#大子ぶんぬき祭
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あなたを呼ぶと月にいるんだ月面を踏めれば抱きしめられるだろうか
誰もいない松屋の光に照らされるオオモミジの葉と手を繋げそう
たこ焼きにまずたこ買わない 五月雨の高級住宅街駆けていく
あなたのアパートにいると、この街に、人がいない妄想してしまう
寒空の大通り置いていかないであたし一人でインターコース
コンタクトを外すあなたを見ているとなぜか官能的に息した
海が見えるのに感じない本心の子供を棄てて風がつめたい
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上は学園祭で出した短歌連作7首、題名は「Sirius」です。
恋人のこと、恋人は星みたいで、冷たいのにあたたかい。近づくと凍えるくらい眩しくて、痛いのに、もっと近づけば、あったかくて抱きしめてしまうんだ。この人の光に埋もれて散り散りになってしまいたいって思うよ。わたしも、あなたの奇跡になりたいんだよ。
上の連作作る時に思い出とかメモしてて、その時の余りです。以下。
初めてコンクリートに座ったのが君の家の前でよかった
酔って彼氏の家の鍵開けられなくてコンクリに体育座りした、縦に長いアパートの三階。ミント色のタイル。寝落ちみたいに死ぬみたいに記憶が遠のいたけど、君が来てくれるってもう決まってるみたいにわかってたから、安心していた。
恋人、彼氏とずっとぶつかっていたけど、温い関係になった。3ヶ月必要だった。デキ婚みたいな始まりだったから、わかることなんかなくて、わかることなんかないのに全部わかってわかられてるつもりでいた。ふざけるなよと何回も思ったしもういいって何回も思ったし言われた。
この前ほとんど初めて彼氏が煙草吸ってるところを見て、煙草を優しく咥えてるのがキスしてるみたいだった。お風呂場の段差に腰掛けて、RedBullの青い空き缶を灰皿にして、君は軽く目を閉じたみたいにしていた。自分もこんな風にキスされてるのかもしれないって想像した。こわれそうな君がほんとうに、ほんとうに美しい。
常に抱きしめられたらと思う。常に抱きしめていた��し彼の心臓に網みたいにまとわりついていたい。もっと私の汚いところを見てほしい。もっと絶望して、もっと私しか見えなくなってほしい。(2024-11-12 19:15)
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YouTuberの青木歌音(32)は、パリオリンピックで議論を呼んだ女子ボクシング選手と同じ「性分化疾患」に悩んできた1人だ。ABEMAエンタメは、青木に独占インタビューを実施。同じ疾患を持つ青木だから話せる「女子ボクシングの公平性」について、さらに、世間に広まる“性分化疾患への誤解を解きたい”という思い、そして体の変化に心が追いつかなかった苦悩を告白。女子ボクシングをきっかけに注目された「性分化疾患」について、当事者の青木が語った。 性分化疾患とは、体の性に関する部分が多くの人とは生まれながらに違うという疾患。DSDとも呼ばれ、およそ4500人に1人の割合で産まれるという。青木の場合は…男性として生まれるも、成長する過程で体が女性的に変化したという。 ーーオリンピックのニュースを見て、どう思われましたか? 青木:つらって思いましたね��望んでない変化をこっちはしているわけなのに、お前はトランスジェンダーだとか、男だとか言われるわけですよ。あの選手は女性として生まれているのに、女性として育てられたし、何も今までこういうことなかったのに、いきなり世界中の人からお前は男だとか言われるわけですよ。それを自分の身に置き換えて考えたら、私、つらい、無理かもって思っちゃいました。 世界から非難された選手に心から寄り添う青木。一方で、性分化疾患の当事者だからこそ、「公平性」に対しては冷静に見つめている。 青木:(選手の)幼少期の写真見たときは女性だったんです。すごく可愛らしい女の子だったんですけど、今は雰囲気が変わられていて。それは多分第2次性徴期に男性的な成長をされたんじゃないのかな。そこは間違ってないんじゃないかなと思うんで。もし私がその選手の立場だったら、本当に出たいのであれば、周りの選手と同じように女性ホルモンを打って、男性ホルモンの基準値というか量を減らして、そこで初めて対等になるじゃないですか。そこからじゃないのっていうのは、私は正直思いました。性分化疾患にもいろんなパターンがあるので、彼女が公表してない部分もあるから、私は一概にこれだとは言えないんですけども…。 1992年8月、日本人の父とスペイン系フィリピン人の母の間に生まれた青木。小学生の時に、父の影響で野球をはじめ、当時の将来の夢は、「プロ野球選手になること」だったという。そんな青木が体の変化に気づいたのは中学生の時。多くの男性が、第2次性徴を迎え性器の発育や声変わりといった変化が起こるのだが… 青木:まず胸が膨らんでくる。多分中学生くらいの時でBカップくらいはあったと思いますね。なので学校に行くときは当時胸を潰すサラシを知らなかったので、お家にあるガムテープをぐるぐる巻きにして、胸に巻きつけて学校に行っていました。中学生の時の体育祭で騎馬戦だったんですよ。その時にみんなにからかわれて「なんかお前おかしくない?」それでつねられたりして。男の子だったらお風呂上がって真っ裸で部屋の中を歩くじゃないですか。私は絶対にしなくて。お風呂場の中に服も全部下着も。だから親は多分変な子だなと思っていたと思うんですけどみんなでプールの時水着に着替えるじゃないですか。周りの子たちはちゃんと成長していて、「なんで僕だけこんなちっちゃいんだろう?」みたいな。ずっとこうやって自分のを見て思っていました。 同級生とは違う体の変化に戸惑いつつ、野球の強豪に進学した青木。しかし、トレーニングをしても思うように筋肉が鍛えられなかったという。さらに、親���関係にも亀裂が… 青木:高校生の時にスマホを持ち始めるじゃないですか。やっぱり色々調べるわけですよ。女になりたくないのに心がおかしくなってくるとか、普通の男のつもりなのに胸が膨らんでくるとか、いろんなこと調べていたんですよ。(父が)「なんだあの検索履歴は。お前女性ホルモン剤って調べたじゃないか」って。やべってなって。それを私はなぜ調べたかというと、身体が勝手に胸が膨らんでくるとかいうのをいろいろスマホで検索してたので、そしたら性同一性障害とか女性ホルモン剤とかが出てくるわけですよ。それで父親は変にパズルを完成させちゃったんですよね。性同一性障害と女性ホルモン剤=女にお前はなりたいんだみたいな。「お前男らしくなる努力しろ」って言われてわかったから許してって言う感じで…。 「性自認」の戸惑いを家族から理解されなかったという。“プロ野球選手の夢“は諦め、大学に進学するも… 青木:大学1年で徐々にまた女っぽくなってるので、学校行くといきなりお���触られたり、ウェーイって友達からふざけて。普通に男の子の格好をしているのにトイレ入ったら「なんで女がこの中にいるんだよ!」って追い出されたりとか。号泣して出てきたんですよ トイレから。そんなことが頻繁に起きて、もう日常的に男として生きていくのが怖くなって、外も歩けなくなるくらい。大学を辞めちゃったんですよ。家庭内でもやっぱり居心地が悪くなってしまって家出して。 専門学校で女性クラスに振り分けられたことで「性自認」に変化が… 19歳で、大学を中退し、家を飛び出て、中華料理店で住み込みのバイトで生計を立てる。その後、「歌手になりたい」という新たな夢を持った青木は、21歳の時に音楽の専門学校に入学。そこで女性のクラスに振り分けられたことで「性自認」に変化が… 青木:性別というものを街中の人から他者から、誰からも意識されたくないと思って、入学申込みの男性と女性の欄に丸をつけずにお母さんの名前を使って入学したんですよ。そうしたら女性のクラスの方の入学式に呼ばれて、今まであんまり関わりを持たなかった女性たちの輪の中にいきなり入るわけで。そこでそんな悪くないなって感じになったんですよね。それはなぜかというと、もう21歳頃になっていると、中学2年からホルモンバランスがずっと変わってしまったわけなんで、やっぱり脳に影響するので、良くも悪くも思考っていうか、自分の性自認が安定しちゃったんですよね、女性として。逆にその頃はもう女で生きた方が都合いいんじゃないかみたいな。 そこから女性を自認するようになった青木は髪の毛を伸ばし、メイクをするように。そして、病院を受診し自身が“性分化疾患”であることを知った。 青木:あなたは今後、男と女、どっちで生きていきたいですか?という究極の選択を迫られるわけですよ。もし男性としてあなたが生きたいのであれば、男性ホルモンの注射と膨らんだ胸を切除して死ぬまで男性ホルモンの注射をすることになるけど、それで男として生きていけますと。女の方で生きるのであれば、私で言う��完全に女性ホルモンを一般的な女性と同等に 自分で生成することはできないので、足りない分をピルで補うという。私がもし男性として生きても、男性としての生殖能力もないというのも分かっているし、一般的な男性にはなれないわけじゃないですか、どうあがいたって。その頃はもう自分がこの先胸がなくなって声変わりして、男性的な見た目になるっていうのを想像ができなかった。じゃあ女性として行きますっていうのをそこで決めました。ピル飲んでからまた胸が大きくなりましたね。私、今Fカップくらいですね。 その後、およそ100万円をかけ、性転換手術を受けた青木。女性として生きるようになったことで、周囲の対応の変化に戸惑うことも…それは、スーパーマーケットでポイントカードの入会営業をしていた時のこと… 青木:同じ職場を男と女の姿どっちでも経験しているんですよ。男の子の見た目で行っていたから、かわいい系の男の子ですよね。かわいいわね、私入ってあげるわ。ポイントカード。入会してあげるみたいなことがあったんですけど、女の姿になってからもう急いでるからあっち行ってみたいな感じで、ポイントカード獲得できなくなって辞めました。女になってから職場の人たちからの対応が変わって、営業職だったんですけど、君には成績求めてないよって言われたりとか、飲み会で君はこっちの話に参加しなくていいから社長の横にいてお酒ついてあげてみたいな。なんか私ってここであんまり大事にされてないのかなって思っちゃったりとか、女になってなんかすごくそこを感じましたね。居心地がどっちがよかったって言ったら、たぶん男の子の時の方が社会というか、外に出て過ごす上では居心地の悪さは、男の子の方が少なかったかもなぐらいの感覚。ご自宅に招かれて飲み会する時も、お食事にありつけなかったり、常に料理出しさせられたりとか、周りの女の人たちもやっているから自分だけ料理を食べる、がっつくわけにもいかないから、私も台所行って料理出して手伝わなきゃって。 性分化疾患の当事者としてジェンダーについて深く考えているという青木。性分化疾患への理解が広まることを願いSNSで発信をしている。 青木:「トランスジェンダーとは違いますよ」というところはちゃんと発信していきたいというのと、望まない変化をしてしまう場合もあるということをみんなに知っていただきたい。トランスジェンダーというのは、なりたくて望む姿になりましたという方が多いわけですよ。でも性分化疾患の方はなりたくなくて、しかも望まない姿になってしまった人たちなんですよ。だからもう性質が真逆なんですよね。女としてちゃんと生まれて女として生きているのに、トランスジェンダーの人なんですか?と言われたら、やっぱり自分が女として生きてきた過去を否定されている気持ちになりますよね。なので、そこはあんまり誤解というか…そこはちゃんと区別つけた方がいいとは思いますけど、私みたいな人が1番多分あれなんですよね。変わったじゃないですか。一応男の子から女の姿に変わってるので。すごく広域的な定義でいうとトランスジェンダーでもあるんじゃないの?っていう話も出るんで。どう思うかは皆さんに任せますけど、でも私以外の人にあんまり言わないであげたいなって思っちゃいますよね。 女子ボクシングをきっかけに注目された「性分化疾患」。当事者として生きる青木が望む未来は… 青木:やっぱり結婚して普通のおばちゃんになること。やっぱり私は普通になりたかったっていうのがあったんで、普通って今まであんまり体験してなかったので、普通を早く味わいたいですかね。もうわざわざ性分化疾患ですって言わなくてもいいような時代が来ればいいかなって。あんまりそこを意識せずに生きられるようになったら幸せなのかなって思います。 (『ABEMA NEWS』より)
性分化疾患で元野球部が女性に…青木歌音、望まない変化への苦悩を告白「トランスジェンダーとは違います」(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース
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3人の節目の年
社会人1年目の今の時期、その電話は突然やって来ました。 電話元は幼稚園から中学まで同じ学校だった同級生の子。 開口一番に「落ち着いて聞いてね」 ある同級生が亡くなったとの連絡でした。 亡くなった彼は幼稚園からの中学まで同じ学校でしたが、彼の場合、腐れ縁の典型で、生前の彼とは親しくありませんでした。むしろお互いをいがみ合う程の険悪の仲でした。
その後も高校時代の友人の訃報が入りました。彼女の本当の命日は9月頃だけど、彼女の遺体が家族の元に帰ってきたのがこの時期でした。 彼女は元々複雑な家庭環境だったこともあり、私と出会ったときには既に躁鬱を繰り返していました。 そんな生前の彼女が、私には心を開いてくれて卒業後も定期的に連絡は取り合っていました。
そして、また別の同級生の訃報の一報。 彼女は「純真無垢」の言葉を体現した子。 いたずら好きだけど誰にでも無邪気に懐いてくる、同性から見ても本当に可愛くて仕方がありませんでした。
私にとって同級生の初めての冠婚葬祭は彼らの通夜でした。 そして3人に共通していることは病死ではなく、自殺でした。
ここでは詳細は控えますが、亡くなった動機・経緯があまりにも壮絶すぎて、当時の私は最後までその場で聞くことができませんでした。
特に心残りなのは、躁鬱を繰り返していた彼女。 彼女にも、彼女の家族にも、謝っても謝りきれないというのは重々承知の上です。
彼女が亡くなる数日前、彼女は私の携帯電話に着信を残していました。 夜中2時ということで当時は就寝中だったことに加え、普段から夜中は着信音を切っていたため、その時に電話に出ることができませんでした。その日の勤務中の昼休みに私から折り返し電話を入れました。 元気そうな声でしたが、今にして思えば本当は何か言いたかったんだと思います。 「夜中に電話してごめんね。特に用事はなかったんだけど、声が聞きたくなって。」 その時は昼休みの時間が終わることもあり、彼女の言葉に甘えて 「じゃあ、また電話するね」 それが彼女との��後のやりとりになりました。
これまでも彼女から何度も電話は来ました。だけど、電話がくる時間帯は決まって休日の午後で、平日の深夜に電話があったのはこの1回だけでした。 夜中の電話で彼女は一体何を言いたかったんだろう、というよりも、 「あの時、ちゃんと電話に出ていたら…」 「彼女が本当に言いたかったことをしっかり聞いていたら…」 「折り返し電話したときも、何で電話をすぐ切ったんだろう…」 「もっと落ち着いた時間帯に折り返し電話をしてちゃんと話を聞いていたら…」
元々複雑な家庭環境の中で育っていたため、彼女が埋葬されている場所は彼女の父親以外、誰も知りません。 言い知れぬ虚無感や罪悪感、そして複雑な思いだけが私に残され、年月の経過と共に悲しみと後悔だけがますます大きく深くなっています。
一人の通夜が終えて帰路についたとき、一緒にいた一人の同級生が涙をこぼしながら声を荒げて 「自殺を選ぶなんて最低」 やり場のない悲しみから来ている発言だというのが痛いくらいに分かります。 決して自殺を推奨するわけではありませんが、私は彼らを責めることは到底できません。 もし私も3人と同じような極限の状況に立たされたとき、平常な状態でいられる自信はありません。私には想像ができない程の極限の状態にまで追い詰められた中でも、3人は最後まで懸命に生きようとしていたのも事実です。
遺族の厚意で遺体に対面させてもらえたとき、私たちの今の状況を知らぬような穏やかな顔で眠っているのね。 先の見えない苦しみからようやく解放されたのかな、とも思いますが、今年は3人が亡くなったひとつの節目の年。やっぱり今も会いたいです。
May your sweet smile never fade away. Rest in peace☘️🕊
明日もですが、来週はプチ弾丸旅行が控えていますので、早く寝ないとっ♪
さて、ここまで読んでくださった方へ☘️ 金曜日の夜に重い内容の投稿でごめんなさい、そして最後まで読んで頂きありがとうございました。 皆さんも良い週末を過ごしてくださいね🤲
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(昔の日記です、お気に入りの文章教えてくれたらモチベになります……)
日記
その日は朝からジョギングをした。いつも昼過ぎぐらいに起きていたから、朝8時の街のざわめきがあんなにも違和感なく受け入れられていることに驚いた。結局少し走っただけでくたくたになってしまった。川を眺めながら、ゆっくり、ゆっくり歩いて帰る。鈍色の川だった。1週間に1回くらい、いままで生きたすべての生きものの屍が、地を踏む私の足裏のずっと奥底にしずんでいることを思い出して、不思議な気持ちになる。恐竜もそう、目に見えない小さな微生物も灰ほどの大きさになって光景の一部にちゃんと溶けている。そのことに深く安心して、わたしは好きな人たちのことをちゃんと思い浮かべられる。調べたら、紀元前5万年前から今までに誕生した人間を合わせると、1082億人もいるらしい。1082億人もの人間たちが流した血を、蓄えた知恵を、つないでいった命のことを考える。丘丘を越える風や、夜と花との匂いに触れると、結局いつもそんな想いに辿り着く。昼からは医療脱毛の予約が入っていた。ほぼ素っ裸になって赤い水性ペンで体のあちこちに線を引���れて、��ちぱちした熱くて痛い光に耐える。わたしの褐色の身体だっていつかあの、深いところにある脆い、目に見えない、灰になってしまうのになあ。電車に揺られながら、ゴミ溜めに差す光を見つめていた。小説の中の、「眼を傷つけるほど鮮明に」という表現を気に入ったので、メモに残す。細い雲が花嫁の白いヴェールのように空に広がっている。なんだか浮かれていた。アルバイト先で出勤打刻を入力して、都合よくふたりきりになった同期の男の子に思っていることをべらべらしゃべってしまった。なんかもう誰に何を思われるとか誰かと何かをくらべるとかそういう事柄に鈍くなっている。バイト前に控え室に入るといっつもからだをじろじろみてくるあの人、ふと見たら私の足を見つめてて、それ以来マジで無理になっちゃった。なんかたまたま目に入る情報の引きのわるさに自分でもびっくりしちゃうの。街歩いてたらちょうどだれかが小便してたり、ちょうどネズミが裏路地からでてきたり、恋人と上手くいってない時にインスタを覗けばちょうどだれかの記念日だったり、そういうの。でもこのあいだ西加奈子の白いしるしっていう本を読んだんだけど、富士山に関係している話で、それでたまたまわたしも来月山梨に行くの。こういう「ちょっとラッキー」みたいな軽くてふわふわした柔らかな偶然が、積み上げられたいやーな記憶を許してくれる。こんなことを永遠に喋っていて、性格が悪いと思われるかもと不安だったけど、その人の方がわたしよりも5億倍くらい性格が悪かったので、あとはふたりでお偉い人が休憩から戻ってくるまでげらげら笑った。その夜はなんだかお酒でも飲みたかった。それで全て忘れ去るのは惜しいけれど。読まなきゃいけない本よりも読みたい本を読もう。学ばなきゃいけないことよりも、からっぽにみえる毎日のしずけさに意味を見出したい。恋人に別れを告げたのは自分なのに、会ったら触りたくなっちゃった。そういうこともあるよねー
無題
この人でいい、じゃなくて、「この人がいい」という感覚と大事にしていきたいと思う。4連勤目、ありがとうの一言も言えない禿げたひとたちにへらへら愛想を振りまく。やさしさに見返りを求めてはいけないなんてほんとうに馬鹿げている。わたしは自分に見合う対価をいつだって求めてるし、それを与えることこそが相手への敬意を表明する最適な手段だとずっと信じている。なんかもう無理、みんなキモイ。足裏も首も肩も痛い。インターネットばかり眺めていたら、夕陽の映る海も連なる山々も消費するものの1つに思えてきて、相当心が疲れているんだなあと自負する。色欲も皆無で、今ならどんなイケメンであろうと抱かれない自信があるくらい。言葉にできない日々こそ尊いのか、はたまた言葉に値しないものなんて、記憶されるに値しないものものなんてその程度なのか。通り過ぎた過去と進むべき未来の間で、ただ棒立ちしている。ただ、減っていくフォロワーの数値を眺める。わたしがその人の人生からいなくなる瞬間に、前よりもなんかすこしだけほっとする。
無題
ふと、あーこんな文章書くのやめて男子高校生のフリして架空の日記をつらつら綴っていきたいなーなんてことを思った。好きな女の子が教室に入ってくるあの瞬間に世界の色が変わって、空間がぐわんと無音で一新するかんじとか、廊下にひびきわたる古びたオルガンの重低音。蛇口から溢れる生きものみたいな水に顔をうずめて、あつい夏をのりきる。シャトラルランのアナウンスに合わせて、きゅっきゅと靴が床の光沢を擦る。太陽はギラギラ照って、それと同じ純度でみんなの肌が光る。時間にゴールテープがあったら、あと何回わたしはそれを切っていけるのだろう。いまはもっぱら実家暮らしを卒業したいと思っているけれど、いつか女であることを卒業したいと思う日がくるのかもしれないしそういう不確かなことばかりで全部うごている。ガガーリンの「地球は青かった」という台詞は有名だけれど、あれ、ほんとうは「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」と言ったとする説もあるらしい。わたしたちみんな青いヴェールをまとった花嫁のように生きていきたい。不確かで不透明な身体、心、ちいさな葛藤や、変化、醜さを直視する必要なんて全くないんだ。
無題
黒いワンピースを大学に着て行ったら、先輩に黒が似合うと褒められた。わたしが可愛げなく「黒なんて誰でも似合う無難な色じゃないですか」と返すと、黒が似合う人ってほんとうは2割ほどしかいないらしいよと言う。でも先輩、黒いウェディングドレスなんてどこにもないじゃないですか。
とことんついていない日が続いている。空きコマにカラオケに立ち寄ったら、店員の不手際によってひどく待たされた。しかも音質がぼろぼろで、もうなにを歌っても音痴に聞こえてしまって、さいごのほうは泣きながら宇多田ヒカルを歌っていた。やることが多すぎて、依頼書添削の通知が深夜2時にきたりする。ぜんぶやめたい。
大学の学祭実行委員をやっているのだけど、新規統括が決まった。これから新規が入ってくる中で、だれがどういう立ち回りをするか。新規統括の下にチームリーダーも2人いて、みんな多分わたしと同じくらい忙しいのに同じチームの人のタスク管理まで把握しているし、守らないといけない表記基準もちゃんとおぼえている。人の振り見て我が振り���せっていう諺、あったなあ。今は等身大にきこえる。
無題
ぽつぽつとした雨の音が家をまあるく包みこむ。包丁で水気の多い野菜を切る音やテレビの雑音を絡めながら一つの線になってゆく音の波に赤ん坊のように心を揺らされる。ときどき、だれかに肌で肌に触れてほしくなるときもあるけれどなんとか平気。朝起きて、しわしわになった白いベッドシーツになぜだか生きていたことの証を感じとって、朝からふわふわした気持ちだった。成り行きから友人と文通をすることになった。最近は眼鏡がこわれて、イヤホンをなくして、ほかにも不運だと思うことが何件かあった。それでもどんどんに綺麗になっていく自分のうつくしさや、河川敷でからだを動かした後の汗ばんだ首元を冷やす風、そういうものにその都度救われていく。文章を書くのだって、すこし書かないだけでとびきり下手になったような感じだけどこうやって振り子のようにあちこちをいったりきたりして自分の居場所を掴んでいくと妥協できるようになった。わたしもほんとうは妥協を信仰とよびたいよ。書くの難しい、日記の練習。
反逆
朝から訳あって母と銀行に行かなくちゃいけなくなった。暑くて全部が嫌だった。道すがら、誤って小銭を何枚か落としてしまって困っていたのだけど、母はそれにすら気付かず歩く足を止めなかった。一度も振りかえらないまま。その瞬間、ああこのひとはこういう人なんだ、と思った。あなたが母親としてすべきことは娘の束縛でもスケジュールの管理でもなくて、隣に立ってあげることなんじゃないの?って、込み上げてくる怒りを必死に押し殺す。もうどうでもいい。わたしは宗教がきらいなわけではなくて、それに付随する人間の因縁がしぬほどきらいなのだと気がついた。
昨晩、大学の唯一の男友達とたらふくごはんをたべた。ありじはやさしいから全人類が惚れる、これまじ、と言われて心がほかほかした。「俺はさー親の束縛とかあんまなくて。朝帰りとかしても、母親、いつもと変わらずに何食べる?って聞いてくれるんよ。あーうどん、あったかいの、っていうと隣でつくってくれてさー」みたいな話を聞いて、母になる日がきてもこなくても何よりも大事にすべきなのってそういうあったかさ、優しさであってほしい。テーブルにあった占いボックスみたいなのに100円いれたら、吉と書かれたうすっぺらい紙がでてきた。ラッキーカラー青。次髪染めるならブルーブラックかな、そう思った。ちなみに男友達は「緑の人」って認識されたいらしくて、いつも緑の服着ててまじでおもしろい。
新宿駅は夜でも、バチバチに光っていた。帰宅して、そのあとは元恋人の友達と夜通し通話した。間にしょうもない下ネタをいいながら、���ぼ恋の話。エロい台詞を言わせたりして、ゲラゲラ笑った。毎日筋トレしてたら、足が細くなって、気持ちも前向きになった。でも、朝起きたら元恋人のインスタに載ってた私の写真が削除されていて、気持ち的には2度目の失恋だった。一度、私にもプライドがあるし元彼に連絡とかしたくない、と言ったとき、じゃあそのプライドを最後まで突き通しなよと言われたのでわたしはほんとうに最後まで突き通した。こんな美人でやさしい女を振るとかまじで勿体ねーっていう強さをおかずに生活を食ってるよ、ほんとうにすきだったんだ。
無題
高校時代、すごく仲のよかった友人にはじめての恋人ができた。このあいだ新歓合宿にいったの、といって見せてくれた写真、ほんとうにどれも眩しかった。わたしは大学に気の置けない友人が数人しかいないし、おまけについこのあいだ振られた身なので正直心の底から同じ目線でよろこぶことができなくてとてもつらい。ほんとうにいちばん救われて、いちばん好きな友達だったからこそなおさら。というか、さいきんずーっと無気力で、与えられる日々を過ごすというか半ば消化するような感覚でうけとめている。こうやってみんなそれぞれ離れていくのだとおもうとすごくさみしい。彼女にとって、わたしにとって一番だった関係性が、いつしかくずれてしまうのではないか、もう崩れてしまっているよでは無いか。そんなことをかんがえる。気休め���カフェでチャイティーラテを頼んだんだけどクソまずい、救われない。じぶん、はじめて付き合ったとき、どういう気持ちだったっけ。わたしの人生だからわたしがきちんとそこに価値や意味を与えないといけないのに、横たわって天井ばかり見て、挙げ句の果てに他人に妬みすら覚えてしまうのってすごく阿呆らしい。うらやましいな〜〜〜結婚するのかな〜握っていた手を手放されてしまったわたしにとっては、彼女が今一番求められているという状況は嬉しくもあり、うらやましくもある。海を背景に男の子と裸足で駆けだしたりするのって幻じゃなく存在するんだ。なんでこうもひとと比べてしまうのかわからない、何でそんなに上手くいくんだろう、なんでわたしだけこんなに不運で、こんなに寂しくて、こんなにつらいんだろう。だれしもが闇を抱えているのにそれを無視して、わたしだけ、わたしだけ、と卑屈に叫んでいるからバチが当たったのかな。去年、彼女とふたりで予備校へむかうとき、「はじめて」って片道切符だよね、なんてことを話した日もあったのに。もうほとんど大学に馴染むとか、ともだちつくるとか、学チカとかぜんぶぜんぶ諦めて、必要だけどこころの栄養にならないものは先送りにして隅に追いやって、ただひたすら本読んだり映画見たり、観葉植物に囲まれた生活をおくりたい。天気がいい日にはフラッと海に行って、そこにひとりでいるひとがいたら話しかけるとか、そういうところから心を元あった場所に置き直す努力をしないとこのままいちばん���つくしいとおもっている10代が終わってしまうなんてあまりに耐えられない。余裕がなさすぎるから5,000円の寿司料理を食べにいきたい。花を生けたい。北海道の僻地へ一人旅したい、新潟の温泉とか和歌山の麦畑とか。ちっちゃなドラゴンをこころに飼いたい、人差し指くらいの蛇のタトゥーを掘りたい。意地悪な天使みたいな女の子になりたいし、やさしい悪魔みたいな男の子に好かれたい。バイトでお客様の身分証をみてそのひとの住所とか名前とか生年月日を手入力するんだけどなんか、その作業をするたびに不思議な気持ちになる。当たり前のようにみんな違う名前で、違う日に生まれて、違う人生をおくっている。世の中わたしがしらないことで成り立っている。わたしは頑張っている、がんばることなどなにもないはずなのに頑張らないといけないことがとてもつらいけど、人生そういうもんですか?
