裕くんが三日月亭でバイトする話(タイトル)
定晴ルート入った辺りのお話。
委員会イベやら本編の描写やらとあるルートネタバレやら有。
「なぁ裕。お前、数日ここでバイトしねえか?」
「は?バイト?」
いつものように三日月亭に買い物に来ていた俺は、店長から唐突な申し出を受けた。
「お前ドニーズでバイトしてたって言ってたよな?調理スタッフとしてもやれるだろ?」
「はあ。まぁ、確かにキッチンもやってたのでやれなくはないですが。どうしたんです?随分と突然ですね」
三日月亭は店長が一人で回している。
繁盛している時間は確かに忙しそうではあるが、注文、調理、配膳と見事に捌いている。
港の食堂を稼働させていた時の俺のような状態ではとてもない。
これが経験の差というものか。
いや、それは兎も角人員を雇う必要性をあまり感じないのだがどうしたというのだろうか。
「いや、その・・・ちょっと腰が・・・な」
「腰?店長腰悪くしたんですか?ちょ、大丈夫ですか!?海堂さん呼んできましょうか?あの人ああ見えてマッサージ得意なので」
「あー・・・そういうワケじゃ、いや、元はと言えばお前らがブランコなんか・・・」
なんだかよくわからないが随分と歯切れが悪い。
腰悪くしたことがそんなに言いにくい事なのか?
言葉尻が小さくて上手く聞き取れない。
「・・・あー、海堂の旦那の事は頼む。屈んだりすると結構痛むもんでな。基本はホール、こっちが手一杯になったらキッチンもやってもらうつもりだ。で、どうだ?まかない付きで給料もしっかり出すぜ。時給は・・・こんくらいでどうだ?」
「おお・・・意外と結構な金額出しますね」
「臨時とは言えこっちから頼んでるわけだしな。その分コキ使ってやるが」
海堂さんの事を頼まれつつ、仕事内容も確認する。
まぁ、ドニーズの頃と左程変わらないだろう。お酒の提供が主、くらいの違いか。
時給もこんな離島の居酒屋とは思えない程には良い。田舎の離島で時給四桁は驚きだ。
内容的にも特に問題ない。直ぐにでも始められるだろう。
とはいえ、屋敷に世話になっている身。勝手に決められるものでもない。
「非常に魅力的ではあるんですが、即断即決とは・・・。申し訳ないですが、一度持ち帰らせてください」
「おう。言っとくが夜の居酒屋の方だからな」
「キッチンの話出しといて昼間だったらそれはそれでビックリですよ。わかりました、また明日にでも返事に来ますよ」
話を終え、買い物を済ませて三日月亭を後にする。
バイト、かぁ・・・。
夕食後。皆で食後のお茶をいただいている時に俺は話を切り出した。
夜間の外出になるのでまずは照道さんに相談するべきだし、海堂さんにもマッサージの話をしなければならない。
「成程。裕さんがやりたいと思うなら、私は反対はしませんよ。店長には日ごろからお世話になっていますし」
「ほー。ま、いいんじゃねぇの?懐があったかくなることは悪いことじゃあねえじゃねえか。マッサージの方も受けといてやるよ。店長に借り作っとくのも悪くないしな」
難しい顔をされるかと思ったが、話はあっさりと通った。
海堂さんに至っては難色を示すかと思っていたが、損得を計算したのかこちらもすんなりと了承を得た。
ちょっと拍子抜けしつつ、改めて照道さんに確認する。
「えっと、本当にいいんですか?」
「ええ。ただ、裕さんの事を考えると帰りだけは誰かしらに迎えに行ってもらった方がいいかもしれませんね」
確かに。禍月の時ではなくても、この島は気性が荒い人は少なくない。
まして居酒屋で働くのだ。店長がいるとはいえ何かしらトラブルに巻き込まれる可能性もある。
「じゃあ、俺が迎えに行くぜ。なんなら向こうで普通に飲んでてもいいしな」
お茶を啜っていた勇魚さんがニカッと笑う。
あ、湯呑が空になってる。
急須を取り、勇魚さんの湯呑にお茶を注ぎながら問い返す。
「俺は助かりますけどいいんですか?はい、お茶のおかわり」
「お、さんきゅ。いいんだよ、俺がやりてえんだから。俺なら酔いつぶれることもねえしな。それに、そういうのは旦那の仕事だろ?」
自然な流れで旦那発言が出てきて驚きつつ、その事実に一気に顔が火照る。
うん、そうなんだけど。嬉しいんだけど。そうストレートに言われると恥ずかしいというかなんというか。
「え、と・・・ありがとうございます」
「けっ、惚気は余所でやれってんだ」
「ふふ・・・」
海堂さんのヤジも、照道さんの温かな眼差しもどこか遠くに感じる。
ヤバい。凄い嬉しい。でもやっぱ恥ずかしい。
そんな思いに悶々としていると、冴さんがコトリと湯呑を置いた。
「で、バイトはいいんだけど、その間誰が私達のおつまみを用意してくれるの?」
「はっ、そういやそうだ!オイ裕!お前自分の仕事はどうする気なんだ」
冴さんの一言に、海堂さんが即座に反応する。
ええ・・・酒飲みたちへのおつまみの提供、俺の仕事になってたの・・・?
「それこそ三日月亭に飲みに来ればいいのでは・・・?」
「それも悪くはないけれど、静かに飲みたい時には向かないのよ、あそこ。それに、この髭親父を担いで帰るなんて事、か弱い乙女の私にさせるの?」
確かに三日月亭は漁師の人達がいつもいるから賑やか、というかうるさい。
ゆったり飲むには確かに向かないかもしれない。ましてや冴さんは女性だから漁師たちの視線を集めまくることだろう。
さり気なく、海堂さんを担ぐのを無理ともできないとも言わない辺りが冴さんらしい。
「ふむ。俺が裕につまみのレシピを教えてもらっておけばいいだろう。新しいものは無理だが既存のレシピであれば再現して提供できる」
「それが無難ですかね。すみません、洋一さん。今日の分、一緒に作りましょう。他にもいくつか教えておきますので」
「ああ、問題ない」
結局、洋一さんが俺の代わりにおつまみ提供をしてくれる事になり、事なきを得た。
翌日、午前中に店長へと返事をした後、島を探索。
少々の収穫もありつつ、昼過ぎには切り上げ、陽が落ち始める前には三日月亭へと足を運んでいた。
「説明は大体こんなもんか。不明な点が出てきたら逐一聞いてくれ」
「はい。多分大丈夫だと思います」
注文の仕方、調理場の決まり、会計の方法。
業務の大半はドニーズでの経験がそのまま役立ちそうだ。
むしろ、クーポンだのポイントだのない分こちらの方がシンプルで楽かもしれない。
渡されたエプロンを付けて腰紐を後ろで縛る。うん、準備は万全だ。
「さ、頼むぞルーキー」
「店長が楽できるよう努めさせてもらいますよ」
そんな軽口をたたき合いながら店を開ける。
数分も経たないうちに、入り口がガラリと音を立てた。
「いらっしゃい」
「いらっしゃいませー!」
現れたのは見慣れた凸凹コンビ。
吾郎さんと潮さんだ。
「あれ?裕?お前こんなとこで何してんだ?」
「バイト・・・えっと、店長が腰悪くしたみたいで臨時の手伝いです」
「なに、店長が。平気なのか?」
「動けないって程じゃないらしいので良くなってくと思いますよ。マッサージも頼んでありますし。それまでは短期の手伝いです」
「成程なぁ・・・」
ここで働くようになった経緯を話しつつ、カウンター近くの席へご案内。
おしぼりを渡しつつ、注文用のクリップボードを取り出す。
「ご注文は?まずは生ビールです?生でいいですよね?」
「随分ビールを推すなお前・・・まぁ、それでいいか。潮もいいか?」
「ああ、ビールでいいぞ。後は―」
少々のおつまみの注文を受けつつ、それを店長へと投げる。
「はい、店長。チキン南蛮1、鶏もも塩4、ネギま塩4、ツナサラダ1」
「おう。ほい、お通しだ」
冷蔵庫から出された本日のお通し、マグロの漬けをお盆にのせつつ、冷えたビールジョッキを用意する。
ジョッキを斜めに傾けながらビールサーバーの取っ手を手前へ。
