#壊れた炊飯器は象印さんではありません
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購入して一年以内の炊飯器が、突然 “ボソボソなんだけどベチャベチャでアルデンテよりほのかに芯がある” ご飯しか炊けなくなり、モード変えたり色々試したが、何をどうやっても、まずいご飯のみ製造機になってしまった。 購入したケーズデンキにお電話したら(メーカー保証期間内 & 5年延長保証にも入っていた) ・不便をかけて申し訳ない(いやいや御社のせいでは) ・大変申し訳ないが店に来てくれたら代替え機をすぐにお渡しする(えっ?!貸してくれるの?) ・店舗でも、出来る限り早い対応希望と強くリクエストしておきますと(いや、ほんと助かりますっ!) 昨夜は、今後も家電は全部ケーズデンキで買おう!と心に決めた夜でした。 #神対応 #カスタマーサクセス #壊れた炊飯器は象印さんではありません #購入した炊飯器は一升炊きデビューだったんですがまさかの貸し出しも一升にしてくれた #以前もダイソン修理で神対応してもらった経験あり #ケーズデンキ #カスタマーサポートのバリューは企業の価値に繋がる #NPS満点あげたい (ケーズデンキ 新習志野店) https://www.instagram.com/p/Cpv_1F-y-o-/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#神対応#カスタマーサクセス#壊れた炊飯器は象印さんではありません#購入した炊飯器は一升炊きデビューだったんですがまさかの貸し出しも一升にしてくれた#以前もダイソン修理で神対応してもらった経験あり#ケーズデンキ#カスタマーサポートのバリューは企業の価値に繋がる#nps満点あげたい
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2020年2月3日(月)
先週末に用意していたおかげで、研究室に入ると2月のカレンダーが迎えてくれた。今日は節分、明日は立春、背筋伸ばして春を迎えよう。
三男は日勤、ツレアイは自転車で出勤。
壊れた風呂の蓋に大型ゴミシールを貼ってガレージ前に出す。
郵便局が開く前に、夕飯用の肉じゃがをストウブで仕込む。
関東炊きに火を入れる���
柳家小満ん師の「てきすと 27、28」2冊発注。
午前9時を待って西七条郵便局へ、MQJの「テディベアとなかまたち展」のチラシ(今回は152通)を窓口へ。中央郵便局なら自分で別納スタンプを押さねばならないが、ここはスタッフがやってくれるのでありがたい。
デイサービスに出かける前の次男に夕飯の確認をして車で出発。
図書館へ出勤、予算執行申請書に押印。2月・3月は春休みで開館時間が変更となる。注意喚起のために tweet 。
今週は消防設備の点検、私の研究室のある4号館は今日が対象。幸い、比較的早い時間に業者が来て感知器をチェック、すぐに終了。
今日のおにぎり、凸凹ぶりが楽しい。
IM嬢来室、「できる女プロジェクト���落語編〜」、今日のテーマは「蔵丁稚」。背景にあるのは、「仮名手本忠臣蔵」、しかし、「忠臣蔵」自体を知らないとのこと、然もありなん。
「文化デジタルライブラリー」という、”伝統芸能の保存及び振興を行う独立行政法人日本芸術文化振興会が運営するサイト”がある。ここのコンテンツはなかなか充実しており、雅楽・能/狂言・歌舞伎・文楽などの学習にはピッタリ。教材として大変役に立つ。「仮名手本忠臣蔵」「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」という三大狂言を、ぼちぼちと学んでいただくことにする。
帰宅すると、同居猫(=ココ)がリビングのイスでじっとしている。例によって無愛想だが、一応迎えてくれているのはわかる。
夕飯は、朝仕込んでおいた肉じゃがと昨日の関東炊きの残り。次男は先に済ませ、その後ツレアイと三男が前後して帰宅、ボルドーの白を開けてみなでいただく。
風呂の順番を待つ間にダウン、ぎりぎり3つのリング完成。
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迷ったら中米に行こう!~戦々恐々とコスタリカを旅する~
20代最後の夏に思い切って中米コスタリカへ行きました。
幼稚園から��友人が海外協力隊として現地で活動しており、彼を頼りに8月10日から16日の1週間、初一人海外へ出て行きました。
コスタリカで見たものや経験はどれもみずみずしく新鮮なものばかりで、この気持ちが少しでもフレッシュなうちにメモを残しておきたいと考え、帰国の途につくコスタリカサンホセ空港にてキーボードを叩き始めました。(が結局書ききれたのがだいぶ後になってしまいました汗)散文的な内容になることを恐れずゴリゴリ書いていこうと思います。
【コスタリカの概況】
言語はスペイン語。国教はカトリック。そのため街の要所には教会が立ち並んでいる。
コスタリカの歴史は基本的にはスペイン人統治時代から始まり、それ以前の先住民の歴史的、文化的な遺産などの観光資源に乏しいのが現状。
しかし、先住民たちが森を切り開き巨大な文明を築かなかったことと恵まれた気候から自然が非常に豊かで九州と四国を合わせた程度の国土面積に、地球全体の5%もの動植物が存在すると言われている。
国はこの点を自国の観光資源として捉え、国土の多くを国立公園として保護し、その自然の中を探索する『エコツーリズム』を世界に先駆けて始めた。これが世界に受け入れられ、それまで農業依存だった国の経済構造を好転させた。
そのほかにも軍隊を持たない平和国家として、軍事費に充てていた費用を教育や医療、再生可能エネルギーなどに投資し、前述のエコツーリズムに加え、中南米で屈指の教育、福祉、自然エネルギーの国として強い国家アイデンティティを保有している。(日本も見習いたい)
街の観光地はどこもごみが少なく、水道水も飲めるのは中米に限らず世界的にも希少な国のひとつではないだろうか。
【コスタリカの人々】
・観光地のガイドからUberのドライバー、クラブに来ていた若者に小学生まで様々な人と触れ合ったが総じて気さくで穏やかな人が多かった印象。車の運転も��ジアなどに比べても丁寧な感じだった。
・観光地やホテルでは英語を話せる人が非常に多いため、スペイン語が苦手でもガイドを受けたり簡単なコミュニケーションは十分可能(ただし自分は英語もできなかったため状況は変わらなかった)
・中米の中で治安が良く経済が安定していることもあり、多くの移民が存在し、とくに貧しいニカラグア人が市街地でホームレス化している現状が社会問題となっている。そのほかにも社会情勢が不安定なベネズエラ人なども目立った。
私のコスタリカ旅行
友人が1週間のバカンス休暇を取りほぼ土地勘もコミュニケーションもできない私にほぼ24時間付き添ってくれて様々な場所に行かせてくれました。
現地で撮った写真を見ながら適当な順番と粒度でコスタリカについて語りたいと思います。
1.市街地の風景
成田からヒューストンを経由し、サンホセ空港に到着。
駅からバスでサンホセ市街地へ出て街を散策。初めての中米だが、町の雰囲気は東南アジアとも近い印象。首都ということもあり、おそらく単純に国の経済力、発展度によって似た雰囲気の街が出来上がってしまうのかもしれない。(日本も昔はこうだったのかも)
市街地には人通りが多い。また、路上に座り大声で物売りをする人も多く見かけたが、友人曰く彼らはニカラグア移民だとのこと。あまり近づかないようにした。
2.食事
「コスタリカの食事はマズイ」と友人から聞かされていたため戦々恐々として乗り込んだものの、総じておいしかった。ただし、値段の割に(というか高い店に限って)全くおいしくない店もあり、その辺はどんな店でも一定のクオリティは保っている日本の外食店文化のありがたさを感じた。
<上流国民編>
初日夜は友人の現地の友達で日本に留学経験もあるというコスタリカの方とコスタリカの中ではちょっとハイソな街で夕食。とてもいい方たちだった。
写真は2件目に行��たビールバー。クラフトビールの飲み比べができた。
※ここに関わらず外食費は総じて日本よりやや安いものの大きな差はなく、中米の中では非常に高いとのこと。家族を大事にし、家での食事を重んじる国民性があるとはいうものの、平均月収が日本の数分の一ということを考えると外食はなかなか大変な出費になるのだと思う。
山でのレジャーや森の散策を楽しめるモンテベルデ自然保護区で止まったホテルの隣にあったレストラン。モンテベルデという土地柄もあり周りは外国の観光客だらけ。
キャンドルがあったりと店の雰囲気は日本の都会のおしゃれレストランさながらな雰囲気だったが、料理は10ドル弱、ワインもボトル15ドル程度となかなかのコスパ。そして味が抜群にうまかった。この旅の中でもトップクラスに満足した食事だった。
同じくモンテベルデでの食事。わかりづらいが、本物の大木をそのまま残し、その周りに3階建ての建物を巻きつける(?)ような特徴的な構造を持ったモンテベルデの有名レストラン。パスタは15ドル程度と結構お高め。
ただ申し訳ないが味がマズかった。4分の1程度しか食べれなかった。友人が「コスタリカの料理は味が薄い」と言っていたのはこれか!と納得。
その後パスタは宿へ持ち帰るも、部屋に置いておいたら蟻の餌食となり無事死亡。
<庶民編>
友人行きつけという現地の食堂にて。コスタリカでは米(左)、レモンとパクチーの効いたサラダ(中央)、ポテト(右)、豆(奥)を基本セットに、そこに豚肉やチキンなどのメインが乗るワンプレート料理がスタンダード。
米はタイ米などに近く、日本のよりも細長くて水分が少ない。また、��い豆と米を合わせて炊くとコスタリカの伝統料理「ガチョピント」となる。
だが、米と豆を別々に食べても味は大差ない。
これは別の店だが、基本は一緒。そこに焼きバナナなどがついていた。
モンテベルデの屋台にて。鶏むね肉とポテトというシンプルで豪快なファストフード。非常にボリューミーだが500円程度。美味しかった。
<家庭料理編>
チフリーゴ。友人がお世話になっているホストファミリーのお家に自分もお邪魔してごちそうになった伝統料理。
ご飯に鶏肉と豆が乗っており、そこに刻んだトマトとパクチー(←これもよくコスタリカで出てくる)をお好みで載せて食べるどんぶり。鶏肉にトマトの酸味やパクチーの刺激が合わさりとても美味しかった。
米を食べる文化があるため、各家庭に炊飯器もある模様。(米があるのはありがたかった・・・)
朝は旦那さんのほうが準備してくれた。ガーリックトーストにソーセージに卵、そしてパパイヤとかなりボリューム満点でおいしかった。
3.文化編
<原住民編>
原住民が木の実などをすりつぶす際に使用していたとされる石の机。独特な形状が面白い。石工技術の高さがうかがえる。
よく日本のテレビなどでもコスタリカを紹介する際に一緒に出てくる謎の石球。その製造年代や製造方法、作られた目的などが不透明で一部ではオーパーツの一つともいわれていたが、現在では研究も進みその謎が徐々に明らかになっているとかいないとか。
ちなみに写真は国立博物館にあったレプリカ。本物はコスタリカの郊外にあるため、観光地にはしばしばこのようなレプリカが置かれていた。
<建造物>
国立劇場
コスタリカを象徴する建造物の一つ。この建物を壊したくないがために内紛が起こらない、と言われるほど現地人からも愛されているという建物。劇場内部も見学ができる。
息を飲むほどの迫力。今なお現役の劇場として使用されており、しばしば日本の能や和太鼓の演奏なども上演されるとか。
受付兼待合室。豪華すぎて落ち着いて待てなさそう。
ロスアンヘレス大聖堂
首都サンホセの隣の県カルタゴにある大聖堂。国内各地から人々が巡礼に訪れる聖地で建物も非常にでかい。
中の造りも荘厳で素晴らしい。礼拝に訪れた人は中央の通路を膝立ちで移動して祭壇へ向かう慣習があるようだった。我々は邪魔にならぬよう脇の通路を回って見学した。
<若者文化>
現地人が多く集まる深夜のクラブへ友人と2日連続で繰り出した。入場前にID(自分の場合パスポート)と場所によってボディチェックが行われ、さらに場所によっては入場料も支払う。
クラブで飲むのは大体ビール。他の酒より値段が安いため、お金のない現地の人もビールばっか飲んでいるとのこと。
ちなみにコスタリカのメジャーなビールはimperialとPilsenの2種類。そしてちょっと高くてマイナーなBAVARIA(写真)がある。味はimperialが薄くて軽く、Pilsenは少し香りとえぐ味が強い印象。BAVARIAはその中間といった感じ。
美味しかったのは写真に乗せたBAVARIAのゴールド。一番日本のビールに近い。時点でimperialのsilverという種類のもの。
BAVARIAはあまり扱っているところが少ないため、一通り飲んだ後はimperialを選んで飲むことが多かった。
左の黒人Jango。入場の手続きで手間取っていると後ろから声をかけてきた。身長めっちゃ高いし超怖い。
でも本当は荷物を預ける場所を教えてくれようとしていたこのクラブ界隈の従業員?オーナー?的な人だったらしい。その後テキーラを2杯もご馳走してくれた。めっちゃ気さくでいい人。
ぶれぶれ。お酒飲みながら爆音の音楽を聴いてるとある若者グループの輪に招かれて一緒に踊ってた。なんとなくアジア人で(自分は楽しんでたけど)周りになじめてないオーラが出ていたのか誘ってくれたのだと思う。
言葉は通じないけどお酒もあいまって身振りや表情でコミュニケーションを取る感じがなんとも楽しかった。
友人が話したところそこのグループにいたほとんどの人がベネズエラ人だったとのこと。ベネズエラといえば近年の超インフレで経済が破綻寸前、首都の治安は世界最悪と言われている国。あんなに気のよさそうな彼らの背景にそんな深刻な事情があるのか、と色々と考えさせられた。
4.自然編
上でも触れたモンテベルデ自然保護区にて、昼と夜の森林散策ツアーやキャノピーなどのレジャーを体験した。
昼はオランダ人の家族と一緒にガイドの話を聞きながら野山を散策。
トゥカーン(の子供)
なんか笑顔の木
景色が一望できる!と思ったもののあいにくの雨。朝は晴れていたのに、、
羽が透明な蛾?
ゴミをあさっていたアライグマ。全然人を怖がらない。
ちょっとここからはモンテベルデではないけど、
これは幻の鳥といわれるケツァールを見にいくツアーでの朝の集合場所のロッジに来ていたハチドリ。
で、1時間以上何か所もポイントを回ってやっとお目にかかれたケツァール。 これはメスのため尾が短いが、オスはもっと尾が長く色も鮮やか。残念ながらこの日オスはお目にかかれず。
5.その他
帰国最終日にどこ行きたいかを友人に尋ねられ、彼の職場のゴミ収集センターと地域の小学校へ行くことに。
サンホセのゴミ収集センター
回収されたごみたち。袋の中身はまだまだ分別が行き届いていない状態。
各地から届けられたごみ袋はこの台で職員の方が一つ一つ開封し手作業でごみを仕分けている。
普段はこの仕分け作業をおばちゃん2~3人で行うそうだが、この日は民間企業からCSR活動の一環と職場体験ということでさらに数名参加していた。エライ
ペットボトルは無色と有色のものを分けてプレス。プレスすることで輸送にかかるコストを下げている。
これらは民間の業者に売却され、資源として再利用される。
段ボールも同様。談笑しながらも手際よく潰してトラックにつめていた。
外では家庭のごみなどを持ってくる人がごみを捨てていた。まだまだポイ捨てなんかも多く、ゴミに関しての市民の意識が低いとも感じられたが、このように律義にごみを持ってきて捨ててくれる人がいることがありがたいとのこと。
サンホセの小学校
その後サンホセの小学校にアポなしで突撃するも、友人の顔パスで難なく入れた。
カメラを向けると照れて顔をそらす子供。なんかとても開放的で自由な雰囲気。
生徒たちは全員1日学校にいるわけではなく、上級生と下級生が曜日ごとに午前、午後の授業日を交代でまわすようなカリキュラムを取っているそう。
例えば月曜日の午前が上級生の授業なら、午後には上級生は下校し、下級生が授業をする。火曜日はその逆、といった感じ。
後者が”ロ”の字型になっており、中庭が校庭になっており、中央の礼拝堂を挟んでコンクリートのバスケコートが二面あった。
ただしバスケを行っている生徒は誰もいなかった。コスタリカ人はサッカーが好きだからフットサルコートにでもすればいいのに。
牛乳パックを再利用してできた机だそう。木のように固い。
体育の時間で誰もいない教室。
パソコン教育も行われている。ここのパソコンも友人の協力隊活動の一環で企業から提供されたもので、この部屋はそのために新たに作られたものなのだそう。
食堂。おやつにフルーツを振る舞われることも。
帰り際に先生に挨拶をすると我々もフルーツをゲット。リンゴをむしゃむしゃ食べながら帰路についた。
さいごに:コスタリカを旅行しての感想いろいろ
1.意外と多かった、日本を親しんでくれる人々
この旅で最も印象深く嬉しかったものの一つが日本に親しんでくれている人が多かったこと。上でも述べた初日に紹介してもらった女性たちのほかにも、例えば2日目に行ったクラブでは「日本人!?」と声をかけてくれたコスタリカ人がいたのだが、彼はなんと3月まで我々の地元の宮城県の東北大学に留学していたとのこと。
さらに4日目に利用したUberの車の後ろにはなぜか日本の国旗が飾ってあって、話を聞いてみると彼は日本にこそ行ったことないものの、日本の興味があり自主的に日本語を学んでいるとのことだった。友人曰くこんなに色々と日本を知っている人に出会うことは珍しくてラッキーだったとのこと。楽しい出会いのある旅行だった。
2.中米への関心が深まった
当たり前すぎる小学生並みの感想だが、こちらも自分の心に大きな変化をもたらした。
先ほども述べたようにあまり日本人にとってなじみのないコスタリカだが、地球の裏側では日本に関心を持ってくれている若者たちがいる。そしてみんな気さくで親しみやすく、とても可愛げのある人たちだった。
日本に興味を持ってくれている人たちがこんなにもいてくれていることを考えるとすごく嬉しく感じたのと同時に、自分たちももっと海外に目を向けていかなければいけないと感じた。
さらに前述したベネズエラ人との出会いも考えさせられるものがあった。恥ずかしながら自分はベネズエラなんていう国は国名を知っている程度の知識で、彼らに出会わなければきっとこの先もベネズエラに関してここまで関心を抱くこともなかったと思う。
帰国してすぐに、超インフレが進むベネズエラでは桁を減らすための新たな通貨の単位を作るという経済政策が打ち立てられたとのニュースが入ってきた。もちろんこんな政策ではさらに経済を混乱させることになりかねないという見方が大半だ。経済が混乱すれば他国への移民問題もより深刻になるだろう。これから先中米はどうなるのか、今後の情勢には色々と関心を寄せていきたいと考えるようになった。
3.外国語を話せるようになりたいと思うようになった
今回の旅行は友人のサポートもあり様々な出会いと気づきのある非常に楽しい旅行だったが、それゆえに言葉を理解して自分の気持ちを伝えられないもどかしさを抱えていた。
例えば彼のホストファミリーの家にお世話になった際も、食事を「美味しい」という気持ちすらうまく伝えられず非常にもどかしかった。お土産に持って行った九谷焼についても、本当はその背景にある日本の文化や歴史なんかを話したいという気持ちはあれどそんな高度なコミュニケーションが取れるはずもなく、、
ホストファミリーのおじいちゃんおばあちゃんが本当に親切にしてくれただけに、自分の気持ちを言葉で伝えられない歯がゆさがあった。
海外旅行は恐らく簡単な英語と身振り手振りで頑張れば、観光地を巡ったり宿に泊まったりなどある程度の目的は達成することができると思うし、実際自分もその程度で良いと考えていた。
でも海外旅行で一番楽しいのは現地の人との生のコミュニケーションだろうと思った。その土地の人が何を考え同くらいしている��か、そういっ��ことを言葉を介して理解し、また自分の考えも相手に伝えられるようになりたいと強く感じた。
せめて日常会話レベルの英語でも身につけたい。。30年弱の人生で今が一番外国語学習欲が高まっていると感じている。今やらないと一生やらない気がするので、ひとまず本を読みながら拙いながらも話せるように勉強中。
4.ごみのことに関心を持つようになった
友人の職場に行き、いろいろとごみへの思いを語ってくれたこともあり自分もごみへの関心が高まった。
自分が普段何気なく出しているごみも処理には多くの人手が必要ということ、作業はハードなこと、そして何よりも地球上の多くの人が関わり、今後も関わり続けていかなくてはならないものだということ。
現地の方の仕事ぶりを見て説明を受けると、自分もなにかできないか自然と思いを巡らせていた。
例えば友人はごみを出す段階で分別がされていないことがひとつの問題と言っていた。
なるほど、確かにゴミ箱は色分けされてどこに何を捨てるべきかが分かりやすくなっている。
ただ、ちょっとデザインの観点から考えてみるとゴミ箱の上にはごみの種類が分かるような絵を入れたり、ゴミの入れ口を入れるごみの形にしてごみを捨てる行為をアフォードさせるような施策があってもよいかと感じた。
現状だと識別する要素が色と小さく書かれた文字のみのため、例えば歩きながら街を歩く人がごみを捨てようとした際に反射的に自分が捨てたいごみの正しいゴミ箱を判断しづらいのではと感じた。色とごみの種類に明確な関係性がないため、ほかの要素で使い手に正しいゴミ箱を反射的に認知させる仕掛けが必要と考えた。
日本のごみ箱はまだそのへんが少し良くできていて、入れ口の直下に何を入れるごみ箱なのかを絵と言葉で入れることでごみを捨てる人の目に必ず入るように工夫されているとともに、口の形状で何を入れるべきかを感覚的に示している。
缶やペットボトルなど、入れ口を丸くすることでそのごみ箱が飲み物の容器を捨てるものだと把握できるのと同時に、丸い形状に筒状のものを入れたくなる人間の心理も上手に作用させている。
そんな小さな改善を重ねながら、街がもっと綺麗になってコスタリカ人のごみへの関心が高まることを願っている。
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ゴジラ映画マラソン 感想まとめ
まずはVSシリーズから
ゴジラ'84
初代ゴジラから30年後の設定。
記者とヒロインの密着シーン多し。
カドミウムを口に入れられたりとシン・ゴジラの元ネタらしき発想がいくつか見られる。このゴジラは半分上を向いたような目付きでちょっと不気味。後にvs定番型のイケメンゴジラになるけど初期は初代ゴジラっぽい不気味さがある。
KOMのオルカも、この作中で出てくる渡り鳥の鳴き声を解析したものが元ネタじゃないかなぁ?
ゴジラ単体の映画だから見落としがちだけどネタの宝庫かもしれない。
vsビオランテ
前作から5年後?だっけ。ビオランテを作ったマッドサイエンティストが何故かいい人的な役なのが違和感w
ビオランテとのバトルシーンは案外切り貼りスタイルで少ない。
ラストバトルは迫力あり!ゴジラがちょっと痛々しいのとビオランテが吐くゲロみたいなものをめっちゃ被る。でも気にせず戦うのが動物的というか、人間同士の戦いでは見られないよね。
ゴジラが体内放射を初めて披露した映画かな?かっこいいよね体内放射。
前作よりイケメンになったゴジラです。色んな意味でvsシリーズの軌道になった作品。
所々でドラクエを彷彿とさせる音楽が流れる。すぎやまこういちさん音楽担当です。前作は大河ドラマ等で有名な小六禮次郎さん。師弟関係だそうです。
vsキングギドラ
vsシリーズのキングギドラの鳴き声が「キシャーッ」なのが好き。いかにも怖い怪獣ってかんじ。昭和シリーズの「テレレレレ」ってのはアホの子っぽいので…。慣れるけど。
タイムトラベル系の話がかなりメインになってる。前後でこの話があまり関連してこないので、vsシリーズは単発映画として良くできてると思う。
この作中の設定だとビオランテまでのゴジラとこれ以降のゴジラでは別個体。大きさが違う、受けた放射能の影響が違うなどの言及がある。
メカキングギドラが遠隔操作じゃないのが違和感。スーパーXでさえ遠隔操作なのに。まあ、細かいとこ突っ込んだらキリがない映画。
アンドロイドの爆走シーンがおかしすぎる。
キングギドラに首絞められて泡吹くゴジラがシュール。めっちゃ泡吹くw
vsモスラ
この映画100回くらい見た。何故ならモスラが可愛いから!
序盤からゴジラや怪獣がどどんと登場して立て続けに怪獣が街ぶっ壊すから見ていてあっという間に終わってしまう映画。かなり詰め込んでます。
今見ると環境破壊の警鐘がわざとらしいな。子供向けなら全然いいと思うけど。何故か全ての事件が環境破壊が原因っぽく言われてるw
この作品を境にゴジラの鳴き声のパターンがかなり増えた。威嚇以外にも、疑問や奇声を示すような鳴き声が増えた。より生物っぽさを感じていいと思う。
モスラの歌って色々あるけど、「聖なる泉」が一番好きかも。綺麗だよね~こ���エンディングも。
バトラの一瞬で成虫になるバチバチー!ってやつもかっこいい。平成シリーズはリアリティにこだわらないかっこ良さがある。
モスラを抱えるゴジラがモフモフしてそう。うらやましい。
モスラのデザインはこの頃が一番可愛い。卵でさえ可愛い。ぜひ他のモスラの卵と比較してください。丸さや鮮やかさが違うので。
ゴジラもイケメン。新宿に設置されてるゴジラはこの作品がモデルだそうです。
バトラのデザインもいかついながらもグロテスクにならない感じかっこいい~。絵的にはこの作品が一番華やかで子供向けのかっこ良さがある。
よく見るとモスラとバトラがほぼ羽ばたいてないのに浮いてるシーンが結構あるのが、大人になって見ると気になるwちゃんと飛んでるシーンもあるんだけどね。ゴジラを持ち上げる所はめっちゃ浮いてるw
ゴジラの熱線を反射する鱗粉カッケェ。モスラしかできない特技。vsモスラの超音波ビームも好きだな。攻撃力弱そうで好き。モスラらしい。
vsスペースゴジラまでは、ゴジラは人間の倒すべき相手なので、モスラがめっちゃ主人公になってます。当時のゴジラファンはどう思ってたんだろ…。モスラファンとしては前後の作品無視してモスラ単体映画として見てたんだけどね。
vsメカゴジラ
ベビーが可愛い。モスラの卵はめっちゃデカイ卵からめっちゃでかい幼虫が生まれるけどベビーは人間サイズです。ゴジラと初対面のベビーがゴジラのデカさに怯えてしまうの可愛いよお。ゴジラが健気にベビーのことを想ってるのが随所に感じられます。親子じゃないんだろうけど親子みたいで胸キュンです。メカゴジラよりゴジラを応援したくなっちゃう映画。
ベビーは草とハンバーガーを食べていたんですがゴジラも雑食なのかな?歯があるから肉食うと信じてます。放射能だけじゃあああいう身体にはならんでしょう。あ、ゴジラの上の歯が二列あることをこの映画で確認しました。明確にシリーズ通して何を食ってるかを説明されたことないんですよね。まあ、東宝はゴジラが人間や動物を殺して食べる所は絶対載せないので。あえて曖昧なんで二次創作で肉食ってる設定で書いてもいいかな。
昭和では悪役として登場したメカゴジラが正義の味方になってリメイク。私の世代では正義のメカゴジラのほうが印象強いと思うんだけどどうだろう。
このメカゴジラが結構強キャラ。格闘戦はしないけど飛び道具が豊富。ラドン倒しちゃったし。
vsビオランテだとゴジラの血は黄色?だった気がするが赤になってます。基本的には赤いイメージだな。
ラドンが何故か途中からビーム等を撃てるようになったけどなんなんだろう。この作品はゴジラの歌?って言っていいのかな、ゴジラの歌が重要になってるのも、ちょっと異色なかんじ。歌と言えばモスラなので。まあその歌のおかげでラドンがビーム撃てるようになったっぽい。ちょっとここら辺謎。
ガルーダと合体するまでゴジラにボコボコされたメカゴジラがその後新品同様に回復してるww右目損傷という分かりやすい壊れ方して直っちゃったら違和感ありますがな…w
前作モスラがゴジラを封印したような終わり方したのに全く封印もされてない様子でした。眠り粉かなんかだったのかあれは。
vsスペースゴジラ
ゴジラと人間が紆余曲折を経て共闘!!ゴジラが動物の本能なのか知性なのかわからんがスペースゴジラの弱点を明確に突いてくるところがカッコいい。惚れちゃう。
三枝さんが二作目で少女だったのに今や大人の女性なのが感慨深い。ゴジラのことが好きっていうのがはっきりさせられたのもこの映画で重要かも。三枝さんがvsシリーズ通してのヒロイン?的な立場なんだよね。同時に視聴者の代弁者でもあるから、ゴジラが人間に撃たれる場面ではつい三枝さんに助けを求めてしまう。
リトルが何食ってるかわからんが大きくなった。本当何食ってんだよ…。あ、劇中だとリトルって呼ばれないんだよね。チビゴジかベビーって呼ばれる。リトルは模型の正式名なのでフィギュアとか書籍で定着したんだな。
リトルがすごく可愛いんだけど、別のジャンル感がするw目がくりくりだし平面顔であまり動物っぽくはない。非現実なキャラクターっぽい。でもすごく可愛いんです。スペースゴジラを近所のおっさんだと思ってついてっちゃうところとか、びっくりして転がっちゃうとことか!鳴き声もとっても可愛い~っっ 怯えて目が赤くなるのはまだ残ってますね。これでゴジラを呼んだのかな?
ゴジラがリトルのこと本当に大切にしてるのがわかる。リトルもゴジラに助けを求めて抱きついたりする場面、もっともっと見たかったです。擬似親子可愛い。尊い…。
ゴジラはバース島でたまにリトルの世話してるんですね。尊いですね。
モゲラは個人的にはダサ系メカなんですが分離スタイルは秀逸だと思う。機能美が好きなんです。
スペースゴジラは漫画でよくある 自分に似てるけどエリートで一段階上の力を持つライバルキャラ って感じ。英語圏の人からすると微妙なネーミングw
小さいモスラが出てくるんですけど、平成三部作の原型と思えるシーンがいくつかあります。見た人はくすっとなるはず。
vsデストロイア
デストロイヤーじゃなくてデストロイア。子供の時以来見てなかったせいで記憶が大幅に補正されていたことに気づいた衝��。ラストこんなんだっけ。モスラが出てきた記憶あったけど全く出てきませんでした。続き気になる~でもこの終わり方はとても良いです。余計なもの一作省いて綺麗にシリーズ完結したと思います。デストロイアがちゃんとトドメ刺されないから若干モヤるけど死んだってことでokでしょう。生きててもジュニアにトドメ刺されるからok。
ジュニアの造形がいいです。若いゴジラって感じ。鳴き声や熱戦もゴジラより威力弱そうな表現されてる。デストロイアに持ち上げられるジュニアがやっぱり小さくて痛々しい…。三枝さんと一緒になって応援しちゃう。クジラを襲ったのはゴジラ化して狂暴になったから?だとするとジュニアも将来人間の敵になっちゃうのかな…。でもゴジラって途中からあまり原発を襲わなくなったんですよね。好きで人間襲ってるわけじゃないし必要な放射能も少なくなってたので…平和であってほしい…vs世界。
ゴジラはなんか常に苦しそうで見てるこっちも苦しくなります。バース島の崩壊がきっかけらしいので純粋な寿命とは違うんですかね。もっとジュニアと一緒に地球で仲良く暮らして欲しかった…。そもそも一緒には暮らしてないっぽいけど、たまにジュニアの様子見に行ったりしてたらいいな。ジュニアの後を追っかけてたのは自分の体内エネルギーを受け継がせるためだったのかな?どんどん身体の制御が効かなくなるシーン、なんか滾るな。熱戦が制御できなくて赤くなったり青くなったり。苦しそうだけど制御できないほどのエネルギーを抱えてる感じが強そうでカッコいい。
スーパーX3は炊飯器っぽくなくて普通にカッコいいデザインです。パイロットが全くふざけなくなってシリアス満点。冷凍武器なのも斬新でいい。
伊福部さんの音楽がとてもいい空気感を演出しています。デストロイアの緊張感、ジュニアを想う人間とゴジラの優しさ、ゴジラの最期、自衛隊とスーパーXの健闘。この映画は伊福部さん担当で本当に良かった。vsシリーズは音楽担当が各々ドハマりしてた印象です。
デストロイアは最初プレデターだかエイリアンみたいなキモコワイ生き物なんですが謎の合体方式で直立二足歩行に進化。白いビームみたいなのは何なんだ。人間に当たってたけど大丈夫なの?
