#南印度ダイニング
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2023建築レビュー#6
・建築レビュー#6(設計者:WALLMAKERS) 発表者 :楊井 (M1) 講評者:紫安
第6回建築レビューでは、「WALLMAKERS」を取り上げた。
2007年に設立されたウォールメーカーズというインドの建築家集団で、インドのケーララ州に拠点をおいて活動している。
「土着的で持続可能な建築」をコンセプトとして掲げている。
彼らの設計はオフィスに留まるのではなく、現場そのものを調査することから始まる。敷地周辺の徒歩圏内で入手可能な材料を探して使用し、建設という行為を常に疑いながら特定の敷地の状況や条件に対応した持続可能な空間を構築することを目指している。
住宅をはじめ、地域の教会やコミュニティレジデンシ―など比較的規模の小さいプロジェクトに取り組んでいる。
今回は3つの作品を取り上げて、レビューしていく。
事例1「CHUZHI House」
1つ目に紹介するのは、住宅のプロジェクトです。
この住宅は、インド北部の風光明媚な村ショーラギリ(Shoolagiri)に建てられた住宅の計画で、渦状の構造体による遺跡のような住空間 が特徴です。
この住宅は険しい岩場や生い茂る植物が広がるインドの地域において、一般的に「建築に適さない」とされる土地の活用を探るプロジェクトとして始まりました。
美しい風景を眺めることにはこだわるものの、自分の家が美しい風景の中で不自然で目障りな存在になってしまうことを気にかけない人が増えていることに疑問を感じ、このような現代において、コンセプトである「カモフラージュ建築」は、建物が隠れるように、そして既存の地形とシームレスに融合するように設計されている。
〈Chuzhi〉は、マラヤーラム語で「渦」を意味する単語で、この構造体として機能する渦は、プレキャスト打設された、瓦礫と土、4000本の廃棄ペットボトルが合成され、セメントではない素材によってつくられている。
そして、渦は既存の3本の木を避けるように配置されており、居住者の快適さを損なうことなく、家の上部にある木々や周囲の自然な生態系をそのまま維持するよう計画されている。
構造体としての渦が屋根になり、樹木を囲む腰掛けられるイスにもなり、パブリックとプライベートを分ける���としても機能し、家の上部にある木々や周囲の自然な生態系をそのまま維持している。
立面がない半分岩肌に埋め込まれたこの建物は、暑い日に岩の下で丸くなる蛇のように、風景の中にひっそりと佇んでいる。
このように建設に適しさないような土地に対しても、特徴的な地形と独創的な素材を用いてこの土地ならではの彫刻のような形態に落とし込まれた建築であると感じる。
事例2「NISARGA Art Hub(ERNAKULAM, INDIA)」
2つ目に紹介する建築は、ニサルガ アート ハブと呼ばれるインドのエルナクラムにあるコミュニティレジデンシ―です。
この建築は、人々が交流し、芸術や文化イベントの際に集まることができる交流の場としても機能し、ミュージシャンの家族のための住宅として計画されている。
水田の近くに位置するこのアートハブは、周囲の風景に点在する伝統的な地域の屋根からインスピレーションを得ている。これらの屋根は、傾斜した瓦の表面が特徴で、優れた断熱性をもち、温度調節が可能にしている。
しかし、ウォールメーカーズはこの地域の特徴的な屋根は室内に暗さをもたらし、現代人の快適さと美観に適していないと考え、屋根をこじ開けるような操作をし、光が差し込むトップライトによって自然光を確保しようとしました。
また、屋根は快適な環境をもたらすほかに屋根の上の屋上部分に野外劇場をもうけ、ふたつの機能を果たしている。
野外劇場の角度に合わせて 35 度の角度で、ランダムにあけられた天窓を屋根に組み込ませる。
これにより、天窓が観客の座席として機能するユニークな形が形成され、プールの上に置かれた木の板はステージとなり、80人近くを収容できる野外コンサート劇場へと変わる。
内部空間は、オープンかつ柔軟に利用できるように設計されており、木製の床にはくつろぎと食事のための座席がもうけられ、居住者と地域の人々との交流や食事のために利用される。
そして、敷地から掘り出された土と一緒に隣町から収集された建設瓦礫を利用しており、これらのリサイクル材料は突き出した4 メートルの屋根を支えるのに十分な強度を持つ耐��壁を構成している。
また、西側のファサードに午後の日差しを遮る つる性植物のカーテンなど、多くの緑の要素を取り入れて設計するなど、風景やその土地に溶け込むような工夫がなされていると建築だと感じる。
事例3「The Ledge(PEERMADE, INDIA)」
3つ目に紹介するザ・レッジはインドのピールメデュウに建設された住宅のプロジェクトです。
手付かずの自然の美しさで知られるエリアに位置するこの住宅は、主に天然素材で作られ、全ての材料は半径8マイル以内で調達されている。
ケーララ州南部の丘陵地帯であるピーレメドゥを見渡すことができ、 崖に向かって引き寄せられる人間の傾向や、雲の中いるような浮遊感を与えるようコンセプト化されたこのデザインは、山腹に溶け込むように建ち、山の延長として空中に突き出ているように見え、眼下の渓谷の景色を楽しむことができるようになっている。
もともと敷地周辺はモクマオウの木で覆われており、敷地内にさまざまな形で存在していたこの木は成長が早く、その多くは廃棄物とみなされ通常は足場やフェンスのみに使用され、残りは廃棄されていました。しかし、この建築では屋根と外壁に処理したモクマオウの棒状の部材を用いることで、周囲の自然の延長となり、景観の中に溶け込ませている。
また、モクマオウの木は特徴的なファサードつくるだけでなく、敷地に生えていた木を残し、家の中央の中���部分の木によって屋根が支えられ、構造支持体としても使われている。
玄関は隠されるように配置され、渓谷を見下ろす広いリビングスペースに通じており、中央の中庭近くのオープンキッチンとダイニングへつながっている。
他にも、基礎の掘削プロセス中に大量の小さな石が見つかったことで、急遽、瓦礫混合物と混ぜ合わせ壁に利用したことでデザイン的に石を見せ、荒々しさを感じるような独特の空間を生む。
木材やコンクリートの仕様量を減らすために成長の早い木や草を適切に処理し、建築に活用したことで、そのような材料の寿命を延ばし、恒久的な建築物に広く使用できるようになることが提案されている。
以上の作品から考えられることは、敷地の地形や周辺の自然物、そして今までだったら廃棄されてしまっていたような素材を活用した設計がなされている。
彼らは もともとその場にあったものを徹底的に活用し、形態やデザインに導いていることが印象的であり、一般解ではなく、その土地ならではの特殊解を追求する姿勢が彼らの設計コンセプトである持続可能な空間を構築することへ繋がっていると感じる。
引用
https://www.wallmakers.org/
https://www.archdaily.com/994928/chuzhi-house-wallmakers?ad_medium=office_landing&ad_name=article
https://www.archdaily.com/1009031/nisarga-art-hub-wallmakers?ad_medium=office_landing&ad_name=article
https://www.archdaily.com/971940/the-ledge-wallmakers?ad_medium=office_landing&ad_name=article
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シロクマハウスについての6つの文章
-------------------------------------------------- [テキスト] シロクマハウス:たとえば6つの解釈 ■1.住宅としての解釈 ■2.構造からの解釈 ■3.生態的な解釈 ■4.形式への解釈 ■5.コーリン・ロウ風の解釈 ■6.音楽としての解釈
■1.住宅としての解釈
シロクマハウスの住人は、むかしから慣れ親しんだ実家の土地に新しく家を建て住まうことを決めました。建てた家は、折しもウッドショックや戦争の影響による資材高騰があり、また雪国特有の条例(建物外壁は隣地から1m以上の離れが必要なこと)などから、敷地に対してとてもコンパクトな立方体形状の家となりました。 全体の構成は、一辺が2.3mの立方体を8つ、それぞれ95cmずつ、外側は30cmずつ離して配置した、全体6.15mの立方体を基本としています。この立方体は敷地に���まる最大の容積を根拠に大きさを決めたため、人間のスケールや生活を根拠にしたものではありません。 この立方体を「建築」と仮託して、そこに土地の状況や生活の観点から、〈明るい場所〉〈暗い場所〉〈大きな場所〉〈小さな場所〉を住まい手とともに見極め、想像しながら「暮らし」として意味付けをしていきました。「建築」に「暮らし」を見出していくなかで注意したのが〈リビング〉や〈ダイニング〉などの言葉で使い方と場所を結びつけない、ということでした。明るくて爽やかな場所、大きくてふわっと明るい場所、小さくてしんと暗い場所、などを見つけながら、でも、意味を付けすぎないように、という作業を根気強くつづけました。吹抜けのある大きな場所は朝食を食べてもいいし、一段上がったキッチン横の場所は夕食が合うかもしれない。浴槽のある場所はいちばん明るくて爽やかな場所なので、そこで読書しても気持ちよさそうです。立方体の組み合わせによる単純な「建築」に対して「暮らし」が応答して出来上がったかたちは、とても複雑で多様な場所を生みました。 建物として家は完成しましたが、ここから住まい手自身が愛着をもって意味付けをしていければ、そこは唯一無二の大切な〈わが家〉になっていくでしょう。その意味付けのきっかけは〈他と少し違う外観〉かもしれないし、〈壁の手触り〉かもしれないし、〈台所の音〉や、あるいは〈匂い〉かもしれません。柱梁がむきだしの部分、段々に角がある部分、ざらざらした部分、つるつるした部分など、いまはまだよくわからないかたちにも、暮らしていくなかでその都度、意味を見出しながら使いこなして〈わが家〉にしていく、そういった主体的な暮らしの準備ができたと思います。
■2.構造からの解釈
モノの流通が滞り、普通にあったものが手に入らなくなったり、高くなったりしている昨今、建物の材料や作り方を再考する必要性が生じています。このプロジェクトは北海道という土地柄、早くから構造材の四寸(120 mm幅)シリーズが品薄となっていたこともあり、一番手に入りやすくて安価な「三寸五分の正角材(105 mm×105 mm)のみの構造」、そして施工業者を選ばない「最低限の技術レベルでの組み立て」、その結果として「構造にかかるコストを最小にすること」は、今を反映した一つのプロトタイプになりえるのではないかと考えました。 プランは 2.3mを最大スパンとしているため、軸力も小さく柱は105 mm角で問題ありません。ただ、��げがかかる梁ではそれでは役不足なので、柱を結ぶ大梁の位置では逆V字の斜材を上下の梁材の間に入れることによりトラス効果で床荷重を支持することとしました。 大梁で囲まれた2.3m角の床面は、通常のように一方向に小梁を流すと四周の大梁に均等に力が流れず、その負担分に差が出ます。そこで、力の方向性をなくすこと、スパンを減らすこと、トラスの斜材に直に力を流すこと、の3つの理由から火打ち梁のようにダイヤ型に梁を配置しています。 基本的には木造在来軸組み工法なので、簡易な構造といえます。トラス梁部分は少しイレギュラーですが、斜材端部は梁にその一部を差し込むことで、離れ止めのボルトのみで緊結するというシンプルなものです。このように特別な金物を使わないことは製作および現場施工を容易にし、コストも下げられます。 (文:正木構造研究所:正木健太さん)
■3.生態的な解釈
