Tumgik
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大規模な再開発が行われている渋谷エリアにおいて、ひとつの巨大な風景が殺されようとしている。もしくは、すでに殺されている。
桜ヶ丘である。
怒り、無力感、疲弊、すべてのネガティブな感情を吐露する場、というのは、「渋谷の未来を考える」的なシンポジウム、ワークショップでは不可能だろう。
殺人者への罵詈雑言、死にゆく都市=身体への優しさ、を、ここでは述べてほしい。
平成30年12月22日、私達は死ぬ都市を歩く。
今後同じような風景に出会うことがないよう、ひっそりと祈りながら。
これは都市に関する詩である。
そして同時に、都市を記述しようとする何者かの最後の灯りのひとつでもある。
あるいは、反抗への契機でもある。
都市が侵食されている。
まだ見えないなにかに、あるいは、未来の前借りの利子として、我々の目の前からひとつの風景が忽然と消え去ろうとしている。
私達の都市は、私達の場所ではなくなろうとしている。
もはやそこを、われわれは自分のものにすることはできない。
能動的な生を奪われ、死することを余儀なくされたある風景を前に、我々ができることは少ない。
いや、もしかしたら、そもそも都市というスケールに対して「何かをする」ということさえおこがましいのかもしれない。
しかし、失われたあとに、過去に目配せをするように「あの景色はよかったよね」と懐かしむより、そこに足を運び、花を手向ける代わりに、風景を脳裏に刻むほうが遥かに行為としては優れているだろう。
人工呼吸器のスイッチを切られた風景が、今の私達の目の前にはある。
不在の存在が、もうすぐ現れようとしている。
だから私達は、そこを歩かなければいけない。未来への反抗、現実への反抗として、私達には歩行という手段が残されている。
死ぬ都市へ詩を手向けたいと思う。あるいは、詩に変わる、弔事を。
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Shiori Futatsugi “writes” about RE:NAKAMEGURO #2
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Eri Ishikawa writes about RE:NAKAMEGURO #2
風が冷たかった。中目黒は想像以上にワイワイしていた。 寒いという第一欲求から服を買いに行くという行動は、とてもシンプルなのに、日常からは考えられないことだった。忙しさに殺されていた感情の表出。
駐車場にて。ほろよいをあける。炭酸は苦手だ。昼間から飲酒、野外で。たのしいなー。前から来たおばさんは怪訝そうな顔で通り過ぎた。日常と非日常のぶつかり。それはそれは、不気味だろう。せめぎ合いにいま、ここ、立っている!という気分は爽快だ。
代官山との境目、すなわち目黒区と渋谷区の境目を見た。毎回思うけど、あの〇〇区に入りましたといった標識は必要?車に乗らないからわからない。行列に並ぶひとたちは楽しそうだった。私にはどうも向かないというか、あの場においては斜に捉えていた。駐車場に腰かけたが、緑がきれいとかフェンスに棘みたいな強さが備わっていたとかしか覚えていない。座ろうと思えばどこにでも座れる。
大阪にいるから東京で生活する他のメンバーに追いつけない。物理的にも心理的にも。何が基準だったのか、いまでも行方不明のまま。捜索願は出さない。
なにやら騒がしく華やかな行列にまた出会った。エグザイル関係の袋を持ったひとがいる。道の脇にはきれいに揃えられた花壇があり、玄関には街の回覧板がかかっていた。喧騒のなかに住むのか、居住のなかに喧騒が割り込んだのか。そのなかに身を置いたことがないからどんな気分なのかもわからない。住みきれないし、分かりきれない。こんな時しか無理だろうから、ってエグザイルショップへ。ぜったい行かないと言い切れるひとと、何度でも行きたい一度でもいいから行きたいというひとが、いる。ネットショップを立ち上げたら、ネットショップだけでいい気もする。でもそれなら、エグザイルファンの分だけ中目黒の人口が減るんだろうか。別の流行りを誰かが作り出すのだろう。
空腹を埋めようとフレッシュネスへ残り時間わずかで入店。看板の置き方が、ひとをさそう要素ゼロで、店内からは見えるけど歩いていてはきっと見えない。無意味だけど、寂しさを埋めていた。お腹が空いていて結構がっつり頼んでしまい、もくもくと食べた。不思議な空間であった。歯の噛み合わせが悪いから、レタスが通り抜ける。うまく食べられないのに、なぜバーガー屋を選んだのか。恥ずかしさと、注文の遅さから商品が来るのも遅く、焦りといっしょに喉を通した。
ハーフタイムは、橋の上で座る。鳩と同じくらいの目線だった。座っても少しこちらが高いくらい。大人になってもあの目線というのは、車に轢かれやすそうである。煙草を吸う割合が高かった。川沿いを歩く桜目当てのひとたちは浮き足立っていて、道に座るという非日常なことにも目もくれず、もはやそれさえ目に入らない高さを歩き、楽しんでいたんだろう。提灯を見上げた。高かった。
後半は、まずトイレに行くことから始まった。観光っぽいおとーさんはグラサンをかけ、前を全て覆ったベビーカーを押していた。息できているのかな。肖像権はないものとして写真に収めた。私も彼もさして変わらない、中目黒との距離。しかしここが日本であり私は日本人のような顔をしているから、一緒に行動しているひともそのような部類だからちょっと強気だった。もしかしたら彼は日本在住かもしれないのに、なにを上から見ていたんだろう。これじゃあいつもの街の歩き方と一緒である。
セブンイレブンで用をたす。私は読み方のわからないパンの写真を撮った。ひとりではさっと通り過ぎるだけのパンコーナーも、ひとを待つとなればゆっくりと居座れた。何も買わなかった。ひとりではしないことが多い。できないわけではないのにしない。
マンションの屋上へ忍び込もうとした。未遂に終わってしまったが、ここが誰かの住まいで生活の基礎であることが現実味を帯びなかった。それは、街を遊び場にしていた証拠なのかもしれない。最上階の窓からはマンションがいくつもあり、住宅地が広がっていた。街に生きるけど、生き切ることはできない気がした。