無題
大切な人たちはこれからわたし以外のひとたちにも大切にされてゆく、でも。私はどうだろうか?なんてことを考えながら天井を眺めている。2限が終わってから、駅で待ち合わせて委員会のメンバーとはじめて会って昼食を食べた。そのあと用事があったけれど時間が余っていたので学校へ戻ったら、さっきの授業で同じ教室にいた女の子ふたりが外のベンチでたのしそうに話していた。雨ニモマケズ課題ニモマケズ。積み重なる焦燥感。積み重なると言うより色味が強調されてる感じ、わたしだけモノトーンの世界に取り残されている。木々がわさわさ揺れる。ともだちも好きな男もいなくなったときのために、ずーっと居たくなるサイコーの部屋をつくるぞ!と思って、観葉植物とプロジェクターとイエローのベッドカバーセットをポチる。ありったけのエネルギーをつかって見栄を張っているだけで、けして強くはない。気を緩めば赤ん坊のようになみだがぼろぼろでてくる。努力しているのだ。うつくしい写真を撮ろう。恋人はいるけど上手くいってるのか上手くいってないのかよくわかんない、けれど以前のように自分のことを犠牲にすることは少なくなった。今はわたしの相手をするのを面倒くさいと思う人に割く時間なんて1ミリもないと思っているし、だったら一人でしらないひとと酒を飲む方がまだマシ。外に出ればいくらでも拓けた空が存在していて、孤高になりきっているかのように風が吹く。汗をかけば涙なんて用無しだし、歩いて歩いて歩きまくれば、一瞬くらいは生きててよかったと思えるものが転がっているはずで、じぶんはそれを受け止めるのに値すると思っている。もうすぐ19になる。自分に時間を割くこと、自分への愛を惜しみたくない。だれかに想って貰うこと、だれかを想うことにはいつだって悲しみが伴うから、それをちゃんと受け入れられるくらいに。
無題
なんでわたしはふつーに生きていけないんだろうってずっと思っていた。母も父も日本の恵まれた環境でわたしを育ててくれたは良いものの、父は英語主体の企業��勤めていて、母に関しては日本語は流暢に喋れるものの読み書きは未だに不自由。小さい頃から携帯電話の契約書も学校の書類もすべて弟の分までわたしがこなしていた。想像してみて欲しい、12歳の少女が契約書の堅苦しい日本語を解読している様子。みんなが両親に綺麗な字で書いたもらった保護者会やPTAとかの同意書の中で、ひとり浮かないように1文字書くのに1分かけて、わたしの字とバレないように普段は字の汚い女の子を演出していた。日本人の集団に馴染むのが早かったのは、それくらい妥協や諦めを得るのがひとよりもはやかったということ。まわりの大人はみんな神様について話したがっていた。かみさまってなんだろう?かみさまなのに、自分でなんでもできるのに、なんで人間なんかにこだわるんだろう?さみしいのかな?なんて思っていたけれど、「かみさまは全能なので寂しいなどとは思わないのよ、許しを乞いなさい」そう言われてしまった。わたしのやさしさも、ときにはだれかにとって、間違いとなってしまうことを知った。自分のことを、昔も今もとてもやさしいと思っている。けれどそれは人に優しく接することで自分は善良な人だと信じたいだけなのだと最近思う。自分は世界から優しくされるべきだ、人に愛されるべきだと、自分のことを肯定したかった。インターネットをはじめたばかりの頃、世界には寂しい人間がこんなにたくさんいるんだと知って、それが救いだった。たくさんの言葉を綴ったけど、こわくなって一度ぜんぶ捨てた。だれかたったひとりでいいから、わたしも心底愛されたい。川のせせらぎや木々の息吹、風のあおさ、若い緑の匂い、花々、流れゆく時間のうつくしさ。ぜんぶかみさまの化身だと思っていて、それらに愛されていると感じていた。けれど高校に入ると、みんなひたすら楽しそうだった。好きな男の子に抱きしめられたり、友達と夜遅くまでどんちゃん騒ぎしたり、じぶんの美しいからだを隠さず、美しいということを魅せることによってつたえる。ずーっと日に当てず、布で覆っていた髪の毛は、日焼けすることなく漆黒を纏って光っている。みてほしい、ふれてほしい、わたしを認めて欲しい、そういう思いだけがぐらぐらと心のなかで揺れていた。お父さんお母さんにわかってたまるかとおもう、自分たちは宗教や厳しいしきたりが当たり前で誘惑の少ない世界で育ったからそれを受け入れられるのが自然だっただけで、わたしと同じ目線に立てないくせに、立とうとしないくせに、守るとか成長させるとか文化だからとかいう理由でほんとうの自分を確かめたりそれを探すためにいろいろな経験をする機会をくれなかった。そもそも自分が天国に入りたいからという理由で、ひとの地獄にも気がつけない、もしくは与えているってとてもわたしよりも罪深い、そうおもってしまう。あーなんか愚痴みたいになっちゃった。生まれた瞬間から取り憑かれている呪いに終止符は打てない。もう戻れないと思ってしまった。きのう、大学のゼミの友人と、みんなで花火をして、夜の11時半に帰った。お酒とか飲むとすごく気持ちが楽になってなんでも話せて皆んなでわらって過去の苦悩をともにして、すごく幸せだった。風が髪の毛をおもしろおかしく靡かせて首元をくすぐる。愛してくれる男の子もいる。頼りないし馬鹿だし女心ひとつもわかってないところもあるけど、それでもわたしの置かれていた宗教のこと、いっぱい知ってくれようとして、受け入れてくれて、ふたりのわたしをどちらも同等に扱ってくれる。友達は何も言わなかった。わたしが変わってしまっても、それに負い目を感じていても、ただただそこにいるわたしをみてくれた。みんなに、日々にだきしめられることのあたたかさを前よりもちかくかんじる。すぐそこにあったかい塊がたくさんある、本当はたまにすごくこわくなるけど、一人ぼっちになることとかいつかしんでしまうことは避けられないことかもしれないけど、それでも美しい日々を美しいものだと受け入れて生きていくこと、かみさまを理由にくるしいと喚いていたときよりも、自分はもっとこの世界が好きになった。どうか許してほしい。わたしがほんとうにやさしいの、いちばんしっているでしょう。人のことをすぐに疑うくらいなら心底信じてあげたほうがいい。今の自分を成り立たせるために、自分の一部を犠牲にしているかもしれない人も、それゆえに必死に暴れている感情に戸惑っている人も、みんなほんとうはとても素直で優しくてすてきなのだと思う。わたしは気付く、気づいてあげられる。寂しいときもうれしいときも、誰よりも貴方の元へまっすぐに走っていく。
無題
容赦なくどばどば目の奥に垂れ流れてくるブルーライト、過呼吸気味に泣き続ける夜もあと数年したら体力的に出来無くなりそうだから早く早く歳をとりたい。夜の3時なのに目を閉じても眠れなくて全身の血液が逆流しそうなくらいからだが強張っている。もうここ2週間くらい学校行ってない、なにしてるかというと家のカーペットのど真ん中でプリン食べながらフランス語の授業受けてる。同じ大学の女の子が、大学にはBBQかスノボかフットサルがやりたいようなやつしかいない。わたしは坊主か髪色がショッキングピンクのやつとしかともだちになりたくない、みたいなことを言っていて、そういうのってなんか違うし、かなしいとおもった。でも、こうやってかなしくなったりさみしくなったりするのを全て五月病として片付けてサヨナラできるから5月はわりと気に入っている、どれくらい好きかというと6月と10月の次くらいに好きかもしれない。「五月病」の仮面を被った鬱憤とした鈍色の塊が街中を苛ましているの、なんだかどきどきするから毎日赤い口紅をつけている。いつ悲劇に見舞われても良いように。ピエロみたいな足取りでときどき水たまりをばしゃばしゃしながら走り続けた、足元の花も日付もその日の占い結果も、あなたとのLINEのトーク画面も、日に日にぜんぶ気にかけなくなってゆく。手をつないでいた、自分の中にいた幼い少女が夢の中で喪服を着てた。あなただけは離れないで、と思って、でも、目を覚ましてもあなたに連絡は取らなかった。
無題
今日こそ、と意���込んでキーボードの上で指を交差させながらものがたりを紡ごうとするたび、これまで触れてきたいくつもの眩いことばがぶわっと一気に蘇ってわたしを刺してくる。おまえにはなにも書けないなにも残されていないおまえはなにもかなしんでいない。奥へ奥へとひきずりこまれる。誰も彼もが各々の光を持ち寄って、目の前の道はもう見えないところのほうが少なくなってしまったくらいに隅から隅まであかるい。どんなふうでも在ることのできたそれがほんとうのほんとうに空洞であったと気づいて、でももう泣けない。詩はどのように湧き出てくるんだろうか。音も色も。炭酸がシュワシュワするとか松ぼっくりの形とかどんぐりを拾い集めたりしたときのこと、もうわすれてしまったみたいに、世界がまぶたを1ミリ閉じた、それだけのことかもしれないのにその僅かなエッセンスがこんなにもわたしを主人公たらしめていたのかと途方もない気持ちをおぼえる。サンタクロースがいないとわかった瞬間にクリスマスへのあこがれが半減するのとおんなじようなさみしさをずーっとここさいきん噛み締めている。シシュンキが芸の才能の全盛期だからだろうか、おとなになればいままでずっと見えなかったものがわかって、もっと色鮮やかに日々を過ごせるのかと想像していた。外でガラス瓶ががらがらからからこんこんうるさい。布団の端っこ、握りしめすぎてすごくやわらかくなって、あたらしいパソコンも使いこなせるようになった。かなしいかなしいとおもうけれど、そのこと自体になんの揺らぎも感じなくて、かなしさがより加速するだけ、日々をヒビと書いていた頃があったのをおもいだした。ヒビをいれてゆく、ヒビがふえてゆく、日々。
無題
晴れて大学生になることができて、数日後に入学式を控えている。でもほんとうはもう大学やめたいくらい友達ができるのか不安すぎて、毎晩寝る前に泣いてしまう。このあいだ新入生交流会があったとき、教室に入ったら女の子が皆んな似たような淡いお洋服を着ているし、髪の毛が丁寧に整えられていて、かわいくて、おんなじような雰囲気で、インターネットでつながって和気藹々とはなしているひとたちもいて、自分は見かけが日本人じゃないから声もかけられないし、声をかけようと思っても(わたしこんなに目立つし、びっくりさせちゃうかもしれないし、迷惑かな...)とか考えちゃってすごくこわくて。ツイッターに勇気出して何か投稿しても、だれからも反応が来ないとそれもまた不安になってすぐに削除してしまう。これからずーっとこんなかんじで、高校のときみたいに心から打ち解ける友達なんて一生出逢えないのかもしれないとか思っちゃってさみしくて涙がぼたぼたでてくる。おおきいキャンパスの中を新歓のために端から端までひたすら歩いて、すっごくつかれた。新鮮といえば聞こえはいいけど、わからないことだらけで自分からなにか行動を起こすのをい��いち億劫にかんじてしまう。大学の中でも明る��人が多い、キラキラした男女が多い、と言われているような学部で、自分もそこに馴染めるかな、と思うとつらくなっちゃう。全然おもってたのとちがう、こんなの。これからどうしよう
無題
冗談抜きで毎晩泣いてしまう、ただそれが今はいちばん正しいことのように思えるからそうしている。
通知表をなくしてしまったので家中を捜したけれど見つからなかった。それで明日先生に怒られる予定だから今更のほほんと眠ることもできないでいる。たかがそれだけ、という言葉で収まることではなくて、何度もこうやってモノを無くしておいて一切学ばない自分に腹が立っている。
忙しくて皆んなの文章を読む時間がなかった、そうしたら自分のブログも読んでもらえなくなっちゃった。
今日も頑張ったと自分を愛でてあげることができない。
なにもこんなにかなしいことばかりを書きたいわけじゃなくて、むかしみたいに空が綺麗だったとか友達と一緒にひるやすみにフルーツジュースを飲んだこととか、長らく話してなかった同級生と体育の時間でペアになってキャッチボールができたとか、予備校での先生のプチ話が面白かったとか、そういうちいさな喜びはあるけれど、夜になると感情の波が音を立てて自分の中でせめぎあう。その狭間で、わたしがいちばん好きだったわたしがぎゅうぎゅうに押しつぶされて捻り絞られて塩辛い水で溺れてしまうの。
こんなことを書いておいて浪人でもしたらどうしよう。恋人とでんわしていると本当にくるしくなってしまって、すごく嬉しいはずなのに全然喜べなくなってしまった。逢えないのに、逢えないのにそんなことするの、逢えないんだからこうしてほしい、とかそういう自分の身勝手な思いが本当に申し訳なくてくるしい。好きだからお勉強のことを応援したいのに、すきだから逢いたいし、好きだからそれを同時に我慢しないといけないものとひどく重たく捉えてしまって、すきだから嫌いになりたくないという一心で自分のもやもやした気持ちに無理やり蓋をする。会える距離にいる人たちの並んでいる姿を見て落ち込んでしまうけど、わたしはわたしのすべきことがあるし、それは彼もそうだから割り切るしかないこともあるのだとおもう。
金平糖
わたしがいくら誰かを呪って恨んでも、紙がその言葉で埋まるほどクソクソクソと書き殴っても、結局のところ現実ではその人を愛する人たちが存在していて、そして当人もまた違う誰かを愛しながら日々に幸福を見出すのだから、本当に一番かわいそうなのはわたしだけかもしれないなんて思った。だれかのことを考えて途方もなく苛立つ自分がいちばん自分を不幸たらしめている。駅前にあるでっかい木がゆらゆら揺れる。ゆうがた、眠くなったので勉強道具を片付けて喫茶店をあとにした。暑さで足取りが重くなりつつもすこしずつ歩く、踏んでいるのが蝉の死骸か大きな枯れ葉かの区別もつかない。黒い蝶々をみてから不運続きだ。だれもわたしが泣いてるなんて気づかなくて、錆び付いた車輪を引きずりながらどこにいるかもわからない恋人のことをかんがえる。遠くなった。夕陽を後ろにわたしの影だけが前に長く長く、大きく伸びて、前方を歩く少年が気付かずに頭にあたる部分を何度も踏みつぶす。美しいものにはある種の残虐さがあることを信じて、祈りとかいう逃避を繰り返している。大丈夫?と聞かないで欲しい、大丈夫じゃないから。もう誰にも自分のことを見て欲しくない。ただ自分だけは自分のことを大丈夫だと信じてあげたくて文章を書くという行為をしている。
雨が降っている。雨が降り続けてくれればいいのに、そうしたらわたしもそれを偶然だという言葉でもって割り切ることができるのに。点滅の中に放り出されて、その明暗に目眩を覚えながら自分の行き先もまともにわからずにただただ進んでいるだけのまいにち
不在
かみさまが見つからない。登録していた音楽ストーリーミングサービスが解約されていた。昼から夜まで建物のなかに閉じ込められて、夕焼けをゆっくり眺めることもなくなった。映画館の薄暗い照明と大きな音にこわくなっても、恋人の手を握ることができない。かみさまがいない。なにもかもを投げ捨てた結果、罪悪感から今更おかあさんにありがとうと言うこともできない。ずっと、信仰という名の呪いの渦の中にいる。小さい頃からこの世の中のものはすべて神さまが創ったんだと信じていて、でもさいきんはそのせいで自分の行動が制限されるのがとても憎々しかった。どれもこれも、神さまのせい、親のせい、うまれたせい、というふうにずっと側にあって救われてきたものを突き放すことそれ自体にとても苦痛を覚えるのに、脳味噌が勝手にそういう思考をして勝手にくるしんでいる。挙げ句の果てには同級生に推薦入試のネタに利用される。こんな家でていきたい、と思っても行くアテはひとつもない。お金もない。お金を自力で稼ごうとする活力もない。どんなにわたしがぜんぶ無かったことにしたくて信仰を罪で上書きしようと、依然として実在していようがしてまいが神さまというものはわたしの中にあって、そうか。これはそういう呪いなんだ、と思う。もうだめなんだと。恋も音楽も言葉も、性別も家族も、見た目も才能も過去も、ぜんぶ同じ容量で「呪い」として全人類に等しく降り注いでくれたならいいのに。抜け出せない世界を抱えるもの同士、ふたりでいっそのこと呪いをかけあってしまいたい、それなら呪いだって愛に変わるのかもしれない、とそういう陳腐な妄想でしか漠然とした淋しさを消費できない。さみしい。唯一の居場所を自ら捨てて、こんどはどこにも居場所がないとさみしくて涙を流す。こういう呪いが不思議と人生という物語の大きな軸になっていって、結局さいごにはその「呪い」自体に自らを救われる、なんていちばん美しい結末を享受できる人は一体どれくらいいるのだろう。迷信。もう剥ぎ取ることのできない仮面。うつくしかったわたしの心は嘘を重ねる毎に醜くコーティングされ続けて、今ではもうすべてのものが何かに縛りつけられているみたいに、目の前の光景はわたしになにも応えてくれなくなった。何をどうし���ら正解なのか、どうしようどうしようと悩み続けた末にその苦しさを世界のほうが背負ってしまったのかもしれない。うつくしいという言葉に収まりきれずに溢れでて、胸をぎゅうっと締め付けるもの。瞬きを忘れるくらいにずっと見ていたいと思えるもの。一切のものを捨ててでもいいからその気高さに近付いたいと願わずにはいられないもの。そういった、どうしても拭えない不安感をやさしく抱き締めてくれる愛がほんとうは色々なところにあるはずなのに、以前に美しいと思っていたものをもう同じように美しいと思えない。花というのは揺り籠から墓場まで人の生活を彩るものだ、というようなことを太宰治が書いていた。「孤独は花だから。美しいものを寂しくしないように、そのまま纏えるほどの強さを身につけていけますように」 と綺麗な言葉で文章を終わることができない。不完全でも愛してください。底無しの未来に水をあげて。
無題
ここ四日間くらい先週の頑張りが底をついたのかぐったりしてしまって勉強にあまり手がつかない。殺してほしい。まいにち死にたい。がんばっても報われないひとだっているし、大して頑張らなくてもおいしいとこを掻っ攫っていくことができる人もいるんだろうなとおもうと泣いちゃう。東京という概念が巨大化して人を貪っている。東京って、日本ってこんなに高校生いたんだ、と思う。餌にされてしまうことの恐怖を突きつけられている。だれかの優越感を満たすための餌としてその努力を利用されてしまう未来がみえる、こんなこと言ったらまた考えすぎだってみんなに怒られちゃうけど。風が吹かないとその音がわからない風鈴みたいにわたしのなかのいちばん美しいところも、もしかしたら誰かに傷つけられて大きくその心を揺さぶられるまでわからないのかもしれないなんて気休めにぼんやり考える。夏という言葉が都合よくあちらこちらで使われるようになって、ぜんぶみんな夏のせいにするようになったから、たぶんもうほんとうの夏はもうやってこない。夏は遠くて遠くて悲しいくらいに鮮やかで到底手の届かないモノだと信じていたかった、それが今やだれかの快楽の理由付けにされてしまっているのだからもっと惨め。わたしがこうして夏を文章のネタにしているのと同じくらい惨め。おかあさんが泣いている姿とか勉強を理由にインスタグラムを更新しない友人の笑顔とか彼氏がわたしを抱きしめるときのつよさとか、そういうだれも知らないであろうものの美しさを、わたしだけが一瞬ひらりとわかるとき、そういうのがほんもののしあわせなんだろうと思う。もうあと半年とちょっと経ってしまえばわたしのこれからの人生の枠組みはもうほとんど決まった、という体で毎日がすすんでいく。日本は学歴社会だから大学名は重要だよと声を揃えて言われ続けて、今でもまだその現実を黒く塗りつぶして無かったことにしている。はやくぜんぶ死んじゃえばいい。アーメン。
魔法のトンネル
18歳になりました、という投稿をするつもりだったけれど、合間合間に想いの丈を綴っているうちに月を跨いでしまった。この期に及んで未だ梅雨を引きずっているかんじの毎日で、��後に晴れた日がいつだったかも忘れた。君のいない世界なんて夏休みのない8月のようだ、といつか野田洋次郎が歌っていたのを思い出して現実になりつつある言葉の並びに少しどきりとする。大学受験まであと半年くらい。アルコールでささくれが目立つ指。これから1年後、自分の居場所を全く想像できないことに対して残る不安感。この一年の間でとても大切な人ができて、その人が居るから今年はだれかと祝福メッセージやプレゼントの数を比べて露骨に落ち込むこともなかった。こんなままではいけないと思うけれど、これでもかというほど甘えてしまう。彼から電話がかかってこないまま気がついたら零時、開きっぱなしの参考書。ベッドから机の上の山を見あげる。もう流れるような文章も書けなくなった。ただ、机元を照らすためだけに付けた光が部屋中に行き届きすべてのものを露わにするように、自分のために費やした諦めとかいう努力がいつか私の人生全体を明るく縁取りますように。そう期待することしかできない。
朝、きまってこの時期の朝の。とりわけまぶたが重くて視界がぼやけているとき、雨音と扇風機の回転音の違いを聞き分けられないままなんだかもう一度眠ってしまいたくなる感覚になる。自分の憂鬱な気持ちをすべて代弁してくれているかのように完璧な美しさを崩すことなく泣いてくれる空、ずっと梅雨が好きだった。17歳。強いのか弱いのかわからない外圧をずっと肌身に感じながらも良くここまで頑張れてこれたと思う。強まったり弱まったりを繰り返しながら着実にわたしの内側を蝕んでいくもの。どんな記憶であれ時間が経てば薄れていってしまい、曖昧に濁した言葉でしか文章を綴れない。降って、降って、降りつもってゆくのはけして愛や幸せではなかった。幸せが一方で加速させる理想や願望、それによる劣等感、幸せでなくなる恐怖、あるいは幸福それ自体への疑いも、ぜんぶずっと祈っていればいつか大丈夫になるとおもっていた。そうした形での正しさしか知らなかった。
歳を重ねるにつれて特別なものが増えていくけれど、それらはなにもさいしょから特別だったわけじゃなくて、くるしくなったり嬉しくなったりするたびに複雑に絡まっていたものの辻褄があって少しずつ真っ直ぐな一本の線になっていく感覚に近い。最初はちいさな不幸から始まったことが最後にはたくさんの愛に囲まれて光になっていくと半年前ちょうど失恋したあとに書いた。たぶんきっとそういうことだとおもう。そういうことだとおもいたい。消化しきれない劣等感を抱えながら、それでもそれをだれかの優越感の餌にされてしまうのが気持ち悪くていつも満足げに振る舞っていた。小学6年生の頃、布団に包まって壁に手を当てながら(世界のどこにいても良いから今だけ運命の男の子が壁の向こう側で同じように手を合わせてくれていたらいいのにな、)とか祈っていた。アスファルトに浮かぶ白線が血脈のように都市に光を流し込んでいく、わたしはひとりで遠くまで��れるようになった。
誕生日当日、晴れた土曜日。
だれもわたしのことを知らないということがいちばん幸せだった。
となりには愛おしい恋人がいて、いっしょにタピオカを飲んだり服をみたり歌を歌ったりした。街中ですれ違う人はだれもわたしがブログをやってるなんて思わないし、人生で殆どはじめてに近いことをしているとも思わない。そういうのってとても気持ちが楽で良いなと思った。信頼している人たちに過度に期待をされること、責任を半分こするのに疲れてしまった。一緒に悪者になってほしかった。わたしがなにをしても、それがいちばん正しいことかのように大丈夫だよと諭してくれるだけで、それは救いになれるはずだった。おかあさんに喜んで欲しいから、友達に見限られたくないから、だれにも落胆されたくないから、とかいう言い分を勝手に作って勝手にくるしんでいる。ほんとうは静かでいられる関係性が好きだけれど学校の友人はみんなはしゃぐのが好きだから求められているものをそれらしく纏う。両親は善良な人だけれど時折意味不明な束縛をするので面倒くさい、わたしも普通の日本人の女の子みたいに生きてみたかったと思ってしまうことにすら罪悪感を感じる。信仰というのはとても美しい行為だと思うけれど、本来は人を救うはずであるものが「救われる」「罰せられる」という境界線においてときどき人をひどく苦しめてしまうのでとても扱いにくい。救いを見出すはずの宗教によって苦しめられるのはちがうよ、と友達に言われたことがある。大学生になったらぜったい一人暮らしをしたいとおもった。伸ばせと言われ続けてきた髪も思い切り切りたいし、慎ましいふりをするのもやめたい。わたしほんとうは男の子に抱きしめられたこともあるの。けれどそんなことを言えば両親をがっかりさせてしまうから、遠いところで一人で植物とか猫とかに囲まれてひっそりと生きていたい。
かみさまに対する信仰心が薄れても、小さな嘘に罪悪感を覚えなくなっても、男の子と関係性を持ったことがなかった自分自身を忘れても、文章が書けなくなっても、友達と疎遠になってしまっても、病気で人がたくさん死んでも、普通に生活が続いていくことにときおり悲しくなる。それくらいわたしは案外どうでも良いとおもってることが多いんだと感じてもっと悲しくなる。あっちへいったり、こっちへきたり、あるいは戻ったり、そういうのを繰り返していたら、もう戻れないところまできてしまったみたい。あるかどうかも分からない未来のことや、だれかとその過去を背比べしてそれに一喜一憂していたこと、ぜんぶだいじょうぶになればいいなとおもう。ぜんぶ抱きしめてぜんぶ愛してあげられたらどんなにいいだろうとおもう。わたしには愛しているものが沢山あるし、わたしもだれかにきっと愛されている。最近見かけなかったので死んだのかなと思っていた野良猫を今朝ひさしぶりに見かけて胸がきゅうっとなった。汚いものに沢山触れてきたわたしの手はもう美しい手じゃないけどそんな手のひらの中でも心地良さそうに包まれているちいさなその頭が愛おしくてなんども撫でる。純粋でなくなってしまうのがずっとこわかった。ううん。たぶん純粋だと思われなくなってしまうのがこわかった。