デストロイアを作った(発掘した)科学者が全然批判されないの違和感w vsシリーズは善人か悪人かで区別する感じある。
ラスト後の世界にはきっとモスラが地球に帰ってきてコスモスと三枝さんのテレパシーでジュニアに人間を襲わせないようにお願いして幸せな世界でお願いしますです…。モスラとジュニアが地球を守る世界ってとても素敵じゃない?自分が戦ったゴジラがいつの間にか死んじゃってちょっと寂しいモスラとかありだと思います。あーアイツ、逝ったか…って。宇宙怪獣が来たらジュニアとモスラが一緒に戦うFW的な展開もアツいですね。ジュニアは 何だこのオバサン!?って感じだけど。
とりあえず
vsシリーズ完
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海南島記
一日目
海南の空は螺鈿色に湿っていた。私が海口(ハイコウ)に到着したのは夕暮れ時で、それは街が最も騒がしくなる時間帯であった。空港から延びる道路にはわずかの隙間も空けずに車が並び、クラクションがひっきりなしに鳴らされる。私が乗る車も同様��運転手がそれに負けじと鳴らす、詰める、怒鳴る。その横を、日本で言う「原付」型の電動自転車が列をなして通り過ぎ、屋台では店番の女が電話に向かって何事か喚き散らす。笠を被って自転車に乗る果物売り、地べたに座り込む男たち、商店の前で遊ぶ子ら、通りを行き交う人々、その生活のすべてが喧騒に満ちていた。ただ、亜熱帯特有のねっとりとした甘ったるい空気と、何とも言えない暖色の空がそれらを包み込むことで、雑多な街にも不思議な円みがあった。
渋滞とともにのろのろと市街中心部へ移動し、ホテルにチェックインする。その後レストランで夕食だ。円卓でイノブタ、ハト、ガチョウ、アヒル、空心菜、牡蠣、麺など様々な中華料理を食べた。アヒルが一番うまかった。小ぶりな茶碗に入った白飯は日本のものと大差なかったが、箸は先が尖っておらず、さながら細い木の棒のようだった。たらふく食べた後はしばし町をぶらついた。ぎらつくネオンが私の目を刺す。やはり中国だ。見慣れない漢字が多く、一部は読めるが発音ができない。サービスセンターを意味する「服務中心」など、簡単なものだけわかった。まるでパラレルワールドに迷い込んだかのような感覚に陥る。幹線道路沿いを歩いていったが、ほとんどの店が夜遅くまで開いていた。というより、商売っ気がなく売れないので、起きている間中開けているというべきか。店内の黄色がかった薄暗さは、ちょうどそこで働く人の肌の色に似ていた。なんとなく遠い昔を思わせるような、谷崎潤一郎が言うところの「玉(ぎょく)」の色だろうか。その前を電動自転車が歩道も車道も関係なく我が物顔で走り回る。さらに逆走もする。無音なので普通に危ない。そういえば昼間には子供が三人乗りしていた。もちろんバイクも走ってはいるが、それに比べて数が少ない。この電動自転車の普及のせいで、島民の肥満化も問題になっているとか。
ホテルに戻った。ナントカ大酒店という名前だ。中国のホテルは飲食屋でもないのに「飯店」とか「酒店」とかいう。食事は「菜」というそうだ。部屋はかなり広かった。バスルームも綺麗だ。そのぶん値段も高いが。煙草を吸ってから、中に置いてあった「椰树」という名のかすかに甘いミネラルウォーターを口に含み、バスローブにくるまって寝た。
二日目
ホテルの朝食はバイキング形式だった。色々食べたが、フォーのような麺が一番気に入った。言えばその場で茹でてくれる。パクチーやピーナッ��、味噌、細切り肉を入れて食べるのだが、うまいので2回もおかわりした。この日は会合に陪席してから、レクチャーの記録写真撮影を行った。同行者、というよりも随行させていただいている方々とともに壇上で紹介されたのは想定外で、分不相応の扱いに緊張をする。昼飯を済ませ、会議を継続。仕事を終え、地域の様子を見に行く。巨大なアパートの共用部分で麻雀やおしゃべりに興じる老人たち。なかなか活気があった。しばらく歩き、萬緑園という緑地公園へ。民主・富強・文明・和谐・自由……というスローガンが書かれた看板や文字のモニュメントを道中のあちこちで見かけた。主張が強い。道には、おそらく春節用に建てられた大きなオブジェが打ち捨てられていた。赤地に黄色い文字。読めそうで読めない。張りぼてがむき出しになっている。そこには何か私を強く惹きつけるものがあった。置いてけぼりになるのも構わず、しばらくじっと眺めていた。そしてふと周りを見渡せば、街中の色んなものが赤かった。共産主義社会を肌で感じた午後だ。
夕食を取るため、小さな島に渡る。めちゃくちゃに広いレストランだった。歓迎会などというやさしい表現で済めばよかったのだが、やはり例によって白酒の洗礼を受けることに。乾杯の発声と同時に全員のショットグラスが空になる。一瞬、咽喉が焼けるように熱くなるが、後味に不思議な爽やかさがある。乾杯はこれで終わりではない。今度は全員の席を回り、向こうは歓迎の挨拶代わりに、こちらは謝意を込めて一杯また一杯と飲み干す。そして、隣り合った人々とはこれを気の済むまで繰り返し、会話の折々に煙草を勧め合うのだ。私は下戸なのでこの儀式にはほとほと参ったが、なんとか六~七杯で勘弁してもらい、青島啤酒に切り替えて難を逃れた(逃れてない)。そうして一息入れようと、もらった煙草に火を付けた。フィルターには「珍品」と書かれていた。
ちなみに、こちらでは食事の初め、各々の小皿に醤油を注ぎ、輪切りの唐辛子、パクチー、刻んだニンニクを入れ、金柑のような小さい柑橘類を搾って好みの調味料をつくる。味の足りないものはそれで補うのだ。ウズラのまる茹でやら海藻入りのすっぱいスープやら、ヤギ、豚、鶏、特産のピーナッツ等が出てきた。全部うまかったが、酒を飲んで以降は味もヘッタクレもなかった。赤くなった私の顔を見て、皆はしきりにスープを飲めと言った。帰りのことは良く覚えていない。とにか���酔っていた。日本人には酒が飲めない人が多いらしいね?と聞かれ、それは私だと返す。白酒はきついが花のような香りがしたと言うと褒められた。ホテルに戻って「中華」という煙草を買い、部屋で吸った。うまくはないが、旅行中はこれで足りるだろう。腹が膨れて苦しかったが、落ち着くために茶を一杯飲んで寝た。
旅について思う。自分をポケットに入れて旅に出る。旅する身体には普段とは違った意識が宿る。というのも、見知らぬ土地を歩く時、 人は積極的に自身の位置を探ることで、次なる一歩、それもその場において適切な一歩を踏まねばならないからだ。個人的な目的を設定し、それを達成するために地図を広げ、標識を読み、道を尋ね、馴染みのない言語文化に全身を投じて彷徨う。それはまだ見ぬ自分への巡礼なのだ。……
三日目
朝に海南島の田舎、澄萬(チェンマイ)に移動。昼から飲むことに。横に座った男がやたらと酒を勧めてきたが、聞けば現地の医者だという。飲めないという言い訳はなぜか通じない。野郎ばかりの狭くむさくるしい部屋で豚とヤギの鍋をつついた。あまりに大量の肉。山ほどパクチーを食べ、ビールも飲んだ。途中、福山(フーシャン)珈琲に立ち寄ってブレイク。コンデンスミルクを大量に入れて飲むのが東南アジア流だ。少々粉っぽく、八ツ橋のような味がした。亜熱帯気候の海南は日中ずっと暑いので、昼休みが2時間半ほどもあるらしい。そのせいか、福山珈琲館にいた客はしばしの休憩でくつろいでいると言うよりも、椅子の上にグダーっと伸びてひたすらダラダラしている印象を受けた。
ここの環境は良い意味で適当で大らかだ。どこでもタバコが吸えたり、店員がお釣りをちょろまかしたり、交通警官が飲酒運転を黙認していたり、原付が歩道を走っていたり、日本で生活している自分からするとありえないことが多い。しかし、人々は皆楽しそうで、私自身も日本のように気疲れすることは少なかったように思う。なんというか、町中に散らばった漢字の看板も相まって、そこには古き良き時代という言葉がぴったりな気がした。人々と同じように、ほんの少しだけ歩く速度をゆるめるだけで、普段とは違った景色や時間の流れを味わえることに気づく。せかせかした日々を送る私たちだが、ふと立ち止まって空を見上げたり、仕事中でも遠くの緑を眺めたりしてみるといいのかもしれない。忙しくとも気持ちだけはゆっくりいこう。
次の目的地までの移動中トイレに立ち寄ったが、小便器の前にはこう書かれていた。「向前一小歩 文明一大歩」。世界中どこでもメッセージは同じなのだ。ちなみにこちらのトイレでは紙を流してはいけないことになっている。簡単に詰まるからだ。使用済みのものは目の前のくずかごに入れる。紙がない場合、シャワーヘッドが壁にかかっていることがあるが、言わずもがなそれで洗えという意味だ。そして、紙もシャワーもない場合は、単に絶望だ。一度そういうトイレに遭遇したが、同行者からティッシュをもらって助かった。日頃からカミに感謝しよう。
昼過ぎに、福山近くの黄竹村へ。家々の扉には旧正月の名残で倒福がかかっていた。家の前でおしゃべりをする高齢の女性たち。子供もおり、のどかな雰囲気だった。しばしの滞在の後、海南島の最高峰である五指山近くの町へ向かう。午後四時。運転手が中華ポップをガンガンかけながら飛ばすので車内からは悲鳴に近い声が上がったそうだが、私は心地よく眠っていたので知らない。目を覚ますと山道に入るところだった。道幅が狭くなるものの、相変わらず運転は荒い。と、右前方の道端で巨大なタンクローリーが横倒しになっているのが見えた。崖がごっそりとえぐれており、デペイズマンかと思うほどすごい絵だった。警察はまだおらず、運転手と見られる男が乗員とともに困り果てた顔をしていた。これは大事故だ。と思う間もなく、私たちはビュンと通り過ぎた。運転手はあまり驚いていなかった。きっと日常茶飯なのだろう。私たちは無事に山を越えられるだろうか。
日が暮れてきた。相変わらずくねくねとした山道だが、車同士が容赦ないスピードですれ違う。出発から二時間が経とうとしていた。さっきから少し車のスピードが落ちてきたように思う。安全運転にシフトチェンジしたのかと安心するも、何か変な音がすると運転手が言い出す。確かに坂続きで馬力がなくなってきているようだ。そうこうするうちにヘッドライトの先だけが道となり、不安を抱えたまま夜へと乗り入れる。なんとかなるだろうと思っていたものの、いよいよ異音が大きくなる。そうして急カーブに差し掛かったところで、車は静かに止まった。一度降りて様子を見るのかと思いきや、最初の悪い予感が的中する。どうやら故障したようだ。同乗者がすぐに助けを呼んでくれたが、町からは相当な距離がある。途方にくれた。とりあえずあたりの木の枝を折って車の周辺に置くことで停止表示板の代わりにし、安全確保のため路肩に避難する。蚊がぶんぶんとうるさい。聞けば、ここらへんの蚊は昔マラリアを持っていたらしい。今ではもう終息したそうだが、やはり気は抜けない。手を振り回したり、煙草を吸って身体に吹きかけたり、タイガーバームを塗ったりした。そんな絶望的状況から約一時間半後に救援車が到着。なんとか闇���ジャングルから脱することができたが、運転手はレッカーを待たねばならない。後から聞けば、彼が帰着できたのは午前零時を超えてからだったそうだ。
さて、私たちが五指山麓の町に着いたころには午後九時を回っていた。出発してからざっと五時間以上かかったことになる。ホテルにチェックインして部屋のカードキーを受け取ったが、錠の反応がなかった。フロントで入れない旨を伝えようとしたが、スタッフは困った顔をしている。仕方なく紙とペンで偽中国語筆談を試みようとしたところ、英語の通じるスタッフが一人いたのでなんとか解決できた。こちらではほとんど英語が通じない上に、たいてい中国人と勘違いされるせいで��訝な顔をされる。海外からの観光客が少ないせいか。
レストランで遅い夕食を取る。ここでもやはり白酒だ。終わることのない乾杯に、謝謝!と杯で応える。もうどうにでもなれといった感じだ。だがやはり途中で青島に変え、限界がきたので最後には茶を飲んでいた。薬酒のような茶色い酒も飲んだが、口に合わなかった。料理は、薄いオムレツ、ヤギ、鶏、菜心、ピーナッツなどが出た。炒め物を口にした時、ゴリッという音がしたので出してみると、それは鶏の頭だった。くちばしも付いている。トサカだけ噛みちぎって食べた。脂っぽい。食べられるものは何でも食べるんだなと思った。こちらに来てからは毎食、食べきれないほどの量で料理が出てくる。残すのは嫌なので無理にでも詰め込もうとしたが胃袋には限界というものがある。食後にしゃっくりが止まらなくなった私に、同行者は、これはもてなしの表現であり中国の文化であると教えてくれた。また、皆食事中に煙草を吸い、互いに勧め合っていたが、それも慣習であることを知った。灰皿がない席では、吸い殻は床に捨てていた。相手方のうち一人が酔いつぶれたので、助っ人にホテルまで送ってもらった。べろべろになりながらも、貰った煙草に火を点け、人間の生について考えた。
四日目
朝、ホテル近くの市場を見に行く。果物を売っていたり、路上で占いをしていたりと、活気がある。道では放し飼いにされた犬がじゃれあっていた。檳榔売りもいて、歩道にこびりついた血のような赤い点々はそれが吐き捨てられた跡だった。町を出発し、五指山中へ。五指山市は中国で唯一の貧困都市で、特に山間部の村が貧しいということを聞く。途中で車を降りると、山頂が雲に隠れているのが見えた。少数民族である黎族(リー族)の村へ赴く。同行者が、土地の名物だという竹筒入りの炊き込みご飯を村人から買っていた。熱帯植物の生い茂る山道を進む。家々の扉には未だ福(倒れていない福)の赤い紙が掛かっている。途中、飯屋に立ち寄りイノブタと菜心を食べる。村は最近観光開発が進んだことで、麓と展望��をバスがひっきりなしに往復しており、ラフティング等のアトラクション施設もあった。鶏は放し飼いにされていて至る所にいたが、人の姿はほとんどなかった。仕事のために山を降りているのだろうか。家の前には農具が散らばっていたり、材木や乾物、ぼろぼろのトラックが置かれていたりする。乱雑ではあるが、今の日本が忘れてしまった、アジアの穏やかな昼間があった。
山を降り、昨夜と同じレストランで夕食。白酒はそこそこにして、後はビールで勘弁してもらえた。こちらの熟鮓を食べさせてもらう。少々クセはあるが、日本のものと似ている。日本酒があればいいのにと思った。豚のしゃぶしゃぶのようなものと海藻入りのスープを食べる。スープは酸っぱく、辛い。しかしトムヤムクンとはまた違う。味わったことのない味。料理は全体的に油が多く、それでコクを出しているといった印象だ。日本でいうダシの代わりだろうか。食後、オーナーのトウさんが身振り手振りで電話番号を教えろと言ってきた。また連���するから、とのこと。連絡をくれたとしてもどうやってコミュニケーションを取れば良いのかわからなかったが、なんとなく面白かったので、番号を名刺に書いて交換した。トウさんは人の良さそうな兄ちゃんで、たぶん同い年くらいだ。奥さんも子供もいて、手伝い半分世話半分で店内をうろうろしていた。
腹ごなしに町をぶらつく。最初に比べ、黄色い街灯やネオンも心地良くなった。明日で最後かと思うと少し寂しい。カバン一つで来たが、叶うなら滞在を延長したいと思った。名残惜しさを噛み締めつつ、橋から川を眺める。紫、赤、白、黄の灯りが水面に反射し、サイケデリックに揺らめいていた。
五日目
朝、昨日買った竹筒入りのご飯と鳥の足の唐揚げを食べる。うまい。五指山からまたも五時間かけて海口へ戻り、海口の旧市街を見に行く。石畳が敷いてあり、ヨーロッパの古い都市を思わせる町並みに驚く。ここは文革でも破壊を免れたそうだ。洋風の建物を良く見ると、その壁に書かれた文字が全て中国語なので不思議な印象を受ける。中洋折衷だ。なぜか道端のいろんな場所にココナッツが置いてあった。特産超市(スーパー)には民芸品とともにドリアンが並んでいた。資料館で町のジオラマや歴史年表を見た後、昼飯に豚の内臓入りの麺を食べた。地元ではポピュラーな料理だ。こちらに来てから食べ過ぎのせいで顔がむくんだ。体重も2kg増えた。しかし飯がうまいのだから仕方ない。好き嫌いが少なくて良かったと思う。
海南の気温は2月でも30℃近くあったが、この日は雨が降り10℃台まで冷え込んだ。私はシャツにジャケットを羽織って終日過ごしたが、町ではダウンを着た人をよ���見かけた。どうやら、一年中春のような気候のせいで海南人は寒さにかなり敏感なようだ。滞在初日、厚手の服を売っているお店の前を通りがかった時には、こんなもの一体誰が買うんだと思っていたが、案外需要があるもんだなとそこで納得した次第だ。
さて、もう日本に帰らねばならない。海口の空港で土産を買った。真空パック入りのサラダチキンのような鳩肉と鶏足の揚げ物だ。店員に英語で値段を聞くとなぜか爆笑された。無言でレジに表示された数字を指差す。別の店で煙草も買ったが、無愛想なジェスチャーで釣りがないと言われた。面倒なのでいらないと答える。行きと同じく広州経由の便に乗る。海南よ、さようなら。飛行機の中で、萬緑園に放置されていた、夢の跡のような春節の残骸を思い出した。
後記
この旅行記は、平成29年2月20日~24日の出来事を、約一年の期間を経てから綴ったものである。旅の主な目的は仕事であったため、内容には多少のフィクションも含まれている。
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フタを開けて絶望…間違って洗濯機で洗ってしまったものが悔やんでも悔やみきれない
集計期間:2020年2月20日~2月22日 回答数:14268
洗濯機から洗濯終了の音が鳴り、フタを開けてみたらビックリ!とんでもないものを洗ってしまっていた…そんな経験はありませんか?
洗濯にかけた時間に洗剤の無駄遣い、洗濯物へのダメージなど、いろいろなことが一気に襲いかかってきてグッタリしてしまいますよね。
今回はそんな哀しい経験をみなさんにシェアしていただきました。
Q1. 洗濯機で間違えて洗ってしまったものはありますか?
回答していただいた14268名のうち、約3分の2にあたる方々が��何かしらを間違えて洗濯した経験がある」という結果に。
では、ここからは具体例を見ていきましょう。
Q2. 洗ってしまったものなど、回答した内容に補足がありましたらご自由にお願いします。
<多かった回答>
・ティッシュ
・オムツや生理用品
・湿布
・ボールペン
↑寄せられた回答の中でも特に多かったのはこれら。特にティッシュは全体の半分以上を占める勢いで、いずれも「大惨事になった」というコメントを添えてあるのが印象的でした。
<小物・文具>
・タバコ
・ライター
・カギ類
・メガネ
・目薬
・メイク道具
・リップクリーム
・ヘアピン
・ブレスレット
・印鑑や朱肉
・マジック
・時計
・カイロ
・お守り
・数珠
↑ポケットに入るサイズのものは気づかずに洗濯してしまうことが多いですね。洗ってしまっても特に影響のないものもある一方で、カギ類は最近電子キーやスマートキーも多いので取り返しのつかない事態になることも・・・
<財布・お金・カード類>
・財布
・お金(お札、硬貨)
・パチスロやゲーセンのメダル
・クレジットカード
・ポイントカード
・ICカード
・定期券
・学生証や社員証
・免許証
↑「お札は意外と破れない」という意見もある一方、クレジットカードやICカードなどは再発行せざるを得なかった人が多い様子。ああいうのって防水加工できないんですかね・・・また、洗ってしまった金額も100円~250万円まで大きな差がありました。
<紙類>
・名刺
・チケット類
・大事な手紙
・取っておかなければならないレシート類
・高速の領収書。会社からお金もらえない・・・
・新人の頃に会社のメモを洗���して頭が真っ白になった
・手帳
・本(文庫本、マンガなど)
・付箋紙をポケットに入れてて終わった後カラフルなチリが付いていました
↑ただの紙切れならまだしも、大事な書類や手紙だと絶望もひとしお。筆者も3万円を超える領収書がチリとなり、慟哭した思い出があります。
<間違った洗い方をした��類>
・白い服と、青い服
・色落ちするデニム
・シルクのブラウス
・ウール100%セーターがベビーサイズになった
・高級ブランドバッグ
・毛皮のコート
・革ジャン
・洗濯機で洗ってはダメと表示してある子供の洋服、家内にめっちゃ怒られた
・コタツ布団を洗ったが、サイズオーバーで洗濯機が停止した。ビショビショのまま裏のコインランドリーに持っていった。
・ビーズクッション。ドラム式洗濯機で洗ってそのまま乾燥したら中が飛び散り洗濯機が壊れた
・低反発の枕。洗えないのを知らずに洗って干したけど 2日たっても乾かず 洗えないのに気がついた。
・絹のチヂミの大きな風呂敷洗ったら、バンダナ位の大きさに。。。お菓子等包めず…お弁当には、柄が変だし…( ̄▽ ̄
↑洗ったものは衣類だけど「洗い方を間違えた」パターン。一人暮らしを始めたばかりの時はよくありがちですね。
<その他衣類>
・ウィッグ
・バイクのヘルメット
・上履き
・運動靴
・授乳パット
↑靴はまだしも、なぜバイクのヘルメットを洗濯機に入れようとしたのか・・・
<電化製品>
・ケータイやスマホ
・携帯音楽プレーヤー
・USBメモリ
・Wi-fi端末
・イヤホン
・補聴器
・ビデオカメラ
・リモコン
・ハンディマッサージャー
・電子タバコ
・ゲームソフト
・炊飯器(一人暮らしの時キッチン隣にお風呂があってその前に洗濯物入れるかごを置いていたが、キッチンが狭すぎて料理中度々そのカゴの中の洋服の上に使わないものを置いていたら炊飯器置いたの忘れてそのまま洗濯機に入れて洗ってしまっていた)
↑お金を洗ってしまうよりも手痛いのが電子機器の類。最近は小型化も進んでいるため、ますますポケットに入れたままになりがち。しかしながら「サイズ的にも大きいし、なぜそれを洗った」とツッコミたくなるものも・・・
<食品>
・おにぎり
・ガム
・キャンディ
・友達からもらったアンパン
・缶ビール
・牛丼
↑意外と多かった食品。こちらも大半はポケットサイズのものでしたが、「牛丼」も複数回答がありました。経緯を知りたい・・・
<子供のポケットは宇宙>
・子供が拾った貝殻をズボンのポケットに入れたまま洗ってしまった。気付いた時にはポケットで割れていた。
・子供がポケットに入れっぱなしにした、石やドングリ
・息子(当時2歳)がズボンのポケットに仕舞い込んでいたダンゴムシ達
↑子供は「宝物」を見つけると何でもポケットに入れて持ち帰ってしまうもの。特にダンゴムシについては複数の回答が。筆者も母親の大嫌いなカエルをポケットに入れたまま持ち帰り、壮絶な制裁を受けた記憶が・・・
<生き物系>
・飼ってたインコが水浴びしたくて飛び込んだ
・ザリガニ
・猫のフン
・犬のおもちゃ。パーカーのポケットに入れたまま洗ってしまい、柔軟剤の良い香りがついてしまった。それを飼い犬に渡したら、なんか違うみたいな雰囲気をだされた。
・弟
↑もはや事件。入れられてしまった生き物の安否が気になるところです・・・人間に関しては、洗濯機で身体を洗うマンガのキャラを思い出しますが、動画などに録ってSNSにアップすると間違いなく炎上するので避けたいところです。
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『虹と木漏れ日』 虹と木漏れ日。朝露のついた葉っぱ。死んでしまったアゲハチョウ。地を這うアリが集まってくる。今朝の冷え込みは森全体を湿らせて、寒さに耐えきれなかったアゲハチョウの翅をアリたちが運んでいく。木漏れ日の中を生きたアゲハチョウが飛んでいく。空には大きな虹がかかっていた。胸に抱えたスケッチブック。描きたい場所を探して見つけた景色は、中学生の日常からかけ離れていて、私自身もその景色の一部であることに全く実感が湧かなかった。 ○ 新しいクラスの親睦会を兼ねた林間学校で近くの自然公園に来た。中学三年生にもなると森の中で遊ぶ機会も少なくなるので、飯盒炊飯を行うキャンプ場までの山道すら、ロールプレイングゲームの中盤のダンジョンのような険しさに思えた。道中襲ってきたスズメバチは紛れもなく凶悪なモンスターだったし、日本最強の猛獣であるエゾヒグマに出喰わす可能性だってゼロじゃない。こんな危険な場所に、ジ��ージ一枚という装備で強制連行する先生方のリスク管理能力は問題視するべきだろう。そんな不満を心の底でふつふつと煮込んでいた私を他所に、クラスメイトたちはこの林間学校を割と楽しんでいるようだった。 はしゃぐ友人たちの中でも、同じ班の中村君の飯盒炊飯に掛ける意気込みは凄かった。班員で分担して持ってきたカレーの食材の内、私はジャガイモを、中村君はカレールーを持ってくることになっていた。私もカレーは好きなので、煮込んでも型崩れしにくい品種であるメークインをきちんと選んできたのだが、中村君は市販のルーではなく小麦粉と数種類のスパイスを持ってきたのだ。クミン、コリアンダー、ターメリック、チリペッパー。他にも聞いたことがないスパイスが数種類。コンソメ顆粒にニンニク、生姜。塩と胡椒。そんなものがやけに大きなリュックから続々と出てきた時には、班員全員が唖然とした。二年生の時から中村君と同じクラスだった班長の大竹さんは「またやってる」と慣れた様子だった。 「中村君って料理好きなの?」 三年生からの転校生である坂本さんが器用にジャガイモの皮を剥きながら聞いた。中村君はスパイスを調合しつつ、声だけで返事をした。 「好きっていうか、どうせ作るなら美味しいものを作りたいし」 班長の大竹さんが呆れて言った。 「ルーで十分美味しいじゃん。バーモンドの中辛と辛口を混ぜれば、それでもう最高のカレーでしょ」 春の川の冷たい水のような声が印象的だった。臙脂のジャージとは似合わない青白い肌がそういうイメージを与えているのかもしれない。大竹さんも中村君も、勉強も運動もできる優等生という共通点はあったけれど、性格というか、二人の持つ性質は真逆だった。色で言えば青と赤。安っぽく言えば氷と炎。「冷静と情熱」なんて言葉もあるけれど、それは少し違う気がした。大竹さんの方が氷を直接手で持った時のような鋭さや常識を破壊していく激しさみたいなものが感じられる。一方の中村君はというと、強さも弱さも優しさも厳しさも美しさも気持ち悪さもごちゃまぜにして煮込んだような、それこそカレーのような人に見えた。 他の班が協力して各々の料理を作っているのに対して、私の班は中村君に料理を任せ切っている感じで、野球部の斎藤君なんかは元々同じクラスだった長谷川君と連れ立って、キャッチボールに行ってしまった。野球素人の文化系である長谷川君に対し、斎藤君は変化球を全力で投げ込んでいるため、キャッチボールは続かない。斎藤君の一方的な投球練習のようだったし、実際、そのつもりだったのかもしれない。カレー作りは中村君の独壇場となっていたので、大竹さんも遊びに出た二人を止めなかった。大竹さんと私は大きな鍋で玉ねぎを炒め始めた。「体で止めろよー」と大きな声がした。「無茶言うなって」と情けない返答があった。長谷川君が止められなかったボールがキャンプ場の近くに流れている川に落ちたらしく、二人はジャージをふくらはぎの上まで捲り上げ、川の中へと入っていった。川辺にはアゲハチョウがたくさん飛んでいた。 調理場に残った唯一の男子はまだ解凍しきれていない豚肉を一生懸命剥がしている三浦君だった。暇な時間があると、三浦君はよく変な話をした。 「この冷凍肉を狙って熊が出たら、皆は僕を置いて逃げるといいよ。サバンナで襲われたガゼルは、時間の無駄になるのに大きく跳ねるんだって。それは群れに危険を知らせる意味もあるのかもしれないけど、生存競争においては不利にしかならない。でも、ガゼルは本能として跳んでしまう。そんなガゼルに親近感を感じるんだよね、最近」 私は「へぇ」と曖昧な相槌を打った。大竹さんが大きく溜め息をついた。漏れた溜め息はぬるま湯のような確かな感触を持って、辺りを包み込んだ。 ○ 中村君が最低三十分はカレーを煮込むというので、鉛筆とスケッチブックを持って、散歩に出た。 絵を描くことは私の数少ない趣味の一つだ。描くものはあまり決まっていない。どちらかというと風景というより具体的なものを描く方が多かった。具体的なものといっても、通常の物体とは限らない。さっき「見えた」ぬるま湯のような溜め息。小さい頃から、ああいう確かに在るのに語られることのないものをよく描いていた。 ○ 普通の人が見えないものが見えていると気付いたのは、小学校中学年ぐらいだったと思う。保健室のベットの閉じられたカーテンの向こうから、声にならない泣き声が嵐のように私を包んだときだ。一番強烈に覚えているのは、修学旅行で行った自殺スポットとして有名な滝だった。それはもう、魑魅魍魎や百鬼夜行といった具合でそういうものが溢れかえっていた。霊感の強い友達が「何かいる。嫌な感じがする」なんて言っていたけれど、私の目には、赤黒い怨念がぐるぐるとその子の首を締め付けている姿が映っていた。嫌な感じ、といってお茶を濁して片付けていいレベルではなく、その怨念は確かに「その子を殺したい」という強い意志を持っていた。滝は真っ逆さまに五十メートル程落ちていたけれど、滝壺には霧と様々な感情がひしめき合っていて、美しいはずの水面は全く見えなかった。 私の世界に溢れている、確かにあるのに誰にも語られないものや音や色や感触や温度を誰かに伝えるために、気付けば私はそれらをひたすら描くようになっていた。 最初、母は私のことを天才だと褒めちぎっていた。しかし、母に見えている世界ではない意味不明な絵ばかりを描く私が気持ち悪くなってきたのか、その内、絵以外の習い事ばかりさせるようになった。それでも、私は時間を見つけてはノートに落書きを描いていた。父がそのノートを見たときは、お祓いをしてもらおうと有名な神社に連れて行った。神主さんはさすがで、ふさふさの大幣を振るう度に光の粒が広がって、とても綺麗だったのをよく覚えている。 ○ この森にはたくさんのそういう輩がいて、とても賑やかに見えた。見えると言っても、よくある「黄色いオーラをまとったあなたは・・・」みたいな占いみたいな感じじゃなくて、もっとはっきりした感覚だ。例えば、林道にたくさんの鬼火が飛んでいる。見上げた先、枝の隙間には仄暗い地縛霊の影がふわふわ漂っていた。風が吹けば、葉が擦れる森の音がして、オレンジ色のお腹をした小鳥が地縛霊や鬼火を避けるようにして飛んでいった。普段、街中では色んな人の色んな感情に押し流されそうになってしまうけれど、森はもっと賑やかで、もっと優しかった。 森の中を描くものを探して彷徨っていると、どこまで行っても続く緑に迷い込んでいくような気がしてくる。まるで自分が小さな虫になって、ぐるぐると虫かごの中を回っているように感じてくる。目の前にある大きなカツラの樹が、さっき見たものなのか、それとも初めて見たものなのかも分からなくなる。この道はさっき通った道なのか、それとも皆から離れていく道なのか。普段、家や学校の周りで生活をしているときには感じたことのない気持ちが心の中に積み重なっていく。ぐるぐるぐるぐる。森の中を彷徨っている私と鬼火と地縛霊のどこに違いがあるのだろうか。 じめじめした落ち葉に隠れていた虫の私が、少年に掴まれて光の中に出されてしまったように、急に森が明るくなる。 尾根に出ると緑のトンネルを抜けて、突き抜けるような青空が見えた。ものすごい高いところをカラスが飛んでいる。枝は大空に向かって上に上にと伸びている。崖のような藪に向かって、食事をしていたシマリスが走っていった。陽光が細い葉の上に残っていた幾つものの朝露を輝かせていた。朝露を覗き込むとその一つ一つに虹が入っている。空色のガラスの中に虹が閉じ込められているようで、とても不思議な光景だった。 後ろを振り返って虹を探す。深い青空に大きな虹がかかっていた。空。虹。森。とても綺麗だけれど、抱えたスケッチブックに描くには少し大きいかな。 座ってお茶を飲むことにした。ずっと林道を歩いていたので、気付けば息が上がっている。平たい石に腰を下ろすとジャージから石の冷たさがお尻に伝わってくる。目の前に、山吹の花が咲き誇っていた。鬼火でも地縛霊でもない、とても普通な、美しい花だった。 ○ そういえば昔、占いに依存していた時期があった。毎朝登校前に、ニュース番組の星座占いコーナーをチェックして、順位、注意点、ラッキーアイテムをノートに書き留めていた。学校から帰ってくると家族共用のパソコンの電源を入れ、誕生日占い、動物占い、手相、姓名診断と順に占っていく。最終的には何人かいた好きな人候補の中から本当に好きな人を相性占いで選んだ。「山吹彩夏」「〇〇〇〇(好きな男の子)」といった具合に二人の名前を入れて、「占う」ボタンをクリックするだけで簡単に結果が出てくる。何を決めるのにも占いが必要だったのだ。 結局のところ���占いが当たることも当たらないことも経験した私は、自然と占いへの依存から脱し、「そんなことよくあるよね」といった程度にしか信じなくなってしまった。ちょうどその頃、占いよりももっと確かに感じているこの世界が、占いよりももっと不可思議な世界なのだと疑い始めたのかもしれない。 星で溢れているはずの夜空に暗闇が残されているように、きっと、この世界には目で見ることができない、耳で聞くことも、舌で味わうことも、指で感じることも、機械で観測することもできない物質やエネルギーがある。あるはずなのに、ただ見えないから「ない」としてしまう人が、嫌いだ。そういう人はきっと私のことも見えないものとして扱っている。一生関わり合うことのない異物として。 尾根を吹き抜ける風が吹いた。 どこからか飛んできたポプラの綿毛。今年、初めて見た気がする。 森の季節が移ろいゆくように、私も変わっていくのだろうか。いつか、こういう目で見えないはずのものも感じられなくなってしまうのだろうか。みんなが大人になって、今よりずっと大人になって、そうすると、今の友人たちは影も形も無くなってしまうのだろうか。いつの間にか消えている虹みたいに。 ○ 「何してんの」 目の前に中村君が立っていた。さすが男の子。ここまで登ってきても全然息が切れていない。それでも、少し顔が赤くなっていた。私は仕方なくスケッチの手を止める。中村君が非常に邪魔なのだ。美しい花が中村君の情念のような赤黒いものでほとんど隠れてしまっている。わずかに見える綺麗な花の山吹色も、臙脂色のジャージが写って、カレーのような風味になってしまっている。 「カレーできたから、呼びにきたんだよ」 見上げると、照りつける日差しに丸い葉が透けて、わずかに重なりながら、鮮やかな薄緑色の点描画のようだ。確かにそろそろお昼時だ。 スケッチをやめて、鉛筆をしまった。立ち上がり、振り返ると、そこにはまだ虹が薄くかかっていた。私と中村君はみんながカレーを待っていることを知りながら、しばらくその場に立ち尽くした。 ○ 「虹と木漏れ日」 中村君がそう言った。 私はびっくりして、中村君を見ることができない。どうして彼は私の見ている世界が分かるのだろうか。中村君はそれきり何も言わなかった。ただ、そこにいて、私が振り返るのを待っているのだ。見えなくても、聞こえなくても、沈黙と風の中に、その気持ちが伝わってきた。 確かに感じることができるものだけが、世界ではないのだ。見なくても、聞かなくても、触れなくても、伝わる気持ちがあるということを、私は初めて知った。気付いてしまえば当たり前の事だった。誰かに見られる前から、花は美しい。誰に教えられなくても、その優しい少年は小さな虫を外の世界に出してあげるのだ。 私を虫かごから出した少年は、中村君だったのかもしれない。その仕草は荒々しくて、とても好きになれないけれど。その気持ちは真っ直ぐすぎて、遠くに逃げたくなってしまうけれど。私は少年に感謝しなければならないのかもしれない ○ 虹と木漏れ日は占いのラッキーアイテムにはなりえない。滅多にないものと日常にありふれているものだから。でも、それらは間違いなく私の心を解きほぐしてくれた今日限りのラッキーアイテムだった。 葉についた水滴から、虹が逃げていく。私たちの心からも、いずれ消えてしまうのかもしれない。例えば十年後、また中村君にあったとして、私は今日のことを思い出せるだろうか。森の空気、カレーの匂い、山吹の花の良い香り。よくある霊感や虹よりも、もっと不確かで、確かなもの。そんなものを描くことができないだろうか。暑くなってきた森の中では、小さく蝉の声が響きだした。 木漏れ日の中で、消えゆく虹を見ていた。 (終わり) 【作成中の長編『タイムカプセル』より『虹と木漏れ日』】
