#大垣ランチ
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#たべもの #ランチ #洋食mais
お参りの後は、大垣まで移動して洋食maisさんでお昼ご飯。洋食屋さんのメニューって懐かしさを感じるラインナップが多いのですが、お店はおしゃれなカフェ風の雰囲気です。
私はオムライスランチをチョイス。みんな大好きオムライス+ハンバーグ+カニクリームコロッケのセットです。間違いない。
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2024年12月1日(日)
amazonとは決別・・・と言った舌の根も乾かぬうちに、こんなポストをしてしまうのは恥ずかしい。しかし、<BLACK FRIDAY>は強力だ。Apple製品をチェックしてみると、目に留まったのが<iPhone 15 Pro Max 512GB>が-16%! 正直、新品のiPhoneがこんな割引で購入出来ることは他にはない(当社比)。逡巡せぬわけでは無かったが、Paidyの無利子6回払いなら何とかなるさと、ポチってしまった。というのも、日本では来春から始まる<Apple Intelligence>には、<iPhone 16の全モデル、iPhone 15 Pro、iPhone 15 Pro Max>が対応機種、これを買っておけば当面買い換えは必要ないとの判断だ。これは近未来への先行投資、けっして無駄遣いではないのだよ(当社比)。
5時30分起床。
洗濯。
朝食を頂く。
洗濯物を干す。
珈琲を入れる。
タマネギをスライスして乾かす。
ツレアイは奈良での太鼓練習、近鉄東寺駅まで送る。
昨晩届いた<iPhone 15 Pro Max>、早速15Plusと2台並べて設定作業。
あらかた終わったところで、ライフ西七条店まで買い物、彼女に頼まれた食パンとオリーブオイルを購入する。
彼女が残りご飯をおにぎりにしてくれていたので、早めのランチを頂く。
京都駅から奈良線に乗って向かった先は、奈良市生涯学習センター。
露の新治師匠が呼びかけ人となっている狭山の集会に参加する。太鼓の練習を終えた彼女と待ち合わせ、ところが、場所を間違えたとかで10分遅刻しての入場。
30分程度のドキュメントアニメと弁護士の再審請求への現状報��、各団体からのアピール、締めは新治師匠の説得力ある個人コメント、集会決議を採択して閉会、いい内容だった。
奈良駅からみやこ路快速に乗車、途中15分程度の信号待ちがあったが、何とか京都駅着。息子たちに<弘>の弁当を買ってバスターミナルへ。
今夜の京都タワーは緑色にライトアップ、なんのキャンペーンだろう。
帰宅してまずは彼女と三男でココに点滴。
私はブロッコリーとトマトの味噌汁を仕立て、お肉たっぷりの夕飯開始。
録画番組視聴、サラメシ。
(18)熊本城修復の石工▽石川・能登町役場の派遣職員
初回放送日:2024年9月19日 2016年の地震で大きな被害を受けた熊本城。地震で被害が出た石垣を復旧するのは“石工”と呼ばれる石の職人。職人たちを支えるのはごはんが進む“ガッツリ飯”▽弁当に夫が彩り加える「幸せいっぱい弁当」▽絶景が目の前に!?「ひる自慢」▽能登町の復興を助ける派遣職員たち。宮城からやってきた派遣職員の手作り弁当とは?
片付け、入浴、体重は300g減。
日誌書く。
電車移動ばかりなので、ムーブは届かず。
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2024.10.21
昨日、夕刻の暴風とは打って変わり
快晴の石垣島!
仲間の家族と一緒にマンタウォッチングツアー
初めて石垣島で観光らしい事をしました(笑)
しかし…この聖典は、マンタウォッチング後。
濡れるから携帯は置いて行ったので
船の上や水中画像は無いんだけど、
海に出て、最初のポイントは
ファインディング ニモ的な世界で最高だった!
のですが…マンタのポイントは、沖なんだよね
初めのポイントもだったけど
段々と曇って来て、マンタポイントに移動する
タイミングで、ガッツリと荒れまして…
サーフィンしたいくらいのブレイクポイントあるわ
船でも、ガッツリと揺られる巨大セットのウネリ
乗客はパニック!
マンタウォッチングどころぢゃない!!
ポイントにも辿り着けない、
スリリングなクルージングでした。
で、浜に帰還して、シャワー浴びて着替えて
ランチをしてると…上記の画像
ふざけんな!!と、乗客全員が言ってたね
そこで晴れたのを利用して、THE石垣島!!
川平湾へ、仲間が連れて行ってくれました
はい!
ザ!ですよね
尾道もそうですが、ザ!なトコは
出オチ感、半端ないので、コレを超えるインパクトも
場所も、滞在理由も無いので、即撤収(笑)
仲間の娘が、ぢゃ、シーサー農園行こうよ!と
アテンド開始。
小学4年生にアテンドして貰いました。
やはり火山の影響か山の形は、火山ぽいね
夕食を家族とする予定だっので、
一回、街中に戻るのですが、
その道中に見つけたマングローブ
車を止めて貰い、写真を撮らせて貰いました
いいよな〜この景色
その後、仲間の店で食事会
まだ途中ですが、ブログをアップ
まだ、この後も飲みに行くんだよね
そして、ちゃんと仕事もします
パソコン有れば仕事出来るから
本当に良い時代になった(^^)
p.s.この店内のミラーボール🪩は、
ワイが送り付けたヤツ(笑)
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2月の外食記
2月4日 ABCラーメン@銀座/tabacco@恵比寿
歌舞伎観たあと、受験で弟が遠路はるばる来てくれたので銀座でランチ。東京で、ラーメン食べたいとのご所望があればここ一択。育ち盛りをいいことにサイドメニューもたらふく食わせる。大学の下見に付き合ってから好きな人①に会いに恵比寿に。彼の行きつけのラーメン屋向かってから、かよ先輩が行っていて気になってたイタリアンにお邪魔。串カツ屋さんみたいなノンストップタパス、楽しいなあ。大はずれだったビブグルマンフレンチの話して、ここは好みと伝えたら俺たち情報食ってるからねと返されて、たしかになと思った。情報を噛み締めて気持ち良くなりたいよね。4度目も手を繋いで健全解散���デートはこれが最後かな。
2月11日 うゆう@渋谷
大学時代のバイト同期と飲む。私以上に食にうるさいから、お店サジェストするときどきどきしちゃう。芸術品のようによそわれたお通し6品に毎度見惚れる。褒めてもらえて嬉しい。酔ったノリでハプバ行く。摘発されていたからどんなもんかと思っていたけど、プレイルームはホテルとして別会社が運営、行きたいときはスタッフにこっそり声かけるっていうパチ屋仕様になっていてウケた。たしかに懇ろになった男女がホテルに行くのは誰にも憚られませんからね。声かけてくれた男性2人と、半分おしりが見えるセーラー服着てダーツした。失礼だけど、私たちがアプリで会ったら初手で切ってしまう、なんならそもそもマッチしない属性の人。でも2人とも私たちに楽しんでもらいたい気持ちがまざまざと伝わってきて、人間っていとしいなと思えた。ここに来るといつだってあたたかい気持ちで帰路に着く。ありがとう。
2月12日 小野田商店@学芸大学