洗濯物を見ながら歩くと楽しい。そのひとの生活を盗み見している。ごめんなさいとも思うけど、見る。社会に犯罪や事故があるように、街に洗濯物がある気がした。だから、マンションの景観のために外に干さないでくださいというルールや、低めの物干し竿は受け付けない。大阪の空気は悪いからというのも加えて、私は部屋干し派。お店屋のタオルは統一された色だったり、あの量からして大家族なのかなと想像したり、勝手に楽しむ。普段は一階あたりまでしか目を動かさないから、上階部までちゃんと生活はあるのだと知る。街を踊ることは、どこの誰のなにとでもペアを組む寛容さを伴っていたかもしれない。
最後にもう一度駐車場にて。車じゃない人間が座り込んでいる。その脇を颯爽と歩いて行く女性。なにが待っているのだろう。誰かとの待ち合わせ?そのなかに私たちのようなひとがいたのさっき、という会話はある?知り尽くすのがこわいくらいだ。車を入れる分の力をみんなでかけようとしたが、3人しか乗れず断念。すごくシンプルな行動だった。普段ならぜったいこんなことしないけど。合法的に占拠することはできないみたいだった。違法行為してたのかな。
街を踊ることについて。初めての行動で、なにが起きるかわからないふわふわ感がすきだった。生活なの?観察なの?のグレーゾーンをゆるゆると動いた。普段からはできないから、踊る頻度は低めがいい。たまに、爆発的でいてとても簡素なことをしたい。街に生きることが先だ。東京出身であっても中目黒には疎く、観光客気分で、だけど地に足はついていた。踊るための筋力を、生きる中で身につけたい。
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Tetsutaro Ogawa writes about RE:NAKAMEGURO #2
“アウラという霊的なものは、遠くにおいて維持され、一回限りでつまりは他とは交換できないかけがえのないものとして現れてくるもののことである。山々にアウラを感じるというのは、その山が、遥か彼方に、手の届かないところにあり、しかも、それを目にする瞬間瞬間に、その容貌を新たにして、神々しいものとして立ち現れるということを条件とする。”
(篠原雅武,2018,『人新世の哲学-思弁的実在論以後の「人間の条件」-』,p42) 我々がフィールドとしている東京は、絶え間ないイメージの内部-外部の往復、連関、相互参照-「運動」の-中にある。我々はある地点Aに立つとき、地点Bにいた際に観測していた「A」というアウラを、Aの内部において観測することは難しい。同時に、地点Aにおいて地点Bを眼差すとき、そのアウラは明瞭に立ち現れる。Aの内部において「地点A」は、Bとの関連においては、”A-a”あるいは”A-b”といったように、ともすれば、地点A-a-b、地点A-b-……nのように、ある連なりの様相を持って、我々との”関係のもとに”現象する。いずれにせよ、「運動」である。 我々と関係するもの、関係する対象として街を見るということは、ある事物として街を見ることである。ここにひとつの困難がある。つまり、事物としてすでに存在する自然-木々や山、川など-に対して、冒頭に引用した篠原の言うところの「アウラ」を感じることは容易いし、その関係において事物を対象化する操作が存在する、ということを我々は想像することができる。しかし、「イメージの運動」によって、言い換えれば、輪郭を規定しないが確かに存在するその対象を「事物」として捉えることは果たして可能なのだろうか。 言うまでもないことだが、空間が自然と大きく異なるのは、それが人間の論理や心情を通過して作られ、生活世界としてのリアリティを持っている点にある。それは事物としてのリアリティではない。人間を通過して作られたリアリティは、事物としてのリアリティを覆い隠した上に成り立っている。「我々が関係する対象は事物である」ということを忘却の彼方へと葬り去った上で、葬り去ることを前提に、あるいは、葬り去るために、我々の大半は空間に生きている。 よって、地点Aのアウラは、地点Aにおいて必ず忘却される。地点Aにおいて、地点Aは運動において知覚される。 しかし、地点Aへと赴くとき、私たちはたしかに「A」に向かって進んでいる。その説明はいかにして可能だろうか。 幼い頃、東京に住む親戚の家に遊びに行った。北関東自動車道を練馬インターで降りても、そこはまだ「東京」ではない。環七に入り、山手通りを進んでいると、左手に新宿西口のビル群が見える。そのときに初めて私は地点Aとしての東京を見る。しかしまだ東京ではない。白金にある親戚のマンションに到着しても、渋谷に遊びに行っても、羽田空港から湾岸のビル群を見ても、東京はない。東京はここのはずなのに、私の知っている東京にはいつまで経っても出会えないことが、不思議で仕方がなかった。 しかし、その回数を重ねるたびに、私は、地点A,すなわち「私のしっている東京」以外の東京を知り始める。それは、紀伊国屋の店内であったり、ハチ公口の下水の匂いであったり、伯母の携帯電話についている居酒屋のマスコットキャラクターのストラップであったりした。そういった、リアリティとしての東京、つまり、地点x-aのような運動が私のなかに生じ、そしてそれは地点Bという「たしかなもの」としていつの間にか二つ目の東京を作り上げていた。 そして今、私は数え切れないほどのリアリティと、捉えきれないほどのアウラをここに(/から)見ながら、東京に住んでいる。 「運動」において絶えず分岐し、連続する東京は私にとってのリアリティではあるが、私のリアリティは誰かにとってのアウラに転ずるのであろう。そして私が見ているアウラもまた、誰かのリアリティによって担われているものだ。その相互に担い合うような空間を事物として扱い、戯れようとする今回の私たちの試みは、果たして無謀だったのだろうか。 Tetsutaro Ogawa (https://twitter.com/_maoxiong_)
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raid-logs · 6 years
