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Yumeno Kyusaku’s Girl Hell (1977) Dir. Masaru Konuma
#Yumeno Kyusaku’s Girl Hell#Yumeno Kyûsaku no shôjo jigoku#夢野久作の少女地獄#Masaru Konuma#小沼勝#Girl Hell 1977#my post#cine#film#gif
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勝沼ぶどう郷にワインを飲みにいったよ。ワインカーヴはアル中の天国です!。
甲府盆地を一望だよ。もうすぐ新酒のシーズンだ。
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2025年1月4日 勝沼、身延で山を眺める
以前、身延山に行ったときは雪のない時期だったので、いつか真っ白な南アルプスを見に行きたいと思っていました。始発電車に乗り、7:17に勝沼ぶどう郷公園で途中下車し、まずは朝日に輝く南アルプスと甲府盆地を撮りました。

身延には午前中に奥の院の展望台に行きたかったので、すぐに身延に移動し、10:00ごろにバスを降り、歩きはじめました。
287段の菩提梯を息絶え絶えに登り切り、本堂にお参りしてロープウェイ乗り場に行くと、発車時刻ギリギリでしたが乗せてくれました。
南アルプスは北側展望台ですが、何の気なしに南側展望台に行ってみると、ちょうど太陽が富士川の上にあり、富士川が白い蛇のように光っていました。

時間ギリギリで係員さんがロープウェイに乗せてくれていなかったら、また先に南側展望台に来ていなかったら、もしかするとこの光景に出会えていなかったかもしれません。
ロープウェイの係員さんと、身延山の御仏の導きに感謝です。
今回は、超広角レンズの撮り比べも目的にしています。撮り比べの結果はこちらで。
超広角撮り比べ(遠景編) SIGMA dp0 Quattro vs LAOWA 10mm F2.0 Zero-D MFT vs LAOWA 15mm F4 WIDE ANGLE MACRO
さて、いよいよ北側展望台です。

真っ白な白根三山には目を奪われます。頂上付近だけですが、塩見岳や荒川岳も見えているでしょうか。
続いて笊が岳。

笊が岳は大笊、小笊の双耳峰として知られていますが、身延山から見ると大笊の手前に小笊があり、均整の取れたピラミッド型の山に見えます。
ロープウェイ山頂駅の上にある身延庵で、新年特別メニューの雑煮をいただいた後、南側展望台に戻りましたが、富士山は雲に包まれようとしていました。