続きを書きたいけどあしたも学校があって、さすがにちょっとねむい。悪者になっても大丈夫だから、わたしはわたしのそばにいるし、君のそばにはわたしの愛してるきみがいるか��だいじょうぶ。特定の誰かじゃないよ、みんなが幸せになれますように。
n(atsu)
線路が控えめな緑に縁取られていて夏を感じた。でんしゃがいつもより大きく揺れるな、とおもった。ひさしぶりに乗るから余計にそう感じるのか、ほんとうにいつもより大きく揺れているのかは良くわからなかった。塾へ着いたら体温検査をされた。世の中の非現実味は薄れていくけれど、それでもやっぱりまだどこかふわふわしているかんじがする。ふわふわ、という言葉は抽象度が高くて便利だと思う。白黒はっきりつけることで正義を実感している人間って意外と多いのかもしれないし、わたしも気付いていないだけで実際はそういうところがあるのかもしれない。燕が雛に餌をやっている様子と、健気に咲いている向日葵と、それに加えてマスクの内側の皮膚が熱気を帯びていく感覚。去年、男の子と花火を見に行って、わたしの中での鮮度の高い美しい夏はそこでずっと止まっている、あるいはもうほとんど完結されたようなかんじ。塾が終わってから本屋へ寄ると、同い年くらいの背の高い男の子が絵馬の形をした紙に合格祈願を書いてちいさな箱へ投じていた。わたしも流されてペンと紙を持ったけれど、多神教じゃないんだよなあと思ってやめた。わたしはわたしが信じている神様にもまだこわくて合格できますようになんて言えていない。いつだってこわいものから救ってくれるものが神様なのに、自分勝手に生きていながら窮地に追い込まれたときだけ救いを求めるのは割りが合わないと思う。好きな人と一緒に昼間から眠りたい。神聖な場所で祝福された心を持つ人に祈りを唱えてもらいたい。突然変異で雪が降ってほしい。騒音の全てを吸収して、それで全てなかったことかのように水になって溶けていってしまうの。指輪が欲しい。細いやつ、宝石はなくていいし装飾もなくて良いから。涙を拭う手に宿る愛があれば、だれかにゆるされたという証が指にあれば、虚無感を紛らわせるための画面スクロールも、劣等感を埋めるために耳触りの良い言葉を連ねる必要性も、不確かな焦りも薄まるかもしれない。というのも最近また得体の知れないストレスに悩まされていて、今日もすこしだけ泣いてしまった。すべてあなたの心の持ちようで変わるの、薬はなにも解決してくれないよ、と母にはそう言われて、それでもっとかなしくなった。そういうことじゃないの。模試を受けるにしても勉強した量に等しい成績が出なかったら、とか、到達点は同じでもそこまでの努力の過程に差があるだけで劣等感をかんじてしまう。まいにち頑張りたいのに思うように脳みそとからだが動かなくて悶えている。わたしは自分を高めることで自分は大切に扱われるべき美しい人間なのだという確信が欲しいだけで、それほどまでにきっとわたしの内側にある自分への愛や期待値というのは年齢とともに他人任せになっていって、諦めや、未来の自分の幸せに対する責任を負い���れないという言い訳や、ときおり世界から拒絶をされているかのように感じられた幼い頃の傷ついたこ��ろがぜんぶガチガチに固まったしこりのようなものがずっとあるみたい。もっと自分で自分のことを愛してあげられますように。今、世界ではいろいろなことが起きていて、それに対して声をあげないという選択が道徳的ではないと非難されてしまうことがあるらしいけれど、関心を持たないということもひとつの意味のある心の持ちようだし、それをやさしさと捉える人もいるのに、とてもやりきれない。恋人が「みんなつらいけど、ありじはつらいの」と言ってくれたことがとても救いだった。だれかの不幸と自分の不幸を秤にかけるということにやっぱりわたしはある種の違和感を覚えるし、たとえそこに差があっても自分のことを放棄してまでだれかのために立ち上がることは少しちがうと思う。そうして切り捨てたものが何らかの拍子にいつか今度は自分自身を殺すかもしれないし、自分の身近で大切な人を傷つけるかもしれないし。わたしはわたしを取り巻く世界をたいせつにできたらいいなと思う。足取りが軽くなれば、もっと遠くへといけるでしょう。だいすきなひとが苦しんでいたらすぐに駆けつけられるし、わたしはそういう風に愛される女の子になりたいから沢山のことを頑張っている。月が変わったのでカレンダーをめくったら、「涙は人生のお師匠さん」という言葉の周りにたくさんの滴のイラストが描かれていた。扇風機をつけると、紙がパタパタ揺れる。がんばる。わたしの愛する人たちが沢山愛されますように。
どれほど遠いところに行こうと試みても
どこか気持ちがもやもやしてやりきれなかったので少しばかり走りに行こうと洗面所の前に立ってコンタクトレンズをつける。泣くまいとしていたけれど、使用期限切れだとも知らずにレンズを瞳に上にのせた瞬間、意志とは関係なく勝手になみだがぼろぼろでてきて焦る。ずっと我慢していた涙ももしかしたらそのなかに紛れていたのかもしれない、濡れた睫毛やすこし充血した白目を見るといつもどこかほっとした。
世界は絶えず美しくて、じぶんなんかがその大きな器の中で堂々と情けない顔をしているというのがなんだか滑稽に思えてきた、と昨日は日記に書いたけどやっぱりそう思えない。うまれる、しぬ、という表現がコピーペーストされてできた世界線。どうしてもくるしくなってしまう、くるしいものを見ないようにと目に覆いを被せて生きているからたまに世界を直視したときにあまりの眩しさになにもみえなくなってしまう。
結局のところ、きっとわたしはなににでもなれるし、なににでもなれた。わたしはわたしが望みさえすれば、家をでていくことも、うまれながらにして与えられた名前を捨てることも、今つながりを保っている関係性を断つことも、信仰を捨てることも、自分のからだを誰かに売ることも、求められてそれに応えることも、アカウントを削除することも、つらい勉強に身を投じることなく大学に行くことも、自分自身やそれに関係する人々をきずつけることもできてしまう。その可能性についてぼんやりかんがえていた。
考えてみればあまりにも不安定なわたしは、なににでもなってしまいかねない自分というものとずっと一緒にあるいてきたように思う。自分というものの一部をわざと切り離してあえて失うことを選んだり、あるいは舐められないよう努力をして立派なものに築きあげたりする過程でしか自分が自分であることをたしかめられなかった。欲を我慢しなさい、謙虚な姿勢で生きていきなさい、と幼い頃から教えられてきたことの反動がまさに今起きていてつらい。人間は生まれたままの姿こそもっとも美しい、醜い人間というのはひとりもいなくて、そしてだれもが平等に愛されるに値する、といった程度の言葉ではこの漠然とした不安感は解消されなくなってしまった。
あなたがいちばん大切にしていて、且つあなたをあなたらしくさせているものはなに?という質問をともだちがインスタグラムで公開して回答を募集していた。わたしは今までずっと恋愛をすることでしか自分を保てなかったの、という彼女の文句もまた同様に等しくまぶしいものだということに当人は気付いていないかもしれない。膨大な情報のなかで、なにをほんとうに掬いとるべきなのかわからずにいつまで彷徨い続けるのだろうかという不安を抱えている。たすけてほしい。毎晩、たすけて、たすけて、と寝る前に心の中で念じるようにしていて、そうして眠りにつくとなんだかほんとうにたすかったような感じがする。
というのも、なんとなく、という世界線を生きること自体あまりに物事を都合よく解釈していていらいらするので、とうとうまともに祈ることすらできなくなってしまったのだ。はずかしい。わたしは決して善良な人間ではないのに、善良な人間の中で同じ言葉を唱えていることに一種のはずかしさを覚える。
無題
一年前までは、死ね、クソ、うざ、という言葉にほんとうに値する人間や事物などなくて、物事のすべては捉え方なのだと、主観で世界の全てを決めつけてはいけない、美しくいなければいけない、という考えがあったからわたしはほんとうに一度もそういった言葉を使わなかったし使えなかった。それなのに今や抵抗が少なくなってしまって思いたくなくても大事な人たちにいらっとしたときや精神が弱っているときに反射的に汚い言葉が脳裏に浮かんでしまってやりきれない。過去をふり返るとき、その足跡がどれだけ美しくても、長く歩き続けてきたとしても、結局その先にあるのが地獄だったら意味がないでしょう。
外に出ても風は一切吹いていなかった。頬に染み付いたなみだの生温さは消えず、水面の揺れもしずかだったので川が川じゃなくてアスファルトみたいに冷たく感じられて、音もない夜にわたしは勝手にひとりぽつんと取り残されてる感覚だった。
それでも良いこともあった。このあいだ、雨が降った日にふとした好奇心で自分のうまれた日の天候を調べたら、わたしがうまれたその日も東京では雨が降っていたらしいとわかったこと。たくさんの雨粒のなかにも一粒くらい当時のものも紛れているのかなあ、と思った。たとえ同じ形をしたものが数多くあっても、情報量の多さのなかで下敷きになってしまうようなほんの些細なことでも、わたしはわたしのことを愛してくれているものをがんばって見つけ出したい。そしてそう思っているのと同じくらい、同時に心の奥のほうでは常にだれかに見つけて欲しいと思っている。わたしが失ってしまったわたしの美しさを見つけてほしい。もう誰にも傷付けられないように。もう自分のことを傷つけなくて済むように。愛せますように。
無題
あ〜もうわたしなんも勝てないな〜って思って泣きそう。勝てないものがおおすぎる。受験生なのに自分の欲に打ち勝って勉強に励むことすら怠ってしまって、他人と比べることでしか自分を測れないからだれかが頑張っているすがたをみても素直に応援できない自分がいてくやしい。みんな守りたいものをちゃんと守って、それをつよみにしているのに、わたしはなにかを失うことでしか自分が満たされていたことを実感できなかった。捨ててしまった欠片をひとつひとつ集めようと、かがんで地面を這っている惨めな姿を誰かに見られたらどうしよう。だれよりもきらきらした世界をしっているつもりで、かみさまからも愛されているつもりで、たくさんの人がずっとそばで応援してくれていることに対してそれ相応の結果や愛を返せているつもりだった。だけどぜんぜんそんなことなかった、そんなことなかったのにそれでも絶えず世界も人も優しくて美しくて眩しくて純度が高いので薄汚れた言葉をもってしまったわたしにはもう直視できないんじゃないかと挑戦することすらこわくてできない。わたしの写真や文章がだれかに良い影響を与えていたらそれはうれしいけど、それでわたしだけのものだったわたしの一部が他の誰かのものになってしまうのは少しだけ悔しい。ブルースクリーン越しに奪うこと、奪われることに慣れてしまった。わたしは結局わたしだけみてほしいと思っていて、それがわたしの幼さで弱さなのだと思う。弱さも強さも武器になるうるけど、ほんとうに強い人はちゃんと矛先を向ける対象を選ぶことができるから目の前の道をどんどん拓いていけるけど、弱いままのわたしはずっと自分の胸に矛先を向けているからだめで、自分を窮地に追い込んではじめて大切なものに気がつくことができる。「わたしが失ってしまったものをありじちゃんは大切にしていてすごいと思うし、これからもそれを守り抜いてほしい」とメッセージをいただいたことがあるけど、わたしが彼女の立場だったら同じようなことは決して言えないだろうと思う。きっと、ずるいなあ、と思ってしまう。ずるい。わたしもあなたみたいになりたかった、と。なりたい自分に到達できずに足掻いている途中であたらしい自分が形成されたとして、それはむしろなりたい自分とは真逆な人間なわけだから、その歪さを美しいと褒められても全くうれしいと思えない。やっぱりでも今日だけ美しいといってほしい。今日だけ慰めてほしい。そろそろぴえんって言葉つかっちゃいそう。
愛?
さいきん日常の何気ない瞬間において、いいなあ、とたくさん感じたけどその都度いちいちメモに起こしていないので内容はほとんどわすれた。なのでブログを更新できないし、あと二ヶ月も経たぬうちに十八になってしまうからせめて可愛げのあることなんかを少しくらい書きたかったのに状況が状況なので仕方ない。毎朝オンラインで出席確認があるんだけど昨日は二度寝して出られなかったし、このあいだ試しに大学の過去問を解いたら点数はだめだめだった。一日だけ夜に恋人に電話で弾き語りをしてあげた。ぜんぶ壊れちゃうならさいしょから手を伸ばさなきゃよかったってことを話したら、あのね、ちがうの、持っていたっていう事実がとてもたいせつなの、さいしょから持ってるのと持ってないのじゃちがうでしょ?わかる?と諭された。そうかもしれない。怠惰に怠惰を上書きするように生きている。こめかみに銃口を押し付けられて脅され怯えるようにして、つきまとってくる色々な事実から目���背けている。こんな具合に漠然とした不安感がうんぬんかんぬんとダラダラ書いているけどほんとうはそれなりに幸せで充実した生活をしているからいつかバチが当たってしまいそう。歳上の彼氏と別れた友達の女の子が、今頃煙草でわたしの肝臓ぼろぼろなんだろうなあ、もっと自分のことを大事にしてあげたかった、と裏垢で溢していたけど、きっと彼女にだって彼の影響で自分のモノが形を変えていく過程に幸福を覚えていた瞬間もそれ自体に救われたこともあったんだと思う。ただ薄暗くふちをなぞっていかないと未来への期待値があまりにも高すぎて落とし穴にハマってしまいそうでこわいからみんな可哀想ぶっている。たぶんどこにも事実なんていうものはほんとは存在などしていなくて、みんなが情報を選んだり捨てたりしているだけで、人間が数値にしたり名前をつけたりしながら記録をしているだけで、何もかもを取っ払ったら、あ、でも、そうなったらわたしはどうなっちゃうんだろう、なんてことをずっとぼんやり考えている。二か月くらい前にだいすきな友達といっしょに塾へと向かう道を歩きながら、わたしたち卒業までにいつか絶対この道で泣くと思うって笑いながら話していた。今ごろ存在していたかもしれない日と流していたかもしれない涙とあったかもしれない出逢い。そういうので世界が動いているのかもしれないと思うと心がふにゃあってなって泣きそうになる。この足を踏んでいるところのずっと奥に埋れてしまったいくつもの歴史に救われている。その後、小さなレストランで二人分のサンドイッチを頼んだ。ずっと憧れていた女の子にはやっぱりなれなかった。一度「憧れの女の子のフリをする」アカウントをつくろうとしたけど苦しくなってやめた。新作の化粧品と知恵袋での大学受験生の相談事と参考書のレビュー調べだけでほとんど埋まっている検索履歴欄の隅っこに追いやられてしまったいちばん綺麗なわたしを誰かに拾って欲しかった。少しくらい未来をあきらめても人生は終了しないけど単純にそこでわたしの自己肯定感は終了するし、わたしがいちばん大事にしたかったわたしも死んじゃうから、ねえ、わたしは大好きなみんなのことも自分のことも美しさを表現することもぜんぶあきらめないからみんなもわたしのことあきらめないでってインスタの裏垢に書いたあと、電気を消して寝た。許されない愛だけが輝いている。ずっと輝いている。いつか校庭を一面石灰の白に染めて北国の雪景色みたいにして、雨で偽物の冬が消えてしまう前にわたしたちは濡れながらキスをするの。安っぽい映画みたいに物語の順番をぐちゃぐちゃにして今よりももっときれいなところに走っていきたい。“なにも決定的なことが起きていないようなのに、いつしか死が準備されてしまっている、日常という戦場” において、好きな人にお願いだから死なないで、一人にしないで、と一方的に伝える行為がとても無責任だということだとはわかっているけど、ただ、それがわたしの知っている方法の中でいちばん確実にあなたの心を殺せるものだからゆるしてほしいと思った。しんだら身体の隅々まで洗って、痛かったところを撫でて、さいごにわたしの名前の由来になっている花の香りを墓石につけてあげる。あなたの歪みにはじめて触れた日、わたしはあなたのいちばん美しいところをみたようなかんじがして、それがとくべつで嬉しかった。まるかったり、とがっていたり、硬かったり、やわらかかったり、ざらざらしてたり、さらさらしてたりするの。生きているだけで美しいという言葉はみんな戯言だと笑って受け流すのに、しぬことになると急になんか真面目な顔をするからやになっちゃうよね。写真を撮ることを知らなかった頃のわたしはたぶんほんとうの写真家だったし、まだロックミュージックを知らなかった頃、わたしのロックスターはずっとわたしでしかなかったし、文学を知らなかった頃に感じていた世界とおなじ色合いの世界をわたしはもう見れない。そういうものだから、もしかしたら死ぬことなんて知らなかった頃、わたしたちもずっと死んでいたのかもしれない。それでたぶん今でもその頃の残像が残ってるのかもしれない。逃げて逃げて逃げた先で待っているから、そこでまた逢えますように。
無題
あこがれている女の子たちがみんな色白で華奢なことにむかついている。だれかを真似して美味しいところだけを盗むことは誰にでも出来るんだけど、でもそうじゃなくて、彼女たちがもっているものは彼女たちにしかもつことを許されていない域にある圧倒的なものだからくやしくて泣いてる。その子たちがフォローしているアカウントを全部フォローしたら同じ世界を見れるかもと思ったけどやめた。きっとわたしよりもいろんなものを見て感じて聞いて愛してたくさん傷ついてきたんだろうなあ、と思う。自分と向き合うのはとてもくるしくて、美しいものに触れることで浮き彫りになる絶望もまたするどくて、それでも躊躇いなく自分の内側にあるものを外にだして整えてまたぐちゃぐちゃにしていくの。そういう工程を何度もじっくりしずかにしてきたのかもしれない。お世辞にも美しいとは言えないものでも、美しい人がすればそれはたちまちに美しくなってしまう。ずるいなあ、十七年かけて見つけたものが諦めとかいう単なる逃げだとしたらやりきれない。頑張れるかなあ、がんばりたいなあ、って言うのたぶん二千回くらい繰り返しているけれど、こんなわたしもすこしずつちゃんと踏み出していて、前に比べたら痩せてメイクもするようになって結構垢抜けたし、何も書けないと言いながら泣き喚いてブログのアカウントを消すこともなくなった。ワンクリックで消えてしまった昔のわたしの言葉には相応の墓場もないけれど、だれかの支えや救いやたのしみになれたことが嬉しい。文章なんて手軽なもので誰でも書けるものだけど、誰でも、の中で、わたしのを読んでくれている人がいるのだという事実がうれしい。きっとでも綺麗事抜きでほんとうはだれでも特別で、特別じゃない人はいないんだろうけど、すべて目に見える数字として統計されてしまう今だからこそ他人からの評価やさまざまな人たちからの好意や自分は愛されているのだという確信の多さがそのひとの輪郭をなぞって、より濃くして、いわゆる個性と呼ばれる類のものを形成していくのかもしれない。くやしいし皮肉だけどそれを掻き分けていくのが、生きるということかもしれないし、あるいは自傷行為なのかもしれないし、わかんないけどわたしだけは自分の味方であれるように努力していけたらと思う。たとえ負け犬でも遠吠えできる余裕と気力があるうちはまだ勝ってる、たぶん
無題
きのう、河原まで自転車で走った。昼間の明るい時間帯に行くのはとても久しぶりだった。最近はストレスで奇行に走る人がいるらしいから夜に外に出るのはやめて、と母に言われた。テレビをつけてもスマートフォンのスクリーンをいくらスクロールしても、そこに有るのは饒舌に討論を繰り返す人間と、それに対する第三者からの警告、といったような感じだし、鬱々としていたのでちょうど良かったかもしれない。運動用にだぼっとしたパーカーを着て、弟のサドルがすこし硬い自転車を借りた。前方から吹いてくる強い風に服がぴたっと身体に張り付くので、はずかしくなってペダルを踏む力を強くする。桜の木はもうどこにも見当たらず、小さな花びらだけがコンクリート上にまばらに散らばっていた。空は青くて、高くて、鳥が群れてそこを飛んでいて、それをわたしが見ていて、だけどわたしのことは誰も知らないの。そしてわたしだって誰のことも知らない。その事実がいちばんやさしくて、それでいていちばん淋しいから美しいと思う。川の水面が光を受けてきらきらと煌めいているのを眺めるのが好き。光りの粒がたくさんあって、見る場所によってそれが大きくなったり小さくなったり近くなったり遠くなったりしてかわいいの。昼間は白く光るのに、夕方になると今度はピンク色になったり朱色になったりするからもっとかわいい。塔屋看板にペンキを塗装する業者の人。頭上を走るモノレール。走る犬。投げられたフリスビー、野球ボール。ふうっと口をすぼめてたんぽぽの綿毛を飛ばす子どもたち。うっすら川のにおいがして、うれしくなって少しのあいだ草原の上に横になった。草ってこんな柔らかいんだって思った。オレンジ色ってこんなにオレンジ色だったんだ、とか、鳥が一斉に空へ飛び立つときにパタパタと羽根の動く音が聞こえて、しゃぼん玉が弾ける瞬間にせっけんの匂いがして、英単語帳をしばらく眺めていたんだけどすぐに閉じて空のずっと奥の方をみてた。いつもはうざったい太陽の残像でさえ愛おしく思えてしまうなあ、どうなるんだろうなあ、これから、って思った。わたしが掬い取っている現実はきっとほんとうの世界のほんの一部でしかないから、救われますようになんて偉そうなことは言えない。だけど、たかが数日間外に出ていなかっただけなのに一人でこんなにも大袈裟に感動している。すこしくらい見返りを求めてもいい気がしてくる。
頭ぐわんぐわんする
現実に翻弄されている人間を嘲笑うかのようにして桜が我関せずと言わんばかりに堂々と咲き誇っているので、なんだかすこしだけ愉快な気持ちになった。白い四角形を顔の表面に貼り付けながら、それでも歩く足を止めない人間の行く末をかんがえると何もかもがいやになってしまうけれど絶望の輪郭をみんなでかじって食べていけば、なんとも名付けようのない不器用な形をした詩のような世界ができあがるのかもしれない。今日くそみたいなじじいがくそみたいな眼差しでこちらをみてきたので睨み返してやったんだけど、どれだけそうして自分の弱さを繕うように強がっていても彼には変わらずに愛するものがあって彼を救いにしている人もたくさんいて、そのことがなんだか、それだけがなんだかそのときのわたしの苛立ちの唯一の誤魔化しだった。だからわたしは彼を刺殺さないし、彼もわたしを殴り倒さない。そういうのって、大事なんだろうなあと思いながら電車の広告の文字を追っている。ちなみになにも頭には入ってこない。あたたかい毛布にくるまっていると誰かに抱きしめられているかんじがするから心地がよくて、すこしだけ唇を尖らせる真似をする。まぶたをあと何回閉じれば。何回綴じれば。いいんですか。コンクリートジャングルと自転車のサドルとスカイツリーの心臓。あ、と思う頃にはもうすでに全てが遅くなっていて後悔をするけど、あ、と再び思うと今度は以前のそれよりもより大きな幸せに満たされていることに気がつく。竹刀を持った少年たちが夜になると川辺に集まっていつもその刀を縦に振っている。わたしはたいして歌を歌うことも上手ではないし、勉強も大してできないし、顔だって凸凹している。けれどそれでも真っ直ぐに生きていけるかな。生きていきたいね。終末感の漂う世界をみることで、わたしは独りですこしだけ安心できた。終りがあることに赦される。本当は衝動のまま洗面所にあるハサミで髪の毛を思い切り切ってみたいし、派手な髪色にして東京の真ん中を歩きたい。それでも晴れることのない憂鬱を自分の中の非道徳的な理想に想いを馳せることで誤魔化してみたり、寂しいと思わなくても好きな人を自分の家に泊めて隣でぴったりからだを重ねながら長い夜を過ごしたい。そういうのをだらだらとしたいだけなのに、そういうのをするのにも勇気や妥協や諦めが必要らしい。がんばるよ。すこしずつ。
無題
まいにち予備校の自習室にいっていたら、自習室でしか勉強したくないからだになった。いままで宗教上の理由で髪の毛を隠してきたけど、大学生になったらボブにして染めて街を堂々と歩いてみたい、し、そうしてみる。たくさんあそびたい、だれになにをどう言われようと自分のしたかったことを一つずつしていきたい。親といっしょに暮らしていたら、わたしの「非」はぜんぶ彼らの責任になってしまうけど(これもちょっとおかしい話だけどそう考えている人は多いみたい)一人で暮らしだとわたしのしたことは全部わたしの責任になるらしいので、最近は常に逃げ出したい。思春期や若さを理由にしてどこか遠くへ逃げてしまうことは何もわるくない。ぜんぜんわるくない。寧ろそうするべきだとも思っている。一度離れ離れになることで改めて気付かされることや見えてくるものなんてたくさんあるし、それに加えて黒猫を相棒に迎えいれることがきまって、その子といっしょにふたりで(猫だから「人」ではないけど)暮らすことが決まったのでどきどきしている。もう失うものはない気がして、でもそれは自分がなにも持っていないからではなくて、幸せなことにたくさんのものを持っているからだということに最近気がつきました。毎日走ろうと思ってる、思ってるというか走っている。たくさんがんばって可愛くなるので、そのときがきたら誰かデートしてね
無題
