した。これは坐禅の経験から得た回答だった。
夕方になりUさんと2人で新宿で開催されている真観の生徒の写真展に赴いた。この週末又雪が降るのではないかと懸念されていたが小雨止まりであった。水道橋駅から四谷駅、四谷駅から四谷三丁目駅に電車で移動。その後は写真展まで小雨の中歩いた。真観はよっぽどの大降りでないと傘は使わない。写真展は、「Motown』と題され愛知県の豊田市をテーマにしていた。真観のクラスの生徒なので作品内容は知っていたが改めて展示された写真たちは展示用に再プリントされまた違う顔を見せていた。写真は、4x5ネガフィルムで撮影されていて生徒自身でプリントしていたが印画紙が以前と変えた様でコントラストがあり見栄えが良い写真になっていた。Uさんも一通り写真を見て生徒に感想として展示レイアウトについて助言した。このテーマを今後彼が続けて行くかどうかは分らないが1年続け2年続け10年続いた後に同じギャラリーで同じ枚数の写真を展示すれば印象は当然変わって来る。この生徒に対して学校の先生方の期待は大きい。でも期待など全く意味がない。これも坐禅をして得た回答の一つ。ただやる気があるならこのテーマ続けるがよろしい。それだけだ。
写真展を後にしてまた小雨の中歩くのもなんだとタクシーを拾うことして信濃町駅に移動。今夜は、Uさん宅にお泊まりするので蒲田駅までさらに電車で移動。Uさん宅はこれで2回目の訪問となる。蒲田駅に着いてから駅ビルのレストラン街で麦とろ定食を食べる。近くのテーブルで酒を飲みその勢いで声の大きい2人組がいたがやや不快だった。仕方ない公衆の場だ。でも食事は美味しく頂き麦飯をご飯茶碗に2杯食べた。食事の後Uさん宅まで歩く。途中Uさんは酒屋でワインを1本と干しホタルイカを購入。
Uさん宅に着くと家猫のニーチェがいるのだが今夜は真観を警戒して顔を見せない。初めて訪れた時は膝の上に乗ったんだがなぁ。ニーチェにとってはいい迷惑かもしれない。だとしたらごめんよ。でもそれも分らない。分らないなら放っておけばいい。
Uさんとの語らいは、まるで先生と生徒の様。Uさんは惜しみなく真観の疑問から様々なキーワードを与える。真観は、メモを書き込むためペンとノートを用意した。
苦海浄土石牟礼道子>森崎和江全共闘運動のスローガン「連帯を求めて孤立を恐れず」谷川雁キリスト教原罪塩狩峠三浦綾子氷点内藤洋子ビッグバンライプニッツウィトゲンシュタインヒットラー血盟団事件唐牛健太郎60年安保の全学連委員長吉本隆明田中清玄児玉誉士夫渡辺芳則組長・・・
2人でワイン1本飲み干したら深夜1時になっていた。楽しい夜になった。真観は、1月に亡くなったUさんのお母さんが使っていた部屋で寝た。
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ari0921 · 2 years ago
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我が国の未来を見通す(63)
「気候変動・エネルギー問題」(28)
「気候変動・エネルギー問題」(総括)〔後段〕
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
先週、連休を利用して島根県を訪問し、出雲大社を
特別参拝させていただきました。私などが詳しく解
説する必要はないと考えますが、ご案内いただいた
禰宜(ねぎ)が神話に基づき解説してくれた大社の
歴史は、地上界を支配すべきは天照大神(とその子
孫)とし、地上を治めていた大国主命から話し合い
によって(戦争することなく)国を譲り受けました。
天照大神は、感謝の気持ちを込めて大国主命を祭神
とする出雲大社を建設されたとのことでした。
私自身は、『逆説の日本史』(井沢元彦著)などで
語られているような出雲大社の“いわれ”を知らな
いわけではありませんが、江戸時代の中ごろに再建
されたとされる国宝の現本殿や神話時代から語り継
がれている、東大寺の大仏殿を超える日本一の高さ
48m、階段の長さが109mに及んだとされる初
代本殿の威容などを知ると、禰宜の解説の方により
納得がいきました。
大国主命は、今では広く「えんむすび」の神として
人々に慕われていますが、この“縁”は男女の縁だ
けではなく、生きとし生��るものが共に豊かに栄え
ていくための貴い結びつきを指すそうで、我が国の
悠久の歴史の中で、代々の祖先の歩みを常に見守ら
れ、目に見えないご縁を結んでおられるのだそうで
す。
このように、(正確にはわからないそうですが)3
000年に近い歴史が有する出雲大社の歩みをお聞
きすると、その歴史はけっして“神話の世界”では
なく、我が国の「国づくり」の歴史、そしてこの間
に出来あがった「国柄」、特に神話の時代から「和」
を重んじる国であることなどが改めて理解できまし
た。この精神がやがて聖徳太子の「十七条憲法」第
1条「和を持って貴しとなす」として具現化される
のでした。
私自身はこれまで全国各地、数多くの神社仏閣を参
拝させて頂く機会がありましたが、特に、淡路島の
伊弉諾(いざなぎ)神宮、高千穂神社、伊勢神宮、
宗像大社などにはそれぞれの神話があり、そのつど
納得し、このような歴史を持つ日本に生まれたこと
に誇りと感じ、言いようもない幸せ感を味わった経
験がありますが、今回はこれまでの経験に勝るもの
がありました。
終戦後、GHQの占領政策によって、我が国は、神
話を教育することを含めて戦前の歴史を全否定され
ました。しかし、世界を見渡せば、神話を含めて国
の生い立ちを教えない国はありません。ポツダム宣
言には「日本が世界征服を企てた」となっており、
我が国はこのような“汚名”を受け入れることを余
儀なくされましたが、500年の長きにわたり、世
界征服を企てたのは欧米列国であり、この流れに
「待った」をかけた国こそが我が国でした。
その上、本来、「和」を尊ぶ我が国の国柄が語り継
がれていた神話の中にも存在することをGHQのス
タッフは身抜けなかったのでしょう。もしこのよう
な我が国の本性を熟知していたら、あるいは日米開
戦などは起こらなかったのでは、と想像してしまい
ます。
島根県には、国宝・松江城や日本一の庭園美術館
「足立美術館」などもあって、あらためてこの地域
の歴史や豊かさを堪能しましたが、島根県のみなら
ず全国各地にその地域ならではの歴史や文化があり
ます。天変地異など様々な混乱を経験しても、それ
らを残していただいた先人たちにあらためて感謝申
し上げますと共に、今に生きる私たち世代もまた後
世に残し、伝える責任があることに思いが至りまし
た。
▼我が国のエネルギー政策の“落とし穴”
 
さて、最近の我が国は、気候変動・エネルギー問題
のみならず、���国益」を一顧だにせず、というか
「国益」という言葉自体も忘れ、国際社会、特に西
欧列国に追随するとか、周辺諸国と謝罪することな
どをもって“国是”としているような風潮があるよ
うな気がしてなりません。かつてのグローバル・ス
タンダードなどもその部類だったと考えます。
もちろん、戦前のように、「国際秩序への挑戦者」
となることは許されないですが、戦前の“贖罪意
識”が強過ぎるのか、様々な状況を冷静・沈着に判
断して我が国が歩む道として最適の選択肢は何か、
というプロセスそのものをスキップしているように
思えてならないのです。そのようなことを何度も繰
り返すと、「進むべき進路を誤った」とされる戦前
と同じ結果になり、後々に禍根を残す可能性がある
ことを危惧します。
これまでも「木を見て森を見ず」という言葉を使用
しましたが、現在の我が国は、あらゆる分野で「専
門家」と称される人たちが発言力を持ち、それゆえ
に、専門とする極めて狭い世界の事象に拘泥し、結
果としてその考えに翻弄されているような気がして
なりません。各界に“森が見えない人たちがなんと
多いことか“とつい思ってしまいます。
特に、気候変動問題においては、菅義偉内閣になっ
て、突然「脱炭素」を宣言し、まさに「国益」やそ
の実行の可能性より、国際社会追随の政策に転換し
たことはすでに紹介しました。当時から「エネルギ
ーは安全保障最優先にすべき」との声もありました
が、様々な事情もあったのでしょうが、“見切り発
車”しました。いったん舵を切ると、トランプ前大
統領のような強いリーダーが出現しにくい我が国に
あっては、軌道修正がますます困難になることは明
白なのです。
また、「ブレーキをかけることを忘れた高齢者の運
転のように」と表現しましたが、アクセルばかりを
踏み込み、ついには「一石三鳥」のような勇ましい
キャッチコピーまで飛び出しました。国を挙げた勇
ましい政策には必ずその“副作用”があることを我
が国は長い歴史の中で何度も経験しましたが、その
ような歴史を学び、あるいは各方面からの警鐘を鳴
らす発言に耳をそばだてるような感性は、首相をは
じめ、政治家や官僚の皆様にはなさそうです。
政府が唱える政策に協力するのは当然としても、様
々な思惑をもって「脱炭素」政策に便乗する人たち
は、いったい全体、地球にとってCO2とは何なの
か、���当に異常気象なのか、地球温暖化は進んでい
るのか、それらの原因が人為的CO2の排出にある
のか、さらには、「脱炭素」は可能なのか、そのコ
ストはどれほどかかるのか、CO2を削減すること
が地球にとって本当によいことなのか、その上で、
自分たちのやろうとしていることは本当に日本のた
め、地球のためになるのか・・・などを考えたこと
があるのでしょうか。
おそらくそのような思考は停止したまま、「政府が
奨励しているから」「国連(あるいはIPCC)が
言っていることだから」「皆、やっているから(や
らないと取り残されるから)」と自らを納得させる
・・・私の周りにもそのような人がたくさんおりま
す。なかでも、金儲けの絶好の機会と野心的な思惑
を持つ企業関係者にあっては、その真実の解明より
「お金になるならなんでもよい」くらいの感覚なで
しょう。
民主主義とは、誤解を顧みず話せば、主権者たる国
民の大多数の支持があれば何でもできるし、何をや
ってもよい政治形態です。バラマキと言われようが
刹那的と言われようが、支持率さえ確保できればよ
いと考える政治家が政策を断行し、その結果、主権
者が喜べば、世の中は丸くおさまり、波風は立たな
いのです。
地球温暖化とは裏腹に、「100万年にわたる地球
の気温推移の歴史をみると、人間の出すCO2など
とは全く無関係に一定のリズムを刻んでいる」とし
て、「実際の地球は寒冷化に向かっている」との考
えを持つ人たちも少なくないですが、その寒冷化を
防止するためは、温室効果ガスが必要不可欠であり、
その主体はCO2になることでしょう。
何も考えずに「脱炭素」に協力していている人は、
かつての氷河期のように地球上の生命体そのものを
脅かすことに加担しているという考え方もできるの
です。
▼実行の可能性とコスト意識
さて我が国は、中国などの発展途上国と比較して、
先進国と��てエネルギーを消費した歴史が古いこと
は間違いないですが、それでも1970年代に2度
体験した石油ショックから立ち直るために、並々な
らぬ“省エネ”努力を積み重ねてきました。その結
果、実質GDP当たりのエネルギー消費は世界平均
を大きく下回る水準を維持しており、インドや中国
の5分の1から4分の1程度の少なさであり、最近、
省エネが進んでいる欧州の主要国と比較しても遜色
ない水準となっていることも紹介しました。
つまり、すでに省エネに取り組み、それをもって過
度にCO2排出を排出しないという長い歴史があり
ます。そして、生活���間からしても“ウサギ小屋”
と揶揄されるようなつつましやかさも現存し、今と
なっては他国に誇るべきことですが、だからこそ、
これから先、さらに省エネを推進し、CO2排出を
削減することは至難の業だということもいえるでし
ょう。
これもすでに紹介したように、環境省の発表では、
これまで国と地方自治体合わせて30兆円の経費を
投入し、今後は税金で20兆円を投入して150兆
円の投資を呼び込むと皮算用していますが、すでに
省エネを推進し、CO2排出は地球全体の3%ほど
に留まっている我が国にあっては、仮に2050年
に「脱炭素」を実現したとしても、その効果は測定
できないレベル(試算では0.0008℃度程度)
にしかなりません。
最近、このような日本にあって、依然として現実的
な“良心”を有している機関を発見しました。経済
産業省系の研究機関といわれる「公益社団法人地球
環境産業技術研究機構」(RITE)です。RIT
Eはまず、「2030年にCO2を46%削減する
ためにGDP損失が30兆円発生する」として、2
0兆円の実質増税を含み、政府が考えるカーボンプ
ライシングは「経済への足かせになる」と警鐘を鳴
らします。
RITEはまた、「2050年に『脱炭素』を実現
するためには、技術面やコスト、自然制約・社会的
制約などの様々な面で課題や制約を乗り越えること
が必要であるが、技術革新などの進展には大きな不
確実性が存在するため、30年後の姿を具体的に見
通すことは困難である」とし、さらに、電力分野の
みならず非電力分野の技術を実装しない限り、「2
050年の『脱炭素』は極めて困難である」と結論
づけています。
この結言を導くために、RITEは電力構成につい
て5つのシナリオを取り上げて検証していますが、
なかでも再エネ100%のケースでは、電気料金が
2倍になることも試算しています。
東京都は、情緒的な判断だけでその効果もろくに検
証しないまま、都内の新築戸建住宅に太陽光パネル
の設置を義務化し、そのための支援制度を新設する
ということが話題になりました。この支援のための
経費は都民税から流用されることは間違いないでし
ょう。気候変動対策とか「脱炭素」を目的にすると、
コスト意識が頭から離れてしまいがちですが、その
コストは最近話題の電気料金の値上げだけではなく、
石油やガソリンなどの燃料代、そして所得税や地方
税などにも含まれることも再認識する必要があるの
です。
▼「脱炭素」と安全保障
さて、太陽光発電は国内の広大な土地を中国など���
国資本が買いあさる格好の材料になっていることも
指摘しました。最近、中国がアメリカ国内の農地を
購入し、アメリカが警戒していることが話題になっ
ていることも付け加えておきましょう。その面積は、
現時点では1554haほどで、1位のカナダや2
位のオランダなどには及ばず第18位、農地全体の
0.9%に留まっているようですが、高い伸び率で
農地が増えていることに加え、日本を含め、世界規
模で農地を買いあさっていることもあって、アメリ
カ国内では余計に警戒感を増大させているようです。
再エネを推進しようとするとコストがかかる。コス
トを削減しようとすると中国製の太陽パネルを使用
する必要がある、あるいは、太陽光発電のために中
国資本を招へいする必要がある、招へいすればする
ほど、中国資本の森林や農地が増える、増えれば増
えるほど安全保障上の問題に懸念が残る・・・。
上記のサイクルで何を優先すべきかは明らかなので
すが、「脱炭素」以外に盲目になっている人たちに
は、国内の森林や農地が外国資本に買収されること
に危機意識を持たないことが問題なのだと考えます。
前回、地球温暖化の提唱者たちの当初のシナリオが
狂っているのではないか、と指摘しましたが、我が
国にあっては、補助金付きで、中国資本を招き入れ、
国内はおろか、中国の世界戦略に加担するようなこ
とになるのだけは何としても避けたいものです。政
府の早急な英断が求められると考えます。
私は、「脱炭素」などのような“絵空事”(あえて
こう表現します)を根本から見直し、エネルギーの
安定確保(しかもなるべく安価で)を最優先するこ
とを提言したいと考えますが、読者の皆様はどう考
えるでしょうか。
▼まとめ
 
さて、本メルマガで取り上げました我が国の「少子
高齢化問題」「農業・食料問題」「気候変動・エネ
ルギー問題」には共通の要因があり、これらの問題
を抜本的に解決するためには、それぞれ小手先では
なく、国家レベルの根本からの「改造」が必要と考
えます。それらは、国防とか防災なども共通してい
ることでしょう。
本メルマガ「我が国の未来を見通す」は、「我が国
の歴史を振り返る」の後継として発信しているもの
ですが、この後、本メルマガの総括として、我が国
の歴史から学ぶ「知恵」を活かしながら、我が国の
将来に立ちはだかるであろう“暗雲”にいかに立ち
向かうか、について読者の皆様と一緒に考えていき
たいと思います。
しばらく整理と充電の時間を頂いたのち、第4編
「『強靭な国家』をつくる」(仮称)を題して、日
本を守��抜き、日本の未来を創造するための様々な
「知恵」について発信していきたいと計画していま
す。請うご期待!