ロープウェイを降り、境内に戻ると、冬桜が咲いていました。

帰路は菩提梯は回避して男坂を降りました。五重塔を下から見上げられる場所は、他のお寺にはなかなかないのではないでしょうか。

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🚫「 COLOMENA 」 album by 勝沼恭子, Jun Miyake is still not available outside Japan, and we understand the frustration! Tell us which release/artist you're most eager to stream globally. 🎶
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お笑いコンビ「和牛」来年3月末で解散 水田信二・川西賢志郎ともに吉本所属のまま「それぞれの道を」
吉本興業は12日夜、お笑いコンビ・和牛が来年3月末で解散すると同社公式サイトを通じて発表した。
「水田信二(みずた・しんじ、43歳)と川西賢志郎(かわにし・けんしろう、39歳)は今後、弊社所属のまま、それぞれの道を歩んでいくことになりました。 これまで、和牛に多大なご声援をいただきましたファンの皆様、関係者各位には心より感謝いたしますとともに、引き続き2人にご支援を賜りますようお願い申し上げます」と呼びかけた。
和牛は、NSC大阪校26期の水田信二と川西賢志郎が2006年にコンビ結成。09年に『ABCお笑い新人グランプリ』決勝戦進出を果たしたのを皮切りに、関西で頭角を現した。『M-1グランプリ』では15年~19年まで5年連続で決勝に進出。16年~18年に3年連続準優勝となった。
『M-1』王者にはなれなかったが、14年に『NHK上方漫才コンテスト』を制したほか、18年に『上方漫才大賞』奨励賞、21年に『上方漫才協会大賞』特別賞など、その漫才は高く評価されてきた。
#和牛#水田信二#川西賢志郎#解散#M-1グランプリ#5年連続#決勝進出#3年連続#準優勝#DV#二股#疑惑#上沼恵美子#このステージは僕のもの#ぞんざいなもの#それが腹たつっていうんですわ#アキナ牛シュタイン#福岡・札幌・大阪公演#中止
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524 Mr.anonymous sage 2024/09/24(火) 12:17:58.16 ??? ちょっと怖い話します。 脳科学の「悪口を言ってはいけない理由」
悪口を言う ↓ しゃべっている時に脳内で快楽ホルモンがでる ↓ これには中毒性があって悪口がクセになると、だんだんやめられなくなる ↓ 似たような仲間が周りに増えていく ↓ 人の脳には誰かへの悪口が���分自身の悪口だと無意識にとらえてしまう機能があって、 ↓ これが知らぬ間に自信や幸せな気持ちをむしばんでいく。 ↓ 自分に自信がなくなっていくと、心は自尊心を守るためにまた誰かの悪口を言いたくなる ↓ 人の悪口を言っている時、自分の欠点を忘れることができるとさえ思えてしまって、 ↓ 負のスパイラルにハマると泥沼から抜け出せなくなる。
スポーツの試合でも、どうしても勝ちたくて「相手がミスればいいのに」「相手のシュートが入るな!」などと思うことが 知らぬ間に自分で自分の脳に悪影響を与えていて、プレーにも支障がでる可能性があると言われています。
ゴルフのタイガーウッズは、ココ一番の大勝負の瞬間、「対戦相手が上手くいきますように」と祈るそうです。 " 相手という自分 "に余計な負荷をかけないから、自分をさまたげる思いが少なくなる。 その結果あれだけの成果を出せた要因のひとつなのではと言われています。
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「エヴァンゲリオン」シリーズに登場する組織を名乗り、防災情報を「国内最速」のレベルで発信し続けるSNSアカウントがある。今や気象庁も認める社会インフラの一つとなった「特務機関NERV(ネルフ)」だ。当初は19歳の大学生による無許可のファン活動だったというNERVが、最速と呼ばれる防災情報組織に発展した背景には何があったのか。アカウントの設立者でセキュリティー会社「ゲヒルン」(東京)社長の石森大貴さん(34)の歩みを追った。(時事ドットコム取材班キャップ 太田宇律) ◇学生起業「すぐにつぶれると」 大学生だった石森さんが、ツイッター(現X)上に防災情報を発信するアカウント「特務機関NERV」を立ち上げたのは、2010年2月のこと。エヴァンゲリオンに登場するNERVは、謎の敵「使徒」と戦う組織の名称だ。「突如現れる使徒は、現実世界で言う災害のようなもの。当初は、全国の警報や避難指示を自動投稿するだけのアカウントで、ただのファン活動でした」(石森さん) エヴァと出会ったのは、主人公の碇シンジと同じ14歳のとき。幼なじみがDVDを貸してくれたのがきっかけで、「新劇場版」の公開時には映画館に何度も足を運ぶほど熱中した。大学在学中に知人の勧めで起業したときも、社名はエヴァにちなんで「ゲヒルン」に決めた。