#喫茶東京郊外
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@tokyo_kogai ありがとうございます🤝 #喫茶 #喫茶東京郊外 #東京郊外 #珈琲 #コーヒー #coffee #cafe #カフェ #亀戸 #亀戸グルメ #美味いおり (有限会社グッドフェロー) https://www.instagram.com/p/CmqxTB5SPFi/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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7月26日(金)
木曜日に遊びに来ると思ってた従姉と叔母さんが桃のホールケーキを携えてやって来た。従姉と叔母さんとは最近、よく会う。従姉と同い年で親族なのは少し不思議な気分。向こうの方が陽気なんだけど、一人言を言う癖とか雰囲気がやっぱり似ている。双子ってこんな感じなのかな。みんなで祖母の誕生日祝いをした。平和な一日。
7月27日(土)
引きこもりDay。涼し気な羊羹を食べたり、夕食後に散歩をしたり、無印のライチゼリーを食べたり、夜中にCCさくらを観たりした。
7月28日(日)
花火大会。夜、祖母と歩道橋の上から花火を見た。綺麗だった。花火、好きだな〜ってしみじみ思った。次は近くで観たいな〜。
7月29日(月)
雇用保険番号を調べる為にハローワークへ。人生初ハローワーク。想像していたよりも怖い場所ではなかった。ハローワークに通って就活するのが嫌で避けていたけれど、別にそんな悪いところではないなって思った。その後、図書館へ行き、本をどっさり借りた。夜、母と妹と最近開拓したスーパー銭湯へ。たくさん話せて楽しかった。
7月30日(火)
久しぶりの檸檬会議。私が毎回、場所を予約する担当なのだけど、 いつもと同じ場所でって自分が決めたのに一回だけ利用したことのある場所まで行ってしまい、無駄に歩いた。しかも、暑い日だった。とほほ。色々話した。話すと頭の中がすっきりする。その後、千種へ移動し、バビューというお店へ。タコライスを食べた。豆が沢山!そこでも色々話した。真面目な話題だったな。
7月31日(水)
7月ー!最終日。担当さんと会う予定が朝一で入っていたのだけど、向こうでトラブルが起こり夕方に変更になった。かなり時間ができたので早めに次の予定場所、市役所へ。座れるスペースがあり、そこで日記をまとめて書いた。その机と椅子の高さがわたしの身体にぴったりで、すごく書きやすかった。このぴったり具合、家でも再現出来たらなと思う。そんなこんなでマイナンバーカードをゲットした。ものすごく今更ではあるが、作ったおかげでようやく地に足着けたなって感じである。東京遠征に必要な細々としたものを100均で購入し、ドトールキッチンへ。人生初ドトールキッチン!郊外にしかないらしい。わたしの住んでる場所って郊外なんだな。しらすとたらこのパスタ、豆乳ティーを頼んだ。レジが俳優さんみたいなイケおじだった。たぶん店長だな。ドトールキッチンの雰囲気ととても良くマッチしていた。ドトールキッチン初心者の私に対し、とても丁寧に対応してくれた。それだけでハッピーな気分に。割引クーポンもお付けしちゃいましょう〜と言��れ、わ〜!って感じ。そこで、檸檬のインスタにアップする用の月報をまとめた。帰宅し、15時頃、ギターの練習。弾き方をビデオ通話で伝授してもらった。全く弾けなかった。5日までに間に合わせなくちゃ。夕方、担当さんと会い、新しい職場の諸々の手続き。雇用保険に入れて安心。雇用保険って本当に大事ですから。急にどこかしら身体に不調って現れますからね。
8月1日(木)
8月〜!8月は夢中になって動く。新しい職場1日目。話を聞いただけなのにヘロヘロになってしまった。お昼を食べて、ゲームして終わり。帰りにカフェ・ド・クリエへ。レモンスカッシュを飲んだ。寄り道できる場所が栄えていて楽しい。仕事帰りに無印にも行けちゃう。これはかなり良いポイント。良いところを見つめるとテンションが上がる自分の単純さが好き。帰宅後、担当さんと電話。困ったことあったら、なんでも良いのでとにかく電話してくださいねと強く念を押され、はい〜と気の抜けた返事をしてしまったら、ツボに入ったのか電話の向こうであはははと笑われた。
8月2日(金)
新しい職場2日目。名前がわかる人が増えた。明るくてコミュ力が高い人と仲良くなると、自分で無理矢理頑張らなくても自然と関わる人間の数が増える。そのことを前の職場で身に染みて実感したのだけど、この職場でも実感した。今のところ、怖い人は居ない。この日は結構汗だくになった。汗だくになって動いてたらとりあえず、印象は良くなるんじゃないか?と思い、残業もばっちりこなして帰宅。
8月3日(土)
一日休み。早起きしてご飯食べて寝てしまったので結局ぐだぐだしてしまった。外は暑い。危険な状態。無理に出かけなくたって良いのである。だから、ぐだっても自分を責めないで…。ギターを弾きすぎて左手の手首が痺れて、やばいかも?と思い、ちょっと怖くなった。これが腱鞘炎…?匙加減って難しい。腱鞘炎になるまで練習したことなんてないから、やばい領域に足を踏み入れかけてしまった。
8月4日(日)
早起き成功!長距離バスに揺られている。ギターを載せてもOKなバス会社さん、ありがとう。毎回こちらにお世話になっている。最近知ったのだけど、フード付き座席はカノピーというらしい。可愛いらしい。もうカノピーの虜。身体の負担を軽減させたいならバス代はケチらない方が良い。サービスエリアでは毎回降りた方が良い。にしても、外は暑いなあ。浜松と足柄だと、足柄のサービスエリアの方が観光感があって好きだな。
8月5日(月)
6時間のREC終わり。なか卯へGO。親子丼がしみた。その後カラオケへ。ヘトヘトだった。眠すぎた。目が開かない中、2017年を代���するMVをひたすら観た。楽しい時代。夜の街を歩くところが登場しがち。ベタにかっこ良いのが良い。朝になり、ようやく東京から出た。帰りのバスは別々で少し寂しかった。
8月6日(火)
曲を作った。良い曲だと思う。最近、自分に”さきメロ”というあだ名が付いていることを知り、曲ができた時にその言葉が頭に散らついた。バリバリ仕事の日々だからこそ、ギターに触れるぞーっていう気分になる。音楽が1番難しくて楽しい。
8月7日(水)
誤って消してしまったー。Roger Nichols & The Small Circle of Friendsって良いよねという話を結構ガッツリ書いたのに…。
8月8日(木)
仕事に慣れてきた。ベトナム語の挨拶を覚えて早速試してみたら、すごく喜んでくれて嬉しかった。話の内容がどうこうっていうより、通じ合おうとする気持ちが大事。
8月9日(金)
職場で褒められ上機嫌。褒められると伸びるタイプだと思う。連休明けもこの上司と一緒に仕事ができるので嬉しい。午前中、身体が重くて熱中症になりかけて焦った。コンビニでC1000を買って、ぐびっと飲んだら午後からはスムーズに動けた。C1000に感謝。
8月10日(土)
CCさくらを観に行こうとしたけれど、チケットが売り切れていて断念。大人気!悩んだ挙句、ボンボンへ。並ぶかと思いきや、お昼前だったからかすんなりと入店。レモンケーキが無くなっていた。サバランとヤサイサンドと珈琲。妹はカルピスと杏仁ゼリー。ボンボンに初めて来た妹の反応が良くて嬉しかった。お土産コーナーにてノートとメモ帳を購入。8月生まれの両親へお土産の桃杏仁ゼリーも。有料になるが、3〜4時間耐えられる保冷剤を入れてもらえ、猛暑でも安心。電車とバスの乗り継ぎが上手くいかないと1時間以上の待ち時間が発生する。2時間に1本のバスというのはなかなかに不便だ。不便だけれどその分、最寄りの喫茶店へ立ち寄る機会が生まれ、初めて入店。この夏、初めてのかき氷を頬張った。
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2023.9.18mon_tokyo
牧野容也「City」リリースツアーの真っ最中。東京、名古屋、甲府、神戸と廻って、今日は神戸から最終地点の岡山へと車で向かう1日。
車移動のツアーの醍醐味は、土地土地の隠れた名店に寄り道出来ること。大抵の場合、各バンドに1人は優れた飲食店を見つけるレーダーを備えたヤツがいるもので…我ら牧野バンドは、前日の昼食で〈世界一カッコいいカツ丼セットを出す蕎麦屋〉を引き当てた、あだちレーダーぶ郎ことあだち麗三郎に今日のお店選びを託すことにした。
メンバーからの「洋食」というリクエストもあり、兵庫県は相生駅そばの洋食店〈ファミリーキッチン スピカ〉にチェック・イン。あだちレーダー、本日はいかに。
店内は広く、ファミリーレストランのような開放的な雰囲気。私はランチAセット(有頭えびフライ&デミグラスハンバーグ)に、迷わずオプションの自家製牛すじカレールーをチョイス。もちろんライスは��盛りだ。
BGMは意外にもBTSやジョン・バティステなどイケイケで、曲のテンポが上がるにつれて空腹感と期待感も高まっていく。さて、お味はいかに。
料理が到着してまず驚かされるのは、その立体感。どっしりとしたハンバーグの横にそびえ立つのは、エビフライ。ふんだんに添えられたタルタルソースが嬉しい。それぞれの料理を下支えする千切りキャベツと、ナポリタンスパゲティの献身も見逃せない。大盛りライスはなんと一合分とのことで、その豪快なフォルムに思わず笑ってしまった。
まずはハンバーグ。近年チェーン店を中心によく見られるお肉ゴロゴロタイプではなく、挽き肉がギッシリ詰まった昔ながらのハンバーグ。赤みの強い(おそらくトマトベースの)デミグラスソースとの相性も抜群で、ライスがみるみる進んでいく。
エビフライは贅沢に頭付き20センチをゆうに超えるしっかりとした身、厚めの衣のおかげもあって食べ応えバッチリ。命を頂いてることを実感出来る味だ。
メンバー一同が感動していたのは、オプションの自家製牛すじカレー。牛すじのコクと旨みが充分に染み渡ったドロっとしたルー、辛味と酸味のバランスが絶妙で、スプーンが止まらない。ライス大盛りをオーダーした自分を褒めてあげたい。もちろん完食。食後は喫茶店然としたアイスコーヒーで〆。ごちそうさまでした。
岡山のライブは、手違いでピアノがないことが到着してから判明。急遽小さいシンセと、鍵盤ハーモニカだけで演奏することに。シンセポップと化した「ゆれる」や新曲の「雷」など、ツアー最終日にして新しいアレンジが生まれ、スリリングかつ燃えるライブとなりました。
こういうトラブルが起こっても動じないのが牧野バンドの強み。そういえば昨日、カナミネケイタロウは会場にぶら下がってたベースを本番で使っていたし、演奏も含めて有機的に変化していくところがこのバンドを楽しめるひとつの理由なのだ。
ツアーを通して鍵盤ハーモニカを使うのは自分にとっても初めてのことだったけど、改めて良い楽器だな、と。そもそもピアノやキーボードは、弦楽器や管楽器、打楽器と比べて、手元で音が鳴っている実感を得にくい楽器。ピアノはハンマーを使って弦を叩くから、どうしても弾いてから音が出るまでにわずかなタイムラグがあるし、キーボードはそもそもPA機器やアンプを通さないと音が鳴らない。その点鍵盤ハーモニカは自分の吹く息と音が直結しているから、音量やニュアンスのコントロールが出しやすい。若い頃は「どうして大人がわざわざ鍵盤ハーモニカを使うの?」と思っていたけれど、なるほどどうして。次の牧野容也バンドのライブは「なるべく電気を使わない」ライブとのことで、より一層鍵盤ハーモニカが活躍しそうだ。
終演後は会場近く��居酒屋〈みつの〉で一杯。あだちレーダーぶ郎のオーダーしたがんもどきが逸品で、思わずあだち君とアイコンタクト。あだち君とはもう10年の付き合いになるので、わざわざベラベラ喋らなくても目と目で通じ合う関係になりつつあることを実感してしまった。
岡山の青木さんの勧めもあり、明日の朝食は「給食のソフト麺をレベル99にした」(青木さん談)うどん店〈名玄〉に決定。バンドマンはみんなこのような食の情報を求めています。ファンレターに添えてお送りください。
1日の締めくくりは、今年2月に六角精児バンドで岡山に来た際に六角さん連れて行ってもらった〈中華そば山冨士〉を再訪。少し甘めのスープと麺の絡み、ごろっとしたチャーシューとしなしなとメンマがたまらない。どのタイミングで食べるかがイマイチ不明なオプションのいなり寿司も含め、大変美味しゅうございました。
宿に戻ってUNOでもしようと思ったら、みんなそそくさと就寝。次のツアーはトランプにしよう。明日は帰路です。それぞれの住処へ帰ります。あだち君は1週間ほど広島、四国、九州などを周って整体とライブをするらしい。見かけたら応援してあげてくださいね。それでは、おやすみなさい。明日もよく食べよく遊び、最高の帰路にしようぜ!