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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hachikenyakaiwai · 3 months ago
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【かいわいの時】昭和八年(1933)9月16日:天王寺南門超願寺にて「上方怪談会」開催(上方郷土研究会)
天王寺南門を一丁南へ行くと西側にある古刹超願寺は人も知る竹本義太夫の墓があるので著名、秋の日脚は短く暮れた宵闇に寺門にボンヤリ燈った目標は上方怪談會と記した白張提灯、門を入って玄関まで怪異の掛行燈を連ね、受付では真面目な署名を乞ふたがその脇の土塔茶屋では一吹と腰を掛けると、經木に詩歌を乞ひ、茶の香りに氷水を末期の水となぞらへて出すので、皆が冷いやりする。奥の書院では仝寺秘蔵の応挙筆の幽靈像を佛間型にした裡に凄然と祀り、本床には英一蝶筆の百鬼夜行の横大幅、展觀として本會所秘蔵の幽霊、妖怪、變化の錦繪を座一杯に繰展げて置いた。續々の來會者で本堂は忽ち満員、この調子では幽霊の方がをぢけがつく。午後七時半挨拶に始り、序論の形で京都より態々来阪の江馬文學士が「文學に現れたる幽霊」を風俗専問の立場から真面目に諧謔を交へて講話され、次で茨木の日垣明貫の息章道氏は父君の材料を携へて事實談を上手に順序よく物語られた。尚三四氏の申込みがあったが、時間の都合で中止し、中入として蓮の葉に包んだ白蒸の飯に奈良漬、苧殻*の箸を添へたのを配った。この中に日垣氏が當夜寄贈せられた半切に仝氏が書かれた大入道の繪を抽籤することにし、赤紙を一枚入れて置いたところ、来會者の木村喜行氏(新町吉田屋)が引當てられた。さてこれ等の興味で時刻は九時過ぎになったので、當夜の呼物である三遊亭志ん藏氏立つことになり、前提として同氏体験の事實談「血風呂」の話を得意の話術にて一席、シンミリと聽かせて、先ず聽衆に凄味を興へ、さて獨特の幽霊扮装に移る。簡單に青隈で顏としたのを見せて置いて、暗轉で、お岩の幽霊、どろどろーー合方もないが、照明役の手際によって陰火点滅すると凄気堂に漲る。一同やあれ恐はやーーで退場閉会す。當夜お土産として蝋燭で見るお化け繪に超願寺寄贈の繪はかき一組と、松竹より無縁墓供養として寄贈のお岩に因んで「岩おこし」を贈った(南木生)。「三十八回上方行事上方怪談會記」『郷土研究上方 第三十四号』 (昭和八年十月一日発行)より。 *苧殻(読み)おがら アサ(タイマ)を古くは〈苧(お)〉と呼んだが,皮をはいだ茎は苧殻(麻幹)(おがら)と呼び,お盆の迎え火,送り火をたくのに用い,供物に添える苧殻ばし(箸)とする。種子は苧実(おのみ)すなわち麻実で,薬味として使い,七味唐辛子に入れられている。世界大百科事典 第2版
(写真)上方郷土研究会「三十八回上方行事予告 上方怪談会」。『郷土研究上方 第三十三号』より。
日時   昭和八年九月十六日午後正六時開催 場所   天王寺南門(義太夫の墓のある)超願寺(千日前発掘の無縁墓あり) 展観   応挙の幽霊(超願寺蔵)及幽霊、妖怪、変化錦絵二百点陳列 開会順序 六時より会員有志の実話談に移り、九時余興、十時閉会 扮装実演 幽霊になるまで 三遊亭しん蔵*氏 会費   五十銭(粗供養記念品呈上) (『郷土研究上方 上方怪談号(三十三号)』1933掲載)
*三遊亭志ん蔵(1887-1964) 怪談話『お岩の幽霊』を得意とし「幽霊志ん蔵」と呼ばれる。戦後は上方で数少ない明治から継承されていた古い怪談噺を演じる落語家として重宝される(ウィキペディア)。
*会費50銭は現在価値で約2500円(中入り軽食・岩おこしの御土産付き)。1930年から1931年にかけての大恐慌(昭和恐慌)で、昭和はじめの日本経済は深刻なデフレに陥っていました。当時の1円を現在価値に換算することは容易ではありません。目安として明治初期と昭和10年の大工の手間賃で比べると、0.5円(1870)=2円(1935)=17000円(現在)*。これより、1円(1935)≒8500円(現在)。デフレの影響で昭和10年ごろの1円の価値はかなり高かったようですが、しかし、当時ガスビル食堂の1円ランチが、行列ができるほど人気があったことを考えると、現在の「感覚」からすれば、1円=5000円ぐらいとするのが適当ではないでしょうか。同じ頃に浜松市のデパート跡で開催された「警察博覧会」(遠州新聞社主催)の会費(入場料)が大人15銭、現在価値にして約750円。妥当な範囲だと思われます。*明治初めの1円=0.125石=34000円(現在)で換算。
[註]「応挙の幽霊像」(他には「英一蝶筆の百鬼夜行の横大幅」)がリストアップされていますが、残念ながら、いずれも現存していないようです。ほんまやったら、重要文化財。「もう少し寝かせておきとうございます」
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tabilist · 4 months ago
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【東京】あきる野「黒茶屋」
【ニノさん】四季を感じながら天然氷のかき氷が味わえる!『黒茶屋』キャンプ好きの堤におすすめしたい日帰りツアー #宮下草薙 2024/8/25放送 東京都あきる野市小中野167 #ニノさん #二宮和也 #菊池風磨 ゲスト #堤真一 詳しく見る↓
武蔵五日市駅「黒茶屋(くろちゃや)」 食べログでcheck! 古民家を改装した風情あるレストラン 四季折々の食材をふんだんに使用した、こ��わりの創作料理などが味わえる あきる野産の野菜を使ったバーニャカウダや、地元の養鶏場で育った鶏を使った親子丼などが人気メニュー 夏には天然氷のかき氷も楽しめる。 住所 東京都あきる野市小中野167 TEL 050-5593-4800 ホームページ 黒茶屋 – 東京都あきる野市にて、季節の素材と山や川の恵みでもてなす素朴な山里料理をご提供いたします黒茶屋 – 東京都あきる野市にて、季節の素材と山や川の恵みでもてなす素朴な山里料理をご提供いたします | 黒茶屋 東京都あきる野市にて、季節の素材と山や川の恵みでもてなす素朴な山里料理をご提供いたします… ホームページをcheck! Instagramをチェック
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bearbench-3bun4 · 5 months ago
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「虚無への供物」中井英夫 2281
第二章
28殺人問答01
1955年(昭和30年)2月28日までの様子が描かれます。 暖冬で、ことに20日を過ぎてからの一週間は嘘のような暖かさのようです。 黄や紫の蕾をつけたクロッカスやとてもいい香りを放っている沈丁花などがめにつくようです。
28日は、それまでとは変わって、雨がぱらついたようで、 また、第27回衆議院議員総選挙が前日の日曜にあり、貼り出された選挙速報が雨に濡れています。 初めてテレビによる総選挙開票速報がNHK(日本放送協会)や日本テレビで行われたみたいで、その点ではもりあっがたのかも知れません。 雨は、午後にはあがり、上天気に変わったみたいです。
さて、 結婚のために、牟礼田は下落合にヴィラ風の洋館を借りています。 高田馬場の駅前から交番の横の狭い商店街をぬけ、その先の小さな神社の前からみえる崖の中腹にある白塗りの家。 南に向いてアトリエ風な大きいガラス窓の部屋がせり出し辛子色のカーテンがかかっています。 ヴィラは、リゾートとかに有る別荘ふうだと考えればいいみたいですね。 牟礼田の羽振りの良さがわかります。
銀鼠と黒とをきりかえにしたスーツを着込んだ久生は探偵気取りで陽気な感じです。
銀鼠(ぎんねず)とは、銀色のようなほんのり青みを含んだ明るい灰色のことですね。 それと黒とで切替えのスーツ姿です。 切替えとは、質感や模様が異なる生地を使用したりして、デザイン効果を高める技術です。 まあ、おしゃれしているってことでしょうか。
で、 牟礼田、久生、亜利夫、藍ちゃんで謎解きが始まるみたいです。
自分が主役だと決めているらしい久生が口火をきります。 とりあえず、これまでの経過を見直す必要と、橙二郎さん殺しのトリックについて話そうといいますが、 その前に、 牟礼田がパリにいながら氷沼家に起こる出来事につて予言することができたのか?の説明をもとめます。 牟礼田は、死ぬのは橙二郎氏と蒼司君だけだと思ってたといいます。
確かに、氷沼家の死者たちは、光太郎が函館の大火で、朱美一家が広島の原爆で、 紫司郎・薫三郎の夫妻が洞爺丸で、さらに綾女が聖母の園でという形でなく亡くなっていますが、 それが、橙二郎や蒼司が死ぬこととの関連については、皆わかりません。
私もわかりません。
いわく、“無意味な死”の連続、ひとりとして人間らしい死に方をした人はいないのだから、 どこかでそれを押しとどめようとする働きが起こるのは当然なんだといいます。 その力は、爺やの畏怖していた不動明王のように狂暴な破壊力をふるうだろうという気がしたのだそうです。 案じた通り紅司君と橙二郎氏が犠牲になった。 だから、蒼司君だけはそれに巻き込まれないようにと思ってそれで奈々に守ってほしいと手紙を書いたのだそうです。
だとすると、 亜利夫は、どこかに殺人者がいて紅司君や橙二郎氏を殺してしまった。 さらに、別な死体を隠すためか何か知らないけど、あの聖母の園に放火するなんてことが許されますか。といいます。
すると、 牟礼田は、聖母の園の事件くらい氷沼家を象徴しているものはないといいます。 どこかに凶悪な殺人者がいて計画的な放火なり死体遺棄なりをした犯罪だと断定したいくらいだと、熱っぽい調子でつづけます。 世間ふつうの意味での殺人じゃなくて、血みどろな殺人で死んだと考えたほうがましだということだとです。
まだ、わかりません。
一人で飲みこんだ顔の牟礼田は、聖母の園の犯人くらいは割り出してもいいといいます。 まじですか?
聖母の園は、国立戸塚病院の近くで、戸塚と藤沢のちょうど中間ぐらいにある。 乗り物といったらバスしかないし、死体まで運び込んだということならむろん自分の車だろう。 放火だとすると夜中に事が運ばれたことになる。
綾女さんを殺すというのが目的なら、その前から聖母の園に出入りして何度かあっていて、 お互いに素性を知り抜いていることが条件となる。
また、一方、運び込まれた死体は、焼け跡の顎の骨からも鑑別できるように老人で、 犯人と面識もあり親しかったこともむろんだ。
運び込まれた死体が老人ということで、久生と亜利夫は爺やと藤木田氏を思い浮かべたようです。 牟礼田はそのうちわかるだろうと、変な慰めかたをします。
老人が他にいましたかね?
牟礼田は、 聖母の園事件が計画的な犯行でなければならないなら、それに当てはまる実在の人物もちゃんと存在しているんだといいますね。 なんだか、氷沼家とは関係のないことにわざわざ時間を使うなと言っているようにも聞こえます。
ただ、増えた死体の謎は残ったままですね。
で、藍ちゃんはすっかりしょったれちゃってます。 自分の身内に起こったとこに想いがつのったのでしょうか?
ところで、しょったれってなんでしょう。 関東の方言に、元気が無くなる、しおれるという意味で、“しおったれる”という表現があります。 しおったれるが、口語で、しょったれるとなったのでしょうか? 文脈から見るとそんな感じですね。
で、どうや��これで、幕になるみたいです。 久生も言ってますけど、ずいぶん歯切れの悪い中途半端な尻切れトンボです。
そんなことはお構い無しで、牟礼田は亜利夫に亜利夫の書いた日記の細かい所を訊ねます。
藤木田さんがすごい早業で藍ちゃんの並べてある牌の中から一枚を引っこ抜いたことで、 藍ちゃんが少牌することになったのに、そこをごまかして書いているというのです。
牟礼田が気にするということは、 少牌することで、誰が抜けることを操作したと疑っているのでしょうか? 藤木田にどいう意図があったのでしょう?