2ヶ月ぶりの加藤。大好きなホルモン屋さんとワインバー行く。ここに訪れるたびにお客さまは神様じゃないのを思い出す。この街がぜんぜんしっくりこない男だなと思う。ずっと日比谷線にいたほうがいいよ。そのあとなぜか六本木行こうや、と向かったもののバーはろくに空いておらず、さらになぜか遠隔プレイしようや、とドンキ行く。ぜんぜん思っていたのと違ってAVはフィクションだねと笑い転げた。
2月13日 友@目黒
3年前からときおり会っているティンダーの男友達とサシ。はじめて会ったときは私は22で彼は27だったと思うとこわい。手書きのメニューが適当に壁に引っ付けてあるお店ってだいたいはずれがない。M1出場を打診されノーシンクで快諾。だってM1経験のある人生のがおもろいじゃん。いったん彼の芸風見てからコンビ組もっと。
2月15日 ilungo@自由が丘
お気に入りのおでんやさんで飲むつもりが、煩いおじさん客がいるからっておでんやの女将さんと2人して抜けてビストロで飲んだ。日本酒フリーフローは嬉しい。彼女は代理店の大先輩でもある。さんざん仕事の愚痴を連ねる。最近仕事干されてイヤイヤ期だけど、たしかに私はキャッチアップ遅いんだった。背中押される。私も彼女みたいに着物を自由に纏えるようになれるなら、アラフォーもそう悪くない。ハナエモリのお着物ずっと狙ってる。
2月18日 のんき屋@浅草/Trattoria Azurri@神楽坂
日本舞踊のお稽古に浅草へ。せっかくだし、と帰りにホッピー通り寄るもおひとりさまだからと4軒連続で断られる。もしかしてお呼びじゃない?半ば憤って入った立ち飲み屋が大正解で息をつく。もつ煮150円なんてマネタイズが心配です。ほろ酔いで神楽坂。電話でのリファレンスチェックも功を奏し案の定楽しかった。国家公務員からコンサルに転職した理由を問うたら、「それでいうと理由は3つあって〜」とお手本のような仕草を垣間見てにやにやしちゃった。まだ遊んでいたいと恋愛したいの狭間で揺れてると聞いて、正直な人だなあと思う。でも恋人がいないと甘えたくても甘えられないと溢されて、そんなの傷口の舐め合いじゃんと返したけど、まあ、そうだよね。だって私たち、頑張ってるもんね。男の子、みんな葛藤してて可愛い。菜の花とホタルイカ、旬のうちにリベンジしたいな。好きな人②に昇格。
2月21日 ゑぶり亭“@横浜
ダンサー3人で飲んだ回。まあダンサーじゃないんだけど。炙りしめ鯖にレモンを搾るさまさえもべた褒めしてくれるから自己肯定感あがる。元気の良い居酒屋って大好き、絶対にバイトしたくないけど。業界人でもないのにフースタ見てる人は変態と聞くけど、フースタは間違いない。
2月22日 カクニマル@神泉
某ギャラ飲みの日。ここも接客がいい意味でやたらやかましい。刺し盛を出血大サービスしてくれた。こういう人も、まだこういうお店で飲むんだなと思った。でもしっとりしない雰囲気で逆に良かったのかもしれない。女友達と来たかったなあ。
2月23日 da GIORGIO@湯島
好きな人②と飲む。彼から教えてもらったこのお店、かよ先輩が「東京で1番美味しいピザ」とツイッターに残していたのを思い出して俄然楽しみになった。MECEな恋愛の話する。MECEな恋愛なんてないだろ。私はやっぱり一緒にボトルを空けてくれる人が好き。いつだって飲みきる責任を背負った共犯関係でいたい。
2月25日 串カツ田中@横浜
サークルの同期3人と鎌倉で座禅を組んだ日。幸せってなんたるか、良い家に住むでも素敵な配偶者と巡り合うでもなく、皆さんの足元にあるそうですよ。頭ではよ〜くわかってるんだけどな〜!シャバい経営者は全員座禅したほうがいい。私もまだまだ先は長そう。そのまま横浜向かって、田中とカラオケとハブをはしごする煩悩に塗れた夜。田中で串カツ選ぶのってなんであんなに楽しいんだろう。好きなチェーンは田中と松屋とふたごです。
2月27日 どん底@新宿
「お会計30%オフになる年賀状が今月いっぱいだから!」と誘われてティンダーの男友達と飲む。彼ともかれこれ2年になる。ここ、クラシックでとっても美味しいけど絶対にスタッフが堅気じゃないんだよな。そこも含めて良店です。ティンダーを辞めた理由のひとつは彼で、彼に出会えてもう辞めても悔いないなと思った。好き同士ならただ一緒にいれば良いじゃない、なんて互いに婚姻アンチだけど、でも結婚したらバイブス上がりそうじゃね?!と盛り上がる。それもわかる。私が結婚式をするなら彼を「インターネット」のテーブルに着席させる。26歳、春からようやく社会人になるらしい。おめでとう。帰りに店員さんに「しこたま飲んだなあ!」と言われて笑う。2人でシーバスのボトルキープした。勝手に飲ませてね。
今月がはやく過ぎたのは決して日数だけの話じゃない。総じて非常に楽しかったんですよね。よく食べ、よく飲んだ。数えたら2日にいっぺんは飲み歩いていた模様。あと、思い返せば浮き足立つデートが毎週末あって幸せだったな〜!私、やっぱりときめいてたい。来月も素敵なお店で大好きな人たちと過ごせますように。
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フォーチュン剪定班、除草作業に行ってきました😊 龍隠寺様よりご依頼をいただきまして みんなで除草作業をしました👍
#フォーチュン村#イベント#フォーチュン#愛媛県松山市#A型事業所#キッチンカー#松山ランチ#松山テイクアウト#身体によいもの#身体から元気に#農業#農家#剪定#除草#伐採#農福連携#ハンドメイド#子供食堂#米ぬか#手作り#特許製品#無農薬栽培野菜#無農薬栽培柑橘類#原木しいたけ#微粒子パウダー#子供食堂
松山近郊を中心に、愛媛県下の個人宅、企業・店舗・施設などの��木の剪定、伐採、消毒、除草、畑つくりなどを行っています。 高齢化などの理由でこれまで頼んでいた造園業者が来られなくなった方や企業様、庭木のお手入れを考えているご家庭や企業様、樹木が大きくなりすぎて伐採を依頼したい方。 一度お気軽にお問い合わせください。折り返しご連絡させていただきます。 フォーチュン剪定班では、剪定作業の技術を持った数多くの利用者さん達と共に剪定・除草・伐採・生垣の刈り込み・消毒・畑つくり・植木の剪定作業全般等を行って4年が経過しました。剪定技術も上がり、今では年間50件~100件のご依頼をいただき数多くのお客様に喜んでいただいております。 担当責任者・管理施工責任者の生島一範を中心とした確かな技術と信頼でお仕事を引き受けさせていただきます。価格(3000円~)につきましては作業内容等により変動致しますのでお問い合わせくださいませ。 フォーチュンⅠ・フォーチュン剪定班➡松山市桑原4丁目2-35
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0103 あさ新幹線で東京帰る。ずっと欲しかったコーヒーサーバーとコーヒー豆手に持って遅れ馳せながらうちにもサンタ?きた。夕方から萩の湯に行き、帰ってふたりで飲酒など。
0102 三木さんと昼に高柳神社に初詣。のんびりしてから京都。キキとたつカフェへ。夜は三木家に帰宅し、録画してもらってたさんまのまんまを観るなどし年始気分に浸る。