-プロフィール- 谷口雄 37 東京近郊 鍵盤楽器奏者/プロデュース/執筆 東京生まれ。森は生きているのメンバーとして2013年にCDデビュー。 2015年の解散後は、様々なミュージシャンのライブ/レコーディングに参加。2016年からはレコード&トークイベント「ミッドナイト・ランブル・ショー」を神保町試聴室で毎月開催。
https://instagram.com/yutanigu_ch https://x.com/yutanigu_ch https://note.com/mnrambleshow
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ザ・パークハビオ
江戸川区の最大の特徴は、区民の平均年齢が41.4歳と23区の中で最も若いことです。 これは、特に子どもの数が数字に反映されるためで、平成24年1月1日時点の東京都の市区町村別年齢別人口統計によると、0歳~14歳の人口比率は約17%を占めています。 私はここにいます。 国勢調査のデータによると、28.3%が既婚子持ち世帯、19.0%が4人以上の世帯、3.35%が3人世帯で、いずれも23区の中で最も高い。 合計特殊出生率は 1.45 で、23 区平均の 1.16 を大きく上回っています。 江戸川区といえば、東京東部臨海部の繁華街を代表する区の一つですが、太平洋戦争では大型台風の直撃や家屋倒壊など大きな被害を受けました。 . 海抜が低い地域と揶揄され、津波や洪水の危険性が高いことが懸念されています。ザ・パークハビオ
臨海部の住宅開発により、子育てしやすい区として多くの若者の流入に成功しています。 ディズニーランドに行きやすいところも、子育てファミリーの魅力の一つかもしれません。 支援制度は子育て世帯だけでなく、中高年向けの「家賃補助制度」や高齢者向けの配食サービスなども充実。 区内のスポーツセンターも温水プールなど設備が充実しています。 やはり海抜の高い地域が多く、自然災害のリスクが高いからです。 しかし、家賃が安いので外国人も多く住んでおり、国際色豊かな街です。 492haの広大な敷地を持つ葛西臨海公園は緑豊かで砂浜もあり、日本の渚百選にも選ばれています。 動物園併設の公園もあり、区内の公園面積は756haと23区の中で最大です。 水族館では魚も見ることができます。 区内を流れる江戸川や那珂川でも自由に遊べます。 荒川沿いには2003年に小松川千本桜、2013年には新川千本桜が完成し、多くの市民に人気の花見スポットとなっています。 江戸川区は若者の流入が活発ですが、江戸時代から庶民の街として栄えた長い歴史を持つエリアです。 江戸川区には伝統工芸品や特産品もあります。
江戸切子は東京都の伝統工芸品の一つで、主に江東区、江戸川区、墨田区などで作られています。 ガラスの表面に金の板や砥石を使って様々な模様を刻む技法です。 18世紀初頭頃から鏡、眼鏡、風鈴などの製造が始まり、明治時代に入るとヨーロッパの技術が導入・近代化され、東京の地場産業となりました。 2002年には東京都の伝統的工芸品に、2014年には経済産業省より国の伝統的工芸品に指定されました。 もうひとつ、江戸川区を代表する商品が小松菜です。 江戸時代の将軍が江戸川区の小松川村に鷹狩りに訪れ、小松菜の入った澄んだ汁を好んだことから村名がついたと言われています。 江戸川区は今でも作付面積第1位。 カルシウムや鉄分を多く含み、今や全国どこでも一年中食べられる野菜になりました。 現在、江戸川区がこの小松菜のブランド化に取り組んでおり、生で食べられる新しいサラダ小松菜が誕生しています。 近年、急激な人口増加により若い世代に人気の江戸川区ですが、治安面で不安の声も多くあります。 子供が多く、ディスカウントスーパーもあり、都心へのアクセスも便利という利点から、空き巣や強盗などの犯罪が多発しています。 長い間、江戸川区は北側を鉄道しか通っていない交通アクセスの悪さから「孤島」と呼ばれていました。 1969 年の東西線開通、1983 年から 1986 年の都営新宿線開通以降、この問題は徐々に改善されてきた。
現在、都心と千葉エリアを結ぶ東西線は完成していますが、区の南北を結ぶ鉄道路線はなく、交通手段はバスのみ。 バスの路線数を増やすなどの対策がとられていますが、1世帯あたりのマイカー保有率は23区内で5位であることからもわかるように、クルマは生活の必需品です。 杉並区は23区の西部に位置しています。 区名は青梅街道沿いに杉の木が植えられたことに由来するが、現在はそのような木はない。 杉並区は、関東大震災後、多くの人が杉並区に移り住み、郊外住宅地として発展してきました。 緑被率は23区で3位、人口密度は11位というデータを見ると、広々とした住宅が立ち並ぶ街であることが想像できます。 震災後に杉並区に転居した者のうち、富裕層は防災のため都心部には戻らず、杉並区にとどまり、広々とした邸宅を建てて優雅な生活を送った。 戦前から文人や画家など多くの文化人が暮らしてきた。 杉並区は、専業主婦の就業率23位、専業主婦率1位、シングルマザー率1位、離婚率23位、高卒大学進学率が高い区です。 . 東京の山腹を代表する住宅地の多いエリアです。 そして杉並区の魅力はそれだけではありません。 沿線には若者が多く住むエリアがあり、安くて魅力的なお店が並んでいます。
意外にもレジャーマダムだけでなく、若い人も多いです。 杉並区は専業主婦が多く、広々とした家で優雅に暮らすだけではありません。 杉並区に住む年齢層別の住民比率を見ると、18~29歳の若者の割合は男性4位、女性2位、全体では3位です。 中央線沿線の吉祥寺、荻��、西荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺エリアに多くの若者が住んでいます。 個性豊かな雑貨店や古着屋、古本屋、ジャズ喫茶、ライブハウスなどが軒を連ねるエリアです。 生活しやすい大きな商店街もあり、乗り換えなしで移動できる新宿へのアクセスも非常に便利です。 昭和の高度経済成長期に生まれ育った人にとっては、広大な土地を持つ一戸建てが杉並の生活かもしれませんが、20代の若者にとっては、音楽や古き良き文化、 、 バラエティショップに囲まれ、毎日刺激を受けながら生活を楽しめるのが杉並の魅力です。 この2つの特徴が、杉並区が住みたい街として人気の理由です。この2つの文化がうまく受け継がれ、融合し、独自の杉並文化が生まれています。 現在、杉並区では音楽を通じたまちづくりに積極的に取り組んでいます。 設備の整った公会堂や毎年恒例の音楽祭など、音楽の街としての地位を築いてきた杉並区。
アニメも地場産業の一つと捉え、その発展支援にも取り組んでいます。 荻窪音楽祭は杉並区を代表する音楽活動の一つです。 21世紀荻窪考える会が主催し、クラシックコンサートを通じて荻窪のイメージアップに貢献してきました。 荻窪駅周辺の銀行、協会、音楽スタジオ、喫茶店など様々な場所で期間限定で音楽フェスが開催されます。 運営スタッフを募集し、ボランティアで開催しています。 無給のスタッフに加え、街のバリアフリー化や音楽祭開催のスポンサーを募り、音楽祭の資金を募っています。 区民が運営側と出演者に分かれて開催する荻窪音楽祭は、2016年で28回目を迎え、町おこしの一大イベントに成長しました。荻窪音楽祭の他にも、 もう一つの有名な音楽イベントは阿佐ヶ谷ジャズストリートです。 1995年のスタート時は、小学校の体育館や企業ロビー、ライブ会場など13会場で開催されていましたが、現在では60会場以上に規模を拡大。 音楽の力で街を元気にするために始まったこのイベントも、地元の有志によって運営されています。 全国に600のアニメスタジオがあると言われ、そのうち70以上がここ杉並区にあります。 杉並区にアニメ関連の企業が多く設立されたのは、自社の住居を確保したことと、交通の便がよかったからです。
杉並区は都心へのアクセスが便利なだけでなく、静かで広々とした緑豊かな環境で仕事に没頭しやすい環境です。 杉並区は、日本で初めてアニメを地場産業として位置づけ、その発展を後押ししています。 2014年3月には、線路下にアニメ関連のショップが集まった施設「阿佐ヶ谷アニメストリート」をオープン。 日本のアニメーションの歴史を紹介するアニメーションミュージアムも開館し、展示のほか、ワークショップやアニメーションの上映会など、さまざまなプログラムが用意されています。 アニメウォークという街歩きイベントも。 アニメーション制作者と視聴者が交流する場として、アニメーション産業の発展をサポートするイベントです。 練馬区は、1947年8月に22区制であった板橋区から分離して設置されました。 練馬区は、東京都の北西部に位置し、23 区の中で最も標高が高く、面積は 23 区で 5 番目、人口は 2 番目です。 まだまだ畑が多いことから「緑豊かな区」というイメージを持たれている方も多いと思いますが、区は農地だけでなく公園もたくさんあります。 緑の多い練馬で���、農業が主要産業の一つです。 2013 年 1 月現在、農地面積は 240ha で、23 区の中で第 1 位です。 農家数も372戸と1位ですが、33%の農家が農地面積0.3ha以下、約4割が農家収入0~49万円、500万円未満です。 9割のデータを見ると、大規模な農業をしている人は少ないことがわかります。 1975 年に 746 ヘクタールの農地と 1,342 戸の農家があったことを考えると、農業が衰退していることは明らかです。 農業以外にも、練馬の知名度を上げたアニメがあります。
練馬区には、90 を超えるアニメ関連企業、大学の芸術学部、音楽大学もあります。 都心へのアクセスの良さ、緑豊かな環境、家賃の安さは漫画家志望者の求める条件であり、日本を代表する漫画家が次々と誕生しました。 農業では地元の特産品をブランド化することが多いですが、かつて練馬には練馬を代表する野菜である大根がありました。 練馬大根は江戸時代から盛んに生産され、明治時代になると日清戦争や日露戦争により需要が高まり、その名は国内外に知られるようになりました。 大正時代になると、首都東京に人口が集中し始めます。 この頃から、練馬地区は都心部の農産物の供給拠点となり、その役割は年々強くなっています。 最近では大根の生産も盛んです。 練馬の農業は、鉄道の開通により流通が活発化し、拡大期を迎えました。 練馬大根の最盛期は、明治末から昭和初期の約25年と言われています。 昭和の終戦とともに、それまで大根漬けの一大供給地であった軍部の解体により、大根の生産は衰退し始めます。
大根の収穫は大変だったので、農家は大根からキャベツに主力生産を移しました。 現在、大根は練馬ではほとんど生産されていません。 農地面積は、1975 年の 745.6ha から 239.8ha へと減少し、2012 年度には 3 分の 1 以下となった。 練馬区内の農家・農家数は、1975 年の 1,342 世帯・7,232 人から 2012 年には 498 世帯・1,075 人に減少している。 、ブルーベリーとブドウ、およびその他の植物の 3,549 ヘクタール。 平成23年度東京都土地利用面積データによると、練馬区の農地利用率は区総面積の5.1%で第1位。 23区で最も農業が盛んな地域ですが、全体として農業の規模は縮小傾向にあります。 農産物の出荷量や作付面積は減少していますが、練馬区ではこれまで培ってきた農業のノウハウや既存の人材を活かし、農業を観光資源として活用しています。 大都市東京に近いという利便性を活かし、練馬区には現在約30のブルーベリー農園があります。 農業を観光資源化し、他地域から多くの観光客を呼び込む練馬の生き残り策の一つとして注目されています。 また、小学校での総合学習の一環として、区内の田んぼや果樹園を積極的に小学校に開放し、次世代への農業振興を積極的に行っています。 小中学校での田植え、カキやキウイの選別、受粉・収穫、野菜くず・残飯などの体験を通じて、子どもたちの農業への関心を高める活動。 肥料にリサイクルされています。 日本のアニメーションは、その技術とソフトウェアの両面で海外から高く評価されるようになりました。
練馬区は、日本一のアニメタウンとしてアニメ発展の歴史に深く関わってきました。 区内のアニメーションスタジオが日本初のアニメーションを制作し、1963年にはテレビでアニメの放送が始まりました。 当時の漫画家や後に有名になった漫画家のほとんどが練馬区で働いていました。 現在でも90社以上の関連会社が練馬に集まっています。 練馬区では、区が主体となってアニメ産業を戦略的に強化するための政策を策定するとともに、多数のアニメ関連産業を誘致することで区内産業全体の活性化に向けた活動を行っています。 国勢調査によると、2000年から2005年までの中央区の人口変化率は135.7%、2005年から2010年までは124.8%でした。 どちらのデータも、日本で最も高い人口増加率を示しています。 これを見ただけでも、中央区がますます人で賑やかになっていることが想像できます。 また、2020年のオリンピックに向けて、晴海に選手村が建設され、敷地内に約6,000戸の住宅が建設されます。 江戸時代から現在に至るまで、日本の文化・商業・情報の中心地として発展してきた中央区は、今後も人口が増加し続ける日本最大級のメガシティとして君臨しそうです。 順調そうに見える中央区ですが、紆余曲折がありました。 現在増加傾向にある人口は、1960 年から 1980 年までの 20 年間で 16 万 1000 人から 8 万 3000 人に減少しました。失われた人口を補うために、区は住宅建設を促進するためのさまざまな政策を導入しました。 中央区は区内定住者数の増加に成功したものの、その生活を支えるスーパーマーケットなどの商業施設や、子育て世帯が望む大規模な公園が不足しています。 便利で住みよい街を目指した地域づくりが今後の課題と言えます。 中央区だけでなく、現在の千代田区や港区などトップクラスの23区でも入居者が減少。ザ・パークハビオ
この時期は「都市のドーナッツ化現象」と呼ばれた。 高度経済成長期と呼ばれる1954(昭和29)年から1973(昭和48)年は、急速な都市化の時代でした。 石炭から石油へとエネルギーが変化する中、東京湾沿岸には次々と工場が建設され、産業が発展していきました。 都市部の工業化が進み、所得が増加した結果、裕福な人々はより良い生活を求めて広々とした家に住みたいと思��ようになり、郊外に一戸建てを購入するようになりました。 私はそうでした。 この時期、都心部の大企業のオフィスや工場が集中する地域から、快適な住環境を求めて人々が離れていった。中央区では1957年から人口が減少に転じた。 バブル期に入り、中央区の地価が上昇したことで人口はさらに減少し、2000年1月1日現在、69,695人にまで落ち込んでいた。 バブル期の終焉後、都心部の不動産が大量に解放され、比較的安価な住宅が大量に供給されるようになり、都心部に住む人が増え始めました。 これがアーバンリターン現象の始まりです。 中央区は1981年に定住人口10万人を宣言し、1988年には定住人口回復の年を宣言した。 続々と紹介されています。 これらの施策により、長年減少傾向にあった中央区の人口は1998年から増加に転じました。 隅田川流域の住宅開発により、30~44歳の子育て世代の割合は33.9%を超えています。 これは、23 区の平均である 26.0% を大幅に上回っています。 2005 年から 2010 年までの 6 歳未満の子供の人口増加率は 56.0% と、23 区の平均である 5.7% をはるかに上回っています。 2020年東京オリンピックを控え、全国から注目を集めるエリアとなる中央区。 人口が増加の一途をたどる一方で、生活関連施設の整備が遅れています。 前述のように、日常の買い物ができる店舗はまだまだ不足しています。 大型スーパーはなく、食品スーパーも少ない。 ミニスーパーも増え、買い物の悩みも少しずつ解消されつつあります。 また、緑被率が23区内で最も低いことからもわかるように、緑のある公園の数は非常に少ないです。
浜離宮公園を除く公園面積率は23区中20位。 小さいお子さんがいるご家庭にとっては、外で遊べる場所がないというのは深刻な問題です。 現在、中央区内にはオリンピック選手村跡地や築地市場跡地など、いくつかの再開発候補地があります。 これらの広大な敷地を今後も住居専用にするのか、それとも緑の広場を追加するのかについては、議論の余地があります。 東京都が作成した東京都の人口によると、千代田区の人口は昭和35年以降減少傾向にある。 都心復帰の影響。 2016 年 1 月 1 日現在、千代田区の人口は 55,131 人です。 東京23区の中でも大きな役割を担う千代田区は、一言で言えば昼と夜の人口差が最も大きい区です。 昼間は人口が多く、夜間と夜間の差は20倍。 日本一にぎわうオフィス街には家がほとんどなく、夜もほとんど人がいません。 千代田区は23区の中で最も人口が少ない区です。 居住者が非常に少ない地域です。 夜間の人口が少なく、昼間の人口が多いということは、この区は昼間に多くの人が働きに来る場所です。 千代田区は業種別に分類しやすいです。 丸の内や大手町は大企業が集積するビジネス街であり、日比谷や有楽町は銀座の繁華街に近いため商業施設や娯楽施設が充実しています。