つづく
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kachoushi · 10 months ago
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雑 詠
花鳥誌 令和6年3月号
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雑詠巻頭句
坊城俊樹主宰選 評釈
雑詠巻頭句
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冬帝を玉座に迎へ都府楼趾 天野 かおり
 九州の都府楼趾の歴史は古い。関東人の私なんかは想像もつかないほどの悠久の時が流れる。そこに今君臨する者とは冬帝こそがふさわしい。日本より大きな都府楼趾の感覚。
都府楼の礎石に小さき時雨あと 天野 かおり
 礎石に小さい時雨のあとがあるのは現代のもの。しかしその時雨は過去千回くらい降ってきた。「天の川のもとに天智天皇と臣虚子と 虚子」の句碑はそのあたりにある。虚子は自分の卑小さを知り、時間の雄大さを知る。この句はそれに少し似ている。
五重塔からくれなゐの冬日のせ 天野 かおり
 この五重塔は極彩色に塗られている。九州福岡のそれはやはり中華文明の影響を受けているのだろう。冬日を乗せているのが豪奢である。
大枯野則天去私のここに居る 渡辺 美穂
 「則天去私」は漱石の心境。天にのっとって私心を捨て、自然に身をゆだねることである。大枯野の唯一のものはその心境そのものなのである。「私」がそれに同化するのかは知らぬ。
赴任地は裏鬼門なり漱石忌 渡辺 美穂
 赴任地は四国とて九州とていろいろあった。それを裏鬼門と漱石が認識したのかは知らぬが���その人の忌日にそれを聞いてみたいものだ。
漱石の孤影ちらつく霜夜かな 渡辺 美穂
 はたして漱石が霜夜と似ているかは知らぬ。しかし彼は孤影であるを肯う。漱石はいわば心身症だった。かれは当然孤独。霜夜はこの狂気を増進させて小説を書かせた。
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グラバー邸寒し小暗き隠し部屋 吉田 志津子
 グラバー邸は昼間に行くと海のせいかなかなか明るくて素敵。庭園もゆったりとしていて清潔で心豊かになる。隠し部屋があったとは。それもやはり天下騒乱の時だから当然だろう。彼は商人でありそうではなかったから。
花街の花魁道中秋祭 吉田 志津子
この花街は長崎なのだろうか。どこか京都のような気がする。私のような東人はがさつでこれは憧れでしかない。たしかに浅草にも花魁は居たのだが、どうにも生々しくて。
冬薔薇は領事の言霊へ薫り 岡田 順子
 領事はこの国にあまり居ない。長崎のその人か。横浜のその人か。薔薇は冬に限る。
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銀の匙絹のクロスに冬日翳 一倉 小鳥
 これもまた洋風のテーブルでの食事の様子。かなりレベルの高い貴婦人のご昼食。
街並みも運河も家も灯も聖夜 葛生 みもざ
 いま聖夜の翌日にこれを書いている。この句のような特別の時間はここに無い。
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氷川丸の円窓いくつ北塞ぐ 藤枝 昌文
 氷川丸は横浜の港に係留されて動かない。ずっと北窓は北窓のまま。
パライゾの見果てぬ夢を寒椿 田上 喜和
 キリスト教徒。それは外人墓地なのか。いや日本人が悲しく拘束されて死んだのか。
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三途から戻りし者の年忘 勢木 宇太郎
 三途の川から戻って復活した人。それがその年を忘れるようになる目出度さ。
���つつむやうに小さく手に咳を 栗原 和子
 嘘はしかし包んでも少し漏れてしまう。咳をしても独りであった人とは違う。
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supersoniclevel · 1 year ago
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真3プレイ記 先生エンド編
大晦日にクリアしましたぞ。 相変わらず2周目のデータから全てを回収しようとしているためアイコンは全然集まってませんが、4つめのエンディングになります! 内容:エンディングまで
先生のフラグが建っていれば、東京議事堂でのイベントや、ヤヒロノヒモロギを奉納するあたりで何か変化があるのかな……?と思っていたので、何にもなく、カグツチ塔の入り口でも「お前の心の内や見えず……」と曖昧な感想しか言われないので、「本当に先生エンドに分岐しているのか???」と不安すぎるまま塔をのぼりました。 しかも1回アーリマンに負けた。 前妻、普通に火力が高えのよ。 ※初見シジマエンドだったので、氷川のことを前妻と呼んでいます ちなみに今回、ファンアートを拝見してからずっと気になっていたマグマ・アクシスを初めて習得して、それをメイン火力にして攻略しました! 思ったよりだいぶ近距離でぶっぱなすので、慣れるまでだいぶ面白くて笑ってたんですが、それはそれとして青白く光る人修羅くんの体が美しい……。 あと、すごく強い。 魔法攻撃扱いなのでギリメカラやランダにも気にせず撃てるのが楽ちんだし、たぶんクリティカルした死亡遊戯の方が強いと思うんだけど、毎ターン安定して高ダメたたき出せるというのが自分的にはときめきポイントが高かったです。
道中のイベントは特に変化は無いので、諸々飛ばしていきなりカグツチとの謁見です。
カグツチ「おまえが心に望みたるは……未来の定まらぬ……自由なる国……」
あ、ちゃんと先生ENDに分岐してるっぽ~~い!! ホッ!!!!!! まじでここへきてようやく安心しました。いやべつに、BADエンドでもいいんですけど。まだ見てないから。 カグツチはいかにもニュートラルでどんなコトワリも受け入れますよみたいな雰囲気を出してるけど、全然秩序勢なので、基本的に大いなる意思の代弁者でしかないし、人間が自由を手にすることには反対なんですよね。 「我が力を与えるは、コトワリ定かなる完全なる創世のみぞ」と言われると、たしかに「マガツヒを集めてコトワリを啓き、守護を呼び、創世する」というレギュレーション違反をしていることはそれはそうなので、何も反論することはないのですが……
「自由とは災いの種。それがもたらすは滅びのみ」 「我は許さぬ! 滅びのための世界など!」 「おまえは自由に溺れた! あの天使が堕ちた時のように!」 「消えよ、悪魔! 我が怒りの光にて、その存在を終えよ!」
めっちゃ思想強めに怒るじゃん……。
テンションが完全に真2のラスボス。 というか、これはアマラENDのときも思ったのですが、そもそも3つのコトワリのどれにも属さない人修羅くんを塔の中に入れたの、カグツチじゃん?? コトワリ無し人(ことわりなしんちゅ)に最上階まで来られたら困るんだったら、最初の時点でちゃんと中に入れる者を選定しなよ。 なにあの「恐れ無くばタカラの珠を集めて我が元へと来るがよい」ってやつ。録音メッセージ?? アマラエンドの人修羅くんは、この時点でもう完全なる悪魔となっているので、カグツチの怒りも右から左って感じだといいなと思うのですが、先生エンドの人修羅くんの心って、おそらく限りなく人間寄りなのかなと思うので、「自由」を強く否定されて、どういう気持ちになるんだろう、とちょっと考えます。
カグツチ「愚かな……。おまえはまた、新たな苦しみの国を生み出すのだ……」
最期までちくちく言葉で責められる。 カグツチの求める結末とは異なる結果となりましたが、その力は解放され、いつもどおりボルテクス界は光に包まれて消えていきます……。
・・・・・・・。
勇「……おい、聞いているのか?」
ハッ!!? 夢!?
革ジャン姿の主人公くんに呼びかけるのは、ゲームスタート時とおなじ、ひょうきんな物言いの勇くん。 どうやら、まるで何事も起こらなかったかのように……元の世界にいるようです。 勇くんに起こされて今起床したのかと思ったけど、靴履いてベッドに座ってるところとか、勇くんの「そろそろ行こうぜ」って言い方からすると、これから出掛けるところで、二人は出発までだべってた(その途中で主人公くんがボーッとしていたところへ声をかけられた)という感じっぽいですね。 先生のお見舞いに行く時間軸へ戻っているようす。
ていうか、主人公くんの自室が本邦初公開ですよ! え~~!! 狭!!!!! めっちゃ狭くない? DKの部屋ってこんなもの?? 主人公くんがパソコン持ってるの、意外すぎる。え、結構コンピュータ系得意なのかな? 本棚に漫画っぽい本がぎっしり詰まってるのがかわいいです。本棚の上にシューズボックス?が置いてあるのも、なんか、ぽい。 窓際にコンポ置いてあるけど、その窓、結露しないんだろうか。心配。あとカーテン閉める時はコンポの前に掛けるの? 後ろに掛けるの? ていうか、音楽聴くんですね。どんな音楽が好きなのかなぁ。ここ、すごく気になるポイントが多い。
……話��逸れました。エンディングですね。 勇くんを追って主人公くんも部屋を後にし……誰もいなくなった部屋でパソコンが受信したメールの送り主は、先生。 先生は「私の迷いでみんなを困らせてしまった」と言います。 まあ、たしかに、ある側面を見ればそうとも言えるかもしれないけれど。 でも迷いを抱いていた先生は、ボルテクス界を見て、そして氷川や教え子たちの創ろうとする世界を見て……それでようやく、自分の求める「自由」や「可能性」が、元の世界にたくさんあったんだってことに、気がついたんだ。 東京は元通りになって、ボルテクス界で命を落とした人たちも生きていて、東京受胎は起こらなかったことになった。 でもそれは荒廃したボルテクス界がいやだからとか、3人の掲げるコトワリにどれも共感できないからとか、ただただ元の平和な世界に戻りたいから……じゃなくって。 人々の醜い欲望に苛まれることもあるし、弱い者に足を引っ張られることもあるし、他者との関わりによって煩わしい思いをすることもある、退屈で、閉塞的にも思える「今の現実の世界」が……でも実は、どんな人でも何かを成せる自由や可能性を秘めている、これはこれですばらしいものなんだよってことに、先生が、あるいはプレイヤーもまた気付いて、「元の世界って、結構いいじゃん」って思えるようになったからこそ、「元の世界」が生まれたってことなんだと思う。 ゲームの中ではなく、今この現実にも、今の世界を漠然と嫌いな人って、たぶんたくさんいる。そういううちの一人であった先生が、今の世界をちょっと好きになる物語だったのかなって、そう思いました。先生ルートの真・女神転生3は。
……ぶっちゃけ、先生エンドを迎えたら元の世界に戻るというオチ自体は、さすがに、事前にネタバレ踏んじゃってました。てへぺろ。 物語の中で起こったしんどいことを全部無かったことにして、白紙に戻しましたよ良かったね、めでたしめでたし!っていうのは、わたし個人としてはあまり好きではないので(散々カオスくんや千晶ちゃんに「過去を無かったことにするな」という発言を繰り返していますが、それに通じる「つらいこと苦しいことを含めての積み重ねがあってこその今でしょう」という思想であります……)、先生エンドは、わたしにとって納得できる結末になるのかな?と、ずっと不安にも思っていたのですが…… ただ都合良く平和な状態にしたのではなく、「先生が前を向くための物語」だった、彼女は、主人公は、何かを得てここに戻ってきたんだと思えたので、とても納得感のあるエンディングとなりました。
ボルテクス界ではムスビのコトワリに目覚め、一人きりの世界を望んだ勇くんが、主人公くんや千晶ちゃんと普通に友達関係をもっていることから、先生と主人公以外は、ボルテクス界でのことは全く覚えていないのだと受け取りましたが……どうなのかな? 千晶ちゃんや勇くんは、受胎が起こる前からこの世界に不満を抱えていたとか、ヨスガやムスビの世界を求めていたってわけじゃなかった��思うので(ヨスガもムスビも、もともと彼らの潜在意識の中に存在している価値観ではあるけれど、あくまでもボルテクス界での経験を通してこそ芽を出したものだと解釈しています)、二人が元の世界で、元のように暮らしていくことは別に問題ないのかな、と思うのですが…… 氷川だけは受胎に巻き込まれたのではなく、もっと前からこの世界を厭うていて、明確に求める世界があったので……それを成せずに、嫌いなこの世界でそのまま生きていかなくちゃいけないのは、あまりにもしんどい、可哀想だと感じてました。 でも、結局はシジマエンド以外ではシジマの世界はできないわけなので、要は一緒か……。 それに、代々木公園が立ち入り禁止になっておらず、氷川も逮捕とかではなく騒動について会見しているところをみると、公園での暴動自体は起こったけど、氷川はそこで悪魔を召喚しなかったし、誰も殺さなかった。おそらく悪魔召喚の力や、アマラの転輪鼓を手に入れていない、東京受胎や創世という概念自体が存在してない氷川なのでしょう。 それなら、「今の世界が続いていくことは当たり前」として、しんどい気持ち自体は抱えながらも、折り合いを付けながら、あるいは少しでも自分の望みに近い状態になるように苦心しながら、生きていくのかな。とも思えました。 だって氷川は、マントラ軍の妨害を受けても、ナイトメアシステムを止められても、巫女を失っても、ふたたびマガツヒを集めて、ちゃんとアーリマンを召喚したんだもん。今の世界でだって、そういう風に、きっと強く生きていけるよね。 できることなら、この世界にいる氷川のナマの姿も、見てみたかったです。
あとごめんなさい、ヒジリについてもちょっとだけ。 代々木公園で事件が起こらなかったために公園にはおらず、主人公くんもまたきちんと公園で友達二人と合流することができているので……ヒジリは「公園で主人公と出会う」という予定された運命から外れていることが分かります。 (ゲームの冒頭で、千晶ちゃんと勇くんが無連絡で先に病院へ向かってしまったの、ひどいじゃん何でだよと思ってたけど、あれはおそらく、「ヒジリが主人公と出会うため」の運命操作によるものだったのだと思っています) つまりこのヒジリは、罪業から、使命から、解放されている可能性が……ある。 最後のルシファーのモノローグからすると、主人公くんはこの世界でも、「人修羅」の力を多分まだ、もっている。つまり、ルシファーに目をつけられた事実は変わらず、秩序と混沌の戦争にも少なからず関わりのある存在ということ。 それならヒジリが、このまま一生、主人公といっさい関わることなく生きて、その人生を終えるとしたら……そのとき本当に、使命から外れて、「自由」で「可能性」をもった存在になれたといえるのかな? 深界でお姉さんが言っていた、普通の魂とおなじように、新たに生まれ変わることができるのかな……。 ヒジリの幸せのために人修羅くんの存在が不要、というか無い方がいいのだとしたら、それはとても、とても、寂しいことだけど……でも、人修羅くんの創世によってヒジリが自由になれたのだとしたら……それも、いいのかもしれない。そう、思いました。 人修羅くんも、そう思うのかもしれませんね。本屋で「妖」を見つけてヒジリのことを思うけど、それを手に取りすらもせず、そのまま立ち去る、みたいな。勇くんの誘いを蹴ってこのエンドにきた主人公くんは、ヒジリのことを、友人のようにも思っていたのだろうから。
ボルテクス界で、人修羅くんはいろんな人間の、いろんな面を見て、いろんなことを言われて……たくさん思うことがきっとあったと思う。だけどそういう色々を経験したはずの主人公くんが、さいごに、公園で千晶ちゃんと勇くんのもとへ駆け寄っていく姿を見て…… ああ、結局のところ彼にとっては二人は大事な友達で、主人公くんにとっては���っと、こうして元の関係に戻れたことが、よかったんだ……。 そう思ったら、せつないような、あたたかいような気持ちになって、きゅんとしてしまいました。
この世界はカグツチの言うとおり、苦しみに溢れていて、滅びのきっかけをいくつも孕んでいると思う。 それでも、いろんな人がいて、いろんな自由やいろんな可能性があるからこそ、苦しみと同じだけの幸せもまた存在する。そんな気がします。 この世界で生きる主人公くんたちのひとりひとりの未来に、どうか、少しでも多くの幸せがありますように。それが、現実で生きる画面の前の我々にとっても、きっと救いとなると思うから。 おしまい。
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20kitan · 1 year ago
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バタースカッチ・コキュートスのホテルへようこそ! ケンタウロスのヒュー
テンプレ元はこちら
◆ヒュー身上調査書
姓名:Hugh Godah Chyllon(ヒュー・ゴダ・キロン) 愛称:ヒュー、ヒューゴ 年齢:531歳 性別:男 種族:ケンタウロス 寿命:老衰なら2千年くらい 誕生日:1492年8月25日 星座:おとめ座 体長:318cm ※前足の蹄からツノの先まで 体重:1084kg 髪色:燻った溶岩の臙脂色 瞳の色:赤色 肌の色:赤銅色 声の質:ゆったり堂々とした声 戦いの際は隣の山に響くほど大きな声が出る 魔術、特殊能力:体内で常に溶岩のように熱を溜めておき、炎として口から吐ける 身体的特徴:尻尾や髪は燃えているように常にメラメラと揺れている 触ってすぐ火傷するほどではないがそれなりに熱い 恋愛、結婚観など:遊びの恋愛などはなく、一人の番を死ぬまで一生愛するつもりでいる 出身:奇峭な岩窟 職業:戦士/石工職人 癖:眉間に皺を寄せる、考えごと 酒癖:ビールとラム酒が好き たくさん飲んでたくさん食べたい 強いが酔っ払うとだんだんアルコール度数に比例して物理的にヒートアップしてくる 人間に対して:わりと友好的で遠く離れた地域で暮らしているせいで人間の生態について疎い 人間はちょっと食べてみたい ホテル役割:ゲスト