[ベルクマン・アレンの法則] 「ベルクマンの法則」とは、ドイツの生物学者ベルクマンが発表した法則で、恒温動物について、同じ種でも寒冷な地域に生息するものほど体が大きいという法則です。例えば熊は、マレー熊など南方の熊は体が小さく、ホッキョクグマなど北方の熊は体が大きい傾向にあります。また反対に「アレンの法則」とは、恒温動物について、寒冷な地域に生息するものほど耳や尾などの突出部が短くなるというものです。ホッキョクグマの小さな耳はこの法則にのっとっているそうです。 さて、札幌の住宅を眺めると大抵どれも大きく箱型で、かつ、陸屋根というかたちをしています。これは東京などの都心部とは異なる土地事情によって一軒あたりの土地面積が比較的大きいこと、積雪に対しては落雪させずにスノーダクトを用いて雪を処理すること、などの要因が大きく関係していることはすぐに想像できるのですが、ここに「ベルクマン・アレンの法則」が見いだせるのではないかとも思っています。 あらためていまの札幌の住宅を眺めてみると、庇も少なく勾配屋根もあまり見られません。また外壁の凹凸も比較的少ない傾向に見えます。一方、建物全体のボリュームは都内の狭小住宅などに比べると、ひとまわり、ふたまわり、大きいような印象があります。つまり、突出部が小さく、かつ、その表面積に比べて体積が大きい、ホッキョクグマの体のような傾向がなんとなく見えてきます。 「ベルクマン・アレンの法則」は放熱の問題で説明されます。つまり、表面積に比べて体積を大きくすることは、体内の熱生産量に比べて放熱量を小さくする工夫だというのです。シロクマハウスの胴体にあたる立方体は球に次いで表面積の小さなかたちです。シロクマハウスは中心の大きな立方体をメインに、その少し外側に付加断熱を加えた外壁が「毛皮」のように取り巻き、また、生活に必要な玄関や納戸などの非居室が「鼻」や「尻尾」のようにくっついたかたちをしています。 この建物を設計していくなかで、なんとなく通称として仮に呼びはじめ、なんとなくしっくりきている〈シロクマハウス〉という名前は、このような北国の生き物、建物、の立ちあらわれ方を象徴しているようにも思えます。
■4.形式への解釈
[一辺が6.15mの立方体が与えられたとする] 「立方体」というのは公理に非常に近く、証明しようのない、根拠の無い、論理式に近いかたちです。いってしまえば、とても意味の無い、無意味なかたちともいえます。 四角い箱にはおおむね作られる意味があります。中にリンゴを入れるため、あるいは人が上に乗るため、など、いろんな意味のために四角というかたちをつかって箱は作られます。でも、四角というかたち自体に意味をつけることは、実は難しかったりします。四角がなぜ四角なのか、いろいろと意味を付けてみても、それら全部が上滑りしてしまうのが純粋な幾何学のかたちの不思議なところだと思います。むかしから四角いかたちの造形物(モノリス)が、異様な、未来からのものに見えたり、過去世界の遺物に見えたり、別世界のものにみえたりするのは、その純粋幾何学のかたちの無根拠さゆえかもしれません。 一方で、世界のありとあらゆるものをどのように意味付けて解釈するかは私たち人間に任されています。あらゆるものに意味をつけて世界を存在させること、それが私たちの主体性であって自律性でもあります。しばしば建築家によって〈自律的な建築〉とか〈他律的な建築〉とかいった言葉がつかわれますが、それは結局、ある人からはそう見える、というくらいのことなのかもしれません。建築自体の自律性や他律性を考えるのも面白いのですが、人間として主体的によく生きたいという、より根本的なものを目標にすれば、建築を含めたこの世界を意味付ける、人間の��律性の方がはるかに重要なものに思えます。 たとえば住まいをつくろうと考えたとします。たとえば住みたい場所が寒い地域だったとします。そういったなんとなく与条件として意味付けられるものたちと、立方体のような、あからさまに根拠が無くて、意味のよく分からないものを、同列に並べてみましょう。それらをあらためて自ら意味付け、解釈しようとするところに、私たち、設計者や住まい手の主体性や自律性は自覚されて、自分が置かれた環境を積極的に肯定していく人間的な暮らしにつながっていくのではないでしょうか。
■5.コーリン・ロウ風の解釈
[理想的ヴィラの数学] 「この住宅は立体の表象であるという観念が実現されるとき、ヴェルギリウスの夢という意図も果たされるのである。ここには絶対的なるものと偶然的なるもの、抽象と自然の衝突があり、理想世界とあまりに人間的な現実の急務と��ギャップが悲哀に満ちて示されている。」 コーリン・ロウ『マニエリスムと近代建築』(伊東豊雄、松永安光訳、彰国社、1981年)より。
この住宅は、前後に付加された勾配屋根のヴォリュームを除けば、基本的なヴォリュームは 1 対 1 対 1 の立方体である。平面の構成は、中央の柱間を 1 とすると、前から後へおよそ 1/3 対 1+√2 対 1 対 1+√2 対 1/3 の比で進む。この比の構成は左右方向についても、また垂直方向についても徹底して保たれている。中央部のスパンに対して中間部のスパンが白銀比に近似している点は日本的比例の美学というよりは偶然的なものであろうが、その膨張した中間部のスパンに対して外周部のスパンが極端に圧縮されることによって、関心は中央から中間部へと移されることになる。3軸に同じ比が徹底されることによって中間部には 1+√2 の立方体が8つ現れており、それぞれの中心に重心が等しく置かれていることが暗示される。この住宅では3軸のシンメトリー 構成の中で、中央部への集中でもなく、周縁への離散でもなく、中間部において複数の中心の遍在というものが強調される。 この3軸が等しくシンメトリーな構成の中で、なおも上下左右を等しく相対化しようという試みに、床や壁、柱や梁といった構造も参加する。中央右手では吹抜けに面して2層をまたぐ壁面が垂直性を強調する一方、2層目左では同じ大きさの床面が水平性を強調している。柱や梁は同じ太さで縦横に現れ、重力の存在を示唆するのは二段梁の間を繋ぐ山形の方杖のみである。こうして通常、重力に基づいて積み上げられる壁・柱の垂直性や床の水平性は、ここでは解体され、立方体の6面すべてに均等な重要性が割り当てられることになるのである。均等に重力を与えられた6面は、離散することなく幾何学的配置にその中心を留め全体を構成する。 このように集中的なヒエラルキーを排しつつも離散を避けようとするどっちつかずの態度は、恐らく、多様な中心の遍在を認めるリゾーム的世界観によるものであろう。多様化した社会において、ある建物を住宅たらしめるのは行為として表現される暮らしそのものであり、慣習に拠る美を持ち込み、継承し、再生産し続ける「文字以前の文字(プロ・グラム)」である。一方、この住宅の理論は一種のポストモダンであり、過去の客観的美学=数学的規範を持ち込みつつ、それによって過去の構築を相対化し、集中と離散の二項対立を脱構築しようとする分裂的な試みである。そしてプロ・グラムと衝突するこの理論こそ、普遍的な生き生きとした力を喚起する幾何学なのである。
■6.音楽としての解釈
[マイルス・デイビス] 「非常にわかりやすい、見え見えなぐらいな部分と、全く意味不明の謎の部分というのが、丁度半分半分混じっていく、というのが、マイルス・デイビスの音楽であり、人となりであり、パッションであり、あらゆる彼の行動規範に張り付いているアンビバレンスです。」ジャズ・ミュージシャンの菊地成孔さんはマイルス・デイビスをこのように解説しました。 マイルスによって完成された「モード・ジャズ」は、それまでのコード進行によるモダン・ジャズとは異なり、「モード」と呼ばれる音階内でのアドリブを特徴とするものなのだそうです。それまでのジャズの歴史でどんどん複雑化していたコード進行を極端に単純化したうえで、モードによってより自由な演奏を可能にしました。モードとは、西洋音楽の音階とは異なる音階、日本のヨナ抜き音階や、琉球音階、インドネシアのガムラン音階など、土着的で民族的なものを指し、マイルスはカリンバのアフリカ的な音階に出会ってモード・ジャズを完成させたともいわれます。おおむね7つの音で構成されるモードと、それを用いたモード・ジャズについて、菊池成孔さんは「少ない音、7つだけの音で自由に演奏しろと言われた場合はですね、自由度が高すぎてサウンドの審美眼とかセンスが露骨に出るので、非常に難しい、」と解説します。 シロクマハウスも、もしかするとそのモード・ジャズ、あるいはマイルス・デイビスのように解釈することができるかもしれません。シロクマハウスは、8つの立方体の間に95cm幅のスリットをたてよこ水平に入れるという「非常にわかりやすい見え見え」な構成ですが、その構成の根拠は恣意的かつ薄弱で「意味不明」でもあります。一方で、暮らしによって立ちあらわれている壁や窓や棚などの部分は、意味としては「見え見え」ですが、複雑で過剰なその全体のかたちは「意味不明」でもあります。 つまりシロクマハウスは、あからさまに単純な構成を〈コード〉とし、北海道という土地や社会などの〈モード〉のなかで、設計者の恣意性や手癖・住まい手の趣味や暮らしによる〈アドリブ〉が行われる、そんなモード・ジャズ、という見方ができるかもしれません。そしてそれは、意味とあらわれのアンビバレンスが振動するようなグルーヴを生んでいくのかもしれません。
-------------------------------------------------- [Text] Six Interpretations of the house “Polar bear”, for example 1. Interpretation as a HOUSE 2. Interpretation from STRUCTURAL engineering 3. Interpretation from ECOLOGICAL point of view 4. Interpretation in terms of FORM 5. Interpretation in the style of Colin Rowe 6. Interpretation as MUSIC
1. Interpretation as a HOUSE
The owner of this house decided to build a new house on a site in Hokkaido, which he had grown accustomed to living in since long ago. The house was built in a very compact cube form concerning the site, due to the rising cost of materials caused by the wood shock and the war, as well as a regulation unique to snow country (the building envelope must be at least 1 m away from the neighboring site). The overall composition is based on eight cubes of 2.3 meters on each side, 95 cm apart on each side, and 30 cm apart on the outside, for an overall cube of 6.15 meters. The size of this cube was defined based on the maximum volume that could fit on the site and is not based on human scale or traditional modules. We considered this cube as "Architecture," and together with the owner and his family, we discovered and imagined "bright places," "dark places," "big places," "small places", etc. in terms of local conditions and lifestyles, and gave meaning to them as "living". In trying to give "Architecture" a meaning of "living," we were careful to avoid using generic terms such as "living room" or "dining room" to link behavior with place. We patiently continued our exploration, finding bright and breezy places, large and softly bright places, small and dark places, etc., without adding too much meaning to them. The large area with the atrium could be used