パークアクシスブランド レジディアブランド コンフォリアブランド パークハビオブランド プラウドフラットブランド パークキューブブランド アーバネック��ブランド ルフォンプログレブランド カスタリアブランド オーキッドレジデンスブランド ディームスブランド ブリリアブランド 東京都心のブランドマンション 白金ザスカイ仲介 ワンルーフレジデンス田町仲介手数料無料 ザ・パークハビオ渋谷クロス仲介手数料無料 コンフォリア新宿イーストサイドタワー仲介手数料無料 パークタワー勝どき仲介手数料無料 HARUMI FLAG/晴海フラッグ仲介手数料無料 白金ザ・スカイ仲介手数料無料
ここにアクセスしてください:https://parkhabiomaster.site/
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札幌ラバーズ
先週の土曜日に、神奈川から帰札した友人に会う。いつの日か「魅力的な女っている?」と聞かれた時にあなたですと答えたかった相手だ。「✳︎✳︎も私も女でよかった。もし男だったら恋しちゃってたと思う」とは公言している。今回、彼女は5日間の休暇を無理やり取ったらしい。札幌の隣の隣の岩見沢市で行われるジョインアライブという夏フェスに一緒に行く予定だったけれど、このご時世で中止になっていた。代わりに、映画イベントのチケットを取ってある。
大通駅で待ち合わせる。改札出る前には彼女が椅子に座っているのを見つけていた。わたしは待ち合わせ場所で人を見つけるのが得意だ。でも近寄っても顔を上げてくれないから、人違いかと思ってしまう。隣に座っても微動だにしない。彼女の前でしばらく立ったり座ったり右往左往して、トントンと肩を叩くとビクッと顔を上げる。「めっちゃ夢見てた」と。そしてすぐに「札幌ってやっぱり空気違うわ。札幌の匂いがする。空気質ってのがあってね」とiPhoneの天気アプリで空気質のゲージを見せてくれる。神奈川に比べて札幌の方が空気質が良いらしい。ともあれ、札幌の匂いを感じとる彼女のことを羨ましいと思った。こんなにも札幌が好きなのに、その匂いをわたしは知らない。
事前に行きたいと言われていた喫茶店でかぼちゃのケーキを食べ、さっぽろテレビ塔の前で過ごす。「やっぱり札幌がサイコーだわ。都会だけ好きなら関東でいいけれど、都会と自然の中で生活したいなら札幌だわ」と言われ、来年に神奈川から札幌に帰る予定でいることを明かされる。途中、セブンイレブンでおにぎりとおでんを買って、オリンピックのモニュメントの横で食べる。9月1日過ぎたら、北海道のコンビニではおでんが売られる。「でも、札幌って辺鄙な地方都市すぎて、わたしは何も知らないのかもって思うよ」と言ったら「5大都市���一つだよ。向こう行ってわかったけれど、札幌は全然都会」と返され、札幌は良いよサイコーだよと繰り返される。
本当は、仲の良い友人のほとんどが東京近郊に行ってしまった時から、わたしも上京すべき人間なのじゃないかと思っていた。札幌はわたしという器には小さすぎるかもと思う反面、札幌という植木鉢隅々まで根を巡らして、自分が根詰まりしている感覚がある訳でもない。なんならひとり上京する勇気はわたしにない。「外で物を見るって経験は必要かもねー。だからわたしも帰ってくるよ」と言った彼女は、そういや去年山梨で5年おきに日本各地に引っ越したいと言っていた。他を知ったからこそ、ここは唯一無二だと思えたのだろう。彼女は札幌は良いよ良いよとまだ繰り返すから、札幌を選んで住まう自分のことがなんだか誇らしくなってきた。
パルコの屋上へ行く、白く大きな壁にプロジェクターが映されている。9月になれば残暑なんてなく、涼しい。パルコトップザシネマ。パルコのあの匂いと、まだ夏含む秋風と、卒業前夜に青春を駆け抜けようとする愉快でパワフルな洋画と、オハヨウコーヒーの甘味にうっとりする時間だった。彼女と来られてよかった。
帰路は、南1条を歩いて、菊水まで行く。1条大橋から見える豊平川を写真に収めようとしてやめた。とても気持ちが良くて、何ものにも代え難い夜だった。男についていく以外はずうっと札幌にいるのだろうなと街の光を僅かに反射さす豊平川の水面に馳せる。「でも冬がなー」と返すと「わかるよ。札幌で冬の楽しみが見いだせなくて、それだけで出たもん」と言われる。札幌の秋は瞬きする間に終わる。5大都市、日本最北の政令指定都市である札幌で、秋の終わりにわたしは24歳になる。来年彼女が帰ってきたら、こんな夜が増えるのだろう。「また日本のどこかでー!」といって別れる。
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tofubeats RUN 制作日誌
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まず最初に「寝ても覚めても」の脚本を読んで、とても戸惑った。世間体に囚われず自分の思うままに動く主人公、朝子の気持ちがあまり理解できなかったからだ。ただそういった理屈じゃないところに人間らしさというものがあるというのもよくわかる。まずは映画が終わったあとに見ている方々が朝子のことを嫌いにならないような曲にしたいな、というようなことをボンヤリ考えた。 今回の映画の鍵になるのは淀川らしい。我々関西人には馴染み深い川だ。淀川~音楽と聞くと上田正樹「悲しい色やね」しか出てこない。実際脚本を読んでからこの曲を聴くとそれなりにハマるのだ。ただ残念ながらああいうソウルフルなボーカルは自分にはできないので、まずは川についての認識を改めよう。脚本を読み込んだあと、書店に行き、ブルーバックスの棚から「川はどうしてできるのか」を購入することからこの 曲の制作は���まった。こういう本を読んでいると日能���に通っていたころを思い出す(きっと最後に真面目 に勉強していたのがその頃だったからだろう)。読み始めて早々に「河川の3作用」という懐かしい項目にぶつかった。皆さんは覚えているだろうか、侵食、運搬、そして堆積。なんだかこれで曲ができそうな気がしてきた。こういう予感は当たる時の方が少ないのだが、RIVERはそんなアイデアをもとに叩きが仕上がった。 1箇所を除いてほとんど最初に書いた歌詞が採用された。
8月某日、主題歌がひとまず仕上がりサントラに取り掛かっている最中、映画のロケが神戸でも行われるということで見学に行ってきた。その場所は六甲アイランドという埋立地で、独特の雰囲気がある人工都市だ。行きしに昔よく行っていた御影クラッセで差し入れを買う。きっと映画のスタッフはさぞ大人数なこと だろう。普段は買わない大きなサイズを買ってみる。早めについたアイランドセンター駅の周りは閑散とし ており、夏の空気がじんわり漂っていた。少し辺りを所在無さげにうろついているとスタッフの方に見つかる。本来は閉館中の美術館に裏口から入れてもらうさなか、本当にこの中で映画のロケなんてしているのだろうかと不安になった。 中に入ると撮影真っ只中。まだ知り合う前の主人公2人が美術館の中ですれ違うシーンが何度も別アングルから撮影されていた。大阪の国立国際美術館周辺から移動してきてここ神戸で美術館の内観を撮影する、というスケジュールだったようだが、話を聞けばこの日はセリフがあるシーンはほぼ撮らないという。2人 の足音と東出さん扮する麦が歌う鼻歌だけがひっそりと響いていた。映画を撮るというのは音楽を作るよりも遥かに大変だな、となんとなく撮影を眺めているとひと段落したタイミングで「トーフビーツさんからバー ムクーヘンの差し入れで~す!」とスタッフの声。映画の現場ではこうして差し入れを周知させるという慣習を知らなかったのでめちゃくちゃ驚いた。ちゃんと差し入れを持って行っておいてよかったと胸を撫で下ろす。 のほほんと見学している自分以外の皆様は仕事中。監督や主演のお二人への挨拶もそこそこに車に乗って家路につく。美術館を出るともう見慣れた景色に逆戻りで、あんなに画になるふたりを神戸で暮らしていて 見ることなんて無いので変な気分だった(だが、後に唐田さんとビデオで共演させていただくことになってしまい、さらに時空は捻じ曲がる)。車に乗り込み、��ょうど本土に向かう橋の手前でロケバスと隣り合わ せになった。きっと映画のスタッフの皆様が乗っているのであろう。一方でひとり家路につく自分の仕事は つくづく小編成だなと思いながらハンドルをロケバスと逆の方向に切った。湾岸から本土への橋を走っている時は、光の中に飛び込むようで気持ちが良い。家に帰ればまだまだサントラの制作が待っている。
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神戸某所の洒落たカフェでジャンプのお色気枠の漫画をipadで読むのが仕事になるとは思っていなかったが、以前にもカドカワのお色気映画の主題歌を書いたことがあった。こう言った類のラブコメと縁がある人生、オタク冥利に尽きますね。「電影少女」を全巻読むところから始まったこの仕事、RIVERといい資料に向き合う作曲が今夏は多い。漫画と脚本を行き来して要素を書き出していく。ドラマの要素、漫画の要素、そして西野さん(劇中で西野七瀬さん扮するアイちゃんが歌うということは最初から決まっていた)。こうして曲のデモが出来上がってから同じカフェで3日くらいかけて仕上げたのがふめつのこころの歌詞だ。TVサ イズの制約や歌唱キーのこともあり、いろいろと縛りの多い中で展開させるためテンポもこれまでのシング ルで一番早いし、イントロもほとんど無い、自分としては珍しい曲ができた。 ちなみにここでいう「こころ」というのは自我、とか意思というものに近い、と当時の走り書きに書いてある。ビデオガールは恋をしてはいけないし、主人公の翔も自分から行動するのが苦手だ。自ら扉を叩くというのは簡単なことではないのだが、だからこそそういう「こころ」を持って欲しい、というテーマに最後は収まった。きっとそういったことを皆に気づかせるためにアイは降臨したはずなのだ。前のアルバムの若林さんによるライナーノートやその時読んでた本もヒントになったかもしれない。
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先ほども書いたがふめつのこころは西野さんによって歌われることがあらかじめ決まっていた曲だ。レコーディングは師走真っ只中、電影少女の撮影の合間を縫って行われた。テレビ東京に到着するとちょうどアイ がふめつのこころに合わせて踊っているビデオの撮影最中。いつのまにか可愛らしい振り付けが付いていて驚いた。しかし流れているのは自分の仮歌だ。これももう少しすれば目の前にいるアイに吹きかえられる。 まだまだ大量の撮影を控えている西野さんはアイの格好のままスタジオにやってきた。簡単な挨拶を済ませてから、話もそこそこにレコーディングへ。いつもグループで多忙なアイ、いや西野さんはソロでのがっつりしたレコーディングは初めてだという。歌は上手なのだが控えめな声量で、少々珍しい設定で録りが始まる。前回��アルバムのレコーディングで逆に自分の声がバカでかくて逆方向に珍しい設定になっていたこ とを思い出す。 ところどころグッと張ったときに魅力的な声を出す人ですね、などエンジニアの方と話しながらレコーディ ングは進行。メインのメロディを録り終えてから次はハモ、というところで、「実は一人でハモりを録ったことないんです」と西野さん。慣れない作業かもしれませんが頑張ってみましょう、とキューを返して録り始めるが、とくに大きな躓きもなく終了。西野さんは同じくアイの格好のまますぐに撮影のスケジュールに戻っていった。トップアイドルの過密スケジュールは大変だなあ(それに加担しているのだが)と西野さんを見送り、ハウスエンジニアの方が素材を整理するさまをコーヒーを飲みつつ眺めていた。我々の希望に反して残念ながらアイ歌唱のバージョンは音源としてリリースされることはなさそうだが、この曲はこのバージョンのために書き下ろしたことをここにメモしておく。そういえば今作はもう1曲お蔵入りになった曲がある。 現場でよくプレイしているがサンプリングの許可が降りなかった。FANTASY CLUBの海外版に「BABY」 が収録できなかった件もそういった事情なのだが、なかなか日本の権利元からサンプリングに対する理解を得るのは難しい。などと言っている間に平成が終わる。
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年明け、初めて母校の高校で講演をするというオファーがあり、高校2年生向けに自分の仕事について話 す機会があった。高校時代からそこまで世間とソリが合っていたわけでもない上に今や10個の年齢差、共学化までしている母校はもはや別の学校だった。あんなにザルだった入り口で守衛さんに「何か御用ですか」 と止められる。ミュージシャンとしては地味な部類なので忘れがちだがもうジャケットを羽織ったくらいで はこの胡散臭さは隠しきれない。 2コマの講演は概ね好評で胸をなで下ろすも非常に気疲れする現場だった。終了後すこし不思議なキャラで人気だったかつての担任が何人か将来音楽の仕事や舞台の仕事がしたいという子を連れてきてくれた。宝塚の受験を頑張っている子などがいるのは本当に自分のいたころの母校と違いすぎて驚いたが、大体の人は何か一つに傾倒しなければいけない!と肩肘を張りすぎている気がする。自分は高校の時はそれなりに音楽に打ち込んでいたが将来音楽関係の仕事をしたいとは思っていなかった。好きなことや凝れることがあると人生は楽しくなると思うが、それをどう仕事と絡めていくかというのは別の難しい問題。そんな話をしていると噂を聞きつけた3年生が数名、教室へ飛び込んできた。2年生より彼らは自分のことを知ってくれているようで、聞いてみると乃木坂のファンでもあるという。ちょうど年始にOAが始まった電影少女のラブシーンにドギマギしているそうだ。そんな高校生の姿を見てなんだか無性に嬉しくなった。 もうドラマのOAは始まっているが後半のエピソード用のサントラの作業はまだ少しの修正を残していた。 午後は高校の隣にある同じく母校の大学に通うLe Makeup君と合流し修正作業。長めにかかるかなと思っていた作業はあっけなく終了。作業をした部室はまだ自分が卒業した時と大差無く、自分が部室に持ち込んだゲーム機や椅子もまだそのままで、後輩たちのサボりの一助になっている模様で一安心。
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RIVERを書き下ろしてから約半年、バレンタインデーの頃に「寝ても覚めても」の初号試写があった。自分にとっては作った主題歌、そしてサントラを初めて劇場で体感する日である。タクシーに乗ってもよかったのだが気持ちを整理したくなり、歩いて撮影所に向かう。会場に到着するとすぐに試写は始まった。 映画自体、何度もラッシュを見て曲をつけていたのに映画館で改めてそれらを見るのは本当に緊張した。 正直映画自体のことよりも音楽がちゃんと映像を引き立てられているか心配で仕方がなく、エンドロールで RIVERが流れ出したときなどもこちらは気が気でなかった。 ひとまず映画は終わり、大きく息を吐いたところで明かりがついた。横を見てみると、同じ列の少し向こうに唐田さんが座っていて驚いた。何主演の近くの席で見とるねん俺は、と思ったがそんなことにも気づかないくらい曲のことで頭がいっぱいだったようだ。唐田さんは初ヒロイン仕事がようやく一息ついたのだろう、涙を拭いつつ近くの席の方と労をねぎらいあっていた。世間の評価を一手に引き受ける俳優の方々の重 圧たるや自分には想像もつかないものだ。 ロビーに出るとスタッフの方々に当日来ていた俳優の方々を紹介される。同世代の俳優さんたちが頑張ってらっしゃる姿は刺激になった、と伝える。瀬戸康史さんは楽曲を聞いてくださってると言ってくださり嬉しかった。TVで見ている方々とこうしてご挨拶させていただくのはデビューして結構経つがまだ不思議な感覚になる。俳優陣が談笑するのを遠目に眺めながら大勢で仕事をした経験が自分には無いな、もしそんなことがあったとしても雰囲気良くできる自信は無いな、と思う。 挨拶もそこそこにレーベルのスタッフとタクシーを拾おうと駐車場に出ると瀬戸さんが車に乗り込んだところだったようで、流していたカーステの音量を上げてくださった。なんと流れていたのは自分の曲 「BABY」。顔も中身もイケメンや...と思いつつ、お礼をして外に出た。後ろからうっすら自分の歌が聞こ える。映画にも、瀬戸さんのドライブにも自分の曲が何かを添えられているのだとすれば良いのだけど。自分にとって音楽はいつも最初の方の順番にあるものだ��゙、他人や社会にとってはそんなことない、というのはなかなか外に出ないと気づけない。