*交流向け 恋人/許嫁:ロージー・ドライカンパ 一人称:俺 二人称:お前、あんた 呼び方:名前呼び捨て
*概要
 体表に熱と炎を帯びる誇り高きケンタウロスの戦士。が、最近は戦いが少なく石工職人をしていることが多い。性格は大真面目で大雑把、しかし意志とこだわりが強い武骨者。戦争と風呂が大好き。  普段は巌窟に住む人馬の一族。山を一つ越えた場所に住むタピラ族という巨人族とたびたび戦争し、大暴れしている。いつも忙しく働いているため、ホテルに来るのは今年が初めて。
*性格
 大真面目で意志が強い武骨者。情熱的で欲深い。数少ない欲しいものは必ず手に入れる主義。自分の意思は常に正確にはっきりと伝える。仕事や戦争に関しては完璧を目指すが、それ以外のことにはかなり大雑把。強い信念を持って理想の地点までひたすら静かに全力を尽くす内側は熱い男。忙しくするのが好きで、暇になると何かと仕事を見つけては働いている。  戦士として育てられたため修行修行戦争の日々を好み、戦争がない時期は若干テンションが低い。テンションが上がりすぎると血湧き肉躍り火山を噴火させる大暴れになるので、ちょどいいといえばちょうどいい。  なんだかんだ根は楽天的で自信家だが、独占欲ゆえに財産を浪費せずいろいろ溜め込み傾向にある。
*モンスター生態  炎や熱を操るケンタウロス。体内で常に溶岩のように熱を溜めておき、炎として口から吐くことができる。出力する熱のコントロールは上手いが、体表の熱コントロールは苦手。人間社会に混じることがほぼないため、人型になるのもかなり不得手。魔力を大爆発させるほうが得意で、調子のいい時は火山に活を入れて噴火させることもできるが、��もとの人里から自分の一族の領地まで巻き込む大惨事となるため「戦争に勝つための捨て身攻撃」に近い。  ケンタウロスであるため当然足はとても速く、重い荷物を持っていてもどこまでも駆けることができる。まったくの疲れ知らずで燃費がよい。冷たいものは苦手ではなくほどよく落ち着く程度。悪魔の血も少し混じっているが、薄まっているため聖なるものが苦手なほどではない。
*家族、一族について  人の寄り付かない切り立った岩山を主な棲家とする人馬の一族。大きなケンタウロスの群れで、キロン族をはじめいくつかの枝分かれした血族がいまだ一つの共同体として暮らしている。過酷な環境でも育つ生命力の強さと生まれつき魔力を炎や氷など何らかの属性に変えて操ることができるのが特徴。  溶岩地帯から寒冷な山、草原など領地はとても広い。昔から山を一つ超えた場所に住む巨人のタピラ族と肥沃な地を巡って争い続け、現在は戦争のせいですっかり不毛の大地と化している。  そのような歴史のせいか古来より外部からの侵略者に排他的な種族であったが、ここ2~300年の間にかなり緩和されつつある。しかし独自の言語や文化体系は継承され続け、少しずつ外のモンスターと文化交流が進んできている。キロン族の作る頑強で非常に壊れにくい石や金属の武具、家具、精緻な金属装飾などは外でも評判がよく職人技の逸品揃い。  基本はケンタウロスの見た目の者が多いが純血主義ではなく、若い者ほど混血が進んでいる。キロン族には悪魔の血も少し入っている。みんな風呂好き。
*能力  優れた戦闘能力、馬力、無限といえるほどの体力を持ち、自身の炎を操っての攻撃に長けている。得意な武器は手斧と金棒など近接武器。また手先が非常に器用なことと設備などが揃わなくても自身の熱や炎によって石や金属を加工し、非常に頑強で精巧な武器を作ることができる。最近は戦争がご無沙汰のため、その技術は家具や家屋などの石工職人として使われている。意外とビジネスが上手くニッチな需要をうまく突いて財産を増やしている模様。  一度歩いた道を忘れることがなく、方向感覚に優れている。
*キュリオンゴッツ製品について
 ヒューと兄ルーカスが中心になっている製品事業。名前の由来はそのまま「キュリオン(キロン族の)」と「GOTS (Goblin Optimal Technic Standard/ゴブリンによる最善技術者基準)」をつなげたもの。数百年前にキロン族の製品が世に出回るようになった頃、その技術力の高さからゴプリンの認定を受けブランド名として付けることを許可された。一度損しても継ぎ目をぴったり繋げることができ、本格的な修理をするまでのかなりのあいだ十分使うことが可能。そこから状態が悪化することもない。  家具部門では素材の頑丈さ、壊れにくさに特化することによって合う家具や道具を見つけづらい種族の労働者たちに、美しく実用的でもあるジュエリーは金銭的余裕のある女性たちを中心に需要を高めている。高級すぎず、たいへん丈夫なため長い目で見ればとてもコスパがいいと評判。別々の作品もあれば、主に設計や素地を弟のヒューが、デザインの仕上げは兄のルーカスが担当することも。
-(ドラゴン族の労働者)キュリオンゴッツ製の家具なんかが売り出されるようになったのはここ数百年の話だ。なんせ何買っても丈夫でよ、特に弟のほうが作る家具は脆い素材なんか一��も使われてねえ。俺らみたいにうっかり家財を炎で燃やしちまうような連中にはありがたい話だ。何より高すぎないってのがいい。奴さん稼ぐ苦労ってもんがよくわかってるのさ。もっとも本当は武具がメインなんだろうがな。
-(豪商の貴婦人)はじめはケンタウロスが作るアクセサリーなんて……思っていたのだけれど、キュリオンゴッツのジュエリーは宝石の削り出しから駆金まで実に見事な職人技!さすが「ゴブリン認定」を受けているだけありますわ。特に兄が作るジュエリーは見栄えしてパーティーにぴったり。激しく踊っても壊れる心配もなし。決して彼のブロマイドが目当てで買っているわけじゃありませんからね。
*好きなもの 食べ物:石焼きマグマシチュー、ステーキ、岩みたいに硬いパン 飲み物:ビールとラム酒 気候:乾燥していて熱い場所 色:冴えた氷の青や、愛らしいオレンジがかったピンク色 香り:風と草花の匂い 書籍:モンスター経済新聞 動物:四つ足の動物 ファッション:苦手 動きやすいもの 場所:工房、だだっ広い草原 愛用:祖先の金の装飾品、丈夫な蹄鉄 趣味:仕事
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takahashicleaning · 1 year ago
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TEDにて
ハナ・ブルクシュトゥマ:印刷できる柔軟な有機太陽電池?
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
見慣れた太陽電池とは違い、有機太陽電池は、インクに溶かせる化合物でできていて、単純な手法で好きな形に印刷できます。
それによって得られるのは、軽量で柔軟で半透明な、太陽エネルギーを電気に変えるフィルムです。
それが、どうやって作られ、世界の電力事情をどう変え得るかを、ハナ・ブルクシュトゥマが解説します。
私が左右で違う靴を履いているのに気付かれたかもしれません。
見た目がおかしいし、履き心地がすごく変ですが、これで示したいことがあったんです。
左の靴は、持続可能なフットプリントを示していて天然資源を地球が再生できる範囲内で利用し、二酸化炭素を森や海が吸収できる範囲内で排出します。
安定した健全な状態です。今日の状況は、むしろもう一方の靴のようです。大きすぎます。2017年には、地球が再生できる1年分の資源を8月2日の時点ですでに使い切っていました。
これはいわば、ひと月分のお金を18日までに使い切ってしまいその月の残りは、借金で暮らすようなものです。
そのようにして何ヶ月か過ごすことはできるでしょうが、暮らし向きを改めなければそのうち大きな問題を抱えることになります。
この過剰利用の破壊的影響については、みんな知っての通りです。
地球温暖化、海面の上昇、氷河や極地の氷の融解、ますます極端になっていく気候、この問題の大きさには苛立ちを禁じ得ません。
これが余計に苛立たしいのは、解決法があるというのに、みんなやり方を変えようとしないことです。
今日は、新しいソーラー技術が持続可能な建物の未来にいかに貢献できるかという話をします。
エネルギー需要の4割は、建物で消費されているためこの消費に取り組むことで地球温暖化ガス排出を大幅に減らせます。
持続可能性の原則に沿って設計された建物は、必要な電力を自分で作り出します。
これを実現するには、たとえば断熱性の高い壁や窓を使うなどして、まずエネルギー消費を極力抑える必要があります。
そのような技術は、既に商品化されています。でも、普及に時間は膨大にかかるのも事実です。
それから温水や暖房のためのエネルギーが必要です。これは太陽熱利用システムやヒートポンプで地面や大気から再生可能な形で得ることができます。
この技術も既に利用可能になっています。でも、普及に時間は膨大にかかるのも事実です。
あと必要なのは電気です。
再生可能な発電方法は原理的にいくつかありますが、屋根に風車のある建物や水力発電設備のある庭というのをどれほどご存じでしょうか。
たぶんあまりないでしょう。理に適わないからです。でも太陽は、屋根や壁面に豊富なエネルギーを送ってくれています。
このエネルギーを建物の表面で集めることの可能性はとても大きなものです。ヨーロッパを例に見てみましょう。
太陽に対して適切な向きであまり陰にならない面をすべて使うなら太陽電池から得られる電力で総エネルギー需要の3割を賄えます。
でも、現在の太陽電池には、問題があります。
費用効率は良いのですが、デザイン的にはあまり柔軟性がなく美観という点で問題になります。
太陽電池のある建物というとこのようなものをイメージするでしょう。
レイカーツワイルの言うように、さらに発電効率も何回かイノベーションが必要です。
太陽光発電所には、良いでしょうが建物や通りや建築物となると美観が問題になります。太陽電池のある建物をあまり目にしない理由が、ここにあります。
単にそぐわないのです。
私たちのチームでは、まったく異なる太陽電池技術に取り組んでいます。
有機太陽電池です。「有機」というのは、光の吸収や電荷輸送に金属ではなく炭素を主体とした素材を使っているということです。
私たちが使うのは、真珠の首飾りみたいに異なる繰り返し単位が連なった高分子化合物とフラーレンというサッカーボールみたいな形の小さな分子の混合物です。
この2つを混ぜて溶かしインク状にします。すると柔軟な素材のロールに連続的に塗装するスロットダイのような印刷技術を使って印刷できるようになります。
印刷された薄い層は、太陽エネルギーを吸収する活性層になります。
この活性層はとても効率的です。ほんの0.2μmの薄さで太陽エネルギーを吸収できます。髪の毛の太さの100分の1という薄さです。
別のたとえをするなら、この高分子1キロでインクを作ったならその量でサッカー場の広さの太陽電池を印刷できます。
有機太陽電池は、極めて少ない原料で製造できこれは持続可能性という点で重要なことだと思います。
印刷するとこのような太陽電池モジュールができます。これはプラスチックフィルムのように見え性質も似ています。軽量で曲げることができ半透明です。
それでも屋外の太陽光や室内の光を集めることができ、ご覧のとおり小さなLEDを灯せます。これはプラスチックの形で使え軽量で曲げられる点を生かせます。
軽量という点は暖かい地域の建物では重要です。屋根が重い物を余分に載せられるようには、デザインされていないからです。
たとえば冬期の積雪は、想定していません。重いシリコン製の太陽電池は使えませんが、この軽量なソーラーフィルムならぴったりです。
曲げられるという点は、膜状の建築構造と太陽電池を組み合わせる場合に重要になります。
シドニーのオペラハウスの「帆」が、発電所になるところを想像してみてください。この太陽電池フィルムはまたガラスのような通常の建築資材と組み合わせることもできます。
どのみち外壁のガラスは、多くの場合、安全合わせガラスとして膜を挟んだ構造になっているので製造プロセスでもう一層、膜を追加するのは大変ではなく、それによって太陽電池を含んでいて発電のできる建築材料ができます。
見た目が良いという以外にも、この統合型の太陽電池には大きな利点が2つあります。
はじめにお見せした屋根の上の太陽電池を覚えていますか?
この場合、最初に屋根を葺きそれから2番目の層として太陽電池を設置します。これは設置のコストを高くすることになります。統合された太陽電池の場合、建築現場で設置する物は1つで済みます。
建物の外側と太陽電池を同時に取り付けられるのです。設置コストを節約できるだけでなく資源の節約にもなります2つの機能が1つの要素に統合されているからです。
前に光利用の話をしました、私はこの太陽電池パネルが気に入っていますが、皆さんの好みやデザイン上の必要は違っているかもしれません。でも大丈夫、この太陽電池は印刷過程で形やデザインを容易に変えることができます。
これは建築家や建物の所有者に柔軟に対応でき好きな形でこの発電技術を取り入れてもらえます。
これが研究所の中だけのものでないことを強調しておきたいと思います。広く普及するまでには、まだ何年かかかるでしょうが、もう商品化の間際に来ており、すでに製造ラインを持つ企業が何社かあります。
企業では製造能力を拡大しており、私たちもインクを量産できるようにしています。
フットプリントは、小さい方が快適です。
適切な大きさ適切な規模です。私たちはエネルギー消費を適切な規模に戻す必要があります。建物をカーボン・ニュートラルにするというのも重要です。
ヨーロッパでは、2050年までに既存の建築の脱炭素化をするという目標を掲げています。そのために有機太陽電池が大きな役割を果たすと期待しています。
実例をいくつかご覧にいれましょう、有機太陽電池を大々的に印刷した初の商用事例です。「商用」と言ったのは、太陽電池が産業設備に印刷されたということです。
これは「ソーラーツリー」という名で2015年ミラノ万博のドイツ館です。日中には日よけとなり、また夜の照明のための電気を作っています。
太陽電池の形に六角形が選ばれた理由が分かりますか?
簡単です。建築家は、床に影で模様を作りたいと思いそう依頼し、その通りに印刷されたのです。実際の製品とはだいぶ違いますが、この自由な形の作例は私たちの予想以上に訪れた建築家達の想像力を刺激したようです。
こちらの事例は、私たちがターゲットとしているものにより近い形のものです。ブラジルのサンパウロにあるオフィスビルで半透明な有機太陽電池パネルがガラス外壁に統合されていていくつもの役割を果たしています。
1つには、中の会議室に日陰を提供すること。
もう1つは、革新的な方法で会社のロゴを表示することです。そしてもちろん発電によって建物のエネルギー消費を抑えています。
これは建物が、エネルギーの消費者でなく生産者になる未来を指し示しています。太陽電池が建物の外面に調和して取り込まれて資源効率と見た目の良さを両立している様を見たいと思います。
屋根用にはシリコン製の太陽電池が適する場合もあるでしょう。でも、すべての外壁やその他の部分も生かそうと思うなら半透明な部分や曲面や日よけなどには、建築家が望むどのような形にもできる有機太陽電池が大いに役に立つことでしょう。
ありがとうございました。
マイケルサンデルは、メリトクラシー(能力主義)の陳腐さを警告し、諌���(いさめ)ています!
マイケルサンデルは、メリトクラシー(能力主義)の陳腐さを警告し、諌め(いさめ)ています!
マイケルサンデルは、メリトクラシー(能力主義)の陳腐さを警告し、諌め(いさめ)ています!
SDGsや気候変動対策は、再生可能エネルギーのことではありません。パンデミック対策の一環です!それ以外の活動は派生物。権力濫用の口実に注意!
注意事項として、基礎技術にリープフロッグは存在しません。応用分野のみです!
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
(個人的なアイデア)
電気を作る熱力学のサイクルで熱効率は、ほぼ50%、45%~50%の効率まで高めることは可能ですが・・・
高温の物体から熱を受け取り、電気という「使えるエネルギー」に変換できる機械を一般的に「熱エンジン」と呼んでいる。
高温の物体から受け取った熱エネルギーのうち、どれだけ活用できたかという比率を「効率」と物理学では定義している。
この効率は、原理的に超えられない「カルノー効率」という上限があることが知られている。
カルノー効率が達成されると、効率は上がるが、同時に仕事率がゼロになる現象。
つまり、熱エンジンの効率を最大限に上げると出力がほぼゼロになることを意味しています。そして、効率100%は物理的に不可能ということです。
中世で試行錯誤が行われたことに終止符が示され、機械での永久機関は作れないことが、この現象から理解できます。エネルギー保存の法則からも理解できます。
他には、燃料の持つエネルギーをどれだけ動力として取り出すことができるか?これをエンジンの熱効率と定義しています。
2020年の段階で、ガソリンエンジンの熱効率は最高で40%前後あり、10年くらい前までは30%程度。低燃費の技術競争もあるけどカルノー効率から限界も見え始めています。
だから、ガソリン自動車から電気自動車へ世界中の法人が開発を加速して切り替えている潮流があります。
その他には
日本の法人99%は、自転車操業これが普通。世界でも経済的に普通。
再分配、事前分配をする政府は、一部の大企業や裕福層から増税が原則です。
民主党以前の連休が少ない日の多いのはパンデミック分散対策の一環かもしれない?女性活躍ウィズ実力!能無しがトップにつくと女性でも、権力濫用。混乱必死です。
そして
プラネタリー・バウンダリー提唱者のヨハン・ロックストロームもSDGsに採用されてる。
SDGsは、一神教での法人倫理を統合し数値化している可能性もあります。
多神教ではブッダの八正道です。
SDGsや気候変動対策は、再生可能エネルギーのことではありません。パンデミック対策の一環です!それ以外の活動は派生物。具体的にSDGsの数値を示さない権力濫用の口実に注意!