for breakfast, and the area next to the kitchen, one step up, might suit dinner. The bathtub area is the brightest and most refreshing place, so it would be pleasant to read a book there. The resulting house, in which "living" responds to the plain "Architecture" of overlapping cubes, has generated a complex and diverse place. The house as a building has been completed. However, the attachment of the owner and his family and the meaning they give to the house will make it a unique "home." The trigger for this attachment may be "the somewhat strange facade," "the hand feeling of the walls," "the sound of the kitchen," or even "the smells." The owner and his family are now ready to live with a sense of agency, finding meaning in forms that are not yet understandable, such as exposed pillars and beams, several intricate corners, rough and smooth surfaces, and so on, and using them to make the house his "home" while living in the house.
2. Interpretation from STRUCTURAL engineering
Recently, the distribution of goods tends to be stagnant, and what used to be commonplace has become unavailable or expensive, making it necessary to reconsider building materials and construction methods. Because of the location of this project in Hokkaido, where the 120 mm width series of structural timbers were in short supply from early on, we thought that "structure using only 105 mm x 105 mm structural timbers," which is the most accessible and inexpensive, and "construction at the minimum technical level" that does not require special contractors, and thus "minimizing the cost of the structure" could be a prototype that reflects the social situation of the present day. The maximum span of the columns is 2.3 m, so the axial force is small, and 105 mm square columns are sufficient. However, this is not enough for beams that are subject to bending, so an inverted V-shaped diagonal timber was placed between the upper and lower beam members at the position of the girder connecting the columns to support the floor load with a truss effect. The 2.3m square floor is surrounded by girders, if the beams are placed in one direction as usual, the force will not flow evenly to the girders on all four sides, resulting in a difference in the amount of load. Therefore, the beams are placed in a diamond shape like a corner brace for three reasons: to nullify the direction of force, to shorten the span, and to flow the force directly to the truss members. It can be said this is a simple structure because it is essentially a Japanese conventional post and beam structural system. The truss section is a bit irregular, but they are simply tied together by inserting a portion of the truss member into the beams and bolting them together. Thus, the absence of special hardware facilitates fabrication and construction, as well as lowers costs. (Translation by the author with some changes from the original text by the structural engineer)
3. Interpretation from ECOLOGICAL point of view
[Bergmann's and Allen's rules] “Bergmann's rule” is an ecogeographical rule that states that within a broadly distributed taxonomic clade, populations and species of larger size are found in colder environments, while populations and species of smaller size are found in warmer regions. For example, bears living in the southern areas, such as Sun bears, tend to be smaller, while bears living in the northern areas, such as Polar bears, tend to be larger. Conversely, "Allen's rule " refers to the fact that animals that live in colder regions tend to have shorter ears, tails, and other protruding parts than those that live in warmer regions. Polar bears' small ears are said to be following this rule. When we look at houses in Hokkaido today, we can see that they are generally large, box-shaped, and have flat roofs. The reasons for this can be easily imagined to be that the area of land per house is relatively larger than in urban areas such as Tokyo, and snow ducts are used to deal with snow accumulation instead of letting it fall. And in these points, I suspect we can find " Bergmann's and Allen's rule " as well. Looking again at the houses in Hokkaido today, there are not many eaves, and pitched roofs are not seen very often. The exterior walls also tend to be relatively less uneven. On the other hand, the overall volume of the building seems to be larger than those of narrow houses in Tokyo. These facts suggest that the tendency of the polar bear's body to have a small protrusion and a large volume compared to its surface area seems to be somewhat common to the features of these houses. The "Bergmann's and Allen's rules" are explained by the issue of heat dissipation. In other words, increasing volume compared to surface area is a device to reduces the amount of heat dissipated compared to the amount of heat produced in the body. The shape of the body of this house is a cube, which is the second smallest geometric form in surface area after a sphere. This house consists of a large cube in the center, with exterior walls with additional insulation surrounding it like "fur," and non-habitable rooms necessary for daily life, such as an entrance and a storage room, attached to it like a "nose" and a "tail”. The name of this house, "Polar bear," which became somewhat comfortably familiar to us as we began to call it tentatively in the process of designing this house, seems to symbolize the appearance of this kind of northern creature and building.