黄金の液体を静かに注ぎながら垂直に傾けていく。
ビールがジョッキ取っ手の高さまで注がれたら奥側に向けてサーバーの取っ手を倒す。
きめ細かな白い泡が注がれ、見事な7:3のビールの完成。
うん、我ながら完璧だ。
前いたドニーズのサーバーは全自動だったから一回やってみたかったんだよなぁ、これ。
「はい、生二丁お待たせしました。こっちはお通しのマグロの漬けです」
「おう。んじゃ、乾杯ー!」
「ああ、乾杯」
吾郎さん達がビールを流し込むと同時に、入り口の引き戸が開く音がした。
そちらを向きつつ、俺は息を吸い込む。
「いらっしゃいませー!」
そんなスタートを切って、およそ2時間後。
既に席の半分は埋まり、三日月亭は盛況だ。
そんな中、またも入り口の引き戸が開き、見知った顔が入って来た。
「いらっしゃいませー!」
「おう、裕!頑張ってるみたいだな!」
「やあ、裕。店を手伝っているそうだな」
「勇魚さん。あれ、勇海さんも。お二人で飲みに来られたんですか?」
現れたのは勇魚さんと勇海さんの二人組。
俺にとっても良く見知ったコンビだ。
「勇魚から裕がここで働き始めたと聞いてな。様子見ついでに飲まないかと誘われてな」
「成程。こっちの席へどうぞ。・・・はい、おしぼりです。勇魚さんは益荒男ですよね。勇海さんも益荒男で大丈夫ですか?」
「ああ、頼むよ」
「はは、裕。様になってるぞ!」
「ありがとうございます。あまりお構いできませんがゆっくりしていってくださいね」
勇魚さんは俺の様子見と俺の迎えを兼ねて、今日はこのままここで飲むつもりなのだろう。
それで、勇海さんを誘ったと。
もう少しここにいたいが注文で呼ばれてしまっては仕方ない。
別の席で注文を取りつつ、すぐさまお酒の用意を準備をしなければ。
「いらっしゃいませー!」
「おッ、マジでいた!よう裕!遊びに来てやったぜ!」
「あれ、嵐の兄さん、照雄さんまで。何でここに?」
勇魚さん達が来てからしばらく経ったころ、店に見知った大柄な人物がやってくる。
道場の昭雄さんと嵐の兄さんだ。
「漁師連中の噂で三日月亭に新しい店員がいるって話を聞いてな」
「話を聞いて裕っぽいと思ったんだが大当たりだな!」
「確認するためだけにわざわざ・・・。ともかく、こっちの席にどうぞ。はい、おしぼりです」
働き始めたの、今日なんだけどな・・・。
田舎の噂の拡散力は恐ろしいな。
そんな事を思いつつ、2人を席に誘導する。
椅子に座って一息ついたのを確認し、おしぼりを渡しクリップボードの準備をする。
「おお。結構様になってるな。手際もいい」
「そりゃ照雄さんと違って裕は飲み込みいいからな」
「・・・おい」
照雄さんが俺を見て感心したように褒めてくれる。
何故か嵐の兄さんが誇らしげに褒めてくれるが、いつものように昭雄さん弄りも混じる。
そんな嵐の兄さんを、照雄さんが何か言いたげに半目で睨む。ああ、いつもの道場の光景だ。
「はは・・・似たようなことの経験があるので。お二人ともビールでいいですか?」
「おう!ついでに、裕が何か適当につまみ作ってくれよ」
「え!?やっていいのかな・・・店長に確認してみますね」
嵐の兄さんの提案により、店長によって「限定:臨時店員のおすすめ一品」が即座にメニューに追加されることとなった。
このおかげで俺の仕事は当社比2倍になったことを追記しておく。
後で申し訳なさそうに謝る嵐の兄さんが印象的でした。
あの銭ゲバ絶対許さねえ。
「おーい、兄ちゃん!注文ー!」
「はーい、只今ー!」
キッチン仕事の比重も上がった状態でホールもしなければならず、一気にてんてこ舞いに。
「おお、あんちゃん中々可愛い面してるなぁ!」
「はは・・・ありがとうございます」
時折本気なのか冗談なのかよくわからないお言葉を頂きつつ、適当に濁しながら仕事を進める。
勇魚さんもこっちを心配してくれているのか、心配そうな目と時折視線があう。
『大丈夫』という気持ちを込めて頷いてみせると『頑張れよ』と勇魚さんの口元が動いた。
なんかいいなァ、こういうの。
こっからも、まだまだ頑張れそうだ。
「そういえば、裕は道場で武術を学んでいるのだったか」
「おう。時たまかなり扱かれて帰って来るぜ。飲み込みが早いのかかなりの速度で上達してる。頑張り屋だよなぁ、ホント」
「ふふ、道場の者とも仲良くやっているようだな。嵐の奴、相当裕が気に入ったのだな」
「・・・おう、そうだな。・・・いい事じゃねえか」
「まるで兄弟みたいじゃないか。・・・どうした勇魚。複雑そうだな」
「勇海、お前さんわかって言ってるだろ」
「はは、どうだろうな。・・・ほら、また裕が口説かれているぞ」
「何っ!?ってオイ!勇海!」
「はははははっ!悪い。お前が何度もちらちらと裕の方を見ているのでな。あれだけ島の者を惹きつけているのだ、心配も当然だろう」
「裕を疑うわけじゃねえ。が、アイツ変なところで無防備だからよ。目を離した隙に手を出されちまうんじゃないかと気が気じゃねえんだよ」
何を話しているのかはここからじゃ聞こえないが、気安い親父たちの会話が交わされているらしい。
勇魚さんも勇海さんもなんだか楽しそうだ。
「成程な、当然だ。ふうむ・・・ならば勇魚よ、『網絡め』をしてみるか?立会人は俺がしてやろう」
「『網絡め』?なんだそりゃ」
「『網絡め』というのはだな―」
あまりにも楽しそうに会話しているので、まさかここであんな話をしているとは夢にも思わなかった。
盛大なイベントのフラグが既にここで立っていたのだが、この時点の俺にはあずかり知らぬ出来事であった。
そんなこんなで時間は過ぎ、あっという間に閉店時刻に。
店内の掃除を終え、食器を洗い、軽く明日の準備をしておく。
店長は本日の売り上げを清算しているが、傍から見ても上機嫌なのがわかる。
俺の目から見ても今日はかなり繁盛していた。
売り上げも中々良いはずだろう。
「いやぁ、やっぱお前を雇って正解だったな!調理に集中しやすいし、お前のおかげで客も増えるし財布も緩くなる!」
「おかげでこっちはクタクタですけどね・・・」
「真面目な話、本当に助かった。手際も良いしフードもいける。島にいる間定期的に雇ってもいいくらいだ。もっと早くお前の有用性に気づくべきだったな」
仕事ぶりを評価してくれているのか、便利な人材として認識されたのか。
両方か。
「俺も俺でやることがあるので定期は流石に・・・」
「ま、ひと夏の短期バイトが関の山か。ともかく、明日もよろしく頼むぜ」
「はい。店長もお大事に。また明日」
金銭管理は店長の管轄だし、もうやれることはない。
店長に挨拶をし、帰路につくことにする。
店を出ると、勇魚さんが出迎えてくれた。
「さ、帰ろうぜ、裕」
「お待たせしました。ありがとうございます、勇魚さん」
「いいって事よ」
三日月亭を離れ、屋敷までの道を二人で歩いていく。
店に居た時はあんなに騒がしかったのに、今はとても静かだ。
そんな静かな道を二人っきりで歩くのって・・・何か、いいな。
「・・・にしてもお前、よく頑張ってたな」
「いや、途中からてんてこ舞いでしたけどね。飲食業はやっぱ大変だなぁ」
「そうか?そう言う割にはよく働いてたと思うぜ?ミスもねえし仕事遅くもなかったし」
「寧ろあれを日がな一人で捌いてる店長が凄いですよ」
「はは!そりゃあ本業だしな。じゃなきゃやってけねえだろうさ」
勇魚さんに褒められるのは単純に嬉しいのだが、内心は複雑だ。
一日目にしてはそれなりにやれたという自覚もあるが、まだまだ仕事効率的にも改善点は多い。
そういう部分も無駄なくこなしている店長は、何だかんだで凄いのだ。
「にしても、この島の人達はやっぱり気さくというか・・���気安い方が多いですね」
「そう、だな・・・」