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Misako Noda writes about RE:NAKAMEGURO #2
生まれた土地の話  わたしの生まれは九州の田舎、海と山に囲まれた町だった。15歳まで住んだその土地は山岳宗教文化とカトリックが盛んな、日本でも割にめずらしい文化圏だったと思う。学校の帰りに自転車を漕いでいればかならず顔見知りに会うし、会ったのが年寄りならば「どこの子かえ」と訊かれ、名前と家業を明示しなければ不審者のように扱われた。通りかかる家の軒先に狩られた鹿の死骸が、血抜きのために逆さまに吊るされていていやだった。男の子と下校したら、親の前でぜんぜん知らない大人からからかわれた。  それが普通だったからとくに居心地の悪さは感じていなかったけれど、特異な環境であったのは間違いない。よくもわるくも、そんな土地にいたからこそ、東京にいるわたしは街について、土地について、少しだけずれた比較対象を手に入れられているのだと思う。 高校生の話  15歳からは県庁所在地の大きな市でひとり暮らしを始めた。住んでいた町はそもそも駅がなかったので、通学が困難だったためだ。駅前にはパルコとフォーラスがある。駅ビルは改築してビームスやフランフランが入るらしい、とまことしやかに囁かれている。ハイブランドで固めたヤンキー。街での遊び方をしってるクラスメイト。放課後にジョイフルで勉強会しようよ、というメールが送られてくる。  高校生たちは街のあるポイントでイケていられる。私は早々とそのルールを理解し、溶け込んでしまうことができた。  それでも結局、会話や遊び方についての小さな違和感がかさなってドロップアウトしてしまった。友達や彼氏がいても私は学校にほとんど行かず、ひとりで街を飛び出すか部屋に引きこもることが増えた。はじめて味わうひとりの行動選択の自由さは心地よく、ずるずると学校を休み、キセルをして温泉地まで行ったり、映画館へ行ったり、ゲオでDVDを借りて観まくる日々を3年間続けることとなる。  この街は私の居場所ではない、とはっきりと思っていたわけではないが、そこで暮らしながらもコードに乗れなかった自分は確かにいた。 東京の話  東京で初めて住む場所として選んだのは世田谷だった。宇宙、日本、世田谷の世田谷。  高校生の頃から長期休暇はずっと新宿のホテルを取って予備校に通っていたから、あまり上京のエモさを感じられず、むりやり寂しい気持ちになってみたくて都心にばかり出ていたのを覚えている。その頃、ライブハウスで知り合った友人がMVを撮っていた古着屋に行ってみたくて初めて中目黒を訪れた。  街を分断するように川が流れているのが東京っぽいなと思う。地方では、中目黒のように川沿いに密接したかたちで商業が栄えている様子はみられない。古着屋でよく喋る店主にジュースをもらって、すこしだけ川沿いを歩いた。雑多な印象の都心と比べて、ゆるくてもまとまった印象のファッションの人が多くて、ここに住めたらいいなと少しだけ思った。 RAID  しばらく中目黒から離れていた。というか、中目黒は生活にあまりにも関与しなかったというのが本当。2018年3月17日の中目黒は、晴れわたっていて初春の浮かれきった心地良さがあった。まだ桜こそ咲いていないけれど、枝は遠目から見るとうすく色づいていて、すぐにでも咲いてしまうことは想像に難くなかった。  駅の中央改札を出て、山手通りをこえて川沿いを少し歩くとヴォイドの公園がある。前回のRAIDのアクティビティでも打ち合わせにつかった、なにもないただの場所。遊具もベンチもない。砂が敷かれているからスケボーもできない。中目黒でのRAIDの打ち合わせにしっくりくるし、こんなにも無目的で放擲された(でも荒れてはいない)場所が中目黒の中心部にあることが発見できただけでも成果のひとつとしてあげてもいいと思う。  今回のアクティビティは初対面の人が多かった。ふざけてオフ会と度々呼称してみたが、インターネットを通じて人に会うことをオフ会と呼ぶなら別に間違ってはいない。ほんの数年前まではTwitterも匿名性をある程度は保っていて、Twitterでだけ繋がっている人に対して生活世界に何かしらのレイヤーをまとった人、という感覚が私にもあった。それが薄れてきているのは、自分のTwitterの使い方が変わったのか、自分を含む少数の周りが変わったのか、それともTwitterを使う人の層が変わってきたのかは明確に述べることができない。だけども、Tinderのような実際の出会いを目的とするアプリでもFaceBookの登録が前提となっているあたり、少なくとも自分だけがネットでの匿名性を脱したのではない、と感じる。  参加者が多いので、2グループに分けてフィールドワークへ移る。初回で割りふられたメンバーは私含めて4人で、そのうち2人は初対面だった。鬼殺しを飲みつつ中目黒の北側を散策する。東京音大の新キャンパスの建設工事をしている向かい側の広い駐車場で、中目黒にどんなイメージを持っているか、ということを改めて発言しあう。持っている酒を置くのは軽トラックの荷台に沿って張られたホロの上。落ち着かなかったので、駐車場の空いているスペースに瓦礫などをてきとうに置いて椅子とし、腰を落ちつけた。と、そのとき軽自動車が我々の座っているスペースに駐車してきた。どいて様子をうかがっていると、中から作業着を身につけた30代くらいの男性が出てきて怒鳴った。「オラ!!!何やっとんじゃ私有地で!!!ここ私有地やぞ何かあったらどないするんじゃ!!!!!」正当すぎる怒りと、普段まったく触れることがない体育会系の怒鳴りに対しては、ひたすら謝り倒すことしかできなかった。  少しだけ元気を失いつつ、次に見つけたのは公団にくっついている小さな公園だった。ベンチは2つ。この公園の素晴らしさは何と言っても、きちんと整備された屋内トイレがあること。外でお酒を飲み、風に吹かれれば頻繁に意識をノックしてくる尿意を避けることはできない。トイレを借りるだけにコンビニを利用するのはちょっと心苦しいし、屋外の公衆トイレは汚かったり、紙がなかったりと何かと問題を抱えている。だからこそこの公園の屋内トイレは輝く。この公園はかなり居心地が良く、結局、所定時間まで何をするでもなく居座ることとなった。最初は座っていた我々も、寒くなって陽射しのあたる場所を求め、公園内を移動するうちにとくに何もない場所でただ顔を付き合わせて立っているだけだった。