4. Interpretation in terms of FORM
[Suppose you are given a cube with a side of 6.15m.] The "cube" is very close to an axiom, a form that can never be proven, that has no ground, and that is very close to a logical formula. In other words, it is a very nonsense and meaningless form. A square box usually has a meaning. Boxes are made in the shape of a square for various purposes, such as to put an apple inside, or for a person to ride on top. However, it is difficult to assign meaning to the square shape itself. The mysterious thing about the form of pure geometry is that even if you try to attach various meanings to why a square is a square, all of these meanings will slip over and over. A square-shaped object (monolith) often looks strange, like something from the future, a leftover from the past, or another world, perhaps because of the groundlessness of its pure geometrical form. Meanwhile, it is up to us as human beings to make meanings and interpretations of everything and anything in the world. To create meanings for everything and bring the world into existence, that is our agency and our autonomy. Sometimes, architects use terms such as "autonomous architecture" or " heteronomous architecture," but it may just be that this is how it seems from their point of view. It is interesting to consider such autonomy and heteronomy of architecture, but if we focus on the more fundamental subject that we as human beings want to live well, the autonomy of human beings that makes sense of this world, including architecture, seems to be much more important. For example, suppose you are thinking of building a house. Suppose, for example, that you want to live in a cold climate. Let's put such things that we can somehow make sense of as given conditions and things like cubes, which have no obvious basis and whose meanings we are not sure of, in the same line. In trying to redefine and interpret the meaning of these things, we, the designers and homeowners, become aware of our agency and autonomy, and this may lead to a humane lifestyle in which we actively affirm the environment in which we are placed.
5. Interpretation in the style of Colin Rowe
[The Mathematics of the Ideal Villa] ... and the realization of an idea which is represented by the house as a cube could also be presumed to lend itself very readily to the purposes of Virgilian dreaming. For here is set up the conflict between the absolute and the contingent, the abstract and the natural; and the gap between ideal world and the too human exigencies of realization here receives its most pathetic presentation. … (Colin Rowe. 1947. The Mathematics of the Ideal Villa. AR)
The basic volume of this house is a 1:1:1 cube, except for the pitched roof volumes added to the front and rear. The configuration of the plane proceeds from front to back in a ratio of approximately 1⁄3 to 1 + √2 to 1 + √2 to 1⁄3, with 1 between the central columns. This ratio configuration is thoroughly maintained for horizontal as well as vertical directions. The fact that the middle span approximates the silver ratio to the center span may be more by chance than Japanese proportional aesthetics, but the extreme compression of the outer span relative to the expanded middle span transfers interest from the center to the middle. Also, the same ratio is thoroughly applied to the three axes, so that eight cubes of 1+√2 appear in the middle part, implying that gravity is equally placed in the center of each cube. In this house, the three-axis symmetrical configuration emphasizes the omnipresence of multiple centers in the middle, rather than their concentration in the center or their dispersion to the periphery. In this symmetrical configuration with equal symmetry of the three axes, the structural elements such as floors, walls, columns, and beams also participate in the attempt to relativize the top, bottom, left, and right equally. On the right side of the center, the verticality is emphasized by the wall surface that spans the first and second floors of the atrium, while on the left side of the second floor, the horizontality is emphasized by a floor surface the same size as that wall surface. Columns and beams appear horizontally and vertically with the same thickness, and the only suggestion of the existence of vertical forces is the triangular truss members connecting the upper and lower beams. Thus, the verticality of the walls and columns and the horizontality of the floor, which are usually constructed by gravity-based stacking, are here deconstructed, and equal importance is assigned to all six sides of the cube. The six equally gravitated sides, which are not discrete, keep their centers in a geometric placement and make up wholeness. This ambivalent attitude of avoiding discretization while eliminating centralized hierarchies is probably due to a rhizomatic worldview that recognizes the omnipresence of diverse centers. In a diversified society, what makes a building a house is the life itself, which is expressed as an action, and the "pro-gram" that continuously reproduces, inherits, and brings in customary beauty. Meanwhile, the theory of this house is a kind of postmodernism, a schismatic attempt to bring in the objective aesthetics of the past = mathematical norms, but thereby relativize the construction of the past and deconstruct the dichotomy between concentration and dispersion. And this theory that conflicts with the pro-gram and evokes our universal life force is geometry.
6. Interpretation as MUSIC
[Miles Davis] “The ambivalence that characterizes Miles Davis' music, persona, and passions, and that accompanies all of his codes of conduct, is a half-and-half mixture of the very straightforward and obvious, and the completely mysterious and unintelligible.” (Translation by the author) Commentary on Miles Davis by jazz musician Naruyoshi Kikuchi.
“Modal jazz," perfected by Miles, is said to be characterized by improvisation within a scale called a "mode," unlike modern jazz, which was based on chord progressions. And it allowed for more flexible playing through modes, taking chord progressions that had become increasingly complex in the history of jazz up until then, and simplifying them radically. Mode refers to scales that are different from those of Western music, indigenous and folkloric, such as the Japanese "yona nuki" scale, Okinawan scale, and Indonesian gamelan scale, and Miles is said to have perfected modal jazz when he discovered the African scale of the kalimba. Naruyoshi Kikuchi explains that modes, which are generally composed of seven notes, and modal jazz, which uses these modes, are "very difficult to play if you are asked to play freely with only seven notes because the degree of freedom is too high and the aesthetics and sense of the sound come out obviously.” (Translation by the author) This house could also possibly be interpreted as modal jazz or even Miles Davis. This house has a "very straightforward and obvious" configuration of 95cm-wide slits horizontally and vertically between eight cubes, but the rationale for this configuration is arbitrary, weak, and "unintelligible" as well. On the other hand, the walls, windows, shelves, and other parts that respond to the daily life are "straightforward" in terms of meaning, but their complex and excessive overall form is "unintelligible. Therefore, this house could be seen as a "modal jazz" in which a straightforwardly simple configuration is the "code," and the architect's arbitrariness, his/her habits, and the residents' tastes and lifestyles are "improvised" within the "mode" of the region and society of Hokkaido. And this may give rise to a "groove” in which the ambivalence between signification and manifestation vibrates.