つまらない文章しか書けなくなった。いや、そんなことはないんだけど、もしかしたら面白い文章を書かなくちゃと思うことがなくなっただけなのかもしれないけど、それでも書かずにはいられないほど心を動かされるものとかそれをさせてしまうくらいにわたしの大切なものをかき乱した嵐のような愛とか、水みたいにさらさらしてる美しい光景の数々とか、光とか風とか、なんかそういうの、そういうのに自分のからだとかこころを預けるのがこわくなってしまった。あっちへいったりこっちへいったり、そうしているうちに自分を見失いそうでこわい。だけど反面、もう自分のことで苦しまなくていいようにいっそのこと自分の存在とは程遠いなにかに染まってしまいたい。自分らしい自分なんて本当は存在しないのだとわかっていながらもそういったくだらない不安感をおぼえてしまう。というのも、たくさんの言葉とか音楽に触れているうちに、どんどん自分が感化に感化を重ねて変わっていっているのが自分でもわかっていて、だからもう昔書いていた文章は書けないし、昔捉えていた景色の感触も思い出せない。わたしが考えていることはすでに誰かが思いついていることで、でもだからといってその価値が下がるとかそういうことではないんだけど、時折それがすごくさみしくなる。なにかを表現することで、表現したくないなにかを誤魔化してきた自分が浮き彫りにされているようでとてもくるしくなる。ほんとうのわたしを認めてほしい、などと思うけど、同時にわたしのなにが貴様にわかるんだ、とも思う。自分のほんとうはどうしたいのかという気持ちをうまく掬いとってあげられないのがくやしい。思春期ってそういうものなのかなあ、こうやってぐるぐる変な渦に巻き込まれて、いつも自分だけど自分ではないなにかとすれすれになりながらもがいている。いちばん近いはずなのに、いちばん掴めない。なのに影みたいにしてどこまでもひっついてくるので厄介で。むかしの自分かもしれないし、認めたくない自分かもしれない。いずれにせよ、世界に翻弄されがちな自分の絶望や幸福を言葉や写真などに起こして大袈裟にしてみせる一連の行為に疲れてしまった。わたしはわたしに自分のことを認めてさせてあげたかったのだと思う。あなたの感じていることは言葉にされるに値することだと、慰めてあげたかったのだと。でも今はこうして文章を書くことで、言葉に残さなかったなにかが消えてしまいそうでこわいと思ってる。写真を撮ることで、写真に残さなかったなにかを裏切るような感じがしてこわい。それともそれはただ口実で、ほんとうはほんとうに一切のことに無関心になってしまったのかなあ。全てのことをどうでもいいと投げやりにしてしまうことで、失うものを少なくしたかったのかもしれない。そうすることがずっと強さだと思ってたけど、今もそう思っているところはあるけど、誰かにわたしのぜんぶを決めて欲しいなと思うけど、でも自分でちゃんとえらんでいきたいね。突き抜けたわたしの弱さを、考えすぎたよという言葉で突き放すひとたちはいたけど、それをわたしのいちばんの強さだと肯定してくれたひとは少なかった。考えすぎてしまうこと一般的にみていいことではないかもしれない。たしかにわたしは考えることで現実から目を背けているし、考えることであたかも自分が真っ当に生きていることを正当化しているし、考えることであなたに連絡したい気持ちやあなたに抱いてほしい気持ちを誤魔化しているけどそれがなんかいいなあっておもう。それがなんか、ちょっと可愛いというか、なんか人間味に溢れて嫌いになれない。ぐだぐだ空白を消費しているうちに、どうにもやりきれなくなって深夜にワンピース一枚でそとへ飛びだしたことがあって、そのとき足のくるぶしから太ももの内側へとひっつく夜の風のつめたさに今も慰められている。変わりたくない、と思うけど変わっていく自分を受け止め���あげられるだけの気持ちの余裕やそのかわりになにかを手放す強さとかそういうのを育てていかなくちゃいけないのだと思う。ちょっとだけかなしいけど、もしかしたらそれができた頃には、また遠い昔に出会えていた感動にまたはじめて「あたらしく」出会えるかもしれないと思うとちょっと頑張ってみようという気持ちになる。長々書いたけど自分でも一貫性がないことにくすりとしてしまう。ただの自分語り、あとでたぶん消しちゃうのでこれを読めた人はラッキー。あしたいいことがあるかもしれないね。
無題
ふわふわと遠いどこかを彷徨っているかんじで、それがちょっとだけ気持ち良かったり、気持ち悪かったり、こわかったり、かなしかったりした。一日中そんな調子だったのでひどくつかれた。わけわからないウイルスのせいで色々な部活の大会や練習が取りやめになった。期末試験もなくなって、これから空白の一か月間。放課後あちこちからだれかのすすり泣きとそれを優しく諭す声がきこえてきて、わたしは失うものなどなにもないのに、なにかを失ったような気分で、これを書いている今でさえ少し泣きそうで指が震えている。頑張って頑張ってさいごまで努力を続けてきたのに、こんなにも呆気なく終わってしまったことが悲しい。このままドミノ倒しみたいにたくさんの報道が、たくさんのだれかの涙が、自分の知らないところで募り続けていくことをかんがえただけでなんだか胸が空っぽになる。大した努力をしていないわたしが悲しむようなことでもないのかもしれないけど、それでもわたしは努力をしている友達の姿がだいすきだし、みんなの泣いている姿をみるのがつらかった。反面、涙を流せるほどの熱量をなにかに注いだ覚えもないことが余計にこころを空っぽにさせた。すこしだけ、この、世界がゆるやかにくずれていく様子に好奇心を覚えて胸が高鳴った瞬間もあったけど、やっぱりもっと美しいのがいいね。やさしいほうがいい。さいきん文章書いてなさすぎていかにも日記みたいな日記になりました。ぜんぶ大丈夫になりますように。
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桜林美佐の「美佐日記」(240)
黙ってスマホをいじるだけの無機質な生き物……
桜林美佐(防衛問題研究家)
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おはようございます。桜林です。「男もすなる日記
といふものを、女もしてみむとてするなり」の『土
佐日記』ならぬ『美佐日記』、240回目となりま
す。
よく「価値観の違い」という言葉が言われますが、
最近ちょっと気が付いたことがあります。
プライベートな集まりの中に自衛官がいると、例え
ば誰かが困っているような場面で、自衛官はだいた
い立ち上がったり、何らかの行動によって助けよう
とするということです。探しているものを一緒に見
つけようとする、といったかんじで。
一方、最近の若い人は(年寄りの常套句ですが!)、
何かを手伝う行為として、スマホを取り出していじ
り始めるケースが多い。これは、協力する気がない
のではなく、彼や彼女なりに最大の努力をしようと
しているのです。Google(ぐぐる)という形で。
私はこの、無言で何か調べているという行動には全
く感心しなかったのですが、確かに考えてみれば、
より効率的な人助けなのかもしれません。
私はよく自衛隊の批判をしますが(特に陸!)、人
に寄り添う姿勢には心打たれることが多く、なんだ
かんだ言って自衛隊的なやり方が好きなのです。東
日本大震災の時、もう、どんなに探しても見つから
ないと分かっていても行方不明者の捜索を続け、そ
れが人々にとってどんなに励ましになったか。
ムダだと分かっていても、非効率だと言われても、
何かをしようとする気持ちを持っているということ
が本当に素敵だと思います。
ただ、気になるのは、日本人全体が黙ってスマホを
いじっている、結論はそこにしかないかのような無
機質な生き物になっているように見えることです。
鹿児島の屋久島沖で米空軍のオスプレイが墜落し、
乗員8人全員の死亡が認定されました。2人はまだ行
方不明のままです。
米空軍は「自衛隊や海上保安庁、屋久島のボランテ
ィアの人たちが捜索活動などを支援してくれている
ことに心から感謝したい」と表明しました。もし、
自衛隊の事故なら数か月単位で捜索を続けますが、
米軍は日本の感覚ではいつもかなり早い打ち切りを
決めます。これは四十九日という結節がある日本人
との文化、宗教的価値観の違いだと思います。
そうした中、非常に残念で仕方がないのは、日本側
の報道などが相変わらず米軍への批判に終始してい
ることです。
裏で政府に苦情を言っても補償を要求しても結構で
すが、せめて公には哀悼の意を示すことはできない
のでしょうか。
8人のうち、2人は沖縄の嘉手納基地、6人は東京の横
田基地所属でした。まだ長い将来が残っているはず
だった若い人たちが、故郷から遠く離れた日本の海
で息を引き取ったのです。本当に、やりきれない思
いです。
感謝祭が終わり、12月に入るとどこの基地でもクリ
スマスツリーの点灯式が行われます。軍楽隊の演奏
と子供たちの声が、飾り付けられた大きなツリーを
囲むのです。愛する人を亡くした家族はどんな気持
ちでいるでしょうか。
そういう気持ちに寄り添えない、日本人は本当に落
ちぶれてしまったのかと、こうした事故が起きる度
に悲しくて仕方がありません。
無機質と言えば、最近またYouTubeでイスラエル問題
について、前回書きましたように、国際政治学の先
生からのご批判を受け、それに応じる形での企画を
収録しました。
私は司会として、自衛隊の将官OBの皆さんの知見を
お聞きしたのですが、そんな中でも頭をよぎったの
は、法の下で動く自衛隊は別としても、では多くの
日本人は、いったい、何を拠り���として物事の判断
をしているのだろうということです。
国際法だ、などという人は少数派でしょうし、では
憲法か?といえば、そうとも思えない。信仰でもな
いし、民族固有のアイデンティティーみたいなもの
も見えない。53年前に三島由紀夫が檄文で「その
場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込
んでゆく」と表現しましたが、今はそれよりも53
年分の退化をしているということをはっきりと感じ
てしまうのです。
2683年の自国の成り立ちを捨て、万世一系の国
体までも放り出そうとする国民は、どうなっていく
のか、と思いますし、また、数千年前の教えや約束、
預言を大切にする人々に我々が意見するのは僭越と
しか私には思えません。
10.7のハマスによる襲撃で何があったのか。
子供たちは親の目の前で指を全て折られ、目をえぐ
られ、母親はその場でレイプされ、足は全て折られ
て射殺されました。赤ちゃんをオーブンに入れて焼
死させ、その横でテロリストたちは食事をする、そ
んなことが各戸で行われていたのです。入植による
被害者であるとか、全く関係ない所業です。
そして、ハマスはガザの人々を人間の盾にし、イ
スラエルが避難を呼びかけても逃げられないように
しているのです。
何としても自国民を守る、それが独立国家の責任
であり使命です。800人はいると言われる拉致被
害者を放置している国には、ちょっと難解なのかも
しれませんが・・。
今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。
皆様にとって良い1週間でありますように!困難の中
にいる全ての人のために祈り、あらゆる紛争の犠牲
者を悼みながら。
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夏祭り
インスタグラムのストーリーズに見知らぬアカウントの足跡がここ一月あった。
何となく察していたが思い切ってDMを送った。
朋香だった。
ストーカーと決めつけたのは俺の元上司で、無理矢理警察に連れて行かれて被害届を出したとやり取りの中で告白した。
花束をもらったのはすごく嬉しかったらしい。
それを踏みにじって傷をつけたのは元上司だった。
怒りを覚えたが、もう関わることのない人への思いをこらえて、朋香ともう一度話せてる現状を喜んだ。
日曜日に会う約束をしたが、その翌日に突然その日に行われる地元の夏祭りに呼ばれた。
待ち合わせをして一ヶ月以上ぶりに朋香と会った。
夏服で胸にはクラス章をつけていた。
髪型が少し変わって大人っぽくなっていた。
恥ずかしそうに顔を合わせない姿を見て可愛らしく思った。
何故かペットボトルのなっちゃんをオレンジを俺にくれた。
会場へと向かう。
何となく照れくさくて互いに上手く話せなかった。
屋台が立ち並ぶ通りを歩いていると、金魚すくいの前で朋香が立ち止まった。
「金魚すくいやりたい」
「いい��、やろうか」
二人分のお金を払って網をもらった。
二十年ぶりくらいにやった俺は五匹すくうのがやっとだったが、朋香は十匹以上を容易くすくい上げていた。
「めっちゃ上手いね」
「まだまだいける」
最後は大きい出目金に網を破られてしまったが、店主にも褒められるくらい朋香はうまかった。
「初めてやったんだ」
「マジかよ。どうやって覚えたの?」
「テレビで見て覚えた」
「それであんなに出来んのか。すごいな」
「天才だからね」
朋香は笑った。
「もう一回やりたい」
「いいよ、やろか」
「次負けたらさ、罰ゲームね」
「なんだよそれ」
「食べ物奢ること!」
「ははは、いいよ。俺も本気出すから」
結果的にトリプルスコアくらいで朋香に負けた。
朋香はチーズハットグ、俺は焼き鳥を買った。
ベンチに座って二人で食べる。
「今日誘った理由知ってる?」
「なに?」
「日曜日行けなくなった」
「そっか、それでね」
「次会えるのは受験後かな」
「そっか、忙しいもんな」
「一日予定空けるって結構きついから」
そんな話をして、先生の愚痴や友達の恋バナを朋香は俺に話した。
半分くらい食べた所で朋香はチーズハットグを残した。
「俺が食べようか?」
「いいの?ありがとう」
衣がスカートの上に落ちていて、それを朋香は持っていたティッシュで集めた。
「女子力高いから」
「ほんとやね」
朋香はおどけた笑いを浮かべた。
六時の電車で帰るというので、歩いて駅まで送った。
朋香は嫌がっていたがどうしても行きたかった。
会うのはこれが最後だと思ったから。
大した会話も無く駅に着いた。
「気をつけてな」
「ありがとう。それじゃ」
朋香は振り向くこともなくホームへ行った。
帰り道、LINEが届いた。
今日はすごく楽しかったこと、他に好きな人がいることが書かれていた。
俺の気持ちには応えられない。そうも書かれていた。
それでいいと思った。覚悟はしていた。
辛いことがあったら言いなよ。
そう返した。
そしてゆずのサヨナラバスの動画を送った。
予定時刻は六時。あと僅かで僕らは別々の道。
サヨナラバスはもうすぐ君を迎えに来て。僕の知ることの出来ない明日へ君を連れ去っていく。
サヨナラバスよどうか来ないでくれないか。やっぱり君が好きなんだ。
さようなら、さようなら。また笑って話せるその日まで僕は僕らしくいるから。
まさに俺の今の歌だと思ったから最後に送った。
ポケットにはなっちゃんオレンジ。
飲みながら駅から車へ戻った。
遠くから祭囃子が聞こえた。
これでやっと区切りがついた。
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2024年8月29日(木)
足袋下(靴下)2足と手ぬぐいのセットが毎月届くSOU・SOUの頒布会、長月号が届いた。月例とは言え、こんな天気のなかでの配送業者の作業には感謝しかない。他には熊野のK兄からの<新米>や、地球洗い隊からの<シークワーサー>も指定時間内に届けていただいた。長引く台風の影響は結局週末まで、どうか被害が最小限に留まることを祈念したいものだ。
5時起床。
日誌書く。
体重は200g増。
洗濯機回す。
朝食。
珈琲。
洗濯物干す。
弁当*1。
プラゴミ、30L*1。
ツレアイを職場まで送る。
熊野のK兄から新米が届く、<七十の手習い>とかで今年から始めた稲作、どうか足腰に気をつけて無理のないように作業してくだされ。
冷蔵庫の食材整理、台風の影響が長いのでできるだけ手持ちの材料を活かしたい。
キュウリのしょうゆ漬け仕込む。
セロリが残っていたので、賞味期限切れのベーコンと玉ねぎで無水調理、一昨日のカレーに合わせて夕飯に頂こう。
BSで大リーグの中継、大谷君の愛犬が始球式に登場してびっくり、その見事な<投球>に世界中から拍手喝采。
ランチ、息子たちには残りご飯で炒飯、私は冷蔵庫掃除。
軽く午睡。
執筆意欲がわかないので、あれこれ資料整理。
台風10号は朝のうちに鹿児島県に上陸したが、勢力は少し弱まりながらもゆっくりと進んでいる。
一昨日のカレーを仕立て直して夕飯に、用意が出来たところでツレアイ帰宅。
録画番組視聴、新日本風土記。
妖しの京都 清めの夏
初回放送日:2024年8月26日 世界中から人々が訪れる京都。神社仏閣に花街、春の桜に秋の紅葉。だが、この街にはもう一つの顔がある。歴史の中で積み重なった「死」と「けがれ」、そして「清め」の物語 京都は「死やけがれがすぐそばにあり、それを清め続けてきた都」だ。疫病の流行や飢饉、戦禍が繰り返され「物の怪」や「怨霊」の気配がいたるところに漂っている。人々は夏になれば半年のけがれを清める「茅の輪」をくぐり、厄をはらう和菓子「水無月」を食べる。夏の風物詩となっている「祇園祭」も恐ろしい「荒ぶる神」をまつって疫病を退散させたいと始まった。目に見えぬ存在を受け入れ畏れ敬う都人の営みを見つめる夏の旅
ディレクターのセンスが際立ついい内容だった。
片付け、入浴、血圧は128/76。
飲み残しのワイン頂きながら日誌書く。
朝彼女を送っただけで、終日家の中、こんな天気なので仕方なし。
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自民党の谷垣禎一元総裁(78)の自宅を訪ね、岸田文雄内閣の支持率がなぜ上がらないのか、一杯やりながら率直に質問をぶつけてみた。岸田首相の外交面の成果は、知らぬ間に立ち消えになってはいませんか。
「確かにね。今回のウクライナ戦争で存在感が高まっているグローバルサウス(新興国・途上国)の取り込みなどは、日本の強みを生かしてよくやっている。彼らの一部には、西側の先進国に『あいつらは今も上から目線だ』と腹を立てている国が多い。事実上の『一強』となった米国や植民地支配の過去を抱える英仏に対し、『西側リベラリズムのおごり』と批判する国さえある。その中で、日本は独自のODA(政府開発援助)を駆使して努力を重ね、『欧州はうんざりするが、日本は違う』と評価も集めた。首相はここをうまくすくい、西側とつなぐ役割を果たしている」
ただ、今後はこの外交でも、首相にとって厳しい難局面が待つと説く。
「この戦争が終わったとき、どう新しい国際秩序を作っていくのかが焦点となる。そこでは、日本がすごく損な立場になるわけにはいかない。日本は必ず、それなりの地位を占めなければならない。国内では国民生活に目配りしながら、対外的にはこの難題に挑まなければならない。岸田さんに限らず、自分が首相になりたいと狙っている人にとっても、答えを出すのは簡単ではないはずだ」
テーブルには『野菜の揚げびたし』が登場した。パプリカとカボチャ、なすを素揚げして、甘辛いマリネ液にしっかりしみこませている。香ばしい夏野菜の香りと甘さが、冷えた久保田によく会う。
谷垣さんが「水内さんは産経新聞だからこっちが好きかな」といいながら、テーブルには白い陶器に「中華民国立法院」と書かれた蒸留酒「白酒(バイジュウ)がやってきた。テーブルには、「中華人民共和国」と書かれた「貴州芽台酒」も登場。「酒に国境はありませんよ」と酒巻俊介カメラマンが笑ったが、私はなんとなく中華民国を注ぐ。
食卓には、台湾からいただいたという白酒も登場した=東京都世田谷区の自宅(酒巻俊介撮影) 食卓には、台湾からいただいたという白酒も登場した=東京都世田谷区の自宅(酒巻俊介撮影) 谷垣さんに「一気に飲み干すんですよ」と言われたが、アルコール度数は50度! しかし、独特の香ばしい匂いがさわやかだ。昨年、谷垣さんのインタビュー連載を担当し、今回同席した豊田真由美記者は「食道の位置が分かる」とむせながら飲んでいる。
「この前、フランスのマクロン大統領がNATO(北大西洋条約機構)の東京事務所開設に反対したでしょ。私は心理がよくわかるんですよ」
谷垣さんが語りだした。 「海洋国家の道を選ぶか、大陸のつながりを大切にするか。各国が個別の事情を抱えていますよね。英国は海洋国家の道を選び、EU(欧州連合)から抜けた。残った独仏を中心とするEUはどうするか。陸続きの中国に経済などの利益を全部取られては大変だ。中国とうまく付き合いつつ、必然的に、カザフスタンなど中国の周辺国とも協力する。フランスがNATO日本事務所に反応した背景は、ここまで見なければならないと思うんです」
谷垣さんも白酒をなめる。
「日本もずっと、2つの選択を迫られていたでしょう。海洋国家としてアングロサクソンと組むか、大陸につながるところと組むか。日本では明治以降、右翼を中心に、中国や韓国と組んで欧州に踏みにじられない大義の旗を立てろという議論があった。しかし、当時は日英同盟を選び、今は日米同盟。アングロサクソンと組む流れを継いでいる」
「韓国も、似たような選択を迫られてきましたよね。北朝鮮との関係強化を図った文在寅(ムン・ジェイン)前大統領は、日本でいえば、沖縄県の米軍普天間飛行場の辺野古移設にブレーキをかけた鳩山由紀夫元首相の言動に近いと思っているんですよ。韓国では『北と南の連携を強くしていこう』という訴えが国民の喝采を浴びる面もあるでしょう。ただ、今の時代に文政権みたいな道をとるとあまりに支離滅裂��なる。尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が誕生したのは、日本にとっても本当によかった‥、ああ、すっかりいい気になってペラペラしゃべっているなあ」
谷垣さんが車いすを少し動かしながら話題を変えた。
「最近は新聞を読みながら、私と同世代の方の回顧録をよく読むんですよ。私たちの世代は一体何を残したか-と考えながらね」
谷垣さんは昭和20年生まれだ。
「例えば歌手の加藤登紀子さん。読売新聞で連載していたが、彼女は私の1歳年上で、東大の五月蔡でシャンソンの『赤い風船』を歌っているのを聞いたことがあります。彼女と政治的立場は大きく異なりますが、同じ時代の空気を吸ってきた。もう1人挙げれば、ピアニストの山下洋輔さん。彼は麻布高校の先輩で、文化祭でピアノを弾いていたのを覚えている。ジャズという日本でまだ珍しかったやり方に挑んでいた」
「もう1人、倉本聰さん。彼は喫茶店でアベックのすぐ横に座り、会話をじっくりと聞きながらシナリオを練ってきた。テレビをどう活用するのか、一生懸命考えてきたんですね。戦後日本の可能性を開くためさまざま頑張ってきた」
「逆にいえば、そうそうたる大会社に行き、少し前まで『半導体は日本だ』と頑張った友人がいた。しかし、今は見る影もない-。俺たちの世代は何をやってきたんだろう。私とすべてジャンルは異なるが、この年になって、じっくり考えるんですよ」
日本酒のグラスを手に語る自民党の谷垣禎一元総裁=東京都世田谷区の自宅(酒巻俊介撮影) 日本酒のグラスを手に語る自民党の谷垣禎一元総裁=東京都世田谷区の自宅(酒巻俊介撮影) 少し遠い目をする谷垣さん。自らも、政治の中枢で時代を動かしてきたじゃないですか。
「自分のやってきたことはこんな副作用を生んでいたのかと考えるものばかりですよ。自分の思った通りになったことは絶対ない。ほとんど、予期しないことが起きている。例えば難民の問題。私は議員になりたての頃、自民党法務部会の副部会長としてこの問題に取り組みました。当時は無制限に外国人を入れるととんでもないという議論があり、入国には『職業訓練』という形を取り入れたが、今から思えば、物の見方が足りなかったと自省することが多い。『こんなこと考えもしなかった』という問題が次々と起きてね」
もう一例として挙げたのが、女性の社会進出の遅れだ。
「私は昭和20年生まれだから、現行憲法の『男女同権』は素晴らしいと教わった。しかしその私が何をやってきたかといえば、政治家の傍らで、家事は全部女房に押しつけた。家事はやってみると結構大変ですよ。こんなこと言ったら、あの世の女房に怒られるかもしれないが、専業主婦じゃない人が家事に取り組むのは大変だ。今は働く女性が圧倒的に増えたでしょ。亭主と女房がどっちも働いているのに、家事は女房だというんじゃね。子育てしながら政治に携わる上川陽子外相や加藤鮎子こども担当相は相当優秀ですよ」
子供2人を育てる豊田記者が「家事をしない人と結婚できませんよ」と合いの手を入れる。
「でも、少子化対策って、政府の政策でこなせるものなんですかね」
シャッターを切っていた酒巻俊介カメラマンが尋ねた。(聞き手 水内茂幸)
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Buone Notizie
これは過去および現在の多くの作家たちの合成物である(ノ)
「おおーい、おおーい、裏切者」
「ちょっと診てもらいたいのじゃが、家にあった銃じゃ、見えぬところに隠してあったのじゃ」
「まさか、自分の盗んだ品物を警察へ届けるやつがあろうとは」
「ヒヒ人間は、やつらは槍を持っていたのか?」
「いいや、小さな石を持っていた」
「あなたの奴隷どもの流す血におきをつけください」
「お!そんなことは願い下げだ、私は蛆虫どもとともに、やつらの大地の上を、やつらの生まれた空間のなかを前進するつもりだ」
「嘘ツイタラ神様ノ罰アタルデ」
「容疑者でない者などいませんよ」
「えっ金送れ、いいトシをして少しは考えろ」
「同志爬虫類諸君」
「純粋に、恥知らずに、完全に盗め」
「馬を盗め」
「あなたはよくも図々しく...図々しく!」
超越的存在は(何)幻想のトリガー、発端にすぎないわけ(何)楽園の目録とみなし(敗)惜しげもなく時間と金を注ぎこんだ(H)どこかに何かを常に見逃している人(I)ミリ秒単位の(正)言葉にされない(正)さまざまなタイプの(正)場の空気(正)ボイコットを呼びかけた(H)亡骸(H)切りつなぎ手法(ノ)足場でくまれた(H)空中庭園(H)構築する(何)時代的容認によって認識形態を異にする(何)空を飛ぶ(何)龍神さん(何)