1231 コノミヤでビールとかアイスとか買い込むのがやけに年末。年越しは三木家で紅白。事実上実家が消滅した昨年も、引き払って以降本格的に消滅を遂げた今年も、三木家で食卓を囲みながら0時にみんなで年越しを蕎麦食べた。年が明けた瞬間おめでとうございますと言い合う。私の今年の抱負は特になくて、三木家のみんなに今年の抱負は?と三木家に聞いたら誰もなくてそれもよかった。家族みたいな安心感があるこの家があってくれて今年もなんとか。愛する人たちよ、どうか健康でいてねと思う。それだけ。
1230 中田寝すぎね?早朝から『最愛』一気観した。夜は三木家に帰って蟹鍋に参加させてもらう。
1229 納骨。退職の手続きで精一杯になってて納骨式の準備を全然できてないまま行き道のバスで納骨式について調べたら足りないものばかりで最悪でした、悪い夢か。行き先も違ってて、途中骨壷持って走る。祖母の納骨を済ませておかなかったために私がやることになった怒りを母へぶつけながら、ひたすら川沿いを走る。寒い。骨壷が重い。骨がカラカラと音を立てるのを聞きながらマジでばあちゃんごめんという気持ち。着いたら骨壷、ちょっと��れてたし。この年齢で家の膨大な用事を済ませないといけない生活が心底嫌になる。なんとか無事納骨式を済ませ、セイゴが大正まで迎えに来てくれるらしいのでとりあえず梅田。大正で拾ってもらってみおつくし会へ。まーくんとの飲酒が捗る。夜中は、中田の家でオールザッツ観ながら寝落ち。
1228 寝てたっていうかストレスで3時間歯を食いしばってただけ、みたいな睡眠。疲れが全く取れず。朝起きて奥歯が取れそうなくらい痛む。原さんとランチして、夜三木家に帰る。夜、お父さんと飲むジンを買って帰ったら、お父さんが私と飲むジンを用意してくれてたのでジン祭りを開催。
1227 今日が最後の出勤になるわけですが不思議とそこまで不安がない。何が起きてもたぶんここにいるよりはマシじゃないかな。現状維持を選び続ける自分よりよっぽど。23時なかもず着で、はらさん家着。原家の弟が買ったブルーノマーズのラム酒が美味しすぎて水のように飲む。夜中まで話して、朝は早く起きる。歯食いしばってただけであんま寝てねえ
1216 AM休みたいな日々。編集部に上がるのがキツくて一階に荷物置いて作業。大掃除と見本誌の整理しながら、こういう仕事で一日が終わることに鬱々とする反面、これさえしてれば一日が終わるのだと安堵もする。あと少し。今は耐えるしかない。夜、なみとどん底行く。メンタルがどん底。七千円も使ったのに全く酔えなくて最悪!店員のお兄さんがやってるバンドの話とかその曲とか聞きながら、ほんとはなみともっとゆっくり話したいことがあったから会ったのにねと後悔の念を滲ませる帰り道。
1215 派遣さんに引き継ぎ。することがなさすぎてデスクの断捨離。自分が最初に出した本のラフとかが出てきて懐かしむ。実務してたのが遠い過去のように思える。実務がしたくて気が狂う。ラフ描きたい誌面が作りたい企画進行したい、馬鹿みたいだなー
1214 適当に会社へ行き適当に帰宅。焦りを生む心さえ消失しそうな実りのない日々。夜、あいちゃんと電話して飲酒後寝落ちる。
1211 永田珈琲店で朝。帰りに青いカバBOOKSに寄って往来堂へ行く。帰って少しゆっくりしてたらROUTEでカレー出店してるのを知り、チャリで馳せ参ず。買った夏葉社の新刊をルートで読む。夜、ゆうちゃんと飲んでから月吠えで飲む。久々1時半とかまで飲んでて眠い。
1210 4時に起きて気になってたレギュレーションの復習をする。この頃誌面の表記を指摘されまくり、会社勤め��4年間が怖くなる。自分の文章、これでいいのかわからんすぎたけどなんとか形になった原稿見て安心。周りの同世代が仕事に打ち込むのを見て焦りもするが、今回の仕事は自信になった。積み上がって行けたらと思う。仕事がないと日々楽しくない。確実に、私も下積みとして毎日やることを進めていきたい。茨木のり子読んで、ギリまで飲酒後、寝る。
1209 元気なさすぎてねぎしで蘇生を試みるも、欲求って満たすと罪悪感に苛まれる。御茶ノ水のスターバックスで真空ジェシカのイベントレポート仕上げる。やっぱりめっちゃ楽しいな。この仕事がなかったら、私にはいま何もないや。
1108 大阪疲れ?で体調が悪い。早々に多忙宣言を受けた12月の生活が心配。大きな仕事は幸い抱えてないし、体調崩すとしたら今でよかったのかもしれん。
1105 夜、千駄木駅で待ち合わせてふくの湯へ。お腹空いたけどなかなかどこも開いてなくて、根津まで戻って谷中バール。近場だとお互い終電を気にする必要がなくてそれもいい。
1104 親の手続きで台東区役所。書類が多すぎてかなり時間がかかる。結局課税証明書を大阪で取らないといけなかったみたいで、夕方までかかったのに全部終わらなかった。まーでも八割方終わったと思えば気が楽だし、実家がなくなったから、手続きはもう大阪でする必要がないと思うと気はさらに楽。これは感謝な話なのですがみゆきが私の代わりに課税証明書取りに行ってくれるらしー
1031 初動が緩やかであればあるほど保たれるものがある?激しさを伴わない静かな熱よ
1029-30 車屋で飲んだ。すきな人同士を会わせてわたしは終始ニコニコ。そういやノーズショップで見つけたBdk Parfumsの香水、パスソワール「また今度ね(今夜じゃないわ)」の香りが(名前含め)とても良かったので書き留める。アンバーウッドとジャスミン、ブラックペッパーとマンダリンにパチュリ。サボンのボディクリームにも、いつもつけてるバイレードの香水Accord Oudにもパチュリが入ってるし、感覚でいいと思うものにもこうして一貫性が垣間見えるときがある。
1028 夜、飲みに行く。珍しく4軒くらいハシゴして、ことごとく変な人に絡まれる、地獄。「お前らみたいに顔がかわいいからって全部許されて調子に乗ってるような女が一番嫌いなんだよ!」って、横にいる人に叫ばれて最悪じゃない?朝方、また月吠えで変な人に絡まれてるところを山下さんに助けてもらった。何よりボトル奢っただけでいけると思われたこと��超腹立つ。朝まで飲んで、皆川くんと始発で帰る。記憶が断片的ですけど酒鬱入ってないだけで偉くて良。
1027 朝、新幹線で東京へ。かぎりなく落ち着く街上野よ。帰ってくるたびこのままここに骨を埋めたいと思うね。昼は出社して、夜、萩の湯にはじめて行く。緊張の糸が切れたのか、わたしは鶯谷の、毛糸編んでるテレビ番組が流れる激渋中華料理屋を出たらまっすぐ歩けないくらいに酔ってしまい、西日暮里まで歩いてタクシーで帰される。けど全部覚えてる、多分。
1026 せっかく大阪いるし美舟で焼きそばを、と思い東通りへ。太麺のソース焼きそばを、すき焼きみたいに生卵をつけて食べるのです嗚呼!ことごとく潰れた思い出の地を上書きしてくれるかのような場所たち。あした東京へ戻る。恒例、三木家の父との晩酌もラストナイトで、また日本酒をようけ飲む。実家、なくなってしまった。
1025 無事引き払えるかと思ったのに若干の不備がありまた実家に赴く、最悪。夜、なかたと福島の花くじらでおでん。親の日記の話から結婚論、子育て論までだらだらと話は流れ、わたしは日本酒飲んで怒る。聞く中田、つられて怒る中田。家の下のローソンで携帯落としてめちゃくちゃ割れたが昨日実家引き払うのに35万払ったばっかなのにもう画面変える金がなくて終わった。
1023-4 きてくれたみんなが帰って、夜通しアルバムと手紙の整理。親がつけてた日記を読んだり、幼少期に描いてた絵本とかzineみたいなものを見つけてしまってさすがにそれは持って帰る。中田がリタイア、夜中3時。布団もないし、二日連続で風呂も入れないというのに。中田よ、ここまでの仕事してくれる友人はお前しかいないね。