酒も入るからか、陽気になるのは兎も角、やたらとスキンシップが多かった。
肩を組んでくるとかならまだいいが、引き寄せるように腰を掴んできたり、ちょっとしたセクハラ発言が飛んできたり。
幸か不幸か海堂さんのおかげで耐性がついてしまったため、適当に流すことは出来るのだが。
「裕、お前気を付けろよ」
「はい?何がですか?」
「この島の連中、何だかんだでお前の事気に入ってる奴多いからな。こっちは心配でよ」
「勇魚さんも俺の事言えないと思いますけど・・・。大丈夫ですよ、俺は勇魚さん一筋ですから」
「お、おう・・・」
勇魚さんは俺の事が心配なのか、どこか不安そうな顔で俺を見る。
モテ具合で言ったら寧ろ勇魚さんの方が凄まじい気がするので俺としてはそっちの方が心配だ。
でも、その気遣いが、寄せられる想いが嬉しい。
その温かな気持ちのまま、勇魚さんの手を握る。
一瞬驚いた顔をした勇魚さんだが、すぐさま力強く握り返される。
「へへっ・・・」
「あははっ」
握った手から、勇魚さんの熱が伝わってくる。
あったかい。手も。胸も。
温かな何かが、胸の奥から止まることなく滾々と湧き出てくるようだ。
なんだろう。今、すごく幸せだ。
「なぁ、裕。帰ったら風呂入って、その後晩酌しようぜ」
「閉店直前まで勇海さんと結構飲んでましたよね?大丈夫なんですか?」
「あんくらいじゃ潰れもしねえさ。な、いいだろ。ちょっとだけ付き合ってくれよ」
「全くもう・・・。わかりましたよ。つまむもの何かあったかなぁ」
という訳でお風呂で汗を流した後、縁側で勇魚さんとちょっとだけ晩酌を。
もう夜も遅いので、おつまみは火を使わない冷奴とぬか漬けと大根おろしを。
「お待たせしました」
「おっ、やっこにぬか漬けに大根おろしか。たまにはこういうのもいいなあ」
「もう夜遅いですからね。火をつかうものは避けました」
火を使っても問題は無いのだが、しっかりと料理を始めたら何処からかその匂いにつられた輩が来る可能性もある。
晩酌のお誘いを受けたのだ。
どうせなら二人きりで楽しみたい。
「お、このぬか漬け。よく漬かってんな。屋敷で出してくれるのとちと違う気がするが・・・」
「千波のお母さんからぬか床を貰いまして。照道さんには、俺個人で消費して欲しいと言われてますので・・・」
「ああ、ぬか床戦争って奴だな!この島にもあんのか」
ぬか漬け、美味しいんだけどその度に沙夜さんと照道さんのあの時の圧を思い出して何とも言えない気分になるんだよなぁ。
こうして勇魚さんにぬか漬けを提供できる点に関しては沙夜さんに感謝なんだけど。
というかぬか床戦争なんて単語、勇魚さんの口から出ることに驚きを感じますよ・・・。
他の地域にもあるのか?・・・いや、深く考えないようにしよう。
「そういえば前にからみ餅食べましたけど、普通の大根おろしも俺は好きですねえ」
「絡み・・・」
大根おろしを食べていると白耀節の時を思い出す。
そういえば勇魚さんと海堂さんでバター醤油か砂糖醬油かで争ってたこともあったなぁ。
と、先ほどまで饒舌に喋っていた勇魚さんが静かになったような気がする。
何があったかと思い勇魚さんを見ると、心なしか顔が赤くなっているような気がする。
「勇魚さん?どうしました?やっぱりお酒回ってきました?」
「いや・・・うん。なんでもねえ、気にすんな!」
「・・・???まぁ、勇魚さんがそう言うなら」
ちょっと腑に落ちない感じではあったが、気にしてもしょうがないだろう。
そこから小一時間程、俺は勇魚さんとの晩酌を楽しんだのであった。
翌日、夕方。
三日月亭にて―
「兄ちゃん!注文いいかー?この臨時店員のおすすめ一品っての2つ!」
「こっちにも3つ頼むぜー」
「はーい、今用意しまーす!ちょ、店長!なんか今日やたら客多くないですか!?」
「おう、ビビるぐらい客が来るな。やっぱりお前の効果か・・・?」
もうすぐ陽が沈む頃だと言うのに既に三日月亭は大盛況である。
昨日の同時刻より明らかに客数が多い。
ちょ、これはキツい・・・。
「ちわーっとぉ、盛況だなオイ」
「裕ー!面白そうだから様子見に来たわよー」
「・・・大変そうだな、裕」
そんな中、海堂さんと冴さん、洋一さんがご来店。
前二人は最早冷やかしじゃないのか。
「面白そうって・・・割と混んでるのであんまり構えませんよ。はい、お通しとビール」
「いいわよォ、勝手にやってるから。私、唐揚げとポテトサラダね」
「エイヒレ頼むわ。後ホッケ」
「はいはい・・・」
本日のお通しである卯の花を出しながらビールジョッキを3つテーブルに置く。
この二人、頼み方が屋敷の時のソレである。
ぶれなさすぎな態度に実家のような安心感すら感じr・・・いや感じないな。
何だ今の感想。我が事ながら意味がわからない。
「裕。この『限定:臨時店員のおすすめ一品』というのは何だ?」
「俺が日替わりでご用意する一品目ですね。まぁ、色々あってメニューに追加になりまして」
「ふむ。では、俺はこの『限定:臨時店員のおすすめ一品』で頼む」
「お出しする前にメニューが何かもお伝え出来ますよ?」
「いや、ここは何が来るかを期待しながら待つとしよう」
「ハードル上げるなァ。唐揚げ1ポテサラ1エイヒレ1ホッケ1おすすめ1ですね。店長、3番オーダー入りまーす」
他の料理は店長に投げ、俺もキッチンに立つ。
本日のおすすめは鯵のなめろう。
処理した鯵を包丁でたたいて細かく刻み、そこにネギと大葉を加えてさらに叩いて刻む。
すりおろしたにんにくとショウガ、醤油、味噌、を加え更に細かく叩く。
馴染んだら下に大葉を敷いて盛り付けて完成。
手は疲れるが、結構簡単に作れるものなのだ。
そうして用意したなめろうを、それぞれのテーブルへと運んでいく。
まだまだピークはこれからだ。気合い入れて頑張ろう。
そう気合を入れ直した直後にまたも入り口の引き戸が音を立てたのであった。
わぁい、きょうはせんきゃくばんらいだー。
「おーい裕の兄ちゃん!今日も来たぜ!」
「いらっしゃいませー!連日飲んでて大丈夫なんですか?明日も朝早いんでしょう?」
「はっは、そんくらいで漁に行けない軟弱な野郎なんざこの打波にはいねえさ」
「むしろ、お前さんの顔見て元気になるってもんだ」
「はァ、そういうもんですか?とは言え、飲み過ぎないように気を付けてくださいね」
「なぁあんちゃん。酌してくれよ」
「はいはい、只今。・・・はい、どうぞ」
「っかー!いいねぇ!酒が美味ぇ!」
「手酌よりかはマシとは言え、野郎の酌で変わるもんです?」
「おうよ!あんちゃんみたいな可愛い奴に酌されると気分もいいしな!あんちゃんなら尺でもいいぜ?」
「お酌なら今しているのでは・・・?」
「・・・がはは、そうだな!」
「おい、兄ちゃんも一杯どうだ?飲めない訳じゃねえんだろ?」
「飲める歳ではありますけど仕事中ですので。皆さんだってお酒飲みながら漁には出ないでしょう?」
「そらそうだ!悪かったな。・・・今度、漁が終わったら一緒に飲もうぜ!」
「はは、考えておきますね」
ただのバイトに来ている筈なのに、何だか何処ぞのスナックのママみたいな気分になってくる。
それも、この島の人達の雰囲気のせいなのだろうか。
「あいつすげぇな。看板娘みてぇな扱いになってんぞ」
「流石裕ね。二日目にして店の常連共を掌握するとは。崇といい、これも旺海の血なのかしら?」
「もぐもぐ」
「さぁな。にしても、嫁があんなモテモテだと勇魚の野郎も大変だねぇ」
「裕の相手があの勇魚だって知った上で尚挑めるのかが見ものね」
「もぐもぐ」
「洋一、もしかしてなめろう気に入ったのか?」
「・・・うまい。巌もどうだ?」
「お、おう」
料理を運んでいる途中、洋一さんがひたすらなめろうを口に運んでいるのが目に入る。
もしかして、気に入ったのかな?