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#ビリヤニセット #チキンビリヤニ #ホットチャイ #南印度ダイニング #curry #カレー #カリー #カレー部 #カレーインスタグラマー #lunch #ランチ #昼食 #中野 #nakano (南印度ダイニング) https://www.instagram.com/p/B3Geo6LAF9j/?igshid=1vxvi21dzzq45
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池ノ台の家 竣工
池ノ台の家が無事、竣工し、お引き渡しをすることができました。
竣工時の様子を、画像で紹介させていただきます。
ぜひご覧ください。
外構工事まで終わりました。
一階の大きな木の引き戸の奥は、バイクガレージになっています。
植栽工事もBANKSでやらせていただきました。
二階リビングは、勾配天井と大きな掃出し窓で、実際よりも広々感じられます。
準防火地域ですが、設計の工夫で、掃出しサッシは網のない、トリプル樹脂サッシを使用することができました。
壁は漆喰、床は無垢材。
それだけでなく、壁と床の境目の「幅木(はばき)」も無垢材で施工しています。
階段踊り場の上には、明かりとりの天窓。
真上からの自然光が、漆喰の壁に柔らかく反射しています。
夜の雰囲気。
照明計画も全て、設計時にプランしています。
真上から照らすシーリングライトはあまり使わず、壁からの反射光で全体を明るくするようなブラケット照明を好んで使用しています。
眩しい光にならず、睡眠前に身体が覚醒してしまうことを防いでくれます。
手摺りも無垢材から削り出しています。
シンプルな造作ですが、広葉樹の滑らかな手触りが気持ちの良い手摺りとなりました。
一階の廊下から南を眺める。
電気のスイッチプレートは、耐食アルミニウムでできた新金属プレート。
日本が誇る、ベストセラースイッチプレートです。
樹脂製のものよりも、紫外線による変色など長期間での変化が少なく、こちらも好んで使用しています。
キッチンと無垢現しの杉柱。
キッチンの空間は、隣接するダイニングよりも低い天井にしています。
天井の高さによって、広々と解放感を感じたり、作業に集中するための落ち着きを感じたり、と空間の印象が変わるように設計しています。
夜のLDK。
フローリングの貼り方を、目地が揃うように整えています。
あまり他の方がやらない貼り方なので、見学会の際にはフローリングについて多くのお問い合わせが寄せられました。
施工の仕方は、難しくはないので、ご希望の方にはすぐに再現することが可能です。
二階はLDKと隣接する和室という間取り。
ワンルームのような印象で、広々とした空間になるよう意識しました。
朝と夜では、印象が大きく変わります。窓からは公園の大きな桜をいつも見ることができます。
キッチンはクリナップさんのシステムキッチンを導入しました。
ヒノキの無垢カウンターは造作し、使い勝手がよくなるよう工夫しています。
フローリングは北海道産のニレ材。
ニレは、大振りな木目の割には落ち着いた印象となる不思議な木肌で、今、注目が集まっている樹種です。
リビングからの眺望は、市街地に建っていることを忘れさせてくれる景色です。
キッチンの壁は、掃除のしやすいキッチンパネルで仕上げました。
階段の段板は、厚みのある松材。
浮造りという、木目を浮き立たせた加工を施し、滑り止めとなる工夫をしています。
下駄箱の建具は、ヒノキの枠に細かい目で編まれた籐張りのものを作りました。
通気性がよく、靴を隠すことができるので、湿気がこもらず、靴をいつも正常に保ってくれます。
玄関は東側。
東玄関は縁起が良いと言われています。
一階の和室から、外へアプローチできるように、二段階の高低差のあるデッキも作りました。
障子の桟も、極力細くなるよう意識しています。
外構・植栽・外照明はセットで提案して��ます。
お客様の多い家なので、駐車場が極力広くなるよう提案しました。
最大で6台駐車が可能です。
玄関ドアは、オリジナルの造作玄関。超高断熱仕様です。
表面にはナラの無垢材を使用しています。
右側の掃き出しサッシは、菓子工房への入り口です。(菓子工房併設住宅です)
無事、お施主様にお引き渡しをすることができました。
玄関の鍵をお渡しし、開けていただくことでお引き渡しとさせていただいています。
H様、この度は弊社に家づくりをご依頼いただきまして、本当にありがとうございました。
今後もメンテナンス等で、末長くお付き合いさせていただければ、と思います。
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東京都中野区、中野駅と新井薬師駅のちょうど中間くらいにある南印度ダイニングでチェンナイミールス(ベジタブルミールス)@1200円+ライス大盛@100円。 ずっと訪問の機会をうかがっていた南印度ダイニングにやっと訪問しました。 ラッサムはかなり酸味が強くて辛いタイプ、好みの味です。 サンバルは野菜がかなり多めでスープというよりはカレーの一種のような感じです。 アチャールやチャトニも付いて、バランスが良くて品数が多いです。 今回ライスを大盛にしました���、パラタが2枚、パコラも2つあるので通常ライスでもお腹いっぱいになると思います。 直後にチャイもついてくるサービスの良さ。再訪しようと思います。 #東京都 #中野区 #中野 #南インド料理 #ミールス #カレー #curry #南印度ダイニング #チェンナイミールス #ラッサム #サンバル #チャイ (南印度ダイニング)
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行きそうでなかなか降りない駅、中野!色々目移りするのですが、本能に従いここ。と言っても来訪2回目。そう、美味いからこその再訪です。南インドはやはり野菜系、特にここのベジカレーは美味い!なんだろう、このまろやか旨さ。蓮根も入ってた。肉は無いけど、しっかり満足感です。そして食後の重さが無い。この矛盾が同居するのですから、一度お試しあれ。 ごちそうさまでしたー #カレー #curry #カレーライフ #カレー生活 #カレーラブ #カレー愛 #カレー党 #カレー会 #カレー活動 #カレー最高 #カレー部 #東京カレー ▼3/20 MIDORINOMARU 渋谷 PERMANENT vol.2 https://permanent2.peatix.com/ ▼3/23春のパン祭り! https://www.facebook.com/events/245775026300052 ▼4/8Tariki Echo ハナパーティーvol.3 https://hana3.peatix.com/ ▼4/13 HAPPY MUSIC & PETS https://hmp1.peatix.com/ ▼BMPインフォ https://m.facebook.com/BMP.jp/ (南印度ダイニング) https://www.instagram.com/p/BuftCRKlpje/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=19oyct34z8a77
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雨予報だったので、羽田まで。 途中ポンディバワンでランチ。 嫌な雰囲気の武蔵小杉上空でした。 #cycling #bicycle #cannondale #平和大鳥居 #羽田 #ポンディバワン (南印度ダイニング・ポンディバワン South Indian Dining "Pondy Bhavan") https://www.instagram.com/p/Ck5BdKjyVk-/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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お盆恒例ベイガンミールス その名の通りナスだけのミールスです。 コロナで2年ぐらいなかったのかな。久しぶりにいただきました。 #ポンディバワン #ベイガンミールス #ナスだけ #サンバル #ラッサム #meals #eggplant #年一の楽しみ #また来年 #currylover #eggplantcurry #currystagram #spicelife #スパイス活動 (南印度ダイニング・ポンディバワン South Indian Dining "Pondy Bhavan") https://www.instagram.com/p/Ch4og9ovNxf/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#ポンディバワン#ベイガンミールス#ナスだけ#サンバル#ラッサム#meals#eggplant#年一の楽しみ#また来年#currylover#eggplantcurry#currystagram#spicelife#スパイス活動
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【グルメ】カレーでホームパーティー、様々なスパイスを味わおう