アルバム整理してるうちに朝になったから『ボクらの時代』観ようと思うもチャンネルがない。ないないと言いながら探してたらまさか、テレビもなかった。昨日、売ってた。ご飯温めようと思ったら電子レンジもなかった。昨日、売ってた。さすがの二徹、記憶がないわ。業者が朝8時すぎには来て、三木さんも昼前に来てくれる。もう限界くらいに疲れてたから業者の人に借りた段ボールを部屋の隅に敷いてその上で少し寝る。完全に何にもなくなるまで8〜9時間くらい。中田はそのままユニバへ行った。すげえ体力やなとか言ってたら夜、熱出たらしい。三日間埃を被り続けたほぼ埃みたいな人間は実家を消失し、三木家に帰る。隣の人が「夜通しお疲れさま。もう会うこともないんやね」と言って食事券をくれたので、帰りに三木さんと京橋でビール飲んでお好み焼きを食べた。三木家に帰って、実家はもうガス止めてたので三日ぶり?に風呂���入った。腰がいてー。携帯開いたら、連日お疲れさま、原稿は明日でいいよみたいな連絡が来てて、明日でいいって言われても明日って明日かー明日ってもう明日じゃんって思いながら気付いたら寝てた。
1022 作業してたら朝7時くらいになって、中田と中学の頃よく行ったパン屋に朝食を買いに行く。中学の通学路通りながら色々と二人で懐かしむなどまだ情緒のある時間を過ごす。昼から友人が5人来てくれることになったので、来てくれる特に面識ない人々を雑に入れた「シフト」とかいうグループラインをつくる。みんなが気を利かせて買ってきてくれたお茶やらパンとか551の豚まんなんかをテーブルに並べてったら、撮影みたいになる。現場、仕切らせていただく。中田がまーくんの車で電子レンジとかテレビとか、売りに行ってくれた。大量に売った服の買取価格がまさかの30円だったから、「今日のギャラです」と言って中田とまーくんと10円ずつ分けた。私ももらってるし。こんなに物があってもほとんどお金にならないし、持って帰れる場所はない。アルバムも腐るほどあるけど簡単に見返せる量ではないし。二日目、物への思い入れが皆無になって怒りが湧いたり、幼稚園の時の手形?とかを「こんなの捨てにくいわ!!!」とか怒鳴りながら泣き出したりして私のメンタルもいよいよ。夜には引き上げて三木家に帰る予定だったのに、作業が思いのほか何にも終わってなければ逆に散らかしただけみたいな結果になり、今日も泊まり込みでやるかと言ったら、中田は明日のバイトを休んで今日もうちに残って付き合ってくれた。親…友……
1020-21 荷造りする気力がなさすぎてみきに来てもらう。仕事しながら『Silent』観て、朝は上野までタクシーで東京駅へ向かう。引っ越して二年くらい経ってから気付いたけど、家から新幹線に乗るルートの解はこれだわ。帰阪して早々に面会、病院、区役所こなしたけど思いの外元気だしで西大橋の、親が常連だった居酒屋に飲み行く。みゆきといわしちゃんを会わせる。結構飲んだら普通に今から片付け作業取り掛かるとか考えられん眠さになったが仕方なしに僻地の実家まで帰る。久々の実家は人が住んでたまんまだし、真っ暗で寒い。手始めに、懐かしみながら生徒手帳とか読んでたら寝落ちてて、1時半くらいに中田訪問チャイムで起こされる。一緒に夜通し作業するけど、思ってたより膨大でぞっとする。学生時代のいるもの/いらないものは途中からほぼ中田の判断に任せることに。何より物量がありすぎて全部自分で見てる時間がない。一回うちに来たことのある初音が、「物量は相当だろうよ」と言ってたのを思い出す。「美術としては相当リッチだけど」とも。
1019 御徒町の珈琲館で作業。山家でとんかつ食べる。上野��ら千駄木まで歩いて朝日湯へ。風呂上がりに珈琲牛乳を飲んでる私の隣で美味しそうにビールを飲む人よ。帰り、夜風がめちゃくちゃ秋だったな。
1016 休み。あてもなく吉祥寺に行ったのでとりあえずチャイブレイクで本とか読む。栗と迷って金木犀のチャイ。こういう飲み物で季節を感じないともうね。そういえば親の夢を見た。身体が動くようになった母親の車椅子を、亡くなった祖母が押していて、3人で実家にいた。起きてから、本当に実家がなくなんのかーとかぼんやり考える。けど、もう誰もおらんし、元からないようなもん。夕方、家に帰ろうと思うも充電がなさすぎて、充電しに月吠えへ。武蔵野館で『よだかの片想い』観ようと月吠えを出て、映画が終わってから携帯開いたら、不在着信の後に「今飲んでないの」とあやなから連絡。「映画観ててこれから月吠え戻るよ」と返事してすぐ戻ったらあやながいた。さっき私に電話したけど出ないって月吠えで話したら「あの子今映画観てるよ」ってユースケが言ってくれたらしくて、なんか月吠えは放課後感あってよかった。
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2024/12/18 BGM: David Bowie - Under Pressure
今日は休日だった。今朝方、英会話関係のZoomミーティングに参加してあれこれ英語で話した後に、これまたいつものように図書館に行き本を見繕う。とりわけ、こんかいは目当ての本があった。Discordで友だちが北九州で起きた殺人事件のことをシェアしてくれたことで、こうした無差別殺人について自分なりに虚心にイチから学び直したいと思ったこともあって前に一回だけ読んだことがあったマシュー・ウィリアムズ『憎悪の科学』を借りることに決めたのだった(くどいところはあるが、いい本だと思っている。こんかいの読書でどんなことを学べるだろうか)。その後、朝活の一環としてまたしてもイオンに行きフードコートにてあれこれオービタルやレフトフィールド、アンダーワールドなんか聴いたりしつつ考えごとに興じてしまう。これもまた、いやになるほど堅牢なぼく自身のルーティンの1つである。
だが、今日は不調だったのかなんなのか理由はわからないがあれこれ考えごとをできるだけ緻密に・効率的にめぐらせようとしてもガラクタのような考えが湧いてくるだけで、なんら楽しくもなく興奮もせず逆に気分が悪くなり、そのうちに「この心臓はいつ止まるんだろうか。『いま』止まったら死んでしまう。でも、動いている……なんでだろう? なんでいままで死ななかったんだろう」なんて考えはじめてしまい、それこそ頭がおかしくなりそうになった。なんだかカフカやカミュ、フェルナンド・ペソアが書き残した断片に出てきそうな話だがホントのことだ。これ以上掘り下げてもそれこそ平山夢明の実話怪談や都市伝説みたいにひどいことが起きそうな気配しかしなかったのでやめてしまい、昼食を買い求めて自室でしばし巣ごもり・引きこもりの時間にいそしむことに決めてしまった。
ランチを食べ、しばし昼寝をして(そんなひどい強迫観念を感じていたというのに、このルーティンの昼寝タイムではちょっとだけではあるが眠れたのだった)そしてグループホームの副管理者の方にお会いする。��こで、冬服をどうするかとかボーナスの使い途とかそんなことを話し合う。その後、まだ気分は悪かったもののなにはともあれミクシィ2の哲学・現代思想的なコミュニティに断片的なアイデアを投稿する。すぐさま、他の方々からレスポンスが返ってきた。哲学的な営為(少なくともぼくの場合はたんにこうして本を読んだり考えごとをしたり投稿したりといった、それこそサルでもできそうなこと)とは、クロスワード・パズルやソリティアを解くような孤独な仕事なのか? それとも、誰かと行うコラボレーション的な意味を持っているんだろうか? たぶん、正解は「どちらも」ということなんだろうと思う。日々、ぼくは深淵にもぐってあれこれ考えを掴む。その後、その掴んだ収穫物を言葉にして他人に投げかけ磨きをかける(その過程で批判的な意見を頂戴し、議論になることもあろう)。それが(ぼくにとっては)哲学だ。