これらの源流は、Spaceship Earth(宇宙船地球号)のバックミンスターフラー。
バックミンスターフラーは、思想家というか製品デザイナー?
ガイア理論の方が馴染みがあって、こっちの方が腑に落ちるが、それがスティーブジョブズに継承し、今のAppleParkに繋がる影響を与えた。
AppleParkは、バックミンスターフラーの弟子が建築しています。
経済学者で、ケンブリッジ大学名誉教授のパーサ•ダスグプタが、イギリス政府に提出した報告書の中に登場。
経済学を学ぶと、登場する資本や労働などの生産要素の投入量と算出量の関係を示す生産関数があります。
こうした関数は、様々な前提条件に基づきますが、経済学者は、収穫逓減の法則と言うものをよく知っています。
このような人工的な生産関数とは、他に天然由来の生産関数。
つまり、自然から収穫できる生産関数を導き出し、地球全体の生産関数というエコシステムを数値化することでバランスをコントロールできるかもしれないというアイデア。
ここでは、自然資本と呼びます。
自然資本を加味すれば現在の経済成長ペースがどこまで持続可能かを分析することもできます。
人間は、国内総生産GDPを生み出すため、自然から資源を取り出して使い、不要になったものを廃棄物として自然に戻す。
もし、自然が自律回復できなくなるほど、資源が使われて、廃棄されれば、自然資本の蓄積は減少し、それに伴い貴重な生態系サービスの流れも減っていくことになります。
さらに、教授は、経済学者も経済成長には限界があることを認識すべきだと説いています。地球の限りある恵みを効率的に活用しても、それには上限があります。
したがって、持続可能な最高レベルの国内総生産GDPと言う臨界点の水準も存在するということが視野に入るようにもなります。これは、まだ現時点では誰にもわかりませんので解明が必要です。
なお、地球1個分は、ずいぶん昔に超えています。
<おすすめサイト>
デイビッド・マッケイ: 再生可能エネルギーの現実
ダニー・ヒリス: 太陽光を使った地球工学は進めるべきか?
レイ・カーツワイル:今後現れるシンギュラリティ(技術的特異点)を学ぶ大学
Solar Roadways(道路としても敷き詰めて活用できる太陽光発電パネル)
「考えるクルマ」が世界を変える―アーバン・モビリティの革命
Powerwall 2 & Solar Roof Launch - Teala Motors
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
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kuroiookami · 2 years ago
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コード100
ソーラーコード100「大きなダイアモンドの原石が、カッティングの第一工程に送られる」
コードの現象化形態:ネガティヴな状況。自己の強���願望をどうあっても実現しようとする状況。思わぬ形で挫折する危険。一つのことでの挫折や断念と、別の方向での再スタート。出戻り。元いた場所に戻る。振り出しに戻る。仕事面でのネガティヴ。(格式が非常に良ければ)成功や躍進のチャンスが開かれる。(ときに)名声。名声の確立。水、飲料水に不運。白いものに不運。白(か透明)の固いものが粉砕される。中〜大規模の地震や台風や豪雨洪水や土砂崩れなどの災害により建造物や施設やインフラが破壊される。「ダイヤモンドは傷つかない」を心の旨とすること。(ときに)ダイヤや宝石(または貴金属)に関する大きなニュース。(ときに)ダイヤや宝石(または貴金属)に関する不運凶事(たとえば、紛失や破損や盗難や強盗、その他のMNC)。宝飾店。製造業。ソーラーコード100の「ダイアモンド」は「氷」「氷着」「氷結」「凍結」「それらによる被害」の〈絵解き〉。
ルナーコード100「エジプトのミイラのように白い布(包帯)を体に巻いた女性が、静かに横たわっている(死んでいる)」
コードの現象化形態:私生活面での挫折や失敗。悲しみや苦しみを感じる状況。真摯な自己変革を続けることで負のカルマの浄化を果たし、やがては幸福な人生を築くことができる。強烈なサイキックアタック(魔界の攻撃)に警戒する必要。(ときに)悲劇。白いものに関するアンラッキー。(まれに)雪による災難に見舞われる。水害。雪害。生活面でのネガティヴ。水、飲料水に不運。白いものに不運。挫折・失敗・敗北。重病。重症。死。コード100は全720コード中でも最大の「大雪」「雪被害」コード。つまり、「白い布」=「雪」の〈絵解き〉ルナーコード100の「静かに横たわっている」の方は、「雪着」「転倒」「負傷」「死亡」「(人・車・交通機関などが)雪で身動きが取れない状態」「(人・車・建物・施設・動物・家畜などの)雪による埋没、圧壊、崩壊、倒壊、圧死、凍死、窒息死」などの〈絵解き〉。
【コード100】 ■対向コード:280 ■統合コード:260 ■直角コード:190
コード100も、コード86と同じく「厳しい寒さ、寒波、大雪、豪雪、雪害、雪による足止めや立ち往生、雪による転倒や凍結によるスリップ事故」などを表す代表的な冬の〈季節コード〉で、人生が非常に厳しいものになることがはっきりと暗示されています。このコードがそうした気象的な絵解きとして出ずに人生運として出る場合は、「がんなどの大病による死」か「交通事故死」か「殺人事件の被害者」として専ら現象化します。
ルナーコード100「白い布を体に巻いた女性が静かに横たわっている(エジプトのミイラ)」 「体調不良、けが、病気、病床に伏す、闘病、入院、(最悪の場合)死、不運、悲劇」をダイレクトにシグニフィケート。
720ある全コードの中でも1、2位を争う代表的な「死のコード」 それがコード100とコード152。コード100「悲劇的な死、事故死、つらい病死」
コード100[蟹座10度]〜コード101[蟹座11度] コード100+コード101クロスオーバー・フュージョンの代表的現象化形態は、「強い願望の挫折、失敗、敗北」
〈蟹座のゾーン〉(コード90〜コード120の範囲) コード90とコード91、コード100とコード101とコード102とコード103、コード113とコード114とコード115、コード117とコード118の現象化は、かなりスケールが大きく顕著な大事件(大ニュース)として強く現象化しそうです。
コード308の同種共鳴同期作動コード100 コード100のソーラーサイド「カッティングプロセスの第一段階に送られるダイヤモンド」、ルナーサイド「全身に包帯を巻いて横たわる女性(ミイラ)」。このエネルギーは、「振り出しに戻る(これまでのことが0になる)」、「死」の現象化を意味するコード。このコード100は、現在最強力影響圏を進行中の共鳴コード、ルナーコード308「オーストラリアの天文学者が、蛇座の方向(インド、パキスタン等)にダイアモンド(鉱山、宝石、貴石、半貴石、金、銀、埋蔵資源)で出来たツインスター(非常に価値あるもの)を発見する」との絡みで、それに接続しているソーラーコード309「夢見がちな少年が繰り返しノートに描いていた『軍旗の中の鷲』が、非常に長い年月を経た後、旗から脱け出し、大人になって夢見ることに疲れ切っていた少年の前に『本物の鷲』として現れる」の影響により、ダイヤモンドの夢を見た時は、このエネルギーが身近で、特に家族に対して最強活性化していることを意味しますので、そうした場合は特に要注意です。 というのも、ソーラーコード309との表裏一体コードであるルナーコード309は「リビングのソファに座り、積み木崩しゲームに熱中する家族」(身内の不幸)というものだからです。
コード100~コード101は宇宙最大の魔王「アベヤハギヤ」すなわち、最強の悪魔コロンゾンとルシファー、その地上への落とし子たるヒルコ(蛭子、エビス、ビリケン、耳の尖った男の子[イコールコード210])が領する最凶最悪の闇(不吉と災厄と死と絶望)のサタンゲート。
この魔法短歌がソーラー&ルナーコード100「ブラッド・ダイヤモンド(血塗られたダイヤモンド、紛争ダイヤモンド)」に効くので、読んでエネライドしてね
“それは「宇宙最大の秘密」だった…”
夜空から スノーダイヤが 落ちて来て 私のポッケに アルマハート6を 秘未歌
“アルデバラン” ああ アルバ・オラムを往く 災と死で美しい迄に青褪めた馬よ わたしの夢はお前に跨って オードブラン(白の頌歌)を歌いながら 青白い夜の容器の底の絶望から見える きみが目にまたたく星を眺める 秘未歌
十字架は 百と五十二 曼陀羅が 百六さらば 何役立とう 秘未歌
・コード100(死傷者、死)
・コード52(豪雨・浸水・冠水・洪水・津波などの水害、大地震による大津波)
・コード106(島・群島・列島などを襲う地震、絶望的事態) ■コード100+コード52+コード106=コード258(堤防や防波堤の決壊、家屋や建造物の破壊、大地震と大津波)
北海道に中規模〜大地震を含む地震を強力に誘発する最主力コードは、コード92−コード93、コード100−コード101−コード102、コード333とそのイコール対向コード153、コード153から続くメダリオンのコード154−コード155とイコール統合コードのコード204−コード205−コード206です。
【ホルスの言葉】 「100の理論を知っている者よりも、10の実践を行っている者が勝り、さらには100の理論家と10の実践家を合わせたより、1の真実を知解体現している者が勝る」 これはコード100とコード110とコード111についての教えである。
100=生きているように見えて、実は頭も心も体も霊も死んでいる者。そうした者を本当の意味で生き返らせることは、人間にはもちろんのこと、神にとってですら難しい。
110=大壮に見えるが、結局は口だけ、がわだけの者。そうした者は一時の栄華成功を得ても、その内実は空しく、また外側の名声も長続きはしない。もちろん、天も地も、そのような者を愛することはない。
111=断固として行動する素晴らしい才気によって、大成功か、大失敗をする者。そしてその行動がただの自己愛や利欲に基づく場合は、その者は最後はナルシスとして淀んだ水溜りに果てるが、しかしその行動が無私無欲のいと高き神のイデア(理想)に捧げられたものである場合は、その者はたとえ地上で敗北しても、魂は天に咲く花となる。もちろん、その者が後者である場合は、地上においても負けるべきではない、それが理想だ。
100+110=210 この神秘の足し算を見ても分かる通り、「無明(むみょう)」の「虚栄」は「悪魔の業(わざ)」しか生まない。神である私は、最後にはそれらの奢れる人間たちを彼らが誇るバベルの塔の上から大地に払い落とすだろう。
210+111=321 見よ、この足し算の結果を。「人の業(わざ)」はいかにそれが上手くいった場合でも、多くの大衆の尊敬と共感を集めたとしても、賢者ソロモンが嘆いた通り、所詮は空しいだけのものなのだ。しかし知るがいい。この足し算の答えに隠された神秘を。
わが神呼見が語ったように、3→2→1とはまさしく「世界光明化活動」(啓明)のことではなかったか? それに気付いて、それを行う者は、よって先にも告げた通り、わが天に咲く花となるだろう。
だから安心して、地上では雑草となってしぶとく生き、できれば強く逞しく成長して大樹となって広く根を張り、そこに多くの鳥を招き、実を結んで与え、動物たちの憩いの木陰となるべし。
【LOR】コードロジーは巷の「数秘学」「占星術」「スピリチュアル」を完全な骸と化し、その墓上に燦然と輝く《星》である。
【ホルスの言葉】 おお!汝ら、弱き者、知恵に薄き者らよ!汝らは、終わり無きかの如き100と50と6の季節を、地獄の中で過ごすがよい。なぜなら、真の強さと賢さは、地獄の中における忍耐と抵抗を通じてしか身に付かないからである。自らを光明化するには、地獄を避けるわけにはいかないのだ。
須佐之男も 和む春かな 天照 川茂桜の 百とたなびき 秘未歌
すさのおも なごむはるかな あまてらす かわもざくらの ももとたなびき ひみか
この22文字からなる短歌は、ホルス神の討魔のスターゲートコード21から降下する偉大な力を詠む人に引き寄せ、それによってコード22の魔の門を封じ、害を及ぼそうとする悪しきものの力を退けて、はね返した悪の力を、それを発した元の相手に増幅して送り返す、守護と攻撃の霊力を兼ね具えています。ソーラーコード21「リングに上がるボクサー」(別名「敵の心臓を急襲するラプター」)
ルナーコード22「嵐の神であるスサノオの暴力から逃れて、岩穴に隠れていた太陽神のアマテラスが、ついに岩穴の外に出る」(「非常に長い時代を洞窟に閉じ込められていた失われた乙女コレーがユニコーンに乗った王子に助けられ、春の園に輝く光の下に出る」)さらに、この短歌には「百」というワードが入っており、それはコード100に対応しますので、「死と病と負傷と災いと停滞(障害)」のコード100を通って入って来る魔の力をブロックし、そのマイナスの力を「成功、ステイタス」(ダイヤモンド)といったプラスのベクトルに変換する霊験もあわせ持ちます。
コード100が来た日は、白い車に気をつける。または、なるべく運転しない。コード314が来た日は、黒い車に気をつける。または、なるべく運転しない。もし運転する場合は最大限慎重に。コードを知っていれば、あらかじめエピグラムに応じた最善の対策を取ることが可能になります。コード100やコード101は「白」がNGカラー
コード100「白の悲劇」
エピグラム:白いものに関するトラブルやアクシデント、白いものを襲う不運凶事、白・シロが名に付く、または名に含まれるものを見舞う不運凶事。
コード100−コード101−コード102−コード103−コード104の「豪雨・洪水・土砂災害」ライン
コード13とコード106とコード100とコード101とコード113とコード147とコード185とコード293とコード296とコード333は日本国の代表的なシグニフィケーター/エピグラム
X(ニビル)の猛将ラブナインのコード276より秘天使覚醒、出撃。 コード186「ALHTzIN」/コード100「ALHDIN」 アラジンは悪の世に変わる光の世の建設者であり、魔界が光の子に課した不運のカルマを減じて幸福へと導き、悪魔眷属に裁きをもたらす。100は天使護符の呪文。
コード43、コード54、コード95、コード100、コード101、コード201、コード314、コード310は、全コードを代表する最凶の「交通事故、衝突事故、追突事故、玉突き事故、突っ込み事故、ひき逃げ、当て逃げ、物損事故、人身事故」コード。
コード100「死」とコード261「復活」とコード308「ホルスの奇跡」は同期作動イコールコード。
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kshino · 5 years ago
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Summer vacation in Local area. Enjoy shaved ice. 練乳コーヒーと練乳イチゴとあんこ&きな粉とカボスレモン #shavedice #japaneseshavedice #koshigaya #天然氷のかき氷 #天然氷のかき氷屋和なごみ #和なごみ #天然氷のかき氷屋 #naturalice #naturalshavedice #familyholiday #familysummervacation (越谷平方) https://www.instagram.com/p/B0vLkSnjrO_/?igshid=tcs87iwtd6ov
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memory-of-hiroshima · 2 years ago
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77回目の8月6日が来ました。 あの日、そしてその後の“ヒロシマ”を知ってもらうことが、核兵器廃絶への道につながることを信じたいのです。 2年前に書いた文章ですが、読んでいただければ嬉しいです。