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前作FANTASY CLUBにとって大きな指針になったのは若林恵氏のWIRED巻頭言だった(ので、ライナーノートをお願いした)のだが、今回「RUN」のとっかかりになったのは「ニュータウンの社会史」という本である。おもしろかった本ほど読み終わったら人にあげてしまう癖があり、悲しいことにこのエッセイを書 いている今、手元にその本が無い。誰にあげたのかももう思い出せない。 日本で最大の新興住宅地、多摩ニュータウンを紐解く本書はもともと興味を持って関係書籍を読んでいた自分にとってもおもしろい読み物で、とくに開発初期における歪みの部分とそれらを対処しようとする住民、 といった関係性のあたりはなかなか興味深い記述が多かった。最初期の多摩ニュータウンでは住宅計画と交 通網の整備などに大きなズレが生まれており、道路網の不足による深刻な渋滞や鉄道の整備の遅れで住民は 多大な迷惑を被っていたという。 そんな多摩ニュータウンの最初期に生まれた「多摩交通問題実力突破委員会」という組織が面白い。交通 インフラが整備されていない最初期の状況を打破するため、ニュータウンの住民たち自ら組合的組織としてこれを発足。乗り合いバス的なものを独自に運営していたという。本組織についての記述はほんの1Pほどで あるが、郊外に新天地を求めた最初の人々のタフさというか、自分たちで寄り合って問題を解決しようとする姿勢、というのが新鮮で、今自分が思っているニュータウン観というものとは結構違う。今や静寂やある意味狂気の象徴として扱われることの多いニュータウンだが、最初は人口激増の末、都会から新しい住環境を求めた人々がやってきた場所であって、そのように考えると普段の風景もまた違って見えてくる。
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カンヌ映画祭に「寝ても覚めても」が出品されるそうだ。しかもコンペ部門。濱口監督の技量と映画界からの期待に驚いた。豪勢なドレスとスーツに身を包んだ主演お二人と監督の姿をネット中継で見ていると自分がこの作品に関わっていることなど忘れそうだ。そんな時に日本語っぽい音楽が急に流れてきたなあ、と 思ったらそれがRIVERだった。今この曲のボーカルは部屋で短パン姿、デスクに足を掛けてチョコを食べている。 少し間を置いて上映後の囲み取材も中継されていた。俳優陣2人と共に登壇した監督は言葉を選びながら回答する俳優陣とは対照的にひとり淀みなく次々と質問に答えていた。とくに朝子について聞かれ、「僕は彼女の判断を全面的に支持します」とハッキリ言っていたのは印象的だった。
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Pizzicato Oneの「わ���くしの二十世紀」を聞いており(めちゃくちゃ素晴らしいアルバムだ)、小西氏の作詞で出てくるテレビ、映画、電話といった要素の二十世紀らしさみたいなことについて考えていた。これから自分たちは二十一世紀に音楽を作るにあたってこういった言葉の問題と向き合っていかなければならないと思う。レコードはSpotifyになり、映画はNetflixになり、YouTubeがあり。音楽も細分化と言われて久しいが、そんな中でどういった歌詞の音楽を作るのか。 そんなことについて考えながら大阪での仕事に向かっていたのだが、時間があったので少々寄り道することにする。大学を出る少し前から数年間住んでいた御影のあたりは今どうなっているだろう。言うても5~6 年なので大して変わっていないだろうと到着してみると見たことのない広大な空き地が広がっており絶句。 アパートの向かいはもともとゴルフの打ちっ放しになっており、静かな住宅街に時折球を打つ音が響くのが好きだった。横の駐車場だけはコインパーキングとして残っており、打ちっ放しはサッパリなくなったというわけだ。アパートは住んでた時のまんまだったけど。なんだかな~と思い近くにあったコンビニでコーヒーでも買おうと思ったらなんと最寄りのコンビニもなくなっており、洒落たコーヒー店ができていた。そんな気分ではないので車に戻る。 不完全燃焼な気持ちをなでつけるため、その後通る芦屋で洋菓子を買うことにした。生菓子がとても美味しそうだったがもう暑い時期なのでやめておく。ここのカヌレは常温で5日持つ。取材先と、マネージャーと、後日のためにもう何個か買っておく。お土産を持っていくのは大好きだ。こうやって物を選んでいる時や、それらを現地に持っていくまでの間は相手のことを考えており、あげる側のほうが満足度が高いことはしばしばある。結局コーヒーはセブンイレブンで買った。
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「RUN」のビデオを大急ぎで神戸で撮影して、数日ぶりの安眠だ、と床についたわずか数時間後の朝8時前、地震で叩き起こされた。関西では久々の大きな地震に大騒ぎ。一人暮らしなのに「ヤバいヤバい」と言いながら積んである荷物を抑えた。地震が収まってから作業部屋に出てみるとたいした被害はなかったのだがモニタースピーカーがコーンの方からズドンと落ちていてげんなり。通電し直してみると嫌な感じのノイズ。まあスピーカー1台くらいで済んでよかった。とてつもなく眠かったが家にいても仕方ないので町に出る。安全確認のためか電車が高架の途中で停車していた。神戸もほんの一部のエリアは停電していたようで、 電力会社の作業を眺めながらホームページに既にその停電情報が出ていたのを見て��心する。 喫茶店は通常通り営業していたが、交通機関の影響で何人かバイトが来られていないようだ。その後電車が止まって通勤の路が絶たれた父から連絡が来たので店を変えて茶をシバく。同じく通勤中だった妹は交通機関が動いていたのでそのまま出勤。眼前の父はニュースを見ながら会社の部下たちに休みの連絡を入れていた。上司かくあるべし。しかし会社勤めというのは大変だ。父と解散してから自宅に帰るもエレベーターは動いておらず、久々に階段を登って部屋に帰る。もうこんな感じだと仕事をする気にもならないので、も ともと翌日から行く予定だった香川に前ノリすることにした。神戸ではとくに重大な事故なども起きていな かったようだが、こういうことがあるとどうも気持ちが落ち着かなくなってしまい、音楽とか作っている気 分ではなくなってしまう。 香川では翌日会う予定だった小鉄さんが仕事終わりに合流してくださり、地元の洒落た喫茶店に連れて行ってくださった。モヤっとした気持ちがこうして人に会って取り払われるのは非常に助かる。深夜にコーヒーが飲める店があるのはいいなと思った。話は盛り上がり、2杯目の紅茶を飲み終えるくらいのところで地元の方に声を掛けられる。写真を撮影してサインを書き、なんだかもどかしくなり、店を出た。
わずかその半月後、今度は西日本を中心に激甚な豪雨が発生する。在来線も概ね止まりつつあった7/5に大阪でライブの出演予定があり、昼間駅に行ったらJRが止まっていたので帰宅して車で会場に向かい直した。 往路はそうでもなかったのだが、帰りの雨はひどく、ワイパーも意味がなくなるほどで、高速道路を徐行して帰った。翌日になるといよいよ冗談でないくらいの雨量。びしょ濡れになりながら向かった役所で用事を済ませたら家に帰るのが面倒になってしまい、そのまま東京出張に向かうことにした。USBでDJできる時代 でないとこうはいかない。新神戸駅についたら駅構内は過去見たことないような雨漏りでバケツだらけの状態となっており、新神戸から西側は運休となっていた。駅の裏手のいつも穏やかな川も濁流で、ホームには普段見ることの無いスタッフが代わる代わる様子を確認しに来ていた。新幹線はほぼ満席で、溜まっていたポイントでグリーン車のチケットをなんとか取って乗車。新大阪を過ぎたあたりで新幹線の字幕スーパーから新大阪以西の山陽新幹線エリアとの連絡運行中止が発表されていた。 タッチの差で到着した東京は穏やかな天気で、予定どおり夕方に家を出ていたら移動できずに今日のDJ飛ばしていたな...とホッとする。ただニュースを見ていると被害の状況が沢山流れてきて、この安堵というのはどういう安堵かと考えさせられた。定期的に会っている岡山の方々を案じるが、自分にできることは非常に限られている。DJ明けの翌日も新大阪以西、新幹線は運休の報せ。次の仕事まで都内に滞在することにする。あんまり曲を作る気にならないのでアルバムのために作っているプレイリストを再生していると 「RIVER」のデモが流れ出し、少々モヤっとする。
そんなことを書いていたら7月末の高知公演でも台風直撃に見舞われてしまい延泊を余儀なくされる。結果天気は穏やかなものだったがJR全線運休の発表をいいことにひろめ市場で高知の方とのんびり食事をいただく。あいにく胃腸の調子が悪くカツオを貪り食うことができず残念だったが。携帯を開くと見たことないような軌道で紀伊半島から九州に向かって西行する台風の天気図。体験したことのない天気の連続に変に2018年の未来に生きているな...と感じさせられた。
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パソコン音楽クラブのリリースパーティが大阪であり、遊びに行ってきた。彼らには「ふめつのこころ」 のリミックスやそもそもドラマ電影少女のサウンドトラック制作でもお世話になったが、そんな彼らが出した「DREAM WALK」は久々に身辺近しいところから出た決定作、という感じでとても嬉しい気持ちになっ た。別に音楽を作っている人たちは身辺にたくさんいるが、それらをきっちり自らの個性でパッケージングして流通に乗せるというのはなかなか簡単にできることではない。東京のリリパの日もたまたま横のビルで 「寝ても覚めても」の取材があり、イベントも終わりがけの頃、会場に入れてもらったが、両日ともに本当に良い雰囲気で、集まっている面々から寄せられている期待値の高さも大いに感じる現場だった。 自分は「lost decade」を最初にインディでリリースしてその後色々揉まれて今があるわけだが、彼らはいったいこれからどういうステップを踏んでいくのだろうか。権利のことやいろんなことで悩んだ末に今があるのだが、悩んだりしたことが糧になったとはあまり思いたくない。その間、良い気分で良い音楽が作れたか もしれないのに、機会損失も甚だしい。自分のことに精一杯なのはまだまだ続きそうだが、頑張って良い曲を作っている若手への不要な慣習の押し付けやそれによって生まれる損失はできる限り取り除いていかないと、こういっためでたい場面に会う機会が減ってしまうかもしれない。急なサマータイム導入案のニュースを見ながらなかなか世間も変わらないなと思う。こういった事柄を決裁してる人は過去に今の自分のような苦悩に苛まれなかったりしなかったのであろうか?と思うが、年を取ったり立場を得ると忘れてしまうのだろうか。そこまで偉くなったことはないのでわからないがそうだとすれば本当に恐ろしいことである。 パソコンに続いてアルバム製作中というin the blue shirt・有村くんに「新譜楽しみにしてるで」と軽めの挨拶をしてワイパさんや久々の友人と富士そばに行き、そのまま自分はDJを控えていたクラブへ歩いて向かう。ワイパさんもまた別の現場へ向かっていった。いつもゴミゴミしたところを通るのが嫌で代官山の方面から向かうことが多いのだが、久々に渋谷の街を歩く。ここの街並みには未だに慣れない。なぜここにはこんなに沢山人がいるのだろう。 1ヶ月分くらい人と会った1日だったが、昼の映画の取材でも夜のクラブの楽屋でも「当たり前のことを言ってくれる人が少ない」という話になった。不祥事も「無い」と言い切ってしまえば無いことになってしまうし、今日も数々のニュースが「声をあげたところで世の中は変わらない」、とフワっとした諦めを投げかけ てくる。その後またひとつテンションの上がらない話を楽屋で聞いてモヤっとした気持ちになる。最近こういう話しかしていない。そのうちの一人は実際にその後調子を崩されてしまったそうだ。一方押し付ける側の人間はそのまま今も仕事をしているはずだ。真面目にやっていくことのなんと難しいことか。胸が痛む。
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アルバムも締め切りに差し掛かった8月某日、「RIVER」のMV撮影が都内で行われた。映画の主題歌ということもあり「寝ても覚めても」主演の唐田えりかさんに主演をオファー。快諾していただき、馴染みの森監督は僕と唐田さんの生活がクロスオーバーするようなコンテを仕上げてくださった。最初は船の上でキーボードを弾きながらリップシンクするのをドローンで...とかだったので五反田の喫茶店で「それをお客さんに納得させる演技力が僕にはありません!」とアピールしたら普通に部屋でパソコンをいじる、みたいなやりやすい環境を用意してくださった。ほんと世の中に見えてる自分のビジュアルのほとんどはこのようにデ クノボウに気を使っていろいろやってくださる真のオシャレな人たちのおかげです。 唐田さんのシーンをふらっと覗くと化粧品のCMのような透明感で、しかも映画では東出さんの横に並んで居た唐田さんが自分の横に並ぶとは...と楽屋で遠い目になってしまった。その後、合間に唐田さんとマネー ジャーさんからご挨拶いただき、唐田さんがご自身で作ったというZINEを頂く。今、帰りの新幹線でペー ジをパラパラとめくりながらこうやって自分の作ったものを形にしているのはどのような形であれいいなあ、 と改めて思う。 MVの最後のシーンは隅田川に掛かる橋の上でRIVERを自分が弾き語るというシーンだった。橋の上に置かれた自分のパソコンとキーボードを見て違和感を隠しきれなかったが、外で鍵盤を触るなんて経験自分に は無かったので新鮮だった。夜風に吹かれて演奏するのも悪くない。ただ実際楽器はほとんどできないので運指は適当だ。キーボードを弾き終わり、立ち上がった自分はそのあとずっと別々に行動していたはずの唐田さんとすれ違う。人生はどこで交差するかわからない。
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前回のアルバムはマスタリングのことまで書けていたが、入稿の時点でアルバムが完成していたのは FANTASY CLUBが初めてだったと思う。2年にアルバム2枚をリリースするという昔ながらの��約も2周目、 今回はひるがえって厳しいスケジュールでの制作となっているのでアルバム制作を最後までこのエッセイで 記録しておくのは難しそうだ。前作から1年と少しの間に全曲自作のリミックス・アルバムと劇伴アルバム2 枚強分を制作した。あといくつかの外仕事。そうやってドタバタしているうちにゲストがゼロという本当に異例の作品が完成しようとしている。いつのまにかボーカリストみたいになっているし、顔もそれなりに差すようになってなかなか人生は思ったように進まないなと思う。 自分の中で本当に大変だ...というモードに達さず完成させることが初めてできたのがFANTASY CLUBだった(今当時のエッセイを見たらアウトロ作りに1週間もかけている!)のだが、そんな言い分が毎度通るほど まだ我々はイケてない。皆様にこの文章とともにちゃんとアルバムが発売日に届いていることを切に願う。 良いことなのか悪いことなのか、我々はずっと必死だし、それはまだしばらく続く。
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ご近所に喫茶店がオープンしました☕️ おめでとうございます㊗️ #喫茶東京郊外 #喫茶店 #カフェ #cafe #コーヒー #珈琲 #caffee #亀戸 (亀戸中央公園) https://www.instagram.com/p/CdXAGKXrusG/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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2021年の記録
2021年の記録です。
◆お芝居・イベント
3/19 『ゴジラ S.P<シンギュラポイント>』完成披露上映イベント@TOHOシネマズ日比谷 4/3 「Rejet Fes.2021 TRY!」昼@立川ステージガーデン 4/3 「Rejet Fes.2021 TRY!」夜@立川ステージガーデン 4/4 『ネオロマンス♥フェスタ 遙か二十年《鬼》祭』 昼 @神奈川県民ホール大ホール 4/4 『ネオロマンス♥フェスタ 遙か二十年《鬼》祭』 夜 @神奈川県民ホール大ホール 5/29 『ネオロマンス・ダンディズムLIVE ~この愛の歌を君に~』昼@KT Zepp Yokohama 5/29 『ネオロマンス・ダンディズムLIVE ~この愛の歌を君に~』夜@KT Zepp Yokohama 9/4 『リョーマ!prince of tennis 新生劇場版テニスの王子様』舞台挨拶12:40���@TOHOシネマズ日比谷 11/23 『召喚IP!~社畜とヴァンプ~』 昼 @カルッツかわさき 11/23 『召喚IP!~社畜とヴァンプ~』 夜 @カルッツかわさき 12/2 『眠れぬ夜のライブストーリー』ゲスト@紀伊國屋ホール
◆配信