日光は気持ちよく、4人がほぼ全員鬼殺しを飲みながら立っていた。子どもたちは遊具で遊んでいる。土曜の昼間から中目黒について考えながら中目黒で何をするでもなくお酒を飲むという行為は、主観的にも、おそらく俯瞰的にも街からは明らかに剥離していて心地がよかった。これは、街を踊る行為に近かったのではないかと思う。  1時間ほどでメンバーの入れ替えを行う。合流した2名を加えて、今度は中目黒の南側を歩く。公園で収録するYoutuberや、組手の練習を行う男女を流し見て、屋上に出られるマンションを探してみた。適当なマンションを見つくろい、息をひそめて4階分の階段を上がってみたけれど、屋上へ出られるドアは鍵がかけられていた。それでも、踊り場の窓が開け放されていたのでそこから少しだけ外をのぞいてみた。陽が落ちかけた景色は、いつも見ている中目黒のそれとは少し違い、住宅や低階層のアパートが隙間なく並んでいた。生活のにおいがした。マンションの屋上は潔く諦めて、今度はコインパーキングに腰を落ち着けてみた。コインパーキングはお金を払って、その対価として車を停めておく場所をもらう。我々はお金を払わずにその場所に少しだけ居座ってしまったが、もしお金を払ってしまえば、車を止めずともその場所を使う権利を得られるんじゃないか?と考え、車の重量で反応するストッパーに乗れる限りの3人で乗ってみた。ストッパーはうんともすんとも言わず、大人3人分の体重では軽自動車にすらかなわないのだと痛感した。せいぜい100kgを超えるぐらいではコインパーキングのストッパーは反応しない。でも、カーシェアなどで車を借りて、コインパーキングに停めたまま中で酒盛りするのもありかもしれない。それが楽しいのかは、一旦おいて置くとしても、既存の使い方が曖昧ながらも決められている場所の使い方を考えるのもまた、街を踊ることなのかもしれない。  東京に来て5年が経つが、その時間の中で街について考えたことはあまりない。自分が住む街、友達が住んでいる街、恋人が住んでいる街、主要なターミナル駅。そこを点として、ただ線でつないで往き来するようなだけの生活がずっと続いていた。背伸びをして六本木や銀座では遊ばない。また、中目黒に対しても上京したての頃のようなあこがれに似たような気持ちは抱かなくなった。自分が街の風景に馴染みきった様子���違和感なくその場所に収まりきって生活することこそが日常賛美なのだ、と思っていたし、それはまぎれもなく心地がいい。ただし、生活は収束してゆく。  上京してからは居心地のいい街にしか住んだことがない。部屋の中にいて夜の寂しさに押しつぶされそうになれば顔見知りのいる居酒屋へ行くし、友達が遊びに来ればとっておきの美味しいお店へ連れていける。点と線をつなぐだけの生活の喜びは確かにあった。  RAIDのアクティビティは、そこに違和感を差し込むものだった。馴染みのない街で、街を踊ること。街のコードから外れて、街を楽しみ知ってゆくこと。子どもの頃は当たり前にもっていた野性的な嗅覚のようなものを取り戻すことでもあった。退屈をとにかく埋めたくて仕方ないという欲望が生み出す遊び。ときに大人にひどく叱られながら、���け出すように遊び場をつくる感覚。  高校生の頃の私の退屈さは、その嗅覚をどんどん鈍らせた。おそらくだけども、その嗅覚を取り戻さなければ街を踊ることはできない。しかしこれ幸いと思うのが、(明言化されてないにしろ)このアクティビティの中では、全員が楽しんでいるし、遊んでいる感覚がある。こういう楽しみ方を見出してしまうと、点と線のような街の繋ぎはすこしだけ退屈になってしまう。街へ飛び出してしまいたい気持ちが生まれる。街で踊ることが、もっと踊りたいと思う欲望に繋がるとは思いもよらなかった。
Misako Noda (https://twitter.com/nominalthree)
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raid-logs · 6 years
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Yuji Goto writes about RE:NAKAMEGURO #2
・人にはそれぞれ過去の経験と思考があり、それに立脚した個性がある。個性は何もないところから生まれないので、その強度に関わらず、人間を知る一つの指標になると考えている。だから僕は今回の中目黒に参加した人と会話がしたかった、別に本音を強制してる訳ではないし、適当でもいい。どんな人でも信頼はするけど期待はしない。 ・中目黒、という街が内包する「輪郭のあやふやなイメージ」になんとなく自分がそぐわない、なぜか好きになれない、特に何も思わない等、人によって考え方に差異があることは当然だが、そこに共通している観念に少なからず共通項があるのではないか、と仮定した。 ・カウンターであること。敢えて主流や流行ではない切り離され共同体や空間に身を置いて、独自の文化を形成する流派は、宗教や学問ではよく見られるものであったものの、私たちは仮想敵を作って自身を浮かび上がらせたい訳ではなかった。そもそもカウンターでいることはある種ポジショニングとしては容易な立ち位置の取り方と言える。 だからこそ余計に実践が難しかった、思い入れのないものに自分を投影することがとても簡単でないことは分かっていた筈なのに。 ・知らない人が沢山居る空間で、分け隔てなく各々の時間を送ることが出来るのかが疑問だった。これは僕が場所に愛着を持つことが殆どなく、人といた記憶が先行してその空間を語りたくなる、という趣向があるからかもしれない。しかし、愛着や想像が街を形成しているのであれば、自分は中目黒に対して何も思い入れが無いので(おしゃれだとは思ってるけれど)、逆に自分なりのイメージを装着しやすいのではないか、と思った。 現に、純粋にここじゃ落ち着かねえし、別に桜とかあんまり好きじゃないし、人と居ないと来ないな、と改めて思えた。家から一駅なら多分行くけど、花見は好きだし。 ・会話をしながら歩き、飲酒をするのそれ自体は楽しいことだし、お店とか、つまり提供されたアトラクションも突っぱねて、側から見れば街を巧く使えてないのを俯瞰しても、それはそれでウケた。