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夜明けを迎える/英智×レオ
王さまと皇帝の最期、そして始まり
※過去・卒業後捏造
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瞼の裏側の暗闇に光が差して、意識が浮上する。窓の外でウグイスが囀っていた。隣からは規則的な寝息が聞こえてくる。寝がえりを打って、彼と向き合う。長い睫毛は伏せられたままだ。 まだ五時を回ったばかり��ある。彼を起こさないようにそっと布団を抜け出して、寝室を後にした。冷え切った廊下の床が、ふたり分の体温を共有していた足の指を冷やす。寝ぐせだらけの長い髪を掻きながら、階段を下り、渡り廊下を渡って離れに向かう。 和室に不釣り合いな、年季の入った茶色いグランドピアノ。その前に座って、朝の一曲を弾く。それが昔からの習慣だった。 彼が起きるまで、レオは鍵盤を叩く。そして静かに歌を口ずさむのだ。 英智とレオが暮らし始めて、二日目の朝が来た。
やかんが鳴って、お湯が沸いたことを知らせる。そのお湯をポットに注がれるのを見つめる。手慣れている。ただ、和室に陶器製のティーポットは驚くほど似合わない。先ほどまで弾いていた離れのピアノを思い出す。 「起こしてくれたっていいじゃないか」 おはよう、の後の二言目はその文句だった。レオは自分で焼いたトーストを齧る。 「まだ七時だぞ、別に寝坊じゃないだろ~」 「そうだけれど」 不服そうにしながら、英智がレオの前の椅子に腰掛け、レオが焼いておいたトーストにマーマレードを塗る。そして香りの良い紅茶を入れて美味しそうに啜った。 「あぁ、そういえば、あのピアノ、気に入ってくれたみたいだね。ピアノの音色で目が覚めたんだ」 かちゃん、とティーカップが心地良い音を鳴らす。英智の入れた紅茶をごくごくと飲み干して、 「べっつに~、ただの暇潰しだよ」 「もしよかったら君にあげるよ」 「遠慮しとく」 「処分するのはもったいないしなぁ」 美味しい? と首を傾げて彼が問う。その仕草がやけに愛嬌があって舌打ちをする。 「おれはコーヒー派なの~」 「君とはとことん気が合わないねぇ」 そう言いながらも楽しそうにクスクスと笑って、また紅茶を飲む。 レオは紅茶の味を消すように、口の中で舌を動かした。
◇
二日前、レオたちは夢ノ咲学院を卒業した。 卒業式で使われた、何度も立った戦場の講堂は粛然としていた。戦いのときのような熱はない。 卒業証書を受け取るためにステージに上がったとき、夢を見た。スポットライトと鮮やかな七色のサイリウムの光、客席から贈られる歓声とマイクを通して響く歌声、自分が作った音楽。 おめでとう、という校長の声と温かい拍手で目を覚ます。両手で受け取った紙切れ。自分の名前、今日の日付、卒業証書の文字が綴られている。 あぁ、こんなものでおれの三年間を顕そうだなんてくだらない。霊感を喪失してしまう。 そして、虚しい感情を抱く。 あの夢をもう見ることはない。そう、思った。
窓から���のままの桜が見え、その背景の澄んだ青色の空は偽物じみている。やはりここは箱庭のようだった、と青春を捧げた学院の廊下を歩く。得たものも失ったものも数え切れない。レオは、この学院で栄光と挫折を知った。 拳で扉をノックする。はい、と涼やかな声が聞こえた。 レオから幾つも大切なものを奪い、与えた、かつての敵の本拠地、生徒会室の重い扉を開ける。 「やぁ、月永くん。来てくれたんだね」 玉座のような椅子に腰掛けた天祥院英智が穏やかな微笑を浮かべてレオを迎え入れた。 「一体『皇帝』さまがおれに何の用?」 「『皇帝』呼びは止してくれないかい。今日僕らはこの城から出るんだから」 「はいはい」 独特の言葉選びをする彼は、愛おしそうにレオを見る。 「素晴らしい青春だったと思わないかい?」 「……」 彼の手には、レオも受け取った卒業証書がある。レオがそれを見ているのに気づいたのか、くるくると丸めて筒に入れた。 「でもまだ味わい足りないんだ」 「何が言いたい?」 椅子から立ち上がって、レオの前に立つ。血管が透けて見えるのではと思うほど、彼の肌は白い。 世界を覆う空と同じ色の瞳が、レオを見据える。 「僕と一週間、一緒に過ごしてくれないかい?」 「はぁ?」 素っ頓狂な声が部屋に響いた。レオの驚いた顔に満足したかのように英智が微笑む。 「僕と一緒に暮らそうってことだよ」 「あ! なんで言っちゃうんだよ! 妄想しようとしてたのに~!」 「時間が無いんだよ、この後桃李たちと会う約束をしているからね」 「一緒に暮らすって何だよ、絶対嫌だからな! 大体、ユニットのやつとお泊り会すればいいだろ~、何で、」 「月永くんがいいんだ」 レオの言葉を遮った彼の顔からは笑みが消えていた。いつの日かにも見た、真剣な眼差し。それが嫌いだった。何もかも見透かされてしまうような気がして、レオは目を逸らす。 「……君が、いいんだ。無理なお願いだとは分かってる。でも、どうしても君とふたりきりで、最後を過ごしたいんだ」 最後、という言葉に静かに息を吐く。 「今日が最後だろ」 「僕の悪足掻きに付き合ってほしい」 「みっともない」 「そうだよ。みっともない僕に君の時間を分けてくれないかい」 く、と瞳が歪められた。 心の中で自嘲する。 「……分かったよ。おまえのお遊びに付き合ってやるよ」 何を言ってもこの男には通じないだろう。 春の光の中の『皇帝』は、嬉しそうに、その反面どこか寂しそうに、また微笑んだ。
そうして次の日の夕方。ふたりは電車に一時間、バスに十五分揺られて、山の麓の郊外に辿り着いた。 田んぼに挟まれた道を走っていく乗客の少ないバスを見送って、英智は息を大きく吸った。 「ここの空気は相変わらずいいね」 レオはぐるりと辺りを見渡した。古民家が建ち並び、畑や田んぼがその周りを囲んでいる。夢ノ咲周辺とは全く違う風景に唖然とした。田舎だ。 「行こうか」 英智はすたすたと畦道を歩き出す。レオも彼に続いて歩く。 緩やかな坂道を上ったところに、大きな日本家屋があった。塀や門は高く、持ち主が裕福であるということは一目瞭然だ。ふと目に入ったのは、門の横にある『天祥院』の表札だった。 門をくぐり、庭園を抜け、英智は鍵を開けて玄関の戸を引いた。 「……ここ、お前の家なの」 「正確には、僕の祖母の実家だよ。もう誰も住んではいないけれど、所有権は父にあってね。幼い頃は長期休暇のときに療養を兼ねて、ここで過ごしていたんだ」 だだっ広い玄関から長い廊下が見えた。どうぞ、と促されてレオも家に上がる。 「最近は来る機会もめっきり減ってね。もったいないから売りに出すことが決まっているから、最後の思い出にと思って。でもひとりじゃ寂しいからね、君を誘ったんだ」 「おれじゃなくても良かったんじゃないか」 警戒心を露わにするレオに、ふ、と英智は穏やかに笑った。 「君は妄想が得意だろう?」 そうとだけ言って、先に行ってしまう。 まだ『皇帝』のマントを羽織っている彼の背中を追って、廊下を歩く。障子や襖で仕切られた広い和室がいくつもあった。 「ここが居間だよ」 庭に面した一番広い和室には、立派な卓袱台や背の低い箪笥が置かれているだけで、他に目立つ家具はない。 その奥には台所があり、横の部屋には囲炉裏があった。 「囲炉裏って初めて見たぞ、おれ」 「今日は冷えるし、囲炉裏を囲んで食べようか」 「おまえ、料理作れんの?」 「人並みには」 「“英才教育”ってやつ?」 「うん。でも幼い頃は大体寝込んでいたからねぇ、ほんの少ししかやっていないよ」 昔よりはマシになったのだろうか、なんて考えながら、二階へ向かった。 幾つかの和室が廊下沿いに並んでいて、古き良き旅館を連想させた。 英智が立ち止り一つの部屋の襖を開ける。 「君の寝室はここね。好きに使ってくれていいよ」 埃臭さに堪らなくなって開けた窓から、まだ雪が残る壮大な山が見えた。それだけで霊感が湧き上がってくる。レオの顔を覗き込んだ英智が微笑む。 「気に入ってくれたみたいで良かったよ。布団は押し入れの中だから。あ、ちゃんと洗ってあるから安心して。来る前に使用人に頼んでおいたんだ」 「はぁ、御曹司は好き勝手やりたい放題だな~?」 「我儘は幼い頃よりは減ったと思うけどな」 「そうかぁ?」 胡散臭そうに英智を見れば、何だい、と首を傾げる。昔より柔らかい表情になったとは思う。 「ちなみに僕は隣の部屋を使うから。寂しくなったときに来たらいいよ」 「誰が行くか」 「冗談だよ」 甘やかなトワレの匂いが離れていった。隣室へ向かった彼の残り香を消すように窓を全開にした。
2
寒い、と、朝食後レオを散歩に誘った彼が言う。 「そりゃあ山だしな。学院の方よりは冷えるだろ」 朝独特の薄青の空が広がっている。三月とはいえ、山の麓の朝方は冷える。夜の残り香のような寒さに、レオはダウンのフードに顔を埋めた。 それを見た英智が長い睫毛を伏せる。 「……なんだよ」 「ううん、なんにも」 そう言ってはぐらかして、レオより数歩先、坂道を上っていく。 あの伏せ目は昔から変わっていない。言葉を濁すとき、いつも目を伏せた。彼の言いたいことはいつだって解らなかった。 「月永くん、はやく」 そう急かされて、歩みを進める。寒い。そう呟いた声は音にはならず、ただ白い息となって消えていく。 坂道の上に、小さな神社があった。鳥居の前に開けた場所があって、展望台のように町を見下ろすことができた。 畑や田んぼの緑の中に、ぽつぽつと民家の屋根の色がある。遠くには空とは違う青が広がっていた。英智が指差す。 「晴れた日は眺めがいいんだ。ほら、海が見える」 「この町に海はないだろ」 「うん。一駅先のところは港町だよ。カモメの声がよく聞こえて、潮の匂いがして、夢ノ咲に少し似てるかもね」 まぁ、田舎だけれど。そう付け加えて、英智は目を細める。 「……帰りたい?」 「どこに」 海を見つめたまま、レオは強い口調で訊いた。英智は何も言わなかった。 「……帰る場所なんてもうない。これから自分で作るんだ」 「君らしい答えだね」 そうして目を伏せて、また眼下の町の方に体を向けた。 「歌わないの」 「歌わない」 即座に答えれば、 「残念だなぁ」 という返事が帰ってきた。それが本当なのか嘘なのか。この男が嘘を吐いたことはない。きっと本心だろう、信じたくはないけれど。 彼の細い喉から歌が奏でられる。聞き覚えがある気がした――――学生時代の、あのステージで歌っていた曲だ。 アカペラの方が声の質や大きさが引き立っていると思った。爽やかなバラードが鼓膜を震わす。 抗争時代のときのような、荒削りさは感じない。 鋭い声が嫌いだった。だからと言って、この、角が取れた丸い声が好きなわけじゃない。 けっきょくこの男の声が嫌いなのだ。 名前も知らない凡才が書いた曲を、かつての『皇帝』は歌う。
「せっかくだしお賽銭していこうか」 そう言ってコートのポケットから革の財布を取り出す。まさか万札を投げ入れるのでは、とレオは身構えていたが、英智が取り出したのは穴の開いた硬貨、五円玉だった。 「というか、おまえと神社が驚くほど似合わないんだけど」 「そう?」 レオも彼に倣ってポケットの中で小銭を探す。 鐘を鳴らし、硬貨を投げ入れる。レオが投げた硬貨を見て、英智が言う。 「十円玉は良くないんじゃないのかい」 「五円玉が無かったのー。いいだろ、金額なんて。縁があるときはあるし、ないときはないって」 二拍手して、目を閉じる。 願い事をして瞼を開ければ、英智がレオを見つめていた。 「ずいぶんと熱心にお願いしていたみたいだね」 「べつに、願い事じゃない」 石畳の上を歩き出す。レオのスニーカーと英智の革靴の底がコツ、コツと音を鳴らす�� 赤い鳥居を潜りながら、英智が問う。 「君、神さまはいると思うかい」 「まぁ、いるんじゃない。だからおれは天才なんだし」 「神に愛されている、って?」 「まあな」 ふ、と英智が笑った。 「よかった」 その言葉の意味が理解できず、レオは首を傾げた。 「……いないなんて言われたら、僕は君を殺したかもしれない」 英智が鳥居の前で立ち止まる。吹いた風に、木の葉と木漏れ日、ふたりの髪が揺れた��� 「君に八つ当たりして。……そうだなぁ、君をそこの柵から突き落としたかもしれない」 「絶景を見ながら死ぬわけだ」 強気に冗談を返せば、英智は嬉しそうにゆったりと微笑んだ。 「今さらだ。おまえは一度おれを殺しただろ」 「そうだねぇ」 謝る気も、謝らす気も、お互いさらさらないのだ。 寒いね、と英智が言う。そうでもない、とレオはフードに顔を埋めながら答えた。 神社を背に、坂道を下っていく。 「そういえばさぁ」 と、朝から思っていたことを口にする。 「賽銭するのもそうだけど、『いただきます』、『ごちそうさま』を言う印象もなかったんだけど」 英智はレオの横を歩きながら答える。 「躾けられたんだよ。あの説教好きな彼にね」 あぁ、と納得した。いつだか腐れ縁だと聞いたことがある。対極にいるようなふたりだが、逆にそれが長い付き合いに結びついているのだろう。 「昔からお小言ばっかり言われたよ」 昨日の夜、英智のスマートフォンが震えていたのをレオは知っている。その着信相手が彼だということも。 出ないのか、なんて野暮な質問はしなかった。理由があるから、黙ってあの箱庭がある街を出てきたのだ。 なぜ英智がレオを連れてこの町へ来たのか。 訊きたいことは多いのに、その問いを口にすることはできない。 遠くの海が陽の光にきらきらと光っている。
◇
夕方、離れに置かれたピアノの前に座り、鍵盤に触れる。 生まれてはすぐに朽ちていってしまうメロディーを音符で形にしていく。忘れることのないように、奏で続けられるように。 外から入る僅かな光に、宙に舞った埃がきらきらと輝く。 ふ、と背後に気配を感じた。その腕が伸びてくる。 細いヘアゴムを取られて、束ねていた長い髪が広がった。その髪に指が触れる。 「……ねえ、退屈だよ」 「そうか」 短い返事をしながら音符を書いていく。 つまらなそうに溜息を吐きながら、ふと英智が床に散らばった楽譜を拾い上げる。咎めているうちにメロディーが消えていってしまう。レオは楽譜に音符を書き込むことに夢中だった。 「ね、月永くん」 英智がレオの耳元で囁く。ぞわ、と鳥肌が立って振り返る。穏やかな微笑を睨み付けた。 「この曲、ひとりじゃ弾けないだろう?」 彼の手にあったのは、先程書き上げたばかりの楽譜だった。連弾の、曲。 何も言わないレオをよそに、英智は部屋の端に置いてあった椅子を引き摺ってきて、レオの座る椅子の横に並べ、腰掛けた。 そして、その長い指が鍵盤を叩く。 挑発的な流し目がレオを見て、そして重みのある深い音色を奏で出す。 ぞっ、と背筋に寒気が走る。ステージに立っていたときと似ている。痺れるような闘志。 レオも負けじと鍵盤に触れる。 「……最高だよ、その目」 熱い視線がレオを貫く。 あぁ、最高だよ、おまえも。 そんでもって、最悪だ。
息が上がる。首を絞め続けられるような感覚。 声を嗄らして歌い叫び、足が縺れるまで踊って、主張しろ。王はおれだ。誰にも奪わせない。 おまえなんかに、おまえなんかには絶対渡さない。 おれの居場所だ。 セナがいて、リッツがいて、おれがいて、三人で築いて守っている唯一の城なんだ。 純白の衣装を纏った彼らが、微笑を浮かべる。 目の前の、サイリウムやスポットライトの光が、彼らの白が、唇をきつく噛んだセナと、舞台の上に座り込んだリツの後ろ姿が、霞む。 スクリーンに映し出された映画を観ている客の気分だった。自分事に理解できずに、レオはただ戦場の地に立っていた。 そんなレオの前に、美しい少年が一歩踏み出す。その視線に、呼吸が上手くできなくなる。力が抜けてマイクが手の中から滑り落ちた。 「……『Knights』の『王』、月永レオ、」 彼の低い声が静かに告げる――――『王』の、死を。 「このゲームは、君の負けだ」 まるで死期を伝える天使に似た、無垢な残酷さで、おれを見下す。青い瞳には勝ち誇った光が爛々と輝いていた。 衣装のマントが、目の前で翻される。 客席から沸く歓声は、騎士たちへのものではない。 「ありがとう」 優雅に辞儀をする、絶対王者――――『皇帝』へのものだった。 あぁ、そうか。おれは、負けたんだな。 そう理解した瞬間、すべてが音を立てて崩れ落ちていった。 なにを見ても、なにを聞いても、もう音楽は湧き出てこない。 おれはもう、『王』ではいられないのだ。 『皇帝』は歓声の中、仲間を引き連れて舞台を降りていく。スポットライトが消えると同時に、観客たちも会場から立ち去っていった。 「……『王さま』、」 息が整わないままの凛月を支えた泉が、レオを見つめた。澄んだブルーの瞳が、ゆらゆらと揺れている。凛月の漆黒の髪から雫が滴り落ちて、ステージの床を濡らした。 あぁ、なんて、情けない。 「……先に、行っててくれ」 ふたりから目を逸らす。泉は何か言いたげに口を開こうとしたが、躊躇ったように唇を結んだ。そして、 「わかった」 そうとだけ言って、凛月の細い身体を支えながら舞台袖に消えていった。 先ほどまでの熱は既に冷め切って、短い夢のようだった。 空っぽの、がらんどうのステージに、たったひとり。 初めての、敗北だった。 「あああぁああああっ、あああああああああぁぁぁっ!!」 引き裂かれた喉を、さらに壊すように号哭した。 痛い、痛い。死んでしまいそうなのに、殺してはくれない痛みにただ叫ぶ。 救ってくれ。赦してくれ。おれの居場所を、返してくれ。 リツとセナと生んだあの熱を、返してくれ。 「っ、は、ぁっ、はぁっ、はぁっ、」 自分の荒い息の狭間に、彼の歌声を思い出してしまう。 繊細かつ大胆、聴く者すべてを魅了する、完璧な声。 その凶器を首筋に宛がわれて、レオは竦んだ。 ――――君の負けだ 歪められた青い瞳に映った自分の表情さえも、しっかりと憶えている。 「あぁ、そうだ、おれの負けだ!」 レオの、最後の叫び声が反響した。 今度は、ぜったいに、おまえを殺してやる。この苦しみを、おれが味合わせてやる。 憎しみに燃えて、そうして、意識を手放したのを、今でもはっきりと思い出すことができる。
◇
英智が風呂に入っている間に、グリルで鰆を焼き始める。午後に行った魚屋で買った旬のものだ。予熱したグリルの中に二切れ並べる。やかんに水を入れ、火にかけてお湯を沸かす。 英智が上がるころには焼けるだろう、とレオは居間の押し入れの戸を開ける。昨日、この中にいいものを発見したのだ。 押入れの中の本棚に並んだたくさんのアルバム。それを手に取って、ページを捲る。 古いカメラで撮ったような写真が、きっちりと整理されていた。 写真の中で、今と変わらない色の瞳がレオを見つめた。 「月永くん」 後ろから声がして、レオは振り返った。 居間と廊下を隔てる障子から、 「上がったよ」 と、英智が上気した顔を覗かせた。そしてレオの手元を見て、目を丸くする。 「ああ、こんなところにあったんだ」 勝手に見ていたことを咎めもせず、レオの隣に座り、一緒にアルバムを覗き込む。ふわ、とフローラルなシャンプーの匂いがした。 「祖父が写真好きでね。よく撮ってくれたんだ」 「ふぅん。それにしても、ずいぶん不機嫌そうな顔ばっかりしてるな」 「はは、うん。この頃の僕には可愛げがなかったからね」 「安心しろ、今もないぞ」 「ひどいことを言うね」 楽しそうに笑いながら、次々と写真を指差していく。 誕生日のときの写真。小学校の入学式の写真。敬人の家の寺で撮ったふたりの写真。風邪を拗らせて入院しているときの写真。大きなアイリッシュ・セッターと寄り添って寝ている写真。小学校の卒業式の写真。 「……おまえ、泣けるの?」 英智の声を遮ったレオの問いに、英智は彼の指先の写真を目に止めた。 子ども用の黒いスーツを着た三歳くらいの英智の写真だった。その瞳には涙が浮かんでいる。 「ああ、さっきの写真に写ってた犬が死んでしまった時のだよ。庭で葬式をしたんだ」 他のページを捲れば、愛犬との写真がたくさん貼ってあった。 「ドナートって名前だよ。僕が生まれる前から飼っていたから、先に死んでしまうのは当たり前なんだけどね。すごくショックだった。余命宣告を繰り返しされていた僕より、なぜ元気だったドナートが先に死んでしまうのか、理解ができなかった。それと同時に、死ってこういうことなんだ、とも思ったけれど」 「このあと、動物飼ってないの」 「うん」 まだ子どもの頃に、自分にもいつかやって来るという死を目の当たりにしたのだ。恐怖でしかなかっただろう。 「……なぁ、怖いか?」 そう問えば、ゆっくりと英智が顔を上げた。落とせばすぐに壊れてしまう、丁寧に拵えられた美術品のようだと思った。 英智は、何が、とは訊かず、ふふ、と花が綻ぶように笑った。でもどこか憫笑じみたそれに違和感を覚える。 「怖い、って言ったら、君は僕を救ってくれるのかい?」 何も、言えなかった。 レオの返事を待たずに、英智はゆっくりと立ち上がる。 お湯を沸かしていたやかんとタイマーが鳴った。 「片付け、しておいてね」 そう言い残して、台所の方へ消えていく。その後ろ姿を見送って、レオはアルバムを集めた。 あいつを救えるのは誰なんだろう、と考える。 いただきます、ごちそうさまを教えた、彼の幼馴染か? 彼の左腕の道化か? 彼を心底愛している両親か? それとも、彼に壊されたおれか? 答えの出ない問いを呑み込む。年季の入ったアルバムを閉じ、押し入れの中の棚に戻した。
英智は湧いたお湯��味噌汁を作っていた。台所にその後ろ姿は、やはりどうも似合わない。 その間に、レオは丁度良く焼けた鰆を皿に移し、炊いておいたご飯をよそう。 囲炉裏の前に皿を並べていると、いつものように英智がラジオをつけた。ノイズ混じりにニュースが聞こえる。 いただきます、と手を合わせて食べ始めた。 「美味しいねぇ」 と、英智が笑う。 レオは頬杖をついて、鰆を噛みながらじっと目の前の男を見つめる。 彼の持った箸が鰆の身を裂いて、彼の口元へ運んでいく。開いた薄い唇の間の闇に消え、英智は静かに咀嚼した。 だれかの命を喰らって、生きている。 彼もまた、人間なのだ。 「……そんなに見つめられると食べにくいんだけどなぁ」 英智が苦笑しながら言う。 「顔に何か付いているかい?」 「あぁ」 右腕を伸ばして、英智の口元に触れる。 親指で下唇をなぞれば、柔らかい感触が神経を刺激する。 彼の唇が微かに、ゆっくりと開き、赤い舌が覗いた。滑らかなそれは、応えるようにレオの指に触れた。 誘うような目と同じくらい熱い、味を感じるための舌。 並びの良い、命を引き裂くための白い歯。 消化を手伝うための唾液が、唇から零れて一筋伝う。 据え膳食わぬは男の恥、とは言うが。 レオが指を離そうとした瞬間、彼の白い歯がその指を思い切り噛んだ。 「痛っ!」 「……食事中に欲情する君が悪いんだよ」 「欲情……っ、なんて、してないから!」 くっきりと歯形の残った親指を庇いながら、英智を睨めば、彼は楽しそうに笑う。 「早く食べないと、せっかくの食事が冷めてしまうよ」 そう言って、彼は何もなかったかのように食事を再開する。 レオももう一度箸を取り、鰆とご飯を口に運ぶ。 目線の先の汁椀の中で、冷め切ったお湯と味噌が分離している。右手で持った箸で掻き混ぜてその境界線を消してから飲み干した。冷めたそれは、ちっとも体を温めてくれない。 ラジオでは、天気予報士が今週の天気を知らせていた。
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布団を敷き終えて、ふわぁ、と大欠伸をしていると、 「もう寝るのかい?」 と、なぜかパジャマの上にセーターを着た英智が問う。 「おまえは寝ないのかよ」 「うん、ちょっといい所に行くんだ」 「いいとこ?」 小首を傾げるレオに、英智は窓を開けた。 「分かった、屋根の上だろ」 ふわ、と夜風が部屋の中に入り込んできた。 その窓の前に立ち、微笑んだ英智の髪がさらさらと靡いた。 「大正解」 屋根の上に干してあったらしい下駄を履いて、窓から屋根の上に出る。西洋人じみた顔立ちと高級ブランドの寝間着に、不釣り合いな下駄が小気味良い音を立てた。 「月永くんもおいでよ」 子どもみたいにあどけなく笑う男に、深い溜息を吐く。 そして渋々毛布を担ぎ、押し入れの中にあった足袋と下駄を履いて、彼の後を追って窓から出る。棟に腰掛けた英智に毛布を被��ると、 「ありがとう」 と嬉しそうに微笑んで、レオの手を引いて自分の隣に座らせた。そしてレオの肩にも毛布を掛ける。 「綺麗だろう?」 まるで自慢の宝物を紹介するかのようにそう言った。 星屑が散りばめられた濃紺のビロードの空が、世界を包んでいる。 「小さい頃ひとりで、こっそりこうやって屋根に上がって星を見ていたんだ。本当は誰にも教えるつもりは無かったんだけど」 すぐ傍で、英智の声が聞こえる。呼吸が聞こえる。 「……おれに教えていいのかよ?」 この夜空は、本当に英智だけのものだったのだ。 英智は楽しそうに笑う。 「ここにいると自分も宇宙に居られるみたいに感じられるから、君も気に入ってくれるだろうと思って」 宇宙が好きだろう? そう問われて、あぁ、と肯いた。 何億光年も昔に放たれた光が届く。今この瞬間も、宇宙のどこかで爆発が起きている。生まれ、滅んで、数えきれない光が走っている。 おれの書いた曲もそうなればいい。おれが死んでも、曲は生き続けて誰かに届けば、おれは死んでも幸せだ。 とは、言わなかった。自分の幸せをこの男に語っても、彼にとっての幸福の概念はちっとも変わらないだろう。 英智を変えたのは、レオではないのだ。 「……うん、大好きだ」 隣で、良かった、と英智が言う。彼がどんな表情をしていたのか、レオは見なかった。 「……ね、手繋いでいい?」 拒否はしなかった。そっと手が伸びてきて、レオの手に触れる。自分の体温を移すようにその手を握ると、英智は微かな笑い声を上げた。 「寒いねぇ」 「もう部屋入りたい」 「あと一分」 いーち、にーい、さーん、とカウントし始めると、英智も一緒になって数えた。 冷たい夜風が二人の頬を撫ぜた。
「そういえば、なんでおまえもおれの部屋で寝てるんだっけ?」 朝訊こうと思って忘れていた問いを、布団に入り込みながらぶつける。隣の布団に入った英智が寝がえりを打ってレオの方を向いた。 常夜灯のぼんやりとした光の中で彼の笑った顔が見える。 「本当はそんなことどうでもいいと思ってるだろう?」 「はぁ?」 「朝に思ったはずだよ。でも今になるまで何も言わなかったから、どうでもいいんじゃないかなって」 図星、なのかもしれない。確かに、隣の部屋で寝ようが、すぐ隣の布団で寝ようが、どうでもいい。 「そうかもな」 そうとだけ答えて、英智に背を向ける。 ねぇ、月永くん、と呼ぶ声がしたが無視した。すると彼の足が入り込んできて、レオの足に触れた。 「冷たっ!」 思わず足を避けると、さらに追いかけてくる。ゆえに、レオと英智の距離も縮まる。 「おい!」 振り返れば間近に端正な顔があって、驚いて息を呑む。 「月永くん、あったかいから」 足を絡められて動けなくなる。氷のような冷たさがレオに伝わる。 「……裸足で外になんか出るから」 「ふふ」 「ふふ、じゃないし。霜焼けになっても知らないからな!」 「うん、おやすみ」 その言葉を最後に、英智は何も言わなかった。少し経って、規則的な呼吸音が聞こえてきた。 レオの熱が伝染したのか、それともレオの熱が奪われたのか、英智の足は徐々に温まっていった。
3