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胎内被爆者の綴り方
<はじめに>  長い間、私は不特定多数の人に被爆体験を語ることにとまどいを覚えておりました。胎内被曝のため、実際に被爆の被害・惨状を見たわけでもなく、肉親を失ったわけでもなく、私自身もこの年齢まで生きてこれた幸運もあり、大きな嘆きの人々に比べれば語る資格がないと思っていました。  しかし、ここ数年、特に日本政府は広島・長崎の被害の事実をなかったものかのように動き始め、核兵器禁止条約に対しても、日本の代表とは思えぬ動きで、私は不安でたまりません。  今まで、生協の平和行進や集会、そして募金に参加したことがあるくらいで、平和や反核に対する運動をほとんどしていません。平和公園での座り込み運動にも、心をよせてはいても、ただの傍観者でした。私が育った戦後、ついこの間までは多くの活動をする人がいて、私も黙っていてもよかったのです。ただ被爆者の会も高齢化で消滅解散する中で、何かしなければならないのではと思い始めていました。  そんな時、オーラルヒストリーを研究しておられる元TBSアナウンサーの久保田智子さんの講演を聞く機会がありました。私が記憶を語るとしたら客観的事実ではないかもという懸念をもっていたのですが、久保田さんは「その人が感じ考え思ったことをいっしょに述べること、主観的事実でいい」と言われました。「複雑でいい、矛盾していい、個人的なものを社会的なものに関連づけて解釈するのだ」と。これは私を勇気づけました。  また、ピラミッドの一番上に直接被爆者がいて、その下にいろいろな人が階層的に存在し、それぞれに思うこと感じ考えることがある、それも大切だと。「ああ私の位置はヒエラルキーの二番目だ、それでも語っていいのだ」と強く励まされました。  それから1ヵ月後、ニューヨークの2020年NPT(核兵器不拡散条約)会議に広島生協の代表として行くことになった友人が、胎内被爆者の会が証言集を出す予定であることを教えてくれました。思い迷った末に、証言集に応募するしないにかかわらず、記憶がうすれる前に一度整理してみようかなとの思いに至りました。
<8月6日>  1946年1月24日生まれの私は、1945年8月6日原爆の炸裂したあの日、母の胎内にいました。予定より早く生まれたと聞いていますから、妊娠4ヵ月位ではなかったでしょうか。悪阻が激しく空襲警報がなっても「このまま死んでもいいから」と逃げるのが億劫だと言っていた母は、朝の洗たくものを干すため両手をあげた時、原爆の光を浴びたといいます。あっと思った時は、胸と腕に火傷をしたようですが、幸いにも「天ぷら油をぬったらいい」と教えてもらい、ケロイドにならずにすみました。借家だった家の前はごぼう畑が広がり、己斐駅がすぐ目の前に見渡せました。光線をさえぎるものは何もありません。爆心地から2.5kmとS42年(1967年)2月18日取得の被爆者手帳にはしるされています。  その時父は観音町の三菱重工の工場、爆心地から4kmの所で被爆。父がどのルートでどのように己斐まで帰ってきたのか全く知りません。9月に4才になる姉は、家の中の布団で寝ており、布団ごと部屋の端から端まで飛ばされていました。壁が少し崩れたくらいで、家は倒れずにすみ、姉も無事でした。  これらの話を父や母から直接聞いたという記憶はなく、どこでどのように知ったのでしょう。母が黒い雨にうたれ、髪の毛が抜け寝こんだこともどうして知ったのでしょう。それには一つの類推があります。
<近所の人々との思い出>  私が小学校低学年の頃住んでいた家はやはり己斐ですが、被爆した時とは違う近くの家です。家の前にも横にも40cm位の側溝に水が流れ、夏には青い露草の花が咲き蛍もとんでいました。暑い暑い8月6日の前後には、近所の人々が涼を求めて集まり、石垣に座って思い思いに語ります。クーラーも無い時代、手にはうちわがあります。冷蔵庫も氷で冷やす木の冷蔵庫です。家には西瓜が待っており、私たち子供は浴衣を着て、大人のまわりをうろちょろしています。そんな��大人の話が聞こえるともなく聞こえるのです。 「ようけえ逃げてきたのお」「おう、水あげりゃあえかったのう、どうせ死ぬんじゃったらのお」「Tさんの家は壊れたらしいのぉ」「下敷きになって男ん子が死んだんよ」「Nさんの奥さんは今年も日傘さして行きよっちゃったよ」「式典なんじゃろう。姉妹や親はえっとこ亡くなったって」  話が聞こえてくるうちにだんだん恐くなります。帰ってトイレに行くのも、夜寝るのも恐くなります。こんな会話の中で私の母の話も語られ、私が覚えたのだという気がします。  Nさんとは、私を実の娘と同じようにかわいがって、お風呂に入れて身体をごしごし洗ってくれたり、焼きリンゴを作ってごちそうしてくれたおばちゃんです。あの優しいおばちゃんが大きな悲しみを抱えておられたのに深く気づくのはずっと後です。このおばちゃんは小学生の女の子2人を残して腎臓病で、身体をパンパンにむくませて亡くなられました。きっと被爆の影響だったと今なら思いますが、当時小学生だった私は、おばちゃんの変わり様に恐ろしかっただけです。  あの夏の日々は、あらためて語り部と言わなくても、みんな思い思いに自然に語って、私たちに伝承されていたのだなあと改めて思います。
<己斐小学校でのこと>  伝承というと小学校の担任を1年から6年まで受け持ってもらったY先生のことが思われます。8月6日宝町の自宅から己斐小学校へ通勤した日ので��ごと。爆心地近くから相生橋、本川を通ってひたすら己斐へ歩く途中に見た被災の光景。川の中に浮かぶたくさんの人々、横たわる死者たち。その話を聞いた記憶がしっかり残っています。教壇に立って語る先生の息づかい。並ぶ生徒たちの机。写真のようにまぶたに残っています。先生はその日どのように自宅へ帰られたのでしょうか。全く知りません。Y先生はその後私たちが4年か5年生の頃、だから戦後10年くらいでしょうか、肝臓を悪くされ長く入院されたことがありました。きっとこれも原爆と関係があるに違いないと今は思います。  私の小学校は己斐小学校ですが、己斐はたくさんの被災者が流れ込んできて、小学校の校庭ではたくさん人を焼いたと言います。春秋に運動会があったのですが、グランド整理で土をならすと骨が出るというのをよく聞きました。私は直接拾ったことはないのですが恐くてたまりませんでした。それに春は校庭の桜が葉桜になる頃の運動会でしたから、毛虫がぞろぞろはい回ります。私は大の虫嫌い。二重に恐くて――。今と違って素足でかけっこですものね。
<ABCCの記憶>  私が唯一当事者として語れるのはABCC(現・放射線影響研究所)のことかもしれません。小学校低学年の時だったと思います。母と、あるいは近所の友と、そして級友と何回かABCCが近所まで迎えに来て出かけました。学校まで迎えに来たこともあります。黒塗りの大きなハイヤーが来るのですが、私はすぐ酔うので苦手です。行くと、全てがすんだあとクッキーやサンドイッチ、紅茶などをご馳走してくれるのです。異文化への興味や憧れのようなものがありました。けれども何しろアンパンやジャムパン育ちで偏食も多かった私は、なれないものを何とか口にし、帰りの車でまた気分が悪くなるのでした。  さて、ABCCの記憶で長く私が語れなかったことが一つ。検査に行くとズロース(パンツ)の上に白いスモックのようなものを1枚かぶるのですが、それを着てある部屋に一人連れて行かれます。大きな机、私には3m×4mぐらいにも思われましたが、その端に足をぶらんと下ろして、入口のドアに向かって不安そうに座っている自画像が脳裏に残って消えません。そして、立つように促されたのでしょうか。服を脱いでズロース1枚でテーブルに立ったと思うまもなく、大きな180cm位の白人男性がこれまた大きなカメラを抱えて10人近くどたどたと入って、テーブルの回りから、四方八方カメラのフラッシュをたきました。驚きと恥ずかしさと何があったかわからないのとで呆然としていたのでした。一番大きかったのはたぶん恥。何かいけないことのように思ったのでしょう。この話は帰りの母にも友にも誰にも話しませんでした。話せば自分一人の体験ではなかったことがわかったかもしれません。後に語れるようになり、友人夫妻にこの体験を話した時「つらい話をさせてしまった」と言われ、ああそうだったのかと納得したものです。映画のワンシーンのようなこの記憶は今後も決して消えることはないと思います。
<病気に思うこと>  私が生まれたのは、母の母・未亡人だった祖母のいた広島県北部の旧・山縣郡千代田町壬生です。大雪で2階の窓から出入りするような日だったということです。戦後の広島を避けてお産をしたのでしょう。私は乳を飲んでもすぐ吐き、胃の入口の調子が悪くて薬を飲んで治したといいますが、詳しいことはわかりません。その後10カ月位の時には百日咳の激しいのにかかり骨と皮になりました。母は父の実家の香川県高松市鬼無町にひきあげました。そこで祖父から「こんな子を連れて帰って」と非難されたことを相当うらめしく思ったようで、時々同じ話をしてくれました。父の家の事情もあり、結局両親と私たちはまた己斐に戻りました。  そこで成長して22才の大学卒業まで暮らすのですが、父も母も被爆者でしたが、特に母の身体が弱かった気がします。家事だけの人でしたが、一日中かかって掃除・洗たく・食事の支度をし、少し動くと休みながらという具合です。おまけに度の過ぎた清潔好きで、洗たくもハンカチを洗って次は上のもの、下着はその次、そのあとパンツ…といったくらいに丁寧でした。今思えば、それもこれも細菌におびえていた事情もあったかもしれません。私は母の身体の弱いのは偏食のせいと思っていましたが、ひょっとすると被爆の影響があったかもしれません。父は61才、母は57才で亡くなりました。二人とも脳内出血ですが、母は一度肺ガンということで、広島市のM病院で放射線治療を受けたこともあります。  私はよく熱を出し、決して強いとは言えず、身体も細く背も前から一・二・三を争うくらいのチビでした。それでも高校時代は皆勤賞をもらいました(授業中寝てばかりの子でしたが)。  それが結婚して1ヵ月ちょっとだったでしょうか。盲腸になり、夫も手術をしたこともあり夫の家族の中では名医と呼ばれていたN外科で手術をしました。なぜか2、3日眼が覚めず熱も出て、私が被爆者手帳で受診したからでしょうか、先生は慎重になられ結局1ヵ月入院しました。  また、二人目の子のお産の時、妊娠5ヵ月くらいから妊娠中毒症になりとうとう7ヵ月ころ入院。そして子供が9ヵ月に入った時母体がもたないということで早く生みました。お産がすめば蛋白尿がよくなるということでしたが、数値は4本プラスが2本プラスになっただけで入院がその後も続きました。家族を心配して泣き、食事もとれなくなり、そんな私を心配した先生が退院させてくれました。1年位かけて漢方薬をせんじて飲みながら治ることができました。この2回のトラブルで、人がスムーズにできることが上手にできないのは被爆と関係があるのかなあと思ったりしました。これが被爆者共通の心理かもしれません。
<家族の中で>  私が被爆者であるということを夫に初めて言ったのがいつかは覚えていません。当時は手帳取得が結婚にさわるという風評もあり、姉などは「いらない」とすぐにはとらなかったような気がします。私はそんな思いもなく所持していたのですが、夫が戦争の責任とか社会のものの見方などで、私よりはるかに反戦の意識が強かったので何も心配ありませんでした。広島・長崎の式典中継でも私より深く正座してみるような人で、これは幸いでした。  家庭の中で被爆体験を話せたこと。それを淡々と聞いてくれる家族がいたことはうれしいことです。  初孫が5才のころでしょうか。我が家には「原爆の図」「ひろしまのピカ」「ピカドン」(いずれも丸木位里・俊作)や原爆ドームの本など夫が集めた本がたくさんあります。それらを持って帰るほど興味をもち、「原爆ドームに行きたい」と親にねだるほどの孫娘。ホロコースト記念館にも何回か行き、私たち夫婦にもアンネの部屋を丁寧に教えてくれ、「ああこの子は平和の担い手に」と期待をこめて見守っていました。なにしろ8月15日生まれですから。そしてその孫に、佐々木禎子さんについてまとめたダイジェスト版の本を夫は作りました。それを読んだ孫は「禎子さんちは散髪屋さんだったんだね」と。夫はその一言に苦笑していました。2、3年もすると興味を失った孫娘が、いつの日かまた興味と関心を持ってくれれば幸いです。  孫娘が小学校1年生くらいの夏に遊びに来て、寝物語に被爆体験の話をしたところ「おばあちゃん(生きてて)よかったね」と言われ、私ははっとしたのを覚えています。「生きてて申しわけない」という被爆者のことばがよく言われます。私に明確にあるのではありませんが、いくらか私にも長生きへの申しわけなさみたいなものがあります。でも「よかったね」というのはありがたくかみしめたいと今では思っています。
<最後に>  たまたま2020年3月15日付の中国新聞に、「被爆オリンピアン肉声現存・広島市出身36年出場故高田静雄氏」という見出しを見ました。その人は小学校時代の級友の父親です。また、米兵たちの被爆をほりおこし追悼してオバマ大統領にハグされた森重昭さんも級友のお兄さんです。佐々木禎子さんが白血病で亡くなられたころ入院した級友もいます。でも、私たちは戦後60年、還暦を迎えた同窓会でほんの少し被爆のことを話したことがあるくらいで、級友でも詳しいことはほとんど知りません。日々衰えていく記憶と、語りあう機会も減っていく中で、今回書き残してみたのはよかったように思います。記憶とは不思議なもので、自分流にゆがめているかもしれません。この主観的な記録がどのように伝えられていくのか少し楽しみです。長生きすれば「最後の被爆者」となる可能性もある人間の記録ですから。そのためにも両親からもっともっと話を聞いておきたかったです。
<さらに>  この原稿のパソコン入力を娘がひきうけてくれました。彼女は幼い頃、原爆資料館のろう人形母子を見ておびえましたが、私と平和行進に参加したことや、大会で「青い空は青いままで子どもらに伝えたい。燃える八月の朝…」と歌ったことは覚えています。8月6日の式典で峠三吉の詩を子��代表が語ったのに感動して、東京から電話をかけてきたこともあります。彼女には彼女のヒロシマとの歴史が作られているのですね。いろいろな形でヒロシマが伝承され続け、子や孫・その先まで、この愚かなことがくり返されぬように祈ります。私の胸を今でもゆさぶる歌「原爆許すまじ」を心に銘じて。
(2020年4月記/上村洋子)
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kitaorio · 3 years ago
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たまご