そんな風にちょっとほっこりした気持ちになった頃、嵐は唐突に現れた。
嵐の兄さんじゃないよ。嵐の到来って奴。
「おーう裕。頑張っとるようじゃのう」
「あれ、疾海さん?珍しいですね、ここに来るなんて」
「げ、疾海のジジィだと!?帰れ帰れ!ここにはアンタに出すもんなんてねぇ!裕、塩持って来い塩!」
勇海さんのお父さんである疾海さんが来店。
この人がここにやってくる姿はほとんど見たことがないけれど、どうしたんだろう。
というか店長知り合いだったのか。
「なんじゃ店主、つれないのう。こないだはあんなに儂に縋り付いておったというのに」
「バッ・・・うるせェ!人の体好き放題しやがって!おかげで俺は・・・!」
「何言っとる。儂はちょいとお前さんの体を開いただけじゃろが。その後に若い衆に好き放題されて悦んどったのはお前さんの方じゃろ」
あー・・・そういう事ね。店長の腰をやった原因の一端は疾海さんか。
うん、これは聞かなかったことにしておこう。
というか、あけっぴろげに性事情を暴露されるとか店長が不憫でならない。
「のう、裕よ。お主も興味あるじゃろ?店主がどんな風に儂に縋り付いてきたか、その後どんな風に悦んでおったか」
「ちょ、ジジィてめぇ・・・」
「疾海さん、もうその辺で勘弁してあげてくださいよ。店長の腰がやられてるのは事実ですし、そのせいで俺が臨時で雇われてるんですから。益荒男でいいですか?どうぞ、そこの席にかけてください」
「おい、裕!」
「店長も落ち着いて。俺は何も見てませんし聞いてません。閉店までまだまだ遠いんですから今体力使ってもしょうがないでしょう。俺が疾海さんの相手しますから」
「―ッ、スマン。頼んだぞ、裕」
店長は顔を真っ赤にして逃げるようにキッチンへと戻っていった。
うん、あの、何て言うか・・・ご愁傷様です。
憐れみの視線を店長に送りつつお通しと益荒男を準備し、疾海さんの席へと提供する。
「よう店主の手綱を握ったのう、裕。やるもんじゃな」
「もとはと言えば疾海さんが店長をおちょくるからでしょう。あんまりからかわないでくださいよ」
にやにやと笑う疾海さんにため息が出てくる。
全く・・・このエロ爺は本当、悪戯っ子みたいな人だ。
その悪戯が天元突破したセクハラばかりというのもまた酷い。
しかも相手を即落ち、沈溺させるレベルのエロ技術を習得しているからなおさら性質が悪い。
「にしても、裕。お前さんもいい尻をしておるのう。勇魚の竿はもう受けたか?しっかりと耕さんとアレは辛いじゃろうて」
おもむろに尻を揉まれる。いや、揉みしだかれる。
しかも、その指が尻の割れ目に・・・ってオイ!
「―ッ!」
脳が危険信号を最大限に発し、半ば反射的に体が動く。
右手で尻を揉みしだく手を払いのけ、その勢いのまま相手の顔面に左の裏拳を叩き込む!
が、振り抜いた拳に手ごたえは無く、空を切ったのを感じる。
俺は即座に一歩下がり、構えを解かずに臨戦態勢を維持。
チッ、屈んで避けたか・・・。
「っとぉ、危ないのう、裕。儂の男前な顔を台無しにするつもりか?」
「うるせえジジイおもてでろ」
「ほう、その構え・・・。成程、お前さん辰巳の孫のとこに師事したんか。道理で覚えのある動きじゃ。じゃが、キレがまだまだ甘いのう」
かなりのスピードで打ち込んだ筈なのに易々と回避されてしまった。
やはりこのジジイ只者ではない。
俺に攻撃をされたにも関わらず、にやにやとした笑いを崩さず、のんびりと酒を呷っている。
クソッ、俺にもっと力があれば・・・!
「おい裕、どうした。何か擦れた音が、ってオイ。マジでどうした!空気が尋常じゃねぇぞ!?」
店内に突如響いた地面を擦る音に、店長が様子を見に来たようだ。
俺の状態に即座に気づいたようで、後ろから店長に羽交い締めにされる。
「店長どいてそいつころせない」
「落ち着け!何があったか想像はつくが店ん中で暴れんな!」
「かかかっ!可愛い奴よな、裕。さて、儂はまだ行くところがあるでの。金はここに置いとくぞ」
俺が店長に止められている間に、エロ爺は笑いながら店を後にした。
飲み食い代よりもかなり多めの金額が置かれているのにも腹が立つ。
「店長!塩!」
「お、おう・・・」
さっきとはまるきり立場が逆である。
店の引き戸を力任せにこじ開け、保存容器から塩を鷲掴む。
「祓い給え、清め給え!!消毒!殺菌!滅菌ッ!!!」
適当な言葉と共に店の前に塩をぶちまける。
お店の前に、白い塩粒が散弾のように飛び散った。
「ふー、ふー、ふーッ!・・・ふぅ」
「・・・落ち着いたか?」
「・・・ええ、何とか」
ひとしきり塩をぶちまけるとようやく気持ちが落ち着いてきた。
店長の気遣うような声色に、何ともやるせない気持ちになりながら返答する。
疲労と倦怠感に包まれながら店の中に戻ると、盛大な歓声で出迎えられる。
「兄さん、アンタやるじゃねぇか!」
「うおッ!?」
「疾海のじいさんにちょっかいかけられたら大体はそのまま食われちまうのに」
「ひょろっちい奴だと思ってたがすげえ身のこなしだったな!惚れ惚れするぜ!」
「あ、ありがとうございます・・・はは・・・」
疾海さんは俺と勇魚さんの事を知っているから、単にからかってきただけだろうとは思っている。
エロいし奔放だし子供みたいだが、意外と筋は通すし。
あくまで「比較的」通す方であって手を出さない訳ではないというのが困りものではあるが。
そんな裏事情をお客の人達が知っている訳もなく、武術で疾海さんを退けたという扱いになっているらしい。
けど、あのジジイが本気になったら俺の付け焼刃な武術じゃ相手にならない気がする。
さっきの物言いを考えると辰馬のおじいさんとやりあってたって事になる。
・・・うん、無理そう。
「おっし!そんなあんちゃんに俺が一杯奢ってやろう!祝杯だ!」
「いいねえ!俺も奢るぜ兄ちゃん!」
「抜け駆けすんな俺も奢るぞ!」
「ええっ!?いや、困りますって・・・俺、仕事中ですし・・・」
「裕、折角なんだし受けておきなさいな」
どうしようかと途方に暮れていると、いつの間にか冴さんが隣に来ていた。
と、それとなく手の中に器のようなものを握らされた。
「冴さん。あれ、これって・・・」
横目でちらりと見ると『咲』の字が入った器。
これ、咲夜��盃・・・だよな?