三日目。 電車に乗って、ふたりは隣の海辺の町へ来た。 英智の言う通りだった。カモメの鳴き声があちこちからして、潮の匂いがして、海が煌めいている。 海風が前を歩く金色の髪を揺らした。 けれど彼が羽織っているのは、あの紺のブレザーではない。質の良い茶色いコートの後ろ姿を見つめながら、彼についていく。 一日この町を回ろう、という提案をレオは拒否しなかった。 家屋の間の細い石畳の道を歩いていく。 英智が足を止めたのは、古めかしい建物の前だった。扉の上の看板には『潮風劇場』の文字が刻まれており、懐かしい匂いが漂っている。 「映画でも見るかい?」 「ここ映画館なの?」 「そうだよ。単館上映の映画を多く上映してるんだ。意外と面白いよ」 中へ入って、英智が選んだ映画のチケットを買う。ロシアの監督の作品らしい。 小ぢんまりとしたシアターの、ほとんど観客のいない座席に座る。しばらくして照明が落とされ、上映が始まった。 ロシア語を聞いているうちに、うとうとと微睡んでしまう。 スクリーンの中の主人公がヒロインとキスを交わしている。 あぁ、この男とラブストーリーを観るとは思ってもなかったなぁ。そんなことを思いながら、レオは意識を手放した。 「……月永くん」 その声に目が覚める。証明に目が眩む。映像が映し出されていたスクリーンはただの薄い布に戻っていた。 「あれ、もう終わっちゃったのか?」 「君はずっと寝てたんだねぇ」 「最初は起きてた!」 「ヒロインは最後死んでしまったよ」 「はぁ、ありがちな悲恋だな」 「僕もちょっと退屈だった」 そんな他愛のない会話をしながら映画館を出た。 道路沿いの道を歩いて、海に辿り着く。 夕焼けに、薄く夜の色が掛かっている。そんな空の色を垂らされた海が、静かに波打っている。 柔らかく麗らかな三月の橙色の陽射しに、彼の金髪が光る。 「……夢ノ咲の海は、もっと明るい色をしていた気がするなぁ」 ひとりごとのようなその言葉に返す言葉を、レオは持っていない。ただ彼の背と、その先に広がる海を見つめる。 波打ち際でしばらく海を眺めていた英智が、不意に靴と靴下を脱いだ。細い足首の線が露わになる。 レオが声を上げる前に、英智は裸足で海の中に入った。 「冷たい」 「風邪ひくぞ」 「ひかないよ」 レオの心配をよそに、英智は靴を片手に歩いていく。 深い溜息を吐いて彼の後を追う。手で触れた海水は凍えるほど冷たくて、レオは英智の神経を疑った。 「君は寒がりだもんねぇ」 振り返って立ち止まった英智が笑う。追いついたレオは彼の細い手首を引いた。迫り来る波から英智の足が逃げる。 「冬の海に入るのはおまえみたいな酔狂だけだよ」 「三月はもう春じゃない?」 「冬だろ」 英智はコートのポケットから白いハンカチを取り出して、濡れて砂のついた足を拭いた。すぐにそのハンカチは汚れて、きっともう使い物にならないだろう。しかしそれも、英智とレオにとってはもうどうでもよかった。 レオの肩を借りて、英智が靴下と靴を履く。 「帰ろうか」 「腹減った」 「何か食べる?」 「うん」 砂浜に残った二人の足跡は、すぐに波に掻き消されていった。
◇
月永くん、と呼ばれる。 仰向けになると、布団の上に座った英智の手が伸びてきて、髪に触れた。 「……思い出してしまうね」 「なにを」 「昔のこと」 ――――キスしたこと、憶えてる? 問い掛けられて、レオは顔を顰めた。 「よかった。憶えててくれて」 「何もよくない」 英智の指の間から、長い赤毛がはらはらとすり抜けていく。それを見つめながら、英智は、 「相変わらず君はひどいなぁ」 なんて、笑う。 「またするかい? 楽しいこと」 「絶対に嫌だ」 「どうして?」 「痛いだけだ」 「そうかな?」 「痛い」 「手術に比べれば全然だよ」 「��酔するだろ」 「してもしなくても、痛いものは痛いよ。肌を切り裂かれるんだから」 レオは黙って英智のパジャマのボタンに手を伸ばした。彼はされるがままだ。パジャマを脱がせ、下着をまくり上げた。 あの頃、くっきりと残っていた胸の下の傷は薄くなっていた。細胞が修復している。この男の身体はきちんと機能している。 指先で、その傷跡をつうとなぞる。彼の唇から甘い吐息が漏れた。 「月永くん、さっきの冗談だよ」 暗がりの中で彼の瞳が光っている。獣みたいだ、と思う。 「……解ってる」 柔らかな拒否を呑み込んで、彼の身体から手を放す。掌に、彼の低い体温が残っている。 レオは布団に寝転がり、パジャマを着直す英智に背を向けた。 「……おやすみ、月永くん」 そう言った彼の手は、レオに触れなかった。
『生徒会』と『五奇人』の抗争時代に、レオと英智は何度か身体を重ねたことがある。 若さゆえの過ちだった。英智に生徒会室に呼ばれて、粛然とした箱の中で密やかに抱き合った。 一度目はお互いを苦しめるためだけの痛々しい行為に過ぎなかった。身体を貫くような痛みに吠えて、吠えさせた。 二度目、三度目、そう回数を重ねていくうちに本当の目的を見失っていった。 バスタオルを敷いた床にレオは押し倒される。自分を見下ろすその瞳を見つめながら、唇を触れ合わせる。唇の皺ひとつひとつを確かめるように、何度も、何度も。 そして深いキスに変わる。舌を絡めて、音を立てて。 ブレザーを、ワイシャツを、お互いに脱がしていく。蠱惑的な瞳を見つめながら。 肌蹴たシャツの下、露わになった彼の胸元を初めて見たとき、レオは息を呑んだ。 「……これかい?」 つ、と彼の指がその線をなぞる。 左胸を横切る醜い傷跡。それは白い肌にくっきりと刻まれていた。 「手術の痕だよ」 何でもなさそうにそう言って、笑う。 「醜いだろう?」 自嘲のような、挑発的な笑みが気に入らなくて、端を引き上げた唇を噛んだ。 何回目かの行為の最中には、 「くたばっちまえ」 と息も絶え絶えに口にしたことがある。音楽が生まれないゆえの苛立ちをぶつけた、ただの八つ当たりだった。そう叫んでも、怒りと憎悪に塗れたレオの身体にキスを落としながら、英智は強気に目を細めるだけだった。 ダンスに使う四肢も、歌うための声も、今は飢えた獣のものでしかない。 理性と本能が剝離していく感覚がレオを快楽に突き落とす。それはきっと、英智も一緒だった。 制服を着た英智が自分を見下ろしている。 「声、聞かせてくれないかい?」 嫌だ、と反論する声が擦れている。 「レオ、気持ちいい?」 一対の青色が冷淡に細められて、背筋に電流が走る。それと同時に、音楽が生まれていく。ペンを取ろうとしたレオの手を英智が押さえ付けて、そして深く口づける。 「……ッ、あ、ぁ」 「レオ、」 名前を呼ばれて、理性が崩壊する。ふたりの獣は吠える。 全部が欲しい。この男の全てを、奪って、殺してやりたい。 「英智……ッ!」 憎い。愛おしい。殺したい。終わりに、したい。 混沌とした感情を快楽に混ぜて飲み干していく。 そして熱が醒め切ってから、あの行為で戦意を失ってしまえ、と懇願していた。
スマートフォンのアラームで浮遊した意識はすぐに覚醒した。 布団から腕だけ出してスマートフォンを掴む。寝起きの頭にガンガンと響く煩いアラームを止めた。 隣から寝息が聞こえる。不幸中の幸い、英智はまだ眠っているようだ。 彼を起こさないように布団を抜け出し、枕元に畳んでおいた着替えを持って風呂場へ直行した。 寝間着と下着を洗濯機に投げ入れボタンを押してから、浴室へ入った。 熱いお湯を全身に浴びて頭が冴えていく。 あんな夢を見るなんて、どうして今更。まるで昨日の言葉に乗せられているみたいじゃないか、と自己嫌悪に陥る。 ――――またするかい? 楽しいこと。 歪められた瞳を思い出す。あの部屋でレオを見下ろしたときと同じ眼差しだった。 髪の毛先から雫が連なって床に落ち音を立てる。 あいつにとっては、楽しいことだったのか。おれにとってはちっとも楽しくなかったけど。 痛くて、息が詰まって、苦しくて、でも、それ以上に気持ち良かった。 けれど、抗争時代の後、レオと英智がその行為をすることはなかった。
◇
さっさと一人で朝食を済ませて、レオは作曲のためにピアノと譜面と向かい合っていた。そんなレオの姿を見咎めて、英智が声を掛ける。 「今日はずいぶんと早起きだね。昨日もなかなか寝付けずに、遅くまで起きてたんだろう?」 重低音のメロディーを荒々しく弾きながら、レオは顔を背けた。 「何か嫌がらせしたかな?」 独り言を呟きながら、英智はレオの傍へやって来る。 それを咎める気にもならなかった。 音楽が、生まれない。 音符を書いては消し、楽譜を書き上げては丸めて床に捨てた。起きてからずっとこの調子だった。 寝起きが一番頭が冴えるはずだ。一番いい曲が書けるはずだ。こんなこと、一度もなかった。おれは天才だ、音楽を生めないなんて有り得ない。 英智の白い手が散らばった楽譜を手に取る。 そして、その声が音符を追う。 「な、」 レオはピアノに凭れていた頭を持ち上げて彼を見つめた。 楽譜に向けられていた視線がレオに移る。 「歌うな」 そう制しても彼は止めない。 あの眩しいスポットライトの光と華やかな歓声に包まれている。純白の衣装を身にまとった彼の貫くような視線に、あの頃、欲情していた。 歌声がレオの心臓を突き刺す。 「やめろ、」 違う。おれが作りたいのは、こんな、醜い曲じゃない。 「やめろ!!」 両手で鍵盤を思い切り叩いた。貫くような不協和音と怒鳴り声が部屋中に響いて、英智は驚いたような顔をして、歌うのを止めてレオを見た。 彼の胸倉���掴み、そのまま床に押し倒した。痛みに彼の表情が歪み、落ちていた楽譜が舞う。 「こんな曲に価値なんてない!」 「……どうして」 「こんなんじゃない、おれが創りたいのは、もっと、もっとあの頃みたいな」 「月永くん、」 冷淡な声に息が詰まった。白い手がレオの喉笛に添えられる。深い色をした瞳に、深層部までを見透かされてしまっている気がした。 「……あの頃には、戻れないよ」 窓の外で一層強く雨が降り頻る。その音にも邪魔されずに、彼の声はレオの鼓膜を震わせた。 その声に、記憶を翳して、辿っている。 ――――君の負けだ、 ――――『王さま』 ――――『Knights』の王、月永レオ レオは英智を突き放し、ピアノの傍に置いておいた財布と携帯を引っ掴んで家を飛び出した。 三月の冷たい雨が身体を打つ。肌の表面は凍えるほど冷たくなっていくのに、頭には血が上って熱くなっていく。 呼び止める声も、追い掛ける足音も、聞こえなかった。 煩い雨音に紛れて聞こえなかっただけだと信じたがる自分が、ひどく惨めだった。
4
夢ノ咲学院の裏の砂浜で、ふたりきりになったことが一度だけある。 十八歳の秋。 砂浜に音符を刻む。湧き上がる霊感に追いつかなければ。 と、そのときだった。 「久しぶりだねぇ」 懐かしい声に、手を止める。 ザァ、と音を立ててやってきた波が音符をさらっていくのを見送って、レオは振り返った。 「……おかえり、月永くん」 相変わらず頼りない細い身体だった。入退院を繰り返していると風の噂で訊いた。 「また君と兵刃を交えられると思うと嬉しいよ」 「それはもうごめんだな」 目の前に立った男を見上げる。 「もう帰ってきてくれないと思った」 「まだやるべきことが残ってる」 く、と青い瞳が細められる。 「キス、してもいい?」 「再会祝いのつもりか?」 目線がふたりの間で絡み合って、英智が細い腰を折ってレオの唇に口づけた。 おまえを殺したい。 はっきりと、あのステージの上でそう思ったことを思い出す。 おれの描いた音符で首を絞めて、剣のような歌声で心臓を貫きたい。 おれがおまえにされたことをしてやりたい。 心臓が止まって、そのまま玉座からずり落ちてしまえばいい。 でもそれは、レオの役目ではなかったらしい。 時代を変えた『新星』たちが、『王』のいないあいだに『皇帝』を殺した。 「なぁ、『皇帝』、」 離れていく唇を引き留めずに、まっすぐと英智を見つめる。その渾名はもう似合わないか、とも思ったが、レオの中で、天祥院英智という男は『皇帝』でしかなかった。 「おれの悪足掻きに付き合ってよ」 青い瞳に自分が映っている。鏡のようなそれは凪いだ海と似ていた。 「いいよ、君の考えることは退屈しないからねぇ」 そう言って、笑った横顔が昔と違うことに気づいたが、レオは何も言わなかった。
ふ、と目が醒める。スマホの画面を確認すると、もうすぐ午後六時を回るころだった。 朝、あの家を飛び出して、夢ノ咲とは逆の方向へ向かっていく電車に乗り込んだ。絶えず変わっていく車窓を見つめながら、気分でいろいろな駅に降りた。 荒れた海が見える町。ビルが立ち並ぶ都会。教会のある田舎町。山ばかりの町。寂れた商店街がある街。 そうしてあの田舎町から、英智から、遠ざかってきた。 英智からの連絡はなく、それ以前に、スマートフォンの電池は切れて使い物にならなかった。 雨は昼間より強くなっている。アナウンスが鳴っていて、多くの人から席から立ち上がった。それに倣うように重い腰を持ち上げて、人に押されるように電車から降りる。 コンコースの人混みの間をすり抜けながら外へ出れば、降り頻る強い雨が身体に叩きつけられる。コンビニで買ったビニール傘は、前の町で壊れて捨ててしまった。 ダウンのフードを被り、寒さに息を吐く。 傘を差した人たちが足早に歩いていく。レオの横を通り過ぎた何人かが、傘を差さないレオを訝しげに見てはすぐ目を逸らす。 孤独だ、と思った。 こんなにたくさん、数えきれないほど傍に人がいるのに、孤独しか感じないのは、なぜ。 「……『王さま』?」 聞き慣れた声に後ろを振り返る。灰色のコートを着て青い傘を差した、端正な顔の男が立っていた。 「おぉ、セナ、久しぶりだなぁ」 駆け寄ってくるかつての仲間に、無理に作った笑顔を見せた。 「ずぶ濡れじゃん、こんなところで何してるわけぇ?」 泉はレオの腕を引いて傘の中に入れた。 「身体も冷え切ってるし」 「わはははっ、セナは相変わらず世話焼きだなぁ」 「無理して笑わなくていいから」 ほら、行くよ、と腕を引かれて歩き出す。自分より少し背の高い男の背中は、昔と変わらず大きく見えた。 ふたりが雨宿りに入ったのは通りにあるカフェだった。客は少なく、店内にはBGMと、窓の外の雨音が流れていた。 窓際の席に向かい合う形で腰掛け、泉が店員を呼ぶ。 「コーヒーで良い?」 と訊かれ、黙って肯いた。 「ホットのブレンドコーヒーを二つ」 という泉の注文する声が雨音を消す。店員は注文を取るとすぐに去っていった。 「……で、」 頬杖をつきながら泉が話を切り出す。 「卒業式後からどこに行ってたわけ?」 「田舎町だよ」 泉の青い瞳をじっと見つめる。彼より濃い、青。それに嘘が通じないことは理解している。 「セナはこんな都会で何してたんだ?」 「仕事に決まってるでしょ。モデル業に復帰したらすぐに大量の依頼が来たの」 「さっすが売れっ子モデルだなぁ~」 「お褒めの言葉をありがとう、『天才作曲家』さん。アンタも仕事来てるんでしょ?人づてに聞いたよぉ?」 「まぁな。でも大体断ってるよ、充電期間」 「何言ってんの、散々充電してたくせに」 「それは、あの戦いから逃げた期間のこと?」 思わず語気を強めてしまったことに、すぐ口を噤んだ。 「……ごめん」 そう謝れば、泉が窓の方に顔を背ける。 「今のは、俺も悪いから」 気まずそうに、彼はそう言った。 お待たせいたしました、という店員の声にふたりで顔を上げる。それぞれの前にコーヒーカップが置かれ、また店員は去っていった。 テーブルの端に常備されているシュガーを手に取って、黒い液体の中に入れた。ブラックコーヒーを啜り、泉が言う。 「珍しいね、砂糖入れるなんて。ブラックで飲まないの」 そう問われて、目を伏せる。黙ってコーヒーを飲んだ。今まで甘いフルーツティーやミルクティーなどの紅茶ばかり飲んでいたからか、とても苦く感じた。 「……『皇帝』と一緒にいたの」 その問いに、レオは思わず目を見開いた。 「……なんで」 「昔と、同じ目をしてるから。当たり?」 「セナには敵わないなぁ」 苦笑しながら苦いだけのコーヒーを啜る。 泉が、かちゃん、と音を立ててコーヒーカップを置く。 「……一週間だけって約束で暮らしてたんだけど、ちょっといろいろあってさ。出てきたんだ」 「探してんじゃないの」 「さあなぁ」 ふぅん、とどうでもよさそうに泉が相槌を打ち、 「これからどうすんの」 と訊く。 「自分の家に帰ろうかなぁ」 あの日本家屋に着替えなどは置きっぱなしだが、わざわざ取りに行きたくもないし、大して大事なものでもない。このまま黙って帰ればいいだろう。 はぁ、と息を吐いた泉が立ち上がる。 「傘買ってきてあげるから。ここから動かないでよね、分かった?」 泉はそう言って、傘を差して土砂降りの雨の中へ出ていった。銀色の髪と灰色のコートはすぐに人混みに紛れていく。 あの頃と同じ目――――どんな目だろうか。すべてを喪ったような光を持つ瞳だろうか。あぁ、そうか。おれはまだ 過去に囚われているのか。セナは自分の道を、自分の未来をまっすぐ見据えて歩き出しているというのに、おれはまだ未練があるのか。 彼の姿が窓から見えなくなると、レオはレジに行って二人分のコーヒー代を払い、店を出た。 そして、泉が歩いていった道とは反対の道を、雨に打たれながら歩いた。
夜になっても、雨はやまない。 建ち並んだビルの窓から漏れる光の色に雨粒が染まって、黒いコンクリートの上で砕け散る。 交差点の後ろに聳え立つビルの大型モニターの中で、知らないアイドルが歌っている。 しかしその歌声は雨音や足音に掻き消されて誰の耳にも届かない。 あぁ、おれの音楽もこんな風に踏みつぶされていくのか。 あいつが命を削りながら叫ぶ声も、誰の耳にも届かずに靴底の跡をつけられるだけなのか。 城を出た王は庶民と変わらないのか。 あの頃の栄光を得ることなんて、できないのか。 交差点の真ん中で茫然と立ち竦むレオの横を、人々が通り過ぎていく。暗い波が去っていく。 「――――月永くん、」 そう、呼ぶ。あの頃とは違う、丸みを帯びた優しい声が。 ふと、身体に叩きつけられていた雨が止んで顔を上げた。 傘を持つ白い手。自分より高い背丈。コートのフードから覗く金色の髪からは雫が滴っている。 「月永くん」 彼の濡れた肩を見て、思わず笑う。 それと同時に、今まで張りつめていた糸がぷつん、と切れて、全身の力が抜けた気がした。 「……傘の意味ないじゃん」 寒さに擦れた言葉は、最後まで言い終えることなく途切れた。 英智の冷え切った身体が、レオの身体を抱き締めた。 甘いトワレの匂い。一日中、この匂いを探していた。冷え切った身体を強く抱き締め返す。 「『皇帝』、」 「……帰ろう、月永くん」 帰ろう、と噛み締めるように、英智はもう一度囁いた。 それに対しての上手な答え方をレオは知らない。 「あぁ」 そうとだけ言って細い手を掴み、彼の持つ傘を受け取って歩き出す。 人混みの中に、ふたりの声は呑まれていった。
◇
「どうしてあそこにいるって分かったんだ」 そう問う。 都会の電車の中に、濡れ鼠になった会社員や学生の憂鬱が立ち込めている。 扉の傍の手摺に寄り掛かった英智が、車窓の外に目を向ける。 「……なんとなく。夢ノ咲の方には行かないだろうと思って、こっちに来たんだ。そうしたら、瀬名くんからメールが来て」 「はぁ、つまらないことするよなぁ、セナも」 「でもずいぶん探したんだよ」 おかげでぐっしょりだ、とコートの裾を絞ってみせた。電車の床に水滴が落ちる。 「会えて、良かった」 そう言って、レオの肩に頭を凭れる。香水に混じって、雨の匂いがした。 ねぇ、と擦れた声が左耳を擽る。 「……キス、してもいい?」 「再会祝いのつもりか?」 ゆっくりと電車がスピードを落とし、駅に停車する。降りていく大勢の人々の背中を見送って、ふたりは空いた席に腰を下ろした。 「もう昔じゃない、しないからな」 「冗談だよ」 はぁ、という隣で吐かれた溜息が電車の車輪が擦れる音に消えていく。 「……おまえのことだから、探しに来ないと思った」 トンネルに入る。ライトの光が差し込んでは通り過ぎ、また差し込んで、通り過ぎて消えていく。 「探してほしかったくせに」 揶揄う口調で英智が言う。 「べつに」 「素直じゃないなぁ」 横目で睨めば、英智は肩を竦めてみせた。 「……約束しただろう、秋の海で。君の悪足掻きに付き合ったんだから、僕の悪足掻きにも付き合ってもらわないと」 「そんなこと、いちいち憶えてるのか」 「もちろん。学院での思い出はすべて僕の宝だよ」 トンネルを抜けても、やはり窓の外は暗い。まっくろな闇が世界を包んでいる。 「……どこへ、行っていたの」 そう問われて、レオは、 「いろんなところ」 と答えた。 「海が見えるところ?」 「あぁ、行った。銭湯がある町もあった」 「銭湯には行ったの?」 「うん」 「風呂上がりに瓶牛乳を飲むんだろう?」 「あぁ、美味かった」 「いいなぁ、僕も行ってみたいよ」 どちらも、今度一緒に行こう、などとは言わなかった。 手と手が触れた。逃げずにいると、そっと手を繋がれた。 「……曲は、書けそうかい?」 英智の問い掛けに、レオは肩を竦めた。 「さあなぁ。まぁ、学院のときは生き急いでた感じだったし、少し休めってことじゃねえの」 「そうだねぇ。君はほんとうに忙しそうだった」 と、英智は懐かしむように笑った。その横顔が、すぐに消えてしまいそうな気がした。 「……おまえも人のこと言えない」 レオの言葉に、英智が顔を上げてレオの瞳をじっと見つめた。呑み込まれそうだと思うほど深い、深い青だった。 「なにをそんなに急いでんの」 英智は困ったように微笑んだ。 「急いでいるように見える?」 「……あぁ」 低い声で答えれば、彼は目を伏せる。 「まさか君にそんなことを言われるとは思ってなかったよ」 向かい側の席の窓を見つめながら英智の肩に頭を凭れた。重いよ、と声がしたが気にしなかった。 「……眠いな」 「眠いねぇ」 「あと何時間で着く」 「二時間はかかるかな」 ゆっくりと瞼を閉じれば、浮遊感に似た、夜の色より深い闇が身体を包む。 ふたつの手はどちらも冷え切っていて、一向に温まらない。
家に着いたのは、日付が変わる、少し前の頃だった。 雫が滴る洋服をすべて脱いで洗濯機の中に押し込み、風呂で熱いお湯を浴びる。冷え切った身体がじょじょに温まっていった。 先に風呂に入った英智はすでに布団の中に潜り込んでいた。垂れ下がった紐を引いて電気を消す。 隣に並べられた布団に入れば、月永くん、と声がした。だんだん暗闇に目が慣れて、英智の顔が見えた。 「なんだ、まだ起きてたのか」 「うん、なんだか寝付けなくて。電車でも、ずっと起きてた」 それは、気づいていた。途中で意識が戻って、いつの間にか彼の頭の方が上にあり、彼の瞳は開いていた。その青は、じっと向かい側の窓を見つめていた。 「眠くないわけ」 「眠いんだけど、なんでかなぁ……」 困ったように彼が笑った。掛布団の上の右手をそっと取れば、何も言わずに握り締められる。 深夜特有の研ぎ澄まされた空気に降り頻る雨の音が響く。それをたっぷりと聞いてから、英智が呟いた。 「……眠るのが、怖いんだ」 繋がれた彼の右手に力が籠る。天井を見上げる彼の目の光はあの頃に比べるとずいぶん弱々しく見えた。 もしも、と彼の唇が動く。 「もしも、朝が来ても目が醒めなかったら?僕に朝が来なかったら?……考えるだけで、身が竦むんだ」 「……」 「長く生きられないって解っているつもりだ。いつ死んでもおかしくない身体だって理解している。それでも、それでも毎日眠るときになって恐怖が僕を支配するんだ」 彼の弱さの吐露に、レオは寝がえりを打った。手は、繋いだまま。 「……あいにく、おれは作曲の天才だ。作詞の才能はこれっぽっちもない。だからおまえが欲しいような言葉をおれは見つけられない」 英智は一瞬驚いたような顔をして、そして微笑んで、 「あぁ、そうだったね」 と言う。 無意識に、指を絡める。細い指だった。 「……明日��起こしてやるから」 「ふふ、うん。頼むよ、早起きはどうも苦手でね」 そっと英智の布団の中へ足を忍ばせ、相変わらず冷たい彼の爪先に触れた。 「あったかい」 と、彼が笑う。レオの体温が、徐々に英智に移っていく。 「……おやすみ、月永くん」 「……おやすみ」 そう返事をすると、左手をぎゅっと握られた。英智がゆっくりと瞼を閉じる。神に祈る儀式のようだった。 命あるもの、誰だっていつかは死ぬさ。おれも、おまえも。それが早いか遅いか、その違いだけだ。 心の中でそっとそう囁いて、瞼を閉じた。
5
衣擦れの音に目が醒める。足音と咳き込む声が離れていく。 「『皇帝』……?」 起き上がって横を見ると、隣に彼の姿はなく、乱れた掛け布団が投げ出されていた。窓の外は暗い、まだ日も出ていない時間だ。 重い瞼を擦りながら、彼の後を追う。 居間にも、トイレにも、風呂にも、離れの部屋にもいなかった。 「朝からどこに行ったんだ……?」 渡り廊下を歩いているときだった。微かに水が流れる音がした。 中庭の方からだ。置いてあった下駄をつっかけて、中庭へ向かった。中央に植えられた梅の木の花が風に揺れる。 壁に取り付けられた立水栓の前で英智が蛇口のハンドルを掴んでいた。静寂に包まれた夜明け前の空に、水が流れる音だけが響く。 声を掛けようとして、やめた。 ――――英智は、泣いていた。 必死に、声を押し殺している。きつく噛み締めた唇の間から嗚咽が漏れる。悲鳴のようなそれに足が竦んだ。 しばらくして英智が水を止めた。 英智が縁側に上がって、その姿が見えなくなると、レオはその水道の前に行く。薄紅色の梅の花びらが浮かぶ水に、濃い赤が混じっている。 「……何の赤だ?」 ひとり首を傾げながら、蛇口を捻る。冷えた水がぐるぐると小さな渦を巻きながら花びらとその赤を排水口へ流していった。
寝室へ戻ろうと廊下を歩いているとき、居間の灯りが点いていた。障子に透けるその光の中に影がある。 静かに障子を開けると、畳の上に英智が横たわっていた。 「……『皇帝』?」 顔を覗き込む。薄い瞼が開き、潤んだ青い瞳にレオの顔が映った。 「月永くん、」 その声は擦れていた。やけに赤い頬に触れると、溶けるかと思うほど熱かった。 「おまえ、すごい熱だぞ!」 「ん……身体が怠い……」 「こんなところで寝てたら余計熱上がるだろ!布団で寝ろよ!」 立ち上がらせるために熱い腕を掴んで、息を呑んだ。 元々細い身体だ。知っている。 しかし、こんなに細かっただろうか。 軽いその身体を背負い、二階の寝室へ向かう。布団に寝かせて、水で濡らしたタオルを彼の額に乗せた。 「……ありがとう、月永くん」 そう言って、赤い頬のまま笑う。幾筋もの汗が垂れている。 「……君は、いいお嫁さんに、なるねぇ……」 「バカ。いいから寝ろ」 バカはひどいなぁ、とぼやいて、レオの手を掴んだ。 「一緒に、いてくれないかい」 幼い子供のような表情に、レオは逆らえない。 黙って同じ布団に潜り込むと、英智は驚いたような顔をした。彼が口を開く前に、目を細める。 「ほら、寝ろって」 繋いだままの手は熱い。 「……うん、おやすみ」 「おやすみ」 いつもは冷たいのになぁ、なんて思いながら、レオも英智と同じように瞼を閉じた。昨日の疲労が残っているせいか、あっという間に眠りに落ちた。 次に目が覚めたときには、すっかり日も昇り、昼に近い時間帯だった。 英智は変わらず、長い睫毛を伏せてすやすやと眠っていた。彼の額に浮かんだ汗を、乾いてしまったタオルで拭ってやる。 低い音で腹が鳴った。英智を起こさないように静かに布団から出て、一階の台所へ向かう。背の低い冷蔵庫にはほとんど食材がなく、買いに行かなければ何も作れない。 二階へ戻り、冷やし直したタオルを英智の額に乗せた。着替えてから、メモ帳に『買い物に行く』と走り書きを残して家を出た。
スーパーで買い物を終えた頃には腹がぐるぐると鳴っていた。 食材を冷蔵庫に入れ、冷却シートを持って寝室へ向かう。 襖を開けたが、布団の上に彼はいなかった。 まさかまた、と思い中庭に行ったが、彼はいなかった。トイレだろうか、と踵を返そうとしたそのとき、ピアノの音色が聞こえた。 ブランケットを肩に羽織った英智が、ピアノの前の椅子に座って鍵盤に触れていた。 「……あれ、見つかっちゃった」 そう言って笑いながら、モーツァルトのピアノソナタを弾く。 「モーツァルトは嫌いだ」 ピアノに凭れ掛かって、冷却シートを一枚取り出す。 顔を上げた英智の前髪を指で梳く。露わになった額にそれを貼ってやると、冷たい、と眉を顰めた。 「安静にしてろって言っただろ」 「なんとなくピアノが弾きたい気分になったんだよ」 そう言って、近くにあったもう一脚の椅子を引き寄せてレオに座るよう勧めた。溜息を吐きつつ、腰を下ろす。 「一曲だけだからな」 そうして、あの連弾曲を弾く。 時折、英智は咳をした。細い喉のしがらみ。 たまに、レオの左手と英智の右手が触れ合った。わざとらしく指を絡められて振り払えば、英智は楽しそうに笑った。そして、また咳を��る。 白と黒の鍵盤の上で、二十本の指が自由に躍る。 離れて。近づいて。触れて。また、離れる。 誰かのために、と定めて曲を作ることは少ない。そのとき生まれた霊感を音符に変えるだけだ。 この連弾曲も、そうだ。 『皇帝』と呼ばれた天祥院英智という男に触れて、声を聞いて、そうして生まれた霊感を形に、音に、変えて出来上がった曲だ。 すぐ傍に体温がある。 彼の鼓動が聞こえる。 けれど安心できない。それは、雨の都会の街で感じた孤独に似ていた。 最後の一音の残響が部屋に響いた。 「……月永くん、」 「なに」 ふ、と彼が目を伏せ、なんでもない、と言う。 英智の手を取って立ち上がらせる。 「昼飯、食べれる?」 「お粥かい?」 「そう」 「あんまり好きじゃないんだよなぁ……」 「文句言うなよ」 なんとなく、その手を放せなかった。寝室に行くまで、ずっと手を繋いだままだった。
昼食を食べ終えて、英智はまた眠りについた。レオはピアノに触れた。 それからメモ帳を広げたものの、まったく霊感は湧かなかった。昨日の朝方から陥ったスランプから、まだ抜け出せないでいる。もどかしい気持ちばかりが募って、ペンが進まない。 掴もうとした音がばらばらに飛び散っていって、指の間をすり抜けていく。音符の形になろうとせず、五線譜の中に納まってくれない。 あぁ、おれはどんなふうに曲を書いていたんだろう。 弾きたい曲もない。書きたい曲もない。 おれは、あの学院にいるとき、スランプになって足を枷に捕らわれたとき、どうしていたっけ。 鍵盤の上に頬を乗せていたとき、ピアノの横に置きっぱなしにしていたスマホが震えた。 腕だけを伸ばし、それを手に取った。『新着メールが届いています』という通知が液晶画面に表示された。 メールボックスを開くと、見覚えのないアドレスからメールが届いていた。 差出人は有名な映画製作会社だった。レオはその会社の映画を観たことはないが、今まで出席してきた表彰式などで名前を聞いた。映画の劇中歌が賞を貰っていた気がする。 メールの趣旨は、次回作の映画の劇中歌を作曲してほしい、というようなことだった。依頼を受けてくれるのなら、詳しいことは会って話したい、早ければ明後日に、とも書いてあった。 ピアノの蓋を閉じて、寝室へ戻ると、目を覚ましたらしい英智が窓辺に腰掛けていた。 夕陽がきらきらと彼の金色の髪に反射している。濃い影が彼の背中から伸びていた。 額、高い鼻、顎のラインを目線で辿る。 視線に気づいたのか、振り返った英智が、 「月永くん」 と呼んだ。 レオはその隣に座って、彼が見ていた景色を見た。 まだ山には少し雪は残っているが、白や赤の梅が春の訪れを告げるように花開いている。薄紫色の雲が伸びていて、いつだかの時代の物語を思い出した。春はあけぼの、だ。今はあけぼのではなく夕暮れだけれど。 「春の夕暮れは好きだよ。柔らかい匂いと色がする」 と、まるでレオの心を読んだかのように英智が言った。 「……仕事を依頼された」 唐突に話が変わったにもかかわらず、英智は驚くこともなく、そう、とだけ相槌を打った。 「明後日、昼間いなくなるけど」 「うん、君の帰りを待ってるよ。夜になったら家に帰ろう」 元々そういう約束だった。七日目の夜には帰って、そして。 「……どんな仕事なの?」 「映画の、劇中歌の制作」 「大抜擢だねぇ」 咽た英智の背を撫でてやると、彼はもう一度窓の向こうを見た。 「春には街中の桜が咲いて、一面桜色に染まる。夏には蝉が鳴いて、八月の夜は隣町で打ち上げられる花火がとても綺麗に見える。秋には庭のイチョウや山の紅葉が色づくんだ。冬は空気が澄んで星がいちだんと美しいから、寒さも忘れてずっと見ていられる。僕は、いつも病院のベッドの上で、窓から町を見下ろしていた」 そう言ってから、また静かに咳き込んだ。 「……この町の四季も、見たかったなぁ。夏にしか来たことなかったから」 「住めばいいじゃん、この家に」 「無理だよ、この家は売られるんだ」 「わがまま言えよ」 「もう買い取られたんだ」 残念そうに、彼がそう言った。 「僕がこの町に来ることはもうないよ」 その指が窓にサインを綴る。 「形あるものはいつか失われるんだ、解っているよ。……ただ、もう少し時間があれば、とは思ってしまうけれど」 形あるもの、それが何を指すのか、レオは訊けなかった。 振り返った英智が、来て、と言う。 その声が、やけに細くて。 鼻が触れてしまうほど、距離を縮めた。彼に向き合うように。 「……君と一緒に暮らせたら良かったなぁ」 「おれはごめんだな」 「冗談だよ」 そして、ゆっくりと唇を寄せた。薄くて乾燥した唇だった。離れていくとき、思わずぺろりと舐めてやった。何食わぬ顔で、 「……あの頃とは違うんだぞ」 と言えば、英智はどこか哀しそうに微笑んで顔を伏せた。長い前髪がその表情を隠す。 「解っているよ」 その前髪を指で持ち上げ、顔を覗き込む。 「……みっともない顔��なぁ」 「そのとおりだよ」 もう一度、そのままキスをした。 最後の悪足掻きだ、許してほしい。 あの学院で終わったあの輝きを今だけ、もう一度だけ。 優しくて柔らかい匂いと色がする春の夕暮れは、なぜか寂しい気持ちになるのだと、レオはそのとき初めて知った。