世界のサンプル(L)ウィルスは時間に穴をあける(ブ)市場、河川港、フランクフルタ・アルゲマイネ紙の印刷所、矛盾をすり替えるために始める戦争(A監)「サイバー・パールハーバーに警戒せよ」(A監)ラジオ局の廊下、社員食堂(L)デジタル上の監視(A監)ねたみ、そねみ、恥じらい(特)かわいそうな(特)怪獣(特)闇の中の魔(特)あらゆる動物園の動物も放たれ(ブ)人喰いヒョウ(ブ)ハイエナは数多い野犬の群れと交尾している(ブ)発病(ブ)は芸術となる(ブ)手術をして掌に腹の皮を植え(特)植えた腹の皮が破れて血がじわーっと(特)モンタージュされ(L)つぶやきが消える(ノ)ゆっくりと消える(ノ)散歩する耳であり、音を盗む耳(L)ぼうぜんと(緑)雑音の(L)他者を眺めたい(リュ)いくつかの記録が未完成で終わろうとした(L)未来都市は私には迫り来る必要に答えている(L)見本のショット(ブ)過去に消え去ってしまった(L)
空はあいかわらず曇ってソヨとの風もなく妙にあたりがかすんで見えた(百)ミニアチュアセットは(ウ)あなたの隣に宇宙人がいる(ウ)空に輝く天体はまだ存在せず(食)魚を獲るために川のほとりに居を定める(食)四時の馬鹿っ晴れ(ウ)歩いて当時をふり返ると(ウ)氾濫したりしても基本的に川そのものの流れは変わらない(ウ)残光と夜の帳が降りる幕間こそ(ウ)夕暮れの方がふさわしい(ウ)さもなければ夜だ(ウ)
五月の陽炎の中(天)灼けつくような眼で(天)当時の言葉でいう変態心理への関心(江)鉄砲の(忍)一寸法師は(江)惑乱していた(天)地獄の釜の蓋を開け(H)刺激の業火に踏みこみすぎた(H)残酷さよりも無理解さの結果(死す)足音をたてない(緑)災厄(ゴ)目にもとまらぬすばやさで忍ぶ(H)完全なカオス(ゴ)不意を襲い(L)まったく身動きしなかった(ゴ)いきなり口の中へてぬぐいを押しこんで、声をたてさせぬようにし、もう一本の手ぬぐいで目かくし(緑)やむなく(H)吊るし首に(H)息の根を止めた(H)単なる夢の国ではなくなった(H)
悪魔の盟約(冷)を裏切って(ノ)名もない(イェ)インヴェーダー(ノ)世界をうろついている(イェ)密告と臆病には度合がある(ノ)警察は(イェ)捕え(ノ)ブタ箱入り(ハ)取調をテープで録音(イェ)随所で極まり文句もしくはスローガンという意味で翼ある言葉(イェ)文の法則を(イェ)権力も(ノ)無視して極まり文句に極まり文句を重ね(イェ)「誰が不滅を独占してきた」(ノ)「誰が(ノ)宇宙を独占してきた」(ノ)「誰が諸君の」(ノ)誰にも理解できない(イェ)彼を悩ましていた(イェ)欠陥軽い失語症(イェ)彼の述べることは常に同じ(イェ)言葉で表現した(イェ)誰か他の人の立場に立って考える能力の不足(イェ)従って現実そのものに対する最も確実な防衛機構すなわち想像力の完全な欠如という防衛機構で身を鎧っている(イェ)陰惨なユーモア(イェ)虚言者の自己欺瞞?(イェ)あるいは(イェ)自分の犯した罪が現実の一部となってしまっているために(イェ)直視することのできない永遠に悔いあらためることのない犯罪者の一つの例であろうか?(イェ)パターンから落ちる鉄くず(ノ)気分の変化というだけのこと(イェ)紋切り型の文句で(イェ)異なった圧力からも(ノ)徹底的に抵抗する(ノ)恐ろしい長所は死の寸前にあっても彼から去らなかった(イェ)「誰が(ノ)ドアを開いたのだ」(ノ)
レンズの丸い視野の中(緑)何かがおかしいと気づく(科)新奇な何か(科)物理学者(科)レントゲン(聖)陰極線管で放電がおこっているとき(科)遮蔽された装置真空管から離れた場所に置かれたシアン化白金バリウムのスクリーンがぼんやりと光っている(科)偶然による(科)X線発見(聖)陰極線管からまっすぐ飛んでくる放射(科)放射は影をつくる(科)ウラン塩は(X)黒い紙を透過する線を出す(X)光とのあいだに(科)類似性を持つエージェントによって引き起こされた(科)内的な電気(聖)電気の眼(聖)見て取れる(科)死後の霊的存在を形成(聖)発見が偶然に行なわれる場合(X)聡明さと暗示を受けて立つ(X)一八九五年(科)SFは文字通り明日の現実(I)
脳髄が(数迷)全身を支配しているのか(数迷)それとも(数迷)全身が(数迷)脳を支配しているのか(数迷)合せ鏡の迷宮(数迷)ついには(数迷)思考は細胞によって行われている(数迷)さらにこの論究は胎児の夢へと接続される(数迷)
あらゆる(聖)愚かさが(歴)覆っている(歴)老いぼれた世界の悪臭(懺)情報爆発(歴)混乱を起こした(I)憤怒の音頭取り(懺)糞づまりの陰気面(懺)小さな部族の(I)性根はのらくら者(懺)神(I)宗教上の確実性という道具(聖)残虐趣味(懺)ネオンへたかる(懺)蝿(懺)悪徳、罪悪、汚物の詰まった(聖)ゴミの山(I)パンドラの箱(聖)ご機嫌取りの(懺)完全な奴隷(懺)人間(懺)詐欺師の肩をもつ(懺)コラボラシオンの罪(懺)世間のつまはじき者(懺)生き残るために(I)たたき伏せねばならない(懺)無謬性(聖)美辞麗句(懺)人間の盲目的信仰(懺)畜生の分際で(木)死の本能が(懺)生の本能を支配(懺)
戦争の話を聞く(Y)その話をつなぎ合わせ(Y)舞台の前に立ちつくす(ア)すべてはこの日(ア)胚胎していた死と同一視された(I)生物兵器としてのセックス(I)出生時に(I)脳に無線アンテナを設置する(I)それに気づけなかった(ア)天国の花壇に入れない(懺)散り遅れた花(ア)
バカ騒ぎを演じる(湖)暴動のニュースが高速で伝わる(爆)途中不慮の死にあった(湖)ひとりの姿を二つに見せている(黒)原子はそれらを傍観すべき位置にあった(永劫)無作為を生みだすコンピュータ・プログラムはどこにも存在しない(べ)システムが回路である(A)機械により作られたイメージと自動筆記のイメージは視覚的に同義である(ヌ)記憶はない(湖)何時間も過ぎ(器)写真は生きた有機体を光と化学で固定したもの(ヌ)機械はその行動が私たちの目的を達成すると見込める限りにおいて、有益である(A)
時間に封じ込める(バ)サナトリウム(ダ)夜が訪れ、夜が明ける(ダ)地に住まう邪霊(聖)天使(聖)人間の女と交わり(聖)大足の(ダ)スペクタクル・プロブォカシオン(ダ)神の似姿に造られた(聖)人間界(何)機械のサファード(I)黄色に輝く炎(何)肥大化(黙)すべて独断(I)超音波は(I)物体を直接通過(I)音で(I)暴動制御(I)化学者は(I)アイデアを(I)植え付ける(I)冷戦(I)「お前は私たちの敵か味方か」(冷)邪悪で不名誉な隣人を持つ(冷)思考制御(I)運動中枢を乗っ取って(バ)出来事は中立(バ)良くも悪くも無く(バ)部分的で不完全(バ)デモ参加者(I)反抗がなくなる(バ)コントロール技術(バ)無意味な計画となる(バ)
下を向いている(匂)蒼白くみえないようにと部厚く化粧した(アル)やせた体(危)白い腕(クラ)妙齢の(危)婦人(性)過剰な性欲(危)淫蕩な気分(永)恐るべき競争者(恐)目を意識して空腹に耐える(危)やわらかさと繊細さ(危)栄養失調が日常化(危)金のあるあいだは何を考えても無駄なことだと(籠)停戦の夢(ウォ)何か(バ)代償(ウォ)がなくてはならない(バ)書き換えられていた(ウォ)過去に目を向ける、歴史のけたたましい(性)スキャンダルのためのスキャンダル(アル)好色な司祭のような表情で報告(ウォ)実在する(悪し)もっとも不吉な日付けの一つ一九四五年八月六日(バ)精神的な流行病も(時)戦争の呪詛(数)呪いはウイルス(ア)廃墟の郊外の上(ア)空へ向かって飛び立つ(ア)空とは否定的な性質を失った虚無(悪し)未来を計算していない(ア)抽象的補完物(悪し)ゴーストが(爆)銀色の(ア)レーザーグラフィックス(ウ)描いている(爆)入れ代り立ち代り(戦中)死のキャンプに送られ(ユ)液体空気のように冷たく青いドクター(爆)嘲るような金切り声(ミ)虚脱の(戦中)生半尺な弱足(赤)実演という言葉を使うのは(裸)トロイの木馬であり(数)手術が演技であるからだ(裸)ポスター(ウォ)盗賊がふたり(ア)脳震盪に次ぐ脳震盪(バ)血潮が赤黒く固まって(赤)蘇生の見込みは(赤)死は心の中に(ア)自己破壊メカニズムとして現れた(ア)死の微笑を浮かべ(器)感受性はまったくもって豊かだ(危)方向喪失(時)
何千もの人人(電)広がり続ける(ソ)協調行動の結果(ソ)偶然ではない(魔)ネットワークに深入りするにつれ俯瞰的な視点を失い(ソ)いまいましい部屋の中は風通しがよくない(イ)路上の(電)出来事をみつけ(多)サウンドを録音(電)雑多な物が浮かんでいた(解)醜く歪められ手足を切り取られたプラスティックの女性(ヌ)溺れ死んだ牛が見える(解)フェンス(ワ)にしがみついた水死体(解)カメラを構えた別働隊(わが)スポーツクラブのマネジャー(コ)ひげ面で過激思想の持主(冷)ハゲタカの目(ワ)老衰してコルセットをつけたテナー歌手(裸)第三の(学)擬似撮影(わが)悲しげに(爆)路上をさすらう門付芸人(赤)つかの間の休息場所....見知らぬ公園の臭い(爆)陽光の中(ク)鎌みたいな口(う)奇形の精巧な模型(性)ぶらぶら(刺)でっかい糞がはりきって(イ)玉虫(フ)汚物のなかに横たわって(イ)コウモリ耳(ハ)唇は紫色(裸)片目の商人(荒)帽子をかぶった頭が(い)消え去り(い)マーマレイドを舐め(J)笑い声を残して(刺)死のまぎわまで近づいた人間(蝶)手に数珠を携えた一人の老女(イ)黒いウーズテッドのアブリル・ハリソンのスーツ(視)歩き方があやふや(解)ショッピングモールの前を横切る(コ)震える金属の若者(爆)澄んだ水底のような眼が開く(大)ハエの眼(匂)立派な建物(イ)ひび割れたコンクリート(爆)鎧戸の向こうから微笑みかける(イ)複雑な(イ)裸形(大)夫婦(イ)種々のちがった背景のもとであれ体系の硬直性(魔)人は問題の規模にすぐに圧倒されてしまう(貧)地表のうえに疑問符として垂直に立てられている(人間)人間の群(イ)恋の霊感が舗道から立ち昇る(イ)我が心は愚かなる白痴(爆)エコーチェンバーは時間とともに(ソ)クモの巣を作りだした(魔)システマティックに(電)メタノイアに(内)何百万何千万という(ソ)
注意深いまなざし(コ)放火犯を特定するものは何もない(コ)サスペンスを超えている(バ)アナウンサーの絶叫が頭上を谺して消えてゆく(ク)ルールや因襲をなに一つ守らない(バ)悲劇的な結末はともかくとして(コ)ざっくばらんに(コ)つくりあげることに非常に関心がある(バ)この見捨てられた領域の全体に(コ)幾つかの足跡が残されていた(コ)つねに死刑を利用してきたことを忘れてはならない(処)
目を開けて扉をけんめいにさがす(リ)熱の本質が運動(魔)足音と共に(幽)ピストンの圧撃音や電動機の交替破裂音(リ)赤ん坊を鉄条網からはずして生きる者(五)死せる者たちの上に投げ出す(五)太陽光線は光るうえに熱いが他の天体は光るだけ(魔)星は果てしない自由落下の状態で永久に存在し続ける(多)夜明けに包まれて眠っている(五)王は権力に毒されて暴君となり(魔)騒音が鉄のドアから湧き出る(五)寓話の曖昧さは(魔)手を伸ばして通り過ぎる(リ)その二重の機能から生じる(魔)精神のない自然には模倣も反復もない(リ)
徘徊者どもは夜起きて(葬)気づく(葬)幻の刻み音(蝶)不気味な異常とあの恐怖の一瞬(永劫)計画は渦のように正確に廻り(黒)夢を脅かし(人)生とは意志動機でありその労働者たち(バ)恐怖も忘れて(黒)機械仕掛けの手つき(荒)もはや生きているとは言えまい(バ)永久に(葬)祝聖(五)これが最後の一行(バ)
月明かりで鉛色に(改)丸い斑点や血の筋の(改)モザイク(改)聴衆は(解)うずくまって(五)声もなく(解)静まっていた(解)想像力は視覚が衰えるにつれて(改)衰えていったが(改)少し怯えて(改)ザワザワと不思議などよめきが起こって(解)しかし(時)何等異常と認められるところがない(日本)実際には(時)彼らは集団のなかへ紛れ込むのではなく(時)巨大海獣に飲み込まれ(カ)冷酷非情(葬)未熟な(改)太陽が顔をみせず(改)そこは落ち込んでいる(時)灰燼にすぎない(カ)歯車に切り刻まれた労働(カ)特に軍隊において(時)共通の関係が(薔)抗争的関係のなかで翻弄されてしまう(カ)卑しむ(薔)隷属組織(カ)
またカノンの(カ)鋸屑(カ)常識という観点からみれば(改)聖歌隊の歌をもう少し聞きたい(処)下僕(カ)半盲の老人(改)罪人に石を投げて命を奪った(処)おぼろげに物が見える(改)悪と(五)無実を示す新証拠(処)勃起と(五)電流との接触(処)腐敗の(五)努力(五)騒々しい夜の夢は(五)惨めなものに(ア)ヒステリカルな色合い(ア)はるかに複雑(処)不眠の夜の天職(カ)風と殺人(五)分離と分析(S)モードの問題ではない(カ)サイエンス・フィクションそれは(S)知らずに終わった(S)最後の例(数)人間に関するものだ(S)
階段の途中のあの曲がり角が近づくと(薔)ありもしないものの(薔)凹面鏡の映像(ア)雨靄露湿気(ア)風で波がたつように(現)水はさまざな形を変えて(ア)解釈は無限(現)真理の方から鍵を開けることを知る(現)波の稍高い夜(秋)
始まりをもたず(美徳)造化の(食)何千年(怪人)渡り鳥の群(解)���浪児(日本)遠い日々(ビ)数発の銃声(解)目に見えない音の戦士(解)すべてのものの終わりに(四)抑圧された残虐への郷愁(怪人)人間社会がその膨大な富によって押しつぶされ(解)多くの人が死んだように立ちつくした(サ)権力が過剰になるとその限界のゆえに対立する権力が生まれてくる(孤)狼狽した(解)神は(食)虚空に宙吊りに(食)相手は答えない(食)嘘と腕を組(薔)忍び足でその場を立ち去った(サ)
陽に焼けた肌(コ)鏡をはめ込んだドア(コ)飛沫の音に耳を傾けた(コ)焰とガスの竜巻(コ)
うっかりと天の円天井に穴を開けてしまう(食)蒸気とチリで出来た大きな雲の下(解)巨人ら人間の造るすべて(薔)沈黙が有力な手(ス)
野心を囁きかけては(ゲ)幻聴ネットワーク(バ)カテゴリーを(バ)全くの偽名(ア)欺き(ゲ)そこにいる人全員を(バ)ゲロンチョンは(エ)向こうが(バ)見る前に見る(バ)忍耐強さと落胆に耐える能力(バ)望まない者(エ)いまなお(S)目下の急務は食料を手に入れ(解)
永遠なる物体の質量(パ)ひらひらと(食)魔術師と悪霊によって創りだされた(食)モルフォ属のチョウ(食)だれでもないものの墓(い)壺の周り(食)光の渦巻き(電)夢だと思ったあのときの文字(永)消え去るよう(い)静かになりたい(赤)眠りたい(赤)ノスタルジーを抱いてきた(2)枯れ葉のようにあちこちに吹き飛ばされ(Y)人は銘々(戦)かろうじて(サ)自分だけ生きてゆくだけの話(戦)未来完了(S)
小刻みだが(ス)飢えたような呼吸(ス)新しい男(ビ)奇怪な仮面を着けさせて猥雑なアングルから女性の体を狙った(ヌ)もう一人の(ビ)太陽の踊り(食)陰毛のタブー(ヌ)太股を白日のもとにさらけ出した(美徳)失笑以外のなにものをもさそわない(美徳)善良な野蛮人(食)ヒキガエルに嘲笑を浴びせかけた(食)酩酊犯罪(日本)
ラストショット(ワ)上空にだれも気づかない小さな空飛ぶ円盤が静止していた(怪)全宇宙においてエントロピーは常に増大する(数)夢に見られるうちはいい(い)ひとはねごとに(食)小便を垂れていた(食)
第三の頂点(食)罪に染まる可能性は(ス)もしそれが(ヴ)霊域に踏み込んで(数)電気をながし(ワ)観測した瞬間にそこに現れる(数)閉門を告げる鐘(四)感電死の主たる特徴は血液の黒変(処)
暗黒があたりを支配し(食)視力は非常にゆっくりと衰えていった(改)黒ずんだよだれが垂れる(食)風雪の中で(改)不安な調子(ヴ)
霧雨けむり夜はしょうしょうたる雨となる(戦)コンマのように描きこまれた(ヴ)植物の領域( )虫から人間へと道をたどってきた(ニ)毎夜森の中の空き地で眠った(食)
知覚にはつねに体位の平衡を保とうとする努力が伴っている(眼)何よりも私のものであるもののなか(敗)レプラの限りなく前兆に富んだ液体が滲み込む(敗)
一生ほど数奇なものはなく(日精)書ける以上の意味がある(Y)超人とは大地の意味である(ニ)小さな子供のようにアルファベットの各文字を扱うことをふたたび学ぼうとしなければならない(魔)もし一枚の紙に描いたら(Y)ウンでもスンでもない(赤)不即不離(両)暗黙の前提(ジ)微に入り細に入り(処)ラッシュの中に消えていった(ク)白い嘘(おぼ)くしゃくしゃに丸めて握りしまいにはどこへやったか忘れ(ビ)大地に穴をうがってゆく(悪し)
町に俺の顔写真が出ているのを見たか(日本)苦悩の根があり(時)特別な盲点を持つ(ジ)香り(爆)無数のけだもの(赤)バスタオルを棍棒代りにして(ユリ)全ての言語に数があるわけではない(数の)
暗闇の奥(千)世界の創造という作業を放棄してしまうことは(ニ)失った(アル)一個の人格(ユ)みじめな暴落(アル)死が速やかに訪れ(言)敗北だけでなく絶滅あるのみ(ユ)太陽が見えない(食)完成された概念(ヌ)
覗き魔の(ワ)ロールシャッハテスト(暗)黒い風(東)視覚の謎(眼)除去しようと思わなかったとすれば(眼)黒い鏡に(裸)映像への関心(怪人)黒い翼(ヴ)かっ古い顔は消え去りその代わりに(Y)月の化身(食)別の顔が見える(Y)残忍(内)まっこうから(裸)誤解の余地なく(パ)世界中の(内)脈略の毒性(赤)隠密裡に(濁)苦い永い悪食の卓に(赤)魂を知る(悪)日常的な能天気な貪欲さ(ビ)鏡の中の父親の像に笑いかけ(眼)よく考えれば別の顔を思い浮かべる(Y)
細いサイレン(ヴ)混沌たる渦のまっただ中(お)陰謀のイタダキ(ダ)農耕技術と狩猟の手管によって万物を支配するにいたった(悪)
家庭の晩餐用の器一式をとりそろえてほしい(時)小規模な(静)キッチン(静)乳と塩味のパン(改)野菜スープ(死)肉の塊(ビ)氷に詰めた魚(ビ)デリカテッセンの調理済み食品(ビ)赤葡萄酒(死)料理の輪郭(食)一日の終わり(ビ)懐古談(ビ)全部現在として現れる(大)テーブル(ビ)壁一面が画面(静)団欒(ビ)必ず負ける(大)笑劇(アル)
はるか遠い風景のなか(ヴ)デニムのズボンに汚染した(赤)いくつもの縺れ(イ)こどもだまし(アル)
近視矯正用の(日精)特徴づけるメガネ(内)虫の好かない未来(イ)歯の抜けた魔女の息の(バ)混ざり合う(イ)冷淡さ(ク)声のトーンはわかる(電)不愉快だった(イ)ろくでなし(イ)Xの母親には勝てない(Y)ただ文字に書かれただけではない(イ)
或る夜(ヴ)過去のあらゆる過ちが旅人を不利に導く(ア)悪訳に対するアンチテーゼ(学)嫌悪が恐怖に変わって(怪人)高みからデカダンスの本能が秘かに作動している(ニ)自然によって設定されている(眼)視覚(シ)ジグザグ線に似ている(Y)歩きのクセ(わが)悪には悪を( )横っ面を引っぱたく(半)シンバルを鳴らし(シ)心耳にとどろく(お)
一切の空間の母胎(眼)黒い水の蜃気楼(イ)脂肪のテラテラ浮いたひたい(暗)膏汗がにじみ(半)胴震いがとまらなかった(赤)まったく不明のまま(日精)泥のように眠る(戦)空白期間のあいだ(ス)
独りでとり乱し(蝶)片手に猛毒(ハ)鉄砲玉(赤)単純な図式(学)それが好きでなければならない(歴)白羽の矢(処)自身がニュースになって(電)病勢は(日精)忍ばせた密かな野心の重みで(ビ)どんどん進行していった(日精)
唸り声におびやかされ(箕)ごみごみした(ビ)罹災(わ)泥濘(改)の都(ハ)幾万の衝突(ク)何かの科によって(小)かつての「現在」を甦る不気味な既視感(プ)方向を記述する(シ)記号がその記号をくり返し(見)続き番号が登録され(ビ)目印の役割(数)前へか後ろへか(ニ)エゴからセルフへの(経)見返りの(わ)欲望に制限を課す(裸)多くの家畜(裸)四つの市門がある(パ)さまざまな民族が混合し(ユ)都市が存在し始める(見)
空想的な(ユ)自分達の顔を(蝶)観察をはじめたときは(サ)目にしたものを写す(電)はずんだ眼の色(濁)囁き合い(濁)破片と化して到着するかもしれない(ア)陰険な肉欲の鉄則以外には常に笑い続けてきた(ノ)眠りまで(フ)究竟(刺)をともなった機敏さ警戒心(ア)無口(日精)静穏(裸)に叮嚀に(刺)精神修行の核心(ア)息を吸うこと(内)いよいよ��もしろくなってきた(サ)原始的な観照力(パ)死ねずに(蝶)眠っていた言葉(I)言うことはない(い)
うそ寒い寂しい日(戦)この阿魔(刺)かの眼(う)さまざまな角度から(学)愛情の監視(殺)そっけない(歴)間に合わせの丸太小屋(爆)血の悪酔い(大)コンビニエンスな発想が( )ひどく痛む(半)奇態な自覚にいきなり打たれ(蝶)鬼子母神(戦)手たちが群がる(爆)クエバ・デ・ラス・マノス(数の)
なぜそんな(小)却を経た(赤)古い都(赤)泥棒(大)十夜の夢(大)少し舌のもつれる歌声(裸)変化をズバリ誰によって(バ)拡まったのかその由来は勿論分からない(小)密雲を吹き払った(濁)定めて大向こうを騒がす(刺)毒素遺伝子が絡む(A)九尾の狐(小)
直径数キロの(ク)悪い空気(ノ)墨や朱をだんだんに注し(刺)どんな機械でも(I)退引きならない(半)愛情を帳消し(半)すべての(い)亀裂が(学)地獄(い)吸収する(フ)機械の形をとった化石化(マ)どこか現実離れしない(赤)未来の避けられない変化(解)
合理的な価値(孤)リトル・アジア(フ)男と女の脳(内)不意に思った(永)人間たちはなんとなく不満を持っている(孤)弱者が不正と見なすものも強者にとってはつねに正しいものでしかない(ソ)物語の陰の物語をあばく(処)都合よく操られ(処)うなだれた(い)ある種の心理的な(孤)劣等感を(孤)欲求のセットを育てあげてきた(孤)人間という生物は幾世紀にもわたって自分をコントロールする能力のどうしようもない欠如を示してきた(バ)
「想像」という語の解釈(魔)冷静に物事を見詰め(バ)欲望のまま(シ)聴く(シ)超越した見識(バ)多くの出来事は中立良くも悪くも無く特別に不吉なものでもない(バ)怠慢な安逸との間に(魔)微妙な媒質(X)感覚の映像(魔)
独裁的な(楽)見知らぬミクロコスモス(パ)死は変幻自在な生命体(ア)軽々しく信じたり無批判に受け入れたりすることも危険(ア)腐敗し汚物に変身(パ)亀ふたたび(パ)絵文字は(言)無限にヴァリエーションが作り出せる(言)午に近い(箕)某月某日(戦)同日同刻(同)原典の複製(学)独創的な暗号(わ)目が吸いつけられ(ク)どのようにでも(言)ある観測者と(数)別の観測者(数)同じ時間に偶然立ち止まっている(サ)
「もうどうにも(い)インチキだ明らかにインチキだ」(裸)歯をガチガチ鳴らしながら(ビ)サイオ
マラチオンの(内)ぬるぬる(裸)登場人物の(裸)二三本横にはみ出した乱杭歯に(美)ひきゆがんだ顔(東)整形手術(裸)工夫と情熱(孤)一種の密室殺人(わ)動機を(歴)追剝ぎ(半)ひょっとすると(歴)排除する(I)仔細が(半)巣を食っている(半)少女の手ほどの雲が一つ(ハ)うす気味の悪い(箕)蛇の皮をゆすって幽霊のように笑う(永劫)時の手(ア)坐って微笑んでいる奇怪な像(フ)熾烈な戦い(処)意志をくじく(オ)
最も醜い容貌を持つ(濁)小人の肖像画の意図(フ)筋金入りの糞(視)大長老の威厳などどこへやら(わ)ピカレスクの要素(I)裏銘(永)概念を付与し(数の)登場人物や名前や舞台に関心がある(バ)金歯を吐き出して(裸)制度化された低い暴力(内)全面的に疎外され(視)恥辱のために(裸)不屈で戦闘的な(殺)奇妙な豊かさ(い)最悪の方式(ソ)社会と正気(言)不安に対する不安(時)現代の集団的神経症(時)時代診断のうち(時)有している特徴としては(日本)思考阻害(日本)自閉性(日本)無情性(日本)情性欠如性(日本)嗜虐性(日本)自己顕示欲性(日本)スピードは人間にとって意味への意志(時)によって深く支配され(時)フラストレーション不満不充足を麻痺させる(時)現代病(時)世迷いごと(バ)心への反映(時)迷惑(半)迷信(パ)迷蒙(パ)ミアスマ(パ)被害者カレンダー(バ)孤独な群衆(孤)針と墨と図柄(見)
理想のメディア(ヌ)アメリカ人を政治へ招待している(孤)政治的な支配は上層部が永続的に存在するのに不可欠なのだ(資)新奇な(性)車は(I)軍政(悪)
右脳にインプットし左脳にトランスすることで暗号化する(数)どの局にも同調しないチューニング(ア)マルコーニ無線電報(ハ)連結ラインに電気のけいれん(爆)かすかなきしみ音(蝶)脳内に録音された言葉エングラム(視)死刑執行人の不手際(処)叛乱と解放が行われた(ユ)主体が(バ)身代わりになって体験(バ)死んだ山羊の屍体を夢中になって(C)検屍しようというのではない(C)一様に匂う空気の流れは高度に人工的(匂)頭上の暗雲(マフ)
豪雨(戦)第一の布告(ハ)喉が渇いている(悪)コカ・コーラの成分を(悪)事実ファクトと虚構フィクションをアッセイ分析と(歴)すべての政治組織の(I)悪人の欲望を伸張し倍加する正しい方法はシンジケートのマネー・ロンダリングに(殺)
都市規制計画という墓場に埋葬される(建)白き路上に影をおとし(戦)整備コスト削減(悪)ファシズムの都市(建)市場から駆逐されてしまった(悪)街の音(ダ)電気の欲求(爆)テロリズム的な工業化(西)本道から言えば邪道である(戦)今それは機械的制御の危険性について私たちに警告する目的を果す(I)実験において(匂)意思決定をしているのは機械ではなくその機械を設計して権限を与えた人間(A)生活水準が著しく低下し貧困問題の悪化(悪)格差には常に根本的に主観的で心理的な側面が存在することになりこれは当然ながら政治的な対立を引き起こす(2)予測不可能な(ノ)愛情の要因を排除する(ノ)この面をさげて(イ)あたかも都会人は歯をみがく(戦)