「腕も立って酒にも強いと知っとけば、あの連中も少しは大人しくなるでしょ。自衛は大事よ」
「はぁ・・・自衛、ですか」
「後でちゃんと返してね」
これって確か、持ってるだけで酒が強くなるって盃だったっけ。
その効果は一度使って知っているので、有難く使わせてもらうとしよう。
店長もこっちのやりとりを見ていたのか何も言うこと無く調理をしていた。
「おっ、姐さんも一緒に飲むかい!?」
「ええ。折角だから裕にあやからせてもらうわ。さぁ、飛ばしていくわよ野郎共ー!」
「「「「おおーっ!!」」」」
「お、おー・・・」
その後、ガンガン注がれるお酒を消費しつつ、盃を返す、を何度か繰り返すことになった。
途中からは冴さんの独壇場となり、並み居る野郎共を悉く轟沈させて回っていた。
流石っス、姐さん。
ちなみに俺は盃のご利益もあり、その横で飲んでいるだけで終わる事になった。
そんな一波乱がありつつも、夜は更けていったのだった。
そんなこんなで本日の営業終了時刻が近づいてくる。
店内には冴さん、海堂さん、洋一さんの3人。
冴さんはいまだ飲んでおり、その底を見せない。ワクなのかこの人。
海堂さんはテーブルに突っ伏してイビキをかいており、完全に寝てしまっている。
洋一さんはそんな海堂さんを気にしつつ、お茶を啜っている。
あんなにいた野郎共も冴さんに轟沈させられた後、呻きながら帰って行った。
明日の仕事、大丈夫なんだろうか・・・。
後片付けや掃除もほぼ終わり、後は冴さん達の使っているテーブルだけとなった時、入り口が壊れそうな勢いで乱暴に開いた。
「裕ッ!」
「うわっ、びっくりした。・・・勇魚さん、お疲れ様です」
入り口を開けて飛び込んできたのは勇魚さんだった。
いきなりの大声にかなり驚いたが、相手が勇魚さんとわかれば安心に変わる。
だが、勇魚さんはドスドスと近づいてくると俺の両肩をガシリと掴んだ。
「オイ裕!大丈夫だったか!?変な事されてねえだろうな!」
勇魚さんにしては珍しく、かなり切羽詰まった様子だ。
こんなに心配される事、あったっけ・・・?
疑問符が浮かぶがちらりと見えた勇海さんの姿にああ、と納得する。
というか苦しい。掴まれた肩もミシミシ言ってる気がする。
「うわっ!?大丈夫、大丈夫ですって。ちょ、勇魚さん苦しいです」
「お、おう。すまねえ・・・」
宥めると少し落ち着いたのか、手を放してくれる。
勇魚さんに続いて入って来た勇海さんが、申し訳なさそうに口を開いた。
「裕、すまないな。親父殿が無礼を働いたそうだな」
「勇海さんが気にすることではないですよ。反撃もしましたし。まぁ、逃げられたんですけど」
「裕は勇魚のつがいだと言うのに、全く仕方のないことだ。親父殿には私から言い聞かせておく。勘弁してやって欲しい」
「疾海さんには『次やったらその玉潰す』、とお伝えください」
「ははは、必ず伝えておくよ」
俺の返答に納得したのか、勇海さんは愉快そうに笑う。
本当にその時が来た時の為に、俺も更なる修練を積まなければ。
・・・気は進まないけど、辰馬のおじいさんに鍛えてもらう事も視野に入れなければならないかもしれない。
「裕、今日はもう上がっていいぞ。そいつら連れて帰れ」
「え、いいんですか?」
「掃除も殆ど終わってるしな。色々あったんだ、帰って休んどけ」
俺に気を遣ってくれたのか、はたまたさっさと全員を返したかったのか、店長から退勤の許可が出た。
ここは有難く上がらせてもらおう。色々あって疲れたのは事実だ。
「じゃあ、折角ですので上がらせてもらいます。お疲れ様でした」
「おう。明日も頼むぞ」
店長に挨拶をし、皆で店を出る。
勇海さんはここでお別れとなり、俺、勇魚さん、冴さん、海堂さん、洋一さんの5人で帰る。
寝こけている海堂さんは洋一さんが背負っている。
「裕、ホントに他に何も無かったんだろうな!?」
「ですから、疾海さんにセクハラ受けただけですって。その後は特に何も無かったですし・・・」
で、帰り道。勇魚さんに詰問されております。
心配してくれるのはとても嬉しい。
嬉しいんだけど、過剰な心配のような気もしてちょっと気おくれしてしまう。
「俺に気を遣って嘘ついたりすんじゃねえぞ」
「冴さん達も一緒にいたのに嘘も何もないんですが・・・」
「裕の言ってる事に嘘はないわよ。疾海の爺さんに尻揉まれてたのも事実だけど」
「・・・思い出したら何か腹立ってきました。あのジジイ、次に会ったら確実に潰さなきゃ」
被害者を減らすにはその大本である性欲を無くすしかないかな?
やっぱり金的か。ゴールデンクラッシュするしかないか。
あの驚異的な回避力に追いつくためにはどうすればいいか・・・。
搦め手でも奇襲なんでもいい、当てさえすればこちらのものだろう。
そう思いながら突きを繰り出し胡桃的な何かを握り潰す動作を数回。
駄目だな、やっぱりスピードが足りない。
「成程、金的か」
「裕、その、ソイツは・・・」
洋一さんは俺の所作から何をしようとしているかを読み取ったようだ。
その言葉にさっきまで心配一色だった勇魚さんの顔色変わる。
どうしました?なんで微妙に股間を押さえて青ざめてるんです?