ひょんなことから40の歳、過去少しばかりかじったというか表面だけ舐めてしまっていた哲学にふたたび(わかるわけないとはいえ)向き合うことに決め、そして永井均や野矢茂樹なんかを読み……そして大学生だったころにかぶれていた中島義道の綺羅星のごとき作品とも向き合ったりしたことを思い出す。その中島義道は、世界にはどうあがいてもうまく・器用に生きられずいちいちさまざまなことがらとぶつかるしかない「哲学病患者」がいると語る。ならば、ぼくは1人の重患ということになるだろう。さっきも書いたとおり、あれこれ考えを練るとそれこそ細かく「なんで指がこうやって動いて言葉がタイプできるんだろうか(どうしたら指を動かせるのかぜんぜんわかっちゃいないし、教わったこともないのに指を動かせるのはなぜなのか)」とか考えたりする。いや、冗談ではなく本気で書いている。そんなことをあれこれ考える性分だから過去に酒に溺れたりして「絶対的瞬間(恍惚あるいはエクスタシーと呼ぶべきだろうか)」を垣間見たいとか、あるいはもう我を忘れて煩悩を捨て去りたいとか思ったりしたのだった。でも、いまはこの哲学病とつきあうコツがあれこれ掴めてきたように思う。他人とシェアし合い、背負っているものを分担していくことがそんな「コツ」の1つだと思っている。
夜になり、布団の中でサルトルの古典『嘔吐』を紐解く(『存在と無』もいつか通読したいが、なかなか歯が立たないのがトーシロの悲しさである)。だが、眠気を感じてしまいぜんぜん進まなかった。というか、あくびが止まらなくて往生した……もちろん本はすばらしい内容だということは知っている。そういうこともあるのだった。あきらめて、布団で子どもに戻ったようにぬくぬく・ゴロゴロ・ぼんやりとブライアン・イーノや細野晴臣を聴いたりしつつ過ごす。おかしな話だが、布団の中でそれこそ溶けそうな気分に浸っていると今朝方感じたようなそんな強迫観念から解放され、恐れも感じなかったのだった。まあ、そういうことなんだろうと思う。それもまた人生の醍醐味かな、と。
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【旅行】時の流れに想いを馳せて:洲本城の絶景と石垣が語る物語
【この記事のポイント】 ・洲本城は標高132mの山の上、大阪湾の絶景、築城当時の石垣や日本最古の模造天守をゆっくりと観ることができた。 ランチの後、次に目指すのは淡路国一の宮の伊弉諾神宮。 …だったんですけど、周囲の渋滞が酷い。 このまま駐車場待ちをしていると、何時間かかるかわからず。 仕方ない、諦めて洲本城に向かうことにしましょう。 城のある洲本は淡路の行政上の中心地。 島の人口12万人の1/3、4万人ほどが住んでおり、山がちな淡路島のなかでは比較的広い平野になっています。 洲本城は標高132mの山の上、三熊山ドライブウェイという道路を使えば、城の近くまで車で行くことがができます。 短い階段を登りきると視界が開け、目の前には海と青空の絶景。 いやぁ気分がいいぞ。 洲本の街全体を見下ろすことができ、城を築くには絶好の地。 最初に城が築かれたのは1526年、阿波三好氏によるものだ…
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帰ってきて、3時間くらい昼寝をした。いつぶりだろう。
01.今年の夏以降、なんだか忙しくて気持ちが休まらなかった。 春は少しの間休職していたので、時間の進みが比較的ゆっくりだった。 学生の頃のように短髪を10回も脱色して、賑やかな色の服を着て、肌の一部が見える格好で外に出て、友達と遊んだ。 その写真を、普段は通知に反応することさえしないのだが、家族のライングループに一枚投稿した。飼い猫が亡くなって以来、二度目の帰省の時に父から「大阪のおばちゃんみたい」と言われた。 わざわざ言わなくてもいいのに伝えてくるのは、多少なり自分たちの望んだ娘の姿ではないと思ったこととか、20代も終わるという年の女が何をしているのかと感じたこととか、 そういうのを匂わせた軽めの侮蔑、軽口に見せかけた非難、雑談の中で不意にダメージを与えることで、言われた側に爪痕を残し、言う側の意図を暗黙のうちに汲み取らせようという魂胆が垣間見える…ような気がした。 ここでふと我に帰る。そこまで考えてしまうのは少し極端だ、と自分で気がつけるようになった。
初手でここまでマイナスに受け取ってしまうのは、私の問題もあるのだろう。私は私の自我が非常に不安定な存在であることは知っている。
02.年末になると、会社からビジネス手帳が配られるのだが、これまで活用法が見出せずにほぼ白紙で毎年捨てていた。 もったいないと思いつつも、書くことが特にないし、日々の予定は私の場合は流動的なものが多いので、iPhoneのカレンダーで管理する方がよかった。今年の手帳もその例に漏れない。
ただ、来年からは自炊の献立を決めておいたり、毎月末に書く振り返りカード(100均のカードカレンダーの裏面に殴り書きしている)を貼付したり、好きなyoutubeチャンネルやドラマ、漫画をメモしたりするのに使う予定だ。 あわよくば資格や趣味の勉強もこの手帳で管理したい。自分なりにフォーマットを整えて(ボールペンの手書きで殴り書きだが)今月半ばから試験運用している。
私は非常に気分屋なので、少しでも手間に感じたらいくらでも途中で放棄してしまう。 しばらく経って再開することがあったとしても、来年末にまたほぼ白紙の手帳を捨てている可能性は高い。 なので、今年末から慣らしておこうという計画だ。うまく行くかは神のみぞ知る。
03.インターネットとの付き合い方をこれまでも何度か考えるタイミングがあり、snsもアカウントやコンテンツ(文章など)を作ってみてはしばらくして消すことを繰り返してきた。 先日、その中でも比較的長く残していたtwitterのアカウントを完全に削除した。とはいえ、データがweb上に現れなくなるのは30日後らしい。
Xになってからほぼ更新していなかったのでtwitterと書かせてもらうが、景色や特定のオブジェクトの写真を加工して載せたり、よく閲覧していたサブカル文系根暗ツイッタラーに影響を受けたツイートを投稿していた。
��とtwitterの中だけで育った交流もあったので、以前消そうとした時は後ろ髪を引かれる気持ちがあり、結局消せなかった。 ここ一年ほどは、たまにログインはするが投稿は更新しないという中途半端な形に落ち着いていた。当時から、仲良くなった人とは実際に会ってお茶をしたり、 ブラウザに依存しない他のアプリケーションで繋がったりしていたし、リア友にはtwitterがなくても繋がれるし、という状況は変わっていない。 決め手になったのは広告やおすすめ機能、全く自分と関連のないインフルエンサーの引用リツイートに埋め尽くされたタイムラインの不愉快さだった。 ネットで拡張された現実の先に、ただ誇張されただけの歪んだ現実があるという地獄のループをひたすら体感させられるような。