はじめに言葉ありき(言)言葉とは何であるか?(言)「私」という言葉について混乱している(I)言葉を移しかえるだけでは成り立たない(学)怖ろしい硬直から(い)苦痛の蓄積にキーワードをつなぐ(視)黒豹のオペラケイプが床に広がり(ハ)真のユートピアとは(シ)青空を背に(大)最後の生命(ノ)二人の亡骸と(半)末裔で結ばれていた(ユ)バランス(シ)守るべき何の節度をも持たない人々をかきわけ(ノ)たどった道をとらえ(日)失われた文字のアルファべットに従い(見)泥の壁(裸)沈潜し(日)太陽そのものが大地に降りて来ないように(パ)はなしことばを言語を説明する(日)あいだに虚空の広大無辺(い)言語とメタ言語(日)避けがたい(シ)影は長く(グ)不自然に這い進み(大)種をまくことだけを( )言葉だけがただひとり虚無に挑戦する(オ)
曇天の暗い湿ったような日(戦)指導者のインスピレーションの下に(ユ)わが国旗なお健在なりし(裸)小世界にはただゆっくりと四季のめぐりがある(時)人間は成長がとまるとともに衰えはじめる(ジ)このように快いものだとは知らなかった(戦)
夢とは正確に何ですか?(I)習癖ノート(裸)初耳のすじのとおった話(C)手紙の一行一行(C)くちばしをさしはさまない(視)心の内部(電)環境の中にある(電)汚水溜(時)ゴミ棄場(時)非衛生的な場所(時)うらぶれたもの哀しさすべて吸収し熟知している(電)無縁な考察(食)大量の思い込み(2)全てが主要な要素になる(シ)灰(パ)中心点の中心(パ)一つの針穴(い)零のために(い)破壊されたものが積み重なった世界(解)故郷からすすんで身をかくし(時)遠く離れていた(Y)互いに関与し合う対極として存在するのは遺伝子と環境であり(生)生まれと育ち(生)現実的根拠のない無内容なおしゃべり(2)仏も不在にする無心(赤)住所を残さなかった(爆)孤立し酒を飲まずあまり外出しない(視)不在の(爆)克明さ(戦)別の「現実」(コ)狩り集められ(ユ)定義することが不可能(アル)死体(ハ)はだれだ?(爆)一事が()万事この調子(解)
夢の国の住人(残)ロイドメガネ(猟)こじき娘(猟)人を支配せず人にも支配されない人間(陰)狡猾な抜け道(ゲ)最後の場面で(五)共同便所(猟)駆けつける(五)蚋に刺されながら(ゲ)糞(ゲ)惨事の規模(コ)鈍い唸り(薔)定尺(ウ)二十三分(ウ)排便の発見(自)蝿が飛び回る(ク)便器は大陸を汚染するに足る(裸)みずから進んで(猟)足や腕(自)といった具合に身体のあらゆる部分に便をぬった(自)やりすぎで子供じみて見える(演)怪奇千万の事実(猟)四方を林で囲まれた(猟)ファイトトロン(静)屋外便所(裸)完成した(猟)四角四面の日課を形成した(自)太陽の残光(猟)不変にして不動の均整(ク)神経のほうでマヒ(猟)一笑に付し(猟)行き先は定めず(猟)率直でありたい(合)叫び(ミ)強烈な獣性の創造力(貸)非常な自信を得た(猟)夢の(四)完成などというものではない(四)太古への憬れ(残)向かって一歩を進める(四)
未来派(ミ)夫人(マフ)肉親間以外(歴史)害獣以外の(歴史)宣戦布告(歴史)魂のサディズム(歴史)剥奪してやるために(歴史)険悪さと雅量との中間地点(歴史)耳をつんざくような(ミ)高性能プラスチック爆弾(ミ)燃え上がる(歴史)人影(歴史)心おきなく(歴史)空想の富を失った(ス)裏の裏(心)肉親間の(歴史)思いがけない共鳴を生じ(ミ)深怨の瞳を交わした(永劫)火の玉は不規則に混乱(貸)血走ってぴくぴく脈打(お)片づけておかねばならない急用(ハ)九階から急いで玄関にかけ下りた(マフ)乱暴な死にものぐるいの態度(ユ)零落した(ク)青い血管(ク)急激に溶暗(ダ)埋火(戦)巨大な身体(ユ)検屍官は会釈したが(妖)中和しあう(歴史)ウイルスの味を(歴史)数千人の(歴史)住民の中からだれ一人(マフ)劣等者たる(歴史)他人ども(歴史)情報を寄せるものはなかった(マフ)下落した通貨のような(歴史)うそ寒い空気がただよいだしていた(ニ廃)
低く細きは白蛇(秋)跳るが如く(秋)妖々と(忍)半酔半醒の境界(忍)かげひなた(二)先天的の悪人だったのかもしれない(心)一道の稲妻が(秋)すべてを粉砕し(悪し)不倶戴天の敵(悪し)同情を無視(悪し)単なる知り合いであろうが残らず召喚(心)私の過去はすべて私のものではないものです(I)書置きをのこしてみな自決(関)悪は(悪し)変化するもの(悪し)形を視た者は無い(二)蛙鳴と云い蛙吠と云う(二)平仄の都合ばかりでなく(ニ)虫の声寂しく(秋)理屈無しに(雨)雨に泣く(雨)これで午前中の報告は終矣と(雨)
眼球の動き方を確かめる方法(心)浮かびあがった(ア)地球から三千光年(ノ)孤独も友情もみんな同じだ(ノ)塵と憂鬱(イ)人物が(戦)ちぐはぐに(ア)コンスタントに直接、間接に人間を通して表われて(ノ)響いて(ア)一つの面影へ引き返す(イ)ある種の(永)有限の未来(永劫)散髪はいまでも1世紀前でも所用時間は変わらない(2)人間の顔はそれがその時代の様式を形成する(人間)古い物がみんな消え(解)禁欲が長びくともう我慢できない(イ)身動きが苦しいような(イ)一日があきれるほど長く(イ)暗がりにうごめく(大)妙にフィエゾルのホタルの火を思い出した(解)悉く謎を持ち(戦)乱れて飛ぶ白泡のさながら(秋)妨害音のように喋りまくって(ノ)言葉のチリが堕ちてくるとともに(爆)目は左から右にたまらなく動き(I)顔と顔(電)全ての預言者(ノ)実に九人なり(運)虚無は保管されている
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柔らかな熱
僕がこの世界に生きている証
体育祭なんて、誰ひとり楽しいと思っていないのだから、とっとと廃止すればいいのに。 痩せた脚のせいで徒競走で転んで、ひとり手洗い場でハンカチで膝の血をぬぐっていた。ああ、またかっこ悪かった。しかもこの中学の全校生徒、先生たち、保護者たちの前で。 冷たい水分が擦り傷に響く。思わず顔を顰めていると、「城木くん、だっせえ」という声がして振り返った。いつもの何人かのクラスメイトがいて、僕はぎゅっとハンカチを握る。 その中のひとりの手が蛇口に伸びて、きしむような音を立てて水音が止まった。
「向こうつまんねえから、つきあえ」
前髪の隙間から目だけ動かして、そう言ったクラスメイトを見る。 こちらを見る目は、嗤ってすらいない。本当に、ただ怒っている。くそつまらない体育祭にいらついている。僕がうざいとか、そんな感情すらない。ゴミ箱や便器に向けるような、汚物を嫌悪する目── 背中を押されて、囲まれて、静まり返った校舎に入った。「かったるいよなー」とか「親は来るなっつったのに」とか、うんざりした言葉と足音が廊下に響く。 一年二組。僕たちの教室にたどりつくと、「また転べよ」と肩を突き飛ばされて、前のめりになった僕は転ばず立てそうだったけど、わざと床に膝について座りこんだ。 擦り傷が痛覚に刺さる。笑い声がぐるぐる降ってくる。
「マジ城木だせえ」
がつっと肩胛骨のあたりを蹴られて、脇腹も鋭く爪先でえぐられる。小さくうめいて、上履きの臭いが染みついた冷たい床に顔を伏せてうずくまった。頭、背中、腰にいくつも嘔吐のように足が飛んで、まだ治っていない軆じゅうの痣を踏み躙る。 目を���ぶって、唇を噛んで、こぶしを握って、頭蓋骨に直接響く攻撃に耐える。上履きの臭い硬いゴムの靴底が、全身を強く穿って、本当に軆に穴が開くんじゃないかと恐怖がこみあげる。 虚ろになる頭に、校庭の次の競技の放送がぼんやり聞こえる。熱中症に厳重注意の日射しが、教室に白くあふれている。 いつまで吐き捨てられていたのだろう。気づくと、教室に取り残されていた。 ぐらぐらして取り留めのない声をつぶやいて、ゆっくり起き上がった。体操服をめくってみると、内出血がべったり広がっていた。少しカッターで切れ目を入れれば、血管から破裂しているその血がほとばしるのかもしれない。 ため息をついて、自分の席にまで這いずっていくと、椅子によじのぼって座った。背もたれに寄りかかろうとすると、腫れた感触がずきっと脊髄を刺した。だからつくえに顔を伏せて、丸くなって、乾いていく瞳で日がかたむくのを見つめて教室で過ごした。 緩やかに赤く焼けていく空の下で閉会式が行われたあと、生徒はいったん教室に集まって、参加賞のノートと鉛筆、そして紅白饅頭が配られる。 勝ったのは紅組だった。得点に一番貢献したクラスには、賞品が贈られる。もちろんそれは僕のクラスではなかったし、それどころか僕は先生に不在を知られていたらしく、「城木くんにはこれはあげられません」と参加賞をもらえなかった。 だって、みんなが、僕を。 言いたくても、絶対いつも言えなくて、僕はうつむいて「はい」とだけ言った。先生���教壇で今度作文を書くこととかを話して、すぐ解散を言い渡した。すぐに日は落ちて、怪我した脚を引いてひとりでたどる帰り道は、もう暗かった。 住んでいるマンションのそばにまで着いて、明日回収の生ゴミが積まれたゴミ捨て場の前を横切ろうとしたときだった。不意に泣き声が聞こえた。子供の泣き声に聞こえた。あたりを見まわし、その声はすぐ足元からだと気づいてびくっとする。 でも、そこにいたのは子供ではなかった。口をきつく縛られたビニールぶくろを破って、頭だけ出している焦げ茶の猫だった。 ほっとしてから、しゃがみこんでみた。飼われていた猫だろうか。ほとんど警戒しなくて、頭を撫でると嬉しそうに鳴いた。ふくろに入れて、口を縛って、生ゴミと一緒に置いておくなんて── 「ひどいね」と小さく言っても、緑色の瞳は無垢に開かれている。僕は猫をがさがさとふくろから出してあげた。そして立ち上がろうとして、振り返って、また身をかがめてしまう。 猫が哀しそうに鳴いた。ペットは飼ったことがないから、猫のつらい鳴き声がこんなに泣いている子供の声に似ているのは、初めて知った。 ふかふかした軆を抱きあげてみると、連れて帰りたくなったけど、マンションだからもちろんペットは禁止だ。どうしよう、と動くに動けず、ただその猫の頭を撫でていた。とりあえず生ゴミの臭いから離れて、マンションに隣接している公園に行った。 街燈だけ灯って、誰もいない。ブランコで猫の顔を覗きこんだり、胸に抱きしめたりしてると、猫のほうも僕に慣れてきて鳴き声が落ち着いてきた。僕でも知っている、「にゃあ」という鳴き声だ。 このまま、あのゴミ捨て場に置いておくわけにはいかない。心を決めると、猫を抱いたままマンションに入って家に帰った。 鍵をまわしてドアを開けると、おかあさんの声がした。電話をしているみたいだ。「日曜日も私たちのところには帰ってこれないの⁉」──怒鳴っている相手は、おとうさんだとすぐ分かった。 おとうさんは一度、僕を知らない女の人に会わせたことがある。いつも家にいないのは仕事だと思っていたのは、それで崩れた。 おかあさんに気づかれないように、自分の部屋に駆けこんだ。猫はベッドの上に下ろして、部屋をあさって悩んで、口が大きく開くリュックを広げて服を詰めて、寝床みたいにした。ベッドの上を歩いていた猫を抱くと、そこに移させる。 大きくない猫だったから、さいわい大きさが足りないこともなくて、そこに丸くなってくれた。牛乳なら飲むかな、と部屋を出て、キッチンに行くとリビングのおかあさんが僕をちらりとした。でも「おかえり」を言う前に、「切らないでよ!」とケータイ相手にヒステリックに怒鳴る。 僕はコーンフレークの食べるときの皿と牛乳、魚肉ソーセージを素早く抱えて部屋に戻った。 服を着替えると、その夜はずっとその猫を見つめていた。冷房でちょっと部屋を冷ました。猫は牛乳でお腹がいっぱいになったようで、魚肉ソーセージは残して眠りについてしまった。 おかあさんは遅くまで叫んでいて、僕はその声が怖くて小さくなる。うつらうつらしてくると堅いフローリングに横たわって、すぐそばで猫の寝顔を見ていた。 翌日は、代休で学校は休みだった。このままおかあさんに気づかれず猫を飼えたら一番だけど、そんなのうまくいかないのは分かっている。おかあさんが出かけて家が空っぽになった隙に、猫を抱いて外に出た。 九月の白日は、まだまだ暑い。でも、猫の体温は優しいから心地いい。 ひとまず向かったゴミ捨て場は、空っぽになっていた。この猫がゴミと思われて、収集車のあの回転する圧迫につぶされていたかもしれないと思うとぞっとした。 この猫の飼い主は探さないほうがいいのだろう。あんまり僕も会いたくない。だとしたら、新しい飼い主か。どこに連れていけばいいのだろう。 たたずんで猫と見合って悩んで、そういえば、駅までの道にある動物病院が迷い犬を預かっている張り紙をたまに出しているのを思い出した。よく分からないので、僕はそこに行ってみることにした。 猫は僕の腕に抱かれて、おとなしくしている。いつも抱かれていたから、慣れているのだろうか。いつも抱いているような飼い主だったのに、あんなふうに捨てたのか。何で愛したはずのものにそんなことができるのか、どうしても分からなかった。 動物病院の前に着いても、嫌な顔をされたらどうしようとドアを開けられずに躊躇っていた。そうしていると、後ろからビーグル犬を連れた女の人がやってきて、入口のドアを開けて犬を先に中に入らせ、「どうぞ」と僕のことも自然と招き入れた。 僕は挙動不審になりそうになっても、動物のにおいがする病院の中にぎこちなく入った。 その瞬間だった。
「せぴあ!」
突然そんな声がして、おろおろする間もなく、高校生くらいの女の子が僕に駆け寄ってきた。猫はするりと僕の腕を抜け出して床に降り、その子の足元にすりよる。女の子は待合室の床に座りこんで、いきなり大声で泣き出して、ビーグル犬も、その飼い主の女の人も、顔を出した白衣の男の獣医さんも、もちろん僕もぽかんとした。
「ほたるちゃん」
そう呼ばれた女の子は、獣医さんを振り返って「先生、せぴあ見つかったよお」と大粒の涙をぼろぼろこぼす。すると、獣医さんもほっとした表情を見せて、突っ立っている僕を見た。
「君が見つけてくれたのかい?」 「え、……あ、はい」 「どこにいたんですか⁉ 私、昨日の夜からずっと探してて、」 「夜……は、僕が部屋に連れていってました。すみません」 「どうやって連れていったんですか? この子、家猫で外には出ないのに──」 「えっ……と、……ご、ゴミ捨て場に、いたので。マンションの」 「……え」 「ふくろに入れられてて、そのままじゃ、ゴミと一緒連れていかれるかもしれないと思って」
待合室が静かになって、奥から犬の鳴き声だけが響いた。女の子は猫を抱き上げて、「あのくそ親父」と苦々しくつぶやいた。 それから立ち上がって僕を見て、「ありがとうございます」と頭を下げた。
「たぶん、それをやったのは父です。ご迷惑かけてすみません」 「あ、いえ。連れて帰ります、か」 「はい。もちろん」 「大丈夫、ですか」 「……父は普段、家にいないので。ふらっと帰ってきて、この子がいたからそんなことしたんだと思います。昨日、私が留守にしてたのが悪いんです」 「ほたるちゃん、またそんなことがないとは限らないだろう。ここで一時的に預かってもいいんだよ」
獣医さんはビーグル犬の前にかがんで、その喉を撫でてやりながら言う。
「でも」 「来年、高校を卒業したら家を出るって話してたじゃないか。それからまた、せぴあちゃんと暮らすほうが安全じゃないかな」
女の子はうつむいて押し黙った。僕はその横顔を見つめて、ずうずうしいかとも思ったが、「そっちのほうが」と言った。 女の子は僕を見て、「少し考えてから」とせぴあというらしいその猫を抱いてソファに座った。「ゆっくり考えなさい」と言った獣医さんは、ビーグル犬を抱き上げて女の人と診察室に入っていった。 僕はどうしたらいいのか迷い、ここで去るのも冷たい気がして、何となく女の子の隣に隙間を作って座った。女の子は僕に顔を向けて、「この子がいないと」と泣きそうな顔で咲った。
「私、家でひとりぼっちなの」 「……ひとり」 「おとうさんはそんなだし、おかあさんとは血がつながってないし。妹はおとうさん同じだけど、おかあさんに懐いてるから」 「………、そっ、か」 「私なんか、存在してないみたいなの。この子だけ、私にあったかくて、話聞いてくれて、優しいの」
僕はうなずいて、視線を下げた。ふと、彼女がこんな残暑に長袖に着ているのに気づいた。 ちょっと考えたあと、「でも預けたほうがいいと思う」と僕はつぶやいた。何か言おうとした彼女に、勇気を出して先に言ってみた。
「僕が話を聞く」 「えっ」 「あったかい、とかはできなくても。僕が君の話を聞くよ。またその子と暮らせるまでのあいだ。僕でいいなら」 「………、」 「変な、意味とかはなくて。その猫がまた同じ目に遭うのは、僕も怖いし。���も僕が助けられるかなんて分からないし」 「……いいの?」 「うん。あっ、でもすごいこととか、意見とかは言えない。聞くだけしか、できないと思う。それでよければ」
彼女は僕を見つめて、ふと柔らかに咲うと「優しいね」と言った。慣れない言葉に狼狽えて、僕は首をかしげた。彼女はせぴあを抱きしめて、涙の痕がある頬を焦げ茶の毛並みに当ててから、「分かった」と目を閉じてうなずいた。 そうして、せぴあは動物病院でしばらく保護してもらうことになった。 僕は学校が終わると、ほたるさんというその人と待ち合わせて、晴れの日は公園で、雨の日は図書館の軒下で、いろいろ話して過ごした。僕は僕のことをあんまり話さなくて、ほたるさんが空を眺めながら自分のことを話してくれた。 ほたるさんの歳は十九歳。ほとんど記憶にない二歳のとき、本当のおかあさんは出ていった。おとうさんはまもなく再婚した。おとうさんはリストラ以降働かなくなった。義理のおかあさんと妹は結束しておとうさんを疎み、まとめてほたるさんの存在も疎んでいる。家族に嫌われているうち、いつのまにか人間関係に混乱するようになった。自然と作れていた友達との距離が測れなくなった。 もしかして今のうざかったかな。ううん、逆に冷たかったかも。でもどうしよう、目を見て確かめられない。あれ? 人の目の見るのってこんなに怖かった……? 眉を顰めてうつむきがちになって、やがて周りにはひとりも友達はいなくなっていた。明らかなイジメはない。強いて言えば仲間外れ、無視、孤立。 笑い声が恐ろしい。その場にいて申し訳ない。消されていなくなりたい。中学を卒業し、ベッドでふとんをかぶって一年引きこもった。 おとうさんは部屋に怒鳴りこんでくる。おかあさんと妹は蔑んだ目を向けてくる。 ここにいても救われない。この家庭は居場所にならない。どこかへ逃げなきゃ! 気づけば、手首がいっぱい泣きじゃくって、赤く染まっていた。このまま病んでしまわないために、自分ですべて調べて、通信制高校に通うようになった。友達は相変わらずできない。けれど、通信制高校ならそれでもわりと浮かない。 淡々と単独行動で登校し、ついに今度の三月にほたるさんは高校を卒業する。
「ずっと明日が地獄だった」
晴れた冬の日、薄く白くなるようになった吐息と、ほたるさんは公園のベンチに腰かけた。僕も隣に座った。
「でも、やっと春から自由なんだ」 「うん」 「楽になれるといいな。家さえ離れたら幸せになるってものでもないだろうけど」 「そうかな」 「分かんないけど。切ったりするのは治ってほしいな」 「今でも切るの?」 「いらいらするとね。吐きたくなるの。食べ物吐く人と一緒だよ。血を出してつらさも流す」 「……そっか」
僕は自分の無傷の蒼い手首を見る。それに気づいたほたるさんは、「真似しちゃダメだよ」と微笑んだ。僕は小さくこくんとする。
「ずっと、切ることしか手段がなかったけど。せぴあ拾ってから、あの子が気持ちを癒してくれるの。抱っこしたらあったかいことで、すごくほっとする」 「せぴあ、あったかいよね」 「うん。あの子がそばにいるあいだに、人間として立ち直れたらいいな」
冷えこむ指先を握りしめて、そうだな、と思った。せぴあがほたるさんに生涯寄り添ってくれたら安心だけど、そうはいかない。あるいは、せぴあのように思える人間とほたるさんが出逢えたらいいのに。 それを言いたくてもうまく言葉にまとまるか悩んでいると、「ふふ」とほたるさんはおかしそうに咲った。
「何か、いつもだけど。私の話ばっかりだね」 「えっ。あ──いや、ほたるさんの話を聞くって約束したから」 「君のことは訊いちゃいけないの?」 「……僕、は」
イジメられてるから。さくっと言ってしまうのは簡単なのだけど、そのひと言で終わらせるのが妙に苦しい。
「あんまり、おもしろくないよ」 「私の話もおもしろくないでしょ」 「そんなことないよ」 「私は、君の話も聞きたいけどなあ」 「僕の話……」 「無理は言わないけどね」
僕は顔を伏せて考えた。学校や家庭での光景が、またたいて頭の中を走り抜ける。 蹴る。怒鳴りあう。罵る。放り出す。貶める。 僕は学校では生きている価値がない。僕は家庭では存在している価値がない。けれど、それを言葉にしたら、声が空中を引っかいて何かの痕痕になるのだろうか。そう思った僕は、ゆっくり口を開き、「嫌な話だけど」とぽつりぽつりと学校や家のことをほたるさんに話していた。 ほたるさんの地獄は、春になれば終わる。僕の明日にはまだ地獄が来る。クラス替えまでだろうか。卒業までだろうか。死ぬまでだろうか。死ぬまで僕は「みんな」の中に溶け込めず、孤立して心を粉々にしていくのだろうか── ふと、ほたるさんが僕の頭に冬が染みこんだ冷たい手を置いた。僕はほたるさんを見た。
「泣かないんだね」 「……え」 「泣いてもいいんだよ」
目を開いた。色づく息が震えた。 何、で。何で、そんなこと。 だって僕は、苦しくていいのに。みんな僕に怒りを捨てていくけど。哀しくていい。僕がいなければ離婚できるけど。痛くてもいい。心も軆もぼろぼろだけど。全部全部、慣れてしまったから。 でも、優しくはしないで── 僕の頭を撫でて、ほたるさんの袖の陰が見えた。
「かっこ悪いとか、気にしなくていいんだよ」
優しい声に、視界が滲んだ。そのまま、熱い雫が頬を伝っていた。ついで、どんどんあふれてくる。ほたるさんは袖を引っ張って、その手を僕の手に重ねた。僕の手もほたるさんの手も冷えている。
「この手でせぴあを抱いて、助けてくれたでしょう? 君が拾いあげてくれたから、今、あの子は生きてるんだよ」 「………っ、」 「君がここにいるから、春になったら、せぴあはまた私と暮らせるんだよ」 「……そんな、の」 「君には、そんな温かさがここにあるんだよ」
何も持たないほたるさんの手が、僕の何も持たない手を握った。すると、ゆっくりと微熱が生まれてくる。 ここに、ある。僕も、ここにいる証拠を持っているのだろうか。 ひとつでいい。小さくていい。ここにいる証明。 せぴあを拾ったあの日、当たり前にもらえる参加賞ももらえなかった。でも僕も、生きている参加賞を持っているのだろうか。訊きたくても、もう嗚咽で声が出なくて、ただ手を握りしめていた。その手をほたるさんが包んで握ってくれていた。 春になり、ほたるさんはせぴあと一緒に町を出ていった。僕は春風に桜が舞う中でそれを見送り、ほたるさんと最後に交わした握手で、手の中に残る柔らかな熱を握った。 数日後、新しいクラスで学校がまた始まる。今度はクラスメイトにきちんと挨拶してみよう。死ぬ気になって。どうせ本当に死ぬわけじゃない。なのに何にビビるっていうんだよ。きっと、何も怖いことなんてないんだ。 ほたるさんとせぴあみたいに、僕も新しい毎日をつかもう。伸ばせば誰かに届くこの手で、きっとつかむ。だって、この陽射しの下、僕も確かにこの世界を生きているひとりなのだから。
FIN
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当日からは10日強も経ってしまったけれど色を塗りました。
そらうた発売20周年おめでとうございます。
この件に言及している方はネット上に何名かいらして(失礼ながら決してメジャーなタイトルではなかったため)嬉しくは思いましたが、この気持ちを共有できる具体的な場所があるわけでもないのでこうしてネットの隅でお祝いします。
以下、語ります。
2004年の11月にこのゲームをプレイして大いに感銘を受け、時期を同じくして同ゲームをプレイした友人と共に冷めやらぬ熱の赴くままに翌年の初夏に四国は観音寺(※)まで向かった経験が今の自分の人生にもつながっているため、個人的には思いのあるゲームです。ガルクラの仁菜にとっての旧ダイダスみたいな感じです。観音寺の名を初めて認識し、四国上陸も初めてで、そして香川を好きになったきっかけでした。
(※:作中の台詞で何度も地名を断言されていたため。発言は佐倉知夏によるもの。大野原、豊浜との合併前の旧市域)
また、主人公の名前が「小西道隆」だったので、道中の多度津で「道隆寺」をみつけた時には友達と大笑いしました。著名な八十八ヶ所札所なのにまったくの無知だったので「どうりゅう…?……みちたかでら!」と。まぁ、ここから主人公の名前を取ったとかではなく、あくまで偶然の一致でしょうけどもね。
そして作中そのままの景色は観音寺市にはなかったのですが…台詞では「四国は観音寺」と断言しているわけですし、ゲームでの背景は創作で描かれた架空性の高いものなのだろうと。
少なくとも2004年発売当時、四国に「観音寺」と名のつく自治体はあそこしかなかったはず。字(あざ)なら他にもあったかもですが作中台詞のニュアンスから考えても字の名をそこまでフィーチャーするとも思えず。
シナリオの中では銭形砂絵やカト○チはおろか、そうめんは出てくるのにうどんすら出てこないので観音寺どころか香川要素すら限りなく0だった、と。
天空の鳥居も今でこそ有名ですけど当時はSNSはmiなんたらしか存在しなかったので知名度も今ほどではなく、現地で話した方からも聞き及べませんでしたしゲームにも当然、出てはきません。
同じなのは砂浜があることぐらい?