◇
徐々に頭が冴えてきて、そして勢いよく起き上がった。 いない。 英智は、布団の上にいなかった。 部屋を出て違う部屋を覗いたが彼の姿はなかった。 一階に降りて、居間や台所、洗面所、風呂場や囲炉裏部屋にも、トイレにも、彼の姿はなかった。 離れに向かおうとして渡り廊下を歩きながら、ふと中庭に目をやった。 裸足のまま、地面を歩く。ひんやりと冷たい土を踏む。 青い絵の具を��らしたかのような真っ青な空に、白い梅の花が風に揺れている。 その木の下にしゃがみこんだ彼もまた、レオと同じように裸足だった。 「……何してるんだよ」 後ろから声を掛けると、英智が振り返る。顔色は昨日ほど悪くはない。 「……月永くん、」 と呼んだ彼の額に、手の甲で触れる。まだ少し熱が残っている。そのまま、指で前髪を梳けば、擽ったそうに彼が瞳を伏せる。 「……ぶり返すぞ」 「うん、でもあともう少し」 レオの手から逃れて、また梅の木を見上げる。そうわがままを言う横顔は幼い子供のようなのに、瞳は世界の仕組みのすべてを知った大人に似た、冷たい光を宿していた。昔とは違う、熱のない光。昨日の夜と変わらない、弱々しい光。 彼は梅の木の幹に額を当てた。まるで信仰を伴った行動のようだった。伏せた睫毛から目を逸らし、彼の足首の細い線を見つめる。 小さく彼が、ステージの上で歌っていた歌を口ずさむ。 そうして、顔を上げて振り返った英智は微笑んでみせた。そんなに情けない顔をしていたのだろうか、と思わず口元を右手で覆う。 「ねえ、月永くん」 首を傾げれば、長い前髪がそれに合わせて揺れた。 「散歩に行きたい」
坂道を上っていく後ろ姿を見つめながら、後を追う。 あたたかい陽射しの中、道の両脇に咲く梅の花と同じ色の彼のシャツが眩しく光る。 相変わらず白が似合う、と思った。 「……なぁ、」 「ん?」 振り返った彼に問う。 「白、好きなの」 彼は微笑んで頷いた。 「白は美しい色だと思わないかい?」 何者にも侵されないその色を纏った英智が、長い睫毛を伏せる。 「……それに昔、喪服は白色だったんだ」 ふわ、とふたりの頬を撫ぜた風は線香の匂いがした。 匂いの先を見ると、坂の途中に墓園があった。名前が刻まれた石が揃って並んでいる。 石と石の間の通り道を若い女性とその子供であろう幼い男の子が手を繋いで歩いていく。女性の腕には花束と線香の箱。 彼女が線香に火をつけ、その線香を立てた。細く白い糸のような煙が風に流れていく。 線香の匂い。 死の、匂い。 「……懐かしい匂いだ」 英智はそう呟いて、哀しくなるほど青い空を仰いだ。金色の髪がさらさらと風に靡いて、その隙間から形の良い耳が覗く。 「敬人の家に遊びに行くと、必ず線香の匂いがするんだ。敬人はその匂いが嫌いだって必ず言ってた。でもしょうがないよね、毎日お墓に誰かが来て、線香を上げていくんだから」 ゆっくりと瞬きをして、それから、 「行こうか」 と再び歩き始めた。 線香の匂いがしばらくレオの鼻先に残っていた。 辿り着いたのは、坂の上にあるあの神社だった。鮮やかな、赤い鳥居と青空のコントラストを目に焼き付ける。 「今日は海まで見える」 英智が眩しそうに目を細める。眼下に広がる町を、ふたり並んで見渡した。 細い畦道をバスが走っている。田んぼや畑に柔らかい緑が広がっている。乗客の少ない電車が走っている。遠くの海がきらきらと輝いている。 あの青に触れた彼の足首の線を思い出して、海へ行きたい、と思った。さざ波の音が耳の奥で聞こえる。 その音を、英智の歌声が掻き消していく。レオの知らない曲だった。 都会のビルのモニターの中で歌う彼の姿を想像する。似合わない衣装を着て、凡才の作った曲を歌って、センスのないダンスを踊る。 しかし、それでもきっと、雑踏に踏みつぶされることはないのだろう、と思った。誰しもがレオと同じように、彼の歌に心臓を掴まれ、息を止められるのだ。 歌い終わった彼は、大きく息を吐いて春の町を見下ろした。 「……僕は、神様はいると信じているんだ」 神様がいないと言ったらここから突き落とされるんだっけ、と思い出しながら彼の背を見つめる。 「神様がいなかったら、僕は誰に八つ当たりすればいい? 誰を憎めば、恨めばいい?」 振り返った英智の瞳に、息を呑んだ。 相手にすべてを投げ出させ、降伏させるためには手段を択ばない、あの『皇帝』そのものの光を宿した瞳だった。 それは、あの頃だけのものであって、今は。 英智は、絶壁の先と展望台を区切るフェンスの手すりの上に立った。 そのまま、重力に逆らうことなく落ちていく――――その彼の姿を想像して、レオは細い腕を思い切り引っ張った。重なるように倒れて、英智の全体重がレオの身体にかかり、ぐぇ、と呻き声を上げた。 起き上がった英智が、レオの顔を見て、それからぷっと噴き出した。 「あははっ、あはははは!」 愉快に笑い声を上げる英智に、レオは顔を赤くして怒鳴った。 「笑い事じゃないからな!」 「僕が、飛び降りると思ったのかい? はぁ、君の真剣な顔と言ったら、あっはははっ」 大口開けて子どものように笑う英智を見て、言葉を発する気力も失せた。 笑い続ける彼を無理矢理押し退けて、レオも起き上がった。 笑い過ぎて下瞼に溜まった涙を拭った英智が言う。 「はぁ、ほんとうに君がいると退屈しないなぁ」 やっぱり一緒に暮らそうか、なんて口にする英智に、 「絶対にごめんだね!」 と、べっと舌を出した。 やはり神様はいるのか、と思った。 賽銭をしたときに心の中で言ったのだ、この男の笑った顔が見てみたい、と。自分には決して見せないような顔を見れたら、きっと霊感が湧くのだろうと思ったから。 立ち上がろうとした英智が、あれ、と言う。先に立ち上がったレオが彼のつむじを見下ろす。 「……月永くん、」 「……なんだよ」 「腰が、抜けたみたいだ」 「このボンクラ『皇帝』!」 そう罵って、動けなくなった彼の身体を背負う。驚くほどの軽さに息を呑んだ。 「月永くんは優しいねぇ」 「貸しひとつな」 そうは言ったものの返される機会なんてもうないんだろうなぁ、と思いながら、麗らかな光が当たる坂道を下った。
◇
夜が更けて、彼の熱は少し上がった。 「昼間にはしゃぎすぎすぎたせいだろ」 と言えば、英智は、 「君の面白い顔を思い出すとまた笑ってしまうよ」 と言いながら、また笑っていた。 垂れ下がった紐を引いて、常夜灯に切り替わる。淡い光に目を擦り、彼の隣の布団に潜り込む。 そっと足を忍び込ませて、彼の足に触れる。 「あったかい」 彼はそう言って寝がえりを打ち、レオの方を向いた。レオはじっと天井を見上げたまま、光に目が慣れるのを待つ。 ねぇ、と彼が言う。 「君は、アイドルを辞めるのかい?」 考える時間さえなかった。その答えを、ずっと前から持ち合わせていた。 「あぁ」 天井の染みを数えながら短く答えると、英智は、けほ、と小さく咳をして、また問う。 「歌ってくれないの」 「歌わない」 「残念だなぁ……」 いつだかと同じやり取りをして、英智が咳をしながらも笑う。 「僕は君の歌声が好きなのに」 「嘘吐け」 英智が起き上がり、じっとレオの瞳を見つめた。暗闇の中で白すぎる顔がぼんやりと浮かんで見える。 深い溜息を吐いてから、今度はレオが問う。 「……お前は辞めないの」 「辞めない」 瞬時に返ってきた声に驚いて、英智を見つめ返す。その瞳が、強い声色とは裏腹に優しく細められた。 「辞められない、と言った方が正しいかな。アイドルという概念が僕を離してくれないんだ。それは苦じゃなくて喜ばしいことだよ、僕にとってはね」 なんとなく、その腕を取る。袖を捲って露わになった前膊は点滴の針の痕が多く残っていた。こんな脆い身体を引き摺り続けるなんて、自らの首を絞めるような行為だというのに。 「……月永くん、」 青が、揺らめく。あのときの薔薇の色も、この色だったとふと思い出す。 あの花と同じ、この虹彩の色が『神の祝福』だと言うのなら、皮肉にしか聞こえない。 手を伸ばして、彼の首に触れる。頸動脈が、どく、どく、と動いている。 「僕の我が儘を聞いてくれて、ありがとう」 「あははっ、おまえに礼を言われる日が来るなんて思ってもなかったな~」 英智の冷たい指がレオの輪郭を撫でる。その表情に、無理に引き上げた唇の端を元の位置へと戻す。 「僕のこと、ずっと赦さないで」 「……なに言って、」 「僕が君にしたこと、全部、赦さないでいて」 そう言った瞬間、英智は大きく咳き込み始めた。 「お、い……」 いつもとは違う。ヒュー、ヒュー、と喉鳴っている。レオは起き上がって、英智の背を摩った。左胸の奥で煩い心臓がレオの思考を邪魔する。 神様はいつだってひどい。人間を簡単に裏切るのだ。自分そっくりにつくったこの男を祝福したというのに。 嘔吐いた英智の唇から、鮮血が吐き出された。レオの服と布団が真っ赤に染まる。 「英智!」 名前を、叫んだ。 英智が顔を上げる。血で汚れた美しい顔を見て、英智は人間なのだと痛感した。人間だから、生きているから、死んでしまう。 ――――そんな風に、また、呼んでほしかったんだ、レオ。 そう擦れた声で言って、英智は微笑む。 そして、糸が切れた操り人形のように、レオの方に倒れ込んだ。繋いだお互いの手の隙間から、英智の命を証明する紅が零れて指を伝う。 「英智!」 引き攣った喉から紡いだ声で、もう一度そう呼んでも、英智は長い睫毛を伏せたままだった。
6
七日目。寒さがぶり返した。三寒四温とはこのことか、と思いながらマフラーを巻いた。 仕事の打ち合わせを終えて、あの田舎の街に向かうバスに乗っているときに、ポケットの中のスマートフォンが震えた。液晶画面には『ケイト』という着信相手の名前が表示される。 「もしもーし」 『もしもし』 卒業式以来に聞いた声は、相変わらず無愛想だった。しかしその中に少し疲労が窺える。 「珍しいな、お前がおれに電話かけてくるなんて」 『お前が電話��出ることも珍しいぞ』 「今暇してたんだよ」 『英智といるときは忙しかっただろう』 その言葉に呆れ笑いが出る。 「なに、俺を糾弾するためにわざわざ電話掛けてきたのか~?」 『逆だ。礼を言うためだ』 ふは、と思わず笑い声が出てしまった。電話越しに、咳払いと、『何笑っている』という声が聞こえた。 「お前に言われてもなぁ。『皇帝』本人に頭を下げさせたいんだよ、おれは」 冗談交じりにそう言えば、彼は黙ってしまった。 「あいつ、生きてんの?」 そう問えば、即座に、 『生きている』 と返ってきた。 『いつもよりひどい発作だったらしい。じきに良くなる。そうしたら、会いに来い』 会いに、か。 バスがゆっくりと止まる。老婦人が降りて、その後に続いてレオも降りた。 白く輝く星たちがよく見える、静かな夜だ。街灯のない畦道を歩く。冷え込んだ空気に身震いした。 フードに顔を埋めて息を吐く。 「分かった」 そう一言だけ、返事をした。 『あと、英智から伝言だ』 「伝言?」 『ピアノの傍に渡したかったものを置いておいた、と』 「……そうか」 敬人は何も訊かなかった。さすが気が利くなぁ、と感心しながら、一言二言を交わして電話を切った。 その頃には目的地に辿り着いていた。空き家となった日本家屋の門には、名札が掛かっていなかった。合鍵を使って戸を開ければ、初めて訪れたときのように沈黙が立ち籠めている。 スニーカーを脱ぎ、家に上がった。
昨日の夜。 英智は血を吐いて意識を失った。レオが呼んだ救急車に乗せられて市街地の病院に運ばれていった。サイレンの赤い光と耳に響く音が遠ざかっていくのを見送って、踵を返した。 走って向かった中庭では、梅の花が月明かりの下、儚い白い光を放っている。両の掌を、月に翳した。 乾いた赤い血。彼の身体に通う血潮。生きた身体に、流れている血。 立水栓の前に立ち、自分の手にべっとりとこびり付いた彼の血を、冷たい水で洗い流す。 渦を巻きながら排水口へ運ばれていく血と水を見て気付いた。 あの朝が来る前。中庭の水道に浮かんでいた花びらを染めた赤は、英智の血だったのだと。 昨日の朝方も、英智は吐血していたのだと。ひとり、立水栓の前で体を折って、咳き込んで、鮮血を吐き出していたのだと。 苦しげに歪められた横顔と、必死に噛み殺そうとした嗚咽を思い出す。蛇口のハンドルを掴んだまま、そのままずるずるとしゃがみ込んだ。 「……今更だよなぁ」 ひとりごとは誰にも届かず消えていった。 勢いよく吹き出す冷水に左手を当て続けた。指先の感覚が、なくなるまで。
渡り廊下の先の離れに入る。東の窓から差す月明かりの下、グランドピアノが佇んでいた。 ふたりで腰掛けて連弾したことを思い出す。白く細い骨ばった指がレオの描いた音符を追って、鍵盤の上で踊っていた。 日本家屋に似つかわしくない茶色のグランドピアノの前の椅子に腰を下ろす。 鍵盤蓋を開け、譜面台を立てて、息を呑んだ。 一枚の便箋がそこに、楽譜のように立て掛けられていた。 『月永くんへ』 一行目に綴られた、その筆跡。 思わず鍵盤に触れて、透き通った和音が響いた。 『君がこの手紙を読んでいるとき、僕はもう生きていないかもしれない。』 二行目に書かれたありきたりな文。それを目にした瞬間、全身の血液が沸騰した。 その手紙を払いのけた。はらはらと床に落ちる。 耳鳴りがする。それを掻き消すように音を掻き鳴らした。
―――― 月永くんへ 君がこの手紙を読んでいるとき、僕はもう生きていないかもしれない。 どうしても君には伝えておきたいことがあって筆をとったよ。 久々にこんな高熱を出して体が言うことを聞いてくれないんだ。読みにくい字でごめんね。
力が入らなかったのだろう。震えた字だった。
――――思えば君にはひどいことをされたし、僕もおなじくらい君にひどいことをしたね。 あの学院で過ごした日々がなつかしいよ。 君と戦ったこと。 君が逃げたこと。 君がいない間、病院のベッドの上で君の作った曲を思い出していたこと。 君ではなく新星のあの子たちに敗北したこと。これは、さすがに情けないね、わらっていいよ。君が帰ってくるまで王座についているつもりだったのだけれど。 君が帰ってきてナイトキラーズとして戦ったこと。 僕がしたことを、ゆるさなくていい。 けど、おねがいだ。 僕のことはぜんぶ忘れてほしい。
激しく感情的な���面、哀しげなメロディーが響き渡った。 紙を手に取って、感情に任せるまま、それを引き裂く。 最大の喪失だ。何もかもが奪われていく感覚がする。これならオリジナリティのない量産型のアイドルソングを聞いている方がマシだ。
――――最後に。僕のわがままを聞いてくれてありがとう。 君は最高の宿敵だった。元気で。
震えた手で描かれたサインさえ破いた。 「赦さないで、忘れられるもんか……!」 鍵盤に額を凭れれば、乱雑で悲しい和音が響いた。 生きることを諦めた手が綴った手紙は塵になって床やピアノの上に落ちた。 「おまえの終着点はこんな所なんかじゃないだろ……!」 吐き捨てるように一人叫んだ。 今、やっと気づいた。 なぜ英智があの学院を出て、悪足掻き、と名をつけてレオを連れてこの田舎の家に来たのか。 この場所で、彼は死のうとしていたのだ。 あてつけのつもりだったのか、償いのつもりだったのか、それは分からない。 ただ彼は、両親の傍でも、幼馴染の傍でも、仲間の傍でもなく。 かつての宿敵の傍で、死のうとしていたのだ。 ――――歌わないの。 そう、彼が問う。 歌わない。 歌わないさ。 この曲はおまえへの餞だ。おまえが、歌えばいい。
◇
曲を書き終えて、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。ふ、と目を開けたとき、水滴が一筋の線を描き、パーカーの袖に染みを作った。 振子時計の短針が五を指していた。夜更けを過ぎたものの、まだ外は暗闇に包まれている。 メモ帳から、五線譜を書いた数ページを引き千切って譜面台に添え、ゆっくりと寝かせた。このピアノを英智は捨ててしまうだろうか、と考えたがすぐにどうでもよくなる。 二階へ上がり、ふたりで使った寝室に入った。 彼の匂いがした気がした。 窓辺に腰掛けて、外の風景を見つめていたあの横顔をもう見ることはない。 いつも真っ直ぐレオに向けられた、冬の晴空と同じ色の瞳も、 艶のある柔らかい金髪も、 長い指、細い身体の線も、 あのとき、指で撫ぜた頸椎やなぞった背骨も、 粉雪みたいに白く冷たい肌も、 悪戯好きな子どもの頃の面影を残した稚気溢れた笑顔も、 もう、隣にはない。 ――――おやすみ、月永くん。 眠るのが怖いと言った英智は、布団の中で瞼を閉じる前に必ずそう囁いた。青が閉じられて、 作り物のようになってしまった彼の体温を確かめたくて、必ず爪先で足に触れた。あったかい、と彼は笑った。 「……史上最悪の一週間だった」 その言葉が窓を曇らせた。 傍にあった英智の強さに、脆さに、喉奥に隠した叫び声に、死のにおいに、すべてに気付きながらもレオは何もできなかった。 何も変えることはできない。ふたりは神様ではなく、神様につくられた『人間』であって、運命は変えられないのだと知っている。 はぁ、と吐いた息で窓ガラスが白く曇る。その色紙に指先で、数え切れないほど書いてきたサインを描く。そのサインが消えてしまう前に、レオは家を出て、玄関の引き戸に鍵をかけ、もう使うことのないそれを郵便受けに入れた。 それから中庭へ向かい、一本の梅の木の前に立った。 幹に触れ、そして額を当てた。英智がこうしたまま、何を考えていたのかレオには解らないけれど。 ――――英智、 名前を呼ぼうとして、やめた。 ――――レオ そう呼んだ彼の声が聞こえた気がして空を仰ぐ。 泣きたくなるほど真っ青な空に、白い花びらが映えて、散っていく。 三月の寒さに身震いして、門をくぐった。ダウンのフードに顔を埋める。振り向くな、と自分に言い聞かす。 結局、ふたりの青春は、神様が丁寧に拵えた箱庭のような学院でしか生きられなかったのだ。もう二度とあの頃には戻れないし、あの頃を悔いることもない。 何も間違えたことなどなかった。子どもの二人にはすべてが必要だったのだ。 英智が『五奇人』、『王』との戦いに勝利し、『皇帝』になったことも。 レオが彼に敗北し『Knights』を守れずに壊れた玩具になったことも。 『皇帝』が新星に頭を垂れたことも。 あの秋に再会したことも。 ――――宿敵と見なし憎みながらも、愛したことさえも。 神に愛され弄ばれた二人の運命だった。 乗客の少ないバスに乗り、窓際の席に腰を下ろした。さほど大きくない車体が動き出す。 ふたりで過ごした街が遠ざかっていく。 窓に頭を凭れて、瞼を閉じる。 あいつが死んだら、あいつはおれのことを忘れて、おれもあいつのことを忘れるのか。忘れて、お互いを赦すのだろうか。 その疑問を浮かべてから、地獄に堕ちてからじゃないと解らないなぁ、とふたりを嘲る。 頭の中で、あの頃の彼の、凱歌を歌う声が鳴り響く。もう聞くことのない、昔は憎くて堪らなかった、命を証明する美しい叫び声が。脳裏に、祝福を受けた青い瞳でレオを見つめる彼の微笑が浮かぶ。 日射しに瞼の裏が明るんで目を開けた。東の空が白み、新しい一日が生まれる。 美しい夜明けを、レオはひとりで迎える。きっと英智も、病室でこの夜明けを迎えているのだろう。 それをただひたすらに、これからも繰り返していくのだ。 そうして、死んだ青い春を抱えて、ふたりは生きていく。
20160424
夜明けを迎える | よなか #pixiv http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6698339
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私的漫画読書感想1月編
平素より大変お世話になっております。
ANYO/the sankhwaのドラム、玉田と申します。
実は月平均10~20冊程漫画を購入しているのですが、今年から備忘録も兼ねて、感想文なるものを書いていこうかなと思ってる次第です。
極稀に漫画がダブったりしてるので、そういうのを避ける為にも必要な作業なのかも知れません。というか記憶力が弱過ぎる所を何とかした方が良いのかもしれない。
あんまり文章得意でないので心配ですが、一先ず頑張って続けてみます。
▼メイドインアビス #5/つくしあきひと
WEBコミックガンマで連載中のロリペド冒険活劇。地中深くまで空いた大穴「アビス」に挑む少年少女とケモ。大穴に下るのは簡単だが、上るには身体にかかる負荷に耐えなければならない。降りた分だけ身体に掛かる負荷が大きくなる。内蔵とかもやられる。絵が非常にロリロリしいのにグロ描写に躊躇いが一切無いあたり作者の趣味が伺える。
#1~4迄は既に購入済みで、#5では強敵との決戦が行われている。カートリッジのくだりが本当に心にくる。度し難い。黎明卿ボンボルドの使う漢字にカタカナルビのロマン武器群(理不尽なくらい強い)には非常にテンションが上がる。ジョジョ2部のサンタナが使う、露骨な肋骨(リブス・ブレード)や憎き肉片(ミート・インベイド)辺りに通ずるネーミングセンスな気もしなくもない。
1巻まるまま戦闘だったのであんまりアビスの謎は解明されなかったが、ナナチが非常に可愛いので全て良し。
▼ホクサイと飯(ヤンマガサード版)/鈴木小波
現在ヤンマガサードで「ホクサイと飯さえあれば」を連載中の鈴木小波氏の、カドカワ版ホクサイと飯(上記連載の8年後、連載誌休刊)と同人版(休刊した続き)を一冊に纏めたやつ。飯に関して妥協の無い絵描き山田ブンと、人形ホクサイによる料理漫画。
テンポ感が独特で、絵のタッチも独特。最初カドカワ版を本屋で見た時にジャケ買いして大当たり。その後ずっと購入してる。主人公ブンちゃんがショートカットでスポーティで可愛い。でも中身はちょっとオッサン。そこもいい。分けわからん人形と会話してるのも良い。他人に理解の出来ない趣味や能力がある人ってとても惹かれる。
あと途中で出てくる乙女さん(ご近所さん)のキャラも最高。サバサバ女子。料理へたくそな辺りとか、偉そうなのも高得点。乙女という名前のキャラは最高という方程式が僕の中で出来つつある。(ex.25時のバカンス/市川春子)
作る料理は基本的にそこまで拘っていないので、割と簡単に作れそう。主人公が結構めんどくさがりなので、インスタントカレーうどんを使ったレシピとかも出てくる。作者がネーム書く前に一度作ってるらしいので味も保証済み(?)。
料理漫画を見ると自炊欲が高まるのだが、いかんせん現在我が家のキッチンは機材で埋まっており使用する事が困難だ。マジで何とかしてくれ。収納の神カモン。
▼怪物の飼育員さん #2/藤栄道彦
1巻だと思って買ったら2巻だったシリーズその1。でも短編系��ったので設定の理解もスムーズで割とスラスラ読めた。
動物園ならぬ妖怪園に暮らす(というか飼育されてる)妖怪達とその飼育員の話。妖怪調達に行ったりする話もあった。日本の妖怪メインなのかなと思ったらケンタウロスとか出てきてちょっと困惑。
結構マイナー妖怪も出てくるのでちょっと嬉しかったり。家鳴りとか豆腐小僧メインの話をうまい事作ってるの本と凄いと思う。家鳴りのビジュアルは木魂っぽくて最高。
登場する妖怪ほとんどが日本語喋れて意思疎通も出来るのに、飼われるってスタンスなのが謎、というかこれで良いのか妖怪…とならん事も無い。設定では保護対象っぽいので恐らく甘んじているのだろう、と自分を納得させたりしながら読んでました。めちゃめちゃ我の強い一旦木綿が結構笑える。
そのうち1巻探して買います。多分。
▼ばけもの夜話づくし #1/マツリ
月刊コミックジーンから妖怪もの。妖怪と付くと買う癖ちょっと控えたい。
絵柄はカドカワ月刊っぽい(偏見)感じで、華奢な少年とかのお風呂シーンとか露出が比較的多い気がする。キャラ付けはCLAMPっぽくもある。あんまり誰が主人公なのか、1回読んだだけでは判り辛い気がした。内容はミステリーと妖怪とイケメン従者。常世にある宿屋「叢雲屋」は、秘密を持った人が迷い込む場所。そこで待ち構えつつ秘密を求める大将とやってくる客の人間ドラマ、みたいな。
ちょっとカッコいい(厨二っぽい)妖怪とか怖い話とかが集中して出てくるので、若干求めていたものと違った。最初は叢雲屋の大将が主人公だと思っていたけど後半で謎の存在にクラスチェンジ。なんだかふわっとした1巻だったので続きに期待。このままイケメン妖怪路線になるとすこし残念。
▼別式 #1/TAGRO
変ゼミTAGRO氏の新作。緑川百々子氏のインスタグラムで拝見して購入。
江戸時代、腕の立つ女性剣士(主人公)が婿探しをしたりコミケに行ったりする話。主人公の「思った事が顔に出る(文字で出る)」という設定は後半に行くにつれて消失していくのが面白い。
相も変わらず丸い絵柄と裸が多い。可愛い絵柄でも泥々した部分は躊躇わず描く。出会いと離別の書き方に定評があると僕の中で話題のTAGRO氏であるが、特に別れのシーンの心情表現にはグッとくるものがある。まつげの1本1本まで意味のある部位に思えるから凄い。
あとエロい表情を描く時の気概みたいなのが本当に凄い。エロい。表情だけでエロい。江戸時代なのに主人公が結構俗物で、これもまたTAGRO節なんだなあと思ったり。変ゼミ途中でフェードアウトしてしまったけどまた買い直そうかな。
▼モノノ怪 鵺/蜷川ヤエコ
ノイタミナ枠アニメ「モノノ怪」のコミカライズ。好き過ぎてアニメは全部4週以上してる気がする。
なかなか原作再現率も高く、それでいて作者の味も出た名コミカライズだと思う。アニメ入りの僕でも一切違和感無く読み進める事が出来る。有り難い。
これでもかってほどの繊細なデザインとタッチが秀逸。登場キャラクターのキャラデザが神懸かってる。細部の書き込み度合いも凄い。薬売りがちょっと猫っぽくなってるくらい。
お香の匂いを当て合う「組香」に集まった4人と、その主催者瑠璃姫。ゲスい3人+薬売りで組香が始まり、勝ったものが瑠璃姫の婿となる。ただしゲス3人の目的は瑠璃姫ではなく、姫の持つ「東大寺」なるモノ。しかし瑠璃姫が急死し事態は急展開に…。という流れなのだが、内情は非常にドロドロとしていて謀略が蜷局を巻いてそこかしこに鎮座している。薬売りによるモノノ怪退治の過程で露わになる、登場人物達の闇が人それぞれ深くて面白い。
次はのっぺらぼう編らしいので楽しみにしてます。
▼チチチチ #2/クール教信者
1巻だと思って買ったら2巻だったでござるその2。
クール教信者の性癖が詰まった漫画。ネットで知り合った人が居候になる。が、なんと相手は巨乳美人の女性だった!みたいなやつ。だいたいおっぱいの話。パイズリ祭り。某トラブってる奴より露骨。ほぼエロ漫画。ヤングチャンピオン烈だし仕方ないね。
でも暗い話になると、クール教信者の本領発揮で、少し引き込まれる。あと普通のラブコメパートはかなり好き。文章から溢れ出る厨二がとても心地よい。
最近アニメ化新連載と多忙のご様子ですが、ピーチボーイリバーサイド更新まだですか。待ってます。
▼地底旅行 #2/倉薗紀彦
ジュール・ヴェルヌ著「地底旅行」のコミカライズ。
漫画らしいタッチと、風景の描写がとても素晴らしい。少年漫画っぽくもあり、青年漫画っぽくもある。モノローグが多い分あまり喋らないが、きちんと間が持つ画力が素晴らしい。
地下に降りていくアクセル少年の心がうまく描かれている。リーデンブロック教授の理不尽な感じとか、本来なら高熱と圧力で動ける筈の無い深さ迄潜ったときのアクセル少年の戸惑いと希望が溜まらない。
アクセル少年が迷子になるシーンがあるのだが、その絶望のモノローグが今回非常に印象に残っている。小説っぽい軽さと、その行間に読める深い諦めと生への執着がとてもゾクゾクした。
一行は地底の海にたどり着いて、さて続きが楽しみだという所で2巻終了。続き待ってます。
▼真昼の百鬼夜行 #1/比嘉史果
1話目は妖怪×動物園の何処かで見た事あるようなパターン。でもこっちはもう少し動物に近い妖怪に焦点が当たっている。 ギリギリ意思疎通できない位の妖怪に対しての人の在り方みたいなのを解いている気がする。こっちは結構ガッツリ妖怪で人と価値観の違う生き物治して描かれているので、妖怪としては良い事やってるつもりでも人間的にはそこそこ迷惑、みたいなパターンが多かった気がする。ちょっと無理矢理良い話に落ち着きがちではあったけど、やっぱり人が解釈する妖怪を見るのは好きである。 麒麟の話で、人と麒麟では生きている時間が違う感じがうまく出ててとても見入った。
▼やおろちの巫女さん #2/武月睦
1巻持ってて若干惰性で買った感はあるものの、話としてはのほほん日常妖怪系でとてもグッド。和む。
八岐大蛇を飼う巫女と、巫女の持つ妖怪の王の心臓を狙う妖怪達の日常、みたいな。主人公最初からLv.100。絶対勝てない。でも妖怪も死なないからたまに襲いかかったりして体裁を整えている。八岐大蛇を身体に飼う事で寿命が短い巫女なのだが、割と普通に学校に通ったりもしている。ただしその所為で髪の毛は真っ白だったり目の下の隈が凄かったり。
1巻に比べて進展も多く、新キャラも多かったので良し。少しずつ巫女を取り巻く謎が解き明かされている感じも良し。多分この感じ3巻も買う。
▼春と盆暗/熊倉献
今月の大当たり。スカートの澤部氏とかたいぼく氏がお勧めしているのをみてこれは買わねばと思っていたが、買って良かった。本当に良い漫画だ。
良い漫画を読んでいるときは後頭部がチリチリする感覚を覚える。熱を持っていて読み終わってから顔がカッカする。熱暴走じゃん。排熱機構欲しい。
登場人物全員が自分の尺度を持っていて、その尺度で見た世界が存分に描かれている。月面に道路標識を投げまくる女の子や、水中都市の山手線でシュノーケルを咥えた女の子。心情描写と風景描写の絡み合いがとてもグッド。非常に宜しい。出てくる人々全員癖があり、その癖を癖のまま漫画にしているので読んでいてとてもワクワクする。人が本当に其処に居るような気持ちになる。
Twitterでも少し描いたけど、これは、市川春子氏とか、町田洋氏を読んだときのような、心の琴線に直接触れてくるような漫画だと思う。僕の中でまた一つ大事な1冊が出来た。とにかくこれは読んでください。
▼うと そうそう/森泉岳土
とても少ない線と文字で構成された、とても美麗な漫画。以前は紙に爪楊枝と水で線を描き、そこに墨汁を垂らすという絵の書き方だったそうだが、今作は鉛筆画っぽい。簡略化された絵柄と、そこに書き出される感情の表現度には驚く。載ってる物語は全て実話なのではないかと思う程、綿密に、しかし言葉少なく描かれている。其処には人が居るのだ。
うとそうそうというタイトルのごとく、流れる時間がテーマになった本作であるが、内容は非常に幅広いオムニバスである。少年少女から中年の男性まで、1話1人に焦点を当てて話は進む。
人が言葉を話す時、その人の人生に裏付けられた言葉が選ばれて口から出て行く。そんな当たり前の事だけど普段意識しないような事をこの漫画を見て強く意識した。
▼ハクメイとミコチ #5/樫木拓人
この世界の人間は身長9cmで、動物や昆虫達と一緒に暮らしている。もう5巻になるんだなあ。一生続いて欲しい漫画10選に入る漫画。
なんでもない日常も9cmの目線からだとこんなにも楽しそうに見えるのか。いいなあ。なんて思いながらページを捲る。基本的にはアウトドアライフだったり自炊だったり、主人公のハクメイとミコチを取り巻く人々や街の様子を描いているのだが、異国感たっぷりで書き込みも素晴らしく、とても見応えがある。古くからの文化があり、そこに乗っ取った話もいくつか出てきたりもする。
都会に憧れるクワガタの話とか、どうやって生活してたら思いつくんだろう。その世界に住む人や動物達の生活が簡単に想起出来るのって本当に凄い。季節感やら土地の特性やら、しっかり描いてあって想像が膨らむのなんの。
あと描かれている食べ物が本当においしそうで最高。料理漫画として機能するかどうかは置いておいて、食べ物がおいしそうに描かれている漫画にはずれ無し。