周りそんなことを寄ってたかってしている人たちはいない。みんな何処かにいる。 多分何処かに居たいし、自分が本来、【帰属する場所】から離れたところに新しく作った『帰るべき場所』として中目黒を使いたい。地元や出生地の場合も大いにあると思うけど、そういう人たちの為のフィールドワークじゃなかったっぽいから、そういう人が居たら俺らに文句言って欲しい。 逸れたけど、多分皆、何処かに居たい、俺も居たい。 ・限りなく日常に近い非日常、日常の延長線上にある非日常を味わえる街だ。(現実とそこまで乖離していないという意味で)少なくともシティーボーイじゃない自分とって、中目黒での時間はいつもやってるやつじゃない。 普段いけてるやつでもそうでなくても、何かしていたい、こうなりたい、ありたい、という欲求を満たす街だからニーズがあるし、みんな中目黒に帰属意識や欲求を満たす場所にしていて、中目黒はそれに応えるだけのコンテンツがある街だと思った。 ある種、自意識と想像が形成している街でも、自分なりにまとまらない考えを持ちながらも歩いて整理することで、僕はこれからも中目黒で何となく時間を過ごすことが出来る気がした。あとは、仲の良い人がいれば。 Yuji Goto(https://twitter.com/uhoh______)
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raid-logs · 6 years
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Qayu writes about RE:NAKAMEGURO #2
「たとえば、中目黒で1万円渡されて、このお金で1日ここで1人で遊んでくださいって言われたら、どうする?」 「川沿いを歩く」 住宅地にある公園でこの会話をして、それがどういうわけかずっと引っかかっている。1人だったらどうするか、と訊かれて、お酒かコーヒーを買って目黒川沿いを歩くと思うと答えたけれど、それは普段の自身の振る舞いと変わらない。そして、たとえ川沿いで座る場所を見つけて座ったとしても、そこはずっと「中目黒」だったように思う。 ここで言う「中目黒」は、中目黒に対するイメージを含んだ中目黒ではなく、その場所にいたときの物質的な体感、といったほうがいいだろう。あるいは、その場所が中目黒という都市の一部だという意識が先行するか、その場所自体が中目黒という都市を凌駕しているのか、という話。 歩いている間は、自然と中目黒について考えていた。目の前に在る風景が中目黒の一部だということを意識する。事前にざっと確認しておいた地図と今いる場所を照らし合わせながら歩く。 逆に、どこかに留まると、そこは途端に中目黒ではなくなってしまう気がした。フレッシュネスバーガーにいた間、僕らは「中目黒」ではなく「フレッシュネスバーガー」にいたし、公園で酒を飲んでいたとき、そこは「中目黒」ではなく「公園」だった。そして後者の感覚は「ここ、つまり中目黒ではなくてもいい」と展開していく。 「中目黒」と「中目黒ではない空間」の行き来。そこには不規則ながらも身体に即したリズムがあったように思う。これは「街を踊る」ことに繋がるのだろうか。 移動と滞留。どこかに留まるとき、僕らはそこを仮の居場所にしようとする。仮留め。 先の「中目黒」と「中目黒ではない場所」の違いがそこにあるとしたら、どこかに腰を下ろさずして自身を仮留めすることはできないということになる。 しかし、歩きながら一緒にいる人と話をしたり酒を飲むことはとめどない仮留めの繰り返しのように思えた。そうした行為は都市で、その街で行われる必然性はまったくなく、しかし、道や風景といった街の構造にある程度法らなければ移動はできない。 街に意識を向けながらも、そこから距離をとり続けられるということ。 仮留めをするとき、マスキングテープみたいな貼って剥がせる粘着物質が必要で、人や飲み物はその役割を十分に果たしているように思える。 それらは、どこかへ行くために続く道をあてもなく歩くときに生ずる幾分かの気まずさを搔き消してくれる。しかし目的と化しているわけではなく、僕らはそれをいつでもやめられるし、その形を変えることができる。 僕らはあのとき手を取り合って踊ろうとしていたわけではなく、たぶん、ひとつの音楽=街があり、その中で各々が踊ろうとしていたし、そういうそれぞれの「踊り」の中で生まれてくるグルーヴみたいなものを求めていた。 そういった点では複数人で街を歩くことに可能性を感じたのは確かだった。けれど、1人で街を「踊る」ことができるのか、と問われると、その自信はない。 1人だとどうしてもその街との繋がりを求めてしまう。固定を試みようとする瞬間がいくつもあり、それが良いのかどうかわからない。街から自由であり続けることを望むけれど、それはひどく不安なことのようにも思える。 あるいは、固定を避けるあまりに目の前にあるのが自分の身体となることも大いにありうる。そうなったとき都市はただのフィルターとなる。都市に纏わりつくコードやイメージを剥がしたとき、目の前に現れるのが自身の肉とならば、僕らはそれに耐えられるのだろうか。
qayu (https://twitter.com/_qayu)
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raid-logs · 6 years
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Hikaru Tomizawa writes about RE:NAKAMEGURO #2