「頭脳」を意味するドイツ語だが、ファンにはNERVの前身組織名として知られている。 石森さんは設立当初のゲヒルンについて、「若��エンジニアを集めたイベントの開催や、ウェブサイト制作などを手掛けていましたが、大した仕事はなかった。きっとすぐにつぶれてしまって、自分は普通に就職するんだろうなと思っていました」と振り返る。その運命を大きく変えたのは、起業から半年後、2011年3月に発生した東日本大震災だった。 ◇炎上する小学校「もうだめか」 石森さんは宮城県石巻市出身。震災当時は東京都内で1人暮らしをしていたが、同市渡波の実家には母と妹がいた。 「揺れの直後は一度だけ家族と連絡が取れましたが、すぐに通信が途絶えてしまった。報道ではなかなか石巻の情報が得られず、一晩中ツイッターにかじり付いていました」。東京にいる自分にできることはないか。石森さんはネットや報道で得られた石巻市内の被害状況や避難情報を、自身のブログに「スクラップ」していった。被災者や故郷を案じる人のため、せめてもの行動だった。 夜が明けた午前6時ごろ、炎上する石巻市内の小学校や津波で押し流された家屋の空撮映像がテレビで流れた。「実家や家族も、もうだめじゃないか」―。最悪の想像が頭をよぎったが、数日が経った後、石森さんの実家が流失を免れ、中にいた母や妹も無事だったことが分かった。しかし、石巻市雄勝町で病院職員として働いていた伯母は、大津波で帰らぬ人となった。 ◇ヤシマ作戦 震災直後から、東京では輪番停電(計画停電)が始まった。エヴァには、使徒を倒すために日本中を停電させ、その電力で陽電子砲を撃つ「ヤシマ作戦」という場面がある。石森さんはNERVのツイッターアカウントで、計画停電をヤシマ作戦に例え、連日必死に協力を呼び掛けた。 「怪しい」といぶかしむ人もいたが、次第に賛同する人は増えた。アニメの版権元は「あくまで非公式」としつつ、NERVの名称やロゴの使用を容認してくれた。石森さんはこれ以降、NERVのアカウントを徐々に「国内最速の防災情報アカウント」へと発展させていく。 災害情報共有システム(Lアラート)から避難情報などを受信できるようにし、気象業務支援センターとも専用線をつないでもらった。ゲヒルンは防災情報発信だけでなく、有名企業のセキュリティー診断を手がける企業として成長し、2016年にはさくらインターネットの子会社に。NERVの緊急地震速報は、テレビのテロップ表示を速度で上回ることも多く、災害時に多くの人が頼る情報インフラの一つとなっていった。 ◇防災アプリ、始動 ただ、ツイッターでの防災情報発信には限界も感じていたという。「全国の情報が全���流れてくることは、メリットでもデメリットでもある。一度でも煩わしいと思われたら、フォローを外されてそれっきり、その人の役には立てなくなってしまう」(石森さん)。ツイッターの運営企業の方針変更に振り回され、アカウントが突然「凍結」されてしまう事件も起きた。ニーズに合わせた防災情報を自主発信するため、自社アプリの制作を決断した。 「防災の日」に当たる2019年9月1日、ゲヒルンはiPhone用アプリ「特務機関NERV防災」をリリース。わずか1日で10万人超がダウンロードするほど大きな反響があったという。エヴァの版権元からは「社会的に意義のある活動」として正式に名称やデザインの使用許諾を得られ、気象庁も「使命を共にする頼もしいアプリ」と太鼓判を押した。2025年3月時点で、Android向けを含めたアプリの総ユーザー数は680万人を超える。 ◇「国内最速」無力感を糧に 現在、ゲヒルンの社員は15人。国内最速レベルの通知を実現しているのは、石森さんを含む少数精鋭の技術者たちが日々、システム改修と効率化を進め、人間には知覚できない「1ミリ秒」を削る努力をしているからだという。その背景にあるのは、石森さんが震災時に痛感したという「無力感」だった。 「大学で情報科学を勉強していたので、情報の取り扱いには長けていると思っていました。でもあの災害で、自分は家族や親戚にとって何の役にも立てなかった。あの日、自分がブログに情報をスクラップしていたように、全ての災害情報を一カ所にまとめたい。必要な情報を、大切な人に一瞬でも早く届けられたらと思い、開発を続けています」(石森さん) ◇「会社辞める」心折れた過去も 伯母を亡くした震災から今年で14年。スマートフォンの普及や技術の発展で、災害の情報は当時より早く、必要なときに必要な分だけ届けられるようになりつつある。ただ、石森さんはかつて、「このままSNSで防災情報をつぶやいていても、本当に人を救えるのか」と疑念を持ち、周囲と連絡を絶った時期もあった。 防災アプリ公開から半年前の2019年2月。きっかけは、親会社とのグループ会議で、防災事業の赤字をとがめられたことだった。「防災情報で儲かるのか」「社員と信頼関係は結べているのか」。役員からの厳しい言葉に、石森さんは強いショックを受けた。「この会社ではやりたいことができない。辞める」。そう言い残して、石巻市の実家に帰ってしまったという。 ◇情報は完全じゃない 再起のきっかけは、たまたま見に行ったリアス・アーク美術館(宮城県気仙沼市)で出会った東日本大震災の展示だった。「現代人は情報に命を託している」「しかし、あのような大規模災害が発生したなら、情報を待つ前に、想像力を働かせ、自ら行動しなければならない」―。