「冴さん。こう、男を不能寸前まで追い込むような護身術とかないですかね?」
「あるにはあるけど、そういうの覚えるよりもっと確実な方法があるわよ」
「え?」
「勇魚。アンタもっと裕と一緒にいなさい。で、裕は俺の嫁アピールしときなさい」
嫁。勇魚さんのお嫁さん。
うん、事実そうなんだけどそれを改めて言われるとなんというか。
嬉しいんだけど、ねぇ?この照れくさいような微妙な男心。
「裕。頬がだいぶ紅潮しているようだが大丈夫か?」
「だ、大丈夫です。何というか、改めて人に言われると急に、その・・・」
「ふむ?お前が勇魚のパートナーである事は事実だろう。港の方でも知れ渡っていると聞いている。恥ずべきことではないと思うが?」
「恥ずかしいんじゃなくて嬉しくも照れくさいというか・・・」
「・・・そういうものか。難しいものだな」
洋一さんに指摘され、更に顔が赤くなる。
恥ずかしいわけじゃない。むしろ嬉しい。
でも、同じくらい照れくささが湧き上がってくる。
イカン、今凄い顔が緩みまくってる自覚がある。
「流石にアンタ相手に真正面から裕に手を出す輩はいないでしょう。事実が知れ渡れば虫よけにもなって一石二鳥よ」
「お、おお!そうだな!そっちの方が俺も安心だ!うん、そうしろ裕!」
冴さんの案に我が意を得たりといった顔の勇魚さん。
妙に食いつきがいいなァ。
でも、それって四六時中勇魚さんと一緒にいろって事では?
「勇魚さんはそれでいいんですか?対セクハラ魔の為だけに勇魚さんの時間を割いてもらうのは流石にどうかと思うんですが」
「んなこたあねえよ。俺だってお前の事が心配なんだ。これくらいさせてくれよ」
「そう言われると断れない・・・」
申し訳ない旨を伝えると、純粋な好意と気遣いを返される。
実際勇魚さんと一緒に居られるのは嬉しいし、安心感があるのも事実だ。
「裕、あんたはあんたで危機感を持った方がいいわよ」
「危機感、といいますとやっぱりセクハラ親父やセクハラ爺の対処の話ですか?」
冴さんの言葉に、2人の男の顔が思い浮かぶ。
悪戯、セクハラ、煽りにからかい。あの人たちそういうの大好きだからなぁ。
でも、だいぶ耐性はついたし流せるようになってきたと思ってるんだけど。
「違うわよ。いやある意味同じようなモンか」
「客だ、裕」
「客?お店に来るお客さんって事ですか?」
え、海堂さんとか疾海さんじゃないのか。
そう思っていると意外な答えが洋一さんの方から返って来た。
客の人達に何かされたりは・・・ない筈だったけど。
「店にいた男たちはかなりの人数が裕を泥酔させようと画策していたな。冴が悉くを潰し返していたが」
「何っ!?」
「え!?洋一さん、それどういう・・・」
何その事実今初めて知った。どういうことなの。
「今日店に居た男たちは皆一様にお前をターゲットとしていたようだ。やたらお前に酒を勧めていただろう。お前自身は仕事中だと断っていたし、店長もお前に酒がいかないようそれとなくガードしていた。だがお前が疾海を撃退したとなった後、躍起になるようにお前に飲ませようとしていただろう。だから冴が向かったという訳だ」
「疾海の爺さん、なんだかんだでこの島でもかなりの手練れみたいだしね。物理でだめならお酒でって寸法だったみたいね」
「えっと・・・」
「食堂に来てた立波さん、だったかしら。ここまで言えばわかるでしょ?店長も何だかんだでそういう事にならないよう気を配ってたわよ」
あァ、成程そういう事か。ようやく俺も理解した。
どうやら俺は三日月亭でそういう意味での好意を集めてしまったという事らしい。
で、以前店長が言っていた「紳士的でない方法」をしようとしていたが、疾海さんとのやりとりと冴さんのおかげで事なきを得たと、そういう事か。
「えー・・・」
「裕・・・」
勇魚さんが俺を見る。ええ、心配って顔に書いてますね。
そうですね、俺も逆の立場だったら心配しますよ。
「なあ裕。明日の手伝いは休んどけ。店には俺が行くからよ」
「いや、そういうワケにもいかないでしょう。勇魚さん、魚は捌けるでしょうけど料理できましたっけ?」
「何、料理ができない訳じゃねえ・・・なんとかなるだろ」
あっけらかんと笑う勇魚さんだが、俺には不安要素しかない。
確かに料理ができない訳じゃないけど如何せん漢の料理だ。店長の補助とかができるかと言うと怪しい。
この島に来てからの勇魚さんの功績をふと思い返す。
餅つき・・・臼・・・ウッアタマガ。
・・・ダメだ、食材ごとまな板真っ二つにしそうだし、食器を雑に扱って破壊しそうな予感しかしない。
勇魚さんの事だからセクハラされたりもしそうだ。
ダメダメ、そんなの俺が許容しません。
「様々な観点から見て却下します」
「裕ぅ~・・・」
そんなおねだりみたいな声したって駄目です。
却下です却下。
「裕、ならば俺が行くか?」
「お願いしたいのは山々なんですが洋一さんは明日北の集落に行く予定でしたよね。時間かかるって仰ってたでしょう?」
「ふむ。ならば巌に―」
「いえ、海堂さんには店長のマッサージもお願いしてますしこれ以上は・・・」
洋一さんが申し出てくれるが、洋一さんは洋一さんで抱えてる事がある。
流石にそれを曲げてもらうわけにはいかない。
海堂さんなら色んな意味で文句なしの人材ではあるのだが、既にマッサージもお願いしている。
それに、迂闊に海堂さんに借りを作りたくない。後が怖い。
「洋一も無理、巌も無理とするならどうするつもりなんだ?高瀬か?」
「勇魚さん、三日月亭の厨房を地獄の窯にするつもりですか?」
「失礼ねェ。頼まれてもやらないわよ」
勇魚さんからまさかの選択が投げられるがそれは無理。
冴さんとか藤馬さんに立たせたら三日月亭から死人が出る。三日月亭が営業停止する未来すらありえる。
頼まれてもやらないと冴さんは仰るが、「やれないからやらない」のか「やりたくないからやらない」のかどっちなんだ。
「明日も普通に俺が行きますよ。ついでに今後についても店長に相談します」
「それが一番ね。店長も裕の状況に気づいてるでしょうし」
「巌の話だとマッサージのおかげかだいぶ良くなってきているらしい。そう長引きはしないだろう」
「後は勇魚がガードすればいいのよ」
「おう、そうか。そうだな」
そんなこんなで話も固まり、俺達は屋敷に到着した。
明日は何事もなく終わってくれればいいんだけど・・・。
そんな不安も抱えつつ、夜は過ぎていった。
そしてバイト三日目。
俺は少し早めに三日月亭へと来ていた。
「ああ、だよなぁ。すまんな、そっちの可能性も考えてなかったワケじゃ無いんだが・・・そうなっちまうよなあ」
俺の状況と今後の事を掻い摘んで説明すると、店長は疲れたように天井を仰ぐ。
「何というか・・・すみません。腰の具合はどうです?」
別に俺が何かをしたわけではないけれど、状況の中心にいるのは確かなので申し訳ないとは思う。
「海堂の旦那のおかげでだいぶ良くなった。もう一人でも回せそうだ。何なら今日から手伝わなくてもいいんだぞ?」
店長はそう言うが、完治しているわけでもない。
悪化するわけではないだろうが気になるのも事実。
なので、昨日のうちに勇魚さんと決めていた提案を出すことにする。
「でも全快というわけでもないんでしょう?引き受けたのは自分です。勇魚さんもいますし、せめて今日までは手伝わせてくださいよ」
「心意気はありがてえが・・・。わかった、面倒ごとになりそうだったらすぐさま離れろよ?勇魚の旦那も頼むぜ」
「おう!」
「はい!さ、今日も頑張りましょう!」
昨日話した通り今日は開店から勇魚さんも店に居てくれる。
万が一な状態になれば即座に飛んできてくれるだろう。
それだけで心の余裕も段違いだ。
「裕、無理すんなよ」
「わかってますよ。勇魚さんも、頼みますね」
「おう、任せときな!」
勇魚さんには店内を見渡せる席に座ってもらい、適当に時間を潰してもらう。
俺は店長と一緒に仕込みを始めながら新メニューの話も始める。
途中、勇魚さんにビールとお通しを出すのも忘れずに。
「新しいメニュー、どうすっかねぇ」
「今日の一品、新レシピも兼ねてゴーヤーチャンプルーでいこうかと思うんですよ」
「ほー。確かに苦瓜なら栽培してるとこはそこそこあるしな。行けるだろう」
「スパム缶は無くても豚肉や鶏肉でいけますからね。肉が合わないなら練り物やツナでも大丈夫です。材料さえあれば炒めるだけってのも高ポイント」
「肉に卵にと寅吉んとこには世話になりっぱなしだな。だが、いいねえ。俺も久しぶりにチャンプルーとビールが恋しくなってきやがった」
「後で少し味見してくださいよ。島の人達の好み一番把握してるの店長なんだから。・・・でも、やっぱり新メニュー考えるのは楽しいな」
「・・・ったく、面倒ごとさえ無けりゃあこのまま働いてもらえるってのに。無自覚に野郎共の純情を弄びやがって」
「それ俺のせいじゃないですよね・・・」
調理実習をする学生みたいにわいわい喋りながら厨房に立つ俺達を、勇魚さんはニコニコしながら見ている。
あ、ビールもう空きそう。おかわりいるかな?