3/17 中目黒  街を歩いていると、その街がもつ特有のイメージ、その街独特のノリ方、みたいなのを感じる瞬間がある。見えるときもあれば聞こえるときもあるし、香ることもあるかもしれない。とにかく、様々な仕方でなにかと感じる。  だけども、誰しもがみな同じ感じ方をするわけではないと思う。人には人の街の遊び方があり、その人にとってのその街の広さもまちまちだろう。十人いれば十通りの街のイメージがある。しかしそれでも、それらは同じ街として、たとえば中目黒として、実在している。  ----------   人々の実践はマーキングだ。人々は街のイメージを想像し、それに即して行動する。想像に即した実践は街のイメージを再帰的に生起する。たとえば、ハチ公前という場所は待ち合わせ場所であるが、そこが待ち合わせ場所であるという想像に即した人々の実践(待ち合わせるという行為)によってそこは待ち合わせ場所足りえている。   「イメージを想像する」ということでここで言いたいのは、そうした街のイメージが想像的であり、その虚構性を突けば雲散霧消してしまうようなものであるということではない。   想像という言葉はしばしば現実と対して非現実というようなニュアンスを持つ。現実は人の主観とは独立して外在するものと考えられている一方で、想像とはもっぱら個人の思うままに行使できる何かのようにとらえられている。しかし現実とはまったくもって想像によって構成されているものだ。   ある街という実在的な対象は、意識に対してもたらされる形でのみ現前し、人はそのように現れた街に働きかける。人が生き、働きかける街とはつまり、意識に対して立ち現れた実在の諸様態にすぎない。ここで言う「想像」とは、このようにある実在が意識に対してもたらされる仕方のことだ。   最初に言ったように、想像の仕方は一様ではない。しかしだからと言って、想像は全くもって個人が自由に行使できるものでもない。それは物質的条件に拘束されてる。ちょうど、北国と南国では街と人の様相が異なっているように。そしてそれは、間主観的に絶えず更新されるものでもある。街は人に想像力のチューニングを強い、チューニングは人々の振る舞いを方向づける。そこで振舞うことは、その街のイメージを再生産する。(チューニングをあえて外す行為ももちろんある。たとえば、スケボーやBMXやグラフィティや戦略的路上飲酒。)  ---------   街を踊る、という比喩。   街を踊るということは、同時に街によって踊らされているということでもある。強いられた想像によって、街というメロディラインに合わせて「正しい仕方」で振舞っていることは、街を踊ることだとは言えないだろうか。街のノリ方に則って街にのっている人と、それを冷めた目で見るように、街のノリ方の隙間を探している僕たち、果たして本当に踊っているのはどちらだろうか。   ノリを理解してそれに合わせて振舞う彼らのほうこそが街を踊れているような気がしないこともない。しかし、踊り方に正解はない。盆踊りのリズムに合わせてブレイクダンスを踊っていてもそれはなんら間違いではない。「正しい仕方」ではないにしても、それは踊りであることに違いはないのだから。 Hikaru Tomizawa (https://twitter.com/thowmwmoyt)
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raid-logs · 6 years
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課題への応答⑧
1:いま、ここについて
・埼玉出身、東京の郊外で暮らしている
・1週間前に隣人トラブルで引っ越した
・中目黒駅を目的地として行ったことは1度しかない。基本的に自分の人生と縁のない土地だ。
2:中目黒それ自体
思い入れも先入観もない。目黒川沿いを舞台にしたドラマの印象があるくらいだ。中目黒の銭湯「光明泉」に閉店直後に駆け込んで、頭を下げて入らせてもらったことがある。夜の昼では印象がだいぶ違う気がする。友人が住んでいるらしいが行ったことはない。「線」はつねに一方向的なもので、関係性の「束」になるほど太いものではない。代官山のコーヒーショップでで半年ほど働いてその土地に対して勝手な憎悪を頂いていた。その憎悪(疎外感という感情に近い)は、地理的あるいは社会的に代官山のそれと同型のものなのか、検証したい。自分のなかにある「中目黒的なもの」を、その場所はつねに裏切って欲しいという希望がある。
3:「街を踊る」ことは可能だろうか?
踊るとはなにか、各々の定義は異なってしかるべき。ソーラン節なのか、ダンスフロアのタコ踊りか。でもあまり厳格でマッチョな踊りではないはず(それはきっと都市計画だ)。踊りにはステッキや衣装や帽子や、アイテムがある(むろん街そのものも)。なにか道具を使って踊ることも考えられる。中目黒と自分とのあいだにある隔たりとその冗長性を無限に引き伸ばす、そんな踊り方があるのではないか。
街を踊るための覚え書き
(踊りのためのエクササイズ)
1.かぶせてみる//架空の設定をオールオーバーする、意味論的ボミング、演劇的
2.ひっくりかえしてみる//街のなかに差異、線を見つけて、その階層を反転させてみる。図と地の反転。
3.見立てる//なにかとして見る。みんなで連歌、借景
中目黒の装飾性。遊びと労働
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raid-logs · 6 years
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課題への応答⑦
1:いま、ここについて
・実家で暮らしてるから、生まれは愛媛だけど物心ついた時からここに住んでいる
治安が良くないしいいところがなくて、強いて言うなら車で15分走ると立派な川がある、あと家の裏に山がある
・街と自分の間に太い線を引けるとしたら友達の有無で、わたしは地元に友達がほぼいない。中学までは歩いて15分くらいの所にある学校に通っていたけど高校からは電車で1時間半はかかる所まで通っていて、16歳の時から地元で遊んでいない
②中目黒に対して思ってること
・去年の10月まで中目黒に何のイメージも抱いてなくて、自分の中で無いも同然の街だった
・輪郭があやふやな街で、毎年桜がきれいらしい(まだ見たことがないから本当か分からない)
・川があって、高い服屋とかおいしいパン屋がちょこちょこある、高級車が走ってて珍しい犬を連れてる人が多い
・電車で「中目黒」って駅で降りれば中目黒に着くし「上溝」って駅で降りれば歩いてわたしの家に着く、そこから1時間ほど歩けば橋本駅に着く、その間に明確な線は引かれてない、ので、中目黒だけでなく他のいろんな街も輪郭はあやふやなんじゃないか
3:「街を踊る」ことは可能だろうか?