ゲーム内の台詞に「砂浜までは街を抜けて駅前を通って国道を越える」みたいなものもあったのですが、当時の市域では室本の方と有明浜の2ヶ所しか砂浜はなかったはずなので、台詞の通りで到達できる浜はそもそも存在していなかったと記憶していますし、国道も11号と377号しかなくそのどちらも当時の市域の中からしたら海への距離はあったのでやはり全体的に実在性は薄いものだったとは思います。
それでも。
「実在はせずとも似た場所を見いだす」のは妄想力をかきたてて楽しかったので地名を断言してくれているのはありがたかった。
いまほど「寸分違わず作中そのままの聖地」が一般的ではなかった時代でしたし。
(いまの時代のコンテンツにおける聖地舞台地については、あれだけ具体的に描写しておいて'実在の○○とは一切関係ありません'と言い張るのはそりゃあ関係はないだろうけども実社会への影響は生じうるし、危ないバランスの上で成り立っている文化だなと思う瞬間はあります)
まあ、それはそれとして。
今でも観音寺市に行く際にはゲームのサントラとC67までのドラマCDの音源データは持ち込んで聴いているので街への気持ちは健在のままです。形はレモンなのに味はいちごの果物とか夏祭りに向かうとか色々ありますが、現地では何度聴いても「あ〜この街にみんな住んでんだな〜」と。
20年も経つのでメインキャラクターのみんなは今は37歳で…たまねえや薫先生は45歳…全員昭和生まれかい。ラップトップは登場するのに当時の学生は持っていたはずの携帯電話は出ていなかったので時代設定が発売当時で合っているのかはわかりませんけどね。
キャラクターたちが今も観音寺で暮らしているとしたら普段は何してんだろうな〜とは思います。初詣は琴弾八幡宮なのかなとか、結婚するなら宇多津の方で式を挙げたり、遊びに行くときは綾川のモールは鉄板として、岡山や高松まで出たりするのかな、とか。子供がいたら100年先もあの場所にありたいテーマパークに行ったりしているのだろうな、とか。
ゲーム内にて「小西家は海の方で、佐倉家は山の方で尚且つ遠くはない」旨が語られていたので、ロケーション的には小西家は室本町のセロリ畑の近くとか、佐倉家は高屋町の段丘の方かなと推定したりもします。市南部の粟井地区も山側ではあるのですが海からはさすがに遠すぎるし両家とも七宝山近辺なのだろうなと考えます。
背景グラフィックと比較して「実際に市の南側は山脈になっていて山の稜線が途切れるはずないからこの画面の山は北側の山が最も印象に合うね」みたいな部分もあります。これらも楽しみのうちです。
累計で1ヶ月は滞在しているのでそれなりに生活者的な視点での解像度は高まりました。
その観音寺はすっかり勇者の聖地として盛り上がっている街で…あのジャンルで二次創作活動をしていたこともありますが、それはそれとして、今2004年のゲームの聖地として赴いているのは自分だけかなとか毎度思ったり。
ゲームについては真奈と葵ちゃんのシナリオが特に好き。2人とも訳ありなので今から思えばツッコミが脳裏に浮かぶ瞬間はあるものの。プレイ当時、絵的にはたまねえが一番好きでした。ただ、C67のドラマCDでの優遇ぶりからも本編シナリオの厚みからも、真奈が本当のヒロインには思います。20年経ってみて、ぼくも人間的に真奈が一番好きです。ああいう人とは楽しく生きていけそう。
この記事のイラストについては。
ずっと大好きだったのに全員がいわゆる初描きでした。
20代の初頭におそらく模写はしたことはあったのですが、自分の絵で書き起こしたのは初めて。
10年以上二次創作活動をしている身で、一番好きなゲームのキャラクターを描いたことがなかったので味わいは深かったです。描いている最中、ゲーム内でのやりとりやリアル観音寺市内を思い出しとても楽しく、自分は本当にこのゲームと観音寺が好きだなと改めて認識しました。
そして。薫先生、冴木先生、ともかちゃん、瀬戸内さん(本体)、みぃくん(本編の目隠れ君orC67の冊子)、画面に入らずごめんなさいね。
発売30周年の時に生きていたらまた描きます。
そしてまたこうして思いの丈を語ると思います。
いつまでも大好きです。
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果実、過日、佳日
東京でもやっと蝉が鳴くようになってきて、らしからぬ暑さと夜の雷雨に振り回されながらも、なんだかんだ夏ってやっぱりいい季節だな~って思う毎日です。
このまえおうちの近くの神社でやってた夏祭りに行ったのだけど、走りまわるこどもたちが話す言葉に聞き覚えがなくて、久しぶりにはっとしてしまいました。お昼に学校で「行くよね」って言いあって、放課後に私服で集まるときのへんな高揚感も、ほっぺをじりじりくすぐる祭囃子も、「かき氷のシロップってぜんぶおんなじ味らしいよ」っていうお決まりの会話も、ソースの香りも。ぜんぶに既視感があるのに私の居場所じゃないかんじが、なんか夢見てるみたいで不思議で。でも切なくも悲しくもなくって、どうぞって居場所を譲ってあげたようなあったかい気持ちです。そんな素敵なひとときだったな。おいっしそ~なやきそばあったから買って、友だちに電話をかけて話しながら帰りました。鉄板で焼いてもらった焼きそば、最高だったな! 来年も行きたいな。そのときは浴衣着ようかな、でも暑いのやだからやっぱり十月末くらいでいいな。
行ったカフェのマガジンラックに写真編集の本が挟まっていて、ふうん、と思いながら似たような色になるようにまねっこしてみたら、ガラスの質感が活かされてかわいい色味になった! 中学の吹奏楽部も、高校の写真部も、大学の演劇部も、ぜーんぶ私の血肉になっているしとびきり楽しかったけど、三分野(言葉あってる?)のなかで一番よく引き出しから出すのはやっぱり写真です。インスタ全盛期だったことも合わさって、学校で撮った写真がたくさん手元にあるので、お話を書くときに参考にできるのがうれしい。今が常にいちばん楽しい私のことなので、過去に戻りたいなって思ったことも思い出の中で生きるつもりもさらさらないけれど、いままでの経験が私を助けてくれているのは確かです。
高校時代「学校での日常とか、高校生の新鮮な感性はきっといつかなくなっちゃうから」っていっぱい写真撮ってお話を書いていた私、ほんとありがとね。助かってるよー。今でも楽しくお話書いてるし、いろんな人と出会って書けるものもぐんと増えるから、大人になるのを心待ちにしててね。
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0810
お盆は夫の実家に何日か行くことになり、新盆というものをやるそうなんだけど、いろいろ初体験なのでドキドキしている。お墓で提灯に火をつけて持ち帰るのとかジョジョのポルポじゃん…と思った(5部のスタンド使い、ライターの火を消さずに持って帰ってこいってやつ)。 提灯やきゅうりの馬やなすの牛や、そういうのをやったことがなくて、サザエさんとかに出てくる風習だと思っていた。サザエさんのようなアニメ��出てくるさまざまな風習・行事はほんとにあるものなんだろうけどわたしのうちにはあんまり関係ないものであってさほど真に受けなくてよい…という認識。 子どものころ、うちはマンションだからそういうのはないよと親に言われていて、お盆もお彼岸も地域の祭りも年末年始もだいたいのことを「マンションだからうちは関係ない」で済ませていた。いま思うと無茶な理屈で可笑しいんだけど、この「真に受けなくてよい」という態度はわたしの生活のいろいろなところに根を張っている気がする。これはけっこういい意味でも。
9月の文フリ大阪に遊びに行くためのきっぷを予約。サンライズ瀬戸という寝台列車に乗りたい。ネット予約では座席指定ができないそうなのでみどりの窓口へ行くことに(せっかくなら海側の席に乗って朝日が登るのを見たい)。 予約は1ヶ月前の朝10時スタート。人気の列車や座席はすぐ売り切れてしまうそう��、そのため窓口に朝早くから並び10時ちょうどに処理してもらう「10時打ち」というのがある…と鉄道ファンのブログやyoutubeで知った。サンライズのシングル席は席数が多いのでそこまでではないそうなんだけど、どうせ窓口に行くならと10時に並んでみることにした。ただ10時打ちというのはあくまで非公式であって、駅員さんの親切でやってもらえる場合があるくらいに考えた方がよいと鉄道youtuberの人は言っていた。まあそりゃそうよな。 9時20分くらいに到着。みどりの窓口に行ってみたら本当に10時打ち専用列があったので、ほんとにある!とちょっとテンション上がった。わたしは3人目。40分近く何かに並ぶということがそうそうないので、ほんとに並ぶのかなあという気持ちとワクワクする気持ちがまざりあってなんだかすごく非日常だった。こういうことを含めて旅行なのかもと思った。 待っている間、外国人の観光客の人たちに道をきかれた。チームラボとディズニーリゾートのツアーに申し込んでいるがここはチケット引き換えの列か?、いやこれは一ヶ月後の電車を予約するスペシャルな待機列です…とわたしのたどたどしい英語で伝わったのかどうか、どうだろう。 9時50分くらい。4つある窓口を2つつぶして前2人を案内。56分くらいから時報を流してスタンバイ態勢になり、チッチッチッポーンというのがけっこう大きな音で30秒ごとに流れ、なんだかわたしもドキドキしてきた。10時打ちってこんな"ガチ"なんだ。むかしやった試験監督のバイトを思い出したけどもっとシビアな感じ。窓口の人も真剣な表情で、10時ちょうどにポーンと鳴ったあと「とれました」という声が聞こえてきてちょっと拍手しそうになった。窓口の人も最前のお客さんもよっしゃーとか叫んだりはしないんだけど、静かに健闘をたたえあっている感があってなんかよかった。 わたしの番は9時4分くらいだったかな。海側の席をお願いしますと言ったら「とりあえず空いている席をいくつか押さえますので選んでください」と言われ、とてもテキパキしていて感激した。予習してきたとおり海側で���の大きい二階席を選択し、予約は成功。すげーー。ほんとにできちゃった。調べたことを実行して叶えるのって快感なんだな…。いつも行き当たりばったりなのですごく新鮮。 そして予約できたのもそうだけど、こういう電車のきっぷって、名前とか住所とかアカウント新規作成とか本人確認とかそういうのなんもなくできちゃうので驚いた。つまりこのきっぷを落としたら終わりってことだから気をつけよう…と思った。
サンライズもとれたことだしちょびっと遠出しよう、お盆の前に気ままな休日をやろうと思い、横浜の元町公園のプールへ。ここは市営ですごく古いんだけど、丘の上の公園で緑に囲まれたロケーションがすごくいい。50メートルのまっすぐなプールがどーんとあるだけ。コンクリートのひな壇に囲まれていて、日焼けしたり昼寝したりみんな思い思いに過ごしている感じ。なんでかわかんないんだけどカンカン照りの日でもあんまり暑くない気がする(プールの水はそれなりにぬるい)。コロナ以降ずっと来ていなかったので久しぶりだったけど、あんまりようすは変わっていないようだった。 なんていうのかな、スポーツでもなくリゾートでもなく銭湯っぽい感じがするのかな。カップルも親子連れもいるけど、一人で来てる人も多くて、ろくに泳げないわたしが一人で水中ウォーキングっぽいことを黙々と(ヨタヨタと)やっていてもべつに浮かない。しっかり泳ぐ人も浮き輪で浮かんでいる人もセクシーなビキニの人もいて、バリバリタトゥーもOK。今日も遠目から見たらラッシュガードに見えるくらい立派なタトゥーの人が元気に泳いでいた。むかしはふんどしのおじさんとかいたけどさすがに今はだめっぽいのかなー。 このあいだ参加した夢でしかいけない街アンソロジーに書いたのは団地の小さいプールだったけど、たぶん自分のイメージにあったのはこのプールだと思う。あと横浜神戸アンソロでもちらっとこのプールを書いた(いつも同じようなことを書いている)。 昼過ぎまで二時間くらい泳いで、バイミースタンドでサンドイッチを食べて帰宅。
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お遊戯会、はじまりはじまり/Let Parents' Day Begin (English Translation)
youtube
Music/Lyrics: Ukaroku Illustration: Danjo Sora Vocals: Hatsune Miku
i had this translation sitting around in my drafts for a while and seeing that no one else tried to translate this i fixed it up a little
it's a very good song please listen to it
「観客の皆様この舞台上へとご招待」
‘To everyone in the audience, I kindly invite you to come up to the stage.’
カーストの下位が粋がる様はただ無様だから 手を叩いた 玩具にしよう 囲めや囲めと焚いて 惨めなザマに仕立て上げて 手を叩いた 愉快な見せ物だ
Those in the lower castes just look uncouth showing off so I clapped my hands. Let’s turn them into toys Surround, surround and burn them, framing them as pitiful beings I clapped my hands. What a pleasant show.
クラスの誰も彼も知らぬ存ぜぬ顔で目逸らし 標的にはなりたくないもんね 見殺しにして手にした安寧の居場所は心地いいね
Everyone in the class looks away, feigning ignorance for they do not want to become a target, it seems. How comfortable it is to have peace in a place you belong in as you leave others for death.
弱い者に価値はないじゃん? 私が価格を決めたげるよ 誹謗的コーデでキメれば少しはネタになるからさ 頭垂れなさいな 誰からも持て囃されてんじゃん 退屈な毎日が今じゃ賑やかなお祭りね 飽きるまで君は猿回しのサル ほら くるくるり
Isn’t there no value to weak people? Let me decide your price for you. If you dress up in such a slanderous coordination, you’d make a good story So lower your head, are you not being given praise from everyone? What was once a boring everyday life is now a lively festival Until you’re done, you are a monkey trainer’s personal monkey-- Look at you, spinning round and round. [1]
私のことをこそこそ誹る大人の方々 手を叩いた 謎かけしましょう 匿名を振り翳して 誰かさんを晒し者にしてる 手を叩いた 匿名は誰でしょう?
The adults secretly slandering me clapped their hands. Now riddle me this Brandishing anonymity, someone has been exposed. I clapped my hands. Who is the anonymous person?
数を利用して血祭りに上げてた誰かもいたなぁ まるではしゃぐ子供みたいに それを囲んでさ 肩組み騒ぐ大人の皆様方
Using numbers, there was someone who was vilified too, huh? It’s as if all the adults, putting their arms around each other and making merry were enclosing it, like frolicking children.
弱い者いじめはノーと告げる唇で人を冒涜 それが特権だと言うなら早く大人になりたいな もしくは年召して 理路で整然な大人さんは 私らと同じレベルのお遊びがお好きなの? 答えなどいらないから似た者同士仲良くしましょう
The same people who say no to bullying the weak defile others If that’s called a privilege, then I want to become an adult quickly Or, when they put on their years, would those logical, orderly adults like to play games at our level? You don’t have to answer, so let’s be friends on the basis of being similar fellows.
はいはい 気に食わなくて狙いを私に定めたんだ モラルとか正義 建前にすれば石も投げやすいかい? コツは壊さないようギリギリ狙ってみるといいよ 玩具の遊び 心得てる先輩からの餞さ
Yes, yes, I don’t like this, my purpose was just decreed on me If morals, justice and the like were the front you used, it’d be easier to throw the first stone, no? It’s fine to just barely aim for it, so as to keep the trick intact This toy’s game, it’s a parting gift from a senior who gets it, see.
敗者は焦がされて 舞台をご退場 めでたいね 当事者以外が火を囲み この舞台は幕を閉じた 成すべきこと成して 拍手喝采で嗤い合って 燃え殻を撒いて遊ぶ様 私と瓜二つね 新しく産まれ堕ちた(あなたら)私の門出を祝おう
Burn the losers, exit the stage, how auspicious! The fire is contained within the concerned parties, the curtain has fallen on this stage Carry out what must be done, sneer at the applause, Playing by scattering cinders, my nails split Let us celebrate the departure of (you) me, newly dropped into this world
ほら はじまるよ
Look, it’s about to begin.
--------- Translation notes
[1] - The literal translation for monkey trainer in Japanese is 'monkey spinner', hence this line.