1/27 ツイキャス『置鮎龍太郎の道2021 #ぺらゆる32』 3/14 『夢100 6周年プリンスパレード』配信昼 3/14 『夢100 6周年プリンスパレード』配信夜 5/29 『ネオロマンス・ダンディズムLIVE ~この愛の歌を君に~』昼 5/29 『ネオロマンス・ダンディズムLIVE ~この愛の歌を君に~』夜 5/31 テニチャ 6/2 ツイキャス 『ぺらゆるR』 6/12 『ときめきメモリアル Girl's Side DAYS 2021』昼 6/16 ツイキャス『置鮎龍太郎のゆるとーく』 6/30 ツイキャス『置鮎龍太郎のゆるとーく』 7/11 『スーパーロボット大戦 鋼の超感謝祭2021』配信 7/14 ツイキャス『置鮎龍太郎のゆるとーく』 7/28 ツイキャス『置鮎龍太郎のゆるとーく』 8/11 ツイキャス『置鮎龍太郎のゆるとーく』 8/21 ヘロQ・DVD発売記念ツイキャス 配信『バレタアトノハナシ』 8/26 ツイキャス配信 『置鮎龍太郎のゆるとーく』 9/9 ツイキャス配信『置鮎龍太郎のゆるとーく』 9/15 ニコ生『古谷徹のハッピーガチャVol.3 キュンキュンデートの秋編』ゲスト 9/17 『聖闘士星矢RC一周年記念生放送』配信 9/18 ニコ生『置鮎龍太郎のくじメイト特番~ツンデレクール編~#01』 9/19 『TALES OF READING LIVE -ONLINE- テイルズ オブ デスティニー』 9/25 ニコ生 『置鮎龍太郎のくじメイト特番~ツンデレクール編~#2』 10/10 『テニプリ 20th Anniversary Event -Future-』 10/13 ツイキャス配信 『置鮎龍太郎のゆるとーく』 10/20 ツイキャス配信 『置鮎龍太郎のゆるとーく』 10/28 新ディズニープラス スタート記念!ディズニーっコらぢおウィーク『マーベル特番』 11/1 『燈の守り人』明治開国編 第一夜 11/2 『燈の守り人』明治開国編 第二夜 11/23 『召喚IP!~社畜とヴァンプ~』夜 11/27 ツイキャス配信 『置鮎龍太郎のゆるとーく』 12/3 ツイキャス配信 『置鮎龍太郎のゆるとーく』 12/8 ツイキャス配信 『置鮎龍太郎のゆるとーく』 12/18 『JUMP FESTA'22 ジャンプスーパーステージ「新テニスの王子様」』配信 12/18 ツイキャス配信 『置鮎龍太郎のゆるとーく』 12/21 ツイキャス配信 『置鮎龍太郎のゆるとーく』 12/25 『BLEACH Brave Souls “卍解” 生放送X’masスペシャル2021!!』配信 12/26 ツイキャス配信 『置鮎龍太郎のゆるとーく』 12/30 ツイキャス配信 『置鮎龍太郎のゆるとーく』
◆ほか
1/29 (TV)『Mr.都市伝説 関暁夫のゾクッとする怪感話』 6/5 (映画)『劇場版Fate/Grand Order 神聖円卓領域キャメロット後編』挨拶付き上映 6/13 (映画)『劇場版Fate/Grand Order 神聖円卓領域キャメロット後編』 6/20 (TV)『青天を衝け』 7/18 (TV)『青天を衝け』 9/11 (映画)『リョーマ!』応援上映 9/17 (映画)『リョーマ!』応援上映 9/27 (TV)ネプリーグ
◆ドラマCD
『ストレンジ・プラス』2、『忍たま』、『Clock over ORQUESTA』など。聞いたの以外に、『新・オフィス遊佐浩二』、『朗読喫茶噺の籠』、『遙かなる時空の中で4~橿原宮炎上~』などあれこれ積んでます。
◆ゲーム
(ソシャゲ)『テニスの王子様 Rising Beat』、『Fate/Grand Order』、『ラングリッサーモバイル』、『剣が刻』、『夢王国と眠れる100人の王子様』、『刀剣乱舞』、『聖闘士星矢 ライジングコスモ』、『Sdorica』 (PS4)『無双OROCHI 3 Ultimate』、『新サクラ大戦』、『キャッスルヴァニア 〜暁月の円舞曲〜』 (Switch)『ポケモンスナップ』
◆アニメ・ラジオ・など
『ゴジラSP』、「荒野のスノー」(Love, Death and Robots S2E4 "Snow"吹替)、『忍たま乱太郎』、『名探偵コナン』、『しろくまカフェ』、『ジャングルはいつもハレのちグゥ』、『スラムダンク』、『新テニスの王子様オン・ザ・レイディオ』、日本ラグビー応援TV『ONEラグビー』
◆キャラソン
10曲くらい増えました
今年も、チケットは取っていたのに中止になってしまったイベントがありました。8/15に川口で開催予定だった『おじさんだけで遊びたい!』。それから、第三波まっただ中+下北沢の狭い小劇場という条件に、さすがに諦めたのが1月の『タチヨミ』。売れ残ってるチケットを買っておいて行かないという、闇のクラウドファンディングみたいなことをしました。そうでもしないと気持ちのもってきどころがなくて。逆に、感染の波の間を縫って、クロケスタのポップアップストアとコラボカフェと、ガンダムカフェには行けました。
印象に残っているのは『ダンディズム』です。新装Zepp、柿落としからのコロナ禍、初の有観客。本来なら、ただの建築物であった空間に、観客が入り、ホールとして呼吸を始める、特別で、お祝いのはずの日。なのに、席はひと席あけ、マスク着用、発声禁止。100%じゃない…いや、あの日はあれが100%だったんですが、限られた100%だった。あの日にあの空間の観客であることを、光栄に思うと同時に、もどかしさもとても強く感じました。私にできることは客席で観客をしていることだけだけど、それでは足りなすぎた。
『リジェフェス』も印象に残っています。久々のペンライト系のイベント。ステージに出てきて、カラフルな光に彩られた観客席という光景を目にした、ある声優さんの表情。トークによれば、そのかたはコロナ以降初めての観客の入ったイベントだったそうなんですが、それを聞かなくてもわかるくらいに、心が動いてるのが見えた。声優という職業の人たち、特にイベント出演中も活動の内であるような声優さんたちがライブ・イベントがほぼ全滅した時期に何を思われていたのか、もちろん私には知るよしもないんですが、「その場に集う」ということの大きさを感じました。
ふだんだったらーーつまり「コロナ前」だったら、『リジェフェス』の感想はきっとこうです。置鮎さんが縁に声をあてているところを初めて見た。イラストがあって、言葉があって、置鮎さんの声がある。どこにも「縁」という存在はいないのに、それでもあの短いライブ朗読の時間、縁が「いる」と思ったーー私もそこにいた。「ゲームで聞くのと同じ声だ」という同一性の確認とは根底から異なる、キャラの実在。それはこれまでのキャラという存在(とその成立のメカニズム)についての認識が覆されるような体験だった。
そう��うことが意味をもたなくなったとはまったく思ってないんです。アニメ、ゲーム、キャラ、演技、その仕組み、成果、みんな面白いと思うし、すごいと思います。少しずつ少しずつでも理解していくのは楽しい。ただ、いままで考えなくて済んでいた、いろんな前提のようなものがいちどに消えて、また手探りで集めて、積み直しているような感じがします。同じイベントであっても、かつてイベントという名前で呼ばれていたものをもう一度作り直した何かのように思えるときも。「そうだった、こんな感じだった」という感覚のあとに、「戻ってきた」が続くのか、「でも…」が続くのか。別のフレーズが続くのか。「またこれをできるんだ」かもしれないし、「これじゃない気がする」かもしれない。あの感覚を言い表してくれる言葉が見つかる前に、違和感のほうがなくなるのかも。どうなんでしょうね。
こうして今年の置鮎さん活動(どういう呼称だ)を書き出してみても、正直、どう思ったらいいのかわからないところがあります。行けなかったライブ・イベントは、感染リスクの高さを考慮してパスした『タチヨミ』と、チケットを取るのを完全に忘れていた『テニプリ』記念イベント。配信では、ヘロQのライブ配信2作品を見ていません。好みに合わないので。なので、『タチヨミ』以外は、自分の側に理由があって見ていないわけです。でも、それは私が東京近郊に済んでいて、体が健康で、そして今年もかなりの時期を在宅で過ごしていたから。もし私が地方に住んでいたり、自分や家族の健康に条件があったり、週5で出勤して不特定多数の人に接する仕事をしていたら、つまり生活上の感染する・させるリスクが違ったら、ぜんぜんちがうリストになってたわけですよね。だから、職や収入のことを無視してさえ、これはとても特権的なリスト。でも同時に、私のような人間すら参加を控えていたら、企画が、コンテンツが、業界が、本当に力を失ってしまう。会場に行きたいし、行くことはできるし、行けば楽しかったけど、どこかで絶対に自由じゃなかった。常に選択だったし、リスクのことを考えてた。そんな一年でした。
現地参加以外での行動の変化としては、「現地参加したのに配信も買う」というのをふつうにやるようになりました。リストで現地・配信に重複があるのはそのせいです。配信のあるイベント、よかったイベントだけですが。ちょろい。
散財でいうと忘れてはならないのはくじメイトですね。ボイスなどが当たるオンラインの抽選です。楽しかったな。おみくじみたいに毎日引いたりして。サインは、ニコ生配信にゲストで出演された緑川さんとのダブルサインの色紙が当たってました。開封したときは何が書いてあるのか真剣にわかりませんでしたが。自分の部屋に、置鮎さんと緑川さんがサインをされた、自分の本名入りの色紙があるかと思うと、なんだか面白くてときどき笑っちゃいます。なんでこんなことに。もちろん私がくじを引いたからなんですが。なんでこんなことに。本名を呼ばれるボイスのほうは、親しげな演技+本名のコンボから生まれる距離感のなさが苦手で無理でした。宝の持ち腐れとはまさにこのこと。
あとは、『テニプリ』記念イベントのアフタートークの小野坂さんの言動があまりにひどかったのでtwitterで批判したら、マシュマロ(という名前の匿名メッセージ送信サービスのメッセージ)がめっちゃきました。中身は、ほとんどが賛成、たまに反論という感じ。いろんな意見を聞かせてもらえたので、届いたマシュマロにはすべて感謝しているんですが、声優さんにどはまりして4年、いろんなことが起きるものです。
そう、置鮎さんにはまって4年です。せいぜい数ヶ月はまって飽きるのかと思いきや、1年程度はまって収まるのかと思いきや、パンデミックのあおりでそれどころではなくなるのかと思いきや、4年!なんと。そのうち2年がコロナ期間なことに、それなりに深い恨みを抱えています。どこにももってきようのない恨みを。上に書いたように、そんなことを恨んでいられる時点でなんにも恨む必要なんてない時代なんですが。にしてもコロナ許すまじ。
振り返れば4年ということもあり、今回もあれを…そもそもなぜこのコーナー(コーナー???)が書かれることになるのかいまだに意味不明だと思っていますが、いちおうこの一年の記録として書いておきますと、置鮎さんとの距離感が自分の中でちょっと変わったかな~と思ってます。「慣れた」?かなあ。
たとえば、置鮎さんがされてる配信で、私はいまだに毎回表示名を変えていて(最初は思うところあってそうしていたのですが今は完全に飽きてます)、置鮎さんは毎回私のtwitterのアカウント名前を呼ぶとか。しかも、私は最近twitterのアカウント名を以前とは別のものにしていることが多いので、もはや「旧」アカウント名。SNSで、名前を変えても、前の名前のときに知り合った人は前の名前で呼び続ける現象ってあるじゃないですか。ほぼあれを、どはまりした声優さんとやっている。なんで?
あるいは、置鮎さんのエゴサの対象範囲にいることに疲れて、置鮎さんのアカウントをブロックしたり。ブロックするほうもするほうですが、そもそもなんでそんなことが必要に?と考えるなら、そもそもあの頻繁で継続的なエゴサはいったい?冷静に考えて、「置鮎さんだから許されてるけど別の人だったらやばい」って感じじゃないですか??(それなのになぜ置鮎さんだと面白くなってしまうのか…)
上に「意味不明」と書きましたが、たぶん納得いってなかったんだと思うんですよね。なんというか、完全に自分のペースじゃなかったので。確かに置鮎さんは面白いし、かわいいし、リプライをいただいたらめっちゃテンション上がります。これでも人間なので、物理的に舞い上がるのはちょっと無理ですけど、気持ちは舞い上がります。元気がないときはほんとーーに効きます。それは今でも変わらない。でも疲れるときもある。光が強すぎるときが。
で、そこまで含めて慣れてきた。twitter上で置鮎さんに私を私と認識されてることとか、twitter上じゃなくても顔を覚えられてることとか、受け入れるのにだいぶ時間がかかったんですけど、いまは平気。いや平気ではないんですが(平気なわけがあるかーーー!!!)、平気ではないことまで含めて平気に。なった?あらためて書くとやっぱり平気ではないかもしれませんね…。なんだろう、「慣れた」…「受け入れた」…悟りを開いた??
私は私で、置鮎さんは置鮎さんで、私は置鮎さんにどはまりして、あとはときに起きることが起きる、ことがある。なんか、人間と人間のコミュニケーションなんだからそりゃそうだろうというような、だからなんでここにそのコミュニケーションがあることになってるのよというような、いっそ運命のような。不思議ですね。ひらたく言うとわけわかんないですね。
でも、先のわからない、わけのわからないこの一年で、置鮎さんはハッピーなびっくり箱みたいで、私のこの一年に置鮎さんの存在…置���さんにどはまりしたという状況があってよかったなと思います。
去年と同じフレーズを書きます。どうか来年は、みなさんにとって良い一年でありますように。
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家族でファミレスに行ったことない人としか結婚したくない
この写真は、私が一昨年まで生活していた出身地、東京の郊外で撮影したものです。
2か月に3回くらい、土曜の夜は、母の「今日は疲れたからお外でごはんにしようか」と言うかけ声で、赤いカペラワゴンに乗って、(同級生に誰にも会いません様に)と祈りながら、新青梅街道のロードサイド店の大きい看板が流れていく景色を眺めながら、ファミレスへ出かけていました。
イタリアンを食べたいときはジョリーパスタかサイゼリヤ。中華を食べたいときはバーミヤン。パ フェを食べたいときはデニーズ。ステーキやラーメンを食べたいときはなかったから、ステーキのど んや、らあめん花月で、私は何を食べていたのだろう。決まらないときはガスト。祖父母と一緒のときは海鮮三崎港。ロイホはこの町になかった。
私も、私以外の家族も、同じメニューで取り敢えずお腹を満たして、すっかり学区域外なのに、遠くのシートに同級生を見つけたときはドリンクバーをとりに席から動くことが出来なかくて、食後すぐに車に揺られたせいでいつも少し酔って、そんなファミレスがインフラの郊外での日々を、きっと SNS で3いいね!くらいのエンタメにしたくて写真を撮っていました。 「家族でファミレス行ったことある男とは結婚しないんだっけ」 古風な喫茶店でお茶をした相手に言われた言葉に、なんだか違うな~と思いながら、あえてカフェオレって書かず“ミルク珈琲”って書いてあるメニューに少し心がざらついた。 たとえ私の生活が、ファミレスよりウーバーイーツがインフラで、本日のブレンドおかわり自由よりドリンクバーがエンタメになっても、この郊外コンプレックスの日々を、かわいくて微笑ましく思うときが永遠にこなければいいな、と思っています。
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街それ自体を踊るためのノート・お気に入りの喫茶店でコーヒーを飲むために
1:前書き
1-1:コーヒーの美味しさは私の人生には関係がない
俺は、街で友達と遊べるようになりたいだけだ。 そしてそれはとても難しい。 街で遊ぶ、ということは、どういうことなのだろう。 例えばそれは、お気に入りの喫茶店を見つけて、そこに入って「ゆっくりする」ことだろうか。 これに対して問い返し、増幅してみる。 住んでいない街なのに?/自分がその店を営んでいるわけでもないのに?/地元を出て、自分が偶然住んだにすぎない街なのに?/誰かがインターネットに写真をあげていて、それを良いと思っただけなのに?/ここが地域で愛されているのを知ってしまった上で訪れているのに?/この店を訪れたということは、自分の明日にはなんの関係もないのに?…… そして、この問いかけが空虚であるということの証明は、返ってくるこだまそれ自身によってなされることになる。つまり、 「コーヒーの美味しさは自分の人生にとって何の役にも立たないのに?」といったような言葉で。 確かに、コーヒーの美味しさは人生において意味がない。しかし、私は味しいコーヒーを飲んでいるとき、その美味しさに浸ることができる。それがたとえ一瞬のことでも。
1-2:街で遊べなくなる