常設展示の解説にあったこの一文が、石森さんの心に刺さった。 震災の日、伯母がいた石巻市雄勝町の雄勝病院。周辺に第1報として発表された大津波警報は「高さ6m」で、3階建ての病院屋上に逃げればやり過ごせたはずだった。しかし、実際に雄勝町を襲った津波は最大16.2メートル。雄勝病院は屋上まで津波にのみ込まれ、入院患者40人と、伯母を含む職員24人が犠牲となった。 「情報は完全じゃないし、答えじゃないし、届かないこともあるし、遅れることも、間違っていることもある。情報の役割は、その人に『判断をもたらす』ところまでなんです。情報に依存しないで、自分で考えて行動することを、自分は開発者として伝えなければならない。そう気付きました」 東京に戻った石森さんに、ゲヒルンの専務で、少年時代からの友人でもある糠谷崇志さんは「みんな待ってるよ」と声を掛けた。再起した石森さんを、ゲヒルンの仲間たちは温かく迎えてくれた。「心の整理がついて、それからは迷わず仕事に向き合えるようになった」と、今は思える。 ◇「1ミリ秒」削り続ける 防災アプリの運用コストは、精度や性能の向上とともに年々膨らみ続けている。「広告を見たら無料で使えるとか、課金したらより良い情報が得られますというのは、防災アプリとしてはあるまじき姿。一方で、ユーザーからは、『このアプリがなくなったら本当に困るので、課金させて欲しい』という声も寄せられていました」。そこで、2020年9月から「サポーターズクラブ」を開設し、運営費の一部を有志に支援してもらうことにした。 ただ、サポーターからの収益で賄えているのは、サーバー代などで年間1億円を超える運用コストの1割程度という。「あったらあっただけシステム改良に使ってしまうから、どんどんコストが大きくなる」と石森さんは笑う。 東日本大震災では、指定されていた一次避難所に身を寄せたにも関わらず、津波にさらわれ命を落とした人々がいた。情報は命を救うこともあれば、奪うこともあると、石森さんは言う。「怪しいアカウントの情報だから間違っている、気象庁や自治体、報道機関の情報だから正しいということでもないんです。情報の正確さと共に、自分の想像力も大事にして行動してほしい」。情報で人を救うことまではできなくても、少しでも早く伝えられたら、その人はどう行動するか判断できる。そのために、NERVは今後も「1ミリ秒」を削り続けていく。 <この記事は、時事通信社とYahoo!ニュースの共同連携企画です>
「情報で人は救えない」心折れた過去◆特務機関「NERV」、それでも削る1ミリ秒 #知り続ける(時事通信) - Yahoo!ニュース
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Flower & Snake [小沼勝] (1974), dir. Masaru Konuma
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憧れの山「トムラウシ山」縦走登山へ!~中編~
山の天気は変わりやすく、あれだけきれいに晴れていたのもつかの間、夜には分厚い雲に覆われてしまいました。
夜11時ごろ、ふわっと雲がはれたタイミング。これを逃すわけにはいきません!イワイチョウが咲き乱れる野営場とトムラウシ山頂、そして星空…うっとりしてしまいました。
強く感じたのは新月期の天の川とこの山肌を併せたら非常に綺麗だろうということ。すぐに次の目標が浮かんできます。
7月の日の出は早く、4時にはあがります。寝起きの身体でゆっくりと登っていくと、山頂からは遠く東の果てから登る太陽が照らす大雪山の山々が見られました。
石狩連峰にニペソツ、ウペペサンケ、旭岳に白雲岳…そして黄金色に反射する沼の原の湿原が忘れられません。そして背後にはモルゲンロートでほんのり赤色に染まっていく十勝岳や美瑛富士、富良野岳。
こんなにも美しい山々に囲まれて堪能する日の出は初めての経験!登山家の憧れの山と言われる所以もわかったような気がしました。
3日目の行程は、来た道を戻りながら道中スキップした化雲岳を経由し、忠別岳避難小屋まで向かうルート。距離は13km。
この日の天候は晴れ!
初日にびっちょびちょになったテントや雨具も乾いて荷物も軽い!!
そして朝露で輝くお花畑が美しいのなんの!!!
足取りも軽く、登る箇所も少ないこともあり、気持ちのいい登山となりました。ただ、段々と遠く小さくなっていくトムラウシ山を振り返りながら歩いていると、寂しさもこみあげてきます…
また歩きに来る!と強く思いましたし、何度もトムラウシ山に挑む人々の気持ちがとても分かりました。
トムラウシ山の道中、再び苦戦しながらロックガーデンを越えると非常に大きな構造土を見かけます。
何万年もかけて凍土が溶けて再凍結して~を繰り返して少しずつ同じ粒径の石が集まって大きな模様を生み出します。
こんなにも大きな構造土が非常に綺麗な形で現在まで残っているのは感動しますね。この構造土を見てからより一層大雪山に興味がわくようになりました。
気づいていないだけで、あちこちに構造土やそれに合わせて進化した植生があること。なんて面白いんでしょうか…
化雲岳に到着するとそこから見える化雲沢の大パノラマに圧巻!
えぐり取られたかのような絶壁の忠別岳、そして遠くには旭岳。