とある休日、この日は妹夫妻の家でカレーパーティー。ところで、なんでカレーパーティーをすることになったのか。 「出没! アド街ック天国」の池上本門寺特集で、美味しそうなカレー屋さんがピックアップされていたのを見て、カレーを食べようということに。そのお店ではデリバリーをやっておらず、それじゃあと従姉妹が見つけてくれたのが『南印度ダイニング ポンディバワン…
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【1937日目】2018-05-07 青い鳥の2人と元カレーの惑星のマリさんと4人でポ��ディシェリを勉強する会。のつもりが、楽しい雑談会で終わった気がする^^ . ポンディバワン@武蔵新田 _______________________________________________________ . #ミックスバジ #ポンディチキン #インド風たこ焼き #ハーブサラダ #ラムチャップ(サラダ付き) #ポークスペアリブ(サラダ付き) #フライドライス(アッサム、トマトチャトニ、サラダ付き) #エッグドーサ(サンバル、ココナッツチャトニ付き) #フィッシュカレー #チェティナードゥチキンマサラ #バスマティライス #パロタ . 大雨風だったので、お店は貸切状態。アントニーさんを質問攻め。話が通じているのかいないのか、意思伝達率60%くらいなのが微妙で面白い♪ . ポンディシェリらしい味つけで勧められたのがポンディチキン。プリッとした柔らかチキンのドライマサラ。美味しいけど、これがポンディシェリなのかな? . 「インド風たこ焼き」は、paniyaramのこと。ちょうど数日前にその存在を知ったので現物を食べられて幸運でした。セモリナ粉、米粉、ウラドダール粉、どれかを使ったモチモチのたこ無したこ焼き。ワンポイントでジャガリーが入っていてちょっと甘いのが気に入りました♪ . ラムチャップは間違いなく美味しいなぁ。インドの中でも元フランス領という特殊なご当地事情からポークスペアリブもありました。 真っ赤な色味に、プロ料理人の3人はギョッとしていましたね。 これ、スパイスは弱めで、しかも甘い味付け。何度��いても砂糖は使っていないという回答でしたが、トマトケチャップの中の砂糖を感じるのかも。どうかな…と思ったのですが、最後には美味しく感じました。 . フライドライスは僕の趣味で強引にチョイス。アントニーさんのバスマティ炒飯は中国人が作るより美味しいと思うんだもの。 . 酸味の美味しいエッグドーサを食べたらカレーの登場です。 ポンディシェリといえば、シーフードだということでオリジナルのマサラのカレーをセレクト。うんうん、美味しい! チェティナードチキンは、珍しい?ココナッツミルクで煮詰めたもの。濃厚でスパイスががっつりきいていて最高に美味しかったです。 . 何度来てもアントニーさんに覚えてもらえず、いつも初めましてのご接待が逆に楽しかったです^^; 次もよろしく。 . _______________________________________________________ 🇮🇳 #india #Puducherry #spice #curry #カレー #毎日カレー #プドゥッチェーリ #ポンディシェリ #スパイス #フクドローン (南印度ダイニング・ポンディバワン South Indian Dining "Pondy Bhavan")
#プドゥッチェーリ#ポンディシェリ#ポンディチキン#パロタ#ラムチャップ#フィッシュカレー#フクドローン#バスマティライス#curry#フライドライス#ハーブサラダ#毎日カレー#カレー#エッグドーサ#india#スパイス#ミックスバジ#インド風たこ焼き#ポークスペアリブ#puducherry#spice#チェティナードゥチキンマサラ
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06080041
どうしてこんな場所に一人、服を奪われ縛り付けられているのか、全く心当たりがない。私はただ普通に、残業続きの仕事の帰り、いつもの道をいつもの時間、歩いて帰っていただけだ。
目が覚めると、知らない部屋の知らないベッドで寝かされていた、なんてドラマか映画か小説か、少なくとも現実に、そして身の回りで起こるなんて思いもしなかった。
読むのは好きだが体験するのは違う。が、こういう状況に陥った場合、大声で助けを呼んだり喚き散らしたり、暴れるのが得策じゃないことくらいは知っている。幸い、口は自由だったから、口を動かしながら状況を整理する。
「部屋は10畳ほど、ベッドの他には、棚...と作業台?と、椅子、引き出しは4つ、窓は高い場所に一つだけ、多分...はめ殺し。扉には、鍵穴が二つ。」
手足は大の字のように広げられベッドの柵にそれぞれ縛り付けられていて、身体を起こすことはできない。寝返りすら不可能。手首、足首は痛くないよう布を噛ませてから拘束されているが、特殊な道具なのだろうか、紐ではなく革のベルトだった。慣れている、私を長期間、監禁するつもりのようだった。
「私の好きな映画みたいなシチュエーション、だ。出来ることなら体験したくなかったけど。」
時計も電子機器もない部屋では、今何月何日の何時なのか、全く分からない。最後の記憶は5月11日月曜日、仕事終わりに歩いていた道。見ていたスマートフォンの時刻で最後に記憶に残っているのは午前0時24分、聴いていたのは丸ノ内サディスティック。コンビニに寄ってスイーツを買って、食べて寝てまた仕事だと思っていたいつもと変わらない日。
日々のルーティンの中で、警戒が薄れていたのかもしれない。マンションに入る時はいつも気を付けていたのに、痛みもなく気付かないまま連れ去られてしまった。
部屋の中に置きっぱなしにしている朝食の皿だとか、溜まった洗濯物だとか、そういうことばかりが脳内をよぎるのはきっと、今すぐ殺されるような気がしなかったからだ。余裕があるうちに、状況を把握しておきたい。
その時、ドアの向こうで微かな足音がした。ひたりひたりと近づいて、そして南京錠らしきものを外して、扉に鍵を差し込む音がする。がちゃり、開いた扉の前に立っていた男が、私に近付いて微笑む。姿と、顔をまじまじ見て思う。
見覚えがまるでない。
一言で表すなら、美丈夫とでも言えばいいのだろうか。かっちりとしたスーツを着こなして、左手は怪我をしているのだろうか、包帯を巻いている。髪や靴も整っていて、身なりのしっかりした男。社会的地位が低いようには見えない。高身長で、色の白い、目の奥が淀んでいる綺麗なかんばせの男。第一印象は気味が悪い。だった。
「おはよう。気分はどうかな?」
「最悪ですね。此処はどこ?」
「俺の家だよ。」
「私、貴方とどこかでお会いしたこと、ありますか。」
「ないよ。初めまして。」
「目的は。」
「喉、乾いてない?どうぞ。」
ニコニコと楽しそうに笑顔を浮かべたままの男が手に持っていたペットボトルを私の目の前でカチカチと開け、ストローを刺して差し出してきた。何も混ぜていない、という意思表示だろうか。一瞬考えを巡らせて、とりあえず一口飲んだ。目はひとときも男から話さない。私の喉が動いたところを満足げに見下ろした男が、そばに置いてあった椅子を引き寄せて、ベッドの側へと座った。
「寒くない?」
「空調のおかげか、下着姿でも寒くはないです。」
「それはよかった。風邪を引かせるわけにはいかないからね。」
「目的はなんですか。生憎、私には親類がいないので、身代金とか、そういった類のものは期待出来ないと思います。」
「知ってるよ。両親は君が成人して、一人暮らしを始めた後に起こった自宅の火災で死亡、親戚との付き合いもほとんど無く、君には恋人も旦那さんもいない。」
よく調べている、と思わず関心する。SNSに一切手を出していない私のことを、どこで調べたのだろう。と思うが、この世には興信所なり探偵なりがいくらでもいて、本気を出して私を数週間追っていればすぐに手に入る情報なのだろう。
「なら、なぜ。」
「何故だと思う?」
「質問してるのは私です。」
「君、物怖じしないね。恐怖とか感じないタイプ?」
「人並みに怖いものは怖いです。」
「はは、面白いな。次は食事を持ってくるから、待ってて。」
質問に答えないまま、男は立ち上がり、足元にくしゃりと置かれていたタオルケットを私にかけ、手を振って去っていった。気味が悪い、という印象は消えなかったが、頭の中に謎が広がってしまって顔を顰める。
目的がわからなければ、相手を説得することも出来ない。説得出来なければ、この生活が続く。なんて楽観視は出来ない。用済みだといつ殺されるか分からない。部屋には一枚の絵が飾られていて、それは抽象画のようで私にはよく分からなかった。漠然とした不安が胸の中に巣食うのを、必死で押し殺して思考回路を冷静に保つ。
焦っては、怯えてはいけない。ブラックだがそれなりにちゃんとした会社だ。仕事に来ない私を心配して、職場の誰か���私の家に来たり、探したりしてくれるだろう。そこから警察に繋がるとすれば、少なくともいなくなった事実は誰かの知るところにはなる。
脳内のデータを漁る。最新のデータでは年間約8万8千人。そんな中の一人、子供でもなく著名人でもない私を探してくれるとは思えない。若い女がふらりと姿を消す、なんて、いくらでも有り得る。と警察はとりあわないだろう。困ったことになった。