・この前友達と中目黒に行って、友達はワンピースを買ってトイレで着替えてルンルンだった 私は財布を買ってその場で中身を入れ替えてルンルンだった、私と友達はどこに行っても同じように遊ぶことができる
・どこにフォーカスを当てるか(友達が言ってたけど、例えばおいしいものを食べた時その具体的な食べ物が重要だったのか、おいしいってことが重要だったのか)
街を踊る時、その街固有のなにかが重要なのか、私たちが街に行って遊んでることが重要なのか。
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課題への応答⑥
1:いま、ここについて
・東京にきたのは2013年、今年の4月で6年目になる。
・もう東京は地元よりも馴染むし、愛着のようなものもある。
・千歳船橋に2年住んで、祖師ヶ谷大蔵には3年近く住んで、いまは三鷹に住んで4カ月め
・世田谷に住んでいた頃より渋谷や新宿へ出ることが減ったけれど、距離的なものが億劫にさせているだけであってむしろ賑やかな場所を前よりも求めているかもしれない。
2:中目黒それ自体
 中目黒は好き、それは私がビジターの立場である場合。桜は2度見たことがある。4年前に西郷山公園の花見へ向かう道中に川ぞいのにぎわいを通過したときと、去年の夜、人もまばらな時間。後者は、ポツポツと酔っ払った人たちが機嫌よく歩いていて、桜はきれいで、これが常だったらいいのにと言った記憶がある。
 正面改札を出ると、大きな道路、山手通りが通行人をせき止め、また流す、という一連の動きを作っている。せわしない山手通りの存在が、私の中では「通過点の街」のイメージを作ってる。
3:「街を踊る」ことは可能だろうか?
・まだ感覚的なものではあるけれど、踊るのに適した街とそうでない街はある。中目黒は踊るのに適した場所。たとえば、八王子や東北沢は適していないと思う。前者は駅前のアトレ以外に盛り場がなく、あとは住宅が集落ごとに固まりながら広がるだけだ。弛緩した街では踊れない。後者は「街の中心点」がなく、住人や来訪者によって渦巻くエネルギーのようなものがない。
 ・これを考えていて推測したのは、その街の住人の住環境への愛着と、街へのビジターがその街へ訪れた目的はエネルギーみたいなものを生み出すひとつなんじゃないかということ。
・そして、エネルギーがない街では踊れない。
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課題への応答⑤
1:
調布市が地元。
母方の祖父母宅である大田区に住んだことがある。
父方の祖父母宅は世田谷区にある。
いまは大阪市で暮らす。
調布市のことは鬼太郎を使って説明している。あるいは、23区の隣とも。こちらにいるとよく田園調布と間違えられる。23区と市の違いはそこまで大きくないと思えてきた。大阪市も広すぎて本当に区?と思う場所もあるが、何をもって区とみなすかは行政ともほかの人とも異なるだろうから、とても主観的な意見であることを断っておく。
大田区は羽田空港や田園調布だろうか。世田谷区はリッチという印象を大体のひとが持っている。
私の通っていた中高は千代田区にあった。皇居が近い。官庁も近い。ときどき東京駅まで歩いたとき、周りの大人たちがかっこいいので自分もついハイグレードな人間になったつもりになっていた。
高1の3月から通った大学受験の塾は、渋谷校に所属していた。半蔵門線を使って学校から塾へ向かうのだが、表参道で降りると40円くらい安くなるから歩いていた。歩くのが好きだったし、交通���が浮くことが楽しく、駅と駅の間を歩く感覚はいまでもとても好き。中学の卒業式の日、午後からだったので渋谷で遊んでから行こうと友だちを誘ったのだが、遊びすぎて交通費が足りなくなり、渋谷から学校まで歩き遅刻した。
大阪に来た頃は、カッチカチの標準語でレジのひとに話していたから、白い目というか冷たくあしらわれた感じが否めない。結構心が折れそうになっていた。
商店街がワイワイしているので、顔馴染みのひとができるとなおさら安心する。タバコを吸うひとが多い。駅について、JR尼崎と阪神尼崎とが別の場所にある。乗り換えができるようでできない思わせぶりな関西。
2:
中目黒は父の会社が以前あった。目黒川のお花見はまだ行けていない。前述した卒業式の日、花粉も混ざった晴天のもと、目黒川沿いを歩いた。大田区から渋谷まで歩くために。交通費を浮かせるために。
近くの代官山のお店は入りづらかった。たぶんオシャレな街であるという先入観のせいだったと思う。制服を纏っていた引け目も関係していたはず。
EXILEとタモリとSMAPが連想されるのが目黒。
3:
こないだ、友人との旅行の約束をドタキャンした。行き当たりばったりの旅をしようと言っていたのが怖くなったからだ。観光をするにもやはり段取りを多少持っておきたい。普段はふらふらした性格なのに、こういうところはピシッとしたがる自分がわからない。ただ、大阪に来た理由も、別の空気を吸いたい、別の街を知りたいと思ったのが一番大きい。でも、街は常に変わる。同じ瞬間をもたらさない。私が動くと街も動いているから、いわば月を追いかけているような感覚かもしれない。いくら追いかけても頭上に同じくらいの角度でいる月は、幼いころ不思議で仕方なかった。車窓から見える鉄塔は普通に追い越せるのに月はどうして、と。
「遊ぶ」「踊る」余裕はまだない。知っている街と知らない街とで二項対立構造を作ってしまっているから、行動に関してその中間がない。感情については、知っている街なら、あのカメラ屋さんのおじさん元気かなとか、ケーキ屋潰れたのかとか、を感じる。観察日記である。それは対象があって、観察者がいるから私は街に溶け込めていない。知らない街は、へえこんなところにこれが!とか、初めて見る感覚だなとか、これもまた観察者なのだ。
私の性格も関係するかもしれないが、私と近づくことを申し訳ないなと思い始めると距離は遠いままなのだ。
今回の新しい試みに参加することで、申し訳なさの払拭と飛び出す勇気を掴みたい。
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課題への応答④
1.いま、ここについて
・上京して2年目になる。浪人してたときは札幌にいた。去年は東伏見、今は2月の末から高田馬場に住んでいる。
・高田馬場は、街を歩いていても「今ここに住んでいる」という感覚がない。それが、まだ住んで日が浅いからなのかどうかはわからない。ただ、予感としてそういう実感が得られない気がしている。