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今年はジブリ映画をたくさん観れる、な2月(2024年2月の日記)
■2024/2/1 木曜日。2月になったのでここで自分のInstagramのポスト数をチェックしてみましょう。現在2446。自分の日記を確認すると2024年がはじまった時点でのポスト数は2370。2446 - 2370 = 76 なので、自宅と劇場、短編映画もすべてあわせて2024年1月は76本の映画を見れたことになります。これは過去の自分の映画鑑賞と比べてもかなり良いペースなはず。もっと映画が見れなくなる時期もくると思いますが、今年こそ年間700を目指していきたいです。お昼は丸亀製麺にて、釜揚げ大といか天。釜揚げ半額ありがたい。U-NEXT、MyFFFの短編『夏休み』を見る。17時半で仕事を切り上げ東中野へ向かう。群青いろ『FIT』鑑賞@ポレポレ坐。予約フォームから予約してもメールがとんでこないのでとても不安でしたが予約できていたようです。未見の群青いろ過去作が観れて嬉しいな。あとゲストの山本英監督がトークのMC的な役割もはたすというのが面白かった。U-NEXT『特殊作戦部隊:ライオネス』E6を見ながら帰宅。急にモーガン・フリーマン出てきた。
■2024/2/2 金曜日。午前中だけ働き午後半休をいただく。時間ないのでお昼はコンビニご飯です。日比谷へ向かう。移動しながらU-NEXT、MyFFFの短編『戦いとは終わりである』を見る。TOHOシネマズ日比谷にて『ダム・マネー ウォール街を狙え!』鑑賞。TIFFのときにもらったTOHO日比谷のタダ券がついに使える、と思ってたら、でました「この券が使える予定席数に達してます」的な表示。はぁ。こういうとこだぞ、TOHOが嫌われるのは。すぐに渋谷へ移動。Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下にて『ゴースト・トロピック』と『Here』を連続鑑賞。『Here』のあとにはバス・ドゥヴォス監督、リヨ・ゴンが登壇してのトーク。トーク後にはお二人にサインもいただきました。嬉しい。帰宅してからAmazon Prime Video『Mr. & Mrs. スミス』E1を見る。1話の監督はおなじみヒロ・ムライです。
■2024/2/3 土曜日。この週末はのんびりです。娘と実家へ遊びに行く。Disney+『マイセルフ』を見る。実家の近所のお寺へ、節分なのでたくさん出店が。娘はチョコバナナ、僕はだんごを買って食べる。実家の片づけをしてて懐かしい雑誌を見つけてつい読んでしまう。夕飯はおでんをご馳走になる。娘のリクエストのやつ。最近おでんが好きらしい。帰宅してからApple TV+『マスターズ・オブ・ザ・エアー』E3を見る。おぉマジか。DAZNでサッカーアジア杯日本×イラン戦。ロスタイムPK失点で敗戦。ぐぬぬ。テンションの低いままラフランスさんとDiggin' Disney+収録。途中にお札による中断がありました(気になる方は配信をチェックしてみてください)
■2024/2/4 日曜日。がっつり寝坊。9時ぐらいまで寝てしまった。朝ごはん食べてから図書館へ。本日の外出はこれだけ。Amazon Prime Video「エクスパッツ ~異国でのリアルな日常~』E3を見る。BSSTO『おじいさんのボート』を見る。音源を1本編集してすぐ配信。Amzon Prime Video『見えざる手のある風景』を見る。U-NEXT『タフ PART Ⅰ 誕生編』を見る。Netflix『死霊のはらわた ライジング』を見る。clubhouseにて、U-NEXT『ロッキー』同時視聴に参加。追悼カール・ウェザース。10年ぶりぐらいに『ロッキー』1作目を見たけどミッキーとのくだりでグッときちゃうな。夜中まで映画駄話をして寝る。駄話をしながら実はメルマガの原稿も書いている。
■2024/2/5 月曜日。なんか雪が降る予報。朝ウォーキングは問題なしでした。お昼にOKにランチを買いに行くときについに雪がちらつきはじまる。降ってきたなぁ。お昼休みにU-NEXT、MyFFFの短編『オアシス』を見る。午後いそがしくて集中して仕事をしていたら、いつの間にか外はがっつり積雪。これは会社の最寄り駅から出てる電車がヤバそうなので早めに帰ろうかな、と思っていたらなんとすでに止まっているとの情報。うーん、ちょっと対応が遅かった。電車通勤組はピンチ。そこで車通勤の先輩が電車が動いている駅まで送ってくれるというので、お言葉に甘えて僕を含む電車通勤組3人は八王子駅まで乗せてもらう。いやー助かった。バスも並んでいたからなぁ。動いている電車も遅れまくっていて、時間がかかりつつも無事帰宅。帰宅してからWOWOWオンデマンド『スター・トレック:ストレンジ・ニュー・ワールド』S2E3を見る。WOWOWオンデマンド『Never Goin' Back ネバー・ゴーイン・バック』を見る。夜は遅い時間からラロッカさんとDiggin' Netflix収録。明日は通勤できないかな。
■2024/2/6 火曜日。うーむ、頑張れば通勤できそうだけど転んだりしたらイヤなのでやめておこう。本日は在宅勤務。自分は現在なるべく出勤での勤務、という勤務形態なのですがいざというときに在宅に切り替えられるようになったのがここ数年での功罪でしょうか。U-NEXT、MyFFFの短編『カナダでの暮らし』を見る。これで今年のMyFFFの短編作品、見れるやつはすべて見れただろう。なかなか本数が多くて見応えがありましたね。長編も見たいけどどうしよう。Diggin'のお題にしようかな。お昼は家にあるもので貧乏とん平焼き。なんか2年以上やってたフル在宅勤務時代を思い出す。Amazon Prime Video『Mr. & Mrs. スミス』E2を見る。ゲストはジョン・タトゥーロ。午後になると娘が下校してきてなかなか仕事に集中できない状態となる。わが家はあまり在宅勤務に対して協力的じゃないのと、Wi-Fiがイマイチなのでやはり会社で仕事する方がいいな。U-NEXT『タフ PARTⅡ 復讐篇』を見る。音源を1本編集。BS録画『特攻野郎Aチーム』S2E2を見る。ゲストはマコ岩松。
■2024/2/7 水曜日。まだ積雪の残る道を慎重に歩いて朝ウォーキングはできた。通勤しながらNetflix『毒』を見る。やはり会社の方が仕事はしやすい。インタラプトはかかりまくるようになるのですが。お昼休みにAmazon Prime Video『Mr. & Mrs. スミス』E3を見る。夜は音源を1本編集。U-NEXT『タフ PARTⅢ ビジネス殺戮篇』を見る。BS録画『特攻野郎Aチーム』S2E3を見る。
■2024/2/8 木曜日。まだ積雪が残っているところがあるので気をつけながら朝ウォーキング。通勤中にNetflix『ネズミ捕りの男』を見る。お昼は丸亀製麺にて、豚ちゃんぽんうどん並。写真を撮り忘れてしまいくやしい。Amazon Prime Video『Mr. & Mrs. スミス』E4を見る。スーパーハイリスク。BS録画『特攻野郎Aチーム』S2E4を見る。午後、久々に仕事関係でしんどい状況になって頭痛。はー。追い込まれすぎないようにしないと。帰るのも遅くなってしまった。WOWOWオンデマンド『ミッドナイト・マーダー・ライブ』を見る。音源を1本編集したら寝よう、と思っていたらラスト10分ぐらいのところで寝落ち。なんとか仕上げて寝る。
■2024/2/9 金曜日。通勤の電車、あきらかに乗っている人がいつもの半分ぐらいなんですけどなんでだ。Netflix『白鳥』を見る。お昼はマクドナルドにてスイートチリ えびフィレオ。WOWOWオンデマンド『メイヤー・オブ・キングスタウン』S2E1を見る。夕方、会社からフランス映画祭のチケ取り。けっこう高い。仕事終わりで立川へ。『瞳をとじて』鑑賞@ kino cinéma 立川高島屋S.C.館。感想ツイートでは書くのを忘れたけど犬がかわいい。ラフランスさんたちが話していたclubhouseを聴きながら帰宅。Amazon Prime Video『沈黙の艦隊』E1を見る。
■2024/2/10 土曜日。3連休だーー!(「紅だーー!」の感じで読んでください)BSSTO『結婚記念日のプレゼント』を見る。調布へ。調布シネマフェスティバル2024『紅の豚』観賞@イオンシネマ シアタス調布。今年もありがとうございます、調布シネフェスさん。帰宅してからAmazon Prime Video「エクスパッツ ~異国でのリアルな日常~』E4を見る。Amazon Prime Video『沈黙の艦隊』E2を見る。BS録画『特攻野郎Aチーム』S2E5を見る。なんと後半へ続く、で終わった。前後編エピソードってあるのか。音源を1本編集。夜はclubhouseにて、U-NEXT『ロッキー2』同時視聴に参加。追悼カール・ウェザース。久々に見て、あ���?これも『クリード』がオマージュでやってる部分かな、という部分を見つける。発見がありますね。そして深い時間まで映画駄話をして寝る。
■2024/2/11 日曜日。今日はのんびり娘と過ごす。U-NEXT『恋する極道』を見る。娘と実家へ。だらだらする。Apple TV+『マスターズ・オブ・ザ・エアー』E4を見る。Amazon Prime Video『沈黙の艦隊』E3を見る。BS録画『特攻野郎Aチーム』S2E6を見る。床屋に行って散髪。床屋のおじさんに「眠そうだったねぇ」と云われる。いつも床屋だとウトウトしちゃうけど、今日は特に眠かった。夕飯は両親も一緒にスシローへ。いわし天のやつがうまかったです。帰宅してからU-NEXT『タフ PART IV 血の収穫篇』を見る。Amazon Prime Video『私が熟れた季節』を見る。
■2024/2/12 3連休でお休みの月曜日。ありがたい。朝から昭島へ。MOVIX昭島にて『ジェントルマン』鑑賞。わざわざラフランスさんが昭島まで遠征して同回を観ていたのでいっしょにモリタウンの韓国料理屋でランチ。昭島まで来てくれるのはなんか嬉しいですね。また来てください。帰宅したら同じく昭島に出かけていたはずの娘が先に帰宅していた。どこでご飯食べたの?と聞いたらモスバーガーと云っていた。僕らが韓国料理食べる間にすぐ近くでモスを食べていたようですね。WOWOWオンデマンド『スター・トレック:ストレンジ・ニュー・ワールド』S2E4を見る。昭島図書館へ行って本を借りたり返したり。U-NEXT『友達の家』を見る。Amazon Prime Video『沈黙の艦隊』E4を見る。Netflix『ラバー、ストーカー、キラー』を見る。ある時点で、マジかよ、となるドキュメンタリー。U-NEXT『愛欲のセラピー』を見る。早めにベッドで横になってスマホで録画したテレビ番組とか見ようと思ったけど横になったらもうダメだな。すぐに寝落ち。
■2024/2/13 火曜日。通勤しながらU-NEXT『マスマティックな夕暮れ』を見る。お昼休みにAmazon Prime Video『Mr. & Mrs. スミス』E5を見る。ロン・パールマンを守るミッション。ミーティングが多い1日だ。ペマチェテン特集、初週の上映時間が発表されたけど全日13:45からってムリすぎるだろうよそれは。仕事終わりで昭島へ。Amazon Prime Video『沈黙の艦隊』E5を見る。MOVIX昭島で『夜明けのすべて』鑑賞。帰宅して遅い夕飯を食べて、シャワー浴びて、ベッドに入ってできれば映画を1本を見ようとしたけど秒で寝てた。
■2024/2/14 水曜日。昨夜は早く寝たはずだけど、早起きできるということではない。通勤しながらU-NEXT『志ず江』を見る。昼休みにAmazon Prime Video『Mr. & Mrs. スミス』E6を見る。ゲストはサラ・ポールソン。ワン・ビン傑作選の作品とスケジュールが出た。『鉄西区』あるなぁ。どうしよう。帰宅してからAmazon Prime Video『沈黙の艦隊』E6を見る。WOWOWオンデマンド『警官の血』を見る。気づけばもう二日後にライムスターの武道館である。ライムスターのアルバムを集中して聴く。
■2024/2/15 木曜日。春ですかね?ってぐらいの気温。通勤途中でBSSTO『プフ!』を見る。お昼はマクドナルドにて、たまごダブルのセット。Amazon Prime Video『Mr. & Mrs. スミス』E7を見る。ゲストはミカエラ・コール。帰宅してからNetflix『忍びの家 House of Ninjas』E1を見る。WOWOWオンデマンド『あつい胸さわぎ』を見る。けっこう同じところで泣いちゃうな。
■2024/2/16 金曜日。通勤途中にBSSTO『プールサイドで』を見る。午前中だけ働き午後半休をいただく。有楽町へ。移動しながら U-NEXT『THE CURSE/ザ・カース』E1を見る。チェリートマトボーイズ。ペマ・ツェテン監督特別追悼特集上映『タルロ』鑑賞@ヒュートラ有楽町。九段下へ移動。時間があったので飯田橋の方までふらふらと歩き、TOKYO SUNFLOWER IIDABASHIできまぐれS.F.温うどんを食べる。早めの夕食だな。そしてRHYMESTERの武道館へ。席は1階東のB列。アリーナではないけどステージ近くでいい席でしょう。1階席の入場列に並びはじめ、すぐに後ろから声をかけられた。ひろ君とあべ君だ。もともと僕モテ読者繋がりで出会い、以前は会ったりもしていたけど、SNS上からも姿を消ししばらく会っていなかった2人だ。近況を話したりする。誰かに会うかなぁとは思っていたけど、まさかの2人に会えてしまった。そしてRHYMESTERはとても楽しかったです。豪華ゲストはわかっていたけど、けっこう嬉しかったのはMASTA SIMONの登場。2023年でMIGHTY CROWNがサウンドの活動を休止してしまって、それと同時に長年やっていたラジオ番組も終了してしまった。毎週のように聴いていたその声を武道館で聴けてぐっときました。hy4_4yhやスチャダラのところも良かったです。帰宅しながらAmazon Prime Video『沈黙の艦隊』E7を見る。帰宅してからWOWOWオンデマンド『TAR』を見る。吹替でははじめてだ。
■2024/2/17 土曜日。BSSTO『山の上のダリ』を見る。早めのお昼を食べてから有楽町へ向かう。移動しながらAmazon Prime Video「エクスパッツ ~異国でのリアルな日常~』E5を見る。いきなり1時間40分もあるエピソード。と思っていたら雨傘運動を描いていた。このために時代設定が10年前ぐらいだったのか。ペマ・ツェテン監督特別追悼特集上映『ティメー・クンデンを探して』鑑賞@ヒュートラ有楽町。帰りの電車でAmazon Prime Video『沈黙の艦隊』E8を見る。これで完走。けっこう潜水艦ものとしての面白さはありましたけど、シーズン2作れるんですかねぇ。Netflix『オリオンと暗闇』を見る。U-NEXT『男はつらいよ 寅次郎頑張れ!』を見る。なるべくマンスリーで順番に見ている寅さんですけど、先月1本とばして見てしまっていたことが判明。一作戻って本作を見たのですがまったくもって何の支障もありませんでした。
■2024/2/18 日曜日。BSSTO『アリスとひまわり』を見る。自転車で昭島図書館へ。娘の本を借りたり返したり。Apple TV+『マスターズ・オブ・ザ・エアー』E5を見る。しんどい状況になってきた。Amazon Prime Video『ヴァチカンのエクソシスト』を見る。吹替で。Amazon Prime Video『オペレーション・フォーチュン』を見る。吹替で。夕方から東中野へ向かう。『雨降って、ジ・エンド。』観賞@ポレポレ東中野。上映後には群青いろのお二人と、ゲストのまつむらしんご監督のトークあり。昔からの映画仲間、という3人のトーク狙いでこの回を観に行ったんですけど、あと3時間ぐらい聴きたい感じの内容でした。トークのあと、群青いろのお二人からパンフにサインをもらう。どうしても質問したい部分があったので、ロビーにいたまつむら監督にその点を質問させてもらった。まつむら監督の映画『あつい胸さわぎ』のある要素について、脚本(高橋泉)にあったのかどうかについて。答えは脚本ですでに書かれていたとのこと。これは『雨降って、ジ・エンド。』と共通するような要素で、しかも時系列的には『雨降って~』の脚本を先に高橋監督が書いているんですよね。面白い。気さくに質問に答えてくれるまつむら監督も優しい。帰りの電車でWOWOWオンデマンド『WOLF 殺人鬼の狂宴』E1を見る。Netflix『忍びの家 House of Ninjas』E2を見る。WOWOWオンデマンド『タフ PARTⅤ 殺しのアンソロジー』を見る。
■2024/2/19 月曜日。今日はミーティングがいっぱい。お昼休みにBSSTO『ドラゴン騎士団』を見る。WOWOWオンデマンド『スター・トレック:ストレンジ・ニュー・ワールド』S2E5を見る。クリスティン・チャペルが最高です。仕事終わりで立川へ。松屋にて復刻のシュクメルリ鍋定食。熱々なので食べるのに時間がかかります。Netflix『忍びの家 House of Ninjas』E3を見る。kino cinéma 立川高島屋S.C.館にて『梟 フクロウ』鑑賞。帰りの電車でBS録画『特攻野郎Aチーム』S2E7を見る。WOWOWオンデマンド『ペインテッド・デザート タフ劇場版』を見る。
■2024/2/20 火曜日。朝ウォーキングは断念、出勤前に八王子の耳鼻科へ向かう。移動の電車にてBSSTO『燃えよ!プチドラゴン』を見る。これは楽しい短編映画だったなぁ。ここ数年お世話になっている八王子の耳鼻科、診察が1分ぐらいで終わって花粉症の薬の処方箋を出してくれる。ありがたい。薬局も含め早く終わって11時前には出勤できたのでフレックスで吸収。半休を使わずにすんだぞ。お昼はマクドナルドにて、マックチキンのセット。500円、ワンコインでありがたい。Amazon Prime Video『Mr. & Mrs. スミス』E8を見る。これで完走。ラストはドナルド・グローヴァー監督回。単純なスパイものになるとは思っていなかったけど、けっこう面白いドラマでした。楽しめた。今日から上位のマネージャーが日本にきているので夕方に大きな会議室でのミーティング。急にコメント求められたらどうしよう、といつも思ってしまう。帰りの電車でNetflix『忍びの家 House of Ninjas』E4を見る。WOWOWオンデマンド『スクリーム6』を見る。寝る前に1時間ほど読書。なんて余裕のある1日。そして花粉症の薬を飲むことを忘れない。
■2024/2/21 水曜日。天気が微妙であったが朝ウォーキングへ。大丈夫でした。お昼は丸亀製麺にて、かけ並ときす天。BSSTO『白いブランケット』を見る。なるほど、時代背景をぼんやりさせているとこがうまい。しかしまだまだ寒いですね。帰宅してからApple TV+『コンステレーション』E1を見る。最後の10分ぐらいでいきなり何が起きているのかわからなくなる構成。Netflix『忍びの家 House of Ninjas』E5を見る。娘が約束の時間を守らず動画を見続けていたので怒ってしまう。今は1日のうちで顔をあわせる時間が少ないのだからこうやって怒りたくないんだお父さんは。Netflix『BAD LANDS バッド・ランズ』を見る。もう少しいろいろやりたかったがダメだ眠い。聴いてるradikoも超遅れ進行。
■2024/2/22 木曜日。なぜか、今日から3連休だー!という気持ちで起きてしまったがそれは明日からだった。今日も仕事だという絶望。雨が降っていたけど朝ウォーキングを強行。靴が汚れるしリュックは濡れてしまうな。お昼に食べたファミマの直巻タイプのおにぎり、さば麻辣のパンチがヤバい。仕事を切り上げようとすると急ぎのメールがくる、というのを繰り返して帰るのが遅くなってしまった。帰宅してからNetflix『アバター:伝説の少年アン』E1を見る。Netflix『忍びの家 House of Ninjas』E6を見る。自宅映画鑑賞スケジュールに余裕が出てきたので、いよいよ今月の『007』を見ようかな、と楽しみにしていたのになんとAmazon Prime Videoでの見放題配信がなくなっていた。ウソだろ~。しょうがないから代わりにU-NEXTにてフィンチャーの『ゲーム』を見る。なんでこのタイミングでこの映画を見直したのかは秘密です。
■2024/2/23 祝日の金曜日。3連休だー。BSSTO『Mr.マーベラス』を見る。WOWOWオンデマンド『スター・トレック:ストレンジ・ニュー・ワールド』S2E6を見る。西武線を乗り継いで所沢方面へ。本当は航空公園に近いうどん屋でお昼を食べたかったのですが「しばらく休業」のはり紙が。残念。代打として調べておいた武蔵野うどん 竹國 新所沢店��。肉汁うどん大盛。大盛550gを食べて800円。水曜・金曜はおかわりできるってことであつもりで1玉おかわりしてしまった。トータル800gぐらい食べてお腹いっぱい。若い頃は1kgぐらい余裕で食べてたんですけど食べれなくなりました。新所沢レッツシネパークへ。さよなら興行 シネパークで楽しむ最後の映画たち『SR サイタマノラッパー』観賞。上映後トークには入江悠監督、名優 駒木根隆介、上鈴木兄弟、山本タカアキさんが登壇。けっこうたっぷりトークの時間があり、久々に名優のフリースタイルも炸裂。トーク後には監督、名優、TKD先輩に『SR サイタマノラッパー』文庫本にサインをいただいた。僕モテ読者仲間、ラムネさん、まるゆさん、ウーガンさんにも会えた。ありがとう新所沢レッツシネパーク。僕はさらに『となりトトロ』も観賞。今月は『紅の豚』と『トトロ』を観た月となりました。なんてことだ。帰りの道中もぜんぜんお腹はすかず。帰宅したら夕飯はうどんでしたがぜんぜん美味しくいただきました。Netflix『忍びの家 House of Ninjas』E7を見る。U-NEXT『トマホーク ガンマンVS食人族』を見る。わけあって見直したんですけどやはりめちゃくちゃ面白いな。
■2024/2/24 土曜日。BSSTO『スローンはネックフェイスに恋する』を見る。早めのお昼を家で食べてから有楽町へ向かう。その道中でAmazon Prime Video「エクスパッツ ~異国でのリアルな日常~』E6を見る。これで完走。うーむ、悔しいが自分は本作の良さがうまく理解できなかった感じ。ペマ・ツェテン監督特別追悼特集上映『静かなるマニ石』鑑賞@ヒュートラ有楽町。昨日「またどこかで」と云って別れたはずのまるゆさんにもう再会した。帰りの電車でDAZNにてJ1開幕戦、セレッソ×FC東京戦を途中から見る。完全にセレッソが内容的に上回っていたけど2対2のドロー。最寄りのスーパー、ヤオコーでおやつカンパニーのカールっぽいお菓子を見つけたので買う。チーズ味とカレー味があって、味の設定もカールっぽい。Netflix『忍びの家 House of Ninjas』E8を見る。これで完走。現代を舞台にした忍者もの、をすごいストレートにやった感がありますが、変にひねってないのが良かったと思います。Netflix『ポップスが最高に輝いた夜』を見る。U-NEXT『オール・ダート・ロード・テイスト・オブ・ソルト』を見る。
■2024/2/25 日曜日。朝、僕しか起きてこないので優雅なひととき。朝食を食べながらBSSTO『ユキの異常な体質/ または僕はどれほどお金がほしいか』を見る。『桃を煮るひと』(くどうれいん)読了。まつむらしんご監督が紹介していて読んで本。たぶん。Apple TV+『マスターズ・オブ・ザ・エアー』E6を見る。午後、雨ですね。自転車はきついので歩いて昭島図書館へ。娘が借りていた本が大量で、亀仙流の修行のようです。で予約していた本も大量なので帰りも修行。MOVIX昭島にて『マダム・ウェブ』鑑賞。WOWOWオンデマンド『新宿黒社会 チャイナマフィア戦争』を見る。U-NEXT『ファニー・ページ』を見る。ZAZENの新譜を聴きながら映画の感想をいろいろ考えてから寝る。
■2024/2/26 月曜日。今日は朝早い時間からミーティングがあるので朝ウォーキングを断念。電車で出勤です。鴨ウォッチングもできないので困りますよね。お昼休みにWOWOWオンデマンド『夜明け』を見る。なんか今日は目がしょぼしょぼ。花粉かな。目薬使ってもダメな感じ。きつい。仕事帰りの道中でApple TV+『コンステレーション』E2を見る。まるで『ゼロ・グラビティ』な感動エピソードでしたが、またラストで混乱。何が起きているんだこれ。U-NEXT『バッド・エデュケーション』を見る。BS録画『特攻野郎Aチーム』S2E8を見る。イシヤマさんとDiggin' U-NEXT収録。遅い時間になってしまい申し訳ない。あと本編で僕が『タフ』シリーズ全6作を見た話をするのをすっかり忘れてしまったので収録終わったあとにイシヤマさんだけに話しました。
■2024/2/27 火曜日。通勤の道中でWOWOWオンデマンド『そそがれ』を見る。マクドナルドでお昼食べながらApple TV+『コンステレーション』E3を見る。帰宅して僕モテメルマガの仕上げ。U-NEXTで映画を見ていたがぜんぜん見終わらず。夜遅い時間からけんす君、なんすけ君とDiggin' Amazon Prime Video収録。やはり今年のDiggin' アマプラは作品選定基準を変えたことでけっこう雰囲気が変わった感あります。
■2024/2/28 水曜日。午前は在宅で働き午後半休をいただく水曜日。朝ゆっくりできるな、と思って寝ていたけど予定より1時間ほどゆっくりしすぎてしまった。朝食トースト食べながらメールチェック。しかも午前中の最後の方に急ぎのメールが連続し対応。お昼食べる時間がなくなってしまった。バタバタと家を出て吉祥寺へ向かう。移動しながらWOWOWオンデマンド『GET SET GO』を見る。UPLINK吉祥寺で『落下の解剖学』鑑賞。こんな平日の昼間の回なのにおそらく満席だった。こうゆう集客になるのって意味がわからない。映画観終わってからとても中途半端な時間だけど松屋にて、シャリアピンソースハンバーグ定食を食べる。水道橋に移動。移動しながらApple TV+『コンステレーション』E4を見る。やっと起きてることの意味がわかってきた。ZAZEN BOYS TOUR MATSURI SESSION 2024@ TOKYO DOME CITY HALL。会場前で写真を撮っているチートイツさんを発見。いっしょに入場してソフトドリンクで乾杯。久々に近況を話す。僕の席は2階席だったけど、めずらしい角度で見れてこれはこれで良かった。ニューアルバム「らんど」の楽曲。これからどう変化していくのか。次は5月の野音かな。楽しみです。帰りながらDisney+『SHOGUN 将軍』E1を見る。帰宅してからU-NEXT『最も危険な遊戯』を見る。
■2024/2/29 木曜日。お昼はコンビニ飯。気になっていたファミマのおにぎり、スパイシーツナを食べる。WOWOWオンデマンド『in-side-out』を見る。森山未來監督作。脚本は岩井秀人、音楽は岩崎太整。チェルフィッチュの影響を感じる。午後のミーティングでひじょうに憔悴。これは大変なことになったかもしれない。でもなんとか進めないとな。帰宅しながらDisney+『SHOGUN 将軍』E2を見る。けっこう話が難しい。澤井杏奈、『パチンコ Pachinko』『モナーク: レガシー・オブ・モンスターズ』に続きこの『SHOGUN 将軍』出演てことで海外ドラマで売れまくっていますね。ついにDAZNを解約。FC東京の試合目当てで割高でも契約を続けてきたわけですが、その高い金額設定に対し月額1000円値上げはどう考えてもムリです。JリーグはBSでやってくれる試合とかを楽しみに見たいと思います。雨が降っていたのでMCTOSの参加は断念。そんな理由で参加を断念するのは僕ぐらいでしょうね。U-NEXT『スペアキー』を見る。さて月末。短い2月ではありますが、映画的にトピックはいくつもあった。『Here』上映後トークにバス・ドゥヴォス監督。ル・シネマのこのトーク付き上映は去年に続き本当に素晴らしい。パンフにサインもいただけた。調布シネフェスで『紅の豚』を観れて、新所沢レッツシネパークさよなら興行では『となりのトトロ』も観れた。1月の『もののけ姫』もあわせるととんでもない宮崎駿監督作連続鑑賞。ペマ・ツェテン監督特別追悼特集上映で3本鑑賞。追悼特集であることが本当に残念ですが特集上映ありがとうございました。『雨降って、ジ・エンド。』上映後に群青いろ×まつむらしんご監督のトーク。以前から話を聞いてみてかった3者のトークがついに。新所沢レッツシネパークさよなら興行の『SR サイタマノラッパー』。入江監督×名優×TKD先輩のトークも最高。皆さんに会えるだけでもう嬉しい。そんな感じで仕事は大変ですけど、映画LIFEはとても楽しかった2月も終わり。
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よしもとかよ 「日々是好日」。vol.123 (2023/12/20 + 12/27 )
2023 20th + 27th december
M1 天使 (Szaloki Agi)
M2 聖マリア頌歌 (Luar Na Lubre) M3 冬至の前夜祭 (木太聡)
M4 one small year (Shawn Colvin) M5 ende Dezember (Annett Louisan) M6 oddajagiruohta (Sofia Jannok) M7 hymn (吉本佳代) M8 I'll be seeing you (Francoise Hardy with Iggy Pop)
< 好日の素…2023年をふりかえること>
毎年このタイミングの 内容更新は、このテーマです… 2023年のふりかえり、みなさんにとっては どんな一年だったでしょうか。 きっとそれぞれに いろんなことが起こって、 中には喜べないようなことも あったかもしれません。 それでもこうして なんとか年末まで 走り切ったよね、がんばったよね、 わたしたちよくやってるよね、と まずはそれぞれを 褒めあっていいんじゃないかな、と 思います。 わたし個人としては ひとまずはおおきなケガや病気がなく 年末を迎えられていることが ありがたいな、と感じています。 またこうして つたないながら、また、さもない話に おつきあいいただきながら 番組を続けさせていただいていることも。 番組を通して どれだけホッとする時間を お届けできているかはわかりませんが、 わからないなりにも 毎回、一生懸命考えて制作しています。 その気持ちや空気だけでも伝わっていたら うれしく思います。 2023年は、わたしにとっては 思いがけない再会の多い一年でした。 それも10年以上ぶり、とか、 20年以上も前に同じアクティビティに参加していた方と ここ数年お会いしていたことが発覚したり、とか…! ご縁のおもしろさを感じた一年でした。 また、ご無沙汰している方であっても そうでなくても、そうして元気に 再会が叶うことのしあわせや また会いたいね、会おうねと言い合えるうれしみもありました。 わたしたちをとりまく世界で 本当にいろんなことが起こっていて これからどうしよう、と 不安にさいなまれそうになることも ありますが、 来る2024年に希望をつないで 多くの人がこころおだやかに過ごせるように なってほしいと願うばかりです。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
< 日々是食べたい! … 柚子 >
今シーズンは 豊作なのでしょうか、 この年末に あちらこちらから 柚子がやってくるのです… この寒い季節に 柚子の黄色はなんとも まぶしく、 また香りもよくて ほっこりした気持ちになる…のですが… 本当に、日毎にいただくものですから はてさていったいどうしたものかと。 どうやっておいしく いただこうか、と 学びの年末となっております(笑。 ひとまずは果汁をしぼって シロップとフルーツカードに。 酸味が強いので、きりっとおいしくできました。 また、ウィークエンドシトロンならぬ ウィークエンドユズ、風のケーキにしたのも やはり酸味がきいておいしかったです。 果皮はマーマレードにしたのですが、 果汁に比べて大量にできてしまい、 会う人に半ば強制的に使っていただくような状況に。 ようやく落ち着いた量になりました。 (ご協力いただいたみなさん、ありがとう!笑) それでもまだまだやってくる柚子。 それでは、とはじめての柚子ポン酢を 仕込んでみたり、 青柚子でなくてもできるという 柚子胡椒のレシピをながめてみたり…。 ポン酢は今月の上旬に仕込んだので、 そろそろおいしくできて お鍋のおともにならないかなぁ、なんて ちょっとばかりわくわくしている 年越しです。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 2023年の内容更新は 今回が最後です。 また来年、ラジオの前で お聴きのみなさんと おだやかな時間を共有できましたら幸いです。
本年も番組におつきあいくださり 本当にありがとうございました。 どうぞよいお年をお迎えください。
来る2024年が それぞれに、 よろこびと安らぎにあふれる一年になりますように。
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