抽象的な言葉で言うなら、ここでの「街で遊ぶ」ことが指しているのは、「街と自分を強く関係させる」こと、そしてその時に関係元となる街の「読み方」がすぐに行為となるような遊び方のことだ。 街を読むことにとって、自分がその「読まれる」街の一部になること。そのような「遊び方」に問いを持とう��すると、それは究極的には、「世界にとって私は必要ないのに?」といった問いまで深化してしまう。 東京が、かつて80年代に存在したらしい”「パルコ的」な記号で満たされた渋谷”のようであったら、どれだけ楽だったろうか、と思う。 そこにはあらかじめ用意されたうねりがあり、波の出るプールのように、そこを「海」と見立てて楽しむような、場所との関係性の強固さに無頓着になることによって「楽しさ」の中に身をおくことができるような、楽しさ。いつでもそこにあり、そこに行けばその楽しさが約束されている場所。自分からその空間にはたらきかけなくとも、楽しめてしまう場所。 でも、そんな渋谷だって、もうない。いつまでもそこにあり続ける(と思わせてくれる)ものなんか、たぶんどこにも無いっていうことを、私たちはだんだん知ってしまっている。 そして、そういう場所には決まって「外部」が存在する。いま、私達がいる、あなたがこの文章を読んでいるところ、それがその場所にとっての外部だ。 「内部」へと向かうその境界をまたぐことで、私たちは「外部」に気づかないふりをすることで、「遊び」を行える。 そういう論理が遂行されている場所は、いまあなたが思い浮かべているようなレジャー施設に限ったことではない。 「境界を引け、強い意思と共に」という声は、既にあなたの中に届いているかもしれない。後で記すことになるが、あなたは、私は、その声によってすでに動かされているかもしれない。 あなた(私)が、意思を持って街に降り立ち、意思を持って街を遊んでいるとき、その声は深く、身体へと届いているのかもしれない。 ”いま、ここ”の先に見える街で、自由に遊べなくなっていく。自分から、ある街へ線をひこうとすればするほど、自分がいまいる場所とのかけ離れたものになっていく。 「私」にすべてを関係づけようとすることによって、すべてが内部化し、外部なき、答えなき問いへと思考の矛先は向いてしまう。つまり、「世界にとって私は必要ないのに?」だ。
1-3:街を踊る、美味しいコーヒーに浸る
先に書いた、街と私を関係づけ、そこに強い意味を持たせることを「遊び」と呼ぶことは、生活している世界の境界を自分で決定・固定することだ。 この文章では、この「遊び方」を乗り越えていくことになる。 導かれる問いは、「しかし、果たして本当に、街と私は、強い関係がなければいけないのだろうか?」というものだ。 街にとって、私は必要がないのかもしれない。ただ、きっと大事なのは、「遊びたい」という欲望があることだ。私は街で遊びたい。しかも、自由に。 街から、街との関係性から自由になる。その上で、街を再び遊ぶ。 つまり、”街それ自体”を思考し、”私それ自身”が街を遊ぶこと。遊び続けながら、遊びをやめることもできる。”いま、ここ”と街をさえぎる境界のヴァイヴを楽しみ、街と自分を関係させつつも無関係であること。 街のゆらぎを楽しみ、しかし、ゆらぎを受動的に待ち続けるのではなく、次のゆらぎに乗りつづける。 この行為を「街を踊る」と呼びたい。 街を踊る。気に入った街の、気に入った喫茶店で、美味しいコーヒーの美味しさに浸るために。あるいは、美味しくなさを笑うために。
2:街を踊る 2-1:街、接触‐切断
昨日まであったものが消え、明日には知らない風景が現れる。それはすでに消えてしまっているかもしれない。消えつつあるかもしれない。 その「なにか」の喪失、そのあらわれに気づくためには、私たちは「何か」の外側に立たなければならない。自分の好きな街に線を引き、その外側に引き下がることによって私たちは観測者にも、観光者にもなれるだろう。 しかし私たちは、振動し、増幅を続ける輪郭の中に生きている。そこには自由がある。私たちは、街において街から自由でなければいけない。外部からも内部からも自由でなければいけない。 自由であるということとして、踊りがある。そして、それは街「において」踊ることではない。街「を」踊ることだ。 街の中にひっかかりをみつけて、それを取り出し、それ自体と戯れる。踊りは、その街の上に身体として現れる。街をつむぎ、身体へと結びつける。次のムーヴでは、その結びつきはほつれてしまうかもしれない。あるいは、絡まりあって自らの動きを妨げるかもしれない。 街を踊る。糸がほつれたら次の糸を紡ぎ、動きを妨げるものがあったらそれを切断することによって、常に、街そのものと私=身体を接触-切断させ続ける。
2-2:街の糸を紡ぐもの
風になびき続ける、かつて私の踊りと共にあった糸は、再び誰かがつむぐかもしれない。切断されたまま、たゆたい続けるかもしれない。自らの髪についたままになってることに、自分すらも気づかないかもしれない。また、切断された糸は自分と無関係に誰かの糸と絡まりあい、街に堆積するかもしれない。
街はそれ自体として存在する、私はわたし自身として存在する。 街は私ぬきにも存在するが、私は街に存在する。踊りは、誰か/何かに強制されるものでもないが、必ずしも意思のもとで行われるものでもない。そこには偶然性があり、しかし偶然性のみに身をまかせた動きを「踊り」とみることはできない。
昨日まであったものが、誰の許可もなく明日へと取って代わっていく世界、あるいは、すべてに輪郭が与えられようとしている世界において、街を私たちが踊り続けるために。私達が、街から自由であるために。
3:悲しき熱帯への声、私達の寝息
「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう。」
(クロード=レヴィ・ストロース,p425)
20世紀の初頭、かつて、隆盛の最中にあったブラジル・サンパウロにその身を置いた、偉大な社会人類学者の「かつて」を語る言葉を読む。
「制度、風俗、慣習など、それらの目録を作り、それらを理解すべく私が自分の人生を過ごして来たものは、一つの創造の束の間の開花であり、それらのものは、この創造との関係において人類がそこで自分の役割を演じることを可能にするという意味を除いては、恐らく何の意味ももってはいない。」(同) 悲しき、かつての熱帯。共同幻想としての過去のための感情をノスタルジーと呼ぶなら、ここには現在まで堆積している「かつての」悲しみを伴う過去への感情、サウダージが通奏低音のように響き渡る。その可聴領域ギリギリで鳴る音に、今一度耳をそばだてることはできないだろうか。 失われたものを構造化し、自分の側へと引きつける。自分と世界の間に線を引き、いまの自分の物語を再び作り直すために、私たちはしばしば過去を見る。 しかし、見えない過去もまた存在する。わたしたちの寝息は寝室の壁に吸収されて消える。 寝息はおそらく、誰のもとにも届かない。寝息は過去のものだが、私たちは自分のその寝息を、夢の中ですら聞くことはできない。 寝息は出来事ですらない。そういった類の「過去」が、選択されなかった、知られもしない過去が、世界には堆積し、低音を鳴らし続けている。それを、たまに聞いてしまうことがある。 存在しているはずの、しかし何とも関係しない「かつて」に出会ってしまうとき、私は、既に何かと関係してしまっている、関係しつつある自分を強く揺さぶられる感覚に陥って、うまく立っていることができなくなる。
4:荒廃の先に
4-1:かつての街を歩く
2017年の夏、私はかつての生家周辺を歩いていた。
埃とカビと雑草の匂いが、熱気で膨張して長時間身体を包み込んでいたせいか、めまいを起こしそうになった。曇天が、視界のコントラストを下げ、定めるべき焦点を迷わせ続ける。 ハグロトンボがよたよたと飛んで、視界の隅をかすめた。辺りを見ると、いくつもの黒い羽が地面に張り付いて呼吸をしていて、ぞっとして声が出そうになる。線香の煙がたまに鼻に入ってくる。うず高く積まれ、山のようになった墓石たちは、帰るあてのない女郎の墓だと聴かされたことがある。その山が、トタン屋根の家屋の連なりの向こうに、頭だけ出している。 かつての城下街であり、絹織物で栄えた街。 家の前にスーパーができることに当て込んで、祖父が飲食店を営み始めたのは、母の中学の入学式の日だったという。隣のお茶屋とはいざこざが耐えなかったが、郊外に庭付きの一戸建てを買うことができる程度には儲かったのだろう。その土地には今の私の「実家」がある。生家はもう無い。祖母が死に、祖父が死に、生家があった場所には雑草が生い茂っている。 埃と錆にまみれた、スナックの看板がある建物の裏手に回り込むと、朽ちた木造家屋のドアに新聞が何重にも刺さっていた。ファインダーを向けると、どこかの家から甲子園の実況中継の音が聞こえてきた。シャッターは切らずにカメラを下げる。 色あせた幼児用の自転車に、蔦が絡まっている。ちぎれたカーテン、割れたガラス、セイタカアワダチソウの群生を囲むフェンス。 その奥にある生活は、生かされているわけでも生きているわけでもなく、私がカメラで切り取ろうとしていたものたちと並列して、ただそこにある。 カメラを首から下げ、自分が生まれ育った街を歩く26歳の自分は、あるいはすべてから無関係な身体として、情動と風景を自らの手で循環させる機械にでもなったような思いだった。 私は、この町で遊ぶことはできない。
4-2:街それ自体、私それ自身
私の身体は、この街それ自体と関係できないのだ、という事実が、突きつけられる。 語られなかった過去、出来事以前の過去、過去それ自体が、街それ自体とくっつき、滅びるのを待つ。 そこに、「未来から借りてきた過去」ではない、圧倒的な現在性が立ち現れていることに、ゆらぐ。ここが再び未来を向くことは無いだろう。 しかし、母から、祖父母から聞いた、彼/彼女らの物語が、私をこの街に関係させようとする。否応なしに、意思とは無関係に、街と私は関係する。 祖父が死に、祖母が死に、俺とは無関係なはずのこの場所で、この、人が生きていてるだけの「街」で、私はその街との物語を作ろうとするほど、その空虚さに包まれる。 過去は通奏低音のように鳴り響いている。ずっと、聞こえないだけで、過去の体積はこの場所に、低く、微弱な振動と共に流れている。
地元があり、東京に住んでいる。そのどれもが、私を固定されたアイデンティティから退ける。
4-3:アイデンティティを街と固定することのあやうさ
もし、「物語」への固定化を行ったとしたら、という例を挙げてみよう。 そこには外部として、郊外、というものが立ち現れる。 そして、”「グローバリゼーションによって衰退したかつての地方都市」に生まれた私”という構図は見事に完成される。その中において、私は雄弁に語ることができる。東京を、地元を、自分を。未来さえも描けるかもしれない。 完成された図式の内部に引き下がり、その外部/内部の輪郭を固くすることで、得られる物語は多い。物語作成機構と言ってもいいかもしれない。 それは永遠に物語を再生産し続ける。読み、読まれ、しかもその物語の一部として読み手が存在できる。向精神薬のような、毒に当てられていることに誰一人として気づかない、治療という名のもとで行われるアイデンティティ汚染。 「まちづくり」も「コミュニティ」も「地方創生」「地元らしさ」も、結局、いつか「かつて」として読まれる時間を「いま、ここ」に落とし込む動きにすぎない。前借りした未来の中で、物語は確固たる元ネタ=過去をサンプリングし続ける。 その境界の中ではアイデンティティは決して揺さぶられれない。同じように、「東京らしさ」だって「東京ローカル」だって「ダイバーシティ都市」だって、「ストリートに集う仲間たち」だって、すべて、精神疾患の治療薬が持つそれぞれの名前と同じ理由で存在している。効き目が長いか/短いか、ゆっくり効くか、朝飲むか、夜飲むか。街において、処方箋を書き続ける医者は誰なのか。わかったところで、彼を弾劾すべきではないだろう。投与される薬の量は増えていく。確定されたアイデンティティなしでは生きられない私/街になっていく。
5:さいごに
私たちは、内部に引きこもることも、常に身を外部に置いておくこともできない。
「無数の高層ビルやタワーが集まって形作られる、大都市の輪郭線について考えてみよう。感覚的対象である限りにおいて、そうした建造物が互いに接触可能なのは、もちろん、それらを経験する仲介ないし媒介のみである。そしてまた、私は実在的対象としての建造物に接触することはできない。理由は単純で、実在的対象は、つねに互いから退いているからである、(…)感覚的領域で生じる出来事は、どうにかして、あらゆる経験の外部にある実在へと遡及的に影響力を与える必要があるのだ(…)」(グレアム・ハーマン.p.120) 目指していた街に出会うとき、わたしは街に出会えない。街は降り立つと際限なくひろがり、はるかかなたに、また別の街が浮かび上がる。 街には、どこへでもいけるという自由はあるが、どこへでも行けてしまうがゆえに、不自由である。 街において自由であるということは、この「つねに互いから退いている」まちたちを、すべて捉えきろう、とすることではない。 すべての存在を「経験」しようとすることは、「経験していないもの」も同時に存在させてしまう。「経験」とは、私と街の間に関係をもたせることだ。 街において自由であるということは、退いている街の中で、「街を」楽しむ主体=私自身の身体 を、常に仮固定しておくことにほかならない。 街を踊り続けること。 風のなびきに身を任せ、街において踏むステップの軽やかさを楽しむこと。 そして、自由は、踊ることをやめることもできる、という可能性によって獲得される。ムーブを中断し、喫茶店に入る。そしてまた街へ出る。家へと帰る。 そこでは境界は振動は緩やかになるだろう。踊る自由は、安息をももたらすに違いない。 恋の句を作るのは恋をすることであり、野糞の句を作るのは野糞をたれる事である。/叙景の句とはどういう事になるか。/それは、一七字の中に自分の欲する景色を再現するだけではいけなくて、その景色の中へ自分が飛び込んで、その中でダンスを踊らなくては、この定義に添わないことになる。 (寺田寅彦p.110) 私たちは、街を叙景の句にすることができよう。 街を踊ることは、街を見たり、自分がしたい振る舞いをすることではない。街の中に自分が飛び込んで、その中でダンスを踊らなくては、街は現れないのだ。
参考文献 北田暁大,2002,『広告都市・東京——その誕生と死』,廣済堂出版 國分功一郎,2017,『中動態の世界-意思と責任の考古学-』,医学書院 カンタン・メイヤスー,2007=2016,『有限性の後で-偶然性の必然性についての試論-』(千葉雅也、大橋完太郎,星野太訳),人文書院 クロード=レヴィ・ストロース,1955=2001,『悲しき熱帯Ⅱ』(川田順造訳) ,中央公論新社 グレアム・ハーマン.2010=2017,『四方対象-オブジェクト指向存在論入門』(岡島隆佑監訳 山下智弘,鈴木優花,石井正巳訳),人文書院 千葉雅也,「勉強の哲学-来たるべきバカのために-」,2017,文藝春秋 高野岳彦,1991,「訳者あとがき――人間主義的地理学とエドワード・レルフ」,Relph,E.『場所の現象学』筑摩書房,所収. 寺田寅彦,1996,「柿の種」,岩波文庫 吉見俊哉,1987,『都市のドラマトゥルギー――東京・盛り場の社会史』,弘文堂 フレッド・デイヴィス,1975=1999『スタルジアの社会学』(相場寿一,荻野美穂,細辻恵子訳),世界思想社
執筆者:小川哲汰朗(https://twitter.com/_maoxiong_)
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スイートメモリーズ
中東生まれの上等な菓子と石鹸をもらってホクホクしたことがあった、陰惨に散らかった鬱の部屋で浴室を開け放していると死海の塩と薔薇の香りが漂い、隣家の植えたジャスミンとあいまってモウモウとたちこめる香りの帯が出来、王侯のような気分で菓子をつまんだり喫煙したりした。
件の菓子…ハルヴァを砕いてヨーグルトに混ぜると美味い、というのをどこかの主婦が発見して商品化し、オーガニック系のスーパーなどに展開したらしい。東京ではじめて食べたがたしかに美味かった。ハルヴァ単品を購入してブルガリアヨーグルトにかけても美味かった。私は中東方面だけに向けられる猛烈な食欲を抱くようになった。カシューナッツを生地に混ぜて焼いた菓子をも食いたいと感じ、亡霊のように、(実在しない)自然食品系スーパーを探し回った。あれも違うこれも違うの果てに、お目当ての品を見つけて口にすると場面が変わった。
◆
せんぱぁい…家買ったんですかぁ。
アホの後輩としての職務を遂行。先輩が家を買ったというのでいくらか聞いたらH市であることを差し引いてもおもちゃのように安かった。ここ数年内に凄惨な殺人事件が起こった事故物件でもないかぎり、ありえない値段だ。郊外の、一面住宅とはらっぱが広がってるような世界。(17年ほど前までは私の地元の一部もこのような風景で、はらっぱでシロツメクサの冠を作ったりバッタを捕まえたりして遊ぶことができた。今はすべて住宅に変わってしまったが。どうして少子化なのにどんどん住宅が増えるのだろう)
なぜこんなところに購入したのかきくと、曖昧などうとでもとれるような返事がかえってきたが、もう妻子がいるからファミリー向け物件を購入したというニュアンスを読み取った。しかし、彼に妻子はいなかったはずだ。いずれあの二人は結婚するのだろうなとかつて皆に思われていた方は既に別の人と結婚している。なるほどここはパラレルワールドなのだな。どのルートにいったって私にとっては発展性のない地獄なんだろうけどね。たまたまなのか(そんなはずないよな)誰もいないその家に招待され、足を踏み入れ、ああここでやはり地獄の続きを体感するのだなと思う。地縛霊でもいいから出てきてくれ。私にはひとりでスイートな畜生道を抜ける胆力がない!