考え事をしているうちに眠ってしまったらしい。光が差していたはずの窓の外は、暗くなっていた。またガチャガチャと鍵が開けられる音がして、男がお盆を持って入ってきた。
「おはよう。気分はどうかな?」
「寝て起きたら、お腹が空きました。」
「丁度いいね。ベッド起こすよ。」
私が寝ていたベッドはどうやら介護用か看護用のものらしく、男がそばの何かを操作したら上体部分がゆっくり動き、身体が起こされた。勿論拘束はこのままだが。
「肉のスープ。あーんして。」
「...何の肉ですか。」
「はは、鶏肉だよ。嫌いかな?」
「......」
黙って口を開ければ、男がそれをふーふーと冷ましてそのブイヨン香るスープをスプーンで掬い、口に運んでくれる。
「君、映画の見過ぎだよ。人肉スープだとでも思ったのかな。」
「貴方のことを信用していないんだから、仕方ない質問だと思いますが。」
「美味しい?」
「はい。」
何が楽しいのか、私が咀嚼する様子をニコニコと眺めている男。そして持ってきたスープを全て食べ終わった後、男が足を組み、口を開いた。
「目的、について聞いてたよね。」
「ええ。」
「目的はね、君と幸せになりたくて。」
「...はい?」
「街で見かけて、君に一目惚れしたんだ。だから、一緒に住んで君と幸せになろうって思ったんだ。それが、目的。」
「意味が分からないんですが。」
「分からないかな。結構分かりやすく簡潔に伝えたつもりだけど。」
「...つまりは、私はこれからずっと貴方にこうして縛りつけられて、この薄暗い部屋で、食事と睡眠を貪って生きるの?」
「三大欲求で言えば、申し訳ないけど、俺は勃起障害を患っているから、君と交尾することはできない。食事と睡眠ならいくらでも与えられる。」
「......一人にしてもらえますか。」
「分かった。何かあれば、呼んで貰えたらかけつけるよ。」
一頻り喋って満足した男が立ち上がり、部屋の隅にあった小さな何かを指差して、そして部屋を去っていった。気が付かなかったが、部屋が暗くなって分かった。赤い光、監視カメラだ。タチが悪い。
これからどうしよう。とにかく、男の元から逃げなければいけない。幸いまだ私に対しての敵意はない。殺す気もない。身長はあるがガタイがいいとは言えない細長い男一人、距離感の近さを考えれば、まだ絶望するタイミングじゃない。
取れる選択肢を全て試そう、そう決めて、目蓋を閉じた。
そして次の日朝起きて、舌を噛んでみたけど、監視していた男がすぐ駆けつけて、しかも噛み切ることなんて出来なくて少し傷付いただけだった。溢れる血を見た男の顔から血の気が引いて、慌ててガーゼを口に突っ込まれた。
「ダメだよ、死なないで。君は、俺が見つけた大事な人なのに。」
「......」
丁寧に介抱されて結局傷は治ってしまった。過保護っぷりが加速したし、痛いだけで死ねないなら意味がない。
誘惑してみても、煽ってみても、無視をしても泣いてみても、鉄仮面のような男の笑顔は変わらず、境遇も変わらない。ただ男が与えるものを食べ、得て、息をするだけの日々。
次第に、保っていたかったはずの余裕が波にさらわれる砂の城のように崩れて、原型が分からなくなっていった。何日経ったかなんて、最初の数日が過ぎてからもう曖昧になってすぐ分からなくなった。
私の中にあるのは、自由だった何気ない日々の記憶と、気味の悪い男が施してくれるただただ優しい介護。後半の記憶が増えていく度に、狂いそうになる。正しい、人間としての生活がしたい。
幸せにしたい?何それ。ふざけてる。人に与えられるものをただ飲み込むだけなら、動物にだって出来る。そんなものは、幸せでも何でもない。欲したものを与えられて満たされて、それで満足するなんて、あまりにも短絡的で頭の悪い考え方をしている男が、心底気持ちが悪かった。
そしてその気持ち悪さは、日々のふとした瞬間に湧き上がってきて私の脳内を支配した。ただベッドに寝ていただけなのに、何かのスイッチが入ったかのように身体が漠然とした恐怖と、焦燥感と、苛立ちとその他諸々の負の感情に支配される。
私は今日も飽きることなく、カメラに向かって暴れ、枯れてしまった声を張り上げて叫ぶ。
「外してよ、これ。自由にしてよ!いい加減にして!もう、いや!いやだ!家に帰りたいの!仕事だってある、私は自由になりたいの!!」
「アンタ、頭おかしいんじゃないの!!こんな、ただただ餌だけ与えて言葉を交わして、それが幸せだなんて、頭がおかしいに決まってる!自由にしてよ!誰か助けて!イヤァああああああああアァァアァアァァああアァァああアアアアあああああ!!!!!」
見ているはずの男は、朝と晩、初日と変わらない笑顔をたたえたまま、飽きずに食事を運んできて私に与える。耐えきれなかった私は口に含んだ食事を男に向かって吐きかけて、怒鳴り散らす。こんな生殺しのまま人としての矜持を嬲られるなら、殺してほしい。怒らせた方が得策かもしれない、私の思考回路が狂い始めていた。
男は一瞬動きを止めて、そして汚れた顔を拭うこともなく、私の口元から垂れたスープを拭いて、困ったように眉を下げた。
「...食事は大切にしないと。経口で与えられなくなるのは、俺も辛いよ。」
「もう、いい。食事も睡眠もいらない。殺して。こんな状況で生きていても、生きているなんて言えない。殺して、殺してよ、お願い、もう...」
「そんなこと言わないで。まだ28日だよ。俺は君に生きてほしいのに。」
「こんなの、生きてるなんて言わない。人として、自由に生きたい、私は貴方となんて幸せになりたくない、なれない、もう、離してよ...自由になりたいの、もう、いや、おうちにかえりたい、」
「泣かないで、我慢して、君に死んで欲しくないんだ、愛してるから...」
「触らないで!!!!」
触れようとする男に唾を吐いて、動けもしないのに身を捩って必死に睨み付けると、男は諦めたのか手を引っ込めて、そして痩せてしまった私の足を見て、ごめん、とだけ呟いた。謝られた私はまた頭に血が上って、引きちぎらんと手足に力を込める。捕まった日にも無理だった行為が、寝たきりの生活で上手くいくはずがない。そんな思考すら浮かばないほど、私は劣化していた。ただただ暴れて、獣のように叫ぶ。
「泣かないで、ねえ、暴れたら傷が付くよ、」
「...っ、せめて、私にも、温もりを頂戴、片手でいいから外して、貴方を抱きしめさせて...お願い、どうせ片手じゃ、何もできやしないでしょう...?」
「......」
男が視線をちらりと逸らして、しばらく考え込んで、そして、左手のベルトへと手をかけてくれた。パチリ、と金具が外されて、そして左手が自由になる。男が私を見下ろして、そしておずおずと身体を近づけて、私の頭の後ろに手を差し入れて、抱き締める。私は彼の頭を左手で抱き、晒された首元へとキスをして、そして、無防備な喉笛に思い切り噛み付いた。
「ぐっ...!?何、を...!」
舌を噛んだ時の要領だ。他人の身体だ、遠慮なんて微塵もなかった。顎の骨が軋んで、犬歯あたりがぐらり、と揺れ歯茎に激痛が走る。そんなことはどうでもいい、と、顎に力を入れた瞬間、ごりゅ、と何かが噛み切れた感触と共に、口の中へ男の血液と体液が流れ込んでくる。肩を思い切り押して、私の上にいた男を剥ぎ取りベッドの下へと落とした。
ぺっ、と吐き出したその塊は血と私の唾液に纏われて何かよく分からなかったが、男の喉にばっくりと歯形の凹みが出来ているのを見る限り、目論見は成功したらしい。
ヒュー、ヒュー、と枯れそうな呼吸で男が喉を押さえながら、私を見上げている。その顔には、恐怖と、絶望が浮かんでいて。人間としての自由を奪われ、虐げられ続けていた私は、謎の高揚感に包まれた。
「ざまあみろ。アンタの温もりなんていらないのよ。」
「............」
酸素不足の金魚のように口をパクパクとさせた男は、どうやらもう声が出せないらしい。私に何かを必死に伝えようとして、何度か咳き込み、そして、力尽き床へと倒れた。死んだのか、気を失ったのか、分からないが一刻も早くこの場所から逃げないと。と、男が外した要領で右手、そして両足の拘束���外した。約一月ぶりに踏みしめた地面。ただのコンクリートなのに、酷く生々しく感じて、じわりと視界が滲む。
自由になれる。これで、また日の光を浴びられる。
床に倒れた男を一瞥し、拘束をしようかと思案するが私の腕ではベッドへ持ち上げることは出来ない。脈を確認してみれば、まだ息がある。驚いたが、とりあえずこの部屋へ閉じ込めておけばいい、と捨て置いて部屋の外へと出た。扉はしっかりと施錠して、廊下を進んでいく。
リビングとダイニングは、生活感がまるでないモデルルームのような部屋だった。テレビも冷蔵庫も、何もない。ただダイニングテーブルと椅子が2つ、それだけの殺風景な部屋。部屋の隅には監視カメラがある。男がいない間、私が逃げても分かるように、だろうか。
部屋を簡単に物色したが、電子機器がない。ともかく外へ出ないと何も出来ない、と、リビングから玄関につながるであろう扉の前に立った。
思考回路がひび割れて止まる音が聞こえた気がした。目の前の扉には、鍵穴が二つ。
ガチャガチャと、外で鍵を開ける音がする。南京錠が外されて、ごとり、ごとりと床に雑に落とされる音がして、そして、扉に差し込まれた鍵が回されて、鍵穴が回って、ゆっくり、扉が開かれる。