・引っ越してからも東伏見のカメラ屋でフィルムを現像してもらってる。新宿へ行くのに西武新宿線を使ったりしてる。
2.中目黒について
・実は中目黒には一度も行ったことがない。
・桜がきれいという話は聞いたことがある。あとは元町中華街行きの東横線に乗ってるとき、中目黒駅を出てすぐ、大きな通り(調べたら首都高だった)とその両端にビル群、みたいな開けた景色が見えて、その景色が印象に残ってる。ニトリとかツタヤが見えて、あと大きな立体交差点。
・中目黒のあたりだけ谷らしいけれど、その起伏が中目黒のイメージの形成にどれくらい関わってるんだろう。
3.「街を踊る」ことは可能か
・「街を踊る」ことは可能だと思う。似たようなしかし全く異なる輪郭線のレイヤーをいくつも重ねていく感覚。
・いわゆる「まちづくり」みたいな活動はどうも苦手だし、かと言って観光をしたいわけじゃない。どんな場所を歩くときも自分の意識においてフラットさがほしい、と思う。
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課題への応答③
1:いま、ここについて
僕は埼玉に住んでいる、電車で10分もすれば東京都には行ける距離
高校は新宿、大学は練馬、今の職場は西東京なので、距離遠いとかは思わないし、昔から遊んでた場所もあるので上京という感覚ではない
特に何もなくても渋谷行ったりする、本当に何もしない
線を引こうと思えばいくらでも引けるけど、それは同時に意識しないと線が引けないってことで、基本的に自分は東京のどこにも関係ないかな、って思ってる
けれど、そんな自分でも思い出のある場所もいくつかある
埼玉にいる自分と東京のどこかにいる自分は、そのままでいるつもりだけど、コミュニティや人によって接し方や振る舞いが違う、それは演じてると言うより、時と場合で変えてるって言う感覚
ってことがあると思うんですけど、街にも同じことが言えますよね、新宿では服を買わない、みたいな
まあ、それを線と言うなら線なのかな
2:中目黒それ自体
中目黒、野方ホープがあるからまあまあ好きって言いたいけど、分かりにくい場所にあるからムカつく
その分かりにくさを取り除きたい、つまり区画を壊したい
3:「街を踊る」ことは可能か
街を踊ることは可能だけれども、集団で行うことが難しいかと
各々街へのコミットの仕方と理由が違う可能性があるので、まずそれをなんとなしに理解しないといけないかな、と思う
皆が皆スペースで座ってチルすることを良しとしている、と仮定するのは違うのかもしれないな、と。人と話すのは楽しいけど、レイドの目的が実存にあると考えるならば尚更
俺は人と話したい気持ちがあって参加する節があるから、それでも良���とは思うけど
僕はどうせなら中目黒民が知らない場所を見つけたい、と考えてる
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課題への応答②
1:いま、ここについて ・江戸川区に生まれ、湘南に2-3年住み、江戸川区に戻り15年住んだ。今は府中市に住んで1年。
・土手が好きだ、おっぴろげの空間なのに各々が好きな時間を過ごしている。今の家に決めた理由の一つに川が近いからっていうのがある
・街と自分は繋がっている。BMXというツールを通して。しかし断絶もされている。BMXのせいで。
2:中目黒それ自体
単純に行ったことがない。どんな街かなあ。とにかくBMXやスケボーができそうなところがあればそれでよし。なければ、という仮定は必要ない。ないことはない。街があるから。 3:「街を踊る」ことは可能だろうか? アルフレッド・ジェルとかブルーノ・ラトゥール、久保明教が言ってた感じ。
街を踊り、街を遊ぶことは、街に散りばめられた断片を、存在者=記号のネットワークの網の目を、「製作」しなおすこと。街の自明性の脆弱さを暴き、壊し、作り直すこと。僕にとりこれに最適なツールこそが BMX だ。BMX は街の自明性を揺るがす。昨日までベンチだったものは今やスポットに成り下がる(上がる?)。人々が暮らす街の各項のつながりが、BMX という媒介によって再配置される。外観上変化したわけでもないのに、街という存在に変調がなされる。
みんながどんな感じで街を壊すのかは興味があるなあ。
あと暖かければふつうに外でお酒を飲みたい。
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課題への応答①
1:いま、ここについて
・僕は東京出身ではないが東京にいる
・三鷹に住んでいる 東京の忙しさからすこし遠ざかった気がする
・前は家にいても外に出なきゃと焦ったが、その焦りはなくなった 家で本を読んでいたい
・いまいる場所と中目黒に線を引くことは不可能、しかし断絶もしていない
・用賀に住んでいたころは、中目黒で下りて池尻大橋まであるいて帰ったりとかはしってたな
2:中目黒それ自体
中目黒に初めて行ったのは上京した春で、桜が綺麗だった。中目黒に何かしらの「語り」の対象となるようなものが存在しているのを知ったのはそのあとで、でも実際にいくとあまり疎外感は感じない。何かをしなければ、という気持ちにもならない。新緑の季節などは気持ちが良い。
まっすぐあるくとジャンクションにぶつかって、中目黒は終わる
逆方向にまっすぐあるくとニトリとかのとおりに出て、中目黒は終わる。
代官山の麓にある。登ると代官山。
もう一方にはなにがあるのだろうか、何かがあってもそれは「中目黒」ではない気がする。
3:「街を踊る」ことは可能だろうか?
・参加人数が9人なので、その9人でできることと、例えば4人/5人とかに班分けをしてできることは違うと思う。突拍子もないことをやろう、とすると、それは突拍子もないから面白いかもしれないけど、中目黒でなくてもできることになってしまう。
・班分け。俺の友達が既にメンバーにいるので、顔見知りか/顔見知りじゃないかで、できることは違う。その差は均等にはしていきたいけど、恐らく何かしら動きに違いは出てくるのではないか。
・中目黒を漂流することは「踊る」ことになるのだろうか
・暖かいらしいので、椅子に座って、咲く直前の酒飲むだけでも楽しいかも そこに甘んじていいのか 甘んじたいなあ
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