そんな風に営業準備をしていると時間はあっという間に過ぎ去り、開店時間になる。
開店して数分も経たないうちに、店の引き戸がガラリと開いた。
「いらっしゃいませー!」
「裕、お前まだここで働いてたのか」
「潮さん、こんばんは。今日までですけどね。あくまで臨時なので」
「ふむ、そうか。勇魚の旦那もいるのか」
「おう、潮。裕の付き添いでな」
「・・・ああ、成程な。それは確かに必要だ」
「おっ、今日も兄ちゃんいるのか!」
「いらっしゃいませ!ははは、今日で終わりなんですけどね」
「そうなのか!?寂しくなるなぁ・・・。なら、今日こそ一杯奢らせてくれよ」
「一杯だけならお受けしますよ。それ以上は無しですからね」
「裕の兄ちゃん!今日でいなくなっちまうって本当か!?」
「臨時ですので。店長の具合もよくなりましたし」
「兄ちゃんのおすすめ一品、好きだったんだけどよ・・・」
「はは、ありがとうございます。今日も用意してますから良かったら出しますよ」
「おう、頼むぜ!」
続々とやってくる常連客を捌きつつ、厨房にも立つ。
店長の動きを見てもほぼ問題ない。治ってきてるのも事実のようだ。
時折お客さんからの奢りも一杯限定で頂く。
今日は以前もらった方の咲夜の盃を持ってきているので酔う心配もない。
「おう、裕のあんちゃん!今日も来たぜ!」
「い、いらっしゃいませ・・・」
再びガラリと入り口が空き、大柄な人物がドスドスと入ってくる。
俺を見つけるとがっしと肩を組まれる。
日に焼けた肌が特徴の熊のような人だ。名前は・・・確か井灘さん、だったかな?
初日に俺に可愛いと言い、昨日は酌を頼まれ、冴さんに潰されてた人だ。
スキンシップも多く、昨日の一件を考えると警戒せざるを得ない。
取り合えず席に案内し、おしぼりを渡す。
「ガハハ、今日もあんちゃんの可愛い顔が見れるたぁツイてるな!」
「あ、ありがとうございます。注文はどうしますか?」
「まずはビール。食いモンは・・・そうさな、あんちゃんが適当に見繕ってくれよ」
「俺が、ですか。井灘さんの好みとかわかりませんけど・・・」
「大丈夫だ。俺、食えねえもんはねえからよ。頼むぜ!」
「はあ・・・分かりました」
何か丸投げされた感が凄いが適当に三品程見繕って出せばいいか。
ついでだからゴーヤーチャンプルーも試してもらおうかな。
そんな事を考えながら、俺は井灘さんにビールとお通しを出す。
「む・・・」
「どうした旦那。ん?アイツ、井灘か?」
「知ってるのか、潮」
「ああ。俺達とは違う港の漁師でな。悪い奴では無いんだが、気に入った奴にすぐ手を出すのが玉に瑕でな」
「そうか・・・」
「旦那、気を付けた方がいいぞ。井灘の奴、あの様子じゃ確実に裕に手を出すぞ」
「・・・おう」
こんな会話が勇魚さんと潮さんの間でなされていたとはつゆ知らず。
俺は店長と一緒に厨房で鍋を振っていた。
「はい、井灘さん。お待たせしました」
「おう、来た来た」
「つくね、ネギま、ぼんじりの塩の串盛り。マグロの山かけ。そして今日のおすすめ一品のゴーヤーチャンプルーです」
「いいねえ、流石あんちゃん。で、なんだそのごーやーちゃんぷうるってのは?」
「内地の料理ですよ。苦瓜と肉と豆腐と卵の炒め物、ってとこでしょうか。(厳密には内地の料理とはちょっと違うけど)」
「ほー苦瓜。滅多に食わねえが・・・あむ。うん、美味え!美味えぞあんちゃん!」
「それは良かった」
「お、美味そうだな。兄ちゃん、俺にもそのごーやーちゃんぷうるってのくれよ」
「俺も!」
「はいはい、ただいま」
井灘さんが美味しいと言ってくれたおかげで他の人もゴーヤーチャンプルーを頼み始める。
よしよし、ゴーヤーチャンプルーは当たりメニューになるかもしれない。
そう思いながら厨房に引っ込んでゴーヤーを取り出し始めた。
それからしばらくして井灘さんから再びゴーヤーチャンプルーの注文が入る。
気に入ったのだろうか。
「はい、井灘さん。ゴーヤーチャンプルー、お待たせ」
「おう!いやー美味えな、コレ!気に入ったぜ、ごーやーちゃんぷうる!」
「あはは、ありがとうございます」
自分の料理を美味い美味いと言ってもりもり食べてくれる様はやっぱり嬉しいものだ。
作る側冥利に尽きる。
が、作ってる最中に店長にも「アイツは気を付けとけ」釘を刺されたので手放しに喜ぶわけにもいかない。
「毎日こんな美味いモン食わせてくれるなんざあんちゃんと一緒になる奴は幸せだなあ!」
「はは・・・ありがとう、ございます?」
「あんちゃんは本当に可愛い奴だなあ」
屈託ない笑顔を向けてくれるのは嬉しいんだけど、何だか話の方向が急に怪しくなってきたぞ。
「おい、裕!早く戻ってきてこっち手伝え!」
「ッ、はーい!じゃあ井灘さん、俺仕事に戻るので・・・」
こっちの状況を察知したのか、店長が助けを出してくれる。
俺も即座に反応し、戻ろうと足を動かす。
が、その前に井灘さんの腕が俺の腕を掴む。
あ、これは・・・。
「ちょ、井灘さん?」
「なあ、裕のあんちゃん。良けりゃ、俺と・・・」
急に井灘さんの顔が真面目な顔になり、真っ直ぐに俺を見据えてくる。
なんというか、そう、男の顔だ。
あ、俺こういう顔に見覚えある。
そう、勇魚さんの時とか、立浪さんの時とか・・・。
逃げようと思うも腕をガッチリとホールドされ、逃げられない。
・・・ヤバイ。そう思った時だった。
俺と井灘さんの間に、ズイと体を割り込ませてきた見覚えのあるシャツ姿。
「なあ、兄さん。悪いがこの手、離してくんねえか?」
「勇魚さん・・・」
低く、優しく、耳をくすぐる声。
この声だけで安堵感に包まれる。
言葉は穏やかだが、どこか有無を言わせない雰囲気に井灘さんの眉間に皺が寄る。
「アンタ・・・確か、内地の客だったか。悪いが俺の邪魔・・・」
「裕も困ってる��頼むぜ」
「おい、アンタ・・・う、腕が動かねえ!?」
井灘さんも結構な巨漢で相当な力を込めているのがわかるが、勇魚さんの手はびくともしない。
勇魚さんの怪力はよく知ってはいるけど、こんなにも圧倒的なんだなあ。
「こいつ、俺の大事な嫁さんなんだ。もし、手出しするってんなら俺が相手になるぜ」
そう言って、勇魚さんは俺の方をグッと抱き寄せる。
抱き寄せられた肩口から、勇魚さんの匂いがする。
・・・ヤバイ。勇魚さん、カッコいい。
知ってたけど。
知ってるのに、凄いドキドキする。
「っ・・・ガハハ、成程!そいつは悪かったな、旦那!」