扉から距離を取った私の前に現れた男が、固まっている私を見て、一言、「あと2日だったのに。」と卑しく笑って、手に持っていたバールを、私の脳天目掛けて振り下ろした。
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ハッピーメモリアルデーのフリーランチ❣️ #武蔵新田 #ポンディバワン 「ご近所のカレー屋さんで無料ランチやってるよー🤙」っと聞き図々しく行ってきました🏃♀️ わずか徒歩5分の場所にこんな素晴らしいインド料理店があったなんてー😲 ちなみに今日はアメリカ🇺🇸memorial dayで祝日ですが、それとこれとは全く関係なくオーナーのメモリアルデーで今日だけ無料ランチだったそうです💓 薬膳スパイスたっぷり✨身に染みる美味しさでした😍 次回はディナーでゆっくり再来させて下さい🙇♀️ (南印度ダイニング・ポンディバワン South Indian Dining "Pondy Bhavan") https://www.instagram.com/p/CAm27Y6DBhxcpV9tlCZY22opele5phTMh2D9LY0/?igshid=dzvdpprmybxj
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#curry #カレー #ビリヤニ (南印度ダイニング・ポンディバワン South Indian Dining "Pondy Bhavan")
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#スペシャルランチ 初来店。旨い #チキンカレー #マトンカレー #タンドリーチキン #ナン #マライティッカ #南印度ダイニング #curry #カレー #カリー #カレー部 #カレーインスタグラマー #lunch #ランチ #昼食 #中野 #nakano (南印度ダイニング) https://www.instagram.com/p/B2Tm_eFAy4Y/?igshid=mm1vnnz91b8z
#スペシャルランチ#チキンカレー#マトンカレー#タンドリーチキン#ナン#マライティッカ#南印度ダイニング#curry#カレー#カリー#カレー部#カレーインスタグラマー#lunch#ランチ#昼食#中野#nakano
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大崎の家 改修工事4 完成
大崎市での住宅改修工事が無事、完成いたしました。
お盆の前にお引き渡しをすることができ、ほっと一安心をしております。
少し時間が経ってからのご報告となってしまいましたが、ぜひご覧ください。
大手ハウスメーカー様の戸建て住宅を、1階部分だけ改装させていただきました。
無垢の床、漆喰の壁と天井、木製の造作家具と建具、大きな窓。
BANKSの得意な要素をふんだんに使って仕上げさせていただきました。
二階へと続く階段。
階段の段板は、全て松の無垢材で作らせていただきました。
二階の壁は既存のクロスのままです。一階の漆喰の壁と、二階の壁の切り返しを階段途中につけさせていただきました。
リビングの壁には、ニッチの神棚。南面を向いた大きな神棚は、二段になるように造作されています。
床は全て、ヒノキの無垢フローリング。
15mmの厚みのある無垢材は、一般的な合板のフローリングよりも熱伝導率が低く、真冬も床が冷たくなることがありません。
和室の窓には、障子をつけさせていただきました。
伝統的な障子よりも細い桟で造作することで、より明るく、よりモダンな印象の和室になるよう心がけています。
和室と隣り合う、ご両親の寝室。
引き戸で仕切りは開け放つことができ、非常に開放感のある空間となります。
トイレはタンクレスタイプのものを選定いたしました。
床や壁は、掃除のしやすさを考慮し、タイル貼り仕上げです。
ご年配のご両親が使いやすいようにと、トイレの側には荷重をかけても大丈夫な台と手すりを設置しました。
ナラ材で丁寧に造作し、手触り滑らかな仕上げとさせていただきました。
トイレの横には、造作の手洗いと収納。
毎日の身支度をする洗面台もオリジナル造作です。
お施主様に選んでいただいた、濃い色のタイルがアクセントとなり、空間が引き締まりました。
キッチンコンロはIHです。コンロのすぐそばには便利な可動式の収納棚を設けました。
油はねの可能性があるキッチンの壁面は、タイル仕上げ。
大ぶりなサイズのホワイトのタイルなので、漆喰の壁とも違和感がありません。
キッチンからはダイニングの様子がすぐにのぞけます。
玄関からリビング方向の眺め。
リビングにはまだ家具が置かれていないため、広々としています。
大きな襖は、見た目よりも非常に軽く、開閉がスムーズです。
玄関の外からは、開放的な景色が望めます。
リビングからの眺望も抜群です。
キッチンの造作の収納は、ナラ材で作りました。
30mm厚の迫力あるナラの無垢材をカウンターにした作業台は、素材感たっぷり。
汚れや傷にも強く、使い勝手の良いカウンター材です。
引き出しも容量たっぷり。軽い力で開閉が可能です。
建具は貴重なヒノキ材で造作させていただきました。
水や変形に強く、好ましい芳香のヒノキ材は、伝統的に日本の建築で重宝されてきました。
明るい色味と、素直な木目は、毎日の暮らしに落ち着きと安心をもたらしてくれます。
玄関のガラス框の引き戸もヒノキの無垢材の造作。
建具に使用できるような無垢材は、木目が真っ直ぐでないと、将来の反りや変形のリスクが高まるため、ごくわずかしか材料がありません。
木材を日々吟味することで、より良い材料と出会うことができました。
西日が入ると、漆喰の壁は優しい暖かさの色に変わります。
玄関扉の脇には、明かりとりのスリットガラス。
重厚な木製玄関扉は、北欧スウェーデン製のチーク材で作られた断熱ドア。
リビングからすぐにアクセスできるウッドデッキも作らせていただきました。
広々としたデッキは、様々な活用ができるよう考えています。
玄関ポーチも今回、新設しました。
洗い出し仕上げで作ったポーチは、汚れが目立ちにくく、掃除もしやすい仕上げです。
下駄箱は、籐張りの框建具で通気性を高めた仕上げです。
高さ調整のできる棚板がついているため、無駄なく大容量にしまうことができます。
Y様、この度は改修工事にお声がけいただき、誠にありがとうございました。
自然素材は、良い意味で、時間をかけて色や形が変わっていく素材です。
その素材の特性で、お引き渡し後も様々な変化が家に訪れることが普通です。
変化に対する適切な対処やメンテナンス、ご相談などいつでもお受けいたしますので、どうぞお気軽にご連絡ください。
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#三日月に輝きを ・ 2009年より 南城市玉城にあるお宿 @kaiza_okinawa さまに 飾っていただいている #三日月 をモチーフに 描かせていただいた作品 ・ 11年の歳月と共に 顔料で染めたタペストリーも 少しずつ(特に月の黄色系が) 退色をしてきたとのことで 三日月に 再度色を差させていただきました ・ 写真2枚目がビフォー 写真3枚目がアフター 月の輪郭、輝き共に くっきりとした印象に ・ このタペストリーは 月を愛するオーナーさまが 三日月と共に宿も 沢山のお客様で 満たされますように、と 願いを伝えてくださり 制作をさせていただきました ・ 三日月の光降り注ぐ下に #海坐 があり その眼下には玉城の風景が 広がっています ・ ・ 人柄あたたかな オーナーさまには 全国、世界からお 二人の笑顔に逢いに たくさんのお客様が来られます (海坐本館+新しく別館1棟貸のお宿も加わり、息子さんも一緒にされていて、益々パワーアップされておられます!) ・ 沖縄へ来られたら ぜひ#海坐 へお泊りください^_^ 輝きを増した タペストリーと共に お待ちしております🌙 ・ ・ 以下、repost @kaiza_okinawa ・ ・ 海坐本館のダイニングでいつもお客様を 出迎えてくれている紅型の特注タペストリー 今日は作者でもある、 紅型作家・縄トモコさん(@nawachou)に メンテナンスを施してもらい、 タペストリー上部に描かれている 三日月が輝きを取り戻してくれました☆ ちなみに描かれている月が満月ではなく 三日月なのは、三日月が満月へと満ちていくように 海坐のお客様も少しずつ増えていってほしいという 願いから、この作品が作られた約11年前に 縄トモコさんにお願いしたのでした ^ ^ これからも、このタペストリーの前で多くのお客様が 記念写真を撮っていって下さいますように ♪ _ _ #海坐 #kaiza #本館 #別邸 #海坐別邸 #villa #沖縄 #okinawa #南城市 #nanjyocity #全室オーシャンビュー #oceanview #紅型 #紅型作家 #縄トモコ #nawachou #タペストリー #特注 #ダイニング #お掃除スタッフ募集中 #土日歓迎 @ 海坐 -kaiza- (海坐 -kaiza-) https://www.instagram.com/p/B8dZ5zHllxj/?igshid=6icquzr1p2ec
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