◆
名探偵マダム・リーのはずなんだけど今日は泥棒になってる。ルパン三世? 3人組じゃなくてひとりだ。また実家(現実のではなくかつてあった地点)に放り込まれた。
実家から右に出るとすぐ、近隣住民の手入れしている植木が並んだ小道がある。そこに昔、死んだ金魚を埋めたらたった一晩でブワッと花が咲いた。まさに同じ座標で、死んだはずの飼い犬が蘇ってガツガツなにかを食べようとしている。まるで犬食いという側面だけを誇張されたかのように。死と再生が強化されてしまうポイント。見ると少しばかりの水たまりができていて、めずらしい茶色を主にした色柄の、一匹の小さな出目金(私の金魚ではない)がギリギリ水たまりを飛び出ないくらいに泳いでいる。
犬が金魚を食べ損なっていると、次に雷魚のような大きな魚が現れジタバタしている。犬はそれも食べようとして口にするが、たちまち魚は砂となって消えてしまった。砂になっても水が汚くならない、砂も消失してしまうらしい。私は金魚を家で飼いたくなり、実家の脇の路地で小ぶりな水槽をつかんで水を入れ、金魚を放り込んだ。魚と同じく水槽は砂になってさらさらこぼれていき、永遠に金魚は私の所有にならないことを悟った。この領域の前提となっているのは、何もgetできないというルールなのだ。たとえ大泥棒でも。
◆
幼馴染どうしの女の子と男の子が、ポケモントレーナーになるために旅に出るという。女の子のほうはすこしませていて、男の子のことをにくからず思っているのだけれどオモテにはださないようにしている。男の子のほうはひたすら前向きで思慕の機微には鈍感という、まあよくある主人公タイプの性格だ。
女の子が、男の子が旅のことばかり考えていて自分はほっとかれているような気がして不満に思っているけれどもそのことを言う資格はないから押し黙っている…という状況のとき、男の子がいきなりアイテムを女の子に差し出して「お前にあげるよ、一緒に旅出来るのがうれしい」などというセリフを言い、女の子は顔を赤らめてうれしさを静かにかみしめた。幼き二人に幸あれ。御三家は考えて選べ。
ところで一方、彼らの親は旅の前にトレーナースクールに我が子を入れようとしたが、そのスクールはなんと排外主義者が経営しているのだった。なんだか現実の森友学園問題みたいだな。もちろんこんなことは現実に私に差し迫った危険な状況を反映しているだけなんだけど。親は確証を得られないでまごまごしている。へんだと思った瞬間に辞めたらいいのだけれど、それをできる人って案外少なそう。まごまごしているうちにも時間は進み、選べる択は少なくなっていく。経験則からして、きなくさく感じたら退却するのが吉だ。シックスセンスは常に正しい、夢の世界ではそうだし現実だって似たようなものだろう。
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【劇評】現代の日本の片隅に
ホエイ『喫茶ティファニー』 小泉 うめ
[撮影:三浦雨林]
東京近郊の街にあるというその喫茶店は、ちょっと古びて懐かしい感じがする。チェーン店のカフェの隆盛で、このような個人経営の喫茶店はすっかり少なくなった。取り残された昭和が伺えるような空間だ。
こういった店は大抵店内が常連客で占められており、一見の客には少し入りにくかったりする。ここにもテーブルゲームに興じながら居座っている男(河村竜也)がいる。だが実はこの男は単に長居しているのではなく、店から依頼された重要な仕事があってずっとここにいる。カウンターにはパトランプが置かれていて、時々それが点灯して回転する。この店の奥にある秘密を想像させる仕掛けとして効果的だった。ゲームを続けている男はその秘密を守るためにこの店の番をしている。
そんな喫茶店で元恋人同士のシン(尾倉ケント)と政美(中村真沙海)が待ち合わせをする。再会に下心たっぷりのシンを相手に政美は自らが扱っているネットワークビジネスの話を持ちかける。政美の上司の近藤(斉藤祐一)もやってきて巧みに投資を促そうとする。政美は更にビジネスチャンスを広げようと、シンの友達を呼び出させるが、シンもやって来たロイ(吉田庸)もどうも金持ちには見えないのでその場を早めに切り上げようとし始める。現代社会に横行するこのような人の騙し合いをテーマにした作品はこれまでいくつかあったが、この後この作品が提示する問題はもっと根が深い。
この喫茶店を切り盛りしているのは、病気の兄に代わって店を任されている在日朝鮮人三世の貞子(山村崇子)だが、達観していて仕方なく働いている雰囲気を漂わせている。そして実は貞子は政美の母親であることも分かってくる。なんとか日本の社会でチャンスを掴もうと躍起になっている政美のことを貞子は社会に対する諦めと娘を気遣う不安のまなざしで静かに見守っている。
また政美とシンのお互いの呼び方をサインに、シンは在日韓国人だということにも気付かされる。そしてロイは母親がフィリピン人のダブルだということも明かされる。明確に提示されることはないが会話の情報からこれらのことが伝えられ、この周辺がどのような街であるのかも次第に分かってくる。首都圏の地理に明るい者であれば具体的なモデルとなっているエリアもイメージができて、作品を自身の周辺や現実社会に結び付けて観ることが出来て、考察にも膨らみが出たことだろう。
もう一人、店内には最初から店員であるかのようにこの店に入り浸っている女メイコ(森谷ふみ)もいる。妻もいる入院中のこの店の主人にかつて義理もあり不倫関係でもあるらしい。彼女もその生まれから悩みを抱えて生きてきたことを最後に告白する。
政美は最近恋人と別れているが、それも国籍のことが理由だったようだ。そして政美のお腹にはその恋人との子どもが宿っており、政美はその子を一人で産もうとしている。後半でその恋人の兄(山田百次)がやってきて、借金もあった政美は金を返せと言われるのかと思っていたら、逆に金を払って生まれてくる子どもを引き取りたいと告げられ、その一方的な提案で戸惑わされる。シンは一緒に育てたいと名乗りを上げる。また産まないという選択肢も政美の心の中にちらついている。
果たしてどのようにすることがこの子どもにとってもっとも幸せなのか、本当のところは誰にも分らない。貞子はメイコから編み物を習っているが、静かに編み続けていたのは赤ん坊のためのおくるみだった。いずれにせよそれは使って欲しいと言う貞子は、いかなる条件にも左右されない母親の姿をしていた。
今日のわが国には様々な出自の人が暮らしている。望んでここに来た人もいれば、たまたまそこで生まれて暮らしているという人もいる。そして外国籍の人が子どもを産んだ際には、出生時の国籍取得から就学・就職や結婚・出産と何かと制度的に面倒なことが多い。また法律的な問題の他にそこには人間としてのルーツやアイデンティティも絡んで更に複雑な問題との対峙を強いられるのが常である。
昭和が平成に託したにも関わらず、結局解決することの出来なかった問題がそこにあった。それは次の時代も解決できない問題なのかもしれない。またそれは時代が生み出した問題のようでありながら、人間が抱えている普遍的な問題であるようにも思われた。
・小泉 うめ 観劇人。観客発信メディアWLスタッフ。
作・演出:山田百次(ホエイ|劇団野の上) プロデュース:河村竜也(ホエイ|青年団) 出演:尾倉ケント 斉藤祐一(文学座) 中村真沙海 森谷ふみ(ニッポンの河川) 山村崇子(青年団) 吉田 庸(青年団) 山田百次(ホエイ|劇団野の上) 照明:黒太剛亮(黒猿) 衣裳:正金 彩(青年団) 演出助手:楠本楓心 制作:赤刎千久子 宣伝美術:河村竜也 日程:2019年4月11日(木)−21日(日) 会場:こまばアゴラ劇場 料金: 《前売》 一般:3,200円 特設割引:2,200円 高校生以下:500円 《予約・当日》 一般:3,500円 特設割引:2,500円 高校生以下:500円
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ポルトガル菓子
前回はリスボンの観光について書きましたが、その裏で甘い甘いお菓子三昧だったのも忘れないように、ポルトガル菓子だけについてまとめてみます。
観光地についてはあまり予習はせず行きましたが、お菓子については結構調べていきました。
ポルトガルの郷土菓子の多くは、元々は修道院で誕生したものだそうです。
ポルトガルでは修道士になるための支度金の代わりに、鳥や卵を教会に納める習慣があったそうです。そうした背景もあって、中世の修道院では僧服やシーツの糊付けに大量の卵白が利用されていたと。
そして、副産物の卵黄も捨てずに活用しようという動きの中で、卵黄を使ったお菓子作りの文化が修道院で育っていったみたいです。
(カヌレがボルドーで作られはじめたのと同じで、昔の人は知恵を絞ってますね)
リスボンで一番有名なお菓子といえば、 パスティス・デ・ベレン の パステル・デ・ナタ。日本でいうエッグタルトです。
ジェロニモス修道院のすぐ東側にある パスティス・デ・ベレン は常に大混雑。
行く前にネットで予約していきました。
いくら混むと言ってもエッグタルトとコーヒーのために予約する必要があるのかと思いましたが、店内はこんな感じで、お店の外まで大行列!!!
テイクアウトと喫茶との列が分かれててどちらも混んでるから、すごいことになっているように見えますが、それでも予約しとかないとダメでした。。。
こちらが、パステル・デ・ナタ(エッグタルト)。
日本で食べるエッグタルトとは全然違い、カスタードも軽く、パイ生地がサクサクで、2個は余裕で食べられるぐらい感じでした。
これは本当に美味しい!!!
はじめは1個ずつのオーダーでしたが、結局もう1個追加。
みんな2個以上食べてるのも納得です。
和菓子に ”あんこ” が欠かせないのと同様に、ポルトガル菓子には卵黄を甘くしたベースの「ドース・デ・オヴォシュ」というのが欠かせないそうです。
こちらも老舗のお菓子屋さん。コンフェイタリア・ナシオナル。
ポルトガル菓子には甘い卵黄のベースがほぼ全てのお菓子に使われているからか、店に入るとこんな感じです。
ショーケースの中は全て黄金色。
栄華を極めたポルトガルの黄金時代の名残でしょうか?
こちらは、リスボンに新しく出店した伝統菓子のお店のアルコーア。
この店もやはり基本的にお菓子の色は同じ。
内装もオシャレですが、お菓子の形や見せ方も今っぽい感じでした。
で、チョイスしたのは、こちら。
コーン型にあげたものの中に、甘〜い黄身のソース。コーンの周りにはグラニュー糖がびっしり。。。
さすがにこれはいろんな甘さのオンパレードで、全部食べられませんでした。
リスボン2日目には日帰りで近郊の町、シントラへ。
ここは王家の避暑地であったため、いろんな文化財が集まっている街。
ペーナ宮殿。
昔の修道院を改修してできた宮殿で、複数の様式やデザインが混ざったカラフルな建築物はなんとも不思議。
そんなシントラの名物菓子は、ケイジャーダ(チーズタルト)です。
ピリキータは、ひっきりなしにお客さんが入ってきて、カフェも混雑してました。
チーズケーキと紹介されてますが、あまりチーズケーキという感じではなく、薄いパリパリの1枚の皮の中は、シナモンが効いて程よく甘いパウンドケーキのようなものでした。
甘いものだらけのポルトガル菓子の中では、少し異質な感じでした。
そして、もう一つの名物のトラヴェセイロも。
ポルトガル語で枕という意味のトラヴェセイロは、
ケイジャーダと違い、パイ生地のまわりにグラニュー糖がふってあり、中はいつもの甘い黄身ベースのものが。。。
こちらも半分で十分でした。
ポルトガルに行く前、リスボンの観光やお菓子の情報を教えていただいた京都のカステラド・パウロの智子さん、本当にありがとうございました。
この次は、リスボンで出会ったパッケージ編です。
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【30代女子、免許取得・ドライブへの道 #1】今だからたどり着いた、クルマを運転する理由は?
こんにちは、ファッション系編集ライターの立石 郁です。kiitos.誌面や、Peluluに掲載された私の記事を読んでいただいている方もいらっしゃるかもしれません! いつも、本当にありがとうございます。 実は、私はクルマの免許を持たずに33歳になりました。「クルマ絶対要らないわ…」と思っていました。「電車で充分だわ…」と。でも、この記事はそう思っているあなたに読んでもらいたい! 「クルマなんて、要らないな」ちょっと前の私と同じように思っている大人女子へ。今、クルマが楽しいんです。最近まで、「クルマ絶対要らないわ〜…」と思っていた私が、クルマを運転しようと思い立ち、教習所に通いだすまで。 乗りたいクルマももう決まっています。日産・パオがずっと憧れ。ラシーンやパンダではなくて、パオ! カクカクし過ぎないのにノスタルジックなのが最高です。 【なぜいま、クルマなのか?】 今の私は、旅行するのも好きだし、カフェに行くのも好き。大好きな生き物を見るために水族館に行くのも好きだし、熱帯魚を飼っているからアクアリウムショップにたくさん行きたい…。 なんて趣味を突き詰めていて思ったのですが、「趣味」というものは、大人が深めていくと、ネットやお家の中では完結しなくなってきますよね。 おしゃれもコスメも、単に好きな服を着る、メイクをすることだけでなくて、好きなブランドが同じ人同士で仲良くなったり、同じナチュラルなコスメが好きで、情報交換したり…趣味を持っている事自体がコミュニケーションツールになっていきます。 やっと時間もお財布に余裕も少し出てきた今こそ、そうなることが多い気がしてきて…。 それが高じて仲良くなると、次はその友達とお出かけ…というように、ある一定の趣味は、外に外にと行くようにできているのではないでしょうか。 【最近、いい感じのお店って東京の「輪郭」部分にありませんか?】 そして、近頃はカフェが東京からなくなってきていて、手軽なコーヒースタンドが増えてきました。 気付けば、喫茶店よりもフランクで、お茶しながらゆったり雑誌なんか読めるカフェは減っていて…。うつわ屋さんもそうです。東京は土地代がかかるから、空気感を大事にしながらの商いは難しいんだなと寂しく感じていました。 そういう素敵なお店が、どうも郊外でもない、都心でもない場所にオープンしたり移転しているようなのです。 そう思った時、雑誌やインスタで見て。行ってみたいお店をリストアップしたら、なんと! 東京都心からクルマで約1時間〜1時間半ぐらいの、ほぼぴったり約50km範囲にいい感じのお店があるんです。 大好きなかねよ食堂。お店の中はもちろん、外に出たらこんな風にすぐ海! こんな素敵なオブジェが佇んでいて、何度も来たくなります。 尊敬するスタイリストさんに連れて行ってもらって感激した横須賀のかねよ食堂や、流山のtronc(元三軒茶屋nicolasのパティシエさんのお店)、真鶴のアトリエスクランプシャス、大磯のTE HANDEL、稲毛のthe farm universal chiba、埼玉のtakase…。みんな埼玉、神奈川などに移転したり、オープンしていたり。電車で行くと慣れない乗り継ぎは疲れるし、駅から遠い所にあったら、バスやタクシーも不便です。これは困りました。 そこで、やっと「自分で運転して行けるようになったら、毎日がもっと楽しいのでは?」と思うようになりました。 TE HANDELとthe farm universal chibaは、行きたすぎて6/23に発売されたkiitos. vol.9で「エスケープ」というテーマで取材してもらいました(なのに、私は忙しくて行けず…涙)。いつか、クルマで行くからいいんだ! 【欲張りを楽しみたい】 「雑誌やインスタで知った気持ちになる」というのはいくらでもできるけれど、きっと(私のように)欲張りな30代女性にはちょっと物足りないと言うか、人のインスタを見て、素直にいいな!と思えないこともありませんか?笑 うー、行けなくて悔しい!と思うこと、しばしば…。やっぱり、「自分が行うことでしか楽しめない体験」を楽しんだほうがいい。好きな音楽を爆音でかけてもいい。無言で雨の音を聴いてもいい。クルマの中なら、声を上げて泣いてもいいんです。電車なら簡単にはできないことだらけ! ある日、これからの自分の理想を考えた時、クルマという「街中でのプライベートスペース」を手に入れて、ちょっと自分の自由を広げたいと思いました。 …ライターをやってきて思うのは、雑誌や読み物というのは、その人の人生を素晴らしくする媒介であり、あくまで読む体験が『目的』なのではなく、そこに書いてあるものを読者さんが「やってみよう」と考える、そんな『行動を促す』というところまでたどり着く「きっかけ」になるのがいい記事だ、と感じています。それはきっと、どんなにメディアが発達しても変わらないこと。この記事で、「私も免許を取ったら楽しいかも」と少しでも背中を押せたら嬉しいです。 次回は、「いま気になるクルマと自動車教習所選びのポイント」を書いてみたいと思います。よろしかったら、次回もお付き合いください! (pelulu 立石 郁) 【関連記事】 シトロエンで行く桐生の旅。4月〜8月で累計5,000人が訪れた美味しいコーヒーを求めて。【parking JOURNAL:桐生編】 https://pelulu.jp/10141 『FIAT 500』フィアット チンクエチェントで行く 年末イケアへショッピング【parking JOURNAL:イケア編】 https://pelulu.jp/16063 裏鎌倉へショートトリップ!【第一弾】お泊まりも、美味しいごはんも、お買い物も。 私だけの秘密の鎌倉へ、ご案内。〜神社・ユースホステル編〜 https://pelulu.jp/31534 あわせて読みたい * 運転免許証用の顔写真を美しく!日産の期間限定サービス「ID-PHOTO」 * 「ゴールド免許」の取り方と特典とは?【豆知識】 * 運転免許証の12桁の数字からわかる4つの項目とは?【クルマにまつわる免許・資格おさらい】 * ゴールド免許なら全国どこでも更新手続きができる!? 運転免許の『経由更新』とは?【クルマにまつわる免許・資格おさらい】 * 運転免許更新期間中に手続きができない!そんな時に便利な『期間前更新』とは?【クルマにまつわる免許・資格おさらい】 http://dlvr.it/Qcj0Kx
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帶爸媽自由行 「京都」10個必去必逛的超經典行程推薦!