「おう、分かってくれて何よりだぜ。さ、裕。店長が呼んでるぜ」
「あ、ありがとうございます勇魚さん。井灘さん、すみませんけどそういう事なので・・・」
勇魚さんの言葉に怒るでもなく、井灘さんは納得したようにあっさりと手を放してくれた。
井灘さんに謝罪しつつ、促されるまま厨房へと戻る。
「おお!あんちゃんも悪かったな!旦那、詫びに一杯奢らせてくれや!」
「おう。ついでに裕のどこが気に入ったのか聞かせてくれよ」
漁師の気質なのかはたまた勇魚さんの人徳なのか。
さっきの空気はどこへやら、そのまま親し気に話始める2人。
「ちょ、勇魚さん!」
「いいぜ!旦那とあんちゃんの話も聞かせてくれよ!」
「井灘さんまで!」
「おい裕!いつまで油売ってんだ、こっち手伝え!」
店長の怒鳴り声で戻らざるを得なかった俺には二人を止める術などなく。
酒の入った声のデカい野郎共が二人、店内に響かない筈がなく・・・。
「でよ、そん時の顔がまたいじらしくってよ。可愛いんだこれが」
「かーっ!羨ましいこったぜ。旦那は果報モンだな!」
「だろ?なんたって俺の嫁さんなんだからな!」
勇魚さんも井灘さんも良い感じに酒が入ってるせいか陽気に喋っている。
可愛いと言ってくれるのは嬉しくない訳ではないけれど、連呼されると流石に男としてちょっと悲しい気分になる。
更に嫁さん嫁さん連呼されまくって複雑な心境の筈なのにどれだけ愛されているかをガンガン聞かされてオーバーヒートしそうだ。
「何故バイト中に羞恥プレイに耐えなければならないのか・・・」
「おい裕、いつまで赤くなってんだ。とっとと料理運んで来い」
「はい・・・いってきます・・・」
人が耐えながらも調理しているというのにこの銭ゲバ親父は無情にもホール仕事を投げて来る。
こんな状況で席に料理を運びに行けば当然。
「いやー、お熱いこったなあ兄ちゃん!」
「もう・・・ご勘弁を・・・」
「っははははは!」
茶化されるのは自然な流れだった。
勇魚さんと井灘さんのやりとりのお陰でスキンシップやらは無くなったが、祝言だの祝い酒だの言われて飲まされまくった。
咲夜の盃が無ければ途中で潰れてたかもしれない。
そんな揶揄いと酒漬けの時間を、俺は閉店間際まで味わうことになったのだった。
そして、もうすぐ閉店となる時間。
勇魚さんと一緒にずっと飲んでいた井灘さんも、ようやく腰を上げた。
会計を済ませ、店の前まで見送りに出る。
「じゃあな、あんちゃん。俺、マジであんちゃんに惚れてたんだぜ」
「はは・・・」
「だが、相手が勇魚の旦那じゃあ流石に分が悪い。幸せにしてもらえよ!」
「ありがとうございます・・・」
「また飲みに来るからよ。また今度、ごーやーちゃんぷうる作ってくれよな!」
「その時に居るかは約束できませんが、機会があれば」
からりとした気持ちの良い気質。
これもある種のプレイボーイなのだろうか。
「じゃあな!裕!勇魚の旦那!」
「おう!またな、井灘!」
「おやすみなさい、井灘さん」
そう言って手を振ってお見送り。
今日の三日月亭の営業も、これにて閉店。
店先の暖簾を下ろし、店内へと戻る。
「裕。そっちはどうだった?」
「こっちも終わりました。後は床掃除したら終わりですよ」
「ホント、この3日間マジ助かった。ありがとうな」
「いえいえ、久しぶりの接客も楽しかったですよ」
最後の客だった井灘さんも先程帰ったばかりだ。
店内の掃除もほぼ終わり、閉店準備もほぼ完了。
三日月亭のバイトももう終わりだ。
店長が近づいてくると、封筒を差し出してきた。
「ほい、バイト代だ。色々世話もかけたからな。イロ付けといたぜ」
「おお・・・」
ちょろっと中身を確認すると、想定していたよりかなり多めの額が入っていた。
店長なりの労いの証なのだろう。
「なあ裕。マジで今後もちょくちょく手伝いに来ねえか?お前がいると客足増えるし酒も料理も注文増えるしな。バイト料もはずむぜ」
「うーん・・・」
店長の申し出は有難いが、俺は俺でまだやらなければならない事がある。
悪くはない、んだけど余り時間を使うわけにもなぁ。
そんな風に悩んでいると、勇魚さんが俺の頭にぽん、と掌をのせる。
「店長、悪いがこれ以上裕をここにはやれねえよ」
「はは、旦那がそう言うんなら無理は言えねえな。裕の人気凄まじかったからな」
「ああ。何かあったらって、心配になっちまうからな」
今回は勇魚さんのお陰で事なきを得たけど、また同じような状況になるのは俺も御免被りたい。
相手に申し訳ないのもあるけど、どうすればいいか分からなくて困ったのも事実だ。
「お店の手伝いはできないですけど、またレシピの考案はしてきますので」
「おう。売れそうなのを頼むぜ。んじゃ、気を付けて帰れよ」
「はい、店長もお大事に。お疲れ様です」
「旦那もありがとうな」
「おう、おやすみ」
ガラガラ、という音と共に三日月亭の扉が閉まる。
店の前に残ったのは、俺と勇魚さんの二人だけ。
「じゃ、帰るか。裕」
「ええ、帰りましょうか。旦那様」
「おっ・・・。へへ、そう言われるのも悪くねえな」
「嫌味のつもりだったんだけどなァ」
そう言って俺と勇魚さんは笑いながら屋敷への帰路につくのであった。
後日―
三日月亭に買い物に来た俺を見るなり、店長が頭を下げてきた。
「裕、頼む・・・助けてくれ・・・」
「ど、どうしたんです店長。随分疲れきってますけど・・・」
「いや、それがな・・・」
あの3日間の後、事あるごとに常連客から俺は居ないのかと聞かれるようになったそうな。
俺がまだ島にいるのも事実なので連れて来るのは不可能だとも言えず。
更に井灘さんがちょくちょく仲間漁師を連れて来るらしく、『姿が見えない料理上手な可愛い店員』の話だけが独り歩きしてるらしい。
最近では聞かれ過ぎて返す言葉すら億劫になってきているそうな。
ぐったりした様子から、相当疲弊しているのがわかる。
「な、裕。頼む後生だ。俺を助けると思って・・・」
「ええ・・・」
それから。
たまーに勇魚さん同伴で三日月亭にバイトに行く日ができました。
更に後日。
勇魚さんと一緒に『網絡め』という儀式をすることになり、勇海さんに見られながら致すというしこたま恥ずかしいプレイで羞恥死しそうな思いをしたことをここに記録しておきます。
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