道中の山のスケール観に驚かされ続けてきましたが、この広さは言葉を失いました。
こんなにも大雪山って大きいのか…と感動しつつ、向こうから見る景色は一体どうなのだろうと気になって仕方がありません。
ここから先はお花畑の天国。テンションもMAX!意気揚々と晴天の楽園を歩きます。
~後編につづく~
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愛がなんだ
人生でN回目の「愛がなんだ」を見ました。途中から再生、途中で離脱などを繰り返すと本当に数えきれないほどに見ているのでN回目と略します。さてさて、前回見たのは確か今から半年ほど前、経営者であるキニピに沼っていた時に、"反面教師"や"自分自身への戒めの意を込めて"などの理由で見た記憶があります。
今回この映画を見た理由としては、yonigeのリボルバー(大阪出身のガールズバンド)のMVにで出てくるタバコを吹かせたお兄ちゃんが愛がなんだで主人公テル子の友人、葉子に片思いをしている中原(役)であり、そしてこのMVが葉子と決別した後に、退廃的な生活を中原のようだ…などといったコメントをYouTubeで見つけたからである。
ちなみにずっと前から知っていたこの曲を改めて聞こうと思ったきっかけは、彼氏が金属バットのネタが好きで、ことあるごとに「リボルバーやないか」とツッコむので、リボルバーという言葉が脳にこびり付いていたから。そんなフィルターのかかった脳内に飛び込んできた、YouTubeのリボルバーというタイトルの動画(MV)を再生せずにはいられなかった。と、まぁ見た経緯はさておき、映画の感想に戻ろう。
今まではずっと主人公でもあるテルちゃん(マモちゃんというダラシなく非常な男に片思いを続けているために生活がままなっていない)に共感と軽蔑の気持ちを抱くだけで、他の登場人物にはなんの感情も沸かず作品を見終えていた。しかし、今回の私は違った。まず開始30分、テルちゃんの言動が、まんま半年前の私にそっくりで驚いた。あんなにもテルちゃんにはなるまいと気をつけていたのに。行動はともかく、思考回路はテルちゃんと瓜二つ。相手の些細な言動を深読みして、「数年後〜〜したいね」って言うってことは、そこに、あなたの未来に、私という存在が当たり前のようにいるってこと!?っていう脳内セリフがあまりに当時の私すぎて危うく過呼吸になるところだった。脳内は"〜みたいにはならない"のような否定言葉の場合、否定を理解しきれずその前にある"〜みたいな"の部分だけを都合よく解釈し、気づけばこうなりたくないと思っていた人に自分が近づくことになっていると脳科学豆知識で聞いたことはあるがあまりに残酷ではなかろうか。と、テルちゃんに共感できたところまではまぁ想定の範囲内。驚きなのは、その他のキャラクター、マモちゃん、中原、葉子、すみれ それぞれに感情移入してしまったこと。
今まではなんて非常な態度を取るんやこいつとそれぞれのキャラクターの心情なんて想像しようとすら思わなかったのに。今日は彼らの気持ちを少しだけ理解することができた。いろんな映画が、映像の豪華さや、物語の進み具合、セリフのキャッチーさで勝負する中、この映画は目線の張り巡らせ方が上手だなと思った。テルちゃん以外のキャラクターは自分の心のうちを、そう多くは語らない。でもみんな、対面にいる相手への思いを、口では語らず、目線で示していることに気がついた。本当にカメラワークが上手だなと思った。ほんで驚くことにこの作品原作本と映画の内容が全く変わらないことなんですよね。 映画→本に行っても、全く違和感がない。違和感がないどころか、テルちゃんの心情が岸井ゆきの演技によってより鮮明に映し出されているとまで思える映画。
結論:この世に完全な悪者はそういない。私からみて悪魔だと思える人にも、それなりの事情があって、彼らなりの正義がある、そしてそれは歳とともに変化する可能性がある。そして、誰のことも完全には恨めないことが狂おしく、愛おしい。
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Yumeno Kyusaku’s Girl Hell (1977) Dir. Masaru Konuma
#Yumeno Kyusaku’s Girl Hell#Yumeno Kyûsaku no shôjo jigoku#夢野久作の少女地獄#Masaru Konuma#小沼勝#Girl Hell 1977#my post#cine#film#gif
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裁判は、主観的に自分が正しくても証拠不足で負けることはあるし、勝ち戦でも泥沼化を防ぐためにほどほどの線で和解したりすることもある。そこを見極めるのが腕前というやつなので、依頼者と一緒に熱くなってくれる人よりも、一歩引いて冷静に見てくれる代理人を探したほうがいいのでは、と思います
スドー🍞さんはTwitterを使っています (via leomacgivena)
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2024年
この一年に撮った写真から1枚選ぶとすれば、10月に撮ったこの写真です。