▼双亡亭壊すべし#1~3/藤田和日郎
からくりサーカス、うしおととらの藤田和日郎の新作。あんまり週間コミックスサイズの漫画を買う事って今迄無かったんですが、最近だんだん解禁されつつあります。
それはもうめちゃくちゃ藤田節炸裂の、ギリギリ異世界&可愛いチャンネー。主人公がホノオ君よろしく一世代前の売れない絵描き。トーヘンボクに見えて実は一本芯の通った男前パターン。藤田氏の描く女性キャラの魅力ったらない。その魅力の一つとして主人公にチョロい所が上げられる。本当にチョロい。
今迄の藤田氏の作品の中でカッコいい事言う主人公は沢山居れど、今回はまた少し違ったアプローチかもしれない。第一に戦闘能力が高くない。マサルとかナルミとかとらとかとはまた一線を画したキャラクター付けになっている気がする。
人のトラウマとそれを許す心を裏テーマ的に掲げていて、読んでいてたびたびはっとさせられる。今迄のロマンっぽい所とはひと味違う、心の強さと優しさと人である事とはなんたるか、みたいなものを説いている気がする。僕が好きな主人公達(他漫画含め)は、自ら弱い部分がある事を知っていて、それを認める事でうまく共存している。今回の主人公、タコハはなんだかそっちに近い気がして今から続きが楽しみだ。
ホラーテイストの他に、若干のクトゥルフ臭が漂っているのが結構好みで、異世界なのか妖怪なのか、それとも宇宙人なのか、謎が少しずつとけていく感じも目が離せない。続きは絶対買う。
▼古見さんはコミュ障です。 #1~2/オダトモヒト
Tumblrに時々流れてくる1~2コマのキャプチャを見て購入を決意。これも少年誌コミックサイズ。人とコミュニケーションを取る事がとても苦手な古見さんと、たまたま席��隣だった只野君とその取り巻きの話。所謂日常モノ。
とにかく古見さんが可愛い。ほんとに。最初に只野君と黒板を使ってコミュニケーションを取る場面があるのだが、そのシーンが本当に最高。見開き1ページがとてもグッとくる。並んでる言葉もそうだけど、小さく描いてある落書きも可愛い。
あとネーミングセンスがハイスクール奇面組な辺りも最高。あれってどんなキャラか一発で判る、画期的なシステムだったんだなあと改めて思ったり。もし実在したら酷く苦労するだろうけど、その辺は漫画と思って読んでる時にならなくなるし無問題かなと。
おもちゃにされる古見さんと、黒歴史を暴かれていく只野君の今後の高校生活楽しみです。続き絶対買う。
▼純物拾い ピュアコレクター/nojo
天使の取り分、という言葉から着想を得て描かれた漫画。ちょっと強引な感じもしなくもないが、目線は良いのでは。偉そうですみません。
ワインとか作ってて樽を空けたら微妙に量が減ってる、みたいなのを天使の取り分と言うのだが、天使がどんどん横暴になっていって色んなものをめちゃくちゃに取りまくったら、という流れ。物質だけじゃなくて概念とかまで奪ってくるし、結構躊躇い無く奪ってくるので悲壮感も強い。
絵が不安定でちょっと不安になる所もあるが、概ねさらっと読める。ニュアンス的には最初に進撃の巨人を読み始めた時と似てる気がする。敵が強すぎる感じも含めて。
ヒロインが悪魔にそそのかされて(?)、天使に歯向かっていく話に今後はどんどんシフトしていくんだと思うが、今の所敵が強過ぎてどうやって対処していくのか謎。大丈夫なんだろうか。平気で意思とか概念とかにまで突っ込んでくる慈悲の無い相手にどう立ち向かっていくのか楽しみでもある。
▼C1 #1/菜園モノクローム / 水谷フーカ
間が凄く心地いい話。C1という連載中の話と、菜園モノクロームという話も一緒に掲載されているのでこんなタイトルに。
5億人に1人、黄緑色の髪の毛を持った子どもが生まれる。その黄緑の紙を持つ保志君と、その友達三田君と取り巻き数名。ほんのちょっとずつ明かされる(といっても話の中でもあんまり解明されてない)黄緑色の髪の謎。行間に含まれるコンテクストの多さもグッド。
基本的にゆるゆるな空気だが、時々ピリッとする瞬間があって、そのバランスがとても良い。ピリッと、までもいかないか。遠くで不穏な音がする、位の空気が流れる時がある。という感じかな。
どっちも元々同人誌から連載に、という流れらしい。1月と7月で連載。1月と7月、いつも買おうと思って探すけど近所に売ってないのが残念である。
といった具合で、計20冊レビュー終了。長い。1日で終わらなかった。
これを書くのが億劫で漫画の購入数が落ちたら面白いな、とか思いながら書いてました。多分落ちない。
そろそろ部屋に漫画置く場所が無くなってきてるので引っ越したいです。
ではまた。
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退職代行やってみました
退職代行
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エアコン・室外機処分依頼|神奈川県横浜市青葉区
横浜市青葉区の生活家電の処分はお任せください。
重量があって運び出すのが困難なテレビ・エアコン洗濯機・冷蔵庫などの大きな家電から、食器洗い機・給湯器・・パソコン・プリンター・DVDプレーヤービデオカメラ・電子レンジ・炊飯器・コンポ・電気ストーブ・ファンヒーター・ガスコンロ・掃除機・空気清浄器など小さい家電まで様々な家電を処分致します。ご希望に合わせて、処分後の清掃も行っておりますのでお問い合わせください。
神奈川県横浜市青葉区でエアコン・室外機の不用品回収処分をさせて頂きましたお客様の実例紹介です。 ■ご依頼状況:エアコン・室外機の回収処分依頼 ■お客様から頂いた声:夏にエアコンを使いすぎたのか、壊れちゃてね。故障したエアコンの処分をお願いしたんだけど、取り外し作業から運び出し作業まで、スタッフさんが一人でやってくれて、説明等も丁寧で好印象だったよ。ありがとう。
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見た夢 ソラちゃん
政治的な集会に参加してたのかな。
その帰り道、ソラちゃんと一緒に歩いてた。
知り合いもいたけど、手を繋いで歩いてた。全然、周囲の目を気にしてないのが嬉しかった。
ソラちゃんはなにか政治的な話をしていて、以前に会話をしたことのある外国の政治活動家が戦闘で亡くなったことを集会の資料で偶然に目にして心を痛めていた。
パスタを束ねて針金でぐるぐる巻きにしたのをたくさん作っておいてきたと、
私は、ソラちゃんって器用だよな、上手にこんなものを簡単に作っちゃうなんて、これを畑にぶっさせば、小麦が出来るね、すごいね、と思っている。
(目覚めて、いや、パスタからは小麦の芽は出て来ない、頭おかしいと思った)
デパートに寄ったら、ソラちゃんは炊飯器が壊れそうだから炊飯器を買いたいと炊飯器売り場を見ていた。
私が「何合炊き?」と聞くと、ソラちゃんは「3合炊き」と答えた。
「え? 小さくない? 家族と暮らしているのかは知らないけど、毎回炊くの?」と聞いたけど、答えてくれなかった。まだ家族と暮らしているのか不安だったし、家族と暮らしているならごはんの度、1人で暮らしているなら毎日ごはんを炊かないといけないのはキツイでしょ、と思った。
デパートのカップリングイベントに捕まって、イベントに参加、番号札をつけられた。
第一印象で誰が良いか聞かれて、私はソラちゃんを見るとソラちゃんに番号を隠された。ソラちゃんの番号がわからなくて、適当の10番って答えたら、見知らぬ女の人だった。
自分の見た映像の記憶を冷静に辿ってソラちゃんは28番かな、私は12番と考えていた。
最終的に誰が良いか決めなくちゃいけない場面に呼ばれて、頭のジェルが固まってなくてベタベタするのが気になって頭をなでなでしていたら、キモイ長いワームみたいな虫が出てきて、近くにいた女の子とウギャーってなって目覚めた。
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胆振東部地震 East-Iburi Earthquake
北海道胆振東部地震の被害を受けました。厳密には、いまも受けている状態だと思います。
私が被害を受けた北海道札幌では、地震による直接の被害というものはあまり大きくなく、清田区など一部で、地盤が液状化・沈下し、それにより家屋の半壊が起こったくらいに思います。 停電被害は苫東(とまとう)厚真(あつま)発電所が停止したことによるものなので、札幌とは直接関係ないと判断、「札幌での被害」からは省いています。 また、停電によって信号機が、すべて一時的に機能しなくなりましたが、大きな交通事故(自動車が十数台玉突きになるなど)が起こらなかったようなので、そういう意味でも、被害はあまり大きくない印象です。
以下、地震発生前後から順に、2018年9月8日正午あたりまでを追っていきます。
2018年9月6日深夜。 当日はスマートフォン向けゲームアプリで期間限定イベントが開始されたばかりで、ゲーム内資材を浪費しながら遊んでいました。空腹を感じ、深夜でありながらも小腹がすいたので、夕食に作ったものの余りを夜食として食べながらゲームプレイを続けていたところに、大きな横揺れが襲ってきました。 私の正面にあった本棚も揺れており、中身がこぼれないように、そして自分のバランスを保つために、本棚につかまり揺れが治まるのを待ちました。この、揺れている間に、室内灯がすべて自動消灯、揺れが落ち着いてから窓の外をみると、近隣マンション内��通路灯もすべて落ち込んでいたので、停電になったのだと事実確認を行いました。また水道もこの時点で落ち込んでおり、飲み水・飲料は手元に麦茶が2Lとすこしある程度でした。生活用水は、この時点では、なし。 その後、手元にあるスマートフォンでどういう状況かを調べました。Twitterはとりあえず閲覧できて、みてみると最大震度6強(マグニチュード7.0)という速報値。ひとまず無事であることをツイートして、1〜2時間ほど情報を確認したのちにどうしようもないからと仮眠。眠る前に、念のため、ブレーカをすべて落とし、電源プラグをすべて抜きました。
仮眠から起き出して、とにもかくにも近隣の確認をしなければと、出歩くことに。でかけた先で二度目の本震に襲われては困るので、数日分の着替えと保険証等をまとめて自室を出ました。集合住宅ですが、ひとまず大きな被害はなさそうだったので、一安心。 近くにある中規模の公園から子どもたちの遊ぶ声が聞こえてくるので、遊具設備にも大きな被害はないのだと音声で確認できました。目でも確認しに行くと、その公園は緊急給水所になっていて、近隣住民がすでに水を求めて押し寄せていました。 給水所を確認したのち、自転車に乗って、今度は避難所に指定されている公立学校へ。「避難所」という張り紙の下に、「水はありません」の文字。このとき私は、地域全面で断水だと思っていました(あとから調べたら、給水ポンプが電気で動いているため、マンション等で上下水道が機能しなくなる場合があるという旨の記述をみつけ、それもそうかと得心。住居の屋上に貯水タンクがある場合は、下から上に汲み上げる必要がないため、生活用水が大なり小なり確保できたそうな)。 避難所をみたあと、実は札幌中央図書館から借りていた本の返却日であったので、稼働していれば避難所的に使えないかと期待を込めて図書館へ。道中、信号機はほぼすべて停止していて、警察官数名が、交通量の多い道路・交差点で誘導にあたっているのを目にしました。すべての信号機のある道路で誘導がなされているわけではないので、車や歩行者らで譲ったり譲られたりしながら、ゆっくりながらも目的地へ到着。電気が通っておらず蔵書管理のデータクラウドにアクセスできないこと等から、その日は返却くらいしかできませんでした。淡い期待でした。 なんてことをしてゆっくり自宅へ戻っていると、近辺の信号機が動いているのが確認できました。Twitterを覗くと、一部地域では送電が復旧しているようで、まあ淡い期待が膨らみました。自宅はまだでした。 とはいえ、自宅に戻って、改めて給水所に生活用水を求めて向かいました。幸いにして2Lペットボトルが(在庫として残っていた麦茶ペットボトルと別に)空の状態であったので、2本分、4Lほど融通してもらい、二度目の帰宅。 Twitterではノートパソコンのバッテリがスマホの充電器として使えるよ、などと情報が出ていたため試し、実際に有効だったので端末を充電。体力温存と、慣れない道行き(なにせ、信号機が機能しないのに、自動車は構わず走っているのです)で疲れていたのもあり、すこし麦茶を飲んで仮眠。夜に起き出して、送電復旧地域が広がっていること、苫東厚真発電所がどうやら、という情報をすこし確認し、あらためて就寝。
2018年9月7日。 起きると復旧した一部の地域の商業施設や店舗が、携帯電話・スマートフォン端末の充電のために、電源やUSBポートを開放しているというので、食事をもとめがてら(この時点で24時間固形物を胃に入れていない)、まとめたままの荷物を背負って自転車で外出。道中の信号機の七割程度が復旧していて、思ったよりも再起がはやい、などと考えながら走っていると、北海道ではお馴染みのコンビニエンスストア・セイコーマートが営業しているのを発見。ホットシェフのフライドポテトと、500mLのペットボトルドリンクを一本購入して、再度、電源を求めて中心部へとハンドルを切りました。 Twitterで確認していた情報のなかで、おそらく最も人の少ないだろうところを選んで(というよりも、JR札幌駅や、近隣の赤れんがテラスは人が多すぎて落ち着けないだろうと思ったため)、電源を借りました。Garage 99 札幌店さん、その節は長々お借りしてすみませんでした、助かりました。 そのGarage 99さんで、テレビ・インターネット含め情報番組が視聴できたので、Twitter以外で公的責任のとられた情報を初めて見聞きすることに。地震の規模と被害状況、東区の路面液状化・地盤沈下に関しては、私はこのときに初めて知りました。ただ、逆にいうと札幌市内はそれ以外に大きな被害はなさそうで(厚真の土砂崩れや苫東厚真発電所のことはありつつも)一安心したのを覚えています。午後には市電や空港、JRもエアポート(空港行きの快速列車)のみでありましたが復旧の目途がたち、市営地下鉄も動き始めたなんて報道があったので、驚愕と歓喜のしどおしでした。 16時頃にGarage 99さんを離れ(街灯や信号機がどの範囲まで復旧しているかわからないため、暗くなると安全に帰る公算が安定しなくなるので)、暗くなる前に自宅に戻ろうと思ったところで、自宅近所のラーメン屋が営業しているのを発見。生活圏なので店名はふせますが、一部具材が欠品している(流通の都合で入荷しなかった)以外は普通に普通のラーメンとご飯を提供していただきました。この時点で、周辺の商業施設は送電がある程度まで復旧していて、セイコーマートに限らず、セブンイレブンでも営業しているような雰囲気が遠目からみえました。 さて、予定より一時間ちかく遅れて自宅につき、暗くなる前に荷物等の確認をして寝る準備をば、と動いて、日が落ちたので寝転がって、満充電されたスマートフォンをすこしばかり触りながら、暗くなった夜の空をみていると、外から喜びの声が聞こえてきました。明らかに子どもたちが普通に遊んでいる声ではありませんでした。窓の外を見ました。向かいにある集合住宅の通路灯が点灯、街灯も点灯、他の近隣マンションでも点灯が確認され、私も起き上がって、恐る恐るブレーカーを上げると、室内灯が明るく点灯。おもわず「ほぉぉ……」と声を漏らしました。続いてトイレの水が出るかの確認。さすがに送電が復旧したばかりだったのかポンプが不調で(これはすぐに行動に起こした私も反省)、時間差ではあったものの、しっかりと水が流れてくれました。その他、洗面台も台所も水が流れ、給湯器も起動しお湯も出たことでガスの無事も確認、安心してしまって数分呆けるという始末。一人暮らしで良かったような悪かったような。さすがに冷蔵庫の卵や乳製品、肉類は駄目になっていましたし、仮に駄目になっていなくても、非通電時間が長かった(36時間以上)ので処分する気ではあったのですが、そこはそれ。復旧が嬉しいことこの上ありませんでした。 送電復旧が夜、ガスの無事が確認できたのも夜。小さいながらも札幌でも余震は続いていたので入浴欲をぎっちり抑えて、しかしながら、ひさしぶりにそれなりに自由になる電力があることを噛み締めながら、電力に充ち満ちた暮らしを満喫しました。
2018年9月8日。 たぶん余震とかあったんだと思うんですけど、すっかり気の抜けた睡眠を取ることができました。私の居住区に関しては晴れ間もしっかりみえ、給水所になっていた公園からは、変わらず子どもたちの声がきこえていました。 もうちょっと物流が復帰しないだろうなというのがわかるので、9月8日に関しては買い物に出ずに様子を見ようかなと、メンタルの自宅療養に励むことに。
これは北海道・札幌の、さらに一地域での体験で、実際はもっと心細い生活を送っていた人もいるかと思います。怪我をした人も居たかと思います。私の友人・知人には福祉施設職員や看護師も居り、自分のことよりも入居者・入院患者の安全保障が優先だという者が居ます。個人的な話ではありますが、大きな揺れがあった場合にすぐ避難できるよう、ある程度防寒に即した外出着で眠る必要があり、快適な睡眠���取れなかったことがストレスになっていたりします。札幌に限らずいえば、いまでも一部地域・世帯では停電になっていますし、小さな子どもの居る家庭であれば、普段とは違う環境にとまどう子らをあやすのに疲れた保護者の方も多いと思います。お年寄りの多い地域で、助け合おうにも若い手がないために機動力がない、という場合も多くあると思います。苫東厚真発電所では設備修理等に東奔西走している職員が多いでしょうし、他発電所に関してもそうでしょう。自衛隊の方々が炊き出しに出ている地域があるという報道もみましたが、本州での台風21号の被害や大阪での地震被害も記憶に新しくあります。普段冗談で「地球がおバグりあそばしている」なんて言っていた私ですが、今回そのバグ、あるいはエラーの一端に巻き込まれました。 今後、今回の震災からの復興の課題は増えると思います。現時点では北海道の冬の電力ピークに合わせてどうするのかとか、物流復旧のための導線確保がどこまで急務に行えるのかとか、家屋半壊・全壊の世帯のための仮設住宅の試算であるとか、今回の北海道の電力消失を鑑みて、電力需要が増えるであろう2020年東京五輪に向けての電力供給試算はどうなっているのかとか……現時点でこれだけあって、ここから酪農・農業被害からの復興やら、病院等の備蓄電力・自前発電機の燃料備蓄問題やらとが出てくるわけです。 ……出てくるわけです、と書きましたが、まあとはいっても、直接は関係がなく、対岸の火事、みたいな人も多いと思います。ですので、ええ、そういう人は積極的に金を使ってください。 復興後に被災地各地を訪れるのでも構いません。 需要がないと供給ができません。 需要がないと供給するための製造ができません。 どこかで消費してもらわないと需要が認知されません。 身分の明確にわかっている組織に「被災地に寄付します」といってお金を出すでも構いません。復興してほしいという意図が明確にわかるように経済を回してください。他のことは瑣末事です。落ち着いたら勝手に、偉い人や、影響を受ける住民が、必死こいて考えたり行動したりします。被災していない人ができることは、とにかく金を使うことです。分不相応に使え、とは、言いませんし言えません。原発があったら今回の大規模停電はなかったいいや原発があったら今回の地震で破損してメルトダウンしていたかもしれない、などと蜃気楼と喧嘩するのをやめて、とにかく普通の、あるいはちょっと贅沢な暮らしを送ってほしいという念です。
北海道に関して、苫東厚真などの震央にもっとも近い地域以外は、第二波の本震が来ないかぎり、「目に見える範囲での復興」ははやいと思います。上述してもいますが、目に見えて大きな被害は「苫東厚真発電所の機能停止とそれに伴った大規模停電」「厚真町の土砂崩れ」「札幌清田区(と、私が知る限りは東区)の地盤液状化ならびに沈下」です。発電所の機能停止によって波及した二次被害の影響がどこまで出るのかは私にははかれないので、専門家の皆さんにお任せしますが、すくなくとも上記三点が「目に見えるわかりやすい被害」で、かつ、どういうかたちであれ「落ち着くのはすぐ」だと私は考えています。地盤沈下と液状化に関しては「長期戦すぎて、ニュースとして取り上げるには情報更改が緩やかすぎて風化する」が正しい雰囲気も感じますが、ともかく。外側が思っている以上に、北海道はすぐに立ち上がれるだろうというのが内部での印象です。 ですので、変に縮こまらずに普通に生活してください。経済を回してください。そういうふうに回された金でこっちは見えない部分の復興も行っていきます。虚空と喧嘩する体力・精神力があったら働いて金を使ってください。ていうか個人的にお金をください。みなさんが普通に生活することが、被災地以外では普通に暮らすことが、復興支援のひとつの方法です。
ああ、あとこれは愚痴というか文句なんですけれどもね。 私はいま一人暮らしをしていて、関東に親が居ます。こちらの地震の報をききつけてでしょうね。6日の午前5時に電話をかけてきました。当人にはすでに言いましたが、この記事を読んだ方は可能ならば拡散してほしいんですけれども、
被災側から連絡をとるまで、非被災地から連絡を一切送るな。
今回の地震、深夜・未明ということもあり、余裕のある安全確保ができませんでした。私はスマートフォン端末が数台あるので、そのうち一台をライト用に一時的に使用するなどの使い分けができました(し、寝床付近には自転車に取り付けるUSB充電式のLEDライトがあったので、懐中電灯代わりに使えました)が、必ずしもそんな環境ばかりではありません。今回に関しては、電力だって分断されていたわけですし(関西はいまだ停電、断水だそうで)、通信網だって有限です。スマートフォン端末が充電できる機会が指折り数えられるほど減っていた状況では、はっきり言って邪魔です。 文体が変わってしまって、「です・ます」に戻すのが面倒だから段落を変えたけれども。とにかく。 安全確認をしたいのはわかるが、死んだら死���だで縁者には国から連絡が行くから待ってろ。生きてりゃ生きてたで落ち着いたら連絡を飛ばせるから待ってろ。 電話に限らずメールやLINE等のメッセージ機能も駄目だ。受信するのにすくなからずバッテリを消耗し、パケット通信を使用し必要な情報検索ができなくなる恐れがある。 物流も復帰してない状況で「なにか食べ物送ろうか」もやめろ。二次本震が来るかもしれない一週間は受け取れる保証がない。カップ麺等の保存食であってもだ。というよりも水を使うたぐいのものは被災地に送るな、安定した生活用水の確保すら難しい場合があるんだぞ。 とにかく特別なことは何もするな。落ち着いたら被災地側から「これこれが足りない」って言い出すから、それまでは自衛隊や警察などの国の運営する組織に全部任せろ。邪魔。邪魔だ。結果無事だったから良いじゃねえかじゃねえ、それは結果無事だったやつが言う台詞で、無事じゃなくするおそれがある行動を取ったやつが言う台詞じゃねえ。 読んで笑ったやつ、笑っていなくても良い、とにかく、読んだお前が、貴様が、あんたが、きみが、今後そうしないとも限らないからな、肝に銘じろ。「被災地に友人・知人・家族が居ても、被災地側から連絡がこない限りは、被災地側には何もしない」を徹底しろ。
以上、文句・記事ともに終わり。
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武藤大祐のダンス批評
『旬刊 音楽舞踊新聞』(2005年4月11日号、No.2660)
レニ・バッソ 『ゴーストリー・ラウンド』
(2005年2月18~19日 パークタワーホール)
レニ・バッソ(振付・演出、北村明子)はこれまで、機械仕掛けのような幾何学的システムによる作品構成を様式として確立してきたカンパニーである。二年半振りの新作もタイトルの通り「円」が主題だが、しかし今回は意味の要素(「ゴースト」)が明示的に盛り込まれ、構造のみならずイメージの広がりをも提示しようとする新たな模索が感じられた。
冒頭、舞台中央に白い粉で丸い形が作られ、その上空にスモークが浮かんでたゆたっている。耳障りなノイズが聞こえ、いかにも「幽霊」に相応しい不穏な雰囲気が醸し出される中、ぽつりぽつりと白い長スカートのダンサーたちが現れ、緩慢な摺り足でその円を横切っていく。すると次第に、床上には放射状に広がる八本の線と、元の円の外側を囲む同心円が現われる。三間四方を九つに分ける空間分節、および摺り足――能を参照しつつ、動きの痕跡によって空間の構造を視覚化する導入部は見事といえるだろう。
こうして立ち上がった図形の中に散ったダンサーたちが、互いに遠く離れたまま気配によって静かな動きを同期させたりしながら、徐々に空気を温め、作品を離陸させていく。ソロ、あるいはデュオやトリオの素早い組換え、集団での無秩序。
部位をキュッと引っ込めるように縮めて体の中に震動の波を作り、それを増幅させて外の空間を掻いていく動き、急激に加速/減速しながら予測不能なブレた軌跡を描く腕の振りなど、日本では珍しく高い身体能力を踏まえた体系的なムーヴメント造形を見せる北村は、確かに作家的と呼ぶべき資質を備えている。本人のソロでは独特の身体性もが加わって、自在に繰り出される針のような鋭いストロークが目を奪う。
しかし他方、作品構成の甘さはやはりこのカンパニーの弱点であり続けている。中央の円形空間でソロが踊られ、また円いヴィデオ映像(目、光の輪など)が床面投射されたりするものの、粉で描かれた図形は早々に消え去り、セノグラフィーはさほど発展を見ないまま曖昧に崩れていってしまう。振付における旋回モティーフなど「円」の主題を随所に見出したり、様々な解釈を介して「ゴースト」の記号的表象をあれこれ詮索したり、そうした細部の絵解きをいくら積み上げてみても、作品全体を貫く動機のようなものが見えてこない。
挑発的な照明や音響、ホリゾントの抽象的な映像とそこに重なるダンサーの大小のシルエット、電子音と生音が奇妙に混在した粟津裕介の音楽、あるいは(レニ・バッソらしからぬ)寸劇めいたシークエンス、こうした多種多様な道具立てに、「コンテンポラリーダンス」なるステレオタイプへの素朴な依存を感じる。舞台上の一切について、なぜそれがそこに必要なのかという根本の問いがあってほしいと思う。
(18日所見)
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『旬刊 音楽舞踊新聞』(2005年7月21日号、No.2669)
井手茂太 『井手孤独【idesolo】』
(2005年5月26~29日 シアタートラム)
イデビアン・クルーの振付家による初のソロ。カンパニー作品ではごく稀にしか出演しない井手の踊りは一部で高く評価されてきたが、ソロ作品(要所要所に脇役は登場するものの)の発表には誰もが驚いたに違いない。
客席の前半分を取り外して畳のようなシートを敷き詰め、赤い帯で中央を囲んだ、柔道の試合場そっくりの空間が舞台。奥にはなぜかグランドピアノがある。観客の一部は畳の上に上がり、三方から囲むように座る。
冒頭、スーツ姿の井手がこっそり袖から現われ、無音の中、後ろ向きのまま体を小さく動かして徐々にリズムを発生させていく。そこへ突然ビートのある音楽が大音量で鳴り響くと、井手は音楽にノるどころかむしろビクッと驚いて退場してしまう。やがて再び現われ、体の内側を探るように動き出す。今度は布団を叩きながら騒々しく野次を飛ばす主婦が客席隅に出現し、やはり井手は萎縮して引っ込んでしまう…。体の中から生まれてくる壊れやすいリズムが何度も乱暴に踏み荒らされる。人前で踊ることへの躊躇いが、ある種の求道者的なストイシズムとデリカシーの誇示とない交ぜになって、観客に静粛を求めつつ期待を煽る導入だ。
仕切り直しを挟むと、スーツを着たまま日本髪のカツラを付けた井手が電気炊飯器を提げて立っている。背後で巨大な掛け軸がスルスルと落ち、「俺」の一字が屹立。赤い帯状のエリアの上で、空手や、軍隊のような匍匐前進、そして颯爽としたモデル歩き。真っ赤な照明と賑やかなジャズやラテン音楽で下拵えが整うと、漸く踊りが始まった。
小太りな体型でありながら、短い手足がしなやかに宙を泳ぐ独特の動き。脚が二本では足りないとでもいわんばかりに素早く縦横に繰り出されるステップが下半身を前へ前へと追い立て、上半身は柔らかい螺旋を描く腕に導かれて後ろ斜め上方へ昇って行く。回る関節と絶妙なリズム感覚によって、奔放に四分五裂する体が一つのエコノミーの系として生成される。
ダンサーへの振付では決して十分に発揮されない、自由自在な井手の筆法はまさに圧巻だったが、しかしそれも長くは続かない。スポーツウェアや柔道着に着替え、焼き芋売りの声を動きでなぞったり、女性二人を従えて『ベルサイユのばら』の主題歌を歌ったりしながら、小劇場演劇風のユーモアとダンスシーンの小さな山が継起する散漫な構成は、いつものイデビアンそのままである。
あられもなく踊ってしまうことへのシニシズム、あるいは羞恥、そうしたものを井手はダンスによってではなく、様式化されたキャラクターの演技を介して観客と共有しようとする。その手法は少なからず硬直しており、ファンの内輪受け以上の射程を孕んでいるようには思えなかった。結局一度も弾かれない舞台奥のピアノが全てを象徴するような、徒に欲求不満の募る作品というほかない。
(26日所見)
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『MOMM』(2009年2月号)〔=朝鮮語訳〕
無意味の偽装 ――アジア的身体とアメリカ
私はおもに東京を拠点にして、比較的新しい世代のダンスを見ているのだが、ここ数年、そのごく一部を除いて、急速に関心を失っている。90年代に火がついた日本の「コンテンポラリーダンス」の勢いが、2000年代半ばをピークに衰えてきたというのは、多くの観客、評論家やアーティスト、プロデューサーたちにも共通の認識といっていいように思う。
日本のダンスの歴史は、「舞踏」によって一度大きな切断が起こったわけだが、「コンテンポラリーダンス」も、それより前のダンスとは歴史的につながっていない。80年代後半からの異常な好景気を背景にヨーロッパから盛んに輸入された新しいダンス(バウシュやガロッタなど)が引き金となって、新しい振付家やグループが現れ、また観客も増加してきたのである(伊藤キム、珍しいキノコ舞踊団、コンドルズなど。ただし勅使川原三郎はやや前の世代に属する)。したがって彼ら彼女らの活動を公的に支えるような基盤は今もほとんどない。振付家やダンサーたちは芸術大学や国立振付センターのような場所で養成されているわけではないし、また、それなりに名前を知られるようになったとしても、それで生活の基盤が得られるわけではない。むしろ彼ら彼女らは良くも悪くも「インディペンデント」であり、だからこそ可能になる表現の自由や実験性、小回りの利く機動性を武器にして、「公的」に価値づけられた文化(バレエやモダンダンス、日本舞踊など)とは違ったオルタナティヴなシーンを形成してきたのだというべきだろう。
2000年代に入ると、この傾向はさらに鮮明になる。��りわけ先鋭的なダンスは、客席��100人以下の小さなスペースから次々と現れるようになった(もちろん不況の長期化も大きな影響を及ぼしている)。これらのダンスは、「私的」ないし「個人的」な性格を強く帯びている。大きな舞台を使った、グループによる視覚的に派手なダンスではなく、小さな空間で行われる、見た目のインパクトよりも身体感覚の繊細さに訴えるようなダンスは、踊り手(ソロの場合、たいていは振付家自身)の個人的な動機や、欲求、論理に基づいて作り上げられている。例えば手塚夏子は、自分の体の極端に細かい部分(例えば足の指や小鼻の痙攣、両肩の力の抜け具合の微妙な差、などといった)にまで観客の注意を引きつけながら、緊張感とユーモアに満ちたダンスを踊ってみせる。ほうほう堂という女性の二人組は、脱力した体と「日常の動き(ordinary movement)」を組み立てて、ちょうどジャドソン教会派のように、日常生活のテンションとあくまでも地続きなものとしてのダンスを作り出す。もともと「公的」な文化の土壌から出発したわけではないコンテンポラリーダンスが、こうした極度に「私的」な方向へ向かうのは、それなりに理に適っているともいえるだろう。しかしこれを持続させていくのはもちろん、非常に難しい。2000年代後半以降、実験的な振付家の数は目に見えて減少し、シーン全体が地盤沈下を起こしてしまった。