 始発までまだ時間がある。  箱の中は外の静けさを無視し四打ちの音に満たされ、いつになく盛り上がっていた。  今日のメインであるDJがCDをリリースし、そのリリースパーティーとしてのイベントなのだが、今いる客の中でそのCDを聞いてきているのはほぼ皆無である。ほとんどは週末の夜になにか踊れるイベントはないかとフライヤーやネットでイベントを集めた中で一番盛り上がりそうなここを選んだ奴らだ。俺もその一人で、特に誰と待ち合わせるまでもなく、週末の夜にスパイスをふるような気分でここに来ていた。  地下にあるそのクラブはフロアが吹き抜けになっており、フロアから見て二階になるバーカウンターからDJブースを見下ろせるようになっている。俺は氷がとけだらしなく伸びてしまった酒を片手にフロアの喧噪をながめ、たまに下で踊ったりしていた。  そんなに広くはないフロアの正面にブロックを白いペンキを塗りたくって作られているDJブースがあり、フロアはここ以外にはほとんど照明がなく、その両サイドに天井まで届くようなスピーカーがある。天井を見上げるとミラーボールがあり、曲の盛り上がりに合わせ放射されるレーザーの明かりが乱反射しフロアに不規則な流星群を描いていた。背丈以上の高さのスピーカーの前で音の波間をただようクラゲのように揺れていると、音圧で服と腹に同じリズムが刻まれる。170bpm以上のテンポで刻まれているビニルの振動は時として早すぎてついていけないぐらい。音は止まる事がなく次から次へと疾走し、体は音圧の津波に流され、いつまでも留まる事のない浮遊感、焦燥感に似たそれでいていらだちのない多幸感に包まれる。時間の概念は融けだし目前で起きている事は終わりのないリズムの濁流こそがすべてで、溶け込んでしまった肉体を低音で揺さぶれる事で感じるだけなのである。思考は肉体と一緒に形をなくし、ウイスキーに落としたインクの一滴になる。盛り上がりの中にある混沌とした調和、フロアに響く新譜とスタンダード、未知の旋律、既知のリズム、シンセベースの連符、サイン波の歪み、潮溜まりに追い込まれるようなタメ、スモークの香り、泡立つリバーブ、湖底に揺らぐ絢爛、浮上の嬌声、踊、跳、音、乱、美、響、光、煙、幸、輝、悦、快、!。  音の中でおぼれている間はなにも考えず、ただただ体が動くままに動いている。ふと、今までの炭酸が何もしないのにパチパチと弾けるような高揚感が静まり、いつもの面々の一人にもまだ遭遇できないでいる漠然とした孤立感に、なんとなくの身の置き所のなさを感じていた。営業終了までしぶとく踊りつつけているつもりだったのだが、何となく腹も減ったので、どうする当てもなく夜明け前の街に出て漂よう事にした。  夜道は街頭で明るく、闇夜という言葉がこの世から消滅してしまうのではないかといらぬ心配をしながら、シャッターの閉じた駅まで歩き、適当な店が見つからず、駅周辺を足の向くままさまよっていた。  この時間に営業している店は、飲むか食べるか、もしくは色気のある店ぐらいだ。  今は腹が減っているだけであり、パーティーで手持ちぶささをごまかすのにいつも以上にタバコに火をつけていたせいか舌に苦い皮膜が張っているような感じがしている。こういう味のわからない時はできるだけ安くジャンクな食べ物で腹をごまかそうと思った。この時間に安くジャンクでというと、ラーメンとドンブリものに落ち着く。ただ何となくの食欲に選択するのも馬鹿馬鹿しい話なので、安い方を選び駅から少し離れた所にあった牛丼屋に入る。  街頭の明かりに慣らされた目には、牛丼屋の中の刺々しいほどに純白の蛍光灯の明かりは、なにやら消毒液を思わせるような体に障る清潔感を感じ、せっかくクラブでまとってきた夜の不健康が流されてしまうような気がした。  牛丼と生卵を頼み、渋皮のように舌にまとわりつくニコチンを水で流していると頼んだものが出される。  俺が食べようとした直前ぐらいからか耳障りな音が聞こえてくる。  入口から見てコの字型のカウンターの出入り口すぐに座ったのだが、奥の方から泥を混ぜてるような、高い所から粥を落としているような、ベチャベチャとした音を立てて食っている爺がいる。何を考えているのか知らないが、そいつは周りを見回しながら、そして見回した先の奴と目が合うとそいつに向かい見せつけるように大口を開けてわざとらしく口を動かしている。しつけのなってない犬だってもう少し静かに食べるのにもかかわらず、どういう環境で生きていたらそのような食べ方ができるのか不思議なぐらいだ。  内心ムカムカしながら箸を付けようとした時、その爺がこっちに口の中のものを見せるように大口を開けながら、その店で一番安い食べ物である牛丼を掻き込んでいた。  まばらに黒いのが混じるぼさぼさ頭、毛玉だらけのセーターに歯はほとんどが抜けていて、目元は野卑という言葉の似合う人にケンカを売るような好戦的で濁った視線。骸骨に皮を張っただけに見える肉のない顔についた口は、必要以上に大きく開かれているせいもあって上の前歯が3本、下の前歯が4本ぐらいだろうか、タバコやけをしているのか茶色い濁った色素が染みつき杭みたいになっているのが目に入った。  火傷跡みたいにヒリヒリとした嫌な感情が立ち上がり、運ばれてきた膳の中にあった生卵を反射的にぶつけてやろうかと思ったが、握った所で辞めた。  そのかわりに俺はほぼ呪詛に近い感覚で、死ねばいいと思いつつにらみつけていた。  卵じゃ煮え立つ感情には弱いので、湯飲みをぶつけてやろうか、それともしょう油瓶をぶつけてやろうかと思いながら、自分も箸を動かしていた。  だいたい、あの年にもなってまともに飯を食えない奴に生きている理由があるのだろうか、少なくとも人の目に触れる所に出してはいけない、どこか洞穴にでも押し込んで、一日に一回握り飯でも放り込んでおくぐらいで充分じゃな��か、といらだちを増幅させ、ガンをつけ続ける自分を正当化し続けた。向こうもこっちをにらんでいる。ここは目がそらした方が負けなのである。  ほとんど獣のケンカみたいな状態で、何か動きがあったら投げつけてやろうと七味唐辛子の瓶を視界に入れながら、爺にガンをつけつつ丼を掻き込んでいた。  俺の丼の中はあと二口ぐらいだろうか、爺の方が目をそらした。腹の中に沸いていたヘドロみたいなむかつきは少しは引いたのだが、残ったのは情けない野良犬のいがみ合いのようなケンカの勝利だけであった。丼の底に小島のように固まっている牛肉のかけらとご飯の固まりを一気に掻き込んだ所で玉子の存在に気付いた。爺にむかついていたばかりに追加した玉子を丼に落とすのを忘れていた。食べて丼を置いたら勢いよく出て行こうかと考えていた所に気がつき、そこ置いていっても良かったのだが、卵を忘れていた自分に気が抜けそのままもって出る事にした。  店員に気付かれないよう、そしてできるだけさりげなく、上着のポケットに玉子を移す。  始発にはまだ時間があり、駅も開く気配がない。駅周辺をただようチリの気分になりながらのろのろと歩いていた。  上着のポケットにつっこんだ右手には卵がにぎられている。  店で出された時よりも手のぬくもりで暖められ、カルシウムのざらつきに包まれた、ずしりとした下ぶくれの珠が手の中にある。  クラブの中でふらふらしていた時とは違い、牛丼屋の中でざらついてしまった気持ちのやりどころのない嗜虐心を、手中の卵にぶつけた。手の内で転がるそれは、紛れもなく卵なのだが、そっと力を込めると指先の肉を受け止め、中身を守ろうとする殻の抵抗に遭う。割れてしまうと上着が台無しになるなと思いつつも、右手はポケットの中に閉じこもり、卵にじんわりと圧を与えては離すという蹂躙を繰り返していた。指先の乱暴は駅前の一区画をさまよい、気を取り直して飲もうと探しているスツールに座して少しの酒をすすれる店がことごとく営業を終わらせているのをみてまわるまで続いた。次の区画にうつる頃には指先の暴行は肉による緩やかな締め付けから爪での直接的な加害に変わっていた。爪も殻も肉の中で作られ、その中を守るためのものだ。爪がざらついた表面をなぞる。手のひらで転がしていた時には工芸品を思わせるようななめらかな表面に感じたのだが、爪の先でつぶさに観察してみると、コンクリートを思わせる引っかかりを見つける事ができる。下ぶくれ部分の緩やかな面を人差し指の先で一通りひっかき、その曲面すべてを爪がなぞると、ポケットの中でごそごそひっくり返し反対側のとがった部分を爪でなぞる。指を頂点目指してはわせている時のグイッというラインの持ち上がり方と、頂から下りる時の直滑降のスピード感が気持ちよく、何度となく人差し指が登り降りを繰り返した。そのうち頂点に加害をはじめた。ガリガリと引っ掻く音がするのではないかと思えるほど、しかし殻が割れないほどに加減をしながら、目では判らなくとも顕微鏡でつぶさに観察したら見えるのではないかと思うるような傷は付いているだろうと、微細な世界へ思いをはせながら爪を押し当て動かし続ける。孵化する可能性のない白色レグホンの卵への継続的な暴力は終わる事はなく、酒とスツールを求め駅周辺をただよう間に、ついには打撃を加えるようになった。親指と薬指とでしっかりと押さえ、人差し指の先でノックするようにたたく。指先に伝わる殻のガードは、割れないでいて服が汚れないで済む事の安心と、なかなか割れない殻に対して冷淡に見つめるような気持ちとが入り交じり、飲み屋を求めてさまよっているだけにもかかわらず、ジャケットのポケットの中で行っている事に対し、熱湯と氷の両方が混じる事がなくよどみ続けるような壊したい衝動とそうしたくない迷いがぐるぐると入り交じっていた。  結局入れる店が見つからず、ポケットの中に入れた卵を指先でつつきつつコンビニで買った酒をあおり、ざらついた感情を溶かしながら始発までの時間を過ごしていた。駅前に戻ると地下鉄の入口の近くで丸まって寝ているサラリーマンらしきスーツの男がいた。地下鉄の入口は始発が出るまではその門戸を閉ざし、雨が降ろうが風が吹こうが始発待ちの客を優しく向かい入れる事はなく、やっと開いたとしてもベンチは冷たく、構内でゆっくりくつろげるような所もあるわけではなく、ただただ地上と電車の途中をつなぐ通路として、モグラやミミズが入ってこれないようにコンクリートで四方を固めているだけである。  始発にはまだ待たなければならない。  俺は卵をどうしたものかと思いながら、冷たい夜風が避けられる所はないかと探していた。風よけになりそうなスキマを見つけては入ってみて居心地を試してみるのだが、どこも完全には風から守ってはくれない。唯一風がなさそうな所はスーツ姿の男がビジネスバッグを抱えるようにして丸まっている。  その男は器用に寝ていて、ビジネスバッグを抱え、体に新聞紙をかけているつもりでいるのだが、寝ぼけながらも新聞紙を深くかぶろうとしたのだろうか、丸まっている体の中心にバッグやら新聞やらが集まり、まるで巣を守る動物のようになっている。  寒空の下で寝ていられるのを感心する一方で、俺の頭の中では妙案が浮かんでいた。  この男を立派な親鳥にさせてやろう。  近くの公衆便所に行きトイレットペーパーをこぶし大ぐらい取り、それを細かく裂いた。そして新聞とバッグを抱えて寝ている男の中心に、鳥がそうするように卵の安住の場所を作ってやるのである。  起きないようにゆっくりと、けれども気付かれるのもつまらないので素早く、男の側に近づいた。ビルとビルのスキマである男の仮宿はちょうど街頭の明かりが直接目に入らないような所であり、俺が近づいた事でかろうじて男の体を照らしていた明かりも全く入り込まなくなってしまった。ほぼ暗闇の中、男が抱えてる新聞とカバンの上にトイレットペーパーの羽を広げるなければならない。  俺は男の前に近づいた体勢のまま、できるだけ物音を立てないよう、そしてすぐに逃げられるように前屈をするような姿で作業していた。試行錯誤する余裕はなく、一発勝負である。手のひらの上でトイレットペーパーの巣を作り、置くのではなく、ギリギリの所まで降ろしてから落とすようにして新聞とカバンの土台の上に巣を作った。少し斜めになってしまったが成功である。いよいよ卵を置き完成させる。できるだけ巣の中心に、卵が心地よいであろうポジションに安置できるよう、細心の注意を払いながら巣の中に卵を置く。トイレットペーパーで作った羽の中、人差し指と親指に運ばれゆっくりと卵は沈み込む。巣にすっかりと沈み込んだのを感じると、だめ押しでぐらつかないように人差し指でそっと押し込んだ。  そのとき、男のいびきが止まる。  俺もそれに合わせ、一瞬の硬直で男にあわせる。秒針が少し進むぐらいでしかないが、男が目を覚ましてしまうとせっかくの妙案が台無しになってしまう。俺は自分を電信柱だと思いこみ、男に気配を感じさせず目を覚ますきっかけを与えないようにした。  再び男が寝息を立て始めると、俺は体の硬直を説き卵に異変がないかを人差し指で触��る事で確認した。  無事に卵が巣の中にたたずんでいるのを確認すると、近づいた時と同じようにゆっくりと素早くそこから遠のいた。  街灯の明かりが戻り、男の体の中心には卵が鎮座している。  巣作りをし終わり、煙草をくわえながら“親鳥”を見ていると地下鉄のシャッターが開いた。地下へと続く階段は白々と色気のない照明で照らされていた。のろのろと階段を降りながらあの男、目を覚ましたらどんな顔をするのだろう。そう思うと今まで俺の気持ちの底に横たわっていた砂地に落ちた氷のような暗い感情が熔けたような気になり笑いがこみ上げ、くしゃみをするような短い咳払いみたいな笑い声がでてしまった。  長く続く地下鉄の階段に俺の笑い声の破片が少しだけ響き、あとは俺の足音だけになった。
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bearbench-3bun4 · 5 months ago
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「虚無への供物」中井英夫 1111
第一章
11第一の死者 01
よいよというか、やっと、第一章の始まりです。
喫茶店でしょうか? “泉”で、亜利夫と久生が会話してる場面です。 ここに出てくるので、実際にあった店なのかもしれません。
その前に、事件の概略が差し込まれています。
1954年12月22日水曜日の夜。 目白の氷沼家での出来事です。
それも、亜利夫は事件というより事故だと主張します。 そう、病死以外考えられないと言うのです。 根拠の一つは、完全な密室だからです。 まあ、完全な密室なんてないでしょうから、これからどう暴かれていくのか楽しみですね。
で、その状況というのが、
紅司が風呂に鍵をかけたままで返事がない。 ガラスを破って入ってみるとタイルの上にうつぶせに死んでいた。 主治医の嶺田博士の診断で持病の心臓が急激に悪化したと考えられる。 風呂場は厳重な密室で何者かが忍び込むことはまったく不可能。 26日には“急性冠動脈障害”による心臓衰弱という診断書で埋葬された。
と、こうです。 久生は納得できないみたいですね。 嶺田博士を訴えると息巻いてますね。
密室殺人(ロックドマーダー)と表現していますが、あまり聞いたことない表現ですね。 造語なんでしょうか?
ここで、藤木田の登場です。 新潟からきた氷沼家のお目付け役みたいな人だと表現されています。 で、その藤木田も含めて、 その場にいたのは、亜利夫、藍ちゃん、橙二郎、爺やの五人です。
主要な登場人物である蒼司は、九段の八田皓吉のところに行ってました。 しかも、本来なら亜利夫と新宿駅で待ち合わせて気晴らしをすることになっていたのに、 すれ違いで、九段の八田皓吉のところに行ったのと言うのです。 どうなんでしょうね。このあたり。
ところで、 蒼司がしかたなく一人で、 アメリカ版ゴジラ映画「原子怪獣現る」を見てました。 この映画、この年の10月頃に封切られていました。 特撮の巨匠、レイ・ハリーハウゼン初の長編作で『キング・コング』と並ぶ古典的SFX映画の名作。 原作はレイ・ブラッドベリの短編小説『霧笛』(The Fog Horn)です。
興味が湧いたので見てみました。
むちゃくちゃ面白かったです。 現在のものさしに当てはめれば、滑稽さも目立ちますが、その当時ならワクワクできたでしょうね。 タコとサメが戦うシーンとかいいです。よくできてます。 ただ、思ったほど大きくないかな。 しかも、やっつける方法が“放射性アイソトープ ”とは。 放射能撒き散らすことにならないんだろうかと不安です。
で、蒼司が藤木田をわざわざ新潟から呼び寄せてます。 やっぱりこのあたり何かありそうです。
この藤木田誠(ふじきだまこと)について書かれます。 この人も重要人物なんですね。
氷沼家との血縁関係はない。 現在は、引退して郷里の新潟在住。 年齢は60過ぎで銀髪、血色のいい日本人離れのした押し出しの巨漢で、 祖父の光太郎と同業でいつも一緒に世界各国を渡りあるいたというだけに、渋いツイードを着こなしている。
事件が起こる直前、 橙二郎は二階の書斎に 爺やは玄関わきの自室に 茶の間の掘りごたつには、 床屋へ行ったばかりで若々しい顔つきの紅司と藍ちゃんそれから亜利夫、藤木田老人がいた。
そこでの話題として、 松沢病院での事件を上げてますが、 藤木田老人は、そんな事件ではなくて不可能犯罪なら謎を解いてみせるといいます。 どうやら壮大な前フリみたいです。
ところで、 松沢病院という病院が今でも東京にありますね。 まさかと思いますが、 話題にあがっているのは、ここでの事件でしょうか?