他の人たちと同じように、10年前に存在したような静かなインターネット(それでいて物理的距離を跳び越えた、新しい刺激をもらえる場所)を探し、行き着いた場所でアカウントを作成すると、前述した旧サブカル文系根暗ツイッタラーたちが軒並み同じ場所に鞍替えしていて、少し可笑しかった。 ネット越しの文章でも、やはり長く接しているとアンテナの張り方が似るものだと思った。
04.長いこと疑問だったが、自炊の面倒臭さと外食の手軽さを天秤にかけた時に、自炊の方が節約になるという人は少なくとも食費についてきちんと記録し、管理しているのだろう。 高校受験で燃え尽きて、その時鍛えた義務教育的教養の貯金の切り崩しで大学に来てしまった私は、すっかり負の意味でキャンパスデビューしてしまっていた。
活字があればとりあえず最後まで読んでしまうような子供だったのが、長い文章が読めない。 短文もインクの染みを追うだけのような感じで、意味が把握できない。数字はもともと苦手意識があったので尚更。 地図も、観察も、実験も、買い物も、人との会話でさえも、とにかく全ての情報を遮断したかった。事実拒否するような言動をしていたと思う。(当時周囲にいた人については申し訳なかった)
何度も書いてきたきたことだが、私は学校に行かなかった。 昼間はバイトの時間まで、布団を敷いて寝巻きのまま、自室の天井を見つめ続けた。 幼い頃、博物館や図鑑や論文のようなアカデミックな要素に憧れていたのをふと思い出しては、泣いた。 燃え尽きで志望校などなかったとはいえ、実際に今大学という場に所属できているのに、目の前に大規模な図書館やいつでもアクセスできる論文の山があるのに、私はそれらに近づくこともせず、8年もの間天井を眺め続けた。
その間に、字を読み書きするのが嫌ではなくなるとかのレベルで状況の改善もあった。 ただ、私にとって自分が本来の興味関心に沿った行動をとることができるまでに、8年以上の歳月がかかることは完全に予想外だった。 数年耐えれば治ると信じていたから。
社会に出て数年が過ぎ、自分の環境を自分の働いた給与によってコントロールできるようになってから、突然蓋が開いたかのような変化が見られて驚いた。 一人暮らしは9年目を迎えた。 社会人で食費を何も考えずに出せるようになると、準備の時間や水道代、ガス代、材料費、設備の初期投資がかかる自炊について、本当にこれは節約になるのか疑問が湧いた。(我ながら平和ボケしていたと思う)
特に一軒家を借りて住んでいるので、マンションの一室と違い、自炊ができる環境は最初から整っていない。 そこからお金をかけて揃えるとなると、考えることも多い。 まぁ数年経てばそこそこ設備も揃っているのだが、これは一旦確かめてみようということで、一週間の献立を立てて、実際に作った分で食費を計算してみることにした。
案の定一週間で二千円以下という結果だった。 外食であれば私は喫煙できるカフェとかに行くので、ランチだけで1,000円近くすることもある。そう考えると、当然自炊の環境は整えて正解だったということになる。 生活にかかるお金を管理することを、燃え尽き症の名残もあって長年避けてきたが、ちょっと来年からはがんばってみることにする。
05.海が近い町は良い。平野の緩急のない、ただ茫と広がる風景よりも好きだ。 埋立地なので風が強く吹き、冬は寒い。日差しは均等にならされたアスファルトに照り付けて眩しい。 空はどこから見ても開けていて、月がよく見える。大人になってからの記憶では、色や感触が鮮やかだ。 幼い頃の記憶は、まるで字幕すらない白黒映画のようで、情緒はあるのだが、断片的ゆえに淡白で、内容がよくわからない。
これまでの時間、自我の在り方と、これからの時間、自我の在り方を同居させることは非常に難しくて、たまに悩む。 同じ人間が体験しているとしても、これまでとこれからをいつまでも延長線上のように考えておくことはできない。あまりにも違い過ぎて。
なので、新しく生まれていく自我と生きていくことを選択することにした。 そうしてゆくと自分で自覚することが、いまだに襲われる自死への���望を遠ざけ、生活を喜劇と設定しなくても、自然体で続けていくことに繋がると信じている。
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秘密と私
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秘密が好きです。会社で新規口座開設とともにNDA(秘密保持契約)を結んだりするのは、より深い話をするために他には情報を漏らさない約束をするためでした。
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「これ、お前だけに話しているんだけど」なんてセリフを聞くだけで一気に緊密さが増すものですよね。それは流行病の時に開く飲み会なんかが代表的なものです。
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京都の大文字焼では最初に点火するところを山の下から気づかれないよう人垣で隠すのが内緒火だそうです。点火の合図とともに火床に移して一気に暗闇を照らすのですね。
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そんな送り火も「小さな火」が始まりなんですね。と言うわけで本日のランチは「田舎家の暖炉の小さな火」と言う意味の #プティフアラカンパーニュ です。
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前職で半蔵門の取引先を担当していた頃に来て以来なので実に10年以上ぶりです。12時過ぎに入りましたが、丁度満席で5分ほど待って着席です。
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頼んだのは #ビーフカレー を中辛で大盛にしました。薄暗い感じでジャズが流れる店内に最初にジャガイモが出されるのは、こんな感じだったのを思い出しました。
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ただ以前は2個だったじゃがいもも1個になったのは原材料費が高騰した影響なのでしょうか?変わらないのはチーズがのったライスに銀色の食器に入ったルーでしょう。
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まずは卓上にある薬味を一通りご飯の上に乗せます。まずはちょこっとカレールーをライスにかけて頂きます。
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コクのある甘さとフルーティーでクリーミーな味わいは何十年か前に父親に初めてこの店へ連れて来てもらった衝撃を今でも思い出す旨さ。
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食べ進めると後から来るスパイシーな辛さは、ヤッホーと叫んだことを忘れた頃にやってくるヤマビコ以上に反響して大きく帰ってきます。