とはいえ、草の根的に発達してきたコンテンポラリーダンスが徐々に社会的な認知を獲得するにつれ、そこに「公的」な価値付けが施されるようにもなって来ている。例えば、ポップカルチャーないしサブカルチャーとしての「商業化」(その典型例は、TVにも出るようになったコンドルズである)。あるいは道徳的なコミュニティダンスや、振付家のアウトリーチ活動などによる「公共化」。しかし私は、こうした展開に対しては、ある種の決定的な違和感を覚えてしまう。アーティスト個々人の、アーティストとしての衝動や欲望が、何か別の大きな価値に絡めとられているように思えてならないのである。
「公的」な裏付けを持たない表現としてのコンテンポラリーダンスの「私的」な性質ゆえに、資本であれ、公共善(?)であれ、何か大きなものに、創造的なダンス本来の自由さ、過激さが乗っ取られ、飼い馴らされてしまう。その時、もとは誰に頼まれたわけでもない「私的」な表現へのそもそものモティヴェーションはいったいどこへ行ってしまうわけだろう。つまりは「なぜ私はダンスを欲望するのか」という問いが必要なのだし、しかもその欲望を、既存の社会制度と調和させることではなく、むしろ個人的ではあっても社会的に意味のある能動的な「発言」へと鍛え上げていくことが必要なのではないか。
*
昨年11月から12月にかけて、東京の国立近代美術館で「沖縄・プリズム 1872-2008」と題する展覧会が開かれた。展覧会の詳細は省くが、もとは独立国だった「沖縄」と「日本」の関係は日本の帝国主義の歴史の上で幾重にもねじれており、現在は日本の米軍基地の75%が沖縄に集中しているという事実にふれておけばここでは足りるだろう。
この展覧会で、私は、山城知佳子(1976-)というアーティストの最新作『アーサ女』に強い共感を抱いた。大きなスクリーンのヴィデオ映像と、数点の写真で構成されるインスタレーションである。ヴィデオカメラは、激しい波に揺られながら、八割方は海の水面下の濁りや泡を映し出している。しかし時おり水面上に浮上すると、空や島、そして基地らしきものの一部が見える。かと思うとまた泡、そして一瞬、魚の群れ。水の色が変わり、また浮上すると別の場所の空と陸。こんな調子でしばらくすると海上保安庁のボートが別のボートを停めて問い質している様子がチラチラと見えてくるのである。
スクリーンの脇に並んだ写真には、「アーサ女」が映っている。「アーサ」は海藻の一種で、それが女の口元にまとわりついている。ヴィデオの画面は、この山城本人が扮する、現実とも非現実ともつかない「アーサ女」の、海からの視線なのだ。波に揉まれる女の荒い呼吸音が大音量で轟き、見る者にも強烈な息苦しさを分け与える。ここには、人々の目から隠されているもの(=米軍基地の真実)を「見る」こと、行為としての「見る」ことが、身体的なレヴェルで強烈に造形化されているのである。東京には、「見る」ことに対する、ここまで強い動機は存在していない。そこでは、人々の目は次から次へと、望んでもいない余計なもの(商品、情報、イメージ)によって占拠されてしまうからだ。「ついに純粋な一方通行の段階に達したコミュニケーション」、「そこでは人々は、すでに行われてしまっている決定に静かに見とれるだけである」(ギー・ドゥボール)。
山城は映像作品だけでなくライヴのパフォーマンスも行っていて、年末に沖縄で上演があると知り、私は早速出かけた。東京から沖縄までは、飛行機で二時間半ほどだ。
山城知佳子と、ミュージシャンでもある首里フジコを中心とするユニット「ラマンオキナワ」の新作パフォーマンスは、『オキナワキャンプ』という題で、12月27日、沖縄県立美術館の中庭で上演された。メタファーや暗示が多用され、ダンスとも演劇ともつかないこの作品では、“camp”のイメージが幾層にも重ねられている。それは「難民」としての沖縄の現状を示すと同時に、米軍基地(camp)そのものであり、また女性としてジェンダー化された「沖縄」が強いられている危険な「野宿」の象徴でもある。
私はこの上演を沖縄の観客にまじって見たわけだが、すぐには理解できない部分も多かった。中盤、半袖のアロハシャツを着た男たちが乱入して来る場面も、それが沖縄をエキゾチックな「南の島」として売り込むことに余念のない県の役人たちを表していることなどは、後で説明を聞くまでわからなかった。しかしそれでも、ここにはアーティストが表現を行う明確な「動機」があり、また観客はそれを見ることに「意味」を見出していて、ある共有された現実をめぐる多様な意見やヴィジョンが交わされる場としてパフォーマンスが機能している様子に立ち会えただけで私には十分だった。
なぜなら、東京のコンテンポラリーダンスに「意味」が欠けているのはなぜかということが、少なくともその一面が、説明される気がしたからだ。つまりは在日米軍基地の75%が沖縄に集中し、大部分の日本人はまさしくその恩恵によって政治的緊張を免れた経済的繁栄を謳歌しているに過ぎないがゆえに、東京のダンスには表現することの動機も意味も、75%、失われているのではないか、ということである。だとすれば、東京においてダンスが本質的に「無意味」に思われ、それゆえに「商業化」されたり「公共化」されたりすることで外側からの価値付けを受けてしまっているのも、実は、ダンスが本当に「無意味」だからなどでは決してなく、むしろ途方もなく大きな「意味」が見事に隠蔽されていることの徴に過ぎないことになる。すなわち、アジアにおけるアメリカの政治的覇権というものが、隠れているのである。
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『MOMM』(2009年4月号)〔=朝鮮語訳〕
「現実」に抵抗するコレオグラフィー ――川崎歩と手塚夏子
何年か前、インドネシアである会合に出席した際、現地の若い振付家が自分の作品を説明しながらこう話していた――「私のダンスは何かを表現したりメッセージを伝えようとはしていません。私はただ身体的な体験を観客と共有したいんです」。日本でよく聞くのとまったく同じ言い回しがインドネシアでも聞かれたのは印象に残った。かつてアメリカの表現主義的なモダンダンスが身振りによって「意味」を伝達しようと考えていたのに対し、意味ではなくフィジカルな「体験」そのものが重要だというのは、コンテンポラリーダンスではもはや世界的な常套句なのかも知れない。しかしそこで会場にいたある劇団の演出家が口を挟んだ。「わかりますが、でも、なぜあなたは自分の身体的な体験を共有“したい”と思うんでしょうね?」。彼は、多くの振付家が無意識に前提としている価値観そのもの(イデオロギー)をあえて捉え直し、より深く問題化してみてはどうかと主張するのである。振付家は返答に窮していた。
以来、私は東京でコンテンポラリーダンスを見ていてこの出来事をたびたび思い出す。多くのダンサーや振付家、あるいは批評家たちの間では、「根源的な衝動に突き動かされる」とか「難しい理屈で考えるのをやめて本能を剥き出しにする」などといったロマン的なレトリックがいまだ有効と考えられているようだが、むしろそうした無意識的な価値観や情動的なリアリティから距離を取り、意識や身体の深層を掘り返そうとする一部の高度に知的な作家たちの存在がますます際立ったものになりつつあるように思うのである。今回は、私が興味を惹かれる二人のコンセプチュアルな振付家を取り上げてみたい。
京都を拠点にしている川崎歩(1976- )は、振付家であると同時に実験的な映像作家でもある。私が衝撃を受けたのは2007年に『ためいけ』という作品を東京で見た時のことだ。お伽話の登場人物のような、奇妙な衣装をつけた5人のパフォーマーと1人のミュージシャンが、非常に漠然とした(具体的なストーリーは読み取れない)身振りの劇を繰り広げ、そこにR&Bとユーモラスな歌詞を組み合わせた、風変わりで魅力的な歌が重ねられるのだが、歌詞に現れる具体的な地名などによって作品の舞台がどうやら大阪の南部であるらしいことがわかる。「**駅、改札降りて左側」「大和川、汚い川で日本一」――こんな調子で描写されると、実際に知らない土地ながらも一種の親しみをもって想像することができる。ところがそこに、古代からこの地に伝わる伝説や歴史的なエピソードなどが織り込まれて来る。二上山の麓には古墳が多く残っており、6~7世紀には奈良の朝廷と海を結ぶ交通の要所でもあったし、現実とも虚構ともつかない言い伝えも数々ある。こうして過去と現在とが一つの空間内で重ね合わされ、すると不思議な扮装をしたパフォーマーたちの種々雑多な身振りもまた、何かとらえどころのない、しかし具体的な物語を展開しているように見えてくる。いかにも平凡な日常世界と、そこからかけ離れた遠い歴史や神話の世界が、あたかも地続きのようになって浮かび上がって来るのだ。
特定の土地やその歴史に材を取るというアプローチ自体が非常に珍しく、興味深く思われるが、なぜこの場所が選ばれたかといえば、それは川崎の個人的な経験に由来している。彼は子供の頃この土地に住んでいて、普段から見慣れていながら注意を払ったことのない周辺の事物に改めて焦点を合わせてみたというのである。いわばそれは、彼にとって自明な日常世界ではなく、むしろそれを裏で支えていた歴史の「古層」、また普段はなかなか意識されない「無意識」の領域を抉り出す作業ともいいかえられるだろう。こうした関心の向け替えによって、ありふれた個人の私的で等身大の生と、大きな歴史的世界の間に通路が開かれる。そして、舞台でパフォーマンスする身体は、これら両極のスケールに属する異質なイメージを多層的に担うことになる。いわばドキュメンタリーともフィクションともつかない、現実と虚構の狭間に浮かぶような身体表現の新しい領域を、川崎歩は開拓しつつあるのである。
他方、東京を中心に、主にソロで活動している手塚夏子(1970- )は、パントマイムから出発しつつ、近年は『私的解剖実験』というパフォーマンスのシリーズを展開してきた。これは自分の身体の極度に小さな一部分、例えば「右膝の裏」「歯茎と歯の境目」などといった任意の部位に意識を集中することで、自分の体から一種のストレス性の(?)反射運動を引き出すというアイディアに基づくもので、このシリーズを通じて手塚はひたすら身体のディテールに注目し、文字通り「ミクロ」な考察を積み重ねた。ところが、『私的解剖実験』がいわば身体を内側から「解剖」し、分解し尽くそうとするものだったとすれば、この2月と3月に上演された新作『プライベートトレース2009』は一転して外側から観察された身体を素材としている。
この作品で手塚は、わずか十数秒間のホームヴィデオに映し出された自分と、夫の動きのスロー再生を、きわめて精密に再現し、反復してみせる。映像そのものが観客の目に触れることはないが、音声のみが流され、どうやら二人は幼い息子とともにいるらしいことがわかる。そして夫が「しんどいよ」と、手塚が「だいじょぶ誰も見てないって」という言葉を発しながら体や顔を動かすさまを、ひたすら手塚がスローモーションで反復するのだが、観客はその意味や文脈を抜きにしたまま動きのミクロな細部を長時間に渡って注視させられる。それは異様な体験である。現実にはほんの一瞬の、些細な挙措が、執拗な反復と「トレース」によって、見たこともないような明瞭なフォルムとして刻々立ち現れてくるのである。
私はこの作品を見ていて、さらに別の奇妙な感覚に襲われもした。ヴィデオカメラに捉えられた細部をひたすら再現/注視する時間が延々と引き伸ばされるにつれ、いつしかそうした細部の果てしなさ、汲み尽し難さというものが実感されてくるのである。カメラには一切が映っており、それはどこまで分解しようとも決して分解し尽くすことなどできない。つまり細部は無限なのであり、無限の細部をまるごと捉えているヴィデオカメラは、あたかも人間を包み込む神の眼差しに似た何かであるようにさえ思われてくる。テクノロジーと身体がこれほど豊かな出会いを果たしているパフォーマンスを、私は他に多く知らない。
川崎歩にしても、手塚夏子にしても、一般的に「ダンス」とよばれる領域からは大きく逸脱しているが、しかし二人に共通しているのは、われわれが通常見ている現実の表層をはぎ取り、常識的な世界観を覆そうとする批評的アプローチに他ならないだろう。そこには因襲的な期待や欲求をほどよく満たそうとすることとは全く別次元の、コンテンポラリーな芸術だけが有する衝撃力があるのだ。
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『MOMM』(2009年11月号)〔=朝鮮語訳〕
NYはムスリムの声を聴くことができるか ――市場原理主義・芸術・他者
さる六月前半の十日間、NYでは「ムスリムの声――芸術と思想(Muslim Voices: Arts & Ideas)」と題した大規模なフェスティヴァルが開かれた。セネガルのミュージシャン、ユッスー・ンドゥール(Youssou N'Dour)のライヴを皮切りに、アフリカからアジアまで広域に渡る演劇、音楽、映画、美術、文芸などを紹介するこのイヴェントが、2001年9月11日のあの事件を動機とするものであることは間違いない。しかしその掉尾を飾るのが、インドネシアを代表する前衛振付家、サルドノ・W・クスモ(Sardono W. Kusumo, 1945- )のダンス作品『ディポヌゴロ(Diponegoro)』(6月13~14日、アジア・ソサエティ)だと聞いて、即座に納得する人がどれだけいるだろうか。あまり認識されていないことではあるが、インドネシアこそ世界で最も多くのイスラム教徒が住む国に他ならない。つまりこの上演自体が、とかく「イスラム」といえば「中東」のイメージを連想してしまいがちな、人々のステレオタイプに抗する社会的「パフォーマンス」として意図されたものでもあるのだ。
この作品は、十九世紀のジャワでオランダ統治に対する叛乱を起こし、捕縛された後に追放されたディポヌゴロ王子(1785~1855)の史実を舞踊劇化したもので、1995年に初演された。インドネシア国外での上演はこれが初である。
今回の上演では五人のダンサーの他に、ガムランの演奏が伴う。彼ら彼女らはそれぞれ特定の役柄を演じつつ、ペゴン(pegon, アラビア文字を用いたジャワ語)の韻文で書かれたディポヌゴロの自伝からの抜粋を朗唱する。ジャワ古典舞踊の語彙を基にした舞踊と、演技、さらに歌唱までを同時にこなす演者たちの多才さはサルドノの舞台ならではといえるだろう。全体を通してひとまとまりの「物語」が演じられるというよりは、既に自らの悲劇的な命運を悟ったディポヌゴロの内面的な葛藤が五つの場面(断章)によって照らし出される構成になっており、視覚的・音楽的に組み立てられたイメージの積み重ねを通して、9・11以後の現代にもそのまま通じる「西洋とその他者」というテーマが浮き彫りにされる。
サルドノの作品の特徴として、一見、互いにかけ離れた異質なモティーフが壮大なスケールの歴史観と世界観のもとに結びつけられ、意表を突く新鮮な視点を提示するという手法が挙げられる。この作品も例外ではない。そもそもディポヌゴロのテクスト自体が、主観的な語りと史実の描写、そして神話的イメージを絡み合わせて書かれているのだが、舞台でも、伝説上の存在である「南海の女王」ロロ・キドゥル(Roro Kidul)や、オランダ植民政府の総督などといった多様な登場人物が次々に姿を現す。冒頭と結末ではモーツァルトの「レクイエム」が悲劇的なムードをかき立てる一方、それに挟まれた本編は全てジャワのガムランである。また舞台の前面には紗幕が降ろされ、そこにはディポヌゴロ捕縛を描いた西洋風の歴史画が転写されており、演技は終始その背後で行われる。照明の操作で、紗幕の向こう側に広がる舞台が照らされたり、紗幕の歴史画が照らされたりするのである(ちなみにこの歴史画は、当時のジャワの画家ラデン・サレー(Raden Saleh)による作品(1857年)で、現在サルドノはこの画家をめぐるドキュメンタリーとフィクションが交錯する新作映画を制作中である)。このように、特定の政治的立場や美意識にと���われず、複数の異質なコンテクストを編み合わせるようにして作られた『ディポヌゴロ』の舞台には、多くの要素が凝縮されていて、観客が何か単一の解釈に留まることを許さない。見る者にショックを与えるわけではないが、非常に穏やかな仕方で思考を挑発してくるのである。
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ところが、翌週火曜のNYタイムズに掲載された公演評はちょっとした議論の火種となった。同紙の主席ダンス批評家、アラステア・マコーレーは、「ムスリムの声」フェスティヴァルでモーツァルトの「レクイエム」を聞かされるなど場違いも甚だしく、またあまりに陳腐であると切り出した後、作品内に作品を理解するための手掛かりが少な過ぎること、音楽や歌唱が滑らかな連続性を欠き、また単調さゆえに訴求力がなかったことなどを列挙し、わずかに一部のダンス・シーンなどを称賛して若干のバランスをとってみせた上で、こう結んでいた。「イスラム文化には、もっと他に見せるべきものがいくらでもあるだろう」(Alastair Macaulay, “The Prince Who Freed Java From the Dutch: Sardono Dance Theater,” New York Times, June 16, 2009)。
これに対し、少なくとも一部の人々の間では激しい反発が起こった。特にアジアの諸文化に通じた人々の間では、マコーレーの姿勢は自らの無知を棚に上げた「西洋中心主義」「オリエンタリズム」だと非難する声もあった。あるアジア文化支援団体の責任者はマコーレーに直接コメントを送った。非公式にインターネット上を流通したその文面によれば、そもそも「オランダからジャワを解放した王子」などという記事タイトルからして途轍もない誤りで(王子は捕えられ、反乱は失敗したのである)、歌詞の英訳などは全てパンフレットに掲載されていたことを考えれば、むしろ彼がいかに作品を不当に軽視したかを証している。モーツァルトの「レクイエム」とジャワのガムランとの関係はまさにヨーロッパの植民地主義と当時のジャワの関係のアナロジーなのであり、さらに「レクイエム」がディポヌゴロの生きた時代に書かれた音楽であることを踏まえるなら、これを単なる舞台演出上の陳腐な紋切型として片付けることなどできない。上演前にはサルドノ自身によるレクチャーも開かれていたのだし、これを聞いていれば作品を理解する上で大きな助けになっただろう。非西洋の芸術を論じるには、通常必要とされる以上の努力を惜しんではならないということを、権威と責任ある大新聞の批評家ならば認識すべきだ――。
上演そのものは確かに多くの予備知識を要求するものであり、決して誰にもでわかりやすいというものではなかったかも知れない。しかし何よりここには、「芸術」という装置が異文化間を架橋できる、といった素朴な普遍主義的信念の臨界が露呈しているといわねばならない。マコーレーは「この作品の中に、何かをきちんと説明している部分が一体どれだけあっただろうか」とも批判している。これは、芸術作品とはそれ自体でひとまず自己完結しており、あくまでも内在的な(immanent)解釈を前提とするものだという認識の表明に他ならない。ならば、パンフレットにきちんと目を通してレクチャーにも出席すれば異文化の芸術はよりよく理解できるのだと主張してみたところで、こうしたロマン主義風の「内在主義」の美学的信仰と和解することは期待できないだろう。
だがおそらくマコーレーは単に無自覚的な西洋中心主義者ではない。そうではなく、むしろ確信犯的に、NYの舞台芸術「市場」における御意見番の役に徹しようとしている。例えば「世界中からやって来る振付家たちのおかげで、最近のNYではダンス作品で『レクイエム』を流すのなどはもうありきたりのパターンになってしまっている。サルドノには気の毒だったが、そうなのだ」というくだりはどうだろう。マンネリズムを嫌い、絶えず刺激を求める新し物好きのシアターゴアー、つまりは「消費者」の立場に自己同一化した言い回しである。インドネシアであろうが、イスラムであろうが、そんなことは結局のところ関係ない、一つの作品として「買う」に値するか否か、つまりは商品価値が全てだという、いわば資本主義の論理が、ロマン主義風の美学的態度を後から支えていることが見てとれる。
しかし、これこそまさに、20世紀を通じて芸術が直面し続けて来た問題、そして9・11以降のわれわれにとってはますます切実なものとなっている問題ではないだろうか。「ムスリムの声」フェスティヴァルや、サルドノの『ディポヌゴロ』が対象化しようとしていたのも、まさしくこの、文化的差異をもやすやすと黙殺しようとしてしまうグローバルな市場原理主義(Market fundamentalism)と美学の暴力に他ならない。サルドノの『ディポヌゴロ』と、NYタイムズの反応が、われわれに示唆するものはあまりにも大きい。
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『MOMM』(2010年4月号)〔=朝鮮語訳〕
複数のヒップホップ
かつて世界中の近代国家がバレエを輸入し、今ではあらゆる国に国立バレエ団が存在するが、いまそれ以上の勢いで世界中に広まっているのがヒップホップであることには異論がないだろう。もっとも、両者の伝播のプロセスには様々な違いがある。特に、バレエには正統を受け継ぐ「中心」(パリ、ロシア、あるいはデンマーク?)が存在するのに対し、もともとアフリカ系アメリカ人によるディアスポラ的な文化であったヒップホップにはもはや「中心」も「正統」もない、という点は大きい。様々な国で世界大会が開かれており、もちろん韓国やフランスはヒップホップが最も盛んな国に数えられる。
こうした状況に呼応して、世界各地のコンテンポラリーダンスにもヒップホップが大きな影響を与えていることは周知の通りだ。しかも、グローバル化したヒップホップ・シーンでは世界中のダンサーが一定の価値観を共有し、同じ評価軸の上で「バトル」を展開しているのに対し、コンテンポラリーダンスの文脈では振付家一人一人がヒップホップに様々な解釈を加え、多様な価値観を作品で提示している。ここに、いわゆる「ストリートダンス」とは違った「アート」としての面白さがある。
おそらくこの分野で今、最もよく知られているのはブラジルのブルーノ・ベルトラオ(Bruno Beltrao, 1979- )だろう。リオデジャネイロでストリートダンスを学び、やがてコンテンポラリーダンスへと進んだ彼の作品は、ヒップホップ特有の動きの語彙や考え方を分析して再構築することで成り立っている。デビュー作『From Popping to Pop or Vice-versa』(2001年)は、ポッピンの断続的な動きで「歩く」「屈む」などの日常動作を見せたり、ダンスを音楽のリズムから故意に外したり、よく知られたテクニックやフレーズを一般的なストリートダンスの文法や自然なエネルギーの流れから切り離して組み立て直すなど、実験性に溢れた新鮮な作品だった。あるダンスの様式ないし文法を一つの抽象的な動きの「構造」として捉え、細かな諸要素に解体して行く発想は、ちょうどウィリアム・フォーサイスがバレエに対して行った「脱構築」を思わせる。世界中で話題になった『H2』(2005年)では、ベルトラオはこの方向をさらに大規模に推し進め、恐ろしく複雑に入り組んだヒップホップを生み出すことに成功した。
ヒップホップに抽象的ないし幾何学的な操作を加えて、いわばポストモダン化するのがベルトラオなら、他方、インドネシアには全く異質な振付家がいる。
ジェコ・シオンポ(Jecko Siompo, 1976- )はインドネシアの中でも最東端のパプア州出身で、同地の民族舞踊や、人々の特徴的な日常動作に、ヒップホップをかけ合わせて独自の振付言語を編み出した。パプアは深い熱帯雨林が残り、狩猟で生活している人々も多く住む地域だが、彼が首都ジャカルタの大学でダンスを学び始めた時、街の中で若者たちが形成していたストリートダンス・シーンに触れ、ヒップホップとパプア民族舞踊との類似に気付いたのだという。その振付は、動物の動きを模倣した奇抜なポーズを起点にしつつ、体の一部分だけを動かす突発的で短いストローク、細かく激しい重心移動と目まぐるしいステップ、上下動の少ない水平的な空間の使い方などが特徴で、デュオからグループ作品までレパートリーは幅広い。
しかし興味深いのは、振付そのものの斬新さばかりではない。ベルトラオが「構造」や「脱構築」のような抽象的論理に依拠することで、欧米を中心としたダンス市場で活躍しているのとは対照的に、ジェコは自らの暮らす地域の文化とヒップホップを出会わせて新しいダンスを作り出している、という点に注目しよう。それはいわゆる「文化の画一化」としてのグローバリゼーションと拮抗し得る、「多様性の擁護」としてのローカリゼーションの実践だ。事実、ジェコ独特の「アニマル・ヒップホップ」はワークショップを通じて広まり、ジャカルタでは彼の周囲に若いストリートダンサーのサークルが生まれている。公演の際には、彼らが出演者のうちの重要な一角を占めるのである。
ところで昨年10月、私はソウルの SIDance Festival での Across Hiphop と題されたプログラムを見た。おそらく韓国の特徴として、ストリートダンスのシーンと、大学で教えられている「アート」としてのダンスの間の垣根が低いということが挙げられるのではないだろうか。ヒップホップの技術と、モダンダンスやコンテンポラリーダ��スの技術を兼ね備えたダンサーや振付家が育っている一方、観客層の面でも両方の文脈が入り混じっているように見受けられた。その意味で特に印象深かったのは、Dance Company Medius の『Amusement of Ancients』という作品で、古代の壁画から抜け出してきた兵士たちのコミカルなダンスは、技術的にはポッピンでありながら、舞台正面に対して横向きに保たれた平面的な体勢は明らかにニジンスキーの『牧神の午後』を踏まえていた(演出 LEE Kwang-seok、振付 LEE Woo-jae)。ストリート・カルチャーとアカデミズムのこういう軽やかな融合は、おそらく韓国独特の現象であるように思う。
少なくとも、日本では考えられない。この国でもヒップホップは盛んだが、韓国のような水準のダンスの大学教育は存在しないし、ポッピンとニジンスキーを同時に使いこなす振付家など想像することもできない。
とはいえ、ヒップホップをコンテンポラリーダンスの���脈で積極的に活用する振付家たちは日本にもいる。その中で最も注目されるのが KENTARO!!(1980- )で、彼もベルトラオと同様、そもそもはストリートダンスを踊るダンサーだった。
彼の作品は、ソロにせよグループにせよ、一般的なヒップホップの価値観に異を唱えているように見える。すなわち、得てしてヒップホップのダンサーは肉体的な力を誇示したり、超絶技巧を競い合う傾向があるのに対し、KENTARO!! のダンスはそうした「力」や「強さ」を核に持つ価値観とは違うところにヒップホップの本質を探るのだ。今年1月に上演されたグループ作品『長い夜のS.N.F.』では、その狙いが今まで以上にはっきりと成功していたように思う。男女7人のダンサーのうち KENTARO!! 自身を除けばヒップホップの専門技術に秀でたダンサーはいない。強靭な肉体も、見る者を圧倒する大技も登場しない。それでもこの作品には紛れもないヒップホップらしさがある。それは、ダンサーの体と音楽のリズムの関わり方の問題であり、具体的にいえば、音と音の間で絶えず伸びたり縮んだりするグルーヴに、体幹から起こされる深いうねりとバネによって同期していくことだ。そもそもヒップホップとは「尻が弾む」という意味であって、必ずしも「力」や「強さ」を意味するわけではない。音楽のグルーヴをダンサーが体のバネで受け留め、「弾み」さえすれば、どんな動きであろうがそのままヒップホップたり得るのであり、見る者の意表を突くフォーメーション展開、細かく入り組んだ振付、そしてダンサー同士の活き活きとした交感によって舞台空間が丸ごとグルーヴ感で波打つようなこの作品には、ダンスの楽しさが純粋な形で満ち溢れていた。
このようなヒップホップの解釈は、おそらくアメリカや韓国、インドネシアではなかなか想像しにくいのではないだろうか。経済の面でも、社会生活の面でも、より強い力を求めていこうとする競争の原理を、良くも悪くも、近年の日本人は放棄しつつあるようだが、ヒップホップに対する KENTARO!! の解釈の仕方には、そうした「強さ」に代わる価値観を求めようとする思想性を確かに感じる。
以上、ヒップホップに着目していくつかの例を辿ってみた。今やヒップホップには実に多様な解釈を受け容れる余地があり、現に多様な試みがなされている。一つのダンスがこれほど広範囲に普及したことは人類史上かつてないが、それだけに地域ごとの環境を反映したり、思想の受け皿ともなって、今後も様々に変奏され続けていくことだろう。ベルトラオが語るように、ヒップホップにはまだ探索されていない可能性の領域がたくさんあるに違いない。
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『MOMM』(2010年8月号)〔=朝鮮語訳〕
大野一雄――生と死のダンス
1906年10月27日に生まれた大野一雄は、2010年6月1日、103歳の長寿を全うしてこの世を去った。71歳で本格的なデビューを迎え、90歳を過ぎてもなお国際的に活躍し続けたこの高齢の舞踊家は、最後まで法外な存在だった。
【芸術と生】 スイスの映画監督ダニエル・シュミットの短編映画『KAZUO OHNO』の終盤に、大野一雄が自宅の居間で踊るところを撮影したシーンがある。大野の数ある映像記録の中で、わたしはこの部分が最も好きだ。バックに流れるのはレクォーナ・キューバン・ボーイズの演奏する『アマポーラ』。大野はリラックスした普段着姿で、指で形を作りながら肩をすくめ、優しい目で何かをいとおしむように両腕で空間を抱き込んだり、歓喜と狂気の入り混じった表情を浮かべながら肘で鋭く宙を裂く。一見脈絡のない動きが、加速と減速を細かく繰り返す独特のリズムで連ねられていく。飾り気のない、それでいて強い情感と確かな即興技術を伴った踊りだ。何度見ても不思議な感動を覚える。見た目の美醜や、運動能力の度合などとは関係のない、ダンスそのものの魅力、踊るという行為の豊かさを噛みしめさせてくれるからだ。
ところでこの映像には、踊る大野を、台所で食事の支度をしながら見つめる夫人の姿も映っている。その佇まいの微笑ましい平凡さと、大野の踊りの素晴らしさのギャップは強い印象をもたらす。あたかもこれは、夫妻にとってはありふれた日常の一場面にすぎないかのようだ。いや実際にそうなのだろう。舞台の上だろうが、自宅の居間だろうが、大野の踊りは変わらない。しばしば公の場で、言葉で何かを述べる代りに踊ってみせるということがあったし、絵画を見て感動のあまり踊り始めてしまうこともあった。彼の踊りはいつも、表現への意志によって作り出されるというより、衝動から生まれる。時には稽古場で、生徒たちをそっちのけにして自ら踊りに没頭してしまう。また大野は舞台が終わると観客のアンコールに応えて一曲踊ることを常としていたが、聞くところでは作品自体よりむしろこのアンコールで踊るのを一番の楽しみにしていたともいう。