今度は、 藍ちゃんもそれに加わって、 “密室の中の他殺”ぐらい無意味なものはないという話になります。 密室殺人を真っ向から否定するとは、この小説は何を書きたいのか? もしかすると、これからとんでもない密室殺人を、 これまで見たこともない前代未聞の小説を書くということなんでしょうか?
で、 紅司がこれから書こうとしている『凶鳥の黒影』はどうなのか訪ねます。 それに答えて、紅司は、
PAeμ(θA-θB)=PB
という平衡式を書いてみせます。 藤木田老人もその数式をみながら、 「何かが何かにイコールというわけだな」 と、いってます。 平衡は、 物体が力学的につり合いの状態にあることですから、たいていイコールでつなげてあれば平衡式ですね。 それを数学の先生に書いてもらったと言うことが、果たしてどういうことなのでしょうか?
発見者がちょっとでも死体を動かしたら最後トリックの痕跡はあとかたもなく消滅するという仕掛けだと、 具体的な内容を紅司は言いだそうとします。
と、いいいタイミングで二階から橙二郎の降りてくる気配がします。 というのも、例の階段が低く鳴ってるからです。 二階にいたのは、橙二郎だけですから、これを皆橙二郎だと思いますね。 はっきり、橙二郎だと書いてないところが怪しい。
そこで、紅司は話を切り上げ、麻雀でもということになります。
その後、橙二郎が皆のもとを訪れます。 やはり二階から降りたのは橙二郎だったのでしょうか。
その橙二郎が皆に風呂に入ったか確認しますが、 誰も入ってないみたいです。 そこを紅司は遮るように「もう十時すぎた」といいますね。 このあたりもわざとらしいのですが。 しかも、紅司は普段、決して自分の部屋に人を入れないのですが、 今日は、どういうわけか、藍司、亜利夫、藤木田の三人を自分の部屋に誘います。
おかしいですね。 まあ、いずれわかるのでしょうが。
二階へ行く途中、亜利夫は蒼司に電話してみます。 九段の八田皓吉のところで、冬至の柚子湯をに入るということです。
その電話を聞きつけた紅司が、 「兄貴たまげるだろうな」とつぶやきます。 これは、かなり意味深です。 でも、他人の家の風呂に入ってくるというのは、どうなんでしょうね。 1954年12月22日は、確かに 冬至ですから、その話自体は自然な流れなのかもしれませんけど。
で、八田皓吉のことが少しだけ書かれます。 外国式のやり方だといって、 彼自身がその売り家に住み込んで注文通りの凝った改装をしてから買い手に引き渡すという家屋ブローカーをしています。
その後、 人を自分の部屋にさそっておいて、紅司は風呂にははいります。 三人は、二階の紅司の部屋に、橙二郎は書斎に向かいます。 途中、不意なった電話を橙二郎が取り上げますが、それは、どうやら間違い電話らしいです。 なんか変な感じですね。
それから三十分階下から物音も聞こえてこなかったし、 二階からも誰も降りたものはいないというのです。 しかも、二階の部屋の窓には鉄格子がついているし、 藍ちゃんの部屋の外の踊り場に非常梯子があるが、それを使うとも思えないと、こうです。
で、 紅司部屋の様子が「赤のシンフォニー」とでもいうような、赤色で調和が取れていると書かれます。
床に厚手な深紅の絨毯、 カーテンはほとんど黒にちかい赤色の古風な天鵞絨(びろうど)、 電気スタンドは眠たいような淡い鮭(しゃけ)色、 ディヴァンには深緋(しんぴ)の繻子(しゅす)とです。 これで、本当に調和が取れているのでしょうか。
天鵞絨(びろうど)はベルベットのことですね。 わざわざ書くということは、この当時は、高価だたのでしょうか? ディヴァンにかかっている光沢が強い織物は紫みの暗い赤色ですね。
で、 紅司部屋の蔵書についても書かれます。 36部限定の局紙本の揃いで日夏耿之介の遊牧記(ゆうぼくき)が五冊と黄眠堂(こうみんどう)主人訳になる「院曲撤羅米(さろめ)」の大型本です。
遊牧記については、詳細が見つかりませんでした。 ただ、 日夏の個人誌としての『游牧記』に石川道雄等が参加したとありますから、 自費出版に近いのでしょうか?
一方、院曲撤羅米(さろめ)は、 日夏耿之介の号のひとつである黄眠堂(こうみんどう)主人の訳で、 昭和三年「近代劇��集」中の一篇として発表され、昭和十三年六月蘭台山房より定本として大型豪華版が刊行されました。 ちなみに、 三島由紀夫は『サロメ』の演出、上演にあたり日夏訳『院曲散羅米』を選んだそうです。
ちらりと、挿入されている挿絵を見ましたが、 これは、問題がありですね。
で、最後にちょっとした驚きがあります。 なんと、藤木田老人がバア“アラビク”に行ってて、 久生のことを知ってたのです。
この藤木田という人物もなんとなく油断ならないですね。
つづく。
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kachoushi · 1 year ago
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各地句会報
花鳥誌 令和5年8月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年5月1日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
葉桜に声まで染まるかと思ふ 雪 葉桜の懐深く観世音 同 葉桜を大天蓋に観世音 同 ふと思ふ椿に匂ひ有りとせば 同 葉桜の濃きに始まる暮色かな 泰俊 葉桜の蔭をゆらして風の音 同 老鶯を聞きつつ巡りゐる故山 かづを 四脚門潜ればそこは花浄土 和子 緑陰を句帳手にして一佳人 清女 卯波寄すランプの宿にかもめ飛ぶ 啓子 蝶二つもつれもつれて若葉風 笑 雪解川見え隠れして沈下橋 天
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年5月6日 零の会 坊城俊樹選 特選句
五月闇喫茶「乱歩」は準備中 要 だんだんに行こか戻ろか日傘 和子 錻力屋のゆがむ硝子戸白日傘 昌文 空になる途中の空の鯉幟 和子 ラムネ玉胸にこもれる昭和の音 悠紀子 だんだんは夏へ昭和へ下る坂 慶月 だんだん坂麦藁帽子買ひ迷ふ 瑠璃 白シャツのブリキ光らせ道具売る 小鳥 蟻も入れず築地塀の木戸なれば 順子 夕焼はあのアコーディオンで歌ふのか きみよ 谷中銀座の夕焼を待ちて老ゆ 同
岡田順子選 特選句
築地塀崩れながらに若葉光 光子 日傘まづは畳んで谷中路地 和子 ざわめく葉夏の赤子の泣き声を 瑠璃 築地塀さざ波のごと夏めきて 風頭 カフェーの窓私の日傘動くかな 和子 二階より声かけらるる薄暑かな 光子 下闇に下男無言の飯を食ふ 和子 覚えある街角閑かなる立夏 秋尚 谷中銀座の夕焼を待ちて老ゆ きみよ 誰がために頰を染めしや蛇苺 昌文 青嵐売らるる鸚鵡叫びたり きみよ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年5月6日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
カルデラに世帯一万春ともし たかし 大いなる大地を画布に聖五月 朝子 渚恋ひ騒ぐ厨の浅蜊かな たかし しやぼん玉母の笑顔を包みけり 朝子 乙姫の使者の亀ならきつと鳴く たかし 風に鳴るふらここ風の嗚咽とも 睦子 桜貝拾ひ乙女となりし人 久美子 風船の子の手離れて父の空 朝子 夕牡丹ゆつくりと息ととのふる 美穂 はつなつへ父の書棚を開きけり かおり 鷹鳩と化して能古行き渡航路 修二 風光るクレーンは未来建設中 睦子 人去りて月が客なる花筏 孝子 束ね髪茅花流しの端につづく 愛 悔恨深し鞦韆を漕ぎ出せず 睦子 ひとすぢの道に薔薇の香あることも 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年5月8日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
戦争は遠くて近しチューリップ 信子 霾や廃屋多き街となり 三四郎 長長と系図ひろげて柏餅 昭子 鞦韆を揺らし母待つ子等の夕 三四郎 代掻くや越の富士山崩しつつ みす枝 氷菓子あれが青春かもしれぬ 昭子 モナリザの如く微妙に山笑ふ 信子 風なくば立ちて眠るや鯉幟 三四郎 観音の瓔珞めいて若葉雨 時江 春といふ名をもつ妻の春日傘 三四郎 もつれては蝶の行く先定まらず 英美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年5月9日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
金環の眼や神々し鯉幟 実加 テンガロンハットの老夫麦の秋 登美子 筍を運ぶ人夫の太き腕 あけみ 緩やかに青芝を踏み引退馬 登美子 赤き薔薇今咲き誇り絵画展 紀子 自らの影追ひ歩く初夏の昼 裕子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年5月9日 萩花鳥会
マンションの窓辺で泳ぐ鯉幟 祐子 兜より多産な鯉を子供の日 健雄 山頂に吹き上がるかな春の息 俊文 新緑やバッキンガムの戴冠式 ゆかり 仰向けのベッドに届く風五月 陽子 この日から五類に移行コロナあけ 恒雄 武者人形剣振り回すミニ剣士 美惠子
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令和5年5月10日 立待俳句会 坊城俊樹選 特選句
囀や高鳴く木々の夜明けかな 世詩明 すがりたき女心や花薔薇 同 仏舞面の内側春の闇 ただし 菖蒲湯に老の身沈め合ひにけり 同 うららかや親子三代仏舞 同 花筏寄りつ放れつ沈みけり 輝一 花冷や母手造りのちやんちやんこ 同 機音を聞きつ筍育つなり 洋子 客を呼ぶ鹿みな仏風薫る 同 渓若葉上へ上へと釣師かな 誠 子供の日硬貨握りて駄菓子屋へ 同 白無垢はそよ風薫る境内へ 幸只 春雨は水琴窟に託す朝 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年5月11日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
里山を大きく見せる若葉かな 喜代子 父母座す永代寺も夏に入る 由季子 三国町祭提灯掛かる頃 同 難解やピカソ、ゲルニカ五月闇 都
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年5月12日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
ホーエンヤ口上述べて祭舟 史子 暮の春どちの館の椅子机 すみ子 声潜めメーデーの歌通り過ぎ 益恵 手擦���繰る季寄卯の花腐しかな 美智子 鳥帰る曇天を突き斜張橋 宇太郎 海光も包まん枇杷の袋掛 栄子 葉桜や仏の夫の笑みくれし 悦子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年5月13日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
菖蒲湯の香を纏ひつつ床に就く 多美女 風低く吹きたる社の陰祭 ゆう子 やはらかき色にほぐるる萩若葉 秋尚 すと立てし漢の小指祭笛 三無 深みゆく葉桜の下人憩ふ 和代 朴若葉明るき影を高く積み 秋尚 メモになき穴子丼提げ夫帰る 美枝子 祭笛天を招いて始まれり 幸子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年5月14日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
植物園脇に馴染みの姫女苑 聰 近づきて見失ひたる山法師 秋尚 母の日の記憶を遠く置き去りに 同 崩れかけたる芍薬の雨細き 同 若葉して柔らかくなる樹々の声 三無 葉桜となりし川辺へ風連れて 秋尚 白映えて幼稚園児の更衣 迪子 くれよんを初めて持つた子供の日 聰
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年5月17日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
一人逝き村軽くなる麦の秋 世詩明 水琴窟蔵す町屋の軒菖蒲 千代子 三国沖藍深めつつ卯波来る 笑子 母の日や母の草履の小さくて 同 カーネーション戦火の子らに百万本 同 遠ざかる思ひ出ばかり花は葉に 啓子 麦秋の響き合ふごと揺れてをり 千加江 あの世へもカーネーションを届けたし 同 紫陽花やコンペイトウと言ふ可憐 同 人ひとり見えぬ麦秋熟れにうれ 昭子 永き日の噂に尾鰭背鰭つき 清女 更衣命の先があるものと 希子 春愁や逢ひたくなしと云ふは嘘 雪 風知草風の心を風に聞く 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年5月17日 さきたま花鳥句会
鯉幟あえかな風も見逃さず 月惑 土間で輪に岩魚の骨酒郷の友 八草 背に茜萌黄の茶摘む白き指 裕章 薫風や鐘楼の梵字踊りたる 紀花 潦消えたるあとや夏の蝶 孝江 初夏の日差しじわじわ背中這ふ ふゆ子 水音のして河骨の沼明り ふじ穂 なづな咲く太古の塚の低きこと 康子 竹の子の十二単衣を脱ぎ始め みのり 薔薇園に入ればたちまち香立つ 彩香
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年5月21日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
野阜に薫風そよぐ母の塔 幸風 突つ伏せる蝶昂然と翅を立て 圭魚 夏めきて観音膝をゆるく曲げ 三無 谷戸深き路傍の石の苔の花 久子 捩花の気まま右巻き左巻き 炳子 人の世を鎮めて森を滴れる 幸子 水音は水を濁さず蜻蛉生る 千種 夏蝶のたはむれ城主墓に罅 慶月 薫風やボールを投げてほしき犬 久
栗林圭魚選 特選句
要害の渓やえご散るばかりなり 千種 恙少し残り見上ぐる桐の花 炳子 十薬の八重に迷へる蟻小さき 秋尚 野いばらの花伸ぶ先に年尾句碑 慶月 忍冬の花の香りの岐れ道 炳子 水音は水を濁さず蜻蛉生る 千種 谷戸闇し帽子にとまる夏の蝶 久子 日曜の子は父を呼び草いきれ 久 ぽとぽとと音立てて落つ柿の花 秋尚 黒南風や甲冑光る団子虫 千種
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年5月28日 月例会 坊城俊樹選 特選句
二度廻る梓渕さんかも黒揚羽 秋尚 夏めきぬ膝に一筋擦過傷 炳子 茶席へと鳥獣戯画の帯涼し 要 万緑を黒靴下の鎮魂す 順子 美しき黴を持ちたる石畳 みもざ 霊もまた老ゆるものかな桜の実 光子 薄き汗白き項の思案中 昌文 黒服の女日傘を弄ぶ 緋路
岡田順子選 特選句
夏草や禁裏を抜ける風の色 月惑 白きもの真つ白にして夏来る 緋路 女こぐ音のきしみや貸しボート 眞理子 蛇もまた神慮なる青まとひけり 光子 風見鶏椎の花の香強すぎる 要 霊もまた老ゆるものかな桜の実 光子 白扇を開き茶室を出る女 佑天 緑陰に点るテーブルクロスかな 緋路 黒服の女日傘を弄ぶ 同 二度廻る梓渕さんかも黒揚羽 秋尚
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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