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そしてジャガイモは、バターを塗って食べるとスパイシーさを和らげる素敵アイテムに早変わりです。
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たくさんの漬物もどれも美味しくてご飯が進む逸品です。ビーフもよく煮込まれていて部位として赤みも脂身のところもあって、バランスよく美味しく頂けます。
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最初の一口目に感じる味わいは小さな火ですが、食べ進めるうちにだんだんと大きくなる様子は京都の大文字焼きと寸分違わないのかなと思います。
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本当は秘密にしておきたい店ですけど1981年創業ということですから、とっくに皆にその良さが知れ渡っていますね。
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過去も含めていっつもビーフばかり頼んでいたので次回はシーフード系もトライしてみたいなと思います。
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#麹町ランチ #麹町グルメ #麹町カレー #麹町欧風カレー #麹町洋食 #半蔵門ランチ #半蔵門グルメ #半蔵門カレー #半蔵門欧風カレー #半蔵門洋食 #とa2cg
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会うのはいつも女性
Tuesday 11 November 2014
真観は、禅寺に行けなかった。
7時5分のバスに乗り東京へ向かった。 10時、真観は、田無駅にて友人の画家Kとその友人Sさんと会った。3人で駅前のインディアンレストランに行ってランチを食べながら自己紹介と撮影の打ち合わせをした。真観は、近くSさん家族の家族写真を撮る。カボスを2人に3個ずつプレゼントするとKからは日本酒のゼリーとお菓子、Sさんからは、月初め石垣島に行った時のお菓子を貰った。
その後新宿に戻り、下北沢駅経由で駒場東大前まで移動。3時、池尻に住むMちゃんのお母様に写真を届けた。約1.5時間お母様とおしゃべり。コーヒーとバームクーヘンを頂いた。今日は、Mちゃんのお父様の一周忌の写真の納品だった。真観は、おしゃべりの最後にサプライズで真観が制作したBOOKを見せた。お母様は大層喜んでくれた。そして後もう2冊増刷して欲しいと言われた。真観、今回もサプライズ制作は成功した。帰り際、やはりカボスをお母様に3個プレゼントするとお母様から長野で製造されたワインを1本頂いた。
Mちゃんのお母様の家を出て近くのバス停から東急本店行きのバスに乗った。約束の時間まで少し時間があったので中古レコード店でレコードを物色。特に欲しいレコードはなかった。6時20分、ドンキホーテ前でYちゃんと再会。Yちゃん相変わらず綺麗で可愛かった。Yちゃんの知り合いのお店へと歩く。その店は神山町にあった。店に入り、2人共お酒は飲まず料理だけ注文した。真観は、Yちゃんに「例の写真」を渡した。Yちゃんは、ビックリして喜んでくれた。正解だった。おしゃべりしていると時間はあっという間に過ぎお店を後にした。真観は、マークシティのバス停留所から9時5分発のバスに乗って静岡に帰った。カボスもYちゃんに3個プレゼントすると両方から高円寺の「踊り子サブレ」を頂いた。
真観は、4人の女生徒会った。 真観のコミュニケーションは殆ど女性だ。 それは何故か?真観が独身だからか? よく分からないが日本人の男性とのコミュニケーションは少ない。
今日のカボスと「そのお返し」は不思議だった。 久々に「トランシーな出来事」を書こうと思う。
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2024年3月3日(日)
今の家に引っ越したのは2002年2月2日のこと、この間インターネット回線はフレッツ光からCATV、そして3年前にNURO光に変更してそのスピードアップに喜んだものだった。そのNUROが現在の2GBから10GBへの高速回線の切り替え可能ということで申込、金曜日に工事が完了した。ケーブルを新しくして本日スピードテストをしてみたが、ケーブルでつないでもWi-Fiでもさほど顕著な変化は確認出来ない。もっとも、ダウンロードよりアップロードの方が早いというのは一つの凄さの証左ではあろう。ともあれ、回線がよくなったことで仕事のスピードもアップすること、これが特に望まれる今後の変化なのだが・・・。
5時45分起床。
6時、洗濯。
朝食。
珈琲。
洗濯物を干す。
昨日アマゾンに発注したLANケーブルが届いたのでまずはテスト、2階リビングのONUから1階のMacMiniにケーブルをつなぐ、だがこれまでのものと大きな差は無いようだ。
改めて、2階から3階の息子たちの部屋までケーブルを通してセッティング完了。
コレモ七条店で買物、昼用のうどんを買いに行ったのだが、20%引きという表示があるとついあてもないのに買ってしまう(¥983)。
酢タマネギ仕込む。
麺つゆつくる。
ランチ、息子たちにはうどん、ツレアイには残りものスパゲッティのサラダ仕立て。
録画番組視聴、落語研究会から、「百年目」柳家権太楼。やはりこの噺は米朝でなくては。
軽く午睡。
イオンモール五条までウォーキング、2階の大垣書店で文庫本購入(¥1,100)。バスで西大路七条まで戻って、コレモ七条店でアジフライ・トマト・ごま油(¥941)。WAON消費行動、残高は¥255なり。
ツレアイはリビング、私は1階の作業場、それぞれ年度末の片付け(=不用品処理)に精を出す。
早めの夕飯、残り食材総ざらえ。
録画番組視聴、落語研究会から「蕎麦の隠居」入船亭扇辰/「安兵衛狐」古今亭志ん輔。志ん輔のマクラが楽しい。
片付け、入浴、体重は350g増、今日は昼を食べてしまったしなぁ。
パジャマに着替えて日誌書く。
よく動いた、言うことなし。
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2024.10.21
昨日、夕刻の暴風とは打って変わり
快晴の石垣島!
仲間の家族と一緒にマンタウォッチングツアー
初めて石垣島で観光らしい事をしました(笑)
しかし…この聖典は、マンタウォッチング後。
濡れるから携帯は置いて行ったので
船の上や水中画像は無いんだけど、
海に出て、最初のポイントは
ファインディング ニモ的な世界で最高だった!
のですが…マンタのポイントは、沖なんだよね
初めのポイントもだったけど
段々と曇って来て、マンタポイントに移動する
タイミングで、ガッツリと荒れまして…
サーフィンしたいくらいのブレイクポイントあるわ
船でも、ガッツリと揺られる巨大セットのウネリ
乗客はパニック!
マンタウォッチングどころぢゃない!!
ポイントにも辿り着けない、
スリリングなクルージングでした。
で、浜に帰還して、シャワー浴びて着替えて
ランチをしてると…上記の画像
ふざけんな!!と、乗客全員が言ってたね
そこで晴れたのを利用して、THE石垣島!!
川平湾へ、仲間が連れて行ってくれました
はい!