繼上篇【帶爸媽自由行 「大阪」10個必去必逛的超經典行程推薦!】後,接下來介紹京都篇。京都可以玩的地方很多,不論是在京都市區、或郊區,這個日本的千年古都有許多風貌等著大家去探索。以下列出10個京都帶爸媽、長輩的必玩觀光景點,有最定番的「清水寺」、「二條城」,還有小編推���的郊區景點,交通上雖不比市區方便,但自然的輕鬆氛圍,長輩一定會喜歡!
美麗的清水寺
圖片來源:123RF版權商用圖片
進入介紹前先複習4個幫助你和長輩旅行的Tips:
掌握四大重點,與長輩開心共遊:
► 行程勿太密集、安排有彈性且休息時間多的旅程。
即使年輕人自己有活力,可以一天衝好幾個景點,但若是稍有年紀的爸媽體力可能無法負荷一連好幾天的「鐵腿旅行」。先求經典行程走一趟、輕鬆的上午下午各一大景點,交通也多參考1日券或多日券,非必要避免先訂定時車票,以免臨時發生狀況,錯過精心安排的景點,傷財又傷心。前往景點的同時也可稍微介紹一下重要車站、景點概要,一方面可以讓爸媽心裡有底、安心,一方面也可避免走馬看花完,不知道到底去過哪裡。
► 多幫同行的爸媽、長輩拍照,也可以透過社群軟體分享。
難得出國旅遊,拍照一定要,特別是你安排的孝親行,當然要紀錄下來、留念。如果是熟悉社群軟體的長輩,建議上傳幾張歡樂的遊玩照片,分享給他們的親朋好友,不僅值得驕傲、以後在他們的嘴裡,你就是那個肯不辭辛勞地帶他們出國旅行的孝子、孝女了(笑)
► 長輩常吃常用的藥品請備好,暈車藥口罩有備無患。
雖然說日本什麼都有,不過平時吃、用習慣的藥品還是準備著較好。日本氣溫比同時期的台灣低,特別是早晚特別涼,外套、口罩有備無患;若有較長時間的乘車需要,暈車藥、糧食等也先準備好比較安心。
► 當地土產先做功課,介紹必買給長輩增加購物樂趣。
購物是自由行的一大樂趣,不過沒做功課的長輩可不太知道什麼必買、吃起來味道如何。如果能在出發前,先介紹幾樣預計合長輩口味的土產,讓他們不只吃飽喝足,還能雙手滿滿、心滿意足得返台。
把握完上述基本原則,接下來將介紹10個京都經典玩法,保證精挑細選、專為長輩又是超經典行程,也許你早已經去過,不過這次就當一下爸媽及同行長輩的導遊如何?和不同的旅伴相信會激出不一樣的火花!
▋錦市場(京都市中京區):京都的廚房,採購伴手禮別錯過
擁有400年歷史、過去曾被稱作「京的廚房」的錦市場。江戶時代作為魚市場而生意繁盛,到了昭和時代則轉型成批發市場,京都食材、土產、衣物等商品範圍廣大。位於京都熱鬧市區內、全長390公尺的商店街,也是觀光客及日本學生戶外教學必去之景點。之所以推薦給孝親行的人,是因為在這裡可以帶回許多”京都味”,其中用京野菜醃製的「お漬物」更是必買!旁邊也有「新京極商店街」和「寺町京極商店街」,建議安排早點到訪,以免市場早早休息而向隅。
錦市場
・交通方式: (市巴士)5號系統「 四条高倉(大丸百貨店前)」下車徒歩2分 (地下鐵)烏丸線「四条駅」下車徒歩3分 (阪急)京都線「烏丸駅」徒歩3分、「河原町駅」下車徒歩4分 (京阪)「四条駅」下車徒歩10分 ・官方網站
▋二條城(京都市中京區):名符其實的歷史古城
二之丸御殿的「車寄」(右)及「遠侍」。
圖片來源:http://goo.gl/5J1gXL
如果到京都,也建議要看一下日本的古城。現在的「二條城」建於江戶時代初期(1603年),至今已有400年歷史,是徳川家康為了保衛皇宮(京都御所)、提供德川家族上洛時住宿而重建,一直到第三代德川家光才完成擴建,呈現今日的風貌,二條城可以說是見證了德川家的興衰的古蹟。即使不懂日本歷史,也建議親自進入御殿、光著腳丫踩在木造的地板上,伴隨著舊木頭嘎嘎作響的聲音,邊參觀江戶時代的名家房間,還可以看到大廣間內擺設人偶,重現第15代將軍徳川慶喜昭集重要幹部發表大政奉還的場景。有別於大阪城過於現代化的感覺,二條城這種古老的木造建築才能確實讓人感受到江戶時代的歷史氛圍。
二条城 ・地址:京都市中京区二条通堀川西入二条城町541番地 ・開城時間:8:45~16:00 ・費用:一般600円、中學生與高中生350円、小學生200円 ・交通方式:京都市地下鐵東西線「二条城前」╱市巴士9、12、50、101號系統於「二条城前」站下車 ・官方網站
▋清水寺(京都市東山區):京都超經典景點
清水寺本堂舞台,這裡為必拍定點
沒到過清水寺別說你玩過京都,清水寺就如同與京都二字畫上等號般經典。清水寺做為古都──京都的文化財之一,於1994年被列名為世界文化遺產。建於山壁上,不用一根釘子、僅以木頭崁接方式而懸空的本堂舞台也是一大看點。四季分明的氣候,讓清水寺的景致也隨著季節變換,春櫻、夏綠、秋楓、冬雪的絕景吸引著多數參訪者,不幫同行的爸媽拍一張以清水寺本堂為背景的合照就太可惜了。也可以問問同行爸媽是否想要試���日本和服,建議事前預約喔。周邊祈求姻緣的地主神社、參拜道路的清水坂、二年坂&三年坂的店家也都建議一同走訪。
清水寺 ・地址:京都市東山区清水一丁目 ・參拜時間:基本上6:00~18:00,但結束時間與夜間開放時段依時期有異,請上官網查詢 ・費用:一般、大學生與高中生400円、中學生與小學生200円 ・交通方式:京都巴士至「清水道」站下車步行15分 ・ 官方網站
▋鴨川& 夏季納涼床(京都市中京區):夏天風物詩
鴨川夏天納涼床一景。
圖片來源:http://goo.gl/PyrN48
說到京都的夏天,小編最喜歡的景點便是鴨川。鴨川為京都市內南北向約33公里的河川,孕育了千年之都的文化,至今也被京都人當做休憩地點所喜愛著。特別推薦帶爸媽來嘗試京都夏季才有的風物詩──「鴨川納涼床」。所謂的納涼床(又稱川床)就是每年5月至9月,京都鴨川岸邊架起的一長列高台,在高台上則會有季節限定的戶外餐廳。邊吃著料理、邊欣賞夜晚的河岸風景,是否很有日式風情呢?即使不坐下用餐,也可於晚上走到四条大橋之下,岸邊的燈火加上鴨川潺潺流水聲、邊吹著涼風,邊和同行的爸媽聊天,感受京都式的夏天夜晚 ☞ 延伸閱讀:夏季限定~京都鴨川納涼床!
鴨川 ・交通方式:(阪急)「河原町駅」、(地下鐵)東西線「京都市役所前駅」、(市巴士)「河原町五条」・「四条河原町」・「京都市役所前」下車步行可到 ・京都鴨川納涼床
▋竹林之道(京都市右京區):嵐山絕景
圖片來源:http://goo.gl/lcwutG
京都觀光不可錯過的一景,曾在許多日本廣告、戲劇中出現,同時也是多數外國人會特地造訪的嵯峨野竹林。其中最有名的路段是從野宮神社到大河内山莊方向的部分。走進這高聳且緊密排列的竹林小道,彷彿穿越時空般的體驗,天氣好時陽光穿透竹林間縫隙,會有種仿佛身在古裝劇場景的浪漫氛圍。帶爸媽或長輩來走走體驗獨特的自然氣氛吧,或是選「嵐山花燈路」的時期前往,夜晚則有點燈活動、更顯浪漫。今年的資訊尚未更新,但有關於「嵐山花燈路」的情報請見:京都嵐山花燈路2016。
嵯峨野 竹林の道 ・地址:京都府京都市右京区嵯峨小倉山田淵山町 ・交通方式:京福電車「嵐山」、阪急嵐山線「嵐山」、JR嵯峨野線「嵯峨嵐山」 ・京都觀光介紹
▋平等院(京都府宇治市):具代表性的宗教建築
平等院鳳凰堂秋天一景。
日本10元硬幣上的圖案就是平等院鳳凰堂。平等院沿著宇治川邊而建,被作為古代日本人對西方極樂世界的理想,其中鳳凰堂裡頭有阿彌陀如來坐像、和數十座菩薩像。而鳳凰堂建築是日本代表性的藝術國寶,包含繪畫、建築、工藝、雕刻等技術,在鳳凰堂皆有高規格的呈現。其建在池中央的島上,就像佛教極樂寶池的宮殿一樣,也是其浮於水上寧靜且典雅姿態,讓觀光客慕名而來。如果同行者中有喜愛抹茶的人,更應該安排一趟宇治之旅,邊介紹宇治的文化背景,一邊感受京都郊區的空氣。
平等院 ・地址:京都府宇治市宇治蓮華116 ・開放時間:08:30~17:30 ・費用:大人600円、高中生與中學生400円、小學生300円 ・交通方式:(JR)奈良線「宇治駅」下車徒歩10分、(京阪)宇治線「京阪宇治駅」下車徒歩10分 ・官方網站(繁體中文版)
▋貴船神社(京都市左京區):鞍馬區以水占籤聞名的神社
(左)往本宮的參道 (右)貴船的川床,離流水非常近。
圖片來源:http://goo.gl/eWZycU
位於鞍馬的貴船神社是日本全國約450個分社的總本社。因供奉水神──高龗神,從古時候開始被作為祈雨之神所信仰。而後則以水之神受到日本全國料理、飲食業及與水相關的生意人所信仰。此神社的水占籤(水占みくじ)相當著名,將自己選的籤文紙放在神水之上,文字就會慢慢浮顯,另類且具有趣味的抽籤方式。夏天沿路則有「川床」,也就是上面介紹的納涼床,貴船這邊的川床與鴨川的不同,離水面相當近,可以一解夏日之暑氣、還有貴船地區才有的流水素麵,一定要體驗看看。秋天的楓葉景致也推薦!
貴船神社 ・地址:京都市左京区鞍馬貴船町180 ・交通方式:(京阪電鐵)「出町柳駅」轉乘(叡山電車)「貴船口駅」,再換乘京都巴士 ・官方網站
交通優惠券:巴士&叡電鞍馬・貴船當天往返票、鞍馬・貴船一日券
▋美山 茅葺之里(京都府南丹市):療癒仙境
與白川鄉・五箇山的合掌村相似的風景,讓京都「美山町茅葺之里」近年來知名度漸高、與福島縣的大內宿為日本3大現存的茅葺屋集落。目前茅葺之里・北村中約有50戶建築,其中共有38棟茅葺屋(32棟為住宅、6棟為民俗資料館、店鋪),在西元1993年被選為「國家重要傳統建造物群保存地區」。極具特色的垂簷茅葺屋頂以綠山為背景排排站,遠遠望去彷彿日本古老的原生風景。寧靜的小村落,就算靜靜坐著看也很療癒!隨四季變換的景致,特別推薦冬天的「雪灯廊(ゆきとうろう)」點燈活動。這種原生風景,爸媽一定覺得樸實、親切,只是交通上不太方便,如果要排進孝親行建議務必做好功課。
☞ 延伸閱讀:京都美山也有合掌村?! 仙境般療癒美景「かやぶきの里・北村」
かやぶきの里 ・交通方式:JR「京都駅」到JR「園部駅」搭乘快速車種約35分,JR「園部駅」・JR「日吉駅」・JR「和知駅」之後請利用南丹市営巴士。或京阪京都交通(直通巴士) ・美山町觀光情報
▋哲學之道(京都市左京區):賞櫻勝地
圖片來源:http://goo.gl/r2GCxH
如果可以,帶爸媽、長輩到京都賞櫻吧!雖然台灣也有櫻花,但到日本京都看感覺不同,即使櫻花時期人山人海,但拍起來的美景絕對可以讓同行長輩拿出去炫耀(笑)。經典路線小編首推「哲學之道」,被選為日本之道100選的哲學之道,其名字據說是因近代日本代表哲学家・西田幾太郎和經濟學者河上肇等人在這條步道邊散步邊思索而來的。全長1.6公里的散步道路,與東山腳下的引水渠並行,水流兩旁的櫻花樹盛開時候,滿是白櫻的景色令人驚艷外,同時也可享受小橋流水的散步趣味。
哲学の道 ・交通方式:市巴士「銀閣寺道」站下車徒步10分 ・京都觀光情報
▋INODA咖啡本店(京都市中京區):唯一京都名店推薦
圖片來源:http://goo.gl/mmhAXd、http://goo.gl/e7EwqY
除了必去的世界遺產、觀光景點,關西在住的小編也推薦到京都咖啡名店──「INODA咖啡」(イノダコーヒ)的本店品嚐在地人最喜愛的特製咖啡。1940年創業的INODA咖啡對於京都人的重要性,可以從「京都的早晨,從INODA咖啡的香氣開始」這一句話窺見,比起滿街洋風的「咖啡店」,不如說它是日式懷舊的「喫茶店」更符合其風格。不僅是咖啡豆,連沖泡咖啡的開水也很講究,最推薦的喝法是咖啡裡加入砂糖和牛奶品嚐。店內的餐點也值得一起嘗試,INODA的火腿、豬排三明治大受好評,也可選個自由行的早晨帶爸媽到INODA本店,感受一下昭和時代的京都味。
INODA COFFEE ・地址:京都市中京区堺町通三条下ル道祐町140(此為本店地址,其餘分店位置請上官網查詢) ・營業時間:7:00~19:00,全年無休 ・交通方式:地下鐵烏丸線・東西線「烏丸御池駅」下車徒歩10分 ・官方網站
整理撰文:KASEI 2016.9.5 參考網站:(主要)【定番から穴場まで】おススメの京都観光スポット【56ヶ所】、京都の観光はこれで完璧!楽しむ為の60のチェックポイント。,其餘請見上方各連結。
☞ 延伸閱讀 「樂吃購!日本」全國版網站
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