大野においては、舞台上で何かを演じることと、彼自身の個人的な生を生きることの間に明確な境界線などなかったのではないか。舞台と日常が、ダンスという媒介によって見分けがたく連続していた。だから彼の公演においても、一個人としての大野の存在と、大野の作り出す作品世界とをはっきり区別することは難しくなる。観客はしばしば、自分が「芸術」を体験しているのか、それとも大野一雄という「人」に向き合っているのか、わからなくなってしまうほどなのだ。
【大野と舞踏】 一般的には、土方巽と並んで日本の前衛舞踊である「舞踏」の創始者として大野一雄の名は知られている。とりわけ日本国外では、フランスを中心に世界的な名声を得た大野の方が、「舞踏」と強く結び付けられがちである(土方は生涯ただの一度も国外に出なかった)。しかし1949年にデビューした大野の踊りについて、われわれはそのごく一部を知っているに過ぎない。
そもそも大野とダンスを結びつけたのはごく実際的な動機だった。彼は学校教員として体育の授業を担当していたが、ある転任先の学校のカリキュラムにダンスが含まれていたため、自らもダンスを習得する必要が生じたのである。はじめ彼は石井漠のスタジオに通うが、1934年のハラルト・クロイツベルク(Harald Kreutzberg)の来日公演に衝撃を受けると、翌々年にはドイツでマリー・ヴィグマン(Mary Wigman)のもとで学んだ江口隆哉と宮操子のスタジオに移った。やがて第二次世界大戦で従軍するが、戦後間もなく帰国。1949年に自身のスタジオを開設するとともに、いよいよ最初の公演を開く。
日本のモダンダンスがドイツ表現主義舞踊(Ausdruckstanz)の影響を強く受けていることは周知の通りだが、当時の写真を見る限り、初期の大野一雄の作風が他の振付家とどう異なっていたのかははっきりしない。この時代の日本のモダンダンスは、詩的なテーマと、奇抜な衣装や舞台美術が全般的な特徴であり、大野に限らず多くの振付家たちが前衛的な活動を展開していた。
もちろん土方巽もこうした文脈の中にいた。二人は1956年に個人的に知り合うが、土方は以前から大野の舞台をよく見ており、強い衝撃を受けていたという。土方が大野の踊りを「劇薬のダンス」と表現したことはよく知られている。大野のダンスに触発されることがなければ、土方の「暗黒舞踏」はなかったのである。
1959年には、大野の公演を土方が手伝うようになり、他方ではホモセクシュアリティを題材にした土方の作品『禁色』によって「暗黒舞踏」の幕が開けられた。「暗黒舞踏」は当時の前衛的なモダンダンスさえも超え、近代的なダンスの価値観そのものを荒々しく問い直す反社会的な芸術運動として過熱していった。この時期、大野は自分の作品を発表する他、土方の作品のいくつかにも出演している。
しかし土方の代表作の一つである『土方巽と日本人――肉体の叛乱』が発表された1968年を境に、大野はしばらく舞台を離れてしまう。そして映画作家の長野千秋とともに、『O氏の肖像』(1969年)、『O氏の曼荼羅』(1971年)、『O氏の死者の書』(1973年)と題する映画三部作の制作に打ち込んだ。この作業は大野にとって重要な模索の経験となったようだ。劇場の舞台とは異なり、具体的な物質性に満ちた自然環境の中での、���や埃、家屋、動物や植物などとの濃密な交感を通じて、大野の想像力は大きく押し広げられたのだろう。
1977年、土方の演出による『ラ・アルヘンチーナ頌』で大野は本格的に舞台に復帰する。この公演は大きな成功を収め、大野一雄の表現は「舞踏」として広く認知されることになった。71歳での驚くべき開花である。ラ・アルヘンチーナ(La Argentina、本名はアントニア・メルセ(Antonia Merce))は20世紀前半に活躍したスペイン舞踊家で、大野は彼女の踊りを1929年に東京で見て感激したという。その記憶がどういうわけか半世紀後に突如甦り、彼女に捧げるダンスを踊ることになった。『ラ・アルヘンチーナ頌』は、今日のわれわれが知っている、即興を中心にした大野のスタイルを多彩に展開した作品である。バッハの曲とともに静かな立ち姿を見せ続けたり、アルゼンチン・タンゴとともに大きな腕の身振りやマイム、旋回運動などを奔放につなげていく踊りは、とても71歳とは思えないほどのしなやかさと強靭さを兼ね備えている。動きの語彙だけでなく、衣装や音楽の組み合わせによるイメージの表現まで、この作品によって大野一雄は明らかに独自の表現を確立したといっていいだろう。
以後の活躍について��いうまでもない。1980年にフランスのナンシー国際演劇祭に参加し、現地の観客によって熱狂的に迎えられてから、大野の名声は世界的に高まっていった。ヨーロッパ、アメリカ、南米、そして1993年には香港とソウルでも公演を行った。多くの観客に支えられ、また横浜のスタジオには世界中から生徒が集まるようになった。
大野が万全な体調で踊り続けたのは、2000年頃までである。しかし腰を痛め、アルツハイマー症の診断を受けてからも、しばしば観客の前に登場した。そして生と死の境目がほとんど消えてしまう段階に至るまで、大野一雄は踊り続けた。
【生と死のダンス】 長大な大野の経歴をこのように見てくると、自覚的に「舞踏」の芸術と思想を社会にぶつけていった土方に比べ、はるかに個人的な衝動と偶発事による波乱の連続という印象が強い。大野は偉大な芸術家として独自のスタイルを編み出し、いくつもの名作を残した、というより、大野が自分の生を生きた痕跡がそのままいくつものダンスという形で歴史に刻まれている、という言い方の方が相応しいように感じられる。やはり大野一雄という一個人の「生」と、彼の「作品」とを区別することは難しいのである。
そして「生」こそは、大野のダンスが常に固執した主題でもあった。もちろんあらゆるダンスは生のエネルギーの凝縮であるし、どんな踊り手もそのダンスに個人的な生のありようをにじませるだろう。けれども大野の場合は、単に生命の力を目いっぱい味わって享楽するというのとはまったく違っていた。むしろ生命という現象の全体を丸ごとつかもうとするダンス、つまり、「生きている」という現在の事実の中で完結するのではなく、その現在の生を可能にしている条件にまで肉薄しようとするダンスだった。
その証拠に、大野のダンスはいつも「過去」と深い関わりをもっている。ラ・アルヘンチーナは遠い過去から彼のダンスを支えてくれる根源的なミューズであった。また1990年代に入ってからの大野は自分を産んでくれた母親に捧げるダンスをよく踊った。いわば大野のダンスは、自分の生命のみではなく、自分に生命を与えてくれている過去の生命(=死者)をも含み込もうとするものなのだ。だから大野のダンスは、生命の力をほとばしらせつつ、常に「死」のイメージによっても彩られていた。そしてそれはもちろん大野自身の死を先取りしたものでもある。こうして生と死は、大野のダンスの中で、���つの大きなサイクルとなって循環するのである。
ごく親密で個人的なムードを漂わせていながら、壮大な生命のドラマを直観させる、それが大野一雄のダンスだった。その大野が死者となった今、後にはわれわれの生が残されているばかりだ。
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『MOMM』(2009年6月号)〔=朝鮮語訳〕
「舞踏」以後の日本に「ジャドソン」は蘇生するか? ――スティーヴ・パクストンと土方巽
この五月、スティーヴ・パクストンが実に34年ぶりの来日を果たした。一か月あまりに渡って数都市に滞在し、ワークショップやデモンストレーション、そして一夜限りの公演『Night Stand』(リサ・ネルソンとの即興デュオ作品)を行い、とりわけ研究者やダンサーの間では一つの大きな「事件」となった。
パクストンといえばもちろんコンタクト・インプロヴィゼーション(CI)の創始者として、その名を知らない者はいない存在だが、CIの後も身体とその動きをめぐって探求は続けられて来た。今回はベルギーで昨年発表されたDVD-ROM『背骨のためのマテリアル(Material for the Spine)』を携えての来日である。筆者はワークショップを少し見学することができたが、CI的な要素を部分的には引き継ぎつつも、むしろ個人個人の身体感覚、運動感覚を解剖学的な視点から掘り下げていくようなワークだった。もちろん、DVDを見れば、パクストンが展開しているミクロで繊細な分析には誰もが驚かされるだろう。例えば、手の指を一本ずつ動かしながら、その筋覚を腕、肩、背中、そして腰の辺りにまで遡って、エネルギーの流れが、中指を動かす時と薬指を動かす時ではどう違うかを確かめる、などといったエクササイズには、静かな興奮を禁じ得ないはずだ。どれだけテクノロジーが発達しても、今なお広大な「闇」の世界であり続ける身体の内部を、パクストンは一歩一歩確かめながら探索しているようである。
ところで、パクストンをはじめとする、いわゆる「ジャドソン教会派」あるいは「ポストモダンダンス」について、近年日本では急速に関心が高まっている。逆にいえばこれまでほとんど関心を払われていなかったということであり、少なくともその理由の一つには、60~70年代のアメリカで「ポストモダンダンス」が展開されたのとほぼ同じ時期に、日本では「舞踏」が起こっていたという事実があげられるかも知れない。1970年代に一部の評論家などがジャドソン教会派を取り上げた時期もあったが、大半は非論理的で感覚的な、あるいは過剰に観念的な解釈に基づく紹介であり、NYのアヴァンギャルドの理論やコンセプト、そして歴史的コンテクストなどはほとんど咀嚼されないまま、むしろ舞踏の圧倒的な存在感の陰に隠れてしまっていたのである。
ところが2006年3月、トリシャ・ブラウンのカンパニーが、これまた18年ぶりに来日して新旧の代表作を上演すると、同時に初期作品を集めたDVDの日本語版が発売され、ドローイング作品の展覧会も開かれるなど、ちょっとした盛り上がりが起きた。今も若いダンサーたちがNYのブラウンのスタジオへ学びに出かけているほど、一部に強いインパクトをもたらしたようなのだが、筆者自身は残念ながらこの公演を見逃している。というのも、ちょうどこの時期、筆者は念願のNYに滞在して、毎日のようにリンカーンセンターのライブラリーに通いながらジャドソン教会派のことを調べていたからなのである。そして4月からは田中泯が発行しているフリーペーパーで「ポストモダンダンス」に関する連載を始めた。12月には日本の舞踊学会で「ポストモダンダンス特集」が組まれた。それまではほとんど忘却されていた60~70年代のアメリカの前衛が、突然注目すべきトピックとして浮上してきたのであり、その延長上に今回のパクストン招聘があることは間違いない。ちなみに、次はデボラ・ヘイが来日するという噂も聞こえている。
もちろん、これは単なる気まぐれな流行ではない。また、90年代以降のヨーロッパにおけるジャドソン再評価(ジェローム・ベル、グザヴィエ・ル・ロワ、ボリス・シャルマッツ、アラン・ビュファールなど、いわゆる「コンセプチュアルな振付家」たちによるそれ)に追随しているわけでもない(そうした事実は日本ではほとんど知られていない)。そうではなく、2000年代に入ってからの日本の先鋭的なダンスが、どういうわけか、ジャドソン教会派のそれにあまりにも近似して来ているという事情があるのだ。
一例を挙げよう。会社員風の服装をした男と女が向かい合って、無内容で取り留めのないおしゃべりをしながら、普段われわれが無意識にしているような意味のない仕草や身振りを延々と持続する。一見するとダンスらしいところは何もないが、言葉や身振りが反復され、リズム感をはらみ、さらにはヴァリエーションや、二人の動きの同期とズレなどに至るまでが、こと細かく「振り付け」られていることが見えてくる。背景に流れる音楽はマーラー。ロマン主義の交響曲の壮大なスケール感と、舞台上の二人の身振りの瑣末さがアイロニカルに対比されているのである。この作品(『クーラー』、2004年)を作った岡田利規は、おそらくイヴォンヌ・レイナーの『We Shall Run』(1963年)のことなど知らなかったに違いない。もし知っていたとすれば、もう少し違った選択をしたはずだろうから。ジャドソン教会で上演されたレイナーの『We Shall Run』といえば、数人のダンサーが、あらかじめ決められた複雑なコースに基づきながら、ひたすらジョギングをするという、典型的な「日常の身体(ordinary body)」「日常動作(daily movement)」による作品であり、しかもその背景にはベルリオーズの『幻想交響曲』がかかっていた。『幻想交響曲』とはすなわち「誇大妄想」「スペクタクル」の代名詞に他ならず、つまりここでもまた、そうしたものの対極にある「等身大」の「日常」がアイロニカルに表現されていたのだ。
岡田のみならず、ほうほう堂、身体表現サークル、神村恵など、「日常の身体」「日常動作」から出発して、「等身大」のダンスを作る作家の傾向は今もある程度持続しており、近年の日本のダンスにおける最も興味深い成果がこの領域に多く見出されるのは事実である。しかし、なぜ今、「日常性」や「等身大」といったテーマが扱われるのか、という問いに答えるのは難しい。80年代後半、空前の好景気を迎えた日本で流行したような大がかりなスペクタクルに人々が倦んでしまったから、という答え方もできるが、他方では90年代以降の長い不況によって日本人が上昇志向を断念せざるを得なくなったから、というやや意地悪な解釈もある。あるいはかつてジャドソン教会派が謳った「民主主義」の理念が、グローバリゼーションの時代における「マルチチュード」のイメージとして回帰しているというべきだろうか?
しかし、そこで気になるのは舞踏の行方である。突如として数十年前のアメリカの「ポストモダンダンス」が現在の日本のダンスとシンクロしてしまう一方、舞踏の影はますます薄まっている。形骸化した、表層的なスタイルとしての舞踏だけが生き延びており、一種の「永続革命」ともいうべき理念を掲げた土方巽の後を継ぐような存在はいない。
かつてスティーヴ・パクストンが、「立つ」「歩く」などといった動作を、人間ならば誰にでも可能な動き、すなわちあらゆるダンスを可能ならしめる基盤と見なし、訓練を受けていない人々がただ「歩く」さまを舞台に乗せようとしていた頃、土方巽は「立てない」ダンスを構想していた。「世界の踊りは全部そうなんですけどまず立つわけですよ。ところが私は立てないんですよ、立とうとして、お前は床に立っているけど、それは床じゃないだろうといわれると、突然足元から崩れ��いく、ですから一から始まらないで、永久に一に到達しないような、動きの起源というものに触れさせるとか、そういうこともやってますよ」(69年のインタヴューより)。パクストンにとって「立つ」こと、「歩く」ことが、全ての動きの起点としてあったとすれば、土方は「一」から出発するのではなしに、あくまでも「零」と「一」の間に無限の可能性を見ようとしていた。「一」とは、すなわち「立つ」ことだとすれば、ここには、アメリカ流の民主主義=「人間」主義(ヒューマニズム)と、それを拒絶する強力な反植民地主義とのコントラストを見てとることができるだろう。ジャドソン教会派を特徴づけるのは、幻想を追い払い、ありのままの即物的な現実を「肯定」するところから出発する姿勢である。もちろん「ありのままの即物的な現実」など存在しないが(ジャドソン教会派は、その民主主義的理念にも関わらず、WASPの階級的共同体であった)、肯定すべきと考えられたものを肯定するのがアメリカの流儀である。それに対し、土方の思想は徹頭徹尾、「否定」を動力源としている。自分が立っている床という即物的な事実でさえ、単に受け入れることを拒みさえすれば、その「現実」としての自明性は覆える。そこに身体というもののアナーキーな力がある。
日本にはもう土方のような「抵抗」のダンスはない。そしてあたかも偶然の符合のようにして回帰してきた「ジャドソン」と「日常の身体」。その意味するところは何だろうか。ダンスにおける革新的「マルチチュード」が、ジャドソン教会派の実験精神を蘇らせつつあるのか。それとも一種の「マクドナルド化」のような現象であり、単に日本が経済大国としての立場を失いつつあることの兆候に過ぎないのか。今はまだ、多様な解釈が許されるだろう。
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『MOMM』(2011年12月号)〔=朝鮮語訳〕
日常の喪失――ハイネ・アヴダル、篠崎由紀子『横浜借景 Borrowed Landscape - Yokohama』
10月末、国内外のダンサーや振付家が中心となって『横浜借景 Borrowed Landscape - Yokohama』というサイトスペシフィック作品が上演された。会場は、横浜の住宅展示場にあるモデル住宅の一つで、観客は一回に15人しか入れない。
ベルギーに拠点を置くハイネ・アヴダル(Heine Avdal)と篠崎由紀子は、今年2月にも横浜で『Field Works-office』という作品を上演している。この時の会場はオフィスビルの一室で、実際に通常業務が行なわれている中で展開されるインスタレーション・パフォーマンスだった。筆者は見ることができなかったのだが、通常勤務中の社員たちとパフォーマーが入り混じり、観客はわずか数名のみというこの「フィールドワーク」はいかにも刺激的なアイディアである。それに対し、今回の『横浜借景』は実際に人が住んでいる住宅ではない。家具や日用品を使いながら日常と虚構の境界で戯れるようなパフォーマンスなのだろう、との予測は容易に立つが、やはり住宅展示場のモデル住宅という点に物足りなさを感じる。本当に誰かが生活している家を使うことは難しかったのだろうか。――しかし実際に会場に着いてみると、まったく違う感情が湧き起こってきた。
住宅展示場は駅から徒歩10分ほどのところで、殺風景な商業ビルなどに隣接した敷地に、意匠を凝らしたモデル住宅が居並ぶ。開演前に、家々を眺めながら少し歩き回ってみた。レンガ造りの壁に巨大なガラスが大胆にはめ込まれていたり、モダンな間取りに贅沢な和室が組み合わされていたり、お洒落なカフェのようなテラスが設けてあったり、一軒一軒のデザインはほとんど無邪気ともいえるほどの、「理想の住まい」への夢と憧れに満ちている。モデル住宅とは、予算や周辺環境などによって妥協を強いられる実際の建築とは異なり、住まいに対する人々の希望や欲望を極端なまでに凝縮して見せるものなのだ。
しかしこうした「理想的な」家々の輝かしく誇らしげですらある佇まいが、不毛な絵空事として感じられてしまったとしても、それは決して筆者の主観ではないだろう。3月11日のあの震災を経験し、そして今なお原発事故の脅威にさらされ続けているわれわれは、こうした無邪気な「理想」の展示を前にして、虚しさを覚えずにはいられない。安心して住まうことのできる「家」などという場所のイメージを、われわれはもう持てなくなっているのである。あの日から半年以上が経ち、ようやく余震は終息しつつあるものの、土壌や食物の放射能汚染が広がっているニュースは毎日報じられ、不安はいや増すばかりだというのに、被災地を除けばあたかも元の日常生活が取り戻されたかのような錯覚さえ生み出されている。政府やマスメディアによる巧妙な演出がいかに効果的に働いているとはいっても、こんな状況下で「理想の住まい」などというものに本気になれる人はいないはずである。これこそが、われわれの直面している現実なのだ。
会場となる住宅の広々とした玄関に足を踏み入れると、部屋や廊下のあちこちに人がいて、凍りついたように停まっている。テーブルで乾杯をしている男女、ソファで新聞を読む男、台所で料理をしている女、など。カチコチという時計の音だけが響いている。いくつもの部屋の中を見て回っていると、やがて料理をする音や、話し声などが少しずつ聞こえ始め、パフォーマーたちもゆっくり動き出す。階段をゆっくり降りてくる男、窓の外をのぞき込む女、トイレに入ってうずくまる男。静まり返ってはいるが、生活音が建物の中のあちこちに置かれているらしいスピーカーから時折聞こえてくる。観客はパフォーマーたちの動きを追ったり、音の聞こえてくる方へ移動したりしつつ、部屋や廊下などの空間を味わい、無言の人々が演じる日常生活の断片を見る。少女のようなワンピースを着たダンサーは子供部屋で一心不乱にお絵かきをしている。スーツ姿の男が赤ん坊の人形をもって来て、半屋外に作り付けられた贅沢なジャグジーで体を洗ってやる。台所で料理をしていた女はベッドルームに移動して、どういうわけか顔を手で覆いながら徐々に激しく暴れ始め、錯乱状態に陥って部屋の隅にうずくまる。テラスで他愛もない口喧嘩をし始める男女は、自分のセリフを、紙で作ったマンガの吹き出しのようなものを自分で頭上に掲げることによって示す。
パフォーマーたちの演技は、一見すると日常動作に近いが、しばしばマンガ的に誇張された無言の身振りでもあり、生々しいリアルさと芝居がかった虚構性の絶妙なあわいにある。そしてそれは、建物自体に充満する作り物めいた「日常」の雰囲気とも見事に呼応している。つまりモデル住宅が、現実の住居というよりもむしろ住居に対するわれわれのイメージや欲望を凝縮して映し出してみせるシミュラークルであるように、彼ら彼女らの演技もまた、瑣末な日常を生々しくリアルに提示するのではなく、日常生活についてわれわれがどのようなイメージを抱き、どのような欲望を抱いているかを凝縮して提示するシミュラークルに他ならないのである。
やがてテラスに隣接したバーで音楽がかかると、全員がそこに集まってきて、踊ったり、酒を飲んでふざけ合ったり、のパーティーが始まる。ひとしきりの騒ぎが終わると、パフォーマーたちは一人ずつ階段を降りて去っていくのだが、観客もそれを追って階下に移動すると、そこにはもう誰もいない。リビングも台所も風呂場ももぬけの殻で、ただ空虚な時間が流れ続けているばかりだ。しかし室内には、人々の気配が残っているように感じられる。もういなくなってしまった人々の痕跡、記憶、そしてそれを包み込むようにして支える「家」という空間��けが、静かに持続している。それは不意を突くようにして訪れた、メランコリックな光景だった。津波によって消えた町、あるいはゴーストタウンになってしまった福島の町の中に佇んでいるような、あるいはまた、被災地から遠く離れたわれわれの日常生活の根底が突如として剥き出しになって現れたような、そんな瞬間だった。
アヴダルと篠崎の『横浜借景』は、われわれの日常的な生のありよう、すなわち今まで(3月11日まで)当たり前のように過ごして来た日々の営みがどのようなものであったか、そして「日常」なるものに対してわれわれが漠然と抱いてきた安心感と依存とを、はっきりと対象化して見せてくれた。当分の間、われわれが安心して過ごすことのできる「日常」などは訪れないだろう。物理的条件ばかりではない。むしろ「日常」をめぐるわれわれのイメージや欲望をこそ、変えなければならないし、その可能性は今まさに開かれているのだ。
――――― 『横浜借景 Borrowed Landscape - Yokohama』 2011年10月28日~11月1日 会場/横浜ホームコレクション内「ハウゼ」モデルホーム コンセプト・演出/ハイネ・アヴダル、篠崎由紀子 テキスト/岡田利規 音響デザイン/ファブリス・モワネ 振付・出演/ハイネ・アヴダル、篠崎由紀子、小浜正寛、神村恵、社本多加、川口隆夫、長内裕美
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『虹と木漏れ日』♯1、♯2
虹と木漏れ日。朝露のついた葉っぱ。死んでしまったアゲハチョウ。地を這うアリが集まってくる。今朝の冷え込みは森全体を湿らせて、寒さに耐えきれなかったアゲハチョウの翅をアリが運んでいく。木漏れ日の中を生きたアゲハチョウが飛んでいく。空には大きな虹がかかっていた。胸に抱えたスケッチブック。描きたい場所を探して見つけた景色は、中学生の日常からかけ離れていて、私自身もその景色の一部であることに全く実感が湧かなかった。 ○ 新しいクラスの親睦会を兼ねた林間学校で近くの自然公園に来ていた。中学三年生にもなると森の中で遊ぶ機会も少なくなってきていたので、飯盒炊飯を行うキャンプ場までの山道すら、ロールプレイングゲームの中盤のダンジョンのような険しさに思えてきた。道中襲ってきたスズメバチは紛れもなく凶悪なモンスターだし、日本最強のモンスターであるエゾヒグマに出喰わす可能性だってゼロじゃない。こんな危険な場所に、装備はジャージ一枚で、強制連行する先生方のリスク管理能力は問題視するべきだろう。そんな不満を心の底でふつふつと煮込んでいた私を他所に、クラスメイトたちはこの林間学校を割と楽しんでいるようだった。 はしゃぐ友人たちの中でも、同じ班の中村君の飯盒炊飯に掛ける意気込みは凄かった。班員で分担して持ってきたカレーの食材の内、私はジャガイモを、中村君はカレールーを持ってくることになっていた。私もカレーは好きなので、煮込んでも型崩れしにくい品種であるメークインをきちんと選んできたのだが、中村君は市販のルーではなく小麦粉と数種類のスパイスを持ってきたのだ。クミン、コリアンダー、ターメリック、チリペッパー。他にも聞いたことがないスパイスが数種類。コンソメ顆粒に、にんにくと生姜。塩に胡椒。そんなものがやけに大きなリュックから続々と出てきた時には、班員全員が唖然としていた。二年生の時から中村君と同じクラスだった班長の大竹さんは「またやってる」と慣れた様子だった。 「中村君って料理好きなの?」 三年生からの転校生である坂本さんが器用にジャガイモの皮を剥きながら聞いた。中村君はスパイスを調合しつつ、声だけで返事をした。 「好きっていうか、どうせ作るなら美味しいものを作りたいし」 班長の大竹さんが呆れて言った。 「ルーで十分美味しいじゃん。バーモンドの中辛と辛口を混ぜれば、それでもう最高のカレーでしょ」 春の川の冷たい水のような声が印象的だった。臙脂のジャージとは似合わない青白い肌がそういうイメージを与えているのかもしれない。大竹さんも中村君も、勉強も運動もできる優等生という共通点はあったけれど、性格というか、二人の持つ性質は真逆だった。色で言えば青と赤。安っぽく言えば氷と炎。「冷静と情熱」なんて言葉もあるけれど、それは少し違う気がした。大竹さんの方が氷を直接手で持った時のような鋭さや常識を破壊していく激しさみたいなものが感じられる。一方の中村君はというと、強さも弱さも優しさも厳しさも美しさも気持ち悪さもごちゃまぜにして煮込んだような、それこそカレーのような人に見えた。 他の班が協力して各々の料理を作っているのに対して、私の班は中村君に料理を任せ切っている感じで、野球部の斎藤君なんかは元々同じクラスだった長谷川君と連れ立って、キャッチボールに行ってしまった。野球素人の文化系である長谷川君に対し、斎藤君は変化球を全力で投げ込んでいるため、キャッチボールは続かない。まるで、斎藤君の投球練習のようだったし、実際、そのつもりだったのかもしれない。カレー作りは中村君の独壇場となっていたので、大竹さんも遊びに出た二人を止めなかった。大竹さんと私は大きな鍋で玉ねぎを炒め始めた。「体で止めろよー」と大きな声がした。「無茶言うなって」と情けない返答があった。長谷川君が止められなかったボールがキャンプ場の近くに流れている川に落ちたらしく、二人はジャージをふくらはぎの上まで捲り上げ、川の中へと入っていった。川辺にはアゲハチョウがたくさん飛んでいた。 調理場に残った唯一の男子はまだ解凍しきれていない豚肉を一生懸命剥がしている三浦君だった。暇な時間があると、三浦君はよく変な話をした。 「この冷凍肉を狙って熊が出たら、皆は僕を置いて逃げるといいよ。サバンナで襲われたガゼルは、時間の無駄になるのに大きく跳ねるんだって。それは群れに危険を知らせる意味もあるのかもしれないけど、生存競争においては不利にしかならない。でも、ガゼルは本能として跳んでしまう。そんなガゼルに、親近感を感じるんだよね、最近」 私は「へぇ」と曖昧な相槌を打った。大竹さんが大きく溜め息をついた。漏れた溜め息はぬるま湯のような確かな感触を持って、辺りを包み込んだ。 ○ 中村君が最低三十分はカレーを煮込むというので、鉛筆とスケッチブックを持って、散歩に出た。 絵を描くことは私の数少ない趣味の一つだった。描くものはあまり決まっていない。どちらかというと風景というより具体的なものを描く方が多かった。具体的なものといっても、通常の物体とは限らない。さっき「見えた」ぬるま湯のような溜め息。小さい頃から、ああいう確かに在るのに語られることのないものをよく描いていた。 ○ 普通の人���見えないものが見えていると気付いたのは、小学校中学年ぐらいだったと思う。保健室のベットの閉じられたカーテンの向こうから、声にならない泣き声が嵐のように私を包んだときだ。一番強烈に覚えているのは、修学旅行で行った自殺スポットとして有名な滝だった。それはもう、魑魅魍魎や百鬼夜行といった具合でそういうものが溢れかえっていた。霊感の強い友達が「何かいる。嫌な感じがする」なんて言っていたけれど、私の目には、赤黒い怨念がぐるぐるとその子の首を締め付けている姿が映っていた。嫌な感じ、といってお茶を濁して片付けていいレベルではなく、その怨念は確かにその子を殺してしまいたいという強い意志を持っていた。滝は真っ逆さまに五十メートル程落ちていたけれど、滝壺には霧と様々な感情がひしめき合っていて、美しい水面はまるで見えなかった。 私の世界の中に溢れている、確かにあるのに誰にも語られない物や音や色や感触や温度を誰かに伝えるために、気付けば私はそれらをひたすら描くようになっていた。 最初、母は私のことを天才だと褒めちぎっていた。しかし、母の見えている世界ではなく意味不明な絵ばかりを描く私が気味悪くなってきたのか、その内に絵以外の習い事ばかりさせるようになった。それでも、私は時間を見つけてはノートに落書きを描いていた。父がそのノートを見たときは、お祓いをしてもらおうと有名な神社に連れて行った。神主さんはさすがで、ふさふさの大幣を振るう度に光の粒が広がって、とても綺麗だったのをよく覚えている。 ○ この森にはたくさんのそういうものがいて、とても賑やかに見えた。見えると言っても、よくある「黄色いオーラをまとったあなたは・・・」みたいな占いみたいな感じじゃなくて、もっとはっきりしたものだ。例えば、林道にたくさんの鬼火が飛んでいる。見上げた先、枝の隙間には白い地縛霊がふわふわ漂っていた。風が吹けば、葉が擦れる森の音がして、オレンジ色のお腹をした小鳥が地縛霊を突き抜けて飛んでいった。普段、街中では色んな人の色んな感情に押し流されそうになってしまうけれど、森はもっと賑やかで、もっと優しかった。 森の中を描くものを探してさまよっていると、どこまで行っても続く緑に迷い込んで、ぐるぐると回っているように感じてきた。目の前にある大きなカツラの樹が、さっき見たものなのか、それとも初めて見たものなのかも分からなくなる。この道はさっき通った道なのか、それとも皆から離れていく道なのか。普段家や学校の周りで生活をしているときには感じたことのない気持ちが心の中に積み重なって。ぐるぐるぐるぐる。森の中を彷徨っている私と鬼火と地縛霊のどこに違いがあるのだろうか。 尾根に出ると緑のトンネルを抜けて、突き抜けるような青空が見えた。ものすごい高いところをカラスが飛んでいる。枝は大空に向かって伸び、陽光が葉の上にまだ残っていた朝露を輝かせていた。朝露を覗き込むとその一つ一つに虹が入っていた。空色のガラスの中に虹が閉じ込められているようで、とても不思議な光景だった。後ろを振り返って空を見上げると、大きな虹がかかっていた。空。虹。森。とても綺麗だけれど、抱えたスケッチブックに描くには少し大きい。座ってお茶を飲むことにした。ずっと林道を歩いていたので、気付けば息が上がっていた。 つづく (新作短編集「つばさ」より『虹と木漏れ日』)
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