ザ!ですよね
尾道もそうですが、ザ!なトコは
出オチ感、半端ないので、コレを超えるインパクトも
場所も、滞在理由も無いので、即撤収(笑)
仲間の娘が、ぢゃ、シーサー農園行こうよ!と
アテンド開始。
小学4年生にアテンドして貰いました。
やはり火山の影響か山の形は、火山ぽいね
夕食を家族とする予定だっので、
一回、街中に戻るのですが、
その道中に見つけたマングローブ
車を止めて貰い、写真を撮らせて貰いました
いいよな〜この景色
その後、仲間の店で食事会
まだ途中ですが、ブログをアップ
まだ、この後も飲みに行くんだよね
そして、ちゃんと仕事もします
パソコン有れば仕事出来るから
本当に良い時代になった(^^)
p.s.この店内のミラーボール🪩は、
ワイが送り付けたヤツ(笑)
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【福井】坂井「焼肉ビアハウス 蘭燈」
【出川哲朗の充電させてもらえませんか?】地元で人気の焼肉店『焼肉ビアハウス 蘭燈』#朝日奈央 北陸絶景 福井⇒石川加賀温泉郷 前編 2024/10/26放送 福井県坂井市坂井町蔵垣内7-5-1 #充電させてもらえませんか #陣内智則 詳しく見る↓
大関駅「焼肉ビアハウス 蘭燈」 食べログでcheck! 地元客に愛される老舗焼肉店 新鮮な地元産食材をふんだんに使用した本格的な焼肉と、豊富な種類のクラフトビールのペアリングが楽しめるお店 焼肉は、地元産の新鮮な牛肉や豚肉を、独自のタレで味付けし、炭火でじっくりと焼き上げる。 中でも、看板メニューの「蘭燈カルビ」は、肉質が柔らかく、ジューシーな味わいが特徴。 また、季節の野菜を使った焼き野菜も豊富で、肉とのバランスも抜群。 住所 福井県坂井市坂井町蔵垣内7-5-1 TEL 0776-97-8069 ホームページ 焼肉ビアハウス蘭燈| 焼肉ランチ|福井県坂井市 ランチ・夕食・忘年会・新年会、最適! 焼肉ビアハウス蘭燈 福井県坂井市坂井町 坂井町道の駅近く!… ホームページをcheck!
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【かいわいの時】昭和八年(1933)9月16日:天王寺南門超願寺にて「上方怪談会」開催(上方郷土研究会)
天王寺南門を一丁南へ行くと西側にある古刹超願寺は人も知る竹本義太夫の墓があるので著名、秋の日脚は短く暮れた宵闇に寺門にボンヤリ燈った目標は上方怪談會と記した白張提灯、門を入って玄関まで怪異の掛行燈を連ね、受付では真面目な署名を乞ふたがその脇の土塔茶屋では一吹と腰を掛けると、經木に詩歌を乞ひ、茶の香りに氷水を末期の水となぞらへて出すので、皆が冷いやりする。奥の書院では仝寺秘蔵の応挙筆の幽靈像を佛間型にした裡に凄然と祀り、本床には英一蝶筆の百鬼夜行の横大幅、展觀として本會所秘蔵の幽霊、妖怪、變化の錦繪を座一杯に繰展げて置いた。續々の來會者で本堂は忽ち満員、この調子では幽霊の方がをぢけがつく。午後七時半挨拶に始り、序論の形で京都より態々来阪の江馬文學士が「文學に現れたる幽霊」を風俗専問の立場から真面目に諧謔を交へて講話され、次で茨木の日垣明貫の息章道氏は父君の材料を携へて事實談を上手に順序よく物語られた。尚三四氏の申込みがあったが、時間の都合で中止し、中入として蓮の葉に包んだ白蒸の飯に奈良漬、苧殻*の箸を添へたのを配った。この中に日垣氏が當夜寄贈せられた半切に仝氏が書かれた大入道の繪を抽籤することにし、赤紙を一枚入れて置いたところ、来會者の木村喜行氏(新町吉田屋)が引當てられた。さてこれ等の興味で時刻は九時過ぎになったので、當夜の呼物である三遊亭志ん藏氏立つことになり、前提として同氏体験��事實談「血風呂」の話を得意の話術にて一席、シンミリと聽���せて、先ず聽衆に凄味を興へ、さて獨特の幽霊扮装に移る。簡單に青隈で顏としたのを見せて置いて、暗轉で、お岩の幽霊、どろどろーー合方もないが、照明役の手際によって陰火点滅すると凄気堂に漲る。一同やあれ恐はやーーで退場閉会す。當夜お土産として蝋燭で見るお化け繪に超願寺寄贈の繪はかき一組と、松竹より無縁墓供養として寄贈のお岩に因んで「岩おこし」を贈った(南木生)。「三十八回上方行事上方怪談會記」『郷土研究上方 第三十四号』 (昭和八年十月一日発行)より。 *苧殻(読み)おがら アサ(タイマ)を古くは〈苧(お)〉と呼んだが,皮をはいだ茎は苧殻(麻幹)(おがら)と呼び,お盆の迎え火,送り火をたくのに用い,供物に添える苧殻ばし(箸)とする。種子は苧実(おのみ)すなわち麻実で,薬味として使い,七味唐辛子に入れられている。世界大百科事典 第2版
(写真)上方郷土研究会「三十八回上方行事予告 上方怪談会」。『郷土研究上方 第三十三号』より。
日時 昭和八年九月十六日午後正六時開催 場所 天王寺南門(義太夫の墓のある)超願寺(千日前発掘の無縁墓あり) 展観 応挙の幽霊(超願寺蔵)及幽霊、妖怪、変化錦絵二百点陳列 開会順序 六時より会員有志の実話談に移り、九時余興、十時閉会 扮装実演 幽霊になるまで 三遊亭しん蔵*氏 会費 五十銭(粗供養記念品呈上) (『郷土研究上方 上方怪談号(三十三号)』1933掲載)
*三遊亭志ん蔵(1887-1964) 怪談話『お岩の幽霊』を得意とし「幽霊志ん蔵」と呼ばれる。戦後は上方で数少ない明治から継承されていた古い怪談噺を演じる落語家として重宝される(ウィキペディア)。
*会費50銭は現在価値で約2500円(中入り軽食・岩おこしの御土産付き)。1930年から1931年にかけての大恐慌(昭和恐慌)で、昭和はじめの日本経済は深刻なデフレに陥っていました。当時の1円を現在価値に換算することは容易ではありません。目安として明治初期と昭和10年の大工の手間賃で比べると、0.5円(1870)=2円(1935)=17000円(現在)*。これより、1円(1935)≒8500円(現在)。デフレの影響で昭和10年ごろの1円の価値はかなり高かったようですが、しかし、当時ガスビル食堂の1円ランチが、行列ができるほど人気があったことを考えると、現在の「感覚」からすれば、1円=5000円ぐらいとするのが適当ではないでしょうか。同じ頃に浜松市のデパート跡で開催された「警察博覧会」(遠州新聞社主催)の会費(入場料)が大人15銭、現在価値にして約750円。妥当な範囲だと思われます。*明治初めの1円=0.125石=34000円(現在)で換算。
[註]「応挙の幽霊像」(他には「英一蝶筆の百鬼夜行の横大幅」)がリストアップされていますが、残念ながら、いずれも現存していないようです。ほんまやったら、重要文化財。「もう少し寝かせておきとうございます」
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