10月14日、生田緑地ホタルの里にて。ミゾソバの花が一面に咲いていました。バードウォッチング用の超望遠で撮りましたが、この花の愛らしさは写し取れたかなと思います。
あとは、毎月1枚プラス旅先で撮った写真を選びました。
1月14日、小田原の御幸の浜にて。真鶴半島、初島、伊豆大島と、遠くは利島でしょうか。穏やかな相模湾でした。

2月14日、飯室山展望台にて。新宿のビル群が、早朝の関東平野に出現した黄金郷のようでした。

3月30日、代々木公園にて。満開のユキヤナギに沿った小道は、歩くだけで幸せになれそうでした。

4月19日、二ヶ領宿河原堰にて。桜をバックに力いっぱいさえずるホオジロ。

4月29日、諏訪大社下社春宮の神楽殿と御柱。神楽殿の後の大きな建物が幣拝殿。
この日は1日かけて4社まいり(上社前宮、本宮、下社春宮、秋宮)を行いました。

5月18日、二ヶ領宿河原堰にて。ど真ん中に捉えることができたコアジサシ、ノートリミング。

6月8日、多摩川近くの道路にて、巣立ちしたばかりのヒナに餌を与える親ツバメ。

7月4日、稲田中学校北側に植えられていたオニユリ。

8月11日、六花亭アートヴィレッジ 中札内美術村、相原求一朗美術館近くの林。

8月13日、朱鞠内湖。

8月16日、サロベツ原野 パンケ沼。

北海道ではこのほか、二風谷、名寄ひまわり畑、塩狩峠、興部、帯広競馬場(ばんえい十勝)を訪れました。日高町で宿泊した夜の、まさに降るような星空も忘れられません。
9月14日、多摩川宿河原河川敷にて、コミスジ。パッと見た感じは地味ですが、背中の虹色が美しい蝶です。

11月9日、生田緑地ばら苑にて。バラの花に止まったイチモンジセセリ。

12月14日、多摩川宿河原河川敷にて。突然現れたハヤブサ、オートフォーカスが速くないレンズを付けていましたが、よく間に合ってくれました。

12月29日、上田城南櫓。下から見上げるとすごい威圧感でした。

12月30日、諏訪湖(諏訪市湖畔公園)にて、カワアイサ。

12月30日、勝沼ぶどう郷駅前公園から、南アルプスと甲府盆地。 北岳、間ノ岳、農鳥岳、荒川岳、赤石岳など、南アルプスの名だたる峰々が一望できます。

#2024年#ミゾソバ#相模湾#ユキヤナギ#ホオジロ#諏訪大社#コア��サシ#ツバメ#オニユリ#中札内美術村#朱鞠内湖#サロベツ原野#コミスジ#イチモンジセセリ#ハヤブサ#上田城跡#カワアイサ#勝沼ぶどう郷
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